メカクレ傾城書店員鷺沢文香『失伝した地方祭事の再現に関する研究』 (75)

モバマス

しきにゃん誕生日おめでとう

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訊いてもらえるので前作付記します。あんまり続かないので読まなくても大丈夫

「只今」

揃って白衣の少女が二人、旅行鞄を提げて踏み入る

「お帰りなさい、晶葉ちゃん。志希ちゃん。どうでしたか? 向こうはまだ寒かったでしょう」

「どうもこうもない、学会を何か権威のあるものと勘違いしたむじなの集会さ」

「特にいい匂いはしなかったね……それで物は相談なんだけれどねちひろちゃんさ」

晶葉は「なにがそれでなものか」とシニカルに笑い、定位置である事務椅子を早々に確保した。
志希は鞄を壁際に寄せると、事務仕事に戻るちひろの机に片肘ついて猫なで声で話しかける。

「今あたしたちに足りないものがあるんだにゃあん」

「曲ですか?」

「マルチスケールな動的観察」

横から「まあ確かにな」と声が挟まる。

「だがこれ以上の解像度を求めるには、立地が悪い」

「アイドル事務所に研究所的な立地を求められても……とは言いません。買いますか?」

「おっ」

ぴょこん、と身を起こした志希の目が輝く。

「買っていいの? タイタン!」

ちひろは軽く溜息をついてみせると、にこりと手慣れた様子で微笑んだ。

「もともとうちはそういう事業形態ですからね。先日特許関係の整理をした分で、多少バンクロールには余裕があります。
 が、フローティング、無音、断熱、電磁遮蔽の地下室……を増設しては、うーん、ハイエンドマシンには足りませんね」

「さもありなん。だが、次の仕事でそれも賄えるはずだろう」

「ええ。予想通りに運べば」

「なら工事を進めてくれ。何にせよ、今の我々には資本が必要だ。それも、大量に」

「わかりました」

「次の?」

首をかしげると、魅惑的なウェーブを描いて志希の髪が白衣に流れた。

「そう、次の。君も来るか、鹿児島」

1.

「……かねてから、進めていた研究があって」

分厚いハードカバーを膝に抱いて、伏し目がちに文香が言う。

「うん」

すっかりよそを向いて相槌を打つ志希の前には、透き通ったガラスのチェス盤。
木場真奈美と盤を挟んで、全部同じおはじきを動かしている。

「とある島の……土着宗教です。ほとんど記録は残っていないとされ、口伝も途絶え……」

「なぜそれを、今になって?」

「今しか、できないんです。長老会に一人だけ、実際に祭りに参加された方がいます。まだ口伝が残っています……再現して、記録にしてしまえば」

ぐっ、と身を乗り出す。長い前髪の向こうに、空色の瞳が力強くきらめいた。

「残してしまえば、こっちのもの?」

「……はい」

「で、晶葉センパイはいったいぜんたい」

「私は、研究の出資者だ」

「パトロン?」

「いや、スポンサー」

「……ふぅん?」

「釈然としない顔だな」

「いや。何でもないよ……あたしの勝ちじゃないかな?」

真奈美はふむ、と顎に手を当てると、

「そうだね。あと……八手か。だが」

おはじきが動かされ、同じ色形のそれを一つ盤面から放逐した。

「チェック。これでスティールだね」

「……おやおや」

「小梅」

「は、はい。志希、さん」

「次のキーワードから、思いつく言葉を言ってほしい」

「う、うん」

「『離島』『土着宗教』『東京の民俗学者』『祭祀』」

「『呪い』『儀式』『生贄』……『凄惨な殺人事件』」

「だよねえ」

「うん……」

志希は楽しそうにけらけらと笑い、小さな小梅を抱き寄せてかき混ぜるようにした。

「わ、ふふ……くすぐったい」

2.

