阿良々木暦「やよいリバーシ」 (68)
・化物語×アイドルマスターのクロスです
・化物語の設定は終物語(下)まで
・ネタバレ微量含まれます。気になる方はご注意を
・終物語(下)より約五年後、という設定です
・アイドルマスターは箱マス基準
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ID変わりますが30~60分後に書きます
001
羊が一匹。
羊が二匹。
羊が三匹。
眠れない時に唱えると眠りにつけるというこの言葉には、自己催眠が含まれている。
眠る(sleep)と羊(sheep)が掛かっていて、繰り返し羊の数を数えることで自分は眠る、と意識付けることで睡眠を導入する。
こう聞くと日本語で羊を数えても意味がない気もするが、羊と言うのは総じて外見からして眠くなりそうな容姿をしているので、その辺りは洒落の効いた豆知識として許容すべきであろう。
話のステージを横にずらそう。
僕は動物には――と言うより怪異周りで動物に関わる事が過去に多くあった。
人間も動物のカテゴリだが、ここは人間以外の生命体を動物と定義するとして、猫、蟹、蝸牛、猿、蛇、蜂に鳥。
間を空けて765プロに就職した後に雛、海牛 、海月、蜘蛛、樹懶と様々な種類の怪異に事欠かなかった。
怪異も生物の一端と定義するのならば、それも当たり前なのかも知れないが。
そしてこれが本題となるのだが、日常会話において、人を動物に喩えることは良くあるのではないだろうか。
褒め言葉とは限らないが忠誠心の高い人を犬と呼んだり、とか気まぐれな人間を猫っぽい等と喩えるのは良く聞く。
ここで僕の関係者を動物に喩えるとどうなるだろうか?
僕の人間観を試すという意義も含め、話半分に聞いて欲しい。
まず僕の恋人であるところの戦場ヶ原。
彼女は知人に向けるものとは思えない程の毒舌に態度、しかし裏打ちされた強さと愛情から獅子を連想させる。
羽川はそのスペックと大きな視野から鷹。
八九寺は年齢の割に賢く、(僕にとって)愛玩すべき存在であるために犬。
神原は優雅に見えて弛まぬ努力を重ねるところから白鳥。
千石は愛らしい外見に相反して刃物のような心を持った少女だった故に熊猫だろうか。
火憐ちゃんは猪、月火ちゃんは狐だ。
765プロにおいても天海なんかはとても犬っぽいし、気高い水瀬は猫に喩えられるだろう。
765プロの皆もそれぞれ熟考の末に解答を導き出したいところだが、僕の語彙と知識ではそろそろぼろが出そうなのでこの辺りにしておく。
そろそろ今回の主役にして僕の担当するアイドル、高槻やよいについて少し語ろう。
高槻やよい、十四歳。
彼女は両親の仕事の都合上、安定した収入を得られない上に大家族、という家庭環境の中アイドルを営んでいる。
この文面だけを穿った視点で見たら、複雑な環境下仕方なくアイドルをやっている 不幸な少女――なんて受け取られるかも知れないが、彼女にそんな背景はない。
確かにアイドル活動に家庭のお財布の援けという側面もあるだろうが、ひたすらに健気で周囲に元気と活力を振りまく無邪気な彼女を憐憫の目で見ることは、失礼にあたると断言しよう。
ここからは僕個人の偏見と独断だが、彼女は見ているだけで癒される類のアイドルだ。
その無邪気な性格と、穢れを全く知らない純心は、人間が大人に成長する過程で何処かに置き去りにしてしまうのではないかと邪推される無垢な心を、高槻やよいは持ち続けている。
僕の世代も含め、最近の中学生なんてのは甘やかされて育てられることも多く、大人たちに反抗しまくって自分の置かれている環境に依存していることが多い。
そう考えると高槻は恵まれているとは言い難い自分の置かれている環境に不幸を嘆くことも誰かを恨むこともなく、一生懸命に今日という日を生きている。
そんな彼女を見ているだけで、僕は元気を分け与えられる気がするのだ。
そういう意味では、最近では時代の流れか言葉の意味合いも変わって来ているアイドルではなく、本当の意味でのアイドルを体現しているのは高槻なのかも知れない。
アイドルとは元々、偶像崇拝のことだ。
神や天使など実在しない神聖なものを可視化したものを指す。
高槻はファンの間から天使と呼ばれているから間違いではないだろう。
高槻は天使。それは僕も激しく同意する。
彼女の心と有り様はまさに天使だ。
その証拠に、あの仲間に対しても割とストイックな如月でさえ、高槻相手には猫可愛がりしている程だ。
話は逸れるが外見だけならば八九寺も天使だが、彼女は腹黒いので天使ではない。どちらかと言えば堕天使だろう。
長々と語ってしまったが、ここで話を本筋に戻そうと思う。
先程の人間を動物に喩える議論を充てると、僕は高槻を羊に喩えようと思う。
見ているだけで癒される外見に、大家族という環境から集団性を見出せる。
冒頭の羊を数える行為の代わりに、眠るときに高槻を数えてもいいくらいだ。
高槻がいっぱい。まさに天国だ。
今から語るのは、彼女はその純心が故に怪異に行き遭う結果となってしまったという話。
彼女は、羊に準えられた。
002
「おは、よう――――」
突然の、そしてあまりにも突飛な展開で大変申し訳ないことこの上ないのだが、その日、僕は事務所に入った瞬間に自我を失くしたのであった。
僕は、一般の人間と比較したら修羅場を潜って来た方だと自負している。
それは決して自慢できるものでもなければ流布するべき内容でもない、取るに足らない些末な事実であることは間違いがないが、それでも人とは違う体験を多くしてきた、という点については自他共に認めてもいい事実だろう。
その僕が、刹那にして自我を、自意識を失った。
それがどの程度の衝撃を受けた結果なのかを推測して欲しい。
目標を視界に捉え今にも駆け出しそうな身体を僅かに残った理性で押さえつけ、腕立て、スクワット、背伸び、屈伸、及び全身のストレッチを入念に行う。
深呼吸をして呼吸を整え、クラウチングスタートの姿勢を取り標的を中 心に据える。
そして目を閉じてシミュレート。
数秒間に幾十回ものシミュレーションを終える。
よし、成功率は98%オーバー。
さあ、準備は整った。
あとは、解放するだけだ。
欲望を無視して禁欲に身を擲つのが正しい人間の在り方であると言うのならば、僕は獣でいい。
人間は七つの大罪と呼ばれる――色欲、暴食、強欲、嫉妬、怠惰、傲慢、憤怒――罪の源とも言われるそれらの醜い欲望があるからこそ、苦しみながら人生を謳歌できるのだから。
さあ、人間よ。
欲望を喫するが良い――――。
「み――――な――――せ――――!!」
「ひいっ!?」
「はわわっ!?」
世界記録を樹立出来る程の初速でスタートを切った僕は、僕の存在に気付いていなかった二人、水瀬と高槻に向かう。
そして逃げる暇すらも与えずに、水瀬を背後から抱きかかえた。
「きゃ――――っ!?」
「おはよう水瀬! いい天気だな水瀬! 今日もセクシーなおでこだな水瀬!」
「きゃ――――っ! ぎゃ――――っ!!」
水瀬に高い高いをし、水瀬に頬ずりをし、水瀬のおでこにキスをする。
至福の時だ。水瀬が怒りと混乱に僕をひっかいたり四肢を駆使して暴れ回るがそれ如きの抵抗で止まる僕ではない!
