春香「冬馬くんかっこいいなあ……」 (418)

女子A「春香はホントそればっかだねぇ」

春香「えー、だってかっこいいんだもーん」

女子B「ていうか授業中も、ちらちらスマホの待ち受け見てるよね。今みたいに」

春香「うぎゃっ! ばれてた!?」

女子B「ばればれだよー」

春香「たはは……」



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女子A「まあ私は翔太くん派だけどねー」

春香「はいはいそれも耳タコですよ、耳タコ!」

女子A「扱いひどい!」

女子B「まったく……ほっくんの大人の色気が分からないとは、二人ともまだまだお子ちゃまですこと」

春香「今度のジュピターのライブ、もうチケット応募した?」

女子A「当然!」

女子B「あーん! 無視しないでー!」


春香「じゃあまた明日ねー」

女子A・B「ばいばーい」

春香「さて、と……」

【イヤホンを両耳に挿す春香】

ピッ

春香(~~♪~~♪)

春香(あ~い~し~てる♪ あいし~てる いつか~みら~いで~♪)

ガチャッ

春香「ただいまー」

母親「おかえり、春香」

春香「あーお腹すいた。お母さん、今日のごはん何ー?」

母親「ビーフシチューよ」

春香「! やった! じゃあごはんの前にお風呂入っちゃおっと」

母親「あ、春香」

春香「? 何?」

母親「学校は、どう?」

春香「うん、良い感じだよ! もうすっかり落ち着いたかな」

母親「そう」

春香「最初はちょっとばたばたしたけどね……まあもう一ヶ月になるし」

母親「そう」

春香「皆、ようやく分かってくれたみたい。今ではもうほとんど言われなくなったかな」

母親「そう、良かったわね」

春香「うん! じゃあさっさとお風呂入っちゃうね!」

母親「ええ」

~夕食後・春香自室~

ガチャッ

春香「……ふー。おなかいっぱい」ボフッ

春香「えーっと。明日はリーダーか……ちょっと休憩してから予習しようっと」

春香「…………」

春香「…………」

春香「…………はっ!」ガバッ

春香「やばいやばい。寝落ちしちゃうとこだった」

春香「…………」

春香「……まあでも最悪、朝見せてもらえば……」

春香「…………」

春香「……って、ダメよ春香! そんな意志薄弱じゃ!」ガバッ

春香「こういうときは……そうだ、冬馬くんの歌でも聴いてテンションを高めよう!」ピッ

【部屋のステレオから音楽が流れる】

春香「~~♪~~♪」

春香「あ~い~し~てる♪ あいし~てる いつか~みら~いで~♪」

~翌朝・学校~

女子A「……で、ジュピターの曲をループ再生したまま深い眠りについてしまい、気が付けば朝だった、と……」

春香「……はい……」

女子B「ねぇこの子どうする? 処す? 処す?」

春香「処さないで!」

女子A「まあ仕方ないわね。放課後のアイスおごりで手を打ちましょう。はいこれ、私のノート」スッ

春香「あなたが神か!」

女子A「もう、今回だけだからね」

女子B「ありがたき幸せ!」

女子A「って、あんたもかい!」

春香「あはは! 同じ穴のもぐらですよ、もぐら!」

女子A「……春香は現国も予習しといた方が良さそうね」

春香「あ、あれー?」

~放課後~

女子A「春香ー」

春香「はいはい、分かってますよっと。春香さんは約束を守る女だからねー」

女子A「じゃなくて、私今日委員会だったの、忘れてた。悪いけどBと先帰ってて」

春香「あれ? そうなの?」

女子A「うん。まあアイスは明日で勘弁したげるわ」

春香「りょーかい。ま、覚えてたらだけどねー」

女子A「これでもあんたより記憶力良い自負はあるから、ご心配なく」

春香「うぐっ……は、反論できないでおじゃる……」

女子A「ふふっ。んじゃーそういうことで。また明日ねー」

春香「はーい。ばいばーい」

春香「というわけで、春香さんは同じく暇人のBちゃんと共に帰路につくことにしたのでした。まる」

女子B「誰が暇人か」

春香「いや暇人でしょ実際」

女子B「フフフ……悪いけど、今日は私も先約があるのよ」

春香「えっ」

女子B「……ほら、この前の化学の小テストで……」

春香「あっ」

女子B「……フフフ……まあ楽しみにしていなさい春香。今日の鍛錬の成果を、必ずや次の中間で見せてあげるから」

春香「うん、補習頑張ってね! Bちゃん!」

女子B「は、はっきり言うな! もう!」

春香「あはは」


春香(……というわけで、今日は一人で帰ることになってしまった)

春香(どうしようかな。このまままっすぐ帰ってもいいけど……)

春香(せっかくの機会だから、ちょっと寄り道してから帰ろうかな)

春香(といっても、別に行く当てがあるわけでもないけど……)

春香(……まあいいや。音楽でも聴きながら、気の向くままに行ってみよう)

ピッ

春香(~~♪~~♪)

春香(あ~い~し~てる♪ あいし~てる いつか~みら~いで~♪)

春香(…………)

春香(…………ん?)

春香(ここは……?)キョロキョロ

春香(……公園……?)

春香(私、いつの間にこんなところへ……)

春香(……そうか、音楽聴きながらぼーっと歩いてたから、いつの間にか、全然見ず知らずの場所まで来ちゃったんだ)

春香(困ったな……一体どこなんだろう、ここ)

春香(あっ。ベンチに誰か座ってる)

春香(まあここで考えていても仕方ないし、とりあえず聞いてみよう)

春香「あのー。すみません」

響「? はい。……えっ」

春香「ん?」

響「――――」

春香「?」

響「……はる……か?」

春香「…………え?」

のヮの<とりあえずここまで

響「春香……だよね?」

春香「な、なんで私の名前……あっ。ひょっとして……」

響「え?」

春香「我那覇……響ちゃん? 765プロのアイドルの……」

響「――――」

春香「?」

響「…………」

春香「あっ、ご、ごめんなさい。人違い……?」

響「……ううん、合ってるぞ」

春香「! じゃ、じゃあ……」

響「……ああ。確かに自分は、765プロ所属アイドルの我那覇響さー」

春香「やっぱり! すごい! で、でも何でこんなところに??」

響「……うちの事務所、この公園のすぐ近くにあるんだ」

春香「そうなんだ! あ、ご、ごめんなさい。そうなんですね!」

響「……別に、タメ口で構わないぞ。それで、えっと、君は……」

春香「は、はい」

響「春香……で、いいのかな?」

春香「あ、あー……」

響「…………」

春香「ええとですね、その……なんとなく、今の状況は分かりました」

響「…………」

春香「でもえっと、ごめんなさい。私は、その……響ちゃ、じゃない、我那覇さんが知っている、『天海春香』じゃないんです」

響「…………」

春香「ややこしいですよね、ごめんなさい。私、あのアイドルの『天海春香』ちゃんと同じ名前で……顔も、なんか似てて」

響「…………」

春香「だから普段は、なるべく間違われないようにしてるんです。髪型とかも」

響「……うん。髪、少し長いもんね。アイドルの方の春香より」

春香「はい。あと名前も、学校では母親の旧姓の『○○』で通してるんです。『○○春香』で」

響「えっ。そうなの?」

春香「はい。一ヶ月くらい前に、父親の仕事の都合で引っ越して……学校も変わったんです。で、新しい学校だと、絶対アイドルの方の『天海春香』と間違われるから、って。両親からすごく言われて」

響「…………」

春香「でもやっぱり、最初はすごく騒がれちゃったんですよ。『765プロの天海春香だろ』って、色んな人から言われて」

響「…………」

春香「しかも、ちょうどその少し前から、アイドルの方の春香ちゃんが芸能活動お休みしちゃってたから、それもあって……」

響「……そう、か」

春香「……はい。だから私は、その……」

響「…………」

春香「響ちゃ……じゃない、我那覇さんの知ってる、『天海春香』じゃないんです。ごめんなさい」

響「…………」

響「……別に、君が謝ることじゃないさー。元はと言えば、間違えちゃった自分が悪いんだし」

春香「そっ、そんなことないですよ! 我那覇さんは悪くないです!」

響「……別にそんな、かしこまらなくていいって。下の名前で呼んでよ」

春香「えっ、で、でも……」

響「いいから。それに多分、年も同じくらいでしょ?」

春香「あ、はい。私今高2なんで、多分……」

響「あはっ。年も春香と一緒なんだ。……アイドルの方の」

春香「えへへ、そうなんですよー。だから我那覇さ……じゃない、響ちゃんとも同い年ですね」

響「……それなら猶更、そんな丁寧語とか使わなくていいって。普通に友達感覚でいいからさ」

春香「うーん、でもいいのかなあ……。私みたいな何の変哲も無い一般市民が、今をときめくアイドルさんにタメ口とか……」

響「……別に、そんなの関係無いさ。それにその方が話しやすいし」

春香「……ん! 分かった! じゃあお言葉に甘えてそうさせてもらうね、響ちゃん!」

響「! …………」

春香「? どうかしたの?」

響「ああ、いや……別に」

春香「…………?」

響「…………」

春香「あっ。そういえば……」

響「? 何?」

春香「えっと、立場上、響ちゃんは答えられないかもだけど……アイドルの方の春香ちゃんって、今どうしてるの?」

響「! …………」

春香「もう活動休止してから結構経つし……もしかしてなんか、病気とか……」

響「……いや、大丈夫さー」

春香「? そうなの?」

響「ああ。春香はちょっと事情があって、今はアイドルお休みしてるけど、別に病気とかじゃないぞ。まあ、自分もしばらく会えてないんだけどね」

春香「そうなんだ! 良かったー」

響「……だからさっき、君を見て、思わず間違えちゃったんだ。ごめんね」

春香「そ、そんな謝らないでよ! こんなとこでうろうろしてた私が悪いんだし……」

響「それは何も悪くないでしょ。あ、でもさっき一ヶ月前に引っ越したって言ってたけど、家はこの近くなの?」

春香「あ、そうだ」

響「?」

春香「そもそも私、ここがどこなのか聞こうと思って、響ちゃんに話しかけたんだった」

響「? そうなの?」

春香「うん。なんか、音楽聴きながら歩いてたら、いつの間にかここまで来ちゃってて……ここって、どのあたりなのかなあ?」

響「ここは……××区の△△あたりだけど」

春香「えっ」

響「?」

春香「…………」

【スマートフォンを鞄から取り出し、現在時刻を確認する春香】

春香「……嘘……」

響「? どうしたの?」

春香「私……2時間以上、歩きっぱなしだったんだ……」

響「えっ」

響「に、2時間以上も……?」

春香「うん……そうみたい。そりゃ、全然知らない場所まで来ちゃうよね……たはは」

響「…………」

春香「あー、そう思ったら、何か急に疲れが出てきたかも……足も、ちょっと痛いし。響ちゃん、ごめん、私そろそろ帰るね」

響「えっ、で、でも道分かんないだろ? 電車とかも」

春香「大丈夫大丈夫。これで調べたらなんとかなるから」スッ

響「あ、ああ……まあ確かに、スマホがあるなら大丈夫かな……じゃあせめて、最寄りの駅まで送って行くよ。ここからすぐだから」

春香「本当? ありがとう、響ちゃん!」

響「…………」

~駅の改札前~

春香「今日はどうもありがとう! 響ちゃん! まさか、テレビの中のアイドルとお喋りできるなんて夢にも思ってなかったから、私、すっごく嬉しかった!」

響「……うん。自分も、楽しかったぞ」

春香「ホント? えへへ……良かったぁ」

響「…………」

春香「……じゃあ、私はこのへんで。そっちの春香ちゃんにもよろしくね」

響「あ、ああ……うん」

春香「それじゃあね、バイバイ」

響「……あっ、まっ、待って!」

春香「え?」クルッ

響「あ、いや、えっと、その……」

春香「?」

響「せ、せっかくこうして会えたんだし、その、連絡先の交換、とか……」

春香「えっ」

響「だ……ダメかな?」

春香「そ、そりゃ私は願っても無いけど……いいの? 響ちゃんアイドルなのに、私みたいな一般人と……」

響「いいんだいいんだ。だって自分達、もう友達でしょ?」

春香「! う……うん!」

響「友達なら、アイドルも一般人も関係無いさー!」

春香「……うん! 分かった! じゃあこちらこそ、よろしくお願いします! 響ちゃん!」

響「……うん、よろしくね! 春香!」

春香「……ふふっ」

響「……あははっ」

春香「……じゃあ改めて、今日はどうもありがとう。響ちゃん。またメールするね」

響「うん。あっ、春香」

春香「ん?」

響「あ、えっと……もしよかったら、なんだけどさ」

春香「うん」

響「……今度、うちの他のアイドルとも会ってみないか?」

春香「えっ」

響「あっ、嫌だったらもちろんいいんだけど……」

春香「そんな、嫌なわけないけど……でも、流石にそこまでしてもらうのは……」

響「遠慮なんかしなくていいぞ! 皆良い子ばっかりだし!」

春香「うーん……でも……」

響「何なら、他の事務所の子でもいいし。誰か会ってみたい子がいたら紹介するぞ」

春香「……あ、それなら……」

響「うん」

春香「私、冬馬くんに会ってみたい!」

響「…………へ?」

春香「あ、ごめん、えっと……ジュピターの、天ヶ瀬冬馬くんなんだけど……」

響「あ、ああ……。それはもちろん、知ってるけど……」

春香「私、冬馬くんのファンなんだ!」

響「…………」

春香「……って、流石にそれは無理だよね。男性アイドルがプライベートで女性ファンと会ったりしちゃ、まずいもんね。何言っちゃってるんだろ、私……」

響「…………」

春香「ご、ごめんね響ちゃん。今のは気にしないで……」

響「……分かった。いいぞ」

春香「ホントごめ……え?」

響「自分、ジュピターともよく番組で共演するし、冬馬の連絡先も知ってるから……聞くだけ、聞いてみるよ」

春香「ほ……ホントに!? でも、いいの?」

響「んー……こればっかりは向こうの判断になるから、確約はできないけど……でも、出来る限り前向きに考えてもらえるよう、頼んでみる」

春香「あ……ありがとう! 響ちゃん! うわ、すごい! 夢みたい!」

響「…………」

春香「えへへ……冬馬くんに会えたらどうしよう? 何話したらいいのかな~」

響「……じゃあ、とりあえず冬馬に聞いてみるな。それで、いけそうかどうか分かったら、また連絡するから」

春香「うん! 連絡、楽しみにしてるね! 本当にありがとう!」

響「……別にこれくらい、どってことないさー」

春香「ふふっ、楽しみだなあ~。じゃあまたね、響ちゃん!」

響「おう、またなー」



響「…………」

響「……春香……」

のヮの<とりあえずここまで

??「あのぅ、私は」

雪歩「うう、ひどい~」

ガチャッ

春香「たっだいまー!」

母親「あらおかえりなさい、春香。随分ご機嫌ね?」

春香「ふっふっふ~。まあね♪」

母親「何か良いことでもあったの?」

春香「えへへ~、ナイショですよ、ナイショ!」

母親「あら、意地悪ね」

春香「えへへ……」

母親「ご飯、どうする? もうできてるけど」

春香「あ、うん食べる! もうおなかペコペコ~」

母親「じゃあ、早く手洗って着替えてきなさい」

春香「はーい」

トタタタ…

母親「…………」

~春香自室~

春香「あー、今日は夢みたいな一日だったなあ」

春香「765プロの我那覇響ちゃんに会えたってだけでも驚きなのに、まさか冬馬くんにまで会えるかもしれないなんて……!」

春香「まあ実際、なかなか難しいのかもしれないけど……」

春香「でも響ちゃんも、前向きに考えてもらえるよう頼んでみる、って言ってくれてたし!」

春香「ふふふ……本当に会えたらどうしよう? 何着て行ったらいいのかな?」

春香「あー、なんかそわそわしてきた……この気持ちを誰かに伝えたい! でも伝えらんない!」

春香「せめてAちゃんやBちゃんにだけでも言いたいとこだけど……でも、ダメだよね」

春香「ようやく『765プロの天海春香』疑惑が晴れてきたっていうところに、『響ちゃんや冬馬くんと接点ができた』なんて知られたら……いくらなんでもまずいもんね」

春香「…………」

春香「でも、本当……何で、こんなことになったんだろう?」

春香「響ちゃんにしたって、誰にでもあんな風に連絡先教えたり、他のアイドルの紹介したりとかしないだろうし……」

春香「…………」

春香「そもそも私、何で、自分でも気付かないうちにあんな所まで歩いてたんだろう……?」

春香「…………」

母親「春香ー? ご飯冷めちゃうから早く降りてきなさーい」

春香「あ! はーい! すぐ行くー!」

春香「…………」

春香「……ま、いっか」

 ギィ… バタン

~翌朝・学校~

春香「うふふふふ……」

女子A「何朝から気持ち悪い笑み浮かべてんの春香」

女子B「そうだきもいぞ春香」

春香「いきなりひどいね!?」

女子A「いやあ、あまりにも春香が明後日の方向にトリップしているように見えたもんで、つい」

女子B「そうそう、春香の表情がいつにもまして常軌を逸してるように見えたもんで、つい」

春香「何でそんないつも逸してるような言い方なの!?」

女子B「あはは。冗談だってば」

女子A「はるはるは今日もカワイイね~」

春香「もー! おこだよおこ! 春香さんはおこなのです!」

女子A「怒った顔もかーわーいーいー」

女子B「かーわーいーいー」

春香「もー! 二人してバカにしてー!」

女子A「あはは。……で? 実際どったの?」

春香「え?」

女子B「いや、え? じゃなしに」

女子A「何か良いことあったんでしょ? ん?」

春香「え? な、ないよ~そんなの……あ、あはは……」

女子A「……怪しい……」

女子B「ま、まさか彼氏ができた、とか……?」

春香「ぶふぉっ!? そ、そんなわけないでしょ! もう!」

女子A「じゃあ何であんなアホ面浮かべてたのよ?」

女子B「そーだそーだー。何であんなアホ面浮かべてたんだー」

春香「あ、アホ面って……私、そんな変な顔してた?」

女子A・B「うん」

春香「ひどい!」

 キーンコーン カーンコーン

女子A「あ、予鈴」

春香「ほらほら! 解散ですよ、解散!」

女子B「ちぇっ」

女子A「命拾いしたわね、春香」

春香「だから本当に何もないってー! もう!」

女子B「あはは」

女子A「じゃあまた後でね」

春香「はーい。ふふっ」

春香「…………」チラッ

春香(……響ちゃんからメール、来ないかなあ……)

~放課後~

春香「…………」チラッ

春香(……まあ、そんなすぐには来ないよね……)

女子A「は~る~か!」ドンッ

春香「わっ! びっくりした」

女子B「今日はいつにもまして、冬馬きゅんの待ち受けよく見てたね~?」

春香「え? あ、ああ……違うよ」

女子A・B「え?」

春香「ああいや、違うっていうか、まあそれもあるけど、その、メール待ってて……」

女子A「メール、って……」

女子B「……誰の?」

春香「あっ」

女子A「…………」

女子B「…………」

春香「……にっげろー」ダッ

女子A「あっ、コラ!」

女子B「やっぱり彼氏なの!? 待て、春香ー!」

春香「あはは! 残念でした! 彼氏じゃないよー!」

女子A「じゃあ誰なのよー!?」

春香「ナイショですよ、ナイショ!」

女子B「なんでナイショ!?」

女子A「こら、ちょっと待ちなさーい! 春香ー!」

春香「あはは、待ちませんよーっと! あははは!」

~駅前~

春香「はあ……はあ……」

女子A「が、学校から駅まで全力疾走する女子高生三人組って……ば……馬鹿丸出しじゃん……ぜぇ……ぜぇ……」

女子B「き、帰宅部には、き、きつい……」

春香「……はは。まあ、良い運動になったんじゃない? あはは……」

女子A「……春香って、なんか無駄にスタミナあるよね」

春香「無駄に!?」

女子B「……うん。今も多少息上がってるけど、なんかまだ余裕そうだし」

春香「そうかなぁ……これでも結構しんどいけど……」

女子A「……まぁ、いいや。これでちょっとはお腹周りもすっきりすると信じよう」

女子B「ポジティブだな……」

女子A「じゃーね、春香。また明日」

春香「うん、また明日ー」

女子B「ばいばーい」

女子A「……って、あれ? なんで私ら、こんなに走ってたんだっけ……?」

女子B「さあ……? なんか、もう、走ってるうちに忘れた……」

春香「…………」

春香(……そういえば、確かにあんまり疲れてないかも……)

春香(……それに昨日も2時間以上も歩いてた割には、今日別に筋肉痛とかも無かったな……)

春香(…………)

春香(……って、あ! そんなことより……)

春香「……メールは……」チラッ

春香「! 来てる!?」

春香「響ちゃんからだ! えっと何々……」

春香「……『昨日の件、冬馬に聞いてみたけど、自分も含めて三人でなら会ってもいいってさ。どうする?』……」

春香「…………」

春香「…………え!?」

春香(え、え……えええええ!!)

春香(ほ、ほほほ……本当に!?)

春香(うわ、すごい、え? こ、これ本当に?)

春香(お、落ち着こう。落ち着くのよ春香。まずは深呼吸……すー。はー)

春香「…………」

春香「…………」

春香「……え」

春香(えらいことになったぁああああああ!!!)

~次の日曜日~

春香「…………」

春香(あ、あっという間にこの日が来てしまった……)

春香(あああ……緊張するよう緊張するよう。どうしよう? 今の私の顔変じゃないかな?)

春香(髪型大丈夫かな? 後ろ髪ハネてないよね?)

春香(服も、こんなんで良かったのかな……)

春香(やっぱりお母さんに無理言って、お小遣い前借りして新しい服買った方が良かったかな……)

春香(あああ駄目だ……なんかもう既に帰りたい……)

響「おーい春香ー!」

春香「!」

響「おーい!」

春香「ひ……響ちゃん!」ダッ

響「久しぶりー、ってほどでもないか? 何日か前に会ったばっかだもんな」

春香「う、うん……」

春香(うわ……すごい。変装してるのにすごくオーラがある。やっぱりアイドルってすごいなあ……)

春香(……って! そうじゃないでしょ! 私!)

春香(響ちゃんがここにいるってことは……つまり……)チラッ

春香(……この、隣にいる人が……)

響「えっと、じゃあ早速紹介するな。こっちの変なグラサンが……」

「だ、誰が変なグラサンだ!」

響「えー。だって変だぞそれ。すごく変。めっちゃ変」

「う、うるせぇな! 変変言い過ぎだろ!」

春香(……この人、が――……)

「……っと、わりぃな。挨拶もしねぇで」

春香「――――」



冬馬「――天ヶ瀬冬馬だ。よろしくな」

のヮの<とりあえずここまで

春香「――――」

冬馬「?」

響「……ちょ、は、春香!」

春香「…………え?」

響「あ、あいさつ! あいさつ!」

春香「あ! ああ、ご、ごめんなさい! わた、私、○○春香って言います! よ、よろしくお願いします!」

冬馬「……『○○』?」

響「あ、ええと、春香? 今は普通に本名の方でいいんじゃないか? 別に学校の友達ってわけじゃないんだし……」

春香「あ! そ、そっか! そうだよね! な、何度もごめんなさい! 改めまして、天海春香です!」

冬馬「…………」

春香「あ、って言っても、響ちゃんと同じ、765プロに所属してるアイドルの方の天海春香ちゃんとは、何の関係もありません! 別人です!」

冬馬「……ああ。それは聞いてるけど」

春香「はうあ! ご、ごめんなさい!」

冬馬「いや、別に謝るほどのことじゃねぇだろ」

春香「ご、ごめんなさい!」

冬馬「…………」

響「は、春香? ちょっと落ち着こう? な?」

春香「そ、そうだね……ごめん」

響「いや、もう謝らなくていいから。まずは深呼吸、はい」

春香「すー……はー……」

響「落ち着いた?」

春香「……うん。ありがとう、響ちゃん」

冬馬「えっと……もう、いいか?」

春香「はう! ご、ごめんなさい! ……あっ」

冬馬「…………」

春香「あうぅ……」

響「は……はいはい! まあ初対面のあいさつはこのへんで!」

春香「…………」

冬馬「…………」

響「……えーっと……」

冬馬「……なあ」

春香「!」ビクッ

響「な、なんだ? 冬馬」

冬馬「……さっきの『○○』って、何だ? 偽名?」

響「今更そこ!?」

冬馬「ふーん……アイドルの方と間違われないように、ね……」

春香「そ、そうなんです」

冬馬「…………」

響「まあ自分はもちろん、冬馬もアイドルの方の春香を知ってるわけだし、間違えたりするはずないからな。だから普通に本名の方でいいよね? 冬馬?」

冬馬「いやまあ、俺は別になんでもいいけどよ……」

春香「…………」

響「冬馬……そんなんだからもてないんだぞ」

冬馬「!?」

響「まあいいや。とりあえず近くの喫茶店でも行こう。春香もいいよね?」

春香「う、うん! もちろん!」

冬馬「おい、我那覇。こう見えても、俺宛てのファンレターはユニット内では一番多いんだからな」

響「冬馬はもう黙ってた方がいいぞ」

冬馬「!?」



~喫茶店~

響「えっと、じゃあ改めてだけど」

春香「…………」

冬馬「…………」

響「春香、冬馬のことが好きなんだって」

春香「ぶふぉっ!?」

冬馬「うおっ!?」

響「は、春香大丈夫?」

春香「ごほっごほっ……ひ、ひびきちゃ、いきなり何を……」

響「え? だってそれで冬馬に会いたいって……」

春香「ち、ちがっ……そりゃまあファンとは言ったけど……」

響「ファンってことは好きなんでしょ?」

春香「そういう意味ではそうだけど、そういう言い方したら大きく誤解を招くっていうか……」

冬馬「……なあ」

春香「! ご、ごめんなさい! ご本人を前に、私ったらなんて失礼なことを……!」

冬馬「今のあんたの水の吹き出し方、まるでお笑い芸人みたいだったな」

春香「!?」

響「そこ!?」

冬馬「いやだってほら、バラエティとかだとおいしいじゃねぇか」

響「何で今バラエティの話なんだよ! それにこの春香は一般人なんだぞ!」

冬馬「それは分かってるけどよ……」

春香「…………」

響「まったくもう。そんなんだから冬馬は『トークが下手ですね』ってよく芸人さんからいじられるんだぞ」

冬馬「なっ! お、お前なあ、あれはその……そういうキャラの方が色々とおいしいからだっつうの!」

響「いーや絶対嘘だ。大体冬馬はそういうの計算できるタイプじゃないでしょ」

冬馬「ぐっ……う、うるせぇな! つーか、今はそんなことどうでもいいだろ!」

春香「…………」

響「はっ! そうだ! 今は春香が冬馬のことが好きって話だった!」

春香「響ちゃん!? だからそれ違うって!」

響「え? 違うの?」

春香「だ、だから私は冬馬く……天ヶ瀬さんのファンってだけで、そういうのとは違うんだってば!」

響「ふーん、そうなのか。残念だったな冬馬」ポンッ

冬馬「なんで俺がいきなり残念がられなきゃいけねぇんだよ!」

春香「……ぷっ」

響「春香?」

冬馬「?」

春香「くくっ……あははっ」

響「春香」

冬馬「…………」

春香「あはは……ご、ごめんなさい。なんだか面白くって」

響「…………」

冬馬「…………」

春香「やっぱり二人とも、アイドルなんですね!」

響「えっ」

冬馬「……いや、今のやりとりのどこにアイドル要素があったんだよ!?」

春香「えっと、なんていうか……会話のテンポとか、ツッコミ? とか?」

響「それ、アイドル関係あるか……?」

春香「で、でもなんかアイドルって感じがしたの! やっぱり私みたいな一般人とは違うんだな~って!」

響「……春香……」

冬馬「…………」

冬馬「……別にアイドルって言っても、そんなに特別な存在ってわけじゃねぇぞ」

春香「え?」

響「冬馬?」

冬馬「……あんたさっき、俺のファンだって言ってくれてたよな」

春香「え? は、はい」

冬馬「それは俺が、アイドルだからだよな」

春香「……?」

冬馬「俺がアイドルっていう……あんたから見れば特別な存在だったから、あんたは俺のファンになった……いや、なってくれた。そうだろ?」

春香「そ、それはまあ……そうですけど」

響「と、冬馬? 一体何を……」

冬馬「でも今言ったように、アイドルだって普通の人間だ。別に何か、特別な存在ってわけじゃねぇ」

春香「…………」

冬馬「たとえば、今ここにいるあんただって……その気になれば、なれるかもしれねぇんだ。アイドルっていう、あんたにとっては特別な存在に」

響「!」

春香「……えっ?」

春香「私が……アイドル?」

冬馬「ああ」

響「と、冬馬!? 何言ってるの!?」

冬馬「別に、一般論だよ。誰にだって可能性くらいはあんだろ」

響「そ、それはそうだけど……」

春香「……私が……?」

冬馬「…………」

響「は、春香? そんなに深く考えないで……」

春香「……なんて、あるわけないじゃないですかー!」

響「春香」

冬馬「…………」

春香「そりゃあ、現役アイドルの冬馬く……天ヶ瀬さんからすれば、そういうものなのかもしれないですけど……」

冬馬「…………」

春香「やっぱり、何の変哲も無い一市民の私からしたら、アイドルなんて雲の上の存在ですよ、雲の上!」

冬馬「……そうか」

響「……春香……」

春香「…………」

冬馬「……さて、悪いが俺はそろそろお暇させてもらうぜ」

春香「え?」

冬馬「仕事の打ち合わせに行かなきゃいけねぇんだ」

響「あー、もうそんな時間か」

春香「ご、ごめんなさい冬馬く……天ヶ瀬さん。お仕事忙しいのに、私なんかに付き合ってくれて……」

冬馬「……別に、下の名前で良いぜ。いちいち言い直すの面倒だろ」

春香「え、あ、はい! ご、ごめんなさい!」

冬馬「あと、いちいち謝るのも無しな」

春香「はぅ! ご、ごめ……んぐっ」

響「春香……」

冬馬「……それと……」

春香「?」

冬馬「もしよかったら、だけど……連絡先、教えてもらってもいいか?」

春香「えっ!」

響「と、冬馬!?」

冬馬「……勘違いすんなよ。別に何か、変な下心があって言ってるんじゃないからな。ただ、これから何か連絡取ろうと思ったときに、いちいち我那覇を経由すんのも面倒くせぇだろ」

響「……あやしい」

冬馬「そ、そんな目で見るんじゃねぇ! ……で、どうなんだ?」

春香「え?」

冬馬「連絡先だよ。もちろん嫌ってんなら、無理にとは言わねぇけど」

春香「い……いいえ! そんな、嫌だなんて! こ、こちらこそ、よろしくお願いします!」

冬馬「……ああ。よろしく」

響「…………」

響「えっと……冬馬行っちゃったけど、これからどうする?」

春香「…………」

響「……春香?」

春香「あ、ご、ごめん! 響ちゃん。ええと……何て?」

響「あ、いや……これからどうする? って聞いただけだけど……なんか、考え事でもしてた?」

春香「ああ、うん……。なんか色々、信じられないなあって……」

響「? 信じられない?」

春香「……うん。だって、そもそも響ちゃんみたいなアイドルと友達になれただけでも、普通に考えてありえないことなのに……その上、冬馬くんとまで連絡先の交換なんかしちゃって……」

響「あー……」

春香「ちょっと、自分でも頭の整理が追いつかないっていうか……。もしかしてこれ、全部夢か何かじゃないのかな、とか思っちゃったりして……」

響「……夢、か……」

春香「? 響ちゃん?」

響「……んーん。何でもない。それより春香、この後予定無いなら、もうちょっと自分に付き合ってくれない? 久々にショッピングとかしたいんだ」

春香「! もちろん! 私なんかでよければ、いくらでも付き合うよ! 響ちゃん!」

響「えへへ……ありがと! 春香! じゃあ、行こっ!」

春香「うんっ!」

~ジュピター所属事務所~

ガチャッ

冬馬「ちぃーっす」

翔太「おっはよー、冬馬くん」

北斗「チャオ☆ 珍しいな、冬馬が最後とは」

冬馬「まあな」

翔太「もしかして、デートでもしてた?」

冬馬「……なわけねぇだろ」

北斗「おや? なんか今、変な間があったぞ?」

翔太「冬馬くん? もしかしてホントに……」

冬馬「だからちげぇっての。ちょっと知り合いに会ってただけだ」

翔太「なーんだ。つまんないの」

北斗「ま、冬馬は真面目だからね」

冬馬「うるせぇよ」

翔太「仕事さえきちんとやってれば、少しくらい遊んだって罰は当たらないと思うけどねー」

北斗「そうそう。それにいつか、そういう寄り道が思わぬ形で助けになったりするものさ」

翔太「あー、そうそうそれ! 僕もそういうことが言いたかった。時には寄り道も大事だよね、って」

冬馬「…………」

北斗「? 冬馬?」

翔太「どうしたの?」

冬馬「……自分の歩く道さえ、見失っていなければ……な」

北斗「えっ?」

翔太「冬馬くん?」

冬馬「……何でもねぇよ。さ、早いとこ打ち合わせ始めようぜ」

北斗・翔太「……?」

~同日夜・春香自室~

春香「…………」

春香「……やっぱりまだ、信じられない……」

春香「なんていうか、こう……現実味が無いっていうか」

春香「何の変哲も無いはずの私の人生が、どうしてこんなことになったんだろう……?」

春香「嬉しいはず、なんだけど……いや、実際嬉しいんだけど……」

春香「それ以上に……うーむ……」

 ブブブ……

春香「わ。メール? 誰だろ?」

春香「! こ、これって……!?」


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差出人:天ヶ瀬冬馬

件名:(無題)

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今日は、あんまり話する時間が無くて悪かったな。

個人的に、もう少しあんたに聞きたいことがあるんだが、もしよかったら、来週の日曜日に会えないか?