「何を聴いている?」

大きなダイナミック型のヘッドホンを外して、志希はきょと、とした。

「うん。うるさかった?」

「いや、全然。珍しかったから、つい。気にしないでくれ」

「ドゥームズデイ・マシーン」

「ほーん」

「仕事用だよ」

「ああ。写真集の」

「そそ。ゴア・ビジュアルアーツ」

「ちひろの奴も、またニッチなところをぶっ込んできたな」

「つかみは派手にね。嫌いじゃないよ、あたし。ちゃんとキワモノはまれにって言ってたし」

「彼女、そのあたりのバランス感覚は抜きんでているからな。信頼してくれ」

モノレールの中には、空港に向かう人々。時間帯もあって、あまり混雑はしていない。しかし、競い合うかのように意地でも白衣の二人組はいやでも目を惹いた。

ちひろは少し気にしている風だったが、彼女たちは口をそろえて、曰く、

「これが余所行きなんだ」

「で、文香は」

向かいに早苗と隣り合って座る文香は、視線をそのまま、手にした書の背を掲げて見せた。

「ジャレド・ダイアモンドか。定番だな」

「名著は、名著たる理由があってその地位にあります……」

「尤もだ」

「晶葉ちゃん」

早苗が不思議そうに声を上げた。

「暇なの?」

くつくつ、と志希が喉を鳴らして笑う。

「センパイはね、緊張してるんだよ。何しろ大仕事だ、ふふふ……らしくもない」

「らしいと言われるほどに、まだ君とは過ごしていないだけのことだよ」

「にゃはー。ごもっとも。どうか末永く、お付き合いいただきたいにゃ」

「君には他のアイドルより多額の投資を強いられたからな。投下資本くらいは回収させてもらうよ」

「……えげつない会話ね」

「早苗さんも、よろしく頼む」

「もちろんだけど。なんであたし?」

ばさり、白衣の裾を弄ぶ。

「顔役だよ。大人が、必要なんだ」

「……」

「早苗さんは、愛嬌がある。警戒心を抱かせない……それでいて切れ者だ。子供が間に立つより、……政治的に優位性がある」

「……その」

ふい、と窓の外に視線を遣って続ける。

「その、あえて突き放したがるのも、悲愴感あるわよねえ」

晶葉は答えず、志希はヘッドホンを被った。

「まあなに、今から硬くなってたって始まらないからね。何か食べようよ」

「何かってお前……空港に入る前に言い給えよ。まさかパーラーとか言い出すまいね」

「コンビニでいいんだけど……そこ、降りたところにドトールがなかった?」

「そりゃあるでしょうね……あちこちに」

「タリーズもあります……ね」

「なんでもいいからさー。このまま飛行機乗ったらあたし空腹で動けなーい」

「まあ、いいんじゃない? ブランチってことで」

「……はい」

「別にダメとも言ってないよ。じゃ、そこにしよう」

だいたいこんな感じで、

・オリ設定
・地の文
・シリアス風

の地雷原を行きます。ではまた

「それで、宗教行事だっけ」

言いながら、志希の細い指はリズムを取るようにぱきぱきとガムシロップの封を切ってはアイスコーヒーに落としていく。

「はい」

「そういえば、聞いていなかったな。どんな代物なんだ」

「……雨乞い祭です。調伏物語仕立ての」

すぅ、とひとつ息をつく。ただそれだけで、文香の周囲に、舞台一式が霧の中から現れた。そんな錯覚さえ生み出すほどに、凛とした空気を纏う。

――鬼が降りてきた。

山には鬼が棲んでいて、迷った人は食われてしまう。

その鬼が、降りてきた。

鬼の体は巌のごとく、鬼の膚は赤鉄のごとく、鬼の目は焔のごとく。

燃え盛る鬼の暴虐に、村は乾ききってしまった。

そこで一人の若者が、鬼退治を買って出る。

『おれに棕櫚の葉で蓑を拵え、一番大きな蘇鉄で槍を作ってくれ』

村の者が若者の言うとおりにしてやると、若者は流木から掘り出した恐ろしい仮面を着けて、棕櫚の蓑と、蘇鉄の槍とで戦装束を整えた。

そしてその夜。

『鬼、覚悟!』

雄叫びを上げて若者が襲い掛かると、鬼はすくみ上ってほこらの中に逃げ込んだ。

そこで若者が火を焚いて、蓑でばさばさと煽ぐ。

煙と炎にたまらず飛び出したところを、

『やあーーーーっ!!』

裂帛の気合いで若者の槍が刺し貫く。

ついに鬼は打倒されたが、――

文香はふいと緊張を解くと、

「――あ、そろそろ時間ですね」

「ちょ、文香さんもうちょっとじゃん!」

「……やられたわー」

くつくつくつ。晶葉が籠った笑い声を上げる。

「その意地の悪い呼び水、誰に似たかな」

「晶葉さんですよ」

飄然と言い放ち、くすり、笑った。

「で、とうとうあのまま語らずじまい」

頬杖をついて、志希は憮然とした表情を作ってみせる。

「そうじれるな、どうせ明日には見れる。窓側だぞ、大人しくし給え」

「そんな子供ごまかすみたいな……思ったんだけど、短くない? ドキュメンタリーなら、もっと設営とか手伝ったりさ」

「設営と言っても……当日、櫓、燃やすための……を作るくらいです。面は祭の日まで封を解くことはできないそうですし、蓑と槍も当日に作ります」

「奉納演武のようなものかしら。前の職場でやったことがあるけど」

「そうですね……イメージとしては合っていると思います」

そこで飛行機は動き始め、窓を食い入るように見つめる志希を乗せて、一路福岡へと飛び立った。

「あ、機首上げ……後退角変わった。ふーん、センパイの言うとおりだね」

「まあ、大体そうだろうな」

耳がどうこうとひとしきりもぞもぞしていた志希は、気圧が安定すると変わり映えのしない窓の外にすぐ飽きて寝息を立て始めた。

文香はずっと文庫本に目を落としている。

「……暇ね」

早苗は暇を持て余していた。

「どうせ二時間もないんだ、早苗さんも眠ったらいい」

「眠ろうって言ったって、そうほいほいいかないわよ」

「え? 警察官って、何かあったらそういう風にして睡眠をとるものじゃないのか」

「まあ器用な子はね。あたしみたいなのも結構いるのよ。そうそう、あれも飛行機絡みでね……」

「……あれ、捕まった、かな?」

晶葉は、暇を楽しむことはできないと悟って苦笑する。

「あ、ちょっと! ビールは到着してからにしてくれ!」

3.

