さやか「あたしが僕で僕があたしで」 (228)
恭介「さやかは、僕を苛めてるのかい」
さやか「えっ」
唐突だった。
恭介が何を言い出したのか自分でも処理できていない。
苛めてるって、なに。
恭介「なんで今でも僕に音楽なんか聴かせるんだ。嫌がらせのつもりなのか」
あたしが、恭介を苛めてる?
音楽は恭介の全てだった。
ずっと大好きだったものだから、いつかまたバイオリンが弾けるようになったら、すぐ感覚を思い出せるように。
そのためによくCDを買っては、お見舞いに来て渡していた。
恭介のために出来ることが、あたしにはそれくらいしかなかったから。
さやか「あたしはただ恭介が——」
恭介「もう聞きたくなんてないんだよ!自分で弾けもしない曲をただ聴いてるだけなんて!」
僕は、と叫んで恭介は、音を鳴らし続けていたCDプレーヤーを左腕で叩き付けた。
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さやか「あ、あぁっ!」
言葉に出来ない、悲鳴とも思えない声しか出ない。
痛々しい赤い液体が、夕日で染まるシーツをより紅くしていく。
なんで。
どうして。
そんな疑問しか出て来る前に手が出ていて、気が付けば恭介に覆い被さって左腕を掴んでいた。
震えている。
血が滴ってくる。
どうして恭介がこんな目に遭わなきゃいけないの。
あたし、何か間違ってたかな。
恭介にとって苦痛でしかなくて、ずっと我慢してたのかな。
恭介「動かないんだ……痛みさえ感じない、こんな手なんて」
さやか「大丈夫だよ。きっと何とかなるよ。諦めなければ、きっと、いつか」
やっと出てきたのは、そんな根拠も何もない、励ましにすらならない言葉。
励ましというより、ハッタリだ。
恭介「諦めろって言われたのさ。先生から直々に言われたよ。今の医学じゃ無理だって……
僕の腕は二度と動かない。奇跡か、魔法でもない限り治らない」
さやか「あるよ」
恭介「え……」
さやか「奇跡も、魔法も、あるんだよ」
そうだ、今度はハッタリじゃない。
あたしは知ってるんだ、奇跡と魔法があることを。
あたしなら出来るんだ、奇跡と魔法で助けることが。
きっと恭介は今絶望の淵に立ってるに違いない。
もう一生バイオリンを弾くことが出来なくて、あんなに好きだったのに聴くことしか出来ないから。
自分を傷付けることだって平気でしてしまうんだ。
だけどあたしなら治せる。
あたしじゃなきゃ駄目なんだ。
だから、もう少しだけ待って——
恭介「もういいから出て行ってくれ!」
さやか「あ、駄目っ!」
恭介はまた腕を振り上げて、バラバラになったプレーヤーに振り下ろした。
本当にもう動かないのかというくらい、力強く、掴んでいるあたしの腕ごと。
そしてまた、CDが砕けた。
恭介「あっ」
さやか「えっ」
世界が静止したように静かだった。
窓は開いていたけど、風も止みカーテンも揺れていない。
外の喧騒も聞こえない。
ただ、やたら眩しかったことがその時の第一印象だった。
恭介「あれ……ねえ恭介、あたし今——」
さやか「……」
恭介「……は?」
さやか「な、なんで、僕がそこにいるんだ?」
恭介「なんで、あたしに見られて痛い痛い痛いって!」
さやか「痛くないってことは、これは夢か」
恭介「何すんのよ!」
ちょっと力が入らなかった気がしたが、スパーン、とそこそこ景気のいい音が響いた。
目の前にいた美樹さやかが、いきなりあたしの頬っぺたをつねり始めたんだから、誰だって反撃するに決まってる。
いくら美樹さやかだからって、普通いきなりそんなことする?
さやか「やっぱり痛い……夢、じゃない」
恭介「あんたねえ!いきなり人の……うん?」
さやか「ねえ、まさかとは思うけど、さやかだよね?」
恭介「え、いや、だって、あたしはそこに……」
いや、分かってる。
あたしがいる位置とかベッドから見える景色とかで、なんとなく察しがついてた。
あたしは今、恭介がいたベッドにいる。
さやか「やっぱり、この体はさやかだよね?声も、鏡ないけど多分顔も、さやかになってるよね?」
恭介「なってる……と、いうことはまさか」
さやか「……僕が今、僕のベッドで寝てるよ。僕はここにいるけどね」
意味は分からないけど、事態は分かる。
だってあたしもきっと今同じ状態だから。
恭介「確認するけど、あたしは美樹さやかでいいんだよね」
さやか「僕は上条恭介……のはず」
恭介「で、顔……っていうか、体は?」
さやか「上条恭介、だね。僕は?」
恭介「うん、美樹さやか、だね」
まあつまり、要するに、入れ替わってしまったということか。
さや恭「なんじゃそりゃぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
さやか「どうしよう、こういうときはどうすればいいんだ!?」
恭介「あたしが知るわけないでしょ!とにかく——」
そう言いながら立ち上がろうとした瞬間、あたしの体(正確には恭介のだけど)はバランスを崩して左に傾いた。
さっき恭介が壊した、CDプレーヤーと、まだ血が流れている手が置いてあった。
そういえばそうだった。
あたしが今恭介の体になってるってことは、左腕は思うように動かないし、歩くことだって難しい状態なんだ。
恭介の言うとおり、痛みなんて全くない。
そこで血を流しているのは、曲がりなりにもあたしの体の一部であるはずなのに、作りものにしか見えなかった。
さやか「だ、大丈夫?」
恭介「ちょっと待って、思ったより右だけじゃ起きられなくて……」
さやか「手伝うよ」
自分の声がそう言って、前と背中に手を回される。
恭介「ひゃっ!」
さやか「ご、ごめん!痛かった?」
恭介「いや、ごめん。なんていうか、つい……」
つい自分の体のつもりで、胸を触られたような気がして反応してしまった。
状態だけ起こしてもらって、何気なしに胸に手を当ててみる。
鼓動が早いし、服の上からでも熱が伝わってくる。
それに、思ってたよりずっと、硬かった。
しばらく寝たきりだったとはいえ、恭介もやっぱり男子なんだなあと認識する。
さやか「えっと、一体何がどうなってこんなことになったんだ」
恭介「だから、知らないってば!こっちだってパニくってるのに」
さやか「とりあえず、誰かに言った方がいいかな!?」
恭介「あたしら体が入れ替わっちゃいましたーって?そんなの誰が信じてくれるわけ!?」
さやか「そうだけど、ずっとこのままってわけにもいかないだろ!」
恭介「こういう時は、まず落ち着いて行動するに限る!あたしらが最初にやるべきことは……」
さやか「な、何か策があるの?」
10分後。
恭介「なに聞いてるの?」
さやか「亜麻色の髪の乙女」
恭介「あぁ、ドビュッシー?いいよね」
さやか「……」
恭介「……」
さやか「ねえさやか、やっぱり立場だけ逆転しても意味ないんじゃないかな。なんで僕、イヤホンだけ耳に付けてるの」
恭介「ですよねー」
恭介に手伝ってもらいながら、あたしは車椅子に座り、恭介はベッドに横たわっていた。
あたしの体が思ったより非力だったのか、恭介がまだ慣れていないのか、思ったより時間がかかってしまった。
プレーヤーは壊れたけど、ちゃんとイヤホンは付けさせた。
何の意味があったのかはあたしにも分からないし、なんで恭介が大人しく従ってくれたのかも分からない。
さやか「それより、今後どうするか考えないと」
恭介「どうするったって——」
その時、遮るように扉が開かれて看護師が入ってきた。
入ってくるなりギョッとして、血だらけじゃない、と言いながら担当医を呼びに行った。
すぐに戻ってきて素早く手当てをしてくれるなり、あたしをベッドに寝かせてくれた。
医者「上条君、今日は安静にしてなさいって言っただろう……リハビリは、上条君が落ち着いてからでいいからって」
さやか「そういえばそうだった」
医者「君、上条君の幼馴染だったっけ?」
さやか「……」
医者「……違った?」
看護師「いえ、あってるはずですけど」
さやか「え?あぁ、そうです!はい、僕達は幼馴染で——」
医者「僕?」
さやか「あ、いえ、私達は幼馴染です、はい」
医者「ちょっとこっち来てくれるかな」
さやか「はい」
なんだろう、恭介のことで恭介を連れ出して何か言うつもりなのかな。
例えば、腕が治らないと言われたばかりだからフォローしてあげてね、とか。
本人にそういうことを言うのって、なんというか——
恭介「……複雑だなあ」
三人はすぐに戻ってきたが、恭介の顔(あたしのだけど)はさっきよりもずっと暗かった。
入れ替わった挙句、自分に対するフォローとか言われたら、そりゃそうなるか。
看護師「じゃあ、暗くならないうちに帰りなさいね」
さやか「どうも……」
こうしてまた二人っきり。
言われてみれば、外はもう藍色の世界だ。
恭介「これからどうしよう。恭介は、あたしの家に帰らなきゃ駄目だよね」
さやか「……そうだね、ここにずっといるわけにもいかないし」
恭介「父さんは今日は遅いはずだけど、母さんがなぁ。今日は早いって言ってたし」
さやか「そうなんだ……」
恭介「恭介はちゃんと変に思われないように演技できるわけ?さっきも僕とか言ってたし」
さやか「……実はさ、さっきから言おうと思ってたことがあるんだけど」
恭介「何?」
さやか「トイレに行きたいんだ」
はて、今恭介はなんて言った?
さやか「分かってる、分かってるよ……こんなこと言うのはいけないって思ってる」
そりゃああたしだって薄々感じてたよ。
早く戻らないと、いつかはこういうことになっちゃうってさ。
さやか「でも、正直限界に近いんだ」
恭介「……」
さやか「それで、僕はどうしたらいいと思う?」
恭介「へ」
さやか「さやか…?」
恭介「変態かっ!!!」
さやか「だからどうしたらいいか聞いたんじゃないか!」
恭介「信じらんない!ありえないっ!最低だよ最低!!」
さやか「さやかの体なんだから、文句があるならさやかがどうしたらいいか決めてよ!さっきも言ったけど限界なんだ!
ホントは今すぐ行きたいんだけど、それだとさやかも困るだろ?」
でも、いくらなんでも早すぎない?
あたしさっきまで、そういうの全然感じてなかったはずなんだけど。
恭介「待ってよ、待って……こういうの確か聞いたことある……」
さやか「何かいいアイディアがあるのかい?」
考えろあたし!
最小限の恥と最小限の被害で済むような、そんな解決策を!
恭介「……そう!目隠し!」
さやか「目隠し?」
恭介「あたしの鞄にタオルあるよね?それで隠して見えないようにやってもらうから!」
さやか「わ、分かったよ、それでいこう」
恭介「一応あたしも付いていって、分からないところは教えるから」
さやか「じゃあ早く行こうか」
恭介「あぁ、それでさ恭介」
さやか「何?」
恭介「あたしまだ車椅子に慣れてないから押してってもらえないかな…?」
さやか「……分かった、行こうさやか」
人には数回すれ違ったが、誰もあたしらが入れ替わったなんて思ってない。
普通に車椅子を押してどこかに行こうとしてるようにしか見えなかったはずだ。
あたしは押される道中、この危機をうまく乗り越えられるか必死に考えてたけど。
恭介「違う!女子トイレでしょうが!」
さやか「ご、ごめん!忘れてた……」
恭介「人は……いないみたいね。今の内に済ましちゃおう」
さやか「えっと、じゃあ目隠しするね」
恭介「……」
さやか「……これでよし、かな」
恭介「じゃ、じゃあ、あたしが脱がすから。いいって言ったら座ってね」
さやか「う、うん」
なんか、コレって傍から見たらとんでもない変態行為っぽくない?
お願いだから誰も来ないでよ……
恭介「……」
それにしても、右手だけで何かするっていうのは、やっぱり辛いんだね。
恭介「よし、オッケー……自分のぱ……下着を脱がすのって、けっこう恥ずかしいね」
さやか「見えないって結構不安だね」
恭介「そう、そのまま……まだよ!まだだかんね!」
確かこの病院にもあったはずの使用中の音を消す装置があったはずなので、それを作動させるまでは待ってもらわなければ困る。
恭介「ど、どうぞ……」
さやか「あぁ……」
それにしても何なのだろうこの状況は。
ありえないというか、恥ずかしいなんてレベルじゃないレベルで恥ずかしい。
顔を逸らし、出来るだけ意識しないようにするしかない。
自分で提案しておいてなんだけど、やめておけばよかった。
恭介「……終わった?」
さやか「……うん」
恭介「えっと、じゃあ……ちょっと足開いてくれる?」
さやか「あ、あぁ、分かった」
なんで恭介の体で自分の体を拭いてんのよ!
これからのことを考えれば、やはり一緒に来るべきじゃなかったと深く反省した。
もうこんなの、お嫁になんていけないよ。
さやか「ま、まだかな」
恭介「……うん、もう立っていいよ。また履かせるから」
さやか「あぁ」
恭介「……よし、これで終わり!もう目隠し取っていいよ」
あとは流して終了——
恭介「あ、待って。流してから目隠し取って」
さやか「……分かった」
のはずなんだけど、手が届かないんじゃどうしようもなかった。
さやか「ふぅー…ちょっと神経使ったよ」
恭介「でもさ、このまんま元に戻らなかったらいつかは……」
さやか「それはそうだろうね……今のうちに言っとくけど、僕の体じゃ一人でこういうのするのは無理だからね」
恭介「無理って言うのは、つまり……」
さやか「看護士さんに手取り足取り」
恭介「あぁぁぁぁぁ!ただでさえ恭介の体でそういうことするの恥ずかしいのに!」
さやか「それより早くここを出よう。誰か来たらまずいことになる」
恭介「そうだね……じゃあ、お願い」
さやか「うん」
恭介「これからしばらく辱めを受けちゃうのかなぁ……もう……もうっ!」
何度も何度も外を確認して、誰もいない隙を見てようやくトイレからの脱出に成功。
部屋に戻ると、また数分掛けてベッドに寝かせてもらい、ようやく落ち着いた。
恭介「いや、全然落ち着けてないけど。結局何にも好転してないしね」
さやか「それどころか悪い方に転がってる気さえするよ」
恭介「とにかくなんとかしよう!このままじゃあたしの羞恥メーターが振りきれちゃってヤバいからね!」
さやか「そうだね、とにかく何か考えて——」
その時、鞄の中から聞き慣れたメロディーが流れだした。
間違いなく母からの電話だ。
恭介「母さんから?」
さやか「みたいだね」
恭介「うわちゃぁ、こういう時に限って今日は早いんだもんなあ。多分帰ってくるのが遅いっていう電話かな……」
さやか「とりあえず出るね。も、もしもし?おばさんですか?」
恭介「うぉい!?」
さっきもそうだったけど、恭介はアドリブに弱いというか、演技がまるで駄目な気がする。
本当に大丈夫なのかな。
さやか「いや、ごめんなさい嘘です!間違えました!えっと……」
恭介「母さん」
さやか「母さん!そう、母さんね……それで、どうかしたの?うん、今は……そう、恭介君の病院で……あ、いや、恭介!恭介の病院!
分かった。今から帰るから……うん、じゃあね」
電話を切って恭介は深いため息をついた。
冷や冷やしたのはこっちだよって言いたいけど、これ以上恭介に言っても駄目な気がした。
今日一日で、色々と起こり過ぎているのだから。
恭介「帰って来いって?」
さやか「そうみたい……どうしよう?このまま家に帰ってもいいのかな」
恭介「あたしの体のまま家に帰るってことは……その、普通に着替えたりお風呂入ったりしちゃう感じになるよね…?」
さやか「まあ、なるんじゃないかな」
恭介「……」
さやか「……さやか?」
恭介「うがあああぁああぁああああぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!!!」
ここが病院だとか、窓が開いてたとか、そんなことはお構いなしにひと思いに叫んだ。
こうでもしておかないと、本当に心臓がはち切れて死んでしまいそうだ。
さやか「……」
恭介「……」
さやか「……あの」
恭介「……いいよ」
さやか「え?」
恭介「恭介になら、見られてもいい……かも」
あれ、何言ってんのあたし?
違うよ。
そうじゃなくて、本当はもっと、変なことしたら罰金だとか、絶対許さないとか、そういうこと言おうと思ってたんだけど。
さやか「あっ、あぁ……ほ、ほら!僕ら昔一緒にお風呂入ったりしたことあったじゃないか!そんな感じで気にしないからさ!ね?」
恭介「うん……それなら、安心、かな」
それはそれでなんかもどかしいっていうか、少しくらい気にしてくれてもいいのに……
まさかあたし、女として見られてない?
いやまさか、そんなことあるわけ……ない、よね?
