櫻井桃華「あら、あなた忘れ物をしておりますわよ?」都築圭「ごめん、静かにして」 (123)


櫻井桃華
http://i.imgur.com/XFDjMch.jpg?4

都築圭
http://imgur.com/ch0RpDm



TV局・ホール



桃華「な……っ」

圭「あ、これで……繋がって、ルバートで解き放てる…………」

桃華(なんですの? せっかく楽譜が椅子に置いたままになっていると教えて差し上げようとしましたのに……)

圭「メモしとかないと……。君、渡してくれるかな?」

桃華「え、この楽譜かしら?」

圭「うん」

桃華「よろしくてよ。持ってって差し上げましょう」トテトテ

圭「あ、待って」

桃華「はい?」

圭「…………………フォルテシモがあまりに効きすぎてる……違うな……」フラフラ

桃華「ど、どこにいきますのっ? 楽譜を忘れていましてよ!」

圭「あれ。なんで……こんなアンダンテから始めようとしたんだっけ?」

桃華「何を言っていますの? あなた……酔っ払ってらっしゃる?」

圭「うん? いや、酔ってはいないよ。紅茶しか飲んでいないし……ああ、楽譜か。ありがとう」

桃華「ええ、しっかりなさいな」


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1409392342


圭「あれ? ペンが無いや。君、僕どこにペンを置いたか知らないかい?」

桃華「それは存じませんわ……」

桃華(なんというフラフラした殿方なんでしょう)


圭「ああ、あったあった。シャツの方に入れてたんだった。これで書ける」

桃華「良かったですわね」

圭「さて合流までまだ少し時間があるね……ピアノ、弾きたいな」

桃華(ピアノ? 作曲をなさっておいでだったのかしら?)

圭「ピアノ……どこかにあるかな…………」フラフラ

桃華「あっ、またフラフラと!」

桃華(どうしましょう。Pちゃまが来るまで時間があることですし……)


桃華「ノブリスオブリージュ……アナタ、待ちなさいな!」

圭「うん? どうしたの」

桃華「わたくしがピアノがあるところまで案内して差し上げますわっ」

圭「本当かい? 助かるよ。ありがとう」

桃華「道に迷う人に義を見せぬとあっては櫻井の名折れ。それにアナタ、危なっかしくて見ていられませんわ」

圭「そうかな? 君はしっかりしてるね。……あ、あそこの部屋にピアノないかな?」テクテク

桃華「そっちではありませんわっ! もうっ、ほらっ! 手を繋いでいきますわよ!」ギュッ

圭「ああ、これなら迷わない。ありがとう」


――Music room


圭「へぇ……楽器がいっぱい。こんな所あったんだ」

桃華「さる音楽プロデューサーがいつでも気軽に楽器に触れられるようにと、設けたらしいですわ。わたくしのプロデューサーが言っておりました」

圭「ヤマハか……」


――♪ ♪


圭「うん、いい音だ」

桃華「ピアノをお弾きになられるのですわね? わたくしも、心得がございますわ」

圭「椅子の高さも、うん……これで。じゃあ……」

桃華「嗜みとして、ピアノは弾けるようになるべきだと。ピアノはわたくしも好きで」


圭「…………」



指が、鍵盤を、滑り――




―――――― ♪ ♪ ♪ ! !




桃華(……えっ?)


旋律が瞬く間に溢れだす。



桃華(なっ、なんですのこれは……!)



肌が音に震えた。



紡ぎ出された音楽は意外にもパワーピアノのそれ。

しかも、繊細なプレストと、高速の指運びが両立されていて。

研ぎ澄まされた技巧が、闊達なルバートを溢れさせ、思うままにテンポを加速させていく。


高まるようにフォルテッシモ。

風を得ていくアッチェレランド。

――雄大にして緻密。


その圧倒的なまでの音の奔流は、容易く桃華の意識をさらっていった。



圭「ふふ……っ」


桃華(この方……笑いながら、こんな、曲を……!)





♪♪!   ――♪♪!   ―♪♪ ! ! !





急流の様なアルペジオが、盛大にダイナミクスを響かせて。

いっそ唐突な程に――その曲は終わりを迎えた。



圧倒感の余韻が部屋に濃密に漂い、そしてそれは奏者の声で和まされる。



圭「うん、思ったよりもいい感じで安心した。―― Vielen Dank fuer Ihre Aufmerksamkeit」

桃華「はい……っ!?」

圭「ご清聴ありがとう。どうだった?」

桃華「え、ええ、素晴らしかったですわ! えっと、なにか……なんというか、地面が揺るがされたような……でも、いい気持ちで……」

圭「そう」

桃華(こんなピアノを弾ける方でしたのね……!)

桃華「えっとえっと……アナタの演奏にふさわしい表現を探しているのですけれど――」



音葉「――――天から降る祝福。それを讃える万感の声、声、声」



桃華「あら、音葉さんっ?」

音葉「いじらしき人の身に、世界の理の欠片が怒涛のような救いとなって。――祝祭と癒しとその激しさが満ちた箱庭の旋律。奏でたのは貴方?」

圭「うん。チャリティコンサートに贈ろうと思ってね」


梅木音葉
http://i.imgur.com/tTNrXoZ.jpg?1


圭「君……随分、この曲に“入って”くれたみたいだね。嬉しいよ」

音葉「この部屋を訪れようとしたら、先程の曲が響いてきて……貴方の世界が視えました。そして……得がたき出会いだと直感しました」

桃華(得がたき出会いって音葉さん……)

音葉「私は梅木音葉といいます。音楽で世界を謳い、暴く貴方のお名前は?」

圭「名前? 都築圭だよ。世界を暴くっていうのも大げさ。僕ただ、音楽しかないだけだよ……」

桃華「つづき……けい、さん」

圭「梅木さん。君、ピアノ弾けるね」

音葉「はい」

圭「やっぱり。このアリアわかるかな?」

桃華「あの、わたくしも名前を……」


――♪ ♪~


桃華「あら、軽やかな……」

音葉「……リゴレット。『女心の歌』ですね。……あなたは公爵だと?」

圭「えっ、ヴェルディが好きなだけなんだけどな……でも、君、よく知ってるね。音楽は幼いころから?」

音葉「はい。父と母がクラシック奏者でしたので。私自身はアイドルをしています」

桃華「わ、わたくしもアイドルですわ!」


圭「へえ君達もなんだね。驚いた……僕も、色々あって表舞台でアイドルをしてるんだ」

桃華「そうなんですの!?」

音葉「貴方が紡ぐ歌…………どんな色かしら」

桃華「そうですわ……あのぅ、名乗ってもよろしくて? 都築さん」

圭「あぁ名前を聞いていなかったね」

桃華「おほん、わたくしは櫻井桃華ですわっ」

音葉「桃華ちゃん。あなたどうしてこの人と?」

圭「ここまで案内してくれたんだ。ありがとう櫻井さん」

桃華「そうですわっ! えへん、わたくしがこの方にピアノを弾かせて差し上げたのですっ!」

圭「助かったよ。そうだ……君もピアノやるんだよね。ちょっと聞かせてくれないかい」

桃華「えっ、アナタと比べられては弾けるうちに入りませんけれど……」

圭「そんなの、気にすることないよ。イメージのリセットを兼ねて、誰か他の音を聴きたいんだ。弾いてくれるとうれしいんだけど」

桃華「し、仕方ありませんわねっ!」


――

――――



モバP「あれ? 桃華、ここで待っているように言ったのにどこに行ったんだ?」

星花「あら、プロデューサー様、桃華ちゃんをお探しですの?」

モバP「あ、星花。もう収録終わったのか」

星花「ええ。恙無く」


涼宮星花
http://i.imgur.com/GUn4QY1.jpg


モバP「そうか。それは良かった。……それで、桃華を見ていないか?」

星花「さきほどお見かけしましたけれど、音葉さんといっしょでしたわ」

モバP「音葉と? どこで見たんだ」

星花「それは…………あら、あの方は――」





麗「都築さん……ど、どこにいったのだ……!」



神楽麗
http://i.imgur.com/uq2oWNw.jpg


麗「ここで合流しようと確かにわたしは話したはず……また、どこかに行ってしまわれたのか?」

麗「ゆ、誘拐などされてはいないだろうか……!」

麗「手がかり、手がかりはなにか無いか!」

麗(都築さん、あなたという人は……)




星花「神楽様、お久しぶりですっ」


麗「っ!? ――き、君は……涼宮さんか?」

星花「はいっ、御尊顔を拝し光栄の至り、ですわ♪」

モバP「うん? 星花、この少年と知り合いなのか?」

星花「以前、コンクールでお会いいたしましたの! 神楽様の演奏はまさに神業でしたわ!」

麗「あ、ああ……ありがとう。涼宮さんか、久しいな。君の演奏を覚えている」

モバP「ヴァイオリニストなのか。そう言えばどこかで見たような……」

星花「『天才的』なヴァイオリニストですわ! わたくし間近にその演奏を拝見してファンになりましたの! あのフラジオレットが織り成す神秘的な音! とてもわたくしの胸を穿ちました!」

麗「…………」

星花「パガニーニ国際コンクールにも出場なさったそうですわね! あの後活動はどうしたのかと思っておりましたが、TV局に来ているということはまたヴァイオリニストとしての――」

麗「待ってくれ……わたしは、今はヴァイオリニストではないのだ。その……あ、アイドルをやっている」

星花「えっ!? あ、アイドル?」

モバP「星花……少し、落ち着け」

麗「それですまないが、今はアイドル活動の相方の行方を探さなければいけないのだ……失礼させていただく」


星花「…………はっ! 相方? それはどんな方ですの?」

麗「どのような? ――こ、この雑誌の表紙の、わたしの隣にいる人がそうだ。都築圭という」スッ

麗(あの人は……そう、人間であるはず、だ)


星花「あら、この方……」

モバP「星花、あんまりこの子の時間を取らせちゃ悪いぞ。……それに、早く桃華を見たって場所に案内してもらいたいんだけど」

星花「ふふっ♪」

モバP「ん、どうした?」

星花「ご心配には及びませんわ。桃華さんと……この都築圭さんはいっしょにいましたもの」


麗「なっ!」

モバP「なにいっ」





――

――――

――Music room


♪ ♪ ~♪



圭「そうそう」

桃華「ふふっ、まだまだぎこちないですわね」

音葉「いいえ、いい音を響かせているわ。もう一度」


桃華「ええ! セコンド、またお願いいたしますわ」

圭「うん……Des-Durへの入り、うまくなってるよ」


――♪


桃華(たんたららん、たんたららん♪)

圭「――……」~♪

音葉「……」









モバP「あ、いた。おーい、も、桃華…………?」


部屋に入り目に飛び込んできたのは、音葉の眼差しを受けながら、左に座る男性と連弾をしている桃華の姿。

四手によって紡がれた音が軽やかに部屋に満ちていく。


モバP(おお……! なんだこれ)

