ほむら「暁の世界で」(199)

まどか☆マギカの二次創作SSです

概要
・基本的にほむら視点
・ほのぼのだったりシリアスだったり
・長めになる予定


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1361624383

 長かった闘病生活もほとんど終わり、退院の日はもう明日まで迫っていた。


「うんうん……あはは、ありがとう。……大丈夫だってば」


 そんな日の夜、私はベッドに腰掛けて母と電話越しで会話をしていた。


「え?……ううん、いいよ。忙しい中電話くれただけでも嬉しいよ」


 電話の向こうの母は、退院日に誰も居合わせられないことを何度も謝ってきていた。
 
 私も親の都合が考えられないほど子供ではない。両親が私の退院に付き添えないほど仕事に追われているということも、それは仕方のないことだということも理解できている。だから母のことを責めるいわれはないし、もとよりそんな気もない。

「……うん、じゃあね。お仕事がんばってね」

 
 やがて、十数分ほどの通話を終えた私は携帯電話を閉じる。


「……はぁ」


 思わずため息が出てしまった。
 母との会話が苦痛だったという訳ではない。病弱で気弱で今のように心配ばっかりかけて……そんな自分にふと嫌気がさしたのだ。

(このまま、なのかな)

 
 私はこれから先ずっと、誰の役に立つこともなく、迷惑をかけながら生きていくのだろうか。今までがそうだったように。
 
 ……そんなことを考えていたら、またため息が漏れていた。すっかり気が滅入って腰掛けたままのベッドに横たわると、壁にかかったカレンダーが視界に入った。
 
 そこには二つほどの書き込みがあった。どちらも以前見舞いに来た母が書き込んだものだ。

 一つは明日、16日のところに目立つように『退院』。
 そしてもう一つ。25日のところにこれまた目立つように『転校』。


(……あと1週間とちょっとかぁ。見滝原中学、どんな人がいるんだろう)

 
 寝転がったまま近くのテーブルに乗っていた転校予定の学校の資料を手に取り、適当にページをめくる。
 何度かこの資料を見た限りでは、かなり設備が行き届いていて清潔で、風紀も悪くないみたいだ。
 
 けどいくらこの資料を見たところで、生徒や先生はどんな人なのか、私でも上手くやっていけそうなのか……そういったことはわかりそうにない。

(友達、できるかな)

 
 
 引っ込み思案で臆病な私でも、友達を作ることができるだろうか。

 一緒に遊んで笑いあったり、時には助け合ったりできるそんな友達が……

 
 ――そうやって新生活への不安で悶々としているうちに、私の意識は次第にまどろみに落ちていった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 
 夢の中、誰かが私の先を歩いている。 


――そんな緊張しなくていいよ。クラスメイトなんだから――


 誰だろう。見覚えがない人だ。


――わたし、鹿目まどか。まどかって呼んで――


 名前も、知らない。初めて聞いた名前だ。

――いいって。だからわたしも、ほむらちゃんって呼んでいいかな?――

 
でも、彼女は私の名前を知ってくれているみたいだ。


――そんなことないよ。なんかさ、燃え上がれ~って感じで。かっこいいと思うな――


 急に彼女が立ち止まり、そしてこちらを振り返る。

――そんなの勿体ないよぉ。せっかく素敵な名前なんだから――


 ……彼女が笑っている。陽だまりのような、素敵な笑顔だ。


――ほむらちゃんもカッコよくなっちゃえばいいんだよ――

 
 でも、どうしてだろう?
 
 彼女のその笑顔が、とても遠いところにあるような気がするのは……

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 私が夢から覚めて最初に聞いたのは、一定間隔で鳴り響く電子音だった。
 
 なんだか、随分と長い間眠っていたような気がする。


(何の音だろう?)

 
 多分医療器具の音なんだと思う。でも自分の個室にはこんな音を出す器具なんて備えつけられてなかったはずだ。
 不思議に思った私は目を開けて辺りを確認しようとした。

(あ、あれ? 体が……)


 そこで初めて、私は自分を含めた周囲の様子がおかしいことに気付いた。
 
 昨日まで自由に動かせたはずの体が、ほとんど言うことを聞いてくれないのだ。しかも、何故か呼吸器や点滴が体に繋がっていて、うまく体を動かせない。


『―――――!?』


 身を起こそうともがいていたら、どこからか声が聞こえて来た。
 なんとか頭を動かし声の主を探すと、通路側のガラス窓の向こうで誰かが私の名前を呼んでいた。


(……ガラス窓?)


 これまたおかしな話だ。私の個室は通路側に窓なんて付いていなかったはずなのに。

「だ、れ……?」


 取り敢えず返事をしようとしたのだけど、それすら満足にできずかすれた声になってしまう。


(あの人は、だれ? どうして私はこんな部屋にいるの?)


 ぼんやりした意識の中、私の頭には様々な疑問が浮かんでいた。
 昨日眠りについた病室とこの病室ではあまりに様子が違うこと、外で私を呼ぶ誰かのこと……考え出せばキリがない。
 
 やがて起き上がるのは無理だと判断した私は、せめて自分がどうなっているのかだけでも確認しようと無理矢理視線を動かしてみた。

「う、あ」

 
 
 自分の体の様子を見てみると随分と酷い有様だった。

 体のあちこちが包帯で覆われており、縫合痕のようなものも見える。四肢のうちでまともに動かせそうなのは左腕だけで、他はろくでもない状態だった。


「ど、して……こん、な」


 何もかもが分からない。眠っていた一晩の間に何があったのかも、何故こんな目に逢わなければならないのかも。


(私は今日、退院だったはずなのに……)


 次々と突きつけられる訳の分からない事実に、私はただ呆然とするほかなかった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 1話「夢の中で会ったような」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ある平日の昼下がり、私は病室のベッドに座って何をするでもなくただぼうっとしていた。


「眼鏡は……あった」


 あまりにやることがないので退屈しのぎにテレビでも見ようかと思い、近くのサイドテーブルに放置してあった眼鏡を手に取り顔にかける。
 ……けれどレンズを通して見えた景色は、頭が痛くなるほどに歪曲していた。

(うわっ? ……あー、そういえばそうだった)


 眼鏡がいらなくなったことをすっかり忘れていた。どうしても慣れなくてこういった失敗を繰り返してしまう。
 
 グニャグニャに歪んだ視界に思わず眉間を抑えながら、私は眼鏡を外し机の上に戻す。そして今度は気を取り直して今度はテレビのリモコンを手に取った。


(この時間って何やってたかな)


 局番をいじってみたけどこれと言って面白そうな番組があるわけでもない。仕方なく適当な局で放置して、何となく画面を眺めていることにした。

『では次の特集です……』


 どうやらやっているのはニュース番組のようだ。しばらくの間眺めていると、内容は昨今のとある事件のものへと移っていった。


『今回のG県女子学生連続殺人事件ですが……』


 私一人の病室に事件の概要を説明する声が響く。私は流れてくる声を聞き流しながら、ここ最近の自分の境遇を思い返していた。

『まず、先々月の16日にAさんが病院を退院し、直後行方不明。同日にBさんも……』


 ――意識を取り戻してからそうかからずに、私は人と話せるほどに回復した。それから病院の人をはじめとした周りの人たちが、私の今の状態について何度も説明をしてくれた。

 聞いたところによると、私はこの病院から退院してから一ヶ月の間、行方知れずになっていたらしい。


『被害者のうち、生存者は1人だけなんですよね?』
『はい、そのうちAさんだけが……』


 消息を絶ってから一ヶ月後、私は見滝原市内の体育館付近で血まみれで倒れているところを発見された。

 その日は町全体に避難指示が発令されていたらしく、避難場所に指定されていた体育館には多くの人がいたらしい。それで晴れ間が見えたからと外の様子を見に来た人が偶然私を見つけたのだ。

『奇跡的に意識を取り戻し、後遺症もなく……』


 病院に運ばれた直後の私の状態は酷いもので、外部は打撲痕や切り傷に加えて火傷だらけ、内部は内臓破裂に全身骨折と満身創痍だったらしい。
 
 生死の境を彷徨った私だったが、今の調子なら後遺症もなく完治するそうだ。来月には退院できるらしい。誰もがまず助からないと思ったらしく、主治医の先生もここまで回復したのは奇跡だと言っていた。


『そのAさんから何か情報は?』
『そのAさんなんですが、実は……』

 
 正直、意識を取り戻してからさらに一ヶ月が経過した今でも、私はこの状況にいまいち実感が湧かない。失踪していたということも、こんな大怪我をしてまだ病院にいるということも、悪い夢なんじゃないかと思ってしまう。


 なぜなら、私には失踪していた一ヶ月の間の記憶がまったくないのだから。

『また、件のテロ事件との関連については――』
「はぁ……」

 
 私はため息をつくとテレビの電源を切った。警察が事情聴取に来た時の緊張した空気を思い出してイヤになったからだ。


(警察の人おっかなかったなぁ)


 なんでも、私はある事件の最初の被害者にして現在のところ唯一の生存者なのだそうだ。

 それが最近世間で物議を醸している連続殺人事件……今もテレビで取り上げられていた事件のことだ。

 一ヶ月と言う短期間の内に、見滝原市含むG県全域で五人の女子学生が遺体で、一人が瀕死の重体で発見された。
 それに加えて現在までに二十人ほどの女子学生が失踪。彼女らはいまだに行方不明のままで、足取りもつかめていない。

 そして瀕死の重傷で発見された一人、というのは私のことだったりする。


(『何も覚えてません』なんて言えば、そりゃいい空気にはならないよね……)


 警察の人たちは有力な情報を期待していたのだろうけれど、私は記憶喪失だ。彼らの力にはなれなかった。

 ……実は、“何も覚えてない”というのは本当でも、“何も知らない”というわけではない。つまり証言できることがないわけではないのだ。でもそれを話しても荒唐無稽な妄言と受け取られるだけだと思い、私は何も言わなかった。


 いろいろと思い出して憂鬱な気分になっていると、誰かが病室のドアをノックした。

「はーい、どうぞ」

 
 
