春香「私のサイン?」 (35)


 一緒に笑い、一緒に泣き、自分よりも他人を大切にする。
 天海春香は、そんなヤツである。

 そんな娘だから、誰からも応援されるアイドルになったんだと思う。


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 高校に入学してすぐ、自己紹介であたしは彼女を知った。
 天海春香――珍しい苗字。

「あのっ、アイドルを目指してます!」

 教室でささやかな笑いが起きる。かく言うあたしも、冗談だと思った。
 こんな田舎の学校に通っているのに、アイドル?

 ま、春香の気持ちがクラスに伝わって、応援ムードが出来上がるまでそんなに時間はかからなかったけど。


「ねえ、天海さん?」

「な、なにかなっ」

 初めて話したのは、入学してから三日経った日の休み時間。

 アイドルになりたい、なんて言っていたから、あたしはちょっと距離を置いていた。
 入学してすぐ、って友達を作ろうと思っても、話しかけにくい雰囲気があったし。


「アイドルになりたいんだっけ」

 でも、笑顔の可愛い春香を……明るくて素直な春香を見て、あたしは。
 純粋に『友達になりたい』、って思ったんだ。

「うん!」

「なんで、目指してるの?」


「昔のことだけど……アイドルのお姉さんと一緒に歌って、褒められたことがあったの」

「へぇ!」

 そりゃ凄いな。

「そう。それで……私も、そうなりたいなって」

 その時あたしは、目の前の少女がとっても輝いて見えた。
 高校に入ったばかり――普通は将来の夢なんて曖昧としているけど、春香ははっきりと持っている。


「すごい……春香。あたし、応援する」

 あたしは、春香の呼び方を変えた。
 苗字から、下の名前へ。

 些細な事かもしれないけど、あたしにとっては大きな決断っていうか、勇気のいることだった。

「あ、ありがとう! えっ……と」


 春香の視線がさまようので、一応名乗ってみる。

「ケイ。よろしくね」

「うん、ケイ、だね! ありがと」

「あっ……そうだ、春香」


「うん?」

「サイン、くれないかな」

「……さ、さいん?」

「うん」

 もらったばかりの生徒手帳を取り出して、春香に手渡す。
 アイドルのサイン、結構興味あるんだよね。


「……えっと、ケイ」

「ん?」

「私、まだサインとか無くて……」

「えっ」

 想定してなかった答えに、思わずぎょっとした。


 だ、だってそういうのって事務所に入ったら決めたりしないの?

「春香、どこの事務所に入ってるの?」

「な、765プロってところで」

 し、知らない……。
 芸能界だと名の売れたところなのかも、と当時は思っていたけど、本当に無名だった。


「と、とりあえず頑張ってみるねっ」

 それから春香は紙とにらめっこをして、うーんうーんと唸っていた。
 サインが中々決まらなかったみたいで、結局生徒手帳を返してもらったのは8分後、チャイムの鳴る直前だった。