麗「『華麗なる大円舞曲』の連弾……」

星花「あらあらっ。三人とも楽しそうですわね~」

――♪


桃華「ふぅ~、あら、Pちゃま?」

モバP「桃華、探したぞ~?」

桃華「ごめんなさいね、待っていなければならなかったのですけれど、この方を案内した流れでピアノを弾いておりましたわ……」

圭「ああ、どうもこんにちは」

モバP「あ、はい……えっと、あなたが」

麗「都築さん、こんなところにいたんですね!」

圭「あっ、ごめん。待ち合わせの時間過ぎてたね」

麗「心配しました……! 曲は作れたんでしょうか?」

圭「うん。いい曲になったよ」


星花「うふふ、音葉さん。ほっこりした顔をしていますわね?」

音葉「そ、そうかしら……幼けない音に触れて、つい……」


モバP「桃華、事務所に戻るぞ。星花、音葉いっしょに事務所に送るよ」

星花「はい」

音葉「はい……ありがとうございます」

桃華「ええ。それでは、わたくしはこれで失礼いたしますわ……ごきげんよう、都築さん」

圭「うん。案内ありがとう」

桃華「…………」

桃華(もう一度この方とピアノを弾く機会があるかしら)

音葉「また、お話しできるといいですね……」

圭「そうだね。また会ったらよろしく」




男性「――あの、少し、お時間よろしいですか」


星花「あら?」

モバP「あ、あなたはディレクターの」

ディレクター「ええ、実は先ほどから演奏を聴いておりまして。それで、そちらの二人にお話があるんですが……」

桃華「わたくしですの?」

圭「…………」ボー…

麗「都築さん、お話があるそうですっ!」

圭「え? ああ……なんでしょう」

ディレクター「私の番組に出演して頂けませんか。――お二人でピアノを弾いて」


桃華「えっ!?」

圭「?」





――

――――

――――――




事務所


桃華「ふう、まさか連弾をやることになるとは……」

モバP「すごいぞ! あの人の音楽番組、ストイックさではあの権威ある『オールドホイッスル』に次ぐとも言われてるんだ。出演できれば活動に幅が出るぞ」

桃華「都築さんといっしょにですが……」

モバP「それでもオファーが来たのはすごいことだよ。音楽界の未来を見せたい、か……確かに新鮮な絵になるだろうな。都築さんとの連弾は」

桃華「……本当に良いのかしら?」

モバP「うん? また悩んでるのか? 男性との共演が怖いようなら俺も考えるけど、やりたいって言ったじゃないか」

桃華「それは……」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

桃華『都築さんとピアノを弾くんですのっ!?』

ディレクター『ダメかな? 優雅で映えると思うんだが』

桃華『えっ、と……殿方とは……その……まだ』

ディレクター『都合が悪いのかい』

音葉『あの、でしたら、私はどうでしょうか……』

ディレクター『君は……ああ、君なら……』

桃華『わ、わたくしがやりますわっ!!』

圭『?』

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


桃華(音葉さんが決断を急がせたのですわ……)


音葉「ふふっ……楽しみね……私もピアノの練習に協力するわ」

桃華「音葉さん。ええ、よろしくお願いしますわ」

星花「身長差が30……35cmはありますかしら? 隣りあったら、かわいらしい絵になりますわね~」

桃華「……でも男性とペアを組むというのは、アイドルとしてはどうなのかしら?」

音葉「あの番組は……格式あるところだから、そういう風に見る人は少ないんじゃないかしら。どちらかというとアカデミックに音楽を捉えているから……」

桃華「わたくしは新しい音をみなさんに示すための一人の音楽者……ということですわね?」

音葉「そうね……」

桃華「なら、プリーモのわたくしよりも作曲をする都築さんの方が責任が大きいですわね。あの人、どんな曲をわたくしと演るおつもりかしら……」

星花「楽しみですわねっ! 桃華ちゃんのためだけの曲ですもの」

桃華「そ、そうなりますわね……」


桃華(ふぅ……都築さん。大人にしてはずいぶんしっかりしたところのない方ですけど、ピアノを弾くあの人は――とても素晴らしかった)

桃華(だからオファーを受けたのかもしれませんわね。知りたくなったから……あの人が見る景色を)


音葉「……?」


桃華(音葉さん。あなたは……もう同じ景色が見えているんでしょう? 羨ましく思いますわ)


――

――――



圭「プロデューサーさん、出演オーケーだって」

麗「それは良かったですね」

圭「『あなたがやりたいことをやってください。それが大事です』だってさ……ふふ」

麗「あの、わたしも……その、都築さんの音楽はもっと世に出るべきものだと思います」

圭「そう、かな?」

麗「はいっ」

圭「ありがとう、じゃあ、本気でやった方がいいよね。いや、こういうお仕事の方が慣れているんだけどね」

麗「都築さん、今度はペアを組んでやるのだから、相手に失礼のないよう……」

圭「うん。君にも今回迷惑かけるなぁ」

麗「今回に限りませんが……気にしないでください。わたしもあなたが創り、広げる曲を聴いてみたい」

圭「期待されてるね。どんな曲にしようかな……あの子にもピアノ、好きになってもらいたいし……」

麗(……ふわふわした人だ)

圭「いくつか浮かんでるのはあるから、明日のレッスンの前にピアノを借りて感触を確かめてみるよ」


麗「ええ。あの……できればアイディアを練っている時は誰か人の目があるところでやっていただきたい」

圭「ん、どうして?」

麗「都築さんはマイペース過ぎて、危なっかしいですから」

圭「あはは、そっか。確かに作曲してる時、周囲が全然見えないことある」

麗「気を付けてください、本当に……」

圭「音符がね、飛んでるんだ」

麗「はい?」

圭「ピアニシモのA(アー)だったり、ソプラノのFis(フィス)だったり。雨の音とか、風の音とか、自分の脚と床が鳴らす音の中にそんなのが聞こえる」

麗「え……」

圭「それを見つけたら糸みたいに頭の中で旋律がくっついていくものだから……周囲が見えなくなるのかも、ね。あはは、言い訳だね」


麗(日常でそこまで……やはりこの人は)

麗(音楽と共に、ではなく『音楽の中に』生きているのだ――――)


麗「チャリティコンサートに贈る曲は素晴らしかったです。天界が垣間見えるほどに」

圭「ありがとう」

麗「――期待しています。都築さんの、次の曲を」


今回の投稿は終わりです
音楽関係でコラボさせてみたかった


>>1のリンク直しときます

都築圭
http://i.imgur.com/ch0RpDm.jpg

続き投下します


翌朝・レッスンルーム



――――♪ ♪


圭「あれ、ピアノを使おうと思ったんだけど……先客がいるね」

麗「あれは北斗殿?」


北斗「――え、神楽君に都築さん?」


圭「作品25-1だね」

北斗「見つかっちゃいましたか。冬馬と翔太は知ってますけど、俺がピアノを弾くの初めて見せたかな」

麗「北斗殿はこんなピアノを演るのだな……」

北斗「あはは、趣味でね。たまに弾きたくなると、こうやってレッスンの前なんかにピアノに触れるんだ」

圭「エチュードは全部弾ける?」

北斗「ええ。その中でもエオリアン・ハープ、好きなんですよ」

圭「そう。なら続けて。君の音、気持ちいいから」

北斗「都築さん、あなたもピアノを使おうとしていたんじゃ?」

圭「ううん。いいんだ、弾いてよ」



伊集院北斗
http://i.imgur.com/WMoj9t0.jpg




北斗「あはは、人に聞かせるものでもないんですけどね……じゃあ、いきます」――♪


鍵に指が落ちて。

ショパン『練習曲 変イ長調 op.25-1』がレッスンルームに流れ出す。


麗(……上手い)

               ♪   ♪
♪     ♪  ♪


北斗「――」


麗(長和音が一つのさざ波となって、時折高く、そして退いていく……ミスタッチがない和音の連続が一つの大きな旋律を彫り起こして)

麗(ああ、これは、正確さと流れのせめぎ合いを知る、ピアニストの演奏……)

      ♪
♪ ♪            ♪



麗(だが……指を気遣っているのか? 右手はもっと奔放さがあってもいい。表現の要なのだから。指の抑制が効き過ぎでは……)


圭「ピアノはいつから?」

北斗「……幼い頃から」

圭「そう。じゃあ――――“右”はいつから?」



北斗「っ!」


――♪ !


演奏が止まる。




北斗「プロにはわかってしまいますか……やっぱり。作曲家にとってピアノはイロハのイですものね」

圭「勘だったけれど、ね。腱かい?」

北斗「ええ。高校生の時に……やってしまって」

麗「なにっ! 手を痛めてしまったのか」

北斗「そうなんだ」

麗「それは、辛い、な。塗炭の苦しみだったのではないか……?」

北斗「あはは、ピアニストを目指してた頃もあったからね。でも、もういいんだ」

圭「いいって?」

北斗「今は冬馬や翔太たちといっしょにアイドルをやっている自分が好きですから」

麗「北斗殿……」


麗(わたしは実体験から信じている……一度ミューズの影を見た者は、それに永遠に焦がれると)

麗(今を受け入れていても、耳と指がピアノを求めるのは止められないだろう)


圭「ピアニストを目指そうと、どうして思ったんだい」

北斗「どうして、ですか? うぅ~ん、音楽一家に生まれた環境もあったでしょうけれど、ピアノが好きだったから。その気持ちだけで突っ走っていましたね」

圭「そうか。じゃあ、アイドルをやるのは好きかい?」

北斗「そんなの――――ふふっ、俺、レッスンに一番早く来ているんですけれど」

圭「そっか……いやぁ、強いね」

北斗「強い、ですか?」

圭「僕から音楽を取り上げられたら、何も無い。けど君は色々、厚みがある人間だなぁって思って」

北斗「厚みなんて……」

麗(北斗殿――)

麗「わ、わたしは知っているぞ! 北斗殿はモデルもやっていたのだろう? それでベンチプレス100kgを持ちあげると! わたしではとても無理だ。その、すごいと思う」 

北斗「そんなの、誰から聞いたの?」

麗「御手洗殿からだ。……ファンにあんなに如才なく笑みを振り撒き続けているのも、尊敬している。まだまだわたしはその点で未熟だから」

北斗「俺は…………ヴァイオリニストをやっていた神楽君の方を尊敬してるんだけどな」

麗「わたしは趣味で続けるというのも強さが要ることだと解るぞ、北斗殿」

北斗「そんな、俺はただ未練がましいだけで」

圭「………………」


圭「連弾しようか」


北斗「え? 連弾、ですか……」


圭「そう、連弾の練習をしなくちゃいけなくて。個性に合わせる練習を。……いいかな?」

北斗「構いませんよ。連弾ですか……都築さんが。ふふっ、誰とするんです? かわいいエンジェルちゃんですか?」

圭「うん。女の子」

北斗「おやおや。都築さんも中々。俺で代わりが務まるか」

圭「プリモやってもらえるかな」

北斗「合わせる練習、ですか。曲は何です?」

圭「木星」

北斗「えっ?」

圭「モーツァルトのジュピターと、ホルストの木星。どっちが好きかな」

北斗「俺に、弾かせるんですか? ジュピターの俺に。諧謔ですね」

圭「ごめんね。見てみたくて。……どっちだい?」


麗(『見る』といった。やはりこの人は旋律の奥にある世界を、見ている……)


北斗「第41番をやろうとすると手が緊張しちゃうもので。ホルストで」

圭「そっか。一応連弾用の楽譜を出すけれど……こだわらなくていいから、君の旋律を聴かせてほしい」

北斗「あはは、なんか落ち着かないな。神楽君、歌ってていいよ?」

麗「う、歌? Everyday I listen to my heart――♪ こ、こうだっただろうか?」

北斗「ははっ、良い声だけど、真に受けないで」

麗「うっ……」


――――


~♪ ♪ ――――♪



春名「あれ、レッスンルームからピアノの音が」

四季「あ、オレこのCD持ってるっス! ジュピターっスよ! ジュピター!」

旬「――誰が、弾いてるんだ」

夏来「あっ、ジュン……」

隼人(ピアノのことになるとジュン熱くなるよなー)


秋山隼人・冬美旬・榊夏来・若里春名・伊勢谷四季
http://i.imgur.com/5wy9XoB.jpg





旬「ユニゾン、だ」タタタッ


レッスンルームのドアを開けて。

満ちた音に体が浸される。


麗「あっ」

旬(この輻輳する音は……やっぱり連弾か)


旬(都築圭さんと伊集院北斗さん)



圭「――」―♪



旬(セコンドは御者であるべき、だけど。あの人が踏むペダルはむしろ煽っているみたいだ)

旬(この厳かな調べに、くすぶる情熱を切なく歌いあげろと……プリモの旋律に同調して、高めている)



そこまで観察が至った時、曲が終点に到達する。


――――♪ !