福岡空港から鹿児島、更に小型機に乗り換えて奄美大島へ。

「ここから、船で……三時間強……四時間、です。チャーター船に来ていただける手筈ですから……港へ行きます」

「名瀬港までバスで一時間。島はやっぱり大変ね」

「あたしエクラノプランに乗りたい」

「あんなもの日本海に浮かべられるか。すぐ転ぶ」

「着くのは夜よ。挨拶は明日」

「……荒れないといいけどね」

「海か? 大丈夫だと思うぞ。そういう予報は聞かないし、気圧も安定している」

「海も、天気も、人も、だよ」

「あの……私も、何か、不穏なことを言った方が……?」

「いらない、いらない」

「なんだ。しっかりした船じゃないか」

「さすがにあたしたちには、数時間ボートでってのはきついしねー。よかったよかった」

「…………」

船に乗ることの少ない面々は、船室に引っ込むのを後にしてしばし甲板で見物を決め込んでいた。
文香は、黙って海の向こうを見つめている。

「なかなか絵になるわね」

「……ありがとうございます」

「緊張してるの?」

「はい……これが卒業研究ですから」

無事卒業できるといいのですけれど、と、さらりと髪を流す。

「あはは。冗談が言えるなら大丈夫そうね」

文香は、不思議そうにきょとんとした。

「これから行く島は、奄美大島と屋久島の間に広がる、トカラ列島という島々のひとつです」

潮風に満足して、船室で文香を中心に情報の確認を行っておくことになった。

「トカラ列島は、すべてが十島村というひとつの行政区域ですが……それぞれの島に、独自の風習があり、小さな文化圏を形成しています」

「文香が研究の一環としてフィールドワークを行い、書籍記録を残そうとしていると知ってな。実際に再現することを持ちかけたんだ」

「……映像記録が、あるのとないのとでは大きな違いですから……もともと、県や村にもその提案は行っていたんです」

「なるほど、それでスポンサー」

胡坐座の志希が、得心した風に呟いてチョコを齧る。

「そう……産学プラス官、の提携事業だ。我々は資金援助、行政との仲介役を行い、優先的な情報の利用権を得る」

「役所が例によって重い腰を上げあぐねている間に、企業にかっさらわれた図だな。もともと向こうにも断る理由などなかったのだから」

「ま、図体が大きい分動きにくいのはどこも同じよね」

志希はとても複雑な表情を浮かべた。ちらりとそれを窺い、晶葉は続ける。

「とりあえずはこんなところか。大きな島でもないからな、報道機関も最小の人員にするよう通達してある。

 違反すればどんな媒体の情報も使えなくなることがわかっていれば、さしもの彼らとて大人しくするだろう。

 事務所で用意したカメラが主になるはずだ」

「村長さんに、明日の本番前にご挨拶いただけるそうです……先生もご都合がついたそうで、来てくださることになりました」

「教え子の研究成果だもんね。見たいと思うはずだわ」

今度は、晶葉もそろって苦笑いを浮かべる羽目になった。

「我々の一経験を、モラトリアム全体にまで敷衍するつもりもないが」

「難儀なことだよねえ。にゃふふふ」

クルーザーを降りると、港には和装の少女がぽつねんと佇んでいた。
一向のもとへ、とてとてと歩み寄ってくる。

「やーやー。遠路はるばる御足労いただきましてー」

「あら。わざわざお迎えに?」

「会いに参りましたので。車がないとどこにも行けませんのでー」

「ありがとう、ございます」

「いいえー。わたくし、依田は芳乃と申しましてー……皆様のーお導きをー」

ふわふわと言葉を切ると、芳乃はじっ、と晶葉を見つめてから背を向けて、駐車場へと歩き出す。

日の暮れた、明かりに乏しい港に、不釣り合いな少女の姿は、ぽう、と浮き上がって目に映えた。

「あたしはそろそろお休みしたいね。流石に長旅だー」

小さなキャリーバッグをころころと引いて、すぐに志希が芳乃の後に続く。

「…………」

ボストンバッグを抱え直すと、文香も踏み出した。

「やれやれ。早苗さん」

「はーい」

「どうやら、物怖じしない順がつまびらかになったようだね」

「気圧されない順だかねー。マイペースというか……」

最後に二人がタラップを降りると、クルーザーはすぐに帰途につき、やがて港には夜の帳が訪れた。

駐車場には確かに白のセダンが停まっていたが、中には運転席に男が一人座っているきりで、先ほどの少女の姿はない。

窓をノックすると、居眠りしていた男が出てきて歓待の挨拶をした。

「やあ、すみません。ようこそ」

「こんばんは。さっきの女の子は? どこに行っちゃったのかしら」

「……もう一人いらしたんですか? 別の車で移動したんでしょう」

「……へぇ」

小さく志希が呟き、興味を持った証左に鼻をひくつかせた。

「まあ、いないものはいないさ。行こう」

「……そう、ですね」

「迷子になってるとかじゃないでしょうね……」

しかし早苗のその懸念は杞憂に終わる。

当座の宿である公民館にたどり着いた一行の前に、再び芳乃がひょっこり顔を出したのだった。

「やあ、奇遇だね」

「まさにまさに、めぐりあわせというものでー」

「君、なぜさっきは突然いなくなったりしたんだ」