今度は、俺達二人だけで。

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のヮの<とりあえずここまで

~一週間後・日曜日~

春香(……約束の時間より、30分も早く着いてしまった……)

春香(でもいいのかなあ……人気絶頂のアイドルとそのファンが二人きりで会うとか……これバレたら絶対やばいよね……)

春香(とか考えながらも、結局こうして来てしまったわけだけど……)

春香(まあなんだかんだでなんとかなるかな……先週も、変装していたとはいえ、二人も現役のアイドルがいたのに誰にも気付かれなかったし……)

春香(それに、冬馬くんの『聞きたいこと』っていうのも、何なのか気になるしね)

冬馬「おう」

春香「うひゃあ!?」

冬馬「そ、そんな大きな声出さなくてもいいだろ」

春香「ごっ、ごめんなさい。全然気付いてなかったから……先週とは、また違った感じの変装なんですね。サングラスも、また違うのだし」

冬馬「まあな。……一応言っとくけど、我那覇に言われたからじゃねぇからな!」

春香「ああ、そういえば変って言われてましたもんね」

冬馬「……そんなに変だったか? あれ……」

春香「えっ! そ、そんなことないですよ! とってもかっこよかったです!」

冬馬「そ、そうか? そうだよな! ははっ! 我那覇め、ざまぁみやがれ!」

春香(……本当はまあ結構変だったけど)

冬馬「? 何か言ったか?」

春香「い、いいえ! 何も!」

冬馬「そうか? ならいいんだけどよ……あ、それと」

春香「はい?」

冬馬「……もうちょっと、砕けた感じで話していいぜ。つうか、変にかしこまられると、かえって話しにくい」

春香「あ、分かりまし……じゃない、分かったよ、冬馬くん。……これでいいかな?」

冬馬「……ああ。んじゃ、改めて今日はよろしくな」

春香「うん!」

春香「えっと、じゃあ今日はどんな感じで……」

冬馬「まあとりあえず、適当にこのあたりぶらつこうぜ。時間は大丈夫なんだろ?」

春香「う、うん。私は大丈夫。冬馬くんは?」

冬馬「俺も今日は大丈夫だ。じゃあ早速行こうぜ」

春香「うん」

春香(……『聞きたいこと』っていうのは……後で、ってことなのかな?)

冬馬「お、なんか面白そうな雑貨屋があるじゃねぇか。ちょっと入ってみようぜ」

春香「うん。……わあ、なんかごちゃごちゃしてるね」

冬馬「こういう店って、意外と良いアクセ置いてたりするんだよな」

春香「へー」

春香(……なんかこれ、普通にデートみたいだなあ……)

冬馬「? どうかしたか?」

春香「う、ううん! 何でも。あ、このチョーカーとか結構良いんじゃない?」

冬馬「……お前、割と変なセンスしてるんだな」

春香「冬馬くんには言われたくないんだけど!?」

冬馬「えっ」

春香「あっ」

冬馬「…………」

春香「……え、えっと」

冬馬「……ふっ」

春香「えっ」

冬馬「良いんじゃねーの。今の」

春香「……え?」

冬馬「バラエティとかでウケそうだ」

春香「またバラエティの話!? それはもういいよ!」

春香「あっ」

冬馬「…………」

春香「え、ええと……」

冬馬「……ようやく、らしくなってきたって感じだな」

春香「え?」

冬馬「……なんでもねぇよ。さ、次行こうぜ」

春香「う、うん……」

春香(らしくなってきたって……どういう意味だろう?)

春香(冬馬くんと私は、会うのも今日でまだ二回目なのに……)

冬馬「あ、クレープ売ってら」

春香「そういえば、冬馬くんって甘いもの好きなんだよね」

冬馬「? そうだけど……何でそんなこと知ってんだ?」

春香「何でって……ラジオとかでよく言ってるじゃない」

冬馬「あー……そうか。そういえばお前、俺のファンなんだったな」

春香「何でそんな醒めた言い方なの!?」

冬馬「いや、なんかあんまそんな感じしねぇからよ……」

春香「……え?」

冬馬「まあいいや、とにかく食おうぜ。……すいません、チョコバナナクレープ一つ。お前は?」

春香「あ、えっと、じゃあ私も同じのを……」ゴソゴソ

冬馬「いいって。俺が出すよ」

春香「でも」

冬馬「いいから。今日は俺の方から誘ったんだから、これくらい奢らせろって」

春香「あ、ありがとう……」

春香(…………)

春香(……そうだ。私は今、あの憧れのアイドルの、天ヶ瀬冬馬くんと一緒にいるんだ)

春香(一緒にお店回って、クレープまでご馳走してもらって)

春香(誰がどう見たって、デートにしか見えないような、このシチュエーション)

春香(ファンであれば、もう死んでもいいと思えるほどに幸せな状況)

春香(……のはず、なのに)

春香(…………)

春香(……何なんだろう? 私の、今のこの気持ちは……)

春香(今、楽しいと感じているのは間違いない。それは間違いないんだけど……でも、)

春香(……これは、私が本当に望んでいたものだったのかな……?)

春香(…………)

冬馬「…………」

冬馬「ほらよ、クレープ」

春香「あ、ありがとう」

冬馬「これ食ったら、ちょっとゲーセンでも行かねぇか?」

春香「うん、いいよ」

春香(……まあ、今は難しいことは考えなくていいか)

春香(今が楽しいなら、それで……それで、いいよね)




~ゲームセンター~


春香「冬馬くん、こういうとこ結構来るんだ?」

冬馬「いや、そんなでもねぇけど……あ、あった」

春香「?」

冬馬「ほら、これやろうぜ」

春香「これは……」

春香(Dance Dance Evolution……通称『ダンエボ』とか『DDE』とかいう、全身(というか主に下半身)を使って遊ぶダンスゲームだ)

春香(私はやったことはないけど、結構昔からあるゲームなので、他の人がやってるのを見たことはある)

冬馬「結構良い運動になるぜ。いいだろ?」

春香「うん、いいよ」

冬馬「よっしゃ。じゃあ対戦な」

春香「えー。現役のアイドルに勝てるわけないよ」

冬馬「まあ、いいからいいから。な?」

春香(冬馬くんはそう言って、素早く二人分のお金をゲーム機に投入した)

春香(私は慌ててお金を払おうとしたが、冬馬くんに「いいから、いいから」と遮られてしまい……そうこうしているうちにゲームが始まり、私はまたも彼の好意に甘える形となってしまった)

春香(……そして、注目の対戦結果はというと――……)

冬馬「……まあ、そりゃこうなるか」

春香「…………」

春香(……見事なまでに、私の惨敗だった)

春香「だって私初めてなのに、冬馬くん、難易度最高に設定するんだもん……こんなのできるわけないよ」

冬馬「いや、まあお前なら……と思ったんだけどな」

春香「?」

冬馬「でもよく考えたら、元からそんなに得意な方でもなかったよな……」

春香「……?」

春香(私には、彼が何を言っているのかよく分からなかった)

冬馬「よし、じゃあゲーセンはこれくらいにして……次は、カラオケ行こうぜ」

春香「カラオケ?」

冬馬「ああ。いいだろ?」

春香「うん、いいよ。あ、私冬馬くんの歌聴きたい!」

冬馬「よし。じゃあ行くか」

春香「うん!」



春香(……憧れのアイドルと一緒にカラオケに行き、「観客は私一人だけ」という状況で……生歌を歌ってもらう)

春香(こんなの、一生分の運を使い切ったって、まず起こりえないくらいの幸運だ)

春香(私は、自分自身にそう言い聞かせるように、頭の中でそんな言葉を繰り返し唱えていた)

春香(これでいい、これでいいんだ、と)

春香(これ以上の幸せは、ありえないんだと)

春香(そう、心の底から信じることができていれば――……)

春香(私は本当に、『幸せ』だったのかもしれない)



春香(……私は、夢にまで見ていたはずの、憧れのアイドルの生の歌声を聴きながら――……何故か、そんなことばかりを考えていた)

のヮの<とりあえずここまで

冬馬「……恋を はじめようよ♪」

 チャチャチャチャ チャッチャッチャッ チャッ

春香「…………」

冬馬「……天海?」

春香「! あ、えっと……す、すごいねやっぱり! 思わず見とれちゃってたよ! あはは……」

冬馬「…………」

春香「はは……」

冬馬「……なあ、天海」

春香「な、何?」

冬馬「俺、お前に聞きたいことがあるって言ってたよな」

春香「あ、ああ……うん」

冬馬「そのことなんだけどよ」

春香「……うん。何?」

冬馬「お前……本当は、アイドルになりたいんじゃねぇか?」

春香「…………え?」

春香「私が……アイドル?」

冬馬「ああ」

春香「……ははは。やだなぁ、冬馬くん。何言ってるの?」

冬馬「…………」

春香「私みたいな一般人が――」

冬馬「ほら、それ」

春香「え?」

冬馬「お前、何かにつけて『私みたいな一般人が……』って言うだろ」

春香「それはだって、実際に……」

冬馬「本心からそう思ってるやつは、そう何回も口に出して言ったりしねぇよ」

春香「…………」

冬馬「つまり、それだけ何回も口にするってことは……自分で自分に言い聞かせたいからじゃねぇのか」

春香「…………」

冬馬「『自分は一般人なんだ』『アイドルなんて遠い世界の存在なんだ』……ってよ」

春香「…………」

春香「……ごめん、冬馬くんが何言ってるのか、ちょっとよく分からないよ」

冬馬「…………」

春香「そもそも私はアイドルじゃないし、別にアイドルになりたいわけでもないし……」

冬馬「……そうか。変なこと聞いて悪かったな」

春香「ううん。いいよ、別に」

冬馬「……まあでもせっかくだし、一曲くらい歌ってみろよ」ピッピッ

春香「え? これって……」

冬馬「聴いたことくらいあるだろ? 去年の紅白でも歌ってた曲だ」

春香「……そりゃ、知ってる、けど……」

冬馬「じゃあ歌ってみてくれよ。案外、様になるかもしれねぇぜ?」

春香「…………」

春香(私には、やっぱり彼の考えが分からなかった)

春香(空気を読まずに流れ出したイントロが、なぜだか無性に私の心をかき乱した)

春香(彼の言うように、知らない曲ではない。いや、むしろとてもよく知っているような……)

春香「……っ」

春香(鼓動が早まる。曲名が画面上に表示された)


  天海春香 『乙女よ大志を抱け!!』


春香「――――」

春香(アップテンポの曲調が、やけに耳に障る)

春香(何故だろう。身体が、心が―――この歌を、拒絶している)

春香「…………」

春香(歌い出しのメロディーに入っても、私は一声も発することなく、歌詞の流れる画面を見つめ続けていた)

春香「…………」

冬馬「…………」

春香(部屋に鳴り響くバックミュージックがサビに差し掛かったあたりで、私はようやく口を開いた)

春香「…………ごめん、止めて」

冬馬「…………」ピッ

春香(音楽は止み、部屋には静寂が訪れた)

春香「…………」

冬馬「…………」

春香「……ごめん、冬馬くん。私……帰るね」

冬馬「…………」

春香(私はテーブルの上に千円札を置き、逃げるように部屋を出た)

春香(意外にも、彼は私を引き留めようとはしなかった)

春香(……まるで、こうなることが分かっていたかのように)

春香(動悸が激しい。胸が苦しい)

春香(カラオケボックスを出てからずっと、私は自身の異変を感じていた)

春香(より正確に言うと、あの曲のメロディーを聴いてからだ)

春香(アイドル天海春香の代表曲――『乙女よ大志を抱け!!』 )

春香「……なんで……」

春香(なんでこんなに――……)

春香「……心が、痛いんだろう」

春香(気が付けば、私は見知らぬ路線の電車に乗っていた)

春香(おかしいと思いながらも、何故か途中で降りようという気にはなれなかった)

春香(私は、まるでそうすることが当たり前であるかのように、知らないはずの目的地を目指して電車を乗り継いだ)

春香「…………」

春香(そうして降り立った駅は――……忘れもしない)

春香(私が初めて響ちゃんと会った日に、彼女に送ってもらった駅だ)

春香「――――」

春香(駅の改札を出た私は、何かに吸い寄せられるように歩を進め始めた)

春香「…………」

春香(人混みの中を、おぼつかない足取りで歩く)

春香(私は、どこへ向かおうとしているんだろう)

春香(……いや、本当は多分……分かっている)

春香(ただそれを、必死に否定しようとしている私がいて)

春香(そんなはずないよ、そうじゃないんだよ、って)

春香(そんな簡単な言葉で、自分を騙せていたなら)

春香(私はきっと、こんな所まで来ることはなかったんだろう)

春香「…………」

春香(見上げた先の小さなビル。その大きな窓に貼られた白いテープが、三つの数字を形作っていた)

春香「……『765』……」

春香(どうして私はここに来たんだろう)

春香(どうして私はこんな所で立ち尽くしているんだろう)

春香(こんな場所にあるこんな建物を、今の私は知るはずもないのに――……)

春香「…………」

「――――」

「――――」

春香「…………?」

春香(ふいに背後から、何かが私の耳に届いた)

春香(行き交う人々の喧騒の中、それは私の意識の奥の方に、すぅっと入り込んできた)

「すみません、買い出し手伝ってもらっちゃって」

「いえいえ、ちょうど手が空いてましたから」

春香「…………」

春香(何の変哲も無いはずの、誰かと誰かの会話)

春香(でもその瞬間、私は確かに直感した)

「……あら? あれって……」

「……まさか……」

春香(ここで後ろを振り返らなければ、多分まだ私は『私』でいられる、って)

春香(だからここで振り返ることなく、さっとこの場を立ち去れば――……)

春香(きっと私は、まだ『私』のままでいられる)

春香(……そこまで分かっていたのに、私は)

春香「――――」バッ

春香(振り返って……しまった)

「…………っ」

「…………!」

春香(私の視界に、驚いた顔をした男女が映る)

春香(私はそのうちの一人、男性の方を見て)

春香(意識するより早く、その呼び名を口にしていた)

春香「……プロデューサー……さん……?」

春香(私が自分で発した、その言葉の意味を理解するより早く)

春香(眼前の『彼』は、私の目を見て、ゆっくりと口を開いた)



「……はる……か……?」



春香「――――」

春香(その瞬間、頭の中に、)

春香「…………ぃ」

春香(とめどなく、色々な、ものが、)

春香「…………い……」

春香(溢れて――……)










春香「いやぁあああああああああああああああああ!!!!」










春香(……そこで、私の視界は暗転した)

春香(薄れゆく意識の中、頻りに私の名前を呼ぶ声が、やけに耳に響いた)

春香(知らないはずなのにひどく聞き慣れた、男の人の声と、女の人の声)

春香(……こうして私は、そのすべてを思い出すことになる)

春香(自分の心の奥の奥へと封じ込めていた――その、すべてを)

のヮの<とりあえずここまで

春香(私が『彼』と出会ったのは、今からもう二年以上も前のことになる)

春香(当時、まだ無名のアイドルだった私の前に、『彼』は緊張した面持ちで現れた)




「――今日から、プロデューサーとしてこの会社で働くことになりました、□□といいます!」

「目指す夢は、皆まとめてトップアイドル! よろしくお願いします!」




春香(所信表明は結構だけど、よりにもよっていきなりトップアイドルだなんて)

春香(もう少し、現実的な目標にしといたらいいのに……とは思わないでもなかった)

春香(でも、『彼』の目には確かな自信と情熱が宿っていて)

春香(悪い人ではないんだろうな、というのは直感的に分かった)

春香(そしてなんとなくだけど、この人についていってみようかな、と)

春香(自然とそんな風にも思えた)

春香(……それが、私と『彼』との出会い)

春香(そして今の『私』につながる――……すべての始まりだった)

春香(『彼』がプロデューサーとして働いてくれるようになってから、事務所のお留守番と自主レッスンが日課だった私達にも、少しずつ仕事が入るようになってきた)

春香(最初は小さな仕事ばかりだったけど、そうして地道に活動を続けているうちに、私たちのことを知ってくれる人も少しずつ増えてきて)

春香(『彼』が入社してから半年ほどが経った頃には、私も他の皆も、地方の町おこしイベントのミニライブや、ローカル番組のゲスト出演くらいにはちょくちょく呼ばれるようになっていた)

春香(まだまだトップアイドルには程遠かったけど……それでも、前より確実に前進しているのが分かって、嬉しかった)

春香(こうやって頑張っていればいつかきっと……なんて、そんな風に夢を見ていた)

春香(……そんな日々を過ごすうち、私はいつしか、『彼』に対しても強い信頼感を抱くようになっていた)

春香(『この人を信じて、この人についていこう』)

春香(そう思うことに、私は何の疑いも持たなかった)

春香(――そんな、ある日のことだった)




~765プロ事務所~


P「……春香。ちょっといいか」

春香「何ですか? プロデューサーさん」

P「この前のミニライブのことなんだけどな」

春香「! は、はい……」

春香(あー、あのライブ、私歌詞間違えちゃったんだよね)

春香(あの後何も言われなかったから、気付かれてないのかなって思ってたけど……)

春香(うぅ……やっぱり怒られちゃうのかなぁ)

P「…………」

P「あのときのライブ……」

春香「…………」

P「すっごく、良かったぞ!」

春香「……え?」

P「声もよく通ってたし、何よりもお客さんに対するパフォーマンスが素晴らしかった!」

春香「…………」

P「小さな会場だったからってのもあるかもしれんが……観に来てくれたお客さん一人一人の顔をきちんと見て、想いを込めて丁寧に歌っているのが伝わってきたよ」

春香「…………」

P「春香の一番の良さは、そうやって一人一人のお客さんを大事にできるところだと俺は思う。そしてそれは、アイドルにとって最も大事なことでもある」

春香「……プロデューサーさん……」

P「あのライブは、そんな春香の良さが前面に出ていた、とても良いライブだった! だからこれからも、その調子で頑張れ!」

春香「…………」

P「……ってことを、本当はライブが終わってすぐに伝えてやりたかったんだが、あの後またすぐに対応しないといけないことができてしまって……つい、遅れ遅れになってしまっていたんだ。すまん」

春香「…………」

P「は、春香? やっぱり怒ってるのか? 褒めてやるのが遅くなったから……」

春香「ち、違います! そうじゃなくて、その……」

P「? どうした?」

春香「……怒らないんですか?」

P「え?」

春香「あ、いや、えっと……私実は、あのとき歌詞間違えちゃってたから。二番の歌い出しのとこ……」

P「ああ、そういやそうだったな」

春香「! 気付いてたんですか?」

P「そりゃお前、気付かないわけないだろう」

春香「ですよねー……って、じゃあ何でそのことで怒らないんですか?」

P「え? 何でって……」

春香「…………」

P「そんなの、ただの一つの失敗じゃないか」

春香「えっ」

P「いいか春香。失敗なんて、誰にでもあることだ」

春香「…………」

P「俺だってしょっちゅう失敗してるし、律子だって社長だって失敗する」

春香「…………」

P「大切なのは、失敗した後にちゃんと反省して、二度と同じ失敗をしないようにすることだ」

春香「…………」

P「今回のはただの歌詞間違えだから、後でちゃんと復習して、次また同じ間違いをしないようにすればいいだけの話だ。だから、あえて俺の口から言うまでもないことだと思ってたんだが……」

春香「……あっ……」

P「……春香? 一応聞くけど……お前、ちゃんと復習したよな?」

春香「え、えっと……」

P「……してないのか?」

春香「ご、ごめんなさい」

P「春香。それはダメだ。誰にも何も言われなくても、ちゃんと復習しとかないと」

春香「はい。……ごめんなさい」

P「ん。分かればいいよ。……まあでも、これもまた一つの失敗だ。良かったな、春香」

春香「……良かった?」

P「ああ。失敗したっていうことは、反省して、成長する機会を得られたってことだからな。だから春香は今また、成長するチャンスを得られたんだ。良かっただろ?」

春香「失敗は……成長するチャンス……」

P「そうだ。だからちゃんと反省して、しっかり成長しないとな。春香」

春香「……はい! 分かりました!」

P「よし。じゃあ今日はもう遅いから帰ろう。駅まで送って行くよ」

春香「はい! どうもありがとうございました! プロデューサーさん!」

春香(……このとき、歌詞を間違えたことで怒られるとばかり思っていた私は、自分の思ってもいなかったところで褒められ、また考えもしていなかったところで叱られた)

春香(でもそのおかげで、私はまた一歩、前に進めたような気がした)

春香(――失敗しても、いいんだ)

春香(そう思えたことで、私の心は随分と軽くなった)

春香(それに私には、プロデューサーさんが教えてくれた『良さ』もある)

春香(ならこれからは、その『良さ』に磨きをかけながら、たくさん失敗しよう)

春香(そしてその分だけ反省して、たくさん成長しよう)

春香(そうしたことの積み重ねが、トップアイドルへの道につながっているに違いない)

春香(だから私は歩いて行こう)

春香(いつか私をその道に導いてくれる、プロデューサーさんと一緒に――……)




春香(……この頃の私は、ただただ無邪気に、ただただ真っ直ぐに――そんな気持ちを抱いていた)

春香(そして私のこの気持ちが、『彼』に対する特別なそれへと変化するのに、そう長い時間は掛からなかった)

春香(気付いた時には、私は)

春香(……『彼』を、信頼できるプロデューサーとしてだけではなく、一人の男性としても――……明確に、意識をするようになっていた)

のヮの<とりあえずここまで

春香(それでも最初は、自分にずっと言い聞かせていた)

春香(これは恋じゃないんだって。ただの憧れの気持ちなんだって)

春香(それを一度でも自覚してしまうと、もう自分を誤魔化すことはできなくなると思ったから)

春香(でも――……)




P「春香」

春香「ひゃいっ!」

P「うお、どうした」

春香「どどっど、どうもしてないですよ? ただプロデューサーさんに急に声掛けられたから、驚いちゃっただけで……」

P「別に、普通に声掛けたつもりだったんだが……まあいいや、今度の収録のことなんだが、今ちょっと話せるか?」

春香「は、はい」

P「この前の打ち合わせでは、こういう説明だったんだが――」

春香(うわ! か、顔近い!)

P「――という風に変更したらどうか、って話があってな。俺もその方がいいと思ったんだが、春香はどう思う?」

春香「……え?」

P「いや、え? じゃなくて」

春香「あ、えっと……ごめんなさい。聞いてませんでした……」

P「おいおい……そんなに疲れてるのか? じゃあこの件はまた明日にするから、今日はもう早く帰って休め」

春香「はい……すみませんでした。……お先に失礼します」ペコリ

~同日夜・春香自室~

春香(はぁ……だめだなぁ、私)

春香(やっぱりちゃんと向き合わないといけないのかな……自分の気持ちに)

春香(…………)

春香(……好き、なんだろうな)

春香(うん)

春香(もうこれ以上は、知らんぷりできそうにないや)

春香(でもなあ、アイドルとプロデューサーの恋愛って……)

春香(それ以前に、そもそもアイドルに恋愛はご法度だし)

春香(うーん)

春香(つらいけど、流石にどうしようもないか……)

春香(はぁ……)

春香(…………)

春香「……まあでも、ずっと一人で溜め込んでるのもしんどいし……美希あたりにそれとなく聞いてみよう」ピッ

春香「…………」
 
美希『ミキなの』

春香「あ、美希? ごめんね急に。今電話大丈夫?」

美希『大丈夫なの』

美希『でもどうしたの? 春香。急に電話なんて珍しいね』

春香「あー、うん。ちょっと思ったことがあって」

美希『何?』

春香「えっと、私たちって、恋愛禁止だよね?」

美希『そりゃまあ、一応アイドルだしね』

春香「でも、人を好きになる気持ちは、それとは別の話だよね?」

美希『……うん? 何春香、好きな人でもできたの?』

春香「や、そういうわけじゃないけど。でもいつかそうなる可能性もあるなーって」

美希『まあ確かに可能性はあるの』

春香「もしそうなったとき、美希ならどうする? スキャンダル覚悟で、愛を貫く?」

美希『なんかいきなり重いの』

春香「あ、ごめん。まあ例えばの話だから」

美希『うーん。ミキ的にはそれはしないかなって思うな』

春香「じゃあずっと自分の中に秘めておくの?」

美希『そうだね』

春香「でも、それってすごくつらいんじゃない?」

美希『そうかもだけど、でもミキ的には、他の皆にメーワクかけちゃうことの方が、もっとヤなの』

春香「……美希……」

美希『それにミキだって、永遠にアイドルやるってわけじゃないしね』

春香「じゃあアイドルを引退したら……ってこと?」

美希『まあそのときまでその気持ちが続いてるかは分かんないけどね。でももしそうだったら、そうすればいいって思うな』

春香「…………」

美希『ただ今は、ミキはアイドルやってるのが一番楽しいから、もし好きな人ができたとしても、やっぱりアイドルの方を優先したいって思うかな』

春香「そうなんだ」

美希『っていうかむしろ、その恋の気持ちをアイドルのお仕事の方に向けちゃえー! って思うな』

春香「恋のパワーってこと?」

美希『うん。パワー』

春香「あはは。美希らしいね」

美希『そうかな? まあミキはまだそんな恋とかしたことないけどね』

春香「でも実際そうなったら、美希ならなりふり構わず突っ走っちゃいそうな気もするね」

美希『うーん。まあ確かにそうなるかもしれないの。こればっかりは実際にそうならないとわからないの』

春香「そっか、よく分かったよ、美希。どうもありがとう。夜遅くにごめんね」

美希『別にいいの。春香も好きな人できたら教えてね』

春香「……ん。分かった。じゃあまた明日、事務所でね。バイバイ」

美希『はーい。おやすみなさいなの。あふぅ』

春香「…………」ピッ

春香(ごめんね、美希)

春香(私もう、好きな人、いるんだ)

春香(……美希に聞いてみて、良かった)

春香(なんか少し、気持ちが楽になったのと)

春香(頭の中が、すっきりした)

春香(私は、プロデューサーさんが好き)

春香(でも今はまだ、この想いを伝えるべきじゃない)

春香(そんなことをしてもプロデューサーさんを困らせてしまうだけだし、私自身も、今の関係を壊したくないという気持ちが強い)

春香(だから私は、今のこの気持ちを認めて、受け容れたうえで)

春香(前に進もう)

春香(美希じゃないけど、この気持ちをパワーに変えて、全力でアイドルやってみよう)

春香(……結局、今の私はアイドルで、プロデューサーさんはプロデューサーなんだから)

春香(私が全力でアイドルやるのが、一番良いことなのは間違いない)

春香(私にとっても、プロデューサーさんにとっても)

春香「……よし! 頑張ろう!」





春香(――こうして自分の気持ちに真正面から向き合った私は、自分の立ち位置を再確認することができた)

春香(今はまだ、アイドルでいたい)

春香(ただその一心で、私はプロデューサーさんに対する想いを、アイドルの仕事に対する情熱へと転化させることができた)

春香(……つもり、だった)

春香(プロデューサーさんへの想いを自覚してから、私は一層、お仕事やレッスンに情熱を傾けるようになった)

春香(今はそうすることが一番良いと、信じていたから)

先生「――はい、そこまで」

春香「……ふぅ」

先生「春香ちゃん」

春香「はい」

先生「すごく良くなってきてるわ」

春香「! 本当ですか」

先生「ええ。ここ最近、目に見えて上達してる」

春香「えへへ……よかったぁ」

先生「何か良いことでもあったの?」

春香「いえ……別に、何も」

先生「そう? でも本当、良い感じよ。ただオーバーワークはダメだから、今日はここまでね」

春香「はい。どうもありがとうございました」ペコリ

先生「いえいえ。気を付けて帰るのよ」

春香「はーい」

春香(えへへ……先生に褒めてもらっちゃった)

春香(これもプロデューサーさんのおかげだね。恋の力ですよ、恋の力! ……なーんて)

