櫻子「いやな夢」 (188)

なくさないと きづかないもの




なくしたくないよ。


どうすればいいの?



 ちゃんすをあげましょう


 あなたはきづくはずです


 となりにさくそのはなのひかりに


 そのはなをさかせるのは あなた


 いつまでもさいていてほしいなら



―――はい。

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――――――

向日葵「早くなさい。遅刻してしまいますわよ」


櫻子「はあ? まだ大丈夫でしょ」



久しぶりに晴れた、夏の朝。


このところぐずつき気味であった天気は嘘のように去り、蒸し暑さが残った道を、二人はゆく。


いつものように。



櫻子「はぁーあっつい……」


向日葵「年々どんどん暑くなりますわね……朝からこの調子ですもの」

櫻子「既に帰りたいんですけど……」


向日葵「我慢なさい。もう少しで夏休みにもなりますし、あなたまだ今学期は一度も休んでないでしょう?」


櫻子「いいよそんなの、どうせ後で休むときが来るだろうしさー……テストも終わったことだし、この時期はやる気がなくなるー」


向日葵「あなた今回のテストはどうでしたの?」


櫻子「さ、さあねー結果は来る までわかんないし」


向日葵「はいはい予想はついてましたわ……」


櫻子「だから帰ってくるまでわかんないってば!」


向日葵「ロクに勉強してなかった人のセリフじゃないですわよ? それ」


櫻子「うー!……くっそー」

期末テストはつい先日終わり、あとは夏休みまで適当に学校生活を過ごすだけ。この暑さにまいりながらも、夏休みが楽しみなのは皆同じなわけで、どことなく楽しげな雰囲気が校内を漂っていた。


授業も特に内容を重視しているわけではなく、惰性で少しずつ進められていく日々。授業そっちのけで課題を進める者、小声で休暇中の予定を語り合う者、予定をたてる者。


だらけた空気を、昼休みのチャイムが区切る。





あかり「ところで皆は、夏休みの予定とかどんな感じなの?」


ちなつ「んー、これといって大きなイベントみたいなのはないかなぁ……せっかくだから、皆で何かしたいね」


櫻子「おわ ー箸忘れた!」


あかり「あ、櫻子ちゃん。あかり割り箸持ってるよ?」


櫻子「さっすがあかりちゃん! あなたは天使です!」

向日葵「うちも特にこれといって…。中学最初の夏休みですし、何かしたいと思ってはいるのですが……」


ちなつ「手始めとしては、誰かの家で勉強! とかが王道だよね。それで泊まりっこだったりとか?」


あかり「わーそれ楽しそう!」


櫻子「皆で宿題はしたいよね」


向日葵「あなたは人のをうつすだけでしょうが」



他愛のない会話。


当たり前のように重なっていく日常。

午後の授業の退屈さは午前中とは比べ物にならない。


昼休みを終え、空腹も満たされた者は、窓から入る心地よい風と暑さに撫でられ、目を閉じる。




一人の少女は、夢を見る。


夢なんてものは、ただの幻覚。ゆめまぼろし という言葉があるように。


それ自体に大きな意味があるわけではない。


少なくとも、科学的に証明されてはいない。


だからその内容がどんなものであれ、一度覚めればお構いなしにまた日常が再開し、忙しい日々の中で夢の記憶は削られ、丸くなり、無くなってゆく。


そんな、一瞬の儚い幻想。



しかし、少女の見る夢は。



少女を大きく揺さぶった。




「なんでだよーいいじゃんか」


「自分のためになりませんわ」



櫻子「……帰り道……」



「じゃあいいよ、向日葵には見せてやんないもんね」


「誰があなたのお粗末な宿題なんか!」


「あれあれー? 今回はポスターもあるんですけどー」



櫻子「私と向日葵……」

「あー向日葵の絵が久しぶりに見たいねーなんだっけ? あのちょーかわいい絵ー!」


「あーらなんでしたっけそれ……」


「またまたー! 向日葵センセってば人を描くのがうますぎるって話ですよー」



櫻子「夢だこれ……」



「ちょっと! バカにしないでくださる!? 私だって上手くなったんですから!」


「うわー楽しみー! さあ五年生のときから向日葵画伯の絵はどれくらい進化しているのでしょうかー?」


「くっ!」


スタスタスタ……



櫻子「あ、トラック来てるよっ」


「もう下書きしてやんないぞー向日葵ー!」



櫻子「あぶないよ」



「別にそんなの必要ありませんわ!!」



櫻子「あぶないよ!!」



ゴオオオオオオオオッ!!!




櫻子「ひまわりぃっ!!!」

ガタン!!


『………………』


バタン、ガン、ガン!



櫻子「あ…………」


飛び起きた櫻子は椅子を後ろに跳ね飛ばして……我に帰ったときには椅子の倒れる残響に羞恥を覚えていた。


先生「大室さん……??」


櫻子「あっ、す、すみません……寝ぼけてました……あはは」



クスクスクス……

向日葵「ちょっと! なんで私の名前を叫んでますの! こっちの方まで恥ずかしくなりますわよ!///」ヒソヒソ


櫻子「あ……ご、ごめん…………」


向日葵「??」



櫻子(何…? 今の夢……なんていうか、かなりはっきりしてて……リアルで……)


向日葵「ちょっと櫻子、汗すごいですわよ?顔も真っ赤ですし……」


櫻子「だ、大丈夫だよ」



櫻子(心臓……ばくばくいってる……)




一瞬の悪夢なら、笑い飛ばしてしまえばよかった。



いつもなら、それができた。



なのに、



櫻子(嫌……頭から離れない……)グッ



焼きついたワンシーンが、離れてくれない。



一度張り付いたイメージは、すぐには消えないものであって。

でもそんなことを知られるのが恥ずかしくて、いつも通りを振舞うしかない、帰り道。



櫻子(この道……)



向日葵「そういえば櫻子、あなた夏休みの課題の範囲はちゃんとわかっていますの?」


櫻子「え?」


向日葵「やっぱり……あなた寝ぼけててメモもとっていなかったんですのね」

櫻子「な、なにぃ……!」


ピラッ



向日葵「はい」


櫻子「うぇ?」

向日葵「どうせこんなことだろうと思って、あ なたの分もメモしておいたんですわ。感謝しなさい」


櫻子「おおーさすが向日葵! 私の下僕!」


向日葵「ちなみに今回は手伝いませんからね?」


櫻子「えっ!?」


向日葵「えっ! じゃないでしょう。いいかげんに自分の力でやらないといつまでたっても人に頼り切り、一人じゃ何もできない人になってしまいますわよ? 今日だって赤座さんに割り箸貰って……」



ばく、ばく、


櫻子「な、なんでだよーいいじゃんかー」


向日葵「自分のためになりませんわ」


櫻子「あーっじゃあ今回はポスターの宿題手伝ってやんないぞー?」


向日葵「べっ、べつに、手伝ってもらう必要なんてありませんけど?」




櫻子(五年生の)




櫻子「そ、そういえば五年生のときに向日葵が描いた絵……お、思い出してきちゃったー……」フルフル


向日葵「っ! 今はあの時より全然上手くなってますから!」




櫻子(下書き)




櫻子「じ、じゃあもう今年は……しっ、したっ」ガクガク



櫻子(あ、あ、あ、)

ガシッ


向日葵「痛っ !?」




ゴオオオオオオオッ!!!



櫻子(!!!!)



櫻子「………はぁ、はあっ……!!」



向日葵「ちょっと! なんなんですのいきなりっ!!」





デジャヴ、なんて言葉で片付けられなくて。


目の前と、イメージが重なってしまって。どうしようもなかった。


だって、思ってた通り、本当にトラックが来てたんだから。

櫻子「いっ、今轢かれそうだったじゃんかぁ!!」


向日葵「な、何いってますの? 別にちゃんと気づいてましたし、そんな轢かれそうなほど近くはありませんでしたわ!」バッ


櫻子「あっ……」



変な風に思われた。でもそんなのはどうでもよかった。


ただただ、胸を撫で下ろしたい気持ちでいっぱいだった。



櫻子(あれはただの夢なのに……)



ばく、ばく、



向日葵「いつまで突っ立ってるんですの? 行きますわよ」


櫻子「あっ、ああ、ごめん」


向日葵「まったく……///」



ばく、ばく……




その夜。


櫻子はいつも通りを心がけようとしていたが、少し重い出来事が重なって頭がいっぱいになってしまい、脱力感に苛まれ、結局今日は早く寝ようという結論に至った。


明日になれば、こんなのなんでもなくなっちゃうよ。


明日は早く起きて、向日葵より先に家を出て驚かしてやろう。



その小さな胸は、必死に不安を閉じ込める。





「私が渡すって!」


「私が預かったんだから私がいきますわ!」



櫻子「…………」



「なんでだよー! そんなことしたって次期生徒会副会長の座がお前のものになるわけじゃないからなー!」


「あら、私は櫻子と違ってそんないじきたないことまで考えていませんわ」



階段にいる。


私と向日葵。


何か紙を持っている。


届けるらしい。


これは誰の目線?




