何かもう、ムラムラが止まらんかった。
2から。
暗がりに幼い子供の啜り泣く声が微かに、幽かに響いている。
窓から差し込む星明かりでもゴミで散乱した室内が明らかに見て取れた。
その部屋の片隅でボロボロのシャツ一枚の子供がうずくまって泣いている。
泣いていた子供だが不意に泣くのを止め、顔を上げて怯えた表情を顕にした。
その耳に『この部屋本来の主』が帰ってくる足音が聞こえたからだ。
(やめて、こないで……)
子供はこの部屋に来てからその足音を聞く度にそう願うが、その願いはいつも叶わず、
玄関の古びた鉄で出来た扉は歪んだ軋み声を上げ、地獄の門が開くが如く開け放たれる。
「コヘビー、ご主人様のお帰りだぞー」
今夜もグデングデンに酔っ払ってるらしき様子の声で男が叫んだ。
コヘビとは今帰って来た男が子供に付けた呼び名だった。
コヘビと男の出会いは本来ならありえない出会いだった。
男は元CCGの職員で、コヘビは喰種だったからだ。
近隣の通報で男はパートナーと都内のとあるマンションを訪れ、抵抗するコヘビの両親を『駆除』し、
情報を元に部屋の中に『駆除』したばかりの喰種の子供が居ないか捜索してる中で、男がクローゼットの中に
隠れるコヘビを見付けた。
コヘビは男に見付かった瞬間、(もうダメだ)と絶望したが、なぜか男はコヘビを一瞥するとクローゼットを
閉めてパートナーに「子供はどうやら逃がされたようだ」と報告して帰ってしまった。
コヘビは男の行動の意味が分からず、見逃された後も怖くてクローゼットの中で
呆然としていると、人の気配がするのを感じた。
クローゼットが再び開け放たれる。気配の正体はコヘビを見逃した男だった。
男は感情の無い眼差しでこう告げた。
「お前、俺の好みだから助けてやるよ。でもその代わり、一生俺のペットだから」
幼いコヘビは『その瞬間は』男が神とか天使に見えた。
CCGが来て両親が殺された時点で自分も終わりと思っていたところに差し伸べられた手が、とても有り難く感じた。
それがたとえ親を殺した相手であっても。
でも、コヘビはこの時点ではまだ男の言葉の意味をちゃんと理解していなかった。
『ペットになる』それが何を示すのかを。
そして天使に生える翼は、白鳥の翼の様な優雅なモノでは無い事を知らなかった。
コヘビ、と呼ばれる事になったのは男の部屋に連れ込まれて二日目のことだった。
初日は喰種が食べられない人間の食べる物を食べるのを強要され弄ばれて終わったが、コヘビの性別が女だと判った男は
まだヒトケタ●歳のコヘビの服を剥ぎ、強引に身体をまさぐり始めた。
知識は無いが、その感覚のおぞましさに生まれて初めて喰種の武器である赫子(カグネを発動させてしまう。
その時のまだ幼いカグネの形が蛇のようだったので、面白がった男が彼女の事を『コヘビ』と呼び出したのだ。
コヘビは初めて出したカグネで必死に抵抗するが、相手はCCG職員。
幼いコヘビ程度では歯が立つ訳も無く、強引に押し倒されてまだ生物的に準備を終えていない身体に
男のモノを強引にねじ込まれて『オンナ』にされてしまった。
その時男は初めての行為にあえて時間をかけた。
それは別に幼いコヘビの身体を労ってではなく、小さくても頑強な喰種の身体を楽しむためだけにだ。
狭い場所を強引に散らされたのだ。余りの激痛に悲鳴を上げるコヘビだったが、近所の目を気にした男が
「これ以上叫んだら殺す」と脅してきたので残りの行為の時間は必死に声を出すのを堪えてやり過ごした。
それが男とコヘビのハジメテ。
された事に対してあまりのショックにその夜は眠れず、汚い布団の上で壊れた人形のように身体を投げ出したまま呆然と
していると男が部屋を出る気配を感じた。
多分出勤だろう。
その時脳裏によぎったのは、こんな扱いを受けるくらいなら……いや、きっとこれからも受け続けるのだろうから、
あの時お父さんとお母さんと一緒に殺されていれば良かった、だった。
それから毎晩男からの性的虐待は続いた。
抵抗してカグネを出すも、男にとっては片手でひと捻りで相手にならず、コヘビは陵辱し続けられる。
