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三ヵ月の間、俺はたくさんの本とたくさんの映画を観た。
たくさんの音楽を聴き、たくさんの詩を読んだ。
たくさんの新聞を読み、たくさんのニュースを見た。
形もあり方も伝え方も主義主張もバラバラの、多種多様な情報。
それらに触れることで、自分という人間が何を好み、何を嫌っているのかを理解し直そうとした。
また、自分が嫌っていたものの中に美点を、好んでいたものの中に欠点を見つけだそうとした。
三ヵ月後、俺は部屋の床に立ち並んだ本とDVDとCDの塔を上から順に売りさばいていった。
新聞と雑誌はまとめて縛って捨て、録画していたニュース映像はすべて消してしまった。
ちょっとやそっとの量ではなかったから、すべてを始末するのに一月が掛かった。
その一月の間、俺は新しい本も映画も音楽も何ひとつ受け入れることができなかった。
新しいニュースを聞くこともなかった。天気予報さえ見なかった。
すべての塔を崩し、すべてのデータを抹消してしまうと、
俺は四か月前となにひとつ変わらない自分を発見せずにはいられなかった。
からっぽの部屋の中に座り込んで煙草を吸う俺の頭には、
いくつかの言葉やいくつかのメロディー、いくつかの映像が漠然としたイメージとして残ったままだったが、
不思議とそれらが俺の心を揺さぶることはなかった。
天井の染みを眺めるように、俺はそのイメージと向かい合って暮らさなければならなかった。
それは苦痛とまではいかないが、あまり楽しいとはいえない生活だった。
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「せんぱいって、何が楽しくて生きてるんですか?」
一つ下の女の子にそう訊ねられたとき、俺は答えられなかった。
もちろんそんな質問は、する方も馬鹿だしされる方も馬鹿だ。
そんな質問にとっさに具体的な答えを返せるとしたら、そいつは楽しんでなんかいない。
楽しんでいると錯覚しようとしているか、あるいは何かに縋りつこうとしているだけだ。
今ならばそう思えるけれど、俺はその言葉をぶつけられたとき、急に悲しくなった。
そんなのは分からない、と答えようとしたけれど、答えたところで仕方ないと思い直し、
ごまかし笑いをして、「さあ?」と首をかしげて、彼女がいなくなってから溜め息をついた。
そんなことは誰にだって分かるもんか。
そう思った。でも、そうではないのかもしれない。どうなんだろう。よくわからない。
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どこかで致命的な間違いを犯したというわけではないはずなのに、
俺という人間はいつの間にか奇妙な袋小路に迷い込んでしまっていたようだった。
どこかに行こうとしてみても、足の力が衰えていて立ち上がることもできない。
迷路に意気揚々と踏み入ったのは自分の意思だったはずなのに、
そこから抜け出すための気力は既に折れてしまっていた。
それでも抜け出そうという試みをやめることはできず、
さまざまな言葉、音楽、映像の中に自分の心を奮い立たせる何かを探したが、
もちろんそのどれもが俺にとっては他人事でしかなかった。
他人事としてしか受け取ることができなくなってしまっていた。
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小学生のときに絵を褒められたことがある。
向日葵畑の絵だ。道の真ん中を、男の子と女の子が手を繋いで笑いながら歩いている。
とても上手だと褒められて得意になり、それからも絵を描き続けたけれど、
誉めてくれる人は段々と減っていき、稚拙だ、見るに堪えないという声だけが増えるようになった。
俺は人に絵を見せることをやめるようになり、そのうち絵を描くこともやめてしまった。
何のために描いているのかも、何を描こうとしているのかも分からなくなったのだ。
きっと俺は絵を描くことで救われようとしていたのだろうが、
絵を描くことで自分自身を救えるなんてことは錯覚でしかない。
少なくともそのときはそう考えていた。
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「いつだったか、せんぱいは言っていたことがありましたよね」
と、女の子は不機嫌そうに俺に話しかけた。
「自分は捨てるはずだった時間をリサイクルしてるだけなんだって。
本当の自分は中学生くらいのときに既に死んでいて、今の自分は"のこりかす"なんだって」
そんな話をした記憶はなかったが、そんなことを考えていた記憶はあるから、
俺はどこかで彼女にそんなことを話したんだろう。
酒でも飲んでいたのかもしれない。
「そんな生き方、申し訳なくないんですか?」
彼女の言葉はいつだって遠慮がなくて、しかも正しかった。