櫻子「夢だ」

「すきありっ!」バッ


「な!? ちょっと!!」



櫻子「階段でそんな、危ないよ」



「へっへー」


「こらぁ!返しっーーー」


グラッ



あ。

向日葵の足が、



踏み外す、



倒れる、





頭 打つよ




頭 打つよ




頭打つよ!!!!!




ガン


櫻子「いやあああああああああっ!!!」

櫻子は飛び起きた。


見えた。


そこまで見える必要はなかった。


覚めるべきタイミングを違えた。



櫻子「はぁっ……はっ、はーっ」



肩で息をし、


頭を抱えて、



櫻子(嫌、嫌、嫌、)



脳内でフラッシュバックし続ける映像。



後ろから倒れて



頭から倒れて



櫻子「いやあッ!!」 ドン!



頭のイメージを消し去るように、踏み潰すように、壁を強く叩いた。

時計を見ると、11時を少し回ったところだった。



櫻子(まだ……こんな時間なの……?)



ベッドに入ったのが、9時ちょっと前。


2時間程度しか寝てないにもかかわらず、身体は汗にまみれていた。



櫻子「み、水……」



ガチャ



リビングには、携帯を片手に持った撫子がいた。


撫子「どしたの」


櫻子「み、水飲みにきただけ…」


撫子「今の音。ドンってしたろ」


櫻子「え……」

撫子「顔赤いよ。何かあったの」


櫻子「…………」




櫻子「い、いやな夢みちゃってさ……はは……」



撫子「…………」



櫻子「は、ははっ……、 ふっ、んっ、 …うっ……」



撫子「え? うそ、泣いてんの」



櫻子「うっ、うううっ、んぅっ……ううう……」ポロポロ



撫子「ちょ、ちょっと……!」



櫻子「うううううっ! ふっ、うぅぅっ!」ガクッ

どうしていいかわからなかった。


怖かった。


とてつもなく怖かった。



撫子「櫻子…………」 ポンポン



姉がいつもより少し優しいせいか、


泣くこと自体が久しぶりだったからか、


嗚咽にまみれた涙を止めることはできなかった。


この涙といっしょに、溜まったモヤモヤが流れ落ちてくれれば良いと思った。



櫻子は疲れ果てて寝た。


なんで泣いてたのか、理由が聞ける状態ではなかった。



撫子「…………」



人間誰しも、泣きたくなるときはある。


小さなモヤモヤが溜まって、積み重なって、溢れ出してしまう。


おかしなことじゃない。


でも、



撫子「あんな泣き方…………」

嫌な夢を見たと言っていた。


想像もつかない。


あの櫻子がここまで何を思いつめていたのか?


わかってあげたかった。



撫子「…………」



人の涙は、他の人をも悲しくさせる。


妹の気持ちさえもわかってあげられない自分の頬を、涙がつたった。



「向日葵」



「どこ」



「向日葵」




櫻子「また夢だ」




一人の私。


一人で歩き回る私。


ここはどこ?


わからない。



向日葵の名を呼び続ける。



「ひまわり……」



夢の中でも、私は泣いていた。



「向日葵」と呼べば、返事は返ってくるはずなのに。



その世界に、向日葵はいない。

櫻子「覚めて」




はやく終わりにして。




櫻子「覚めてよ」




泣きながら、呼びながら、歩き回る私を、私が見てるだけ。




体が動けば夢から覚めるかもしれない。




でも体が動かない。




ただ、見てるだけ。




「ひまわり、ひまわり」




櫻子「助けてよ……向日葵……」




私は、歩き続ける。




ひまわり、ひまわり……




会いたいよ……




朝の5時。



こんな時間に起きたのは、どれくらいぶりだろうか。



起きた、というよりは、寝るのを中断した、といった方が良い。



目を覚ますことができた。



体は疲れ果てている。



頭はからっぽで。



櫻子「ひまわり……」

向日葵は今寝てるのだろうか。



隣の家に、向日葵はいるのだろうか。



もうこの世のどこにもいないのではないだろうか。



少女は静かに 泣く。目を赤く腫らし、体をちぢめて。



「会いたいよ」



夏の朝は、もう明るい。




櫻子「…………」



家の前で、静かに待つ。



日差しは今日も暑く照りつける。



そのドアが開けば、向日葵が出てくる。



櫻子(早く……)



でてきてよ。



いるんでしょ。

櫻子「……はーっ、…はーっ」



息が苦しい。



胸が痛い。



目の奥がぐらぐらする。



夢の映像は離れない。



トラックが。



階段が。



一人の私が。




立っているのもつらい。


櫻子「お願い……向日葵……!」ぺたん




ガチャッ

振り返れば、そこには。



櫻子「あ、あ 、」



向日葵「ど、どうしたんですの櫻子!!?」



ああ、よかった。



本当に、よかった。



向日葵「ちょっと、立てますの……? おなかいたい?」



ああ、向日葵だ。



いつもの向日葵だ。

櫻子「ひま……わり……」ぽろぽろ


向日葵「さ、櫻子! 本当に何が……!」


櫻子「よかった……よかったよっ…うううっ……」ぽろぽろ



向日葵からすれば、今日だってなんともない普通の日だった。



急にこの日常が崩れるなんて、そんなことはなかった。



原因のわからない向日葵は、ただおろおろするばかり。



櫻子はまだ体に力が入らず、なんとか動いた両腕で、向日葵の腰に手を回した。



―――この手を離したくない。



今は、少しでも、向日葵の温もりを身体で感じていたかった。




二人は揃って遅刻だ。


あれから少し落ち着いた櫻子は向日葵に顔を洗ってこいと言われ、そうこうしているうちに、一時限目の開始に はとうに間に合わない時間になっていた。



櫻子「…………」


向日葵「…………」



二人は歩く。


櫻子は、向日葵の服の裾を持っている。


向日葵はそれを振りほどくことはできない。


櫻子がただならない状態である今、櫻子のしたいようにさせてみるしかなかった。


向日葵「さ、櫻子、ちょっと急ぎますわよ?」


櫻子「…………」ぐっ



急ごうとすれば、服を持つ手の力が強くなる。


櫻子「いいじゃんか……ゆっくり歩こうよ」



おかしいのはそれだけではなかった。



ブブゥ……


もともとそんな交通量の多い道ではないのだが、この時間帯はやはり通勤の時間。住宅街にも、車は通る。

ふたりの横を過ぎる度に。



櫻子「っ…………」



櫻子の足は止まる。



向日葵「櫻子……?」

櫻子は車道側を歩きたがる。


重々しい物体が迫る音。


排ガスを撒き散らす音。


コンクリートをゴムがしめる音。


踏みつぶされた小石が、圧力に耐えきれずに弾け飛ぶ音。


迫る度に、胸の鼓動は重くなり、足が止まる。



向日葵「…………」



向日葵は昨日のトラックが来たときのことを忘れていたわけではなかった。



車が怖いだけ?



それだけじゃないことは、わかっている。

この子のこんな表情は見たことがなかった。



この炎天下で、こんなに白い顔をしているのはこ の子だけだ。



少し俯き、感情を表に出さない櫻子。何を考えているのだろうか。



すこしずつ、すこしずつ進む二人。



それから学校につくまで、二人は言葉を交わさなかった。



そんなのも、はじめてだった。



一時限目が、もう終わる。そんなときに二人は教室の戸を開けた。



先生「あ、古谷さん大室さん。なんでこんなに来るのが遅いんですか? もう授業は終わってしまいますよ?」



そんなに怒りっぽくない先生だから、まだ運がよかった。ちょっと怒られるだけで、済む。



クラスメイトたちは、彼女たちがいつもと違うことに一瞬で気づいていた。



あかり「さ、櫻子ちゃん??」


ちなつ(向日葵ちゃんの裾持ってる……!)