食事は殆ど与えられなかった。
少なくとも、男の部屋に来て一ヶ月経った時は何も与えられてはいない。
せいぜい、水とコーヒー。
コヘビは人間の食べ物は食べられないので男の部屋に置いてある
冷蔵庫に入っているものは何一つ口にできないので、お腹が空いて空いて仕方が無かった。
そんなある日だった。
香しくも懐かしい匂いが、男の帰宅と共にしてくるのを感じて
玄関に走ると、帰って来た男は一つの青いスポーツバッグを抱えていた。
匂いはそのバッグの中から。
男はコヘビの様子を見ると、意地の悪そうな笑みを浮かべて「やっぱりお前は喰種なんだな」と言った。
そしてバッグをその場に降ろすと、口を開けて中身を見せてきた。
瞬間、コヘビ目が赫眼(カクガン)に変わり、顔が喰種特有のモノに変わる。
中にはどこで用意してきたのか、切断された人間の『部品』が詰まっていた。
多分バッグに詰めるために解体したのだろう。
バッグの中から腕を一本取り出し、男はコヘビにチラつかせる。
「ホレホレ、食べたいか?」
「あ、あ……」
コヘビは空腹で死にそうだったので本能のままに男がかざす腕に飛びかかろうとするが、
男はそれを避けてコヘビの手の届かない高さに持って行ってしまう。
「ふふ、ここに連れてきてから水とコーヒーしか飲んでなかったもんな。お腹すいてるよな。
分かるぞー? でもな……ご主人様から御飯を貰う時は、最初にやる事があるとは思わないか?」
「ちょうだい、ちょうだい……ご飯ちょうだい……」
「だから、ちゃんとやる事やったらあげるっつんだろ? ほら、ご主人様にご飯貰う時はぁー?」
苛立ち混じりに急かす声にコヘビは幼い頭で懸命に考える。
この男が食事をくれそうなことは一体何か?
取り敢えずいつもされているように四つん這いになって男に丸出しにされたままのお尻を向けて振ってみる。
「違げぇーだろこのクソガキが! それは食後のご奉仕だろ。貴様はケツで食事するのか? ぁあ?!」
「ギャン!」
男は向けられた尻を革靴のままで股から蹴り上げる。
コヘビは悲鳴を上げながらも、そこでやっと気が付く。
そして多分正しいであろう『お願い』をもう一度してみる。
痛みで這いずりながらも男の前に戻ると、正座して頭を下げてお願いしてみる。
「ごしゅじんさま、おねがいします、私にごはんを、ください……」
「お、意外と早めに正解が解ったみたいじゃん。ガキのくせに頭イイのな」
そう言って男はコヘビに腕を差し出し……と思いきやナイフを持ち出して
その手の指の一本を切り取るとそれだけコヘビの前に放った。
(へ……?)
お手手くれないの?
コヘビは疑問符を浮かべながらも空腹に任せて指を齧った。
もっとくれないのかと思ってうずくまったまま見上げるが、したり顔をしたまま
男はそれ以上コヘビに肉をくれる様子は無い。
「もっと欲しい?」
男の問いに必死に頷くが、男は手にした腕をバッグにしまい直すと、
「また今度な」と言って部屋の中に入っていってしまった。
「ごはん……」
寂しげにそう呟くコヘビだけが玄関に残された。
そしてその晩も、コヘビは男に思うがまま蹂躙しつくされたのだった。
空腹をみたせぬまま……。
でも、指一本でも何も食べられなかった一ヶ月を考えたら大分マシだった。
それから『食事』の時は男の気まぐれな思考を読んで懇願して男の気が済めば、
僅かだが与えてもらえるようになった。
気に入らなければ食事無しなのでコヘビは必死だ。
一回にもらえる量はとても少ないので逃すわけにはいかない。
男は人肉を調達する様になってからは勝手に食べられない様に冷蔵庫に鍵を付けた。
そして用意する人肉はコヘビを弄ぶ期間に見合った量を適当に用意している様だった。
だが幼いコヘビでも解る。
両親を殺される前も人肉を食べていたので、人肉を用意する難しさを。
両親は身元が判らなくなっても大丈夫そうな浮浪者からか、20区にあるという人を殺さないで人肉を調達という
店から食事を用意していたが、あの男はどうやって人肉を用意しているのだろう?