だけど俺は、そんな言葉に素直に耳を貸すだけの余裕も既に失っていたから、
「誰に?」とひねくれ者らしく訊ね返したのだけれど、彼女は意外にも即答した。
「自分自身に」
さて、どうだろう、と俺は考えたものだった。
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死のうとして死にきれなかったときの俺は前向きだった。
神様が俺に死ぬなと言っているんだな、と勝手に受け取ったのだ。
だから生きてみようじゃないかと思った。もうちょっとだけ生きてみようと。
もしこれで何も変わらなかったら、俺を生かした運命を思う様に罵ってやると誓った。
でも、心が少し前向きになったからといって俺を取り巻く状況が変わるわけではなく、
問題はひどく混乱して、手つかずで床に散らばったままだった。
俺はそれをひとつずつ拾い上げて解決しようと考えたのだが、
それは考えただけで実行には移されなかった。
どこから手をつければこの状況が変わってくれるのかまったく分からなかった。
生活がわずかばかりの安定を取り戻し、人とのかかわりをいくらか繋ぎ直した後も、
俺は自分の中にうずくまる憂鬱と悲観と懐疑から逃れることができなかった。
それは先天的な性質で、遺伝子によって仕組まれたものなのかもしれないとすら思った。
本当のことを言うと、今でも少し、そうじゃないかと疑っている。
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努力した人間が努力しなかった人間よりも多くのものを得られるのは自然なことだ。
だが、努力しなかった人間は何も得られなくても仕方ない、というのはあまりに非情だ。
かといって、努力した人間に努力した分の褒美を与えたうえで、
努力しなかった人間の生を保障できるほど、この世界は豊かではない。
だから、努力した人間に褒美を与えようとすれば、世界は努力しなかった人間を切り捨てるしかない。
もし努力しなかった人間を救おうとするならば、
努力した人間に与えられた「褒美」を、余剰として、努力しなかった人間に回さなくてはならない。
だが、努力した人間と努力しなかった人間に与えられる幸福が、同量のものであっていいはずもない。
俺は共産主義者ではなかったが、資本主義経済下では敗者であり弱者であったため、
このジレンマに長く苦しめられる羽目になった。
長く? あるいはそんなに長い期間ではないかもしれない。
二年やそこらかもしれない。でもとにかく長く感じた。
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先進国における自殺というものはある種の自然淘汰なのではないかと当時の俺は思いついた。
つまり、人類にはやはり集合的無意識のようなものがあって、
その集合的無意識の部分が、人類という総体をより幸福な状態に導くために、
人の総数を減らそうとしているのではないか、と。
そうすることで一人当たりに割り振られる資源は増加し、
より多くの人々がもっとたくさんの富を享受できるようになる。
そうすると俺はむしろ、自分が死ぬことが正しいことであるような気さえしたものだ。
当時の俺にはその考えは誤謬のないものに思えたし、今でもさして間違っているとは感じていないが、
社会不適合者が現実逃避のために無意味に大局的なものの見方をしているだけだと言われてしまえば、
否定することもできそうにない。
もちろん、俺がコンビニでパンを買わなかったからといって、
そのパンは廃棄されるだけであって、どこかの飢えた子供の口に入るわけではない。
分かり切ったことだ。
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「せんぱいは、結局自分が好きなんですよね?」とも、彼女は言った。
「どういう意味?」
「悩んでる自分が好きなんですよ」と彼女は呆れたような顔で押し付けがましく言った。
「だから、今いる場所が大嫌いなのに、今いる場所から逃げ出せないんです」
苦しんでる自分を捨てられないから、捨てたくないから。
「結局、自分の境遇に酔ってるんですよ」
彼女の言葉はある意味では正しかったのかもしれないが、よくわからなかった。
とてもじゃないが、そのときの俺は、自分が好きだなんて思えなかった。
そんな言葉を知ったようなふうにのたまう彼女に反感すら抱いた。
だが、言われてみればそうと考えられないこともない。
自己嫌悪や自己懐疑が自己陶酔の変型でしかないのなら、
そこから抜け出すことが困難な理由も説明がつく。
けれど、そんなふうに自分自身ですら無意識な心の動きを悪意的に説明づけてしまうなら、
自己陶酔せずに生きられる魂がいったいどこにあるっていうんだろう。
彼女が俺に向けた言葉が陶酔でないと、どうして彼女に証明できるんだろう?