「こら、暴れるな水瀬! 脇のにおいが嗅げないだろうが!」
「にぎゃ――――――――っ!!」
もはやアイドルとは思えない悲鳴をあげながら、水瀬は僕の鳩尾に全力の蹴りを入れた。
一瞬息が止まり手を離してしまう。
「いってえ! 何すんだこの野郎!」
何すんだこの野郎は間違いなく僕なのだが、果たして水瀬は僕の魔手から離れた。
「な、な、な……なにすんのよこの変態!」
「おはよう高槻」
「おはようございますプロデューサー!」
「いつものやろうか高槻!」
「うっうー! わかりました!」
「はーい!」
「たーっち!」
いぇーい、とハイタッチをする僕と高槻。
僕と高槻の間で挨拶代わりの日課となっているのだ。
「無視してんじゃないわよ!」
「なんだ、いたのか水瀬」
水瀬が怒り心頭で突っかかってくる。
やれやれ、僕と高槻の交流を邪魔するとは無粋なやつだ。
ああそうかなるほど、僕と高槻の仲が良いからって嫉妬してるのか。
そんなに僕が好きなのか?
まったく、もてる男はつらいぜ。
「いたのかじゃないわよ! 何のつもりだって聞いてるのよ!」
「大丈夫だ水瀬、僕は水瀬のことも大好きだぜ」
「アンタ日本語理解してるの!?」
「水瀬が可愛いんだから仕方ないだろう!」
「逆ギレされた!?」
「阿良々木暦プロデューサーは水瀬伊織に対しセクシャルハラスメントを積極的に行う方針であるところの政策を立てております。
阿良々木暦、阿良々木暦です。よろしくお願いします」
「この変態! 変態! 変態大人!!」
「もっと罵ってくれ!」
「増長してる!?」
「あはは、二人は仲が良いんですねー」
僕と水瀬のやり取りを見て高槻が天使と形容されるべき笑顔を浮かべる。
高槻エンジェリックスマイル、プライスレス。
「ああ、僕と水瀬はラブラブの両思いだからな」
「誰がアンタみたいな変態と!」
正直なところ、水瀬の突っ込みと反応は八九寺を超えるかも知れない逸材だ。
阿良々木Pとして育てざるを得まい。
「うっ……いたた」
と、突然高槻が頭を押さえて表情を歪める。
「? どうした高槻」
「あ、あはは……ちょっと頭がずきって」
「ちょっと、大丈夫なのやよい?」
「大丈夫です! 最近ちょっと多いんですけど、すぐ治っちゃいますから!」
頭痛が習慣化しているのならば心配だ。
「念のため病院に――」
「だ、大丈夫です! ぜんぜんへっちゃらですから!」
だめだ電池切れる
書けるだけ書いて一時間後再開します
その様子から見て取るに病院に行きたくない、というよりは僕たちに迷惑をかけたくない、という想いの方が強いのだろう。
高槻は札付きのいい子だが、その気遣い出来過ぎる性格は見ていて心配になることも多い。
「うっ、うう……」
言うが遅いか、再び頭を押さえてうずくまる高槻。
どう見ても大丈夫には見えない。
「おい、やっぱり病院に行こう高槻」
「い、いたい……うう……」
「やよい、ちょっと我慢してなさい! 今救急車呼ぶから!」
「う、ううう……うう――っ!」
尋常ではない痛がり方をする高槻。
僕も水瀬と同じくして秋月に連絡を取ろうとスマホを取り出そうとした瞬間、
「う―――――――っ!!」
「た、高槻?」
叫び声と共に現れた『それ』は、異様な姿だった。
高槻の茶色がかったふわふわの髪は真っ黒になり、高槻のチャームポイント兼代名詞とも言えるツインテールは解かれ、腰まで伸びるストレートヘアに変化していた。
僕の知る限り一瞬で髪を染めたりストレートパーマをかける技術はまだ存在していない筈だ。
水瀬も突然の出来事に病院に電話するのも忘れ、目を限界まで開いて驚いている。
「や、やよい……?」
恐る恐る声をかける水瀬に対し、ようやく視線の焦点が合ってきた黒髪の高槻は水瀬を見てにっこりと笑った。
天 使 降 臨 。
「伊織ちゃん、よく見るとずん胴だよね」
「…………え?」
「ダメだよ、好き嫌いしないでちゃんとご飯食べないと千早さんみたいになっちゃうよ」
「な…………な――――!?」
「高槻!? どうしたんだ!?」
あり得ない。あの天使たる高槻の口からそんなセリフを聞く日が来るなんて!
