男「永遠の1時間」女「あはは」(143)
この物語はループものです。
ただし、誰も記憶を失いません。
1回目の出来事を覚えたまま2回目をむかえます。3回目も4回目も5回目も忘れることは出来ません。
時々エロ描写やグロ描写が入る可能性があります。
1
7:20
男「やべ。寝坊だ!」
時間がない。とにかく、今日の時間割だけ鞄に詰め込む。顔を洗って最低限身だしなみを整える。
7:30
男「行ってきます!」
誰もいない家に別れを告げて走り出した。
7:45
ぎりぎり電車乗れた。間に合うかな。
8:05
男「なんだ、余裕じゃん」
学校にはあと5分位で着けるだろう。ほっと一息ついた。
黒髪「やめてください! この人痴漢です!」
大きな声に振り返ると、小太りな中年が高校生らしき女の子に腕を掴まれているのが見えた。この辺りではあまり見ない制服だ。
腰まで伸びた艶のある黒髪。中年を睨む凛とした目つきが印象的だった。
サラリーマン「おら、大人しくしろ!」
中年「お、俺はやってない!」
青年「やってたの見ました!」
痴漢なんて初めて見た。なるべく関わり合いにはなりたくない。
8:06
痴漢は連れて行かれた。
8:11
男「さっき、電車で痴漢見ちまったよ」
友「JKでも助けたか?」
男「いや、捕まったとこ見ただけ。本当にいるんだな」
8:15
他愛のないHR。
特に連絡もなくすぐに終わった。
8:25
女「痴漢? いるいる。A子なんて今朝……」
A子「わ、ちょっ、男子に言うとかあり得ない!」
8:45
古文の授業苦手なんだよな……。何も朝からやらなくても。
8:59
ちょっと待て。まだ黒板写してないから消すなよ、はげ。
……あれ、ここ、どこだ? 部屋?
2
8:00
あ、電車か。寝てたのか? 夢にまで出て来るなんて古文の授業どんだけ嫌いなんだよ、俺。
8:02
黒髪「いやっ!」
青年「こいつ、痴漢だ!」
ん、まさかさっきの夢と同じ?
……あの子だ。黒髪ロングの子。でも、夢と違って青年が捕まえたみたいだな。
中年「くそっ!」
中年は青年の手を振りほどくと、苦し紛れに黒髪の子のスカートをめくり上げた。
こちらからよく見えないが、あの子が涙目になっている。頬が紅潮していた。
中年は床に叩きつけられ取り押さえられた。
8:06
痴漢は連れて行かれた。
8:11
男「さっき、電車で痴漢見ちまったよ」
友「見てただけか?」
男「え、ああ。本当にいるんだな」
8:25
女「痴漢? いるいる。A……」モガモガ
A子「なんでもないよ!」
8:45
これってまさか、正夢か?
8:59
この時間だ、たしか夢だとこの時間にーーー
目の前が真っ白になった。
3
8:00
これって、まさか夢じゃないのか?