世間を知らないコヘビは、男がCCGに居たからこそ逆に人肉が用意できたという事を、この時まだ知らなかった。
コヘビを家に引き入れて間も無くの事。
「え、君辞めたいの?」
男がCCGの上司に辞表を持っていくと、『またか』という顔をされた。
CCGは仕事の性質上、生命の危険を脅かされる仕事が多いので入ったものの辞めていく人間は多い。
「ええ、やっぱり俺には向かないみたいで」
「そ、そーかなー? 君の成績、なかなか良いし、昇進願いもだそうかと思ってたくらいだったのに」
「そうなんですか? 光栄です。でも、やっぱ、辞めたいです」
「どうしても?」
「ええ」
喰種を家に飼っているのに勤め続けるのは難しいですから。と、
心なかで呟きつつ淡々と答えていると、上司は溜息を吐いて了承してくれた。
「残念だよ……君みたいな優秀な人材が辞めるのは」
上司は本当に残念そうにしていたが、男はどうでもよかった。
そんな事より偶然手に入れた『珍しいオモチャ』の方が大事だったから。
「あ、そうそう。すみません……先日の駆除作業でクインケ1つ壊してしまったので、
最後に申し訳ないんですけど、破損届け出しておきます」
「分った処理しておくよ」
上司は男から書き込み済みの申請紙を受け取ると、あっさり自分の事務作業に戻った。
男は上司に背を向けると、誰にも分からないようにクスリと笑った。
そして今夜もあの男が帰ってくる。
コヘビは部屋の隅で足音に怯える。
自分は喰種なのに、カグネ持ってるのに、どうしてあの人間に勝てないの?
どうしてこんな怖い目に遭ってるの?
(もうやだよ……!)
「コヘビー帰ったぞー! 飯が欲しかったらちゃんとお出迎えしろー!」
男の呼び声に必死になって玄関に向かうと、正座をして頭を下げて。
「お帰りなさい」
をした。
「おー良い子で待ってたか?」
男が下げる頭をワシワシ撫でてくる。
今夜は機嫌が良さそうだ。
「今日は、何か良い事あったんですか?」
思わず訊いてみる。
すると男は、満面の笑顔で「ああ」と返事した。
たまにあるのだ。凄く機嫌の良さそうな時が。
何が彼をこんなに期限良さそうにさせるのかは知らないが、こういう時の男は嫌いじゃなかった。
ご飯も普通に少し多めにくれたりもするからだ。
でも、私からご飯をねだると機嫌を悪くする事が多いので、
お腹は空いていたが、黙ってニコニコしておくだけにした。
そうしたら案の定『ご飯』を普通にくれた。
いつもは『オネダリ』してやっと欠片しかくれないけれど、こういう時は5cm以上の
大きさはある輪切りの肉をくれたりする。
悔しいけれど、私の身体はこれだけの量食べれば暫くはオネダリの量をたまに貰う程度の食事でも生きていける。
私は知らず知らずすっかり彼の、文字通りペットに調教されきっていた。
最初はキツかっただけの『ご奉仕』も、今は前より楽に出来るようになったし、
最近彼に身体を触られると変な気分になる。
あと、変なシビレみたいのを感じて体がクタっとしてしまう。
この感覚は嫌いじゃないかも。そんな事を思う。
私はご奉仕が、嫌いじゃなくなってきたかもしれない。
彼も意地悪なだけじゃなくてこういう時もあるから、機嫌の良い時は嫌いじゃない。
でも、別に好きになった訳じゃない。
お父さんとお母さんを殺されたのは変わらないし、気分でヒドイ事をしてくるのは変わらないから。
(この男から解放される方法は、無いのかな?)
