咲「人にやさしく」 (305)


起こすの<アレモホシー コレモホシー モットホシ- モットモットホシイー♪>

 お日様が顔を現しきるより早く、私達の毎日は始まりを迎える。
 ベッドから離れたくない欲望を振り切って体を起こせば、堪らず欠伸が沸いてでた。

「ん、……朝か」



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1403096199


 本日は幸いにも冷え込みは淡く、上に一枚厚手のものを着込めば苦痛なく過ごすことが出来そうね。と、眠気眼でぼんやりと思考を巡らせながら着替えを済ませる。

「アッチはもう起きてるでしょうね。ソッチは……まあ、うん」

 そして、二階にある私室からリビングへ降りていった。

「珍しいことも有るものだ。まさか私とほぼ同時とはな」

 すると、皮肉混じりにも嫌味のない透き通った声が聞こえた。
 言葉の通りなら既にソファでコーヒー片手に寛いでいた彼女は起きてきたばかりということらしい。

 因みに彼女の寝室は地下にある。結構広めのスペースだ。
 更に言えば、もう1人の寝坊助は1階の個室を寝床にしている。

「アイツが自力で起きることなど皆無だ。諦めろ」

 私が扉の奥に視線を飛ばしているのに気付いた彼女が口を差す。
 それもそうねと適当に相槌を打った私は、ついでにといった調子で差し出されたカップを受け取り、湯気を放つ黒い液体をひと口含んだ。

「それはそうと、おはよう久」
「ええ、おはよう智葉」


久「そろそろ起こすとしましょうか」

智葉「……そう、だな」

 ソファから腰を上げ、私達はノックもなしにもう1人の部屋へ遠慮なく上がり込む。

智葉「なんせ誰も起こさなければ寿命か世界が終わるまで起きなさそうな奴だ」

 私は智葉の冗談でも誇張でもない意見に全くの同意を示す。
 そう、アレを起こすのは非常に難しい。
 彼女は目覚ましじゃまず起きない。
 体を揺すっても「朝よ」布団を剥いでも「ほら起きて」瞼は凍ったまま眉は微として動せず「朝だぞ」頭を叩いても「起きろ」ベッドから突き落としても「……ったく」智葉渾身のヘッドバッドでも「いい加減に起きろ小瀬川白望────!!!!」不動を貫いている。

智葉「……これは」

久「……水風呂にでも投げ落とす?」

智葉「そうだな。久、腕の方を持ってくれ。私は脚の方を持つ」

「まって。水風呂はダルいから止めて」

 そんな不穏な作戦に危機を感じたのか、床に寝そべったままではあるが制止を求めた。
 侭に手を放し、ダルいのは此方だと言わんばかりの盛大な溜め息を吐く智葉。

智葉「嫌なら手間をかけさせるな。私達に起こさせるなとは言わないが起こされたならすぐ起きろ」


「それは違う、ベッドから落ちた時にはもう起きてた。…………でも頭突きで気絶した」

久「本当?」

智葉「嘘だろ」

「嘘じゃない」

 私と智葉は顔を見合わせ、会話なくして検証方法を決定した。

智葉「じゃあ取り敢えず立て。私はまだお前が起きてるのかすら確信してないからな」

 なんせ放って置いたらすぐにまた惰眠を貪り始めそうだと智葉は指摘する。

「うぅ」

 彼女はゆっくりと体を起こす。
 その姿はやはり気怠げで、俗に言う生まれたての小鹿みたいだという感想を抱いた。

「これで良い?」なんて尋ねる表情は恐る恐る様子を窺っているようでも、或いは得意気のようでもあったが、しかし彼女はまだ床にべったりとお尻を着けたままだった。

智葉「いや、立てよ」

「……立たして」

智葉「甘えるな」

 埒が開かないので私が肩を貸すとコアラのように縋り付いてくる。

久「せめて自分の足で立つ努力をね」

 私が呆れた顔を晒すと、彼女は不服そうな、それでいて意に介してないような声色で。




白望「おはよ。久、智葉」

久「全く……おはよう、シロ」

智葉「ああ、おはよう白望」


 やっとのことリビングに全員が集った。

 そしてテーブルの上にトン、と置きたるは穴の空いた筒状の箱。
 箱の中には万点棒、五千点棒、千点棒が一本ずつ入っている。

久「早速チョマくじをしましょうか」

 私達3人はこの家屋『3ぴーす』でルームシェアするにあたって幾つかのルールを決めた。
 その内の1つが『コレ』であり、1日の役割を決めるものである。

智葉「起きた順で一番目に振るのは私だな……千点棒か。掃除だ」

久「げ、万点棒。洗濯かー智葉ー代わっt「断る」ぐぬぬ」

シロ「(最後なら籤振らなくて良いからダルくない)」

 因みに五千点棒は食事係だ。

 それぞれの役割が決まった所で各々行動を開始する。(シロは智葉が淹れたコーヒーを飲み干すまで動かない算段らしい)

久「はぁ、シロじゃないけど洗濯係はダルいわね」

 私は愚痴を零しながら3人分の洗濯物を抱え、玄関から外に出た。
 そう、我が家の洗濯機は屋外に設置してあるのだ。スペース的には中に置いても何の問題も無い筈なのに。

 加えて機械にかけた洗濯物を干し、乾いた前日の洗濯物を取り込んでアイロン掛けしなければならないのを考慮すると他の2つに比べて重労働なのは明らかだった。


久「あら、これは?」

 衣類全てを洗濯機のドラムに放り終えて地べたに腰を下ろしたのも束の間、視界の端に引っかかったのは分厚い封筒。
 誰かの落とし物かしら?なんて、何の気なしに手に取って。

 中身を覗いてみる。

久「……!!、!?、!!!!?!!?」

 その非現実的な物体を前に世界が白熱し、天地がひっくり返ったような錯覚に陥った。

久「落ち着け、落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け」

 夢に違いない。
 深呼吸を数度、柔軟体操も軽く、冷静さを取り戻す。

久「わお」

 夢じゃなかった。
 私は居ても立ってもいられず『3ぴーす』の中へと駆け込んだ。


久「智葉! シロ! 事件よ事件!」

 リビングに舞い戻ると智葉と白望は既に当番を終え、先に朝食を摂っている所だった。
 あーん、と口を開ける白望。その中に食べ物をつっこむ智葉。
 仲が良いというよりは主人とペットみたいで。

智葉「なんなんだ一体」

白望「もぐ、そんなに声を荒げて……もぐ、どうし。もぐ、た。もぐ、の?」

久「……」

 まるで緊張感のない光景に気が抜けそうになるが、構わず続ける。

久「2人とも、耳かっぽじってよく聞きなさい」

智葉「分かったからさっさと話せ」

久「ふふふ……くふ、それがねっ、あのねっ、ぬふふふふ」

智葉「なんだコイツ」

白望「ダルい」

久「じゃじゃーんっ!」

 結局、不気味な笑いを堪えきれないので口で説明することを断念し、彼女ら自身の目で確認してもらうことにした。

 封筒の中身をテーブルの上に広げる。

智葉「……おい」

白望「すごいね。これ、どうしたの?」

 それは厚さ数cmはあるだろう福沢諭吉の束。
 目を見開いて驚嘆する2人に、そうよその表情が欲しかったのよとカメラマン的な感想を得て心の中で握り拳を作った。


智葉「で、だ」

久「?」

 こほん、と智葉は喉を鳴らし態度を改める。

智葉「大金を拾った。それはいい。……が、これを久はどうしたいんだ? まさか使ってしまおうだなんて思ってないだろうな」

 そして鋭く細められた眼で、訝しげに睨み付けられた。

智葉「落とした人は間違いなく困っているだろうな。持っているだけで危険に晒される可能性がある。綺麗な金だという保証もない。警察に届けるべきだ」

 そうだろう? と智葉は淡々と告げながら私に肯定を促そうとしてくる。

 確かに、彼女の言うことは正しい。
 しかし私はこの札束を手放したくないと感じていた。

久「使うというのは論外だけど……警察に届けるというのは反対だわ」

 それは物欲による金惜しさでは決して無く、悪待ちで鍛えた第六感が囁くのは出逢いの予感。
 私は、この札束の入った封筒を私が拾ったということに縁を感じる。

智葉「は?」

白望「なんで?」

 表情を一層しかめる智葉と、きょとんとただ純粋に疑問を漏らすだけの白望。
 2人を説得する方法を模索する為に、私の都合の良い脳みそはこんな時だけ光の速さで回転した。


久「だって封筒に記名は無し、札束以外に何も中に入ってなくて持ち主の手がかりはゼロ。そんな落とし物、一体誰が自分の持ち物ですって証明できるのかしら?」

白望「……それはお金を落としたって知ってることが証明になるんじゃないのかなぁ」

 白望は普段はとぼけたような性格なのに、状況に惑わされず思考し、且つ相手の感情を察するのが物凄く巧い。

久「本当に?」

 だからこそ、それを逆手に取る。

智葉「何が言いたい」

久「この落とし物の存在を知っているのが元の持ち主と私達だけじゃなかったらってこと」

智葉「持ち主を騙る者が現れるかもしれないということか? そんなの、私達が気にしても仕方ないだろう」

久「でも拾ってしまったら正しい持ち主に返したいじゃない。 他にも私達の誰かがうっかり口を滑らせて人から人へ悪い奴へ……ってことも有り得るしね?」

智葉「ちっ」

 舌打ちし、苦い顔を隠そうともしない智葉。
 彼女はこういった汚い手口を嗅ぎ取ることに関して非常に敏い。智葉だけに。
 どうやらもう感づいたご様子で。

智葉「(つまり久は暗に私達を脅している訳か。警察に届ければ誰かしらに協力してもらい金を回収する、と)」


白望「……じゃあ、久は自分で持ち主を探し出したいんだ」

久「そうそう、ってシロは手伝ってくれないの?」

白望「……だる」

 いけど仕方ないから手伝う、という意味。悪しからず。

智葉「まあ持ち主に返す気が有るなら構わないが、それまで誰が責任を持って保管するんだ?」

 智葉にもある程度の納得は貰えたようで、話は次のステップへ。

智葉「久に任せるとふとした瞬間に使い果たしてしまいそうで恐いんだが」

久「そうね。智葉に任せると偶然出逢ったお金に困ってる人に善意で渡してしまいそうで不安だわ」

白望「因みに私に任せたら『レッドライン』のツケを払ってきちゃうから却下で」

3人「「「………」」」

 やっぱり警察に届けた方が間違いないと痛感するが、ここまで話を進めた以上は貫き通すことにした。

久「ここは3人で等分しましょうか」

白望「えっ」

智葉「そうだな。それならもし何かあった場合のダメージも少なくて済む」

白望「ちょっと」

久「あら、その場合は自己責任でお願いね」

白望「待って」

智葉「おまえが一番危ういんだよ馬鹿久」

白望「私の話を聞いて」

智葉「ところで洗濯は終わったのか?」

久「あっ」

白望「ねえってば」

智葉「さっさと終わらせろよ。飯が冷める」

久「はーいっ」

白望「だ、だるい……」

本日はここまで

このSSは久咲、シロ咲、智葉咲、その他諸々の提供でお送りします

感想ありがとうございます
なるべく間隔空かないように頑張りますので最後まで付き合っていただけると嬉しいです

投下します


 それから札束の枚数を3人で数えることにした。

久「諭吉がひとーり。諭吉がふたーり」

智葉「普通に数えろ」

白望「諭吉が5人、諭吉が6人」

智葉「ほら白望が真似してしまっただろ。教育上良くないから止めろ」

久「はいはい智葉お母様」

智葉「お前のような子を産んだ覚えはないな」

 結局、ぴったし百万円。
 等分すると一万円余るので、どうせなら使っちゃう? と私が提案したが、即却下。
 話し合った結果、いつだったか3人でお金を出し合って買った交通安全の御守りの中に、その1枚を畳んで入れて、テレビが背を預けている壁に吊すことにした。

 そして残りの隠し場所をそれぞれが決めた頃、時計に視線を向ける。

久「良い時間ね。」

 私達は1人1人、異なったバイト先で働いている。

 私は喫茶店。因みに店名はマンハッタン……ではない。

 智葉は外国人向けの日本語学校で講師をしている。

 白望はスポーツショップだったか。何でもスキーやスノーボードが好きらしく、理由を尋ねたら『流れに身を任せてれば良いから』らしい。
 一聞、格好良く聞こえるが本人の性格を考慮すると納得半分呆れ半分といったところだ。


久「それじゃあ2人とも宜しくね」

 支度途中に話した、持ち主を捜す上での注意点について再度確認する。

久「人に聞く時は落とし物を探してる人がいないか、もしくはお金に困っている人がいないかのどちらかで、絶対にこの2つを一緒に聞いちゃダメよ?」

智葉「その辺は心得ている。任せておけ」

白望「とにかく片方だけ聞けば良いんでしょ」

 私達は意味もなくアイコンタクトを送り合い、頷き合い、悪戯に笑い合う。
 きっと偉そうな事を言う智葉も、背丈のある白望も、そしてどうしようもない程に私も。
 心は子どものままで、心の底では、或いは心の底から、こんな日常の中にある非日常を楽しんでいた。

久「それじゃあバイト終わったら今日は久しぶりに『レッドライン』で集まりましょうか」

智葉「確かに最近ご無沙汰だったな。良いだろう」

白望「あそこだったら、何か知ってる人がいるかも」

 私達は『3ぴーす』に背を向ける。

「「「いってらっしゃい」」」

 同時に発した言葉は、私達が共に過ごす為に決めたルールの1つだった。
 だから、返す言葉もやはり私達自身で決めたルール以外には有り得なくて。

「「「じゃあ、いってきます」」」

 清々しい気持ちを胸に、そんな1日を毎日続ける為に。

───side智葉in日本語学校

ネリー「サトハ、おはよっ」

ダヴァン「サトハ、おはようございマス」

明華「おはようございます智葉」

ハオ「おはようです。サトハ」

智葉「ああ、おはよう。ネリー、メグ、明華、ハオ。みんな今日も元気そうだな」

「………」

智葉「? どうした」

明華「それが……」

ダヴァン「どうやらネリーのご家族が轢き逃げに遭ったよウデ、一命は取り留めたもノノ治療費もろもろお金が足りないみたいなんでスヨ」

智葉「(違ったか)……保険は入ってなかったのか?」

ハオ「入院期間が長くなりそうで補償額を超えてしまいそうらしいです。サトハ、どうにかなりませんか?」

智葉「そう言われてもだな」

ネリー「さとはぁ……たすけて……」

智葉「(これは他人の金これは他人の金これは他人の金)因みに幾ら必要なんだ……?」

ネリー「さんじゅう、さんまんえん」

智葉「くっ」

ネリー「……さとはぁ」

智葉「(どうする、どうする。辻垣門智葉────!!)」

…………

……




智葉「Life Card」


久「お邪魔しまーす」

白望「お邪魔……」

 時計は夜の8時を回って、私は白望と合流した後に『レッドライン』へと足を運んだ

晴絵「よー、いらっしゃい」

 それは私達の姉貴分のようなそうでもないような赤土晴絵が経営する酒場である。
 レッドラインの命名は考えなくても分かる通り彼女の名字から取ったものだ。
 正直、正気を疑う。

晴絵「久、いま失礼なこと考えただろ」

久「あらやだ心外だわ。私は晴絵に足を向けて寝られないのはよく知ってるでしょ?」

晴絵「そりゃそうだ。3ぴーすからだと北枕になるからね」

 とまあ、彼女とはこんな軽口を叩きあえるくらいの仲だ。

白望「晴絵、塞は?」

 白望が口にする塞とは、臼沢塞のことだろう。
 同じ高校で過ごした昔馴染みの友人だとか。

晴絵「今日は休みだよ。ははん、なーんだシロの癖に色気づいて……残念だったか?」

白望「少し、かなぁ。塞は私と違ってマメにみんなと連絡取ってるみたいだから、ちょっとみんなの様子について知りたかった」

晴絵「……つまんないやつ」

 晴絵は自身が想像していた反応を貰えなかったせいか、不機嫌そうにグラスを置いた。

晴絵「ほら、久は杏子酒ロック。シロはホット烏龍だろ。久しぶりに着たからサービスだ」

 それでもすぐさまコロッと表情を変え、いつもいつでも変わらなく接してくれる。
 私達よりずっとずっと大人だけれど、他のどの大人よりずっとずっと私達に近い。
 それが、私達3人が彼女に懐く理由なのかもしれない。

久白「「……いただきます」」


白望「あ、そうだ。晴絵、お金に困ってる人知らない?」

 無料でいただいた心意気の一杯を空にしたところで、思い出したように白望が尋ねた。

晴絵「そりゃ私だろ。あんた達、一体いくら私の店にツケてると思ってんの」

久「あー」

 藪蛇だった。
 聞こえなーいと両耳を手で塞ぎながら、晴絵に聞くなら落とし物の方でしょ。という視線を白望に送る。

白望「あー」

 そっぽ向かれた。
 困った風に眉を曲げているものの、見ざる聞かざる我関せず。

久「実際、どれくらい溜まってるの?」

晴絵「そうだな、見積もって30万ちょっと? 以前のあんた達は毎日のようにここに通ってたからね」

久「シロ……」

白望「……久」

 2人で椅子を180度回転させ、緊急会議を開催する。
 もちろん晴絵に聴かれないようなひそひそ声で細々と。

久「どうする? 使っちゃう?」

白望「私もその方が良い気がしてきた。私達の平和の為に」

久「少しくらい良いわよね」

白望「1/3は少しじゃないと思う……」

智葉「良い訳ないだろ!」

 いつのまにか智葉に背後を取られ、怒鳴り声と共にガツンと拳骨まで降ってきた。


 腫れたたんこぶがぷすぷすと湯気を発していて痛いというより熱い。
 お陰様で白望は動く気力を無くし、死んだ魚の眼で床に寝っ転がっている。

久「もうちょっと、手加減してくれても良いのよ?」

智葉「お前たちにはこれくらいしないと薬にならないだろ」

晴絵「あはは、智葉。お前も相変わらずだなぁ」

 晴絵は苦笑いを零しつつ、智葉へのサービスドリンクを用意しようとする。
 それを、智葉は手のひらを突き出して制止を促した。

智葉「晴絵、悪いが私達はこれで結構するよ。だから気遣いは無用だ」

 智葉は白望を背負い、私の腕を掴んでレッドラインを後にしようとする。

晴絵「待ちな」

 しかし、晴絵の芯の通った声は釘のように私達の体に突き刺さり、店から退くことを赦さなかった。

晴絵「なんだか知らないが何となくお前たちが金を持っていることは分かる」

 私達は体が動かないなりにお互い顔を見合わせて。

晴絵「ツケは払える時に払いな」

 今度こそ、意味があるアイコンタクトを発動し。

久「逃げろ!」

智葉「承知!」

白望「ダルい」

晴絵「あっ、こら待て!」

 一目散に逃げ出した。




晴絵「あー……っはっは。たく、仕方のない奴らだ。見てて飽きないよ、ホント」


 あっという間に店の影は小さくなり、街の光に呑まれて消えた。

白望「こんなに、はしったの、ちょー久しぶりかも……」

 3人が3人、誰もが肩で息を吐き、冬なのに汗で全身びしょ濡れだった。

久「さーとはっ、貴女も一杯くらい飲んでからで良かったんじゃないの?」

智葉「馬鹿か、これ以上ツケを増やしてどうする。晴絵のあの言葉、至言だと私は思うぞ」

 それもそうね、と智葉に返し、私はシャワーを浴びたい一心でふらつく足取りを前へ。

智葉「そうだ。言い忘れていたが」

 ぼんやりと響く智葉の声を無視して前へと、そこはもう我が家3ぴーすの目の前だった。

智葉「見つけたよ。封筒の持ち主」

 その玄関には膝を抱いて座っている人影が1つ。
 雷鳴に撃たれたかのように意識が覚醒する。

白望「あれが100万の持ち主……?」

 私が想像してたのは、儚げな美人か、もしくは悪党。
 そんなドラマめいたことを夢想し、胸を膨らませていた。

───でも、そんなことは有り得なくて

「あっ……!」

 こちらの存在に気がついた人影は、ちょこんと立ち上がり小さい歩幅で近づいてくる。
 直線に並んだ電灯がフィルムのコマ送りのようにその姿を点々と映し出す。


 それは年端も行かない女の子だった。

久「貴女、こんなところでどうしたの?」

 怯えさせないよう、出来るだけ柔らかく優しい声音で語りかけることに努める。

「あ、あの……」

 だって、まるで今にも泣いてしまいそうで。
 泣いてしまえば、薄い氷か硝子のようにひび割れて粉々になってしまいそうだったから

「こ、これ」

 差し出されたその手には、紙切れが1枚しっかりと握り締められていた。
 震えて固まった指を1本1本丁寧に解いていき、取り上げて、内容に注目する。

 そこには『この子をお願いします』とだけ綴られていた。

久「なによ。それ」

 後ろを振り返り智葉と白望を見るが、2人は何も合図をくれずただ私の動向を眺めていた。
 どうするかは私が決めろ。きっとそういう意味だ。

 前に向き直り、深呼吸を1つ。
 苛立ちを払い、頭を冷まして。
 膝を折り、頭の位置を小さな彼女に合わせた。

久「私は久、貴女のお名前は?」

「え、ぅ。……さき、みやながさき」

久「そう、サキ。綺麗な響き、良い名前ね」



久「これから宜しくね。サキ」

本日はここまで

次の投下は二日後か三日後辺りになりそうです

短いですが投下します


 それから3ぴーすの中でサキにここへ至るまでの経緯を聞こうとしたが、衰弱しきっていたらしくふと目を離した隙に彼女は眠り転けてしまった。

 考えてみれば当然か。
 最短でも今朝からついさっきまでのほぼ1日、何処へ行けば良いのかも分からず外を彷徨っていれば疲れ果てるしかない。
 それも彼女のような幼い子供なら尚更だ。