旬「――あ」



北斗「あれ?」

圭「やあ、レッスンの時間かな? それとも……ピアノ談議に付き合うかい?」


……

…………



北斗「その腕前で……ピアニストになろうとは思いませんでしたか?」


圭「思ったといえば思ったかな。でも、君のそれとはちょっと気持ちが違うかもしれない」


北斗「違う?」


圭「焦がれる気持ちではなかったから。僕はね――いつも演奏された時や歌い上げられた時のことを考えて曲を作る」


北斗「……」


圭「その時にね、想像する。ピアノ奏者として、あるいはヴァイオリン奏者やフルート奏者として、その曲を演奏する自分自身を。総譜を書いた時には指揮者を志したよ」


北斗「あなたは…………中心が『音楽』なんですね」


圭「うん。というか、それしかないかも」


北斗「――俺は、違います。違うんです。俺は『夢』や『自分』を真ん中に置いていた…………だから、まだ胸に薄い未練が残っている」


圭「そうなんだ。だから君の音は妙に取り繕いがあるんだね」


北斗「底が浅いと感じますか」


圭「いや。心にある原点と、“今”の差。それを感じる心が無いと紡げない音と声。僕はそういうの惹かれるよ」

――

――――

――――――


TV局周辺・喫茶店オープンテラス




桃華「都築さん遅いですわね。大事なミーティングですのに」

音葉「まだ、待ち合わせの時間にはなっていないわ……桃華ちゃん。はやる気持ち……潤わせて、落ちつけて」

桃華「そうですわね。待つ時の振る舞いもレディには問われますものね。紅茶を飲んで時をやり過ごすといたしましょう」

音葉「ふふ……桃華ちゃんとこうして二人きりでお茶を飲むの……久しぶりね」

桃華「お茶会以来、かしら? また歌ってくださる?」

音葉「ええ……」



――――♪
   ――――♪




桃華「ふふっ……」

音葉「La ―――――― ♪」





客(なんだあの高貴で優雅な空間は)

マスター「…………ブリリアント」


透き通る歌声がこの場のいくつもの筋を曳いて流れ、繋がり、空気を震わせていく。



音葉「――♪」

桃華「♪……」



客(エルフとお姫様にしか見えない……いつから私はお伽噺に迷い込んだのだ)



――――“♪”



客(むっ、なんだ。彼女の旋律に重なる歌声が……!)



音葉「――――♪」


圭「――――♪」


桃華「あらっ!」



客(今度は音楽の妖精みたいなのが現れたっ!?)


客(親子? 兄妹?)


圭「やぁ、不躾なユニゾンで失礼」

音葉「いいえ……私のせせらぎが、その水量を豊かにして……心地よい流れになりました」

圭「最近、歌うの大変だけど面白いなって感じてね。こういうのも楽しいね」

音葉「ええ。歌は楽しさを私の胸に刻んでいく。響き合わせる相手がいれば……なおさら。また共に歌う機会があれば……」


桃華「おほんっ! 都築さん、早速楽譜を見せていただいてもよろしいかしら?」


圭「うん。桃華ちゃんおはよう。僕はこれでいきたいと思っているんだけど、どうかな?」スッ

桃華「これが、今回わたくしとアナタで弾く楽譜……えっと、最初はニ長調ですのね」

圭「そう」

桃華「ふむふむ。お見事ですわ」

桃華(しかし楽譜だけではいまいちイメージが掴めませんわ)


音葉「晴れやかなアンダンテ……風と日差しを感じながら、無垢と純真が徐々にアッチェレで駆けだしていく……そんなイメージね」

桃華(音葉さん、一度楽譜を見ただけでどうしてそこまでわかりますの!)

圭「うん。桃華ちゃんはそんなイメージ。アレグロまでいったら楽しく弾いて。メロディ自体はそんなに難しくないから。もっと速くしてもいいけどPresto ma non troppoでね」

桃華「え、ええ」



圭「早速、弾いてみようか。TV局のあの部屋に行こう」

桃華「練習ですわね? わかりましたわ!」

圭「君のイメージも取り入れたいから、意見があったら言ってほしいな」

桃華「もちろん! ウキウキとしながら、楽しく堂々と演奏できる――わたくしはそんな曲を弾きたいんですの!」

音葉「マスター、お勘定をお願いします……」



客(ああ、金の髪をした3人の幻想達が去っていく……)



……

…………


――サアアアァ


音葉「……都築さん、聞いてもいいでしょうか」

圭「なんだい?」

音葉「今、私の足音をどのように……捉えますか……」

圭「ピアニシモのC(ツェー)。例えるなら、処女雪を踏むのをためらう小さな鳥だね。出来る限り周りの音を消さないようにしてる」

音葉「やはり、あなたは……そうです。風と、風にさざめいていく木の枝葉の素敵な音を……妨げたくないんです」

圭「くっ、くっ」クスクス

音葉「……笑い、ますか?」

圭「いや――――すごくわかるなぁって」


桃華「どうかされました、お二方?」

圭「いや、なんでもないよ」

桃華「もうっ、急ぎますわよっ! 時は待ってはくれませんのよ!」タタタッ



音葉「うふふ……桃華ちゃんは軽やかな鈴……『アッチェレランドで駆けだしていく』」

圭「イメージ、合ってたみたいだね」







――Music room


    ♪          ♪

――♪ ――♪!


桃華「ふうっ……今日はこんなところかしら?」

圭「おつかれさま。気に入ってくれたみたいで、よかった」

桃華「でも、どうして連弾の練習ですのに、都築さんは弾きませんの? わたくしのレベルアップが必要とはいえ、一度ぐらい合わせてみてもよろしいのでは?」

圭「いや、今日は君の演奏を聞いておきたかったんだ。セコンドの楽譜にフィードバックさせるために」

桃華「ふぅむ、あんまりピアノから離れておられますと、わたくし、あなたを追い抜いてしまいますわよ?」

圭「それならそれで楽しみだ」

桃華「でも、ディレクターさんのチェックもありますのに、あんまり悠長でも困りますわ。一度わたくしの屋敷にいらして? いっしょに練習いたしましょう」

圭「……魅力的な提案だけど、大丈夫。とりあえず僕を信じてくれないかな。探しあててから、連弾したいからさ」

桃華「探す、とは?」


圭「君と僕が連弾することの意味。紡ぎ出されるべきテーマ――まだ突き詰めたいんだ」


桃華「…………」

圭「ん? どうしたの」

桃華「いえ……」

桃華(こんな、真剣な顔もできますのね)


音葉「セコンドの楽譜が未だ、彫琢の段階にあるのなら……私がセコンド役になってレッスンすることもできませんね」

圭「ごめんね。でも、もう見えてるから、そんなに待たせない」

桃華「よろしくてよ。わたくしはひとまず完璧に弾けるようになるとしますわ! えいっ」――♪ ♪


♪  ♪ ♪♪   ♪ ――――



圭「……やっぱり、君はいいセンスをしてる」

音葉「おさらい、しましょうか……左手は」

桃華「監督!」

圭「じゃあ、右手は?」

桃華「主演女優ですわっ!」



♪   ♪   ♪
   ♪   ♪   ♪ ―― ♪



音葉「――そう、そのイメージ、ずっと持っていて」

圭「そうすれば、きっとずっとピアノが好きでいられる」


桃華(こんなにも、ピアノって自由でおもしろいものでしたのね!)



圭「そうだ梅木さん」

音葉「なんでしょうか……」

圭「ショパンは好き?」

音葉「はい。……プレリュードの『革命』、あの溢れて零れる悲愴と狂乱の旋律……初めて聞いた時の衝撃は忘れられません」

圭「そっか。じゃあ――」





桃華(あ、またお二人で…………)


今回の投下は終わりです
投下するのは恐かったですけど、期待してくれる方がいるのは嬉しいですね

投下します



……

…………

――♪


桃華「ふう、やはり自室での演奏は少しさびしいですわね」

桃華「でも、次に会う時暗譜してきたら都築さん驚くかしら。うふふ」

桃華(そう、この曲をもっともっと深いところまで理解することができれば……少しは近づけるでしょう?)


桃華「都築さんと、音葉さんの領域に」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

桃華「お二人はすごいですわね……」

圭「え、どうして?」

桃華「とても、音楽についての理解があるというか……独自の視点がある気がいたしますわ」

音葉「……」

桃華「今回どれだけの演奏ができるか、少し不安になってきましたわ。わたくしはまだピアノ歴は浅いものですから」

圭「関係無いよ」

桃華「え?」

圭「ショパンは7歳で作曲を始めてる。いい音楽を生みだすのに年なんて関係ない。自信持って。君の音……心地いいから」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

桃華「人生で過ごした時間の差など関係ありませんわ」

桃華「左手は旋律を突き詰めて、右手には思いと解釈と感情を乗せる……そのイメージ」

桃華「さあ、何度でも弾きますわよ!」



――――♪ ♪♪ ! 