「う、うーん……」
「水瀬――――っ!」
あまりにもショックだったのだろう、水瀬はぱたりと気絶してしまった。
「あー、麦チョコ食べたいなー。
プロデューサー、今すぐ百均行ってこのべろちょろに入ってるお金で買えるだけ麦チョコ買って来てください。二秒以内で」
「二秒は無理です!」
しかもべろちょろには百円ちょっとしか入ってなかった。
どう考えてもひとつしか買えない。
自腹で買ってあげるよそれくらい!
「どうしちゃったんだよ高槻!
お前はみんなを元気に振りまくアイドルだろ!?」
「なにを言いますか。高槻やよいはムダ遣いとスイーツ暴食を推進する悪のアイドルです」
「何その可愛いコンセプト!」
「プロデューサー、そのアホ毛切っていいですか?
マンガのしおりにしますから」
「駄目だ! これは僕のトレードマークなんだ!」
妖○アンテナと評されることもある僕のアホ毛だが、これが無かったら完全に○太郎になっちゃうよ!
アイデンティティの欠如だよ!
と言うかアニメを見る限り僕のアホ毛には骨があるんだ。
切ったらすげえ痛そうだし。
しかも仮にアホ毛を栞にするにしたって、せめて小説の栞にしてくれ。
「あ――――」
と、暴虐の限りを揮っていた高槻の髪が次第に元のそれに戻っていく。
相変わらずどういう仕組みなのか、ツインテールも結われていた。
「――あ、あれ?」
何が起こったのかわからない、といった様子で周りを見 回している。
元に戻った……のか?
「あ、プロデューサー……」
「高槻……だ、大丈夫か?」
「え? あ、はい……ちょっとぼーっとしてたみたいです」
さっきのことは覚えていない、らしい。
「あれ、伊織ちゃんはお昼寝ですか?」
「あ、あぁ。ちょっと疲れてるみたいで」
「そうなんですか……お布団敷いて来ますね!」
そう言って軽快な足取りで仮眠室に向かう高槻。
その滅私奉公とも言える程の気遣いと優しさは、間違いなくいつも通りの高槻だ。
何だったんだ、あれは……。
その後、定時になり僕は帰途についていた。
結局、あの後の高槻は特に変わることなく、いつも通りの高槻だった。
水瀬は相当ショックだったらしく、起きたら高槻にまつわる一連の出来事は忘れていた。
ついでに僕のセクハラも忘れてくれていたら良かったのだが、それはちゃんと覚えていた。融通の利かないやつめ。
しかし、あの高槻に関してはどうにかせねばならないだろう。
今日はまだ良かったものの、人の目が多い場所やテレビの収録中なんかに変わってしまったらアイドル生命の終わりだ。
性格はともかく、あの髪の非現実的な変わり様から見て、やっぱり怪異の仕業なのだろうか……。
あれは羽川の変わり様に非常に似ている。
髪が真っ白になり猫耳を生やした羽川は性格も真逆になっていた。
だが羽川のそれは羽川自身が産み出した前例を見ない新しい怪異であり、高槻の状態を類推するには足りないだろう。
全く参考にならない可能性だってある。
と、考え事をしながら歩いていると通行人と肩がぶつかってしまった。
「あ、すいません」
「気を付けろよ、ったく」
軽く会釈をして謝る。
都内は人が多すぎて迂闊に歩きながら考え事も出来ないな。
ぶつかった相手は若い金髪を肩の少し上くらいまで伸ばした、すらりとした体型のお兄ちゃんだった。
年は二十歳前後に見える。
彼は僕が気に障ったのか、怪訝そうな視線で睨んでいる。
しまった、ひょっとしたら運悪く荒っぽい人種に絡まれてしまったか。
「んん? あれ?」
僕がどうやって切り抜けようか嗜好を巡らせていると、彼は僕の顔を覗き込んで首を傾げている。
あれ、よく見ると何処かで見たことあるような――。
「あ――」
「超ウケる、ハートアンダーブレードの眷属じゃん」
十字架のプリントが散りばめられた白い学ランを着た彼は、人を食ったような笑顔を浮かべてそう言った。
髪型が変わっていて一瞬気付かなかったが、近くで見るとよく判る。
かつて僕は彼と学園異能バトルの如き戦いを交わした間柄なのだから。
彼の名はエピソード。
吸血鬼と人間のハーフにして、吸血鬼を狩るヴァンパイア・ハンター。
実に五年振りの想像すらしていなかった再開に、僕はしばし言葉が出なかった。
003
僕とエピソードは立ち話も何だしエピソードは暇だから、という理由で最寄りのファーストフード店に立ち寄った。
僕もまあ、断る理由もなかったので成り行きで来てしまった。
かつて殺し合ったとは言え、死屍累生死郎を相手にした際には命を助けてもらった事もあったし、個人的には憎めない性格をしていると思う。
結果的にとは言えあの時はボコボコにしちゃったし。
運良く二人用の席も空いており、僕はカフェオレだけを頼んで席に座った。
エピソードはアップルパイとコーラ。
「で、何で日本に来ているんだ?」
「俺はヴァンパイア・ハンターだぜ?