黒髪「この人痴漢です! 早く捕まえて!」
青年「この野郎またか!」
中年「うるせえ!」
なんだこれ、ありえない、おかしい、夢か、夢だ、これは夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ。
おかしい、何がおかしい、全部おかしい。
周りを伺うと1人の女の子と目が合った。何かに怯えたような目だ。中学生か、その細い体躯は小刻みに震えていた。
注視すると長いスカートの中で後ろにいる男の手が蠢いているのが分かった。
………………。
サラリーマン「……あっがっ……」
気づくと俺は息を荒げて、その男を見下ろしていた。全身が熱い。握った拳が焼かれたように熱を帯びていた。
男「……はぁ……はぁ」
サラリーマン「……ひ、俺は……」
8:06
駅に着いた。俺は逃げるように電車を降りた。
8:11
手が震える。
友「おい、男。覚えているか」
こいつも顔色が悪いな。
男「これが、三回目か?」
友「やっぱりか」
男「なんだこれ」
友「分かるかよ」
震えは止まらない。
今回はHRがなかった。
8:20
男「……」
友「……」
男「何時からだ?」
友「多分ほぼ8時ぴったりから9時までの1時間だ。ちょうど駅に着いたところから始まるんだよ」
男「気づいている人は?」
友「……見る限り全員だ」
8:25
女「ねえ、A子が来ないの……」
男「……は? な、なんでだ?」
女「わかんない、大丈夫だよね? ……ねえ?」
友「お前これ何回目だ?」
女「……3かな」
友「……全員が違う行動を取れるんだ。A子もきっとそうした」
8:30
来たのは古文の先生ではなく担任だった。
担任「授業は中止だ。原因不明の怪現象が起きたため、ここを一時避難場所とする」
担任「9時まであと30分弱しかない」
担任「落ち着いて聞いてくれ」
ガタンッ
不良「落ち着いてられっかよ!」
担任「出来ないのなら出て行け! 頭が冷えたら戻ってこい」
不良「んだと、こら」
イケメン「待てよ、聞こうぜ。心配なのは分かるけどよ」
不良「ちっ」
要点をまとめるとこうだった。
1. この世界は8:00~9:00の間をループしている(次からは省略)
2. 8:00にいる位置をスタート地点とし、スタート地点から近い生徒でグループを作る
3. 学校に着いたら黒板に名前とスタート地点を書く
4. やり直しが出来るとはいえ、記憶に残るので、敵を作るような行為は避けること。特にスタート地点付近。
8:50
担任「残り時間が少ないが、グループを分ける。駅のグループ。商店街のグループ。住宅街のグループだ。集合時間は8:30とする」
担任「私たちは必要事項を後ろの黒板に書き込んでおくので、まだわからない奴が来たら説明してやってくれ」
俺は駅のグループだ。比較的人が多く固まりやすいので安心できる。
集合場所は改札を出てすぐのコンビニの前だ。
先生「必ず学校に来なさい、1人になってはーー
白いカーテン。
4
8:00
急に景色が変わった。心臓が早鐘を打つ。ようやく、実感が湧いてきた。
これが現実だ。
青年「うぐっ!」
目の前に人が転がってきた。赤い飛沫が電車の床を彩る。
つんざくような悲鳴で我に返った。
中年「おらおらあっ! へへへっへへ」
人を掻き分けるまでもなかった。
そこには2人の男と1人の女。
1人は血をぶちまけ倒れている。
1人は長い黒髪を踊らせ、体を震わせている。
もう1人、いや。もう1匹は女にのしかかり体をまさぐっていた。
黒髪「ひっ……はあっ、ひっ」
金縛りにあったように、ただ、見ていることしか出来なかった。
黒髪「ひゃ、いゃいやいやいやぁぁぁぁ!」
走り抜けた先にコンビニがあった。
ガラスは割られ商品は床に散乱していた。
床に落ちた時計を見る。
8:10
なんて長い10分だ。
世界がぐらつく。いや、ぐらついてるのは俺だ。
友「おい、もたもたすんな!」
何かに引っ張られ、コンビニの奥に連れて行かれた。
友「しっかりしろ!」
はたかれた衝撃で頭が揺れる。
男「あ、ああ、すまん」
そこで初めて、クラスメイトの姿に気づいた。全員で10人。足りない。
8:15
友「……だめだ、電話も繋がらない」
友「……みんな、行くぞ」
「待って、まだ来てない子が……」
友「今の状況見ただろ。明らかに前回より悪くなってる」
友「次はここまでたどり着けるかも分からないんだぞ」
友「強要はしない。来れる奴だけ来てくれ」
レスありがとうございます!