二人の仲は、もうクラス皆がわかっていた。



本当に嫌い同士じゃないけど、いつも一緒にいる子たち。


でもいつもの二人なら、そんなにくっついてるはずがない。

向日葵「申し訳ありません先生、ちょっと…櫻子が」


ぐいっ


向日葵「!」



うつむいたままの櫻子が、無言で服を引っ張る。




櫻子「なんでもないです」



全員『…………』




大室櫻子ちゃんと、古谷向日葵ちゃんは、とっても仲良しで、うるさいくらいに元気で、ちょっとあきれちゃうくらいなコンビ。



しかし櫻子のその声は、皆の聞いたことのない、弱々しく、小さな声だった。



服の裾をもったままの櫻子は、姉につられる幼稚園児のようにでも映っているのだろうか。


どうしていいかわからない空気を、終わりのチャイムが断ち切った。


先生「じゃ、じゃあ、これで授業を終わりにします。課題を忘れずに」



あかり「ど、どうしたの?」トコトコ


二人の様子を心配して、あかりとちなつは駆け寄った。



向日葵「ええ……」


向日葵は家の前で泣きじゃくる櫻子の顔を思い出した。



答えられない。何があったのか、向日葵にもよくわかっていないから。



応えられない代わりに、無言で櫻子を見た。



ちなつ「櫻子ちゃん……?」



櫻子「…………」



机に突っ伏した櫻子は、何も応えない。

あかり「体調わるいのかなぁ……」


向日葵「そういうわけでは、ないと思いますけど……」



櫻子は動かない。



眠いからだろうか。



腫れぼった顔を見られたくないからだろうか。



次の授業が始まると、櫻子は顔をあげた。



あかりもちなつも向日葵も、櫻子の顔を見る。



櫻子は、何を見ているのだろうか。



何を考えているのだろうか。



櫻子のことが、わからない。



だれも、なにも。

――――――

キーンコーンカーンコーン


向日葵(結局……まだ何も喋ってない……)



最後の授業が終わった。


櫻子は目を虚ろに、ゆっくりと、出していただけの教科書類をしまう。


見てるこっちの方がいたたまれなくなる。



先生「あ、そうそう。古谷さん!」


向日葵「あ、はいっ!」


先生「これ……」



急に呼ばれた向日葵は、先生から一枚のプリントを渡された。

先生「これ、会長か副会長でいいから、届けてもらえないかしら? 私ちょっとこの後、急ぎで用事があって」


向日葵「わ、わかりました」


幸い今日は掃除も生徒会活動もない。


これを早く渡して、なるべく早く一緒に帰ろう。


向日葵「さく




櫻子がこっちを見ている。




顔が真っ白だ。

向日葵「さ、櫻子……?」


櫻子「向日葵」



しゃべった。


あかりとちなつもこっちを見た。




櫻子「それ、私がいくよ」



向日葵「え……?」



櫻子「紙、私が、届ける」



まるで走った後であるかのように、とぎれとぎれに言った。

向日葵「だ、大丈夫ですわよ? 私が行ってきますから、櫻子は……



櫻子「わたしがいくから!!……向日葵は、座って、待ってて」



向日葵「…………」



私が櫻子に言おうとしたことを、全部言われてしまった。



櫻子が手を伸ばしてくる。



向日葵「わ、わかりましたわ……」



本当は行かせたくない。



こんな状態の櫻子には、大人しく待っててもらいたかった。



こっちを見る櫻子の顔が、少しだけ怖かったからだろうか。櫻子の言うようにするしかなかった。

プリントを受け取った櫻子は、紙を両手に持ち直し、さも大事そうにかかえながら教室を出ていく。



その背中に、クラスメイトみんなの目が向けられていたことには気づいて いないだろう。



あかり「向日葵ちゃん……」


ちなつ「…………」


向日葵「…………」



何を言っていいかわからない。


だから、胸の内をそのまま言葉に乗せる。



向日葵「赤座さんたちは心配しないでください。私にもまだよくわかりませんけど……きっと櫻子から、何があったか聞き出してみせますから」

あかり「そ、そう……?」


ちなつ「なにか……なにかわかったら、私たちにも教えてね。できることはなんでもするからね」



何もちゃんと話してないのに、二人は至って真剣に声をかけてくれた。



向日葵「あ、ありがとうございます……!」



絶対に原因を突き止める。



そうしたら、この二 人に教える。



櫻子はひとりで何かを抱え込んでいるようだけど、私たちにはこんなに良い友達がいる。



それを櫻子に教えてあげたかった。

五分くらい経っただろうか。櫻子は帰ってきた。


息が切れている。


走ったのだろうか。



向日葵「櫻子……大丈夫?」


櫻子「うん」



その顔は、少しだけ色を取り戻したように見えた。



向日葵「帰りましょうか」


櫻子「うん」



二人は歩く。


ちょっとゆっくり、歩幅を合わせて。


横に並んではいるが、櫻子の手は向日葵の裾を持っている。


車が通る度に櫻子の足は止まる。


向日 葵も足を止める。


櫻子は向日葵の顔を見ている。



向日葵「どうしたんですの?」



櫻子はうつむく。



櫻子「うん……」



会話にならない会話。


向日葵は、櫻子としっかり話したかったが。


俯く櫻子の姿を見ていると、どうにも言葉が浮かばないのであった。

家に近づくにつれて、歩幅が遅くなっているような気が、しないでもない。




二人の家の前。



櫻子「…………」


向日葵「…………」



このまま、どうやって別れればいいかわからない。


櫻子は俯いている。



こんなシチュエーションでの正解があるのなら、教えて欲しい。



櫻子「…………」



たぶん…… これだろう。




向日葵「櫻子、今日は、うちに泊まりに来なさいな」



櫻子「……え……」



櫻子の顔があがる。

向日葵「荷物置いて、用意して来ちゃいなさい」



櫻子「い、いいの……?」



その目は、まだ少し赤くて。


どうやら潤んでいるようで。


夕焼けに向けて赤を帯びはじめた日の光を取り込んでいて。


ちょっとそむけたくなったけど、その目をしっかり見据えた。




向日葵「ここで待ってますわ」



櫻子「う……」



話を聞くのが、大きな目的だったけど。


なんとなく櫻子も、この選択を望んでいるような気がしたから。



櫻子「うんっ!」ニコッ



ああ、 あなたには。



その笑顔が、一番似合ってますわ。



その笑顔を見ていたのは、もう一人。



撫子「…………」



朝から、もとい、昨日の夜から、ずっとおかしい妹を心配していた。



撫子(やっぱり、櫻子は)



あんなに、笑ってる。



撫子(あの子に任せるのが一番なんだ)



今日一日、心配してたけど。



ガチャッ



櫻子「…………」



撫子「……………」

櫻子「……ひ、ひっ」



櫻子「向日葵のとこ、泊まるね……?」



撫子「うん……」



部屋に向かっていく。


それでいい。



花子「櫻子どしたし……?」


撫子「花子……… …」


撫子「わからないとこあったら、きいてきてね」


花子「???」



料理当番なんて、本当にどうでもいいこと。



今は、ぜんぶ、あの子に任せよう。



櫻子はすぐに出てきた。


最低限の着替えだけ持って。



櫻子「…………」


向日葵「お入りなさい」



櫻子を、自分から家に泊めたことは、今までにあっただろうか?