断言できないのが切ない。
どうなんだろう。
恭介「なんかあたしばっかり恥ずかしい思いしてる気がする」
さやか「そんなことないって」
恭介はあたしのことどう思ってるんだろう。
さやか「じゃあ、僕は帰るけど……いいよね?」
恭介「こうなったら仕方ない!覚悟決めるっきゃない!」
さやか「あっ」
恭介「まだなんかあるの?」
さやか「明日の学校は休むべきだよね?」
恭介「あぁ……そうだよね、まどか達に変に思われても嫌だし」
まどか、か……
まどかは今どうしてるだろうか。
昨日のことがショックで、一人で抱え込んじゃったりしてないだろうか。
まさか転校生に危険な目に遭わせられたりしていないだろうか。
少し不安になったけど、今のあたしには今度こそ本当に、どうすることも出来ない。
せめて、マミさんがいれば……
昨日は、この病院にグリーフシードが刺さってるのを見つけて、まどかがマミさんを呼びに行った。
あたしは代わりに残って、魔法少女になるかどうか考えてたら、ちゃんとマミさんが来てくれて。
それなのに——
さやか「明日は隙を見てここに来るよ。色々決めたりすることもあるだろうし、その方がさやかも安心できるだろ?」
恭介「ありがと、なんか悪いね」
マミさんは、魔女に食べられた。
思えば一瞬の出来事だったと思う。
虚を突かれた、って感じだった。
そう、苛めてるって言われた時のあたしみたいに、唐突に——
さやか「……それにしても、普通に歩けるのってなんだか久しぶりだな」
そういえばそうだった。
入れ替わったことが衝撃的過ぎて忘れてたけど、恭介は今、自分の意志で腕が動かせるようになってるんだ。
歩くのだって平気なんだ。
不思議というか、皮肉な話というか。
一生治らないと宣告されたその少し後には、もう動かせるようになってるんだから。
まあ、あたしの体だけど。
恭介「どんな感じ?」
さやか「うん、ちょっと懐かしい感じだよ。それに、腕が動くっていうのは、やっぱりいいよね……あっ、ごめん……つい嬉しくって……」
そっか、嬉しいんだ。
その言葉が聞けただけで、あたしは随分とほっとした。
何がどうなってこういう事態になったのかは分からないけど、あたしの体が恭介の役に立ってる。
それだけで、どこか嬉しくなった。
恭介「うぅん、いいの!あたしだったら腕の一本くらい動かなくても、どうってことないから!」
さやか「っ……あはは、そっか」
そして次の瞬間、すぐに血の気が引く。
さやか「じゃあ、僕はもう行くから。また明日ね」
恭介「う、うん……バイバイ」
扉が閉まるのと同時に、先程までのテンションはどこへやら、とんでもない罪悪感に襲われた。
よりによって恭介の体で、腕が動かなくて平気とか。
恭介「……馬鹿かあたしは」
一人になった部屋は静かで、思っていたよりもずっと広く思えた。
なんでこうなったのかとか、何であんなこと言ったのかとか、結局食事の時間まであたしは自問自答と自責を繰り返していた。
ちょっと休憩がてら今更諸注意とか
一人称はあまり書いたことがないのでキャラ崩壊と感じるかも
書き溜めがほぼ無いので即興
故にストーリーに破綻が見られる可能性あり
土日で書きあげるつもり
一応ハッピーエンドを目指すつもり
再開
展開予想とか横レスとかしたい人は別に好きにしてくれていいので
でも嫌な人が出てきたらやめてあげてくださいな
*上条恭介*
病院のガラス張りの窓を見ると、そこに映っているのは幼馴染のさやかだった。
今更という訳ではない。
さっきトイレに行ったときにも鏡はあったのだから、その時しっかりと認識していた。
しかし、こうして全身を眺めると、感想もまた変わってくるというものだ。
僕が思っていたよりずっと、今の体は小さかった。
昔はほとんど変わらなかったけど、中学生になってから僕は背が伸び始めた。
いつの間にかさやかを見下ろすようになっていたし、それをさやかが悔しがっていたこともあった。
長い間横たわって見ていたからか、さやかはもっと大きかった気がしていたのに。
それにしても、スカートはひらひらしていて全く落ち着かない。
風が少し吹き抜ける度に、歩みを止めてしまうほどだ。
こんなものを履きながら普通に歩いているさやかが、少し信じられない。
病院からとはいえ、さやかの家に通じる道は大体分かっていた。
僕の家のある方向とほとんど変わらないし、昔何度も言ったことがあるからだ。
右腕に鞄を持ち、一歩一歩アスファルトを踏みしめ、左手に目を落としながら歩を進める。
僕は今、歩いてるし、鞄も持てる。
腕は治らないと言われて、歩くこともままならなかったこの僕がだ。
さやかの足と腕だけど、ちゃんと自分の意思で自由に動かせている。
不思議だな。
今まで当然のように出来てたことができなくなって、絶望のどん底に突き落とされたと思ったら、また出来るようになった。
なんでこうなったのか全然わからないけど、僕はこれをどう受け止めればいいんだろう。
今は少しだけ嬉しいけど、やっぱり単純には喜べないよな。
あくまでこれはさやかの体。
仮の体。
いずれ僕の意識はちゃんと僕の体に戻っていくんだろう。
そうなったら、結局僕はまたあの状態に……一生動かない腕の体に戻るんだ。
仕方がない、と諦めるしかないのだろうか。
元々あれが僕の運命だったんだ、と。
だけど……
さやか「そう簡単に納得できれば苦労はしない」
僕は嫌な人間だ。
さやかの家に着くと、僕はいつもの癖でインターホンを押して待っていた。
出てきたさやかのおばさんからは、何やってんのと軽く叱られた。
昔来た時と変わらない、懐かしい家。
玄関に掛けてある絵も変わっていないし、テーブルの配置も絨毯も、ほとんど変わっていなかった。
さやか母「何やってんの。ご飯だから、さっさと着替えてきなさい」
さやかの部屋も覚えている。
少し戸惑いつつも、思い切ってドアを開けると、以前来た時とほとんど変わらない様子だった。
少し散らかっているところまで、昔と一緒だ。
さやか「さて、着替えろって言われたけど……」
それはつまり、服を脱げということ。
さやか「……さやかごめん!」
来たことも触ったこともない制服を手探りで脱いでいく。
リボンにすら手こずり、ブレザーを脱いでブラウスのボタンを外していく。
確かスカートはファスナーを降ろすだけだ。
気が付けば、下着姿のみになっていた。
さやか「……いや、さやかだから大丈夫……大丈夫のはず……」
病室を出る前の狂乱っぷりを見るに、多分怒るだろうけど。
あまり箪笥の中を探ることはしたくなかったが、部屋着がどこにあるのか分からなかったので、とにかく目星を付けてひたすら開けていった。
さやか母「随分時間掛かったわね」
さやか「あはは、そうですかね」
さやか母「何よその口調」
さやか「いえ、なんでも……」
結局着替えるだけで20分以上かかってしまった。
さやかのおばさんの料理は、何度か食べたことがある。
特に何が上手だったという記憶があるわけではないが、醤油味の濃い卵焼きはなぜか印象に残っていた。
さやか「ごちそうさまでした」
さやか母「……あんた、なんかやましいことでもあるの?」
さやか「えぇ!?いや、全然ないですよ!?」
流石母親と言うべきか、何かを感じ取ったのだろう。
さやか母「ふーん……まあいいけどね。次のテスト、期待してるわよ」
バレなかった、のだろうか。
違和感を覚えても、まさか僕とさやかの中身が入れ替わってるなんて思うはずもない、ということか。
ほっと一安心して、とりあえず部屋で考え事でもしようと思った矢先、
さやか母「早く風呂入っちゃってよ」
とんでもない発言が投げつけられた。
格闘すること10分。
部屋に戻り下着を探すのに3分。
どうやって外せばいいのか分からなかったブラジャーを脱ぐのに7分。
結局適当に上から脱ぐことで解決した。
目を閉じ、念のため上を向きながら体を洗う。
それでも手の先に当たる色々と柔らかい感覚はどうしようもなく、シャワーを流していても心臓の音が聞こえるほどバクバクしていた。
さっさと洗ってさっさと出ようと思った。
いくら幼馴染だからと言って、異性に裸を見ても見られても良い道理はないはずだ。
さやか「……何も言うまい。ただ無心……そう、無心であるべきなんだ」
しかし、こうやって目を閉じ耳を塞げば、それだけ体の感覚が研ぎ澄まされていく気がする。
体を包む湯の動きが、より一層さやかの体であることを実感させた。
さやか「無理だよっ!!」
そう、無理なのだ。
こうなってしまえば、もうさやかの体を意識することしか出来ない。
昔一緒に遊んだ幼馴染は、いつの間にか女の子になってしまっていたのだ。
さやか「あぁぁぁぁぁさやかになんて言おう……黙ってても絶対聞いてくるだろうしなぁ……」
何分くらいそうしていたのかは覚えてない。
出ようとして立ち上がった時、全身から力が抜け、世界が反転するような感覚に見舞われた。
ただの立ちくらみだったのだろうけど、僕は少し嫌なことを思い出してしまった。
またいつか、僕は歩けなくなってしまうのだろうか……
さやか「……今は気にしてもしょうがないか」
その後脱衣所に立って、ブラジャーの付け方が分からず湯冷めするまで格闘していた。
僕は携帯電話を持ってない。
持っていたけど、病院内で使う機会もないから入院中は解約しているのだ。
したがって、今さやかに連絡する手段はない。
本当はもっと話し合い、これからどうするべきなのかを決めていった方が良かったのだろう。
しかも僕が今さやかの体である以上、僕はさやかの普段通りの生活をしなければならない。
なおさら普段どうであったかを指南してもらいたい、というのに。
さやかの両親は共働きで、二人とも遅くまで仕事をしていることは珍しくない。
今日のように早く帰宅する方がよっぽど珍しいと、さやかは口にしていた。
それがよりによって今日だとは、なんともついてない。
さやか「まあ、仕方ないか。今日は早く寝てしまおう」
電気を消し、ベッドに横たわって見上げれば、今までの見慣れた景色とは全然違う天井だった。
当然といえば当然なのだが、なんとも言い難い、懐かしい気分に引きこまれた。
左腕を伸ばせば、暗いけれど確かにそこにあることが分かる。
柔らかくて、細くて、簡単に壊れてしまいそうなさやかの腕。
それが今は僕の腕になっている。
さやか「だからって、僕が自分の腕のように使うのは、何か違う」
きっと何でも出来る腕。
だからこそ、何もしてはいけないのだ。
何かをすればきっと、元の体に戻った時にあの時以上の絶望が待っているだろうから。
言い聞かせるように呟きながら、僕はさやかの匂いに包まれながら眠っていった。
*美樹さやか*
ご飯を食べてからも、あたしはずっと考えていた。
結局、あたしは恭介のことを何にも分かってなかった。
あたしが良かれと思ってやってたことは、恭介にとって迷惑でしかなかったのだ。
だから今度こそ覚悟を決めて、恭介のために腕を治そうと、願い事をしようとしたのに。
気が付けばあたしは恭介の体にいた。
それならそれで、他にあたしに出来ることもあるだろうに、よりによって最低の言葉を、あっさりと言ってしまうなんて。
恭介「ほんとに無神経だなぁ、あたしって。恭介の体なのに、腕が動かなくて平気とか大丈夫とか……馬鹿じゃないの!」
この体で何が出来るんだろう。
恭介のことだけじゃない。
まどかがもしマミさんのことで落ち込んでたりすれば、あたしはいつも以上にいつも通りにしていなきゃダメなのに。
恭介「はぁ……考えがまとまらないや。病院って静かだから考えるのには向いてるのかと思ったけど、そうでもないのかな」
感覚のない左腕を持ち上げ、マジマジと見つめる。
揺さぶってみても、手を離して落としてみても、やはり何も感じられなかった。
恭介「何よ、あたしの魂が入ってんなら今までのあたしみたいに動きなさいよ」
全く、誰がやったのか知らないけど、魂が入れ替わるなんて奇跡はいらないから、恭介の腕を治してよ。
あたしと恭介の腕を交換するのでも何でもいいから、恭介を助けてよ。
恭介「はぁ……ま、ひょっとして朝起きたら元に戻ってるかもしんないし……もう寝よっ」
頭の中はぐるぐるごちゃごちゃしたまま、いつの間にかあたしの意識は深い闇に落ちていた。
次の日、恭介があたしの部屋に来たのは9時くらいだった。
昨日と全く同じ服装、つまりは制服姿で現れた。
さやか「こんにちは」
看護師「あら、お見舞い?学校はいいの?」
さやか「いや、えっと……ちょっと体調崩してまして、診察を受けに来たついでって感じです」
看護師「そうなの?まあいいわ、あんまり時間ないけど」
さやか「あぁ、分かりました」
看護師「じゃ、私はこれで」
看護師さんが出ていき、恭介は椅子を寄せてあたしの枕元に座る。
その顔は、昨日より少しだけ明るいように感じた。
今日もいい天気だ。
さやか「おはようさやか」
恭介「あぁ、おはよう恭介……」
一方あたしは最悪のテンションだった。
さやか「眠れなかったのかい? なんだか元気がないようだけど」
恭介「寝不足、ね……昨日は早めに寝たせいで、意外とぐっすり快眠だったよ」
さやか「ならなんで——」
恭介「さっきトイレに行きたくなったの」
さやか「……あぁー」
どうやら事情を察してくれたらしい恭介は、うんうんと何度も頷いていた。
恭介「もうお嫁に行けない……」
恭介の体は、思っていたより自分一人では何もできない状態にあるらしかった。
人によっては全然そんなことはない、むしろ軽いなんて言う人もいるだろうけど、あたしにとっては違う。
本当に何も出来ない子猫ちゃん状態だったんだから。
さやか「分かるよ、さやかの気持ち……初めての時は、なんで自分はこんなこともできないんだろうって嫌になるよね」
恭介「そうそれ!なんであたしが、ってなるよね!」
さやか「ははっ、僕も慣れるまでは時間がかかったなあ」
共通の悩みを言うことが出来たからか、少しだけ気持ちが軽くなった。
悩ましいことはいっぱいあるけど、今はこれだけでも十分だ。
恭介「それより、なんで制服で来たのよ?」
さやか「いや、あんまりさやかのクローゼットとか開けるのは悪いかなって思って……着こなし方とか分かんないし」
恭介「なるほど、制服なら大丈夫ってことね」
さやか「まあね。さやかのおばさんには風邪って言ったら結構すぐ信じてくれたよ。昨日ちょっと変だったからかもしれないけど」
恭介「母さんってたまーに勘がいいからねー。気を付けなよ」
さやか「それより苦労したのは……いや、ごめん、なんでもない」
恭介「ブラジャーでしょ?」
さやか「ゲッ!なんで分かったの!?」
そりゃそうだ。
男子が女子になって苦労することと言えば、まずそこだろうと思ってた。
恭介「うすうす覚悟はしてたからね……着け方とか分かんないだろうなって」
さやか「まさにその通りだよ……参ったな」
恭介「まさか、今は着けてないなんてことないよね?」
さやか「いや、流石にそれはまずいと思って、その……頑張ったんだけど」
恭介「ふーん、そっか……で?」
さやか「で?」
恭介「揉んだの?」
さやか「はぁ!?」
恭介「だから!あたしのおっぱい揉んだのか聞いてんのよこの変態っ!」
さやか「勝手に変態扱いしないでくれよ!」
恭介「怒らないから正直に答えなさい!眠れなくなるくらい揉みくちゃにしたのか聞いてんの!」
さやか「だからそんなことしてないって!」
恭介「ほんとに?バイオリンの神様に誓えるんでしょうね?」
さやか「誓えるよ!」
恭介「……ほんとに?」
さやか「……」
数十秒の沈黙の後——
さやか「……ちょっと触れた」
ぽつりとつぶやいた。
恭介「あ、そう……それはそれで……」
さやか「ごめん……」
昨日ほんの少しだけ思ったこと。
ひょっとして恭介は、あたしのことを女子として見てないんじゃないかという疑問。
少しだけ信憑性を帯びてきた予感。
恭介「はぁ……まあ、覚悟してたことだし……しょうがない、よね」
さやか「ごめん」
恭介「怒らないって言ったでしょ?これからは存分に揉みしだいてくれて構わないからね!はっはっはっは!!」
恥ずかしい気持ちを知られないようになんとか笑い声を作ってみた。
さやか「……」
恭介「はっはっは……」
当然というか、簡単に見破られていたのか冷めた目で見られていた。
恭介「……あのさ、あたしの代わりになってくれるのは嬉しいんだけど、椅子に座ったら足閉じてくれる?見えてるから」
さやか「え!?ご、ごめん!」
恭介「もう、少しは女子になったって自覚してよね!」
さやか「そうだね。少し気を付けるよ」
恭介「うんうん、頑張りたまえよ!」
なんだか昨日よりは余裕が出てきた気がする。
そうやって笑い合っていたのも僅かで、恭介はすぐに真面目な顔になった。
分かってる。
いつまでもこのままじゃいけないってことは。
さやか「僕達、これからどうなるのかな」
恭介「……」
さやか「なんとか元に戻る方法を探さないとね」
そうだ、元に戻らないと。
でも、そうしたら恭介の腕はまた……
いやいや、そんなことを考えてる場合じゃないんだ。
ずっとこのままでいいはずがないんだ。
恭介「ちょっと思ったんだけど、こういう時の定番って、入れ替わった時と同じことをすればいいんじゃない?
例えば一緒に階段を転げ落ちたら、また一緒に転げ落ちる、みたいな」
さやか「そっか、そういえばそんな感じかもしれないね」
恭介「だから、あたしらも同じこと試してみようよ!」
さやか「昨日入れ替わった時と同じことをするってことは……」
恭介「確か、恭介がCDプレーヤーを叩いた後だったよね」
さやか「あ、あぁ……そっか、そうだったね……そうなると、またCDプレーヤーが必要になってくるのかな」
恭介「CDプレーヤーか……ごめん、あたし持ってないや」
さやか「僕も昨日のだけで……父さんに相談すれば買ってくれるかもしれないけど……」
恭介「けど?」
さやか「壊すためだけに買ってもらうのって、どうなんだろう」
ごもっともな意見だ。
今から壊すからこれ買って、なんてどこの子供が簡単に言えるだろう。
すぐにバレるだろうし、あまり他人に知られたくないことだから猶更頼みにくい。
恭介「だれか使わないCDプレーヤー持ってたりしないかなぁ」
さやか「今の時代、持ってる人が少ないからね」
恭介「そうだよねぇ」
誰も彼もが、コンパクトな音楽プレーヤーを持ち歩く時代に、MDよりも大きいCDプレーヤーを持っている人が何人いるだろう。
あたしの貯金を切り崩せば、あるいはいけるのだろうか。
さやか「別のもので代用できないかな。例えば機械とか丸い物とか、そういうのでさ」
恭介「機械でいいなら、うちに何かあると思う……それこそプレーヤーとか」
丸い物なんて、それこそCDがある。
正直気乗りする話じゃないけど、この際仕方ないことなのだと割り切るしかない。
さやか「でも、壊せるかな」
恭介「あっ」
さやか「昨日は、その……正直自棄になってて、自分でも結構力が入ってたと思う。だから、普通に壊すのは難しいかも」
恭介「んー、あたしの頑張り次第かぁ」
さやか「あの、それなんだけど——」
恭介「ちょっと自信ないけど、恭介に支えてもらえば案外なんとかなるかもね」
さやか「さやか?」
恭介「ほら、あたしじゃうまく動かせないから……」
あぁ、あたしってば、またやっちゃった。
うまく動かせないなんて言って、それじゃあ恭介の腕がやっぱり駄目なんだって言ってるようなものなのに。
こんなところで強がったって何の意味もないけど、せめてこれ以上傷つけないようにすることは出来るはずなのに。
恭介は何か言いたそうにしてたみたいだけど、押し黙って自分の手を眺めていた。
これは、完全に失敗した。
窓からはさっきからさわやかな風が入ってくるのに、ここは重苦しい空気が支配していた。
左腕どころか、右腕だって簡単に動かせないほどに。
さやか「僕、一回家に帰るよ」
恭介「えっ」
さやか「ほら、CDとか探したいし。コピー用のCDとか置いてない?」
恭介「えっと、多分あったと思うけど」
さやか「とりあえずはそれで代用しよう。プレーヤーはとりあえず考えないようにして、CDだけで試してみよう」
そう告げるなり、恭介はスカートをはためかせて立ち上がると、鞄を持って出ていこうとした。
恭介「恭介!」
さやか「ねえさやか」
ドキッとした。
さっきまでとは全然違う、あの雰囲気よりもずっと思い声だったから。
さやか「さやかは、CDを割るくらいで元に戻れると思う?」
恭介「え?どうだろ、試してみないと……」
さやか「僕はね、まだ無理だと思うんだ」
あっけなくそう言った。
さやか「どんな奇跡、いや、呪いが起こってこうなったのかは分からない。でも、そういうことが簡単に元に戻るなんて思えない
でも、僕の体は不便だし、さやかが戻りたいならその少しの可能性にも賭けてみるべきだよね」
恭介「——ッ!」
何を言ってるの?