8:17
結局その場には腰が抜けて動けない2人を残した。
いや、置き去りにした。
男「なあ、なんでお前は平気なんだ」
友「……俺が平気に見えるならどうかしてるぜ、お前は」
友「こうしたのも自分の身かわいさだ。置いてきた2人には何されても文句は言えない」
男「……俺も、見捨てたよ」
男「助けを呼ぶ人を見殺しにして、逃げたんだ」
男「目が、合ったのに……」
友「……それでいいんだよ、だから泣くな」
悲しさなのか、情けなさからか。
涙が止まらなかった。
8:21
先生「お、ちゃんと来たな。駅のグループか」
先生の明るい声が心にしみる。安心したら、また涙が出た。
先生「悪いが1人は残ってくれ。ここで話を聞きたい」
8:23
女「男! 友! 良かった……」
友「女も無事だったか」
女「私は……学校からだから」
女「なんか、自分だけ安全なところで……」
友「いいんだよ。ここが安全だから俺たちもここを目指せるんだ」
8:25
黒板に名前を書く。
先生の説明はもう書き終わっていた。今も校門で生徒を出迎えている。
男 電車 8:06着
友 電車 8:00着
黒板の隅に到達した人数が書かれる。
駅 8/15
商店街 2/3
住宅街 3/4
学校 3/3
不明 0/5
ああ。
置いてきた奴らのスタート地点も聞いておくべきだった。
書き溜めはしてるんだけど最後までは書いてないから更新遅くなります
8:35
担任「前回居なかった人は後ろの黒板をよく読んでくれ。それ以外には追加の連絡事項がある」
1. 8時にいる位置をスタート地点とし、スタート地点から近い生徒でグループを作る
2. 学校に着いたら黒板に名前とスタート地点を書く( 集合時間は8:30とする)
3. やり直しが出来るとはいえ、記憶に残るので、敵を作るような行為は避けること。特にスタート地点付近。
追加事項は
4. 混線しているためか、メールや電話は通じない。災害用も同様である。
5. 外部から学校に避難してくる可能性がある。その場合は近くの教師に相談の上体育館に案内する。
だった。
8:50
担任「残りは10分だが、グループで話してくれ。特に駅は集合場所を考えなくてはな」
男「集合場所だがコンビニから離れすぎる訳には行かない。今回たどり着けなかった奴らもいる」
友「だが、あそこは危険だ。物がある分、人が群がってくる」
「なら、コンビニの奥のスタッフOnlyのとこがやっぱりいいんじゃない?」
友「今回はそれで何とかなった。だが、いつまでも安全とは限らない」
担任「各々の安全のために駅からある程度離れた方が安全かもしれん」
8:58
これだけか! あんな思いをしたのにこれしか進まないのか!
一時間がまるで数分の如く過ぎさる。
友「みんな。隣のやつと腕を組むんだ」
友の言葉に慌てて従う。
8:59
友「もしこれで離れたとしても俺たちはまた生きてここに来よう」
男「ああ……ああ!」
強く強く願いを込めて、腕を組んだ。
1人にならないようーーー
ベッド? ふかふか? 旗、だ。
5
8:00
見渡す。学友はいなかった。
鈍い音。
青年「てめぇっ!」
今度は、逆か。
中年「かっ……がぎっ!」
そこで初めて違和感に気づいた。電車が減速している。
慣性で体が投げ出される。アナウンスも無く電車は何もない線路の上で止まった。
男「……ごめん」
罪悪感から逃れようとして無意識に出た言葉は、かえって心をその場に縛りつける。
誰も目もくれない。手を差しのべない。
俺が助けられなかった、いや助けなかった女の子。
男「……くそっ!」
波に逆らい引き返す。
男「立て! 立つんだよ!」
黒髪「ひっ! わた、私、触らないで!」
凛とした雰囲気など残っていない。ただひたすら怯える小動物のように見えた。
男「……頼む。これからみんなで避難するんだ、来てくれ」
黒髪「……」
踵を返す。間に合わなかった。1時間遅かったんだ。
黒髪「……待って、置いて行かないで。お願い」
周囲の喧騒に消されてしまいそうな弱々しい声だった。
男「走れるか?」
頷く。その目に微かな光が灯った様に見えた。
8:22
コンビニが見えた。前には、バットを肩に担いだクラスメイトがいる。
不良「やっぱりな。虫の知らせってやつか」
不良「男。……そいつとは知り合いか?」
男「不良? お前、駅のグループだったか」
不良「ちげーよ。なんでもいいからその女をこっちによこしな」
バットをこっちに向ける。
男「な、何言ってんだよ。どういうつもりだ?」
不良「……ちっ。さっさと学校行くぞ」
不良は俺の言葉を無視してバイクに跨る。俺たちにも乗るように促した。
会話が通じる気がしない。
不良「てめえは1番後ろな。3人乗りなんてしたことねえから、落ちても知らねえぞ」
黒髪「この人は、助けてくれたから」
不良「そうかよ。なるべく安全運転するよ」
黒髪「ごめんなさい、この子不器用だから」
不器用とかそういう問題じゃない気がするが。
知り合いか? 仲よさそうだし、もしかして恋人なのか?