吸血鬼狩りに決まってんじゃん」
「吸血鬼?」
「あの時のお前らと比べりゃクソみたいな相手だよ。
昨日、逃げられたんだけど急所に十字架ブチ込んでやったからもう長くねえだろ」
放っておきゃ勝手にくたばるよ、とコーラをすするエピソード。
どうやら日本には仕事で来ていて、早めに仕事が終わったから都内でブラブラしていたらしい。
「しかし日本は人が多過ぎるぜ。どいつもこいつも俺を見てガイジンガイジン言いやがるし、良く空気が足りてるな」
「それには僕も同感だ」
都会に引っ越して来てからの感想だが、とにかく都内は人が多い。
通勤ラッシュの時間帯なんて日本中の人間が集まっているんじゃないかと思いたくなるほどに人で溢れている。
そうだ、と僕は思い付く。
エピソードはヴァンパイア・ハンターだし、同じ怪異関連として高槻の状態に関しても何か知っているかも知れない。
「なあエピソード、ちょっと相談に乗ってくれないか?」
「相談?」
眉をひそめるエピソード。
僕からそんなことを持ちかけられるとは思ってもいなかったのだろう。
「ああ、ちょっと怪異関連で困ってることがあって――」
聞いて欲しいんだ、と僕が言うよりも早くエピソードは言葉を遮った。
「勘違いするんじゃねえぞ、ハートアンダーブレードの眷属。
俺はお前個人の事は嫌いじゃねえけど吸血鬼は死ぬほど嫌いなんだ。
今でこそお前らには無害認定が出てるし、吸血鬼とも呼べねえ半端者だからちょっかいも出さねえけどよ」
でも――と眼を細めてエピソードは続ける。
「ひとたび何かの弾みで吸血鬼に戻ってみろ。
遠慮なく憂慮なく考慮なく、後遺症の残らない程度に殺してやるからよ」
要するに馴れ合いは御免だ、と言いたいのだろう。
「ま、別に仕事としてならいいぜ?
俺、帰国する日まで暇だし。
でも俺吸血鬼退治専門だから、他の……えーと、こっちでは怪異だっけ?
みたいなのにはあんまり詳しくねえぜ」
「ちなみに幾らくらいなんだ?」
お金を払って事なきを得られるのなら構わない。
エピソードなら私情を挟むこともないだろうし、仕事としてならきちんとやってくれるだろう。
「五万ドルくらい」
「高すぎるわ! 日本のサラリーマン舐めるな!」
「じゃあジンバブエドルで」
「適当すぎる!」
蛇足だが五万ジンバブエドル=五十円以下くらいだった筈だ。
「つっても仕事内容もわかんねえのに値段なんて決められねえって」
「だったら最初からそう言えよ」
僕は事細やかに今日あった、高槻の様子を話す。
エピソードは面白くなさげにストローをくわえながら、僕の話を聞いていた。
「――という症状なんだけど……わかるか?」
「……そりゃ、羊だな」
エピソードは飲み終わったコーラの氷を齧りながら答える。
「羊?」
「ブラック・シープ。直訳で黒い羊だ。
怪異とは呼べねえレベルだよ。
どっちかつーと『現象』に近いぜ。
髪が真っ黒になって性格が変わる、っていうんなら間違いねえ。
国も人種も環境も関係なく十代の少年少女に取り憑く。
起源はケルト神話かなんかだと思ったけど忘れた。
どうしても聞きてえならお喋り大好きの臥煙さんにでも聞きな。
ブラック・シープってのはスラングで『家内の恥らさし』って意味だ。
白い羊の群れの中にいる一匹の黒い羊。
醜いアヒルの子だっけ? あんな感じなんじゃねえの」
醜いアヒルの子の結末を知らないのかよこいつ。
「まあ簡単に言っちまえば反抗期だ。反抗期なんて誰にだってあるだろ?
ブラック・シープはその反抗期の象徴みたいなもんさ。
で、あまりにも行き過ぎた反抗期を昔の人間は白い羊の群れの中に一匹だけいる異端の黒い羊――ブラック・シープなんて呼んでたのさ。
噂や言い伝えは年月を重ね、繰り返されることで怪異になるいい例だ。
怪異としてのランクは最低レベルだけどな」
「ちょっと待て、高槻は僕が身内を甘く見ているのを抜きにしても反抗期ではっちゃけるような子じゃないぞ」
「冗談言えよ、そんな一点の曇りもないキレイな心の人間なんているわけねえだろ」
あの高槻にも反抗期なんてものが 存在したのか……まあ、ない方がおかしいと言えばおかしいんだけど、高槻には似合わない気がする。
「ブラック・シープに取り憑かれた奴は反動で極端な暗黒面に堕ちる。
暗黒面だぜ? 超ウケる。
キレた若者が暴力事件やら起こすのはこいつが原因の時があるんだぜ」
という事は……あれが高槻の暗黒面?
あれがブラック羽川ならぬブラック高槻?
「高槻のダークサイド弱すぎるよ!」
そりゃ高槻が暴力振るったりしてる所なんて見たくないけどさ!
ムダ遣いとスイーツいっぱい食べるのが暗黒面って!
小学生レベルじゃん!
765プロの天使は堕天しても天使だったなんて!
「ブラック・シープ程度なら放っときゃ治るレベルだけど、請け負っちまったしちゃんと見てやるよ」
「あ 、あぁ。頼む」
「んじゃ明日の朝にでも行くわ。連絡先くれよ」
765プロ事務所の住所と、僕の連絡先をレシートの裏に書いて手渡す。
と、エピソードの懐から着信音が響いた。
取り出して耳に当てる。
「もしもし? ああ、いいよ。すぐ行くぜ」
それだけ言うとエピソードはトレイを持って立ち上がる。
「んじゃ、俺は行くわ」
「仕事か?」
「うんにゃ、昨日ナンパしてきたキレイなおねーさんが今からメシ奢ってくれるっつーから行くわ」
「……はい?」
じゃあな、と手を振りつつエピソードは都会の闇に消えて行った。
何と言うか、その姿はヴァンパイア・ハンターと言うよりは何処にでもいる軟派な兄ちゃんにしか見えなかった。
まあ、彼は年齢こそ少年だが実際の外見はイケメ ンのホストみたいだし……。
わかるけれど、何か納得行かないのは僕だけだろうか。
いや、羨ましいとかじゃなくてね?