「きみはやけに俺に口出ししたがるね」と、俺はみっともない皮肉を返した。
彼女はしくじったという顔で目をそらしたが、すぐに思いなおしたように言葉を続けた。
たしかこんな言葉だった。
「新しい何かを受け入れようとするなら、今持っているものを捨てる必要があるんです」
声は切実な響きを伴っていたし、実感深げにも聞こえた。
俺はその言葉をうまく自分の中で受け入れようとしたが、やはり他人事のようにしか聞こえなかった。
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「わたし、ここ辞めるんです」と後輩の女の子は言った。
「いつ?」
「今月いっぱいで」
彼女には彼女なりの希望があり、それを実現させるための努力もしていた。
だから彼女にとってここは経過点にすぎなかったのだ。
反対に俺には何の希望もなく、よって何かの努力をしていたわけでもない。
だから俺にとってここは終着点だったと言えた。
「お世話になりました」と彼女は言ったが、その言葉はいかにも儀礼的だった。
「寂しくなるね」と俺は半分本気で言ったのだけれど、
彼女は冗談だと思ったのか、鼻で笑うような素振りを見せた。
その一ヵ月はあっというまに過ぎ去り、俺の生活から彼女の姿が消えた。
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彼女と顔を合わせることがなくなってからも、俺はからっぽの部屋の中に座り込んでいる。
そして、脈絡のないイメージやメロディと向かい合い、そこから何かを掬い取ろうとしていた。
二週間が過ぎた頃、その生活に奇妙な変化が現れた。
イメージの中に、時折、現実で見た光景や音が混じりはじめたのだ。
最初の頃はまったく気付かなかったが、それは彼女の姿だった。彼女に関わる光景や音だった。
彼女の声、彼女の言葉、彼女の仕草だった。
それらが連綿と続くイメージを脈絡なく浸食しはじめた。
最初は時折挟まるだけだった彼女の姿は、やがてイメージの半分になり、最後にはすべてになった。
「新しい何かを受け入れようとするなら、今持っているものを捨てる必要があるんです」
頭の中で彼女はささやく。
瞼の裏側で悪戯っぽく笑い、皮肉っぽく唇を歪め、真剣そうに俺を説き伏せようとする。
「何が楽しくて生きているのか、という問いに簡単に答えられる人は楽しんでなんかいない。
楽しんでいると錯覚しようとしているか、あるいは何かに縋りつこうとしているだけだ。
せんぱいは、そう言いましたよね」
俺は彼女にその話をしただろうか。彼女はそんなことを本当に言ったのだろうか。
分からない。記憶ではなくて、頭の中で勝手に作り出された会話だったのかもしれない。
「でも、縋りつくことの何がいけないんですか?」
頭の中で、彼女は俺をまっすぐに見据えていた。
「せんぱいの言葉を借りるなら、わたしもまた、何かに縋りついている人間なのかもしれないです。
その"何か"がなかったら溺れてしまうから、だから縋りついているのかもしれない。
でも、今にも溺れそうなときに、目の前にある"何か"にしがみつくことの、なにがいけないんですか?」
それって、みっともないことなんでしょうか。かっこわるいことなんでしょうか。
彼女の言葉は俺を責めているように聞こえた。
「今に溺れてしまいそうで、苦しくて、じっとしていたら沈んでしまいそうなら、
目の前にある"何か"にしがみつけばいいんじゃないですか。
……必要なら、安っぽい自己啓発書に騙されてでも、生き延びればいいじゃないですか」
さすがにそれは難しそうだよ、と俺は頭の中で答えた。
不意に連続したイメージが途切れ、俺はからっぽの部屋にひとりぼっちで取り残されていた。