きょと、と小首をかしげると、にこり、笑んだ。

「原付で。お先しましてー」

「あの……何か、御用事でも」

「ああ、ええ、そう、年寄会が」

「長老会?」

「はい、その年寄会が、まあ年甲斐もなく宴席などぶちましてー」

「まあ冷や水もほどほどにと、わたくし再三申し上げているのですけれどもー……置いておきましてー」

「皆様方におかれましては主賓でありますからしてー、適当にお花を添えていただいて、流れで散会としていただければとー」

早苗と文香が出向き、未成年二人は公民館に残された。

「やあ、いまどきちょっと見ないくらいの田舎だね。つまり、あたしの行動範囲内にはって意味だけれど」

「さてね……」

畳の床に、備品の煎餅蒲団と毛布が敷かれている。とってつけたようなカーテンは日焼けのあとも鮮やかに、窓の向こうには一面の闇が広がっていた。

傘のついた吊り下げ型の蛍光灯には、グロー球がしかるべき役割を持って備え付けられている。

「……志希」

「何かな、センパイ」

「君、論文博士を取らないか」

「なに……?」

「提出先は紹介できる」

「あたしは、別に……」

表情の消えた志希を、真っ向から見据えて晶葉は続けた。

「権威に抗し、枢権を廃するためには、同じ力が必要なんだ」

「……自分でおやりになればいい」

「私だけでは足りない。君が加わったとして、まだ足りない。今回のこれにしたところで、大きな前進ではあるが、足がかりに過ぎない……」

唇を歪め、吐き捨てるように。

「アカデミアは、それほど巨大だ」

「それで……先輩。君は何とする」

志希は鞄からごそごそとお菓子を取り出す。

「柱に供せぬ腐木を火に焼べ、残るのは何かな」

奄美で買ってきたかりんとうを皿に開ける。髪が流れて、表情を隠した。

「……走狗かな?」

志希の言葉に、晶葉は冗談めかして笑う。

「大学と心中か」

「心中なんてメロドラマティックなもので済めばよし、だと思うけどね」

「どちらにしたって、御免蒙る」

「あたしだって」

でも、と続けて言うことには。

「でも、センパイがやろうとしているのは、そういうことじゃないのかな?」

「学問の健全化。研究の純粋化。産官学の連動体制」

「ああ」

「……結局は、イデオロギーの再構築に過ぎないとは思わない?」

「…………」

「センパイ一人の手の届くものなら、あるいはあたしも心動いたかもしれない。今この事務所で楽しくやってるみたいにね。

 でも、それじゃ小さすぎる。そうでしょ」

「……ああ。私は、モラトリアムの膿を出し切りたい。腫瘍を切り落とし、切創を焼き、絡み合う線虫を切り……」

「そうして、後には新たなブラックボックスが残る」

「そうしないための仕組みだ! ……上から腐ったものを、下から正すための、アイドルなんだ。

 就学支援の……ちょっと待って」

晶葉が言葉を切ると、小さなノックの音が聞こえた。

「ん……この匂い……」

「もし――」

清廉な声は、演技がかって震えた。

「雪に降られて、道を見失ったものです……どうか一晩――」

「何をやっているんだ、君は……」

言葉の半ばで晶葉がドアを開け、その主を迎え入れる。

文香はころころと笑いながら、倒れこむようにして靴を脱ぎ捨てた。

「お、おい……まさか酔ってるのか」

「まあー、想定できたことだよね。ハタチでしょ?」

顔を寄せ、志希はにやついた。「いい酒持ち出してきちゃって」

「そうよお、十九だって言いなさいって言っておいたのに」

「まあー、あのくらいの大年寄りにはそれで理由になるとも思えませんのでー」

ひょこ、と早苗の後ろから芳乃も顔を出す。

「断りきれずに次から次へと……まさしく宴もたけなわに放り込んでしまいましたこと、わたくし、恐縮しきりなのでして」

「しょうがないから杯取り上げてさ、連れ出してきちゃった」

「より正確に申し上げますれば、つと取り上げましたその杯、ひといきにあけましては曰く、『じゃああたし、この子もらって帰るから』と」

「どこの少女マンガだ」

「くくく……かわゆいね文香さん」

「まったく同感だが、君が言うといかがわしい」

「んー? 遺憾の意を表するぞー、あたしはー。ほんとにいかがわしくしてやろうかー」

「酩酊状態の相手とは合意の形成を得られないわよ」

「お、マジレスが来た。はいはーい、わかってますよー……そうそう、髪留めと、上着もこっち頂戴……センパイ水持ってきて」

「ああ」

「志希にゃんさー、酔い覚ましか何か作れないの?」

「んー? あるよー……」

鞄の中から取り出した胴乱をかきまわし、乳鉢や薬包紙を脇によけ、

「ほら、液キャベ」

「なるほど妥当だな。ほら、水」

「よっぽどこっちの方が安いし確実なのだよね。ありがと……文香サン。飲める?」

芳乃はくーっと晶葉を見つめる。

「そなたでしょうかねー?」

「何がだ?」

「人を、お探しでしょうー」

にこー、と、笑う。

「なるほどなるほど、なかなかどうして……では皆様、お休みなさいませー」

「……苦手なタイプだな」

「ちひろさんにも通じるところがあるね」

「ああ。彼女も苦手だ」

「それ聞いたら泣くよお」

「言ったさ」