「おぉー、かっこいい」

「な、なんかごめんね……」


「ううん、大切にするよ」

 これ、よーくみるとひらがなの「あまみはるか」を組み合わせてある。
 凝ってるなぁ。アイドルっぽくてかわいいサインだった。

「ねえ、春香」

「うん?」


「あたしと、さ。良かったら、友達になってくれない?」

「……うんっ」

 サインをもらった後に、友達になるって。
 順番が違うはずなんだけどさ。

 それがきっかけで、仲良くなっていったんだ。


 そんで、あたしたちはニ年生になった。
 春香たち765プロのアイドルは一躍有名になって――今日は、春香の久しぶりの登校。

 ……も終わって、今は帰宅途中。街で一番大きいCDショップの前を通りかかった。

「うわー、春香のポスターがこんなにいっぱい」

「えっ? あ、ほ、本当だ……! 私、結構ここのCDショップに行くのに、行きづらいなぁ」


 友人のアゲハが茶化しを入れる。

「もう、売れっ子発言だなぁ」

「もー、そんなことないよっ!」

 CDショップの前で笑っていると、後ろから「あの」、と声をかけられた。
 そういえば、春香は変装も何もしてない。それどころか、トレードマークのリボンをつけている。


 初めて会った時から変わらないリボンの位置、色、形。
 離れていても、テレビの中にいても……それで春香だ、って分かる。

「アイドルの天海春香さん……ですよね」

「えっ、はい、そうですよ」

「実は俺、大ファンで……サインくださいっ!」


 春香は中学生っぽい男子二人組に、声をかけられていた。

「……ダメダメ。そういうのは事務所を通さなきゃ」

 なんとなく、体が動いた。アゲハも続ける。

「そーそー。春香は芸能人だからね」

「え、でもサインぐらいなら……」


「でも、事務所に怒られたりしないの?」

 あたしがそう言うと、春香はまずい所を指摘された、って顔をしたけれど、すぐに笑顔になった。

「……大丈夫! えっと、紙とペンを貸してもらってもいいですか?」

「はっ、はい!」

 春香はえへへ、と笑いながら、中学生組の持っていた紙とペンを受け取った。
 さらさらとサインを書いて、最後に「お名前書きますね」と聞くことも忘れない。


「はいっ。応援、ありがとうございます!」

「こ、こちらこそありがとうございましたっ」

 中学生の二人は一礼して、早足で歩いていった。

「……もう、春香は甘いなぁ」


「そーだよ」

 あたしとアゲハがそう言うと、春香はこう返した。

「だって、ファンの人が目の前にいるなら、何かしたいもん」

 その時、ああコイツ、ちゃんとアイドルやってるんだな。
 そう思った。


「いいこというねぇ、春香」

「も、もう、アゲハ……恥ずかしいよ」

 アゲハが春香の肩を揉む。
 一方あたしは、さっきの学生の一件でふと思い出したものを取り出した。

「そういえばさ、春香」


「うん?」

「あたし、春香の一番最初のサイン、肌身離さず持ってるんだ」

「それって……もしかして、一年生の時の生徒手帳! まだ持っててくれたの!?」

 それは、使っていないことで綺麗なままの、一年生の生徒手帳。
 春香の初めてのサインが書いてある、大切な宝物だ。


「そうそう。これ、あたしのお守り」

「いいなぁ、ケイ」

「なんだか、嬉しいなぁ。ずっと持っててくれるなんて」

「へへーん。春香が大スターになった時にこれを見てニヤニヤしてやるー!」


「に、ニヤニヤって……」

 自慢してみたい。このサインはあたしの大親友が書いた、初めてのサインだって。

「はぁ……前にさっきみたいな感じでサインしたら、怒られたんだけど……言わなくていいよね?」

「そうそう。この三人での秘密にしようよ」

「だね。でも春香、本当はあんまりしない方がいいと思うよ」


「うん、気をつける。えへへ」

 春香は「みんなを笑顔にしたい」って、アイドルをしている。
 だから失敗しても、嫌なことがあっても、頑張れるんだってさ。

 それって、凄い素敵なことだと思う。

 これだから、天海春香のファンはやめられないのだ。


 『事務所に無断でサインしたら怒られるなぁ』ってしょげても、またファンのために頑張る。
 そんな純粋なアイドルもいるんだよ、って。あたしは、声を大にして言いたい。

「ねぇ、春香」

「うん?」


「この生徒手帳にも、サイン書いてくれない?」

 取り出すのは、ニ年生の真っ白な生徒手帳。

「あぁー! さっきの男の子には事務所がどうのとか言ったのにズルいよケイっ」

「ま、まあまあ」、と春香はなだめた。

「わたしのにもサインしてよね、春香っ」


「え? うん、いいけど……私のサインなんか、欲しいの?」

「『春香のサイン』だから欲しいの! ねっ、ケイ」

 一年経って、アイドルとしての実力も手にした春香。
 去年書いてもらったサインとは、また違うんだろうな、と思う。

「そうそう。珍しくアゲハと意見が合うね」


「それなら……」

 ちょっと待ってて、とペンを探す春香を横目に、あたしとアゲハは微笑み合っていた。
 あの時練習したサインは、もう春香のトレードマーク。

「はいっ」

「ありがとっ、大事にするね」

「あ、それわたしのセリフなんですけど!」

 これを見ながら春香を応援しよう――なんて、そんなことを強く感じた。


 漫画版に出てくる同級生がかわいいです。
 お読みいただき、ありがとうございました。お疲れ様でした。

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