――

――――

朝の日差しが自然公園の木々を照らし、川の流れに煌びやかに反射する。

清涼な空気が時折、小さな風にさらわれて髪と肌をふわりと撫でていった。


音葉「囁くような音たちが森の器に満たされて……歩くたびに表面に小さくさざ波が生まれます」

圭「流動する世界の音をじっと聞きていたいって君も思う?」

音葉「その旋律の一部になるよろこびを噛みしめながら――途絶えることなく鼓動していたいと、そう思う時もあります」

圭「そっか。海に潜ってるみたいだよね、ただひたすら調和がとれた音に漂うのは」

音葉「まさしく。とても……心が安らぎます……」


ちちち、と鳴く声が二人の耳に届く。

雀が二羽、ぱたぱたと空を掻いて並んで歩く二人の元にやってきた。


音葉「あら、素敵な歌い手が……」

圭「鳥が遊びたがってる。や、おはよう」


翳した手に雀たちが留まり、きょろきょろと頭を動かした。


音葉「ふふっ、かわいいですね……」

圭「鳥のために曲を作るのも、やっぱり楽しい気がするなぁ」


音葉「おいで……」


すっと音葉が圭の指先に手を伸ばす。

新しく現れた止まり木に、一羽が音葉の方に乗り移った。


鳥と戯れながら、二人は歩き出す。



圭「アイドルという立場になってなにか気付いた?」

音葉「楽しんで、歌うこと。気持ちが舞う様に音楽をすること――でしょうか……」

圭「そっか。神楽くんもそれに気がつき始めてるよ」

音葉「……圭さんはどうなのですか?」

圭「僕は…………どうだろ。『アイドルは大変だなぁ』、かな」

音葉「本音の、音色ですね……うふふっ。真摯にアイドルを、やってみるといいでしょう。コンポーザーで満足するには音楽は奥が深すぎるでしょう?」

圭「うん。――なんでこんなに世界って大きいんだろうね」


チュンチュン、チチチ…


自然公園の出口に到達し、そのタイミングで雀たちは飛び立っていく。



圭「そうだ、音葉さん。前に行ってたショパンのCD持ってきたから、いっしょに聞いてくれるかい」

音葉「ええ……音楽談義は好きですから」

圭「気の合う人といっしょなら、なおさら」

音葉「誰かと……この分野で響き合うのも、久しぶりですね」






――――圭『ピアノ好きなんだね? じゃあ……興味あるなら君も練習見に来たらいいよ』



旬「興味、か……」

夏来「ジュン……行かないの……?」

旬「うん……都築さん、あの人の連弾曲っていうのは興味あるんだけどね」

旬(演奏を聞いて……自分の気持ちが揺らぐのが恐いのか)



麗「冬美殿」

旬「あ、神楽……さん」

麗「わたしは今から都築さんたちの所に向かう」

旬「……そうですか」

麗「共に来てはもらえないだろうか」

旬「え、なぜ僕が……」

麗「きっと冬美殿の今の有様も――都築さんは一つの旋律に変えてくれる」

旬「……!」

麗「そして、だな……プロデューサーも外回りに出てしまっているし、一人で女性たちに顔を出すというのは……その、少し気後れしてしまって。同道してくれると助かるのだが」

旬「…………」

夏来「ジュン、行ってきたら……」

旬「……ぷっ、なんですかその人見知りは」

麗「いや、アイドル活動としてなら気構えができるのだが、こういう形は慣れていないのだ……」



旬「はぁ、いいですよ」

麗「本当か! ありがとう、感謝する」

旬「ナツキ、ちょっと都築さんのピアノ聴きに行ってくる……作曲のヒントになるかもしれないから」

夏来「うん……! いってらっしゃい」

麗「では行こう」





……


麗「――メヌエットのほとんどを7歳になる前に仕上げたと聞いているが事実なのだろうか」

旬「え? ……ああ、そうです……けれど」

麗「そうか。いや……驚きはしない。以前貴殿の演奏を生で聞いた時、事実だろうと思っていたからな」

旬「なら、僕の方こそ聞きたいですね。神楽さん、チャイコフスキー国際コンクールの舞台でピチカートやサルタートを披露するよりも、アイドルをやる方が魅力的なんですか?」

麗「…………今はまだ、わからないな」

旬「まあ、始めたばかりですからね」

麗「――しかし、以前ジュニアコンクールで貴殿を見た時はもっと気弱そうに見えたのだが……意外とずばりと来るのだな。神童・旬殿。アイドルをやっているのはそちらも同じではないか」

旬「……こっちだって理由あってアイドルですよ。まったく、久しぶりの再会がアイドル事務所だなんて。数奇なめぐり合わせですよね、天才・麗君」

麗「ああ。だが志を同じくする者がいてくれてここは心地よい。願わくば――――アイドルというものの意義に満たされたいものだ」


――Music room



音葉「――――……――」

圭「――、――――」




桃華(な、なんですの……中で何を話しておりますの。また音葉さん、都築さんといっしょに……!)

桃華(いえ、扉の前で躊躇っている必要などありませんわ。わたくしはプリモでありましてよ!)



桃華「ごきげんよう、都築さん! さぁ、練習の成果を見せますわ!」バーン!


圭「あ、桃華ちゃんか。こんにちは」

音葉「やる気が……溢れているわね……」


桃華「見ていらして! わたくしずっと上達しましたわ!」

圭「じゃあ、聞かせてもらおうかな」


桃華「ええ……聞かせて差し上げますわ。しっかりとわたくしを見ていてくださいまし」

圭「うん」

桃華「では――――いきますわよ」



鍵盤に指を落とす。

練習を重ねた旋律が、今この部屋の空気を震わせていく。



♪――♪♪ ――――♪


圭「…………」

桃華(もうここまで弾けますわ。どうかしら都築さん?)


               ♪   ♪
♪ ♪ ♪♪♪      ♪



桃華(音葉さん……わたくしだってこれぐらいは、できるんですのよ?)

音葉「……?」



桃華(アレグロ……速く! ミスタッチがないように!)


  ♪ ♪ ♪ ♪――
♪ ♪ ♪ ♪



桃華(ここで、ここで……!!)



圭「――――気が急いてるね。どうかした?」



桃華「えっ」

圭「ここはアレグロ。軽快さを出すといいよ。張りつめた心境で遊ぶなんて変だ」

桃華「張りつめた心境……」

音葉「もっと素直に曲に向き合って……ざわついた気持ちでは、ピアノは乾いた音しか返してくれない」

桃華「わたくし…………焦って」


音葉「飲み物を用意しましょう。桃華ちゃん、ちょっと待っていて……」スタスタ


桃華「あ、音葉さん……」

圭「よく練習してくれたっていうのは伝わったよ。でもちょっと力が入り過ぎかな」

桃華「…………」


桃華(だって、都築さんわたくしのセコンドでありますのに……音葉さんの方に……)


桃華「反省いたしますわ。――それで都築さん、よろしいかしら?」

圭「なんだい? アドバイス?」

桃華「音葉さんと何を話していらっしゃいましたの?」


圭「話……? 話ってなにかな」

桃華「ですからお話してらしたではないですの! その、お互い分かり合っているみたいに!」

圭「ああ……、さっきまでしてた話の内容かい? ……あれ、なんだったかな?」

桃華「もう忘れてしまいましたのっ!?」

圭「思い出した。ホールの広さと高さと構造と材質と、それと座席数と、実際の観客の数とその年代層と、演奏者自身の身長・体重……とかについて」

桃華「は……? ホールとはなんですの」

圭「これ。とあるコンサートのライブ録音のCD。ショパン、バラード第4番。この曲が展開されたホールのこと」

桃華「それが……?」

圭「これを音葉さんといっしょに聴いて、確かめあってた」

桃華「ホールの構造とか広さを? 馬鹿にしないでくださいまし。CDを聴いただけで分かるものではないでしょう」

圭「わかるよ? 反響に偏りが出るから」

桃華「…………冗談ですわよね?」


圭「後は、なんだったかな。そう、ポーランドを離れたショパンの生い立ちと、それが彼のピアノに与えたものっていうごくごくどこにでもあるような話題と……」

桃華「え?」

圭「リパッティとツィメルマンの比較。曲それぞれにあるヴィヴァーチェがもたらす表現上の意味の差異」

桃華「あのぅ……」


音葉「あと演奏者が肉薄すべき領域について……」


桃花「音葉さん! 戻ってきておりましたの!」

圭「そうそう。己が人生を乗せるその段階で、『譜面』を魂のどこに置くべきか……完遂と支配のせめぎあい」

音葉「そのはざまに落ちる理性と天界の夕景の色……」


桃華「も、もういいですわっ!!」


星花「――音葉さん、その言い回しは流石に少し難解ですわ。それでは疎外感を覚えることも無理からぬ話というもの。ね、桃華ちゃん?」

桃華「あ、星花さん……」

星花「練習を見に参ったところ、廊下で音葉さんと出くわしましたの。桃華ちゃん、音楽家同士の話というのは往々にしてこのような思想の領域に踏み出すものですのよ。今理解できなくとも構いませんわ」

桃華「そ、そうですの」

星花「やきもきしてしまうのも、仕方がありませんけれど、ね♪」

桃華「別にやきもきなど、しておりませんわ!」


圭「?」

音葉「?」


星花「さて……都築様。一度聴かせてくださるかしら? 桃華ちゃんとの連弾を」

桃華「え」

圭「うん、いいよ」

桃華「せ、セコンドの楽譜は完成したんですの?」

圭「9割方。後は解釈とどれだけ情感を帯びさせることができるかだね。一度合わせてみよう」

桃華「……待っていましたわ」

圭「気軽にやろう。――――扉の前にいる君達も入っておいで」

星花「え?」



部屋の扉が開き、二人の男子が入室する


麗「すみません、入るタイミングがつかめなかったものですから」

星花「神楽様! ……と、あら、隣の殿方も見覚えが……」

旬「……なんで扉の前にいると気付いたんですか?」

圭「いや足音聴音しただけだよ。50kg前後の男子の足音が部屋の前で二つ止まったから、君達かなぁって」

旬「いや、ここの壁防音じゃないですか! どれだけ耳いいんですか!」

麗「そこまで鋭敏な感覚を持っているのに、なぜ普段はああも、ゆらゆらとしているんですか……」

圭「うーん、前言ったみたいに流して処理できないからだろうね」

音葉「例えるなら……多重和音の酩酊でしょうか……?」クスクス

圭「あ、しっくりくるね。その表現」


桃華「…………演奏を始めませんこと?」

――

――――……


演奏が展開される。



…………♪ ♪ ♪♪♪

………… ♪ ♪ ♪
     ♪ ♪ ♪



連弾の調べは空気を震わせ、ここにいる者たちの耳を打つ。





――――――♪ !!