カーテンを開いて覗くと、芳乃が提灯を提げててふてふ帰ってゆく後姿が、ぼんやりと浮かび上がっていた。

進まない本筋

また明日

翌朝。

文香が準備で忙しそうにしているので、晶葉は志希と二人、散歩をしていた。早苗はまだ寝ている。

「狭い島だな」

「開拓の必要がなかったんだろうね」

「うん……港と集落がそれぞれ一つ。山の中腹に社が一つ、それだけ……か」

「神社かな」

「ああ、のようだな。専門外だが」

参道入り口には本土のそれと同じ様式の鳥居が一基建っている。

しかし、その横木には鋸刃状の模様が一面に彫り込まれていた。

「……どこか南方的だ」

「南方だよ?」

「ああ。近くの地方と信仰の混同が起こるのは珍しくない、こと汎神論的宗教観の強いアジア文化圏では……しかし……」

眉を寄せる晶葉を、志希はいぶかしげに見やった。

「今考えても詮のないことを考えていないかな?」

「……かもしれないな。情報が少なすぎる」

「温泉に行こうよ。芳乃ちゃんも言ってくれればよかったのに。そういや火山島なんだから温泉の一つや二つあってしかるべきだよねえ」

「いや、それはどうだろう……うん、まあ、風呂に行くのは賛成だ」

そして夕方。

昨日彼女たちを運んだのより大きなチャーター船が入港し、かつての島民や報道陣、村長、文香の研究室からは助手と教授、加えて学部生が一人訪れた。

「ご挨拶に、行ってきますね……」

「うん。行ってらっしゃい。……なんであたしたちここにいるのかな」

「私は責任者だからな。こういう形のものは初でもあることだし」

「あたしは?」

「君にも見てもらいたいと思ったからだが」

「やれやれだねい」

「しかし見ろ、四方に幣束下げた柱を立ててかがり火焚いて、鼎まである」

「……普通の神事じゃないの?」

「普通すぎる。鳥居に見られたボリネシアあたりの風味はどこに消えたんだ」

「……ああ、そういう」

志希は手持無沙汰に腰をひねってストレッチなどしながら、

「そりゃ祭に裏のひとつやふたつあろうさ」

「文香がそれを見逃すと思うか」

「……センパイ、まさか」

「……見てみないことには、わからないが」

朝礼台の上で、村長の演説が終わり、文香が壇に上る。

あでやかに一礼すると、おお……とどよめいた。

『只今ご紹介にあずかりました、帝国大学の鷺沢文香です――』

神事の成り立ちとそのあらすじ――空港で聞いたもの――と、丁寧な長老会への謝辞を朗々と読み上げる。

ごく普通の挨拶に、群衆は呼吸すら躊躇われるほど惹きこまれていく。

かがり火のはぜる音と、玲瓏な文香のいざないの声だけが周囲を支配する。

関心を失いひょこひょこと舞殿のほうを覗いたりしている志希と、険のある視線で見つめる晶葉の二人だけが、その魔力のほかにあった。

――祭が始まった。

ひょう、と高く弦をかき鳴らす音。

「……鳴弦だ。矢をつがえずに弓を鳴らし邪を祓う。後世では鏑矢に引き継がれた」

高校生を中心としたボランティアと、長老有志による雅楽の演奏。

「……ヨナ抜き音階だな」

「さもありなんだよ」

琉球音階は鹿児島以北ではあまり用いられない。わずかにいくつかの島に見られるのみだ。

トカラ列島に位置するこの島で、本土の音階の楽が奏でられることは矛盾しない。

志希は、抱いてしまった疑念に翻弄される晶葉に複雑な視線をちらりと流す。

「ああ……長老さまのいでましだ」

恐ろしげな面を着け、体にぐるぐると尖った葉の蓑を巻いた姿は、獅子舞にも、鬼にも、なまはげにも似た。

ただ一つ祭に受け継がれる物質である面は古く、漆も艶深い。遠目に薄明かりでは、材質までは見て取れなかった。

『鬼が来たぞ』

声はない。この祭には歌が無い。

旋律が跳ね、戦いを表現した。

長老扮する鬼退治の若人は、どこか歌舞伎を思わせる足取りでとっ、とっ、と啖呵を切って、槍を構えた。

そして、静寂。

静と動とが波のように訪れる。

ただ一人、舞殿に動く人物であるところの若人は、観客の目には見えない鬼を追って社の前へ。

「……クライマックスだな」

「ああ、正しい意味でのってやつね」

ばっ、と槍を掲げると、社の周りに積まれた細い薪に炎が上がった。

赤い光が揺らめき、空を焦がす。彫の深い異国調の勇者の姿は、一種異様な迫力を生み出していた。

しゃん、しゃん、しゃん、しゃん、だんだんと早くなる神楽鈴の音。

しゃん、しゃん、しゃん、しゃん、

しゃんしゃんしゃんしゃんしゃんしゃん。

しぃ……ん。


振り掲げ。

刺し、貫いた。

勇者の面は、社へ向けられ、窺い見ることができない。

「……センパイさ。あらすじの最後、聞いてた?」

「ああ」

「皮肉だよねえ」

「……ああ」

それは、はたして嘆感か。

それとも、応是であったか。

ぱちぱちと、燃え尽きる炎の色に、晶葉の表情は隠れていた。

上手くやったものだ、と志希は感心する。

一気に燃え上がり、次のシーンまでにきちんと燃え尽きる。

そうでなければ、ならないのだった。

若者の面は、まだ見えない。

笙の独奏。

それまでと趣の違う旋律。

「はたして鬼は討ち斃された。しかし」

ぐん、と髪を模した被り物を振り回し、乱暴に振り返る!