春香「……あれ」

美希「春香?」

春香「美希。まだ残ってたの?」

美希「うん。プロデューサーと打ち合わせしてたの。春香は……こんな時間までボーカルレッスン?」

春香「そうだよ。最近、先生に居残りでレッスンしてもらってるんだ」

美希「へぇ。じゃあ一緒に帰ろうなの」

春香「うん。もう私だけだと思ってたから嬉しいな」

美希「ミキも嬉しいの。でも、なんでまた居残りレッスン?」

春香「んー……前から私、結構音外しちゃうこと多かったからさ。ここらでちょっと本腰入れて鍛えてみようかなーって」

美希「…………」

春香「どうしたの?」

美希「あ、いや……春香さ、なんていうか……」

春香「?」

美希「なんか、いきいきしてるね」

春香「え? そう?」

美希「うん」

美希「春香は今までも元気あったけど、最近は一層パワー溢れてる感じがするの」

春香「そうなのかなぁ。自分じゃよくわかんないけど」

美希「……もしかして、本当に好きな人でもできた?」

春香「あはは。そんなわけないってば」

美希「じゃあ、なんで?」

春香「んー……実はこの前、電話で美希が言ってたこととも関係してるんだけどさ」

美希「? ミキ、なんか言ったっけ?」

春香「ほら、『永遠にアイドルやるわけじゃない』ってやつ」

美希「あー」

春香「それって当たり前のことだけど、でも確かにそうだなって思ってさ」

美希「…………」

春香「それならせめて、やるだけやって悔いの無いようにしたい、って思ったんだ」

美希「なるほどなの」

春香「限りある時間を、後悔の無いように……そのためには、今できることは今やっておかないと、って」

美希「春香は立派なの」

春香「……でも私に言わせれば、美希だって随分変わったと思うよ?」

美希「ミキが?」

春香「うん」

春香「だって、少し前まであんなにやる気なかったのに」

美希「あー」

春香「今じゃ『アイドルやってるのが一番楽しい』だもんね」

美希「それは多分……プロデューサーのおかげなの」

春香「……プロデューサーさんの?」

美希「うん。プロデューサーが色んなお仕事取ってきてくれるようになってから、毎日が忙しくなって……でもその分、ミキのコト、色んな人が見てくれるようになって」

春香「…………」

美希「それから、ミキ、『もっともっと大勢の人に見てほしい!』とか、『もっといっぱいキラキラしたい!』とか、そういう風に思えるようになってきて、お仕事が楽しくなってきたの」

春香「……そうなんだ」

美希「それとあとはやっぱり、プロデューサーの存在自体かな」

春香「! そ、それってどういう……?」

美希「んー。なんていうか、『支えてくれる人の存在』っていうの? 『何があっても、このヒトはミキの味方でいてくれるんだろうな』って思えるから、すごく安心できるってカンジなの」

春香「…………」

美希「それに優しいだけじゃなくて、叱るときはきちっと叱ってくれるしね」

春香「え? 美希、プロデューサーさんに叱られたこととかあるの? なんかあんまりそういうイメージ無いけど」

美希「うん、あるよ。この前ライブで歌詞飛んじゃって、そのこととかで」

春香「歌詞飛んだの? 美希が?」

美希「うん。ミキね、自分で言うのもなんだけど、歌詞とか結構すぐ覚えられちゃう方なの」

春香「それは知ってるけど」

美希「でね、その時も前の日にざーって目通して、『うん、もう完璧』って思って、その後ロクに確認もしなかったんだ」

春香「…………」

美希「で、リハでも完璧だったから、本番までヨユーな感じで過ごしてたの。そしたらいざ本番で、完全に歌詞飛んじゃって」

春香「へー。美希でもそういうことあるんだ」

美希「うん。ミキもそんなこと初めてだったから、すごいパニクっちゃって。結果的には、一緒にステージに立ってた真クンが上手くフォローしてくれたから、なんとかなったけど……」

春香「……それで叱られたんだ。プロデューサーさんに」

美希「うん。プロデューサーね、『お前がちゃんと努力した上でのミスなら、俺も何も言わない。でもお前が努力を怠った結果のミスだから、今回はちゃんと叱る』って、そう言って叱ってくれたの」

春香「…………」

美希「それから、『プロとしてお客様の前でパフォーマンスをする以上、常に最大限の努力をしないといけない』ってことも言われたの。それからミキ、どんなお仕事でも手を抜かないで、全力でやろうって思えるようになったんだ」

春香「そうだったんだ」

美希「うん。ミキね、今までパパやママからもあんまり怒られたことなかったから、こういう風に、きちんと叱ってくれる大人の人ってプロデューサーが初めてだったの。だからすごく感謝してるんだ」

春香「…………」

美希「……春香?」

春香「あ、ううん。なんでもない。でもすごいね、プロデューサーさん。美希のことよく見てるんだね」

美希「んー。別にミキだけってわけじゃないと思うケド。基本的に、竜宮以外はプロデューサーが担当してるんだし」

春香「あー、そういえばそうか。改めて考えたら、アイドル9人の担当って結構な負担だよね」

美希「うん。それでも、ちゃんと一人一人のアイドルと向き合って、褒めたり叱ったりしてくれてるから、プロデューサーはすごいって思うな。ミキ、ソンケーしちゃうの」

春香「……そうだね。ホント、すごいよね」

美希「っと。じゃあミキ、こっちの線だから」

春香「あ、うん。じゃあまた明日、事務所でね。バイバイ」

美希「バイバイなの」

春香「…………」

春香(……そうか。そうだよね)

春香(当たり前のことだけど、プロデューサーさんは私だけのプロデューサーじゃない)

春香(美希にとっても、他の皆にとっても……プロデューサーさんは、プロデューサーなんだ)

春香(…………)

~同日夜・春香自室~

春香(私にとってのプロデューサーさんは、たった一人しかいないプロデューサー)

春香(でもプロデューサーさんにとっての私は、9人いる担当アイドルのうちの一人でしかない)

春香(…………)

春香(……私だけのプロデューサーさんだったらいいのに)

春香「! って、何考えてるの。春香」コツッ

春香「プロデューサーさんは勿論、他のアイドルの皆もいてこその765プロなんだから」

春香(そうだよ。今の前提状況を変えるんじゃなくて……今の状況を前提に、私自身が変わればいいだけ)

春香(他の誰よりも、プロデューサーさんに見てもらえるように)

春香(プロデューサーさんにとっての、一番のアイドルになれるように)

春香(幸いにも、明日は全員集まっての全体練習)

春香(ここで私の存在感をプロデューサーさんにアピールできれば……)

春香「……って、違う違う」コツッ

春香(それはそれで大事な事だけど、一番の目的はそうじゃなくて)

春香(明日の全体練習は、来月に控えた765プロファーストライブのためのもの)

春香(まずはライブを成功させることを第一に考えないと……)

春香(……『プロとしてお客様の前でパフォーマンスをする以上、常に最大限の努力をしないといけない』……だもんね。美希からの伝聞だけど)

春香(それにライブに向かって頑張ることが、結果的にプロデューサーさんに対するアピールにもなるだろうし)

春香(まあ、アピールしたからどうなるってものでもないけど……)

春香(でも今は、目の前のこと一つ一つに全力でぶつかっていこう)

春香(そうするって、決めたんだから)

春香「よーし! やるぞー! 765プロー! ファイトーッ!」

~翌日・レッスン場~

律子「……じゃあ、今日の練習はここまで」

アイドル一同「…………」ハァハァ

律子「では私からの指摘の前に……まずはプロデューサーの方から、何かご意見はありますか?」

P「そうだな……」

アイドル一同「…………」

P「皆、よく踊れてると思うよ。特に春香」

春香「! は、はいっ!」

P「前の全体練習の時に比べて、格段にキレが増してきたな」

春香「!」

P「俺はダンスに関してはほとんど素人だが、それでも分かるくらいだった」

春香「ほ、本当ですか!?」

P「ああ。だからその調子で頑張れ」

春香「はいっ! ありがとうございます!」

春香(やった……! プロデューサーさんに褒められた!)

P「それから美希」

美希「はいなの」

春香「!」

P「相変わらず、抜群に動きが良いな」

美希「! ホント!?」

P「ああ。だが強いて言えば、そのせいで若干周囲から浮いてしまっているように見えることもある。今度からは周りとある程度合わせることも意識して踊ってみたらいいんじゃないかな」

美希「はーい。分かりましたなの!」

春香「…………」

春香(プロデューサーさん、なんか、美希に対するアドバイスの方が丁寧なような……)

春香(……って! 違うでしょ! 春香)コツッ

美希「春香? 何やってんの? ちゃんと話聞かなきゃだめだよ」

春香「……はい」

 ドッ アハハ……

春香(うぅ……恥ずかしい……)

P「なお、今俺が美希に言ったことは、他の皆に対しても言えることだ。ソロ曲なら自分がステージの中心にいることだけを意識していれば良いが、全員または複数人で歌う曲だとそれではいけない」

アイドル一同「…………」

P「それぞれが自己主張をし過ぎると、かえって全体としてまとまりの悪いステージになってしまいかねないからだ。だから各自がそのあたりにも気を配るようにすれば、今よりももっと良くなると思う。俺の方から言えるのはそのくらいだ。全体としてはすごく良い感じだから、皆、このままの調子で頑張れ!」

アイドル一同「はい! ありがとうございました!」

律子「では次は私からね。……と言っても、全体を通して言おうと思っていたことはほとんどプロデューサーが言ってくれたから……後は、細かい指摘だけ伝えることにするわ。まず、ステージ中央での陣形が変わるところだけど――……」

律子「――……と、それくらいかしらね。では今日はこれで解散にするけど、ここは21時まで開けておくから、自主練したい人は使っていいわよ。ただし明日に疲れを残さないように。体調管理も仕事のうちだからね。分かった?」

アイドル一同「はい!」

律子「ではプロデューサーからも、最後に一言お願いします」

P「ああ。皆、ライブまで一ヶ月を切ったが、無理だけはするんじゃないぞ。誰一人欠けることなくやり遂げてこそ、初めてこのライブを成功させたと言えるんだからな。では、このままの調子で頑張っていこう! お疲れ様!」

アイドル一同「はい! お疲れ様でした!」




春香「……ふぅ」

美希「はーるかっ」ピトッ

春香「ひゃあっ!」

美希「あはは。ナイスリアクションなの」

春香「もー、やめてよ美希……」

美希「ごめんなの。はい、これ」

春香「ん。ありがと」ゴクゴク

美希「……でも春香、すごかったね」

春香「? 何が?」

美希「何がって……さっきの練習だよ。プロデューサーも言ってたけど、キレキレだったの」

春香「あー。でもそれを言うなら、美希だって」

美希「ううん、ミキはまだまだなの。確かにプロデューサーの言うように、一人で飛ばしちゃってたとこあったと思うし」

春香「…………」

美希「? どうしたの? 春香」

春香「あ、ううん。ただ私は、横で踊っててもそこまで分からなかったから、やっぱりプロデューサーさんは美希のことよく見てるんだなぁって思って……」

美希「んー。そりゃあやっぱり、一緒に踊ってる人よりは、外から見てる人の方が色々と気付けるんじゃない?」

春香「それは……そうかもだけど……」

美希「っと。ミキ、今日は観たいドラマがあるんだった。春香はまだ帰らないの?」

春香「んー。もうちょっと自主練していこうかなって」

美希「そっか、りょーかいなの。じゃあね、春香。また明日」

春香「ん。バイバイ、美希」

春香「…………」

春香(余計な事は考えないようにしよう)

春香(今はライブ……そう、ライブに集中するんだ)

響「おつかれー、春香」

真「お疲れ様」

春香「響ちゃん、真。お疲れ様」

真「どうしたの? 何か考え事?」

春香「……ううん、何でもない。それより何かな?」

響「これからさ、自分達ちょっとダンスの自主練しようと思うんだけど、春香も一緒にやらないか?」

春香「ダンスの?」

真「まあ流石に軽く流すくらいだけどね」

春香「うん、いいよ。私もどのみち自主練しようと思ってたし」

響「ホントか!」

真「へへっ! やーりぃ! じゃあ早速――……」

亜美「あれあれー? 皆で集まって何やってんのー?」

真美「真美達も混ぜてよー」

やよい「はわっ、もしかして居残り練習ですか?」

響「うん、ちょっとダンスの確認をね」

亜美「ふーん。ひびきんとまこちんはなんとなく分かるけど、はるるんまで?」

春香「うん、そうだよ」

真美「すごいねはるるん……真美、その二人と一緒に踊るのはなんかシキガミしちゃうよー」

真「尻込み……かな?」

やよい「でも最近の春香さんって、ダンスすっごく上手ですもんね! さっきもプロデューサーが褒めてましたし!」

春香「いや、そんなことは別に……」

響「でも、自分と真が春香に声掛けたのもそういう理由からだぞ」

春香「え?」

真「最近の春香は鬼気迫ってるっていうか……凄みが増してるからね」

響「それで、ちょっとその勢いというか、パワーを分けてもらおうかなって」

春香「そんな……私なんか別に」

千早「……謙遜することはないと思うわ」

春香「千早ちゃん」

千早「……最近の春香、本当にすごいもの。私も良い刺激を受けているわ」

春香「あ、ありがとう……なんか照れるね」

亜美「むぅ、このはるるんべた褒めの流れとなると!」チラッ

真美「必ず対抗心を燃やすのが!」チラッ

伊織「わ、わざとらしく見てくるんじゃないわよ!」

亜美「きゃー♪ いおりんたらこわいーん♪」

真美「いやぁん♪ 略していおいーん♪」

伊織「何よいおいんて! ……ったく、バカなこと言ってないで、春香達の邪魔するくらいなら早く帰りなさい」

真美「えー、邪魔なんてしてないじゃーん。ねぇはるるん?」

春香「え? う、うん」

真「ははは……。(ボクは早く練習始めたいんだけど……)」

やよい「伊織ちゃんはまだ帰らないの?」

伊織「うん、私はまだ竜宮曲のフォーメーション確認が残ってるから。というわけで亜美、あんたはこっちよ」ガシッ

亜美「うぇえ!? そんな殺生なー! ていうか今帰れって言ったくせにー!」

伊織「あれは真美に言ったの。ほら、あずさも早くこっちに来て!」

あずさ「はいはい。伊織ちゃんは元気ね~」

伊織「あんた達をとりまとめないといけないんだから、無理矢理でも元気になるわよ」

亜美「ひゅーっ! いおりんかっこいー!」

あずさ「それでこそ私達のリーダーね、伊織ちゃん。でもあんまり無理しちゃだめよ?」

伊織「分かってるわよ。さっきプロデューサーにも言われたしね。じゃあさっさと始めるわよ! まずは七彩の位置確認から――……」

響「……なんだかんだで、伊織もすっかり竜宮のリーダーっぽくなったな」

真「うん。ボク達も負けてられないね」

春香「…………」

響「春香?」

春香「あ、ううん。じゃあ私達も始めよっか」

千早「あの、よかったら私も入れてもらえるかしら。まだもう少し確認したい所があって」

響「もちろんだぞ、千早! 真美とやよいはどうする?」

真美「んー、真美は見とくよー。今日は流石に疲れちった」

やよい「私も見学させてもらいます!」

真「よし、じゃあとりあえず『自分REST@RT』からにしようか。真美、リズム取ってもらえる?」

真美「りょーかい!」

春香「…………」

春香(皆……それぞれが強い気持ちで頑張ってる)

春香(私も、負けちゃいられない)

春香(見てて下さいね……プロデューサーさん!)

真「……ふぅ。こんな感じかな」

響「うん、良い感じだな」

春香「…………」

千早「どうしたの? 春香」

春香「んー……もうちょっとかな。まだ若干、リズムに乗れてないところがある。私、一人でもう一回通すね」

真「春香。今日はもうその辺にしといた方が」

響「そうだぞ春香。プロデューサーも『無理はするな』って言ってたしさ」

春香「大丈夫。簡単に確認するだけだから」

千早「春香……」

真美「よーしっ! じゃあ次は真美も一緒に踊るよーん」ガバッ

やよい「うぇっ!? 真美!?」

真美「んっふっふ~。今日はもうお疲れちゃんなテンションだったけど、目の前でこんだけキレキレのダンス見せられたら、燃えないわけないっしょ~」

春香「真美」

やよい「じゃ、じゃあ私もやります!」バッ

千早「高槻さん、無理は」

やよい「大丈夫です、千早さん! 今ちょっと休憩して、元気戻りましたから!」

千早「そう? なら、いいのだけれど」

響「春香に刺激されるのは良いけど、真美もやよいも程々になー」

真「じゃあ今度はボクがリズム取るよ」

春香「ありがとう、真」

真「よし、じゃあ行くよ! 皆、最初の立ち位置に……」

雪歩「あ、あのっ!」

真「雪歩? それに貴音も。帰ったんじゃなかったの?」

貴音「……先ほどまで、別室で雪歩とデュエット曲の練習をしていたのですが」

雪歩「こっち覗いてみたら、まだ皆残ってやってるみたいだったから……。私達も、混ぜてもらっていいかな? 春香ちゃん」

春香「もちろん! 雪歩も貴音さんも、一緒にやりましょう!」

響「あ、どうせなら竜宮の三人も呼ぶか? 今ちょうど終わったみたいだし」

真「そうだね。おーい! 三人とも、こっちへおいでよー!」

伊織「……何? まだやってたのあんた達」

亜美「まーうちらも人のこと言えないけどね~」

あずさ「うふふ、でもこうやって皆で居残り練習するのも楽しいわね」

響「じゃあ折角だし、自分ももう一回やるぞ! 真もやるよね?」

真「ま、この流れでやらないわけにはいかないね」

千早「そういうことなら、私も」

春香「よーし! じゃあ765プロ、一丸となっていきますよー!」

アイドル一同「オーッ!」

律子「……21時まで、って言ったと思うんだけど」

アイドル一同「…………」

律子「春香」

春香「はひ」

律子「現在時刻を述べなさい」

春香「……22時35分……です」

律子「どうしてこんなことになったのかしら?」

春香「それは、その……皆で踊っている間に、テンションが異常に上がってしまいまして、つい……」

律子「ついって……あのねぇ」

雪歩「あ、あの!」

律子「何? 雪歩」

雪歩「わ、私が、その……途中から、混ぜてほしいって言ったから、だから……ごめんなさいっ!」バッ

春香「雪歩。別に雪歩のせいじゃ」

貴音「萩原雪歩。それを言うなら私も同罪です。……律子嬢、何なりと処罰を」

律子「いや、処罰って」

真「律子。元はといえば、ボクが春香に声を掛けたのが始まりで……」

響「そ、それなら自分だって――……」

律子「……ああ、もう。別に誰の責任を云々するつもりもないわよ。やってしまったことは仕方がないし。ただ今後はもうこういうことが無いように、くれぐれも気を付けること。わかったわね?」

アイドル一同「はーい」

律子「はい。じゃあ今度こそ本当に解散。時間も遅いから、プロデューサーに駅まで送ってもらうようにするわ。お願いしますね、プロデューサー」

P「了解。皆、家の人には連絡しておけよ。俺の方からもさっき謝っておいたから」

春香「ご、ごめんなさい。プロデューサーさん……」

P「ま、過ぎたことをとやかく言っても仕方ない。律子の言うように、次から気を付けてくれればいいさ」

春香「はい……」

P「それより春香。お前、この時間でも大丈夫なのか?」

春香「え? 何がですか?」

P「何って……電車」

春香「でん……? あっ!」

P「……やっぱりか」

春香「ど、どうしよう……。千早ちゃん……はこの前泊めてもらったし、流石に何回もお邪魔するのは……」

響「じゃあウチに来る? 春香」

春香「……えっ」

~響の家~

響「ただいまだぞー」

春香「お、お邪魔します……」

響「そんなにびくびくしなくても大丈夫だぞ」

春香「そ、そう?(でもワニとかヘビとかいるしな……)」

響「この時間なら、もう皆寝てるから。それにワニ子やヘビ香は檻に入れて外に出ないようにしとくよ」

春香「あ、ありがとう! 響ちゃん。でもごめんね? 私が急に押し掛けたせいで……」

響「大丈夫だぞ。貴音が前に来た時もそうしたし」

春香「そうなの?」

響「うん。それに今回は自分の方から誘ったしね。ま、自分の部屋だと思ってくつろいでってよ」

春香「……ん、ありがとう。本当に助かっちゃった」

響「いいって。それに自分も、春香に聞きたいことあったし」

春香「? 私に?」

響「うん。まあでもとりあえずはシャワーだな。春香、先に浴びてきちゃって」

春香「あ、うん。ありがとう。じゃあお言葉に甘えて、先に頂くね」

春香「ふぅ……生き返ったぁ」

響「あ、春香。お湯熱くなかった?」

春香「うん。ちょうど良かったよー。どうもありがとう、響ちゃん。それにごめんね、ジャージまで貸してもらっちゃって」

響「ううん、気にしないで。じゃあ次、自分入ってくるから。棚にある本とか、適当に読んでていいからね」

春香「わかった、ありがと」

響「じゃあまた後でね」バタン

春香「…………」

春香「…………」キョロキョロ

春香「……お裁縫の本にお料理の本……。へー、響ちゃんって、案外女の子っぽいの読むんだなあ」パラパラ

春香「あ、この薄くて小さな本はラノベってやつかな」

春香「何々……『時計仕掛けの林檎と蜂蜜と妹。』……ってタイトル長ッ! それに意味不明!」

春香「……はっ。思わず一人でツッコんでしまった……」

春香「えーっと他には……あ、こっちはCDラックか。どれどれ……」カチャカチャ

春香「私達のCDがあるのはまあ当然として……他には……」

春香「……! これは……」

響「ふんふ~ん♪」

春香「……あ、出たんだ。響ちゃん」

響「うん。やっぱり熱いシャワーは最高だな……って、春香。それ……」

春香「あ、うん。まさか、響ちゃんが持ってるとは思わなかったから」

春香(そう言って、私が響ちゃんの方に差し向けたのは――……男性ユニットアイドル『ジュピター』の最新シングル、『恋をはじめよう』のCDだった)

春香(これは今、『日本の女子高生の間で最も売れているCD』と言っても過言ではないだろう)

春香(現に、私の学校の友人達も皆こぞって購入していた)

春香(そんなCDが、この響ちゃんの部屋にあったってことは……これってつまり……)

春香「もしかして……ファンなの? 響ちゃん」

響「いや、違うぞ」

春香「あっさり!?」

響「トップアイドルになるには、女性ファンからも多くの支持を集めないといけないだろ? それで、今一番売れている男性アイドル……つまり、一番女性ファンから支持を集めてるアイドルってことで、パフォーマンスの参考にしようと思って買ったんだ」

春香「な、なるほど……」

春香(てっきり、響ちゃんのミーハーな一面が見れたりするのかな、とか思ったのに)

春香(まあでも、アイドルがアイドルのファンになったりとか……あんまり無いよね。そもそも仕事で普通に本人達と会ったりするし……)

のヮの<とりあえずここまで

春香「……でもすごいね、響ちゃん」

響「え? 何が?」

春香「私、女性ファンの支持を増やすために男性アイドルのパフォーマンスを参考にするなんて、今まで考えたこともなかったよ」

響「あー。まあでも実践には移せてないけどな……やっぱり男性アイドルの魅力って、文字通り『男らしさ』とかによるところが大きいし」

春香「でも曲によっては男性的な雰囲気で歌った方がマッチする場合もあるかもしれないし、何よりパフォーマンスの幅を広げる上では十分に意味あると思う。だから私も聴いてみるよ、ジュピターの曲」

響「え、そう? じゃあこれ貸そうか?」

春香「ありがとう、響ちゃん。でもちゃんと自分で買うよ」

響「わざわざ買うの? ……はっはーん、さては自分にあんなこと言っておきながら、春香もジュピターの誰かのファンだったりして?」

春香「ううん、そうじゃないよ。ただ……」

響「?」

春香「やるからには、本気でやりたいから」

響「……!?」ゾッ

春香「少しでも早く、上に……いきたいから」

響「春香……?」

春香(今の私の目的が、今日はっきりと分かった)

春香(私は、勝ちたいんだ)

春香(765プロの皆に、勝ちたい)

春香(勝って、765プロで一番になりたいんだ)

春香(そうすればきっと、プロデューサーさんは私を一番に見てくれるから)

春香(美希よりも、他の誰よりも……私を)

春香(だから、そのためにできることなら何だってやる)

春香(他の皆がやってるようなことも全部やる)

春香(絶対に負けたくないから。誰よりも上にいきたいから)

春香(……待っててくださいね、プロデューサーさん。私がそこにいくまで)

響「…………」

春香(プロデューサーさんへの想いを自覚してから、その気持ちをアイドル活動に専念することへと向けてきた)

春香(特に今は来月に控えたファーストライブがあるから、とにかくそれに集中しようと)

春香(でも今日の全体練習を通じて、私の中の気持ちがはっきり見えてきた)

春香(私はプロデューサーさんに、他の誰よりも、私のことを見てもらいたい)

春香(そのためには、もっともっと上手くならなきゃいけない)

春香(最後の居残り練習が長引いてしまったのもそのためだ)

春香(やればやるほど、今の自分に足りない点、他の皆に負けている点が見えてきて……止められなくなってしまった)

春香(まだまだ色んな面で、今の私は足りていない)

春香(もっと、もっと……!)

春香「あっ」

響「? ど、どうした春香?」

春香「響ちゃん、ちょっとこのへんのスペース使わせてもらってもいい?」

響「へ? い、いいけど……何するんだ?」

春香「腹筋」

響「腹筋?」

春香「うん。日課にしてるんだ」

響「へー。そういえば千早もやってるって言ってたな。ボイトレの一環で」

春香「うん。千早ちゃんにそう聞いてから、私もやることにしたんだ」

響「そうなのか?」

春香「うん。千早ちゃんは毎日200回やってるらしいから、私はその倍の400回やるようにしてるんだ」

響「よ、400!? それってかなり多くないか?」

春香「んー、朝と夜に分けてやってるからそんなでもないよ」

響「……でも春香、今日は全体練習の上、居残り練習までしたんだから、そんなに無理しなくても……。しかもその居残り練習だって、春香一人だけずっと踊りっぱなしだったんだし」

春香「大丈夫だよ。それにきっと、千早ちゃんはこんな日でも欠かさずやってると思うし」

春香「正直、今の私の歌じゃ千早ちゃんの足元にも及ばないから」

春香「私が今から千早ちゃんに追いつこうと思ったら、千早ちゃんの倍は努力しないとね」

響「……春香……」

春香「よーし! じゃあ早速やっちゃおっと。……1……2……3……」

春香「――じゃあ日課の腹筋もやったし、そろそろ寝よっか」

響「…………」

春香「? どうかした? 響ちゃん」

響「あ、いや……なんていうか」

春香「?」

響「春香さ、その……無理してないか?」

春香「無理? 私が?」

響「うん。もしなんか、辛いこととかあるんだったら……」

春香「大丈夫だよ」

響「春香」

春香「今の私は、ライブを成功させたい、っていう気持ちで頭が一杯なだけ」

響「…………」

春香「だから来月のファーストライブ、絶対に成功させよう! ね? 響ちゃん」

響「……うん、そうだな」

春香「それにこのライブは、私達765プロにとっても大きな転換点になるはずだって、プロデューサーさんも言ってたし」

響「ああ。何せライブのテーマが『てっぺん目指すよ!』だもんな」

春香「そうだよ響ちゃん! てっぺん目指さなきゃ!」

響「あはは。春香は野心家だな」

春香「乙女よ大志を抱け! ですよ! なーんて」

響「あはは」

春香「じゃ、明日も早いし、てっぺん目指して早く寝よっ!」

響「……そうだな。これで明日に響いたら、また律子に怒られちゃうしな」

春香「そうそう。鬼軍曹にどやされちゃうからね」

響「もう、春香ったら。本人のいないとこでは言いたい放題だな」

春香「あはは、内緒だよ? じゃあおやすみ、響ちゃん。布団貸してくれてありがとうね」

響「いいって。こっちこそ、床で寝させてごめんね」

春香「全然。敷布団もふかふかで気持ち良いよ」

響「それなら良かったぞ。じゃあ電気消すね?」

春香「うん」

響「それじゃ、おやすみー」

春香「おやすみー」






春香「…………」

春香(……皮肉にも、今の私の気持ちはファーストライブのテーマとぴったり重なっていた)

春香(もっとも、意味は微妙に異なるけど)

春香(私はてっぺんを目指す)

春香(美希も千早ちゃんも他の皆も全員超えて――……765プロの、てっぺんを)

のヮの<とりあえずここまで

~翌日・早朝~

響「忘れ物無い? 春香」

春香「うん、大丈夫。本当にありがとうね。響ちゃん」

響「全然構わないぞ。またいつでも来てよね」

春香「ん、ありがと。じゃあまた夕方に事務所で……あっ」

響「? どうしたの?」

春香「そういえば響ちゃん、私に『聞きたいことがある』って言ってなかった?」

響「あー……うん」

春香「それって、何だったの?」

響「いや、えっと……まあ、ある意味もう答えが分かったからあえて聞かなかったんだけど……」

春香「?」

響「ほら、春香最近、めちゃくちゃ頑張ってただろ? 昨日の居残り練習もそうだけど、その前から……」

春香「あー、まあ別にそんなでもないと思うけど……」

響「いやいや、そんなでもあるぞ。……でさ、そこまで頑張れるのって、何かよっぽど重大な理由があるのかな、ってことが聞きたかったんだけど……昨日、春香と話しててそれがなんとなく分かったからさ」

春香「…………」

響「今の春香は、まず第一に来月のファーストライブを成功させたい。でもそのためには自分自身がもっとレベルアップしないといけない。だから今、ダンスも歌も人一倍頑張ってる……ってことだよね?」

春香「……うん、そうだよ」

響「だよな。自分、なんかちょっと変な心配しちゃってたぞ」

春香「心配?」

響「うん。昨日もちょっと聞いたけど、何か辛いことがあって、無理してるんじゃないかなって……でも、そうでないなら、一安心さー」

春香「その点は大丈夫。私は何も辛いことなんか無いし、無理もしてないから」

響「……ん。分かった。それが聞けて良かったぞ。……じゃあ、また後でね」

春香「うん。本当にありがとうね、響ちゃん。じゃあまた」

響「…………」

春香「…………」

響「春香」

春香「ん?」クルッ

響「……本当に、大丈夫なんだよな?」

春香「……大丈夫だって。響ちゃんってば、心配性なんだから」

響「そうか。うん。なら……いいんだ。じゃあね」

春香「うん。それじゃ」






春香(……そのときの響ちゃんの瞳には、一抹の不安が浮かんでいた)

春香(『本当に大丈夫なのか』『春香が今頑張ってるのは、もっと何か別の理由があるんじゃないか』)

春香(そう言いたげな瞳は、その一方で)

春香(『でも、春香の言うことを疑いたくない』という想いをも宿していた)

春香(……私は、そんな響ちゃんの純粋な気持ちに嘘をついていることに若干の罪悪感を覚えながらも、それに気付かないふりをして、朝焼けの中、駅へ向かって歩を進めた)

のヮの<改めてここまで

春香(まあ『竜宮小町』の件はともかく、今日の運動会は私達765プロにとっても大きなチャンスだ)

春香(ここで女性アイドル部門優勝ともなれば、メディアにも大きく取り上げられるだろうし)

春香(その結果に貢献できれば、私個人に対するプロデューサーさんの評価も間違いなく上がるはず)