走り出してから間もなくのことだった。
黒髪が異常なまでに震えている。
慌てて停車するが、震えは収まらない。
黒髪「大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫だから。ね、大丈夫。大丈夫よ」
不良「なにがあった」
黒髪「ううん、大丈夫だから」
黒髪に痴漢した中年の姿が思い浮かぶ。あの後はどうなったかは知らないが想像に難くない。
不良「……歩くぞ」
8:27
不良「男。こいつのスタート地点分かるか?」
男「分かるけど、なんで?」
不良「……迎えに行くんだよ。姉貴だからな」
男「姉貴!?」
茶髪の不良といかにも優等生に見える黒髪はとても姉弟には見えないが。
黒髪「迎えに来なくていいから、安全なところに居て」
バイクを降りてからは少し良くなったが、まだ顔色は悪い。
男「8:06着の電車の中だ。ただ今回は駅には着かなかった。もしかしたら車掌が逃げ出したのかもしれない」
黒髪が恨めしい目でこちらを見る。意外と太い神経してるのかもしれない。
不良「そうか。お前の他には誰かいんのか?」
男「いや、多分いない。たしか駅のグループで同じ電車はいたはずだが車両は違うと思う」
不良「一人かよ、寂しい奴だな」
お前に言われたくない。
不良「なあ、男」
不良が立ち止まってまっすぐにこっちを見てくる。
不良「お前を友達と見込んで頼みがある。俺が行くまでこいつを守ってやってくれねえか」
と、友達? そんなに関わりはないぞ……。
黒髪「私は大丈夫だから!」
不良「俺と男の話だ。口出しすんな」
不良「もし、こいつを守ってくれたなら……お前が守ってくれると約束してくれるんなら、なんでもする」
不良「男と男の約束だ」
不良「ダチ……友達同士のな」
お姉さんの前だから黙って友達ってことにしろってことか?
男「約束はできない」
不良「ああ?」
不良の眉間にしわが寄る。威圧感に言葉が詰まりそうだ。
男「電車の中はパニック状態だ。今回彼女を見つけられたのも偶然だ」
不良「そこを曲げろ。無茶でもなんでも守れ。いや、守ってくれ。頼む」
まっすぐにこちらを見てくる目。口調のわりに高圧的だが、どこか不良自身の不安を感じさせた。
男「出来るだけはやってみるよ」
不良「……すまねえな。約束は必ず守る」
約束はできないって言ったんだけど。
8:29
担任「おう、きたか。そちらは?」
不良「……」
黒髪「こら。……すいません。不良の姉です」
顔色はまだ良くないが、若干の元気は取り戻したようだ。
担任「ああ、なるほど。無事で良かった。一応生徒以外は体育館と言ったが、親族なら構わないな」
黒髪「いえ、お気遣いなく」
不良「俺も体育館でいい。話は男から聞く」
担任「そうか。良かったよ」
不良「なにがだ……ですか?」
担任「お前は素直じゃないからな。こんな状況でも人を頼ろうとしないんじゃないかと心配してたんだ」
不良「そうかよ」
黒髪「こら、敬語」
不良は黒髪の姉に連れて体育館へ向かっていった。
8:31
友「男! 無事だったか!」
男「なんとかな……ってお前腕怪我してないか」
「学校に行く途中で刃物を持った変質者に襲われたんだ」
「襲われそうになった私をかばって怪我を……」
友「かすり傷だよ。こんなの」
破れた制服から赤黒く染まった包帯が覗いている。
痛いだろうに。
でも、友は余裕そうに笑っている。この笑顔を見ていると安心してしまう。
きっとこいつは無理に笑っているのに。
友「んな顔すんなよ」
男「え」
友「泣きそうな顔してんぞ。大丈夫、また変質者が出ても俺が守ってやるから」