サキ「すぅ……すぅ……」

 ソファの上、私の膝を枕にして眠るサキ。
 私は髪を梳くように彼女の頭を撫でながら、ぼんやりとその寝顔を眺めている。
 規則正しい寝息は心地よく鼓膜を揺らし、感情の澱を濯いでいく。

智葉「久」

久「なに?」

 ソファの後方、智葉は普段食卓を囲む椅子に座っている。
 私と智葉は背中で向かい合い、互いの顔を見ないまま言葉を交わす。

智葉「おまえの決めたことだ。文句は付けないし、人として正しい決断だと思う」

久「うん」

智葉「ただ、他人を養う、面倒を見る、それも飯と寝床を与えれるだけでは生きていけない子供を。どれだけ大変なことか想像できるか?」

久「そんなの分かる訳ないわ。やったことないもの」

智葉「そうだな、その通りだ。……だが、今の話を聞いて少しでも怖じ気付いたり迷ったのなら止めた方が良い。きっとサキの人生を滅茶苦茶にしてしまう」

 その言葉の1つ1つが私を試す。
 敢えて私の不安を煽り、けれど決して大袈裟に言っている訳でもない。

 ───智葉が突き付けているのは、単なる事実でしかない。


智葉「幸いにもこの国にはサキのような子を預ける施設が少なからず有る。今から施設に預けることにしても、私は決して久を軽蔑したりなんかしない」

久「……うん、分かってる」

 智葉が言いたいのは、中途半端に接して裏切るくらいなら最初から関わらない方がサキの傷は浅くて済む。
 一緒に暮らすなら、それこそサキが自立するまで付き合う覚悟をしろ。……そういうことだ。

智葉「それでも心は、変わらないんだな?」



久「えぇ、もちろん」



智葉「そうか。なら私が言うことは特にない」

 後は行動で示すべきことだからだと、智葉は言葉を加えた。

久「これから慌ただしくなりそうね」

 私のベッドへ運ぶため、熟睡したサキを抱きかかえる。
 途中、ふと窓辺で足が止まり外を覗くと、月明かりに照らされた1つの影が地面を蠢いていた。

久「さとはー、シロが外でダルくなってるから拾ってきてーっ」

智葉「あいつ、姿が見えないと思ったら何やってるんだか……」

 ぶつくさ言いながらも重い腰を上げ、智葉はシロを迎えに行く。
 私はシロを智葉に任せ、寝室に戻りサキをベッドに寝かせた。

「おやすみ、サキ」

 きっとこれから楽しいこと、辛いこと、想像もつかない日々が待ち構えていることだろう。
 考えなきゃならないことも沢山ある。
 でも、それは明日の私に丸投げして、今夜はサキを抱き締めて眠ることにした。


 翌日、時計のアラームの音がまた新しい1日の始まりを知らせる。

 瞼を上げると、既に起きているサキと目が合った。

サキ「あの、その、ええっと……」

 サキは視線をきょろきょろ泳がせ、俯いたり、赤面したり、とても忙しそうだ。
 起きた時、出逢ってまだまともに会話もしてない人間が目の前にいたら当然の反応か。と思う。

久「サキ、おはよ」

 サキを落ち着かせる為に頭をくしゃくしゃと撫でてやる。

サキ「あぅ、はぅ。や、やめて!」

 逆効果だった。
 びくりと体を跳ね上げ、思いっ切り拒絶されてしまった。
 流石の私もこれには落ち込む。

サキ「ちがっ、そうじゃなくて。……あのっ」

 否定を口にするサキの表情は熱を帯びていて、心なしか幼女とは思えない程に色っぽい。
 私の腕の中、体を小刻みに震わせて、内腿を摺り合わせているように感じるのは気のせいだろうか。

サキ「あ、うあ」

 気のせいでないのなら、答えは1つしかない。

久「待って!ちょっと待って!本当に待って!今トイレに連れてくからあと10秒耐えて!!」

 サキを抱っこしたまま早急にトイレへ駆け込んだ。

「やめてぇ!ゆらさないでぇ!!」

 サキは涙目だった。
 私も泣きそうだった。


久「ふぅ……」

 なんとか間に合った。
 一息吐き、トイレの横の壁に寄りかかる。

サキ「あの、めいわくかけてごめんなさい……」

 扉の向こうから聴こえたサキの声は、顔を見なくても恐がっているのが分かるほど震えている。

久「謝らないで良いのよ。子どもは大人に迷惑をかけるのが仕事なんだから」

サキ「でも」

久「でも……?」

サキ「……」

 それからサキは黙りこくってしまった。
 何か悪いことをしてしまったのか不安になる。
 何を話せば良いのだろう。彼女のこと、何処から聞けば良いのだろう。

 考えれば考えるほど深みに嵌り、どう接すれば良いのか分からなくなる。

 そんな風に途方に暮れているとキッチンの方から白望が現れた。

白望「久、おはよう」

久「ええおはようシr……!?、!!?」

白望「そんなに驚かなくても」

 フライパンを片手に、エプロンをぶら下げた白望を見て呆然とする。
 1人で起きてくるのだって奇跡としか言い様がないのに、その上朝食まで作っているなんて今日地球が滅亡すると言われても私は信じる。

白望「だって久はサキのお世話しなきゃだし、智葉は夜遅く出てったみたいだから」

久「そうだったの……ありがとう。って智葉いないの?」

 あんな偉そうなこと言ってたのに自分だけ逃げたのかとも疑ったが、智葉のことだからそれは有り得ないとすぐに思い直す。

 しかし、ということは。
 智葉がいない中、私と白望だけでサキとのこれからを話し合わないといけないのか。

白望「? ……どうしたの?」

 その悩みのなさそうな白望の瞳が、今日はやけに頼り甲斐が有るように見えた。


久「さて、それでは第1回サキ会議を始めます!」

 どんどん。パフパフ。

白望「久、食事の時は静かに」

久「あ、はい……」

 いつもと違う3人で食卓を囲む。
 今日のメニューはパンを中心に目玉焼き、ソーセージとアスパラの炒め、トマトとレタスとチーズのサラダ、コーンスープ。

 いつもより皿の枚数が多い。今朝の早起きといい確実に気合いが入っている。
 実は白望は子ども好きなのかもしれない。

白望「サキ、何か苦手なのとかある?」

 サキは首を横に振る。

白望「そう。良かった」

久「ねえサキ、あなた「待った」」

 サキに幾つか質問しようとすると白望が遮った。
 私は不満気な表情で白望を睨むと彼女は顔を寄せ、小さな声で耳打ちする。

久「何よ」

白望「無理に聞かないで、サキから話してくれるのを待った方が良いんじゃない。それまでは、打ち解けてもらえるように接していくべきだと思う」

久「シロ。口の端っこにパンくず付いてるわ」

白望「あう」

 白望の言う通りだ。
 無理に問い質してもサキを萎縮させてしまうだけ、そんなことにも気づかないなんてどうにも空回りしている。
 そして私より心得ている白望に、ちょっとだけ嫉妬した。


 それでも、伝えておかなきゃならないこともある。

久「サキ」

サキ「は、はい……」

久「今日から私達は家族だから、言いたいことがあったら何でも言ってね」

 そう告げると、またサキは俯いてしまった。
 どうすればこの子の笑顔が見られるのだろう。
 そのことで頭が一杯になって、思うように箸が進まない。



久「ご馳走さま」

サキ「ごちそうさまでした」

白望「お粗末さま」

 結局、サキは朝食を半分以上残してしまった。

白望「サキ、美味しくなかった……?」

 白望は見るからに残念なオーラを纏いながらサキに尋ねる。
 それをサキは、首を左右に振って否定する。

白望「じゃあ、お腹いっぱい?」

 今度は何度も頷いて肯定した。

白望「そっか。じゃあ今度はちょっと量に気をつけてみる」

サキ「ごめんなさい……」

 そして、サキはまた謝る。
 もしかしてあまり良くない家庭環境で育ったのだろうか。

久「大丈夫よ。サキ、誰も貴女を怒らないわ」

 兎に角、進めるべきことを進めなければ。
 食器をひとまとめにして広くなったテーブルの上に、ペンと紙を置く。

久「まず、サキがここで暮らす上で必要な物を書き出しましょうか」

白望「はい。とりあえず衣類一式と食器一式、寝具一式、あと歯ブラシとか」

 殆ど言われてしまった。
 というかそれ以外に何か必要な物ってあるのだろうか。

久「サキは何か欲しいものってある?」

白望「なんでもいいよ。……お菓子とか、玩具でも」

サキ「……」

 試しに聞いてみたものの、やはりサキは無言のまま押し黙ってしまう。

久「シロ、掃除と洗濯を済ませたら買い物ついでに3人で散歩に行きましょ」

白望「うん。気分転換には良いかもしれない」

久「サキもそれで良い?」

 サキは、一度だけ小さく頷いた。

今日はここまで


次回の投下も大体今回くらいの間が空きそうです

投下します


 白望と私でサキを左右から手を握り、過度に魚を詰めた水槽のような街中を歩いていく。

 見上げれば鈍色が支配する曇天の空模様。
 今日は風の流れが速く、形を変え、千切れながら蠢く雲の動きはまるで街の様子を鏡で映しているようだった。

久「サキ、寒くない?」

 尋ねれば、サキはふるふると力強く首を振り、大丈夫だと精一杯主張する。

久「そう……何かあったら言ってね?」

 そう囁くように告げながら目線を合わせようと膝を屈めるも、サキは一向に顔を背けてしまった。

「あら、お嬢ちゃん達。いつから子連れになったんだい?」

 声に誘われ顔を上げれば、進行方向先から老年の女性がこちらへ歩いてきていた。

白望「……トシさん。こんにちは」

久「こんにちは、トシさん」

 熊倉トシさん。
 私達が学生の頃、色々とお世話になった謎の人物。その頃は教師、現在警視庁捜査二課課長。
 晴絵とも長い付き合いらしい。

トシ「やあ白望、久も。相変わらずで何よりだ」


久「サキも、挨拶しましょ?」

白望「ほらサキ。こんにちはって」

 白望がサキの肩をポンと押し、トシさんの前に立たせる。

トシ「こんにちは、お嬢ちゃん」

 トシさんはにこやかに微笑み、サキに会釈する。

サキ「あっ」

 ところがサキは逃げるようにして私の後ろに隠れてしまった。

久「(うわ……これヤバい)」

 サキは私の足にしがみつき、脇からひょっこりと探るように顔を覗かせる。

サキ「こ、こんにちは……ごめんなさい」

 スカートを掴む弱々しい力が愛おしい。これが母性か。
 サキが多少は懐いてくれた兆しを感じ、嬉しさのあまり顔がにやつくのを必死に堪える。

久「よく挨拶できたわね、偉い偉い」

 私は上機嫌でサキの頭を撫でて褒め称える。
 すると白望がサキを背後から抱き締め、奪い去った。

白望「このおねーちゃんは危ないから、しがみつくなら私の方が良い」

 何か白望が失礼なことをサキに教えている。

久「シロ、誰が危ないって?」

白望「久。……むしろ他に誰がいるというのか」

サキ「あ、あのっ、えっと」

トシ「ほらほら喧嘩しない。お嬢ちゃんが困ってるから離してやりな」


 トシさんに窘められ、白望と仲直りの握手を交わすことになった。

 私達は幼稚園児かと。

久「悪かったわね。サキがあまりにも可愛く私にしがみつくものだから嫉妬しちゃったんでしょ?」

白望「勘違いしちゃダメ。久は隠れやすいスカートを穿いていたから選ばれた。私がスカート穿いてたら間違いなくサキは私を選んでいた」

 私と白望は羞恥心と対抗心を握力に変換し、我慢比べと興じる。

白望「むむむ……」

久「ぐぬぬ……」

 互いに一歩も引かない攻防が繰り広げられる。
 脇目におろおろしているサキには悪いが、人間というのは絶対に譲れない戦いというものがあるのだ。

トシ「いい加減にしな2人とも」

久・白「「ごめんなさい」」

トシ「全くいつまでたっても子供っぽいんだから、まあそこがあんたたちの良いところでもあるんだけどねぇ」

 さすがのトシさんも呆れ顔だった。

サキ「あの……」

 サキはトシさんの傍へ寄り、お辞儀をする。

トシ「ん、なんだい?」

サキ「けんかをとめてくれて、ありがとうございます」

 その光景を、私達は目を真ん丸にして眺めていた。
 あのサキが自分から人に声をかけるなんて、と。

トシ「お嬢ちゃんは偉いねぇ、この2人よりずっと大人だ。私が太鼓判を押してやろう」

 これが大人力の差か。
 あっという間に打ち解けるサキとトシさんの前に、私達は惨めな敗北感を味わった。


トシ「しかしこれが智葉の言っていた子か。なかなか良い子じゃないか」

久「そーですねー」

 何やら聞き逃せない言葉が聴こえたような気がするが、追求する気力がないので視線でその役割を白望にパスする。

トシ「こら、いつまで拗ねてるんだい」

シロ「トシさん。智葉と会ったんだ……」

トシ「ん? ああ、智葉から連絡を受けてね。大体の事情は聴いてるよ」

 相変わらずフットワークの軽い。
 昨夜、智葉が3ぴーすを出たのはそれが理由か。
 もしかしたら今頃サキの家族を探して奔走しているのかも知れない。

久「じゃあ、私達がサキを預かってても良いのね?」

 トシさんは頷く。

トシ「本来は警察に届けるのが先だがね。今回は大目にみてやろう」

久「さっすが、話が分かる!」

トシ「但し、その子があんた達と住むことに対して了解をしっかり取ること。良いね?」

 そう言えば、私達で殆ど勝手に決めて、サキ自身には何も聞いていなかった気がする。
 そもそも碌に話し合いも出来ていないので仕方なくはあるけれど、サキにとって重要なことに違いない筈なのに。

久「分かったわ」

白望「任せて」

 トシさんはにっこりと一瞥すると、それじゃあ任せたと告げて去っていった。

久「サキ、シロ。行きましょうか」

白望「うん。……サキ、行こう」

 そして私達はまた左右でサキの手を握り、街の中を歩き始めた。

今日はここまで

沢山のコメントをありがとうございます
初SSですので至らない部分も多々あると思いますが気持ちよく読んでいただけるよう精進していきたいです


では投下します


───デパート内・ファッションエリア

久「分かってないわ、全然分かってない。そんなんじゃダメよ」

白望「分かってないのは久の方。……久には失望すら覚える」

 正直、ここまで白望との感性に違いがあるとは……今まで同居してこれたことが奇跡だったんじゃないかと思うくらいにかけ離れている。

サキ「あの……け、けんかしないで……」

 サキには悪いが人には絶対譲れない戦いが以下略。
 敵意剥き出しの視線が絡み合い、サキの頭上で火花を放つ。

 VS白望、ラウンド2の始まりだ。

久「何回言えば分かるのよ!サキにはこの猫耳フード付きのパーカーが似合うの!」

白望「サキにそんな媚びた服は似合わない。素材が良いから。シンプルかつ清楚な白のコート。これで決まり」

久「素材が良いからこそ可愛さが際立つんでしょ!? 可愛い×可愛い=最強。これが真理よ!」

白望「完成された芸術に余分な装飾はいらない」


 お互い主張を曲げないまま意見がぶつかり合い、平行線の状態が続く。

智葉「(違うぞ2人共。サキが一番似合う服装は)」

久白「(!?)」

 智葉、脳内に直接……?

智葉「(め、メタル系の黒ジャケットだ)」

久白「(……)」

久「(……んふふっ)」

白望「(……ぷぷっ)」

智葉「(!?)」

 その発想は無かった。
 というか選択肢に入るのがまずおかしい。
 そして発言に照れが混じってるのがまた狡い。
 せめて自信を持って言って欲しい。

久「あーあ」

 なんだか一瞬で頭が冷めた気がする。

久「もう両方買っちゃおっか?」

白望「そうだね。そうしよう」


サキ「……?」


久「ところでサキ、このジャケットどう思う?」

サキ「え、えと……それはちょっと……」

白望「だよね」

久「これはないわよねー」


───家具小物エリア

久「サキー、犬のコップと猫のコップどっちが良い?」

サキ「えと……わんちゃん」

久「わんちゃんかー可愛いわよねー(サキが)」

白望「サキ。赤い歯ブラシと青い歯ブラシどっちが良い?」

サキ「あか……かな」

白望「赤を選ぶと血塗れ」

サキ「!?……じゃ、じゃあ、あおっ」

白望「青を選ぶと首を絞められて顔面蒼白……」

サキ「うえ……や、やだ……」

白望「……ごめん、冗談」

サキ「よ、よかったあ……」

久「サキー、水玉模様の枕と花柄の枕どっちが良い?」

サキ「うーん……はながら、かなぁ……」

久「そう、じゃあお布団と合わせて買っちゃうわね」

サキ「えっ」

久「どうかした?」

サキ「あ、その……な、なんでも……ないです」

久「?」

白望「サキ。赤いスリッパと青いスリッパ……」

サキ「しろで」

白望「私?」

サキ「えっ、……そうじゃなくって……その、しろいろの……」

久「シロ、いい加減にしなさいよ」

白望「ゴメンナサイ」


 ショッピングを一通り済ませたので、休憩を兼ねて昼食を摂ることにする。
 たんまり買い込んだ荷物は全て3ぴーすに郵送、今夜にも届くことだろう。

 その目的の店へと向かう道中、ふと何やら困っている様子の女性が目に入った。

サキ「あ、あの……」

 サキもどうやら気付いているようで、繋いだ手を小さな力で引っ張ってくる。

久「分かってる。助けてあげてって言いたいんでしょ?」

 サキはこくりと頷いた。

久「ちょっとそこの貴女」

「……はい、私でしょうか」

 声に反応し、その女性は振り返る。
 落ち着いた声質に不釣り合いなあどけない顔立ちで、片目を瞑っているのが特徴的だった。

久「何か困ってるようにお見受けしたのだけど、協力できることがあればお手伝いしましょうか?」

「え? え、えっと……結構です! ごめんなさい!」

久「ちょっと待っ……ええー」

 制止の声も振り切られて逃げられた。
 何も悪いことしたつもりは無いのだけれど……何かこう、罪悪感が残る。

白望「私が声をかければよかったかも」

久「ええ、次からそうして」

 無駄に心を傷付けられ、脱力するしかなかった。


 そうこうして私達はファーストフード店へ入った。
 サキのことを考えるとレストランの方が良かったのだが、先程の支出で財布の中身が底を着くので断念。

サキ「はむ……んっ」

 サキは小さな口でハンバーガーを精一杯頬張っている。

白望「サキ、ソース付いてる」

 そう言って白望はハンカチを取り出し、サキの口元を拭った。

サキ「んぅ」

 とても微笑ましい光景だった。眺めているだけで傷心が癒されていく。

白望「それで、これからどうするの」

久「うーむ」

 確かに大体の予定を消化してしまったので、特にこれからすることもない。
 サキに聞いてみても良いが、遊園地に行きたいとか言われた日には明日の生活費がなくなってしまう。
 せめて次の給料日まで待たないと無理だろう。