いつも向こうから。



「ひまわりー今日とめろー」



「今日とまってってもいいよねー」



その度に私は、隣なんだから帰ればいいじゃない、とか言ってたっけ。

楓「おねえちゃん、おかえりー」


向日葵「楓、ただいま」


楓「あ、櫻子おねえちゃんも! おかえりー」



櫻子「…………」



楓「……??」



向日葵「か、楓、今日は……」



櫻子「た……」




櫻子「ただいま、かえで……」



楓「うん。おかえりー」ニコッ



向日葵「…………」



またちょっとずつ、顔に色が戻っている。



夕食を食べている間も、櫻子は楓と少しずつ話していた。


口数が増えただけでも嬉しいことだ。



本当に何があったのか。



また、朝の櫻子を思い出す。



泣き出したときの櫻子。



櫻子が泣く姿自体、そんなに見たことはなかった。



ちょっと頼りないところはあるが、昔からそんなに泣くようなことは少なかった子だ。


胸が痛くなる。

向日葵「櫻子、先にお風呂はいっちゃいなさいな」


櫻子「んっ……」


向日葵「??」



予想してなかったわけじゃないけど。


櫻子「い、いっしょに……向日葵も……」



ちょっと恥ずかしいけど。



向日葵「……わかりましたわ」



ここで拒んだら、泣いてしまいそうな気がして。



わしゃわしゃ……



向日葵「流しますわよ?」


櫻子「ん」



なぜか、洗いっこ。


こんなことするのも、どれくらいぶりだろうか。



ちょっと変わった髪質。


櫻子の髪は、こんなにも軽かったっけ。


そういえば昔は、縛りっことかもしたっけな。



櫻子「じゃあ、向日葵……」


向日葵「ええ」

わしゃわしゃ。


いつもの櫻子だったら、胸のことでからかってきたりしたのかもしれない。


今は、それを少しだけ望んでいた。



元気な櫻子を思い出す。


普段なら、こんなに優しい手つきなのだろうか。


そういえば櫻子は、結構器用なとこもあったっけ。



きもちいい。



櫻子「な、流すね」



でも、こんなおかしなやさしさは、いつも通りじゃないから。



しっかり、話してもらいたい。



楓は寝た。


いつもは二段ベッドに寝ているのだが、今日は別の部屋に布団を敷くことにした。

ふたっつならべて。



向日葵「櫻子、これ」


櫻子「うん」



いつもなら、枕投げとかいって、ぶつけてくるんじゃ。


いつもなら。


でも櫻子は、枕を抱いたまま。



櫻子「………」


向日葵「………」


櫻子は目を合わせない。

向日葵「消しますわね」



カッチ カッチ



消灯ではない。一番弱い光にする。



互いの顔が、なんとかわかる程度に。



櫻子は身体ごと反対を向いて座った。



その背中に、話しかける。




向日葵「櫻子」



櫻子「…………」



向日葵「いったい……何があったんですの? 今日の朝から、ずっと様子がおかしかったでしょう」



櫻子「…………」

向日葵「赤座さんも吉川さんも…すごく心配してくださってますのよ? あなたのことを」



櫻子「…………」



向日葵「全部話してくれるまで、寝かせませんから」




少しきつい物言いかもしれない。


でも、話してもらわなくちゃ。



櫻子「…………めを」



向日葵「…………」



櫻子「夢を……見たの」



向日葵「夢?」



櫻子「そう………」




「いやな夢」




昨日の、何時間目だっけ。



ちょっと眠くて、あったかかったから、寝たの。



そしたら、夢を見たの。



いつもみたいなのじゃないの。ふわふわしてない、ちゃんとした、はっきりした、映像みたいな夢。



私と、向日葵が、一緒に帰る夢でね。



向日葵は私に怒ってたの。



それでね、先にスタスタ行っちゃって。



となりから、トラックが来てて。

その夢を見てる私には見えてるの。



でもそのトラックは………向日葵を……



はねたの。



ごめんね? でも、ほんとなの。



わたしは起きた。



ひまわりー!って、叫んじゃって。



みんなに、笑われた。



そのときはちょっとした悪夢だと思ってたけど。



違くて。



櫻子「帰り道に、向日葵が、夢とおんなじようなことを話してきて」



櫻子「私は普通に応えてるだけだけど、その返事も、夢と一緒なの」



向日葵「…………」



櫻子「だんだん気づいてきてね。夢と一緒だ、って」



櫻子「どんどん胸がいたくなってきて、目が回りそうで」



櫻子「頭の中に、夢にでてきたトラックが浮かんで来て」



櫻子「怖くてうごけなくなりそうだった」



櫻子「向日葵の声なんか聞こえ なくなっちゃった。その代わり、聞こえるの。トラックが迫ってくる音」

櫻子「もう吐きそうだった」



櫻子「でもこのままじゃ向日葵が死んじゃうって、思って、向日葵の手を捕まえたの」



櫻子「捕まえて、向日葵を見たら、その後ろをほんとにトラックが通り過ぎて」



櫻子「ああ、あの夢は、私に警告をしてたんだなって、思った」



櫻子「迫ってくるトラックの音は、夢で聞いた音と同じだった」



櫻子「ちょっとの間、どれが夢でどれが現実か、よくわかんなくなっちゃった。そしたら、向日葵が怒ってくれて、目が覚めたの」



櫻子「向日葵、ちゃんといるじゃん。って」



櫻子「向日葵はちょっと怒ってたけど、私はほ んとにほっとするばかりだったの。あーよかったー、って」

いつだったか。



あれは幼稚園の頃。



引っ込み思案な私に、一生懸命話しかけてきてくれた女の子がいた。



その子がいつもしてくれた話、夢の話。



その子の話は、本当に起こったりする。



それが凄くて、



「さーちゃん、すごい!」



その日の夜。だから、昨日の夜。



疲れちゃって、早く寝たの。



そしたら、また夢。



私と向日葵が廊下にいるの。



プリントを届けるんだって。



私がいく、いや私が、って。



そのまま階段に来た。



そこで、私が、むりやりプリントを取り上げたの。



そしたら、向日葵は。




櫻子「向日葵は……後ろから倒れて……」

櫻子「私、人が死ぬとこなんてみたことないけど」




頭を打った瞬間、人間の脆さを思い知らされた。



人間なんて、こんな簡単に、死んじゃうんだ。



今でも 少し、思い出せる。




櫻子「向日葵、夢の中では、目を閉じられないんだよ」ぽろぽろ



櫻子「どんなに見たくなくても、目蓋を閉じても、見えちゃうんだよ」



疲れきったその目は、さらりと涙を落とす。

考えたことなかった。



もし向日葵が死んだらなんて。



夢なのに、ほんとのことじゃないのに。



向日葵が死んじゃった。



櫻子「そう考えたら、なんか気持ち悪くて、よくわかんないものが、うわーって頭に入ってきて」



そこでやっと起きられたの。



起きられたけど、頭は気持ち悪いものでいっぱいなの。



胸が爆発しそうで。



頭は割れそうで。



この子は 何を言ってるのだろうか。



悪い夢を見ただけ?



どうにもそんな簡単な事情ではないという。



向日葵「それ、本当ですの?」



予知夢という言葉を聞いたことはある。


ただ、人によって、よく見る人、全く見ない人と分かれるらしい。


この話が本当なら、


この順番が本当なら、


立派に予知をしていることになる。

向日葵は確かにプリントを届けるように言われていた。


あの時の櫻子の顔、まだ思い出せる。



向日葵(この子は本当に見ていたんだ)



この子は作り話をしているわけではない。



なんともないただの人間に、あんな顔はできない。あんな目はできない。



だから、 あのとき、渡しに行きたがったのか。



今朝も帰りも、車に怯えていたのはこれ?




櫻子の話は生々しく、想像するだけでこっちまで気が滅入るようなものだった。



小さな背中で、必死に言葉を紡ぐ。



一回起きて、姉ちゃんの前で、泣いた。



姉ちゃんは背中をさするだけだったけど。



そんな優しさが、嬉しかった。




櫻子「でもね、例えどんなに泣いたって、消えてくれるわけじゃない」



櫻子「頭の中のイメージを、一気に消すことができたらよかったのに」



櫻子「気持ち悪いものが、形になって、消えて、形になって、消えて」




櫻子「拷問 」

「疲れた私はまた寝るの」



「でも、私をいじめるみたいに、夢は出てくる」




「どこかの町だと思うんだけどね」



「行き先も何も無いまま、私は歩いてるの」



「ひまわりー、ひまわりーって、叫びながら」



「ただの迷子みたいに」




「向日葵がいなくなったらなんて、考えたことなくて」



「ああ、こういうことなのか、って」

どうすればいい?



夢だなんて、思わなかった。



原因はわかっても、これではどうすることもできないのではないか?



今日一日、櫻子は黙っていたけど。



ただ怖い夢を見ただけなんて、そんな軽いことではなかった。



だってその夢は、本当に起こるかもしれないんだから。




ああ、この子は、私を守ってくれていたのか。



私がいなくなる?



そんな気は毛頭ありませんわ。

向日葵「櫻子」



櫻子「…………」



薄暗い中の、櫻子の背中。



この子はこんなに小さかったっけ?



嫌な夢を見ただけなんて。



まる で子供ね。



こんな子供にしてあげられることは……




ぎゅっ



向日葵「私はいなくなったりしませんわ」



根拠なんて、ないけど。



少しでも、安心させてあげたい。



向日葵「絶対に……」




櫻子は、倒れるように眠った。



昨日からまともに寝てないんですもんね。



頭を撫でる。



これで櫻子が元気になるなら、安いものですわ。



赤座さんたちには、櫻子から説明できるでしょうか。



まあ、櫻子が本当に落ち着いたのだったら、笑って、流してしまえるでしょう。



この子は強い子だから。



真夜中だった。


物音で、目が覚める。



向日葵「っ……ん…………?」



櫻子「……はーっ……はーっ」



向日葵「櫻子……?」



息が荒い。



向日葵「どうしましたの櫻子!!」



櫻子「う……うぅう……」



慌てて飛び起き、肩を揺らす。

向日葵「大丈夫!?」



櫻子「……や……、い、や……」



うなされているのか。


夢を見ているのか。



向日葵「ちょっと! 櫻子っ!」



布団を剥がすと、櫻子は汗にまみれていた。


真夏だからか、いや、


例の夢を見ているのだと向日葵は確信した。



向日葵「櫻子、起きなさい! 櫻子!!」



櫻子「…………あ…」



向日葵「!」



目を開けた。

向日葵「櫻子!大丈夫ですの!?」



櫻子「ひま………わ……り…………」



ふっ、と、笑ったような気がしたと思えば。


開いた目は閉じられた。



向日葵「さっ、櫻子!」



揺さぶるが、起きない。


口元に耳を寄せる。


息はしている。


気絶、というわけでもないようだ。



向日葵「ね、寝た……?」

剥がした布団を、戻す。



向日葵(櫻子は昨日もずっとこんな状態だったの……?)



ずっと?