春香(動機としてはちょっと不純かもしれないけど……)

春香(でも、765プロのために頑張ることには変わりないしね)

春香「……ん?」

春香「なんか騒がしいな。……どうしたの、雪歩?」

雪歩「あ、春香ちゃん。ちょっと真ちゃんと伊織ちゃんが……」

春香「ん?」

真「何やってるんだよ伊織! あんなところでもたもたしてるから転んだじゃないか!」

伊織「何言ってんのよ真! あれはレースの駆け引きでしょ!? ペース配分てものを考えなさいよね!」

春香(真と伊織……ああそっか、さっきの二人三脚で転倒してたっけ)

春香(もう、こんなケンカしてるとこカメラに抜かれでもしたら大幅なイメージダウンじゃん。二人ともすぐ熱くなるんだから……)

P「はぁ……あの二人に二人三脚を組ませたのは失敗だったな」

春香「!」

春香(プロデューサーさんが溜め息を……)

春香(そうだ、もしここで私がこの二人を上手く仲裁できれば……)

春香(この事務所で一番のアイドルになるためには、単にアイドルとしての技量があるだけじゃ足りない)

春香(チームとしての765プロをまとめられる、強力なリーダーシップも必要とされるはず)

春香(だとすれば……)

真「勝手にペース配分する方が悪いだろ!」

伊織「言い訳は見苦しいわよ!」

真「そっちこそ!」

伊織・真「うぅ~っ!!」

雪歩「うぅ……ケンカはやめようよ~……」

伊織・真「雪歩は黙ってて!」

雪歩「あうぅ……」

春香「…………」

春香「はいはい、二人ともそこまで」ズビシッ ズビシッ

伊織・真「!?」

P「!」

雪歩「は、春香ちゃんが二人にチョップした……!?」

春香「…………」

伊織「ちょっと何するのよ春香! 痛いじゃない!」

真「そうだよ春香! 痛いじゃないか!」

春香「……痛い? そりゃそうだよ。痛くなるように叩いたんだから」

伊織「なっ」

春香「……でもね。伊織、真。私達の方がもっと痛かったんだよ」

真「えっ」

春香「二人がお互いを罵り合う姿を見ていた私達の心の方が、もっともーっと、痛かったんだよ」

伊織「……あ……」

真「それは……」

春香「それに、そうやって失敗を相手のせいにしようとしていた二人の心も、本当は痛かったんじゃないかな?」

伊織・真「!」

春香「本当は自分にも非があるって分かってるのに、でもそれを認めたくなくて、つい、相手のせいにしてしまって」

伊織・真「…………」

春香「そうやって自分自身を騙してお互いに罵り合っていたことに、二人とも心を痛めていたんじゃないかな」

伊織「……わ、私は別に」

真「そうだね」

伊織「!」

春香「真」

真「……うん。春香の言うとおりだ。ボク、本当は分かってたんだ。……転んじゃったのは、伊織との歩幅の差を考えないで、先へ先へと進もうとしていたボクの方に原因があるんだって」

伊織「…………」

真「なのに、それを認めたくなくて、伊織のせいにして……後に引けなくなっちゃって。……ごめんね、伊織」

伊織「! そっ、そんな急に謝らないでよ。……私こそ、一言、あんたにちょっとペース落としてって言えばよかっただけなのに、言わなかったから……だからその、えっと……」

真「…………」

伊織「……ごめん、なさい」

真「……ん。気を取り直して、午後の借り物二人三脚は一等目指して頑張ろう! 伊織!」

伊織「……ええ。もちろんよ、真! にひひっ♪」

真「それから皆も……嫌なもの見せちゃって、ごめんなさい」

伊織「私も配慮が足りなかったわ。ごめんなさい」

P「いいって、もう。気にするな。真も言っていたように、また次の競技で挽回してくれたらいいさ」

真「プロデューサー……」

雪歩「でもよかったぁ、二人が仲直りできて。春香ちゃんのおかげだね!」

春香「えっ。そ、そんな。私は別に何も」

真「いや、春香のおかげだよ。春香のチョップのおかげで頭が冷えた。……ありがとう、春香」

春香「真」

伊織「ま、たまにはあんたも良い事するじゃない。一応、礼は言っておくわ」

真「伊織」

伊織「……わかってるわよ。……ありがと。春香」

春香「いいよ、別にそんな。ただ私は、二人に仲直りしてほしかっただけで……」

P「春香」

春香「! は、はい」

P「ありがとうな」

春香「ぷ、プロデューサーさんまで、そんな……やめてくださいよ、もう……」

P「いや、春香が間に入ってくれなかったら、真と伊織は、気まずい空気のまま午後の競技を迎えていたかもしれない。それが元で、ライブ前のこの大事な時期に怪我でもしていたら一大事だったからな。でも春香のおかげで、それを未然に防ぐことができた」

春香「そ、そんな大層なことでは……」

P「だからこれからも、遠慮することなく、どんどん他の皆を助けていってやってほしい。それは春香にしか出来ない事だと、俺は思う」

春香「は……はいっ! ありがとうございます、プロデューサーさん! えっと……じゃあその、私、頑張ります!」

P「ああ。その意気だ。春香」

春香「え、えへへ……」

春香(…………)

春香(よし……この調子、この調子でいけば……)

春香(――その後、私達765プロは抜群のチームプレーを発揮、多くの種目で上位入賞を果たし)

春香(見事、午前の部を女性アイドル部門1位の成績で終えたのだった)

春香(そして今は、午後の部を前にしてのお昼休憩中)

春香(ステージ上では、各事務所の代表ユニットのミニライブが順々に行われていた)

春香(我が765プロを代表するのは、もちろん――)


伊織『知らぬが~ 仏ほっとけない♪』

亜美『く~ちびるポーカーフェイス♪』

あずさ『Yo 灯台 もと暗し Do you know!?』

伊織・亜美・あずさ『ギリギリで おあずけ Funky girl!』


 ワァアアアアアアア…… パチパチパチ……


春香(……『竜宮小町』)

春香(さっきは、『そこまで意識する必要の無い相手』とも思ったけど)

春香(やっぱりこうやってステージを目の当たりにすると、私の中に沸々と込み上げてくるひとつの感情があった)

春香(……負けたくない)

春香(何よりプロデューサーさんだって、自分のプロデュースしたアイドルが律子さんのプロデュースしたアイドルに負けたら悔しいに違いない)

春香(だから私は、やっぱり負けるわけにはいかないんだ)

春香(『竜宮小町』も超えて、私は765プロで一番のアイドルにならなきゃいけないんだ)



伊織『みんな~っ! 今日はステージ観てくれてありがとーっ! これからも私達を――……』



春香(……負けないからね。伊織。亜美。あずささん)

司会『続いては、女性ファンお待ちかね! ジュピターです!』

 キャアアアアアア!! トウマクンカッコイー!! ホックンステキー!! ショウタクンカワイー!!

美希「あ、ジュピターなの」

千早「……すごい歓声ね」

雪歩「ジュピター、今すごい人気だよね」

春香「…………」


 ♪~~♪~~♪~~


冬馬『声の 届かない迷路を越えて』

北斗『手を伸ばせたら』

翔太『罪と 罰を全て受け入れて』

冬馬・北斗・翔太『今 君に裁かれよう!』


 キャァアアアアアアア…… 


春香(……こうして改めてステージを観ていると、単に流行りに乗っただけの一過性のユニットとは明らかにレベルが違う)

春香(歌も、ダンスも、そして細かい仕草や振り付けに至るまで……全ての完成度が抜群に高い)

春香(…………)

春香(765プロで一番になるのが、私の当面の目標だったけど)

春香(でももしも叶うのならば、やっぱりトップアイドルを目指してみたい)

春香(だってプロデューサーさん、言ってたもの)

春香(この事務所に来た、一番最初の日に――……)



――目指す夢は、皆まとめてトップアイドル! よろしくお願いします!



春香(彼が願う夢ならば、私が追わない理由は無い)

春香(勿論、まずはこの事務所で一番のアイドルになってからの話だけど……)

春香(でも、その先の夢を叶えるには、いつかは必ず超えなければならないんだ)

春香(この完成されたユニットアイドル――ジュピターを)

春香「…………」

美希「……春香。なんかえらく食い入るように見てるね」

春香「えっ」

真美「あれあれ~? はるるん、もしかしてジュピターのファンだったりして~?」

春香「いやいや……同業者でそれはないでしょ、流石に」

真美「もー! はるるんったらノリ悪いよー! そこは『か、勘違いしないでよねっ! ちょっとライバルをテリヤキ定食してただけなんだからっ!』って言わないとー!」

千早「……敵情視察、かしら?」

真美「そーそー! それそれ!」

美希「千早さん、何で分かるの……」

春香「……うーん、まあでも実際そんな感じだしね」

やよい「えっ。春香さん、ジュピターをて、てきじょ……」

千早「敵情視察よ、高槻さん。で、そうなの? 春香」

春香「いやまあ……そこまで大げさなものじゃないけどね。ただ男性ユニットでも、パフォーマンスの参考になる部分は結構あるなーって思ってさ」

響「……春香」

春香「ね? 響ちゃん」

響「……ああ、そうだな!」

美希「? 何なの? 二人して」

春香「ふふっ。まあ、ちょっとね」

響「ねー」

美希「?」

真「あー、でもそれは確かにあるかも……っていうか、ボクの場合は特にそうかも。まあ、あまり本意ではないんだけど……」

雪歩「大丈夫だよ、真ちゃん! 真ちゃんの方がジュピターよりかっこいいから!」

真「ええと、雪歩……? それはボクにどういうリアクションを求めているのかな……?」

響「あはは、雪歩は相変わらずだなぁ……って、あ! 春香! もう時間だぞ!」

春香「あっ、ホントだ! じゃあ行ってきまーす!」

やよい「響さんも春香さんも、頑張ってくださーい!」

春香「ありがと、やよい! じゃあ行こっ! 響ちゃん!」

響「うん! じゃあ皆、また後でなー!」

 タタタタ……

春香(……私と響ちゃんが向かったのは、複数の事務所から2名ずつの女性アイドルが合同で出場するチアリーディングのステージ)

春香(まあこういうのもアイドルのお仕事だと思うし、765プロからの2名の枠に選ばれただけでも、本当は感謝しないといけないんだろうけど)

春香(やっぱり、竜宮小町やジュピターのライブステージの後だと、どうしても見劣りしちゃうなあ……)

春香(……なーんて。愚痴っても仕方ないか。千里の道も一歩から、ってね)

響「あっ」

春香「? どうしたの? 響ちゃん」

響「ごめん春香、先行ってて。チアの衣装、控室でサイズ合わせした後、そのまま置いてきちゃった。急いで取ってくる」

春香「わかった。でも焦って転んじゃダメだよ」

響「そんなどっかの誰かさんじゃあるまいし」

春香「なにをー!?」

響「あはは。でも春香、最近あんまり転ばなくなったよね」

春香「あー、そういえばそうかも。居残り練習の成果かな? って響ちゃん、早く衣装取りに行かないと!」

響「っと、そうだった! 春香、じゃあまた後でね!」タタタタ……

春香「…………」

P「春香」

春香「あっ。プロデューサーさん。どうしたんですか?」

P「いや、ちょっと励ましをな」

春香「……励まし? 私にですか?」

P「ああ。というのも、実はこのチアリーディング、最初は響と真にお願いしようと思ってたんだ」

春香「えっ」

P「でも、最近の春香はダンスのキレがすごく良くなってきていたから、律子とも話して、直前になって真から春香に変更したんだよ」

春香「……そうだったんですか」

P「まあ、真は出場する予定の競技が多かったから、その負担も考えて……っていう理由もあったんだけどな」

春香「あー、確かに。うちの一番の戦力ですもんね、真は」

P「……でもな、春香。その点を差し置いても、やっぱり俺はお前にこの仕事を頼んでいたと思う」

春香「えっ」

P「俺自身、どんどん良くなっていく春香のダンスを、もっともっと見てみたくなったからだ。……春香の、一番近いところで」

春香「……プロデューサーさん……」

P「頑張れ。春香。俺はずっと見ているからな」

春香「……はいっ!」

春香(その後のチアリーディングのステージは、直前にプロデューサーさんに励ましてもらえたこともあって、完璧なパフォーマンスをすることができた)

春香(もちろん、ステージが終わってから転倒したりすることもなく)

春香(私と響ちゃんを含むチアガール一同は、満員の観衆から拍手喝采を浴びたのだった)


響「えへへ……自分達カンペキだったな! 春香!」

春香「うん! もしかして、ジュピターよりも目立ってたんじゃない?」

響「そうだなー、うんうん! きっとそうだぞ! 目立ってた目立ってた!」

春香「あははっ」

響「ははは……あっ」

P「春香。響」

春香「プロデューサーさん! どうでしたか? 私達のチア!」

P「ああ、すごく良かったぞ。文句をつけるところは何もない。午後の競技もこの調子で頑張れ!」

春香・響「はい! ありがとうございます!」

P「じゃあ次の競技までもう少し時間があるから、着替え終わったら皆のところへ戻って来てくれ」

春香「わかりました!」

響「あ、春香。自分、着替える前にちょっと飲み物買いに行くね。喉渇いちゃった」

春香「私も行くよ、響ちゃん。じゃあプロデューサーさん、また後で」

P「おう。慌てて転ぶなよ」

春香「転びませんって!」

響「あはは」

春香「…………」

響「どうしたの春香。なんかニヤニヤしてるけど」

春香「な、なんでもないよ!? さ、早く飲み物買いに行こっ!」

響「?」

春香「…………」

春香(プロデューサーさんが褒めてくれた……嬉しい!)

~自販機前~

春香「何にしようかなー」

響「自分さんぴん茶にするぞ」

春香「ボタン押してあげようか?」

響「じ、自分で押せるもん! これくらい!」

春香「高い高いしてあげようか?」

響「もー! バカにしてー! やれるもんならやってみてよ!」

春香「あはは。冗談冗談……あっ」

響「え?」

冬馬「……ん?」

北斗「おや」

翔太「?」

春香「ジュピターの……」

響「は、春香。とりあえず挨拶しとこう! 挨拶!」

春香「そ、そうだね、響ちゃん。え、えっと……私、765プロ所属アイドルの天海春香といいます! よろしくお願いします!」ペコリ

響「じぶ……じゃない、私も、同じ事務所の我那覇響だ……です! よ、よろしくお願いします!」ペコリ

冬馬「765プロ……?」

北斗「ああ、ほら。竜宮小町の」

冬馬「……ああ」

翔太「へぇ。お姉さん達、竜宮小町と同じ事務所なんだ。あ、ちなみに僕は御手洗翔太。よろしくね」

北斗「おっと、申し遅れました。俺は伊集院北斗という名のしがない男です。それにしても、こんなところでこんなに可愛らしいエンジェルちゃん達二人とお知り合いになれるなんて……天の導きとはまさにこのことですね。今後とも、末永くお見知りおきを」

春香「は、はあ……」

響「え、えん……?」

冬馬「ああ、気にしないでくれ。こいつちょっと頭がアレなんだ」

北斗「ちょっ、おい冬馬! 初対面で誤解を生むような言い方はやめてくれよ!」

冬馬「別に誤解じゃねぇだろ。ああ、ちなみに俺は天ヶ瀬冬馬。961プロ所属で、こいつらと三人でジュピターってユニットを組んでる。まあ、もう知ってくれてるみてぇだけど。そういうわけなんで、よろしくな」

春香「は、はい。よろしくお願いします!」

翔太「って、あれ? その衣装……もしかして、チアガールでもやってたの?」

春香「あ、はい。ついさっきまで。私と響ちゃんが765プロの代表で……」

北斗「なにィ!? そんな素晴らしいイベントがあったのか! おい冬馬、なんで事前に言っておいてくれないんだ!」

冬馬「真顔で迫るな! つーかそれはどう考えても俺のせいじゃねぇだろ!」

春香「え、ええと……?」

翔太「あはは。騒がしくてごめんね。僕ら大体いつもこんな感じなんだ」

春香「そ、そうなんですか」

響「なんか、意外だな……あ、ですね」

翔太「別にタメ口でいいよ。僕達、そういうの気にしないからさ」

春香「え、でも、芸歴的にも先輩ですし……」

冬馬「別に関係ねぇだろ、そんなの。実力の世界なんだからよ」

北斗「ま、そういうこと☆」

春香「は、はあ……」

翔太「それに、年も僕より少し上くらいでしょ? あ、でも響ちゃんの方は僕より下かな?」

響「え?」

翔太「響ちゃん何年生? ちなみに僕は中1なんだけど」

響「……自分、こう見えても高1なんだけど……」

翔太「大変失礼致しました我那覇先輩」

響「急な敬語は余計悲しくなるからやめて!」

春香「あはは。どうどう、響ちゃん」ナデナデ

響「は、春香も頭を撫でるなー! もー!」

北斗「ははは。なかなか楽しいエンジェルちゃん達だね」

冬馬「それ、お前が言うか? ……っと、もうこんな時間か。おいお前ら、そろそろ次の仕事場に移動するぞ」

翔太「えー。もうそんな時間なの?」

北斗「すみません、レディーとの会話の途中でこのような御無礼を……この埋め合わせは、今度必ず」

春香「は、はあ……」

冬馬「じゃあな。運動会の続き、頑張れよ」

春香「は……はい。ありがとうございます」

翔太「それじゃあまたね、春香さん、我那覇先輩!」

響「我那覇先輩はやめて!」

北斗「ではまた近いうちに。チャオ☆」

春香「…………」

響「な、なんかだいぶイメージと違ったな……」

春香「…………」

響「? どうしたの? 春香。なんか思い詰めたような顔して……」

春香「……あ、あのっ!」

響「!?」

冬馬「ん?」クルッ

北斗「?」

翔太「何?」

響「は……春香?」

春香「…………」

春香「えっ、と……」

冬馬「…………」

春香「今はまだ……あなた達の足元にも及びませんけど、でも、でもいつか必ず――……」

冬馬「…………」

春香「あなた達を、超えてみせます」

冬馬「!」

響「いっ!?」

春香「……それだけ、伝えておきたくて。足を止めさせて、すみませんでした」ペコリ

冬馬「…………」

北斗「…………」

翔太「…………」

響「は……春香? 急に何言って……」

冬馬「――……面白ぇ」

響「!」

春香「…………」

冬馬「上がってこいよ。ここまで、な」

春香「!」

北斗「……その日が来るのを、楽しみにお待ちしておりますよ」

翔太「へへっ。でも、僕達もそう簡単にはいかないよ?」

春香「……はい。望むところです」

響「なっ……」

冬馬「楽しみにしてるぜ。じゃあな」

春香「はい。いつか必ず、そこへ行きますから」

響「……!」

春香「…………」

響「は……春香!」

春香「うわっ、びっくりした。急に大きな声出さないでよ、響ちゃん。背縮むよ?」

響「縮まないよ! どういう原理だよ!」

春香「あはは、どうどう」ナデナデ

響「だから頭を撫でるなー! って、そうじゃなくて!」

春香「ん? どうかした?」

響「どうかしたのは春香の方だろ! なんでいきなりジュピターに宣戦布告みたいなことしちゃってんの!?」

春香「あー……うん」

響「自分、もう心臓止まるかと思ったぞ……。まあジュピターの皆がああいう性格だったから良かったようなものの……」

春香「まあ、確かにいきなりだったかもしれないけど……でも……」

響「……?」

春香「あのとき、去って行く三人の後ろ姿を見たとき……『今言わなきゃ』って……思ったんだ」

響「…………」

春香「……『今言わなきゃ、この夢はきっと果たせない』……そう思った」

響「春香」

春香「だから、言ったの。えへへ……ごめんね? 響ちゃん。びっくりさせちゃって」

響「……ん。いいよ。自分だって、最後に目指す夢は春香と一緒だからな」

春香「えへへ……だよね」

響「ああ。だからこれからも、お互い頑張ろう! 春香!」

春香「うん! 響ちゃん!」

響「……へへっ」

春香「ふふっ……じゃあ飲み物買って、早く戻ろう」

響「そうだな。っていうか自分達、着替えもしなきゃだから急がないと」

春香「お着替え手伝ってあげようか?」

響「……流石に怒るぞ」

春香「あはは。冗談冗談」ナデナデ

響「だから頭を撫でるなー! もー!」

春香「あはは」








春香「…………」

春香(……見てて下さいね、プロデューサーさん)

春香(私は、竜宮小町もジュピターも全部超えて……トップアイドルになってみせます)

春香(いつの日か……必ず)

春香(――その後、私達765プロは、午後の部の競技でも快進撃を続けた)

春香(借り物二人三脚に出場した真と伊織も、午前中の借りを返すかのような息の合ったコンビプレーで、見事に一等を獲得した)

春香(こうして私達は、女性アイドル部門で1位の成績を維持したまま、本日最後の種目――事務所対抗リレーを迎えた)

春香(そして今、2位に半周近い差をつけながらも、なお全力で走り続けている我らが最終走者は――……)


真「うおおーっ!」


 パンパンパーン!!


司会『今、765プロの菊地真選手、2位に大差をつけてのゴールイン! この最終種目の事務所対抗リレーも、見事765プロが制しました!』

真「へへっ、やーりぃ!」

雪歩「すごいよ、真ちゃん~!」ガシッ

美希「流石は真クンなの!」ガシッ

真「あはは……あ、ありがとう、二人とも。でも暑いからちょっと離れて……」

伊織「ちょっと、真!」

真「伊織?」

伊織「あんたねぇ……2位にあんだけ差をつけてたのに、何で最後まで全力疾走なわけ?」

真「えっ」

伊織「だから、その……二週間後にライブが控えてるのに、無茶な走りして怪我でもしたらどうすんの、って言ってんの! あんたただでさえ、今日は一番多くの種目に出場して、疲れてるはずなのに……」

真「伊織」

伊織「な、何よ」

真「……無茶はしてないよ。ただ、どんな勝負でも全力を尽くさないのは、相手に対して失礼だから」

伊織「そ、それはまあ……そうかもしれないけど……」

真「でも」

伊織「? 何よ」

真「……ありがとう、伊織。ボクの事、心配してくれて」

伊織「なっ……!」

亜美「おーっと! ここでいおりん得意のツンデコ発動なるかー!?」

真美「ツーンデコ! へい! ツーンデコ!」

伊織「う、うっさいわね! ていうか何よそのツンデコって!」

美希「あはは。でこちゃん顔真っ赤なの!」

伊織「う、うるさいうるさいうるさーい!」


 ドッ アハハハ……


春香「…………」

千早「春香」

春香「千早ちゃん」

千早「……すごかったわね、真」

春香「うん、そうだね」

千早「これで対抗リレーも1位だったから……私達765プロの、女性アイドル部門の優勝も確定ね」

春香「うん、そうだね」

千早「春香……?」

春香「? 何? 千早ちゃん」

千早「いえ、その……なんかあまり、嬉しそうじゃないから……」

春香「えっ! そ、そんなことないよ!? っていうか、嬉しくないわけないじゃん! ただその、まだ正式な結果発表の前だから、なんか実感が湧いてこないっていうか……うん、そんな感じなだけだよ。はは……」

千早「そう? なら……いいのだけれど」

春香「ははは……」

春香「…………」



春香(――その後、本日の最終成績が発表され、千早ちゃんの言った通りに、私達765プロは女性アイドル部門で優勝となった)

春香(そして、今日一番の功労者ということで、代表して優勝トロフィーを受け取った真と、笑顔でその周りを取り囲んでいる皆の姿を――……私はなぜか、他人事のように見ていた)

春香(別に、嬉しくないわけではない)

春香(ただ――……)



P「春香」

春香「……プロデューサーさん」

P「どうした? なんだか元気無いじゃないか」

春香「そ、そんなことないですよ? ただちょっと、疲れちゃって……あはは」

P「そうなのか? ライブも近いんだし、無理はするなよ。一応、この後事務所で打ち上げすることになってるけど、もししんどいようなら……」

春香「! ぷ、プロデューサーさんも来るんですか? 打ち上げ」

P「いや、行きたいのはやまやまなんだが、この後ライブ会場の下見に行かないといけないんだ。すまん」

春香「そう……ですか」

P「悪いな。ああ、それと春香」

春香「? 何ですか?」

P「俺は個人的に、今日の優勝の立役者はお前だと思っている」

春香「へ? 私……ですか? 真じゃなくて?」

P「ああ。確かに真はすごかったが、その真が十分に力を発揮できたのは、お前が真と伊織のケンカを仲裁してくれたからこそだからな」

春香「そ、そんな……私は別に、何も」

P「なあ、春香。以前俺が、『春香の一番の良さは、一人一人のお客さんを大事にできるところだ』って言ったこと、覚えてるか?」

春香「は、はい」

P「あれは何も、お客さんだけに限った話じゃない。春香は誰よりも、この事務所の皆、一人一人のことを大事にできる子だと俺は思う」

春香「…………」

P「だからこれからも、皆の事、しっかり見て、支えていってやってほしい。俺が午前中に言った言葉も、そういう理由からだ」

春香「……はい、わかりました! プロデューサーさん! 私、皆の事、ちゃんと支えていきます!」

P「ありがとう、春香。ただまあそうは言っても、何か特別な事をしろってわけじゃないからな。今まで通りに、皆の事を見ててくれたらそれでいい」

春香「はい! わかりました!」

P「それと、もし打ち上げに行けるようなら、今日くらいは皆と思いっきり楽しんでこい。春香は最近、ちょっと頑張りすぎなくらい、頑張ってるからな」

春香「……はい! わかりました! プロデューサーさん! 私、打ち上げ、皆と思いっきり楽しんできます!」

P「ああ、それがいい。でもまあ、本当にしんどいようなら無理しなくていいからな」

春香「はい! わかりました!」

春香「…………」






春香(ねぇ、プロデューサーさん)

春香(私は、あなたの望むアイドルになります)

春香(あなたが皆を支えろというなら、身を粉にしてでも支えます)

春香(あなたが皆と楽しめというなら、何を犠牲をしてでも楽しみます)



春香(だから、プロデューサーさん)

春香(もっと、私の事を見てください)

春香(もっと、私の事を褒めてください)

春香(それが叶うのなら、私はどんな夢だって追えます)

春香(トップアイドルにだって、きっとなってみせます)



春香(だから、ね。プロデューサーさん)

春香(私があなたの夢をすべて叶えて)

春香(あなたの望むアイドルになれたなら)

春香(いつか遠い未来に、そんな日が訪れたなら)

春香(そのときには――……)






春香(――その後、私は事務所の打ち上げに参加し、皆と大いに盛り上がった)

春香(笑って、歌って、踊って、はしゃいで、騒いで、転んで……とにかくひたすら、その場を楽しむことに努めた)

春香(――……私が本当に求めているものは、もうここには無いのだと――……知りながら)

のヮの<とりあえずここまで

~ライブ会場・控室~

響「伊織達、大丈夫なのかな……。リハには間に合うって、プロデューサーは言ってたけど……」

雪歩「あれから連絡無いし、心配だよね……」

美希「でこちゃん達なら、きっと大丈夫なの。それに律子もついてるし」

真「美希。『さん』付けないと、また怒られるよ?」

美希「むぅ。真クンまでミキにお説教しちゃヤなの」

真「そんな、別にお説教ってわけじゃ……」

春香「…………」

真「……春香?」

春香「え? 何? 真」

真「ああ、いや……大丈夫? 何か思い詰めた顔してたけど……」

春香「あはは、ごめんごめん。ちょっと伊織達の事が心配で……」

真「春香」

千早「……でも、私達がここであれこれ考えていても仕方ないと思うわ」

春香「千早ちゃん」

千早「今私達にできることは、水瀬さん達が間に合うことを信じて、自分達がやれることをやるだけじゃないかしら」

貴音「千早の言う通りです。信じて待ちましょう。竜宮小町を」

春香「はい、そうですね。貴音さん」

春香(…………)

春香(今から一時間ほど前に、プロデューサーさんから一つの報告を受けた)

春香(台風の影響で、別の収録先からライブ会場に向かう予定だった竜宮小町の到着が遅れることになった、と)

春香(今回のライブが開催されるに至った大きな要因は、竜宮小町のヒットだ)

春香(つまりお客さん目線で言うと、その注目度のほとんどは竜宮小町に集まっていると言っても過言ではない)

春香(そんな状況で、もしこのまま竜宮小町が開演に間に合わないような事態になれば)

春香(765プロは、主役ユニット不在のまま、ライブを開催しなければならないという窮地に立たされることになる)

春香(そうなったら、当然の事ながらプロデューサーさんは非常に困るはず)

春香(また真面目な性格だから、自身の責任も感じてしまうかもしれない)

春香(……だが、もしそこで)

春香(私が、竜宮小町に引けを取らないだけのパフォーマンスを発揮することができれば)

春香(竜宮小町の不在を感じさせないほどの盛り上がりを、会場で生み出すことができれば)

春香(プロデューサーさんは安堵し、事務所のピンチを救った私に対する評価を高めてくれるに違いない)

春香(そうなれば、プロデューサーさんはもっと私の事を見てくれるようになる)

春香(そうなれば、プロデューサーさんはもっと私の事を褒めてくれるようになる)

春香(つまり今のこの状況は、事務所にとってはピンチだけど、私にとっては大きなチャンス)

春香(……何の罪も無い伊織達には悪いけど)

春香(大丈夫。私なら、できる)

春香(そのために――ずっとずっと、頑張ってきたんだから)

ガチャッ

P「皆、揃ってるか?」

アイドル一同「はい!」

P「よし。じゃあ今から予定通りリハに入るが……その前に、竜宮小町の現状を伝えておく」

アイドル一同「!」

P「……さっき、律子から連絡があってな。電車が全部止まってて、今はレンタカーで向かっている途中だそうだ。リハには参加できそうにないって」

真「! そんな……」

美希「でこちゃん達、本番には間に合うの?」

P「……現状では、何とも言えないな」

美希「そんな……」

雪歩「も、もし間に合わなかったら……」

響「ねぇ、プロデューサー。その場合はどうするの? 竜宮小町がいなかったらまずいんでしょ?」

やよい「お客さん、がっかりしちゃいますよね……」

真美「ねぇ、兄ちゃん。まさかライブ中止にするんじゃ……」

P「……中止にはしない。だがこうなった以上、間に合わない前提での準備も進めておく必要がある」

千早「間に合わない前提……ですか?」

P「ああ。今俺達にできることは、最悪の事態を想定し、もしそれが現実になった場合でも対処できるように準備しておくことだ」

アイドル一同「…………」

P「そして今想定できる最悪の事態は、竜宮小町がライブの終了まで到着できないということ。だからその状況を前提とした対策を練る」

貴音「……成る程。して、具体的にはどのように……」

P「ああ。とりあえず、お前達のリハは予定通りのセトリで進めてくれ。その間、俺はスタッフと話しながら、竜宮抜きで通せるセトリを組んでおく」

アイドル一同「!」

P「だが、もちろんこれはあくまでも最悪の事態を想定してのことだ。開演までに竜宮小町が間に合えば、予定通りのセトリで本番を行う。いいな?」

アイドル一同「……はい!」

P「よし、良い返事だ。じゃあリハ頑張って来い!」

春香「…………」

千早「春香? どうかした?」

春香「……ううん、なんでもないよ。千早ちゃん」

千早「そう? なら、いいのだけれど」

春香「……伊織達、間に合うといいね」

千早「ええ、そうね」

春香「…………」

春香(……間に合わなければ、いいのに……)