 かといって、もう帰ってしまうというのも勿体無い気がした。

久「そうだ、晴絵のとこにいきましょう」

白望「お金がないから……?」

久「ぐっ」

 図星だった。

久「違っ、……ほら、やっぱり私達の姉貴分としてサキを紹介しておくべきじゃない?」

 私は慌てて取り繕い、尤もな理由を掲げてみる。

久「まあ、結果としてツケが増えるのは仕方のないことよね」

白望「仕方ない、……かなぁ」


 とは言え、開店の時間には早いのでレッドラインに行ってもまだ晴絵はいない筈。
 それに昼食をたった今済ませたばかりだし、更に飲み食いするにはお腹を空かせる必要がある。
 公園やゲームセンターで遊ぶことも視野に入れておこう。

久「……」

 脳みそを切り換えて、今一度サキのことを考えてみると疑問点が次々と浮かび上がる。

 例えばサキが3ぴーすの前で待ち構えていたこと。
 例えばサキが100万もの大金を持っていたこと。

 何故サキは1人にされたのか。
 他の家族はどうしているのか。

 幾つか思い描く想像は予想にも満たず、妄想に等しい。

 だから解決するにはサキの口から直接聞くしかない。
 けれどもサキに尋問するような真似はしたくはない。
 ひたすら待つ事しか出来ないのが、とてもむず痒い。

 サキは朝と比べると随分リラックスしてきたようだが、それでも彼女の笑顔はまだ見れていない。

───コーラの紙コップの中に積まれた氷が解けては崩れ、からりと澄んだ音を立てる。

 果たして私は、一体どれだけのことをサキの為にしてあげられるのだろうか。

 サキの心も、この氷みたいに少しずつ解けていけば良いなと思った。

今日はここまで

投下します


 それからデパートを抜け出しゲームセンターへ寄ってみたが、騒音がひどかったので入り口で踵を返した。
 どうせならデパートの中にあるゲームコーナーで遊ぶべきだったと後悔する。

 更に公園にも行き、遊具でサキと遊んでみたものの1時間もしない内に飽きがきた。
 よく夕暮れまで遊びほうけていたなと昔の私を心から尊敬の念を抱く。

 それでもサキが楽しそうならもっと頑張れたのだが、当の本人も退屈そうだったので公園から出て街を適当にぶらつくことにする。

 その道中、サキが花屋の前で足を止めた。
 店頭に並べられた色とりどりの彩りを前にして、サキはうっとりと目を奪われている。

久「(そーかそーか、サキは花が好きなのね)」

 気付いてからの行動は早かった。
 サキのお守りを白望に任せ、私はアクセサリーショップへ駆け込んだ。
 店内に入れば視線を縦横無尽に走らせて、イメージしたものに近い商品を探し出す。

久「んーと……あったわ」

 手に取り、チラッと値札を確認してからレジで会計を済ませ、サキの下へと舞い戻った。


 3分ジャスト。
 白望が不思議そうに此方を見つめてくる。
 花に夢中になっているサキに視線を配りながらこそっと白望に耳打ちすると、より一層怪訝な目つきになり、それでもお願いした通りサキの両目を手のひらで隠してくれた。

サキ「ひゃっ!?」

白望「ごめんねサキ。……私もこんなことしたくないけど久に脅されて……」

久「こらシロ、適当な嘘言わないの。サキー少しじっとしててね?」

 白望にサキを押さえつけてもらっている間、私は慣れた手付きで作業する。
 急な出来事に、サキは頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら怯えていた。

久「シロ、サキ、もう良いわよ」

白望「サキ、似合ってる」

サキ「───え……?」

 差し出した手鏡に映る自分の顔をサキは覗き込む。

 簡単な間違い探し。
 左右で結われたサキの栗色の髪、そのゴムが白い花のコサージュ付きになっている。

サキ「わぁ……」

 手で感触を確かめるサキ、彼女の表情が一瞬綻ぶ。
 それを私と白望が見逃す筈がない。

サキ「っ!」

 鏡の向こう側にいる私達が瞳をキラキラさせているのに気付いたサキが、りんごのように顔を赤く染め上げた。

 満足気ににんまりする私。
 髪を伸ばしてお揃いにしようかと悩む白望。

 サキは慌てて此方を振り返り、頬を染めたまま顔を伏せる。
 だけども目線だけはしっかりと私達を見上げ───つまり、上目遣いで。

サキ「ありがとう……ございます」

 私は鼻血を噴いた。
 白望は逆上せて倒れた。
 智葉は眼鏡が割れた。

 いや、そういえば智葉はいないかった、幻覚か。


 日が傾き始め、空は茜色に燃えている。

久「そろそろ頃合いね。レッドラインに向かいましょうか」

 腕時計は午後5時を指していた。
 サキは1日中歩き回ったせいで、多少疲れの色も見え隠れしている。
 あまり遅くなるのは避けた方が良いだろう。

 私達は体の向きを変え、レッドラインへと歩を進めた。

───
──


久「やっほー、来たわよ晴……えっ」

晴絵「昨日振りじゃないか久、シロ……んーと、どうした?」

 レッドラインに辿り着き店内に入ったのも束の間、カウンターには見知った顔が並んでいた。

白望「さえ。やっほー」

塞「わあ、シロだ。ちゃんと生きてたんだ、びっくり。偶には胡桃達のとこにも顔だしなよ」

白望「うん。考えとく……えーと、この人は?」

「あ、あなたは……!!」

 経営者の晴絵、店員の臼沢塞は良いとして。もう1人……何故ここにいる。

塞「ああ、私が通ってた大学の同級。……え、なになに? 知り合い?」

美穂子「昼に会ったナンパの人!」

全員「「「「!?」」」」


 いや、してないし。
 ナンパしてないから。
 周りの冷たい視線が突き刺さる。

久「あれは貴女が困ってる様子だったから話を伺っただけでね」

塞「あーゴメンね久、美穂子は田舎から出てきたから都会に変な偏見があってさ。ちょっと顔見知りの気もあるし」

美穂子「悪い人じゃないんですか?」

久「シロ、弁解するの手伝ってよ」

白望「……ダル」

 悪い癖がここで出た。
 深い深い溜め息を1つ、盛大に吐き出す。

晴絵「久、その小さなお客さんは?」

塞「えーすっごい可愛いじゃん、どうしたの? 迷子とか?」

 良いタイミングで晴絵は私の陰に隠れているサキに気付いてくれた。
 説明するついでにナンパの誤解についても解いてしまおう。

久「えっと、この子は───」


 私は雑把に事情を話した。
 次第に真剣なものへと変わっていく晴絵達の表情。

久「───ということなのよ。それで晴絵に紹介する為に今日ここを訪れたって訳」

晴絵「ふーん、なるほどね……自分達の力だけでなんとかしようとせず、協力を仰ぎにきたことは褒めておくよ」

 ただし、と晴絵は付け加える。

晴絵「その協力ってのが今日の晩飯の相談じゃなければもっと良かったんだけどな」

久「あはは、ご馳走様。ほらサキ、一緒に食べましょ?」

晴絵「(こいつ……払う気ないな)まあ良いさ、今日は美穂子の就任祝いだし野暮なことは言わないよ。パーッとやろうか」

白望「へーおめでと。どこの?」

美穂子「えっと……シロさん、ですよね。こちらの公立小学校の臨時教師にです」

久「学校、学校ね……サキ、貴女は何処の小学校に行ってたの?」

サキ「あ、その……しらいとだい……です」

塞「白糸台っていうとあの私立の……」

白望「名門だね」

美穂子「つかぬことをお聞きしますが、サキちゃんを白糸台に通わせることは……」

久「無理ね。私達がそんなお金持ちに見える……?」

美穂子「あ、ごめんなさ……」

久「謝らないでよ。悲しくなるから」

美穂子「あ、……済みません」

久「あーもう」

白望「久が女の子いじめてる。いーけないんだーいけないんだーせーんせーに言ってやろー」

久「先生はこの子でしょ」

晴絵「ほらほら、話は後にして乾杯するぞー。久とシロはサキがいるからノンアルコールで良いな」

久「えー」

白望「えー」


 それからというもの、近況報告ついでに楽しくお喋りを交わしたり、1人ずつサキを膝に乗せてご飯を食べさせたり、お酒を飲んでいる塞と美穂子を恨めしく眺めて晴絵に窘められたりした。

 サキは途中からうつらうつらと船を漕ぎ始めてしまうも、目元を擦って一生懸命起きている。
 眠っていいよと告げるもサキは首を横に振った。
 周りの大人に萎縮してるくせに、それでも寝ようとしないとは、案外意地っ張りなところが有るようだ。

久「じゃ、またね晴絵」

白望「ご馳走様」

 8時を過ぎ、夜も更けてきたのでお暇することにした。

晴絵「おー、またおいで。もちろんサキもね」

サキ「ありがとうございます。……ごちそうさまでした」

晴絵「お礼をしっかり言えるなんて偉いな、2人も少し見習えよ?」

久「あはは、耳が痛いわ」

白望「心が痛い」

美穂子「私も明日早いので失礼しますね」

塞「遂に先生になるんだね、頑張って」

美穂子「ありがとう、頑張るわ」


 それぞれ挨拶を済ませたので、私達は帰路を辿ろうとすると何故か美穂子が後ろから着いてきた。
 もしかして夜の街中を1人で歩くのが怖いのだろうか。

久「貴女、住んでる場所こっちなの?」

美穂子「まあ大体は。あとサキちゃん連れて夜遊びしないか心配だったので……」

 ……信用ないな。
 見張られているようであまり気持ちの良いものじゃない。

美穂子「というのは半分冗談です。昼間は済みませんでした。どうやら勝手に勘違いしてしまったみたいです」

久「やっと分かってくれたみたいね。良いわよ気にしないで」

 半分という言葉に多少の引っかかりを感じるも、誤解が解けたことに安堵し胸を撫で下ろす。

白望「大丈夫。そういうのは慣れてるから」

久「いや慣れてないから」

美穂子「それと……サキちゃんのことなんですが……」

白望「?」

久「なに?」

美穂子「その、不躾ですが……施設に預けるべきだと思います。私には、とてもじゃないですけど貴女達がしっかり面倒を見れるようには───」

 美穂子が口にする言葉はサキのことを想ってのことだったが、それでも苛立ちは募っていく。

美穂子「見ず知らずの子どもの面倒を見るというのはとても大変で───」

 見ず知らずの貴女に、私達のことを何も知らないのに、何故そんなことが言えるのだろう。

 その内容は智葉の言葉とそう変わらない筈なのに、どうしてこうも肌が粟立つか、私には分からなかった。


美穂子「興味本位でサキちゃんを預かるようなら───」

久「煩い」

美穂子「えっ?」

久「ちょっと黙って」

美穂子「いや、その……私は」

久「黙って」

美穂子「……はい」

久「……良い人振りたいなら学校の中だけでやってよ」

美穂子「そんな!私は……」

白望「……少なくともサキの前で話すことじゃないよね」

 白望の声は、まるで沸騰した血管に氷を流したように私の頭を冷ました。

 そうだ、サキだ。
 今の話を聞いて傷付いてはいないだろうか。

 と、そこで気付く。
 手に彼女の温もりがないことに。

「サキ……? サキ!?」

 声を荒げて辺りを見回すと、10数メートル先をふらふらと覚束ない足取りで歩くサキがいた。

久「サキ!待って!!」

 大声をかけるも、サキは幻影に囚われたようにその歩みを止めない。

サキ「お………ん。……おかーさ…。…お…ー……ん」

 サキはぶつぶつと何かを呟いている。
 その視線の先、横断歩道を越えた場所に仲良く手を繋いだ親子がいた。


 サキはきっと重ねているのだろう。在りし日の自分と、あの親子を。

───騒々しいエンジン音が鳴り響く。

 その幻があまりにも温かいから、サキは夢だと気付かず幻想に浸っている。

───それは次第に近付き、音のボリュームを段々と強めていく。

 もしかしたらサキは自分が捨てられたとまだ自覚していないのかもしれない。

───歩道の信号が赤に替わる。

 でも、夢はから覚める時はくる。捨てられたと気付く時が必ずやってくる。

───しかしサキは気付かず、そのまま横断歩道に足を踏み入れた。

 気付けば、壊れてしまう。
 壊れてしまえば、きっともう癒せない。
 だから私が、そばにいなくては。
 そばにいて、守らなくてはならない。

───猛スピードの車がやってくる。ブレーキをかける様子はない。

 サキは見ず知らずの子どもだけど、確かに興味本位の部分も有るかもしれないけども。
 この子に優しくしたいと思った気持ちは純粋だった。だから……

「サキ──────!!!!」

 カーライトがサキを照らし、その眩しさにサキは足を止めた。

今日はここまで

短いですが投下します


  地面を蹴り出す度に、恐怖が心を塗り潰す。
  きっと間に合わない、間に合ったとしても2人共々弾き飛ばされるのがオチだ。

  そんな気持ちとは裏腹に、体は一歩ごとに風と同化し加速していく。

  智葉に言われたのは、覚悟があるか……だったか。
  正直、そんなものは今のところ無い。
  だって、覚悟っていうのは行動した後で証明されるモノであって、幾ら格好いいことを口走ってもそれは見せかけでしかないからだ。

  私は手を伸ばす。
  やはり少し足りない。
  そのちょっと距離に絶望した私の悲痛な表情が、サキの瞳に映っている。

「……」

  諦めかけたその時、追い風が吹いた。
  違う、背中に伝わる感触は追い付いた白望の左右の手だ」

「久」

久「白望の手は、まるで私こそがサキの手を掴めと言わんばかりに私の体を押し進め」

白望「久」

久「私は遂にサキの手を───何よシロ」

 私は今、横断歩道を越えた信号機の真下でサキと2人へたり込んでいる。

 どうにか、間に合ったようだ。


 白望の声で現実に引き戻されると、今更になって足が竦み、体が震え始め、心臓が痛いくらいに拍動している。

白望「大丈夫。大丈夫だから」
久「何よシロ、心配してくれてるの?」

白望「うん」

 白望は子どもをあやすように私の頭を撫でる。
 それが今まで聞いたことがないような優しい声だったから、少し照れ臭く、だけど実感していた恐怖が和らいだ。

サキ「……さい、ごめんなさい。ごめんなさい……っ」

白望「サキ……」

 私の腕の中で泣きじゃくるサキ。

サキ「わたしの、っ、せいで、っ、ごめっ、なさ……っ」

 サキは嗚咽混じりの声で必死に謝り続ける。
 まるで見ている此方が辛くなるくらいに痛々しく、胸を締め付けられた。

久「本当よ。どれだけ危なかったか分かってるの」

 私はサキの頭を自分の胸に強く押し付けるように抱き締める。

久「横断歩道は青信号を確認してから右見て左見てもう1回右見てから渡らなきゃダメじゃない」

サキ「はい……っ」

久「絶対もう二度と危ない真似しちゃダメよ。本当に、本当に心配したっ、だから……っ」

サキ「は、い……っ」

久「も、ほんと……うぐ、うぇ……っ、ふぅぅ……」

サキ「ごめ……なさっ……ひっ、うええ……」

 盛大に泣き叫ぶ大人と子どもが1人ずつ。
 その2人の泣き声が、暫くの間夜の街に響き渡っていた。


────────

 開けた道路の一角で、黒塗りの車が歩道に突っ込んで停止していた。

 フロントガラスは割れて大きな穴が空き、バンパーは悲惨にひしゃげ、見る影もない。

 そこに1人の人物が近付き、強引にドアを開け放ち、中の運転手の襟を掴んで無理矢理引っ張り出した。

 そのまま運転手は受け身も取れず地面を転がる。
 顔からの流血も気にせず、ただ怯え、ひたすら逃げようと地面を這う。

 しかし運転手は脇腹に蹴りを入れられ亀のように引っくり返され、胸元を踏みつけられれば骨が軋む音と濁った悲鳴が運転手の喉奥から漏れた。

 暴力を振るう人物は運転手の腹を椅子にして、顔を間近に感情を殺した声で囁く。

「お前、両親は息災か? 大事な人はいるか? ……安心しろ。どうせ明日の朝刊にお前の名は載らない」

 運転手は涙を流しながら、壊れたように乾いた笑いを零す。
 そしてこの世のものではないものを見たかのように茫然自失になり、そのまま気絶した。


────────

 漸く私もサキも涙を流しきり、どうやら落ち着いてきた模様。

久「それじゃ帰りましょうか」

サキ「はい」

 少しサキの雰囲気が柔らかくなった気がする。
 私が手を差し伸べると恥ずかしそうにもじもじして、それから意を決してぎゅっと握り返してくれた。
 今までサキから手を繋いでくれることはなかったので、これは大きな進歩だと思う。

白望「サキ。私も」

サキ「はいっ」

 3人仲良く手を繋げたので、さて帰ろう。

「あ、あのっ」

 そう思ったのに、後ろからの声に引き止められた。
 振り向けば、さっき口論になった場所と全く同じ位置で美穂子が腰を抜かしている。

美穂子「だ、大丈夫ですか!?」

サキ「だ、だいじょーぶです!」

久白「「…………」」

 これは貴女が大丈夫なのかとのツッコミ待ちなのか。

美穂子「あ、良かった。あの、今そっちに行きますので」

久「あー……えーと、タクシー呼んであげるから自力で帰ってね?」

白望「ばいばい」

美穂子「え、嘘ですよね? や、やだ、待ってください!」

 サキが「え、置いて帰っちゃうの?」という顔をしているが気にしない。
 私も今日はほとほと疲れたのだ。
 私達はほんの少しの慈悲だけ与え、とっとと帰ることにした。



今日はここまで

投下します


 3ぴーすに戻ると智葉がコーヒーを片手にリビングのソファで座って私達の帰りを待っていた。

智葉「おかえり」

久「ただいまー」

白望「ただいま。智葉」

サキ「た、ただいま……です」

 智葉は寝間着を着用し、髪は濡れて艶を放っている。
 どうやら風呂上がりのようだ。

智葉「お前たちも順番に入ってくるといい」

久「……シロ」

白望「ン……サキ。お風呂入ろっか」

サキ「え、あ、はいっ」

 白望に気を遣ってもらい、智葉と2人きりになる。
 私は白望とサキが風呂場に向かったのを見計らって、智葉の隣に座った。

久「……」

 さて、何から話したものか。
 切り出そうにも話の糸口が掴めず、そわそわと挙動不審に陥っている。

智葉「どうだった。今日1日サキと過ごしてみて……これからやっていけそうか?」

 痺れを切らした智葉が助け舟を渡してくれる。
 私はその問いに、素直な感想を述べることにした。

久「楽しかったわ、すごく楽しかった。でも大変だった……サキをひと時でも独りにできないと分かったし、だからサキと暮らしていくのはとても難しいと思う」


智葉「……そうか」

 智葉は肯定も否定もせず静かに頷いた。

智葉「で、結論は?」

 そうしてコーヒーカップを鼻先に近付け、薫りを愉しみながら不敵に笑んでくる。
 どうやら私の心の内なんて見透かしているらしい。
 養うのが難しいから諦めるって? ん? 本当に? とかなんとか言いたそうな、そんな表情だった。