もしかして、もう櫻子が安心して寝られる日々は、こないのではないのか。


自分は何を呑気に寝ていたのだ。



櫻子は全然元にもどってなんかいない。



どうすればいいのだ。




それから朝まで、今度は向日葵が寝付けなくなった。



櫻子は、あれからもう一度、うなされていた。



「このままでは……櫻子は……」



壊れてしまう。



身体も、心も。 




二人は早く起きた。



もっとも向日葵は、途中で眠れなくなっていたのだが。



向日葵「おはよう、櫻子」


櫻子「ん、んん」



向日葵「汗がすごいですわよ。お風呂に入ります?まだ時間はいっぱいありますけど」


櫻子「…………」



向日葵「私は、入りますわよ?」


櫻子「は、はいる」



どうやらまた一緒がいいらしい。



昨日と同じように、髪を洗ってあげる。



向日葵「櫻子、よく眠れました?」



わかりきったことを聞く。



櫻子はうなされていたことを覚えているのだろうか。



黙ったままということは、恐らく覚えているんだろうけど。




向日葵「昨日は、どんな夢を見ましたの?」



櫻子「!」



わしゃわしゃ。



櫻子は小さくひくついた。



その背中をそっと抱きしめてあげると、一気に崩れた。



その嗚咽は、向日葵の心を抉る。



なんて小さくて、弱い背中なのだろう。




今日も二人はゆっくり歩く。



今回は、櫻子は服ではなく手をとってきた。



今更恥ずかしいとかなんとか言っている場合じゃないし。



寝ながら震える櫻子の顔を思い出すと、逆に握ってあげたくなるくらいだった。



だから、周りからどんなに笑われようと、この手を離す気はない。



ガラッ


あかり「あ……!」


ちなつ「櫻子ちゃん……」



結局向日葵は、あかりたちにどう説明するかを考えつかないまま、とうとう教室までついてしまった。



向日葵「…………」



皆の視線を受けている。手を繋いで学校にくる者など本当に数少ないのだから、当たり前だが。



特に今回は、あの向日 葵と櫻子の二人なのだから。



余計に違和感を与えるのも無理はない。



黙り込んだ櫻子は席につく。

あかりとちなつが、おろおろしながらこちらへ近づいてくる。


あかり「向日葵ちゃん……あの……」



向日葵「あ…………」



なんて言えば。



「櫻子は怖い夢を見ただけでした。」



そんなので二人が納得するわけがない。



むしろ、そんな軽く済ませたくはない。



昨日あれだけ啖呵を切っておきながら、説明できない自分が悔しかった。




向日葵「…………」そっ


あかり・ちなつ「!」



何も言えない代わりに、向日葵は櫻子から見えない角度で、人差し指を重ねてバツをつくった。

「私たちにできることなら、なんでもするからね」



昨日ちなつは、真剣な目でそういった。



でも、何をすれば櫻子を助けてあげられるかがわからない。




櫻子「向日葵……」


向日葵「!」



消え入りそうな声で、櫻子が向日葵の手を取った。



櫻子「とい、れ……」


向日葵「わ、わかりましたわ」



もはや櫻子は一人にできない状態だ。

あかりは泣きそうな顔で二人を見送る。



あかり「櫻子ちゃん……」



ちなつ「わかんない」


ちなつ「一日やそこらでここまで変わっちゃうなんて、おかしいよ……」



あかり「あかりね、昨日からずっと、櫻子ちゃんと目が合ってないの……」


あかり「こんなの嫌だぁ……」



ちなつ(たぶん、一番大変なのは、櫻子ちゃん本人だよ)



ちなつ(時間がなんとかしてくれるの?)



ちなつ(それとも、もう……元には戻らないの……?)



給食のときでも、櫻子はあまり食べようとしない。


向日葵が、パンだけでも食べるように言った。


目を虚ろに、少しずつパンをかじる。



向日葵(この子……朝より少しひどくなってる……?)



よく見ていると、呼吸の度に、身体を上下させている。


胸が痛いときの症状だ。


身体が酸素を欲しがっているのに、落ち着いて深呼吸ができないのだ。



櫻子「…………」

五時限目が始まってから、様相は大きく変化し始めた。



……ふーっ…………っふー……


向日葵「!」



口呼吸に切り替わっている。



隣の向日葵には、呼吸の音が聞こえる。



櫻子は俯いているので、真横からだと垂れ下がった髪の毛で目がちょうど見えない。



でも寝ているわけではないことはわかる。



つまり夢のせいじゃない。



他の何かに怯えている……?



思い当たる節は……



あった。

向日葵「先生!!」ガタンッ



向日葵「櫻子を保健室へ連れていきますわ」


先生「え、大室さん?」



櫻子「……っはー……はーっ……」



返事なんて待てな い。



向日葵「櫻子、行きますわよ!」


先生「ちょ、ちょっと古谷さん!」

ちなつ「先生!」ガタッ



ちなつ「櫻子ちゃんは、さっきからずっと体調悪そうにしてたので、早く連れていってあげた方がいいです!」


あかり(ちなつちゃん……!)


先生「あ、ああそうだったの?」


向日葵(吉川さん……!)


ちなつ(向日葵ちゃん、早く!)



櫻子「…………」


ちなつ(!)


ちなつ(今櫻子ちゃん、こっちを見た……?)




静かな廊下を、二人は急ぐ。



向日葵(本当に良い友達を持ちましたわね。櫻子)


思えば、今向日葵があかりやちなつと仲が良いのは、最初に櫻子が仲良くなっ たからだったような気がする。


私も櫻子に助けられているところがいっぱいある。



櫻子「はーっ……っはーっ……」


向日葵(櫻子……!)


とにかく、今は櫻子を落ち着かせなければ。



保健室には誰もいないようだった。


櫻子をベッドに横たわらせる。


汗が凄い。



向日葵「櫻子、大丈夫ですの?」


櫻子「…………」



無言で小さくうなずく。




向日葵「昨日の夢のことでしょう」


櫻子「!!」

昨日櫻子は、夜中に二回うなされていた。


その話を、夢の内容をまだ聞いていなかったのだ。



朝に一度、風呂場で聞こうと はしたのだが、チャンスが伺えなかった。



しかし、急に焦り出す要因が他にあるとは思えない。



櫻子の手を握って聞く。



向日葵「教えてくださる? 昨日の夢を」



櫻子「……はあっ! っはーっ……!」ゼエゼエ



向日葵「一体どうし



ジリリリリリリリリリリリリリリ!!!






向日葵「!!?」

火災報知のベルがなり響いた。



瞬間、





櫻子「いやああああああああああああああああああああああああっっ!!!!」ガクガク





向日葵「なっ!さっ、櫻子!!?」



櫻子は頭を抱えて絶叫した。




向日葵「櫻子!落ち着いて!今は……」



櫻子「嫌っ!嫌あっ!いやああああああああ!!!」

向日葵は悟った。



向日葵(これだ)



向日葵(これが昨日見た夢の正体なんだ)



昨夜うなされていたとき、櫻子の目蓋の裏に映っていたのは、炎に包まれた学校なのであった。



向日葵「櫻子、落ち着いて? 大丈夫ですから……!」



櫻子「うっうっ……うあああああぁぁ……」ポロポロ



抱きしめるその身体は、折れてしまいそうなほどに弱く感じた。



何ができる。


何をすればいい。


この泣き声を止めるには。


不安の連鎖を抜け出すには。



火事は結局、家庭科でアイロンを使用していた生徒が起こしたちょっとした不祥事で、パニックになってしまった他の生徒が、火災報知器を押しただけのことであった。


泣き疲れた櫻子は音も立てずにに眠っている。別に夢を見ているわけではないようだ。


もはや、夢を見る体力すらも残っていないのではないか。



向日葵「櫻子…………」ポロポロ



櫻子「………… ま……」



向日葵「!!」



櫻子「ひ……ま……わり……」

向日葵「さ、櫻子、大丈夫ですの!?」



櫻子「ご……めん、ね……」


向日葵「あ…………」



謝ることなんて何もないのに。



むしろ謝りたいのはこっちだった。



一番大切な人が、一番苦しんでる時に、何もしてやれないのだ。



櫻子「ひま、わり……ごめんね……」



向日葵「ううっ、うううぅ…………」


二人の涙は止まらない。

結局下校時刻まで、二人は保健室にいた。



向日葵「帰りましょうか……」


櫻子「…………」



二人は手をつないで廊下を歩く。


部活の喧騒も、その耳には届いて いない。



そこへ、



綾乃「古谷さん……!」


向日葵「あ……」



綾乃と、千歳が心配そうにこちらに近づいてきた。


そういえば、昼にあったはずの生徒会の打ち合わせに顔を出していなかった。

向日葵「先輩方……」


綾乃「その……事情はいろんな人から聞いてるわ」


櫻子「…………」



綾乃「古谷さんは、大室さんだけを見ていてあげてね。大室さんには、あなたしかいないのよ」


千歳「生徒会のことなんかどうでもええ。 今は二人が元に戻ることだけを考えて欲しいんや。大室さんが元気ないと……周りの人も元気がなくなってしまうんよ?」


向日葵「はい…………」



ふたりは、私たちの頼れる先輩。



生徒会に入った私たちに仕事を教えてくれ、他にもいろいろな面倒を見てもらっている。



櫻子がいつしか、「生徒会に入ったのは私に負けたくないから」と言っていたのを思い出す。



単純な理由が始まりではあったが、今では大きな支えになってくれていた。

向日葵「必ず……」


綾乃「え……?」



向日葵「必ず……櫻子を元に戻してみせます……」



空気のように軽い櫻子の手を取り歩く。


ひとりで悩んでいてもダメだ。


自分たちには、頼りになる人がまだまだいるんだ。



千歳「古谷さん……大丈夫やろか?」


綾乃「私たちに……何かできるかしら……」



結衣「あかり、大室さんたちはまだ元に戻らないの……?」


あかり「戻るどころか、どんどん酷くなってる気がするよぉ……どうすればいいんだろ……」


京子「…………」



ガラッ!