 誰だろうか。返事をすると、『おじゃまします』という挨拶とともにドアが開いた。



「こんにちは、ほむらちゃん。具合はどうかな?」

「あっ、鹿目さん。わざわざありがとうございます」
 

 そして、髪を二つに結った学生服姿の少女が入って来た。
 
 鹿目さん……避難所の前で倒れていた私を発見してくれた人だ。

「相変わらず硬いなぁ。それで、具合はどうなの?」

「体調はいいですよ。あんな大怪我だったのに……。ちょっと自分でも信じられないくらいです」
 

 私の答えを聞いた鹿目さんは安心したような表情を見せ、ベッドの横に置いてあった椅子に腰掛けた。


「あ、そうだ。これ持ってきたんだけど、食べる?」


 そして鞄の中からリンゴを取り出してそう聞いてきた。わざわざ買ってきてくれたのだろうか。

「あ、ありがとうございます……えと、それじゃあ頂きます」

「うん、剥いてあげるからちょっと待っててね」


 それから鹿目さんは持って来ていた果物ナイフでリンゴの皮を剥き始めた。彼女は慣れた手つきで作業をこなしつつ、いろんなことを話してくれた。
 

「それでさ、早乙女先生またホームルームの時に惚気まくりで……」

「え? また、ってことはその先生前にもそういうことがあったんですか?」

「んー、わりと頻繁にかな。ただ長続きしないんだよねー。最長で3ヶ月、最短のときは1週間も持ってなかったと思う」


 家族のこと、友人のこと、今日学校であったこと……
 
 私にはそのどれもが新鮮で、とても楽しそうに思えた。

「……何というか、逆にすごいというか」

「ほむらちゃんもすぐに慣れると思うよ?」


 何となく他人ごとのように思ってしまうけれど、実はそう遠い話ではない。

 鹿目さんの通っている見滝原中学校は、後に私が転入する予定の学校なのだ。しかも私は彼女の居るクラスに転入予定だというのだから、つくづく縁とは奇妙なものだと思う。


「よし、できた」

「上手ですね。普段も料理とかするんですか?」

「うーん、そうでもないかな。これくらいのことなら出来るってだけで」

 
 やがてリンゴを剥き終わった鹿目さんは次にそれを一口サイズに切っていく。


「はい、どうぞ」

 
 そして切ったリンゴを爪楊枝に刺し、そのまま私の口元へと差し出してきた。

「えっと……」
 

 食べさせてくれるのはありがたいけど、ちょっと恥ずかしい。それに体は右手の調子が少し良くないくらいで、ほとんど回復している。だから自分で食べられないということはないのだけど……


「遠慮しないの。まだ本調子じゃないんだから……はい、あーん」


 私がしどろもどろになっていると、少し強い口調でそう促されてしまった。


「……あ、あーん」


 せっかくの好意を無下にはしたくないのでおとなしく従うことにする。戸惑いながらも口を開けるとすぐに鹿目さんが食べさせてくれた。

「おいしい?」

「はい、おいしいです。すいません、わざわざ……」


 ゆっくりと味わっていると、鹿目さんがじっとこちらを見てそう聞いてきた。ばっちり目があったせいで余計に気恥ずかしくなりながらも、素直に味の感想を述べた。


「本当に、食べれるんだね。……良かった」
「え? 私は別にリンゴは嫌いじゃないですけど……」

 ――鹿目さんは面会が許可されて以来、ほとんど毎日のようにここへ見舞いに来てくれている。
 
 彼女がそこまで気遣ってくれているのは、私を最初に発見したからだとか、同じクラスに転入予定だからという理由だけではないのだろう。


「もしかして、前の私はリンゴが嫌いだったとか?」
「ううん、違うの。ただ、こういうものを食べられるくらいに回復したんだなぁって思って」


 やはり失踪していた間の私について知っているから、というのが大きな理由なのだと思う。

 
 実は鹿目さんを含めて5人ほど、私の過去について知っている人がいたのだ。何から何まで全部というわけではないが、彼女たちは知っている限りを教えてくれた。一ヶ月の間、私が何をして、どこに居て、何を目的に行動していたのか……

 それは記憶を失ってしまった私にとって大きな救いだった。
 
 もし空白となってしまった時間について全く知ることができていなかったら、私は今よりずっと不安な思いをしていただろう。


「そういえば今日は美樹さん来てないんですか?」

「さやかちゃんは上条君のところに行ってからここに来るって……はい」

「そうなんですか……あ、あーん」


 彼女たちの話によると、この世界には“魔法少女”というものがいて人々を襲う“魔女”と日夜戦っているのだそうだ。魔法少女が生きていくためには、魔女を倒すことによって得られる“グリーフシード”が不可欠らしい。
 
 そして、私はその“魔法少女”なのだそうだ。

 最初に聞いた時はあまりに話が突飛すぎて半信半疑だったけど、私自身“魔法少女”の証である“ソウルジェム”を持っており、それを使って本当に“魔法少女”に変身することができたので信じざるを得なかった。
 
 視力が回復して眼鏡いらずになっていたのもその“魔法”の恩恵だとか。


「あっ、そうだ。これ預かって来てたんだった。渡しておかなくちゃね………はい」

「ありがとうございます、何から何まで……」

「しょうがないよ。……それにコレのお礼なら私じゃなくて、マミさんたちに言ってあげてね」


 鹿目さんはそう言うと私にグリーフシードを手渡した。
 
 自力でグリーフシードを集めることができない今、生きながらえるためには誰かに援助を受ける必要がある。だから、こうして分け与えてくれる人たちには感謝しなければいけない。

「私も早く怪我を治さないと。いつまでも頼りっぱなしじゃいけないし」

「そう、だね」

 私もいつかは他の人のように魔女と戦わなければいけないのだ。過去の私を知るその人たちによると、私はかなり強い魔法少女だったらしいのだけど……

「でも、やっぱり怖いな……。本当に私なんかでも戦えるのかなぁ」

「きっとほむらちゃんなら大丈夫だよ。最強の魔女を倒したぐらいなんだし」

「それ、本当なんですか? 何度聞いても信じられないです……」


 聞いたところによると、私は一ヶ月の間“ワルプルギスの夜”という史上最強の魔女を倒すために奔走していたのだそうだ。あちこち回って戦う仲間を集めたり、作戦を練ったりなどそれはもういろいろと。

 そして私含めた6人の魔法少女で協力して、現れたその魔女を本当に討伐したらしい。

「強い私、かぁ」

「うーん、それにしてもさやかちゃん遅いね。いつまで上条君と話してるんだろ?」

 
 
 噂をすればなんとやら、鹿目さんがそう言ってから割とすぐに病室に扉をノックする音が響いた。私が返事をすると、すぐに扉が開いて美樹さんが入って来た。



「さやかちゃん遅いよ~」

「ごめんね~、ちょっと話が長引いちゃってさ。暁美さん、調子はどう?」

「こんにちは、美樹さん。体調はいいですよ」

「おお、そりゃよかった」


 美樹さんは病室の隅に置いてあった来客者用の椅子を持ってくると、鹿目さんの隣に置いて腰かけた。
 
 彼女も鹿目さんの次いでよく見舞いに来てくれている。やはり彼女も過去の私について知っているからこうして様子を見に来てくれるのだろうか。

「おっ、リンゴじゃん。あたしも一つもらっていい?」

「だーめ。これはほむらちゃんの分なんだから。はい、ほむらちゃん」

「別に美樹さんにあげても……あ、あーん」


 美樹さんと鹿目さんは一緒に見舞いに来てくれていて、その会話の節々から二人がとても気の知れた間柄であることが窺がえていた。この前聞いたところによると十年来の幼馴染同士らしい。


「なにそれ~、あたしもやりたーい」

「いいよ。でも、一個だけだよ?」

「よっしゃ! ほい、暁美さん」


 私がそうして二人のことを考えつつ口の中のリンゴを飲み込んでいると、今度は美樹さんが私にリンゴを差し出してきた。

「ど、どうも………もぐ」

「……なにこれ可愛い」

「だよね~」


 ……なんだろう。これでは餌を与えられてる小動物みたいだ。


「ねえ、まどか。もう一個あげてもいい?」

「だめっ。残りは私があげるの」

「まどかのケチ~……。そんなんではあたしの嫁はつとまらんぞー!」

 ――失踪していた一ヶ月の間に私は戦いの使命を背負い、その結果命に関わるほどの大怪我をした。

 そして、それらに関する全ての記憶を失った。
 
 何故こんなことになったのか、これからどうすればいいのか……自分の境遇を嘆き、不安で泣いた夜もあった。


「いいもん。さやかちゃんみたいな亭主関白なんて早々に見切りつけて、ほむらちゃんに鞍替えするから」
「えっ?」


 けれど、その一ヶ月の間に私は以前にはなかった多くのものを手に入れていた。
 戦えない私のために支援をしてくれている人たち、こうして足繁く見舞いに来てくれる人たち……心配してくれる肉親以外の近しい存在が今の私にはあった。


「ほむらー! 貴様あたしの女を取りやがったなー!」
「ええっ!?」


 意識を取り戻してから一ヶ月。
 私はかつてなかった“友達”と過ごす時間を手に入れていた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 本日はここまでとなります

 お付き合いくださり、ありがとうございました



・ワルプルギス撃破
・ほむらが見滝原中学にまだ転校していない
・さやか・マミ生存確定
・魔法少女ほむらについて知っているのは、まどか・さやか・マミ+あと2人
・ソウルジェムとグリーフシードの真実は発覚していない?
・5人の女子学生が遺体で発見、20人ほどの女子学生が失踪=かずみ☆マギカの魔法少女?