圭「まずはこんなところ、かな」

桃華「は……はぁ……っ!」



星花「明るい曲ですわね! わたくし気にいりましたわ」パチパチ

麗「ええ、初めてでぎこちなかったとはいえ、十分な同調ですね」

旬(……都築さん、抑えてる。まだ余地を探るような、そんな演奏だった)

音葉(『完成形』の狙いは……感ぜられた。圭さん、あなたは……)

今回はここまでです

投下開始



ディレクター「……やあやあ、いい曲じゃないですか! やはり私の判断は間違いではなかったようですね!」


星花「あ、ディレクター様」

ディレクター「進捗具合を確かめに来たのですが、安心しました。もうここまで形になっているとは」

圭「ありがとうございます。今のは形をなぞっただけなんですが」

桃華「うまくやれていましたかしら?」

音葉「震えも、恐れも……時には興趣ある波紋を旋律に投げかける……良かったわ桃華ちゃん。『圭さんのために』と強張るのではなく、ただ四本の手が一つに繋がっていると思うの。それが肝要」

桃華「圭さんのためにだなんて……」

桃華(あら? 音葉さん、都築さんを名前でお呼びになっていますわ。いつの間に……)


星花「あの、神楽様よろしくて?」

麗「涼宮さん、どうかしたのだろうか」

星花「神楽様は一度聞いた音楽をヴァイオリンで奏でることができると聞き及んでおります。今、通しで演奏を聞かれましたでしょう。なら、もうこのメロディを再現できますの?」

麗「で、出来るが」


星花「素晴らしいですわ! ならぜひ」

麗「今この場で、奏でることはしない」

星花「残念ですわ。貴方のパセティーク、またお聴きしたいと思いましたのに」

麗「演奏会ではないのだから……」

星花「易々と弾くわけにはいかないと?」

麗「いや、そんな傲慢な考えを持ってはいない! ただ、その……都築さん達の練習なのだから、この場で演奏をすべきではないだろう」

星花「ふふっ、安心いたしました」

麗「なに?」

星花「……ヴァイオリンを奏でることそのものに恐怖を抱いていらっしゃるわけではありませんのね。心配しておりましたわ」

麗「…………そうだな。今の自分は随分持ち直したと思う。みんなのおかげだ」



圭「あ、音葉さん。この子がさっき言ってたショパン好きな子」

音葉「あのライブ録音の持ち主ですね……」

旬「あ、どうも」

旬(この人……分かる。音楽に携わってきた人だ)




ディレクター「みなさん、練習に区切りがついたようなら少し休憩しませんか? 部屋を用意しますので」

――

――――


桃華「あら……ソファーもテーブルも上等な……」

旬「TV局の中にご自分の部屋をお持ちなんですか」

ディレクター「ええ。といってもここはサロンみたいな感じに出来たらいいと思っているんですがね」

麗「サロン?」

ディレクター「私が尊敬する人に武田蒼一プロデューサーがいましてね。あの人はあらゆる音楽番組をチェックして、歌手や演奏者に接触しているんです。それがアイドルだろうと声優だろうと関係無しに」

音葉「武田さん……私もお会いしたことがあります」

圭「あの人、ちょっと不思議な人だよね」

桃華(あなたも十分不思議な人でしてよ)

ディレクター「武田プロデューサーは、音楽界を担っていく原石達を守っています。いつか商品の枠を越えた音楽を世に示さなければならない……私もおおいに同意します」

麗「…………」

ディレクター「資本力で曲や歌の価値が決まってしまうというのなら、音楽は狭量な一部の人たちのものになってしまう。それは断じて音楽の本質ではありません」

麗(こんな人も、いたのだな……)

ディレクター「ですから……そんな状況を打破できる才気溢れる若者たちが現れたら自由に交流できるよう、場を設けようと思ったんです。今までは大御所の人たちの茶飲み場になっていたんですがね」


星花「ふふっ、ならわたくしたちがここに来ることが叶ったのは、桃華ちゃんのおかげでございますわね」

桃華「わたくしはただ、ピアノを都築……圭さんと弾いただけで。音楽界の将来を担えるかどうかなどまだわかりませんわ……」

圭「そんなの誰にもわからないさ。そんな大義は今感じなくていいよ」

ディレクター「そうです。ただ貴方達の音楽を聴きこちらが勝手に見出したのです」


ディレクター「飲み物を持って来させましょう。どうぞ音楽談義でもなさってください」

桃華「音楽、談義……」

麗「な、なんでもいいのだろうか」

圭「えーっと……涼宮さん、ショパンで好きな曲は?」

星花「あら、わたくしから? 少し気恥ずかしいですわ。……そうですわね。やはり甘く儚く、それでいて熱情に揺れる『幻想即興曲』でございましょうか」

星花「cis-MollからDes-durへの躍動は数あれど、いっそ蟲惑的なまでの妖しさを湛えているのはこの曲だけだと思いますわ」

旬「――即興曲第4番嬰ハ短調作品66」

星花「え?」

旬「もしくは単に『即興曲』と僕は言いますね」

星花「ええ……『幻想即興曲』はフォンタナがショパンの死後に付けた名でございましたわね」

音葉「あなたは……作曲者原理主義……?」

旬「いや、そういうわけでは。ただ本人の解釈や遺志を汲みたいと思ってるだけです。ニックネームでイメージが先行してしまえば音楽はその純度を下げてしまうような気がして」

星花「なるほど、わかりますわ。その音楽そのものに向き合いたいという気持ちは」

音葉「圭さんは……どう思われますか」

圭「どんな向き合い方をしてもいい、かな。周りにどんな情報を纏っていても、……そういうふうに現前しているのは音楽の神様の配剤だもの」


麗「すべてはミューズの御心と……?」

圭「通称のおかげで広まったり、イメージが助けられる側面もあるからね。それにニックネームがあったからこそ人気が出て後世に伝わった曲もある」

圭「音だけに絞れば雑音になるけど、その巡り合わせにミューズの御業を見るのも一興さ」

旬「音のみでは測れない領域があるのはわかりますが……」

麗「旬殿。ショパンではなにを好む?」

旬「え……ポロネーズ第6番――『英雄ポロネーズ』、です……」

圭「へえ、情熱的だね」

旬「…………かっこいいでしょう。ショパンとポーランドの関わりを知ったらなおさらですよ。……って、僕も周辺の情報の方に重きを置いてしまってますね」

圭「あはは、そうだね」

音葉「ふふ……」


桃華(ショパンと、ポーランド……さっき圭さんが音葉さんと話していらしたという……)


……

…………


音楽談義は続く。同領域に棲まう者達との響き合い。




「そうですね……指揮者ではセガンが――――」

「マーラーの『巨人』でも――――」



「ラフマニノフとスクリャービンは決して相容れなかったわけではないでしょう――――」

「大きな視点では彼の存在こそ、作曲家スクリャービンを生むためには必要で――――」



「心に置くものがロマン主義でも、ニーチェ哲学でも――――」

「導かれる道程は重なることが――――」


桃華は黙っていた。


桃華「…………」


語れるほど音楽界に明るくない。いや、今まで数々の演奏会に足を運んだ経験はある。同年代の少女の中ではこういった話題に近しいところにいるだろう。

それでも我が事のように、情熱を持った声で話し合う人たちを前に、口を挟む余地を見つけられなかった。


桃華(……わたくしは、まだまだですのね)



でも。

一つ気付いたことがあった。



音葉「あのフレーズは、La――La――La――……でしょう」

圭「ええっ、違う違う。絶対La――La――La――だよ」

星花「同じフレーズに聞こえるのですけれど」

麗「むむ……確かにわずかな差異が……」

旬「も、もう一度お願いします」



桃華(――――なんて無邪気なのかしら)


胸に去来するのは嫉妬では無かった。

話題に入れない少しの寂しさと、羨ましさと……微笑ましいと感じる思い。


高い山に登るつもりで、深い海に潜るつもりで、練習に打ち込んだ。

そうすることが『音楽』を我がものにすることだと思ったから。


――でも、弾いている時のあの楽しさは。


きっとその思いだけでは、感じられなかったこと。


無邪気に談義に花を咲かせる彼らを見ていると焦りが和んだ。



桃華(対抗意識を燃やすというのも……少しずれていた気がしますわね)


桃華「そこまででしてよ! 皆様方!」


旬「えっ?」

星花「桃華ちゃん」


桃華「流石にこれ以上歌うのは控えた方がよろしいのではなくて? 厚意に甘え過ぎて、マナーを忘れてはなりませんわ」


圭「あ、そうだね。ディレクターさん失礼しました」

ディレクター「い、いや、ははは……」

音葉「…………反省、ですね」


桃華「では、机の上に目を向けてご覧なさい?」


麗「机……カップか?」


桃華「ええ。せっかく淹れてくださった紅茶が冷めますわ。話に夢中で気付いていらっしゃらなかったでしょう。みなさんで美味しいうちに頂きましょう」




「「「……はい」」」

……

…………


――♪ 


一人、ピアノに向かい合う。

連弾の旋律の半分を、今は独りで高めていく。


いや、独りではないかもしれない。


常に横にあの音楽家がいると想像し、その呼吸に合わせようとしているのだから。



桃華「遠くに在りて思うもの……」



想像する。どんな感想を投げてくれるか。どんなアドバイスを処してくれるか。どんな導きを仕草で表してくれるか。



桃華「――――ふぅ。音葉さんがもうすぐいらっしゃいますわね」



セコンド役を買って出てくれた彼女を思い、桃華の心はほんの少しだけ漣立つ。


都築圭のことをいくら想像し、考えても、おそらく櫻井桃華より梅木音葉の方が彼のことを理解している。


微笑ましいと思えた。でもやっぱり、どこかもどかしいと感じる心は消えた訳では無くて。




――だから、電話を掛けてみた。

レッスン中に教えられたその番号に。



圭『………………はい、もしもし』


桃華「セコンドさん、ごきげんよう」




圭『桃華ちゃん、どうしたの。曲について疑問でも……あるのかな』

桃華「いえ。そういうわけではございませんの。電話越しですけれど――演奏を聴いていただこうと思いましたの。よろしくて?」

圭『いいよ』

桃華「あら、即答ですのね。痛み入りますわ」


桃華「えっと……集音機能は……ここですわね」ピッ



電話を傍らに置き、演奏を開始する。



なぞられたアンダンテの響きが満ちていく――――

………………



――――♪ !




桃華「いかがかしら?」

圭『そうだね……オクターブ上げるとこ』

桃華「あ、そこのところ、失敗してしまったかしら?」

圭『ううん。上げる、その前。上げること自体は出来てるのに、その前の演奏がオクターブを意識しすぎて音の羅列になりかけてた』

桃華「なるほど……メロディの流れは止めてはいけませんわね」

圭『前は出来てたよね?』

桃華「ええ、実は直前にこのオクターブを失敗してしまいまして。気をつけようとして…………焦ってしまいましたの」

圭『焦ることないよ。poco a poco――少しずつやっていけばいいさ』

桃華「少しずつでは…………」




桃華「ねえ、圭さんお聞きしてもよろしくて? わたくしは、圭さんや…………音葉さんのようになれますかしら?」



圭『――――なっちゃ困るなぁ』



桃華「はいっ?」


圭『せっかく君のための楽譜を書いたのに、君じゃなくて僕や音葉さんのマネをする人になっちゃったら意味が無くなってしまうよ』

桃華「そ、そういうことではありませんの。わたくしは、圭さんと音葉さんが見ている世界を知りたくて……」

圭『君達が見ている世界といっしょだと思うよ』

桃華「違いますわ! その……認識と言うか、圭さんがどう感じているかとか……も、もう、いいですわっ!」

圭『……僕がどう感じているかは、桃華ちゃん分かるよ』

桃華「分かる? ……そんな」

圭『連弾するんだもの。二人で弾いてるその時に、心なんて隠せないよ。本番の時に一番分かるはず」

桃華「連弾で、心が…………?」


圭『吹き抜けがあるね。床は石か。ピアノの後方に壁があって…………二階ぐらいの高さに窓が二つほど開いていて、そこから風が入ってきている――君、こんな広い屋敷に住んでるんだね』

桃華「はいっ!? な、なにをおっしゃって……なぜ屋敷のホールで弾いていると」

圭『反響を聞けばどういう空間なのかは分かるよ。電話越しでもこのぐらいは』

桃華「あの話は冗談ではありませんでしたの!」

圭『うん。君はこの屋敷で育ったんだよね』

桃華「それはそうでしょう」

圭『ほら……ベルリンで過ごした僕とは人生が違うだろう? 僕はその違いを楽しみながら君と音を奏でたいと思っているんだけど』

桃華「な、な!」


圭『あれ、どうかした?』

桃華「……貴方は本当におかしな人ですわね。――――わかりましたわたくしはわたくとして恥じることなく全力で演奏いたしましょうそれではこれにてごきげんよう!」



――――ピッ!!