男をおとなしくさせるための笑顔の下でそんな事を考える。
折角カグネを持ってるんだから、人間の身体なんて本当なら簡単に壊せるはずなのに。
でもそれをするにはまだ力が足りないみたい。
コヘビは溜息を吐く。
だがその力の量に関しても、男が警戒して食事量を調節している事には子供のコヘビは気付かない。
裏ぶれた路地を1人の女が疾走して行く。
その表情は恐怖に染まっていた。
そしてその後ろからは、あの男がサバイバルナイフを手に追いかけていた。
「いやっ! 来ないで!」
女は走りながら男に向かって悲鳴じみた懇願をする。
しかし男は無言で距離を詰めて女に追いつくと、服を掴んで引き止める。
「つーかまえた♪」
「いやあああああああ!!」
「叫んでも無駄だよ。ここは喰種御用達の狩場だから、叫んだところで通行人は来ない。
残念ながら助けは望めず君は死ぬ。そして俺と俺のペットの餌になるんだ、よ!」
そう言って首の大動脈目掛けてナイフを振り下ろした。
その瞬間大量の血が首から溢れ出て、女は出血性のショック死を起こした。
CCGに居た頃は喰種を相手に戦っていたのだ。
それを考えれば一般人の女など、ヒラヒラ舞う蝶を仕留める様なもの。
男は喰種を相手にする内に殺人衝動の魅力に取り憑かれていた。
しかし喰種相手は命の危険があるので、どうしようか迷っていたところで
コヘビを拾い、踏ん切りがついた。
幼いとは言え害獣である喰種を弄べて、CCGで培った知識と身体能力で人間も弄ぶ。
消えたらみんな喰種のせいになるように犯行は喰種の狩場を選んでやっている。
CCGに居た時に重点警戒区域という名目で色々と情報が入ってきていたのでそれを頼りに動いている。
もし、本物の喰種が来たら退職の時にくすねておいたクインケで対応しながら逃げれば良い。
戦ったら壊れるかも知れないし、自分はもうCCGの人間では無いから戦う義務もない。
俺はただ、自分が楽しめたらそれで良い訳で。
人殺しを楽しんでる時点で俺はもう喰種を差別出来る立場では無いのだ。
そう、コヘビの食事は男の楽しみの『ついで』に用意されていたのだった。
コヘビの一日は酷く単調だ。
朝、仕事に行く男を見送った後は遊び道具1つ無い部屋でひたすらボーっとするのが日課。
大体家族が揃っていた頃の楽しかった記憶に思いを馳せたり、テレビを見て過ごしている。
そしていつの間にか夜になっていて、男が帰ってきて『ご奉仕』をして寝る。
これだけ。
変わった事といえば、男が居る間は男を楽しませるために道化になって変な事をしたり、
蹴ったり殴られたりする事があるくらいだ。
部屋からは絶対出してもらえない。
いや、出られない。
何故ならコヘビはボロボロの大人のTシャツ一枚という異様な格好だし、
アザだらけでガリガリだし、喰種だからだ。
普通の人間なら助けを求められるところだが、保護されたら直ぐに自分が喰種だと言う事がバレてしまうだろう。
そうしたら、何をされるか解らない。
コヘビは色々ありすぎて、一番最初に自分が恥ずかしめを受けた時に死にたいと思った事はすっかり忘れていた。
だから逃げ出してバレた方が殺されてお父さんお母さんの所に行けるという発想が思い浮かばず、
ただただ男への恐怖にひたすら悩んでいた。
でも、このままでいるのも嫌だった。
彼女は意外と精神的にタフな子だったのかもしれない。
いや、喰種という生き物の本能が弱者の立場で有り続ける自分に違和感を感じさせていたのかもしれない。
気が付けば男に抵抗する時にしか出せなかったカグネが自由に出せるようになっていた。
でも、それは男に黙っておこうと思った。
そして使いこなす練習をこっそり始めた。
「コヘビー帰ったぞー」
今夜も良い狩りが出来た。
個人的には若い女を解体するのが一番好みだが、この日解体したのはあどけない面差しの高校生だった。
気持ち良く殺しが出来ると本当にスッキリする。
生き物の命を自分の手で自由に出来ると言うのは最高の快感だ。
因みに殺しの頻度は月に1回か2回くらい。もっと殺りたいがそれ以上は危ない。
殺人というだけで危ない橋を渡っているし、確実に殺せる獲物を確実に追い詰められるように
準備しなくてはいけないので大体そのぐらいになってしまう。
コヘビが疑問に思っている『機嫌の良い日』は殺しが上手くいった日だった。
俺の帰りに合わせてコヘビが玄関にやってきて出迎えて来る。
先日三つ指でのお辞儀を仕込んだので、それ以降はその仕草でのお出迎えだ。
喰種も餓鬼だと可愛いものだな。
そんな事を思った。
今夜も少し多めに食事させようと思ったが、コヘビを部屋に連れてきた時と、今の体格の違いに気が付いて考える。
(連れてきてからどのくらいだったか……コイツ成長した?)