ふうむ。

すみません。>>41を見ていくつか注意事項が抜けてたことに気が付きました……

追加概要
・外伝組で絡むのはおりこ☆マギカの登場人物のみ
・かずみ☆マギカに関してはノータッチ

投下再開します

 鹿目さんたちが帰ってからしばらく経った頃、私の病室には新たな客人が来ていた。


「じゃあ、経過は良好なのね?」

「はい、早ければ月末にも退院できるみたいです」

「そう……。あなたには早く復帰してもらわないとね」

「うーん、でも私が戻ったところで力になれるかどうか……」

 
 彼女は巴さん――この町を守る魔法少女だ。

「ふふ、大丈夫。カンを取り戻すまでみっちりしごいてあげるわ」

「お、お手柔らかにお願いしますね……?」

 
 これからこの町で暮らしていく以上、私は怪我が治ったらこの人とともに魔女と戦うことになる。
 
 魔法少女の話になると厳しいこともあるけれど、基本的にとても優しい人なので安心できそうだ。


「まあいくら体の方が良くても精神的な面があるものね。やっぱりまだ整理のついていないところもあるでしょう?」

「……はい。でも前に比べれば大分落ちついてると思います」

「うんうん、傍目から見てもかなり良くなってるわ」

 
 そうして巴さんと話していると、彼女の鞄から電子音が鳴り響いた。

「……ごめんなさい、ちょっといいかしら?」

「電話ですか? いいですよ、気にしないで出てください」

「悪いわね……」


 巴さんはそう言うと鞄の中をまさぐり携帯電話を取り出した。


「あら、鹿目さんからだわ……もしもし」
『―――か? ―――――ど……』 


 詳しい内容まではわからないけど、その言葉の通り電話の向こうからは鹿目さんらしき声が聞こえてきていた。

 盗み聞きはよくないと思い、漏れ聞こえてくる会話から意識をそらしていたのだけど……


「んー……大丈夫だと思うわよ?」
『―――――よ?』


 気付けば巴さんが会話をしながら私のことをじっと見ていた。私がその視線に気が付いて見返すと、彼女はすぐに視線を外して通話に戻ってしまった。

 
 私がその反応に小首を傾げていると、急に病室の扉が開いた。

「うっす、ほむら。調子は……電話中かい、こりゃ失礼」

「あ、佐倉さん」

 
 入って来た佐倉さんは、巴さんが電話中だということに気付くとすぐに声を小さくした。


「……ほらこれ、ちったあ食って精つけな」

「あ、ありがとうございます」

 
 佐倉さんは椅子に座ると、そう言って近くの机の上に何かが入った紙袋を置いた。中を覗いてみると、そこには程よく熟した赤いリンゴが詰まっていた。十数個はあるだろうか。
 
 ……今日はなにかとリンゴと縁があるようだ。

「しっかし、こうして見るとあんたやっぱヒョロいなあ。そんなんでよく戦ってたもんだ」

「ずっと入院してましたので……」


 佐倉さんと話すために目を合わせたところで、私は彼女の目が少し赤みを帯びていることに気が付いた。


「あれ、佐倉さんなんか目が赤くないですか?」

「ん、ああ、ちょいと寝不足なんだよ。縄張りが広くなったからって欲張って魔女追い掛け回してたらついね」


 佐倉さんもまた私を知っている魔法少女の一人だ。ただ、担当地域はここ見滝原ではなくて隣町の風見野らしい。

「そうよねえ。美国さんが復活したから少し楽になったけど、私の縄張りも二倍くらいになっちゃったし……管理するのも一苦労よ」

「ありゃ、電話はもういいのか?」

「ええ、ちょうど話が終わったところだったの。……鹿目さんには悪いことしちゃったわね。私たちがここに来るなら彼女にグリーフシード渡してもらわなくてもよかったのに」


 いつの間にか通話を終えた巴さんが会話に戻って来ていた。そして彼女は佐倉さんが持ってきた紙袋に目を向けた。


「もう、そんなにいっぱいもらっても、暁美さん一人じゃ食べきれないと思うわよ?」

「まあ確かに多いかもな。なら……」


 佐倉さんはもっともだという感じで相槌を打ち、紙袋からリンゴを2つ取り出すと、片方を巴さんに手渡した。

「え、なに?」

「今私たちが食べて減らすんだよ。ほむらは……メシの時間が近そうだけど、今食うかい?」

「う~ん……じゃあ後で頂きます」

「私だってこの後夕食なんだけど……ま、いいか。頂くわね」

「そうそう、細かいことは気にしねえのが一番だ」

 
 ――それから少しして私の夕食が運ばれてきて、三人での食事となった。


「こりゃ味の薄そうな……病院食ってこんなもんなのか?」

「患者さんの健康第一だもの、それは仕方ないと思うわよ」

「皆さんよくそう言いますけど、これ結構おいしいんですよ?」


 よく“誰かと一緒に食べるとおいしい”なんて言うけれど……


「へー、そうなのか。……ちょっと一口もらっていいか?」

「はい、いいですよ」

「そんじゃ遠慮なく……もぐ」

「あー……私は遠慮しておくわね」


 私には長らくその真偽を確かめる機会が与えられていなかった。

「どうですか? 言うほど悪くないと思うんですけど……」

「……ほむら」

「はい?」

「その……なんだ。あたしいろいろ美味いもん知ってるからさ、退院したら食わせてやるよ」

「えっ、 どういう意味ですか!?」


 私にとって食事とは、病室のベッドの上で一人済ませるものに過ぎなかったから。


「ああ、やっぱり。私がいた時もそうだったけど、ここ食事よくないままなのね」

「マミてめぇ、知ってたんなら言えよ……」

「何年か前に事故で入院した時の話だから。今は改善されてるかなーって」

「私の味覚ってそんなに変なんですか……?」


 けど今はこうして誰かと食べて、その言葉の意味を確かめることができていた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

すみません、いったん投下中断します

 ある日の午後、私は病院の中庭でベンチに座り、することのない病院生活の余暇を過ごしていた。


「ん~、いい天気」

「ニャ」

「あはは、あなたもそう思うの?」

 
 そんな私の話し相手は一匹の黒猫だった。木漏れ日の下でうとうとしていたところに突然現れ、膝の上に乗っかって来たのだ。

 見知らぬ人にこうして近寄ってくるくらいだ。とても人懐っこい子なのだろう。ひょっとしたら飼い猫なのかもしれない。

「ん、よしよし」

「ゴロゴロ……」

 
 そっと撫でてやると、黒猫は気持ちよさそうに喉を鳴らした。


「こんにちは、暁美さん。あら、エイミーと一緒なのね」

「あっ、こんにちは……」


 のんびりと黒猫と戯れていると、誰かが声をかけてきた。髪をサイドテールに結ったその人は、本人の佇まいからかどこか気品のある印象を受けた。

「えーと……」

 
 物凄く失礼な話なのだけれど、名前が出て来ない。確か前に見舞いに来てくれたことがあったような気がする。


「……ああ、そうよね。私は美国、美国織莉子よ」

「ごご、ごめんなさい。いろいろと忘れたままで……」


 まごつく私見て何となく察してくれたのか、彼女の方から名乗り出てくれた。


「いいのよ。あの戦い以来まともに話すのは初めてだし仕方ないわ。……隣、いいかしら?」

「あ、はい、どうぞ」


 美国さんはそう一言断ると、私の隣に静かに座った。

「ん……」

「どうしたのかしら?」


 あの戦い以来ということは、今の私にとっては初対面みたいなものだ。


「その……は、初めまして、暁美ほむら、と言います」 

「えっ?」

 
 だから、私はこうして自己紹介から始めることにした。美国さんは一瞬キョトンとした顔をしていたけれど……

「……そうよね。じゃあ改めて」


 すぐにその意味を理解して、丁寧に頭を下げて自己紹介を返してくれた。


「美国織莉子、と言います。初めまして、よろしくお願いしますね」

「はい、よろしくお願いします」

「何か変な感じね……ふふ」


 美国さんは笑ってそう言った。彼女にしてみれば知り合いだった相手に改めて自己紹介をしているわけだから、それは妙な感じがするだろう。

「そう言えば、さっき『エイミー』って言ってましたけど、それってこの子のことですか?」

 
 挨拶も済んだところで、私はさっきから気になっていたことを聞いてみた。


「あら、鹿目さんたちから聞いてないの? その黒猫はエイミーっていうの。あなたに随分と懐いていたみたいだったけど」

「そうなんですか。……だから私に寄って来たんだね」


 膝の上を見下ろすと、黒猫……エイミーは眠ってしまっていた。

「ごめんね、思い出せなくて」

「……ニャ?」


 この子が求めた私が今のこの私でないことが申し訳なくて、思わず謝罪の言葉が口を突いて出る。でも、エイミーは眠そうに半目を開けただけだった。


「その様子だと本当に何も覚えてないみたいね」

「はい……。退院日からの一ヶ月の記憶が何一つ残ってないんです」


 その様子を隣で見ていた美国さんが、私の症状について聞いてきた。今までいろんな人に聞かれてきた質問だったために、言い淀むことなく答えることができた。


 しかし――

「――本当、に?」

 
 何故か美国さんは真剣な調子でそう確かめてきた。その眼差しはとても鋭く、一切の誤魔化しを許さぬような威圧感があった。


「は、はい」

「……そう」

 
 すっかり気圧されてしまい、私の返事はぎこちないものになってしまった。
 
 それを聞いた美国さんは、寂しそうな、辛そうな……ともかくそんな感情がない交ぜになった表情をしていた。

「あ、あの、何か……」

「そうね、何か聞きたいことはないかしら? 他の人にある程度のことは聞いたんでしょうけど……」


 どうかしたのかと聞こうとした途端、美国さんはその厳しい表情を先ほどまでの穏やかなものに戻し、私の言葉を遮りそう聞いてきた。


「……美国さんも魔法少女、なんですよね?」


 私はちょっと考えてからそう質問した。さっきの様子の変化も気になったけれど、何となくそれは聞かない方がいいような気がしたのだ。

「ええ、そうだけれど。それが?」

「どんな魔法を使うのかなって思って……」


 美国さんという人がいることについては聞いていたのだけど、知らないことの方がまだ多い。同じ魔法少女としてこれから関わることも多いのだろうし、いろいろ彼女自身について知っておきたいと思ったのだ。


「私の魔法、ね」


 美国さんはソウルジェムを取り出し右の手の平に乗せた。真珠のように白く輝くそれは、彼女の雰囲気に似合って高貴な感じがした。

「辺りには誰もいないわね。……よっと」


 ソウルジェムが光ったかと思うと、そこからピンポン玉大の綺麗な水晶のような球体が現れた。


「これが私の魔法よ。これを動かしてぶつけたり爆発させたりして戦うの」

「へぇ~……」


 美国さんが指を動かすと、球体はその指の動きに合わせるように空中を滑空した。その様子を見て私は感嘆の声をあげる。

 でも、それに目を奪われていたのは私だけではなかった。

「……ニャ」

「エイミー?」

「あらあら」


 動きに刺激されたのだろう、膝の上のエイミーも宙を舞う球体に興味を示していた。先ほどまで眠そうだったその目は爛々と輝き、体勢は今にも飛び掛かりそうな姿勢になっていた。


「こらエイミー、それにじゃれついたら駄目だよ」

「フニャー……」

 
 そう叱って抱き上げると、エイミーは不満そうな声をあげた。

 美国さんはそんな私たちを見てくすくすと笑いながら話を続ける。

「あとは……未来を視ることができるわ」

「未来、ですか?」


 美国さんは何でもないことのようにそう言った。
 
 でも、それはかなりすごい魔法なのではないだろうか。


「そうよ。その魔法で “ワルプルギスの夜”が現れて……この町が破壊し尽される未来を視たの」

「え? でもその魔女って……」


 それはおかしな話だ。何故なら、その“ワルプルギスの夜”という魔女は私や美国さんたちによって倒されたはずだからだ。

 私の疑問を余所に美国さんは語り続ける。

「酷い光景だったわ。建物という建物が片端からただの瓦礫の山になって、そこで多くの人たちが死んでいた。……私はね、その“未来”を回避することが自分の使命なんだと思ったの」


 その言い分からすると、彼女の魔法で視える未来は絶対ではなく、変えられるものだと言うことなのだろうか。


「その後、あなたと出会って一緒に戦って……私は“未来”を変えることができた。だから、あなたには感謝してるのよ?」

「そそ、そんな、感謝だなんて……」


 今の私にお礼を言われても困ってしまう。私が慌てていると美国さんは少し笑って話し続ける。

「まあ、現代兵器を使って戦うあなたが視えた時はさすがに驚いたけどね」

「あ、あはは……それやっぱり本当なんですね……」


 ……他の人からも聞いたことなのだが、私は件の魔女を倒すためには手段を選ばなかったのだそうだ。

 今美国さんが言ったのもその一つの例で、私は自衛隊の基地などから兵器を拝借していたらしい。


「知らず知らずのうちにテロリスト………」

「まあまあ、真実が余すことなく理解されればそこまで酷い扱いにはならないと思うわよ? ……理解されれば、だけどね」

「ただでさえ記憶喪失なのに、その上魔法少女がどうとか言い出したら、また精神科のお世話になるような気がします……」


 そしてその入手した兵器類を街中で遠慮なく使って戦ったのだそうだ。

 結果的には魔女を倒せはしたが、おかげで街にもかなり傷痕が残ってしまった。住民が避難所にまとまっていたお蔭で巻き込まれた人がいなかったからよかったようなものの……

「やっぱりきちんと罪を償った方が……ああでも、正直に話したところで……うう」

「そこまで気に病まなくていいと思うわよ? そうでもしなければたくさんの人が死んでいたのだから」


 盗まれた大量の兵器が街中で使われる……その一連の動きはテロ事件として扱われ、例の連続殺人事件とともに存分に世論を賑わせている。
 
 事情を知る周りの人たちは気にしなくていいと言ってくれるけれど、どうしても割り切れずに責任を感じてしまう。


「それにしても……ふふふ。あなたの口からそんな弱気な言葉を聞くことになるなんてね」


 美国さんはおかしそうにそう言った。
 
 私のことを知っていた人のほとんどは、だいたい最初はこんな反応をする。皆の話によると、失踪時の私は常に冷静で何事にも物怖じしないような人だったらしい。もともと憶病なはずの私が、一体どうしてそんなことになっていたのだろうか。


 私がそのことについて聞こうとした時――

「あれ? ほむらちゃん、と………美国さん?」

 
 ちょうどそこに鹿目さんがやってきた。今日も見舞いに来てくれたのだろう。

 いつもと同じ制服姿で現れた彼女は、私と美国さんの方へ歩いて来た。彼女は座っていた私たちに軽く挨拶をすると、その視線を私の膝の上へと落とした。


「あ、その子……」

「エイミーって言うんですよね? さっき美国さんが教えてくれました」

「そうなんだ。よかったね、エイミー、ほむらちゃんに会えて」

 ――それから新たに鹿目さんを交えての会話が始まった。

 
 話題はいつもと同じで、学校での出来事についてなどだった。鹿目さんは聞いているこちらも楽しくなるくらいに明るく話をしてくれる。
 
 ……もしかしたら私が新たな学校生活に不安を感じないようにと、気を遣ってくれているのかもしれない。

 
 
 しばらくの間そんな穏やかな会話が続いていたのだけど、やがて私は違和感を覚えた。


「それでその時ね……あれ、どうかしたのほむらちゃん?」

「あ、いえ。ちょっと……」


 途中から次第に美国さんが口を挟んで来なくなったのだ。気になって目を向けると、彼女は俯いたまま黙りこくっていた。


「あの、美国さん?」

「何、かしら」


 私が声をかけると彼女はゆっくりと顔を上げた。その顔からは血の気が失せており、額には汗が浮かんでいた。

「ほ、本当に大丈夫ですか? 顔色すごく悪いですよ?」

 
 鹿目さんもその美国さんの顔色を見て様子がおかしいと感じたようだ。そう言って美国さんの顔を覗き込み、その額に手を当てる。


「熱はないみたいですけど……」

「……ええ、ちょっと体調が良くないみたい」


 先ほどまでは平然としていたのに急にどうしたのだろうか。

 やがて美国さんは頭を押さえるようにしながらベンチから立ち上がると、私たちに背を向けた。

「ごめんなさい、今日はもう帰るわ。また今度お話ししましょう」

「あの、体調悪いなら今からここで診てもらったらどうですか?」

「あ、そうだね。ちょうど病院にいるんだし、その方がいいと思いますよ?」


 そんな美国さんの様子を見かねた私の提案に、鹿目さんも相槌を打つ。


「大丈夫よ、そこまで酷くはないから」


 でも美国さんはそう答えただけで、覚束ない足取りでこの場を立ち去ろうとする。

 私と鹿目さんがこのまま黙って見送っていいものかと逡巡していると、不意に歩いていた美国さんが立ち止まった。



「ねえ、二人とも、ちょっと変なことを聞くけれど……」


 そしてこちらを振り向くことなく美国さんは私たちへと問いかける。

 表情こそ見えなかったけれど、その語気から彼女が真剣であることが分かった。


「――あなたたちは……私のことが憎い?」

「え?」

「えっ?」


 でもその質問があまりに予想外なものだったせいで、それを聞いた私たちは思わず間の抜けた声をあげてしまった。


「そんな、憎いなはずなんてないですよ。むしろ街を救ってもらったんだから、感謝しなきゃいけないくらいで……」

「そうですよ、私だっていろいろ協力してもらったんでしょうし……。それに今の私からすればほとんど初対面なんですから、憎む理由なんてないですよ」


 驚いて一瞬間が空いてしまったけど、私たちは否定の言葉を口にした。

「そう、よね。気分を悪くしたならごめんなさい」


 すると美国さんは今度は落ち着いたような調子でそう言った。表情を窺がうことはできなかったけれど、きっと私たちの答えを聞いて安心したのだと思う。


「いえ、そんな……」

「気にしなくていいですよ。でもどうしてそんなことを?」


 鹿目さんが今聞いたことについては私も気になるところだった。何故美国さんは、急にそんなことを聞いてきたのだろうか。

「何でもないの。ただちょっと気になっただけだから……」

 
 でも美国さんはその疑問に対して明確な答えを示してはくれなかった。


「それじゃあ、さようなら。また会いましょう」


 そのまま美国さんは矢継ぎ早に別れの言葉を続けた。きっとこれ以上追求されたくないということなんだと思う。

 もやもやとした思いは残るけど、具合の悪そうな彼女を引き留めてまで聞く気にはなれなかった。

「はい。さようなら……」

「……さようなら。体、気を付けてくださいね。もし困ったら言ってください。私にできることなら力になりますから」


 仕方なく私たちは美国さんに別れの挨拶を返す。


「……ありがとう」


 鹿目さんの気遣いの言葉に美国さんは一度だけこちらを振り向き、笑顔でそうお礼を言った。
 
 ……気のせいだろうか。その彼女の笑顔はどことなく悲しげなものに見えた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 本日はここまでです

 いろいろ腑に落ちないところもあると思いますが、後々明らかになるのでよろしければ気長にお付き合いください

 お疲れ様でした

 消灯時間も近づいてきた頃、私はベッドに腰掛けてソウルジェムの浄化を行なっていた。


「んと、これでいいんだよね」

「そうだよ。それで穢れが浄化され、不自由なく魔法が使えるようになる」


 隣にいるキュゥべえに確認しつつ、グリーフシードをソウルジェムに近づけると、溜まっていた穢れがグリーフシードの方へと移って行った。
 このグリーフシードは既に何度か使っていたので、大分黒く染まってしまっていた。

「もうそろそろ限界だね。貸してごらん」

「あ、うん」


 言われるがまま穢れを溜め込んだグリーフシードを手渡す。キュゥべえは尻尾で受け取ると、器用に背中へと放り込んだ。

 正直言ってちょっと慣れない光景だった。穢れを吸って真っ黒になってしまったものを食べていると考えるとあまり気分がよくない。

 もっとも放っておけばまたそこから魔女が出てきてしまうのだ。そんなふうに思っては処分をしてくれているキュゥべえに対して失礼なのかもしれない。


「お疲れさま」

「礼には及ばないよ。これも僕の使命だからね」

「……ねえ、キュゥべえ、私と契約した覚えがないって本当なの?」

 
 キュゥべえにねぎらいの言葉を掛けた勢いで、前々から聞こうと考えていたことを口にする。

「本当だよ。それがどうかしたのかい?」


 普通、魔法少女は始めに魔法の使者であるという彼と契約するのだという。ところが、キュゥべえは私とは契約していないらしいのだ。
 奇妙な話だ。私の知っている人たちも、そして何よりキュゥべえ自身も、彼と契約する以外に魔法少女になる方法はないといっているのだから。


「じゃあ、私が何を願って魔法少女になったのかも分からないってことなんだよね……」


 本来ならば何らかの願い事をして、それを叶えてもらうかわりに魔法少女になるものらしい。
 ……つまり、私にも何か叶えてもらった願い事があるはずなのだ。魔女との戦いの日々へと身を投じてでも叶えたいと思った願い事……それは一体なんだったのだろうか。

「まあそうだね。ただ、君の行動からして“ワルプルギスの夜を倒して街を守ること”辺りなんじゃないかな」

「うーん……」

「納得がいかないのかい?」

「……何か違うような気がするの」

 キュゥべえはそう言うけれど私は何となくしっくりこなかった。自分が命を賭してでも何かを守ろうとしていたなんて、とても考えられない。自分にそんな勇気があるとは到底思えないのだ。


「ふむ……実は、君の魔法についてはいくつかの点から鑑みてある仮説が成り立つんだ」

「仮説?」

「あくまで“仮説”に過ぎないけどね。それでも良ければ話すけどどうする? 参考程度にはなると思うよ」


 私が首を捻って考えていると、キュゥべえが気になることを言い出した。

「……うん、聞きたい」

 
 その提案を遠慮する理由はなかった。
 過去の自分について、今まで与えられた情報からいろいろ考えてきたけれど、その謎については見当もついていない。だから参考になりそうなことならばなんでも聞いておきたい。


「結論から言えば……君はこの時間軸の人間じゃない可能性が高い」
「え……?」


 時間軸……いきなりキュゥべえからよく分からない言葉が飛び出してきた。“時間”とつくくらいだから過去とか未来とかそういう話なのだろうか。

「ワルプルギスの夜との戦いを見ていた限りでは、君は時間操作の魔術を扱っているようだった。人、モノ問わず、対象物の時間の加速、減速……他の子の話からすると、完全に時間を停止することもできたようだね」

 
 キュゥべえの言った私自身の魔法については、巴さんや佐倉さんからも話を聞いていたのである程度のことは知っていた。


「加速、減速はともかくとして、停止までできてしまうような子はそういない。非常に稀有な例だと言っていい」

「でも、今はそんなことできないけど……」


 しかし、目覚めてからの私は何故かその手の時間の魔法を使えなくなっていたのだ。

「それに関しては盾が壊れてしまったせいである可能性が高い。マミや杏子もそう言っていただろう?」

「うん……」


 私が魔法少女になった時に現れた盾は、酷く歪んでしまっていた。話によると中には紫色の砂が入っていたらしいのだけど、それも全てこぼれて無くなっていた。
 
 そんなこんなで現状私に使える“魔法”は、その盾の中に物をしまい込むことと、魔法少女なら誰でも扱える基本的な肉体や物質の強化のみとなっている。

 私が手の平の上のソウルジェムに目を向けていると、キュゥべえが『話を戻すよ』と一声かけて説明を再開した。


「魔法少女が扱う魔法の性質はその個人の願いに影響を受けるんだ。例えば何かを助けたいと祈った子が治癒の魔法と使えるようになる、といったふうにね」


 つまり私の願いの内容も、魔法の性質から考察できるということだろうか。

「君が使えた様な時間停止レベルの強力な魔法ともなると、願いの種類や規模も限られてくる。
 過去にいたそこまでの魔法が使える子たちは、ほとんどが『過去に戻ってやり直したい』、『未来の世界を見てみたい』そんな“時間”にまつわる願いによって別の時間軸から来ていたんだ。
 ……特にその中でも未来から来た子たちは、君と一つの共通点がある」


 キュゥべえはそこで言葉を切ると、一拍置いてからその“共通点”を口にした。


「……どの子も僕に契約した時の記憶がなかったのさ」
「あっ……」


 言われてみれば確かにそうだ。未来で契約したと言うならば、今のキュゥべえにその記憶があるはずがない。

「だから仮説としては、君は未来で何らかの“時間”にまつわる願いをし、その作用によってこの時間軸へと訪れた、ってところかな。ワルプルギスの夜の出現を初めから知っていたことや、魔法少女狩りについて詳しかったことなんかもそれで説明がつくしね」


 仮説を鵜呑みにするなら、性格が少し違ったのも未来から来ていたからだということになるのだろうか。そんな変化が起こっているくらいなのだから、きっと相当先の未来なんだと思う。


(それじゃあ、つまり……)


 もし私が記憶を取り戻したら、一ヶ月の記憶だけでなくそこに至るまでの未来での記憶も蘇ると言うことなのだろう。


 人格が変わるほどの経験をしたであろうその記憶を……

 そこまで考えて急に心細くなり、私は隣で座っていたキュゥべえを抱きかかえる。


「どうしたんだいほむら?」

「……何か、怖くて」


 こうやって過去の自分について知れば知るほど、考えれば考えるほど……眠っている記憶への恐怖が強くなっていく。

 だから私は迷っていた。辛くても記憶を取り戻し過去と向き合うべきなのか、それとも無理に思い出そうとせずにこのままやっていくべきなのか……未だ答えは出ないままだ。


「あ、あの、キュゥべえ。よかったら今日はこのまま一緒に寝てくれない……?」

「僕は別に構わないけれど……」

「ありがとう……ごめんね、忙しいのに」


 了承を得られたところで、キュゥべえを胸の中に抱いてベッドに寝転がり布団を被る。

「……えへへ、キュゥべえあったかいね」

「それはよかった。……けど、少し緩めてくれないかい、締まって苦しいよ……」

「あっ、ご、ごめんね?」


 キュゥべえに言われて慌てて腕の力を弱める。無意識の内にかなり強く抱きしめていたようだ。


「ふう、ちょっと危なかったよ」

「そ、そんなに強かったかな……」


 ――それからほどなくして消灯時間が訪れた。
 照明が消え真っ暗になった部屋の中で、私はキュゥべえを胸に抱いたまま目を閉じる。その温かさは不安から来ていた胸騒ぎを落ち着かせてくれて……今夜はぐっすりと眠ることができそうだった。

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 とりあえずここまでです
 
 たぶん夜にもう一回投下します

 やたら遅れましたが、投下再開します

 退院日も近づいた今日、私は佐倉さんに連れられてとある場所へと向かっていた。


「しっかし、ようやく退院か。やっぱ新しい環境は不安かい?」


 平日の昼間ということで道行く人も少ない中、佐倉さんの半歩後ろを歩きつつ質問に答える。


「不安ではありますけど……でも、鹿目さんたちがいるのでそれほどでもないです」

「ああ、そういやあいつらと同じとこなんだっけ」

「はい。すごい偶然ですよね。学校だけでなくクラスまで同じだなんて」


 こんなふうに誰かと話をしながら歩くなんていつ以来のことだろう。入院生活が長かったせいでもうほとんど覚えていない。これから学校に行くようになれば、こんな機会も増えるのだろうか。


「……あいつら、特にまどかの奴には感謝しとけよ? 相当あんたのこと気にかけてる」

「それは……身に染みて感じてます。学校だってあるのにほとんど毎日お見舞いに来てくれてて」

「ん、そうか。そう思うんならせっせと養生して早く元気な姿を見せてやるんだね。それが一番の恩返しになるだろうさ」

 ――しばらくの間そんな雑談をしながら歩いていたら、急に佐倉さんが立ち止まった。


「さ、着いたよ」


 顔をあげると目の前には随分と劣化が進んでいる洋風の建物があった。いつの間にか目的地に着いていたようだ。


「ここは……教会ですか? 随分と古いですけど」

「そうだよ。何年か前から使われてなくて、見ての通りボロボロでさ。おかげで人があまり寄り付かねえんだ。……ついて来な、ここの裏手にある」

「あ、はい」

 言われるまま佐倉さんについて行き建物の裏手へとまわると、そこは開けた野原になっていた。

 そして、その広い場所の中央には――

「……」

「よう、ゆま、キリカ。ほむらの奴連れてきてやったぞ」


 木材を組み合わせただけの無骨な十字架が二つ、日の光を浴びて静かに佇んでいた。

 ※   ※   ※

 ――およそ一ヶ月前に現れた“ワルプルギスの夜”。史上最強と謳われたその魔女との戦いで、二人の魔法少女が命を落とした。

 この教会裏の墓標には実際に彼女たちの遺骨が納められているわけではない。二人の亡骸は遺族の下へと渡り、事件に巻き込まれた一人の“少女”として眠りについた。
 
 それならこの墓標はなんなのかと言うと、これは“魔法少女”としての彼女たちのために立てられたものなのだそうだ。彼女たちが何のために戦い、そして何のために死んでいったのかを生き残った私たちだけでも忘れぬように、と。


 ※   ※   ※

 私は墓前で佐倉さんから生前の二人……特に彼女と親しかったという子の話を聞いた。
 
 内容自体はどんな食べ物が好きだったとか、そんな他愛のない話だった。でもそれを聞いているだけで、佐倉さんが本当にその子を大事に想っていたということが伝わって来た。話をしている時の彼女の表情に悲哀の影が掠めていたからだ。


「さて、と……思い出話はこの辺にして、ぼちぼち帰ろうか。腹も減ったし……そうだね、帰りにどっかで昼飯でもどうだい?」


 ――話を聞いていたのは数十分ほどだったろうか。やがて佐倉さんは大きく伸びをしながらそう言った。

 彼女自身には何の変化もないのだろうけど、いろいろ話を聞いた後ではその気さくな態度も今までとは違うように感じてしまう。

「ん、どうしたよ。ぼうっとしちゃってさ」

「……ごめんなさい」

「へ? 何で謝るんだ?」


 気付けば、私は佐倉さんに向けて謝罪の言葉を告げていた。
 
 私の言葉がよっぽど意外だったのか、佐倉さんは心底分からないという顔をしている。


「だって、私が皆さんを集めたんですよね?」

「集めた、って言うとワルプルギスとの戦いでのことかい?」


 そう、私が佐倉さんやその子を仲間に引き入れたのだ。かの魔女を倒すためには戦力が必要だから、と。

「はい……だからその、私が誘わなければこの二人も……」

 
 いくら記憶がない時の行動とはいえ責任を感じてしまう。私のやりようによっては二人が死なないで済む未来もあったのではないだろうか。


「……それはあんた一人で背負込む事じゃないよ。だってあんた、過酷な戦いになるから犠牲は免れません、って戦いの前に念押ししてたからな。あたしやマミはもちろん、死んだこいつらもそこまで言われてなお戦いに臨んだんだ」


 私の言葉を遮って佐倉さんが口を開く。

「それによ、魔法少女になった時点で魔女と戦って死ぬ未来は覚悟しておかなきゃならねえ。……なーんも覚えてないあんたには酷な話かもしんねえけどさ」

「……」

「だから責任があるとすれば、あいつが魔法少女になるきっかけを作っちまったあたしに……」

「佐倉さん……」

 
 佐倉さんは表情を陰らせるとそこで言葉を切った。
 
 私もかける言葉が見つからずに黙ってしまい、場に沈黙が訪れてしまう。

「……はは、悪いね。どうしても湿っぽくなっちまう」

「いえ、そんな……」

「ああ、昼飯だけど何かリクエストはあるかい?よっぽどのもんじゃなきゃおごってやるよ」


 でもそれは一瞬のもので、佐倉さんはすぐにもとの軽い調子に戻ると話題を切り替えた。


「え、そんなの悪いですよ」

「まあまあ、そう遠慮すんなって。……まあ、何食うかは帰り道がてら決めようや」


 佐倉さんはそう言うと、墓標に背を向けて歩き出した。
 
 でも、私は墓標の前から動けないでいた。思い残すことがあったからだ。

 ……結局、私はどんなに話を聞いても彼女たちの顔すら思い出せなかった。
 
 佐倉さんと実の姉妹のようだったという“千歳ゆま”という小さな子のことも、
 
 美国さんととても仲が良かったという“呉キリカ”という方のことも。


「ごめん、なさい」


 だから佐倉さんに聞こえないくらいの声で、今度は墓標に向けて謝罪の言葉を口にする。

 仲間としてともに戦ったはずなのに、それを何一つとして覚えていなくてごめんなさい、と……。
 

「おーい、何やってんだ。置いてっちまうぞー」

「……はい。今行きます」


 佐倉さんに急かされて、私は慌ててその背中を追いかけた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
 ある日曜日、私は明日に迫った転校初日に向けて準備を進めていた。


「えっと、国語の教科書がこれで……」


 事前に学校からもらった資料を見ながら、必要なものを並べて確認してゆく。何冊もの教科書・ノートや上履きなど……抜かりなくそろっているようだ。

「よし、こんな感じかな。あとは……」

 
 荷物の確認を終えた私は、今度は近くの姿見の前に立つ。

 チェックのスカート、クリーム色の上着、胸元の赤いリボン……鏡の中には新しい制服を着た私が映っていた。


(これ、ちゃんと着れてるかな?)


 おかしなところはないかと、姿見の前で後ろを向いたりしながら確認してみる。自分では問題がないように見えるのだけど、どうにも不安だった。鈍い私のことだからどこかで見落としがあるのではないかと考えてしまう。

 そして、私には制服以外にもう一つだけ気になることがあった。

(この髪型……うん、やっぱりこのままにしてみよう)


 長い黒髪……失踪するまではおさげにしていたけれど、これからはまとめないでおこうと考えている。


(これで少しでも強くなれたら……なんてね)


 賢く冷静だったという過去の私は今みたいに髪を真っ直ぐにしていたらしい。

 
 過去への恐怖は未だ拭えないけれど、同時に命をかけてでも何かを為そうとしていたその意思の強さに対して、私はちょっとだけ憧れを抱いていた。 
 
 姿形だけ似せてもどうにもならないことは分かっていても、いつかはそんな風に強くなれたらいいな、とそう考えたのだ。


 
 そんな思考の最中、ふと時計に目をやるとちょうど午後一時半をまわったところだった。

(あ、時間……そろそろ着替えちゃわないと)

 
 約束の二時まであまり時間がない。そろそろ明日への準備は切り上げて、余所行きの準備を始めないといけないだろう。


(魔法少女についての話って聞いたけど……)

 
 私は今日、巴さんの家に呼ばれているのだ。何でもこれから一緒に戦っていくためにかなり重要な話があるのだとか。
 
 とは言っても私は彼女の家がどこにあるのか知らないし、ここ見滝原の地理にも詳しくない。どこかで場所で待ち合わせしようにも、私がその場所までの道も分からないのでそれすら難しい。

 だから、これから彼女自ら私の家まで迎えに来てくれるのだそうだ。あれもこれも任せきりで申し訳ないけれど、こればっかりは仕方がない。

(うーん、どんな話なんだろ?)


 休日だというのに制服姿で出向くのもおかしな話なので、着替えようと思って胸元のリボンに手をかける。

 ――ちょうどその時、玄関のチャイムが鳴り響いた。


(まさか巴さん? もう来ちゃったのかな……?)


 着替えている最中でなくてよかったと思いつつ玄関へと向かう。


「はーい、今出まーす」


 返事をしつつ扉を開けると――

「あれ? 鹿目さん?」

「こんにちはー、ほむらちゃん」


 そこには私服姿の鹿目さんが立っていた。


「あっ、それ……新しい制服?」

「は、はい。明日からなので試しに着てたんです」

「うん、似合ってるよ。……あ、そうだ。ちょっと後ろ向いてみて?」

「え、あ、はい」


 何故ここに来たのかを聞く前にそう促されてしまい、言われるがままに後ろを向く。

「あの、鹿目さん?」

「うん、大丈夫。前も後ろもちゃんと着こなせてるよ」

「あ……」


 急にどうしたのかと思ったけれど、新しい制服が間違いなく着れているか見てくれていたらしい。


「その、ありがとうございます」

「いえいえ♪」


 もじもじしながらお礼を言うと、鹿目さんは笑顔でそう返してくれた。

「あの……それで今日はどうしたんですか?」

 
 気を取り直して用件を聞いてみる。せっかくの休日なのに、どうして鹿目さんは私の家まで足を運んでくれたのだろうか。


「それはね……ふふふ、ほむらちゃん今日はマミさんの家にお呼ばれしてるよね?」

「え? そ、そうですけど……なんで鹿目さんがそれを?」


 鹿目さんは少し悪戯っぽい笑みを浮かべている。

「マミさん今どうしても手が離せないみたいで……それで私が頼まれて代わりに来たの」

「……? そうなんですか」


 理由を説明してくれたけど今一つ腑に落ちない。今日は魔法少女についての話で呼ばれたはずなのに、何故魔法少女でもない鹿目さんがその役目を任されたのだろうか。


「あー、でもちょっと来るのが早かったね。迷惑だったかな……?」


 鹿目さんは腕時計を見ながらちょっと申し訳なさそうに言った。

「い、いえ、そんな! すぐ着替えてきますから、ちょっと待っててください!」

 
 わざわざ迎えに来てくれているのに気を遣わせてしまっていることに気付き、慌てて室内に戻る。


「あっ、別に急かしたわけじゃ……ゆっくりでいいからねー?」

 
 玄関の方からは鹿目さんのそんな声が聞こえていた。

 
 ――それから急いで着替えを済ませ、私は鹿目さんに連れられて巴さんの家へと向かった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「ひゃっ!?」

 
 巴さんの家の玄関を開けた途端、パン、と乾いた破裂音が鳴り響き、同時に色とりどりの紙吹雪が私へと降りかかる。
 

「「「「退院おめでとう!」」」」


 玄関の中には巴さん、美樹さん、佐倉さん、美国さんが鳴らしたクラッカーを持って立っていた。


「え、あの鹿目さん……?」


 ここまで連れてきてくれた鹿目さんを振り返ると、何故か彼女もクラッカーを持っている。


「えへへ……えい!」


 そして再び破裂音が鳴り響き、紙吹雪が宙を舞う。

 何が起こっているのか分からずに呆気に取られていると――


「退院おめでとう、ほむらちゃん!」


 鹿目さんは笑顔で、私にそう祝いの言葉を向けてくれた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
 結局、巴さんの家で行われたのは魔法少女についての話ではなく、私の退院を祝ってのお茶会だった。


「ほむらちゃん。そのケーキ、どうかな……?」

「とっても美味しいですよ。甘すぎなくてちょうどいいです」


 中にはたくさんのお菓子が用意されていて、それを紅茶と一緒に頂きながらお喋りを楽しんだ。


「よっしゃ! それあたしとまどかで作ったんだよ」

「え、そうなんですか? すごいです……」

「あはは、ほとんどマミさんに教えてもらったんだけどね」


 鹿目さんが言いだしっぺとなって、半月ほど前からこのお茶会を計画してくれていたらしい。

「ホント、よくここまで形になったもんだよ。あたしはもっぱら試食係だったんだけど、一番最初に出て来たのなんかほとんど消し炭……」

「だああ! 杏子、ストップ!」

「きょ、杏子ちゃん、それ言っちゃダメっ!」


 入院や転校のせいで友達が少なかった私にとって、こうやってたくさんの人に祝ってもらうなんて初めての経験だった。


「あれは酷かったわねえ……」

「その時に私が居れば予知で防止できたんでしょうけど……」


 だからその皆さんの気持ちがとても嬉しくて、そして何よりこうして賑やかに過ごす時間が楽しくて……この日の思い出は私にとって大切なものになりそうだった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
 やがてお茶会も終わりに近づいたころ、私たちはまったりとした雰囲気の中で静かに紅茶を啜っていた。

「ぐぅ……」

「すぅ……」

「佐倉さんと美国さん、寝ちゃいましたね」

「そうだね。疲れちゃったのかな?」


 私と鹿目さんの視線の先では、佐倉さんと美国さんは肩を寄せ合う形で眠っていた。


「こんにゃろう。主賓を差し置いて一番食いやがって……うりゃうりゃ」

「……う、むぅ」


 美樹さんはそう言って佐倉さんの頬をつつく。けど佐倉さんはちょっと声をもらしただけでまるで起きる様子はない。相当ぐっすり眠っているようだ。

「あはは、でも杏子ちゃんは食べっぷりがいいから作った方としても嬉しいよね。……あ、無くなっちゃった」

 
 カップに紅茶を注いでいた鹿目さんが不意に声をあげる。どうやらポットに入っていた紅茶が無くなってしまったようだ。


「ちょっと入れて来るね。……マミさーん」

「あら、おかわり? それなら……」


 鹿目さんは立ち上がると、ポットを持って台所の方に行ってしまった。そちらの方からは追加のお菓子を作っていた巴さんの声も聞こえて来る。

 間に座っていた鹿目さんが居なくなったことにより、私と美樹さんが隣あう形になる。

「……そういえばさ、二人で話すのって案外これが初めてだったりするんじゃない?」

「あ、確かにそうかもしれませんね」


 言われてみればそうだ。私の入院中に美樹さんが来てくれた時は、大抵決まって鹿目さんも来ていたからなのだろう。


「ほむらってさ、まどかには特に気を許してるっていうか、懐いてるっていうか……まあとにかくそんな感じだよね」

「懐いてるって……」

「あいつが一番あんたといる時間が長いから、当然っちゃ当然だけどさ。他にも何か理由があったりするの?」

「……それは」


 美樹さんは残っていたクッキーをつまみながら何気なくそう聞いてきた。
 
 私が鹿目さんを特に信頼している理由……ちょっとだけ心当たりがある。ただ少し常識的じゃないというか、言っても笑われそうなことだった。

「あ、あの……笑わないでくださいね?」

「え? うん」


 だから私はそうやって保険を掛けた。

 美樹さんは本当に何かあるとは思っていなかったのか、ちょっと意外そうに相槌を打っていた。


「そのですね、入院してた時、意識を取り戻す前に……」

「ふむふむ」

「鹿目さんと夢の中であった、ような……何となく、そんな気がするんです」


 病室で意識を取り戻す前に見ていた夢……そこに鹿目さんが現れていたのだ。


「……へぇ。夢、ねえ」

「それで、その……初めて会った時も、他の人より抵抗なく話せたのかもしれません」


 何もかもは思い出せないけれど、夢の中での彼女の温かな笑顔だけはしっかりと覚えていた。たぶんそれで、私は無意識の内に鹿目さんに対して安心感のようなものを抱いていたのだと思う。

「ああでも、それって飛んでる記憶の断片だったりするんじゃないの?」

「最初は私もそう考えたんですけど……。私、何故か見滝原中学の制服を着てたんですよね」

「あー、確かにそれはおかしいね。てことは……うーむ」


 私の話を聞いた美樹さんは、感心しているというか、驚いているというか……とにかくそんな様子だった。


「あの、美樹さん? どうかしたんですか?」
 

 笑われるかもと思っていただけに、その美樹さんの反応にちょっと違和感を覚えた。


「いや、不思議なこともあるもんだなぁと思ってさ。まどかも前に同じようなこと言ってたんだよね」

「それってどういう……」


 その言葉の意味を聞こうとした時、鹿目さんが戻って来た。

「はい、紅茶のおかわり」

「ありがとうございます」

「さんきゅ、まどか。てかちょうどいい所に来たね」

「え?」


 鹿目さんはテーブルの上に持ってきたポットを置くと、さっきまで座っていた場所に膝を折って座った。


「まどかさ、夢でほむらに会ったって言ってたよね? ……それも実際にほむらと会う前に」

「……うん」

「えっ、そうなんですか?」

「それがどうかしたの?」


 美樹さんの言ったことに驚いてちょっとだけ語気が上がってしまう。


「それがさ、ほむらも夢の中でまどかに会ったんだって」

「……え?」

「それも意識戻る前だから……ほむらも実際に会うより前に夢でまどかと会ってたってわけ!」


 私だけならまだしも、鹿目さんも似たような経験をしていただなんて、不思議な偶然もあるものだ。

「ほむらちゃんが見たのって、どんな夢だったの?」

「そ、そんな変な夢じゃないんですよ?」

「いやいや、あんたらマジで前世の縁でもあるんじゃない? 時空を越えて巡り合った運命の二人……みたいな感じで!」


 美樹さんに大げさに茶化されてしまう。結果的に笑われこそしなかったものの、これはこれで照れくさいと言うか……


「……ねえ、どんな夢だったのかな?」

「だ、だから大した内容じゃ……」


 夢の内容について鹿目さんが食い下がってきた。私は恥ずかしくて、それについては有耶無耶にしようと言葉を濁していた。

 

 だけど――


「――お願い、答えて」

「え、あの……」


 急に鹿目さんは私の両肩を掴み、真正面から目を見て詰め寄ってきた。

 今までにないくらいに真剣な表情と強い口調にたじろいで、私は何も言えなくなってしまう。


「ちょ、ちょっと、まどか? どうしたのさ急に」

「ごめん。さやかちゃんは静かにしててくれないかな」

「あ、うん……」


 鹿目さんは口を挟んできた美樹さんを強い口調で黙らせる。その間も彼女は私から一切目を逸らさずに、じっと私の顔を見つめていた。そうやって私の答えを待つ彼女の顔からは、強い不安と焦りが窺えた。

「……ひょっとして、言いたくないような辛い夢だったりしたのかな?」

「あ……いえ、そんな深刻な感じじゃなくて」


 私が動転していることに気付いたのか、彼女は少し語気を和らげてくれた。
 
 やがて私はしどろもどろになりながらも、その夢の内容を口にする。


「そ、その、鹿目さんが私の先を歩いてて……」

「うん」

「いろいろと、私に話しかけてくれてる夢でした……」

「……うん」


 私が言い終えても、鹿目さんはこちらをじっと見たままだ。

「……それだけ?」

「えっと……」


 少し間を空けてから、彼女はそう確かめてくる。


「私とほむらちゃんがお話ししてただけ?」

「はい、それだけですけど……あ、そういえば」

「――! な、何かあったの?」


 鹿目さんに言われて、一番印象に残っていた部分を言っていなかったことに気付く。


「その……鹿目さん、笑ってました。とっても楽しそうに」

「……そっか」


 私の答えを聞いた鹿目さんは安心したように息をつくと、そっと肩から手を放した。

「……ごめんね、急に掴んだりして」

「あ、いえ、大丈夫ですけど……」

「さやかちゃんも、ごめん。あんな乱暴な言い方しちゃって」

「いや別にいいけどさ……」


 鹿目さんは掴んだせいで少し着崩れてしまった私の服を正してから、私と美樹さんに謝った。さっきの鹿目さんの様子に半分面食らったままだったせいで、私も美樹さんも若干生返事になってしまった。


「……そうだ。まどかの見た夢はどんなのだったの?」

「それは……」

「変わった夢だったんですか?」

「……ごめんね。私はどんな感じだったか覚えてないんだ」

「そうなの? じゃあさっきは何で……」


 美樹さんが聞きかけたところで、台所の方から巴さんの声が聞こえて来た。

「みんなー、出来たから運ぶの手伝ってくれないかしらー?」

「あ、はーい。今行きまーす」

「……ま、いっか。ほむらも行こ?」

「……はい、そうですね」


 私たち三人が話をやめて台所へと向かうと、綺麗に盛り付けられたお菓子が六人分並んでいた。


「うお、美味そう! 流石はマミさん!」

「すごい、売り物みたいです……」

「佐倉さんと美国さんは……あらら、寝ちゃったのね」

 ――その後、佐倉さんと美国さんが起きてからお茶会は再開した。


「あんた、あれだけ食っといてまだ入るんだ……」

「甘い物は別腹って言うじゃん」

「いや、お茶会だから全部甘い物なんだけど」


 結局夢の話はあれきりになってしまったけれど、私も美樹さんもそれほど気にはしなかった。


「巴さんはもう志望校って決めたのかしら?」

「私は※※高校かな。美国さんは?」

「うーん、私はまだ決まってなくて……」


 鹿目さんがそれ以上変わった様子を見せなかったからだ。


「ほむらちゃん、また食べさせてあげよっか?」

「も、もう大丈夫ですよ!」

「そう言わずに……はい」

「……あ、あーん」


 名残惜しくも楽しい時間は夕暮れ時まで続き……最後に余ったお菓子を皆で分けてからその日のお茶会はお開きとなった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
 朝――今まさにホームルームが始まろうとしているこの時間、私は教室の中ではなくその前の廊下に立っていた。
 
 先生が来てないのをいいことに生徒たちが好き勝手にお喋りをしているようで、教室内は随分と賑やかだった。


「じゃあ暁美さん。私が呼んだら入ってきてくださいね」

「は、はい。わかりました」


 職員室からここまで連れてきてくれた担任の早乙女先生は、私にそう一声かけると先に喧噪の残る教室の中へと入って行った。


『はーい、みなさん静かに! 朝のホームルームを始めますよー』


 先生の一括で騒がしかった教室内は静かになっていく。
 
 それから程なくしてホームルームが始まり、中から聞こえてくるのは先生の声だけとなった。

『どう思いますか!? はいっ、中沢君!』

『ええっ!?』

 
 本人はいたって真面目なつもりなのかもしれないけれど、何とも気の抜けた話題だった。


『女子の皆さんはそんな男とは交際しないように! 男子の皆さんもそんな大人にならないようにッ!』

「……ふふっ」


 こういう話をする先生だとは聞いていたけれど、ここまでだとは思っていなかったので私は少しだけ笑ってしまった。

『それと! 今日は皆さんに転校生を紹介しまーす』


 そしてホームルームの話題は転校生の……つまりは私のことへと移っていく。先生が転校生の存在を明かした途端、教室内にざわめきが広がって行く。
 
 私はこれからこの教室の中に入って行き、好奇の視線を浴びることになるのだろう。
 
 ……それを意識した途端に緊張で体が強張ってきてしまった。少しでも落ち着こうと目を閉じて深呼吸をしてみたけど、あまり効果がない。


『じゃあ、暁美さーん、いらっしゃーい』


 どうにかして落ち着こうとしていたら、先生の合図が聞こえてきた。
 
 意を決して教室の戸を開けて中に足を踏み入れると、生徒たちのざわめきが一段と大きく聞こえてきた。


(うう、やっぱり視線が……)


 先生の隣まで歩いていってから、私は新しいクラスメイトたちの方を向く。想像していた通り、教室中の視線が私へと向けられているようだった。
 

 でも、そんな教室の中……後ろの方の席によく知った二人の姿があった。

(鹿目さん、美樹さん……)

 
 二人は目が合うと笑いかけてくれた。

 ……そう、何も怖がることなんてないはずだ。私はここで一人ではないのだから。例え失敗したって優しく笑ってくれるような人たちが居てくれるのだから。
 
 そう理解した途端、私の中にあった緊張と不安が少しだけほぐれてくれた。


「はーい、それじゃあ自己紹介いってみよー!」

「暁美ほむら、です。よろしくお願いします!」

 
 だから私は言い淀むことなく、そして笑顔で自己紹介の挨拶をすることができた。

 
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 1話「夢の中で会ったような」 終

 本日の投下はここまでです
 次はかなり遅くなると思います
 
・前作について
 わざわざ探して読んでくださった方もいらっしゃるようなので、少し触れておきます
 ・この話とは直接の関連はありません 
 ・渋に「Answer ~祈らなかった世界~」というタイトルで、微修正+エピソード追加+おまけカット版があります。大して内容は変わりません

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 Mami’s View
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 町外れの廃教会の裏手――私がそこに着いた時、既に一人の先客がいた。
 
 その先客は目を閉じて胸の前で手を組み、そこにある二つの十字架へと黙祷を捧げていた。私はその人が構えを解いたのを見計らって声をかける。

「来てたのね、佐倉さん」

「……マミか、こりゃ奇遇だね」


 佐倉さんは声を掛けられるまで私の存在に気付いていなかったようで、少し驚いた風な表情をしていた。よほど集中していたのだろう。


「ふふ、そうね。あなたもお参り?」

「今済ませたところだよ。……もう、一ヶ月も経ったんだな」

「ええ、早いものね」


 私と受け答えを交わしながらも、佐倉さんの意識は常に墓標の方へと向けられたままだった。

「あれ?」

「どうした?」


 花を供えようと墓標に近づいてみて、私は片方に一際目立つ赤い花が添えられていることに気が付いた。


「これは佐倉さんが?」

「ああ、それな。多分織莉子の奴じゃないかな? あたしは薔薇なんて柄じゃないし」

「薔薇……呉さんにぴったりよ。流石は美国さんね」

「んー、そうか?」

「佐倉さん、薔薇の花言葉って知ってるかしら?」

「……ああ、なるほどね。あいつことあるごとに『愛』って口走ってたもんな」


 私の説明に納得してくれたのか、佐倉さんは懐かしむような顔で苦笑いを浮かべた。

「佐倉さん、この後何か予定はあるかしら?」

「いつも通り魔女狩り。……まあ、何か用があるってんなら別に予定崩してもいいけど」

「それならこれが終わったら暁美さんの様子を見に行こうと思ってるのだけど、一緒にどうかしら?」

「そうだな……。うん、付き合うよ。しばらく顔見せてなかったしな」


 佐倉さんは私の提案を少し考えたのちに受け入れてくれた。


「よかった。じゃあちょっと待っててね」


 そう言って私は二つの十字架に持ってきた花を供えると、手を合わせて目を瞑る。

 胸の中で、眠る彼女たちへ近況報告を行う。

 いろいろと伝えたいことはあるけれど、中でも美国さんが魔女狩りに参加できるほどに立ち直ったことは、呉さんにとってはきっとこの上ない朗報だろう。
 
 もっとも美国さん自身がここに来たというのだから、呉さんもそれについては知っているのだろうけど……

「……ふぅ」


 少し長めの黙祷を済ませると、私は構えを解いて再び佐倉さんに声をかけた。


「おまたせ、佐倉さん」

「……」


 けれど、佐倉さんからは返事が返ってこない。

 彼女は薔薇が供えられていない方の十字架をぼんやりと眺めていて、どこか上の空といった感じだった。

「佐倉さん」

「……へっ? な、なんだ、どうかしたのか?」


 私が再び声をかけると、佐倉さんは我に返ったようにこちらを見た。


「いえ、ぼうっとしていたからどうかしたのかなと思って」

「……悪かった。何でもねえから気にすんな」

「そう? それじゃあ行きましょうか」


 佐倉さんの妙な反応を不可解に思いつつも、そう言ってその場を離れようとしたのだけど、彼女が私の後を付いてくる気配はなかった。


 振り返ってみると、彼女は先ほどまでと同じ様に墓標の方を向いたまま動こうとしない。



「……わりぃ、マミ。やっぱ先に行っててくんねぇかな?」

「え? どうして……」


 一瞬なぜそんなことを言うのか分からなかったけれど、すぐにその疑問は解けた。

「だってさ、こんなんで見舞いになんか行っても、逆に心配されちまうだろ……?」


 佐倉さんの声がすっかり鼻声になってしまっていたからだ。こちらに背を向けているためにその表情を窺い知ることはできないけれど、彼女が泣いているということだけは容易に理解できた。


「大丈夫だよ。落ち着いたら、すぐにそっち向かうからよ。……なっさけねぇよなぁ。もう一ヶ月も経ったって言うのにさ」

「……辛いなら無理に来なくてもいいのよ?」

「バーカ、余計なお世話だっての。てめえこそ、あたしが行くまで帰るんじゃねえぞ」


 表面上は随分と立ち直ったように見えていても、やはり彼女の中では整理のついていない部分があったのだと思う。
 
 でも仕方のないことだ。佐倉さんはゆまちゃんのことを家族のように大事にしていたのだから。
 

「……面会時間、七時までだからそれまでには、ね?」

「ああ……わかっ、てるよ」


 佐倉さんは着ていたパーカーの袖で目を擦りながらもそう答えてくれた。



 ――そして、私は廃教会を後にして一足先に暁美さんの居る病院へと向かった。
 
 遅れてやってきた佐倉さんは宣言通りある程度気持ちを落ち着けてきたようで、その態度や口調からは先ほどまでの悲しそうな感情を出そうとしなかった。

 ……けれど彼女のその目だけは、泣き腫らしたせいで赤くなってしまっていたのだった。

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遅れて申し訳ありません

かなり短いですが補足のような話を投下させて頂きました

続きを書いてはいますが、まだ時間がかかりそうです

2話以降も近いうちに投下したいと考えているので、もうしばらくお待ちください

何の報告もなくてすみません
1日過ぎてしまったのですが、投下しても大丈夫でしょうか……

それでは投下します

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 授業中、文字を書く音と教科書やノートのページをめくる音が教室に響いている。


「つまり、この式を代入してだな……」


 前のボードには教科書の問題の解答が書き連ねられていた。先生が問題の解説をしてくれているけれど、私の頭にはさっぱり入って来ていなかった。


(全然わからない……)


 病院に居る間まったく勉強をしていなかったわけではないけれど、授業の内容について行けない。もともと私は頭の良い方ではなかったし、勉強を教えてくれる人もいなかったのだ、当然の結果だろう。

(えと、これがこうで、その次が……あ、もう消されちゃった)


 これ以上遅れるわけにはいかないと思い、取り敢えずボードに書かれた数式をノートに書き写していたのだけれど、内容を理解できていないせいでそのスピードはとにかく遅い。全て書ききらないうちに消されてしまうこともしばしばだった。その度に今度は遅れないようにと意気込んで、仕方なく新たに書かれた板書を写していた。

 しばらくの間、そんな風にして必死に手に持ったシャーペンを動かしていたのだけど……


「……美、暁美! 居ないのかー?」
(あれ、私?)


 気付けば先生に指名されていた。もう何度か呼んだ後だったのか、先生は私の姿を探して教室の中を見回していた。
 
 一体、いつ呼ばれたのだろうか。書き写すのに必死になっていたせいで、先生の話を聞いている余裕がなくて全く気付けなかった。

「は、はい!」

「何だ、居るじゃないか。次からはすぐ返事をするように」

「す、すみません……」


 慌てて返事をすると、先生はこちらを見て少し厳しい口調で私を諫めた。


「で、答えは?」

「え?」


 そして続けてそう言ったきり、“答え”を待って黙ってしまった。


(……ど、どうしよう)


 ……多分、何かの問題の答えを聞かれているのだろう。でも話を聞いていなかったせいで、どのページの問題なのからすら分からない。
 
 私はどうしたらいいのか分からなくて、頭の中が真っ白になってしまった。

「ん、どうした?」

 
 うんともすんとも言わずに固まってしまった私を見て、先生は不思議そうな顔をしている。

 様子のおかしい私に、教室がざわめきだしたその時……


「……七十二ページの問の三、だよ」


 隣の席から小さな声でそう聞こえてきた。

 その声にはっと我に返り、慌てながらも言われた通りに手元の教科書のページをめくる。


(えーと、問の三、問の三……あ、あった!)


 少し手間取ったけれど、何とかその問題を見つけることができた。
 
 聞かれている問題、つまり問の三の答えは――

「……わ、分かりません」

「あー……うん。君は休学してたんだっけな。しっかり復習しておくように」


 ……私が目を伏せて答えると、先生は少しばつが悪そうにそう言った。

 よく考えてみれば当然だ。何を問われているか理解できたところで、授業の内容を理解できていない私が答えられるわけがなかったのだ。こんなことなら最初から分からないと言っておくべきだった。


「それなら暁美の隣の……ええと、鹿目。お前は分かるか?」


 座ったまま小さくなっている私を置いて、先生は授業を進めてゆく。手始めに今の問題を別の生徒に答えさせようとしていた。

「……あ、はい。X=5、Y=3 です」

「ん、正解だ。じゃあ次の問の四は……」


 私の代わりに指された彼女は、さらりと正しい答えを言ってのけた。なんてことはない簡単な問題だったのだろう、先生はそれに軽く会釈をすると、すぐに次の問題へと移って行った。

 ざわめきかけていた教室内も静かになり、さっきまでと変わらぬ授業風景が戻りつつある中で……


「……ドンマイだよ、ほむらちゃん」


 隣の彼女はこちらを見遣ると、そう優しく声を掛けてくれた。
 
 答えられなかったことは恥ずかしくて、情けなかったけれど……隣で笑いかけてくれる鹿目さんの存在が少しだけ気を楽にしてくれた。

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 2話「そこに理由があるのなら」


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 短いですが今日はここまでです

 
 ……投下した後に聞くのも変ですが、中学校の席替えって一か月に一回くらいの間隔でしたよね? 

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