あたしが戻りたいなんて、いつ言ったの?
この体が不便だなんて、はっきり言った?
違うよ恭介。
そんなことないよ。
むしろあたしは、このままでもいいと思ってるんだよ。
さやか「それにほら、さやかはもうすぐリハビリの時間だから」
恭介「リハ、ビリ?」
そういえば看護師さんがそんなこと言ってたような気がする。
でも、なんで今そんなこと言うの?
さやか「かなりきついから覚悟しておいた方がいいよ」
恭介「そ、そんなに?」
さやか「さやかは今僕の体に慣れてないだろうから、余計に大変だろうしね。じゃ、少しだけ帰ってくるよ
後でまた来るから、その時に少し話そう」
そして恭介は出ていった。
あたしはただ、否定も出来ず、引き止めることも出来ず、ただここにいるだけだった。
その内看護師さんが来てリハビリ室に連れて行かれるまで、恭介の言った言葉が頭から離れなかった。
謝ろう。
今までずっとCDを渡してきたこととか、恭介の前で腕が使えなくて平気とか言ったこととか、全部だ。
謝れば……謝れば許してくれるの?
許してもらえれば、あたしは満足なの?
何にも分からない。
でもあたしは、恭介を傷付けてたんだから、やっぱり謝らなきゃならないんだと思う。
ごめんね恭介。
あたし本当は、元に戻らなくてもいいかもって思ってるんだよ?
いったん休憩、というか寝る
QBの扱いどうしようかな
ざっぱな着地点しか見えてないけどきっとなんとかなるはず
再開
*上条恭介*
鍵を使って他人の家に入るというのは、少し新鮮なものだ。
さやかの両親は既に仕事に出かけており、当然この家には誰もいない。
幼馴染の家に、僕一人。
恭介「……帰ってきちゃった」
そう、つい帰ってきてしまった。
こんな状態なんだから、少しでも冷静にしなければと思ってたのに。
さやかが入れ替わった時のことを話した時、僕は謝ろうと思った。
昨日は完全に自棄を起こしていた。
きっと昨日の自分の傍に人がいたなら、さやかでなくとも、例え両親だったとしても噛みついていただろう。
正直に言えば——
さやかに言った気持ちが本心でないとは言えない。
でもそれが全てじゃない。
さやかが持ってきてくれた音楽に励まされることだってあった。
僕のことを理解してくれる友人として、一緒にいて楽しかったこともあった。
だから昨日の非礼を詫びようと思ったんだ。
さやかはずっと、僕のためを思って支えようとしてくれていたのに。
それがどうしたことだろう。
腕を支えてくれと言われた時、胸の奥で何かが引っ掛かった。
またあの体に戻るんだ。
一生動かない左腕を抱えたまま。
ただ曲を聴くことしか出来ない、バイオリンの弾けない、あの体に。
そう思った瞬間、僕は口を閉じていた。
少しだけ怖くなったんだ。
今は動いているこの腕が、また動かなくなることを。
そんなことは分かっていたはずなのに、いざ目の前で、戻る可能性の話をしていると、じわじわと心が浸食されていくのが分かった。
あの部屋にずっといれば、きっと僕は耐えられなくなる。
醜い部分を全部さやかにぶち撒けながら、いろんなものを傷付けてしまいそうだった。
だから僕は、適当な理由を付けて出てきてしまった。
完全に適当ってわけじゃないけど、それは些細だ。
さやか「はは、自分で言うのはやっぱり辛いな……不便な体って」
さやかはきっと戻りたいと思っているだろう。
誰だってあんな体じゃ嫌に決まっている。
僕がやるべきことは、自分の運命を受け入れることなんだ——
さやか「うっ……くそぅ……なんで、僕なんだよ……」
あぁ、駄目な奴だ僕は。
頭では分かっているのに、心が受け付けない。
そう、誰だって嫌なんだ。
僕だって腕が動かない体なんて、本当は嫌なんだ。
でも、あれは僕の体。
魂とか精神とかはよく分からないけど、きっと元あるべきところに戻るのが摂理なんだろう。
さやか「あぁっ、あぁぁあぁぁああぁっ!!」
誰もいないのをいいことに、声を荒げて泣いた。
さやかの体だとか、声だとか、そんなこと忘れるくらい叫び泣いた。
さやかはきっと戻りたいと思っているだろう。
誰だってあんな体じゃ嫌に決まっている。
僕がやるべきことは、自分の運命を受け入れることなんだ——
さやか「うっ……くそぅ……なんで、僕なんだよ……」
あぁ、駄目な奴だ僕は。
頭では分かっているのに、心が受け付けない。
そう、誰だって嫌なんだ。
僕だって腕が動かない体なんて、本当は嫌なんだ。
でも、あれは僕の体。
魂とか精神とかはよく分からないけど、きっと元あるべきところに戻るのが摂理なんだろう。
さやか「あぁっ、あぁぁあぁぁああぁっ!!」
誰もいないのをいいことに、声を荒げて泣いた。
さやかの体だとか、声だとか、そんなこと忘れるくらい叫び泣いた。
病室の扉を開けると、朝よりさらに憔悴した自分がいた。
中身はさやかだけど。
さやか「大丈夫かい」
恭介「あぁ、おかえり……もうね、さやかちゃん参っちゃったよ……」
さやか「リハビリ、大変だっただろう」
恭介「何をどうすればいいのか全然分かんないのにさ、いきなりなんて出来るわけないじゃん!恭介ほんとに毎日やってたの!?」
さやか「毎日やってたよ」
恭介「凄すぎ……名前なんて言ったかな、あのゴリラみたいな人……あの人見た目ほど怖くないね」
さやか「あはは、あの人は以外と優しいからね」
恭介「それで、どうだった?CDは見つかったの?」
さやか「いやぁ、それが探してみたんだけど見つからなくて……」
恭介「そう、なんだ……なら、仕方ないね」
顔は笑っているけど、心なしか声は残念がっているように見える。
期待していたのだろうか。
……いや、変に考えるのはよそう。
どれくらいそうしていたか分からないが、気が付けば僕はフラフラと立ち上がって冷蔵庫を開けていた。
泣き疲れたのか、胃が食事を求めている。
自分でも情けない限りだと思う。
しばらく中を眺めていたが、思えば僕は料理なんてしたことがない。
結局お湯を沸かし、棚を漁り、カップ麺を作るくらいしか出来なかった。
食べ終わった僕はようやく本来の目的であるCDを探した。
といっても、幼馴染とはいえあまり人の家を探し回ることはしたくなかったので、早々に切り上げてしまった。
さやかには無かったと言えばいい。
そう、無かったんだから仕方ないんだと。
なんのために帰って来たのか分からないが、僕はまたなにも持たずに病院に向かった。
いや、意味はあったのだろう。
逃げて来たんだ。
あの状況に耐えられなかったから。
さやかにどんな顔を向ければいいんだ——
さやか「今日はまだ戻れないだろうから、今のうちに色々決めておかないとね」
恭介「色々って?」
さやか「ずっと学校休むわけにもいかないだろ?風邪でこのまま押し通すわけにもいかないし」
恭介「そっか、そうだよね……」
さやか「出来るだけ大人しくしてるつもりだけど、変なことしないように最低限の身の振り方は考えておいた方がいいと思うんだ」
恭介「例えば?」
さやか「例えば……友達の呼び方とか、食事方法とか」
こうして僕達は、しばらくさやかの普段の行動を思い出してもらいながら、さやからしく振る舞えるよう思案した。
簡単にバレないようにというのは、僕の演技に懸かっているわけだ。
特に気を付けないといけないのは、鹿目さん達への接し方と、新しく来た転校生への接し方だろう。
鹿目さんと志筑さんは昔からの友人だし、下手をすれば何かおかしいことにすぐに気付かれてしまうはずだ。
さやか以外の女子を下の名前で呼ぶ経験はほとんどないから、そこが少し気恥ずかしいけど。
そして転校生の暁美ほむらさんという人。
彼女とは少し仲が良くないらしく、あまり話さない方がいいということだった。
暁美さんのことを語っている時のさやかは、不機嫌そうな、それどころか、敵意に満ちた表情をしていた。
普段怒る時は怒る、むしろ喧嘩っ早いところがある方だとは思っていたが、ある種憎しみに似た顔を見せたのは、初めてかもしれない。
ただ、この顔を昨日僕がしていたのかもしれないと思うと、少々複雑だった。
恭介「それから……」
さやか「ん?」
恭介「ごめん、やっぱなんでもない」
さやか「なんだよ、気になるじゃないか。少しでも疑われないためにも、情報は欲しいんだけど」
恭介「……少し前に、先輩と仲良くなったの。巴マミっていう人。あたしとまどかだけなんだけどね、マミさんって呼んでた」
知らなかった。
転校生のこともだけど、学校のことはよく話してくれてたさやかが、この二人については今まで口にしたことがなかった。
だから、さっきも僕は驚いていた。
恭介「その人、ちょっと訳あって居なくなっちゃって……だから、まどかの前であんまりマミさんのことは言わないであげて
聞かれても、できるだけ何も言わないようにした方がいいと思う。きっと、ううん、絶対悲しませるから」
さやか「巴マミさん、か。分かった、あまり言わないようにするよ」
それにしても、さやかが先輩と知り合いになることがあるなんて、珍しいものだ。
さやかは部活に入っていない所謂帰宅部だから、先輩と係わる機会なんてほとんどないはずなのに。
さやか「その人とは、どうして知り合ったの?」
恭介「っ……えっと、なんていうか……そう!落し物!!拾ってもらって、そっから仲良くなったの!」
さやか「へぇ、そうだったんだ。いなくなったっていうのは、転校?」
恭介「マミさんは……」
さやか「あ……まさか、事故に遭ったとか……」
恭介「違う違う!転校しちゃったの!恭介大正解!!」
さやか「なんだ、びっくりしたよ」
恭介「ふっふっふ、クイズ番組によくある溜めだよ溜め!」
さやか「いつからクイズが始まってたんだか」
恭介「とにかく、そこんとこよろしく!」
それからしばらくなぜか演技指導をされていると、僕の体の二度目のリハビリをする時間になった。
歩くことは、リハビリをしていればそのうちできるようになると言われた。
ただ腕だけが、絶対に思い通りに動かせない。
看護師に押されて出ていく自分の体を見送り、僕は病院を後にした。
僕の体でさやかが頑張っているけど、今は耐えてもらうしかない。
昨日と全く同じ道を辿り、僕はさやかの体でさやかの家に向かう。
明日までに元に戻らなければ、僕は学校に行かなければならない。
久々の学校。
久々に会う友人、クラスメイト、先生達。
みんな"美樹さやか"が登校してきたと思うはずだ。
ただし、中身はしばらく学校と縁のなかった僕なのだ。
さやか「できれば、自分の足で登校したかったな……」
そう思うのは、贅沢なのだろうか?
まどか「あれ、さやかちゃん?」
体中がびくりと震え、心臓が弾けそうなほど膨らんだ。
まさか声を掛けられるとも思わず、身構えながら声のした方を振り返る。
会うとしても明日になるだろうと思っていたから、このタイミングは完全に不意打ちだった。
僕も知っている、さやかの友人の鹿目まどかさんと志筑仁美さんがそこにいた。
まどか「今日は風邪だって言ってたよね?平気なの?」
仁美「私達、これからさやかさんの家にも寄ろうと思ってたんですのよ」
そうか、お見舞いという可能性もあったのか。
少し考えが甘かった。
さやか「いや、あの、その、病院に……そう、病院!薬とか貰いに行ってた!」
仁美「制服で、ですか?」
さやか「それは、えっと、なんとなく……」
まずいことになった。
問題ないと思っていた制服が、まさかこんなところで障害になるとは。
体のいろんなところから汗が噴き出しているのが分かる。
胸のあたりも少しじっとりしてきたし、なんだか息苦しさも感じる。
まどか「でも、元気そうで良かった」
仁美「そうですね。本当だったら私達の方がよっぽど休むべきでしたのに」
まどか「あはは、昨日は大変だったね」
さやか「昨日?何かあったの?」
仁美「それが、私達夢遊病っていうのか。それも同じような症状の方が大勢いて、気が付いたらみんなで同じ場所に倒れていたんですの」
さやか「夢遊病!?」
まどか「それで病院とか警察とかで遅くまで大変だったんだよ。ママたちにも心配掛けちゃったし」
仁美「お医者様は集団幻覚だとか何とか……これから二人で精密検査に行くはずだったんですの
さやかさんのお見舞いは、そのついでですわ」
さやか「あははは、ついでって……そんな状態で学校行ってて大丈夫だったの?」
仁美「ダメですわ。それではまるで本当に病気みたいで、家の物がますます心配してしまいますもの」
まどか「私も、あんまり心配掛けたくなかったし……」
さやか「二人とも偉いなー。これじゃああたしが軟弱者みたいじゃん」
自然と「あたし」という言葉が出てきていた。
さやかの指導のおかげだろうか。
まどか「じゃあ、あとでお見舞い行くから」
さやか「い、いいよそんなの!見ての通り元気だし、ここで会えたわけだし。二人こそゆっくり休んだ方がいいって!」
まどか「でも……」
仁美「まあ、確かに元気そうですわね」
さやか「うちまで来てたら暗くなっちゃって大変だろうし、また明日学校で会えるし。大丈夫だよ」
仁美「では、また明日ということで」
まどか「うん、そうだね。ばいばーい」
さやか「ばいばい……」
二人が僕の来た道を戻っていく。
ということは、さやかのいる病院に向かっている可能性がある。
この辺りで大きい病院はあそこしかないから、ほぼ間違いないだろう。
さやか「今からさやかに注意を……いや、追い付けないか」
何かの間違いで僕のお見舞いに行ったりしないことを祈るしかない。
まどか『さやかちゃん』
さやか「うわぁ!?」
その時突然、脳内に声が広がった。
鹿目さんの声が、遠くに見える背中からではなく、耳から直接話しかけられるように響き渡った。
さやか「か、鹿目さ……じゃなくて、まどか?どこから?電話?」
まどか『さやかちゃん?どうかしたの?』
さやか「まどか?この声、なんで?」
まどか『……え?そんなっ、どういうことなの!?……ごめんさやかちゃん、またね』
さやか「いや、あの……」
それからしばらく黙って待っていたのだが、声が聞こえてくることはなかった。
一体あの声はなんだったのだろう。
幻聴?
それにしてははっきり聞こえ過ぎていた気がする。
訳が分からないまま、僕は帰路に就こうとした。
ほむら「美樹さやか」
本日、連続して三回目の不意打ちを喰らった。
次から次へと、僕の心臓を痛めつけるように横から後ろから、あるいは上から声を掛けてくる。
突然現れたのか、気配でも消してずっとそこにいたのか、ただ僕が気付かなかっただけなのか。
とにかくいきなりそこにいた。
この子は一体誰なんだろう。
見滝原の制服を着て、陰に溶けそうな黒い髪を靡かせる、眉目秀麗な少女だ。
こんな子は今まで見たことが無かった。
そうなると思い当たる節は、さやかと仲の悪い転校生。
暁美ほむらさんくらいだ。
ほむら「少し話があるのだけれど」
さやか「……何か、用?」
かなり仲が悪いと聞いていたけど、物腰はかなり静かだ。
さやかのことだから、何か突っ走ってやらかしたんじゃないかという可能性もゼロではない。
僕は当事者じゃないから詳しいことは分からないけど、なるべく穏便に済ませておきたいところだ。
ほむら「あなた、契約するつもりはないのね」
契約?
契約って何のことだ?