そうなってしまうと俺は、数時間にも及んでたったひとりの女の子のことを考え続けていた自分の姿を、
今更のように発見せざるを得なかった。
その事実を受け入れることは、とても苦しくむずかしいことだった。
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よく晴れた土曜日の朝、ふと思い立ち、俺は向日葵畑へと向かった。
具体的な考えがあったわけではない、ただの気まぐれだった。
向日葵が見られるような気がしていたのだ。
おぼろげな記憶を頼りに懐かしい道を歩いた末に辿り着いた丘には、
一輪の向日葵も咲いてはいなかった。
季節が夏を過ぎ秋になっていたことを、俺はそのときようやく知った。
物寂しい光景の中には人の姿ひとつ見えなかった。
空は曇っていて、真昼なのに薄暗くて、ひどく曖昧で、どっちつかずだった。
空模様が寂寥とした景色をいっそう物悲しげなものにさせていた。
もう何もないんだ、と俺は感じた。縋るべき藁さえも、俺のもとには残されていないのだ。
それは誰のせいでもなく、ただ俺自身のせいだった。
俺が自分自身を見過ごし、蔑ろにした結果なのだと思った。だとすれば誰にも文句は言えない。
向日葵も咲かず、誰とも手を繋いでいない景色。
それが俺にとっての揺らぐことのない現実だった。
立っていることができなくなり、道の真ん中にうずくまった。
泣きだしたいような気持ちになる。誰かが声を掛けてくれないものかと思った。
誰かが俺の手を引いて、どこかに導いてくれないものか、と。
もちろん、手を引いてくれる誰かなんてどこからも現れなかったし、
そうである以上、俺はひとりで立ち上がり、どこかへ向かわなければならなかったのだが、
自分を奮い立たせ、実際に立ちあがるまでには、どうしても長い時間が必要だった。
泣くことも笑うこともできなかったが、寒々しい景色の中にいつまでも座り込んでいるわけにはいかなかった。
まさか神様を罵るような歳でもない。
頭がやけにぼんやりとして仕方なかった。
立ち上がり家路についたあとも、彼女の言葉が耳鳴りのように頭の中に響き続けていた。
「新しい何かを受け入れようとするなら、今持っているものを捨てる必要があるんです」
資源に余剰がないのだ。
新しいものを作り出すためには、一度、今あるものを壊してしまわなければならない。
そうすることでしか人は変わることができない。
家に帰る途中、俺はふと思い立って画材を買うことにした。
それから丸一日、部屋にこもって一枚の絵を書き上げた。
よく晴れた夏の日の向日葵畑に男女がふたり、手を繋いで歩いている。
それは稚拙で見るに堪えなかったかもしれない。しかも惨めな願望の投影だ。
その景色が現実になりうるかどうかなんてことは、既にどうでもいいことだった。
俺はただ、自分にもまだ縋りつきたい希望があったのだいうことを形に残さずにはいられなかった。
それがどれだけ奇妙で、ねじれていて、身勝手だったとしても。
彼女に会うことはもうないだろう。
俺は彼女の連絡先を知らなかったし、彼女から俺に連絡してくることもないはずだ。
もし会うことがあるとするなら、それは奇跡みたいな偶然の上にしか存在できない。
そんな奇跡を自分が有効に活用できるとは、どうにも思えない。
けれど、とにかく描きはじめた翌日には絵は完成していた。
良い絵だ、と俺は文字通り自画自賛した。冗談みたいに良い絵だと思った。
からっぽだった部屋の壁にその絵を貼って満足すると、俺は久しぶりにぐっすりと眠った。
翌朝目覚めてすぐ、俺はテレビをつけ、天気予報を見た。
気象予報士は爽やかな秋晴れの予報していた。
おしまい
17-15
秋晴れの → 秋晴れを
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