なんだよ、こいつ。
まるでヒーローじゃないか。
泣かせんなよ。
窓の外の校庭。カーテン。揺れて。
8:00
地面が揺れる。
止まった。それと同時にドアをこじ開けようと人がなだれ込む。
これが、普通。現実。
中年「おら、じっとしやがれっ!」
黒髪「いやぁぁっ! もう、いやっ!」
助け出そうとして、足が止まる。
推敲するのでまた更新遅くなるかもしれません…
けだものが、ふるえている。あとすこし。
「ああぁぁぁぁ、あぁぁぁぁぁぁぁ」
喉を振り絞るような声で我に返る。
手を緩める。
離したのに、震えている。中年の震えが手から離れない。
男「……」
振り返る。
黒髪「あ、ああぁぁ」
良かった。無事だ。
8:10
男「もう、大丈夫」
やっと、守れた。
震える彼女に手を差し伸べる。
黒髪「ひ……」
後ずさる。どうして?
顔の筋肉が引きつっている。
8:20
熱い。痛い。苦しい。
踏みつけられた箇所が熱を帯びていく。
早く終われ。終われ。
ただ、時間が過ぎるのを待つだけだった。
痛いのか、熱いのか、もうわからない。
まだ、1時間経ってないのかな。そろそろだ。もうすぐだ。
時間は1時間しかないと思っていたけど、逆だ。
1時間も、あるんだ。
人間が狂うのも当然だ。
中年「死ねっ! 死ね死ね死ねぇぇっ!」
折れた足を踏みつけられる。突き刺すような痛みに体が跳ねた。
いたい、いたい、くるしい。
黒髪「いやぁぁぁっ! いやぁぁぁぁっ!」
ただ泣き叫ぶだけの女。
どいつもこいつも、狂ってる。
鈍い音がして、攻撃が止んだ。
「男、生きてるか?」
覚えのある声が聞こえた。驚きからか、声が出ない。
閉じていた目をゆっくりと開く。
不良「よし、生きてんな」
よくない。全身ボロボロだ。
でも、助かった。
不良「悪いな。遅くなっちまった」
安心からか、限界だったのか。
不良の声が段々遠のいて、俺の意識は落ちていった。
不良「本当に……いいのか?」
ここは、電車の中か。
意識が戻ると同時に痛みが押し寄せて来る。
不良「お、目が覚めたか」
悲鳴をあげる身体に鞭打って立ち上がろうとする。
不良「やめとけよ、足折れてんぞ」
男「ぐっ」
不良に肩を押さえられそのまま床に座る。
隣には、あの中年がいた。うつ伏せに倒れている。
不良の手には金属の棒のようなものがある。これで殴ったのか。
黒髪「あ、あの。本当にごめんなさい!」
一瞬なんのことか分からなかったが、中年に襲われたことだろう。
男「……いや、大丈夫……です」
不良の姉ってことは、年上なんだよな。今更だけど。
不良「やっぱりこのオヤジ殺しとくか?」
黒髪「だめっ、だめよ」
男「殺すって……そんな簡単に……」
不良「だけどこいつ、お前を殺そうとしてたろ」
不良「ここで殺しといた方がいいんじゃねえのか?」
たしかに、そうだけど……。でも。
男「……だめだ」
不良「あん?」
男「人を殺したら、もう戻れなくなる」
不良「戻れなくなるって、どういう意味だよ」
男「きっと、歯止めがきかなくなって元の日常に帰れなくなると思う」
中年の首を締め上げた時、俺は色々な感情に支配されていた。
怒り。恐怖。高揚。悲しみ。背徳感。
ぐしゃぐしゃだった。
男「だから、だめだ。約束だろ? なんでもするって」
男「殺さないでくれ」
不良「……分かった」
約束してないって言われたら困ったけど、不良の中ではしっかりと約束したことになってるらしい。
黒髪「ねえ、あれ聞かなくていいの?」
不良に何か耳打ちしている。
不良「ああ、男。これ、見えるか?」