さやかと暁美さんの間に、一体どんな契約が取りなされようとしていたのだろう。
この場合どうするのが正解なんだ。
ほむら「するつもりがないのならそれでいいわ。自分が大事なら、もうこの世界に関わることはやめなさい」
助かった。
恐らくこの子は契約とやらをしてほしくない立場にあるらしい。
逆に言えば、さやかは何か契約をしたがっていたということになるが、それはまた後日聞けばいい。
何にしても今は黙ってやり過ごせればそれに越したことはない。
ほむら「……反論はないみたいね。いいわ、まどかにもそう伝えておいてもらえるかしら」
さやか「分かった……伝えればいいんだね」
何の話かは知らないが、鹿目さんも絡んでいるということか。
どうやらさやかに聞かなきゃならないことが出来たようだ。
暁美さんはそれ以上何も言わず、どこかへ消えていった。
本当に少ししか話をしなかったが、僕は疑問が増えるばかりだ。
なぜさやかはこのことを話してくれなかったのだろう。
そりゃ誰だって秘密にしたいことくらいあるだろうけど、結構大事な話だったのではないか。
鹿目さんも巻き込んでいる話だとすれば、なおさらその話を振られた時の対処法がない。
今から病院に戻るべきだろうか。
しかし——
さやか「鹿目さん達もまだいるだろうし、鉢合わせしたらまずいかな」
僕はさやかの家へと足を向けた。
*美樹さやか*
リハビリは想像以上に辛かった。
ただでさえ慣れていない別の人間の体の上、その腕や足までも自分のものではないように感じらたからだ。
看護師さんやスタッフさんは、恭介が腕が動かないショックでリハビリに熱が入っていないんだと認識しているみたいで、あたしとしても今はそう思ってくれた方が有難かった。
恭介がCDを見つけられなかったと言った時は、実は少しほっとした。
これでまだ考える時間が増える。
元に戻らなくても大丈夫……
あたしはもし一生このままでも、良いかもしれないと思っている。
恭介はバイオリンが無いと生きていけない。
そのためにあたしの体が必要なら、喜んで使ってくれていい。
普通の人からしたら考えられないだろう。
あたしだってどうかしてるんじゃないかと思う。
でもあたしは、あの時の恭介を見ていた。
絶望して自分の体を傷付けることに躊躇いすらなかった恭介を。
あのままだと、きっと恭介は壊れてしまう。
そうなる前に、なんとかしてあげたかった。
恭介が女の子として生きていくのは嫌かもしれないけど、バイオリンが演奏できないのとどっちが辛いと言うだろうか。
聞いてみないと分かんないけど、多分バイオリンって答えると思う。
それならこの状態はアリなんだよ。
奇跡に頼る前に起こった奇跡なんだ。
元々あたしだって、恭介がバイオリンに全てを捧げるために、命懸けで戦うつもりだったんだ。
魂が入れ替わるくらい、どうってことない。
この体でも生きていけるように、あたしもリハビリを頑張らないと……
キュゥべえ『僕の声が聞こえるかい』
ふわりとカーテンが舞い、部屋の空気が変わる。
西日が部屋に差し込んで鉄格子の影を布団に落とすが、そこに獣のような影が一つ。
恭介「キュゥべえ、なの?」
白い兎のような猫のような、不思議な生き物があたしを見下ろしていた。
キュゥべえ。
魔法少女の契約を結ぶ謎の生き物。
魔法少女は、願い事を叶えてもらう代わりに、魔女という化物と戦う使命を負うことになる。
マミさんは魔女に負けた。
だから死んだ。
転校生は魔女を倒した。
だから生きてる。
キュゥべえ『僕の声が聞こえるということは、君の魂には素質がある』
そうだ。
あたしはたった一度の奇跡を願おうと決めていた。
恭介が錯乱した時、あたしの命を懸けて恭介の腕を治すつもりだった。
その後の事件で忘れていたけど、まだ何かを諦めるのは早い。
恭介「キュゥべえあたしが分かる!?美樹さやかだよ!」
キュゥべえ『そうか、やっぱり君の魂はさやかのものなんだね。ということは、さやかの体にあった魂はその体の持ち主の物かな』
恭介「恭介に会ったの?」
キュゥべえ『まどかと一緒にいたら偶然見つけたよ。ただ、僕を見ても反応が無かったし、声を掛けても無視をされた
不思議に感じてよく見れば、魂がさやかのものじゃなかったんだ。それなら僕の存在に気が付かないのも当然だよね』
恭介「じゃあ、一応魔法少女のことはバレてないんだ……良かった」
キュゥべえ『ところが残念だけど、まどかが頭の中で呼びかけてしまったんだ』
恭介「は、はぁ!?」
キュゥべえ『僕が止めたのはまどかが声を掛けた後だった。僕が事情を説明したら、やめてくれたけどね』
恭介「事情って……」
キュゥべえ『あれはさやかの体だけど、魂はさやかのものじゃない気がするから、迂闊に会話しない方がいいってね』
最悪だ。
よりによってこんなに早くまどかに知られることになるなんて。
それだけじゃない。
恭介も下手したら魔法少女の存在に気付いてないまでも、あたしが隠し事をしてたことに気付いただろう。
なんて説明すればいいの……
いや待って、それよりあたしは確認しなきゃならないことがある。
恭介「ねえキュゥべえ、今のあたしって契約できるの?」
もしできるのなら、この状況を脱することが出来るかもしれない。
腕を治すか、元に戻すか、あるいは二つとも叶えられる願いがあるかもしれない。
ところが、キュゥべえが付き付けるのは残酷な事実。
キュゥべえ『残念だけどさやか、今の君は契約することが出来ない』
恭介「なんでよ!?あたしが、恭介の体だから!?」
キュゥべえ『そもそも人と人の魂が入れ替わるだなんて前例、未だかつて存在した事が無い。
それなのに、僕達が魔法少女の契約を行ってしまうと、どのような副作用が起こるか分からないんだ』
恭介「副作用って何よ」
キュゥべえ『例えば魂と体の波長が合わずどちらかが壊れてしまう可能性が起こり得る。あるいは、魂を取り出した瞬間機能しなくなる可能性』
他にも、とキュゥべえはツラツラとあらゆる可能性を述べていく。
理由はともかく、今のあたしは契約することが出来ないんだ。
だったら、今のあたしには何が出来るの?
キュゥべえ『悪いけどさやか、君を魔法少女にすることは今の僕には無理だ。なんなら、まどかに頼んで元の体に戻してもらうというのはどうだい?
そうすればさやかは願い事を叶えて魔法少女になることが出来る。僕としてはそのほうがいいと思うけどね』
まどかに相談、か。
どうせ不審に思われてるなら、それもいいかもしれない。
でも——
さやか「駄目だよ、まどかの願いはまどかが自分で考えて決めるべきだよ。あたしは頼むつもりはないから」
こんなことでまどかを危険に巻き込むわけにはいかない。
あたしがマミさんの代わりに戦えれば、それが一番のはずなんだ。
キュゥべえ『そうかい。今まどかはこの病院に来ているけど、何か伝えることはあるかい』
さやか「ここに!?なんで?」
キュゥべえ『実は昨日の夜、まどかとその友達の志筑仁美が魔女に襲われたんだ』
全身を槍で貫かれたような衝撃。
魔女に襲われた?
あたしが何も出来ず、ここで寝ている間に?
まどかだけじゃなく仁美まで危険な目に遭ってた?
キュゥべえ『正確には、魔女の口付けをされた仁美を助けようとまどかが巻き込まれたわけだけど。
暁美ほむらが魔女を退治したおかげで、どうにかまどか達は生きているけどね。二人は健康状態を検査する為に来たようだよ』
恭介「そんな……」
あたしは、どこまでも役に立たない。
もっと早く決めていれば、マミさんは死ななかったし、まどか達を危険な目に遭わせることもなかったし。
恭介が自棄になることもなかった。
あたしたちの魂が入れ替わることもなかった。
キュゥべえ『どうするんだい?』
恭介「……今日は帰って。それから、まどかには余計なことはなにも言わないで。あたし達が入れ替わったこととか」
キュゥべえ『まあ、構わないけどね。遅かれ早かれ、まどかは不審を抱いて、疑問を今さやかの体にいる上条恭介に問いかけるだろう
その時になってからだと遅いんじゃないのかい』
恭介「恭介には……まだ何のことか分からないだろうから、あたしが説明する。明日まで時間もあるはずだし」
キュゥべえ『そうかい、分かったよ。体が戻って契約したくなったらいつでも呼んでくれ。力になるよ』
キュゥべえはそのまま風のように消えた。
この二日間で、あまりにもたくさんのことが起こり過ぎている。
まず恭介だ。
どこまで分かってしまったかにもよるけど、何にしてもまどかと接触させるのはまずい気がする。
どうすればいい?
あたしはこれから、どうすればいい。
考えろあたし。
せめて、恭介には知られたくなかった。
このまま何も知られず、奇跡で腕が治ったことになるのが一番良かった。
今なら幻聴だったと言い張れば大丈夫な気がする。
さやか「……駄目だ、なんであたしがそのこと知ってるのって疑われる」
ならばまどか。
魔法少女の秘密を知っているのは今はまどかと転校生で、転校生は端から論外。
できるなら、恭介と話していたように、どうせだれにも信じて貰えないだろうから二人だけの秘密にしておきたかった。
しかしバレてしまえば意味はない。
ようするに二択の問題なのだ。
恭介に魔法少女のことを説明するか。
まどかに魂が入れ替わったことを説明するか。
そんなの、迷うまでもない。
あたしはすぐに看護師さんを呼び、手伝ってもらいながら電話を掛けに行った。
少し前までこの病院にいたらしいけど、仁美がいる前で話すわけにはいかない。
携帯はないけど、何度か掛けたことがあるから番号は覚えていた。
まどか『もしもし?』
まどか……
ごめん、あんたを巻き込んじゃって。
恭介「あのさ、話したいことがあるんだけど、今いいかな」
まどか『えっと?どちら様ですか?』
恭介「僕は……ううん、あたしは、美樹さやかだよ」
書き溜めに追い付いてしまったため休憩
ここからが本当の即興だ…
先の展開がががが
電話は10分ぐらいで終わった。
なんのことはない。
あたしがあたしである証明は、そんなに難しくなかった。
電話越しということもあったのかもしれないけど、あたしとまどかしか知らないこと。
つまり、魔法少女のことを話すことで証明した。
声が違うことや今日出会った美樹さやかがおかしかったことを散々聞かれたが、それを説明する為には明日の放課後にならないと駄目だと伝えた。
場所はここ、上条恭介の病室。
その代わり、明日学校で"あたし"に会っても何も聞かないことを約束してもらった。
勿論テレパシーも使わないようにしてもらう。
恭介「ごめん、何も出来なくて」
まどか『さやかちゃんは何も悪くないよ。何か事情があるんだよね』
違うよ、あたしが悪いんだ。
もっと早く決断していればよかったんだ。
そういう言葉はぐっと飲み込み、明日吐き出すことにして電話を切った。
部屋に戻り、薄味の病院食を胃に流し込み、暗い部屋にまた一人きりになった。
二日目ともなると、天井ばかりの景色にも慣れて来た。
月に照らされながら、包帯だらけの左腕を掲げる。
契約も出来ない今、本当に奇跡はなくなった。
明日は恭介も学校に行くのだろう。
ここに来てくれるかどうか分からないが、もしまどかと一緒に来てくれるなら、それは好都合だ。
動けないあたしと久しぶりに登校する恭介なら、どうあったってボロが出やすくなる。
なんにしたって、協力者が必要だったんだ。
とはいえ多すぎても大事になるから、必要最小限。
仁美には悪いけど、今回は内緒にさせてもらう他ない。
だからきょうまどかに変に思われたのは、むしろチャンスとも言えるんじゃないだろうか。
まどかが事情を分かってくれるなら、恭介にテレパシーで会話したことも幻聴のせいに出来る。
多分。
イレギュラーがあるとすれば……
恭介「転校生か……恭介に変なこと言わなきゃいいけど」
*上条恭介*
翌朝、僕はさやかの両親に見送られながらさやかの家を後にした。
さやかの体だからか、少しだけ慣れたようで、風呂に入るのも着替えるのもあまり意識しなくてもいいようになってきた。
ただし、ブラジャーだけは未だに着けるのが難しい。
当然だが、誰も僕が上条恭介だとは気付いていない。
このまま何事もなく学校に辿り着けば——
仁美「おはようございますさやかさん」
いきなりの障害が現れた。
志筑さんは昔から成績も優秀だし、今学期も委員長を務めてるらしい。
何か感じ取られらないとも限らない。
いや、大丈夫だ。
今の僕はどこからどう見ても美樹さやかなんだから。
さやか「お、おはよう仁美!昨日はお見舞いありがとね!」
仁美「まさかあんなところで会うなんて思ってもいませんでしたわ」
我ながら中々の演技だと思う。
いや、さやかはもうちょっと軽かったような気もするけど、何も言ってこないなら、それでいい。
まどか「おはようさやかちゃん、仁美ちゃん」
仁美「おはようございますまどかさん」
さやか「おはようまどか!」
鹿目さんは、昨日僕に何か語りかけて来た疑惑がある。
そもそも幻聴の可能性の方が高いけど、声のトーンや息遣いが、なんとなく本物っぽいと感じた。
『契約』についてさやかと何かを知っている可能性もある。
どっちにしても、そのことは口にしない方がいいとは思うけど、気になる言葉だ。
契約……
誰と何を契約するんだろう。
まどか「あ、ほむらちゃんおはよう!」
ほむら「……おはよう」
仁美「おはようございます」
暁美さんはよく分からない人だ。
話を聞いただけだとかなり嫌な人間のようだったが、こうして見た限りだと無口であるというくらいしかまだ情報が無い。
暁美さんが一番『契約』について詳しいんだろうけど、迂闊にそのことを聞くわけにもいかないか。
さやか「おはよう転校生」
暁美さんが目を見開いて見つめ返してきた。
なんだ、何か変なことを言ってしまったのだろうか。
挨拶をしただけなのに——
いや、挨拶すらしない仲だったのか。
まどか「さやかちゃん、今日は珍しいね」
さやか「え、そうかな?なんていうか、気まぐれだよ気まぐれ!」
仁美「さあ、そろそろ私達も行きましょうか」
登校中の会話は思ったよりも静かだった。
というよりも、普段ならさやかが盛り上げ役になるのだが、生憎僕はさやかがどんな会話をしているのかは聞かされなかった。
出来ることと言えば、相槌を打つ程度だ。
仁美「さやかさん、体調はまだ優れませんの?」
さやか「うーん、ちょっとまだね」
今日は風邪のせいに出来るが、明日からはそうもいかない。
流石のさやかでも会話術を指南できるかどうか……
生徒の数も徐々に増え、ガラス張りの校舎が見えてくる。
透明感満載のこの見滝原中学校に、僕は数か月ぶりに帰って来た。
二人に続き教室に入り、僕は自分の席を探す。
勿論上条恭介の席ではなく、美樹さやかの席をだ。
僕の席はずっと空白になっている。
僕の体が治らない限り、そこが埋まることはないだろう。
早乙女「はい、それじゃあ授業を始めます」
授業ははっきり言ってさっぱり分からなかった。
しかし、そのことはさやかは何の問題もないと自信満々に笑った。
曰く、
恭介「あたしも勉強は駄目駄目だから当てられて答えらんなくても問題なし!」
だそうだ。
そんなところに自信を持たなくてもいいのにな。
今回ばかりはさやかのそんなところに感謝するしかない。
当てられたらはぐらかし、それ以外は教科書とノートを開き勉強しているふりをする。
僕はほとんどの時間を、さやかになり切るシミュレーションと、暁美さんの言う契約とは何かという答えの出ない謎についての考察に費やした。
昼休みは、鹿目さん達と三人で、食事をした。
よく購買のパンを買うと言っていたが、さやかの体は僕が思っていた以上に弱かった。
まず背が男子より低く前が見えないし、これは僕の癖なのだが、つい手をガードしながら進もうとしてしまったから、力で押し負けてしまったのだ。
仁美「あら、今日はご飯なしですか?」
さやか「えーっと、そうなる、かな」
まあ、一日ぐらい食べなくても死にはしないだろう。
あれだけの事故に遭っても生きていられたんだ。
まどか「じゃあ、私のお昼分けてあげる」
さやか「あ、ありがとうまどか!」
仁美「では私も」
さやか「仁美もありがとう!」
全く、さやかはいい友人がいて羨ましいな。
思えば僕に友人と呼べる人間が何人いただろう。
今も昔も、ずっとバイオリンに集中していたから、友達付き合いというのが少し苦手ではある。
事故に遭った頃、何人かはお見舞いに来ていたがそれもすぐに終わった。
お見舞いによく来てくれているのは、結局さやかだけなんだよなあ。
まどか「はい、これあげる」
さやか「ん、これおいしいね!」
まどか「えへへ、パパも喜んでくれるよ」
それなりに順調かと思われたが、午後に来て一番の問題授業が始まろうとしていた。
すなわち体育。
朝準備している時点で覚悟はしていたが、いよいよその時になると僕は本当にここにいていいのかと不安になる。
更衣室に移動し、男子と女子に分かれるが、当然僕は女子の部屋に行かなければならない。
女子が目の前で堂々と服を脱ぎ、下着姿になっていく。
どうしよう。
誰にも気付かれないなら、いっそこのまま黙って着替えればいい。
まどか「着替えないの?」
さやか「え?いやいや、着替えるよ、うん!」
あの鹿目さんも志筑さんも、暁美さんも、みんな下着姿になっていく。
なんだかとてつもない罪悪感に襲われ、たまらず後ろを向いてブラウスを脱ぎ始めた。
そうだ、初めからこうしていれば良かった——
ユウカ「さーやかー!久しぶりねコノヤロー!」
さやか「ひゅいっ!?」
すべっとした冷たい指が脇腹から胸部をボディラインをなぞる様に撫でて来た。
自分でも思ってもみない声が出て焦る。
誰だって背後からあんなところを触られたらそりゃ変な声も出るってものだ。
ユウカ「どうよ、今日は先手を打ってみたわよ!なはははは!!」
さやか「……」
ユウカ「ははは……なによ、今日は反撃してこないの?」
多分、普段のさやかなら即反撃するだろう。
でも今はさやかではなく僕なのであって、流石に下着姿の女子の体に触れるのはどうなんだろうか。
さやか「ば、馬鹿なことやってないでさっさと着替えなよ」
ユウカ「なによー、つまんないわねー」
無論、駄目に決まっている。
誰よりも遅く着替え始め、誰よりも早く更衣室を後にした。
体育の授業自体は久しぶりすぎて体が動かなかったが、こういう感覚は久しぶりだったから悪くない。
その後は何事もなく、無事放課後になったので、僕はよく一緒に遊んでいるという二人に断りを入れて病院に行くつもりだった。
ところがどうやら、鹿目さんも用事があるらしく、今日はここで解散となった。
玄関を出て、病院に向かう道を行く。
まどか「ねえさやかちゃん」
さやか「あ、あれまどか、今日は用事あったんじゃないの?」
まどか「だから、一緒に行こうと思って」
だから、とはどういう意味だ?
このままさやかのいる病室まで一緒に来るのだろうか。
まどか「ねえ、どうして上条君の病室で待ち合わせなんてしたの?」
さやか「待ち合わせ?」
まどか「昨日電話で言ってたこと。あれってどういう意味?」
何のことだ。
僕の知らないところで、さやかは何を鹿目さんに行ったんだ。
どうして僕に黙ってそういうことをしたんだ。
さやか「それは、まあ、着いてからのお楽しみってことで」
まどか「……」
さやか「そうだ。あけ……転校生から伝言預かってたんだった」
まどか「ほむらちゃんから?」
さやか「えっと、自分が大事ならこの世界に関わるなって」
まどか「そんな……」
僕には「この世界」が何を意味しているのかさっぱり分からない。
さやかに聞けば答えは返ってくるだろうが、暁美さんのことを説明するときに会えて黙っていたということは、言いたくなかったのかもしれない。
そういうことなら、僕もやはり関わらない方がいいことなのだろうか。
まどか「ほむらちゃん、一人で何でも解決しようとしてるみたい……でも、一人でなんてきっと大変なことになっちゃう
マミさんだって、一人で辛そうだった……一人で戦ってたから、死んじゃったのに……」
足を止め、思わず鞄を落としそうになった。
一歩前に進んだ鹿目さんが、潤んだ眼で不思議そうに僕を見ている。
今なんと言った?