~リハ終了後・控室~

P「……皆。リハお疲れ様。で、竜宮小町の方だが……」

アイドル一同「…………」

P「……残念ながら、開演までには間に合いそうにない」

アイドル一同「!」

春香「……!」

P「なので、本番はさっきのリハの間に組み直したこっちのセトリで行う。今配るから、各自目を通してくれ。一応、各々がリハ無しでも対応できる楽曲にしたつもりだ」

真「……プロデューサー。じゃあ伊織達は、もう……」

美希「出られない、ってこと……なの?」

P「いや、もしライブ途中に到着出来たら、『自分REST@RT』の後のブロックに竜宮のパートを入れるつもりだ。そのことはスタッフにも話してある」

雪歩「そっか、それならなんとか……」

真「うん。終盤だし、いけるかも!」

響「でも逆に言えば、それまでは自分達だけでつながないといけない、ってことだよね……」

P「ああ、そうだ。『自分REST@RT』までは竜宮抜きで確定だ。流石にそれ以上の細かい変更は現場のスタッフが対応しきれないからな」

千早「仕方ないわ。今の状況なら、これでやるのがベストだと思う」

やよい「お客さんを待たせるわけにもいかないですしね」

真美「ま、いざとなったら真美が亜美の代わりやってもいいしねー」

貴音「……成る程、その手がありましたか。では、私は伊織の代わりを」

真「いや貴音、そこはせめてあずささんにしとこうよ……」

P「はいはい、冗談はそれくらいにして、ちゃんとセトリ見といてくれよ。そしてもし難しそうなところがあれば、今のうちに言ってくれ。今ならまだ調整できるから」

春香「…………」

春香(流石はプロデューサーさん。皆の負担が極力均一になるように、バランス良くセトリを組んである)

春香(…………)

春香(でも、本音を言うなら)

春香(……もっと、私に多く割り振ってほしかったな……)

真「あっ。プロデューサー」

P「ん? どうした? 真」

真「ここ……美希の『Day of the future』の後に、また美希の『マリオネットの心』がきてます」

P「あっ、本当だ。しまった……気付かなかったな」

響「いくら美希でも、このダンサブルな曲を続けては無理だぞ」

P「ふむ……そうだな。じゃあ『マリオネットの心』をもっと前の方に……」

春香「……プロデューサーさん」

P「ん? どうした、春香」

春香「この新しいセトリって、もう現場のスタッフさんにも行き渡ってるんですよね?」

P「ああ、もちろん」

春香「それじゃあ、今、変に曲の順番を入れ替えたりしたら、かえって現場が混乱しちゃうんじゃないですか? ただでさえ、一度変更してるセトリなのに」

P「それはそうかもしれないが……でも確か、この二曲は両方美希しかボーカル練習してなかったはずだから――……」

春香「私、できます」

P「えっ」

美希「春香……そうなの?」

春香「うん。『Day of the future』も、『マリオネットの心』も、どっちも練習してたんだ。別にこういうときに備えて、ってわけじゃなかったんだけど……」

P「…………」

春香「だからお願いします。やらせてください! プロデューサーさん!」

P「……分かった。春香を信じよう。『Day of the future』は美希、その後に春香のボーカルで『マリオネットの心』だ」

春香「! はい! ありがとうございます! プロデューサーさん!」

P「よし、後はもう大丈夫か?」

やよい「……あの、プロデューサー」

P「ん? どうした? やよい。どっか厳しそうなところあったか?」

やよい「いえ、そういうのじゃないんですけど……やっぱり、竜宮小町がいないままでライブが始まっちゃうのは、ちょっと不安かなーって……」

P「やよい」

響「……それは、自分もそうだぞ。あんまり、考えないようにはしてたけどさ」

真「やっぱり、竜宮目当てのお客さんがほとんどだろうしね」

雪歩「うぅ……全然盛り上げられなかったらどうしよう……」

P「お前達……」

千早「皆、気持ちは分かるけど、今それを言っても――……」

春香「大丈夫」

千早「! 春香」

春香「大丈夫だよ」

P「春香」

春香「……オープニングの『THE IDOLM@STER』の後の二曲目は、私のソロの『乙女よ大志を抱け!!』」

春香「ここで一気に、お客さんの興味を引いてみせる」

春香「だから皆、大船に乗った気でいてよ。絶対に大丈夫だから。 ……ね?」

やよい「……春香さん……」

響「なんか、春香にそこまで自信満々に言われると……本当に、大丈夫なような気がしてきたな」

真「うん。やっぱり、ボク達の中の誰よりも努力していた春香だからかな……なんていうか、不思議な説得力があるよね」

雪歩「私も、なんか上手くできるような気がしてきましたぁ」

春香「……皆……」

貴音「世の中には『言霊』という言葉もありますが……成る程、春香の言葉には、不思議な力が宿っているようですね」

真美「ま、そう言いながらもやらかしちゃうのがはるるんのアイスレモンティーだけどねー」

春香「あ、アイスレモンティー?」

千早「真美、それを言うならアイデンティティーよ」

美希「だから何で分かるの千早さん……」

やよい「えへへ……なーんか、すごく楽な気持ちになってきたかも! 春香さん、どうもありがとうございます!」

春香「い、いや別に、そこまでお礼言われるようなことじゃ……」

P「……いや、俺からも礼を言うよ。ありがとう、春香」

春香「! プロデューサーさん」

P「やっぱり、ここ一番で皆の精神的支柱になれるのはお前しかいない」

春香「…………」

P「いざライブが始まったら、俺はステージを見ていることしかできない」

P「だから春香。ステージの上では、お前が皆を支えてやってくれ」

春香「!」

P「お前がそうやってみんなの柱でいてくれる限り、何があっても765プロは大丈夫だ」

P「俺は、そう確信している」

春香「……プロデューサーさん……」

春香「……分かりました。天海春香、精一杯、皆を支えさせて頂きます!」

P「春香」

春香「よーし、そうと決まれば……皆! 円陣組むよ! 円陣!」

千早「円陣?」

美希「なんか、高校野球みたいなの」

春香「いいからいいから! ほら、早く早く!」

真美「やれやれ、まったくはるるんは熱血ですなあ」

貴音「しかし、皆の結束を固めるにはもってこいかと」

響「うんうん! 自分、こういうの一度やってみたかったんだ!」

真「ほら雪歩、こっち」

雪歩「う、うん。ありがとう、真ちゃん」

やよい「うっうー! なんかテンション上がってきちゃいましたー!」

P「……お前達……」

春香「えへへ……こういう感じでいいですか? プロデューサーさん」

P「……ああ。文句無しだよ」

春香「よーし! ……じゃあ皆、いい? いくよー! 765プローっ!」

アイドル一同「ファイトーッ!!」






春香(――こうして、私達765プロのファーストライブは幕を開けた)

春香(紛れもない『てっぺん』を目指して)

のヮの<とりあえずここまで

春香(オープニングは全員で歌う『THE IDOLM@STER』)

春香(イントロが流れ始め、ステージ上に立つ私達をライトが照らし出した)

春香(その瞬間、歓声が上がる)

春香(この高揚感は悪くない)


アイドル一同『もう伏目がちな 昨日なんていらない』

アイドル一同『今日これから始まる私の伝説』


春香(お客さんは結構ノッてくれてるように見えるけど、まだまだ熱が足りない)

春香(やはり竜宮小町の不在が影響しているのだろう)

春香(だけど、今はそれでいい)

春香(この程度の逆境――跳ね返せないようじゃ)

春香(トップアイドルになんて、なれっこないんだから)


アイドル一同『男では耐えられない痛みでも』

アイドル一同『女なら耐えられます 強いから』


 ワァアアアア…… パチパチパチ……


春香(私は静かな闘志を滾らせながら、無難に一曲目を終えた)

春香(その直後のMCで、竜宮小町が台風のために遅れていることをお客さんに伝え)

春香(あわせて、メンバーの自己紹介も簡単に済ませる)

春香(そして次曲をソロで歌う私を残し、他のメンバーは舞台裏へ)

春香「…………」

春香(こうして今、ステージ上に立っているのは私一人)

春香(大きく息を吸い、吐く)

春香「…………」

春香(見ててくださいね。プロデューサーさん)

春香(あなたのアイドル、天海春香を)

春香(しかと、その目に焼き付けてくださいね)



春香『それじゃあ行くよー! 天海春香で『乙女よ大志を抱け!!』』

春香『乙女よ大志を抱け♪』

春香『夢見て素敵になれ』

春香(今度はもう、セーブはしない)


春香『乙女よ大志を抱け♪』

春香『恋して綺麗になれ』

春香(ただただ、全力で……)


春香『立ち上がれ 女諸君♪』

春香(走り抜ける!!)


 ワァアアアア……


春香(曲自体のノリの良さも手伝って、お客さんの反応は上々)

春香(でも、まだ全然足りない)

春香(もっと……もっと熱を!)


春香『私流格言、その1!』

春香『急がばまっすぐすすんじゃおう! はい!』

 イソガバマッスグススンジャオー!!

春香『もうすぐ仲間と君に 会えるよ♪』

 ゴーゴーガール!!

春香『乙女よ大志を抱け♪』

春香『授業中Zzz…っと夢見ちゃえ――』

春香(――自分でも、驚くほど様になっているように感じた)

春香(これまで何百回と頭の中で思い描いてきたイメージ)

春香(それがリアルと重なる瞬間の、快感)


春香『乙女よ大志を抱け♪』

春香『笑顔武器にしちゃおう』


春香(会場の一体感)

春香(不遜でも自惚れでもなく、今この空間を支配しているのは――……間違いなく、この私だ)


春香『乙女よ大志を抱け♪』

春香『涙は最終兵器』


春香(……ねぇ、見ててくれていますか? プロデューサーさん)

春香(今のこのステージは、ただあなたのためだけに)

春香(私のこの声も、熱も、体温も、何もかも)

春香(すべて――……)

春香(あなただけに、捧げます)


春香『立ち上がれ 女諸君♪』


 ワァアアアア……


春香『言えない言葉が ずっとあったの』

春香『みんなに 私』

春香『いつも……』

春香『……ありがとう!』


 ワァアアアア……!! パチパチパチ……!!


春香(――ありがとうございます。プロデューサーさん)

春香(私をここまで導いてくれて)

春香(だからここから先は、私の番)

春香(あなたを、きっと導いてみせますからね)

春香(あなたの描くその夢の先へと――……)

~ステージ裏~

春香「……ふぅ」

真美「はるるん!」

やよい「春香さん!」

春香「わっ。真美。やよい。そっか、この後二人の『キラメキラリ』だっけ」

真美「そーそー。てゆうかはるるんチョーすごかったよー!」

やよい「私、感動しちゃいました!」

春香「あはは……まあ、皆の前でああ言った手前、ある程度は……ね?」

真美「うんうん。これぞまさに有言実行って感じだよねー」

春香「真美、それを言うなら……ってあれ? ちゃんと言えてる!?」

真美「んっふっふ~。ライブモードの真美は本気なんだぜぃ!」

春香「……そういうもんなの?」

真美「まあでも、はるるんのおかげで真美達のハードルちょー上がっちゃったっぽいけどねー」

やよい「でもでも、せっかく春香さんが盛り上げてくれたんだから、その勢いに乗っかれたらいいかなーって!」

春香「うん。二人とも頑張ってね。控室のモニターで観てるから」

真美「りょーかい!」

やよい「それじゃあ、行ってきまーす!」

 タタタタ……

春香「…………」

P「春香」

春香「! プロデューサーさん!」

P「良かったぞ。すごく」

春香「! ほ、本当ですか!?」

P「ああ。歌もダンスも振り付けも……どれを取っても、完璧なパフォーマンスだったよ」

春香「…………!」

P「これでお客さん達も分かってくれたんじゃないかな。765プロは竜宮小町だけじゃない、ってこと――……」

春香「…………」

P「っておい、春香?」

春香「……え?」

P「お前……泣いてるのか?」

春香「え? あ……あれ?」ポロポロ

P「春香」

春香「や、やだな。私ったら……なんで、だろ」グスッ

P「…………」

春香「あは。ご、ごめんなさ……ちょっと、気が抜けたっていうか……安心しちゃって」

P「……春香」

春香「はい」

P「……とりあえず、お疲れ様。お客さんの反応も見えない中、本当によく頑張ってくれたと思う」

春香「いえ……そんな」

P「でもまだライブは始まったばかりだ。次の出番の時までには、その涙の跡を消しておいてくれよ」

春香「……はい。わかりました!」

P「よし。良い返事だ。じゃあ、控室で休んでこい」

春香「はい! ありがとうございました!」ペコリ






春香「…………」

春香(プロデューサーさんが、褒めてくれた)

春香(ただそれだけのことで、私の胸はいっぱいになってしまった)

春香(その時の私は、すぐ傍のステージで歌っている真美とやよいの歌声も、それに応えるお客さんの歓声も――……まるで、遠い世界の出来事のように感じていた)

春香(その後のライブも、概ね順調だった)

春香(これといったトラブルも無く、お客さんも大いに盛り上がっていた)

春香(私自身も、集中を切らせることなく、ソロ曲、デュオ曲、全員曲、そして美希に代わって歌うことになった『マリオネットの心』も含めて――……すべて、全力でやり遂げることができた)


春香(すべては、たった一つの目的のためだけに)

春香(プロデューサーさん)

春香(あなたにさえ、見てもらえるなら)

春香(あなたにさえ、褒めてもらえるなら)

春香(私はもう……他に何も望みません)

春香(だから私は、あなたのためだけに)

春香(あなたの望むアイドルで在り続けます)

春香(あなたを、あなたの描く夢の先へ導くまで――……)






~控室~


春香「…………」

春香(私達が『自分REST@RT』を歌い終わるのとほとんど同時に、竜宮小町が会場に到着した)

春香(そのため、変更後のセトリ通り、最後のブロックは全て竜宮パートということになった)

春香(正直私としては、もっと多くの曲を歌いたかったところでもあるのだが……)

春香(まあプロデューサーさんにも褒めてもらえたし、今日のところはこれで良しとしておこう)

 ガチャッ

伊織「みんな!」

春香「あっ」

亜美「……ありゃ?」

あずさ「あらあら」

春香「――お疲れ様。伊織。亜美。あずささん」

伊織「ありがとう、春香。……ていうか皆、寝ちゃってたのね」

春香「うん。流石に疲れたみたい」

春香(そう。今この控室には竜宮小町を除く765プロのアイドル全員がいるのだが、起きているのは私だけだった)

亜美「はるるんは疲れてないの?」

春香「うーん、まあ流石に疲れてないってことはないけど」

あずさ「ふふっ。元気が春香ちゃんの取り柄だものね」

春香「あはは……まあ、そんな感じですかね」

律子「でも聞いたわよ。春香」

春香「律子さん。お疲れ様です。聞いたって……何をですか?」

律子「ありがと、春香。えっと、プロデューサーさんからね、『今日は春香が最初にお客さんを盛り上げてくれたから、その後の進行もスムーズだった』って」

春香「! プロデューサーさんが……?」

律子「ええ。だから私からも、竜宮小町を代表して改めてお礼を言っておくわ。……ありがとう、春香」

春香「そ、そんな。私は、別に……」

伊織「ふん。運動会の時といい、またあんたに借りができちゃったわね」

春香「伊織」

亜美「ぷぷっ。相変わらずいおりんは素直じゃないですなぁ~」

伊織「う、うっさいわね。あんただって、車の中で不安で泣きそうになってたくせに」

亜美「うあうあー! いおりん今それ関係ないじゃーん!」

伊織「にひひっ♪ 私をからかった罰よ♪」

亜美「むぅ~! このいおりんのツンデコりん!」

伊織「だっ、誰がツンデコりんよ!?」

あずさ「二人とも、ケンカはダメよ~?」

律子「はいはい、騒がないの。皆寝てるんだから静かに!」

伊織「だって亜美が!」

亜美「ツンデコりんが!」

律子「し・ず・か・に」

伊織・亜美「……はい……」

あずさ「ふふっ。流石は律子さんね」

春香「…………」

あずさ「春香ちゃん? どうかしたの?」

春香「え、いえ。……何でも」

あずさ「そう? なら、いいんだけど」

春香「…………」

春香(プロデューサーさんが……私の事を……)

春香(今すぐ走り出したくなるくらいの衝動を、必死に抑える)

春香(今すぐ泣き出したくなるくらいの感傷を、必死に噛み殺す)

春香(それくらいに――……)

春香(私は今、嬉しいんだ)

~同日夜・765プロ事務所~

春香(私達765プロのファーストライブは、大成功と言っても差し支えないほどの出来でその幕を閉じ)

春香(今は事務所の皆で、その打ち上げをしているところだ)

春香(そしてもちろん、今日は前のときと違って――……)

P「……どうした? 春香。俺の顔になんかついてるか?」

春香「いっ、いえ! なんでもないです! なんでも……」

P「? そうか?」

春香「はい」

春香(――プロデューサーさんもいるのだ)

春香「……ふふっ」

P「春香?」

春香「あ、いえ、その……なんだかんだで、無事に終わって良かったなぁって思ったら……ちょっと、ほっとしちゃって」

P「ああ。俺もようやく肩の荷が下りた気分だよ」

春香「……本当にお疲れ様でした。プロデューサーさん」

P「ありがとう。春香もお疲れ様」

春香「えへへ……ありがとうございます」

P「…………」

春香「…………」

P「……なあ、春香」

春香「はい」

P「その、すまないんだが……この後、ちょっとだけ残っててくれるか?」

春香「えっ」

P「いや、迷ってたんだが……やっぱり、今日のうちに話しておいた方が良いと思ってな。いいか? そんなに時間は取らせないから」

春香「そ、そりゃもちろん、いいですけど……」

P「そうか、すまんな。じゃあまた後で」

春香「はあ」

春香(プロデューサーさんはそう言うと、社長と記者の善澤さんがいるところへ行ってしまった)

春香(多分、善澤さんに今日のライブの事を記事にしてもらうための話をしに行ったのだろう)

春香(それはまあ、いいとして……)

春香(私に話って……何だろう?)

春香(…………)

春香(まさか……告白、とか……?)

春香(……って、馬鹿か。私は)

春香(そんなこと……あるはずないのに)

美希「は~る~かっ!」ドンッ

春香「きゃっ! 美希!?」

美希「えへへ……春香、今日はほんっとーに、お疲れ様でしたなの!」

春香「……ん。ありがと。美希もお疲れ様」

美希「ありがとうなの。それにしても今日の春香、ほんっとーにすごかったの! ミキ、びっくりしちゃった」

春香「そんな……美希だってすごかったじゃない」

美希「んーん。ミキはまだまだなの。『マリオネットの心』だって、もしミキが歌ってたら、今日の春香みたいには歌えなかったって思うな」

春香「そんなことないと思うけど……」

美希「そんなことあるの!」

春香「そうかなぁ……」

美希「そうなの!」

春香「…………」

美希「…………」

春香「……ふふっ」

美希「あはっ。……ねぇ、春香」

春香「? 何? 美希」

美希「春香ってさ、やっぱり好きな人いるんじゃないの?」

春香「……もう、またその話? だからいないってば」

美希「んー。でも……」

春香「? 何?」

美希「今日の春香見てると、なんだかすっごくそんな気がしたの」

春香「……えっ?」

美希「なんていうか……今日の春香は、誰か好きな人がいて、その人に歌を届けたい、って気持ちで歌ってるように見えたの」

春香「それは……そう見えたんだとしたら、ファンの皆のことだよ。きっと」

美希「えー……そうかなぁ……?」

春香「そうだって」

美希「むぅ……まあ気になるけど、今日のところはこれくらいで許しといてあげるの。春香もお疲れだろうしね」

春香「あ、あはは……」

美希「でもでも、もし本当に好きな人できたら、絶対ミキに教えてね。……約束だよ? 春香」

春香「……ん、わかったよ。美希」

春香「…………」

春香(……ドキッとした)

春香(美希とは前にもこういう話をしていたことがあったとはいえ、ここまで的確に言い当てられるなんて……野生の勘というやつだろうか)

春香(それにその点はさておくとしても、まさかライブステージの様子から読み取られてしまうとは……)

春香(……私って、結構分かりやすい方なのかな……)

春香「…………」

春香(……そして、このときの私の予感が)

春香(このわずか小一時間後に、不運にも的中することとなってしまうのだった)

小鳥「それじゃあ、お先に失礼しますね」

P「お疲れ様です」

春香「お疲れ様でした」

春香(打ち上げ終了後――……事務員の小鳥さんも帰宅し、事務所に残ったのは私とプロデューサーさんの二人だけとなった)

春香(見ようによっては、かなりおいしい状況だけど……)

P「悪かったな、残ってもらって」

春香「い……いえ」

春香(事務室のソファーに腰掛け、テーブルを挟んで向かい合う私とプロデューサーさん)

春香(まあ普通に考えて、お仕事以上の内容の話は無いよね……)

春香(……うん。残念だけど、変な期待はしないでおこう……)

P「それで話っていうのは、今日のライブのことなんだけどな」

春香「は、はい」

春香(やっぱり……)

春香(予想通りとはいえ、軽くため息がこぼれてしまう)

春香(しかし、次のプロデューサーさんの一言は、私の予想を超えたものだった)

P「――彼氏でも、来てたのか?」

春香「……はい?」

P「いや、冗談だけどな」

春香「は、はあ……?」

P「ただ、半分は本気だ」

春香「…………?」

P「……実は、今日の春香はそんな風にも見えていたんだ」

春香「えっ」

P「なあ、春香」

春香「……はい」

P「今日のライブ……ちゃんと、お客さんのこと、見えていたか?」

春香「……え?」

P「一番前の人から、一番後ろの人まで……一人一人のお客さんの顔、ちゃんと見えていたか?」

春香「そ、それは――……」

春香「…………」

春香(……言葉に詰まった)

春香(言われてみれば、今日のライブに来ていたお客さんの顔を、一人も思い出せないことに気付いた)

春香「…………」

P「……やっぱり、か」

春香「…………」

P「俺も、春香の最初のソロ曲『乙女よ大志を抱け!!』のときは、特に何とも思わなかった」

P「むしろ、直後に伝えたとおり、歌もダンスも文句のつけようのない出来だった、という感想しか思い浮かばなかった。お客さんもすごく盛り上がってたしな」

春香「…………」

P「でも、その後のデュオ曲、トリオ曲、全員曲を見ているうちに……少しずつ、春香のパフォーマンスに違和感を覚えるようになったんだ」

P「『春香には、目の前のお客さんのことがよく見えていないんじゃないか』『お客さんではなく、もっと別の誰かに向けて、歌を歌っているんじゃないか』……そう、思うようになった」

春香「……それで、『彼氏』ですか」

P「ああ。まあ流石に本当にそうとは思っていないが」

春香「…………」

春香(ついさっき美希に言われたことを、まさか、よりにもよってプロデューサーさんから言われてしまうなんて、夢にも思わなかった)

春香(でも今の私には、何の弁明も弁解も思いつかなかった)

春香(だって、事実なのだから)

春香(ライブの間、目の前のお客さんのことが見えていなかったことも)

春香(たった一人のためだけに、歌を歌っていたことも)

春香(――……紛れもない、事実なのだから)

P「春香。俺が前に言ったこと、覚えてるか?」

春香「…………」

P「『春香の一番の良さは、一人一人のお客さんを大事にできるところだ』っていう話だ」

春香「……はい。覚えてます」


――小さな会場だったからってのもあるかもしれんが……観に来てくれたお客さん一人一人の顔をきちんと見て、想いを込めて丁寧に歌っているのが伝わってきたよ。

――春香の一番の良さは、そうやって一人一人のお客さんを大事にできるところだと俺は思う。そしてそれは、アイドルにとって最も大事なことでもある。


春香(……忘れるはずがない)

春香(プロデューサーさんが教えてくれた――……『私の一番の良さ』なんだから)

春香(……でも、今は……)


P「そうか。それなら……春香」

P「もう一度、あの頃の気持ちを思い出してみてくれないか」

春香「…………」

P「今日のライブで、どうして春香がああなったのか……それは俺には分からない」

P「ただきっと春香にも、色々と思うところがあったんだろうと思う」

春香「…………」

P「でもな、春香。どんな事情があれ、俺達はプロとして、会場に足を運んでくれたお客さんに満足してもらわないといけないんだ」

P「今日はまだ、ずっと春香を見てきた俺だからこそ気付けた程度の事だと思うし……実際、お客さんは楽しんでくれていたと思う」

春香「…………」

P「でも今日の調子のまま、先へ進んでしまったら……春香はますます、お客さんのことが見えなくなってしまうかもしれない」

P「もしそうなってしまったら、春香が持っていた一番の良さが完全に失われてしまう結果になりかねない」

P「『一人一人のお客さんを大事にできる』という……春香の一番の良さが」

P「そうなってしまっては……ライブに来てくれたお客さんもきっと、十分な満足を得られなくなると思うんだ」

春香「…………」

P「だから、春香。もう一度……」

P「初心に返って、お客さんの目線に立って……ライブをするように心がけてみてくれないか」

P「春香ならきっと、それができるはずだから」

春香「…………」

春香(なんと、皮肉な話だろう)

春香(もっとプロデューサーさんに見てもらいたい)

春香(もっとプロデューサーさんに褒めてもらいたい)

春香(ただその一心でライブをやりきった結果―――私は、殺してしまっていたんだ)

春香(他でもない、プロデューサーさんに教えてもらった『私の一番の良さ』を)

春香(……でも)

春香(それが分かったからといって、今の私にはどうすることもできない)

春香(今の私にとって、プロデューサーさんに見てもらえること、プロデューサーさんに褒めてもらえること以上に価値のあることなんて……無いのだから)

春香(だから、もう)

春香(プロデューサーさんへの想いを殺して、ただただ、目の前のお客さんのためだけにライブをするなんて)

春香(今の私にはもう……できない)

春香(…………)

春香(でも)

春香(私は知っている)

春香(今この場で、私がなすべき回答を)

春香(アイドル『天海春香』として、プロデューサーさんにより好かれるようになるための模範解答を――……)






春香「……わかりました」

P「春香」

春香「確かに今日の私は、ライブを成功させようと気張るあまり、お客さんのことがよく見えていなかったと思います」

春香「だから次からは、もっとちゃんとお客さんのことを見て、ライブをしたいと思います!」

P「……春香……」

春香「あ、それとプロデューサーさん」

P「ん?」

春香「私は現在、お付き合いしている人はいませんので」

P「ああ。それも聞けて安心したよ。せっかく今日のライブで知名度が上がりそうなのに、スキャンダルはごめんだからな」

春香「あははっ。もう、プロデューサーさんったら」

春香(……スキャンダル、か)

春香(結局どこまでも、あなたはプロデューサーで、私はアイドルのままなんですね)

春香(まあ、分かっていたことだけど……)

P「あと、もう一つだけいいか? 春香」

春香「? はい」

P「これも、さっきの話と関連するんだが……今日の春香は、お客さんだけでなく、仲間の皆のことも、あんまり見えていなかったように思うんだ」

春香「仲間の皆……ですか」

P「ああ。今日の春香は、パフォーマンス自体はすごく良かった。それは『乙女よ大志を抱け!!』から、最後の全員曲『自分REST@RT』まで一貫してそうだった。美希の代わりに歌った『マリオネットの心』も申し分の無い出来だったしな」

春香「…………」

P「でも俺から見れば、それらが全部同じに見えたんだ」

春香「……同じ……?」

P「ああ。ソロの曲も、デュオも、トリオも、全員曲も……どれも、春香は自分一人だけで歌っているように見えた」

春香「…………」

P「ステージには自分しかいないような、他の皆のことなど視界に入っていないような……そんなパフォーマンスに見えたんだ」

P「実は以前、ライブの練習中にも同じようなことを言ったんだが……」

春香「……はい」

春香(それも、覚えている)

春香(全体練習のとき、プロデューサーさんが美希に対してアドバイスをした後、これは私達全員に対しても言えることだ、と言って伝えてくれた言葉だ)


――ソロ曲なら自分がステージの中心にいることだけを意識していれば良いが、全員または複数人で歌う曲だとそれではいけない。

――それぞれが自己主張をし過ぎると、かえって全体としてまとまりの悪いステージになってしまいかねないからだ。


P「今日のステージに関して言えば、特に春香だけが突出して目立っていたというレベルではなかったが……」

P「これもやはりさっきのと同じで、今の調子のまま先へ進んでしまうと修正が難しくなってしまうかもしれない」

春香「……私が皆の輪を乱しかねない、ということですか」

P「まあ、厳しい言い方をすればそういうことになるな」

春香「…………」

P「でも、そこまで落ち込むようなことじゃないぞ。春香は元々、他の皆のこともよく見えていたし」

P「だからこそ俺も、今日のライブの前に『皆を支えてやってくれ』って頼むことができたんだ」

春香「…………」

P「だが今思えば、俺が直前にそのようなことを言ったせいで……かえって、春香にプレッシャーを与えてしまったのかもしれないな」

P「だから春香自身も言っていたように、ライブを成功させようと気張るあまり、お客さんのことや、仲間の皆のことがよく見えなくなっていたのかもしれない」

春香「いえ、そんな……プロデューサーさんのせいなんかじゃないです」

春香「ただ、私が未熟だったってだけで……」

P「……春香……」

春香「…………」

P「まあでも、何度も言うように、今日の春香自身のパフォーマンスは本当に申し分の無い出来だった」

P「だから次からは、周りの皆とのバランスを保ちながら、今日くらいのパフォーマンスを発揮できるよう努めてくれれば……春香も他の皆も、一層輝くステージになると思うんだ」

春香「…………」

P「かなりハードルの高い注文だとは思うが、今の春香のレベルなら十分可能だと思う」

P「さっきも言ったように、春香は元々、皆のことがよく見えていたからな」

春香「はい……わかりました」

P「春香」

春香「私、もっと皆のこともよく見るようにします」

春香「それで、765プロ全員が同じくらい輝けるような……最高のステージを作り上げてみせます!」

P「ありがとう、春香。……悪いな、疲れているところに色々言って」

春香「……いえ」

P「ただやっぱり、こういうことはその日のうちに伝えておいた方が良いと思ってな」

春香「はい。私も、自分で気付けていなかったところばかりだったので、言ってもらえてよかったです。どうもありがとうございました」ペコリ

P「……ん。じゃあ今日はもう遅いし、このへんにしとこう。駅まで送って行くよ」

春香「あっ、いえ……大丈夫です」

P「いや、でも」

春香「まだそこまで遅くないですし。ホント大丈夫ですから」ガタッ

P「春香?」

春香「色々とご助言頂き、ありがとうございました! 天海春香、明日からまた一層頑張りますのでよろしくお願いします!」

P「おい、春香……」

春香「それじゃ、お疲れ様でした!」

 バタン

春香「…………」

~事務所の外~

春香「…………」

P「春香」

春香「プロデューサーさん?」

P「やっぱり送って行くよ」

春香「大丈夫ですって」

P「まあそう言うなよ。駅までついていくだけだから」

春香「……わかりました」

P「…………」

春香「…………」

P「春香」

春香「はい」

P「その……あんまり深く考えすぎるなよ」

春香「何がですか?」

P「いや、その……さっき、俺が言ったことだよ」

春香「大丈夫ですよ。私はいつも前向きですから」

P「そうか? ならいいんだが……」

春香「はい。元気が取り柄の天海春香ですからね」

P「……そうか」

春香「はい」






春香(プロデューサーさんと、二人きりの帰り道)

春香(願ってもないほどのシチュエーションだったのに)

春香(私はこのときほど――……自分の心の空虚さを感じたことはなかった)

~駅の改札前~

P「じゃあまた明日な。今日はゆっくり休めよ」

春香「はい。送って頂いてありがとうございました」ペコリ

P「ああ。それじゃ」

春香「…………」


春香(去りゆくプロデューサーさんの背中を数秒見つめてから、私は改札を通った)

春香(…………)

春香(私は、これから)

春香(どうしたらいいんだろう?)