桃華「ふぅー」

桃華「違うからこそ、いい……とは」


うまくはぐらかされた感がある。いや、あの都築圭という男はそんな気は無いのだろうが。


桃華(音葉さんは物静かな方だと思っておりました。けれど圭さんと初めて逢った時は積極的で……ええ、あれは『積極的』でありました………それで、わたくしは)

桃華(音葉さんは圭さんのことをわたくしよりも理解したと……そう、思ったのですわ)


桃華「置き去りにされたような気分になって。だから、あの二人と同じようになりたいと思って」

桃華「――それで、あのサロンでの会話を聞いてまだわたくしはまだまだだと知って」


桃華「だけど、焦っていること自体が間違いである気がしたのですわ」


桃華(音楽のことで盛り上がるお二人はなんだか無邪気で、純粋で、子どもっぽくありましたから――)


桃華「音葉さん……圭さんのことをどう思ってらっしゃるのかしら」

桃華「もうすぐお越しになられますし――やはり、ここは正面から向き合っておくべきかしら」



旬(あんな音楽談義……久々、だったな)

旬「流れた先でも、あんな風に同調し合える場所があるなんて――……なんだか、世界って広いや」


春名「お、どしたジュン?」

四季「あ、ハルナっちダメっスよ。こんな風に独りごと言ってる時のジュンっちは大概曲の構想中っス!」

春名「あーそうなの? ゴメンなー! よし、向こう行ってようぜ」

旬「あの、そういうわけではないですよ!」

夏来「ジュン……都築さんのところに行って……なにか見えた?」

旬「…………どうだろ。再確認できただけかも」

夏来「再、確認……?」

旬「まだ全然音楽が好きな自分が消えていないってこと」

夏来「そう……」


隼人「おーい歌詞書いてきたんだけど、ジュン、確認してくれるか?」

旬「ハヤト。ええ、いいですよ見せてください」


旬(ともあれ今の僕は……High×Jokerの一人なんだ。神童・冬美旬じゃない)




圭「…………」



麗「自分が歩んだ道を後悔したくはないものですね」

圭「うん……」

麗「たった一度の失望で夢は潰えることなどないと、わたしも信じたいと思います」

圭「ねえ、また君のヴァイオリンを聞きたいな」

麗「……なにを聞かせましょうか」

圭「今回の連弾曲。ヴァイオリンで奏でてみてほしいんだ」

麗「…………あのように無邪気に演奏できるかわかりません」

圭「君がそうしたいと思うなら、Con Passioneに演ってもかまわない」

麗「わたしがあなたのあの曲を聞いて、どのような感想を抱いたか、わかっていたんですか」



麗「――――いいでしょう。音は自分を偽らない。かつての憧憬を乗せて、あなたに音をぶつけてみたい」


――

――――


音葉「――――そう。私と圭さんが親しすぎるように見えたのね」

桃華「え、ええ。アイドルでありますし、少し抑制が必要になってくるのではと、まあ……老婆心ですわ!」

音葉「……そんな風に見えたかしら」

桃華「お話している時、楽しそうにしておりましてよ?」

音葉「楽しそう……ええ、あの人との響き合いは、とても……私の心を和ませる」

桃華「…………」

桃華「わたくしは、音葉さんを尊敬しております。その知性ある振る舞いと歌唱力に。それと、静かでやさしい性格に」

桃華「アナタのようになりたいと、何度も思いましてよ」

音葉「桃華ちゃん」

桃華「だけど…………追いつけないとも何度も思いましたの。思い知らされて。――ねえ、音葉さん。本当に圭さんに惹かれていらっしゃいますの?」

音葉「…………ふふっ」

桃華「え?」

音葉「桃華ちゃんがなにを思考しているか、わかったわ。まだそういうものではないの。そうね……話しておきましょう。私のことを……」


音葉「私の胸の奥にはね、音楽の神でしか開けられない扉があるの。天に到達しようとする音楽でしか震わせられない部分が」


桃華「音楽の神様しか? わたくしではその扉を開けられませんの?」

音葉「…………気を悪くしないでね。多分今の桃華ちゃんでは開けられないと思う」

桃華「Pちゃまでも?」

音葉「そうね……」

桃華「では……、圭さんなら?」

音葉「都築圭さん――――あの音楽室からの旋律は、確かに私に見せたわ。…………音楽の神の後ろ姿を」

桃華「やっぱり。圭さんだけが……音葉さんの心の奥に触れられる。一番音葉さんに近しい所にいると……」

音葉「そういうことではないのよ?」

桃華「えっ?」

音葉「心の奥、ではなくて……ある領域、チャンネルの話なの」

桃華「ちゃんねる、ですの?」

音葉「生涯を通して寄り添ってくれる人がいる。そして、一番私と響き合う人がいる。でもそれが同じ人物とは限らないの。対応する心の器官が違うから」

桃華「器官が違う……」

音葉「好きな料理と、好きな映画は比べられないでしょう? 目を合わせてくれる人がいても、その人が同じ目線で物事を見てくれるとは限らない。そうしてくれる人はまた違う別の人」


桃華「違う人――あっ」



――その違いを楽しみながら君と音を奏でたい


種類が違うだけ。響く部分が違うだけ……


桃華「……それは、『どちらの方がより仲が深い』というような話ではごぜいませんのね?」

音葉「聡明ね。その通り。親愛の絆があり、友情が奏でる音があり、そして同類にしか共有できない景色がある――そういうことなの」

桃華「色々なパートナーの形が……ありますのね」

音葉「ええ。対手が変われば、紡ぎ出される音もまた色を変える」

桃華「わたくしはPちゃまにはレディで、輝いている姿を見せたいと思っております。……けれど圭さんには、あの人が作った音楽に近づいているところを見せたいと思いますの。それは……」

音葉「ええ。それでいいの。他にも親や先生や友達や先輩、後輩――音域は違うけれど、あなたが一番奏でたい音はそのそれぞれにあるはず」

桃華「――わたくしは、空回っていたのかしら」

音葉「ふふっ、そのアッチェレランドはあなたの尊い心の響き。……圭さんのパートナーとして桃華ちゃんがどんな景色を綴るのか……楽しみだわ」

桃華「ええ、楽しみにしていらして? ――さぁ、練習再開いたしましょうかっ!」



桃華(音葉さんのようになって、圭さんが見る景色を理解したいと思いましたけれど……)

桃華(本当は、そんな大仰なものではございませんのね。それぞれで、わたくしはわたくしで良かったのですわ)


桃華(そう。わたくしは、わたくしで……音楽という世界を散歩すればいいだけ)


桃華「圭さんが連弾の相手に選んだのは、きっとそんな櫻井桃華……」

――

――――

――――――



モバP「おっ、桃華最近がんばってるな!」

桃華「ええ、がんばっておりましてよっ」

モバP「ディレクターさんに会ったよ。上達が早いらしいな。流石桃華だ」

桃華「もちろん、わたくしにかかればこれしきの事…………んー、違いますわね」

モバP「うん?」

桃華「今の段階で得意になるのはやめておきますわ」

モバP「そ、そうか。」

桃華「ねえ、Pちゃま」

モバP「どうした?」

桃華「ピアノを学ぼうと思ったことはおありかしら?」

モバP「ピアノか……。なんか楽器をしようと思ったことはあったが……もっぱら聴く方にハマっちゃったからな。やろうとしたことはないな」

桃華「……そうですのね。素敵ですのよ、ピアノを奏でるというのは」

モバP「――――ふっ、そうみたいだな。桃華を見ているとわかる」

桃華(響き合う相手がいればこそ……なのでしょうが)


モバP「収録もうすぐだな。俺も立ち会わせてもらうよ」

桃華「ええ、楽しみにしていてくださいまし」

星花「最近の桃華ちゃん、とても集中してらしたものね。期待できますわ」

桃華「星花さん、色々目新しいお菓子を差し入れてくださいまして、気分転換に助かりましたわ。お礼を言いますわ」

星花「うふふ、“Delicious Stick”何種類買ったかしら。最近また興趣あるお菓子を見つけましたのよ? 色と味を組み合わせてお絵かきできるというもので、なんとも創造的でございましたわ!」

桃華「それは是非手に取ってみたいですわね!」

モバP「本当にお前らはお嬢様だなぁ……」


――♪


桃華「あら……圭さんから電話が」

モバP「打ち合わせか?」

桃華「なんでしょう? ――ごきげんよう、桃華ですわ」ピッ


圭『ああ、桃華ちゃん。今からあのピアノの部屋に来れるかい? 連弾曲について大事な話が』


桃華「大事な話? なんですの」



圭『ソロでやったほうがいいと思って』



桃華「は、はぁ!?」


…………



TV局




武田「……『細氷』、聞かせてもらったよ。見事だった」

千早「そうですか……ふふっ、武田さんのような人にそう言っていただければ安心します」

武田「殻をさらに破ろうとする人間は僕は尊敬する。君の道が暖かい風に満ちていることを祈るよ」

千早「……ありがとうございます」

武田「おや。向こうから来るのはジュピターの……」

千早「あ――――伊集院さん」


如月千早
http://i.imgur.com/onslHbz.jpg


北斗「おや。武田プロデューサーに千早ちゃん。おはようございます」

武田「チャオ」

千早「っ……!?」

北斗「どうしたんです武田さん」

武田「いや、君のあいさつは“チャオ”と聞いていたので合わせてみたのだが」

北斗「…………」

千早「あの、伊集院さんが困っていますよ……武田さんにそんな気軽にあいさつされても反応に困るかと――」

北斗「――チャオ☆」

千早「ぷっ!」

武田「チャオ……☆」


千早「や、やめてください……! しゅ、シュール、ぷくく、過ぎ、です……!」


武田「TV局にいるということは収録かい?」

北斗「いえ……今日は違いますね。同僚のピアノを聴きに来たんです」

千早「ピアノ…………」

武田「もしかしてそれは、都築圭くんと櫻井桃華くんの連弾かい?」

北斗「ええ、そうです。知っていましたか。流石ですね」

武田「なに……僕のことを慕ってくれているディレクターが、ぜひ聴きに来てくれと言っていたので覚えていたんだ。ちょうどいい。僕もこれから収録のステージに向かう予定だったんだ共に行こうか」

北斗「ははっ、武田プロデューサーといっしょに会場に入るなんて恐縮ですね。千早ちゃんも聴きに来ない?」

千早「え、私も……ですか? 連弾には興味がありますが、よろしいんでしょうか」

北斗「うん。二人も喜ぶんじゃないかな? 千早ちゃんなら正しく曲に入ってくれるから」

千早「えっ、と……」

武田「如月くん。彼はね。自分の耳を保証してくれる鏡が欲しいのさ」

北斗「あら。ばらしちゃいますか、それ……」

武田「行こうじゃないか。プロデューサーの彼には僕から話しておこう」

千早「ふふっ、なんだか強引ですね」

北斗「――甘いフレーズじゃ誘えないから、こう言おうか。君にも聞いてほしい。都築さんは、きっと凄まじい曲を作ったから」

千早「そんな言葉が誘い文句ですか? ――いいですよ。ひっかかりましょう。行きましょうか」

北斗「流石千早ちゃんだ」



北斗(都築さんは――俺のことを聞いてきた。おそらくはそれは伊集院北斗の過去を自分の曲に多少なりとも反映させようと思ったからだ)