不良が手を差し出す。開いた手のひらには何もない。
男「……手?」
不良「……やっぱり見えねえか。俺がおかしいのか?」
男「どういうことだよ」
不良が軽く拳を握る。やはり手以外には見えない。
不良「……旗があんだよ。1って描いてある」
男「どこに」
不良は自分の手に視線を向ける。
不良「姉貴の足元に立ててあったんだ。違和感が半端ねえから取っちまったんだが」
不良「俺以外触れねえみたいだし不気味なんだよ」
よく分からないが、嘘を吐いているようには見えない。
黒髪「も、もしかして頭打ったりした? 大丈夫?」
結構ひどいことを言うのな。
不良「……してねえよ」
男「旗はどんなものだ?」
不良「手のひらサイズの……」
不良の説明を遮り、黒髪が傍らにあるノートを開いた。
黒髪「さっきこの子に描いてもらったんだけど……」
……顔に似合わず、上手な絵がそこにあった。口には出さないが。
不良「んだよ。わりいか?」
自覚あるんだな。
シンプルな旗だった。不良曰く1と描かれ、それ以外には何もない。
不良「あー、つーか見えねーんならもういいっつの」
男「……いや、本当にあるんなら、何か意味があるかもしれないし」
それに、この旗……。
男「この絵の旗。見覚えがあるんだよな。どこで見たのか分からないけど」
黒髪「私も、見覚えが……」
となると、学校に連れていく途中で見かけて、不良が幻覚を……。
……気になるけど考えても仕方がない。
男「う、ぐ」
少し体を動かすだけで激痛が走る。防衛本能は正常に働いてしまっているようだ。
不良「おい、大人しくしろよ」
男「肩、貸してくれ」
不良「あー、めんどくせぇから担ぐぞ」
男「いてっ! もう少し丁寧に扱ってくれ」
不良は一瞬顔をしかめたが、無言で慎重に俺の体を背負った。
男「ありがとう」
不良「で、どこに行きたいんだよ」
男「学校に」
不良「もう間に合わねえよ」
ふと、腕時計を見ると9時まで後10分もない。
そんなに、時間が経っていたのか。
男「なら、先頭車両に連れて行ってくれ」
黒髪「ここになにかあるの?」
男「いや、車掌室に……」
ここ何回かの繰り返しでは、電車は駅に着く前に止まっている。
学校まで行くにしても駅まで歩くのは時間がかかる。出来れば、駅までは電車で行けないか聞いておきたかった。
不良「おい」
なにかがひしゃげる音がした。一度、二度、三度。
音は先に進むにつれて大きくなる。
不良「お前は下がってろ」
黒髪「え、でも……」
車掌室のドアは原型を留めていなかった。壊れたドアから覗く男性の背中を見て黒髪は後づさる。
……見なくても、わかる。
勇気か恐怖か、微かな何かを振り絞り前を見る。
動かない、車掌だったものが、つなぎの男に蹂躙されていた。
ぐしゃ、ごしゃ、形容し難い不気味な音。
もはや人の形をしていないものをひたすら。
狂気のままに殴り続ける。
喉元の苦く熱いものがこみ上げてくる。
耐えきれず床にぶちまけた。据えた匂いと焼きつく喉。目が眩むようだった。
息が詰まり、肺が酸素を求めて、体は震える。鈍い痛みが頭に木霊する。
気付かないうちに、俺は床で打ちひしがれていた。
悪臭が鼻を突く。
音は止まない。止まない。
こちらを見向きもせず、黙々とーー続けていた。
誰も止めに入ることは出来なかった。
壁が、床が、赤々と染められていくのをただ呆然と見ていることしか出来なかった。
不良「そいつに何してやがる! 殺すぞ!」
中年「あ、ああぁぁ」
中年の胸ぐらを掴み、不良がそこにいた。
男「な、なんで」
ループしていない? いや、たしかにしたはずだ。
今までと違う?