ちなつ「あかりちゃん!これ!」


あかり「えっ? なに?」


ちなつ「向日葵ちゃんから…手紙だと思う…!」



ちなつの下駄箱に入っていた一枚のルーズリーフ。


それは、うまく説明できない向日葵があかりとちなつに向けて残した手紙だった。

[ 赤座さん、吉川さんへ。


櫻子のこと、うまく説明できなくて申し訳ありません。

実のところ、まだ私にもよくわかっていないのです。

きっと、櫻子は今怖い夢を見ているのだと思います。

簡単には覚めそうにありません。

寝ている時も起きている時も、櫻子はずっと夢の世界の中なんです。

余計な心配をおかけしてしまってごめんなさい。

この夢が覚めるまで、待っていてください。

あの子はああ見えて丈夫な子ですから、きっと笑って戻ってくると思います。

お二人のようなお友達がいてくれるから、櫻子もきっと帰りたがっているはずですので、

その時は、どうかあたたかく迎えてあげてください。


古谷向日葵 ]




結衣「これは……」


あかり「ど、どういうことかな……櫻子ちゃんは怖い夢を見ているの?」


ちなつ「私にもよくわかんなくって………」

京子「……あかり、この二人って、どれくらいの付き合いなの?」


あかり「向日葵ちゃんと櫻子ちゃんは……幼稚園からの腐れ縁だって言ってた。学校のクラスもずーっと一緒で、お家も隣同士で」


京子「なるほどね……」


ちなつ「京子先輩、何かわかったんですか??」



京子「あかりはさ、見たくない怖い夢とかある?」



あかり「えっ、うーん……そうだなあ、皆がいなくなっちゃって、あかりがひとりぼっちになっちゃう夢を前に見たことがあったけど、そういうの……かな? 」



京子「うん。もしそういうのだとしたら、ここに当てはめてみると、今までずーっと一緒にいた一番の友達がいなくなっちゃうっていう夢を見てることになる……あかりの考え、間違ってないと思うよ」



ちなつ「そういえば櫻子ちゃん、今日はずーっと向日葵ちゃんの手を握ってて……ちょっとでも離れるとすごく悲しそうな顔をするんです」



あかり「あ……!」

京子「幼稚園からずーっと一緒、家も隣同士とくれば、そのショックはそれだけ大きくなってるんだと思う」


京子「そして、この文からは、少し追い詰められてるような感じを受ける。……ほら、ここ」


結衣「!」



京子は、紙に落ちたと思われる涙の跡を見逃さなかった。

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あかり「…………」


京子「泣きながら書いてるなんて、普通じゃないよ。古谷さんも、すごく思いつめてるんだ」


ちなつ(京子先輩……すごい……)



あかり「それじゃあ、あかりたちは何をしてあげればいいのかなぁ……」


結衣「自分がそういう状況に置かれたとき、何をして欲しいか、ってことか……」



櫻子は、向日葵の手を引いてずんずん歩いた。



向日葵「ちょ、ちょっと櫻子!」


櫻子「…………」



弱り切ったその身体のどこにこんな力が残っていたのか。



櫻子「はやく、はやく、帰ろう」


向日葵「それは、わかってますけど……!」


櫻子「…………」



急に歩みは止まった。

向日葵「ど、どうしましたの?」


櫻子「…………」



櫻子は、道に落ちていた大きな木の枝を拾った。


まるで、小学生の男の子。



向日葵(剣……)


まるで剣のよ うに木の枝を片手に、向日葵の手を引いて進んでいく。


不思議なものを見る目線を、通り過ぎていく街の人たち全員から感じた。



理由はわかった。



これが、昨夜の二回目にうなされたときの夢なのだろう。



向日葵(例えば……通り魔とか)


今までの理屈で言えば、思い当たる節はそんなところだ。

帰り道に、私が、通り魔に、殺されてしまう。



逆の立場になって考える。



もし私と櫻子が一緒に帰っている途中、通り魔に襲われる……



向日葵(い、嫌っ……!)



ちょっとでもリアルに考えてはいけない。



私まで櫻子と同じ状態になったら……終わりだ。



忘れなきゃ、忘れなきゃ



向日葵(あ、嫌……あ、ああ)

一瞬でも思い描いたのが間違いだった。



嫌な妄想が止まらない。



最悪のパターンが浮かんでは完成し、浮かんでは完成し……



櫻子はこの連鎖に陥っているのだ。



自分の意識でコントロールすることができない。



常に最悪の自体が再生され続ける。



抵抗する櫻子、



暴行を受ける櫻子、



通り魔は刃物を持っていた、



あ、



ああ



櫻子「向日葵」


向日葵「っ!!」



気づけば横断歩道に来ていた。


櫻子の、久しぶりに聞くボリュームの声で目が覚めた。



櫻子「……だいじょうぶ?」


向日葵「ぁ ……」



ああ、もう、



私は耐えられない。

あなたの苦しみを全て理解したわけではないけど。


私が貴方の立場なら、きっとすぐに壊れてしまう。


やっぱりあなたは強い人。



櫻子の目を見ただけで、嫌な連鎖は確実に止まって消えた。



もうどうすればいいか、わからない……



信号は青に変わる。


木の枝のナイトは、泣いている姫の手を取り、さらに早く進んでいく。


早く帰ろう。


二人は、もうほとんど走っていた。



向日葵は櫻子に手を引かれるまま、大室家へと帰宅した。


玄関の鍵をすぐに閉める。


息の整わないまま、二人は 抱き合った。


お互いが、お互いの存在をしっかりと確認するように。


暑い中で、走りっぱなしだった二人は汗だくだ。



向日葵「さ、櫻子……」


櫻子「…………」



向日葵「また、お風呂でも入りましょうか」


櫻子「…………」こく


向日葵「荷物、置いてきなさい?」



今日も櫻子はうちに泊まらせる。


櫻子が心配するから。


私が心配だから。

櫻子を部屋へ見送るこの距離さえ痛く感じる。



くっついていた身体の温もりが取れていくのが嫌だった。



私までこんなことでは……




「ひま子」


向日葵「!」


撫子「大丈夫?……学校は」


向日葵「な、撫子、 さん……」



撫子「泣いちゃダメ」



向日葵「え……?」



撫子「アンタが泣いたら、私まで……」



向日葵「…………」

撫子は向日葵の手を取った。



撫子「ごめんね……頼れるのは、ひま子しかいないから……」



私が救うしかない。


救えるのは、私しかいない。


私が弱ってしまっては、誰も何も助からない。



櫻子「向日葵……」


向日葵「!」



櫻子「行こう……」


向日葵「……ええ」



鍵を開けた。


また、手を引かれて家を出る。



撫子(どうすれば……)



万が一、取り返しのつかないことになったら……



撫子「櫻子……戻ってきて ……さくらこ……」



櫻子の背中を流す。


こうしてみると、衰弱しているのが手に取るようにわかる。


髪は痛み、身体は心なしか細り、身体は前に傾き、水に触れてもみずみずしさを感じさせない。



向日葵「……明日は、土曜日ですわ」


櫻子「…………うん」



向日葵「何をしましょうか」


櫻子「…………」

保健室で櫻子の寝顔を見ているときから、向日葵は今後のことをずっと考えていた。



櫻子に元に戻って欲しい。



心配事なんかひとつもなかったあの頃に。



元気につっぱってくる櫻子が帰ってきて欲しかった。



そのためには……



不安の連鎖を断ち切るためには……



向日葵「櫻子……」



櫻子「いっ、いっしょ……」




櫻子「いっしょに、いたい」



向日葵「……ええ」



向日葵「電気、消しますわね」


櫻子「うん」



昨日と同じ部屋に寝る。


ただし、



櫻子「えっ」


向日葵「入りますわね?」



同じ布団で。



櫻子「…………うん」


向日葵「ふふ……」



手を握る。


近づけば近づくほど、櫻子に生気が、色が戻っていくような気がする。

向日葵「櫻子は……バカですわ……」



櫻子「…………」



向日葵「私はこんなに近くにいるのに……」



向日葵「いなくなるわけがないでしょう……」



櫻子「で、でも……」



向日葵「…………」



向日葵「……私は、もし櫻子がいなくなったら、とても耐えられませんわ」

世界中を探し続けるでしょうね。



だからあなたも……



私がもし、いなくなるようなことがあったら、



世界の果てまでも、探し続けてください な。



二人が想えば、私たちは、絶対に会える。



だって、私たちは……



…………







櫻子「ひ、向日葵……?」



向日葵「…………」すぅ



櫻子「…………」



ぎゅっ



櫻子「…………///」



こんなにあったかくて、大きな向日葵。



いなくなるなんて、ありえない。



櫻子「ずーっと一緒、だよね……?」



感じさせて。



あなたの、存在を。




ちゅっ




なくさないときづかないもの




……もうわかったから。



おわりにしよう。




あなたはまだわかっていない



あなたはまだ、うごいていない



あなたがじぶんでみつけだすのです



じぶんのちからで、かのじょをさがしなさい



しんじるのです



あなたたちは、どんなにはなれていても、つながっているものがある



それをたぐりよせるのです



あなたが、やるのです




―――はい。



いかないで。



まって。



はなれたくない。



あなたがいなくなったら、わたしは……



わたしは……



待って……



待って……!!