久「はい、白状します。サキと一緒に暮らしたいです。1人じゃ大変なんで協力してくださいお願いします」

智葉「……それで良い。よくできたな」

 智葉はまるで幼子と接するように私の頭を撫でる。
 子ども扱いするなと拗ねてみるものの、あまりにもその手付きが心地良い。

久「智葉のなでなでになんか負けないわ」

智葉「勝つ気ないだろ」

久「そんなことないけど?」

智葉「……仕方ない奴だ」

 心地良すぎて対抗心も羞恥心も秒を待たず投げ捨てる。
 私は智葉の肩に頭を預け、彼女の掌を甘受することにした。

久「(……?)」

 それからサキの話題で盛り上がり、白望が風呂から上がるまでの時間を潰した。
 なんて、私が一方的に喋り続けただけだけど。

────────


────────風呂場

白望「サキ。ぬぎぬぎしよう」

サキ「ええ!? えっ、ええー」

白望「大丈夫。人間はみんな裸で産まれてくる」

サキ「で、でもっ……」

白望「……じれったい」

サキ「やっ、きゃー!きゃーっ!!」

白望「サキ。綺麗……恥ずかしがることなんてないよ」

サキ「でもっ、そのっ」

白望「───あ、ちょっと待って」

サキ「ほっ」

白望「……あれ……」

サキ「?」

白望「……なんでもない。それよりまだ脱いでないってことは私が脱がせて良いってことだよね」

サキ「え、いやっ、ちが……」

白望「分かってる。私に任せて」

サキ「だ、だめぇーーーーーーーっ!!!」





久「なんかか弱き乙女の悲鳴が聴こえるんだけど通報した方が良いかしら」

智葉「止めておけ、心配いらん」


────浴槽内

白望「サキ。湯加減はどう?」

サキ「ちょーどいーです」

白望「そっか。良かった」

サキ「……」

白望「拗ねてる?」

サキ「べつに……」

白望「拗ねてる」

サキ「す、すねてないです」

白望「……ごめん」

サキ「……」

白望「……」

サキ「……あの、」

白望「何?」

サキ「どうしてみんな……」

白望「優しいのかって?」

サキ「!」

白望「そうだなぁ……多分、みんなサキのことが好きだから。じゃないかな」

サキ「わたし……なにも」

白望「例えば今日の朝食。サキは食べきれずに残しちゃったけど、考えてみれば知らない年上の人達に囲まれてたら緊張してご飯が喉を通る訳ないよね」

サキ「……」

白望「それなのにサキは言い訳せずにご飯を粗末にすることを悪いことだと理解してて、謝れた。これは素敵なことだと私は思う」

サキ「わたし、そんなつもりじゃ……」

白望「昼食前、困ってる人がいたら率先して助けてあげようとしたよね。サキは優しい子だ」

サキ「あ、あう」

白望「久が髪留めをプレゼントした時、すごい良い笑顔だった。こんな顔もできるんだって驚いた」

サキ「は、はずかしいです……」


白望「サキと出逢ってまだ1日だけど、その1日でサキの良い所は沢山見つかったよ。サキはすごく魅力的で、だからすごく好きになった」

サキ「ひゃあ……」

白望「……照れてる?」

サキ「て、てれてないです」

白望「……照れてる」

サキ「うう……」

白望「ふう……喋り過ぎて疲れた。……ダルい」

サキ「……シロ、さんは」

白望「゛シロ゛で良いよ。あと敬語じゃない方が嬉しい」

サキ「ケーゴ?」

白望「ですとか。ますとか」

サキ「……シロは」

白望「なに?」

サキ「シロは、おもしろいね」

白望「……ありがと」

サキ「……! シロ、てれてる?」

白望「照れてない」

サキ「シロてれてる!」

白望「照れてない。物分かりの悪いサキはこう」

サキ「きゃ、やめ……きゃー! きゃーっ!! あははっ」








久「なんか楽しそうな乙女の悲鳴が聴こえるんだけど交ざりにいって良いかしら」

智葉「止めておけ、通報するぞ」


白望「そうだ。私からもサキに聞かなきゃいけない」

サキ「?」

白望「サキが一番したいこと」

サキ「あ……」

白望「私達は、どうサキのチカラになってあげれば良いんだろう」

サキ「……えっと」

白望「迷惑とか面倒とか考えなくていいよ。だから、教えて」

サキ「……わかんない」

白望「分からない?」

サキ「はい」

白望「……そっか」

サキ「ごめんなさい……」

白望「いいよ。これからゆっくり考えていこう」

サキ「……ごめんなさい」

白望「……サキは良い子」

サキ「……いいこ、じゃないよ」

白望「サキは良い子だよ」

サキ「……」

白望「これから、よろしくね」

サキ「……はい」


 白望とサキが風呂から出てきた。
 なんだかすごく距離が縮まったみたいで、サキの表情が明らかに柔らかくなっている。

白望「お先」

久「サキ、もう1回お風呂に入る気ない?」

サキ「えっ」

智葉「お前はサキを逆上せさせる気か」

久「ちぇーっ」

 そのことに少々の嫉妬を覚えつつも、入れ替わるように今度は私が風呂へと向かった。



白望「……智葉が行けば良かったんじゃ」

智葉「馬鹿言うな、絶え間なく二度も風呂に入る奴が何処にいる」

白望「……」

智葉「なんだ、急に黙って」

白望「危ないことはほどほどにね」

智葉「……相変わらず変な所で鋭いな。白望は」

白望「それが自慢」

サキ「……?」


 沐浴を済ませ、寝室へ。
 普段より2倍ははしゃいだからか、ベッドで横になるとすぐさま眠気が襲ってきた。

久「(明日からどうしようかしら……あまりバイトも休めないし、サキからも目を離したくないし)」

 風呂上がりにリビングを通った時、ダンボールが壁際に積まれていた。
 デパートで買ったものが届いたのだろう。サキも智葉達が適当に片付けた個室の1つで、早速パジャマとベッドの使い心地を試しているに違いない。

久「(問題の1つはこれで解決か。……それでもまだまだやることは山積みね……)」

 段々と頭の中の靄が濃くなり、思考が働かなくなる。
 完全に眠りに堕ちる寸前で、誰かが階段を登ってくる足音が私の意識を繋ぎ止めた。

「……おきてますか?」

 ノックの音、私を呼ぶ声。
 そのどちらも窓の外で戦ぐ風にさえ掻き消されてしまいそうで。
 体を起こし、暗闇の中、扉の向こうに視線を送る。

久「……サキ?」

 立ち上がり、ドアを開けて迎え入れようとすると、そこには枕を抱き締めたサキがいる。

サキ「あの、……きょうもいっしょにねたいです」

 あまりの愛くるしさに、ハンマーで叩かれたように微睡みが吹っ飛んだ。

今日はここまで

すみません、スランプ気味で次の投下までもう少しかかりそうです

せめて今週中には区切りの良いところまで書き溜めます

遅くなり申し訳ありません

投下します


 サキの体は羽根か花びらのように軽い、そんなことを昨夜も思った。
 お姫様のように抱えるのは容易く、風に乗せればひらひらと舞い上がってしまいそう。

 そんな彼女をベットに寝かせ、私は隣に寄り添う。
 毛布を被されば既に鼻先が触れ合いそうな距離だった。

 そういえば寝具一式を買った時、サキが何か言いたそうにしていたが、もしかしたらそれはこういうことだったのかもしれない。
 寂しかったのか、もしくは1人じゃ眠れない質なのかは分からないけど、サキに頼って貰えるのは素直に嬉しく思う。

サキ「……」

 サキの瞳の中にくっきり映る私の顔。
 サキもきっと私の瞳に映る自分の顔を見てる。

 次第に私の顔がぼやけてきて何事かと思ったら、サキの目が潤んでいた。
 それでも私達はお互いにお互いを視線で捉えて離さない。

サキ「ごめんなさい。わたし、こんな……」

 漸く小さな口が開いたと思ったら、出てきたのは懺悔の言葉で。

久「サキが悪いことなんて何もないわ」

 それが堪らなく悔しくて、悲しくて、切なくなって。

久「だから謝らないで。お願いよ」

 ひと思いにサキを強く抱き締めた。


 心の声が少しでも聴こえるようにと、心臓がくっつくくらい密着する。

久「ごめんなさい。驚かせちゃった?」

 腕の力を少しだけ緩めるとサキは「だいじょうぶです」と答えた。
 サキの頭が肩に乗っかっている為その表情は見えないが、リラックスできているのを彼女の心音が教えてくれる。

サキ「あの」

 体の隙間を縫って、両腕を回すサキ。
 か弱い握力でも、しっかりとしがみつこうとしているのが堪らなく愛らしい。

久「何?」

サキ「ひささんは、なんでそんなにわたしにやさしくしてくれるんですか?」

久「……え?」

 そう言われると、何故だろう。
 改めて尋ねられると、はっきり言葉にするのは難しい。

久「そうね……」

 サキの頭を繊細に撫で回しながら、自分が納得できる理由を模索する。

久「人が人に優しくするのは当然じゃない?」

 取り敢えずと適当な言葉でお茶を濁してみる。
 でも、サキが欲しい答えはそんなのじゃない筈だ。

久「うん。家族っていうのにね……憧れてるのよ、私。サキと一緒にいれば本当の家族ってものが解る気がするの」

 そう、私はサキに友愛や恋愛とはまた異なる、今までにない不思議な感情が芽生えていた。


久「サキ……どうしてそんなことを訊くの?」

サキ「だって、やっぱりみんなのめいわくなら、でていかなきゃって、おもったんです」

 サキは平坦な口調で言い放つ。
 それは私が吐くような狡い嘘がこれっぽっちも混じっていない本気の言葉だった。

久「サキ……」

 何故、私がサキを放って置けないのかがやっと分かった気がする。

 誰かに頼りたいのに、他人に深入りすることを恐れている。
 誰も傷付かない距離を、いつも気付かない内に測っている。
 誰よりも傷を負うのを恐れているのに、不器用さ故に自分から傷を負いにいく矛盾。

 こんなに幼いのに痛々しく歪んでいて、見ている私が泣きそうになる。

 数瞬先にも泡のように消えてしまいそうな儚さがサキにはあった。

久「サキ、貴女……何をどうしたら良いのか分からないのね?」

 私の背中を掴むサキの手に、ぎゅっと力が篭もる。

久「約束する、私は絶対にサキを離さない。だから……出ていくなんて言わないで、お願い」

 そんな残酷で優しい嘘はサキにどう届いたのだろう。

サキ「……はいっ」

 熱い雫の珠が、私の首筋にぽつりと落ちた。


 サキは家族と再会したら、両親達の元へ戻るだろう。
 それが一番の幸せの筈だし、サキもそう望んでいる筈だ。

 だからサキを手放さないなんてのは土台無理な話と決まっている。……決まっていることを理解しているのに、平然とサキに約束を取り付けてしまう私は卑怯者に違いない。

久「サキ」

サキ「……」

久「……サキ?」

サキ「……すぅ、……すぅ」

 サキの寝息が耳朶を擽る。

久「寝ちゃったか、……サキは今日も頑張ったものね」

 体を痛めないようにとサキの頭をそっと枕に下ろして、私自身が眠るまでの間、彼女の寝顔を眺め続けた。

久「明日は今日よりもっと楽しい1日にするから、期待してて」

サキ「ぁい……おやしゅみ……ゃしゃい」

久「ふふっ、おやすみ。サキ」


 今日も普段通りに目覚ましのアラームで朝を迎える。
 腕の中にはサキがいて、まだすやすやと眠っていた。

久「(うーん、もう下に降りてかなきゃいけないんだけど無理に起こすのも可哀想ね)」

 とは言え、サキは昨夜から私の背中を強く掴んだままなので起こさず抜けるのは難しそうだ。

久「(それに夜、離さないって約束したばかりだし、サキが起きた時に私がいなかったら不安にさせちゃうかも……)」

 よし、サキが目覚めるまで待っていよう。なんて決意したのも束の間、誰かが階段を上ってくる足音が鼓膜に届いた。

智葉「久、起きてるか? もう朝だ……ぞ……」

 ノックも無しに、寝室の扉が開かれる。
 私達を見ると口元を掌で覆い、ふるふると笑いを堪えて震える智葉。

智葉「ぷっ、くく……良い絵面じゃないか。随分と懐かれたみたいだな?」

久「羨ましいでしょ? この才能を活かして保母か幼稚園の先生にでもなろうかしら」

智葉「良いかもな、目標もなく喫茶店でバイトしてるよりはずっとマシだ」

 ……冗談だっての。


サキ「……ん、んぅ……」

 サキは身じろいで、ゆっくりとまばたきを繰り返す。

久「あーあ、智葉がうるさいからサキが起きちゃった。……おはようサキ」

 私はサキを抱え上げれば自らも上体を起こし、膝へと座らせた。

サキ「ふぁ。……ひさしゃんおはようごじゃいまふ」

 サキは寝ぼけ眼でふにゃりと微笑むと、私に体重を預けてじゃれつくみたいに頭をぐりぐりと擦り付けてくる。
 どうやら寝起きは理性が働いていないようだ。

久「何これ可愛い。ねえサキ、食べちゃって良い?」

智葉「落ち着け。サキ、おはよう」

サキ「え……ひ、あ、うあっ、おはようございますっ」

智葉「……」

 小さな悲鳴とともに本格的に覚醒したサキは、パッと私から離れ、甘えているところを見られた恥ずかしさから毛布にくるまってしまう。
 そうとは知らない智葉は怯えさせたと勘違いし、なんとも渋い顔になっていた。

智葉「……先に降りてるぞ」

久「え、ええ。すぐ行くわ」

 すぐさま澄ました表情を被り直したように見えた智葉は、扉の外で深く息を吐いていた。

久「サキ」

サキ「はい」

久「あとで智葉に謝りましょうか」

サキ「……はい」


 私服に着替え、リビングに降りる。

 どうやら私達が最後らしい。
 ソファに座る智葉、その足元で頭のたんこぶから湯気を発している白望。
 文字通り智葉に叩き起こされたのだろう。やはり昨日の早起きは奇跡だったか。

白望「サキ。おはよ」

サキ「しろ、おはよー」

久「!?」

智葉「ほう」

 サキが白望を呼び捨てにしたことに衝撃を受ける。
 私があれだけ苦労してサキと仲良くなったのに、白望は容易くその上を行ったというのか。

久「シロ、昨日お風呂でサキに何をしたのか詳しく話して」

白望「……内緒。羨ましい?」

 勝ち誇られた。
 偶に見せる白望の小綺麗な微笑みが、これほど憎たらしく感じられるとは。

久「サキ、ちょいカモン」

サキ「は、はい?……わわっ」

久「んーふふ、良い抱き心地だわ。サキ、今日も一緒に寝る?」

 少し、いやかなり悔しいので此方も昨日1日で積み上げたサキとの親密度を見せ付ける事にした。


 理想通りの効果があったようで白望は珍しく自力で立ち上がり、私達に肉迫する。

白望「久、独り占めは狡い」

 そう告げるや否や白望はサキを目掛けてダイブし、私も巻き込んで智葉の座るソファに3人で倒れ込んだ。

久「ちょっとシロ重い重い重い」

白望「サキ。今日は私と寝よう」

 私が必死に訴えているのを聴こえない振りをしてサキを誘惑する白望。

久「智葉、一旦シロを引き離してくれない?」

智葉「……」

久「……智葉?」

 智葉は私の助けを求める声に全く反応せず、熱い眼差しでサキを見詰めながら思案しているようだった。

智葉「サキ」

 智葉の張り詰めた声。

サキ「は、はいっ」

 名前を呼ばれたサキは緊張感をもって返事をする。

智葉「私も交ざっていいか」

サキ「え、えと……どうぞ」

智葉「失礼」

 サキの了承を得た智葉は、私サキ白望と積み重なっている所へ更に乗り込んだ。

久「……いやだから重いから退きなさいよ!!」

白望「嫌」

智葉「断る」


サキ「あの……みなさん」

久「……どうしたの?」

 サキの真剣な面持ちに、賑やかだった空間がピタッと静まり返る。
 サキは1回ずつ1人1人と目を合わせ、それから深呼吸で心を落ち着かせていた。

 そして、ゆっくりと話し始めた。

サキ「わたし、いえにかえりたいです」

智葉「そう、だろうな」

サキ「でも、かえりかたも、じゅーしょもわからなくて」

白望「……そっか」

サキ「それと、わたし。おねーちゃんと『いえで』してきたんですけど、おねーちゃんともはぐれちゃって……」

久「……お姉さんの年は?」

サキ「あ、おねーちゃんはみなさんとおなじくらいだとおもいます」

久「じゃあ1人でも取り敢えずは大丈夫なのかしら」

サキ「わたし、おねーちゃんとあいたい。あって、またおとーさんとおかーさんとなかなおりしてまたみんなでくらそうって……でもわたしひとりじゃむりだとおもいます」

 だから、とサキは一区切りを置いて再び息を吐き、吸い、そして精一杯叫ぶ。

サキ「わたしのいえをみつけるのとおねーちゃんをさがすのをてつだってください! おねがいします!!」


 サキの瞳には迷いや揺らぎがない。
 意志を固めたことによって燃え上がるようだった。

 ならば、私達に断る理由は何一つない。

久「よく言えたわね。偉いぞサキ」

 私がサキの頭を撫でると、サキはくすぐったそうにしながら身を寄せる。

白望「任せて」

智葉「大丈夫、どちらもすぐ見つかるさ」

サキ「……ふふふ、えへへへへ」

 表情筋の弛みきったサキの顔
 その様子を私達は無言で眺めながら全く同じ感想を獲得したに違いない。

久白智「「「……」」」

 私はアイコンタクトを発し、それを受けた2人は頷く。

白望「サキは可愛いなぁ……」

久「そうね。だから私達は悪くないわ」

智葉「ああ、不可抗力という奴だ」

サキ「?」

 あどけなく小首を傾げるサキ。
 私達は心の枷を外して3人でサキに覆い被さり、ちゅーの雨を両頬とおでこに降らせた。

サキ「きゃあ!? あは、くすぐったいです。あはは、やだ、あはははは。……わたし、またかぞくとくらせるときまでここにいてもいいですか?」

久「当然!」

白望「勿論」

智葉「愚問だな」

 問題は山積みだけれど、やっとスタートラインに立つことが出来た。

 さあ、これ以上ないくらい楽しい毎日にしていこう。
 私達と別れる時も、サキが笑顔でいられるように。

白望「サキ」

サキ「はい」

智葉「サキ」

サキ「はいっ」

久「サーキっ」

サキ「……はいっ!」






「「「3ぴーすへようこそ!!!」」」

今日はここまで、一話というか出会い編終わりです

次から智葉視点に変わります

読んでいただいている方に質問したいのですが、智葉は眼鏡有りor無しどちらで想像してますか?