北斗(だから……ほんのちょっぴり聴くのが怖くなった。連弾を聞いたら、その旋律の意味は自分に向けられていると感じてしまうだろうから)


北斗「女々しいね、ピアノのことになると相変わらず…………」


千早「伊集院さん、どうしたんですか」


北斗(だからせめて……もう一つぐらい意味を作っておきたかったんだな。俺がどう感じようと、千早ちゃんには、今日の連弾曲を聴くことはきっとプラスになるだろう)


北斗「なんでもないよ。さぁ、行こう」


――


設営されたシックなステージにグランドピアノが鎮座している。

照明を受けたそれは黒の光沢を跳ね返し、その静謐な佇まいで音を解放する時を待っていた。


ディレクター「あ、武田さん! 来て下さったんですね」

武田「やあ。君が惚れこんだという演奏を見ておこうと思ってね」

ディレクター「椅子を用意させましょう。それと飲み物を」

武田「いや、そういう鹿爪らしいのはいい。彼らのように立ち見で結構」






麗「……貴殿らも来たか。旬殿は来るのではないかと思っていたが」

旬「いや、むしろ僕はみなさんに引っぱられて来たんですけど」

春名「なんだよー、都築さんの曲、完成したの聴きたいって言ったのはジュンじゃんか」

隼人「ジュンにインスピレーション与えるんなら、聞いておいた方がゼッタイいいって!」

旬「まったく。おせっかいですね、みなさんは」

夏来「でも…………ピアノを聴くの、ジュン好きだよね……?」

旬「それは、まぁ、うん……」

四季「なんかオーラあるステージ! オレらもいつかこういうとこで思いっきりやってみたいっスねー!! ビリビリモチベ上がってくる!」

旬「四季くん。静かに」

四季「えっ」

旬「静粛にしろ。心を乱すな」

四季「は、はい……」

春名(うわーなんだかんだ言って、もうジュン集中してるよー……)


星花「ごきげんよう。神楽様」

麗「涼宮さんか……君も聴きに来たのだな」

星花「ええ。都築さんが大きな変更をしたことで桃華ちゃん、昨日までずっと慌てた様子でしたわ。……でも、それも楽しそうではありましたけれど」

麗「そうか……そのような心持ちで音を解き放てるのが、きっと一番幸福なのだろうな」

星花「ええ」

麗「都築さんが曲に大きな変更を加えたのは、恐らく……わたしの演奏を聞いたからだ」

星花「あら? そうなのですか」

麗「ヴァイオリンで再現した今回の曲を都築さんは聴いた。その旋律の中から、恐らくはわたしの失意の残滓を汲みとったのだと思う」

星花「失意、でございますか?」

麗「…………涼宮さんは、アイドル活動が楽しいと思われるか」

星花「ええ。とても。胸を張って言えますわ。後悔など、微塵も」

麗「そうか。……君は強いな。羨ましい」

星花「なにをおっしゃるのやら。わたくしにだって苦い失意はございます。わたくしはずっと神楽様を――時には歯噛みするほどに――羨ましいと、思っておりましたのよ」

麗「そ、そうだったのか?」

星花「ええ。きっと音に対する貴方様の境地には、生涯通してもきっと至れないだろうと……」

麗「……涼宮さん」



音葉「……如月さん。しばらくぶりですね……」

千早「音葉さん。ええ、お久しぶりです」

北斗「あ、面識あるんだ?」

千早「ええ。以前企画をごいっしょさせていただいて」

北斗「そっか……」


それだけ言葉を交わして、彼らは静かに、覆いをするように口を閉ざした。


『音』に相対するために、精神をフラットに変えていく。





モバP「準備ができましたね。そろそろ収録開始ですか」

ディレクター「ええ。もうすぐ都築さんと櫻井さんが来られます――あ、来ましたっ!」



桃華「さあ、いきますわよっ!」

圭「うん。よろしくね」


赤いナイトドレスを纏った櫻井桃華が決然とピアノへと歩を進める。

その傍らにいるのは、燕尾服を着こなした都築圭。気負いのない足取り。しかし、眼の色は深くコンセントレーションが高まっているのが見て取れた。


――――


音葉(圭さんが曲に改訂を加えたと聞いてからは、私は練習に参加する機会を持てなかった……)

音葉(聞かせて。桃華ちゃん。圭さんとどのような世界を作り上げたのか――)




桃華の左に腰掛けると、圭は口を動かした。

最後の助言だろうか。それを受けた少女は不敵な笑みを浮かべて頷く。……惑いは無い



集った者達の前で。


桃華は颯爽と鍵盤に指を落とし、圭はそのタイミングに完全に合わせ、同時に音を響かせた。



――――♪ !



始まりは、春風の様なアンダンテ――

ひとまずここまで

投下開始



千早(心地いい。なんて無垢な夢への期待)


旬(合奏のレベルが前とは全然違う。息を、鼓動をあそこまで完璧に合わせて)


音葉(音の残像をどちらも追っていない。演奏者の腕前でさえ、同等に見える。ここまでのシンクロに至るなんて――――素晴らしいわ二人とも)



アレグロ。希望に胸を弾ませて、少女が草原を走っていく。

風に踊り、日に手をかざし。

そのはしゃぐ様なC-Durは、やがて夢を溢れさせ、G-Durの華々しさを獲得していく。




左手は手綱。右手は兎。

左手は理性。右手は表現。



指が、腕が、快活に躍動する。

今、桃華は溢れんばかりの希望となって、奔放に白鍵を滑り、黒鍵に跳ねる。

ルバートを意気揚々と。感情の昂ぶりのままプレストに至り、春の世界のフレーズを膨らませて膨らませていく。



そして都築圭はここに至り、完全に桃華の『左手』と化した。

童が駆けだすアッチェレランドに同調し、はしゃぐヴィヴァーチェの足場を固める。


音が錯綜し、輻輳し、一体となり、融合して離れない。



旬(ペダルの効果が劇的だ……! それに、あの速いタッチを際立たせ、時には導くセコンドの技巧――この一歩間違えばすべてを崩す奔放さを支え、強めているのは都築さんだ)


四手が勇壮な音を彫り起こしていく。

一つになったその旋律は、洋々たる大海にこぎ出す勇ましい帆船を思わせて。



北斗(ただただ、純粋に豊かな世界を歩んでいく――)


音葉(煌めく音の滴に浸って……どこまでも、どこまでも広がっている世界をその穢れない眼差しで見つめるのね)





子どものころを、思いだす。



無邪気さに耳が澄んでいたあの頃を。


胸の奥に何も棲んでいなかったあの過去を。



麗(……原点、だな)


アレグラメント。


情熱に燃えるプレスト。


妖精を見つけ、追いかける。

疾走感は、飛ぶ鳥の如き心の動きのままに。




音葉(繊麗な調べが颯爽と現れた風に乗って)


千早(どこまでも遠くへ羽を広げていく――ああ、そう。そうよ…………)



千早(私の心にいた鳥は、初めはこんな姿だった――)




一意専心、邁進する演奏はいつしか優艶さを纏い。

天の国の有様を、欠片として聴く者に感じせしめる。



星花(路が……見えますわ。遠い日の向こうに微かに現れた、あの日の、景色が)



指が動いた。虚空の鍵盤を叩くように。


プリモのあの席にいたいと思った。



あんな風に弾けたら。


あんな風に優しい未来に抱かれていたら。



北斗(…………ああ、俺の欠片が歌っている)



音楽そのものへの歓喜。

かつての純心の呼び声。



星花(このまま穢れなく音楽の神の元へ、行けてしまいます)



遥かな思慕を携えて、アマービレの旋律は迷いなく疾駆し、高まって





――――♪ !!!




セコンドのフォルテシモが、積み重ねた無邪気のすべてを叩き壊した。



雰囲気が一変する。

世界に舞う空気の重ささえ変貌する。



夏来(プリモの子……指を離した。ここで全休符……!?)

音葉(これが…………大きな改訂……!!)



紡ぎ出される世界は、その裏側へと移る。影の物語。


ドロローソの表情。


セコンドの旋律に、哀切の音が刻まれていく。


それは心の花を枯らす苦悩のような、道に惑った不安のような――遠い青春の傷み。



音葉(狂想が疾走していく)


麗(都築さんのソロが……痛みを描いて)



いっそ悪魔的なまでに素早い指運び。


もだえるように、戦慄の技巧が展開され、音域が塗りつぶされていく。


憤怒。悲哀。惑いと置きどころのない切望が、重く響いた低音の中に見え隠れする。


重く、寄る辺のない……それは失意の荒涼とした風だった。



やるせなさは留まらず、狂奔するテンポが刻まれていく。



千早(身を切るような切なさ……っ!)



麗(ああ、あの旋律は――わたしの)


北斗(俺の有様を、描いている……!!)


旬(……! 僕は……そうか、そうなのか……)




―――― ♪ !!!!!



撃たれたフォルテシモはさらなる決壊の合図だった。


情調をけたたましく揺らしながら、哀愁と祈りと熱情の一節が虚空に噴き上がる。


それは幾度も繰り返され、虚空を巡り、ラメンタービレのイメージを濃く深く、聴衆の耳に刻んでいく。


悲壮な世界が地の底よりせり上がり、人の想いを嘲り、癒し。閉塞でもって孤独を覆う―――



星花(なんて……ルフランでございましょうか)



旬(これは――これは! 遥かな景色に立ちつくして足踏みをするような)


麗(かつての夢の残骸を繰り返し慰撫する後悔のような)


音葉(どこまでも透明感に満ち満ちて……これは悲痛すぎるほど純粋な、天への叫び――)



転調。決意を抱いたセリオーソ。

魂一つで音楽の神に至ろうと、禁断の一歩が踏み出される。




音葉(征くのね……! それは――音楽神への贄となる路…………)


北斗(ああ、征くだろう)


旬(――音楽がすべてなら)





夢を砕かれた旅人が、最後に魂を賭けて、天への階段へと向かう。

路は残っている。ならばそこに進むしかない。




絶叫にも似た切望を携えて、今そのダイナミクスは果てへと向かい――――







『――――忘れ物をしておりましてよっ!』





不意打ちのユニゾンで引き戻された。



麗「っ!!?」


北斗(な!!)


星花(桃華ちゃん……!?)


