伊織「サイダーの刺激」 (26)


 テレビ局の地下にある駐車場。
 車の助手席に乗り込んだ私に、運転席のアイツがサイダーの缶を渡してくれた。

「ありがとう。……つめたっ」

 気分かしらね? なんとなく、いつもとは変えたくて。だから、

「今日はオレンジジュースじゃないんだな」


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 案の定、指摘された。
 多分、コイツにオレンジジュース以外の飲み物を買ってきてもらうのって初めてね。

「ええ、気分よ」

「誕生日だからか?」

「かもしれないわね」

 今日は勇気が欲しかったから、刺激を得ようと思った。


 車がゆっくりと走り出す。無機質なコンクリートの壁を眺めながら、私は言った。

「ねぇ」

「どうした?」

「今日の私はどうだった?」

 カーラジオはまだ、雑音のまま。


 アイツはラジオの電源を切りながら、

「最高のパフォーマンスだったよ。伊織にしか出来ない」

「そう、なら良かったわ」

「急にどうしたんだ?」

「ううん。少し、ダンスを変えてみたのよ」


「振りか? だったら、俺は律子じゃないから良く分から」

「振りじゃなくて、キレっていうのかしら。いつもよりなめらかに動けるようにしたの」

「なめらかに」

 アイツは私の言葉を一部、反復した。
 車が坂をのぼって、地上へ顔を見せ始める。群青色の空が綺麗にうつる。


「アンタが昔プロデュースしてくれていた時、言ったわよね」

 私はアルミ缶のプルタブを起こした。

「なめらかに動く、ていねいに歌う。ふんわりと笑う。これだけはいつも注意しろって」

「……ああ」

「最近、忘れてたかもしれないの。うまく笑えなかったり、完璧に踊ろうとしたりね」


 走っていた車は、赤信号に止められる。歩道橋の上を歩いている人は居ない。

「でも、誕生日なのに楽しめないなんて、そんなのはつまんないじゃない?」

「そうだな……伊織、今日は楽しそうにやってたよ」

「これ、律子には内緒よ。律子のプロデュースを信頼してるけど、ちょっぴり固めなのよね」

 サイダーを飲み込む。
 口の中で甘みがはじけて、舌を少しだけしびれさせた。


「固め、か」

「ええ。意見も尊重してくれるけど……なんでかしら。固いわね、って思うの」

「それはきっと、律子の心が滲み出てるんだな」

 青信号で、車が加速を始める。
 アイツは一言断りを入れて、カーラジオのスイッチを入れた。

『――カメラワークが つたないせいで♪』


 どこのラジオ局かは分からないけれど、丁度私の曲が流れている。
 プライヴェイト・ロードショウ。

「心が、滲み出てる?」

「そう。律子は竜宮小町を、伊織に亜美にあずささんを世界一のアイドルにしたいと思ってる」

「ええ……伝わってくるわ」

「だから、焦っちゃってるんだな。律子は理詰めだろ? きっと竜宮がトップに行くまでの路線図が見えてるんだ」


「路線図……」

 今度は私が反復する。
 アイツは曲に合わせて指でリズムを取って、ハンドルを軽く叩いていた。

「それに比べて、俺は直近の未来しか確認しないからな。例えば……」

 と言ったまま、アイツが黙った。十秒ぐらいの、ほんのちょっぴりの間のあとに。

「例えば、なによ」


「ああ、例えば春香。今は歌番組も、バラエティもドラマも、なんでもやらせてる。分かるよな」

「ええ。オールマイティーね」

 千早は歌の仕事が多い。雪歩はドラマ、舞台。真はアクションとか、あとはトーク番組によく出ている。
 みんな得意分野を持っている中で、春香はなんでもそつなくこなしていた。