なかなか意見がばらけているようで悩みましたが>>77にあるように久白が思い浮かべる普段の智葉は眼鏡有りなので基本はそちらでお願いします
またなるほどと頷ける意見が幾つかあったので、参考にさせていただきます

たくさんのレスポンスありがとうございました
それでは投下します


着信音<アレモホシー コレモホシー モットホシ- モットモットホシイー♪>

智葉「講義中は音を鳴らないように。それが極まりだ」

ダヴァン「Sorry.」

智葉「分かれば良い。次から気をつけてくれ」

 午前十時、サキと共に私が勤めている日本語学校に訪れる。
 前日、我々三人が急遽休みを入れた為シフトが変動し本日は皆働く羽目となったので、それなら私の所で面倒を見るのが適切だろうと今日一日サキと過ごすことと相成った。

 別れ際、久は泣きついてサキから離れようとせず白望は死にそうな顔をしていたが、何、二人とも昨日の内に随分と絆を深めた様子だったので次にサキと接する機会を得るのが私なのは当然の権利だろう。

智葉「サキ、分からない箇所はあるか?」

 サキには今、小学生低学年用のドリルを解いて貰っている。

 最寄りの小学校に転入した際、他の子達より授業が遅れていると色々不都合があるだろうと現時点でのサキの学力を知る為の小テストのようなものだ。

サキ「だ、だいじょうぶです」

 サキはやや緊張した、ぎこちない笑顔を私に向ける。

 ……さて、久や白望と比べて無愛想で包容力のない私はどうすればサキの屈託のない笑顔を見ることができるだろうか。


智葉「──以上だ。本日分は此処まで、次回はこの頁から八頁先まで進めるので各自予習しておくように」

 日本で生活する外国人の為の日本語学校。
 午前、午後、夜間と三種類の部が有り、私は前半の二つを受け持っている。
 講義が終わると受講生の大半は帰宅するが、居残って勉学に励む者も多い。

ネリー「サ・ト・ハー!!」

 また、講師の中でも年の近い私に絡んでくる物好きもいる。
 それがネリー、メグ、明華、ハオの四人組であり、私がサキの解いたドリルの採点をしていると、その中でも幼い容貌をしているネリーが抱き付いてきた。

ネリー「サトハ、轢き逃げ犯捕まったよ? サトハが捕まえてくれたんだよね?」

智葉「そんな訳あるか。……これで犯人側の保険から医療費が下りるだろう。良かったな」

ネリー「これで私とオサラバしなくて済むんだよ? もっと嬉しそうな顔してよ!」

智葉「ああ、嬉しいさ」

ネリー「……ウン」

 サキの笑顔を引き出す練習として自分なりに嬉しさを顔で表現してみると、ネリーは上気して俯いてしまう。
 違う。私が欲しい反応はそれじゃない。

ネリー「ところでサトハ……コノコダレ?」

 ネリーは殺気を放ち、サキはびくりと肩を跳ね上げた。


 敵愾心を剥き出しにしてネリーはサキを威嚇し、サキは涙目で萎縮する。
 そんな様子を見兼ねたのか、傍観していた残りの三人が助け舟を出しに来てくれた。

ダヴァン「私も知りたいデス。このキュートなプリンセスと智葉の関係ハ?」

ハオ「サトハに妹がいるという話は聞きませんですしね」

明華「実は嫁なんじゃないですか? 私達は所詮側室だったんですよ」

 私の勘違いだった。
 どうやら此奴等はただ好き勝手に興味の赴くまま囃し立てているだけのようだ。

智葉「とある事情で預かってるだけだ。……というかよくそんなくだらない想像できるな」

四人「くだらなくない(です/デス)!!」

智葉「お、おう」

 勢いにのされ生返事をしてしまう。一体この気迫は何なんだ。
 それにしたって嫁はないだろうに。そしてお前らを愛人にした覚えもない。

 気の小さいサキは四人の怒鳴ったような声に怯み、とうとう私の陰に隠れてしまう。

智葉「大きな声を出すな。サキが脅えてしまっただろう」

 私がサキを庇おうとすると、ネリー達はより恨めしそうに表情を強張らせるのだった。


 本来なら此処は何が気に食わないのか尋ねるべきなのだろうが、サキがいる手前下手なことはしないでおこう。
 私は四人を半ば無理矢理諭して追い返そうとする。

智葉「不満があるならまた今度訊いてやる。だから今は一旦退け、良いな?」

四人「……はーい」

 ネリー達はしょんぼり縮こまった背中を見せながら帰っていく。
 どうやら納得はしていないようだ。

智葉「全く困った奴らだよ」

サキ「みんな、さとはさんのことがだいすきだから……」

智葉「ああ、そうだな……有り難いことだ」

サキ「……」

 あれだけ怖がっていたネリー達をサキは代弁する。
 彼奴等のことを悪く思ってないかハラハラしていたのだが、杞憂だったらしい。
 私はサキの優しさに感謝して、彼女の頭を撫でることにした。

サキ「あの、ところでてすとのほうは」

智葉「可も不可もなく、といったところか。ちょっとしたミスが目立つが少し勉強すれば学校の授業にもすぐ追い付けるだろう」

 そう告げて、点数の横に『たいへんよくできました』の印を押す。

サキ「……はいっ!」

 花丸の笑顔が咲いた。


 太陽が真南からややずれた頃、私達は食事を摂る為に街へ繰り出した。

 サキは是といった好き嫌いは無いというが、嫌いは兎も角、好きな物はある方が可愛らしいと告げると逆に私の好きな食べ物を尋ねられてしまった。
 どうやら本当に自分を主張するのが苦手のようだ。

 それならば私用を済ませてしまうかと、足を運んだのはラーメン屋だった。

ダヴァン「ラッシャイマセー!」

智葉「やあメグ、先刻振りだな」

サキ「こ、こんにちは」

ダヴァン「おや、サトハとリトルプリンセスじゃないですカ。二名様ご案内デース!」

智葉「いや、一番奥の座敷があるだろ。其処で良い」

ダヴァン「……サトハ、ご注文ハ?」

智葉「……豚骨ラーメンバリヤワ油ナシ野菜マシニンニクマシマシ」

ダヴァン「失礼しまシタ。此方にどうゾ」

サキ「!?」

 この店は豚骨ラーメンを扱っていない。
 どうもVIP席を利用する為の暗号らしいのだが、正直趣味が悪いんじゃないだろうか。
 しかし何故かサキが興味津々に瞳を輝かせているので、まあ良しとしよう。

ダヴァン「ではごゆるりト」

 ダヴァンの手引きで襖の奥へと招待される。
 やはりと言うべきか、期待通りにその人はいた。

トシ「やぁ、待っていたよ」


 ずるずる、ずるずる、ずずずるっと麺を啜る音が小気味良く響く。

トシ「遅かったじゃないか。お陰様でもう3杯目だよ」

智葉「それは悪いことをした。にしても一杯目のように平然と麺を食しているように見えるが」

トシ「私の胃袋は宇宙だからね」

 老年の癖して高血圧の心配はないのか。とは思っても口にはしない。
 好きな物を好きなだけ食べるという健康法も何処かにはあるのだろう。

 彼女は待っていたとは言ったが、今日この時間にトシさんと会う取り決めはしていない。
 彼女は何気なしにここを訪れると必ず会えるという同時間帯に複数存在する妖怪のような人物だ。

トシ「昨日はお手柄だったね」

智葉「さて、何のことかな」

サキ「おまわりさん、こんにちは」

トシ「おや、お嬢ちゃん。こんにちは……表情が柔らかくなった。久達は良くしてくれてるみたいだね」

サキ「はいっ」

 取り敢えず醤油ラーメンを二人前頼んで、トシとさん向かい合うように席に着く。

智葉「それで本題だが……」

トシ「お嬢ちゃんのことかい。……まあ、大体のことは調べ終えたさ」

 隣に座る、サキの瞳が、大きく揺れた。
 


トシ「姓は宮永、名は咲。齢は6。両親は共に健在、上に1人姉がいる」

 流石に仕事が早い。
 これなら今日明日中にもサキは親許に帰れるのではないか……とは、青醒めたサキの表情を横目で見てしまっては思うことができなかった。

智葉「……それで?」

 それでも情報は得ておくことに越したことはないので、私は更に追求する。

トシ「一応、姉妹に失踪届は出されている。妹はお嬢ちゃんのことだが、姉は行方が掴めない。……とまあ、これくらいかね」

智葉「……そうか」

 今にも卒倒してしまいそうなサキの背中をさすり、抱き寄せる。

 基本事項として住所を言わないのは家庭に何かしらの問題がある……ということだ。
 姉が見つかるまでは少なくともサキ一人で家に帰す事はできないと思わせる程の。

 それをこの場で更に尋ねるのは、酷だろう。

智葉「大体分かった。後は……頼んでおいた物だが」

トシ「これだね。持って行きな」

 トシさんはテーブルの上に小さな包みを置き、私はそれを丁重に受け取る。

 依頼したのは昨日の今頃の筈だったのだが、まさかもう準備してくれるとは。

智葉「正直、頭が上がらない想いで一杯だ。いつも面倒ばかりかけて本当に済まない」

トシ「何言ってんだか、これも子どもを見守る大人の役目って奴さ。智葉が気にすることじゃないよ」

智葉「ああ、そうだな。ありがとうトシさん」


 それから通算五杯目のラーメンを平らげたところでトシさんは満足そうに去っていった。
 その様子をずっと眺めていた私達は何も食べていないのにも拘わらず、既に食傷を起こしたような錯覚に陥っている。

 このままラーメンを食べずに出て行っても良いんじゃないかとも思ったが、それではサキが可哀想だろうと先程から人の会話を盗み聞きしている心当たりのある人物の名を呼んでみた。

智葉「メグ」

ダヴァン「!」

 正体を当てられた其奴は申し訳なさそうな笑みを浮かべて、そそくさと姿を現した。

智葉「聴いての通りだ。サキの面影がある、私と同じ位の年齢の女を『連絡網』を利用して捜してみて欲しい」

 連絡網というのは日本語学校に通うメグの友人、更にその知り合いを含めた良き協力者達の名だ。
 大袈裟な呼称であるが、しかしそう呼んで差し支えない程の圧倒的人数を誇る。

ダヴァン「サトハには適いませんネ。やってみましょう」

智葉「頼んだ。ところで……それ、麺が伸びきっているんじゃないか?」

ダヴァン「Oh....申し訳ナイ。すぐ代わりの持って来マス」


今日はここまで

次回は早めに更新できそうです

投下します


 数分足らずしてラーメンが運ばれてくる。
 案の定というか、やはりサキは手を付けない。箸を持つことすらしようとしない。

 姉が行方不明というのは相当にショックだったのだろう。
 しかしこれでは断腸の想いでサキを私に任せた久と白望に申し訳が立たないな、と顔色の優れないサキを眺めながら考える。

智葉「サキ」

サキ「……」

 サキの反応は薄い。
 幼いなりの逡巡や葛藤があるのだろう。
 自分一人で思い詰め、悩み果てている顔だ。
 こういう時はやりたい事を存分にやらせてやるのが一番と決まっている。

智葉「サキ、姉を捜してみるか」

サキ「!」

智葉「午後の講義が終わってから晩御飯までの二、三時間で良ければ付き合うが……どうだ?」

サキ「は、はいっ! おねがいします!」

智葉「……っ」

 花が咲いたようなサキの満面の笑顔に、胸がときめかせる自分がいた。
 成る程。私は久が傾倒し過ぎているんじゃないかと危惧していたが、これは仕方ない。

 この笑顔を守る為なら何でも出来てしまいそうな……私もどっぷりサキに嵌ってしまいそうだ。


智葉「まあ、だから……なんだ。お腹が減ってると姉が近くにいても見過ごしてしまうかもしれないからな。しっかり食べた方が良い」

サキ「!!」

 私がそう告げると、サキは慌てるように麺を啜り始めた。

智葉「まだ時間はあるから落ち着いて食べろ、しっかり噛まないと消化も悪い」

サキ「あつ、あつっ。はふ、はひゅ……んー、んーっ」

 煮えたぎるようなスープに浸かった麺を口に含んだサキは、その熱さに呑み込むことすらできず、涙目で舌の上を転がしていた。

智葉「言わんこっちゃない」

 私はすぐさまグラス一杯の水を手渡す。
 サキはそれをぐびぐびと呷り、胃へと流し込んだ。

サキ「ふはぁ」

智葉「サキ、口の中を見せろ。舌を出せ……よし、火傷はしてないな」

サキ「うう……ごめんなさい」

智葉「許す。急かした私も悪い」

 とは言ってもサキは未だ逸る気持ちを抑えられないようで、箸を持ち直し再び食べ始めようとする。

智葉「……サキ、箸を貸せ」

サキ「えっ」

 今度こそ火傷されても困るので、私が食べさせるとしよう。


 箸で麺を少量摘み、呼気を数度吹きかけて熱を取り除く。
 絡んだスープが垂れてもいいようにレンゲを真下に潜らせ、そのままサキの口元へと運んだ。

智葉「サキ、口を開けろ」

サキ「は、はい」

 サキは私の言葉の意図を察したのか、唇を差し出し、瞼を閉じてじっと待つ。
 そして湯気の熱量を感じ取ると、ぱくりと食い付いた。

智葉「……美味いか?」

サキ「はいっ、おいしいです!……えへへ」

 サキは頬を淡く染めてはにかんでいる。喜んでくれているようで私も嬉しい。
 しかし、何だろう。繰り返し食べさせていると何時の間にか雛鳥に餌を運ぶ親鳥の気分に浸っていた。

 ラーメンを頬張る度に楽しそうに笑顔の彩りを濃く豊かにしていくサキ。
 これは、病み付きになりそうだ。

 そんな折りに───からん、と。
 私の不意を突くように、手拭いを乗せた盆が落ちる音。

ダヴァン「サトハ……」

 随分と無防備な姿を見られていたようだ。

智葉「メグ、これはだな。その……、なんというか」

 私は顔から発火する想いで弁を紡ぐ。
 疚しいことはしていないのだが、普段と掛け離れた姿を目の当たりにされるのはこうも恥ずかしいものだということを思い知らされた。


 メグは全身をわなわなと微震させ、ゆっくりと歩み寄ってくる。
 そしてサキの両肩を勢い良く掴むと一変して無邪気に両目を輝かせた。

ダヴァン「リトルプリンセス! いえサキ! 貴女は素晴らシイ!! こうもワタシ達の知らないサトハの表情を引き出すトハ! その調子でもっとサトハの色んな一面を暴いちゃっテくだサイ!!!」

サキ「……は、はい」

智葉「お前は何を言っているんだ……」

 何か大切な物を失った気がするが、引き換えにメグとの蟠りが解けたので良しとしよう。
 取りあえずメグ、丸……と。

智葉「よし、サキ、戻るぞ」

ダヴァン「ええーっ!? もう帰っテしまわれるんですカ!?」

サキ「え、あ、……えと、さとはさん」

智葉「なんだ」

サキ「わたしまだ、たべおわってないです……」

ダヴァン「そウそウ! 残すのは作った親方に対して失礼ですヨ!」

 冀(こいねが)うような円らな瞳が四つ並んでいる。

智葉「くっ、好きにしろ。待っててやる」

サキ「えっ……はい、わかりました……」

 折角承諾したというのに、サキは気落ちした調子で返事をした。
 分かった……分かったから、そんな悲しそうな顔をするんじゃない。


智葉「ほらサキ、あーんしろ」

サキ「……えへへ、はいっ!」

ダヴァン「サトハ Go to heaven!! yeah!!」

智葉「頼むから黙っててくれ……」


 あれからサキに一口ずつ食べさせるのに多大な時間を労した。
 メグが隣で一人盛り上がり騒いでいて他の客や店員が覗きにきたりしたが、それでも恥を忍んで私は食べさせ続けた。

 麺も残り半量を過ぎると水分を吸って不味くなっていただろうに、それでもサキは笑顔を損なわずにこにこと咀嚼し続けていたから、酷い目に遭った。と思うことはどうしても出来なかった。

 そして逃げるようにラーメン屋を後にし、午後の勤務をこなして、今に至る。

智葉「待たせたなサキ、行こうか」

サキ「はいっ!」

 散策……否、探索を始めよう。
 とは言え、ただ闇雲に動き回るのも上手くないだろうと、サキに情報収集に重点を置くことを提案すると、彼女は是を快諾した。

サキ「でも、どこにいくんですか?」

智葉「そうだな。まずはハオの所へ行くか」

 サキに尋ねられて真っ先に思い浮かべたのは久と白望の顔だったが、彼奴等とサキを逢わせると時間を食うのは容易に想起できた。
 故に却下。それよりも味方を増やすべきだと、メグと同じく幅広い伝手を持つ三人の所を巡ることにした。

智葉「(それに、サキと彼奴等には仲良くなって欲しいしな)」


「っ……イイぞ、ハオ。そう、そこだ……もっと深く……っ」

「分かってますよサトハ。ここですね?」

「くっ、ン……分かってる、じゃないか……あっ」

「……」

「……サキもしてもらうか?」

「で、でも……こわいです」

「大丈夫、すぐ慣れる。何事も経験……んンっ、はぁ……ハオ。急に強くするのは狡いんじゃないか」

「ふふっ、すみません。加減を間違えました」

「絶対わざとだろ。まあ良い……ほら、サキ……おいで」

「は、はい……やさしく、おねがいします」

 以上、ハオの働いている店での会話。
 鍼灸とか整体とかを手広く扱っていて、疲れが溜まっている時に彼女の手で揉んでもらうと錘が外れたように体が軽くなる。

 因みに今は足壺マッサージの途中だ。

 怖がるサキをあやして膝に乗せると、大小二組の素足が四つ並ぶ。
 ここ数日だけでも沢山歩いたであろうサキの足は胼胝(たこ)一つ無く、指を這わしたくなるほど綺麗だった。

智葉「サキ、私がぎゅーっとしてるからな。怖くないだろ」

サキ「はいっ、こわくないです」

ハオ「……桃源郷はここにあったのですね」

 ハオは満面の笑顔で感涙していた。まあ、丸で良いか。


 大凡十分後、蕩けた表情で私に寄りかかるサキ。
 ハオはどうにもいつもより気合いが入っていたようで、彼女は絶技の限りを尽くしてサキの足裏を指圧していた。

 その結果、サキは軟体動物の如くぐったりと脱力している。
 感想は……訊くまでもないか。そのまま暫く余韻に浸らせておくとしよう。いやはや、ハオ恐るべし。

智葉「それで本題だが、私は今この子の姉を探している。が、なかなか難しそうでな。助力を願いたい」

ハオ「……サトハの頼みなら断る理由がないですね。承りました。しかし、その方の人相が分からないことには何とも」

智葉「確かに、な。しかし写真を得るのも困難な状況だ。何か案はあるか?」

 トシさんからサキの姉の写真は渡されなかった。
 つまり、彼女でも入手できなかったということだろう。

 ……いや、捜索願は提出されていると言っていたな。
 それは矛盾じゃないのか。

智葉「……」

 疑うにしては根拠が弱すぎるか、早合点は火種の元だ。考えるのは止そう。

 サキが傍に居た手前、深く突っ込まなかった事が悔やまれる。

サキ「……?」

 空気の変化を感じ取ったサキが私の顔を見上げる。
 私は笑顔で取り繕い、大丈夫だと自分に言い聞かせるようにサキの頭を撫でた。


 私があれこれと考察している隙に、ハオは紙や色ペン等の画材一式を揃えていた。

ハオ「写真が無ければ私達の手で作れば良いですよ。サキから特徴を訊いて絵にしましょう」

 成る程、良い考えだ。
 そうと決まれば私達は早速作業へと移る。
 絵を描くというのはあまり得意ではないが、サキの為に尽力してみよう。

智葉「よし、サキ。やるぞ!」

サキ「はいっ!」

────────

 そして完成に至った訳だが、何やらサキを泣かせてしまった。

智葉「どうしてこうなった……」

サキ「おねーちゃんのおかお、そんなこわくないです……」

 サキの言う通り、人を嬉々として殺しそうな顔になってしまった。
 目が吊り上がり殺気発っている癖に、口元が笑っている所為でやけに怖い。

ハオ「は、はは……サトハは絵を描かせても一味違いますね」

 ハオも流石にフォローしきれず閉口していた。

ハオ「ほ、ほらサキ。こちらは怖くないでしょう?」

サキ「……」

 言い出しっぺなだけあってハオの絵は非常に良い出来だった。
 しかしサキは私に上手く描いて欲しかったらしく、私の絵を睨み付けて離さない。


 そんな、機嫌を損ねたサキに対して私が出来ることは一つしかない。

智葉「サキ……その、済まなかった。許して欲しい」

ハオ「サキ。サトハも悪く思っていますし、ここは一つ穏便に」

 サキは柔らかそうな頬を膨らませ、そっぽを向いている。
 眉も怒りで吊り上がったままだ。

智葉「サキ。許してくれないのなら、もう一度サキの姉の絵を描く機会を与えてくれないか。次こそはサキが納得する絵を描いてみせるから……」

サキ「てる」

智葉「……それは、サキの姉の名前か?」

サキ「はい。てるおねーちゃんは、もっとやさしいえがおだったから……」

智葉「ああ、約束する」

 そう告げて、私はサキと小指を絡め合わせる。

サキ「ぜったいですよ……?」

智葉「任せておけ」

 サキに笑顔が戻るのを見届け、ほっと息を吐き胸を撫で下ろした。

智葉「ハオ。それはそれとして幾ら練習してもお前より上手く描ける自信はないから、その絵を持って行きたい」

ハオ「もちろんどうぞ。いや、無駄にならなくて良かったです」

 ハオが描いた物をテル探索用とすることにした。

智葉「それじゃあ私達はそろそろお暇するよ、邪魔したな」

ハオ「はい、またサキと一緒に来るのを待ってますよ」

今日はここまで

短めですが投下します


───────

智葉「邪魔する」

久「はーい。いらっしゃいま……キャー! キャー!! サキ! サキ! サキだ!! サキがいる! サキがいるわ!! やったね智葉!!!」

智葉「落ち着け」

「うるさいそこ!! しっかり働く!!」

サキ「もがっ、もごご……」

 次に訪れたのは久が勤めている喫茶店だった。

 これといって変哲のない店舗であり特徴と呼べる程の特徴は無いが、強いて挙げるならば店員が皆、洋風の給仕服に身を包んでいる事と、その店員が綺麗処で揃っている事くらいか。

久「んーっ、もう離さないからねーサキー」

サキ「むぐぐ……っ、むぐぅ」

智葉「いや、絞まってるから離してやれ」

久「はっ!?」

 ……前言を撤回しよう。
 いくら私がサキに傾倒しようがここまで中毒にはならないだろうと。

久「ゴメンねサキ、大丈夫?」

サキ「はい。……えへへ、だいじょうぶです」

 しかし久と接しているサキは随分と自然体に見えた。
 ちくりと、不快な感覚が胸に宿る。

智葉「ほら店員、さっさと席に案内しろ」

久「ふぅん……はーい。二名様ご案内でーす!」

 久は何やら笑みを含んで、渋る様子もなくあっさりとサキを床に降ろした。
 私が嫉妬……? まさかな。


 ピーク時は人で満たされる店内も、この夕暮れの時間帯は客足が乏しいようだ。
 席の埋まり具合は疎らで、客が残っている席も既に帰り際、半時もすれば私達だけになるだろう。

 だというのに、久は奥に進み、店からも客からも死角になるようなテーブル席を選んだ。

久「さて、それではお客様。御注文は何に為さいますか?」

智葉「おい」

 そして当然の如く私とサキの向かいに腰を降ろした。
 こいつ、サボる気だ。

サキ「ひささん、これはなんですか?」

久「それはね、お店の人に用事があ『チーン!』る時に鳴ら……す、の……よ?」

 サキがベルを鳴らすと、音の余韻が消え去る前に他の店員がやって来た。

 久の顔から血の気が引く。
 背丈の低いこの女性はチーフだったか、確か白望の昔馴染みでもあったな。

「貴女はすぐそう怠けて! まだお客様がいるんだから! ほらさっさとこっちに来る!」

久「あーれー」

 頭に青筋を立てたその人は久の首根っこを掴んで引き摺っていく。
 あっという間に消える久の姿。

智葉「……サキ。ベルの使い方、本当に知らなかったのか?」

サキ「は、はいっ」

智葉「そうか……よくやった」

サキ「えっ」


「おやぁ? 何やら聴き覚えのある声がすると思ったら」

 久と交換で遣って来た人物こそ私の本来の目的である明華その人だった。

明華「サトハ、私に逢いに来てくれたんですか?」

智葉「ああ、そんなとこだ」

明華「まあ……!」

 私の言葉に、明華は目を丸くして驚いている。なんだ、冗句だったのか?

