小鳥「君の幸せ」【リメイク】 (25)
以前ここで書いたもののリメイクです
内容はほとんど変わっていません
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プロデューサーさんが、退職するそうです。
「今日の夜、空いてますか?」
いつもより早めに仕事を切り上げて一旦家に戻り、とある人に電話をかけます。
急な願いにも関わらず、快く承諾してくれました。
さっと着替えて家を出ます。
予め呼んでおいたタクシーに乗り込み、約束した場所へ。
カラン
ドアベルの音色。
この音を聞くたび、懐かしい気持ちになるのはなぜでしょうか。
「いらっしゃい」
マスターの落ち着いた、低い、それでいて暖かい声。
「まだ何人か居られるけど、じきお帰りになるから」
「ありがとうございます」
カウンターか、テーブルか。
テーブルはステージが見やすいけれど、二人で使うには大きい。
カウンターの距離感はいいけれど、今度はステージが見えない。
どうしようかと迷っているところで、ドアベルが鳴った。
振り返ると、事務所と違ってかっちりしたスーツのプロデューサーさん。
そういえば、こういうところに来るのは初めてだって言ってたわね。
そんなに気張らなくてもいいのに。
笑みが漏れていたのか、プロデューサーさんがあたふたしています。
「ふふっ、大丈夫ですよ、似合ってます。…カウンターとテーブル、どっちにします?」
プロデューサーさんの要望で、カウンターに座ります。
「何に致しましょう」
プロデューサーさんは軽めのカクテル、私はノンアルコールカクテルを頼みました。
他愛もない話。
近所の花屋がどう。
住み着いた野良猫がどう。
長年使っている眼鏡がどう。
ふと、絶え間なく聞こえていた声が聞こえなくなりました。
「…どうしました?」
顔を覗き込むと、ぎゅっとグラスを握り、俯いています。
唇を固く結び、まるで泣くのを我慢している小さな子供のよう。
プロデューサーさんはぐいとグラスを呷り、自分に憤ったような様子で話し始めました。
事務所の子たちに最初に出会った時は、この子たちがどうなるかわくわくしていた。
人気は全くと言っていいほどなくて、CDは手売り、事務所全員での慰安旅行では声も掛けられず、この先大丈夫なのかと心配だった。
だから自分が頑張らないとと思って頑張ってきた。
今では仕事の電話はひっきりなし、一人が外を歩けばたちまち注目を浴びる。
アイドルランクもかなり高くなり、トップアイドルも間近だという評。
「…それは」
先を言いかけていたプロデューサーさんの口が閉じられる。
そしてこちらに顔を向けて柔らかく微笑んだ。
言ってください、という意味だ。
「…それは、いいこと、じゃないんですか?」
一瞬、悲しそうな懐かしむような目をして、眉を寄せ考え込んだ表情。
そして一言、抱え込んでいたものを吐き出すように、しかしはっきりとつぶやきました。
怖くなったんです、と。
マスターに強いカクテルを頼み、一口飲んでから口を開いたプロデューサーさん。
それからのプロデューサーさんは、思い出をゆっくり噛みしめて別れを告げるかのように静かな語り口でした。
走り出した彼女たちはどこまで行けるのか。
本当に、トップアイドルにまで…いや、トップアイドルの“その先”にすら。
プロデューサーさんの手が届かないところへ。
プロデューサーさんを置いて。
ずっと見えていた横顔がいつの間にか背中になって、姿さえ見えなくなったんです、とプロデューサーさんは締めた。
私は何と言ったら分からなくて、ただ店の雰囲気に身を任せていた。
そのあいだ、左隣からはグラスを置く音しか聞こえなかった。
ちら、と目線を遣る。
先程まで流暢に話していたのに、今はアルコールが回ってきたのか瞼を重そうにしています。
店内を見渡すと、既に他のお客さんは全員帰っていたようです。
それを私が確認したと見るや、マスターは静かにカウンターを離れ、お店のドアにClosedを掛けました。
私も、プロデューサーさんに気付かれないようそっと立ち上がり、ステージ裏へ向かいます。
店内が暗くなる。
そこだけが照らされた、ステージの中央。
マイクから少し引いた位置に立ち、プロデューサーさんの方を見ます。
ふとした拍子に寝そうだったプロデューサーさんが、口をぽかんと開けてこちらを見つめていました。
暗くなったのが逆に目を覚ましたのだろうか。
…それとも、私が一人でステージに立っているからだろうか?
ピアノ奏者と一瞬だけ目線を交わし、正面を見据える。
柔らかい音色が私を心地よく包んで行く。
アレンジされたイントロに合わせ、息を吸い、一歩前へ。
「君が遠い街へ…旅立つこと、知った日は」
プロデューサーさんが765プロに来てからのことを思い出す。
事務所は絶えず笑顔で溢れていて、事務所の子たちのワガママにも、困ったように笑いながら相手をしていた。
仕事をしている姿。
事務所の子たちと会話している姿。
何度も見ていたその背中は、何度だって、この胸に思い描ける。
でも、事務所での笑顔の裏には途方もない苦労があること、ちゃんと知ってますよ。
「夜空から舞い降りた幸を、今。君に伝えたいよ…」
プロデューサーさんと出会って、いったいどれだけの笑顔をもらっただろう。
たとえ話している相手が私じゃなくても、見ているだけで自然と笑顔がこぼれて。
誰かと話している姿を、見ることしかできなかったけれど。
「行かないでって、言いたいよ」
でも、私はあなたのことが好きだから。
「君の幸せ願ってるよ」
プロデューサーさんなら、きっと大丈夫だって、信じてますから。
ピアノの音が消える。
静かな店内で、一人の拍手だけが響いた。
「…その服、そういうことだったんですね」
「ふふ、意外でした?」
「いえ、そんな。…………やっぱり、俺は」
おわり
大阪公演参加して後悔した
名古屋前にやりたかった
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