何よりその後、一人部屋でテレビを見ながらコンビニ弁当を食べた僕に与えたダメージは計り知れないものだった事を、ここに余談として記しておこう。
004
次の日、果たしてエピソードは約束の時間通りやって来た。
迎えた音無さんが僕の知り合いだと知るや否や顔を赤くして照れ出すし、イケメンは得してるよな……。
高槻に関連することなので社長を説得し正式な客として迎え入れた。
こういう所で何も聞かずに融通を効かせてくれる社長はやはり大物だと思う。
応接室には僕の横にエピソードが、対面に高槻が座っている形だ。
そこに音無さんがお茶請けを持ってやって来る。
「エピソードさん、紅茶とコーヒーと緑茶がありますが何がいいですか?」
「いえいえ、お構いなく」
「お客様なんですから、ご遠慮なさらないでください」
「ありがとうございます。ではジャパニーズ・ティーを」
「はいっ!」
(白ランのイケメンにプロデューサーさん……やっぱりあの線の細さと優男的な外見から見るにエピソードさんが受けかしら……? 白ラン着てる実際の人って初めて見たかも。でも外人さんみたいだし、海外では普通なのかしら……。 エピソードさんがネコだと仮定すると、悪い顔をしたプロデューサーさんの強気攻めは新しい発見かも! 『綺麗な顔してるじゃないか。お前の身体をプロデュースしてやるよ、エピソード』、『や、やめてくれ阿良々木 ……!』 ぴよ――――――っ!! いやいや、待ちなさい、落ち着くのよ小鳥。 外見だけで人を判断したらいけないってエロい人が言っていたじゃない! 彼はああ見えて実はベッドの上では鬼畜攻めの似合うドSなのかも知れないじゃない……! 『なあ阿良々木、お前プロデューサーなんだろ? だったら俺にも営業かけるべきだろ? あん?』 アリだわ! ああ……でも私の中じゃプロデューサーさんはヘタレ攻めで固定されているの……! 必死になって攻めるも逆転されて強気受けに強制的に変わってしまう切ない展開! 悔しい、でも感じちゃう! なんて素晴らしいのかしら……! とにかくこれでしばらくはネタに事欠かないわ……! エピソードさん、アイドルとしてうちに所属しないかしら……)
「音無さん?」
「ぴよっ!?」
「大丈夫ですか? その、言いにくいですが涎垂れてますよ」
「あ、あわわ……こ、これは失礼しました。すぐにお茶お持ちしますね」
オホホ、と貴婦人のような笑みを残して音無さんは行ってしまった。
勤務中、特に残業中でもたまにあんな顔をしている事があるけど本当に大丈夫だろうか。
それになんと言うか、ああなっている音無さんからは悪寒というか邪悪な波動を感じるんだよな……。
まさか怪異の仕業か……?
語り部は僕の筈なのにノイズのように何か暗黒的な思考が紛れてきた気がしたし……。
「 大丈夫か彼女、なんか悪寒を感じたぜ」
「……多分」
人間には滅多に興味を示さないエピソードに心配されるとは、いよいよ本物かも知れない。
高槻の件が無事終わったらちょっと調べてみるか……?
「あのう……」
と、高槻が不安そうな顔で口を開いた。
そうだ、音無さんも心配だが今は高槻を優先せねばなるまい。
「今日はどんな御用なんですか?」
高槻には大事な話があるから、と朝早くに呼び出した。
今日はオフなので申し訳ないところだが、あの黒い高槻に対して早急に対策を立てないといけない。
「ああ、実は高槻に会ってもらいたい人がいて……」
隣に座らせたエピソードを紹介する。
「彼はエピソードくん、僕の知り合いだ」
「外人さんですか……カッコいいですね!」
ちくしょう、高槻にカッコいいなんて僕も言われたこと無いのに。
糖尿病になってしまえばいいのに。
「こう見えて彼は十二歳なんだぜ」
「はわわっ、私より年下なんですか!?
外人さんは大人っぽいですね!」
「おい」
「一々説明するのも面倒だろ。そういう事にしとけ」
エピソードは吸血鬼と人間の合いの子であるヴァンパイア・ハーフで、親の吸血鬼が成長の早い特性を持っているために今のような外見をしている、らしい。
初めて会った時は外見こそ高校生くらいだったが、実年齢は六歳だったらしい。
そして羽川が虎に出逢った頃に七歳になったと羽川に聞いたような記憶があるので、今は恐らく十二歳だ。
「お姉ちゃんは高槻やよいって言うんだよ。よろしくねエピソードくん」
「よろしく」
「やよいお姉ちゃんって呼んでいいからね」
「あ、ああ」
エピソードも高槻の前では形無しらしい。
見ててちょっと面白い。
「で、本題だけどどうなんだ?」
「超ウケる。バカじゃねえの、変わってねえのに見ただけでわかる訳ねえだろ」
相変わらずへらへらと、腕を頭の後ろで組んで答えるエピソード。
こいつにも色々あるんだろうけど、軽薄なのは初めて対峙した時から変わってないな……。
と、
「こら!」
「!?」
高槻がいきなりエピソードに食って掛かる。
エピソードはこんな事態予想もしていなかったのだろう、初めて見る驚愕の表情を浮かべていた。
「お兄ちゃんにそんな口聞いちゃダメでしょ!」
「いや俺は……」
どうやら高槻はエピソードが僕に失礼な振る舞いをしたのが許せないらしい。
会った時からこんな奴なので僕は気にもしていなかったが。
「謝りなさい!」
「……おい、どうすりゃいいんだ。
なんとかしてくれよハートアンダーブレードの眷属」
「聞いてるのエピソードくん!」
「わ、わかったよ……ごめんなさい。
その……お兄ちゃん?」
いや、疑問符をつけられても困るんだけど。
「あ、あぁ……」
傍若無人と言うか、年齢の割に人を食った性格のエピソードを屈服させるとはさすが高槻……。
「よしよし、偉いね」
「う……」