子供の成長は早い。確かに人間と喰種の成長速度はほぼ変わらないが、短期間の間にコヘビが僅かながら逞しくなっている。
これは男が居ない間の特訓のせいもあるかもしれないが、1年経たなくてもコヘビは確実に背も伸びるなどの変化が見て取れた。
なお、毎日の『ご奉仕』のせいもあってか、ボロボロでも同じ年頃の子供よりは大分色っぽいなと思った。
小さいから自由に出来ると思ったし、出来ているから拾ってきたものの、
『コレ』がそれなりに成長したらどうなるんだろう?
(一応カグネも出せるが、今のところは自由に扱えないみたいだけど……)
色々やってるし、力ついたら復讐とかしてくるんだろうか?
一応それを警戒して今から餌のコントロールはしてるけれども。
適当なところで殺してしまおうか? そんな思考が脳裏を過る。
「ごしゅじんさま? どうかしましたか?」
考え込んでいたらコヘビが顔を覗き込んできていた。
「あ、いや……別に……それより、飯欲しいか?」
訊ねるとコヘビが頷く。
「じゃあ、何か俺があげたくなるような事でもしろ」
吐き捨てるように言うと、彼女の表情が固くなるのが見えた。
冷蔵庫にはいつも太い丈夫なチェーンと錠前が付いている。
私が勝手に食事をしないようにだ。
あの中には私も食べられる人肉が詰まっている。
(ああ、あれをお腹いっぱい食べれたらな……)
そうは思うが、私の力では壊せそうには無い。
カグネで壊せないかと思ったが、傷でも付いているのがバレたら何をされるかわからないので、それが怖くて出来無い。
そう言えばカグネといえば、私のカグネはあの男に『コヘビ』と呼ばれるように細長いものが背中から
一本出るだけかと思っていたら、色々試す内に複数出せる事が判った。
丁度、両方の肩胛骨の辺りからブワッと。
何本出せたっけ?
少なくとも今は片方で5本。合計10本くらい。
頑張ったらもう少し出せそうな感触はある。何故なら何となく出していなくても皮膚がゾワゾワするから、その部分はきっと出る。
(これを自由に使いこなせたら、あの男をどうにかできないかな?)
動かすだけなら結構自由に動かせるようになってきた。
一本一本別々の動きをさせてみたり出来るようにはなってきた。
でも、どうしても力が足りない。
食事の量のせいだ……。
一度お腹いっぱいの状態で威力が試せたら良いのに。
でも、それには冷蔵庫をどうにかしないといけない。
(それともあの男が持ってくる時を狙って奪う?)
いや……失敗したらタダでは済まない。
あの男はCCGの人間だから、武器も持っているだろうし、そう簡単には奪わせてくれないだろうし、
奪えるくらいならとっくにもう殺せてる。
コヘビは男がCCGをもう辞めている事を知らなかった。
カグネが自由に使えるようになっていくほど、コヘビそのジレンマにコヘビは苛立ちを募らせていった。
コヘビの成長を感じてから、俺は酒を夜に飲んで帰るのを止めた。
飲むなら昼か、酔いが醒めてから帰る。
アイツは小さくても喰種だ。
もう酩酊した無防備な状態で帰宅したら、万が一という事もある。
こういう発想と行動が出来るあたり、CCGでそれなりの戦歴を誇っていた元捜査官だ。
彼の感は間違っていない。
コヘビは着々と喰種として育ち始めていたが、
でも男はまだ予感でしかそれを感じ取っていなかった。
彼女がもうカグネをかなり使いこなせるように
なっている事には気が付いてはいなかった。
そういう風に育てているのが自分とも知らずに。
そしてまだ気が付いていない事があともう一つ。
暴力を加えるとささやかながら抵抗して発動していたカグネが、男の前では姿を見せなくなっている事に。