面は逆さに、気迫に満ちた勇者の表情は、眼尻の下がった物悲しい鬼のそれへと変貌していた。

低い歓声が、ゆるやかに広がった。

「若者は、己が鬼神と化したことを知る」

「早変わり……些か簡略化されてはいるが。見事だ」

「……そして鬼は自ら社へ入るとその扉を閉ざす。かくして島は日照りを脱した、目出度し、目出度し……」

「…………」

志希は、どんどん表情が苦々しくなる晶葉の後ろで所在無く立っている。

――やれやれだね。

4.

「何、難しい顔しちゃって。お祝いの席よ」

「ああ……済まない。面倒事を押し付けてしまって」

「ま。大人が必要ってのも妥当ね」

「あ、早苗さん……お疲れ様デス」

「はい、どうも」

両手に紙コップと紙皿を持った志希を見て、ぽんと手を打つ。

「殊勝ね」

「んん? あたしのだよこれ」

「あらそう」

「そう。センパイも食べていいよ」

「……晶葉ちゃん何かあったの」

「まあ、うん、何だ、いろいろね」

「そう」

「……そうだなあ。解決しないでもないのだよ」

「それは、あなたの矜持に悖らないもの?」

「無論さ。にゃふふ。自分のためにアカデミアは捨てたが。彼女のために自分を捨てはしないよ」

「そう。じゃ、任せるわ」

「任されよー」

そして志希は、焼き鳥の串を振り振り。

「池袋晶葉」

「……何だ、一ノ瀬志希」

「紹介状」

「あん?」

「センパイ。誕生日祝いに、もらってあげるよ、紹介状」

ありふれた白い天幕から見上げる空は、たなびく雲も薄く高く。

「ああ。そういえば、今日は……」

満点の星空は、誘蛾灯の音の中、まばゆいばかりに揺らめいていた。

「志を希う、で、志希。あたし、結構この名前、好きなんだ」

「うん。いい名だ」

「……恥ずかしいことを言おうか。にゃふふふ……」

こほん、と咳払いをひとつ。

「スカラシップの大樹に。晶晶たる一葉、啓いて見せてよ」

「……うん」

池袋ハカセ誕生日おめでとう。

滞りましたが次から解決編です

「文香は、どこにいる」

白衣に袖を通しながら誰へともなく投げられた問いに、酒豪答えて曰く、

「朝から見ないのよ。出かけてくるって」

「……出張役場に行こう。地図が欲しい」

「はーい、センパイ」

島全図。相当に古いもので、集落と港のほかには山しかない島の鳥瞰図を出張役場の待合室で広げる。

「……神社がここ」

「昨日の祭があったところだね」

「火口がここ」

「旧火口というか。近頃じゃ死火山とは言わないと聞いた」

「で、これが神事の舞台である祠だ」

「神社のすぐ上だね」

「…………」

晶葉は難しい顔をして、火口と神社を祠を通る一本の線で何度か辿る。

「行ってみよう。多分、登り口があるはずだ」

「何の」

「……旧い神の」

「ふぅん?」

祭は終わり。普段の静寂ともまた違う、ざわめきの残り香を感じるような閑散。

そんなものが、島の小さな社に満ちていた。

「そもそも奇妙なのは、由緒板が無い」

「……別になきゃいけないものでもないんじゃない?」

「まあな。だから理由としては弱いが……あった」

そう言って、山の斜面に埋まるような本殿の奥を指す。

そこには、獣道と言うには些か不自然な道筋が、隠されるようにして山頂のほうへと伸びていた。

「ほとんど飲まれているが、舗装された道だよ、これは」

じぃーーーーーー……きりきりきり……

有機的な音と、むせ返るような緑の馨気。

「……だいたい、わかったんだ」

それは、志希に聞かせているようで、実際のところ、独り言でしかなかった。

「だが、ならばなぜ……彼女はなぜ……」

「…………」

志希は、白衣のポケットからチュッパチャップスを取り出して咥える。

原生のまま、栄華に繁る木々の向こうに、ちらりと岩肌がのぞく。

「……近づいているな」

と、折り畳みのナイフで手近の木肌に傷を入れた。

奇岩。

巨岩。

それは、あまりにも原初の。

威容だった。

生命的な。

白い。

「これは――」

立ち尽くす。

山林のうちに、忽然と開ける空間。

縮尺の壊れたような巨大な岩が、色の抜かれた無垢の白で、巨木のように。

木々がそのまま、岩に成長したような。

「……いはくらです」

するり、と、岩の広場中央に鎮座する一際偉容の影からまろび出る。

「文香さん……」

「……やっぱり、気づきますよね」

「当然だ。……昨日のあれは、大和味が強すぎる。あまりに朝廷色だ」

「まあでも、あれで、ちゃんと本物のまつりごとなのでしてー」

ころころと間延びする声が降る。