春香「…………」


春香(取り留めのない思考が、浮かんでは消えていく)


春香(“お客さんのためだけにライブをする”)

春香(なるほどそれは、アイドルの鑑ともいうべき姿だろう)

春香(“仲間の皆と力を合わせて、皆が一緒に輝けるステージを作り上げる”)

春香(なるほどそれは、私達765プロの在るべき姿といえるのかもしれない)


春香(……でも)

春香(それらはもう、今の私にはできない)

春香(……いや、違う。できたとしても)

春香(したくないんだ)


春香(私は、プロデューサーさんに私のことを一番に見てもらいたい)

春香(美希よりも、千早ちゃんよりも、響ちゃんよりも、雪歩よりも、真よりも、やよいよりも、亜美よりも、真美よりも、伊織よりも、あずささんよりも、貴音さんよりも)

春香(他の誰よりも……この私を)

春香(それは言うまでもなく、プロデューサーさんのことが好きだから)

春香(だから)


春香(プロデューサーさんのためじゃない、お客さんのためだけのライブなんて……したくない)

春香(プロデューサーさんに、私のことを他の皆と同じようにしか見てもらえないライブなんて……したくない)

春香(私は、プロデューサーさんのためだけに歌いたいし、踊りたい)

春香(私は、プロデューサーさんに、他の誰よりも私のことを見てほしい)

春香(でもそれは、プロデューサーさんが私に望んでいることではない――……)


春香(……ああ。そうか)


春香(今、なんとなくわかったような気がする)

春香(私は、プロデューサーさんの望むアイドルになりたいと思っていたけど)

春香(本当は、プロデューサーさんに――……私の望むプロデューサーさんに、なってもらいたかったんだ)

春香(私の欲求、願望、そのすべてを満たしてくれる――……そんなプロデューサーさんに、なってもらいたかったんだ)

~春香の自室~


春香(自分の今の気持ちは、ある程度整理ができたけど)

春香(現状の対策は何も思い浮かんでいない)

春香(いや……選択肢なんて最初から無いんだ)

春香(私の気持ちがどうあれ、私は結局、プロデューサーさんの望むアイドル『天海春香』を演じるしかないのだから)

春香(たとえ嘘でも、欺瞞でも)

春香(できなくても、やらなきゃいけないんだ)


春香(今の私にとって一番怖いことは――……プロデューサーさんからの信頼を失うことだから)


春香(私は、765プロ所属アイドル『天海春香』)

春香(元気が取り柄で、一人一人のお客さんを大事にできて、仲間の皆を支えることのできる……そんなアイドル『天海春香』)

春香(それがきっと、プロデューサーさんの望むアイドル『天海春香』なんだ)

春香(だから……うん。大丈夫)

春香(やれるよ、私なら)

春香(今日のライブだって、皆と一緒に――……)


春香「……あれ?」


春香(その瞬間、私は思わず声を発していた)

春香(私は、今日のライブの皆の様子を……ほとんど覚えていなかった)


春香「参ったな……。これじゃ、演技でも上手くできそうにないや」


春香(――ふと漏らした呟きが、虚空に吸い込まれて消えていった)

春香(……私はこれから、どうすればいいんだろう?)

のヮの<とりあえずここまで

~翌朝・765プロ事務所前~

春香「…………」

春香(昨日は結局、ほとんど碌に寝られなかった)

春香(身体はライブで疲れ切っていたはずなのに。心が色んなことに縛られて、がんじがらめになって)

春香(プロデューサーさんのこと。皆のこと。……私のこと)

春香「…………」

春香(頭では分かっている)

春香(今の私がすべきことは、今まで通りの『天海春香』を演じること)

春香(演じ、続けること)

春香(それが最も、プロデューサーさんが私に望んでいることだって)

春香(そう)

春香(分かっているんだ)

春香(分かっているのに)

春香「……したく、ないよう」

「……春香ちゃん?」

春香「!」バッ

小鳥「……おはよう。随分早いのね?」

春香「小鳥……さん……」

小鳥「……寝てないの?」

春香「えっ。あ、いや、えっと……」

小鳥「もう、ダメよ。寝不足はお肌の敵なんだからね」

春香「は、はい……。ごめんなさい」

小鳥「ふふっ。まあ、来ちゃった以上は仕方ないわ。早く中に入りましょ」ガチャッ

春香「……はい」

~事務所内~

小鳥「はい、どうぞ」コトッ

春香「ありがとうございます」

小鳥「お砂糖、多目にしといたからね」

春香「ありがとうございます」ズズッ

小鳥「どうかしら?」

春香「……美味しいです」

小鳥「そう? 良かった」

春香「…………」

春香(小鳥さんの淹れてくれたホットココアは、今の私には優しすぎて)

春香「…………」

春香(私は、それを押しとどめることができなかった)

小鳥「春香……ちゃん?」

春香「…………」

春香(私は、涙を流していた)

春香「あっ。や、やだ……」

春香(それは、昨日流した涙と似ているようで、非なるもの)

春香「ど、どうしちゃったんだろ、私……」

春香(昨日の涙は、本心からの安堵の証)

春香(でもこの涙は、仮初めの安堵の象徴)

春香(なんて……なんで私は、そんなひねくれたことばかり、考えてしまうのだろう?)

小鳥「…………」

小鳥「……プロデューサーさんから聞いたわ」

春香「えっ?」

小鳥「昨日の事。正確には……ライブでの、春香ちゃんの事」

春香「あ……」

小鳥「まあ私は正直、全然そんなの分からなかったんだけどね。むしろ単純に、春香ちゃんすごいなーって思いながら観てた」

春香「…………」

小鳥「ほら、本来美希ちゃんが歌うはずだった『マリオネットの心』も完璧に歌いきってたし」

春香「…………」

小鳥「だから、その、ね。春香ちゃん。あんまり、必要以上に落ち込んだりは――……」

春香「…………」

小鳥「…………」

春香「……ですよね!」

小鳥「えっ」ビクッ

春香「えへへ……私ったら、ガラにもなく色々考えちゃってました」

小鳥「春香ちゃん」

春香「確かに昨日のライブは、私にとって反省すべき点はありました。でもそれ以上に、昨日のライブを通じて、私自身、すっごく成長できたとも思えてるんです」

春香「だから、昨日できなかったことはちゃんと反省して、次に活かすようにして……そうすれば、次はもっと良いライブができるようになるって思うんです」

春香「だって、私はまだまだこれからも……765プロの皆と一緒に、トップアイドル目指していきたいですから!」

小鳥「……春香ちゃん……」

春香「ふわ~あ……。なんか、シンプルにそう思えたら、急に眠くなってきちゃいました……。小鳥さん、皆が来るまでここで寝ててもいいですか?」

小鳥「……ええ、もちろん。ゆっくり休むといいわ。はい、毛布」

春香「えへへ……ありがとうございます。じゃあ、ちょっとだけ夢の世界へ……」

小鳥「ふふっ。おやすみなさい」

春香「ふぁい。おやすみなさい……」







春香「…………」

春香(私は、ちゃんと笑えていただろうか?)

春香(その答えを確かめるのが怖くて、私はそのまま暗闇の世界に没入した)

春香(夢の世界になんか、行けるはずもないのに)

春香(――その後すぐにやよいが来て、千早ちゃんが来て、プロデューサーさんが来て)

春香(事務所内が賑やかになり始めたところで、不自然な挙動にならないように気を付けながら、私は目を覚ましたフリをした)

春香(そして始まる『天海春香』の一日)

春香(正直、上手く演じられていたかどうかは分からなかった)

春香(いつもの自分がどんな風に笑っていたのか、どんな風に場を和ませていたのか、今の私には、もうよく分からなくなってしまっていたから)

春香(それでも、私のすぐそばに)

春香(プロデューサーさんがいたから)

春香(ただそれだけで、私は懸命に演技を続けることができた)

春香(無理しているように見えないように、自然体で、明るく……そんな風に)


春香「……あっ」

春香「……家……」

春香「…………」


春香(いつの間にか、『天海春香の一日』は終わっていたらしい)

春香(別に記憶を失っていたとかではないけど、まるでカメラ越しにドラマの撮影風景を観ていたような一日だった)

春香(そこには確かに私はいたのに、でも本当はいない)

春香(あの場にいた『天海春香』は私じゃない)

春香(ほんの少し前まであそこにいた『天海春香』はもういない)

春香(今ここにいるのは『天海春香』の抜け殻の私)

春香(事務所の仲間との絆も、ファンの皆の存在のありがたみも忘れてしまった、アイドルもどきの私だけ)

春香(でも、それでも)

春香(私はただ)

春香(ただ、あの人のそばにいたい)

春香(それだけなのに)


春香「……お風呂入って、もう寝よう」


春香(結局その日は、何も得ることがなく終わった)

春香(日課だった腹筋も、サボってしまった)

春香(その日以降、まるで糸が切れたように)

春香(私はやる気をなくしてしまった)

春香(というより、やる気を出す意味が見出せなくなった)

春香(私がここ最近、異常ともいえるほどに歌のレッスンやダンスの練習に打ち込めていたのは)

春香(ひとえに、プロデューサーさんのためだけだった)

春香(『プロデューサーさんに、もっと私のことを見てほしい』)

春香(ただその一心で、私はずっと頑張ってきた)

春香(だからもう、今は……)


先生「春香ちゃん」

春香「えっ」

先生「……どこか、具合でも悪いの?」

春香「えっ……」

先生「声も全然出てないし、集中も欠いているようだから」

春香「あ、はい……そうですね、ちょっと体調良くないかも……」

先生「そう。じゃあ、今日はもう上がりにしなさい。ライブも終わったばかりだし、無理することないわ」

春香「……はい。わかりました。ありがとうございました」ペコリ

先生「…………」



春香「…………」

春香(なんかもう、どうでもいい)

春香(頑張るだけ頑張ったって、私は一人で歌が上手くなるだけ。一人でダンスが上手くなるだけ)

春香(そんな『私』は『私』じゃない)

春香(プロデューサーさんから望まれる『天海春香』じゃない)

春香(だからもう……どうでもいいんだ)

春香「…………」

~一週間後・レッスン場~

春香(しかし、気持ちとは裏腹に)

春香(一度身につけた技術や体力は、そう簡単には失われないらしく)

春香(めんどくさいなあと思いながらも、今の私は、歌もダンスも、普通にやれば普通に合格点を取れてしまう程度のレベルには達していた)

律子「よし、良いわよ春香。その調子」

春香「はい。ありがとうございます」

律子「他の皆も、最低でも今の春香のレベルに追いついてもらうからね! わかった?」

アイドル一同「はい!」

伊織「ふんっ。追いつくどころか、すぐに追い越してやるわよ!」

春香「あはは。伊織なら、あっという間に私より先へ行けるって」

伊織「何よ。余裕面かましちゃって」

春香「別に、そんなつもりじゃ……」

春香(嘘でも皮肉でもなく、本心からの言葉だったんだけど)

春香(だって私はもう、これ以上上達することは無いだろうし)

律子「じゃあ、今日はここまで。自主練する人で、最後の人はちゃんと鍵閉めるようにね」

アイドル一同「はーい」

春香「さて、帰るか……」

美希「あれ? 春香、帰るの?」

春香「? うん。だって練習終わったし……」

美希「自主練は?」

春香「……今日はいいや。なんか疲れちゃったし」

美希「ふぅん……」

伊織「ほっときなさい、美希。春香が家で寝てる間に、私は猛練習して追い抜いてやるんだから」

美希「もぅ。でこちゃんたらホント負けず嫌いなの」

伊織「でこちゃん言うな!」

春香「じゃ、お疲れ―」

美希「えっ。ああ、うん」

伊織「お疲れ……さま」

バタン

春香「……ん?」

春香「今までだったら、今みたいな時……私、なんか言ってたっけ?」

春香「…………」

春香「まあ、いいか。どうでも」

春香「……早く帰って、寝ようっと」

~数日後・事務所屋上~

春香(ファーストライブ以降、目に見えて私と事務所の皆との接点は減っていった)

春香(別に意図してそうしたわけではないのだが、ただ自然とそうなっていた)

春香(まあライブ前の時点でも、私の内心はもう既に皆から離れてしまっていたのだけど)

春香(でもあの頃はまだ、信じることができていたから)

春香(リーダーシップを発揮して皆をまとめることが、プロデューサーさんに私を一番に見てもらえることにつながっているんだと)

春香(でも結局はそれも、意味の無いことだった)

春香(本心は偽れず、他の皆のことをちゃんと見れていなかったことが、プロデューサーさんには見抜かれてしまった)

春香(プロデューサーさんは、私一人が頭一つ抜け出すような状況など望んではいなかった)

春香(だからそんな今となっては、もう)

春香(皆との仲良しごっこも……虚しいだけだ)



千早「春香」

春香「……千早ちゃん」

千早「最近、ここでお昼食べてるのね」

春香「うん」

千早「今日は私も一緒に食べていいかしら」

春香「いいよ」

千早「じゃあ、お言葉に甘えて」

春香(私が一人で座っていたベンチに、千早ちゃんが腰を下ろした)

春香(手に持っているのは、手作りのお弁当だろうか)

千早「見て、春香」

春香「ん?」

千早「作ったのよ、これ」

春香「そうなんだ、すごいね」

千早「まだまだ、春香の足元にも及ばない出来だけど……」

春香「そんなことないよ」

千早「…………」

春香「…………」

千早「ねぇ、春香」

春香「ん?」

千早「今日は天気も良いし、午後のレッスンが終わったら、どこかへ出かけない?」

春香「うん、いいよ」

千早「どこに行く? 春香の行きたい所でいいわよ」

春香「じゃあ、天国」

千早「……え?」

春香「みたいな、ところ?」

千早「もう! やめてよ春香」

春香「あはは。ごめんごめん」



春香(別に、天国じゃなくてもいい)

春香(地獄でも、何でも)

春香(ただあの人が、私のことだけを見てくれる世界があるのなら)

春香(それがきっと、私にとっての天国なのだろう)



春香(――その日の午後、私は千早ちゃんに連れられて駅前に新しくできたというケーキ屋さんに行ってきた)

春香(まさか千早ちゃんにこんなところに連れてこられる日が来るなんて、少し前までは夢にも思わなかった)

春香(きっと季節が変わっていくように、人も変わっていくんだろう)

春香(ふとそんな感傷に浸りかけたが、その日の夜、自分が何のケーキを食べたのかも覚えていなかったことに気付き、急にどうでもよくなってそれ以上考えるのをやめた)

春香「……明日のレッスン、さぼろうかな……」

のヮの<とりあえずここまで

~二週間後・春香自室~

 コンコン

母親「春香? 今日も出かけないの?」

春香「…………」

母親「家にいるんだったら、お使いに行ってきてくれない?」

春香「…………」

母親「少し、外の空気でも吸ってきたら?」

春香「……うん」

春香(千早ちゃんとケーキ屋に行った日を最後に、私は事務所へ行くのをやめた)

春香(学校へは一応行っていたが、友達から事務所の話を振られるのが億劫になり、ここ数日はずっと家に引きこもったままだ)

春香(でも両親にまでは心配を掛けたくないので、家ではなるべく明るく振舞うようにしている)

春香(この家の中でなら、私はアイドルじゃなくてもいい)

春香(だから私は、両親の前ではまだ普通に笑うことができている)

春香「行ってきます」

 ガチャッ

春香「……まぶしい」

春香(久しぶりに浴びた陽の光。季節はまだ、残暑真っ只中だ)

春香(そういえば、ファーストライブの日は台風が来ていたっけ)

春香(遠い昔の記憶を辿るようにあの日に思いを馳せながら、私はお母さんに頼まれた郵便をポストに入れた)

春香(さて、これでもうお使いは終わりだけど……)

春香「…………」

春香(せっかくだし、少し歩こうかな)

春香(私は……どうしたかったんだろう)

春香(どうして……アイドルになりたかったんだろう)

春香「…………」

「荷台、そっちにありますって!」

「おう!」

春香「……あっ」

「えっ」

 ドンッ

「っと、悪い」

春香「いえ、こちらこそ」

冬馬「……って、お前」

春香「えっ? ……あっ」

冬馬「765プロが、こんなとこで何やってるんだ?」

春香「あ、あの……私の家、この近くで……えっと、今日は仕事……お休みで……」

冬馬「休み? 売り出してる時に優雅に休みを取るなんて、余裕じゃねぇか」

春香「……売り出してる、時?」

冬馬「? いや、お前ら、最近ちょくちょくマスコミとかにも取り上げられてるじゃねぇか」

春香「…………」

春香(そういえばファーストライブ以降、事務所内の空気がそれまでに比べて慌ただしくなっていたような気がする)

春香(私にも結構、新しい仕事のオファーが来ていたっけ。やる気が出なかったから、適当に理由付けてほとんど断ったけど……)

冬馬「……ふぅん。ま、いいや。……休みってんなら、暇ってことだよな?」

春香「まあ、はい」

冬馬「だったら、俺らのライブに来てみろよ」

春香「ライブ? ここで?」

冬馬「ああ。俺ら、結構こういう小さめの箱でもやるんだよ」

春香「そうなんですね……ちょっと意外かも」

冬馬「こういうとこでやるのも、悪くは無いぜ。デカい箱の時と違って、一緒にステージを作る仲間のこととかもよく分かるしな」

春香「へぇ……」

冬馬「まあ、気が向いたら来いよ。俺らの実力を見せつけてやるからよ」

春香「……え?」

冬馬「いや、お前、『俺らを超えてみせる』って息巻いてたじゃねぇか。運動会の時に」

春香「……ああ。はい」

冬馬「? お前、本当にあの時と同じ奴か? なんか調子狂うんだけど……」

春香「…………」

北斗「おーい、冬馬ー」

冬馬「! おう! 今行く」

春香「……………」

冬馬「……まあ、なんでもいいけどよ。ただ、一つだけ言っとくと――……」

春香「? はい」

冬馬「……ぼーっと立ち止まってるようじゃ、いつまで経っても、俺らを超えるどころか、追いつくことすらできねぇと思うぜ。……じゃな」

春香「…………」

春香(……『超えてみせる』、か……)


――あなた達を、超えてみせます。


春香(あのとき、あんな台詞を吐いた私は、今どこにいるんだろう?)


――私は、竜宮小町もジュピターも全部超えて……トップアイドルになってみせます。


春香(あのとき、あんな風に誓った私は、今どこにいるんだろう?)

春香(私は、受け取ったライブのチケットに視線を落としながら、ぼんやりとそんなことを考えていた)

春香「……なんてね」

春香(答えはもう、分かっている)

春香(あのときの私は、もうどこにもいない)

春香(果たすべき目標を、もう無くしてしまったから)

春香(たとえ私が竜宮小町を超えても)

春香(ジュピターを超えても)

春香(トップアイドルになれたとしても)

春香(私が本当に欲しいものは―――手に入らないのだから)

~同日夜・春香自室~

春香「…………」

春香(ぼんやりと、私は考えていた)

春香(これまでのこと。これからのこと)

春香「……プロデューサーさん……」

春香(私はやっぱり今でも、プロデューサーさんのことが好きだ)

春香(もう二週間も会ってないけど、その気持ちは変わっていない)

春香(……ただ、この気持ちの落としどころが分からない)

春香(私はもう、プロデューサーさんが望む『天海春香』を演じられない)

春香(それはつまり、この気持ちが報われることは無いということ)

春香(いっそ忘れられたら。諦められたら)

春香(こんな気持ちを、無くすことができたなら)

春香「……アイドルになんて、ならなかったら良かったかな」

春香(私がアイドルになんてならなければ、プロデューサーさんに出会うこともなかった)

春香(プロデューサーさんを好きになることもなかった)

春香「……大体プロデューサーさんなんて、私からしたら一回りも年上なんだし」

春香(きっと私が普通の女子高生なら、そんな人を好きになったりしないんだろう)

春香(そんな私がいたら多分、普通に高校に通って、普通に女子高生して……)

春香(他の皆がそうしているのと同じように、流行りの男性アイドルのおっかけなんかしたりして)

春香(たとえばそう……ジュピターとかの)

春香(そうだったらきっと、学校の休み時間、皆でだらだらお喋りしながら、『冬馬くんかっこいいよね』とか、そんな他愛の無いことを呟きあったりするんだろう)

春香(……私の人生も、そっちの方が良かったな)

春香(こんなに苦しい気持ちになるくらいなら、その方が、ずっと……)

春香「…………」

春香(私はふと、机に置いたライブのチケットを見た)

春香「……ジュピターのライブ、か……」

春香「…………」

春香「……行ってみようかな」

春香(それでもしも、別の私になれる可能性があるのなら)

春香(違う人生を歩む私に、なれる可能性があるのなら)

春香(たとえ欺瞞でも――……今の気持ちに、嘘がつけるのなら)

春香(……行ってみる価値は、あると思った)

~一週間後・ジュピターライブ会場~

春香(天ヶ瀬さんからもらったチケットは、関係者席のものだった)

春香「もらってよかったのかな……こんなの」

春香「まあでも、もらったのに行かないのももったいないしね……」

春香(私は自分に言い聞かせるようにしながら、関係者用の入場口を通り、すぐに指定された座席位置までたどり着くことができた)

春香「うわぁ……近いなあ」

春香(関係者席は、ステージから見て左側の最前列だった。ステージまでの距離は十メートルほどしかない)

春香「ジュピターファンなら感涙ものだね、これは……」

春香(少し醒めたようなセリフを吐きながら、私は自分の席に腰を下ろした。……そのときだった)

「―――春香?」

春香「……えっ?」クルッ

響「……春……香……?」

春香「!? ひ、響ちゃん!?」ガタッ

響「な、なんで春香が、ここに……?」

春香「え、いや……私はその、チケットもらって……っていうか響ちゃんこそ、なんで!?」

響「じ、自分は社長経由でチケットもらったんだけど……もしかして、春香もそうだったのか?」

春香「……社長経由? 社長って……高木社長のこと?」

響「うん。社長が961プロの社長と昔馴染みらしくてさ。ジュピターが今度ライブやるから、観に行きたい人は関係者席のチケット融通してもらえる、って言うから」

春香「……それでもらったんだ、チケット」

響「うん。やっぱりCDで聴いてるだけより、実際のライブを観た方がずっと勉強になると思ってさ。運動会のときも観たけど、あれは即席ステージでのミニライブだったし……」

春香「……そっか」

春香(そういえば響ちゃんは以前から、女性ファンの支持を増やすためにジュピターのパフォーマンスを参考にしようとしていた)

春香(私も響ちゃんの影響で、ジュピターのCDを買い揃えたりもしたし……)

響「……で、春香は? 今聞いた感じだと、社長経由でもらったわけじゃなさそうだけど……」

春香「あー……うん。私はその、天ヶ瀬さんから、直接もらって……」

響「えっ。天ヶ瀬って……天ヶ瀬冬馬から? なんで? 会ったの?」

春香「うん、偶然だけどね。私の家、この会場の近くで……この前通りがかった時に、ライブ準備中の天ヶ瀬さんとたまたま会って」

響「……それでもらったの? チケット」

春香「うん。前、運動会の時に、私が宣戦布告みたいなこと言ったの、覚えてたみたいで……」

響「あー。そういえば言ってたね」

春香「それで、『俺らの実力を見せつけてやるから、見に来いよ』みたいに言われて。それならまあ、せっかくだし行こうかな、って……」

響「……そっか」

春香「……うん」

響「…………」

春香「…………」

響「なあ、春香」

春香「何? 響ちゃん」

響「いや、その……今日、このライブに来たってことは……まだ、辞めたわけじゃないんだよな? アイドル……」

春香「…………」

響「あっ。言いたくなかったらいいんだけどさ。その、春香……もう三週間も事務所に来てないし、メール送っても返信くれないし、電話も出てくれないし……」

春香「……ごめん」

響「あっ、その、責めてるわけじゃないんだ。ただ、その、春香、もうアイドル辞めちゃうのかな、って思って……」

春香「…………」

響「プロデューサーに聞いても、『俺も理由は分からないんだ』としか言わないし……」

春香「…………」

響「……まあ、言いたくないんなら、いいんだけど……」

春香「……響ちゃん」

響「うん」

春香「……黙って事務所に顔出さなくなって、ごめん」

響「……うん」

春香「響ちゃんが言うとおり、私、色々あって……今ちょっと、迷ってるんだ。……このままアイドル続けるべきなのか、どうすべきなのか……」

響「…………」

春香「だからそれを見極めるためにも、私は今日……ここに来たのかもしれない」

響「……春香……」

春香「今現在、トップアイドルに最も近い位置にいるジュピターのライブを観ることで、私自身……何か感じ入ることがあれば、あるいは……って、思って」

響「……そっか」

春香「……うん。ごめんね、何も言わないで」

響「ううん、いいよ。……誰にだって、他の人に言えない悩みの一つや二つ、あるだろうし……」

春香「……ありがとう」

響「でもさ……春香」

春香「? 何? 響ちゃん」

響「もし、春香が悩んでることで、自分が助けになれそうなことがあったら、なんでも言ってよね!」

春香「……うん、ありがとう!」

響「まあ、自分なんかじゃ、あんまり頼りにならないかもしれないけど……」

春香「そんなことないよ。だって完璧なんでしょ? 響ちゃんはさ」

響「う、うん! そうだぞ! 自分完璧だからな!」

春香「あっ。でも一個だけ完璧じゃないところがあったね」

響「えっ」

春香「……身長……」ポンポン

響「も、もー! そうやってすぐからかうんだから! っていうか頭に手を置くなー!」

春香「あはは。響ちゃんかわいい」

響「もー! 春香のバカー!」

春香「あはは……あっ、照明消えた。そろそろだね」

響「っと、ちゃんと観ないとな」

春香「……響ちゃん」

響「ん?」

春香「……ありがとね」

響「い、いいって。友達なんだから、当たり前でしょっ」

春香「照れてる響ちゃんかわいい」

響「て、照れてないっ!」

春香「あはは」

響「もー……」

春香「…………」



春香(こういうのを習性、っていうのかな)

春香(頭では分かっていても、つい、今までと同じ『天海春香』を演じてしまう)

春香(ただそうはいっても、全部が全部ウソってわけじゃない)

春香(響ちゃんのことは、今でも大切な友達だと思っている)

春香(でも……)

春香(アイドルを続けるのかとか、辞めるのかとか)

春香(トップアイドルがどうだとか……そういった類のもの、すべてが)

春香(今の私にとっては――……どうでもよかった)

春香(――……その後まもなく、ステージをスポットライトが照らし出し、ジュピターの三人が登場した)

春香(即座に沸き上がる黄色い歓声。それにかぶさるようにイントロが流れ出し、そして――……)


冬馬・北斗・翔太『――――♪』


春香「…………」

春香(まさに『アイドル』というべき存在がそこにいた)

春香(運動会の即席ステージのときよりも、ずっとずっと、輝いている彼らがそこにいた)

春香(それはいつかの私が目指していた場所)

春香(あの日の私が『超えてみせる』と宣言した舞台)

春香(……でも今はもう、あの日の想いも、この光の海に飲まれていく)

春香(ただそれでも私は、純粋な気持ちで、彼らを応援したいと思った)

春香(自分が超えるべき存在ではなく、自分がかつて目指していた場所を今も目指している存在として)

春香(もうそれでいいんだと、自然と思うことができた)

春香(……そしてライブが終わるころには、私は妙にすっきりとした気持ちになっていた)





~同日夜・ライブ会場からの帰り道~


響「……すごかったな。ジュピター」

春香「うん」

響「男性アイドルと女性アイドルを、まったく同じ視点で比べるのは難しいと思うけど……でもやっぱり現段階だと、まだ全然遠いところにいるって感じた」

春香「そうだね」

響「…………」

春香「…………」

響「ねぇ、春香」

春香「何? 響ちゃん」

響「……まだ、答えは出ない感じ?」

春香「……アイドルを続けるか、どうするかの?」

響「……うん」

春香「……そうだね」

響「……そっか」

春香「……今はもう少し、普通の女子高生していようかな」

響「普通の女子高生?」

春香「そ。アイドルとか関係無い世界の、ごく平凡な一女子高生。だからとりあえず、学校にはまた行くようにしようかなって。最近さぼっちゃってたし」

響「……そっか」

春香「……そんな顔しないでよ。響ちゃん」

響「だって……それってやっぱり春香、アイドル辞めちゃうってことなんじゃ……」

春香「それはまだ分かんないよ。でも今はちょっと、そういうの考えないようにしたい気分なんだ」

響「…………」

春香「ごめんね、響ちゃん。ワガママ言って」

響「……ううん。春香がそう言うのなら、自分は……春香を信じて待つよ」

春香「そっか」

響「……うん」

春香「ありがとうね。響ちゃん」

響「……うん」


春香(その後、駅前で別れるまでずっと、響ちゃんは今にも泣きだしそうな表情だった)

春香(悪いことはしていないつもりだけど、本当のことを全部話していない、という罪悪感はある)

春香(でもだからといって、『もうアイドルを続けるつもりはない』なんて話したら、きっと必死に説得してくるだろうし……)

春香(だからそれを回避するために、かつ嘘を極力言わないようにして、私は曖昧なことしか言わなかった)

春香(願わくばこのまま、自然と事務所の皆との関係からフェードアウトできればと……そんな狡い思いもあった)

春香(……プロデューサーさんのことは、まだ好きだけど)

春香(でも好きだからこそ、こうすべきだと思った)

春香(叶わない想いを持ち続けることこそ、辛いことは無いのだから)

春香(このまま会わない時間が続けば、いつかはこの気持ちも薄らいでいくだろう)

春香(儚く消える、水泡のように)

春香「…………」

春香(ああ、そうだ)

春香(また明日から、ジュピターのCDでも聴くようにしようかな。ここ最近、ずっと聴いていなかったけど)

春香(そしてライブにも、また足を運んでみよう。今度は普通に、一般席のチケットに応募して)