これはコヘビがそれだけカグネを使いこなせるようになってきた証拠だったりする。
(あと1年くらい遊んだら処理するかな……そう言えばCCGの時の仲間がすげぇベテランが餓鬼相手に死んだって言ってたな……
いくつくらいの餓鬼にやられたんだろ……おっ、あの子カワイイ♪ 次の標的にしようかな)
街をブラつきながらそんな事を考えるも、標的にしたくなる好みの子を見付けて思考を切り替えた。
(肉、肉、肉……肉……)
あの冷蔵庫を開けたらお肉がいっぱい詰まってる。
あのチェーンを外せばお腹いっぱい食べられる。
いっぱい食べたら力がいっぱい出る。
そしたらあの男が殺せる。
ある日コヘビは、壊してもバレないように、本棚をどかして壁を攻撃してみた。
コヘビの全力攻撃に壁はまるで豆腐やゼリーみたいあっさり崩れ落ちた。
よく考えれば隣の部屋の人間の存在を考慮すべきだったが、幸い借り人の居ない無人部屋だった。
コヘビは壁の穴を本棚で隠すと――そもそもコヘビが動かした本棚自体、背も高い上に本が
沢山詰まっていて小さな子供が動かせる様なシロモノでは無かった。
しかしコヘビはその本棚もテーブルの上のコップをずらすが如く動かしていた事に本人も気が付いてはいなかった。
ただ、カグネの威力がそれなりに確認出来た事で十分だった。
男の感じている予感はもう、秒読み段階になろうとしていた。
カグネの威力に確信を持ったコヘビは、思い切って冷蔵庫攻略に踏み切る事にした。
もう男に見つかっても良いと思っていた。
この時点で彼女が背中から出せるカグネは合計で20本くらい。
攻撃すれば燃料不足でも壁はあの通り。 だから冷蔵庫もやれそうな気がした。
冷蔵庫がダメなら、それこそダメ元で男を襲う。
暫く一緒に生活していて、機嫌良く帰ってくる日の間隔にはある程度一定の法則があり、
機嫌が良い日は必ず餌を持って返ってくる事も判った。
そしてそういう日は出かける時からいつもと違う雰囲気を出してる事にも気が付いた。
今日はその『機嫌良く帰ってくる予感のする』日だった。
だからやるなら今日しか無い。
今日を逃せばまたチャンスを待たなくてはいけない。
違ったら違うでまた待つ。
冷蔵庫開けられなかったら私にはまだその力がないって思われて殴られるだけ。
あの男は私が部屋に来てから武器は見せびらかすばかりでまともに使って来てはいない。
何かする時は武器では無く、素手とか蹴りばっかりだった。
だから死なない。大丈夫。
冷蔵庫を前に高鳴る心臓。私は大きく深呼吸をすると、カグネを冷蔵庫に向けた。
帰宅して、コヘビに声を掛けようとして止める。
何か様子がおかしい。
嗅ぎなれた匂いが玄関まで漂って来ている。
(これは……血の、匂い……?!)
俺は慌てて靴も脱がずに部屋に走り込むと、グチャグチャとしたベタついた音が暗い部屋の静寂を乱していた。
音の元は――冷蔵庫の方から。
原型を留めない箱だった物から、引きずり出されたモノが貪り食われていた。
『あの』、コヘビに。
「お前何やってんだよ! 誰が勝手に食って良いっつった?!」
俺が怒声を上げると、冷蔵庫に入っていた死体を貪っていたコヘビが食べるのを一旦止め。
「おかえりなさい、ごしゅじんさま」
と、血まみれのまま微笑んだ。
瞬時、俺はたまたまカバンから出していたクインケを発動させる。
俺の持っていたクインケは翼のようなカグネを持ったグールから作られた物なので、広がったそれは襲って来たコヘビの無数のカグネを寸の差で塞ぐ。
(ちぃっ、案の定育ってやがったか! しかもコイツは今、思う存分捕食した状態だ。初めての戦闘はいえこのカグネ、俺が見てないところで特訓でもしてやがったか!)