「伊織。春香は将来、どんなアイドルになると思う?」


 ……考えてみる。
 真面目な思考とは正反対のポップなメロディが少し気になって、ボリュームを下げた。

「……分からないわね」

「だろ? 俺も、もちろん春香もよく分かってない」

「それで良いの……?」

「春香は『アイドル』を目指してる。
 だから、千早の目指す歌手とか、貴音の目指す女優とか、そういう未来は考えてないんだよな」


「へぇ……そういう意味で、春香に路線図は無いのかしら」

「ああ。春香がアイドルの先に、目指すものが出来たら……俺は線路を書くのかな」

「でも、千早や雪歩の線路はもう書いてるんじゃないの? 夢があるわけでしょう」

「書いてるよ。でもそれは三年後とか、そういうのじゃなくて。いつでも、別の道にも走れるようにしてる」

 線路を一本だけ書いても窮屈だろ、とアイツは続けた。


「それじゃあ、律子は線路を一本だけ書いてるってこと?」

「アイツは書いてるっていうより、見えてるんだよ。自分に自信を持ってる。だから俺と違うし、もっと信じて良い」

「なるほど、ね」

 なんて言いつつ、実は良くわかっていなかった。
 それを察したのか、アイツはわかりやすく言い換えてくれた。

「線路が見えてるからこそ、別の道に逸らした時にどうなるのか分からないから、ちゃんと準備をさせるんだ」


 それが『律子は固めだ』って思わせる原因じゃないか?
 という結論に、私はふぅんと頷いた。

「ま、伊織は律子の言う通りに頑張ってれば絶対トップアイドルになれるよ。
 今日みたいなのは、普段ちゃんとしてる分羽根を伸ばした、と思えばいいさ」

「それでいい? ま、私がトップに行けないなんてあり得ないけどね」

「お、言うなぁ。それでこそ伊織だよ」


「おかげ様で今日の収録は楽しかったわよ」

「竜宮小町でも、もっと伸び伸びとやって良いと思うけどな」

「え?」

「律子にちゃんと意見できるのなんて、伊織ぐらいだろ? もう少し自由にさせてくれ、って言えばさ」

「……それは、必要ないわね。きっと」


 アイツは一瞬きょとん、としたけれど、すぐに私が言わんとすることを理解してくれた。

「そっか」

「ええ。律子にずっと付いていく、って決めてるの」

 車は右にカーブして、事務所の駐車場がある大通りに出た。
 見覚えのある景色。


「ま、今日の私はアンタ仕様だったけどね?」

「なかなかお目にかかれないからな、ソロ。今日のパフォーマンスは忘れないよ」

「よーく覚えておきなさい」

 ちびちびと飲んでいたサイダーが残り半分くらいになって、
 私は缶を軽く振ると、一気に飲み干した。


 また広がる甘みと、ちょっとの刺激。

「……ねえ、プロデューサー」

「ん?」

「私は魅力的な女の子に見える?」

 何を言っているんだろう、私は?
 突発的に飛び出した言葉だけれど、サイダーが舌をしびれさせたせいだと思う。


「ああ、充分すぎるくらいな」

「ありがと。私ね、トップアイドルになったらアンタに言おうって決めてることがあるの」

 事務所近くの駐車場に着いて、いつも通りに7番の場所に車を移動させるアイツ。
 車が止まって、アイツが鍵を抜いてから、続ける。

「だから、その言葉が相応しくなるまで……待っててくれないかしら」


「伊織が何を言ってくれるのか、分からないけど……そういうことなら、待つよ」

 何を待つのか、自分でも分かっていなそうなアイツの表情。
 その頼りない感じが妙に好きで、思わず微笑んでしまった。

「にひひっ、たまにで良いから私のプロデュースもしなさいよ?」

「たまにな。来年の誕生日はソロライブでもやるか」


「私の?」

 聞いた後に、この話の流れで私以外の誰が居るんだと自分にツッコミを入れた。

「ああ。結局出来ないまま、律子に引き継いじゃったからな」

 水瀬伊織のソロライブ。プロデューサーと歩んでた時は実現できなくて、
 律子と、竜宮小町で歩み始めてからはソロ活動とは遠ざかっている。

「来年の誕生日が楽しみね……それまでに、私も高みを目指すから」


 車のドアをゆっくり開ける。アイツも同じように車を降りて、鍵をかけた。

 空き缶を持ったまま、事務所に向かって歩き始める。

「俺も負けずに春香たちをトップアイドルに出来るように頑張るよ、お互い、悔いのないように」

「ええ! 待ってなさい、プロデューサー」

 初夏の夜、涼しい風が身体にあたっても、
 私はクールダウンせずに……まさしくサイダーの泡みたいにふわふわとした世界の中に居た。

おしまい。いおりん誕生日おめでとう!

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