意味が……分からない。
男「ふ、不良!」
不良「おう」
男「なんでここにいるんだ!?」
不良「あー」
少し考える素振りを見せ、
不良「わかんねえな」
不敵に笑って、そう答えた。
少し書き方変えます。以前の方が読みやすければ言ってください。
8:03
事情を聞いても不良自身にも分からないようだった。
不良「あー、じゃあこれじゃねえのか」
そういって、見えない旗を持ち上げる素振りを見せる。
不良「戻った時この旗が目の前にあったんだ。ここを目印にしてるんじゃねえか」
無茶苦茶だ。不良にしか見えない旗。本当に、存在するかも分からない。
不良が特別なのか。それとも、気でも狂ったか。いや、こんな状況で正気も何もない。
目の前の状況について行けず、頭が痛みを訴えている。
なに一つわからない。夢でも見ているかのようだ。
ふと、変わり果てた車掌の姿を思い出した。喉元をこみ上げるものを慌てて抑える。
車内は混乱に包まれていた。開かないドアに戸惑う人、よくわからない言葉を叫び出す人。倒れたまま動かない人もいた。
胸の辺りがざわざわと震えるような気がした。嫌な予感がする。
男「もう一度、一番前へ行かないか?」
自分の言葉にふわふわとした違和感を覚えていた。行きたくないが、行かなくてはならない。そんなジレンマが足元をぐらつかせる。
不良「体は大丈夫なのかよ」
不良って妙に気配り上手だな。姉がいるとまた違うのかもしれない。
男「ああ、時間が巻き戻った時に痛みもなくなったみたいだ」
倒れた人間を踏まないように避けて駆け足で先頭車両へと向かった。
途中には狂ったようにドアを叩く者や、取っ組み合いを始めている者もいる。隅で打ち震えて、奇声を上げて、頭を抱えて。
色々なものから目を逸らして、足を速めた。
黒髪「あれ……」
不良「どうした?」
黒髪「こんなに、倒れている人って多かった?」
男「……」
気づいてはいたが考えたくない事実だった。おそらく倒れている中には……息のない人間もいる。
いや、もしかしたら全員そうなのかもしれない。
ひたひたと、死が自分の足跡を辿って来るような気がした。背筋が凍る気分だった。
重い空気を裂いて、無言で前へと逃げ続ける。
なんでこんなことになってしまったんだろう。
不良「車掌室、閉まってんな」
バットを持ってドアに近づく不良を止める。
男「呼びかけてからにしよう」
絶望から目を背け、ドアを叩く。
男「あの、開けてください! 開けてください!」
計器に触れた手は蝋で固められたように保たれていた。
不良「おい、大丈夫か?」
振り向いて不良の視線を辿る。
足が小刻みに震えていた。いや、足だけではなく、手や肩が、抑えようと思う程、震えは止まらない。
日常では感じなかった何かが体を蝕んでいた。
不良「下がってろ」
肩を引かれて座り込む。
黒髪が不安そうにこちらを見ている。
不良がバットを振るうとガラスが音を立てて弾けた。そのままドアの裏側から鍵を開ける。
ドアが、ひらく。
黒髪「だめ……」
男「え……?」
黒髪「二人とも、逃げ……なきゃ」
黒髪に手を引かれて、もたつきながらも辛うじて走り出す。来た道を引き返していく。
不良「おい、どうした!?」
黒髪「……っ」
青ざめた顔は男に触れているからなのか、そうでないのか分からない。
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