マミさんと言う人は、死んだ?
まどか「さやかちゃん?」
さやか「……」
まどか「どうかしたの?」
さやか「ごめん、なんでもない。早く行こう」
さやかは巴さんは転校したと言った。
でも鹿目さんは冗談でそんなこと言う人じゃないって分かってる。
つまり、本当に死んでいるんだ。
だからあの時は、敢えてふざけてるように振る舞ったんだ。
一つ気になるのは、戦ってた、という部分だ。
巴さんと言う人は戦って死んだと鹿目さんは言った。
一体何と戦っていたんだ?
戦うといえばまずスポーツだが、スポーツで人が死ぬようなことがそう簡単にあるだろうか。
まさか漫画のように怪物と戦って死ぬなんてこともないだろう。
何かの比喩なのか、僕には想像も出来ない。
何度も通った病院への道のりが、今日は随分と短く感じた。
*美樹さやか*
まどか「失礼しまーす」
さやか「……」
恭介「やあ、久しぶりだね」
都合のいいことに、まどかと恭介が二人揃ってきてくれた。
これなら説明の手間も省けるというものだ。
恭介は黙って入ってきた上に、表情が、というより目が濁っていた。
そこが少し不安だったが、あたしは今日一日で覚悟を決めていた。
あたしと恭介の身に起こったことを全部話そうって。
恭介「まどか。突然だけど、あたしは美樹さやかなの」
二人が目と口を開けてこちらを見ていた。
まどかはなにを言っているのか分からないという、懐疑の表情。
恭介は今ここでそれを言うのかという、驚愕の表情。
あたしは言葉を続ける。
恭介「突然こんなこと言われても信じられないよね?」
まどか「え、だって、さやかちゃんはここにいるし……」
さやか「さやか、君は……」
まどか「えっ」
恭介「あたしとまどかしか知らないようなことがいいよね。例えば、初めてマミさんと会った場所のこととか」
あたしはぽつぽつと語り始めた。
勿論恭介には分からないように、少しぼかしたけど、それでもまどかならそれが何を意味しているのか分かるはずだ。
恭介「なんなら昔の恥ずかしい思い出でも語ろうか?」
まどか「待って、もういいよ!嘘みたいだけど、上条君がそこまで知ってるはずないし……」
恭介「恭介は今の聞いてても意味分かんなかったでしょ?」
さやか「……そうだね。正直全然分からなかったよ」
恭介「まあ、そういうわけで、今あたしと恭介の魂が入れ替わっちゃってるわけ」
まどか「そうだったんだ……じゃあ、今のさやかちゃんは上条君なんだよね?」
さやか「そうなるね」
まどか「き、今日の体育の時からだよね?」
恭介「は?」
さやか「あっ」
なんだか聞き捨てならない言葉が飛んできた気がする。
体育?
さやか「ち、違うんだ鹿目さん!僕はちゃんと背中を向けて着替えてたよ!」
まどか「でも最初見てたよね!?」
さやか「あれはだから——」
恭介「ねえ恭介」
さやか「……な、何かな?」
恭介「あたしの体はまあいいよ。仕方ないことだもんね」
まどか「だ、駄目だよさやかちゃん!そこはちゃんとしとかないと!」
恭介「まどかは黙ってて」
恭介「そりゃ恭介だって男の子だし、見たくなる気持ちも分かるけどさ。そういうのは卑怯でしょ?」
さやか「だから後ろを向いてて——」
恭介「でも最初は見てたんでしょ?」
さやか「……見てました」
恭介「全くもう!本来ならボッコボコだよ!!」
まどか「うぅぅ……まあ、見られたのは仕方ないことだし、もう終わったことだから」
恭介「まあいいけど。今度からは時間をずらすなりしなさい!」
さやか「分かったよ、ごめん」
恭介「ちなみにまどかの下着の色は?」
まどか「言わなくていいよ!!」
まあ、あたしが怒れる道理なんて全くないんだけど。
こういうのはやっぱり面白くない。
自分のことはあたしが我慢すればいいだけだけど、他の子の下着姿を見て興奮でもされてたら、正直たまったものじゃない。
今のうちに分かったのはいい収穫だ。
まどか「それより、二人はどうしてそうなったの?」
恭介「えっと、話せば長くなるけど。恭介、話してもいい?」
さやか「……うん。構わないよ」
あたしは恭介の腕が動かなくなったことから、CDプレーヤーを叩いた瞬間入れ替わってしまったこと。
そこからお互いそれぞれの生活をせざるを得なくなったこと。
全てを話した。
ただし、恭介がいたから、あたしがキュゥべえと話したことは言わなかった。
まどか「……」
恭介「どうしてこうなったのかとか、全然原因が分かんなくってさ。とりあえず今日は学校に行ってもらったわけ」
さやか「元に戻るために入れ替わった時と同じことする、っていう方法もまだ試してなくてね」
恭介「ちょっと色々あってできなかったんだ。CDとプレーヤーがなかったんだよねー」
まどか「そっか……」
できればこのまま試さなくてもいいと思ってるけど、それは言わなかった。
さて、ここまでは事情を説明しただけだけど、いよいよまどかには学校での恭介のサポートをお願いしようと思う。
いつまでこの現象が続くか分かんないけど、これから先二人だけだと絶対限界が来る。
恭介「どうかな?お願いできる?」
まどか「うん、私に出来ることならなんでも言って!」
さやか「無理しなくてもいいからね?これは元々僕達の問題なんだし」
まどか「大丈夫、きっと大丈夫だよ!それまで頑張ろうよ!」
それに、まどかは魔法少女のことも知ってるから、今のうちに事情を話しておけば恭介に余計なことは言わないと思う。
まどか『あのねさやかちゃん、聞こえてる?』
いきなり、頭の中にまどかの声が聞こえてきた。
思えばこの感覚も久しぶりだ。
恭介『聞こえてるよ。どうしたの急に』
まどか『えっと、謝っておこうと思って……』
少しだけ嫌な予感がした。
このタイミングでわざわざまどかが言ってくるということは、緊急を要してるということ。
その声からも本当に申し訳なさそうな様子が伝わってくる。
まどか『私、ここに来る時にさやかちゃんだと思ってマミさんのこととか話しちゃった』
人は恐怖を感じた時、熱くなるのか、冷たくなるのか。
思えば初めて使い魔に襲われた時。
あの時は言いようのない恐怖に支配されて、嫌な汗が吹き出し頭からつま先まで全身で震えて、そのくせ身を縮めるしかなかった。
あの時は心の底から熱かった。
どこかで死にたくないという、生きたいという気持ちが湧き上がっていたからかもしれない。
今はどうだろうか。
後悔とか失敗とかから生まれる恐怖の場合。
全身が寒い。
まどか『ごめん!私、もしかしてとんでもないことをやっちゃったんじゃ……』
確かにあたしは、まどかに何も聞くなと言った。
でも何も言うなとは言わなかった。
これは完全にあたしの落ち度で、あたしのミスだ。
昨日といい今日といい、あたしは本当に恭介を苛めてるのかもしれない。
さやか「じゃあ鹿目さん、明日から何かあったらフォロー頼んでもいいのかな?」
まどか「え!?う、うん、私に出来ることだったら何でも言ってね」
恭介『大丈夫だよまどか、恭介はまだ気付いてないだろうから』
まどか『でも——』
恭介『平気だって。魔法少女のこと、そう簡単に言えるわけないでしょ?マミさんのことはあたしが話しとくから』
恭介「まどか、時間は平気なの?」
まどか「え、でもまだ……」
恭介「一昨日も大変だったんでしょ?心配掛けちゃ駄目だよ」
まどか「じゃ、じゃあ、私帰るけど……二人とも大丈夫、だよね?」
明らかにあたしを見ながらまどかは聞いてきた。
恭介「平気平気、なんとかなるって!」
まどかは最後まで不安そうな顔をしていたが、ぺこりと頭を下げて病室を出ていった。
恭介「ごめんね恭介。やっぱり、どうしても二人じゃ限界があると思って」
さやか「いや、仕方ないよ。今日一日学校に行ってみて分かったけど、あの感じでずっとっていうのは厳しいよ」
恭介「ふーん、女子の下着見放題なのに」
さやか「それはもう許してってば」
恭介「夏になれば水着もあるのよ!流石に許せんっ!」」
さやか「ねえさやか」
昨日と同じ声だ。
CDを取りに帰ると言った、あの時の。
二人きりの部屋は、やっぱり重い。
さやか「巴マミって人は、死んでたんだね」
まずはそこから、か。
恭介「うん、黙っててごめん。嘘吐いてごめん」
さやか「なんで転校したなんて言ったの?」
魔法少女のことを言うにはいかない。
恭介「言ったでしょ、まどかはあんまりマミさんのこと話題に出したくないみたいなの」
さやか「でも、その鹿目さんが今日言ったんだ。巴さんは一人で戦って死んだんだって」
恭介「たまたまだよ。あたしが呼びだしたから、少しそういう気分になったのかもしれないじゃん」
さやか「じゃあ戦ったってのは何?」
魔女と、なんて言えるわけにはいかない。
恭介「凶悪なこの社会と、かな」
さやか「ふざけてるのかい?」
恭介「事実だよ。マミさんは……人を助けようとして殺されたんだ」
さやか「え?」
恭介「その、ひったくりで逃げる犯人を追いかけてたら、返り討ちにあって……」
あたしは最低の人間だ。
命を懸けて街を、人々を、あたしを助けてくれた大切な先輩を、こんな風に誤魔化してしか誰かに話すことが出来ない。
ずっとこの街で誰にも気付かれなくても、魔女っていう怪物から守ってきたマミさんのことを……
マミさんに、謝っても謝り切れない。
恭介「うぅっ……ごめん……」
さやか「っ……こっちこそごめん、無理に聞いていいことじゃなかったね」
そんなことで泣いてるんじゃないよ。
今さらだけど。
マミさんのことを、誰にも言えないのがこんなにも辛いなんて思ってなかっただけだから。
恭介「それで、もう他に聞きたいことはない?今のうちにスッキリさせとこうよ」
そんなことが本当に出来るだろうか。
恭介はどこまで、何を知ってるのかな。
さやか「……じゃあ、暁美さんが言ってたことなんだけど、契約ってなんのこと?」
あぁ、やっぱりイレギュラーになっちゃったか、あの転校生は。
さて、今度はなんて言い訳しようかな。
恭介「……」
例えばあたしが魔法少女になってたとして、これからもこうやって恭介にすら嘘を重ねて生きていくのかな。
でも、それがどんなに辛いことでも、やっぱりあたしは言えないと思う。
こんな危険な世界に、恭介を巻き込むわけにはいかない。
恭介「契約なんてあいつが勝手に言ってるだけだよ。あたしやまどかを奴隷にしたいんだってさ!馬鹿みたいでしょ!」
さやか「ど、奴隷!?」
恭介「舎弟でも何でもいいけど、そういう風にしたいんだって」
転校生に至っては随分な悪評にしてしまったけど、未だにあたしは、あいつが何を考えてるのか分からない。
まどか達を助けてくれたらしいけど、それはあくまで魔女を倒したついでじゃないのだろうか。
ただ危険な魔法少女だって認識しかないんだから、こういう評価でも問題はない……
はずだ。
少なくとも、恭介はあいつに近付こうなんて思わないはず。
さやか「全然そんな風には見えなかったけど、意外だな」
恭介「外面はいいのよ、外面は。表で優しくしといて裏だとひどいんだから」
なんだかただの悪口になっている気がする。
しかも完全に根も葉もない。
あいつはあたしやまどかを魔法少女にさせたくないらしいが、人が願いを叶える権利を持ってるのにそれを奪おうっていうのは——
恭介「あれ?」
さやか「何?」
まどかを魔法少女にさせたくないなら、一昨日の事件の時に、まどかが魔女に食べられてから倒せばよかったんじゃないの?
それであいつに取っての邪魔ものが一人消えたはずなのに、それをしなかった。
まさか、まどか達を助けたのはついでじゃない、とか?
恭介「いや、あいつに限ってそんなはずない!」
さやか「さやか?」
証拠もないのに人を悪いやつだと決めつけるのは良くない。
が、逆もまた然り。
恭介「とにかく、転校生には注意しといてよ」
さやか「う、うん……確かに危険な世界みたいだ」
何を言われたのかは知らないが、誤魔化せたみたいだ。
これで魔法少女についてバレる可能性は多少低くなったはず。
さやか「そういえば、昨日暁美さんと会う前鹿目さんの幻聴が聞こえて来たんだ」
恭介「へ?」
すっかり忘れてた。
キュゥべえがテレパシー使ったとか言ってたっけ。
でも、
恭介「幻聴だったんでしょ?久々にまどかの声聞いたから、頭の中で残ってただけじゃない?」
最初っからそう思ってくれてるなら話は早い。
さやか「なんだか随分はっきりした声の感じだったから、本物っぽかったんだけどね……まあ、そんなことあるわけないか」
恭介「そうそう、疲れてたんじゃないの?」
そこからは学校での出来事や病院での出来事をお互い話していた。
あたしが少しリハビリに慣れてきたことや、恭介がユウカにお腹触られたこととか。
こうしていると、少しだけ体が軽くなった気がする。
あたしが恭介の体で、恭介があたしの体でも、話をすればいつも通りの二人になれる。
これなら、このままでも平気かもしれない。
そう思うのはあたしのエゴなのかな。
恭介はどう思ってる?
せっかく腕が使えるようになったんだから、やってみたいこととかないの?
例えば——
バイオリンとか。
*上条恭介*
夜、風呂からあがると携帯が光っていた。
初めは見るべきか悩んだが、さやかから許可を貰ったから見てもいいことになっている。
鹿目さんからのメールで、内容はこれから一緒に頑張ろうという旨だった。
見た目通り鹿目さんらしい、絵文字でキラキラしたメールだ。
こういうのは返した方がいいんだろうか。
絵文字の使い方なんかはほとんど分からなかったが、味気ないメールというのもどうかと思ったので、絵文字を駆使してどうにかよろしくという文面で送っておいた。
さやか「女子って何で絵文字好きなんだろう」
さやかはもよく使ってたっけ。
そういう辺り、さやかもやはり女の子ということか。
派手なバイブ音を鳴らし、すぐに携帯が震えた。
さやか「早いな……えっと、内容は——っ!」
これはもしかしたら朗報かもしれない。
あるいは悲報と言うべきか。
とにかくこの現象が終わるかもしれない大事なものだ。
つまり、CDプレーヤーを鹿目さんの父親が持っているらしいのだ。
しかも譲ってくれるという。
すぐにでもさやかに知らせたかったが、明日の放課後まで待たなければならない。
なんとももどかしい時間だ。
待たせてごめんさやか。
やっと元に戻れるかもしれないよ。
これでさやかは元通り。
僕は——
翌日の学校は、昨日ほど辛くなかった。
体育もなかったし、授業は昨日と同じように。
昼食もしっかり確保できた。
ただ、鹿目さんが事情を知っているというだけで、心強かった。
そして放課後、僕は一足先に病院に向かい、さやかと鹿目さんを待つことにした。
さやかには今話し終えたところだ。
恭介「そっか、まさか持ってる人がいるなんてね……」
さやか「僕も驚いたよ。まあ、実際に試してみないと戻れるかどうか分からないけどね」
恭介「そうだよね、お話はお話しだし、他の方法があるかもしれないんだよね」
そう言うと、さやかはまた残念そうな顔をした。
分かってるよさやか。
きっと元に戻れるさ。
だからもうその腕のことを心配しなくてもいいんだ。
それは僕の腕なんだから。
恭介「あのさ!」
突然叫び、大きな深呼吸をした。
そしてじっと僕の方を見つめて来た。
恭介「正直に答えてほしいんだけど。バイオリン、弾いてみる気はない?」
全身の毛が逆立っていくのが分かる。
さやかはあくまで真剣に言っているらしい。
ふと、入れ替わったあの日を思い出した。
やっぱりさやかは、僕を苛めてるんじゃないだろうか。
さやか「どうしてそういうことを言うんだい」
恭介「だって、元に戻れちゃうかもしれないんだよ。そしたら、何かの拍子で腕が治るかもしれないじゃん」
さやか「そんなことあるわけないだろ」
恭介「決め付けるのは早いよ。だって、魂が入れ替わるなんて奇跡なんだよ?もう一個ぐらい奇跡が起きる可能性だって——」
さやか「もうやめてくれよっ!!」
奇跡だって?
そんなものが何度も起こるはずないじゃないか。
どうせならあの時腕が治る奇跡が起こってほしかったよ。
それこそ、魔法みたいな奇跡が。
どうしてこのタイミングでバイオリンのことを言ったんだ。
元の体に戻れば嫌でも思い出すことを、先に行っておけば僕の気が楽になるだろうとでも思ったのか?
恭介「……ねえ、あの日あたしが言ったこと覚えてる?」
さやか「あの日だって?」
恭介「入れ替わった日、恭介は奇跡か魔法でもない限り治らないって言ったよね。それにあたしがなんて答えたか」
あるよ。
恭介「奇跡も、魔法も、あるんだよ」
そう言った。
恭介「もし元に戻ったら、きっと奇跡が起こる。あたしには分かるの」
さやかは、やはりふざけているわけじゃなかった。
決して慰めのためや励ましのために嘘を吐いている様子でもなかった。
さやかは一体、何を知ってるんだ。
恭介「でももし元に戻らなかったら……それでもあたしは、恭介に聞くよ」
僕がやりたいことを。
恭介「バイオリン、弾いてくれない?あたしの体で」
さやかの体で、バイオリンを?
何を言ってるんださやかは?
恭介「変なこと言ってると思う?そうかもね……でも、あたしは恭介があたしの腕を使ってくれるなら、喜んで差し出すよ
そりゃ、あたしとして生きていくってのはきついと思うけど……恭介には、やっぱりバイオリンが必要だと思うし」
いいのか?
僕がそんなことをしていいのか?
ずっと我慢しようとしていた。
諦めようとしていた。
そんなことを望んだら、僕は最低の人間になってしまうから。
他人の、さやかの体を使うなんて許されるはずがない、と。
弾いてもいいの?
こんな僕が?
恭介「あたしは、どっちにしても恭介がバイオリンを弾けるようになるって信じてる。どっちの結果に転がっても、間違いなく」
今までもちょこちょこしてたけどちょっと休憩
月曜日になっちまった
土日でスレ終わらせるつもりだったのに
明日早いのに
その笑顔を見た時、根拠はないけど、さやかはやはり確信しているんだと思った。
理由は分からないし、きっと言わないだろう。
だけど、もし体が戻ってから本当に奇跡が起こって腕が使えるようになれば、それが一番だ。
まどか「お待たせ!」
なら、どうしてそれをさやかが知っているんだ。
恭介「ありがとまどか!それほんとに壊してもいいの?」
さやかしか知らないことが、まだ何かあるんじゃないのか。
まどか「うん。さやかちゃんにあげていいかなって聞いたら、大丈夫って言ってくれたから、好きにしてオッケーだよ」
恭介「CDはある?」
まどか「え、CDもいるの!?」
恭介「そりゃプレーヤーだけじゃ条件に含まれないよ!」
でも、僕がそれを聞いて何になるんだろう。
さやか「CDなら持ってきたよ。コピー用のだけどね」
恭介「おぉ!恭介ナイス!」
さやかが嘘を吐いてまで隠したいことに、僕が首を突っ込んでどうなるっていうんだ。
それはさやかにとって有難迷惑なんじゃないのか。
恭介「ほら、準備するから恭介も手伝ってよ」
さやかには、今までずっと迷惑を掛けて来た。
ずっとここに足を運んでくれた。
僕のために何かをしてくれてた。
これ以上、僕はさやかの重荷になっちゃ駄目な気がする。
まどか「こんな感じでいいのかな?」
恭介「うん、いいと思う」
さやか「そうだね。ほぼあの時と同じだ」
さやかにこれ以上負担を掛けるわけにはいかない。
このたった三日、四日の間で、僕は今まで目を向けていなかったことに気が付いた。
恭介「じゃ、いよいよだね」
まどか「うわぁ、やっぱり痛そう……」
僕の腕を止めようとしたこの手も、腕も。
とても細くて小さい。
背だって思ったほど大きくなかった。
力も全然だ。
体も……
あまり見ないようにしていたけど、育っている。
恭介「しっかり支えててよね。思いっきり行くからさ」
さやか「あぁ、やってみよう」
さやかだってちゃんと——
女の子なんだ。
恭介「せーのっ!!」
バキリというプレーヤーが完全に破壊された音が響いた。
だがまだ変わった様子はない。
恭介「もう一発!あの時も二回やった!」
再び腕が振り上げられ、さやかの腕ごと叩きつけられた。
CDがまた、砕けた。
僕はさやかが腕を降ろす瞬間、思わず目を閉じていた。
閉じていたが、この手の感覚から、開けるまでもなく気が付いていた。
まどか「ど、どうなったの?」
目を開け、手を話して鹿目さんの声がする方に振り返った。
さやか「ごめん鹿目さん、戻らなかったよ」
失敗した。
原因は分からない。
そもそも、この方法が間違っていたという可能性は高い。
結局僕達はまだ、お互いの体に入っていることしか出来ないということだ。
まどか「そんな……」
さやか「やっぱり、他に方法があるのかもしれないよ。こんな漫画みたいな話に、いきなり正解が出るわけないって」
まどか「……さやかちゃん!」
ベッドを見れば、僕の腕からは血が流れシーツに染みを作っていた。
さやかは黙って左腕を見ていた。
鹿目さんがすぐにナースコールを押し、僕達はまたたっぷり怒られた。
流石に二度目ともなると、今度は僕の両親が呼ばれ、僕の代わりにさやかがしばらく怒られていた。
鹿目さんはお咎めなしで、何度も謝りながら病院を後にした。
こっちとしては、一つの可能性を試すことが出来たから、収穫はあった。
感謝したいくらいだ。
やがて僕は自分の両親に連れられて、さやかの家へと送り届けられた。
車中ではさやかに向けて、恭介と仲良くしてくれてありがとうとか、これからもよろしく頼むといった言葉を聞かされ続けた。
言うべき相手は、さっき自分達が説教をしていたけどね。
*美樹さやか*
次の日は土曜日だったから、朝から恭介が来てくれて少し話をした。
それからすぐにあたしはリハビリ室に向かい、歩行訓練や車椅子に自力で乗る訓練をした。
元々恭介が出来ていたことは、体が覚えていたということなのか、すぐにできるようになった。
あとは何度も繰り返し続けていくしかない。
お昼を過ぎるとまどかも来てくれて、これから何を試すかという話になった。
あたしは恭介に、体を使ってくれてもいいと言ったけど、一応元に戻れる方法をもう少し模索しようと言われた。
あたしとしても自分の体に戻れれば、それがいい。
そうなれば、魔法少女として、あたしは契約することが出来るから……
まどか『そういえば、一応さやかちゃんに言った方がいいかなと思ってたんだけどね』
恭介『何を?』
まどか『精密検査を受けにきた日、ほむらちゃんはさやかちゃん……上条君に会ってたみたいなの』
そういえばそんなこと言ってたっけ。
全くもってはた迷惑な奴だ。
まどか『それでね、自分が大切ならこの世界に関わるな、みたいなこと言われたんだって』
なるほど、それは聞いてなかった。
契約の話を持ち出された方が、あたしにとっても恭介にとってもインパクトが大きかったらしい。
まどか『この話を上条君に言われて、マミさんの話をしちゃったんだよね……』
なんだ、結局の大元はやっぱり転校生だったのか。
まどか『でも、やっぱり私も危ないことならやめた方がいいと思うの。さやかちゃんは、今でも契約したいと思ってる?』
そういうことストレートに聞いてこないでよね。
ここでまどかを安心させるのは簡単だ。
でも、そんなの何の意味もない。
恭介『正直に言っちゃうとね、あたしは契約しようと思ってる』
まどか「そんなっ!」
さやか「鹿目さん?いきなりどうしたの?」
まどか「あ、ごめん、何でもないよ!」
恭介『慌てすぎ』
まどか『だって……』
恭介『大丈夫だよ。このあたしがやられるわけないじゃん!魔女でも転校生でもかかって来いってね!』
まどか『もしかして、上条君のため?』
恭介『うーん……正直に言っちゃうと、そう。もうやだなー、恥ずかしいんだからね!』
まどか『昔マミさんが言ってたこと、さやかちゃん覚えてる?』
大丈夫、ちゃんと覚えてる。
マミ「あなたは彼に夢を叶えて欲しいの?それとも、彼の夢を叶えた恩人になりたいの?同じようなことでも、全然違うことよ、これ」
あたしの願いは何のために、誰のために叶えてもらうのか。
恭介『悩む時間が多かった分、はっきりしてるよ』
こんな事件が起こらなかったら、自分の意志はまだ定まっていなかったかもしれない。
恭介『あたしは恭介に夢を叶えて欲しい。恭介のバイオリンを、もっともっとたくさんの人に聞いてもらいたい』
これがあたしの祈り。
あたしの願い。
だから元に戻れさえすれば、すぐにでも叶えて欲しい。
まどか『そっか……あたしは、出来ればさやかちゃんに魔法少女になってほしくないって思ってる。これ以上、マミさんみたいな魔法少女に増えてほしくないよ
一人ぼっちで戦って、魔女に食べられちゃって、誰にも分かってもらえずに死んでいってほしくないんだよ』
ごめん、一時離脱
夕方か、遅くても八時くらいには帰ってくる故
明日こそ完成させる
再開
土日にしたのは他のスレもあるのにしばらく書く暇がなくなりそうだったので、
誰かに使われないうちにこのネタで書いておきたかったから
正直もうちょっと早く書けると思ってましたサーセン
恭介『平気だって!よく言うでしょ、守るものがある奴は強いんだって』
まどか『じゃあ、ほむらちゃんと一緒に戦ったりするのは?二人ならきっと……』
どうやらまどかは、あたしほど転校生を悪く思っていないらしい。
なんていうか、人を信用しすぎじゃないのかね。
恭介『あんなのと組むくらいなら、一人で戦ってた方がましだよ。あんな自分勝手な奴いらん!』
まどか『そんなに悪い子じゃないよ。この間も私を助けてくれたし』
恭介『そんなのたまたまに決まってるでしょ!魔女倒した後にまどかに気付いたのかもしれないし』
まどか『でも、ほむらちゃんがグリーフシード欲しいだけなら、私が、死んじゃってから、にすればよかったのに……』
語尾が小さくなったのは、多分自分が死んでしまったらという想像をしたからだろう。
私は詳しい状況を全然聞いてないけど、かなり危なかったに違いない。
それにしても、まどかもあたしと同じ疑問を抱いてたなんて。
恭介『じゃあ、マミさんの時はどう説明すんの?あいつはマミさんがやられるのを待って戦うような奴なんだよ!』
まどか『え?』
恭介『マミさんを見殺しにして、自分が街のグリーフシードを独り占めしようとしてるんでしょ!』
転校生がもっと友好的なら、マミさんだってきっと——
まどか『さやかちゃん、それ、違うよ』
違う?
違うって何が違うの?
まどか『あのときほむらちゃんが来れなかったのは、マミさんが動けないようにしてたからなんだよ!
だから、みんなで仲良くしてたら絶対、あんなことにはならなかったと思うの!』
恭介『……それ、ほんと?』
まどか『ほんとだよ』
まどかが嘘を吐いているとは思えない。
恭介は気付いてないけど、今かなり泣きそうな眼をしている。
さやか「……さやか?」
恭介「あぁ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
じゃあマミさんが死んだのは、自業自得だっていうの?
マミさんは、一人だったから死んだって?
あたしも一人で死んでいくのかな——
キュゥべえ『どちらにしろ、さやかが元の体に戻れないと僕は契約できないんだから、今から悩む必要はないと思うけどね
実際に戦ってみないとその先のことは分からないんだから、悩むだけ不毛だよ』
いつからそこにいたのか、キュゥべえはベッドの柵に器用に座っていた。
キュゥべえ『巴マミはベテランだった。一人でも戦っていけるだけの実力は間違いなくあった
そんな彼女でも死ぬことはある。戦いとはそういうものだよ』
随分とまあ、あっさりと言ってくれる。
まるであたしまであっさり死ぬみたいじゃないの。
キュゥべえ『でも、確かに一人で戦う魔法少女は多いけど、二人で戦えば戦闘に関しては勝つ確率は高くなるだろうね』
恭介『……あんた、まさかとは思うけどまどかのこと誘導してない?』
キュゥべえ『僕は事実を述べているだけさ』
さやか「とりあえずできそうな方法から試してみよう。最初はやっぱり階段かな」
恭介「古典的だよねえ、一緒に転げ落ちるなんて。っていうか、簡単そうだけどかなり痛そうじゃん」
さやか「だって、ほとんどの漫画とか小説は、特殊な機械だの魔法だの使ってるじゃないか。そんなもの用意できないよ」
まどか「魔法……」
まどか『そっか、私がさやかちゃん達を元に戻してって契約すれば……』
あーもう、キュゥべえのバカ。
まどかをこれ以上危険な目に遭わせられないって言ったのに。
こういうところがまどかにはある。
所謂自己犠牲が過ぎるというか、どうしようもなく優しすぎる。
恭介『駄目だよまどか。これはあたしらの問題なの。あんたが大切な願いを使うことないから』
まどか『でも、さやかちゃんだって上条君のために願い事を——』
恭介『あたしとあんたは違うよ。あたしが恭介のために願うから、まどかもあたし達のためにって?それって、流されてるだけじゃないの?
まどかがあたしに魔法少女になってほしくないって思ってるように、あたしもまどかになってほしくないって思ってる』
まどか『怖く、ないの?』
恭介『怖いに決まってるじゃん。本当は、戦いたくなんてない……でも、戦わずに恭介がこのままなのをずっと見ていくってのは、もっと怖い』
作戦の決行時刻は、あたしのリハビリが終わって、人の少なくなる夕方6時くらい。
それまで二人には準備をお願いした。
例えばクッションになりそうな物だったり、人が少なそうな場所の偵察だったり。
辛いリハビリが終わり、病室に戻ってもまだ二人は帰ってきてなかった。
うーん、まどかも可愛いからなあ。
二人きりなんて恭介がコロっといかないか少し心配だ。
うっかり好きに……なんてこともあるかもしれない。
まあ、まどかにお願いしたのはあたしなんだし、こうやって二人で行動することも仕方ないとはいえ……
恭介「なんだかなー、せっかく二人だけの秘密って感じだったのに」
コンコンと、誰かが部屋をノックした。
あたしがこんなことを考えていたから、二人とも早く帰ってきてくれたのだろうか。
恭介「どうぞー」
入ってきたのはあたし、要するに恭介だ。
どうやら一人みたいだ。
恭介「おかえり。まどかは?」
さやか「鹿目さんは、ちょっと用事があるって言って帰ったよ」
恭介「そうなの?」
さやか「だから今日はやめておこう。次に三人で集まれる時の方がいいよね」
恭介「明日は駄目なの?」
さやか「……鹿目さんが無理みたい」
恭介「んー、早い方がいいと思うんだけどなあ」
さやか「……ごめん、僕もそろそろ帰るよ」
恭介「え?」
さやか「じゃあ、またね」
恭介「うん、バイバイ」
また明日、とは言わなかった。
色々と覚悟して多分、拍子抜けだ。
こうなってくると、一気にやることが無くなってしまう。
恭介「あーあ、暇になっちゃたな……」
恭介の御両親は今日は来ていない。
実は昨日怒られながらも、あたしは一つ頼みごとをしていた。
二つ持ってきてほしいものがあったのだ。
一つは新しいCDプレーヤー。
この有り余る時間を過ごすには、やっぱり音楽の一つでも欲しいというものだ。
そして二つ目は、バイオリン。
これには少し二人とも驚いたようだった。
なんでも、恭介は捨ててくれと頼んでいたようだったのだ。
失敗したかなと思ったけど、まだちゃんと取っておいてくれてたらしい。
流石恭介の御両親だ、息子さんのことはよく分かっている。
勿論あたしは弾けない。
恭介がいつか弾こうと思ったその時に、すぐ弾けるように準備しておこうと思ったのだ。
もっとも、今日は静かな夜を過ごすことになりそうだったけど。
*上条恭介*
静かな道を、僕はひたすら俯きながら歩いていた。
実際にはもっと騒がしかったと思うけど、周りの音はほとんど入ってこなかった。
考え事をするには、逆にこの雑音は有難いかもしれないけど。
自分の声が聞こえなくて済む。
事のきっかけは、鹿目さんと病院を歩いていた時。
エントランスで僕達は予想外の人に出会ってしまった。
まどか「あれ、仁美ちゃん?」
仁美「まどかさん!?と、さやかさんも!?」
さやか「し……仁美じゃん!何やってんのこんなところで?」
まさかこんなところで志筑さんに会うとは思いもよらず。
二人でいる理由を聞かれて、なんて答えればいいんだろうと必死に至高を巡らせた。
仁美「えっと……その、精密検査、に」
まどか「え、私言われてないけど、もしかして仁美ちゃんどこか悪いの!?」
仁美「いえ、そうでなくって……ごめんなさい、嘘ですわ」
さやか「なんだ、びっくりさせないでよ」
仁美「……いい機会ですわ。ちょっと、座って話しませんか?」
それほど急ぐ時間でもなかったから、僕達は誘われるまま病院の中庭にあるベンチに腰を降ろした。
仁美「どうしてここに来たか……本当は内緒にしようと思ってたんですけど」
確かに、志筑さんはさっき嘘を吐いた。
僕達、鹿目さんとさやかに知られたくないことがあったのだろう。
仁美「鹿目さん、少し以前から恋の相談をさせていただいたことがありましたよね」
まどか「うん。言っちゃっていいの?」
仁美「いいんです。きっといい機会なんですわ。色々とスッキリさせるためにも」
さやか「へ、へぇ、まさか仁美が恋の相談とはね……隅に置けないなあもう!」
志筑さんが誰かに恋をしているというのは、それほど予想外でもなかった。
志筑さんは見た目もいいし、成績も優秀、人望もそこそこあるし、かなり男子にモテていたはずだ。
ラブレターをよく貰っているという話も聞いたことある。
予想外だったとすれば、さやかに相談を持ちかけなかったことだろう。
さやかの口が軽いと思われていたのか、あるいは別の事情があったのか。
仁美「さやかさんには黙っていてすみません。でも、どうしてもまだ言うべきじゃないと思っていたんです」
まどか「もしかして仁美ちゃん、好きな人って……」
鹿目さんは何かを察したらしい。
僕には皆目見当もつかないが。
仁美「私、以前から——」
まどか「駄目だよ仁美ちゃん!今は絶対駄目!!」
大人しい鹿目さんには珍しく、大声で話を遮った。
どれだけさやかに聞かれてはいけない話なのだろう。
仁美「いいえまどかさん。今日会ったということは、きっと今日言うべきという運命なんですわ」
まどか「駄目だって……今は駄目なんだよ……」
さやか「何よまどか、あたしが誰かに言いふらすとでも思ってんの?そんなことしないよ」
鹿目さんは僕が言っていることを分かっているはずだが、それでも尚表情は硬いまま、必死に首を振る。
仁美「私は以前から、上条恭介君のことをお慕いしておりましたの!」
バサバサと鳥が飛び立った音が聞こえる。
病院の中庭というのは、利用する患者のためにある程度の静けさと、落ち着ける空間作りが施されている。
鹿目さんは顔を両手で覆って、何も見なかった、聞かなかったことにしようとしていた。
志筑さんは真剣な眼差しで僕を、さやかを見つめている。
さやか「えっと、その……」
仁美「私が今日ここに来たのは、上条君のお見舞いのためです。最近の私は、精神的に疲れることが多いみたいで、
それでこの間のような夢遊病になってしまったんだと思います。そして悩みはできるだけ解決するべきだと言われました」
さやか「……」
何か言いたくても声に出せなかった。
まさかよりによって、告白をされることになるなんて思ってもみなかった。
しかもさやかの体の時に。
間接的に。
仁美「だから私はまず、ずっと来たかった上条君のお見舞いに行こうとしました。そこでお話しをして、覚悟を決めようと思っていました
まさかお二人がここに来てるとは思いませんでしたけど」
少しトゲのあるような言い方で、少しだけ鹿目さんの方を見ていた。
鹿目さんは物凄く罰の悪そうな顔をしていた。
仁美「でも、ここでさやかさんに会ってしまったということは、抜け駆けはするなということなのでしょう。
だからは私は正直に自分の気持ちを話すことにしました」
さやか「そう、だったんだ……あは、あはははは」
もはや作り笑いすらまともに出来なかった。
さやかの体越しとはいえ、こんな風に真剣に告白をされたのは初めてだった。
小学生のころは、なんとなくで告白をされたことは少なくない。
そういう人達には特に感じるものもなく、バイオリンに集中したいからと断っていた。
だがどうやら、志筑さんは昔の子たちとは全然違う表情をしていた。
仁美「あなたはどうなんですか、さやかさん」
まどか「仁美ちゃん!?」
仁美「さやかさんは、上条君とは幼馴染でしたわね。私達よりもずっと」
そう、さやかとは幼稚園の頃から一緒だ。
鹿目さん達とは、小学校に上がってしばらくしてから同じクラスになった。
さやか「まあ、そうだね。昔からの幼馴染だけど……」
仁美「本当にそれだけ?」
まどか「もうやめようよ仁美ちゃん!それ以上は本当に……」
仁美「さやかさん。あなたは、あなた自身の本当の気持ちと向き合えますか」
さやか「自分自身の、本当の気持ち?」
さやかの本当の気持ち?
仁美「今日来たのは自分の気持ちを固める覚悟をするため。いつかさやかさんにも言うつもりでしたが、こんなに早くなるとは思いませんでした
私は、上条君に告白しようと思います。さやかさんがどう思っているかは、これでも友人として分かっているつもりです
上条君のことを見つめていた時間は、私よりさやかさんの方が上ですわ。だから、抜け駆けも横どりをするようなこともしたくありませんの」
抜け駆け?
横どり?
志筑さんは一体何を言ってるんだ?
仁美「だから、あなたには先を越す権利があるべきです」
鹿目さんは頭を抱えて蹲っていた。
仁美「さやかさんが何も行動を起こさないのなら、私も全力で上条君と接するつもりです」
さやか「あ、うん……そう、なんだ……」
仁美「一方的で、ずっと黙っていたことも、正直悪いと思っていますわ。でもごめんなさい、やっぱり自分の気持ちに嘘は吐けません」
さやか「……」
仁美「これから私も上条君のお見舞いに行くつもりですが、よろしいですか?」
さやか「……恭介は、今リハビリ中だよ」
仁美「……そうなんですの?」
まどか「うぇ!?う、うん!それは本当だよ!!」
仁美「ありがとうございますまどかさん。相談に乗ってくれて、とても嬉しかったんですのよ」
まどか「あの、私、仁美ちゃんには頑張ってほしいって思ってて……でも、さやかちゃんにも、その……」
仁美「分かっていますわ。できれば中立であってほしいというのが正直な気持ちですわ」
まどか「ごめん、私は二人に幸せになってほしくて……」
仁美「気持ちだけで十分ですわ。それでは今日は、残念ながらタイミングが悪かったということで、帰らせて頂きます
まどかさん、さやかさん、また学校で」
そう言い残し、志筑さんは病院を去っていった。
鹿目さんはやはり申し訳なさそうな顔をして隣に座っていた。
僕はただ、衝撃的なことが多すぎて頭が真っ白になっていて、小一時間ほどそこで空を眺めていた。
志筑さんは真剣だった。
その志筑さんは、さやかに自分の気持ちに向き合えと言った。
それ以外の言葉からも、僕は自惚れと言われようが、他に想像が出来なかった。
さやかはひょっとして、僕のことを——
さやか「鹿目さん」
まどか「な、なにかな!?」
鹿目さんはどちらの事情にも詳しいようだ。
だからきっと、僕の疑問に対する答えを持っているのだろう。
さやか「今日は、帰ってもいいかな」
まどか「う、うん……」
さやか「少し考えたいことがあるんだ」
でも、それを今の鹿目さんに聞くのは、なんとなく卑怯な気がした。
まどか「私、さやかちゃんに——」
さやか「大丈夫、僕が言ってくるよ」
返事を聞く前に僕は立ち上がって、自分がいる病室へと歩いていった。
まどか「あ、あのね!仁美ちゃん、真剣だったんだよ!だから、上条君も、真剣に考えてね!!」
僕は顔だけ振り向け、手を振るだけで返事をした。
鹿目さんは納得したのか微妙な表情をして、出口に向かっていった。
病室の扉を開けると、既にリハビリを終えたさやかが待っていた。
屈託のない笑顔(僕の顔だけど)で、僕を出迎えてくれた。
さやかは、何が起こったのか全く知らない。
志筑さんの言ったことが間違いなく、僕がとんでもない勘違いをしていなければ——
さやか「鹿目さんは、ちょっと用事があるって言って帰ったよ」
恭介「そうなの?」
さやかは何を考えているのだろう。
さやかはかなり正直な人間だと思っていた。
僕の前でもそれは変わらないと思っていた。
でも、僕の知らないさやか自身の気持ちがある。
そして何より、僕自身の気持ちが。
さやか「じゃあ、またね」
恭介「うん、バイバイ」
病室を出た僕は、ひたすら自分自身の気持ちを考えながら、既に体が覚えた帰り道を歩いて現在に至る。
土曜日ということもあり、さやかの両親は早々に帰宅していた。
少し早めの食事を一緒に摂りながらも、ずっとさやかのことを考えていた。
当然箸は進まない。
さやか父「何だお前、全然食ってないじゃないか」
さやか「うん、ちょっと食欲なくて」
さやか母「どうしたのあんた、また具合でも悪いの?」
さやか「なんでもないよ。ご馳走さま」
さやか父「なんだあいつ……思春期か?」
さやか母「色々ある年頃でしょ」
風呂に入るため服を脱ぎ、改めて自分の体を鏡に映す。
僕はここにいるはずなのに、目の前にはさやかがいるだけだった。
さやか「——ッ!」
何の気なしに視線を落とせば、当然胸が目に入る。
できるだけ見ないように努力はしていたが、正直完全に見ないなんて不可能だ。
チラリと視線にはいれば、吸い寄せられてしまう。
ただし、今日はいつもより全身が熱くなるのを感じた。
鼓動が速くなり、手の平がジワリと滲む。
なんだろうこれは。
今までこんなことなかったのに。
白い肌。
肉の付き過ぎていない腰。
膨らんできた胸。
細すぎない腕。
滑らかな脚。
意識しないのはもう不可能だ。
昨日、気付いてしまった。
さやかはただの幼馴染じゃない。
幼馴染の女の子なんだ。
左手を伸ばし、鏡の中のさやかに触れてみる。
ひやりとした感覚が手のひらを伝わる。
さやかの左腕を見たとき、ふと、さやかの言う奇跡の話を思い出した。
さやかは僕がバイオリンを弾くことができると確信していた。
それはこのまま戻れなくても、戻ってもだ。
確かめたい。
真相を知りたい。
その上で僕は、さやかの本当の気持ちを知りたい。
僕の気持ちを知りたい。
その日は初めて入れ替わった日以上に寝付けなかった。
*美樹さやか*
恭介に誘われて、あたし達は車椅子に乗って屋上に来ていた。
昼間ということで屋上一杯に干されたシーツの間を抜けながら、外の景色が見れる場所までやってきた。
屋上は患者にも開放されていて、花まで植えられている。
天気がいいこともあって、実に風が気持ちいい。
恭介「いやー、ずっとベッドで横になってるかリハビリしてるかだったからこういうのもいいよね!」
さやか「そうだね」
恭介「ふふっ、ありがとね!」
話すかどうか迷ったが、あたしは正直に、恭介の両親にCDプレーヤーとバイオリンを頼んだことを伝えた。
少しだけ意外そうな顔をしたけど、恭介はすぐに笑ってくれた。
本当はもっと怒るかと思ってた。
恭介は当然、腕が治るなんて思ってないだろうから。
仮にあたしの体でバイオリンを弾いたとして、その後元の体に戻った時に生まれるであろう絶望は想像に難くない。
そうなる前に、あたしが間髪いれず契約すればいいだけの話だし、あたしの体でプロになってくれても構わない。
いつかあたしが天才バイオリニストなんて呼ばれる日が来ることもあるのだろうか。
さやか「気分転換は出来たかい?」
恭介「うん、バッチリだよ!」
さやか「突然だけど、さやかは志筑さんのことをどう思ってる?」
恭介「へ?どうしたのいきなり」
さやか「いいから」
いきなり名前が出てきたことに少々戸惑いつつも、あたしは素直に答える。
恭介「仁美は良いやつだよ。なんてったってあたしに宿題写させてくれるしね!それにやっぱ美人だからねー、並大抵の男にはもったいないわ
なんでもそつなくこなしたりするけど、たまにどこか抜けてることもあるし、そこがまた可愛いっつーか!」
さやか「僕、昨日志筑さんに会ったんだ。この病院で」
恭介「は?」
なるほど、だから仁美の名前が出て来たのか。
それにしても、なんだか声が低い気がするのは気のせいなのかな。
さやか「鹿目さんも一緒にいたんだけどね」
風に紛れて、深呼吸する音が聞こえる。
恭介はあたしの後ろから左側に移動してきた。
その横顔は、真面目なあたしだ。
さやか「どうやら志筑さんは、僕のことが好きらしいんだ」
好き。
人が人を好き。
誰が誰を好き?
仁美が恭介を。
好き?
さやか「鹿目さんは止めようとしてたんだけどね。さやかに向けて、上条君をお慕いしていると言ったよ」
なに、それ。
一体何が起こったらそんな言葉が出てくるわけ?
さやか「それからこうも言ったよ。さやか自身の本当の気持ちと向かえますかって」
恭介「えっと、何かの冗談、だよね?」
さやか「さやかが何も行動を起こさないなら、僕に全力で接するって言ってたよ」
恭介「あははは、恭介も冗談言うようになったんだねー!」
さやか「志筑さんは、友人としてさやかの気持ちを分かっているつもりだって言ってた」
恭介「それとも、余裕の現れですかな?」
さやか「こういうと、自惚れてるというか、勘違いしてるって思われそうなんだけど……」
やめて。
さやか「さやかは、」
やめてよ。
さやか「僕のことを、」
やめてってば。
さやか「僕のことを……」
言わないでよ。
さやか「好き、なのかな」
あぁ、言っちゃった。
よりによってあたしの声で、恭介が。
なんで今なのよ。
今あたし達は入れ替わってるんだよ?
普通の男女じゃないんだよ?
それなのに自分の気持ちを押し出しちゃって、それでどんな結果になっても体が戻らなかったら気まずいなんてもんじゃないんだよ。
幸いなのは、恭介が魔法少女のことを知らないこと。
体さえ戻ってしまえば、恭介の腕を治せる。
恭介の気持ちがどうであれ、それでハッピーエンドになる。
……
なんだろう、奥の方がズキズキする。
恭介が幸せになってくれれば、それでいいじゃない。
何も知らなくても、腕が治ってバイオリンを弾けるようになれば、それでいいじゃない。
あたしは、恭介が無事であるように魔女と戦うだけだから。
それでいいじゃない。
恭介「っ……やだ、ちょっと……やめてよ……」
なら、どうして涙が溢れるんだろう。
どうして?
自分自身の気持ちに、あたしが向き合えないとでも思ってるの?
知ってる。
どんなに奥に裏に底に果てに隠したって、そこにあるのはあたしの気持ち。
バカなあたしにだって分かる、本当の気持ち。
戦いたくない。
死にたくない。
恭介といたい。
あたしを見て
もうっ、お願いだから止まってよ!
こんな顔見られたら、恭介にバレちゃう。
恭介の言ったことはその通りですって、間違っていませんって。
バレちゃうじゃん。
だから涙を止めろよあたしのバカ!
さやか「それと……僕はずっと気になってることを今聞こうと思う。今じゃなきゃ駄目なんだ」
これ以上、何が聞きたいっていうの。
それより、早く否定しなきゃ。
そんなわけないじゃんって、笑って言わなきゃ。
これ以上、あたしの決心を揺らさないで。
さやか「さやかはどうして、僕がバイオリンを弾けるようになるって言ったんだい。しかも、入れ替わりが治っても治らなくてもって」
恭介「——っ!!!」
駄目だ、決定的だ。
恭介は腕が治ってもただの奇跡だとは思わない。
絶対にあたしが何かしたんじゃないかと疑う。
魔法少女だなんて気付かなくても、あたしのせいだと思ってしまう。
それじゃああたしの決意がブレる。
恭介の恩人になれたって、きっとどこかで傾く。
そんなのマミさんの言ってた魔法少女じゃない。
転校生と何も変わらない。
独りよがりの魔法少女だ。
逃げ出したい。
今すぐここから逃げ出したいと思った。
でもあたしの足は恭介の足。
逃げられない。
恭介から顔を背けることしか出来ない。
さやか「本当は聞くつもりはなかったんだよ。さやかが、僕達がこんな状態にまでなってるのに言いたくなかったことだから、きっと聞かれたら嫌な思いをするだろうって
でも、志筑さんの話を聞いて少し思ったんだ。本当はさやかはどう思ってるんだろうって」
恭介は落ち着いていた。
あたしが無様に啜り泣いているのに、動揺を見せない。
きっと昨日ずっと考えてたんだ。
何を言うかも、何が起こるかも。
でも、何で泣いているのかは流石に分からないかな。
分かられてたまるもんか。
恭介はそれから何も言わなかった。
聞くことは聞いたから、あたしの返事待ちなのだろう。
少しでもあたしが車椅子の扱いに慣れてたら、恭介を置いて逃げるのに。
逃げても、逃げ場はないけど。
声だけは聞かせまいと、必死に口を押さえながら気持ちが落ち着くのを待った。
涙が止まっても、返事はしなかった。
しばらくして屋上の扉を開ける音がした。
振り返りはしなかったが、普通の患者さんたちだろう。
ただ、コソコソこっちのことを話しているようだった。
うるさいなぁ、放っといてくれないかな。
そんな彼らが再び扉を閉めていなくなっても、まだ押し黙ったままだった。
このまま黙ってれば、その内夜が来て恭介はあたしの家に帰らなきゃならなくなるだろう。
それまで根競べでもいいかもしれない。
何を言えばいいのか、あたしにはもう分からない。
さやか「じゃあ、僕から話そうか」
口を開いたのは恭介だった。
あれだけ聞いておいて、何を話すってのよ。
さやか「僕は、今までさやかのことをただの幼馴染としか見てなかった」
恭介「なっ」
さやか「もっと言えば、同性感覚だったかな」
恭介「はぁ!?」
マジカルバットで殴られたようなこの衝撃。
薄々感づいてはいたけど、どうやらあたしは本当に女子として見られていなかったらしい。
恭介は、あたしが今まで無神経だった分を苛めて返そうとでもしてるのかな。
さやか「幼稚園の頃から一緒に遊んでたし、小学校に上がっても態度は変わらないし。そもそもさやかって男子っぽいところあるしね」
否定はしない。
小さい頃は、何度か間違われたことがある。
初対面でまどかに間違われたのは今でも覚えてる。
さやか「そんなだから、いつの間にか僕の方が大きくなってても、さやかが制服で毎日スカートばかりになっても……
その、ブラジャーを付けるようになってたり体つきが変わったりしてても、今まで通りにしか接することが出来なかった」
恭介「それって普通に傷付くんだけど……」
さやか「僕が事故に遭って、よくお見舞いに来てCDを持ってきてくれるようになったよね。初めの頃は嬉しかったよ
僕のためにそこまでしてくれるのは、さやかだけだったからね」
恭介「……今度は普通に褒めないでよ、恥ずかしい」
さやか「でもあの日……いや、その前の日に、僕は一生腕が動かないことを告げられた。その日はずっと項垂れてたよ、なんで僕なんだって
次の日になって、僕は音楽を聞き始めた時急にイライラしてきたんだ。どうして二度と弾けもしないのに音楽なんて聞いてるんだろうって
そしたら今度はさやかに対して怒りが湧いてきた。こんな音楽を持ってくるさやかが憎い、ってね」
恭介は淡々と述べていく。
言いたいことは決まっているようだった。
多分、あたしが泣いている間に考えでもしてたんだろう。
さやか「だからあの時はさやかに不満をぶちまけてしまった。でも冷静に考えれば、ただの八つ当たり以外の何物でもなかった
そのことをずっと謝ろうと思ってた……ごめんさやか。本当にごめん!」
自分でもしたことないくらいの綺麗な姿勢で、恭介は頭を下げた。
なにやってんだろあたし。
謝らなきゃいけないのは、あたしの方じゃないの。
恭介「それはあたしの台詞だよ。あたし、恭介のこと何にも考えてなかった。CDを持っていけば喜んでくれると勝手に思ってた
恭介は音楽が好きだったから。あたしには怪我を治すことなんて出来ないから、それくらいしか出来なくて
恭介がどれだけ苦しんでたのか、分かってあげようともしてなかった。完全に自分本位でさ
入れ替わった次の日もそう。恭介が腕のことで悩んでるのに、腕が動かなくて大変そうみたいなこと言って、傷付けちゃったよね
あたしが自覚してないだけで、他にも何度も傷付けて来たんだと思う……あたしの方こそ、ごめん!」
柵を掴み、タイヤを回転させて恭介の方に向き直る。
綺麗な姿勢は無理だけど、精一杯頭を下げた。
やっと謝ることが出来た。
遅くなったけど、やっと。
さやか「ははっ、これでお互い様だね」
恭介「ありがとう、ちょっとスッキリできた」
さやか「で、話は戻るんだけど」
恭介「もう!?」
なんて少ない余韻だったんだ。
恭介って、こんなにサバサバしてたっけ?
さやか「入れ替わってから、いろいろあったよね。いきなりトイレに行きたくなったり、お風呂に入るだの着替えが難しいだの」
恭介「それだったら体育が一番の問題だけどね」
さやか「どうかな。正直、自分一人で着替えてた時の方が何倍もドキドキしてたよ」
恭介「えっ」
それはどういう意味なんだろう。
初めてだったから緊張してただけなのか、それとも——
さやか「さやかの体が僕の思ってた以上に成長してた」
ドキっとした。
心臓の音が周りの音をかき消すくらい大きく、うるさくなっていく。
でも、恭介の声だけはこれでもかというくらい鮮明に聞こえる。
さやか「こういうとなんか変態っぽいけど、事実なんだ。ずっと男子だと思ってたさやかが、すっかり女子になってたんだから」
顔が燃えていきそうなのが分かる。
そよ風程度じゃこの熱は全く持って収まらない。
でも、どこか心地いい。
さやか「それで昨日の志筑さんの告白を聞いて、さやかに宣戦布告をするような話を聞いて、僕は考えるようになった」
息切れがする。
うまく呼吸が出来ない。
でも、意識ははっきりしている。
さやか「さやかは僕にとって本当にただの幼馴染なのかなって」
やっぱり逃げよう。
右腕だけでも頑張ればいけるんじゃないかな。
こんな顔、これ以上見せられない。
さやか「だから聞かせてほしい。さやかはどう思ってるのか……何を知ってるのか」
恭介はひたむきに、真っ直ぐに、自分の気持ちをさらけ出してくれた。
あたしはそれに答えなきゃならない。
でも、魔法少女のことをなんて言えばいいの?
一体誰が信じてくれるっていうの?
逃げたい
キュゥべえに出てきてもらう?
逃げたい
癪だけど転校生に変身してもらう?
逃げたい
危険を承知で魔女の結界に連れていく?
逃げたい
実際に願いを叶えて見せる?
逃げたい
逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい
逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい
逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい
逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい
逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい
逃げない
恭介「好きだよ」
言ってしまった。
もうどうなっても知らない。
転がる石だ。
止まらない。
恭介「あたしは昔から、恭介のことが大好きだよ」
ずっと見てきた。
恭介「恭介のバイオリンが大好きだよ」
ずっと聴いてきた。
恭介「恭介の全部が好き」
ずっと想ってきた。
恭介「あたしが知ってることは、今は言えない」
言えばきっと——
恭介「言えばきっと、あたしは後悔するから」
本当は——
恭介「本当は凄く怖いよ。迷ってる。やりたくない。戦いたくない。怖い。死にたくないよ。投げ出したいよ」
でも——
恭介「でも、やっぱり恭介のバイオリンが聞けないのは、あたしすっごく嫌なの」
恭介のために勇気をください。
嘘でもいいから、好きだと言ってください。
そうすればきっと、後悔なんてあるわけない。
さやか「僕の気持ちは、はっきりしてる。一晩も悩んでようやく気が付いた」
あたしの顔が、笑顔を見せてくれた。
さやか「僕は、さやかが好きだ」
ありがとう。
さやか「ずっと傍にいてくれたのに、僕はそれに気が付かなかった」
もう嘘でもどっちでもいい。
さやか「これからも、僕と一緒にいてくれないかな」
これであたしは、魔法少女になれ——
恭介「えっ」
頭を押さえられ、柔らかい感触が押し当てられる。
肩を寄せられ、されるがまま恭介の方に傾く。
っていうかこれ、抱き寄せられてる。
恭介「あ、あの、恭介?」
さやか「駄目だから」
何が?
さやか「僕のために自分を傷付けるようなこと、絶対駄目だから」
恭介「それ、あんたが言えるの?自分で自分の腕傷付けたくせに」
それと、なにあたしにあたしのおっぱい押し当ててんのよ。
さやか「さやか!僕は——」
恭介「大丈夫だよ。あたしにはもう躊躇うものが何もないから。それに、恭介がいてくれて、バイオリンを聞かせてくれたら百人力って感じ」
さやか「そんなのでいいわけないだろ!」
恭介「大体、そういうのは元に戻ってから心配しようよ。まずはそっちが先でしょ」
そう言われて恭介は少し悔しそうに下を向いた。
ごめん恭介。
やっぱり知られるわけにはいかないんだよ。
あたしが恭介の重荷になるわけにはいかないんだから。
恭介「いやー、なんか、嬉しすぎてまた泣きそうなんだけど」
さやか「……」
恭介「ありがとう、あたしのことを見てくれて」
さやか「やっぱり駄目だよ、そんなの」
恭介「だから、今はそういうの気にしてもしょうがないって」
さやか「もし知らないままさやかのおかげで腕が治されるんなら、僕はバイオリンをやめる」
恭介「……は?」
いやいやいや、何言ってるの?
さやか「そういうの隠されたまま一緒にいるのって、なんか違う気がする。そんなの嬉しくない」
恭介……
あたしがどんな思いで自分を見せたのか分かってくれないの?
もう一度、恭介のバイオリンが聞きたいからなんだよ。
なんでそういうこというのよ。
恭介「この分からずや!」
さやか「分からずやなのはどっちだよ!」
恭介「どう考えても恭介でしょ!なんでそういうこと言うの!?」
さやか「僕はただ、本当のことが知りたいんだ!さやかを危険な目に遭わせてまで手に入れるバイオリンなんて、そんなの間違ってる!」
恭介「そんなことないよ!恭介がバイオリンを弾かないなんて、それこそ間違ってる!」
さやか「それはさやかの押し付けじゃないか!」
恭介「恭介の我儘でしょ!」
さっきまでのロマンチックな雰囲気はどこへやら、本気の言い合いが始まってしまった。
しかもお互い譲る気が無いのだから、てんで終わりが見えてこない。
あたしは間違ってることを言ってるつもりはない。
ただ、恭介の気持ちは染みるほど嬉しかった。
今まで同性程度の幼馴染にしか思われてなかったのに、異性として、恋人として見てくれてる。
それだけで十分すぎるくらい幸せだった。
勿論だからといって、恭介の言い分を認めるつもりはない。
恭介「もういい先帰ってるから!頭冷やしてきなさいよね」
さやか「帰るだって?一人で帰れもしないのに?頭冷やさなきゃいけないのはさやかだろ」
恭介「うっさいわね!できるわよそれくらい!!」
右手で右輪を握り、左手は左輪に添える。
言われた通り一人で帰ってやるわよ。
恭介「せーのっ!」
空はどこまでも遠い。
雲が流れる速度はバラバラで、地上で歩く人達を思い浮かばせる。
コンクリートは無機質で冷たいけど、熱くなった頭を冷やすのには丁度いい温度をしている。
なんであたしが空を見ながら頭をコンクリートに付けているのかと言えば——
それはまあ、普通にこけたからだ。
右にだけ力が入り、半回転したあたしは柵にぶつかり、そのまま左側に倒れたのだった。
恭介はニヤニヤと見下している。
あーもう、いい笑顔してくれちゃって。
恭介「……助けて」
さやか「分かった」
車椅子を起こし、恭介の体を抱きかかえながらどうにか座らせてくれた。
途中一瞬だけお姫様だっこみたいになってたけど、どう考えても逆だよねえ。
恭介「ありがと」
さやか「落ち着いた?」
恭介「そっちこそ」
さやか「まあ、確かにさやかの言う通り、元に戻ってから考えよう」
恭介「あたしも、言い過ぎたかなとは思う。ごめん」
さやか「僕の方こそごめん。いつ戻れるか分からないけど、それまでに考えよう」
さやか「じゃあ、帰ろうか」
恭介「うん。連れてきてくれてありがと」
さやか「あれ?」
後ろに立っていた恭介が、何かを見つけてしゃがみ込んだ。
さやか「どこかの部品が外れてる」
恭介「車椅子の?やば、さっきこけた時かな?」
さやか「だと思う。えっと、この辺かな」
恭介「貸して、あたしがつけるよ」
さやか「でも左側だよ?」
恭介「ねじ締めるくらいなら大丈夫!リハビリの成果見せてあげるよ!」
さやか「そうかい?」
ふるふると震える手で受け取り、顔を乗り出し場所を確認する。
頑張れば届く場所にあるし、ねじさえさせれば——
恭介「あっ」
が、すぐに落ちた。
さやか「やっぱり僕がやるよ」
恭介「いいって!これくらいできるよ!」
半ば必死だった。
あたしにだって出来ること、あるはずだから。
さやか「じゃあ、支えてあげるから」
共同作業みたいだけど、この際仕方ない。
左腕を支えてもらいながら、ゆっくりとねじ穴に差し込む。
そして少しずつ回転させていく。
さやか「もう少し」
恭介「これで、どうよ!」
ねじが締まり、車椅子は元に戻った。
*上条恭介*
僕はねじ穴を見ていた。
間違いなく、正面から見ていたはずだった。
なら、どうして僕は上から見ているんだ?
そしてこの左腕は、なんだ?
僕が顔を上げるのと同時に、さやかも顔を上げた。
そう、さやかだった。
昨日鏡で見たあの顔。
僕の大好きな幼馴染。
さやかは、まさにポカーンという表現がふさわしいくらいに、ポカーンとしている。
多分僕も同じ表情をしているだろう。
恭介「ねえ、これってまさかイタタタタタ!」
さやか「痛いんだ……じゃあ、夢じゃないよね」
いきなり人の頬っぺたをつねるなんて、さやかじゃなきゃ考えられない行動だ。
……いや、そうでもないか。
恭介「っていうか、さやか……だよね?」
さやか「あぁ、うん、恭介でいいんだよね?」
要するに、これはつまり、元に戻ったということか。
さや恭「やったぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
恭介「凄いよさやか!戻ったよ!!」
さやか「さっぱり分かんないけど、あたしら戻ったよ!」
今度は立場が逆だが、さやかを思いっきり抱きしめた。
頭に柔らかいものが当たっているが、今はそれどころではない。
恭介「何がどうなったんだ……だって、ねじを締めただけだよ!?」
さやか「ホントそれだけ……いや、待って。二人でやったからじゃない?あの時も、あたし恭介の腕掴んでたし」
それならば、試しにやった二度目のCDプレーヤーの時に戻っていてもおかしくはない。
二人で何かをするというのは、条件の一つでしかないと思う。
恭介「じゃあ一体何で……」
僕達の魂は入れ替わった。
逆転現象。
CDプレーヤーを"壊して"起こった。
そして再びの入れ替わり。
さっきは確か——
恭介「治したから」
さやか「へ?」
恭介「僕達はねじを締めて、車椅子を治したよね?きっとそれだ」
さやか「どういう、こと?」
"壊して"起こった入れ替わりで、元に戻りたいならその逆をすればいい。
つまり、何かを"治せば"よかったのだ。
どうしてこんな現象が起こったのか、そこまでは流石に分からない。
でも、僕は感謝したい。
この入れ替わりのおかげで、僕は大切なものに気付くことが出来たのだから。
一時の夢を見せてくれたから。
さやか「なんか、これが普通なのにちょっと変な気分」
恭介「そうだね……少しだけ懐かしいよ」
そして突きつけられるのは、現実。
元に戻ってすぐに分かった。
僕の左腕は、僕の左腕のままだ。
さやか「あっ……その、左手、どんな感じ?」
軽く持ち上げてみる。
感覚はない。
恭介「間違いなく僕の腕だよ」
さやか「っ……そんな」
強がってみせても、本当は辛い。
だけど、あの時とは全然気持ちが違う。
今はさやかがいてくれる。
バイオリンは弾けなくても、それでいいじゃないか。
さやか「それでも、治らなくていいって思うの?」
恭介「うん……さやかに頼みがあるんだ」
さやか「何!?なんでも言って!」
恭介「これからも、僕を支えてくれるかな」
さやか「そんなの、当たり前だよ!恭介のためなら、なんでもするから!」
恭介「じゃあ、絶対に自分を傷付けないでほしい」
さやか「それって、さっき言ってた……」
恭介「さやかのために、そして僕のためにもお願いしたいんだ。今は駄目でも、ひょっとしたら将来、治せるようになるかもしれないじゃないか
医学は日々進歩してるんだよ?ひょっとしたら明日にでも新しい技術が誕生するかもしれないんだ」
何歳になるか分からない。
コンクールとか、賞とか、目指してなかったわけじゃない。
むしろ必死に狙っていた方だ。
でもこうなってしまえば、そんなものいらない。
趣味として嗜む程度でも悪くないさ。
なんだか言い聞かせてるみたいだけど、これも一つの考え方だ。
さやか「ごめん……ごめんね恭介」
恭介「ありがとう、僕のために悩んでくれて。もう僕は新しい道を見つけたんだ。だからもう——」
さやか「ごめっ、ごめんね……一緒にいてあげるから!ずっと一緒だから!!」
だからもう、泣かないでほしい。
翌日、さやかは学校に行った。
僕は数日ぶりのベッドを懐かしみつつ、またベッドとリハビリ室を往復する生活を始めた。
少しだけ感覚が鈍っていたのか、スタッフから、君は結構上がり下がりが激しいんだねと言われた。
あっという間に時間が過ぎ、日がまた傾いてきた。
さやかには、一つ用事を頼んでいた。
扉がノックされ、僕はどうぞと声を掛ける。
仁美「失礼します」
さやか「お待たせ」
さやかに頼み、志筑さんを連れてきてもらった。
さやかはどこまで話したのだろうか。
僕達が付き合うことになったと言ったのだろうか。
仁美「あの……おめでとう、ございます」
どうやら既に言ってあるらしい。
さやかは少し切ないような、申し訳ないような、複雑な表情をしていた。
恭介「ありがとう志筑さん。さやかから話は?」
仁美「聞きましたわ……悔しいですけれど、私の完敗ということですわね」
さやか「全く、仁美ほどの美人を振るなんて、どんだけ目の肥えた男なのやらだよ」
恭介「僕にとっては、志筑さんより可愛い子なんだよ」
さやか「……そういうこというの反則」
こういうところがまた可愛いんだ。
仁美「まあ、見せつけてくれますわね……まさか、それだけのために私を?」
恭介「違うよ志筑さん。僕は志筑さんにお礼が言いたかったんだ」
仁美「お礼、ですか?」
恭介「うん。志筑さんのおかげで、僕達は気付くことが出来たんだ。志筑さんがいなかったら、今の僕達はなかったと思う
だからお礼を言わせてほしい。ありがとう」
頭の上にクエスチョンマークを浮かべて、首を傾げている。
当然だろう。
あの日志筑さんは、さやかに宣戦布告したつもりだったのだから。
まさかすでに僕に告白していたとは思わないだろうな。
さやか「あたしからもお礼を言わせて。ありがとう……それから、これからもよろしくって言わせて」
さやかは手を差し出した。
志筑さんは呆気に取られながらも、やがて溜息を一つついて、
仁美「えぇ、よろしくですわ」
と言って手を取った。
まどか「あの、もう入ってもいいかな?」
どうやら鹿目さんも来ていたらしく、扉を少し開けて顔を覗かせていた。
そういえば、鹿目さんにも何も報告していなかった。
さやか「仲直りもしたし、お礼も言ったし、全て元通り!」
まどか「おめでとう上条君!元通りだね!」
恭介「あぁ、ありがとう鹿目さん」
入れ替わりが元通り。
三人の友情も、見た限り亀裂は入っていない様子だ。
……多分。
しばらく雑談をした後、志筑さんは習い事があるということで帰っていった。
わざわざ時間をずらしてくれたらしく、本当にいい人だった。
鹿目さんも志筑さんと一緒に出ていった。
ここのところずっとだったけど、またこうして二人きりだ。
さやか「仁美の奴、少し寂しそうだったね」
恭介「そう、だね」
さやか「まどかが励ましてくれるって言ってたから、今回は任せるしかないかなー」
確かに、志筑さんを慰められるのは、相談を受けていてた鹿目さんくらいだろう。
もしかしたら、今日の僕のお礼は辛い思いをさせてしまったかもしれない。
さやか「ねえ、恭介」
恭介「なんだい?」
さやか「さっき恭介のおじさん達に会ってね。これ渡すよう頼まれちゃった」
恭介「それは……あ!」
さやかが鞄から取り出したのは、新しいCDプレーヤーだった。
いつの間にさやかは頼んでおいたんだろう。
さやか「何か聴いてから帰っていいかな?」
こんな風に頼まれたら、断るわけにはいかない。
何にしようか考えたが、すぐに決めた。
決まっていたと言ってもいい。
CDをケースから取り出し、プレーヤーにセット。
イヤホンを差してから、僕は左耳に付け、さやかに右側を渡した。
さやか「なににしたの?」
僕が初めてさやかに聴かせたこの曲。
恭介「アヴェ・マリアだよ」
おしまい
これにて終わりです
マミさん死んでたりほむら台詞少なかったりそもそも杏子出番なかったりだったけど、許して下さい
なんとか「さやかの」ハッピーエンドは迎えられた気はします
要は、恭介がさやかを女子として認識すればイケるんじゃね?ってことで
王道ネタ、しかも鉄板の幼馴染なのに書かれてなかったのが不思議だったのですが、完結出来て良かったです
本当はギャグにしようと思ってたけど、こうなりました
四日間お付き合いありがとうございました
頃合いを見てhtmlしてもらいます
乙!!!
良かった、本当に良かった!
>>1の他作品も見たい
>>1です
とりあえず日付変わったら依頼してきます
無いと思うけど質問とかあれば今のうちに
このSSはみんなも思ってるように、全体的にはビターエンドみたいなもんなんですよね
あくまで「さやかの」ハッピーエンドということです
>>197
そういうこと言われると晒す人間なので晒します
現行
まどか「魔法少女の短編集」
QB「僕と契約してポケモン図鑑所有者になってよ!」
元々短編集に使おうと思ってたネタだったんですが、勿体なく感じてこうなりました
地の文即興仲間
マミ「虚ろな転校生」
ほむら「因果の糸が巻き付き過ぎてまどかが消えた」
クロス、それっぽいもの
ジョーンズ「この惑星の魔法少女と呼ばれる職業は、とにかく大変だ」
貴金属刑事「ソウルジェム?それは一体どんな貴金属なんだ…?」
まどか「マミさんが簡単な英語しか喋れなくなっちゃった」
ほむら「私はホムホムの実を食べたほむ人間なの」
他
まどか「さやcarちゃん一緒に帰ろー」さやか「いいよー」ガショーンブオーン
まどか「みんなシャフ度のせいで死んじゃう」
さやか「神を……見た!!!」
他にも書いてるけどまあこんなもんです
このSSまとめへのコメント
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