明華「そ、それで……?」

 落ち着かない様子で明華は手の平を摺りもじもじと合わせる。
 その眼差しは、何やら期待を秘めていた。

智葉「何、サキの為に協力者を集めていてな。明華にも手伝って欲しい」

明華「……ああ、そういう」

 私が応えると一転して失意の溜め息が零れる。
 ……どうしろと。私は困惑気味に視線を泳がせる。

久「うわぁ……智葉、うわぁ……」

智葉「……」

明華「……」

サキ「……」

「ほら、サボらない!」

久「あーれー」

三人「「「……」」」

 よくあれでクビが飛ばないな。逆に感心する。

明華「ま、まあ理由はともあれ私を頼って来てくれたのは嬉しいです」

智葉「ああ、有り難う。毎度済まない」


 私は明華にサキとの出逢いから今日までの経緯を詳細に話した。

久「───なるほどね。それでこれが件のDVD8巻(仮)と……大好きなお姉ちゃんがこんな強面にされたらそりゃサキもショックでしょ、ねぇ明華?」

智葉「……」

明華「……」

サキ「……」

「そこ! いい加減にする!」

「ちょっと待って! なんで私は駄目で明華は良いの!?」

「あの子は貴女と違って普段しっかりしてるから良いの!」

「そんなー!?」

智葉「懲りない奴だ……」

 売られた仔牛のように引き摺られていく久を、手を翻しながら見送った。

明華「で、でも表情以外は綺麗に描けてると思いますよ?」

智葉「無理に擁護しなくて良い。余計に凹む」

 寧ろそれが余計にサキの怒りを買った一因を担っていると言っても過言ではない。

 まあ、過ぎた事をあれこれ話しても仕方ないだろう。
 というか、これ以上惨めな気分に浸るのも嫌なので話題を次に進める事にする。

智葉「それで明華にも姉捜しを協力して欲しいんだが、頼めるか?」

明華「サトハの頼みを断れる訳が無いです。ただ、その代わり、今度はカウンター席で私の珈琲……振る舞わせてくれますか?」

 私は言葉の意味を知りながら、素知らぬ顔で頷いた。

智葉「分かった。約束しよう」

 それでも明華は嬉しそうな顔をするから、私は自分を嫌悪する。


 明華との話が一段落した折を見計らい、私服に着替えた久が満面の笑みで遣って来る。
 その手にはチーフの物と思われる小さな給仕服を携えていて、私はそれを何に使おうとしているのかを瞬時に理解した。

智葉「……久、あんまり遣り過ぎて嫌われないようにな」

久「大丈夫よ。サーキー! このメイド服、可愛いでしょ? 着てみたくない? 着てみたいわよね? よし、着よう!」

サキ「え? えっ、えー……」

 サキの助けを求める視線が私に刺さる。
 当然か、確かに可愛らしいがサキの性質を考えれば好き好んで着ようとは思わないだろう。

智葉「久、流石に無理強いは良くないんじゃないか?」

サキ「はい、きたいです。けど、はずかしいから、さとはさんといっしょがいいなって」

智葉「!?」

 ……なんだと。
 それこそ冗談だろう。

智葉「いや、私はそういうのは似合わないだろ」

サキ「さとはさん、おねがいしますっ!」

明華「私もサトハのメイド姿を見てみたいですね」

久「智葉、答えは決まったようね」

 久の手が私の肩を叩く。
 最早逃げる素振りすら許されない、どうやら売られた仔牛は私だったようだ。


 而してサキと給仕服に着替えた訳だが、何やらスカートの丈が異様に短い気がする。
 いや、明華の物と比べても明らかに短いのが分かる。

 少し動くだけでもスカートが揺蕩うので、裾から手を離す事が出来ない。

智葉「久、明華、そんなに私を虐めて愉しいか?」

 私は羞恥に震えながらも睨め付けた。
 そんな私を見て二人は頬を染めるだけで、どうやら威圧の効果は薄い。
 こんな格好で凄んでも無駄ということか。

サキ「さとはさんかわいいです!」

 お揃いの給仕服を着たサキがはしゃぐように抱き付いてくる。
 可愛いのはどう見てもサキの方だが、あまりにも私に似つかわしくない言葉に面喰らってしまった。

智葉「私が、可愛い?」

サキ「はい、とっても!」

 サキの言葉には嘘や偽りによる汚れが一点も感じられない。

智葉「……そうか」

 だから、顔が灼けるように熱かった。

智葉「さ、先に帰るっ」

サキ「えっ」

 サキと触れ合うことで変わっていく自分に初めて恐怖し、居たたまれなさからその場を逃げようとする。

久「ちょっと! 待ちなさいって!」

 久の声を振り切るように踵を返す。
 途端に柔らかな壁に阻まれ、それは人で、ぶつかり、尻餅をつきそうになる。
 その寸での処で私の腕を掴み、支えたのは誰だったか。
 この温もりを、私は知っている。

白望「……智葉?」

今日はここまで

毎日暑すぎて時間はあるのに筆が進まない
クーラー完備の部屋が欲しい

大分間が空いてしまいました済みません

投下します


 私は掴まれている腕を振り払い、構わず横を抜けようとした。
 それを先回りし、私を行かせないように白望。
 通せん坊するのが得意なのは御前ではないだろうに。

智葉「退け」

白望「嫌」

 まるで私を非難するような眼差しを白望はする。
 しかし私を見ている訳ではなく、その視線を辿って振り返ってみて漸く気が付いた。

智葉「あ……」

 サキの不安そうな顔色。
 私が怒ったと思ったのか。
 しくったと察した時にはもう遅い。

智葉「サキ」

サキ「っ」

 縋るように手を伸ばすと、サキは怯えながら半歩たじろぐ。
 その様子を見て、今は何をしても逆効果だと、空を虚しく握り締め、腕をそっと下ろした。

白望「兎に角、着替えておいで。その間にサキを宥めておくから」

智葉「……ああ、頼んだ」

 大人しく白望の言葉に従い、私は更衣室に向かう。
 久や明華の眼は私への罪悪感に因る自責の念を含んでいた。
 そんな二人の表情が、余計に苛立ちを募らせた。無論、私自身への苛立ちを。
 何も出来ないという歯痒いまでの無力さを噛み締めて、更衣室の扉を閉じ、生まれた静寂に、膝を抱くように崩れ落ちた。


 立ち上がらぬ侭に瞼を落とし、二日前の出来事に思いを馳せる。
 そう。木の葉も霜枯れる陽が地平線に沈みきった頃、吐く息が白く彩られる寒空の下、路傍に佇む花のよう為す術なく孤独に堪えていた少女との邂逅を。




─────



『……こんな所で何をしている』



『家は何処だ、親はどうした?』



『まさか……一人か?』



『御前、名前は?』



『……っ』



『いいか、すぐ戻ってくる。だからそれまで此処を絶対に動くなよ』



『絶対だぞ!! いいな!?』



─────



 思い返せば、あの時、私は逃げたのだ。
 子供が捨てられているという現実を直視できず、眼を背け、対処と決断を久に押し付けた。

 情けない話だ。
 凍える程の冬の夜、サキを一人置き去りにして、肉体的にも精神的にもどれだけ辛かった事か。
 覚悟が必要なのはどっちだ。
 もしサキが律儀に待っていなかったら私はどうするつもりだったんだ。
 醜悪すぎて眼も当てられない。


 着替えの為に立ち上がり、眼鏡を外す。
 ロッカーに備え付けられた鏡に映る自分の顔は、普段の勇ましさが嘘のような女々しさだった。


 体から離れた制服が床に落ち、布擦れの音は大量の水に垂らした一滴の絵の具のように淡く夕闇に融けた。

 着替えが終わればサキと顔を合わせる事になる。
 私はどんな表情をして更衣室を出れば良いのだろうか。
 こんな時、自然体の侭で細部に気を配れる久や白望が純粋に羨ましい。

 制服を丁寧に折り畳み、腕に抱えてドアノブを掴む。
 掌を廻すと普段より重みを強く感じ、意を決して戸を押すと低い位置で何かがぶつかり鈍い音を立てた。

サキ「あいたっ」

智葉「サキ……?」

 半端に開いたドアの隙間から顔を覗かせると、額を両手で抑えたサキがうずくまっている。

智葉「サキ、サキ! 大丈夫か?」

 私は慌ててサキに駆け寄り、頬に手を添えてサキの顔を持ち上げた。

智葉「……よし」

 痛みの所為で目尻に涙が溜まっているサキの額は見事に赤くなっていたが、痕は残らないだろう。
 私はほっと安堵の息を漏らし、くしゃくしゃとサキの頭を撫でた。


 くすぐったそうに身を捩るサキ。
 その様子を楽しみながら撫で続け、いざ先程の弁明を始めようと手を離そうとする。

サキ「あ、あのっ!」

 その手を、サキの小さな両手で包むように掴まれた。
 半ば不意を突かれた形になり、私は面食らって眼を丸くする。

サキ「あの……ごめんなさい」

 瞬間、息が詰まる。
 私の口から告げるべき言葉を、サキに言わせてしまうなんて。

智葉「サキ……サキは悪い事など何もしていないだろう? 謝るなら、私の方だ」

 サキは首を横に振るう。
 真摯な眼差しで、しかし穏やかな表情を浮かべて、勇気を振り絞るように言葉を紡いでいく。

サキ「だって、やっぱりいやなことを、したくないことを、さとはさんにさせちゃったから……だから、ごめんなさい」

 瞠目した。
 光を浴びた花のようにはにかんだ、サキに。

 家族の下から独り残された少女の笑う姿を、奇跡だと思っていた。
 しかし、違った。
 勿論、久や白望の尽力が有ってこその結果ではある。
 それでも、この子は私が想像しているよりもずっとずっと強いのだと。

サキ「わわっ!?」

 気が付けば、私はサキを強く抱擁していた。


 密着していると見る見るうちにサキの体温が上昇していくのが分かる。

智葉「ああ、サキは良い子だな」

 そう耳元で囁くと、また一つサキの温度が上がった。
 そんな姿がとても愛らしくて、私もつい腕の力を込めてしまう。
 決して息苦しくならないよう気を遣うのが精一杯だ。

サキ「あの……さ、さとはさん。はずかしいです……」

智葉「嫌か?」

 我ながら狡い尋ね方だと思う。
 こんなの、サキのような子が拒絶など出来る筈が無い。
 それでもサキは邪険する事なく二、三と考え込むと、私の胸元に顔を埋めた。

サキ「……いやじゃないです。ぽかぽかしてきもちいいし、さとはさんいいにおいするから」

 なんて、サキが事も無げに素直な感想を口にするから私の顔にも熱が帯びる。
 私は照れ隠しに喉を一つ鳴らして、言い聞かせるように言葉を摘み取り、サキに投げかけた。

智葉「そういう事だ。私もそういう事だったんだよ、サキ。だからサキは気にしなくて良いんだ……良いな?」

サキ「……はいっ!」

 今度こそ揺らぎはしない。
 この笑顔の為に出来ることは何でもしよう、そう心に誓った。


智葉「それじゃあサキ、そろそろ戻るか」

サキ「はいっ」

 サキを地面に降ろし、元居た席へと向き直る。

久白「「……」」

智葉「……」

 その先に、此方に生暖かい視線を鄭重に送ってくる久と白望がいた。

智葉「見てた、のか……最初から?」

サキ「……あう」

 力強く無言で頷く二人。
 全身が気恥ずかしさを表すゲージのように首から頭頂へと赤色が上昇していく。

智葉「そうか、全部見られていたか……更衣室に忘れ物をした。ちょっと行ってくる」

久「逃がすか。忘れ物なんてしてないでしょ」

智葉「離せ、離してくれ頼むから……」

白望「サキ、智葉と仲直りはできた?」

サキ「はい、ばっちりです」

白望「そっか、良かったね」

サキ「えへへ……はいっ!」

 久に羽交い締めされながら、目があったサキと微笑み合った。
 もう同じような擦れ違いは起こらないだろう。

智葉「そういえば、明華は?」

久「智葉とサキのいちゃこら見てたら鼻血吹いて倒れたからそこで寝かせてるわ」

 ……明華にも見られてたのか。
 メグの時のように後になって茶化されるかもしれないが……まあ良い。兎に角、明華も丸だ。


 落ち着きを取り戻した処で我々は喫茶店を出ることにした。

 店内で色々と騒いでしまった事をチーフらしき背の低い侍女服の子に謝罪すると、これくらいの事は茶飯事だから気にしないでと言ってくれたので重ね重ね感謝の意を告げる。
 ついでにチップを弾もうともしたが、きっぱりさっぱり断られてしまった。

「そんなの要らないからまたミョンちゃんに会いに来ること!」

 との事だ。
 見た目に反し、いや見た目通りにしっかりした人に、私は快く承諾した。

 店を出て、私の傍をぴったりと張り付くサキの手を握り、歩き始める。

智葉「今日はもう一箇所寄っていこうと思うんだが、疲れたりしてないか?」

久「私は平気よ」

白望「疲れた、おんぶして」

智葉「お前らには訊いてない」

サキ「あ、わたしはだいじょうぶです」

 空いている方の腕で、力瘤を作る真似事をするサキ。
 その健気な姿に、頼もしい限りだとつい笑みが零れた。

智葉「サキ、もしかしたら……」

サキ「はい?」

 半端に言いかけて、思い直し、口を閉ざす。

智葉「いや、なんでもない」

 期待は有る。
 しかし次の場所で姉の手懸かりが掴めるかもしれないと伝えて、糠喜びさせるだけの結果で終わる事を考えると、迂闊に口走る気にはなれなかった。


 ネリー・ヴィルサラーゼは占い師を営んで生計を立てている。

 『占いヴィルサラーゼ』『サカルトヴェロの奇跡』『運命奏者』等々、様々な二つ名で呼ばれる、知る人ぞ知る占術師。

 ネリーが母国から日本へ稼ぎに出て来たのが一昨年の今頃だったか、右も左も分からず彷徨っていたのを私が拾った。
 住む場所を与え、安全に働ける環境を整え、僅か二年で私の手が必要なくなるまでに成し遂げた。
 それが私にとしても誇らしく、また少しの寂寥が胸を通り過ぎる。

智葉「ネリー、居るか? 私だ」

 雑居ビルのとある一室。
 ネリーが商いを行う場所。
 ノックを数度、遅れてドタドタと慌ただしい足音が聴こえてくる。

ネリー「サトハ!」

 勢い良く玄関の戸が開き、ネリーが私の胸に真っ直ぐ飛び込んで来た。
 それを仰け反りながらも受け止め切り、そのまま挨拶を交わす。

智葉「景気良さそうで何よりだ」

ネリー「ぼちぼちでんがな」

智葉「またお前は変な言葉を覚えて……」

今日はここまで

以前のペースに戻すようにしますので引き続き応援していただけると嬉しいです

一週間とは早いものですね
以前のペースに戻すとは何だったのか

すみません
投下します


 心許ない灯りが僅かに照らすだけの仄暗い室内を、ネリーの案内を頼りに進む。
 私には馴染んだ空間だが、他の者にとっては薄気味悪く、居心地の悪い事だろう。
 久とサキは落ち着かない様子で私にぴったりと張り付いて離れない。
 だが白望、お前は真っ直ぐ立つのが面倒なだけだろう。暗がりが苦手な性分ではない筈だ。

 不満を無言で押し殺し、負ぶさる白望を引きずりながら歩くと如何にもといった雰囲気の一室に辿り着いた。
 ネリーは一番奥にある椅子に座り、水晶玉の置いてある机に肘を掛ける。

ネリー「好きなところに座ってね?」

 ネリーの言葉に従い、散乱している椅子の一つを拾って向かい合うように腰掛けると、右隣に久が座り腕に絡み付く。
 同じように左に寄りかかる白望、行き場を失ったサキが私の膝を椅子にした。

久「なんか胡散臭いけど……本当に大丈夫なの?」

 久はこっそりと私に耳打ちをする。
 ふむ、確かに占い師としてのネリーを知らないのなら訝しまれるのは仕方ないか。
 此処は一つ、先ずはネリーの実力の程を見てもらう事としよう。

智葉「そうだな。ネリー、手始めに私の知りたい事を教えてくれ」


 私の言葉にネリーは頷き、瞼を閉じて、深呼吸を一つ。
 ゆっくりと眼を見開くと、目の前の水晶玉を横に退かした。

ネリー「これ邪魔」

サキ「!?」

久「えー、使わないんだ」

 ああ、懐かしい。
 占い師の本質は人生相談がその主。
 相談者が緊張していて折角の会話の内容が頭に入らないのは勿体無いと、それを解く方法を尋ねられた時に教えた手段。まだ使っていたのか。

 緊張が解ければ心に隙が生まれる。
 だとすれば、ネリーの本領はここからだ。

ネリー「サトハ、御守りの中身の行方ならヒサおねーさんが知ってるよ」

久「!!」

智葉「ほう」

白望「ダル……」

 周囲の視線が一斉に久へと揃い、久の肩が大きく揺れる。
 因みに御守りの中身というのは例の百万円を三分割した余りの事だ。

久「ちょっと待って。落ち着いて。取り敢えずは私の話を聞いて、ね?」

 慌てて弁明を始める久。
 話に依るとサキが車に轢かれかけた次の朝、御守りの紐が切れて床に落ちていたとの事。
 それを今日発見した久が、サキが無事だったのは御守りのお陰だと、中身の一万円を神社に奉納したらしい。
 中身は自腹で入れ直して戻すつもりだったと当の本人は言うが……。


 特に嘘を吐いている様子も見受けられなかったので私達は久の言を信じる事にした。
 元々戻す気だったのならばそこまで責め立てる話ではないし、何よりネリーの下を訪れた本命の理由は他に有るのでこれ以上引き伸ばす気にはなれない。

白望「智葉の知りたい事ってサキのお姉さんの居場所とかじゃないんだ。ちょっと意外」

ネリー「それはね、サトハは自分の力で探し出そうとしてるからだよ。だから私が教えてあげる必要なんてないの」

 白望の口走った疑問に、ネリーは正鵠を射るように答える。
 占術師でいる間のネリーは神秘的で、普段の幼さなど微塵も感じられない。
 先ず間違った事は言わないし、突飛な事を言っても間違っていると思わせない不思議な雰囲気がネリーにはある。

白望「……なるほど」

 案の定、白望もネリーの佇まいに圧倒されて首を縦に振った。

智葉「さて、そろそろ本題に移っても良いか?」

 久と白望は多少の不満や疑惑は心に残しつつも、ネリーの能力に対しては得心がいったようだ。
 私はネリー視線に送ると、ネリーはそれに笑顔で応える。

智葉「サキが知りたい事を、ずばり教えてやって欲しい」


ネリー「そうだね……」

 ネリーはサキを己の透き通った瞳の中に収める。
 その眼差しはサキ自体を見ている訳ではなく、サキの心やサキが歩んできた決して長くは無い人生、その背景を見通しているようにも感じた。