背伸びをしてエピソードの頭を撫でる高槻。
僕も撫でてくれないかな。
エピソードからしたら、高槻のように接してくる人間なんていなかったのだろう。
吸血鬼の血を引きながら吸血鬼を憎み、人間の血を持ちながら人間を恨む彼の家庭環境――それは家庭と言えるのかどうかもわからないし、僕には想像することすら彼にとって失礼だと思う。
ともかく、産まれた瞬間にどちらでもない立場に産まれ、物心ついた頃には既にヴァンパイア・ハンターとして生きてきた彼に対して、高槻のようにいわゆる普通に子供扱いしてくれる人間はいなかったのではないだろうか、と予測される。
「この俺が一般人に調子狂わされるとはな……ウケねえ」
エピソードは面白くなさそうに呟く。
と、音無さんが緑茶を持ってやって来た。
その際に、エピソードが小声で僕の耳元に囁きかける。
『おいハートアンダーブレードの眷属、高槻やよいに薬盛るからな』
『薬……?』
『状態を促進させるやつだ。害はねえから騒ぐなよ』
「お待たせしました」
「どうも」
音無さんが持ってきたお茶を受け取る際 に、薬を盛る、と言われなければわからない程の鮮やかな手付きでエピソードは高槻の湯のみに何かの粉末を入れた。
蛇足だが相変わらず音無さんからは邪悪なオーラが迸っていた。
大丈夫だろうか。
「う……い、いたた……」
「高槻!?」
「騒ぐなって」
果たしてお茶を口にした高槻は、間も無く頭を抱えて顔を伏せる。
「う……うう――――!」
顔を上げた高槻は黒髪のストレートヘアと、先日と全く同じ様相だ。
「た、高槻……」
「なるほど、これが高槻やよいの暗黒面ね」
超ウケる、と口元を歪めながら軽々にも席を立つエピソード。
「うー? 何か用ですかー?」
「やよい姉ちゃん、俺とハイタッチしようぜ」
「おっ、わたしに挑むとは命知らずですね!
かかってきやがれこのやろー!」
やんきーごーほーむ!なんて叫びながらなぜかその場でシャドーボクシングを始める高槻。
ダメだ、可愛すぎる。
「ハーイ!」
「ターッチ!」
「「うぇーい!」」
「ゆるーい!」
何この空気!
僕の知っている怪異に関わる時の雰囲気じゃないよ!
「あ、プロデューサー、ちょっと聞きたいことがあるんですけどー」
「ん?」
「プロデューサーはどーてーなんですか?」
「んまっ!?」
いかん、危うく意識レベルが最低値まで低下するところだった。
天使の口からなんて言葉が!
「どうした高槻! そんな言葉どこで覚えた!?」
「亜美と真美が言ってましたよ?」
あいつらか。僕の高槻になんてこと吹き込むんだ。
今度、絶対に泣いたり笑ったりできないようにしてやる。
「ところでどーてーってなんですか?」
「それを聞かれる方が辛い!」
赤ちゃんはどこから来るの? 以上に答えにくい質問だよ!
なまじ例えようがないだけに!
「超ウケる。なんだこりゃ」
「どうした?」
エピソードは何が可笑しいのかニヤニヤと口元を歪めている。
まさか僕と高槻のやり取りを見て笑っている訳ではあるまい。
「やよい姉ちゃん、スタバ行こうぜ。お兄ちゃんが奢ってくれるってよ」
「本当ですか! わたしベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラペチーノにします!」
「何その呪文みたいな商品!」
そんな長い名前を噛まない高槻はやっぱり高槻じゃないよ!
と言うか、完全に僕が奢る流れになっているのはどういうことだ。
「作戦会議だ、外に行くぜ」
005
高槻を外に連れ出すのは少々不安だったが、あの外見ならばぱっと見高槻だとはわからないだろう。
サングラスでも掛けさせればわかるまい。
そして外出した僕ら三人はエピソードの言葉通りスタバに赴き、店内で持ち帰りを選択し帰途に着いていた。
高槻は対面でとてつもないカロリーが見込めるドリンクを手に眼をキラキラさせていた。
いつもならば僕の財布を慮ったり家族を差し置いて贅沢なんて出来ません、なんて言うところだが裏高槻にはそういう類の心遣いは無いらしい。
まあ、普段からこれくらい我儘言ってくれて全然構わないんだけれど。
さてと、とクリームのたっぷり乗ったドリンクを手にエピソードは話し出す。
昨日のコーラとアップルパイと言い、味覚は子供のままなのかも知れない。
ただの甘党かも知れないが。
「こいつはちょっとばかし面白え状況になってるぜ、ハートアンダーブレードの眷属よ」
不味くはねえけどな、と付け足しエピソードは高カロリードリンクを口に含む。
「反抗期なんて欠片もないこの高槻やよいと反抗期の象徴であるブラック・シープは絶対に相容れない。
だがその二つがどういう訳か一緒になっちまった」
「……? どういうことだ?」
「お前のせいだよ、ハートアンダーブレードの眷属」
「僕のせい?」
「お前の働いてるここは十代の女の子ばっかりなんだろ?
しかもアイドルなんてストレスがマッハで溜まりそうな仕事してんだ。
そんなただでさえブラック・シープが発生しやすい状況下な上に、お前みたいな怪異の専門家並みに怪異と関わって来た奴が常駐してんだ。
どうなるかなんて誰の目にも明らかじゃねえか」
ま、全部がお前の責任って訳じゃねえだろうけどよ、とエピソードは付け足す。
アイドルをやる上で人の見る目に噂、その他数え切れないほどの悩みの元となる障害や些事はいくらでもある。
何の苦労も思い煩いもせずにアイドルなんてやってられない。
だが、僕が原因の一端となっていることは確かなのだろう。
「結果的に、『憑く理由のない者に憑く筈のない怪異が取り憑いてしまった』。
怪異ってのは人間がいないと存在出来ねえから、人間ありきの存在なのは知ってるな?