春香(それで、学校の友達と連れ立って応援に行ったりするのも、いいかもしれない)

春香(うん)

春香(多分私には、そういう人生の方が合ってるんだ。……きっと)

春香(……でも)

春香(そんな風に、なんとか自分の気持ちを切り替えようとしたのも束の間)

春香(現実というものは、想像以上に辛辣で)

春香(―――翌日、久しぶりに行った学校からの帰り道で、私はそのことを重く実感することとなった)

春香「……えっ」

響「…………」

P「…………」

春香(校門を出てすぐのところに、昨日会ったばかりの友人と)

春香(……三週間ぶりに見る、『その人』が肩を並べて立っていた)

春香「……なんで……」

響「ごめん、春香」

春香「響ちゃん」

響「その、昨日の春香の様子見てたら、やっぱり、もうそのままアイドル辞めちゃうんじゃないかって、思えて……それで……」

春香「…………」

P「……春香」

春香「プロデューサーさん」

P「響から、おおよその話は聞いた。勝手にこんなところまで押しかけてすまない」

春香「いえ……」

P「少しでもいい。話をさせてもらえないか」

春香「……わかりました。じゃあ駅の近くに喫茶店がありますから、そこで……」

P「ありがとう。それから、響……」

響「うん、わかってる。自分はここで帰るよ」

春香「えっ」

響「……今日は、プロデューサーをここまで連れてきただけなんだ。ほら、春香も、自分がいたら話しにくいこととかもあるかもしれないし」

春香「響ちゃん……」

響「かといって、いきなりプロデューサーが一人でここで待ってたら、春香もびっくりしちゃうかなって思ってさ。それで自分も、ここまでは一緒に……」

春香「……いや、まあ、昨日の今日で響ちゃんがいた時点で、普通にびっくりしたけどね……」

響「あ、そ、そっか。そうだよね……はは」

春香「…………」

響「…………」

P「……じゃあ、行こうか」

春香「……はい」

春香(――その後、喫茶店の前で響ちゃんとは別れ、私はプロデューサーさんと二人で店に入った)

春香(周囲に他のお客さんがいるとはいえ、プロデューサーさんと二人で話すのは、あのファーストライブの日以来だ)

春香「…………」

P「…………」

春香(私はミルクティーを、プロデューサーさんはホットコーヒーをそれぞれ注文した)

春香(飲み物が来るまでの長い沈黙。いや、別に飲み物を待つ必要も無いのだけど)

春香(結局、それを最初に破ったのはプロデューサーさんだった)

P「……なあ、春香」

春香「はい」

P「……なんで、事務所に来なくなったんだ?」

春香「…………」

P「親御さんからは、『しばらくお休みしたいようなんです』としか聞いていないが……見た感じ、病気とかではないんだよな?」

春香「……はい」

P「……そうか。それならとりあえずは良かった」

春香「…………」

P「で、それならそれで、ちゃんと理由を話してくれないか?」

春香「…………」

P「昨日は、ジュピターのライブに行っていたんだろう? それは何のためだ? これからもアイドルを続けていく意思があるからじゃないのか?」

春香「…………」

P「……春香……」

春香「…………」

店員「お待たせいたしました」コトッ

P「ああ、すみません」

春香「…………」

P「…………」

春香「…………」

P「……なあ、春香……。何か言ってくれないか」

春香「…………」

P「俺に言いにくいことなら、後日、社長や音無さん、律子とかに話してもらうのでも良いが……」

春香「…………」

P「…………」

春香「……まあ確かに、プロデューサーさんには言いにくいことですね」

P「……そうか。じゃあ、社長にでも……」

春香「でも」

P「ん?」

春香「プロデューサーさんに言わなければ、意味の無いことでもあります」

P「? どういうことだ? それは」

春香「私はプロデューサーさんのことが好きなんです」

P「……えっ」

春香「プロデューサーとしてとかではなく、一人の男性として」

P「…………」

春香「ほら、困った顔」

P「えっ、あっ、いや……」

春香「……だから言ったじゃないですか。言いにくいことだって」

P「…………」

春香「…………」

春香(……言って、しまった)

春香(なんでこのタイミングで言ってしまったのか、自分でもよく分からない)

春香(ただ考えるより先に、言葉が口を突いて出た、という感じだった)

春香(まあでも、『これでもいいか』とも思えた)

春香(どのみち叶うことの無かった想いだ)

春香(それを時間をかけて忘れていくか、今この場で強制的に断ち切るかの違いでしかない)

春香(いずれにせよ、大きな問題ではないと思った)

P「……それが、理由なのか。春香が今、事務所に来ていないことの……」

春香「はい」

P「……俺と顔を合わせるのがつらい、ってことか」

春香「まあ……そうですね」

P「それで、辞めるつもりなのか? ……アイドル」

春香「そうですね……今のままだと」

P「…………」

春香「…………」

P「なあ、春香」

春香「はい」

P「俺とのことだけが問題なら……たとえば、春香の担当プロデューサーを律子に変えてもらうとか……」

春香「……意味無いですよ。そんなの」

P「……意味無い?」

春香「はい」

P「どういうことだ?」

春香「だって私は、プロデューサーさんに一番に見てもらいたいんですから。……私のことを」

P「…………」

春香「だからプロデューサーが律子さんになっても、意味が無いんです」

春香「私は、あなたに見てほしいんです。他の誰よりも、私のことを」

P「…………」

春香「でも、そんなの現実的には不可能ですよね? だってプロデューサーさんは、私だけのプロデューサーさんじゃないんですから」

春香「プロデューサーさんは私のことだけじゃなく、美希のことも、千早ちゃんのことも、響ちゃんのことも、雪歩のことも、真のことも、やよいのことも、亜美のことも、真美のことも、伊織のことも、あずささんのことも、貴音さんのことも……皆平等に、見てあげないといけない」

P「…………」

春香「そうですよね?」

P「……それは……」

春香「だからもう、いいんです。プロデューサーさんが私のことを一番に見てくれないのなら、アイドルなんて続けたくないんです」

P「……だから、辞めるっていうのか」

春香「はい」

P「……どうしても、か」

春香「そうですね」

P「…………」

春香「……そりゃあまあ、プロデューサーさんが私の恋人にでもなってくれるって言うのなら、話は別ですけどね」

P「! …………」

春香「……なんて、そんなの無理に決まって――……」

P「……わかった」

春香「……え?」

P「それで春香が、アイドルを続ける気になるのなら」

春香「……プロデューサーさん……?」

P「――なるよ。春香の恋人に」

春香「なっ……」

P「…………」

春香「……やめてくださいよ、そんな……」

P「なあ、春香」

春香「…………」

P「俺はさ、ステージの上で、キラキラ輝いている春香が一番好きなんだ」

春香「! …………」

P「だから俺は春香に、こんなところで終わってほしくない。最後まで、夢を追い続けてほしいんだ」

春香「……でも……」

P「でも?」

春香「……私はもう、プロデューサーさんが望むようなアイドルにはなれません」

P「俺が望む……アイドル?」

春香「はい」

P「どういうことだ?」

春香「……この前のライブの後、プロデューサーさん、私に言ったじゃないですか。……ライブの時の私は、お客さんのことも、仲間の皆のことも、ちゃんと見れていなかったって」

P「ああ……言った」

春香「だからこれからは、もっとお客さんのことも、仲間の皆のことも、よく見るように……って」

P「ああ、そうだな」

春香「でも……もう無理なんです。そんなの」

P「…………」

春香「今の私には、お客さんよりも、仲間の皆よりも……あなたの方が大切なんです」

P「…………」

春香「だから今の私は、もしまたステージに立つとしても……あなたのためだけに歌いたいし、踊りたいんです」

P「…………」

春香「もう、お客さんのこととか、他の皆のこととか、考えられないんです」

P「…………」

春香「私が考えられるのは、あなたの……プロデューサーさんの、ことだけなんです」

P「…………」

春香「だからもう、私は――……」

P「……いいよ」

春香「……え?」

P「いいよ、それでも」

春香「……プロデューサーさん……?」

P「言っただろ。春香の恋人になるって」

春香「…………」

P「そうなったら、春香が恋人である俺のことを一番に考えるのは、当然のことだからな」

春香「で、でも……それだと、プロデューサーさんの望む……」

P「それで春香がキラキラできるなら、それでもいい」

春香「…………」

P「さっきも言っただろ? 俺はステージの上で、キラキラ輝いている春香が一番好きだ、って」

春香「…………」

P「だから春香が俺のことを想って、歌って、踊って……それで、ステージの上で輝いてくれるのなら、俺はそれでいい」

春香「……でも、そうしたら、お客さんのことや、仲間の皆のことは……」

P「まあ、そこは確かに気になるが……ここで春香にアイドルを辞められることの方が、俺は嫌だ」

春香「……プロデューサーさん……」

P「たとえ動機が純粋なアイドルのそれじゃなくても、俺は春香に、こんなところでアイドルを辞めてほしくない。もっとずっと、続けてほしい」

春香「…………」

P「なあ春香。覚えているか? 俺が最初に事務所に来た日に言ったこと」

春香「……はい」


――目指す夢は、皆まとめてトップアイドル! よろしくお願いします!


春香(……忘れるはずも、ない)

P「あの日に言った夢は、今も俺の夢であり続けている。そして、春香」

春香「……はい」

P「現時点で、俺の夢に一番近いアイドルは……お前なんだ」

春香「! …………」

P「俺がファーストライブの後に言ったことを抜きにしても、今の春香の実力は、うちの事務所の中では抜きん出ている」

春香「…………」

P「だから、春香」

春香「…………」

P「お客さんのことか、仲間の皆のこととか……難しいことは、もう考えなくていい」

春香「…………」

P「今はただ、俺のために、俺の夢のためだけに――……もう一度、目指してみてくれないか。トップアイドルを」

春香「…………!」

P「…………」

春香「…………」

P「…………」

春香「……じゃあ、そうしたら……」

P「…………」

春香「……そうしたら、私のことを一番に見てくれますか?」

P「……当たり前だろう」

春香「! …………」

P「俺はお前の……恋人なんだから」

春香「ぷ、プロデューサーさん……」

P「……だから、春香。もう一度、ステージの上でキラキラ輝く姿を――……俺に、見せてくれ」

春香「……はいっ……!」

P「……ありがとう。春香」

春香「わ、私の方こそ……ありがとうございます」

P「ん?」

春香「だ、だってその……こ、恋人……」

P「あ、ああ……なんか、いざそう言われると照れくさいな……」

春香「なっ。じ、自分で言っといて……!」

P「い、いやだって、春香とそういう風になるなんて、考えたことなかったし……」

春香「むー……」

P「……そんなふくれっ面するなよ。可愛い顔が台無しだぞ」

春香「! か、かわ……」

P「まあ、春香はどんな顔してても可愛いけどな」

春香「きゅ、急にそういうこと言うのは禁止ですよ、禁止!」

P「そうなのか? じゃあ言わないでおくけど」

春香「……言ってくれないんですか……」

P「どっちなんだよ」

春香「えへへぇ……言ってほしいです……」

P「ったく……なら素直にそう言えばいいじゃないか」

春香「だ、だって……恥ずかしいのは恥ずかしいんですもん……」

P「……なあ、春香」

春香「? はい」

P「これから、もう一度頑張っていこうな。俺と二人で」

春香「……はいっ!」

春香(――……こうして、私とプロデューサーさんは恋人同士になった)

春香(嘘みたいな、本当の話)

春香(これが夢ではなかったということは、あの後、つねりすぎて少し腫れてしまった私の右のほっぺたが証明している)

春香(ただそうは言っても、私達はアイドルとプロデューサー)

春香(当然の事ながら、その関係は二人の間だけの秘密)

春香(デートなんて言うまでもなくご法度だし、二人きりで食事をすることもできない)

春香(だから表面上は、それまでとほとんど変わらない生活)

春香(……でも)

春香「『学校行ってきます』……っと」ピロリン

春香「……えへへぇ」

春香(仕事以外の話題で、彼とメールや電話ができるようになった)

春香(今の私には、それで十分)

春香「よーし」

春香(空は青く澄んで、今の私の心象を反映しているかのようだった)

春香(もう、何の迷いも無い)

春香(今はただ、一直線にトップアイドルを目指す)

春香(それが彼の夢であり、私の夢でもあるのだから)

春香「待ってろよ! ジュピター!」

春香(恋は無敵な気持ちをくれる)

春香(そんな嘘みたいな、本当の話)




春香(―――なんて、このときの私は、微塵も疑おうとはしなかった)

春香(本当は、もっとちゃんと確認しておくべきことがあったのに)

春香(ただこのときは、夢にまで見た甘い夢に……ずっと、浸っていたかったんだ)



春香(……たとえいつか、夢の終わりを知ることになろうとも)

のヮの<とりあえずここまで

~駅前~

響「! 春香」

春香「響ちゃん。ごめんね、呼び出しちゃって」

響「ううん、いいよ。それより……本当にまた、アイドル続ける気になったの?」

春香「うん」

響「……本当に?」

春香「本当だよ」

響「…………っ」

春香「? 響ちゃん?」

響「……はるかっ!」ガバッ

春香「きゃっ! ひ、響ちゃん……」

響「うぅ……よかった、よかったぁ……はるかぁっ……!」

春香「……響ちゃん……」

響「じ、自分……昨日、春香と喫茶店の前で別れてから……ずっと、後悔してたんだ。春香の意見も聞かずに、勝手にプロデューサー連れて行ったりして……」

春香「響ちゃん」

響「だから、だから……また春香がアイドル続けるって言ってくれて、本当に良かった……!」

春香「……心配かけちゃって、ごめんね」

響「ううん」

春香「それから……ありがとう」

響「……え?」

春香「だって私、響ちゃんがプロデューサーさんを連れて来てくれなかったら、今こんな風には思えてなかったって思うし」

響「春香」

春香「響ちゃんが私とプロデューサーさんを会わせてくれて……それで、プロデューサーさんに色々話聞いてもらえたから、私……もう一度、アイドルやってみようって気になれたんだ」

春香「だから私、少しでも早くその感謝の気持ちを伝えたくて……まず一番初めに響ちゃんに会いたかったの」

響「そっか……」

春香「うん」

響「……へへ、そう言ってもらえると、自分も嬉しい」

春香「そして誇らしげな響ちゃん可愛い」ナデナデ

響「べっ、別に誇らしげじゃ……って頭撫でないでよー!」

春香「あはは」

響「もー!」

春香「……後、すごく不安にもさせちゃっただろうから、少しでも早く安心させてあげたい気持ちもあって」

響「春香」

春香「だってジュピターのライブの後、響ちゃんずっと泣きそうだったんだもん」

響「! そ、それは! 春香が『もう少し普通の女子高生したい』とか言うからぁっ……!」

春香「うん、それは本当にごめんね。だからもう泣かないで」ナデナデ

響「じ、自分泣いてないもん!」

春香「ふふっ。じゃあそろそろ行こっか。……私達の事務所へ」

響「……うん!」

~765プロ事務所~


春香「……というわけで、今まで本当にすみませんでした!」バッ

事務所一同「…………」

春香「これまでの分を取り返すくらい、また一生懸命頑張りますので、どうかよろしくお願いします!」

事務所一同「…………」

春香「…………っ」

 パチパチパチ……

春香「! 皆……」

亜美「お帰り! はるるん!」

やよい「春香さんに会えなくて、ずっと寂しかったですー!」

雪歩「えへへ……また一緒にお茶飲んでまったりしようね、春香ちゃん」

真「ボクのダンスの練習にもビシバシ付き合ってもらうからね、春香!」

春香「……うん! 改めて、これからもよろしく!」

真美「またたっくさんクッキー焼いてきてね! はるるん!」

貴音「その際は、ぜひ私の分は多めにお願いします。春香」

あずさ「わ、私の分も多めに……こほん、じゃなくて……私の分は糖質控えめでお願いね、春香ちゃん」

春香「あはは……私の作ったのなんかでよければ、またいくらでも持って来ますよ!」

律子「まあ何はともあれ、これで一安心ね。これからまたバンバン活躍してもらうわよ。春香」

小鳥「でも、疲れた時には一息ついていいからね。春香ちゃん」

春香「はい! メリハリつけて頑張ります!」

伊織「まったく……戻って来るなら来るで、もっと早く戻って来なさいよねっ」

春香「伊織」

亜美「おぉーっと、これはーっ!?」

真美「水瀬君の十八番、ツンデコ発動かーっ!?」

伊織「う、うっさいわね! だから何なのよそのツンデコって!」

春香「あはは」

響「…………っ」グスッ

貴音「……響? 泣いているのですか?」

響「えぅっ!?」

真「あれ、ホントだ。響が泣いてる」

響「えっ、あぅ、ちが……えっと、これは……」

春香「……響ちゃん」

響「ち、ちがうんだぞ、はるか。これはそのね、えっと……ぐすっ」

あずさ「……春香ちゃんが戻って来て、嬉しくて仕方がないのよね。響ちゃんは」

響「…………」

春香「響ちゃん」

響「……うんっ!」

春香「ありがとう、響ちゃん」

響「えへへ……こっちこそ、戻って来てくれてありがとね。春香」

春香「うん。まさかこの短時間で二回も泣いてもらえるなんて……私は幸せ者だよ」

雪歩「え? 二回?」

響「は、はるかっ! さっきのは内緒にしといてよっ! っていうかそもそもさっきは泣いてなかったじゃん!」

春香「ばれたか」

響「もー! 春香のバカァ!」

亜美「なんかよくわかんないけど、今日もひびきんは可愛いねえ」

真美「うんうん、実に癒されますなあ」

響「い、言っとくけど自分、亜美真美より年上なんだからね!」

亜美「え? そうだっけ?」

真美「うーん、でもその割には随分下の方から視線を感じるっぽいよー?」

響「も、もー! また二人して自分をバカにしてーっ!」

 アハハハハ……

千早「……春香」

春香「千早ちゃん」

千早「良かったわ……またこの場所で春香に会えて」

春香「私も……またこうして千早ちゃんに会えて嬉しい。ずっと連絡してなくて、ごめんね」

千早「いいのよ。ただずっと心配していたのは事実だけれど」

春香「……本当、ごめんね」

千早「もう謝らないで、春香。ただほら、覚えてる?」

春香「え?」

千早「春香が事務所に来なくなった前の日……私と駅前のケーキ屋さんに行ったでしょう?」

春香「ああ、うん」

千早「あの日以来、春香が来なくなってしまったから、私……」

春香「…………」

千早「春香が……食中毒にでもなってしまったんじゃないかって……」

春香「えっ」

千早「ずっと……心配していたのよ」

春香「…………」

千早「…………」

春香「……えっ、と……」

千早「……というのはまあ、冗談なのだけれど……」

春香「で、ですよねー! うんうん、わかってた! 春香さんわかってたよ!」

千早「……ごめんなさい。面白くなかったわよね」

春香「そ、そんなことないよ! 春香さんもう抱腹絶倒ですよ、抱腹絶倒!」

千早「……本当に?」

春香「ほ、本当に!」

千早「……ふふっ。そう、それなら良かったわ」

春香「あはは! 良かった! うん、良かった! ちょう良かった! あはははは!」

雪歩「……相変わらず、千早ちゃんは独特のセンスを持ってるよね」

真「うん、流石の一言に尽きるよね……」

やよい「……ねぇ、伊織ちゃん。今のはどこが面白かったの?」

伊織「え? えっと……うん。大丈夫、やよいは分からなくてもいいことよ」

やよい「えーっ……でもちょっと気になるかなーって……」

伊織「――――」クラッ

やよい「! い、伊織ちゃん!?」ガシッ

伊織「ご……ごめんなさい、やよい……」

やよい「大丈夫? 立ちくらみ?」

伊織「……いえ、その……」

やよい「どっか具合でも悪いの? お医者さん行く?」

伊織「ち、違うのよ……やよい。ただ……」

やよい「……ただ?」

伊織「小首を傾げるやよいの仕草が可愛過ぎて……つい、意識が」

やよい「……え?」

伊織「ふぅ……まだまだ私も鍛錬が足りないわね……」

やよい「……うぅ……また分からないことが増えちゃいましたぁ……」

春香「あはは……伊織は相変わらずやよいを溺愛してるなあ」

美希「……春香」

春香「美希」

美希「元気、そうだね」

春香「うん。まあね」

美希「あはっ。なんだか春香……前よりいきいきしてるの」

春香「? そう?」

美希「うん。ファーストライブの頃よりも……ね」

春香「そうかな?」

美希「そうなの」

P「――よし、皆。じゃあちょっといいか?」

春香「! プロデューサーさん」

アイドル一同「…………」

P「えー、そういうわけで、春香がまた今日から皆と一緒に頑張ることになった」

春香「よろしくお願いします」ペコリ

P「ま、そうは言っても三週間ほどのブランクがあるわけだから、最初から頑張り過ぎないで、少しずつ元の調子に近づけていくようにな」

春香「はい!」

P「そして他の皆も、各自できる範囲で春香のフォローをしてやってくれ」

アイドル一同「はいっ!」

律子「そうね。さっきはバンバン活躍してもらうって言ったけど……くれぐれも無理だけは禁物だからね、春香」

小鳥「春香ちゃんは、ちょっと頑張り過ぎちゃうところがあるから」

社長「うむ。身体は仕事の資本だからね。無理をして倒れてしまっては元も子もない」

春香「はい! 天海春香、無理せず無茶せず、できる範囲で頑張ります!」

 パチパチパチ……

春香「え、えへへ……」

P「よし。じゃあそれぞれ、仕事やレッスンに向かってくれ。春香は……そうだな、今日は美希と一緒にダンス練習をして、少しでも勘を取り戻すようにしてくれ」

春香「はいっ!」

美希「わかりましたなの」

春香「えへへ……よろしくお願いします、美希先生」ペコリ

美希「うむ、よきにはからえなの。春香君」

春香「……ふふっ」

美希「あはっ」

伊織「……ったく、何二人して遊んでるのよ」

美希「あ、でこちゃんも暇なら一緒にやろ?」

伊織「誰が暇よ。あいにく私はこれから竜宮のCMロケがあるの」

美希「なーんだ。つまんないの」

伊織「つまんないって、あんたねぇ……」

春香「へぇ。やっぱりすごいんだね、竜宮小町は」

伊織「ま、当然よ。……って言いたいとこだけど、最近は私達だけ、ってわけでもないからね」

春香「ってことは……他の皆も?」

美希「うん、そうだよ。ミキも今日はお仕事無いけど、明日はラジオ番組にゲスト出演するんだ」

春香「へー……皆、すごいんだね。……って、そういえば、天ヶ瀬さんがそんなこと言ってたっけ」

伊織「? 天ヶ瀬?」

美希「って、あの……ジュピターの?」

春香「ああ、まあ……ちょっとね。こっちの話」

美希・伊織「?」

P「――ほらほら。くっちゃべってないで、早く行った行った」

春香・美希・伊織「はーい」

~練習後・事務所からの帰り道~

春香「あー……もうこんな時間かぁ。久々なのに随分飛ばしちゃった」

美希「ミキもつい春香につられちゃったの」

春香「あはは……なんかごめんね、美希」

美希「ううん、へーきなの。ミキも楽しかったし」

春香「そっか、ならよかった」

美希「…………」

春香「…………」

美希「……ねぇ、春香」

春香「ん?」

美希「もしかして……彼氏でもできたの?」

春香「……え?」

美希「ビンゴ?」

春香「い……いやいやいやいや。アイドル活動再開するって言ってるのに、彼氏なんて出来てたらおかしいでしょう」

美希「それはそうなんだけど。……でも、なんかそんな気がしたの」

春香「……なんで?」

美希「んー。キラキラしてたから、かな」

春香「……キラキラ?」

美希「うん」

春香「ええと、美希? ちょっとよくわかんないんだけど……」

美希「今日の春香ね、なんだかずっとキラキラしてたの。ダンスの練習してる時も、そうじゃない時も」

春香「うーん……別にそんなことなかったと思うけど……」

美希「そんなことあったの。確かにライブの時の春香もすっごくキラキラだったけど、今日の春香はその時よりももっとずっとキラキラだったの」

春香「ふぅん……それで美希は、その原因が彼氏だと?」

美希「なの」

春香「はは……まあ残念ながらそんな人はいませんよ」

美希「ホントに?」

春香「本当に」

美希「ホントのホントに?」

春香「本当の本当に」

美希「ホントのホントのホントに?」

春香「本当の本当の本当に」

美希「むー……絶対そうだと思ったのにな」

春香「美希は時々思い込み激しいところあるから」

美希「そんなんじゃないの! だってミキのガッコの友達にも、それまで地味な感じだったのに、彼氏出来たらいきなりキラキラし始めたコとかいるもん!」

春香「えっ。美希って今中2だよね? もう付き合ってる子とかいるんだ……」

美希「話逸らさないでほしいの!」

春香「別に逸らしてはいないけど……っていうか、美希」

美希「はいなの」

春香「今の話って、暗に私が今まで地味だったって言ってることにならない?」

美希「…………」

春香「…………」

美希「ねぇ春香、本当に彼氏いない? もしくは彼氏になりそうな人とか!」

春香「一拍置いてからのスルー!?」

美希「ねぇ、どうなの春香ぁ。どうなのなの?」

春香「もー、だからいないってば。彼氏も、彼氏になりそうな人も、彼氏になってほしい人もいません!」

美希「えー。じゃあじゃあ、好きな人とかもいないの?」

春香「それも前にいないって言ったでしょ」

美希「むぅ……」

春香「それに、もし好きな人ができたらちゃんと美希に言うって言ったじゃない」

美希「それはそうだケド……」

春香「……じゃあ、そういう美希はどうなの?」

美希「えっ。ミキ?」

春香「うん。確か前は『ミキィ、まだ恋とかしたことないのぉー』って言ってたけど」

美希「今の流れでモノマネはやめてほしいって思うな」

春香「ごめんなさい」

美希「しかもミキ、そんなアホっぽいしゃべり方じゃないし」

春香「ごめんなさい」

美希「わかればいいの。じゃあ続けてなの」

春香「うん。でも、今は誰かいるんじゃないの? ……好きな人」

美希「……なんで、そう思うの?」

春香「だって……前まではほとんどこういう話したことなかったのに、最近ことあるごとに聞いてくるからさ」

美希「…………」

春香「もしかして自分も、そういう人がいて……だから、他の人がどうなのか気になってるのかなあ、って」

美希「…………」

春香「なんて……まあ美希に限ってそれはないか」

美希「……なんで?」

春香「いやあ、なんとなくだけど……美希ってあんまりそういうイメージ無いっていうか。今までたくさんの男の子から言い寄られてきただろうから、目が肥えてるんじゃないかな、とか」

美希「……まあ確かに、ミキは今まで数え切れないくらいの男子たちから告白されてきたの」

春香「あー! 今自慢しましたよ! 自慢!」

美希「煽らないの」ビシッ

春香「痛い!」

美希「聞き分けの無い子にはミキチョップなの」

春香「うえーん、暴力反対! ぶーぶー!」

美希「…………」

春香「あ、続けて下さい星井さん」

美希「その無駄な距離感もやめてほしいな」

春香「もー! 美希ったらワガママですよ、ワガママ!」

美希「…………」

春香「ごめん」

美希「いいの」

春香「……で、どうなの? 美希」

美希「…………」

春香「今……いるの? 好きな人……」

美希「…………」

春香「…………」

美希「……いるよ」

春香「えっ」

美希「…………」

春香「…………」

美希「正確に言うと、いる……と思う」

春香「……思う?」

美希「うん。ミキ、今まで誰かを好きになったことってなかったから。だからこの気持ちがそうなのか、はっきりとは確信が持てないの」

春香「なるほど」

美希「でも……うん。多分、そうなんだと思う。その人のことを考えると、すっごくドキドキするし」

春香「…………」

美希「それに、その人が他の女の子と仲良さそうにしてるの見ると、ちょっとモヤモヤしちゃうし」

春香「…………」

美希「あと、その人の周りには女の子がたくさんいるから、その人のことを好きな子が他にもいるんじゃないかって思うと、不安になったりとか」

春香「……ん?」

美希「それに、その女の子たちって皆すっごくかわいいから、その人の方から、その中の誰かを好きになっちゃってもおかしくないし……」

春香「えっと、美希……?」

美希「はいなの」

春香「……その人って、割と美希の近い位置にいる人だったりする? たとえば、日常的に会ってたりとか……」

美希「うん。そうだよ」

春香「……じゃあ、それって……」

美希「うん。プロデューサーだよ」

春香「! …………」

美希「前にも話したコト、あったよね。ミキ、プロデューサーにはすごく感謝してるし、ソンケーもしてるって」

春香「……うん」

美希「それに、『何があっても、このヒトはミキの味方でいてくれるんだろうな』って思えるから、すごく安心できるって」

春香「……うん」

美希「前に春香にこの話をしたときは、本当にそれだけだったんだけど」

春香「…………」

美希「……でももしかしたら、それがきっかけになったのかも」

春香「きっかけ?」

美希「うん。ミキ、プロデューサーへの気持ちを誰かに話したのって、あのとき、春香に話したのが初めてだったの」

春香「…………」

美希「あのとき、それまでぼんやりと思ってたプロデューサーへの気持ちを言葉にして、春香に話してから……なんとなく、それまでより、プロデューサーのこと……意識するようになったの」

美希「それで気が付いたら、ミキ、プロデューサーのこと……目で追うようになってたの」

春香「…………」

美希「それで、そういう日が続くうちに……」

美希「……いつのまにか、今みたいな気持ちになってたの」

春香「好きって、気持ち?」

美希「うん。多分……」

春香「……そっか」

美希「……うん」

春香「…………」

美希「…………」

春香「…………」

美希「…………」

春香「……えっと、じゃあそれは私のおかげってことだよね?」

美希「……えっ?」

春香「いやだってほら、美希は私に話をしたことで、プロデューサーさんを意識するようになったんでしょ?」

美希「……ああ、まあ……うん」

春香「だからほら、私のおかげ」

美希「……それは流石に恩着せがましいの」

春香「ごめんなさい」

美希「まあでも、うん……そうだね」

春香「美希」

美希「ありがとうなの。春香」

春香「えっ、あっ、いや……ど、どういたしましてなの」

美希「マネしちゃ、ヤ」

春香「ごめんなさい」

美希「もう。春香ったらそればっかりなの」

春香「はは……まあでも、やっぱりそれで美希は私に聞いてきてたんだね」

美希「ん?」

春香「いやほら、好きな人がいるのかって。自分がそうだったから気になってたんでしょ?」

美希「んー……。まあ確かにそれもあるけど……」

春香「……けど?」

美希「もっと単純に、春香もプロデューサーのことが好きなんじゃないかなって思ったから」

春香「……え?」

美希「さっき言ったよね。ミキ、プロデューサーのこと、気が付いたら目で追うようになってた、って」

春香「うん」

美希「そしたらね、ミキと同じように……春香も、プロデューサーのことを見てることに気付いたの」

春香「! …………」

美希「だから、春香もそうなのかな、って」

春香「……じゃあ、ファーストライブの後、私に、『好きな人がいるんじゃないか』って聞いてきたのは……」

美希「うん。ずばり、プロデューサーのことだよ」

春香「…………」

美希「春香もプロデューサーのことが好きで、あの日のライブも、プロデューサーのことを想って、歌ってたんじゃないかなって……そう、思ったから」

春香「…………」

美希「…………」

春香「ばれたか」

美希「えっ」

春香「…………」

美希「…………」

春香「なんちゃって」

美希「…………」ズビシッ

春香「痛い!」

美希「ミキチョップ2なの」

春香「ぼ、ぼうりょくはんたい……」

美希「ミキ的には、今のは春香が悪いって思うな」

春香「はい。ごめんなさい」

美希「……えっとじゃあ、そうじゃない、ってこと?」

春香「そりゃあ、そうだよ。っていうか、最初に言ったじゃない。私、好きな人なんかいないって」

美希「……でも、間違い無く見てたの」

春香「それは……自分でもわかんないけど、まあ、うちの事務所で若い男性ってプロデューサーさんしかいないし、なんとなく目で追っちゃってたっていうことはあったかもね」

美希「つまり春香は男なら誰でもいいってことなの」

春香「そ、それは流石に飛躍ですよ、飛躍!」

美希「ふぅん……まあでもそれはあるかもね。プロデューサーもよく、小鳥のこととか見てるし」

春香「……えっ。そうなの?」

美希「うん。まあ席が斜め前だからっていうのもあるんだろうけど。割とチラチラ見てるの」

春香「……美希の観察眼、恐るべしだね」

美希「別にそんな大したことじゃないの。ただ、自分がよくプロデューサーの方を見てたから気付いたってだけ」

春香「ふぅん……」

美希「それに小鳥はすごい美人だし、お昼間も職場にずっといる女の人って小鳥だけだし……プロデューサーも男の人だから、ついつい見ちゃうのは仕方ないって思うの」

春香「…………」

美希「だからミキも、それくらいは許してあげるの」

春香「美希は寛容だねぇ」

美希「まあね」

春香「……でも、本当は?」

美希「……ちょっぴりモヤッとしちゃうの」

春香「…………」

美希「…………」

春香「……それはやっぱり恋ですよ、恋!」

美希「茶化さないの」

春香「はい」

美希「まあでも、うん……そうなんだろうね、やっぱり」

春香「美希」

美希「はぁ……もし春香もそうなら、一緒に悩みを共有できるかなーって思ったんだけど」

春香「…………」

美希「……いや、でもやっぱりこっちの方が良かったかな。もし春香が相手なら、ちょっと敵わないかなって思うし」

春香「え?」

美希「ん?」

春香「ええと、美希? 今、何て……?」

美希「? 春香が相手なら、ちょっと敵わないかなって」

春香「い、いやいやいやいや……それは流石におかしいでしょう」

美希「? なんで?」

春香「だって、美希が私に敵わない要素なんてないじゃない」

美希「そんなことないの」

春香「だって美希の方が可愛いし、スタイルも良いし」

美希「それはまあそうだけど」

春香「…………」

美希「? 何?」

春香「いや、別に……」

美希「でもミキは、やっぱり春香には敵わないかなって思うの」

春香「うーん……じゃあどのあたりが?」

美希「たとえば、今はまだアイドルとしての実力でも負けてるって思うし」

春香「そんなことないと思うけど……」

美希「まあそれを抜きにしても、正直ちょっと春香には勝てる気がしないの。だからやっぱり、春香がライバルにならなくて良かったって思うな」

春香「恋のライバルってこと?」

美希「そ。恋のライバル」

春香「……じゃあ、美希はいつかは告白するつもりなの? プロデューサーさんに」

美希「んー……今はまだ、そういうのは考えてないの」

春香「そうなんだ」

美希「だってミキ、アイドルだもん。ただでさえ恋愛なんてしちゃダメなのに、担当プロデューサーとお付き合いなんて、もっとダメダメなの」

春香「……そういえば、前に言ってたね。他の皆に迷惑をかけるのは嫌だ、って」

美希「うん。ミキのせいで皆がお仕事できなくなっちゃったら、ミキ、死んでも死にきれないの」

春香「そんな死ぬ前提で考えなくても」

美希「それくらい重いってことなの」

春香「……そっか」

美希「うん。まあでも、ミキが告白してもプロデューサーがOKするとも思えないから、そこまで心配する必要無いかもだけどね」

春香「……そんなこともないと思うけど」

美希「ううん。プロデューサーから見たら、ミキなんてまだまだコドモだと思うし……それに、担当アイドルと付き合うなんてアブナイこと、するはずないって思うな」

春香「それはまあ……そうか」

美希「なの」

春香「じゃあ美希は……少なくともアイドルでいる間は、今の気持ちは秘めたままにしておくんだね」

美希「そうだね。そもそも自分以外の人に話したのも、春香が初めてだし」

春香「そうなんだ」

美希「そうなの」

春香「それは光栄なことで……って言いたいところだけど」

美希「ん?」

春香「……美希、散々私には『好きな人できたら教えてね』って言っといて、いざ自分ができたら言わないのって……ちょっとずるくない?」

美希「あー……」

春香「今日だって、私が聞かなかったら言わなかったでしょ?」

美希「う……で、でもミキは別に、好きな人ができたら春香に教えるなんて約束はしてなかったの……」

春香「それはまあ……そうだけど」

美希「それに……本当は、春香には聞かれる前に話したかったんだけど……」

春香「……けど?」

美希「い、いざ話そうと思ったら、その……は、恥ずかしかったの……」

春香「…………」

美希「だから、その……自分からは言い出せなかったっていうか……」

春香「…………」

美希「だ、だから、その、ええと……い、言うの遅くなって、ごめんなさいなの……」ペコリ

春香「…………」

美希「……春香?」

春香「……ずるい……」

美希「え?」

春香「やっぱり美希はずるいですよ! ずるい!」ガバッ

美希「きゃっ!? な、何なの!?」

春香「……こんなに可愛いなんて……ずるい」ギュッ

美希「……春香……」

春香「…………」

美希「…………」

春香「……美希」

美希「? な、何? 春香」

春香「……応援してるよ」

美希「! …………」

春香「…………」

美希「……あはっ。ありがとうなの、春香」

春香「……ふふっ」







春香(……その後しばらく、道行く人の目もはばからず、私達はお互いを抱きしめあっていた)

春香(私は美希の温もりを感じると同時に、心の底から、今の自分の表情を美希に見られていなくてよかったと思った)

春香(……卑しい安堵に満ち満ちた、私の表情を)

のヮの<とりあえずここまで

~翌日朝・765プロ事務所~

春香「…………」ジー

小鳥「…………」カタカタ

春香「…………」ジー

小鳥「…………っ」カタカタ

春香「…………」ジー

小鳥「……春香ちゃん?」

春香「えっ! あ、はい!?」

小鳥「ええと……そんなにジッと見られると……その」

春香「あああごめんなさい! え、ええとですね、別に深い意味は無くて……」

小鳥「……?」

春香「その……小鳥さんって美人だなあ、って思って……」

小鳥「え、ええ? ど、どうしたの急に?」

春香「いえ本当……本当に深い意味は無くて……ただ、なんとなく……あはは」

小鳥「……? まあ、それならいいけど……」

春香「は、ははは……」

春香(あ、危なかった……)

春香(……昨日、美希から受けた衝撃的な告白)

春香(確かに以前、美希がプロデューサーさんに対する気持ちを述べたときに)

春香(『もしかして……』という危惧感はあった)

春香(でも結局、その後は特にそれらしい動きも見られなかったから、いつしか私も気にしなくなっていたんだけど)

春香(それがまさか……という思いだ)

春香(まあでも、現状美希は告白する気も無いようだし、特に心配する必要も無いだろう)

春香(美希が本気でアプローチを仕掛けたら、正直私も勝てる気がしなかったけど)

春香(昨日の美希の言葉は嘘には思えなかったし、何よりそのつもりがあるなら恋心の存在自体口には出さないだろう)

春香(だから今、私が気にしているのは美希自身のことよりも――……)


――プロデューサーもよく、小鳥のこととか見てるし。

――まあ席が斜め前だからっていうのもあるんだろうけど。割とチラチラ見てるの。


春香(……思わぬ形で、美希からもたらされた情報の方なのであって)

春香(まあ確かに、美希が言ってたように小鳥さんはすごい美人だし、お昼間もずっと職場にいるわけだし……普通の男の人なら、自然と目がいっちゃうんだろうな、とは思う)

春香(……私だって、学校で隣の席の男子がイケメンだったら授業中にチラ見くらいはするだろうし)

春香(だからまあ、そんなに気にすることではないんだろうけど……)

春香(でも……)

春香「…………」

小鳥「…………」カタカタ

春香「……小鳥さん」

小鳥「? 何?」

春香「小鳥さんって、よく男の人に見られたりします?」

小鳥「え? ど、どういうこと?」

春香「いえ、その……たとえば電車の中とか、道歩いてるときとか」

小鳥「えー……別に、そんなことないと思うけど……」

春香「そうですか」

小鳥「でも、なんで?」

春香「あ、いえ。さっきも言いましたけど、小鳥さんってすごい美人だから、そういうことも多いのかなって」

小鳥「美人って……そういうことなら、春香ちゃんの方が多いんじゃない? ファーストライブ以降、お仕事もどんどん増えてきてるし」

春香「私はしばらくお休みしてたので、まだそんなことは」

小鳥「そう? でも、これからはそういうことも増えてくると思うし、外出するときは簡単な変装くらいはしといた方が良いと思うわよ。他の皆もそれぞれ工夫してやってるから」

春香「分かりました。明日からちょっと考えてみます」

小鳥「人気者も辛いわね。ふふっ」

春香「あはは……まあありがたいことですけどね」

小鳥「そうね。皆が忙しくなって、事務所にあんまり顔出してくれなくなっちゃったら……ちょっと寂しいけどね」

春香「小鳥さん……」

小鳥「っと、春香ちゃん。そろそろレッスンの時間じゃないかしら? 千早ちゃんと一緒の」

春香「あ、ホントだ。じゃあいってきまーす!」ダッ

小鳥「ええ。いってらっしゃい」

春香(……結局、核心的なことは分からずじまいか……)

春香(まあでも、小鳥さんに聞いて分かるようなことでもないか。見られてる意識なんか全然無さそうだったし)

春香(かといってプロデューサーさんに聞いても、絶対否定するだろうし……)

春香(……うーん……)

春香(まあ、いいか。とりあえず今はレッスンに集中、集中っと……)

~レッスン終了後~

春香「……ふぅ」

千早「お疲れ様。春香」

春香「千早ちゃん」

千早「ブランクがあったとは思えないほど良い動きね」

春香「いやあ、まだまだだよ。前より息上がるの早い気がするし」

千早「でもこれだけ踊れたら大したものだと思うわ。流石は春香ね」

春香「はは、褒め過ぎだよ……」

千早「…………」

春香「…………」

千早「春香」

春香「? 何? 千早ちゃん」

千早「……まだ、何か悩んでいることがあるの?」

春香「えっ。な、なんで?」

千早「なんとなく、だけど……少し、表情が浮かないような気がしたから」

春香「…………」

千早「それに、レッスン中の動きは良かったけど……休憩中とか、何か考え込んでいるように見えたから」

春香「…………」

千早「…………」

春香「……やっぱり、千早ちゃんには敵わないなあ」

千早「春香」

春香「仰る通り……まあ悩んでいるってほどじゃないけど……ちょっと、モヤモヤしていることがあってね」

千早「モヤモヤ?」

春香「うん。別に気にしなければ良いことだって分かってるんだけどね。それでもつい、気にしてしまう、というか……」

千早「…………」

春香「とりあえずレッスン中はそのことを考えないようにしてたんだけど……身体の動きが止まると、つい思い出しちゃって」

千早「……そうだったのね」

春香「はーあ。どうすればいいのかなあ、こういうとき。……ねぇ、千早ちゃんならどうする?」

千早「えっ。わ、私?」

春香「うん」

千早「そうね……モヤモヤ、か……」

春香「…………」

千早「私の場合なら、たとえ些細なことでも……自分の中で消化できないようなことなら、やはりその原因を解消しようとすると思うわ」

春香「原因を……解消する?」

千早「ええ。どうして自分がそのことで引っかかっているのかをよく考えて、その原因を明確にした上で……それを無くすようにするわね」

春香「……引っかかっている……原因……」

千早「まあ、あくまで私の場合だけれど」

春香「そうか……うん、そうだよね。ありがとう! 千早ちゃん!」

千早「春香」

春香「ちょっと気が楽になったかも。千早ちゃんに話して良かった」

千早「……そう言ってもらえると嬉しいわ、春香」

春香「やっぱり千早ちゃんは私の親友だよ。本当にありがとう!」ギュッ

千早「きゃっ。は、春香ったら……もう、びっくりするじゃない」

春香「えへへ……ごめんね、千早ちゃん」

千早「春香」

春香「よーし、そうと決まれば!」

千早「?」

~同日夜・765プロ事務所~

春香「…………」

P「…………」カタカタ

小鳥「…………」カタカタ

春香「…………」チラッ

P「…………」カタカタ

小鳥「…………」カタカタ

春香「…………」

春香(フフフ……『新曲の楽譜を読みながらプロデューサーさんの動向を伺う作戦』!)

春香(朝、小鳥さんにしていたみたいにジッと見続けてたら怪しまれるから、適度にカモフラージュしながらチラ見する作戦だよ!)

春香(これなら怪しまれることなく、プロデューサーさんの動向をチェックできる!)

春香(果たしてプロデューサーさんは本当に小鳥さんをチラ見しているのか!?)

春香(要チェックですよ、要チェック!)

春香「…………」

P「…………」カタカタ

小鳥「…………」カタカタ

春香「…………」チラッ

P「…………」カタカタ

小鳥「…………」カタカタ

春香「…………」

春香(……全然見ないな……)

春香(もしかして、美希の勘違いだったんじゃ……)

春香(あるいは、恋人である私がすぐ近くにいるから、他の女性のことなんて目に入らないとか?)

春香(なーんて……それは流石に自惚れすぎかな)

春香(…………)

春香(……って、いうか……)

春香(恋人同士……なんだよなあ)

春香(うふ、うふ……うふふふふふ)

春香(えへへぇ……恋人同士かあ……)

春香(…………)

春香(……あっ。とかやってる間に、もう小鳥さんが帰り支度始めてる!)

小鳥「それじゃあ、お先に失礼しますね」ガタッ

P「お疲れ様でした」

春香「お、お疲れ様です。小鳥さん」

小鳥「春香ちゃん」

春香「は、はい!?」

小鳥「? 何をそんなに驚いてるの?」

春香「い、いえ別に……なんでもないです。なんでも。あはは……」

小鳥「そう? それならいいんだけど……まだ復帰して間もないんだから、あんまり無理しちゃダメよ」

春香「あ、はい。もう帰りますから……大丈夫です。ありがとうございます」

小鳥「そう。じゃあまた明日ね」

春香「はい。お疲れ様でした」

 バタン

春香「…………」

P「…………」カタカタ

春香(結局、真偽不明のままか……)

P「…………」カタカタ

春香(まあ、いいか。元々そこまでこだわるようなことでもなかったし……)

P「…………」カタカタ

春香(……あっ。っていうか)

P「…………」カタカタ

春香(い、今……事務所に、二人っきり……!)

P「…………」カタカタ

春香(こ、これはどうしよう。どうしよう)

P「…………」カタカタ

春香(よく考えたら、一昨日に恋人同士になって以来)

P「…………」カタカタ

春香(今に至るまで、メールや電話以外では仕事関係の会話しかしていないという状況)

P「…………」カタ

春香(小鳥さん問題を考えすぎるあまり、期せずして絶好のシチュエーションに……)

P「…………」

春香(そ、それに、この状況ならほぼ間違いなく一緒に帰ることに……!?)

P「…………」

P「春香」

春香「!? ひゃ、ひゃいっ!」

P「いや、そんな驚かんでも」

春香「ご、ごめんなさい」

P「いや、別に謝らなくても」

春香「す、すみま……あう」

P「…………」

春香「…………」

P「……春香、さ」

春香「は、はい」

P「……あんまり、俺の方見ないでくれないか」

春香「えっ」

P「いや、さっき」

春香「き、気付いてたんですか!?」

P「気付くも何も……あんだけ視線浴びせられて気付かない方がどうかしてると思うが」

春香「そ、そんな……完璧な作戦のはずが……」

P「作戦?」

春香「あっ。いや、その、えっと……」

P「何だ? 作戦って」

春香「え、えーっとですね……その……まあ、何と言いますか……」

P「……?」

P「……俺が音無さんの方をチラ見してるかどうかの確認?」

春香「……はい」

P「なんでまたそんな」

春香「あ、いや、その……」

春香(どうしよう……。流石に『美希から聞いた』とは言えないし……)

P「春香?」

春香「は、はい。ええと、その、私もよく見てたんです。プロデューサーさんのこと」

P「……そうだったのか?」

春香「はい。だって……その、好きでしたから……」

P「あ、ああ……」

春香「…………」

P「…………」

春香「そ、それで……プロデューサーさんのこと見てるうちに、プロデューサーさんが、なんとなく小鳥さんのことをよく見てるような……気がして」

P「…………」

春香「今までは、まあ私の気のせいかも、っていう風にも思ってたし、実際そんなに気にしてなかったんですけど」

春香「いざ、プロデューサーさんと、その……こういう関係になったら」

P「…………」

春香「そういうちょっとしたことでも、気になるようになって」

春香「それで……」

P「…………」

春香「…………」

P「……それで今朝、音無さんに変な事聞いてたのか」

春香「えっ?」

P「音無さんに聞いたんだろ? 『電車とかで、よく男から見られたりするか』みたいなこと」

春香「あ、えっと……はい。聞きましたけど……」

P「あのな、春香」

春香「はい」

P「俺達の関係は、事務所の皆に対しても絶対に内緒だって言っただろう」

春香「…………」

P「なのに何で、わざわざ不要な疑惑を抱かれかねないような真似をするんだ」

春香「……すみません」

P「それにさっき、ずっと俺の方を見ていたこともそうだ。音無さんからしたら、今朝のことともあいまって、『俺達二人の間に何かあったんじゃないか』と思うかもしれないだろう」

春香「……すみません」

P「まあ、過ぎたことを言っても仕方ないが……今後はこういうことが無いよう、十分注意してくれよ」

春香「…………」

P「今日のことくらいなら、音無さんだってそこまで不審には思ってないと思うし、これ以上何もなければ……」

春香「…………」

P「……春香? 聞いてるのか?」

春香「…………」

P「春香」

春香「……プロデューサーさん、は」

P「え?」

春香「……いつ、聞いたんですか? 音無さんから、今朝の件……」

P「いつ、って……お前が千早と一緒にレッスンに行ってる時だよ。今日の昼頃だ」

春香「…………」

P「? 春香?」

P「……それで今朝、音無さんに変な事聞いてたのか」

春香「えっ?」

P「音無さんに聞いたんだろ? 『電車とかで、よく男から見られたりするか』みたいなこと」

春香「あ、えっと……はい。聞きましたけど……」

P「あのな、春香」

春香「はい」

P「俺達の関係は、事務所の皆に対しても絶対に内緒だって言っただろう」

春香「…………」

P「なのに何で、わざわざ不要な疑惑を抱かれかねないような真似をするんだ」

春香「……すみません」

P「それにさっき、ずっと俺の方を見ていたこともそうだ。音無さんからしたら、今朝のことともあいまって、『俺達二人の間に何かあったんじゃないか』と思うかもしれないだろう」

春香「……すみません」

P「まあ、過ぎたことを言っても仕方ないが……今後はこういうことが無いよう、十分注意してくれよ」

春香「…………」

P「今日のことくらいなら、音無さんだってそこまで不審には思ってないと思うし、これ以上何もなければ……」

春香「…………」

P「……春香? 聞いてるのか?」

春香「…………」

P「春香」

春香「……プロデューサーさん、は」

P「え?」

春香「……いつ、聞いたんですか? 小鳥さんから、今朝の件……」

P「いつ、って……お前が千早と一緒にレッスンに行ってる時だよ。今日の昼頃だ」

春香「…………」

P「? 春香?」

春香「……随分仲良いんですね、小鳥さんと」

P「……は?」

春香「…………」

P「いや、そりゃお前……昼間に事務所に二人っきりでいたら、雑談の一つや二つするだろう」

春香「…………」

P「春香」

春香「じゃあ、小鳥さんの方をチラチラ見ていたように見えたのも、私の気のせいじゃなくて、やっぱり本当に見てたんですか?」

P「えっ」

春香「ついつい雑談しちゃうような相手だったら、ついついチラッと見ちゃうことだってあるかもしれませんよね」

P「春香。言ってることが滅茶苦茶だ」

春香「いいから答えて下さいよ!」

P「!」

春香「…………」

P「…………」

春香「…………」

P「……まあ、そりゃ」

春香「…………」

P「はっきり意識して、ってことは無いが……無意識のうちにちょっと見た、っていう程度のことなら……まあ、あったのかもしれないな」

春香「! …………」

P「こういっちゃなんだが、音無さんは美人だし、俺だって男だし……」

春香「…………」

P「別に深い意味は無くても、なんとなく目で追っていたくらいのことは……あったかもしれない」

春香「…………」

P「でもな、春香。仮にそうだったとしても、それは本当にそれだけだ」

春香「…………」

P「それ以上に、深い意味なんて無い」

春香「…………」

P「それにほら、春香だって、学校で隣の席の男子がイケメンだったりしたら、ちょっとくらい……」

 バン!

P「!?」

春香「…………」

P「は、春香?」

春香「……帰ります」クルッ

P「お、おい」

春香「お疲れ様でした」スタスタ

P「待てよ春香。駅まで送って――……」

春香「結構です! お疲れ様でした!」
 
 バタン!

春香「…………」

春香「…………」

春香「……プロデューサーさんの……馬鹿」

~春香自室~

春香(…………)

春香(……あーあ……)

春香(やっちゃった)

春香(なんで、こうなっちゃうのかな)

春香(プロデューサーさんは悪くない)

春香(本当にやましい気持ちがあるなら、わざわざ私の疑問を肯定するようなことを言うはずがない)

春香(でも)

春香(『恋人』としては……少しくらい慌てたり、取り繕ったりしてほしかった……かな)

春香(もしプロデューサーさんがそんな態度を取っていたら、多分私はこんな気持ちにはならなかった)

春香(たとえ見え見えの下手な嘘でも、私はきっとプロデューサーさんを許したんだ)

春香「…………」

春香(ああ、そうか)

春香(だから私は、こんなにも苛立っているんだ)


――こういっちゃなんだが、音無さんは美人だし、俺だって男だし……。

――別に深い意味は無くても、なんとなく目で追っていたくらいのことは……あったかもしれない。


春香(取り繕うことも、偽ることもなく――……、さらっと、私に正直な気持ちを話したプロデューサーさんの態度が)

春香(私と恋人同士になる以前のそれと、まったく変わっていないように思えたから)

春香(だから私は、こんなに……)

春香「…………」

春香(でも)

春香(それはある意味、当然のことなのかもしれない)

春香(だってそもそも、今の私とプロデューサーさんとの関係は、私のこんな一言から始まったんだ)


――……そりゃあまあ、プロデューサーさんが私の恋人にでもなってくれるって言うのなら、話は別ですけどね。


春香(そんな私の要求を受け容れて、プロデューサーさんは私の恋人になってくれた)

春香(ただ、それだけの関係)

春香(…………)

春香(じゃあやっぱり、プロデューサーさんは……)

春香「…………」

春香「……『やっぱり』?」

春香「…………」

春香「はは」

春香「なんだ」

春香「本当は、私も分かってたんじゃないか」

春香「……プロデューサーさんは、私のことなんか、別に――……」


~~♪~~♪


春香「!」

春香「電話……?」ガサッ

春香「…………!」

春香「…………」

春香「…………」ピッ

春香「……はい」

P『春香』

春香「……こんばんは」

P『ごめんな。こんな夜更けに』

春香「いえ」

P『…………』

春香「…………」

P『あのさ、春香。今日のこと……なんだけど』

春香「はい」

P『悪かった』

春香「…………」

P『春香の気持ちも考えず……ひどいことをしたと思っている』

春香「…………」

P『本当に……ごめん』

春香「…………」

P『…………』

春香「…………」

P『……春香?』

春香「何に対して、ですか」

P『え?』

春香「何に対して、謝ってるんですか?」

P『それは……』

春香「小鳥さんの方を、チラチラ見ていたことですか?」

P『…………』

春香「それとも、小鳥さんと雑談していたことですか?」

P『…………』

春香「…………」

P『……いや、どっちも違う』

春香「! じゃあ……」

P『春香を……恋人である春香を、蔑ろにしていたことに対して、だ』

春香「! …………」

P『俺は元々、嘘はつけない性格だからな。だから多分、どのみち正直には話したと思う』

春香「…………」

P『音無さんの方を見ていたことがあったかもしれないこと。日中、事務所で二人きりのときに雑談していたこと』

春香「…………」

P『でも、それらのことについての、今日の俺の言い方は……あまりにも、春香の気持ちを蔑ろにしたものだった』

春香「プロデューサーさん……」

P『春香が、わざわざ言ってくれていたのに』

春香「…………」

P『俺と今みたいな関係になったら、そういう些細なことでも気になるようになった、って』

春香「…………」

P『なのに俺は、春香のそんな気持ちを顧みることもなく』

春香「…………」

P『俺を想ってくれるが故の、春香の行動を一方的に非難したり』

春香「…………」

P『他の女性のことを目で追っていたかも、なんて……恋人が聞いて良い気分になるはずがないようなことを、あっけらかんと言ったり』

春香「…………」

P『春香の気持ち……全然考えてなかったと思う』

春香「…………」

P『だから……ごめん』

春香「…………」

P『…………』

春香「…………」

P『春香』

春香「…………」

P『今すぐに許してくれとは言わない。だがもう少し、時間をくれないか』

春香「…………」

P『今度からはもう絶対、こういうことがないようにするから。だから……』

春香「…………」

P『…………』

春香「……じゃあ」

P『! 春香』

春香「私のこと、『好き』って言って下さい」

P『えっ?』

春香「……言えないんですか?」

P『あ、ああ、いや……そ、そんなわけないだろ。ただちょっといきなりだったから、びっくりして……』

春香「じゃあ、言って下さい」

P『あ、ああ……』

春香「…………」

P『…………』

春香「…………」

P『……好きだ。春香』

春香「! …………っ」

P『…………』

春香「……も、」

P『えっ?』

春香「もう一回、言って下さい」

P『……好きだ。春香』

春香「『大好きだ』って言って下さい」

P『……大好きだ。春香』

春香「『愛してる』って言って下さい」

P『……愛してるよ。春香』

春香「…………っ」

P『……春香?』

春香「……るい」

P『え?』

春香「……ずるいですよ……プロデューサーさん……」

P『春香』

春香「そんな……そんな優しい声で言われたら、私っ……」

P『……春香……』

春香「…………」

P『…………』

春香「……私、も……」

P『…………』

春香「――……愛しています。あなたのことを」

P『……春香……』

春香「……でも」

P『え?』

春香「今日のことは、まだ許してあげません」

P『うっ……ま、まあそりゃそうだよな……はは……』

春香「……ぷっ」

P『?』

春香「ぷっ、くくっ……」

P『は、春香?』

春香「あはは。何、情けない声出してるんですか、もう」

P『え……ええ?』

春香「本当、しょうがないプロデューサーさんですね」

P『……春香……』

春香「わかりましたよ、もう。……まあ、私が言う前に、私の気持ちに気付いてくれたことですし」

春香「特別に……許してあげます」

P『! 春香……』

春香「ただし、もう絶対に私のこと……蔑ろにしないでくださいね?」

P『……ああ、もちろんだ!』

春香「えへへ……約束ですからね、約束っ!」

P『ああ、約束する!』

春香「……それじゃあプロデューサーさん、改めて、また明日から……よろしくお願いします」

P『ああ。俺の方こそよろしくな。春香』

春香「私、明日からもっともっと、頑張っちゃいますからね!」

P『はは……頑張ってくれるのはいいけど、無理は禁物だぞ?』

春香「わかってますって。……あ、プロデューサーさん」

P『ん?』

春香「最後に、その……」

P『?』

春香「さっきの、もう一回……いいですか?」

P『さっきの?』

春香「ほら、あの、色々言ってもらったうちの……最後の」

P『……ああ、そういうことか』

春香「ダメ……ですか?」

P『ダメなわけないだろ。春香が望んでくれるのなら、何度だって』

春香「……プロデューサーさん……」

P『…………』

春香「…………」

P『……愛してるよ。春香』

春香「…………っ」

P『……春香?』

春香「……私も、です。……プロデューサーさん」








春香(――その日私は、とても穏やかな夢を見た)


春香(それはきっと、とてもあたたかくて、優しい世界)

春香(愛と希望に満ち満ちた、何の混じり気もない世界)


春香(そんな夢が、現実と地続きになっているのだと)

春香(今の自分の延長線上に、そんな世界がつながっているのだと)

春香(そう無邪気に信じていた)


春香(ただ、私一人だけが――……バカだったんだ)

のヮの<とりあえずここまで

~一週間後~

春香(なんだかんだであれから後は、特に大きな問題は起きなかった)

春香(ブランク明けのレッスンはそれなりにしんどかったけど、今ではほぼ元のコンディションに戻ってきている)

春香(そしてプロデューサーさんとの関係も、皆には内緒のままだけど)

春香(一日に何度か、メールや電話で個人的なやりとりをしている)

春香(今はそれで十分だった)


春香(――そんな、ある秋の日のことだった)



~765プロ事務所~


ガチャッ

P「皆、揃ってるか?」

アイドル一同「はい!」

P「よし、良い返事だ。実は今日は皆に重要な発表があってな」

美希「発表?」

響「何かあったの?」

P「ああ。実は――今年の紅白に、俺達765プロが出演することになった」

アイドル一同「!」

響「こ、紅白って……あの紅白!?」

P「ああ。ファーストライブの後、色んなメディアが皆を取り上げてくれるようになっただろ? それでこの度、めでたく新進気鋭のアイドルグループとして白羽の矢が立ったってわけだ」

春香「……紅白……」

千早「すごいわね、春香」

春香「……うん。でも、楽しみ!」

美希「でもあんまり遅い時間だと眠くなっちゃいそーなの……あふぅ」

P「そのへんは大丈夫だよ。未成年が多いから早めの時間帯じゃないと出られないしな」

美希「そーなの? じゃあ安心だね」

P「ああ。そしてだな、実はもう一つ重要な発表があって……」

亜美「? まだなんかあんの?」

真美「もー、もったいぶらずに一回で言ってよ兄ちゃん!」

P「まあ落ち着け。その紅白だが、『765プロオールスターズ』として全員で出演するのとは別に……」

真美「別に?」

P「竜宮小町」

伊織・亜美・あずさ「!」

P「そして……春香」

春香「えっ」

P「この二組――といっても春香はソロだが――が、全員での出演枠とは別に、個別の出演枠をもらえることになったんだ」

伊織・亜美・あずさ・春香「!」

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