櫻子「――――っはっ!」



身体の熱さで目が覚めた。


熱さが違う。


別のあたたかさがなかった。


昨日まで、ここにあった、大きな温もりが。



櫻子「ひま、わり……!?」



櫻子「ひっ、向日葵!!!」がばっ



向日葵がいない。


うそだ。


手を繋いで、一緒にいたはずなのに。

櫻子「ひまわり、ひ まわり!!」



空虚な部屋に、私の声だけが響く。



櫻子「い、いや……いや……」



向日葵の姿が見えないのか嫌だ。



向日葵の声が聞こえないのか嫌だ。



一秒たりとも、離れるのが嫌なのに。



これは夢なのか。



覚めて欲しい。



覚めて、目の前に、向日葵が現れて欲しい。




ピリリリリ!



櫻子「っ!!」

携帯が鳴った。


向日葵だ。


間違いない。


転びながら携帯を取る。




櫻子「もっ、もしもし!!」


「…………」



櫻子「ひまわりっ!! 向日葵だよね!?」


「…………櫻子」



櫻子「どこにいるの……帰ってきて!!」


「…………私を探して」



櫻子「え……」

「あなたの力で、私を見つけ出して」



櫻子「な、なにいってるの、やめて……!」




「あなたに見つけて貰えなかったら、私は……」




「私は生きている意味がありませんから」




櫻子「や、やだ……やめて……」



「……櫻子」



「いつまでも、待っていますわ」



「大好きな、私の櫻子……」



ぷつっ

櫻子「向日葵!? ひまわりっ!!」




切れてしまった。


途端に頭がぐるぐるする。



櫻子「やぁ、いやあっ……」


胸の奥が一気に締め付けられる。心臓が取り出してしまいたいほど痛い。




「櫻子」


櫻子「!」



撫子「目は覚めた?」


櫻子「ね、ねーちゃん……?」

櫻子「ひまっ、わりが……ひまわりが……!」ぽろぽろ


撫子「あんたが探すんだよ」


櫻子「!!!」



撫子「ひま子は、いつまでもあんたのことを待ってるよ」


櫻子「な、なんで……」


撫子「行ってあげな」ぎゅっ



撫子に抱きしめられるのは、どれくらいぶりだろうか。



覚えていないくらい昔のように思う。



けれど、この大きな安心感は、確実に感じたことのあるものだった。

撫子「着替え、用意してあるから。支度しな」



撫子は、とてもよく笑っていた。



その後ろにいる花子と楓も、笑 っていた。



不思議な安心感を憶える。



同時に、恥ずかしさを感じた。



なにか踊らされているような。



おかしなゲームに誘われているような。



薄手の白いワンピースと麦わら帽を被らされ、家を出た。

「おっはよー!!」


「おはよう、大室さん」



櫻子「と、歳納先輩! 船見先輩!?」


京子「やーやー」


結衣「そのワンピース、似合ってるね」



櫻子「せ、先輩たちどうして……」


京子「古谷さんを探すんだよね?」


櫻子「な、なんで……!!」


結衣「ついてきて?」



わけがわからない。


なぜこの二人がここに。


どうして向日葵のことを知っているのか。



わけもわからぬままついていく。


この二人も、撫子たちと同じようにとてもよく笑っている。

櫻子「せ、先輩方、どこへ……」


結衣「あ、いたいた」


京子「お~い!」


「大室さーん」


櫻子「杉浦先輩! 池田先輩!」


千歳「こんにちは~」


櫻子「先輩たちまで、なんで……」



綾乃「はい、これ」


櫻子「き、切符……?」


千歳「大室さんには、これから電車に乗ってもらうで~」


京子「がんばってねー」


櫻子「が、頑張るって、えっ」



綾乃「大丈夫。行けばわかるわ」


結衣「ほら、電車が来ちゃうよ」



背中を押されて、駅に入る。



先輩たちは、とてもよく笑っていた。

「櫻子ちゃん!」


「えっ、きた!?」



櫻子「あ、あかりちゃん! ちなつちゃん!」


あかり「よかった~間に合ったよぉ」


ちなつ「次のやつ逃したら1時間くらい待たなきゃだったもんね」


櫻子「ど、どうしてみんな……」



あかり「向日葵ちゃんを見つけるんだよね?」


ちなつ「私たちが、案内するよ!」


櫻子「案内……?」

ゴトンゴトン……



あかり「あ、きた!」


ちなつ「ほら、乗ろっ?」


櫻子「わわっ」


手を引かれるがままに、電車に乗り込んだ。




あかり「わぁ~、あかり電車乗るの久しぶりだよぉ」


ちなつ「わたしもこっち方面って乗ったことないかもー」



櫻子「…………」



頭がいっぱいいっぱいだった。



向日葵 を探しているはずなのに。



心が痛いはずなのに。



楽しそうな友達たちに翻弄されて、ふしぎな気持ちでいっぱいで、



どこか、楽しくなってきていた。

あかり「櫻子ちゃん」


櫻子「な、なに……?」



あかり「向日葵ちゃんに会いたい?」


櫻子「……会いたい!」



ちなつ「私たちも、会いたいんだよ?」



あかり「だから、必ず見つけてきてね」



櫻子「??」

『次は~向日葵畑。向日葵畑です』



櫻子「ひまわり……ばたけ……??」



あかり「じゃあね、櫻子ちゃん」


ちなつ「ほら、はやくはやく」


櫻子「ええっ、私……」



ぷしゅー



櫻子だけが降りた駅だった。


閉まったドアの向こう側で、あかりたちは何を言っていたのだろう。


ただ、二人とも、とてもよく笑っていた。




遠い蝉の声。



風が葉を縫う音。



降り注ぐ日差し。



誰もいない、真っ白な無人駅の向こうには、身の丈を超える向日葵の花が、一面に咲いていた。



来たことはない。



見たことがない景色。



なのに、



とても、懐かしい感覚がす る……

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ふと



白い布が、目に入った。



「…………」



櫻子「あ、あ……」



私とお揃いの麦わら帽子。


私とお揃いのワンピース。


私とお揃いのサンダル。



帽子を深く被っていて顔は見えないが、



絶対の確信が持てる、その人。



私が探し求めた人。


櫻子「ひま


ひゅるる!