磐座と文香が指した巨岩の上に、小柄な少女がちょこんと座っていた。

「トカラ列島には、落人伝説があります……」

「御多分に漏れずというやつだ。聞いたことがあるぞ、宝島というのもあるのだろう」

こくり、と文香は頷いた。

「そのころに本土から持ち込まれた神事を、再現しました」

「……だから、何も嘘はついていないというつもりか」

「嘘などーひとつもー」

「まだだ! はじめの巨岩信仰はどうした! 鳥居を見ただろう、精霊信仰は寺社建築伝来以後も続いている!」

「絶えました」

「尽きましてー」

ぎりっ、と、隣に立つ志希が眉を顰めるほど晶葉は感情を剥きだして歯を噛みしめた。

「……それならそれだ」

低い声で呟く。

「鬼退治と言ったな。赤い肌の」

「……はい」

「赤い肌の、高い鼻の、青い目の、か」

「ええ」

ぴこーん、志希は電球を浮かべる。

「へえ。渡来人か。そういうことね。ようやく見えた。くくく……なるほどセンパイにはお気に召さないだろう」

「鬼を倒すのが雨乞いなんじゃない。鬼を倒して雨乞いをするんだな?」

「その通りです。鬼がいたから、秘祭が執り行えなかった」

「不運なことに、鬼が流れ着いてから日照りが始まってしまった」

「多分、特別に見られてはいけないたぐいの祭ではなかったと思います。
 
 けれど、当惑を招くには十分な外濫でした。

 そして外濫は、容易に疑心を呼び、疑心は祭儀に猜疑を抱き、猜疑は神器に暗鬼を生じた」

「命の恐怖を覚えた、集落というコミュニティでしてー。その結末など、明らかでー」

「そして、磐座神事の代わりに調服物語か」

「…………」

黙り込む。

人間が数人無言になったところで、島は、微動だにしない。木々でさえも、静寂すら許さなかった。

ざわざわ、じぃーーーーー……きりきり……

「最初の質問に、まだ答えていないぞ」

きっ、と見据える。

「何も嘘などついていないと言うつもりか。覆い隠して。口を閉ざし、記録を伏して!」

「……あなたが神を信じる必要はないのでしてー、つまりーわたくしがー……」

「信仰の意味って、何でしょうか」

「……」

「支配階級の統治イデオロギー、道徳、社会規範……いくらもあります」

「然り」

と、志希はまだくすくす笑う。

「つまりは……生活なんです。ひとの営み、ひとの心、ひとの思い、そのもの」

「然り」

「今、巫覡が神降ろしをしたところで、伝統儀礼以上の意味を持ちません。

 グロソラリアは神的存在からの言葉ではなく、今や単なる譫言でしか、ありません……」

「……」

「そして、信仰とは、生活なんです、晶葉さん」

「必要のない神は、死にましてー」

「それを、それを、ひとの世が見捨てた神を、記し残すのが、君たちの学問じゃないのか……っ」

「…………卜部神道、御存じですか」

「いや……」

「荒葉吐」

「いや」

「ヲシテ文献」

「いや……何が言いたい」

「何れも、派によっては真偽はおろか実存さえ問われるものです。正史からははじかれたと、言っていい……」

「そんなものまで、貶めるのか」

「果たして、貶めているのか……とは、言いません……言っても、仕方のないことですから……」

「飴玉。おいしそうですねー」

志希は、ひょいとチュッパチャップスを取り出して投げ渡した。

くすくす、と。芳乃は笑う。

「ありがとうございますー」

「私は……私は……科学者だ……!!」

諸手で顔を覆い、悲痛な声を絞り出す。

「なんで……っ……」

「……」

ふい、と、視線を外し、文香は空を仰いだ。

「忘れるのは、簡単なことですね……ただそこには、ぽっかりと空洞が残るだけ……。

 忘れられるのは、こんなにも恐ろしいのに」

「それが、神とひととの違いですゆえー」

「ひとは、言葉を紡ぎます。残酷に、伝えることだけを残して、不完全な言葉で、外部に記憶を委ねる」

「無理からぬことでありましてー」

晶葉は、肩を震わせて、嗚咽を抑え込んでいた。

張り裂けそうに。

芳乃が岩の上にひょいと立ち上がると、下からは見えないところへ姿を消す。

そして、ひょこっ、と文香の隣に顔を出した。

「帰りましょう。船が来ますゆえー」

「はい……」

「……センパイ」

「ああ」

三人が来た道へ歩を向けたところで、芳乃はそっと巨岩に触れる。

「――――」

何事かを囁くが、その言葉はすぐに葉擦れに消えた。

こんっ、と叩くと嘘のように巨岩は手ごろな大きさで欠ける。その欠片を懐にしまうと、芳乃は小走りで三人に合流した。

卜部神道の実在を疑うというのは相当な過激派ではあります。

次で完結したい

5.