暗がりの中で赤い目を光らせるコヘビから放たれる無数のカグネを捌きながら、予感を感じた時点でさっさと処分しなかった自分を呪う。
一応自分がコヘビに何をしているのか自覚があっただけに、ここまで育ってしまった彼女のカグネの一本一本から憎しみが溢れ出ているのを感じる。
「ぐっ!」
避けきれなかった一本に頬の肉を抉られ、呻く。
こんな餓鬼喰種相手に俺は一体何をやっているんだ。
そうは言っても、CCGを抜けてから大分経つし、それからは人間くらいしか相手にしていない。
だからウエイトトレーニングもCCG時代ほどはやっていないし、そもそも喰種との戦闘は極力避けてきた。
そのツケが今、初めて人間を襲うコヘビ相手に苦戦するという形で出ているのだ。
アイツはきっと俺が呑気に遊んでる間、俺に復讐するために血の滲むような努力をしてきたのだろう。
(そう言えば本棚には喰種対策用の本が結構置いてあったはず。コヘビの奴は文字は読めたのか? 読めたならきっと、
漢字が読めなくても読める範囲で参考ぐらいにはしている可能性も……いや、でもあれは子供が読むには……)
しかし、コヘビはああ見えて頭が良い。
馬鹿なのは文字が読める読めないの確認すら、ずっと暮らしてきて確認もしてこなかった俺の方だ!
ついに物量に負けて俺は跳ね飛ばされはしなかったが、クインケごと壁に押し付けられる。
「ごしゅじんさま。今日は何をして遊びますか? あ、もうすでに遊んでましたね。どうですか? 私のカグネ。
ご主人をびっくりさせようと思っていっぱい練習して沢山出して使いこなせるようにしてみたんですよ?」
愛らしい笑みを浮かべたままコヘビが語りかけてくる。
「っ……!」
俺は返事をせずにクインケを盾にコヘビのカグネから逃げて距離を取る。
たった今俺の居た場所の壁がコヘビのカグネで消え去った。
あのまま居たら俺があの壁だったという事か? ミンチじゃないか!
(俺は殺すのは好きだが、殺されるのは真っ平御免だし、ミンチは趣味じゃねーな!)
再び俺を追うカグネをクインケで強引に払い除けると、一瞬の隙を見つけて
コヘビまで間合いを詰め、空いた手でサバイバルナイフを持ち出して突きつける。
「ふん、やっぱ餓鬼だな。隙だらけなんだよ……下手な事をしたらコレがお前を貫くぞ」
と言いつつも、サバイバルナイフなんか喰種の皮膚を通る訳は無い。だがコヘビはきっと
知らないだろうから脅しには丁度良いだろう。
俺が今まで武器を使った仕打ちをしてこなかったのはそれを知られないためだ。
コイツの親が『刃物なんて大した事無い』って教えてでもいない限り、有効なはずだ。
ナイフを突きつけられ、コヘビが歪んだ硬い表情で俺を見上げる。
涙は出ていないが、最初の頃の泣きじゃくっていた時のコヘビの顔だ。
どうやら脅しは効いている様だ。
「カグネを仕舞え。そうしたら今日のオイタは許してやる」
彼女は言われるがまま伸ばしていたカグネを仕舞っていく。
(これはもう殺すしかないな。コイツがカグネをしまった瞬間を狙ってクインケで……)
だが、不意にコヘビが後ろに向かって跳躍した。
「は……?」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
次の瞬間、俺の目の前には空を舞い天使の翼のようにカグネを広げる様なコヘビが居たのだけは憶えている。
俺は慌ててクインケで抵抗するも、身体中をあっと言う間に串刺しにされ、その場に崩れ落ちた。
瀕死ながらも震える手で、手から離れたクインケに手を伸ばすもコヘビの素足が踏み潰した。
そして俺の意識は徐々に薄れていった。
最後に聞いた言葉は……。
「ねえ、ごしゅじんさま。本棚の本に書いてあったけど、天使の羽って
猛禽類って言う狩りをするような鳥の翼なんですって。
わるい悪魔を倒す天使の羽が、優しいモノで出来てるはず、ないですよね?
ねえ、ごしゅじんさま。私たち、どっちが悪魔だったのかな?」
喰種を狩るCCGと、CCGの仕事をやる中で目覚めて、
シリアルキラーになるためにCCGを辞めた俺と、
その俺に何も知らない純粋な子供のまま蹂躙され続けた喰種のコヘビ。
(確かに、誰が天使で、誰が悪魔なのかわからないな……)
そんな自嘲じみた思考を最後に俺の意識は途切れた。
終
(決めた 後で加筆する! ぼかした部分加筆する! これじゃネタ消化は出来てもサティスファクションできなかった!)
このSSまとめへのコメント
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