すなわち取り憑かれるからには取り憑かれる方にも原因は必ずある。
けど今の高槻やよいにはそれがねえ。
だから今の高槻やよいは言っちまえば究極の矛盾存在だ、超ウケる。
羽川翼はその性格の矛盾とストレスから猫と虎って新しい怪異を産み出したん だろ?
臥煙さんに聞いてるぜ。今回のは仕組みとしてはそれと同じだ、裏高槻やよいとも呼べる、新しい怪異だ」
ブラック・シープはあくまできっかけ。
存在しない高槻の裏側。
例えるのならば、オセロにおいて裏返るはずのない角に置いた石が裏返ってしまった。
あえて『彼女』に名前をつけるのならば、リバーシブル高槻といったところか。
「あの調子なら害はねえだろうけど、放っといたら、羽川翼みたいに定着しちまうぜ」
それは――避けなければならない。
羽川は自分のストレス発散という側面もあってブラック羽川を産み出したが、高槻の場合、それがない。
ただ単純に高槻を苦しめるだけの存在だ。
エピソードの言う通り、高槻の様子を見る限りは実質的な被害は無いに等しいが、かと言って放ってもおけない。
新種とは言え怪異ならば、心渡で斬ってしまうのが一番早いか……。
「んじゃ、俺はお役目御免みたいだし帰るぜ」
金はまた後で請求するわ、と手を振るエピソード。
結局こいつ、お茶飲んで説明しただけだったな……。
「んん?」
エピソードが去ろうとする足を止める。
ふと、僕もそれにつられてか違和感を感じた。
何だろうか、とても懐かしく、とても愛おしく、とても憎らしい愛憎入り乱れたあの時の感覚に酷似している。
そう――キスショットと本気で戦った、最初で最後のあの夜のような――吸血鬼、夜の住人と対峙する時の、あの感覚。
「エピ……ソード……」
「な、なんですかこの人……身体が半分ないですよ!」
「……なんだ、まだ生きてたのかよ。しぶてえな」
その場に何もない場所から突如として現れたのは、右半身が欠けている人間だった。
無論、身体の半分を失ってなお活動が出来るものを人間とは呼ばない。
昨日、エピソードが討ち漏らしたと言っていた吸血鬼だろう。
あの右半身は、エピソードの代名詞とも言える巨大十字架で抉られたことが予想される。
身体の一部が欠けても半永久的に再生を続ける吸血鬼だが、十字架や大蒜や聖書といった曰くつきのアイテムで攻撃されると回復が遅れたり、回復力そのものが失われるのだ。
今や瀕死状態の吸血鬼はエピソードに復讐しに来たのか、単純に苦しさからなのかは不明だがエピソードに襲い掛かる。
「ぐうぅぅ……ああァ――――!!」
「ったく、とっととくたばれっての!」
エピソードは懐から普通の大きさ、掌に収まる程度の十字架を取り出す。
恐らくはその十字架で何かしらの攻撃、もしくは防衛手段があったのだろうが、今となっては見ることは叶わなかった。
エピソードが瀕死の吸血鬼と対峙せんとした瞬間、高槻が二人の間を割って入ってきたのだった。
「高槻!?」
「エピソードくん危ない!」
「バカ、来るんじゃねえ!」
エピソードが忠告するも遅く、高槻は吸血鬼の攻撃――とは言え腕を振るうだけの単純なものだが、その腕に絡め取られた。
「きゃあ!?」
吸血鬼はそのままの勢いで逆方向へと逃げて行く。
吸血鬼は一般人である高槻を人質に取ろうとしたのか、単純に『食糧』として高槻を攫ったのかは判らないが、前者はともかく後者ならば何が何でも止めなければならない 。
しかしそれよりも特筆すべきは、裏化してもなおエピソードを助けようとしたその高槻の生き様だ。
今はそんな状況でないのは百も承知だが、僕はそんな高槻を誇りに思う。
だから僕はお前が、誰よりも尊いんだ。
「正気かよあいつ……何の力も持たねえ人間のくせに、吸血鬼の前に立ちはだかるなんて何考えてんだ!」
「……そんなこと、聞かなくてもわかってるんだろ、エピソード」
珍しく取り乱すエピソードに語りかける。
「……」
「高槻に打算とか思惑なんて無いんだ。
ただ純粋にお前が年下の男の子だから守ろうとしたんだよ」
「……バッカじゃねえの」
「高槻の言葉を借りるなら――お姉ちゃんだから、な」
「…………お姉ちゃん、ね。超ウケる」
エピソードはくくく、と 喉の奥で意地の悪そうな笑みをこぼすと、しばらく周囲を確認した後、あっちだ、と指差す。
僕は忍を呼び出し心渡を受け取ると、肩に担いだ。
「だったら、悪い奴から姉ちゃんを守るのは、出来の悪い弟の役目だよな」
「ああ」
「こいつは俺の責任だ、金は要らねえ。
やよい姉ちゃんは、俺が守る。
クサレ吸血鬼を後遺症が残らねえ程度にブッ殺せ、『お兄ちゃん』」
「任されたよ、『エピソードくん』」
エピソードが身体を霧に変えその場から消えるのを合図に、僕は指し示した方向へと駆け出した。
作戦は必要ない。
可能な限り早く辿り着き、死にかけの吸血鬼に引導を渡してやればいい。
全力で走る途中で気付いたが、不自然なほどに人がいない。
夜とは言え眠らない街と揶揄される首都で はあり得ない光景だったが、恐らくエピソードが結界を張っているのだろう。
刀を持って走る男なんて一発で捕まるので素直に助かる。
足の筋肉など懸念もせず走ること数十秒、明かりも少ない路地裏にエピソードと、高槻を抱えた吸血鬼はいた。
身を潜め、様子を窺う。
高槻はどうやら気絶してしまっているらしい。吸血鬼の腕の中でぐったりとしていた。