櫻子「きゃっ!」とてっ



その少女は、深く被っていた帽子を、まるで手裏剣のようにこちらへ投げ飛ばしてきた。


一瞬視界を奪われた。少女は反対側へ走り出していた。顔は確認できなかった。




櫻子「ま、待って!!」



「待ちませんわ!!」



風になびくその後ろ姿、


間違いなく、向日葵。




「櫻子!! 私を捕まえてごらんなさいっ!!!」



「いやだよ! 待って!! 向日葵!!」



少女は、向日葵畑へ逃げ込んだ。



追いかけっこの、始まり。




彼女は追いかけっこが得意では無かった。



好きではなかった。



そんなに足が早くないから、追いつけないし、



人に追われる感覚が苦手で、すぐに足が止まり、縮こまってしまう。



そんなとき、私が鬼の役を代わってあげたのであった。



ずるだずるだと喚くやつを、私が代わりに追いかけてみせた。



彼女に、いいところを見せたかったからだ。




櫻子「ひまわり! 待って!」



彼女はこんなに身軽だったか。


未開の草の根を掻き分けて進むのだから、私よりも速度は遅いはずだ。


なのに、ひょいひょいとあらぬ方向へ行ってしまう。


見え隠れする白い生地を、とにかく視界から消したくなかった。


ここで見失ったら、もう二度と会えなくなる気がして。



草に足を取られる。


サンダルはとうに脱げた。


皮膚は向日葵の葉に擦られ、傷だらけの泥だらけだ。


それでも。




櫻子「向日葵ぃいっ!!!」




ひまわりちゃんと、さくらこちゃんは



いつもいっしょにいるの。



どっちかがうごけば、



もうかたほうが、ついていく。



なにかでつながってるみたいに。



いじわるで、言われたことがある。



「そんなにいつも一緒にいるなら、結婚でもしちゃいなさいよ!」



ひまちゃんは、照れていた。



あのときは、わからなかったけど。



いまなら、わかるよ。




肺が爆発しそうだ。



ちょっとでも止まったら、倒れてしまいそう。



櫻子「はあっ―― はっ――― はっ――――」



それでも前に進むのだ。



白いワンピースが見えるから。



向日葵の匂いがするから。



そこに、向日葵がいるから。




この帽子とワンピースは、幼稚園の頃に、お揃いで買ってもらったものだ。



夏の日、ひまちゃんがこれを着て遊びに来て、私もこれを着て出迎えた。



そういえばなぜ今でも着れているのだろうか。



ああ、頭が熱い。



向日葵、今行くからね。





私は彼女の全てをわかっているつもりだった。



私だけが、彼女を知っているつもりだった。



彼女を独り占めしたかった。



彼女はいつのまにか成長して、



いつのまにか彼女の方 が、私より凄くなっていた。



彼女に頼ることが多くなった。



彼女に人気が出てきた。




一番近くで見ていて、一番わかっているつもりだったのに。

いつのまにか、いろんなことが逆転していて。



前と変わってしまうのがすごく嫌で。



私は彼女に対抗するようになってしまった。



素直になることが、できなくなってしまった。



彼女を引っ張るより、彼女についていくことが多くなった。



昔と変われば変わるほど、遠くに離れていく気がした。



一番近くにいても、遠くに感じるようになって。



前よりもっと、愛おしくなって。

ああ、



私は彼女が大好きだ。



心の底から大好きだ。



彼女はどうなのだろう。



答えを聞きたい。



彼女は私のことが好きか。



好きだとしたら、どれくらい好きかな。



わたしの好きを、上回るかな。



そしたら、嬉しいな。

ひまわり。



この世で一番大切な人。



かわいくてかわいくて、



おかしくなってしまいそう。



その顔を見せて。



私を好きと言って。



ひまわり。




櫻子「――――――あぁあああああああああっ!!!」




櫻子は向日葵に飛びついた。



この感触を、絶対に離すまいと、力の限り抱きついた。



首元を少し噛んだ。



向日葵だ。



私の、向日葵だ。




櫻子「ばかっ……ばか!! ひまわりのばか……」ぽろぽろ


向日葵「……はぁっ……はぁ」



向日葵に、やっと会えた。


嬉しさと、不安が取っ払われた気持ちと、安心感と。


いろんな感情が、涙になって溢れた。

向日葵は起き上がり、櫻子の髪を撫でた。



向日葵「ありがとう……櫻子……」



櫻子「ううっ……うっ…………」ぐす



ぎゅっ



向日葵は、力の限り櫻子を抱きしめた。



向日葵「よく頑張りましたわね……よしよし」



櫻子「…………」




向日葵「櫻子。私の、櫻子」




向日葵「大好きですわ。世界で、いちばん」




櫻子も、強く向日葵を抱きしめた。

向日葵は、泣き濡れた櫻子の顔にかかった髪を掻き分ける。




向日葵の顔は、本当に素晴らしい笑顔だった。



夏の日差しを背に、私へと向けられるその笑顔。



この広い向日葵畑で、一番大きく輝く、向日葵の花。




二人はキスをした。




強く抱き合い、お互いの存在を一心に感じた。




押し倒すほどに強く、強く。




身体に刻みつけた。




二人は、愛に包まれた。


――――――
――――
――

目が覚めると、古谷家の寝室であった。



身体は熱く火照っている。



櫻子「あ……///」



夢、なのか。


さっきまでの時間は。


不安に胸を痛め ながらも、楽しかったあの時間は。



そして、あの熱いキスは……



櫻子「…………」

隣には、向日葵が寝ている。



櫻子「…………」


その頬を、つんつんと触る。



今なら、大丈夫。



その可愛らしい寝顔に、口元を寄せる。





「なあに?」


櫻子「っ!!?」

向日葵はとっくに起きていた。



「ふふ……」


櫻子「あ……あっ……///」




「さっきの続きがしたいんですの?」




櫻子「さ、さっき……え……??」




笑っている。


知っている顔だ。


夢の内容を……



櫻子「ひ、ひまわりも、同じ夢を……??」

向日葵「夢? ……なんの話?」



櫻子「うぅ、うそつき! 知ってるでしょ!」



向日葵「一体なんの話かしら……」



櫻子「と、とぼけないで! 私大変だったんだから! 私がどれだけ向日葵を……」



向日葵「え?」



櫻子「ひ、向日葵を……///」




向日葵「櫻子……」


櫻子「うぇ?」

四つん這いの向日葵が近づいてくる。



後ずさりする櫻子。



耳元に口を寄せて、




「大好きですわ。世界で、いちばん」




櫻子「っ~~~!!!///」



向日葵「ふふ……///」

櫻子「ほ、ほほ、ほら知ってるんじゃん!! 向日葵も同じ夢を見てたんだ!!」



向日葵が「そんな……人が同じ夢を見るなんてありえませんわ」



櫻子「じゃあなんで今世界で一番好きとか言ったの!! それ夢のセリフと一緒じゃん!」



向日葵「私はそんなの知りませんけど……」




「あなた、予知夢が見れるんでしょう?」




向日葵「そういうことなら、話は合いますわね」クスクス



櫻子「そっ、そんなんじゃ……!///」

向日葵「はぁ……櫻子が元気になってくれてよかったですわ……」ほっ


櫻子「う……」



向日葵「あれ、そういえば返事を貰ってませんわね……」


櫻子「えっ?」



向日葵「せっかく私は告白したのに、櫻子の気持ちを聞いていませんでしたわ?」



櫻子「そ、そんなの……///」




向日葵「ねえ……あなたの夢の中では、この後わたくしは何をしたのかしら?」



櫻子「ぅ…………」



向日葵「教えてくださる……?///」つつー



櫻子「あ、あっ……///」




ごくっ

櫻子「ひまわりっ!!///」がばっ



向日葵「やん///」




櫻子「好き! すきっ! だいすき!!」



向日葵「もっ、もう……///」



櫻子「もう絶対離れない! どこにも行かせない! 何をする時も一緒なんだから!! 一生はなさなーーいっ!!!///」




向日葵「…………」




(ありがとう、櫻子)



戻ってきてくれた。



櫻子はもう大丈夫だ。

例え私がいなくなっても、



世界の果てまで探しに来てくれる。



私を助け出してくれる。



私を守ってくれる。



だから私はその愛に、



全力で応えなければ。



更なる愛をもって、



この子を包んであげなければ。




向日葵「櫻子、ありがとう……本当に……本当に……///」




つよく、つよく、抱きしめる。



私はもう、この子を離さない。



もう二度と、悲しませたりはしない。




私たちは、二人で一つなんだ。




夢の中と、同じキスをした。



夏の朝は、日が高い。


学校へ行く時間には、もうそこそこ暑くなっている。



「「「行ってきまーす!!」」」


三姉妹は、揃って家を出た。



撫子「じゃあね、櫻子」


櫻子「行ってらっしゃい」



櫻子は、塀の前で彼女を待つ。



彼女はきっと来てくれる。



可愛いらしいあの笑顔で。



私と一緒に、歩いてくれる。

「櫻子」



きた。



櫻子「向日葵」



彼女の手を取る。



「お、おはよう……///」


「おはようございます……///」



軽く、キス。


今日も、一緒にいようね。



毎日通る通学路も。



向日葵が隣にいるだけで、楽しい。



他愛のない会話が、嬉しい。



「今日は、終業式だけで終わりですわ」


「うん」



「明日から、何をしましょうか」


「私は、なんでもいいよ」



向日葵と一緒なら、なんでも。




「結衣、ほら、あの二人……」


「あっ……!! ……良かった……」



二人は、手をつないで歩く。




あかり「あっ!!」


ちなつ「わぁっ!!」



向日葵「おはようございます。赤座さん、吉川さん」


あかり「おはよう!」


ちなつ「おはよう! 櫻子ちゃん!」



櫻子「おはよう、みんな」にこっ



みんな、笑顔で迎えてくれた。



夢の中で見た、あの笑顔と同じだ。


なんでもない夏の日の、いつもどおりの日常。



空は晴れ、日は強く熱く、風は心地よい。




笑顔と、笑い声が、絶えない日々。




私には友達がいる。優しい家族がいる。向日葵もいる。




幸せな、幸せな毎日。




明日から、夏休み。






~fln~

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

これは私が一番最初に書き始めたひまさくSSで、pixivにのみ投下していたのですが、夏も本番ということでこの板に再投下させていただきました。

ふわふわした文で申し訳ないです。


でもまたどこかで見かけたときは、よろしくお願い致します。

解決というか


なんでもない日常の中でかみさまみたいなものに与えられた小さな試練のお話とでも思ってもらえれば幸いです

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2014年07月05日 (土) 16:30:07   ID: 5MOWyxbW

久しぶりに良ひまさくに会えた……!

感動した!ありがとう!

2 :  SS好きの774さん   2014年07月15日 (火) 01:43:50   ID: dCMi3HVI

ほんとに涙がとまらなくなりました
感動ですありがとうございます!

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