見送りも終わり、静けさの戻った港で船を待つ。

西の空に渦巻いていた暗雲は晴れ、海は澄み渡り凪いでいた。

「センパイまだ機嫌悪い?」

「もともと不機嫌なんかじゃないぞ」

「忘れることを許容したのが、そんなに傷ついた?」

「……」

「文香サン、もう少し具体的に言ってあげてよ」

「……はい」

鍔広の白い帽子をこくんと揺らして、文香が晶葉の前にしゃがみ込む。

まるで子供と大人。

志希はひとりでそう思う。

睨まれるから、絶対言わないけどね。

「私が記せば、……イベント、あえてそう言いますけれど、イベントの規模からして、容易に人の記憶に焼きついたでしょう」

晶葉はむすっとしながらも、眉を顰めてくりくりした瞳で文香を見つめる。

「『海に閉ざされた孤島の』『秘祭に隠された真実の』『そこに影を落とす、太古の信仰』として」

「まさしくまさしく、ひとは未知が大好きでありますからー」

「それは、自分とは関係のない未開の風俗。それは、既に死した神」

海風が、ゆるりと頬を撫でる。

「私が今記すことは、彼の柱を、いはくらを、いたずらに眠りの陵より掘り出だし、日に晒し、骸を見世物にすることになります……」

「存在を記すのは、かつての存在を遺すのは、罪だと言うのか」

「……罪ではありません……ですが、罪深いことです。私には、それを背負う覚悟は、ありませんでした」

「忘れられる神は、消えゆく神は、ならば……」

片手で、首を支えるように、額に手を置く。

「ならばなぜ、生まれたというんだ……」

「……記録に残るためでは、ないのでしょうなー」

ひとりごとのように答える芳乃の目は、視線の先すら、映していないかに思えた。

「……文香」

「なんでしょう」

「芳乃とは、どういう関係なんだ」

「……ふふ」

「神を。カタチにするモノ同士、でしてー」

「長老への聞き取りも、とりなしていただきました。フィールドワークでも、とてもよくしてくれて」

「そうか」

「船が来たわね」

ちょこん、と大きなキャスター付きの鞄に腰かけている早苗が、水平線を見据えて呟く。

まさしくその小さな点は、彼女たちを海に閉ざされた偉大なる都市、科学の神の御許へと連れ戻す方舟であった。

「芳乃、君は、この島に住んでいるのか」

「今は、ここに身を置いておりましてー。つまりそれはー、わたくしが未来に、過去に、ここにいることを定めないのでありますがー」

「……そうか」

「んふふん」

志希がこらえきれずに笑いを漏らす。

「……ごめん、ごめんって。にゃふふふ……謝るからさ」

ほら、睨まれた。

「全く、驚くほど不器用だなこの人」

「時々とっても強引なのにねえ」

早苗と顔を見合わせて、悪戯気に笑う。もう隠すこともしなかった。

「先に乗ってるよ」

「別に、残る用事も無い」

憮然とした表情で、晶葉も続いてタラップを踏む。

と、鋼鉄の小さな橋の上で振り向いて。

白衣を靡かせ。

凛とした科学者の眼は、その見据える先に、飄然と笑む和装の少女を置く。

「君」

「はい」

一度言葉を切る。

躊躇って。

「君、私と来ないか」

「はい」

「つまりだ、その……私の……何だって?」

「はい、と、申しましてー」

「困っているひとには手を貸しなさい。ばばさまのお言葉でしてー」

「くくく」

笑い声をにらみつけると、二人目の白衣は素知らぬ顔でピュレグミの封を切った。

「ひとをお探しですね、と、言いまして」

「そなたが求めるがために、芳乃はここに在りまして」

ゆるりと笑みを和らげて、一歩、とん、と水面へ踏み出でる。

「……ご挨拶は、肝心でして」

「そなたが必要と申すならー、わたくし、依田は芳乃、お力となりましょうー」

凪いだ海を往く船の中で、笑いを含んだ声がする。

「……ね、言ったとおり……」

「まさしくまさしく、ほおっておけない運気が……しかし心地の良い、ものでありましてー」

「ええ、本当に……不思議な人です……まっすぐで、まっすぐすぎて……」

「とまれ。アイドル。偶像……神樣? とまれ、得意分野でありますからしてー。これからも、よしなにー」

「はい。よろしく……お願いします」

「んふ。くっふふふふ……」

「……お前。ちょっと笑いすぎだぞ」

「いや。にゃふふ……ごめんって。センパイが告白する中学生みたいなことするもんだから……可愛くて」

晶葉は舌打ちした。

「でも良かったじゃないか。あっさりついて来てくれて」

「あっさりもいいところだ。長老名義の保護者同意書と必要書類まで揃えて、あとは手ぶらで本土行きの船だぞ」

「……くくく」

「気に食わんな……」

「まるでセンパイが告白するのを、待ってたみたいじゃないか」

「……やっぱり私、あいつは苦手だ」

ビールの缶を枕元に、寝転がった早苗がふと思い出したように。

「……そういえば」

「どしたん?」

「手ぶらって言ったけど、あの風呂敷包」

「ああ、持ってたね。箱」

「あれ、なんなのかしら」

「さあ、なんだろうねえ」

「……お前も大概、扱いづらい」

「不本意だなあ。志希にゃんほど素直な人間もそうはいないぞ」

「そうかい」

文香と早苗は、鹿児島空港から別行動となった。

「彼女たちは、県庁に表敬訪問をしてから戻ってくる」

「ふーん。実に手際の良い旅程だね」

「ああ。黄緑は労ってやらんとな」

「本土」

「ああ。本土、内地、なんでもいいが」

「地理的断絶とー……精神的断絶とはー……概してー」

「ふふん」

「ねえ、蒸気屋行こう、蒸気屋」

「そうだな」

「甘いものは……好きでしてー」

「只今」

揃って白衣の少女が二人、加えて和服の少女が一人。

「お帰りなさい、晶葉ちゃん。志希ちゃん……増えてる」

「依田芳乃」

「よしなにー」

「聞いてませんよ、先生」

「今言った。人事権は私にもあるはずだぞ」

「もう……。ようこそ、芳乃ちゃん。よろしくお願いしますね」

「はいー」

おしまい。終わり。

続き物になってしまったので、ちょっと筋をラノベっぽく。

時間かかりすぎた。反省。

メガネ「文系pgr」

メカクレ「理系乙」

だいたいそんな話です。じゃれあいです。

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