旬(信じ、られない)



あの決して長いとは言えないソロの中で、プリモの存在を忘れさせられていた。

世界に没入させられたから。

そこに、自分を見出したから。




だからだ。


だからこそ。



プリモのメロディは、燦然たる意味を現した。





――――――圧倒的な光明。




跳ねる、回る、駆けだす。


今連弾の調べは最初の感動に立ち返り、快活なメロディを響かせて、世界の靄を吹き飛ばす。


揃う音符は半身との再会。



音葉(歓喜に溢れている。……奏でられた音が与える以上の歓喜を、心の裡から湧きださせるなんて…………こんな曲……)




千早(消えてはいなかった)


北斗(まだ心には、あの無邪気な子どもがいた…………)



旬「……」



いるのか。


ああ。いる。


忘れたくても忘れられない。


この胸にずっとずっと、あの子どもはいた。



プリモのアレグロがセコンドを引きつけて、共に歓びの空に。



日を浴びて、影に惑い、膨らんだ音楽の神への恋慕と切望が。



今、そのミューズの胸に抱かれ、悲喜の区別なく一つとなって――人の心の地平へと還っていく。







麗(ああ路が繋がっている――のではないのだな)


北斗(そもそも、閉ざされてなんかいないんだ……)





――――♪♪♪ !!!!








冴えた鮮やかな旋律に、歓喜を弾けさせて。


その曲は祝祭感のうちに終わっていく――――




終曲とともに惜しみない拍手を贈った武田蒼一以外の聴衆が、我に返ったのは3分経ってからで。

遅ればせながらの拍手が演奏者の二人に降る。



ディレクター「こんな風に意味合いを変えてくるとは……! 練習の時よりも遥かに……凄まじい……そう、凄まじい!」

モバP「桃華……すごいな…………すごいよ」





千早「伊集院さん」

北斗「え?」

千早「ありがとうございます――誘っていただけなければ直にこの演奏を聴くことはできませんでした」

北斗「ああ……」

千早「音楽はきっと私たちが思っている以上に深く、広いもの。枠なんて、どこにもなかった」

北斗(……言葉はいらない、か)

北斗「うん。そうだね。きっと……そう」



春名「ふぇー、なんか、言葉にできないんだけど……とんでもなくいい曲だってことはわかる」

四季「ブラボーっス! あんなちっちゃい女の子でもやれるもんなんスね!」

旬「自分と音楽との問題か……色々なことを考えすぎたな」


神童だの天才だの、そんな肩書やニックネームなんて要らない。

ただ本質を。ただ純粋な意志を。

今ここに刻むことができればいい。


旬「僕はただピアノを弾ければよかった。過去なんか気にせずに」

隼人「えっ、何だって?」

旬「神童なんて呼ばれるのは雑音だったことです」

隼人「そ、そんなことないぞ!? オレ、そのおかげで助かったんだから!」

旬「ハヤト?」

隼人「神童・フユミジュン。ジュンがそうだと知らなきゃ、俺最初にお前を誘えなかった」

隼人「だから俺、感謝してるよ。ジュンが神童と呼ばれた過去に」

旬「……っ!」

隼人「お、どうした? クサい台詞だったけど引かないでくれよ~!? 本当にジュンには感謝してるんだからさ。今日こんなすごい曲を聞けたのもジュンのおかげだし」

旬「いえ、どうも僕は頭が固すぎた気がします。――――ありがとうハヤト、おかげで気付けました」

隼人「お、おう? そうか? ならいいんだけど」


『――その巡り合わせにミューズの御業を見るのも一興さ』


旬「どう生きても、何をしても結局は音楽の神様のふところですか……ありがたい」



麗「嫉妬も苦悩も失意も挫折も……音楽は内包している」

星花「それでも、その先の世界にも音楽は満ちておりますわ」

麗「涼宮さん。以前、貴殿の演奏に際した時はどうしてああも大仰なアジタートにするのかと訝しんだものだが……今は貴殿がしたかったことが分かる」

星花「……」

麗「焦がれ、身を焼かんばかりに希求する様を、あのパッセージに込めたかったのだな」

星花「お恥ずかしい。曳かれ者の意地でございますわ」

麗「なにを恥じることがある。自分を見据えてミューズへのきざはしに至らんとする。立派な音楽家の姿勢ではないか」

星花「神楽様……」

麗「それに……君のあの演奏にわたしは惹かれていたのだ。パガニーニ・カプリ―スのあの24を思い起こして――」

星花「――っ!」


星花「ふふっ……そうでしたのね…………神楽様。ありがとうございます」


星花「奇想曲の24番は、わたくしの魂を一等鷲掴みにした曲でございますわ」



麗(涙……し、しまった。女性を泣かせてしまった…………!)



桃華「……」スッ

圭「ん……」スッ



演奏は終わった。言葉は発せず、二人は握手を交わした。

半身への感謝と労わりと称賛が、すべてその掌には込められている。



桃華「やっと……理解できましたわ。あなたが見ている景色」

圭「そう」

桃華「練習するたび、横にいるアナタを想像いたしました。連弾を重ねる度、あなたの意思を感じました」

桃華「どうすれば合わせられるか、どういう演奏がわたくしたち二人のピアノか、ずっと考えておりました。それであの独奏を断ちきる時は……『止めないと』と、思って私の指が独りでに鍵盤を叩いておりました」

圭「……そっか」

桃華「それはきっと、あのソロの時、圭さんがどんな心情で奏でているかを理解できていたからですわ」

圭「僕達、どんな感じだった?」

桃華「そうですわね、端的に申しますと――『傷ついた子どもの痛々しい泣きべそ』、かしら? 見てられませんでしたわよ」

圭「うん。だから君が必要だったんだ」

桃華「……そう。ふふっ、欲張りな人ですのね、アナタは」

圭「欲張り、かい?」



桃華「僕“達”とおっしゃいましたわね? この曲は――きっと『泣いている子ども』の心を詰めて作ったのでしょう。それをみーんなわたくしに、受け止めさせるなんて。厚かましいお方」

圭「意味を、考えてたから」

桃華「意味?」

圭「うん。僕がアイドルになった意味。アイドルになってみんなに出会った意味。こんな僕が君と連弾する意味」

桃華「その答えがこの曲でしたのね。では、採点して差し上げましょう。圭さん、アナタはアイドルになって良かったと思われますか?」

圭「うん……」


圭「音楽神への贄となるにはまだ聴くべき音が多すぎるもの」


桃華「よろしいでしょう。ようこそっ、アイドルの世界へ」


音葉「桃華ちゃん。圭さん。あなた達にしかできない素晴らしい演奏でした。夜と朝の対比の共鳴……………今もまだ残響が耳と心に残るほどです。言葉では、陳腐になってしまいますが」

圭「ありがとう、音葉さん」

音葉「過去と現在の二重唱…………揺蕩いの果てにこんな尊い出会いがあったこと、……ただ、感謝を捧げます」

圭「うん、ありがとうは大事だね」

音葉「え……っと」

圭「?」

音葉「そ、その…………」


桃華「音葉さん。圭さんはそういう部分、鈍感でしてよ。お誘いするなら真正面から、堂々となさいませっ♪」


音葉「――っ! も、桃華ちゃん」

圭「おさそい? ああ、オファー?」

音葉「…………ええ、そうです。いつか……私の色さえ織り紡いだ旋律を……聞かせてもらいたいのです……」

圭「いいね。お仕事じゃなくてもやってみたいな」

音葉「ええ、是非」

桃華「あらあら。なればその時はわたくしの屋敷をお貸しいたしますわよ?」


桃華「……ふーっ」



自分の手を見る。今日のこれは四手の一つとなっていたのだ。


この指にはある――白と黒の鍵の繋がりが。


桃華(ふふっ。糸で繋がるよりも、こちらの方がきっと良い気がいたしますわ)


――

――――

―――――


喫茶店のオープンテラス、そこの席の一つに桃華は座る。

ささやかな打ち上げ。


――だと思ったのだが


麗「また紅茶だけですか? 倒れてしまいますよ。パンケーキも頼みましょう」

圭「いや、僕は紅茶があればいいんだけど。あ……神谷くんのロイヤルミルクティー、飲みたくなってきた」

北斗「この店、明太子スパゲティがおいしいって翔太が言っていましたよ」

星花「音葉さんはなんにいたします? わたくしは、このワンダフルセットというものを頂戴しようと思っておりますが……」

音葉「あら……ご飯の上に旗がついているのですね」

千早「あの、それは、子ども向けでは……」

春名「俺達まで誘ってくれるとは太っ腹だなー!」

夏来「武田さん……ありがとうございます……」

武田「いや、ディレクターの彼は忙しいからね。あのような連弾を聴かせてくれた礼だ。仲間の君達ともども労わせてもらいたい」

隼人「すっげー……! マジで武田蒼一だ……!!」

四季「オレ、このナイスなビッグパフェとメガクールなワンダフルセット注文していいっスか!」

旬「四季くん。君の辞書には遠慮という二文字は無いんですか」

モバP「武田さん。恐縮です。いや、本当に」


桃華「……ムードも何もありませんわね」



星花「桃華ちゃん、素敵でしたわっ。わたくし、今日という日を忘れません」

桃華「痛み入りますわ。ええ、忘れないでいてくださいまし!」

千早「あなたの歌……聞いたことがあるわ。今日のピアノのように――澄んだ歌声だった」

桃華「……歌姫様に言われますと流石に照れてしまいますわ」

音葉「今、私は歌いたく……なっているわ。どこまでも遠くへ、翼を広げて、魂の声を届かせたいと……」


北斗「俺もピアノ弾きたくなっちゃったなぁ」

旬(触発されたかな。僕も指がうずいている)


武田「……ふ」スタスタ


武田「マスターしばらく」

マスター「……」コクリ

武田「店のピアノ、いいかい?」

マスター「……」コクリ

武田「歌もいいかい?」

マスター「………………歌手を指名させていただけますか?」

武田「ほう。どの子かな?」

マスター「――――あの二人を」スッ


……


都築さんがピアノに座る。


ヴァイオリンを携えた星花さんもその傍らに。



桃華「こんなところで歌うの初めてですわっ」

音葉「でも、あなたと歌うの……とても楽しめそう……。響かせましょう桃華ちゃん。二人で、遠くへ」


モバP「息抜きもこういう形かぁ。音楽三昧だな。……いいよ、存分にやれ! 二人とも!」


桃華「ええ!」

音葉「はい……!」


圭「あははっ。じゃあ、かるーくいこうか」


ピアノの伴奏が始まった。


店のお客さんが注目し、高校生のはしゃいだ声がそのあふれ出た音楽を歓迎する。


ヴァイオリンの音色が、流麗にピアノの音を飾り……旋律が盛り上がって。




私たちは歌い始めた。



自由な音色が空に浮かんで踊りだす――――


――――……



桃華(星花さん。わたくしも今日という日を忘れませんわ……)



伊集院さんの柔らかな演奏と如月さんの清冽な歌声を。


ヴァイオリンを軽やかに弾き合う星花さんと神楽さんのお二人を。


冬美さんのピアノと、それに聞き惚れる高校生の皆様の純粋な瞳を。



星花さんとの夢の様なデュエットを。


そして……都築圭という人の心の奥底を垣間見た、今日の連弾を。





この指の絆がある限り。世界に音が満ちている限り。





桃華(決して――わたくしは忘れることはありません)




                                            


FIne ――♪



予想外に話が膨らんで長くなりましたがこれにて完結です。
読んで下さった人たちに感謝。

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2015年04月02日 (木) 12:44:12   ID: GgBHqHvT

Mマス勢が競演するssは名作が多い気がする

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom