赤く染まった日(13)
真っ赤だ。
全てが真っ赤だ。
どうしてこうなってしまったのか。
いや、なるべくしてなったのだと、そう思う。
生まれた時からこうなる事がきっと決まっていたのだ。
――私は決して幸せになどなれないと。
.
物心ついた時からまともに食事も摂れなかった。
殴られ蹴られは当たり前で、それが普通なのだと思っていた。
殴られていない子はきっといい子なのだ。私は悪い子だから殴られる。
だっていつも父さんと母さんが
「お前が悪いんだ」
そう言いながら私をぶったから。
学校でも殴られたり悪口を言われたりしても私は悪い子なのだから当然だと思っていた。
それでも学校は好きで毎日通った。給食はあったし、勉強も楽しかったからだ。
何より授業中は誰も私をぶったりしなかった。
中学に入ると
「そろそろ私達に恩を返しちゃくれないか?」
そう父さんに言われた。
そうしてよくわからないうちに私は女にされた。
沢山の男が私の上を通り過ぎた。
私はただ、寝ていればよかった。
「さすが私達の子だな。見てくれだけはいいからよく売れる」
父さんは稼いだ金を数えながら笑みをこぼし、そう私に言った。
この頃には私はぶたれなくなった。
商品に傷があってはいけないからだろう。
昔の傷は残ってはいたけれど。
稼げば父さんも母さんも優しかった。
ご飯もちゃんと食べさせてくれた。
“お仕事”で会う男達も大抵は優しかった。
ホテルに行く前にはご馳走してくれる人もいた。
ある時、若い男に“お仕事”で出会った。
今までの誰よりも優しく、ただ食事や遊びに行くだけで終わる事も多かった。
初めて“好き”という感情を人に持った。
何度も繰り返し会う度に想いが募り、とうとう伝えてしまった。
驚く事に彼もその想いに答えてくれた。
味わったことのないような気持ちが心の奥底から溢れた。
この気持ちをなんと呼ぶのか私にはわからなかった。
彼に出会って、彼と想いが通じ合って今までにない温かい気持だった。
そんなある日
「俺と一緒にならないか?」
と、彼が私に言った。
すぐに承諾の返事をしたかったが、もう私は自分がどんな境遇の人間か、どれだけ薄汚いか人間かを理解していた。
もうここまでだろうと彼に私の今まで送ってきた人生を全て伝えた。
彼は黙ってそれを聞いていた。
これでもう彼とは会えないのだなと酷く悲しく思った。
彼の顔も見れない。
「知ってた」
驚き、俯いていた顔を上げた。
「申し訳ないとは思ったけど調べさせてもらったんだ」
ごめんね、と彼は謝罪した。
謝罪など必要もないのに。
こんな女の素性など調べて当然だ。
それをそのまま彼に伝えた。
「俺の妻をこんな女呼ばわりするのはやめてくれないか?」
そう顔を赤らめ、はにかんだ笑顔で私に言った。
ああ、またあの気持ちだ。心の内がじんわりと温かく、涙が溢れてくる。
これはなんと言うのだろう。
口からは“愛してる”という言葉が自然と零れていた。
彼は私の両親に挨拶をしたいと言った。
私は反対した。会ってはいけないと、私が家からこっそり出てしまえばいいことだと。
それではいけないと彼は私を諭した。
「そうでなければどこまでも追いかけてくるかもしれない、だから説得させてくれ」
愛されている、とそう感じた。
だから許諾してしまった。しなければよかった。
あの時何がなんでも止めていたら、あんな両親に会わせず二人で逃げていれば。
たら、れば、この数分で何度反芻しただろう。
話し合いは思っていた通りまともに進むことなどなかった。
父や母は罵倒し、彼も時折語気を荒くした。
話に埒が明かなくなり、彼はこんな真似はしたくなかったけれどと、金を積んだ。
それで両親が納得してくれるなら別に構わないと思った。
彼は私を金で買うようなことを、と嘆いていたがそんなの気にしなかった。
だけど両親は納得しなかった。
私がまだ若かった所為だろう。
これ以上稼げると、そう踏んだのかもしれないと思った。
――でもそうじゃなかった。
「この子はもう売買が決まっているんだ。この子の身体、心臓も肝臓も肺も角膜もそれ以外も全て買い手が付いている。今更売らないなんてことはできないね」
母さんがそう口を滑らせた。
驚いたというより
――ああ、なるほど。
と、妙に納得した。
でも彼は納得などしなかった。
抑えていた感情を隠しもせず、突然両親に飛びかかっていった。
父さんは刃物を用意していた。
初めからきっとそうするつもりだったんだ。
突然、目の前が赤く染まった。私の、その目の前で、彼は父さんが持っていたそれを身体に深々と突き立てられた。
ぼたぼたと零れ落ちる赤いモノを思わず手で受け止めようと差し出す。
なんの意味もない行動だった。
彼は尻もちをつき、背を壁に預けそのまま息を止めた。
目の前が赤い。
父さんは荒い息遣いでひきつりながら笑いだした。
初めて人を手にかけたのだろう、刃物を持つ手は震えていた。
血で滑ったのか、震えて緩んだのか刃物が床に突き刺さった。
赤い。
赤い液体が床に広がっていく。
赤い赤い赤い赤いあかいアかいアカいアカイ。
メのまエがあかイ。
気がつくと私は一人、部屋に立っていた。
外はもう日が傾いて空を赤く染めている。
部屋の中も真っ赤に染まっていた。
全てが赤い。
彼も父さんも母さんも私も真っ赤だ。
私の持っている電話でさえも赤い。
ゆるりと彼の傍らに身を下ろし、肩に頭を預けた。
生臭い匂いの中に彼の痕跡が鼻をくすぐった。
心の内がじんわりと温かくなり、涙が溢れる。
彼が私の想いに応えてくれた時、私の全てを受け入れてくれた時に感じたモノだ。
ああ、これが、
これが“幸せ”という気持ちなのかもしれない。
いや、幸せという気持ちだったのだ。
彼といる時に何度も、何度も感じていたこの温かいモノが。
外は暗い夜の帳が下りてきていた。
けれどもちらちらと赤色灯が赤く周りを照らしている。
部屋の中もちらちらとその明かりが赤く差し込む。
ああ、真っ赤だ。
全てが真っ赤だ。
終
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