「近寄るな……! この女がどうなってもいいのか!」
「なんだそのセリフ。死亡フラグだぜそれ、超ウケる。
俺が一般人なんかを気に掛ける訳ねーじゃん」
本心ではない演技だろうが、違和感がないのは彼の演技力の賜物か。
「わ、わかった、交換条件だ。
この女には手を出さない、だから見逃してくれ」
「嫌だね。どっちにしろおたく、 もう長くねえだろ。
だったら観念して俺に殺されろよ……Amen、なんつって」
片目を閉じ、笑いをながら胸で十字を切るエピソード。
「くそ……っ!」
「高槻!」
自棄っぱちとなった吸血鬼が高槻を道連れにしようと腕を振り上げる、が、振り上げた状態で彼の腕は止まった。
「な……!?」
「いいぜ、斬っちまいなハートアンダーブレードの眷属」
「何したんだ?」
「別に、聖書の韻を踏んだだけだ。
俺は聖職者じゃねえから動きを止める位しか出来ねえが」
信仰心もないしな、と笑うエピソード。
確かにこいつに神への信仰なんてありそうにない。
自分と、今回は少しだけ他人の為だけに動く私情の傭兵、半分吸血鬼で半分人間の彼の名はエピソード。
「女を人質に取るようなクソ野郎は、『お兄ちゃん』に斬られて死んじまいな」
「馬鹿を言うな、義理の妹は萌えるだけだが――義理の弟なんてウケねえんだよ!」
「超ウケる」
吸血鬼ごと、高槻を斬って捨てる。
高槻の内部に巣食った、ある筈のないもう一人の高槻と共に、名も知らない吸血鬼は霧のように消え去っていったのだった。
006
後日談というか、今回のオチ。
事が終わって高槻も無事元に戻った翌日、僕とエピソードは高槻家に招かれる運びとなった。
高槻は一連の出来事について詳細は全く覚えていなかったが、どうやら『世話になった』くらいの事は覚えていたらしい。
エピソードも面倒だなんだとブツブツ言っていたが既に上下関係は構築されてしまったようで、やはり高槻には逆らえないらしかった。
「おっ、兄ちゃん久し振りだな!」
「ああ、元気にしてたか長介」
「お兄ちゃん……これ、お茶」
「ありがとう、かすみちゃん」
「えっ、この兄ちゃん十二歳なの!?
俺とほとんど変わらねーじゃん!」
高槻一家は大家族だ。
高槻を筆頭に五人兄弟である。
僕は以前、何度かお邪魔しているので顔見知りだったが、エピソードは家族という環境自体が珍しいらしく、何処か所在なさげにしていた。
ちなみにかすみちゃんは僕が密かにアイドルにしようと狙っている逸材だ。
僕の周囲で大人しい系の幼女は珍しいのである。
「今日はもやしパーティです!」
「モヤシってなんだ?」
「ジャパニーズヤサーイだよ」
いや、外国にもあるかも知れないけど。
適当に言ったがエピソードは ふうん、と頷いただけだった。
その顔がいつもより少し緩んでいると感じるのは、僕の気のせいだろうか。
「お待たせしましたー!」
高槻謹製の手量が続々と運ばれてくる。
もやし炒め、もやしの卵とじ、もやしサラダ、もやしの煮付け、冷やしもやし、エトセトラ。
安価なもやしを大量に購入してのもやしパーティである。
もやし自体には栄養も少なく味も素朴を通り越して素気ないが、個性がないからこそ高槻の料理の腕が光る。
高槻は家事を一身に引き受けているだけあって十四歳にして料理の腕はかなり達者だ。
その上高槻の手料理なんて言ったら例え食べたら死ぬ系の毒物だろうと食べて見せる。
「へえ、結構うめーじゃん」
エピソードは満更でもないようで、フォークで料理を突っついていた。
なお箸は使えないらしい。
と、ひとつの料理の前で手が止まる。
見るとその横顔は引きつっていた。
「う……やよい姉ちゃん、これ、材料は?」
「う? もやしと、ニラと、にんにくと……」
「無理! にんにくだけは無理だ! ウケねえ!」
「あれ? お前、ハーフだから弱点じゃないんだろ?」
ヴァンパイア・ハーフは吸血鬼としての能力が半減する代わりに弱点がほとんど無くなる――という触れ込みだった筈だ。
「そりゃにんにく食っても消滅したりはしないけどよ……嫌いなんだよ」
なんだ、ただの好き嫌いか。
くだらない。悪戯してやれ。
「なあ高槻、エピソードくんはにんにくがキライなんだってよ」
「おいてめえ!」
「だめだよエピソードくん好き嫌いしちゃ! 大きくなれないよ!」
「いや、俺もう十分大きいから!」
「だめです! 高槻家に来たからには好き嫌いは許しません!」
「け、けど……」
「……食べてくれないの?」
高槻は寂しげに眉を寄せる。
今にも泣きそうだ。
ああなった高槻に勝てる人類は恐らく現時点では存在しない。
例えそれがヴァンパイア・ハーフであろうとも。
「く……っ! 怨むぞ、ハートアンダーブレードの眷属!」
「知るか」
その後、脂汗を垂らしながらもやしの炒め物を頬張るエピソードを写真に撮ってやった。
面白かったので臥煙さんと羽川に送ってやろう。
帰る際、高槻の『また来てね』という言葉に、エピソードは気が向いたらな、と手を振って答えた。
その時のエピソードがどんな心持ちで答えたのか――それを僕が知る術はないのだった。
やよいリバーシ END
拙文失礼いたしました。
読んでくれた方、ありがとうごぜーます。
やよいは天使。
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