 漸くネリーの口が開き、我々はサキも含め四者四様に息を呑む。



ネリー「大丈夫だよ、サキ。貴女のおねーさんは貴女を嫌いになってなんかない」



 サキの瞳が見開いた。

サキ「……っ、……くっ、うえっ」

 あまり負の感情を露わにしないサキが、火が点いたように泣き喚き、堰を切ったように大粒の涙が溢れ零れた。
 暫くの間、声にならないサキの嗚咽だけが響き渡る。

 サキが泣き疲れて眠るまで、私は胸を貸して抱き締めていた。
 久はサキの手を撮り、耳元で何度も慰めの言葉を囁き、白望は終始サキの頭を優しく撫でていた。

 サキは私達が想像してた以上に辛い気持ちに蓋をしていたのだろう。
 普段、明るく振る舞っていたのは暗い心に負けない為か、私達を心配させない為か、或いはその両方か。

 これで一つ、心の枷は外れただろうか。
 せめて良い夢をと、私は眠るサキの瞼にそっと口付けを落とした。


 冬の星空の下、寝静まったサキを背負いながら四人での帰り道。
 サキの規則正しい寝息が耳朶を擽る。

白望「……久、今夜の晩御飯は?」

久「カツ丼」

智葉「またそれか、もっとレパートリーを増やせ」

久「仕方ないでしょ。それしか作れないんだから」

白望「カツ丼作れるなら何でも作れそうな気がするけどなぁ」

 サキがあれほど迄に不安や寂しさを溜め込んでいるのを見抜けなかった事に、それぞれ落ち込んで、会話も途切れ途切れ。
 事有る毎に溜め息が漏れ出ていた。

白望「それにしても……なんでサキが私達に魅力的に映るのか、分かった気がする」

 3ぴーすを目前にして、白望はそんな事を口にする。

白望「私達も家庭で色々遭って……それで腐って、一応は立ち直ったけど、サキにはそんなのが全くないから」

久「真っ直ぐ過ぎて、それはそれで危うく見えるけどね」

智葉「ああ、だからこそ。精一杯支えて、守ってやらないとな」

 眠っているサキは、悩みとは無縁と思えるように安らかで、背に負うサキの頬を白望が撫でると、もぞもぞと身じろいだ。

白望「まあ、また明日から頑張ろっか」

久「ええ、また明日ね」

智葉「そうだな、また明日からだ」

 玄関を開けて、中に入り、3ぴーすに明かりが灯る。
 暫く話し声や笑い声が途切れず続き、そしておやすみの言葉の後で再び明かりが落ちた。


 夜が明け、本日も日本語学校へと向かう私の傍らにサキはいる。
 余程ネリーに告げられたことが今まで気懸かりだったのか、今日のサキは笑顔が絶えない。

智葉「それじゃあサキ、授業が終わるまで大人しくしててくれ」

サキ「はいっ!」

 良い傾向だ。
 昨日、ネリーの所へ訪れたのは無駄ではなかった。

 生徒達が登校する時間になると、メグ達がやってきたのでサキを囲み談笑を交わす。
 いつもと違うのは、真っ先に歩み寄って来る筈のネリーがいなかった事だ。

 時計の針が進み、講義を始める時間になり、出欠を取る。

智葉「────ネリー・ヴィルサラーゼ────」

ネリー「はーい」

 ネリーの様子に不自然な部分は見受けられない。
 どうやら私の違和感は杞憂だったようだ。
 それにしても仕事とプライベートでは同一人物と思えない程の雰囲気の差を感じる。
 占術師の時の顔は、あくまで仕事用の仮面なのだろう。

 講義を半分程度消化した頃、サキが顔を赤くして小刻みに震え始めた。
 どうかしたのかと尋ねると、小用を我慢している事を恥ずかしそうに告げられる。

 さて、講師の私が場を離れる訳にはいかないのでどうしたものか。
 腕を組み悩んでいると、側にいたネリーが申し出た。

ネリー「何ならネリーがサキをトイレに連れてってあげるよ?」


 トイレへ向かうだけなら何も起こらないだろうとサキをネリーに頼み、私はそのまま講義を続けた。
 ネリーはサキの手を引き、講義室の外へと出て行く。

 結果を言えば、早計だった。

 暫くして戻ってきたネリーの傍らに、サキの姿がない。
 全身から血の気が引き、私はネリーに駆け寄って問い詰める。

智葉「ネリー……サキはどうした」

ネリー「ああ、あの子なら学校の外に出てったんだよ?」

 ネリーは冷淡な口調で私にそう告げた。

智葉「なんで……」

 言葉すら上手く紡げなくなる私に、ネリーは嬉々として追い討ちをかける。

ネリー「それはね、ネリーが『今からトーキョー駅に行けばおねーさんに会える』って教えたからだよ。ただし『行けば大事なモノを失う』とも言ったんだけど、あの子、迷いもせず走って行っちゃった」

智葉「大事なモノ……?」

 その不吉な言葉が更に胸騒ぎを掻き立てた。
 心の臓が破裂しそうな程に速く、強く、拍動している。

ネリー「さあてね、なんだろう。例えばイノチとかだったら、どうしようね?」

智葉「っ、クソ!!」

 ネリーの残酷な笑顔に、頭が真っ白になった。
 私はネリーも講義も放り投げて、ただサキの無事を願い、力の限り駆け出した。


 サキの足ならまだそれほど遠くには行っていないだろうと、辺りを見回しながらサキを探す。
 更に久と白望にすぐ駆け付けるよう連絡し、私はトーキョー駅へと足を運ぶ。

メグ「サトハ、サトハ! 一体どうしたのでスカ!」

 後ろから追い付いて来たのはメグ、ハオ、明華の三人組。ネリーの姿は……無い。
 私は足を動かしながら訳を話し、協力を促すと三人は快く請け負ってくれた。

 手分けをしてサキを探し始めるも、中々すぐには見付かってくれない。
 焦れ始めた頃に、久と白望が合流した。

久「智葉、何してんのよ。サキに何か遭ったらどうするつもりなの!?」

 久は顔を合わすと同時に私の胸ぐらを掴み、鬼気迫る表情で私を責め立てる。

智葉「済まない、後で幾らでも謝るから今は早くサキを探さないと……」

久「貴女、謝って済む問題だと……っ」

 今にも殴りかかってきそうな久を白望が抑えつける。

白望「久、落ち着いて。智葉、トシさんには?」

智葉「ああ、それが何度発信しても中々出てくれないから諦めた」

白望「分かった。兎に角、サキを見付けないとね。それはそうと智葉、一発殴るよ」

智葉「は……ぶっ!?」

 完全に油断していた頬に、白望の拳がめり込んだ。
 受け身も取れず尻餅を着き、視界が明滅する。

白望「これで手打ち、久もそれで良い?」

久「は、はい」

 口の中で滲んだ鉄錆の味に、冷静さを取り戻す。
 ひりひりと焼け付く頬を片方の手で押さえながら、差し伸べられた白望の手を掴み、立ち上がった。

今日はここまで

投下します


 絶え間なく人が流れ、変わり続ける街並みは海のようだ。
 その中でサキを見付けるのは、特定の雫の一粒を掬い上げるのにも等しい。
 だから、視野を狭めるだけの度の入っていない眼鏡など、必要ない。

智葉「サキ、何処だ。何処にいるんだ……」

 眼鏡を投げ捨て、改めて辺りを見回すもサキの姿は一向にこの双眸には映らなかった。

智葉「っ」

 冷たい風が痣になった頬を焼く。
 じくりと痛みが走る度、焦燥に囚われている心が我に帰る。

智葉「考えろ」

 子供の足とはいっても実際の処、どの程度の速度で移動しているかは分からない。
 それどころかサキはどう歩けばトーキョー駅に辿り着くかも知らない筈だ。
 だから皆には日本語学校周辺から輪を広げるように、虱潰しに捜して貰っている訳だが───それで本当にサキが見付かるのか?

智葉「……考えろ」

 もし私が見ず知らずの街で地図も無しに目当ての駅を探すのなら。
 単純、且つ正確な方法は────


智葉「線路沿いか」

 スマートフォンを掴み、しかし思い直して、手を放す。
 私は一人で最寄りの駅へ向かい、そこからトーキョー駅まで走る事にした。


智葉「──はぁ、……はぁ」

 一つの駅に辿り着き、呼吸で肩を上下させながら、眼球はサキを探してこれでもかといった具合に動き回る。

智葉「はぁっ……次!」

 二つ目。
 サキの姿は見当たらない。

智葉「くそ、次だ!」

 三つ目。
 当てが外れたか、と不安の色が強く、濃く、心を覆っていく。

智葉「サキ、どこにいるんだ……」

 四つ目の駅。
 サキはいない。
 空を仰いで一瞬だけ肺を休め、直ぐに顔を前に向ける。
 五つ目の駅へと足を動かす。

智葉「……っ、サキ!!!」

 そして、捉えた。
 私は立ち止まっている彼女に向かって偏に駆け抜ける。
 声に反応して振り返る、涙に濡れたサキの顔。

 そんな事お構いなしに、サキを発見した喜びで胸が一杯になって、私はサキに有無言わせず力の限り抱き締めた。

智葉「サキ、無事で良かった……」

サキ「……さとはさん?」

 お互いの心臓が重なり、サキの音が私の中に沁み渡る。

智葉「良かった。……本当に、良かった」

 情けなく声が震え、膝が嗤い、地面に崩れ落ちた。

智葉「サキ、一人で出歩くな。怖いんだ、サキがいないのがすごく怖かった。だからせめて私に一言告げろ。絶対だ。良いな?」

サキ「……はい。っ……ごめんなさい……っ」

 サキの声も震えていた。
 熱い涙の雫が私の肩を濡らす。

智葉「こんな遠くまでよく一人で来れたものだ。……サキ、頑張ったな」

サキ「……さとはさんっ、ごめ、なさ……っ」

 私の背を精一杯掴むサキの腕。
 その健気な姿が、やけに愛おしかった。


 体をゆっくりと離し、頬を伝う涙を人差し指で掬い取る。  サキの表情は未だ翳りの見られる、浮かない表情だった。

 理由はすぐに分かった。
 本来左右で結っていた、花飾りの付いた髪留めが外れ、アシンメトリーになっている。

サキ「さとはさん、どうしよう……ぜったいだいじにしようっておもってたのに。ひささんからもらったプレゼント……なくしちゃった……」

 サキは私の腕に、縋るようにしがみつき、懇願の眼差しを向けてくる。
 どうにかしてやりたいと思う。
 しかし、探し物のどちらも、時間が経てば経つほど見付かる可能性は削がれてしまう。

智葉「……ネリーに言われた筈だ。姉に会いに行けば、大切な物をなくすと」

サキ「……はい」

智葉「サキは……久から貰った髪留めと、姉。どっちが大事なんだ?」

サキ「え……」

 息が詰まったように、サキは口を閉ざした。
 頭を抱え蹲り、必死に考え、本気で迷い、悶えるように悩み、そして答えは決まったようだ。

サキ「えらべない、えらべないです。どっちも……なくしたくないです……」

智葉「そうだ。どちらも諦める必要などない」


サキ「……え?」

 予想外であろう私の言葉に、サキは呆気に取られた声を漏らす。

智葉「サキ、どの辺りで髪留めを落としたのか分かるか?」

サキ「え、あ、えと、その」

 更に意表を突かれ、あたふたと混乱した様子で不審な挙動を見せている。
 けれどもサキは私の言葉に従って記憶を遡り、不確かながらも覚えている事を懸命に言葉にしていた。

サキ「……ふたつめとみっつめのえきのあいだで、たくさんのひとのなかにいたときに……だとおもいます」

智葉「分かった」

 私はスマートフォンを取り出し、白望へと電波を繋げた。

智葉「……私だ」

白望『おまえだったのか』

智葉「巫山蹴てる場合か。サキが見つかったぞ」

白望『……本当?』

智葉「ああ、だが問題は何も片付いていない。私はこれからサキをトーキョー駅に連れて行く。白望は皆を率いてサキの髪留めを探して欲しい。場所は恐らくエビス、メグロ区間だ。……頼んだぞ」

白望『……そう、何となく分かった……そっちもしっかり』

智葉「任せろ」

 通話を切り、サキの手を引いて早速トーキョー駅へと向かい始める。
 サキは不思議そうに私の顔を見上げ、状況を把握出来ないでいた。
 だから、私は澄ました態度でこう告げる。

智葉「サキはどっちも大事にしたいんだろ?」

サキ「……はい、はい!」


 遂に笑った。
 光を浴びた花のような、私が一番好きな、サキの笑顔。


 いざ手を繋ぎ、サキの姉の元へ参らんと前に出した足が同時に止まる。

 「良かったね? 愛しのサキが見つかって」

 この騒動を引き起こした張本人。
 メグ達が駆け付けた折には姿を見せなかったネリー・ヴィルサラーゼがそこにいた。

智葉「ああ、なんとかな」

 その言葉に、きっと本心ではないだろうことを感じ取り、私は適当な相槌を打つ。

ネリー「でも残念だね。もう間に合わない。ネリーには見えるよ……あなたのおねーさんがトーキョー駅に降りて……でもまたどこかに行っちゃうんだ。一時間もしない内に、あなたを置いて、遠いとこにね」

サキ「……っ」

 ネリーが投げかける無慈悲で辛辣な言葉に脅え、サキは私の陰に隠れ、体を震わせる。
 だが、私に言わせれば絶望には程遠い。
 先程から耳に届く馴染み深いエンジンの音、この車の持ち主を、私は知っている。
 だから、サキの腕を掴み、ネリーの前へ引っ張り出して、正々堂々と宣言してやった。

智葉「ありがとうネリー、今のヒントでなんとかなりそうだ。サキは必ず姉に逢わせてやる」

ネリー「……ふーん」

 つまらなそうにそっぽを向くネリー。
 そして、私達の傍らに、赤いセダンの車が停止した。


 その車の運転席から現れたのはレッドラインの店主、赤土晴絵だった。

晴絵「智葉、それにサキとネリー。こんな場所で何してるんだよ」

 晴絵は場の雰囲気を知ってか知らずか、軽快に声をかけてきて張り詰めた空気を中和する。

智葉「それはこっちの台詞だ。偶然ばったり……って訳でもないんだろ?」

晴絵「まあね。お前らがなんか面白そうなことやってるって塞から聞いたから観戦してやろーって思ってね」

 それでここに合流出来るのだから大したモノだ。
 あまりのヒーローっぷりに溢れた笑いを堪えきれない。

智葉「晴絵、特に用事がないならちょっと私達を運んでくれないか?」

晴絵「構わないよ。乗りな」

 尋ねると、晴絵は快諾してくれた。
 私はサキを抱え、迅速に車に乗り込む。
 そしてドアを閉める際、ネリーと視線が重なった。
 怒っているような、泣いているような、そんなネリーの顔を眺め、私は手を招いた。

智葉「ネリー、一緒に来い」

ネリー「ううん、ネリーはいい。行かない……」

 あっさりと断るネリーは寂しそうに笑う。

智葉「……そうか」

ネリー「頑張ってね、サトハ」

智葉「っ、ありがとう、ネリー」

 私はドアを閉め、発進してもらうよう晴絵に頼んだ。


 走行中の車内。
 窓の外の景色を眺めながらネリーの言葉を思い返す。

 遠い所へ行ってしまう……つまり、電車ではなく新幹線。関東圏より外と考えるべきだろう。そこまで絞り込めれば何とかなる筈だ。

 問題は、一時間以内という点か。
 現時点では順調に進んでいるが、トーキョー駅に到着して、果たしてどの程度の余裕が有るだろうか。
 実際の処、ネリーと邂逅したタイミングでピッタリ一時間前という事はない。
 五十分か、四十分か、それ位を想定するべきだろう。

 願わくば渋滞に巻き込まれず、このまま無事に到着して欲しい。

 視線を落とすと、横に座るサキがそわそわした様子で髪の毛を弄っている。
 どうやら髪留めが無いのが落ち着かない模様。

智葉「サキ、私ので良ければ使ってくれ」

 見るに見兼ねた私は後頭部で一つ纏めにしていた髪ゴムを外し、サキに手渡した。

サキ「あ、ありがとうございます」

 嬉しそうに頬を染め、サキは髪を結う。
 その姿に胸の棘が外れそうになる。

晴絵「智葉、ネリーはあれで良かったのか?」

智葉「……ああ」

 良い訳がない。
 今の曇天のように心が晴れないまま、車は引き続き進んでいく。

今日はここまで

本当にすまないという
気持ちで…
胸がいっぱいなら…!
どこであれ
土下座ができる…!
たとえそれが…

 ブス… ∫ ; ∫ ジジ…

ブス… _____ ;  ∫
  ;/   へ \ ∫ ;
∫;(  >-/ /_イ\ ;
;/三>、_\ >)`z,>ミ)ヨ

/三(_rL__>ミ>≦三|
囮ヱヱヱヱヱヱヱヱヱ囮
囮災炎災炎炙災炒炎炭囮
◎┴┴┴┴┴┴┴┴┴◎

肉焦がし… 骨焼く…
鉄板の上でもっ……!

長いこと放置してしまって本当に済みませんでした

投下します


 そして、トーキョー駅に到着した。
 停止した車を手早く降り、駅構内へと急ぐ。

晴絵「私は……改札前で見張りでもするか?」

 ドアを閉める際の晴絵の提案に、私は首を横に振った。
 何故なら、恐らくサキの姉は既に新幹線に乗り込んでいるだろうから。

 理屈はない。
 あるのはネリーへの信頼と、勘だけだった。

智葉「心配するな。サキは必ず姉と逢わせる。まあ、……そうだな。『これ』を頼りに探してみてくれ」

 そうして、ハオの下で私が描いたサキの姉の似顔絵を晴絵に手渡した。

晴絵「これで探せって?」

智葉「顔は気にするな」

 こんな物では何の手掛かりにもならないが、無いよりはマシだろう。
 物言いたげな晴絵の表情を視線を伏せて黙殺すれば、彼女は呆れながらも絵を受け取る。

晴絵「……まあ、分かった。やるだけやってみるさ」

智葉「頼んだ。行くぞサキ」

サキ「はい、さとはさん!」


 駅構内に進み、入場券を購入して改札を抜ける。
 ホームへ続く階段をサキの速度に合わせて上がり、昇りきると、彼女の何倍もの高さ、端まで見通せない途方もない長さを誇る金属の乗り物が其処にはあった。

サキ「わぁ」

 思わず漏れる、感嘆の声。
 そして瞬時に気付き、表情が陰る。
 聡い子だと思った。
 この広さからサキの姉を見つけ出す事は並々ならぬ尽力が必要なのだと。

智葉「心配するな。大丈夫だ」
 私はサキの手を握って、彼女の不安を払拭するように迷いのない声を放つ。

 すると、地面に俯いていたサキは顔を上げ、しっかりと私に頷いた。

智葉「そうだ。顔を上げろ。前を見ろ。此処に必ずお前の姉はいる」

サキ「はいっ!」

 サキの瞳が燃える。
 姉捜しの件がなければ、サキはもっと違うはしゃぎ方をしただろうに。
 ふと考えてしまい、勿体ないなと、不謹慎ながらに悔しさが募る。

智葉「良い返事だ。さぁ行こう」

 集中しよう。
 これ以上サキの泣き顔を見ないで済むように。
 決意を堅く、新幹線の内部へ突入した。


智葉「どうだ?」

サキ「……」

 何度となく繰り返される遣り取り。
 私が尋ねる。サキはかぶりを振る。
 最後尾の車両から探索を始め、遂に半分の行程が終了した。


 本当にサキの姉はこの中にいるのか?


 芽生える迷い。
 駅に到着した際、この新幹線が一番最初に出発するので、私はこれが当たりだろうと予測を立てた。

 何故なら、ネリーが占ったから。
 サキが辿り着ければ姉と邂逅を果たせるとネリーが言ったからだ。
 事の顛末を見透かしているネリーがそう、確かに告げたのだから、そういう巡り合わせなのだろうと。

 ただ一つ引っ掛かるのは、普段とは異なるネリーの様子。

サキ「さとはさん。つぎ、いこ……?」

 袖を引っ張られ、サキの縋るような声に思考が止まった。

智葉「ああ、そうだな。呆けてしまって済まなかった」

 弱気になりそうな己の心中に喝を入れる。
 今はただ、虱潰しに探していくしかないのだから、余計な情報は脳から切り離すしかない。

 だが、しかし。
 もし私が何かを見落としていたとして、その所為でサキの姉が見つけられなかったとしたら、それは……。


 到頭、残すは先頭の車両のみとなった。
 階段と乗客席を隔てるスライド式のドアを開いて、端まで歩く。

サキ「……」

 悲愴に染まるサキの顔に、どうだ? と訊かなくても分かってしまった。
 サキの姉は此処にはいないのだと。

智葉「サキ、降りよう」

サキ「……はい」

 いないのならば、次はどうするべきか。
 この新幹線はもう数分で出発することだろう。
 ぎりぎりまで待ってみるか? それともすぐ別の新幹線を探した方が良いのか、その新幹線は車内全て見回す時間を保有しているだろうか。

 サキの手を引き、ホームに降りて、考えが纏まらないまま足は泥の道を進むように彷徨っている。

 サキに判断は委ねない。
 委ねれば、姉が見つからなかった時の逃げ道になってしまう。
 もし、本当に見つけられなかったなら、その時はサキが自分を責めず、私を恨めるようにしなくては。

智葉「サキ、別の新幹線を探してみよう」

サキ「……はい」

 サキは不安も、不満も零さなかった。


 長い階段を降りきり、また別の新幹線へ続く階段に差し掛かった。
 サキが転ばないように歩調を揃え、その第一段を上がろうとして、ふと気が逸れる。

智葉「……?」

 鳴り響く足音に階段から顔を覗かせると、走る人影は擦れ違うように見切れて消えた。
 足音はけたたましく、階段を昇っていく様子が未だ耳に届く。

 それは、つい先ほど私達が降りてきた階段で。
 何かの歯車が、脳のどこかで嵌った感覚が迸った。

智葉「……サキ」

サキ「なんですか?」

智葉「全力で私の体にしがみつけ」

サキ「ええ!?」

智葉「早く!戸惑うな!良いか、絶対振り落とされるなよ!!」

サキ「は、はいぃっ!」

 サキがコアラのように両手足を回してしがみついたのを確認し、私は渾身を以て先ほどの誰かを追走する。
 腕を大きく振り、どたばたと、その誰かと同じような煩さで階段を駆け上がる。

 確信めいた何かが、私を突き動かしていた。
 そして、階段を踏み終える所、逆光に霞みながらも映し出された後ろ姿、その髪の色に、ハオの店で描いた似顔絵が重なった気がした。

智葉「サキ、いたぞ! お前の姉だ!」


 私の言葉に反応したサキが振り向いたタイミングで、姉と思しき人物の影が消えた。

サキ「え……あっ……」

 脳髄が白熱した。
 僅かに気が逸れ、私から離れて、階段から真っ逆様に落ちるサキの体。

智葉「莫迦!」

 ───を寸前で抱き戻すも、よりバランスは崩れ、そのまま転げ落ちた。
 背面を強く打ち、ぷつりと嫌な音が耳に伝う。
 それでもサキの体を守りながら手摺りを掴み、最下層まで戻されるのを防いだのは意地でしかない。

智葉「大丈夫か、怪我はないか?」

サキ「……あ、うあ……」

智葉「何処か痛いのか!?」

サキ「ちが……さとはさんが、ごめ、なさ……」

 どうやら見た様子怪我は無く、サキはただ私の心配をしてくれているようだ

智葉「私は良い……それよりも……」

『────く○○発××行き△△新幹線が────』

 階段の終わりに顔を向けると、無情にも発車を告げるアナウンスが駅構内に届けられた。

智葉「話は後だ。兎に角急ぐぞ」

 再びサキを抱き上げ、軋む体に鞭を打ち、階段を駆け上がった。


 ホームに出ると、既に危険防止用の柵が締まっており乗車は不可能だった。

智葉「くそっ」

 間に合わなかった……。
 だが、なら、せめてサキが此処にいるという事を知らせなければ。

サキ「さとはさん、あそこ!」

 サキが指差した先、乗車口の扉に背を凭れている赤髪の人物を発見した。
 そうか、私同様……否、私より長距離を走ってきたのだとすれば、ドア付近で呼吸を調えているのだろう。

智葉「サキ、でかした!」

 あの距離なら、もしかしたら声が届くかもしれない。
 余力を振り絞り、彼女の後ろ姿に肉薄する。と同時に新幹線がゆったりと進み始めた。

智葉「サキ、叫べ!姉はそこだ!」

サキ「おねーちゃん!おねーちゃん!!おねがいきづいて!!」

智葉「こっちを向けよ!サキの姉なんだろ!? 気付けよ!おい!!」

 新幹線は加速していき、次第にサキの姉の姿が遠くなっていく。

サキ「おねーちゃん!! おねーちゃぁぁん!!」

智葉「気づけえええええ!!!」

 僅かに彼女の体が揺れ、振り返る。
 瞬間、完全にその姿は見切れてしまった。
 足が止まり、酸素を欲する体が膝を着く。

 ……なんとサキに声をかければ良いのだろうか。

 きっと見てしまった。
 姉の体が揺れた刹那、その彼女の奥にいたモノを。
 だから、呟いた。

サキ「おねーちゃん……わたしのしらないこといっしょだった……」


智葉「サキ……」

 かけるべき言葉も見つけられぬまま、サキの名を呼んだ。
 サキはたった数センチの距離でさえ消え入るような返事を返し、虚ろな眼差しを私に向ける。

 痛々しくて、見ていられない。
 だけど傷付けたのは姉に逢わせられなかった私で、だから抱き締める事さえ出来やしない。

 謝罪すれば良い?
 違うだろう。それで楽になるのは私だけだ。
 励ます為の言葉も、サキの信用を裏切った今では気休め以下で嘘ほどの重さもない。

サキ「……あ」

 それを理解した上で私は何も言わず、サキの掌に自分の手をそっと乗せた。

 目を丸くして、きょとんと呆けるサキ。
 漸く双眸の焦点が戻り、更に馬渕を大きく見開く。

 サキは私の耳元に顔を寄せ、 こそばゆいくらいの声でひっそりと囁いた。

サキ「さとはさん、おっぱいがおおきくなってます」

智葉「……は?」

 なんとも間抜けな声が漏れた。
 ああ、何やら胸が緩いと思ったらサキが精一杯しがみついたのと、階段から落ちたので晒しがほどけていたのか。

智葉「……サキ、えっちだな」

サキ「え、えっちじゃないもん!!」

 からかうと、サキは顔を朱に染め、頬を膨らませる。

 体の力が抜けて、顔の筋肉がほぐれていく。それを受けてサキも口元を綻ばせた。


 私は改めてサキと向かい合い、誓いの言葉を立てる

智葉「サキ、今度こそ約束する。必ず姉を見つけ出す。絶対だ。だが、すぐにという訳はいかないだろう。もう少しだけ……私を信じて待てるか?」

サキ「はい。いまだって、あとすこしだっただけで、おねーちゃんのかおをみれたのはほんとうだから……わたし、さとはさんのことずっとしんじてますよ」

 サキは頑張って真っ直ぐ私を見つめようとするも、瞳は揺らぎ、潤んでいた。
 明らかに強がっているのが見て取れたから、ちくりとした痛みが胸を刺し、私は眉を顰めた。

智葉「……そうか」

サキ「はい、……えへへ」

 サキは俯いてふらりと倒れ込むように私の胸へ飛び込み、顔を押し付ける。
 その瞬間、無理矢理作った笑顔は瓦解して、私はサキの顔隠すように腕で包み込む。

サキ「えへ、へ……うえ、ひぅ、おねーちゃん……おねーちゃ……!」

 やはり、やせ我慢もきっともう限界で、それから暫く声を押し殺し、肩を震わせ泣いていた。
 そんなサキを抱き締めないほど私は強く振る舞えなくて、結局サキが落ち着くまで、ずっと腕を回し寄り添っていた。

とりあえず今日はここまでです

正直もうレスは付けてもらえないだろうと覚悟していたので言葉も有りません、ただただありがとうございます
完結させるよう頑張ります


 暫くしてサキは泣き止み、落ち着きを取り戻しつつあったものの、未だ背に回した腕で強くしがみついていた。

智葉「サキ、ほら行くぞ」

サキ「ん、……もうちょっと」

 このままでは埒があかない
 いつまでも晴絵を待たせているのも悪いし、何よりもサキの髪ゴムの行方が気がかりだったのでそろそろ戻ろうと催促するが、サキは首を横に振り、頑なに立ち上がろうとしない。

 仕方がないので抱きかかえたまま歩く事にした。
 肩にかかる重さや、染みる温度が愛しさが込み上げ、つい頬が緩む。

智葉「ふふっ」

サキ「?」

 どうやらこの数日で、サキをおぶる事に随分と慣れてしまったらしい。
 己には似合わないと思いつつも、不思議と悪い気はしなかった。


 駅の外に出る間、幾つかの人と擦れ違った。
 その度に何やら好奇の視線を注がれる。
 慈愛に満ちたような微笑みやら、熱に蝕まれたような眼差しやら、むず痒く落ち着かない。
 そんな周囲の態度に萎縮して縮こまるかと思えば、サキはリラックスした様子で私に体を預けていた。





晴絵「お帰り。どうだった?」

 改札口の前で、赤土晴絵は律儀に待ってくれていた。
 私は無言で首を振るだけで結果を告げる。

晴絵「そっか……まあ仕方ない。車に乗りな、送ってやるよ」

 追求するでもなく、察したような口振りで晴絵は私の背を小気味良く叩いた。
 ただ一言、良かったな、と添えて。

 絶句する私に対し、晴絵は更に追白する。

晴絵「だって、まださよならを言う準備も出来ていないだろ?」

 それは心構えの話なのか。
 辛いだとか、寂しいだとか……確かに今日、サキの姉と無事に出逢えていれば唐突な別れになっていただろう。
 言葉の意図が掴めないまま私は、先を往く晴絵の後ろ姿を追い掛けた。

すみません今日はこれだけで
続きは1/14(水)に投下します


 それから車内で連絡を取り、最寄りの公園で久や白望達と一旦合流した。

 久は車から降りるサキの姿を見るや否や、飛びかかる勢いで抱き締め、互いの額を重ね合わせる。

久「サキ……見つかって良かった。心配させないでよもう!」

サキ「えへへ、ごめんなさい」

 サキは柔和な笑みを浮かべてそれを受け入れた。
 言葉の勢いほど、怒気が含まれてなく、純粋に心配されていたのを十分に理解しているようだった。

 もしサキと離れ離れになったとしたら、久は泣くだろうか、それとも堪えて笑顔で見送るのか。
 晴絵の言葉が頭に引っ付いて、未だ消えずに残っている。
 私は傍らにいる白望に尋ねてみる事にした。

智葉「なあ……さよならを言う準備ってなんだと思う?」

 白望は薄暗い雲に覆われた空を仰ぎ見る。
 思案に耽るように。

白望「さあね」

 そして、とぼけているのか本音なのか、見定まらない顔付きで呟くように口走った。
 だが、その回答では私は満足を得られないから、更に追って問いを重ねていく。


智葉「白望は……準備は済んでいるのか?」

 白望は空を見上げたまま、そうだなぁと小さく独白する。

白望「私は……智葉もそうだと思うけど、なんだかんだ折り合い付けて、普段の生活に帰っていくんだろうね」

 他人行儀にも聞こえる白望の言葉は、きっと的確に未来を表していた。

白望「でも」

 顔を降ろした白望はいつもと変わらない、眠たそうな表情だった。
 視線を辿れば、久と戯れているサキがいる。

白望「サキは……どうなんだろ。一度疎遠になったら、もしかしたら二度と逢う機会がないとか、想像もしてないんじゃないかな」

 白望の言葉は正しい。
 サキの現状は姉と再会する事だけで手一杯で、また姉と再会できたのならば、それと同じように私達とだってまた再会できると考える筈だ。

 でも、何故だろう。
 私には信じることができなかった。
 別離してしまったが最後、二度と逢えないのではないかと。

智葉「……」

 ふと、白望の真似をして空を眺めてみると、真昼の空に透明な月が浮かんでいる。
 白く、くすんだその色は、今の私の心情によく似ている気がした。


 私は心の内が晴れないまま空を仰ぐのを止め視線を移すと、白望がサキの様子を眺めていた。
 体を左右に揺らし、まるで早く彼女の傍に寄り添うことを待ち侘びしく我慢しているようだ

白望「智葉、久とサキが待ってる」

智葉「……そうだな」

 私は小さく頷いと、それを合図に白望はサキの下へ早足で向かう。
 本当にサキの事が気に入ったんだなと、口元が緩んだ。

久「ほら、智葉も早く! サキの髪留め探すんだから!」

智葉「ああ、今行く」

 ひゅんと吹く木枯らしがブランコを揺らすと、自然と肩が小刻みに震えた。
 あまりサキを寒い中に晒して置きたくない。
 だから、一刻も早くサキの髪留めを見付けて終おう。

ここまで 次は1/18(日)予定です

インフル患いました

申し訳ないです。治り次第投下します(22日予定)


 そんな想いとは裏腹に時間だけが不条理に過ぎていく。
 緩やかに曖昧になる影の色と夕闇の境。
 完全に夜になってしまえば、最早見付けるのは不可能だろう。

久「サキ、もう明日にしましょう?」

 膝を落とし、サキの目線と位置を合わせて久は問う。

サキ「……」

 くしゃくしゃ歪むサキの顔。
 大きく瞳を見開き、涙が零れそうになるのを堪えている。
 咄嗟に「新しいの買ってあげるから」と紡ぎそうな久の口を、私と白望は強引に手で塞いで止めた。

白望「久、ストップ」

久「むむー、むーっ!」

 久は不満げに眉を顰め、抗議の唸りを挙げる。
 そんな私の姿を、サキは双眸の潤いをそのままに、縋るように見つめていた。

智葉「サキは、あの髪ゴムが良いんだろ」

 私の問いに、サキは必死になって首を上下させる。

智葉「安心しろ。私は真剣な奴の味方だ」

サキ「……うん!」

 炎が点る。
 涙は何時の間にか引っ込んでいた。

久「仕方ないわね。いっちょ付きあってやりますか」

 息をほぅっと吐いた久が苦笑混じりに袖を捲り、気合いを入れ直して。

白望「ダルいとか言ってる場合じゃないよね」

 白望は各関節をぐるぐると回した。


 久の言いたい事も分かってはいる。
 諦めは時に肝心で、それを見極めることができるようになるのが大人になる一つのプロセスだ。

 それは、間違いじゃあない。

 けれども、私はサキに諦め上手にはなって欲しいとは思わない。
 少なくとも、今は。

 本当に大事な物を、大事にできるように。

──────

────

──

 それからメグ達には流石にこれ以上付き合わすのは悪いと、感謝の意を添えて解散して貰い、そしてサキが歩いた道のりを何度も何度も往復して探し回った。

 緩やかに人影が夜に溶けて、空に星の光がちらほらと浮かび始めている。

智葉「サキ、どうする?」

サキ「まだ、がんばります」

 その声は弱々しく、表情には疲れが見える。
 それでもサキが首を横に振るうから、私はとことん付き合おうと思う。
 勿論手を抜いたりしない。
 サキが見つかると信じるなら、私もサキを信じよう。

 サキと手を堅く繋ぎ、縦横無尽に目玉を動かす。
 花の髪ゴムで左右を結った彼女を心に描き、僅かでも見落としがないようにと。


 「あら、貴女達」

 そんな折りに不意に背後から声がかかった。
 聞き覚えのある、……確か数日前に。
 振り返れば、知り合いというか顔見知りというか。

白望「あ」

久「げ」

智葉「……ちっ」

 私達は三者三様に一つの音節を口から漏らした。

美穂子「何ですか、その反応は……」

 どうやらこの状況において、最も出逢いたくない人物に出逢ってしまったようだ。
 彼女の性格からするに、次の言葉は容易に想像が付く。

サキ「あの、みほこせんせーこんばんは!」

美穂子「あらサキちゃん、こんばんは……って貴女達、小さな子をこんな遅い時間まで連れ回して」

久白智「「「………」」」

 ほら始まったと言わんばかりに私達は顔を見合わせる。
 こうなってしまったら、探索を続行する為には足留め役という名の生贄が必要だ。

白望「久」

智葉「まあ御前は今より印象が悪くなることはないだろ」

久「いやちょっと待ってよ。それはないんじゃない? 少し考え直しましょう?」

美穂子「私の話聞いてますか?」

 聞く耳持たず。

白望「パス」

智葉「任せた。……サキ、走るぞ!」

サキ「は、はい!」

 数瞬後、やいややいや喚く女性の声と宥める女性の声が背中を叩き、それが暫くの間耳に届いていた。


 そろそろ二人の姿が見えなくなっただろうと足を止め、後方を確認すればやはり見えなくなっていた。
 安堵に息を吐き、再び前を向く。

 「おつかれ」

 後ろを見るまでは間違いなく誰もいなかった筈だ。
 それでも彼女、ネリー・ヴィルサラーゼは待ち構えるが如く其処に立ちはだかっていた。

智葉「先刻振りだな」

ネリー「そう、だね」

 ネリーの薄い微笑みに何やら不穏な空気を感じ取り、私と白望は壁になるようにサキの前に立つ。
 するとネリーは表情を曇らせ、背の後ろで手を組んで。
 まるで、今にも泣き出しそうで。

ネリー「別に、そんな警戒しなくたって……私なんにもしないよ?」

 震えを帯びた声が、私の心に爪を立てる。
 今にも駆け寄りたくなる衝動を抑え、私は冷たい声でネリーに尋ねた。

智葉「それじゃあ御前は、何しに私達の前に現れたんだ?」

ネリー「私だって分からない……サトハがサキと一緒にいると、サトハはサキばかり見てて詰まんなくて、でもサキに私の占いをしたら、サキが喜んでくれて良かったと思ったんだよ?」

 ネリーは握り拳をそっと開いて私達に差し出す。

ネリー「ねぇサトハ、私どうしたらいいのかな?」

 その手の平の中には、サキの髪ゴムがあった。


 よく見れば、ネリーの体は埃を被り薄汚れていた。
 それに気付けば、ネリーがサキの為に尽力した事は瞭然の理で、彼女の事を疑ってしまった己が恥ずかしい。

智葉「ありがとう」

 だからこそ、私はサキの為ではない言葉を紡ぐ。

智葉「それを見付けてくれた事もそうだが、何よりも本音をぶつけてくれた事が、私は嬉しい」

 嘘偽りなく裸の心で。

智葉「でも、それを見つけなくとも、それをサキに渡さずとも……ネリー、御前は私の大事な人だよ」

ネリー「……本当に?」

 親に叱られる前の子供のように、ネリーは恐る恐る視線を送る。
 私は影に隠れるサキの背中をそっと押して、ネリーの前に立たせた。

智葉「ああ、だから私はこれ以上関与しない。ネリーの好きにすると良い……が、その前に少しだけサキの言葉を聞いてやってくれないか?」

 サキは振り返り、私と顔を見合わせる。
 その表情に迷いや困惑はなく、どうやら私が教えずともやるべきことを理解しているようだ。

サキ「……サトハさん、シロ」

智葉「行ってこい」

白望「頑張れ、サキ」

 意志を決めたサキへ、私達は二人分のガッツポーズでエールを送った。

サキ「……うん!」


 相対したサキはまず、ぺっこりんと深々御辞儀した。
 ぱちくりと目を見開いて呆気に取られるネリー。
 顔を上げ、凛々しさすら感じられる真っ直ぐな眼でネリーを見据え、そしてサキは有りっ丈の声で思いの丈をぶつける。

サキ「そのかみどめ、ヒサさんがかってくれたものなんです。 すごくだいじなたからものなんです。 だからおねがいします! そのかみどめをかえしてくださいっ!! おねがいします!!!」

 固唾を飲み私と白望は二人を見守る。
 暫くの静謐の後、ネリーは緊張を緩め、今まで見たこともないような優しい笑みをふと漏らした。

ネリー「仕方ないなぁ。……今度はなくさないようにするんだよ?」

 サキの手の平の上に髪ゴムが置かれる。

サキ「あっ、ありがとう……!」

 すると、連鎖するように笑顔の花が咲き誇った。
 たまらず私は白望と高く掌を一つ、強く合わせ、髪ゴムを握り締めたサキを迎えて抱き締める。

サキ「えへへ、やったぁ!」

白望「よく頑張ったね、偉いよサキ」

智葉「ああ、立派だった……ネリーも、おいで」

 その様子を微笑ましく眺めているネリーを手招きする。
 初めは照れ臭そうに遠慮していたが、次第に観念してすっぽりと私の腕に収まった。

取り敢えず今日はここまでです

まず大変お待たせして申し訳ありません。また待っていただき誠にありがとうございます

済みません言い訳します
インフルは10日程で完治したのですが休んだ分、連勤が倍加して体力的に余裕が有りませんでした

応援のお言葉、お叱りのお言葉、どちらも力になっています。
重ね重ねありがとうございました

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom