東京西部を切り拓いて作られた学園都市。現在時刻は午後十時。
学生の集まる第七学区のとある学生寮の一室に、不幸で無能力者な上条当麻と、安全ピンだらけのなかなかパンクな修道服を身にまとったシスター、インデックスはいる。
二人が出会ったのは、暑さの厳しい夏真っ盛りの時期だったが、気づけばもう寒さが辛い冬本番だ。
何だかんだ長い間一緒にいた二人だが、インデックスの言葉により何ともあっけなく終わりを迎えることになりそうだ。
「イギリスに帰ることにしたんだよ」
「おー、元気でなー」
「とうまあああああああ!!!」
上条の言葉が気に入らなかったのか、インデックスは途端に不機嫌になってベッドの上から飛びかかってきた。
大きく開けた口に綺麗に生え揃う白い歯を眺めながら、そこらの肉食動物でも飛びかかるまではもう少し時間をかけるだろう、とは思う。
そんな事を考えてる内に、上条の頭にインデックスの歯が食い込んだ。
「いぎゃああああああああ!!! いきなり何すんだよ!!!」
「返答があっさりとしすぎなんだよ!!」
「そ、そんな事はないぞインデックス! ほら、涙もポロポロ」
「せめてその目薬は隠してほしいかも!!」
とっさの演技もまるで効果なし。
もっとも、シリアスな場面では上条の演技というのは中々のものだったりもするのだが、こういった場面ではまるで役に立たない場合が多い。
上条の記憶には存在しないのだが、常盤台の電撃姫、御坂美琴にわざとやられたように見せるための演技も相当酷かった。
そんな大根演技の上に小道具まで見つかった結果、インデックスの怒りのボルテージはさらに上昇。
上条の頭を、まるで犬が骨をかじっているようにガジガジと咀嚼し始める。
「いだだだだだ!!! 頭がすり減る!!!」
「このまま噛み砕くんだよ!!」
「殺人予告ですからねそれ!? つかお前も行くつもりなんだろ!」
脳天をゴリゴリされて、若干涙目になりながら上条はたまらず声をあげる。
それでインデックスの怒りをどうこうできるとは思っていない。ただの苦し紛れの一言といったものだ。
だが意外なことに、インデックスはその言葉にピタリと固まってしまった。
ゆっくりと上条の頭から離れて、一瞬何か言いそうになるインデックス。
しかし彼女はそれを無理矢理飲み込むように俯いてしまった。
上条はそんなインデックスの行動に首を傾げる。
そもそもこの話はイギリス清教からの要請ではあるものの、最終的な決定権は本人、つまりインデックスにあった。
その上で彼女は、今までの生活を捨ててイギリスでの生活を選んだ。
「そ、それはそうだけど……」
「なら引き留めるわけにはいかねえじゃねえか。誰かのためなんだろ?」
「……私の力はここよりもイギリスの方が役に立つんだよ。イギリス清教も手伝ってほしいって」
「確かにここは科学まみれで、イギリスは魔術師の国だしな」
インデックスは魔道書図書館とも呼ばれ、頭に十万三千冊の魔道書を持っている。
それ故に魔術に関しての知識は凄まじく、解析能力に関しては右に出るものがいないくらいだ。
そんな存在がこんな科学の最先端を行く街にいる事は奇妙なことなのかもしれない。
例えるならば、サッカーの天才にバットやグローブを持たせて野球場に飛び込ませるようなものか。
「それにしても、お別れなんだから私的にはもっとこう…………まぁいっか。とうまだもんね」
インデックスはそう言うと、小さく溜め息をつく。
といっても心の底からがっかりして、というものではなく、ただ呆れているだけのようだ。その表情にはなぜか小さな笑みも見える。
「……? えっと、そんで、出発はいつだ?」
「明後日なんだよ」
「また急な話だな……。そうだ、そんじゃ明日はお別れパーティーでも開くか! 土御門あたりなら良い場所知ってそうだしさ!」
上条は急な展開にもそれほど動じずに、ポンと手を叩いて提案する。
魔術絡みでは、いきなり空港に置き去りにされたり、飛行機から突き落とされたりしている上条なので、このくらいの急展開には慣れっこだ。
……そんな事を思い出すと自然とガックリきてしまうのは何故だろう。
「いきなり明日だなんて集まってくれるのかな?」
「集まるって! よっし、それじゃあ俺はこれからみんなに連絡するから、お前は明日に備えて早く寝ろな!」
インデックスは首を傾げているが、上条には確信があった。
同じクラスで隣人である土御門という男は、そういったどんちゃん騒ぎは大好きな人種であり、そこに青髪ピアスなんかが混ざればもう完璧だろう。
おそらくクラス全員集合というのも十分ありえるはずだ。
上条はそんな楽しげな光景を思い浮かべて頬を緩めると、自分の寝床である風呂場へ歩いて行く。
「……ねえ、とうま?」
「ん?」
突然インデックスに呼び止められた。
いつもならば、こういう時は明日の朝ご飯の注文である可能性が高いのだが、今回は振り返る前に声だけで違うと判断できる。
インデックスの声はとても静かなものだったが、どこか重いような気がした。
振り返ると、そこにはいつもはあまり見せない、どこか影のある表情を浮かべたインデックスがベッドの上に座っていた。
「とうまは、その……私がいなくても大丈夫なんだよね?」
「………………」
「……とうま?」
インデックスの綺麗な碧眼は真っ直ぐ上条当麻を捉えている。
上条はその目から視線を逸らすことが出来ずに見つめ返す。
少しの間、二人はそんな状態のままじっとしていた。
何も答えない上条に、インデックスの目は若干戸惑いの色を宿している。
「……大丈夫なわけねえだろ」
「えっ……」
インデックスに表情を見られないように俯いて。
まるで搾り出すように上条の口から紡ぎだされた言葉。
それを聞いたインデックスの目が大きく見開かれる。
瞳には確かに上条がいて、そして小さく震えていた。
それは目だけではなく、肩や手……体全体にも及んでいた。
「俺は……お前がいねえと…………」
「とうま? わ、私は…………!!」
インデックスは思わずベッドの上に立ち上がる。
その表情はとても必死なもので、同時に様々な感情が見え隠れする。
しかし、インデックスは次の言葉が言い出せない。
右手を胸元まで持っていった状態で、少しの間視線を彷徨わせているその様子は、まるでイタズラがバレてしまった子供のような印象も受ける。
上条は相変わらず俯いたままだ。その表情は決して見せない。
そんな上条の様子に、インデックスはさらに困ったように上目遣いで見つめることしかできない。
と、その時――――。
「……ぶっ!!!」
「……え?」
「あははははは!!! 引っ掛かったー!!!」
突然、部屋に上条の笑い声が響き渡る。
先程までのシリアスな雰囲気はどこへやら。心なしか部屋全体も暖かくなったような感覚さえも覚える。
ついさっきまで表情を見せようとしなかった上条も、今は少年らしい無垢な顔で笑っていた。
そうやって急に戻ってきた日常。
インデックスはそれについていくことが出来ずに、少しの間ポカンと口を半開きにして呆然としていた。
そしてふつふつと湧き上がる感情。
それは以前同じような光景を見たような気がするといった、デジャヴとも呼ばれるもの。
加えて七つの大罪の一つにもあげられる一般的なもの……憤怒であった。
「……とうま」
静かに、それでいて力のこもった声が、上条家の地を這う。
これは襲いかかる前に、最低限の説明くらいはしてやろうというインデックスのなけなしの情けだ。
まぁそれでも肩などは先程とは別の理由で震えており、怒りは隠しきれていないのだが。
しかし、それでも気付かないのがこの上条当麻という人間である。
「いやー、成長しませんねインデックスさんは! 前にも同じような事やったじゃねえか!」
「大体お前ちゃんと一人で起きられんのか? それにもう浴槽ぶっ壊したりすんなよー?」
「上条さんはむしろお前が心配で心配でたまらないですよ。これが親の気持ちってやつか?」
「と・う・ま!!!!!」
「は、はい!!!」
ついに爆発するインデックス。
それでやっと、目の前の少女の不機嫌さに気がつく上条だったが、遅すぎた。
もう既にシスターさんは、神に仕える者としては落第点レベルであろう暗黒のオーラをまき散らしていた。
十万三千冊を自在に操る『自動書記(ヨハネのペン)』状態でのインデックスは、魔術を極めすぎて神の領域に足を突っ込んだ存在という意味で魔神と呼ぶにふさわしいらしい。
しかし上条としては、今の状態のインデックスも魔人と呼んでもいいのではないかとも思った。もちろんRPGに出てくるようなイメージで。
インデックスはにっこりと笑う。
立ち込める真っ黒いオーラが強すぎて、シスターらしい慈悲に満ちた優しい笑顔に対しても恐怖しか感じることができない上条。
「私は主に仕える敬虔なシスターです。今なら噛み砕きかすり潰しか選ばせてあげるかもぐるるるるるるる」
「お、おい、もう語尾が完全に野獣のそれなんですけどおおおおおお!?」
結局、上条はどちらも選択することが出来ずにいつも通り頭をパックリと丸かじりにされ、学生寮中に断末魔の声が響き渡る。
今まで続いてきたこんな日常も残り僅かだというのに、二人はその日常を崩さずに過ごしていた。
「ふん、もう寝る!! おやすみ!!!」
「お、おう……」
ひと通り上条の頭を噛み終えたインデックスは、まだ怒りは収まり切らないのか肩を怒らせながらベッドに戻っていく。
解放された上条は、ついさっきまで少女の歯がめり込んでいた頭皮を労るようにさすりながら、部屋の電気を消す。
そしてもう随分と使い慣れてきた寝床である、浴槽へと向かった。
「いてててて、アイツ本気で噛み砕こうとしてたな……」
浴室に入る前に、洗面台の前の鏡で何とか頭皮の様子を見てみようとするが、良く見えない。
良く高校生くらいになると染髪で髪にダメージを与えるということも多いが、こうやって直接的な意味でのダメージを受けているというのも珍しいだろう。
「あ、そうだ明日の事で連絡回しとかねえと」
バスタブに付着した水滴をタオルで拭き取るという、普通の人間はなかなかやらない行為を慣れた手つきで進めながら、ふとそんな事を考える上条。
ポケットから、いくつもの不幸を共にしてきた、もはや戦友とも呼べる携帯電話をポケットから取り出す。
「とりあえず、クラスの奴等だろ。あとは一方通行とか御坂あたりも呼んでみっか。
でも風斬はどうしよっかねぇ。インデックスの親友だし、呼びてえけど……打ち止めとか場所分かったりしねえのかな」
アドレス帳をスクロールしながらそんな事をぼそぼそと呟いてる上条。
思えばこのアドレス帳も随分と登録件数が増えたものだ。
こんな平均的な高校に通う無能力少年の携帯のアドレス帳には、学園都市に七人しかいない超能力者(レベル5)の内、二人のアドレスが登録されている。
とりあえず上条は、最初に考えた通りに隣人である土御門元春に連絡することに決める。
土御門ならばインデックスの事情はよく分かっているはずだし、場所決めや人集めなども上手くやってくれそうだからだ。
アドレス帳から土御門のページを呼び出す。夜中といっても、まだ男子高校生が眠るような時間帯でも無いので、おそらく連絡はつくだろう。
そう考えて、決定ボタンに力を込めようとした上条だったが、そこでふと動きを止めた。
何だかここで土御門に連絡をしてお別れ会を開くことになれば、一気にインデックスがここから出ていくことが現実味を増してくる。そんな気がしたのだ。
もちろん、インデックスが冗談を言っているといった事は考えていない。イギリス清教がインデックスを手元に置きたがっている事は上条も聞いていた。
『とうまは、その……私がいなくても大丈夫なんだよね?』
脳裏に先程のインデックスの言葉が浮かぶ。
それを聞いた時は逆にからかってやろうという程度にしか思わなかった。
なぜそんなインデックスの言葉が今浮かぶのか。
なぜ、今更お別れ会の計画を立てることを躊躇しているのか。
上条は、分からない。
「……なーに考えてんだか俺は」
しかし分からないままでいい。何となくそう思った。
上条は小さく笑うと、今度こそ携帯電話の決定ボタンを押しこんだ。
数秒後、浴室には上条が電話の向こうの土御門と話す声が響き渡る。
――明日の、インデックスのお別れ会のために。
とりあえずこんなもんで。
全体のプロットはできてて、たぶんこのスレだけで収まるはず。
上イン……になればいいかもねー
『レディースアーンドジェントルメン!! 今日はみんな良く集まってくれたぜい!!』
土御門の声が、マイクによって会場中に響きわたる。
ここは第三学区のとある巨大ホール。元々は学園都市の新技術の一部を一般に公開するための展示会などに使われる場所だ。
今日はここに丸テーブルをいくつも並べて、立食パーティーのような形にしていた。
ざっと見渡すかぎり、来場者は百人は超えているだろう。おそらく、インデックスとほとんど関係ない人間も来ている。
前日に上条が思いついたインデックスのお別れ会だったが、なんとここまで大々的なものとなっていた。
土御門の力をなめていたというのが、上条の正直な感想である。
ちなみに、これもどこから仕入れたのかも分からないのだが、土御門はスーツやらドレスやらを事前に来場者全員に支給するといった事もしていた。
普段スーツなんて着ない上条は、慣れない服装に落ち着かない。それは何も上条だけというわけではなく、クラスメイト達もみんな似たようなものだった。
その中で、前の舞台の上でマイクを持って話している土御門のスーツ姿が妙に似合っているのがなぜか悔しい。
(つかなんでお別れ会なのにイギリス清教のメンツとかもいるんだよ……)
いくつかのテーブルを陣取っているイギリス清教。
その中には二メートルを優に超える長身赤髪不良神父やら、ジーンズをぶった切った奇抜なファッションに身を包むお姉さんやら、なかなか目を引く人物も揃っている。
おそらく土御門の支給した正装を着ないでいるのも目立っている一因であるのだろうが、神裂火織に支給された正装というものが堕天使エロメイドだという事実などを知ったら仕方ないと思われるだろう。
『まずは今日の主役、インデックスに挨拶してもらうぜい!』
「えっと、これどうやって使えば良いのかな?」
土御門の言葉と共に壇上に上がって来たのは、今回の主役であるインデックスだ。
その服装はいつもの修道服ではなく純白のドレスであり、パッと見るとまるで花嫁衣裳のような印象も受ける。
正直、上条も初めにそんなインデックスの姿を見て多少ドキッとしたのだったが、何とか外に出さないように誤魔化した。
何だか素直にそう言うのが悔しかったのだ。
「うぅ、マイクも使えないのかにゃー。カミやん教育はちゃんとやってほしいぜよ……」
「むっ、子供扱いしないでほしいかも」
「はいはい……もう電源入ってるからここに向かって話せばいいぜい」
『あー、わわっ、本当に声が大きくなるんだよ!!』
そんな超絶機械オンチ少女に、会場全体に笑いが広がる。
本人はそれなりに真面目なのだが、やはり周りから見ると微笑ましいものだ。
しかし、上条はと言うと、インデックスのそんな様子に思わず頭を抱えてしまう。
「はぁ、インデックスの奴……」
「いやー、相変わらずおもろい子やねぇ」
そうやって隣でニヤニヤとしているのは、クラスメイトの青髪ピアスだ。上条も人のことは言えないが、スーツが物凄く似合っていない。
「俺は頭が痛くなる……」
「はは、さながら親の気分っちゅうやつ?」
「そうなのかもな……。あのドレスだって、アイツまともに着れなくて大変だったぞ」
「え、まさかカミやん、着せてあげたり……?」
途端に青髪ピアスの声の調子が変わる。
その表情から、「あちゃー、ついにやっちゃったかー」みたいな心情が透けて見えるようだ。
上条はそんな青髪ピアスに、溜め息をつきながら、
「んなわけあるか。わざわざ御坂呼んで手伝ってもらったんだよ」
「なっ、なんてもったいない事を!!」
「テメェの頭の中はそんな事しかねえのかよ!」
青髪ピアスがこうなのはいつもの事なのだが、それでも突っ込んでしまう上条。
そういえば、最初に青髪ピアスにインデックスと一緒にいる所を見られた時も、そんな犯罪的な事を疑われたような気がする。
「でもカミやん、ほんまにあの子とは何もなかったんやね」
「どういう意味だよ?」
「だってカミやん、いつもあの子と一緒にいたやん。そういう関係に見えてもおかしくないでー?」
「違うっつーの。どっちかってーと保護者的な感じだな」
確かに、夏からずっと一緒に住んできて、本当に何も無しというのは男子高校生的にはおかしいのかもしれない。
といっても、上条にとってインデックスが大切な存在であるという事実はこれからも変わらない。
つまり結局は上条の言う、保護者的な感覚という結論に落ち着く。
『えっと、みんな今日は集まってくれて本当にありがとう! 全員とお話しするために、パーティの最中はずっと動き回ってるからよろしくなんだよ!』
『あっ、でもあそこのチキンとケーキは予約済みだからあまり手を出さないでほしいかも!』
持ち前の完全記憶能力を使って覚えていたのか、舞台の上からビシッといくつかのテーブルを指さすインデックス。
それに対して、会場には再び笑いが広がる。
一応これはお別れ会なのだが、それでもいつもと変わらないインデックスの様子に、上条の頬も緩んでいた。
「ったく、アイツは……」
「あはは、カミやんがニヤつくと気色悪いなー」
「ほっとけ!!」
上条は、失礼極まりない言葉をぶつけてきた青髪ピアスに物理的ダメージを与える。
そんな事をやっている間に、舞台の上のインデックスの近くに台に載せられたグラスが持って来られる。
彼女の年齢は良く分からないが、とりあえず未成年であることは分かる。グラスの中身は一見白ワインにも見えるが、おそらくジュースなんだろう。
まぁ自分のクラスには見た目は完全に小学生な教師もいるわけで、必ずしも未成年だと断言することはできないのだが。
『それじゃ、みんなグラス持って!』
インデックスの言葉と共に、会場にはグラスを持つガチャガチャという音が響き渡る。
そして全員の準備ができたことを確認すると、にっこりと満面の笑みを浮かべて、
『カンパーイ!!』
「「カンパーイ!!!」」
「とうま、とうま!」
「あー、コラコラ。その服でそんな走ると転ぶっつの」
乾杯から数分後、インデックスは舞台から降りてきて真っ直ぐ上条の方に走ってきた。
普段の修道服の時も、走ったりすると裾を踏んだりして危ないのではと思う上条。今回のドレスなんかは見ているだけでもハラハラしてしまう。
舞台の上で話していた彼女に、どこか遠い存在になってしまったような錯覚も覚えた上条だったが、こうして近くに居ると今までと何も変わっていないことに気付く。
一方インデックスは舞台の上と同じ満面の笑みを浮かべて、
「えっとね、これからみんなとお話ししてくるから、おいしそうなお料理を取っておいてほしいんだよ!」
「………………」
と、いつもの調子全開で頼んできた。
そんなインデックスに、上条はガクッと肩を落として溜め息をつく。
確かに妙に湿っぽくなるのは上条としても勘弁してほしいが、これはあまりにも普段通りすぎるのではないか。
「とうま?」
「あー、俺も一緒に行くよ。お前一人だととてつもなく不安だし」
「むっ、なんだか失礼かも!」
上条の言葉に頬を膨らませるインデックス。
この仕草だけなら可愛らしいものなのだが、一段階上の噛みつきにまで発展すると手が付けられなくなる。
だがまぁ、インデックスも上条がついてくることに抵抗はないらしく、それに対しての文句はない。
「おおー、二人で挨拶とかそれなんて結婚式?」
突然、青髪ピアスはニヤニヤと笑いながらそんな事を言ってきた。
いつもならそれを聞いた瞬間、幻想殺しの宿るこの右手で強めのツッコミを入れるとこだ。
しかし今回は、不覚にも確かにそう見えるかも、とやや納得してしまう上条。
インデックスはというと、顔を真っ赤に染め上げるという、まさに青髪ピアスの思惑通りな反応をしていた。
「け、けっこんって!! わ、わた、私ととうまは別にそういうんじゃ……!!」
「さすがに一生世話するのは勘弁してほしいっつの……」
あたふたと小さな手を振りながら否定の言葉を並べるインデックスに、上条もうんうんと頷いて同調する。
上条としては動揺しているインデックスを落ち着かせようとして発したこの言葉。
しかしインデックスはその言葉を聞いた途端、明らかに不機嫌になる。
「…………むぅ」
「な、なんだよ」
「べっつにー」
そう言ってそっぽを向いてしまうインデックス。
何だかこうやって突然彼女が不機嫌になってしまうという状況は何度かあった気がするが、その理由が分かった試しがない。
そうやって結局、女の子は難しいなー、といった結論にたどり着く上条。
そんな二人を、青髪ピアスはまるで子供の成長を見守る親のような笑みを浮かべて見ていた。
「あはは、二人は変わらないんやねー」
「それはお前もだろ」
確かに青髪ピアスの言うとおりだとは思うが、こうやってニヤニヤしながら言われると何故か敗北感に似たようなものを感じる。
一方、インデックスの方は特にそういうことは気にしていないらしく、青髪ピアスの事をじっと見つめると優しい笑顔浮かべながら口を開く。
「君とも何だかんだ結構長いよね」
「そやねー。最初会ったときは、ついにカミやんが犯罪に走ってしもたって焦ったわ」
「あのな……」
青髪ピアスとインデックスが初めて顔を合わせたのは、姫神の一件の時だったはずだ。
そう考えると、夏からの知り合いという事になるので、それなりに長い関係ということになる。
まぁ、そもそも上条も記憶を失っていたので、その時が青髪ピアスとの初対面だったりするのだが。
「まったく、あの時はいきなり男の子扱いされてムカッときたんだよ」
「あはははは、堪忍してーや。あんまりペッタンコなもんやから……」
「ぐるるるるるるるるるるる!!!」
青髪ピアスのデリカシー皆無な発言に、歯を剥き出して唸り始めるインデックス。
お前は猛獣か、と突っ込もうとする上条だったが、なぜかその顔が真っ直ぐ自分に向いてる事に気づいて、嫌な汗が頬を伝う。
そういえば、インデックスお得意の噛み砕き攻撃は、自分以外の誰かが食らったということはなかった気がする。
「な、なんでこっち見て唸ってんだよ!! 大丈夫だって、ちゃんと膨らんでんのは知ってっから!!」
「ッ!!」
「え」
とにかくこんな場所でまで噛みつきを食らいたくない上条が発した言葉。
正直これくらいでは猛獣シスターの機嫌は収まらないだろうと、あまり期待していなかった上条。
しかしそんな予想に反して効果は大きかった。
インデックスは再び顔を真っ赤に染め上げ、青髪ピアスは真顔になる。
自分で言っておいて何だが、ここまで効果が出るとは思わなかった上条は少々面食らう。
普段の上条ならば、いくら鈍感だといっても自分の言ったことの意味くらいは理解できるはずだが、今はインデックスの噛み付き攻撃から逃れることしか考えていない。
「む。聞き捨てならない台詞を聞いた」
その時、突然背後からそんな声が聞こえてきた。
これに驚いた上条は、思わず全身をビクッと震わせてしまう。
今まで、神の右席や大天使と戦ったことがある少年でも、ビビる時はビビるのだ。
「うおあっ!!! な、何だ亡霊か!? サーシャを呼ばねえと……!!!」
上条の頭に真っ先に思い浮かんだのはロシア成教に所属するサーシャ=クロイツェフ。
記憶が正しければ、ロシア成教というのはゴーストバスターズ的な集団だったはずだ。
そういえば、こういった楽しい雰囲気に霊は引きこまれやすいともテレビで聞いたことがある。
そんな割とマジで恐怖している上条に、インデックスはジト目で見つめてくる。
「とうま、亡霊じゃなくてあいさなんだよ」
「あ、あいさ…………あぁ、姫神か」
インデックスの言葉にほっと胸を撫で下ろす上条。
振り返ってみれば、確かにそこには亡霊ではなく、クラスメイトである姫神秋沙が居た。
「ふふ。その存在感のなさ。もはや亡霊レベル……ふふふふふふふふふ」
「わ、悪い!! 俺が悪かった!!」
「カミやん、さすがにあれは傷付くでー」
上条の謝罪も効果なく、どんどん真っ黒い負のオーラに包まれて沈み込んでいく姫神。
正直、その状態は長い黒髪と相まって中々に怖い。夜中に廊下などで出会ったら叫び声を上げるレベルだと思う。
そんな生ける心霊現象になりかけている姫神に、インデックスは慌ててフォローに入る。
「だ、大丈夫なんだよあいさ! 私の完全記憶能力なら影の薄いあいさの事も絶対に忘れないんだよ!!」
訂正しよう。
インデックスはフォローを入れたのではなく、ただ止めを刺しただけであった。
「ふふ。ふふふふふふふふ」
インデックスのある意味では竜王の殺息(ドラゴンブレス)よりも無慈悲で強力な一撃に、姫神は更に俯いて地を這うような声で笑う。
限界まで俯いているせいで、顔全体が髪で隠れて見えない。おそらく小さい子供なら泣き出すレベルのホラーっぷりを見せている。
具体的に言えば、日本では有名なホラー映画の、テレビ画面から出てくるアレ的な感じになっている。
さすがにこれは何とかしなければいけないと思う上条。とにかく少しでも姫神を慰めようと、必死に頭を回転させて、
「あ、あのな姫神…………いってええええええ!?」
突然ゴンッ! と、頭部全体に振動と共に鈍痛が走り渡る。
感触的に金属バットや灰皿、ゴルフバットのようなよく撲殺事件に使われるようなものではなく、おそらく人体のどこかで小突かれたらしき事はわかる。
そもそも、さすがに金属バットなんかで殴られたら、いかに上条が頑丈だといっても致命傷になる。
ともあれ発生場所は後頭部で、上条は考えるよりも直接見て確かめようと、頭を抑えながら涙目で振り返る。
そこに居たのはクラスメイトである吹寄制理だった。
いつもは学校くらいでしか会わなく、制服や体操服姿しか見慣れていないせいか、その淡黄色のドレス姿がとても新鮮に感じられる。
せっかく綺麗な格好をしているのに、不機嫌な表情が何とももったいない。
「何姫神さんをいじめてんのよ!!」
「も、問答無用で頭突きかよ……」
「おおう、経験値高いでカミやん」
ズキズキとする頭を抑えたままで抗議する上条。
しかし、吹寄はまだ怒りが収まらないのか、こめかみの辺りをピクピクとさせながら睨んできている。
もちろん、青髪ピアスは完全無視だ。
「そんなに怒らなくてもいいよ。上条君も悪気があったわけじゃないから」
「おお、姫神さん!!」
「……まぁ、本人がいいなら。でも今度やったらただじゃおかないわよ!!」
姫神のフォローに、渋々といった感じで怒りを収める吹寄。
おそらく吹寄も、上条が故意に人を傷つける事はないと分かっているのだろう。
しかし故意でなければ何をやってもいいわけではないので、彼女が怒るのも当然だ。
とりあえずは姫神のお陰で身の安全を確保できた上条はほっと一息つく。
姫神に精神的ダメージを与えたという点では同罪なインデックスが、近場のテーブルの上の料理にがっついている所は何とも納得いかないのだが。
「…………それにしても」
「なによ」
青髪ピアスはじーっと吹寄の全身を舐め回すように眺めている。
そんな不快指数が凄まじいと思われる状況に、吹寄は明らかにイライラとした声で返す。
そして、次に青髪ピアスの口から飛び出した言葉は案の定ろくでもないもので、
「いや、やっぱドレスだとその豊かすぎるモノが目立っ……」
「こんの変態!!!」
言い終わる前に本日二度目の吹寄の頭突きが炸裂。
それはどうやら上条がくらったものよりも協力だったらしく、聞いてるだけで痛々しい鈍い音が鳴り響く。
これでは吹寄自身も相当痛いはずなのだが、余程石頭なのか額が少し赤くなる程度だ。
一方、青髪ピアスの方は完全にKO状態。
頭突きをくらった瞬間に、「ありがとうございます!!」と聞こえたのは気のせいだと思いたい。
「ったく、だから嫌だったのよこんな服」
吹寄は自分のドレスをつまみながら苦々しげに文句を言う。
これも土御門が支給したもののはずだが、実際よく似合っている。
その豊かな胸が強調されている作りなのは否定できないが。
「い、いや、そのなんだ。俺もすっげえ良いと……」
「とうま……どこ見て言ってるのかな?」
上条は上条で褒めようとするが、今度はインデックスがジト目でこちらを見てくる。
何やらこのシスターさんは黒いオーラが漂い始めており、このままでは噛みつきにまで発展しそうなので慌てて口を閉じることにした。
いくら何でも、せっかくのスーツを歯形だらけにするのは避けたい。
「……私もドレス着てるのにスルー。ふふふふふふ」
ちなみに姫神は黒に白い花が描かれたドレスを着ている。
ぶっちゃけかなり似合っているとは思ったが、みんな言うタイミングを逃してしまったのだ。
「ふふふー、みなさん楽しそうなのですよー」
そんな可愛らしい声が聞こえてきたので、視線を少し下に向けてみる。
そこにはこのクラスの担任である月詠小萌がにっこりと笑っていた。
大学も卒業している立派な社会人なのだが、相変わらずそんな雰囲気は一切無い。
着用しているドレスはサーモンピンク色のものだが、大人の女性にふさわしい綺麗という言葉よりは可愛いという言葉の方がしっくりとくる。
「あっ、こもえ! そのドレスかわいいね!!」
「あはは、大人な先生としては喜んで良いのか微妙なのですよー。シスターちゃんもとっても可愛いですよー」
インデックスの言葉に苦笑いを浮かべる小萌。
大人な女性的には、おそらく干支一周分以上に年の離れた相手に「かわいい」と呼ばれるのは何とも微妙な所なはずだろう。
しかし、インデックス的には純粋な気持ちで褒めているわけだ。
「こもえには沢山お世話になったんだよ。今までほんとうにありがとう!」
「いえいえ、先生もとっても楽しかったですよー」
インデックスと小萌はまるで本当に生徒と先生の関係のようだ。
思えば、小萌はインデックスが学園都市に来た時の騒動でもお世話になっている。
記憶のない上条は覚えていないのだが、その時インデックスが重傷を負ったらしく、その時には魔術によって彼女を救ってくれたらしい。
つまり、インデックスにとっては、小萌は上条と同様命の恩人だ。
それ以降では、焼肉をごちそうになったり、大覇星祭ではインデックスがここの生徒ではないにも関わらず、何かしらの形で参加させてあげようとしてくれた。
インデックスとしては、感謝の気持ちが絶えないだろう。
「小萌。寂しいなら寂しいって言った方が楽」
小萌は本当に楽しそうに笑ってインデックスと話していた。それはそれは、楽しそうに。
しかし姫神のその一言。
それによって小萌の表情が固まる。
徐々に俯いていくと、口元をギュッっと引き締め、次第に肩を震わせ始める。
小萌の気持ちにまったく気付かなかった上条は、その変化とそれに気付いた姫神に驚く。
考えてみると、姫神は一時期居候として小萌のアパートでお世話になったので、他の人達よりも彼女の事は分かるのだろう。
「……もちろん、寂しいのです…………うぅ」
「や、やめてほしいかも。こもえに泣かれると私まで……」
涙を拭っている小萌に誘われるように、インデックスの目にも涙が溜まっていく。
やはりインデックスも気丈に振舞っているだけで、別れは辛い。それはまだ年端もいかない少女ならごく当然の事のはずだ。
それでも上条はインデックスの泣き顔を見て衝撃を受ける。
もちろん、彼女が何も感じずにイギリスに帰るとは思っていなかった。
インデックスは、ここ学園都市では今まで様々な思い出を作り、みんなで笑いあった。
そこから離れるのに、何の抵抗もないはずがない。それは分かっていた。
しかし、いつもと変わらないインデックスを見て、上条は自然とその事から目を逸らしていた。
これは彼女が自分で決めたことだと、考えないようにしていた。
自分の力で誰かの役に立ちたいというインデックスの気持ちは本物で、この別れも越えなければいけない痛みだと分かってる。
そして自分にはそれを邪魔する権利なんて何も無い。そう言い聞かせていた。
なぜ、こうやって無理矢理自分を納得させなければいけないのか。その理由も分からずに。
「ぐすっ、長い人生の中で、人は色々な道へ進んでいきます。ですから出会いもあれば別れもあるなんて言葉があるのです。
でも、だからといって、寂しいことには変わりないのですよぉ……!!」
「うぅ……こもえぇ……」
「先生やクラスのみなさんは、シスターちゃんとの楽しかった思い出は絶対に忘れません。離れ離れになっても、そういった所で人は繋がっていくのですよ」
「私も……私も絶対忘れないよ……! みんなの事、どんなに小さな事でも、絶対忘れたりしないよ……!!」
「ふふ……やっぱりシスターちゃんは良い子なのです。覚えていてください。どの道を選んでも、先生は……みなさんは……ずっとシスターちゃんの味方なのですよ……!!」
「うん……うん…………!!」
小萌はインデックスを抱きしめて泣いて、そして笑っていた。
吹寄や姫神、そしてクラスメイト達はその光景を微笑みながら眺めている。中には二人のように泣き出す者もいる。
そして上条も、同じ様に微笑んでいた。
妙な感じだった。
自分は確かに笑っている。それは分かる。
しかしその微笑みは周りの人達が浮かべているものとは違う。何となくそう思った。
まるで真っ白なキャンパスに落とされた黒い絵の具の様に、自分だけ溶け込めず浮いているような。
そんな気がした。
「はは、先生が涙もろいって話は本当みたいだな」
上条は笑顔を崩さずに、口から言葉を無理矢理にでも吐き出す。
何となく黙っていられなかった。
黙っていると、自分がこの輪からどんどん浮いていくような気がして。
そして何故こんな気持ちになるのかも分からなくて。
とにかく、とても辛かった。
そうやって自分の口から出てきた言葉は、大した意味もない言葉だった。
その言葉は、まるで他の誰かが言ったかのように上条の耳のぼんやりと届く。
「…………意外と貴様は何ともないのね」
「へ? あー、俺だって寂しくないってわけじゃねえよ。まぁでも仕方ねえからな」
「それはそうかもしれないけど……」
「上条君がそう割り切っているなら。私は何も言わない」
妙な感覚が消えない。
まるでこれは何かの劇で。
決められたセリフをただ淡々と読み上げる。
誰かがこのセリフを言ってきたら、このセリフで返す。そんな感じに全ては決まっているようで。
小萌とインデックスはもう泣き止んでおり、クラスメイト達と楽しげに談笑している。
そこにはいつの間にか復活した青髪ピアスも混ざっており、とても騒がしくも楽しげだ。
それでも、上条の耳はどこか靄がかかっているようだ。
すぐ近くの談笑はとても遠く感じ、そしてこうやってインデックスを見ている自分をどこかで眺めているような、そんな状態を錯覚する。
近くには吹寄と姫神が居る。
二人はどこか心配そうにこちらを見ている。それは何となく分かる。
しかし上条はそれに対して何も反応することができない。いや、したくなかった。
何故自分がこんな状態になっているのかは良く分からない上条だったが。
これは、誰にも知られたくなかった。誰にも、関わってほしくなかった。
「おーい、もうちょい挨拶回るスピード上げたほうがいいにゃー。これじゃ全員回る頃には明日になっちゃってるぜい」
だから、そんな土御門の脳天気な言葉は、救いの言葉に聞こえた。
これでとりあえずはここから離れることができる。
自分のクラスメイト達から離れたいと思ったのは初めてのことだった。
だが今の上条さんにとって、この場所は痛く、そして辛かった。
「分かったんだよ。じゃあみんな、私はそろそろ行くね」
「はい! ではでは、また会う日までなのです!」
「元気でねー」
「あんま食い過ぎんなよー」
「むっ、今失礼な言葉が聞こえてきたんだよ!!」
もうみんなの顔には暗いものはない。
それが頑張って作り上げたものなのかどうかは分からないが、全員が溢れんばかりの笑顔を浮かべている。
良いクラスだ、と。上条はやたら客観的な事を思った。
「それはそうと……土御門ちゃーん?」
「ん?」
どこか雰囲気が変わった気がした。
小萌は相変わらず聖母のような笑みを浮かべているが、それは先程までのものとは大分違う気がする。
なぜならその背後に真っ黒いオーラが見えるからだ。
「なーんか、その手にもったグラスから先生の大好きなアルコールの香りが漂っているような気がするのですけどー?」
「あ……い、いや、これは…………」
途端に土御門はだらだらと嫌な汗を流し始める。ジリジリと後ずさっているのは見間違いではないはずだ。
それに対して、小萌はニコニコとした表情を崩さずにゆったりとした足取りで近づいてくる。
見た目は完全に幼女だが、それでも教師。学生にとって、担任がこんな感じに近づいてきたら恐怖しか出てこない。
それに対してクラスメイト達も「やっちまったなー」的な表情を浮かべるしか無い。なぜか羨ましそうにしている変態も約一名いるが。
もはや吹寄までも呆れ返り、対処は小萌に任せている。
「……じゃ、じゃあ俺らは他のとこに挨拶に行くかインデックス」
「そ、そうだね……」
そそくさと逃げるようにクラスメイト達の輪から抜ける上条とインデックス。
確かに土御門は今回のパーティーを主催してくれたし、助けてやりたい気持ちもなくはない。
しかし、さすがにこれに巻き込まれたら本当に挨拶回りの時間が無くなってしまう。
「何でバレるにゃー!!」
「先生には何でもお見通しなのですよー!!!」
そんな声を背後に受けながら、二人は苦笑いを浮かべる。
いつでもあのクラスは、騒がしくて、それでいて楽しい。
それはきっと、クラスが解散するまで少しも変わらないのだろう。
「ふふ、良いクラスなんだよ」
「あぁ、そうだな」
インデックスは少し振り返って、そんなクラスを眺めて穏やかな笑顔を浮かべる。
その表情はどこか儚くて。
それでもとても楽しそうで。
そんな彼女の笑顔に、上条は少しの間目を反らすことが出来なかった。
つまりは彼女に見とれていたということであり、渋々といった感じだが上条もそれは認めざるをえない。
上条の目線に気付いたのか、インデックスが笑顔のまま少し首を傾げてこちらを見つめ返す。
今まで上条が、そして多くの人達が守ろうとしたその笑顔。
しかし上条は、もうそろそろお役御免だ。
インデックスがこれから歩む新しい道では、上条当麻が並ぶことはできないのだから。
今回はこのへんでー
なんか予想以上に長くなりそうなんだよ
「おっ、大将にシスターさんじゃん」
クラスメイト達から離れて程なくして、上条とインデックスの二人は呼び止められる。
まぁ元々これはインデックスのお別れ会なので、主役を引き連れていれば注目も集まるだろう。
声の方へ顔を向けてみると、そこには黒スーツに身を包んだ元スキルアウトの浜面仕上に、その恋人で、小萌のものよりは淡いピンクのドレスを着た滝壺理后がいた。
どうやら浜面の方は多少のアルコールを摂取しているらしく、いつもよりどこか上機嫌だ。
それでも、いつかの上条みたいに呂律が回らなくなったりはしない辺り、ある程度は飲み慣れているのだろう。
もっとも、上条がそれ程飲み慣れていたりしたら、小萌あたりに何を言われるのか分かったものではないのだが。
「こんばんは」
「おぉ、お前らか。つか浜面スーツ似合わねえな」
「うっせえ、テメェだって似たようなもんだろ!」
「確かにとうまも似合ってないんだよ」
見た目は完全にチンピラなのに、中々上物そうなスーツを着ている所を見ると、やはり不釣合いな感じがする。
そしてどうやらそれは恋人である滝壺も同じ考えであるらしく、特に否定もせずに微笑んでいた。
しかし上条自身もインデックスからダメだしされ、内心ちょっと落ち込んでいたりする。
いくら何でも自分で似合っていると確信できる程に自信があるわけではないのだが、ここまでハッキリ言われるとそれなりに堪えるものがある。
「あれ、他の二人は来てないのかな?」
「いや、麦野も絹旗も来てるぞ。今はちょいと飲み物取りに来てるだけだ」
「浜面一人だと心配だから私も一緒に」
浜面は今も麦野、絹旗、滝壺と共に「アイテム」として活動を続けている。
その一方で、恋人との未来を考えて、まっとうな職に就く事も検討している辺り意外としっかりとした一面もある。
「良くできた彼女さんじゃねえか。ホントお前には勿体無いよな」
「……とか言いながらにラッキースケベ発動させるなよ」
「それやったら私が噛み砕くから安心するんだよ」
「お前ら俺を何だと……」
上条はがっくりと肩を落とすが、日頃の行いを見ればこの仕打ちも当然のものと思える。
現に、インデックスとは恋人関係というわけでもないのに、もう何度もその裸を目撃している。
もちろん、どれも上条の意思によるものではないし、少年は女の子の裸のために命をかける偉大なる変態ではない。
そんなこんなで完全な自業自得というわけではないので、ちょっぴり可哀想な上条。
ふと視線を感じて顔を上げてみると、滝壺が真っ直ぐこちらを見ていた。
その目はラッキースケベを警戒した軽蔑の眼差し……という訳では無いようで、まるで心を透かされるような澄んだ眼差しだった。
「かみじょうは、寂しくないの?」
「ん、何かみんなそれ聞いてくるよな。インデックスの事だろ?」
「そりゃそうだろ。つかアンタらってくっついてたんじゃねえの?」
「えっ!? ち、ちが……っ!!」
「違う違う。お前らみたいな関係じゃねえよ。どっちかってーと、一方通行と打ち止め的な感じだな」
「………………」
頬を上気させて否定の言葉を紡ごうとしたインデックスに被せるように、上条が笑いながら説明する。
これは彼女の代わりに言いたいことを言ってくれたという事になるのかもしれない。
それでも隣のシスターさんは不機嫌そうになって、少年を見つめていたりする。女の子は色々と複雑なのかもしれない。
滝壺はそんな二人を少しの間じっと見て、再び口を開く。
「本当?」
「えっ……?」
「はは、だから本当だって……」
「私はインデックスに聞いてるの。あなたもかみじょうと同じ様に思っているの?」
「そ、それは……」
滝壺の問いかけに口ごもるインデックス。
明らかに答えにくそうに俯いているその様子は、まるで学校で教師に叱られているようにも見える。
だが滝壺の方も何も責めているわけではない。
その真剣にインデックスを捉えるその目からは、彼女のことを想って向き合ってくれていることが分かる。
「……インデックス?」
「はいはい、お前はちょっと静かにしてようぜ」
「むぐっ!?」
上条は彼女に助け舟を出してやろうと思ったのだが、浜面に捕縛されてしまう。
そんな浜面の行動の理由は全くわからないが、そこまで抵抗する事もないので大人しくしておくことにした。
――その一方で、何か妙な胸騒ぎを覚える。
次にインデックスが紡ぐ一言。
それが何か大きな分岐点であるかのように。
その一言でこれからの二人の道を大きく変えてしまうようで。
「私は」
インデックスの小さな唇が動く。
その声は決して大きなものではなかったが、上条達には良く届いている。
まるで、ここの空間だけが周りから切り離されたかのように。
上条はゴクリと喉を鳴らして、彼女の次の言葉を待つ。
「私は…………とうまと、同じ気持ちなんだよ」
にっこりと、いつもと変わらない笑顔でそう言い切ったインデックスを見て。
上条はどうしようもなくやりきれない感覚に襲われる。
もちろん彼女の笑顔を見るのは好きだ。
どんなに激しい戦いのあとでも、どんなに地みどろな戦場から帰ってきても、彼女の笑顔を見るだけで日常に帰ってこれたと思える。
だからこそ、彼女のその笑顔には違和感を感じた。
笑顔の裏に見え隠れする何かに、気付いてしまった。
しかし、それを指摘してはいけない。
なぜそう思うのかは上条自身も分からない。
「……そう」
滝壺はインデックスの答えにも表情を変えなかった。
逆に、浜面の方は対照的だった。
「おい、お前は本当にそれでいいのかよ!?」
「何がだよ」
その言葉はインデックスにではなく、真っ直ぐ上条へ向かっていた。
当事者でも何でもないにも関わらず、その顔は切羽詰まっている。
それだけで、この男はもうただのチンピラは卒業したのだと理解することができた。
「この子のことが大切なんだろ!? 守りたいと思ってんたんじゃねえのかよ!?」
「あぁ」
「じゃあなんで……!! イギリスだかなんだか知らねえけど、そんなんで納得してんじゃねえよ!!!」
「インデックスはここよりもイギリスにいたほうがいいんだ。俺はインデックスの事を考えて……」
浜面の言葉はいちいち上条の胸に突き刺さる。
それも小さな針が刺さったような小さな痛みではない。
まるで巨大な杭を突き立てられるように、鋭くて大きな痛みが体中に走り渡る。
しかし、それでも上条は表情を変えない。
頭がぼーっとしていても、自分の口からは勝手に言葉が紡がれているのを感じる。
またクラスメイト達と話した時と同じだ。
自分では何を伝えようとか、どうやって分かってもらおうとか、そういう事は何も考えられてないくせに言葉だけは自然と出てくる。
「テメェ…………!!」
浜面は歯をギリギリと鳴らす。怒りでその腕が震えている。
上条はそれを見ても、ここで怒りを向けられるのは理不尽だとかは思わなかった。
それが当然、むしろそうあらなければならないとさえ感じた。
浜面の右腕が上がる。
能力者に対抗するために鍛え上げた腕は、振るえば立派な武器になる。
それは今まで拳ひとつで戦ってきた上条ならよく分かっている事だ。
避けようと思えば避けられる。
何のフェイントも無しに、それでいて不意を突くようなものでもなく。
ただ目の前で拳を振り上げる。ケンカ慣れしているはずの浜面としては珍しい行動だ。
だが、上条はピクリとも動かない。
ただただ、浜面の握りしめた拳を見ているだけだ。
ビュン! と風の音がやたら大きく聞こえる。
それは浜面の腕が空を切る音で、気付けばその拳は上条の顔のすぐ近くまで迫っていた。
――上条は動かない。
ガンッ! と。
思わず周りの人間が振り返ってしまう程の鈍く痛々しい音が響き渡った。
音源は上条――ではなく、浜面の方だった。
「おごっ……」
「まったくもう」
「へ…………?」
バタッと、為す術なく床に倒れ伏す浜面。
上条は突然の展開に目を白黒させる事しかできない。挙句の果てにはどこかから狙撃でもされたんじゃないかとキョロキョロと周りを見渡す始末だ。
――しかし、崩れ行く浜面の後ろ。
なんとそこには守られ系だったはずの恋人、滝壺理后が拳を握りしめて立っていた。
その表情は特に変化がないが、逆にそれが恐ろしい。
「え、えっと、これは滝壺さんが……?」
「うん」
「りこうって、意外と力あるんだよ……」
インデックスも唖然としている。
どう見てもか弱い女の子が大の男をノックアウトさせたのだ、それも当然の反応だろう。
しかし、ここで上条は思い出す。
そういえば自分の部屋のドアが歪んだ原因はなんだっけ? と。
「ごめんね、はまづらが乱暴なことを」
「い、いや、気にしてねえけど、大丈夫なのかそいつ?」
「うん、はまづらは頑丈だから」
何でもないように言う滝壺を見て、これは意外と浜面が尻に敷かれるようになるんじゃないかとぼんやりと考える。
一方、滝壺は目線を上条からインデックスに移す。その表情はとても穏やかな笑顔で満ちていた。
「インデックス、これがあなたの決めたことなら私は何も言わない」
「……うん」
「でもやっぱり、近くにいると見えないものもあると思う。それが分かった時はもう一度考えてみて」
「え……?」
滝壺の言葉に、首を傾げて頭の上に疑問符を浮かべるインデックス。
それは近くで聞いていた上条も同じで、やはりその言葉にどんな意味があるのかを理解できずにいる。
しかし、滝壺からすると、どうやら初めから理解してもらうつもりで言ったわけではないらしく、詳しく説明するつもりもないらしい。
「――じゃあ私達はこれで。あまりむぎの達を待たせるわけにもいかないし」
「あっ、うん! 今日は来てくれてありがとね!」
「インデックスも、元気でね」
最後ににっこりとそんな事を言って、滝壺は未だに地面で伸びている男を引きずっていく。
それを見た周りの人間は思わずぎょっとして道を開けるのだったが、滝壺はそんな事は気にしていないようだった。
インデックスはそんな二人の姿をじっと見ていた。
口元には僅かに笑みを浮かべて、それでいて目にはどこか寂しげな光を宿していて。
いつもの修道服とは違う純白のドレスも相まって、その姿はまるでどこかの絵画のモチーフになりそうだ。
上条は少しの間、その少女から目を離せなかった。
「インデックス?」
「うん?」
確かに少女のその様子は見とれてしまうものがあった。
しかし、それでもやはり上条は少女の寂しげな顔は見たくない。そんな気持ちから無理矢理口をこじ開ける。
何を言えばいいか分からないというのが悲しいところだが。
インデックスがこちらへ振り向いた時にはもう先程までの表情はなかった。
そこには今まで当たり前に見てきた、見ているだけで心が落ち着く笑顔があった。
「……いや、何でもない」
「そう? あっ、とうま、あそこに白い人がいるんだよ! 行ってみよ?」
「あぁ」
インデックスがわざと話を切り上げた事くらい理解できた。
おそらく彼女は、これ以上先程の浜面や滝壺の話の続きはしたくないと思っている。
それがどんな気持ちからくるものなのかまでは分からない。
しかし、彼女がそう望むのなら、無理に踏み込む必要はない、そう思った。
上条自身も、何となくその話はもうしたくない、それも理由の一つだったりもするのだが。
「こんばんは!」
「あァ? なンだオマエか」
「おー、今回の主役さんだー! ってミサカはミサカは歓迎してみたり!」
先ほどまで居た場所からそう遠くない所に一方通行と打ち止めがいた。
一方通行は白いスーツ、打ち止めは水色のドレスを着ている。
インデックスが一方通行を「白い人」と言っていたが、こうして見ると頷ける。
元々色白な上に白い髪に白い服だ。それだけにその真っ赤な目がかなり浮いているように見える。
「まさかお前まで来てくれるとはな、一方通行」
「俺はこのガキのお守りだっての」
「えー、つまり私はどうでもいいって事なのかな?」
「あーはいはい。俺もお前のために来ましたよ」
「棒読みすぎるんだよ! まるでその体つきみたいに!」
「誰が棒だ」
ぎゃーっと騒ぐインデックスを軽くあしらう一方通行。
どうやら打ち止めといつも一緒にいる事から、こういった対応は慣れてきっているようだ。
これも、夏までの少年からは予想もできないような事なのだが。
「……んー、ねぇねぇってミサカはミサカはあなたの袖を引っ張ってみたり」
「なンだよ」
何やらニヤニヤしながら一方通行を見上げる打ち止め。
しかし、当の白髪の少年の方は明らかに面倒くさそうに首だけを動かしてそちらを見るだけだ。
「もしもミサカがどこか遠い所に行くことになったら、あなたはどうするの? ってミサカはミサカは尋ねてみる」
「嬉しすぎて涙が出てくるだろォなァ」
「むっ!! どうしてあなたはそんなにもツンデレなのかなってミサカはミサカは憤慨してみる!!」
期待していたような答えとはかけ離れていたのだろう。ポカポカとその小さな両拳で学園都市最強の能力者を叩く打ち止め。
そんな微笑ましい光景を眺めながら、上条はチラリとインデックスの方に目を向ける。
正直、打ち止めの質問に一方通行がどう答えるのか興味があった。
二人の関係は、自分とインデックスの関係とどこか近いものがあるように感じたからだ。
だがそれを聞いた所で自分はどうするつもりなのか?
ただの興味、と言ってしまえばそれでおしまいなのだが――。
「……何考えてやがる」
「え……?」
一方通行が自ら進んで他人に関わるのは珍しい事だ。
上条は突然話しかけられて、思わず気の抜けた声を出してしまう。
「オマエがあれこれ考えてンのは似合わねェって言ってンだよ」
「……何かすげえ馬鹿にされてねえか俺?」
「実際バカだろオマエ。いつも後先考えねェで突っ走ってるだけじゃねェか」
「………………」
何となく一方通行が言おうとしている事が分かった上条は黙りこむ。
つまりは、いつも通りの自分でいろ、という事なんだろう。
上条は今まで何度も人を救っていったが、どれもこれも自分が助けたかったから助けた、ただそれだけだった。
自分の心に正直に突き進む、その行程で人を救っているにすぎない。
しかし今回はなぜか自分の気持ちが良く分からない。
頭ではインデックスはイギリスへ行ったほうがいいという事は分かる。
それでも、心には変なモヤモヤが残る。そんな気持ち悪い感覚を引きずっていた。
「あれ、なんか舞台で始まってる! ってミサカはミサカは興奮気味に報告してみる!!」
打ち止めの言葉に上条は意識を現実に引き戻される。顔を上げてみると、舞台の上では司会の土御門元春、そして黒いドレスに身を包んだ結標淡希が立っていた。
土御門はさぞ楽しそうにニヤニヤしており、結標は明らかに不機嫌ですと言わんばかりにむすっとしている。
その舞台を眺めている者達の多くも、土御門と同じようにニヤニヤと楽しそうにしているようなので、どうやら何かの罰ゲーム的なものが行われるんじゃないかと予想できる。
結標の事は、今まで残骸(レムナント)事件の時に倒れていた人、という程度の認識しかなかったが、今は土御門の説明などによってそれ以外の事も色々と知っている。
まぁ今更あの事件の事を掘り返して、糾弾するなんて事はしないのだが。
『さぁさぁ!! はたして結標淡希の脳内はどのようになっているのかにゃー!!』
「何やってんだ、あれ」
「脳内暴露ゲームだとよ。参加者の中からランダムに選ばれた奴の脳内イメージを映像に映しだすンだとさ」
退屈さを全面に押し出したような表情で、その体を支えている杖で舞台の上を指す一方通行。
その先には、ヘルメット状の機械があった。
何やらその表面は光が絶えず走っており、いかにも科学の最先端技術という感じだ。
「あ、頭を覗かれちゃうの……?」
「心配しなくてもオマエは対象外だろォが」
「そ、そっか……」
インデックスは一瞬心配そうな顔になるが、一方通行の言葉を聞いてほっと息をつく。
彼女は頭の中に十万三千冊もの魔道書の原典を持っている。
それは一つ一つが、もし常人の目に触れれば廃人確定。例え鍛えた魔術師でもダメージを受けるほどの「毒」を持っている。
そんなものを、ただでさえ魔術に抗体のない能力者が目にしたらどうなるか、想像するだけでも恐ろしい。
彼女は例の機械でその原典が大衆の目に晒されることを危惧したのだ。
「んんー? そんなに見られたら困るのー? ってミサカはミサカは興味本位で尋ねてみたり」
「いや、その……」
「まぁ、誰だって頭の中公開するのは嫌だろ。にしても、すげえ技術ができたもんだ」
「何でも第五位の協力あってのモンだとよ。その実験って意味も強いだろォな」
学園都市の科学は日々発達しており、それらの新技術はここの代名詞ともとれる「超能力」を参考にしたものも多い。
元々、超能力開発自体で脳に手を加えたりもするので、そちらの技術は他のものよりも進んでいるのだろう。
同じレベル0である浜面仕上も、以前にドラゴンライダーなる駆動鎧にて、知識を直接頭に叩きつけられるといった不思議な体験をしたと聞いた。
確かに効率的にはいいが、感覚的にはあまり気持ちのいいものではない、との事だが。
一方通行の話だと、例の機械によって映し出される脳内イメージとは、頭の中の大部分を占めているものらしい。
よって、例えば幸せいっぱいな家族のお父さんに使用すると、妻や子供の姿が現れるとか。
という事は逆に浮気調査にも使えそうだな、とぼんやりと考える上条だったが、
「「おおおおおおおおおおおおおおお!?」」
突然周りが騒がしくなったので、驚いてすぐに舞台の上へ視線を戻す。
するとそこには先程までなかった立体映像が映し出されており、どうやらそれが結標淡希の脳内イメージらしい。
上条としてはぼんやりとした像を想像していたのだが、想像以上にくっきりと映し出されており、三次元映像というのもここまで来たかと驚く。
しかし、それ以上に注目すべきなのはその映像そのものであったりもして、
『はっはっはー!! さすがショタコンの鏡だにゃー!!!』
「こ、この止めなさいよ!!! 今すぐ消せええええええええ!!!!!」
映しだされた三次元映像は小さい男の子達がはしゃぎ回っている姿だった。
もしもこれが上条の母親くらいの女性だったのなら、そこまで突っ込まれなかったはずだ。
問題なのは、結標はまだ高校生の少女であり、しかも一部の人間の間では「ショタコン」という何とも不名誉な称号を授かっている所だった。
顔を真っ赤にした結標はすぐに頭の機械を外すが、どうやら持続的に脳波を観測する必要はないらしく、映像は健在していた。
周りはそんな様子を眺めながら大笑いしている。
「ん? 何でみんな笑っているのかな? 子供好きは良い事だと思うけど」
「ミサカもミサカも首を傾げてみたり」
「「知らなくていい」」
インデックスと打ち止めが純粋な目できょとんとしているので、上条と一方通行が声を揃える。
今まで何回か協力したりという事もあったのだが、ここまで息がピッタリになったのは初めてだ。
「もう我慢できないわ!! アンタもくらいなさい!!!」
『うおおお!? ちょ、能力使うのは反則ぜよ!!!』
「うっさいっての!! さぁ、アンタもその頭の中大公開しなさい!!!」
舞台では、怒りに身を震わせた結標が、その能力で強制的に例の機械を司会である土御門の頭に付けさせていた。
ショタ属性が公に晒された少女は明らかに動揺しており、演算を誤って機械が土御門の頭にめり込むという危険もあったはずだが、どうやら大丈夫そうだ。
といっても、これの実験台は完全ランダムで選ばれているので、実は土御門に罪はなかったりもする。
まぁ周りの人間からすれば面白ければ何でもいいらしいので、そんな結標の行動を止める人間などいないのだが。
「……舞夏だな」
「まぁ、予想通りすぎるんだよ」
土御門が機械を付けて少しすると、今度は舞台上にメイド少女が映し出された。
それは上条達も良く知る、土御門が溺愛する義妹の舞夏であり、正直予想通り過ぎてあまり面白みはない。
「ねぇねぇ、あなたがあれ付けたらミサカの事が出てくるのかな? ってミサカはミサカは尋ねてみたり!」
「知るか」
「いえーい、一刀両断!! ってミサカはミサカはヤケクソ気味に言ってみたり」
打ち止めはそういった感じの答えを予想していたのか、あまりしつこく聞かずに諦める。
確かにどう考えてもそんな事をあの一方通行がまともに答えるわけはないので、それは賢い選択だろう。
そんな二人の様子を眺めながら、上条はふとある疑問が頭に浮かぶ。
(俺の場合は何が出てくるんだろうな……)
(やっぱインデックス……なのか? いや、でも…………)
実際、あの機械を上条が付けた場合、インデックスが出てくる可能性は高い。
記憶喪失ということもあって、幼い頃の家族との思い出は何も残っていないし、寮生活なので会う機会も少ない。
その点、居候である彼女とは毎日顔を会わせており、確実に最も長い時間を共に過ごしていると言える。
――だから何だ、と思う。
それならばあの機械でインデックスが出てきても何も不思議ではない。
だが上条はどこかでその事実を受け止めるのを避けていた。
何が嫌で、何を恐れてかはまったく分からないが。
とにかく、素直に認めることが出来なかった。
『……はぁ、まぁ別に舞夏ラヴ(発音注意)を隠してるわけじゃないからいいけどにゃー』
「ぐっ、何かすっきりしないわね……」
『さぁさぁ、では次の犠牲者は…………』
納得がいかない様子の結標を置いて、次の犠牲者を決めるべく舞台のスクリーンに様々な人間の顔が映されていく。
おそらくこれを適当なタイミングで止めて、その時に映っていた顔の人物が犠牲になるのだろう。
辺りは軽快なドラムロールが響いているが、スクリーンを見つめる人達の目は真剣なものが多い。
まぁ誰も好き好んで自分の頭の中を晒したいはずもないだろうし、当然だろうが。
『こいつぜよ!!!』
土御門がノリノリでスクリーンを指さした瞬間、高速で入れ替わっていた人間の顔の映像が止まる。
観衆が固唾を飲んで見つめる中、そこに映し出されていたものは――。
「……海原だな」
海原光貴――常盤台中学の理事長の孫で、さわやか系イケメンだ。
紺のスーツをビシッと完璧に身につけたその姿は、上条や浜面の何百倍も様になっている。
海原はいつも通りの穏やかな笑顔で舞台に上がっていくが、何か嫌な汗がダラダラと流れているのを上条は見落とさなかった。
そしてこの状況に焦りを感じている者は他にも一人いた。
(クソッたれ、グループばっかじゃねェか。土御門のヤロウ、何か仕掛けてンじゃねェのか……!!)
一方通行としてもあんな機械の犠牲になるのは何としても避けたい所だ。
黄泉川や芳川、そして打ち止めといった感じに、複数人が出てくれるのならば問題はない。
しかし、もしも出てきたのが打ち止め単体だった場合、少年は何か大切なものを失ってしまう、そう思えた。
「ん、でもでも、本物と偽物どっちなのかな?」
そんな恐怖の機械の餌食になる事がないインデックスは、きょとんとそんな疑問を抱く。
以前の事件から、海原の情報はインデックスの元にも届いており、アステカの魔術師が変装しているという可能性も考えられた。
それに対して上条はすぐには答えられず、首をひねって海原の様子を観察する。
といっても、本物の海原との面識がないため、見分けられる可能性はゼロに近い。
そこで口を開いたのは一方通行だった。
「偽物だ」
「偽物? というより、もしかして仲良しさん? ってミサカはミサカは意外な交友関係に驚いてみたり」
「そンな生温い関係じゃねェよ」
目を丸くして驚く打ち止めの言葉に、一言で返す一方通行。
打ち止めからすれば、あの様な育ちのよさそうな者と一方通行が関わりを持っているという事はかなり意外な事らしい。
しかし、一方通行の方は、暗部の事はあまり目の前の少女には話したいとは思えないので、必要以上の事は話さない。
そこまで考えた一方通行は、急にあることを思い出して一瞬呆然とする。
そういえば、土御門の話によるとあの男、海原光貴は魔道書の原典とやらを持っていて、それを周りの人間が見たら大変なことになるのではないか。
一方通行はすぐに舞台の上の土御門をギロリと睨みつける。
その目が強烈だったのか、土御門はこの観衆の中でも相手は意外にもすぐこちらに気付く。しかしすぐに小さく手を振って問題ないということをアピールした。
それを見た一方通行は目を細めた。最近魔術の怖さを知った身としては、それを見てもそんなに簡単に対処してもいいのかと懸念が残る。
だがもっぱら魔術に関しては一方通行よりも土御門の方が上だ。仕方ないので、ここは事を荒げないで大人しく見ておくことにした。
その一方、舞台の上では何やら切羽詰まった様子の海原が土御門に話しかけていた。
「あ、あの、本気ですか?」
『当たり前ぜよ』
「(ちょ、あなたなら何が出てくるか分かっているでしょう!? ここにはショチトルもいるんですよ!?)」
『うるさいにゃー!! 男なら観念して、全てをさらけ出すぜよ!!!!!』
「や、やめ…………ッ!!!」
海原の抵抗空しく、結局は無理矢理機械を付けられてしまう。
脳波を測定している電子音が、海原にとってはまるで処刑台へ登っていく足音の様に耳元で響く。
そして数十秒後、さすがというべき速さで測定を終えた処刑機械は、海原の脳内イメージをプライバシーなどは完全無視で大公開する。
リアルな三次元映像として映されたものは――――。
「……短髪なんだよ」
「そりゃそうだろうな」
「えっ、えっ……!! って事はあの人はお姉様の事を……ってミサカはミサカはドキドキしてみたり!!」
「ちっ、くっだらねェ」
常盤台中学のエースにして、超能力者(レベル5)の第三位、御坂美琴だった。
サラサラとした肩まである茶色の髪によく整った顔立ち。服装はベージュのブレザーと紺系チェック柄のスカートの気品爆発な常盤台中学の制服だ。
どうやらその姿は観衆の中でも良く知っている者もそれなりにいるらしく、冷やかしなどに混ざってそういった者の声も聞こえてくる。
そして一方通行は無駄な心配をしてイライラとしていた。
「なっ……なななななななななななな!!!」 「むきー!! あの若造め、よくもお姉様をおおおおお!!!!!」
「ショチトル、そんなにプルプルしなくても……」 「アイツの言っていた女子中学生がまさかあのヤロウとは……」
「ぎゃはははは!!! おいおい、ここまで来たら告っちまえよ!!!」 「麦野、超飲み過ぎです」
「男なら根性だあああああああああああああああ!!!!!」
『さぁさぁ、盛り上がってきたにゃー!! どうする海原光貴!?』
「………………」
会場の興奮はピークに達しているようだった。まぁ元々学生の多い街だ。こういった恋愛関係の話は盛り上がるのだろう。
どう見ても公開処刑としか思えないシチュエーションに、あの一方通行までもが先程までのいらつきを忘れて気の毒そうな視線を送る。
だがそれでも容赦がないのが土御門。さらに追い打ちをかけるようにマイクを海原へ向けてくる。
上条はそんな様子を眺めながら、ヤケになって魔術で大暴れなんかされたらやだなーと、内心心配する。
しかし、そんな上条の心配とは裏腹に、海原は意外と落ち着いた声を出した。
「――マイクを貸してもらえますか?」
そんな海原の言葉に、会場が水を打ったように静まり返る。
だがそれも本当に一瞬のことだった。
これから海原が何をするつもりなのかを理解した観衆は、先程までの沈黙から一点、割れんばかりの歓声をあげていた。
海原の脳内イメージとして映し出されたものは、一人の少女だった。
これはもう、海原がその少女の事を想っていると解釈するのが普通だろう。そして上条なんかはそれが正しいと確実に言うことができる。
つまりこうして会場全体に暴露されてしまったのだ。後はもういっそ直接告白してしまうしかないだろう。
『え……マジ…………?』
「大マジです」
「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」」
いきなりの展開に、さすがの土御門も動揺を隠せない。
だが海原の真剣そのものの目を見ると、小さく溜息をついて手に持っていたマイクを渡した。
海原はそれを力強く握り締めると、気迫のこもった顔で舞台の上からある一点を見つめる。
上条達の位置からでは、人に阻まれてそこに何があるのかは見えないが、十中八九、御坂美琴がいるのだろう。
『御坂さん!!!!!』
マイクを通してだが、色々な決意を乗せた力強い言葉が響き渡る。
先程までざわついていた会場も、今では再び驚くほどの沈黙に包まれている。
上条はふと近くにいる者達に目を向けてみる。
一方通行は相変わらず興味なさそうな顔で舞台を見ているだけだが、インデックスや打ち止めなんかは頬を染めて明らかにワクワクしている。
やはり年頃の女の子にとってはこういう状況は楽しいものなのだろう。
『自分は!!!』
まるで内に秘める想いをこれで全て吐き出そうとしているように、海原の言葉は続く。
上条と海原の関係はそこまで深いものではない。共に過ごした時間としては、一緒に暗部で動いていた一方通行の方がまだ長いくらいだ。
それでも――――。
『あなたの事を!!!!!』
上条は夏休み最終日に海原の想いを聞いた。
それが軽い気持ちではない事はよく分かっており、心の底から美琴の事を想っている事も知っている。
そんな海原に、上条は報われてほしかった。
まるで自分も一緒になって告白しようとしているかの様に、知らず知らずの内に両手を握りしめ、心のなかで「いけっ!」と激励する。
海原の口が開く。
科学も魔術も関係ない。
そこにあったのは、一人の男として一つの大きな戦いに挑んでいる男の姿だった。
『愛して』
「ごめんなさい!!!」
――刹那、という単語が浮かんだ。
漢字文化圏での数の単位として使われ、その大きさは10の18乗分の1。
それだけ相手からの返事は早かった。
確かに返事を待たされるのは、それはそれで精神的にはキツイものもあるかもしれない。
しかし、これはさすがに早い、早すぎる。というか、まず告白自体を言い切ってもいない。
『……あ、はい』
その斬新的な返事に、海原はそれくらいしか言葉を紡げなかった。
先程までの気迫はどこへやら、今では呆然、というよりも本当に魂自体がどこかへ飛びさってしまったような顔をしている。
そんな海原に反して、次の瞬間会場は一気に湧き上がった。
観衆から放たれる言葉は様々なものだ。
ある者達は美琴のあまりにもバッサリとした返答に大笑いしたり、またある者達はそこまで勇気を出した海原を激励していたりする。
ちなみに上条達はというと、
「早いなオイ……」
「た、短髪もせめて言い終えるまで待ってあげたらいいのに……」
「ミサカもあれはフォローのしようがないかもってミサカはミサカは哀れんでみたり」
(第三位も俺に負けず劣らずイイ性格してンじゃねェか)
全員……一方通行までもが海原に同情していた。
つまりはそれだけ海原光貴が受けたダメージは深刻なもので、舞台の上で某ボクサー並に真っ白になっていた。
あまりの悲惨さに、普段ならば大笑いしているような土御門さえも何とかフォローをしようとしていた。
『ま、まぁ、でも男だったぜい!!』
「………………」
『……あー、後で第五位にでも記憶抜いてもらうことをオススメするぜよ』
そんな光景を眺めていた上条は小さく溜息をつくと、インデックスの方に顔を向ける。
「なぁ、海原ってどの辺り見ながら告白してたか覚えてるか?」
「えっ、うん、覚えてるけど」
「そんじゃ、ちょっと御坂のところ行こうぜ」
上条はとりあえず美琴に注意くらいはしようと思った。
彼女が海原の事をそういう風には見ていない事は、夏休み最終日の一件で知っている。
それでも断り方というものがあるだろう。
場所は海原の向いていた先を当てにすれば何とかなるだろう。
何せこちらには完全記憶能力の持ち主もいる。
「それならミサカも行く! ってミサカはミサカはテンション上げてみる!!」
「ならオマエ一人で行ってろよ」
「ええ、あなたは来ないのー!? ってミサカはミサカは不満を表してみる」
「誰が行くか。面倒くせェ」
一方通行と美琴の関係はあまりよろしくない。
もし機嫌が悪い時に鉢合わせなどをすれば、最悪会場内で超能力者(レベル5)同士の戦いという事も起こりえる。
学園都市最強の能力者である一方通行が負けることなどはまずありえないが、問題はそこではない。
面倒なのはその後の様々な事柄の処理、主に黄泉川を筆頭としたお説教だ。
それに今の一方通行は、他人の為のパーティーをメチャクチャにする事を良しとはしないくらいには丸くなっていた。
「……むー、じゃあいいよってミサカはミサカはぶーたれてみる」
「そンな不満なら行ってこいよ。意味分かンねェな」
「だってミサカが行っちゃうと、あなた一人になっちゃうしってミサカはミサカは心配してみる」
「オマエは俺の母親か」
そこにはまるで仲の良い兄妹のように話す、学園都市最強の能力者と小さな女の子の姿があった。
複雑な事情を抱えている者同士だが、どうやらちゃんと自分の居場所というものを手に入れている。
帰るべき場所があるという事は、普段はなかなか気付かなかったりもするが、実はとても大切な事だ。
「……ふふ、二人共お幸せにね」
「おい、その言い方は鳥肌が立つほど気持ちわりィからやめろ」
「ど、どういう意味なのかな!? ってミサカはミサカは憤慨してみる!!」
インデックスがそんな二人を優しい笑顔で眺めながら紡いだ言葉に、一方通行は嫌悪感を全面に出した表情になる。
それを見て、分かりやすく頬を膨らませて不機嫌さを表す打ち止め。残念ながら、当の本人は完全に無視しているのだが。
「はは、だから仲良くしろっての。そんじゃ、俺達はそろそろ行くよ」
「あっ、うん! それじゃあシスターさんはイギリスでも元気でね! ってミサカはミサカはお別れしてみる!」
「せいぜいその脳天気な性格は何とかするこったな」
「むっ、どうしてあなたは最後までそんな事言うのかな!」
そんなこんなでふくれるインデックスを引きずってその場を後にする上条。
一方通行はあんな事を言っていたが、彼にしては何かしらの言葉を残しただけでも、今までからするとらしくない。
見た目も初めて会った時よりかは変わっている。髪は伸びて、体付きも以前と比べれば少しがっしりした気もする。
しかしそれ以上に、彼の心の変化というものを感じる上条。おそらく自分の知らない間に様々な道を通ってきたのだろう。
同時に、美琴にはどんな事を言えば海原への印象を変えることができるのだろうとも考える。
人間、基本的に外面的変化よりも内面的変化の方がずっと難しい。
それに美琴も超能力者(レベル5)の一人であり、強大な自分だけの現実(パーソナルリアリティ)を持っている。
おそらく相当頑張らなければ、話もまともに聞いてもらえないだろう。上条はそんな事を頭に巡らせながら小さく溜息をついた。
今回はここまでー。間開いちゃってゴメン。あとあけおめ。
次回はツンデレールガン登場。
御坂美琴はすぐに見つかった。
それもほとんど全部インデックスの手柄で、海原が告白する時に向いていた位置を覚えていたお陰だ。
隣にはルームメイトの白井黒子もおり、二人共黒の大人っぽいドレスに身を包んでいる。
上条の正直な感想としては、どこか背伸びしているという感じが出てきてしまうのだが、それを言ったらどうなるかは容易に想像できた。
「おっす御坂、白井。ドレス似合ってんじゃん」
「そりゃどうも」
「お言葉だけはありがたく頂戴いたしますわ」
「短髪、いつも以上に不機嫌だね」
「当然ですの、あんな告白されて……」
いつもの美琴ならば、上条の言葉に頬を染めたのかもしれない。
しかし今は相当不機嫌ならしく、まともに顔も合わせようともせずにそっぽを向いている。
それでも、首筋の辺りが少し赤みがかっていたりする所がまた美琴らしい。
どうやら先程の大勢の前での告白というのは、ギャラリーからすれば盛り上がるものだったが、受けた本人からすればあまり良い印象を受けなかったようだ。
といっても、海原が二人っきりの状況を作り出した上で告白したら成功したのか、と問われると頷くことはできないのだが。
「あのなー、海原だって勇気振り絞ってお前に告白したんだぞ? それをあんな……」
「………………」
「み、御坂さん?」
とりあえずそんな注意をしてみる上条だったが、美琴は手に持っていたグラスをガンッ! とテーブルに叩きつけると、ただ怖い目でこちらを睨みつけるだけだ。
あまりの迫力に押された上条は、急な電撃に備えて右手を少し動かしていつでも構えられるようにする。
こんなパーティーでまで黒焦げになりたくない。
「えっとね、確かに私もあれは可哀想だと思ったけど、とうまは何も言っちゃダメなんだよ」
「な、なんで!?」
「何なら鉄矢で口を縫いつけましょうか?」
「なんかすいません!!! 俺が悪かった!!!」
自分よりも年下の少女に凄まれ、すぐさま土下座の姿勢を取る男子高校生の姿がそこにあった。
だが上条当麻は躊躇わない。
なぜなら目の前の少女たちは、いずれも一癖も二癖もあり、襲いかかってきたらまずこちらが悲惨な事になるからだ。
インデックスはそんな上条の様子を見て溜息をつくと、腰を落として目線を合わせる。
その様子はまるで小さな子供に言い聞かせる母親のようだ。
「まったく、鈍感すぎるっていうのもただの暴力かも。いい、とうま? 短髪はね、とうまの事が……」
「ちょ、ちょーっと待ったあああああああああああああああ!!!!!」
「むぐっ!?」
何かを言おうとしたインデックスだったが、最後まで言い終える前に美琴に後ろから羽交い締めにされる。
これではドレスにシワが付いてしまいそうだが、本人はそんな事は全く気にしていないのか、真っ赤な顔でインデックスを抑えている。
そしてこういう時は白井が注意しそうなものだが、白井は白井でワナワナと震えていてそれどころではないようだ。
「い、いきなり何を言おうとしてるんですの!!!」
「何やってんだお前ら?」
「あなたは黙っていてくださいまし!」
「不幸だ……」
「と、とにかくアンタちょっとこっち来なさい! 黒子、そこのバカがこっち来ないように見張っといて!」
「わわっ!? どこに行くんだよ短髪!」
美琴はビシッとこちらを指さすと、インデックスをグイグイとどこかへ連れて行ってしまった。
それを呆然と眺めながらオンナノコは色々と大変なのかなーと考える上条。
残された白井の方は、まるで靴の裏のガムを見るかのような目をしていた。
「む、むぅ……こんな類人猿と一緒にいるのは苦痛なのですが仕方ありませんね…………」
「ひでえ言われようだ……」
美琴は会場のテラスまでインデックスを引っ張っていった。
そこは中々の広さもあり、また会場自体が高めの場所に作られているため、夜の街を見渡すことができる。
街の光が幻想的な光景を生み出す、カップルなどがとても喜びそうな場所だ。
それにも関わらず、今ここには二人しかいない。理由は単純。ただみんな寒くて外に出たがらないだけだ。
「えっと、こんな所に連れてきて何かな……?」
「アンタ……どういうつもりよ?」
冷たい風にブルブルと身を震わせながら困惑した様子で尋ねるインデックス。
冬の夜に、肩まで露出させたドレス姿というのを考えればそれも当然だ。
一方美琴は寒さなど全く感じていないかのように、身じろぎ一つせずにじっと目の前の少女を見つめていた。
その言葉には様々な感情が乗っている事は何となく分かり、一番に感じられるのは苛立ちだった。
「どういうつもりって…………」
「私がその、アイツのことをそういう風に思ってるのは認めるわよ。でも何でアンタ……」
その言葉でインデックスも美琴が何を言いたいのか理解できたようだった。
同時に、美琴がこうして恋心を人に言えるようになった事にも内心驚いていたのが、今はそこについて聞いたりすることもないだろう。
インデックスは静かに目を閉じる。
寒さによる体の震えはいつの間にか止まっており、修道服を着ていないにも関わらず、心を落ち着かせたその姿はシスターを想像することができる。
次に彼女が目を開けた時、そこには穏やかな笑顔があった。
「とうまと短髪はね、お似合いだと思うんだよ」
本当に嬉しそうに。
まるで子供の自立を感慨深げに喜ぶ親のように。
純白のドレスに身を包んだ少女はにっこりと微笑む。
そんな様子に、美琴は不意をつかれたように言葉を失ってしまう。
「………………」
「だからね、とうまと短髪はもっと近くに居るべきなんだよ。そうすればとうまだってきっと、とっても嬉しい……」
「何言ってんのよアンタ」
ようやく声が出てきた。
美琴はそんな自分を情けなく思いながら、同時に心に鞭を打つように真っ直ぐ前を向く。
それがどんなに自分にとって良い話だとしても、言わなければいけないことがある。
「だ、だから、私は短髪の応援を……」
「あー、そっかそっか。アンタ私がアイツとくっつけるように手伝ってくれるんだ」
「そうなんだよ! 私は悩みを聞くシスターさんだからね!」
「――ふっざけんじゃないわよ!!!!!」
冷えた夜の空気に美琴の怒声が響き渡る。
二人は今まで特別仲が良いわけでもなく、どちらかというと悪い方だった。
それでも、美琴がインデックスにここまで本気で怒った事は今まで一度もなかった。
インデックスはただただ驚き、目を見開いて呆然することしかできない。
そんな様子が、さらに美琴の心をざわつかせる。
「アンタだってアイツの事好きなんでしょ!? なのに何でそんなにあっさり諦めてんのよ!?」
「離れ離れになるから!? それが何だっていうのよ!!」
「挙句の果てには、吹っ切れるために恋敵を応援ですって!? ナメんじゃないわよ!!!!!」
美琴の言葉は止まらない。彼女はこういう事が一番気に入らない。
誰かのために自分をないがしろにする。
人のためと言えばそれは聞こえはいい、本人はそれで満足かもしれない。
美琴の脳裏に、あの夜、あの鉄橋で上条に言われた言葉がよみがえる。
その時はもう何も考えられなくなっていて、自分の身を犠牲にして妹達(シスターズ)を救おうとした。
しかし、その上で幸せになった者はどう思うのか。
インデックスはまるで叱られた子供のように俯くことしかできない。
「わ、私は、とうまの事はそんな風には……」
「嘘ね!!! アンタが私の気持ちに気付いたように、私だってアンタの気持ちくらいとっくに気付いてんのよ!!!」
「……嘘じゃないもん」
「じゃあ顔上げなさいよ!! 真っ直ぐ私の目を見て言ってみなさいよ!!!」
美琴は荒々しくインデックスに近づくと、両肩を掴んで言葉をぶつける。
それでもインデックスは頑なに顔を上げようとしない。
それに対して、歯をギリッと鳴らしながら苦い表情になる美琴だったが、インデックスは腕を振って乱暴に振り払う。
「嘘じゃないんだよ!!!!! もう放っておいてよ!!!!!」
「あっ、ちょっと!!!」
美琴の声にもインデックスは振り返らない。
そのまま走って、会場の中へ戻っていってしまった。
追おうと思えば追えた。
だが、追いついて捕まえた所で、何を言えばいいのか。
あの様子を見る限り、何か自分の知らない複雑な事情が絡んでいるような気がする。
あの二人の間にはまだまだ自分の知らない事情がある。
最近では少しずつ上条との距離が近くなっていたような気がしていただけに、その事実は胸をえぐる。
何だか無性にやるせない気持ちになる。どうしても自分が損な立場であるような気がしてならない。
美琴は一人、頭上の広く暗い夜空を眺めていた。
「類人……上条さんにいくつか質問がありますの」
「お前今、絶対類人猿って言おうとしただろ」
「気のせいですわ。それで、質問というのは――」
一方、残された上条と白井の方は、気まずい沈黙が流れているわけでもなく、割と普通に話していた。
といっても白井の方はどう見ても不機嫌な表情で、それを隠そうともしていないが、上条相手ならばとりたて変わったことではない。
その不機嫌な少女は、近くのテーブルからグレープジュースの注がれたグラスを持ってきていたが、それを口にする様子はさすがお嬢様らしい。
おそらく常盤台はこういった何気ない仕草の教育もしているのだろう。
「――お姉様の事をどう思っておられますの?」
「御坂……? うーん、そうだな…………」
美琴に関してこういった質問を受けたことがなかった上条は、腕を組んで少し考えこむ。
(ライバル……? いや、ただのケンカ相手な気も……でも友達っていうのも何か違うんだよな…………)
頭の中で、今ある記憶の範囲での美琴の姿が浮かんでくる。
初めに会った時は、ナマイキな中学生くらいにしか思っていなかった。
だが、その後色々なことがあって。
妹達(シスターズ)の時は、自分の妹の為にボロボロになって戦っていた。
彼女の助けを求める声を聞いて、上条は美琴の力になりたいと、心の底から思えた。
それからは彼女の様々な顔を見た。
助けられた時もたくさんあった。
学校の課題の手伝いなんていう些細なものから、戦争のど真ん中まで駆けつけてきた時もあった。
たぶんそんな相手を友達、で済ますことはできない。
「……仲間、かな」
「仲間?」
「あぁ、苦しい時はお互い命がけでも助けあう。たぶんそんな関係だと思う」
「つまりは特別な関係、と? そういえば以前、お姉様とその周りの世界を守るなどとも……」
白井はジト目でこちらを見つめてくる。
上条は一瞬、自分が何かおかしな事を言ったんじゃないかと白井の言葉について考え、慌てて手を振る。
「い、いや、一応言っておくけど、そういう恋人的なもんじゃねえからな?」
美琴の事は確かに大切だ。
しかし、それは恋愛感情から来るものなのかと聞かれると、首を捻るしかない。
自分でも何とも煮え切らないなとは思う。
それを聞いた白井もまた、何とも釈然としない表情だ。
「……ふむ。それでは、あのシスターさんはあなたにとってどのような存在なのでしょう?」
「アイツは…………家族みたいなもんだ」
「家族?」
「例えるなら妹みてえなもんかな。守りたい大切な存在だ」
口ではしっかりとした言葉を紡ぐ。
だが心の中では正直、何もまとまっていなかった。
おそらく白井は、恋愛感情的な意味で自分がインデックスをどう思っているのか聞いたのだろう。それは分かる。
しかし自分の心に尋ねても、返ってくるのはただ守りたい存在、という事だけだった。
「…………あなたもしや恋愛感情というものが分からないのでは?」
「なっ、俺だってそんくらいは……!!」
「怪しいですわよ。それでは、今まで誰かを好きになった事があるんですの?」
「うぐ……」
少し気にしていたことをズバッと言われ、嫌な汗が吹き出るのを感じる。
どうやら恋愛事になると、中学一年生の白井の方がずっと先輩らしい。
といっても、美琴に心底陶酔しているこの少女が、他の男と真っ当に恋愛しているとも思えないが。
「はぁ、高校生にもなって……」
「う、うるせえな……」
(まさか記憶と一緒にそういうのまで吹っ飛んだんじゃねえだろうな……。前の俺は好きな人とかいたのか……?)
白井は大きく溜息をついて呆れている様子を大っぴらにアピールしているが、上条は上条で変な心配があった。
上条当麻は記憶喪失だ。
消えたのは思い出を司る「エピソード記憶」というものだけだったらしいが、それでそういった誰かに対する恋愛感情まで消えてしまっている可能性も否定できない。
そう考えると、失恋とはまた違った、何だかすごく切ない気持ちになる。
勝手にブルーになっていく上条に、白井は首を傾げるが、
「……おや? あれは例のシスターさんではないですこと?」
「ありゃ、本当だ。アイツ、御坂と一緒にどこかに行ったはずだったよな?」
二人の視界に写ったのは、少し離れた所を、何やら猛ダッシュしているこの日の主役だった。
余程必死に走っているのか、その白い肌はほんのりと赤く紅潮している。
さすがにあれだけの全力疾走はとても良く目立ち、他の参加者も何事かと驚いている。
「ごめん、私がちょっと余計なこと言っちゃったの」
その言葉に振り返ってみると、そこには珍しく申し訳なさ気な御坂美琴が立っていた。
即座に再会の喜びを熱烈なハグで表そうと考えた白井も、相手のそんな様子を見て思いとどまる。
淑女たるもの、空気は読めなければいけないらしい。
「おぉ、御坂か。余計なことって一体何を……」
「えっと、その、怒鳴っちゃったり」
「はい!? 何だよまた喧嘩したのか?」
普段からあまり仲の良くない二人を知っている上条は、呆れながらもそこまで大したことだと分かってほっとする。
いつもと違う美琴の様子から、何かおかしな事が起きたんじゃないかと心配したのだ。
「まぁ、そんなとこ」
「ったく仕方ねえな。じゃあ俺はちょっとアイツ捕まえてくるわ」
「よろしく。あと、アンタにちょろっと聞きたいことがあるから捕まえたら戻って来なさい」
「……? おう、分かった」
やけに真剣な様子の美琴に疑問符を浮かべながら、上条はインデックスを捕まえるべく走りだす。
あれだけ目立っていたのだから、人に聞いていけば見つけるのは簡単だろう。
「お姉様、あのシスターさんとは上条さんの事で口論に?」
「……はは、アンタにはバレるか」
上条が走り去った後、白井は美琴のために取ってきたグラスを渡しながらそんな事を尋ねる。
確信を突かれた美琴は、薄々は予想していたのか、それ程動揺を見せずに苦笑いを浮かべるだけだ。
白井はそんな美琴の様子を見て、まだあまり発育していない胸を張る。
「ふふ、お姉さまの事ならば当然ですの。まぁしかし、黒子は特に口出しませんわ。何かお力添えできるようでしたら、その時は声をかけてくださいまし」
それを聞いて、美琴は今度こそ驚いたように黒子を見つめる。
何せ、いつもいつも目の敵にしていた上条に関係することだ。おそらく根掘り葉掘り聞かれまくると思っていたのだ。
しかし実際は、白井はただ穏やかに微笑んでいるだけだった。
「黒子…………ありがと」
そんな白井に、美琴も自然と頬を緩ませる。
普段は度重なる変態行為に悩ませられるものだが、こういった場面では自分を支えてくれる。
これからはもう少し優しく接することにしようと、密かに思っていた美琴だったのだが――――
(…………ぐへへへへへへ。今のは好感度急上昇のはずですわ! そしてこのまま……」
「途中から声に出てんのよコラァァああああああああああああああ!!!!!」
やっぱりあんまり変わっていなかった。
インデックスは程なくして捕まった。
全力で走っていたせいで、息も絶え絶えで肩も大きく上下している。
「よし、捕まえたぞ」
「…………うん、捕まっちゃった」
上条はひとまず安心といった様子だ。
それは目を離した隙にどこかへ行ってしまった子供を見つけた父親のようである。
インデックスは捕まっても特に抵抗せずに、なぜか照れくさげに笑っていた。
「お前どうしたんだよ……。御坂も反省してたし、とりあえず戻ろうぜ」
「ううん、短髪は何も悪くないんだよ。悪いのはたぶん、私」
「ん? あのさ、一体何があったんだ?」
「そんな事、とうまに言えるわけがないんだよ」
「俺には言えない……?」
インデックスの言葉にさらに頭を混乱させる上条。
彼女と美琴の二人は何かが原因で口論になってしまった。
そしてその原因は上条には話せないような事らしい。
しかし、そう言われるとますます気になるのが人間というもので、上条も何ともムズムズしたもどかしさを感じる。
それでも上条に隠し事を上手く聞き出すようなスキルはないため、どうにもできない。
「……そんなに見つめないでほしいかも」
「え、あ、悪い」
気付かない内にどうやら上条の目線はインデックスに向けて固定されていたらしく、慌てて逸らす。
そこで少し違和感を覚える。
今までインデックスがこんな事を言った事があっただろうか?
彼女の表情は、そっぽを向いてしまっているため良く分からない。
といっても、周りこんでしまえば確認する事もできるのだが、そこまでするのはさすがに悪い気がする。
「……何怒ってんだ?」
「怒ってないよ」
「いや、でも……」
「ん、何だ君達か」
急にそんな声が聞こえてきたので、上条は会話を中断させてそちらへ目を向ける。
視界に入ってきたのは、イギリス清教の魔術師であるステイル=マグヌスと神裂火織だった。
神裂の方は青色のドレスに身を包んでいたが、ステイルの方はいつもの格好だ。
まぁしかし、神裂もしっかりと七天七刀をぶら下げていたりするので、突っ込みどころはあるのだが。
「おぉ、お前らもわざわざイギリスから大変だったな」
「いえ、それに元々こちらには少々用事が……」
「まぁ君には関係のないことだけどね」
ステイルは疲れたように溜息をつくと、タバコを取り出す。
だが、会場の壁に掲げられた禁煙マークを見ると、苦々しげにしまいこむ。
そわそわそわそわしている様子を見る限り、ニコチンやタールを取り上げられてどうも不満なようだ。
上条は、ステイルが何かを誤魔化したように感じたが、おそらく聞いてもはぐらかされると思ったので何も聞かないことにした。
一方、神裂はインデックスの方をじっと見つめていた。
「ん? どうしたのかな?」
「い、いえ、そのドレスとても似合っていますよ」
「ふふ、ありがと。かおりもとっても綺麗なんだよ!」
「あ、ありがとうございます……」
何やら慌てた様子の神裂。
上条からすれば珍しいものだが、インデックスに関しては複雑な事情があるので仕方ないとも思う。
以前にも、まだ彼女に笑顔を向けられるのには戸惑いがある、なんて事も言っていた気がする。
ステイルはそんな神裂の気持ちが分かるのか、どこかぎこちない二人の様子を見ても表情を変えない。
代わりにこちらに顔を向けると、小さく嘲るような笑みを浮かべる。
「ふん、しかし上条当麻。君も意外と冷静じゃないか。てっきり彼女の事を引き止めると思っていたけどね」
「そりゃ、また禁書目録として利用する……とかだったらどんな手を使ってでも引き止めた。けど今回はインデックス自身が決めた事だ。俺は邪魔しねえよ」
「そうかい」
自分で話を振ったくせに、いかにも興味なさ気だ。
カチンとくる上条だったが、こんな所でまでケンカなどはしたくないので我慢することにする。
そんな上条の心中など全く気にしていない様子のステイルは、今度はインデックスの方に顔を向ける。
上条に対する時とは違い、その表情にはどこか優しさがある。
「彼女の為に生きて死ぬ」とまで決めた相手だ。それに対しては何もおかしい事はないはずだ。
しかし、これまでの様々な事情を考えると、こんな風にステイルがインデックスに目を向ける事自体が新鮮に感じる。
「……君も本当にいいのかい?」
「もう、その質問はこれで十回目かも。私はイギリスに戻る。何度聞いたって、気持ちは変わらないんだよ」
「………………」
「ステイル?」
「……いや、何でもない。ちょっと僕は外に出てタバコでも吸ってくるよ」
なぜかステイルは心配そうな目でインデックスを見ていたが、すぐに踵を返して歩き去ってしまう。
インデックスの方も、その後ろ姿を何やら物憂げな様子で眺めている。
上条はそれを見て、首を傾げる。
「んー、なんかおかしくねーかアイツ」
「どういう事です?」
神裂はやけに真剣な表情でこちらに目を向ける。
軽い気持ちで話していた上条は、思わず少し戸惑ってしまうが、すぐに気を取り直す。
同時に、なんだか神裂の方もやけにピリピリしていて様子がおかしい気もしてくる。
「だってさ、アイツってインデックスの事好きだろ?」
「なっ!! 何を言ってるのかなとうまは!?」
とりあえず話し始める上条だったが、すぐにインデックスが顔を真っ赤にして止めてしまう。
どうやら彼女にとってはかなりの衝撃だったらしく、口をパクパクしていて次の言葉も上手く出てこない。
そんな様子を見て、神裂は溜息をつく。
「上条当麻……今ここにステイルがいたら、あなたを本気で殺しにかかってきても不思議ではありませんよ」
「あー、じゃあステイルには内緒って事で。そんでさ、アイツってその大好きなインデックスがイギリスに戻るってのに、あんまり嬉しそうじゃなくね?」
「……確かにそうかもしれませんね」
「だからステイルはそういうんじゃないんだって……」
なおも顔を赤くしながら手を振るインデックスだったが、上条はそれよりも気になることがあった。
たぶん、というか絶対神裂は何かを知っているはずだ。それは顔を見ていれば何となく分かる。
だが、それを教えないという事は、何かしらの言えない理由があるのだろう。
まぁ神裂の事なので、そういった事は本人のいない所で言わないようにしている、といっただけの事なのかもしれないが。
神裂の隠している事、これはインデックスにも関係するような事である可能性も高く、上条としても気になる。
もしかしたら、彼女のイギリス行きに何か問題になるような事があるのではとも考えられる。
それを上条には知らせずに、自分達だけで何とかしようとしているというのも、何ともありそうな答えだ。
しかし、それについて上手く聞き出す術を思いつかない。それならば真正面から聞いてみるしかないだろう。
「なぁ、もしかして今回のインデックスのイギリス行きに何か裏があるとか言うんじゃねえだろうな?」
「………………」
「まさか、本当に……?」
「だ、大丈夫なんだよ! とうまはちょっと心配性すぎるかも!」
インデックスの言葉も、もはや疑惑を深くすることにしかならない。
それにどう見ても動揺した様子で「大丈夫」などと言われて、どうやって信じればいいのだろうか。
おそらく神裂も心のなかで何かしらの葛藤があるのだろう。俯いて、唇をギュッと結んでいる。
そんな様子を見て、上条は黙っていられるわけがなかった。
こんな事は考えたくなかったが、イギリス清教には“前科”がある。
もちろん、ステイルや神裂がインデックスに危害を与えることを良しとするはずがない。
しかし、それに上条を巻き込まないようにしている可能性は十分に考えられる。
「おい、答えろよ神裂!!!」
「………………」
「とうま、落ち着くんだよ!」
上条は神裂に問いただす。
インデックスの方も何か知っているようだが、こちらはどれだけ聞いても答えないような気がした。
だから、揺れている様子の神裂に狙いを絞る。
実際、上条の言葉に神裂は目が泳ぎ、インデックスの方をチラリと見たりもしていた。
これはこのまま押し続ければ何とかなるかもしれない、と考えたが、
「どうしたんだにゃー、カミやん?」
そんな声が聞こえてきたので思わず顔をしかめる。この場に最も居てほしくない人物が現れた。
いつの間にか舞台から降りてきた土御門元春だ。
この男はこういった言葉の駆け引きに長けている。肉弾戦同様、おそらく上条では歯が立たないだろう。
そして土御門はイギリス清教の魔術師だ。味方につくとしたらそちら側だろう。
上条はそんな事を考えて、十分に警戒する。
それに対して土御門は相変わらずいつもと変わらない笑顔を浮かべていた。
「いや、別にお前には関係ねーよ……」
「まぁまぁ。この土御門さんが何も知らないわけないにゃー。ズバリ、インデックスのイギリス行きについてだにゃー?」
「や、やっぱりお前聞いてたんじゃねえか!!」
まずい、と上条は思う。
こうやってどんどん自分のペースに引きずり込んでいくのは土御門の得意技だ。
あの神裂火織が堕天使エロメイドに変身したのも、この男のこういった力によるものだと聞く。
このままでは知らず知らずのうちに話題を逸らされてしまう気がしたので、とにかく自分から本題を切り出すことにする。
「お前ら、何か隠してんだろ? インデックスの事なら俺にだって教えてくれたっていいだろ!!」
「うん、いいよ」
「……は?」
思わぬ答えに、目を丸くして固まる上条。
何だかさっきからこの男には振り回されまくってるような気もするが、ここで油断する訳にはいかない。
どうせ土御門のことだ。最もらしい嘘なんていうのはいくらでも出てくるはずだ。
「それなら、お前じゃなくて神裂に話してもらうぞ」
「え……私ですか?」
「あぁ、土御門の言う事は信用ならねえからな」
「酷い言われようですたい……」
先程までの神裂の動揺を見るかぎり、おそらくこちらは上手い作戦などは持っていないはずだ。
それならば土御門の「教える」という答えをこちらに向けてしまえば、もう本当のことを話すしかなくなる、そう思ったのだ。
元々、神裂自体嘘をつくような人間ではない。
我ながら中々良い作戦だと思いながら、上条は土御門の様子を伺う。
しかし、土御門は特に動揺した様子もなく、先程と変わらず口元には笑みも浮かべている。
それを見て、上条の頬に冷たい汗がつたる。
「まっ、ねーちんが代わりに話してくれるのなら俺は楽でいいけどにゃー」
「つ、土御門? 本当にいいのですか?」
「なっ……ダメなんだよ!!」
あまりの土御門の余裕っぷりに、神裂は困惑し、インデックスは焦り始める。
そこから、どうやら一番話したがっていないのはインデックスである事が分かる。
インデックスは上条が色々な事に首を突っ込むのを嫌う傾向がある。
つまり、今回もそういった厄介事なのではないか、という嫌な予感が浮かんできた。
土御門はそんな二人の様子を見てもさして表情を変えずに、近くのテーブルに手をついて寄りかかる。
「インデックスも落ち着くぜよ。ほらジュースでも飲んで」
「いらないんだよ! それより……!!」
「いいから。話は落ち着いてからだにゃー」
「………………」
明らかにムスッとした感じで、土御門からオレンジジュースを受け取り一口飲むインデックス。
彼女がこんなにも不機嫌に飲食物を口にしているのも珍しい。
土御門はそれを見て満足気に笑うと、自分もテーブルから飲み物を一つ取る。どうやらアルコールではないようだ。
「ふ~、俺も司会で結構話したから喉乾いちまったぜい」
「悪い、土御門。俺にも一つくれるか?」
「あっはっは。カミやんも大声出してたからにゃー。ほれ」
「サンキュ」
少し気持ちも落ち着いてきたお陰か、喉の渇きを感じてきたので上条も飲み物を受け取る。
一口飲むと、冷たい感触が染み渡るように広がる。
それから一息つくと、その目を真っ直ぐ神前に向ける。
「それじゃあ、話してもらうぞ」
「だからそれは……!!」
「まぁまぁ、その前にこっちからも一つお願いすることがあるにゃー」
「お願い……?」
上条は怪訝な顔で土御門を見る。
ここまで素直に話してくれるのはおかしいとは思ったが、やはり何か企んでいるのだろうか。
とにかく、この男の言動には十分注意しようと警戒しながら相手の言葉を待つ。
土御門は、もう笑っていなかった。
「カミやん、悪いが聞きたいことは全部――――明日にしてくれ」
その時だった。
上条の視界が大きく歪み、体がまるで大きな岩を背負っているかのようにガクンと重くなる。
ぐるぐると、周り全てが絶えず動き、左右上下の三次元情報があやふやになる。自分が立っているのかどうかさえも分からない。
色彩も安定しない。白黒になったり、不自然に滲んでぼやけたりする。
ガンッ! と大きな音がした。
それが自分が片膝をついた音だと気づくのには、少しの時間が必要だった。
それでも上条は懸命に顔を上げようとする。
自分の状態が正常じゃない事くらい分かる。
しかし、上条にはどうしても聞かなければならないことがある。
焦点が安定しない。周り全てのものがぼやけて見える。
そんな中、確認できるものが一つ。
(インデックス……)
懸命に腕を伸ばす。
その朧気な姿へ向かって、体中の力を右腕に集中させて。意識が飛びそうになるのを懸命にこらえて。
だが、どんなに腕を伸ばしても、その姿は掴めない。
まるで夜空に輝く星に手を伸ばすように、その間には絶対的な距離が開いているような気がして。
徐々に景色が黒く塗りつぶされていく。
その純白のドレスも、次第に見えなくなっていく。
全てが黒に染められるその瞬間。
上条は確かに聞いた。
それは今までは当たり前のように聞いて、まるで生活音の一部のようになった声。
聞くだけでどこか心の落ち着く声。
そんな声が、遠くから聞こえる。
まだ、確かにそこに居るはずなのに。
その声は、どこまでも遠くから、聞こえた。
「――――ありがとう」
白い病室に透明な自分と、インデックスは居た。
彼女は笑っていた。
目は今にも溢れそうなくらい潤んでいても。
彼女は、懸命に笑っていた。
それを見て、透明な自分に僅かな色が入ったのかもしれない。
これまで歩んできた記憶は全て失っていても。
その少女にだけは泣いてほしくない、そう思えた。
それだけでも、自分の中にはまだ何かが残っているような気がして。
すごく、救われた気がした。
それからの出来事がビデオの倍速のように流れていく。
本当に色々なことがあった。
けど、どんなに苦しいことがあっても、最後には彼女の笑顔があった。
崩れ行くベツレヘムの星。
戦争の中へ飛び込んで、やっと守ることができた彼女に記憶のことを話し、謝った。
もう、逃げたくなかった。例えそれで彼女が離れてしまったとしても、もう偽りたくなかった。
彼女は、そんな事はどうでもいいと言ってくれた。
いつも通りに帰ってきてくれるなら、どうでもいいと。
これからも自分の帰る場所でいてくれると、言ってくれた。
「………………」
見慣れた自分の部屋の天井がぼんやりと視界に広がる。
次第に意識がはっきりとしてくる。
体の調子は良い。ぐっすり眠った後のすっきりとした感覚がある。
腕を上げてみると、どうやら服装は昨日のままのようで、いくらかシワが付いてしまったスーツが目に入る。
首を少し動かしてみると、カーテンの隙間から光が漏れているのが分かる。時計を確認すると、まだ朝の八時だった。今日は学校は休みだ。
上条はまだ起き上がろうとしない。
ただぼーっと、天井を見ているだけだ。
心に穴が開くという感覚を、初めて知った気がする。
ぽっかりと、パズルの中心のパーツだけが空いているように。
どうしようもない空虚感が襲ってくる。
上条は、ベッドの上で寝ていた。
それだけの事実が、心に大きな穴を打ち込んでいく。
もしかしたら、急に調子の悪くなった自分に遠慮したのかもしれない。
小萌先生のアパートにでも行ってみれば、そこには先生の可愛らしいパジャマを着た彼女がいるかもしれない。
風呂場を開ければ、そこには寝心地が悪いと頬を膨らませる彼女がいるかもしれない。
――それでも、何となく分かった。
この部屋や小萌先生のアパート、きっと学園都市のどこを探しても彼女は見つからなくて。
心を侵食する空虚感も、直感的にそれを理解した事から来るもので。
いつまでも起き上がらないのも、それを確認するのを避けているためで。
インデックスはもう、居ない。
今回はこのへんで。なんかここで終わったらエロゲとかギャルゲのバッドエンドみたいだね。
これでたぶん1/3くらいなんだよ!
うわぁ酷いミス発見。神裂さん、最初はいつものジーンズ姿って書いておきながら、後でドレス姿になってるwwww
とりあえず土御門が折れて普通のドレス渡したとでも脳内補完してほしいんだよ!
上条は朝から隣の土御門の部屋に来ていた。
昨日意識を失う前に、事情は明日教えると言っていたのを覚えていたからだ。
今までの上条からすると、起きたままの状態ですぐに土御門に掴みかかりに行ったかもしれない。
しかし今の上条さんは、シャワーも浴びて服も着替えていた。
なぜそれだけの心の余裕を持てたのかは自分でも分からない。
土御門もそんな上条に意外そうにしていた。
「俺は一発くらい殴られる覚悟してたんだけどにゃー」
「お前を殴ってもどうにもならねえだろ」
「……らしくないぜよ」
そう言って首を捻る土御門だったが、それに対して上条は何も答えない。
そもそも自分自身で分かっていないので、答えようがないのだ。
「別にそこはどうでもいいだろ。それより、昨日言ってた事情ってやつ教えてくれよ」
「まぁそれはいいけど」
土御門はなおも腑に落ちない様子で頭をポリポリかいていたが、元々素直に教えるつもりだったらしく口を開く。
「まず、イギリス清教が禁書目録の解析能力を手元に置きたがっているのは本当ぜよ」
「じゃあ他に嘘があるってことか?」
「いや、嘘はない。言ってないことがあるだけぜよ」
土御門の言葉を聞きながら、何とも胡散臭い印象を受ける。
嘘は言わないが、肝心な事も言わない。それはどう考えても詐欺の常套手段だからだ。
「ここの所、科学と魔術の距離が近くなってきている。それはカミやんも分かるだろ?」
「そうだな。科学と魔術の合わさったグレムリンなんて組織まで出てくるんだし」
「それに関連して、今の状態を色々と見直している。やはり今まで通り科学と魔術は離さないと争いを生むんじゃないかってな」
科学と魔術はお互いの力のバランスを保つために、できるだけ接触を避けてきた。
しかしあの第三次世界大戦以降、もしくはその前から科学と魔術の距離は縮まっていた気がする。
そのせいで、最近は世界的に不安定な状況が続いている、そう考えているのだろう。
「科学サイドも魔術サイドも関係ないと思うけどな。大切なのはそれを扱う人間だろ」
「カミやんが言うと中々説得力あるにゃー。でも、それも所詮子供の意見に過ぎないんだぜい?」
「分かってる。それでつまり、そんな状況でインデックスがここに居候するのはまずいって事か」
「その通りぜよ。これからどうするか話し合うにしても、一度この曖昧な状況はきちんと区切りを付けたほうがいいっていう判断だにゃー」
今はどうやら科学と魔術のお偉いさん同士で、これから互いの関係をどうしていくか話し合っている。
その間は、科学と魔術の境界はきっちりと定めておきたいという事だろう。
それだと土御門なんかは色々とダメな気もするが、ここに居るということは上に対しても認められているからだろう。
「やっぱ連絡とかもとれねえのか?」
「ダメ。後になって許されるようになる保証もないぜよ」
「その話し合いの結果次第って事か」
心に空いた穴がさらに広がった気がした。
たぶん、心のどこかでは彼女がいなくなった事を認めていなかったのだろう。
しかしこうして土御門と話していると、一言ごとに現実味が増してくる。
もしも科学と魔術を完全に分ける判断がなされたら。
もうあの笑顔は見れなくなる、その声を聞けなくなる。
そう考えただけで胸を思い切り締め付けられるような感覚が襲う。
思わず右手で胸を押さえようとするが、何とか思いとどまった。
そんな姿を土御門に……誰にも見られたくない。
土御門は珍しく真剣な表情でこちらを見つめている。
「インデックスは全部知ってた。でも、言えなかった。たぶん、それでカミやんの態度が変わるのを恐れたんだ」
「……え?」
「別れを辛いものにしたくなかったんだろうな。それに、カミやんの態度次第では自分の決心が揺らぐかもしれない」
「あいつ……」
上条はギリギリと歯を食いしばる。
彼女もまた、そうやって自分一人で背負いこんでしまう事がある。
それに気付いてやれなかった自分に、どうしようもなく腹が立った。思い返せば、いくらでも気付ける要素はあった。
しかし――――
「……けど、もう遅いんだよな」
小さく、しかし確かに聞こえる声で上条は呟いた。
その声に含まれていたのはどうしようもない悲しみ、そして諦め。
そんな上条の声を、土御門は今まで一度も聞いたことがなかった。
「カミやん?」
「それにあいつだって、この展開を望んだんだ。それを邪魔するわけにはいかねえよ」
土御門はまるで上条が何かとてつもなくおかしい発言をしたかのように、目を丸くしていた。
それ程に、この上条の判断はらしくなかった。
「そんじゃ、俺はそろそろ戻るよ。話してくれてサンキューな」
「カミやん、本当にそれでいいのか?」
「あぁ、あいつの為にも――――」
「カミやん自身はどうしたいんだ」
土御門の言葉に、上条は言葉を詰まらせる。
その事に関しては、無意識に考えるのは避けていたのかもしれない。
彼女が望むことならば自分はそれに従う、邪魔をしてはいけない。
そればかりを考えて、自分自身は本当はどうしたいのか。それを見えなくしていた。
寂しくないといえば嘘になる。
できれば、ずっとこのままで居たい、そう思っていたのかもしれない。
しかし、それはただのワガママだ。
「俺がどう思っていようが、ただのワガママを通す訳にはいかないだろ」
「………………」
「じゃあな、土御門」
バタン、と扉の閉まる音が聞こえる。
土御門はしばらくそちらを向いたまま、何かを考えていた。
「ワガママ、ねぇ」
静かになった部屋に、そんな声だけが流れていった。
オレンジの光が窓から差し込む。
気付けば日は傾き、もう少しすれば真っ暗になるだろう。冬の日は短いものだ。
上条当麻は、ただぼーっとベッドに背中を預けて寄りかかっていた。
せっかくの休日だったのだが、何をしていたのか良く覚えていない。
それだけ、何をする気も起きなかった。
部屋は驚くほど静かで、物音と言えば時計が針を進める音しかしない。
部屋から一人いなくなるだけでここまで変わるものかと、ぼんやりと思う。
「……腹、減ったな」
そういえば朝起きてから何も食べていない事に気付く。
さすがに食事ばかりは面倒臭がっている訳にはいかない。
ダイエットに勤しむ者にとっては、この食事が面倒臭いという感情は何とも羨ましいものなのかもしれないが。
とにかく、上条は重い腰を上げて、どこかのファミレスにでも行くことにした。
貧乏学生的には、外食なんていうのは贅沢なものなのだが、今から何かを作る気にもなれない。
こういうのが五月病というのかなーと、真冬にぼんやりと考える上条当麻だった。
ファミレスは休日にも関わらずそこまで混んでいなかった。
おそらく時間帯的に、ランチでもディナーでもない微妙なところだからなのだろう。
混雑している時に一人で入るのも中々気が引けるので、こちらとしては助かるのだが。
「いらっしゃいませ。一名様ですね?」
こうして一人でファミレスに入るのが凄く新鮮な感じがした。
それもそうだ。もし、彼女が居る時にこんな事をしようものなら、すぐさま脳天を噛み砕かれる事になる。
そんな事をしみじみと考えながら、案内されたテーブルにつく。
すると、近くから何やら聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「まったく、浜面はやっぱり超浜面ですね」
「ったく、いい加減このクオリティどうにかしろっての。氷入れろよ氷ー!!」
「あーもう、それなら自分で取りに行けばいいだろー!!」
すぐ近くのテーブル、そこには「アイテム」がいた。
女の子三人の中に男一人。
端から見れば羨ましい状況ではあるが、その女の子の内二人はその気になればこのファミレス自体を吹き飛ばせる程の力を持っている事を考えると、何とも微妙な感じである。
しかも女の子達の中でも唯一の良心とも言える滝壺理后はどうやらお休みモードであり、その彼氏である浜面仕上はすっかり他二人の召使いと化していた。
こうして一人で食事をしている時に、知り合いと出会うと何とも気まずい気持ちになる。
声をかけるべきかどうか、一瞬考える上条だったが、その間に向こうがこちらに気付いた。
「あれ、おー、大将じゃん!」
浜面は軽く手を上げると、まるで麦野達から逃げるように真っ直ぐこちらに歩いてきて、向かいの席にドカッと座り込む。
一応昨日は思いっきり殴ろうとしたわけだが、そういう事は後に引きずらないような質なのだろう。
そこら辺は何とも元スキルアウトらしい感じがする。ケンカは日常茶飯事だという意味で。
もちろん、上条も昨日のことに関してグダグダ言ったりはしない。上条の周りでは一度殺し合いをした関係というものでさえ珍しくもないのだ。
「ったくよー、ホントあいつらやりたい放題でよー」
「はは、けどいいじゃねえか、ハーレムじゃん」
「んー、でも俺は滝壺一筋だしなー」
浜面はあまり興味なさげに、グラスの中身を飲む。
対して、上条のその言葉に反応したのは、他のテーブルに座る女の子達の方だった。
「超やめてくださいよ。そんな浜面ごときのハーレムの一員になるつもりはありません」
「同感。ちょっと鳥肌が立ったんだけど、どうしてくれんのよ」
「悪い悪い」
こんな所で暴れられるのはたまったものじゃないので、素直に謝る上条。
上条の周りもまた、手の付けられない女の子達がいたりもするので、こういった対処はなれている。
それに幻想殺しがある分、浜面よりはまだ安全なのかもしれない。
「それで、今日は外食か? 珍しいな」
「あぁ、たまにはな」
上条は運ばれてきた料理を口に運びながら答える。
浜面の中では、上条はいつも自炊しているイメージがあったらしく、少し意外そうだ。
まぁ貧乏学生故に、それは間違っていないのだが。
「もしかして、あのシスターさんが居なくなったのと関係あったり?」
「……さぁな」
「はは、結構分かりやすいんだなアンタも」
内心ギクッとしつつも何とか冷静を保とうとする上条だったが、浜面はククッと小さく笑う。
それを見て、上条は自分はそんなに分かりやすいのかと少し心配になる。
「――まぁ、昨日は悪かったよ」
「へ……?」
「いきなり殴ろうとしてさ。あの後滝壺に怒られちって」
「……別に気にしてねえけどさ」
浜面は苦笑いを浮かべながら頭をかいている。
「つい、アンタを俺に当てはめちまったんだ。俺だったらどうするのかってさ」
「………………」
「けど、アンタと俺じゃ立場なんかも全然違うもんな」
という事は、もし浜面だったら何としても引き止めるということなのだろう。
しかし、浜面の場合相手は滝壺であり、二人はきちんとした恋人同士だ。
それならば、そういった行動もなんらおかしいものではないだろう。
「……どうしたんですか滝壺さん」
そんな声が聞こえてきたので、上条と浜面がそちらを見ると、そこにはいつの間にか起きていた滝壺がこちらをじっと見つめていた。
いや、正確に言うと上条の方か。いつものどこか眠たげな目とは違って、真剣そのものの目だ。
あまりじっと見られるのも落ち着かないもので、そわそわと反応に困る上条。
一方そんな様子を見て、途端にニヤニヤと楽しげな表情になったのは麦野だ。
「ありゃ、これは浜面フラれちゃったのかにゃーん?」
「んな心の底から楽しそうに言うな!! ち、違いますよね滝壺さん!?」
「まぁ、将来超不安なチンピラ浜面よりは、学生の上条の方がまだ良いという判断ですかね」
「そういう気にしてること言うなっつの!!」
ぎゃーぎゃーと盛り上がるアイテム勢をよそに、滝壺はなおもじっとこちらを見つめていた。
浜面はまるでこの世の終わりのような表情で嘆いていたが、上条も何を言えばいいのか分からない。
とりあえず、その目から何を言いたいのか探ってみるが、やっぱり良く分からない。
そもそもそういうのは、精神系能力者の特権だ。
そんなこんなで、終いには浜面がすっかりいじけてブツブツと言い始めたので、さすがに可哀想になって何か言おうとする上条。
と、その時――――。
「…………ぐぅ」
コテン、と。
滝壺理后は唐突に再び眠りに入ってしまったようだ。
あまりに横暴に進んでいく展開に、上条はさらに頭を混乱させる。
一体彼女は何がしたかったのかと、とりあえず彼氏である浜面に尋ねてみようとする。
しかし、浜面にとってはそんな事はどうでもいいらしい。
とにかく自分の彼女が他の男を見つめるなどという事を止めてくれた事に、軽く息を吐いて安堵していた。
「ふぅ……何だよ驚かせやがって。ただ寝ぼけてただけか」
「いや、あの目は本気だったにゃーん?」
「だから何でお前はそうやって不安を煽るんだよ!!」
「麦野的には、浜面と滝壺さんがくっついている事に何か超不都合があるんですよね」
「……おい絹旗、何が言いたい?」
何やら危険極まりない雰囲気を出している麦野。
上条はなるべくそこには関わらないようにして、少し考えこむ。
たぶん、滝壺は寝ぼけていたわけではないような気がする。
昨日も彼女は意味深な事を言い残していた。
お互い離れることで分かることもある、確かそんな感じのことだったはずだ。
しかし、こうして実際に離れてみてもイマイチ滝壺の言いたかったことが良く分からない。
そんなモヤモヤした気持ちのまま、上条はいつ近くのテーブルから極太ビームが飛んできても良いように注意しながら食事をとることにした。
ファミレスで食事を済ませた上条は、アイテムと別れた後、帰路の途中にあるコンビニに寄っていた。
日はもうすっかり落ち、完全に暗くなってしまっている。冬という事もあって、ただ歩いているだけでもかなり冷える。
目当てはコーヒーだ。時々飲みたくなるものであり、こういった寒い日には温かいものを飲みながら帰るのもいいと思ったのだ。
まぁただそれだけならば、外にある自販機で事足りる気もするが、一応銘柄にも拘っていたりもする。
「……って、一個もねえじゃんよ」
丁度欲しい銘柄だけがすっぽりと無くなっていた。
前にも同じようなことがあった気がする。何かの嫌がらせだろうか。
上条は重い溜息をつくと、仕方ないから自販機で適当なものでも買うか、とトボトボと出入り口に向かう。
「何この世の終わりみてェな顔してやがる」
何やらまた聞き覚えのある声が聞こえてきた。
その方向へ首を動かしてみると、そこには学園都市最強の能力者である一方通行がいた。
上条は目を見開く。
もちろん、ここに一方通行がいることは何もおかしいことではない。誰だってコンビニくらいは利用するだろう。
上条の目を奪ったのはその手に持ったカゴの中身だった。
「お、お前が買い占めてたのかよ!!!」
「あァ?」
そこには丁度上条が飲みたがっていた銘柄のコーヒーが大量に入っていた。
一方通行は初めはただ疑問の表情を浮かべる事しか出来なかったが、すぐに上条が何を言いたいのか理解したようだ。
ワナワナと震える指で手に持っているカゴの中を指していれば、別に第一位の優秀な脳じゃなくてもすぐに分かりそうだが。
「ったく、ほらよ」
一方通行は呆れたように、カゴの中のコーヒーを一つ投げてよこす。
「い、いいのか?」
「別に一本くれェどォって事ねェよ」
その言葉を聞いた途端に顔を輝かせる上条。
さすがの一方通行も、それを見て思わず不憫そうな表情になっていた。
「サンキュー。もしかしていつも買い占めてんのか?」
「気分だ気分。どォせ買うならまとめて買ったほうが楽だろォが」
「……何ともブルジョワな思考だな」
「たかが缶コーヒーだろ」
「………………」
「何落ち込ンでやがる」
絶対的な貧富の差を目の当たりにしてがっくりと肩を落とす上条。
一方通行はそれを見て怪訝な顔をしている。
元々学園都市で一番の能力者と、底辺であるレベル0の差は大きい。
しかも上条にいたっては、本当に何の能力も発現しないという逆にレアな程の落ちこぼれっぷりだ。
当然、その奨学金の額というのも微々たるもので、いくつもの研究に協力していた一方通行と比べるのもおこがましい程だ。
そこら辺はよく分かっていたのだが、こうしてその差を目の当たりにするとそれなりに堪えるものがある。
要は気持ちの問題だ。
「けど、なんか安心したよ」
「何にだよ」
「お前がこうして普通の生活を送ってる事にさ」
「………………」
上条は、一方通行がこれまでどんな道を歩んできたのかは詳しく知らない。
あんな実験に協力する前だって、おそらく上条の知らない暗い世界を生きてきたのだろう。
ロシアでは精神を徹底的に壊されている様子も見てしまった。
だが、少なくとも今ではまともな生活を送れているようだ。
確かに、上条と一方通行は一度ならず二度も殺し合いをした関係だ。
それでも、ずっと変わらず敵で在り続けたいとは思わない。
例え相手が誰であっても、いつまでも暗闇に居ることは良しとしない。それが上条当麻という人間だ。
一方通行はすぐに言葉を返さずに、何やら子供用の菓子を見てじっと考え込んでいる。
おそらく打ち止めへのモノなんだろうが、やはりその姿は似合わないと言うしかない。
しかし、いつかはこんな光景も当たり前のようになってほしい、そう思った。
「普通の生活……ね。それはオマエにも言える事なンじゃねェか?」
「へ?」
「オマエだって、今までいくつもの戦場を経験してきたはずだ。それも相手は魔術なンてモンも含まれる」
「ん、まぁな」
「そンな戦いと平和を繰り返して、まともに生活できてる方が俺にとっちゃ考えらンねェ。俺はこの平和な状況に違和感しか覚えねえ。気疲れもする程な」
「そっか……」
一方通行の言葉を受けて少し考えこむ上条。
実際の所、上条はあまりそういった事を意識していなかった。
「たぶん、そこら辺も意識の違いなんじゃねえかな」
「なに?」
「俺にとってはこの平和な時間が日常で、戦っている時は非日常だ。たぶん、お前にとってはそれが逆なんだろ」
「………………」
「まぁ少しずつ慣れていけばいいじゃねえか」
「……結局それしかねェか」
一方通行は小さく息を吐くと、カエルのマスコットが付けられた菓子をカゴに入れてレジへ歩いて行く。
思わずそのセンスに対してツッコミたくなる上条だったが、下手に怒らせてバトル展開になんかなったら大変なので何も言わないでおく事にした。
一応一方通行に対しては二連勝中な上条。しかし、いずれも一歩間違えれば挽肉になってもおかしくなかった事を忘れてはいけない。
同時に、一方通行に妙な親近感も覚える。
こうして平和と戦場の往復で戸惑っている姿は何とも人間らしい。
初めて会った時の彼は、人間と言うよりかは獣という印象が強かった上条にとってはこれは随分な変化だ。
その後、二人はレジで会計を済ませるとコンビニから出る。さすがに冬の夜だけあってかなり冷える。
レジでは一方通行の風貌に店員がどこか怯えていたようだったが、きちんと仕事はこなしていた。
「そんじゃーな。俺はこっちだから……ってお前は知ってんだっけか」
「………………」
「ん、どした?」
それぞれの買い物を済ませた二人は、これから一緒に飲みに行くぜー!! といった仲でもないので(そもそも未成年だが)このまま別れようとする。
しかし手を軽く上げて踵を返そうとした上条に対して、一方通行はなぜかこちらをじっと見ていた。
先程も滝壺に同じような反応をされた上条は、もしかして自分の顔に何か付いているんじゃないかとペタペタと頬を触ってみる、が当然何もない。
そもそも一方通行の目は滝壺のものとは少し違う気もする。
もちろん、外見的なものではない。もしも滝壺の目が目の前の少年のように真っ赤だったら、浜面は大慌てだろう。
真剣そのものという点では滝壺と同じだが、一方通行の方はどこか上条の事が気に食わないといった感じだ。
「随分と悩んでるみてェだな」
「……もしかして、読心能力まであんのか?」
「目を見りゃ分かンだよ。特にオマエみたいな奴は分かりやすい」
「はは、そっか……」
上条は頭上に広がる星空に顔を向けて小さく笑う。
一方通行はそのままの状態で、ただこちらを見ているだけだ。
二人の間に冷たい風が通り抜ける。
それはお互いの黒髪と白髪を軽く揺らし、刺すような寒さを体に伝える。
「分かんねえんだ」
「あァ?」
ポツリとそんな言葉を紡ぎ始める上条。
相変わらず顔は頭上の星空へ向けたままだったが、その目は星を捉えてはいなかった。
「今朝から、何か心のなかにデカイ穴が空いたような気持ちになる」
「………………」
「たぶん、俺はインデックスが居なくなって寂しいんだと思う。
けどよ、だからってどうすればいいんだ。そんな俺のワガママであいつの道を邪魔するわけにはいかねえだろ」
何故かは分からないが、一方通行に対しては自分の気持ちを吐き出すことができた。
元々そこまで親しい間柄ではないはずなのに。
いや、もしかしたら、ある程度距離があるからこそこうやって話せたのかもしれない。
上条は、無意識に誰かが自分の中に入り込んでくることを拒否している。そういう事なのかもしれない。
一方通行は特に口も挟まず黙って聞いていた。
ただじっと真っ赤な目で上条を見つめているだけで、その胸の内は全くわからない。
「俺はオマエじゃねェ。オマエにとってどンな結末が望ましいかなンて事は分からねェ」
「……そうだよな」
当然というべきだが、一方通行から答えは返ってこない。
これは上条自身の問題だ。
その答えも、きっと人に教えてもらう様なものでもないのだろう。
「まァ、早いとこ答え見つけろよ。オマエがいつまでもそンなンだと、こっちまで調子狂うっつの」
「はは、分かったよ」
言いたいことは言ったのか、一方通行はクルリと後ろを向くとそのまま歩き去ってしまった。
上条はしばらくその後ろ姿を見ていた。
いや、目では一方通行を追っていたのだが、頭の中ではひたすら先程の「答え」というものについて考えていた。
上条の今の空虚感は、インデックスが居ない寂しさが原因だろう。
しかし、当のインデックス本人は上条と離れる道を選んだ。
そしてそれを取り囲む大きな状況的にも、二人が今まで通りに一緒に居るのは好ましくないらしい。
こういう事は時間が解決してくれる、そう思ったりもした。
だが、それはまるで彼女の事を忘れるかのようで。
今まで過ごした時間を、笑いあった時間を否定するかのようで。
考えるだけで、たまらなく苦しかった。
「――――どうすりゃいいんだよ」
ポツリと呟いたそんな言葉は、星が輝く夜空へ吸い込まれていった。
今回はここまで! 何か暗いねごめんね。
______
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く ノ ヽ
〉 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| l
| | _____| | 上インSSなのに私の出番がないんだよ
|,厶ア{∧ 丶\ \}\ │
│|/f^r芯\ィr芯ヾVヘ 「 ∧
│ l|〉 V::} V:::} } ヽ小、
ヽ八 .ィ |´ \ ヽ
_}三ミヽ | |> - -=≦/:厶. \ \
|.:.:.:.:. \\|: Ⅳ)/{匸斗-=ニ三三} \}
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じヘ、 \ xヘ//ハ>、 \ て:イ \ \
 ̄`ー─<__ ∧//}/`ー─'^こ>‐┴'⌒\__>
ピピピピッと、部屋に目覚まし時計の電子音が鳴り響く。
現在時刻午前七時。朝練などがない高校生としては、早くもなく遅くもない時間帯だろう。
この部屋の主である上条は、低い唸り声を上げながら腕を伸ばして目覚まし音を止める。
まだ意識がはっきりしなく、視界がぼんやりとしている。
風呂場に比べればベッドの方が確実によく眠れるはずなのだが、何だか疲れがとれていない気がする。
これはこの体がすっかり風呂場に適応してしまったからなのか、何か他の理由があるのかは良く分からない。
といっても、昨日はほとんど一日中ぼーっとしていただけなので、それ程疲れる要素はなかったように思える。
しかし、なにぶん昨夜は寝付けなかった。
理由はもちろん、インデックスの事をどうするか考えていたからだ。
「――っと、あんまりゆっくりもしてらんねえか」
とりあえずベッドから立ち上がると、思いっきり伸びをすると、バキバキと小気味良い音が部屋に響き渡る。
そしてそのまま洗面台に向かい、眠気を覚ますために顔を洗い、歯を磨く。
――何かが足りない気がする。
「…………?」
歯ブラシを口に含みながら、首を傾げる上条。
ひとまず何か忘れてたっけ、と今までの朝について思い出してみる。
そして、すぐに分かった。
(……あぁ、そっか)
インデックスの声がしないのだ。
彼女は相当の大食いであり、朝もおはようの挨拶の後は大抵「ごはんなにー?」だった。
今思えばそれが微笑ましく、思わずクスリと笑ってしまう。
「今日はちゃんと自炊すっかな」
洗面台から戻ってきた上条は、台所にやってくる。
冷蔵庫の中身を確認。相変わらずの氷河期だ。
それでも簡単な野菜炒めくらいなら作れそうで、今なら少しの肉も混ぜられそうだ。
という事で朝食は肉野菜炒め+ご飯に決めた上条は、慣れた手つきで準備を始める。
(そういやインデックスは朝はパン派だったなー…………ってあいつの事考えすぎだろ俺)
フライパンを熱しながらブンブンと頭を振る上条。
これではまるで恋する乙女ではないか、とぼんやりと考えてしまい、それに対して物凄い気持ち悪さを覚えていた。
まさに自爆である。
それからはとにかく心を無にする事に努めた。
しかし、そうやって意識すると中々上手くいかないもので、時折色々な考えが頭をよぎってしまう。
その結果――――。
「……しまった」
上条はフライパンの鉄板部分を眺めながら苦々しげな表情を浮かべる。
別に失敗して丸焦げにしてしまったわけではない。いくら心ここにあらずな状態でも、野菜炒めくらいは作れる。
問題はその量だ。
何も考えずにいつも通り作った結果、それは明らかに一人分ではない量になっていた。
上条は小さく溜息をつくと、とりあえず一人分だけ皿によそって、残りはラップをかけて夜にでも食べることにした。
弁当を作っていたなら、それに加えるというのもありだったのだが、今日は弁当まで作る気になれなかった。
同じ料理を続けて食べるのは何となく飽きそうだが、そこは仕方ない。夜は他の料理もプラスして変化を出すしかない。
料理をリビングに運ぶと、リモコンに手を伸ばしてテレビをつける。
どうやら今日は夕方から一雨来るようなので、傘を持っていったほうが良さそうだ。
まぁ今ではこの予報というのも絶対ではないのだが、まだ信用に足るくらいには当たっている。
「いただきます」
一人分の声が部屋に広がる。
テレビの音量は特にいじっていないはずなのに、いつもよりも大きく聞こえる。
人一人いないだけでここまで静かになるものかとぼんやりと思う。
いないと気付くこともある、滝壺の言ったことはどうやら当たっているようだ。
(つっても、それが何だって話なんだけどな)
上条は軽く息をつくと、手早く食事を済ませて制服に身を包む。
今まで色々な戦場を共にした制服なだけに、まだ一年も使っていないにも関わらずボロボロになってしまっている。
しかし制服というのも買い換えるとなると中々値の張るもので、貧乏学生の上条はすんなりと変えることもできないでいるのだった。
時間を確認すると、もうずいぶんとギリギリになっていた。
実はメールの着信を知らせる光を点灯させているケータイが床に落ちているのだが、気付かずに準備を済ませてしまう。
上条は鞄を肩に担ぎ、部屋の戸締りを確認するとドアノブに手をかける。
若干ドアが歪んでいるのは、どこかの世紀末帝王の彼女さんの仕業だ。
家を出るその時。
上条は習慣でつい「行ってきます」と呟いてしまう。
――――当然、返事はなかった。
お昼近くになると、空はだんだんと雲に覆われ薄暗くなってきた。
上条は窓際の席でそんな空を見上げながらひたすらぼーっとしていた。
といっても、普段もそれ程真面目に授業を受けているというわけではないのだが、この日は特に酷かった。
教科書とノートは一応机の上に出してはいるのだが、教科書は開いておらずノートも白紙だ。
「――――ちゃん? 上条ちゃん!」
「は、はい!?」
そんな言葉に意識を引き戻される上条。
もしや何かの問題を当てられたのかと、全身をビクッと震わせると、勢い良く立ち上がって慌てて教科書を開く。
それも教科書は逆さまというおまけ付きで。
次の瞬間、クラスには笑いの波が広がった。
どうやら特に上条に対して問題を当てたというわけではないらしい。
「え、えっと、もう少し集中してくださいねー?」
「はい、すいません……」
小萌は苦笑いを浮かべながらそう言うと、再び黒板に向き合って板書を始める。
生徒が読みやすいように、椅子を使って高いところまで書いているところは何とも微笑ましい。
上条はバツが悪い様子で席に座ると、小さく息をついて反省する。
この先生には、本当に色々と助けられているので迷惑などはかけたくない。
とにかく今は授業に集中しようと、ようやくノートを取り始めることにする。
しかし――――。
「はぁはぁ……何度見てもヤバイであの姿は…………」
板書をする先生を見て鼻息を荒くしている変態が一名。青髪ピアスだ。
上条はようやく出てきていたやる気を一気に削がれる気がして、忌々しげにそちらを見る。
だが変態はただ親指を立てて、まるで同士であるかのようにこちらを見て何度も頷いていた。
「だから何度も言ってるにゃー。ロリメイドこそ正義」
「あっ、じゃあ先生の写真でコラ作ってくれへん?」
「お安い御用ぜよ!」
「テメェそりゃ盗撮だろうが!!!」
思わず突っ込んでしまった上条。
一連の流れだけ聞けば、一応は至極真っ当な意見だったかもしれない。
しかし、その瞬間にクラスの中の雰囲気が一気に変わった気がした。
なぜか周りから変な目で見られている気がする。
耳をそばたててみれば、何やらヒソヒソと自分のことについて言われている気がする。
「か、上条ちゃーん……?」
引いている。
あの優しい笑顔で全てを包み込んでくれる小萌先生が凄く引いている。
「いや、ちょ、俺じゃないですよ!? おい青ピ、土御門!!」
当然反応はない。
二人共、完全に我関せずを貫いてしまっている。
周りから突き刺さる視線が痛い。
恩師からの哀れみを含んだ視線が痛い。
――――この日も上条は不幸だった。
昼休みになった。
生徒達は各々自宅から持ってきた弁当を取り出したり、購買へパンなどを買いに急ぐ。
特に昼の購買は軽く戦争状態であり、午前中の授業が終わると同時にダッシュしなければ間に合わない。
いつもは弁当派な上条は、今日は購買という名の戦場へ向かうつもりだった。
しかし今立っている場所は購買前ではなく、職員室前であった。
一応軽くノックをする。
中から可愛らしい声で返事が返ってきたので、扉を開けて中に入る。
不本意ながらも今まで何回も入ってきた場所なので、小萌先生、親船先生、災誤先生の机を見つけるのは簡単だ。
「はいはい、お昼休みに申し訳ないのですよー」
ニコニコと笑みを浮かべながら小萌は椅子を回してこちらと向き合う。
机の上は書類やら何やらが乱雑に積まれている。片づけられない女性といったやつだろうか。
「言っときますけど、俺盗撮なんて……」
「ふふ、違いますよー。そのくらい先生は分かってます」
「へ?」
ここに呼ばれた理由は十中八九その事だと思っていたので、思わず間抜けな声を出してしまう。
腹いせに青ピと土御門をぶっ飛ばしてから、ここにやって来たというのに。
「上条ちゃん、とっても元気がないのです。先生としてはほっとけないのですよ」
「あー、えっと」
「シスターちゃんの事ですね?」
「それは……」
何とか誤魔化そうとしてみるが、小萌の目を見るかぎり無理な気がする。
上条はしばらくその目をじっと見ると、観念したように目を閉じる。
「――俺が、自分で決着つけなきゃいけないことだと思うんです」
「そうですか……」
小萌は少し寂しそうな表情をするが、すぐにいつもの明るいものに戻す。
「上条ちゃんがそう決めたのなら先生は口出ししません。でも――――」
小萌はそこでいったん言葉を切ると、とびきりの笑顔を向ける。
それは見る者全てを安心させるもので、こんな顔をする事ができるあたり、この人は本当に教師に向いていると思った。
「後悔だけは、しないでくださいね」
教室に戻ってきた。
職員室の帰りに購買に寄ってみたりもしたのだが、案の定全て売り切れ。
このままでは昼抜きという地獄を味わうことになりそうなので、誰かから恵んでもらうことにした。
「ふっふっふー、いかにカミやんでも舞夏の弁当はやれんにゃー!!」
「あっはっはー!! 残念やけどもう全部食べてもーたわ!!」
最初からあまり期待はしていなかったが、やはりこの二人は頼りにならない。
そこで、ここはさっそく本命の元へ向かおうとするが――――。
「これでいいならあげるわよ」
そんな声に振り返ってみると、そこには呆れたような顔をしている吹寄制理がいた。
手にはいつもの「能力上昇パン」がにぎられている。
上条はそんな吹寄に少し驚く。
「えっ、あぁサンキュ……」
「ん、何よその顔は」
「いや、まさか吹寄がくれるなんてなーって」
変に機嫌を損ねないように、慎重に尋ねてみる。
吹寄は「そんな事か」というように、その長い黒髪を軽くいじる。
「別に授業中にお腹グーグー鳴らされるのが迷惑なだけよ」
「おぉ!! それなんてツンデレ?」
ゴンッという鈍い音と共に青髪ピアスが床に倒れる。ついこの間もこんな光景を見た気がする。
吹寄はふんっと鼻を鳴らすと、まるで凶器でも突き付けるかのように、こちらにパンを差し出す。
上条はそれを苦笑いを浮かべながら受け取ると、とりあえず自分の席に戻る。
すると、意外なことに吹寄もついてきた。
「………………」
「………………」
「……あの、そうやって見られていると食べづらいのですが」
吹寄は上条の机の上に座っているのだが、ただじっとこちらを見ていた。
これは上条としてもとても気まずい。
しかも周りの男から何やら憎しみを込めた視線も送られている。
ちなみに能力上昇パンはほとんど味が無い。
それに幻想殺しを持つ上条には、能力上昇なんていう効果も期待できないだろう。
もっとも貰えたことがありがたいので、そんな事は一言も口には出さないが。
「能力上がりそう?」
「全然」
「な、何かないわけ!? こう、体の奥底から沸き上がるパワーみたいな!!」
「全然」
「なっ……貴様の気合が足りないのよ! もっと本気出して食べなさい!!」
「いやいや本気って何だよ! あっ、分かった! 吹寄お前これ効かないから俺で実験してるんだろ!」
「なななな何のことかしら?」
分かりやすく目をそらす健康器具マニア。
やはりというべきか、このパンの効果は薄いらしく、問題は自分なのかパンなのか上条で試しているという事だろう。
「あのなー、こんなモンで簡単にレベル上がったら誰も苦労しねーだろー」
「うぐ……そんな事分かってるわよ!」
「いいや分かってないね。だってお前どうせ他にも色々……」
「う、うるさいわね! いいから早く食べなさいよ、もう一種類あるんだから!」
「やっぱり他にも買ってんじゃねえか!!」
そうやって、いつも通りのぎゃーぎゃーと騒がしい昼が過ぎていく。
記憶喪失の上条は、自分の居場所というものをかなり気にしたりするのだが、ここはそういった心の落ち着く場所となっていた。
もちろん、勉強大好き秀才君というわけではない。あくまでこの雰囲気が好きなだけだ。
吹寄から貰ったパンを食べ終わった上条は、満腹とは言えないがそれなりの満足感は得ていた。おそらくこれで昼の授業は何とか生き残れるだろう。
対する吹寄も、なぜか満足気な表情でこちらを見ていた。
「――まっ、そのくらいいつも通りになれば大丈夫ね」
「……やっぱ俺暗かった?」
「暗かったってより、心ここにあらずって感じだったわね。いつも以上に」
「いつもはそんなんじゃねえだろ!」
一応は否定するが、確かにまともに集中して授業を聞くという事は少ない上条。
加えてそうやって周りの人間に気を使わせていたのかと、少し申し訳ない気持ちになる。
「まったく、あの子が居なくなって寂しいのは分かるけど、しっかりしなさいよね」
「ぶっ!? お、お前何言って……」
「違うの?」
「………………」
違くはないのだが、素直に頷くのも何か躊躇われる。
吹寄はそんな上条の気持ちなどはお見通しなのか、やれやれといった感じで溜息をつく。
「それなら電話でもしてあげればいいじゃない。『お前の声が聞きたかったんだ』とかさ」
「んな事言えるか」
「じゃあ『今から会いたい!!』とか?」
「ドラマの観過ぎだろ……」
普段からツッコミ役が多い上条だが、吹寄がボケる事は珍しいため次第に疲労感が増してくる。
まぁ本人からすればボケているつもりはなく、至って真面目なわけだが、そこが余計にやっかいだったりする。
上条は、視線を吹寄から窓の外の暗い空に移して口を開く。
「そもそも連絡も取れねえんだ。理由は色々あるんだけどさ」
「え、そうなの?」
とにかくこの話題を終わらせたい上条は渋々といった感じで話す。
当然、魔術云々というのは話すつもりはない。話したとしてもどうせ信じないだろう。
しかし、これだけでは吹寄の勢いは止まらなかった。
「それじゃ受験休みにでも、直接会いに行っちゃえば?」
「イギリスにか?」
「うん。そんな女々しく悩んでるくらいなら乗り込んじゃったほうが貴様らしいわよ」
「その通りだにゃー!!」
「いっ!?」
いきなり横から割り込んできたのは土御門だ。
この男はそこら辺の事情を全部知っているくせに、なぜかノリノリである。
また疲れる奴が増えた……と内心頭を抱える上条。
「おい土御門……」
「男は黙って正面勝負ぜよ! さぁカミやん!!」
「そうよ、たまには良い事言うわね」
「ふっふっふ。この土御門さんの言う事に間違いはないんだにゃー」
「………………」
もはや「お前は天邪鬼だろ」というツッコミすら言う余力もないほど疲れきってしまった上条。
その後はしばらく二人の言いたいようにさせて、なるべく口は挟まずに精神状態の回復を図ることにした。
その頃、教室のどこかで「私の出番……」と呟いている黒髪の少女が居たとか居ないとか。
授業が全て終わり、学校を出る頃についに雨が降り始めた。
それもパラパラといった小雨ではなく、ザァーとまるで夏の夕立のような大雨だ。
いくら天気予報で分かっていたとはいえ、少し気が滅入る。
上条はスーパーの前にいた。
こんな雨の日でも、貧乏学生としては特売を逃す訳にはいかなかったのだ。
その成果として、手には鞄の他に食材などが入ったビニール袋が下がっている。
(……順調だ)
上条はここまでの成り行きに疑問を持っていた。
今のところ、突然の突風で傘が壊されることもなく、トラックに水を引っ掛けられたりもしない。
こんないかにも最終的にはびしょ濡れで帰ることになりそうな日に、今だ正常な状態でいられることが不思議だったのだ。
それだけにここから寮までの道のりは特に警戒することにする。
なにせ今はスーパーでの戦利品もぶら下げているのだ。何としてもこれだけは死守したいところである。
しかし突然上条は立ち止まってしまう。目はただある一点を捉えていた。
「――――そう上手くもいかないか」
うんざりとした様子で溜息をつく上条。
その理由は、複数の男達によって路地裏に連れ込まれる女の子を見つけてしまったというものだった。
こんな雨で、しかも完全下校時刻近くで辺りも相当暗いのに良く見つけたものだと、もはや少し自分に感心してしまう。
見なかったことにするという選択肢はない。
相手と何の繋がりもなくても、助けたいと思ったら助ける。それが上条当麻だ。
「まぁまぁ大人しくしろって」
「ちょっと雨宿りできるとこ案内してって言ってるだけじゃん!」
「わ、私は……」
路地裏はさらに暗く、近くで見なければ人の顔も良く分からない程だ。
相手は五人。どれもこれも格好から見るにチンピラというやつだった。
雨の日まで平常運転というのは、それだけ暇なのだろうか。
まるで獣の様に女に飢えているのか、上条が路地裏に足を踏み入れてもチンピラ達は気付かない。
ここで遠距離から敵をまとめて攻撃できる能力があればなー、などとぼんやりと考える。
「おーい、こんな所にいたのかよー!」
もはやお決まりとなった言葉でとりあえず自分の存在をアピールしながら、少女の手を取る。
それに対してチンピラだけでなく少女までもが目を丸くして呆然とするしかない。
これももはや慣れた光景だ。
「いやー、ツレがお世話になりましたー。ほら、行くぞ」
「え……え……?」
チンピラ達の間をくぐって、今だに混乱してる少女はされるがままに路地裏の外へと連れ出される。
「お、おい!!! 何やってんだテメェ!!!」
ここで、ようやく何が起きているのか理解したのか、チンピラ達が一斉にこちらへ向かってくる。
その目を見る限りまだ混乱しているようだが、とりあえずこの場に女成分が無くなる事には気付いたのだろう。
そこで作戦の第二段階である。
「ったく、いいかテメェら。どいつもこいつもそんなゴリラみてえな顔で女の子囲んでんじゃねえよ!! 動物園でバナナでも食ってろ!!」
「………………」
チンピラはポカンとしていた。やはり脳の処理速度が少し遅いのかもしれない。
だが、次第に雰囲気が変わっていく。
おそらく上条の放った言葉の意味をだんだんと理解していっているのだろう。次第に顔が赤くなっていき、プルプルと震え始める。
ここまできてやっと作戦成功だ。
「「ぶち殺すぞオラァァあああああああああああああああああああああああ!!!!!」」
五人一斉に血走った目で走ってくる。
もちろん、それを待ってやる義理もない。すぐさま傘を放り投げてダッシュで逃げる。
こういった輩の頭の構造は実に単純だ。とりあえず煽っておけば狙いは女の子からこちらに変わる。
実益やらなんやらよりも、その無駄に高いプライドの方が大事なのだろう。
路地裏をひたすら走りながら、時々後ろを確認するのも忘れない。
どこで拾ったのか、いつの間にかチンピラ達は全員鉄パイプを手にしていた。
といっても、こういった運動にはそこそこ自信があるので、追いつかれることはまずない。
しかし、こちらを見失うほど離してもいけない。もしかしたらそれで標的を女の子に戻すかもしれないからだ。
最終的な目標は、この状態をずっと続けて相手を全員バテさせるのだ。
「テメェ逃げんのかコラァァ!!!」
「止まれクソ野郎!!!」
今日は雨のせいもあってかなり冷える日だが、走っていればそんなものは関係なかった。
むしろ、火照った体に冷たい雨が気持ちいいくらいだ。
まぁ後々の事を考えればこのびしょ濡れの体や鞄、ビニール袋はあまりよろしくないのだが。
それでもこうやって走っていると、彼女の事を色々考えなくても済み、とても清々しかった。後ろから聞こえる罵声は、シャットアウト。
そんな事を考えてる内に、どうやら後ろのチンピラ達はもう相当バテバテになっていた。
そろそろ相手は足より口が動くようになるはずだ。
「げほっ……こ、のチキン野郎がぁ!!!」
「待ち、やがれ……オラァァ!!!」
もはや息も絶え絶えになっている。
そうやって怒鳴ると余計疲れるのだが、そういう所までは頭が回らないのだろう。
上条はそろそろ終わりだな、とさらにスピードを落として様子をうかがう。
その時――――。
「この偽善者が!! 女一人助けてヒーロー気取りか!?」
「そうやって女の気を引こうってか!? それともただの自己満キチガイ野郎か!?」
「テメェみてえな気持ちわりい奴、誰も一緒にいようとは思わねえよバーカ!!!」
足が、止まった。
いつもなら軽く聞き流したはずだ。そのまま少し走って、相手が疲れて動けなくなったのを見て寮に帰ったはずだ。
だが、なぜかそれができなかった。
普段は雑音以下にしか聞こえない罵声が、正確に耳を通って脳に突き刺さる。
胸がざわつくのを感じる。 雨の音がやたら大きく聞こえる。
何も考えることができない。ただただ体の熱とは無関係に、頭が沸騰していくのが分かる。
いつの間にか握りしめた拳が震える。
次の瞬間、上条はスーパーの袋も学生鞄も汚い路地裏の地面へ投げ捨てていた。
それらが落ちる前に、足が前に踏み出される。全力疾走でチンピラ達の元へ向かう。
ぐんぐん差が縮まる。チンピラ達はこの展開を望んでいたにも関わらず、ギョッとしていた。
それだけ上条の表情は鬼気迫るものがあった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああ!!!!!!」
体中の力を振り絞って叫ぶ。同時に拳を振りかぶる。
もう上条とチンピラ達との距離はなくなっていた。お互いすぐに手の届く場所にいる。
相手は疲労のせいもあるのか、反応が遅れた。その一瞬を突き、上条の拳はチンピラの内の一人の顔面を捉える。
「ごああああああああ!!!!!」
その衝撃でチンピラは鼻血をまき散らしながら後ろへ吹っ飛ぶ。それによって他の者達もよろける。
元々上条は三人以上を相手にボコボコにできるような力はない。
しかしこの狭い路地、そして相手の疲れなどを考えるとそれも変わってくる。
上条の一番近くに居た別のチンピラが鉄パイプで殴りかかってくる。
だが遅い。体を少し逸らすという必要最低限の動きで難なくかわすことができる。
その間に他の者の攻撃もこない。ここは狭いのであまり好き勝手に鉄パイプを振り回す事もできないし、場所をとることもできないのだ。
殴りかかってきたチンピラの顔面にカウンターで右ストレートをぶち込む。
今まで何度も経験したクリーンヒットの感触が拳に伝わる。
そのまま振り抜くと、相手は一人目のチンピラよりも派手に、まるで竹とんぼのように宙に舞った。
その飛ばされた体によって、残り三人のチンピラが再びよろける。
そこを上条は見逃さない。
すぐに一番近くにいたチンピラの懐に潜り込むと、肘を思いっきり鳩尾にねじ込んだ。
「―――――ッ!!!」
相手の口からはもはや声もでない。そのまま膝をついて苦しむしかない。
ちょうどいい位置に相手の頭が下りてきたので、そのまま蹴り上げて止めを刺す。まともに顎に食らった相手は仰向けに倒れてピクピクと痙攣し始めた。
残り二人だ。
チンピラの鉄パイプの横スイングが顔面へ向かってきたので、少し後ろへ仰け反って避ける。
こんな場所では、横に振るより縦に振った方が仲間の邪魔にならずに済むのだが、そこら辺はあまり考えていないらしい。
その結果、もう一人のチンピラの方は続けて攻撃も仕掛けられずに、味方の攻撃を慌てて避けるしかない。
チンピラの振った鉄パイプは上条が避けた事により、ガン!! という音と共に脇の壁にぶつかり、取り落としてしまう。その音から察するに、おそらく手は相当しびれているだろう。
もちろん、そんな隙を見逃すほど今の上条はお人好しではない。
左手で相手の胸元を掴んで引き寄せると、顔面めがけて強烈な頭突きをお見舞いした。
「ああああああああああああ!!!!!」
チンピラは地面に倒れて鼻を押さえてジタバタと悶え苦しむ。見れば鼻の骨が砕けたのか、尋常じゃない量の血が出ている。
それだけの勢いの頭突きだったので、上条の頭の方もズキズキと鈍く痛む。
その時、チンピラの最後の一人が鉄パイプを思いっきり振り下ろしてきた。
先程わざわざ頭突きを選択した理由はここにある。
いつも通り右ストレートで倒した場合、その後すぐの攻撃に備えるのが難しい。それなりの威力を出すには体全体をひねる必要があるからだ。
しかし、頭突きを使えば両手はすぐに使えるし、体で最も硬い部位ということもあって威力も申し分ない。
上条は振り下ろされた鉄パイプを横から軽く叩いて軌道を逸らす。これは今までの戦いの中で右手で異能の力を逸らすという事をしている上条からすれば難しくはない。
攻撃をいなされた相手は完全に無防備な状態になる。
すかさず上条は拳をより一層固く握り締めると、その顎に右アッパーを叩き込んだ。
相手は跳ね上がり、仰向けに地面に落ちる。その時地面に思い切り頭を打ち付けたようで、悶えることもなく気絶していた。
上条は肩で息をしながら、目の前の光景をただ見つめる。
チンピラ五人は全員汚い泥水にまみれて、路地裏の地面に倒れていた。
ある者は血まみれでもがき苦しみ、ある者はピクピクとただ痙攣しており、ある者はピクリとも動かない。
こうして全員を痛めつければ、この胸のざわつきも収まると思っていた。
しかし実際はそんな事もなく、ただ虚しさだけが加わっただけだった。
「…………はは」
降り注ぐ雨に逆らうように空を見上げた上条は小さく笑う。雨水が頬を伝い、まるで泣いているかのようにも見える。
どうすればいいかも分からず、こんな暗い路地裏で、ただチンピラ達とケンカすることしかできない。
そんな自分がどうしようもなくくだらない存在に思えて、笑うしかなかった。
ただただ雨空を見上げるその姿は、端から見ればまるで神様に答えを聞いているかのようだ。
当然、答えは返ってこない。
「死ねオラァァ!!!」
ガン!! と、突然大きな衝撃が上条の頭を襲った。
あまりに急な事に、上条は今の状況を頭で整理できずにただひたすら混乱する。
とにかく頭が割れるように痛い。視界のブレも一向に収まらない。
フラフラとよろけながら頭を抑えて振り返ってみると、そこには新たなチンピラ達がいた。数にして十人。
一番前にいる男は怒りの形相で血の付いた鉄パイプを握っている。
ドロッと頭から雨水以外の何かが頬を伝う。それが自分の血だという事くらい確認しないでも分かった。
「テメェよくもやってくれたな」
「生きて返さねえから覚悟しとけよ」
ぼんやりとした頭で、おそらく先程のチンピラ達の仲間か何かだという事を理解する。
しかしそれが分かった所でどうしようもない。
足元は相変わらずふらつき、脇の壁に手をつかなければまともに立つこともできない。
「おらよっ!!!」
腹に膝蹴りをもらう。胃をがねじれたようになって強烈な吐き気が襲い、両膝をついてしまう。
次の瞬間にはその顔を思い切り蹴り飛ばされる。口の中が切れた感触がし、血の味が広がる。
もはや上条は起き上がることもできずに、地面に突っ伏して咳き込むことしかできない。
口からは赤い血が吐き出され、地面の水たまりと混ざっていく。
「ごほっ、がはっ!!!」
「これで終わりだと思ってんじゃねえだろうなぁ!?」
横腹に蹴りが入った。
少しでもダメージを減らそうと、蹴られると同時に転がって威力を分散させようとするが、追いかけられ踏みつぶされる。
それを期に、チンピラ達は一斉に上条の周りに群がり、足で踏みつけたり鉄パイプを打ち付けたりする。
上条はひたすら痛みに耐えるしかない。
視界は真っ暗に覆われ、音も自分が踏まれる音や鉄パイプがぶつかる音しか聞こえない。
次第に意識が遠のいていく。
その時――――。
「「ぐァァああああああああああああああああああああ!!!!!!」」
バチバチ!! という音と共に暗くなっていた視界が、青白い光で覆われる。
音がやんだと思えば、何かが焦げた匂いと共にバタバタと人が倒れていく音がする。
上条はそれだけで誰が来たのかが分かった。今まで何度も見た能力だ。
しかし、分かった所で声が出ない。無理に出そうとするが吐き気が襲い、再び血を吐き出す。
視界は相変わらず焦点が定まらずぼんやりとしており、耳もだんだんとその機能を失い、雨の音さえも遠くなっていく。
それでも、ほとんど見えなくてもほとんど聞こえなくても、不思議と相手がどんな顔をしているのかが分かる。
自分が濡れるのもお構いなしに、傘を差し出してこれ以上雨に打たれないようにしてくれているのが分かる。
「――――何やってんのよ、アンタ」
意識を失う直前。
少女の悲しげで小さな声を聞いたような気がした。
今回はここまでー。ここがどん底……なはず。
/ ´ __ ...-── ┐
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: : : : : : : : : : : : |/ / .:.-‐…1、 ィ ヽ ヽ:Vヽヽ ` ー‐‐'´ヽ おうよ
: : : : : : : : : : : : : : __> テ イ ナ∨:! イ | | ⌒l f:j〉 ノ⌒ヽ
: : : : : : : : : : : : : : : ーァ / / | /==ミ |/∧|ヽノ ノ __ r‐、_ ... /⌒ハ:` .
: : : : : : : : : : : : : : : . / ィ / イ f:ハ ! ーゝ' ´ ‐‐!'´ / / ハ::` .
: : : : : : : : : : : : : : : : ...... //イ|/ | 从 ぅ:j ヽ _ >-ァ′ / / / !ヽ::\
: : : : : : : : : : : : : : : : ::/ /:| | ゝ | ノ /.′ r ´ / / /| |: : :丶
_____: : : : : : : : : : : :' / rj | 、、、 ! r′ || | レ l: : :::: !
 ̄ ̄ ̄ ̄ ´ /ー | | _ ィ , ゝ弋ノ弋jノ /: : : ヽ|
/ー‐┤ | 「 ヽ/ / ! ! イ: : : : : : : :|
ー ── 一 /: / | | ー‐' / .| ) /ノ‐: : : : : : : !
/: /ヽ | ト . / r‐/r‐く_ /イ: : :./⌒ : : :./
/:_-イ\ ヽ| | イ 丁  ̄ _/ /  ̄ ̄ ヽ! i: :../ : :/
..- ァ― ''´イ' |!'、 \! |):::〉: | r / /____ _ \
ぼんやりとした視界に見慣れた天井が広がる。
体は暖かく、冷たい雨に打たれてる時とは大違いだ。
見慣れたと言ったが、ここは自分の部屋というわけではない。
いつも戦いの後に大抵入院するはめになる例の病院だ。
もうここの看護婦さんにはバッチリ覚えられており、完全に常連と化している。
この年で病院通いというのも何かアレな感じだが。
頭を動かさずとも目を動かすだけで、そとからオレンジ色の光が差し込んできているのが分かる。
どうやら夕方頃のようだ。
上条は少しの間ただぼーっと白い天井を眺める。
あれ程の大喧嘩をやっておきながら、何か実感が沸かない。
まるであれは夢の中の出来事のようにさえ思えた。
「あ、起きた?」
気絶する直前に聞いた、あの声が聞こえる。
首を向けてみると、やはりそこには常盤台中学の制服に身を包んだ御坂美琴がいた。
美琴はベッドの近くにパイプ椅子を持ってきており、そこに座っている。
普段は何かと不機嫌な表情を見ることも多い気がするが、今はとても穏やかな表情をしている。
いつもは厳しいが、風邪を引くと優しくなる親のようなものなのか。
「御坂、か。…………つっ!!」
体を起こそうとする上条だが、その瞬間体中に鈍い痛みが広がり、中途半端な姿勢で硬直してしまう。
美琴はそれを呆れた目で見ると、上条を静かにベッドに押し戻した。
「ったく、無茶すんなっての。ほら寝た寝た」
「いてて……どっか折れてんのかこれ」
「奇跡的にそういうのはないらしいわよ。ホント運がいいんだか悪いんだか」
あれだけ鉄パイプで殴られたのにどこも折れていないというのは、見方によっては運がいいのかもしれない。
しかし本当に運が良かったらそもそもこんな事にならないはずである。
と、そこで上条は何か嫌な予感を覚える。
「……もしかして俺、結構眠ってた?」
「そうでもないわよ。アンタがここに運ばれたのは昨日のこと」
それを聞いてほっと安堵する上条。
ただでさえ学校の出席状況が危ないので、そんなに長い間寝ている場合ではないのだ。
美琴も上条の出席状況は知っているので、何に対して安堵しているかくらいは分かっているようだ。
だがそれが、いつもの上条の人助け精神のせいだという事も検討が付いているので、やはり呆れるしかない。
「そうだ、リンゴ食べる? 剥いたげるわよ」
「……できんの?」
「できるわよ失礼ね」
美琴は近くの棚にあった、お見舞いの品と思われるリンゴを取って果物ナイフで剥き始める。
以前に白井に「あの殿方も家庭的なタイプが好みでは?」などと言われたこともあって、そういった所を見せるチャンスだと思っていることは秘密だ。
上条はそんな美琴の様子を若干驚いたように見つめる。
「お嬢様ってのはそういう事できないイメージだったけどな」
「あのね、ウチの母とか見たでしょ? 元々そういう柄じゃないわよ」
「あー、確かに。…………てかさ」
「ん?」
「俺が起きるまで何してたんだ? 何か来たばっかでもないみてーだし、暇だったろ」
「ッ!!」
ビックゥ!! と全身を震わせて動揺する美琴。もちろん手元も狂ってグシュという音と共にリンゴの皮だけでなく身まで切ってしまう。
実は来てから暇なんて事はなく、ずっと上条の寝顔を眺めながら、しかも写メまで撮っていたのだが、それを正直に話すことなんてできない。
もしそんな事をすればおそらくここの医療機器は全滅することになるだろう。
「ほ、本!!! 本読んでたの!!!」
「お、おう、そっか」
あまりの美琴の剣幕に押される上条。彼女の顔はその手にあるリンゴといい勝負なくらい真っ赤だ。
しかし、いつぞやの時のようにまた能力が暴走されるのも勘弁してほしいので、これ以上は追求しないことにする。
その間にどうやらリンゴは剥き終えたらしい。
「できたわよ」
「おお、サンキュ。…………って御坂さん?」
「な、なによ?」
「いえ、なにゆえリンゴを刺したフォークをこちらに向けているんでせう?」
「だ、だってアンタ動けないじゃない! だから……」
「い、いや、少し手を動かすくらいなら……」
「何よ! 人がせっかくやってあげてるのに!!」
簡単に説明すると、「はい、あーん」状態だった。
もちろん上条も健全な男子高校生だ。こういう状況が嫌だというわけではない。
問題なのは、彼女の手が物凄く震えていて、まともに口の中に入るとは思えない事だ。
だが美琴の方も途中で止めるつもりはないらしく、早くしてくれと目で訴えている。真っ赤な顔で。
そんなに恥ずかしいなら止めればいいのにと思うが、おそらくそれを言っても聞き入れないだろう。
「じゃ、じゃあ……」
観念したように、上条は口を開けた。
それを見て、美琴はさらに顔を赤くしてゴクリと生唾を飲む。
震える手が動き、高速で振動するリンゴが近づいてくる。
上条はそれを、冷や汗をダラダラと流しながら見つめる。まるで死刑執行を待つ囚人のようだ。
リンゴが上条の口に辿り着くまで残り数センチ――――。
「お見舞いに来たでカミやーん!!!」
「入院中暇だろうから、エロ本持ってきてやったぜい!!」
某スタンド能力が発動したみたいに時が止まった。
美琴はリンゴを上条の口に入れる直前で、上条はそれを待っている状態で完全に停止していた。
そしてそれは訪問者である青髪ピアスと土御門の方も同じで、凍りついたようにピクリとも動かずに固まっている。
誰も話そうとしない。ただ気まずい沈黙だけが広がる。
あまりの突然のことなので、上条も美琴も言い訳も何も考えつかない。
そもそもこんな状態で言い訳もクソもないのだが。
少し考えれば分かることだった。
超絶不幸体質な上条当麻が、こんなピンクの幸せ空間を維持できるわけがない。
しばらくして、沈黙を破ったのは訪問者の方だった。
「「退院したら、覚悟しとけよ」」
バタン、と。扉が閉まった。部屋を後にする二人に後ろには何か黒いオーラも見えた気がする。
これで退院後の運命は決まった。
「中学生に手を出したすごい人」の称号の獲得と、クラスメイトからの集団暴行だ。
「うふ、うふふふふふふふふふふふふふふふ」
もはや気持ちの悪い笑いしか出てこない。人間、ある一定ラインを超えると笑いが止まらなくなるものだ。
美琴はそんな上条を心配そうに見ていた。
リンゴは自分で食べた。
「それで? どうしてあんな事になってたのかしら?」
少しして、美琴は呆れたような表情で聞いてきた。
その真面目な表情から、おそらく先程の訪問者についての話ではなく、昨日の事だ。
上条はすぐには答えられず、黙りこんでしまう。
しかし、助けられたということもあるので、何も答えないというのはなしだろう。
「……いつもの不幸だろ。それよりサンキューな、助けてくれてさ」
「どういたしまして。でも話逸らしてんじゃないわよ」
「何を言って……」
「確かにああいう奴等に絡まれるのは珍しくないのかもしれないけど、アンタはそういう奴等と正面からケンカするような奴じゃないでしょ」
「別に、ただちっと気が立ってただけだ」
嘘は言っていない。
あのチンピラ達の言葉にカッとなったのは本当だからだ。
美琴はそんな上条をじっと見ると、小さく溜息をつく。
「ムシャクシャしてやりましたって? そんなんじゃただの不良じゃないのよ」
「……お前も人の事言えないだろ」
「何か言った?」
「何でもないです」
美琴の目にキラリと恐ろしい光りが宿ったのを見て即答する上条。
「どうせ、あのシスターのことでしょ」
「あいつは……関係ない」
「ウソね」
「………………」
年下の中学生にまでバッチリ見破られてしまい、軽く落ち込む上条。
当然美琴はそんな様子を見ても追求を緩めるつもりはない。
「つか、あのパーティーも途中からどこ行ってたのよアンタ。ケータイに連絡しても出ないし」
「えーと、そういやケータイとか全然見てなかったな……」
美琴はパーティー中もその後も電話やメールで連絡を取ろうとしていた。
しかし、上条は土御門に気絶させられたり、その後ぼーっとしてケータイを家に置きっぱなしにしたりしていた。
そういえばあの時美琴は何か聞きたいことがあるとか言ってた気がする。
おそらく誤魔化しきれるものでもないので、ここは正直にあった事を全部話すことにした。
今では一応美琴も魔術関係は少しは理解しているので、話しても問題ないだろう。
美琴は口を挟まずに黙って聞いていた。
「……なるほど」
「今回俺がイラついたのもそれ関連だって事は認める。けど、どうしようもねえじゃねえか」
「………………」
上条の言葉を聞いているのかどうか怪しくなるくらい、美琴は何かを考え込んでいる。
それを見て話しかけるのも躊躇われたので、自分も天井を眺めながらこれからどうすればいいのか考える事にした。
コチコチと、時計の秒針が時を刻む音だけが病室に広がる。
上条は依然として、今の自分の状態の解決方法が思い浮かばなかった。
一番簡単なのは、上条自身が彼女の事を忘れる事だと思う。
もちろん、今までの出来事を全て無かった事にするというわけではない。
思い出は心の中に取っておいて、「会えなくても心は繋がっている」なんてキザな事を言えればベストだ。
しかし、上条にはそれができない。
インデックスが居ない、もう会えないかもしれないという事実だけで、心がねじ切れそうになる。
自分はこんなにも彼女に依存していたのかと、無性に情けなく感じてしまう。
そんな感じに沈んでいると、コンコンというノックの音が聞こえてくる。
扉を開けて入ってきたのは看護婦さんだった。
「もうそろそろ完全下校時刻ですよ」
「はい…………」
一応は返事をする美琴だが、まだ何かを考え込んでいるのか完全に上の空と言った感じだ。
その頭の中で何を考えているのか、上条には見当もつかない。超能力者(レベル5)の優れた頭脳で何をここまで考え込んでいるのだろうか。
看護婦さんはそんな美琴の様子を見て、クスクス笑っている。
「ふふ、そんなに彼氏さんの側に居たいの?」
「はい…………ってええ!? かかかかか彼氏!?」
「落ち着け落ち着け」
美琴の前髪からパチパチと火花が散り始めていたので、頭に右手を置いて打ち消す。
最近、このお嬢様はこういった能力の暴走が多い気がする。
レベル0である上条にはピンと来ないが、能力の暴走というのは能力者から見ればかなり恥ずかしいことだと聞いた事がある。
だが美琴は気にしていないのか、それとももう開き直っているのかは分からないが、お構いなしだ。
「にゃ、にゃに人の頭に手乗せてんにょよ!!」
「お前がバチバチいってるからだろ!! つか言葉も何かおかしいぞ!?」
「何もおかしくなんかにゃい!!!」
その後もしばらくぎゃーぎゃーと騒ぐ二人。
看護婦さんは微笑ましくしているが、ここが一人部屋でホントに良かったと思う上条。
まぁ上条の病室が騒がしくなるのはいつものことなので、そこら辺は病院側も考えているのだが。
結局、美琴は門限をぶっち切るはめになり、鬼の寮監に首を刈られる事になったとか。
上条は次の日の夕方には退院した。今は寮に帰る途中である。
本当は朝に退院して学校に行っておきたかったのだが、カエル医者のOKサインが出なかったのだ。
一応担任の月詠小萌に確認してみると、どうやら補習の量を増やす事でまだ何とかなるらしい。
とりあえず骨折という所まではいっていないのだが、まだまともに歩こうとすると痛みが凄いので松葉杖を使う。
一方通行と最初に戦った時に入院した時も、費用やらインデックスの腹の事やらで、こうして早めに退院した気がする。
あれから半年程経つが、やっていることはほとんど変わっていないようだ。
服は入院した時に土御門が持ってきてくれたらしい自分の私服である、青のフード付きパーカーを着ている。
それ自体はありがたい事なのだが、どうやって部屋に入ったのかは突き止める必要がありそうだ。
まぁあの男のことだ、ピッキングなんかやってても全く驚かないが。
外はもう日暮れということでだいぶ肌寒い。
今はオレンジ色の光が街を照らしているが、これもすぐに失われて夜を迎えるだろう。
「うぅー、寒いわね。やっぱり今日はお鍋にして正解だったわ。楽しみにしてなさい」
「…………あの、御坂さん?」
隣には常盤台中学の冬服に身を包んだ御坂美琴が居る。
手袋を忘れたのか、寒そうに両手を擦り合わせているが、そこはたいした問題ではない。
こうして隣を歩いて、腕には上条の制服などを入れた紙製の袋がぶら下がっているが、そこもまぁいいだろう。
だが美琴のこの口ぶりは何かが引っかかり、そこだけは無視できない。
これではまるで、上条の母親か妻のような感じがする。
「あ、食材とかはアンタの部屋に置いておいたから買い物とかはしなくても平気よ」
「……は?」
「あと一昨日アンタが買った食材も、無事なのは冷蔵庫に入ってるわ。もちろん、卵とかはダメだったけど」
「ちょ、待て待て待て!!」
上条が呆然としている間に、美琴はどんどん話を進めてしまうので慌てて遮る。
ツッコミどころが多すぎて、まず何から言えばいいのか分からない。
美琴の方はというと、きょとんとした顔でこちらを見ていた。
「まず、食材云々はサンキュー。助かった」
「別にいいわよ。大したことじゃないし」
「よし、じゃあここからが本題だ。まずどうやって俺の部屋に入ったんですか?」
「え、隣の部屋の土御門のお兄さんに合鍵を……」
「何勝手に作ってやがんだアイツはァァあああああああああ!!!!!」
思わず夕暮れに染まる空に向かって吠える上条。
周りの人達も何事かとこちらを見るが、そんなのは気にならない。
「アンタ知らなかったの? 私はお互い了承しているものだと思って、ちょっとアンタがそっち系の気があるのかって……」
「ねえよ!? 誰があんな奴に合鍵なんか渡すか!!」
「そ、そう」
考えてみれば、男に自分の部屋の合鍵を渡すというのはそういう事だと思われてもおかしくないのかもしれない。
上条は別に同性愛者に偏見とかは持ってないが、自分がそう思われるのは勘弁してもらいたい。
対する美琴はどこか安心したような表情をしていた。
「それじゃあ質問その2!! なんか御坂さんがウチで料理するみたいな流れになってる気がするのですが、気のせいでしょうか!?」
「そ、それ意外に何が考えられるのよ」
「ダメ!!!」
松葉杖を脇に挟んだまま、両手でバッテンを作る上条。
「何でよ!!」
「男子寮に女の子連れ込むとか他の奴に知られたらどうなんだよ! ただでさえ昨日の事もあるってのに!」
昨日の事というのは、あの「はい、あーん」を土御門と青髪ピアスに見られた事だ。
あれだけでも学校でどんな制裁が待っているのかも分からないのに、その上部屋に連れ込んだともなると完全に終わりだ。
というかそういうのがなくても、夜に男子高校生の寮に女子中学生を招き入れるというのはアウトにしか思えない。
まぁインデックスの事があるので今更感はあるのだが、だからといってすんなりと良しとする事もできない。何せ相手は常盤台のお嬢様だ。
「あー、そういえば土御門のお兄さん、私が合鍵貰った時も何かブツブツ言ってた気が……」
「そうだった!! そこでもうアウトじゃねえか!!!」
気付かなければ良かったとばかりに頭を抱える上条。
「だいたい、アンタあのシスターと同居してたじゃない! 何で私はご飯作りに行くのもダメなのよ!」
「そ、それは……でもお前寮の門限とかはどうすんだよ!」
「そこはもう許可取ってあるわ。友人が怪我をしたから色々手伝いに行くってね」
そう言いながら得意げに許可証らしきものをピラピラと振る美琴。
それを見て「うっ」と言葉につまる上条だが、そう簡単に引き下がる訳にはいかない。
正直、インデックスの事を指摘されると言い逃れができなくなるので、そこを突いていくしかないのだ。
「いいや、それは絶対“同性”の友人だという事で許可してるね! つまり俺はダメだ!」
「そんな事聞かれてないもん。もしそうだったとしても、それは聞かなかった向こうのミスじゃない?」
「ぐっ……」
片目をつぶってニヤリとする美琴に、上条は何も言い返すことができない。
そもそも年頃の女の子なんだからそういう所はもっと厳しくしろよと、常盤台の寮に文句も言いたくなる。
しかしそんな思いは、この状況を打開するのに何の役にも立たないのであった。
少しすると日が落ちて、外は夜の闇に包まれた。
結局、そのまま美琴に押し切られる形になってしまった。
だからといって何も対策を講じないわけにはいかないので、
「……ちょっと、私はどこぞの変質者か」
「上条さんの社会的立場を守る為です。我慢してください」
美琴は明らかにサイズの合っていない、巨大なフード付きコートを着ていた。
どれほど巨大かというと、コートの裾が地面スレスレまできているくらいだ。常盤台の制服は完全に隠せている。
加えてフードを被ることで顔も隠すことができる。もちろんまともに被ることはできなく、ただフードを前に下ろすような形になっているのだが、顔が隠れていればどうでもいいだろう。
その姿は、まるで服自体が勝手に動いているようにも見え、大人が突然子供になってしまったらこんな状態になるのかもしれない。
ちなみにこのコートは浜面に借りたもので、昔の知り合いのものらしい。
そんな状態なだけに、美琴が不満を口にするのも当然だ。
しかしやっと上条が折れてくれたのだ。ここは素直に受け入れるしかない。
上条の方も、もし仮にそんな美琴の不満を聞いても、躊躇っているわけにはいかない。
一歩間違えれば、自分が犯罪者のような扱いを受けるはめになる。
高校生が夜に女の子を部屋に連れ込むということはつまりはそういうことだ。
どっちにしろ美琴が相当目立っている辺りは、焦りのあまり上条は気づいていない。
「よし……あとちょっとだ」
「ビビりすぎ」
何とか七階の上条の部屋がある廊下までやってきた。
これで後もう少しだが、ここで油断するわけにはいかない。
なぜなら上条は不幸体質であるために、扉を開けるまさにその瞬間に誰かに偶然目撃されるというのもすごくあり得るからだ。
「あれ、上条ちゃんじゃないですか!」
ビックゥ! と体全体を震わせる上条。
慌てて振り向くと、そこには誰もいなかった。
「……幻聴か」
上条はやれやれと胸を撫で下ろす、が
「もう、無視するとはいい度胸なのですよー!!!」
「………………」
視線を下ろすと……やっぱり、居た。見た目は小学生にしか見えない我が担任教師、月詠小萌だ。
誰にも会わないというのはさすがにないとは思っていたが、まさかこの人に会うことになるとは思わなかった。
土御門や青髪ピアスに比べればまだ話を聞いてくれる可能性もあるが、まずは隠し通す事から始めることにする。
「え、えーと。なぜここに?」
「上条ちゃんが今日退院と聞いて、色々とお手伝いしにきたのですよ!」
そう言って、にっこりと微笑む小萌。
それはとてもありがたいことなのだが、タイミングが悪い。すごく悪い。
加えて、顔はよく見えないが美琴の機嫌も明らかに悪い。
なぜそう言い切れるかというと、時折青白い電気がパチパチと漏れているからだ。
上条は怪しまれない程度に少し動いて、それを小萌からは見えないようにしていた。
そんな板ばさみ状態に、胃がキリキリと痛む。
「あー、だ、大丈夫ですよ! ほら、友達が手伝ってくれるみたいですし……」
「お友達さん……クラスの誰かです? お顔がよく見えないですけどー」
そう言って、体をずらして脇から覗き込もうとする小萌。
上条はそれを見て、体中からブワッと嫌な汗が吹き出るのを感じる。
「むむ昔の友達です!! 後コイツ恥ずかしやがりなんで!!」
我ながら苦しすぎる言い訳だ。
美琴もコクンコクンと頷いているが、その動作がどう見ても焦っているようにしか見えない。
それを小萌は何やら考え込みながらじっと見つめている。
「…………ふむぅ」
「ど、どうしました?」
「いえ、これはごめんなさいです。人には色々と事情がありますよね」
「……へ?」
ペコリと頭を下げる小萌。
どうやらこの奇抜過ぎる格好は、何か人には言えない複雑な理由があるのだと受け取ったらしい。
まぁそれも間違いではないが。
どちらにせよ、これはなかなか良い展開かもしれない
そう判断した上条は、ここで何とか話を切り上げることにする。
「じゃ、じゃあもう夕飯の時間なんで……今日はわざわざ来てくれてどうもです」
「いえいえ、当然なのですよ! では、お友達の方も上条ちゃんをよろしくですー」
「は、はい!!」
――――巨大コートから飛び出したのは、可愛らしい女の子の声だった。
全ては上手くいっていたはずだった。
小萌は上条の世話はその友達に任せて、自分はアパートに帰ろうとしていたはずだ。
上条はそれで気が緩んだ。そしてそれは美琴も同じだった。
頭が完全に真っ白になった。誤魔化すための言い分なんて何も思い浮かばない。
小萌の方も驚きのあまり目を点にして呆然としていた。
「……あっ!!!」
しばしの沈黙の後、美琴はまさに「しまった」という様子で声を上げる。
だが、もう遅い。
「…………上条ちゃ~ん?」
「………………」
辺りが不自然な静けさに包まれる。夜の空に風がヒューヒューと鳴っている。
目の前の担任教師は笑顔だ。しかし先程までの笑顔とは違うことくらい、上条でもよく分かる。
その笑顔は言っている。
『どういう事か説明しやがれコノヤロウ』
この寒さはおそらく冬の気候のせいだけではないだろう。
「ふむふむ、事情は分かったのですよ」
数分後、三人は全員上条の部屋のコタツに入っていた。
テーブルを挟んで向かい側には小萌、隣には美琴がいる。当然、あの巨大コートは脱いでいる。
まるで美琴もクラスメイトかなんかで、一緒に怒られているかのようだ。
事情説明といっても、先程小萌に言った内容とほとんど変わらない。言ってなかったのは、手伝いに来る友達というのが常盤台のお嬢様という事くらいだ。
しかしやはりそこが一番の問題らしく、小萌は腕を組んで「むむむ」と唸っている。
「……やっぱりダメですよね?」
「そ、そもそも、この子は何なのよ!! アンタはいつもいつも知らない女を……!!」
「先生だよ」
「……は?」
「上条ちゃんの担任の月詠小萌です。御坂さんの事は綿辺先生からよく聞いてますよー」
いつもの上条のフラグメイカーかと思い荒れ始める美琴だったが、その言葉に固まってしまう。
上条及びクラスメイト達はもう慣れたからいいものの、これが普通の反応だろう。
こんなどう見てもまだランドセルを背負ってるような幼女が、大学を出て教員免許も持っていると言われても何かの冗談にしか思えない。
学園都市の闇で様々なものを見てきたあの一方通行でさえ、小萌を見た時は驚愕したものだ。
「むー、正直先生はシスターちゃんの居候の件も賛成というわけではなかったのですよー。
でも、あの子は外からの子ですし、上条ちゃんにとても懐いていたので黙認してましたけど……」
「ですよねー」
「いいじゃないですか! ただ手伝いに来ただけです!」
上条としてはそこまで美琴を引き止める気も無いので、特に反論もせずに話を合わせる。
もはやバレてしまったのならば、こうした方が変な噂も立ったりしないだろう。
対照的に美琴の方は不満を全面に出して抗議している。
「御坂さんも、もう少し気を付けてほしいのです。男の人の部屋っていうのは危ないのですよー?」
「大丈夫です! もしもの時は焼けますから!」
「おい」
自信満々に指先から青白い光をほとばしらせる美琴に、思わずツッコミを入れる上条。
普通の女子中学生ならば、力で男に勝つことはできない。
しかしこの少女は、一人で軍隊と戦うことができるという超能力者(レベル5)の一人だ。
むしろ心配すべきなのは相手の男の方だろう。
「……まぁ、上条ちゃんにそんな事する度胸がないことくらい分かっていますけどー」
「あの、なんかその言い方は傷つくんですけど……」
「じゃあ!!」
途端に美琴は目をキラキラさせて身を乗り出す。
小萌の言う通り、上条はインデックスと半年近く同居してきたのだが、間違いなんてのは起きなかった。ハプニングは抜きにして。
その事実から、こうして手伝いに来るくらい問題ないという判断は分かる。
だが一応は信頼されているはずなのに、なぜかヘタレの称号も合わせて授かっている気がするのはなんだろう。
「むむー、仕方ないのです。それでは、上条ちゃんをよろしくお願いしますねー?」
「え、ちょ、いいんですか!?」
「……? もしかして上条ちゃん、手を出すつもりです?」
「アンタ……」
「んな事するか!!!」
「じゃあ問題ないですー」
「………………」
何とも煮え切らない上条。
確かに美琴に手を出すつもりなんかはない。それは断言できる。
しかし、教師がこうも簡単に引き下がるのもどうなんだろうか。
そんな上条の頭の中とは裏腹に、小萌はもう帰ろうと立ち上がって玄関へ歩いて行く。顔には明るい笑顔を浮かべている。
「ふふ、先生は嬉しいのですよ。御坂さんがこうして上条ちゃんの良いお友達になってくれてることが」
「えっ、あ、あの……!!」
小萌の言葉に顔を赤く染める美琴。
「照れなくてもいいですよー。それに御坂さんも上条ちゃんと居てとても楽しそうなのです」
「そりゃ、心置きなく電撃ぶち込める相手だしな……」
「はぁ、上条ちゃんは相変わらずですねー」
小萌は小さく溜息をつくと、ドアを開ける。
そのまま帰るのかと思いきや、何やら振り返ってこちらを見る。
「一応言っておきますけど、さすがにお泊りはNGですよー?」
「わ、分かってます!」
「では、頑張ってください、御坂さん」
そんな言葉を最後に、小萌は帰っていった。
何やら美琴にはウインクをしていた気がするが、それが何を意味しているのかは分からない。
だがそれを受けた本人はかなり動揺している様子で、たぶん何かしらの意味は受け取ったのだろう。
そういうのは女同士にしか分からないものなのかなー、とぼんやり考える上条だった。
トントンという包丁の音が部屋に響く。
こうして何もしなくても、勝手に食事が出てくるというのはとても嬉しいことだ。
これは一人暮らしをしている学生などが、たまに実家に帰った時に感じることだろう。
時刻は午後七時を回ったところだ。
「なー、やっぱ何もしないのも悪いから……」
「いいから座ってなさいっての」
痛む体を押して何とか立ち上がろうとする上条だったが、美琴はキッチンから呆れた声を出す。
女の子らしくきちんとエプロンを装備した彼女は、やはりどこか違和感がある。原因はその緑色のゲコ太柄なのかもしれないが。
ちなみにここでエプロン装備の女の子を見るのは別に初めてではなく、以前にも五和がやった事があったのだが、あの時は別に違和感などは感じなかった。
この違いはたぶん日頃の行いとかだろうなーと思うが、そんな事を言えばおそらくここの家電製品は全滅することになるので黙っておく。
そんな事を考えている内にどうやら完成したらしく、美琴が鍋を持ってきてコタツの上に置く。
キッチンからは既に良い香りが漂っていたのだが、こうして近くに来るとさらにそれも強まる。
その鍋は、上条家でたまに作られるものとは違っていた。ズバリ肉の量だ。
ここの鍋と言ったら、肉の少なさを野菜やらしらたきやらで誤魔化すものなのだが、これはふんだんに使われている。
「……御坂さん、嫁に来てください」
「ッ!?」
感動のあまり上条が放った言葉に、丁度取り皿を持ってきていた美琴は派手に動揺し、危うく落としそうになる。
もちろん、上条は深い意味で言ったつもりはなく、ただ単にこんな生活に憧れただけだ。要するにヒモ精神だ。
しかし、美琴の方はそんな軽く済ませるわけもなく、顔を真っ赤にしている。
「あ、危ねえって! もちろん冗談ですよ!?」
「いきなり変なこと口走ってんじゃないわよ!」
美琴のあまりの動揺っぷりに、上条まで慌ててしまう。
まだ顔の赤みが引かない美琴は何かブツブツ言いながら、自分と上条の取り皿に鍋の中身をよそう。
「ほら、美琴センセーの手作り料理よ。ありがたくいただきなさい」
「うぅ……上条さんは感謝感激雨あられですよ」
「マジ反応されても困るんだけど……」
動揺を誤魔化すためか、からかうような事を言う美琴。
だが上条は本気で感激しており、目にはうっすらと涙を浮かべている。彼女はそれを見て戸惑ってしまう。
これではこの少年が普段どんな生活を送ってるのかと若干心配になってきそうなものだが、彼女からすればここまで感謝されるのは別に悪い気はしないらしい。
というか、自然と顔がにやけるのを抑えるのに苦労していたりもする。
「「いただきます」」
素直にうまい。ダシが良く効いていてうま味と共に暖かさが体中を駆け巡るのを感じる。
上条はお嬢様は料理は苦手という偏見を持っていたのだが、それは止めた方がいいようだ。
まぁ美琴は元々そういったお嬢様のイメージからはかけ離れていたので、本当のお嬢様とはまた違うのかもしれないが。
美琴の方もどうやら味には満足しているらしく、美味しそうに食べている。
もちろん、今は上条の隣ではなく向かい側に座っている。コタツの一辺しか使わないのは恋人の特権だろう。
上条はこうしてコタツで鍋を囲むというのも何とも平和だなーと、ほのぼのと考える。
それだけ日常が戦いに侵食されているという事なんだろうが、やはりこうした時間が一番幸せに思えた。
上条当麻は決して戦い大好きなバーサーカーではなく、平和を愛する男子高校生なのだ。
一方美琴はそんな上条をじーっと見つめながら、口を開いた。
「それでさー、私あのシスターの事ちょっと考えてみたんだけど」
「……平和はそう長く続かないと」
「何言ってんのよ。今から誰かが窓ガラスぶち破って飛び込んでくるわけでもないでしょうに」
「いや、精神的な意味だ」
まるで話の続きのように切り出した美琴に、上条は気持ちが一気に数段落ち込むのを感じる。
インデックスの事を考えるだけで暗い気持ちになるのは、彼女には何か悪い気もするが、こればかりは仕方がない。
上条自身、その話はあまりしたくなく避けていることも多いのだが、美琴はそんな事はお構いなしのようだ。
「てか、それは俺の問題だから、別にお前は……」
「じゃあ私が勝手に考えてるだけって事でいいわよ」
「………………」
美琴らしいといえば美琴らしい。
上条はこうして手伝いに来てくれるのも、これが一番の目的だったんじゃないかと思い始める。
実際はそうでもなく、美琴はただ上条と一緒に居たいという気持ちが大きかったりするのだが、そんな事に気付ける上条ではない。
「私はさ、やっぱり別れ方がまずかったと思うのよね」
「別れ方?」
「うん。気絶させられて終わり、でしょ? 仮にも半年近く一緒に居てそれはないでしょうに」
「けどそりゃ、俺が余計な反応してアイツを困らせないようにって……」
「じゃあアンタがしっかりしてればいいだけじゃない」
「そりゃそうだけどよ……。今更そんな事言っても遅いだろ」
上条のそんな言葉に、美琴は呆れたような溜息をつく。
「ホントにアンタらしくないわねー。そんなのいつもみたいに無茶苦茶して何とかあのシスター連れ戻しなさいよ」
「お前俺を何だと……」
「とにかく、ちゃんとお別れする! そうすれば後からズルズル引きずったりもしない! ほら完璧。仮に他に原因があったとしても、やっぱ本人が近くに居た方がいいと思うし」
「だからそう簡単に連れ戻せたら苦労しねえって……!!」
ピンポーンと。
その時、まるでタイミングを測ったかのようにインターホンの音が鳴り響いた。
何か嫌な予感がする。
美琴は話を中断された事に若干イライラしているようだが、「早く出なさいよ」とでも言いたげにジト目でこちらを見ている。
上条はコタツから立ち上がりながら、渋い表情のままドアに近づいていく。
何となくだが、相手の目星はついていた。
「――やっぱりお前か土御門」
ドアの向こうに居たのは金髪グラサンの、学生服の下にアロハシャツを着込んでいる隣人だった。
その顔にはいつも通りのニヤケ顔が浮かんでおり、それを見ただけでこのタイミングが偶然じゃないと断定できる。
「やっぱり、とはどういう事だにゃー?」
「お前まさか俺の部屋に盗聴器とか仕掛けてんじゃねえだろうな……」
「いやいや、コップを壁に当ててだな……」
「こんの悪趣味野郎!!」
即座に幻想殺しの宿る右ストレートを放った上条だったが、土御門はヒョイと首を軽く傾げただけでかわしてしまう。
合鍵の件なども合わせた恨みの一撃だったのだが、ここまで簡単にあしらわれてしまうと逆に気持ちも萎んでくる。
「いやいや、俺はカミやんが健全な男女交際をするように見守っているだけなんだぜい」
「それにも色々とツッコミてえとこだが、まずはテメェの行動から見直しやがれ!!」
「――とまぁ、冗談はここまでにして」
「冗談じゃないよね!? コップのとことかリアリティありまくりなんだけど!?」
毎度のごとく土御門に振り回されまくる上条。
そもそも、ここからは真面目な話のように言っているが、土御門の表情は今だにニヤニヤしたままだ。
まぁこの男は結構真面目な状況でも笑っている事が多いので、そこまで変なことではない。
まさに手の内を全く見せない、“ウソつき”らしい感じである。
「カミやん。インデックスを取り返しにイギリスに特攻するのもいいけど、ちょっと待ってほしいぜよ」
「誰もそんな事言ってねえけどな。で、言いたい事はそんだけか?」
上条はもはや呆れ返ってすぐに話を切り上げようとする。
こんな寒いとこで土御門の話に付き合うよりも、コタツであの鍋を食べていたほうが何倍も有意義だと判断したからだ。
だが、ここで土御門の表情が変わった。
相変わらずその表情には笑みが浮かんでいるのだが、先程のニヤニヤしているのとは違ったものになっている。
具体的にどのように、と上手く説明するのは難しい。感覚的なものだ。
「まぁまぁ、カミやんにとってはきっと朗報だにゃー。とりあえずコタツでゆっくり鍋でもつつきながら話そうぜい」
今回はここまでー。やっと半分くらい
何でとうまは短髪とイチャイチャしてんのかな!
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捜査の依頼内容を説明させていただきます。
英国内で危険な魔術結社の存在を確認しました。
この結社は、イギリス清教所属の魔術師、及び民間人に危害を加えている証拠が挙がっています。
つきましては、魔術結社のアジトの捜索、及び所属する魔術師の討伐をお願いします。生死は問いません。
生け捕りにした結果、結社の人間が何か我々にとって有益な知識を持っていた場合には、追加報酬を支払わせていただきます。
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夜のロンドンはとても冷える。風の強い高い所ではなおさらだ。
街の中心付近に位置する、ウェストミンスター宮殿。現在はやや黄色の強いオレンジの明かりがついており、幻想的な光景を生み出している。
それはさながらファンタジーの世界のようであり、ここが魔術師の国だというのも頷ける。
宮殿に付属する時計塔ビックベン。その頂上付近、本来ならば人が立つことを想定されていない場所に、禁書目録を司る少女インデックスは居た。
格好はいつもの修道服の上に、金の刺繍の入った白の長いマントを羽織っている。
バタバタと、布が風に煽られる音だけが響く。
少女の表情は真剣そのもので、ただじっとロンドン全体を眺めていた。
唐突にその表情がピクリと動く。
「――見つけた」
そう言って取り出したのは何の変哲もないロンドンの地図だ。
インデックスはその中の一箇所を指差す。すると、そこが赤く点灯し始めた。
――その直後、ドガァァアアアアアアアアアアア!! というロンドン中に響き渡りそうな爆発が起きた。
場所はまさに今指し示した地点だ。しかしそれはインデックスの仕業ではないらしい。
その証拠に彼女自身相当驚いており、綺麗な翡翠色の目は大きく見開かれ、口も小さく開いたまま閉じるのを忘れている。
爆炎はここからそう遠くない所に立ち上っており、先程までの身を刺すような冷たい風ではなく、熱を帯びたものが流れてくる。
彼女は静かに目を閉じる。それでも心の方は穏やかではないらしく、歯をギリギリと食いしばっている。
深呼吸を一、二回。何とか心のざわつきを押さえようとしているのか。
次にインデックスが目を開いた時、彼女には確かに変化があった。
それは雰囲気が変わったとか、そういった抽象的なものではない。具体的に目に見える変化がそこにはあった。
目に、魔方陣が浮かび上がっている。
次の瞬間、インデックスの体が飛んだ。
それも鳥のような穏やかなものではない。例えるならばミサイルだ。
時計塔の頂上付近、高さにすると90メートルを超える地点から目にも留まらぬ速さで真っ直ぐ突っ込んでいる。
見る見るうちに地面が近くなっていく。耳元ではゴォォという、風の音が鳴り響く。
目指す場所は例の爆破地点だ。
スタッと。
着地はまるで軽くジャンプしただけかのように静かなものだった。
それでもその瞬間の空気の流れは凄まじく、ブワッと煙が一気に舞い上がった。
彼女は顔色一つ変えない。今の動きは、階段の残り数段をジャンプで降りたくらいにしか思っていないのかもしれない。
ここはどうやらかなり大きいの屋敷の敷地内らしい。実はインデックスもどういった所なのかまでは詳しく分かっていなかったので、首を軽く動かして辺りを確認する。
ロンドンにこれほどの屋敷となると、おそらく相当裕福なのだろう。
しかし今はそれも関係なくなっている。何しろその屋敷自体が燃え上がっているからだ。
インデックスはそれを見て苦々しい表情をすると、以前火に包まれる屋敷へ一歩足を踏み出す。
「何をする気だい?」
後ろから何者かに肩を掴まれた。
インデックスはそれで一応は動きを止めるが、振り向きはしない。
「できるだけ生け捕りにする。私はそう聞いたんだよ」
今回の任務は魔術師の討伐だ。
必要悪の教会(ネセサリウス)の人間は、普通は“討伐”と言えば“抹殺”を意味する。
しかしそれに素直に頷かない者もいた。インデックスと神裂火織だ。
二人は頑固に生け捕りを主張し、他の者が折れる形で了承した……はずだった。
「そうだね。僕も出来ればこんな派手な真似はしたくなかったさ」
「ここまでしておいて、何を言ってるのかな」
「ほら、これだけの大きな建物ならまとめて燃やしてしまったほうが安全で簡単だろう?」
その言葉に、彼女はやっと振り返ってキッと睨みつける。
そこに居たのは同じ必要悪の教会の一員であるステイル=マグヌスだった。
依然としてインデックスの肩を掴んで離さないその魔術師は、この状況でどこまでも冷静な顔をしている。
「私が場所を指示してから爆発までほとんど時間がなかった。始めから場所は分かってたんだね?」
「確証はなかったさ。もしかしたらダミーで罠があるかもしれない。だから君に確かめてもらったんだ」
「かおりをここから一番遠い所に配置したのも邪魔を受けないようにするためだね」
「そうだよ」
「――もういい」
まったく悪びれる様子もないステイルに、インデックスは乱暴に腕を振って肩を掴んでいた手を引き離す。
そしてそのまま屋敷に向かって再び足を踏み出すが、
「止めた方がいい。イギリス清教に歯向かうと、君の自由は保証されない。その魔力だって再び奪われるかもしれない」
「こんな事をするための力なんていらないんだよ」
「いい加減にするんだ!!」
ステイルの言葉には振り返りもせずに歩き続けていたインデックスだったが、突然少年の口調が変わったので歩みを止める。
それでも相変わらず体は屋敷の方を向いたままなのだが、それでも構わない。
必要悪の教会の任務を任されるようになってから、彼女は魔術を使えるようにしてもらえた。
だが遠隔制御霊装はまだ生きている。その気になればインデックスを操り人形のようにすることも可能なのだ。
「僕だって、神裂だって君をいつまでもあんな連中の言いなりにさせるつもりはない!」
「………………」
「分かってくれ。君は必ず僕達が救い出す。だから今は――」
「ありがとう、ステイル」
インデックスは振り返っていた。
その表情には、見るだけで救われるような眩しい笑顔が浮かんでいる。
そんな表情に、ステイルは思わず戸惑ってしまう。
彼女が浮かべている笑顔、それは記憶を失う前、一緒に笑い合ったあの笑顔だった。
「でも、私は行くよ。ごめんね、ワガママで」
「……君もあの男に似てきたね」
「ふふ、誰のことかな。それにね、私はイギリス清教のために働くのは幸せだよ?」
「なっ……!!」
「この力で誰かを救うことができる。今までみんなに守られてきたから、今度は私がみんなの役に立つ番なんだよ」
再び屋敷に向かって歩き出す彼女を、引き止めることはできなかった。
ステイルはまるで魂が抜けたかのように、その後ろ姿を見送ることしかできない。
その時、ヒュッという風を切る音と共に、少年の隣に美しい女性が現れた。
あまりにも速かったので、遠目からは空間移動でもしたのかと誤解されそうなほどだ。
女性が顔を上げると、屋敷の炎の明かりでその顔が照らされる。
「さすがに速いね、神裂」
「……何かありましたか? 顔色が優れないようですが」
「別に。あの子ならもう屋敷に入っていったよ」
「そうですか。では私も行きましょう」
「言っとくけど、僕は行かないよ」
「分かってますよ。生存者のやけどの治療のため、あなたはここで待機していてください」
「ふん、自分で焼いた相手を助けると思うかい?」
ステイルはくだらなそうに息を吐くと、懐からタバコを取り出して火をつける。
それに対する神裂の表情は穏やかだった。まるで少年の姉であるかのような笑顔だ。
「えぇ、彼女の頼みならばあなたも断れないでしょう」
「………………」
肯定も否定もせずに、ただ煙を吐き出すステイル。
神裂はそれを満足気に見た後、クルリと体を回転させて屋敷と向き合う。
だがそれも一瞬。
次の瞬間には、彼女は聖人の脚力をフルに使って高速で屋敷に向かっていた。
ステイルは夜空へ向かって煙を吐き出す。
すぐ近くで立ち上っている煙に比べれば、こんなものは微々たるものだ。
そして彼にしては珍しく、手に持ったタバコがフィルター近くになるまで吸っていた。
屋敷の内部は振動と共に様々な場所が次々と焼け落ち、崩れていく。
さらに室温もかなり高くなっており、普通の人間ならばこの熱気だけでも動けなくなってしまうだろう。
そんな中を平然と走る姿がある。
白いマントに白い修道服の少女。一見、火事に巻き込まれた哀れな子だと思うかもしれない。
だが彼女は巻き込まれたわけではない、自分からここへ飛び込んできたのだ。
これだけの過酷な環境であるにも関わらず、少女の顔には汗一つない。
理由はこの少女の中に眠る十万三千冊の魔道書であり、それだけの知識があれば大抵の事は出来てしまうのだ。
インデックスは二階の廊下までやってきた。
もちろん当てずっぽうに走り回っているわけではない。既に生存者の場所は割り出している。
「――ここだ」
彼女が立ち止まったのはとある部屋のドアの前。
しかし彼女はここでおかしな行動に出る。一向にそのドアノブに手をかけないのだ。
確かにそのドアノブは高熱になってしまっており、まともに触れない状態になってしまっている。
だがそんな事は彼女にとっては気にも止める事でもないはずだ。
それでも、彼女が一向に行動に出ない理由、それは。
――ドガン! と。
ドアの内側から凄まじい爆発が生じ、その部屋の前がまとめて吹き飛ばされた。
ガラガラと、瓦礫が一気に下の一階へ落ちていく。
その結果、部屋の前だけ巨大な風穴が空いているという奇妙な状況が作り出された。
部屋には真っ黒の長いローブという、いかにも魔術師らしい格好の人間が数人居た。全員が杖や剣といった武器を持っている。
年齢、性別などは様々だが、それぞれに共通点はあった。
その目には怪しい光を宿し、狂気をまとっているという所である。
「「はははははははははははははははははは!!!!!」」
様々な声が重なり、一つの巨大な声として発せられているかのようだった。
何がそこまで笑えるのか。
敵がまんまと罠にかかった事か、それとも他人の命を奪えた事か。
その聞いているだけで背筋が寒くなる笑い声は、色々な可能性を浮かび上がらせる。
魔術師達は部屋の出入り口に集まり、部屋の前に空いたその巨大な風穴から一階へ向けて魔術を連射していた。
ズガガガガガガガガと、まるでマシンガンの一斉射撃を受けているかのような音が響き渡る。
普通ならあれだけの爆発と共に一階へ叩き落とされたのならば命はないはずだ。
それにも関わらずこの様な行動に出る理由は、慎重に念には念を入れているからなのか、それともただ単に面白がっているだけなのか。
魔術の一斉攻撃は止まる気配を知らない。もしもその先に人間が居るのなら、もうとっくに肉片も残っていないだろう。
魔術師達の顔には相変わらず狂気を帯びた笑みが広がっていた、が。
ズガン! と何かが貫通する音が響き渡った。
それはすぐ近くから聞こえた。具体的に言うと、魔術師達の居る部屋の内部からだ。
魔術師達は全員が一斉に振り返った。各々が背後からの襲撃に備えて、その手にある武器を構える。
そして目の前に広がる光景。それを見た瞬間、全員がすぐに何が起きたのか全て理解する。それだけ分かりやすい状況だった。
部屋の床に空いた風穴、その穴のすぐ近くに立っている白い少女。
どうやら少女は確かに爆発に巻き込まれて、一階へ落ちたらしい。
しかしダメージはない。その白い修道服とマントには汚れ一つ付いていない。
この状況から見るに、一階を移動してこの部屋の真下まで来た後、下から天井を突き破ってここに上がってきたようだ。
もちろん、そのいずれも聖人でもない限り生身でできるはずがない。魔術を使ったのだ。
「き、禁書目録……ッ!!」
魔術師の一人がかすれた声でその名を呼ぶ。
同時に他の数名が一斉に後ろへ後退るが、部屋の前は先程の爆発で穴が空いているので、それほど下がることもできない。
一番後ろに居た者の足に瓦礫の一部だと思われる小石があたり、下に落ちてカーン! と音を立てる。
その音は、火事による周りの崩壊の音と比べればとても小さなものだ。しかし魔術師達は全員その音が嫌に耳に入ってくる。
全員の顔には大量の汗が浮かんでいる。それはここの熱によるものではない。元々彼らは耐熱の魔術を使用している。
並の魔術師では、その「毒」のせいで一冊ですらまともに扱うこともできない魔道書の原典。
その原点を十万三千冊振りかざす、正真正銘の怪物がそこに居た。
「見た感じ、全員無事みたいだね」
「はっ、はは! 不満か?」
「ううん、良かったんだよ」
「なに……?」
火事で崩れ行く部屋の一室で、優しく微笑む少女。
魔術師達は怪訝な顔をすることしかできない。
「ステイルのルーン魔術を防いだのはすごいね。始めから気付いてたのかな?」
「当たり前だ。我々を舐めるなよ」
「ここからは脱出しないつもりだったみたいだけど、このまま死んだふりしてやり過ごす気だったのかな?」
「どうせ死体の確認くらいはするだろう? そこで血祭りにあげてやろうという算段さ」
この口ぶりから、どうやらこのままここが崩れ落ちても魔術師達は死なずに済む魔術を持っているらしい。
そして死体を確認しにきた者を抹殺する。その様な作業を武闘派の魔術師がやることは少ないとも考えたのだろう。
結果的に、インデックスのこの行動は良かったといえる。
「……自分達が捕らえられる理由は分かってるのかな?」
「分からんな。我々は何も間違ったことはしていない」
「霊装の強奪、及び所有者の殺害。一般人を対象とした人体魔術実験」
「それがどうした?」
魔術師の一人。おそらくこの中では最も立場が上である、40代半ば辺りの男が尋ねる。
その表情には笑みも浮かんでおり、それを見てインデックスは目を細める。
「我々は魔術の真理を追い求める者だ。霊装もふさわしくない者に持たせている訳にはいかない」
「真理の探求のために邪魔なものは排除するだけ」
「実験に関しては、魔術を知らぬ者もこうした美挙に加わることができる。感謝してほしいくらいだ」
次々と口を開き始める魔術師達。
それだけ自分達の行いには誇りを持っており、口に出すことが嬉しいのだろう。
その魔術師達の誰もがこれは正しく偉大な事だと考えており、それに対して何の疑問も持たない。
狂っていると。普通の神経を持つものならばそう考えるはずだ。
しかしインデックスの顔に浮かんでいるのは、それに対する嫌悪感ではなく哀れみだった。
「……魔術に使われてるね。使ってるんじゃなくて、使われてる」
「は?」
「あなた達はもう他のことは見えなくなってる。魔術に魅せられて、魔術中心で世界が回っていると思っているんだよ」
「ふん、戯言を」
「私は同じような人達をロンドン塔で見てきたんだよ。とにかく――――」
「あなた達はここで捕まえる」
直後、部屋全体が突然緑色に発光し始めた。この部屋を包む炎が炎色反応で緑に変化したわけではない。魔術だ。
しかし、これはインデックスが仕掛けたものではなかった。
その証拠に、魔術師達は怯える様子もなくただニヤニヤと笑っている。
禁書目録が魔術を発動させて、こんなに余裕を持っていられるのは極一部の限られた魔術師だけだ。
「くだらない事に時間を使いすぎたな。お陰で準備が整った」
「……拘束用の魔術だね」
「あぁ、我々にとって禁書目録というのは魅力的な研究対象だからな。出来れば生け捕りにしたい所だ」
どうやらもう魔術はいつでも発動できる状態であるらしく、勝利を確信している様子の魔術師達。
だがその中のリーダー格の男だけは、まだインデックスを警戒していた。
なぜなら、この確実に不利な状況でも彼女の表情は少しも動いていないからだ。
「あなた達が何かを仕掛けていたのは分かってたんだよ」
「負け惜しみを。じゃあ何で放っておいた?」
魔術師の一人がニヤニヤと笑いながら尋ねる。
周りの者達も、どんな言い訳が聞けるのかと下品な笑みを浮かべている。
インデックスは相手のその様子には何も反応せず、小さな口を開いた。
「止める必要がないからだよ」
音が。光が。全てが消えた。
まるで透明で巨大な何かが、高速で通りすぎていったかのような衝撃が部屋全体に広がった。
当然そんなものに耐えられるほどの強度は部屋にはない。
結果、その部屋自体が崩れ落ち、大量の瓦礫となって轟音をたてながら一階に降り注ぐ。
魔術師達は皆一階に落ち、一人を除いて全員が気絶していた。
だが誰一人として瓦礫の下敷きになっている者はいない。もちろん、これは偶然ではなく彼女によるものだ。
唯一意識をつなぎとめている魔術師は、やはりというべきかリーダー格の男だった。
その男だけは、衝撃が伝わる直前に何とか防御術式を発動させる事に成功したのだ。
それでも先程の攻撃を完全に防ぐ事はできなかった。何とか発動させた防御術式も、その一撃で木っ端微塵に破壊された。
男はうつ伏せに倒れており、ダメージのせいでろくに動くこともできない。
もはや意識を保つ事も厳しくなっているのだが、それでも頭を上げて彼女の姿を見る。
それは、せめてどんな魔術に打ち負かされたのか知ろうという、魔術に魅せられた者の最後の足掻きか。
しかし、“それ”を見た瞬間、男の顔が大きく歪んだ。
「バ、ケモノめ……!!」
その言葉と共に、男は意識を手放した。
辺り一面が炎に包まれ、強い振動と共に上から次々と瓦礫が降り注いでくる中。
インデックスは目の前で意識を失ったその男を、周りで倒れている魔術師達を、哀れみの目でただじっと見つめていた。
背中には血のように赤い翼が広がっていた。
それからすぐに屋敷にいた魔術師は全員捕らえられ、無事任務は終了した。
禁書目録と聖人が動いたのだ。それも当然といえる。
後から考えてみれば、この二人が同時に投入されたという事は、この魔術結社の実力を認めているという事になる。
だから始めのステイルの攻撃を防がれたのも、それ程驚くことではないのかもしれない。
現在は事後処理ということで、イギリス清教の人間はまだ屋敷の前に残っていた。
火はもう消えていたが、それでも屋敷は悲惨な状態になっていた。
「すまなかったね。もっと徹底的に燃やすべきだったよ」
「……はぁ」
自分のミスを認めて謝罪の言葉を紡ぐステイルだったが、インデックスはただ溜息で返すことしかできない。
神裂の方は、もうどこか諦めたような表情だ。
「私達が助けていくしかないでしょう」
「むー、何か納得いかないんだよ」
そんなプリプリ怒っているインデックスを置いて、ステイルはどこかへ去っていった。
神裂はそれを、悲しげな表情で見ている。
まだステイルは、インデックスへの罪悪感が消えない。これは一生残るのかもしれない。
だから以前のように彼女に接することはできない。あの三人で笑い合っていた日々は戻ってこない。
「かおり?」
インデックスはキョトンとした表情でこちらを見上げてくる。
その顔は、記憶を失う前と何も変わっていない。
しかし、三人を取り巻く状況は確かに変わってしまっている。
「すみません、少しぼーっとしていました」
「珍しいね? まるでオルソラみたいなんだよ」
「そういえば、今日の料理当番のリーダーはオルソラでしたね」
「今すぐ帰るんだよ!!」
即座に目の色を変えるインデックス。
彼女はランベスの一角にあるイギリス清教の女子寮に住んでいる。
料理当番は交代制であり、特にオルソラ=アクィナスがリーダーを務める時は絶品のものになる。
故に、普段は任務やらで中々集まらない女子メンバーも、その日だけは全員集合するくらいだ。
それを食い逃す程、インデックスの食欲は小さくない。
現在時刻は午後八時。今から急いで帰ればまだ残っているかもしれない。
インデックスはそんな希望を持って、神裂の手を取って走りだす。
神裂は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに優しい笑顔になって一緒になって走りだした。
「……どうしてこんな事に」
午後十時。神裂火織は女子寮の廊下を歩きながらそんな言葉を漏らす。
背中には可愛らしいオレンジ色のパジャマ姿のインデックスがスヤスヤと眠っている。
あの後急いで帰ったこともあり、オルソラの料理にはありつくことができた。
それも大量のおかわりというオマケ付きだったが、オルソラはニコニコしながらそれに応じてくれた。
問題はその後だ。
満腹になったインデックスは、眠気が襲ってきたらしくすぐにウトウトし始めたのだ。
何とか頑張って、大浴場で体を流したまでは良かったのだが、ついには湯船の中で熟睡し始めてしまった。
そこからは神裂が色々と世話をして今に至る。
神裂は少し心配そうな表情で、肩に乗っかっている彼女の顔を見る。
(やはり、まだ魔術の負担が大きいのでしょうか……)
彼女がここに来てから少し経つが、任務で魔術を使った後は必ずと言っていいほどすぐに疲れて眠ってしまう。
おそらく使用する魔術がどれも強大なものなので、体が追いついていない、というのが神裂の予想だ。
だがローラ=スチュアートによると、何か他の原因がある可能性もあるらしい。
そんな事を考えている内に、彼女の部屋に到着した。
中はお世辞にも片付いているとは言えなく、色々なものが床に散乱している。
つい最近自分も手伝って片付けたはずなのだが、すぐに元通りになってしまったようだ。
まぁ本人はどこに何があるのかは分かっているので、困らないとのことなのだが。
とりあえず神裂はベッドにインデックスを寝かせる。
「お疲れ様でした」
そう微笑むと、彼女の頭を撫でる。その様子はまるで母親のようだ。
それからこの部屋の惨状を眺め苦々しい表情になるが、片付けはまた後日にしようと部屋を後にしようとする。
「――――とうま」
足が止まった。
ハッとなって振り返ってみるが、彼女は先程と同じように気持ちよさそうに眠っている。
しかし神裂は彼女から目を離すことができない。
上条とインデックスに関しては、あの別れ方も神裂は最後まで納得できなかった。
こっそり全てをあの少年に伝えてしまおうとも考えた。
だがそこは彼女の気持ちを優先して、自分はただ黙って見ている事にしたのだ。
今になって、それは本当に正しい選択だったのかと、疑問に思う。
きっと、ずっと心のどこかで引っかかっていたのだろう。
それがこうしたきっかけによって、一気に溢れてきただけにすぎないのだ。
インデックスが眠るベッドの側にある棚には写真立てが置いてある。
その額には、学園都市のどこかの店で撮ったと思われる写真が飾ってある。
おそらく上条のクラスの打ち上げか何かの時の写真だろうか、ちゃっかり彼女が混ざっている辺り微笑ましい。
そこに写っている者は皆笑顔でとても楽しそうだ。
上条も、そしてインデックスも。心の底から、思わずこっちまで楽しくなりそうなくらいの笑顔で笑っていた。
聖ジョージ大聖堂。
もう日付も変わるかという時間帯に、イギリス清教の最大主教(アークビショップ)、ローラ=スチュアートとステイル=マグヌスは居た。
中は真っ暗というわけではないが、十分な明かりがあるとも言えない。ただ蝋燭の火が頼りなく揺れているだけだ。
ローラの方は変わったデザインのテーブルについているのだが、ステイルは立ったままだ。
これはただ単に同じテーブルにつきたくないという理由からくる。
「やはり少しおかしきことにつきね」
ローラはテーブルの上にあるカップを手に取り、口元に持っていく。中身は紅茶だ。
そんな様子を、明らかにイライラした様子で見ているステイル。こんな時間に呼び出されたのだから仕方ないのかもしれない。
仮にも相手は上司なのだが、そんな事は関係なしだ。
「……手短に言ってもらえませんかね」
「禁書目録が不安定な状態なりけるのよ」
それに対するステイルの返答は、炎剣の一撃だった。
一振りで大爆発を引き起こし、テーブルもろとも全てを焼き尽くす。
「いきなり何をしたるのよステイル! あー、紅茶が……お洒落なテーブルが…………」
いつの間にか避難していたローラは、ただの消し炭と化したものを見て嘆く。
ステイルはそれを見て大きく舌打ちをする。完全に仕留めるつもりだったらしい。
だが相手は最大主教だ。そう簡単にはいかない。
少年は何とか怒りを押さえ込みながら、努めて冷静になろうとする。
「それで、具体的にどのような状況なのですか? 任務後の疲労も関係あるんでしょう?」
「まぁまぁ、ちょっと新しいテーブル持ちて来たるから、しばし待ちけるのよ」
ビキリと、青筋が立つのを感じる。
そんなステイルの様子に気づいているのかどうかは分からないが、ローラはあくまでマイペースに行動する。
新しいテーブルは、質素な木製のものだった。
「おそらく、遠隔制御霊装と上手く適合できてないといふ事かしらね」
「つまりお前を消して、そのふざけたものを取り除けばいいという事だな?」
「私だけじゃなく、王室派と騎士派も消す必要がありけるわね」
再び炎剣を取り出すステイルに、ローラは特に怖気づく事もなく、ただ新たに出してきた紅茶をすする。
まるで聞き分けのない子供を扱うような態度に、魔女狩りの王(イノケンティウス)も出してやろうかとさえ思う。
ステイルは少しの間怒りの形相でそれを見ていたが、一度憎しみを外に出すように深呼吸すると、炎剣を収めた。
「だいたい、あれだけの存在を野放しにはできぬのよ」
「だがそれであの子が傷つくというのなら、僕は黙っていませんよ」
「あれは構造こそ少しいじったと言えども、元々は始めからあの子に仕掛けたるもの。今まではきちんと適合したりけるはずだったのよ」
「原因は?」
「あの子の精神状態が怪しいと見たるわね」
その言葉にステイルは目を細める。
ローラは相変わらずマイペースに紅茶を口にする。
「あれはその特性上、精神状態に左右されしものなのよ」
「それは欠陥品というのではないですか」
「だから今までは問題なかったと言いたるじゃない。本来ちょっとしたストレスなどに反応するものではなきにつきよ」
「……という事は」
「何か巨大な悩み、ストレスがありけるわね」
ステイルはそれを聞いて黙りこむ。
おそらくローラも自分と同じようなことを考えている気がする。
このタイミングで大きな悩み。心当たりがある。
「一応土御門の奴には、早い段階で知らせておいたのだけどね」
「どうする気ですか? 原因が分かっても、そう簡単にどうにかできる問題ではないはずです」
「ふむ……」
ローラはここで少し目を瞑る。
彼女も色々と考えているのだろう。ステイルとしては悔しいが、頭のキレはある程度認めている。
いつもはおどけているが、本当に頭が空っぽならばイギリス清教の頭など務まらないからだ。
だがステイルはこの上司の考え方には嫌悪感しか覚えない。
ある時は神裂を彷彿とさせるほどの慈悲を見せることもあれば、どこまでも打算的にイギリス清教の利益のためだけに非情に動いている時もある。
こうしてのらりくらりと、自分の真意を見えなくする。そこがただ不気味だった。
ローラは目を開ける。
その胸中ではどのようなことを考えているのか。
インデックスを少しでも救ってやろうという気持ちはあるのか、それともただ利用するだけ利用したいのか。
「まぁ、もう少し様子を見ても良き事よ。自分で吹っ切れる可能性も否定できぬのだし」
今回はここまでー。やっとインデックスパートなんだよ!
ウェストミンスター宮殿
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この密度書かれているからか、まだ200レス行ってないのに驚いた
上条さんボロボロになったなーと思ってたらインデックスの方も十分きな臭くさい展開
先が楽しみ
ロンドンの早朝。
外は日も昇りきってはおらず、薄い霧も漂っている。
まだまだ多くの人間は眠っているような時間帯なのだが、それでもとある厨房はかなり賑やかなことになっていた。
イギリス清教女子寮の朝は早い。
ここでの食事は大きな鍋などで、一度に大量に作る。
それ故に、時間もそれなりにかかるので、朝食担当の者は早起きをしなければいけない。
しかし賑やかな理由はそこにはない。
低血圧というわけでもなくても、誰だって早起きは辛いものだ。
起きて間もなくで既にテンションが高いというのも、遠足当日の子供くらいだろう。
通常なら目をショボショボさせながら、全員がどよんとした雰囲気を出しながら作る朝食。
だが、今回はそんなわけにはいかない理由があった。
「え、えっと、次に塩だったよね!?」
「えぇ、その通りですが、あなたがその手に持っているのは砂糖です!!」
「ふふふ~、良くある間違いでございますよ~」
「それは否定しませんが、だからといって見過ごすわけにはいきません! ていうか起きてますかオルソラ!?」
インデックスは料理ができない。
それは上条の寮に居た頃からで、彼女はもっぱら食べる専門であり、上条自身も教えることは諦めていた。
しかしこの女子寮には、食事当番は交代制というルールがある。
というわけで、こうやって他の者達が何とかフォローしようとしているのだが、これもなかなか上手くいかない。
料理の手順などは完璧に覚えているはずなのだが、それをその通りに実行することができないのだ。
「塩、塩……これかも!」
「い、インデックス、もう少し落ち着いて……」
「うわっ!!!」
神裂が心配そうに言いかけた瞬間、まさに絶妙なタイミングで足をもつれさせるインデックス。
聖人の動体視力をもってすれば、それはスローにも見え、同時に様々な選択肢が頭によぎる。
その運動能力ならば、彼女が倒れる前に支えることもできたかもしれない。魔術も間に合うかもしれない。
だがここは厨房。実戦に近い高速移動などをすれば、作りかけの料理などがひどい有様になる可能性も否定出来ない。
その一瞬の躊躇の結果。
――――ゴチンと。
本来ならばこの様な所で聞かないような鈍い音が響き渡る。
神裂は思わず痛々しい表情で片目を瞑って目の前の状況を見る。
まぁわざわざ確認する必要もない。ほんの一瞬前のあの状態から、今現在彼女がどんな事になってるかくらい予知能力者でなくても分かる。
案の定、そこには塩にまみれてグルグルと目を回し伸びている魔道書図書館がいた。
ちなみにオルソラは「教会の鐘の音でございますよ~」とか何とか言っていた。
たっぷりの塩を頭から被ったインデックスは、寮の大浴場まで来ていた。
動く度にジャリジャリという音がして何とも気持ちが悪い。おそらく海水浴の後、シャワーを浴びずに着替えたらこんな感じになるだろう。
とにかく一刻も早くシャワーを浴びて、この不快感を何とかしようと思っていたのだが、意外なことに脱衣所には先客が居た。
「シェリー?」
「ん? 何だ、お前も任務帰りか?」
くすんだ金髪に褐色の肌、そして透けたネグリジェ。
ゴーレムを操る必要悪の教会の魔術師、シェリー=クロムウェルだ。
どうやら彼女は任務帰りらしく、その表情には疲労も浮かんでいる。
「ううん、その、色々あってね」
「はぁ?」
厨房で転んで塩を被った、とは中々言いづらいので曖昧に誤魔化す。
シェリーは当惑したような表情になるが、それ程興味もないのかそれ以上は聞いてこなかった。
「つかお前も良く普通に私に話しかけられるな。一応私、一度はお前を殺そうとしたはずだけど?」
「そんな昔のこと忘れたんだよ」
「うおーい、完全記憶能力どこいった」
「それに、今なら返り討ちにできるしね」
「はっ、言うじゃないの」
そんな事を言い合いながらお互いニヤニヤとしている二人。
端から見れば、一触即発な状況にも見えるかもしれないが、別にそういうわけではない。
元々、魔術師を討つために特化された集団なので、これくらいは普通の会話と変わりないのだ。
まぁ最近はとある少年の影響で角が取れてきているとの事だが。
「気になってたんだけど、その手にある木彫りの人形はなに? 術式に必要なのかな」
「違う、趣味だ趣味。湯冷ましついでにな」
シェリーはインデックスとの会話に飽きたのか、手元にある木製の人形を彫刻刀でゴリゴリと削り始めていた。
王立芸術院の管理もしている彼女は、こういった芸術関連への関心も強い。
せっかく体を流したのに、これでは木屑などで汚れてしまいそうだが、彼女に関してはその心配は無用だ。
木を削った際に出てくるゴミは、ある一点の空間へと自然と集まっていき、フワフワと浮いていた。
おそらくゴーレム・エリスに似たような術式の応用だろう。
このように、魔術師は普段の生活にも魔術を活かすことは多い。
そこは学園都市の能力者と似たようなものである。
「趣味……かぁ」
「何ならあの幻想殺しの人形でも作ってやろうか?」
「なっ、要らないんだよ!」
シェリーのからかう声に、インデックスは大声で言い返す。
両腕をブンブン振り回しながら、体全体で否定のアピールをしている様子は何とも微笑ましい。
それでも顔はしっかり赤くなってしまっているので、動揺は隠しきれていないのだが。
シェリーはその予想以上の反応に、満足げにしている。
「くくっ、からかい甲斐がある奴だな」
「むぅぅ!!!」
ニヤニヤしているシェリーに対して、インデックスは頬を風船のように膨らませる事しかできない。
その様な行動が、さらにからかいたくなるという事を、インデックスは知らないらしい。
ふと、シェリーの表情が変わった気がした。
口元には相変わらず笑みが浮かんでいるのだが、先程までのニヤニヤとしたものではなくなっている。
それは彼女にしては珍しく、どこか穏やかなもので、その目も優しげな光を帯びているようにも見える。
彼女は昔、科学と魔術が歩み寄った時の悲劇を目の当たりにしている。
その事から、インデックスと上条の科学と魔術の枠を超えた繋がりに何か思う所があるのか。
詳しいことはシェリー自身にしか分からない。
インデックスはそんなシェリーの変化に首をかしげる。
「……どうかした?」
「いんや、何でもないわよ」
シェリーは特に何も言わずに再び手にある人形の方に目を移す。
自分と親友が手にすることが出来なかった幸せ。それを他の誰かが手にすれば、自分はいくらか救われるのだろうか。
彼女は柄でもないなと内心笑いながら、そんな事を考えていた。
今日は必要悪の教会の仕事がない。一日休みだ。
一般的にはそういった休みの日は、大抵の者にとって嬉しいはずである。月曜日は憂鬱になるし、休みの前は気分も弾む。
確かに世の中には自分の好きなことを仕事にしている者もいるかもしれないが、それは少数派だろう。
だがこの少女、インデックスからすると微妙な感じである。
今のこの仕事は、彼女にとってはまさに天職ともいえるもので、仕事は大変だが嫌というわけではない。
もちろん、仕事がないということはある程度は治安も守れているという事なので、喜ばしいことではある。
インデックスは何も魔術師を殲滅したくてウズウズしているバーサーカーではない。
ここで少し困ったことは、こういった一日オフの時に何をすればいいのかイマイチ思いつかないことだ。
とりあえず、「とうまの寮に居た時はどうしてたっけ?」と考えてみるが、菓子を食べながら漫画を読んだりテレビを観ていた記憶くらいしかない。
しかし不思議なことに、それをここでやっても何故か時間を無駄にしている感覚しかない。
前までの自分は良くこれで一日時間を潰せたものだ、と半ば感心さえしてしまう。
「うーん……やっぱり私も趣味っていうのを持ったほうがいいのかなぁ」
朝食が過ぎた食堂は随分と静かになる。
インデックスはそこで頭だけテーブルに乗せて、ぼーっとした表情でガジガジとコップを噛んでいた。中身はとっくに飲み干してしまっている。
窓から差し込む光を見るかぎり、どうやら今日は絶好のお出かけ日和というやつかもしれない。
といっても、外に出た所で何をするか、と考えるとなかなかその重い腰をあげることができない。
「何か悩み事ってやつですか?」
「んー?」
そんな声に、インデックスは頭だけを動かす。
そこ居たのは元ローマ正教のシスター、アニェーゼ=サンクティスにルチア、アンジェレネの三人だった。
元アニェーゼ部隊は任務の時も共に活動することが多いが、こうしたプライベートでも一緒に居ることが多い。
「はっ、もしや例の少年を想って……とかですか? 恋煩いですね!」
「なるほど……しかしシスター・アンジェレネ。人の恋話にそこまで興奮するのは、はしたないですよ」
「ちょ、な、何勝手に言ってるのかな!!」
思わずガタッと立ち上がるインデックスだったが、対する三人は「分かってる分かってる」とまともに取り合う気がないようだ。
まぁ彼女のそんな反応に加えて、頬がリンゴのように赤くなっているのを見れば誰でも納得してしまうかもしれない。
「ふふふ、遠距離というのは辛いですね?」
「あ、あの! やっぱり二人で居る時は、ドラマみたいに甘い言葉をかけあったりしてたんですか!?」
「少し落ち着きなさい、シスター・アンジェレネ。その前に、シスターならば主と結ばれているというのが常識でしょう」
「つ、つまり禁断の愛!!!」
「だからさっきから何言ってるんだよう!!!!!」
キャーと黄色い声をあげるアニェーゼとアンジェレネに、インデックスはバタバタと大きく手を振って否定する。
普段は魔術師殺しという黒い仕事をやっていても、彼女達は年端もいかない少女だ。
やはりというべきか、こういった恋愛話には興味津々なのだろう。
それは自分達はシスターであるために、そういった話とは無縁であるという事から来る可能性もある。
まぁそれを言ったらインデックスもそうだったりするのだが。
「何度も言ってるけどね、とうまとはホントのホントに何もなかったんだってば!!」
「半年も一緒に住んでいてですかぁ? そんな事言って、キスくらいはやっちまってんでしょう?」
「き、キス!!?」
アニェーゼのニヤニヤとした顔に、インデックスはビクッと全身を震わせる。顔も依然として真っ赤だ。
それというのも、彼女はその言葉を真っ向から否定することはできない。
なぜなら、大覇星祭の時に実際に上条の頬にキスしてしまったという事実があるからだ。
「き、キスってあれですよね! こう、目をつぶって、少し斜め上を向いて……!!」
「それは相手の身長にもよるでしょう。あの少年が相手だとすると、私なんかはとくに上を向く必要はないですし」
「それでそれで、ファーストキスはどんな味がしたんですか? 何でもレモン味というウワサを聞きますが」
「く、唇にはしてないんだよ!」
「ほう、では他の場所にはしたと?」
「それは……そ、その…………」
インデックスの言葉に、アニェーゼはまるで獲物を見つけた狩人のようにキラリと目を光らせて、口元をニヤリと歪ませる。
そんな部隊長にルチアは溜息をついて呆れるが、アンジェレネの方はアニェーゼ側なので、ますます興味津々な様子で身を乗り出してくる。
それに対して、インデックスはモジモジとすることしかできない。
しばらくの間はただ両手をニギニギとしながら、目の前の三人と目を合わせないようにしていた。
しかし、どうやらこのままでは解放されない事を悟ると、その小さな口を開いてポツリポツリと言葉を紡ぎ始めた。
「ほ、ほっぺにはしたんだよ。言っとくけど、事故だからね!!」
「事故ですかぁ……あんまりロマンチックでは無いですね。もっとこう、夜の夜景とかを眺めながら……とか!!」
「シスター・アンジェレネ。やはりテレビなどというものは観ないほうが懸命じゃないんですか」
もはやルチアは会話に加わる気も失せたのか、近くのテーブルについて聖書を読み始めてしまった。
それでもテンションの高いアンジェレネの言葉にも注意を与えている辺り、彼女らしい。
「そもそも、とうまにそういうのを求めるのが無駄って話かも!」
「つまり、どうせならもっとムードを作ってからの方が良かったって事ですかね?」
「ち、ちがっ……!!!」
「それでは事故とはいえ、彼にキスしてしまった事自体が嫌だったんですか?」
「え……そ、それは…………」
「んん?」
「……嫌、ではない…………けど」
インデックスは耳まで真っ赤に染めて、深く俯きながらもボソボソとつぶやく。
それを聞いた瞬間、アニェーゼは「くぅ~!!!」と言いながら、まるで何かの発作が起きたかのようにテーブルをバンバン叩いた。
アンジェレネもそこまで派手な反応はしなかったが、ほんのりと顔を赤く染めてキラキラとした目をしている。
こういった反応などは、二人共とても少女らしい。今この場面だけを見れば、ただの女の子に見えるはずだ。
一方、ルチアもアニェーゼがテーブルを叩く音に聖書から顔をあげるが、こちらは完全に興味のない顔をしている。
聖職者としては、むしろこちらが正解なのかもしれない。
「いやいや、今のは凄まじい破壊力ですよ。 普通の男ならころっといっちまうんじゃないですかね」
「意味はよく分からないけど、何だかバカにされてる気がするんだよ!!」
「褒めてんですよ」
「ウソなんだよ! 絶対からかってんだよ!!」
「まぁそれも九割方ありますが」
「ほとんど!?」
「どうしたのですか、そんな大声を上げて」
そんな落ち着いた声を出しながら新たに食堂に入ってきたのは神裂火織だった。
インデックスの顔が真っ赤になっていたり、アニェーゼがニヤニヤしていたり、アンジェレネがキラキラしているのを見てキョトンと首を傾げている。
おそらく何か飲み物でも作りに来たのだろう、その手にはティーパックが握られていた。
インデックスからすればこれは微妙な展開だ。
神裂ならば助け舟を出してくれるかもしれないのだが、そもそもこの状況を説明する事が躊躇われる。
彼女は真面目すぎるが故に、やたら真剣になって話に入ってくる可能性がある。例えるならば子供の心配をして、やたらそういう事に首を突っ込んでくる母親だ。
そんな事になれば、アニェーゼとアンジェレネのテンションをさらに上げてしまうことになってしまうだろう。
彼女は任務中にもないくらいに、深く深く悩む。そして、
「かおり! ちょっと外行こっか!!」
「は、はい? あの、私はこれを……」
「いいからいいから! ほら、行くんだよ!」
神裂は手に持っているティーパックを軽く振るが、インデックスはそれを無視して手を掴むと、グイグイと引っ張ってしまう。
今のインデックスには、神裂の言い分を聞く余裕などはない。
急な展開に戸惑いの色を隠せない神裂だったが、ここで聖人の腕力で振り払うわけにもいかないので、とりあえず大人しく従うことにした。
それに納得できないのは残された三人の内二人だ。
「むむっ、上手く逃げられましたね。これはまた夜にでも問いただしましょうかね」
「そうですね! まだ聞き足りませんもんね!」
「まったく、何にそこまでエネルギーを使っているのですか……」
インデックスが居なくなった食堂では、二人のシスターがグッと拳を握って決意を固めていた。
インデックスと神裂は二人でロンドンの道を歩く。
空は雲一つなく、気持ちの良い青空だ。といっても、冬ということもあってやはり寒さは感じる。
道路の両側には歴史を感じる石造りの建物が並んでおり、真っ赤な二階建てバスも走っている。
こうした古い建物が多いのは、新築やら改築の規制が厳しいところからくるらしい。
それに対して、道行く人達はもちろん現代的な人達で、新旧の雰囲気が見事に融合している印象を受ける。
インデックスの故郷はここロンドンである。しかし、だからといって郷愁の念に駆られるという事はない。
それはここに良い思い出がないという理由ではない。まぁ今までのイギリス清教の扱いを考えれば、例えそうであってもおかしくはないが。
彼女はロンドンに居た頃の記憶がない。
禁書目録という役割に与えられた枷によって、彼女の記憶はおよそ一年と半年ほど前、気付けば日本に居たところから始まる。
「それで、かおりはこれからどこに行くつもりなのかな?」
「自分から外に引っ張り出してそれですか……。まぁ元々、今日はジーンズ店にでも出向こうかと思っていたのですが」
「へぇ、やっぱりジーンズにはこだわりとか持ってるの?」
「そうですね。ですが困ったことに、何故か店主には嫌われているようでして」
嫌われているという割には、穏やかな笑顔を浮かべている神裂。
おそらく何だかんだいって、その店主とは仲が良かったりするのだろう。
「よし、じゃあ私もついていく!」
「それは構いませんが……あなたもジーンズに興味が?」
「んー、私はどっちかというとゆったりしたお洋服が好きかも」
普段から修道服に見を包んでいる影響か、ああいったピッチリとしたものは好まないようになったのだろうか。
インデックスはジーンズを履きたいというわけではないらしい。
だが何もジーンズと言えば、そういったものばかりではなく、ダボダボとした履き方もないわけではない。
神裂はそれも一瞬考えたが、さすがに彼女には似合わないだろうと首を振る。
「ですが、あなたには少し退屈かもしれませんよ?」
「別に構わないかも。率直に言うと、私はとっても暇なんだよ」
「そ、そうですか」
「やっぱり私も何か趣味でも見つけないとかも」
「……そうですね」
インデックスは何か難しいことを考えるように、首をかしげてウーンと唸っていたが、神裂はそれを見て嬉しそうに微笑んでいた。
今でこそこうやって、普通の女の子として過ごせる事もできるようになってきたのだが、それもほんの最近の出来事だ。
彼女は一年前は、自分を狙う魔術師の影に怯えながら、一人で逃げ続けていた。
もう二度と彼女をそんな目に合わせてはいけない。
こんな何でもない、彼女にとってはどう過ごせばいいのか分からない休日が少しでも多くなれば良い。
神裂火織は胸のうちで、そう強く決心していた。
ロンドンにある、とある小さなジーンズショップ。
壁にはあまり売れそうにもないヴィンテージが掛けられており、全体的にホコリっぽい。
ただでさえ小さな店に加えて、木製の棚がいくつも置かれており、そこには様々な新品のジーンズが畳まれている。
そんな中、二十代の男の店主は黙々とカウンターで羊皮紙に何かを書き込んでいた。
加えて、羊皮紙の近くには小さめのノートパソコンが開かれており、何やら海外からのメールらしきものを表示している。
カランカランという、簡素な音が店に響き渡る。
店主は顔を上げると、とたんに露骨に嫌そうな顔をする。
来客というのは、店にとっては好ましい事であるはずだ。それも小さな店ではなおさらだろう。
だが、大事な客なら多少嫌な奴だったとしても平気な店主にも、我慢出来ない客はいる。
具体的には、大切なジーンズをバッサリと切ってしまうような奴だ。
「はいはい、今回は何のようだよ。ジーンズか『仕事』か」
「安心して下さい。私はただの客としてここに来ました」
「ふーん。まぁお前に売るジーンズはないけどね」
「なっ、それがわざわざここまで足を運んできた客への態度ですか!?」
「大事なジーンズをぶった切るような奴は客じゃねえ」
店主はそう言って、そっぽを向いてしまう。
例え小さな店であっても、こだわりを持つ店というものはある。専門店ならばなおさらだ。
自分が買ったものなのだからその後どうしようと勝手だ、という意見は正しいのかもしれない。
だがこの店主はそんな風に割り切れないようだ。それだけ、ジーンズへの愛情があるのだろう。
神裂は困ったように溜息をつく。
この展開は薄々予想していたが、だからといって解決策を用意してきたわけではない。
元々、このスタイルも術式構成に必要だったりするのだ。
まぁ、彼女は他にもジーンズを切って袴風にしたいとも考えているので、趣味である部分も多いのかもしれないが。
「……ってインデックスも居るのか」
「こ、こんにちは」
店主は神裂の後ろについていた彼女の姿を確認すると、少し驚いたような表情になる。
それは彼女がジーンズに興味があるのを意外に思ったのか、それとも禁書目録ともある魔術師がここに来る事自体に驚いているのか。
一方で、妙にこの店の雰囲気にこの修道服を着た少女が合っているというような印象も受ける。
インデックスとしては、このような自分の知識が及ばない専門店に来て、どこか緊張しているようだ。
それはなんら不思議なことではなく、高校生になってギターを弾こうと思った学生なんかが、いざ買いに来た専門店で無駄に緊張するのと同じだ。
店側からすれば、新しい客というのは大歓迎だろうが、本人からすれば何ともアウェイ感があるのだ。
ちなみに、店主が自分のことを知っていたことに対しては疑問に思うことはない。
彼がイギリス清教と繋がっているのは事前に神裂に教えてもらっていたし、それならば自分のことを知っていてもおかしくないのだ。
それだけ、禁書目録というのは有名なものだ。
「おぉ、禁書目録サマもジーンズに興味か! ちょっと待ってな、今合うサイズ出してくるからよ」
「あ、えっと、私は……!」
「ん、あぁ、サイズの心配はしなくていいぜ。こちとら、学園都市の中学生にも売ったりしてるからな!」
「そ、そうじゃなくて、私は別に…………って学園都市?」
インデックスはあたふたと両手を振って、自分はただついてきただけという事を説明しようとするが、何やら引っかかる単語に動きを止める。
「あぁ、佐天ちゃんって言うんだけどな。通販関係でメールしてる内に、なんかメル友みたいになってなー」
「メル友?」
「メール友達って事だ」
「めーるって……あぁ、あのけーたいでんわーっていうもののお手紙みたいなやつなんだよ!」
学園都市に居た影響か、科学方面に関する知識もわずかながら得たインデックス。
「……あれ? でも学園都市の人と関わって問題ないの? あなたもイギリス清教の人なんでしょ?」
「よし、じゃあこの際よ~く覚えとけ。俺の本業は“ジーンズ店の店主”だ」
何か黒いオーラのようなものを纏いながら、はっきりと言い放つ店主。
インデックスはそんな店主の様子にキョトンとするしかないが、神裂はその心の中が分かるのか、目を逸らして多少バツの悪そうな顔をしている。
店主の言う通り、本業はこの小さなジーンズ店だ。
しかし、魔術の知識や腕もあるということもまた事実であり、度々イギリス清教から協力を要請される。
それも神裂達と違って給料がほとんど出ないところを考えると、副業と言うよりは単なるボランティアに近い。
ちなみに仕事はもっぱら後方支援といった感じだが、相手の魔術師に直接攻撃されることもあり、割と命がけだったりする。
まぁ攻撃されても、味方一人を庇ってなおかつ無傷で逃げきる程の腕を証明してしまったりもするのだが。
「ったくよー、お宅らは俺があくまで一般人だってのを何度言っても理解しねえよな」
「魔術の腕があるのは確かでしょう」
「ちゃんと英国語(クイーンズ)で話してんのに伝わってねえようだな。なら親切に日本語で言ってやろうか?
魔術の腕があろうがなかろが、俺は“一般人”だ!!!」
「うんうん、日本語の発音なかなか上手いんだよ!」
「そりゃどうも。まぁ元々日本語はそこそこできたんだが、佐天ちゃんが英語頑張ってるから俺もってな」
「といっても、極東の一国家でしか使えない言語ですけどね」
「おめーには愛国心っつーもんがねえのか」
店主は溜息をつきながら、頭をかく。
日本語の発音の確認ならば、神裂なんかが適任だと思われるが、どうやらこの様子だとほとんど独学で学んだらしい。
魔術側からすれば、布教のためにもいくつもの言語を習得するのは珍しくもないらしく、現に上条と戦った相手も日本語で話してきたりもした。
まぁこの店主の場合、布教なんて目的は考えておらず、ただいつの間にかメル友になっていた中学生の影響が強いだろう。
「日本だと英語は中学校から習い始めるのが多いみたいだね。とうまも苦労してたんだよ」
「とうま?」
「この子の管理者です。学園都市の」
「あー、例の。まっ、それなら佐天ちゃんは上出来なんだろうな。まだ中学一年生なんだし」
「その子はどのくらいできるの?」
「最初は文法とか怪しすぎて、もはや暗号に近かったんだけどな。最近だと随分良くなってるぜ。とりあえず意思は伝わるからな」
店主は嬉しそうにそう言うと、パソコンのマウスを動かしてカチカチと鳴らす。
その様子は、まるで娘の成長を喜ぶ父親のような印象も受ける。
神裂の事をさんざんお人好しなどと呼ぶこの男だが、そういう自分も結構いい勝負なのかもしれない。
「ジーンズの配達が遅れてる時なんかは、『ふぁっくゆあーあすほーる。さのばびっち』とか送ってくんだ。怒ってんのがよく分かるだろ?」
「……そうだね、とりあえずブチギレてるってのはよく分かるかも」
「そんな事ならばネット通販などは止めておけば良かったのではないですか?」
「テメェらが俺を引っ張りまわさなけりゃ済む話なんだよ!!」
店主は両手でノートパソコンを荒っぽく閉めながら不満をぶちまける。
「よし、とにかくインデックスに合うジーンズ取ってきてやるよ。ちょっと待ってな」
「え、だから、私はいいって……!」
インデックスは慌てて言おうとするが、最後まで言い切る前に店主は店の奥へ引っ込んでしまった。
別にここにあるジーンズでも、相当切れば大丈夫な気もするが、それは好まないのだろう。
「まぁまぁ、いいじゃないですか。…………私の方も何とか売ってくれればいいのですが」
「で、でも私小さいし、そういうのは似合わないんだよ」
「そんな事はありませんって」
「そうそう、その通りだ!」
そんな声と共に、店主が奥から戻ってきた。その手にはインデックス用のジーンズを持っている。
このような専門店だと客層も偏りそうなものだが、一応様々なサイズは揃えているらしい。
店主は、まるで自分の持つ賞状などを自慢するかのようにジーンズを掲げる。
「こいつでビシッと決めて、デキる女ってのをアピールだ!」
「私はそんなキャラじゃないかも!」
「ちっちっち。あのなー、男ってのはギャップってのに弱いんですぜい、お嬢さん」
「何かキャラ変わってませんか?」
神裂のツッコミは無視して、店主は何か悪い内緒話でもするかのようにインデックスに話しかける。
「そろそろ彼氏でも欲しいお年頃なんじゃねえの?」
「わ、私はシスターさんなんだよ!」
「つまり禁断の愛!! 燃えるじゃねえか!!!」
「……何で皆してその単語が好きなのかなぁ」
ついさっきも聞いたような言葉にうんざりとするインデックス。
そこら辺も尋ねてみようかと一瞬考えるが、どうせ聞いても理解出来ないだろうし、したくもないので止めておく。
この判断は正しい。
もしそれをこの店主に聞いていたら、おそらく熱く語ってくれるだろうが、最後まで言う前に神裂が途中で暴れる結末になる可能性が高い。
「おいおい、そのとうまって奴にアピールするチャンスだぜ?」
「だからとうまとはそういうんじゃないって何回言えば分かるんだよう!!」
「いや、俺は一回しか言われてねえが」
「私が言われたトータルの話なんだよ」
「今までの奴等への怨念を俺が全部受けてんの!?」
「なるほど、先程アニェーゼ達が何やら盛り上がっていたのはそういった話ですか」
インデックスは神裂のその言葉を聞くと「うっ」と固まる。
ついムキになってしまい、あまり知られたくない人物にまで知られてしまった。
そして予想通り、神裂はやたら真剣な表情になっている。
「やはりあなたはその……上条当麻の事を愛しているのですか?」
「そ、そんな神妙な顔でそんな事聞かないでほしいかも!!」
「そりゃ、同じ屋根の下で半年も過ごしたんだぜ? 普通ならもう……」
「なっ、そ、そうだったのですか……!! すみません、気付いてあげられなくて……」
「だから違うって言ってるかも!!!!!」
ニヤニヤと明らかにこの状況を楽しんでいる店主に、真顔でなぜか謝ってくる神裂。
そのどちらも、インデックスにとってはあまり好ましくないものであり、その小さな体全体でバタバタと否定の意思を示す。
だが店主はそんな彼女の様子を見て、ますます楽しそうにするだけだ。
シェリーも言っていたが、イジる側としてはこういった反応が一番良いものだ。
そして神裂に至っては、インデックスがここまで大慌てになっている理由すらも理解できずにポカンとしている。
案外、意図してからかってくるような者よりも、こういった生真面目で天然な方が厄介なのかもしれない。
しばらくの間、小さなジーンズ店は珍しいくらい賑やかだったという。
時刻は正午より少し前。
結局ジーンズを買わされてしまったインデックスは、どんよりとした様子で神裂と共にロンドンの街を歩く。
といっても、これは何もジーンズを買わされてしまった事によるものではない。
インデックスは職業柄、一応は公務員並みに安定した収入は得ている。たかがジーンズ一着買ったくらい、余程の値のするものではない限り問題にはならない。
もっぱらの疲労の原因は、あの店主のからかいによるものだった。
加えて、神裂も大真面目にグサグサと痛いところを突いてくるので、一度に二人を相手にする事になってしまったのだ。
一方、神裂は神裂でこちらもどことなくうんざりした表情だ。
こちらは粘りに粘ってジーンズを売ってもらったことによるものだ。
「まったく、ジーンズ一着買うのに大した苦労です」
「私は欲しいって言ってないのに買わされたんだよ。これ、どうしよう」
「せっかくなのですから、着ればいいじゃないですか」
「でも、合わせるお洋服もないし……」
インデックスも女の子なので、こういったファッションにまったく興味がないというわけではない。
しかし、そもそもいつもは修道服しか着ていないので、どんなものを着たらいいのかが分からないのだ。
「ふむ……それではお昼から少し洋服でも見ましょうか?」
「……かおりが選ぶの?」
「な、なんですかその目は!」
インデックスは今一度目の前に居る神裂火織の服装を眺めてみる。
ジーンズは左足の付け根近くからバッサリと切り落としており、上のジャケットもまた右肩からバッサリいっている。
下に着ているシャツも短く、思い切りへそが見えていた。
これでは羞恥心うんぬんの前に相当寒い気がするが、本人はそんな事は微塵も感じていないようだ。
神裂曰く、これは術式構築の為であるようで、それはもちろんインデックスも分かっている。
だが神裂にはこのような奇抜なファッションを結構気に入っているという節もあるように思える。
「……では、一度天草式のいる日本人街まで行きましょう。そこで食事がてら、五和達と合流すれば良いでしょう」
「うん、それがいいんだよ!」
「………………」
満面の笑みを浮かべるインデックスだが、神裂の方は何とも複雑な気持ちだった。
服装のことに関しては良く言われる神裂なのだが、インデックスにもそういう風に思われていたというのはショックだったらしい。
「…………そんなにおかしいでしょうか」
ルンルンとスキップしながら歩くインデックスの後ろで、神裂は自分の服の裾をつまみながらぼそっと呟く。
それは彼女にしては珍しく、18歳の少女らしい姿だった。
ロンドンにある日本人街。イギリス清教の傘下に加わった天草式が管理を任された場所だ。
そこの建物の内の一つ、12畳程の和室では天草式の五和がちゃぶ台に突っ伏していた。
といっても、何も深刻なことではない。そう判断できる理由としては近くに転がっている芋焼酎があげられる。
この部屋の印象だけ見れば、旅館の一室のような趣きのあるものに感じる。
しかしそこにベロンベロンに酔いつぶれた女の子一人が居るだけで、その印象がブチ壊れてしまうのは何とも悲しいものだ。
インデックスと神裂はまさに襖を開けた状態のままで完全に硬直していた。
元々ここには休憩と食事に来たわけであって、襖を開けた瞬間、強烈な酒臭さと共にこんな光景が目に飛び込んできたら当然の反応なのかもしれない。
それに五和は上条が感激するほどに『普通の女の子』だったはずだ。そのギャップによるショックも大きいといえる。
だがこのままいつまでも固まっているわけにもいかないので、神裂がためらい気味に五和の肩を軽く叩く。
何も反応しなかったら、担いでどこかの部屋に寝かせようと思っていたのだったが、五和は熟睡しているわけでもないらしく、ピクリと反応した。
そしてノロノロと顔を上げて焦点の定まらない目付きでぼんやりと神裂を見た。頬はほんのりと赤く紅潮している。
「あ、あの、五和?」
「……はぃぃ? あー、女教皇(プリエステス)ですか。どうもぉぉ」
「ど、どうしたのかな? まだお昼だよ?」
「んんー、ん?」
五和は億劫そうに首をわずかに動かし、視界に今の声の主であるインデックスを入れる。
「……インデックスさん、ですか。ひっく、どうせ、私はそうですよー」
「え?」
「何が魔術と科学の区別ですかー。なーんなーんですかー、ひっく」
まるで神裂達が見えていないかのように、そんな事を呟きながら五和は近くに転がっていた芋焼酎を手にとった。
しかしその中身が空である事を確認すると、突然バタンと仰向けに倒れてしまった。
といってもそのまま寝る様子もなく、目はぼんやりと天井を捉えている。
その表情はどこか憂いを帯びているようにも見え、神裂もインデックスも反応に困ってしまう。
「……お酒持ってこよう」
五和は急にハッキリした声でそんな事を言うと、先程までのノロノロとした動作がウソのようにすくっと立ち上がった。だが案の定足はフラフラだ。
そんな自由奔放というかなんというか分からない行動は、まさに酔っ払いらしいものだ。
どうやら彼女は未成年でありながら、既に相当の量の酒を飲めるほどに強くなっているようなのだが、それはほめられる様な事ではないだろう。
先程のジーンズ店主は男はギャップに弱いとか何とか言っていたが、こういう事ではないはずだ。
インデックスはそんな五和の行動にただただオロオロとするしかないのだが、神裂の方は慌てて彼女を止めた。
「ちょ、飲み過ぎですよ!」
「うふふふふ、まだまだぁぁ。 このくらい、全然らいじょうぶですよー」
「『大丈夫』もろくに言えてません!」
「おおう、五和……また潰れてるのよな」
新たに部屋に入ってきたのは建宮斎字だ。
こちらはインデックスや神裂とは違い、五和のこの様子を見てもそれ程驚いている素振りは見せていない。
どうやらこんな光景は見慣れているようだ。
「またって……五和っていつもこんな感じなのかな?」
「いや、今回の科学サイドとの切り離しの件が堪えたらしくてなぁ」
「え、どういうこと?」
「つまり、愛しの上条当麻に会えなくなって寂しくて寂しくて仕方が無いってわけなのよ!」
「ええ、その通りですけど悪いですかぁぁ!?」
「うぐおっ、酒臭さっ!!!」
一応建宮は上司的な関係があるはずなのだが、五和はそんな事は完全に忘れているようで顔を寄せてヤケクソ気味にメンチを切る。
普段の彼女なら、異性にここまで顔を近づけることなどないと思うが、酔っぱらいにそんなものは通用しない。
天草式の人間なら誰もが分かるような事だろうが、五和の荒れている原因は建宮の言う通り上条関係だ。まぁ神裂はその辺には疎いので気付かないのも仕方ないのかもしれない。
元々遠距離だというのに、会いに行くこともできなくなってしまったため、恋する乙女にとっては一大事だ。
だからといって、何かのドラマや映画のように全てを振りきって会いに行くというのもマズイため、こうしてふてくされるしかなかったのだ。
インデックスはその五和の言葉を聞いて、思わず黙りこんでしまう。
確かに自分も、上条が居なくて寂しいというのは否定することはできない。だが自分はこんな風にはっきりと言うことはできない。
それを口にしてしまったら、痛い。漠然とした感覚だが、そんな気がするのだ。
加えて五和は、上条の事が好きだという事を何のためらいもなく白状した。これは酒の影響もあるのかもしれないが。
インデックスはそれを聞いて、一気に心の中にモヤモヤが広がっていくのを感じる。
上条が他の少女から好意を寄せられているらしき事は何となく分かっていた。
しかしこのようにハッキリ言われるのは初めての事だった。
インデックスは早くこのモヤモヤを何とかしたかった。胸をきゅっと締め付けるような感覚は、とても苦しい。早く何とかしたい。
だがその方法を、彼女は知らない。
この感覚の原因すら分からないというのに、それを解消する方法なんて分かるはずがない。
「その、そうやって口に出したりすると余計辛くなったりしないのかな?」
「私にとってはぁぁ、溜め込む方が辛いですよぉぉ……ひっく! だからこうやってぶちまけて…………」
最後の方はブツブツと何を言っているのかは聞き取れなかったが、彼女はむしろこうして口にだすことで辛さを和らげているようだ。
そういう方法もあるのか……と、少し感心するインデックス。しかしすぐに顔を横にブンブンと振ってしまう。
彼女は彼女で、自分は自分だ。その選択は人に教わるものではなく、自分で考えるものだ。
一方、神裂は見るに見かねたようで、五和の腕を掴むと強制的にどこかへ引っ張っていく。
「はぁ……とにかく、少し顔でも洗いましょう。さすがに飲み過ぎです」
「まだまだこんなの量ではありませんー!!」
「そんな状態で何を言っているのですか。ほら、行きますよ」
「女教皇だってぇぇ、仕事帰りにいつも一杯やって、愚痴を零しまくっているんでしょー。 それと同じですよぉぉ……ひっく」
「なっ、私はそんな事してません!」
「ぶふっ……確かにやってそうなのよな…………」
「………………」
明らかにムカっとした表情で建宮を見る神裂。
何度も言うが、これでも彼女はまだまだ18歳の少女だ。
こんな風に、三十路手前のキャリアウーマンのようなイメージを持たれるのはあまり快いことではない。
建宮はそんな神裂の前でプルプルと必死に笑いをこらえていた。
ここで思い切り笑い出さない所はまだマシなのかもしれないが、それでも神裂の額に青筋を浮き立たさせるには十分だ。
それでも、神裂は18歳だが心はもう大人だ。このくらいの事でブチギレたりはしない。
多少勘に触ることがあっても、人当たりのよいスマイルで事を済ます。それがオトナの対応だろう。
何かあったらすぐに噛み付いたり、ビリビリする少女達とは違うのだ。
神裂は一度目をつむり、深く息を吐き出した。まるで自分の中の怒りをそのまま吐き出すように。
そしてその後、聖人らしい優しい微笑みを浮かべる。
表情が多少こわばっていたり、微妙に肩がプルプル震えているのは気のせいだろう。
「と、とにかく、五和は早く酔いを覚ましましょう」
「私もそうした方がいいと思うんだよ。今、私の中のあなたのイメージが音を立てて崩れているかも」
「まっ、さすがに飲み過ぎなのよな」
「む、むぅぅ……」
五和はようやく観念したのか、大人しく神裂に引っ張られていく。
その様子はまるで、駄々をこねながら母親に連れて行かれる子供のようにも見える。
こうして五和が少し大人しくなってきたのは、既に酒がある程度抜けた結果なのかもしれないが、とにかくこうして丸く収まりそうなのでほっと一息つく神裂。
その時――――。
「ああああああああああ!!!!! 五和ああああああ、また俺の酒をォォおおおおおおおおおお!!!!!」
そんなこの世の終わりのような叫び声をあげて登場したのは、天草式の中でも比較的大柄な牛深だ。
この男も、神裂やインデックスの最初の反応と同じ様に、襖に手をかけた状態で固まっている。
二人とは違う所と言えば、その目には涙が浮かんでおり、全身をぶるぶる震わせている事だった。
「だから俺の酒を飲まないでって、何回言えば分かってくれんだよおおおお!?」
「……これ牛深さんのですか。ご馳走様です」
「それ言えばいいってわけではないからね!?」
「牛深、後にしてください」
どうやら五和がグビグビやっていた酒はこの牛深のものらしく、見て分かるように相当なショックを受けているようだ。
確かに大人にもなると、仕事終わりの酒というのは生きがいの一つとも言えるわけで、この反応も何も大袈裟なものではないのかもしれない。
だが、神裂やインデックスなどはそんな大人の気持ちは良く分からない。
そのため、神裂は牛深のことは軽くあしらって、とにかく五和の正気を取り戻させることを優先しようとする。
その判断がまずかった。
「はっ、ま、まさか女教皇まで俺の酒を!?」
「は、はい?」
「あれ、女教皇。私と飲み直すつもりだったんですかぁぁ?」
「ダメええええええ!!! 女教皇とかメッチャ飲みそうじゃん!!! 俺の酒を根絶やしにするつもりかよ!!!」
「ぶはっ、はははははははは!! 牛深、“一応”女教皇は未成年なのよな!」
「………………」
「か、かおり……?」
ビキビキと、額から割と洒落にならない音を放っている神裂火織18歳。
その顔にはもはや聖人の微笑みなどはない。感情の一切を殺したような完全な無表情だ。
それはとてもとても恐ろしいものだった。
おそらく子供なんかは彼女を見た瞬間大泣きするだろうし、学園都市のスキルアウト達でも裸足で逃げ出す。
何か動物を同じ部屋に入れれば、ストレスにより一瞬でダウンするだろうし、都心の人込みの中でも自然と道が生まれる。
そのあまりの威圧感に、彼女の周りの空間自体がどこか歪んでいるような、そんな感覚さえ覚えた。
そんな感じに大変なことになってしまっている神裂火織だったが、それに気づいているのはインデックスだけだった。
このままではこの建物、いや日本人街自体が吹き飛ばされてしまう。そんな危険を肌でビリビリと感じ取っている。
当然、放っておくわけにもいかないので、インデックスは何とかなだめる言葉を必死に考える。
と、そこで、また新たに部屋に入ってくる者がいた。それも一人ではなく複数人だ。
「うるさいわねー、ってまた飲んでるの五和?」
「そんで、牛深さんもまた飲まれてるっすね」
「もういいじゃんか、少しくらい飲ませてあげなって」
他の天草式のメンバー、対馬、香焼、野母崎だ。
どうやら牛深の叫び声は建物全体に響きわたっているらしく、それを聞いて来たようだ。
インデックスは一瞬、こうして新たに誰かが入ってきたことで、神裂の怒りも静まるのではないかと期待してそちらを見た。
だがその考えは甘かったらしく、神裂は今だに全てを凍りつかせるような無表情のままだった。
さらに先程までとは違って、何かをブツブツと呟いている。
何を言っているのかまではよく聞き取ることはできないのだが、インデックスにはそれがまるで死の呪文であるかのように思えてしまう。
一方、被害者である牛深は涙目で反論していた。
「最近どんだけ飲まれてると思ってんだよ!! しかも今回は二人がかりだ!!!」
「えっ、女教皇も飲むの?」
「そ、それはヤバイっすね。たぶんここにあるだけじゃ足りないんじゃ……」
「あ、あの、女教皇。さすがにそれは牛深が可哀想なんじゃ……」
「ぶははははははは!!! やっぱお前らもそう思うのよな!!」
――――ブチンと、衛生上大変よろしくない音が鳴り響いた。
「うっせえんだよ、このド素人がァァあああああああああああああああああああ!!!!!」
ついに大爆発した神裂火織18歳。
その瞬間、ゴォ!!! と、何か衝撃波に似たような何かが神裂を中心として、広がったような気がする。
同時に、ピシリという音と共に、ちゃぶ台の上に置いてあったグラスにヒビが入る。
もはや鬼神のようなといった比喩には収まらず、まさに鬼神そのものだ。
その表情は、女性としてかなり致命的なほど歪みに歪みまくっている。元が相当な美人なだけに何とも残念な感じだ。
そしてこういった表情も聖人として神の子に対応しているのかと考えると、何とも言えない気持ちになる。
しかし神裂はそんな事は気にしない。
例え自分がどれほど凄まじい顔をしていても、どれほど周りが恐怖で凍りついていても。
ここで躊躇うことができるような理性はもう既に消え失せていた。
「どいつもこいつも、人を勝手に大酒飲みの年増みてえに言いやがって!!! それなら私にも考えがあります!!!」
「お、落ち着いてください女教皇!! 誰も年増だなんて言ってないですって!!」
いつの間にかフォローする側に回っている五和。
顔を洗わずとも、神裂の大爆発によって、酔いも一瞬で吹き飛ばされてしまったらしい。
それでも神裂は止まらない。
「今からあなた達の言う通り、ここにある酒全部飲み干してやります!!! それで私が潰れれば考えを改めるでしょう!?」
「ぶっ、ちょ、待つのよな!!!」
「あーあー、どうするんすか牛深さん」
「俺のせい!? つか俺が一番の被害者なんじゃねえの、この場合!!」
その後、この建物にはガッシャーン! やらドガァーン! やら凄まじい音が連続した。
それは神裂がここにある全ての酒を漁っていく音であったり、それを天草式一同で必死に止めようとする音だったりする。
だが相手は聖人、止めようと思って止められるものではない。
インデックスは元いた和室で一人呆然としていた。他の天草式のメンバーは全員神裂を止めに行ってしまった。
ズズゥーン! と、近くに巨大ロボットでも着陸したかのような地響きが建物全体に広がり、天井からホコリが落ちてくる。
外から何か泣き叫ぶ様な声が聞こえた。おそらく牛深が自分の酒を目の前で飲まれでもしているのだろう。
ドタバタと足音が連続するこの状況は、まるで敵襲を受けたかのようだ。いや、あながち間違ってもいないのだが。
そんな時、インデックスのお腹から、キューと、やたら場違いに聞こえる小さな可愛らしい音が鳴った。
「……おなかへった」
結局、建物にあった酒は全て神裂に飲まれてしまった。
後に残ったのは、魔術攻撃でも受けたかのような建物の損壊と大量の空の酒瓶、そして崩れ落ちる牛深だった。
ちなみに、様々な種類の酒を10リットル以上飲み干した神裂火織だったが、酔い潰れることはなかったという。
インデックスは一人でロンドンの街を歩く。
というのも、神裂が大暴れしたせいで、天草式総出で建物の修繕をする必要が出てきたため、彼女の買い物に付き合う暇がなくなってしまったからだ。
我に返った神裂は、本当に申し訳なさそうに謝ってきたのだが、インデックスもそこまで責めることはしなかった。
日頃から老けている事をネタにされているのは良く知っていたし、いつもあれだけ真面目なのだからたまには爆発する事もあるだろう。
まぁその一回の爆発で建物一つが半壊状態になってしまうのは考えものだが。
それに、名実ともに大酒飲みとなってしまって半端なく落ち込んでいた所に追い打ちをかけるのも気が引けた。
時間は午後一時を少し回ったところだ。
これはいつものインデックスの食事サイクルでは既に昼食をとり終えている時間帯であり、案の定お腹からは何か食べ物を催促する音が時折響く。
手には、ほとんど強引に買わされたジーンズの入った袋がぶら下がっているのだが、こんなのは腹の足しにもならない。
例えこれが一着数十万円以上する代物であっても、今は百円で買えるハンバーガーの方が欲しい。
「外食……にしてみようかな」
インデックスが食事をとるのは、いつも寮の食堂だ。
学園都市の生活でいくらかマシになったようだが、彼女はまだまだ世間の常識というものに疎い。
故に、一人でどこかのお店に入って食事をするということは、彼女にとってはかなり難易度の高い事なのだ。
それでも、外食というものに興味がないわけではない。むしろ大ありだ。
学園都市では、何度か上条と共にファミレスなんかに行ったこともあるが、そこの料理はとても美味しかった。
普段の上条の手料理が不服というわけではなく、たまに変化のある食事が良いものに思えるという事だ。
といっても、一時期のそうめん地獄に関しては、さすがの彼女も不満たらたらだったりもしたのだが。
「……うん、これから生活してくのにも、一人で外食くらいできないとダメだよね!」
拳をぐっと握って決心するインデックス。
内心、胸はバクバク鳴っているし、手からもしっとりと汗が滲んでいる。
しかしだからといって逃げることはできない。越えなければいけない壁がある。
ちなみにお金の心配はない。
現金は持っていないのだが、彼女にはカードがあった。
先程のジーンズ店での買い物もそれで済ませた。実際は神裂にカードを渡しただけなのだが。
彼女は決心が鈍らない内にと、とにかく近場のレストランに入ろうとしてみる。
それは何の変哲もない普通のレストランなのだが、彼女には何重もの防御結界に守られた神殿のようにも思えた。
と、そこで彼女の足が止まる。
「魔力?」
明るい色彩の絵の具に、黒を塗りたくったように、日常に非日常が侵食してくる。
いや、彼女にとってはむしろ一般人にとっての非日常の方がむしろ日常なのかもしれない。
インデックスはピクリと素早く反応しつつ、首を振って辺りを見渡す。その表情はもう仕事の時のものだ。
彼女は魔力の反応に鋭い。それ故に、魔術師の不意打ちも効かない。
空気が酷く淀んでいるように感じる。
これはちょっとしたイタズラ程度の魔力ではない。簡単に人の命を奪える、そのくらいの力を持っている。
どうやらこれは自分を狙ったようなものではないようだが、放っておくことはできない。
例えそれが自分に関係がなく、そして仕事でなくても、彼女は動く。
自分のこの力は誰かのために使うものであって、それによって彼女自身も救われる。
今までこの力にはたくさん苦しめられたが、それも誰かのためになるというのなら彼女も嬉しかった。
インデックスはある一点をキッと睨むと、白い修道服をはためかせてそちらへ走っていく。
着いた先は薄暗い路地裏だった。
大通りのど真ん中で魔術を使われるよりかは随分とマシだが、それでもこんな人気のない場所ではさらに嫌な予感がする。
インデックスは道に捨てられた空き瓶などを蹴飛ばしながらとにかく走る。
この場で魔術を使って高速移動するという手もあるのだが、それで相手に気づかれてしまうのは良くない。
もしも既に誰かを拘束などしていたとすれば、そんな状況で相手を逆なでするような事はなんとしても避けたい。
次の曲がり角。その先に魔力の発生源がある。
インデックスはここで速度を落とし、壁に背中をあずけてジリジリ進む。
全神経を研ぎ澄ませながら、相手にこちらの存在を感づかれないように、走ってあがった息を無理矢理押しとどめる。
そして、ここに来る途中で拾った割れた鏡を使って曲がり角の先の様子を伺った。
薄汚れた鏡に映った光景は――――。
「ステイル!?」
今までの慎重さはどこへやら。インデックスは即座に曲がり角の先に出て、大声をあげる。
そこに居たのは身長が二メートルもある赤髪の大男、一応は仕事仲間であるステイル=マグヌスだった。
しかも彼一人ではない。
ステイルの周りは不良と思わしき少年達が数人で囲んでおり、そのどれもがナイフなどの刃物を手にしていた。
こう言うのもなんだが、この場所の事を考えるとこんな状況になるのもそれ程おかしくはない。
だがインデックスが慌てて飛び出したのは、何もその不良達からステイルを助けるためではない。
どんなに大人数で囲んだとしても、相手は魔術師殺しに特化した必要悪の教会(ネセサリウス)の一員だ。
凶悪な魔術師を殺せて、路地裏の不良を殺せないわけがない。
インデックスはステイルを助けに来たのではない、ステイルに絡んだ不良を助けに来たのだ。
現に、ステイルの右手は巨大な炎に包まれており、不良達は皆が皆恐怖に満ちた表情をしていた。
普段彼らがやっている事を考えれば、これもいい気味なのかもしれないが、だからといって放っておくなんて事はできない。
ステイルの炎が直撃すれば、骨も残らないことが多い。さすがにそれはやりすぎだ。
ステイルはどこまでも無表情で、まるで道端の虫でも見るかのように不良達を見ていたが、インデックスの声に反応してそちらを向く。
「……なんだ、君か。こんな所で何をしているんだい?」
「それはこっちの台詞かも」
「僕かい? こいつらが絡んできたから、少し痛い目でも見てもらおうと思っている所だよ」
ステイルは何でもないようにそう言うと、再び視線を不良達に戻して薄く微笑む。
それは確かに微笑みではあるが、優しさなどは皆無であり、ただ愉悦に浸っているだけだ。
不良達もそれは良く分かっているようで、青ざめ息を呑む。小さく悲鳴を漏らす者もいた。
その瞬間、インデックスの目が鋭くなる。
「ッ!!」
ステイルはここで初めて余裕の表情を崩し、何かを警戒するようにバッと再びインデックスの方を向いた。
それは決して鈍い反応ではなく、早かったはずだ。普通の魔術師相手ならば対処できたかもしれない。
だが、相手が魔道書図書館ともなると、遅すぎた。
ステイルが視界に彼女を捉えるよりも先に、その手を包んでいた巨大な炎は、まるでロウソクの火を吹いたかのように消え去った。
インデックスのとった行動はシンプルだ。
ただ右手を、蜘蛛の巣を払うかのように小さく振るだけ。それだけでステイルの炎は完全に消滅してしまった。
しかし、ステイルはそれに対して驚くことはない。
禁書目録がどういうものなのか良く分かっている同僚だからこそ、それだけの所業を見ても違和感を覚えないのだ。
ステイルはじっとインデックスを見る。
何かを言いたそうにしているのは分かるが、口は開かない。
彼女の目には、赤い魔方陣が浮かび上がっており、綺麗な碧眼なだけに背筋が寒くなる程の禍々しさを帯びている。
「あなた達はもう行っていいよ。これからはこういう事しちゃだめなんだよ」
「「は、はいいいいいいい!!!!!」」
不良達は一目散に逃げていく。慌てすぎて途中で転んでいる者もいるくらいだ。
これだけ恐ろしい目を見れば、おそらく同じ事をすることもないだろう。
そしてインデックスはステイルに向き直る。その表情は明らかに怒っている。
「それで、一般人にあれだけの魔術を使おうなんて何考えてるのかな」
「君の早とちりだよ。別に僕はアレを直撃させるつもりはなかったさ。ちょっとした脅しだよ脅し」
ステイルは彼女と目を合わせることもなく、そっぽを向いている。とてもつまらなそうな表情だ。
「それより、その状態は早く解いたほうがいいんじゃないかい? 誰かに補足されても面倒だし、何より疲れるだろう?」
「………………」
インデックスは渋い表情のままだったが、目の魔方陣は消えた。
任務ではどれだけ早く戦える状態になれるのかも重要なので、これに関してはかなり練習をした。
今では一瞬と呼んでいいほどの速度で、戦闘状態に移る事ができる。
「それじゃ、僕はもう行くよ。君も面倒な事に巻き込まれない内に、こんな所からはさっさと立ち去った方がいいよ」
「待って」
踵を返してどこかへ歩いて行こうとするステイルだったが、すぐにインデックスが呼び止める。
ステイルは立ち止まると、明らかに面倒くさそうな表情でこちらを振り返った。
実を言うと、これでもこの少年にしては珍しいことだ。
他の人間が同じように呼び止めた所で、彼はわざわざ止まって振り返るなんて事はしないだろう。無理に追ったりすれば、炎剣で牽制したり蜃気楼を利用して逃げたりしてもおかしくない。
「ステイルって私のこと避けてるよね? 何でかな?」
「避けてないよ」
「ウソなんだよ、明らかに避けてるんだよ」
「だから避けてないって」
「ウソ」
インデックスは、きちんと答えてくれるまで諦めないといった感じだ。
これは前から気になっていたことなので、ここでハッキリさせたかった。
避けられていても、そんなに気にしないという人物はいるだろう。むしろ必要悪の教会ではそちらの方が多いかもしれない。
しかし彼女はそういった人間ではなかった。
ステイルは深く溜息をつく。
呆れて、というよりも、ただ本当に面倒くさがっているようだ。
そして少し落ち着きたいのか、タバコを取り出そうと懐へ手を伸ばす、がその途中でふと何かを思い出したように動きを止めてしまう。
結局、少年はタバコを取り出す事はなく、ただ舌打ちをする。
インデックスはそれを見て、キョトンと首を傾げる。
彼女がそのステイルの行動の意味が分からないのは無理も無い。
インデックスは記憶を失う前、ステイルがタバコを咥える度に、根気強く注意していた。
今では遠い昔のことに思えるそんな事から、少年は彼女の前で吸う事はやめている。
どこかイライラしているのも、ニコチンが足りなくなったからではない。そうやって未練がましく昔のことを思い出している自分自身に腹が立ったのだ。
「まったく、君もしつこいね。僕が今から君を昼下がりのデートにでも誘えば満足かい?」
「……うん、それでいいや」
「は?」
ステイルは思いっきり皮肉の意味で言ったのだが、インデックスのその返答に思わず硬直してしまう。
あわよくばこれで怒らせて、うやむやにでもしてしまおうかとも考えていたので、これは完全に予想外だった。
何か憎まれ口の一つでも言っておきたいが、そんな言葉もなかなか出てこないほどにステイルは混乱していた。
「デートでも何でもいいけど、私はあなたに聞きたいことがあるからね。避けている事以外にも」
「…………?」
「魔術を使った後の私の異常な疲労についてなんだよ」
「……気付いていたんだね」
「自分の体なんだから当たり前かも。その様子だと、それについても知っているみたいだね」
考えてみれば、魔術関係でインデックスに隠し事なんていうのは初めから無理だったのかもしれない。
ステイルは真っ直ぐ自分を見つめる彼女を見ながらそんな事を考え、観念する。
「分かった、君の疲労に関することは正直に話す。だけど、僕が君を避けているとかいうのは、どんなに聞かれてもただの勘違いと答えるしかないね」
「ふーん、あくまでそう言うんだ。まぁとにかく、どこかご飯を食べられるとこに行こっか。私――――」
彼女が何かを言う終わる前に、再びインデックスのお腹からキューという可愛らしい音が鳴った。
何とも痛々しい沈黙が広がる。
それはシリアスな雰囲気をぶち壊す破壊力は持っており、あまりにも場違いな音に聞こえた。
相手がユーモアのある人間だったら、笑って和ませてくれるのかもしれないが、ステイル=マグヌスにそれは期待できない。
インデックスは顔を赤くしていた。
普段はあまり気にしなくても、こういった真面目な場面だとやたら恥ずかしく感じる。
「……おなかへったし」
彼女は顔を赤くして俯いたまま、先程の続きを言い終える。
その様子は何とも居たたまれない。
そして恥ずかしさを紛らわすためか、足早に歩いて行ってしまう。
ステイルはそんな彼女をフォローする事もなく、ただやれやれと首を振って大人しく彼女の後ろについていった。
例えその口元に小さな小さな笑みが浮かんでいても、この薄暗い路地裏では気づく事は難しい。
今回はここまで。遅くなってゴメンね、切る場所に困ったわ
>>171
ちょっと1レスに詰め込み過ぎかな?
天草式の皆さん
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org2675023.jpg
乙
インデックス帰国して出てこないSSはよくあるけど
帰国したインデックス側を描くのは新鮮だわ
>>197
もう見れないorz
>>200
ごめんごめん
天草式の皆さん
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org2727633.jpg
そういや諫早さん出してなかった
インデックスとステイルはとあるレストランで遅めの昼食をとっていた。
ここは色々な国の料理が楽しめる、いわば多国籍料理店であり、店内も観光客が多い。
旅行に行くなら、その国の料理を楽しんだほうが価値がありそうだが、案外人間は単純な構造になっている。
つまり、初めは物珍しい料理であったとしても、最終的にはいつもの祖国の料理が良いという結論が出てしまったりもするのだ。
インデックスはひたすら食べる。
イタリア、フランス、中華。
様々な国々の料理が並べられたこのテーブルは、今時のグローバル社会というのを表しているのだろうか。
いや、おそらく彼女はそんな事を気にしているわけではなく、ただ食べたいものを好きなだけ食べようとした結果こうなったのだろう。
対照的に、対面に座るステイルはただコーヒーだけしか注文していない。
「とってもおいしいんだよ!!」
「そうか、それは良かったね。でも淑女としては、頬にまで食べかすを付けているのは良くないんじゃないかな」
「え、どこ?」
「違う、逆だ。こっちだよ」
ステイルはテーブルに備え付けられている紙を取ると、身を乗り出してインデックスの頬に近づける。
その様子は、妹の世話をする兄のようにも見えた。
ところが、少年は突然動きを止めてしまう。
「どうしたの?」
「…………いや、食べかすは君から見て右頬に付いているよ。これで拭いたらいい」
「あ、うん」
インデックスは一瞬ステイルの言葉を理解出来ないかのようにキョトンとしていたが、とりあえず紙を受け取って汚れを拭き取る。
その後、ステイルの事をじっと見る。
「……なにかな?」
「やっぱり避けてるよね、私のこと」
「君は自分の頬の汚れも人に取ってもらわないといけないのかい?」
「でも君、途中で止めたよね」
「気のせいだよ」
「ふーん」
インデックスは、いかにも信じてなさそうにジト目で見るが、ステイルは特に反応もせずにコーヒーを口へ運ぶ。
それを見て、これはどんなに聞いても答えなさそうだと思った彼女は、とりあえず自分で少し考えてみる。
ステイルが自分を避けている事に関して、心当たりが全くないわけではない。
ここに来てからは、随分と勝手なことをしてきたと思うし、ステイルとも何度か衝突した。
それを考えれば、避けられるのも仕方ないようにも思える。
しかし、ステイルが自分を避けていると感じ始めたのはここに来てからではない。
もっと前から、何となく自分とはできるだけ距離をおこうとしている、そんな気はしていた。
それがここ最近で確信に変わっただけだ。
「……もしかして、君は女の子が苦手な照れ屋さん?」
「何をどう考えたらそんな結論に達するのか僕にはわからないね」
「それもそっか。かおりとか最大主教(アークビショップ)とは普通に接してるもんね」
「それじゃあ、もういい加減に被害妄想は止めてくれないか?」
「むぅ……じゃあそっちは後回しでいいや」
インデックスは半ば呆れたように首を振ると、真剣な目でステイルを見つめ直す。
「私の疲労の原因、そっちは教えてくれるんだよね?」
「……あぁ」
ステイルは彼女の言葉を受けても、少しの間はコップの中のコーヒーをただ見つめていただけだった。
だがこっちの問題については、言った通り特に隠すつもりもないらしく、顔を上げて口を開く。
「まず、君はどこまで知っているんだい?」
「原因はたぶん、遠隔制御霊装」
「そこまで分かってるなら話は早いね」
本来、魔術的なことに関して、インデックスの方から質問するのは珍しいことだ。
彼女は通常は尋ねる側ではなく、答える側になる。それが魔道書図書館というものだ。
しかし、彼女の知識にも穴はある。
それは神の右席の術式のような極めて特殊なものであったり、記憶に関するものだったり。
特に記憶に関する魔術については、『首輪』の事もあって、彼女の頭には入っていない。
記憶消去という縛りを与えていたのに、彼女自身の頭にそれの突破口となるヒントを残すなんていうのは何とも間抜けな話だ。
同じような理由で、当然遠隔制御霊装についての知識も彼女は持っていない。
逆に言うと、魔術関係でインデックスにも分からないということは、原因はそういった所が怪しくなってくるわけだ。
「遠隔制御霊装に不具合が起きてる。原因は君の精神状態らしい」
「え……?」
「何か大きなストレスがあるだろう?」
じっと、心を見透かすかのようにステイルはインデックスを見つめる。
もちろん、実際にそんな魔術を持っているわけではない。彼の魔術は基本的に敵を直接的に仕留めるものばかりだ。
だが、インデックスはその目に居心地の悪さを感じる。
先程までは相手の目を見て話していた彼女だったが、今は自分から目を逸らしている。
「そ、そんなの……知らないんだよ」
「はぁ……じゃあハッキリ言おうか」
明らかに動揺した様子で、何かを誤魔化すようにジュースを飲むインデックス。
そんな彼女に、ステイルは見せつけるように溜息をつき、
「上条当麻の事が恋しすぎて、霊装に影響を与えてるってことだよ」
ぶはっと。
インデックスの口から勢い良くジュースが噴射された。
そしてそれは対面へ、つまりステイルに向かう。
例えば身体能力に優れた聖人であれば回避できたかもしれない。
しかし、完全な不意打ちの上にこの至近距離だ。
案の定、ステイルは頭からポタポタとジュースを垂らしながら、明らかなしかめっ面になっていた。
「わわっ、ごめんなさい! 今拭くんだよ!」
「いいって、自分でやるから。まったく、オーバーリアクションにも程がある」
「急に変なこと言われたら仕方ないかも! というか、あの霊装ってそんなプライベートな事まで分かっちゃうのかな!?」
「いや、分からないよ。まぁ今君が教えてくれたけど」
「なっ!!!」
ステイルはただ単にカマをかけただけだったのだが、彼女が見事に引っかかった事に呆れた様子だ。
前々から真っ直ぐすぎるとは思っていたのだが、ここまで来ると心配にもなってくる。
インデックスの方は言うまでもなく真っ赤だ。もう顔だけではなく、首元まで赤くなっている。
「ち、ちちちち違うかも!! わ、私は……っ!!」
「で、その上条当麻の事なんだけど――――」
「もうお腹いっぱいなんだよ!!」
インデックスの行動は素早かった。
これ以上は耐えられないといった様子で、彼女は勢い良く立ち上がると、足早に出口まで行ってしまう。
言うまでもなく、これ以上追求される事を避けるための防衛行動だ。
しかし顔は以前真っ赤なままで、すれ違った店員達も何事かと思わず振り返って確認してしまう。
他の客達の視線がステイルの座るテーブルに集まる。
おそらくカップルのケンカなどと思われているようで、その目には好奇の色が浮かんでいる。
ステイルとしては、こんな状況は勘弁してほしいものだ。
少年は再び溜息をつくと、伝票を掴んでカウンターへと歩いていった。
その伝票には、まるで大人数できたかのような大量の注文が記されており、当然値段も凄いことになっていた。
数十分後、インデックスとステイルはとある洋服屋まで来ていた。
あの後、ステイルに勘定を押し付ける形になってしまったインデックスは、自分の分は払おうとしたのだったがステイルは断っていた。
まだまだ14歳の少年であるステイルだが、買うものといったらタバコくらいだ。少しくらいの出費は何も痛くない。
まぁ彼女にそこまで甘い理由は他にも色々あったりするのだが。
インデックスはとにかく先程の話題には触れてほしくないのか、ステイルを洋服屋に引っ張り込んでいた。
これは話題を逸らすという意味もあるのだが、元々天草式の人達に服を選んでもらう事になっていたので、その代役にステイルを選んだというものもある。
といっても、彼もいつも同じ漆黒の修道服姿なので不安はあるが、そこまで考えている余裕はなかった。
「このシャツなんかどうだい? 神裂みたいにもできるんじゃないか」
「あんな格好したくないかも」
「……それ、神裂の前では言わないほうが懸命だよ」
おそらく神裂本人が聞けば、地面にめり込むくらい落ち込みかねない言い分に、さすがのステイルも忠告だけしておく。
インデックスはたまに、純粋な表情で心にグサリと来ることを言ったりする。本人には悪気がないところが更に面倒だ。
「あっ、このニットのパーカーとか可愛いかも!」
「ふーん、いいんじゃないかい」
「明らかにてきとーに言ってるよね?」
「そんな事はないさ」
インデックスが手にとったのは、白を基調にピンク色の線がアクセントとして入っている、暖かそうなフード付きのニットパーカーだった。
いつも着ている修道服も白いものだが、彼女は元々白が好きなのかもしれない。
しかしステイルはと言うと、いかにも興味なさ気な様子で、ただ相槌をうつだけだ。
これでは何のためにここまで連れてきたのか分からない。
「むぅぅ、じゃあ下に着るものを選んでほしいかも!」
「じゃあこれで」
「今たまたま目に付いたものだよねそれ!」
ますます機嫌が悪くなるインデックス。
ステイルはより一層深い溜息をつくだけだ。
ただ服選びに付き合うだけなのに、いつもの仕事並みに疲れを感じる。
ちなみにステイルが適当に手に取ったものは、シンプルな黒のブラウスだった。
「別にこれでも悪くないだろう? 上が白なんだから下は黒でいいじゃないか」
「…………なんだかとてつもなく釈然としないけど、いいよ」
インデックスはそう言うと、試着室へと向かう。
一般的なカーテンだけで区切られた簡素なものだが、彼女はどうもこれが慣れない。
特にここにとある不幸な少年が居たならば、ほぼ確実に着替えを覗かれる事になるというのが容易に予想できる。
本人にその意思がなくても、だ。
インデックスはカーテンを閉める前にステイルの方を振り返る。
「……覗いちゃダメなんだよ」
「それで僕に何の得があるのかな」
「ふんっ!!!」
バシッと、強烈な勢いでカーテンを閉めてしまうインデックス。
もちろん覗かれたいなどとは思っていないのだが、このステイルの反応もかなりイラッとする。
一応はインデックスも女の子であって、こういった完全に無関心な態度を取られると傷ついてしまう。
女の子というものは複雑だ。
残されたステイルは訳が分からないといった表情だ。
今は彼女からこちらが見えないので、この隙にどこかへ行ってしまうという手もある。
普段の彼の行動から考えれば、それは何の違和感もなく、むしろこうしてきちんと待っている事のほうが珍しい。
それも、相手がインデックスだから、という事からくる。
どんな小さな事でも彼女を悲しませるような表情をさせたくない。
そんな思いから、彼女に対してだけはステイルも態度を変える。
それは注意しなければなかなか分かりにくい事だが、神裂なんかは気付くことができるだろう。
シャーと、金具がレールを滑る音と共に試着室のカーテンが開かれる。
その向こうに居たのは、青のジーンズに黒のブラウス、そして先程のフード付きニットパーカーを着たインデックスだった。
なぜか恥ずかしがっており、頬をほんのりと赤く染めてモジモジしているところがさらに可愛さを際立たせている。
ステイルは不覚にも一瞬思考を停止して、その姿から目を離せなくなってしまう。
意外にも、と言えばそれは失礼になるのかもしれないが、それだけ良く似合っていた。
この少年がここまで動揺するのは極めて珍しく、他の同僚などが見ればどれだけ驚くか分からない。
「ど、どうかな?」
「……いいと思うよ」
「ほ、ホント? ちゃんと見て言ってる?」
「あぁ、見てるよ」
ステイルはどこかイライラしたように頭をガシガシとかく。
それは別にインデックスに対してイラついているというわけではない。
ただ彼女の私服を見た、それだけの事にここまで動揺してしまう自分自身に腹が立ったのだ。
別にこれは14歳の少年から考えれば何も不思議なことではないのだが、それで納得するはずもない。
ステイルは、この何とも居心地の悪い雰囲気を何とかしようと口を開く。
「ていうかさ、僕にそれを見せても上条当麻がどう思うかの参考にはならないと思うよ」
「それは分かってるんだけど……でも一応男の子に見てもらってからの方が…………」
そう言いかけたインデックスの全身が完全に硬直する。
彼女は一瞬、自分が何を言ったのかを確認するのに、それ以外の思考を全て停止させる必要があった。
そして次の瞬間、まるで信号機のように即座に顔を真っ赤に染め上げる。
「わっ、あ、ちがっ!!! そうじゃなくて、私は……っ!!!」
今更何を言っても遅いのだが、それでもあたふたと誤魔化そうとするインデックス。
周りから見れば可愛いものなのだが、本人は力いっぱいブンブンと両手を振ってかなり必死だ。
それに対して、ステイルはジト目で呆れたようにしていた。
ここまでカマかけやハッタリに引っかかるようでは、仕事の方にも何か支障が出るのではないかと割と真剣に心配する。
魔術関係のハッタリなんかには滅多に引っかかったりはしないのだが、こうした魔術などは関係のない言葉だけで騙されるという事も無くはないのだ。
「分かった分かった。君がそう言うならそういう事にしておくよ」
「う、うぅ……」
ステイルはこんな事を言っているが、もう色々と手遅れなのはインデックス自身分かっているのだろう。
少年のその言葉に対しても、まだ顔を赤くしたまま俯いてモジモジとすることしかできない。
そんな彼女を見て、ステイルは複雑な気持ちになる。
彼はインデックスを“救えなかった”。だから自分はこうして隣に立つ権利だって本当は無いものだと思っている。
例え彼女は自分に気付かなくても、命に変えてでも守り通す。そう決意したはずである。
だが、人間というのはそこまで簡単に割り切れるものではない。
どれだけ強大な魔術師であっても、過去の過ちにいつまでも縛られているという事も珍しくも何ともない。
むしろ、その後悔の念でそれ程までの力をつけることができたという例が多いくらいだ。
ステイルはまだ、彼女がもう既に他の者に惹かれてしまっていることを、心のどこかでは否定したいのかもしれない。
しかし、それを表に出すことはできない。
自分は彼女を救えなかったが、あの少年は救ってみせた。それが全てだった。
それから二人は様々な場所を周った。
可愛らしいアクセサリー店、駄菓子屋、ゲームセンター。
インデックスはそれは楽しそうにしていた。
アクセサリー店では十字架にハートが組み合わされたものを買って。
駄菓子屋では何種類もの菓子をまんべんなく買って店員を驚かせたり。
ゲームセンターでは、学園都市での経験を生かしてステイルに挑んだのだが、結局どのゲームでも勝てなかった。
ステイルは何となく分かっていた。
その笑顔の裏にはどこか暗いものが隠れていて。
こうして楽しそうにしていても、彼女の心のどこかではまだあの少年がちらついている。
テムズ川にかかるロンドン橋。
そのすぐ近くの川沿いの歩道に二人はいた。安全のために川と歩道の間は腰くらいの高さの塀で区切られており、その上には金属製の手すりもついている。
既に日はかなり落ちており、オレンジ色の光が川面に反射し、綺麗な光景を生み出していた。
インデックスは買ったばかりの新品の服の上から、これもまた新品である黒いコートを羽織っている。
彼女に黒というのはどうかとも思ったのだが、実際に見てみると妙なギャップがまた良い感じである。
インデックスは少し前までははしゃいでいたのだが、急に口数も少なくなり、ただ黙って手すりに手をついて川面を見つめている。
はしゃぎすぎて疲れた、というのもあるのかもしれないが、それ以外の大きな原因があるということは分かった。
ただ、こんな事を思うのはあまり良くないのかもしれないが、彼女のそんな姿は美しかった。
普段は“綺麗”という言葉よりは“可愛い”という言葉のほうが似合う彼女だが、今は逆だ。
それはいつもと違う服装からくるのか、それともこの雰囲気と表情からくるのかは分からない。
とにかく綺麗だと、そう素直に感じた。
「……どうしたの?」
だから、彼女がふとこちらを見てそんな事を尋ねてきて、ステイルは柄にも無く動揺してしまう。
もちろん、見とれていたなど言えるはずがない。
「いや、何でもないよ」
「そっか」
意外なことに、インデックスはそれ以上追求することもなく、再び視線を川面に戻す。
二人の間に再び沈黙が広がる。
あまりに静かなので、いつもはあまり聞こえない川の流れる音も良く聞こえる気がする。
人払いを使っているわけでもないのに、辺りには二人しかいない。
長い時間このままで居ると、まるで世界に自分達だけしか居なくなってしまったかのような錯覚も覚える。
「……ねぇ」
「なんだい」
「なんかこうしてると、まるで恋人同士みたいなんだよ」
「……端から見ればそうかもしれないね」
珍しくステイルは特に否定もせずに、自分も手すりに手をついて川面を見つめる。
しかし、二人の間は大きく空いており、恋人同士と見るにはそこに違和感がある。
ステイルは分かっていた。本当は分かりたくもない事なのだが、それでも気付いてしまう。
彼女がこういった事を言うのも、全ては根底にあの少年が居る。
少しでも気を緩めれば外に出てしまいそうだから、こうして無理矢理振り払おうとしているのだ。
確かにこれは、ステイルにとっては分かりたくもない事だ。
それでも、分からなかったら、彼女はいつまでもそれを一人で抱えている事しかできない。
だから、これでいい。分かってやらねばいけない。そう思うことができる。
「君は、学園都市に戻った方がいい」
静かな、ゆっくりとした声だった。
ステイルは少しも表情を変えずに、まるで世間話でもするかのようにそう呟いた。
だがこれはただ単に落ち着いているというわけではない。
心の中は様々なものがぐちゃぐちゃに混ざり合って、良く分からなくなっている。
だからこそ、どんな表情をして話せばいいのか分からなくなっているのだ。
対するインデックスの反応は大きかった。
体全体をビクッと震わせ、慌てた様子でステイルの方に向き直る。
「そんな事できるわけないんだよ!」
「できるさ。最大主教(アークビショップ)と向こうのトップが話し合って許可された」
「ウソ……」
インデックスは今にも泣きそうな表情で小さく震えていた。
それは今まで必死に耐えていたものが、崩れていくような印象を受ける。
しかし、ステイルは手を差し伸べる事はしない。
例え命をかけて守りたい少女だとしても、少年はただその様子を見ていることしかできない。
そんな自分にどうしようもなく腹が立って、無意識に拳を握りしめる。
「ただし、あくまでも一時的なものだ。期間は一週間。その間に君のそのストレスの原因を何とかできれば、というわけさ」
「……私、やっぱり迷惑かけてるよね」
「違うね。悪いのは遠隔制御霊装なんて作った奴等だ」
「でも、私がしっかりしてれば済む話なんだよ」
「いいかい、良く聞くんだ」
ステイルは真剣な表情で、真っ直ぐインデックスを見つめる。
彼女が負い目を感じることなんかない。感じさせてはいけない。
「君は今までさんざん周りの都合だけで振り回されてきた。少しくらい我を通すのは当然の権利なんだ」
「………………」
「正直に答えるんだ。君はどうしたい? 周りなんて関係ない、科学と魔術も関係ない。ただ君がどうしたいのかだけ答えるんだ」
「…………私は」
インデックスは深く深く俯く。
長くサラサラした銀髪が顔全体を覆い隠す。
ステイルは何も口を挟まず、ただじっと答えを待つ。
いつの間にか日は完全に落ちており、近くの電灯に明かりが灯る。
辺りも一層冷え込み、風が二人の髪や服を揺らす。
彼女は必死に押し込めてきた自分の気持ちと向き合っている。
本当は力いっぱい表に出したかったのかもしれない。大声を出して叫びたかったのかもしれない。
それでも、彼女は周りに迷惑をかけないためにも、そんな事はしなかった。
そして今、それを出してもいいと言われた。
彼女の答えなんてものは、初めから決まっていた。
「とうまに、会いたい……っ!!」
小さな、それでいて重い声が確かに聞こえた。
彼女は俯いたままで、どんな表情をしているのかは良く見えない。
それでも、まるで壊れかけの堤防から水が漏れ出すように、確かに彼女は自分の意志で言葉を紡いだ。
ステイルは満足気に小さく微笑んでいた。
だが、この少年にしては珍しく、その胸の内を隠し切ることはできていない。
おそらくその目を見れば、誰もが彼が心の底で何か暗いものを抱えている事に気付いただろう。
そしてそれは少年自身が良く分かっている。こんな表情を誰かに見られたら、どんな行動をとってしまうのかさえ分からない。
日も落ちて暗くなり、近くにある明かりも電灯一つで良かった、そう年端もいかない神父は神に感謝した。
ちょっと短いけど、切りがいいから今回はここまで。ステインは難しいんだよ
ニットパーカー(模様は違うよ。暖かそう)
http://kie.nu/69q
ロンドン橋
http://kie.nu/69s
学園都市のとある高校。
特に突出した特色はない。ごくごく平凡な学校である。
といっても、これは表向きの評価だ。
実際には学園都市のブラックボックスである幻想殺し(イマジンブレイカー)や非常に珍しい原石能力者。
さらには統括理事会のブレインや、科学と魔術の闇に生きる元天才陰陽師、はたまた見た目が完全に小学生な教師。
そんな平凡とはとても言えないような学生が在籍していたりもする奇妙な学校だ。
その中でも一際賑やかな1-7教室。
昼休みということもあって、席はかなり好き勝手に動かされており、それぞれ学園生活での楽しみの一つである昼食をとっていた。
「へー、シスターはん戻ってくるんや!」
「いや、一週間位遊びに来るだけだっての。そのあとはまたイギリスに帰るって言ったろ」
「まぁ、カミやんとしてはウッキウキだにゃー」
土御門のからかう声に、上条は忌々しげな視線を送る。
当然この男は全てを知っている。元々この話を上条に持ってきたのはこの男だ。
あの退院した夜。
結局御坂美琴を混じえて三人で鍋をつつきながら、土御門は淡々とインデックスの問題を説明した。
上条はそれを聞いて、さすがにイギリスに乗り込むことも考えた。
科学と魔術のバランスがどうのこうのよりも、インデックスの安全の方がはるかに大切だと思ったからだ。
だが、それは土御門に止められた。
下手な動きをすれば、それはさらに彼女の立場を悪くすること、そして今回はイギリス清教側も彼女の事を考えて対策を考えていることを説明した。
それでも上条はインデックスの為だったら動く可能性はあった。冷静であれたのは、彼女の症状がまだ疲労だけという事もあるはずだ。
もしも、もっと深刻な状況だとしたら、上条はそんな話を聞き入れることもなかっただろう。
それに、何だかんだ上条は土御門を信用している。
本人も“ウソつき”だと認めている程、なかなか読めない男なのは確かなのだが、ただ一つだけ言えることはある。
土御門は、いつも結局は上条達の味方だ。
例えどれだけ深い闇に生きていても、土御門元春は上条当麻の友人なのだ。
といっても、あの時点でインデックスが学園都市に来るという事は決まっていなかった。
あくまでまだ調査と様子見の段階だったので、可能性の一つでしか無かったという事だ。
それがここ最近で、急に動き出した。
何でも、やはりストレスの原因は前保護者……つまり上条当麻にあり、その解消には彼女を学園都市に送るのが最善だと判断したようだ。
本来ならば、期間が限られているとはいえ、現在の状況ではかなり難しい事であるはずなのだが、それもイギリス清教と学園都市両者の話し合いで認められたらしい。
その理由としては、やはり禁書目録というのが大きいだろう。
それだけ彼女の力は強大なもので、魔術だけではなく科学側にも影響を与える可能性も否定出来ない。
上条は彼女のストレスというのが気になった。
それこそ霊装に影響を与える程だ、かなり大きなものなのだろう。
そしてその原因は自分であると判断されている。
彼女は……インデックスは自分と一緒に居れないことでそれだけ寂しがっているのか。
それとも、知らず知らずのうちに、彼女の心を揺さぶるような事を言ってしまったのか。
心の中には、前者であってほしい自分が居た。
「……はぁ」
「おおう、今度は愛しのインデックスを想って溜息ぜよ」
「あのなー、カミやん。そういうのは恋する少女がするのはいいけど、男がやるのは気色悪いだけやでー?」
「勝手に色々捏造してんじゃねえよ!!」
そんな感じに結局暴れだすデルタフォース。
他のクラスメイトも、いつもの事なので特にリアクションもとらない。
しかしその一方で、どれだけいつもの事だといっても、黙っていられない人物もいる。
「うるっさい!! たまにはもう少し落ち着けないの!?」
「げっ、吹寄……」
ガタッと席を立って大声で怒鳴ったのは、近くで姫神秋沙と共に昼食をとっていた吹寄制理だ。
その手には相変わらず、能力レベルが上昇するとか何とか書かれた味気ないパンが握られている。
ちなみに、姫神の方は我関せずと言わんばかりに無関心だ。
「まぁまぁ、カミやんもシスターはんが帰ってくるっちゅう事でテンション上がってるから堪忍してーな」
「それはテメェらだろうが!」
「言っても分からないのかしら?」
吹寄の目がギラリと危険に光る。
それを見た三人は、さすがに大人しくなった。
せっかくの昼休みに、吹寄ヘッドバッドを受けてノックアウトされるなんていうのはできれば避けたい所だ。
と、ここで先程までは特に関心を示していなかった姫神が口を開く。
「でも。確かに上条君は嬉しそう」
「おっ、やっぱり姫神もそう思うにゃー?」
「……マジで?」
上条は割と真剣に姫神に聞き返す。もちろん、土御門はスルーだ。
姫神はゆっくりと頷く。
「うん。結構分かりやすいかも」
「まっ、あたしから見てもそうね。最近は、らしくなく元気なかったし」
やはり自分は分かりやす過ぎる人間なのかもしれない。
個性といってしまえばそれまでなのだが、簡単に自分の心の内が読まれるのは良い気がしない。
インデックスが戻ってくることが嬉しいのは認めるしかない。それは自分が良く分かっている。
だからといって、それを表に出すのはかなり抵抗がある。
彼女に依存しているという事実はあっても、出来れば知られたくない。
「そりゃ、嫌なわけじゃねえよ」
「ハッキリせーへん言い方やなー?」
「はいはい、嬉しいですよ!」
ニヤニヤと追求してくる青髪ピアスに、上条はヤケクソ気味に答える。
「そうだそうだ。カミやん、せっかくインデックスが戻ってきたんだから、またクラスですき焼き屋でも行こうぜい」
「はい?」
「おっ、いいねー!」
「吹寄、そういう事でいいかにゃー?」
「……まぁテストも終わったし、これから受験休みだけど」
何やらどんどん話が進んでいく。
受験なんていうのは上条も去年経験したばかりで、まともに進級できるとするならまだ二年は縁のない話だ。
しかし、その試験というものは受験校で行われるものであり、その期間は学校が休みになる。
つい最近、運命の学年末テストも終わったばかりであり、インデックスの件なしでも打ち上げのタイミングとしては絶好だ。
「それでいいと思う。みんなもあのシスターの事は気になってたし」
「よしっ、決まりだぜい! 吹寄、出番だにゃー!」
まるで女王様のお通りであるかのように、跪いて手で教壇を指す土御門。
吹寄はそんなオーバーアクションに溜息をつきながらも、特に何も反論せずにそこへ歩いて行く。
色々と堅いイメージな彼女だが、真面目にやる時はあくまで真面目に、というだけで要はメリハリがきちんとしているだけだったりする。
基本的にはこういったクラスの打ち上げなんかは肯定的だ。
「はい、みんな注目!!!」
教壇に立った吹寄は、まず第一声でクラス全員の目を自分に向けさせる。
こういった所を見ると、教師なんか合ってそうな気もするが、本人はおそらく大した事だとは思っていないだろう。
だが、こうして完璧にクラスをまとめ上げることができる力は非凡なものだ。
昼休みであるにも関わらず、クラス全体が静かになって吹寄に注目している。
外から見れば何事かと思われるかもしれない。何せ、まるで授業中のような雰囲気だ。
といっても、そんな雰囲気は次の吹寄の一言で消えることになる。
「インデックス歓迎及び学年末テスト終了の打ち上げやるわよ!!!」
ドッと、大音量の歓声が沸き上がった。
そのあまりの騒ぎに、外に居た他のクラスの生徒も何事かとドアについた窓から覗き込んでくる。
昼休みに騒ぐのはそれ程珍しいことではないが、これほど団結して盛り上がっている事は中々ないものだ。
そしてすぐに話し合いが始まる。
クラスのテンションは最高潮で、すぐに色々な意見が出てくる。
それを難なくまとめてしまう吹寄。もちろん、青髪ピアスの女子は全員コスプレなんていう意見は文字通りぶっ飛ばされたが。
展開の速さに若干ついていけない上条をおいて、打ち上げの計画は急ピッチで進んでいった。
放課後、夕暮れの街に上条は立っていた。
冬至は過ぎたので、日没時間は徐々に遅くなってきているはずではあるのだが、それでもまだまだ早い。
寒さも今だ辛く、ロシアや東欧を過ごした学生服でもじっとしているとかなり冷える。
「うぅ……早く来てくれよ…………」
首に巻いたマフラーを口元まで引き上げて、呟く上条。彼は人を待っていた。
いつもは不幸やらなんやらで、自分のほうが遅れることが多いのだが、冬は待ち人にとって辛いものだと学んで少し反省する。
「ごめーん、待った?」
どこかで聞いたような台詞が聞こえてきた。
そちらを向くと、待ち合わせ相手である笑顔の御坂美琴が居た。
服装はいつも通りの常盤台中学の制服であるベージュのブレザーに紺チェック柄のスカートだ。
どうやら急いで走ってきたようで、頬はほんのりと紅潮しており、口からも白い息が短い間隔で漏れている。
頬の紅潮は他の理由もあったりするのだが、それに気付ける上条ではない。
「待った、さみーぞ」
「ごめんごめん。某変態テレポーターにしつこく追跡されてね」
「白井か。よく撒けたな」
「ふふん、超能力者(レベル5)ナメんじゃないわよ!」
内心舌を巻く上条に、得意げに拳を突き出す美琴。
普通の人間ならば三次元の制約を無視して移動する空間移動能力者から逃げきる事は極めて難しい。
それは風紀委員での白井黒子の実績からも分かる事であり、彼女からまともに逃げ切れた者などは滅多に居ない。
美琴がどんな手を使ったのかは知らないが、そこを何とかしてしまうのが第三位らしいといったところか。
「つーか、そもそも何で白井に追われてたんだ?」
「そ、それは……」
ふと疑問に思った上条だったが、対する美琴はモジモジと言葉に詰まってしまう。
上条は何か変な事でも言ったのかと首を傾げるが、やがて美琴がボソボソと話し始めた。
「その、なんかあの子、私がデートかなんかに行くって勘違いしたみたいで……」
「はは、どんな早とちりだよそれは」
「………………」
「えっ、何で上条さんは睨まれているんでせう!?」
白井は美琴と一緒に帰ろうと誘ったのだが、用事があるからと断られていた。
まだそれだけならデートなどと思われることもなかった。
だが、彼女が妙にそわそわしている事と、頬を染めているのを目撃した瞬間、白井黒子の脳内CPUは超高速で稼動し始めた。
導きだされた答えは、あの憎き類人猿とのデートだった。つまり大正解だったりもする。
しかし当の上条当麻自身がその答えに辿り着けない。
元々上条はこれを少しもデートだと思っていない。まぁ上条らしいといえばそうなのだが。
事の発端はこの前行われた学年末テストだ。
ただでさえ出席日数が壊滅的な上条なので、ここで少しでも良い点をとっておかないと冗談抜きで留年してしまう可能性もある。
そんな危機的状況をどこからか聞きつけた美琴は、上条専属の家庭教師となった。
結果、テストでは上条にしてはまずまずな点数を取ることができたのだ。
そして当然、その見返りを要求してくる美琴。
彼女としては、ただ上条と一緒に居るだけで十分に満足だったりもするのだが、そんな事は言えない。
見返りの内容は、案の定ゲコ太だった。
とあるカップル用のレストランに入った時に期間限定で貰える、ゲコ太(ラブリーVer)これがたまらなく欲しかったのだ。
そこで夏休み最終日の様に、上条に恋人役となってもらい、これをゲットするという作戦だ。
他意はない、らしい。あくまで美琴談なのだが。
「……はぁ。もういいわ、アンタはそういう奴よね」
「は、はい?」
デートだと思われるのも、それはそれで雰囲気とかがアレな感じになりそうで困るのだが、ここまで完全に意識されてないと逆にカチンときてしまうというのが美琴の心情だったりする。
どこかのルートで手に入れた情報では、上条は年上好きという話もあるので、そもそも自分を女の子として見られていないのではとも心配になってくる。
そして今まで上条の前ではどんな態度をとってきたのだろうか、と思い返してみると、女の子らしいものが皆無なような気がするのも不安を煽る要因だ。
そんな美琴の心の中の1%も理解できない上条は、なぜ急に彼女のテンションが下がったのかなど分かるはずがない。
ただいつも通りに、女の子は難しいなぁと放り投げてしまうだけだ。
「もういいっつの。じゃ、行くわよ!」
「……その手は?」
「バカ、私たちは今“恋人”なのよ? それっぽく見せなきゃダメじゃない」
「あー、そっか」
実はこの台詞も脳内で何度も練習した美琴。
にも関わらず、それに対する上条の反応は何とも素っ気ないものだった。
せいぜい、良く考えてるなーと感心しかしていない。
というわけで、とりあえずその手を握ってみる上条。
こうして握ってみると、見た目以上に小さな手だな、とぼんやりと思う。
そしてそう思った瞬間、何だかむず痒い感覚が全身を襲った。
(……あれ? 待て待て待て、何を意識してるんだ俺。相手は御坂御坂)
本人が聞いたらビリビリが飛んできそうな心の声だが、それでもこの手を握るという行為一つで妙に意識してしまっているのは本当だった。
上条は美琴を女の子と思っていないわけではない。むしろ彼の中の分類では美少女に入る程だ。外見だけは。
だが普段のやり取りなどで、自然とその意識が薄れてしまっている可能性はある。
そこでこうした手の感触から、不意に彼女が女の子であるという事実を突きつけられるというのは、純情少年の心を揺さぶるには十分な威力だったらしい。
といっても、ここでやたら意識してしまっている事を彼女に気付かれれば、メチャクチャにからかわれる事間違いなしだ。
もうほとんどあってないようなものである高校生としてのプライドを守るためにも、それだけは避けたかった。
そういうわけで、必死に冷静になる上条。そもそも必死になっている時点で冷静でもない気がするが。
と、その時意識を集中してた上条はふとある事に気付く。
「……お前、震えてね? 寒いのか?」
「そ、そんな事ないわよ」
「ウソつけ。ったく、ちょっとじっとしてろよ」
上条は呆れながらそう言うと、一度繋いでた手を離す。
そして自分の首に巻いていたマフラーを取ると、美琴の後ろに回って巻いてやった。
まぁ実は美琴の震えというのは、何も寒さからきているわけではないのだが。
「よし、これで少しはマシになったろ? ……って御坂?」
「い、いきなり、なななな何を…………」
「いや、お前が寒そうだからマフラーを……ちょっと待て。なんかビリビリいってる気がするぞお前!?」
100%善意でやってあげたつもりの上条だったのだが、何やら美琴の様子がおかしい。
顔はまるでリンゴのように真っ赤になっているし、震えも収まるどころか酷くなっている気がする。
加えて体からは青白い光がバッチンバッチンと心臓に悪い音をたてながら漏れ始めているのだ。
それも仕方ない。
なにせ想いを寄せる相手にマフラーをかけてもらい、しかもほんのりと上条の匂いがする。
まるで後ろから抱きしめられているかのような錯覚も覚えるこんな状態で冷静でいられるはずもない。
「ふにゃー」
「だからふにゃーじゃねえええええええええええ!!!!!」
バチバチバチィィ!! と、強烈なスパーク音と共に暴走した電撃が四方八方に撒き散らされる。
通行人も悲鳴をあげて逃げ去る中、上条は風紀委員なんかが駆けつける前に美琴を引っ張って一目散に走っていった。
数分後、暴走状態から帰ってきた美琴は今だに顔を赤くしてブツブツと何かを呟いている。
ちなみに上条に巻いてもらったマフラーはまだしっかり首にある。
手は再び繋いでいた。端から見れば恋人といって違和感はないだろう。
今二人が歩いているのは第七学区の地下街だ。
新学期当初には魔術師シェリー=クロムウェルの件で壊れまくってしまったのだが、今ではすっかり元通りだ。
放課後というわけで、他の学生達も大勢いて賑わっている。
「ったくよー、そんなに嫌なら無理につけなくてもいいんだぞ?」
「嫌って何のことよ?」
「だからそのマフラー。能力暴走するくらい嫌だったんだろ? 悪かったって」
「ちがっ、そういう事じゃないわよ!」
「へっ? じゃあ何でいきなりあんな事になったんだよ」
「そ、それは……」
上条は純粋に疑問に思っているらしく、キョトンとした顔で尋ねてくる。
とはいっても、正直に『アンタに抱きしめられてる様な気がしたのよ!!』などとは口が裂けても言えない美琴。
それが言えるのならとっくの昔に告白でも何でもしているだろう。
「その、調子が悪かっただけよ」
「おい、大丈夫か? それなら無理しねえで今日は休んだほうがいいんじゃないか?」
「も、もう大丈夫だから!」
「そうか? それならいいけど、あんま無理すんなよ? お前って結構そういうの我慢するような奴だしさ」
「分かってるわよ……」
上条は割と真剣に心配してくれているらしく、そんな少年の優しさに胸が高鳴る美琴。
だがそれを素直に言葉にすることはできなく、素っ気ない言葉で返してしまう。
とはいえ、上条はそれを気にしている様子はなく、美琴のいつも通りの様子に少し安心してさえもいるようだ。
悪い印象を与えなかったことに少しほっとする美琴だったが、これではいつまでもこの関係が変わらないとも思う。
いくら最近は何だかんだあって距離を縮められてきているとはいえ、上条に女の影が多いことは変わらない。
それならばこういったチャンスでは、もう少し頑張って踏み込んでみるべきではないのだろうか。
そう思った美琴はギュッと、上条の手を握る力を強めた。
それが精一杯の彼女のアピールだった。
「……御坂?」
「な、なによ」
なぜか挑戦的な態度をとってしまう美琴。
別に力を強めたのはそこまで深い意味があるわけではなく、ただの気まぐれだと言わんばかりだ。
「いや、着いたって。ここだろ?」
「えっ? あ、あー、そうね」
そんな美琴の気持ちなどは少しも気付いていない上条は、近くの建物を顎で指し示す。どうやら目的地であるレストランに着いたようだ。
なんだか、いつもこんな感じに空回りしてばかりな気がする。
美琴はいつだって色んな事をグルグルと考えているのだが、上条はまるで暖簾のようにそれを受け流す。
店内に入ると、まず始めに上条が「うっ」と足を止めて店内を見渡した。
カップル限定という事もあって、中は何というか、全体的にファンシーな作りになっていた。
各テーブルにはそれぞれぬいぐるみが置かれており、内装もピンクで統一されている。なんだか見ているだけで甘ったるくて胃がもたれそうな気がする。
そしてこんなレストランに入る客というのも、世間一般で言う『バカップル』というやつであり、イチャイチャしまくっていた。
具体的に言えば、二人でパフェを食べるのにもスプーンを一つしか使わずに、お互いに食べさせ合っていたりだ。
ここに青ピなどが居れば、おそらくRPGかなんかで店ごと吹き飛ばしたい衝動に駆られるのだろう。
「………………」
「ちょっと、何絶句してんのよ」
美琴がジト目でそんな事を聞いてくるが、上条の耳には届いていない。
今から自分がこういったカップル達に混ざるという事を想像しただけで、大声を上げて逃げ出したい衝動にも駆られる。
しかも相手は常盤台のお嬢様だ。それだけで普通のカップルよりも目立ってしまう。
もしも、運悪く誰か知り合いに目撃されたとしたら、上条は精神的に相当なダメージを負うことになるだろう。
グルグルグルと、悪いイメージだけが頭の中を回り続ける上条だったが、間もなく店員が席まで案内しようと近寄ってきた。
明るい笑顔と柔らかい口調で何か業務的な事を説明しているようだが、それもほとんど聞こえてこない。
こんな愛想の良い店員さんも、上条には死刑執行人か何かに見える。
「おーい、いい加減戻って来いっての」
「……御坂様。俺が悪かったです、許してください」
「なんでマジ泣きしそうになってんのよ……」
上条はまるで神に懺悔するかのようだ。
実際この環境は上条にとっては拷問でしかなく、まだ極寒のロシアやバゲージシティの方がマシだと思うほどである。
当然、美琴の方も冷静を装ってはいるが、内心テンパりまくっている。
だがこちらは同時に嬉しいという気持ちもあるので、その分上条のように完全にノックアウトされる事もないのかもしれない。
「お、お前意外と何ともないんだな」
「そ、そりゃ、あくまで“ふり”だし。アンタが本気にしすぎなのよ」
「うぐっ……悪かったな、どうせ俺はそこまで割り切れねーよ」
「えっ……あ、いや、そういうわけじゃなくて……!」
コソコソと内緒話をする二人。
これも周りから見れば恋人らしく見えるのかもしれないが、内容は凄く残念だ。
ちなみに、美琴は意識しまくっているとは思われたくはないが、完全に割り切っていると思われるのも避けたい。
つまり、自分が上条のことが好きだという事はもちろん知られるわけにはいかないが、完全に眼中に無いと判断されるのも嫌だというわけだ。
注文は「ラブリーパフェ」に「ラブリージュース」にした。
この店の料理には全て「ラブリー」と頭についており、上条は思わずメニュー表をそのまま破りそうになった。
ラブリーゲコ太が手に入るのはパフェだけであり、それも量が少ない割に四桁突破というボッタクリ価格だ。
まぁそこら辺は常盤台のお嬢様の財力ならば全く問題にならないのだが。
「お待たせしましたー♪ 『ラブリーパフェ』に『ラブリージュース』となります!」
注文の品がやってきた。
メニューに載っている写真よりも小さく見えるのはもはやお約束といったところか。
ジュースには、ハート型で飲み口が二つあるふざけたストローが刺さっているのだが、もちろん使うつもりはない。
こんなものは投げ捨てて、男らしくガブガブと直接飲んでしまえばいいのだ。
そう結論づけていた上条だったが、
「……ほら、飲むわよ」
「は?」
「だから、その、このジュース一緒に飲めって言ってんの!!」
何度も言いたくないのだろう、顔を真っ赤にしている美琴。
それに混乱するのは上条だ。
「ちょ、待て待て待て! こんなの飲めるはずねえだろ、お前一人で飲めって!」
「バカ、ここの店のものは全部二人で食べたり飲んだりしなきゃダメって言ってたじゃない!」
「……マジで?」
「マジで」
どうやら最初に店員がしていた説明というのはこれの事なのかもしれない。
上条はサァーっと血の気が一気に引いていくのを感じた。
目の前のハート型ストローを見る。
そして、これで美琴と一緒にジュースを飲む所を想像する。
お互い顔は真っ赤で、チラチラと相手の顔なんかを伺ったりして――――。
「できるかあああああああああああああああああ!!!!!!」
ついに耐え切れずに大声をあげる上条。
店員だけでなく、周りのピンク色の雰囲気全開のカップル達も何事かとこちらを見てきた。
それでも、上条にはそれを気にする心の余裕なんてない。
彼の心は、謎のピンク色の攻撃により崩壊寸前まで追い込まれていた。
「急に叫んでんじゃないわよ!」
「無理!! 無理ですから!!!」
「はぁ!? このくらいできないなんてヘタレすぎよ!!」
「ぐっ……お前だって顔ピクピクしてたじゃねえか!!」
「そ、そんな事ないわよ!」
美琴の顔がピクピクしていたのは、上条と一緒にこのジュースを飲んだり互いにあーんし合ったりなどを想像して顔がにやけるのを抑えていたためだったりもする。
「ていうか、これはアンタの勉強みてあげた見返りでしょ!? だったら文句言わずにやりなさいよ!!」
「た、確かにそうだけどよ……」
そこを突かれると弱い上条。
実際、学年末テストを乗り越えられたのは美琴のお陰というのがほとんどである。
彼女自身もテストがあったわけで、その合間に教えてもらっていたのだ。
それを考えれば上条には何も言う権利はなく、彼女のお願いは聞いてやるべきだ。
「あー、もう! 分かった、分かりましたよ!! やればいいんだろ!!」
「そ、そうよ! ったく、最初からそう言えば……」
そこまで言った美琴が固まった。
上条はどうしたのだろうかと彼女を見る。何やらせわしなく辺りに目を向けているようだ。
そして上条もある異変を感じ取る。
心なしか、周りの空気が変わった気がする。
「あのー、お客様……?」
店員が完璧な営業スマイルで話しかけてきた。
その表情を見れば分かる。表面上では笑顔だが、これから放たれる言葉は決して自分達にとっては良い事ではないはずだ。
具体的には、「今すぐ出てけコラ」的な事だろう。
原因は十中八九、先程までの自分達の会話だ。
あれだけの大声であんな事を言って、それでもまだ「カップルらしいなー」なんて思う者がいるのならば、もはや天然というレベルではない。
結局、ラブリーゲコ太は手に入らずに、二人は店を追い出されてしまった。
美琴曰く、店内に見本として飾られていたゲコ太の目からは涙が出ていたとかなんとか。
「………………」
「あの、ホントすみませんでした」
その後、二人は普通のファミレスに入っていた。
当たり前だが、先程の砂糖菓子に砂糖をまぶしたような雰囲気とは全く違う。
カップルらしき者達もいないことはないのだが、大半は学校帰りの学生達が友人と一緒に騒いでいたりしている。
そんな光景に、心を癒されるような感覚を覚える上条だったが、向かいに座る美琴の機嫌はすこぶる悪い。
「ったく、アンタがここまで耐性ないとは思わなかったわ。いつも違う女引き連れてるくせに」
「人聞きの悪い事言うなよ……。彼女いない歴=年齢の負け組だっての」
「アンタはそういう奴よね」
美琴は呆れて溜息をつきながら頭をガシガシとかく。
あの白いシスターに妹達。美琴が知ってるだけでも複数の人間が彼に好意を寄せている事は明白である。
それでもこういった発言が出てくるのが上条という男であり、これはこれで重罪だとも思う。
「ていうか、相手が私じゃなくてあのシスターだったら喜んでやってたんじゃないの」
「い、いやいや! 何でそんな事になるんだよ!」
ジト目で尋ねる美琴に、上条は焦り気味に両手を振って弁明する。
その反応が予想以上に大きかったので、美琴は面白くなさそうにさらに目を細めた。
「どうだか。あの子が帰ってくるからか、アンタもいつも通りになってきてるみたいだし」
「…………うぐ」
「図星?」
「クラスの奴等にもそれ言われたんだよ。いや、別に否定はしねえけどさ」
上条はうんざりとした表情でコップに入ったジュースに口をつける。
この分かりやすさは上条自身も何とかしたい所だが、こればかりは簡単に治るようなものでもないだろう。
別に精神系の能力で心を読まれているわけでもないので、この右手にやどる幻想殺し(イマジンブレイカー)は何の効果もない。
だがその一方で、上条はもう無理に隠す努力をする事も面倒になってきた。
どうせバレるなら、最初から素直に自分の気持ちを言ってしまったほうが早くていいのかもしれない。
上条は半ばヤケクソ気味になっていた。
「確かにインデックスが帰ってくることは嬉しい。けど、喜んでばかりもいられねえだろ」
「ストレスがどうのこうのって話だっけ? 私は魔術の事はよく分かんないけど」
「あぁ。時間は一週間しかないんだ。その間に何とかしてやらなきゃダメだろ」
今回彼女が学園都市に来るのは単なる旅行というわけではない。
遠隔制御霊装の不具合というのは、彼女の立場を危うくする事に直結する。
だから、上条はそれの解決だけに全力を尽くす。
上条自身の心の問題なんて言うのは、それに比べたら小さなものである。
そもそも、上条の方の悩みはただ彼女がいなくて寂しいという、子供のようなものだ。
「私は、あのシスターの悩みもアンタと同じような事だと思うけどね。向こうもそう考えて、あの子をこっちに送ることにしたんだろうし」
「アイツも俺が居なくて寂しかった?」
「別にそんなに意外な事じゃないでしょ。あれだけ一緒に居たんだしさ」
向こうも寂しがっていたという事は、こう思うのは悪いが上条にとっては少し嬉しかった。
つまり、少なくとも自分は彼女の中ではある程度は大きな存在で居られたという事だ。
一方で美琴は相変わらず面白くなさそうな表情のままだ。
考えてみれば、初対面の時からこの二人はどこかギクシャクしていた様な気がする。
単にウマが合わないという事なんだろうか、と上条はボンヤリと考えた。
「……けど、それならどうしたらいいんだ? どっちにしろいつまでも一緒には居られねえんだ」
「前にも言ったけど、別れ方がまずかったんじゃないの。一週間あるんだし、今回はちゃんと心の整理とかつけなさいよ」
「心の整理……か」
漠然としたものなので、口にして明確化しようとしてみる。
ただ、現時点ではどうすればいいのかなんて思いつかない。
後に引きずらないと、自信を持って言えるような別れ方などというものは存在しないのではないかとも思ってしまう。
これも直接会えば何かを掴むことはできるのだろうか。
結局上条は、そんな問題を先送りにしているだけにすぎない結論しか出せない。
そんな上条を、美琴はどこか引け目のある様子で見つめていたのだが、彼がそれに気付くことはなかった。
窓の外では夕日も沈みかけており、そろそろ電灯もつくかという時間帯だった。
数日後、いよいよインデックスの来日当日がやって来た。
というかもう夕方であり、もう既に第二十三学区の空港に到着していたりもする。
服装はこの前買った新品のフード付きニットパーカーにジーンズという、彼女にしては珍しいものだ。
持ち物は既に上条の部屋に送っているらしく、三毛猫の入ったケースだけである。
もちろん、彼女一人ではない。
イギリスでは当たり前のように魔術を使っていた彼女だったが、ここでは当然それも完全に抑えられる。
加えて、様々な敵に狙われる立場であるわけなので、当然護衛も必要になってくる。
その役目はやはりというべきか、ステイル=マグヌスが受けおっており、相変わらず目立つ漆黒の修道服姿で彼女の隣に立っていた。
「……少し緊張しすぎじゃないかい?」
「そ、そんな事ないんだよ」
口ではそう言うインデックスだが、その様子は明らかにそわそわと落ち着きがない。
何だかんだ最後に上条に会ってから一ヶ月以上経っている。
そこら辺も無駄に緊張する理由なのかもしれない。
「まったく、ストレスを何とかするためにここまで来たというのに、さらに溜め込んでどうするんだ」
「だから別に緊張してないって! でも、その……何とかするって言っても、具体的に何をすればいいのかは分からないんだよ」
「素直に告白でもすればいいんじゃないかい」
「なっ!!!」
案の定、瞬時に顔を真っ赤にするインデックス。
ステイルはまたかといった感じでやれやれと首を振る。
「この後に及んであの男は好きでも何でもないと言うつもりかい?」
「うぅ……と、とうまは好き、だよ。でもだからってすぐに告白とかは無理かも!」
「無理と言われても困るんだよ。何せ、時間はそれほどない」
「それは……分かってるけど…………」
ステイルは表面上だけ見れば極めて冷静だが、心の中はドロドロとした濁ったものが支配していた。
しかし、それに気付ける者はいない。
精神系能力者が直接心の中を読んだりしない限り、彼の真意は分からない。
「それに、私はシスターなんだよ」
「修道女というのは、自分から神に身を捧げると誓うものだ。君はそうした誓いをたてた覚えはあるかい?」
「それは……」
彼女は上条と同じく記憶喪失だ。
つまり、気付いた時から彼女はシスターであり、自分で誓いをたてた記憶などあるわけがない。
しかし、記憶喪失前に彼女が自分からシスターになったというのならば、また色々な問題が出てくる。
記憶喪失前と後、本人にとってはそれぞれ別人のような感覚を覚えるのだが、それが公に認められるとは限らない。
確かに彼女はインデックスなのだ。
といっても、実は彼女をシスターという立場にしたのもイギリス清教の都合で本人の意思などは皆無だったりする。
あれ程の仕打ちをしてきた者達が、わざわざ彼女の意思を尊重するわけがない。
「といっても、告白するにしても、それなりにリスクもあるんだよね」
「え、リスク?」
「あぁ、例えばもし君が上条当麻にフラれるなんて事になれば……」
「………………」
「ほら、ただの例え話でそんな顔をするくらいに、君はさらにストレスを抱え込むことになる」
ステイルの指摘通り、インデックスは明らかに落ち込んでいた。
ぼんやりとその可能性を想像した瞬間、真っ暗な闇の中に突き落とされるような絶望感が全身を支配する。
例えば上条には既に想いを寄せる相手が居たとして。
これからあの少年の隣には自分ではない誰かが寄り添い続けて。
自分はそれを遠くから見ていることしかできない。
そんな事を考えると、心がねじ切れるかと思うくらいに痛んだ。
「それに仮に告白が上手くいったとしても、それはそれで問題がある」
「な、なんで?」
「どっちにしろ、君は一週間後にはイギリスに帰らなければならない。恋人同士になんかなったら、余計離れられなくなるんじゃないかい」
言われてみればと、インデックスははっとした顔をする。
別に恋人同士でない今でも、こうして結局戻ってきてしまうほどに彼女は上条に依存している。
「じゃあどうすれば……」
「僕には分からないよ。あくまで君の心の問題だ」
「うっ……」
少し冷たい感じもするが、仕方のない事だ。
自分は人の事を理解できるような事を言う者もいるが、その九割以上はただの驕りに過ぎない。
それだけ人の心というものは複雑なものだ。
精神系能力者でさえ、その能力の影響で自分自身の人格に問題が出てしまうケースも少なくない。
故に、今回の件に関しては周りは助言をする事はできても、最終的に何とかしなければいけないのはインデックス自身だ。
「おーっす。もう着いてたのか」
懐かしい声に、インデックスは勢い良くそちらを振り向いた。
もちろん声だけでそれが誰かなんてすぐに分かる。それでも、すぐにこの目で確認したかった。
彼女の視界に映ったのは、いつもと変わらないツンツン頭に、様々な過酷な環境を共にした学校指定の学ラン。
ずっと会いたくてしかたなかった少年、上条当麻が居た。
「と、ととととうま!!」
「お、おう! どうしたんだよ?」
まさかの不意打ちを食らったインデックスは動揺のあまり激しくどもってしまう。
元々先程まではどんな感じに会えばいいのだろうと、やけに緊張していたのだ。これも仕方のない反応なのかもしれない。
一方、ステイルは明らかに嫌そうな表情で少年を見ている。
「じゃあ彼女は君に預けるよ。分かってると思うけど、“預ける“だけだ」
「あぁ、一週間だろ。インデックスの事は任せろよ」
相変わらずの喧嘩腰気味に話すステイルだったが、上条は真っ直ぐな目で力強く答える。
インデックスはそんな上条の横顔をチラッと盗み見ると、顔を赤くしてしまう。
ステイルは少しの間無言で上条を見て、小さく舌打ちをする。
それは上条に向けて、というものとはどこか違う気がした。
「幸運を祈るよ」
最後は上条ではなくインデックスに向けてそう言うと、ステイルはイギリス行きの飛行機の待つゲートへ歩いて行ってしまった。
向こうに仕事を残してきたのかは知らないが、その足は速かった。
上条はステイルの後ろ姿を見送ると、インデックスの方に向き合う。
急に改まった感じに、インデックスも思わず背筋をビシッと伸ばして身構えてしまう。
「そういや、いつもの修道服じゃねえんだな」
「う、うん。とうまの部屋に送ってもらった荷物の中には入ってるけど……」
「そっか。けど、お前がそういう格好してるのはなんつーか新鮮だな」
「似合ってないかな?」
「いや、結構いいと思うぞ」
上条のその言葉を聞いた瞬間、インデックスは本当に体が浮き上がってしまうかのような感覚を覚える。
思い返してみれば、こうした外見に関することを上条に直接褒められるなんていう事はほとんどなかった気がする。
自分の心は、上条の一挙一動でここまで動かされてしまうのかと、驚きさえ感じてしまった。
「えっと……あ、ありがとう」
「……なんかいつもより大人しくないか?」
「そう、かな?」
「あぁ……まっ、インデックスもちょっとは成長したってわけか!」
「むっ、何なのかなその子供扱いは!」
「えー、だって結局寂しくなってこうして戻ってきてんじゃないですかー」
「ち、違うもん!!」
会う前は緊張していたインデックスだったが、こうして冗談を言いながら普通に話すこともできる。
その事に内心少し安心するが、確かに変わった部分もある。これが上条の言う“成長”かどうかは分からないが。
例えば、以前は上条と話しているだけでこんなにドキドキしていなかったはずだ。
今思えば、その頃には既に上条に惹かれていたのだろうが、それを自覚するかどうかで彼女の中ではここまでの変化があった。
まるでこの気持ちを自覚する前と後では世界が変わったかのようだ。
対する上条の方は、インデックスをからかうことでどうやらいつもの調子を取り戻したらしい。
「よし、じゃあ帰るか」
「うん!」
こうして上条の隣に居るだけで、インデックスは幸せな気持ちで一杯になった。
前までは当たり前のように感じていたこんな事も、一度離れることでその大切さに気付くことができる。
これからもずっと、ここは自分の居場所にしたい。そんな事を考えて再び顔を赤くするインデックスだった。
「お、おじゃましまーす……」
「いやいや、“ただいま”でいいだろそこは」
日も落ちて暗くなった頃、上条の部屋までやってきた二人はそんな会話をしながら中に入る。
インデックスの緊張は、ここに来る途中で何でもないような話をする事で何とか和らいできていたのだが、ここに着いた途端に再発する。
今まではほとんど気にしなかったのだが、よくよく考えてみれば年頃の男女が一つ屋根の下で暮らすのは色々と問題があるような気がする。
“同居”という言葉ではあまり実感はわかないのだが、“同棲”という言葉にすると一気にレベルが跳ね上がったような感覚だ。
それも相手はまさに意中の少年であり、これで意識するなというのが無理な話だ。
一月ぶりに帰ってきた部屋は何も変わっていなかった。
自分が愛用していたベッドに、日本の素晴らしい文化の一つであるコタツ、部屋の香り。
その全てが自然と心を落ち着かせる。
ケースから出したスフィンクスも、心なしかイギリスのインデックスの部屋よりもくつろいでいる気がする
「今夕飯作るからテレビでも観てろよ。飛行機も疲れたろ」
「ううん、大丈夫。手伝うんだよ」
「……え?」
インデックスの言葉に、上条の動きが止まった。
その表情から、ひたすら呆気にとらているようで、目を点にしている。
それだけ今の彼女の言葉は衝撃的なものだった。
そんな上条の反応に、何か変なことでも言ったのかとインデックスは困惑する。
「どうしたのかな?」
「そ、それはこっちの台詞だっての。大丈夫か? なんか悪いもんでも食べたんじゃ……」
「……あー、そうだよね。私、前はお手伝いとか全然してなかったもんね」
上条の驚く理由に気付いたインデックスは申し訳なさそうな表情に変わる。
前までの自分は、居候という立場のくせに、ろくに手伝いもせずにただゴロゴロしていた。
我ながらあれは酷かった、と思うのと同時に、それに気付くことができてよかったとも思う。
おそらくイギリスでの寮生活で家事の大変さを知ったからというのもあるのだろう。
それに、上条にはもっと自分の事を良く見てほしいとも思っている。
「でも、これからはたくさんお手伝いするんだよ! 向こうではお料理とかも習ったし!」
「まさかこんな日が来るとは……!! よし、じゃあ一緒に作るか!」
感動のあまりガクガクと震える上条。
やはり相当嬉しいらしく、ハイテンションに台所に入っていく。
インデックスも嬉しそうにそれに続く。
だが、忘れてはいけないことがある。
インデックスは確かにイギリスの女子寮で、神裂やオルソラに料理を習った。
ここで重要なのは、あくまで“習った”だけという事であり、料理ができるようになったという事ではない。
要するにまだまだ修行中の身なのだ。
故に、砂糖と塩を間違いそうになったり、水を分量の5倍近く入れようとしたりするのも仕方ないだろう。
まぁ思い切りすっ転んで色々なものをぶちまけたりするのは、ただドジなだけなのかもしれないが。
とても料理中には鳴らないような派手に驚いて様子を見に来た三毛猫も、気の毒そうな目で彼女を見ていた。
「……ごめんなさい」
「いいっていいって。ほら、じゃあ野菜でも切ろうぜ」
それでも、上条は何も気にしていなかった。
度重なるトラブルで、一人で作ったほうが明らかに早いと思われるのだが、上条は笑顔だった。
上条にとっては、ただこうして彼女が手伝おうとしている事が嬉しいらしく、失敗をどうこう言うつもりはないらしい。
インデックスはそんな上条の優しさに、胸がキュンとなる。
「まず人参はこうしてだな……」
「ひゃあ!!!」
上条は切り方を教えるために、インデックスの後ろから腕を回して、包丁を持つ彼女の手に自分の手を添えた。
端から見れば、後ろから抱きつかれているようなこの構図に、心臓バクバクなインデックス。思わず変な声を上げながら全身をビクッと震わせる。
上条の方は全然気にしていない様子なのだが、彼女は何も意識するなというのが無理な話だ。
「うおっ!! ちょ、包丁持ってんだから気をつけてくださいよ!?」
「だだだだってとうまが!!」
「へっ? なんかしたか俺?」
「その、なんかこれだと……」
「ん……あー」
ようやくインデックスが何を言いたいのか気付いた様子の上条。
やはり上条的には何も感じていなかったらしく、それはそれでインデックスは少し残念な気持ちになってしまう。
薄々気付いてはいたが、彼にとって自分とは妹のようなものなのかもしれない。
何とも微妙な空気が流れる。
「えっと、悪い悪い! じゃあ俺がまずやってみせるから……」
「待って!」
上条はとりあえずこの状態を止めようとするのだったが、インデックスは慌てて止める。
もちろんこの状態は恥ずかしいが、嫌だというわけではないのだ。
むしろ、彼女としては嬉しかった。
「このままで……いいから。教えてほしいんだよ」
「でもお前は嫌なんじゃ……」
「そんな事あるわけないんだよ!」
「そ、そうか? じゃあ……」
必死な彼女の剣幕に押されながらも、上条は気を取り直して教え始める。
だがどうやら先程までのように何も意識しないで、というわけにはいかないらしく、少し緊張しているような様子だ。
インデックスの方もやはり相当緊張しているのだが、それ以上に嬉しさがあったりもする。
こうして触れ合っているだけで幸せな気持ちになれるというのは、とても素晴らしいことだとも思う。
その後、台所には何かピンク色の雰囲気が常に漂っており、上条は何ともやりづらかったとかなんとか。
食事も風呂も済ませた二人は、のんびりと話しながらコタツに入ってテレビを観ていた。スフィンクスはコタツの中に隠れてしまっている。
今テレビに点いているのはこれから始まる受験についての番組で、どうやら今年も一番人気は長点上機学園らしい。
その理由は学園都市一の学校である事の他に、何か目立つ長所があれば能力レベルが低くても入れる事にもあるらしい。
上条はふと自分の右手に目を向ける。
この幻想殺しは身体検査(システムスキャン)にも何の反応もしないものだが、珍しい力である事には変わりない。
といっても、日常生活ではあまり役に立つようなものではなく、むしろこれのお陰でいくつもの事件に巻き込まれたりもした。
だが、こんな右手なんか無ければ良かったなどとは少しも思わない。
おそらく、この力が無くても上条は誰かのために戦うことを躊躇ったりはしない。
それでも結果として、今までこの幻想を殺す力で色々な幻想を守ってきた。
上条に記憶はないが、今ここにいる彼女を守れたのもこの力のお陰らしい。
その為に払った代価は決して小さなものではないのかもしれないが、彼女の顔を見るだけでこれで良かったと自信を持って言える。
例え記憶を失っても、彼女はいつでも上条にとって大切な存在だ。
やがて、上条の視線に気付いたインデックスは、わずかに頬を染めてこちらを向く。
「えっと、どうしたのかな?」
「ん、あー、悪い。ちょっと考え事をな」
「私の顔見ながら?」
「お前の事だしな」
「そ、そう……」
インデックスはもじもじとしながら、髪を撫でている。
その様子はどうも落ち着きがなく、視線もキョロキョロと定まらない。
何だか珍しい光景だな、と上条は思う。
これではまるで初めて来た部屋での反応のようだ。
確かに彼女はここに来るのは一ヶ月ぶりなのだが、それだけでここまで態度が変わるものなのだろうか。
上条が夏に記憶喪失になった直後も、彼女は自分の実の妹か何かであるかのように当たり前にこの部屋に馴染んでいた。
実は彼女のこの態度は心の変化によるものが大きく、自分の中の恋愛感情に向きあうようになった事が大きい。
普通に考えて、意中の少年と一つ屋根の下で過ごす事に対して何も思わないほうが不自然だろう。
といっても、そんな事は上条は知るよしもないのだが。
「なぁインデックス」
「な、何かな?」
「俺にできることなら何でも言えよ。絶対協力するからさ」
「あ……」
上条の言葉を受けて、インデックスは何かを言おうとする。
だが、途中で何かを思い出すように思いとどまってしまった。
その表情はどこか切ないもので、見ているだけでこちらの心まで痛むような気がするくらいだ。
上条は彼女のそんな表情を見て黙っている訳にはいかない。
何かを言いかけた事によるモヤモヤ感はもちろんあるが、それ以上に彼女の事が気がかりだった。
「何だよ、はっきり言えって! そんなに俺が頼りねえか?」
「違うんだよ! でも……」
問い詰めても答えようとしないインデックス。
それを受けて、上条は瞬間的に憤りを覚える。
誰も頼ろうとしないで、自分の中だけに悩みや苦しみを溜め込んでしまう。
それが、上条にはどうしても許せなかった。
しかし、さらに強く問い詰めようと開きかけた口は途中で止まる。
そもそもこんなものは自己満足でしか無いのではないか。
彼女のためだとか理由をつけて、ただ自分のやりたいことを押し通したいだけなのではないか。
何を今更だとも思う。
いつだって、上条はそうやって生きてきた。
この不幸な少年はよくヒーローだとか言われるが、一度だって自分からそうなろうとした事などない。
単に自分の気持ちに正直に突き進んでいるだけ。良くも悪くも子供なのだ。
だが、もしかしたらそういう気持ちの押し付けが彼女の負担になるのではないか?
もちろん彼女のためには何でもしてやりたい上条だが、それを彼女が頼んでもいないのに無理矢理するのは違うのではないか?
「……分かった。インデックスが言いたくないならそれでいい」
「え?」
インデックスは拍子抜けして、キョトンとした様子で聞き返す。
上条のことなので、きちんと答えるまで追求されるとでも思っていたのだろう。
「それでいいの……かな?」
上条は自分自身も納得させるように深く頷く。
「あぁ、インデックスが言っても良いと思った時にいつでも言ってくれ」
「とうま、何だかいつもと違うね」
「お前だって人の事言えないだろ」
そこで二人は顔を見合わせると、お互い少しバツの悪そうな顔で苦笑いを浮かべる。
時間は決して多くはないが、焦ってもいけない。とくに心の問題は繊細なものだ。
今はこれでいい、上条はそう思う。
「よし、じゃあそろそろいい時間だし、そろそろ寝ようぜ」
気付けばもうそろそろ日付が変わる頃になっており、テレビ番組もそろそろ深夜アニメに移るかという時間になっていた。
上条はリモコンでテレビ画面を消すと、コタツの電源を切り、暖房を切る。それでも三毛猫は出てこないが、このままでも問題はないだろう。
これらの寝る前の作業はインデックスに任せるのも危なっかしいので、ずっと上条がやっていた事だ。
あとは、部屋の明かりのスイッチの近くまで行き、彼女がベッドに入ったのを見て明かりを消し、自分は寝床である風呂場へ向かう。
だが今日は違った。
「あ、あの」
「ん、どした?」
インデックスはコタツからは出ていたが、ベッドの方を向いているだけで一向に入ろうとしない。
その表情はよく見えないが、頬がうっすらと染まっている事は分かる。
上条はスイッチに手を当て、いつでも消せる状態で首を傾げた。
彼女が帰ってくるという事で、布団は日中干しておいたのでフカフカだ。
特に躊躇う理由もないと思う。
「さっき、とうまにできる事なら何でもお願いしていい、って言ってくれたよね……?」
「あぁ。もしかして毛布が足りねえとかか? それなら俺の分を……」
「ち、違うんだよ。えっとね……」
先程の様にハッキリとしないインデックス。
上条も今日は少し気を張っていたのか、もう眠気が襲ってきていた。正直そろそろ寝たい。
だが、ここで彼女の頼みを聞かないなどという選択肢はないので、辛抱強く待つことにする。
少し経って、彼女の小さな口が開いた。
「一緒に、寝て……ほしいんだよ」
部屋全体の時が止まった気がした。
初め、上条には彼女が何を言ったのかが理解できなかった。
まるで難解な数式の証明を聞かされるような、言葉は耳に入ってきてはいるが、意味が頭に入っていない状態だ。
「と、とうま?」
「…………あー」
完全にフリーズしていた上条の脳内CPUだったが、インデックスの言葉で次第に再起動を始める。
徐々に、ズポンジに水が染みこんでいくように先程の言葉の意味が頭に入ってくる。
寝る、一緒に。
(寝る、うん。そりゃもう遅い時間だしな。で、一緒に? スフィンクス? いや、俺に言ったよな? じゃあ…………)
寝起きの頭であるかのように、思考が鈍い。
こういう時、一方通行が使っている妹達の代理演算なんかがあれば楽なんだろうな、とぼんやりと思う。
「……俺と一緒に寝たいのか?」
「そ、そう言ってるかも」
「なんで?」
「うぅ……そこは聞かないでほしいんだよ」
一向にこちらを向こうとしないインデックス。
それでも顔の紅潮はよく分かり、今では耳まで真っ赤になっている。
注意してみると、小さく震えているような気もする。
「なんかメチャクチャに恥ずかしがってるような気がするんですが」
「もう!! 寝てくれるのかどうかどっちなんだよう!!」
「ぶっ、ちょ、そこだけ聞くと隣の奴が激しく勘違いしそうだから、そんな大声で言うんじゃありません!!」
美琴が部屋に来た時も、隣人にはバッチリと筒抜けだったらしく、そこら辺には十分気をつけていた上条。
とにかく今は隣が寝てるか、どこかへ出掛けていることを祈るしかない。
それよりも今は、彼女のこのお願いをどうするかだ。
「あー、インデックスさん? 一応あなたも年頃の女の子なんだから……」
「何でも言っていいって言った」
「……言ったな」
ついさっきの事なので、そこは否定出来ない上条。
もちろん、その言葉に偽りはなく、本心からそう思っている。
だから、例えどんな頼みだとしても、彼女が望んだことを拒否してはいけないのではないか。
しばらくウーウーと頭を抱えていた上条だったが、ここは覚悟を決めることにした。
「分かった、じゃあ一緒に寝るか」
「ほ、本当!?」
途端にパァァと明るい顔でこちらを向くインデックス。
そんな彼女の顔を見ただけで、これで良いんだと無条件で思うことができる。
問題はこれからなのだが。
「えーと、俺はどっち行けばいいんだ?」
「じゃあ奥の方で……」
「お前外側で大丈夫か? 落ちたりしねえか?」
「だ、大丈夫なんだよ」
明かりを消した薄暗闇のなか、どこか緊張した二人の声が響く。
必死に何でもないように装っている上条だが、内心はもちろんバックバクだ。
今まで世界の危機を救ったりなんかしたが、本来はまだまだ子供っぽさの抜けない高校一年生だ。
同世代の女の子と一緒に寝るなんていうイベントに反応しないわけがなかった。
といっても、彼女と一緒に寝るという事が今まで一度もなかったというわけではない。
夏に上条が記憶喪失になって、退院して初めて自分の寮で迎えた夜。その時も彼女は当たり前のように上条のベッドの中に入ってきた。
それを受けて、慌てて風呂場へ避難した時の事は未だによく覚えている。
インデックスの方をチラリと見ると、暗闇の中でも分かるくらいに小刻みに震えている。
おそらく電気を付ければ顔が尋常じゃなく真っ赤になっている事が容易に想像できるが、それを試そうとは思わない。
なぜなら自分も結構いい勝負をしている可能性があるからだ。
そもそも、そんなに恥ずかしいのならわざわざこんな事をしなくてもいいのではないかとも思うが、それを言っても彼女は聞き入れないような気がする。
とりあえず上条はベッドの奥へ行き、壁のほうを向いて横になる。
さすがに向かい合って寝るのはハードルが高すぎた。
「お邪魔します……」
「お、おう」
もぞもぞと背後に感じる気配に、全身を硬直させる上条。
ドクンドクンと、心臓の音がやかましく響く。思わず相手に聞こえていないか不安になるほどだ。
「暖かいね」
「そうだな」
「……もうちょっとそっち行っていい?」
「い、いいぞ」
さらにもぞもぞと背後で動く気配。
今や上条の全神経は背中に集中していた。
(ヤバイ。なんかよく分からないけどヤバイ!)
彼女を近くに感じ、緊張と共に謎の焦りが上条を襲う。
変な汗が全身から吹き出て、喉がカラカラする。
どこまで彼女が近づいてきたかなんかは確認できない。
それでも、相当近くまで来ていることは分かる。今や彼女の息遣いまで聞こえているからだ。
そう意識すると、さらに心を摘まれた様な感覚に陥る。
(どうする!? どうするんだよ俺!!)
某CMのような思考状態な上条。
再びフリーズしかけている脳内を、懸命に動かして対策を練る。
その必死さは、さながら戦闘中に匹敵するほどであった。
そして導きだした答えは――――。
「……ぐぅ」
「あれ、とうま? もう寝ちゃったの?」
「ぐぅぐぅ」
何の捻りもないタヌキ寝入りだ。
もうこれ以上何も意識したくないといった、半ば現実逃避に近いような方法である。
もちろん、このまま本当に眠りに落ちてしまうのが一番いいのだが、さすがにそこまでは望めなさそうだ。
先程からバクバクとうるさく鳴っている心臓は、まだ落ち着きそうにもない。
インデックスは小さな手でクイクイと上条の服を掴んで本当に寝てるのか確認しているようだが、上条は頑なにタヌキ寝入りの姿勢を崩さない。
「……ありがとね」
ポツリと零れ落ちるように、インデックスはそう口に出した。
それは決して大きな声ではなく、これだけ近くにいなければ聞き取れないような小さな声だったが、上条にはよく聞こえた。
「私、とうまが居なくて寂しかったんだよ。とってもとっても寂しかった」
「本当はもうとうまに助けてもらうのは終わりにしようと思ったんだけど……」
「――――その、もう少し甘えちゃダメかな?」
「良いに決まってるだろ」
上条の目は閉じたままだったが、口は自然と動いていた。
頭では何も考えずに、ただ彼女の言葉を聞いていたのだが、気付けばそう言っていた。
彼女の小さな小さな、押し殺していた声を聞いても寝たふりを続けることなんて、上条にはできなかった。
「と、とうま!? 起きてたの!?」
「俺も寂しかった」
「え……?」
「俺も、インデックスが居なくて寂しかった」
勢いでそんな事を口走る上条だったが、今の言葉は少しまずかったとも思う。
これでは、ずっとここに居てくれと言っているみたいだ。それでは彼女を縛り付けてしまう事になる。
あくまで一番に尊重すべきなのは彼女の意思であって、上条の意思ではない。
彼女は上条に頼るのを止めて、頑張って一人で歩けるようになりたいと思っている。
それを邪魔するような事はしてはいけない。
そう思ったから、上条は慌てて再び口を開いて訂正しようとする。
その時――――。
「……とうま」
ギュッと。小さな手が上条の腰の近くに巻きつけられた。
背中全体に柔らかくて暖かい感触が広がる。
あまりの衝撃に、上条は閉じていた目を見開き、体をビクッと震わせる。
それでも、背中の感触は離れようとしない。
暗くてよく見えないし、わざわざ振り向いて確認するような事もできないが、どう考えてもこれは後ろから抱きつかれている他になかった。
「とうま」
(お、おおおううううううう!?)
スリスリと、頬ずりまで始めるインデックス。
それに対して、上条の頭の中はかつてない程に混乱を極める事になる。
様々な気持ちがグチャグチャに混ざり合い、何がなんだかまったく分からない。
背中の神経がいつもの何倍にも敏感になったようだった。
彼女が少し体をずらしただけで、その動きが鮮明に頭の中で想像できる。
おまけに普段じゃ絶対に気付かないと思われる、小さなあの膨らみもバッチリ感じ取ることができる。
上条はもはやパニックを通り越して、目をグルグルグルと回していた。
このむず痒い感触に、今すぐ絶叫しながら窓ガラスをぶち破って、七階から紐なしバンジーに挑戦しようかという衝動にも駆られる。
だが、上条は動くことができない。
頭の中がそれどころじゃない程に混乱しているというのも一つの理由だが、何より彼女がこれで満足しているようだからだ。
例えどんなに頭が真っ白でも、彼女の嫌がることはしたくない。それだけは無意識に判断できる。
(つってもこれはヤバすぎるだろうが!!! 落ち着け落ち着け!! コイツは妹みてーなもので……っ!!)
必死にそんな事を考えて、何とか意識しないようにしようとする上条。
だがそもそも、意識しないようにという時点でバッチリ意識しているわけで、あまり効果がないようだ。
頭の中では勝手に「上条インデックス」なる妹を作り出しているのだが、これはこれで別の捉え方があるんじゃね? とさらに深みにはまる始末だった。
そんな感じに、どこかの超能力者(レベル5)だったら、とっくに「ふにゃー」してそうな脳内状況である上条だったが、
「……すぅすぅ」
「……は?」
「むにゃ……んー」
背中に張り付いて、上条の頭をかき乱しまくっている原因である少女はお休みモードのようだ。
思わずズコーといきそうになる上条。ここまでテンパりまくっていた自分が物凄く間抜けに思える。
上条は小さく笑って溜息をつく。
とにかく、寝てくれたのは上条にとっても助かる。
相手が起きているよりはこちらの方が意識しないで済むし、上手くいけばこのまま自分も寝ることが――。
(――――できるわけねえだろおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!)
いくら相手が寝てるとはいえ、女の子に後ろから抱きつかれて完全に意識しないなんて事はできるはずがない。
それに寝てても相変わらず頬ずりは継続中であり、時折抱きつく力も強められたりなんかして、やはり健全な男子高校生には刺激が強すぎる。
思い切ってチラリと後ろを向いてみると、そこには幸せそうに眠るインデックスの顔があった。
一瞬、これだけ自分が大変な思いをしているのにと、恨めしく思う。
だが、その顔を少し見ているだけで、そんな思いもなくなって全て許せてしまうから不思議なものだ。
結局、上条はほとんど一睡も出来なかった。
今回はここまでー
初めて女の子に後ろから抱きつかれた時は、膝カックンされたみたいにガクンっていって驚かせちゃったんだよ
インデックスが来てから二日目の朝。
外は清々しいほどの青空が広がっており、太陽の光がカーテンから漏れ出ているのが分かる。
時刻は八時を回ったところだろうか、もう受験休みに入ったので慌てて起きる必要はない。
部屋にはまだスゥスゥというインデックスの小さな寝息が聞こえる。
だが寝息は一つだけだ。
それは上条が相当静かに寝ているというわけではなく、ただ単にもう既に起きているという事だ。
というかまともに寝ること自体出来なかったので、目の下には黒いクマが浮き上がっていたりする。
「……朝か」
爽やかとは程遠い声を漏らす上条。
休みの日の朝とは到底思えないほどに、どんよりとした様子だ。
背中にはまだ掴まれている感触がある。
本当に小さい子だったら「可愛いなー」程度にしか思わないのだろうが、相手は同年代の女の子だ。
さすがにそれで何も思わないほど上条は色々と悟っていたりはしない。
首だけ動かして、後ろの様子を見てみる。
そこには幸せそうに眠る彼女の姿があり、こうして見ているとまるで人形のような可愛らしさもある。
もちろん、こんな事を本人に言えるはずはないのだが。
(そろそろ朝飯でも作っとくか)
このままじっとしているのも何なので、体を起こそうとする。
しかしインデックスが背中を掴んだままなので、あまり派手に動くと起こしてしまう可能性もある。
とりあえず上条は気付かれないように、そっと彼女の手を離させた。
すると、彼女はもぞもぞと動き始める。
(やべっ、起こしちまった……?)
一瞬焦る上条だったが、彼女はそれから再び寝息をたて始める。
少しの間眠りが妨げられたのは確かなようだが、どうやら起きるまではいかないようだ。
上条はほっと一息ついて、念のため寝ていることを確認しておこうと、寝返りをうって彼女と向き合ってみる。
彼女は相変わらず幸せそうに眠っていた。
近くで見てみると、やはりその顔立ちはとても良く整っていて、美少女なんだなと改めて思う。
これを言うと本人は怒るかもしれないが、普段は相当活発で騒がしいくらいなので、こうして静かな様子はかなり新鮮だ。
同時に、こんな子と同じベッドで寝るなんていうのは、男としてかなり良い思いをしているのではないかとも今更ながらに感じる。
「……って、髪食ってんじゃねえか」
注意して見てみると、その綺麗な長い銀髪が何本か小さな口の中に入っていた。
上条は思わずクスリと笑うと、やれやれと溜息をつきながらそれを取ってやろうとする。
その時。
「んー、むにゃ……」
「いっ!!?」
インデックスが正面から抱きついてきた。
その瞬間、上条はビクッと全身を震わせた。まだ若干ぼーっとしていた頭は一気に覚醒し、同時に混乱し始める。
背中でもほとんど眠れないくらいにガチガチに緊張してしまうというのに、今度は正面ときたのだ。上条のこの反応もおかしくない。
しかも彼女は顔を上条の胸に埋めて頬ずりしているし、足も上条の足に絡めている。
突然女の子にこんな事をされたら、今まで恋人もできたことのない純情少年の心は尋常じゃなく揺れることになる。
(ど、どどどどうすんだよこれ!!!)
朝から処理限界に達しつつある頭を無理矢理働かせて、これからどうすればいいか考える上条。
その間にも体に密着している彼女の体の感触は消えてくれず、継続的に少年の頭をかき回し続ける。
ドクドクドクと、血液の流れの音が鮮明に聞こえる。
いよいよ本当に上条の頭がショートするかという所で、彼女の体がピクリと動いた。
それは元々眠りが浅くなてきていたという理由もあるとは思うが、それよりも抱きついている上条の体が相当震えているという事の方が大きいだろう。
誰だって、抱き枕が突然振動し始めたら驚くものだ。
そして、ゆっくりととその綺麗な碧眼が開かれた。
「……んん?」
「お、おはようインデックス」
「うん、おはよう…………っ!!?」
まだ寝ぼけ眼のままだったインデックスだが、今の自分の状態を確認してピタリと固まってしまった。
それも仕方ないだろう。
朝起きたら、男に正面から抱きついていて足まで絡めていたのだ。
昨夜はかなり後ろから抱きついたりしてかなり積極的だったインデックスだったが、これはまだハードルが高かったようだ。
上条は気まずそうに目を逸らすだけだ。
案の定、彼女は一瞬にして許容量を超えてしまったらしく、見る見るうちに真っ赤になったと思ったらバッと物凄い速さで離れる。
「わ、わた私何を……!!!」
「落ち着け落ち着け」
どうどうと、犬をなだめるかのようにする上条。
そんな上条自身も先程まではインデックスくらいにテンパっていたわけだが、今は何とか落ち着いてきていた。
しかし、こうして改めて見ると、同じベッドの上で微妙な距離をおいてお互い向い合って座っているという状況はどうなんだろうか?
これではまるで初々しい恋人か何かのようで、昨日の夜何かあったかのような――――。
(って何考えてんだよ俺!!!)
ボフンと毛布に顔を埋める上条。
シスターという反社会的な感じなのもいいなー、などと変態的な事を考えてはいない。上条は紳士だ。
ちなみにインデックスは依然として真っ赤なままなので、そんな様子の上条を気にかける余裕もないようだ。
上条は少しの間顔を埋めたまま止まっていたが、急にバッと顔を上げた。
そして何かを振り払うかのようにブンブンと頭を振ると、ベッドから降りる。
「よし、起きた起きた! いやー、いい天気だなー」
「……別にとうまは何とも思ってないんだね」
「んー、何が?」
「何でもない」
インデックスは不機嫌そうにプイとそっぽを向いてしまう。
そんな彼女に上条は首を傾げる。
もちろん、彼女が言ったことの意味が分からないというわけではない。
ほぼ確実に先程の抱きついていた事について言っていたのだろうが、それを蒸し返せばまた変な雰囲気になってしまう可能性があると思ったので、あえて誤魔化したのだ。
そしてそれは彼女にとっても望ましいと思ったのだが、何故か不機嫌になってしまったというわけだ。
何が悪かったのか少し考えてはみるが、やはり良く分からない。
まず朝起きてやることといえば洗顔だ。というわけで、二人は仲良く洗面台に向かう。
普段は上条は風呂場で眠っているので、朝はここで顔を合わせる事も少なくない。
「うぅ……冷たい水は目が覚めるけど、できればお湯でお願いしたいんだよ」
「別に水でいいじゃねえか。お湯になるのにもちょい時間かかるしさ」
「むー」
不満を言いながらも、インデックスはバシャバシャと顔を洗う。
本当に水だけであり、洗顔用の保湿効果のある石鹸だったり美容液なんかは付けない。
それでも彼女は常に水々しい肌を維持しており、御坂美鈴なんかが知れば嫉妬に震えることだろう。
そんな事を考えながら彼女の肌をじーっと見ていると、次第にその頬をプニプニしたい欲求にかられる。
というか、そう思った次の瞬間には既に手が伸びていた。
「きゃあ!!!」
「おおう、すげー」
「ちょ、ちょっととうま! いきなり何してるんだよ!!」
「なんかメッチャ柔らかそうだからさ」
「理由になってないかも!」
またもや赤くなるインデックスだが、上条はその頬の感触に夢中だ。
それは見た目通り弾力たっぷりであり、指を押し返してくる。
その感触が若干癖になりつつある上条は、プニプニプニとさらに指でつつきまくる。
少しの間されるがままだったインデックスは、さすがにもう我慢の限界だったのか、上条のその手を振り払う。
「も、もう!! 触りすぎなんだよ!!」
「いいじゃねえかよー、減るもんじゃないし」
「気になるの!」
プイッとそっぽを向いてしまったインデックスは、歯ブラシを手にとって磨き始める。
歯磨きも、上条はきちんと教えていたので、彼女の歯は白く綺麗なものだ。
それは結構な事なのだが、いい加減その歯で頭を噛むのは何とかしてほしいとも思う。
「ほら、ちゃんと鏡見て磨けっての」
「むー、とうま細かい」
「虫歯できて困るのはお前だぞー」
「それは分かってるけど……」
インデックスにとって、食事というのは人生の内でもかなり大きい割合を占める程の楽しみだ。
ゆえに虫歯なんかができて、痛みでまともに食べれなくなるのは彼女にとっては相当な苦痛である。
だからどんなに面倒でも歯磨きばかりはサボるわけにはいかない。
そういう事も良く分かってる上条は、文句を言いつつも素直に言う事を聞く彼女を微笑ましげに見ている。
そこでふと、とある面白いことを思いつく。
「そうだ、俺が磨いてやろうか?」
「……え?」
「だから俺がお前の歯を磨いてやるって」
「……ええええええ!?」
ビクッと、歯ブラシをくわえたまま後退るインデックス。
その表情は驚愕に染まっており、その碧眼を大きく見開いている。
「い、いいんだよ! それくらい一人で……」
「まぁまぁ、遠慮するなって。よっと」
「ふぇ!?」
上条は素早く彼女の背後に回ると、彼女の顔を上に向かせた。
必然的に、二人の視線が至近距離で交錯する。
途端に真っ赤になったのはインデックスの方だ。
「なななななな何するのかな!?」
「だから歯磨いてやるって。ほら、あーん」
「か、からかってるよね!?」
「いやいや、そんな事ねえって」
「ウソなんだよ!! 顔が笑ってるもん!!」
正直に言うと、上条は楽しんでいた。
そもそも、こんな事をしようと考えたきっかけは最近観たアニメによるものである。
そのアニメには確か、主人公が実の妹に歯磨きしてやった結果、随分と面白いことになっていた。
何でも歯磨きというのは人にやってもらうのは抵抗のあるもので、同時に快感もあるとか何とか。
つまりそれを実際にやってみたらどうなるのか、試してみたくなったのだ。
「ほら、観念しろって。あーん」
「むぅ……!!」
不満たらたらといった感じに口を開けるインデックス。
その瞬間、上条は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。その様子はどう見ても怪しすぎた。
おそらくこの状況を誰かに見られたら、上条は三度目の死を迎えることになっていただろう。社会的な意味で。
インデックスの口内で歯ブラシが踊る。
歯の表面だけではなく、裏側にもブラシを這わせて丁寧に磨く。
ときおり、毛先が歯茎や頬の粘膜を撫でる。
こうして誰かの歯を磨くというのは上条にとっても初めての経験だが、やってみると案外夢中になるものだ。
「あっ……ん!」
「……インデックスさん?」
ここで上条はインデックスの異変に気付く。
視線を口の中からずらしてみれば、彼女の顔はほんのりと紅潮していた。
しかも目はトロンとしており、少し息も荒い感じがする。口内では少量の涎が怪しく光り、どこか官能的にも見える。
その表情は、不覚にも上条を動揺させるには十分過ぎる程の威力をもっていた。
純粋な少年の心は、ドキドキドキとうるさいくらいに高鳴っている。
「ひょうま…………」
「ッ!!」
インデックスはトロンとした恍惚の表情で、真っ直ぐこちらを見てくる。
普段は彼女の事を良く子供扱いする上条だが、今はそんな風には思えない。
彼女はどこか女の顔というものになっており、こんな表情を上条は今まで一度も見たことがなかった。
上条はゴクリと生唾を飲む。
何だか良くわからないが、自分の中で様々な感情が渦巻く。
ドキドキドキドキと心臓の音がさらに早まった気がする。
これはとてつもなくマズイと、上条は直感した。
「い、インデックス! もう後は自分でできるだろ!」
「ふぇ?」
上条は慌てて歯ブラシを彼女に持たせると、そそくさと自分の歯を磨き始めた。
本人はできるだけ自然に怪しまれずにしているつもりなのだが、明らかに動揺していることが丸わかりだ。
完全に自業自得なわけなのだが。
とはいえ、あのまま続けるのは上条には不可能だった。
気軽に他の人の歯を磨くべからず、上条は今日この日にそれを学んだ。それが先程の行為を通じての唯一といっていい収穫だろう。
いや、インデックスのあんな表情を見れたというのも収穫の一つに入れるべきかもしれないが。
一方で、上条が一体何にここまで動揺しているのか分からないインデックスはキョトンと首を傾げる事しかできない。
最初は歯磨きをやってもらうというのは恥ずかしかったのだが、予想以上に気持ちいいという事も分かったので、少し不満そうでもある。
しかし上条はそれから彼女をまともに見ることが出来ず、そんな様子にも気付かなかった。
それから少しして、二人は目玉焼きに味噌汁にご飯という簡素な朝食をとっていた。
今回もインデックスは手伝うと申し出てくれ、仲良く二人で作ったのだが、上条はまだ歯磨きの件で彼女を意識してしまっていた。
そのせいで、今日は上条の方が色々とやらかしてしまい、インデックスには心配される始末だ。
具体的には、手と手が触れあっただけで飛び上がったりして、「中学生かっ!!」と自分に突っ込みたくなるほどだった。
上条は味噌汁をすすりながら、チラリと向かいに座る彼女を盗み見る。
彼女はニコニコと満面の笑みで、決して豪華とは言えない朝食をそれはおいしそうに食べていた。
こういったところを見れば、どこか妹や娘に近いような感覚を覚える。
しかし、それだけに歯磨きの時のあのような表情はギャップがあって動揺してしまうのだろう。
上条は強引にそう解釈する。
「でさ、今日はどうする? インデックスは何したいんだ?」
「んーと……」
今日は夕方から上条のクラスの打ち上げが予定されているのだが、それまで特にすることもない。
彼女がここで暮らしていたときは、一日中部屋でダラダラしていたときもあった。
だが、今回は彼女のストレスを何とか解消するという目的がある。
時間も一週間と限られているので、一日も無駄にはできない。
彼女は上条の問いかけに、顎に人差し指を当てて考える。
答えが返ってくるのは意外と早かった。
「とにかく遊びたいかも!!」
「……そ、そっか」
「うん、ほら前に行ったげーむせんたーとか!」
予想以上に単純な回答に少し拍子抜けしてしまう上条。
まぁそれも彼女らしいといったところか。
ただ遊ぶだけで彼女の気が少しでも晴れるというのなら、それで十分だろう。
彼女の表情はとても明るくワクワクしており、どこか遠足前の子供のような印象もうける。
彼女にとってはここはまだまだ良く知らないものばかりで、そういったものに対する興味は付かないのだろう。
よく最新鋭の新機能などを好む人がいるが、その原理は良く分からなくてもとにかく目新しいものに引かれる。それと同じようなことだ。
上条はそんな彼女を見て、微笑ましく思う。
新学期が始まった九月一日にゲーセンを初めて知ったインデックスだったが、どうやらかなり気に入ったようだ。
と、その時のことを思い出していた上条はある考えが浮かぶ。その日は他にもう一人、大切な友達がいたはずだ。
「そんじゃ、せっかくだし風斬とかも呼ぶか」
「うん!! あっ、でもひょうかの居場所とかって分かるの?」
「んー、たぶん色んな人に聞けばどっかで見たって人が居るんじゃねえか」
「ちょっと適当すぎるかも」
「つっても他に方法も思いつかねえからなー」
風斬氷華は人間ではない。
AIM拡散力場の集合体のようなものであり、それ故にその存在も不安定なものだ。
だから遊びに誘うといっても、メールや電話で気楽にというわけにはいかない。
まずは居場所を見つけるところから始めなければいけないのだ。
上条は頭をかきながらケータイを開く。
風斬の写真は、以前に撮ったプリクラがある。超機動少女カナミンの悪役ヒロインのコスプレをしているが、これなら十分判別はつくだろう。
その画像を添付ファイルとして付属させ、見つけたら知らせてほしいと書いて一斉送信。
まるで迷い人の捜索のようだが、こればかりは仕方ない。
「見つかればいいけど……」
「誰か一人くらいは見つけてくれるって」
上条は今まで様々なことに巻き込まれた影響で、知っている連絡先も随分と増えた。
これならば全く可能性がないという事はないはずだ。
とにかく、二人は友達の目撃情報が来るのを待つことにした。
御坂美琴は第七学区のとあるファミレスで、ゲコ太柄のケータイを片手にプルプルと震えていた。
隣ではそんな様子を不審げに見ている白井黒子も居る。
美琴は二人しかいないのだからと、白井には対面に座るようには言ったのだが、彼女がそれを大人しく聞き入れることもなかった。
常盤台も今日から休暇という事で、これから初春や佐天を交えてどこかで遊ぼうという計画だ。
このファミレスは四人のお馴染みの待ち合わせ場所であり、少し早く着いた美琴と白井は先にドリンクバーだけ頼んでくつろいでいるわけだ。
「お姉様? もしやあの類人猿からのメールですの?」
「ぶっ!! ちょ、何で分かんのよ!!」
「むしろ気付かない方が難しいですわよ」
白井は明らかに安っぽい紅茶を一口飲むと、視線を横に移して「うふふふふ」と怪しげに笑い始める。
同時にどす黒いオーラのようなものも撒き散らしているので、美琴も「うっ」と体をずらして少し離れる。
「それで、どのようなご用でしたの? 一応言っときますけど、デートなんていうのは却下ですわよ」
「何でアンタが却下すんのよ……ていうかそういうんじゃないし」
「あら、そうですの? わたくしはてっきり何か嬉しいことがあって、あの様に震えていたのだと思っておりましたけど」
これはとっさに美琴がついた嘘ではない。
確かに先程上条からメールが届いたときは、大いに期待した。
休みの日に意中の相手からメールが来るというのは、恋する乙女にとってはそれだけ大きな出来事だ。
それにインデックスの件もあって、この休暇は彼女にかかり切りなんだろうと半ば諦めていただけに、それは一気に彼女の心を舞い上がらせるのには十分だった。
だが、いざ震える指でメールを開いてみれば、そこには「この子を見つけたら教えてほしい」といった意味の素っ気ない文章。
しかも添付ファイルの画像には、何かのコスプレだと思わしき衣装に身を包んだ胸の大きい女の子が写っていた。
それを見た美琴は、今度は怒りで震え始めていた。
(ったく、結局胸かこんにゃろう。つかこの人どっかで見た気が……)
慎ましい胸に悩む少女にとっては、これほどの巨乳を見るだけで精神的ダメージを負ったりするのだが、どこか引っ掛かる部分があるので少し思い返してみる。
そうだ、確か一端覧祭の準備期間に上条からシャッターを開けたいとか何とかでイギリスから電話がかかってきた時の事だ。
その時美琴はファミレスに居たのだが、そこには巨乳少女が異様に多かった。そしてその中の一人にこの写真の少女が居たはずだ。
完全記憶能力でも持っていない限り、普通ならばすぐに忘れてしまうような事だが、美琴は学園都市第三位という優秀な頭を持っている。
まぁこの場合は相手が巨乳だというインパクトの大きさも影響しているのかもしれないが。
美琴はイライラとした様子でジュースを一口飲むが、
「…………あれ?」
「どうしましたの?」
「いや、あの人……」
何気なく目を向けたその先。
奥の方にある四人がけテーブルの一つにポツンと一人で座る女の子。
物凄く見覚えがある。
具体的には、つい先程まで彼女と思わしき写真を見ていた気がする。
「お知り合いですの? 制服を見る限り霧ヶ丘女学院の生徒のようですけど」
「知り合いっていうか何ていうか……」
「さすがお姉様ですわ! やはり常盤台のエースともなると、その名は他校まで轟くものですの!!」
「そういう事言うなっつの。恥ずかしいから」
そう言いながら、美琴は白井の頭をグリグリと押さえつける。
確かに美琴は彼女の事を知ってはいるが、彼女はおそらく自分の事は知らないはずなので、知り合いというわけではない。
とはいえ、一応上条が探しているようなので無視するわけにもいかないだろう。
例え女関係であってもこうやって協力する辺り、案外美琴は尽くすタイプなのかもしれない。
美琴はちょっと待っててと白井に伝えると、席を立ってその少女の元へ歩いていく。
「あのー、ちょっといいですか?」
「はい?」
美琴は丁寧な口調で風斬に話しかける。
普段はお嬢様らしからぬフランクな口調であり、時折乱暴な言葉も飛び出したりもするのだが、何も丁寧な言葉遣いができないというわけではない。
そういった基本的な礼儀作法は当然常盤台で習うことであり、美琴もきちんと身につけている。
常盤台の生徒は普段から丁寧な言葉遣いである者も多いが、美琴は本来お嬢様などという柄でもない。
普段はごく普通の中学生の言葉遣いであり、それは友人と共に居る時を見れば分かるだろう。
ようはTPOを考えるといった、ごく当たり前の事なのだ。
一方、美琴の言葉に反応して風斬はキョトンとした様子でこちらを向く。
なんとなく、こう言うのは悪いかもしれないが、どこか気弱そうな印象を受ける。
それもただ気弱であるというだけではなく、何か人と関わる事自体に苦手意識を持っているような感じだ。
霧ヶ丘の生徒なので、何か特別な能力などを持っているのかもしれないが、もしかしたらそれが影響しているのかもしれない。
能力を持つとその自信から傲慢になってしまうケースは多いが、逆にその自分の能力に悩むというケースも少なくない。
悩み多き無能力者からすれば、贅沢な悩みのように思われてしまいがちだが、これも本人でなければなかなか分からないものだ。
と、ここまで考えた美琴は溜息をついて頭を押さえる。
(――――って大きなお世話か。アイツの何でも首突っ込むクセが移ったかしら)
まだほとんど面識もない人に対して、自分の勝手な想像で色々心配するのは失礼にあたるだろう。
しかし、美琴も今まで様々な暗い事件に遭遇しており、こういった何気ない所にも隠れていることもある。
そういった事も関係して、とある少年のようなお節介になってしまっている可能性もあるのかもしれない。
とにかく、ここはさっさと用件を済ませてしまう事にする。が――――。
「えっと、あー…………」
「??」
ここで美琴は急に歯切れが悪くなる。
何を言うのか忘れたわけではない。さすがにそこまでの天然ではない。
何とも小さな問題のようだが、美琴は上条のことをどう呼べばいいのかで迷っていた。
彼女に上条のことを説明するには、どうしてもその名前を出さなければいけないだろう。
そして美琴は今まで一度だってその名を呼んだことはなかった。
別に意図して呼ばなかったわけではない。これは成り行きでとしか言うしかない。
だが気付いた時にはその状態のまま今日まで来てしまい、今更何と呼べばいいのかも分からないというわけだ。
仮にも年上というわけなので「上条さん」でいいとも思えるが、普段は「あのバカ」などと呼んでいる美琴に限っては違和感が凄まじい。
呼び捨てにするといっても、「上条」ではどこか距離を置きすぎている感もあるし、「当麻」では逆に近すぎる。
もちろん、心の奥底ではあのシスターのように名前を呼び捨てにしたいという気持ちもないわけではない。
しかし、それはまだまだ美琴にはハードルが高かった。
そうやって美琴は少しの間悩んでいたが、やがて息を大きく吸って心を落ち着けた。
これではまるで何か重大な事を告げるようだ。要は上条が探しているということを伝えるだけなのだが。
「か、上条当麻って奴は知ってますよね?」
「え、あっ、はい! あの人がどうかしたんですか?」
「……またかあんにゃろう」
「は、はい?」
「ごめんなさい、こっちの話」
とりあえずフルネームという無難な選択に落ち着いた美琴。
だがその名前を聞いた風斬の反応を見て、思わずムカッと不機嫌になる。
何も風斬の態度が気に入らなかったというわけではない。
上条の名前を聞いた瞬間、彼女の顔はかなり明るいものになった。
それを見て、美琴は上条がいつものフラグメイカーを彼女にも発揮したのではないかと疑ったのだ。
「それで、アイツがあなたの事探してるみたいなんですけど」
「私を?」
「ええ。アイツの連絡先は知らないんですよね? 私が連絡取りましょうか?」
「ありがとうございます、お願いします」
予想した通り、彼女は上条の連絡先は知らないようだ。
それもそうだろう、もし知っているのならわざわざメールで大勢の人間に聞くよりも直接本人に尋ねればいいのだ。
そして、自分は上条の連絡先を知っているというのは、彼女よりも先に進めている気がしてどこか優越感に似たようなものまで覚える。
我ながら意地悪いなと少し思うところもあるが。
美琴は緑のゲコ太柄のケータイを取り出すと、上条の連絡先を呼び出す。
これも苦労して手に入れたものだが、以前はなかなか連絡がつかないことも多かった。それもあの少年の普段からの不幸体質を考えれば仕方ないのかもしれない。
といっても今回は先程上条の方から連絡をとってきたばかりなので、この短時間に電話に出れないような状況にはなっていないはずだ。
そう考える美琴だが、あの少年に限ってはそれもありえるかもと嫌な予感も覚える。
だがとりあえずかけてみなければ始まらない。
美琴はケータイの画面のカーソルを上条の電話番号に合わせると、その中央のボタンを押し込んだ。
プルルルルルルルと、コール音が鳴る。
まさか本当に出ないんじゃないかと、少し不安になりながら待つ美琴だったが、次の瞬間には意表を突かれることになる。
なんとあの上条当麻に2コール目で繋がった。
『もしもし、御坂か? もしかしてさっきの子見つかったのか?』
「……アンタ、今日は随分と出るのが早いのね」
『へ? あー、そりゃ俺から聞いて回ってたからな。で、見つけたのか?』
「………………」
『あれ? もしもし、御坂さーん?』
とてつもなく面白くない。
自分の時は中々連絡がつかない事も多いくせに、他の女の事になるとこの反応の速さだ。
おそらく本人はそうやって差を付けているつもりはないのだろうが、だからといって納得できる美琴ではない。
『おーい、どうしたー? もしもーし』
「だああああ、うっさいわね!! 今からGPSコード送るからそこ来なさいよ!!」
『え、じゃあマジで見つけ』
プツッと切ってやった。
考えてみれば、今まで向こうから一方的に切られることはあっても、こちらからこうして切る事はなかったかもしれない。
普段は何かと攻撃的な態度をとってしまう美琴だが、案外そういうところはしっかりしていたりする。
しかし、今回は何だか無性にむしゃくしゃしていた。
以前までの自分だったら、何でこんなにも荒れてしまうのか不思議に思ったかもしれない。
それでも、今なら分かる。
きっと、というか確実に自分は嫉妬しているのだろう。
想いを寄せる相手が中々自分のことを見てくれず、他の女の子の方を向いていることが嫌なのだ。
一方、近くでそのやり取りを見ていた風斬は、美琴のイライラを感じ取ったのかさらにおどおどとしていた。
「あ、あの……?」
「あっ……ごめんなさい。アイツ、すぐ来ると思うんで」
美琴はすぐに気を取り直して笑顔を向ける。
もちろん彼女が悪いわけではなく、イライラを向けるべきではない。
これは全て鈍感上条が悪いのであり、今はあの少年が来たらどうしてくれようか考えるのが有意義だろう。
そんな上条にとってはたまったものじゃない結論を出したとき、
「み、御坂さん、落ち着いてください!!」
突然、視界に二人の女の子がバッと現れた。
いきなりどうしたのかと面食らう美琴だったが、その子達が誰なのか確認して少し落ち着く。
友人である佐天涙子と初春飾利だ。
ところが二人ともかなり慌てており、その表情も切羽詰まったものになっている。
美琴はキョトンと首をかしげた。
別にこの場に二人が居る事は別段不思議なことではない。元々美琴がここに居るのも彼女達との待ち合わせのためだ。
疑問なのはこの二人の様子であり、なぜこんなにも慌てているのだろうか。
落ち着くように言われたが、今は美琴は至って冷静であり(上条関係で多少荒れることはあったかもしれないが)、むしろ二人の方が落ち着く必要があるのではと思うくらいだ。
気付けば白井もやれやれといった表情で二人の後についてきていた。
「えっと、どうしたの?」
「なんでもお姉様がその方に難癖つけているように見えたらしいですの」
「え、えー……なんでそんな事になってるのかな」
「あれ、違うんですか?」
「あたしはてっきり御坂さんがまた巨乳に嫉妬したんだと……」
「ちょろっと佐天さーん? 私はいったいどんなイメージなのかなー?」
どうやら完全に誤解を受けていたらしい。
しかも巨乳には誰彼噛み付く人という扱いに、美琴はにっこりと笑いながらも、両拳をポキポキと鳴らして黒いオーラを纏う。
佐天は苦笑いしながらも、「す、すみませーん」と素直に謝った。
といっても、学芸都市では前代未聞のLカップという爆乳を見た美琴が半狂乱に陥った前例もあるのだが。
「それじゃあこの方は御坂さんのお友達ですか? 初めまして、私は初春飾利といいます」
「佐天涙子でーす! その制服って霧ヶ丘のですよね? やっぱり高位能力者だったりですか!?」
「コラコラ、いきなりそういう事聞かないの」
「あ、えっと、風斬氷華です。能力はなんていうか、影が薄いみたいな……」
「影が薄い……あー! もしかして視覚阻害(ダミーチェック)みたいな感じですか?」
「佐天さんの彼女さんの能力ですね」
「うーいーはーるー!?」
佐天は初春の頬を摘まんで伸ばしてギャーギャーと騒いでいる。
白井はそれを見て「はしたないですわよ」などと注意しているが、美琴は一人考え込んでいた。
風斬氷華。その名前に聞き覚えがあった。フルネームがというわけではない。
0930事件。
天使やら黒服の怪しい集団やらが暴れまわっていたあの事件。
いつもの事ながら、なぜかその中心に居た上条当麻。そしてそのすぐ側にいつも居る白いシスター。
彼女は確かに、あの事件で出現した天使を「ひょうか」と言っていたはずだ。
「天、使……?」
「えっ」
「お姉様……確かにこの方はお美しいですけど、それにしたって天使という表現は…………」
「あはは、御坂さんらしいじゃないですか! ファンシー好きって感じで」
「あ、いや、そうじゃなくてその……」
美琴は何か誤解を受けていることに気付き、とっさに弁解しようとする。
しかし、上手い言葉が出てこない。まさかあの事件の事を話すという気にはならない。
あの現象はどう見ても科学の範疇を越えていた。
つまり、オカルト。最近上条の影響で美琴が触れる機会も多くなってきたアレに関係があるのかもしれない。
その証拠に、というのはあれだが、美琴の「天使」という言葉に風斬の表情も変わっていた。
すぐにでもその辺りについて聞きたくなる美琴だが、ここで聞くのはさすがにまずい。
とりあえずどこかで二人になってから聞き出す、それが一番良いだろう。
そう考えると、美琴はすぐに行動に移そうと口を開く。
その時。
「お、風斬ー!!」
「ひょうかー!!」
声が聞こえてきた。振り向かなくても分かる、上条当麻とインデックスだ。
普段は上条の声を聞くだけで浮かび上がるような気持ちなる美琴だが、今回は溜息をついた。
確かにここに来るように言ったのは自分だが、それにしたってタイミングというものがあるだろう。
「あ、あれ? インデックス帰ってきてたの?」
「うん! 一緒に遊ぼ!」
「というわけで、いいか風斬?」
「はい、もちろん!」
にっこりと満面の笑みを浮かべる風斬。おそらく普段は遊ぶなんて事はしないのだろう。
そもそも、風斬は長い間この世界で形すら保つことができなかった。
そんな彼女がやっと姿を表せた時、初めて友達になったのがインデックスだった。
インデックスにとっても風斬は自分で作った初めての友達であり、二人の関係はそれだけ深いものだ。
その辺りの事情を知っている上条は、ただ微笑んでその二人の様子を眺めている。
一方で不機嫌なのは美琴だ。
ただでさえ、あの電話の件で不満がたまっていたというのに、今度は三人で遊ぶときた。
それに、以前美琴と上条二人で地下街を周った時と比べて断然楽しそうだ。
まぁあの時はあくまで「罰ゲーム」という名目だったので、上条が嫌々だったのには理由があるのだが。
「ほう、これから三人で遊びに、ね。両手に花でいいわねー」
「おっ、御坂。風斬見つけてくれてサンキューな! やっぱ頼りになるよ」
「えっ、あ、別にこれくらいいわよ……」
先程までの不機嫌はどこへやら。
美琴は頬を染めると、目を逸らしてもじもじし始める。
こうして少し上条に褒められたくらいで、たちまち機嫌が直ってしまうあたり、相当単純だとも思う。
ただ嬉しいものは嬉しいので仕方ない。
だが、それを面白くないと思う者もまた居る。
「むきー! お姉様、何ですのその表情は!!」
「な、何の事よ!」
「そのまさに恋する乙女のような表情の事ですの!」
「ぶっ、そんな大声で言うな!!」
「せめて否定してほしいですのぉぉ!!」
白井は美琴の事を慕っており、同時に大好きだ。
これだけならば可愛い後輩なのだが、問題はその「好き」というのが「like」ではなく「love」である点だ。
しかも、恋愛ではなかなか素直になれない美琴と違って、白井はそれを全面に押し出して表現してくる。主に変態行為などによって。
一応述べておくと、美琴の方にはその気はなく、彼女の恋が成就する可能性は極めて低い。
ちなみに上条と美琴がピンク空間を作るのは、インデックスにとっても嬉しくないことだが、彼女は今は風斬と話し込んでおり気付いていないようだ。
「おー、白井。どうしたんだ急に大声出して」
「……本当に鈍感でよかったですの」
「はい?」
「ちょ、黒子!」
普通ならば先程の美琴と黒子の会話で、全く事情の知らない者でも何となくは分かるだろう。
しかし、それは上条には通用しない。
今までの不幸体質で、自分に限ってそんな事はないと無意識に思い込んでいるのか、尋常では無いほどの鈍感なのだ。
端から見れば、もはやわざとやっているようにも見える。
上条と他の女の子の関係が誰一人として一向に進まないのは、この鈍感によるものも大きい。
「えーと、よく分かんねえけど、ちょっといいか?」
「な、なによ?」
これくらいでは自分の気持ちには気付かれない。
そうは分かっていても、ドキッとする。普通ならば気付かれてもおかしくないのだ。
だが上条は、そんな美琴の内心は露知らずに、
「そこのお二人さんは何でさっきから俺の事を見て唸ってるんだ?」
「へ?」
「ほら、そこの。お前の友達なんじゃねえの?」
首を傾げて、少し居心地の悪そうにそんな事を言う上条。
美琴がその視線の先を追ってみると、そこには初春と佐天が居た。
二人共確かに上条のことをじーっと見ており、何やら唸っている。
美琴の額がピクリと痙攣する。
「……アンタまさかこの子達にも手を出したわけ?」
「いやいやいや、その言い方はとてつもなく誤解を生みそうなので止めましょう御坂さん」
「どこが誤解よ! まったく、アンタはいつもいつも!!」
「どうしたの短髪?」
ここで会話に入ってくるインデックス。すぐ後ろでは風斬が何やら険悪な雰囲気におどおどとしている。
「どうしたもこうしたもないわよ。またコイツがいつも通り女の子に片っ端から手出してんのよ」
「……へー」
「だからちげえっての!! つかインデックスまでそんな冷たい目で見ないでください!!」
二人の美少女からこうして嫉妬されるのは男としては相当な勝ち組なのかもしれないが、本人にはまったくその自覚がないのでただ居心地が悪いだけだ。
一応風斬も「誤解なんじゃ……」などとフォローしてくれてはいるが、とても小さな声で今のこの二人には全く届いていない。
白井は白井で嫉妬する美琴を見て嘆いたり、上条を見つめる友人二人を見て怪訝な顔をしたりで忙しそうだ。
そんな周りの様子はお構いなしに、二人は依然として同じ状態で唸っている。
「うーん……」
「むー……」
「あー、どうした? もしかしてどっかで会ったとか?」
上条は記憶喪失だ。
もしかしたら以前にどこかで知り合っていた、という事も考えられなくはない。
そこら辺の事情を知るインデックスと美琴も、ハッとした表情で二人の方を見る。
「――――あ、思い出した!!!!! 御坂さんの彼氏さんですよね!?」
ここで突然大声を出したのは佐天だった。
その表情はどこかスッキリしたものになっており、上条に向けて満面の笑みを浮かべている。
時が止まった。
上条もインデックスも美琴も白井も、佐天のその言葉を聞いて思考が完全に停止していた。
そんな中続いて声を上げたのは花飾りの少女、初春だった。
「あ、そうですそうですよ!! 確か大覇星祭の時に見ました!!」
「……御坂、俺達って付き合ってたっけ?」
「ふにゃ!?」
呆然と、何が何だか分からないといった様子で美琴に話を振る上条。
元々美琴はこの二人の友達なので、誤解を解くのはこちらに任せようとしているようだ。
しかし美琴の方は当然というべきか、顔を真っ赤に染め上げまともに言葉も話せない状態であり、それは期待できなかった。
そんな美琴の様子にニヤニヤとし始める佐天と初春。
ウワサだけでは色々聞いていたが、こうして実際に上条と接触したのは初めてだ。まぁ本当はグラビトン事件の時に一度見ているはずなのだが、そこはもう覚えていないらしい。
とにかく、このチャンスを無駄にする訳にはいかない。初春と佐天はこれから二人を質問攻めにしようと考えているようだ。
そして意外なことにインデックスは静かだった。
表情は俯いていてよく見えないが、どうやら怒っている様子はなくプルプルと震えてもいない。
今までなら真っ先に噛み付いていただけに、この反応は珍しいものだ。
一番大変なことになっている者は他に居た。
その者の周りにはドス黒いオーラが溢れ、体は小刻みに振動してどこかから地鳴りの音が聞こえるようだ。
名前は白井黒子。
その殺気は真っ直ぐに上条へ向かっており、さすがの鈍感上条もそれには瞬間的に気付き、同時に嫌な汗がブワッと全身から吹き出る。
「……認めませんの」
「お、おい待て待て!! その子達何か勘違いしてるっての!!」
「まぁまぁ、素直に吐いちゃってくださいよ! どうせ御坂さんも、もう何度も彼氏さんの部屋には行ってるんでしょう!?」
「ま、まだ数えるくらいしか行ってないわよ!!!」
「おいいいいいいい!!!」
「ふふ、うふふふふふふふふふふふふふふふふ」
こういう時はどう足掻いても悪い方にしかいかないものだ。
もはや白井は中学生だとか女の子だとかというレベルではなく、人間としてかなり際どいレベルまで到達していた。
その威圧感は、おそらくか弱い動物なんかはストレスでどうかなってしまうのではないかという程だ。
そしてこの存在は決して幻なんかではなく、幻想殺しも通用しない。
そんなある意味天使以上に恐ろしい存在を前に、上条の取るべき道はただ一つ。
「じゃ、じゃあ俺はこれで!!!」
「……あっ、とうま!?」
「あっ、えっと、では私もこれで。声をかけてくださってありがとうございました」
まさに脱兎のごとく走りだす上条を、インデックスがワンテンポ遅れて追いかけ、風斬もそれに続く。
当然、それを見逃すつもりはない白井は、すぐさま能力を使って追跡を始めた。
どこか吹っ切れたような笑みを浮かべながら追いかけるその様子は、精神的にマズイ者特有の恐怖を感じさせた。
そして白井がテレポートした後には、何か黒いオーラが漂っているような、そんな錯覚をも覚えた。
上条達と白井が居なくなったことで、ファミレスには再び平和な時間が訪れていた。まるで嵐の過ぎ去った後のようだ。
といっても、佐天と初春の美琴への追撃は続いており、案の定真っ赤になっている。つまり彼女にとってはちっとも平和でもなかった。
先程まで上条達がギャーギャーと騒いでいた場所から少し離れたテーブル。
店の奥の一番隅で、店に置いてある観葉植物などで周りからは見えにくくなっている。
そこには若い男女が座っていた。少女の方は中学生くらい、少年の方は高校生くらいだ。
一見すれば、できるだけ二人だけの雰囲気を作りたいというカップルにも思えるかもしれない。
だが、この二人は違う。
その様子や話し方を見れば何となく分かるかもしれない。二人の間には信頼関係などはなく、互いが警戒しあっている。
少女はとても上品な仕草で、ティーカップの中の紅茶を口にする。
「ふふ、楽しそうねぇ。御坂さんなんか真っ赤になっててカワイイ☆」
「ちっ、面倒くせえな。力ずくで拉致でも何でもしちまえばいいだろ」
「それはそれで色々面倒な事になるのぉ。私のやり方じゃないしぃ」
「テメェのやり方なんざ知るか。それで向こうがギャーギャーわめくなら潰すだけだ」
「もぉ、いつの時代の人よぉ。現代社会はみんなが笑っていられるような、平和力たっぷりの素晴らしい世界を目指してるのよぉ?」
「テメェがそう言う程胡散臭いもんもねえな」
少年は小さく舌打ちをすると、荒々しく目の前のチキンにかぶりつく。
普通ならばただの食事なのだが、この少年の場合は捕食と言う方がしっくりくる。
「とにかく、今回は私達の社会力で平和的な解決を目指すわよぉ。お互いのためにねぇ」
「……テメェは何で今回の件に協力してんだ? テメェも誰かの言うことを素直に聞くタマじゃねえだろ」
「面白いから☆」
「は?」
「人生ってそういうものじゃなぁい? 結局は楽しんだもの勝ちよぉ。
みんなの為って熱血力たっぷりで頑張ってる人も、結局は自己満足にすぎない。私はそんなの楽しいとは思わないけどねぇ」
「へー、そんなもんか」
まだ年端もいかない少女であるにも関わらず、その表情はもう何十年も生きて様々なことを体験してきたかのようだ。
そんな上手く表現できない部分が、彼女の言葉をただの中学生の妄想だと一蹴することを躊躇わせる。
一方で少年の方は、こちらから質問したにも関わらずただ軽く相槌を打つだけだった。
それは彼女の言葉が理解できないからなのか、それとも理解する必要性を見出だせないのか。
「つっても、そんなに面白い事かこれ?」
「んー、私ってね、近くでドミノ並べている人がいたら倒しちゃうし、トランプタワー作ってる人がいたら崩しちゃう人なのぉ」
「性格わりーな」
「でもぉ、完成したもの・しそうなものを壊すのが快感っていうのは良くある感覚じゃなぁい? 心理的には無意識に優越感を得ようとしているからとか色々言われてるけどねぇ」
「つまり、ただ暴れたいだけか?」
「違うわよぉ。私は体を動かすのは苦手なのぉ。でもでもぉ、力を使わなくても壊せるものってあるわよねぇ?」
少女は微笑んでいる。
小さい子供を可愛いと思うように、大好きなケーキを目の前にしたように、偶然道端で綺麗な花を見つけたように。
にこにこと、それは楽しそうに。
「――――固い絆を壊すって、とっても気持ちいいわよぉ」
今回はここまでー
予定より長くなりすぎてる気がするかも
白井黒子を撒くことに成功した。
こうして結果だけを見てみると呆気ないものかもしれないが、実際はかなり困難なことである。
なにせ白井は空間移動能力者(テレポーター)だ。三次元の制約を飛び越えて移動する相手から逃げ切るのは困難を極める。
それこそ追跡封じ(ルートディスターブ)の異名を持つオリアナ=トムソンでさえ苦労するレベルだろう。
とてもじゃないが、奇妙な右手を持つだけの少年や、魔術を使えない魔神にできる芸当ではない。
しかし、こちらには風斬氷華がいた。
大天使ですら相手にできる彼女の能力はすさまじく、割と何でもありだ。
白井から逃げるときは、上条とインデックスを抱えて高速で移動したのだった。
それはまるで何かのアトラクションのようで子供なんかは面白がりそうなものだったが、上条の方は右手が風斬に触れないように神経を使いまくっていたのでそんな余裕はなかった。
三人は並んで地下街を歩いている。
まだ早い時間帯だが、休日ということもあって人通りは既に結構多い。
基本的に受験の日程というのは同じような時期に集中しており、受験期間休暇というのも始めの日が数日ずれるだけで大部分が他の学校と重なったりすることも多い。
それにここ第七学区は主に中学生と高校生が中心の学区なので、休みの日にこれ程賑わうのも珍しくはない。
上条は目を少し動かして隣を歩くインデックスを見る。
やはりどこかおかしい。
先程から時折思い詰めるような表情になっており、何かを言いたげにチラチラとこちらを見ていた。
「……インデックス?」
「えっ、な、何かな?」
「いや、何か言いたげな顔してるからさ。言ったろ? お前の願いなら何でも聞くから言えってさ」
「…………うん」
気付いていて放っておくのも気が引けるので、まっすぐ尋ねてみる。
しかし、言いにくいことなのか、彼女はただ俯いているだけだ。
彼女のそんな様子を見て、上条は余計に聞きたくなる。
かといって、無理に聞くというのも躊躇われる。
そうやって悩む上条だったが、ここでインデックスの口が開く。
「……とうまは短髪と付き合ってるの?」
「はい?」
上条はキョトンと目を点にする。
あれだけシリアスに悩んでいたので、何事なのかと心配していただけに、この言葉は完全に予想外だった。
といっても、彼女にとってはそんな些細なことでもないらしく、真剣にこちらを見つめている。
上条は少し困った表情で風斬の方を向くと、こちらも真剣な表情でコクリと一度だけ頷いた。
これはふざけたりしないで真面目に答えてほしいという事なのだろうか。
「……もしかしてさっきの話を本気にしたとか?」
「違うの?」
「違う違う。誤解だっての」
何でもないように手をひらひらと振る上条だったが、インデックスはまだ真剣な顔を崩さない。
「短髪がとうまの部屋に来たんだよね? 今まではそんな事なかったと思うけど」
「あー、まぁ色々ありまして……」
「いろいろ?」
「お、おう、いろいろ、な」
「……私には言えないことなんだ」
「いや、そういう事じゃねえって!」
できれば不良とケンカして病院送りになった事などは黙っておきたい。
ただでさえ情けない話なのに、それがインデックスが居なくて寂しくてなどという理由もつくとなるとなおさらだ。
だがこのままでは誤解を解くことができない。
インデックスも悲しげな表情でこちらを見つめているので、何とかしたいところだ。
上条はウーンと頭を捻って、何とか説明しようと考えるがなかなか良い考えが思い浮かばない。
戦闘中ならば結構機転が効いたりもするのだが、こういう時はそれを発揮することができない事が多い。
アドレナリンとかそこら辺が関係しているのだろうか。
とにかく、まともな案が浮かばない上条は、苦し紛れというかヤケクソというか、そんな感じに口を開いた。
「だ、だいたい、俺はインデックス一筋なんだから、そんな事あるわけないだろー! あははははは」
「えっ!?」
ここでの上条の作戦は『てきとーな事言って誤魔化せ』だ。もはや作戦と呼べるかどうかも怪しい。
インデックスのリアクションは予想外だった。
足は止まっており、顔はこれでもかというくらい赤く染まった状態でただこちらを見つめている。
一緒に居る風斬も、インデックス程ではないがほんのりと顔を染めてとても居心地が悪そうにしていた。
なんか妙なピンク空間が形成されている気がする。
男女が真っ直ぐ向き合っており、しかも女の子の方が頬を染めているのだからそれも当然な気がする。
上条としてはすごく居づらい。
「きゅ、急にそんな事言われても困るんだよ……わ、私は…………!!」
「えーと、冗談のつもりだったんだけど…………」
「…………冗談?」
明らかに選択を間違えた、上条はそう直感した。
先程まではあたふたとしていたインデックスだったが、上条の言葉にピタリと動きを止める。
それは何も冷静になったというわけではない。その証拠に全身が小刻みに震えているのを目で確認できる。
ギリギリギリと、地獄の底から聞こえるような歯ぎしりが響き渡る。
落ち込んでいたりするよりはマシだが、これはこれでこちらの身の危険的な意味で困る。
ここは風斬に助けてもらおうとそちらを向くが、彼女もただ呆れて溜息をつくことしかできない。
この瞬間、これから先の未来が予知能力にでも目覚めたかのようにはっきり頭の中にイメージされた。
「とうまとうま、私を焦らせてそんなに楽しいのかな?」
「いえ、滅相もございません」
「これはとうまも焦らないと不公平だよねぐるるるるる」
「あの、つかぬことをお聞きしますが、それはまさか死への焦りなんじゃ」
上条が言い終える前に、鋭い歯がガブッとツンツン頭に突き刺さった。
「いててて。まだいてえぞインデックス…………ん?」
数分後、一通り噛まれてまだズキズキと痛む頭をさすりながら、上条は隣へ顔を向ける。
そこには誰も居なかった。
「……あれ、インデックス?」
キョロキョロと辺りを見渡す上条。次第に嫌な予感が頭を巡っていく。
これはインデックスが迷子になったのではないだろうか。
一応彼女には携帯も持たせてはいるのだが、上手く使いこなせていないことはよく知っている。
ただ電話に出るだけという事でも、彼女に限ってはできるかどうか危ういのだ。
「まいったな、いつの間に……」
「そんなに遠くまでは行ってないとおもいますけど……」
「つっても、この人の数の中から見つけるのは厳しいな」
「ちょっと飛んでみます」
「え?」
上条が風斬の方を向いた時には、もう既に彼女は地面から数十センチ程浮き上がっていた。
人混みの中で頭一つ抜けた風斬は、その状態でキョロキョロと辺りを見渡す。
周りの人はそこまで驚かない。
ここは能力者の街なので、炎や電気を自在に操る者なんかも大勢いる。だから少し浮いた程度では驚かないのだ。
まぁ本来風斬はロシアまで飛べる飛行能力があるのだが、さすがにそのレベルになると大騒ぎになるだろう。
やがて、風斬はある一点を見て表情をパッと明るくする。
「あ、居ましたよ!」
「でかした風斬! どこ?」
「えっと、あそこです」
その場所まで風斬に案内してもらったところ、インデックスは確かにそこに居た。
先程まで上条達が居たところからはさほど離れてはいなかったが、この人混みでは風斬の力がなければ見つけられなかっただろう。
インデックスはとある建物を見上げていた。
その表情はとても明るく、ワクワクとしているのがこちらまで伝わってくる。
急に居なくなったことに文句の一つでも言ってやろうと思っていた上条は、それを見て思い留まらざるを得なくなる。
「……もしかしてここに入りたいのか?」
「あ、とうま! うん、遊んでみたいんだよ!!」
「プール、ですか?」
インデックスが見上げていた建物は、最近できたばかりの巨大屋内レジャープールだった。
元々そういったものは第三学区に多いのだが、やはり学生が集まる第七学区にも作って欲しいという強い要望によりできたものだ。
確か上条の聞いた話では、三十種類以上のプールを始めとする、様々なアトラクションがあるらしい。
クラスメイトも既に何人か行ったようだったが、飛ぶように時間が過ぎたとか何とかよく聞く。
だが上条は水着なんて用意していない。
当然、ここで借りるということもできるのだが、それなりに値段が張るのは容易に想像できる。しかも三人分だ。
「えっと、お前ゲーセンに行きたいとか言ってなかったっけ?」
「とうまとうま、それはもう過去の話で、私達は常に未来に向けて生きていかなきゃダメなんだよ」
「い、インデックスのくせに科学の方針みたいな事言いやがって……」
「……とうま、だめ?」
「うぐっ!!」
ウルウルとした小動物のようなインデックスの表情に、上条の中の天秤が激しく傾く。
レベル0である上条は奨学金も少なく、決して贅沢できるような状態ではない。
それでも、インデックスの頼みだ。
これが他の者だったら丁重にお断りするところだが、相手が他でもないインデックスだ。
上条は腹をくくることにする。
「……分かった」
「え、じゃあ……!」
「あぁ、せっかくだし、今日はここで遊ぶか」
「やったあ!!!」
ピョンピョン飛び跳ねて、それは嬉しそうにするインデックス。
上条はそんな彼女を見て満足気に微笑む。
ここまで喜んでくれるなら、多少の財布のダメージも痛くない、そう思える。
断じて強がりではない。強がりではない。
その時、ぽんぽんと遠慮がちに上条の方を叩いたのは風斬だ。
「あの、すみません。私、お金とか持ってなくて…………」
彼女は申し訳なさそうに言う。
当然、彼女がお金を持っていないことはよく分かっており、初めから三人分を払うつもりだった。
上条は明るい顔のまま、気にしなくていいと言おうとするが、そこでとあるものが目に付いた。
【入場料:4000円】
「…………」
「とうま? どうしたの?」
「……風斬、お金の事は心配しなくていいよ」
「え、でも……」
「大丈夫大丈夫……ふふ、ふふふふふふふふ」
まるで魂を抜かれたかのように無表情になっている上条を心配そうに見る二人。
しかし、なぜ急にこんな状態になってしまったのかイマイチ分からないので、何と声をかければいいのかもわからない。
やがてフラフラと上条が建物の中へ入っていったので、二人も慌ててその後を追いかけていった。
レジャープールは外から見た通りかなり広い。
あの入場料の割には沢山の人で賑わっており、たぶんこの連休のためにお金を貯めていたという者も多いのだろう。
これは一日で全部のプールをまわるのも、かなり難しいだろう。
時期は2月と冬真っ盛りだが、屋内であるため肌寒さなんかは一切感じない。
今日は良く晴れているので、屋根は透明なガラスだ。曇りや雨の時は学園都市ならではの視覚効果ビジョンで青空を写し出すらしい。
とりあえず今視界にあるだけでも何種類ものプールが確認できる。
一般的な流れるプールを始め、途中で道が途切れるウォータースライダー、超巨大なプールの中央に本物そっくりの島が浮いてるもの。
ドカン! と大きな音がしたと思ったら海賊船同士で海戦をおっ始めており、そのすぐ近くを水面を走るスケートボートが猛スピードで通りすぎて行く。
もしも一般の人がここに来れば、しばらくは唖然としてしまうかもしれない。
だが学園都市の人間はこのくらいでいちいち驚いたりはしない。
あらゆるベクトルを操作したり、この世には存在しない未知の物質を作ったりする事と比べれば、このくらいはまだまだ現実的で常識的なものだ。
「とうま!」
どうやら着替えが終わったらしく、前方からインデックスがパタパタと走ってきた。
夏休みに海へ行ったときと同じようなワンピース型の水着であり、色は淡いピンクだ。
この水着のレンタル料もそれなりにするわけなのだが、そこら辺はあまり思い出さないようにする。
そういえば、こういう時は女の子の水着の感想を言うべきだと、青髪ピアスが熱心に語っていた気がする。
まぁそれもどうせ、ギャルゲーやらエロゲーやらの知識なんだろうが。
上条はざっとインデックスの全身を眺めて一言。
「……うん、インデックスらしいな」
「そこはかとなくバカにされた気がするんだよ」
どうやら上条の感想はお気に召さなかったようで、インデックスはむっと頬を膨らませる。
別に怒らせようとしたわけではなく、素直な感想を言っただけなのだが、そこで女の子の気持ちを考えて感想を言えるほど上条は気が使えるわけでもない。
上条は何とか挽回しようと、ウーンと唸りながら褒め言葉を考える。
「えっと、インデックスらしいってのは、つまり……そう、可愛いって事だって!」
「えっ!! か、可愛いって……」
どうやら次は正解だったらしい。
インデックスは顔を染めると、少し俯いてモジモジとし始める。その表情を見る限り嬉しそうなのは伺える。
もはや上条とまともに目を合わせることも出来ないらしく、チラチラとこちらを見ることしかできないようだ。
「ど、どうせ水着が可愛いとかだよね……?」
「インデックスが着てるから可愛いんだよ」
「とうま……そんな、ちょっと恥ずかしいんだよ…………」
「恥ずかしがることなんかねえって。いやー、父親が娘を可愛がる気持ちもこんなモンなのかねー」
「えっ……」
二人の間に広がっていたピンク空間にヒビが入る。
インデックスは相変わらず俯いたままだが、先程までとは明らかに雰囲気が違う。
上条はそんな彼女の急激な変化を見て焦り始めた。
「ど、どうした?」
「……とうまの言ってる可愛いっていうのは、子供が可愛いとか、そういう事なのかな?」
「そうそう! 娘を持ってる父親が親バカになるのも分かる――」
ガブッと、本日二回目の噛み砕き攻撃が炸裂した。
レジャープールにはあまり似つかわしくない、男の叫び声が辺りに響き渡る。
やはり一般の人には女の子が男の頭に噛み付いている光景は珍しいのか、見物人も集まってきた。
「いってえええええええ!!! お、おい、どうしたんだよ!!!」
「やっぱりとうまはとうまで、とうまなんだね!!!」
「意味分かんねえよ!!!」
今ので先程の傷も開いたか、ズキズキズキと鋭い痛みが頭皮を襲う。
様々な怪我をしてきた上条でも、痛いものは痛いので涙目になって抗議する。本人は何も悪気はないのだ。
「子供扱いするとうまが悪いんだよ! 私だって気にしてるのに!!」
「へ? ……あー、その、世の中にはロリコンとかも居るし、需要はあると思」
「慰めにも何にもなってないかも!! どうせとうまは胸が大きい子が好きなくせに!!」
「ぶっ!! な、何言ってんだよ!!!」
「だって、かおりを見る時だって、とうまは胸ばかり見てるもん!」
「そんな事ねえっての!! つかお前それ本人に言うなよ!? あの人そういう冗談通じない人だから!!」
ふと気付けば、ざわざわと、周りが騒がしくなってきた。
傍から見れば二人のその会話は、痴話喧嘩そのものであり、ニヤニヤと見ている者も多い。
ここは学生の街というわけで、周りの人間も思春期真っ盛りの少年少女ばかりなので、こういった話には興味津々なのだろう。
だが、当人である上条からしてみればたまったものではない。
それは完全な誤解であり、挙句の果てには見ず知らずの女の子達には「サイテー」などとヒソヒソと呟かれている。
インデックスはインデックスで、自分達がそういう風に見られている事に気付いて顔を赤くして俯いてしまった。
これはこれで、あとは上条だけで何とかするしかなくなるので困る。
「……えーと、風斬はまだか?」
「あっ、う、うん! ひょうかも一緒に来てるよ…………あれ?」
何とか話題を逸らせようとする上条に、インデックスも慌てて乗っかる。
やや大袈裟過ぎるモーションで後ろを振り返ったインデックス。しかし、首を傾げて動きを止めてしまう。
上条も一緒になって首を傾げる。その様子から、ここまでは一緒に来たのだろうが、急に居なくなってしまったという事だろうか。
とりあえずインデックスと同じようにキョロキョロと辺りを見渡すと、
「……お、あそこに居るじゃねえか。なんであんな隠れるようにしてんだ?」
「あ、ホントだ! ひょうかー!」
ここから少し離れた自販機の影。そこに風斬氷華は隠れていた。
おどおどとした様子で、何かを怖がっているようだ。
もしかして、不良かなんかのナンパに捕まって逃げてきたんじゃないかと心配する。
風斬くらい可愛くてスタイルも良いとなると、男は放っておかないと考えるのが普通かもしれない。
そして彼女が某ビリビリ中学生のような性格ならば、そういう男は追い払って終わりなのだが、彼女はそういう事ができる性格ではない。
追い払うだけの能力自体に関しては申し分なしなのだが、精神的な部分で難しいのだ。
それならば早く行ってやらないと、と前を走るインデックスに離されないように速度を上げる。
すると、なぜか風斬が余計に引っ込んでしまった。
「ひょうか? どうしたの?」
「あ、あの、私……!」
「……えーと」
風斬はどう見ても上条を見て怯えていた。
確かにこの右手は彼女にとってはかなり危険なものであることに間違いはない。
しかし、先程まではこんな事はなかったはずだ。何が急に彼女を変えたのだろうか。
「あー、この右手のことを心配してるなら、俺も気をつけるからさ」
「い、いえ、そういう事じゃないんです……」
「へ? じゃあなんで……」
「その、水着が……」
そう言ってゆっくりと自販機裏から出てきた風斬。
やっと出てきてくれたか、と上条はほっと一息つく。
しかし次の瞬間、上条の心臓が跳ね上がり、ビクッと全身を震わす。
理由としては風斬が身に着けている水着だ。
それは彼女のイメージからはかけ離れた、布面積が小さいキワドイものであり、白井黒子なんかが好むようなものだった。
なるほど、これでは風斬がここまで恥ずかしがるのも無理はない、そう上条は思わず納得してしまう。
「丁度いいサイズがなくて……こんな…………」
「……に、似合ってると思うけど」
「とうま、どこ見てるのかな」
さすがにここまで恥ずかしがっていると可哀想なので、何とかフォローを入れようとする上条。
そしたら今度はインデックスが不機嫌そうな顔でこちらを見てくる。
案の定、再び周りの少年少女達もヒソヒソと何かを話し始める。「二股」やら「浮気」なんていう凄く不名誉な単語も聞こえる。
そこにはとてつもなくやりにくく、居たたまれない雰囲気が漂っていた。
上条はいつも通り「不幸だ……」と呟くが、それを分かってくれる者は誰一人として居ないのだろう。
その後、かなりの説得によって風斬を立ち直らせる事ができたので、さっそく三人で様々なプールを楽しんだ。
といっても、途中でインデックスが迷子になったり、スライダープールで上条が風斬の胸に突っ込んでしまい、それを見たインデックスに丸かじりにされるなど、トラブルは何度かあった。
とにかく、二人共楽しんでくれているようで、上条としてはそれだけで満足である。
現在は中央に島があるプールの砂浜で遊んでいた。
外側に行くほど水深が深くなるという珍しいプールであり、小さい子供なんかはボートなどを使ってここまで来ることになる。
上条達も、インデックスが居るためそのボートにはお世話になった。
インデックスは砂浜から少し離れたところで魚を捕まえようと遊んでいた。
プールに魚なんか放っていいのかと疑問に思うだろうが、そこは遺伝子組み換えとかなんとかで大丈夫らしい。
上条は既に2万人のクローンなんかを見ていたりするので、そういう事でいちいち驚いたりはしない。
上条と風斬は砂浜に座って、一生懸命に魚を追いかけるインデックスを微笑ましげに見ていた。
この構図は、まるで親子連れのようである。
「プールは初めて来ましたけど、とっても楽しいです」
「はは、そりゃ良かった。その水着もやっと慣れてきた?」
「~~~~!!!」
何気なく言った一言だったのだが、その瞬間風斬は顔を真っ赤にしてババッと両腕で体を隠してしまった。
改めて指摘されると、恥ずかしさが再燃してしまうらしい。
「ご、ごめんごめん! 落ち着くまであまりそっち向かないようにするから!」
「うぅ……やっぱり男の人って、女の人の胸とかに目が行くものなんですか…………?」
「そ、それは……えーと」
上条は悩む。
風斬の質問に正直に答えるならば、もちろんYESだ。それはもはや本能的なものだろう。
しかし、それをそのまま言っていいのだろうか?
もしかすると、それを言った瞬間、永遠に距離を置かれるなんていう事になったりしないだろうか?
普通ならあまり考えられない事であっても、まだまだ外での生活の経験が少ない風斬ならばありえるのだ。
「あー、ほら、珍しいものって自然と目が行くだろ?」
「はい……」
「それと同じ感じじゃねえのかな。男にはないものには目が惹かれるというか……」
「…………な、なるほど」
どうやらなかなか上手くいったようだ。
なるべくエロさを抑えて説明しようとした上条は、思わず安堵して溜息をつく。
「でも、それなら、女の人だったら誰でもいいという事ですか?」
「…………あー」
「何ていうか、それはそれで……その…………」
「も、もちろん、可愛い子とか気になる子の方がよく見ちゃったりするんじゃねえか!?」
まるで、自分の息子や娘に子供の作り方を聞かれた父親のように動揺しながら答える上条。
これでは何を言っても、また変な方向へ行ってしまうのではないかと心配になる。
風斬はわずかに俯いて、上条の言葉を吟味する。
こうして外の事を知っていくのは良い事なのだろうが、答える側としてはなかなか難しいものだ。
そのまま少しの間考え込んでいた風斬だったが、急にバッと顔を上げる。
誰かに後ろから驚かされたかのような勢いに、上条もビクッと驚いてしまう。
なんとその顔は真っ赤になっていた。
「あ、あの!!」
「はい!」
「あ、あなたは……私の事を、その、か、可愛いとか、気になるって……思ってるんですか…………?」
「いっ!?」
そんな風斬の上目遣いに、純情少年は思いっきりたじろぐ。
確かに、風斬の事をじろじろ見ておいて、先程の発言はそういう風に取られてもおかしくないのかもしれない。
上条は頭をガシガシとかきながら、何とか当たり障りのない言葉を考えようとする。
ここまで色々考えながら話すのは初めてだ。
「ま、まぁ俺も健全な男子高校生ですから、女の子に興味がないというわけでは…………」
「そ、そうですか……。それが……えっと、普通……なんですよね?」
「そう、だと思うぞ」
「あっ、そういえばインデックスも『とうまは女の子を見ると仲良くならずにはいられないんだよ』って……」
「いや待て、それはおかしい」
すかさず突っ込む上条。
上条が女の子を助けて仲良くなる事が多いのは事実だが、これではまるでその為に助けているという風にしか聞こえない。
あくまで、助けた人がたまたま可愛い女の子だったというだけで、上条は例え相手が男だろうと変わらず助ける。
まぁ、例え人助けが女の子目当てだったとしても、あれだけ命を賭けているのならそれはそれで凄い事なのかもしれないが。
とはいえ、風斬も本気にはしてなかったらしく、穏やかに微笑んでこちらを見ていた。
「ふふ、でも女の子に興味があるなら、何だかんだ言ってインデックスの事も意識はしているんですよね?」
「いや、それは……」
「え、違うんですか?」
「……違う、と思う」
「そう、ですか……」
風斬は意外そうな表情でこちらを伺っている。
年頃の男女がいつも一緒に居る。それを見れば、いくら外の世界に疎い風斬でも、そういった感情があるのではないかと考えるのだろう。
しかし、上条の口から出てきたのは否定の言葉だった。
上条は少し首を傾げて考える。
何故か今、風斬の質問を聞いた瞬間、頭で考えるよりも先に言葉が出ていた気がする。
まだそういう気持ちについて、ほとんど知らないにもかかわらず、だ。
風斬はそんな上条を少しの間ただ見つめていたが、それから真剣な表情になって口を開く。
「あの子の……インデックスの事、聞きました。今どんな状況に置かれてるのかを」
「……そっか」
二人の間を穏やかな風が通り抜ける。
こういった細かい所まで、まるで外であるかのように再現しているところはさすがだ。
上条は、風斬がこの事について知っている事に対してはそこまで驚かなかった。
彼女が学園都市の中心に近い所に居る事は知っている。だからそういう情報も入ってくるのだろう。
風斬は視線を上条から外し、インデックスを優しい目で見つめて言葉を続ける。
「私は、あの子がここに来て良かったと思っています」
「つっても、ストレスがどうのこうのって言われても、俺はこういう所に連れて行ってやることしかできないんだけどな」
「それで十分だと思います。だってあの子、とても楽しそうですから」
「……それならいいんだけどな」
インデックスの助けになりたいという気持ちはあるが、その具体的な手段がよく分からない。
そんな事を考えて本当にこれでいいのかと、上条は心のどこかで疑問に思っていたので、こういった風斬の言葉は嬉しい。
「たぶん、場所とかはそこまで関係ないんです。あなたと一緒に居る、それだけであの子は幸せなんだと思いますよ」
「俺だけじゃなく、風斬もな」
「ふふ、それなら嬉しいですけど」
「何言ってんだよ、風斬はインデックスの親友だろ?」
「……えぇ、そうですね」
風斬はにっこりと微笑む。
彼女もまた、その立場から様々な壁にぶつかったが、今はこうして笑うことができる。
それは簡単なことではないはずだ。だからこそ、上条は彼女はとても強い子だと思う。
インデックスにはこんな子も味方でいてくれる。それだけで心強かった。
そんな事をしみじみと考えていると、魚を追いかけるの諦めたのか、インデックスがこちらに戻ってきていた。
「とうま、ひょうか! 二人で楽しげに何話してるのかな?」
「ん、インデックスがここの魚全部食べ尽くしたりしないか心配してたんだよ」
「むっ、いくら私でも生でお魚を躍り食いする程飢えてないかも。せめて焼くんだよ」
「食べ尽くすって所は否定しないんだね……」
風斬は少し困ったように笑う。
いつもインデックスの食費に苦しめられていた上条は、彼女ならやりかねないと本気で思ったりする。
上条は耐水仕様の腕時計(無料貸し出し)を見る。
「それよりインデックス、そろそろビーチバレーの大会が始まるぞ?」
「え、あっ、もうそんな時間!?」
「うん。参加者はあっちで登録するらしいよ」
「早く行こっ!! お昼ごはんが私を呼んでいるんだよ!!」
「はいはい」
ここの砂浜では一日に一回、ビーチバレーの大会が開催され、優勝チームにはなんとここの食べ物関係のお店の値段が全てタダになる。
もしも本当に優勝してしまった場合、インデックスがここの飲食店を全て滅ぼすのではないかという不安もあるが、今は考えないことにした。
上条は自分の腕を引っ張って走るインデックスの後ろ姿を見て思う。
こうして一緒に居る事が彼女の幸せなら、彼女が望むだけ一緒に居てやりたい。
そして上条自身も、こうして彼女と一緒に居るのを幸せだと感じている事を自覚していた。
ちなみに大会は、通常の何倍もの耐久性をもったはずの学園都市製ビーチボールが、風斬の本気のスパイクによって爆散して失格になった。
なんか腹減ったなー、なんて思えばもう昼食の時間帯だった。
残念ながらビーチバレー大会の商品であるタダ券は手に入らなかったので、全額自腹だ。
これも店側からすれば救われたのだろうが、上条の財布は先程からダメージを受けっぱなしだ。
ここは昼食をとる者達のためのスペースであり、中央の大量のテーブルを円形に囲うように店が隣接している。
インデックスは空腹のため動けなくなってしまったので、席取り係だ。もちろん一人では不安なので風斬も一緒に居る。
そういうわけで、一人ぼっちで店を物色する上条。
時折すれ違うカップルなんかを見ると、なんとも肩身の狭い思いだ。
周りからすれば、先程まで両手に花状態だったくせに何言ってんだ的な感じだろうが。
はぁ、と溜息をついて、上条は空を見上げる。
そこには雲一つない綺麗な青空がガラス越しに浮かんでおり、ちょっと惨めな気持ちになっていたのを浄化させてくれる。
「……と、さっさと何か買っちまうか。インデックスに関しては、とりあえず食べられれば何でもいいか」
インデックスに対するこの考えは、女の子からすればあまり良いものではないのかもしれない。
ただ、それは紛れも無い事実なので、本人が聞いても否定はできないだろう。
そんな事をぼんやりと思いながら、上条は近場の店へ向かって歩いて行く。
その時。
「一人で四人分買ってくるとか無理あんだろ……」
「ちっ、何で俺がこンな事……」
何やら聞き覚えのある声が聞こえてきた。
上条がそちらへ顔を向けてみると、
「あ」
「おっ!」
「ン?」
白髪赤眼の学園都市第一位一方通行に、アイテムの構成員兼パシリな世紀末帝王浜面だった。
おそらく一方通行は打ち止め達、浜面はアイテムの面々と一緒に来たのだろう。
こんな所で偶然出会う辺り、何か腐れ縁的なものが構築されてきているような気もする。
どうやら二人共上条と同じく、昼食の買い出しに来たらしい。
だが、そんな事はどうでも良くなった。
それよりも先に、突っ込みたいところがある。
どう考えてもこれはスルーできない。
「「ほっそ!!!」」
上条と浜面の声が重なり、一方通行は怪訝そうな顔をする。
二人が突っ込むのも無理はない。
目の前の学園都市最強の能力者の体はまるで、細い幹に細い枝が付いた木のようだ。
病的に色が白いというところも、その脆さを際立たせている。
それはいつもの怪物的な力を思う存分に使っているイメージからはかけ離れていた。
上条や浜面はレベル0だが、体付きはしっかりとしている。
浜面なんかは軽くアスリートレベルまで達しているだけに、目の前のモヤシっ子が心配でならない。
「お前ちゃんと飯食ってんのか!? まさかコーヒーを飯の代わりにしてねえよな!?」
「うるせェな。食ってンに決まってンだろォが」
「それでその体かよ! これちょっと触ったら折れるだろ!」
「触ったらオマエの手を折るぞ」
「ひぃ!!」
そうやってギャーギャーと騒ぐ三人。といっても、一方通行はただ不機嫌に返してるだけだが。
ちなみに、水着姿であっても一方通行の首にはチョーカー型の代理演算装置が付いている。
おそらくこれは、難聴者の補聴器なんかと同じような扱いで許可されるているのだと考えられる。
水に思いっきりつけても平気なのかという疑問もなくはないが、これを作ったのはあのカエル顔の医者だ。そこら辺の問題は簡単にクリアできたのだろう。
男三人が大騒ぎしているのが目立つのか、白髪赤眼の一方通行の風貌が目立つのかは分からないが、いつの間にか周りの人達がこちらに注目している気がする。
一方通行はそれを確認すると、チッと小さく舌打ちする。
「俺はもォ行くぞ。クソガキがうるせェからな」
「おっ、やっぱそこら辺と一緒なのか」
「俺が一人でこンなとこ来るわけねェだろォが」
一方通行は心底不機嫌そうにそう言うと、足早に行ってしまった。
道行く者達はその風貌に驚き、勝手に道が開かれていた。
ああやって、気持ち急いでいるのは打ち止めの為なのかと思うと、少し微笑ましくも思える。
そんな事を本人に言えば愉快なオブジェにされる可能性が高いが。
残った浜面は何かを期待したような目でこちらを見てくる。
「で、大将はシスターさんとデート? 今帰ってきてるんだって?」
「そんなんじゃねえよ、だいたい二人じゃなくて三人だしな」
「……まさか女の子?」
「そうだけど……って何だよその顔は」
上条の言葉を聞くと、浜面は盛大に溜息をついてやれやれと呆れた表情をした。
「なぁ、俺も魔術についてはよく分かんねえけど、確かあのシスターさんはストレスがどうのこうのって事で帰ってきてるんだろ?」
「あぁ。だからこうやって気分転換を――」
「あのな、ストレスなんてもんは、アンタがちょーっとハグしてチューすれば一発だろ!
まったくよー、そういう女の子引っ掛ける才能は羨ましいけど、それじゃあのシスターさんが可哀想だぜ」
「俺が言うのもなんだけど、お前って結構バカだよな」
「さらっとひでえ事言うな!?」
なぜか自信満々な浜面だったが、上条は適当に流すだけでまともに相手をしない。
もちろん、ハグやチューを実践する気もない。
「だいたい、俺がそんな事したら頭噛み砕かれるっての」
「んな事ねえって! あの子は顔真っ赤にしちまうって俺は予想するね!」
「怒りでか」
「ちげえよ!! あー、もう、アンタわざとやってんだろ! ホントはあの子の気持ち気付いてんじゃねえの?
あの子はアンタのことが大好きなんだぞ? シー・ラブ・ユーだぜ?」
「三人称単数だからシー・ラブズ・ユーだろ。ビートルズの曲でもあんじゃん」
「そこはどこでもいいだろ!」
「いや、そういう所のミスがテストじゃ天国と地獄を分けんだよ……」
「話がズレてるっての!」
御坂美琴先生に学年末テスト勉強という事でしっかりとしごかれた上条。
まだそういった知識は頭に残っており、小萌なんかが見れば喜ぶことだろう。
元々、英語に関しては自分で少し勉強していたというのもあるのだが。
一方で、浜面はそういう事を話したいというわけではないらしい。
上条は面倒くさそうに口を開く。
「あのな、インデックスが俺の事を好いてくれてるのは知ってるよ。直接言われたこともある」
「なっ、気付いてんのかよ! じゃあわざとそんな態度とってんのか!? アンタ、それはひでえだろ!」
「勘違いすんなって、インデックスのはLoveじゃなくてLikeなんだよ。そもそも、アイツはまだそういう感情自体あんま分かってねえんじゃねえの。
そういう恋愛関係は男より女の子の方が成長が早いとか聞くけど、アイツの場合は惚気ってより食い気しかないからな」
「今のあの子に聞かれたらたぶん怒られてるぞアンタ……。つかあの子はどう見てもLoveの方だって!
俺には滝壺のこともあるし、よく分かる! 信じろって!」
「さり気なくリア充アピールしたな」
「だからそこはどうでもいいだろ!! つかアンタがそれ言うと、刺されるぞ!?」
一応、今までのインデックスとの事を思い返してみても、そんな仕草は少しもなかったと思う上条。
そもそも、半年も一緒に居て何も進展していない時点でそういうのはないんじゃないかとも思う。
しかし浜面の方は確信があるらしく、引き下がるつもりはないらしい。
「……分かった、じゃあアンタはどうなんだよ。あのシスターさんの事好きなんじゃねえのか?
第三次世界大戦だって、あの子を助けるためにアンタは動いてたんだろ? そこまでいったらもう惚れてるって事だろ!」
「んー、確かにインデックスは俺にとって大切で守りたい人だけどさ、それってインデックスだけじゃねえんだよ。
アイツ以外にも大切な人はいる。御坂とか姫神とか御坂妹とか――――」
「待て待て! じゃ、じゃあそうだな…………もし俺があの子にハグしてチューとかしたらどう思う?」
「………………」
「ほら、嫌だろ? つまりそれが……ってどこ見てんの?」
自信たっぷりだった浜面だが、ふと上条の視線が自分の方に向いていないことに気付く。
しかも表情が堅い。何かとてつもなく居辛い様子がひしひしとこちらに伝わってくる。
浜面の頬を嫌な汗が伝う。
ゴクリと喉を鳴らし、恐る恐る振り返ってみると。
「――――はまづら、誰をハグしてチューするの?」
上条は三人分の焼きそばを持って、インデックス達の待つテーブルへやって来た。
空腹のせいでテーブルに突っ伏していたインデックスだったが、上条が手に持つビニール袋から漂う美味しそうな香りにガバッと顔を上げる。
上条はすぐに右手を前に出して制止させる。このままでは三つとも食べられる可能性が極めて高いからだ。
風斬はそんなまるで犬の躾のような状態に苦笑いを浮かべていた。
「――――よし!」
「いただきます!!!」
「そ、そんな急いで食べると喉詰まらせちゃうよ?」
三人全員に焼きそばを配り終えたので上条が合図をすると、即座にインデックスはそれを口の中へかっ込み始める。
それでいて、それはそれは美味しそうに食べるので、作った人からすれば嬉しいものだろう。
上条はインデックスの様子をぼーっと眺める。
やはり彼女にあるのは食い気ばかりであり、浜面の言葉は見当はずれだったと考える。
「まっ、そりゃそうだよな」
「もごっ? むぎゅごきゅ?」
「分かんねえよ、とりあえず飲み込めって」
食べながら話そうとした結果、謎の解読不能の言語を扱っているかのようになっているインデックス。
その隣で風斬は困ったような笑みを浮かべながら、テーブルに備え付けてある紙で暴食シスターの口元を拭っている。
まるで親子のようだ。
インデックスはゴックンと口の中のものを全て飲み込むと、上条が一緒に買ってきたラムネを一口飲んだ。
「どうしたのかな? なんかとうま、私の事見てたよね? それもちょっとニヤニヤしながら」
「あぁ、実はさっき一方通行と浜面に会ってさ、浜面の奴が変なこと言ってきたんだよ」
「変なこと?」
インデックスは首を傾げて、再びラムネを一口飲みながら聞き返す。
「あぁ、何でもお前は俺の事が好きだとかなんとか」
直後。
ぶほっ!! とインデックスの口からラムネが発射された。
勢い良く飛び出したそれは、そのまま向かいに座っていた上条を直撃した。
あまりに急な事だったので、上条は声を上げることもできない。
ただ無言で頭からポタポタとラムネを滴らせている。
インデックスは一瞬で顔を真っ赤に染め上げていた。
「きゅ、急に何言ってるのかな!? 凄くビックリしたかも!!」
「何もそこまで驚かなくてもいいだろ……。お、サンキュー風斬」
風斬がどこからかタオルを貰ってきてくれたらしく、受け取ってワシャワシャと髪を拭く上条。
だがやはりベタつきまではとれないので、結局はこの後シャワーを浴びた方が良さそうだ。
インデックスは相変わらず顔を真っ赤にしてプルプル震えている。
「そ、それで、とうまはどう思ってるのかな?」
「どうって、もちろんそんな事信じちゃいねえから安心しろって」
「………………」
「えーと、な、何でせう?」
上条としては、これでインデックスが落ち着いてくれると思っていた。
しかし、その予想と反してなんだか凄く複雑な顔で睨まれた。いや、別に睨んではいないのかもしれないが、上条にはそう見えた。
この様に、彼女の考えている事が良く分からないときはたまにあるが、考えても分かりそうにもない。
上条は風斬の方を向いて助けを求める。
女の子ならば、インデックスの気持ちも分かっているのではないかと思ったからだ。
風斬は困ったようにチラリとインデックスの方を見て、その後上条に視線を合わせた。
「あの、インデックスはたぶんあなたが――」
「ちょ、ちょっと待ってひょうか!」
何かを言いかけた風斬だったが、すぐにインデックスが遮った。
かなり慌てた様子であり、そんなに話されたらまずい事だったのかと、上条は首を傾げる。
それからはしばらく、インデックスと風斬の内緒話が続いた。
上条には絶対聞かれてはいけないらしく、テーブルから離れてなおかつお互いに顔を近づけてヒソヒソ声で何かを話している。
声は聞こえないので、ぼーっとその様子だけを観察してみると、顔を赤くしたインデックスが一方的に風斬に何かを言っているようだ。
上条からすればこの状態は仲間外れにされているわけで、妙な虚しさを感じる。
といっても今こっそり近づくなんて悪ふざけなんかすれば、本気で怒られそうな気もするので大人しく待っていることにした。
「――お待たせ! ごめんね、とうま」
「で、風斬は何言おうとしたんだ?」
「そ、それは」
「それより、お腹いっぱいになった事だし、さっそく遊ぶんだよ!」
「……あー、はいはい。聞かれたくねえなら聞かねえよ。
でも食ったばかりで泳ぐと気持ち悪くなるぞ。もう少し休んでからにしようぜ」
明らかに無理のある話題転換だったが、そこまで無理に踏み込む必要もないだろうと深くは聞かない事にした。
全く気にならないと言えば嘘になるが、それで彼女にストレスを感じさせては元も子もない。
基本的に、今の上条は彼女のワガママは何でも聞いてやるスタンスでいなければいけない。要はお姫様待遇だ。
そうやってまったりしてた三人だったが、ふいにここのスタッフだと思われる者がこちらに向かってきた。
まさか昼前のビーチボール爆散の件で弁償を食らうんじゃないかと、冷や汗をかく上条だったが、
「どうもー、お昼休憩ですか? 午後からも素敵なイベントが盛り沢山ですので、是非どうぞ!」
そう言われて渡されたのは一枚のチラシだった。
どうやら他の人達にも配っているらしく、ここ一帯の全てのテーブルの人達に渡しているようだ。
イベントの多さがここの売りの一つであることを思い出しながらざっと読んでみると、インデックスでも楽しめそうなものもいくつかある。
もちろん、そのほとんどに賞品が出るので、それを目当てに参加するというのもアリだろう。
いつの間にか、インデックスと風斬もすぐ隣に来ており、一緒になってチラシを覗き込んでいる。
上条自身がやりたいものというのも特にないので、どれに参加するかは二人に任せようと思う。
しばらく真剣に読んでいた二人だったが、インデックスのほうが声を上げた。
「あっ、これがいいかも!!」
「えーと、『ドーナツレース』ですか?」
「……おいおい、これ結構あぶねえぞ」
インデックスが指差したのは、ドーナツレースと呼ばれる水上レースだった。
支給されるイカダに近いようなものに乗って、円状の流れるプールを一周するものだ。
これだけならばいいのだが、問題なのは能力使用がアリという所である。
人への直接攻撃はさすがに禁止されているのだが、イカダへの攻撃は認められている。
プールの中へ落ちたら失格なので、イカダを沈めるというのも立派な戦術なのだ。
そんなレースというより海賊ごっこに近い競技にインデックスを参加させてもいいものかと悩む。
そもそもドーナツレース自体、某海賊マンガが元ネタだ。
とはいえ、インデックス本人はやりたがっているので、バッサリダメだと言うわけにもいかない。
どうしたものかと考えていると、風斬がコソコソと話しかけてきた。
「大丈夫です、私が守りますから」
「風斬……」
風斬がこういうと、説得力が感じられる。
実際に、神の右席との戦いの時に学園都市の人達を助けたからであるだろうか。
いや、おそらくそういう事ではないのだろう。
風斬にとって、インデックスは大切な友達だ。
人を守るためには力も必要だが、何より大切なのはその気持ちだと思う。
「……分かった。けどインデックスも自分で少しは気を付けろよ。無茶はしないで、あぶねえと思ったら俺か風斬の後ろに隠れて――」
「とうまはちょっと過保護すぎるかも」
「お前はこのくらいで丁度いいだろ! 今まで何回ヤバイ目に合ってきたと思ってんだよ」
「とうまにだけは言われたくないかも! 私の倍くらいは危ない目に合ってるんだよ!」
「まぁまぁ、あなたの事を心配して言ってくれてるんだよ?」
「そ、それは分かってるけど……」
上条が自分を心配してくれること自体は嬉しいのか、もごもごと口ごもるインデックス。
「だいたい、お前も何でこんなレース選ぶんだ? 思いっきり暴れてストレス解消したいのか?」
「ううん、これが欲しいんだよ!!」
インデックスがビシッと指差したのは、レースの賞品一覧だった。スキー旅行招待券から携帯ストラップまで様々なものが揃っている。
成績上位順にこの中から優先的に選べるというシステムらしい。
その中でインデックスが狙うのは、高級街である第三学区のレストラン一日食べ放題券だった。
もしや魔術サイドとして学園都市を滅ぼそうとしてんじゃないかと、上条は思う。
「でも、これって人気あるんじゃないですか?」
「だろうな。他の賞品見る限り、最低でも3位には入らねえとキツいかもな」
「頑張ればきっと優勝できるんだよ!」
「あのな、能力者の中には水を操る奴らだって居るんだぞ? そんなの相手にどうしろってんだよ」
「そ、それは……」
インデックスはポジティブ思考だが、正直かなり難しいと上条は考えていた。
能力使用が認められているのだから、当然実用レベルにある者なんかは存分に使ってくる。
おそらく優勝候補は水流操作(ハイドロハンド)を持つ高位能力者だと、簡単に推測することもできる。
対してこちらは魔術が使えない魔神に、レベル0の幻想殺し、そして――――。
「「あっ!!」」
上条とインデックスが同時に声を上げる。
こちらにも、居た。
例えどんなに不利な状況でも何とかしてくれそうな切り札が、一人。
そんな暗闇の中で一筋の光を見つけたかのような二人の視線の先に居たのは、
「な、何ですか……?」
いわば学園都市の能力者達の集合体的な存在で、色々とぶっ飛んだスペックを持つ少女、風斬氷華だった。
ここのレジャープールにはホテルも完備されている。
部屋にはゆったりとくつろげるウォーターベッド、学園都市内外加えて海外の番組まで観れるテレビ。床も心地よい感触を与えてくれるウォーターカーペットとかいうものが敷かれている。
他にも、疲労回復に効果があるというマッサージ機に、様々な高級食材を取り扱うルームサービスは選び放題だ。
そんなセレブ空間で、一方通行はベッドに寝転がっていた。室内であるにも関わらず、先程と同じ水着姿だ。
元々ここのホテル自体がそういう利用方法であり、夜に休む時なんかは部屋から出てボタン一つで勝手に清掃してくれる。
あくまでここのメインはレジャープールなので、基本的に格好は常に水着だ。
そうやって惰眠を貪る少年の元へ、一つの小さな塊が飛んでくる。
「なんでここに来てまであなたは寝ちゃうのー!! ってミサカはミサカはダイブしてみる!!」
「ぶごほっ!!! こ、のクソガキがァァああああああ!!!」
学園都市最強にボディプレスをきめたのは、ワンピース型の水色の水着を着た打ち止めだった。
こうしてのんびりしているのがとにかく退屈らしく、先程から落ち着きなくウロチョロしている。
まともに下敷きになった少年はそれなりのダメージを受けたらしく、苦しそうにもがいていた。
例え相手が小さな女の子であっても、思い切りジャンプしてボディプレスをやられれば、この細い体では十分効くものだ。
「あはは、まぁお前が悪いじゃん!」
それを見て愉快に笑うのは、マッサージ機に夢中な黄泉川愛穂だ。
大人な黒ビキニにそのプロポーションは、健全な男子なら大歓喜だろうが、一方通行はピクリとも反応しない。
そもそも一方通行を健全な男子だとするのは色々とおかしい。
「黄泉川ァァ……オマエ、このうるせェガキ連れてどっか行ってろよ」
「んん……私は今忙しいからダメじゃんよー」
「そのマッサージ機とやらをブチ壊せば暇になンのか?」
「それやったら連行するじゃん」
「クソッたれ」
一方通行はとりあえず上に乗っかっている打ち止めを放り投げて体を起こす。
寝ぼけ眼で頭をガシガシとかきながら、時計を見る。時間にして一時間も眠っていない。
こんな事なら、自分だけ帰ってマンションで寝ようかとも思う。
ちなみに、マンションには芳川桔梗が留守番している。
一緒に来なかったのは、何でも太陽の光を浴びると灰になってしまう体質だからとの事だ。
「育児放棄は良くないぜ、親御さん♪」
ここでさらに鬱陶しい者が絡んでくる。
打ち止めをそのまま成長させて目付きを悪くした顔立ちの番外個体だ。
上はビキニタイプの水着だが、下はホットパンツに似たようなものを履いている。
悪意たっぷりの笑顔を見ると、やはりこうして一方通行をからかうのを生きがいにしているようだ。
「オマエの人生放棄させてやろォか?」
「んー、ミサカはまだ放棄したくなるほど生きてないんだけどねー。ていうか、もっと構ってやればいいじゃん。
子供は思い切り遊びたがるもんだぜ」
「むっ、そういう子供扱いは心外だってミサカはミサカは抗議の声を上げてみる!」
「扱いも何も実際にガキじゃねェか」
「むきーっ!! ってミサカはミサカは地団駄を踏んでみたり!!!」
いよいよ本気でうるさくなってきたので、一方通行は耳を塞いでそっぽを向く。
好き放題に能力が使えるなら反射して終わりなのだが、さすがにこんな事でバッテリーを消費するのは馬鹿らしい。
打ち止めはそんな事にもお構いなしに、回り込んで向き合ってくる。
その手には部屋に置かれていたチラシが握られている。
「これ!! これに参加してみたいかも!! ってミサカはミサカは主張してみる!」
「あァ?」
「ドーナツレース? へぇ~、なかなか暴力的だね」
「くっだらねェ。勝手に出てろよ」
「三人一組なの! ってミサカはミサカはあなたの参加を求めてみる!」
「黄泉川ァァ!」
「それ子供限定じゃんよー」
黄泉川はマッサージによりウトウトきてるのか、珍しくはっきりとしない声だ。
一方通行の額にビキビキと青筋が浮き立つ。
その表情は、路地裏の不良なんかでも一目散に逃げ出すほどの凶悪さを醸し出している。
本当に馬鹿げてる。
自分が沢山の少年少女達に混じって、イカダのレースなんかに参加しているのを想像しただけで、何か大切な物が崩れ去っていくような感覚がする。
しかし、打ち止めは全く物怖じしない。
ただただじーっと、OKと言うまで諦めないという表情で見つめてきている。
一方通行は打ち止めから目を逸らす。
彼女は目を逸らさない。
ただただその状態で時が流れていく。
一方通行は心底鬱陶しそうに、チラリと彼女を見た。
変わらずこちらを見つめている。いや、良く見ればその目が少しウルウルしてきている。
ついに一方通行が深い深い溜息をつく。
「…………クソが。仕方ねェな」
「えっ、じゃあ!! ってミサカはミサカは期待の眼差しを向けてみる!!」
「あァ、行きゃいいンだろォクソがァァ!!! 一瞬で血の海に変えてやるから期待しやがれ!!!」
「やったぁぁ!!! でも、それやったら失格だからダメだよってミサカはミサカは一応注意してみる」
ピョンピョンと跳び跳ねて体全体で喜びを表す打ち止め。
一方通行にここまでワガママを押し通せるのも、地球上で彼女一人だろう。
そんな様子を見て、番外個体はからかうチャンスだと、ニヤニヤしながら口を開きかける。
しかし、その途中で何かに気付いたのかピタリと動きを止めた。
「……あれ、なんかミサカも数に入れられてる?」
「もちろん! これは上位個体からの命令なのだ! ってミサカはミサカは権力を行使してみる!」
「ミサカとしては、はしゃいでる一方通行を外から撮ってyoutubeにでも流したいところなんだけど」
「それやったらオマエを沈めて流すからな」
「もう、せっかく決まりかけてたのに!! ってミサカはミサカはぶーたれてみる!!」
当然、番外個体も水上レースなんかには興味が無い。
そもそも彼女が興味あることといえば、一方通行にいかにして嫌がらせをするかという事だけだ。
「だいたい、何でそんなにこのレースに拘るわけ?」
「そ、それは……」
番外個体の質問に、答えにくそうに目を逸らす打ち止め。
その時に一瞬チラシの方に目が行ったのを、番外個体は見逃さない。
「ん、ははーん。要は賞品目当てってわけか。確かにお子様向けのものも沢山あるね」
「ぐっ、ミサカの狙うものはそんな子供っぽいものじゃない!! ってミサカはミサカは抗議してみる!!」
「ふーん、子供っぽいものじゃない、ねぇ。じゃあこの豊胸グッズとか?」
「なっ!!!」
次の瞬間、ビクッと全身を震わせる打ち止め。もはやそれで答えを言ったようなものである。
途端に、獲物を見つけた肉食動物のようにニヤニヤとし始める番外個体。
「分かりやっすいねぇ、司令塔サマ。
ていうかおねーたまもそうだけど、必死過ぎない? 見てる分には滑稽でいいけどさ」
「うるさいうるさいうるさい!! 既に手に入れてる者にはこの苦しみが分からないんだ!!! ってミサカはミサカは憤慨してみる!!!」
「はいはい、まぁどうせこんなの使っても無駄だから諦めて……………ん?」
突然、番外個体の表情が変わった。
チラシの賞品一覧の豊胸グッズの説明欄。そこを真剣な顔で凝視している。
打ち止めは首を傾げる。
悔しいことに、自分より幼い目の前の個体は既に立派なものを持っている。
さらなる高みへ登ろうとしているという事も考えられるのだが、番外個体に限ってそんな事はありえない。
番外個体は目線を一方通行へ移す。
あわよくばこのままレースもうやむやにならないかと考えていた一方通行は、怪訝そうな顔で睨み返す。
すると、
「……分かった、ミサカも出るよ」
「あァ?」
「えっ、本当!? ってミサカはミサカは突然の心変わりに驚きながらも喜んでみたり!!」
「うん、ミサカも欲しくなってきちゃった。豊胸グッズ♪」
「………………」
打ち止めは喜んでいるが、腑に落ちない一方通行。
何かを企んでいるのかは確実だ。それも番外個体の事だ、おそらく一方通行にとってはろくな事ではない。
とりあえず、先程まで彼女が持っていたチラシを手にとって確認する。
番外個体が読んでいたのは豊胸グッズの説明欄だ。
何かあるとすればそこだろうと当たりを付けると、その内容を読んでみる。
そこに書かれていたのは。
『伝説の冥土返し(ヘブンキャンセラー)監修の信頼出来る一品! その効果は何と“男性にまで表れます!!”』
例えこれを手に入れたとしても、その瞬間破壊することに決めた。
一方通行達と同じホテルのとある一室。
そこでは四人の『アイテム』のメンバーが休んでいた。
元々は浜面と滝壺、麦野と絹旗で部屋を二つ取ってあるのだが、何だかんだこうして集まってくる。
浜面としては、ちょっとは二人きりの時間もあってもいいんじゃないかなー、なんて思うわけだが、滝壺はそこまで気にしていない様なので口には出さないことにしていた。
おそらくそれを言ったところで、二人にからかわれて終わりだろう。
ちなみに、当然全員水着姿だ。
麦野は大人な雰囲気を放つ、ストラップを首に吊るしたホルターネックビキニというやつを着ている。
下にはパレオを巻いているが、これは足が太めなのを気にしているからという説がある。まぁ直接聞けば上下真っ二つにされかねないが。
絹旗はオーソドックスなビキニだが下はスカート型で、滝壺は無難なワンピースタイプだ。
彼氏としては、滝壺にはもう少しチャレンジしてほしいという気持ちもなくはないが、それで軽蔑されるのが怖かったりする。
そんな邪な事をぼんやりと考えていた浜面だったが、絹旗の言葉により現実に戻される。
「――というわけで超出ますよ! ドーナツレース!」
「私はパス。別に興味ないし」
「私は出てもいいけど。ね、はまづら」
「悪い、聞いてなかった。何の話?」
そんな浜面の言葉に、絹旗は盛大に溜息をつく。
「だーかーらー、このドーナツレースってやつの賞品に超レア物DVDがあるから即GETって話です」
「どうせB級映画だろ」
「そうです! もう何でDVD販売したのか分からないくらいどうしようもない程のB級なんです!」
「お前それ自分では褒めてるつもりでも、製作者側からすれば全然嬉しくないからな」
完全に呆れている浜面だったが、絹旗は相変わらず目をキラキラさせている。
どうやら分かる人には分かるお宝らしいが、浜面にはそこら辺の感覚は全くわからない。
というか、学園都市全体を探しても分かる人が居るかどうかは疑問だ。
「まっ、いいか。俺も出てやるよ。どうせ暇だしな」
「正直浜面は戦力にも何にもなりませんが、とりあえず人数合わせという事でいいでしょう。麦野は乗り気ではないらしいですし」
「そういう事はせめて俺が居ない所で言ってくんない!?」
割と真面目に凹む浜面だったが、絹旗はそっちは完全無視で麦野の方に視線を移す。
絹旗の何か面白そうな事を考えてるようなその表情に、麦野は目を細めて不可解そうな顔をする。
「……なによ?」
「いえいえ、そのドーナツレースなんですけどね……」
「だから私は出ないって言ったでしょ」
「そういう事ではないですよ。実は、超厄介な人物がレースに申し込んでいまして。
おそらく私では相手にならないでしょう」
「……誰よ?」
麦野は少し興味が出てきたらしい。
絹旗が相手にならないとなると、少なくともレベル4の中でも上位クラスの力があると見てもいい。
そして当然、レベル5であるという可能性もある。
麦野は自分の第四位という序列に納得していない。
チャンスがあれば、自分のほうが上だということを証明したい。そう思っている。
絹旗はニヤリと笑い、麦野の耳元へ口を寄せて何かを呟いた。
麦野に雰囲気が変わった。
言うならば、日常モードから仕事モードへ切り替わったといった感じか。
まるで絹旗の表情が移ったかのように、ニヤニヤとした笑みまで浮かんでいる。
「…………ほう」
「どうです? 超困ったものでしょう?」
「――ふん、アンタもこれが狙いなんでしょ。乗ってやるよ」
「ふふ、ありがとうございます」
上手く乗せられたということは気付いているようだが、何故か麦野は笑顔だ。それもかなり悪い感じの。
対する絹旗も同じように悪い笑みを浮かべているので、まるで「お主も悪よのう」的な感じの悪どい商売屋みたいな印象を受ける。
いや、実際やってる仕事も結構似てるかもしれないが。
浜面はそれを見て嫌な予感しかしないのだが、どうせ聞いても教えてくれないだろうと、何も聞かない事にする。
もしかしたら知らぬが仏、という事もあるかもしれない。
絹旗は満足そうに浜面の方を向く。
「というわけで、超足手まといな浜面は外れてください」
「……いや、別にいいけどさ、もっとこう言い方ってのを…………」
「超邪魔ですから外れてください」
「分かったよ、ちくしょう!!」
浜面は涙目になってどこかへ逃走したい衝動に駆られる。
そしてそれを実行したとしても、誰も追っかけてこないだろうというのがさらに寂しい。
しかし、その時。
「ダメ」
滝壺の声がやたら大きく部屋に響いた。
滝壺がここまでハッキリと自分の意見を言うのは珍しいので、三人とも彼女に注目する。
そして浜面が驚きながらも口を開く。
「ど、どうしたんだ滝壺?」
「はまづらを一人にすると、どんな女に引っかかるか分かったものじゃない」
「ちょ、滝壺さん!? 俺はどんな評価なんですか!?」
「彼女以外の誰かをハグしてチューしようとする人」
「まだ怒ってらっしゃる!? だからそれは誤解なんだって!!」
「…………仕方ありませんね」
絹旗は溜息をつくと、手をヒラヒラと振る。
浜面が何か言い訳をしているようだが、それには全く興味が無い様だ。
「それでは私は応援する側に回ります。
このレースには三人必要ですし、超野獣浜面を放し飼いにできないとなると、それしかないでしょう」
「ひでえ言われようだ……」
「一応これってアンタの目的のためなんだけど? まぁ私はアイツを負かせれば何でもいいけどさ」
「万が一賞品を逃すなんてことになったら、浜面はちぎります」
「俺だけ命がけ!?」
各々のお昼時は過ぎていく。
様々な思いが交錯する『ドーナツレース』まで後一時間。
今回はここまで。遅くなってごめんね
書きたいのに時間がないっていう悔しさ
むぎのんの水着はこんなイメージ。超電磁砲のやつみたいな
http://kie.nu/aHE
施設の中央付近に位置する流れるプール。
コースの形は一般的な円状で、そのプールのコースで隔てられた中央の円状の広場には店もいくつか出ている。
そこへ行くためには、何も泳いで渡る必要はなく、プールをまたぐようにアーチ状の橋も四本ほどある。
このプールに関しては、ここでは珍しく何の仕掛けもなく、学園都市の外のプールと変わらない。
特殊なプールの中に平凡なものを混ぜることで、逆に他の珍しさを際立たせるという事なのだろうか。
プールの近くには、現在人がたくさん集まってきている。ドーナツレースの参加者達だ。
同じく参加者の一人、上条当麻は周りをキョロキョロ見渡す。
「すっげー人だな。これ全員入りきらねえだろ」
「えっと、仕掛けがあるみたいですよ、このプール」
「仕掛け?」
『プール拡張を行いますので、プールサイドのお客様は十分離れてください』
そんな放送が流れた後、プールサイドにビキビキという音が鳴り響いた。
何事かと見てみると、なんとプールの幅が広がってきている。
痛々しい音とは裏腹に、その動きはスムーズで、数秒後にはプールの幅は最初の3倍以上になった。
「……なんつーか、力押しだな」
「学園都市はだいたいこんな感じかも」
インデックスのその言葉には、学園都市の人間である上条と風斬も頷くしかない。
それから、参加者全員にレース用のイカダと漕ぐためのオールが配られる。
イカダは一辺3メートルほどの正方形で、厚さは50センチ程か。
材質は学園都市製の新しいもので、発泡スチロールのように軽いが、人を三人乗せても沈まない程度の浮力を持っている。
おそらくこのレース自体、そうした新材料の実験的な意味もあるのだろう。
プールにイカダが浮かべられる。
現在はプールの流れは止められており、レース開始と同時に流れ始めるらしい。
ちなみにプールサイドにも観衆が大勢いる。一応は能力者のレースなので、エンタメ的にも良いのだろう。
空中には大画面(エキシビジョン)も浮かんでおり、もっぱらトップ争いの模様を中継するようだ。
しかし、プールサイドに居るのは観衆だけではない。
このレースは基本的にルールに書かれていないことは何でもアリというものだ。
故に危険な状況に陥る可能性も多分にあり、そういった事のために救助係の者が大勢待機している。
参加者の方はと言うと、数は見た感じでは100組近くで、この中で三位以内というのはかなり厳しいと思われる。
だが、こちらには風斬氷華がいる。
逆に言うと希望はそれだけであり、上条やインデックスはただ漕ぐことしかできない。
上条の幻想殺しは、もしも相手が直接自分達を攻撃してくるのなら少しは役に立つかもしれない。
ところがルールとして能力で人を攻撃することは禁止されており、相手が狙ってくるとしたらイカダくらいだ。
右手一本では、3メートル四方の広範囲を守る事はできない。
インデックスはキョロキョロと周りを見渡しながら口を開く。
「これって、始まった瞬間に沈められちゃったりしないのかな?」
「あぁ、たぶんスタート同時に相当数リタイアするだろうな。
けど、俺らは大丈夫だ。な、風斬?」
「はい、頑張ります」
おそらくレース開始と同時に、ここは能力の飛び交う戦場と化す。
対戦相手との距離が一番近いのはスタート時なので、潰すなら絶好の時だ。
そこでさっそく風斬の力を借りる。
巨大な光の翼でイカダ全体を覆ってしまえば、並大抵の能力では傷一つ付けられない絶対防御となる。
「さすがひょうか! ……あれ、でもそれならスタートダッシュで一気にここを抜けちゃった方が良くないかな?」
「いや、そこはちょっと作戦があってな。俺もさっき思い付いたばかりなんだけどさ――――」
上条はヒソヒソ声で、インデックスと風斬に作戦を話す。
二人の反応は、
「――それいいかも!」
「はい、さすがです!」
「だよな! よっし、じゃあこれで行くか!」
「とうまはやっぱりたまーに機転が利くんだよ。たまーに」
「そこ強調すんな!」
作戦も決まったので、後はただレース開始を待つだけだ。
心なしか、辺りの雰囲気もピリピリとしたものに変わっていく。
普通なら少しは緊張などを覚えるものなのかもしれないが、三人は割と平常心だ。
というのも、おそらく普段から命を賭けた場に居たりする事が多いからだろう。
正直何の自慢にもならなく、むしろ悲しくなってくるが。
一方通行達も準備はできており、イカダの上でスタートの時を待っていた。
打ち止めと番外個体は見るからにワクワクしているようだが、一方通行はそこまでモチベーションは高くない。
それどころか、この水の上をプカプカと揺れる感覚が気に入ったのか、ゴロンと横になってウトウトきていた。
それに気付いた打ち止めは、むーっと頬を膨らませる。
「もー!! なんであなたはこんな所でも寝てるのかな!! ってミサカはミサカはもはや呆れ混じりに怒ってみる!!」
「…………ンあ?」
「こういう時は顔洗うのが一番だよ☆」
ドンッと、番外個体が白髪の少年を思い切り押した。
その結果、ドッパーンと水柱を上げて少年はプールの中へと落下した。
「番外個体ォォおおおおおおおおお!!!!!」
「ぎゃははは! 起きた起きた」
「さすがにそれはやり過ぎかもってミサカはミサカは同情してみる。大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。なんたって第一位サマだし」
「オマエも今すぐ引きずり下ろしてやるから覚悟しやがれクソッたれ!!」
バキッと、一方通行の腕がイカダに突き刺さった。ただの八つ当たりだ。
一応耐久性はそれなりにあるらしいのだが、この少年からすれば発泡スチロールとなんら変わりない。
それを見て騒ぎ始めたのは打ち止めだ。
「ちょ、ちょっと! 何でスタート前にイカダ壊すのかな!! ってミサカはミサカは仰天してみる!!」
「おいおい物に八つ当たりかよー。意外とちっさいんだね、色々と」
「…………」
ビキビキビキと、一方通行の額に青筋が浮かび上がる。
しかしここで反応してしまうと、まさに番外個体の思い通りだ。
彼女はただ一方通行が不快だと思えばそれでいいわけで、今のこの状態でも十分に目的は達成できているのだ。
もうこれ以上、くだらない事に神経を使うこともない。
一方通行は無言でイカダに登ると、あぐらをかいて座った。
また寝ても良かったが、もう一度落とされたらさすがにブチンといってしまうと思ったからやめた。
「じゃ、じゃあこれから作戦会議ね! ってミサカはミサカは妙に刺々しい雰囲気を和ませようとしてみたり」
「ていうかここまで来て何にも考えてなかったわけ?」
「うぐ……とにかく作戦会議! ってミサカはミサカはゴリ押ししてみる!」
「ンなモン、俺が片っ端から他の奴等を沈めていけばいいだろォが」
「おっ、頼もしいねぇ。でもあなたの能力って、攻めるのにはいいと思うけど、守るのはダメじゃない?
いくら自分だけ守れてもイカダ全体となると厳しいでしょ」
「やり様はいくらでもある。第三位じゃねェが、俺の能力も応用範囲は広い」
「あなた自身、さっき突き落とされた事に関しては?」
「オマエ、今度やったら外まで飛ばすからな」
実力だけで言えば優勝候補筆頭だが、色々と問題のあるこのチーム。
打ち止めは言い知れぬ不安を抱いていたが、レースが始まれば二人共協力してくれるだろうと、無理やり思い込むことにした。
上条や一方通行のチームと比べて、プールサイドに近い位置に浜面のチームは待機していた。
麦野と滝壺というスタイルの良い女の子に挟まれる形でいる浜面は、周りからの恨めしげな視線を感じている。
だが少女達はそれに気付いていないのか、それとも気付いていてもいちいち気にしていないのかは分からないが、無関心だ。
というか、滝壺にいたっては無関心というかぼけーっと魂が抜けたようになっている。
彼女に関してはこういう行動もそこまで珍しいものではないのだが、今はきちんとした理由がある。
麦野は髪をかき上げながら、そんな滝壺に話しかける。
「どう?」
「――きぬはたより強そうな人は四人。むぎのより強そうな人は三人」
「ふん、上々ね。少しは楽しめそうだ」
「ちょ、待て待て待て!!」
「何よ、うるさいわね」
慌てて話を遮る浜面に、麦野は不機嫌な顔を向ける。
滝壺が行なっていたのは周りの能力者のレベル把握だ。
AIM拡散力場を調べればある程度なら調べることができるらしく、以前に月詠小萌が上条に話していた「ヤツの戦闘力は53万だ」的なものだ。
以前まではこういった能力の使い方は体晶で能力を暴走させる必要があったのだが、今は何も使わないでも使えるようになっていた。
浜面としては、例の学園個人というものがさらに現実的になってきた気がして、素直に喜べないというのが本音なのだが。
ともあれ、今はそれよりも差し迫った問題が出てきた。
「お前より強い奴が三人もいんの!? 何でそんなに化物が集まってきてんだよ!?」
「何の問題があるのよ? むしろそいつらを叩き潰すチャンスだろ」
「しかも自分から狙っていく気かよ! なぁやめようぜ、わざわざそんな奴らに絡まなくてもいいだろ。
あんなB級DVDなんて一位にならなくても取れるって!」
「私の目的は最初からそういう奴らを潰す事なんだけど」
「やっぱり聞く気なしかよ……滝壺からも何か言ってやってくれよ」
「むぎのは思い立ったら一直線」
「……そうだったな」
元々麦野を説得できるとは思ってなかったので、仕方なく諦める浜面。
確かに強者からすれば、自分と同じかそれ以上の相手と戦うのは面白いのかもしれない。
それでも、浜面みたいなただのチンピラからすれば、巻き込まれるという恐怖のほうが圧倒的に大きい。
ここは腹をくくるしかないか、と考える浜面……だったが。
「…………おい待て。俺、その麦野より強いって奴知ってるかもしんない」
「はぁ? 何でアンタがそんなの分かんのよ」
麦野は呆れ顔でそんな事を言ってきたが、浜面はそれに反応する余裕はなくなっていた。
滝壺も、キョトンと首を傾げながら自分の彼氏を見つめている。
浜面は冷汗をダラダラと流し、無意識の内に全身をブルブル震わせる。
――――昼に会った白髪赤眼の男は一体誰だっけ?
「む、麦野、無理だ! 俺、たぶんその麦野よりつえーって奴の一人に会ってる!!」
「うっさいわね。誰だってんのよ」
「第一位だよ! 昼飯買いに行った時に偶然会ったんだ!」
「ほう」
「何でそこでニヤリとしてんですか!?」
必死な浜面だが、麦野は嬉しそうに笑うだけだ。
考えてみれば、このプライドの高いお姉様はそういった自分よりも序列が高い人間を負かすのが目的である。
つまり、学園都市最強が来ているというのはプラスにしかならない。
一応は浜面も直接戦ったことがある相手だが、もう二度と相手にしたくない。
麦野はそうやってビビりまくっている浜面の事は放っておき、滝壺に話しかける。
「で、絹旗が言ってたアイツは本当に来てるわけ?」
「うん、居るよ。あの人のAIM拡散力場は前に観測したことがあるから分かる」
「ふふ、そうこなくっちゃね」
もはや浜面はその“アイツ”について聞こうとも思わない。
麦野がこんな顔をするということは、十中八九そいつも化物だからだ。
とにかく、いかに化物同士の戦いに滝壺や自分が巻き込まれないようにするか、浜面が考えるべき事はそれだけだった。
いつの間にか賞品のB級DVDの事も完全に忘れてしまっていた。
***
『レース開始一分前です』
宙に浮かべられた大画面(エキシビジョン)に係員の女性が映されている。
その放送に、上条はゴクリと喉を鳴らして手にあるオールを持つ力をギュッと強める。
これからここは能力の飛び交う無法地帯となる。それなりの心構えは必要だろう。
三人のフォーメーションは、正方形のイカダの進行方向から見て、右の一辺に上条、左にインデックス、後ろに風斬というものだ。
上条はチラリとインデックスや風斬の方に目を向ける。
二人共真剣で引き締まった表情をしていて、ここに来て冷静さを失うということもなさそうだ。
周りのチームも準備を整えていく。
中には既に片手をプールに付けている者もいて、おそらく水流操作の能力者なのだろう。
そしてその誰もがギラギラとした目をしている。賞品も良い物が多いのでこれも当然か。
『レース開始十秒前です』
いよいよ周りの雰囲気は痛いくらいに鋭くなる。
まさに一触即発の状態で、敵意のこもった視線が交差する。
上条は風斬に目を向ける。
レース開始直後にいきなり沈没しないでいれるかどうかは、全て彼女にかかっている。
風斬は上条の視線を真っ直ぐ受け止め、真剣な表情でただ一度だけ頷いた。
そして、
『五秒前です。四、三、二、一――――』
直後、レース開始を知らせる巨大な爆音が辺り一帯に鳴り響いた。
ビリビリと、大気を震わせる音に、上条とインデックスは完全に出鼻をくじかれ怯んでしまう。
その隙を狙ったかのように、四方八方から炎やら水やら電気やら、様々な能力がこのイカダを粉砕しようと飛んでくる。
それを確認した上条は大声で叫ぶ。
「風斬!!!」
「は、はい!!」
バサッと、光の翼が展開された。
言うまでもなく、風斬氷華の能力だ。
さすがに0930事件の時ほどではないが、それでもかなり巨大な翼であり、そのままイカダを包み込んだ。
ガギギギギギギ!! と鈍い音が連続する。いくつもの能力が光の翼にぶつかる音だ。
さすがの防御力であり、音から察するに10、20ではすまない程の攻撃を受けているはずだが、その一つも通さない。
しかし幻想殺しではないので、その衝撃までも完全に殺すことはできない。
その結果、いくつもの衝撃により生まれた波が荒れ狂い、イカダを大きく揺らす。
「う、うわわわわわ!?」
「インデックス、大丈夫か!? うおっ!!」
見ると、インデックスは風斬の翼に必死にしがみついているが、上条は右手の関係でそんな事はできない。
だから、ただ歯を食いしばり、体中の筋肉を総動員してバランスを取り、間違っても風斬の翼に触れないようにする。
この完璧に見える防御の最大の弱点が、防御の内側にあるというのもあまり笑えない話だ。
波はなかなか収まらない。
とにかく、今はひたすら耐える時である。
一方通行のチームは快適にレースを進めている。
スタートから一気に飛ばしたので、周りに他のチームもおらず、割と独走状態だ。
スピード自体はかなり出ているのにも関わらず、イカダは不自然なくらいにほとんど揺れず、穏やかな風が頬を撫でる。
一方通行は前方で退屈そうに座りながら右手を水の中に突っ込んでおり、その後ろで同じく退屈そうな番外個体があぐらをかいている。
そんな二人とは対照的に、打ち止めはイカダの上を歩きながら楽しげに周りをキョロキョロと見渡す。
おそらく、トラックの荷台の上に乗せてもらっているような、そんな楽しさがあるのだろう。
「あンまりウロチョロしてンじゃねェよ。落ちたらそのまま捨ててくぞ」
「ていうか、落ちたらルール的に放っとかなきゃいけないよね」
「大丈夫! ってミサカはミサカは自信たっぷりに答えてみたり!」
「その自信はどっからくンだよ」
面倒くさそうに舌打ちする一方通行だが、打ち止めが落ちないようにイカダを操作するのは簡単だ。
彼の能力は『ベクトル操作』だ。つまり、こうして水流を操作することくらい造作も無いことである。このスピードに対して不自然に穏やかな風も、同じように能力で調整している。
これでは本職の『水流操作』を持つ能力者が報われない気がするが、それがレベル5に達する能力というものなのだろう。
実際、第三位の『超電磁砲』でも、その衝撃からレベル4の『空力使い(エアロハンド)』が操るような大きさの突風を巻き起こす事ができる。
イカダは、全部で四つあるアーチ状の橋の一つの下をくぐる。
これでコースの四分の一程を消化したことになる。
番外個体は眠そうにあくびをした。
「なーんかさ、こんだけぶっち切りだとつまんなくない?」
「賞品が手に入ればいいンだろォが」
「それはそうなんだけどさー。激しい戦闘の中であなたがドボンっていうのも見てみたいんだよねー」
「どォやって俺だけ突き落とすンだよ。イカダを壊されたらオマエも一緒に落ちるだろォが」
「ふふふ……何も敵は外だけとは限らないぜ?」
「オイ、次は反射で吹き飛ばすから覚悟しろよ」
何かここまでくると、むしろ仲良さ気に見える二人。
もちろん、それを言えば愉快なオブジェにされるだろうが。
『おーっと!? なんと既にゴール前に居るチームがあります!!』
突如響き渡る放送。
プールサイドの観衆は一斉にざわざわし始める。
一方通行はガバッと顔を上げて、宙に浮かぶ大画面(エキシビジョン)を睨みつける。
普通に考えてありえない。
レースが始まってから、自分達より先へ行った者は居ないはずだ。
それとも目にも止まらない速さで抜かれたというのか。
大画面に映されていたチームは。
『ふふふ、これで「あすなろ園」のボランティア券ゲットよ!!』
『さすが結標ちゃんです! 自分から進んでボランティアなんて立派なのですよー』
『……所詮私は人数合わせ』
三人の内、二人を一方通行は知っていた。
一人はかつて同じ暗部組織で仕事をした経験のある結標淡希。
そしてもう一人は黄泉川の同僚らしい教師だ。世にも不思議な小学生の姿をした教師なんていうのは、レベル5の頭脳でなくてもそうそう忘れられない。
黒髪ロングの少女については見覚えがないが、何となく影が薄い印象も受けるのでただ忘れているだけだという可能性も否定出来ない。
とにかく、そんな女の子三人(一人は女の子といってもいいのか分からないが)のチームだった。
普通なら並み居る猛者達を引き離して、こんなぶっち切りでゴールしようとしているのは奇妙に感じるかもしれない。
しかし、ここは能力者の街だ。その実力は見た目だけでは計りきれない。
一方通行はそのチームを見た瞬間、どうしてここまでの独走を許しているかが分かった。
「……座標移動(ムーブポイント)か」
「なにそれ?」
「あの髪束ねてる女の能力……空間移動(テレポート)の一種だ」
「……あの胸がある女の人とはどんな関係? ってミサカはミサカは尋ねてみたり」
「あァ? ただ顔知ってる程度だ」
「ふーん」
打ち止めは面白くなさそうな顔でジトーと一方通行を見つめる。
それを見た番外個体は、それはそれは楽しそうにニヤニヤとし始めた。
「騙されちゃダメだよ。どうせ、もう何回もホテルとか行っちゃってるよ! あの胸に誘われてね♪」
「ほ、ホテルって……ね、ねぇ、そんな事ないよね? ってミサカはミサカは確認してみる!」
「番外個体ォォ……オマエそろそろ突き落としていいよなァ?」
一方通行はビキビキと額に青筋を浮かべながら、手をプールから引き抜く。
ベクトル操作を止めた影響で、イカダのスピードはどんどん落ちていく。
だがそんなものは今の一方通行には関係がない。ただこの目の前の悪意の塊を何とかする、ただそれだけだ。
対する番外個体は、そんな彼を見てもまだニヤニヤと笑みを浮かべたままだ。
「あれ、急がなくてもいいの? このままだとあのチームにゴールされちゃうじゃん」
「……それはねェよ」
「えっ、どうしてってミサカはミサカは」
打ち止めがそう言いかけた瞬間、
『はい、トップを独走する「あわきんチーム」ですが、残念ながら失格です!』
先程の係員の少女の放送が響き渡る。
これに一番反応したのは、当然当事者である結標達だった。
『はぁ!? 何でよ!?』
『「イカダのテレポートは禁ずる」というルールがあります』
『……え?』
『む、結標ちゃん、それはちょっと初歩的なミスなのですよー……』
『な、何よ! 小萌だって私の作戦に乗り気だったじゃない!』
『あれだけ自信満々だったから。小萌も私も信じてしまった』
『うっ……あすなろ園が…………ショタ達が…………』
冷静に考えてみれば、テレポートを制限するルールがないはずがない。
結標も決して頭が弱いというわけではないのだが、それだけ他の事で頭が一杯だったのだろうか。
一方通行は、アレが自分の元仕事仲間だという事を考えると、何とも残念な気分になる。
「あなたの知り合いってだけあって、なかなかの変人だね」
「オマエだけには言われたくねェだろォよ。つーか、覚悟できてンだろうなァ……?」
「もう、だからケンカはダメ! ってミサカはミサカは止めてみる!」
「そいつをここから突き落とせばケンカも無くなるだろォよ」
「キャー、怖い怖い」
どこまでも神経を逆なでする番外個体の声に、一方通行は手を開いたままパキパキと鳴らして戦闘準備に入る。
打ち止めはそんな二人を見て、遮るように慌てて話し始める。
「そ、そうだ! そういえばこのチームの名前は何かな? ってミサカはミサカは尋ねてみたり!」
「知らねェな。俺が登録したわけじゃねェしよ」
「あれ、じゃあ番外個体が登録してくれたの? ってミサカはミサカはあなたの意外な行動に驚いてみたり」
「うん、まぁたまにはね。で、チーム名だっけ? それはね――――」
番外個体はここで可愛らしくウインクする。
元々容姿自体は整っているので、それはそこらの男なら一発で虜にできそうな魅力があった。
そして、そのイタズラっぽい笑みを浮かべた口が開く。
「『セロリチーム』だよ☆」
ついにプッツンといってしまった一方通行が暴れだした。
すぐに打ち止めは代理演算を放棄する事で、無理矢理このマジギレ少年を抑える。
それにより、少年は文字通り電池が切れたようにパタンと倒れてしまった。
これでは少年は能力が使えない。
仕方ないので、彼が落ち着くまでしばらくは自力で漕ぐしかなくなってしまった。
麦野は自身の能力『原子崩し(メルトダウナー)』をふるい、周りのイカダを次々と沈没させていく。
しかしこの能力があれば、一方通行達のようにスタートダッシュをして一気に抜き去る事も可能だったはずだ。
それでもこうして乱戦の中にいる理由としては、麦野の目的がトップでゴールすることではなく、できるだけ多くの相手を潰すことにある。
加えて相手が高レベルならなお良い。
「ったく、張り合いないわね。準備運動にもならないわよこれ」
「おい麦野、もう十分だろ! いつまでこんなとこに居るんだよ!」
「滝壺、私より強いって奴等の位置は?」
「無視かよ」
「前に二人、後ろに一人」
「ふーん……」
麦野は腕を組んで少し考え込む。
とりあえず周りの敵はあらかた沈没させたので、この隙に狙われるという心配は少ない。
「よし、じゃあとりあえず一番前の奴から潰すか。その後は待ち伏せればいいだけだし」
「最初からそうしてろよ……」
「何か言ったかにゃーん?」
「何でもないですから、こっちに手向けないでください!!」
能力者にとって手を向けるというのは、銃口を向けるのと同じような感じだ。
麦野はつまらなそうに小さく舌打ちすると、その手を浜面からずらして、イカダの進行方向の逆へ向ける。
次の瞬間、ドッ!! という轟音と共に、極太の光線が発射された。
強力な推進力を得たイカダは猛スピードで突き進む。
だが一方通行とは違い、完全に力技であるので揺れなどは凄まじい。
浜面はすぐにグラグラと危なっかしい滝壺を支える。
それを横目でチラリと見た麦野は再び舌打ちをする。
「人が頑張ってんのに、イチャイチャしてんじゃないわよ」
「し、仕方ねえだろ! 滝壺が落ちちまったらどうすんだ」
「……私だって落ちるかもしれないだろ」
「いや、お前は大丈夫だろ」
「ああ!?」
癇に障ったのか、麦野はバシュッと光線を浜面へ撃ちこむ。
さすがに直接は狙わないでくれたらしく、それは頬のすぐ横を通り過ぎていったが、数センチ違えば死というのは精神衛生上大変よろしくない。
そういえば、相手チームの人間に直接能力を当てる事は禁止されているが、味方には特に制限がない。
つまり、別にこれで浜面の頭を消し飛ばしてもルール違反というわけではないのだ。まぁもっと大切な方のルールに引っかかる可能性が高いが。
浜面は全身からブワッと嫌な汗を出す。
「わ、悪かった! つか何でキレてんだよ!」
「うるさい黙れ」
「…………あれ、何だろう」
「ん?」
滝壺が指差した先。
そこにはプール上にプカプカと浮かぶ、ビーチボールくらいの大きさのカプセルがあった。
イカダがその脇を通り過ぎる時、浜面は手を伸ばして拾ってみる。
「『お助けアイテム』だってさ。たぶん運営側が用意した何かだろうな」
「どっかのチームが置いてった罠って可能性もあるんじゃないの。開けた瞬間ドカンとかさ」
「でも、それだと能力で直接私達を攻撃してる事になって失格になるんじゃないかな」
「一応注意しておくか」
浜面は二人から離れて距離を取る。
それから慎重に慎重に、開けてみた。
パカッと、警戒した割には何の問題もなくすんなりと開いたカプセル。
その中身は――――
「……なんかRPG-7が入ってるんですけど」
「はぁ?」
携帯対戦車擲弾発射器。グレネードランチャーだ。
そのあまりにもゴツすぎる一.品に、思わず麦野も後ろを振り返って確認する。
「……なるほどね、能力で直接攻撃はダメだが、そいつで吹き飛ばすのはありって事か」
「いやいやいや!! そりゃもうレースじゃなくて完全に殺し合いになっちまうだろ!」
「説明書入ってるよ」
冷静に指摘したのは滝壺だ。
こんなものを置いた運営の意図が全く分からない浜面は、すぐにそれを取って読んでみる。
「へ、水鉄砲?」
そこに書いてあったのは、あくまでこれは「オモチャ」であるという事だった。名前は「ウォーターランチャー」というらしい。
浜面はここでやっと肩の力を抜く。
考えてみれば、本気でRPGなんてものを無造作に浮かべるなんてありえない。
「はぁ……何だよ驚かせやがって」
「でも、良くできてるね」
「あぁ、無駄にこういう所凝ってるから、マジだと思っちまったよ」
「ふーん。まぁわざわざお助けアイテムとか書いてあんだから、そこそこ使えるんでしょ。
浜面、試しにアレ撃ってみろよ」
そう言って麦野が指差した場所を見てみると。
十時の方向。そこにはイカダが空中を進んでいた。
あれなら、水流操作能力者などに干渉されずに進むことができる。
「おいおい、ありゃレベル4クラスの念動力(テレキネシス)か?」
「だろうな。といっても、頭は弱いらしい。あれじゃ良い的だ」
「けど、これってオモチャって書いてあるぞ? お前の能力で撃ち落とした方が確実じゃねえか?」
「私はこうやってジェットエンジンの代わりやってんだろ。別に同時にあっちを攻撃ってのもできるけど、面倒くさいでしょうが。私が」
「あー、はいはい……」
浜面はそう言うと、説明書を見ながら準備をすすめる。
といっても、ただ数秒水に浸すだけでいいらしく、小学生でもできそうなものだった。
こんなゴツいものを水に浸すというのは、普段重火器を使ったりする者からすると少し躊躇われたが。
準備ができたので、浜面はウォーターランチャーを肩に担いで、前方に浮かぶイカダへ照準を合わせる。
一応形だけはそうやっているが、正直これの性能にはそこまで期待していない。形こそアレだが、これはあくまでオモチャだ。
そもそもあそこまで届くのか? という疑問を持ちながら浜面は引き金を引く。
ボンッ!! という鈍い音が辺りに響き渡った。
ウォーターランチャーから飛び出したのは、巨大な水の槍のようなものだった。
それはかなりの速さで真っ直ぐ前方の浮遊イカダへ飛んでいき、見事直撃する。
ズガァァ!!! という、割と洒落にならない音が鳴り響き、浮遊イカダは勢い良く弾き飛ばされ、乗っている人間もろともプールの中へ墜落した。
ミッションコンプリートだ。
が、撃った方の浜面が予想以上の凄まじい反動で後ろに吹っ飛んでいた。
勢い的に、そのままプールへドボンだろう。
それに素早く反応したのは麦野だ。
「ちっ!」
麦野はすぐに手から出していた光線を止めると、体をずらして前から飛んできた浜面を受け止める。
だが体格のいい男が飛んできたのを真正面から受け止めたのだ。ドンッという音と共にかなりの衝撃が伝わり、そのまま自分も後ろへ飛びそうになる。
すかさず、麦野は再び後方へ向かって光線を放ち、その推進力によって前からの衝撃を相殺した。
「ごほっ……ったく、相変わらず使えないわねアンタは」
「さ、サンキュー、助かった…………んんっ!?」
「どうしたのよ?」
現在、浜面は麦野に背中で寄りかかっている状態だ。
その結果、何かムニュという柔らかい感触を感じる。
それが何か分かった瞬間。
浜面はガバッと勢い良く立ち上がり、麦野と距離を取る。
「……なに?」
「何でもない!! き、気にすんな!!」
もしも麦野に感づかれたらと思うと、想像するだけで恐ろしい。
とにかく浜面は何事もなかった、という事で済まそうとする。
すぐ後ろでは恋人の滝壺がジト目でそんな浜面を見ていたりもするのだが。
「でも、意外だな。お前が俺を助けるなんて」
「……別に。ただの気まぐれよ」
浜面とは目を合わせようとせず、プイッと後ろを向いてしまう麦野。
そんな彼女を見て、浜面は何かとてつもない違和感を覚える。
例えば、ライオンがシマウマと楽しげにじゃれ合っているような、そんな感覚だ。
浜面はブルブルと震える。
これはおそらく何かの天変地異の前触れに違いない。
なぜなら。
「麦野が……可愛いだと…………ッ!!」
直後、右アッパーが浜面の顎を捉えた。
一方通行達の元に一組の敵が現れた。
それもイカダが接近してきたというわけではない。
近づいてきたのは、水上バイクだった。
乗っている敵は二人。
一人は金髪グラサンの男で、もう一人は育ちの良さそうな茶髪の男だ。
どちらも一方通行の知り合いだったりする。
「よう、まさかここでお前に会うとは思ってなかったぜい、一方通行」
「ですが、あなたの能力をよく知る人間に出会ったのは不運でしたね。ここは自分達が勝たせてもらいます」
「へぇ~、意外と友達居るんじゃん」
「うん、ミサカはミサカはちょっと安心したかも!」
何か後ろの二人が言っている気がするが、無視することにする。
一方通行は、目の前の水上バイクを睨みながら口を開く。
「……そのバイクはどォした? 持ち込みは一切禁止だったはずだが」
「おっ、まだ一つも見つけてないのかにゃー? どうやらここにはお助けアイテムっつーもんがばら撒かれてるようだぜい」
「はっ、そンなモンまで落ちてンのかよ。笑えねェな」
ニヤッと笑う土御門に、一方通行は黙って対策を考える。
こちらの能力が知られている。それは能力者の戦いではかなり不利になる要因だ。
それは土御門達にも当てはまるのだが、向こうの二人は本来科学サイド側ではない。
まだまだ理解できない部分も多い魔術なんかを使われたら面倒だ。
「ちっ、だいたいよォ、土御門はともかく海原は学園都市に居ていいのか?
今科学と魔術の線引きがどォのこォのって色々面倒な事になってンだろォが」
「まぁ、自分は今やどの組織からもあぶれた者ですからね。この変装の魔術のお陰もあってそうそうバレたりはしないんですよ」
「それより、今は自分達の心配をした方がいいんじゃないかにゃー?」
海原が右手を突き出す。
その瞬間、白い光が飛び出し、一直線にこちらのイカダへと向かってきた。
一方通行は顔をしかめる。
「くっ!!」
イカダが真横にスライドして光を避けた。
通常では到底ありえないそんな現象も、この能力があればいくらでも起こすことができる。
海原の放った光弾はプールの中にまで風穴を開けて進んでいった。
「相変わらず意味分かンねェ力使いやがって」
「褒め言葉と受け取っておきますよ」
海原の使った魔術は『月のウサギ』に関して記された暦石によるものだ。
立派な魔道書の原典なのだが、今は海原の体と一体化している。
その影響で、本来この魔術を発動するための『ウサギの骨』を必要としない。
といっても、一方通行はそういった事は全く理解できない。
とにかく、あれはビームを撃つ魔術、そういう事にして作戦を組み立てる。
「おい、番外個体。手を貸せ」
「んんー? ミサカに頼るなんて、結構切羽詰まってる感じですかい?」
「うるせェ。手を貸すのか貸さねェのか、どっちだ」
「はいはい、ミサカはあなたに従順なしもべですよー」
一方通行は番外個体に向かって、素早く何かを話した。
それを聞いた彼女は、面倒くさそうだが一応はコクコク頷いている。
その間にも海原からの攻撃は続いており、一方通行は上手くイカダを操り回避している。
番外個体とのやりとりを見ていた打ち止めは、イカダの揺れにフラフラとしながら一方通行の目の前にやってくる。
「ねぇねぇ、ミサカは何をすればいいのっ! ってミサカはミサカは力こぶを見せてみたり!」
「大人しくしてろ」
「イエーイ、全然戦力として計算されてないぜ! ってミサカはミサカはヤケクソ気味に言ってみたり」
一方通行は、イカダの周りをグルグルと回っている水上バイクの動きを目で追う。
時折飛んでくる光弾をかわしながら、タイミングを見計らう。
(――ここだ!)
水面から腕のようなものが何本も伸びた。
これも一方通行の能力によるもので、それはまるで水の蛇が敵に向かって突き進んでいるかのようだった。
もちろん、相手を直接は狙わない。あの水上バイクに当てて、転覆させるのが狙いだ。
ギュガッ!! と鈍い音が響いた。
水の腕が水上バイクに直撃した音ではない。
それはバイクが素早くターンをする音であり、次々と襲い掛かる水の腕を避けていく。
通常では水上でこんな動きができるわけがない。これも学園都市製というのが理由だろう。
それを扱いこなす土御門が優秀だという事もあるだろうが。
すかさず反撃の光弾を放つ海原。
一方通行は小さく舌打ちをしてイカダを動かして避ける。
土御門は相変わらずありえないハンドルさばきで、なおも迫りくる水の腕をかわしながらニヤニヤと笑う。
「残念だったにゃー!」
「す、凄い……ってミサカはミサカは敵ながら感心してみたり」
「どうするよ、第一位サマ?」
「……まだだ」
ガクッと、水上バイクの動きが鈍った。
一方通行はただ水の腕を振るうという単調な攻撃をしているわけではなかった。
バイクの近くを流れる水流。それを制御してしまえば、身動きを取れなくさせることも可能だ。
感覚で言えば、水流という網を張り巡らせていたといったところか。
すぐさま水の腕が突進していく。
海原は光弾の狙いをイカダからそちらへ移すが、二、三本吹き飛ばす程度で、その全てを止めることはできない。
「甘いぜい!」
「なに?」
ボシュ!! と、ガスが一気に抜けたかのような音が響き渡る。音源は水上バイクだ。
まるでバンカーからゴルフボールを出すように、水流の網に引っかかっていたバイクは力尽くで飛び出していた。
あまりの勢いに、水面から数センチほど飛び上がっている。
直後、先程までバイクがあった場所に何本もの水の腕が突き刺さるが、何の意味もない。
「ちっ、学園都市製は鬱陶しい……」
一瞬視界から外れたバイクを再び目で捉える一方通行。
そこでは既に海原が右手を構えてこちらへ向けていた。
すぐにこれから来る光弾を避けようと水流のベクトル操作に集中する。
だが、ここで一つ、妙な違和感を覚える。
――――土御門はどこに行った?
ドンッとイカダが不自然に揺れた。
「よう、お邪魔するぜい」
バッと振り返ってみると、イカダに招かれざる客が乗っていた。
一方通行はただ目の前の男を睨みつけることしかできず、打ち止めはただただ驚き、番外個体はニヤニヤと楽しそうだ。
直後、ズガンと別の振動がイカダを襲った。
海原の光弾がイカダに直撃し、その一部が吹き飛ばされたのだ。
一方通行がベクトル操作を怠った一瞬を突かれた。
誰もプールへ落ちなかったのはただ幸運だったとしか言えない。
「くっ……オマエ、最初からこれを狙って……」
「ふっふっふ、その通りですたい。さぁ、どうする?」
「あれれ、これって結構ヤバイんじゃね?」
「えっ、でもこの人を何とかここから落とせれば……ってミサカはミサカは提案してみる」
もちろん、打ち止めの言う通り、今すぐ土御門を突き落とせば良いのだろう。
だが、それは今の状況では極めて難しい。
まず、ルール上能力で直接人に干渉するのは禁止されている。
つまりこの男をここから突き落とすには、能力なしでやる必要がある。
この男の身体能力はかなりのものだ。それは一緒に仕事をしていた一方通行も良く分かっている。
だからこそ、今のこの状況がどれ程深刻なのかも理解できた。
能力で相手に干渉できないということは、一方通行の最強の鎧と言える反射も使えないのだ。
「さーて、どうするにゃー?」
「クソッたれ……」
「み、ミサカが守る! ってミサカはミサカは……」
「いいからオマエは大人しくしてろ」
「もう、何でこんな時までミサカを蚊帳の外にしようとするのかな!! ってミサカはミサカは憤慨してみたり!!」
打ち止めにはそう言ったが、一方通行は右手をプールの中に突っ込んだまま、ただ迫りくる土御門を見ていることしかできない。
水流のベクトル操作をやめるわけにはいかない。
今もなお光弾による攻撃は続いており、少しでも止まってしまえばたちまち餌食となる。
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、まず一方通行を片付けようと歩いてくる土御門。
イカダは光弾を避けるためにかなり無茶な動きをしており、そんな中でもこうして平然と歩けるバランス感覚は凄まじい。
「おっと。悪いけど、そうはさせないよ」
土御門の前に番外個体が立ちふさがった。
一見すると、一応は仲間なのでそれ程驚くような光景でもないように思える。
だが、仲間だといっても番外個体だ。
彼女の生きがいは一方通行への嫌がらせであり、こうして直接彼を守るような行為は極めてイレギュラーなのだ。
側で見ていることしか出来ない打ち止めも、その行動に目を丸くして驚いている。
当然、番外個体のその行動の裏には理由がある。
「へぇ、何だかんだオリジナルと同じツンデレ気質なんだにゃー?」
「いやー、ぶっちゃけここで第一位が突き落とされるってのも面白そうで捨てがたいよ。
でもさ、ミサカが直接突き落とすならともかく、他人が突き落とすのを見てるってのもなんかねー。それならミサカは豊胸グッズを選ぶよ」
「豊胸グッズ? あっはっはー、クローンって言ってもお年ごろだぜい」
「使うのはミサカじゃなくて第一位だけどね」
「ぶほっ!! ぜひ写メ撮ってくれにゃー!!」
何か好き勝手に話している二人に、一方通行は額をビキビキ鳴らす。
しかし、今は海原の光弾を避ける事に集中するしかないので、黙って聞いている事しかできない。
まさかの一方通行巨乳化計画にひとしきり笑った土御門は、気を取り直して番外個体と向きあう。
両手をポキポキと鳴らして、雰囲気も戦闘モードになっている。
「まっ、悪いけどここは俺らの目的を優先させてもらうぜい。そっちの目的もすっごく面白そうだけど。
できればカミやんみたいに女の子ボコボコにするなんてのは遠慮したいところなんだけど、引いてくれるつもりはないかにゃー?」
「ないね。まぁ気にしなくていいよ。そこの第一位にも一度ボッコボコにされた上に腕までへし折られてるから」
「一方通行……」
「うるせェ、俺を見るな」
土御門は一方通行にとても残念そうな目を向けるが、一方通行は心底鬱陶しそうにするだけだ。
といっても、土御門もさほど問い詰めるつもりもなかったのか、すぐにその視線を番外個体へと戻す。
「……じゃ、そろそろいくぜい? のんびりしてる間に他のチームに抜かれるってのも嫌だしなぁ」
「オッケー。どっからでもかかっておいでよ」
「はっ、威勢のいいお嬢さんだ」
土御門の唇がニヤリと歪む。
一瞬の静寂。ただお互いを冷静に観察する二人。二人の距離は2メートルほどだ。
周りから来る海原の光弾を避けるためのイカダの派手な動きで、水しぶきも高く上がっている。
そんな水しぶきが二人の顔にもかかるが、少しも気に留めていない。それだけ集中している。
息の詰まるような状況に、打ち止めがゴクリと喉を鳴らす。
それが、合図となった。
ダンッ! という足音が鳴り響く。
先に動いたのは土御門だ。
一瞬で距離を詰め、思い切り足を踏み込む。
狙いは番外個体の足の指。
以前に上条にもやった戦法であり、ダメージを与えるよりも相手の動きを止めることを目的とした攻撃だ。
番外個体の反応は早かった。
まるで剣道経験者かのようなすり足で一瞬で後ろに下がって足への攻撃を避けると、すぐさま反撃の右フックを打ち込む。
狙いは確実に脳を揺さぶることができる顎だ。
ガッ! という音が響く。
それは番外個体の拳が土御門の顎を捉えた音ではない。
土御門は左手で相手の拳を止めていた。そして拳を掴んだまま、グイッと、自分から見て右側へ番外個体を引き倒すようにする。
番外個体の体がグラリと前のめりになる。
その隙を土御門は逃さない。彼女の拳を掴んでいる方とは逆の手、右手の手刀を、自分から見て左上から右下へ。彼女の首の後ろを狙って振り落とした。
まともに決まれば、即座に意識を落とせる一撃。よく映画なんかで見られるが、素人が見よう見まねではできない一撃が彼女へと向かう。
だが彼女にはまだ左手が空いている。
番外個体はその左手で土御門の手刀を受け止めると、足は大きく踏み出して前方へバランスを崩されていた体を支える。
これでお互いの両手は封じられた。土御門はそれでも少しも怯まずに、今度は相手の腹に膝を入れようと足を上げる。
腹では即座に戦闘不能にすることは難しいが、それでも一瞬動きを止めることくらいはできる。その隙にいくらでも強烈な一撃を叩き込めばいい。
そして次の瞬間、
バキッ!! と、番外個体の頭突きが土御門の顔面にまともに入った。
「ぐあ……ッ!!!」
彼女が使ったのは頭だった。人体の中でも屈指の硬度を持つ部位だ。
これにはさすがの土御門も、鼻血を出しながらグラリと後ろへよろける。
そこへ追い打ちをかけようと、番外個体は綺麗なフォームでハイキックを土御門の顎目がけて放つ。
まともにくらえば後遺症の心配さえある一撃だ。
しかし、そこまで思い通りにやらせてくれる程、土御門も甘くない。
彼は顎を正確に狙った蹴りを、素早く後ろへ身を引いて避ける。
そして、そのまま後ろへトントンッと軽快に跳んで、体勢を整えるために距離を取った。
土御門は手の甲で鼻血を拭いながらニヤリと笑う。
「驚いたな。ここまでできるか」
「学習装置(テスタメント)とミサカネットワークのお陰だけどね。
にしても、あなたも気絶させた上でプールに落とそうとするなんて、なかなかイイ趣味してるね」
「いやいやいや、気絶させたらそのまま放っておくさ。その後は一方通行落としてサヨナラ」
「へぇ、さすがにウチの小さな司令塔サマには手が出せないってわけ?」
「そりゃもう、俺はロリの味方だぜい!」
「おいコラ、ちぎるぞ」
「おおう、親父さんがお怒りだにゃー」
「えっと、小さい子が好きなのは悪いことじゃないと思うけど……ってミサカはミサカは疑問に思ってみたり」
純粋な心でキョトンとする打ち止め。
だが一方通行はそれについて説明するつもりはない。
打ち止めには、そんな世界なんていうのは未来永劫知る必要はないと考えているからだ。
土御門は首をコキコキと鳴らす。
どうやらこの状況は想定していなかったらしく、何か考え込んでいるようだ。
「んー、まさかクローンがここまでやるとは計算違いだったな。どうしたもんかにゃー」
「諦めれば? 人間諦めも肝心だよ」
「残念ながらそれは聞けないぜい。俺達にはどうしても手に入れなければならないものがあるからな。
……まっ、考えても仕方ないか。とにかく、ここはお前を何とかするしかないようだ」
「おっ、また来る? ミサカ、負けないよ」
番外個体は手のひらを上に向けて、クイクイと相手を挑発する。
相変わらずニヤニヤとした表情は崩さない。
土御門は足をじりじりと前へ運ぶ。
今度はどんな方法で相手を戦闘不能にしようと考えているのか。
イカダが海原の光弾を避けるために、大きく動いた。
再び土御門が動き出す。
最もバランスが取りにくいタイミングであえて飛び込んでくるあたり、どこまでも相手の意表をつく事を考えているようだ。
といっても、対する番外個体は動揺などはしていない。冷静に相手の動きを良く見て、どんな事にも対処できるように態勢を整えている。
土御門は右手を握りしめ、大きく振りかぶった。
番外個体はそれを見て目を細める。
おそらく、これがどこかのツンツン頭のヒーローだったらそのまま右ストレートを振り抜くのだろう。
だがこの男の場合、そんなバカ正直に攻撃してくるとは思えない。これはフェイクであり、他に何かをしてくると考えるのが妥当だろう。
しかし、ここで番外個体は少し悩む。
もしかしたら、そうやって他の何かを警戒させることが狙いであり、そのまま右ストレートを放ってくる可能性はないのだろうか?
ジャンケンで言えば、最初にグーを出すぞーとか言われて、色々と考えてしまうパターンだ。
そもそも、こうやって色々なことを考えて悩んでいる時点で、相手の思う壺なのかもしれない。
(……関係ないね)
番外個体はモヤモヤを振り払うかのように、軽く頭を振る。
要はどちらも警戒すればいいのだ。右手はフェイクであると考えつつ、一応注意もしておく。
これだけ大袈裟なモーションだ。おそらくそれでも対処することは可能なはずだ。
土御門が目の前までやってきた。
右手はまだ後ろに振りかぶったままであり、動くとすればこれからだ。
番外個体はただじっと、その様子を観察する。
次の瞬間、土御門の左の裏拳が番外個体の腹めがけて放たれた。
やはり、右はフェイクだった。
射程距離内に踏み込んでいるにも関わらず、右手はまだ振りかぶったままだ。
番外個体は相手の裏拳を冷静に片腕でガードし、ニヤリと笑う。
「バレバレ♪」
「いや、これでいいんだ」
ガードされた左手を軸に、土御門は体をグルンと捻って横にスピンした。
アメフトでは相手に体をぶつけてからスピンして抜く技があるが、それに近い。
また合気道の基礎である、相手に片手を取らせた上で背後へ回るといった体の転換にもどこか似ている気がする。
「えっ……!!」
さすがにそこまでは予想していなかった番外個体は、初めて動揺する。
右手はもちろん、左手もフェイクだった。狙いは相手のガードを利用して、こちらの背後へ回りこむ事だった。
彼女はすぐに次の対処を考える。背後に回りこんでから相手がやってきそうなことは。
(――首に手刀!)
すぐに首筋をガードしようと、片手を上げる。
……が、不思議なことに手刀どころか、何もこない。
「あれ?」
こんなチャンスに何もしてこないのはおかしい。
番外個体は怪訝に思いながら、後ろを振り返った。
土御門は番外個体には目も向けず、そのまま一方通行の方へ走っていた。
やられた、と瞬間的に思う。
あの動作は本当にアメフトと同じような、相手を「抜き去る」事を目的としていたのだった。
土御門の目標は番外個体ではなく、一方通行だった。
ここで一方通行を行動不能にされたら、イカダを制御する手段がなくなり、海原の魔術によって粉砕されてしまう。
「悪いな、一方通行。恨むなよ」
「………………」
番外個体が追いかけるが、とても間に合わない。
もう既に土御門は一方通行の近くまで来ており、すぐに攻撃の射程圏内に入る。
まともにぶつかっても、能力で攻撃できない一方通行に勝ち目は薄い。
その上、今はイカダを操作しなければいけないので水面から手を出す訳にはいかない。
一方通行はギリッと歯を鳴らす。
「……面倒くせェ」
「ん?」
ドガッと、再びイカダに海原の光弾が命中した。
それによってさらに面積は削り取られ、バランスが崩れた影響でグラリと危なく揺れる。
だが土御門の表情は険しい。
静かな異変を感じる。
ゴゴゴ……と、地震の前の地響きのようなものが鳴っている。
イカダも、プールの水も、ビリビリと振動している。
「面倒くせェっつったンだよ、クソッたれがァァ!!!!!」
ドバン!! と、プールの水が上空目がけて一気に吹き上がった。
まるで真下で海底火山の噴火でも起きたかのように、水が空へ立ち昇り、イカダも上空へ跳ね飛ばされる。
当然、その付近の水面も凄まじいことになっており、様々な水流がぶつかり合っている。
これではもはや流れるプールでも何でもなく、ただの嵐の再現だ。
何の能力もない者は、様々な作戦を利用して強者を追い詰める。
それならば、強者はその絶対的な力を使って、作戦ごと全てを吹き飛ばしてしまえばいい。
先程まで光弾でイカダを狙っていた海原は、水上バイクのハンドルを握りしめて歯を食いしばる。
いかに学園都市製といえども、これほどの環境にも適応できるほどの性能は持っていないらしい。
そもそも、海原は土御門と比べると運転能力自体も落ちる。
とにかく今は転覆しないようにするだけで精一杯だ。
「くっ……相変わらず無茶苦茶やってくれますね…………!!」
海原は恨めしげに上空を見上げる。
先程までイカダの上にいた四人は当然上空へ放り投げられている。
今ならイカダの方も無防備なのだが、こんな状況ではまともに狙いが定まるわけがない。
一方、上空へ投げ出された者達もまともな状況ではない。
打ち止めは勢い良く上空へ飛ばされながら、あまりに急な展開に驚きまくっている。
「きゃあああああああ!!! ってミサカはミサカは」
「うっせェ、静かにしてろ」
ガシッと、一方通行が打ち止めを抱えた。
背中には竜巻のようなものがついており、空中でも自由に動く事ができる。
水上ではあれだけ苦戦させられたが、ここならば断然にこちらの方が有利だ。
すると、そう遠くない所から番外個体の声も聞こえてきた。
こちらも同じように空中に放り出されているのだが、その表情は随分と余裕だ。
「ミサカも助けてー! こっちこっち」
「………………」
激しく気の進まない表情の一方通行。
だが、小さく舌打ちすると、打ち止めを抱えてる腕とは反対の腕で番外個体を抱える。
「さっすが第一位! ミサカを抱っこすれば乳の感触も味わえるね!」
「オマエ、もう一度ふざけた事言ったら下に投げ込むからな」
彼女の言う通り、ムギュというふくよかな感触が伝わるが、それには一切反応しない。
それを見て打ち止めが頬を膨らませるが、そっちも無視だ。
土御門はというと、そんな両手に花ならぬ両手にミサカ状態な一方通行を恨めしげに見ながら落下している。
といっても、このままではプールへドボンでゲームオーバーだ。
あいにく土御門には、一方通行のような飛行能力はない。
「海原、何とかしてくれにゃー!!」
「と言われましても……」
もっと高度が低かったら、落ちてくるのを水上バイクで受け止めるというのもありだったかもしれない。
しかし、実際は建物三階以上の高さであり、これをバイクで受け止めたらどうなるかなんていうのは小学生でも分かる。
そもそも海原の方は、荒れ狂う流れの中でバイクが引っくり返らないようにするだけで精一杯なのだ。
その時。
「番外個体!!!」
「分かってるって」
突如響く大声に、海原はそちらを振り向く。
そう遠くない上空に、一方通行が少女二人を抱えて飛んでいる。
そして少年の腕の中で、目付きの悪い方の少女がこちらに手をかざしていた。
海原は顔をしかめる。
おそらく、番外個体は電撃でバイクを破壊するつもりだ。
避けようにも、こんな荒れ狂った波の中で動けばすぐに転覆してしまう。
(魔術で迎撃するしかなさそうですね……!)
当たる可能性は高くないかもしれないが、とにかくやってみるしかない。
幸い、距離はさほどないので、かすりもしないという事はないはずだ。それで軌道が逸れてくれればいい。
海原は手をかざし、グラグラとバランスが悪い中で攻撃に備える。
バキッ! という音が鳴った。
音源は水上バイク。
海原がギョッとして見てみると、バキバキと何か小さなものがバイクから飛び出していく。
それはクギやら電気回路といった部品だ。
バイクが、“分解”されていく。
「なっ……!!」
皮肉にも自身の持つ魔術、「トラウィスカルパンテクウトリの槍」で攻撃したかのように、バイクの形が崩れ始める。
外側を繋ぎ止めるだけの部品から、中枢部分の重要なものまで、大小関係なしに次々とバイクから部品が剥がされていく。
番外個体は電撃を放つつもりなどなかった。
使ったのは磁力。
鉄釘を音速以上で飛ばす程の力を使えば、機械一つを分解するのも難しくはない。
あの手をかざした時には、もう既に攻撃が始まっていたのだ。
海原は必死に対策を考える。
しかし、相手は磁力だ。
何か物体がある攻撃で外側から攻撃されているわけではないので、そう簡単に防ぐことはできない。
もはやまともに動けないという時点で、完全に詰んでいた。
海原は苦々しく口を開く。
「初めからこれを狙っていたわけですか」
「さァな。とにかく、その忌々しいバイクを止められれば何でも良かったンだよ」
「……自分達の負け、ですね」
ついに海原は静かに目を閉じて諦めたようだ。
歯を食いしばり、プルプルと震えてひたすら耐えているその姿を見ていると、無念さが痛いくらいに伝わってくる。
「ちょっと可哀想かも……ってミサカはミサカは同情してみたり」
「………………」
一方通行はそんな海原の様子を見て少し考えこむ。
海原も土御門も、それだけこのレースで手に入れたい何かがあった。
闇に生きてきた彼らが、こうした光の世界でそれだけ欲しているものがある。
極めて珍しいことに、一方通行の中にも同情に似た感情が芽生える。
後数秒で水面に叩きつけられる土御門は叫ぶ。
その無念を、悲しみを、力いっぱいに声に出して、叫ぶ。
「あすなろ園が!!! 大勢のロリ達があああああああああ!!!!!」
ドッパーン! と。
海原と土御門がプールに落ちるのはほぼ同時だった。
勝利した……はずだ。
しかし、この場には何とも言えない微妙な空気が流れており、一方通行も二人を抱えたまま何も言わずにただ宙に浮いていた。
ドボン! という音と共に、自分達のイカダが水面に落ちていた。あれだけの落下をしたにも関わらず、ほとんど破損はないようだ。
打ち止めは不思議そうに一方通行を見上げる。
二人を抱えた状態で飛んでいるよりは、イカダに戻った方が彼にとっても楽だと思ったからだ。
だが、一方通行はとても残念な目で、土御門達が放心状態でプールに浮いているのをただ見ているだけだ。
水上バイクを分解し終えた番外個体もまた、打ち止めと同じように自分を抱えている一方通行を見上げる。
その表情は、哀れみというか同情というか、とにかく何か心配しているようである。
これは彼女が一方通行を見る表情としてはとても珍しい。
「……あなたの友達って、本当にああいうのしかいないの?」
一方通行は何も言い返すことができなかった。
***
「おい止めよう。無理だって。あれは人間じゃねえ」
「今更何言ってんのよ」
浜面達のチームは、麦野のジェットエンジンのお陰もあって、一方通行達のすぐ後ろまで来ていた。そろそろその姿を確認できる頃だ。
レースはもう四分の三以上消化しているのだが、まだまだ逆転できない距離ではない。
先程の一方通行達の戦いは、空中に浮かぶ大画面(エキシビジョン)に映されていた。
それを見た周りのライバル達は、すぐにトップを取ることを諦めたようだ。
もうすぐレースが終わるというのに、速度を落とし始めて絶対にあのチームとは関わらないようにしている。
そして浜面もそういった者達と同意見だった。
あんな怪獣大戦争的な戦いに突っ込むほど、デンジャラスな人生は望んでいない。
「じゃああのイカダ吹っ飛ばすやつやられたらどうすんだよ!
俺はともかく、滝壺にあんな高い所からプールに飛び込ませるような真似させたらあぶねえだろ!」
「大丈夫。はまづらは知らないかもしれないけど、私飛び込みには自信がある」
「嘘だよね!? そういう『ちょっとやってみよっかなー』みたいなノリでいける高さじゃないからね!?」
「うっさいわねー。アレはどうせやってこないわよ」
「何でそう言い切れるんだよ」
「じゃあ何で第一位は最初からあの大技使って水上バイクごと吹き飛ばさなかったんでしょう? はい、浜面君」
「……思い付かなかったから?」
「絹旗じゃないけど、やっぱり浜面はいつまで経っても超浜面ね」
やれやれと溜息をつきながら首を振る麦野。
アイテムに入りたての頃はこういった扱いにもいちいちムカッとしていたのだが、今ではもう慣れてしまっている。
それはそれで何だか虚しくなってくるのだが。
「まず、あの大技は出が遅い。いくらムチャクチャな能力があっても、あれだけの事をするには少し時間がかかるみたいね」
「けどそんなもん全部吹っ飛ばしちまえば関係ねえだろ」
「大アリよ。アンタさっきの戦い見てなかったわけ? あの技を出す時、アイツはイカダの制御ができないのよ。
その証拠に、直前に相手の攻撃を食らってる。たぶん周りの水流をメチャクチャに操ってるから、イカダ自体もまともに動かせなくなるんでしょ」
「……マジか」
「こっちにはむぎのが居るから、そういう隙があればすぐに沈められるよね。どっちにしろ、一回見せちゃったんだし、もうやらないと思う」
「というわけで、行くわよ」
明らかにワクワクといった感じで拳をポキポキと鳴らす麦野。
その表情を見た瞬間、浜面は説得するのは無理だと判断する。
元々、本気で止められるとは思っていなかったが、ここまで完全にスイッチが入ってしまった麦野はただ突っ走るだけだ。
***
一方通行達は相変わらずトップを進んでいる。
打ち止めは優勝を確信してソワソワとしているが、一方通行はどこか疲れているようだ。
理由としては、今までずっと能力を使いっぱなしな上に、先程の戦いで派手に暴れたからというのもあるだろう。
だが一番は、打ち止めや番外個体によって精神的に疲れさせられているというのが大きい。
番外個体は暇そうに後ろを振り返る。
「もうすぐゴール? さっきのバトルで後ろとの差は結構縮まったと思ったけどねぇ」
「ふっふっふ、それだけぶっち切りだったのだよ! ってミサカはミサカは胸を張ってみたり!」
「なンでオマエが威張ってンだよ」
「ミサカはマスコットキャラとして重要な役割を果たしてるの! ってミサカはミサカは反論してみる!」
「確かにロリがいないと第一位はやる気でないからね」
「今すぐオマエが落ちればもっとやる気が出るンだけどな」
一方通行はこうして何かで頂点に立つことに対して、特別な感情は抱かない。
というのも少年は幼い頃から高い能力と頭脳を持っていて、学園都市の頂点にいた。
だから今さら他の何かで一番になっても感動も何もないのだ。
成功者は常に向上心を持っていると言うが、少年のように本当に才能に恵まれた者には当てはまらない場合もあるのだろう。
そもそも、一方通行を「成功者」と呼べるのかはかなり疑問だが。
一方通行にとって、頂点を取るというのは大した意味を持たない。
だが、それで打ち止めが喜ぶのなら少年にとっては価値がある。
今まで誰かを苦しめることしかできなかったこんな力で、誰かを幸せにする事ができるのなら、それは今まで決して手に入らなかったものだ。
「速報、第一位がすごく気持ちの悪い顔をしてる」
「今からオマエを気持ちの悪いオブジェにしてやろォか?」
「もう、なんで最後まで喧嘩ばかりなのかなってミサカはミサカは呆れてみる」
「そりゃ、いかに一方通行に嫌がらせするのかってのがミサカの本質だし」
少しも悪びれるようすもなくそう言い放つ番外個体に、一方通行はうんざりして溜息をつく。
そもそも根っこにあるのが悪意である彼女には、何を言っても仕方がない。
そんな番外個体なのだが、例のカエル顔の医者によると、他の妹達と同じように少しずつ人間らしい変化が見えるらしい。
といっても、一方通行には何一つ変わっていないようにしか見えない。
打ち止めはそんな二人を見て一言。
「……もしかして番外個体は、好きな人に嫌がらせしたくなっちゃうっていう感じなのかな?」
グラリとイカダが不規則に揺れた。
それは一方通行の演算が乱れた結果で、まるで心の中を表しているかのようだ。
少年は急に背筋が寒くなり、全身をブルっと震わせる。
それだけ先程の打ち止めの言葉は気味の悪いものだった。
番外個体は最初は打ち止めのその言葉に、ただ意味が分からないといった表情をしていたが、一方通行の反応を見て態度を変える。
その様子は獲物を見つけた肉食動物そのものだ。決して餌を見つけた子犬のような無邪気なものではない。
だがそんな表情もすぐ引っ込める。
そして次の瞬間。
彼女は上目遣いにウルウルとした瞳という、最高に似合わない暴挙に出た。
「あのね、ミサカ、ずっと前からあなたの事が…………」
「それ以上言ったら突き落とす。その顔もやめろ今すぐ」
顔も向けずにそう言い放つ一方通行。
それだけ番外個体のその言葉は聞きたくないものであり、それを聞いてしまえばどれだけ全身に悪寒が走るか想像もつかない。
そんな頑なな少年の態度に、番外個体も表情を戻してつまらなそうに息をつく。
もちろん、これは一方通行に嫌な思いをさせるための手段であり、かなり効果的だという自信もあった。
だがこの分では、例え話しても音を反射されてしまうだろう。
女の子的には一方通行の行動にはショックを受けるのが普通なのかもしれない。
例えば、オリジナルである第三位が上条当麻にこんな反応をされたらどうするのかなんていうのは、想像するだけで恐ろしい。
しかし番外個体はそんな感情など到底持ち合わせていない。
どんなに一方通行から嫌われようと憎まれようと特に何も思わない。
といっても、完全に相手にされないというのは、少し嫌だと思ったりする。
この頃“好意”の反対が“無関心”だという言葉に少し同意できるようになってきた番外個体だ。
「ちぇー、こんな美少女に迫られて無反応とかどうよ? もしかしてそっち系?
あー、そっか、第一位は筋金入りのロリコンだっけ。ミサカくらいのサイズになると対象外ってわけだ」
「よし、もォ限界だ。オマエは捨てる――」
「はいはい、ここで代理演算放棄ってミサカはミサカは呆れてみたり」
額に青筋をピキピキと浮き立たせながら、イカダの操作そっちのけで番外個体を黙らせようとした一方通行。
しかし、数歩も歩かない内に、急に電池が切れたかのようにパタリと倒れてしまう。
原因はもちろん、再び打ち止めが代理演算を放棄したためだ。
一応少年にはまだ黒い翼という奥の手が隠されていたりもするのだが、あれはまだコントロールできる域にはなっていない。
打ち止めはその容姿に似合わず、深い深い溜息をつく。
彼女も本当ならばこんな事などしたくない。
そもそも一方通行が代理演算を必要とする様になってしまったのは、打ち止めを助けるためだ。
彼女は一方通行にはいつも元気でいてほしいと思っており、その為の代理演算は喜んで受け入れる。
だが、少々元気すぎるというのも考えものだ。
「もう、それに番外個体もあまりこの人をからかわないで! ってミサカはミサカは怒ってみたり!」
「んー、そりゃミサカの存在否定に繋がるわけで簡単には聞けないね」
「妹なら姉の言うことは聞くものなのだ! ってミサカはミサカはお姉さんらしく叱ってみる!
ていうか、もうすぐゴールなのに、何でこんな事で止まらなきゃいけないのかな! もっと協力して――」
「高位能力者ってのは、それだけ自分だけの現実(パーソナルリアリティ)が強いんだから、扱いにくいのは当然なんじゃない。
特にレベル5なんていうのは人格破綻者の集まりって言われてるしね~」
「自分の事棚上げにした上に、一方通行だけじゃなくてお姉様までディスるのはどうかと思うってミサカはミサカは説教してみたり」
といった感じに言い合いながら相変わらず無駄なことで時間を使ってしまうセロリチーム。
スペック的な面で見れば何といっても、第一位が居るので他とは一線を画していると言える。
しかし、だからぶっち切りで優勝できるというのはゲームの話であり、現実は単純なものではないらしい。
そんなわけで、一方通行の頭が冷えるまで自力で漕ぐ二人。
打ち止めは小さい体でそれはそれは一生懸命に漕いでいるのだが、番外個体の方は明らかに手抜き感が見え見えだ。
すぐにそれに対して文句を言おうと口を開く打ち止め……だったが、途中でその動きを止める。
ドドドド……という、低い振動音が聞こえてくる。
「……も、もしかして」
「おっ、いいねいいねー。なんか猛追撃食らってる感じ?」
「や、やばい!! ってミサカはミサカはすぐにこの人の代理演算を回復してみる!」
「ンぐァ!? やっと戻しやがったなクソガキ!!!」
「それより大変なのっ! ってミサカはミサカは後ろを指差してみる!!」
「あァ?」
のそっと起き上がった一方通行は、首をポキポキ鳴らしながら言われた方向を見てみる。
一つのイカダが猛スピードで迫ってきていた。
浜面仕上に滝壺理后。そして第四位の超能力者(レベル5)、麦野沈利。
麦野は手は後ろへ向けて光線を放っているのだが、体はこちらに向いていた。
とても、とても嬉しそうだ。
といっても、その表情は乙女が恋人に会うときのような微笑ましいものではない。
言うならば、ドラクエで「メタルスライム」やら「はぐれメタル」に遭遇した時のものに近い。
本人は嬉しいのだろうが、相手から見れば恐ろしい事この上ない。
一方通行は背後から迫るイカダを見て少し考える。
どうやって倒すか、ではない。
まず戦うべきか否か、についてだ。
これは邪魔なものは全て叩き潰す主義の少年からすれば珍しい。
しかし、それ相応の理由がある。
具体的に言えば、迫る戦闘狂レベル5を見て、打ち止めが恐怖で激しく震えているから、とかだ。
一方通行もなかなかぶっ飛んだところがあるので、彼女もそういうのには免疫はありそうなものだが、アレはアレでまた別らしい。
だがこのまま逃げ切るというのもリスクが大きい。
逃げに徹すると、予想外の攻撃を受けたときの対処に遅れる。
それでも一方通行ならばいくらでも対応できるのが普通なのだが、今の相手はその一瞬の遅れが命取りになる可能性が高い。
「……ちっ、何をゴチャゴチャ考えてンだか」
一方通行は小さく舌打ちをすると、ゆっくりとイカダの後方へ歩いていく。
水流の操作を止めた影響で、相変わらずスピードは落ちているのだが気にしていない。
後方の麦野達のイカダがどんどん迫ってくる。
それに対して、番外個体はただ楽しげに見ているだけだが、打ち止めはやはりかなり心配らしく、一方通行をチラチラと見る。
一方通行は打ち止めの側を通る際に、ポンッと一度彼女の頭に手を置いた。
今まで数えきれない程の人間を殺めてきたその手は。
こんな純粋な少女に対して、以前は触れることさえ躊躇われたその手は。
少女にとって、とても暖かいものだった。
一方通行はイカダの後部に立って、追ってくる麦野達と向き合う。
その距離はどんどん縮まってきている。
「覚悟しろよ、第一位ィィ!!!」
麦野達は、もう声が聞こえるくらいの距離まで来ていた。
かなりの大声で叫んだから聞こえるというのもあるだろうが。
一方通行はその言葉には特に返事もせず、ただ黙って片足をプールへ突っ込んだ。
直後、グンッとイカダのスピードが上がる。
水流操作が復活したのだ。
一方通行は触れたもののベクトルを操る。
それは何も手である必要はない。
体のどこかがその対象と接していれば、問題なく能力を使うことができる。
少年は空いている両手を広げて薄く笑う。
あくまでも学園都市最強らしい、余裕の表情で。
側に居る少女が安心できるように。
「来いよ。追い付けたら相手してやる」
「上等だ。おい、浜面!!」
「分かった分かった」
「ガキを狙えよ」
「それは断る」
見るからに関わりたくないという表情な浜面だが、大人しく麦野の指示に従う。
途中で拾ったお助けアイテム、トンデモ水鉄砲ウォーターランチャー。
浜面はそれを肩に担いで、真っ直ぐ前方を進むイカダを狙う。
正確にはイカダの上の人間。
ルール上、能力による人への直接攻撃は認められていないが、それ以外であれば問題ない。
浜面は足に力を込め、衝撃に備える。
一発目は完全に油断していたために反動で吹っ飛んでしまったが、しっかりと構えていればそんな事にはならない。
元々、アスリート並に鍛えてあるので、筋力自体に問題はないのだ。
ドンッ!! と鈍い音が響き渡った。
ウォーターランチャーから飛び出した水の槍は前方のイカダへ真っ直ぐ進んでいく。
その軌道上には、学園都市最強の能力者がいた。
槍は寸分違わずその眉間に直撃する。
「……ふざけてンのか」
バシュッと、槍が真上に逸れた。
一方通行はピクリとも動かない。
これが全てのベクトルを操作するという、最強の能力。
普段はわざわざ上に弾くなんて事をせずにそのまま反射する。
今回それをしなかったのは、能力で相手に攻撃するというルールに抵触すると思ったのだ。
しかし。
完全に攻撃をいなしたはずの一方通行の顔が歪む。
痛みが襲ったわけではない。
ベクトルの壁を越えてくる攻撃なんていうものはそうそうあるものでもない。
視線の先から相手のイカダが消えていた。
忽然と、光学操作かなんかで消えたわけではない。
理由は至って単純。
ついに相手が追い付き、隣に並んだからだ。
一方通行は目だけを動かしてそちらを見る。
番外個体はヒューと口笛を吹き、打ち止めはビクッと震える。
麦野はニヤリと笑う。
「油断したわね、第一位」
「さっきまでのが全速力じゃなかったのか。セコい真似しやがって」
「それもある。だがそれだけじゃない」
「俺がお前に向けて一発撃ったろ? アレは何もお前を仕留めるためじゃない。
最初からあんなものが効くとは思ってないからな」
「…………演算妨害、か。クソッたれ」
一方通行は違和感を覚えるべきだった。
浜面は頭が悪そうに見えて、戦闘中は機転と思い切りの良さを見せる。
そうでもしないと、無能力者が戦いの中で生きていくのは難しい。
そこら辺のチンピラと同じに考えてはいけない。
一方通行は八月の末に銃で頭を撃たれた。
魔術や幻想殺し(イマジンブレイカー)などのイレギュラーでなくても、反射を破る手段はある。
能力を使うときは、演算を行わなければならない。
頭を撃たれたときは、打ち止めの頭の中のウイルスを消すことにほぼ全ての演算能力を使っていたので、反射に使う分まで残っていなかったからだ。
もちろん、一方通行は演算能力も学園都市最高である。
どんなに無茶な能力の使い方をしても、メモリ不足なんてことはそうそう起こったりはしない。
しかし、メモリ不足にまではならずとも、精度は落ちる。
例えば、右手で2の倍数、左手で3の倍数を次々と書いていくとする。
当然、右手だけで2の倍数だけを書いていくのと比べれば、ミスの可能性は高くなる。
水流操作の方の演算にミスが起きれば、その速度に影響する。
水の槍に対するベクトル操作の演算にミスが起きれば、その軌道に影響する。
この場合、どちらに集中すべきかは言うまでもない。
ミスといっても、ほんの小さなものだ。
だが、レベル5同士の戦いではそれが命取りとなる。
「はまづらは、意外と頭が回る時もある」
「い、意外とって……」
「ちっ……」
「反射が使えなかったのも、ちょっと痛かったんじゃないかにゃーん?
ただベクトルを逆にするだけだから演算が楽だろうし」
「関係ねェな。ここでオマエらを沈めれば済む話だ」
「はっ、舐められたもんね。つーか、第一位もこんな慣れない事してどうしちゃったのかしらん?
アンタの能力ってこんなお遊戯に使うもんじゃないだろ」
「そのお遊戯に夢中になってんのはどこのどいつだよ……」
「うっさい、沈めるわよ浜面」
「まーでも、ミサカもそこのオバサンと同意見かな。やっぱ似合ってないって」
「おいそこのクローン、レース終わったら消し飛ばしてやるから覚悟しとけよ」
「……一方通行? どうしたのかなってミサカはミサカは心配してみる」
白髪のレベル5は、少しの間考え込んでいた。
麦野の言うことはもっともであり、こんな遊びに全力で能力を使うなんて事は、今までの自分では考えられないことだ。
「…………柄じゃねェのは分かってンだよ」
「あ?」
一方通行は表情を変えない。
確かに今までこの能力は、大抵人殺しにしか使っていなかった。
しかし。
だからといって。
これからもずっとそうあり続けなければいけない理由などはない。
「これは俺の能力だ。これからどう使うかは俺が決める。
正しい使い方なンざ知るか。俺が決めた使い方が正しいンだ」
それが一方通行の出した結論だった。
これから進むべき道は自分で決める。
どうあるべきかなんて関係ない、自分がどうありたいか、それが全てだ。
そして少年は、打ち止めと一緒に居たいと思っている。
それには様々な困難が待ち構えているだろうが、それでも曲げるつもりはない。
「…………あの第一位が随分と丸くなったものね」
「オマエも人の事言えねェだろォが」
「ふふ、確かにそうだね」
滝壺が小さく笑うと、麦野は顔を逸らして舌打ちをする。
何も言い返せない辺り、彼女自身もそれは良く分かっているのだろう。
まぁもしも笑ったのが浜面の方だったら問答無用にぶっ放していただろうが。
麦野は調子を取り戻すように頭を振る。
彼女自身、一方通行の言っていることは分からないでもないようだ。
だがそれはそれだ。ここで見逃す理由などにはならない。
麦野は鋭い眼光を学園都市最強へと向ける。
「おい、とにかく私はアンタが気に入らないのよ。
どんだけお涙頂戴な台詞吐いても、これからやることは変わんないわよ」
「だろォな。なら早く来いよ格下。違いを見せてやる」
「上等だ!! ぶち殺してやんよおおおおおお!!!」
「殺すのはダメだっつの」
浜面の突っ込みも虚しく、爆音が響き渡る。
怪物同士の戦いが始まった。
***
時は少し遡る。
御坂美琴は、イカダの前方に腕を組んで立っていた。
明らかに不機嫌そうにしかめっ面をしている彼女だが、その格好が花柄の可愛いフリル付きのビキニという事もあってか、どこか微笑ましい。
絹旗が見かけた「自分では敵わない相手」として挙げたのは彼女の事だ。
実はいつもの仲良し四人組は、あの後このプールで遊ぼうという話になったのだった。
そしていざ来てみると知り合いも多く、婚后湾内泡浮といったいつもの三人組にも出会い、そのまま一緒に遊ぶことに。
まぁ、このレースに参加することになったのは、他でもない美琴の願いからなのだが。
スピードは上々。女の子だけのチームなのだが、まるでムキムキの男達が集まって漕いでいるかのような速さだ。
理由としては、このチームにレベル4の空力使い(エアロハンド)が居ることが挙げられる。
ただ風を起こすだけではイカダの速さはそこまで変わらないが、途中で折り畳み式のマストセットなるものを拾ったので、今は帆が風を受けている。
順位も悪くない。トップからそう遠くない場所まで来ている。
といっても、もうゴールまで距離がない。今更大逆転というのは難しい。
前方に立つ少女は目を凝らしてトップが見えないか頑張っていたが、やがて諦めたのか溜息をついて後ろを振り返る。
「まったく、アンタがバカな事やってるから、もう追い付けないじゃないの。
相手チームを沈めるのに夢中になりすぎて、肝心のレースそっちのけとか……」
「そ、それは確かに申し訳ありませんの。でもこの婚后光子が沈めたチームの数を競おうと!」
「何を仰いますの! 元はと言えば、白井さんから言い出したのでしょう!
そうやって何でも対抗心を燃やして、ほーんと幼稚ですこと」
「どの口がそれを言いやがりますの!!」
「あーはいはい、止めなさい」
布面積が極端に小さい水着を身に付けた白井黒子と、レオタードタイプのセクシーな水着の婚后光子は顔を付き合わせて言い合っている。
元々連携の面で不安があったのは確かだが、一度は共闘した間柄でもあるので何とかなると踏んでいたのが、どうやら間違っていたようだ。
しかし二人とも、美琴の方とは連携も良かったりする。
美琴は仕方なしに肩をすくめる。
「まぁ勝負事に負けるってのは気にくわないけど、とりあえず目的のものさえ手に入ればそれでいいわ」
「それなら心配ありませんの。カエルのストラップくらい、例え最下位でもまだ残っていそうですの」
「カエルじゃなくてゲコ太!」
美琴の目的は案の定ゲコ太だった。
彼女を崇拝する白井だが、この趣味だけはどうしても理解できそうもない。
そしてそこに関しては婚后も同じで、珍しく二人の意見が合っていた。
それでも協力してくれる辺り、二人とも美琴にとって良い友人だと言える。
常盤台のお嬢様三人でストラップを狙うというのは何ともシュールな感じがする。
現に、佐天なんかは「このチームならもっと良いもの狙えるのに! 温泉旅行とか!」などと言っていた。
しかし考えてみれば、お嬢様だからこそお金では買えないものを求めるのかもしれない。
「……でも、二人ともありがとね。こんな危ないレースに付き合ってくれて」
「ふふ、このくらい友人として当然ですわ! それにわたくしに関して心配は無用ですのよ。
この婚后光子、そうそう他の方に遅れを取るなどということはありませんわ!」
「婚后さん……後で何かお礼するわ。黒子もね」
「ぐへへ……では、ストラップを手にした暁には、お姉様から熱いベーゼを…………」
「調子に乗んな!!」
相変わらずブレない白井に美琴のゲンコツが炸裂した。
婚后はそれを見ても特に何か反応したりはしない。
初春や佐天と同じく、もうこの光景には慣れてしまったのだ。
呆れ顔の婚后は、ふと何かを思い出したように口を開く。
視線は上空に浮かぶ大画面(エキシビジョン)を捉えている。
「そういえば、御坂さんのご姉妹の方のチームはまだトップですわね。
さすが、ご姉妹だけあって素晴らしい能力を有しているのですね」
「はっ、そうですのお姉様! お姉様にあのような麗しいご姉妹がいらっしゃるなど、黒子は知りませんでしたわ!
この機会にぜひともお近づきに……」
「えーと……あの子達って結構人見知りだったりするのよね……」
「えっ、その割には一緒に居た殿方は恐ろしい風貌でしたが……」
トップの様子は大画面(エキシビジョン)によって中継される。つまり一方通行達のことは美琴達にも伝わっていた。
そして当然、美琴の小学生バージョンと高校生バージョンの様な容姿をした少女達を見て、二人が何も反応しないわけがなかった。
白井はそれを知って冷静でいられるはずがない。
婚后の方は美琴に妹がいることは知っていたのだが、まさかもっと小さい妹や姉まで居るとは思わなかったようだ。
美琴は面倒くさそうにガシガシと頭をかく。
(だー、まったく! 何考えてんのよ一方通行のやつ! ごまかす私の身にも……)
そんな事を思いながら忌々しそうに画面を見る美琴。
そこに映る番外個体や打ち止めはとても楽しそうだ。番外個体の方は相変わらず何か悪い事を考えている表情だが。
美琴は少しの間、呆気にとられたようにただそれを見つめる。
一時期、打ち止めが一方通行になついているのが信じられなかった。
いくら考えを改め妹達(シスターズ)を守っていく道を選んだのだとしても、あれだけの事をしたのだ。そう簡単に許せるような事ではないはずだ。
しかし彼女達の笑顔を見ていると、そんな事はどうでも良くなってしまった。
確かにまだ自分は一方通行を許すことなんてできない。
だがそれを、あんな笑顔を浮かべている妹達にまで強要する必要はないだろう。
(――――まぁ、私も一応姉だし、妹が楽しそうならそれでいっか)
美琴の口元には小さな笑みが浮かんでいた。
視線を画面から外し、とりあえず自分達の事に集中しようとする、が。
「……あら?」
白井のキョトンとした声と同じタイミングで、プールサイドで画面を見ていた者達がざわざわとし始める。
一位のチームに何か動きが起きたようだ。
美琴はすぐに画面へと視線を戻した。
一方通行の実力は悔しいが認めざるを得ない。妹達が怪我をするようなことはないはずだ。
それでも、心配なものは仕方ない。それが家族というものだろう。
程なくして、爆音が鳴り響いた。
音源は、今まさに眺めている大画面からだった。
***
学生のケンカと言うと、どんな想像をするだろうか。
大抵は素手での殴り合い、不良なんかだと鉄パイプやナイフのような武器も加わるかもしれない。
学園都市の能力者同士のケンカも、形式上は学生のケンカといっても問題はない。
例え炎や電気が飛び交うようなものでも、その中心に立つ当人達が学生であれば、そこに間違いはないはずだ。
外の人間は首をひねる。
進みすぎた科学というのは、その外にいる人間からすると、もはや魔法のようなファンタジーなものにも見える。
だが、そこはただ一言。「学園都市だから仕方ない」で済ませてしまう。
これは自分達が遅れているだけであり、あれが「未来の学生のケンカ」なのだと。
学園都市の能力者の中には、超能力者(レベル5)という最高位の能力者が七人いる。
彼らのケンカは、時折地表を抉って地図を書き換え、軍隊一つをまるごと叩き潰して戦況をひっくり返す。
外の人間は再び首をひねる。
あれも「学園都市だから仕方ない」のかもしれない。「未来の学生のケンカ」の一つなのかもしれない。
そうやって今度も納得と言う名の思考停止を行おうとする者は、ふと思う。
そもそもあれは「人間」と呼んで良いのだろうか?
水面が激しくうねり、波が高く上がる。
別にリヴァイアサンやらポセイドンやらが大暴れしているわけではない。
二人の超能力者(レベル5)。それぞれの能力のぶつかり合いの余波にすぎない。
飛び交うは純白の光線に何本もの水の腕、水の槍。
お互いのイカダは通常では考えられない様な速さで小刻みな動きを繰り返し、必要最低限の動作でそれぞれの攻撃をかわす。
といっても、やはりお互いに違いは出てくる。
水流を操っている一方通行と比べて、原子崩し(メルトダウナー)の推進力を利用した力技の麦野の方が精度的な面で若干劣る。
それでも、光線の威力と量を調整して無駄な動きを最小限に抑えている辺り、流石と言うべきだろう。
怪物同士の戦いのど真ん中に放り込まれたレベル0の浜面仕上は座り込み、恋人である滝壺理后を支えていた。
「くっそ……おい麦野! もうちょい穏やかに動かせないのかよ!
向こうはあんな小さな子でも平気そうな顔して立ってるじゃねえか」
「うっさいわね。私がそういう細かい調整が苦手だっての知ってんでしょうが。
どうせあっちは、風の流れとかも操作してバランス取ってんでしょ」
「はまづら、そこまで心配しなくても私は大丈夫だよ」
「んな事言われても……」
「おいイチャつくなバカップル」
麦野は忌々しげに舌打ちをする。
心なしか、光線の威力も上がっているような気もする。
当然、そんな状態の彼女は何をやらかすか分かったものではないので、浜面が弁解のために口を開こうとする、が。
「……あれ? あの目付き悪い子はどこ行った?」
相手のイカダから、番外個体が忽然と消えていた。
今まで気が付かなかったのは、攻撃の応酬によって水しぶきが凄まじく、相手の事も良く見えない状態だからだ。
麦野は怪訝そうな表情を浮かべる。
「……落ちたか? いや、ガキが立っていられるのに、それはおかしいわね」
「後ろに居る」
「ッ!?」
浜面が慌てて振り向く前に、ドンッとイカダが不規則に揺れる。
番外個体が、こちらのイカダに乗り込んでいた。
しかも本人だけではなく、土御門たちが使っていた水上バイクもセットだった。
「ハロー☆」
「なっ……!」
「あー、これ? 分解した順番とか覚えてれば直せるもんだぜ。ミサカ、結構ハイスペックでしょ?
それともここまで来れた理由が聞きたいとか? まぁただ水しぶきとかに紛れて後ろからこっそり近づいただけなんだけどさ」
「滝壺、下がってろ!」
浜面は慎重にバランスを取りながら立ち上がる。
滝壺は戦わせられない。麦野は一方通行の攻撃をかわすので精一杯だ。
自分が戦うしかない事は分かっていた。
浜面はウォーターランチャーを捨てる。
ガゴン! と重々しい音を立てて、それはイカダの上を転がる。
「おー、女守ってカッコイイねー。ミサカ、惚れちゃいそうだよ世紀末帝王」
「そりゃどうも。けど、そういう事言うと滝壺が怖いことになるからやめてくれ」
ジリジリと、間合いを取る浜面。
喉がカラカラに乾き、ゴクリと生唾を飲み込む。
番外個体と金髪グラサンの男の戦い方はモニターで見ていた。
だから、分かる。
まともな肉弾戦では、まず勝てない。
浜面も、能力者に対抗するためにアスリート並に鍛えている。
しかし彼女の前では、そんなものは少しかじった程度でプロに挑むのと等しい。
それだけの差を感じた。
現に、浜面は知らないが番外個体にはミサカネットワークを通じて、第一位との一万通り以上の戦闘の「経験」がある。
浜面がどう足掻いても、そんな差を埋める事はできない。
だが、引くわけにはいかない。
後ろには大切な恋人、そして仲間がいるのだから。
(ちくしょう!! やってやるよ!!!)
ダンッと、一気に目の前の相手へ向かって進んでいく浜面。
ところが運の悪いことに、それは麦野が一方通行の水の腕をかわしたタイミングとピッタリ合ってしまった。
急激なイカダの動きに、浜面はたまらずよろめく。
水しぶきがまるで雨のように降ってくる。
番外個体はその隙を見逃さなかった。
ニヤリと悪そうに笑うと、今度は自分から浜面の方へ突っ込んでいく。
拳は固く握られている。
バキッ!! と、番外個体の右ストレートが浜面の顎を捉えた。
「がっ……!!」
浜面は脳を揺さぶられるような感覚によろけながらも、反撃の一撃を放つ。
しかし、当たらない。
どんなに腕を振り回しても、どんなに足を振り回しても。
その一つも彼女に当たることはない。
妹達(シスターズ)の相手は、触れられただけで即死させられるような者だった。
そんな相手と比べれば、人間的な制約の元でしか動けない者の攻撃などは攻撃と呼ぶにも値しない。
「う、ウソだろ……ッ!!」
「遅い遅い☆ 本気でミサカに攻撃を当てたいなら、その三倍くらい速くないと」
浜面の攻撃は届かない代わりに、番外個体の攻撃は容赦なく浜面を捉える。
拳や肘、足や膝が体の至る所にめり込み、骨や臓器が悲鳴を上げる。
文字通り、フルボッコだった。
「ごふっ……がぁぁ!!!」
「はまづら!」
「ぐっ、来るな滝壺!!」
「くっくっくっ!! さぁどうするお嬢さん。
もし、その身をプールへ投げ込むのならば、この男は見逃してやらないでもないよん」
「ノリノリかお前!! つか滝壺も真面目に考えてんじゃねえ!!」
もちろん、一方通行の無茶な水流操作によってプールの流れはメチャクチャになっており、こんな所に飛び込むのはまさに自殺行為に等しい。
一応はプールサイドに救助係は待機しているのだが、この状況にも対処できるかどうかは保障できない。
「下がれ浜面!!!」
突然、麦野が大声をあげた。
反射的に、浜面は後ろへ飛ぶ。
原子崩し(メルトダウナー)が炸裂する。
次の瞬間、浜面と番外個体を分けるように、イカダが割れた。
「いっ!?」
何のためらいもなかった。
ただ招かれざる客を分断するためだけに、命綱とも言えるイカダの一部を犠牲にする。
こういった時の思い切りの良さは、さすが麦野といった所か。
グラリと、イカダのバランスが崩れ、これまでで一番の揺れが起きる。
浜面は片膝をついて、なんとか耐える。
それよりも、滝壺だ。
浜面はすぐに後ろを振り向き、恋人の安否を確認する。
滝壺のことは麦野が抱えていた。
この状況で人一人抱えながらバランスを取り、かつ第一位からの攻撃に対処している辺り、やはり人間離れしている。
「おいおい、自分のイカダなのに豪快にやるね」
さすが学園都市製というべきか、小さく切り離されたにも関わらず、イカダは番外個体を乗せていても沈むことはなかった。
しかし、いつまでもそんなものに乗っているリスクを負う必要はない。
彼女はすぐに水上バイクに乗り込むと、再び相手のイカダに飛び乗ろうと近づいてくる。
浜面はすぐにそこら辺に転がっていたウォーターランチャーを手に取る。
水の装填は十分だ。
「食らいやがれ!!!」
ドンッ!! という鈍い音と共に巨大な水の槍が射出された。
今までの経験のおかげか、浜面の狙撃はなかなかの命中精度を持っており、それは猛スピードで水上バイクへ向かっていく。
番外個体が驚いて目を見開くが、もう遅い。
ズガン!! と、水上バイクはバラバラに吹き飛ばされた。
もちろん、乗っていた番外個体も無事で済むわけはない。
そのまま跳ね飛ばされるように、空中へ投げ出される。
だが、番外個体はレベル4だ。
「なっ!?」
彼女は落ちない。いや、浮いていた。
そして次の瞬間、ビュン! と風を切って一方通行のイカダへと飛んでいく。
浜面は最初、何が起きているのか理解できなかった。
だが少し考えて、気付く。
磁力だ。
バラバラになった水上バイクと自分との反発力、斥力を使って、空中を飛んでいる。
それによって、水上バイクはどんどん水中深くへ沈んでいくが、それでも人一人を飛ばせるほどの磁力を彼女は操れる。
「くそっ!」
今の番外個体はいい的なのだが、ウォーターランチャーは一発ずつしか撃てない。
そして今から装填しても間に合いそうにもない。
そうこうしている内に、番外個体は一方通行のイカダへと着地した。
「あっぶなー。ミサカ、ちょーっとだけヒヤッとしちゃったよ」
「別に落ちても構わなかったけどな」
「うわー、さすが第一位。助ける気も微塵もなかったしねぇ。ロリじゃないからか」
「ふふん、一方通行はミサカのことは一生懸命守ってくれるもんね! ってミサカはミサカは微笑みかけてみたり」
ビキビキと青筋を立てまくっている一方通行だが、今集中を切らす訳にはいかない。相手はレベル5だ。
そして今回ばかりは番外個体も深く突っ込んでこないで、他の事に集中していた。
これは彼女に関しては極めて珍しいが、やはりその先にあるのは「一方通行に豊胸器具を使う」という目的だ。
番外個体は腕を軽く横へ振った。
浜面は目を細める。
高位能力者の行動は、どんな小さなものでも絶大な変化を生み出すこともありえる。
「下から何か来る!」
声を上げたのは滝壺だった。
それを受けた麦野は急いで光線を放ち、イカダをスライドさせる。
次の瞬間、無数の小さな塊が水中から上空目がけて連続的に発射された。
元々はこのイカダを真下から撃ち抜くつもりだったのだろう。
直前の滝壺の反応があったので、最悪の事態にはならなかったが、それでもイカダにはいくつか風穴が開いてしまった。
飛んでいったものを良く見てみると、それはどうやら先程の水上バイクの部品のようだ。
おそらく番外個体の磁力で打ち出されたのだろう。今は上空にフワフワと浮いている。
「おい、やばいぞ麦野!!!」
「分かってる!!」
ドドドドド!!! と、部品が雨のように降り注いだ。
その一発一発が明らかに人体をも撃ちぬく威力であり、まともに受ければイカダも木っ端微塵になるだろう。
麦野は手を上にかざす。
出てきたのは白く発光する巨大なシールド。
いつものビームを、そのまま守りに回したイメージだ。
バシュッ!! と、降り注いできた部品全てがシールドに直撃し、消滅した。
「やっと隙見せやがったな第四位」
「ッ!!」
声の主は一方通行。
これまで、彼の攻撃は全て麦野がかわしていた。
しかし、今この瞬間は集中を番外個体の攻撃の方に移す必要があった。
結果。
ガクン、と突然イカダが全く動かなくなった。
一方通行が張り巡らせた水流の網に引っかかったのだ。
そして当然これで終わるわけはない。
水面から無数に伸びる水の腕がイカダを破壊しようと伸びてくる。
「ナメんな第一位ィィいいいいいい!!!!!」
ゴッ!!! と何本もの白い光線が水の腕を迎撃する。
光線に貫かれた腕は、即座に弾けていく。
だが、こちらの動きが封じられているのは変わらないので、不利であることは変わらない。
相手にとっては、この隙に距離を開けて先にゴールしてしまうというのも勝利方法の一つなのだ。
攻撃に対処するだけでは足りない。
「能力『一方通行(アクセラレータ)』のAIM拡散力場を補足」
「滝壺?」
滝壺理后はプールの水に手を突っ込んでいた。
こんな状況では危なすぎるので、浜面はすぐに止めようとする。
しかし、その前に変化が起きた。
「……あ?」
今度は一方通行達のイカダのほうが行動不能になった。
一方通行は怪訝な声を出す。
これには打ち止めだけではなく、番外個体も驚いて一方通行の方を見ていた。
全身を襲う気味の悪い感覚によって、原因は割とすぐに分かった。
(あの女……AIM系統の能力者、しかも俺の能力に干渉できるレベルか)
張り巡らせた水流の網からAIM拡散力場を掌握、そのまま糸を辿るように一方通行の能力を乗っ取る。
おそらく理論上は、わざわざ水を通さなくても、辺り一帯に撒き散らされているAIM拡散力場から能力を乗っ取るということも可能なのだろう。
だが、それにはかなりの時間を要する。第一位相手ならばなおさらだ。
だから能力を伝わせている『媒体』を通して、相手にリンクすることで、速効性の高い乗っ取りを実現させる。
とはいえ、いくらAIM系統の能力者だと言えども、第一位の能力を乗っ取るなんて言う芸当ができるのは滝壺くらいだろう。
ガクッと、イカダの自由が奪われる。
それは先程の麦野達の状況と不気味なくらいに似通っていた。
おそらく同じ方式で水流を操っている影響か。
対処法はすぐに思いついた。
とりあえず水への能力干渉をやめれば、滝壺とのリンクが切れて、この水流による拘束は解かれるはずだ。
しかし、その前に。
滝壺のお陰で麦野達は自由になっていた。
麦野は凶悪な笑みを浮かべる。
「オラ、いくぞ第一位!!!」
カッと、いくつもの光が瞬く。
原子崩し(メルトダウナー)の連射が襲いかかってきた。
まずい、と一方通行は小さく舌打ちをする。
即座にプールに突っ込んでいた足を出して、水への能力干渉を切る。
イカダの自由が戻ってきた。
だが、遅い。
光線はもうすぐそこにまで迫ってきており、今から再びイカダを操縦しても間に合わない。
それに一方通行の能力は、自分以外の何かを守る事に対しては良くできているとは言えない。
(クソッたれ……!!)
ズガガガガガ!! と、一方通行達のイカダが次々に撃ち抜かれた。
ところが、木っ端微塵という惨事にはならない。
撃ち抜かれたのは、どれもイカダの外周部付近。
中心部はほとんど無傷であり、結果的に見ればただ面積が小さくなっただけだった。
「お、おい麦野! あれじゃ沈まねえだろ!」
「私が狙いをミスったわけじゃないわよ。そういや、アイツって第三位のクローンだったか」
「へ?」
「やーい、オバサン。あんなもん、当たらなきゃ意味ないよねぇ」
番外個体がニヤリと笑う。
麦野の原子崩し(メルトダウナー)は逸れたのではない、逸らされたのだ。
麦野の能力も、根っこは電子の操作、つまり電撃使い(エレクトロマスター)と似たところにある。
実際、美琴と対峙した際も、彼女には光線を逸らされている。
つまり、彼女のクローンも同じことができる可能性は大いにある。
といっても、オリジナルとクローンではそのスペックに大きな開きがある。
普通の個体ならば、そんな芸当はできないはずだ。
しかし、番外個体はレベル4だ。
出力も二億ボルトほどあり、オリジナルほどではないが、強力であることには変わりない。
光線の軌道を逸らして、完全にイカダを守ることは出来ないまでも、致命傷になりうる中心部への被弾を避ける事くらいはできる。
「……にしても、案外使えないねえ第一位」
「うるせェ黙れ」
「まぁミサカの妹なんだし、これくらいできて当然だね! ってミサカはミサカは評価してみたり!」
「戦闘パートになると完全に空気になる上位個体ってどうなの? 存在価値あるの?」
「うるさいうるさいうるさーい!! ってミサカはミサカはジタバタしてみる!! ってきゃああああ!!!」
打ち止めの言葉が途中から悲鳴に変わったのは、白い光線がすぐ近くの水面に着弾し、イカダが大きく揺れたからだ。
一度防がれたからといって、麦野は手を緩める素振りも見せず、なおも何発も攻撃を放つ。
「大人しくしてろクソガキ!」
「ねぇ、一方通行。一瞬でいいからさ、ビュン! ってスピード上げられる?」
「あ? オマエ何考えてやがる」
「いいからいいから♪」
何やらニヤニヤと悪そうなことを考えている番外個体に、一方通行はただ舌打ちだけする。
彼女がこういった表情をしているのを見ると、嫌な予感しかしない。
だが、今は番外個体もレース優勝を目指している。
もしかしたら、この微妙な状況を打開できる一手を思いついた、というのもありえる。
一方、麦野達は麦野達の方で何かを企んでいるようだ。
「滝壺、まだ? もうすぐゴールも見えてくるわよ」
「もうすぐ……たぶんゴール前には間に合う」
「何やってるんだ?」
「第一位の能力の乗っ取り。今度はAIM拡散力場そのものからね。
これならもう逃げられないわよ」
「そんな事できんのか!?」
「時間をかければ、ね。そもそも、準備はアイツらに近づいてからずっと進めてんのよ。
だから、あまり滝壺に話しかけ過ぎないように」
「えっ、俺全然知らなかったぞ!」
「そりゃ、アンタに言うと、どっかで向こうにバレたりするかもしれないじゃない。アンタバカだし」
「ひ、ひでえ言われようだ……」
能力の乗っ取りに成功すれば、戦況は浜面達へと大きく傾く。
つまり、このまま膠着状態でいれば、一見リードしている一方通行達にとって有利だと思われるのだが、実際は全くの逆だったりもする。
だが麦野は警戒を怠らない。
相手は第一位だ。どこで何をやってくるかは全く予想できない。
最後のアーチ状の橋が近づいてきた。
あれの下をくぐれば、あとはゴールまでわずかだ。
その時。
「今だよ第一位!」
番外個体のそんな声とともに、一方通行達のイカダが急激に速度を上げた。
それは相手からの攻撃に対する警戒、及び自分達の安全を無視したものだ。
イカダに乗っている者達も、番外個体は珍しくしゃがみ込んでバランスを取っており、一方通行は打ち止めを抱えている。
(このタイミングで何を……)
麦野はすぐさま光線を放つ。
狙いはイカダではない、その近くの水面だ。
今相手は、水流操作を全て前への速度に当てている。
その為、外からの急激な変化には極端に弱いはずであり、上手くいけばバランスを崩してそのまま転覆してくれる事も見込める。
だが、麦野は目を細めて腑に落ちない表情を浮かべる。
ここでリスクを負う必要はあるのだろうか。
確かにこうやってピッタリとくっつかれたままゴールまでいくのは良い気分はしないはずだが、それでも勝っていることに変わりはない。
滝壺の能力の乗っ取りに気付いたという可能性もあるが、それでもこんな短絡的な行動を起こすだろうか。
麦野の放った白い光線は、狙い通りにイカダのすぐ近くの水面に着弾し、大きな波を生み出す。
しかし、それが一方通行達の事を脅かすことはなかった。
その時には既に相手のイカダは元の速さに戻っており、制御面での精度も上がっていたからだ。
「一体何がした――」
麦野がそう言いかけた時。
ゴゴゴゴゴ!! と不吉な地鳴りに似たような音が聞こえる。
だが、音源は上だ。
橋が、崩壊していた。
一方通行達は先程の加速で、すでに橋の下をくぐって向こう側にいる。
しかし、麦野達はまだその前にいた。
浜面は目を見開く。
「お、おいおいおいおいおいいいいいいいい!!!!!」
ドバァァァァァァ!!!!! と、麦野達のイカダの前方で橋が落ち、水面が激しくうねる。
イカダなんていうのはすぐに転覆してしまいそうだが、そこは麦野が何とかバランスをとっている。
それでも凄まじい揺れである事には変わりなく、さすがの麦野も膝をついており、浜面も滝壺を抱えている。
能力によってこの荒波を起こしているのならば滝壺が何とかできたかもしれないが、これはあくまで二次的な被害にすぎない。
橋を崩したのは番外個体だ。
磁力によって重要な留め具などを全て外し、崩壊させたのだ。
一方通行達はゴールへと突き進む。
崩れゆく橋を背に、前方にはもうそれが見えていた。
麦野達はもう追ってくることはできない。というよりも、あの惨状ではもう誰も追ってくることはできない。
番外個体は両手を横へ広げ、天に向かって笑う。
「あははははは!! ミサカの勝ちー!!!」
「むっ、ミサカ”達”の間違いだよ! ってミサカはミサカは訂正してみたり」
「最後までうるせェなオマエら――」
その時だった。
ビュン! という風切り音と共に、一つのイカダが自分達を追い抜いていった。
一瞬、一方通行の視界の端に映ったのは光の翼だった。
しかも水面にいるわけではない。それは約一メートル程の上空を飛んでいた。
あれならば、後ろの大波の影響も受けないだろう。
一方通行にはあの翼に見覚えがあった。
ロシアの雪原、そこで成り行きで共闘することになった女の能力ではないのか。
そして、イカダの上に乗っている男。
黒いツンツン頭のあの少年は。
「うげっ!! ちょ、ここに来て抜かれるとか!! 何やってんだよ第一位!!」
「速く速く速くー!!! ってミサカはミサカはあなたの頭を掴んでみる!!」
「何しやがるクソガキ!! 言われなくても分かってンだよ!!!」
水面から何本もの水の腕が伸び、一斉に前方を飛んでいるイカダに襲いかかる。
だが、それらは光の翼、そして得体のしれない右手によって全てかき消されてしまう。
相手は何も反撃をしてこない。
もうゴールは目の前なのだ、ここで相手を潰すことを優先する事はしないだろう。
(いや、そもそも――)
一方通行は何かを考え、舌打ちをする。
ゴールはもう目の前だ。これではいくら学園都市最強の能力を持っていても、どうやっても間に合わない。
***
上条達の作戦は、とにかく無駄に戦わない事だった。
前で戦闘が起きているのなら、その後ろでひたすら隙を伺う。
そして、極力気付かれないように、その両者を後ろから抜き去る。
もちろんいつも気付かれないなんてことはなく、抜かれたと認識できた者もいたはずだ。
しかし、彼らにとっては今まさに目の前で戦っている相手が最優先であるので、そこまで執拗な追撃はしてこない。
狙われた時は、とにかく逃げに徹する。
水面を激しく攻撃して目くらましなどを利用して姿をくらましたりもした。
風斬氷華の能力は凄まじい。
だが、あくまでそれは風斬一人だけだ。
上条もインデックスも、実際は殆ど戦力にならないので、持久戦になると圧倒的にこちらが不利なのだ。
あまり目立ってしまうと、他のチームから集中攻撃を食らう。
高位能力者なんかは、風斬の力への対策も練ってくる。
だから、目立つわけにはいかなかった。
ギリギリまで大人しく隠れており、ここぞという場面で全力を出す。
そういう作戦だった。
「やった! 一位なんだよとうま!」
「おう、作戦通りだな! これも風斬のお陰だよ!」
「い、いえ、私はそんな……」
ゴールはもうすぐそこだ。
さすがにここまで来れば、一方通行達でもどうしようもない。
高級レストラン一日食べ放題券は自分達のものだ。
これでインデックスを喜ばせることができる。
おそらくレストラン側からすれば、これまでにない巨大なダメージを受けることになるだろうが、そこは合掌してやるしかない。
だが、ここでふと疑問に思う。
わたくしこと上条当麻は不幸な人間だ。
特売品を手に入れたと思えば何かの拍子にダメにしてしまい、商店街のくじ引きなんかは、まず券をどこかへ無くしてしまう。
こんなにも全てが上手くいき、望みのものを手に入れるのは出来過ぎではないか?
その答えはすぐに出た。
「ちょろーっといいかしら」
背筋が凍った。
その声は確かに聞き覚えがある。
しかも、なんかバチバチという音まで聞こえる。
恐る恐る振り向いてみると、やはり――――。
「み、御坂さん……」
「ハロー、偶然ね。ほんと偶然」
「短髪! どうやってここまで……」
「わたくしがテレポートしましたの」
美琴は上条達のイカダの上に堂々と立って居た。
顔は一応は笑っているのだが、バチバチいってる所を見ると、どう考えてもキレている。
そして美琴の隣に居るのはレベル4の空間移動能力者(テレポーター)、白井黒子。
彼女を見た瞬間から、上条はどうせそんな所だろう、と予想はしていた。
風斬氷華も、突然現れた美琴に目を丸くして驚いていた。
「あっ、さっきの……」
「こんにちは、数時間ぶりですね。ごめんなさい、このバカが色々ふざけたことやって」
「い、いやいやいや! 何もやってねえじゃねえか!」
「どうせアンタの事だし、何かの拍子にこの子の胸触ったりとかしてんでしょ。
そりゃアンタだしねー。ないわけがないわよねー。アンタ巨乳好きだしねー」
「何ですかその不名誉な評価は……つか、テレポートは禁止なんじゃねえのか?」
「禁止されているのはイカダのテレポートなんだよ。人のテレポートは認められてる。
まぁ、『能力で人を攻撃してはいけない』っていうルールがあるから、相手には使えないけど」
インデックスが言うのならそうなんだろうな、と上条は納得する。
彼女はレースの前にルールブックを一通り読んでいるので、完全記憶能力から間違いはない。
「ていうか、女の子二人連れてプールとか……良いご身分ねホント」
「あわよくば何かを起こそうなどと思っていませんこと? ジャッジメントとして、それは見過ごせないですわよ?」
「んなわけあるか!! つか何でそんなに突っかかってくんだよ……」
「うん! 私達がどこで遊ぼうと、短髪には関係ないかも!!」
ビキリと、美琴の額に青筋が浮き立つ。
それに恐怖した上条は、思わず「ひぃ!」と数歩後ろに下がる。
「……えぇ、そうですとも。べ・つ・に!! アンタが!!! どこの誰とプールに行っても文句はないけど!!!!!」
「お姉様、それは文句のない者の顔ではないですの……」
「でもさ、今はレース中よね? 別にここで私がアンタ達の優勝を阻むために、何をしたっていいわけよねぇ……?」
「待て、そのバチバチはまずい。ほら御坂さん、ルールに『能力で人を攻撃してはいけない』ってありますし」
「えー、おかしいなー、何だか抑え切れないわ。この場合仕方ないわよねぇ?」
「仕方なくねえよ!! ちょ、本気ですか!?」
「お、お姉様? さすがにそれは……」
上条の言葉を待たずに。
白井の制止を受けずに。
イカダの上で、激しい放電がぶちまけられた。
***
『ゴール!!!!! 優勝は「セロリチーム」です!!!』
数秒後、一方通行達は無事トップでゴールに辿り着いた。
打ち止めはもちろん大喜びであり、番外個体も珍しく満足気だ。
周りの観客もありったけの歓声を送っている。
まぁあれだけの派手な戦いを見れたのだ、端から見てる者からすれば最高のエンターテイメントになっただろう。
少し遅れて麦野達もゴールした。
浜面や滝壺は見るからに疲れており、ぐったりとしている。まぁ滝壺はいつもそんな感じだが。
それでも麦野は元気いっぱいに、何やら一方通行に喧嘩腰で話しかけてきたが、レースが終わってまで余計な体力を使いたくないので聞き流した。
その後も様々なチームがゴールする。
やはり潰し合いでかなりの数が脱落しており、まともにゴールできたのは全体の一割にも満たないようだ。
これは作戦的には、早くゴールするよりも安全に行ったほうがいいのかもしれない。
「……にしても」
一方通行は後ろを振り返る。
ゴール前数メートル。
最後の最後で自分達を追い抜いたイカダは見事に粉々になっており、バチバチと青白い光を放っているレベル5が水の中で暴れている。
ロシアで会った気弱そうなメガネの少女は、いつもの銀髪シスターを抱えて避難している。初めて見るツインテールの少女は、黒焦げになって水面にプカプカ浮いていた。
そんな惨状に、このイベントのスタッフもすっかり困り果てているようだった。いくら運営側でも、レベル5が大暴れしているとなると、簡単に収拾をつける事などできないのだろう。
そして黒髪ツンツン頭の少年はというと、「不幸だああああああああ!!!」などと叫びながら、必死に第三位の少女から泳いで逃げていた。
「何やってンだ、アイツら」
一方通行の言葉は、ただ虚しく空中に漂った。
今回はここまで!
毎度毎度遅れてごめんね、切る所に迷ったわ……
ていうかこれ完全に上インSSじゃないね、うん
「賞品はいかがなさいますか?」
「一番たけェのを」
「ちょ、ちょーっと待ったああああああ!! ってミサカはミサカは制止してみたり!!」
「何勝手に一人で決めてんのさ!!!」
優勝した一方通行のチームは、一番先に商品を選ぶ権利を持っている。
つまり、今ならどんなものでも手に入るのだが、何やら揉めているようだ。
「あァ?」
「ミサカは豊胸器具が欲しいの! ってミサカはミサカは地団駄を踏んでみたり!!」
「そうだよ! っていうか、MVPはミサカじゃね? つまりミサカに全部選ぶ権利があるはず!!」
「おい打ち止め」
何やら真面目な様子の一方通行。
こうして打ち止めの名前をまともに呼ぶのも実は結構珍しく、彼女も何事かと首を傾げる。
「……ガキの頃からそォいうの使ってると成長しねェンだぞ?」
「えっ!?」
「本当のことだ。まァ、それでもいいってンなら俺は止めねェがなァ」
「み、ミサカはミサカは……!!」
衝撃の事実に、打ち止めは顔を真っ青にする。
といっても、一方通行が少女の胸の成長について知っているわけがない。
てきとーにそれっぽい事を言っているだけなのだが、どうやら彼女はすっかり信じこんでしまったようだ。
番外個体は、何やら雲行きが怪しくなっているのを感じ、慌てて口を開く。
「待った待った! この人がそんな事知ってるわけないじゃん!」
「打ち止め、こいつの言うことを信じると痛い目見るぞ」
「はぁ!? 何言って……」
「……むぅ」
打ち止めは番外個体に疑惑の目を向けている。
一方通行も番外個体も、決して打ち止めに対してウソを言えないとは決して言えないような相手だ。
しかし、総合的に見ればからかってくることが多いのは番外個体の方で、信用もない。
「分かった、ってミサカはミサカはあなたを信じてみる」
「利口だな。そンじゃ、多数決で決まりだなァ?」
「ぐぬぬ……」
そんなわけで、一番高価な賞品、温泉旅行の招待券を受け取る一方通行。
まぁこんなものはレベル5の財力を持ってすれば簡単に手に入るのだが、他に特に欲しい物もないので大人しく一番得なものを手に入れておく。
もしコーヒー1年分とかがあれば、おそらくそれを選ぼうとして、また打ち止め達ともめることになっただろう。
「ていうか、それ団体様用じゃん。友達居ないあなたには必要ないと思うけど」
「残念だったな、これでもそこそこ知り合いは居る方だ」
「どうせろくでもない奴等ばっかでしょ」
「オマエも含めてな」
といっても、今日の惨状を見てもグループの元仕事仲間は誘う気になれない。
そもそも、打ち止めを連れて行くのが前提条件なので、できれば彼女も知っているような人間である必要がある。
いざとなったら、学園都市の妹達(シスターズ)と一緒に行ってもらうか。そんな事を考える一方通行だった。
***
時刻は午後4時を過ぎた辺りだろうか。
結局高級レストランの食事券はもう少しの所で逃してしまったのだが、インデックスは思いの外凹んではいなかった。
なんでも、レース自体が楽しかったから別にそれでいい、とのことだ。
てっきり、美琴に文句でも言いまくるのではないかと思っていたので、これは予想外だった。
まぁ彼女自身、もしも上条が他の女の子とプールに来ているのを見たら、自分も怒って噛み付くだろうという美琴への理解があったわけだ。
プールを出た上条達は、ゲーセンで遊んでいた。
正直、色々と散々な事があったので、上条はどっと疲れていたのだが、インデックスのお願いとあれば断ることはできない。
「とうまとうま! 次はあれをやってみたいんだよ!」
「はいはい……つか元気だなー。一日プールで遊べば疲れるはずなんだけどな」
「ふふ、彼女らしいじゃないですか」
「風斬も平気か? あんま無理して付き合ってくれなくてもいいぜ?
例のレースでかなり能力使わせちまったし、疲れたろ」
「いえ、大丈夫ですよ。私も楽しいですし」
「とうま、ひょうか、早くー!!」
「分かった分かった」
その後も、音ゲーやら格ゲーやらに片っ端から挑戦していくインデックス。
しかし、その成績は芳しく無く、基本的にこういったものは苦手なようだ。
まぁそれでも楽しめている辺り、問題はないのだろう。
対照的に風斬はどのゲームも上手かった。
まるで毎日通っているような腕前なのだが、実際はそんな事はないのだろう。
極めつけはガンアクションゲームで、一緒にやっていたインデックスは最初のステージでゲームオーバーになったにも関わらず、彼女一人で全てのステージをクリアしてしまった。
気弱そうな表情を浮かべながら、迫りくるゾンビの頭を的確に吹き飛ばすその画は何ともシュールなものだった。
それから、三人はとあるパンチングマシーンの前に来ていた。
どうやらレベル5にも対応してるほどの頑丈な代物らしく、高レベル大歓迎の文字が書かれている。
見た感じでは特に目立った補強は施されていないようだが、これで一方通行のベクトルパンチなんかを受け止められるのかと言われるとかなり微妙である。
「むぅ、魔術が使えればこの三倍の点数は出せたはずなんだよ。例えば北欧神話の巨人の力を使うとか」
「そんな事すれば店ごと吹き飛びそうだから止めなさい」
最初に挑戦したのはインデックスで、点数は女の子らしいものだった。
それを受けた本人の言葉は、端から見れば可愛らしい負け惜しみに聞こえるだろう。
しかし事情を知っている者は、彼女はただ物騒な事実を言っているのだという事が分かる。
次に挑戦するのは上条だ。
実は結構自信がある。これまでも今までこの右手一本で戦ってきたからだ。
神の右席のトップも殴り飛ばしたこのパンチならば、かなりの高得点間違いなしだ。
上条は助走を取る。
軽く腕を振って、その調子を確認する。
そして。
ドゴォォ!!! と、手応え十分な音が店内に響き渡った。
「……は?」
画面に映し出される文字。
それは。
【上手く認識されませんでした。もう一度挑戦してください】
その注意を受けて、再度魂心の一撃を放つ。
だが、それもまた同じ文字が表示され、やり直しになる。
それが二回、三回、四回…………。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「こ、んの……!! いい加減反応しやがれポンコツ!!!」
結局、まともに計測できたのは十回を過ぎてからだった。
そしてその頃には上条も疲れきっており、インデックスにも劣るフニャフニャパンチとなっていた。
さすがに気の毒そうに見るインデックスと風斬。
上条はもはやこういった不幸をどうこうするのは完全に諦めているので、ただ暗く笑うだけだ。
プールの疲れも相まって、怒る気力もないというのが正しいのかもしれないが。
最後は風斬だ。
「風斬、思いっきりやれ。ぶっ壊すつもりで」
「え、えっ!? でも、それは……」
「いや、このポンコツは一度痛い目を見るべきだ」
「とうまの動機はちょっと不純だけど、こういう時は思い切りやってストレス解消するんだよ!」
「は、はい!」
風斬は大きく腕を振りかぶる。
こういった大人しそうな子がパンチングマシーンをやるのは珍しいのか、それとも霧ケ丘の制服が目立つのか、いつの間にかギャラリーまでできている。
そんな状況に、さらにおどおどし始める風斬だったが、覚悟を決めたのかギュッと目を瞑り、思い切り目の前の的を殴りつける。
「えいっ!!!」
爆弾でも起爆したかのような音が店内に鳴り響いた。
***
三人はゲームセンターを出て、地下街をのんびりと歩く。
あの後は酷い有様だった。
パンチングマシーンの打撃ミット部分は見事に吹き飛び、店中に警告音が鳴り響く。
ギャラリーは即座に大パニックを起こし、悲鳴が飛び交った。
だが元々高レベル歓迎を謳っていたマシンだったので、こんな騒ぎになってしまった事に対しては何のお咎めもなしだった。
むしろ、耐久性が足りなかったと店側が謝ってきたくらいだ。
しかし。
「うぅ……」
「あー、気にすんなよ風斬。こういう時もあるって!」
「ウソですよ……ゲーム機破壊する人なんていませんよぉ……」
「そんな事ないんだよ! 私もお風呂とか壊すし!」
「そうだそうだ! おまけにこいつはケータイもいつまでたっても使えねえし、完全記憶能力のくせにすぐに道に迷うし、掃除ロボットにマジビビリする。
シスターのくせに良く食うわキレるわワガママばかりだわで、もうホント風斬と比べたら……」
「がるるるるるるるるる!!!」
「ひぃ!?」
案の定頭を丸かじりにされる上条。
あくまで風斬を慰めるためだったのだが、代わりにインデックスの機嫌を完全に損ねてしまった。
周りの人達は何やら笑っているようだ。
確かに、本人たちはいたって大真面目なのだが、周りから見ればただの面白い光景にすぎない。
そんな二人に、初めはあたふたと狼狽えていた風斬も――。
「……ふふ」
「「え?」」
「あっ、ごめんなさい。でも……ふふ、おかしくて」
何やらおかしそうに笑っている風斬に、上条とインデックスはふと周りを見渡してみる。
そこでやっと、二人は周りの人達に笑われている事に気付く。
「む、むぅ……とうまのせいで笑われちゃってるんだよ」
「いやいやいや! 噛み付いてきたのはインデックスさんですからね!?」
「それはとうまがあんな事言うのが悪いんだよ!」
「あんな事も何も、事実だろ!」
「うがあああああああああ!!!」
「ほらまた噛み付くううううううう!!!」
再び上条の悲鳴が辺りに響き渡る。
風斬はそんな二人を見て、それはそれは楽しそうに笑っていた。
再び数分後。
一通りギャーギャーし終えた二人は、少しぐったりとしていた。
思い切り噛み付かれた上条はもちろんのこと、噛み付く側のインデックスもそれなりに疲れたらしい。
風斬は笑顔だ。
どうやら先程の馬鹿騒ぎのお陰か、ゲームセンターの一件の事は忘れてくれたようだ。
それと引き換えに上条の頭皮が犠牲になったわけだが。
「ふふ、本当に仲がいいんだね」
「えっ、そ、そう見えるかな?」
「うん。とっても楽しそうだよ」
「ギャグっぽく見えても、俺は普通に痛いんだけどな……」
インデックスは風斬の言葉に頬を赤く染めるが、上条は未だぐったりとした表情を崩さない。
プールやらなんやらの疲労が一気に背中にのしかかってきているような感覚がする。
これは、今日は布団に入った瞬間に眠りに落ちそうだ。
上条はケータイで時間を確認する。
地下街というものは辺りの景色も変わらないので、時間の感覚が鈍ってしまいがちだ。
今日は夜からクラスの打ち上げがあるので、こうして時間はこまめに確認しなければいけない。
「おっ、もうそろそろ打ち上げの店に行った方がいいな」
「もうそんな時間? なんだか早い気がするかも」
「楽しい時間っていうのはあっという間に過ぎるからね。私もとっても早く感じた」
「じゃあひょうかも今日は楽しかったんだね!」
「うん、もちろん。私、こうして一日遊ぶ事なんてほとんどないから……」
「これからも沢山遊ぶんだよ! 今度遊ぶ時は……」
ここで、インデックスの言葉が途切れる。
彼女の方を見てみると、先程とは打って変わってどこか曇った表情になっていた。
今回、インデックスは一時的に学園都市に来ているにすぎない。
期間が過ぎれば彼女はイギリスに戻り、必要悪の教会(ネセサリウス)として仕事をこなしていく。
科学サイドと魔術サイドの問題から、次にいつここに来られるかもわからない。
上条はポンッと、彼女の頭に手を置く。
「今度は遊園地とかにでも行ってみっか? 第六学区に結構有名なのがあるらしいぞ」
「えっ、でも、私は……」
「ん、なんだよ、もう学園都市には来ないつもりなのか?」
上条はただ穏やかに笑っていた。
インデックスはキョトンと、その顔を見つめ返す事しかできない。
続いて、風斬も笑顔で口を開く。
「いつになってもいいよ。それまで私はずっと楽しみにしてるから」
「ひょうか……」
「そんな顔すんなって! あんまり長いこと来れなさそうなら、土御門のやつに文句言って何とかしてもらうさ。
お前はただ、次にここに来た時にどんな事して遊ぶか考えてればいい」
「……うん。ありがとう」
インデックスの笑顔を見るだけで、上条の心は満たされる。
もしもイギリス清教がインデックスの笑顔を奪うようなことがあるなら、上条は単身でもイギリスに乗り込む。
彼女にはああ言ったが、おそらくそんな時は土御門を頼るという事を考える余裕があるかも分からない。
「それに、風斬は俺とならいつでも遊べるし、そこまで心配いらねえって!」
「……とうまがひょうかと二人で遊ぶの?」
「ん、そうだな。まぁ他の奴らとも仲良くなれればいいけど、最初の内はそうした方がいいんじゃねえか。なっ、風斬?」
「あ……う……。で、でも、それって、デ……」
「デ?」
上条は首を傾げる。
何やら風斬は顔を赤くして俯いてしまっていた。
その様子から、もしかして自分が何か恥ずかしいことを言ってしまったのではないかとも思ったが、それも思い当たらない。
しかも、インデックスも何やらジト目でこちらを見てくる。
「ねぇ、とうま」
「な、なんだよ」
「男の子と女の子が二人で遊ぶ事はね、デートっていうんだよ」
「……あ」
確かにそうかもしれない、と上条は妙に納得する。
もちろん自分としてはそんなつもりはなかったのだが、周りから見ればデートだろう。
「わ、わるい! 俺、そういう事まで考えてなくてさ!」
「い、いえ……私はその、嫌というわけではないんです。でも……」
「でも?」
「インデックスに、悪いかなって」
「ふぇっ!? ちょ、いきなり何言ってるんだよひょうか!」
急にインデックスが顔を赤くする。
ここのところ、彼女はこうして赤面することが多いが、原因は良く分からない。
別に風邪っぽいというわけでもないだろうし、上条もそこまで深く考えたりはしないのだが。
「でも、私が上条さんとデートするのは嫌でしょ?」
「それは……えっと……。と、とにかく、とうまの前でそういう事言わないでほしいんだよ!」
「あはは、ごめんごめん」
「うぅ……絶対からかってるんだよ……」
風斬にしては珍しく、イタズラっぽい笑みを浮べている。
上条は、風斬のこういった表情を見ると安心する。
立場上、風斬は上条に負けず劣らず、色々な事に巻き込まれる可能性が高い。
そしてその中で、自分が人間ではないということが突きつけられる。
だが、そんな事は関係ないと上条は断言できる。
こうして一日遊んで、沢山の人間らしい表情を見せる彼女にとって、そんなのは些細な事にすぎない。
「……あっ、おい。そろそろ行かないと、打ち上げに間に合わねえ」
「うん、分かったんだよ! そうだ、ひょうかも一緒に来ない?」
「えっ、私?」
「そうだな、小萌先生も風斬の事情は知ってるし、来ても問題ないと思うぞ」
「……ごめんなさい、行きたいのは山々なんですけど、私もそろそろ時間みたいです」
風斬がそう言うと、その姿が一瞬ブレる。
どうやらまだまだ安定した状態とはいえないらしく、もうそろそろ姿を留めておくことができなくなるようだ。
「ひょうか……」
「ふふ、大丈夫。またすぐにひょっこり出てくるから」
「……そっか」
風斬は何でもないように笑顔で言う。
こういった所を見ると、彼女は本当に強くなったと思う。
おそらくそれを言っても、彼女はただ否定するだろうが。
「今日は本当に楽しかったよ。また遊ぼうね」
「うん、約束なんだよ!」
「あはは、そんな一生な別れみたいな顔やめてよ。大丈夫、すぐに会えるから。
あと上条さん。インデックスのこと、よろしくお願いします」
「あぁ、任せとけ。俺じゃちょっと頼りねえかもしんねえけど」
「そんな事ないですよ。今日の二人を見て、インデックスは本当に上条さんの事が大好きなんだなって思いました。
きっと、上条さんなら……」
「ひょうかー!!!」
「あはは、インデックスもあまり照れてばかりじゃダメだよ? じゃあね」
風斬は言いたいことを言ってしまうと、人混みの中へ消えてしまった。
それはただ人混みに紛れたのか、それとも本当に消えてしまったのかは分からない。
残された二人の間には何とも言えない微妙な空気が流れていた。
「え、えっとね、とうま。ひょうかが言ってたことは、その……」
「わ、分かってるって! まったく、風斬も紛らわしい言い方するよなー、あはははは。
それよりほら、もう行こうぜ。遅れちまうと肉とか食べられちまうかもしんねえし」
「そ、そうだね! 行こう行こう!」
とにかく何とも居たたまれない雰囲気を振り払うと、二人はクラスの打ち上げを行う店へと向かう。
それでも、その後はしばらくぎこちない会話が続いて、さらに疲労を溜める二人だった。
***
打ち上げに利用するすき焼き屋は、以前行った時と同じ場所だった。
第七学区の地下街の一角。あまり人通りの少なく、ボロさが際立つ店だ。
以前来た時も思ったのだが、良くこれで経営できているものだ。もしかしたらもう潰れてしまったとも思っていた。
しかし、予想に反して店はまだまだ健在であり、今回も団体様のご来店にご満悦な様子だ。
「土御門ちゃーん? 先程お店の方が、『今日はアルコール封印かい?』みたいな事言ってましたけどー?」
「いっ!? そ、そうかにゃー。聞き間違いじゃないかにゃー」
「土御門ちゃん? 土御門ちゃーん?」
また似たようなやりとりをする小萌先生と土御門。
もはやどう考えても、土御門は普段からここでアルコールの世話をしているのは明白なのだが、いかんせん証拠がない。
店内は賑やかだ。
以前と同じく、いくつかのテーブルにクラスの者が別れて、それぞれ楽しげに話している。
店内はかなりの熱気に包まれている。もちろん暖房も付いているのだろうが、それ以上にこれ程の高校生が集まれば当然だろう。
上条は土御門と吹寄の間に座る。
ここにはインデックスと一緒に来たのだが、彼女は大人しく座っていることができなく、そこら辺をうろうろとしている。
そうしながらクラスメイトの大半と楽しく話しているあたり、彼女のコミュ力というものに少し感心する。
「カミやーん。そんなにインデックスをじろじろ見てどうしたにゃー? やっぱ寂しい?」
「んなわけあるか!!」
「まぁまぁ、そんなに恥ずかしがらなくてもいいですたい。昨夜はお楽しみだったにゃー?」
「昨夜……? あっ、お前まさか聞いてやがったのか!?」
昨夜といえば、こっ恥ずかしい事を言いながら、インデックスと仲良く一緒のベッドで眠ったわけで。
それらを全部聞かれていたとなると、消えてなくなってしまいたいと思うほどの羞恥心が襲ってくる。
もしも、それをここでバラすようなら実力行使も致し方ないと、いつでも土御門に殴りかかれるように身構える。
しかし、対する土御門の反応は意外なもので、目を丸くして驚いているようだ。
「……ん? あ、いや、ちょっとカマかけてみただけなんだけど……えっ、マジ?」
「…………」
「か、上条、貴様……」
「えっ、うっそぉ!? カミやん、やっちゃったんか? 神聖にして侵すべからずなシスターさんをやってもうたのかあああああ!?」
「声がでけえ!!!」
いつの間にか対面に座っていた青髪ピアスまでもが身を乗り出して驚いている。
そのあまりの大声に、誤解を解く前にとにかく静止させようとする上条。
だが、それも意味がなかった。
先程の青髪ピアスの声は店中に響き渡り、先程までざわざわしていたのが、一気にシーンと静まり返る。
視線がこちらに集中する。
マズイ。非常にマズイ。
そして、冷汗が上条の頬を伝ったその時。
ドッと、一気に騒ぎが起きた。
「上条お前マジかあああああああああ!!!!!」
「あの上条が!! フラグは立てるだけ立てて放置する上条が!?」
「う、うわぁ……な、なんていうか、やる事はやるんだね、上条くんも」
「うん……やっぱり男の子なんだ……」
なんか好き放題言われている。
こちらに向けられている視線もほとんどが好奇のものであり、それも高校生なら仕方がないのだろう。
しかし、当人にしたらたまったものではない。
上条は顔を引きつらせて、インデックスは真っ赤になりながら否定する。
だがそんなもので周りの興奮は収まらない。
そんな中、小萌先生がわざわざこちらのテーブルまで歩いてきて、上条の対面に座った。
「上条ちゃん。先生からは、男女の交際について口やかましく言うつもりはないのです。
でも、その、学生らしい節度を持った交際をしてほしいというのが、先生の気持ちなのです」
「……え」
「高校生というのはそういうお年頃だという事は良く分かります。先生のこんな考えは古いのかもしれません。
ですが、避妊というのも確実じゃないのです。もしも万が一の事があったらと考えると……」
「ま、待った待った待ってください!!! そんな事してませんから!!!」
「へっ、か、上条ちゃん!! ひ、避妊していないのですか!?」
「そっちじゃねえええええええええええ!!!!!」
「こもえ、誤解かも! 確かに一緒には寝たけど、やましい事なんかしてないんだよ!!」
「そう……なのですか? あれ、でも、一緒に寝た……?」
「だあああああああ!!! 聞き間違いですよ聞き間違い!! あは、あはははははははははは」
***
数分後、いよいよ鍋がやってきた。
店員さんが運ぶ黒い鍋はぐつぐつとよく煮えており、とても良い香りが店中に広がっていく。
食べ盛りの高校生たちはその香りに歓声をあげ、箸を持って一刻も早く食べようと待ち構える。
そんな中で、上条だけはテンションが上がらず、ただぐてーっとテーブルに突っ伏していた。
「…………」
「ほら上条、鍋来たわよ。まだ卵も割ってないじゃないのよ」
「あっはっはー! そない寝てると、カミやんのぶんまで食べてまうでー?」
「…………」
「ありゃ? どうしたんだにゃー、カミやん」
「疲れたんだよ……」
上条は疲れきっていた。
元々、一日プールで遊んでいた上に先程の騒ぎで、いくら普通の学生より体力はある上条も、もう限界だった。
一方で同じ条件のインデックスは、元気に鍋を漁っている辺り感心さえもする。
あれから懸命の弁解のお陰もあって、何とか誤解は解くことができたようだ。
そもそも上条にそんな度胸があるはずない、と思っていた者も多かったらしい。
それはそれでヘタレだと思われているというわけで、あまり良い気もしないのだが。
「ったく、仕方ないわね。卵はあたしがやってあげるわよ。
とにかく、せっかく来たんだし少しは食べなさい。あたし達だけで食べてるのも気が引けるし」
「吹寄……サンキュ」
「そうやで~。カミやんが食べないと、ボクらも食べづらいやないか」
「そういうセリフは、その取り皿一杯の肉を隠してから言おうかこの野郎」
「にしても、そうしてると吹寄はカミやんのねーちゃんみたいだにゃー」
「ふざけたこと言ってるとぶっ飛ばすわよ土御門」
そんな事を言い合いながらも、吹寄はテキパキと卵を溶いてくれる。
なんだかんだ、彼女はこうやって面倒を見るのが嫌いではないのだろう。
上条も、とりあえず顔を上げて鍋を突くことにする。
すると、その視界の端に、何やらこちらを冷ややかな目で見つめるインデックスの姿があった。
「……? おーい、どうしたインデックス?」
「……ふん。とうまは一人で卵も溶けないんだね。私のこと言えないかも」
「な、何で怒ってんだよ。ほら、肉もいっぱいあるぞー?」
「むぐっ!! そうやって食べ物でどうにかできる程、私は子供じゃないんだよ!」
「いや、バクバク肉にかぶりつきながらだと説得力に欠けるぞ」
「ほら上条! できたわよ」
「おっ、サンキューな。じゃあ俺も肉を……」
「肉ばっか取るんじゃないわよ。野菜食べなさい野菜」
「ちょ、ちょっと吹寄さん! なぜに上条さんの取り皿に野菜をポンポンと投入するんですか!!」
「どうせ放っておいたらお肉しか食べないでしょ。こうやってバランス取ってあげてるんだから、感謝してほしいわね」
吹寄は吹寄で、上条のことを考えてくれているのかもしれないが、男子高校生からすればすき焼きの野菜など視界に入らないのが普通だ。
土御門と青髪ピアスは、そんな上条達のやりとりを見て、何やらニヤニヤし始める。
「そうだぜい! 野菜はおいしいにゃー、ほいっ!」
「カミやん、野菜好きやもんねー、そりゃ!」
「ぐおっ!! おい、何勝手に俺の取り皿に野菜入れてやがる!! 結局テメェらが肉食いてえだけだろ!!」
「まぁまぁ、遠慮しないでいいんやでー? ほりゃ!!」
「おい待て、俺はベジタリアンか!! これじゃ肉入れるスペース無くなっちまうだろうが!!」
「とりあえず食べちゃいなさいよ」
「ぐっ……」
上条は仕方なく取り皿の中の春菊や白ネギを口に放り込む。
さすが店で出てるものだけあって、汁が染みていて旨い。
だが、すき焼きといえばやはりメインは肉だ。
上条はとにかくそのメインターゲットの獲得に挑む。
「――って、無くなってるじゃねえか!!!」
「ん? 何言ってるにゃー。ほら、しらたきがまだ残ってるぜい」
「肉がねえって言ってんだよ!! つか何だお前らのその取り皿から溢れんばかりの肉は!!!」
「まぁまぁ、ほら、しらたきとってあげるで」
「く、そ……こうなったら!! おりゃあああ!!!」
「おわっ、な、何でボクの取り皿から肉取るんや!!! ルール違反やでカミやん!!」
「ふははははは、そんなの知ったことか!! すき焼きにルールなんてもんがあると思ってんなら、そんな幻想はぶち殺してやるぜ!!」
「くぅー!! なら反撃や!!」
「あっ!!! この、返しやがれ!!」
「返すも何も、元々ボクのものや! って、またボクの取り皿から肉が消えとる!!!」
「……ふふ、敵はカミやんだけだと油断したかにゃー?」
「こら貴様ら、箸渡しはやめなさいよ!!!」
「渡してねえよ、奪い合ってんだ!!」
「何でもいいから止めなさい!!」
案の定、クラスの三バカ(デルタフォース)でぎゃーぎゃーと乱闘が始まる。
そして、それを暴力を持って止める吹寄。
教室でもすき焼き屋でも、やってることはあまり変わらなかった。
***
高校生が鍋を漁れば、ものの数分で無くなることになる。
そんなわけで、今は追加注文を待っているところだ。
相変わらず店内はぎゃーぎゃーと騒がしい。
まぁこれだけ大人数ならば、それが普通なのだろう。
逆にシーンとしてただ食べているだけというのは、クラスとして色々とマズイ気がする。
インデックスは追加注文が待ちきれないのか、上条のテーブルまでやってくる。
「とうま、とうま! まだお肉は来ないのかな?」
「もうすぐ来るんじゃねえか。つかやっぱお前はまだ全然いけそうだな」
「うん! まだまだ足りないんだよ!」
「あ、このしらたきでも食べる? まだ残ってたんや」
「食べるー!!」
肉じゃなくても食べられれば何でもいいのか、インデックスは満面の笑みで答える。
それを受けた青髪ピアスは、自分の取り皿の中のしらたきを箸でつかむ。
「ほな、あーん」
「あーん」
「お、おい!」
「「え?」」
上条の声に、青髪ピアスはまさにインデックスに食べさせる所で固まってこちらを見る。
インデックスの方も、口を開けて何とも間抜けな表情でキョトンとしている。
二人だけではなく、近くに居る土御門と吹寄も同じようにどうしたのかという表情だ。
上条は首を傾げる。
何で二人を止めたのだろうか。
別に青髪ピアスはインデックスに何か変なことをしようとしたわけではない。
ただ、彼女にしらたきを食べさせてやろうとしただけだ。
「どうしたん、カミやん?」
「……あ、いや、悪い。なんでもねえ」
「いや待て青髪。あたし、ちょっと分かったかもしれない。今の上条の行動のワケ」
「分かった?」
「ふっふっふ。俺も何となく検討付いたにゃー」
「な、何だよその顔は」
吹寄も土御門も、何やら怪しげな笑みを浮べている。
嫌な予感がする。
「上条、貴様妬いたんでしょ」
「……はい?」
「だーかーらー、インデックスが他の男に『あーん』されるのが嫌だったんだにゃー!!」
「ぶっ!!!」
「ふぇ!?」
予想外の答えに、思わず声を上げる上条とインデックス。
青髪ピアスの方は納得したらしく、ポンッと手を打っていた。
「ごめんなー、カミやん。そこまで気が回らんかったわー」
「ちょ、ちょっと待て! なんでそういう事になるんだよ!」
「だって、それが一番自然じゃない?」
「と、とうま……?」
インデックスまでもが、耳まで真っ赤になりながらもウルウルとした瞳でこちらを見つめてくる。
その表情に不覚にもドキッとした上条は、すぐに頭を振って気を取り直す。
「だからそんなんじゃねえって! いいから、青ピもインデックスに食べさせてやればいいだろ!」
「いやいや、それを分かってて無視するほどボクも薄情じゃないで。この役はカミやんのものや。ほら、これ持って」
「は??」
「シスターはん? 悪いんやけど、しらたきはカミやんに食べさせてもろーてな」
「え、ええ!?」
そんなわけで、成り行きでインデックスに「あーん」するはめになった上条。
たぶん、自然な流れの中でだったのなら、それほど注目もされずにスルーされたはずだ。
だが、こうして色々と前置きをした後でのこの行動は何とも気恥ずかしい。
いつの間にか周りのクラスメイト達もこちらに注目しており、上条達は見事に晒し者になっていた。
「……どうしてこうなった」
「と、とうま。その、あんまり長引かせると、余計やりづらくなるんだよ。だからすぐに済ませてしまったほうがいいかも」
「お、おう、そうだな……」
上条はできるだけ何でもないように装いながら、箸でしらたきを掴むと、インデックスの口の前へ持っていく。
それに対し、インデックスも小さな口を開いて近づける。
しかし。
「はい、カットだにゃー!」
「はぁ!?」
「カミやん、『あーん』がないですたい」
「ふ、ふざけんな!! 何でわざわざそんな事言わなきゃなんねえんだよ!!」
「そっちの方が雰囲気出るじゃん。みんなもそう思うだろー!?」
「「おおー!!!」」
妙な所で一致団結するクラス。
上条は「ぐぬぬ」と歯ぎしりするが、どうもこの状況を抜け出すには言われた通りにやるしかないようだ。
しかもインデックスも潤んだ瞳でこちらをじっと見つめているので、ギャグっぽくすることもできない。
仕方ないので、上条はとにかく平常心を装いながら口を開く。
「ほらインデックス。あ、あーん」
「あ、あーん」
周りから「おお!!」という声が上がる。
上条はそれを聞かなかったことにして、インデックスの口の中にしらたきを入れた。
彼女はすぐに口を閉じて、モグモグと咀嚼する。
「……う、うん。おいしい」
「そ、そっか。そりゃ良かったな!」
気恥ずかしさで、お互いまともに顔を見合わせることもできない。
そんな二人の様子を、周りのクラスメイト達はニヤニヤと見ている。
担任である小萌先生までも、ニコニコとしているくらいだ。
なんだろうこの公開処刑は。
その後、あまりの気恥ずかしさからか、インデックスは他のテーブルへと行ってしまった。
そして吹寄も興味がなくなったのか、「能力レベルを伸ばす100のコツ」とかいう本を開いて読み始める。
これで妙なことを言われることもなくなると思った上条だが、まだまだ追求の声は留まることを知らない。
「んで、んで? 実際のところ、あのシスターはんとはどこまで進んでるん?」
「あーもう、いい加減そっから離れやがれこのエロゲ脳!!」
「半年も一緒に住んでて、本当に何もないんかにゃー? 」
「だからねえって何度も言ってんだろうが!!」
土御門と青髪ピアスの追求を受け流しながらも、そんなにも自分とインデックスはそんな関係に見えるのか、と思う上条。
だが考えてみると、半年も同居していればそう思われるのも当然かもしれない。
「あ、そういえば、インデックスってイギリスで修道服以外の服を買ったんじゃなかったかにゃー?
今日は着てないみたいだけど」
「ええ、ほんまか!? うわー、見てみたいわー!」
「あぁ、やっぱいつもの服が落ち着くとかなんとかで……って、何で土御門が知ってんだ?」
「ふふふ、俺は世界を敵に回す多重スパイだぜい? これくらいの情報収集なら朝飯前ですたい」
「なんやなんや、厨二病かいな」
青髪ピアスは呆れているようだが、上条の方は納得する。
確かに普通の人なら土御門の話を聞いても信じられないだろうが、上条はそれが妄言ではない事を知っている。
「なんでも、ステイルに選んでもらったとかなんとか。まぁねーちんのセンスはちょいと特殊だからにゃー」
「えっ……?」
「おっ、あのシスターちゃんにも男の影が!? カミやん、他の子にうつつを抜かしてる場合やないでー」
「…………」
「……カミやん?」
おそらく土御門も青髪ピアスも、いつも通りに「何言ってんだ」という反応を予想していたのだろう。
だが、上条はどこかぼーっとしており、その言葉さえ聞こえていない。
原因不明のモヤモヤが上条の中でうごめく。
そのモヤモヤは胸を圧迫し、ズキズキという鈍い痛みも感じる。
そんな上条の反応に、土御門と青髪ピアスは顔を見合わせて首を傾げる。
「…………」
「カミや~ん? どないしたん?」
「ん、あ、あぁ! 悪い悪い! まぁそうだよな、神裂のあの格好見れば、確かにステイルに選んでもらった方がいいよな!
……あー、なんかぼーっとしてきたし、ちょっと外の空気でも吸ってくるわ!」
何かおかしい。もしかしたら病気かもしれない。
この熱気が悪いのかもしれないと判断した上条は、立ち上がって店を出る。
それを見ていた青髪ピアスは、若干気まずそうにする。
「なぁ、もしかしてカミやんってほんまに……」
「あぁ……確かにあの反応は……。吹寄はどう思うにゃー?」
「何であたしに振るのよ」
「こういうのは女の子の方が分かるってゆーやん!」
吹寄はずっと本を読んでいたが、話は聞こえていたのだろう。
そして手に持っている本を閉じると、少し呆れた様子で口を開く。
「別に、何でもないんじゃない?」
「「へ??」」
吹寄の言葉に、土御門と青髪ピアスは間抜けな声を出す。
二人から見れば、上条の態度はインデックスの事が好きだとしか思えなかった。
「で、でも、あれは明らかにインデックスを意識してたで!」
「はっ、そうか。まさか吹寄もカミやんの事を!! だから、わざとそう言って……!」
「それ以上言うとはっ倒すわよ」
「すみません」
吹寄がギロリと睨むと、土御門は即座に謝る。
「あの様子見る限り、上条は自分で自分の気持ちが分からないんでしょ。
それなら、あたし達がとやかく言っても仕方ないわよ。結局、本人がその気持ちをどう捉えるかだろうし」
「……んー、そないなもんなのかねぇ」
「そういうもんなの」
そういう事はきちんと自分と向き合い、自分で答えを出すべきだというのが吹寄の考えだった。
どんなに周りから見て明らかだったとしても、その答えを決定付けてはいけない。
周りがいくつかの道を示すことはしても、選ぶのはあくまで本人の役割だ。
暗部に生きる土御門も、そういった事に関してはまだまだ分からないのか、腕を組んで首を傾げている。
そして、吹寄に向かって一言。
「でも、偉そうなこと言ってても吹寄だって恋愛経験は皆無だにゃー」
直後、渾身のボディーブローが炸裂した。
***
上条は夜の地下街で、一休みしていた。
地下街はまだ明るい所も多いが、この辺りは人気も少なく、時間通りの暗さがでている。
道路の端にある手すりに寄りかかってみると、下の道路にはまだ多くの学生が楽しそうに話しながら歩いていた。
そういえば、0930事件の後もこうやってここで土御門と話したっけ、とふと思い出す。
気温は調整されており、冬の夜にも関わらず、肌寒さこそ感じるが震えるほどではない。
すき焼き屋はかなりの熱気で満ちていたので、今の上条にとってはちょうどいいくらいだ。
店を出てから、胸のモヤモヤは次第に消えていた。
しかし、それは店を出た影響なのか、それともただ単に時間の問題なのかは分からない。
このように、自分で自分が分からないのは何とも気持ちが悪い気がする。
(……青髪ピアスはあんな奴だけど、悪い奴じゃねえってのは分かってる。
それにステイルだって、安心してインデックスを任せられる数少ない奴だ。なのに、何であんな気持ちになってんだよ、俺)
分からない。
こうして落ち着いて一人で考えても答えが出てこないとなると、いよいよどうしようもなくなる。
しかも、その事を思い出すと、モヤモヤが再び広がるような感覚さえ覚える。
「どうしろってんだよ……」
上条は口を開く。
もしかしたら何か声を出すことで、このモヤモヤも一緒に出ていってくれるのではないかというのを期待して。
すると。
「何かお悩み事ですかぁ?」
返事が返ってきた。
上条がそちらへ顔を向けてみると、そこには一人の少女が立っていた。
背は高く上条と同じくらいだろうか、暗闇ではよく映える綺麗な金髪、そして常盤台中学の冬服。
上条は以前にこの少女に会ったことがある。
確か大覇星祭の時だったはずだが、今まで覚えていたのは変わった子だと思ったからか。
それとも、その中学生とは思えないほどの見事なプロポーションがそれほど衝撃的だったのか。
「えっと……食蜂操祈……だっけ?」
「あっ、覚えていてくれたんですねぇ。嬉しい♪」
食蜂は満面の笑みでそう言うと、自分の腕を上条の腕に絡ませた。
腕から伝わるムニュという柔らかな感触が、心臓の鼓動を跳ね上げる。
「ど、どうしたんだ、こんな夜中に? 常盤台生で夜中にうろつくなんて、御坂くらいだと思ってたけど」
「ふふ、夜のお散歩って素敵じゃないですかぁ」
「お嬢様は結構危ないんじゃねえか? ほら、学園都市だって治安が良いとは言えねえし……」
「大丈夫ですよぉ。私、こう見えて能力には自信あるんですよ?」
「あー、まぁ確かに常盤台つったら、レベル3以上の集まりだもんな。
けど、スキルアウトとかもナメねえほうがいいぞ? いくら無能力者でも束になってかかって来られるとあぶねえからな」
「はぁーい。気をつけまーす」
食蜂は元気よく返事をする。腕は依然として上条の腕に絡めたままだ。
「でもでもぉ、私は上条さんの事も心配だなぁ」
「へ……俺?」
「えぇ。なんか苦悩力が滲み出ていましたよぉ? 悩み事ですかぁ?」
「……まぁな」
ここで食蜂の目がかすかに細くなったのに、上条は気付かない。
食蜂はここでようやく腕を離すと、少し真面目な表情で向き合う。
「良かったら、聞きますよ?」
「え……いや、でもな…………」
「私、そういう心理学的なものは結構詳しいんですよぉ?
それに、上条さんの悩みって、あまりお友達には相談しにくい事なんですよねぇ?」
「そう、だな」
「それなら、意外と私なら話しやすいんじゃないですかぁ? ほら、私と上条さんって、まだ少し距離があるっていうかぁ……。
まぁ私としてはこれからもっと縮めていきたいと思っているんですケド♪」
上条は少し考える。
感覚的には、食蜂の言う通りだった。
上条には小萌先生を始めとして、相談できる人は沢山いる。
しかし、これは上条にも理由が良く分からないのだが、今悩んでいることに関してはそういった人達に相談するのはどこか抵抗があった。
そして不思議な事に、少し距離のある食蜂には幾分言いやすい気がした。
「……分かった。じゃあ、聞いてくれるか?」
「もちろん☆」
上条は、とにかく話してみることにする。
ちょうど、一人で悩んでいても仕方ないとも考えていたところだ。
口を開いて言葉を紡ぐ。
話し出す時は少し抵抗があったが、一度声に出すと自分でも驚くくらいに次々と言葉が出てきた。
まるで溜まっていたものを吐き出すかのように、上条は話し続ける。
食蜂は口を挟まず、ただ黙って聞いていた。
先程までの笑顔は消えていて、ただただ真剣に聞いていた。
「――――ってわけなんだ。はは、意味不明だろ」
「…………」
全部話し終えた上条は自嘲気味に笑うが、食蜂は何か考え込んでいるようで反応しない。
上条も女の子にただじっと見つめられるのは慣れていなく、少しそわそわする。
だが、嫌というわけではない。
彼女はそれだけ上条の言ったことを真剣に考えてくれているのだろうし、それに対しては感謝しなければいけない。
その一方で、上条は彼女に関して一つ気になることがあった。
自分を見つめるその瞳。
そこにはどこか寂しい光が宿っている。そんな気がした。
「……食蜂?」
「えっ、あっ、ごめんなさぁい! 私、ちょっと考え事に夢中になっちゃっててぇ。私って集中力高すぎ?」
「もしかして、お前にも何か悩みがあるのか?」
「え?」
「いや、何かそんな感じがしたからさ。気のせいならそれでいいんだ」
「ふふ、私は大丈夫ですってぇ。これでも精神力は結構すごいんですよぉ。
あっ、別に上条さんの心が弱いとかって意味じゃないですよ!」
「……はは、分かってるよ」
やはりと言うべきか、はぐらかされてしまった。
もちろん、本当に上条の思い過ごしという可能性もあるだろう。
しかし、上条はなぜか確信を持って、食蜂が何かを抱えていると言える。
これは理屈ではなく、感覚的なものだ。
といっても、それを問いただすような事はしない。
言いたい時に言ってくれればいい。彼女とはそんな関係だと思った。
「それよりも、今は上条さんのお悩みですよぉ。でもでもぉ、そこまで難しいことではないと思いますけどね」
「本当か……?」
「えぇ。上条さんは、その子の事をとても大切に思っている。その気持ちが強すぎて、他の人には渡したくないんですよぉ。
ほら、父親が娘の彼氏の事をよく思わなかったりっていうのは結構あるでしょー?」
「父親……娘…………」
「独占欲ってやつですねぇ。それだけ大切な人がいるっていうのは、とっても良い事だと思いますよぉ。
でもぉ、上条さん。子供は、いつまでも子供のままじゃないんですよぉ?」
「………………」
インデックスはイギリスから帰ってきて、変わった。
家の手伝いを進んでやってくれるようになっただけではない。
その立ち振る舞いや雰囲気が以前とは違っていた。
それは必要悪の教会(ネセサリウス)の一員として仕事をするようになったからなのか。
それとも何か他の理由があるのか、上条には分からない。
だが、食蜂の言う通り、彼女は確実に精神的に成長したと思う。
それならば、上条の方も以前までとは接し方を変えなければいけないのか。
「人からそれだけ大切に思われるのは幸せなことです。でも、それも行き過ぎると、彼女にとって枷になってしまうんじゃないですかぁ?」
「枷……」
「えぇ。彼女もあなたに気を使って、自分の道を選べなくなってしまう。そんなのって良くないですよねぇ」
一ヶ月前のインデックスとの別れの時。
確かに彼女は上条に引き止められるのを恐れて、何も言わずにイギリスへ渡った。
つまりそれは、上条によって自分の道を決められてしまうのが嫌だったのではないか。
彼女は上条が居なくて寂しかったと言ってくれた。
それに嘘はないと思いたい。自分にとって彼女が大切であるのと同じように、彼女にとっても自分は大切な存在でありたいと思う。
しかし、彼女はイギリスで自分の力を役立たせる道を選んだ。
そういった選択をした彼女を引き止めてはいけない。彼女もそれを恐れている。
彼女がここに居るのは、イギリスでの仕事を満足にできるようにするためだ。
上条に会う、というのはあくまでその目的を達成する手段にすぎない。
勘違いをしてはいけない。
自分はインデックスの道を開いてやる手伝いをするだけだ。
間違っても、彼女の道を遮るような真似をしてはいけない。
「――――って、ごめんなさぁい。なんだか説教臭くなっちゃいましたねぇ」
「いや、サンキューな。お陰でなんつーか、ちょっと分かったよ」
「そぉですかぁ? ふふ、それなら良かったです♪」
「さすが、心理関係に詳しいってだけあるよな。やっぱ能力がそっち関係なのか?」
「どうでしょう? 女の子はそういうのに対して関心力が高いじゃないですかぁ。ほら、心理テストとか」
「はは、確かにな」
いたずらっぽくウインクする食蜂に、上条は苦笑いを浮かべる。
洗脳系の能力を持っている人間は、他人の感情表現に対して何の価値も見出だせなくなるらしい。
なんでも、それらは自分達で思うままに作り出せるものだからだとか何とか。
だから、目の前のこの少女は精神系の能力だったとしても、おそらくそういう洗脳とかではないだろうと上条は思う。
それに、もし洗脳系の能力の持ち主だっとしても、こうして普通の子と変わらないというのはそれだけしっかりとした心を持っているという事にもなるはずだ。
「……それじゃ、話聞いてくれてサンキューな。俺はそろそろ店に戻るよ。一人で帰れるか?」
「帰れなぁい。って言ったら送ってくれますかぁ?」
「えっ、あー、御坂達と同じ寮なのか?」
「私の寮は学舎の園にある方なんです☆」
「いやいや、それじゃ無理だって! こんな夜中に男があんなとこに入ったらどうなるか……」
「えー、でもぉ、それはそれでスリリングで面白そうじゃないですかぁ? ほら、潜入ミッションみたいで!」
「そりゃ他人事なら面白そうだろうな……」
生憎だが、上条には人生を賭けた潜入ゲームをするつもりはない。
そのまんまの意味で何度も死にかけた上条だが、社会的に死ぬというのは勘弁してもらいたい。
「ちぇー、『こちらスネーク、学舎の園に潜入した』みたいにやってほしかったのにぃ~」
「ヘタしたらそれと同じくらいの危険はあるかもな」
「もう、どんな所想像してるんですかぁ」
冗談のように聞こえるかもしれないが、実は結構有り得る話なのではないかとも思う。
それだけ高レベルの能力者の価値は高く、厳重な警備が敷かれているという噂も数多くある。
「はぁ、まぁいいですよぉ。では、学舎の園潜入は次の機会っていう事で」
「永遠にないけどな。んじゃなー」
「……意外に近いうちにあるかもしれませんよぉ。では、私はこれで♪」
「えっ?」
上条がそんな声を出すが、食蜂は構わずクルリと後ろを向いて行ってしまった。
「……近いうちに?」
少し考えてみるが、これから学舎の園に入る予定なんてないはずだ。
そもそも、常盤台のお嬢様とごく普通の高校生では接点があまりにも少なすぎる。
強いて言えば、上条の寮が学舎の園の近くだが、それだけでは男の上条がそこに入るなんて事にはならない。
警備も厳重なので、うっかり入ってしまったという事もないはずだ。
そういえば、インデックスもうっかりここ学園都市に入ってきたとか言ってたような気がする。
もしかしたらこの不幸体質があれば、何かの拍子にうっかり学舎の園に入ってしまうなんてことがあるのではないか。
そこまで考えて、顔を青ざめる上条。
警備員に捕まれば社会的立場は地に落ち、ヘタすれば動揺したお嬢様からの攻撃なんていう事もあるかもしれない。
脳裏に、例のビリビリ中学生の雷撃の槍が浮かぶ。
その直後、ブンブンと頭を大きく振った。もうこれ以上考えるのはやめることにする。
まぁそれほど意味があって言ったんじゃないだろうな、と上条は思い込むと、店へ歩いて行く。
店に戻っても、もうインデックスの事でおかしな事にはならないはずだ。
不思議と、気分はスッキリしていた。
***
それから打ち上げではしばらく騒いだ。
途中、青髪ピアスのテンションが最大値を振り切って、突然脱ぎだした挙句に吹寄にぶっ飛ばされたり。
土御門と店員がアルコール関係の話をしているのを見た小萌先生が、小さな体をバタバタと振って怒ったり。
もちろん、今回の主役であるインデックスも大人気で、クラスメイトと仲良く話したり写真を撮ったりしていた。
やはり日本語が話せるイギリスのシスターさんというのは、話す内容も尽きない。
イギリスのことだったりシスターさんとしての仕事の事だったり、ここの学生からすれば興味津々だ。
まぁ、インデックスは魔術のことをうっかり話さないように苦労していたようだが。
そんなこんなで、時間はあっという間に過ぎ、みんなそれぞれの寮へと帰っていった。
上条とインデックスは既に家に着いており、風呂も済ませていた。
晩御飯はあのすき焼き屋で済ませたので、もう寝るだけである。
さすがに疲れてきたのか、インデックスはウトウトきているようだ。
午前中からプールで遊び、夜はこうしてみんなで騒げば仕方ないだろう。
「……とうま、寝よ」
インデックスは目を擦りながらベッドに向かう。
もう上条も一緒に寝ることは当然のことらしく、ちょいちょいと可愛らしく手招きをしている。
「……インデックスさんは一人で寝れなくなってしまったんでせう? もしかして、寮でも神裂とかと一緒に…………」
「そ、そういうわけじゃないかも!」
「んじゃ、なんで……」
「もう、いいから! ほら早く早く!」
インデックスはあまり追求されたくないのか、上条の声を遮って、グイグイと手を引く。
結局昨日と同じくベッドで横になる二人。
しかも、今日はいきなりインデックスが抱きついてきている。
女の子特有の柔らかさは、やはりなかなか慣れない。
この年でもう女の子に慣れているというのも、それはそれで何だかアレだが。
「俺は抱き枕かよ」
「似たようなものかも。とうまも欲しくないの、抱き枕」
「んー、そんなに興味はねえかな。青ピなんかは女の子がプリントされてるようなモン使ってるらしいけど」
「聞いたことあるかも。それで夢の中でいかがわしい事をしようっていう事なんだよね」
「い、いや、それは分かんねえけど……」
「……はっ! それじゃあとうまは、こうしている事で夢の中で私といかがわしい事を!」
「抱き枕にしてんのはお前だからな。この場合、夢でいかがわしい事をすんのはお前だ。
シスター的にいいのかそれ? どっかのAVじゃあるまいし」
「わ、私はそんな事しないんだよ!! 夢でも決して!!」
「分かった分かった! 夜中にそんな騒ぐなって!」
この予想通りの反応はなかなか面白いが、時間も時間なのでこの辺にしておく。
上条は溜息をつくと、静かに目を閉じる。今日はとても疲れた。
今まで様々な戦いをしてきた少年だが、基本的には普段は普通の男子高校生だ。
一日中遊べば疲れるし、寝る時も常に警戒するなんていう、それこそ戦闘のプロみたいな真似はできない。
案の定すぐに睡魔は迫ってきて、ウトウトし始めてくる。
「ねぇ、とうま」
「……ん、何だよ寝れないのか?」
「そういうわけじゃないんだけど……」
どうもインデックスは歯切れが悪い。
疑問に思った上条は、体勢を変えてインデックスと向き合う形になる。
「わわっ!! きゅ、急にこっち見ないでほしいんだよ!」
「いや、どっか調子悪いんじゃないかって思って」
「そういうわけじゃないんだけど……ていうかとうま、何かあった?」
「へっ? なんで?」
「えっと、うまくは言えないんだけど、何か雰囲気が違う感じがするんだよ。すき焼き屋さん辺りからかな?」
インデックスのそんな言葉に素直に感心する上条。
この少女は、こんなにも自分を見てくれているのか。
「……別に。なんでもねえよ」
上条は口元を緩めると、彼女の頭をなでた。
心地良いサラサラとした感触が手に伝わる。
「とうま?」
「ほら、さすがに疲れたろ。そろそろ寝ようぜ」
「う、うん」
インデックスはまだ何か言いたげだったが、上条はゴロンと彼女とは反対の方向に向き直る。
とても落ち着いた気持ちだ。
昨日はあれだけ緊張して、今日は何だか変な気持ちにばかりなって。
そんな事が嘘みたいだった。
とにかく、彼女の望む道へ進むための手伝いをする。
余計なことは考えなくていい。
ただそれだけを、その事だけを考えているのはとても楽だ。
食蜂操祈は良いカウンセラーか何かになれるかもしれない。
そんな事を考え始めた時、上条の意識は睡魔の中へと落ちていった。
***
三日目の朝がやってきた。
昨日とは打って変わって、今日は素晴らしい目覚めだった。
やはり子供は子供らしく、日中は思い切り遊んで夜にぐっすり眠るのがいいようだ。
まぁこんな事を考えている時点で、普通の子供とはどこかズレているような気もするが。
天気は昨日に引き続いてとても良好だ。
まだ日も昇りきっていない時間だが、それでも日差しがカーテンから漏れている。
ちなみに今日はインデックスに抱きつかれて起き上がれないなんていう事態にはならなかった。
「うんうん、やっぱり朝はお味噌汁だよね!」
「お前、朝はパン派じゃなかったか? パンと味噌汁って組み合わせは普通にあるんだろうけど、良く考えてみるとちょい違和感ねえか?」
「細かいことは気にしないんだよ! おかわり貰うねー」
インデックスはそう言うと、台所の方へと歩いて行く。見るからに機嫌の良さそうな足取りだ。
以前まではこういった事も上条に頼りっきりで、ただ「おかわり!」と茶碗を差し出すだけだったのだが、今ではできる限り自分でやろうとしているようだ。
今日の朝食もインデックスは手伝っており、イギリスに帰ったらこの素晴らしい味噌スープを披露するとか何とか意気込んでいた。
「んで、今日は何する? こんな天気もいいし、外でなんかスポーツでもすっか?」
「うん、いいかも! それなら、二人でできるテニスとかどうかな!」
「へぇ~、お前テニス好きなのか?」
「ううん、やったことない。でも、寮のテレビとかでやってて面白そうだったんだよ!」
「あー、確かにイギリスじゃあな。まっ、俺もほとんどやったことないし、お互い初心者でいいか」
「ふふふ、初心者だと思って油断してると大変な目に遭うんだよ。私の完全記憶能力があれば、最適なフォームをマスターするのは難しくないかも。
それに、この十万三千冊の魔道書から、未知なる究極の技を……」
「なんかお前のそういうセリフって、ただの厨二病じゃないってのが厄介だよな」
上条は適当に受け答えながら、ケータイを開いてどこかテニスができる所を探す。
もちろん、学園都市にそういった施設がないわけではない。
しかし、上条としてはお財布事情とも相談しなければいけないわけで、できるだけ安い所を探す必要がある。
セレブ御用達の第三学区の施設なんていうのは、テニス以外にも色んなサービスが付いてとんでもない出費になるので論外だ。
インデックスは上条が構ってくれなくなったので、つまらなそうにテレビに目を向ける。
そこには向こう一週間の天気予報が表示されていた。
「あれ、とうまとうま。雪だるまの絵が映ってるんだよ」
「えっ、雪?」
「うん、ほら。私がここに居る最終日」
上条も同じようにテレビに目を向けてみると、確かにその日は雪マークがついていた。
「学園都市じゃ珍しいんじゃないかな?」
「んー、まぁそりゃ新潟とかと比べりゃ降らないけど、別にそこまで珍しいことでもねえよ。二月だしな」
上条はそう言うと、ご飯を食べ始める。今日遊ぶ場所は、もうあらかたケータイで調べ終えた。
それにしても、インデックスの学園都市滞在の最終日に雪とは、何か嫌な予感がする。
上条のことだ、記録的な大雪でまともに遊べないなんていう事にもなりかねない。
だから、それまでにインデックスに心の問題に関しては何とかしないとなぁ、などと漠然と考える。
ちなみに、インデックスの遠隔制御魔術の調子はイギリス清教側ですぐ分かる。
土御門から話を聞く限り、どうやらインデックスの調子は少しずつ良くなってきているらしい。
それでも、このペースだと最終日までに完全にストレスを解消できるか、というと難しいらしいが。
「ていうか、その雪が降る日って他にも何かあったような…………」
「もしかしてバレンタインのこと? とうまとうま、いくら毎年全然チョコが貰えないからって、日付をド忘れするのはちょっと痛々しいかも」
「ちげえよ! てか俺がどんだけチョコ貰ってたのかなんてお前には分かんねえだろ!」
「とうまも分かんないじゃん」
「……確かに」
上条当麻は記憶喪失だ。
つまり、去年のバレンタインに自分がどれだけの戦果をあげたのかは分からない。
というか、そもそも去年は受験だったはずで、おそらく死ぬ気で勉強しててそれどころではなかった可能性も高い。
それは記憶喪失直後から夏休みにもかかわらず補習に行くはめになっていた事からも伺える。
インデックスはわざとらしくコホンと咳をする。
「ま、まぁ、いくらとうまでもチョコ0個っていうのは可哀想だと思うし、イギリスから送ってあげないこともないかも」
「おー、じゃあオルソラにも頼んでくれよ! なんかすっげーチョコ作ってくれそうだし!」
「……とうまとうま、オルソラはちょーっと抜けてる所あるから、“ついうっかり”何か変なものが入ってても別におかしくないよね?」
「いやすみません、勘弁してください」
インデックスの脅しに数秒で屈する上条。
さらに彼女はニヤリと笑うと、こちらの皿をビシッと指差した。
「じゃあ、そのウインナーで手を打ってあげるんだよ!」
「………………」
「とうま?」
なんだか卑猥な発言だなー、なんて思った。
「い、いや、何でもねえよ。ほらよ」
「ありがとう! あーん…………あ」
嬉しそうに大口を開けるインデックスだったが、途中でピタリと動きを止める。
食べものを前に彼女が動きを止めるのはとても珍しい。
上条が首を傾げていると、ちょっと頬を染めたインデックスの口が開かれた。
「な、何だか昨日のすき焼き屋さんでの事思い出しちゃったんだよ」
「すき焼き屋? あー……」
このシチュエーションですき焼き屋と言えば、あの「あーん」してからかわれた事だろう。
確かにあの時は、上条も顔から火が出るんじゃないかと思うくらいに恥ずかしかった。
しかし、なぜだろう。
今思い返してみれば、たったそれだけで何であそこまで動揺していたのかが良く分からない。
ただそういった恋愛関係の事が大好きで興味津々な高校生のからかいだろう。そこまで真面目に受け止める必要もないはずだ。
あの場所の雰囲気とかの影響なのだろうか。
とにかく、今は全然気にならなくなっていた。
「別に気にしなくていいだろ。アイツらはいつもあんな感じだ」
「……え?」
「だから、いちいち気にしてたらこっちが保たないぞ。人間、時にはスルースキルというのも大切なのですよ。
ネットとかやってると凄く分かると思うけどな」
まぁインデックスはネットなんてやんないだろうけどなー、などと笑う上条。
インデックスは、少し驚いたように上条を見ていた。
そして、これは見間違いなのかもしれないが。
少し、寂しそうだった。
「というわけで、いちいち『あーん』ごときで動揺してたらまだまだですよインデックスさん。
あの変態青髪ピアスなんかは平気で放送禁止用語とか使ってくるからな」
「え、えっと……うん、分かった」
「それじゃあ上条さんのウインナーをありがたく頂くが良い! …………いや、やっぱなんかアレだな。このセリフ」
「?」
上条の言っていることが理解できないのか、キョトンと首を傾げるインデックス。
これだけ純粋な反応をされてしまうと、それだけ自分が汚れているんだと突き付けられているかのようだ。
ともあれ、目の前に食べものを差し出されて、いつまでも黙っているインデックスではない。
その大きな口を開くと、思い切りパクリといこうとする。
その時。
「ん?」
「むがっ!」
上条が不意に手を動かしたせいで、ウインナーは彼女の口の中ではなく頬にぶつかった。
インデックスはあまり女の子らしくない声を上げる。ぐちゅ、と油が頬につき、彼女は明らかに嫌そうな目でこちらを見る。
上条の視線の先には自分のケータイがあった。
「わりっ、着信みてえだ」
食事中に電話をするのも躊躇われるので、とりあえずベランダに出る上条。
まだ朝方という事もあって、外はかなり寒い。
そして電話の方はというと、どうやら相手は御坂美琴のようだ。
「もしもし? なんだよこんな朝っぱらから」
『ん? 目覚まし代わりにかけたつもりなんだけど、アンタもしかしてもう起きてた?』
「起きてるよ。つか目覚まし代わりってなんだ! 学校もないのに嫌がらせかよ!!」
『規則正しい生活は日頃から心がけたほうがいいわよー?』
「お前、カエルのストラップ返す時に深夜に電話して俺を叩き起こしただろ」
『カエルじゃなくてゲコ太! ていうかいいじゃない、遅寝早起き。やっぱ人間ってできるだけ長く活動するべきだと思うわよ私は』
「とてつもなく体に負担かかってるだろうけどな、それ」
そんな感じにほとんど内容のない会話をする二人。
こういうのは、どこか学校での土御門とか青髪ピアスとの会話と似ているような気がする。
『……ってそうだった、私は何もそんなくだらない事を話すためにわざわざ電話したわけじゃないわよ』
「そのくだらない事ってのにはゲコ太の事も入ってるのか?」
『んなわけないでしょうが! ぶっ飛ばすわよアンタ!!』
なんだか凄く怒られた。
これだけ熱中できる何かがあるっていうのは良い事なのかもしれない。
それがゲコ太という事に関しては、あまり羨ましくはないが。
『って、また話がズレてる! なに、もしかしてアンタ意図的にやってる!?』
「生憎上条さんにそんなスキルはないです」
『じゃあ素か。ホント質悪いわね』
「知ってるか御坂、会話ってのは二人居ないと成り立たないんだぜ」
『つまり、会話がズレるのは私にも責任があるって言いたいのね?』
「まぁ、別にズレてもいいんじゃねえの。その様子じゃそこまで大事な用じゃないだろ?
気楽にくだらない事話すってのも、それなりに楽しいと思うけどな」
『……わ、私も別に嫌いじゃないわよ。でも、とりあえず要件を先に聞きなさい』
「へいへい、了解」
美琴の声が少し柔らかくなった気がする。
最近の彼女はこうしてコロコロと機嫌が変わる。
『え、えっとね……昨日の事、なんだけどさ…………』
「昨日?」
『ほら、プールで! 私その、色々やっちゃったじゃない?』
「……そういやルール完全無視で能力全開なレベル5のお嬢様が居た気がするな」
『うっ……だから、えっと…………悪かったわよ』
「はい?」
『つまりね……その、謝りたかったわけ。ご、ごめんなさい』
「………………」
上条は硬直する。
今電話の向こうの主はなんと言った?
「悪い、俺の聞き間違いかもしんねえけど、お前今『ごめんなさい』って言ったか?」
『う、うん』
「…………御坂」
『なによ』
「お前疲れてんだよ。今日は一日大人しくしとけ。なっ?」
『いきなり何よ!』
「だってお前が素直に謝るなんてどう考えてもおかしいだろ!
はっ、もしかして誰かが御坂のふりをしてんのか!? おいお前、御坂をどうした!!!」
『私は正真正銘御坂美琴だああああああああああ!!!』
あまりの大声に、耳がキーンとする上条。
どうやら向こうは完全にブチギレてしまったようだ。
しかし上条の反応も仕方ないだろう。
美琴が素直に謝るなんていうのは、上条は今まで一度も見た事も聞いた事もなかった。
それだけに、先程の美琴の謝罪の言葉は違和感ありまくりで、もはや気味が悪いとさえ思った。
『なによ、そんなにおかしい!? ただ謝っただけで偽物認定とか、アンタの中で私は一体どうなってんのよ!!!』
「おお……そのキレ方は御坂か。なんだ脅かすなよ」
『私だって、昨日は悪い事したってちょっと真剣に考えてこうして電話したっていうのに、この扱いは何よ!!
つーか、なんかこんな状態が私の正常だって思ってるみたいだけど、それも全然違うからそこんとこ覚えとけやコラァァ!!!』
「分かった分かった。いつものお前で安心したよ。じゃあな」
『ちょ、ちょい待ち!』
テンション上がりまくってる美琴を放置して電話を切ろうとする上条だったが、すかさず止められた。
「なんだよ、早くしてくれねえと朝飯冷めちまうんだけど」
『あー、えっと、ほらあのシスターはどうなのよ? 解決できそう?』
「インデックスか……。いや、まだダメだ。ちょっとずつ良くはなってるらしいけど」
『そう……。あのさ、私にできることは言いなさいよ。協力したげるから』
「……お前ってアイツとは仲悪かったよな? どうしてそこまでしてくれんだ?」
『……あ、アンタが』
「俺?」
『何でもない!! 別にただの気まぐれよ!! じゃあね!!』
結局向こうから一方的に切られてしまった。
やはり彼女は何を考えているのかいまいちよく分からない。
まぁ、根は良い奴という事は分かっているので、案外ただ放っておけないとかそういった理由なのだろう。
上条は居間へ戻ってきた。
もしかしたら自分が居ない隙にインデックスが朝食を食べ尽くしてしまっているんじゃないかとも心配したが、意外と無事だった。
「お、俺の飯が少しも減らずに残っている……ッ!!」
「そこまで驚かれるとちょっと心外かも」
インデックスはぷくーっと頬を膨らませる。
「それで、こんな朝から何の電話だったの? もしかして、こもえから補習のお知らせとか?」
「違う違う。なんか御坂が昨日のビリビリの事を謝ってきてな。珍しいこともあるもんだ」
「……ふーん」
途端に不機嫌になるインデックス。
やはり基本的に仲は悪いらしく、こうして少しでも話題にあがると機嫌を損ねてしまうことが多い。
いったい何がそんなに気に入らないのかと不思議だが、そういう馬が合う合わないがあるのだろう。
「それに、お前の事も気にかけてるみたいだったぜ」
「短髪が?」
「あぁ、何だかんだ良い奴だからなアイツも。文句言いながらも俺の宿題手伝ってくれたり、ハワイまで来てくれたりするしな」
「………………」
インデックスは少し俯く。
上条はあれ? と疑問を抱く。
素直になれずに素っ気ない事を言いながらも、どこか嬉しそうといった反応を予想していたのだが。
「インデックス?」
「私も、短髪が結構良い人ってのは何となく分かるんだよ。それに可愛いし、物知りだし……」
「そりゃあの常盤台のお嬢様だからなー。あの学校、優秀じゃないと王女様とかでも平気で落とすらしいぜ」
「……とうまはさ」
ここでインデックスは一息つく。
いつの間にか、何やらシリアスな雰囲気になっている。
先程までは楽しく今日の予定を決めていたはずなのだが、今はどこか重苦しい空気で満ちている。
彼女は次の言葉を言うかどうか躊躇っているようだ。
そんなに言い難いことなのか、と上条は少し気になってくる。
ここで結局何も言われないというのも、それはそれで後味が悪い気がする。
すると、彼女は意を決したようで、真剣な表情でこちらを真っ直ぐ見てくる。
その小さな口が、ゆっくりと開く。
「とうまは、短髪のこと好き?」
唖然としてしまった。
ここまで真剣なインデックスはあまり見ないので、それだけ重大な話だと思ってた。
しかし、いざ聞いてみれば女の子が大好きな恋バナだったというオチだ。
上条はかなりの肩透かし感を覚えて溜息をつく。
味噌汁を一口飲んでみると、随分と冷めてしまっている。
「……まぁ嫌いじゃねえよ」
「じゃあ好きなの?」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
もう受け答えも適当になってる上条だったが、インデックスはまだ真剣な表情のままだ。
そんな二人の温度差が、何かチグハグな空気を生み出していく。
「でもとうま、短髪の事話す時とっても楽しそうなんだよ」
「そうか? 土御門とか青ピの事話す時も同じようなもんだろ」
「……本当にそうなのかな。他に何か思うところがあるんじゃんないかな」
「ねえって。ちょっとしつこいぞお前」
イライラしてきた。
彼女の言葉でここまで頭にくるのは初めてかもしれない。
いつもはどれだけ彼女がワガママを言っても、まったく気にならないのに。
まただ。
また、自分の感情がコントロールできなくなっている気がする。
「つーか、そういうお前の方だってどうなんだよ」
「えっ?」
「なんかステイルと良い感じみてえじゃねえか。もしかしてお前の方が進んでんじゃねえの」
「な、なんでステイルが出てくるんだよ!」
インデックスはガタッと立ち上がる。
予想以上に大きなリアクションで、案外当たってるのだろうとぼんやりと推測する。
上条はフンと鼻で笑う。
「動揺しすぎ。まっ、別にいいんじゃねえの。結構お似合いじゃねえか。
そっか、いきなりそういう話してきたってのも、自分はもう誰かとくっついてる余裕からってわけか」
「勝手に何言ってるのかな! 別にステイルとは何もないんだよ!」
「じゃあお前も勝手に色々想像して言ってんじゃねえよ。大体、俺が誰を好きでもお前には何の関係もねえだろうが」
「関係なくない!」
インデックスは自分を落ち着かせるように深呼吸する。
上条はただ黙っていた。
これから彼女がどんな事を言うのか、それが気になった。
「……とうまに好きな人がいるのなら、私はここに居るべきじゃないんだよ。とうまにとっても、その相手の人にとっても良くない」
「お前が気にすることじゃねえだろ。俺はお前の問題を解決するのに協力したいと思ってるんだ」
「とうまの幸せを邪魔しているのに、気にしないなんて無理なんだよ!
私がここに同居してたら、相手の子も絶対何か勘違いする! とうまはそれでいいの!? 」
「だからそんな相手はいねえって言ってんだろうが!!!」
いつの間にか上条も叫んでいた。
胸がズキズキと鈍く痛む。
そしてそんな痛みを感じている事自体にも嫌気が差し、目を逸らしたくなる。
叫んでも痛みは消えてくれない。
むしろ、悪化している気さえする。
「だからお前はそういう事気にしなくていいんだよ!! 俺がやりたいからやってんだ!!
お前がここに居るのは、手段であっても目的じゃねえ。お前はイギリス清教で仕事する道を選んだんだろ!」
「……ッ!」
「それならいつまでもここの事を引きずってんじゃねえよ!
お前はイギリスで新しい仲間と一緒に暮らすんだ。恋人でも何でも、そっちで勝手に――――」
バタン! と。
上条の言葉が終わる前に、インデックスは外へ飛び出て行ってしまった。
かなり早い動作だったので、その表情は良く見えなかった、が。
小刻みに震えて、それに鼻をすする音も聞こえたので、おそらく泣いていたのだろう。
上条はただ黙って立っていた。
いつ立ち上がったのかもあまりよく覚えていなく、それだけ頭に血が上っていたのだろう。
昨日は吹っ切れた気がしたのに。
これからは余計な事を考えずに、彼女の道の障害を取り除く手伝いだけをしようと思えたのに。
何か裏目に出てしまっているような気がしてならない。
ニャー、と三毛猫が心配そうにこちらを見てくる。
上条はその鳴き声を合図にするように、力なく床に座り込んだ。
何も、やる気が起きない。
何も、考えたくない。
日は徐々に昇っていき、部屋も次第に明るくなっていく。
しかし、この部屋の空気はどこか重く冷たい。
ただひたすら、部屋を静寂が包む。
インデックスは、帰ってこない。
***
カチカチ……と、時計の音だけが部屋に響く。
どれだけ時間が経ったのだろうか。
上条は身じろぎ一つせずにいた。
テーブルの上にはすっかり冷めてしまった朝食がそのまま残っている。
インデックスはどこへ行ったのだろうか。
ちゃんとここまで戻って来られるのだろうか。
運良く知り合いに出会えば何とかなるかもしれないが、彼女一人だとおそらく厳しいだろう。
気付けば彼女の事ばかりを考えている。
当たり前だ。
上条にとって彼女はかけがえのない大切な存在であり、心配しないわけがない。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
ここ最近、自分の心が良く分からない。
どうでもいい事で嫌な気持ちになってしまう。
そしてそんな自分自身にも嫌気がさすという無限ループだ。
ふいに、手にザラザラとした生暖かい感触が加わる。
目だけを動かしてみると、三毛猫のスフィンクスが上条の手を舐めていた。
飼い主が居なくなって寂しくなったのか。
「……分かってる。俺が悪かった」
スフィンクスに言っても仕方ないのは分かっているが、そう言わずにはいられなかった。
何であんな事を言ってしまったのだろうか、と後悔する。
インデックスにとって、ここ学園都市での思い出は大切なものであり、例えイギリスへ行っても胸に残していたいものだろう。
上条はそれを軽視するような言葉を投げつけてしまった。
もしかしたら、心のどこかでインデックスがここから居なくなるのを恐れているのかもしれない。
一ヶ月前、彼女がイギリスへ帰ってしまった後、上条はどうしようもない空虚感に襲われた。それも自暴自棄気味になるほどだ。
またあのような事になるのは怖い。
しかし、だからといって自分勝手な理由で彼女を引き止める訳にはいかない。
そんな板挟みの状況の焦りから、あんな事を言ってしまったのだろうか。
八つ当たりもいいところである。
スフィンクスがニャーと鳴く。
「――――あぁ、謝らないとな」
上条は重い腰を上げた。
ずっと同じ体勢でいたせいか、少し捻ってみるとボキボキという音が鳴る。
とにかく謝って、インデックスと仲直りをしなければいけない。
その後、次は冷静に、きちんと話したい。
彼女は自分にとって大切な存在で、彼女の力になりたいと思っている。
そして彼女自身のためというのもそうだが、自分にとっても彼女と共に居る空間は心地よいもので、残り僅かな時間でも大切にしたいという事。
時計を見てみると、10時過ぎだった。
お昼になったらお腹を空かせて帰ってきたりしないかな、などと考えるが、自分から探すに越したことはないだろう。その時間になったら一度家に帰って来てみればいいのだ。
天気が良いのも幸いしている。これで雨やら雪だったら、外でどれだけ彼女が辛い思いをしているか分からない。精神的な面では、十分辛い思いをしているのだろうが。
上条がケータイに手を伸ばすと、どうやら電源が切れているようだった。
それから起動しようとしてもうんともすんとも言わないのを見ると、どうやら充電切れのようだ。
そういえば昨日は疲れてすぐに寝てしまったので充電してなかった。
上条はすぐに充電器にケータイを繋いだまま電源をつける。
充電しながら使うのはバッテリーに良くないらしいが、今は気にしている場合ではない。
「ん、土御門から着信?」
待受画面が表示されると、着信が数回来ているのが分かる。
どれも隣人である土御門からだった。
時間はおそらくインデックスが出て行ってから少し経った頃だろうか。
とにかく、折り返しかけてみる事にする。
だが、出ない。
結局電話はお留守番サービスに切り替わってしまい、とりあえず何の用かと残しておく。
そこで上条はとある事に気付く。
何やらこちらにも留守電メッセージが残っている。
普段あまり使わないので気付かなかった。
『もしもし、何で電話出れないんだカミやん? まーたいつもの不幸ってやつかにゃー?
まぁカミやんの事だから、ケータイを踏んづけたり水没させたりしてるかもだけど』
そんな感じに切り出したのは案の定土御門だった。
いつもの軽い調子で淡々と話していく。
しかし、厄介事について話す時もこんな感じなので、ただの無駄話だと決め付けるわけにもいかない。
そして、案の定。
『俺が電話したのはインデックスについてだにゃー。俺もさっき知らされたばっかなんだけど…………なんか悪化してるみたいだぜい?』
上条の目が大きく開かれる。
心のどこかで心配していた事が当たってしまった。
『少しずつだけどこっちに来てから良くなってたらしいのに、一体どうしたにゃー? 向こうの連中もちょい慌ててるぜい?
あっ、でもまだ心配はいらないさ。別に今すぐイギリスに連れ戻せなんていう命令は出ていない』
頭の中でドクンドクンという音が鳴り響く。
喉がカラカラだ。
冷汗が頬を伝う。
『けど、こうしてる今もインデックスの状態は悪化してる。このままいくと、術式の不具合が増大して彼女の身体に影響が出てくる。
それに、術式が不安定なせいなのかどうかは分からないが、位置の補足もできないらしい。
ぶっちゃけ、のんびりしてる暇はないぜい。とりあえず今からカミやんの部屋まで行くから、どっか行ってるなら一旦戻って来てくれ。じゃあな』
ここまでで、伝言は終わった。
話の流れから、どうやら土御門は隣の部屋にいないらしく、こっちに向かって来ているところらしい。
伝言が残されてから少し経つので、もうすぐ来るはずだ。
上条はすぐにケータイを操作し始める。
様々な後悔や自分への怒りが頭を巡るが、今はそれに気を取られている場合ではない。
警備員(アンチスキル)に連絡しようかとも考えたが、彼女は魔術サイドの人間であるので、色々と問題がでてくる。
おそらくきちんと保護してくれるとは思うが、その後どうするかは分からない。イギリスへ送り返される可能性だってある。
そもそも、イギリス清教側も術式のことを学園都市に細かく説明しているとも言い切れないので、まだ異変に気付かれていないかもしれない。
「知り合いに頼んでみるか」
昨日風斬を探したのと同じ方法で、とにかくインデックスを知っている者全員にメールを送信する。
まさか昨日のように上手くはいかないかもしれないが、やれることはやっておきたい。
メールを送り終えた直後、部屋にインターホンの音が鳴り響いた。土御門が来たみたいだ。
上条はすぐに立ち上がると、玄関へ足早に向かう。
扉を開けると、そこには少し息を切らせた土御門が居た。どうやら走ってきたらしい。
玄関先で立ち話というのもあれなので、土御門を家に入れる。
走ってきて少し疲れている様子なので、麦茶をテーブルに置いてやる。
いくら時間がないとはいえ、焦るわけにはいかない。
焦りは判断力を鈍らせる。
「……ふぅ、生き返るぜい。そんでカミやん、インデックスの居場所は?」
「分かんねえ。ていうかお前、何で電話出なかったんだ? まぁ俺も出れなかったんだけどさ……」
「電話……あぁ、電話ね…………」
「……土御門?」
何か考え込むようにしている土御門に、上条は首を傾げる。
どこにそこまで考える要素があるのだろうか。
「いや、悪い悪い。こっちもちょい忙しくてな。
それで、インデックスが行きそうな場所に心当たりはないか? 何でもいい」
「心当たり……あるとしたら小萌先生のアパートとかかな。
でもアイツはどこかに行こうと思ってちゃんとそこに着ける奴じゃないし、可能性は低いと思う」
「道に迷っているってパターンか。厄介だな」
「そっちの連中の位置を補足する系統の術式も使えないんだっけか? どうにかして使えるようにはならねえのか?」
「……あ、あぁ、そうだな。頑張ってはいるらしい」
土御門にしては珍しく歯切れが悪い。
まぁ上条も魔術に詳しいというわけではないので、目の前の男の言葉を信じるしかないのだが。
インデックスはケータイを持っているはずで、もちろん既に連絡はしたのだが、案の定出なかった。
それは意図的に出ないのか、それとも単にケータイを使えていないのかはよく分からない。
「とりあえずインデックスを知ってる連中には見かけたら知らせてくれってメールはしといた。
けどこっちも人数は少ないから、余程運が良くねえと偶然見かけるなんて事はねえだろうな」
「メール? 誰に?」
土御門がテーブルの対面から身を乗り出してきた。
予想以上の食い付いた反応に、上条はケータイを渡してメールを送った相手を確認させる。
「………………」
「な、何かまずかったか?」
あまりに深刻な表情をしている土御門に、上条は不安になってくる。
何がいけなかったのかと、メールを確認するために土御門の手の中の自分のケータイへと手を伸ばす。
すると、土御門は上条の伸ばした手を“避けた”。
「……え?」
上条はこの土御門の反応に見覚えがあった。
それは右手を本能的に“恐れている”動きだ。
以前もミーシャ=クロイツェフや風斬氷華などで見たことがある動きだ。
土御門が何かの術式を纏っていて、それを破壊されないようにした、という可能性も考えられる。
しかし、それならどうして何も言ってくれないのだろうか。
そして、なぜいつまで経ってもケータイを返してくれないのだろうか。
「……あーあ」
バキッと、上条のケータイが真っ二つに折られた。
そして驚く間もなく、上条の顔面を強烈な右フックが捉えた。
「がっ!!」
ガシャーン! と、様々なものを散らかしながら、上条はベランダの方へと吹っ飛ばされる。
口の中に鉄の味が広がり、吐き出すと血の塊が床に落ちる。
上条はフラフラと立ち上がると、目の前の男を凝視する。
いきなり脳を揺さぶられたせいで視界がクラクラと歪み、立っているのもやっとだ。
「お前は、誰だ」
「……はっ、偽物だと疑っているのか? 前にも言った事あると思うけど、俺は天邪鬼なんだぜい?」
「確かにアイツは嘘つきだ。いつも何考えてんのか良く分かんねえ。海の家ではボコボコにされたしな。
それに面倒事は押し付けられるわ、学校では真のメイドについて意味分かんねえ事ばっか言ってるわで変な奴だ」
「――けど、アイツはそんな冷たい目はしないんだよ」
目の前の男の表情が変わる。
先程までは余裕たっぷりといったニヤニヤとした笑みが浮かんでいたのだが、今ではそれも消えている。
代わりに恐ろしく冷たい、高校生に、いや人間にここまでの表情ができるのかというような表情が現れていた。
上条はそれを見て、背筋が寒くなるのを感じる。
「……冷たい? どこら辺が? 目で分かるのか? 具体的に言えるのか?」
「一体何を……」
「お前に何が分かる。人の心なんていうものは単純だ。そんなもので何かを判断するなんていうのは愚か者のすることだ。
俺は、お前らが人の心を信じて希望を持つのを見ると虫酸が走る。そんなもので何かを変えることなんてできない」
昨日、食蜂操祈と会った時の事を思い出す。
優れた洗脳能力を持つ者にとって、周りの人間がどんなに笑顔でいてもそれに価値を見出すことはできない。
なぜなら彼らにとって、それらは指先一つで簡単に作り出せるものだからだ。
精神系の能力を持つが故に自身の精神にも変調をきしてしまうケースは少なくない。
それも、高レベルになっていく程、その反動は高まる。
上条は目を細める。
やっと視界も戻ってきた。
これなら、戦える。
「洗脳能力(マリオネッテ)か」
土御門は目を細める。
「……へぇ、やるな。だが分かったところでどうする? この男の身体能力なら、お前に負ける事はまずありえない。
それが素人とプロの差だ。お前自身も分かっているのだろう?」
「あぁ、前にケンカした時も歯が立たなかったからな。だが、あの時とは状況がだいぶ違う」
「ほう?」
「お前は明らかに俺の右手を避けた。つまり、これが触れればその洗脳は解けるんじゃねえか?
確かに殴り合いで勝つのは難しいかもしれないが、ただ触れるだけでいいなら俺にだってできるはずだ」
上条は少し腰を落として、相手の動きに注目する。
いつまでもここに居るわけにはいかない。
こうして何者かの介入が確認された以上、一刻も早くインデックスを見つける必要がある。
次の瞬間、二人は同時に動き出し、ぶつかった。
***
とある建物の一室。
そこにはフカフカのカーペットに同じくフカフカのソファー、そして大きな薄型テレビというセレブ空間が広がっている。
部屋の中央にはお洒落なガラステーブルがあり、その上には紅茶の注がれたカップが置いてある。
現在ソファーの上で本を読んで、この空間を思う存分満喫している者は麦野沈利。
ここはアイテムの隠れ家だ。
だから、いくら端から見れば快適そうな空間であっても、使っている本人はそこまでくつろげるわけではない。
敵の襲撃があれば即座に捨てるような場所だ。
初めからそういった認識でいるために、どうしても居心地の良さを感じることなどできない。
麦野が紅茶を一口飲み手に持った本をめくった時、スタスタと足音が聞こえてくる。
「……ん、おはようむぎの」
「アンタは相変わらず良く寝るわね」
寝ぼけ眼を擦りながら歩いてきたのは滝壺理后だった。
彼女は割と早く寝るのに起きてくるのは遅い、つまり早寝遅起きというわけなのだが、これが健康的かどうかは微妙である。
普段もぼーっとしているかと思えば、少し目を離したら寝ていたりという自由奔放っぷりだ。
まぁ自由奔放というのは、アイテムのほとんどに当てはまることなのだが。
約二名に対しては自分勝手やら自己中心的といった方が適切か。
滝壺はまだ覚醒していない頭を少し動かして周りを見る。
「はまづらときぬはたは?」
「デート」
「は?」
麦野の言葉を聞いた瞬間、滝壺は地を這うような声を出す。無表情で。
その迫力は凄まじく、一気に部屋の雰囲気がドス黒くなったようだ。
もしも浜面本人がいたら縮み上がっているはずだが、麦野は特に気にした様子も見せずに、面倒くさそうに口を開く。
「冗談よ。浜面はなんか上条から電話かかってきたとか言って出て行ったわよ。
何でもあのシスターがどっか行っちゃったとかなんとか。絹旗はいつものB級映画でも観に行ったんでしょ」
「そう……私もはまづらを手伝おうかな」
「浜面といい、相変わらずお人好しね。まぁ好きにしなさいよ」
麦野は明らかに興味無さそうにそう言うと、再び視線を本へと戻す。
滝壺は浜面と連絡を取ろうとしているのだろう、ケータイを操作している。
すると、その時。
「おーっす。滝壺起きてるかー?」
「超帰りましたー」
まるで子供の待つ家に帰ってきた夫婦であるかのように。
浜面と絹旗は仲良く二人で隠れ家に入ってきた。
滝壺は恐ろしい目で浜面を見る。
「ひ、ひぃ!? どうしたんだよ滝壺」
「……まるでデート帰りみたいだね、はまづら」
「ち、違う! 違うぞ滝壺! 絹旗とはたまたま入り口で会っただけで……」
「それも良くある言い訳ね」
「む、麦野まで煽ってんじゃねええ!!」
必死に弁解する浜面だったが、滝壺の目はますます疑わしげなものになる。
一方絹旗はまるで自分は関係のないように、冷蔵庫からジュースを取り出すと一口飲む。
それから。
なぜか。
絹旗最愛は拳銃を取り出す。
「きぬはた?」
「ん、あぁ、これの調子が超悪くてですね。実に癪ですが浜面に見てもらおうかと思っていたんですよ」
「癪ってお前なぁ……まぁ見せてみろよ」
一応手先の器用さはそこそこ自信がある浜面。
絹旗が放り投げた拳銃を受け取ると、慣れた手つきで分解する。
「……んー、別におかしいところはねえと思うけどな」
「やっぱり超使えない浜面ですね」
「う、うっせえな。だってほら」
そう言って素早く分解した銃を元に戻して。
そして。
迷いなく麦野に向かって発砲した。
「ッ!!!」
バァン!!! と甲高い音が鳴り響き、先程まで麦野が座っていたソファーに穴が開く。
麦野は既に回避しており、鋭い目付きで浜面を睨みつける。
「テメェ……何のつもりだ浜面ァァ!!!」
「はま……づら?」
滝壺も目を見開いて驚いている。
しかし、浜面は何でもないように口を開く。
まるで、今撃ったのは練習用の的であるかのように。
「ほらな、ちゃんと撃てるじゃねえか絹旗」
「おかしいですね」
絹旗の声は麦野の真後ろから聞こえた。
麦野はバッと振り返るが――。
ドガァァァ!! と、爆弾でも爆発したかのような衝撃が広がった。
絹旗は、ただ麦野の脳天目がけて拳を振り下ろしただけ。
もしも彼女が何の力も持たない少女だったら、それはただの痛いゲンコツだったのだろう。
しかし、彼女には窒素装甲(オフェンスアーマー)という能力がある。
これにより、彼女は少女はおろか、通常人間が出せないような力を発揮する事ができる。
この力で本気で殴りつければ、人間の頭はトマトのようにグチャリと潰れる。
「……おい、何のつもりだ」
麦野は生きている。
先程の衝撃で舞い上がったホコリの中で、頭から血を流して彼女は立っていた。
おそらく、あそこまでの至近距離では完全に回避することができなかったのだろう。
麦野の問いに、浜面と絹旗は答えない。
本当に言葉が聞こえているかどうかも怪しい。
その様子を見て、滝壺がハッとする。
「むぎの、たぶん精神系の能力者にやられてる」
「……なるほどね。滝壺、あんた何とかできない?」
「やってみる」
滝壺は集中のためか、目を閉じる。
その瞬間。
浜面が自分のこめかみに銃口を向けた。
「なっ、おい浜面!!!」
麦野の声に、滝壺は目を開ける。
「はまづら!!!」
滝壺が痛烈な悲鳴をあげた、その時。
カツカツと。
足音が聞こえてきた。
音源は、入り口のドア付近。
ドアの開く音なんて聞こえなかったにも関わらず。
「いい部屋ねぇ。セレブ力が感じられるわぁ」
ハイヒールに黒のドレス。
まるでどこかの舞踏会からそのまま来たかのような姿で。
食蜂操祈は不敵に笑っていた。
「第五位……テメェかァァ!!!!!」
麦野は即座に原子崩し(メルトダウナー)を発動する。
しかし、その光線が食蜂へと放たれる前に。
バァン!!! と、再び銃声が鳴り響いた。
音源は浜面仕上の手の中。
彼は自身の肩を銃で撃ち抜いていた。
そこからはかなりの量の血が噴き出る。
「はまづら!!!」
滝壺が叫ぶ。
麦野の動きが止まる。
以前までの彼女なら、構わずに食蜂へと光線を撃ち込んでいただろう。
だが、今は違う。彼女には、それができない。
「貴方達の置かれている立場。少しは理解してくれたかしらぁ?」
「…………」
麦野は目の前の敵を睨みながら、今の状況を考える。
浜面と絹旗は外で洗脳にあった。
狙いは「アイテム」自体か。
(……いや、それならもっと楽なタイミングで仕掛けてくるはずだ)
例えば何らかの仕事が終わった直後など。
わざわざ隠れ家にまで乗り込んでくるのはあまり賢いとはいえない。
という事は、食蜂の目的は他にある。
このタイミングでなければいけなかった訳、それは。
「――――あのシスター関係か?」
麦野の言葉に、食蜂は目を丸くする。
「へぇ、思考力あるのねぇ」
純粋に感心しながら、食蜂はあっさりと肯定した。
それはこの状況をひっくり返すなんて事はできないという余裕からだろうか。
「でもぉ、正直第四位のお姉さんには用がないのぉ。問題はあなた」
そう言って細い指で指したその先には、滝壺理后がいた。
「私……?」
「えぇ。まぁどっちにしろそこのお姉さんが邪魔するだろうから、先に動けなくしようとしたんだけど。
あなたはあまり傷付けるわけにもいかないからねぇ」
「何で、私なの?」
「あなたは私の能力への対抗策を持っている。まぁ、それはそこのお姉さんもそうかしらぁ。
根っこは御坂さんの力と似ているみたいだしぃ」
麦野の能力も、元は電子を操る力だ。
故に美琴も麦野も、互いの能力に干渉できる程には似通っているものがある。
「でもでもぉ、御坂さんやそこのお姉さんはあくまで『自分の身を守る』程度しかできない。
私にとって、それはそこまで問題じゃないのよぉ。でもあなたは違う」
食蜂はそこで言葉を切ると、滝壺を見つめる。
今度は、明らかに敵意を持った視線で。
「あなたはAIM拡散力場に干渉して、能力を解除してしまう。自分だけじゃなくて、他人にかけられたものもね。
もしも対象に触れる必要がないのなら、それは上条さんの『幻想殺し(イマジンブレイカー)』よりも厄介だわぁ」
「……私をどうしたいの?」
「ふふ、安心してぇ。殺したりなんかはしないわぁ。ただぁ、ちょーっと言う事聞いてほしいなぁってぇ」
そう言いながら、食蜂は手に持つリモコンをクルクルとバトンのように回す。
滝壺はチラリと浜面を見る。
虚ろな目で、ただ呆然と銃口を自分のこめかみに突き付けているその姿に。
滝壺は、静かに目を閉じる。
「いい子ねぇ」
ピッ、と。
軽い電子音が聞こえた。
そんな軽い音で。
とてつもなく重いものも、変わってしまう。
次に滝壺が目を開けた時。
その目は、浜面と絹旗と同じく、虚ろなものになっていた。
「じゃあ次は――――」
すると。
食蜂が満足気に何かを言おうとした次の瞬間。
ドガァァァァァァァァ!!! と。
部屋に巨大な爆発が巻き起こった。
「んっ……!」
食蜂は煩わしそうに手でホコリやら煙を振り払う。
視界が再び開けた時。
麦野沈利だけが、忽然と姿を消していた。
食蜂はただ無表情でそれを見つめた後、
「――まぁいいわぁ」
そう言って、まるで少しお茶に寄ったかのような軽い足取りでアイテムの隠れ家から出て行った。
***
第七学区のとあるマンション。
元々は黄泉川愛穂の使用する場所なのだが、今では4人もの居候が住み着いていたりする。
白髪赤眼の学園都市第一位の能力者、一方通行もその一人だ。
一方通行は缶コーヒーが大量に入ったコンビニのビニール袋を手からぶら下げ、マンションのエレベーターに乗り込む。
実際コンビニで買うよりもスーパーで買ったほうが安上がりなのだが、彼は絶対に自分からそんな所に行ったりはしない。
番外個体と共にお使いに出た時は、本当に疲れたのを覚えている。
そんな事を考えている内に、エレベーターは13階まで到達し、その階のとある一室の扉を開いた。
一方通行はすぐに部屋に上がらず、玄関先で首を傾げる。
玄関に靴が一つもない。
家主の黄泉川が留守、これはそこまで珍しいことではない。
彼女は警備員(アンチスキル)の仕事でよく家を空けている。
打ち止めに関してもそこまで珍しい事ではない。
あの落ち着きのない性格だ。ずっと家で大人しくしているなんていう事は到底できない。
まぁしかし、彼女を一人にするのは危険だというのは事実なので、これから探しに行くはめになりそうだが。
珍しいのは、芳川桔梗と番外個体までもが居ないという事だ。
どちらも外に出ることほとんどなく、芳川に至っては「太陽が苦手」などとバンパイアじみた事を言うほどのインドア派だ。
冬とはいえ、今日のようによく晴れた天気はキツイのではないだろうか。
……もしかしたら打ち止めと番外個体を連れて、どこかへ検査にでも行ったのか。
何となく、それが一番ありえそうに思える。
一方通行はとりあえず玄関に靴を脱ぎ捨て、部屋に上がる。
そして大量の缶コーヒーを冷蔵庫に入れようと、そこからキッチンへと向かう事にする。
以前に黄泉川が「冷蔵庫がコーヒーで埋め尽くされてるじゃん!!」などと言っていた事を少し気にして、コーヒーはいつもよりは少なめだ。
しかし、キッチンへ向かう途中に居間に入った時。
一方通行の足が止まる。
「……あら、お邪魔してるわよ」
結標淡希。
元グループのメンバーであり、レベル4の座標移動(ムーブポイント)を持つ少女。
その少女が、まるで自分の家であるかのように、ソファーでくつろいでいた。
「何の用だ、変態ショタコン女」
「ぶっ、しょ、ショタ……ッ!? 貴方まだそんな事言ってるの!?
だから、何度も言ってるけど、私はそんなんじゃ……」
「『あすなろ園』に行けなくて残念だったなァ?」
「ごぶっ!!! な、何でそれを!!!」
「これでもォ言い逃れはできねェなァ?」
「……わ、私はこれでも女よ! 子供が好きで何が悪いのよ!!!」
「開き直りやがったか……」
なぜか誇らしげに胸を張る結標に、一方通行は呆れて溜息をつく。
「つーか、ショタの写真見て『うぇっへっへ』とか気持ち悪い笑みを浮かべといて、ただの子供好きってのは無理があるンじゃねェの」
「何でそんな事まで知ってんのよ!!!!! まさか盗撮とかしてないでしょうね!?」
「……マジでやってンのかよ」
「はっ、か、カマかけ!? あっ、ちがっ、それは!!!」
明らかに動揺する結標に、一方通行は割と本気で引く。
一方通行を引かせるというのは、大したものだ。
「……もォいい。で、ショタコン。何の用だ」
「そ、その呼び方止めなさいよ!! えっと、用っていうのは、実は私個人として用があるってわけじゃないのよ」
「あ?」
結標の言葉に怪訝な表情をする一方通行。
その時。
「用があるのは私よぉ」
一方通行は首筋にある電極チョーカーの電源を入れながら、すぐに振り返る。
そこに居たのは、黒いドレスを着た食蜂操祈だった。
「第五位か。いいのか、常盤台のお嬢様が不法侵入なンてよォ」
「バレなきゃ犯罪じゃないのよぉ。私の隠蔽力にかかれば平気よぉ」
「……何の用だ」
一方通行は注意深く食蜂を観察する。
ここに芳川や打ち止めが居ないのは好都合だ。
何も気にせずに存分に暴れる事ができる。
「ふふっ。あなた、私の忠実なナイトになってみなぁい?」
「ふざけてンのか?」
「大真面目よぉ。それに、あなたに拒否権はないしぃ」
そう言って、食蜂はリモコンを真っ直ぐ一方通行に突きつける。
それでも、一方通行の表情は少しも変わらない。
「ンなモン効くと思ってンのか? おめでたい頭してやがンな」
「……ふふ」
その食蜂の笑みを見て。
一方通行はここで初めて、微かに焦りを見せる。
もし、本当に操るつもりだったのなら、なぜ能力オフモードの時に狙って来なかった?
なぜ、わざわざ能力を使わせた状態で、こんな真正面から挑んできた?
その解が出る前に。
一方通行の身体の力が抜け落ちた。
学園都市最強の少年は、為す術もなく、バタッと床に倒れモゾモゾと動く事しかできない。
声も出ない。周りの状況が理解できない考えられない。
これは。
「大丈夫? ってミサカはミサカは心配してみたり」
いつの間にか、打ち止めが部屋に居た。
その目は、虚ろな光を宿していた。
食蜂は笑う。
それは楽しそうに、クスクスと。
もちろん、一方通行が能力を使っていない時に狙うというのが一番簡単な方法だったはずだ。
だが、たまにはこうして真正面から崩すのも楽しい。
それは、ただの趣味。
女王の、娯楽。
食蜂は口元に笑みを浮かべながら、改めて床に倒れる一方通行へとリモコンを向ける。
一方で、顔は打ち止めの方を向いていた。
「じゃあ、あなたのナイトさん、ちょっと借りるわねぇ」
***
御坂美琴は第七学区を疾走していた。
いや、正しくは疾空というべきか。
磁力の力を使って、次々と建物から建物へと飛び移っていくその姿は、端から見れば空を飛んでいるようにしか見えない。
白井黒子の様子がおかしい。初春飾利の様子がおかしい。
美琴はすぐに分かった。同じような事を大覇星祭の時にやられた事がある。
「食蜂……ッ!!」
美琴はギリッと奥歯を噛み締める。
初春が黙々と調べている内容を見て、大方の目的は分かった。
その後、彼女には眠ってもらう必要があったが。
美琴はとある公園に着地する。
そこのブランコで。
俯いて両足をブラブラさせている少女が一人。
美琴は黙ってその少女に歩み寄る。
すると少女はその気配に気付いたのか、顔を上げて驚きの表情を浮かべた。
「――――短髪?」
今回はここまでー
最近の超電磁砲を読む限り、みさきちはそこまで悪い子じゃなさそう
上条「インデックス、ちょっとそこ座れ」 イン「もう座ってるんだよ」
って>>1の作品だったりする?
***
どこかの高層ビルの最上階にあるような高級レストランのような空間がある。
といっても、この部屋がそこまで高い場所にあるわけではない。せいぜい5階程度か。
それでも、外の眺めは素晴らしく、天井と壁の一面に張り巡らされたガラス窓からは青い空と美しい街並みを見ることができる。
夜になれば街の光もついて、より美しい眺めになりそうだ。
そんな空間で、食蜂操祈は豪華な黒いドレスに身を包んで、高そうなテーブルで高そうな紅茶を楽しんでいた。
一人ではない。
対面には、ホストの制服とも学生服とも見えるものに身を包んだ金髪の少年がいる。
こちらは昼間から生ジョッキをグビグビ飲んでいる。何ともこの空間とは不釣り合いな感じだ。
「未成年飲酒はいけないんだぞぉ☆」
「うっせーな。今どき律儀に成人するまで酒もタバコもやらねえ奴なんかいねえだろ。
もしそんな奴がいるなら、それこそ聖人君子サマだろうよ」
「それにしたって、ビールってチョイスはどうかと思うわぁ」
食蜂は溜息をついて、紅茶を一口ふくむ。
もともと、真面目に注意するつもりもないらしい。
金髪の少年は、口元についたビールの泡を手の甲で拭って口を開く。
「つーか、その格好動きにくくねえのか? 仕事仲間にも常時ドレスっつー奴がいるけど、戦闘に向かねえだろそりゃ」
「そのお仲間さん、もしかして精神系統の能力者かしらぁ?」
「ん、知ってんのか?」
「ふふ、ちょっとした推理力を働かせただけよぉ。わざわざ動きにくい格好をしても問題ないっていったら、やっぱり精神系の能力じゃなぁい?」
「まぁそうかもしんねえけどよ、状況によっては邪魔になる時もあるだろ」
「マイナスな部分だけじゃないわよぉ。ほら、人間ってこういう服を着ている相手には無意識に警戒を弱めたりするじゃなぁい。
例えば、同じ人でも軍服を着ているのとTシャツにジーンズっていうのとだと随分違うでしょぉ?」
「あー、まぁ、確かにな」
「それにこの服、結構色々隠せる場所があるのよぉ?」
食蜂は妙に色っぽくそんな事を言う。
とはいえ、実際のところは彼女は拳銃やらナイフやらは使わないので、隠すものといっても能力のためのリモコンくらいしかないのだが。
それに、暗器を仕込むのなら、逆に軽装の方が効果的だ。
これ程ゴテゴテした服だと、怪しまれることが多いからだ。
「いつも使ってるリモコンはどこに隠してんだ?」
「ふふ、胸の谷間♪」
「へぇ、相手が男なら違った効果も期待できそうだな」
「あなたにも効くかしらぁ?」
「俺も男だしな。まったく効かねえってことはねえんじゃねえの」
「ウソばっかり」
少年は言葉とは裏腹に、完全に興味が無い様子だ。
それに対して食蜂は頬を膨らませてみるが、別にそこまで不満だというわけではない。
これは形式的なものに過ぎず、よく手紙の始めに書かれている「春浅い日々、皆様風邪など~」みたいなものと同じだ。
ここで、少年は食蜂の様子を見て、少し怪訝な顔をする。
「……お前、少しキツそうだな」
「あらぁ、そう見える? なかなか男子力が高いわねぇ☆」
「男子力? 女子力っつー言葉があるってのは最近知ったんだが……」
「どれだけ女の子に気を使えるか、っていう意味の言葉よぉ。例えば――」
「いいっての。んなモン知ってどうすんだ」
「ふふ、確かにあなた顔は良いし、性格酷くても女の子は寄ってきそうねぇ」
「そういう意味じゃねえよ」
少年は小さく溜息をつく。
こんな流れになるとは思ってもみなかったようだ。
いや、これは目の前の少女にそういう方向に誘導されたのか。
少年はこうやって他人に主導権を握られることは好きではないので、少し苛立ちも覚える。
「……で、そうやってキツそうなのは能力使いまくってるからか?」
「正直に言うとそうねぇ。別にただ操るだけならまだしも、能力使わせて戦わせているからぁ。
いくら私の演算力や洗脳力が優れているとはいっても、限界はあるのよぉ」
「なっさけねえな。仮にもレベル5のくせに」
「レベル5である前に、私はか弱い女の子なんですぅー」
「か弱い女ってのは暗部の隠れ家に殴り込みかけたりしねえんだよバカ」
こうやって話が進まないのは、別に彼女が何か悪巧みをしているというわけではなく、ただ単に楽しんでいるだけだ。
人を自分の都合で振り回す。
そんなどこかのお姫様のような待遇を彼女は好む。
「まぁでもぉ……高レベルの能力者も何人か使わせてもらってるから、そっちの負荷も大きいのよねぇ」
「そういや一方通行の知り合いのテレポーターとか使ってたな」
「えぇ、あれは凄く良い能力ねぇ。楽ちんだし。あんまり頼りすぎちゃうと、お肉がついちゃうかもだけど。
それと滝壺さんの能力追跡(AIMストーカー)もとっても便利☆ みんな良い能力持ってて羨まし~」
「隣の芝生は青く見えるもんだろ。俺はそんな事思ったことはねえがな」
「もちろん、あなたの能力もとっても魅力的よぉ」
「はっ、何ならコマにしてみるか?」
「やめとくわぁ。反撃でどんな事されるか分かんないしぃ」
一瞬、空気が冷たくなるが、食蜂はそれを難なくいなす。
少年は若干つまらなそうにする。
「つーかよ、滝壺理后は抑えといて、幻想殺し(イマジンブレイカー)の方は放っておいてもいいのか?」
「たぶんあの人に洗脳は効かないわぁ。何でも、体全体に作用するようなものは打ち消しちゃうみたいだしぃ」
「それでもいくらでもやりようはあるだろ。例えば記憶を綺麗サッパリ消しちまうとかよ。
記憶操作はちゃんと効いたっていう前例はあるんだろ?」
「んー、そうなんだけどねぇ……」
食蜂の目が変わる。
それは純粋に楽しそうにしている目。
小さい子供がカードゲームのレアカードを当てた時や、大きなカブトムシを見つけた時のような目。
そんな綺麗な感情であるように見えても。
彼女の心は歪んで、まるで全てを飲み込む真夜中の黒い海のように深く――――。
「上条さんには目の前で見てほしいのぉ。どんなに強い想いでも、それは人の心のものである限り、ちっぽけなものでしかないと。
あの人がもがいて、苦しんで、必死になって手にしようとしたものを、私が目の前で奪って笑ってあげるのぉ。
漫画みたいに、想いの力でパワーアップすることなんてありえない。奇跡のような事が起きるなんてありえない。
それを理解して、諦めて、絶望するときの顔が楽しみで楽しみで仕方ないわぁ……!」
「……お前女子力皆無だな」
「そんなの私には必要ないのよぉ。この洗脳力があれば、男の子に“良く思われる”事はなくても、“良く思わせる”事なんて容易いんだからぁ」
ただ自分の欲望に忠実に。
彼女にも、インデックスをここから遠ざける理由はちゃんとある。
それは彼女なりに、この街のためを思った上での考えだ。
それでも、結局そんなものは建前に過ぎない。
彼女の根底にあるものは、あくまで個人的な娯楽快楽だ。
そのための都合のいい理由が欲しかった、それだけなのかもしれない。
対面に座る少年でさえ、彼女のその様子にどこか引いているようだった。
「……まぁいい。俺としては例の契約を守ってくれんならそれでいい」
「私は魔法少女にはならないわよぉ?」
「勝手になってろ。とにかく俺にとって重要なのは――」
「分かってる、第一位さんの事でしょぉ? 私、記憶力はいいのよぉ」
少年の目が細くなる。
これが、少年の狙い。
彼にとっても、この街に例のシスターが居座るのは好ましくないことだ。
しかし、それよりもはるかに高い優先度で、達成すべきことがある。
「彼には私のナイトとして働いてもらうけど、この件が済んだら後は好きにするといいわぁ。
でもでもぉ、それまではあなたも私のこと手伝ってねぇ?」
食蜂の言葉に、少年は口元を歪めて笑う。
元々、彼はこうやって誰かに使われるという事は心底嫌う。
しかし、それも今の目的と天秤にかければ簡単に浮き上がる。
自分の気持ちを曲げてでも、どんな事をしてでも、彼の最優先事項は“あの日”からただ一つだった。
あの日叶わなかった目的を、絶対に達成するという――。
そのためなら、女の犬でも何でもなってやると。
それだけの強く、そして酷く捻れた願望だ。
「――いいぜ、期間限定ならナイトでも何でもなってやるよ。ただし、報酬は高くつくぜ?」
「期待してるわぁ、垣根さん♪」
窓から見える青空は爽やかで、こんなにも綺麗なのに。
それを黒く塗りつぶす空間が、そこにはあった。
***
とある学生寮のの一室では、二人の男がケンカの真っ最中だった。
一方は部屋の主でもある上条当麻。もう一方はその隣に住むクラスメイト土御門元春。
(※上条の部屋の間取り→http://2d.moe.hm/index/img/index5090.jpg)
土御門はまず、二人の間にあったテーブルを蹴り飛ばしてきた。
靴も履いていない状態ではかなり痛そうに見えるが、本人は顔色一つ変えない。
これは洗脳による影響なのか、それとも元々平気なのかは良く分からない。
上条は飛んできたテーブルを横に跳ぶことで回避する。
土御門はその隙を見逃さない。特殊な歩法を使ったのか、少ない歩数で急に距離を詰めてきた。
「ッ!!」
上条はとっさに一歩下がる。
次の瞬間、ダンッ!! という音と共に、先程まで上条の右足があった場所に土御門の足が踏み込まれた。
その衝撃で、床がミシッという不吉な音をあげる。
以前、御使堕し(エンゼルフォール)の時に戦った時と同じだ。
まずは足を攻撃して動きを止める。
土御門らしい、現実的で効果的な方法だ。
しかし、上条も何度も同じ事をやられるほど甘くない。
そもそも、昨日のプールで土御門の戦いはモニター越しに見ていた。
「うおおおあああっ!!!」
上条は接近してきた土御門に向かって右手を伸ばす。
殴る必要はない。
幻想殺し(イマジンブレイカー)があれば、触れるだけでその能力は解除されるはずだからだ。
ところがその希望の右手は虚しく空を切った。
土御門が軽やかなステップで、楽々とかわしたからだ。
そして。
ドゴォ!! と、上条の腹部に強烈な衝撃が叩きこまれた。
「が……はっ…………!!」
裏拳で一撃。
しかもその手の引きは凄まじく、上条が見た時には既に元の場所まで戻ってきていた。
これでは攻撃してきた手を掴んで動きを封じることもできない。
土御門が素早く上条の背後へ回り込む。
(くる……ッ!!)
攻撃の気配を察した上条は、振り返りながら右手を上げる。
次の土御門の攻撃は、おそらく首を狙った手刀だ。
視界に土御門の姿が映る。
やはり、目の前の男は指をきっちり揃えた手でこちらの首を狙っていた。
このまま右手の幻想殺しで受け止めれば、能力を解除することができる。
だが、土御門の手刀がピタリと制止する。
「なっ……」
始めからフェイントのつもりだったのか。
それとも、上条の動きを見て変えたのか。
それは分からないし、考える暇もない。
次の瞬間、土御門の足がみぞおちに入った。
「――――ッ!!!」
一瞬息が止まったかと思った。
そのままキッチンの方へ吹っ飛ばされ、カウンター下の壁に激突する。
あまりの苦しみに、床に腕をついてなかなか起き上がることもできない。
ガチャ! という金属音が聞こえた。
上条はこの音が何なのか分かる。
普通の高校生なら到底聞くこともない音。できれば一生聞きたくはないような音。
苦しいとか何とか言ってられない。上条はすぐにカウンターからキッチンの中へ飛び込んだ。
直後、ダンダンッ!! という音が連続する。
壁がえぐれ、破片が散らばる。
明らかに発砲音だ。
(マジかよ……!!)
上条は冷蔵庫に背中を預けて、肩で息をする。
相手は銃を持っている。
そのたった一つの事実が、上条を絶望へと突き落とす。
同じ飛び道具でも、能力ならばまだ良かった。
上条は、レベル5の電撃は防ぐことができても、銃弾はどうにもならない。
こうしている間にも土御門は近づいてきているはずだ。
(くそっ……!!)
上条はしゃがみこんだ状態のまま、素早く台所下の戸棚を開ける。
そこから包丁を取り出すと、45度の角度でカウンターを通して、居間へ向かって思いっきり投げた。
包丁はだいたい狙い通りの方向へ飛んでいき、天井に刺さった。
その瞬間、上条はキッチンから出て、大急ぎでドアへと向かう。
今の包丁の投擲は、土御門の気を逸らすためのものだ。
もうあの男を元に戻すのは諦めた。
とにかく、今は逃げるしかない。
ワンテンポ遅れて、土御門の銃弾が上条を襲う。
しかし、それが正確に体を撃ち抜くことはなく、何発か服をかすめる程度。
上条はそのまま外へ飛び出すと、全速力で通路を横切り、階段を数段飛ばしで駆け下りる。
不思議な事に、土御門は追いかけて来なかった。
***
「そんな事が起こってるんだ……」
「えぇ。目的はよく分からないけど、とにかくアンタを狙ってるのは確かね」
「…………」
インデックスと美琴は二人並んで第七学区の道を歩いていた。
そして、とりあえずインデックスに現状を知ってもらおうと、美琴が説明したところだ。
初春が虚ろな目で調べていた内容。
それはインデックスのゲストIDや、衛生カメラによる上条の寮の近くの映像だった。
狙いぐらいは誰だって見当がつく。
インデックスは暗い表情で黙り込む。
「……短髪は、私が居て迷惑じゃないの?」
「はい?」
「だって、とうまの事とか……」
「あー」
美琴はなるほど、といった様子で手をつく。
「ねぇ、アンタがイギリスに帰ってから、あのバカがどんな感じだったか知ってる?」
「えっと……寂しかったとは言ってくれたけど…………」
「そんなもんじゃないわよ」
美琴は溜息をつく。
その表情は本当に疲れているようで、とても14歳の少女のものとは思えない。
「それこそ、アンタの居ない世界なんて意味が無い。そんな感じだったわよアイツ。
自暴自棄気味になってたりね。まぁアンタにはそこまで言いたくなかったんでしょ」
「と、とうまが……?」
「えぇ。それだけ、アイツにとってアンタは大切な存在なのよ。
だから、私だってアンタが戻ってきてくれて嬉しい。あんな状態のアイツなんて見ていられないし。
まぁ私が一人で何とかしてあげられたら良かったんだけど、悔しいことにまだまだダメみたいね」
美琴の言葉に、インデックスは俯く。
上条が、そこまで自分のことを想ってくれるなんて思わなかった。
自分がここに居ない間も、心のどこかでは寂しいと思っていたのかもしれないが、表面だけは普段通りに過ごす。
そして、次第にその寂しいという気持ちも小さくなっていき、完全に普段の生活へと戻れる。
そう、思っていた。
「……私、とうまに酷いこと言っちゃったんだよ」
インデックスの両目の碧眼から涙が溢れてくる。
上条は、そこまで自分のことを大切に思っていてくれたにも関わらず、自分はもうここに居ない方がいいなんて言ってしまった。
それも、あの時はそれは上条のためだと言っていたが、実のところは美琴に嫉妬していたところもあった。
ただ苦しくて苦しくて、ここから逃げたくなっただけだ。
どうしようもない、臆病者なだけだった。
美琴はボロボロ泣き出すインデックスを見て、その白いフードに手を乗せた。
インデックスが顔を上げてみると、彼女は優しく微笑んでいた。
まるで姉のようだ。インデックスはそんな事は絶対に口に出すことはできないが、心ではそう思った。
「まっ、ケンカの一つや二つ、そこまで気にすることないわよ」
「で、でも……」
「自分が悪いと思ったんなら、謝ればいい。アイツだって同じ事思ってるかもしれないし。
ていうか、私なんかアイツとは常にケンカ状態みたいなもんよ」
美琴は自分で言っておきながら「ふふふ……」と遠い目をして元気なく笑う。
インデックスはその様子に少し気の毒そうな表情になるが、すぐに真面目な顔になり、
「……私、とうまに謝りたい」
「それでよろしい」
「でも短髪。何か偉そうに言ってるけど、短髪はとうまとケンカしても、いつも謝れてないよね?」
「う、うっさいわね!」
インデックスの鋭い指摘に、美琴は顔を赤くする。
彼女は自分ではこのままではいけないとは思ってはいるのだが、なかなか素直になれない。
まぁ彼女らしいといえばそうだし、そこも魅力として見えなくもないのかもしれない。
インデックスは、美琴と話すたびに彼女の魅力を見つける。
話せば話すほど、彼女が外見だけではなく内面も魅力的である事を知る。
正直、羨ましいと思う部分も多い。
「とにかく、そうと決まったら早くアイツのとこに戻るわよ! 他にも気になることはあるし。
……ったく、アンタを見つけた時に一応ケータイに連絡入れようとしたんだけど、なんか繋がんないのよね」
「とうまの事だし、いつもの不幸で壊しちゃっててもおかしくないかも」
「凄く想像できるわそれ」
今度は二人揃って溜息をつくと、寮へ向かって並んで歩き始める。
まだ入試期間の休みなので、学生が多く居る第七学区にはお昼前から多くの人が出歩いている。
インデックスはそれを見てふと思い出したように、
「そういえば、私が狙われてるって言ってたよね? こんなに堂々としてて大丈夫なのかな?」
「大丈夫でしょ。たぶんあの女も、こんな人目のつく場所でやらかしたりはしないわよ。
さすがに街中の人間を洗脳してるってわけじゃないだろうし、警備員とか出てきて困るのは向こうだし」
「それなら、私達がそのあんちすきるっていう人達に助けてもらえば……」
「精神系の能力者の犯行は立証が難しいのよ。警備員もなかなか動いてくれない」
美琴の脳裏に、大覇星祭の時の嫌な思い出がよぎる。
「とにかく、まずはあのバカと合流。その後食蜂を見つけてとっちめるわ」
「あれ、もしかして犯人と知り合いなの?」
「えぇ、すっごく不愉快なことにね。……ねぇ、そういえばさ」
「ん?」
「あのバカとどんなケンカしたわけ? まぁ言いたくないならいいけど」
「…………」
インデックスは少し迷うが、正直に話すことにする。
美琴には結果的に相談に乗ってもらう形になったという事もあるので、断るのも躊躇われた。
美琴に話していると、もっと他に色々言い方があったのではないかと考えてしまう。
しかしその時はおそらくそういう事も考えられないほど動揺していたという事なんだろう。
大方話し終えると、美琴はなぜかガックリしていた。
「……やっぱ分が悪いわね。はぁ」
「短髪?」
「何でもないわよ……」
そう言いつつも、美琴はかなりショックを受けているように見える。
インデックスは特に美琴を傷つけるようなことは言ったつもりはなく、彼女がそんな表情をしている理由が良く分からない。
「まぁとりあえず言えることは――――アンタら面倒くさい」
「なっ、何かそこはかとなくバカにされた気がするんだよ!」
「呆れてるだけよ。ったく、アンタはともかくアイツは私より年上だとは思えないわね……」
「意味が分からないんだよ。ちゃんと説明してほしいかも!」
「嫌よ。私の口からそんな事言いたくないし。
でも、こうなると、私ももっと積極的に……いや、それができたら苦労しない――――」
美琴は詳しく説明してくれることもなく、ただ一人でブツブツ何か言っている。
たぶんこの状態では、いくら話しかけても相手にされないだろうと思ったインデックスは、空を見上げる。
上空には吸い込まれるような綺麗な青空。
そして、学園都市ならではの飛行船が飛んでいた。
飛行船の腹についた大画面には様々なニュースなどが映されており、インデックスもここに来たばかりの頃は驚いたものだ。
今は『長点上機学園、ヘリの開発に成功。今日試運転』とか書いてある。
「なにアンタ、ヘリとかそういうのに興味あんの? オカルト好きなのに」
いつの間にか普段通りになっていた美琴がそんな事を言ってくる。
「別に。ただ、空を飛ぶっていう人の夢にも、色んな実現方法があるんだなって思っただけなんだよ」
「まぁ、今じゃ飛行機とか使わなくても、超能力使って一人で飛べたりするしね。アンタのお得意の魔術でもいけるでしょ?」
「もちろん空を飛ぶ魔術はあるけど、迎撃術式が有名すぎて使っている人なんていないんだよ」
魔術師は空は飛べるが、大抵は飛ばない。その理由としてペテロの伝承というものがある。
それは飛翔魔術に対する強力な迎撃術式であり、適用されれば容赦なく体は地に落ちることになる。
しかも、墜落のダメージ以上に加えて魔術的なダメージも受けてしまうというオマケ付きだ。
どこの誰がいつそれをやってくるかも分からない中で飛ぶというのは少しリスクが高い。
「んーと、つまりいつ落ちてもおかしくない飛行機に乗ってるのと同じ感覚……?」
魔術に関してはほとんど何も知らない美琴は首を傾げながら自分なりに考えてみる。
ところが、インデックスからの答えは返ってこなかった。
別に彼女が美琴に呆れ返っていて何も言うことがないというわけではない。
その理由はもっと単純だ。
ただ単に、隣に居た彼女が忽然と姿を消していたからだ。
***
「……え?」
美琴は一瞬、目の前の光景をすぐに脳で処理できなかった。
足をピタリと止め、呆然とする。ドクンドクンと耳元で血液の流れがうるさく聞こえる。
普段なら、どうせ食べ物にでもつられてはぐれたのだろう、と呆れるくらいだ……が。
今は状況が状況だ。そんな楽観的なことは言ってられない。
すぐに辺りを見渡す。
彼女はついさっきまで隣に居た。はぐれたのならばすぐに見つかるはずだ。
そして、見つけた。
なんと彼女はここから100メートル程離れた歩道に居た。
その隣で彼女の腕を掴んでいるのは――――。
「結標……淡希…………ッ!!!」
霧ヶ丘女学院の制服を身にまとった彼女は、うっすらと笑みを浮べている。
普通に道行く学生達の中で、彼女の姿だけがやけに浮いて見えるのは錯覚ではないのかもしれない。
この平和な雰囲気の中、彼女の表情は暗い、“闇”の存在を感じる。
美琴は直感的にマズイと判断する。
結標淡希の能力は白井の上位互換と言ってもいい程強力な空間移動(テレポート)だ。
彼女の場合は、白井と違ってテレポートさせる対象に触れる必要がない。
その能力ならば、一瞬でインデックスが移動した事にも納得できる。
「くっ!!!」
もう人目を気にしてなどとは言ってられない。
美琴は磁力をフルパワーで使い、近くにあった花壇の土から砂鉄を真っ直ぐ結標に向かって飛ばす。
それはまるで蛇のようにクネクネと動き、道行く人の間を綺麗に抜けていく。
結標は少しも動こうともせず、ただ口元に笑みを浮かべたままこちらを見ているだけだ。
結標とインデックスの姿が消えた。
砂鉄の槍は何もない歩道の上に直撃し、霧散する。
「やられた……」
美琴はすぐに辺りを見渡すが、二人の姿はどこにも見つからない。
結標の座標移動(ムーブポイント)は、一度に800メートル以上の転移が可能だ。
これではサーチ系の能力でも持っていない限り、追うことなど不可能だ。
周りの人達はざわざわと、今起きた事に驚いているようだ。
美琴はそれを見て一瞬躊躇したが、覚悟を決めてスカートのポケットからメダルを取り出す。
そして、頭上に広がる青空に向けて超電磁砲を撃ちだした。
***
上条は第七学区をただひたすら走る。
周りの人達は皆驚いて上条の方を振り返るが、それには脇目もふらない。
左肩に鈍い痛みを感じて手で抑えると、どうやら出血しているらしい。
おそらく、土御門の銃弾がかすった時の傷だろう。
土御門は洗脳されいて、襲いかかってきた。
しかもあの様子から、狙いはインデックスだ。あの男は彼女の動向を気にしていた。
しかし、それが誰によるものなのかは全く分からない。
情報も足りなく、本当に手探りで闇雲に探していくしかない。
本来ならば、こういう時は土御門が色々と教えてくれるのだが、今回はそれを期待することはできない。
徐々に絶望感が胸に広がっていくが、気にしている場合ではない。とにかく動かなければいけない。
その時、ドンッ!! という轟音とともに、空高く光線が放たれた。
「……あれは」
上条は思わず立ち止まって、ただそれを凝視する。
超電磁砲だ。
普通の人なら何かの能力である事くらいしか分からないかもしれないが、上条は一瞬で断言できる。
美琴にはインデックスを探しているというメールを送った。
もしかしたら、それでこの騒ぎに巻き込まれてしまったのかもしれない。
上条は、美琴が洗脳されているという最悪の事態を想定しつつ、とにかく超電磁砲のおおよその発射地点まで行ってみることにした。
***
上条はおそらく超電磁砲が発射されたであろう地点までやってきた。
といっても、あくまで目測によるものなのでズレている可能性が高い。
しかし、ヒントはある。それは周りの学生達だ。
いくら学園都市だとしても、あれ程派手な能力は中々見ない。
それ故に今上条がいる場所でも皆ざわざわとしており、時折ある方向を指さしたりしている。
こうやって、情報は人を介して繋がっていく。上条はそれを辿っていけばいい。
とりあえず、学生達が指差したり不安そうに見ている方向へ走り出そうとする上条。
次の瞬間、何者かに左腕を掴まれた。
そして間髪入れずに、なんと体が上空10メートル以上へと飛び上がった。
「ッ!!!」
「大人しくしろっつの!」
それは無理な相談だ、と上条は思う。
別に高所恐怖症というわけではないが、人間は普段は地面に足をつけて生活する生き物だ。
それがいきなりこんな大空へ放り出されてパニックを起こさないわけがない。
その一方で、上条には今の声に聞き覚えがあった。
それも、このまま落下して死ぬなんていう事はないだろうという信頼は置けるくらいの相手だ。
そのまま二人はさらに高い所まで昇っていく。
初めは本当に飛んでいるのではないかと思ったが、良く見てみるとトントンッと周りの建物の壁を踏み台にしてジャンプしているようだ。
脳裏に昔観たスパイダーマンという映画が思い浮かぶ。
それから少しして、高層ビルの屋上へと二人は降り立った。
「……御坂、いきなりこれは心臓に悪いからやめてくれ」
上条は少しげっそりとした表情で目の前の相手に言う。
肩まである茶髪に常盤台中学の制服に身を包んだ少女、御坂美琴だ。
「いちいち時間勿体無いじゃない」
「つかわざわざこんな所まで来る必要あったのか?」
「あるわよ。今の騒ぎに紛れて何かしかけられたら嫌だし。それより」
美琴はズイッと一歩こちらに踏み出す。
「あのシスターがさらわれたわ」
美琴の簡潔な一言。
上条はそれで地の底へと叩き落されたような絶望感を味わう。
「だ、れに…………?」
「結標淡希」
「な、何でだよ!! あの人にそんな事する理由が…………」
上条は言葉の途中であることを思い出す。
洗脳能力者の存在だ。
「こっちも洗脳能力(マリオネッテ)か……!!」
「えっ、まさかアンタも何かあったわけ? なんかケータイも繋がらなかったし」
「あぁ、土御門のやつに襲われた。銃まで使われてな。ケータイもアイツに壊された」
「……悪かったわ。私は、あのシスターをみすみす敵に渡した」
「お前が謝ることじゃねえよ。それに、その場に居なかった俺に何も言う資格はねえ」
上条は拳を固く握り締める。
ここまで相手の思う通りにやらせて、インデックスを守りきれていないという事にどうしようもなく無力感を覚える。
美琴は真剣な表情で口を開く。
「とにかく、情報交換するわよ。何としてもアイツをとっちめる」
「アイツって……お前犯人に心あたりがあるのか!?」
「へぇ、面白そうな話してるじゃない」
唐突に聞こえてきたその声に、上条と美琴は同時に身構える。
人影がビルの下から飛び上がってきて、近くに着地した。
白い光線をジェット代わりにして飛んできたのは――。
「「麦野!」」
レベル5の第四位で「アイテム」に所属する麦野沈利だ。
所々着ているコートが傷んでいるのを見ると、どうやら自分達と同じように襲撃を受けたらしい。
「『アイテム』もやられた。おそらくアンタ達も同じような状況なんだろ? 私も話に入れなさい」
***
「食蜂操祈、アイツが…………」
情報を交換し終わり、上条はポツリと呟く。
二人の話を聞く限り、彼女が犯人だということは疑いようがない。
それがかなりショックだった。
昨日、相談に乗ってくれたのも全て計画の内だったのだろう。
そして、俺はまんまと騙されて、その上インデックスに酷いことを言ってしまった。
そんな自分の馬鹿さ加減に腹が立った。あの時の自分に会えるのならば一発ぶん殴ってやりたい程に。
一方で麦野は釈然としない表情で口を開く。
「……でも、目的が読めないわね。シスターをさらってアイツに何のメリットがあんのよ」
「目的なんてないかもしれない。アイツはそういう奴よ。それより今は、どうやってアイツを潰すか考えるべきだと思う」
「それを考える上でも向こうの目的は知っとくべきだと思うけど。それでアイツの居場所とかも分かるかもしれない」
「その目的を調べるのが、居場所を調べるのと比べてどれだけ楽なのかにもよるわね。直接居場所を調べたほうが早い場合もあるわ」
「でもその居場所の手がかりが何もないじゃない」
「目的の手がかりも同じよ」
「……ちっ、面倒くさいわね」
「とにかく今はどんな小さなものでも情報を集める。ねぇアンタ、昨日食蜂に会ったんでしょ? 何か言ってなかった?」
「…………え?」
「ちょっと、何ぼーっとしてんのよ。のんびりしてる時間はないわよ。昨日食蜂が何か言ってなかったかって聞いてんの」
「あ、あぁ、悪い。そうだな……」
美琴の声に現実に引き戻された上条は、すぐに昨日の記憶を頭の中でよみがえらせる。
今は過ぎたことを後悔している場合ではない。
食蜂は何か言ってなかったか?
一発でこの状況を打開できるようなものでなくても構わない。
何か小さな事でも、そこから穴を広げるようにして突破口を得られるかもしれない。
いくら彼女が用意周到であったとしても、人間である限りどこかにミスはあるはずだ。
そうやって考えていると、ある一つの事柄が頭に浮かんだ。
そういえば、昨日の食蜂との別れ際に少し疑問に思ったことがある。
「……アイツ、近い内に俺と学舎の園で会う事になる、みたいな事言ってたな」
「学舎の園? あそこって男子禁制よ?」
「女装すれば…………いや無理ね」
美琴と麦野が気味の悪い表情でこちらを見る。
上条も一瞬想像してしまい、それを振り払うように頭をブンブンと振る。
「んな事分かってるっての! ただ、確かにアイツはそんな事言ってたんだよ」
「……ストレートに考えてみると、アイツが学舎の園に居るって事になるわね」
「そんなバカなミスするわけないでしょ。罠に決まってる」
麦野は手をヒラヒラと振りながら鬱陶しそうに言う。
「でも、現状手がかりはそれしかない」
「正気? ほぼ確実に罠なのにそこに飛び込むなんて私はごめんね」
「飛び込むつもりはないわ。その前に確認してみればいい」
「確認するって、どうすんだ?」
上条が尋ねると、美琴は真っ直ぐ頭上を指差す。
「衛星からの映像を使う」
「……警備員(アンチスキル)か風紀委員(ジャッジメント)の支部を乗っ取るってわけ?」
「難易度的には風紀委員のほうが楽ね」
「ま、待て待て! お前何言ってるか分かってんのか!?」
確かに衛星からの映像で学舎の園の中を調べれば、食蜂が居るかどうかくらいは分かるかもしれない。
しかし、それを使うには警備員や風紀委員といった治安維持組織からでなければいけない。
何とか事情を説明して納得させられれば使わせてもらえるかもしれないが、できればインデックスの事はあまり話したくないし、食蜂のことも信じてもらえるか分からない。
ゆえに、無許可で……つまり犯罪をすることとなる。
それでも、美琴は上条の言葉にさして動揺もしていない。
「分かってるわよ。まっ、私だって今まで色々やってきたし、何を今更って感じよ」
「研究所壊しまくってたりしてたわよね」
「それは向こうが悪い。正当防衛よ」
麦野が言っているのは、おそらく絶対能力進化実験の一件のことだろう。
あの時の学園都市側の被害総額は計り知れないが、美琴の言うとおり自業自得な感じはする。
美琴のそんな態度を見て、上条も腹をくくる事にする。
手段を選んでいる状況ではないというのは分かっている。
「乗っ取るってのは、ハッキングするってことか?」
「まぁ結果的にはそうだけど、とりあえず直接サーバー近くまで行く必要があるわね」
「は? 何でわざわざそこまで行くのよ」
「今回私達が衛星から見るのは『学舎の園』の映像よ。そこらの道路の通行状況とかを見るのとはわけが違う。
セキュリティも厳しいから普通のサーバーからだと時間がかかるし、その間にバレるかもしれない。
だから、こっちは強力なサーバーからアクセスする必要がある。そしてそこへは外部からではなく直接ハッキングする必要がある」
「……その強力なサーバーの当ては?」
「ある。私の友達が所属してる風紀委員支部。ただ、問題が一つ」
そう言って、美琴は人差し指を立てる。
法的な問題とか含めれば明らかに一つではないだろうと思うが、そこは言わないでおく。
「そこの支部の人達は食蜂の洗脳にかかっている可能性が高い。その友達もやられてて、私が気絶させたから。可哀想だったけど」
「あれ、じゃあ御坂はその支部に居たのか? じゃあその時に調べちまえば良かったのに」
「範囲が絞れてないと、調べるのにも時間かかってリスクが大きいでしょ」
「……まぁいいわ、とりあえず第三位の作戦に乗る事にしよう。風紀委員の第何支部?」
「一七七支部よ」
美琴はそう言うと、ある方向を向く。おそらくそっちにその支部があるのだろう。
これからの行動は決まった。あとはただ進むだけだ。
一人ではどうにもならずに目の前が真っ暗だったが、今でははっきりとどちらに光があるのかが分かる。
高層ビルの屋上で強めの風を受けながら、三人はそれぞれ決意を固めていた。
***
風紀委員一七七支部。
外から見れば小さな会社にも見えなくもない、山吹色の建物の二階がそれだ。
もちろんそこに行くまでにはセキュリティもあるのだが、御坂美琴の前ではそれもないも同然である。
あまりの手際の良さに常習犯なのではと疑うが、今は何も聞かないことにしておく。
上条、美琴、麦野の三人は一本道の廊下を歩く。両側にはいくつかのドアも見える。
だがすぐそこへ走りこむような事はせずに、じりじりとゆっくり警戒しながら三人は歩を進める。
どうやらこの支部には透視能力(クレアボイアンス)を持つ者が居るらしく、おそらくこの侵入もバレていて何か罠があると予測しているからだ。
「左の一番手前のドアが普段使っている部屋ね。サーバーもそこに」
「上条さん的には今にも他のドアから一斉に風紀委員達が飛び出してきそうで怖いんですが」
「関係ないわよ。全部吹き飛ばせばいい話だ」
「ちょっと麦野。アンタの能力じゃ手加減のしようがないじゃない。殺していいわけないでしょうが」
「……そういや一般人なのか。まったく、面倒くさいわね」
麦野は鬱陶しそうに髪をクシャクシャとかく。
本気で全員を血祭りにあげるつもりだったのか、と上条は背筋が寒くなるのを感じた。
「まぁ、相手の無力化は私がするからそこまで心配しなくても大丈夫よ。ここの支部で実戦的な能力者は黒子くらい。
それにテレポーターは自分の目で空間把握しないと転移させられないし、姿が見えないならそこまで気にしなくても…………」
そこまで言って、美琴は急に黙り込んだ。
どうしたのかとその表情を見ていると、何やら真剣な表情で何かを考えているようだ。どこか焦りの色も見える気がする。
上条は何か声をかけようとするが、美琴はただ何かをブツブツと呟く。
「……いや、待って。食蜂の能力……あれって…………」
徐々に空気が不穏なものになっていく感覚がする。
先程までは緊迫しているとはいえ、少しの余裕はあった。
しかし、今は違う。
ゲームで言えば、雑魚敵しか出てこないエリアからボスの部屋に入った。そんな感覚だ。
「おい、御坂――――」
上条が口を開いた瞬間、その体が浮き上がった。
そして驚く暇もなく、数メートル前へ飛ばされる。
上条はいきなりの事に対処できるはずもなく、そのまま廊下をゴロゴロと転がる。
何が何だか分からない。
感覚的にはおそらく念動力の類ではない気がする。まるでベルトを掴んでそのまま放り投げられたような感じだった。
すぐに辺りを見渡すと、近くで麦野が同じように床に転がっていた。
相当恐ろしい顔になっており、すごく話しかけづらい。
カラン、と乾いた金属音が背後から聞こえた。
振り返ってみると、先程まで居た場所に何かが落ちている。
銀色に鈍く輝く棒状のものだ。手の中に収まるくらいの大きさで、一本だけではなく何本か同じ物が廊下に転がっている。
上条はそれにどこか見覚えがある気がするが、思い出せない。
美琴だけは同じ場所に立っていた。
どうやら投げ飛ばされたのは上条と麦野だけらしい。
いや、というより投げ飛ばした張本人こそが美琴なんだろう
能力でも暴走してしまったのだろうか、と心配して口を開こうとする……が。
あるものが目に入り、喉まで来ていた言葉がどこかへ消えさってしまった。
上条は目を見開く。
床に転がっている銀色の棒と同じものが、美琴の肩と足に一本ずつ突き刺さっていた。
ポタポタ……と、真っ赤な血液が廊下に垂れる。
「御坂!!!」
「止まらないで!! 黒子に狙い撃ちにされる!!!」
上条はその言葉を聞いた瞬間、弾かれたように立ち上がると真っ直ぐに美琴の方へ駆け寄る。
今の言葉で、自分でも信じられないくらいの早さでここで何が起きているのか理解できた。
あの銀色の棒は白井が使っている鉄矢だ。
つまり、どこかからテレポートを使ってこちらの体の中に直接転移させてきている。
美琴はそれに気付いて上条と麦野を磁力を使って投げたのだろう。
上条は美琴を抱えて、前方へ飛び込む。
後ろではカランカランと、鉄矢が何もない空間から現れて床に落ちる音が連続する。
もしもそこに自分がいたらと、背筋に寒いものを感じた。
「な、なにやってんのよ!」
「お前、その足じゃろくに動けないだろ!」
美琴は若干顔を赤くして抗議してくるが、上条は聞かない。
彼女の足には今だに鉄矢が刺さっており、出血も止まっていないのだ。
すると後方の方から、
「クソが!!!」
麦野のそんな声と共に、ドガァァ!! と左手の一番手前のドアが蹴り破られた。
どうやら、どこかからこちらを狙っている白井を仕留めようとしているらしいが、あの様子だと真っ二つにしてしまいそうな勢いだ。
美琴はそれを見て、顔をしかめながらフラフラと立ち上がると、麦野が入って行ったドアへ走り出す。
上条は慌てて口を開く。
「おい御坂! お前は一旦ここから出て……」
「大丈夫、そこまで酷くないから。アンタは他の部屋行って黒子を探して!」
美琴は口早にそう言うと、部屋に入っていってしまった。
確かに普通に走れているようには見えたが、その表情は険しく痛みを堪えているのが分かった。
上条はどうしようかと一瞬考えを巡らせるが、向こうには麦野も居るので美琴のことは任せて、自分は言われたとおりに白井を探すことにした。
走り出すと同時に、すぐ後ろに鉄矢が現れ、床に落ちてカランと乾いた音が響いた。
***
美琴と麦野が入った部屋は、どこかの会社のオフィスのようだった。
普段、風紀委員はここで活動しており、奥には捜査用のPCが置いてある。
今回の目的のサーバーもそれだ。
麦野は能力でそこら辺にある棚を吹き飛ばし、視界を開かせる。
棚に置いてあった箱のなかには未処理の報告書など沢山入っているはずだが、そんな事は微塵も考えていないようだ。
もちろん、二人ともただ立ち止まっていると白井のいい的なので、せわしなく動いている。
麦野は小さく舌打ちをして、
「どこよ、そのテレポーターは。ていうか、直接目で確認していないところにこれだけ正確に攻撃できるってどういう事よ」
「操っているのはあくまで食蜂よ。だから、アイツが洗脳した人の中に、透視能力(クレアボイアンス)で中を観察できる人が居れば……」
「その透視能力(クレアボイアンス)で空間把握、後はテレポーターを操って目的の場所へ攻撃すればいいってわけか」
食蜂が洗脳した人間の五感による情報は、彼女のもとへ入ってくる。
つまり、複数の人間が別々の場所を見ていた場合、同時にいくつもの視界情報を得ることができる。
感覚的には同時にいくつものモニターの映像を見ているようなものだろうが、それを的確に処理できるほどの能力がレベル5にはある。
だから、白井の目で直接確認しなくても、透視能力を持った人間が見た視界があれば後は食蜂がそれを元に攻撃するように白井を操ればいいだけだ。
「衛星映像でこの辺り一帯を調べるわ」
美琴は足早にPCに近づくとスカートのポケットからPDAを取り出し、バチバチ!! と帯電する。ハッキングを始めた合図だ。
落ち着きなく動き回りながら行う必要があるので、どうにも集中しきれないが、それでも確実に進めていく。
それから少しして、美琴のPDAの画面に衛星映像が映し出された。
この支部の辺り一帯の映像だ。
美琴はそれをじっと見つめて、
「居たっ!!」
突然大声をあげると、窓を開いて勢い良く飛び出した。
怪我人がこれだけの高さを飛び降りるのは明らかに危険だが、美琴には磁力を操る力があるので落下の衝撃は最小限にまで軽減することができる。
歩道を歩いていた人達がいきなり空から降ってきた美琴を見て驚いているようだが、気にしている場合ではない。
美琴はすぐに走りだして近くの路地に入る。
わずかにゴミが散らばっている程度の殺風景な場所。
そこにはメガネをかけた巨乳の風紀委員、固法美偉が居た。
「すみません、固法先輩」
美琴が苦しそうに表情を歪めた直後、バチバチッという紫電が辺りに撒き散らされた。
固法は抵抗する間もなく、地面に伏せることになった。
***
上条が入った部屋は、どうやら会議室のようだ。
電気がついていないので薄暗いが、テーブルがコの字になっており、前には映像を映し出すスクリーンが設置されている。
誰か潜んでいないか、ゆっくりと歩いて確認する。
ただし、立ち止まることはできない。それではどこかから白井に狙い撃ちされてしまう。
その時、再びケータイが鈍く振動した。麦野から渡された緊急用のケータイだ。
すぐに開いて確認してみると、透視能力者を気絶させたのでもう狙い撃ちにされる心配はないというメールが入っていた。
目的だけを伝えた簡素なものだったが、それを見て上条は思わずその場に座り込んでしまいそうになった。
いつ鉄矢が体を貫くか分からない状況は、精神的にかなりキツかった。
しかし、その一瞬気を抜いたのが間違いだった。
ガタン!! という物音と共に、突然近くのテーブルの影から人影が飛び出し、何かをこちらに突きつけた。
「ッ!!」
急いで身を伏せる上条。
直後、甲高い発砲音が鳴り響き、近くの壁に穴を開けた。
相手はもう今更身を隠そうというつもりはないらしく、ドタドタと足早にこちらに近づいてくる。
もしも上条に飛び道具があれば狙い撃ちにできたのかもしれないが、あいにくこちらの武器はこの体ただ一つだ。
……いや、一つある。
「っらあああ!!!」
上条は近くにあった椅子を掴むと、思い切り相手へ投げつけた。
相手は拳銃を持っているらしいが、さすがに椅子を吹き飛ばす程の威力を持っているわけではないらしく、空いた左手で受け止めた。
その隙に、上条は床を蹴って一気に距離を詰める。
勢いに乗って繰り出すは、固く握られた右の拳。
相手も慌てて拳銃を構えるが、もう遅い。
銃の最大のメリットは遠距離からの一方的な攻撃であり、本来はこんな間合いで使うものではない。
バッキィィィ!!! と、鈍い音が響き渡った。
「が……ッ!!!」
上条の拳は正確に相手の顔面を捉え、相手は後方へと勢い良く吹っ飛ぶ。
そして受け身も取らずに派手に床に倒れると、ピクピクと痙攣した後、動かなくなった。
上条はまだ警戒しながら相手に近付く。
そして、その手に握られた拳銃を取り上げると、ジーンズのベルトに挟み込んだ。
相手の様子を観察する。
くすんだ茶髪の大柄の男。アイテムの浜面仕上だった。
浜面は完全に気絶しているようで、ピクリとも動かない。
もしかして変な所でも打ったのかと嫌な予感がしてきたので脈を確認する。どうやらちゃんと生きているようだ。
それでも鼻からは派手に血が飛び出しており、さすがに思い切りやり過ぎたかとバツが悪くなる。
まぁしかし銃が相手なのだから、これくらいは勘弁してほしい。
さて、先程は上条の右手で思い切りぶっ飛ばしたわけだが、能力の方はどうなっているのだろうか。
右手で触れれば洗脳が解除されるというのはあくまで上条の予想だ。
ここで起こして確認したいのは山々なのだが、もしも洗脳が解けていなかった場合、再び浜面と戦う必要がでてくる。
銃は取り上げているとはいえ、あまり気は進まない。
「……よし」
上条は小さく呟くと、部屋の前方にある巨大モニターから伸びているコンセントを抜く。
そしてそれをロープ代わりに浜面の足にグルグルと巻きつけた。
能力者相手だとこれだけでは不安だが、浜面は無能力者なのでこれなら動きようがないはずだ。
上条は内心ドキドキしながら、浜面の顔をペチペチと叩く。
程なくして、浜面は小さな唸り声をあげてゆっくりと目を開いた。
「……大将?」
「洗脳は……解けたのか……?」
「洗脳? つーか、俺なんでこんなとこに……っていてええ!! なんか顔面がメチャクチャいてえ!!」
上条はコンセントの拘束を解いて、現状を説明する。
もしかしたら洗脳が解けているように見せかけた演技という可能性も考えたが、様子を見る限り大丈夫だと思われる。まぁあくまで予想なのだが。
話を聞いた浜面は溜息をつく。
「あんたとシスターさんも随分と人気者みたいだな」
「全然嬉しくないけどな。悪かったな、巻き込んじまって」
「気にすんなって、あんたが悪いわけじゃない。けど、『アイテム』もまずいことになってるようだし、首は突っ込まさせてもらうぜ」
***
美琴が衛星カメラを使って何者かを発見し、窓から飛び出した直後。路地裏で固法美偉を気絶させる少し前。
麦野しか居ない部屋に、透明な槍が隣の部屋から壁を突き破って真っ直ぐ伸びてきた。その先には例のPCがある。
ここへ来た目的、ハッキングを物理的に封じるためだ。
「あ?」
麦野は腕を一振りすると、白く発光した盾が出現し、ガキィィ!! と槍の動きを止めた。
原子崩し(メルトダウナー)の応用で、防御に特化させた使い方だ。
そして麦野は靴底近くから光線を発射し、高速で槍が放たれてきた壁の方へ突き進む。
壁には、威力を極限にまで凝縮したかのように綺麗な円形の穴が空いていた。すぐに麦野がそこを思い切り蹴ると、人一人が通れるくらいの大穴になった。
隣の部屋に入る。
どうやら物置か何かのようで、ダンボールがいくつも高く積み上げられていて視界が悪い。
当然不意打ちに備えて警戒しつつ入ったのだが、明らかに怪しい人影が隠れもせずに部屋の中央に堂々と立っていた。
黒いパンク系の服に身を包んだ、12歳程度の少女。基本は黒髪だが、耳のあたりだけアクセントとして金色に染めている。
黒夜海鳥。一方通行の演算パターンなどを植えつけた暗闇の五月計画の被験者で、レベル4「窒素爆槍(ボンバーランス)」の能力者だ
「……ったく、お前もやられてんのかよ面倒くさい」
麦野は手首を曲げてポキポキと鳴らしながらぼやく。
まるで、近所の猫を追い払うかのような余裕を見せている。
しかしその時、突然天井が崩れ落ちた。
「ッ!!」
ガレキと一緒に落ちてきたのは、ニットセーターを着た茶髪のボブの少女。
アイテムの一人である絹旗最愛だ。
絹旗は落下しながらも正確に麦野の脳天目がけてその拳を振り下ろす。
麦野は軽く横へ飛んで回避するが、床に着地した絹旗はすぐさまこちらへ向かって追撃を放ってくる。
真っ直ぐ放たれた窒素で強化された拳を、麦野は再び発光する盾を出すことで防御。
すると今度は全く別の方向から窒素の槍が突っ込んできた。
黒夜の攻撃だ。
「無駄なんだよ!!!」
麦野はこれも盾を出して防御する。
一応はちゃんと防げたのだが、正直今のは少しでも反応が遅れていたら危なかった。
その証拠に、窒素の槍は麦野の体からほんの数センチの所で止まっている。
「それはどうだろうな?」
黒夜がニヤリと笑った。
無数の腕が彼女の脇腹辺りから生えてきて、槍が伸びている右手に添えられた。
すると。
「ちっ……!!!」
「くく、さすがレベル5。これでもまだ足りないか」
ガギギギギギギ……と。
槍の出力が一気に跳ね上がり、盾を貫こうとしてくる。
黒夜は掌から窒素の槍を生み出す能力者だ。その為、こうして能力を適用できる義手を使う事で威力を増大することができる。
これにはさすがの麦野も顔をしかめ、全力で防ぐ。
だが、敵は一人だけではない。
黒夜の方の防御に気を取られた瞬間、絹旗の拳を受け止めていた盾が破壊され、窒素で強化された拳が麦野の左腕にめり込んだ。
ベキベキと、不快な音が響く。
「ぐぁ……ッ!!!」
そのまま麦野は吹き飛ばされ、床を転がった。
傷んだ左腕はなんとか動く。まともに食らえば確実に骨を砕かれていただろうが、その前に防御していたのが影響したのだろう。
しかし少し動かすだけでも相当な痛みが走る辺り、ヒビくらいは入っていそうだ。
絹旗と黒夜はゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「麦野!!!」
先程麦野が蹴り開けた大穴から美琴が入ってきた。
絹旗達は視線を麦野からそちらへ移す。
美琴は二人を睨みつけるとバチバチと帯電した片手を上げる。
しかし、麦野は真っ直ぐ美琴の後ろを指差した。
「第三位、あんたはさっさとやる事やりなさい」
「えっ……でもアンタ……」
「私がこんな奴らにやられるわけがないだろう。それより、こいつらに集中しててサーバーの方をぶっ壊される方が面倒よ」
「…………じゃあ任せるけど、本当に大丈夫なのね?」
「しつこい。さっさと行けっての」
麦野の言葉を聞いた美琴は一瞬躊躇したが、踵を返して隣の部屋へと戻っていった。
それに対し、黒夜は鼻であざ笑う。
「はっ、さすがにレベル5二人はまずいと思ったが、まさかあんたが追い払ってくれるとはな」
「まぁ、麦野らしいといえばそうですね。私達相手に二人がかりというのは麦野的にはプライドが超許さないのでしょう」
「分かってないわね、あんたら」
麦野はクスリと珍しい笑顔を見せる。
それはまるで、何も知らない子供にどうやって分かりやすく説明するか考えているかのようだ。
先程までは、どこかに潜んでいるテレポーターからの攻撃を無意識の内に警戒していた。
それによって動きも少し鈍くなっていた。
しかし、ついさっき美琴がここにやってきたということは、そのテレポーターもしくは透視能力者を何とかしたということだ。
ただそれが分かるだけで、重い枷が外れたかのように感じる。
目の前の敵だけに、集中できる。
「レベル4が何人いようが、私に勝てるわけねえだろ」
ドンッ!! と大きな音がした。
麦野は光線をジェット代わりにして、凄まじいスピードで黒夜に突っ込んでいた。
黒夜はギョッとして対応に遅れる。
だが、そんな彼女の前に絹旗最愛の姿が現れた。
麦野は右腕の肘の近くで光線を発射し、それによって加速させた拳を放つが、絹旗の交差した両腕に止められる。
そして間髪入れずに、絹旗の後ろから黒夜が掌を真っ直ぐ麦野へ向けた。
「ちょーっと攻撃が単調すぎるンじゃねェかァァ!?」
しかし、ここで黒夜は気付く。
麦野の頭上すぐ近く。いつの間にかそこに何かが放り投げられていた。
三角形を組み合わせたような模様のカード状のもの。
そしてその直後、麦野から放たれた光線がそのカードに命中した。
すると、太い光線が何本にも分かれ、波状攻撃となって黒夜と絹旗に襲いかかってきた。
カードの正体は拡散支援半導体(シリコンバーン)。麦野の原子崩しの光線を拡散させるアイテムだ。
「なっ……!!!」
ブシュッ!! と黒夜の足に何本もの光線が貫通する。
絹旗にもいくつも命中するが、こちらは窒素装甲(オフェンスアーマー)があるので貫通とまではいかない。
それでも彼女の小さな体を吹き飛ばすには十分な威力だった。
だが、ここで麦野にとって予想外なことが起きた。
黒夜は両足を撃ち抜かれて地面に倒れ伏した。そして、今は頭を焼き切るほどの激痛が走っているはずである。
それにも関わらず、彼女はなんと笑みすら浮かべて掌を真っ直ぐ麦野へと向けていた。
「……クソが」
麦野は小さく舌打ちをすると、横へ跳んで放たれた槍をかわす。
黒夜はそれを追って、手首を動かして槍を横に振って麦野の体を両断しようとする。
それに対して麦野は盾を出して難なく防御した。
そして直後、麦野は右の掌近くから再び光線を放った状態で、そのまま手を素早く上に振った。
それはまるで光る剣を振っているかのようであり、その切っ先の軌道上には――――。
「……ぁ…………」
黒夜が小さく声を出す。
空中へ放られた無数の物体がその瞳に映っている。
それはビニールのような材質の明らかに人工的な無数の手と、まだ幼い、子供らしい小さな手だ。
麦野の光線によって切り落とされた、黒夜海鳥の両手と義手だった。
麦野は初めから分かっていたはずだった。
黒夜は掌から窒素の槍を生み出す能力者、それならばどうすれば無力化できるのか。
麦野はよく分かっていて、その上であえてそれをしなかった。
以前までの彼女ならば手を切り落とすどころか、頭を吹き飛ばして無力化していたことだろう。
しかし、今の彼女は敵にも情というものをわずかにだが持つようになっていた。
暗部の世界ではそれはただの甘さとして、切り捨てなければいけないものだ。
それでも、麦野は今では不思議とそんな事は思わない。
理由なんて分からない。考えるのも面倒くさい。
ただ、自分がそうしたい。それだけで十分だと思っていた。
だから、黒夜の両手を切り落とすなんて事はできればあまりやりたくなかった。
彼女が操られていて、自分の意志で襲ってきているわけではないことは分かっている。
その上で、能力を奪うような真似はしたくなかった。
能力者にとって自分の能力というのは大切なアイデンティティの一つだという事は、レベル5である麦野自身が良く分かっている。
それをたった今、この手で奪ってしまったのだ。
義手を使えば、両手を失っても能力自体はまだ使えるのかもしれない。
だが、やはり本来の自分の手で能力を使えないということは、彼女にとってもダメージが大きいはずだ。
機械はあくまでも補助、能力を使っているのは自分自身の体なのだ。
「…………」
麦野は黙って黒夜の様子を眺める。
両手を切断されているのだが、失血死する事はないはずだ。傷口は高温の光線によって焼かれており、血も出てこない。そういう風にした。
黒夜は今自分の能力が失われたことを気にも止めず、辺りをひたすらキョロキョロと見渡して逆転の策を考えているようだ。
もしも、この洗脳が解けて自分の腕を見たらどう思うのか。
それを考えると、どうしても苦いものが胸の中に広がっていく。
ドンッという音が聞こえた。
それは先程麦野に吹き飛ばされた絹旗が思い切り地面を蹴る音で、真っ直ぐこちらへ向かってきていた。
麦野は歯をギリッと鳴らす。
ここまで人をオモチャのように扱う人間が許せない。
自分も人のことをとやかく言えるような人間ではない。今までだって非人道的な事は沢山やってきた。
それだからこそ、今では超えてはいけない線というものが分かる。
コンマ数秒後、二人は激突した。
レベル4の絹旗最愛とレベル5の麦野沈利。
どちらが倒れたかは言うまでもない。
***
上条、美琴、麦野、浜面の四人は、とある廃ビルに居た。美琴のハッキングは完了し、どうやら食蜂が本当に学舎の園に居るかどうか確認がとれたらしい。
話し合う場所はアイテムの隠れ家や、浜面の居たスキルアウトの拠点の一つでも良かったのだが、そちらは食蜂に知られている可能性があったので、新しく探す必要があった。
一七七支部で倒した相手は、全員上条の右手で触れて洗脳は解除した。
しかし、絹旗も黒夜もすぐに動けるような傷でもなく、固法は美琴が巻き込みたくないといって起こさないことにした。
浜面の様子を見るに、どうやら洗脳されている時の記憶はないようなので、あとから追いかけてくる事もないはずだ。
美琴は全員の様子を見渡しながら口を開く。
「とりあえずみんな無事……ね。麦野、アンタ腕大丈夫?」
「折れちゃいないわよ。つーかあんたこそ肩と足に金属矢ぶち込まれてたけど?」
「幸いあそこは風紀委員の支部だからね。そこにあった冥土返し(ヘブンキャンセラー)印の応急処置キットで何とかしたわ。動けなくはないわよ」
「あまり無理すんなよ、お前はキツイ時でも一人で抱え込んじまう事があるからな」
「アンタが言うなアンタが!!」
上条は心配して言ったのだが、美琴は思いっきり突っ込んだ。
それでも、その表情はどこか赤みがかっているのだが。
そして、麦野はふと思い出したように浜面へ顔を向ける。
「あ、そうだ。浜面、あんたこの騒ぎが収束したら一発ぶん殴るから」
「えっ、なんで!?」
「お前私に鉛玉ぶち込もうとしやがったんだよ。なんかこのままだと気が収まらない」
「せ、洗脳されてたから大目に見てくれるっていうのは……」
「絹旗とか滝壺は別に許してあげるけど、あんたはダメね。理由はなんかムカつくから」
麦野の言葉に浜面はガクッと頭をうなだれた。
浜面が彼女に申し訳ないことをしたのは確かなので、あまり強く抵抗もできない。
それに多少理不尽な仕打ちはもう結構慣れっこになってしまっていた。
上条はそんな二人のやりとりを見ながら、右手を目の位置まで上げてみる。
「けど、収穫は他にもあったな。やっぱこの右手で触れれば洗脳は解除されるらしい」
「といっても、私や第三位ならともかく、あんたじゃまともに触れられない相手だって大勢いるでしょうが」
「いざとなったら、私が磁力でそのバカをぶん回して武器代わりに……」
「お願いですから止めてください」
想像するだけで気が滅入る光景が頭をよぎる。
しかも、美琴は割と本気で言ってそうなのが怖い。
浜面はそんな上条が自分の立場と少し被っているように思えたのか、気の毒そうに見ている。
そして、とりあえずここは話題を戻したほうが良いと判断したのか、美琴に向かって口を開く。
「で、その食蜂って奴の居場所は分かったのか? なんか滝壺のことを警戒してたみたいだし、あいつもすぐ近くに居ると思うんだけどな」
「えぇ、結標淡希と一緒に学舎の園の中を移動してる映像がハッキリ残ってたわ」
「詳しい場所は?」
麦野が鋭い眼光で短く尋ねる。
美琴はその視線を正面から受け止め、口を開く。
「常盤台中学」
今回はここまでー
完結するころにはリアルの季節まで冬になっちゃいそうなんだよ
***
第七学区の窓のないビル。
その内部には統括理事長アレイスター=クロウリー、エイワス、そして風斬氷華が居た。
いずれも学園都市の核とも呼べるほど重要な者だが、この場を包む空気はどこか穏やかなものだった。
「アレイスター、君はプランが木っ端微塵になってから全てにおいてやる気がないね」
「……五月病というやつだろう。私も人並みにそういった状態になるという事だ」
「今は二月だよ。まぁいい、君の精神状態には少し興味があったが話したくないなら無理に聞こうとは思わないよ」
「何をのんびり話しているんですか」
風斬のイライラとした声が響く。
普段の温厚な性格からしてとても珍しい。
「第五位の食蜂操祈がインデックスをさらった事くらい、あなた達なら分かっているでしょう。なぜ放っておくのですか」
「やる気がでない」
「興味が湧かない」
「……………」
二人の言葉に風斬は無言で睨みつける。
するとアレイスターが億劫そうに口を開く。
「そんなに助けたいのなら君が行けばいいだろう」
「私はこの時間は体が安定しません。行けるのならとっくに行ってます」
「エイワス」
「興味が湧かない」
「もういいですっ!!」
風斬は踵を返してどこかへ歩いて行こうとする。
その後ろ姿に、初めてエイワスが話しかける。
「どうしてそこまで必死になるのかな?」
「友達が苦しんでいるんですから当たり前じゃないですか」
そう言い残して、風斬は消えた。
それは自然消滅なのか、自身の意志で消えたのかは分からない。
エイワスはしばらく黙って風斬の消えた後を眺めていたが、
「……アレイスター、君には友達がいるか?」
「居たはずだが、今では絶交されている」
「それでは彼女の言葉の意味は分からないな」
「理解する気力もないしな」
「そうだアレイスター、君にとって私達は友達ではないのか? そう思えばあの言葉の意味も分かるかもしれない」
「友達も何も君達は実態が曖昧だろう。それこそエア友達とやらに近いのではないか」
「ふむ……」
「どうしたエイワス。あの言葉に興味でも持ったのか?」
「少し、な」
エイワスはぼんやりと宙を見上げる。
その表情からは一切の感情を読めず、そもそも感情というものが存在しているのかどうかさえ分からないものだった。
今日も窓のないビルでは、のんびりとしているがどこか独特な空気が流れていた。
***
とある廃ビルに上条達は居る。
常盤台中学について考える。
学園都市に無数にある学校の中で頂点に君臨されていると言われる「五本指」の一つ。
入学する為には強能力(レベル3)以上が必須条件となっている。
学園都市全体の六割が無能力(レベル0)だという事を考えれば、相当なエリート集団であることが分かるだろう。
本来レベル3ともなれば、並の学校では首席クラスの実力に当たるからだ。
そして未だ七人しか確認されていない超能力者(レベル5)の内、二人がこの学校に在籍している。
一人は今目の前に居る少女、第三位の「超電磁砲(レールガン)」、御坂美琴。
もう一人が第五位「心理掌握(メンタルアウト)」、食蜂操祈だ。
潜伏場所として自分の学校を選ぶ。それは常識的考えてどうか?
考えるまでもない、明らかに愚策だというしかないだろう。
自分の在籍している学校なんていうものは調べれば簡単に出てくる。
上条自身、常盤台に心を操るレベル5が居るという情報は、知識として記憶喪失直後から消えずに持っていた。
だが、ここで重要になってくるのは相手が学園都市最高の精神系統能力者だという事だ。
彼女にかかれば隠蔽工作も余裕だろうし、それを考えればあえて自分の学校を拠点にするというのも、盲点をつくという意味ではありなのかもしれない。
それに彼女は女王様とかとも呼ばれているらしいので、性格的にそうやって自分の城に腰を下ろしているのを好むからという理由もあるかもしれない。
そして、考えられる大きなメリットと言えば、
「……常盤台の生徒、か」
「えぇ。あそこの能力者達を操りまくって戦うのはアイツの常套手段よ」
「ちっ、生徒じゃ殺せないじゃないの。数は?」
「100は超える」
「おいおいおい、レベル3以上が100人以上ってそのレベル5は戦争でもする気かよ」
「実際、常盤台生ならホワイトハウスも攻略できるとか言われてるしな」
全ては他の者に任せて、自分は動かない。
……いや、動いてはいるのだろう。
レベル5の驚異的な演算能力をフルで使い、数多くの能力者を動かす。
見た目ではただ座っているだけに見えても、頭の中はそれこそスパコンも焼き切れてしまう程の処理を行なっている。
美琴は少し考えて、
「……学舎の園には私と麦野で行くわ」
「なっ、二人で何とかなるのかよ!?」
「何とかするわよ。こっちは第三位と第四位よ」
「ふん、まぁ多少強い能力者が集まっても私には関係ないな」
上条は美琴の提案に頷くことができない。
そんな危険なことを彼女たちに任せて、元々の原因である自分だけ安全な場所にいるなんていうのは納得できない。
「御坂、俺の幻想殺しがあれば洗脳を解くことができる。だから、俺も……」
「学舎の園は本来男子禁制。入ったら大騒ぎで余計に動きづらくなる」
「……それは」
「大将、ここは二人に任せてもいいんじゃねえか」
「浜面まで……そんな危ない真似させられるわけねえだろ」
「まぁ、よく聞けよ」
浜面は真剣な表情で真っ直ぐ上条を見る。
「俺だって滝壺のことがあるんだ。できるなら自分で突っ込んで助けてやりたい。
だけどよ、今一番大事なのはそこじゃねえ。どうすれば一番確実に助けられるか、だろ?」
「……あぁ」
「二人だけで行かせるのが心配だってのは分かる。けど俺らがついていくデメリット以上にメリットがあるのか?」
浜面の言葉に、上条は何も答えられなかった。
本当は分かっていた。
美琴の指示は今の状況ではベストなものであろうという事。
上条や浜面を学舎の園に引き入れて騒ぎを起こすよりも、二人で突入したほうが効率的であること。
それでも、上条は認めたくなかったのかもしれない。
インデックスを救うために、自分の力は必要ない。
レベル5の能力者に任せたほうが全て上手くいく。それを受け入れられなかったのかもしれない。
重要なことはそこではないのだ。
ただ彼女を助ける。
たとえ上条が役に立たなくても、その目的さえ達成できればいいはずだ。
「……分かった。御坂、麦野、お前達に任せる」
「ん、任された。ちゃっちゃと終わらせてくるわよ」
「私はあの第五位をぶちのめせれば何でもいいわよ。そうだ上条、これ持っときなさい」
そう言って麦野は何かを放ってよこす。
受け取ってみると、やたらとゴツい銃だった。
「俺、銃なんてまともに使えねえぞ?」
「それは演算銃器(スマートウェポン)っていって、撃つ対象に応じて勝手に適切な火薬を調合してくれるものよ。
そいつをちょっと調整して、素人でも狙ったとこにいくようにしておいた。ないよりはマシでしょ」
「麦野……サンキュ」
「あれ、俺には何かないのか?」
「ないわよ。せいぜい死なないように頑張りなさい」
「ひでえな!?」
「まぁアンタ達はなるべく狙われないように大人しくしていなさい。私達がすぐケリつけてくるからさ」
美琴と麦野は廃ビルを出ていく。その姿はとても頼もしく見える。
そういえば、こうやって誰かの後ろ姿を見送るなんていうことは今まであまりなかったかもしれない。
誰かを見送る、その行動の裏には相手に対する信頼が隠れている。上条はそんな事を思った。
***
「でも、ちょっと意外だったわ」
「なにが?」
美琴と麦野は学舎の園を歩いて常盤台中学へと向かう。
能力を使って飛ばしても良かったのだが、あまり目立つことはやめようと判断したのだ。
受験休みはここでも同じで、昼過ぎの街並みには多くの学生が出歩いていた。
学舎の園の中ということで、どの生徒もどこか気品のあるお嬢様系の雰囲気を醸し出している。
そんな中、美琴は何かを思い出したように口を開いていた。
「浜面。アイツってただのチンピラみたいな印象だったけど、たまには良い事も言うのね」
「……良くも悪くもハッキリしてんのよアイツは」
「どういう事?」
「守るべきもののためなら何だってする。ああ見えてもアイツは暗部の人間だ。
人殺しだけじゃない、まともな人間なら側で見ていることすら出来ないほどのグロい拷問だってアイツはやってみせる」
「…………」
「あんただって学園都市の闇は見ただろう? こうして表の人間が楽しい楽しい学園生活を満喫している裏で、おびただしい量の血が流れてる。
あんなクソみたいな世界じゃ、仲間以外は全員ぶち殺すくらいの気持ちでいないと何も守れやしないのよ」
美琴は麦野の言葉に黙りこむ。
心身ともにズタボロになったあのおぞましい実験も、学園都市の闇の一部でしかない。
おそらく麦野は美琴よりもはるかに多くの惨劇を見てきたのだろう。
そんな彼女と比べれば、自分なんかはぬるま湯に浸かって平和ボケしている学生の一人にすぎないのだろう。
だが、例えそうだとしても。
美琴は信念を曲げる気はない。
どんなに困難な道でも、諦めることは絶対にない。
それが美琴の自分だけの現実なのだから。
麦野はそんな美琴の様子を見て、
「……別に人のやり方をどうこう言うつもりはないわよ。好きにやればいい」
「言っておくけど、常盤台の生徒にも手を出すって言うなら私は黙ってないわよ」
「分かってる。私だって好き好んでそんな事はしない。ただ……」
「本当にそれしかないと思ったら、私はやるぞ?」
麦野は挑戦的な目で美琴を見る。
その目ですぐに分かる。このレベル5は本気で言っている。
黒夜海鳥の手を切断したように、本当にどうしようもない時は犠牲もいとわない。
もしも、本当にそんな状況になったら。
美琴は必ず止めることになる。
願わくばそんな事にはならないでほしい、と美琴は心の中で祈る。
麦野は続けて口を開く。
「……ていうかさ、あんたってあのシスターとそこまで仲良いわけ?」
「どういう意味よ」
「だってさ、あんたとあのシスターって言わば恋敵ってやつでしょ? 居なくなってくれた方が色々と都合がいいんじゃないの?」
「うっさいわね。一応知り合いではあるんだから、無視とかしたら目覚めが悪くなるじゃない。それに……アイツの頼みってのもあるし…………」
「ふーん、つまり上条に気に入られたいから手伝ってるわけね」
「それは――!!」
「違うの?」
「……ないこともないケド」
美琴は麦野から目を逸らしてぼそぼそと答える。顔も少し赤い。
インデックスを助けたいというのは本当だ。
美琴はたとえ相手がほとんど知らないような人間でも目についたなら無条件で助けようとする。
しかし、今回の件に関してはそれだけじゃない。
ぶっちゃけると、上条への好感度アップという目論見もかなりある。
美琴はレベル5であるという前に一人の女の子だ。
想いを寄せる相手から頼まれごとをされれば、当然少し期待してしまうこともある。
麦野はそんな美琴を見て、意地悪くニヤリと笑う。
「けど、上条もあのシスターの事がよっぽど大切みたいじゃない。あんた、勝ち目あるわけ?」
「うぐ……そ、そんなの分かんないじゃない!」
「どうだかね。後で痛い目みたくなかったら、もっと積極的に行ったほうがいいんじゃないの」
「そんな事アンタに言われる筋合いは……ん?」
美琴はふと気付いた。
今の麦野の様子を見ていると、まるで自分のことを語っているようにも見えた。
そして美琴のレベル5の優秀な頭は回りだす。
麦野がそういった経験をしたことがあるとして、相手は誰か。
美琴が知っている限り、麦野と一番親しいと思われる男は誰か。
その男は、今どのような状況にあるか。
答えはすぐにまとまり、美琴は驚いた表情で麦野を見る。
「……もしかして」
「なによ」
「アンタさ……浜面の事好きだった……とか?」
「…………」
「……あ、いや、ごめん。ただ何となくそうかなって……」
美琴は気まずそうにそう言う。
言っている途中で気付いたが、こんな事を聞くのは良くない。
今すぐ光線が飛んできてもおかしくない。
浜面には既に滝壺という恋人がいる。
つまり、麦野の気持ちはもう浜面に届くことがない。
もし美琴の予想が当たっていたら、麦野はそれを受け入れた上でアイテムの仲間として一緒に仕事をしているのだ。
麦野はしばらく黙っていた。
ただ何も答えず、前を向いて歩いている。
「――――えぇ、そうよ」
出し抜けに答えた麦野の言葉に対して。
美琴は何も言えず、ただその後ろ姿を目で追うことしかできなかった。
時刻はお昼すぎ。
太陽は次第に傾いてきていた。
***
美琴と麦野は並んで堂々と常盤台中学内を歩いていた。
麦野は暗部時代のつてで、臨時教諭のIDを入手している。服装もそれに合わせてスーツだ。
始めは常盤台の制服を手に入れて着るという事も考えたらしいが、美琴のダメ出しが入った。
麦野は美琴の「コスプレにしか見えない」という言葉に青筋をビキビキと立てていたが、とりあえずは納得してくれた。
まぁ実際、麦野はスーツ姿のほうがかっこ良くて似合っていると美琴は思ったが、それはそれで機嫌を損ねそうなので言わないでおいた。
校門でいきなり襲われる事も想定していたのだが、意外なことに何も仕掛けてこない。
一応は受験期間の休みなのだが、もう常盤台の試験は終わっていて、今も休みなのはただ単に学園都市全体の休日に合わせているだけだ。
なので部活動や派閥活動などはいつも通り行われており、学内に居る生徒も少なくない。
美琴はチラリと辺りを伺う。
食蜂の派閥は常盤台で最大の規模を持っているので、常に周りに誰か一人は居るような状態だ。
しかし、これは普段からも同じで、特に異常なことではない。
むしろこの場合、何も仕掛けてこないことの方が異常なのではないか。
麦野は気に入らない様子で周りを見て、
「余裕の表れ……ってやつかしらね」
「確かにアイツらしいわ。漫画とかだとそういうのが原因でやられちゃったりする敵キャラとかも多いけど」
「現実はそんなに甘くない。余裕綽々のまま無情に勝ってしまうっていうのも全然ありえる話よ」
「アンタの体験談?」
「まぁね。私の場合は余裕で勝つパターンも、それが原因で負けるパターンもどっちも経験したけどさ」
その時、美琴のケータイがブーブーと震えた。
美琴は特に警戒する様子もなく、電話を取る。
『もしもしぃ~?』
「やっぱりアンタか」
『あれ? 意外に冷静ー?』
「アンタの事だからここら辺でちょっかい出してくると思ってただけよ。
私の番号だって、アンタにかかればすぐに調べられるだろうし」
『きゃー、御坂さんって私の事よく分かってるんだぁ! いいお友達になれそうねぇ』
電話の向こうの声に、美琴はギリッと歯を鳴らす。
だがすぐに深呼吸をして落ち着こうと努める。
相手のペースに乗せられてはダメだ、頭が回らなくなる。
隣で麦野がじっとこちらを見ている。
美琴は一度小さく頷くと、再び口を開く。
「それで、何の用かしら? 言っておくけど、こっちは世間話をしに来たわけじゃないわよ」
『分かってますぅー。私だって人並みには空気は読めるわよぉ。
だから、直接会おうと思って、こうして電話したんだしぃ』
「……何ですって?」
『第一ホールで私一人で待ってるわぁ。ほら、たまに学生議会とかやってるおっきな部屋』
「それが罠じゃないって証拠は当然あるのよね?」
『んー、それじゃあ学内のカメラで見てみてよ。先生はみんな私の能力をかけてるから、頼めば自由に使わせてくれるしぃ』
「………………」
『ふふ、それじゃ待ってるわぁ』
電話が切れた。
美琴は忌々しく思いながら……それでも愛用のゲコ太ケータイを痛めるわけにはいかないので静かに閉じる。
その後すぐに麦野に説明する。
「……嫌な予感しかしないわね」
「えぇ。でもとりあえずはアイツの言う通り、学内カメラで見てみるっていうのはやる価値はあると思う」
「それが改竄されているという事は?」
「それなら私が気付くわよ。アイツだって私の能力についてはよく知っているだろうし」
二人はそんなことを話し合い、とりあえず学内カメラで確認だけしてみることにした。
***
数分後。
美琴と麦野は指定された第一ホールの両開きの大きな扉の前に立っていた。
カメラで確認した所、本当に食蜂一人だけがこの部屋に居た。
美琴はチラリと麦野に目配せして、
「……いくわよ」
「あぁ。油断すんじゃないわよ」
「分かってる」
ギィ……と扉を開く。
学生議会を行う場所ということもあって、中はそれ用の作りになっている。
広い部屋にはすり鉢状に沢山の机と椅子が並び、すり鉢の底に当たる所に発言者のためのスペースがある。
(イメージ:http://vip.jpn.org/uploader/source/up5538.jpg)
そしてその中央のスペースに食蜂操祈は笑顔で立っていた。
部屋の扉は当然外周にあるので、美琴と麦野は部屋で一番高い位置から食蜂を見下ろす形になる。
こうして彼女が低い位置に居るというのは何か違和感を覚えてしまう。
それほどに、女王というイメージを植え付けられてしまっているのだろうか。
「ふふ、こんにちわぁ。いつまでもそんなところに居ないで、もう少し近くで話しましょう」
「……何を企んでる?」
「いえいえ。それに距離が近くて困るのは私の方じゃなぁい?」
「…………」
美琴と麦野は黙って段差を降りていき、中央へと向かっていく。
誰も潜んでいないのは美琴の電磁波によって分かる。
二人が食蜂の目の前まで来ても、彼女はただ笑顔のままだった。
それが二人の不安をかきたてる。
やはり罠ではないのか。何か見落としたことはなかったか。
「それで、お話というのは私が能力使って色々やっている事についてよねぇ?」
「当たり前でしょ。今すぐやめなさい。何ならここで気絶させてやめさせてもいいのよ」
「あんたも運がいいわね。いつもの私だったらもう真っ二つになってるわよ。今はこの第三位が止めるだろうからやんないけどさ」
「きゃー、こわぁーい」
バチッ!! と、青白い稲妻が食蜂の顔のすぐ隣を走り抜けた。
「次は当てるから」
「わ、わぁ……」
食蜂は固まって、頬に冷や汗を伝わせている。
そして慌てて両手を前に出して、
「ちょ、ちょっと待ってよぉ! わ、私は本当にお話をしに来ただけなのぉ!」
「アンタと話す事なんて何もない。やりすぎよ」
「……だって仕方ないじゃない。学園都市全体に関わってくるおっきな事なのよぉ」
「………………」
美琴は一瞬考えて、ブンブンと頭を振る。
ダメだ、聞いてはいけない。
そうやってずるずると自分のペースに持ち込むのは食蜂の得意なパターンだ。
ここは問答無用で電撃を直撃させて意識をむしりとるのが正解だ。
美琴はキッと食蜂を睨みつける。
食蜂はビクッと震えるが、そんなのは関係ない。
美琴は、今度こそ真っ直ぐ撃ち抜く軌道で雷撃の槍を繰り出した。
槍はそのまま突き進んでいき、
「ッ!!」
食蜂の姿が消えた。
美琴の頭が一気に回り始める。
これは、インデックスの時と同じだ。
美琴と麦野が辺りを見渡すと、案の定自分達が入ってきた扉の前に結標淡希が立っていた。
「結標!!」
「あいつ……確かグループにいたテレポーターか」
結標は何も答えない。
ただ手に持った警棒も兼ねる軍用懐中電灯を軽く振る。
弾かれたように美琴と麦野はその場から離れる。
直後、二人がさっきまで居た場所にカランカランと鉄矢が落ちた。
反応が遅れていたら体に突き刺さっていたことだろう。
美琴はその鉄矢を見て目を見開く。
「これ、黒子の……っ!!」
美琴は電磁波で気配を感じ取る。
すぐに後ろを振り返ると、そこでは白井黒子が右手を振りかぶっていた。
白井はそのまま振りかぶった右手を真っ直ぐ美琴に向けて打ち出す。
「くっ!」
バシッと白井の拳を片手で弾く。
返し手ですぐに電撃を放つが、テレポートにより回避された。
白井のテレポート先は美琴の背後。
彼女は空中で素早く右足、左足と連続で蹴りを繰り出す。
美琴は両腕を使ってガードする。
ガガッ!! という音と共に鈍い衝撃が腕に伝わる。
美琴はすぐに後ろへ飛んで距離を取りながら、再び電撃を放った。
しかしそれもテレポートによって回避されてしまう。
「やっぱ面倒くさいわね……!!」
美琴は苦々しげにそう呟く。
一方、麦野は段差を駆け上がり、真っ直ぐ結標との距離を詰めていた。
だが、やはり結標はそれをのんびりと待ってはくれない。
麦野が最上段まで辿り着く前に、結標は中段へとテレポートしてしまっていた。
結標はバトンのように懐中電灯をクルクル回す。
そして口元に笑みを浮かべ、軽く振るった。
麦野はドッ!! と足元で原子崩しを発動させ、それで得た推進力で猛スピードで距離を詰める。
テレポーターの弱点は、座標にしか攻撃できないという点である。
奇襲には抜群の性能を誇るのだが、動きの速い敵を直接相手にすると分が悪い事も多い。
現に、結標も発条包帯(ハードテーピング)で身体能力を上げた駒場利徳にはかなり苦戦した。
これ程の速さで移動すれば、テレポーターは捉え切れないはずだ、麦野はそう考えた。
「……?」
ここで麦野は眉をひそめる。
何も攻撃が来ない。
確かに結標は懐中電灯を振ったはずだ。
それならばフェイントだろうか。いや、それに何の意味があるのか。
そんなことを考えてると、
「麦野、上!!」
美琴の声に目だけを動かして上を見てみる。
そこにはいくつもの椅子が現れており、このままでは麦野に降り注ぐ事になるだろう。
しかし、それがどうしたと言うのだ。
麦野はさらに足元の原子崩しの威力を強めると、移動速度を上げる。
上から椅子が降ってくるというのなら、すぐにその場を離れればいいだけだ。
すると次の瞬間、今度は麦野の進行方向に椅子が現れた。
数からして、さっきまで上空に転移させられていた椅子だ。結標が再び転移させたのだろう。
「うざったいわね!」
このままでは自分から椅子に激突するという間抜けな事になってしまうので、麦野は蹴りで椅子を粉砕する。
そこで麦野は目を見開く。
壊された椅子のすぐ後ろに、白井が潜んでいた。
結標はずっと注意していて見ていたが、白井の方はマークしていなかった。
それ故に反応が遅れる。
白井が足払いで麦野を床に倒す。
そしてすぐに鉄矢をテレポートさせ、ドドドッ!! とスーツごと麦野を床に縫い止めた。
「く……そが……!!!」
白井はただ冷たい目で麦野を見下ろす。
再び、足に巻きつけられた鉄矢を収納しているホルダーへと手が伸びた。
今度は直接人体へと鉄矢を叩きこむ気だろうか。
普段の白井は拘束した相手にさらに攻撃を加えるなどという事はしないが、今は食蜂が洗脳している状態なのでないとは言えない。
麦野は顔をしかめる。
何も手がないというわけではない。
しかし、頭の中に浮かぶいずれの思惑も白井にかなりのダメージを与えてしまう。
その時、青白い電撃が真っ直ぐ白井へと放たれた。
美琴の攻撃だ。
白井は既にテレポートで退避して、結標の隣へと移動する。
攻撃はかわされてしまったが、とりあえずは麦野への追撃は食い止められた。
「大丈夫?」
美琴は麦野の近くまで行き、彼女を縫い止めていた鉄矢を磁力で全て抜く。
「まったく、あいつはお前の相手だろ。ちゃんと押さえときなさいよ」
「相手はテレポーターよ。無茶言わないでよ」
「ちっ…………にしても、随分と連携が取れてるな。仲いいのかあいつら」
「んなわけない。前に会った時は本気で戦ってたし。これも食蜂の力よ」
そこまで話した時、バタンと部屋の扉が開いた。
外からぞろぞろと常盤台生が入ってくる。
まずい、と二人は顔をしかめる。
テレポーター二人相手にするだけでもこの状態なのに、これ以上の増援は正直キツイ。
しかし、大勢の常盤台生は何かをするというわけではなく、ただ最上段からじーっとこちらを見ているだけだ。
「これってあの人達は手は出さないけど逃がさないわよって事かしら」
「さあね。だが警戒しておいて損はない」
「損はあるわよ。周りを気にして戦えるほどテレポーター二人は甘くない」
「……仕方ないわね。おい第三位、少し聞け」
「え?」
麦野は小さく口を開いて何かを話す。
それに対して美琴は少し驚いたように目を大きくしたが、すぐに真剣な表情になって頷く。
直後、麦野が再び原子崩しでのターボを使って高速で動き始めた。
だが、その軌道は結標達へ向かうものではない。
ただ斜め前へ、直線上に居る結標達と美琴に対して正三角形を作るような位置へ向かって走っていく。
結標も白井も動かない。
何かの罠である可能性も考えているのか、下手に動かない方がいいと考えたのだろう。
ここで考えているのは本人ではなく食蜂のほうだが。
次に動きがあったのは美琴だ。
右手に青白い放電を集め、見るからに攻撃態勢をとっている。
これにはさすがに結標達もいつでも動けるように構える。
しかし、美琴の電撃が結標達へ飛んでいくことはなかった。
電撃の行方はなんと、現時点では味方であるはずの麦野だった。
結標達の表情に困惑の色が浮かぶ。これは食蜂の表情だと見ていいはずだ。
確かに二人の仲はそこまで良くもないというのは見ていれば分かる。
それでも、こんな急に仲間割れを起こすものなのだろうか。
すると次の瞬間、結標達の表情が驚愕へと変わる。
麦野へ真っ直ぐ飛んでいっていたはずの電撃。
それが弧を描くように急に向きを変えて、結標達の方へ飛んできたからだ。
美琴も麦野も能力の根っこの方では似通った部分がある。
どちらも電子に干渉する事が可能なので、以前戦った時もお互いの能力に干渉する事ができた。
具体的に言えば、美琴は麦野の光線を意図的に曲げることができるし、麦野も美琴の電撃に対して同じことができる。
トリックプレーだ。
電撃は自分達を狙っていないものと思わせ、その油断をつく。
作戦は完璧だった。
結標も白井もただ目を見開いて動くことができない。
テレポーターは高度な演算が必要なため、精神に動揺をきたすと能力にも影響が出てくる。
美琴も麦野も口元に小さな笑みを浮かべる。
これは確実に入った、そう思った。
そしてこの一撃は相手を殺すまではいかなくても、気絶させるには十分の威力だった。
しかし、次に驚愕するのは美琴達だった。
電撃が、もう一度曲がった。
電撃を逸らした麦野も、撃った本人である美琴も目を見開いて唖然とする。
誰かが再び電撃に干渉した。それくらいは分かる。
だが、一体誰がそんな事をしたのか。
あの電撃は第三位である美琴が生み出したものだ。
同じレベル5の麦野ならまだしも、例え能力系統が一致していても簡単に手出しできるものではない。
その答えは、すぐに目の前に現れた。
麦野は苦々しく歯噛みする。
「そうか……あんたなら今みたいな真似もできるでしょうね」
結標と白井の他に一人、ピンクのジャージを着たぼんやりとした少女が立っていた。
『アイテム』の一員にして、能力追跡(AIMストーカー)の能力者、滝壺理后だ。
おそらく結標の能力によって転移させられたのだろう、テレポーターのように一瞬にして彼女はそこに現れた。
美琴は警戒して目を細める。
彼女とは以前に研究所で戦ったことがあるが、その時とてつもなく嫌な感じがしたのを覚えている。
「ねぇ、私あの人の能力はよく知らないんだけど。位置情報を探れるっていうのは何となく分かるけどさ」
「あいつの能力はそれだけじゃない」
麦野はそう言うと、原子崩しを三人に向かって放つ。
光線は真っ直ぐ三人に向かって突き進み…………途中で角度を変えた。
そのまま光線は三人には当たらず、ドガァ!!! と轟音をあげて近くの壁を撃ち抜く。
「……だから何なのよこれ。あの子も電撃使い(エレクトロマスター)なわけ?」
「AIM拡散力場に干渉する能力だ。こっちの能力の制御もある程度奪われる」
「…………」
美琴は深刻な表情で考え込む。
電撃使い(エレクトロマスター)であった方がずっと良かった。
能力者にとって、能力というのは生命線にも近い。
つまり、能力の制御を奪われるというのは能力者にとっては致命的である事他ならない。
周りには大勢の常盤台生。
目の前には一癖も二癖もあるレベル4が三人。
率直に言って、あまり良い状況ではない。
だからといって諦めるわけにはいかない。
美琴と麦野はほぼ同時に、次の動きのために体勢を低くする。
いくら状況が悪いと言っても、自分達はレベル5だ。
こういう状況になってしまったのは仕方ない、ただ力押しで打破するだけだ。
***
上条と浜面は第七学区のラーメン屋で遅めの昼食をとっていた。
上条はこんな時にのんびりと食べている場合ではないと思ったが、浜面の「いざという時に腹が減ってたら戦えない」という言葉に折れる形になった。
中はお世辞にも綺麗とは言えなかったが、ラーメンの味は確かだった。
「どうだ、うまいだろ?」
「おぉ……浜面は良く来るのか?」
「最近はあんまり。スキルアウト時代によく来てたんだ」
「ちゃんと金払ってたんだろうな」
「さすがにここでまで悪事は働いちゃいねえって。ここに来れなくなるのは嫌だしな」
すると、そんな会話を聞いていた店主が笑顔で話しかけてくる。
「ははっ、まぁうちとしちゃここで食い逃げされなきゃ外で何してたって文句はねえさ。
ていうか浜面、お前スキルアウトから足洗ったんか? そういや最近は三人で来ることもねえし」
「……まぁな。俺もいつまでもガキでいられないんだよ」
「くくっ、10代の青くせえガキが何言ってんだ」
店主はおかしそうに笑い声をあげると、厨房の奥へと引っ込んでしまった。
浜面はそれと同時に少し影のある表情で溜息をつく。
「あんたには言ったことがあるんだっけか。うちのスキルアウトのリーダーが死んじまったって」
「……そうだったな」
浜面と初めて会った時。
あの御坂美鈴が危うく殺されそうになった事件で、浜面は自分のスキルアウトのリーダーが死んだと言っていた。
弱者を守るというらしくないことをしたばかりに、と。
「ここには俺とそのリーダーと半蔵ってやつの三人でよく来てたんだ。でもまださっきのおっちゃんには、リーダーが死んだっていうのは話せてなくてな」
「そっか……」
「なんつーかさ、俺が言うのもなんだけど人が死ぬっていうのはどんな奴でも決して小さな事じゃねえんだ。
思い出は心に残るなんていう綺麗な言葉があるけどよ、やっぱり当たり前に近くに居た人間にもう二度と会うことができないっていうのは……なんかな」
「…………」
「だから、なおさら強く思う。もう誰も失いたくないって。どんなに酷いことになっても、生きてさえいればきっと良い事あるってな」
浜面はそう言うとスープを口に流し込む。
上条も今まで様々な戦いに巻き込まれてきた。
だが、実際に人の死を見たのはおそらく浜面の方が多いはずだ。
それだけに、彼の言葉はかなりの説得力があった。
すると浜面は少し慌てたように、
「おっと、こんな辛気くせえ話ばっかするもんじゃねえな。飯がまずくなっちまう」
「はは、あんま気にしなくていいよ」
「そういうわけにはいかねえよ。社会に出たら空気を読むのが大事とかこの前読んだ雑誌に書いてあったしな」
「社会って、お前もうそういう事考えてんのか」
「そりゃ学生じゃねえからなぁ。いつまでもヤンチャしてたら滝壺も…………おぉ、そうだ!」
ここで浜面は閃いたとばかりに手を打つ。
「よし、ここは恋バナでもして盛り上がろうぜ! 若者らしくな!」
「恋バナって……女子高生か」
「まぁまぁ、いいじゃねえか! 上条だって興味ないわけじゃねえだろ?」
「そりゃまぁ、そうだけどよ…………じゃあ、浜面と滝壺はぶっちゃけどこまでいってんの?」
「おぉ、いきなり突っ込んだこと聞いてくんなおい! ふふふ、聞いて驚け…………もうAは済ませてる」
「…………それだけ?」
「……え?」
「いやだってお前見るからに肉食系なのに…………意外とチキンなんだな」
「なっ、う、うっせーな!! つーかまだ付き合ってから4ヶ月も経ってないから全然…………あれ、遅い?」
「俺に聞くなよ。つーかキスはいつしたんだよ」
「なんつーかキスと同時に付き合ったみたいなノリだったんだよな…………お、おいオヤジ!!」
浜面は少し慌てた様子で厨房に居るであろう店主を呼ぶ。
店主は忙しいのか出て来なかったが、大声で返事だけが返ってくる。
「おー、なんだー?」
「4ヶ月付き合っててBまでいってねえって遅いのか!?」
「へぇ、今時珍しく意外と硬派じゃねえか浜面! けどそりゃちっと意気地がねえな!!」
「……ま、マジかよ…………」
割と本気で落ち込む浜面。
それを見ていると、なんだかこちらまで居たたまれなってくる。
「ま、まぁそう気にすんなって。そういうのは人それぞれだろうしさ」
「けどこれ麦野とか絹旗に知られたらぜってーバカにされる…………てか上条はどうなん?」
「なにが?」
「あのシスターさんとだよ。どこまでいってんだ?」
「あのな、だからインデックスとはABCもなにもそういうんじゃねえって……」
そこで上条の頭に大覇星祭の某場面が浮かぶ。
インデックスが噛み付きを失敗して、その唇が――――。
(……いやいやいや!! あれは事故だしほっぺだからノーカンだ!!)
上条はブンブンと頭を振る。
「と、とにかく、あいつとはそういう関係じゃねえっての」
「やっぱそう言い張るか…………じゃあさ、同棲してて何か起きたりしねえの?」
「同居な同居。それに何もねえよ」
「一緒に寝たりは?」
「……ない」
「うっかり裸見ちゃったりとかは?」
「……な、ない」
「ん、どうした。んん?」
浜面がニヤニヤと肘で突いてくる。
ぶっちゃけると、記憶を失ったばかりの時は自分の状況がよくわからず流れで一緒に寝た時もあった気がする。
そしてインデックスの裸を見た記憶というのもいくつか思い当たる。
しかし、それをバカ正直に言うわけにはいかない。
「つーかさ、あんたは知らないけどあの子はあんたの事好きだと思うぞ」
「それはプールで聞いたっつの」
「何か思い当たるフシとかないか? 例えば他の女の子と話してると急に機嫌悪くなるとかさ」
「…………」
「おっ、やっぱあるだろ? そりゃズバリ妬いてんだよ」
「そんなの分かんねえだろ」
確かにそういう事は何回かあった気がする。
しかし、それは美琴にも当てはまることだし、いくらなんでも二人の女の子から同時に好意を寄せられていると考えられる程上条は自惚れていない。
つまり、いつも彼女達が不機嫌になるのは自分に何かしらの原因があるという結論に達する。
「ったく、相変わらずあんたは鈍感だなー。もしかしてあのシスターの子じゃなくて第三位の子狙いなん?」
「なんで今度は御坂が出てくるんだよ……」
「いやあの子も分かりやすくあんたに惚れてると思うんだけど」
「どう見たらそう思えるんだよ。まぁ確かに前までに比べたら色々と助けてくれるし頼りにしてるけどさ。
それでも俺に対して基本不機嫌で文句ばっか言ってくるぞ?」
「あの子も素直じゃないからなー。なんか二人で出かけたりとかしねえの?」
「何回かあるけど……そんな浮ついたようなもんじゃねえよ」
そこで上条は今まで美琴にどんな事を付き合わされたか話し始める。
自分に付きまとってくる男をかわすために、夏休み最終日に恋人のフリをしてくれとか言われて散々な目にあった事。
罰ゲームという事でケータイのペア契約をさせられた事。
最近ちょっとした事ですぐに電気が漏れて危険な事。
もう話しているだけでもげっそりとしてくる。
だが、浜面の反応は予想外のものだった。
「……いや、いやいやいやいや。それどう考えても惚れてるとしか思えないんだが」
「え、なんで?」
「なんでって……えーと、どっから説明すりゃいいんだこれ……?」
そう言って浜面は何やら頭を悩ませた様子で話し始める。
男女二人で出かけるというのはデートという事。
罰ゲームとかそういうのは十中八九ただの理由付けであり、本当は上条と一緒に居たいだけだという事。
漏電も、おそらく好きな相手と一緒にいて感情をコントロールしきれていないのだろうという事。
浜面はまるで小学生に言い聞かせるかのようだ。
「――てなわけであの子はあんたに惚れてるってわけだ」
「んな事言われてもな。ていうか御坂が誰かに恋してるとか想像できねえよ」
「それ結構失礼だぞ…………じゃあさ、大将」
浜面はグイッとコップの水を飲み干す。
そして一息ついて、
「もしシスターさんと第三位の子に同時に告白されたとして、あんたはどっちを選ぶんだ?」
浜面の言葉に、上条は黙り込む。
そんな事、想像もしていなかっただけに一から考える必要がある。
しかし、少し考えた所で割と簡単に答えは出た。
「……そりゃどっちも選べねえよ」
「二股?」
「ちげーっての。正直俺はなんつーか……そういう好意ってのがまだ良く分かんねえ。
そりゃ俺だって年上のお姉さんとか見たらイイとか思うけどさ、それとは何か違う気がするんだ」
「だからどっちも選べねえって?」
「あぁ。男らしくねえってのは良く分かってる。けど、それでも中途半端な気持ちでだけは答えたくねえだろ、そういうのってさ」
「…………まぁ分からなくもねえなそれは」
「えっ?」
意外だった。
こんなのは自分だけだと何となく思っていたし、おそらく記憶喪失に関係しているのだろうとさえ考えていた。
浜面はコップの中の氷をカラカラと回しながら静かな声で話す。
「俺だって、誰かの事がこんなにも好きになるなんて考えたこともなかった。
実際に滝壺を守って戦っている時も、ただアイツが大切で絶対に失いたくないって考えだけで頭がいっぱいだった」
「分かるなそれ」
「でもよ、俺が例え自分が犠牲になっても滝壺だけはって考えてた時、まぁたぶん顔に出ちまってたんだろうな、いきなりキスされたんだ。それで全部分かったんだ。
俺は滝壺のことが好きなんだ。だから、誰よりも大切で守りたいんだ……ってな。なんか、女の方から動いて初めて気付かされるなんてだっせえ感じだけどさ」
「…………」
「だからさ、たぶんきっかけなんじゃねえのかな。いつかきっかけさえあれば、上条だって気付く。俺はそう思うぜ」
「きっかけ、か」
上条はぼんやりと店の天井を見上げる。
正直、自分にそういう感情が芽生える事なんていうのは想像もできない。
生まれる前に自分がどこに居たのか、死んだ後に自分はどこへ行くのか。それが全く分からないのと同じだ。
だが、これも誰もが通って行く道なんだろうか。
両親である上条刀夜と上条詩菜も、浜面仕上と滝壺理后も答えを手に入れた。
誰にでもそのチャンスは平等に与えられているのか。
そんな事を考えていた上条だったが、急にポケットのケータイが振動し始めたのですぐに意識を戻す。
今持っているケータイは麦野から渡されているものなので、連絡があるとするなら麦野か美琴しかいない。
上条はケータイを開いて連絡を確認する。電話ではなくメールなので、そこまで緊急のものではないだろう…………と思っていた。
次の瞬間、上条は弾かれたように席を立ち上がり、店を飛び出した。
「お、おいっ!? あーもう、オヤジ!!! ここに金置いとくからな!!!」
浜面はそう言って千円札を二枚カウンターに置いてすぐに上条の後を追う。
そして店から飛び出すと、一目散に走りさっていく上条の元へ走っていく。
これでは、まるで食い逃げ犯を追いかける店員みたいだ。
浜面は上条の隣に並ぶと、
「どうしたんだよ!! つか、後でラーメン代返せよ!?」
「……メールが着た」
「メール? うおっ」
上条は返事の代わりにケータイを投げてよこす。
浜面はそれを受け取り、開いて確認してみる。
『どうも上条さん、食蜂操祈です。差し出がましいようですが、少しお耳に入れていただきたい事がありましたのでご連絡させていただきましたぁ。
ぶっちゃけて言っちゃうと、御坂さん達が大ピンチですぅ。ナイト様のお越しを心よりお待ちしております☆』
そして一つの添付ファイル。
それは大勢の常盤台生に囲まれながら必死に戦っている様子の美琴と麦野が写った写真だった。
相手の内一人には滝壺理后もいる。
浜面は奥歯をギリッと鳴らすが、努めて冷静な声で、
「……事情は分かった。けど、何か考えがあるのか?」
「そんなもんはねえ。ただ学舎の園に突っ込むだけだ」
「ダメだ。あそこのセキュリティは無能力者二人で何とかなるレベルじゃねえ」
「じゃあどうしろってんだよ!! こうしてる間にも御坂達は!!!」
「分かってんだよ!!! だからってヤケクソになってもどうにもならねえだろうが!!!」
上条も、考えもなしに飛び込んでもどうにもならない事くらい分かっている。
しかし理屈では分かっていても、その通りに体は動かない。
一刻も早く駆けつけたい。ただその気持ちだけが先行してしまう。
上条は走りながら、ほのかにオレンジ色に染まり始めた空を見上げる。
そこには学園都市の名物でもある飛行船が飛んでいて、その機体に取り付けられたモニターには今日の目玉ニュースが映っている。
内容はインデックスと美琴が見ていた時のものと同じで、長点上機学園が開発したヘリの試運転についてだ。
美琴達のような能力を持っていれば、上下にも動けて強行突破もできたかもしれない。
だが、そんな事を考えても意味は無い。
上条はすぐに視線を前に戻して必死に頭を回して考え始めるが…………。
「…………まてよ」
上条は再び空を見上げる。
視界に捉えるのは先程の飛行船だ。
「なぁ浜面。学舎の園に入り込むのと長点上機学園に入り込むのだとどっちが難しい?」
「は?」
「いいから、どっちだ?」
「そりゃ学舎の園に比べたらどこもずっと簡単に決まってる。あそこはセキュリティ云々の前に男子禁制だから見た目でバレるしな」
「よし、それなら長点上機学園だ」
「えっ、あ、おい!! なんだよ今度はどうしたんだよ!!」
「走りながら説明する!」
上条は走るスピードを早める。
明確な目的があると、走る体も軽くなる気がするのは不思議なものだ。
上条と浜面は周りの学生達が何事かと向ける好奇心の目を無視して、ただ走り続ける。
***
第十八学区。
有名校が集まり、唯一独自の奨学金制度が設けられている区域だ。
夕日に染まった街並みは、まるで定規で綺麗に整えられたように道幅や建物の間隔が均等化されいている。
生活感はあまりない。第七学区と比べるとやけに静かだ。
といっても、上条達はこの学区の風景を見学しに来たわけではない。
二人は建物の影から、少し離れたところにある学校を眺めている。
「あれが長点上機学園か……どうやって忍び込むか」
「おい待て大将さんよ。あの学校のセキュリティもほとんど軍事施設並だぞ」
「なっ、でもお前学舎の園よりかは楽だって言ったじゃねえか!」
「忍び込んじまえばこっちのもんってだけだ。学舎の園の場合は上手く入り込めても見つかっちまったら見た目でアウトだしな。
つーか、そもそもあんたの言う作戦ってのもぶっ飛びすぎだ。なんだよヘリを奪うって。グラセフかっての」
上条の考えた作戦。
それはこの長点上機学園で今日試運転が行われているヘリコプターに何とか乗り込み、空から常盤台中学まで行くというものだった。
浜面は呆れた顔をしている。
しかし浜面自身も以前に滝壺を救うためにヘリをジャックした事もあるので、そこまで強く否定することはできない。
浜面はボリボリと頭をかきながら、
「とりあえずここの制服の調達か。まぁ、それはそこまで難しくもねえ。問題は入校するのに必要なIDの方だな」
「お前そういうの得意なんじゃねえの? 絹旗に偽の身分証明証とか作ってやったりしてるらしいじゃん」
「レベルが違う。出来ねえ事はねえが、どうやっても時間かかっちまう」
「何のお話ですかー?」
ビクッ!! と上条と浜面の肩が震える。
恐る恐るといった感じで振り返ると、そこには長点上機学園の制服に身を包んだ女子高生が居た。
よく整った顔立ちで、美琴よりも色の薄い茶髪を長く伸ばしている。
当然ながら知り合いではない。
http://vip.jpn.org/uploader/source/up5539.jpg
(まずい……聞かれたか?)
最悪、これを口外されたら警備がより厳重になってしまう。
そうやって顔をしかめる二人に対して、目の前の少女の表情は涼しいものだ。
「あはは、そんな深刻そうな顔してどうしたんですか」
「……どこまで聞いてた?」
「全部です全部。お二人はこの学園に忍び込む気なんでしょう?
ダメですよ、そういう話をこんな所でやっちゃうってのは」
浜面は小さく舌打ちをする。
「ちっ、盗み聞きかよ趣味わりーな。大体、ここだって人気はねえ。聞こうとしなきゃ聞けねえだろ」
「この建物の影に入っていくあなた達の姿が目に入ったのは本当に偶然ですよ。
でもそこでビビッと来てしまいましてね。あ、恋に落ちたとかそういうピンク色な話ではないですよ。もっといやーな黒っぽい話です」
「黒っぽい?」
「そこの茶髪のあなたは表の人間ではないでしょう? 私、そういうのはよく分かるんです」
「……表か裏か分かるって事はあんた」
「あー、私は“元”ですよ。今じゃごく普通の女子高生やってます。
だからこそ、困るんですよねぇ。そういう面倒くさい事を持ち込んでもらっちゃー」
少女はニヤリと笑みを浮かべる。
それを見て、上条も気付く。
この不安をかきたてる表情は普通の学生ができるものではない。
――学園都市の暗部の人間のものだ。
上条はゴクリと喉を鳴らして、
「……警備員にでも知らせる気か?」
「うーん、どうしましょうかね。ぶっちゃけ暗部の問題には警備員もあんまし役に立てませんし…………こうしましょうか」
いつの間にか、少女の手には黒い剣のようなものが握られていた。
そしてそれを真っ直ぐ浜面の喉元に突きつけた。
浜面は顔をしかめて、
「やっぱ能力者かよ。さすがトップ校」
「大人しくしてくれれば助かります。私も今更殺しなんてしたくないですから」
「そりゃ俺も同意見だ。けど人間、引けねえ時もあるんだ」
「……その気持ちは分かりますよ。でも具体的にこの場をどうにかする解決策にはなりませんよね」
「解決策はある」
口を挟んだのは上条だった。
上条は真っ直ぐ自分の右手を伸ばして、少女の持つ黒い剣を掴む。
その瞬間、剣はボロボロと砂糖菓子のように崩れ落ちた。
少女の顔が驚愕で染まる。
「ッ!!」
「ナイス大将!」
浜面はすぐに拳を握りしめ、少女の腹へと打ち出す。
上条には中々真似できない、気絶させるための一撃だ。
ガキィィン!! という音が辺りに響く。
拳が人体にめり込む音としては明らかにおかしい。
そして殴った本人の浜面が痛がっているのもおかしい。
その隙に、少女は素早く後ろへ跳んで距離を取る。
「つぅ……」
「浜面、大丈夫か?」
「あぁ……なんだ、まるでコンクリ殴ったみてえに……」
浜面の拳は赤く腫れがあっている。
相手がどんなに腹筋を鍛えた所で、腹を殴ってこうなるなんてありえない。
その答えは少女の姿を見れば分かった。
腹の中心、丁度浜面が殴った辺りが黒い何かでコーティングされていた。
おそらく先程の黒い剣と同じ材質だろうか。
少女は少女で、警戒した目で上条を見ている。
「驚きましたね……そこのツンツン頭のあなた。
どんな能力を使ったかは知らないですけど、ここまで簡単に私の特殊装甲を壊されたのは初めてですよ。超電磁砲も耐えられるんですけどねぇ、これ」
「超電磁砲……お前御坂と何か関係があんのか……?」
「おや、お知り合いでしたか? もしかして今回の企みも御坂さんが関係しているとか?」
「それは……」
「それならなおさら見逃すわけにはいきませんね。あの人には恩があるんで、ここらで返さないと」
「恩? ちょ、ちょっと待て!」
上条は慌てて言う。
恩……という事はこの少女は美琴の味方の立場であるはずだ。
それなら、こうして争う理由なんてないんじゃないか。
少女は怪訝な表情になって、
「なんですか?」
「俺達は御坂を助けるためにあの学校に入り込む必要があるんだ」
「証拠は?」
「これだ」
上条はケータイを投げてよこす。
画面には先程食蜂から送られてきたメールを表示させている。
少女は黙って画面を見つめる。
その表情からは何も読み取ることができないが、とにかく今は祈るしかない。
しかし――――。
「……これだけではダメですね。こんなもの、いくらでも捏造できます」
「くっ……」
「上条、諦めろ。基本的に暗部に話は通じねえ」
「心外ですね、あくまで“元”だって言っているでしょう。それに、あなた達を完全に信じていないわけではないですよ」
「え?」
上条はキョトンとして聞き返す。
少女は特になんでもないように、
「精神系統の能力者を呼びます。それですぐにハッキリするでしょう」
***
上条と浜面は長点上機学園の制服に身を包んでいた。
あの後少女が呼んだ能力者のお陰で、上条達の話が本当だと信じてもらえた。
これと同じ方法を使えば警備員などにも納得してもらえるかもと一瞬考えたが、あまり大きな動きをすると食蜂に気付かれる可能性がある。
だから、できるだけ騒ぎは大きくしない方向で事を進めることにする。
「にしても、浜面お前ブレザー似合わねえなぁ」
「う、うっせえな! あんただって似たようなもんだろ」
「はいはい、二人とも似合ってますから早く来てくださいよ」
先程の少女が急かす。名前は相園美央というらしい。
「つーか、よくこんな短時間で偽のIDなんて用意できたな」
「こういうのは内部の人間だと意外と簡単だったりするんですよ。それに、元々そういうスキルもそこそこ持ってるんで」
「さっすが暗部」
「だから“元”だって何度言えば分かるんですか」
そんな事を話しながら、上条達は堂々と校門から長点上機学園の中へ入る。
やはり有名校らしく、校舎も綺麗で校庭も広い。
そしてその校庭のど真ん中。
そこには学校ではやけに目立つヘリが堂々と置いてあり、周りをギャラリーが取り囲んでいる。
例のヘリの試運転だと見て間違いなさそうだ。
上条は茜色に染まる空を見上げて、
「なんでこんな時間に飛ばすんだ?」
「あれは夜間でも楽に操縦できるというキャッチコピーがあるらしいです。たぶんその宣伝でしょう」
「夜にヘリってのも迷惑な話だなぁ。麦野なんかはブチギレて撃墜しかねないぞ。アイツ目覚め最悪だし」
「第四位がどうとかは知りませんけど、とりあえずヘリには騒音対策もされているらしいですよ。
ていうか、これはどうでもいいでしょう。ヘリの見学に来たわけでもないですし」
上条達はギャラリーに混ざってヘリを眺める。
周りはざわざわとかなりうるさく、こちらの会話には誰も気に留めたりはしていないだろう。
「作戦は分かっていますよね」
「あぁ……浜面は大丈夫そうか?」
「こればっかりはやってみねえとな。まぁ何とかするさ」
浜面はヘリをじっと見つめてそう言う。
離陸まではまだ少しありそうだ。
すると相園が小さく溜息をついて、
「まさかあの御坂さんが追い詰められることがあるなんて思いもしませんでした。
それだけ以前会った時、彼女は絶対的な自信と強さを持っていました」
「何でも一人で解決できる奴なんて居ない。第一位の一方通行ですらな。
だからこうして助け合うんだ。やっぱり人間ってのは一人じゃ生きられないんだと思うぞ」
「……そうですね。今では分かります」
相園は小さく微笑む。
何かを思い出しているのだろうか。
まぁ、それについて深く聞くのは野暮というものだろう。
「それに、元々は俺が御坂達に助けてもらっていた形だったからな。
みんなには沢山迷惑かけちまって、ちょっと気まずいけどさ……」
「んな水臭い事言うなっての。誰も巻き込まれたなんて思ってねえよ」
「仲間、というやつですか」
「あぁ。たぶん麦野とかは認めねえだろうけど、みんなそう思ってる」
「ホント……サンキューな」
「礼は全部上手くいくまでとっとけ」
「あぁ、そうだな」
上条はグッと拳を握りしめて決意を固める。
相園はそんな二人の様子を見て、
「羨ましいですね、そういう関係は」
「何言ってんだ、あんたにも今回こうやって助けてもらったんだ。ピンチの時はいつでも駆けつけるぜ?」
「え……? いえ、でも私とは今日ここで会ったばかりで……」
「そんなの関係ねえよ。つーか、困ってる人なら誰だって放っておけないだろ」
「はは、そこまで言うのは大将くらいだと思うぜ」
相園は少しの間呆然として二人を見ていた。
その後、口元に優しい笑みを浮かべて、
「……ふふ、そうですね。それでは何かあったら遠慮無く呼ばせてもらいますよ」
「おう、任せとけ。レベル0だけどさ」
上条はそういう人間だ。
いつだって、自分のやりたいように動く。
例え相手が見ず知らずの人間でも、一度戦った相手だとしても、助けたいと思ったら助ける。
それらの積み重ねがあったからこそ、今のこの暖かい環境がある。
そこまで話した時、ヘリのプロペラが回転し始めた。いよいよ離陸しそうだ。
三人の表情が一気に引き締まる。
相園がチラリと上条と浜面に目で合図する。
それに対して二人が頷くと、
「それでは、幸運を祈りますよ」
ギャラリー達の間に、いくつもの黒い壁が出現した。
その壁によって人々はそれぞれ分断されてしまい、まるで巨大迷路に迷い込んでしまったかのようになっている。
ざわざわと、姿は見えないが全員がパニックを起こしている音だけは聞こえる。
上条と浜面はすぐに行動を起こす。
この黒い壁は相園の「石油製品の分解と再構築」という能力から作り出されたものだ。
石油製品なんてのは身の回りにいくらでもある。
そしてこの壁は戦車の滑空砲を受けてもビクともしない程の強度を持っている。
だが、それも上条の右手の前では無力だ。
これを利用して、上条は壁を壊して浜面とともに真っ直ぐヘリへと向かう。
周りはパニックを起こしていて、そんな二人の事は気に留めている余裕もない。
二人は迷路を抜けて、ヘリの近くまで辿り着いた。
さすがにこの状況で離陸準備を進めているわけもなく、プロペラの回転は徐々にゆっくりになってきている。
ここで、浜面の出番だ。
浜面はポケットからピッキング用の針金を取り出す。
そしてそれを迷わずヘリのドアの鍵穴へとねじ込んだ。
中に居るパイロットが目を見開いて驚いているが、気にしている場合ではない。
「………………」
「……浜面、まだか!?」
「………………」
「おい浜面!!」
「…………わ、悪い。やっぱ無理っぽい」
「はぁ!?」
浜面はバツの悪そうな表情で針金を抜く。
ここではこうやってドアを開けて中に入る予定だったのだが、これではダメそうだ。
そもそも、車と同じように考えていたのが間違いだったか。
上条は焦って周りを見渡す。
まだ相園の巨大迷路は健在で、ギャラリーからはこちらが見えていないはずだがそれも限界がある。
「ど、どうすんだよ!? いつまでもこの状態を続けるわけにはいかねえし……」
「んーと……よし、これしかねえ!!!」
浜面はもうなんかヤケクソ気味に、ベルトから銃を抜いた。
そしてそれをガラス越しに中に居るパイロットへ突きつけ、ドアをガンガンと叩く。
上条はさすがに止めようかとも思ったが、それよりも早くに顔を真っ青にしたパイロットがドアを開けた。
「よしっ、いいぞ!」
「いいのか、これ……?」
上条と浜面がヘリに乗り込む。
すぐにパイロットの学生が震えながら口を開く。
たぶん見かけからして三年生だろう。
「は、ハイジャック……?」
「あぁ、その通りだ。このまま離陸してくれ」
「だ、だがこんな状況で……」
「こんな状況だからこそ……だろ?」
ガチャリと分かりやすく音を立てる浜面。
パイロットは「ひぃ!!」と喉の奥から声を漏らし、プロペラの回転数を上げる。
普段はアイテムのメンバーにパシリにされている浜面だが、こういう時は暗部らしい一面を見せる。
といっても、上条としては別に尊敬するとかそういう気持ちはないのだが。
しばらくして、ヘリが地上から離れた。
『おいこら!! こんな状況で離陸するなど何を考えている!?』
突然無線からそんな怒号が聞こえてきた。
パイロットは恐る恐るといった様子でこちらを振り返る。
浜面は声を落として、
「(俺達の事は言うな)」
「っ……あ、あの、もう離陸準備がかなり進んでいたましたので、そこから止めるのは逆に危険かと……。
そ、それにこれ以上トラブルが起きる前にと思いまして……」
『そんな言い訳が通用すると思うか!! 今すぐ…………ん?』
無線の声が途切れた。
上条が窓から下を見てみると、どうやら相園が出していた黒い壁がなくなったようだった。
これも作戦通りだ。
もうヘリは地上からは中の様子が見えないくらいの高度に達している。
つまり、上条や浜面の事に気付いているのはパイロットだけだ。
相園の方は、ヘリを見た興奮で能力が暴走してしまった。そんな感じで言い訳する事になっている。
しばらく無線の向こうでは何かの話し合いが行われており、時々相園と思われる声も聞こえた気がする。
『…………仕方ない、ヘリはこのまま進め』
「え、いいんですか?」
『あぁ、どうやらギャラリーに居た学生の能力の暴走だったらしい。それだけで予定を大きく変更するわけにもいかない』
無線が切れると同時に、上条と浜面はハイタッチをする。
これで、後は常盤台まで行くだけだ。
上条は椅子に深く座って、窓から見える茜色に染まった空を眺めて一息つく。
こんな時じゃなければこの空の景色にも綺麗だなーと素直に感動できたのだろう。
しかし、状況が状況なので手放しで気を抜くことはできない。
「……とりあえず一段落か」
「そうだな。まだハイジャックはバレてねえから軍用ヘリに追い回されるなんて事もないだろうし」
「そういや学園都市にはそんなもんがあるんだっけか」
「あぁ、HsAFH-11……通称六枚羽だな。俺は実際に追い回されたんだアレに。絹旗が居なかったら今頃死んでる」
「お前も大概ありえねえ人生送ってるんだな」
「あんたにだけは言われたくねえよ」
浜面はそう言って笑う。
笑いが出てくるというのはそれ程落ち着いてきた証拠だ。
だが、そうなってくると急に様々な心配が頭に浮かび上がってくる。
上条は気まずそうな顔をして、
「そういや、こんな事して俺学校とか大丈夫なのか……?」
「あ、そうか。あんたは学校があるんだよな。まぁ、ぶっちゃけ停学で済むレベルではないわな」
「ですよねー」
「どうすんの? その気ならスキルアウトも紹介するし、アイテムに転がり込んだっていいと思うけど」
「……食蜂をとっちめたら力を使わせて隠蔽させる」
「おぉ、そりゃ名案だ。けどレベル5に言うこと聞かせられるか?」
「俺の右手があればレベル5でもただの女の子にできるはずだ」
「なんかそのセリフエロいな」
「エロくねえよ。インデックスが聞いたら頭噛み砕かれるからやめろよ」
「はは、ちげえねえ」
浜面は再び笑うと、今度はパイロットの方に向かって口を開く。
「そうだ、あんたもそこまで緊張しなくていいぜ。パニクって操縦ミスとかされるとたまんねえからな」
「じゅ、銃を向けられて平常心で居られるわけがないだろう……!!」
「ん、あー、それもそっか」
浜面はそう言うと、銃をベルトに挟み込む。
「それで、このコースは常盤台中学の近くを通るんだよな?」
「そうだが……まさかそこで降ろせというのか……?」
「できねえか?」
「敷地内というのは無理だ。スペースはあっても無許可では迎撃される可能性が高い」
「おっかねえなオイ」
「俺の右手でも守り切るには限度があるからな……それならどこか近くで降ろしてもらうしかないか……」
「けどヘリなんて目立ちまくりだし、学校の敷地内に入る前に確実に襲われるぞ」
「じゃあどうする…………ん?」
ここで上条はとあるものを見つける。
そしてそのままじーっとその方向を見たまま固まってしまった。
浜面は怪訝そうな表情で上条の視線を目で辿る。
その後、何を見たのか一瞬で顔を真っ青にする。
上条の視線の先にあったものは――――。
「お、おい待てよ……まさか…………」
***
高層ビルの最上階にある高級レストランのような部屋に食蜂と垣根は変わらずに居た。
実はこの部屋は常盤台中学の上層にあるとある一室だ。
外を見渡せるように作られたガラス張りの一面からは、息を飲むほど綺麗な夕暮れを見ることができる。
学校にこんな部屋が存在するのは通常ありえないが、ここがお嬢様学校だと考えれば少しは納得できるかもしれない。
食蜂はそんな光景を眺めながら口を開く。
「ロマンチックねぇ」
「……そうか?」
「えー、こういう良さ分からなぁい?」
「まったく分かんねえな」
垣根はテーブルからジョッキを取ると、グイッと中身を飲み干す。
「もう、昼間からどれだけ飲んでるのよぉ」
「さぁな。つっても酔いなんてもんは覚まそうと思えば能力で一瞬で覚ませられるし、特に問題はねえよ」
「演算に支障をきたすんじゃないのぉ?」
「そこまでいく前にリセットするって話だ」
「何でもありねぇ、あなたの能力って」
食蜂は呆れたように言う。
そして視線を少し横にずらして、
「ふふ、あなたもお食事どうかしらぁ?」
「……いらないんだよ」
食蜂と垣根から少し離れたテーブルにインデックスは座っていた。
特に縛られている様子もなく、自由に動き回れるようにはなっている。
しかし、レベル5という存在が冷たい鎖のように彼女の動きを制限させる。
「あらぁ、なかなかの大食い力だって聞いたけどぉ?」
「うん。正直言うと今は物凄くお腹が減っていて、その気になればあなた達のテーブルの上のものは全部食べられる勢いなんだよ」
「そりゃ凄まじいな」
「でも、それだととうまが作ってくれる晩御飯が食べられなくなるから我慢するんだよ」
「へぇ……。でもでもぉ、上条さんがちゃんと助けてくれるっていう保証はないんじゃなぁい?」
「あるよ」
インデックスは真っ直ぐな瞳で食蜂を見つめて即答する。
一瞬、ほんの一瞬だけ食蜂の表情が歪んだような気がした。
「とうまは絶対に来てくれる。いつだってとうまは私のことを助けてくれた」
「……ふぅん。でも私ってそういう感情論好きじゃないわぁ」
「そうか? 俺は割と好きだぜそういうのも」
垣根はニヤリと笑って、テーブルの上のチキンを頬張る。
それを見て、インデックスはゴクリと喉を鳴らす。
「食いたいのか?」
「そ、そんな事ないかも!」
インデックスはプイッとそっぽを向いてしまう。
それでも横目でチラチラとチキンを見ているので、垣根は試しにチキンを少し横へ動かしてみる。
案の定インデックスの目がそれを追う。
反対側に動かしてみる。
やはりそれも目で追ってくる。
「おもしれえなお前」
「む、むぅぅぅううううううう!!!」
「ふふ、無理しなくていいのよぉ? 食べたいなら食べましょうよぉ」
「だからいらないって言ってるかも! そんなに私に食べさせたいのなら、その能力で洗脳したらいいんだよ」
「んー」
「だいたい、なんで私をそのままの状態にしておいてるのかな。洗脳しちゃえば、とうまも簡単に罠にはめることができると思うんだよ」
「……ふふ、その手には乗らないわよぉ」
食蜂はニヤリと笑う。
その表情に、インデックスは顔を曇らせる。
「どういう意味なのかな」
「能力者は魔術を使えない。もし使えば自身の体にダメージが返ってくる」
「……知ってたんだね」
「私の情報力をなめすぎねぇ。その気になれば何だって知ることができるわぁ。
あなたは意図的に自分の頭の中に私が干渉するように仕向けている、そうでしょう?
そしてあなたの頭の中に眠る魔道書に触れさせて、私を自滅させようとしているといった所かしらぁ」
「…………」
「ふふ、私を罠にはめるなんて無理よぉ」
食蜂はいたずらっぽくウインクをする。
すると垣根がそんな二人を眺めて口を開いた。
「つーかよ、そもそもお前は上条ってやつを目の前で絶望させるとか言ってなかったか? 具体的にどんな方法をとるんだ?」
「フフーフ、内緒☆ ていうか、シスターさんに聞かれちゃうと面白力半減だしぃ」
「そうかよ。まぁどうせろくでもねえことだろうが」
「ろくでもないとは失礼ねぇ。でも、そうねぇ……とりあえず上条さんには御坂さん達の状況は教えてあげたわよぉ。私って親切でしょぉ?」
「いつの間に……油断も隙もねえなお前」
「た、短髪がどうしたの!?」
「あれ、言ってなかったっけ? あなたを助けにここまで来てるのよぉ、御坂さんと麦野さん。
まぁ私の罠にまんまと引っかかってくれて、今は絶賛苦戦中だけどぉ」
インデックスの顔が青ざめる。
自分のために今傷ついている者がいる。
それを考えるだけで胸が引き裂かれるような思いだった。
食蜂はそんなインデックスを見て、ニヤリと口元を歪める。
「あらぁ、あんまり心に負担をかけないほうがいいんじゃなぁい? あなた、ストレスを抱え込むとイギリス清教の人が回収に来るんでしょぉ?」
「っ、なんでそんな事まで」
「だから私の情報力を甘く見ないでって言ってるじゃなぁい。
私は十分に武器を揃えてから事を進める。直接的な戦力も重要だけど、争いごとでは情報もとっても重要な武器になるのよぉ」
「……短髪としずりは無事なの?」
「えぇ、今は。でも魔術を使えない魔神さんにできる事なんて何もないわよぉ?」
食蜂の言葉に、インデックスの表情が歪む。
確かに、今の彼女には力も何もない。
もしも魔術が使えるのならこの場を一気に逆転させることも可能だが、そんな事を考えても意味が無い。
垣根はそんな二人をそれほど興味無さそうに眺めながら、
「イイ性格してやがんなお前も」
「あなたは意外と優しいのねぇ」
「そんなどうでもいい事に気力を割く事が理解できないってだけだ。
それで、上条ってやつにそれを知らせて何か意味があんのか? 第三位達の状況を教えた所でここまで辿り着けないだろ」
「辿り着けなくてもいいのよぉ。あれで頭に血が上って学舎の園に突っ込んでくれれば後は警備員の人が勝手に捕まえてくれるわぁ」
「それじゃここまで連れてこれねえじゃねえか」
「そんな事ないわよぉ。警備員の人が上条さんを捕まえればすぐに情報は入ってくる。
そしたら私自ら出向いて警備員の人達を洗脳しちゃえば問題ナシ☆」
「何でもありだなおい」
「あなたには言われたくないわぁ」
二人はインデックスの事など少しも気に留めずに話し続ける。
それは彼女のことをただの人質としか見ていないという事だ。
インデックスはギリッと歯を鳴らす。
自分に力がないのが憎い。
自分のために戦っている人がいるのに、何もできないのが悔しい。
そんなインデックスの表情を見て食蜂は愉快そうに笑みを浮かべる。
まるでこれが生きがいであるかのような、それ程にいい笑顔だ。
何も知らない者が見れば、それはこちらまで元気になれるような少女の純粋な笑顔なのだろう。
だが実際それはは酷く捻れた笑顔であり、事情を知っているものならば背筋が寒くなるようなものだ。
穏やかな表情の裏に潜む、純粋に黒く染まった心。
よく幽霊なんかよりも生きている人間のほうがよっぽど恐ろしいという話は聞くが、こういった人間の一面を見るとそれも納得できる。
インデックスはキッと食蜂を睨みつける。
弱みを見せてはいけない。
自分のために他の人が命がけで動いてくれているのに、自分だけ負けているわけにはいかない。
例え何もできなくても、気持ちだけは強く持つ。
その時。
「……ん?」
垣根が怪訝な声を出す。
バララララ……と、外から何かの音が聞こえてきた。
垣根もインデックスも音の方向に顔を向けてみると、そこにはヘリが一台近づいていた。
食蜂だけは興味が無いようで、マイペースにカップに入った紅茶を口にする。
「今日は長点上機がヘリの試運転をするらしいわぁ。確かコースも常盤台の近くを通るはずだったわねぇ」
「へぇ……じゃあ一つ聞いていいか?」
「なぁに?」
「ヘリから何かぶら下がってるみたいなんだが……あれは何やってんだ?」
垣根の言葉に、食蜂は初めて首を動かしてガラス張りの方へと顔を向ける。
夕日で真っ赤に染まった空、そこに浮かぶヘリ。
そして――――。
***
『あんたら何考えてんだ!? 絶対イカれてる!!!』
『あぁ……何も反論できねえよ』
耳に当てたケータイから浜面とパイロットの声が聞こえてくる。
風が強い。夕日が眩しい。
身を切るような冷たさが全身を襲う。
ビュービューという強い風の音と、バララララというプロペラが回転する音がうるさく聞こえる。
現在、ヘリからは災害救助用のハシゴが降ろされている。
そして上条は外に出て、そのハシゴにぶら下がる形になっていた。
ヘリでの着陸ができないのなら、ハシゴを降ろしてある程度の高さから飛び降りるという作戦だった。
浜面は以前にもヘリから飛び降りたことがあるらしい。その時は下にクッションがあったようだが。
だが、いよいよ常盤台中学のすぐ近くまで来て、作戦を変更することになった。
校舎の上層部、外に面した壁がガラス張りになっているやたら豪華な空間に居るとある人物が目に入った。
全ての黒幕であると思われる、食蜂操祈の姿だ。
上条はケータイから浜面達に話しかける。
直接声を張り上げても、ここからではプロペラの音でかき消されてしまうからだ。
「いいぞ、やってくれ!!」
『しょ、正気か!?』
『諦めろ。コイツは一度決めたら曲げねえ』
『くっ……死んでも恨むなよ』
「あぁ、任せるぞ」
上条がケータイをたたんだ瞬間、一旦ヘリが急に学校から離れる。
そしてその直後、今度は急に学校へと接近する。
この動作で何がしたいのか。
それはヘリから降ろされたハシゴを見ればすぐ分かるだろう。
ヘリが一度学校から離れた時、ハシゴはヘリと共に学校から離れる方向へと流れる。
そしてその後ヘリが再び学校へ近づくように動いた時、ハシゴの方は慣性の法則によりヘリの動きについていかずに、そのまま学校から離れる方向へと流れ切る。
ハシゴはその後どうなるか。
要は振り子だ。
糸がハシゴで先端についた重りが上条。
学校から離れ切ったハシゴは、その後弧を描いて学校に向かって急接近する。
ゴォォォォ!!! と風を切る音が耳元でうるさく響く。
だが、それも今の上条には気にならない。
耳の奥ではドクンドクンと、緊張で血液が循環する音がよく聞こえる。
一歩間違えれば死ぬ。上条はそんな状況に居る。
ガラス張りの壁が近づいてくる。
ここで上条はベルトから銃を抜く。麦野からもらった演算銃器(スマートウェポン)だ。
躊躇わずにドンドンッ!! と連続で引き金を引いた。
銃弾は真っ直ぐガラス張りの壁に直撃し、ビシィィ!! とヒビを作る。
予想通りだった。
常盤台のガラスだ。おそらく頑丈なものだとは予想していた。
普通の銃だったらここまでヒビを作る事なんてできなかっただろう。
ヒビだらけになったガラス張りの壁がどんどん目の前に迫ってくる。
上条は歯を食いしばり、右足をハシゴから外して思い切り突き出す。
「うおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああ!!!!!」
ガッシャーン!!!!! とけたたましい音が鳴り響いた。
振り子のようなハシゴの勢いを利用した蹴りは、ヒビの入ったガラスを砕き上条は部屋の中へ転がり込む。
多少足がズキズキするが、普通に立てる。ちゃんと生きている。
上条はすぐに辺りを見渡す。
目に入ってきたのはどこかの高級レストランのような部屋。食蜂操祈に加えて見たことのない金髪の男。
そして、何よりも大切な銀髪の少女。
「インデックス!!!」
「とうま!!!」
インデックスは信じられないといった顔でこちらに向かって走りだそうとする。
だが、それを金髪の男が遮った。
上条はその男を睨みつける。
「なんだテメェは」
「垣根帝督。レベル5の第二位だ。よろしくな」
「第二位……」
「つーか、すっげーな今の登場の仕方。ハリウッド映画みてえでカッコいいじゃん」
「さすがに私もビックリしたわぁ」
「食蜂……もう誤魔化すつもりもねえんだな」
「えぇ。でもぉ、昨日あなたに話したことは全部私の本当の気持ちですよぉ。
それにぃ、最終的にシスターさんを追い出すような事を言ったのはあなたなんですし、全部私のせいにするっていうのは良くないですよぉ」
「分かってる」
「えっ?」
「インデックスにあんな事言っちまったのは俺の責任だ。それでお前を責めることはしない。これは俺がインデックスに謝ることだ。
だけどな、こうしてインデックスを引き離してあぶねえ事に巻き込むのは許せねえ。だから、俺はお前をぶっ飛ばす」
「……そう」
食蜂は口元に笑みを浮かべてただそう呟く。
そして、そんな彼女の前に垣根が出てくる。
「悪いな、お前に恨みはねえが俺にも俺の目的があるんでな」
「そうかよ」
「ふふ、私のナイトは垣根さんだけじゃないですよぉ?」
パチンと、食蜂が指を鳴らす。
すると部屋の奥にあるドアが開かれ、その向こう側からある人物が入ってきた。
その姿は、上条もよく知っているものだった。
「一方通行……っ!!」
目はうつろで、洗脳されているのがすぐに分かる。
だが一方通行には反射があるはずだ。
それなのに食蜂の能力にかかっているという事は、何かしらの罠にはまったのだろうか。
相手が彼女であるだけにそれも十分考えられる。
垣根はその姿を見て顔をしかめる。
「おい、こいつと共闘しろとでも言うのか?」
「えぇ、念には念を入れてね。いいじゃなぁい、これが終わればあなたの目的も達せられるんだしぃ」
「……ちっ」
垣根は渋々といった様子で了承する。
「ふふ、学園都市の第一位と第二位が相手よぉ。お姫様を助けたいのなら頑張って倒してくださいねぇ☆」
「それがどうした」
「……強がりですかぁ? いくらあなたでもこれは」
「関係ねえよ!!! 相手がどこの誰だろうが、俺はインデックスを助けるためにここに来たんだ!!!」
食蜂の言葉を、上条が大声で遮った。
インデックスの瞳に涙が浮かぶ。
しかし、すぐにそれを必死に堪えて無理矢理押さえ込んでいた。
泣くのはまだ早い、そういう事だろうか。
垣根はヒューと口笛を吹く。
「カッコいいねぇ、ヒーロー。思わずノリで負けてやりたくなるわ」
「垣根さぁん?」
「冗談に決まってんだろ。大丈夫だ、本気で潰す」
バサッと垣根の背中から純白の翼が展開される。
一方通行が体勢を低くし、すぐにでも突っ込めるような状態になる。
夕日で赤く染まる部屋で向き合う二人のレベル5と一人のレベル0。
一見すれば絶望的な状況なのかもしれない。
しかし、上条は迷わない。
ガラスまみれになった長点上機学園の制服の上着を脱ぐ。
慣れないネクタイも外して上着と一緒に床に放った。
そして表情を変えずに、じっと二人の様子を見つめて警戒する。
自分の身を守るためではない。それは相手を倒すために、インデックスを助けるための動作だ。
この右手は便利だ。
例え相手がどこの誰だろうが、確実に殴り飛ばせる力が備わっている。
誰かを救える力が、ここにはある。
今回はここまで
遅れてゴメンね、言い訳すると切りどころに迷った
あと今更>>411に答えると、それは俺のスレじゃないよ
てか上インはこれが初めて
***
きっかけは些細で、単純で、平凡なものだった。
少女は一つの事を除いては至って普通の子供だった。
学校では嫌々勉強に励み、放課後はみんなで公園で遊ぶ。
雨の日はトランプで遊んだり、マンガを読んだりアニメを観たりゲームをやったりした。
少女はどちらかというと外で遊ぶ方が好きだったが、マンガやアニメ、ゲームといったフィクションの中にも心惹かれるものを見出していた。
それは仲間同士の絆というものであり、大抵の作品で描かれているようなものだ。
どんなに強大な敵にぶつかっても、どんなに難解な問題にぶつかっても、仲間との絆さえあれば乗り越えることができる。
少女はそれに憧れた。眩しいくらいに輝いて見えた。
同時に、それを現実で見てみたいと切望した。
たまたま少女には力があった。
その力は、フィクションの世界でしか見たことがなかった、“本当の絆”というものが現実に存在するかを確かめることができた。
迷うことはなかった。
ただ自分の欲求に真っ直ぐ向き合う。それは子供にとっては至極当然な事だった。
少女はマンガを読んだりアニメを観ている時よりも、ずっとワクワクした。
もう少しで紙やテレビの中ではない、自分が生きるこの現実でそれを知ることができる、そう思った。
結果として、少女の周りにそんなものはなかった。
特に驚くことではない。
フィクションの世界での仲間との絆なんていうものは、現実では極めて希少だ。
その存在をはっきりと否定する者も少なくない。
誰もがどこかで気付くような事だ。
あの世界では当たり前に存在しているものでも、現実では到底ありえない事も多い。
朝登校していて口にパンを咥えた転校生とぶつかるなんていう事も、毎日お昼は屋上で食べるなんていう事も。
生徒会が強い権力を持っているという事も、初めは仲が悪かったクラスが卒業する頃にはみんな泣いて別れを惜しむという事も。
現実を見てみれば、学校の屋上は立入禁止で誰も足を踏み入れようとせず、同じクラスなのに結局一度も話さなかった人は居たり。
そんな事は大して珍しいことでもない。
それはただ、知るのが遅いか早いかの違いにすぎない。
たまたま少女はそれを知る機会が早かった、それだけの事だった。
それを知った所で、現実に絶望してビルの屋上や電車のホームから飛び降りるような子供は居ない。
現実はフィクションのように心躍るような事で溢れていなくたって、その中で自分なりの人生を楽しもうとする。
少女もまた、そういった現実を受け入れることができた。
フィクションと現実の違いに気付いても、そういうものなのかと割とすんなりと納得できた。
あれだけワクワクしたにも関わらず、ショックは小さかった。
その一方で。
マンガやアニメのような絆なんて存在しない。
そう知ったにも関わらず、その絆は前よりも身近にあるように感じられた。
それはなぜか。そしてそれに気付いた事が彼女にとって一つの大きな転機となる。
フィクションの中でしかありえない絆。
どんな時でも揺らぐことのない堅い友情や愛情。
それらは少女の手でいくらでも作り出せるものだった。
***
浜面仕上は先程の上条と同じように、ヘリから降ろされたハシゴにぶら下がっていた。
しかし、それは上条に続いて同じように部屋に飛び込むというわけではない。
彼には彼の優先順位というものが存在している。
もちろん一番上に来るのは恋人である滝壺理后であり、ヘリからざっと見た限りでは彼女はあの部屋には居なかった。
ではどこに居るかと問われても浜面に答えることはできない。
情報としては上条に送られてきたメールに添付されていた画像しかないわけで、これだけでどこの部屋だと特定するのは不可能だ。
といっても、何も調べなかったわけではない。
ネットで調べられる情報を漁ったところ、どうやら写真の部屋は議会用の第一ホールという場所らしい事は分かった。
だが、その部屋がどこにあるかというところまでは調べられなかった。
学内であれば案内板みたいなものがあるはずだ。
部屋の名前は分かっているので、それでどこにあるか見つければいい。
「よっ!!」
浜面はヘリのハシゴから飛び降り、常盤台の屋根の上に着地する。
そのまま急いで走り、窓を割って中へ侵入した。
もうどうせ全部バレているだろうと思ったので、特に隠れて行こうとも思わなかった。
夕日が差し込みオレンジ色に染まった廊下を浜面はひたすら走る。
驚くほどに人が居ない。それだけ美琴と麦野の方に人員を割いているのだろうか。
学校には行っていない浜面だが、こういう誰も居ない学校というのはどこか不安になるものがある。
浜面は階段を下りて一階を目指す。だいたい学校の地図というのは一階にあるものだと思ったからだ。
そして最後の数段をジャンプで一気に下りようとした時、
浜面の体が数メートル上空へ放り出された。
「なっ……!!!!!」
まるで無重力空間で大きくジャンプしたかのようだった。
浜面は急な事に空中でバランスを崩す。
それでも地面に落下するまでに何とか態勢を立て直し、床に転がって受け身をとることはできた。
しかし完全に衝撃を受け流せたわけではなく、全身に鈍い痛みが広がり喉の奥からうめき声が漏れる。
一番驚いたのは浜面だ。
自分の力は自分が良く分かっている。
だから、自分が……いや、普通の人間がこれだけ高く飛べないという事は考えなくても分かる。
感覚的には体が軽くなったような気がした。
しかしそんなものはあくまで精神的な表現であって、物理的に起きることなんて通常ありえない。
ところが、ここは学園都市だ。常識は外とはかなり異なっている。
具体的に言えば「ありえない」とされる現象の範囲が極めて狭い。
大抵の不可思議な現象は、大体科学的に証明されてしまうのだ。
浜面はすぐに起き上がる。
それから辺りを見渡してみると、案の定階段を下りて右の廊下の真ん中に常盤台生が居た。しかも二人だ。
一人は肩まである栗毛の少女、ふわふわとした髪質でまさにお嬢様らしいといった感じだ。
もう一人は長い黒髪を三つ編みにした少女。髪型だけ見れば普通の中学生と変わらないが、それでもどこか雰囲気が違うのは分かる。
浜面は知らないが、二人は湾内絹保と泡浮万彬という美琴もよく知っている少女達だ。
(今のはどっちかの能力か……?)
急に人を浮き上がらせる能力となると、念動力(テレキネシス)だろうか。
能力者との戦いは相手の能力を知ることから始める。
そこから対策を考えれば無能力者にも勝機はある、それは今までの経験で良く分かっている。
浜面はベルトに挟んである銃へ手を伸ばし……途中で止めた。
相手はいつもの裏の人間ではない。表の世界に生きる中学生だ。
(くっそ……!)
その隙に、湾内は近くの水道の蛇口を思い切り開いた。
ザァァァァ!! と勢い良く水が流れ出る。
そして蛇口から出た水は、まるで蛇のようにうねって浜面の方へ突っ込んできた。
(水流操作か!!)
浜面は横へ跳んで水を避ける。
後ろへ通りすぎていった水は、Uターンをして再びこちらを狙ってくる。
しかも、途中でそれは二つに分裂して、それぞれ別の動きで突っ込んできた。
(水流操作系の能力者は、操れる水の塊の数に制限がある。となると)
浜面は努めて冷静に状況を把握する。
今までの経験から、水流操作系能力者が操れる水の数は最高でも二つだった。
念動力(テレキネシス)で操る物質と違って、液体は変形しやすいので演算も高度になるのだ。
向かってくる二つの水の蛇をじっと観察する。
そして浜面はそれらを上手く体をひねってかわしていき、同時に走って湾内達の方へ向かう。
時には屈んだり、時には頭を下げた状態で横に回転するようにジャンプしたり、まるでブレイクダンスのような動作で水を避けていく。
スキルアウト時代は無能力者狩りをしていた能力者と戦ったことも沢山あった。
その中で、こうしたポピュラーな能力者相手への対処は体に刻み込まれている。
後少しで湾内達まで辿り着く。
さすがに銃で撃つような真似はしない。
それでも、頭を打って気絶させるくらいは許してもらいたい。
頭の中では相手を気絶させる手順を考え始める浜面。
しかし、その時。
浜面の頭を、水の塊が後ろからすっぽりと包み込んだ。
「ごぼっ……!!」
浜面は混乱する。
確かに二本の水の塊には注意していたはずだ。
それにも関わらず、全くの死角から三つ目の水の塊によって攻撃を受けてしまった。
そこで気付く。
なぜ相手が操ることができる水の数を二つまでだと決めつけたのか。
答えは単純、それが今までの相手の中ではそれが限界だったからだ。
そして改めて考えてみる。その中にレベル3以上の水流操作の能力者はいたか?
浜面はそこまで考えることができなかった。
レベル3である湾内は、四つの水の塊を操る事ができる。
「がぼっ……ぐぼ……ぼ……!!」
頭だけ水の中に入っているという奇妙な感覚の中で、辺りは水族館の水槽の中のようにぼんやりと歪んで見える。
実際は浜面の頭の周囲だけが水族館の水槽のようになっているのだが。
反射的に腕を使って頭を覆う水の塊を何とかしようとするが、どうしようもない。
腕はただ虚しく水を突き抜けるだけだ。液体を直接掴むことなんてできない。
浜面は必死に考える。
こうなった場合、どうしたら良かったか。
水流操作能力者と戦う時は、当然こういった状況への対処も考えられていたはずだ。
そして、浜面は思い出した。
その直後、すぐに湾内達から遠ざかる方向に走りだして、廊下の一つ目の角を曲がった。
水流操作に限らず、大体の能力は自分の目で見て対象を操る。
つまり、相手の目の届かない位置まで行ってしまえばこの頭を覆う水の制御も解除されるはずだ。
浜面は息苦しさを感じ始めながらも、足を動かして前へ進む。
角を曲がったことで、もう湾内からはこちらの姿は全く見えないはずだ。
これですぐに能力は解除される、そう思った時。
隣で並走する泡浮万彬に気付いた。
「ッ!!!」
浜面は目を見開く。なぜついてこれる。
普段からそこらのアスリート並みには鍛えていたので、運動能力に関してはそこそこ自信はあった。
少なくとも、温室育ちのお嬢様に駆けっこで並ばれるなんて事にはならないはずだ。
しかし、ここで浜面は気付く。
そもそも、そうやって体を鍛えていたのは何のためだ。
無能力者が能力者に対抗するためではなかったか。
隣を走るのはまだ中学生の女の子だ。
だが彼女はレベル3で、やっぱり浜面とは能力的に大きな差がある。
例え体力的には圧倒できても、それは能力で簡単に逆転されてしまう。
今まで暗部との戦いばかりだったためか、こうした一般の学生の事をどこか甘く見ていたところがあったのかもしれない。
相手は常盤台生。誰だろうが決して油断していいわけがない。
頭を覆う水の塊が一向に外れない。
もう湾内からは自分の姿は全く見えないくらいに離れたにも関わらずだ。
その答えは分かっている。食蜂の洗脳によるものだ。
食蜂は操っている者の視界を全て共有できる。
だからこうして泡浮の視覚情報から湾内の能力を制御するという事も可能なのだ。
とにかく、泡浮を振り切らなければいけない。
しかし、速さでは敵わない。
それならば取るべき道は一つだ。直接意識を奪うしかない。
キュッ!! という音をたてて方向を転換する。
向かう先は泡浮の方だ。浜面は拳を握りしめ、腹に一撃を与えて意識を落とそうとする。
泡浮は微かに驚くような表情を見せる、が。
浜面の右腕は虚しく空を切るだけだった。
泡浮は跳んでいた。
それも多くの者が思い浮かべるであろう、ちょっとしたジャンプというわけではない。
助走も何もなしに、人一人を飛び越える。そんな超人的なジャンプだ。
「……っ!」
泡浮はそのまま浜面の頭上を通り越して背後へと着地する。
浜面はすぐに振り返って追撃を加えようとするが、相手の方が速い。
ガシッという感触とともに、まるで猫を掴んでいるかのように浜面は後ろから首根っこを掴まれて軽々と持ち上げられてしまった。
女子中学生が大男を後ろから片手で持ち上げる。そんな奇妙な画ができあがった。
(絹旗と同じような能力……!? それとも純粋な肉体強化か……!!)
頭の中では必死に情報を並べて吟味する。
しかしそれをのんびりと待ってくれるほど相手もお人好しではない。
次の瞬間には、浜面は思い切り投げ飛ばされて勢い良く向かいの壁にブチ当たった。
あまりの衝撃に必死に止めていた息が漏れ、頭を覆う水の塊に視界を覆うほどの大量の気泡が現れる。
「ぶぼっ……!!」
かなりの酸素を無駄にしてしまった。
そう後悔した時には遅かった。
もう既に耐え切れないほどに息苦しくなってきており、酸欠によりガンガンと頭が痛む。
意識がかすれていく。
苦しい、酸素が欲しい。
浜面は壁に寄りかかる形で力なく廊下に座り込む。
このままではマズイ。
肉体的なダメージは大したことない。しかしこれでは女子校の廊下で溺死という世にも奇妙な姿の出来上がりだ。
浜面は長点上機学園の上着を脱ぐ。
そしてそれを頭を覆う水の中へ突っ込んだ。
服に水を吸わせようという魂胆だ。
だが、それも上手くいかない。
確かに服は水を吸い込むが、それにも限界がある。
結果として、水の塊は多少は小さくなったのかもしれないが、それもハッキリとは分からないくらいに変化がなかった。
意識が、薄れていく。
もう息も持たない。
次第に視界は暗くなっていく。
泡浮が目の前までゆっくりと歩いてくるのが見えるが、どうすることもできない。
(く……そ……お、れは……何も、できねえのかよ…………)
無能力者でも高位能力者相手に十分戦える。
それは今までの経験からくるものだった。
以前にレベル5の能力者を倒した、その事実がさらに自信を高めた。
決して油断していたわけではない。
ただ少し、勘違いしていたのかもしれない。
確かに無能力者でも高レベルの能力者に打ち勝つことはできる。
しかしそれは絶対ではない。
幾つものピースが上手く咬み合って、それで初めてとっかかりが生まれる。
その上で幸運や機転が重なる事で何とか勝ちを拾うことができる。
それを考えれば、こうして為す術なく倒れるという事は可能性的にまったくおかしい事ではないのだ。
(それでも)
瞼の裏に一人の少女が浮かぶ。
例え何を犠牲にしても守りたい、大切な人。
そして次々と彼女の周りには他のアイテムのメンバーも現れる。
かけがえのない、大切な居場所だ。
(俺は――ッ!!!)
浜面は薄れゆく視界の中でついに閃いた。
手に持った水を吸って重くなった制服の上着、それを泡浮に向かって思い切り投げつけた。
突然の行動に、泡浮の目が大きく開かれる。
浜面が投げつけた長点上機学園の制服は、真っ直ぐ飛んで泡浮の顔を覆った。
「うっ!!」
泡浮は初めて小さく唸り声を出す。
その直後だった。
浜面の頭を覆っていた水の塊が、まるでシャボン玉のように弾け飛んだ。
「ぶはっ!! がはっ……ごほっ!!!」
神の恵みを受けるかのように、すぐに酸素を肺に取り込む。
だがゆっくりしている暇はない。今はチャンスだ。
泡浮はまだ頭を覆っている濡れた制服と格闘している。
浜面は迷わず起き上がって前へ飛び出す。
まだ呼吸が整っていないが、そんなものは関係ない。
「ふっ!!!」
ガッ!! と鈍い音が響く。
浜面の手刀が泡浮の首筋を捉える音だ。
彼女は音もなくフラリと崩れ落ちる。
浜面は彼女が頭をぶつけないようにその体を受け止めた。
「……なんとか、なったか」
まだ荒い息を整えながら呟く。
ずっと見落としていた。
浜面の頭を覆う水を操っていたのは遠くに置き去りにしてきた湾内だったが、泡浮が彼女の代わりに“目”になっていた。
それならば泡浮の視界を塞いでしまえば、湾内……いや、食蜂は水の塊を制御する事ができなくなる。
今回に限っては、食蜂が操っていたという事が良い方向に転がったかもしれない。
泡浮の能力は流体反発(フロートダイヤル)、浮力を操作するものだ。
だから最後に浜面が制服を彼女に向かって投げた時も、浮力をゼロにすれば届くことはなかった。
その辺りの一瞬の判断の差、それが出たのだろう。
まぁ浜面はそれを知る由もないのだが。
タッタッタ……と足音が響いてくる。
廊下の角を曲がってきたのは湾内絹保だった。
「遅かったな」
「申し訳ありません、わたくしはあなたに恨みなどはありませんが戦う理由があります」
「そりゃそうだろうよ。あんたが邪魔するってんなら俺にも戦う理由はできる。
けど気に食わねえな。自分のケンカなら自分の手でやるもんだろうが」
「……そういった能力ですので」
浜面は湾内にではなく、彼女を操っている食蜂に対して明確な嫌悪感を見せる。
だからといって、目の前の少女を一切傷つけないで無力化するなんていう事はできない。
浜面は奥歯をギリッと噛み締める。
対して湾内は最初と同じように近くの蛇口をひねって自分の武器である水を出す。
そしてそれは再び蛇のように浜面に向かって突っ込んできた。
対策は考えていた。
浜面はすぐに近くに置いてあった消火器を手に取ると、湾内に向かって噴射した。
「くっ!!」
真っ白な消火剤が飛び散る。
特に念動力や水流操作など、何かを操る能力者は視界情報が大切だ。
直接水の塊を視認できないこの状況では、彼女は無能力者と変わらない。
その後、浜面が湾内を気絶させるのにそう時間はかからなかった。
(この二人だけ……なわけねえよな。すぐに増援があるはずだ)
そう考えた浜面は、湾内と泡浮の二人を廊下の隅に移動させてその場を離れようとする。
「お待ちなさい!!」
(遅かったか)
浜面はすぐに振り返る。
そこには扇子を持った長い黒髪の少女が立っていた。
正真正銘のお嬢様のはずなのだが、なぜか似非っぽい感じがする。
しかし、その表情は堅く鋭かった。
「わたくし、婚后光子と申します!! そちらのお二方はわたくしの友人なのですが、それを知った上での狼藉ですの!?」
「……悪いが、知らなかったな」
「そうでしょうね。もともとここは男子禁制、あなたがここに居るというだけでおかしな事なのですからっ!」
婚后はそう言うとパシン、と扇子をたたむ。
そしてそれを真っ直ぐ浜面に突きつけると、
「わたくしの友人を傷つけた報い、受けてもらいますわ」
「ちっ、次から次へと……面倒くせえレベル5だな食蜂ってのは」
「食蜂……? あの方の差金ですの?」
「は?」
「この学校の状況は異常ですわ。確かに食蜂操祈であればこのような状況を生み出すこともできるのでしょうが……」
「ま、待て待て!! あんた、操られてんじゃねえのか!?」
「いえ、わたくしは今さっきこの学校に来たばかりですわ」
「なっ、それなら俺とあんたには戦う理由はねえ! 俺は食蜂を……」
「何も話さないでください」
婚后は落ち着いた口調で浜面の言葉を遮る。
「……どういう事だ?」
「あなたの言葉には何も説得力がありませんわ。そしてそれはわたくしも同じ。
食蜂操祈が支配する空間では言葉などというものは何の力も持ちません」
「何か経験があるみたいだな」
「えぇ、お察しの通りですわ。だから、わたくしはこの状況から自分で結論を出しますの」
婚后は廊下の隅で寝かせてある二人の少女に目を向け、そして浜面を見る。
その後少し考えて、
「現時点では、とりあえずあなたを地平線の彼方まで吹き飛ばしたほうが良さそうですわね!」
「結局おっかねえ結論出しやがったなチクショウ!!!」
婚后が動き出す前に、浜面はすぐに消火器を噴射する。
相手の能力はまだ全く分からないが、とりあえずは視界を封じることにした。
しかし次の瞬間突然暴風が吹き荒れ、すぐに視界が開けてしまった。
(空力使い《エアロハンド》!!)
浜面が気付いた時には遅かった。
婚后がかなりの速さで接近してきていた。これもおそらく風の操作を使ったものだ。
そして婚后は片手でポンッと浜面の左肩を軽く叩く。
(なん――っ!!!)
疑問に思った次の瞬間。
先程婚后に叩かれた部分から凄まじい程の暴風が発射された。
それは人体を吹き飛ばすには十分な威力であり、浜面は右手の壁へ真っ直ぐ突っ込んだ。
空力使い(エアロハンド)。
別に珍しくもなんともないポピュラーな能力だが、それがレベル4ともなれば話は別だ。
婚后光子は好きな場所にミサイルの噴射点のようなものを作り出すことができる。
浜面はあまりの衝撃に、フラフラと今しがた自分が激突させられた壁に手をついて起き上がる。
すぐに今度は消火器が浜面目掛けて飛んできた。
「うおっ!!」
浜面は慌てて避けると、ガァン!! と大きな音をたてて消火器が壁にぶつかる。
気付けば再び婚后がすぐ近くまで接近してきていた。
そして先程と同じ左肩を、今度は連続で三回軽く叩かれた。
何か嫌な予感がした。
それはコンマ数秒後ハッキリとする。
婚后に叩かれた肩から凄まじい風が噴出され、浜面の体が再びミサイルのように壁に向かって吹っ飛んだ。
しかも今度は最初の時と出力が段違いだ。
壁に激突してもそこで止まらずに大穴を開けて、まるで漫画のように次の壁、次の壁と突き進む。
「ぐぁ……がっ…………ぁぁああああ!!!」
婚后の能力は噴射点を重ねることでその出力を上げることができる。
それは最大で電波塔を成層圏にまで吹き飛ばすほどの出力にする事も可能だ。
人間に使えば恐ろしい武器になる。
浜面の全身がビキビキ!! と悲鳴をあげる。
当然だ、生身でこれだけいくつもの壁を貫通しているのだ、体にかかる衝撃は計り知れない。
壁に激突する度に視界に火花が散って全身に凄まじい痛みが走る。
だが、今は必死に堪えるしかない。
ようやく勢いが止まったのは5つ目の壁を貫通した辺りだろうか。
浜面が最終的に飛ばされた部屋はすり鉢状に机と椅子が並べられた、巨大な部屋だった。
彼はすり鉢の縁にあたる外周部から中央の底になっている辺りまで飛ばされ、地面に叩きつけられる。
「あ……ぐぅ……っ!!」
浜面は何とか起き上がる。
全身がビキビキと軋むが、動けないほどではない。奇跡的にどこも折れてはいないようだ。
そしてその後辺りを見渡して、息が止まるかと思った。
すり鉢の縁にあたる外周部には何人もの常盤台生がこちらをじっと見つめている。
どこかで見たような光景だ。
いや、これは――――。
「浜面!!!」
聞き慣れた声が耳に飛び込んでくる。
すぐにそちらを振り返ると、そこにはアイテムの同僚である麦野沈利が敵と戦っていた。御坂美琴も一緒だ。
そして敵というのはテレポーターが二人、そして恋人である滝壺理后だ。
なんとも幸運な事に、浜面は婚后に吹き飛ばされた結果、目的の部屋まで辿り着いていた。
麦野は結標に光線を飛ばしながら、こちらまで下りてきた。
頭のどこかを切っているらしく、血が出ている。
「テメェ、何でこんなとこに居んだよ!! つかそれ長点上機の制服じゃ……」
「全部後だ! 食蜂からお前達の状況を知らされて上条と一緒にここまで来たんだ」
「じゃあアイツもここに!?」
美琴も浜面の近くまで下りてくる。
こちらは目立った外傷は少ないが、それでも所々擦りむいており表情には疲労も浮かんでいる。
「あぁ、上条は――」
「おい立ち止まんな!!」
麦野はそう言うと、グイッと浜面を引っ張る。
すると次の瞬間、浜面が居たところには鉄矢が出現して床に落ちる。
それを見てゾクッと心臓を掴まれたような感覚を受ける。
「それで、あのバカは!?」
「直接食蜂とぶつかってる! だからアイツが食蜂をぶっ飛ばすまで何とか持ちこたえるんだ」
「なっ……アイツは相変わらずおいしいとこ持ってくっていうか……」
「ちっ気にくわないわね。第五位のヤロウは私が直接ぶっ殺したいんだけど」
「それでも構わねえよ、とにかくこの状況を――」
その時、新たな人物が部屋に入ってくる。
先程浜面を吹き飛ばした張本人、婚后光子だ。
美琴はその姿を見て目を見開く。
「こ、婚后さん!?」
「え、御坂さん……あれ?」
婚后は少し混乱している様子で段差を下りて近くまでやって来る。
周りを取り囲む常盤台生は手を出さない。
婚后は浜面と麦野、そして美琴を次々と見て、
「な、なんでこの男と御坂さんが……それにこちらの方は……」
「立ち止まっちゃダメ!」
美琴はすぐに婚后を引っ張ると、先程まで婚后が居た場所に大量の椅子が降り注いだ。
婚后は目を丸くして仕掛けた相手を見る。
「し、白井さん!! いきなり何を……!!」
「食蜂操祈。ここまで言えば大体分かるでしょ」
「……やはり、あの方の仕業なのですか。あの、ではこの男性は」
「その人は味方よ。確かにここに男がいるのはおかしいけど、そんな事言ってられる状況じゃないの」
状況が状況なので、美琴は言葉少なく簡潔に説明する。
すると婚后は恐る恐るというか、かなり申し訳なさ気に浜面を見る。
浜面はジト目で婚后を見つめ、
「……で、結論は? まだ俺は敵だと思うか?」
「ええと……あの、まぁ、その…………」
婚后は目を泳がせる。
そして。
「いかに婚后光子と言えども、時には間違えますのよ!!!」
「清々しいほどに開き直りやがった!!!!!」
そんなわけで、美琴と麦野に浜面、婚后という頼もしい(?)仲間が加わった。
***
上条達の居る部屋。
壁一面を占める巨大なガラス窓は粉々に砕けており、突き刺すような冬の風が吹き込んでくる。
まだ日は落ちきっておらず、真っ赤な夕日が最後の輝きを見せている。
それでも気温はずっと下がっており、立っているだけでは身震いをしてしまうくらいにはなっていた。
しかし部屋に居るものはピクリとも動いたりしない。
少しでも余計な行動を取ればそれが命取りになる。そんな危うい空気が広がっている。
最初に動いたのは一方通行だった。
足元のベクトルを変換したのだろう、バキン!! と床を踏み砕き通常ではありえないようなスピードで真っ直ぐ上条へと突っ込んでいく。
そして一方通行は右腕を突き出す。触れた者の生命を容赦なく断絶させるその腕を。
上条の中にゾクッとした冷たいものが芽生える。
あの操車場での戦いやロシアの雪原での戦いと同じだ。
学園都市最強とのケンカ。それは一瞬の判断ミスが命取りになる。
今にも崩れ落ちそうな橋を命綱なしで渡り切る、それ以上の感覚だ。
上条は一方通行の腕を右手で払う。
少しでも触れられたら終わりだ。全身から嫌な汗が噴き出るのを感じる。
それでも、怖がってばかりはいられない。
その後すぐに拳を握り締めると、渾身の右ストレートを放った。
いくら相手が最強の能力者と言えども、この右手の攻撃を受ければひとたまりもない。
だが上条の拳が命中し、一発でノックアウト……そう簡単にいくわけはない。
一方通行はバク宙で一気に後方へ下がってしまった。
上条の右腕は虚しく空を切る。
それだけではなかった。
一方通行と入れ替わりになるように、今度は垣根がこちらに向かって突っ込んできていた。
おそらく先程まで一方通行のすぐ後ろに居たのだろう。もうすでにかなり接近されている。
「く……そっ!!」
「安心しろ、殺しはしねえよ」
垣根はそう言うと、背中の翼を大きく一度だけ振る。
それは上条まで届くことはなく、上条から見て前方一メートル程を通過しただけ……のはずだった。
次の瞬間、上条の全身に凄まじい衝撃が広がった。
至近距離から散弾銃のエアガンでも撃たれればこうなるのだろうか。
上条の足は床を離れ、二、三メートルほど後方へ吹き飛ばされた。
そしてまるで水切りのように何度か床の上で跳ねて、テーブルの一つに激突してようやく止まる。
「が……ぁぁああ……っ!!!」
「ん、なんだ気絶させるつもりだったんだけどな。やっぱそこら辺の力加減は上手くいかねえな」
「とうま!!」
「く、るな、インデックス!!」
上条はフラフラと立ち上がる。
まだ焦点が定まらず辺りがぼやけて見えるが、気にしている場合ではない。
インデックスを闘いに巻き込むわけにはいかない。
だが、そんな決意虚しく急に視界が高速でブレた。
そして気付けば上条は頭を掴まれ床に押さえつけられていた。
いつの間にか背後に立っていた一方通行によるものだ。
動けない。
どれだけ力を込めても、一方通行はそれ以上の大きな力で押さえてくる。
それを確認した食蜂は、近くのテーブルまでゆっくり歩いてきて腰を下ろす。
「勝負ありですねぇ?」
「一応殺しはしねえんだな」
「そんな事しませんってぇー。御坂さんとかへの攻撃だって急所はちゃんと外してますしぃ」
その気になれば今すぐ全身の血液を逆流させて殺すこともできるはずだ。
しかし、食蜂の目的はそこではない。
「私は何もしませんよぉ? 上条さんにも、インデックスさんにも。ねぇ、垣根さぁん?」
「意外だな、俺はてっきりそいつの目の前でシスターを輪姦でもさせると思ってたが」
「ひっどーい! 私がそんな事するはずないじゃなぁい!」
「何が目的なんだお前……!!」
「世界平和です☆」
「…………」
「ふふふ、睨まないでくださいよぉ。あながちウソでもないんですって」
いつもの読めない表情を浮かべる食蜂に対して、今度はインデックスが口を開く。
「魔術と科学。世界平和っていうのはそれが関係あるんだよね?」
「察しがいいわねぇ。あなたみたいな人は話がスムーズに進んでいいわぁ」
「お前はいつも自分から脱線するじゃねえか。つかそんな真面目なこと考えてたんだなお前」
「もう垣根さぁん、失礼しちゃうわぁ」
「……インデックスが学園都市に居る。それが気に食わねえのか」
「簡単に言っちゃえばそうですねぇ。だってぇ、その子は新たな戦争の火種になりうる存在ですよぉ?
今みたいな不安定な時期にそんな爆弾置いておくなんて私、理解できなぁい」
「ワガママ言ってるのは分かっているんだよ。でも、これはイギリス清教側と学園都市側での話し合いでも認められた。
トップ同士で合意した以上、あなたがこんな事をしていい理由にはならないんだよ」
「えぇ、でもあなたの現状はその合意した内容とは少し外れているんじゃないかしらぁ?
あなたの状態は例え一時的だとしてもさらに悪化した。ストレス問題を解決するためにここに来たっていうのに」
「それは……」
インデックスは俯く。
確かに食蜂の言っていることは全て事実であり、インデックスも気にしていた事だった。
「それにあなたの状態が悪化すれば自動書記(ヨハネのペン)が暴走する危険性だってある。土御門さんの情報の中にそんなのがありましたけどぉ?
大体、感情がどうのこうのなんていう曖昧な問題を、一緒に居ればいいなんていう不確実な方法で解決しようとしているのが間違いなんですよぉ。
だからこうして不測の事態が起きる。学園都市に住んでいる多くの学生を危険にさらす」
「トラブルのきっかけを作ったのもお前だけどな」
「うるさいわよぉ、垣根さぁん。
まぁどっちにしろ、あの程度の言葉でここまで崩れる不穏分子なんて危なすぎるでしょぉ」
「どんなに仲の良い相手でもたまにはケンカする時だってあるだろ!! 俺達はまだやり直せる! 一週間……最初の期日までは見てくれよ!!」
「私に言われてもぉ……だってぇ、もうイギリス清教ではインデックスさんを回収するっていう結論は出ているみたいですよぉ?」
「えっ……?」
インデックスが綺麗な碧色の目を見開いて、声を漏らす。
その声は、人気のない夜の道路に降る雨を思わせた。
静かで、それでいて悲しい。人の心に染み渡るような不安も内包している。
上条も同じように驚いていた。
信じられない、いや信じたくない。
ビリビリとどこか痺れたような感覚を受ける頭で、ただそう思うことしかできない。
「か、回収って……なんだよ」
「言葉の意味ですよぉ。もうすぐ手続きを済ませた魔術師がここまで来ます」
「なんだよ、結局そいつは返しちまうのか? せっかく捕まえたのによ」
「えぇ、インデックスさんは魔術サイドの人だからねぇ。ちゃんと元いたお家に返してあげないとぉ☆」
「……わ、私…………」
インデックスは小さく震えていた。
イギリス清教に戻るのが恐ろしいというわけではないだろう。
あそこは今まで彼女に対して散々な事をしてきたが、今では向こうの沢山の人がそれを阻止する。
インデックスの目が、上条に向けられる。
そのすがるような目を見て、上条は考える。
インデックスのあの震えは……これは自惚れにすぎないのかもしれないが……。
ここから離れたくない、もっと上条当麻と一緒に居たい。
そういう意味なのではないか。
「……まだだ」
「んー?」
「まだ、やり直せる。俺と、インデックスは……っ!!!」
全身に力を込めて起き上がろうとする。
だが一方通行に押さえつけられた体はピクリとも動いてくれない。
それでも、諦めるわけにはいかない。
「うおおおおおおおおおおおおああああああああああああああ!!!!!」
「あはははは、ほらほらもっと頑張ってくださいよぉ。想いの力で覚醒!! みたいにぃー」
「とうま……っ!」
「くっだらね」
食蜂はそれはそれは楽しそうに黙って眺め、垣根はつまらなそうにしている。
そしてインデックスは今にも泣きそうな顔をしていた。
上条の行動に感極まっているのか、それとももうやめてほしいと嘆いているのか。
どちらにせよ、上条の行動は変わらない。
最後のその瞬間まで諦めずに抗い続ける。
例え周りから見ればどんなに滑稽だったとしても、それだけは貫き通す。
「あれぇ、絆パワーとかってその程度のものなんですかぁ? ヒーローらしくカッコよく逆転してみせてくださいよぉ!」
食蜂の嘲りの言葉はもう上条の耳には届いていなかった。
ありったけの力を込めて起き上がろうとすると、体のどこかがビギッ!! と嫌な音をあげた。
力を込めて抵抗すればするほど、それを押さえつける力は大きくなる。
だが、それがどうしたというのか。
上条は構わずにさらに力を振り絞って一方通行を跳ね除けようとする。
例えその結果この体がどうなろうとも、絶対に守りたい大切な少女のために。
「絆パワーというものがどういったものなのかは私には分かりませんが……それはこういったものを指すのではないですか?」
そんな声が、部屋に響き渡った。
それは決して大きな声ではなかったが、それでも部屋に居る人間全員の鼓膜を正確に刺激する。
人が現れた。
正確に言えば人ではない。だが、上条は“彼女”を“人”と呼ぶ。
まるで最初からそこに居たかのように何の音もなく、何の気配もなく現れたのは気の弱そうなメガネをかけた女の子。
だが珍しいことに、今はその表情に気丈さも見る事ができる。
上条とインデックスの大切な友達、風斬氷華だった。
「風斬!?」
「ひょうか!!」
風斬は上条とインデックスを見て柔らかく微笑む。
上条の中で何か暖かいものが生まれるのを感じる。
先程までは冷めきった世界に取り残された感覚が全身を襲っていた。
そしてそのまま自分もそんな世界に同化していくような、そんな感覚さえ持っていた。
しかし、彼女が現れてくれて全てが変わった。
現時点では彼女が現れた事以外では何も変化はない。
相変わらず上条は一方通行に押さえつけられているし、イギリス清教もインデックスを回収しようとしている。
それでも、彼女が居てくれるだけでこれから全てが好転してくれる、そんな希望が胸の中に膨らむ。
食蜂と垣根も、風斬を見て意外そうな表情を浮かべている。
「風斬氷華さん、ですかぁ。また変わった人が出てきましたねぇ。あぁ、でもインデックスさんとはお友達なんでしたっけぇ」
「へぇ、ヒューズ=カザキリか。アレイスターの玩具が何のようだよ?」
「もちろん、インデックスを助け出しに来ました。第五位の食蜂さん、第二位の垣根さん」
「えらく余裕じゃねえか。おもしれえ、一度人間サマの力を見せつけてやろうか。お前も絆パワーとやら見せてみろよ」
「もう、見せてるじゃないですか」
「あ?」
「私がここに居ること、それ自体が絆の力だと思うんです」
風斬は微笑みを崩さない。
それはまるで慈悲深い天使の様な笑顔で。
上条もインデックスも、その暖かい表情に抱かれるような、そんな感覚を受ける。
ここで食蜂の表情が変わる。
何が彼女にとって引っかかったのか。
今までとは明らかに違う、目を細めて不機嫌さを隠そうともしていない。
「……そんなのただ他人に甘えているだけじゃないですか。結局上条さんはそうやっていつも他人頼み、そういう事なんでしょう。
人を利用するという点では私と何も変わらないじゃない。支配力だけは認めてあげますよ」
「それは違います」
食蜂の言葉に、上条ではなく風斬が答える。
しっかりとした、真っ直ぐな声だった。
「私は私の意志でここに居ます。そして上条さんやインデックスが私の事を助けてくれた時もそうだったでしょう。
そこに利害目的なんて存在しないんです。甘えてもいいじゃないですか、頼ってもいいじゃないですか。私達は友達なんですから」
「…………」
「もしも上条さんやインデックスが居なければ、私はこうしてこの場に存在することもできなかった。
そんな恩人の役に立ちたい。もっと一緒に居たい。他の誰でもない、私自身が強くそう思っているんです」
「もういいです」
切り捨てるように、食蜂の冷たい声が響く。
彼女の顔からは、表情というものが消えていた。
無表情。
言葉としてはそれ程珍しいものではないが、その言葉が指し示す真の表情を、上条は今ここで初めて見た気がした。
そしてその無表情というものは、背筋が凍るほど恐ろしいものだという事も今知った。
ゴクリと生唾を飲み込む上条。
インデックスの方を見ると、心配そうな表情で風斬のことを見つめている。
風斬は、食蜂のそんな視線を真っ向から受け止める。
「私は私の友達を助けます」
「そんな事ができると思っているんですか? いくらあなたでも第一位と第二位を相手にするのは無理でしょう?」
「そうですね。でも……」
そこまで言って、風斬はゆっくりと目を閉じた。
決して諦めたわけではない。
その瞬間、風斬の体が、外からの夕日に負けないくらいの輝きを放ち始める。
それに対してすぐに動いたのは垣根だった。
背中から伸びる真っ白な翼を風斬に向かって思い切り叩きつける。
「……?」
垣根は怪訝そうな表情を浮かべる。
翼は、風斬の体を通過してそのまま床を砕いていた。
部屋にいる全員がそんな彼女を見て唖然とした表情をする。
風斬はどこか切なげな表情を浮かべる。
「少し無理をして出てきたので、もう実体も保っていられないんです」
「……それじゃ何も役に立てないじゃなぁい。何しに来たんですかぁ?」
「何も役に立てないことはありません。私は学園都市の学生のAIM拡散力場の集合体ですから」
「どういう事かしらぁ」
「私はAIM拡散力場の集合体、みなさんの力でここに存在することができています。
でも、それなら。私のこの体からみなさんのAIM拡散力場への干渉も可能ではないでしょうか」
「なるほどねぇ、それで私のAIM拡散力場に干渉できれば……っていう事ですかぁ。
でもここの学生って150万人以上いるんですよぉ? その中の一人に対しての影響力なんて微々たるものっていうのが分からないんですかぁ?」
「そうかもしれません。それでも、どれだけ小さな力でも。そこから繋がってくれるものがあるはずです」
風斬は上条とインデックスを見る。
優しくて、儚い目だ。
風斬の姿が光に包まれだんだん薄くなっていく。
その姿は悲しくとも美しい。
上条はそう思ってしまった。
インデックスは悲痛の表情を浮かべて、
「ひょうか!」
「大丈夫だよ、インデックス。また、会えるから。……あ、でもインデックスがここに居る間にまた出てくるのは少し無理かも、あはは」
「そんな……!! やだよ、ひょうか!!」
「私を信じて。科学と魔術の溝は、いつか必ず埋まってくれる。だってこうして、私とあなたは友達になれたんだから」
「それは……そうだけど……!!」
「ふふ、また今度一緒に遊ぼうね」
目に涙を浮かべるインデックスに、風斬は微笑む。
どこまでも暖かくて、そして切ない笑顔。
外から差し込む綺麗な夕日の光に照らされたその表情は、普通の人間のものよりも人間らしい、そう思った。
それだけにこうして彼女が消えてしまうという現実が重くのしかかってくる。
時が止まることはない。
光は容赦なく彼女を包み込み、連れ去ろうとする。
上条は力を込めて一方通行の拘束から抜けだそうとする。
「風斬!!!」
「ごめんなさい、これが今の私でも役に立てる方法なんです」
「なんだよそれ……だからってお前が…………」
「犠牲になる、とは思っていませんよ。私はまた友達と遊びたいから、この道を選んだのですから」
「…………」
「インデックスのこと、お願いしますね」
「……あぁ」
上条は風斬を真っ直ぐ見て一言しっかりと答える。
格好は一方通行に押さえつけられたままという情けないものだ。
それでも、上条の目は死んでいない。
風斬は安心したように頷いてくれた。
そんな彼女の動作に、上条の胸が締め付けられるように痛む。
だが、目を逸らしてはいけない。
彼女から託されたもの、それはしっかりと受け止めなければいけない。
今にも沈みそうな太陽が、最後の光を放つ。
そして、その瞬間、
風斬はいくつもの光の粒になって消えてしまった。
インデックスが耐え切れなくなって頬に涙が伝う。
声はあげなかった。
彼女はただじっと、風斬が消えていった場所を見つめていた。
そこに風斬氷華が居たという形跡は、光の残滓だけになってしまっていた。
そしてその光も次第に消えていく。
外の太陽は地平線の下へと沈んでしまい、夜の闇が部屋の中にまで侵食してくる。
食蜂は眉一つ動かさずに、つまらなそうに口を開く。
「まったく、何がしたかったのやらぁ。案の定私の能力にも何も――――」
ブオッ!!! と凄まじい旋風が吹き荒れた。
割れた巨大ガラス窓から吹き込んできたものではない。
部屋の中、それも上条のすぐ近くからその風は吹き出した。
いや、風というよりは衝撃波と呼んだほうがいいかもしれない、それほど凄まじいものだった。
近くのテーブルは全て吹き飛び、食蜂はコテンと床に尻餅をつく。
そして比較的離れた所にいた垣根は鬱陶しそうに顔を振り、インデックスは向かってくる風に手を顔の前に出して耐える。
上条の体を押さえつけていた力がなくなった事に気付いたのは少ししてからだった。
一方通行はもう上条のことを見ていない。
学園都市最強の能力者の瞳は、ただ真っ直ぐ食蜂へと向けられていた。
その背中からは、真っ黒な翼が広がっていた。
「う、ウソでしょ……」
食蜂は絶望に染まった表情で後退りする。
風斬の想いは繋がった。
彼女が自分を消してまで残した食蜂への対抗策。
その効果は食蜂が言ってた通り、微々たるものだったのかもしれない。
だが、その小さな穴は広がって、大きな突破口となった。
(見てるか、風斬?)
上条は立ち上がって一方通行の背中を見る。
その黒い翼は風斬のそれとは全く違うものだ。
それでも、今はとても頼もしく救いの光に見える。
一方通行は無言で食蜂の方を見ている。
この様子だと、おおよそ全ては把握しているのだろう。
準備運動のように、右手をパキパキと鳴らす。
「俺を無視してんじゃねえぞコラ」
そんな声が聞こえた瞬間。
ドッ!!! という爆音と舞い上がるホコリと共に、目の前から一方通行の姿が消えた。
上条は咳き込みながら、驚いてすぐに辺りを見渡す。
割れたガラス窓の向こう。
地上から10メートル以上はあると思われる上空に少年は放り出されていた。
もちろん、自分から飛び出したわけではない。
原因は先程の声の主、垣根帝督だ。
そのまま垣根も一方通行を追って、空中へ飛び出す。
それからは凄まじかった。
目にも止まらないスピードで両者はぶつかり合い、白と黒の翼を打ち付け合う。
地面に足がついていないなんて関係ない、両者は当たり前のように大空を舞っていた。
人間の領域からは外れてしまっている、そんな光景だった。
とはいえ、いつまでもそれを眺めている場合ではない。
上条には上条のやるべきことがある。
「……終わりだ食蜂」
「どうしてですかぁ?」
「もうお前を守ってくれる奴は居ない。俺の右手でお前をぶっ飛ばせば、洗脳も全部解けるだろ」
「何を言っているんでしょうねぇ。新しい駒なんていうのは今すぐにでも呼べますぅ。便利なテレポーターも操ってるわけですしぃ」
「一方通行はどうするんだ? 第二位じゃ第一位には勝てない、違うか?」
「…………滝壺理后を使います」
「滝壺一人で何とかなるのか? 逆を言えば、もうアイツに頼るしかないってことだろ」
「…………」
食蜂は黙る。
顔は俯いてしまい、今や月明かりしか光源がなく部屋も暗いのでその表情は良く見えない。
少し離れた所に居るインデックスに、そこに居るようにと手で合図する。
彼女にはもう涙はない。
固い意志を秘めた毅然とした表情でこちらを見て頷く。
「……ふふ」
笑い声が漏れた。
上条のものではない。いくら有利な状況になったとしても、そんな余裕が出るはずがない。
食蜂の表情は良く見えない。
しかし、その口元だけはかろうじて見ることが出来る。
彼女は微笑んでいた。
上条は背中から冷や汗が流れるのを感じる。
雰囲気が、変わった。
「何がおかしいんだ」
「居るじゃないですか、学園都市最強の能力者に対抗できる人がもう一人」
「なに……?」
「あなたですよ、上条さん」
食蜂が手に持ったリモコンを突きつけてきた。
思わず喉が干上がるかと思う。
まるで銃口を向けられているような感覚だ。
彼女の指の動き一つで全てが変わってしまう、その点では銃と変わらないのかもしれない。
インデックスが息を飲む声が聞こえた。
上条は再び右手を上げてインデックスを制止する。
「体全体に作用する能力は俺には効かないぞ」
「知ってますよ。でもあなたは夏休みに錬金術師アウレオルス=イザードの記憶操作を受けた事がある」
「なっ……なんでそんな事知ってんだ」
「土御門元春さん。彼、いろいろと知っているんですねぇ」
「っ……!」
「とにかく、それなら私の記憶操作もあなたには有効だと考えるのが自然です。
まぁ、私としてはあなたにはきちんと絶望してほしかったんですけど、この際仕方ないでしょう」
食蜂がわずかに頭を横に傾けると、髪の間から片目だけが見えた。
その目はとても中学生とは思えないような、冷たい光を宿している。
上条はその視線を受け止め、口を開く。
「そこまで想いや絆を否定するのは、お前が精神系統の能力者だからか?」
「それもあるんですかね。まぁ、でも案外分かりやすいというかありきたりな理由ですよ」
「以前に何かあったのか?」
「そこまで話す義理はありません」
「……そっか。じゃあやれよ」
「はい?」
「記憶操作ってやつ、やってみろって言ったんだ」
上条は両手を広げて無抵抗の姿勢を見せる。
その姿は、絶対能力進化実験の時、死にに行く美琴を止めた時とよく似ていた。
これに驚いたのはインデックスだ。
当たり前だ、敵対したレベル5に対してここまで無抵抗な姿勢は次の瞬間どうなっているかも分からない。
しかも今回の相手は美琴ではない。
手加減をする理由はなく、最悪本当に今まで全ての記憶を消されてしまう事も十分考えられる。
「と、とうま!?」
「大丈夫だ、インデックス。俺を信じろ」
「その自信はどこからくるんですかねぇ。私の能力をなめているんですか?」
「あぁ、その通りだ」
上条は自信満々にそう言い放つ。
これに対し、食蜂は顔をしかめる。
この学園都市において、能力というのは学生にとってアイデンティティの一つでもある。
それを否定されるということは、自分自身を否定されることと等しい。
上条は構わず続ける。
「お前の能力なんて俺には効かねえよ」
「挑発のつもりですか? その程度では私の演算は少しも狂ったりは――」
「いいから」
上条は食蜂の言葉を遮る。
そして少しも気後れした様子を見せない堂々とした表情で言い切る。
右手で頭を押さえていれば例え記憶を弄られたとしてもすぐに治すことが出来るだろう。
しかし、それさえもせずに、上条は自分の武器である右手を少しも動かそうとしない。
「やってみろよ」
食蜂の奥歯がギリッと鳴る。
それとほぼ同時に、リモコンを握る彼女の手の指に力が込められた。
***
第一ホールの戦いは長引いていた。
というよりも、美琴達が一方的に消耗させられていると言った方が正しいか。
こちらは四人。
御坂美琴、麦野沈利、浜面仕上、婚后光子。
無能力者である浜面を除けば、レベル5が二人にレベル4が一人と戦力的には決して問題はない。
だが、相手が悪い。
テレポーター二人。こちらはまだ何とかなる。
確かにテレポートも強力な能力ではあるが、対処法が全くないわけではない。
例えば座標攻撃が追いつけないほどのスピードで動くことができれば攻撃を避けることは可能だ。
その点に関してはレベル5ともなれば簡単にクリアできる。
問題は滝壺理后のAIM系統の能力だ。
この系統の能力は、能力者に対して絶大な効果が得られる。
学園都市の学生達は特別な力を持っていても、それが無くなればただの子供であることが多い。
能力そのものの主導権を握られるというのは、その生命線とも言える武器を奪われるのと同義だ。
このタイプの能力者については、スキルアウトなど能力に頼らず戦う者達が相性が良かったリする。
だが、そういった者達は逆にテレポーターなど強力な能力者にすこぶる弱い。だから何とか能力を封じようとキャパシティダウンなどに手を出したりする。
つまり相手は能力者とそれ以外の者。そのどちらにも対応できる面子だというわけだ。
美琴達は全員額に汗をにじませながら肩で息をしていた。
だんだん攻撃にかける時間よりも回避に回る時間のほうが多くなってきている。
こちらの攻撃は尽く滝壺に寄って防がれ、回避の時の能力使用に対しても干渉してくる。
そんな中で相手の攻撃を避け続けるのはそれこそ神経をすり減らせるような事の繰り返しだ。
「だぁ、くっそ! さすが滝壺、敵に回すと面倒くさい事この上ないわね」
「はぁ……ちょっとアンタらあの人の仕事仲間でしょ。何とかしなさいよ」
「できたらしてるっつーの。さすが俺の滝壺だぜ」
「この状況で惚気けるとか果てしなくムカついてくるからやめて」
「……そうですわ!」
その時、婚后光子が何か期待を乗せた声を上げた。
表情にはやはり疲労の色が浮かんでいるが、それでも何か光を見たらしい。
「どうした?」
「あなた、浜面さんとおっしゃいましたわよね? そしてあのジャージの方はあなたの恋人、これでよろしくて?」
「あぁ、そうだけどっ!!」
浜面が答えた瞬間、突然真上に椅子がテレポートされたので、慌てて転がって回避しつつ答える。
婚后も相手に狙いを絞らせない様に風を使って素早く動きながら続ける。
「あの方にかけられている食蜂操祈の洗脳、それを解く鍵があなたにありますわ」
「レベル5の洗脳がそんな簡単に解けんのか?」
「いや、無理よ。それこそあの馬鹿の右手とかない限りは……」
「できますわ! 浜面さんには素晴らしい武器があります!」
「武器だぁ? 浜面の武器なんざ銃くらいだろ。
そんなもんテレポーターに簡単に避けられちまうし、何より浜面が滝壺を撃てるわけないじゃない」
「あぁ、俺はあんたらと違って無能力者だ。武器なんてもんは……」
「何をおっしゃっているのですか。浜面さんには私達にはない素晴らしい武器がありますわ!」
「え、婚后さん?」
やけに確信的に話す婚后に、美琴達もそちらに注目する。
それはこの状況を打開するきっかけになり得るか。
美琴達はそんな淡い期待を抱いて言葉を待つ。
そして婚后はそんな皆からの視線を満足気に受け止めると、自信満々に宣言した。
「浜面さんの持つ素晴らしい武器、それはズバリ“愛”ですわ!!!!!」
ガクッと強烈な肩透かしを食らった。
浜面は思わずそのままどっかのギャグマンガのようにズコーと転んでしまいそうになってしまった。
もしこの場面が日常の一コマだったらそういった反応もありだったかもしれないが、ここはバリバリの戦場だ。
そのズコーが原因で鉄矢が体に突き刺さるなんていうのはさすがに笑えない。
何も愛というものを全否定するつもりはない。
だがやけに自信満々に言い放ったので、もっと具体的な案だとばかり思っていただけに拍子抜け感が凄まじい。
「えーと、んで愛つっても具体的にはどうすんだ……?」
「それはもちろん熱い抱擁にキスですわ! それで上手くいかない事なんてありません!」
「……お嬢様の頭の中は想像以上にお花畑みたいだな」
「ちょっと、私を見ないでよ!」
浜面の視線に美琴が憤慨する。
美琴も美琴で上条関係では色々と乙女だが、それでもさすがにここまでという事はない。
「へぇ、面白いじゃない」
「「は?」」
いきなりそんな事を言ったのは麦野だった。
浜面と美琴は目を見開いて驚いて彼女を見る。
「お、お前何言ってんだ……?」
「どうせ他に策もないし、いいじゃない」
「それはそうだけど……」
「さすが、分かってくださると思っていましたわ!」
「おい麦野、お前俺をギャグ要員にしようとしてねえか?」
「私も別に何の根拠もなしに言ってるわけじゃないわよ。何かがきっかけで本人が洗脳を破る、それは実際に起きるらしいわよ」
「相手がレベル5でもか?」
「原理は一緒でしょ。不可能ではないって分かってるんだから、後はあんた達の問題よ」
浜面は黙って麦野の事を見る。
その表情から、どうやら本気で言っているという事は分かる。
麦野は本当に変わったと思った。
以前までの彼女はこんな不確実な方法を選んだりはしなかった。
いつでも正確に、任務の達成だけを目指す。
それがアイテムのリーダーである麦野沈利だった。
浜面は少し考えて、
「……いや、でもハグしてキスなんてできねえだろ。確実にその前に妨害にあう」
「それならば声ですわ。愛する人の言葉であればきっと届きます!」
「わ、分かったよ」
婚后の気迫に若干押される形になりながら、浜面は滝壺を見つめる。
明らかに生気のない瞳。それを見るとすぐにでも助け出したいという気持ちが強くなっていく。
逆の立場になって考えてみると少し希望が持てた。
もし自分が洗脳されていて滝壺が呼びかけてきたとしたら……その声がきっかけで洗脳を敗れるかもしれない、そう思えた。
「滝壺!!」
「…………」
「なぁ、シカトされたんだけど」
「ただ名前を呼ぶだけではダメなのかもしれませんわ」
「じゃあもので釣ってみなさいよ。後でアイテムみんなにご飯奢るとか」
「ちゃっかり滝壺以外を含めてんじゃねえ!!」
「ちっ、相変わらず男のくせにセコいわね」
「お前な……」
麦野に関しては真面目に考えているとは思えなく、浜面は肩を落とす。
それでも、立ち止まっているといつテレポート攻撃をくらうか分からない状況なので、しっかり動き続けるのは忘れない。
すると今度は美琴が口を開く。
「えっと、それなら…………『この戦いが終わったら結婚しよう!』とかは?」
「それ絶対言っちゃいけないセリフだよな!?」
「え、なんで?」
「あー、いや、もういいです」
美琴としては乙女心全開の言葉だったのだが、浜面の反応はイマイチだ。
女の子的にはそういったプロポーズに憧れるというのは当然なのかもしれないが、そう簡単に言う気にはなれない。
浜面としては、真っ当な仕事に就いて子供の一人や二人養えるくらい稼げるようになってから言いたい。
仕方ないので、ここは自分で言葉を考えることにする。
何か滝壺が興味を惹かれそうな言葉。
しかしいざ考えてみると驚くほど何も出てこない。
普段からぼーっとしていて何を考えているのかよく分からない事も多いが、これは彼氏として相当まずいんじゃないかと不安にもなってくる。
思い返してみれば、これまでもそこまで彼氏らしいこともできていなかった気がする。
デートしても絹旗映画のせいでグダグダになったり。
二人でフレメアを歯医者に連れて行った時は子供ができたらこんな感じなのかなぁ、などとは思った。
ただ、なんというか、全体的に色気的なものが決定的に足りない気がする。
詰まる所、二人の振る舞いは恋人同士になる前となんら変わっていないんじゃないか。
何がいけないのか。何かやらなくてはいけない事があるのではないか。
そう考えた時、真っ先に浮かんできたのはR-18的なものだった。
(……いやまだ早いだろ)
ラーメン屋でも思ったが、もしかしたら自分は意外とこういう事に臆病なのかもしれない。
しかしこれは滝壺のことを想っているからこそなんだ、と浜面は半ば無理矢理に納得する。
(他にはないか……つかエロい事以前にまだ色々とやってない事とかありそうな…………)
例えば名前の呼び合いなど。
今現在も互いに苗字で呼び合っている事に少なからず気にするようになってきた浜面。
だが上手いきっかけもなくズルズルと今に至っている。
考えれば考えるほどに上条のことを笑えないほどのヘタレなのではないかと自己嫌悪に陥りそうになった時。
ふと、ある事が頭に浮かんだ。
「そうだ」
簡単な事だった。
エロい事とか名前の呼び合いとかそういう以前に。
まず根本的な事から問題があった。
「……そういえば俺、滝壺に好きって言った事ねえかも」
「「は!?」」
「まぁ!」
女の子らしからぬ声をあげたのは美琴と麦野。
そして婚后も婚后で目を丸くして驚いていた。
それはそうだ。
付き合って三ヶ月経つ者が言うようなセリフではない。
「ちょ、じゃあどうやって付き合ったのよ!? 告白なしで付き合えるなんて裏ワザあるわけ!?」
「おい第三位、食いつきすぎ。つかこの状況で余裕あるわね」
「でも、それならそれで、これもいい機会ですわ!」
「あー、確かにそうかもな」
浜面は気恥ずかしくなって咳払いをする。
滝壺のことが好きだという気持ちにウソはない。
だがそれを口に出すというのはなぜか少し勇気がいる。
せめて二人きりだったらとも思うが、状況が状況なので仕方がない。
「滝壺」
「…………」
やはり返事は返ってこない。
だが、浜面は構わず続ける。
自分の中の想いを言葉にする。
「お前のことが好きだ。この地球上の誰よりも」
言った。言ってやった。
ドクンドクンと鼓動が早い。嫌な汗も引かない。
しかしそんな中で困難な仕事を終えた後の達成感に似たものを浜面は感じていた。
まだ問題は何も解決していないにも関わらず、何かもうやり遂げたといった感じだ。
ともかく、それだけ告白というものは緊張するものだということを身を持って知った。
そんな浜面を見て麦野は呆れたように、
「なんかくさすぎない? ていうかそれパクリでしょうが」
「う、うっせえな!」
「まっ、浜面に妙な期待しても仕方ないか」
そう言って美琴と婚后の方を見る。
だが麦野と違って二人はぼーっと頬を染めていた。
どうやら彼女達にはかなりアリだったらしい。
「……夢見がちな乙女かあんたら」
「な、なによ人の感性にケチつけてんじゃないわよ!!」
「そうですわ!! 素晴らしかったじゃないですか!!」
「分かった分かった。それより…………あ?」
麦野は面倒くさそうに話を切り上げようとして止まった。
こうした乙女的なやりとりをしている間にも、三人は絶えず動き回っていた。
そうしなければ、テレポーター相手には致命的な隙を与えてしまうからだ。
だから、ここで麦野がこうして立ち止まるのは自殺行為に近い。
「ちょっと麦野! 何止まってんのよ!!」
「テレポーター共の様子がおかしい」
「えっ?」
「何も変わらないように見えますが……」
「さっき私が撃った光線への対処がぎこちなかったのよ」
「ぎこちない?」
麦野の言葉を受けて、美琴も試しに結標に向かって何発か電撃を放ってみる。
案の定、それはテレポートで避けられてしまい、青白い稲妻は何もない空間を素通りする。
だが、それを見て美琴も眉をひそめた。
しばらく戦い続けていたから分かる。相手の反応が鈍い。
さっきまではもう何テンポも速く避けていたはずだ。
それに比べて今は、まるでネットのラグみたいに微妙なズレを感じる。
そしてそれは婚后にも分かったらしく、
「確かに反応が鈍くなっているようですわね」
「……どういう事? 滝壺さんに影響が出るなら分かるんだけど、何で結標や黒子まで」
「さぁね。でもチャンスである事に変わりはない。おい浜面!!」
「なんだ!? どうすればいい!?」
「ハグでもキスでもして、どうにかして滝壺の目を覚まさせなさい! たぶん今ならテレポーターを抑えられる!」
「わ、分かった!」
浜面はそう言うと、滝壺に向かって走りだす。
当然それを黙ってみているつもりはないテレポーター二人はすぐに攻撃しようとする。
しかしその前に麦野の光線、美琴の電撃、婚后の暴風が二人を襲う。
結標と白井はそれに対して自身をテレポートしてかわしていく。
だがそれ以上の事はできない。
先程まではこれに加えて浜面に攻撃を加えるという事もできたはずだが、今はその余裕は失われている。
詰まるところ、攻撃を避けるだけで精一杯というわけだ。
「滝壺……っ!!」
浜面はついに滝壺のところまで辿り着くことができた。
そのまま彼女を抱きしめる。もう二度と離さないように。
腕の中の彼女は暖かく、それは心の中まで染み渡っていくようだった。
この状態を危険だという者も居るかもしれない。
現に滝壺は洗脳されていて、先程まで浜面達を追い詰めていた。
だが浜面は信じていた。
自分の言葉は確かに彼女に届いている。
滝壺はしばらく腕の中でピクリとも動かなかった。
顔も俯いていてよく分からない。
しかし、次第に。
滝壺の腕がゆっくりと上がる。
その腕で彼女は何をするのか。
洗脳されているとすれば、どこかから取り出した刃物で刺される。そんな心配もある。
それでも、浜面は少しも動かない。
ただ彼女の存在を確かめるように、腕の力を強めて抱きしめる。
……滝壺の腕は。
浜面の背中に回された。
「はまづら」
「た……きつぼ……?」
彼女が顔を上げる。
そこにあったのは、頬をほんのりと染めた愛おしい恋人の表情だった。
浜面はそれを見て、安心のあまり涙がこみ上げてきそうになる。
滝壺はそんな浜面の表情を見て穏やかに笑って、
「私も、大好きだよ」
どちらからしようとしたのかは分からない。
二人は自然に顔を近づけ……唇を重ねていた。
考えてみれば、これでやっと二回目だ。
しかし浜面はそれはどうでもいいと思えた。
一回目の時もそうだが、こういう事は数だけ増やせばいいというものではないと思うからだ。
周りは関係ない。自分達は自分達のペースで。
こうして触れ合っているだけで心が満たされる、恋人でいる意味というものなんてそれで十分ではないか。
……ここで忘れていけない事がある。
それは今ここは別に二人きりいう状況でもないという事だ。
「キスまでする必要あんのかしら」
イライラしたように言ったのは麦野だ。
一方で婚后は目をキラキラと輝かせて浜面と滝壺を見ている。
「素晴らしいですわ! まるで映画のワンシーンのようです!!」
「……はぁ」
「えっと……麦野?」
「なによ」
「あ、いや、何でもない」
美琴は何かを言おうとしてやめた。
麦野にとって今目の前の光景はどのように映るか。
自分に当てはめてみるなら、上条とインデックスがキスしている所を見ているようなものなのだろう。
そう考えたら胸を締め付けられるような感覚に襲われ、何も言うことができなくなってしまったのだ。
「……つか、あのテレポーター達、余計おかしくなってるわよ」
麦野がふとそんな事を言ったのでそちらへ目を向けてみる。
白井と結標はブルブルと震えていた。もちろん寒さとかではないだろう。
「隙だらけ……ね。今なら私の電撃で二人共気絶させられそうだけど……」
「少々心配ですわね。あの二人の様子は普通ではないです」
「滝壺の洗脳を解いたことで他の奴らにも影響してるのかしら。いや、でも上条が浜面の洗脳を解いた時は別にそういう事はなかったわね」
よく見てみれば、周りを囲んでいる常盤台生も同じような状態に陥っている。
麦野は少し考え、
「第五位に何かあった……とか?」
「それが一番しっくりくるわね。まぁとりあえず……」
美琴はそう言うと、掌から電撃を連発する。
それらは真っ直ぐ白井と結標へ向かい、正確に二人を撃ちぬいた。
その後糸が切れた人形のように地面に倒れる二人を見て美琴が口を開く。
「避ける素振りも見せなかったわね」
「だからって容赦無いわね第三位」
「気絶させただけだっつの。アンタの能力みたいにくらったら終わりじゃないわよ」
「それに白井さんは御坂さんの電撃は受け慣れていますものね」
「ははは……」
「つーか、そこのバカップルはいつまでそうしてる気だオイ」
ここで麦野が呆れ半分、怒り半分といった様子で浜面と滝壺を見る。
さすがにまたキスをしているというわけではないが、それでもまだ二人は抱き合っていた。
浜面は麦野の言葉で我に返ったらしく、すぐに離れた。
「わ、悪い。まだ終わってねえんだよな」
「ごめん、むぎの。はまづらが暖かくて心地よかったからつい」
「滝壺……」
「だから何でまたそういう空気になんだよバカップルがァァ!!」
再びイチャイチャしようとする二人に対し、ついに麦野が爆発する。
これが普通の女の子なら可愛いものなのだろうが、麦野の場合は大惨事に繋がる。
「落ち着きなさいって……それより」
美琴は苦い顔をしながらそれをなだめつつ、辺りを見渡す。
自分達を取り囲む常盤台生達はまだ様子がおかしい。
これは今の内に彼女達も気絶させておくべきなのではないか。
そう判断した美琴は右手に電気を集中させバチバチと音を鳴らす。
「おい待て」
だがそうも事を上手く運べない。
麦野が声を発した次の瞬間、常盤台生達は一斉に掌をこちらにかざしていた。
美琴は顔をしかめて、
「……調子が戻ったって事かしら」
「ったく、テレポーター二人とどっちが面倒か微妙なところね。暗部の仕事でもこれだけのレベル3以上を相手にしたことなんてなかったわよ」
「泣き言は言ってられませんわ。学友を傷つけるのは忍びないですが、やむを得ません」
「レベル0の俺からすればこれはもう完全に詰んでる状況なんだけどよ……」
「大丈夫、はまづらは私が守るから」
それぞれの心持ちには差があっても、状況は待ってくれない。
その後、大ホールには再び能力による破壊の音が連続した。
***
「ぇ……ぁ…………」
滝壺の洗脳が解かれた頃。
食蜂操祈は強烈なめまいに頭を押さえてよろけていた。
何が起きたのか理解できない、理解したくない。
今までこんなことは一度もなかった。
このレベル5の洗脳能力は完璧だった。それが破られた。
それも幻想殺しといったイレギュラーなものによってではない。
一人の何の能力も持たないレベル0の者の言葉によって、操っていたはずの人間が自発的に洗脳から脱出したのだ。
「ぁ…………ぁぁあああ…………!!」
周りが見えない。
上条当麻は近くに居るのに、そちらに集中することができない。
足元がおぼつかない。
まるで大地震が起きているかのように、真っ直ぐ立っていることができない。
ありえないありえないありえないありえない。
頭の中ではぐるぐるぐるぐると同じ言葉が何かの呪文であるかのように巡り続ける。
それでも、現実は少しも変わらない。
自分の能力が何の能力もなしに破られた。その絶対的な事実が重い石になって自分を押しつぶそうとしてくる。
「――――!!!」
上条が何かを話している気がするがどうでもいい。
いや、気にしている余裕がない。
どうすればいい。
どうすれば自分はこの世界に留まることができる。
認めない。認めるわけにはいかない。
この能力は、レベル5の「心理掌握(メンタルアウト)」は。
自力で解けるようなものであってはいけない。
「……そうよ」
光が見えた気がした。
そういえば、先程までここには風斬氷華というイレギュラーな存在が居た。
彼女は自らの存在を犠牲にすることでAIM拡散力場に変化を加え、この能力に干渉しようとした。
結果的にそれは成功し、その僅かな変化と黒い翼の覚醒によって一方通行の洗脳が解かれるという結果になった。
それならば、他に操っている者にも影響がでるのは別に不思議ではないのではないか。
「あの……風斬氷華のせいよ!!! 私の能力が何もなしに解けるわけない!!!」
「何を言ってんだ……?」
「あは、あはははは……そうよ……そうよ…………っ!!!」
光が戻ってきた。
もう周りが見える。音も聞こえる。
上条が怪訝な目で、インデックスが不安そうな目でこちらを見ているのが分かる。
何も取り乱す必要なんてなかった。
よく考えればそこには理由があって、自分の信じたものは少しも揺らいでいないという事が分かる。
食蜂は再び笑みを浮かべる。
いつもの、女王らしい余裕たっぷりの笑みを。
「ふふ、ごめんなさぁい。ちょっとこちらでアクシデントがありましてぇ」
「アクシデント?」
「えぇ、御坂さん達の方を任せている滝壺理后が私の洗脳を解いちゃいましてぇ。
まぁどちらにせよ彼女達は大勢の常盤台生に囲まれている状況ですので、大きく事態が好転したとは言えないですけどねぇ」
「……随分余裕だな。これでお前は一方通行を止められる駒を失ったんだぞ」
「ですから、第一位さんに対抗する駒なら目の前にいるじゃないですかぁ」
食蜂はクスリと笑って、再びリモコンを上条に向ける。
この距離なら十分に能力の有効圏内だ。
それに上条には幻想殺ししかなく、急に加速するような手段を持ち合わせていない。
ならば迅速に的確に事を済ませてしまったほうがいいだろう。
そう判断した食蜂は指をボタンの上まで持っていく。
上条は動かない。
ただこちらをじっと真剣な目で見つめているだけだ。
食蜂はその目が気に入らない。
人の精神について多少の知識を持っているので分かる。
あの目は何も諦めていなく、ただ前を向いている目だ。
上条は本当にこのレベル5の能力を恐れていない。
本気で、幻想殺しなしで何とかできると思っている。
それならば思い知らせてやればいい。
頭の中の記憶を根こそぎ改ざんして、全てが終わった後に元に戻す。
その時の絶望の表情を思えば、この憤りも気にならない。
食蜂は口元の笑みを薄く広げて、ボタンに乗せた指に力を込める。
ピッ、という軽い電子音が辺りに響き渡った。
それは割れた巨大ガラス窓から入り込む風にかき消されてしまうほどに小さな音だった。
しかし、そこに居る者達には不思議と大きく聞こえた。
それだけ、その音は重大な力、そして意味を持っていた。
***
一方通行と垣根は夜の空を自由に舞い、それぞれの黒い翼と白い翼を打ち付け合う。
両者がぶつかり合う度に辺りには凄まじい轟音と衝撃が響き渡る。
当然、両者とも無事ではいられない。
一方通行には致命傷とまではいかなくとも、細かい傷が徐々に増えていく。
普通の攻撃ならば反射の力が働いて彼を傷つけることは不可能なのだが、相手はこの世に存在しない物質を操る能力者だ。常識は通用しない。
以前戦った時はその未元物質のベクトルさえも掴み凌駕することができたのだが、今はそれができない。
それは相手の能力がさらに変質したからなのか、この感覚はどこかで覚えがあった。
そう、最近になって触れる機会が増えてきた“魔術”だ。
あれと同じように、正確にベクトルの制御を加える事ができない。
結果として攻撃をかわしきれずに傷を負うという事になる。
「はは、はははははははは!!!!! おいどうした一方通行ァァ!!! 第一位ってのはこんなもんだったかあ!?」
垣根は歪んだ笑みを浮かべながら、純白の翼を思い切り叩きつけてくる。
見た目だけなら幻想的で美しい翼でも、その一振りで人間を肉片に変えることができる凶悪な武器だ。
だが所詮は直線的な攻撃だ。
一方通行は冷静に相手の動きを見て、カウンターで合わせるように黒い翼を打ち付ける。
それは見事に決まったかのように見えた。
黒い翼は垣根の右腕に直撃し、肩からバッサリと切り落とした。
普通ならばこれで勝負が決まったと見てもいいはずだ。
しかし、この相手にはそれが通じない。
直後には、垣根の肩から新たな腕がズリュッと生えてきた。
これも、未元物質の力だ。
一方でこちらに向かってくる相手の白い翼は止まらない。
一方通行は小さく舌打ちをすると、黒い翼で受け止めた。
だが、それだけでは衝撃を殺しきれない。
ガギギギギギギギ!!! という鈍い音がしばらく連続するが、その後一方通行のほうが弾き飛ばされてしまう。
そのまま一方通行はかなりの勢いで落下していき、5階建ての建物の屋上に墜落した。
「くっ……」
砂埃の中立ち上がる一方通行。
あれだけの高度から叩き落されれば普通ならば生きてはいられないはずだが、彼には学園都市最強の能力がある。
それを使えば例え飛行機から突き落とされても無傷で着地できる。
しかし無効化できるのはあくまで落下のダメージだけだ。
垣根の能力による衝撃は体に響いており、ギシギシと骨が軋むのを感じる。
ブォッと一気に砂埃が吹き飛ばされた。
すぐそこには垣根帝督が掌を真っ直ぐこちらに向けて立っていた。
次の瞬間、正体不明の衝撃が一方通行の全身を叩き、後方へと吹き飛ばす。
そしてそのまま屋上の外周に張り巡らされた飛び降り防止のフェンスに背中から激突する。
「がっ、は……!!!」
一方通行はフェンスに寄りかかった状態で吐血する。
垣根は追撃にこない。
絶好のチャンスであるにも関わらず、ただニヤニヤとこちらを見ているだけだ。
「はっ、オラどうした、チンピラなんかにやられる程一流の悪党サマはヘタレちゃいねえんだろ?」
「そォいやそンな事も言ったか。よく覚えてンな、嫉妬深いババアみてェだ」
垣根は翼を一振りする。
それに伴い、正体不明の衝撃が再び一方通行の全身を打つ。
「ごぁぁあああ!!!」
「なんか言ったかコラ」
「……あァ、切っても切ってもニョキニョキ生えてくるタコみてェだってのを言い忘れてた」
「タコ、か。んなカワイイもんじゃねえだろ。ただの化物だろーが」
「自覚はあったンだな。メルヘン野郎には認められねェと思ってたが」
「俺にとって重要なのはテメェを殺せる能力かどうかだけだ。今更化物がどうのこうのなんていうのは興味ねえ」
「分かンねェな」
一方通行は小さく溜息をつく。
そこに含まれるのは呆れか哀れみか。
「アレイスターのプランってのはもォ崩壊しちまってる。俺を殺したところで、それがアレイスターに対する交渉カードになる事はねェぞ」
「……関係ねぇよ」
「あ?」
「んな事どうでもいいって言ってんだよ!!! 俺がテメェを殺すのはテメェが気に食わないからだ!!!
俺を生きてんだか死んでんだか分かんねえ状態にした上に、自分は光の世界でのうのうと生きてんのが許せねえだけだ!!!」
「…………」
「あぁ分かってる、これじゃテメェの言う通りただのチンピラの発想だ。だがそれがどうした!?
俺は今までも自分のやりたいようにやってきた!!! 欲しいもんは手に入れる!!! 気に入らねえものはブチ壊す!!!」
垣根は叫ぶと、渾身の力で翼を振るう。
それによって生み出された衝撃は全ての音を吹き飛ばす。
凄まじい力により、コンクリートの地面全体に深い亀裂が走る。
周りを囲うフェンスは全て吹き飛ばされた。
だが、一方通行は確かにまだ目の前に立っていた。
よろけることもなく、ただ堂々と。
「哀れだな、オマエ」
まるでワガママを言い続けるどうしようもない子供を見るような目つきだった。
変化が訪れる。
一方通行の背中から伸びる漆黒の翼。
それが純白に変わっていく。
垣根は驚きのあまり目を見開く。
それは色の変化という単純なものではない。
上手くは表現できないが、力の質が別次元のものに変わった。
どう足掻いても、この力には敵わない。
どれだけその考えを頭から押し出そうとしても、否応なしに頭の中に入り込んでくる。
「な……んだよそれは……」
「わりィが、オマエの都合なンざどォでもいい。ただ、俺は――――」
一方通行の頭の上に小さな輪が出現する。
垣根はそれを見て、あるイメージが浮かぶ。
ありえない。怪物と呼ばれる男にはあまりに不釣り合いなものだ。
一方通行は小さく、口を開く。
「この“世界”を守る、それだけだ」
その“世界”が何を指すのかも分からずに。
気付けば、垣根帝督の体は為す術なく地面に倒れ伏していた。
その光景は、神に背く悪人とそれを裁く天使のようだった。
***
「あははははは!!!」
夜の闇に染まった一室で、食蜂の口から楽しげな笑い声が漏れる。
手応えは十分。
もはや上条の精神は掌の上にあった。
「とうま!!」
「無駄よぉ。もう彼は私の虜☆」
食蜂はそう言ってインデックスに冷ややかな笑みを向けると、上条の方に向かって歩いて行く。
間違っていなかった。
食蜂の頭の中では、珍しく過去の記憶が流れていた。
どんなに仲の良かった友達でも、洗脳して自分を嫌うようにと言えばその通りにした。
無視して居ないもののように扱えと命令しても、やはりその通りにした。
それから怖くなって、やっぱり仲良くしてと命令すれば、すぐに以前と変わらない笑顔で接してくれた。
所詮はそんなものなのだ。
人との繋がりというのはよくドラマなんかでは美しく描かれている。
しかしそれらはあくまでフィクションの世界の話であって、現実はまるで違う。
現実はもっと単純だ。
この指を少し動かすだけで都合のいいように繋がりを生み出すことができる。
初めは苦しかった。
自分の生きていた世界はこんなにも脆いものなのか。
自分一人の力でこうも簡単に変わってしまうのか。
その失望感と絶望感が合わさって、もう生きているのも面倒くさくなった時もあった。
だが、時が経つにつれてそんな世界にも適応できた。
要はこの世界もフィクションのように考えればいいのだ。
周りの人間はそれぞれ自分の役を演じており、自分はその役を決める事ができる。
ただ、それだけ。
そう考えるだけで驚くほど楽になれた。
上条とインデックスの邪魔をするのも、大元の理由は単純なものだ。
魔術と科学の問題などを引き合いに出しても、それは単なる建前にすぎない。
要は人の心や絆を信じて何かを解決しようとするその姿がどうしようもなく気に入らなかっただけだった。
上条のすぐ近くまでやって来た食蜂はその左腕に抱きつく。
彼の目は光が灯っていなくうつろだ。
「ふふ、インデックスさぁん? 今上条さんにどんな事してるか教えてあげましょうかぁ?」
「どうせろくでもない事なんだよ」
「実は今、上条さんの中で私とインデックスさんの存在をそのまま入れ替えちゃってるんですよぉ。その意味、分かりますぅ?」
「それは……」
インデックスの顔に困惑の色が広がる。
食蜂とインデックスの存在を入れ替える。それはどういう事か。
「上条さんは私を守るために記憶を失った。それからはずっと私が上条さんの寮に居候している。
私のために錬金術師と戦った。私をゴーレム=エリスから守ってくれた。私と一緒にイタリアに旅行に行った」
「…………」
「私と一緒に風斬氷華を救った。私と一緒にイギリスのクーデターを戦った。私のために上条さんはロシアで戦ってくれた」
「とうま」
インデックスが一言、しっかりと上条に呼びかける。
だが、上条のその瞳に光が戻ることはなく、ただぼんやりとしてるだけだ。
先程まで敵だった相手が腕に抱きついているというのに、それに対して何の違和感も抱いていない。
まるでそれが珍しい事でもないかのように、気にしていない。
食蜂の口元が薄く広がる。
本当に楽しそうに、純粋無垢な子供の笑顔だ。
「ねぇ、上条さぁん。今がチャンスよぉ、私達の邪魔をするインデックスは片付けちゃいましょぉ?」
そう言って、食蜂は真っ直ぐ彼女を指さした。
上条はじっとインデックスを見つめる。
その後、彼女の方へと一歩踏み出す。
右手は固く握られている。
それでもインデックスは後ずさったりはしなかった。
こちらもただ真っ直ぐに上条のことを見つめている。
少しもブレずに、彼女には何かが分かっているようだ。
「とうま、私、怖くないよ」
「ふふ、強がり言っても無駄ですよぉ? できれば泣き叫んでくれたほうが私的には面白いんだけどなぁ」
「強がりなんかじゃないんだよ」
ここでなんとインデックスは笑顔を見せた。
「――私が大好きなとうまは、確かにそこに居るから」
迷いなんて少しも感じられない。そんな一言だった。
食蜂は少しの間唖然としてインデックスを見ていた。
その後、溜息をついてカクンとうなだれる。
そしてそのまま顔を上げずに、
「……はぁ、本当は脅しで済ませるつもりだったんですけどねぇ。でも気が変わりましたよ」
食蜂の顔が上がる。
そこにあったのは一片の笑みもない、酷く冷めた美しくも恐ろしい表情だった。
「可哀想ですけど、一発くらい殴られなきゃ分かんないようですね、上条さん」
「……あぁ」
上条に殴られる。
それは物理的なダメージ以上に、インデックスには辛いものなはずだ。
それでも彼女は少しも動揺したりしない。
上条に向けた視線を、決して逸らしたりはしない。
そして、上条は。
「――――俺はいつだってインデックスの側に居るよ」
バキィィィィ!!! と。
幻想殺しの宿った右腕が捉えたのは、食蜂の顔面だった。
完全に不意を突かれた一撃に、食蜂は為す術なくかなりの勢いで床に倒れこむ。
食蜂は混乱し過ぎて何も考えられない。
なぜ体がピクリとも動かないのか。なぜ自分は無様に床に仰向けに寝ているのか。
なぜ上条は自分を殴り飛ばしたのか。
分からない。何も。
ただ視界に映るのはこの部屋の高い天井だけだ。
それもかなり暗い。これは夜の闇のせいだけではない。
「……う……そ…………」
食蜂の綺麗な髪は乱れ、その顔のほとんどを覆っている。
そのせいで表情は読み取りにくく、何を思っているのかは掴みにくい。
それは彼女にとって幸いだった。
上条の幻想殺しによって、この能力は全て解除されてしまった。
もう全てが終わりであり、自分は敗れたのだという事は理解している。それは受け止めることができる。
だが、上条がこの能力を破ったという事だけは、どうしても認めたくなかった。
確かに上条には能力が効いていた。記憶の改ざんも成功していた。
それに自分で正しい記憶を思い出したというわけでもない。
もしそうだったなら真っ先に食蜂は気付いて、こうして床に転がっているなんていう事にはならなかったはずだ。
つまりそれは、記憶の改ざんを受けて、その上で上条はインデックスの為に動いたという事だ。
今まで上条が守ってきたのは食蜂で、その邪魔をしてきたのがインデックスだと頭に刷り込んでも。
上条は、インデックスを守った。
世界が崩れていくのを感じる。
もしかしたら、前提から間違っていたのかもしれない。
フィクションの世界にあるような絆は現実にも確かに存在している。
この洗脳能力だけでは変えられないものも確かに存在している。
食蜂操祈は、別に配役を決める存在ではない。
彼女の周りだけが脆い世界だった。
自分が本物の絆を持っていないと知っただけで、そんなものは現実には存在しないと決めつけた。
逆に考える事もできたはずだ。
こんな簡単に世界を変えられるのはおかしい。それなら。
ただ自分が……食蜂操祈がおかしいだけではないのだろうか。
いつもは人気者のように見えるが、そこには本物の絆が存在しない。
そう認めるのが、怖かっただけではないのか。
涙が、あふれる。
もう、嫌だった。何も考えたくない。
食蜂は声を出さずに静かに泣いて、意識を手放した。
目が覚めればそこには、自分の信じた世界があると願って。
***
「そんなわけでスタート地点だね?」
「毎度どうもすみません」
「まったく、僕は職業的に繁盛してもあまり喜ばしいことじゃないんだけどね」
いつものカエル顔の医者が話す。
いつもの病院のいつもの病室。
上条当麻はやはりこの場所に戻ってくるという宿命を背負っているのかもしれない。
現在時刻は午後九時。
常盤台最大派閥の女王様をぶん殴った上条当麻は、その後警備員(アンチスキル)やら何やらと色々あり今に至る。
まぁ元々は向こうが仕掛けてきたわけで、こちらが責められるいわれなど何もない……はずだ。
とはいえそれを考慮してもヘリを奪ったりは若干やり過ぎたらしく、お説教は食らったが。
ちなみに美琴達もそれぞれこの病院に入院している。
中でも美琴と麦野はそれなりの大怪我をしていたのだが、入院は今日一日でいいとの事だ。
普通ならてきとーすぎると色々な所に訴えられるような対応だが、納得するしかない理由がある。
今回の件にも絡んでいたレベル5の第二位、垣根帝督。
彼の能力である未元物質(ダークマター)により、大抵の怪我なんていうものはすぐに治ってしまうとの事だ。
「医者いらずですよねそれ」
「といっても普段から使える代物ではないんだよ。彼も中々気難しいからね。
今回も一方通行が彼を気絶させてくれていたから僕も治療に使えたという事だからね? それに君の場合は右手のせいでやっぱり僕が診ないといけないし」
カエル顔の医者は溜息混じりにそう言うと、パイプ椅子から腰を上げる。
「それじゃ、ゆっくり休むことだね? くれぐれも院内で騒ぎは起こさないように」
「善処します」
バタン、と扉が閉まる。
それからはひたすら静寂が部屋を包んだ。
上条は眠るわけでもなく、ただぼーっと天井を見上げて色々と考えていた。
食蜂の話ではイギリス清教がインデックスの回収に向かっているという事だった。
だが、その後インデックスの精神状態は通常以上に回復したらしく、やはりまだここに置いておくべきだという判断がなされたらしい。
今、彼女はその事でイギリス清教の使いと話をしているはずだ。
とにかく、謝らなければいけない。
今朝の言い争いは勝手に俺がイライラしていただけで、完全に俺が悪い。
許してもらえるかどうかは分からないが、とにかく頭を下げることだけは確定事項だ。
上条は頭の中でいくつもの謝罪の言葉を用意する。
その時、コンコンと扉をノックする音が部屋に響く。
上条はその音に思わず生唾を飲み込む。
扉の向こうに居るのは十中八九――――。
「ど、どうぞー」
「お、お邪魔します……」
いつもの白い修道服に身を包んだインデックスだ。
幸い今回の件で何の怪我もしなかったので、ここに入院することにはなっていない。
さて、これからは謝罪タイムだ。
しかしいつものノリとは違い、今回は割と本気のケンカだったので凄く気まずい。
ここは一気に言ってしまったほうがいいかもしれない。
上条は大きく息を吸い込むと、
「悪い、インデックス!! 俺――」
「とうま、ごめんなさい!! 私――」
……再び沈黙が部屋を支配する。
上条もインデックスも、キョトンとした様子で互いに見つめ合う。
そして。
「ぶっ」
「あはははははははは」
ほぼ同じタイミングで笑い出していた。
何かもう、真剣に悩んでいたのが馬鹿らしくなってきた。
上条当麻とインデックスはこういう関係でいいんじゃないか。
多少ケンカしてもすぐに元通り、それで何の問題もない。
そんな結論を出してしまうと、何かもう色々とおかしくなった。
インデックスは笑みを浮かべながら、
「もう、またとうまはこんな怪我して」
「いや、俺にしては軽傷だろこれ。成長してんだよ俺も」
「入院してる時点で威張れる事じゃないかも」
「うぐ……ま、とにかくインデックスには怪我がなくて良かったよ」
「……私だけ無傷っていうのはあまりいい気分しないんだよ」
インデックスはベッドに乗っかり、後ろから上条を抱きしめる。
前にもこんな事あったな、とぼんやりと思い出す。
やはりそこまで成長していないのではないか。
背中からはインデックスの声が聞こえる。
「短髪もしずりもりこうも……他にもたくさん私のせいで怪我をした。それなのに素直に喜ぶなんてできないんだよ」
「自分のせいとか言うなって。誰もそんな事思ってねえよ」
「でも……」
「それに助けられた本人がそんな顔してると、アイツらだって報われないだろ?」
「……みんな良い人たちだよね。私は幸せ者なんだよ」
「あぁ、そうだな」
ここで会話が途切れて短い沈黙が流れる。
といっても別にそれは居心地の悪いものではなかった。
「ねぇ、とうま」
「ん?」
「とうまはさ、あの時記憶の改ざんを受けたんだよね? それなのにどうやって私のことを守ってくれたの?」
「インデックスだって俺がお前のことを殴るだなんて思わなかっただろ?」
「それはそうだけど……でもちょっと気になって」
「そっか…………けど俺にも良く分かんねえんだよ」
「え?」
「たぶん前と同じだな。ほら、俺が記憶喪失になった時にさ……」
今でもよく覚えている。
ここに居る上条にとってはそれが全ての始まりだった。
「理屈とかそんなの抜きに、ただインデックスを守りたい。そう思えたんだ」
インデックスは何も言わなかった。
ただ、上条を抱きしめる力を強めていた。
「やっぱさ、心っていうのは確かに存在してると思うんだ。記憶とか関係なしにさ。
だから食蜂の心理掌握ってのはウソっぱちだな。アイツが操っているのはあくまで頭であって心じゃないんだからな」
「……ふふ、とうまに似合わずロマンチックなんだよ」
「何か物凄くむず痒くなってくるのでやめてください」
「あはは、分かったんだよ。…………もう一つ聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「あぁ、いいぞ」
「とうまはいつだって私の側に居てくれるって言ってくれたよね」
「おう」
「そ、それって……えと……その…………」
急に歯切れが悪くなるインデックス。
背中には小さくも柔らかい何かが押し当てられていたりするのだが、そこからドクンドクンと鼓動が早くなっているのも聞こえてくる。
そんなに変な事を言ったのだろうか。
インデックスの側に居る。それは今までだってそうだったし、そこまで動揺するような事ではないと思える。
「えっと……どうしたんだインデックス?」
「……あの、いつだって一緒に居てくれるっていうのは……私達がお爺ちゃんお婆ちゃんになっても……とかって事なのかな?」
「ん、あー、そうなれば…………ん?」
待て。待て待て待て待て。
ここで上条の全身から嫌な汗が噴き出るのを感じる。
いつだって一緒、それはつまり…………末永くお幸せに的な意味も含まれるのではないか。
「あ、いや、俺は別にそういう意味で言ったんじゃ……っ!!」
「え……とうまは、嫌なの?」
「はい??」
「……私はその……嫌じゃないよ」
ドクンドクンドクンドクンと。
それはインデックスから伝わってくるものなのか、自分のものなのか。
それもよく分からないほどに上条は動揺していた。
なんだこの雰囲気は。これからどうしろと。
高校生にしてはかなり濃い人生を送ってきた上条だが、これは完全に未知なる領域だった。
インデックスはどんな表情をしているのだろう。
上条の位置からはよく見えないが、少し後ろを向いてみれば分かるはずだ。
だが、そんな思いに反して体はピクリとも動いてくれない。
まるで蛇に睨まれた蛙のように、上条は身動き一つ取れないでいた。
その時、ガチャリという音と共に唐突に扉が開いた。
「おっす、大将! すげえなこの病院、ナースのレベルがたけーたけー!!」
「ちょっと、さすがにノックくらいしなさいよ」
そう言って入ってきたのは浜面仕上と御坂美琴だ。
さて、ここで今の状況を整理してみよう。
インデックスは上条に後ろから抱きついている。
お互い顔を赤くしており、何かピンク色の空気を醸し出している。
そこに特攻したのが美琴と浜面だ。
「「………………」」
痛い沈黙が流れる。
そして数秒後。
「お、お邪魔しました!!!!!」
「…………」
即座に美琴を引っ張って病室から出ていく浜面。
美琴の方はどこか魂が抜けたような状態になっていたが、あれは大丈夫なのだろうか。
インデックスも我に返ったように慌てて俺から離れていた。
それから、そそくさと扉のところまで走っていく。
「わ、私、ちょっとみんなにお礼を言ってくるんだよ!」
「お、おう! 気をつけろよ!」
何をどう気をつけるのかは意味不明だが、上条はそんな事に気付かないほどに混乱していた。
それから上条が冷静になったのはインデックスが部屋から出ていってしばらく経ってからの事だった。
***
窓のないビルの内部。
学園都市の中枢とも言えるその場所では、いつも通り統括理事長アレイスター=クロウリーが巨大ビーカーの中で逆さまに浮いていた。
近くには守護天使エイワスも居る。
「垣根帝督は成長したが、どうやらまだまだ一方通行には及ばないようだな」
「エイワス、随分と楽しそうだな」
「君はアクション映画などは好まないほうかな?」
「質問に質問で返して悪いが、あなたにとってあれはアクションと呼べるのかな?」
アレイスターの言葉に、エイワスはただ「くくっ」と乾いた笑い声で答える。
「いや実際興味は尽きないよ。この街の子供達は実に面白い」
「教育に関わっている人間としてはそれは喜ぶべきことなのかどうか判断しかねるな」
「私にとっては喜ぶべきことだ」
「そうか」
アレイスターは興味無さげに切り上げると、視線を少し動かす。
それだけの動作で、いくつものモニターが一斉に部屋に出現する。
そこには何人かの学生の顔写真と能力などが書かれている。
エイワスはそれを眺めて、
「お仕置きリストかな?」
「間違いではないな」
無数に現れたモニターの一つには『混乱回避のための学生の都市外移送』という文字が浮かんでいた。
今回はここまで
実は一週間前くらいに書けてたけど読み直す時間がなかったっていう
次からはもっと細かく区切って投下間隔を短くしていく……予定
あとどう考えてもあれこれ詰め込み過ぎだね
スレタイで上インのいちゃいちゃ目当てで来た人はごめん
***
二月の朝はとても冷える。
口からは白い息が漏れて、澄み渡るような青空に吸い込まれていく。
インデックスが学園都市に戻ってきて今日で四日目だ。
期限は一週間。
時間は刻々と少なくなってきているが、彼女の状態は良くなってきている。
イギリス清教の報告によると、後少しで問題ないレベルになるとの話だった。
昨日はどうなることやらと思ったが、思いの外事は順調に進んでいるようだ。
上条とインデックスは二人並んで駅のベンチに座っていた。
それも学区間を移動するための学園都市の駅ではない。学園都市の外にあるごく普通の駅だ。
別に駆け落ちとかそういうつもりはない。
事の発端は昨日の夜、カエル顔の医者の唐突な言葉からだ。
『あ、そうだ。何でも今回の騒ぎをこれ以上大きくしないために、君達は少しの間学園都市の外に出てもらうことになったよ。
まぁ二泊三日の温泉旅行だと思ってのんびりすると良いと思うよ?』
思えば前にも同じような扱いを受けたことがあった気がする。
あれは確か一方通行と初めて戦った時で、あの時は夏だったから行き先は神奈川の海辺の旅館だった。
今回の行き先は群馬県のとある温泉地。
「……ていうか温泉旅行って高校生っぽくねえよな」
「私はオンセン楽しみなんだよ!」
インデックスは満面の笑顔でこちらを見る。
今日は全体的にふわふわとした服装をしている。テレビでチラッと見たことがあるが、森ガール的な感じだ。
ちなみに二人共荷物は既に宿泊先に送ってあるので手ぶらだ。
「楽しみなのは温泉じゃなくて温泉卵の方じゃねえの」
「むっ、なんだかそれは、私の頭は食べ物のことしかないって言われてる気がするんだよ!!」
「じゃあ温泉卵は別に興味ないのか?」
「とってもあるけど!! 凄く楽しみだけど!!」
目をキラキラさせて熱弁するインデックスに、思わず苦笑する。
彼女が喜ぶのなら好きなだけ買ってやりたいが、それを言ったが最後破産してしまう可能性もあるのでやめておく。
「そういえば、何で浜面達も一緒に来なかったんだろうな。みんなで行ったほうが楽しいだろうに。修学旅行みたいでさ」
「とうま、修学旅行とかの記憶ってないでしょ?」
「そうだよ!! だからこそ、そういうものにちょっと憧れ的なものがあって密かにワクワクしてたのにさ!!」
「んー……あの人達が一緒に来なかった理由は何となく分かるけど……」
「けど?」
「……とうまにはあまり言いたくないんだよ」
「なんだそりゃ……」
昨日暴れた面子の中で、浜面、麦野、美琴、一方通行も同じように学外待機、つまり温泉旅行に行く事になっている。
だから上条は浜面達とも一緒に行こうと思っていたのだが、なぜか断られてしまった。
理由は上手くはぐらかされてしまったが、何でも『邪魔しちゃ悪い』とかいう事らしい。
そんなわけで上条はインデックスと二人でそこに向かう事になったのだが、
「なんだ、それなら私が一緒にいても問題ないわね」
近くからそんな声が聞こえてきたので、上条とインデックスは同時にそちらへ顔を向ける。
肩まであるサラサラの茶髪によく整った顔立ち。活発そうな印象の中にはきちんと女の子らしさも見える。
常盤台の電撃姫、御坂美琴だ。
服装もいつもの制服ではなく、細身のジーンズに黒いコートと少し大人っぽさを目指したものになっている。
まぁそんなさり気ないアピールも上条には素通りされるのだが。
「た、短髪!?」
「おう、御坂。なんだ結局一緒に行くんじゃねえか」
「別に私は最初から断ったつもりはないわよ。浜面達が勝手に話進めちゃっただけでさ」
「……むぅ」
「(悪いわね。アンタの事情は知ってるけど、だからって大人しく引き下がるのは私の性分じゃないのよ)」
「(ふん、別にいいもん)」
「何こそこそ話してんだお前ら?」
「べっつにー」
上条は首をかしげるが、二人は特に説明するつもりもないようだ。
「そういや御坂は怪我大丈夫なのか? 昨日の今日で旅行なんてさ」
「あー、そこは全然問題ないわよ。凄いわね第二位の未元物質ってのは」
美琴は肩の調子を確かめるように、片腕をグルグル回してなんでもないように言う。
どうやら無理しているという事もないらしく、本当に一晩で治ってしまったらしい。
超能力もここまでいくとオカルトだな、とも思う。
「それよりアンタ達聞いた? 今回の旅行、食蜂とか第二位とかも行くらしいわよ」
「はい?」
「は、初耳なんだよ!! どうして!?」
「まぁ騒ぎがどうたらこうたらって言ったら、アイツらがその中心だったからね」
「けどそれじゃ外でまた騒ぎになるだろ……」
「そこはちゃんと考えてるみたいね。第二位には能力封じの機械がつけられてるみたいだし、食蜂は……あれだし」
「ん、食蜂がどうかしたのか?」
「アンタ知らされてないの? ……ってウワサをすればってやつか」
美琴はそう言ってある方向を見る。
上条も追った視線の先。
そこでは眩しいほどに綺麗な金髪が朝の冷たい空気の中でなびいていた。
名門常盤台中学の制服。中学生とは思えないほどのプロポーション。
レベル5の第五位、食蜂操祈だった。
だが、彼女のその姿は少し珍しい気もする。
それはここにいる事自体が、というわけではない。元々行き先は同じなので偶然同じ駅で会うという事も十分にありえる。
上条が気になったのはその服装と表情だった。
彼女の性格的に、こういう時は思い切りおしゃれをすると思った。美琴も今日は制服ではなく私服なのだ。
それに表情も、これから旅行に行く中学生とは思えないほどに沈んでいる。
まぁ旅行と言っても、「もうこれ以上騒ぎを大きくすんなコラ」といったものなので、はしゃぎ回るというのも本当は違うのかもしれない。
ただしここまでくると、もはや家出少女と言われたほうがしっくりくる。
「……どうしたんだ?」
「さあね。何でも精神的不安定ってので能力も使えなくなったらしいわよ」
「マジかよ」
「とうま、思い切り殴りすぎたんじゃないの」
「お、俺のせい!?」
「だから外傷は関係ないっての。どっちかっていうと、アンタのいつもの長い説教のせいなんじゃない」
「説教って……別に今回はそこまで色々言ってない…………」
そこまで考えて上条は、
「あ、いや、言ったかも。『お前の能力なんか怖くない』的な事を……」
「それだけなら強がりだろうって流せるけど、本当に効かなかったわけね。しかもその右手なしで」
「でもそれだけであそこまで落ち込むものなのかな? そこら辺の学園都市の人の感性は良く分からないんだよ」
「学園都市の人達って能力をアイデンティティにしてる人も多いわよ。ぶっちゃけ私の能力がこいつに効かないって知った時も結構ショックだったし」
「一応謝った方がいいのか俺?」
「そんな必要ないわよ。悪いのはあっちなんだし、自業自得よ」
美琴はあまり興味無さそうにそう言う。
元々食蜂とは仲も良くなかったらしいので、当然の反応だろう。
それでも上条は少し気になって食蜂の方を見る。
彼女はぼーっと空を見上げていた。
その姿は儚げで、彼女がレベル5である事も忘れるくらい小さな存在であるかのように感じさせる。
少しして、彼女はふと視線に気付いたようで顔をこちらに向けてきた。
それからゆっくりとこちらに歩いてくる。
「おはようございます」
「お、おう……えっと、殴っといてなんだけど、傷とか大丈夫か?」
「はい……でも悪いのは全て私です。上条さんが気にすることなんてないですよ」
食蜂はそう言うと、深々と頭を下げた。
「本当に、ごめんなさい」
食蜂の行動に、上条もインデックスも美琴も面食らってしまった。
昨日までの彼女から考えれば、こんなに真面目に謝るなんて想像もつかなかったはずだ。
仮に謝罪するとしても、ふざけ半分でというのが彼女らしい。
何も真面目に謝ることが悪いと言っているわけではない、むしろ良い事なはずだ。
それでも、彼女のそんな行動を見ていると心配になってくる。
美琴は顔を上げる気配のない食蜂を見て困惑しつつ口を開く。
「アンタが頭下げてる所なんて初めて見たわ。そこまでやられると逆に何か罠があるんじゃないかって思うわね」
「お、おい御坂」
「アンタも簡単に信用してんじゃないわよ。こいつがそういう心理的な駆け引きが上手いってのは知ってるでしょ」
「……御坂さんの言う通りです。それに今更私がこんな事しても納得できないでしょう。
言ってくださればどんな罰でも受けます。言う通りにします」
「ふーん、それなら今すぐここで土下座しろって言ったらするわけ?」
「分かりました」
食蜂はすぐに地面に両膝をつく。
朝と言えども、周りにはそれなりに人もいる中で、何の躊躇いもなく。
これには流石の美琴も慌てた様子で、
「じょ、冗談に決まってんでしょ!! 何してんのよ!!」
「短髪……」
「うぐ……ほ、ホントに冗談だって……。ていうかまさかやるとは思わなかったし……」
「俺としてはもうああいう事をしないって約束してくれるだけでいいんだけどな」
「うん、私も他のみんながそれでいいならいいんだよ。元々怪我させられたのは私じゃないし」
「アンタ達、相変わらずのお人好しね。……まぁ私もこれからの態度で判断してやらなくもないけど」
「……ありがとうございます」
上条は食蜂の声を聞いて眉をひそめる。
その声には何か生気というものが完全に抜け落ちている。
放っておいたら自然とどこかへ消えてしまうのではないか、そんな予感さえも覚えた。
他の者は気にするな、放っておけというのかもしれない。
あそこまでやられた相手を気にかけることはないと。
だが、上条はそれで納得出来ない。
気付いてしまったら放っておけない。
いつだって上条はそうやって生きてきた。
「なぁ、どうしてあんな事をしたんだ? やけに人と人の繋がりとかを否定してたけど」
「……たぶん、認めたくなかったんです。私の周りにはそんなものはなかったから。
だから勝手にそれはこの世に存在しないと決めつけて、見えないふりをし続けたんです」
「…………」
「どうしようもなく子供な考えですよね。呆れるくらいに」
「いや、それは……」
上条が口を開いた瞬間、駅に電車が入ってきた。
まるで狙ったかのように話の腰を折られて、上条は電車を見て少し嫌そうな表情をする。
美琴は寒そうに手をこすり合わせながら、
「とりあえず電車乗らない?」
「うん、私も早く駅弁食べたいんだよ!」
「それでは……私はこれで」
食蜂はまた深く頭を下げると、上条達から離れて行こうとする。
上条は、そんな彼女の腕を掴んだ。
ここで彼女を一人にしたくはなかった。
「え……?」
「どうせ目的地は同じなんだし、一緒に行こうぜ」
「でも、私なんかが居たら空気が悪くなりますよ」
「そんな事ねえよ。二人もいいだろ?」
「うん、私は構わないんだよ」
「ていうか食蜂はいい加減そのキャラやめなさいよ。こっちまで調子狂うわ」
「…………」
若干困惑した様子の食蜂。
上条はそれを見て小さく笑うと、そのまま彼女を引っ張っていった。
***
ガタンガタンと一定のリズムで振動が伝わってくる。
学園都市の電車は揺れがほとんどないので、こういうのは新鮮に感じた。
上条達は四人がけの椅子に座っていた。
上条の向かいにはインデックス、インデックスの隣に美琴。
そして上条の隣には食蜂が座っている。
この席順には美琴がなにか不満そうだ。
それを見て食蜂がおずおずと口を開く。
「あの……御坂さん?」
「なによ」
「えっと、もし良かったら席替わりましょうか……?」
「なっ、いいいい、いいわよ!! ったく、変な気回さないでよね」
「気を回す? 何言ってんだ?」
「アンタには関係ない!!」
「そ、そうかよ」
「短髪もとことん素直じゃないんだよ。とうまの鈍感具合も相変わらずだけど」
「アンタも余計な事言わない!!」
何やら勝手に盛り上がっている美琴。
だが上条はそれを見ても、「旅行でテンション上がってるのかなー」程度にしか思わない。
普通ならすぐに気づかれてもおかしくないのだが、相手が上条だからこそこんな面倒なことになっているのだろう。
それから美琴は自身を落ち着かすように大きく息を吐くと、食蜂に話しかける。
「そういえば、アンタ派閥解体したみたいじゃない。結構大騒ぎになってるみたいよ」
「……えぇ」
「派閥ってなんだ? 友達の集まりみたいな?」
「どっちかっていうとサークルに近いわね。
それなりの力を持つ派閥とかは企業とかとも提携してて、学外への影響力も強いのよ」
「ふーん、短髪もその派閥っていうのに入ってるの?」
「いや私はそういうの興味ないし。ただ食蜂の派閥は学内で最大の派閥だったからこれだけの騒ぎになるのよ」
「だって、可哀想じゃないですか」
食蜂はポツリポツリと言葉を紡ぎ始める。
その声はとても小さなもので、電車の振動音にかき消されてしまいそうだ。
「あの子達にだってそれぞれ自由に繋がりを作る権利はある。
それなのに私みたいな人に無理矢理縛られるなんて……そんな権利は私にはないじゃないですか」
「もはや別人ねアンタ。前まではむしろ相手を自由に動かすのを楽しんでたじゃない」
「はい。以前まではこの世に本当の絆なんてない、それなら私が擬似的にでも作って問題ないと思っていましたから」
「……何かあったのか?」
上条の言葉に、食蜂は黙り込む。
おそらくあまり言いたくないことなのだろう。
もう少し待って何も言わないようだったら聞くのは止めておこう、そう思った時。
次第にその口が小さく動き始める。
「小さい頃に、自分の能力を使って友達を洗脳して私を嫌うようにしてみたんです。
そしたら、いとも簡単に私は一人ぼっちになってしまいました。
私が何度いつものように話しかけても無視されて、しつこいと殴られちゃったりもして。
元は自分が仕向けた事なのに、あの時はただ大泣きするしかありませんでした」
「けどそれならすぐに能力で元に戻せば……」
「はい、私はすぐに彼らを元に戻しました。そしたら先程までがまるで悪い夢であるかのように、彼らはいつも通り私と仲良くしてくれました。
でも、私はもう彼らを以前と同じ目で見られなくなっていました。ただ指先を少し動かすだけ、それだけでこの関係は崩れ去ってしまう。
その事だけがずっと……ずっと頭の中に引っかかり続けて、苦しくて……それで」
「……何もかも信じられなくなったってわけ、か」
「私は怖かったんです、周りのみんなとは本当の友達じゃなかったと認めるのが。
だから初めから本物の友情なんてものはないって思い込んで、逃げていただけなんです」
それから一息ついて食蜂は微笑む。
とても悲しそうな顔で。
「ただ単に私に友達が居なかっただけなのに……バカみたいですよね」
インデックスも美琴も、何を言っていいのか分からない様子で困った表情をしている。
上条は考える。
能力者には能力者の悩みがある。
それは無能力者である自分には分からないものなのかもしれない。
下手なことを言えば余計に彼女を傷つけてしまう、そんな可能性だってある。
だが、それでも何かを言わなければいけない、そう思った。
それを言い訳にして、目の前の少女から逃げてはいけない。
「食蜂、確かにお前の周りには本物の友情なんていうのはないのかもしれない」
「はい……」
「と、とうま?」
インデックスが心配そうにこちらを見たので、上条は一度だけ頷いて続ける。
考えてみれば簡単なことだ。
「けどさ、それはこれからもずっと手に入れられないとは限らないだろ?」
上条の言葉に、食蜂は驚いた表情でこちらを見た。
ただ呆然と。
まるで上条が何か違う言語を話してそれを理解できなかったかのように。
「で、でも……私なんか…………」
「本物の友情なんてのは誰だってすぐに手に入るわけじゃないと思うんだ。
俺だって今でこそ食蜂の力を破れたけど、インデックスと出会ったばかりの頃だったらもしかしたら殴っちまったかもしんねえ」
「……こんな私と本当の友達になってくれる人なんて居るんでしょうか」
「居るさ。昔のその友達だって、逃げずに向き合っていれば本当の友達になれたかもしれない。だからさ――」
上条は手を差し出す。
そして満面の笑みで、
「まずは俺達と友達になろうぜ」
食蜂の目が潤んだ。
凄く嬉しい。今すぐその手を取りたい。
だが、そう簡単な話ではない。
自分にそんな資格があるのか、どうしてもそう考えてしまう。
「私は、あなた達に酷いことをしました。それなのに……」
「過ぎたことはどうにもならねえだろ。これからはもうしないっていうなら、俺はそれで十分だ」
「私は、あなた達に酷いことをしました。それなのに……」
「過ぎたことはどうにもならねえだろ。これからはもうしないっていうなら、俺はそれで十分だ」
上条はそう言って微笑む。
確かに昨日までは敵同士だったかもしれない。
だからといって、これからもずっと敵だという事にはならない。
上条はただ自分の心に真っ直ぐに、助けたい人を助ける。
それがかつての敵だとかは関係ない。
インデックスも美琴もそんな上条を見ても、やれやれといつもの事のようにしか感じてないようだ。
食蜂の目からはさらに涙が溢れる。
そしてゆっくりと、その手が伸びた。
「ぐすっ……うぅ……」
食蜂は、上条の腕に抱きついた。
すがるように、決して離さないように。
しっかりと、しがみついていた。
上条はそんな彼女の頭を撫でてやる。
ずっと彼女には大人っぽいとかそういうイメージを持っていた。
レベル5の能力者でもあり、自分よりもずっと精神的には上を行っていると思っていた。
だが、やっぱりまだ中学生の女の子なのだ。
そしてそういう風に見れる人間が一人は必要だ。そう思った。
そうでなければ、彼女は一体誰に弱みを見せられるのだろうか。
すると、黙って上条と食蜂を見ていた美琴が口を開く。
「……そういえばさ、さっきアンタ『俺達と友達になろう』とかって言ってたわね。
それってやっぱり私も含まれてるってわけ?」
「短髪、そこでその発言は空気読めなさすぎなんだよ」
「うっ……い、いや、そうじゃなくて!! それなら食蜂!!」
「な、なんですか?」
「とにかくその口調をやめていつも通りに戻せっての! そんな遠慮とかしてたら友達も何もないでしょうが」
「…………」
食蜂は少し驚いた表情で美琴を見る。
そのまま少しの間呆然としていたが、その後俯いて涙を拭い始める。
やはり美琴も上条と似たところがあり、かつて敵対していた相手でも結構簡単に打ち解けることができる。
口ではぶっきらぼうな事を言いつつも、ちゃんと相手の事を考えている。
美琴はそんな人間だ。
食蜂がゆっくりと顔を上げる。
「ふふ、まぁそうよねぇ! どうして私が御坂さんに敬語なんて使わなくちゃいけないんだかぁ!」
なんかもう、色々と復活していた。
やっぱり何だかんだこの少女はたくましいのかもしれないと上条は思った。
美琴は不機嫌そうにこめかみをピクピクといわせ、
「なんかそこまで極端に豹変するのもムカツクわね……」
「えぇ~、だって御坂さんが言ったんじゃなぁい!」
「ふふ、でも私もそうやって元気いっぱいのほうが良いと思うんだよ」
「さっすがインデックスさんは分かってるわぁ! 抱擁力ってのが違うわねぇ」
「うっさいわよ!」
「はは、確かに御坂に抱擁力ってのはねえな」
「…………」
「そんなに睨むなよ!?」
「違う、そこじゃなくてその腕よ!!!」
「へ? ……あー」
そういえば腕にはまだ食蜂が抱きついている。
そしていざそちらに注意を向けると、先程までは気にならなかった感触に気付き始める。
腕に押し付けられるこの柔らかいもの、これは十中八九胸だ。
これ程までに巨大なのにどうして気にならなかったのか。
それはおそらく先程まではただ食蜂を救ってやりたいという気持ちだけでいっぱいだったからだろう。
「どうしましたぁ、上条さぁん?」
「あ、いや、な、なんか腕に当たってるかなーって……」
「当ててるんですよ?」
「ぶっ!! マジでそんな台詞言う子なんて居たんだ!!!」
上条は割と本気で感動する。
だが、すぐに対面の席から氷点下の視線を感じたので、
「あ、いや、これは色々とマズイからできれば離してもらえると上条さん的には助かるというか」
「えー、上条さんはこういうの好きじゃないんですかぁ?」
「好きだよ!! 好きだけども!!」
「ちょっとアンタ!!!」
「とうまああああああ!!!!!」
ついに爆発した向かいの二人。
次の瞬間にはキラリと鋭利に輝く牙と青白い電撃が襲いかかってきた。
「うおおおおああああああ!!! お、おい御坂電撃は洒落になってねえから!!! あとインデックスは人の頭をゴリゴリすんなあああああああ」
「がるるるるるるるるるる」
「やっぱり胸か!!! そんなにあの脂肪の塊が大好きなのかあああああ!!!!!」
その間、食蜂はしれっと上条から離れて難を逃れている。
そして彼女はそうやって騒ぐ三人を眺めて微笑む。
今からでも遅くはないかもしれない。
もう逃げてはいけない。
本当の絆というものがあるなら、真っ直ぐ向き合ってそれを手に入れたい。
「ありがとう」
食蜂の小さな声は三人には聞こえていなかったが、彼女はそれでも満足した様子だった。
***
「なーんか、前の車両が騒がしいな」
「旅行に行く家族連れとかなんじゃないの」
上条達が居る少し後ろの車両には、浜面仕上と麦野沈利が四人がけの椅子を二人で占領していた。
浜面はいつものパーカーにジーパン、麦野は少しきっちりとした感じの黒のシャツとすらっとしたパンツを着用している。
一応は旅行というわけなので、二人もリラックスした様子だ。
麦野はのんびりとコーヒーを飲み、浜面は似合わず厚めの本を読みふけっている。
「浜面、あんた何読んでるの? 勉強して学校に復帰するつもり?」
「いや、学校じゃなくて仕事のほうだ。俺のピッキングとかそういう技術を何とか真っ当な仕事に使えないかってな」
「ふーん……あんたも意外とそういう事考えてんのね」
「なんか前にも同じような事言われたな。まぁ、俺だっていつまでもやんちゃはできねえよ。ほら、滝壺だっているしさ……」
「……ここでノロケか」
「別にそんなつもりはねえよ!」
浜面は本から顔を上げて抗議する。
麦野はそんな浜面を面白くなさそうに見て、
「ていうか、滝壺の方もなんていうか、余裕みたいなのあるわよね」
「どういう意味だ?」
「今回のこの隔離とかさ、アイテムからは浜面と私じゃない? 滝壺の方も少しは不安がると思ったんだけどね」
「なんで滝壺が不安がるんだ?」
「なんかムカツクわね。気づいてないなら言うけど、今のこの状況、彼女以外の女と旅行に行ってるって事でしょうが」
「……あー」
「なるほどなぁ……つまりテメェは私の事を女だとすら思ってないと……」
「そ、そんな事ねえって!!!」
何やらやばい空気を醸し出し始める麦野を、浜面は慌ててなだめる。
旅行にまで来て命の危機とかはさすがに勘弁してもらいたい。
「た、たぶん滝壺はお前を信用してんだよ」
「私からするとなめられてるように思えんのよね」
「なんでだよ……」
「……よし、じゃあ浜面」
麦野はそう言うと、体を少しだけこちらに乗り出してくる。
そしてちょっとコンビニでも行こうかというくらい軽い調子で、
「このままどこか遠くへ二人で逃げてみようか?」
麦野の言葉が耳を通って脳に伝わるまでしばらくかかった。
脳に入ってきた後もしばらく処理に戸惑い、意味を理解するまで少しかかる。
今、目の前の女は何と言った?
どこか遠くへ逃げる。二人で。
それが何を意味するのか何となく想像はできる。
だが、現実味はない。
そんなものはドラマとかのフィクションでしか存在しないものと勝手にイメージ付けされている。
まだ10代の少年からすれば別におかしな事でもないだろう。
詰まるところ、彼女の言葉の意味するものは――――。
「それ駆け落ちじゃねえか!!!!!!!!!!!」
「うん」
あっさりと事も無げに答える麦野。
こういう時は少しは頬くらい染めるという可愛らしいところを見せてもいいんじゃないかと思う。
しかしそんな麦野を想像して、浜面は思い切り頭を振った。そんなのは麦野じゃない。
浜面は必死に頭を働かせて考える。
答えはもうとっくに出てる。
自分には滝壺という大切な恋人がいるのであって、他の女と駆け落ちなんて裏切りをするなんてありえない。
だからどうにかやんわりと空気を悪くせずに断る言葉を探しているのだが……。
「ねぇ、浜面……」
「ッ!! ち、近い!! 近いです麦野さん!!!」
気付けば麦野が隣の席に座って、体をこちらに預けていた。
ダメだ、流されたらダメだ。
隣からは心地よい人肌の温もりが伝わってくるが、惑わされてはいけない。
頭の中では必死に滝壺の姿(なぜかバニー)を想像して変な考えを無理矢理頭から追い出す。
「お、俺には滝壺がいるんだ……!! こここんな事したって俺の心には少しも響かないぜ!!!」
「冗談に決まってんじゃん」
「だからもう諦め―――――はぁ!!?」
浜面はグルン!! と首の骨を痛めそうな程の勢いで麦野の方を見る。
もう彼女は見るからに冷めた表情で向かいの席にそそくさと戻っていた。
「ん、どうしたの?」
「どうしたのじゃねえええええええええ!!!!! おのれ純情な10代男子の心を弄びやがって!!!!!」
「別に暇だからいいじゃない。反応が予想以上にマジでキモかったから引いたけど」
「しかも追い打ちまでかけてくる始末!!! 鬼かお前は!!!」
「あと、変な考え起こそうものなら録音して滝壺に聞かせようとも思ったんだけど、それも期待できなさそうだし」
「悪魔か!!!!!!!」
あまりの恐怖にガタガタ震える浜面。
それには全く関心を向けずに、麦野はまた一口コーヒーを飲む。
そのコーヒーが苦いのか、それとも冷めてしまったのか。
彼女はかすかに顔をしかめた。
***
さらに後方の車両。
やはり四人がけの椅子に二人でかけている少年達が居た。
一人は真っ赤な瞳に白い髪。
全体的に黒っぽい上着にジーンズを着た学園都市最強、一方通行。
もう一人は金髪でどこかホストのような服装をした少年、垣根帝督だ。
当然というべきか、二人の間には危険極まりない空気が漂っている。
「おい」
「あン?」
「何度も言ってっけどよ、俺の視界に入ってんじゃねえよ」
「俺だって許されンなら今すぐオマエを窓から放り出してェとこだ」
「はっ、お利口さんだな。いつからテメェは犬のように従順になった?」
「あいにく反抗期は抜けたからな。オマエと違って」
「コノヤロウ……」
周りに他の乗客は居ない。
といっても始めから居なかったというわけではなく、ずっとこんな状態の二人と同じ空間に居るのが耐え切れずに他の車輌へ移っていった結果だった。
騒ぎを大きくしないための隔離対象として含まれる事になった垣根。
今現在彼にはカエル顔の医者が開発したという能力封じの腕輪がはめられており、その効果は十分にあるようだ。
だが、例え能力が使えないとしても暴れ出さないとは限らない。
それに何かの拍子で能力が開放されてしまうという事態も無いとは言えない。機械は絶対じゃないからだ。
そんなわけで、垣根の監視役として一方通行が割り当てられたというわけだ。
「テメェはいずれ保てなくなる」
「なンだ急に」
「所詮は俺と同類なんだよ。光の中じゃ生きていけねえ。テメェの本質はドス黒い悪なんだからな」
「……そォかもな」
「はっ、分かっててクソ温い世界に浸ってんのか?」
「人間、堕ちンのは簡単だ。ただ何も考えずに突き進めばいいだけなンだからな。
闇の道を選ぶなンてのは聞こえはいいのかもしれねェが、結局は真っ当な光の世界から逃げてるだけなンだよ」
一方通行はブラックの缶コーヒーに口をつける。
確かに、この世界で生きていくのは疲れる。本質的に自分に合っていないのではないかとも思った。
ただ、だからといって切り捨てるのは子供のする事だとも思った。
やりたい事だけをやっている事なんてできない。
裏の世界で好き放題に生きるのは余計なことを考えなくて楽だったかもしれない。
だが、あの世界では決して手に入らないものがここにはある。
この世界は疲れる。余計なことを色々と考えなければいけない。
それでも一方通行はもう以前までの生活に戻りたいとは思わない。
あの頃よりも今はずっと満たされている、ちゃんと生きている、そう感じられる。
垣根は憎しみに顔を歪める。
「すぐに引きずり下ろしてやるよ。こっちの世界にな」
「そォか、頑張れ」
垣根はギリッと歯を鳴らす。
今すぐにでも八つ裂きにしてやりたい、そんな表情だ。
だが、垣根は何もできない。
圧倒的な戦力差。
例えここで自分が大暴れしても、為す術なく抑えられてしまう。
そしてそんな計算ばかりして動けないという事自体に、どうしようもなく腹が立っている様子だった。
それぞれの想いを乗せて、電車は進んでいく。
群馬は明日から雪が降るらしい。
それでも今日は、そんな気配を微塵も感じさせない程の青空がどこまでも広がっていた。
今回はここまで。驚きの投下間隔(俺にしては)
殺 伐 と し た ス レ に 初 春 が ! !
i'⌒! _i⌒)-、
f゙'ー'l ( _,O 、.ノ
| | /廴人__)ヽ _/\/\/\/|_
ノ "' ゝ / ,ォ ≠ミ ', \ /
/ "ゝノ {_ヒri}゙ } < サテンサン!! >
/  ̄´ ', / \
i 打ち止め {ニニニィ i  ̄|/\/\/\/ ̄
/ ∨ } i
i' /、 ゙こ三/ ,i
い _/ `-、.,, 、_ i
/' / _/ \`i " /゙ ./
(,,/ , ' _,,-'" i ヾi__,,,...--t'" ,|
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_ノ ̄,/ / ̄/ /'''7 / ̄ ̄/ /77 / ̄ ̄ ̄/ / ̄ ̄ ̄/
/ ̄ /  ̄ / / /  ̄ ̄ ̄ /'ー'/' 7'7./''7 / / ̄/ /  ̄ .フ /
 ̄/ / ____.ノ /  ̄_7 / ̄ _'__,'ノ / ー' / / __/ (___
/__/ /______ / /.__ ノ /____,./ /__ノ /___,.ノゝ_/
<(^o^)> とうまとうまー
( )
\\
..三 <(^o^)> とうまー
三 ( )
三 //
. <(^o^)> 三 ねーとうまー
( ) 三
\\ 三
\
(/o^) とうま聞いてるの!?
( /
/ く
..三<(^o^)> <(^o^)> <(^o^)> <(^o^)> <(^o^)> 三
..三 ( ) ( ) ( ) ( ) ( ) 三
..三 // // // // // 三
..三 <(^o^)> <(^o^)> <(^o^)> <(^o^)> <(^o^)> 三
.三 ( ) ( ) ( ) ( ) ( ) 三
..三 \\ \\ \\ \\ \\ 三
とうまー とうまー とうまが首まで埋めたー とうまー
..三<(^o^)> <(^o^)> <(^o^)> <(^o^)> <(^o^)> 三
..三 ( ) ( ) ( ) ( ) ( ) 三
..三 // // // // // 三
午前中に上条達は宿に到着した。
予想していたのよりは遥かに立派な所で、純和風の風流のある旅館だった。
部屋は二階にあり、四人部屋にしては大きく、これなら思う存分枕投げとかできそうだ。
やはりまだ、上条にはそういった修学旅行チックなものは諦めきれない。
窓際には肘あて付きの立派な椅子が二つとテーブルがある。
夜はここで夜景を見ながら酒なんかを飲むのもいいかもしれない。まぁ未成年なのだが。
夜景といっても山しか見えないので、主に星空を眺める事になりそうだ。
程なくして、部屋には男四人が集まった。
上条、一方通行、浜面、垣根だ。
「か、垣根……お前本当に来てたんだな」
「おぉ、浜面。今回の件じゃ会わなかったが、お前もお前で動いてたんだっけか。久しぶりだな」
「お前は相変わらずみたいだな」
「はっ、俺が心を入れ替えて慈善活動でもしてると思ったか?」
垣根はそう言って笑うと、今度は上条の方に顔を向ける。
「よう。何発かぶん殴りたい気分か?」
「旅行に来てまでんな事しねえよ」
「甘いな。こいう時は思う存分ボコボコにして相手に分からせたほうがいいぜ? 二度と同じ真似をさせねえようにな」
「ボコボコにしたところで、お前は懲りねえだろうが」
「……まぁ、それもそうだな。つまんね」
「おい、こンなメルヘン野郎にいちいち構うことはねェ。こいつはただ暴れたがってるガキだ」
「んだとコラ」
早くも一触即発的な空気に包まれる。
上条は溜息をつくと、
「おいやめろって。こういう時くらいのんびりいこうぜ」
「ちっ、こンな奴の監視押し付けられてのンびりもクソもねェよ」
「あー、そういう話になってんのか。つーか垣根は俺とか上条には別に恨みとかはねえだろ?」
「あぁ。俺がぶちのめしたいのはとりあえずは一方通行だけだからな」
「くっだらねェ。なンでオマエがそンなに俺が気に入らねェか教えてやろうか?」
「あ? んなもん自分が良く分かって……」
「いや分かってねェな。初めに戦った時もそォだったが、オマエはある事に対してやけに突っかかってくる」
「……テメェいい加減な事言ってんじゃ」
「だあああああ!! 何ですぐそうなんだよ!! とりあえず外出るぞ外!!!」
上条はもううんざりして、頭をかきむしりながら全員を部屋の外へと追い立てる。
せっかくの旅行だ、こんなところで位バトルはなしでお願いしたい。
***
一方女子部屋。
男子の部屋からは少し離れた所にあり、構造は一緒だ。
そこでも既に四人が集まっており、麦野が腕を組んで食蜂を睨みつけている。
「ごめんなさぁい☆」
「よし、殺す」
食蜂はテヘペロと謝ったが、麦野は短い言葉でとんでもないことを宣言する。
普通の学生が言う分には売り言葉に買い言葉的な感じで済ませられるのだが、彼女の場合はそんな事言ってられない。
「殺せるもんなら殺してみろー」なんて言ってると即座に本当に実行されてしまう。
さすがにこのまま放っておくと静かな旅館が凄惨な殺人現場に早変わりしてしまうので、レベル5の良心御坂美琴が止めに入る。
「ストップストップ」
「止めんな第三位ィィいいいいいい!!! こいつ絶対ブチ殺して……!!!」
「あんまり怒るとシワが増えちゃうゾ☆ これ以上美貌力が落ちたら大変でしょぉ」
「殺す殺す殺す殺すコロロロロロロロロロロ!!!!!!!」
「しずり、尋常じゃなく怖いんだよ」
「つーか食蜂も煽るなっての」
「はぁーい」
案の定、麦野はまだ全然納得していない様子だ。
麦野が怒り狂うことは美琴達もある程度予想はしていたが、だからどうするといった解決案は出て来なかった。
仕方ないので、とりあえず食蜂には謝らせて反応を見ようという事にしたのだが、この結果だ。
「くそ、第三位達はなんでそんな冷静なのよ。まさか操られてんじゃないでしょうね」
「違う違う。なんていうか……もうそこまで責める気がなくなったのよ。
こいつ、今ではこんな調子だけど電車の中じゃビービー泣いてたし……」
「うん、ちゃんと反省はしてると思うんだよ」
「ちょ、ちょっとぉ!! それ言わないでって言ったじゃなぁい!!!」
食蜂は頬を染めて抗議する。
今まで人前で泣いたことなんてなかっただけに、思い返すとかなり恥ずかしいのだろう。
麦野はそんな食蜂の様子を気に入らなそうな渋い表情でしばらく眺めていた。
だが、結局白けてしまったのだろうか。麦野は小さく舌打ちして、
「ちっ、そのくらいであっさり許してんじゃないわよ。泣けばいいってもんじゃあるまいし。
あんた達がそんなだと私ばかり騒いでてバカらしくなってくるじゃない」
「あ、あはは……まぁ間違いは誰にでもよくあることじゃない」
「そうよぉ、あなただって間違いだらけの人生じゃなぁい。同僚の事真っ二つにしたり薬漬けにして使い潰そうとしたり」
「それは否定しないけどあんたから言われるのはこの上なくムカツクなオイ……」
「ま、まぁまぁ、これでとにかくお互い過ぎたことは水に流すんだよ!」
麦野はその後もしばらく食蜂の事を睨んでいたが、結局舌打ちをして目をそらしてしまった。
これ以上ここであーだこーだ言っても何にもならない。そう思ったのだろう。
彼女も以前はこういった事を引きずって復讐にとりつかれた事もあったが、今はそんなこともない。
インデックスはほっとした様子で、何か話を振ろうと部屋を眺めて、
「それにしても、本当にいいお部屋なんだよ。私、こういう日本の畳のお部屋って好きかも。とっても落ち着くし」
「あー、外国人にはこういう部屋うけるわよね。でもアンタの場合はもう随分と日本に居るじゃない」
「それでもほとんどとうまの寮にしか居ないからね。あそこはあんまり日本的っていう感じはしないし。
たまにこもえの部屋にも行くんだけど、あそこは畳のお部屋で落ち着くんだよ。とうまの部屋も一度畳に張り替えようって言ったんだけど無理って言われちゃったし」
「あらぁ、地味にノロケぇ? 私はいつも上条さんの部屋に止まってるんだゾっていう正妻力をアピール?」
「ち、違うかも!! そんなつもりは……」
「今更すぎるでしょそれも。もう半年だろ? どうせあんたら、やる事だってもうやっちゃってんでしょ」
「えっ!?」
麦野の言葉に、美琴が目を見開く。
心のどこかでは上条に限ってそういう事はないだろうという考えがあった。
だが、それは少し甘いのではないか。
いくら上条と言えども男子高校生。それが半年も外国人美少女と同居して何もないというのは、さすがにおかしいのではないか。
自分より年上の女の言う事は何となく当てになるように思えてしまう。
一方で食蜂は大して気にしていない様子で、
「それはないわよぉ。だって私上条さんの頭の中覗いたしぃ。心配しなくても上条さんは童貞力全開よぉ」
「なんだかとてつもなく酷い事言ってる気がするんだよ」
おそらく上条が聞いたら嘆く一言をズバッと言う食蜂。
しかし美琴にとってその言葉はまさに天からの救いに思えた。
「そ、そうよね!! あのバカに限ってそんな度胸あるはずないものね!!」
「へぇ、浜面といい、10代男子にしては猿じゃないんだ。まぁヘタレとも言えるけど」
「あ、でもその子、一緒のベッドで寝てたわねぇ……」
「はぁ!!?」
美琴は大きな声をあげ、頭をグルンと回してインデックスの方を見る。
案の定、インデックスの顔は真っ赤だ。
「そそそそそれは……えと、その…………」
「しかも後ろからぎゅって。上条さん、かなぁり動揺してたみたいよぉ? 赤面力も凄かったみたいだし」
「ちょ、何よそれ!!!!! アンタ何もないとか言っておいて!!!!!」
「このシスターにしてみれば大したことじゃないって事じゃないの」
「ほ、ほう……へぇ…………」
「た、短髪!? 違うかも!! そういう事じゃなくて……」
インデックスは慌てて弁明をしようとするが、美琴は魂が抜けたようになってしまった。
油断していた。まさか上条とインデックスがここまで進んでいるとは思わなかった。
美琴はまだ手をつなぐのもやっとなのだ。
その差は歴然であり、自分が上条に抱きつくなんていう事はまだ想像もできない。
……だが。
「ふんっ!!!」
美琴は思い切り自分の両頬を叩く。
当然ながら、他の三人はいきなりスポーツ漫画のような真似をした美琴を唖然と見るしかない。
「インデックス、勝負よ」
「しょ、勝負……?」
「えぇ、ここでハッキリさせとこうじゃない」
美琴はここで一旦言葉を切り、息を大きく吸い込む。
「私はアイツが……上条当麻の事が好き。だから、アンタには絶対に負けない」
真っ直ぐ目の前のインデックスを見つめ、美琴は一字一句ハッキリと宣言した。
それは本来の彼女らしい行動だろう。
前を見据えて目標に向かって突き進む。
何も躊躇することはない。普段からさばさばした性格だ、それを恋愛にも当てはめればいい。
現時点ではインデックスとは差があることは認めよう。
ただ、それならばこれからその差を埋めていけばいいだけだ。
このレベル5という能力だって、昔は遥か遠いもののように思えた。
自分を信じて進めば、きっと結果は返ってきてくれるはずだ。
インデックスは目を丸くして美琴を見ていた。
その瞳は次第に揺れ始め、表情には焦りが見え始める。
「た、短髪……何か吹っ切れたね」
「えぇ、アンタのお陰でね。それに私を誰だと思ってんのよ」
「――常盤台のエース、御坂美琴サマよ」
そう言って清々しい笑みを浮かべる美琴は。
インデックスからは、とても輝いて見えた。
そして焦りの他に別の感情が芽生え始めてくるのを感じた。
こんな眩しい少女も、自分と同じ男に好意を向けている。
それはきっとその男……上条に納得できる理由があるからだろう。
不思議な事に、自分の好きな相手がそうやって評価される事は嬉しいと思う。
これは余裕の表れなのだろうか。
それとも。
「やっぱり、短髪は凄いんだよ」
「だから美琴サマだって」
「うん、『みこと』」
インデックスはにこりと笑う。
あらゆる人間を包み込むような、それこそ聖母のように。
「私もとうまの事は好き。でもね、だからどうしたいのか、私にはそれが分からない」
「どうしたいって、そりゃ……」
「私はとうまと恋人になれればそれでいいのか、分からないんだよ」
「……なんか面倒くさい事考えてるわねアンタ」
「ふふ、私もみことみたいにどんな事でもスパッと決められたらいいんだけどね」
インデックスの中ではまだ答えが出せていない。
好きになった相手と恋人同士の関係になりたい、それはごく普通の感情だろう。
しかし、彼女の場合周りを取り巻く事情が普通とはいえない。
もし上条と恋人同士になれたとして、それで本当にいいのだろうか。
学園都市の空港でのステイルの言葉が頭によぎる。
『どっちにしろ、君は一週間後にはイギリスに帰らなければならない。恋人同士になんかなったら、余計離れられなくなるんじゃないかい』
上条と離れたくない。もっと一緒に居たい。
それは今でもこれだけ強く思っているのに、恋人同士になったらどうなるのだろうか。
それこそ再び遠隔制御霊装に影響を与えてしまう恐れもあるのではないか。
そうなるくらいなら、むしろ――――。
そこまで考えた時、
「あのぉ、お取り込み中申し訳ないですけどぉ~」
そう言って話に入ってきたのは食蜂だ。
インデックスと美琴は不思議そうに彼女に目線を向ける。
「私も上条さんの事は狙ってるわよぉ?」
「……はぁぁ!!?」
美琴が大声をあげる。インデックスが再び目を丸くさせる。
食蜂はまるで午後のティータイムに出かけるような軽いノリで巨大な爆弾を投下した。
「ちょ、ちょちょちょっと待ちなさいよ!!! え、なに、冗談でしょ!?」
「そ、その驚愕力はなによぉ。私だって女子中学生なんだから恋くらいしますぅ」
「でも急すぎるんだよ!! そういうのチョロインっていうのかも!! ねっとっていうのに書いてあったんだよ」
「つかそれ以前にアンタってそういうキャラじゃないでしょうが!!」
「うーん、私もこんなに惚れやすいつもりはなかったんだけどねぇ。でも上条さんと一緒に居ると凄く心地良いのよぉ。
やっぱり私のことをレベル5としてじゃなくて、一人の中学生として見てくれるのがいいのかもしれないわぁ」
「被ってる!!!!! それ私と被ってるから!!!!!!」
自らの立ち位置に危険を感じ嘆く美琴。
美琴にとって、どう考えてもここで食蜂参戦はマズイだろう。
今までの上条の言動から見て、こういうデンジャラスボディに弱いであろうという事は容易に想像できる。
しかもそれは美琴には持ち得ない武器だ。
「大体なんでアイツはいつもいつも…………!!」
そうやって終いには怨念の対象を上条自身に移し始める美琴。
インデックスはそんな彼女を見てそろそろフォローを入れようかと思っていると、
「どうでもいいけどさ」
ガチャリという音と共に麦野が部屋に入ってきた。
どうやらいつの間にか外に出ていたらしく、その手にはジュースのペットボトルが握られている。
そして呆れた様子で一言。
「あんたら声でかすぎ、外に筒抜け」
三人は思わず両手で口を押さえた。
***
太陽が真上近くまで昇っている。正午少し前だ。
宿泊先の旅館の前では、今回学園都市の外へと追いだされた八人が集合していた。
その構成はレベル5の能力者が五人。無能力者が二人。禁書目録が一人。
これからどこかの施設でも攻め込もうかというような布陣でもある。
「というわけで二人一組になりましょぉ!!」
元気よく片手を上げて提案したのは食蜂操祈だ。
そしてその提案には男性陣を中心に首を傾げる。
しかしそんな事はお構いなしに食蜂は話をすすめる。
「まず一方通行さんと垣根さんは決まりですね。規則的に」
「はぁ? 何で俺がこんなヤロウと……」
「最初の話聞いてなかったのかオマエ」
「ちっ……」
一方通行には垣根を監視する義務があるので必然的に一組は決まる。
これには一方通行自身も辟易した様子だが、放り出すつもりもないらしい。
当然ながら、垣根は顔全体で嫌悪感を表している。
すると食蜂はニヤニヤして、
「あらぁ、誰かデートしたかった女の子とか居たのかしらぁ?」
「ヤロウと二人で旅行するよりかは遥かにマシだろうが」
「へぇ、ちなみにこの中では誰が一番お好みぃ? ちょっと気になるかもぉ☆」
「…………強いて言えば第四位だな」
「死ね」
「んだとコラ!!!」
分類的には十分イケメンに入ると思われる垣根だが、麦野は顔も向けずに一言で切り捨てる。
結局、一方通行と垣根はそのまま二人で楽しい楽しいデートへと出かけに行った。
残りは六人だ。
ここで浜面が、
「もう一組も決まってんじゃね?」
「え?」
「上条とシスターさん。この二人は一緒に居なくちゃダメだろ」
ビシリと、空気にヒビが入った。
「え、なに、なんなのこの空気」
「浜面、あんたアレね、危険があったら飛び込んでみたいタイプか。進入禁止って立て札があると余計入ってみたくなるみたいな」
「いやいやいやいや!!! 俺は至って平凡な生活を滝壺と一緒にのんびり幸せに末永く過ごしたいと思っていますが!?」
事情が飲み込めない浜面は、とりあえず麦野の言葉に真正直に答える。
とはいえ、浜面の言っていることは別に間違っているわけではなく至極当然の事だ。
インデックスのことを考えれば、上条と一緒に居るのが一番良いに決まっている。
それが分かっているから、美琴も食蜂も特に何も言えずに微妙な雰囲気になっているのだ。
だが、せっかくの旅行だ。
どうせなら好きな相手と周りたいと思うのは当然の感情でもある。
そんなわけで、必然的にこの空気をどうにか出来る人物は限られてくる。
「……はぁ、分かったんだよ。別に私はとうまと一緒じゃなくてもいいかも」
「インデックス?」
「どっちにしろいつまでも一緒には居られないんだし、そこまでとうまに依存するのはあまり良くないと思っただけなんだよ。
もう霊装の方も結構良い状態になってるみたいだし、そろそろ大丈夫かなって」
「それは……そうかもしんねえけどさ」
「それに、さすがにちょっとフェアじゃないしね」
インデックスはそう言って美琴と食蜂の方を見て小さく微笑む。
それは親しみを与える……というよりかは、明らかに挑発の意味合いが強いように思えた。
わざとそう見せる事で下手に気遣わせるような事を無くそうとしたのかもしれないが。
すると食蜂も同じように笑みを浮かべて、
「よし、それじゃあ残りの組は公平にくじ引きで決めましょう!! 私、くじ作ってきたわぁ」
「へぇ、準備いいな」
「ふふ、じゃあ浜面さん、このくじを持ってもらえますぅ?」
そう言って食蜂が差し出したのは、四本の簡素な割り箸のくじだった。
先端には「上条さん」と書いてあるのが一本、「浜面さん」が一本、「女の子」が二本あり、これを女子四人が引くという事だろう。
基本男女のペアにするつもりらしいが、男二人に対して女四人なので女同士のペアが一組できるというわけだ。
「ちょっと待った」
ここで止めたのは美琴だ。
今まさに浜面にくじを渡そうとしている食蜂を半目で見ている。
「な、なぁに?」
「くじは浜面じゃなくて、そっちのバカに持たせなさい」
「え、俺?」
上条は首を傾げて自分を指す。
これになぜか慌て始めたのは食蜂だ。
「ど、どうして浜面さんじゃダメなのかしらぁ?」
「逆に聞くけど、どうして浜面じゃなきゃダメなわけ?」
「え……それは…………」
「どうやら思ったとおりね。アンタ、能力戻ってるでしょ」
「うっ!!」
食蜂の顔が引きつる。
インデックスと麦野は何かを納得した表情になるが、男性陣の方はポカンとするしかない。
構わず美琴は続ける。
「能力が戻ったのは、たぶんあの電車の中の一件からかしら? まぁとにかくアンタの企みはこうよ。
まず浜面にくじを持たせて洗脳。そうすりゃ好きな相手と組める、と」
「え、えっとぉ……」
「このバカに対しては、記憶の操作はできても全身に作用する洗脳は効かないから浜面にくじを持たせるしかなかった」
「……ごめんなさい」
食蜂はガクリとうなだれるようにして頭を下げた。
どうやら美琴の言った通りらしい。
考えてみれば提案したのもくじを準備したのも食蜂なので、怪しいと言われれば怪しい。
美琴は呆れた様子で、
「ったく、アンタまったく懲りてないわね。いきなり能力使ってズルとか」
「い、いいじゃなぁい! 別にそこまで酷いことじゃないんだし!」
「私にとっては大問題なのよ!」
「ま、まぁ、みこと。そのくらいで許してあげるんだよ」
「とりあえずふざけた事した第五位は罰として浜面とペアって事でいいんじゃないの」
「ええっ!?」
「なぁ、泣いていいか俺」
いつの間にか罰ゲーム扱いされている浜面が本気で落ち込む。
とにかくこのままではいつまでたっても話が進まないので、上条が助け舟を出すことにする。
せっかくの旅行だ、時間は有意義に使いたい。
「分かった分かった。じゃあ俺がくじを持つから女子の方で引いてくれよ」
「え、ちょっと、食蜂はペナルティとかないわけ!?」
「んー、まぁいいじゃねえか。次からはやらないようにって事で」
「上条さぁん!」
「うおっ、ちょ、くっつくなって!!」
「……アンタ、食蜂に甘くない?」
「んな事ねえって」
上条からしてみれば、とにかく話を進ませたいだけなのでそこまで色々と考えているわけではない。
だが美琴やインデックスは、やはりあの体型がいいのかなどと勘ぐってしまう。
そんな事はつゆ知らず、上条はくじを四人の前に差し出す。
「……おいお前ら顔がこえーよ。特に御坂と食蜂」
「しっ、今集中してんだから話しかけないでよ」
「何を集中してるんだよ……」
「そりゃ浜面と一緒になるのはキツイでしょ」
「だからさっきから心を抉るのをやめてもらえないでしょうか麦野さん!!」
浜面が割と本気で泣きそうな顔で懇願する。
しかし麦野は浜面の方を見向きもしないという冷徹っぷりだ。
そして、四人の少女がほぼ同時に上条の手からくじを取る。
「やったあああああああああ!!!」
歓声を上げたのは食蜂だった。
その手に握られているくじには上条の名前が書かれている。
他のペアは浜面とインデックス、美琴と麦野に決定した。
美琴は分かりやすく羨ましそうに食蜂のくじを見ている。
それと同時に納得いかないといった様子であり、何か言いたそうにしている。
しかし、今更何を言っても負け惜しみにしかならないという事を悟ったのか、何とか我慢しているようだ。
そんな微妙な空気の中、上条はとにかくこれでやっと観光に行けるとマイペースな事を考えていた。
***
上条と食蜂は二人で静かな街並みを歩いていた。
辺りにはお年寄りが経営している古い店が並び、中では楽しげに客と話している所もある。
いつも科学の最先端を行く学園都市で暮らしているからか、こういった昔ながらの街並みはどこか新鮮に感じられる。
もうお昼時なので、今は昼食をとる場所を探しているところだ。
「……あの食蜂さん」
「“みさき”って呼んでくださいよぉ」
「操祈、流石にこれはくっつき過ぎだろ。インデックスじゃあるまいし、俺はそんなすぐに迷子にならねえって」
「せっかくのデートなんですから、他の女の子の話題は禁止です」
「デートってな……」
先程から食蜂は上条の腕にべったりと張り付いていた。それはもう動きづらいほどに。
周りから見れば明らかにバカップルに映ると思われるが、幸い平日ということもあってそれ程道行く人も多くない。
とはいえゼロという事はなく、すれ違う人達は鬱陶しそうにしたり、ニヤニヤと微笑ましく見てきたりと色々な反応を見せる。
上条もこれには落ち着かない。
「どうしても嫌だというのならやめますけど……」
食蜂はようやく納得してくれたのか、腕を離してくれた。
しかし、その表情は本当に残念そうで、これはこれで罪悪感を覚える。
上条はどうしようか少し考えて、
「あっ」
食蜂が少し驚いた声を出す。
その手は上条によって握られていた。
「まぁ、これならそこまで歩きにくいとかないからな」
「……はいっ!」
食蜂はこちらまでつられてしまいそうな程の眩しい笑顔を浮かべる。
以前まで彼女は常に手袋をつけていたのだが、今は外している。
女の子特有の柔らかい肌の感触に内申ドギマギしながら、上条は冷静を装う。
一方で食蜂はそんな事はお構いなしに、ぎゅっと上条の手を握り返すと、ブンブンと振り始めた。
上条はそれに対して思わず苦笑して、
「なんか、天下のレベル5サマが子供みたいだぞ」
「むぅ、そういう事言わないでくださいよぉ。大体、私と上条さんだって2つしか変わらないじゃないですかぁ」
「中学生と高校生との間には大きな差があるんだ」
「中学生の御坂さんに勉強教わったりしてるのに?」
「いっ!? み、御坂のやつ言いふらして」
「この前上条さんの頭の中を読んだ時に見たんですよ」
「プライバシーってもんがないのかその能力……」
上条はもはや溜息をつくしかない。
透視能力者もそうだが、無能力者の立場から言わせてもらうと、そういった能力には何か制限をつけるべきだと常々思う。
すると、食蜂は急に真面目な顔をしてこちらを見る。
「あの、上条さんって」
「ん?」
「……記憶喪失、ですよね?」
「あー、そっか、分かっちまうよなそれも」
上条は食蜂の言葉に小さく笑みを漏らす。
頭の中を読まれたというのなら、当然その欠落も知られてしまっているだろう。
だが、そこまでショックはない。
ずっとカエル顔の医者しか知らなかったことだが、今ではインデックスや美琴も知っている。
それに食蜂と出会ったのは記憶喪失後なので、彼女を傷つけてしまうという事もないだろう。
上条は以前までより、この記憶喪失というものをあまり重く捉えていない。
しかし食蜂は気遣わしげな表情で、
「初めは上条さんの幻想殺しの影響で一部の記憶は読み取れないんだと思ってました。
あなたの記憶は例の病室から始まっていて、記憶喪失だとしたらその後すぐにインデックスさんの事をあれだけ想えるだなんて信じられなかったんです。
でも、この前のインデックスさんとの絆を見せられて、もしかしたら本当に記憶喪失なんじゃないかって」
「自分でもよく分かんねえんだよな。でも例え脳には残っていなくても――」
「心に残っている、ですか」
「……ちょっとくさいか?」
「ふふ、少し前の私だったら鼻で笑っていたかもしれませんね。でも、実際に見せられてしまったら仕方ありません」
ここで食蜂は言葉を切って、笑顔を向ける。
それはどこにでもいる中学生のそれだった。
「私も信じたいです。心というものの存在を」
おそらく彼女が人のことを信じられなくなったのは、幼い頃からの能力が大きな原因だと考えていいだろう。
もし食蜂の持っている能力が違ったものだったら、今回のような騒ぎは起きていなかった。
だが、上条は彼女が精神系の能力者で良かったと思う。
確かにこの前の騒ぎは上条達にとって大変なものだった。
一歩間違えれば取り返しのつかない事になっていたかもしれない。
しかし、何もマイナスなところばかりではない。
学園都市で最高位の精神系統能力者が食蜂で良かった、今では強くそう思える。
今の彼女ならば、きっとその能力でどんな者よりも素晴らしい事をしてくれる。
上条は何度争いに巻き込まれても不幸の一言で切り捨てたりはしない。
きっとそれには何か意味がある、そう思うようになっていた。
だから、自信を持って言う。
「――あぁ、きっと操祈には見つけられる。心ってやつをな」
食蜂は無言で、それでも嬉しそうに微笑んだまま上条に向き合う。
二人の手は固く繋がれたままだ。
どんな相手でもいつまでも敵である必要などどこにもない。
現に一方通行なんかは一度ならず二度も殺されかけた経験もある。
過去にばかり目を向けても何も始まらない。
上条は今のその人物の事をよく見て、接していたいと強く望む。
そして、次第に二人の距離は縮まっていき――――。
「ち ょ っ と 待 て」
ガシッと。
上条は接近してくる食蜂の頭を掴んだ。
女の子特有のさらさらの髪の感触が伝わってくるが、そんなのを気にしている余裕はない。
食蜂は頭を押さえつけられたまま、なおもグググ……と前進しようとしている。
まるで牛だ。
「……なんですかぁ?」
「あなた様は現在進行形で一体何をしようとしていらっしゃるのでしょうか?」
「この展開力的にはキス一択でしょぉ」
「うん、おかしいね。絶対おかしいよね」
「おかしくなんかないですよぉ!」
食蜂がガバッと顔を上げる。
上条はその表情を見て少し驚いた。
真剣だった。
「本気」と書いて「マジ」と読む表情だった。
「もぉ、空気の読めない人は嫌われますよぉ? はい、んちゅー……」
「待て待て待て!!! え、なに、俺がおかしいの!?」
「はい」
「いーや違うね!! その証拠に周りの人達は『うわーマジかよこいつら……』みたいにドン引きしてるし!!」
「ちっ、ダメでしたかぁ」
「今、舌打ちしたよなおい……」
先程まで食蜂に抱いていた期待にヒビが入る音が聞こえる上条。
そんな事はつゆ知らず、食蜂は何かを考え込んで、
「んー、そういえば、上条さんには洗脳は効かないですけど記憶操作とかは効くんですよねぇ?」
「……そうだけどさ」
「それなら記憶を改ざんして私と上条さんが恋人同士って事にしてぇ、その後ホテルにでも行って既成事実を作っちゃえば……」
「何ブツブツと恐ろしいこと言ってんの!?」
甘かった。
確かに以前よりはもっとマシな事に能力を使ってくれるんじゃないかと考えていたが、これはこれで酷い。
彼女的には軽い考えだとしても、こちらからすれば社会的存在に関わってくる大問題だ。
旅行先で常盤台のお嬢様(14)と体の関係を持つ。
何をどう考えてもアウトだ。
「よし、それならこれでどうだ!!!」
「ふぇ?」
上条はすぐに頭に右手を当てる。
これが精一杯の防衛行動だ。
「これなら例え記憶操作されてもその瞬間に解除できるぞ!!」
「なるほどぉ……まぁでも私もそこまで本気力全開ってわけじゃないから心配しなくても大丈夫ですよぉ」
「いや嘘だね、目がマジだった」
「確かに最初はマジだったですけどぉ、よく考えたら初めての相手がそんな状態っていうのは私の乙女力的にアレですしぃ。
だからできれば上条さんが自発的にこのままホテルまでついてきてほしいんですけど」
「そこで素直に『うん』と言うと思っているのかね君は」
「一般的な男子高校生なら8割はそう言うと思いますぅ」
「随分な自信で。けど残念ながら俺は残りの2割だ」
「やっぱり年上じゃなきゃダメですかぁ? 寮の管理人は能力使えばどうにでもなるんですけどぉ」
「やめて!!! 人の趣向をペラペラと口に出さないで!!!!!」
そんなこんなで結局お姫様に振り回される上条。
周りの人々も、昼間から妙に生々しい会話に完全にドン引きして関わり合わないようにしている。
それから昼食をとる店を見つけたのはしばらく経ってからの事だった。
***
「…………」
「どうしたの、はまづら? そんなに落ち込んで」
「いや、うん、なんでもねえよ……」
浜面とインデックスは上条達からは少し離れた街並みを歩いていた。
といっても、何かの拍子で鉢合わせする可能性は十分ある距離だ。
浜面仕上はとてつもなく後悔していた。
きっかけは昼食時。
インデックスのことをフレメアと同じような扱いで、ご飯代くらいは出してやると言ったのが大きな間違いだった。
店に入って、そのまま気付けばテーブルの上には桐生うどんやら上州そばやら、挙げ句の果てにはデザートに焼きまんじゅうなどが所狭しと並べられていた。
そしてその結果、会計時にはアイテムで飯を食いにく時でも見ないほど0が並ぶという事態になってしまったというわけだ。
もちろん浜面の財布は旅行一日目にして氷河期突入だ。
「あ、そこのお土産屋さん寄っていいかな?」
「ん、ああいう所って無駄に高かったりするけど大丈夫か? 上条から少しは金貰ってるんだろうけど」
「え? ううん、私はちゃんと自分のお金持ってきてるよ?」
「……へ? あんた、もしかして稼ぎとかあるわけ?」
「うん、これでも一応イギリス清教の禁書目録だからね。向こうではこーむいん的な扱いで、お給料も出てるんだよ」
「…………」
「はまづら?」
インデックスの言葉を聞いて、浜面は更にガクッと落ち込んでしまう。
今までろくな人生を送っていない浜面からすれば、公務員といえば手が届きそうにもない勝ち組的な存在だ。
そんな者に自分は見栄をはってご飯を奢るなんていうことをしてしまったわけだ。
まぁ、今更それについてどうとか言うつもりはないが、それでもショックなことに変わりはない。
そんな意気消沈している浜面に首を傾げながら、インデックスはお土産屋さんに入る。
中はそれなりの広さがあり、全体的に木の香りが店全体に広がっていた。
平日の昼間ということもあって客はほとんど居ない。
「とりあえず焼きまんじゅうは外せないんだよ。イギリス清教全員分ってなると……」
「待て待て、食い物は旅行初日にここで買わなくたっていいだろ。同じもんなら旅館にもあるだろうし、そこから直接送ってもらえって」
「分かった、そうするんだよ! じゃあ何を買おうかな……」
「上条へのプレゼントなんかいいんじゃね?」
「えっ!?」
浜面がニヤニヤとからかうように言うと、インデックスは顔を真っ赤に染める。
ここまで期待通りの反応をしてくれると、からかい甲斐があるというものだ。
「別にそこまで照れることもねえだろ。俺だってもちろん愛しの滝壺に何か買ってくぜ?」
「わ、私ととうまの関係は、あなた達とは違うかも」
「変わんねえって。好きな相手に何かをあげるって事に関してはな」
「す、好きってそんな事…………それに何を買えばいいかわからないかも」
インデックスは困った様子で棚の上の商品を眺める。
「一応この辺の伝統工芸だとガラス工芸とからしいな。手作りできるところもあるとか」
「とうまにそんなものあげてもすぐに割っちゃうんだよ。いつもの不幸で」
「どんな生活送ってんだアイツは……まぁけど、別にここでしか買えないものに拘んなくてもいいんじゃねえの。
何かアイツが喜びそうなものだったらなんでもさ。お土産ってわけじゃねえんだし」
「喜びそうなもの……」
上条が喜びそうなもの。
そう考えて真っ先に出てくるのはやはり食べ物だ。
普段から節約生活を行なっている上条からすれば、贅沢な食べ物というものは無条件で喜ばれるだろう。
ただ、だからといってここで高級品を買って旅館でプレゼントするというのもなんとも微妙な感じだ。
やはり彼女としても、形に残るものにしたい。
ここで、インデックスは手近な所にあったペンダントに手を伸ばす。
「……これはアメジスト?」
「あー、パワーストーンってやつだな。なんか色んなご利益があるとか……ってそういうのはあんたの方が詳しいだろ?」
「アメジストはギリシャ神話では美少女の化身とされているんだよ。
酒の神バッカスが酔ってアメジストを襲おうとしたら、月の女神がアメジストを水晶に変えた。
その後酔いが覚めたバッカスは反省してその水晶にぶどう酒を注いで、こういう紫色に輝くようになったってお話なんだよ」
「へぇ~、やっぱすげえな。魔術師ってのはみんなそういう神話とか覚えてるもんなのか?」
「各地にある神話を隅から隅までっていう人はそんなに居ないかも。でもそうやって幅広い知識を持っていれば対応できる魔術も増えていくから有利だね。
えっと、それじゃあこのパワーストーンは『お酒に酔わない』とかっていう効果があるのかな? アメジストの語源もそういう意味だし」
「ん、いや、美容効果とか恋愛運アップとか書いてあるぞ」
「……なんかてきとーかも。アメジストは十字教でも司教の石っていう事になってるのに」
「まぁそんな大真面目なものじゃねえだろ。ちょっとしたお守りみたいなもんだよ」
「ふーん……」
インデックスはそう言いながら少し興味ありげに他の石を眺め始める。
「あれ、意外と気に入ったのか?」
「うん、どっちにしろとうまには魔術的なものはダメだし、こういうのがいいかも。ほらこれとか危険回避って書いてあるんだよ」
「タンザナイト……ネガティブなエネルギーをポジティブなものに変換、ねぇ」
「他にも『人生を良い方向へ導く』『複雑な問題を解決する助けになる』って書いてあるんだよ。不幸なとうまにはピッタリかも。
魔術的な効果はなくても病は気からっていうし、何もないよりはいいと思うんだよ」
「病扱いされてるってのもアレだな……。けどいいのか、ほらこっちには浮気防止とかもあるぜ?」
「う、浮気って……別に私ととうまはそんな関係じゃないし、そこまで縛り付ける権利はないかも」
「けどあんたがまた学園都市に戻ってきた時に上条に彼女ができてたらショックだろ?」
「……別にいいもん」
「明らかに強がりだろそれ」
「こっちにも色々都合があるんだよ」
インデックスはそう言うと、さっさとタンザナイトのペンダントを会計に持って行く。
そろそろ上条から離れるための心の準備をしなければいけない、彼女はそう考えていた。
もちろん学園都市を離れる前に、自分の気持ちを告白しようとは思った。
だが、それはリスクが大きい。
もしもフラれてしまったら、またストレスで遠隔制御霊装に不具合が出てしまう可能性がある。
そして上条はそれを心配して、例え他に好きな人が居たとしても断ることができないかもしれない。
インデックスにとって、それが一番嫌だった。
しかも受け入れられて恋人同士になれたとしても、今度は離れられなくなるのではないかという心配も出てくる。
今でさえ正直離れたくないという気持ちは強く、最近ではイギリスに帰ってからのことを考えてその時に備えている始末だ。
当然、気持ちを抑えるのが辛いというのもある。
今のままの関係で満足していない自分というのも居る。
もっと抱き合ったりキスもしたい。それは日に日に大きくなっていく。
せめてその願望を口から出してしまえば少しは楽になるのかもしれないが、それは簡単なことじゃない。
どうして自分はこんな立場の人間なんだろうとも考えた。
もしもイギリス清教の禁書目録ではなく、学園都市で暮らす一人の少女だったら。
上条と同じく平凡な無能力者で、上条とは学友として毎日バカをやっているような関係だったら。
そんな事をいくら考えても仕方ないことくらいは分かっている。
しかしそんな思いとは裏腹に、そういった「たられば」の光景は頭の中に鮮明に浮かび上がる。
別れの時間が迫ってくるにつれて、さらに頻繁に。
インデックスは、店員からプレゼント用の包装を施されたペンダントを受け取ると、浜面のところに戻る。
そして少し上を見上げてポツリと、
「人間って基本的に無駄なことをしたがる生き物なのかも」
「おおう、どうした急に。なんか14、5の女の子にしてはえらく達観したようなセリフだぞ」
「特に意味は無いんだよ。それで、はまづらはプレゼント決まったの?」
「こっちはプレゼントってか普通にお土産だな。ここはベタに手作りのガラス工芸でいいかと思ったんだけど、ちょっとな」
「何かダメなの?」
「いや、やっぱ滝壺だけじゃなくて他のアイテムの面子にも買わなきゃいけねえからさ。さすがに全員分を手作りってのはなぁ」
「それならりこうの分は手作りで、他の人達は市販のものでいいんじゃない? 恋人同士なんだし、そこは分かってくれるんじゃないの?」
「それは大人しく納得してくれるような奴等だったら悩んでねえよ…………まぁ無難に食いもんにするわ」
浜面はどこか諦めたように「ははは」と乾いた笑みを漏らす。
たぶん、というか絶対、お土産に差をつけたら窒素シスターズを筆頭に手痛い強襲を受けるはめになるだろう。
そんなわけで、浜面は旅館に戻ってからお土産の食べ物を買うことに決め、インデックスと共に店を出る。
そのまま、これからどこへ行こうか話していた二人だったが、ふとインデックスが思い出したように、
「ねぇ、はまづら。りこうとはどんな感じで付き合うようになったの?」
「……へぇ~、気になるか?」
「むっ、何なのかなその顔は」
浜面はニンマリとした笑みを浮かべており、インデックスは何故かそれが妙に腹立たしく、頬をふくらませる。
「いやいや、別に何でも。……そうだな、特に告白のセリフとかはなかったぞ」
「えっ?」
キョトンと首をかしげるインデックス。
まだそういう経験がない彼女にとっては、告白というのは恋人同士になるためには避けて通れない儀式のようなものだという認識がある。
それだけに、告白なしで恋人同士になるなんていうのは想像できない。
そんな彼女に、浜面はその時の状況をかいつまんで説明する。
インデックスは真剣な表情でじっと話を聞いて、
「……なるほど。そうやって付き合うっていう事もあるんだ」
「何か参考になったか?」
「さ、参考って……別に私はただ興味があったから聞いただけで……」
「なぁ、今更隠したって仕方ないだろ。ぶっちゃけバレバレだし。上条のこと、好きなんだろ?」
「……私ってそんなに分かりやすい?」
「たぶん気付いてねえのは上条くらいだと思うぜ」
浜面の言葉に、インデックスは諦めを含んだ溜息をつく。
ひょっとしたら、いつまで経ってもあの少年がこの気持ちに気付かないのは、彼女自身にも問題があると思っていた。
隠そうとし過ぎたのではないか、それで気付けというのが無理な話なのではないか。
だが、浜面の話を聞く限りそうでもなさそうだ。ただ単に上条がありえないくらい鈍感だというだけだ。
といっても、インデックスからしても上条以外にはバレバレというのはあまり良い気もしないが。
「それで、いつ告白すんだ? 学園都市にいる最終日とか?」
「なんでそんなに楽しそうなのかな」
「そりゃ他人の恋愛話は楽しいだろ」
「……はぁ。しないよ、告白なんて。さっきも言ったけど、色々と都合があるんだよ」
「科学と魔術がどうのこうのってやつか?」
「そう。一歩間違えたら世界レベルで大事になっちゃうし」
「色々大変なんだなあんたも…………けどさ」
浜面はここで一旦言葉を切る。
インデックスと上条の状況は、浜面と滝壺の状況とはだいぶ違う。
それでも、浜面には彼女に言っておきたい言葉があるようだ。
「周りのことを考えるのもいいけど、まずは自分が本心ではどうしたいのかってのが大事だと思うぜ」
インデックスは少し驚いたように、隣を歩く浜面のことを見上げる。
それは浜面の言葉にただ感心しているのか、それとも丁度考えていた事を当てられて驚いているのか。
色々な感情が混ざり合い、彼女自身にも分からなくなっていた。
だが彼女はすぐに真剣な表情になり、ただ一度だけ力強く頷いた。
「――分かってる」
あけおめー
書き溜めが消滅したから生き残った分まで投下
いつになったら上インになるのだろうか
***
御坂美琴と麦野沈利のレベル5コンビは、とあるのどかな牧場に居た。
といっても、見渡す限りの大平原とか飼料の匂いが充満している小屋に居るわけではない。
観光客用に作られた、小綺麗な施設の二階。
そこで、自家生産とか書かれたヨーグルトやチーズが楽しめる食堂にて三時のおやつタイムを楽しんでいた。
ちなみに、その前までは飼料臭い小屋で乳搾り体験というベタなものにチャレンジしていたわけで、麦野は自分の服をくんくん嗅いで匂いが残っていないか確かめている。
「ったくよー、何が牧場ゲコ太よ。あんた、そういうのはホント抜け目ないわね」
「ふん、ゲコラーとして当然のことよ!」
「ない胸張られてもね」
「ぐっ……」
麦野の言葉に、美琴は悔しそうに顔をしかめる。
能力でも体力勝負でも負ける気はないが、その一点に関しては分が悪いとは思っている。
それと、元々あまり期待もしていなかったが、麦野もゲコラーの魂は持っていないようだ。
美琴はヨーグルトを口に運びながら、
「でも、アンタだって別に行きたいところがあったわけじゃないでしょ」
「ん、まーそうね。別に言うほど不満ってわけでもないわよ。フレメアへの買い物も決まったし」
「ここの乳製品とか? あの子また虫歯になるわよ」
「乳歯なら構わないでしょ」
「その考え方はどうなのよ」
おそらくフレメアは大喜びだろうが、また後には恐怖の歯医者さんが待っている可能性が高い。
科学が進歩した学園都市でもあのドリルはまだまだ現役バリバリなのだ。
そして、泣き叫ぶフレメアをなだめて連れて行くのは浜面の役目でもある。
「ていうか、あんたこそどうなのよ。てっきり私は縁結び関係のお守りを買い漁るのに連れ回されるものだと思ったけど」
「もちろん行くわよ。チェックもしてあるし」
「学園都市のレベル5がオカルトに染まりまくってるってどうなのよ」
「べ、別にそこまで狂信的に信じてるわけじゃないわよ。でもほら、ないよりはマシっていうかさ」
「いくら保険を増やしても告る勇気がないなら意味ないんじゃないの?」
「こ、告……っ!! ちょっとそういう事あの馬鹿の前では絶対言うんじゃないわよ!!」
「さぁ、どうだろうねー。ついうっかり口が滑っちゃうなんてこともあるかもねー」
そう言ってニヤニヤする麦野。
美琴のような初な恋する少女をからかうのはさぞ楽しいのだろう。
そういった所は番外個体なども共感してくれるところのはずだ。
「そもそもさ、あんたも随分余裕じゃない? 上条のやつが他の女とデートしてるってのに」
「もちろん気に食わないけど、一応公平に決めたんだから仕方ないじゃない。それにあの馬鹿の事だし、どうせ大したことも起きないわよ」
「どうかな?」
ここで麦野はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
どうせからかう気しかないんじゃないかと思う美琴だが念のため、
「……どういう意味よ?」
「確かに上条には女に手を出す度胸はないかもしれない。でも、相手は精神系統のレベル5よ? 相手の意志なんか無視してやりたい放題できんじゃないの?」
「えっ……あ、いや、でもアイツには洗脳は効かないし!!」
「洗脳は効かないけど、記憶操作は効くんでしょ? ってことは」
そこまで聞いて、美琴の顔が真っ青になる。
考えてみればそうだ。
食蜂操祈という女が狙っている男とデートして、何もなしで終わらせるだろうか。
彼女の性格を考えれば、何としてでも手に入れようとしてきてもおかしくない。
そして最悪なことにその手段も持っている。
「ちょ、ちょっとごめん!!」
美琴は慌ててケータイを取り出すと、すぐに上条の番号にかける。
焦りで手が震えているのが分かる。
間に合ってくれ、とまるで上条が命の危険に晒されているかのごとく必死な美琴。
電話は意外と早く繋がった。
いつもは繋がらないことも多いので、これは珍しい。
『もしもし、御坂か? 一体どうした――』
「あ、もしもし!? ちょっとアンタ食蜂と変なことしてないでしょうね!?」
『うおっ!! い、いきなり大声出すなって。何もしてねえよ』
「ほ、本当!?」
『あぁ……つかどんだけ信用ないんだ俺は…………って食蜂? あ、おいっ』
「……?」
『もしもし、御坂さぁん? 人のデート中に電話かけてくるなんてちょっと常識力に欠けるんじゃなぁい?』
上条から電話を奪ったのだろう、声が食蜂のものに変わった。
それもその声色はいつものからかうようなものではなく、明らかにムスッとしたものになっている。
「そ、それは、アンタの普段の行いが悪いのよ!」
『でも、今は何もしていませーん! というわけでもう切るわねー』
「あ、ちょ、待てこのっ!!」
耳元からはツーツーという電子音だけが聞こえる。
すぐにかけ直そうとも思ったが、相手の身になってみると確かに嫌な感じがしたので、仕方なくやめることにする。
だが食蜂の言葉にあった『“今は”何もしていない』という単語に関しては物凄く怪しいので、とにかく二人を監視することに決める。
「麦野、行くわよ!」
「えー、つか監視カメラハッキングとかすればいいんじゃないの」
「こんなとこにいくつもカメラがあるわけないでしょ」
「衛星とか」
「流石にそこまでやって捕まりたくはないわ」
「バレなきゃいいじゃん」
「まずその綱渡りをやりたくないっつってんのよ」
「ふーん、まだそこら辺は冷静なんだ」
と言いつつ、麦野はヨーグルトを口に運ぶ手を止めない。
要するに、動きたくないだけだ。
美琴をからかうのは面白いが、流石に一緒に上条を探して歩きまわるなんていう事はしたくない。
基本的に麦野は損得を考えて動く女だ。
美琴はそんな麦野に溜息をつき、
「そんじゃ、私だけで行くわよ」
「やめとけばいいのに。人の恋路を邪魔するもんじゃないわよ」
「アンタさっきと言ってること違うんじゃないの……?」
「あれはただあんたの反応が面白そうだったから言ってみただけ」
「えらく堂々とぶっちゃけたわねコノヤロウ」
「つーかさ、あんたは早く告れよ」
「それも面白そうってだけでしょうが!!」
「確かにそれが9割だけどさ」
「こんの――!!」
「まぁ聞きなさいよ」
そう言って余裕綽々に美琴をなだめる麦野。
この差はどこからくるのだろうか。
当事者と傍観者の差。人生経験の差。
考えられるものはいくつかあるが、とにかく事実として麦野は美琴よりも冷静にこの問題と向き合える。
麦野の言うことが合っているかどうかなどはさておいて。
むしろ、正解などはないのかもしれないが。
彼女の言葉には、きちんとした軸がある。それだけでだいぶ違うだろう。
「まずあんたとかあのシスターって、上条が他の女と話してるとよくキレるけど、それって結構ズルいもんだよね。
自分達は今のままの関係っていう安全地帯にいるくせに、他の女が上条に近付くのは気に食わない。男を束縛すんのは恋人の特権だと思うけど」
「そ、それは……」
「だから付き合っちゃえばいいじゃん。流石に彼女が居たら上条だってそこら辺気を使うと思うわよ?
浜面だって滝壺とくっついてからは絹旗と映画観に行ったりはしてないし」
「簡単に言ってくれるけど、告白して成功する保証なんかどこにもないじゃない。
アイツのことだから、きっと私のことなんてそういう対象とすら見てないわよ。そんな相手にいきなり告白とかされたら引かれるって」
「そうやってずるずるずるずる先延ばしにして後悔するのはあんたよ? つかその間に他の女が告って、まんまと取られるっていう考えはないわけ?
ああいう上条みたいなタイプって、今まで何とも思ってなかった相手でも、そういう告白みたいなきっかけから好きになるって事も多いと思うけど」
「それは……そうかもしんないけど……」
確かに今の関係から抜け出すためには、きちんと好意を伝えるという事が一番早いのかもしれない。
それによって、初めは自分のことをあまり見ていなかった相手でも、そういった感情を向けているという事に気付けば向こうも自然とこちらを意識し始めてくれる。
そういう話も聞いたことはある。
麦野はここで口元に笑みを浮かべる。
見るからに、美琴は揺れている。これは後もう一押しすればいけそうだ。
「宿でもあのシスター相手に言ってたじゃないの、『アンタには負けない』ってさ。それならさっさと告るべきなんじゃない?
それと、告るならあのシスターがイギリスに帰る前ね」
「な、なんで?」
「そりゃ、あのシスターが告るとするなら、イギリスへ帰る直前の空港とかが一番可能性が高いからよ。
ドラマとかでもよく見るじゃない、空港の搭乗ゲートの前でハグするシーンとか」
「なるほど……」
そうやって真面目に考え込む美琴。
麦野としては、そんなフィクションの世界みたいな事はそうそうないとは思っているのだが、とにかく美琴が信じそうならそれで良かった。
要は焚きつけることが目的であり、その為には美琴の少女趣味も利用しなくてはいけない。
同時に、ここまで簡単に乗せられるレベル5ってのも危ないものだと感じる。
やはり子供には大きすぎる力を持たせるものではないんじゃないか。
まぁ、麦野が言えたことではないのだが。
「なんなら、今日の夜ちょっと仕掛けてやろうか?」
「仕掛けるって何よ。アンタが言うとろくな事に聞こえないんだけど」
「安心しなさいよ、あんたにとっても悪い事じゃないはずよ」
麦野は何やらニヤニヤとした笑みを浮かべて、コソコソと話し始める。
それを聞いていた美琴は、初めはふんふんと真剣に聞いていたのだが、徐々に顔を赤く染め始め、
「それは無理!!!」
「なんでよ」
「嫌なものは嫌なの!!! つかそんなハッキリさせられたら凹む!!!」
「凹むかどうかなんて分かんないじゃない。アンタってなんでもズバッと決着つけたがる性格じゃなかったっけ?」
「それとこれは話が別!!」
そんな感じに、ガールズトークを続ける二人。
美琴本人は必死なのだが、麦野はあくまで面白そうにニヤついているばかりだ。
そんな彼女達を、周りの者達は仲の良い姉妹か何かだと思って微笑ましげに眺めていた。
***
楽しげなレベル5女子コンビとは一転して、こちらの一位と二位のコンビの間には険悪な空気が流れていた。
この二人の場合、仲が悪いといっても普通の学生の基準ではない。具体的に言うと、仲が悪すぎて殺し合いをするほどだ。
そんな二人が楽しげに笑いあいながら旅行を楽しむなんていう事はありえない。むしろ、そんな事が起きている事の方が異常事態と言える。
だから、今のこの小動物がストレスで即死するレベルの空気の悪さがあくまで正常状態であるのだ。
二人はとある山道を歩いていた。といっても獣道というわけではなく、きちんと整備された道だ。
辺りに人は居なく、まるで時間がゆっくり流れているかのように静かな場所。積もった雪も綺麗な表面のままになっている。
この地域は温泉が有名なのだが、この山に関しては温泉が湧くというわけではない。代わりに地元で有名な綺麗な湖や小川、小さな滝などがある。
温泉が実利的な良さが強い事に対して、ここは景観的な良さが強いというわけだ。
「はっ、平日に、こんなさみーなか、しかも男と二人でこんなとこ来るなんてイカれてやがる。お前もしかしてそっちの趣味か?」
「黙ってろチンピラ。つーか、例えそンな趣味のホモ野郎だとしても、オマエみてェな小物メルヘンはお断りだろォな」
「んだとコラァァ……!!!」
何でもない無難な会話など一つもない。そもそも、これを会話と呼んでいいのかも疑問が残る。
キャッチボールをしているはずなのに、相手からのボールは一つ残らず避けて、それぞれが豪速球を投げ合っているような感じだ。
垣根は憎悪に満ちた表情を浮かべ、今にも相手を八つ裂きにしてしまいそうな目で睨む。
いや、普段の彼であれば何の躊躇いもなくそうしたのだろう。
だが、行動に移す前に理性が邪魔をする。能力も使えないこの状態で目の前の男を相手にしたらどうなるか。そんな事はこのレベル5の頭がなくても分かることだ。
垣根はギリギリと奥歯を鳴らす。
これだけ馬鹿にされて、自分は何も行動に移すことができない。
違う。苛立っている理由はそれだけではない。
どんなに巨大な感情が湧き上がっても、頭では理性的に勝率を計算する。
別に感情のみで突き進むような馬鹿になりたいというわけではない。この考え方のほうが生きていく上で利口だと言えるはずだ。
しかし、それでも垣根のモヤモヤは消えない。
先程一方通行が言った“小物”という言葉。
その裏付けが今の垣根の考え方だという言われている気がした。そんな事はないと確信しているにも関わらず。
垣根はそんな不快な気持ちから逃れるように無理矢理口を開く。
「にしても、滑稽だよな」
「オマエ自身がか?」
「この近くの湖の伝承だ。それを聞いてなぜか足を運ぼうとしてるテメェもな」
「…………」
山に来る前、一方通行は町の住人におすすめスポットとやらを尋ねていた。
もちろん、彼が率先してやった事ではない。
旅行の経験がろくになかった一方通行はどうすればいいか困っていた。観光名所などのチェックはしていた。それを見た番外個体は笑い転げる事になったが。
それでも本当にその観光名所とやらを見て回るだけでいいのか気になったので、その辺りを黄泉川に聞いてみた。
同居人の中でまともに表の世界で生活している人間というのが彼女一人だったので仕方なくだ。
すると、返ってきた言葉はこうだった。
『そういうのは雑誌とかネットで調べるよりも、直接現地の人に聞くのが一番じゃん!』
そんなわけで、実行してみた一方通行。
以前までの彼だったら、こんな事は柄ではないと突っぱねたはずだ。
しかし、今は違う。何でもかんでも自分の柄ではないと突っぱねていては、気付けば元の血みどろの世界に逆戻りしてしまう可能性もある。
こちらの世界で生きていくつもりならそれなりに順応しなければならない。
相手は気の良さそうなおばさんだった。
一方通行は何もしていなくても、相手を怖がらせてしまうインパクトがある。それは良く打ち止めにも注意される。
だから、できるだけ表情を柔らかくするように意識して話しかけた。
そんな様子を見ていた垣根は嘲笑を通り越して、もはや失笑していたが。
おばさんは少し驚いたような表情をしたが、意外にも普通に話してくれた。
これはもしかしたら年齢からくる余裕というのもあるのかもしれない。
考えてみれば、一方通行は学園都市の学生達に怯えられることはあっても、大人はそこまでではなかった気がする。
まぁ、学園都市で会った大人なんていうのは大半がどこかネジの飛んだ科学者なので、参考にはならないかもしれないが。
おばさんの話によると、寺や温泉などもいいが、あまり有名じゃなくても美しい景観の場所があるとの事だった。
正直、一方通行はそういった美しい景色を見て感動できるほど綺麗な存在ではない。
しかし、こういった機会に自分も少しは変われるのではないか、とも考える。最初から向いていないと切り捨てるのは良くない。
その時に聞いた湖の話が、今垣根が話している事だった。
おばさんによると、こういった話らしい。
昔々、多くの人間を殺めた大悪党が居た。その男はある時自分の罪の大きさに気付き、これからは人の為になる事を成そうと努力した。
その結果、男は徐々に周りの人間にも認められ新たな人生を歩んでいった。――――そこまでは良かった。
だが、そう上手くはいかなかった。ほんの些細なきっかけによって、ある時男は大きく苦悩し始める事になる。本当にこれでよかったのか。
こうして心を入れ替えた所で殺された者達は救われるのか。結局、こんなものはただの自己満足にすぎないのではないか。
男は追い詰められていった。皆が笑いあう暖かい世界において、自分は存在してはいけない異物にしか思えなくなってきた。
その後、男は誰にも見られずに自ら湖に身を沈めた。それは今まで殺した者達への懺悔なのか、それとも世界からの逃避だったのか。それは分からずじまいだった
垣根は見下した笑みを浮かべて、
「テメェも湖に身を投げる気か? それなら爆笑しながら見送ってやるよ」
「くっだらねェ」
「あ?」
「オマエは何も分かっちゃいねェ。今までブチ殺してきたクローン共が俺の死を望ンでいるのならそォしてやる。
だがな、死ンだ奴がどォ思っているかなンてのは、そいつ自身にしか分かンねェンだ。勝手に死ンで償ってもそれは自己満足にしかならねェ」
「くっ、はははははは!!! なんだそりゃ!!! 要するにテメェが死ぬのがこええってだけだろうが!!!」
「あァ、こええな」
一方通行は簡単に認めた。
それは垣根にとっては意外だった。『死ぬのなンざこええわけねェだろ』といった答えが返ってくるものだと思っていた。
その返事はまるで普通の人間が話しているかのようで。
垣根には、それが小さなトゲのように胸に刺さり、どうしようもなくイライラさせる。
「ちげえだろうが…………テメェはそうじゃねえだろうが!!!!! 何がこええだ!!!」
「俺が勝手にくたばっちまったら、あのクローン共はどォなる。あのクソガキはどォなる。
アイツらには敵が多い。少しでも油断しちまえばすぐに食い物にされちまう。それくらいにはこの世界は腐ってる」
「黙れよ」
「死ぬのは簡単だ。それとは比べ物にならねェほど、守るのは難しい。
柄じゃねェってのは分かってンだよ。正直、日常ってやつは気疲れしてしょうがねェ。血みどろの殺し合いをしていた方がずっと楽だ。
だが、俺はそンな楽な方に流されることを許されねェ。それに俺自身こンな資格があるかどうかは分からねェが、アイツらと同じ世界に居たいと思ってる」
「黙れって言ってんだ!!!!!」
気付けば垣根は叫んでいた。
辺りに人は居なく静かなので、その声は良く響く。故に、嫌でも気付いてしまう。
その声の中に、怒り以外の何かが含まれているということに。
その何かというのは分からない。
いや、分かりたくないといったほうが正しい。
とにかく、垣根はモヤモヤとしたものを吹き飛ばすかのように、喉を張り上げて叫んでいた。
「ふざけんな!!! いつまでおままごとを続けていくつもりだ!? テメェが普通に表の世界で生きていく!?
そんな事できるわけねえだろうが!!! クローンとはいえ、一万人以上もの人間をブチ殺した人間に、そんな事ができるはずがねえ!!!」
「できるかどうかはオマエが決めることじゃねェだろォが。」
「ムカつくんだよ!!! そうやって無駄にみっともなく足掻いている姿を見ていると胸クソ悪くなってくんだよ!!!!!」
「……そういや、オマエ、最初に戦った時もそうやってやけに突っかかってきたな。俺が黄泉川のやつにオマエを撃つのを止められた時だ」
「んだと?」
「哀れだねェ。俺からすればオマエの方も十分滑稽に見えンぞ」
「何だその目は……テメェに俺の何が分かんだ!!! 何でも全て見透かしたような目してんじゃねえぞコラァァ!!!」
「ならハッキリ言ってやろォか」
そこで、一方通行は言葉を切る。
これから何を言うのか、なぜか垣根には何となく予想できた。
それは聞きたくない。
何よりも、目の前のこの男の口からだけは絶対に。
それでも、垣根は何もできずにただ相手の言葉を待つことしかできない。
死刑宣告を待っている囚人のように。
「オマエは羨んでいるだけだ。光が眩しい表の世界をな」
バキィィィ!!! という音が響き渡る。
気付けば、手が出ていた。
どんな戦いの中でも、頭では常に勝利への手順を考えながら行動してきた垣根。
そんな彼だが、今は頭のなかが真っ白だった。殴った感触もあやふやだ。
頭よりも先に手が出る。それは今までずっと彼が見下してきた者達と同じ行動だ。
その事実が、認められない。認めたくはない。
自分はあんな奴らとは違う。感情のままに拳を振るうなどという事はしない。
常に利益とリスクを天秤にかけて、その上で行動する。
ずっとそうしてきたはずなのに。
垣根の心を乱すものはもう一つある。
きっとそれが一番理解できないことで、一番引っかかることなのだろう。
垣根が拳を振るい、一方通行は衝撃によって後ろへ飛んで、歩道の両側に取り付けられている木の柵に激突する。
その光景がまずおかしい。
相手は学園都市最強のレベル5だ。そんな人間的な反応をするはずがない。
お得意の反射を使えば垣根の手首を折ることも、全身の血流を逆流させて殺すことだってできたはずだ。
だが、目の前の男はそれをしなかった。あろうことか、自分の力の全てと言ってもいい能力を一切使っていなかった。
垣根はギリギリと奥歯を鳴らす。
そのまま砕いてしまいそうな程に噛み締め、そして目は獣のようにギラギラと光る。
「ナメんじゃねえぞ一方通行ァァあああああああああああああああ!!!!!」
ガッと一方通行の胸ぐらを掴む垣根。
そのまま間髪入れずに、相手を柵の向こうへと放り投げた。
歩道を外れればそこはただの山の斜面だ。
足跡一つない新雪の上を、一方通行が転がっていく。
その動作が、垣根の心をさらにざわつかせる。こんなのは一方通行ではない。
その気になれば足踏みするだけで周り全てを吹き飛ばすことだってできるはずなのに。
まるで、自分はただの人間だと主張しているかのように、彼は雪の上を転がる。
「クソがァァああああああああああああああああああ!!!!!」
垣根も柵を飛び越え、山の中へと入り込む。
ザクザクッと雪を踏み荒らし、ゆっくりとした動作で起き上がっている一方通行の方へと突っ込む。
拳は握りしめたままだ。何の力もない。歳相応の普通の人間レベルの武器でしかない。
それでも、垣根はそれだけを振り回すしかない。大きく腰を捻り、渾身の力を込めて、ヒュッ!! と固く握られた拳を一方通行の顔面めがけて打ち出す。。
ガッ!! と、垣根の追撃を受け止めたのは一方通行の細い腕だ。
さらに彼は逆の手を握り締めると、お返しとばかりに思い切り垣根の顔面を打ち抜く。
垣根の視界が高速でブレる。
だが、そのまま倒れこむ事にはならない。わずかに後ろによろけただけだ。
口の中が切れており、足元に血を吐き出す。殴られた頬がヒリヒリとする。
しかし、それだけだ。
「能力も使わねえ気かテメェ……どんだけ俺をコケにすれば気が済むんだコラァァ!!!!!!!」
「力を使うかどォかは俺が決めることだ。オマエの知った事じゃねェ」
「何だそれは!? 自分が普通の人間だっていう事を見せてるつもりか!? 笑わせんなよ!!!」
「オマエだって初めから化物だったわけじゃねェだろ」
「なんだと……」
「そンなろくでもねェ力を手に入れる前、学園都市にやって来る前、オマエだって表の世界に居たときはあったはずだ」
「関係ねえだろそんなのは!!! 俺達はもう戻れねえんだよ!!! これからずっと先も、ドス黒い腐った世界でしか生きていけえねえんだ!!!」
「それはオマエがそう思い込ンでいるだけだ。足掻く前から諦めて、ただその腐った世界が自分の居場所だと思い込まねェとやっていけねェ。
だから、そうやってテメェは俺に対してムカついてンだ。第四位にもか? どっちにしろ、生産的な事じゃねェな。ガキの行いだ」
「吠えてんじゃねえぞ!!!」
再び垣根の拳が一方通行の顔面を捉える。
だが、今度は吹っ飛んだりはしない。きちんと両足で踏ん張って耐えている。
唇が切れたらしく、血が流れているのが分かる。それを一方通行は手の甲で拭うと、
「やりやがったなクソッたれ」
バキッ!! と反撃の拳が垣根の顔面に突き刺さる
二人はそのまま互いにノーガードで殴りあう。辺りにはただ拳の音だけが連続する。
能力を使っていればその一撃一撃が致命傷になり得たはずだ。
それでも、能力なしとはいえ普通に殴られればそれなりのダメージは受ける。
二人の顔面はどんどんボロボロになっていった。顔面に衝撃が伝わる度、切れた唇から血が飛び散る。
バカげた事をやっていると、垣根は思った。
だが腕は止まらない。何発も、何発も。ただひたすら殴り続け、殴られ続ける。
何度も殴ったせいで、自分の指の関節の辺りの皮も剥けてヒリヒリするが、それも気にしない。
「テメェに俺の何が分かる!!! 何でも知ったような口聞いてんじゃねえぞ!!!!!」
「ハッ、その反応が図星だって白状してるっつー事に気付かねェのかオマエ」
「黙れ……黙れえええええええええええええ!!!!!」
全体重を乗せた渾身の一撃が一方通行の顔面に突き刺さる。
それには流石に彼も踏ん張る事ができず、後方へと吹っ飛ばされた。
二人が殴り合っている場所は雪の積もった山の斜面だ。地面に倒れた一方通行はゴロゴロと下の方へ転がっていく。
垣根はすぐにその後を追って斜面を駆け下りる。
そして一方通行に馬乗りになり、襟元を両手で掴んで上半身を引っ張り上げる。
「なに上から物言ってやがる!!! テメェはもう表の世界に戻れたつもりかもしんねえが、本質的にはこっちの世界の存在なんだよ!!! いい加減認めやがれ!!!!!」
「オマエこそ、そろそろ認めたらどうだ。本当は表の世界に居てェって思ってるってよ」
「……ッ!!」
「アレイスターとの直接交渉権を手に入れようとしたのも、根底にはクソッタレな裏の世界から抜け出したかったっつー気持ちもあったンじゃねェのか。
だがまァ、そいつは道間違えだな。そンなモンは表の道じゃねェ。裏のまた先の道だ」
「テメェ、何的外れな事ベラベラ喋ってんだコラ」
「まだ言ってやろォか? オマエはどっぷり暗部に染まっていた割には、極力一般人は巻き込まねェようにしてた。処理が面倒だとか事務的な理由じゃねェ。感情的な理由でだ。
しかも場合によっては敵でも見逃すことがあったようじゃねェか。これは完全に暗部の理屈に合わねェ。どンな理由を並べようが、結局は歯向かってくる敵は殺すのが一番確実だ。
中途半端なンだよ、何もかもが。自分は今のクソッタレな世界でしか生きられねェとか思ってるくせに、表の世界への憧れは捨てきれねェってか」
「黙れ!!!」
垣根は一方通行の襟元を掴んでいる両手の内、右手を離す。
その後ギュッと拳を握り締めると、相手の顔面めがけて打ち出そうとする。
目の前のこの口が二度と開かないようにしてやりたかった。
しかし、その前に一方通行が動く。
彼は表情を変えずに、垣根の顔面に頭突きを叩き込んだ。
「がはっ!!!」
強烈な痛みと衝撃と共に、垣根の体が仰け反り、馬乗りの体勢が崩れた。
その瞬間、一方通行は垣根を突き飛ばして自分の上からどけると、今度は逆に彼のほうが馬乗りになる。
彼は先程の垣根と同じように右拳を握り締めると、それを真っ直ぐ垣根の顔面に叩き落とした。
グシャ!! と、一方通行の拳は垣根の端正な顔立ちを歪める。
「ってえなぁ!!!」
垣根は力技で一方通行を跳ね飛ばす。元々相手が痩せ型という事もあって、そこまでの力はいらない。
そのまま二人は雪の上に寝転がったままもつれ合い、斜面を転がっていく。
途中で何発も拳のやり取りを繰り返し、飛び散った血が雪の上に落ちる。
互いに少しも譲らない。端から見れば子供のケンカのようにしか見えないのかもしれない。
それでも、垣根はやめようとは思わなかった。
とことん殴り続けて一方通行を殺したいというわけではない。
本当に殺したいのであれば、能力も使えない状態で殴り続けるなどという行動がいかに非効率的であるかなど、レベル5の頭がなくてもすぐに分かるものだ。
理由はよく分からない。ただ一方通行がムカつくからとりあえず殴る。そんなものなのかもしれない。
その一方で。
これ程までに何も考えず、動物のように本能のみで動くなんていうのはいつ以来だろうとも思う。
決してそういったものに憧れていたわけではない。むしろ軽蔑していたはずだ。
しかし、実際にこうしていると幾分気持ちが楽になるような、そんな感覚がした。
まるで普段の自分は鎖か何かに繋がれていたかのように。
気付けば二人は、雪解けの影響でドドドッ!! と音をたてて流れる川の近くまで転がってきていた。
そのまま行けば仲良く落ちていたかもしれないが、その前で二人は距離をとって立ち上がった。
垣根は川を背にして、一方通行と向き合う形になる。息は荒く、肩が激しく上下している。
「できるわけがねえんだ……絶対に……!!!」
「まだ言ってやがるのか。まァ俺としちゃオマエが勝手にその立ち位置で満足してるってンなら特に文句はねェンだけどな。
けどよォ、それならそれで他の奴らまで引きずり落とそうとしてンじゃねェよ。一人で沈ンでろ」
「だから上から物言ってんじゃねえ!! テメェはただのピエロだ!!! 本質的には俺と何も変わらねえんだよ!!!」
「本質本質うるせェ、一緒にすンじゃねェよ。人間の本質なンざ誰にも分からねェ。周りは当然だが、本人でさえもな。
重要なのはそンなモンじゃねェ。自分がどうしたいかだ。自分がどンな人間なのか決めるのは自分自身だ。
……そォいや、どっかのふざけた天使も『汝の欲する所を為せ、それが汝の法とならん』とか言ってやがったか。結果的に的を射ていたってわけだ」
「ハッ、要するに自分の好きなようにしろってか!? それなら俺には何の関係もねえな!! 俺はいつだって自分のやりたいようにやってる!!」
「ちげェよ」
垣根の言葉を、一方通行は一言で切り捨てる。
そして、彼はすぐに次の言葉を口に出さずに、じっとこちらを見つめた。
その瞳を見て、垣根は呆然と立ち尽くす。息を飲み、目を見開き、すぐ後ろを流れる川の音でさえ耳に届かなくなる。
真っ直ぐ強い意思を宿し、それでいてどこか相手のことさえも理解しようとしているかのようなその目は。
もう完全に、裏の世界の人間のものではなかった。
自分や一方通行のようにドス黒く染まった者達には一生届かないと思っていた、表の世界の者の目だった。
おそらく一方通行自身は否定するだろう。
別に垣根のことなどは理解する気もなく、ただ自分にとって邪魔だから痛い所を言及して心を折ろうとした。そんな感じに言うのだろう。
それでも、皮肉なことにそれを一番垣根が信じることができない。
目の前の赤い瞳。以前までは恐怖の象徴としてしか見られてこなかったであろうその瞳に宿る光は嘘をつかない。
普通に表の世界で暮らしている人々だったら気付かないのかもしれない。裏の世界に沈んでいる垣根だからこそそれがよく分かるのかもしれない。
一方通行は口を開く。
本人は全くそういうつもりは無かったとしても。
その口調はまるで、目の前の垣根を救い上げるかのようなものであった。
「自分の中にある本当の意思、それに従って生きろって事だ。うだうだ言い訳ばっかしてンじゃねェぞ」
垣根は、呼吸が止まったかと思った。
直後、一方通行が動く。
目の前の垣根に向かって走り、右拳を握りしめる。
その瞳はじっと垣根を捉えたままだ。
垣根は動くことができない。
別にこちらが反応できないほどのスピードで相手が動いたわけではない。
一方通行は相変わらず一切能力を使っておらず、その速さは普通の人間のものだ。
しかし、垣根は動けない。
おそらく相手が走りではなく、歩いてゆっくり迫ってきても同じだっただろう。
頭の中がグチャグチャだ。
レベル5としての優秀な脳でも、いや、優秀であるからこそ様々な事を一気に処理しようとした結果こうなってしまうのか。
それは垣根には分からない。それでも、思考の歯車をせき止めている異物の存在には気付いている。
希望だ。
まだ自分の中にはそんなものが存在していたのかと、少し驚く。
眩しすぎるその異物は、垣根の思考を完全に止めてかき乱していく。
一方通行があんな表情をすることができるのであれば。
それは、自分にも僅かには可能性があるのではないか。
一方通行の拳が頬を打ちぬいたのは、それからすぐの事だった。
両足が地面から離れ、体全体を浮遊感が包み込む。
不思議と痛みはそこまで感じない。殴られすぎて感覚が麻痺している可能性もある。
まるでテレビの中の映像を見ているかのように、殴り飛ばされているのが自分だという感覚を上手く受け止められないまま、場面は展開されていく。
ザッバァァ!!! と激しい水しぶきをあげて、垣根はそのまま川に落ちた。
全身を刺すような冷たさが襲い、視界には無数の泡しかない。
かなりの速さで流されているのは分かる。途中で岩などにぶつからないのはただ幸運なのだろう。
足はつかない。それなりの深さはあるようだ。
普通だったら、この流れの速さの川に落ちた場合、命の心配もするべきだろう。
だが、垣根は特にもがくこともなく、ただ流されるままになっていた。頭の中ではどうやって助かろうか、といった考えも浮かんでこない。
決してそのまま死にたいというわけではないのだが、このままでは命に関わるという事にもあまり実感が湧かない。
目を閉じる。
すると瞼の裏には、今のこの状況とは対照的な、暖かく穏やかな光景が浮かび上がっていた。
桜の舞う四月のある晴れた日。まだ子供である自分は複数の白衣を着た研究者達を引き連れて歩いていた。
世間一般的には新学期シーズンだ。
ふと視界に入ってくる学校では初々しくガチガチに緊張した新入生や、春休みが終わったことを嘆きつつ、友人と話しながら登校している在校生などが確認できる。
垣根はそんな光景を眺めて足を止める。周りの研究者達は何事かと怪訝そうな顔をしたり、垣根が何かをやらかさないかと冷々している者も居る。
何かするつもりはない。ただ、少し興味があっただけだ。
子供の頃から研究機関に居た垣根にはまともな学校生活の記憶はない。授業風景と言われれば、だだっ広い教室で自分だけが机に座っている光景が浮かび上がる。
授業中に誰かにイタズラをして先生に叱られたり、放課後にみんなで遊びに行ったり、修学旅行で順番に好きな女の子を白状していったり。
そんな、当たり前な経験が垣根にはなかった。
そしてそれは、何も知らない子供にとってはとても輝いて見えた。
その度に、垣根は無理矢理に自分を納得させた。
自分は他の大勢の者達にはない、特別な力がある。それはきっと、とても素晴らしいことなのだ。
隣の芝生は青く見えるものだ。今のこのどこかのお偉いさんのような手厚い待遇などだって、普通の者達から見れば羨ましがられるものだろう。
だから、何も気にする必要はない。人には人の住むべき世界がある。
垣根は小さく目を閉じ、歩き始める。周りの研究者達もそれに続く。
桜の舞う、名前も知らない学校を背に、力を持った少年は歩き続ける。
垣根は目を開ける。
どうやらもう、自分は流されていないらしい。それでも、今もなお体は水中にある。もしかしたら話にあった湖まで流されたのかもしれない。
頭上に広がる、キラキラと太陽の光を反射する水面がかなり遠くなっている。服も大分水を吸って重くなっているので、どんどん深くまで沈んでいく。
やけに重く感じる腕を上げる。水面に映る光を掴むように、掌を大きく広げる。
(……そうだったな)
遠くの水面に反射する光に、垣根は目を細める。
ずっと前から、本当は分かっていた。分かっていて、必死に気付かないふりをしていた。
ただ怖かったから。否定されたくなかったから。
だから、最初から動かずに傷つかない道を選んだ。小さな子供が嫌なことから目を背けるのは仕方のないことだろう。
そして、そのまま今この瞬間まで生きてきた。
何も変わっていない。体だけが大きくなっただけで、根本的な部分は子供の頃からずっと同じだ。
ずっと、同じ場所に立っているだけだ。
(俺は――――)
垣根の体は沈んでいく。
水面に映る光が遠い。まるで空に光る星のように、そこにあるのに決して手は届かない。
背後に顔を向けてみると、真っ黒な闇だけが広がっている。やはり行き着く先はそこか、と垣根は目を閉じ、自嘲気味に唇を歪めた。
今までの彼であれば、このまま底まで沈んでいったのだろう。
しかし、今はもう違った。
数秒後、垣根は目を開ける。その目には確かな光が宿っている。
「上等だ」
水中なので声はハッキリ響かない。だが、その口の形は確かにそう言っていた。
彼の中では明確な変化が生まれていた。
それが一方通行によるものだと認めるのは癪だ。だから垣根は、これは自分の選択だと言い聞かせる。
もう何かのせいにはしない。自分は自分の道を行く。
垣根は勢い良く水を蹴る。
水面が遠い。体中にまとわりつく衣服が重い。酸素不足で苦しい上に頭がガンガンと痛くなる。
それでも、彼は水を蹴り続ける。頭上でキラキラと輝く光に向かって懸命に腕を伸ばす。
そして。
***
二月に全身びしょ濡れで雪の上で寝転がっていればどうなるか。
「さっみぃ……」
ガタガタと全身を震わせながら、垣根は呟く。
ここは湖の畔。何とか水中から這い出てきて、大の字になって荒い息を整えていた。
視界には吸い込まれそうなほど澄み切った青空が広がっている。
といっても、いつまでもこのままで居ることはできない。
こうして寝ているのは体力を回復するという目的が強いのだが、ここまで寒いと回復するどころか逆に奪われかねない。
すぐに起き上がってとにかく暖かい所に行きたいという気持ちはあるのだが、思いの外体の疲労が大きくまともに動けないというわけだ。
(少しばかり能力に頼りすぎてたか……)
自分自身にうんざりするように空に向けて溜息をつく。白い息は真っ直ぐ空に浮かんで行き見えなくなっていく。
そんな時だった。
「なンだ、生きてンのか」
思い切り不機嫌そうな声が近くから聞こえてきた。
不本意ながら、その声は聞くだけで誰のものなのかは分かる。音の方向からして、おそらく垣根の頭のある位置のもっと奥の方に立っているのだろう。
垣根はやたら疲れた表情を浮かべて、
「危うく死ぬ所だ」
「どォせ死なねェだろ。オマエのしぶとさだけは認めてやらなくもねェ」
「嬉しくも何ともねえよ」
垣根は再び白い息を吐く。
全身が震えるほどに寒い上に疲労もピークで、少しでも気を抜けば意識を手放してしまいそうだ。
それでも、どこか楽になった感覚もしていた。
今垣根は、ただ「寒い」やら「疲れた」やらとしか考えていない。それが妙に軽い気分にしてくれる。
それだけ、自分は今まで無駄に色々な事を考えすぎていたのだろうか。
「なぁ、一方通行」
「あァ?」
「俺がテメェの事を気に入らねえのはこれからも変わんねえぞ。変わるわけがねえんだ。
俺と同レベルのクソヤロウのくせに、何勝手に一人で表の世界で楽しくやろうとしてやがる。俺はそんなの認めるわけにはいかねえ」
その言葉の中に、どんな意味が込められていたのか。正確なところは垣根自身にしか分からない。
もしかしたら何か心境の変化があったのかもしれないし、何も変わっていないのかもしれない。
ただ分かっていることは、彼は随分と穏やかに目を閉じている事くらいだった。
一方通行はそんな垣根を見て、面倒くさそうに一度だけ溜息をついた。
その表情の中には、どこか先程までとは違ったものが浮かんでいるようにも見えたが、それも一方通行自身にしか分からない。
短いけど今回はここまで。そろそろ二ヶ月だったし
次回は上条さんとみさきちパートから
追い付いたー!!
いやー面白い!!
前に書いたスレとかあったら教えて!
***
この辺りは元々温泉街として有名な場所だ。
そういった点では、こうやって硫黄の匂いに包まれながら山を登って、ボコボコとお湯が湧くのを見るのは真っ当な観光の仕方なのかもしれない。そう上条はぼんやりと考えた。
一応有名な観光地ではあるのだが、平日という事もあって人通りはそこまで多くない。もう日も傾いて辺りがオレンジ色に染まっている時間帯という事もあるのかもしれない。
左腕には相変わらず食蜂が引っ付いていて、柔らかい感触が伝わってくる。当然離れるようにと言っても聞き入れることはない。
最初こそは男子高校生らしくドキドキして落ち着かなかったのだが、今ではすっかり慣れてしまった。
女の子の胸を腕に押し付けられるという事に慣れるというのも、また様々な誤解を生んでクラスメイトなんかにバレればボコボコにされそうなものだが。
彼女は制服から現地調達した私服に着替えている。全体的に明るい色のロングカーディガンにミディスカート。首元には長いマフラーを巻いている。そしてやけに嬉しそうだ。
これは今まで人の心というものを信じてこなかった事からくる反動というふうにも考えられる。
相手は誰でもいい、とにかく甘える対象が欲しいのだろう。
そう考えていた上条だったが、
「ちがいますよーだ」
「へ?」
急に隣の食蜂が不機嫌そうにこちらを見つめてきた。
それもかなりの至近距離で、上条はすぐに上半身を仰け反らせて顔を遠ざける。
「な、なんの話だよ?」
「相手は誰でもいいっていうわけではありませんー。どこのビッチですかそれぇ」
「ビッチって……常盤台のお嬢様がそんなこと言っていいのかよ……」
「ふふ、お嬢様に幻想抱いてちゃダメだぞ☆ ていうか御坂さんなんて自販機に蹴り叩き込んでるじゃないですかぁ」
「……それもそうだな」
妙に説得力があるので納得してしまう。所詮「おほほ」と微笑む上品なお嬢様などというのは、そうそう居るものではない。
どれだけ優れているといっても、女子中学生ということには変わりないのだ。まだまだ遊び足りない時期だろう。
上条の知っている中では白井なんかはお嬢様口調だが、いきなりテレポートドロップキックを放ってきたりなど、やはりその行いはお嬢様とはかけ離れているように思える。
少しすると、何やら休憩所らしきものが見えてきた。
すのこの上に畳が敷いてある、どこかお団子屋さんのような印象も受ける。
しかし、そこで休んでいる人達が口にしているのはどうやら温泉まんじゅうやら温泉卵だった。
「ちょっと休んでくか?」
「さんせーい! あ、何か食べますぅ? 私買ってきますよ」
「え、いや、中学生に奢ってもらうってのは……」
「まぁまぁ、財力の差は歴然なんですから、無理に格好つけなくても大丈夫ですよぉ」
「うぐっ、そこまで言われて黙ってられっか! ここは意地でも俺が買ってやる!!」
「あ、それではお言葉に甘えさせてもらいますね♪」
「えっ!?」
ダチョウ倶楽部的なノリでまんまと奢る方向に進まされてしまった上条。
思わず呆然と食蜂を見るが、彼女の方はクスクスと楽しげに笑いながら、
「冗談ですって。でも上条さん、そんなだといつか悪い女の人に捕まっちゃいますよぉ?」
「…………」
「その目、『悪い女はお前だろ!!』とかって思ってますねぇ? ひっどぉーい!!」
「あー、心読んだのか」
「読んでませんよぉ、ていうか本当にそう思ってたんですね……割とショックですぅ」
そう言って肩を落としながら、食蜂は店の方に歩いて行く。
それを見た上条は慌てて、
「あ、おい。自分の分はちゃんと払うって」
「いいですってー。私って案外尽くす女なんですよぉ?」
そう微笑むと、彼女はさっさと温泉まんじゅうやら温泉卵を買ってしまう。
そしてやけに嬉しそうに上条の元へと戻ってきて、隣に座った。フワッと甘い香りが届く。
上条は少しドキッとしながらも、冷静を装って口を開く。
「悪いな」
「ふふ、私への好感度大幅上昇って感じですかぁ?」
「いくら上条さんでも、まんじゅうと卵で籠絡される事はないですよっと」
「ちぇー」
口を尖らせて、食蜂は買ってきたものを取り出す。
それを見て、上条は少し驚く。別に変なものがあったというわけではない。
観光地ではゲテモノを売ってたりなどは珍しくないのかもしれないが、食蜂が買ってきたのは至って普通のものだ。
ただ、その量が予想していたよりも遥かに多かった。
「……なぁ、いくら俺でもそんなに沢山食えねえぞ? お土産か何かか?」
「え、いえ、私がこれくらい食べたかっただけですよぉ」
「そんなに食うの!? インデックスかお前は!!」
「むっ、だからデート中は他の女の子の話は禁止です。
ていうか別にこのくらい普通だと思いますけどぉ。私だって中学生で育ち盛りなんですしぃ。他の子が気にしすぎなんですよぉ」
「……太るぞ」
「太りませんー。食べた分は全部胸にいくんですよ私ぃ」
「ぶっ!!」
やたら自慢げに両手を首の後に回して胸を強調する食蜂。
それによってこれでもかと言わんばかりに自己主張する双丘に、上条はバッと目を逸らした。
すると食蜂はニヤニヤと笑みを浮かべて、
「あらぁ、やっぱり上条さんは巨乳派なんですねぇ。いいですよぉ、ちょっとくらい触ってみても」
「んな事できるか!!!」
いくら人が少ないとは言え、居ることは居る。
そんな中で中学生の胸を触るなんて事をしたら、社会的地位がどん底に落下するだろう。
(いや別に誰も見てないならいいってわけじゃないけど!!)
誰にというわけでもなく、一人で勝手に心の中で弁解する上条。
食蜂は少し不満気に頬をふくらませ、
「つまんなーい。もしここで触ってたら、それを盾に色々追い込めたのにー」
「最近の中学生は恐ろしいなオイ」
「ふふ、私はインデックスさんや御坂さんよりは大人びていると自負していますよ? つまり上条さんの好み的には私が一番合致しているというわけです」
「んなリアルな大人っぽさ求めてねえよ。俺は年上のお姉さんの優しい包容力を求めてんだ」
「そんなの幻想に決まってるじゃないですかぁ。そういう人に限って、裏で何やっているか分からないですよぉ? 例えば夜になったらぁ……」
「やめて!! その幻想はぶち殺さないで!!!」
上条は耳をふさいで現実逃避を試みる。
理想である寮の管理人のお姉さんは、いつも箒を片手に笑顔で挨拶してくれる人で、包容力満点の癒し系純情お姉さんなのだ。
勤務時間が終わった瞬間に夜の街に繰り出して、いかついお兄さん相手に愚痴をこぼしまくっている姿など想像したくない。
例えそれは儚い幻想だったとしても、世の中には壊してはいけないものだってあるはずだ。
食蜂はそんな上条に苦笑すると、温泉卵を片手に空を見上げる。
つられるように上条も視線を上に向けてみると、そこにはオレンジ色から次第に茜色に変わっている空が遠くまで広がっており、薄い雲がいくつか浮かんでいる。
明日は雪が降るかもしれないという予報が出ていたはずだが、そんな気配を感じないほど綺麗な夕焼けだ。
そのまま上条が小さく白い息をつくと、それは真っ直ぐ空へ昇っていく。
二月の夕方ということもあって、着込んでいても寒いことは寒い。
思い返してみれば、最近は色々な事がありすぎて、こうしてゆっくり休息をとる事も少なかったような気がする。
インデックスが戻ってきてからは色々と慌ただしかったし、その前は逆に何もやる気が起きなかった。
こうして一度息を抜くと、様々な事が頭をよぎっていく。その大半はインデックスのことだ。
彼女は明々後日にはイギリスへ帰ってしまう。
その時、自分はきちんと別れられるのだろうか。笑顔で「またな」と言えるのだろうか。
上条は自信が持てない。
もう二度と会えないというわけではないはずだ。あくまで今の微妙な世界の状況を考慮して、一時的に科学と魔術を明確に区切る。
それぞれのサイドの有力者による話し合いで、きっとまた元の状態に戻れる、そう信じている。
今まで科学と魔術の間では色々あったが、今では互いが互いを理解しようと思っている。
だが、それでもこれからもインデックスと一緒に暮らす事はできないかもしれない。
彼女は自分の力を役立たせたいと言っていた。それは本心なのだろう。
それならば、科学と魔術云々という話ではなく、やはりイギリスの方に居たほうが良いということになる。
彼女の知識は科学方面ではなく魔術方面で存分に発揮されるからだ。
だから、もう会えないという事はなくても、生活は別々になるという可能性があるというわけだ。
こういった事は、何も珍しいことではないのだろう。
小萌先生も言っていたが、人生において別れというのはいくつもあるものだ。
確かに、思い返してみればインデックスとの生活は楽しかった。
上条が料理を作っている時に待ちきれないように度々キッチンに姿を現してつまみ食いをしたり、出された食事は本当に幸せそうに食べてくれたり。
朝は早起きして祈りを捧げてシスターっぽい事をしているかと思えば、昼にはゴロゴロとスナック菓子を食べながらアニメを観たり。
いつの間にか上条のクラスにも打ち解けていて、大覇星祭や一端覧祭のあとの打ち上げにもちゃっかり参加していたりして。
一つ一つは何でもない、些細な事なのかもしれないが。
それでも、上条にとってはその全てがもう二度と失いたくない、大切な思い出だ。
今までの思い出があれば例え離れていても平気だというのはフィクションの世界での綺麗事に過ぎないと思う。
離れていれば当然寂しい。それはインデックスが一度イギリスへ行ってしまった時に嫌というほど知った。
居場所が変われば、生活も変わる。上条は学園都市で、インデックスはイギリスでそれぞれの道を歩んでいく。
たまにはその道が交差することもあるかもしれない。今の問題が解決すれば、飛行機に乗れば学園都市とイギリスの間を行き来する事だってできる。
会いに行けば彼女は笑顔で迎えてくれるだろう。様々な所を案内してくれて、幸せな時間を過ごせるのだろう。
お互いに自分の近況を話しつつ、昔の思い出話なんかにも花を咲かせる。そして最後に「楽しかった」「また遊ぼう」と言って二人は満足気に別れる。
ただ、それだけなのだ。二人にとってそれは日常とは少し離れた事であり、それは二人の世界が明確に切り離されてしまったという事を実感させる。
彼女にとっての日常には上条は居なくなる。楽しいことも悲しいことも、その大半をイギリス清教の仲間達と分かち合う。
そして上条の知らない友情、あるいは愛情を育んでいくのだろう。
それを想像するだけで感じる胸の痛み。それも含めて別れというものなんだろう。
頭では理解できるが、納得はできない。
今までだって似たような事はあった。
例えば一人の少女が自分のクローンのために自らを犠牲にしようとしている場面を目撃した時。
例えば何の罪もない不死の存在が、周りの好き勝手な都合に振り回されてその命を手放そうとしていた時。
いつだって上条は納得できずに自分の思うように動いた。それに続いてくれる者達も居てくれた。
それは大人になれない子供だからこそできた行動なのだろう。
自分の考えが全て正しいとは思わない。それでも自分自身くらいはそれが最善だと信じたい。
今回はそんな風に動くことができなかった。
何よりもインデックスの幸福を願っているからこそ、彼女を止めることなどできない。
納得はできないが、動くことができない。
「……はぁ」
「まーたインデックスさんの事考えてるんですかぁ?」
「プライバシーも何もねえなその能力」
「能力は使ってませんって。顔見れば分かります」
「あー、そういや俺ってすぐ顔に出るとか言われたな」
上条は視線を空に固定したままで小さく笑う。
こうして話している間にも空はオレンジ色から茜色に変わりつつある。
二人は休憩所を後にして、更に上の方へ登っていく。左腕は相変わらず食蜂に抱きつかれる形になる。
食蜂の話だと、上の方に景色が綺麗な場所があるらしい。この時間ならば夕陽がいい具合にロマンチックなんだとか。
日も落ちてきているので、周りの人もだんだんと少なくなっていく。
「ふふ、こんな暗がりに二人きり。押し倒すなら今ですよぉ?」
「俺の理性がそんなもんだったらとっくにヤバイ事になってるっつの」
「それもそうですよねぇ。ていうか、女の子と半年も同棲してて何もなしって、普通にホモなんじゃないのかって疑われるレベルですよぉ?」
「えっ、マジで……?」
「結構マジです。でもそれだと色々と難しくなってきますねぇ。もういっそ手っ取り早く私の洗脳力で何とかした方が早いような……」
「何平然と恐ろしいことを言ってるんだお前」
食蜂の言葉に、上条はすぐに右手を頭に持っていく。
彼女はクスクスと笑って、
「冗談ですよ、冗談。もう、そんなに警戒力全開じゃなくてもいいじゃないですかぁ」
「お前が言うと全く冗談に聞こえないんだよ……。それにしても、割と本気でホモに思われるかもしんねえってのはマズイな」
「誰か身近に同志が居るって事ですかぁ?」
「いねえよ! つかそれだと俺がもうホモだって確定したみたいじゃねえか!! 俺の好みは寮の管理人のお姉さん!! 男に興味はねえ!!!」
「それなら!」
食蜂は上条の左腕から離れると、前方へと走って行き、こちらを振り返って両手をパンッと鳴らせて合わせる。
その笑顔はとても可愛らしいもので、多くの男達は簡単に籠絡されてしまうであろう程だ。
だが、彼女の事をある程度知っている上条には、その笑顔からは嫌な予感しかしなかった。
「まずは二人で写真を撮りましょう。思い切りラブラブしてるやつ」
「……それで?」
「その写真を私のブログにアップします。タイトルは『私達付き合いました』」
「おい待て」
「そしてその後は私の情報力を駆使して学園都市中に拡散。上条さんのホモ疑惑は無事晴れるというわけです!」
「聞けっつの! そんな事したら『中学生に手を出した』っていう不名誉な称号をゲットしちまう!!」
「『ホモ』っていう称号よりはまだマシだと思いますけどぉ」
「ぐっ……つか何でその二択なんだ。どうあがいても絶望だってんなら、そんな幻想ぶち殺してやる!」
「ちょっとぉ、何で私と付き合うのが絶望なんですかー!!」
「常盤台中学のお嬢様に手を出して、その後クラスでどんな目に遭うと思ってんだ! つかお前面白がってるだけだろ!?」
「ひっどぉーい! 私だって本気なのにぃー!!」
上条はまともに相手をせず、さっさと歩いて行ってしまう。
すると頬を膨らませた食蜂が後ろから駆け寄ってきて、再び上条の左腕に抱きつく体勢に戻る。
「ほらほら、心臓バクバクいってるでしょー?」
「単に山登ってるからじゃねえの。操祈って運動音痴だって御坂から聞いたけど」
「なっ、御坂さん覚えてなさいよぉ……!!」
「いや別にそこまで気にすることもねえと思うぞ。むしろそっちの方がお嬢様らしいと思うしさ。御坂なんか平気で夜通し走り回ったりするからな」
「むぅ、上条さんがそう言うなら……そういえば上条さんって御坂さんと夜通し追いかけっこなんてしたんでしたっけぇ」
「分かってると思うけどよ、カップルが砂浜でキャハハ、ウフフみてえなもんじゃねえぞ。お互い本気だ」
「上条さんはそうかもしれないですけど、御坂さんは何だかんだ楽しそうに見えましたよぉ」
「そりゃ自分の能力を思う存分ぶつけられるからだろうよ……。レベル5っていったら、普段から力は抑えてないといけねえだろうし」
「……うん、こういう鈍さはむしろ救いになってるかもぉ」
「へっ?」
「上条さんがバカで良かったって事ですぅ」
「突然なんたる言い草!!!」
そんな事を話している内に、二人は目的地まで辿り着く。
そこは山の斜面に、木で組んだ広場を水平に伸ばしているものだった。
いわゆる展望台というもので、先端まで歩いて行って柵に両肘をかけて景色を眺めてみる。
食蜂の言うとおり、そこには上条も素直に綺麗だと思う風景が広がっていた。
見渡す限りの山々に夕日の光が当たって、それぞれが淡く輝いている。弱く吹く風が木々を揺らし、優しい音を奏でる。
山の少し上にある空は茜色に染まり、薄い雲が帯状に広がっている。
時間を忘れていつまでも見ていたい。そんな景色だった。
「……綺麗だな」
「えっ、私がですかぁ!?」
「いや景色が」
「そこまで淡々と言われると結構ショックです……」
そう言って頬をふくらませながら、食蜂は隣の上条の肩に頭をコトンと乗せた。
上条は、それを特にどうにかするつもりもなく、ただ景色を眺めている。
学園都市の生活ではあまり目にすることもない大自然に、心が澄んでいくような感覚も抱く。
まるで、絡まった糸がほどけていくように。
今なら、インデックスの事についても考えられるかもしれない。そう思った。
ただ、再び思考の海に飛び込んでいく前に、少し躊躇う。
流石にここまで食蜂を放っておいてインデックスの事ばかりを考えているのも良くない。
彼女だって今旅行を楽しんでいるのだろうし、そんな中で放って置かれるのは寂しいものだろう。
そう思って、上条は食蜂の方を向く。
すると彼女はニッコリと笑って小首を傾げ、
「あれ、またインデックスさんの事を考え始めるのだと思ってましたけどぉ」
「いや、それは流石に操祈に悪いと思ってさ……」
「あっ、私の事考えてくれてるんだぁ。嬉しいです」
そう言いながら、眩しいくらいの笑顔を向ける食蜂。
分かりきったことではあるが、彼女も相当な美少女であり、こうしてデートしていることは男としてかなり恵まれているのかもしれない。
いっそ、青髪ピアスのように欲望全開で素直に喜べたらそれはそれで幸せなのだろう。
ぼんやりとそんな事を考えている上条に対して、食蜂はニコニコと話し始める。
「でもぉ、上条さんがインデックスさんの事をよく考えたいって言うなら構いませんよ。良かったら私も相談に乗りますしぃ」
「あれ、でもお前他の女の子の事を考えるの禁止とか言ってなかったっけ?」
「正直もう諦めましたぁ。旅行中ずっと上の空でいられるよりは、今ここでゆっくり考えてもらったほうが良いと思ったんですぅ」
「そ、そっか。なんか悪いな」
「本当ですよぉ。というわけでちゃっちゃと済ませましょう」
「えらく雑だなオイ。まさか前みたいにインデックスとの仲をギクシャクさせるつもりなんじゃねえだろうな」
「しませんって。今回は私は何も言いません。ただ少し夢でもみてもらおうかなって」
「夢?」
「はい。私の能力を使えば面白いことができるんですよ。きっとインデックスさんの事を考えるのにも役立ちます」
「……その面白い事ってのは、俺の記憶を弄って遊び回すって事じゃねえだろうな」
「違いますよぉ。どんだけ信用ないんですか私ぃ」
「それは目を瞑って自分の胸に手を当ててよく聞いてみなさい」
上条のそんな言葉に、プクーと頬を膨らませる食蜂。
だが今までの彼女の言動から考えても、警戒するに越した事はないはずだ。
例えば冗談なのかどうか分からないが、ずっと言っているホテルへ強制的に連れて行くというのも、上条からしてみれば深刻すぎる展開だったりもする。
「もうっ、それならいいですよ!」
「悪い悪い、冗談だっての。まぁこれに懲りたら年上をからかうような発言は控えることだな」
「私は真面目なのに」
「いやそれは余計にヤバイ」
「むぅ……まぁいいですよぉ。それじゃあ、頭出してください」
それから上条は大人しく頭を差し出す。
食蜂は右手をそのツンツン頭へと乗せると、目を閉じて集中し始める。
上条も目を閉じると、そこにあるのは暗闇だけになった。
瞼の裏からは僅かに夕焼けの光も漏れ込んではいるのだが、それでも圧倒的に暗闇のほうが強い。
そんな光景がしばらく続いた後。
急に、辺りが真っ白な光に包まれた。
***
真っ白な病室だった。
時刻はお昼頃で、窓からは暖かい、いや、暑いくらいの風が入り込んで白いカーテンを揺らす。
部屋にはカーテンの揺れる音だけが広がっている。
夏の昼下がり。
話によるともう夏休みに入っているらしいので、多くの学生は色々な場所で遊んでいる事だろう。
そんな中で、上条は一人ベッドの上に横たわっていた。
不思議な感覚だった。
まるで自分の体が自分のものではないような。
いや、それはある意味では正しいのだろう。なぜなら、この体は今日自分のものになったばかりなのだから。
記憶がなかった。
気付けばこうしてベッドの上に居た。
それ以前の事は何も覚えていない。突然この世に生まれた、そんな感覚。
友達も、先生も、両親の事でさえ何も覚えていない。ただ、ここに居るだけの存在。
自分がこうして入院している理由は医者から聞いた。
何でも一人の少女を守るために魔術師に立ち向かい、最終的に光の羽の一撃を頭に受けて記憶が飛んでしまったのだとか。
どう考えても作り話でこちらをからかっているのではないかとも思った。
医者の方も、その事情については上条を病院まで運んできた二人組から聞いたらしく、信じているわけでもないらしい。
上条からすればそれは単なる他人事でしか無かった。
たとえその話が本当だとしても、それは今の自分とは何の関係もない話だからだ。
どこかの誰かが一人の少女を助けた。まるでフィクションの世界の都合の良いヒーローのように。
ただ、それだけ。そのはずなのに。
(……なんだろうな)
ベッドの上から窓の外に広がる澄み切った青空を見上げて、上条はぼんやりと考える。
その話を聞いて、哀しいと思っている自分がいる。
それは別に変わったことではないのかもしれない。誰だって自分のこと以外でも哀しむことはある。
だが、この感覚はどこか違うと思った。
それは映画などで哀しいストーリーを観て、感情移入しているというようなものではない気がする。
実際に胸を掴まれているようなこの感覚は、何かが違う。
そして、そのすぐ後の事だった。
こんこん、と部屋の中にノックの音が響いてきた。
その音に、上条は大きな反応を見せなかった。
検診の時間にはまだ早い。という事は、おそらく扉の向こうには見舞い客でも居るのだろう。
こうして入院することになって、見舞いに来てくれる人が居るというのは喜ぶべきことなのかもしれない。
ただ、その相手は今の上条を心配して来たわけではない。
相手の思い出の中に居る上条当麻と、今ここにいる上条当麻は別人だ。
もう、相手のよく知る上条はこの世に居ない。これも一種の“死”というのだろうか。
そう考えると、気が滅入ってくる。
今ここにいる自分の存在は、即ち以前の上条当麻の死の証明である。
相手はどんな反応をするだろうか。今の自分を見て、上条当麻の“死”を確認して哀しむのだろうか。
今のこの上条当麻はいらない、早く以前までの上条当麻に戻ってくれと涙ながらに存在を否定されるのか。
ただ、無視することはできない。
だから、上条は小さく息を吸い込んだ後、短く「はい」と答えた。
ガラガラ、という音と共に一人の少女が病室に入ってきた。
白いシスターだった。
長く綺麗な銀髪に透き通ったエメラルドのような碧眼。
彼女は不安そうな表情を浮かべていたが、こちらを確認すると、微笑んで安心した表情を見せる。
短い沈黙が、二人の間を流れる。
そして。
「あなた、病室を間違えていませんか?」
上条は、まずそう言った。
目の前の外国人を見て、まずその疑問が頭に浮かんだからだ。
だが、すぐにそれは自分の思い違いだという事に気付く。
彼女は上条の言葉を聞いて、瞳いっぱいに悲しみの色を滲ませていた。
それでも、その悲しみを上条に悟られないように、彼女は精一杯笑顔を作っている。
それくらいは、今の自分にも分かった。
二言、三言、互いに言葉を交換しあう。
その度に、彼女の笑顔はどんどん崩れていった。
「俺達って知り合いなのか?」「俺って学生寮に住んでたのか?」「“とうま”って、誰の名前?」。
何もない自分は尋ねることしかできない。
それでも、彼女はまだこちらに尋ね続ける。
もう何も覚えていないことも、以前の上条当麻は死んでしまったことも。全て分かっているはずなのに。
「とうま、覚えてない?」と。
「インデックスは、とうまの事が大好きだったんだよ?」
彼女はすがるように、その言葉を紡いだ。
そして、祈るようにこちらを見つめ続ける。揺れる瞳を、必死に抑えながら。
上条は、答える。
「ごめん」と。
「インデックスって、何?」
その言葉に、ついに彼女の仮面が崩れたように思えた。
一瞬、懸命に持ち堪えていた笑顔は完全に崩れ、哀しみに満ちた表情が姿を現す。
ただ、彼女は強かった。
本当に崩れたのは一瞬だけ。
それからすぐに、彼女は再び笑顔を浮かべてこちらに向き合い続ける。
目は泳いで今にも涙が零れ落ちそうなのも分かる。それでも、彼女はクシャクシャな笑顔を向ける。
気付けば、口が開いていた。
何を言おうとか、どう慰めようかとか。
そういったものが頭に浮かぶ前に、既に口から言葉が出ていた。
「なんつってな、引ーっかかったぁ! あっはっはっは!!」
どういった理屈なのかは分からない。
確かに上条は脳細胞が吹っ飛んで全ての記憶を失ったはずだった。
あったはずの彼女との思い出も全て消えてしまったはずだった。
それでも、彼女の今にも泣き出しそうな表情を見た時。
自分の中に、何かを感じた。
それはハッキリとしたもので、気のせいでもなんでもない。
ただ、上条は彼女の哀しむ姿を見たくない。
確かにそう、思えたのだ。
その瞬間、上条の中には色が生まれたような気がした。
先程までは何の色にも染まらず、透明のような状態だった。
そんな中に、僅かに色が入った。
それは消えてしまった上条当麻の色なのか。新たに生まれた自分の色なのか。
ただ上条としては、前者でも後者でもない、いや、そのどちらとも言える答えだと思えた。
つまりは、この行動は今の自分の意思であって。
それでいて、以前の上条当麻も同じ境遇で同じ行動を取る。
今の自分には記憶が無い。それでも、全てが失われてしまったわけではない。
例え頭にある記憶は消えてしまったとしても。
上条当麻の心は、確かに残っている
そう、信じることができた。
全ては、彼女の、インデックスのお陰だった。
***
景色が変わった。
そこは上条が通う高校の一年七組の教室。今ではもう見慣れた場所だ。
ただ、自分の他には誰も居ない。小萌先生さえも。
ここまでガランとした教室に一人で居ることは中々ないので、新鮮さを覚える。
窓からは夕陽が差し込んできているのが分かる。
この辺は現実の時刻とリンクしているのだろうか。
上条はそんな茜色の空をぼーっと眺めながらぼんやりとする。
食蜂の言った通り、本当に夢をみているようだった。
その時考えていた事や感情も全て忠実に再現されていた。これも食蜂の能力によるものなのだろう。
「ふふ、面白いでしょぉ?」
その声に、上条は視線を空から黒板へ移す。
教壇の前に、食蜂が立っていた。服はなぜか上条の高校の女子用の冬服になっている。
それでもどことなくお嬢様っぽさが出ているのは、植え付けられた彼女のイメージによるものか。
彼女は穏やかに微笑んでいた。
つられるように、上条も口元を緩める。
「……こんな事もできるんだな。さすがレベル5だ」
「えぇ、人の記憶っていうのは時間と共に忘れていったり曖昧になったりする部分があるんですけど、私の能力で再び明確化させる事ができるんです。
人間、忘れている事でも深いところに残っていたりするんですよ。一度削除したデータを復元することができるように。流石に上条さんみたいに脳細胞ごと吹き飛ばされているのは無理ですけど」
「それでも十分すげえよ。本当にあの時に戻ったみたいだった」
「そうですね。感情、記憶全てが当時のもので再生されますから。上条さんがインデックスさんの事を考えるのにも役立つと思いまして」
「あぁ、色々考えさせられた」
インデックスがどれだけ大切な存在であるか、そしてその理由。
それは今の記憶を再び確認したことで、よく思い知ることができた。
「でもぉ、これって使い過ぎは禁物なんですよぉ。人によっては過去の記憶にだけすがって現実に戻って来ないような人も居たりしますからぁ」
「マジで?」
「えぇ、実際にそんな人が居ました。そういう人達でも無理矢理現実に引きずり出しましたけど、その後カウンセリングやらなんやら受けるはめになっちゃって」
「おいおいおい、お前はそんなもんを俺に試したのかよ」
「ふふ、上条さんならきっと大丈夫だと思いましたよ。だって過去に引きこもるなんてやりそうにないですし」
「……まぁ、それはそうだけどさ」
今の上条は現実逃避している場合ではない。インデックスのこともあるのだ。
ただ、そうやって過去に引きこもってしまう者達の気持ちも分からなくはない気がする。
楽しかった時の記憶ばかりを再体験すれば、現実を軽視してしまうのも無理もないのかもしれない。
それと、記憶が無い上条にはあまりピンとこないのだが、小学生頃の夏休みが凄く楽しかった、あの頃に戻りたい、などと言っている者達も結構居る。
だが、今はインデックスの事を考えるのに集中しなければいけない。
「操祈、他にも行きたい記憶があるんだ。いいか?」
「えぇ、好きなだけどうぞ」
そう言って、食蜂は右手を軽く振る。
すると、黒板の前にいくつかの扉が出現した。その上部にはそれぞれ日付が書かれている。
「今上条さんが行きたいと思っている記憶はざっとこんな感じでしょうか」
「何でもお見通しってか」
「だってここも上条さんの精神の中ですしぃ」
上条は小さく苦笑すると、席を立って前の扉に近づく。
そしてそのドアノブを掴むと、顔を食蜂の方に向ける。
「ありがとな。今度何か礼をする」
「何言ってるんですかぁ、元々私には上条さんに恩がありますし、これでも全然返しきれてないくらいですよ」
「恩ってな……別にそこまで気にしなくていいぞ? そういうのって大体いつも俺の好きなようにやった結果だし、言い出したらきりねえよ」
「それでも、です。私の気持ちだと思って受け取ってください」
「……あぁ、分かった」
上条が笑みを向けると、同じように彼女も返してくる。
やはり、人というものは少し向き合ったくらいでは何も分からない。
今まで色々あったが、上条はこうして食蜂と知り合えて良かったと、心の底から思う。
そしてできれば彼女も同じような事を思っていてくれたら、とも思う。
上条はドアノブを回して中へ入る。
途端に意識は混濁し、暗闇の中へと落ちていった。
それから、インデックスに関わる様々な場面を再体験した。
こうして振り返ってみると、本当に彼女と関わっている時間が長かったのだと実感する。
例えば絶対能力進化実験の時など、インデックスがあまり関わっていないものであっても、最後には彼女が側に居た。
インデックスは、上条の帰る場所だった。
例えどれほど悲惨な戦場に身を投じても。
例えどれほど遠く離れた場所にいても。
最後に笑顔で迎えてくれるのはインデックスだ。
いつもの部屋で、いつものようにドアを開けるとそこに居て。
上条が怪我なんかをしていると頬を膨らませて怒ったりもして。
それでも、結局はお互い笑顔になっている。
記憶が無い上条にとっては、彼女とは両親よりも長い時間を共に過ごした人だ。
一緒に居るだけで心が落ち着き、例え二人の間に会話がなくても居心地がいい。
お互い迷惑もかけるし、心配もかける。
そしていつだって互いが互いの味方。もし世界中が上条の敵に回ったとしても彼女だけは味方でいてくれるし、その逆だってそうだ。
それがきっと、家族というものなのだろう。
パズルのピースがはまっていく。
もちろん、刀夜や詩菜の事を親だと思っていないという事ではない。
二人と過ごした時間はまだまだ少ないが、それでもどれだけ自分のことを大切に思ってくれているのかはよく分かっている。そして上条もそれに応えたいと思っている。
ただ、今の上条にとっては家族と言われると真っ先に浮かんでくるのがインデックスなのだ。
記憶喪失のすぐ後などは特に、彼女の存在は絶対だった。
彼女が他の誰かの元に行ってしまう事を想像するだけで、心に絶望が広がって何も考えられなくなった。
彼女の笑顔は自分に向けられているのではなく、以前の上条当麻へのものである事に悩んだ。
まるで何かの劇のように、自分が自分以外の誰かの役を演じている感覚が続いた。
だが、それも次第に変わってきた。
以前の上条当麻がどれだけ彼女のことを大切に思っていたのか、それは分からない。
それでも、今の上条にとっても彼女は本当に大切な存在だ。
そこは今も昔も関係ない。いや、それこそが以前の上条当麻と自分を繋ぎ止めているものだった。
これはただの希望にすぎないのかもしれないが、例え記憶を失っていなかったとしても、今までの行動は変わっていなかったと思うようになっていた。
今まで体験してきたどの事件でも、以前の上条当麻は変わらずに手を差し伸べていたのだろう。
それが、全てを賭けてでもインデックスを守ろうとした上条当麻だと思うから。
記憶は失ったとしても、心は残っている。
少しも科学的ではないこの考えだが、きっと正しいはずだと上条は今だって信じている。
上条は目を開ける。
そこに広がっていたのは、茜色の空と見渡す限りの山々だった。
ここはもう上条の精神の中ではない。現実に戻ってきた。
右隣では食蜂が微笑みながらこちらを見ていた。
僅かな風にサラサラとした金髪をなびかせるその姿は、夕焼けに染まる空と相まって絵画的な美しさを感じさせる。
「何か掴めましたか?」
「……あぁ。やっぱ前に操祈が言っていたことは間違ってなかったんだと思う」
「え?」
「俺がインデックスの事を娘のように思っているってやつ」
「でもそれって私、上条さんとインデックスさんを離そうと思って言った事ですよ?」
「それでも、だ。ほら、俺って記憶がないからさ。一番長い間一緒に居るインデックスの事は本当に家族のように思ってるんだ。
最初の頃はアイツが側から離れて行ったらどうしようってすっげえ怖かった。たぶん、それが今でも心のどこかに残ってるんだ」
「…………」
「はは、情けねえよな。俺は俺だって威勢の良い事言っておきながら、心の奥ではまだそういう怯えがあるんだ。
インデックスはもう記憶喪失の事は知ってるし、今の俺も受け入れてくれてる。それでもまだ俺はアイツにすがりついてる。
アイツが側から居なくなったら、俺の存在自体の意味が薄くなるなんて思ってる。これじゃ娘というか、俺が親離れできない子供みたいなもんだ」
上条はそう自嘲すると、真っ直ぐ空を見上げる。
太陽は西の空へと沈んでいく間際で、最後の輝きを放っている。
光があればそこには影もあるように。
上条の心の中の暗い部分はどれだけの月日が流れても根強く残っている。
普段はその姿を見せていなくても、ふとした時に表に出てくるものだ。
食蜂はじっとこちらを見ていた。
そして何かを言おうとして中途半端に口を開き、躊躇する。
「ん、どうした? 何かあったら教えてくれ。俺もまだ掴みきれてないとこともあるかもしんねえ。自分のことなんだけどさ」
「……いえ、何でもないです」
「そうか?」
上条の視線から逃れるように、食蜂は景色の方に顔を向ける。
その様子に、上条は何かまずい事を言ったのかと心配になる。
夕陽に照らされたその横顔は、美しくも悲しげなものだった。
どうして彼女がそんな表情をするのか、上条には分からない。その表情は美しいものではあったが、いつまでも見ていたいものではなかった。
少しの沈黙が二人の間に流れる。
辺りには人もいないので、お互いが黙ると風が木々を静かに揺らす音しか聞こえなくなる。
すると。
「やっぱり私って、すっごく性格の悪い女なんですね」
ポツリと彼女の口から漏れだした言葉。
それは簡単に風にかき消されてしまうほど小さく弱々しいものだった。
彼女はとても悲しそうな表情で笑っていた。
彼女が何を思い、そのような事を言ったのかは分からない。
しかし、それがどのような理由だとしても、上条はそんなものを見せられて黙っている事などできない。
「そんな事ねえよ」
「上条さんは優しいです。でも、気をつけてください。あなたのその優しさを利用してくる人は絶対に居るんです」
「……それがお前だって?」
「はい、その通りです」
そう言う彼女は、触れればすぐに壊れてしまいそうだった。
だからこそ、上条は踏み込まなければいけない。
「利用するとかどうとか、いちいち気にすんなよ」
「え……?」
「例えお前にどんな考えがあったとしても、俺はこうして協力してくれた事に感謝してるんだ。だから、それでお前にも何か良い事があるんなら、俺としても嬉しい」
「違うんです。私は私のことしか考えてません。上条さんの気持ちなんか考えずに、ただ自分の目的を果たせるように動いてるだけなんです」
「それでいいさ」
「どうしてですか! この間私のせいであんな事になったのに、なんで!」
「もうあの時から操祈は随分変わってる。俺は精神系の能力者じゃないから頭の中は読めねえけど、それでも電車の中の涙や今日一日の笑顔はウソじゃねえってのは分かる。
遠慮してんじゃねえよ。ちょっとくらいのワガママなら笑って許してやるし、それで済まないんならもう一回ケンカして仲直りするだけだ。それが友達だろ」
「…………」
「つーか、そんだけ悩みまくってるのだって、俺のことを考えてくれているからこそだろ?
本当に性格が悪いなら、そういう怪しまれるような仕草は見せないだろうに。お前ならそういうのを上手く隠すのは得意だろ? けど、それをやらなかった。
俺は絶対お前を見捨てたりしねえから安心しろって。俺の周りには一度殺し合いをした仲ってのも珍しくないんだぜ? 上条さんは懐が広いんですよっと」
そう言って笑顔を向ける上条に、食蜂は目を丸くして呆然としていた。
上条はそんな簡単に人を切り捨てたりはしない。一度間違ったことをしたとしても、その相手がいつまでも敵である必要などどこにもない。
人間、生きていれば数えきれないほどの間違いを犯す。その度に様々な事を学び、成長していく。
食蜂はその能力の影響で気付きにくいのかもしれないが、互いの本当の気持ちが分からないというのは当たり前な事だ。
誰だって心の底では何を思っているのかは分からない。友達だと思っていた者が、本当は自分のことを心底嫌っているかもしれない。
結局は、きっと相手も友達だと思っていてくれていると信じるしかない。
そして、いつかその信用が試される時がくるかもしれない。
その時に互いの友情を確認できればいいのだが、もしかしたらそうではないかもしれない。
友達だと思っていたのは自分だけだったという結果が返ってくるかもしれない。
それでも、上条はそこで相手との関係を断つことはないだろう。
例え相手との絆が繋がっていなかったとしても、こちらから伸ばし続ける事はできるはずだ。
いつかはそれが繋がってくれる時が来る。そう信じて。
それからまた少しの沈黙が流れる。
そのまま何も言わずに、再び食蜂は上条の肩に頭をコトンと乗せた。
上条は少し驚いて、そちらに顔を向ける。
彼女は気持ちよさそうに目を閉じていた。夕陽がその綺麗な金色の髪をより一層輝かせている。
「……上条さんみたいな人はとても珍しいと思います」
「そうか?」
「えぇ。だって大多数の人は一度裏切られた相手にここまで構ってなんかくれませんよ」
「あー、そういや前にバードウェイから『イカれてる』とか言われた事あったっけな……」
「ふふっ、確かにそうですね」
「そこは一応否定してくれよ」
「いいんですよ、ちょっとくらいイカれてくれていた方が。私にとってはね」
「そうなのか?」
「えぇ。だって、まともな神経の人が私と一緒に居られるはずがないんですから」
そんな事を平然と話しながら、食蜂はさらに頭を上条の肩に擦り付ける。
それはまるでじゃれつく猫のようで。
きっとここまで甘えられる相手が今まで居なかったんだろうと、上条はぼんやりと考え少し寂しい気持ちになる。
彼女はゆっくりと目を開けた。
キラキラと輝く瞳は、真っ直ぐこちらに向けられる。
ただ風の音だけが時折聞こえる、夕暮れの空の下。
二人の間に言葉はなく、その視線だけが交差している。
そして、次第にその距離は縮まっていき――――。
「 だ か ら 何 で そ う な る」
ガシッと、上条の左手が食蜂の頭を押さえた。
昼間と同じような光景。
だが、今回はそれだけで済まなかった。
「えいっ☆」
ピッという電子音を聞いた時は手遅れだった。
食蜂の頭を押さえていた左手はダランと力なく下ろされてしまう。
おそらく頭から送られる信号を弄られて、左手を動かせなくさせられたのだろう。
「ぐっ、残念だったな、俺にはこの幻想殺し(イマジンブレイカー)が……ッ!!」
「ふんっ!!」
ガシッと右腕を両手で力いっぱい押さえつけられた。
元々位置的に食蜂は右隣に居たので、上条からすれば不利だ。
「いっ!? お、おい、待てって!!!」
「んー……」
「よ、よし、じゃあ頬!! 頬にしろって!! おい聞いてんのか!?」
上条の言葉を無視して、食蜂の顔がどんどん近付いてくる。
このままいけば確実に唇コースだ。
その後もろもろの展開を考えるに、それだけは何としてでも避けなければいけない。
だが、この絶体絶命な状態を打破する手段が思いつかない。
彼女の柔らかそうな唇が迫ってくる。
そして上条が諦めかけたその時。
「何やってんのよアンタらァァああああああああああああ!!!!!」
「うおっ!?」
「きゃあ!!」
ズバチィィィ!!!!! と目も眩むような閃光が駆け抜けた。
それらは幸いこちらには当たらなかったのだが、周りの手すりに命中して心臓に悪い音が響き渡る。
誰だ、という疑問は出てこない。
先程の怒声から、今の電撃が誰からのものかなんていうのはすぐに分かる。
そもそも、いきなり派手な電撃をぶちかましてくる相手など一人しか思いつかない。
上条は振り返りざまに口を開く。
「お、おい、殺す気かよ御坂!」
「うっさい!!! 全部アンタ達が悪い!!!!」
案の定、そこには腕を組んでバチバチと帯電した御坂美琴が居た。
夕日のせいでそう見えるのかもしれないが、顔が真っ赤だ。
食蜂は心の底から悔しそうな表情で、
「くっ、なかなかの妨害力ね、御坂さん。でもハッキリ言って迷惑すぎるから今すぐ消えてくれないかしらぁ?」
「んな事できるわけないでしょうが……アンタ今何しようとしてた……?」
「キスだけどぉ?」
「そそそそそんなの許されるわけないでしょ!!!」
「どうして上条さんにキスするのにいちいち御坂さんの許可が必要なのかしらぁ?」
「そ、それは……」
食蜂の言葉に押され、美琴は口ごもる。
そしてなぜかこちらを恨めしげに睨みつけてくる。
そんな美琴の視線に押されるように、上条はとりあえず口を挟む。
「あー、けど助かった御坂。俺もあのままじゃまずかったしさ」
「ッ!! そ、そうよね!! 好きでもない奴にキスされたくないもんね!!」
「むぅ……上条さんは私とキスしたくないんですかぁ?」
「あ、あのなぁ、お前のために言っておくけど、キスってのはそう簡単にするもんじゃねえと思うぞ?」
「わ、私は――っ!」
ムキになって何かを言い返そうとしたところで、食蜂は何かを思ったようで止まってしまう。
それを見て上条と美琴は首を傾げるが、彼女はそれも気にせずにブツブツと何かを呟いている。
「……いや、これはまずいわねぇ」
「おーい、どうした?」
「あ、いえ、なんでもないですよぉ。まぁ無理矢理するっていうのもアレなので、ここは大人しく引き下がっておきますぅ」
「アンタ、絶対今何か企んだでしょ」
「ひっどーい御坂さん!」
「いやそう思われても仕方ねえだろ……」
「むぅ、というか、上条さんもこんな美少女とキスするのを嫌がるなんてどんな神経してるんですかぁ。やっぱりイカれてますよぉ」
「へーへー、けどイカれてる方がいいって言ったのはお前だかんなー」
「うぐっ……」
「一体何の話してんのよアンタら……。つか、そろそろ宿に戻るわよ。麦野はもう先行っちゃったし」
「分かったわよぉ」
そう言って、美琴の後を追う食蜂。
上条もそれに続こうとして、ふと立ち止まった。
後ろを振り返ると、そこには雄大な山々が夕日の光を浴びて変わらず美しい景色を作り出している。
別に、その景色が名残惜しかったというわけではない。
ただ、少し考え事をしたかっただけだった。
すると、そんな上条に気付いたのか、食蜂の言葉が後ろから飛んでくる。
「上条さぁん?」
「……なぁ、操祈」
「はい?」
「確かに俺はちょっとおかしい奴で、お前と友達でいるには丁度いいのかもしれないけどさ――」
上条は一旦そこで言葉を切り、彼女の方を振り返る。
「――操祈なら、いつかはまともな奴等とだって友達になれると思うぞ」
食蜂は驚いた表情を浮かべたが、すぐにそれは優しい笑顔に変わった。
二人の間に言葉はなかったが、何となく互いの気持ちは理解しあえていたように思えた。
例え、それが単なる気のせいだったとしても、そう思うことができた。
***
カポーンと、軽い音が響く。
ここは上条達の泊まる宿の女風呂。
温泉街というだけあって、なかなか立派な露天風呂が備え付けられており、そこに四人の少女が肩まで浸かっていた。
「はぁ……日本のお風呂は世界一なんだよ……」
「ちょっとアンタ、その調子でのぼせるんじゃないわよ」
「んー」
「けどそこのシスターがダウンしてくれてた方があんた達にとっては都合いいんじゃない? 気兼ねなく上条に夜這いでも何でも仕掛けられそうだしさ」
「ぶっ!!! だ、だだだ誰がそんな事するかっ!!!」
「え、御坂さんはしないのぉ?」
「しないわよ!! つーかアンタにもさせないし!!!」
「みこと、ちょっとうるさいかも」
「ぐっ……」
インデックスに注意され、美琴は口元まで湯に浸かってブクブクと腑に落ちない表情を浮かべる。
そうやって目線が下がった所で、
「……やっぱでかいわねちくしょう」
「んん? あー、胸のことぉ? でもこれはこれで大変なのよぉ、肩とか凝っちゃってぇ。御坂さんは楽でいいわねぇ」
「ケンカ売ってるようにしか聞こえないんだけど」
「まぁ上条には効果あるっぽいわね。浜面と同じで巨乳好きっていう単純な脳内構造してるみたいだし。
あんたのそのあってないような貧乳じゃアレはピクリとも反応しないだろうね」
「しずり、下品」
「はいはい」
麦野は気のない返事をするが、おそらく改める気はないだろう。
とりあえず美琴は目に毒な巨乳二人から視線を逸らして、インデックスの方を向く。
「インデックスはもうちょっと胸が欲しいとか思わないわけ?」
「んー、思わなくもないけど大きくならないものは仕方ないんだよ。努力をしても成果がでないのなら、せめて悩んでいる素振りを見せずに堂々としていた方が立派だって舞夏が言ってたかも」
「な、何よその達観したようなセリフは……サイズ的にはそこまで変わらないはずなのに、妙な敗北感を覚える……!」
インデックスの言葉を聞くと途端に自分が余裕のない人間に思えてきて、少し凹む美琴。
そんな彼女に、今度は食蜂がジト目で話しかける。
「ていうか御坂さんは全体的に必死すぎるのよねぇ。今日だって何よぉ、人のデート邪魔してぇ」
「それはアンタが悪いっての。いきなりキスとか何考えてんのよ」
「へぇ、そこまでやろうとしてたんだ。御坂も見習いなさいよ」
「いやよ。大体、キスってのはそんな簡単にするもんじゃないでしょ。
ほら、例えば初デートの時に夜景の綺麗な場所まで行って、二人がキスする瞬間に丁度花火がバーンって……」
「はいはい、ドラマの世界にでも行ってくればぁ?」
「な、なによ! ちょっとくらい夢見たっていいじゃない!」
「私もそれは流石にないと思う」
「インデックスにまでダメだしされた!?」
どうやら美琴の少女趣味はここでも理解されないようだ。
だがこれはあくまで、ここに居る少女達が特殊な環境で育ってきたから理解されないだけであって、自分は中学生女子としてそこまでおかしくないと思いたい美琴。
といっても、彼女の趣味は初春や佐天といったごく普通の女子中学生にまで否定されてしまっているので、実はもう言い訳不能だったりもする。
そんな落ち込む美琴をよそに、麦野が思い出したように、
「そういや、今夜のアレ。風呂から出たら動くけどいいわね?」
「今夜……ってもしかして牧場で言ってたやつ、本気でやる気!?」
美琴は慌てて麦野に聞くが、相手は本気のようだ。その表情もいかにも楽しそうである。
その辺りの話を知らないインデックスと食蜂がキョトンと首を傾げたので、麦野は二人にも説明する。
全てを聞いた食蜂は普段から輝いている目を更に輝かせて、
「面白そうっ! いいわぁ、望むところじゃなぁい!!」
「んー、相手がとうまじゃあんまり期待できないと思うけど……」
インデックスは疑問の表情を浮かべているが、別に反対というわけではなさそうだ。
麦野は二人の様子を見ると、ニヤニヤと美琴の方を向いて、
「こいつらは特に反対はしてないみたいだけど、あんたは?」
「あらぁ、もしかして御坂さん、自信ないのぉ?」
「ぐっ……分かったわよ! いいわ、ハッキリさせようじゃない!!!」
売り言葉に買い言葉でまんまと麦野の思う通りに事を運ばれてしまう美琴。
レベル5の序列では優っていても、こういった所では麦野のほうが何枚も上手のようだ。
と、その時。
『じゃごべっ!!?』
隣の男湯から聞こえてきたのは痛々しい叫び声だった。続いて、バッシャァァ!! と派手な水音も聞こえる。
露天風呂はゴツゴツとした岩の壁一枚で男湯と女湯が区切られているため、あまり大きな声を出すと双方に丸聞こえのようだ。
麦野は完全に呆れた様子で、
「……今のは浜面か。何バカやってんだか」
「へぇ、声聞いただけで一発で誰だか分かるんだぁ。もしかしてぇ……」
「食蜂、やめときなさい」
「えぇ、でもでもぉ…………分かった、分かったってばぁ」
ニヤニヤとからかう気満々の食蜂だったが、麦野の表情を見て大人しく引き下がる。
この場で能力を使われては食蜂には対処する手段がなく、簡単に真っ二つにされてしまうからだ。
それから麦野は小さく舌打ちをすると、話題を変えるためかすぐに口を開く。
「そういや、よく上条達を見つけられたわね御坂」
「そりゃ苦労したわよ。あちこち飛び回って聞き込みとかも沢山して……」
「必死すぎぃ。ストーカーの気質あるわよぉ」
「なっ……そんな事ないわよ! 」
ストーカーと言われると、すぐに白井黒子の事が頭に浮かぶ美琴。
流石にあんなのと同類にされるというのは勘弁してほしかった。
「まぁでも、とうまならストーカーくらいは笑って許してくれるかも」
「だ、だから私はそんなんじゃないってば!!」
「あー、確かに日頃の上条さんへの御坂さんの行いを見れば、今更どんな汚名が追加されてもそこまで影響ないかもねぇ。
ビリビリ中学生がビリビリストーカー中学生に変わるだけだしぃ」
「いや明らかに犯罪係数上がってるわよねそれ」
「いちいち気にすんじゃないわよ。私だって何度浜面のことを本気で殺そうとしたか」
「アンタの場合は洒落になってないっての。ていうかさ、食蜂。アンタに一つ聞きたいんだけど」
「んー?」
「あのバカ、どうしてアンタの事『操祈』とか名前で呼んでるわけ?」
地味に気になっていた事だった。
相手を名前で呼ぶということはそれなりに親しい関係になってからでないとやらない事だと思う。
美琴もたまに名前で呼ばれる事はあるのだが、基本的には苗字だ。
この短い間に上条と食蜂の関係に何か変化が起きたのか。
同じ男に恋する少女としてみれば、それはかなり重要な事だった。
しかし、当の本人は何でもないように、
「ただ私が『操祈って呼んでください』って頼んだだけだけどぉ?」
「……へ?」
何か肩透かしをくらった気分になる。
聞いてみれば別に美琴の心配していた事は起きていなく、何でもない簡単な理由だった。
そんな美琴を見て、食蜂は少し呆れたように息をつき、
「何よその顔はぁ。別に名前で呼ぶことくらい、そこまで大袈裟な事ではないでしょぉ」
「そ、それは……そうかもしれないけど……」
「どうせ、『私もアイツに名前で呼んでもらいたい!』とか思ってんでしょ」
「う、うっさい! 悪い!?」
「別に悪くはないと思うけど、それならとうまに直接言えばいい話かも」
「…………」
美琴は少し考えてみる。
確かに名前で呼んでもらうというのは正直羨ましい。
お互いの呼び方というのはその親密度を表すものでもあり、名前呼びというのはかなり仲が良いと考えてもいいだろう。
まぁ、それを言ってしまうと、美琴は上条のことを未だに「アンタ」やら「あのバカ」としか呼んでいないので、まずは美琴の方から変える必要があるようにも思えるが。
ただし、いざ具体的にどのように頼もうか考えた時。
『「美琴」って、呼んで?』
頭の中に小首を傾げて上目遣いで頼む自分の姿が浮かんできた。
「んな事できるかああああああああああああああ!!!!!」
ザバァァ!!! と思わず勢い良く立ち上がってしまう美琴。
その顔が真っ赤なのは、何ものぼせたとかいうわけではない。
それに鬱陶しそうに顔をしかめたのは麦野だ。
「ちょっといきなり騒いでんじゃないわよ。湯が飛ぶっての。
そもそも呼び方を変えさせることくらいできないで、何が絶対に負けない、よ。告白以前の問題だろそれ」
「い、いや、付き合ってから呼び方変えるカップルだって沢山居るわよ! 私はそれでいい!!」
「みこと、一つアドバイスするけど、とうまは押しまくらないとまず土俵にも上がれないと思うんだよ」
「あー、それわっかるー。考えてみればスーパー鈍感男にツンデレって相性最悪よねぇ。
感がいい男なら御坂さんの態度見てればバレバレだし、逆にそれが可愛く見えるかもしれないけど、分からなかったらただ自分にキツく当たってくる嫌な女でしかないわねぇ」
「えっ!?」
「あ、あはは、まぁでもとうまはみことの事はそんなに悪くは思ってないんだよ。まさか好かれてるとは思ってないと思うけど」
苦笑いを浮かべながらも、一応フォローするインデックス。
美琴は再び肩まで湯に浸かりながら、少し真剣に考え込む。
確かに、今までの行動を見返してみても、いい雰囲気の時なんていうのは存在しなかった気がする。
「で、でも、ほら、ケータイのペア契約とかもしたし……それなら流石にアイツだって何か思うことくらい……」
「何にもなかったわよぉ。ソースは私の心理掌握(メンタルアウト)」
「…………」
「ペア契約までやっといて何も思われてないって、一体どうしたらそんな事になるのよ」
麦野が呆れたように言う。
それはペア契約に至るまでの口実が罰ゲームやらゲコ太やらであった事によるせいなのだが、もはやそれを説明する気力もない。
いい機会だったので、その後も食蜂に上条の事を色々聞いてみる。
今までの接触の中にどこか上条が自分を意識してくれた時はなかったのか
だが、答えは美琴にとって全く喜ばしいものではなかった。挙げ句の果てには割と最近の恋人限定のレストランに入った事でさえ、上条にとっては不幸の一つとしてカウントされているらしい。
あらかた聞き終えた美琴は真っ白に燃え尽きていた。
もう全て食蜂のウソっぱちだと思いたかったが、悲しいことに、彼女の言葉が事実であるほうが今までの上条の反応に納得できる。
美琴のその惨状を見て、麦野までもが微妙に気の毒そうな表情を見せる。
インデックスも麦野も、とりあえず止めを刺してしまった食蜂が何か言うように目で合図する。
そして、食蜂が苦笑いを浮かべながらフォローの言葉を紡ごうとした時だった。
――――隣の男湯から、騒がしい声が聞こえてきた。
***
時は少し戻って男湯。
露天風呂には上条達四人が温泉地の湯を堪能していた。
上条はぼーっと空を眺めて、
「生き返る……」
「なんか本気で人生苦労してる感じがひしひしと伝わってくるな」
そう突っ込んだのは浜面だ。
プールの時も思ったが、やはり鍛えているだけあってその肉体はかなりの筋肉がついており、たくましい。
能力が使えないレベル0が暗い世界で生きていくには体を鍛えるしか無く、その時の名残といったところか。
一方で、レベル5の垣根もそれなりの体型ではある。
問題なのは学園都市第一位の能力者だ。
元々白い肌に加えて極めて細いその体からは、不健康という印象しか浮かんでこない。
浜面は気の毒そうに見て、
「……お前もちょっとは鍛えたらどうだ? 見てるこっちまで不健康になりそうだ」
「別に日常生活で苦労はしてねェ。つーか、俺だって少しは鍛えてる。以前と違って常に能力を使える訳じゃねェからな」
「鍛えてそれかよ……触ったら折れそうだぞそれ」
「だから触ったらオマエの手を折るぞ」
鬱陶しそうに浜面の言葉を流す一方通行。
すると今度は垣根がニヤニヤと口を挟む。
「能力なしのケンカだったら最弱だなお前」
「うるせェ。能力者に対して『能力なしだったら』なンていう条件付けてる時点で間違いなンだよ」
「……そういや垣根さぁ」
「ん?」
突然気の抜けた声で話す上条。
そして頭上の星空に向けられていた視線を垣根に移すと、
「なんかあったのか? なんつーか、妙にスッキリしたっつーか」
「……それは」
言いにくそうに言い淀む垣根。
そんな様子を見た浜面は苦々しい表情を浮かべて、
「まさかションベンでも垂れ流してんじゃねえだろうな」
「ホントにやるぞコラ」
「おいやめろバカ!!!」
浜面はそう言うと慌てて垣根の近くから離れる。
海やプールと違って、元々体を洗うための場所に小便を垂れ流す行為というのは相当極悪な所業だ。
一方通行はそんな二人をくだらなそうに眺めつつ、
「何でもそいつ、少しは良い子になるつもりらしい。似合わねェ事この上ねェけどな」
「え、垣根が?」
上条は意外に思って聞き返す。
こう言っては何だが、とても本人がそんな事を言うとは思えない。
そして案の定、
「んな事言ってねえ。ただ、その、なんだ――」
「ん?」
「俺がクソみてえな世界でしか生きられない奴だと思われるのが癪なだけだ。
そこの第一位のクソヤロウがやけに上から見下してきやがるから、俺だってその気になればいつでもまともに生きられる事を教えてやるのも悪くねえってな」
そんな垣根の言葉を、呆然と聞く上条と浜面。
言葉こそは乱暴なものだが、要はあの第二位が改心して普通に生きていくと言っているのだ。
それから少し考えた後、浜面が口を開く。
「つまり結局はお前もまともに生きたかったってわけか」
「ちっげえよ。勝手に一方通行のヤロウに勝ったと思われるのがムカつくっつってんだよ」
「素直じゃねえなぁ」
そう言って溜息をつく浜面は、それでもどこか嬉しそうだ。
闇から抜け出そうとする仲間が増えて喜んでいるのだろうか。それか暗部時代に自分と滝壺を見逃してくれた事から、彼の中に僅かな善性を見ていたのかもしれない。
上条もまた口元に笑みを浮かべて、
「まぁ、頑張れよ。お前なら何とかなるさ」
「んな簡単にはいかねえだろ。ったく、他人事だと思いやがって」
「そんなんじゃねえって。だってほら、一方通行がここまでまともになってきてるじゃねえか。それなら誰だって大丈夫だろ」
「……確かにそうだな」
「…………」
上条と垣根の会話を聞いて明らかに気分を害した表情になる一方通行だったが、特に反論する言葉も思い浮かばないのか何も口を挟まない。
垣根は両手を頭の後ろに置いて、ぼんやりと頭上の星空を見上げて、
「けどなぁ、まともになるっつってもまずどうすりゃいいんだ」
上条は少し考える。
「まとも」という言葉は抽象的であり、個人個人でその基準がまちまちである事も多いだろう。
例えば、今まで一度も学校に来なかった不良が一週間に一度だけ登校してくるようになったとして、それはまともになったと言えるのだろうか。
確かに一度も来ないよりかは幾分かマシになったとは言えるかもしれないが、それでも一般的にまともと呼ぶにはまだ程遠いだろう。
というか、そういった事で言えば出席日数が際どい所までいっている上条だってまともとは言えないはずだ。
「……んー、まぁとりあえず働くか学校行くかした方がいいんじゃねえのか。もちろん、働くっつっても普通の仕事だぞ」
「学校か仕事……ねぇ。そういや、一方通行は学校行ってんだっけか?」
「お前に教える義理はねェ」
いかにも面倒くさそうに舌打ちをしてそっぽを向く一方通行。
そんな態度にこめかみをピクピクさせる垣根だったが、横から浜面が、
「あれ、一方通行は長点上機じゃごべっ!!?」
言葉の途中で一方通行の拳が顔面にめり込み、全裸で宙を舞う浜面。
そのままバッシャァァ!! と水しぶきをあげて再び風呂に落ちた。
一方通行は忌々しそうに舌打ちをして、
「別に通ってるわけじゃねェ。籍を置いてるだけだ」
「……へぇ。なら俺が普通に学校に通ったらお前よりまともって事になるな?」
「あ?」
ニヤニヤと口元を歪める垣根に、一方通行は思い切り嫌そうな表情を向ける。
「よし、決めた。俺学校に行くわ。長点上機」
「おい」
「テメェはせいぜい不登校続けてるんだな。それがお似合いだ」
「待てよクソヤロウ。オマエが学校行くかどうかなンざ知ったこっちゃねェが、なンで長点上機なンだよ」
「別に。特に理由はねえよ。まぁどっちにしろ籍置いてるだけのテメェには関係ねえだろ」
「…………」
何も言い返せずにただ垣根を睨みつける事しかできない一方通行。
そんな彼を放っておいて、垣根は上条の方に顔を向けて、
「おい上条、長点上機は編入試験とかやってんのか?」
「どうだったかな、んなトップ校調べた事ねえし……つか、仮にやってたとしても急いだほうがいいぞ。今がちょうど入試の時期だし」
ぼんやりとそう答える上条。
といっても相手は学園都市の第二位だ。例え編入試験を逃したとしても、色々な手を使って入らせてくれる気もする。
そこで浜面が殴られた頬を擦りながら、
「けどお前普通に学校生活送れんのか? ちょっとムカついて相手をぶっ殺すなんてのはアウトなんだぞ?」
「分かってる。その気になれば俺だってすぐ溶け込めんだよ」
「どうだかなァ。その根っからのチンピラ根性でクソみてェな不良にしかならねェンじゃねェの」
「んだとコラ!! 不登校の引きこもりヤロウには言われたくねえな!!」
「あァ!? 誰が不登校の引きこもりだ!!」
「テメェだテメェ! どうせ一匹狼の俺カッコイイとか勘違いしてんだろ、このぼっち厨二病が!」
「オマエにだけは言われたくねェよ! 何が『ダークマター』だ、恥ずかしすぎてこっちまで鳥肌立つなァおい」
「言っとくがテメェの『アクセラレータ』だって似たようなもんだからな!? おまけにロリコンまでこじらせてるとか救いようがねえな」
「ブチ殺す!!!!!」
「おい落ち着けって……」
仕方なしに上条が溜息をつきながら仲裁に入る。
もしも垣根が能力を使えたのなら、今すぐ宿が吹き飛ぶ規模のケンカが始まるところだっただろう。
ただ、今は一方通行の一方的な虐殺にしかならない。
と、上条が一方通行を、浜面が垣根を抑えていた時。
『んな事できるかああああああああああああああ!!!!!』
隣の女湯から大声が聞こえてきた。
宿の方にも聞こえているのではないかとも思える程の大音量に、男四人は思わず固まってしまう。
上条は呆れながら、
「御坂か、今の。なんかテンション上がりまくってるみてえだけど、勢い余ってこっちに雷とか落ちてこねえだろうな」
「……そういやさ」
そう言って切り出したのは垣根だった。
何やらやたら考え込んでいる様子だ。今の大声のどこにそこまで考え込む要素があっただろうか。
しかし本人は真剣な表情で、
「こういうのって学校の修学旅行ってやつに似てねえか? 行ったことねえけど」
「ん? あー、まぁ確かに似たようなものかもしれねえな。上の人達から行けって言われて来てるわけだし」
そう言う上条も記憶喪失の関係で修学旅行の事は覚えていない。
ただ何となくどういったものかというのは、イメージとしては存在している。
すると今度は浜面が、
「けど、それがどうかしたのか?」
「いや、それなら本番の練習になると思ってよ。学校に通うようになってからのな」
「修学旅行の練習とか聞いたことねえぞ……」
「そこで、だ」
やけにテンション高めに垣根はある方向を指差す。
上条と浜面がそちらへ目を向けると、そこには男湯と女湯を区切る岩の壁があった。
二人の背中を冷たいものが伝っていく。
これから垣根が何を言うのか何となく予想できる。そしてそれが生死にかかわる恐ろしい事だというのも。
浜面は顔面蒼白にしてなんとか口を開く。
「おいバカやめろ」
「聞いたことあるぜ、修学旅行の風呂。隣には女湯。やることは一つしかねえ」
「――のぞきだ!!」
そう言った瞬間、垣根はバシャバシャと湯の中を岩の壁まで走っていくと、それをよじ登り始める。
壁といってもそれなりの凸凹はあるので、能力が使えない垣根でもロッククライミングの要領で十分登れるものだ。
ただ、全裸で壁をよじ登って行くイケメンというのは何とも残念な画だった。
そんなシュールな光景に本気で戦慄したのは無能力者二人だ。
「おい待てって!! マジでやべえっての!!! 麦野とか絶対洒落になんねえって!!!」
「御坂もだ!! 本気で死ぬぞお前!?」
「分かってねえな、修学旅行でのぞきってのは通過儀礼なもんだ。これは俺がまともな人生を送るために必要な事なんだよ」
「レベル5相手にのぞきとか明らかにまともじゃねえだろ!!」
二人の説得虚しく、垣根はどんどん登って行ってしまう。
「だいたいよぉ、お前らだって興味はあるだろ。シスターと第三位はともかく、第四位と第五位のカラダは見る価値はあると思うぜ?」
「「…………」」
垣根の言葉に、思わず黙りこんでしまう二人。
麦野と食蜂が凄まじいプロポーションを誇っているのは服の上からでも分かる。男なら見たいと思ってしまうのも分かる。
だが、その一瞬の幸福のために犠牲になるものは何か。
二人はすぐに頭をブンブンと振って甘い誘惑を断ち切る。
「とにかく降りろっての! 比喩でも何でもなく雷が落ちるぞ!! 御坂の貧相なカラダは興味ねえって言っても通じねえって!!」
「麦野も意外と足の太さとか気にしてんだよ!! 原子崩し(メルトダウナー)ぶっ放してくるぞ!!!」
「どうでもいいけどよォ」
ここに来て口を開いたのは一方通行だ。
上条も浜面も、バッとすぐにそちらを振り返る。
今この状況をなんとかできる可能性があるのは、一方通行だけだ。
二人共まさに希望の光のように彼を見て、岩に張り付いている垣根ですら鬱陶しそうにこちらを向いたのだが、
「向こうの声がこっちに聞こえてきたンなら、その逆もあるンじゃねェの」
時が止まった。
そして。
ドガァァアアアアアアアアアアアア!!!!! と。
次の瞬間、凄まじい閃光と轟音と共に、まるで紙くずのように岩の壁がまとめて吹き飛ばされた。
上条の視界の端には、全裸で壁ごと吹き飛ばされる垣根が映っていた。
***
それからゴタゴタが収まるまでしばらくかかり、夕食の時間が大分遅れてしまった。
宿への被害も甚大なものだが、そこは学園都市の対応で少しの間だけ能力を解放された垣根の未元物質(ダークマター)によって綺麗に修復された。
宿が貸し切り状態だったのは、こういったトラブルを見越したものだったのだろう。
問題はその後だ。
今はとある一室に全員集まっている。
インデックスは夕食が遅れた事に対して不満そうにしていたが、貧相な体やら足が太いなどと言われた美琴と麦野はそれどころではない。
まさに般若の表情で腕を組んで目の前のレベル0二人とレベル5一人を睨みつけていた。もちろん、その三人の顔面はボコボコになっている。
ただ食蜂は心配そうに上条を見て、
「もぉ、二人共やりすぎぃ。上条さんも私のハダカが見たいなら言ってくれればいつでも見せるのにぃ」
「うっさい、アンタは少し黙んなさい!」
「あらぁ、嫉妬ぉ? まぁ確かに御坂さんのその貧相な体じゃ魅力に欠けるわねぇ」
「黒焦げにされたいようねぇ……!!」
「もう、いいから早くご飯食べに行くんだよ」
一応インデックスも覗かれそうになったというのに、今ではもう空腹のほうが優っているようだ。
そんな様子が微笑ましく上条は思わず口元を緩めてしまいそうになるが、この状況でそんな事をすれば更に顔面が変形する事になりそうなのでなんとか押しとどめる。
すると麦野はしばらく目の前の男達を、熊も殺せるんじゃないかというくらい強烈な目で睨みつけた後、
「……ったく、分かったわよ。この辺で済ませてやる」
ようやく解放された男三人。
垣根は腫れた頬を痛そうに抑えながら何か文句の一つも言いたそうな表情をしていたが、それを言ったらどうなるか分かっているので口にしない。
一方通行は一人綺麗な顔で心の底から興味無さげにさっさと部屋から出て行き、上条と浜面は心の底からほっとしてそれに続く。
その前に、麦野が浜面の肩を掴んだ。
「あんたにはもう少し話がある」
「えっ!?」
まさに絶望といった表情を浮かべる浜面。
上条はそんな彼を気の毒そうに見るが、手を差し伸べることもできず、そのまま部屋を出て行く。それは戦場で動けなくなった仲間を見捨てるようなだった。
それから一人、二人と出て行って、最後には麦野と浜面だけが部屋に残された。
「ま、まだボコり足りないのでしょうか麦野さん……」
「あー、まぁ確かにそうだけど、ここに残らせたのはそういう事じゃないわよ」
「へ?」
これから更にボコボコにされると覚悟していた浜面だったが、意外な一言に目を丸くする。
麦野はそんな浜面の間抜けな表情を放っておいて、何やらニヤリと口元を歪めた。
それを見て、浜面は何か嫌な予感がする。
この表情は暗部の任務などでろくでもない事を思いついた時のものだ。
「ちょっと協力しろよ、はーまづらぁ」
今回はここまで。なかなか一ヶ月間隔ってのができなくてごめんね
全体のプロットは一年前からできてるんだけど、実際に文章にすると思いの他長編になったわ
>>602
ごめん、前に書いたやつはあんまり晒したくないんだよね、なんか恥ずかしいから
まぁ禁書だけじゃなくて氷菓とかAnotherとかはがないとか色々書いてるよ。禁書だと上琴多めかな
***
なんやかんやで風呂からあがって浴衣姿に着替えた一行は、いよいよお楽しみの夕食にありつく。
それは豪勢なもので、刺し身や天ぷらなどが沢山出た。
当然上条、浜面といった貧乏なレベル0やインデックスが大喜びだったが、レベル5はそこまででもない。
やはり貧富の差からくるものであり、そのくらいの食事は彼らにとって特にありがたいものでもないのだろう。
だが、普段から良いものを食べていないというのは、何も悪いことばかりではないはずだ。
毎日毎日豪華なものばかり食べていれば、舌が肥える。舌が肥えれば「美味しいと思う基準」が上がる。
基準が上がれば該当するものも減る。つまり、美味しい食べ物に出会う機会が減る。
その点、普段から質素な食事を嗜んでいる者はどうだろう。
そういった者達の「美味しいと思う基準」は低い。例を言えば、いつもの豚肉から牛肉に変えるだけで大きな幸せを得ることができる。
貧乏は必ずしも不幸ではない。貧乏であるからこそ得られる幸福もある。
そんな事を熱弁した上条当麻だったが、賛同してくれたのは浜面仕上だけだった。
レベル5一同からは本気で哀れんだ目で見られ、軽く泣きたくなった。
その後も皆賑やかなもので、肘がぶつかったなどといった些細なことで喧嘩を始める一方通行と垣根や、上条の近くまで来て食べさせてもらおうと甘えてくる食蜂を美琴が追っ払ったり。
旅館の人達はまたいつ大きな被害が出ないかとハラハラした様子で見ていた。
食事を終えたところで、それぞれ部屋に戻る。改めて見るとやはり綺麗な和室だ。
上条は軽い疲労を感じ始めていたが、周りを見る限り他の者はそんなでもない様子である。
上条に関してはいろいろ考えたり、食蜂の能力を受けたりしていたので多少疲れても仕方ないと思ったが、それでも湖に落ちたという垣根までもが元気なのは少し感心した。
部屋では一方通行が窓際にある肘あて付きの椅子に深々と座り込み、浜面はそそくさと布団を敷き始めている。
そして突然垣根は高らかに宣言する。
「よし、枕投げやんぞ!!」
枕投げ。それは確かに旅行の定番といえるはずだ。
といっても、記憶のない上条は知識として持っていても、実際にやった事はない。
中学生時代、自分は修学旅行でやはりみんなと枕投げをしたのだろうか。そういった事を想像すると、まるで当日風邪を引いてせっかくの旅行を逃したかのような憂鬱な気分になる。
垣根の言葉に対し、冷たい言葉を返す者がいた。
やはりというべきか、一方通行だ。
「誰がやるか」
「あぁ? 相変わらずノリわりーなクソぼっち」
そう言って手にした枕を思い切り一方通行に投げる垣根。
しかし。
「むがっ!?」
それは真っ直ぐ跳ね返って、同じ威力で投げた本人の顔面に直撃し、なんとも間抜けに後ろへ倒れこんでしまった。
こういった所を見ていると学園都市第二位だという事を忘れてしまいそうになるが、それは垣根に限ったことではない。
例えば第三位の御坂美琴も、第五位の食蜂操祈も、普通にしていればどこにでもいる中学生と何も変わらない。
周りはレベル5という事で常人とは違った印象を持つことが多いが、それは間違いなのだ。
垣根は忌々しげに一方通行を睨みながら起き上がる。
「このヤロウ……俺を本気にさせちまったようだな。そのチョーカーのバッテリーが切れるまで投げ続けてやるから覚悟しろよコラ」
「オマエそれやったら窓から放り投げるからな」
「落ち着けっての。元気だなお前らも」
仕方なしに上条が止めに入る。
窓から放り投げるというのは普通だったらただの脅しなのだろうが、この少年に関しては本気でやりかねない。
ちなみに一方通行の目線は手元のケータイに落とされており、垣根のことは眼中にないようだ。
上条は向かいの椅子に座りながら、
「誰かに連絡してんのか?」
「あのクソガキ、ウザってェくらいメール送ってきやがる。部屋の写真送れとか何とかよ」
「はは、送ってやればいいじゃねえか。たぶん雰囲気だけでも見てみたいんだろ。旅行なんて行ったことねえんだし」
「……ったく」
一方通行は軽く舌打ちをしてから、ケータイのカメラを部屋の方に向ける。
何だかんだ言って、打ち止めの言うことは大体聞いてやるところが微笑ましいものだ。
まぁ、本人にそれを言えば大変なことになりそうだが。
一方通行がカメラを向けた先では、垣根が両手の親指で自分を指すポーズを取っていた。
「ウェーイ!! ……ごぶっ!!!」
案の定すぐに蹴り飛ばされ、一方通行は何事もなかったように部屋を撮影する。
旅行の雰囲気を伝えるという点では、ああいった垣根の写真も中々良さそうに思えるが、流石にそこまでサービス精神旺盛というわけではないらしい。
その間に、浜面は全員分の布団を敷き終わっていた。
ずっとアイテムの雑用係を担ってきた影響なのかどうか分からないが、見た目に寄らず気が利くようになっている。
布団の上に倒れた垣根も感心した様子で、
「おお、サンキューな浜面」
「……なぁ垣根、修学旅行の夜ってのは何も枕投げだけじゃねえんだぜ?」
「お、なんだなんだ?」
「へっ、そりゃ決まってんだろ……」
「恋バナだ!!!」
垣根と同じくハイテンションで答える浜面。
こうして早々に布団を敷き始めたのも、みんなで座って話すためだったらしい。
浜面の言う通り、恋バナというものも旅行の定番だろう。
消灯後、先生の見回りに警戒しながら一人一人好きな女の子について話す。隙あらば女子の部屋へと忍び込もうとする。
まさに思春期の少年らしい行動と言える。
しかし上条は若干呆れる。
浜面から恋バナを持ちかけてくるのはこれが初めてではない。
「お前それ好きだな……」
「あれ、なんだよ乗って来いって!」
「……なるほど、確かに修学旅行っぽいな!! おい一方通行、テメェも来いよ逃げてんじゃねえぞ!!」
「…………」
「無視するってんならテメェの布団をグチャグチャにしてやるだけだ」
「おいぶっ飛ばすぞ」
「まぁまぁ、一方通行もこっち来て座れって!」
「ちっ……」
そんなこんなで、四人で固まって座る。
上条は疲労で少しぐったりしており、一方通行は明らかに不機嫌になっているが、垣根と浜面は相変わらず楽しそうだ。
「よし、じゃあ恥ずかしい話するにはまずはこいつからだ!」
そう言って浜面が取り出したのは酒だ。ビール、チューハイ、日本酒、ウイスキーなんでもある。
それを見た上条は慌てて、
「待て待て待て、お前これどうしたんだよ?」
「ふっふっふ、タバコと違って酒は未成年でも簡単に手に入るんだよ。まぁタバコもそんな難しくねえけどな。俺吸わねえけど」
「よっしゃ飲むぞ飲むぞ!」
四人はそれぞれ好きな酒を手にとって飲み始める。
一方通行までも乗ってきて、特に何も言わずに日本酒を口にしているのは少し意外だ。
浜面はビール片手に、
「お、なんだ一方通行も結構飲めんのか?」
「こンなモン、俺にとってはジュースと変わりねェ。アルコールを操作すればいいだけだからな」
「相変わらず何でもありだな……」
「つーかそれは反則だぜ一方通行! 能力は禁止だコラ!」
「ちっ、オマエ元々ウザいテンションが更にウザくなってンぞ」
そう言いながらも、一方通行は能力モードを解除する。
まぁ、酔わないように酒を呑むというのも無粋なものだろう。
上条は早くもチューハイでクラクラしてきていた。
元々そこまで酒を呑む機会もなかったので、これも無理もないことだ。
アルコールが回って、頭がぼーっとして耳の奥で血液がドクドク流れているのを聞きながら口を開く。
「……で? まず誰が話すんだよ?」
「うっし、それじゃ言い出しっぺの俺からいくか!」
そうやって話す気満々の浜面に対して、垣根はニヤニヤと楽しげに、
「お、いいぞいいぞ!! 滝壺のやつ、どんなカラダしてんだ?」
「おいテメェ!! 人の彼女で何考えてやがる!!」
「あー、でも浜面はまだ滝壺とそういう事してねえんだろ?」
「えっ、マジで!? まだやってねえの!?」
「ぐっ……う、うるせえな!! こういうのには順序ってもんがあるんだよ!!」
「ただ単にヘタレなだけだろォが」
そうやって、男の恋バナ大会は浜面のヘタレっぷりを弄るとことから始まった。
***
一方で女部屋。
男部屋と同じ構造であるこの部屋でも、布団を敷いた上に女四人が固まっていた。
といっても、こっちは恋バナをしているわけではない。
四人の視線の先には部屋に備え付けられたテレビがあった。
しかし、ドラマなんかを仲良く観ているわけでもない。
画面には、なんと男部屋の様子が映し出されていた。
これが風呂の後に麦野が浜面に持ちかけた話の正体であり、要は恋バナの様子を女子に伝えろというわけだ。
「なんだ浜面のやつ、まだだったのかよ。やっぱりヘタレねあいつ」
「浜面と滝壺さんって付き合ってどのくらいだっけ?」
「四ヶ月ってとこじゃないの。ったく、普通は一ヶ月で最後までいくもんでしょ」
「そ、そう? 私は最低でも半年は欲しいんだけど……」
「御坂さんかったぁーい。今時そんなに待ってくれる男の子なんていないわよぉ?」
「うーん、でもとうまなら待ってくれるんじゃないかな」
「えぇ、そうよ! 大体ね、最近は性が乱れてきてるって――」
「マジメか。十代ってのはガツガツいってなんぼでしょ」
「…………」
「おい御坂、なんだその目は。テメェ今すっげえムカつく事考えたよなオイ」
「いや別に……」
「もう、二人共落ち着くんだよ」
こちらもこちらで、レベル5同士の一触即発な雰囲気をインデックスが収めている。
そもそもレベル5というのはそれぞれが強力な自分だけの現実(パーソナルリアリティ)を持っているわけで、対立しやすいというのは仕方ない気もする。
画面の方では相変わらず浜面の話が続いていた。
『つーかヘタレとかそれ以前に、お前らは彼女もいねえじゃねえか!! つまり俺が一番上ってわけだ!!』
『はっ、俺はただ作らなかっただけだっつの。大体、女ってのはちょっと口説けばころっと落ちるもんだろ。ほら、俺とかイケメンだしよ』
『うぜえ!! ホントにイケメンってのがマジでうぜえなちくしょう!!!』
『どーだかなァ、いくらイケメンつったって、性格最悪じゃどうしようもねェだろ。まァ顔しか見てないアホ女なら引っ掛けられるンじゃねェの』
『こ、の……年しか見てねえロリコンには言われたくねえなぁ……!』
『よォし、殺す。遺言くれえは聞いてやるから五秒以内にさっさと言え』
『上等だコラァァ!!』
『だぁー、喧嘩すんなつってんだろ!!』
画面の中では、ドタバタとレベル0の二人がレベル5の二人を取り押さえている姿が映し出されている。
普通では考えられない光景だが、今はレベル5の二人共かなり酒が回っている様子で、まともに能力も使えないのかもしれない。
まぁ垣根は元々封じられているのだが。
食蜂はクスクスと楽しそうに見ながら、
「でもぉ、垣根さんって本当にイケメンよねぇ。どこかでホストやってそうな感じぃ」
「え、何よもしかしてアイツに鞍替えする気? それなら一向に――」
「残念でしたぁ、私は上条さん一筋ですぅ」
「ぐっ、じゃあ紛らわしい事言ってんじゃないわよ!!」
「もぉ、別にカッコイイっていっても、それが好意に繋がるとは限らないでしょぉ。見た目だけで何もかも上手くいくのは小学生までよぉ」
「ホントに顔だけの男っているからなー、逆もしかりだけどさ。浜面なんかは外見はモテる要素ゼロなのに彼女持ちだしね。滝壺の方は結構上物なのに」
「とうまもまぁ……顔がすっごくカッコイイっていうわけでもないかも」
「別段悪いってわけじゃないんだけど、確かにパッとしないのよねー。でもちょっと良い感じに見える時もない……?」
「あ、分かる分かるぅー。これって惚れた弱みっていうのかしらねぇ」
「第一位のやつにも何かコメントしてやれば?」
「……私はアイツに関しては何も言えないわ」
「んんー、中性的でイケメンに入るかもしれないけど、ちょっと怖すぎるわねぇ。でも人によってはすっごくハマりそうって感じ」
「あの目つきは何とかしたほうがいいかも」
女子達はそれぞれ男子の評価を言っていく。
全員が美少女なのでかなりの辛口になるだろうと思わるかもしれないが、意外にもそんなでもない。外見よりも内面重視の傾向があるのかもしれない。
ただ、内面重視と言えば男は喜ぶのかもしれないが、それは浅はかなことなのかもしれない。
外見は目で見てすぐ分かるものだが、内面というのは見えないし扱いが難しい。更に外見以上に好みが多岐にわたる上に、変えるのが難しい場合が多い。
画面の中では浜面がニヤニヤと話している。
『で、一方通行はそういう話ねえのか?』
『あると思うか?』
『とぼけてんじゃねえよロリコン。打ち止めがいるだろうが』
『オマエはよっぽど死にてえェようだなクソメルヘン』
そんな二人を、もはや作業のように止める上条と浜面。
酒の影響もあるのか、少しでも目を離せば次の瞬間には大喧嘩が始まっていてもおかしくない。
上条は面倒くさそうに一方通行をなだめつつ、
『けど打ち止めって5、6歳離れてる程度だろ?
確かに15歳と10歳とかだとロリコンだし、20歳と15歳だとロリコンで犯罪だけど、25歳と20歳なら別におかしくもないんじゃね?』
『まず、今までの人生振り返って25まで生きられるかどうか分かンねェだろォな。まァそれは俺に限った事じゃねェが』
一方通行の言葉に、上条は青ざめる。
『い、嫌な事言うなよ……俺は生きるぞ! 童貞のまま死ねるか!!』
『どォだかなァ。一番ヤバイのはオマエだろ』
『そういや俺もどっかのクソヤロウのせいで脳みそだけになった事があったな』
『俺も三回麦野に殺されかけたしな……』
既に命のやりとりを何度も経験している四人。
若いうちは何事も経験だとは言うが、これは明らかに経験しなくていいものに含まれるだろう。
美琴は視線をテレビから外して呆れた様子で、
「麦野、アンタ三回も浜面殺そうとしたわけ?」
「うっせーな、いろいろあったんだよいろいろ」
「御坂さんだっていつも上条さんに電撃ぶっ放してるじゃなぁい」
「あ、あれは別にいいのよ! どうせアイツ効かないし!」
「効かなきゃいいってもんじゃないと思うけどぉ……まぁそうやっていつまでもツンツンしていた方が私にとっては好都合なのかもねぇ」
「みことも頭良いんだから、ちょっとは学習したほうがいいかも」
「ぐぬっ……!!」
少しは素直にならなければいけないということは美琴自身が一番良く分かってはいるのだが、それを実践できるかどうかというのは別問題だ。
やはり内面はなかなか変わらないものだ。
すると、インデックスは少し疲れたように溜息をつく。
といっても、それは美琴に対してというわけではないらしく、
「それにしても、とうまはあんな事言うくらいならもう少し無茶を減らしてほしいかも」
「ホントよね。何回死にかけてんのかしらアイツ」
「その内一回は御坂さんに鉄橋で思い切りビリビリやられたものだと思うけどぉ?」
「なっ、そうかアイツの頭の中覗いて……あの時は仕方ないでしょうが!!」
「しかもその後ちゃっかり気絶した上条さんに膝枕なんかしちゃってるしぃ。私、ちょっとムカっときちゃったゾ」
「自分で焼いといて膝枕って凄いわね」
「だからそれには色々と深い事情があるんだって!」
「でも膝枕までやったって、みことにしては頑張ったんじゃないかな?」
「いや、あの時は私も余裕なかったから特に何も考えてなくて……」
あの日の鉄橋の上での出来事はまだよく覚えている。おそらく一生忘れることはないのだろう。
あれだけの絶望を味わったことはなかった。本当にもうどうしようもなかった。
そんな時に現れたのが上条だ。
よくあるフィクションのヒーローのように、彼は都合よく現れ全てを救い出してしまった。
そして助けてくれたヒーローに恋をする。自分でも呆れるくらい単純だとは思う。
しかし、これは何となくでしかないのだが、あの事件がなくても遅かれ早かれ自分は上条に恋をしていたのではないかとも思う。
かつての自分は声を上げて否定するだろうが、上条に出会ってから日常が楽しくなった。
能力を思う存分ぶつけられる相手ができたという物騒な理由も確かにあったかもしれない。
だがそれ以上に、上条に対してはありのままの自分でいられた。レベル5でも、常盤台中学のエースでもなく、ただの中学生の女の子になれた。
「うおーい、戻ってこい恋愛脳」
「はぁ!?」
そんな麦野の言葉で現実に戻される美琴。
食蜂もどこか拗ねた表情でブツブツ何かを言っているが、よく聞き取れないし、おそらく聞かないほうがいい事だろう。
ただ、インデックスは微笑ましげにこちらを見つめていた。
その表情は美琴を不安にさせる。
本人は決してそんなつもりではないのだろうが、例えどんなライバルが出てきても大丈夫だと思っている余裕にも見えるからだ。
テレビの中ではまだ一方通行に話が振られているようだ。
話している者は見るからに酔いが回り始めている上条当麻だ。美琴は一度あの酔っぱらいを見たことがあるので、一目で分かる。
『親御さんさぁ……打ち止めの学校とかはどうするんでせう??』
『ちっ、完全に酔っ払いのくせに話してることは意外とまともってのがうざってェ!』
『いいから話せってよーもー、ミコっちゃんだって心配してんだぜい? ひっく!』
『相変わらず酒よえーな上条』
『はっ、何だこんなもんで潰れちまうのか? お前チューハイしか飲んでないだろ、これ飲めこれ』
そう言って垣根が渡すのは度数の高いウイスキーだ。
上条は明らかに焦点の合ってない目でそれを見つめると、おもむろに手を伸ばす。その姿は珍しいものに興味を示す猿か何かにも見える。
そして、何の躊躇いもなく瓶に口をつけてラッパ飲みを始めた。
酔いというものはこういうものだ。
判断力が極端に鈍り、その行動の結果どんな事が待っているかなど考えることができない。
チューハイで酔っ払う上条がウイスキーなんかをまともに飲むことなどできるはずがない。そもそも、味だってまだよく分からないはずだ。
その行動に大した意味は無い。
ただ、目の前に出されたからとりあえず飲む。言うなれば本能のままに動いているだけだ。
これには流石に渡した本人である垣根も目を丸くして、ヒューと口笛を吹く。
浜面も少し焦った様子で、
『お、おい大丈夫か上条!?』
『へーきへーきえぶべhしゃfwjp』
『なんか一方通行みてーな話し方になってんな。その内背中から黒い翼生えるぞ』
『俺は酔っぱらいと同列かオイ』
『んでんで? 打ち止めはどうだって聞いてんだよぉぉおおお』
『離せこのヤロウ!!!』
テンションが振り切れている上条は一方通行の肩に腕を回してしつこく尋ねる。
一応は一度ならず二度までも殺し合いをした間柄であるにもかかわらず、もはや完全に警戒心を持っていない。
それだけ上条は一方通行に心を許しているという事で、もはや友達か何かだと思っているのかもしれない。この距離感はそう考えても不思議ではない。
だとしたら、これは一方通行の中ではかなりの大事件ではあるのだが、相手が酔っ払いだという事が微妙なところだ。
普通ならもうベクトル操作でもなんでも使って上条は吹っ飛ばされてもおかしくないのだが、酔っぱらい相手にそこまで本気になるのも、彼のプライドが許さない。
一方通行は大きく舌打ちをして、
『あのガキはちゃんと学校に通わせる。戸籍は御坂美琴の妹って事で押し通す、向こうも了解済みだ』
『え、マジで!? 娘さんをくださいとかって言ったん!?』
『逆だろうが。娘にしてやってくれって頼ンだ』
一方通行はあまり思い出したくないのか、苦々しい表情で説明する。
確かに、この少年がそういった事をするのは珍しい、というか不気味にさえ思える。
すると垣根は、
『で、お前は何も言われなかったのか? 御坂の親がどんな奴かは知らねえけど、普通娘のクローンをぶっ殺しまくった相手に良い感情は持たねえだろ』
『母親の方とは元々面識もあったし、貸しもあった。上条と、そこのスキルアウトあがりなら分かンだろ』
『あ、あぁ……俺が上条にぶっ飛ばされた時の……。あの母親には許してもらえたけど、父親と御坂にぶん殴られたんだよな俺』
恐ろしい記憶の一つとして覚えているのだろう、浜面は顔を青くして答える。
しかし、彼のやった事を考えれば、それも仕方のないことだ。
どんなに優しい者だって、自分の妻や母親が殺されかけたと知れば怒るものだ。
その事件で美鈴を助け出した上条は曖昧に笑いつつ、
『まぁそれでチャラにしてくれるなら良かっただろ。普通は一生恨まれるもんだぞ』
『そりゃ……そうだよな。どうしようもねえクズだったからな俺……』
『で、一方通行はぶん殴られたのか? 俺は是非その現場を見てみたかったが』
『殴られちゃいねえェよ』
『は? なんだ、浜面はやられたのにお前は免除かよ。やったことで言えば遥かに極悪なくせによ』
浜面は首をかしげて、
『そもそも、一方通行がやったこと知ってんのか? その実験ってやつは一応極秘扱いなんだろ?』
『母親は知らねェようだったが、父親の方は知ってた。なんでもアレイスターと繋がりがあるらしい』
『もしかしてその悪人面にビビって手出せなかったんじゃねえの』
『黙れチンピラホスト。あの父親はそンなタマじゃねえェよ』
そこで、上条は大袈裟にポンッと手を叩く。
そしてやけに得意気に、ビシッと一方通行を指差すと、
『はいはい、上条さん分かったー!!! お前打ち止め連れていっただろ!!! そりゃ打ち止めの前でお前殴るわけにはいかねえよなー』
『…………』
まさにその通りのようだが、酔っぱらいにズバリ的中させられたのが不快なのか、一方通行は黙ったままだ。
打ち止めは一方通行によくなついている。いかなる理由があろうとも、彼が傷つくような事があればきっと悲しむはずだ。
浜面の時は娘と一緒に親子パンチを披露した御坂旅掛だったが、流石に打ち止めの前ではできなかったらしい。
幼女を悲しませる事は男として決してやってはいけないことだ。
上条はなおも上機嫌に話し続ける。
『そんでそんで、ミコっちゃんの親父に「その子を頼む」とか何とか言われちゃったんだろー? 上条さんは全てお見通しですのことよー』
『オマエなンでそンな事まで知ってンだよ!!』
流石に当たり過ぎだと思った一方通行は目を見開いて大声を上げる。
上条はドヤ顔で頭をツンツンと指差して、
『ふっふっふ、このくらい名探偵上条さんには朝飯前なのだよワトソンくん』
『クソッたれが……!!』
『諦めろ一方通行。上条って無駄に頭回る時あるじゃん』
『無駄にって何だ無駄にって浜面ぁぁあああ!!』
『いででででで!!! いってえよ!!!!』
相変わらずのテンションで浜面にアイアンクローをかける上条。
もう完全に出来上がっており、この扱いが面倒な状態は暫く続くことだろう。
ただし、飲ませたのは周りなので、これは諦める他ない。
垣根は日本酒を一口飲みながら、
『つーか、打ち止めのやつもお前みたいなのが保護者で大変だろうな。これからが遊び盛りだってのに、彼氏もなかなか作れねえだろ』
『はァ? 何言ってやがる』
『お前、打ち止めに彼氏できたらそいつ殺すだろ?』
『アホか。どっかの頑固親父じゃねェンだ、あのガキの決めたことにうだうだ口出す気はねェ。まァ、中途半端な軟弱ヤロウだったら殺すが』
『いや待て、それじゃ垣根の言う通りだろ……お前視点だと誰でも軟弱扱いされるじゃねえか』
そう言って呆れるのは浜面だ。
確かに、一方通行の基準というものは極端に高いような気がする。具体的に言えば、打ち止めのためなら迷わず命をかけられるとか、だ。
恋人になるのであればそういった者が理想かもしれない。ただし、現実的に考えてそんな人間は中々居ない。
今この場にいる上条と浜面も、誰かのために命をかけることができる人間ではあるのだが、これは極めて珍しい例だ。
普通の学生生活を送っていてそこまでの精神力をつけるのはかなり困難だと思われる。
上条は「あっはっは!!」と笑いながら一方通行の肩をバンバン叩き、
『それならお前が付き合ってやればいいじゃねえかよ!! 打ち止めだってぜってーお前のこと好きだぜ?』
『……アイツが誰も捕まえられなかったらな』
『おっ、もしかしてそういう事結構考えてた!? 意外だなオイ!!』
『だあああああ、さっきからちけェンだよオマエ!! ずっと一緒とか言われてンだから少しは考えるだろうが!!』
迫る上条を押しのけながらヤケクソ気味に言う一方通行。
それを聞いた浜面と垣根も意外そうな顔をしている。それはそうだ、一方通行がそんな事を考えていたのだ。
おそらく一方通行の事を知っているほとんどの者は彼と色恋沙汰とを繋げるような者は居ないだろう。
だが、問題は色々とある。
上条はうーんと腕を組みながら、
『しっかし、ミコっちゃんはどう説得したもんかね。アイツはまだお前に激おこぷんぷん丸だろ?』
『ふざけた言葉でも意味は何となく通じるってとこがムカつくなァ。つか今からそンな事考えてどうすンだ。言ったろ、俺があのガキをどうこうするのは最終手段だ』
『ひっでえ言い方。お前もう少し考えたほうがいいんじゃねえの。こんなのと一緒に居たいなんて思う打ち止めも相当変わり者だな』
『うるせェぞメルヘン。第一、御坂のやつも何も言ってこねェンだ。ようは黙認ってことだろ。俺はアイツと話したくねェし、向こうも同じだ。それなら無理に関わりを持つこともねェ』
吐き捨てるような一方通行の言葉に、上条は大げさに頭を振る。
酔いが回った状態でそんな事をすれば、何かの拍子で口から盛大にぶちまけそうで、浜面は内心ヒヤヒヤしているのだがお構いなしだ。
いつだって酔っ払いはフリーダムで、色々と頭を悩ませるのは周りだ。
そして女部屋では、麦野がニヤニヤと美琴の方を見る。
「と、いうことみたいだけど、どうなのよ?」
「ノーコメントで」
一言で切り捨てる美琴。
おそらく何か思うことはあるのだろうが、今この場では言う気になれないのだろう。
それとも、一方通行に対しては怨念が強すぎて、とても全部言うことはできないという事か。
男部屋では上条が大げさに頭を振っていた。
『いやいやいやいや、どんなに嫌でも関わりを持たなきゃいけねえだろーよー。
だってよ、ほら、お前と打ち止めが結婚したらお前にとってミコっちゃんは…………えっ、お姉さんになるじゃん!!!!!』
『自分で言っておいて何驚いてンだオマエ……』
トロンとした目で話していた上条だったが、途中で驚愕の真実に気付いたらしく、目を見開く。
そしてこれが相当面白かったのか、大声で笑い始めた。
『ぶっ、あはははははははははは!!!!! じゃあ、何か!? 一方通行がミコっちゃんの事を「お義姉さン」とかって呼ぶの!? ぶふっ、げほっごほっ!!!!!』
『誰が呼ぶか!!!!!』
『……確かにそれはおもれーな。録音したいくらいだ』
『あァ!?』
『さっすが垣根は話が分かるな!!! なぁ一方通行、いっちょここで練習してみよーぜ!! ほら言ってみ言ってみ?』
『言うわけねェだろうが!!! つか離れろ鬱陶しい!!!!!』
そうやってジタバタと暴れる上条と一方通行を眺めながら、浜面はふと思いついたように、
『そういやさ、もし一方通行があの子と一緒になったとする。そんで、上条が御坂と一緒になったら……』
『…………んん!?』
『義理の兄だろ。それがどうしたってンだ――』
『「お義兄さん」と呼びなさい弟よ!!!!!!!!』
『呼ぶか!!! おい頭撫でてンじゃねェ!!! ぶっ殺すぞクソがァァ!!!!!!!!』
『……はっ!!!!! おいそれじゃあ垣根と浜面も妹達(シスターズ)の誰かと結婚すれば……!!!!!』
『いや俺には滝壺が居るからな!?』
そんな感じに美しき家族愛に燃える男達。いや、正確には燃えているのは上条だけのような気もするが。
まぁ結婚だとかいう話はまだまだ高校生には現実味のない話であり、それだけに色々と想像力を掻き立てられるものがあるのかもしれない。
だが、一連の流れで大変なことになっているのは何も上条だけではない。
「わ、わわわわ私とアイツが……け、けけけ結婚したらって……っ!!!!!」
「落ち着け、バチバチいってるわよ」
男部屋を絶賛盗撮中の女部屋では、御坂美琴が顔を真っ赤にして震えていた。
無理もない、画面の向こうではなんと意中の相手が自分と結婚した事を仮定して色々話しているのだ。
本人は酔っ払っていてそのことに関して何も考えていなかったとしても、美琴を能力が暴走するほど動揺させるには十分だった。
一応麦野が一言声をかけているのだが、美琴の耳には入っていない。
彼女の頭の中では既にマイホームを購入して子供が二人居て、一人が男の子でもう一人が女の子で……などと突っ走っている。
そんな彼女の頭に、レグザのリモコンが振り落とされた。
「いったあああ!!!」
ゴンッ!! という良い音と美琴の悲鳴が重なる。
今部屋にいる人間でリモコンで誰かを叩くという事をやりそうな者は一人だ。
美琴は涙目にながら振り向きざまに文句を言う。
「何すんのよ食蜂!!!」
「なんだか御坂さんが意味不明でとっても腹立たしい妄想力を全開にしてるみたいだったからつい。反省はしてないわぁ」
「こんにゃろ……アイツが私と結婚したいとか言ったからって妬いてんじゃないわよ!!!」
「誰がいつそんな事言ったかしらぁ!? まったく、上条さんもあなたみたいな捏造メンヘラ女に狙われて大変ねぇ!!」
「アンタが言うな、アンタが!!! はっ、とにかくアイツが結婚相手として私を考えたっていう事実は変わんないのよ残念だったわね!!!」
「それは“たまたま”話にあなたの妹さんが出てきたからでしょぉ!? いいわよ、そこまで言うなら私が実力行使で既成事実を作ってきてあげるわぁ!!
今なら上条さんもベロンベロンだし、私がちょっと誘惑すればイチコロよ!! せいぜい御坂さんは妄想の世界で楽しくやることねぇ!!!」
「んな事させるかあああああ!!!!!」
「いたぁぁ!!! ちょ、ちょっと離しなさいよぉ!!!!!」
猛然と部屋を飛び出して上条を誘惑しに行こうとした食蜂だったが、あえなく美琴に取り押さえられる。
だが簡単には観念するはずもなく、二人は布団の上でバッタバッタと激しくもつれ合っている。
当然身につけた浴衣もとんでもないことになっており、下着が丸見えだ。美琴は相変わらずの短パン装備だが。
男が見ればそれなりに興奮する画なのかもしれないが、同性から見ればただただ醜いだけだ。
インデックスはどこか哀れんだように溜息をついて、
「二人共凄いことになってるから一旦落ち着くんだよ」
「ほら見なさいよインデックスさんのこの余裕!!! あなたも少しは見習ったらぁ!?」
「アンタにだけは言われたくないわよ!!! 何よ既成事実、既成事実って!!! こんの発情期のド変態が!!!」
「あなただって妄想の中で色々してるくせに!! それならこうやって実際に動く私のほうが数段マシだわぁ!!」
「んなわけあるか、実際に動く奴のほうがヤバイに決まってる!!! あっ、いや、別に私は妄想でもそういう事してないし!!!」
「もはやお嬢様っていうよりも女の子としてどうかと思うことを叫んでるんだよ……」
「…………」
インデックスの言葉に、麦野は黙って顔をそらす。
このことに関しては、彼女にも何も言うことができない。
しかしいつまでもドタバタと争っている二人を放っておくのも鬱陶しい。
いっそ二人共叩きだしてしまおうかとも考える麦野だったが、それではこれからの楽しみがなくなってしまう。
ならどうするか、そう考え始めた時、丁度男部屋の話が核心に迫っている事に気付く。
「おいちょっと、暴れてないでこれ見なさいよ。なんか男どもが私達の中で誰が良い感じだとか話してるわよ」
「「えっ!?」」
声を重ねて反応する二人。これでは仲が良いのか悪いのか分からない。
おそらく本人達は口をそろえて悪いと答えるのだろうが、周りからしてみればそうは見えない。
それはともかく、男子部屋では確かに重要な事を話していた。
『でさ、ズバリ今回の旅行に来ている女の子の中で誰が良いと思う?』
浜面のそんな言葉から始まったこの話題。
元々、浜面はこの話をするために色々と下準備を行なってきたわけで、これも麦野の指示だ。
上条当麻の今現在の気持ちを明らかにする。
当初美琴が渋ったのも無理は無い。もしかしなくても、今この瞬間に勝者と敗者が決まる可能性があるのだ。
それは半年近くに渡って抱いてきた恋心に決着がつくという意味でもあり、一歩踏み出すには勇気が必要だった。
だが、そこは美琴らしいというべきか、どうせいつかはハッキリするという考えで、結局了解した。
といっても、そこには食蜂の挑発にまんまと乗ったという背景もあるのだが。
まず答えたのは垣根だった。
『麦野だな。他は子供っぽすぎる』
どうやら昼間の組分けの時に言っていたことは本気だったようで、当たり前のように話す。
すると上条が、
『分かる分かる、いいよな、お姉さんって感じがしてよ!』
『えっ!?』
あまりにもあっさりと言い放ったので、浜面が目を丸くして驚く。
当然予想としてはインデックス、美琴、食蜂のどれかだと確信していたのだろう。
これも酔っ払い特有というべきか、斜め上を行く変化球でこられ、ペースを崩されているようだ。
これに対して女部屋は大騒ぎだ。
「はあああああああああああああ!? ちょ、えっ、ウソでしょ!?」
「何かの間違いよぉ!!! 昼間私があんなにアピールしたのにありえないわぁ!!!!!」
「安心しろよ、私は上条に興味なんかないから」
「「…………」」
麦野はなだめるつもりで言ったのかもしれないが、それはそれで微妙な気持ちになる二人。
一方でインデックスはどこか納得している様子で、
「んー、確かにとうまは年上好きって感じだし、しずりの事を気に入ってても仕方ないかも」
「なんでインデックスはそんなに冷静なわけ!? これって割と大きな事だと思うけど!!」
「たぶん、今とうまがしずりの事を良いって言ったのは、ただ単に憧れとしてってだけだと思うんだよ。
同じようにかおりとかオルソラとかについても聞いてみれば同じ反応が返ってくるだろうし」
「そ、そっかぁ! そうよねそうに違いないわぁ!!」
「私としてはそのかおりとかオルソラとかって奴についても首根っこ掴んで聞きたいところなんだけど」
そう言ってこめかみをピクピクさせる美琴だったが、男達はお構いなしに話を進めていく。
相変わらずのハイテンションで話すのは上条だ。
『つーかさ、浜面は麦野の事何とも思ってないわけ!?』
『いや俺には滝壺が居るだろ』
『その前だその前! ぶっちゃけ最初は麦野に惚れてたとかねえの!?』
『あー、えっと、それは……まぁ、初めて会った時から綺麗だとは思ってた。あの時の俺からすれば、手の届かない高嶺の花……って言えばいいのかな』
言いにくそうに浜面はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
完全に空気が読めなくなっている上条はワクワクとその話を聞いているが、別にそれに対して嫌がる素振りも見せていない。
もう浜面としては、ある程度割り切った事柄なのだろう。
女部屋の方では微妙な空気が流れていた。
上条に関する色恋沙汰とは違い、麦野の場合はもう決着がついている。
そこを突くような事をすれば原子崩し(メルトダウナー)の連射が待っていることくらいは、流石に食蜂でも分かっているようだ。
しかし、意外なことに麦野本人は口元に笑みを浮かべていた。
「はっ、浜面のヤロウ。あの言い方じゃ今の私は別に高嶺の花でもないように聞こえるわね。後でハッキリ分からせてやろうかしら」
「何をする気よ……」
「ちょっとした教育よ、きょーいく」
そう言って不気味に片手をプラプラさせるのを見て、往復ビンタでもするのかと美琴は考える。
それと同時に、もしも上条が自分のことを選ばなかった時、浜面と麦野のように何だかんだ上手くやっていけるのだろうかとも思ってしまう。
美琴は首を振る。
今から負けることを考えるのは自分の性分に合わない。
すると画面の向こうの男部屋では、浜面が話を自分から逸らそうとしていた。
『えーと、そうだ、上条は他の三人についてはどうとも思ってないのか?』
『お、そこ聞いちゃう!?』
待ってましたとばかりに言う上条。それだけ話したくてウズウズしていたのだろうか。
その言葉を聞いた瞬間、美琴と食蜂が身を乗り出して画面に注目する。
一方通行は興味ないのかぼーっとしているが、垣根はニヤニヤとして、
『よし話せ話せ! まず食蜂から!』
『よしきた、操祈だな! とにかくあの中学生離れしたボディがヤバイ!! それでいて中学生らしい可愛いところもあってすっげーいいと思いますっ!!』
その瞬間、食蜂が起立。
拳をぐっと握りしめ、真っ直ぐ天井へ掲げて一言。
「みーちゃん大勝利ぃぃぃぃぃぃ!!!!!」
そして何を思ったのか、次の瞬間には部屋を飛び出そうとする。
一連の動きはまるで嵐のようで、インデックスなんかはポカンと見守ることしかできない。
だが、美琴はすぐに彼女を捕まえた。
「おいコラどこ行く気よ!!」
「上条さんのところに決まってるじゃなぁい!! せっかく両想いってことが分かったんだしぃ」
「そんなわけあるか!! あれだけじゃまだ何も分からないわ、とにかく座ってろ!!」
「往生際が悪いわねぇ、上条さんはあなたみたいな貧相な体なんか興味ないのよぉ」
「まぁ確かに御坂のその体じゃ男は誘惑できそうにもないわね」
「ぐっ……この……!!」
「まぁまぁ、とりあえず他の子について何ていうか聞いてみるんだよ」
食蜂と麦野はそれはそれは楽しそうに全力で美琴を煽ってくる。
それでもやはりインデックスは冷静に、それでいてどこか呆れながらなだめる。
この部屋がカオスな状態にならないのはインデックスのお陰というのが強いだろう。
だが、ここで美琴は不審そうに眉をひそめてインデックスの事を見る。
「……ねぇ、さっきから思うんだけど、アンタちょっと冷静過ぎない?」
「えっ、そうかな?」
「そうよ。もしかして私達が知らない間にアイツと何かあった……とか?」
「何よそれぇ、抜け駆けは卑怯よぉ!」
「アンタが言うな! ちょっと黙ってなさい」
「えーと……」
インデックスは少し考える。
何を言うべきか、どうすれば事を大きくしなくて済むか。
美琴には彼女の表情から、そんな事を考えているように思えた。
「まぁ、何て言うのかな……もう大体心が決まったっていうか……」
「どういうことよ?」
「みこと」
インデックスは綺麗な碧眼を真っ直ぐ美琴に向ける。
その全く揺らがない真剣な瞳に、美琴は思わずわずかに後ろへ引く。
「私とみことは恋敵。そんな相手に色々と情報を渡す必要性はあるのかな?」
「……いやそれは」
「という事でこの話はこれでおしまい!」
にっこりと、話を打ち切ってしまうインデックス。
その表情とは裏腹に、言葉には有無を言わせないものがあり、美琴も渋々黙ってしまう。
確かに、彼女の言っていることはもっともであり、恋のライバルに自分の作戦をベラベラ話す必要などどこにもない。
常にそういったカードは懐に忍ばせておき、出すタイミングを伺うものだ。それは能力者同士の戦闘にも同じようなことが言える。
だが、美琴にはインデックスのその笑顔が気に入らなかった。
一発で上条を射止める何かを考えている、そういった心配からくるものではない。
もっと別の、それでいて美琴にとってはあまり良くない事を考えているように思えた。
そんな二人の様子を眺めながら、食蜂も食蜂で意味ありげな目で何かを考えている様子だった。
こちらに関しては直接的な意味で美琴は嫌な予感を覚える。
「で、アンタは何ろくでもない事考えてるわけ?」
「ひっどぉーい。そういう決め付けって良くないわよぉ? それにぃ、今私が考えていることは御坂さんにとっても良い事だから安心して大丈夫よぉ☆」
そう言われても到底信用出来ないというのが美琴の心情なのだが、いちいち口に出すのも面倒なので何も言わないことにする。
男部屋では更に話が進んでいる様子だ。垣根は何やらうんうんと頷きながら、
『確かに体だけ見れば食蜂もアリだな。あれはすげえ』
『待て待て、上条さんは何も体だけが良いって言ってるわけじゃないぞ?
ああいう発育の良い女の子が子供のように甘えてくるのがこう……なぁ!? 分かるだろ一方通行!!』
『知らねェよ俺に振るな』
上条は近くに居る一方通行の肩に腕を回して聞くが、同意は得られない。
浜面は若干困ったように頭をかきながら、
『そ、そんじゃあ御坂は?』
『ミコっちゃん? あー、いい子だよいい子。文句は色々言われるけど、何だかんだ助けてくれるしな。
ビリビリは勘弁してほしいけど、アイツもあんだけはしゃげる相手も少ないだろうし、少しは我慢してもいいし』
上条は腕を組んでうんうんと頷きながら答える。
しかし、周りの三人はその口調に違和感を覚える。
本人が意識してそうしているのかどうかは分からないが、その言い方はまるで自分の娘とか妹を自慢するみたいだ。
垣根は確認するようにゆっくりと尋ねる。
『なぁ、お前は御坂の事は女として意識したこと無いのか?』
『そりゃ最初の方はちょっとはな。アイツ何も気にしないですげえ近くまで接近してくるから、精神衛生上悪かったぞ。
ただ、だんだんそういう奴だってのが分かってきてよ。俺が言うのも何だけど、アイツは色恋沙汰とは無縁だ』
上条の言葉を受け、浜面は目を丸くして、
『えっ、な、何でそう思うんだ?』
『だってよー、アイツ平気で俺に恋人のふりをしろとか頼んでくるんだぜ? 普通の女子中学生ならそんなこっ恥ずかしい事頼めねえだろ。
それに、ゲコ太のためにケータイのペア契約までするしよ。まぁ、ただ単に俺が男として見られてないってのもあるんだろうけど。
なんつーか、出来の良い妹と頼りない兄貴って感じだな。たぶん向こうも内心同じようなこと思ってんじゃねえか』
そんな上条の言い分に衝撃を受けているのは女部屋も同じだった。
麦野とインデックスは気の毒そうに、食蜂は見るからに楽しそうに美琴の方を向く。
しかし。
「………………」
燃え尽きていた。真っ白に。
その目は焦点があってなく、ただぼんやりと自分の斜め前方の畳の上を眺めるだけ。
言葉も無い、おそらく頭の中でも何も考えられていないだろう。
それだけ完璧に、美琴は打ちのめされていた。
無理もない。
あの恋人ごっこも罰ゲームを理由にしたデートも、見事に上条には何も伝わっていない。
美琴にとってドキドキワクワクのイベントも、上条にとっては妹とじゃれている程度の認識でしかない。
というか、そもそもそのイベントのせいで自分のこの気持ちは更に届きにくくなっているというのだ。
「え、えーとぉ……」
流石にこんなものを見せられてから追い打ちをかける意欲も湧かない食蜂。
それなので、とりあえずインデックスがまるで割れ物を扱うかのように良く言葉を考えながら口を開く。
「だ、大丈夫大丈夫! 何もこれで終わったわけじゃないんだし、これからアピールしていけばとうまもきっとみことの事を女の子として見てくれるはずなんだよ!」
「……ちょっとアイツを一発ぶん殴ってくるわ」
「待て待て」
ゆらりと立ち上がる美琴を、麦野が座ったまま手を伸ばして捕まえる。
ここで上条がビリビリパンチを食らうのはどうでもいいが、まだ肝心な人物について何も話していない。
浴衣を掴まれた美琴はそのままコテンと布団に倒れこんで動かなくなった。
元々ほとんど気力も消え去っていたようで、抵抗はしない。というかまるで人形のようにピクリとも動かないのは不気味だ。
男部屋ではいよいよ確信に迫る話題へと移っていた。
浜面は気合の入った表情で尋ねる。
『じゃあ、インデックスはどう思ってる!? もちろん女の子として!!』
女部屋では緊張が走る。
美琴は相変わらず身動き一つ取れないままだが、食蜂はいつになく真剣な表情でテレビを凝視する。
あまり関係のない麦野も興味はあるのか、どこか期待した表情で見ている。
一方で、当事者であるインデックスは優しく微笑んでいた。
優しく、というのが正しいのかは本人にしか分からない。もしかしたら全く別の気持ちなのかもしれない。
ただ、彼女の笑顔は完璧だった。見る者全てを安心させ、思わず釣られてこちらも笑顔になってしまうような。
この年にして全てを悟ったかのような、聖母のように、彼女は微笑んでいた。
画面の向こうでは上条が口を開く。
酒の影響かどうかは分からないが、そこに迷いはなかった。
その声は大きく、酔っているのにも関わらずやたらハッキリとしていた。
『アイツは俺の大事な娘だ!!!!!』
ポカンとしたのは浜面と垣根だ。
しばらく二人共、上条の言ったことを理解するのに沈黙する必要があった。
その結果、男部屋には話す者が居なくなり、静けさが訪れる。一方通行は相変わらず興味無さそうに聞き流しているだけのようだ。
もしかしたら上条が質問の意味を何か取り違えたのかもしれない。
相手が酔っ払いということもあって、そういった可能性を考えた浜面は恐る恐るといった感じで口を開く。
『あー、俺は女の子としてインデックスのことをどう思ってるのか聞いた……と思うんだけど』
『じゃあ浜面は滝壺との間に子供ができたとして、その子を女の子としてどう思うって聞かれたらどうすんだよ』
『えっ……いや、それは……ていうか…………んんっ?』
もちろん、浜面は自分の娘に欲情するという、生物学的に危ない性癖を持っているわけではない。
例えその娘がどんなに可愛いとしても、恋愛感情なんて持つわけはない。それは実際に子供が居ないにしても、感覚的に分かる。
上条にとってインデックスとは、そんな存在だと言っているのだ。
今までも上条はそんな事を言った事はある。
だが、浜面含めて大体の者はそれを本気で信じたりはしなかっただろう。
しかし、今この状況。酔っ払っているだけに本心がそのまま飛び出しているという可能性を拭い切れない。
垣根もこの返答は予想できていなかったらしく、
『いやいやいや、嘘だろ? いくらずっと一緒に居たからって、本当の娘みたいにしか見えないってありえねえ……よな?』
『それが本当なんだって。垣根も一度誰か女の子と半年くらい一緒に居てみろよ。お前イケメンだし、やろうと思ったらすぐできるだろ?』
『………………』
上条のからかう言葉に何も言えなくなる垣根。
確かに家族以外の女の子と半年も一緒に暮らすという経験は中々できないものであり、本人にしか分からない事もあるかもしれない。
つまり単純にこちらが無知なだけなのではないかという可能性が見えてくる。
上条は周りの空気などはお構いなしに、ペラペラと話し続ける。
『いやでも他の奴等がみんなそうだとは思わねえよ? 半年同棲してそのまま結婚ってカップルだって多いだろうし。
けど、俺はそうじゃなかったんだ。今日操祈に能力で気持ちを整理する手伝いをしてもらったんだけどさ、それでスッキリした』
それを聞いた瞬間、浜面がビシッと指差す。
『それだ! 上条お前食蜂に頭弄られてるだろ!!』
『操祈の悪口言ってんじゃねえええええええええ!!!!!』
『ぼごぉぉおおおお!!!??』
上条の渾身の幻想殺し(イマジンブレイカー)が顔面に突き刺さり、浜面が吹っ飛ぶ。
いくら無能力者にとってはただの拳だといえども、武器であることに変わりはない。おまけに酔っ払っているせいで力の加減もなしだ。
女部屋は女部屋で、麦野が食蜂に疑惑の視線を送っていた。
「ねぇあんた、本当に上条の頭弄ったんじゃないでしょうね」
「そんな事してないってばぁ!」
「もし本当にそうしていたとしても、お風呂で頭洗うときに解除されちゃうんじゃないかな。
それに、みさきはそういう事しないと思うよ。何だかんだ言って、良い人だし」
「流石インデックスさぁん!! あなたなら分かってくれると思っていたわぁ!!」
食蜂はインデックスに抱きつくと、その豊満な胸を彼女の顔に押し付ける。
それが何かの当て付けのように思えたのか、インデックスは若干ムスッとしているがそのまま受け入れている。
麦野は腕を組んで少し考えると、
「……って事は、上条は本気でインデックスの事を娘のように思っているってわけね」
「今日私とデートしてた時も同じこと言ってたわねぇ」
「なによ、あんた知ってたなら先に言いなさいよ」
「そこはまぁ、ちょっとした戦略っていうやつよぉ。私としては上条さんの口から直接聞いたインデックスさんの反応が気になってたんだけどぉ」
そう言って片目を瞑る食蜂は、開いている方の目でインデックスの方を見る。
食蜂は本気で上条を狙っていて、その為にはあらゆる事を考え、何が自分にとってベストなのか判断する。相手に遠慮するなどという事は一切ない。
インデックスは、やはり微笑んでいた。
「んー、何となく予想はついていたからそこまで驚きはないかも」
それを聞いて食蜂は、わずかに目を細める。
その言葉と表情を読んでも、食蜂には彼女の心の中までは分からない。
それは食蜂が今まで能力に頼りきっていたことが災いしているのか。いや、そうではない。
食蜂は元々が精神系能力のスペシャリストだ。当然ながら心理学にも精通しており、能力なしでも他人の顔色から心を読むということはできる。
インデックスは特に何も隠していない。
彼女の表情から食蜂はそう考え、それが逆に不気味にさえ思える。
その時だった。
「ねぇアンタ」
美琴の口が開いた。
相変わらず布団の上に倒れ込んだまま、それでも目はしっかりと開いており、インデックスを見据えている。
その様子、そしてその声色は怒っているようにも思える。
ところが、インデックスは相変わらずの微笑みを浮かべたまま首を傾げる。
「どうしたの?」
「アンタまさか、またろくでもない事考えてんじゃないでしょうね。もうアイツの事を諦めて私達に譲ろうとしてるとか」
「…………」
「それの何が問題なのぉ?」
「うっさい、アンタは黙ってなさい」
美琴が面倒くさそうに体を起こす。
食蜂の時に対しては、美琴はまともに答えるつもりもないらしく、一言で切り捨てる。
おそらく説明した所で食蜂は納得しないと思ったからだ。
どんな手を使ってでも上条を手に入れようとする食蜂とは違って、美琴には美琴のルールがある。
例えばインデックスが、自分の気持ちを押し殺してまで美琴と食蜂を応援するなどという事は許せない。
それは自分自身のプライドの問題の他に、自身を犠牲にするような行為を美琴が極端に嫌っているという事からくる。
美琴の言葉を受けて、インデックスは口元の微笑みを崩した。
柔らかなその表情は、真剣な硬いものへと変わる。
「違うよ、みこと。私はとうまをあなた達に譲ろうと思ったわけじゃない。ただ、選んだんだよ」
「選んだ?」
「うん、自分の進むべき方向をね。考えて、ずっと考えて。自分自身に嘘をつかないで向き合って。そうやって出した私なりの道を選んだんだよ。
それが間違いかどうかなんて分からない。でも私が決めた私のことだから。みことに何を言われても変えるつもりはないよ」
インデックスはそこで一旦言葉を切る。
そのタイミングで口を挟む者は居ない。美琴も食蜂も麦野も、ただ彼女の方をじっと見つめて次の言葉を待つ。
そして。
「私は、とうまと恋人になろうとは思わない。今の関係のまま、イギリスへ行くんだよ」
彼女の声はハッキリとしていたが、決して大きなものではなかった。
今でもテレビから聞こえてくる酔っ払った上条の声の方が数段大きい。
それでも、テレビの音は完全にかき消されてしまっていた。
音量の問題ではなく、その言葉の持つ意味と重さによって、男部屋の音は四人の少女には聞こえてこない。
部屋を静寂が支配する。
インデックスの言葉を聞いた三人は、各々思いにふける。
すぐには誰も反応することができなかった。それにしては彼女の言葉はあまりにも重すぎた。
といっても、いつまでもその状態が続くわけではない。
まず沈黙を破ったのは麦野だった。
「あんたは上条のことが好きなのよね? それでも、今の関係のままでいることを選んだ」
「うん」
「……そう、それならいいわ」
麦野はただ確認した。
賛成するでもなく、反対するでもなく、ここにいる全員が当たり前に知っている事を彼女の口から聞いただけだ。
それでも、麦野にとってはそれだけで十分であるようだ。インデックスのしっかりとした返事を聞くと、もうそれ以上何も言わなかった。
これに口を挟んだのは美琴だ。
「なっ、何よそれ、やっぱりアンタ我慢してるんじゃない……本当はアイツと付き合いたいくせに!」
「うん、そうだね。みことの言う通りなんだよ。だって、私はとうまの事が好きなんだから」
「じゃあ今の関係のままで良いなんて言ってんじゃないわよ!! それじゃ一ヶ月前にアイツを置いてイギリスへ行った時と同じじゃない!!」
「違うよ」
インデックスの口調には一片の迷いもない。これはどんな言葉を受けても揺らぎそうにもないように思えた。
その様子を見るだけで、彼女の次の言葉を聞くまでもなく、美琴には彼女が上条と別れた一ヶ月前とは全く違うという事に気付いてしまう。
あの時、彼女は美琴の言葉を受けて逃げ出した。しかし今回はそんな気配が全くない。
インデックスは静かに、それでいてハッキリとよく通る声で話し始める。
「あの時と違って、私はこの選択が正しいものだと信じてる。誰がどんな事を言ってきても、絶対に後悔しないって自信を持って言ってみせる」
「でも……」
「いつでも自分が一番やりたい事ばかりをやれるわけじゃないんだよ。休みたいのを我慢して辛い仕事をしなければいけない時だってある。
子供でさえ、日が落ちれば例えもっと遊びたくても家に帰る。自分の本当の望みを押し殺してでも、広い目で見てその場で自分にとって最良だと思う選択をする」
「そんなの屁理屈よ。その選択が最良である保証なんてどこにも――」
「御坂さぁん?」
ここにきて、食蜂が口を挟む。
美琴は話を切られてイライラしながら彼女の方を見た。一言二言だけ聞いてすぐに黙らせるつもりで。
今は食蜂の悪ふざけに構っている場合ではない。
だが、視線を移したところで美琴は意外なものを目にする。
その口調から、食蜂はいつものニヤニヤとしたこちらを馬鹿にするような表情を浮かべているのだと思っていた。
しかし、彼女の表情は笑み一つない、真剣なものだった。
「確かにインデックスさんの選択が正しい保証なんてどこにもない。でも、だからってあなたの考えが正しいとは言えないと思うけどぉ?」
「それは」
「そもそも、この件で関係あるのはインデックスさんと上条さんよぉ。
私達はアドバイス程度に口を挟むまではいいにしても、意見を押し通す事なんでできないんじゃなぁい?」
「…………」
食蜂の言葉に、美琴は反論できずに黙りこむ。
「インデックスが上条に告白しない事に決めた」。その事に自分はどれだけ関係しているのだろうか。
完全に無関係というわけではない。美琴も上条を想う一人だ。
とはいっても、それが彼女の行動を制限するだけの理由になるのだろうか。
例えば逆に「インデックスが上条に告白する事に決めた」とする。
それを今のように美琴が反対してやめさせる権利があるか。
食蜂の言う通り、美琴は自分の意見が絶対に正しいとは思えない。今までだって何度も間違ってきた。
特に今回のようなどれが正解なのか難しい選択で、確実に正しい選択をできると考えるのは傲慢というものだ。
客観的に見て、当事者であるインデックスがよく考えて出した結論のほうが正しい可能性が高いと言えるはずだ。
食蜂は真剣な表情を崩し、小さく溜息をついて、
「そもそもぉ、御坂さんはそんなにインデックスさんに告白させたいのかしらぁ?」
「え、いや、そういうわけじゃ……」
「それならいいじゃなぁい。聖人君子気取って自分の不利益に関係なく正しい事をしようとするよりも、自分にとって得になることを優先するほうが中学生らしいわよぉ?
私達にとっても、インデックスさんがこのまま上条さんと何も進展せずにイギリスに行ってくれたほうが良いんだしぃ」
「……ねぇインデックス。どうしてそう決めたのか教えてくれない?」
美琴がそう尋ねると、インデックスは一度頷いてからつらつらと話し始める。
例え告白が成功したとしても、失敗したとしても、遠隔制御霊装に不具合が出る可能性があること。
そしてもしそんな事になってしまったら、自分の立場が危ういことになってしまい、それによって周りにも迷惑をかけてしまうこと。
その周りというものの範囲も巨大で、魔神レベルの力を繋いでおく鎖が無くなってしまうと、世界全体に影響を与えてしまう可能性もあること。
美琴はそれを一字一句逃さないようにしっかりと聞き取る。
「――ただでさえ、今は魔術と科学の関係が微妙なものになっているんだよ。だから、私はそこに巨大な波風を立たせたくない。
私一人のワガママに多くの人達を巻き込むわけにはいかない。それはきっと、私もとうまも不幸にする」
「だから……アイツを諦める、か」
美琴はその意味を吟味するように口の中で呟く。
彼女の言い分は分かる。おそらく、それが一番多くの者が幸せになるであろう方法であることも。
しかし、美琴にはどうしても納得することができない。ここで自分が納得しようがしまいが関係はないのだが。
……ところが、インデックスはキョトンとした表情で美琴を見る。
「別に私、とうまの事諦めてないよ?」
「……へ?」
彼女の言葉に、美琴は何とも間抜けな声を出してしまう。
先程からの彼女の話を聞き流している様子だった食蜂も、急に意識を覚醒させてそちらを見る。
「えっとね、“今は”告白しないっていう事なんだよ。魔術と科学の関係がもっと安定して、また一緒に暮らせるようになったらその時告白するっていうこと」
「な、なんだ……そうなんだ……」
美琴は少し気が抜けた声を出した。
ずっと張り詰めていた空気がどこか緩んだ気さえもする。
インデックスは上条を諦めたわけではない、彼女は彼女なりの作戦を持って上条を狙っている。
それならいい、と美琴は小さく息をつく。
相手に戦う意思があるというのであれば、こちらとしても思う存分挑めるわけだ。
食蜂は少しつまらなそうに、
「でもぉ、魔術と科学の安定なんていつになるか分からないじゃなぁい。その間、インデックスさんは上条さんと会うことができないんだし、圧倒的に私達が有利よぉ」
「まぁ、そこは仕方ないんだよ。それにそこまで不安じゃないかも」
「え?」
食蜂が意外そうな声を出すと、インデックスはにっこりと微笑んで、
「だって、とうまは私にメロメロだもん。みことでもみさきでも、勝負にならないんだよ。例え私がしばらくとうまと会えないとしても、そんなのハンデにもならないんじゃないかな」
「……へぇ。でも上条さんはあなたの事を家族としか思ってないみたいだけどぉ?」
「あんなのとうまの思い込みに決まってるんだよ。本当は私にベタ惚れなのに、それが恋だって気付いていないだけかも」
やけに自信ありげに腕を組んでドヤ顔で語るインデックス。
そんなあからさまな挑発に対し、食蜂は口の端をヒクヒクとさせ、
「それなら私が上条さんをラブホテルに連れ込んで既成事実を作っても文句はないわよねぇ……?」
「おい待て。それは私が止めるわよ」
冗談とも思えない食蜂の言葉に、美琴がすぐに釘を刺す。
だが、こちらもインデックスの挑発に対してこめかみをピクピクさせており、
「随分とナメてくれちゃってるようだけど、それでアンタが戻ってきた時に私とアイツが付き合っていても後悔すんじゃ無いわよ」
「えー、みことがぁ? どっちかっていうと、まだみさきの方がありそうかも」
「な、なんですって!」
「今の調子じゃ、みことが私みたいにとうまと半年同棲するまでに一体何年かかるか分かんないんだよ。たぶん、それまでには私も戻ってこれると思うし。
私の見込みだと、みことが素直になってとうまに告白するまでには最低でも三年はかかるんじゃないかな」
「そんなかかるわけ……ない!!!」
美琴自身、一瞬言葉の途中で考えてしまうのが何とも虚しい。
今まで散々素直になれずに今現在までズルズル行ってしまった事から、インデックスの言う告白まで三年という数字がやたらリアルに思えてしまう。
しかしとりあえず、これでもう余計なことを考えずに上条に集中できる。インデックスも予想以上に図太いようで、特に遠慮はいらなそうだ。
といっても、先は長い。
今回の男部屋の盗撮で、美琴は自分がどれだけ上条に女の子として見られていないか痛感した。
いや、薄々は気付いていたことではあるのだが、それでも本人がそう言っているのを聞くのはまたダメージが大きいものだ。
だが、いつまでも凹んでいる訳にはいかない。
インデックスが居ない間はチャンスだと思うべきだ。その間に距離を縮めて確実に告白まで持っていく。
敵はインデックスだけではない。食蜂なんかはどんな手を使ってくるか分からないし、他にも上条に想いを寄せる少女は居る。
その誰にも負けてなるものか、と美琴は右手をグッと握り締める。
一方で。
「………………」
「ん、どうしたのしずり?」
「いや、別に」
麦野はただじっとインデックスの事を見ていた。観察といったほうが正しいのかもしれない。
何を思ってそうしていたのかは分からない。インデックスの言葉にも一言素っ気なく返事をするだけで、すぐに目を逸らしてしまった。
そして男部屋ではテンションが最高潮に達したらしい上条が、右手にウイスキー、左手に日本酒を持って大声をあげていた。
『よっし、じゃあ今から女部屋に突撃すんぞ!!!!!』
もはや恐れるものは何もなしといった感じだ。
いや、今まで上条がやってきた事を考えれば、そこまで変わっていないのかもしれない。
学園都市最強のレベル5と二度も正面からぶつかった経験などを考えれば、確かに恐れるものなどはないように思える。
だが、それは外向きの印象であって、本人は全く違う。
誰かを助けようと突っ走っている時はアドレナリンが出まくって恐怖などは鈍っているのかもしれない。だから無謀なことも何度もしてきた。
しかし、当然全く怖くないというはずがなく、死の恐怖というものは何度経験しても慣れることなどできるはずがない。
後から当時のことを思い出してみても、恐ろしくて震え上がるほどだ。
御坂美琴の電撃を打ち消す日常の一コマであっても、心臓バクバクで恐ろしいことこの上ない。
要は上条はどんな攻撃も口元に笑みを浮かべてクールに受け流すナイスガイというわけではなく、いつだって必死で全力な一介の高校生にすぎないのだ。
そんな彼をレベル5の巣窟である女部屋へと突撃させようとする辺り、酒の恐ろしさというものがよく分かる。
当然ながら浜面は青ざめた顔で止めに入る。
『いや、待て待て!! 死ぬ気かよ!?』
『浜面、昔の人は素晴らしい言葉を残してくれた。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」って知ってるか?
こんな所で女の子の話をしているだけじゃ何も得られねえ、勇気を出して直接乗り込まなきゃいけねえって事だ!!!』
『よし、それじゃあ「墓穴を掘る」って言葉を知ってるか? お前が入ろうとしてんのは虎穴じゃなくてそれだ』
『知るか!! もうこんな部屋には居られるか、俺は出て行くぞ!!!』
『それ言っちゃいけないセリフ!!!』
意気揚々と部屋を出ようとする上条を止めようと浜面は慌てて立ち上がる。
しかし、その浴衣の袖を垣根が掴んだ。そして何やらやたら神妙な表情で、
『行かせてやれ、浜面』
『えっ、何その「俺は分かってる」オーラ! つかお前は楽しんでるだけだろ!?』
『当たり前だろ。よし浜面、上条が全治何ヶ月の怪我するか賭けるか?』
『ダメだこいつ、全く改心してねえ!!』
***
女部屋も男部屋と同じ二階にある。流石に距離はそれなりに離れてはいるが。
部屋を出た上条は相変わらず上機嫌で女部屋へと向かうが、酒が回っていて真っ直ぐ走ることもできない。
途中で横の壁に何度かぶつかりながら、まるでピンボールのように進んでいく。
いかに貸切といえども、普通は旅館でこんな状態の未成年が居れば色々と問題になりそうだが、幸い従業員には出くわさない。
というか、風呂の件もあってできるだけ関わらないようにしているのかもしれない。
まぁしかし、どちらにせよ上条本人はそういった事を一切考えずに、自由気ままに振る舞うだけだ。
程なくして、女部屋の前までやって来た上条。
普通ならこのドアを開ける瞬間が一番緊張するのであろうが、今の上条にそんなまともな感覚を期待するだけ無駄だ。
上条は何の躊躇いも見せず、ノック一つせずに一気に扉を開けてズカズカと中へと入っていった。
「たのもー!!!」
今の上条の状態は酷い。
散々暴れまくったせいで浴衣は大きくはだけ、下に着たTシャツやトランクスが丸見えだ。
もしもこれが全く関係ない別の部屋だったら、即警察に通報されかねない。まぁ、今回に限っては宿が貸し切られているのでその心配は無いのだが。
部屋には少女が一人だけ居た。
肩まであるサラサラとした茶髪。
活発そうな印象とは別に、学校での学習の賜物なのか、その仕草にどこかお嬢様らしい気品も感じられる。
気軽に触れれば火傷をする。それが比喩でも何でもない事を上条は身を持って知っている。
御坂美琴が、呆れた様子でこちらを見ていた。
***
時は少し遡る。
上条の女部屋突撃宣言を聞いた美琴達は、当然それの対策を話し始めた。
食蜂はいつも以上に目をキラキラさせ、
「はぁーい! じゃあ私がこの部屋に一人だけ残るわぁ!!」
「……アンタ何する気よ」
「えぇ……それ言わせるのぉ……? 御坂さんのエッチぃ」
「はい却下!! とりあえずアンタは出てけ!!」
ある程度は予想していたが、それを裏切らない食蜂。
といっても当然ながらそれを美琴が見過ごすわけがない。
麦野は少し考えこみながら、
「でも、部屋に誰もいないっていうのもつまらないわね。インデックスここに残る?」
「えっ!?」
反応したのはインデックスではなく美琴だ。
流石にインデックスも食蜂と同じように良からぬことをしようとしているとは思わないが、彼女にとっては上条にアピールするチャンスになる。
いくらこっちに滞在している間は告白しないと言っても、インデックスへの好感度が上がるような事は美琴にとってあまり良いことではない。
ところが、当の本人は困ったように苦笑すると、
「えーと、酔っ払いのとうまはすっごく面倒くさそうだから勘弁してもらいたいかも」
確かに一理ある。
旅行の夜に部屋で二人きり。それだけ聞けば良いシチュエーションかもしれない。
しかし、問題は相手が酔っ払いであるという事だ。
そんな状態で良い雰囲気を作ることができるのだろうか。
美琴は少し考えてかなり難しいだろうという事を理解する。
それこそ食蜂のように勢いだけで既成事実を作ってしまおうとするのであれば好都合なのかもしれないが、まともな会話は到底期待できない。
美鈴の影響で、酔っ払いの相手がどれだけ大変か美琴は思い知っている。
そして最悪、それだけ苦労して二人の時間を作ったところで、相手は次の日にはすっかり忘れてしまっている可能性まであるのだ。
そこまで考えると、今の状態の上条と二人きりになっても、ただ疲れるだけなのではないかという不安が大きくなっていく。
麦野は視線をインデックスから美琴へと移して、
「それじゃあ、御坂?」
ゴクリと、喉を鳴らす美琴。
あんな状態の相手とはまともな会話は期待できない。それでも、だ。
あの状態の上条だからこそ、何かの拍子で次のステップに進める可能性だってあるのではないか。
例えば……うっかりキス、とか。
そこまで考えた美琴は顔を真っ赤にして大きく首を振る。
バッサバッサと髪が乱れるが、そんな事は気にもとめていない。
(ありえないありえない!! つかこれじゃ食蜂と変わんないじゃない!!)
「あ、御坂さんが妄想力全開でエッチな事考えてるぅー」
「うっさい考えてない!!!」
美琴は大声で否定するが、それが逆に怪しさを増す。
しかし麦野はそこに関しては特に弄ったりもせずに、パンパンと手を叩きながら立ち上がった。
「よし、それじゃあ御坂がここに残るってことで、私達は出るわよ。そうだ、私達は逆に男部屋の方に突撃するか。私は浜面に一発かまさないといけないし」
「ちょ、ちょっと待ってよぉ! それじゃあ上条さんの貞操が御坂さんに奪われちゃう!!」
「奪わないわよ!!! アンタみたいな変態と一緒にすんな!!!」
「まぁまぁ、みさきは今日一日とうまとデートしたんだから、ここは我慢するんだよ。大丈夫、みことにそんな度胸はないから」
「うぅ……確かにそうかもしれないけどぉ……」
「それはそれでカチンとくるわね」
そうやって美琴以外の三人は部屋から出て、途中で上条と出くわさないように、近くにある階段で一階へと下りる。
そして一階をそのまま移動して、もう一つの階段から男部屋へと向かった。
部屋に取り残された美琴は、上条が来るまでずっと自分の浴衣や髪などを入念に整えていた。
***
時は戻って上条と美琴は部屋で二人きり。
といっても、いつまでも沈黙が続くわけはない。なにせ上条は酔っ払いだ。
「あれ、ミコっちゃん一人?」
「そ、そうよ、悪い?」
素直になろうという気持ちはどこへやら。美琴は思わず挑戦的な目を向けてしまう。
だが、上条は特に気にした様子もなく、にかっと笑って、
「よし、じゃあ恋バナしようぜミコっちゃん!!」
「なっ……え、ええっ!?」
上条の言葉に、心臓が跳ね上がる美琴。
何も恋バナというものをしたことがないというわけではない。特に佐天なんかは大好きな話題でよく振ってくる。からかい目的で。
だが、今のこの状況は女子四人で仲良く話すのとはわけが違う。
美琴は、まさに今現在想いを寄せている相手と恋バナなどというビッグイベントには出くわしたことがない。
そんな動揺しまくりの美琴に上条は首を傾げて、
「おろ? ガールズトークの定番じゃねーの?」
「お、男と二人で恋バナのどこが定番なのよ!!」
「ん、そういうもんか? まぁ、いいじゃねえか、俺とミコっちゃんの仲だろ?」
「……っ。ミ、ミコっちゃんって呼ぶな……」
「じゃあ美琴」
「……うぅ」
上条の一言一言が美琴の精神を大きく揺さぶる。
確かに「ミコっちゃん」と呼ぶなとは言ったが、だからといって真っ直ぐ目を見られて「美琴」と呼ばれるのもそれはそれで照れる。
美琴は顔を逸らして必死に赤くなっているのを隠しながら、ぼそぼそと話し始める。
「こ、恋バナっていっても、何話せばいいのよ」
「じゃあ美琴の好きな男とか」
「ぶっ!! 何そのド直球!! 言えるわけないでしょうが!!!」
「おっ、ってことは居ることは居るんだな?」
「いっ!?」
ニヤリと口元を歪める上条に、美琴はしまったと顔を引き攣らせる。
「ほら吐いちゃえ吐いちゃえ!! もしかして俺が知ってる奴か!? それなら協力してやるから――ごばぁ!!!」
言葉の途中でグーで殴られる上条。
美琴はビキビキと青筋を浮き立たせながら、上条を睨みつける。
「そうよねー、アンタはそういう奴よね!!!」
「いでで……分かった分かった、それなら特別に上条さんの好きな女の子のタイプを教えてやろう!!」
「それはもう聞いたっつの」
「へっ? 言ったっけ?」
「あ、いや……」
そういえば、上条は男部屋が盗撮されていた事を知らない。
別に白状してもいいような気もするが、なんだか自分が言うのは気に食わなかった。
こういうものは主犯である麦野か浜面の口から語られるべきことだ。
すると上条は少しの間キョトンと首を傾げていたが、
「まぁいいや。おやすみ」
「ちょっと待てええええええ!!!」
コテンと、その場に寝転んでしまう上条。しかもそれだけではない。
なぜか、その頭は美琴の太ももの上にある。つまりは、膝枕状態になっているわけだ。
「んー、なんだよー、ねみーんだから大きな声出すなよなー」
「い、いやツッコミどころは沢山あるけど、まず何でちゃっかり膝枕状態になってんのよ!?」
「そこの膝があったから」
「自由か!!!」
「うへへ、やわらけー」
「ひぃぃ!!!」
バシッ!! と美琴の平手打ちが上条の頬に直撃した。
それも無理はない。
なにせ上条はただ膝枕されているだけに満足せず、あろうことかその太ももを撫でるなどという変態行為に及んだのだ。
むしろここで黒焦げにされなかっただけ、美琴にしては良心的だとさえ思える。
まぁ上条からしてみれば痛いものは痛い。
若干涙目になりながら、その赤くなった頬をさすって、
「美琴さん、痛いです……」
「いきなり何すんのよ変態!!! 女子中学生の太もも撫でるとか何考えてるわけ!?」
「そこに太ももが」
「それ以上言ったら超電磁砲撃つわよ」
「おいおいハニー、流石にそれは熱烈すぎる…………分かった、分かったよもー!」
どこからかいつものコインを取り出す美琴に、上条は両手を上げて観念する意思を見せる。
だが、頭は相変わらず膝の上だ。
そして、それを無理にどかそうとはしない美琴。やろうと思えばいくらでも方法はあるにも関わらず。
なぜ、というのは愚問だろう。
好きな相手に膝枕をしている。それは恋する乙女にとっては恥ずかしくも嬉しいシチュエーションである。
上条は気持ち良さそうに目を閉じると、
「こうやって美琴に膝枕してもらうと、あの鉄橋の事思い出すよなー。いやー、あの時のビリビリは効いたぜ」
「そ、それはアンタが無茶苦茶な事言って立ちふさがったのがいけないんじゃない……」
「お前の方が無茶苦茶だったろーがーよー。死ぬつもりで一方通行に挑もうとしてるとか、上条さん焦っちゃいましたよ」
あの夜の事は鮮明に思い出せる。
八月の夜、生暖かい風の吹く鉄橋の上。
人生で一番の絶望。どんなに苦しくても明日は来るというが、それさえも見えなくなってしまった時。
上条は、やって来てくれた。
まるでそれが当然の事であるかのように、それこそピンチにはいつも都合よく駆けつけてくれるヒーローのように。
今なら言えるかもしれない、と美琴は思った。
「ありがとね」
「んあ?」
「あの子達と……私を助けてくれて。もしあの時アンタが来てくれなかったら、今私はここにいない」
半年越しのお礼。
上条は少し驚いたように閉じていた目を開けて、真上にある美琴の顔を見る。
彼女は穏やかに微笑んでいた。どこか、あのインデックスの包み込まれるようなものと似ている。
そして上条もまた同じように微笑む。
「おう、どーいたしまして」
その言葉の前に一瞬の間があったので、もしかしたら「自分の好きにやっただけだから礼はいらない」といったような事を言おうとしたのかもしれない。
といっても、例えそう言われたとしても美琴が納得するはずはない。
上条もそれに気付いたのかもしれない。だから素直に礼を受けとる事にしたのだろうか。
そんなことを考えていた美琴は少し真剣な表情になって、
「でも、アンタってあの時はもう記憶を失くしてたのよね?」
「そーだな。自販機に二千円飲み込まれた時のあれが俺にとってはお前との初対面だ。
あの時はビビったぜー。いきなり電撃ぶち込まれるわ、自販機に回し蹴り入れるわ。しかもそんなのが知り合いっぽいってんだからなー」
「悪かったわね! ……っていう事はさ、アンタは会ったばかりの私やうちの妹のために命賭けて一方通行と戦ったって事なのよね。
アンタらしいといえばそうなんだろうけど、そんなこと繰り返してたらいつか本当に死ぬわよ?」
美琴は溜息混じりに話す。
といっても、やめろと言っているわけではない。
これが上条当麻だという事は美琴自身良く分かっているし、言っても止まるわけがないという事も十分理解している。
だからこそ、美琴はせめて上条のために手伝えることは手伝おうと心に決めているわけで。
上条もその辺りは自分でも分かっているのか、
「あっはっは! いやー、まったく返す言葉もねえよ。いつも不幸不幸言ってっけど、ここまで生き延びてこれたのはむしろ幸運だよな。
まぁでも、放っておけねえんだから仕方ねえじゃんよ。あの時だって、御坂妹の為だとしてもお前が死ぬなんて嫌だったし」
「……私だって」
「んー?」
「私だって、アンタが死ぬのは嫌よ」
何とも情けない声が漏れてしまった、と美琴は思った。
酔っ払っているのは上条であるはずなのだが、これは彼女もあてられてしまったのだろうか。
その表情はいつもの彼女からは考えられないほど弱々しいものだった。
そんな彼女の頭に上条の手が伸びた。
「大丈夫だって、俺は死なねえ。いつも一人で戦ってる訳でもねえ。お前だって助けてくれるじゃねえか。
俺の方こそ、ありがとうな。毎度毎度俺のワガママに付き合ってくれてさ」
そう言って笑顔を浮かべる上条に、美琴は不満そうに口を尖らせる。
それでも、頭に置かれた手は払おうとしない。
「……本当よ、もっと感謝しなさい」
「ははぁ、神様仏様御坂様」
「アンタてきとーに言ってるわよね?」
美琴のジト目を受け、上条は少し考え込む。
そして、やがて何かを思いついたらしく、ピコーンと頭の上に豆電球が現れそうな表情で、
「分かった分かった、それじゃあご褒美にチューしてあげよう!」
「ふぇっ!?」
いきなりすぎる上条の提案に、美琴は体全身をビクッとさせる。
そんな彼女を置いて、上条はゆっくりと体を起こして真っ直ぐ美琴を見た。
当然、美琴は大パニックだ。
酔っ払いの言うことなどまともに取り合ってはいけないという事くらい分かっていたはずだったが、それでも好きな相手にこんな事を言われれば無理もない。
「は……え、チューって……キス!? ななななな何よそれいきなり過ぎるわよつか何で勝手にご褒美だって決めつけてんのかしら逆にアンタのご褒美じゃ」
などと思考がまとまらない内に言葉だけを次々と吐き出す美琴。
上条はぼーっとしていて明らかに聞いていない様子ではあるのだが、それにも気付いていない。
普通なら酔っぱらいにこんな事を言われれば拒絶するに決まっている。
例えば母親である美鈴なんかも酔うと誰彼かまわずキスしようとする悪癖があるが、その度に必死に逃げたものだ。
ところが、今回の相手は想いを寄せる相手だ。
率直に考えて、キス自体は嬉しいに決まっている。こう認めるのは悔しいが、確かにご褒美といえるだろう。
しかし、だ。
「そんじゃ、んちゅー」
上条の、この顔はどうなんだろうか。
唇をタコのように大げさに出っ張らせ、どう見てもギャグにしか思えない。それが近付いてきている。
そもそも、相手の照準はこちらの唇なのか頬なのかも判断できない。フラフラと揺れる頭を見る限り、狙いが外れて目に唇が飛び込んできてもおかしくない。
こんなものがファーストキスでいいのか。
美琴は周りにも隠し切れないほどの少女趣味の持ち主であり、ファーストキスのシチュエーションなんかは何度も夢見たことがある。
例えば夜景の綺麗な高級レストラン。例えば夕陽の綺麗な砂浜。
そんなロマンチックな場所で上条とキスする姿を妄想してはバタバタと恥ずかしさのあまり悶え、ルームメイトの白井黒子から疑惑の視線を受けたものだ。
だが、キスはキスだ。
どんなシチュエーションにしたって、上条とキスをしたという事実は変わらない。
未だ手を繋ぐだけでも心臓バクバクで頭が真っ白になってしまう美琴からすれば、それは夢の様なものだ。
その千載一遇のチャンスが巡ってきている。
美琴は悩む。悩みに悩みまくる。
その間にも、上条のタコ顔は近づいてくる。酒臭さを強く感じ始める。
「んちゅー」
「……っ」
「んちゅー」
「……っ!!」
心の準備ができていない。
顔を近づけてくる上条に対し、美琴は上半身を仰け反らせて距離を取ろうとする。
しかし、それにも限界があるので、どんどん追い詰められていく。
そして。
「いやああああああああああああああああああああ!!!!!」
ゴンッ!! と良い音が鳴った。
美琴らしからぬ悲鳴とともに放たれたのは、強烈なヘッドバットだった。
「おごぉぉぉぉ!!!」
相当痛いのか、額を抑えて倒れこんでしまう上条。
結論として、美琴の中でやはりファーストキスでこれはありえないという事になった。
それに冷静に考えてみれば、もしこのことが食蜂なんかに知られた時のリスクも看過できない。
加えて自分のファーストキスを、明日になったら目の前の男は忘れているかもしれないという可能性もあり、それはとても流せない事だった。
そういったもろもろの事情を知らない上条は、ただ痛みで布団の上を転がる。
そして涙目で、
「な、なにすんだよう」
「それはこっちのセリフよ!! こっちはファーストキスなんだからもっとこう、雰囲気とか色々……」
「……あ、そっか。そういえばお前好きな奴がいるんだっけか。そりゃ悪かったなー、ファーストキスはそいつのためにとっておかなきゃいけないよな、うんうん」
「………………」
腕を組んで訳知り顔で頷いている目の前の男を、思い切り殴り飛ばしたい衝動に駆られる美琴。
そんな彼女の危険な雰囲気に気付かずに、上条は悩ましげに首をひねる。
「うーむ、それならやっぱり長生きしねえとなぁ。美琴の晴れ姿をこの目で見るまでは」
「アンタは私のパパか!!」
「残念ながら俺の娘枠はインデックスで埋まってまする。だから美琴は妹な。お前も俺のことをお兄ちゃんって呼んでいいぞ。
あっ、けど俺にそういう性癖があるわけじゃねえからな!! どっちかっていうと、俺も年上のお姉さんに甘えたい系だ!!!」
「知るか!!! っておい、ちゃっかりまた膝枕体勢に戻ってんじゃないわよ!!!」
相変わらず自由気ままに行動する上条。
余程美琴の膝枕が気に入ったのか、再び頭を彼女の太ももに乗せて、気持ち良さげに目を閉じる。
そして美琴も美琴で、言葉とは裏腹にそんな上条を無理にどかそうともしない。
美琴は完全に無防備な状態の上条を見下ろしながら、それだけ自分は心を置ける相手だと思われているのかな、とぼんやりと思う。
それはそれで嬉しいことなのだが、ここで引っ掛かるのは上条が美琴の事を恋愛対象として見ていないらしいことだ。
つまりは上条の言うような妹みたいなものという結論に落ち着き、上条に想いを寄せる少女としては見過ごせない。
美琴はこの割と深刻な問題について考え、
「……ねぇ、さっき私の事妹だとか言ってたけどさ」
「おー」
「それはつまり、その、私のことを女として見てない……とか?」
男部屋での恋バナを聞いていたので、上条の言い分は知っている。
しかし、それはあくまであの場ではそう言っただけで、本心は違うのではないかという期待も少しだけ抱いていた。
上条も酔っているが、恥ずかしいものは恥ずかしいだろう。だから、とっさに誤魔化そうとしたわけで、こうして本人になら違った答えを返してくれるのではないかと。
しかし。
「あぁ、そうだな。俺達ってそういう関係じゃん。美琴も俺の事男だとか意識したことないだろ?」
一刀両断。
精神に多大なダメージを負った美琴は、まるで本当に斬られたかのように身を傾げる。
その答えは一度聞いてはいたが、こうして直接言われるとまたキツイものだ。
もうハッキリ言ったほうがいいのかもしれない。
このまま行くと、本当にインデックスの言っていたように告白まで三年とかいう事になりそうだ。
相手は想像を絶する超絶鈍感男。正面からぶつかってやらないと絶対に気付かない。
美琴は一度ギュッと口元を結ぶと、
「……何勝手に決めちゃってくれてんのよ。私は」
そこで一旦言葉を切る。
次の一言は勇気がいる。今までの関係を壊すものだからだ。
それでも、言わなければいけない。
確かに今のこの関係も悪くないとは思っている。しかし、決して満足はしていない。
だから、美琴は一歩踏み出す。
自然と手元に力が入り、浴衣にシワを作る。
暖房は適切で、決して暑いことはないのだが、額に汗もにじみ始める。
そして、美琴はすぅと息を吸って、
「わ、私は……アンタの事、男として見てる」
「…………」
「えっと、だから、そういう兄妹とかじゃなくて……ちゃんとした……うぅ…………」
「…………」
顔から火が出そうとはこういった事を言うのだろう。もっとも、美琴の場合は実際にバチバチと火花が散っているのだが。
もうここまで言ったら、大体の男は何が言いたいのか気付くはずだ。大体の男は。
上条にはまだ足りないだろう。美琴としては何とか自分を女として見てもらいたいわけで、そうなるともう告白しかないのではとも思えてくる。
だが、それはハードルが高すぎる。
今言ったセリフもほとんどそれに近いのだが、ハッキリ言うとなるとまた大きく違ってくる。
上条は何も言わない。
部屋には二人しか居ないので、美琴が言葉を切って上条が何も答えないと、そこにはただひたすら沈黙が続く。
いつまでもそれに耐えられない美琴は、顔を真っ赤にしたまま再び口を開く。
「ね、ねぇ、何黙ってんのよ。何か言ったら――」
「――――ぐぅ」
ビキィィ!! と美琴の額から精神衛生上大変よろしくない音が鳴った。
原因はもちろん自分の膝の上にいる男だ。
上条は見事に寝ていた。それはもうグースカと。
それも仕方ないだろうとは思う。
旅行には朝から出発して、着いた先でも食蜂に振り回され、しかも酒も入っているとなればこうなるのは不思議ではない。
しかし、なぜこうも絶妙なタイミングで寝れるのだろう。もはやわざとやっているようにしか思えない。
これではどこまで聞いていたかも不明だ。それでも、まぁ、美琴の「アンタを男として見ている」というのは聞いていないだろう。
美琴の勇気を振り絞った行動は、ものの見事にスルーされ徒労に終わった。
これは流石に一発入れるくらいの権利はあるんじゃないか。
そうやって美琴は右拳を握りしめ、更にそこにバチバチと電気をまとわせる。特性かみなりパンチだ。
「こんの――!!」
その腕を振りかぶって、止まった。
自分の膝枕でぐっすり寝ている上条は、無防備に眠りこけていて、なおかつ仰向けなのでその顔がよく見える。
端的に言って、美琴はその寝顔に見とれていた。
人の気も知らないで幸せそうに眠りこけるその表情は、彼女の胸をギュッと掴む。
美琴は声も失い、そのいつもと違う無垢な表情をじーっとしばらく眺めてしまう。
(……こ、こう見ると結構可愛いかも)
彼女の頬には赤みが差し、ぽーっとゲコ太を見る目に似てくる。いや、もしかしたらそれ以上に熱っぽいかもしれない。
その視線は次々と上条の顔のパーツへ向けられ、とある一点で固定される。
ずばり、唇だ。
「………………」
ゴクリ、と喉を鳴らす。
その後キョロキョロと辺りを見渡し、誰もいない事を確認する。
(い、いい……かな……?)
そろーっと、片手で自分の髪を抑えながら、本当にゆっくりと顔を上条の元へと落としていく美琴。
これでは食蜂の事を言えないのではないか、という疑問が頭をよぎるが、すぐに追い出す。
(別にキ、キスだし、欧米とかだと普通に挨拶程度に使われるし! だ、だから食蜂とは違う!)
そんな風に自分に言い訳しながら、美琴は更に顔を落としていく。
これは大チャンスだ。色々考えたファーストキスのシチュエーションもいつの間にか頭から消え、とにかく上条とキスできればいいという考えに変わっていく。
いや、もしかしたら先程のタコ顔よりかはマシだという感覚があるせいなのかもしれない。
とにかく、美琴はただ上条とキスしたい一心で顔を近づける。
目はトロンとして、ぼーっとした表情のまま、彼女は自分の本心に忠実に行動する。もはやいつもの理性というものが無くなっている。
そして、上条の唇まで後数センチ。相手の寝息が口元にかかるくらいになって――――。
「おい、上条を回収しに来たンだけどよォ」
ガチャ、とノックもなしに入ってきたのは一方通行だった。
空気が凍った。
美琴は上条にキスする寸前で固まったまま、一方通行はドアノブに手をかけたまま完全停止している。
お互い何を言えばいいのか分からない。物音一つたててもいけない気がする。
あの一方通行ですら、その表情から面食らっていることが分かる。
美琴の頭の中は完全に真っ白で、言い訳など何も思い浮かばない。
そもそも、この状況で言い訳のしようがあるのかという疑問もある。
何とも気まずい沈黙が流れる。
そして。
「数秒で済ませろ」
そう言い残し、バタンと彼は出て行ってしまった。
その後、彼女はどうするか。気を取り直して今度こそキスするか。
そんな事できるはずがない。
あんな状況を見られた美琴はもう色々とダメだった。少し落ち着いた所で、一気に色々なものが胸に押し寄せてくる。
頭はグチャグチャ、恥ずかしさの許容量は完全に超え、その溢れた分が眩い閃光へと変換され――――。
「ふにゃー」
「あばばばばばばばばばばばばばばばば!!!!!!」
上条は、美琴の膝枕が危険だという教訓を得た。
***
時は少し遡る。
上条が女部屋へ突撃していった少し後に一方通行も部屋を出た。
といっても、もちろん上条と一緒に突撃をかけるためじゃない。流石に彼はそこまで愉快な人間性は獲得していない。
この宿の二階ロビーの近くには、景色を眺めるためのバルコニーがある。
ここの立地条件は素晴らしく、そのバルコニーからは綺麗な山の景色を見ることができ、昼間は展望台として宿泊客以外にも開放していたりするらしい。
そんな良い場所ではあるのだが、流石に夜になると山も真っ暗で見えなくなってしまうので外に出てくる者もほとんどいない。
まぁ、今は学園都市からの受け入れで貸切状態なので、元々他に客は居ないのだが。
そのバルコニーの端っこ、手すりに両腕を置いた状態で一方通行は夜風を受けていた。
見上げれば綺麗な満天の星空。吐く息は白く、真っ直ぐ空へと昇っていく。
普段暮らしている学園都市では中々見られない、田舎ならではの夜空だ。
それなりにアルコールが回っているのだろう。冷たい夜風が心地よいと思えるほどには顔が上気しているようだ。
しかし、いつまでもここに居れば風邪を引いてしまう。浴衣の上に茶羽織という格好は、とても二月の夜を凌げる服装ではない。
能力を使えば問題無いだろうが、こんな事にいちいち使うのも馬鹿らしい。
それに能力を使えるのであれば酔いや顔の上気も全てベクトル変換で調整すればいいわけで、流石にそれは色々と台無しだと一方通行も思ったわけだ。
そんなわけで、ガラス戸からロビーに戻る。
すると、そこにあるソファーの一つに銀髪碧眼の少女が座っていた。インデックスだ。
こうして見ると純正外国人でも浴衣はよく似合っており、大したものだと思う。服の方が、だが。
彼女はこちらに気付くと、
「もしかして飲み過ぎちゃったとか?」
「馬鹿言え。あの部屋が暑苦しかったから涼みにきただけだ」
「ふーん、でもあなた、少し顔赤いよ」
「……ちっ」
元々白い肌なのでそういった変化は分かりやすいのだろう。
一方通行は忌々しげに舌打ちをすると、さっさと部屋に戻ることにする。
その背中にインデックスの声が飛ぶ。
「今戻るのはあんまりオススメしないかも」
「はァ?」
「まぁ、実際に見たほうが早いかもね」
意味が分からないので、それ以上は反応せずにさっさと歩いて行く一方通行。
そのまま数十秒で元居た部屋の前まで辿り着き、扉を開ける。
そこには。
「おらあああああああ、足舐めろや浜面ァァああああああああああああ!!!!!」
「わぶっ!!! おぼぼぼぼぼぼぼぼ!!!」
「あははははははははははぁ!!! たっのしぃー、ほらもっと速く速くぅ!!!」
「おいどけクソアマァァ!!!!! やめろおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
麦野沈利が素足で浜面仕上の顔面を踏みつけている。
垣根帝督が犬のように四つん這いになり、その上に食蜂操祈がまたがっている。犬が悲痛な表情をしている辺り、おそらく能力を使われて体を勝手に動かされているのだろう。
畳の上には先程よりも多くの酒瓶。今はっちゃけている女子二人が飲んだものだと考えて間違いない。
まさにカオス。
近寄れば飲み込まれて出てこれず破滅する。そんな空間がそこには広がっている。
一方通行はそのまま何も言わずに扉を閉めた。
とりあえずロビーに戻る。
そこには相変わらずインデックスがソファーに座っており、売店で買ったのかスナック菓子を食べている。
彼女は一方通行が向かいのソファーに腰を下ろすと話しかけてきた。
「おかえりなさい。どうだった? まだちょっとアレな感じ?」
「何であンなふざけた状況になってンだよ」
「んーと、どこから話せばいいのかな。実はさっきから男部屋の様子はこっちで盗撮しててね」
「さらっと犯罪行為白状しやがったなオイ」
そこからのインデックスの説明は単純なものだった。
上条が女部屋へ来ることを知った女子達は、面白そうという理由だけで美琴を部屋に残し、他の三人は逆に男部屋の方に行くという事になった。
そこで麦野と食蜂が飲み始めて、見事に出来上がり、あの大惨事というわけだ。
「オマエは飲まなかったのか?」
「私はシスターだからね。お酒は飲まないんだよ」
「暴食しまくってる時点でシスターとしてはアウトだと思うけどなァ。確か七つの大罪ってやつの一つだろ」
「あくまで私はまだ修行中の身だからね。時としてシスターらしく振る舞えないのも仕方のない事なんだよ。
それに、ローマ法王庁が発表した今現在の大罪は、遺伝子改造・人体実験・環境汚染・社会的不公正・貧困・過度な裕福さ・麻薬中毒だね」
「あァ、そうですか」
一方通行は一瞬、自分がどれだけ背いていか考えようとしてやめた。
別に宗教に興味はないし、いちいち考えなくても複数当てはまりそうなのは何となく想像できるからだ。
これ以上何も言うことがない彼はケータイを取り出してカチカチと弄る。
インデックスはそれを見るとにっこりと微笑んで、
「あの子にめーるでもしてるのかな?」
「なンだその目は」
「いつもはぶっきらぼうだけど、優しいところもあるんだなぁって。心なしかあの子と話している時のあなたはどこか柔らかい感じもするし」
いつだったか、バードウェイという少女にも、小さい者と話す時は声の調子が違うと指摘されたことがある。
別に意図してやっているわけではないが、今までの経験から自然と切り替えてしまう癖のようなものがついてしまったらしい。
これは彼のキャラを大きく崩してしまう可能性がある要因でもあるので、注意が必要だ。
一方通行はインデックスの言葉にはまともに取り合わずに、お返しとばかりに、
「それはオマエにも言えるだろうが。上条と一緒に居る時はやたら浮かれてるのが丸分かりだ」
「うん、だって私とうまの事好きだし」
「…………」
一言で封殺されてしまった。
何の恥じらいもなく当たり前のように言える辺り、自分が嫌に子供っぽく思えてしまう。
そういえば、と一方通行はとある事を思い出す。
「オマエ男部屋を盗撮したとか言ってたよな?」
「なんだかその言い方だと私が主犯みたいかも。主犯はしずり、共犯ははまづら。私はたまたまそこに居合わせた無関係の人なんだよ」
「そこはどうでもいい。つかこっちからすればオマエも十分共犯だっつの。
要は、上条がオマエの事をどう言ってたかも聞いたってことだよな? 内容はオマエがやけ酒するようなものだったはずだが」
「んー、まぁ」
インデックスは困ったように笑うと、視線を斜め上に持って行って少し考える。
次の言葉が出るまでしばらくかかるかとも思ったが、案外すぐに彼女は言葉を紡ぎ始める。
「とうまが私のことをどんな風に思っているかは何となく分かっていたからね」
「だから仕方ないってか」
「納得はしてないかも。とうまにはいつか私のことをきちんと女の子として見てもらえるようにしてみせるんだよ。
だから、現時点でそういう状態だったとしても、それで極端に落ち込むって事はないんだよ。正直少し残念っていうのはあるけどね」
「いつかって言うほど時間ねェだろォが。明々後日にはイギリスだろ、なら悠長に構えてる暇なンかねェンじゃねェの?」
「……私にも色々あってね。こっちにいる間にとうまに告白するのはやめたんだよ。何年後になるかは分からないけど、またとうまに会えた時に言おうってね」
彼女の言葉に、一方通行は目を細める。
しかし、それだけだ。彼はそれ以上追求してくることもない。告白する事をやめた理由も聞いたりはしない。
それは彼らしいもので、必要以上に他人に干渉するつもりがないスタンスをよく表している。
一方通行は手を首の後に回し、ソファーの背もたれに体を預けながら、
「オマエも余裕なモンだな。そンだけ時間が空けば人ってのはいくらでも変わる。
あの上条だってどっかの女とくっついてベタベタしててもおかしくねェだろ。それでも、オマエはアイツが変わらず待っていてくれるとでも思ってンのか?」
「…………」
インデックスは笑顔のまま、少し顔を俯ける。
その様子はとても儚く見え、一方通行でさえもどこか美しさというものを感じるものだった。
彼女にとって痛い所を突いた自覚はある。だが、これはハッキリさせておかなくてはいけないことだと一方通行は思っていた。
いざ上条と再会した時に、少しの覚悟もしていなければそれは大きな傷になる。
インデックスは顔を上げる。
その表情はやはりどこまでも暖かく、見ているこっちが癒されるものであった。
「何年経っても、とうまはきっと私のことを大切に想ってくれるんだよ。それは私も一緒」
「随分な自信だな。どンな女でも相手にならねェってか」
「……ううん、違うよ」
「はァ?」
「次にとうまと会った時、その隣に別の女の子が居るかもしれないっていう事は分かっているんだよ。その子がみことなのか、みさきなのか。それとも私の知らない他の誰かなのか。
そこまでは分からないけど、とうまが誰とも付き合わないなんていう確証は持てるはずがないんだよ。あ、これはみことには内緒ね」
その笑顔とは裏腹に、言葉は重く切ないものだった。
一方通行は念を押すように、静かでいながらハッキリとよく通る声で尋ねる。
「それでいいのか?」
「うん。例えとうまに恋人ができたとしても、とうまはきっと今と変わらず私のことを大切に想ってくれて、ピンチの時はヒーローみたいに駆けつけてくれる。
この前のみさきの件でとうまが教えてくれたんだよ。とうまがそう想ってくれるだけで、私はこれ以上ない程幸せなんだよ」
「それはちげェだろうが。本当のハッピーエンドってやつは、アイツがオマエと恋人になる事のはずだ」
「あはは、確かにそうだね。それじゃあ『十分幸せ』に訂正するかも」
一方通行はじっとインデックスを見る。
例え恋人になれなかったとしても、自分のことを大切に想ってくれているのであればそれで十分。
それは全て本当ではないだろうし、全てウソでもないはずだ。
自分以外の誰かが上条の隣を歩くことに、全く胸を痛めないなんて事はないだろう。一方で、今現在の上条からの想いで十分幸せだという事もウソではないはずだ。
いずれにしろ、これは誰かが口を出すようなものではない。重要なのは彼女自身が納得しているかどうかという事だ。
彼女の言葉だけを考えると、どこか言い訳がましいように感じるかもしれないが、その表情と声の調子からそんな半端な気持ちではないという事は分かった。
いつだって自分にとって最も良い結果を望めるわけではない。
それは一方通行自身がよく知っている。その中で人は選択していくのだ。
会話が途切れると、インデックスはチラリとロビーにある時計を見る。
「もう遅いし、そろそろ部屋で騒いでる人達を何とかした方がいいかも。あなたはとうま達の方に行ってくれる?」
「何で俺が……」
「じゃあしずり達の方に行く?」
「…………」
どちらか選べと言われれば、もちろん上条達の方だろう。
観念したように、一方通行は小さく舌打ちをして立ち上がった。
それから少し歩き、インデックスは男部屋に入っていき、一方通行は更に進んで女部屋の前までやって来た。
そして、何の躊躇いもなしにドアノブを掴む。
入る前に少しでも中の状況について予想しておくべきだったと彼が後悔するのはその数秒後。
***
それから少しして、美琴が色々と言い訳を早口でまくし立てるのを聞き流しながら、一方通行は黒焦げになった上条を受け取る。
「だから何度も言うけど、私は別にキ、キキキキキキスするつもりとかじゃなくて――!!」
「分かった」
「いや絶対分かってないわよね!? いいから聞きなさいよ、私はあくまでコイツの顔に何かついてたから――」
「分かったっつってンだろうが鬱陶しい!」
顔を真っ赤にしたまま必死に弁解している美琴に、一方通行はイライラしながら吠える。
美琴は一瞬ムッとするが、すぐにバツが悪そうに視線を泳がせながら、
「え、えっとさ、でもアンタみたいにまた誤解受けるかもしれないから、さっき見たことは他の人には秘密にしてくれない……?」
「あンなモン、俺がわざわざ他の奴等に言うわけねェだろうが」
「そ、そっか。それならいいわ」
明らかに安心した様子の美琴。
これではどう見ても先程からの言い訳がウソだと言っているようなものだが、わざわざそこを突いて更に面倒な事にはしない。
とにかく、これでやっと部屋に戻れそうだと、一方通行は上条を引きずるように運び始める。
その背中を、美琴の声が追った。
「……ねぇ、アンタは打ち止めとずっと一緒に居たいのよね?」
「あン?」
なぜ急にそんな話を振ってくるのか疑問に思い、一方通行は振り返りながら怪訝な声を出す。
そして、そういえば男部屋は盗撮されており、先程の会話も女子には筒抜けだという事を思い出して納得した。
それを考えれば、当然彼女には色々と言いたいことがあるだろう。
こうして比較的まともに話している二人だが、過去にあった出来事はとても水に流せるほど軽いものではない。
真剣な表情でこちらを見据える美琴に対し、一方通行は自嘲気味に小さく笑い、
「笑いたきゃ笑えよ。それとも俺にそンな資格があるわけねェって怒鳴りてェか?」
その言葉に、美琴は疲れたように溜息をつくと、
「どっちでもないわよ。まぁ、確かに私はアンタの事が許せない。例えあの子達がアンタを許したとしても、私は絶対に許さない。
実験のきっかけを作った私もそうだけど、アンタだって一生罪を背負わなきゃいけないのよ」
「言われなくても分かってる。それに、オマエはあのガキの側に俺が居ることも許せねェってわけか」
「違うわよ」
「あ?」
すると美琴は視線を横に泳がせながら、どこか言いたくなさそうな様子で、
「あの子がアンタと一緒にいて凄く幸せそうなのは知ってる。それなら私は特に口を挟んだりはしないって言いたかっただけ。
まぁ、元々私の言い分なんてアンタにとってはどうでもいいかもしれないけどさ」
「…………」
美琴の言葉に、一方通行は黙りこむ。
妹達(シスターズ)のことがあって様々な面で考え方を変えていった一方通行だが、それは彼女も同じだったようだ。
前へ進んでいるのは彼女もそうで、何よりも妹達の幸せについて考えている。だからこそ、打ち止めを一方通行に任せる事にしたのだろう。
一方通行は小さく舌打ちをすると、
「オマエの言い分がどうでもいいわけねェだろ。オマエが居なければあいつらは生まれてこなかった。それに」
ここで一瞬彼は言うべきかどうか迷い、一瞬間を置く。
だが、ここまで言ってしまったのなら同じことだと、最後まで言い切ることにした。
少し前の自分だったら絶対に言わないような事だとは自覚している。
「オマエはあいつらの姉だろうが」
「え……」
美琴は目を丸くする。
それだけ彼の言葉が意外なもので、今までの彼のイメージからはかけ離れたものだったからだろう。
そんな彼女に対し、一方通行は忌々しげな表情でクルリと背を向けて歩き出してしまう。
「俺は珍しく酔ってる。今の言葉は忘れろ」
「……分かったわよ」
彼女の言葉がどこか丸みを帯びていて笑っているような気がしたが、わざわざ振り返って確認しようとも思わなかった。
***
「死ぬ……本気で死ぬ……」
「クソったれ、何だこの状況は」
一方通行の肩を借りて情けなく歩く上条。
酔っ払って足元がふらついているというのもあるが、美琴の電撃をくらって痺れてまともに歩けないというのが大きな理由だ。
そんな状態のまましばらく歩くと、反対方向から美琴以外の女子三人が歩いてきた。
食蜂は上条を見つけた瞬間、目をいつも以上に輝かせると、
「上条さぁん、今から私と飲み直しましょぉ! きっと楽しいわぁ!!」
「はいはい、今日はもうお開きなんだよ」
「……なによ浜面のやつふざけんじゃないわよ私だって」
「しずりもさっきから怖いんだよ」
テンションが振り切れている様子の食蜂に対し、麦野は逆に俯いてブツブツと何かを呟いていた。
浜面という単語が時折聞こえるが、たぶん本人が聞いたら恐ろしくて震え上がったことだろう。なにせ呪っているようにしか聞こえないからだ。
インデックスはそんな二人をなだめつつ、情けない状態の上条を見ると呆れて溜息をつく。
「まったく、とうまも飲み過ぎなんだよ」
「んぐ」
彼女は両手で上条の頬を摘まむと、まるで仕様のない弟に諭すかのように注意する。
「でも、若い内はあまり次の日に残ったりしないとかって言うから大丈夫なのかな。とにかく、今日はすぐ寝るんだよ?」
「ふぁい」
上条の返事を聞くと、インデックスはにっこり笑って手を離す。
それから一方通行に上条の事を頼むと、そのまま二人を連れて部屋に戻っていく。
そんな彼女の後ろ姿に、上条が声をかけた。その声は意外とハッキリとしていた。
「インデックス」
「ん?」
「風邪引かないようにして寝ろよ」
「ふふ、分かった」
インデックスは笑顔でそれだけ言うと再び歩き始める。
そして上条もまたそれ以上は何も言わずに、一方通行の肩を借りたまま自分達の部屋へと向かう。
こうして旅行一日目の夜は更けていく。
それはいかにも学生旅行らしい慌ただしいもので、ただ沢山騒いだだけとも言えるだろう。
それでも、彼は、あるいは彼女は、一つの大きな決断をした。様々な思いが交差し、入り乱れる状況で、確かな一歩を踏み出した。
その先に何があるのかは分からない。
眩いばかりの光が待っているのか、それとも一寸先も見えない闇が待っているのか。それは進んでみなければ分からない。
しかし、彼も彼女も真っ直ぐと前を見て歩いている。その事が持つ意味は大きい。
外はパラパラと粉雪が降り始めた。
おそらく明日も、彼は、彼女はまた一歩ずつ進んでいくのだろう。
足踏みをすることはない。なぜなら彼や彼女はしっかり前が見えているから。
部屋に着いた上条と一方通行が、酷く悪化した男部屋の惨状を目撃するまで後数十秒。
今回はここまで。久しぶりの一ヶ月更新。ゴールデンウィークってすげえ
このSSで出番の多いキャラが原作でよく触れられ始めて色々と矛盾が起きそうな感じ。ていとくんとかみさきちとか
まぁこればっかりは仕方ないし、それならもっと早く完結させればよかった話なんだよね
それにしても、まさか原作でも上条さんが学舎の園に侵入なんて事をするとは思わなかった
原作だけじゃなくてこのSSでもインデックスの出番が少なめな感じでごめんね。ちゃんとした理由はあるんだ
かまちーも同じ気持ちだったら嬉しいんだけどなぁ
***
ボカッと、額への謎の打撃によって目が覚めた。
目の前には、風呂場でもない病院でもない、知らない天井が浮かび上がる。
上条は一瞬自分がどこにいるのか分からなかった。
そしてすぐに思い出す。そういえば学園都市の計らいで旅行に来ていたのだった。
ぼんやりとした頭のまま上半身を起こすと、すぐ近くに浜面がだらしなく寝ているのを見つける。
おそらく先程の打撃は、彼が寝返りを打った際に裏拳かなんかが入ったのだろう。
まぁ、元々御行儀よく寝ているようなイメージでもないため、特に不思議なことでもない。それなりに痛かったが。
部屋を少し見渡してみる。まだ朝早いのか、部屋は全体的に薄暗い。
一方通行は少し離れたところで音もなく眠っており、垣根はどちらかというと浜面寄りで、浴衣をはだけさせてだらしなく寝ている。
部屋にはただ浜面のいびきだけがうるさく響いていた。
昨日はいつ寝たんだっけ、とふと考える上条。
あまり良く覚えていない。
酒をかなり飲んだという事はうっすらと記憶にある。その後一方通行に支えられてこの部屋まで戻ってきた気もする。
戻ってきた、という事はどこかに行っていたという事になるが、その辺りはあまり良く覚えていない。
何となく、とかなり曖昧だが、美琴の声を聞いた気もする。
ともあれ、割とパッチリと目が覚めてしまった上条。
とりあえず顔でも洗おうかと立ち上がると、流石にもう酒は抜けたのか真っ直ぐ普通に歩くことはできるようだ。
途中、時計で時間を確認すると、まだ五時を回った直後という事が分かる。もっとも、昨日は何時に寝たのかは分からないが。
洗面所にて刺すような冷水で顔を洗うと、再び部屋まで戻ってくる。
まだ、誰も起きない。時間が時間なので当然と言えば当然だろう。
一方通行なんかは起こせばすぐに起きそうな雰囲気を放ってはいるのだが、実は朝に弱くて起き上がりざまにベクトルパンチなんかをもらったら洒落にならないのでやめておく。
さて、それではこの暇な時間をどうしようかと考えた上条。
時間があったら何かをやらなくてはいけないと考えるのは日本人の悪いところだというのを聞いたことがあったような気がする。
といっても、男子高校生にとって何もせずにぼーっとしているだけというのは、精神的にかなり辛いものがある。
それから少し考えて、上条はふと思いつく。そういえばここは温泉旅館だ。
***
そんなわけで朝から温泉に浸かることにした上条。
脱衣所と浴場を挟むドアを開けると、モワッとした熱気が押し寄せてくる。朝風呂を利用する客への配慮は万全のようだ。
そして、上条はシャワーで軽く体を流すと、浴場と露天風呂を隔てるドアを開けた。
即座に二月の朝の寒気が全身を駆け巡る。どうやら雪も降っているようだ。
全裸の上条は思わずブルブルッと震えると、足早に湯船に向かった。雪が降っていても入れるように、屋根はきちんとついている。
ザブン、とゆっくり肩まで湯に浸かる。
立ち込める湯気は真っ直ぐ昇っていき、屋根にぶつかり一旦留まったあと、横を抜けてそのまま上空へと吸い込まれていく。
こうして湯に浸かりながら、空から舞い降りる白い雪を眺めるのは上条にも風流というものを感じる事ができた。
朝の静かな空気だけが辺りを漂う。まるで時間がゆっくり進んでいるような、そんな感覚を覚えつつ、上条はゆっくりと目を閉じた。
その時だった。
「あれ、誰か居るのかな?」
そんな声が隣の女風呂から聞こえてきた。丸く柔らかい声だった。
上条は目を閉じたまま、
「おう、インデックスか」
「とうま? 昨日あれだけ飲んでたのに早起きだね。大丈夫? 二日酔いとかしてない?」
「大丈夫、大丈夫、スッキリしてる。たぶん、寝たのが早かったからか、目が覚めちまったんだ。まぁ、浜面の拳が飛んできたってのもあるんだけどよ」
「ふふ、なんだかそれって旅行らしくていいね」
聞いている分にはそう思うかもしれないが、実際にやられると痛みもそうだが、驚きの方でも勘弁してもらいたいものだ。
ちなみに、彼女が既に起きている事に疑問は持たない。
普段はあんなだが、一応はシスターだ。朝は早起きしてお祈りをする習慣を持っている。
「とうま、今何か失礼な事考えなかった?」
「いえ何も」
妙な勘の良さに内心ビクッとする上条。
魔力を封じられているので、彼女が魔術で心を読んだなどという事はないだろうが、なぜここまで的確に当てられるのだろうか。
「……まぁ、いいや。そっちはまだとうま以外は寝てるのかな?」
「あぁ、そうだな。そっちも同じ感じか?」
「うん。みことなんかおっきい熊のぬいぐるみ持ってきてて、それに抱きついて寝てるんだよ」
「……あぁ、あれか」
以前美琴の部屋に潜り込んだ時、確かそのようなぬいぐるみがあったはずだ。
しかし、彼女も中学二年生だ。そろそろぬいぐるみを抱きながら眠るのは卒業したほうがいいんじゃないかとも考える。
まぁ、これはお節介かもしれないが。
すると、壁の向こう側のインデックスの声の調子が若干変わる。
「なんでとうまが、みことが寝る時に抱きついてるぬいぐるみなんか知ってるのかな?」
「あ、いや、それは」
「……まっ、いっか。つまりとうまはとうまなんだって事だね」
「あのそこはかとなく不名誉な評価を頂いているような気がするのですが」
何度か聞いたフレーズではあるが、どう考えても褒められてはいないだろう。
その度に上条はどういった意味なのか尋ねてはいるのだが、答えてもらった試しがない。聞かないほうが良いような気もするが。
すると、インデックスがふと思いついたように、
「そういえば、しずりもぬいぐるみ抱いて寝てたんだよ。ちょっと意外だったかも」
「えっ、マジで!?」
割と本気で驚く上条。
上条のイメージでは、麦野はカッコイイ姉御系でありながらどこか気品もあるという感じだった。
そこにそんな意外と少女っぽいところを加えればどうなるか。
「最高じゃねえか……っ!!!」
「とうまが何を言っているのか分からないんだよ」
「あ、けどインデックス、それあんま他の奴には言わないほうがいいぞ」
「へっ? うん、分かったけど……」
この情報については大切に扱わなければいけないだろう。
もしも本人にその事を指摘した場合どうなるか、わざわざ考えなくても何となく想像できる。
麦野の照れ隠しというものも見たくはあるが、その代償が殺人ビームというのはいささか大きすぎる。
それから、今日はどうするか、朝食はなんだろうと取り留めもない話を続ける二人。
こうして何でもない会話をするだけでも、上条はのんびりとした幸せを感じていた。
やがて、話が途切れて沈黙が流れ始める。
といっても、それは嫌なものではなく、むしろ暖かく心地よいものだった。
上条はぼんやりと灰色に染まる空を見上げ、そこから次々と降り落ちてくる雪を眺める。
沈黙を破ったのはインデックスだった。
「今日と明日と明後日。それでとうまとはしばらくお別れだね」
インデックスが来てから五日目。
お互いそこにはあまり触れていなかったが、こうして声に出すともう時間はないのだと実感する。
焦りはない。彼女の霊装の問題は解決したらしく、今すぐにでも戻っても大丈夫な程らしい。
しかし、油断はできない。
いよいよ学園都市を離れるという時になって、再び精神状態が悪化する可能性だって無いとはいえない。
一方で、そこまで心配していない自分もいる。
具体的に何故、とは言えないが、彼女の声からはどこか吹っ切れたというか、真っ直ぐな意思のようなものを感じる。
上条は空に向かって小さく息を吐き、
「そうだな。何かやり残したこととかないか? そういうのも今のうちだぞ」
「んーとね、一度レストランの料理を全部食べるっていうのやってみたかったんだよ。ほら、てれびで観たことあるやつ。
あれ、やってる人達は最後のほうで苦しそうにしてたけど、私なら絶対最後までおいしく食べられるんだよ」
「インデックス、世の中にはやり残したままの方が良い事もあるんだ。その現実にガッカリしないためにもな」
「とうま、さっきと言ってることが違う気がするかも」
「そんな事はないぞ。俺はお前の為を思って言ってるんだ」
「ホントかなぁ……?」
もちろんウソだ。上条は自分の財布の為を思って言っている。
レストランの料理全部頼むなんて真似をされたら、上条家の財政は一気に破綻する。
今では彼女もイギリス清教で働いているわけで収入もあるのだが、彼女がここにいる間は自分が払ってやりたいという気持ちもある。
インデックスは少し黙った後、
「やりたい事といえばさ、とうまは将来何がしたいとか考えてるのかな?」
「な、なんだよいきなり学校の進路指導みたいな話始めて」
「何となく。とうまって『不幸だー!』とか言って走り回ってるイメージしか無いから、そういう事考えてるのかなって。
まぁでも、とうまはいつもいつも自分がやりたいように女の子を助けまくって突っ走ってるから、今でもう満足なのかな?」
「おい待て、この際だから言っておくけどな、俺は何も相手が女の子だから助けてるってわけじゃねえぞ? 男でも関係なく助けるって」
「とうまってバイセクシュアルだったんだ……いや、うん、でも私はそういうので差別したりしないから大丈夫なんだよ!」
「ちげえええええええええええええええええええ!!!!!」
イマイチこちらの言いたいことが伝わらず、バイ疑惑までかけられてしまう。
上条は女の子だからという理由だけで命をかけてフラグを立てに行く勇者でもなければ、男女どちらでも構わないという性癖を持っているわけでもない。
とにかく今の話題から離れようと思った上条は、先程彼女に尋ねられた事を真面目に考える。
「で、将来やりたい事ってやつだけどよ…………とりあえず学校の調査書には『しあわせになれるならなんでもいいです』って書いたな」
「そういう切実すぎて反応に困る答えはやめてほしいかも」
「ぐっ……じゃあそういうインデックスはどうなんだよ?」
「私はバッチリ決めてるよ。この辺りが社会人と学生の違いってやつだね」
その口調から、彼女のドヤ顔が目に浮かぶようだ。
だが仕方ない。彼女は立場的には公務員というものに位置している。
一方で上条は、今まで散々魔術師や超能力者と戦って世界も救ったことがあったとしても、立場的には一介の学生であることには変わりない。
上条は底知れぬ敗北感を味わいながら、次の言葉を待つ。
少しして、彼女の声が聞こえてきた。
それは相変わらず聞いているだけで包み込まれるような、柔らかくて暖かいものだった。
「私はね、みんなを守れるようになりたいんだよ」
「守る?」
「うん。私って今まではみんなに守られてばかりだったから。ステイルやかおり、もちろんとうまにも。
だから、今度は私が守ってあげたいって。お互いがお互いを守れるようになれば、背中合わせで助け合うことだってできる」
「インデックス……」
「実を言うとね、とうまとみことの関係っていうのがとっても羨ましかったんだよ。
どちらかがどちらかを守るんじゃなくて、お互い協力して助け合っていく。前と後ろ、縦に並ぶんじゃなくて、横に並ぶ。それが良いなって」
上条にとってインデックスが大切な存在であると同時に、インデックスにとっても上条は大切な存在だ。
だからこそ、守られるだけではなく守りたいというのは当然の感情なのだろう。そして、彼女の言う通り助け合っていくという関係が一番良いのかもしれない。
しかし、彼女は少し勘違いをしているようだ。
これではまるで、今まで自分はただ守られている事しかできなかったと言っているみたいだ。
「インデックス、俺だって今までお前に何度も助けられたよ」
「え、そうかな……?」
「あぁ。記憶を無くした俺に“心”ってやつを教えてくれたのはお前だ。最初に居場所をくれたのも、そしてそれからも俺が帰るべき場所としてお前は居てくれた。
どんなにキツイ戦いの後でも、お前の顔を見て声を聞けばそれだけで十分だった。俺はまた次も誰かのために動くことができた。
たぶん、インデックスが居てくれなかったら、今ここにいる上条当麻は居なかった。だから、本当に感謝してんだ」
「とうま……」
「だから、そこまで気にすることはねえよ。お前が思っているよりもずっと、俺にとってインデックスは大切な存在なんだ」
再び沈黙が流れる。
上条は言いたいことを言い終えた満足感で小さく息をつく。
あの食蜂の件からずっと、インデックスには言っておきたかった事だった。
空から舞い落ちる雪はいくらか増えてきたような気がする。
湯加減は変わらず良好。湯気は入ってきた時と同じくらい濃く立ち込めている。
若干、頭がぼーっとしてきた。
朝からのぼせてしまっては、今日一日を無駄に潰してしまう可能性もあるので、そろそろ出たほうがいいかもしれない。
そんな事を考えていると、壁の向こうから声が聞こえてくる。
「ありがとう、とうま。すっごく嬉しいよ。でもね、やっぱり私の考えは変わらないんだよ。
私にとってもとうまは大切な存在だから、危ない目には遭ってほしくない。だから、守りたい。私のことを守ってくれるとうまにはよく分かるでしょ?」
声の調子から、本当に喜んでくれているのが分かる。
ただし、彼女の言葉自体には上条は何も言うことができない。
大切だから、守りたい。それは当然の考えであり、よく分かっているからこそ抑えこむ事なんでできるはずがない。
上条は小さく笑うと、
「……分かった分かった。それじゃ、頼みますよインデックスさん。不幸な上条さんを守ってくださいな」
「ふふ、お安いご用なんだよ。どんな不幸がやってきても、この私の十万三千冊の魔道書で吹っ飛ばしてあげるかも!」
「なんだか地球ごと吹っ飛ぶような嫌な予感しかしないのですが」
「むっ、何でそうなるのかな。とうまは魔術に対して偏見を持ちすぎなんだよ」
「そりゃ何度も世界の危機を体験すればな。天使の術式とか、地球の自転止めたり北半球を丸ごと吹っ飛ばしたりメチャクチャだし――」
そこまで言って、上条は「しまった」と口を閉じる。
こういった話を土御門なんかにグチグチ言うのはいいかもしれない。しかし、今の相手はインデックスだ。
十万三千冊の魔道書を持ち、魔術の知識であれば他の追随を許さないほどの者にこういった事を言えばどうなるか。
嫌な予感がした時にはもう遅かった。
「とうま! まったく、この際だから根本的なところから魔術への誤解を解いてあげるんだよ!
まず、天使っていうのは自我を持つものじゃなくて、本来は自分から人間をどうこうしようって思うはずがないんだよ。そこには確実に何かしらの人間の介入があって初めて――――」
それからインデックスの魔術談義は小一時間続いた。
案の定そのお陰で上条はのぼせることになり、彼女はピンピンしていた。
***
宿で朝食を済ませた一行は、ゲレンデにやって来ていた。
見渡す限りの真っ白な銀世界。ゆっくりと空から舞い落ちる雪が幻想的で美しい光景を作り出している。
絵画か何かのモチーフになってもおかしくない。例え滑らなくても、その景色だけで満足してしまうという者も居るかもしれない。
それでも、血気盛んな若者にとっては、滑らないなどという選択肢はありえない。
上条達は各々がスキー板やスノーボードを用意して滑る準備は万全だ。
といっても、全員が経験者というわけではない。
そもそも全員で固まって滑るというのもゴチャゴチャして面倒だろうというわけで、初心者と経験者で分かれてそれぞれ楽しむことになった。
初心者組は上条、インデックス、食蜂。
上条とインデックスに関しては記憶が無いので、まず経験があるのかどうかすら分からない。まぁ、その辺りは実際に滑ってみれば分かるかもしれない。
例え「エピソード記憶」になくても、もし経験があったのなら運動の慣れなどを司る「手続記憶」として、文字通り体で覚えている可能性がある。
とはいえ、上条はともかくインデックスにはそんな経験があるようには思えないが。
そして食蜂の方はイメージ通りというか、スキーなどした事がないようだった。
もっとも彼女の性格を考えれば自分から体を動かすような事をするはずがないというのはすぐに分かる。
と、そこまではいい。
しかし上条には一つ腑に落ちない点がある。
「……で、なんで御坂がこっちに居るんだ?」
そう言って視線を移すと、そこにはどことなくカエルを意識したような明るい緑色のウェアに身を包んだ美琴がいる。
彼女は経験者だ。それに運動神経抜群なので、大体のスポーツは上手くこなしてしまうというイメージもある。
そんな彼女がわざわざ傾斜の緩い初心者コースに付き合っている事を意外に思ったのだ。浜面達経験者はリフトで上の方まで行ってしまった。
美琴はなぜかこちらに目を合わせないようにしながら、
「べ、別にいいじゃない。それに、初心者だけじゃ上達も遅いでしょ。だからこの私が特別に教えてあげようかなって……」
「ふーん、へー。そうなんだぁ」
「何よ食蜂その目は!!」
食蜂のジト目を見て顔を赤くする美琴。
彼女達の間で何かしらの意思疎通が行われているというのは分かるが、具体的なところまでは分からない。
これは上条がレベル0だからなのか、それとも女子の間にしか伝わらない何かなのか。
「まぁ、とうまには分からないだろうね、うん」
インデックスの呆れた声を聞く限り、どうやら後者らしい。
そんなこんなで美琴がインストラクターとなって、上条達のスキー講習が始まった。
実際に滑ってみて分かったのだが、どうやら上条は初心者というわけではないらしい。
もちろん、七月二十八日以前の記憶が無い上条にスキーをやったという覚えはない。それでも、どうすればいいのかが何となく分かる。
これは上条にスキーの才能があると考えるよりも、ただ単に記憶喪失以前の経験で体が覚えていると考えたほうが自然だろう。
一方で、インデックスと食蜂は酷いものだった。
いくら美琴が教えてもまともに止まることができず、その度に転んでいる。
加えてまるで狙っているかのように、上条の元へと突っ込んでくるのだ。
「と、とうま、どいてどいてー!!!」
「何よこれ信じられないどう止まれっていうのよぉ!!!」
「ちょっと待て、何でこっちに来るんだよ!!!!!」
「だから板をハの字にしなさいって!!!」
「きゃあああああああああ!!!!!」
「ぐおあああああああああ!!!!!」
あえなくインデックスと食蜂に巻き込まれる形で激突される上条。
相手が一人ならまだしも、二人いっぺんに来られたせいで、雪の上を三人が組んずほぐれつの状態でもがくはめになる。
ところが、食蜂は転んだにも関わらずやけに嬉しそうな表情で、
「うーん、こんな板に乗って滑る楽しさっていうのは全く理解できないけど、悪いことばかりじゃないわねぇ」
「お、おい操祈、お前もうちょっとこの状態を何とかしようとしろって! 痛い、周りの目が痛い!!」
「別にいいじゃないですかぁ」
「良くないわよっ!」
意図的に更に体を密着させてくる食蜂に対し、美琴がすぐに寄ってくる。
その後抵抗むなしく無理矢理引き剥がされ、不満気な食蜂。もう目的が完全に変わっているような気がする。
インデックスもインデックスで、まだ頭をクラクラさせながら溜息をつく。
「どうすればいいのかは頭にあるのに、その通りに体が動いてくれないんだよ。完全記憶能力も結構不便かも」
「普通はその記憶力から持ってないものなんだから、贅沢言わないの。つかそこの乳牛ちょっと待て!! 何あからさまに、そいつに向かってもう一度転ぼうとしてんのよ!!」
「ひっどーい、私は真面目に練習しようとしてるのにぃ」
「アンタの口から真面目に練習なんて言葉が出てくる時点で胡散臭すぎるのよ」
それからしばらく練習を続ける。
上条はもう一人で十分滑れるくらいにはなったのだが、他の二人はそうはいかない。
インデックスは何度も転びながらも楽しそうにはしているので、まだいいのかもしれない。一方で食蜂は逆にどんどんむすっとしていく。
「もぉぉ!!! こんなの何が楽しいのよぉ、まだ雪だるま作ってたほうがマシだわぁ!!!」
ついに食蜂がそんな声をあげたのは、もう何度目か分からないくらいに転んだ後、上条に助け起こされた時だ。
上条も彼女が運動音痴だというのは聞いてはいたが、まさかここまでとは思わなかった。
すると美琴は溜息をついて、
「アンタ頭は悪くないんだからちょっとは学習しなさいよ。スキーっていうのは転んで上手くなるものよ」
「あっ、じゃあ雪合戦しましょ。そっちの方が楽しそうだしぃ」
「おいコラ自由か!! つかゲレンデまで来て雪合戦とか意味分かんな」
美琴が最後まで言葉を言い切ることはなかった。
なぜなら、その前に至近距離から食蜂の放った雪玉が彼女の顔面に直撃したからだ。
心なしかゆっくりと、雪玉はボロボロと彼女の顔から落ちていく。
上条とインデックスはほぼ同時にげっそりとした表情を浮かべた。
嫌な予感がする。それは美琴が無言でプルプル震えている事からくる、確信に近いものだ。
そして、案の定。
「やりやがったわねコラァァああああああああああああ!!!!!」
結局、その後しばらくは食蜂の希望通り雪合戦が続くことになった。
***
一方で経験者組は、上級者コースにて全員がスノーボードでゲレンデを颯爽と滑っていた。
浜面なんかは普段から体を鍛えていて運動神経も良いので、上手く滑れても違和感はないのかもしれない。
それに対して一方通行は、見た目だけで考えると運動不足の引きこもりだと思われても仕方がない。そんな彼が楽々と難しいテクニックを決めていくのは意外に思う者も居るかもしれない。
ただし、彼はレベル5の第一位だ。
その情報を持っていれば、学園都市の学生からすればむしろ上手に滑れない方がおかしいと思うのだろう。
それだけ、学園都市で一番の能力者であるという肩書きは大きな意味を持ち、あらゆることを常人以上にこなしてしまうだろうという考えを植え付ける。
その意味では、レベル5なのに運動面ではからっきしの食蜂の方が周りからは珍しいと思われるのかもしれない。
まぁ、彼女の場合は精神系統の能力者なので納得できる部分はあるのだが、一般的にはレベル5=天才というイメージがあるだけに、その辺りを考慮しない者も珍しくはないだろう。
この場はレベル5が三人も居るという状況ではあるのだが、そこまで周りから浮いているという事はない。
確かに一方通行に関しては赤眼に白髪という目立つ風貌ではあるのだが、他の三人は見た目だけで言えば普通の学生だといっても問題はない。
そもそも、帽子にゴーグルという格好なので顔自体が分かりづらくなっている。
そんな中、垣根帝督はとあるものを見つけると、止まってゴーグルを上げる。
「なんだ……?」
ここから少し離れた所。
若い女の子二人に対して、男三人がナンパをしているようだった。これだけ見ればそこまで奇妙な光景ではない。
もともとモテたいからという理由だけでスノボを始めたという者も珍しくはない。
しかし。
「いいじゃん、いいじゃん! 俺達結構うめえよ? スノボはもちろん、他のこともさ!」
「ぎゃはははははは!! 真昼間から何言ってんだよこの子達引いちゃってんじゃねえか!!」
「うるせー、そういう意味じゃねえよバーカ! ごめんねー、コイツ変態でさ。もちろん俺はそんな事ないよ?」
「まぁまぁ、こんな奴等放っておいて、俺と遊ぼうぜ。初心者なら優しく丁寧に教えるからさ」
「あ、おい抜け駆けしてんじゃねえよ、お前が一番女で遊びまくってんじゃねえか! 聞いたぜ、また最近でき」
「おい、やめろっての! あはは、ごめんごめん、コイツ冗談が好きでさ」
「とにかくさっさと滑ろうぜ! せっかくゲレンデに居るんだし!」
「あ、あの……」
相手の女の子達は明らかに嫌がっている様子だ。
無理もない。離れて聞いている垣根ですら、あまりの低俗すぎる会話に顔をしかめる程だ。
しつこい男は嫌われる。ナンパにおいて引き際というものは大切だ。
「……ったく」
垣根は面倒くさそうにそちらへ歩いて行く。
別に助ける義理はない。女の子達はどちらも初対面だ。
だが、まともな人生を志すことにした垣根にとっては、こういった所で“良い事”をした方が良いと思ったのだ。
垣根はしゃがみ込んで手で雪を掘る。
そして、それらをギュッギュッと押し固め、手頃な雪玉をいくつか作った。
用途はもちろん、
「だから早く行こーって。ほらほら」
「やっ、は、離してください……」
「そんな事言わずにさ! 絶対楽しいか――ぶほっ!?」
「ごぼっ!?」
「ぶっ!!!」
見事命中。
垣根が美しいフォームで投げた雪玉は、三人の男のそれぞれの顔面に直撃した。
そしてキラリと白い歯を見せて一言。
「よう、そんなに遊びてえなら、俺に付き合えよ」
決まった。
そう思った次の瞬間には、男達が怒りの形相でこちらへ突っ込んできていた。
「「テメェェえええええええええええええええええええええ!!!!!」」
それに対し垣根はあくまで余裕の表情を崩さず、ヒュウと小さく口笛を吹いてクルッとボードを回転させ滑り始める。
すぐにスピードがつき、冷たい風が耳元でビュンビュンと鳴り、頬を撫でる。周りの風景がどんどん置き去りにされていく。
チラッと後ろを見てみると、男三人はしっかり追いかけてきていた。
自分で結構上手いというだけあって、腕はそれなりにあるらしい。それでも、別段驚く程というわけではない。
とはいえ、追いつかれるという事はないだろうが、このまま下まで降りきってしまうと自然とスピードはなくなってしまう。
その前にケリをつけるのが得策だろう。
垣根はガッとボードを逸らしてコースを外れる。先には葉を全て落とした裸の木が並ぶ林。
普段人が利用しているコースではないので、柔らかそうな新雪が続いている。
(能力が使えればこんな面倒な真似しなくていいんだけどな。まっ、そこは愚痴っても仕方ねえか)
いずれにせよ問題ない、と垣根は口元に笑みを浮かべる。
例え能力が使えないとしても、今まで暗部組織のリーダーを務めていた男だ。その辺のチンピラ三人くらいに遅れを取ることなどありえない。
垣根とそれを追う男達は、かなりのスピードで木々の間を縫って進んでいく。
雪もそれなりに降っていて視界も悪いので、途中で勝手に木に激突でもしてくれればとも思ったのだが、そこまでギャグ精神旺盛なわけでもないらしい。
それならば、と垣根はウェアの中に手を入れる。
「よっと!」
振り返りざまに右手を素早く振る。
そこから放たれたのはやはり雪玉だ。予めいくつかストックは作っておいたのだ。
「なっ――ごばっ!!!」
見事顔面に命中。
普通に投げていたら避けられたり防がれたりしたかもしれないが、こうして投げる直前まで相手に悟らせないことで反応を遅らせる事ができる。
雪玉によって視界を奪われた男は、ズドン!! と木に激突。真っ白な新雪を巻き上げてその中に消えていく。
そしてそんな哀れな末路に、他の男達の視線が集中する。そこが新たな隙だ。
垣根は気付かれない内に素早くウェアから新たな雪玉を取り出すと、
「おらっ!!」
「ぶぼっ!?」
またまた命中。この少年、生きる道が違えば有名な野球投手になったのかもしれない。
その後雪玉をくらった男は、最初の者と同じようにあえなく木に激突することになる。
後一人だ。
最後に残った男は後ろから威勢よく声を飛ばしてくる。
「セコい真似しやがってクソヤロウ!!!」
「バーカ、お前らが間抜けなだけだ。倒れゆく味方を気にかけてるようじゃまだまだ半人前、場所が場所ならすぐ死んじまうぜお前ら。
あ、いや、お前らの場合は仲間を気にかけたっていうか、ただ目に付くものに気を取られただけか」
「はっ、ご忠告ありがとよ! だが、もう雪玉なんていうガキくせえものなんか効かねえぞ。あんなもん、ちゃんと見てればどうにでもなる!!」
「へぇ、お前らのレベルじゃ子供の雪合戦くらいが丁度いいと思ったんだけどな。わざわざこっちが合わせてやってんだから感謝してほしいくらいだ。なんせ石すら入ってないんだぜ」
「吠えてんのも今のうちだぞオラァァ!! 滑りきったら顔の形変わるくらいボコボコにしてやるから覚悟しとけ!!」
「脅しとしちゃ落第点だな」
垣根はあくまで余裕の表情を崩さない。まるで、小さい子供をあやしているかのような印象も受ける。
こうやって話している間にも二人は木々の間をどんどん進んでいる。
ここで、男は何か違和感でも覚えたのか、眉をひそめる。
「おいテメェ、何でそんな後ろばっか見てんのに木にぶつかんねえんだ」
「ん? 前も見てんじゃんたまに」
「それで何で木を避けられるんだって聞いてんだよ!!」
男の言葉には自然と焦りが混ざる。
今二人は、本来のコースとは外れた林の中を滑っている状況だ。
そんな所を滑るというのはかなりの神経を必要とするものであり、男も何とかついていっている状態なのだろう。
それに対して垣根は大して難しくなさそうに、あまつさえ後ろを向いたりするほどの余裕さえ持っている。
少年はニヤリと相手を小馬鹿にするような笑みを浮かべると、自分の頭をコツコツと叩く。
「ここの出来が違うんだよ。例えば、俺は今のところ通り過ぎた木の数まで言えるぜ。前方の景色なんてもん、ずっと見てなきゃいけねえもんでもねえだろ」
「なにを……バカな……」
「信じるかどうかはお前の勝手だ。ただ、自分が今どの辺りを滑っているかくらいは知っといた方が良いと思うけどな」
「な、何が言いてえ!!」
「自分で考えろ、俺はそこまで親切じゃねえよ」
男がゴクリと喉を動かしているのが分かる。
これは単なるハッタリで、動揺を誘っているに過ぎないと考える事もできるかもしれない。
しかし、実際に。
垣根はほとんど前も見ずに木々の間を滑り抜けていくという所業を目の前で楽々とこなしている。
そんな現実離れした光景が、彼の言葉に説得力を持たせている。
そして次の瞬間。
垣根は再びウェアの中に素早く両手を突っ込むと、中から雪玉を二つ取り出し、間髪入れずに後ろを滑る男へ投げつけた。
「ッ!!!」
男は一つ目の雪玉をボードを逸らすことで避けると、二つ目は手で弾いてしまった。
その口元にニタァと粘りつくような笑みが広がる。
「はっ、結局ただのハッタリだったってわけだ! そうやって俺を動揺させて隙を狙おうとしたんだろうが、残念だったなぁ!!」
「……まぁ、不正解ってわけじゃねえな」
「負け惜しみ言ってんじゃねえよ!! これでテメェももう終わ」
その言葉は最後まで続かなかった。
なぜなら、突然男の体が宙へ投げ出されたからだ。
「なっ、うわあああああああああああああああ!!!!!」
感覚的には林を抜けると同時に足元の雪が全て消え去り、急に空中に飛び出したような感じだ。
だがもちろん、そのような超能力やらオカルト的な現象が起きたわけではない。実際に起きた事はもっと単純だ。
二人は本来のコースを外れて林の中を滑っていた。今はそこから元のコースへ戻っただけなのだ。
ただ、コースを外れた時と違うところは、少し滑っている間に林の中が本来のコースから見て高台に当たる位置になっていた。
つまり、そこからコースへ戻るという事は、高台から飛び降りるような形になるというわけだ。
スノボにおいてジャンプのテクニックは当然存在する。
ところがそれは当然数メートルの高さから飛び降りるなんていうものではない。
加えて、何の準備もなしにいきなりジャンプをすればどうなるかなんていうのは、初心者にでも容易に想像できる。
案の定、男は着地に失敗し、ドシャ!! という音と真っ白な雪を巻き上げて派手に転んでいた。
一方で垣根は悠々と着地し、そのまま滑降。
周りの者達は突然上から飛んできた二人に目を丸くしている様子だ。
垣根は楽しげにグッと拳を握り、
「うっし! いっちょあがり、と」
あの男が言っていた「動揺させて隙を作ろうとしていた」という予想は間違いではない。
ただ、動揺させる目的は「確実に雪玉を当てるため」ではなく、「これから飛び降りる事を悟らせないため」だった。あの後投げた雪玉もブラフでしかない。
あの男達との追いかけっこは、垣根にとって単なるアトラクションか何かでしかなかった。
自分が失敗するなどとは微塵も思っていない。いかに効率よく確実に状況を突破するか、そんなゲームだった。
垣根はゲームクリア後の爽快感を味わいながら、ぐんぐん滑っていく。
風を切る感覚が心地よい。舞い落ちる雪の結晶がより綺麗に見える。
と、その時だった。
「なにしてやがる」
そんな声が聞こえてきたので、垣根は一気に顔をしかめてそちらを向く。一気に爽快感を削がれた気がする。
声だけで分かった。そこには全身真っ白な学園都市第一位の能力者が並走してた。
垣根はこれ見よがしに心底うんざりした表情を浮かべて、ザッとその場に停止する。
「ストーカーかお前は」
「好きでやってるわけじゃねェ。オマエが放っておくと何するか分かンねェクソヤロウだからこうして監視しなきゃいけねェンだ。元々そう言われてるしな」
「何だよ別にわりーことしてるわけじゃねえだろ。絡まれてた女を助けてやったんだぜ、むしろ褒められるような事じゃねえか」
「オマエ、追ってきてる奴と一緒に向こうから落ちてきたよな? もし着地地点に無関係の人間が居たらどうする」
「はっ、俺がそんなしょうもねえミスするわけが」
「オマエじゃねェよ。追ってきてる奴の方だ」
「…………それは」
あの場面、垣根はこれからの事に備えることができ、誰かの上に落ちるなんていう無様な事にはなるはずがなかった。
だが、垣根を追っていた男の方は違う。
垣根の意図通りに完全に予想外の展開を受けて、男は満足に着地をすることもできない状態だった。
そんな男が自分の落ちていく先を見て、人が居たら避けるなんて事をできるはずがない。
止まって話している垣根と一方通行の近くを、仲の良い親子連れが通り過ぎていく。
一歩間違えれば、あの幸せな一家を巻き込んでいた可能性だってあったのだ。
「……ちっ、わーった、認める。配慮が足りなかった。けどよ、俺にしちゃ随分とマシな事はやっただろ?
相手を殺さず、なおかつ女達を助けてやったんだ。どうよ、俺だってその気になればまともになれるって事じゃねえか」
「オマエ、イイ事をしようとしてイイ事をやっただろ」
「は?」
「オマエはあの女達を助けたいって気持ちよりも、イイ事をして自分の価値を高めてェっていう気持ちの方がでかかった。
そンなンじゃまだまだ二流だ。確かに前までのオマエに比べればマシかもしれねェ。前に進もうとしてンのは認めてやる。
だがな、根底にあるものが自分の利益である限り、どこかでボロが出る可能性は消えねェ。今だってそうだっただろ」
「ぐっ、いや、けどよ! あの女達は今知ったばかりの他人だぞ! そんな相手をいきなり本気で守ろうなんて思えねえだろ!」
「別にオマエにそこまで求めてねェよ。いきなりそンな真似ができれば今までクソみてェな人生送ってるわけがねェ。
ただ、世の中には本物ってやつが居る。ほとンど何も知らねェ初対面の相手を、命を賭けて守ろうとする奴がな」
「……上条か。それはそれでどっかネジ飛んでるだろうが。よく知らねえ奴の事にそこまでできるわけがねえ」
「まァ、そこは否定しねェよ。俺だって理解できるわけがねェ。だがな」
一方通行はここで一息つく。
雪の降るゲレンデでは呼吸の度に口から白い息が漏れて、灰色の空へと吸い込まれていく。
白い雪にまみれてしまいそうな白い少年は、真っ直ぐ垣根の目を見る。その表情は今まで見たことがないほど、毅然としていて、正面から垣根と向き合っていた。
一方通行の声が響く。
それは決して大きなものではなかったが、耳から入って脳を大きく揺さぶる。
「オマエには、本気で守りたいと思える人間が一人だっているのか?」
少しの間、沈黙が続いた。
辺りに広がる人の声はどこか遠くに聞こえ、雪を運ぶ風の音がやたら大きく聞こえる。
そんな事は、いちいち言われなくても分かっていた。しかし、こうしてハッキリ言われることで、その意味は重くのしかかってくる。
上条にも、一方通行にも、浜面にも。命をかけて心の底から守りたいと思える人間がいる。そして、垣根にはいない。
その差は大きい。垣根にとって守るべき誰かがいる者達は手が届かないほど遠く、後ろ姿を見ていることしかできない。
誰かを心の底から想えた事がない垣根にとって、今やったことは単なるヒーローの真似事でしかないのか。
どれだけ“イイ事”をやったところでそれは所詮偽物で、ただの自己満足にしかならないのではないか。本当の意味で誰かを助けることなんて、できないのではないか。
――ただ、例えそうだとしても。
「あぁ、そうだ、俺のやってる事なんてのは所詮良い人って奴の真似事だ。本物じゃねえ、そう簡単になれるはずがねえんだ」
「ならどうする? こンな事続けても虚しいだけなンじゃねェか?」
「やめねえよ」
垣根は小さく息を吐いて、一方通行を正面から見据えた。
その瞳には溢れんばかりの意思の強さを感じ取ることができる。
おそらく、今までの彼ではこんな目などできなかったはずだ。
「真似事までやめちまったら、俺はもう二度と本物になることなんてできねえ。
例え真似事に過ぎなかったとしても、これは俺にとって先へ進むための道だと思ってる。この先には何かがあると思ってる。
もちろん確証なんかねえ。このまま同じ事を続けても、結局元の場所へ戻っちまうのかもしれねえ。けど、だからって立ち止まってるわけにはいかねえだろうが」
「……はっ、本物じゃねェって知っておきながら無様に足掻くか」
「そうだよ、悪いかコラ」
一方通行はここで意外な表情をした。口元を薄く伸ばして笑ったのだ。
しかも、それはいつもの皮肉を込めたようなものではない。今まで垣根に向けられていたものとは明らかに違う、それは純粋な気持ちで笑っている表情だった。
「いいンじゃねェの。俺だって、オマエとは大して変わらねェ。守るべき人間はいても、この手を汚しすぎた。
こンな汚れた手でアイツに触れていいのかとも思った。だが、アイツは笑ってこの手を求めた。俺にとってはそれで十分だ。
例え一生かけても拭いきれねェ汚れだったとしても、アイツが必要としている限り俺はこの手でアイツとアイツの周りの世界を守る。アイツが望むならいくらだって“良い人”ってのを演じてやる」
真剣な目で遠くを見つめ言葉を紡ぐ一方通行。
それに対して垣根は、思わず目を丸くしてキョトンとしてしまう。
といっても、別に言葉の意味が分からなかったわけではない。
目の前の白い少年は眉をひそめると、
「なンだよ」
「いや、お前が俺にそんな事話すのかって思ってよ」
「…………オマエが急に恥ずかしい話してきたから引っ張られただけだ」
「んだと!?」
妙な空気だったのは一瞬だけ。
その後はいつものギスギスしたものに戻り、お互い険悪な顔で牽制しあう。
その事に垣根は心のどこかでほっとしていて、同時にそれがなぜか気に入らなかった。
別にこうして目の前の男といがみ合うのは珍しいことではない、むしろそれが普通であるにも関わらず、この時はどこか引っかかりを覚えた。
すると、今度は何者かが二人のそばに滑って来て、ザッと停止した。
垣根も一方通行も反射的にそちらの方を向くと、
「あ、あの、怪我とかしてないですか?」
そこに居たのは先程垣根が助けた女の子二人だった。
あの場所から垣根の事を追いかけることなんてできなかったはずなので、おそらく偶然見つけてやってきたのだろうと垣根は考える。
しかし、それは少し違っていた。
「えっと、その、お礼がしたくて探してたんです。本当に、ありがとうございました」
ペコリと、二人揃って頭を下げる。
垣根は、その動作に少しの間呆然としていた。目の前の二人が自分に感謝の気持ちを表しているという事を理解するのに少しかかった。
それだけ、垣根からすれば珍しいことだった。
人から感謝をされるなど、何年ぶりだろうか。いや、もしかしたら今まで一度だってなかったかもしれない。
暗部の仕事を完璧にこなして、上役から感謝されたことは何度もある。
しかし、それとは全く違うという事くらいは分かる。
垣根はとっさにどう答えるべきか思いつかなかった。
二人の女の子の言葉で少年の頭の中はかき乱され、様々な感情が混ざり合った複雑な様相を呈している。
といっても、いつまでも黙っているわけにはいかないので、無理矢理といった感じに言葉を捻り出す。
「あー、いや、別に気にしなくていい。俺が勝手にやっただけだ」
「え、でも本当に助かりました! 何かお礼をさせてもらえませんか?」
「だ、だから礼なんていいっての。じゃあな」
「あ、ちょっと!」
垣根はぶっきらぼうにそう言うと、さっさと滑って行ってしまった。
調子が狂う。慣れないことをしたからだろうか。
頭の中では助けた後の事も少しは考えていたはずだった。礼をされたらもっとスマートに対応するはずだった。
だが、実際に目の前で感謝の言葉を受けた時、垣根は様々な感情の波に支配され、冷静に頭で考えることができなくなってしまった。
少しして、目元にやたら雪が当たると思ったら、ゴーグルをかけずに滑っていた事に気付く。
どこまで動揺しているのかと自分自身に呆れながら、頭にかかっていたそれを下ろしてかける。
『本当に、ありがとうございました』
不意に、頭の中で先程の感謝の言葉が反芻される。
その瞬間、妙に胸がむず痒くなり、自然と表情が――――。
「なにニヤニヤしてやがる気色わりィ」
「ぶぼあっ!? テ、テメェついてきてんじゃねえよ!!」
「だから俺だって好きでこうしてるわけじゃねェって言ってンだろ。浮かれきって何するか分かンねェしなァ」
「浮かれてねえ!!」
人助けというものはどうも慣れない。
実際にやった事は大したことないのに、精神的に妙に疲れてしまう。
別に相手のことを本気で考えてない、自分の価値を高めるために過ぎない明らかな偽善行為であるにも関わらず。
それでも、感謝の言葉というものは良いものだと思うことはできた。
そんな考えが自分の中にあるという事が、垣根にとっては希望の光のように見えた。
今まで腐りきった世界に居たが、心の芯まで腐ってしまったわけではないと思うことができた。
そんな事を考え、垣根は安心した笑みを浮かべながら、一方通行を撒こうと滑る速度を上げた。
***
一方で同じく上級者コースの浜面と麦野。
最初こそは二人共素直に滑って楽しんではいたのだが、垣根がナンパ男達に絡んでいくのを見てから少し変わっていた。
具体的に言えば、あれを見た麦野が面白がって、浜面に対してスノボで雪合戦を仕掛けていた。
結果は火を見るより明らか。
浜面も浜面で奮闘はしたのだが、時折原子崩し(メルトダウナー)ブーストで加速する麦野に為す術なくやられてしまった。
何度か対決して、レベル5相手に勝利をもぎ取っていた浜面だったが、やはり全体的な勝率では麦野には敵わないようだ。
気付けば二人共コースを外れて、全く人気のない場所まで来てしまっていた。
浜面はほとんど埋もれるように全身雪まみれになって仰向けに倒れたまま、げっそりと口を開く。
「もうなんかホント今更だけど容赦ってもんがねえなお前は……」
「ん、容赦はしたじゃない。雪玉の中に石とか入れなかったし、原子崩し(メルトダウナー)を直接撃ち込んだりしなかったし」
「あーうん、そっか、お前は容赦ってレベルが随分と高いんだな」
「それも今更って感じね。それより浜面」
「ん?」
まだ何かあるのかと浜面はうんざりした様子で聞き返す。
そろそろこの雪の上に倒れている状態を何とかしたいと思ってきたところなのだが。
麦野は口元をニヤリと歪めて楽しそうに、
「私は強いだろう?」
「知ってるよ」
「いいや、あんたは全然分かってないね。そりゃ随分と情けない姿は見せたけどさ、それでも本質的に私はあんたより強い。
いつかロシアで私を守るとか言ってたけどさ、もう一度言ってやるよ。私はあんたに守ってもらうほど弱くない」
「分かった分かった、よく分かったから――ぶほっ!!」
適当に流しながら起き上がろうとした浜面だったが、その顔面に再び雪玉が直撃してまた倒れてしまう。
「な、なんだよっ!?」
「あんた、いつまで『アイテム』に居るつもりなわけ? そろそろ出てってもいいと思うんだけど」
「唐突に戦力外通告!?」
「そうよ。滝壺連れてさっさと出てけって話。もう前と今では状況も随分変わった」
麦野のその言葉を聞いて、浜面は目を丸くして固まる。
ここにきて、ようやく彼女が何を言いたいのかが分かった。
そしてそれはいつか来るものだという事も分かっていて、それでいて先送りにしてきた事だった。
浜面は目をわずかに動かして麦野から逸らす。
仰向けになって彼女を見上げているため、その背後には相変わらず灰色の雲が広がっており、上空から雪が浜面の顔に落ちてくる。
彼女の表情は少しの揺らぎもない、とても強いものだった。
「どうするか、決めてあるのか?」
「何となくはね。あんただってまともな仕事をしていこうって思ってんでしょ?」
「そりゃあな。昨日の電車でも言ったけど、滝壺との将来のことを考えたら、やっぱ真っ当な職に就かなきゃいけねえと思う」
「それならいつまでも『アイテム』に留まっている事もないだろ。道が分かっているなら、後はただ進むだけよ」
「……あぁ、分かってる」
どこか歯切れの悪い浜面。
もちろん、アイテムに対して思うことはいくらでもある。自分の人生はこの組織によって随分と変わったし、良い事も悪い事もたくさんあった。
いつかは別れがやってくる。アイテムは解散して、それぞれの道を歩み始める。それくらいは分かっていた。
だが、いざこうやって実際に突きつけられると、理屈ではない迷いが頭を支配する。
思い出そうとすればすぐに頭に浮かんでくる。
楽しかったことも、辛かったことも全て。まるで頭の中でDVDプレイヤーを動かしているかのように。
自分にとって、本当に大切だった居場所だから、当たり前だ。
麦野はそんな浜面に溜息をつくと、
「ったく、男のくせにハッキリしないな。私や絹旗だって、いつまでもアイテムに居るつもりはない。
アイテムは学園都市に用意され、その後一度壊れたのをあんたに作り直してもらったものだ。ずっとそこにすがっているわけにはいかない。
普通の学生だって、学校という決められた居場所から、自分の道を求めて社会に出て行く。同じようなものよ、解散っていうか卒業なのよ卒業」
「自分の道……か」
「えぇ。あと、この際だから言ってあげる。たぶんもう二度と言わないから耳の穴かっぽじってよく聞け」
「なんだ?」
浜面が倒れた状態から上半身だけ起こしてキョトンと尋ねると、麦野は雪の上に膝をついて、視線の高さを合わせる。
なんと、彼女は穏やかに微笑んでいた。
あまりにも珍しい表情に、浜面は思わず息を呑んで目を丸くする。
たぶん、これが本当の麦野なんだと、浜面は思った。
口は悪いしワガママも多い。それでも仲間を安心させる包容力がある。
頼りになって、その背中についていけばいつでも安心で、自分が立ち止まりそうな時は引っ張って行ってくれる。
常に行動のどこかに気品のようなものをまとっていて、よく出来たいい所のお嬢様のようにも見える。
それも、高慢で高飛車のようでいて、実際はきちんと他の人の事も良く見えているような。
それが今まで様々なもので隠され見えなくなっていた彼女の姿なんだ、と。
彼女は優しい声で話し始める。
「ありがとう、浜面。私はあんたに救われた。自分で居場所をぶち壊した私に、あんたは帰る場所を作ってくれた。
今まで後悔するような事ばっかりで、やり直せるならいくらでもやり直したいくらいだけど、それでもあんたと出会えた事は私の中では絶対的な幸運よ」
「……俺も」
「何も言うなっつの」
「ぶごっ!?」
再び雪玉が顔面に命中。強制的に口を閉ざされる。
彼女はまるで子供のように無邪気に笑い、
「珍しく私が礼を言ってんだから、大人しく受け取っておきなさい。あ、それとも何? もしかしてご褒美とか期待しちゃってるわけ? バニーとか普通にドン引きなんだけど」
「お、俺は何も言ってねえだろ! あ、いや、バニーは好きだし、いつでもウェルカムだけどさ!!」
「……うわぁ、こんなのに礼を言うはめになるとか私の人生最大の汚点だわ」
「お願いですから、その靴の裏にへばりついたガムを見るような目はやめてください」
何だかんだでいつも通りか、と浜面はどこか安心する。
例えアイテムという居場所が無くなっても、そのメンバーの関係は変わらない。いつまでも全員仲間同士だ。
ただそれが確認できただけで、寂しさは随分と抑えられた。
時刻はもうじき昼食時。
とりあえず元のコースに戻ってから、上条達とも合流してからスキー場のレストランで済ますのが一番いいだろうと浜面は考え、起き上がろうとする。
しかし、その動作は再び止められてしまう。
それも、今度は雪玉で、というわけではない。
顔面にあの冷たい感触は伝わってこない。それどころか、体全体が暖かいものに包まれていた。
「む、ぎの……?」
「ご褒美よご褒美」
気付けば彼女の腕は浜面の首に回され、ギュッと抱きしめられていた。
女性らしい柔らかい感触が体に押し付けられ、心臓の鼓動が二段階以上跳ね上がる。顔に熱がこもり、落ちてくる雪がやけに冷たく感じる。
しかし、流されるわけにはいかなかった。
浜面の頭の中では、既に一人の少女の事で一杯になっている。そして、それは麦野ではない。
そうやって冷静になった部分が、ある疑問を浮かび上がらせる。
「あれ、お前体の中の機材はどうした?」
「……はぁ、この状況で出てくる言葉がそれ?」
「あ、いや、悪い。けどよ」
「科学ってのは日々進歩するものよ。学園都市では特にね。これも第二位の能力を応用した冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)の技術よ」
「そっか……良かったな」
「えぇそうね、ありがとう」
なんだか興味無さげにそう言う麦野。
彼女は幾度に渡る浜面との戦いで、体を大きく損傷していた。義眼や義肢、そして体の中に機材を埋め込むことでその命を繋げていたのだ。
今まで様々な戦いを経験した浜面は、その度に怪我をする事はしょっちゅうだったが、それでも後遺症が残るようなものはない。
それだけに彼女の状態にはやりきれない気持ちが溜まっていた。だから、こうして治ったというのは浜面にとって心の底から安堵する嬉しい出来事だ。
そんな浜面とは対照的に、麦野は不満そうな声を出す。
「で、この状況に何か感想とかないのかしら?」
「え、あー、その、なんつーか、母親とか姉ちゃんに抱きしめられてるみたいだな」
「ほう、それは私のことを女として見れないってわけか」
「そ、そういうわけじゃねえって! 麦野ってやっぱリーダー気質なんだって事でさ……」
「……私だってたまには誰かにすがりたい時くらいあるんだけど」
「お前なんか言ってること変わってねえか?」
「知らない」
ギュッと、首に回された腕の力が強くなる。
彼女の髪の、ふんわりとした柔らかい香りが鼻孔をくすぐる。
彼女のこういった一面を見て、浜面は何も言えなくなってしまう。
誰だって常に誰かを引っ張って行くことは難しい。その後ろについていく人間だけではなく、隣にいる人間も必要だ。
そういった意味では、まだ彼女の隣に立てる人間は多くないだろう。彼女にとって浜面のような存在がいかに大切なものなのか、それは彼女自身がよく分かっているはずだ。
彼女が苦しい時、浜面はきっと隣に立って彼女を助けるだろう。そこには何の疑いもない。
レベルなんかは関係ない。例え実際には戦力にならなくても、彼女にとって浜面は絶対的な救いとして存在している。
しかし、浜面は麦野の隣に立つことができる人間だとしても、常に彼の隣を歩いている者は他にいる。
「ねぇ、浜面。もし、今までの色んな歯車がどこかで違っていて、フレンダも生きてて、今もみんなで仲良くアイテムやってたとしたら、あんたはそれでも滝壺と付き合ったのかな?」
「え?」
「他の誰かと付き合ってた、とかはなかったのかな。フレンダとか、絹旗とか、…………私とか、さ」
「………………」
浜面は何も答えずに、雪の舞い落ちる灰色の空を見て少し考える。
辺りは本当に静かで、物音一つ聞こえない。
程なくして、答えは出てきた。
そんな事は分かるはずがない。
もし、どこかの歯車が違っていたら。
フレンダは死ななかったかもしれない。滝壺を必死で守って逃げまわる事にならなかったかもしれない。
滝壺が体晶で体を壊すこともなかったかもしれない。奪った飛行機の中で彼女とキスすることなんてなかったかもしれない。
絹旗がB級映画にのめり込む事も…………いや、それは元々そうだったか。
とにかく、あの時こうなっていたらという仮定はいくらでも立てることができ、そこから派生する展開などというものは数え切れない。
そんな事は彼女も分かっているはずであり、正確な答えなんかは期待していないはずだ。
だから、浜面はハッキリと告げる。
これが彼女の望む正しい答えなのかなんていうのは分からない。
ひょっとしたら自分はとんでもなく自意識過剰であり、的外れな事を考えているのかもしれない。
それでも。
「たぶん、変わらなかった。そうなるまでの過程は違ったとしても、俺はやっぱり滝壺のことを好きになったと思う」
「……そっか」
彼女から返ってきた言葉は短いものだった。
その言葉の中にどれだけの意味が含まれているのか、それは浜面には知ることができない。
抱きしめられているので、彼女がどんな顔をしているのかも分からない。
直後、唐突にドンッと突き飛ばされた。
元々先程倒れた体勢から上半身を起こしただけだったのだが、突き飛ばされた事で元の仰向けの状態へと戻ってしまう。
そして、そうなった事で彼女の表情を見ることができた。
彼女はニヤリと不敵に笑っていた。
いつもの、浜面がよく知っている表情だった。
「別にあんたがどう思うかは勝手だけどさ、なんかムカついたぞこのヤロウ」
「ま、待て麦野、落ちつ――――ほげぇっ!!!」
片手を前に出して静止を促す浜面だったが、その前に股間を踏み潰されてしまう。
そのまま彼女は、それはそれは楽しそうな笑みを浮かべて、
「ほらほらほら、こういうのがいいんだろ、はーまづらぁ!」
「いででででででででででえええええええ!!! やめて痛いまだ使ってないのに!!!!!」
「こんなしょうもねえ祖チン使ってどうすんだよ」
「酷い!! さっきまでの乙女麦野はどこ行ったんだ!?」
その言葉に、麦野の動きがピタリと止まった。
ゾクッと浜面は背筋に冷たいものを感じる。嫌な予感しかしない。
彼女は無表情だ。ただじっと、こちらを見下ろしている。
無表情というものが、怒り狂った表情よりも数段恐ろしいものだという事を、今ここで浜面は知った。
彼女はやがてワキワキと手を動かして、
「よし、やっぱあんたの記憶を消そう。うん、それがいい。
大体、何であんな事言ったんだろ私。いや、でもこれは浜面が悪いわね。言った私より聞いた浜面の方が絶対悪い、うん」
「いやその理屈はおかしい」
「あーあ、ここに食蜂が居れば割と簡単なんだけど、居ないもんは仕方ないわね。
まぁ、人間の頭って結構いい加減なところあるし、強烈な打撃何回かぶち込めば記憶くらい簡単に飛んじゃうよね」
「いやそれ絶対記憶飛ぶ前に死…………おい止まれ、ちょ、待て、待ってください!! ひいいいいいいやあああああああああああ!!!!!」
***
「なんか遠くで悲鳴が聞こえなかった? それも男の」
「知らないわよぉ……」
初級者コースの外れでは、食蜂が雪まみれになって倒れており、それを美琴が見下ろしていた。
美琴にケンカを売った食蜂は、あの後一目散に逃亡、それを美琴が追いかけて徹底的にやっつけた結果だ。
そのせいで上条とインデックスがどこに居るのかも分からなくなっている。
食蜂は呆れたように、
「まったく、せっかくの機会なのにこんなので上条さんと離れるなんて」
「元々はアンタが仕掛けてきた事でしょうが!」
「はいはい、私が悪かったわよぉ。でもあなただってちょっとムキになりすぎよぉ。まぁとにかく、ここまでやればあなたも満足でしょぉ?
それよりも、せっかくだしちょっとお話しなぁい? 上条さんとインデックスさんに聞かれるとあまり良くないようなやつ」
「はぁ?」
食蜂の言葉に、首を傾げる美琴。
上条とインデックスに聞かれて困る話というが、それだけでどんな話をするつもりなのか、具体的にはパッと思いつく事はできない。
それでも、漠然とであれば彼女がどのような事を話したいのかは何となく分かる気がする。
とりあえず、昨日までで分かったことは、上条もインデックスもお互いの関係を進めるつもりはないという事だ。
インデックスに関しては上条に対して好意を持っているが、身の周りの状況を考えて動かないと決めているようで、上条の方はそもそも異性的な好意すらないと言っている。
食蜂はニコリと笑みを浮かべると、すくっと立ち上がって体の雪を払い落としながら、
「お話っていうか、ちょっとした確認ねぇ。そろそろインデックスさんがイギリスに帰っちゃうけど、御坂さんはどうするのかなぁって」
どうするか、それはつまり上条との事を指しているという事くらいは分かる。
昨日、麦野にはインデックスが動く前に自分から動けと煽られたが、あの時とは状況が変わっている。
「……質問を質問で返して悪いんだけど、アンタはどうするつもりなわけ?」
「そんなの決まってるじゃなぁい。インデックスさんがイギリスに行くまで、私は動くつもりはないわぁ。
だって、二人共このまま何もなしに別れるっていうんだから、わざわざ私が波風立てる必要なんかないしぃ。本格的なアプローチかけるならその後でもいいでしょぉ」
「…………」
「ねぇ、御坂さんだって分かってるんでしょ。上条さんと付き合いたいのなら、どうした方がいいかって事くらい。本当はもう、全部気付いてるんでしょ」
美琴は何も答えない。
何も言いたくなかった。それを言ってしまっては、自分が酷く醜く見えるようだった。
自覚はしていた。それでも、真正面から受け止めることはできなかった。
それは一ヶ月前、インデックスが一度イギリスに戻って、上条が酷く取り乱していたのを目撃してから、ずっと。
「そういうのは……私の性分じゃないわ」
「ふぅん、まぁ確かに、御坂さんの性格を考えればそれも自然な答えねぇ。
でもぉ、世の中って何事も真正面から正攻法で解決できるとは限らないでしょぉ? それは御坂さんだってよく分かっているはずよぉ。
御坂さんはもっとワガママになっていいんじゃないかしらぁ。確かに誰かの事を考えて動けるっていうのは良い所なのかもしれないけど、自分の事だって大切にするべきよぉ」
「……いつもワガママばかりのアンタに言われてもね」
「もう、それはそれよぉ!」
話をくじかれて、口を尖らせる食蜂。
だが、彼女が言いたいことは分かった。
あまり他の人の事ばかりを考えずに、自分が一番得するように動くべきだという事らしい。
そして、もちろんそれは美琴の為だけに言ったわけではない。
その理屈に従って美琴が行動した場合、食蜂にもメリットがあるからわざわざ恋敵である美琴にアドバイスのようなものをしたのだ。
いや、正確には美琴が理屈に合わない行動をした場合、食蜂に大きなデメリットがあると判断したのか。
つまり、美琴が選ぶことができる様々な選択肢の中で、食蜂にとってマズイと思うものを摘みにきたのだ。
「それは私にとってもあなたにとっても得にならない。だからやめなさい」。結局はこういう事だ。
美琴はその事に対して別に嫌悪感を覚えることはない。
食蜂は積極的に誰かを蹴落とそうとしているわけではなく、あくまで自分の首を締めるような事はやめようと言っているだけだ。
それでも、美琴はすぐに首を縦に振る事はできない。
自分の頭の中に浮かんでいるその選択肢は、美琴も食蜂も不利にする可能性を孕んでいる事くらいは理解している。
だが、例えそうだとしても、美琴にはその選択肢が一番正しいものだと思えてしまう。
その自信はもちろん理屈なんかではなく、もっと自分の深いところからくるものだ。
彼女は上空を覆う灰色の雲を仰ぎ見る。
そこからゆっくりと落ちてくる雪を目に映しながら、ポツリポツリと言葉を紡ぎ始めた。
「悪いけど、自分の選ぶ道くらい自分で決める。アンタの言い分も考えるにあたって参考にしてあげてもいいけど、その通りに動くなんて期待すんじゃないわよ」
「むぅ……はいはい分かったわよぉ。元々本気で説得できるとは思わなかったしぃ。でもでもぉ、あなたもちょっとは迷っているのよねぇ?」
「まぁ、そうね。あの馬鹿と付き合いたいなら、アンタの言う通り、このまま何もしないでインデックスがイギリスに行くのを待つっていうのが一番いいのは分かってる。
ただ、それで納得出来ない自分も確かに居る。あの子が行っちゃう前に正面から決着をつけたいって思う自分がね」
「じゃあ、あなたが馬鹿正直に真正面から告白したとして、それでどうなると思う?」
「そんなのやってみなくちゃ分かんないわ。アイツは私の事を女として見てない。でも、告白をすることでその考え方を変えて、向き合ってくれるかもしれない。
まぁ、今までの関係を壊すってわけだから、最初はちょっと居心地悪くなっちゃうかもしれないけど、それもすぐに――」
「そうじゃないでしょ」
食蜂がイライラとした声を出した。先程までのものとは大きく違う。
美琴はそれに対し口を閉じて沈黙することしかできない。
その間にも、食蜂はじっと美琴のことを睨んでいる。
彼女のイライラは、本当に話したい事をのらりくらりと受け流されている事からくるものだという事を、美琴は気付いていた。
気付いていて、あえてそれ以上何も言わない。
すると、痺れが切れたように、食蜂の口が開かれる。
「問題はそんな事じゃないでしょう。そりゃあなたが告白すれば上条さんの考え方は変わるかもしれない。でも、それと同時に、きっと上条さんは」
「アイツが……なに?」
「…………もういいわよ。勝手にすればいいじゃない」
そう言うと、食蜂は地面に積もっている雪をザクザクと踏み荒らしながら、さっさと立ち去ってしまった。
その仕草は、冷静さを装うこともせずに明らかに肩を怒らせて歩くという、彼女にしては珍しいものだった。
美琴はその後ろ姿をしばらく見つめた後、視線を空に送る。
食蜂が言いたい事はよく分かっている。そして、彼女がそれを直接口にしたくない事も。
その気持ちは美琴も同じだった。ハッキリと言いたくない、考えたくない。これはきっと、ただの逃げなんだろう
それでも、今の美琴にはそうする事しかできなかった。受け止めることなんてできなかった。
本当に自分の事だけを考え、それにあった選択肢を選べたらどれだけ楽だっただろうとも思う。
少なくともこんなに苦しんだり、悩んだりという事はなかったはずだ。
だが、そこを否定することはできない。こういった所も全部含めて自分であるという事なのだ。美琴は今のこの自分を否定しない。
そして、食蜂の考え方も切り捨てたりはしない。彼女の考えは上条と一緒に居たい、上条と幸せな未来を作っていきたい。そんな純粋な想いからくるものだ。
もちろん、美琴だって幸せになりたい。
将来は学生の頃から付き合っていた上条と結婚し、子供を作り、家を建てて、幸せな家庭を作る。
そんな事を夢見る、どこにでもいる中学二年生の女の子だ。
何度も何度も想像した。
上条に恋心を抱いていると自覚してから、いや、その前からも無意識に。
頭に浮かぶその光景は、どこまでも暖かく幸せに満ち溢れていた。
しかし、それはあくまで、自分にとっての幸せだ。
美琴は、上条にも幸せになってほしいと願っている。
いつも他の誰かの為にボロボロになりながら動いて、様々な人を不幸な結末から救ってきた彼が幸せになれないというのは間違っている。
それでは、彼にとっての幸せとは何なのか。美琴がいつも想像している未来に、彼も同じように幸せを感じてくれるのだろうか。
相手にとって自分との未来は幸せなのだろうか。
そんな事を考えて悩んでいては、誰も告白できなくなってしまうかもしれない。
そして多くの者は、相手に幸せに思ってもらうように頑張ろうと決意するのだろう。
美琴の性格から考えて、そう思うのは自然だ。
ただ、彼女が上条にとっての幸せを考えた時、頭の中には一つの光景が浮かんでいた。
ずっと上条の事を見てきたから分かったのかもしれない。
それは知りたくもないような事であり、そんなものが浮かぶ度に彼女は頭を振って無理矢理消していた。
本当は気付いていても、必死に自分を騙して気付かないふりをしていた。
向き合うのが怖かった。
その事実を受け止めてしまったら、自分はもう前に進めなくなってしまいそうで。
美琴は思う。
きっと、上条は――――。
「…………どうしようかなぁ」
空へこぼした声は舞い落ちる雪に溶けこみ、自身に降り注いでいるようだった。
そのまましばらく美琴は、ただ空を見上げたままひたすら考え込んでいた。
***
お昼時になり、上条達は上級者コースへ行っていた四人と合流して、スキー場にあるレストランで昼食をとっていた。
平日ということもあって、この時間でもそこまで混んではいない。それなりの長さのテーブルに、片側は男四人、もう片側には女四人で座っている。
なんだか合コンのような座り方だが、気付いてもあえて指摘することはなかった。
「そんでよ、そこで俺が雪玉をヒュッとな!」
「分かった分かった、何回言うんだその話」
テンション高めに話す垣根に、うんざりしたように返す浜面。
先程から垣根は自分が女の子二人を助けたという話を、それはそれは得意気に聞かせていた。
浜面や一方通行はうんざりしたような表情を浮かべているのだが、上条はどこか嬉しい気持ちもあった。
上条は、こうして新たな一歩を踏み出そうとしている者を見ると、なんだか親近感に似たようなものを覚える。
自身も一度記憶喪失になってそこから再スタートした経験があるからか。
するとテーブルの反対側に座っている女子達の中で、食蜂が紅茶を一口飲んで何やらニヤニヤと口を開いた。
隣では麦野がさほど興味無さそうにコーヒーを飲んでいる。
「どうせその女の子達を引っ掛けようと思っただけなんじゃないのぉ?」
「あー、それはありえるわね。コイツ、下半身でしか動けなさそうだし」
「はぁ!? バーカ、俺はそんなんで動く程安っぽくねえんだよ。その後女の方から礼をしたいって言ってきたが、俺はクールに断ってやった」
「クール? 明らかにテンパってたじゃねェか」
「う、うるせえよテンパってねえ!!」
一方通行のツッコミに全力で対応する垣根。
この反応を見れば誰が正しいことを言っているのかは一目瞭然だ。
インデックスはニコニコと上機嫌にハンバーグにかぶりつきながら、
「もぐもぐ、でも気をつけてね。何でもかんでも自分で助けようって感じになると、とうまみたいになっちゃうから」
「お、俺みたいって何だよ……」
「いつもいつも大怪我して入院して、気付けば女の子に囲まれてるっていう感じ」
「そんな事ねえって!」
上条は助けを求めて周りを見渡す。
しかし、当然ながら上条の意見に同意してくれる者はいないらしく、全員インデックスと同じような事を考えているようだ。
もう何度も言うが、別に上条は女の子と仲良くなるために命をかけて動いているわけではない。
男とか女とかは関係なく、ただ助けたいと思ったから助ける。それはもはや、なぜ人は二本の足で歩くのかというような、本能に近いものだ。
まぁ、このレベルまでいってしまっているというのも、それはそれで十分おかしな事なのだが。
ところで、先程周りを見渡した時に気になるものが目に入った。
「おい御坂、どうした? 調子でも悪いのか?」
「…………えっ、あ、ごめん。なに?」
「大丈夫か? なんかすげえぼーっとしてっけど」
「べ、別に何でも無いわよ、ちょっと考え事よ考え事。あはは」
先程から彼女の目は焦点があってなく、どこを見ているのかも分からなかった。
こうして声をかければ反応はしてくれるようだが、それでもどこかおかしい。
すると麦野はニヤリと口元を歪めて、
「へぇ、もしかしてあんた達なんかあったわけ? 二人だけで楽しんでないで話してみろよ。
考えてみりゃ、その四人の組み合わせで何もなかったなんて事ないわよねぇ。結構ドロッドロだったんじゃないの」
「いや、何でだよ。特にこれといった事はねえって……」
「それよりぃ、麦野さん達の方こそ何もなかったわけぇ? 話聞く限り、垣根さんは女の子達を助けて、一方通行さんはその監視。
っていうことは、浜面さんと二人きりだったっていうわけよねぇ。それってこっちよりもっとドロドロしてて面白そうだけどぉ」
食蜂もニヤニヤとそう言って相手の出方を伺う。
すぐ隣には麦野。至近距離でお互いの視線がぶつかり合い、何やらバチバチという音が聞こえてきそうだ。
これに反応したのは浜面だ。明らかにビクッとしており、それだけで何かあったという可能性を匂わせる。
それを見た食蜂はここぞとばかりに、一気に畳み掛ける。それはそれは楽しそうに。
「どうやら浜面さんには何か思う所があるようねぇ。ふふ、それならぁ……」
そう言って、食蜂はスッと肩からかけたバックの中に手を伸ばす。
その中には大量のリモコンが入っており、彼女は能力によってそれらを使い分ける。
当然、ここで使おうと思っているのは頭の中を覗きこむ能力だ。
しかし。
「おっと手が滑ったぁ」
「ふみゅっ!!!!!」
ゴンッ!! という良い音と共に、食蜂のおでこがテーブルに叩きつけられた。
もちろん、彼女が自分からテーブルにヘッドバットしたわけではない。彼女の後頭部には隣から伸びてきた手が乗せられており、その手によって強制的に頭を叩きつけられていた。
このタイミングでそんな事をする人間は一人しか居ない。麦野沈利だ。
食蜂はおでこを抑えて若干涙目になりながらも、すぐ隣の麦野を睨みつける。
「な、何するのよぉ……!」
「だから手が滑ったんだって」
「どんな滑り方すればこんな事になるのよぉ! こうなったら意地でも――」
そう言いながら、まるで拳銃か何かのようにバックから素早くリモコンを抜き取ると、浜面に突きつけた。
「いっ!?」
当然、ビクッと全身を震わせる浜面。
一度は食蜂の能力も破った事はあるのだが、それでも基本的にレベル0の彼には第五位の精神系能力を防ぐ術などあるわけがない。
流石にそろそろ止めるべきだと判断した上条は椅子から腰を浮かす。
その直後だった。
ジュッ! という短い音と共に、食蜂の持っていたリモコンが消し飛んだ。
「……へっ?」
もう自分が掴んでいる所しか残っていない、憐れなリモコンの残骸をポカンと眺める食蜂。
しかしその後すぐに我に返って、
「ちょ、ちょっとぉ!!! いきなり何してんのよぉ!!!」
「悪い、能力が暴走した」
「思いっきり人差し指こっちに向けて照準合わせてたわよねぇ!?」
「そうだったか? あんたの思い過ごしでしょ」
「はぁーッ!?」
「落ち着けって操祈。つかそうやって好き勝手に人の頭の中読もうとするのも良くないぞ」
仕方なしにそろそろ止めておく上条。このままではエスカレートしてどんな大惨事になるか分かったものではない。
食蜂は少し不満そうに頬を膨らませて上条を見たが、
「……分かったわよぉ」
「おっ、なんだなんだ上条、お前女の扱い慣れてんのか」
「垣根……そういう誤解を招く言い方やめろっての。女子中学生に言うこと聞かせる男子高校生とか、もう言葉だけで犯罪臭ぷんぷんじゃねえか」
「意味的には間違ってねェけどな」
「ていうか実際どうなのよ。本当にずっと何もなくスキーの練習してたわけじゃないでしょ?」
麦野の言葉に、上条は少し考える。
しかし、思い返してみてもこれといって面白い話はない。
「いや本当に何もなかったな。ただインデックスも操祈もすげえ下手くそだったとしか……」
「と、とうま! 私だってもうちょっと練習すれば、とうまなんて追いつけないほどに上達するんだよ!」
「まず止まり方を覚えてから言おうな」
「ぐぬぬ……」
「……ねぇ上条さん。私とのあれはなかった事になったんですかぁ?」
「はい? あれ?」
何やら食蜂がジト目で尋ねてきた。それなりに不満そうだ。
といっても、何のことか上条には咄嗟に思い出す事はできない。何かあっただろうか。
するとここぞとばかりに外野が食いついてきた。
やけに興味津々に身を乗り出してきたのは垣根だ。
「お、なんだなんだ? やっぱ何かあんのか? さすがだな女たらし」
「だからそういうのやめろっての! ったく、俺が女たらしだったら浜面はどうなるんだよ。彼女いるくせにハーレム状態だぞ」
「お、俺だってそんなんじゃねえよ! たまたまアイテムが女ばっかってだけで、ちゃんと滝壺は特別扱いしてる! と思う」
「ハッキリしねェなァ。そういや、あの窒素使いの二人ともやけに仲良いらしいしな」
「絹旗も黒夜もそういうんじゃねえよ! つか何でいつの間にか俺が責められるような構図になってるの!?」
なぜか攻撃対象が変わっている疑問を投げかける浜面。それに対しては、もはやノリでとしか答えることはできないのだが。
麦野は浜面がどうのこうのという話題には興味ないのか、それについてはあまり聞いていない様子で、
「そんで? 上条と食蜂は何があったわけ?」
「だから本当に何もないって」
「ひっどーい! 上条さん、私とあんな事したのに!!」
「は!? いやなんだよそのとてつもなく不安になってくるセリフは!! 俺何かやったか!?」
「うぅ……やっぱり私とは遊びだったんですねぇ…………」
「その『男に遊ばれた挙句捨てられた女』みたいな演技やめない!?」
妙にノリノリで泣き真似をする食蜂。おそらく本人はただ楽しいだけだろう。
しかし、上条からしてみればとても笑って流せるようなものではない。この場面だけ見れば、上条は単なる人間のクズ的な印象を与えるからだ。
そして案の定、事情をよく知らない麦野や垣根や浜面、そして一方通行までが「うわぁ……」といった感じでこちらを見ていた。
上条は慌てて、
「ま、待ってください!! これは何かの間違いなんです!!」
「何が間違いなんですかぁ……あの白い雪の上で抱き合ったのは、上条さんにとっては忘れたい事なんですかぁ……?」
「はぁ!? いや、ちょ、いつ俺がそんな事…………あっ!!」
ここでやっと、上条は彼女が何を言っているのか理解することができた。
おそらく彼女は、滑る練習中に上条に突っ込んでもつれ合った時の事を言っているのだ。
そしてこれはほぼ確実に言い切れるが、彼女はわざと誤解を招く言い方をして楽しんでいる。根拠はあのニコニコ顔だ。
現状、彼女の期待通りの展開になっている。
とにかくこれは何とかしなければと思った上条は必死に言葉を考えながら釈明する。
「事故だ事故!! 操祈はスキー初心者だし止まり方もよく分かってなくて、それで俺に突っ込んできたりしてだな……」
「でもでもぉ、私と抱き合ったのは本当ですよねぇ?」
「それは本当だけども! そうなるまでの経緯とか色々言っとかねえと完全に誤解されるだろ!」
「いいじゃないですか別にぃ。私は気にしないですよぉ?」
「俺が気にするの!!」
ただでさえ周りには女たらしだと思われている上条。これ以上そういった疑いを強くするような事は避けたい。
その後の上条の状況説明により、何とか誤解は解けた。
というよりも、元々みんなどうせそんなオチなのではと思っていたらしく、ノリで乗っかってきただけだったようだ。
上条としてはそういうのは心臓に悪いのでやめてほしいものだが。
大体の事情を知った垣根は、興味ありげにインデックスや美琴に目を向けて、
「そんで、お前らは上条と食蜂がイチャイチャして何とも思わねえのか?」
「とうまのそういうのはいつものことだから、いちいち怒ってたらこっちが疲れてくるんだよ。流石にエスカレートしたら私も止めるけどね」
どことなく達観した事を口にするインデックス。
上条としては、以前のように噛み付かれなくなった事を喜ぶべきか、もはや諦められた事に落ち込むべきか微妙なところである。
それに対して美琴は、
「私はすぐ止めたわよ。つかホントこの馬鹿って目を離せば女の子といかがわしい事になってるし」
「いや御坂だって俺の不幸体質は知ってるだろ、事故なんだってば!」
「そう言う割にはまんざらでもなさそうだったけど?」
「そりゃ俺だって健全な男子高校生なわけで、そういう女の子との素敵イベントには色々と反応して……分かった分かりましたすみませんビリビリは勘弁してください!!」
見る見るうちに機嫌が悪くなっている様子の美琴に、慌てて謝る上条。
確立された上下関係に涙が出てきそうだ。
上条はそんな悲しい現実から目を背けるように、話題を変えることにする。
「あ、そうだ、実は俺結構滑れるようになってきたんだ。午後も最初は初心者コースの方で練習するつもりだけど、少ししたら上級者コースの方行ってみるよ」
「えっ、何でですかぁ!?」
「ん、そりゃいつまでも簡単なコースってのも面白くないしな。何となく感覚も掴めてきたことだし、そろそろ上級者コースでも大丈夫なんじゃねえかってさ」
「ダメですよ上条さん! そういう油断が死に繋がるんです!!」
「そんな危険なの上級者コース!?」
まさかそんな事はないだろうと思いながら、念のため一方通行達の方を見て確認をとる。
午前中上級者コースを滑った四人は顔を見合わせ、目で何かを話しているようだ。
そして垣根が、
「……あぁ。上級者コースってのは一歩間違えれば命を失うような場所だ。そんな軽い気持ちで来ればどうなるか分かんねえぞ」
「嘘だよね!? 死人が出るかもしれないって娯楽施設としてどうよ!?」
「中にはそういう死と隣り合わせの状況でしか楽しめねェってやつも居るンだよ」
「私もやめておいたほうがいいと思うわ。アンタではまず生き残る事なんてできない。暗部で生きてきた私達だからこそこうして無事でいられるのよ」
「一方通行と麦野まで乗っかってきてるし! つか何でそこまでして俺をそっちへ行かせたがらないんですか! イジメか!!」
「まぁまぁ、聞けよ上条」
納得するはずもない上条に、浜面は腕を肩にまわす。
そして、あまり聞かれてはマズイのか、ヒソヒソ声で話しかけてきた。
「もし初心者コースから上条が抜けたらどうなる? 残るはインデックス、御坂、食蜂だ」
「あぁ、それがどうしたんだよ?」
「この三人の組み合わせは絶対何かトラブルが起こる。賭けてもいい。特に御坂と食蜂は何事も無い方が不自然だ。
そんで、その二人が揉めた時、止められるのはインデックスしか居ない。上条はその役目を全部あの子に押し付けてもいいのか?」
「そ、それは……」
「もし御坂と食蜂のケンカにインデックスが巻き込まれるような事があれば、それこそ大きな問題になってくる。
科学サイドと魔術サイド、この二つがまた戦争なんか始めちまったら真面目に世界が傾く。お前の選択一つで世界がやばい」
「…………」
なんだかいきなりとてつもないスケールの話になったような気もするが、正面から否定できないところが恐ろしい。
それだけ科学サイドと魔術サイドの関係は微妙なものになっているのであり、だからこそインデックスがイギリスへ帰るなどといった話になっているのだ。
ただ、それにしたってたかが女子中学生二人のケンカが世界破滅に繋がるというのもかなり理不尽な話だ。
それを理解した上で、上条は溜息をつく。元々、いつもの不幸だって理不尽の塊だ。
「分かった、分かったよ。初心者コースにいればいいんだろ」
上条のその言葉に、対面に座るインデックス、美琴、食蜂の三人は、
「さっすが上条さぁん! きっと分かってくれると思ってましたよぉ!!」
「ま、まぁアンタがそうしたいってんなら私は止めないわよ。一応言っておくけど、私は別にアンタがどっち行こうが構わないし」
「とうまには私の上達っぷりをその目に焼き付けてもらわないといけないんだよ!」
三者見事に勝手な事言ってるなぁと思う上条だった。
***
お昼を回ったところで、空から降ってくる雪の勢いが増してきた。
吹雪まではいっていないが、それでも視界は全体的に白く染まり見通しが悪い。
そんな中でインデックスは美琴に教わりながら、一生懸命にスキーの練習に励んでいる。昼食の時の上条の言葉に反発しているのだろう。
見た感じではあまり上達の具合は良くないようにも思えるが、それでも少しずつ上手くなっているのは分かる。少なくとも、転ぶペースが三分に一度くらいにはなっていた。
一方で、食蜂はすっかりやる気を失ったようで、ひたすら上条の隣でベタベタしていた。
「おい操祈、俺も少しは滑りたいんだけど……」
「えぇー、あなたはこんな可愛い子よりもスキーを取るんですかぁ?」
「まぁ、せっかくゲレンデに居るんだしな」
「ほほぅ、それは女の子とイチャイチャするくらいなら別にどこでもできるっていう事ですかぁ」
「そ、そういう意味じゃねえよ!」
いちいち嫌な方向に解釈する食蜂に、慌てて弁解する上条。
確かにこの場でしかできない事を優先したいという意味では言ったが、それでも彼女の言う通りいつでも女の子をはべらす事ができるとは思っていない。
そもそも、自分にそんな技量があれば、とっくに彼女の一人や二人できているはずだ。
彼女は少し口を尖らせると、
「もしかして上条さんは運動できる子がタイプとかですかぁ?」
「いや別にそうでもねえけど……つーか知り合いの女の子の中でも運動できる子は結構いるしな」
「良かったぁ。私って自慢じゃないですけど運動力は高い方ではないんでぇ」
「うん、それは見れば分かる」
「ひっどぉーい!! もっとこう、オブラートに包んでくださいよぉ!!」
「はは、悪い悪い」
ぷくーと頬を膨らませる食蜂に、上条は苦笑いを浮かべてなだめる。
彼女のそういった仕草は人によってはあざといやら何やら言われそうな気もするが、こうして目の前で見るとただただ可愛らしい。
それと同時に、上条の中では妙なモヤモヤが渦巻く。
彼女はこういった笑顔を誰にでも振る舞うのだろうか。それとも、これは自分専用のものなのか。
前者であれば特に何もないのだが、もし後者だった場合は――――。
「というかさ操祈。なんかお前の言動聞いてると、まるで俺のことが好きなのかって勘違いしそうなんですが」
「ふふっ、それはどうでしょうねぇ? ちなみにその好きっていうのはどういった意味でしょう?」
「お前絶対分かって言ってんだろ。なんつーかこう、恋愛……的な意味でさ。
勝手に期待して見当外れっていうのはとてつもなくカッコ悪いんで、からかうのは程々にしてほしいのですが……」
「えー、なんでからかってるって決めつけてるんですかぁ。もしかしたら本気力満々かもしれないじゃないですか!」
「もしかしたらってな……。よし、この際だから言っておくけどな操祈。そういう男をその気にさせるような態度は後々面倒な事になるからやめとけ」
「面倒なことになっても私ならリモコン一つでどうにでもなるしぃ」
「ぐっ、これだからレベル5ってのは!!」
思い切り人生を舐めきっている中学生に対し、上条はただ敗北感に打ちひしがれてグッと拳を握り締めるしかない。
一応は人生の先輩として、彼女の今後の人生の為を思って言ったアドバイスだったのだが、彼女にとってはそんなものはすぐに解決できる些細な事のようだ。
そして少し考えてみると、上条は記憶的にはまだ一歳にもなっていないわけで、人生経験という面でも彼女には敵わないんじゃなかいと更に落ち込む。
まぁ一年足らずの記憶でも十分すぎるほど色々な事があったのは事実なのだが、その大半が日常生活とはかけ離れているものというのが泣けてくる。
むしろ自分にとっては事件の中で動き回っているのが日常なのではないかという考えも浮かんだが、それはあまりにも悲しいので頭を振ってかき消した。
食蜂はそんな上条に少し申し訳なさそうに話しかけてきた。
流石に目の前の男子高校生が哀れに見えたのだろうか。
「えっと、ごめんなさいね。確かにからかわれているようで居心地が悪いっていうのは分かりますよ。でも、私にも理由があるんです」
「理由?」
上条が聞き返すと、食蜂は少し顔を俯ける。
その表情は影が濃いように見えて、そして諦めに似たような何かを感じた。
雪が舞い落ちるゲレンデに、物憂げな表情の少女。
それは幻想的な美しさも、写実的な美しさも感じられるもので、上条は何も言えなくなってしまう。
自分の発する一言が、その美しい情景を壊してしまうかのような、そんな感覚があった。
彼女は顔を上げて、真っ直ぐ上条を見つめた。
口元は薄く緩んでおり、柔らかい表情をしている。
しかし、それとは対照的に、目には相変わらず影が落ちていた。
「……インデックスさんがイギリスへ行った後に話します」
「えっ、あー……分かったよ」
上条にはただそれだけしか言えなかった。
彼女が今どんな気持ちで何を思っているのか。そんなものは無能力者である自分には全く分からない。
どこまで踏み込んでいいのか、その判断がつかない場合は無理に行かない方がいい。
上条はよく敵に対してもズカズカと踏み込んで言葉をぶつけていく。
ただ、それは確固たる自分の言葉を持っているからであり、別にそれが絶対に正しいなどとは思っていない。
だから、こういった自分でも何が正しいのか判断できない場合は、言葉にして出す事もしない。
もしも彼女が以前の美琴のように、誰かの為に自分の命を捨てようとしているなどという事であれば、もちろん上条は全力で止める。
そこには、そんな事をさせてはいけないというハッキリとした意思があり、だからこそ上条は迷ったりしない。
しかし、今回はそういった事ではない。
「食蜂が上条に対して気があるように見せてからかうのには理由がある」「今はその理由について言えないが、インデックスがイギリスへ行った後に言うつもりだ」。
これに対して、上条は何が正しいとするか判断することはできない。当たり前のことだが、自分にはいつでも正解を導く力などはないのだ。
気を取り直して、といった感じで彼女は口を開く。
「じゃあ今はとにかく私とイチャイチャ――」
「どいてどいてどいてええええええええ!!!!!」
「へっ……きゃああああああああああああああああああ!!!!!」
ドシャァァァァ!!! という大きな音と共に、足元の雪が一気に舞い上がる。
ただでさえ悪い視界が真っ白になり、ほんの数センチ前の状況も目を細めなければぼんやりとも捉えることができない。
それでも、一体何が起きたのか全く理解できないというわけではない。先程の声、そして一瞬前の光景から容易に想像することはできた。
つまりは、熱心にスキーの練習をしていたインデックスが食蜂に突っ込んできたというわけだ。
「いたた……ちょっとぉ!! 今いい所だったのに何してくれんのよぉ!!」
「あはは、ごめんごめん。でも見て!」
そう言うとインデックスは立ち上がり、そのまま何メートルか滑っていく。
そして、そこからザッと小気味良い音をたてて素早くターンをすると、スキー板を斜面に対して平行にして見事止まってみせた。
これには上条も食蜂も目を丸くして驚く。
「おぉ! なんだインデックス、やればできるじゃん!」
「なっ……何よそれぇ! ていうか、止まる時は板をハの字にしろって言ってたじゃなぁい! 御坂さん、騙したわねぇ!!」
「ふふ、そんなのは初心者の止まり方なんだよ。私みたいに上達すれば、こうやってスマートに止まれるんだよ」
「まだまだ成功率五割超えないくせに何言ってんだか」
呆れた声を出しながら、美琴が近くまで滑ってきた。
その後の止まり方も、インデックスの言うところのスマートなものであり、なおかつそれをいとも簡単にやってのけてしまう。
まぁこれはある程度滑った事のある者であれば難しくはないのかもしれないが、それにしても彼女からはどことなく上級者の振る舞いを感じた。
むしろ、どのような運動にしても、彼女が苦戦するイメージはなかなか湧いてこない。
インデックスは美琴の言葉を受けて頬を膨らませて、
「ご、五割は言い過ぎかも! 少なくとも六割は成功してるんだよ!」
「はいはい。じゃあ早く十割になるように頑張りなさい。で、食蜂はまたコイツをたぶらかしてるわけ?」
「何よぉ、御坂さんはインデックスさんに滑り方教えてあげていればいいじゃなぁい。無駄に運動力はあるんだしぃ」
「言われなくてもそうするつもりだけど……そうなるとまともに滑れないのはアンタだけになるわね」
「…………はぁ!?」
「まぁ別に私には関係ないけどさ。インデックスとアンタ、どっちが上手いとかそこまで興味ないし」
「みこと、私とみさきを比べるのは失礼かも! 私はとうまより上手になるように頑張ってるんだから!」
「あー、ごめんごめん。流石に食蜂と比べるのはなかったわね」
「さっきから黙って聞いていればぁぁ!!!!!」
ついに食蜂がプッツンといってしまったようで、両手を振り回してぎゃーぎゃー騒ぎ始める。
こうやってすぐにムキになるところは扱いやすいというかなんというか、何にせよ微笑ましいものではある。
すると食蜂はキッと決意の表情を浮かべて、スキー板を履きストックを握り締めた。
「見てなさいよぉ! 私がちょーっと本気力出せば、こんなお遊び簡単にできるわぁ!!」
「おい操祈、ちょっと落ち着けって……」
「上条さんは黙っていてください!」
食蜂はそう言うと、かなりの勢いをつけて斜面を滑り降り始めた。
おそらく止めるべきだったんだろうが、上条が腕を伸ばした時には既に手の届かない所まで行ってしまっていた。
彼女はそのままインデックスがやったように、ザッとターンをして止まろうとする。
インデックスの言うところの初心者の止まり方であるハの字を使う気は毛頭ないらしい。
そして次の瞬間、大方の予想通り――。
「わっ、ぎゃああああああああああああああ!!!」
とてもお嬢様のものとは思えない声をあげて、派手に転倒した。
その転びっぷりはもはや芸術的とも言えるくらいで、周りのスキー客もぎょっとしているくらいだ。
上条もインデックスも、そして美琴でさえも彼女のその有様が悲惨すぎて笑う気にもなれなかった。
食蜂はボスッと雪の中から顔を引きぬいた。
その後、活動停止。ただ座り込んだまま呆然と宙を見つめている。
それから。
「ぅぅ……ぅぅぅぅううううううう……!!!」
地をはうような怨念のこもった声が口から漏れ出した。
流石に何かフォローしなければいけないだろうと上条が近くに行こうとするが、それをインデックスが片手で止める。
彼女はバツの悪そうな表情を浮かべて、
「えっと、私が行ってくるんだよ。挑発しちゃったっていうのもあるし」
「……任せた。けど、傷を深くしないように注意しろよ、何するか分かんねえ」
「うん、分かった」
インデックスは何かの重大任務に就くかのように重々しく頷くと、食蜂の元へと滑って行った。
その後ろ姿を、上条は真剣な目で見送った。そのまま敬礼でもしそうな勢いだ。
インデックスが行ってしまったので、この場には上条と美琴だけが残される。
美琴はなぜかジト目でこちらを見ると、
「で、アンタは食蜂と何の話をしてたわけ?」
「えっ、あー、いや別に大したことは話してねえよ」
「でも言いたくはないってことね」
「うぐっ」
大したことは話していない、それは別にウソではない。内容的にはそれほど重いものでもなかった。
ただし、女子中学生の思わせぶりな態度に振り回されているなどという事はすすんで言いたいようなものでもない。高校生のプライド的に。
美琴は呆れたように溜息をつくと、
「ったく、アンタいつも女の子に囲まれてるくせに、あんなあからさまなアピールには弱いのね。
大方『コイツ俺に気があるんじゃね? いや、そうに違いない!! いやでももし勘違いだったら……』みたいな感じに振り回されまくってんでしょ」
「お前読心能力者(サイコメトラー)だっけ!?」
「うわっ、本当にそうだったんだ……」
美琴は思い切り見下したような目でこちらを見てくる。
青髪ピアスなんかは歓喜して悶えるようなシチュエーションではあるのだが、あいにく上条にそんな性癖はない。
「わ、悪かったな! つーか仕方ねえだろ、俺こんなのに耐性ねえし! レッサーなんかは目的ハッキリしてたからまだ扱い易かったけどさ!」
「はいはい、とりあえずレッサーについても後でじっくり聞くとして……アイツは思わせぶりな態度について何か言ってた?」
「いや、インデックスがイギリスへ行くまで待ってほしいって言われた。理由は聞いてない」
「……そっか。そうよね」
どうやら美琴はこの事について何か知っているらしく、納得した様子で頷いている。
もしかしたら女の子にはすぐ分かるような事なのかもしれない。美琴と食蜂は腹を割ってお互い自分の事を話すような仲でもないはずだ。
といっても、ここで上条が尋ねたところで彼女が答えるとも思わなかったので、何も聞かない事にした。
斜面を少し下ったところでは、インデックスと食蜂が何かを話している。
会話の内容までは聞き取ることができない。それでも食蜂の方が何やらムキになっている事くらいは分かった。
そしてこうして見ている内にも、立ち上がって再びターンにチャレンジして派手に転んでいた。
隣では美琴も彼女達の様子を見ていた。
ただし、その目の焦点は今しがた転んだ食蜂ではなく、インデックスの方に合っているように思えた。
「インデックスの方は本当にもう大丈夫なわけ? あっちだけじゃなくて、アンタもって意味だけど。イギリスに行っちゃった後、また荒れまくったりするんじゃないでしょうねアンタ」
「あぁ、それは大丈夫だ。あの時は悪かったな、お前にも迷惑かけて」
「別にそれはいいんだけどさ、後々面倒な事になるからお別れはちゃんとしておきなさいよって話。
もう明日と明後日しか時間はないと思うけど、その日はどっか行ったりするの?」
「んー、明日は旅行帰りだしあんまり外出て遊ぶって事はしねえだろうな。まぁでも明後日の最終日はどっか連れて行ってやるつもりだ。
でもまだどこがいいかとかは決めてねえんだよなー。御坂は何かいい案とかねえか? つか一緒に行くか?」
「私はやめておくわ。というか、アンタも変わらないわね……」
美琴は心の底から呆れた様子でこちらを見るが、上条は首を傾げるしかない。
と、少し頭を使ったところである事を思い出す。
「なぁ御坂、明後日って何かあったっけ?」
「だからインデックスが学園都市に居る最終日じゃないの」
「いや、それ以外でさ。なんかあったような気がするんだけど、思い出せないんだよなー」
「……もしかしてバレンタインの事言ってるわけ? あんまりチョコ貰えなくて忘れちゃったんなら言っとくけど、バレンタインは14日よ」
「それくらい知ってるっつーの! インデックスと同じ事言うなよ!」
ここまで面と向かって言われるのもショックなので、若干涙目で反論する上条。
そもそも記憶喪失で去年のことなど覚えていないので、自分がどのくらいチョコを貰ったのかなど分かるはずもない。
まぁ、一つも貰えていない可能性が高いというのが上条の予想ではあるが。
美琴は興味無さそうな目でこちらを見たまま、
「とにかく思い出せないならそこまで大事なことでもないんじゃないの。それより、アンタは最終日インデックスとどこ行くか考えなさいよ」
「……それもそうだな。御坂はどこがいいと思う?」
「私に聞かれてもね……。まぁでも、私だったら景色が綺麗な所とかいいわね。ほら、夕陽が綺麗な所とか、夜のイルミネーションが綺麗な所とか!
それで、別れ際はそのイルミネーションでキラキラした中で、『まだ帰りたくない』とか何とか言っちゃたりして……!!」
「いや別れ際も何も帰る場所一緒だし。つかお前って意外と頭がスイーツだよな」
「な、なななな何よ文句あるわけ!? 女子中学生ならこれが普通よ!!」
おそらく白井などが聞けば全力で否定するセリフを、顔を真っ赤にしながら大声で吐く美琴。
とはいえ、ここであまり突っ込んでも面倒な事にしかならないと思ったので何も言わないでおく。
美琴はまだ顔を赤くしており、それを冷ますようにパタパタと手で扇ぎながら素っ気なく口を開く。
「ていうかやっぱり私の意見聞いても仕方ないでしょ。インデックスと趣味が合ってるとも思わないし」
「けどお前だって一応は女の子だろ? それ踏まえて何か気をつけるべき事とか言っておいてもらえると助かるしさ……」
「一応って何よ一応って!! まずそういう言葉遣いからアウトよ!! ほんっっっとにデリカシー無いわね知ってたけど!!!」
「なるほど、ちゃんと女の子扱いしないとダメ、と」
「言っとくけど子供扱いもダメだかんね。それと一緒に居る時に他の女とイチャつかない、人の話は真面目に聞いてスルーしない!
勝手にどっかいなくならない、何かあったらちゃんと説明する!! あーなんかムカついてきたわねアンタ!!!」
「勝手に怒りのボルテージが上がってきた!?」
上条は思わず一歩後ろへ下がって右手を準備する。もう手袋も外しておいたほうがいいかもしれない。
この雪景色の中で青白い光というのは遠くから見る分には幻想的でいいのかもしれないが、それを自分にぶつけられるのは勘弁してほしい。
綺麗なものは遠くから見るから綺麗である事も多々あり、近づいてみると落胆する事も少なくはないのだ。別に誰の事を言っているわけでもないが。
ただし、一方で近づいてみると他の良さを見つけられる事もある。
上条はまだムスッとしている美琴に愛想笑いを浮かべて、
「あー、でもありがとうな。何だかんだ御坂ってインデックスの事考えてくれるよな」
「…………」
「御坂?」
「…………あぁ、うん、そうね。美琴センセーは広い心を持ってるから」
美琴のその言葉に、上条は少し眉をひそめた。
別に言葉自体に違和感があったわけではない。妙だったのは彼女の表情と声の調子だった。
声も表情も先程までとは違う。
上条の言葉を受けて美琴は一瞬無表情になり、それから取り繕っていつもの調子に戻そうとしていた。
だがこうして気付かれている辺り、それも失敗しているという事になる。
美琴は口元に笑みを浮かべてこちらを見る。
その表情は穏やかなようにも見えて、舞い落ちる雪とも相まって、どこか切なさも感じる。
今日はこんな表情をよく見る日だ、と上条は漠然と思った。
「ねぇ、アンタには私はどう見える?」
「えっ?」
「ほら、相手の見え方っていうのは見る人によって色々違ってくるじゃない。
私って世間では『レベル5の中で一番まとも』とか言われてさ、広告塔みたいな扱いされてロシアにデモンストレーションをしに行った時だってある。
だから私が路地裏で不良どもを焼いたり自販機蹴っ飛ばしてるところとかを目撃されて、『何かの間違いではないか』って学校に連絡がきたりもするらしいわよ。
まぁ、要するにイメージが相当美化されてるってわけよ。アンタならむしろその美化されたイメージの方に違和感を覚えるんじゃない?」
「……あー、まぁ、そうだな」
「それにもちろん、他にも見方はある。路地裏の不良なんかからは私はさぞかし恨まれてるだろうし、一方通行からしてみれば共犯者。
黒子は私の事を慕ってくれて、よく想ってもくれる。佐天さんや初春さんも私のことを頼ってくれるし、頼ってほしいとも思ってくれてる」
美琴は目を閉じ、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
その声は静かでいてよく通り、暖かみも感じられる。
上条はそこに言葉を挟もうとはとても思えなかった。
ただじっと彼女の言葉だけに耳を傾け、その意味を頭の中で噛み締める。
彼女はゆっくりと目を開けた。
そこには暖かく優しい光と、冷たく寂しい光。その両方を感じた。
どうすればそんな目をする事ができるのか、今の上条にはとても真似できそうにもないものだった。
「アンタには、私はどう見える?」
先程と同じ言葉。
上条は少し黙って考え、そして。
「もちろん、世間一般的なイメージのお上品なお嬢様だとは思わねえよ。自販機は蹴るわ、すぐキレて電撃ぶち込んでくるわ。
まぁ俺にとっちゃ、例えレベル5だとしてもそこらの中学生とそこまで大きな違いはないと思ってる」
「……はは、この私をただの中学生扱いなんて、たぶんアンタくらいじゃないの」
「……ただ、お前は誰よりも優しくて、いつも人のことばかりを考えてる事も知ってる。しっかりとした芯があって、誰にでも頼りにされて。
だからこそ、抱え込んじまう時もあるって事も知ってる。まぁそこら辺はお前が言ってた白井や、佐天さんや初春さんだって知ってると思うけどな」
「…………」
「とにかく俺は、どれだけ路地裏の奴等がお前の悪口を言ったとしても、何度だってそんな事ないって言い返すことができる。
俺もお前には何度も助けられた。危険な場所にだってついてきてくれて、何度もこの手を掴んでくれた。俺はお前を信頼してるし、信頼してほしいとも思ってる」
上条がそう言い終えると、辺りには静かな時間だけが流れる。
心なしか、降ってくる雪の粒が大きなってきたような気がする。
彼女は、口元に小さな笑みを浮かべていた。
ただ、それがどのようなものなのかは分からない。穏やかで優しいものにも見えたし、自嘲しているようにも見えた。
それでも、その姿はどこか寂しそうで、このまま雪に溶けてしまうようにも思えた。
何か言わなければいけない。
漠然とそう考える上条だったが、何を言えばいいのかが分からない。
言葉一つで簡単に壊れてしまいそうな、そんな彼女には似つかないイメージが頭の中をよぎる。
そして、彼女の口が動く。
「……もしそうじゃなかったら?」
「え?」
「私はアンタが思っているような人間じゃなかったら? ……ってこれ、前に鉄橋で似たような事言ったわね」
そうやってクスッと小さく笑う美琴。
上条も覚えていた。
あの実験の日、鉄橋の上。彼女は自分は善人なんかじゃないと大声で否定した。
その時、上条は何と返したか。
考えるまでもなく、すぐに頭に浮かんできた。
「あの時と同じだ。お前が自分自身のことを良い人間だと思っていなくても、俺がどう思っているかは変わらない。
大体、御坂はちょっと基準が高すぎるんじゃねえか? どんな奴だって嫌な所の一つや二つ持ってるもんだぜ?」
「じゃあハッキリ言うわよ」
急に美琴が目に強い光を灯して、加えて強い口調で切り出す。
上条は思わずゴクリと生唾を飲み込むと、続く言葉に耳を傾ける。
彼女はまるで水の中に潜るかのように、大きく息を吸い込むと、
「私は、今ある選択をしようとしてるの。選択肢の一つは私にとって有益で、アンタにとっては不幸なもの。
もう一つは私が不幸になるかもしれないけど、アンタにとっては最も良いもの。正直私は前者の方に傾いてるわ。
私が本当にアンタの言うような人間だったら、迷わず後者を選ぶんでしょうけどね。でも、違うのよ」
美琴の様々な想いのこもった言葉を受け取る。
それはとても重く、胸にしまっているだけで、少女の体などは潰れてしまいそうにも思えた。
その上で、上条はしっかりと彼女を見据えて、
「…………いや、やっぱりお前は良い奴だよ」
「なんでよ……ちゃんと伝わってなかったわけ? 私は自分の為にアンタを不幸にするって言ってんのよ?
私はアンタが思っているような良くできた人間なんかじゃない。他の人間より自分を優先する、普通にどこにでもいるつまらない人間なのよ」
「確かに他人より自分のほうが可愛いってのは普通だ。特別良くできた人間とまでは言えないかもしれない。
だけどよ、普通はそれを本人に言うか? それってつまりは、例え自分のためだとしても本当の意味で相手のことを無視する事ができないからなんじゃないか?」
上条の言葉に、美琴は目を丸くして一瞬呆然とする。
完全に考えの外にあったような事を言われたような、そんな表情だ。
しかし、彼女はすぐにキッと顔を引き締めて、
「違う、そんな事ない! 私はただ免罪符が欲しいだけよ。自分の醜い部分を見たくないから、だから……」
「はぁ……やっぱりお前、ちょい理想が高過ぎるんじゃねえか? 完璧過ぎる人間なんてこの世にはいねえ、俺だって言いたくないようなやましい事くらいある。
だから俺からすればこうやってわざわざ言ってくれるあたり、親切で良い奴だと思うぞ。んで、ここでお前にとって重要なのは、俺がどう思うかなんじゃないか?」
「そ、それは……だって……」
「いいっていいって。お前の好きなようにしろよ。そっちの方が俺にとっても気が楽だ」
美琴は少し口を開けて、ポカンとして上条を見つめた。
まるで目の前の男が酷く的外れな事を言ったかのような反応に、思わず上条は自分が何を言ったのかを頭の中で反芻する。
そして特に変な事は言っていない、という結論に達した頃、美琴はクスリと口元に笑みを作った。
「……アンタって本当に変わらないわね」
「そうか? 変わらないって必ずしも良い事でもないと思うけどな」
「あはは、安心しなさいよ、良い所が変わってないって言いたいだけだから」
「……おお、御坂が俺のことを褒めるとは、雪でも降るんじゃねえか。あ、いや、降ってるか」
「なっ……やっぱそういう空気読めない所も変わってないわね!!! こういう時は素直に受け取りなさいよこのバカ!!!!!」
「お、お前に素直とか言われたくねえよ!!」
結局いつも通り、二人はとても穏やかとは言えない会話に戻ってしまった。
ただ、上条はそれを嫌だとは思わず、むしろこちらの方が居心地が良いようにも感じた。それは表情を見る限り、美琴も同じように思える。
こんなほとんど中身の無いバカなやりとりが、これからもずっと続いていけばいい。
いや、それはありえない事だ、と上条は小さく首を振る。
人は前に進んでいくものであり、同じ場所に留まり続けることは、むしろ人としては悲しいことなんだろう。
学校でクラスメイトとバカやって、先生に叱られて、帰り道はビリビリ中学生に絡まれて、家に帰ればシスターさんが笑顔で迎えてくれる。
そんな日常は当たり前に流れているように見えて、後になって本当に大切に思えるものなのだろう。
だからこそ、どんなに些細な日常でも大切に思っていきたいとも思う。
そんな時、今度はインデックスが困り顔でこちらにやって来た。
「みこと、ちょっと助けてほしいんだよ。みさきの惨状はとても私の手に負えないかも」
「……でしょうね」
二人の視線の先を上条も追ってみると、そこにはどうやったらそうなるのかと尋ねたくなるほどの転び方をした食蜂がいた。
もう完全にお手上げ状態のインデックスに、思いっきり呆れた溜息をつく美琴。
そして当の本人は、
「ち、ちがっ、違うのよぉ!! 今はちょっと調子が悪いだけで、こんなのいつもの私ならぁ……!!」
「はいはい。分かったから、とりあえず何とか起きなさい。アンタは根本的なところで間違ってそうだから、教えたげるわよ」
「ぐぬぬっ……だから違うって言ってるのにぃ……!!」
「あ、それと周りの人にも迷惑だからあっち行ってやるわよあっち」
そうやってグイグイと食蜂を連れて行ってしまう美琴。
こうして見ると仲の良い同級生のようにも見えるが、おそらくそれを言えば二人から否定の言葉が飛んでくるのだろう。
美琴と食蜂が離れていくと、必然的に上条とインデックスの二人が残される。
するとインデックスはニヤリと笑って、
「ふふふ……いよいよ私の力をとうまに見せつける時がきたようだね」
「何の力だよこえーよ」
「スキーだよスキー。さぁとうま、一番下まで競争なんだよ!!」
「えーと、お前大丈夫なのか? 俺としてはかなり不安なんですが」
「みさきよりは数段上手いかも!!」
「それ何も威張れることじゃねえからな」
ともあれ、おそらく何を言ったとしても納得しそうにもないインデックス。
その様子を見て、上条はどうしたものかと少し頭を使う。
(……まぁ、いい勝負に見せかけて常に近くを滑ってればもしもの時はすぐ何とかできるか)
そこまで考えた上条は一度頷いて、
「分かった、ただあんまり無理するんじゃねえぞ」
「ふふん、相手の心配なんて余裕だねとうま。そういう驕りが敗北に繋がるんだよ!」
「へーへー、ほら、やるならさっさとやろうぜ。それともやめるか? うん、それがいいな、もうやめよう」
「やめないんだよ!! はいヨーイドン!!」
「は!? おいっ!!!」
上条が声をあげた時には既に滑りだしてしまっているインデックス。
公平性の欠片もない理不尽なスタートにげっそりしながら、上条も慌てて滑りだした。
やはりというべきか、いくらインデックスが上達したとしても、まだ上条までは達していないようだ。
スタートこそは遅れたが、その後は難なく追いつくことができた。といっても、彼女が勝手にフラフラしているからというのもあるのだが。
上条もインデックスも記憶喪失であることは変わりないが、上条の方は手続き記憶として体が覚えている事が大きな差になっているようだ。
上条がインデックスの隣に並ぶと、彼女はむっと口を尖らせてこちらを見る。
本人は自分があしらわれているように思えて嫌そうな視線を送っているのだろうが、上条はクイクイと前を指さして余所見をするなという事を伝える。
ただでさえ雪が強くなって視界も悪くなっている。そんな中で余所見というのは心配でならない。
と、その時だった。
「あっ…………わわっ!!」
急にインデックスが止まろうとして、グラッとバランスを崩す。
いきなりどうしたのかと、上条は目を丸くするが、今それはどうでもいい。
とにかくすぐに近くに寄ると、スキー板を絡めないように注意しながら、彼女の体を受け止めた。
「ど、どうしたんだよ?」
「えっ、あー、うん、ちょっと。……というか、とうま。なんだか少し過保護な気がするんだよ。子供扱いしないで欲しいかも」
「分かった分かった。それならもうちょっと大人っぽい落ち着きを身につけるんだな」
「むぅぅ!!」
「そんで? 何か見つけたのか?」
「あ、そうだ。うん、あれ」
そう言って彼女が指差す先を見てみると、そこは一見ただのコース外にある林だった。
だが、視界の悪い中、少し目を凝らしてみると何かが見えてくる。
「……もしかして子供、か?」
「うん……たぶん。何であんな所に居るんだろう。それも一人で」
「さぁ……何にせよあぶねえな。行ってみっか」
上条とインデックスが行ってみると、やはりそこには子供が居た。女の子だ。
小学生くらいだろうか。コースを外れた林の中で何かを探している様子で、かなり必死になっているのが分かる。
上条とインデックスも林の中に入っていきながら、
「おーい、どうした? 何か落としたのか?」
「えっ、あ、あの……はい。ストックを……」
「ストック? こんな林の中に?」
「私、コース際で滑ってて……それで、その、ちょっと派手に転んじゃって……」
「そんでストックが吹っ飛んだ、か。そういう事がないように、ストックについてるストラップを手首に通して……って今言っても仕方ないか。どうすっかな」
「とにかく、一人でこんな所に居るのは危ないかも。ご両親は?」
「……それは」
女の子は言いにくそうに視線を彷徨わせる。
まさか一人で来ているわけでもないだろうと上条達が言葉を待っていると、
「えっと、私、親とケンカしちゃって……子供扱いして好きに滑らせてくれなくて……それで……」
「なるほど、インデックスと同じような感じか」
「とうま!?」
「けど、いつまでもこんな所で探し続けるのは危ねえ。まぁ、ストックは諦めて、素直に親に謝ろう。な?」
「うぅ……はい……」
「ちょっととうま、無視しないでほしいかも! なんだかそこはかとなくバカにされたような気がするんだよ!」
「だー!! 気のせいだ気のせい!!」
プリプリと怒っているインデックスをかわしながら、とりあえず女の子を連れて林から出ようとする。
おそらく今頃両親も心配して探し回っているところだろう。もしかしたらその内放送など流れるかもしれない。
上条としてはそっちの方が確実で助かるのだが、女の子としてはやはり恥ずかしいだろう。
そんな事を考えながら歩いていると、
「……ん?」
「だからとうまはいつもいつもいつも――!!! ってどうしたの?」
「いや、もしかしてあれじゃねえか? 落としたストックっていうの」
「えっ……ああ!! そうです、あれです!!」
女の子は途端に顔を輝かせる。まぁ、気持ちは分からなくもないが。
しかしそのままそちらへ行こうとしたので、慌てて上条が止める。
「待て待て、かなり奥の方にあるじゃねえか、すっげえ飛ばしたもんだな。俺が行ってくるよ」
「あ……ありがとうございます!」
「なんだかとうまでも心配なんだよ」
「うっせ、お前よりかはマシだっつーの。任せとけって」
そう言いながら、上条は林の奥へと進んでいく。
普段人が通らない場所なので、積もっている雪も柔らかいものになっている。
視界が悪くて近付くまで分からなかったが、どうやらストックの落ちている場所のすぐ向こうはかなりの急斜面になっているようだった。
やはり女の子を行かせなくて良かった。心底そう思いながら、上条は足元のストックを拾い上げる。
その瞬間、上条の足元が崩れた。
「……へ? どわあああああああああああああああああああああああ!!!!!」
ボゴォ!! と雪の塊が一気に斜面へと崩れ流れていき、もちろん上条も為す術なくゴロゴロと落ちていく。
視界はただ真っ白に染まっており、自分の目がおかしいのか、実際に目の前の光景がそうなのかも分からない。
とにかく自分の体がメチャクチャに叩きつけられている感覚だけが全身を包み、そして。
ふわっとした浮遊感とともに、上条の意識は遠のいていった。
***
目を開けると、そこには重苦しい灰色の空と、そこから落ちてくる大粒の雪が映り込む。
どれだけ気を失っていたのか、恐る恐るといった感じで上半身を起こしてみると、多少の傷みはあるが何とか動いてはくれるようだ。
これにはほっとして、思わず溜息が漏れる。もしも体を動かせない状態でこんな場所に放置されたら、そのまま冷凍保存されてしまう。
とにかく、少しでも情報を集めたい。その一心で辺りを見回してみると、
「……え?」
視界に一人の少女を捉えた。
上条は目を見開く。
信じたくない。そんな事は考えたくもない。
しかし、それは紛れもなく、
「インデックス!!!」
上条は大慌てで走りだした。
当然ながら履いていたスキー板などは外れて行方不明になっている。
どうして、と疑問が頭の中をぐるぐると回る。
彼女は女の子と一緒に待たせていたはずだ。転げ落ちたのは自分一人だったはずだ。
しかし、すぐに別の可能性が頭をよぎる。
転げ落ちた時、大きな音があったはずだ。自分の叫び声含めて。
それを聞いた彼女がすぐに助けに来て、同じような目にあったのではないか。
上条はギリッと奥歯を鳴らす。
今は自分の不甲斐なさを悔やんでいる場合ではない。一刻も早く彼女の無事を確かめなくてはならない。
「インデックス!! おいインデックス!!!」
「…………」
「嘘だろ……なぁ、インデックス……!! 起きろよ、起きてくれよ、頼むから……!!!」
「……むにゃ」
「ッ!! インデックス!! 大丈夫か!?」
言葉を発せる状態であることを見て、上条は必死に呼びかける。
全く反応なしという状態よりはずっとマシではあるが、それでも安全な状態であるとは言えない。
しかし。
「……えへへ、もう食べきれないんだよぉ…………むにゃむにゃ……」
「……へ?」
「あっ……それも、私の……それも……それも…………ふへへ」
「…………」
一瞬、上条の頭の中が真っ白になった。
それはもう、文字通り今までゴチャゴチャしていたものが一気に消え去ったかのように。
上条は一度大きな溜息をついた。
そしてその後、彼女の頬に手を伸ばして横にグイグイ引っ張る。
「うへへへへ…………いだっ、いだだだだだだだだだっ!!!」
「おーい起きろインデックスー」
「えっ、と、とうま……? って、いたいいたい!! ちょっと何ほっぺ引っ張ってんのさ!!!」
「いやお前が随分と幸せそうに寝てたからさこの状況で。それにほら、寒い時って眠るとヤバイって言うじゃん」
「いたたたたたたた!!! だから起きてるってば!!!!!」
彼女の言葉に、ようやく上条は手を離す。
その赤くなった両頬を擦りながら、彼女は恨めしげに涙目でこちらを睨んでくる。
まぁ死ぬほど心配させたというお返しにはこれくらい必要だろう。
だが、そこで上条はふと思い出す。
そもそも彼女まで転げ落ちたのは、おそらく自分のせいだ。
「……あー、その、お前まで一緒に落ちてるっていうのは」
「あっ、そうだよとうま! 何が『任せとけって』かも。案の定持ち前の不幸発揮しまくりで凄い事になっちゃってるし。
お陰で慌てて行った私まで転がり落ちちゃったじゃない。こんな事なら最初から私一人で行くべきだったんだよ」
「その……すみません……。けど、ヤバイと思ったならインデックスまで来なくても……」
「とうま」
インデックスは両手で上条の頬を挟み込んだ。
見るからに不満そうな表情を浮かべ、ジト目でこちらの目を覗き込んでくる。
「とうまが危ないことになって、私がそのまま動かないと思っているのかな?」
「……それは」
「はぁ……自分はいつも死にそうになりながら誰かのために動き回ってるのに、どうしてそれを他の人で考えられないのかなぁ」
やれやれといった感じに首を振るインデックス。
それに対して上条は何か言いたい気持ちは出てくるのだが、返す言葉も無い。彼女の言葉はどうしようもなく正論だからだ。
そうなればもう、苦々しく視線を逸らす事しかできない。
すると、彼女はギュッと上条を抱きしめた。
「怪我とかしてない? 痛いところとかは?」
「……あぁ、大丈夫だ。インデックスは?」
「ほっぺが痛いかも」
「うぐっ……その、悪かったって」
「ふふ、冗談だよ。大丈夫、私も怪我とかはしてないから」
「……あと、ごめんな。こんな事になっちまって」
「いいんだよ、ばか」
彼女の言葉はその中身はともかく、とても柔らかくて心地良いものだった。
こうして彼女に抱きしめられる事は何度かあった。
その度に上条は、いつも暖かい安心感を覚える。どんなに不安でもそれを一瞬で和らげてくれるような、絶対的な安心感を。
上条には母親の温もりという記憶が無いので分からないが、それはこんなものなのではないかとさえ思った。
しかし、いつまでも甘えているわけにはいかない。
とにかく今は元のコースに戻ることが先決だ。残しておいたあの女の子も気になる。
「よし、それじゃあ行く…………か……」
立ち上がって再び辺りを見回した上条が固まった。
本当に、文字通りピタリ、と。
信じられない……いや、信じたくない光景を、その目が捉えていた。
それは、やはり自分の不幸は底知らずだ、そう心底思えるほどのものだった。
この不幸なんてもはや当たり前のように感じていた。それでも納得出来ない事だってある。
「……はは、勘弁してくださいよ」
「とうま? 急にどう…………え?」
インデックスも気付いた。そして上条と同じように目を見開いて呆然としている。
すぐそこに崖があった。
それも、自分達はその崖の下にいてそれを見上げている形だ。
上条とインデックスは急斜面を転げ落ちていった。
つまりは戻る時はその斜面を何とか登っていけば良いと思っていた……が。
上条は崖から目を離して辺りを見渡す。
視界が悪くて良くは見えないが、それでも上り斜面らしきものがない事くらいなら分かる。
つまり。
「俺達……この崖から落ちてきたのかよ。怪我しなかったのが奇跡的だな、新雪がクッションになったのか」
「……でも、さ」
インデックスがポツリと漏らす。
正直上条はその先を聞きたくなかったが、そうしたとしてもこの状況は何も変化しない。
彼女は口に出す。至極当然な疑問を。
「これって、どうやって元の場所まで戻ればいいのかな?」
二人はただ呆然と立ち尽くし、それ以上何も言うことができない。
辺りで動いているものといえば、絶え間なく上空から舞い落ちる雪の粒だけだった。
今回はここまで。いつもの事ながら切る所に迷ってちょっと多めに
次の投下で一つ決着、その次から最終章って感じ
***
どれほど歩いただろうか。
雪は止む気配を見せずに、ゆっくりと、しかし絶え間なく二人に降り注ぐ。
上条とインデックスは、ザクザクと新雪を踏み固めながら、崖沿いに歩いて元の場所へと戻る手段を探っている。
しかし、どれだけ歩いても二人の視界を遮る高い崖。
「……はぁ、こりゃマジでレスキュー隊とか来てもらわねえとダメっぽいなぁ。ケータイもぶっ壊れちまったし」
「私が魔術を使えればこのくらいひとっ飛びなのに」
「それって俺も一緒に抱えて飛べたりするのか?」
「あー、とうまはその右手があるからね。でも、触れないように気をつければなんとかなるんじゃないかな。まぁいくら言っても仕方ないけど」
インデックスもうんざりしたように、上空に向かって白い息を吐く。
「あの子は大丈夫なのかな。ちゃんと待ってるように言っておいたけど」
「信じるしかねえな……ついでに助けを呼んでもらえれば助かるんだけどな」
「うん……でも私達が居ないって知ればみこと達もきっと動いてくれるんだよ」
「あぁ、そうだな。流石に俺らがいなくなってスルーするほど薄情じゃねえはずだ」
美琴や食蜂はもちろん、一方通行や垣根なんかも何だかんだ二人が行方不明だと知れば探してはくれるはずだ。
一緒に来ている者達の中にはレベル5が五人もいる。それだけで大抵のことはどうにでもなってしまいそうだから頼もしいものである。
敵に回ると相当厄介な相手だが、味方になってくれればこれほど頼もしい者たちもいない。
ただ、助けてもらえることを考えると、あまり動かない方がいいのだろうか。
しかし、今更最初の場所に戻れと言われても難しいだろうし、何よりこんな大雪の中でただじっとしているのはキツイ。
コースへ戻る手段がないにしても、せめてどこか雪をしのげるような場所はないだろうか、と上条は首を回す。
「おっ」
「どうしたの、とうま?」
「とりあえずあそこで大人しくしてようぜ。自力で助かるのは無理っぽいし」
上条が指さした先。
そこは崖に入った亀裂のような洞窟で、人が何人かは余裕を持って入れそうなものだった。
こういったものは今まで見たことがなかったが、意外にあるものだと少し感心する。
対してインデックスは少し心配そうな表情で、
「……冬眠中の熊とかいないかな?」
「い、いやな事言うなよ……」
ありえなくないというのが何とも不安だ。
とりあえず上条はインデックスを外で待たせて、洞窟の中へと入ってみる。
まぁここで本当に熊が居て襲い掛かられたらおそらくアウトだ。
今まで何度も超能力者や魔術師との戦いを経験して生き残ってきた上条当麻は、熊に食われるという悲惨な結末を迎えることになる。
異能の力であれば何でも打ち消すこの右手も、野生動物の牙や爪の前では全くの無力だからだ。
ビクビクしながら暗い洞窟の中を探ってみる上条。
そこまで奥深いわけではないらしく、少し歩くとすぐに行き止まりになっていた。
その時。
「だ、大丈夫そうだね」
「うひゃぁぁっ!?」
突然真後ろからかけられた声に、上条は何とも情けない声を上げてビクッと全身を震わせる。
いつの間にかインデックスがピッタリ背後についてきていた。
「イ、インデックス!? な、ななな何で来てんだよ……」
「びっくりした…………とうまを一人で行かせるのは心配だからこっそりついてきたんだよ。たぶん正直にそう言っても聞かないだろうから」
「……はぁ、相変わらず言うこと聞かねえなお前も」
「それはとうまも同じかも。でも、どうやら熊も居ないみたいだし、ゆっくりできそうだね」
インデックスはにっこりとそう言うと、ゴーグルと一緒に頭の帽子を外す。
その後彼女が小さく頭を振ると、サラサラな銀髪が静かに揺れた。まるでそれは暗い洞窟を照らす明かりのようにさえ見えた。
上条も同じようにゴーグルと帽子を外すと、適当な場所にドカッと座り込んだ。
するとすぐ隣に彼女も腰を下ろす。かなり近い。もはや体が触れ合うくらいだ。
「インデックスさん、少し窮屈な感じがするのですが」
「こっちの方が暖かくていいんだよ。もしかしてとうま、ドキドキして落ち着かない?」
「そ、そんな事ねえよ!」
妙に余裕を持った表情でそんな事を言われれば、上条も強がるしかない。
しかし実際は女の子特有の体の柔らかさに、見事に胸の鼓動を早くしているのだった。
(……あれ?)
ここで上条は首をひねる。
何かがおかしい気がする。いや、スキーに来て遭難してるこの状況が十分異常事態である事は分かっているのだが。
それ以外で何か、自分の中で矛盾のようなものがあるような。
「とうま? どうしたの、珍しく難しい顔をして」
「人をいつも脳天気な奴みたいに言うのはやめなさい。俺だってたまには悩む」
「自分でたまにって言ってるじゃん」
「ぐっ……いや、別に大したことじゃないんだけどさ。何か引っかかるっていうか……」
「引っかかる? あー、そういえばとうま、明後日何かあったようなとか言ってたね。私の事以外で」
「へ? あ、いや、たぶんそれじゃねえと思うけど……まぁそれはそれで確かに引っかかる事ではあるんだけどな……」
「それ以外でって事? なに、とうまって意外と悩み多き男の子なの?」
「意外とってなんだ意外とって」
インデックスと言葉をかわしながら、上条は上条で少し頭をひねってみる。
彼女に言われて思い出したが、明後日に何かがあったような、という事も確かに心に引っかかる事の一つだ。
まぁ言われるまで忘れてたという事はそれほど重要な事ではないのだろうが。
一方で、先程感じた違和感は大事なことのように思える。
具体的にそれが何かとは言えないので根拠は全くないのだが、感覚的なもので、だ。
それから少しの間俯いて無言で考え込んでいると、インデックスがぼんやりと洞窟の天井を見上げながら、
「うーん、明後日何かあるんじゃないかっていう方は色々予想できるんじゃないかな。例えば何かの記念日とか」
「記念日……ねぇ。世間一般的には何もないと思うけどなぁ、学園都市の行事も特にないだろうし」
「それじゃあもっと個人的なものとか。うーんと、例えば……」
それを聞いた瞬間、上条はバッと顔を上げた。
「そうだ。それだ」
「思い出したの?」
「あぁ、明後日って俺の誕生日だ。確か」
「…………たぶんもう二度と自分の誕生日を本気で忘れる人には出会わないような気がするんだよ」
インデックスは呆れた表情をこちらに向けてくる。
しかし、これは仕方ない部分だってある。いくらなんでもこの年で自分の誕生日を全く意識しない程上条は年寄りじみてはいない。
上条は溜息と共に頭をトントンと指差すと、
「記憶だ記憶。ほら、俺って記憶なくて初めは自分の名前も分からなかったくらいだしさ、当然誕生日も覚えてなかったんだ。
その後の生活で何だかんだ書く必要がある時とかあったから確認はしたけど、なかなか覚えられなくてな」
「あっ、そっか。ごめん」
「いや、いいって。インデックスだって同じようなもんだろ?」
「うん、それはそうだけど……私っていくつくらいに見える?」
「んー、小萌先生の例もあるしなぁ。とりあえず見た目だけなら俺より少し下って感じじゃねえか?」
「むっ、なんだか気に入らないんだよ。確かに見た目がちょっとだけ子供っぽいっていうのは認めるけど、人間大事なのは中身かも」
「じゃあ小萌先生みたいに実はいい大人だって?」
「……それはそれでちょっと」
「だろ? 女の子は若いほうが何かと得だと思うぜー。あ、今の小萌先生には絶対に言うなよ」
念の為に釘を差しておく。
もしこんな事を本人に言えばそれはそれはショックを与えてしまうだろうし、それがクラスメイトなんかにバレたら確実に処刑されるからだ。
そもそも上条の出席日数がギリギリで、補習までして何とか進級させようとしてくれる先生にそんな仕打ちはできない。
そこら辺の事情を知ってかどうかは分からないが、インデックスも苦笑いを浮かべながら頷く。
「それにしても、とうまの誕生日かぁ。お祝いしないとね!」
「いや別にいいって。それよりその日はインデックスが学園都市に居る最終日だろ? そっちの方が大事だ」
「流石にその日が誕生日の人にワガママばかり言えるほど私も図太くないかも。こういう時は素直に受け取っておくんだよ。
みこととかみさきも呼んでどこかでパーティでもしようか? 他にも呼べばたくさん集まると思うんだよ!」
「はは、そんな大袈裟な。だいたい、インデックスはそれで満足なのか?」
「そんなの当たり前なんだよ!」
にっこりと満面の笑みを浮かべて即答するインデックス。
その笑顔は暗い洞窟ではとても眩しく、それでいて暖かくて上条の頬を緩ませる。
そうだ、彼女はいつだって上条のことを想ってくれる。
だから、誕生日だという事を話せば、自分のことよりも優先して祝ってくれようとするのは不思議ではないだろう。
少し失敗したなぁ、と思う上条。
上条としては最後の日くらい、自分のことよりもインデックスのために何かしてやりたい。
誕生日なんていうのはこれから何度もくるものだが、彼女が学園都市に居られる日というのは、もしかしたらその日で最後になる可能性だってあるのだ。
しかし、すぐに頭を振る。
そんな事を考えるのは自分らしくない。彼女がもう学園都市に来られなくなるなんて事は万に一つにもありえない。というか、そんな事にはさせない。
少なくとも年に一度の誕生日よりかは多く来られるようにはしてみせる。
「それじゃあ祝ってもらおっかな。プレゼント期待してるぜ公務員さん」
「ふふ、分かった。楽しみにしていてほしいんだよ」
洞窟の外は雪が止む気配はなく、この中の気温も決して暖かいとは言えない。
しかし、上条にとってはこうして彼女と寄り添って笑顔で話しているだけで、そんな寒さなど気にならなかった。
***
美琴と食蜂は大騒ぎだ。
「だあああああああ!!! アンタなんかの練習に付き合ってたらあのバカ達見失っちゃったじゃない!! ケータイも通じないし!!」
「う、うるさいわねぇ!! 今それを行っても仕方ないでしょぉ!?」
二人がどこかに消えた。
それは彼女達にとって深刻な状況であり、分かりやすく言えばインデックス抜け駆け疑惑が浮上しているわけだ。
食蜂はギリギリと手袋を噛んで、
「ぐぅぅ、油断したわぁ。もしかして昨日の言葉とかも全部ウソってわけぇ? まさかこのまま駆け落ちっていう可能性も……」
「か、駆け落ちっ!?」
「世界の都合力で離れ離れにされそうな二人は、そんな運命に抗ってどこか遠くへ逃亡してしまう。映画なんかではありきたりでベタベタのパターンよぉ」
「うそ……」
美琴はまさに絶望しかない表情を浮かべた。
それはつまり上条がインデックスを選んだという事であり、自分の初恋は見事に砕け散ったという事になる。
まだ恋愛経験豊富とは言えない少女にとって、初めての失恋というものはとてつもなく大きなダメージだ。
これからどう生きていけばいいのか、もはやそのレベルまで追い詰められる。完全に不意打ちの形だったという事も大きい。
しかし、食蜂はウインクしてクスリと笑みを浮かべると、
「冗談よ冗談。インデックスさんはともかく、上条さんに関しては昨日私が心に干渉したけど、駆け落ちを企むなんていう情報は出てこなかったわぁ」
「……は?」
「大体、いくら何でも超展開すぎるでしょぉ。これだから御坂さんはお子様……いだだだだだだだだだだ!!!!!」
言葉の途中で、美琴は食蜂の頭にグリグリと両拳をめり込ませた。無表情で。
食蜂にとっては、スキー練習で散々しごかれた鬱憤を晴らそうとしただけなのだが、想像以上の仕打ちが待っていたわけだ。
美琴はひとしきり食蜂の頭をゴリゴリとして、ようやく解放する。
彼女は相当痛かったのか完全に涙目で睨んでくるが、そんなものは関係ない。むしろまだまだ気が済まないくらいだ。
そのくらい美琴は本気で落ち込んだのだ。
「くだらない事してる暇あったらさっさと探すわよ。どうせまたろくでもないトラブルに巻き込まれてるに決まってる」
「いたた……まぁ、そこは同意だけどぉ」
食蜂はそう言うと、ウェアからリモコンを取り出した。
本当にどこにでも携帯しているものだ。まぁ、これは彼女の能力にとって重要なアイテムではあるので理解はできるが。
むしろ、美琴からすればリモコンを携帯していることよりも、ここで取り出した事の方が突っ込むべき所だった。
「おいアンタまさか」
最後まで言い切る前に、ピッという電子音と共に、美琴の頭の近くでバチンッと火花が散った。
食蜂の洗脳能力を、美琴の電磁バリアが弾いたのだ。
美琴はしかめっ面で頭を押さえて、
「いったぁ……アンタねぇ……!!」
「あ、ごめんなさぁい。御坂さんが近くに居るのすっかり忘れてたわぁ」
「ウソよね!? アンタ絶対わざとでしょうが!! つかその前にむやみやたらに洗脳なんかしてんじゃないわよ!!」
そう言って美琴は周りを見渡す。
もちろん、この場には美琴と食蜂が二人きりで居るわけではない。辺りには同じような旅行客が何人も居て、それぞれスキーやスノボを楽しんでいた。
少し前まで、は。
今は全員動きを止めており、美琴達を見ている。まるで、指示を待っているかのように。端から見れば何とも不気味な光景だ。
もちろんこれは食蜂の能力によるものであり、彼らの目にはキラキラとした輝きが見える。
食蜂は全く悪びれる様子もなく微笑むと、
「今は非常事態よぉ。雪も結構降ってるし、こんな中でどこかで迷子になっていたら、二人共凍えちゃうわぁ」
「それは……そうかもしれないけど」
「ふふ、大丈夫よぉ、この人達の記憶は後で都合の良いように改ざんしておくから。バレなきゃ良いのよぉ、バレなきゃ」
「アンタ本当に手段を選ばないわね。まぁ、アイツを見つけるためってんだからそこまで強くは言わないけどさ」
「そりゃもう、私って一途だしぃ?」
食蜂は何故か得意気にそう言うと、腕を一度軽く振って合図を出す。
すると、周りに居た者達が一斉に四方八方へと散らばっていく。
美琴はその様子を腕組みしながら眺めて、
「全員で探させるの? あんまり危ない場所まで行かせるんじゃないわよ」
「流石にそこまでさせないわよぉ。それに、何人かは上級者コースの方へ送ったわぁ。たぶんあの人達も言えば手伝ってくれるんじゃないかしらぁ」
「……手伝うかな?」
「……たぶん」
そこは食蜂も自身が持てないらしい。
浜面なんかは案外人が良い方なので引き受けてはくれるだろうが、残りのレベル5は分からない。
そもそもレベル5なんていうのはそんな簡単に扱えるような人種ではなく、一癖も二癖もある……というか社会常識から危ないレベルの者が何人も居る。
ただ、美琴自身もレベル5の一人ではあるので、そのくくりであまり悪くは言いたくない所ではあるが。
まぁ、こんな事をいつまでも考えていても仕方ない。
とりあえず、美琴もそろそろ動くことにする。食蜂が操る者達よりも先に見つけられれば、それはそれで気分がいい。
***
「上条とシスターさんが消えたぁ!?」
食蜂が操る一般人から事情を聞いた浜面は目を丸くする。
近くには一方通行、垣根、麦野のレベル5三人も居るので、話は伝わっている。
その三者の反応は様々だ。
「ったく、相変わらず何かしらのトラブルに巻き込まれねェと気が済まない奴だな」
「よし一方通行、どっちが先に上条を見つけられるか勝負だ。負けた奴は土下座な」
「なンだ、土下座してェのかお前」
「あ? おいテメェ余裕ぶっこいてんのも今のうちだぞ」
「うっさいわね、あんたら。つーか、その二人でいなくなったんなら別にそこまで必死に探さなくてもいいんじゃないの。もしかしたら私達邪魔かもしれないじゃない」
麦野の言葉に、浜面はなるほどと考える。
しかし、それを聞いた操られた一般人がすぐに反応した。
「それでも本当に危ないことになってる可能性だったあるじゃなぁい! 上条さんの不幸体質の事を考えても、真剣に探すべきだわぁ!」
「それ大分私情入ってるわよね?」
「ぐっ……い、いや……そんな事は……」
目の前に居る一般人はどう見ても男……というかおっさんなのだが、食蜂が操っている為にこんな話し方になっている。
本人には心底申し訳ないとは思うが、感想としてはとてつもなく気色悪い。もし本当にこんな話し方をするおっさんが居たら、色々とこの人の人生を心配するところだろう。
すると麦野は小さく溜息をついて、
「……はぁ、分かった分かった、手伝ってやるわよ。丁度暇してたとこだし、良いゲームにはなりそうだ」
「ゲーム?」
浜面が首を傾げると、麦野はニヤリと嫌な感じの笑みを浮かべて、
「あぁ、ゲームだ。もちろんメインは負けた時の罰ゲームで……そうだな、一番最初に見つけた奴は他の三人に何でも言うことを聞かせることができる」
「くっだらねェ。そンなに言いなりになりてェか、マゾなのか?」
「よっしゃあ!! おい一方通行、俺が勝ったらテメェは全裸で旅館の中ダッシュさせてやるから覚悟しろよ!!」
「ちょっと待てえ!!! これ明らかに俺不利だよね!? 一応言っておくけど俺無能力者なんですけど!?」
「はいヨーイドン」
浜面の必死な言葉には耳も貸さず、無常にもスタートを合図する麦野。
その瞬間、一方通行も垣根も麦野もやる気満々に一斉に散っていく。
取り残される浜面。
そんな少年をあざ笑うかのように、立ち止まっていると頭や肩に雪がどんどん積もっていく。
そして。
「ふざけんなあああああああああああああああああ!!!!!」
ゲレンデには一人の男の悲鳴が響き渡っていた。
***
上条とインデックスが落ちたことを知った少女は、林のすぐ外で震えていた。
大変なことになってしまった。
すぐにでも助けに行きたかったのだが、自分では何の力にもならない。だからせめて人を呼ぼうと思っていた。
ケータイで既に両親には連絡をした。これで助けは来るはずなのだが、それでも時間がかかる可能性だってある。
今の自分には、ただ祈ることしかできない。
そんな時だった。
「おい」
「ひっ!」
「あァ、なンだその顔は。この辺りで黒いツンツン頭と銀髪の女を……って帽子かぶってるから分かンねェか……」
「あ、あの……」
「何でもねェよ」
真っ赤な目をした男はそれだけ言うと、どこかへ滑り去って行く。
その恐ろしい形相は、小学生の女の子を震え上がらせるには十分だった。
それだけに、打ち止めやフレメアがどれだけ肝が座っているのかというのが分かる。少女は知る由もないのだが。
どうやら人探しのようだったが、今の自分にはそれに協力するほどの余裕はない。
すると。
「よっ。この辺りで何かおかしな事とかなかったか?」
「えっ……」
続いて現れたのは爽やかな笑顔を浮かべたイケメンだった。
その顔は「女なんて簡単だ」と言わんばかりの余裕を持っているのが分かる。
少女は一、二歩後ずさった。
両親に言われたことがある。「感じの良さそうなイケメンには近付くな」。
その防衛本能が働いたのだ。
そんな少女にイケメンは困ったような表情で、
「あー、なんかしたか俺?」
「いえ……別に……」
「……分かった分かった、悪かったな急に話しかけて。くそっ、一方通行の奴、もう見つけてるとかねえだろうな……!!」
イケメンは何か焦っている様子でこの場を去っていく。
少女は一度息をついた。少し緊張した。イケメンは苦手だ。
まずあの余裕ぶった態度が気に入らない。こっちはイケメンというだけでドキドキするのに。
それから少しして、また人が通りかかる。
今度はイケメンではない、ただのチンピラだった。
「あっ、なぁそこの子! この辺で黒いツンツン頭のお人好しと、銀髪碧眼のシスターさん見なかったか?」
「みんな帽子かぶってるからツンツン頭とか言われても分かりませんよ」
「……それもそうだな」
小学生である自分に指摘されるのはどうなのか、と少女は少し呆れる。
だが、油断はできない。こんな茶髪で人相も悪い、明らかに不良だと思われる人には近づいてはいけないと両親にも言われている。
そんな少女の警戒心しかない目を見て、チンピラは気まずそうにする。
「えっと……いや、もしかして誤解してる? 俺ってそんな悪いやつじゃねえよ? むしろ幼女の味方ってやつだ!!」
「…………」
「はいごめんなさい、今すぐ消えますからケータイでどこかに連絡しようとするのはやめてください」
チンピラはそう言うと、慌ててどこかへ行ってしまった。
なんだか、一人になるとやけに絡まれるものだ。こうしてみると側に両親が居ることのありがたみを実感する。
両親と会ったら素直に謝れるだろうか、と少女は考える。いや、しかしこちらの言い分も少しは聞いてもらわなければ困る。
大体、親は過保護すぎるという節もある。一人娘が大切なのだという事は何となくは分かっているのだが、やられすぎても息が詰まる。
少女はそんな事を考えながら、口を尖らせる。
雪は相変わらずゆっくりと、それでいて絶え間なく降り続いている。
……少し心細いというのは気のせいだ。
そんな時。
「うーん……中々見つからないわねぇ。一体どこまで行っちゃったのかしらぁ」
おじさんだ。変なおじさんが居る。なんか妙に目がキラキラしている。
この日最大の危機を感じる。
あれは本物の不審者だ。話しかけることはもちろん、目を合わせてもいけないタイプだ。
少女は顔を引きつらせて、なんとかスキー板を履こうとする。こんな状況でも、走るより滑った方が速いという事くらいは考えられた。
おじさんがこちらを見た。
「あっ、ねぇねぇ、ちょっといいかしらぁ?」
「いやあああああああああああああ!!!!!」
もう涙目だ。
おそらく人生最大のピンチに、少女はたまらず滑り出す。
とにかく距離を取らなければいけない。捕まったらどうなるか、考えるだけでも恐ろしい。
しかし、少女は滑りだすのに夢中で、ろくに前方を見ていなかった。
ゆえに、すぐに何者かに正面からぶつかってしまう。
「きゃっ!!!」
「おっとと。ちょっと、前見てないと危ないわよ」
目の前に居たのは綺麗なお姉さんだった。
普通の人達とは違う空気を持っていて、言うなればどこかのお嬢様のような。
少女は慌てて頭を下げる。
「ご、ごめんなさい! でも、その、あの人が!!」
「あん?」
お姉さんは怪訝そうな声をあげた。最初のお嬢様みたいだというイメージが少し壊れる。
少女がお姉さんの後ろへと隠れると、先程のおじさんが近寄ってきた。恐怖で思わずお姉さんのウェアをギュッと握る。
「あ、麦野さぁん! そっちは何か手がかりとかあったぁ?」
「……あー、そういう事か」
「へっ…………きゃあ!!!」
なんとお姉さんは片腕でおじさんを掴むと、思い切り投げ飛ばした。
お嬢様みたいだというイメージに更にヒビが入る。
おじさんは雪まみれになりながらよろよろと立ち上がる。ウルウルと涙目なのがとてつもなく気持ち悪い。
「な、何するのよぉ……私の体じゃないけどビックリするじゃなぁい!!」
その言葉に対して、お姉さんは無言で親指を使って少女を指し示す。
そしてその後、人差し指でおじさんの顔を指した。
少女にはよく分からない動作だったが、おじさんには伝わったらしい。
おじさんは何か合点がいった様子で、ポンッと手を叩くと、
「……なるほど、確かにこれじゃただの不審者ねぇ。うっかり失念してたわぁ」
「うっかりで他人の人生壊しかけるっていうのも怖いものね」
何か二人で納得している様子ではあるが、少女からしてみれば全然安心できない。
するとおじさんがニコニコと笑顔を見せながら話しかけてきた。
「あー、ごほん! それじゃあ改めて質問するが、君は何かおかしな者を見たかね? 例えばトラブルに巻き込まれてそうな男女とか」
「…………」
「……あ、あれ?」
「あのさ食蜂、いきなりキャラ変えても気持ち悪いことに変わりないわよ」
そんな当たり前のことを指摘され、おじさんは悔しそうにお姉さんの方を見る。
確かに元の女言葉よりはまだおかしくはない。だからといって、先程まで話していた言葉遣いが無かったことになるわけではない。
もう既に少女の中では、このおじさんは会話をしてはいけない分類に入っており、その心のシャッターをこじ開けることは困難なものになっている。
お姉さんは虫を追い払うように、シッシッとおじさんに手を振ると、
「はいはい、じゃあ不審者はどっか行ってなさい。それで、私には教えてくれるかしら? この辺りで何かおかしなものを見なかった?」
「ま、待ちなさいよぉ! なによ自分だけまともな人みたいに装って! 騙されちゃダメよぉ、この人いつまでも人の恋人付け狙うヤンデ」
「殺す!!!!!」
凄まじい轟音と振動。
そしてその元が、お嬢様オーラを持っていたお姉さんである事を理解するのに少しかかった。
いや、もう既に少女の中でお嬢様というイメージは完全に崩れ去っていた。
恐ろしい形相で、白いビームのようなものを連発する彼女は怪物にしか思えない。
しかもそのビームというものがオモチャのレベルではなく、実際にゲレンデの雪を吹き飛ばす程の威力を持っている。
そんなこの世のものとは思えない光景に、少女は涙目で震えるしかない。
「避けんなクソがァァああああああああああああ!!!!!」
「ちょ、ストップストップ!! こんなの当たったら私じゃなくて、このおじさん死んじゃうってばぁ!!」
この大惨事をどうするか。
いや、少なくとも少女にはどうしようもない。
これは嵐のようなものだ、自然災害だ。収めようとして収まるものなどではなく、ひたすら過ぎ去るまで耐えなければいけない類のものなのだ。
そうして縮こまっている少女の前に、また一人の少女が現れた。
年はおそらく自分と一番近い、中学生くらいだろうか。よく整った顔立ちであり、どこかカッコ良さも併せ持っている感じだ。
「何やってんのよアンタ達!」
「あ、御坂さん助けてぇ!」
「邪魔すんな!! 今すぐこいつは消し飛ばす!!!」
「やめなさいっての」
イケメン少女は溜息をつくと、なんと片手でお姉さんのビームを逸らしてみせた。
これには少女も目を丸くする。自分の頭の追いつかない人物が更に増えた。
だが、こちらのイケメン少女の方がどこか安心するような感じはする。
尖っている所が少ないというか、自分のような普通の人間とも関わりあう方法を知っている。そんな気がした。
ぼーっと見ていると、イケメン少女の説得で何とかこの場はだんだん収まってきているらしい。
そしてお姉さんの方がもうビームを撃たないことを確認すると、笑顔でこちらに振り返る。
「ごめん、ビックリさせちゃった? あのさ、私達ちょっと人探ししてて、何かマズイことに巻き込まれてそうな男女二人組とか見なかったかな?」
少女は正直に首を縦に振って話し始めた。
***
ザクザクと雪を踏み固める音が辺りに連続する。
コースを外れた林の中。絶え間なく上空から降ってくる雪に視界をごまかされながらも、どんどん奥へ進む美琴、麦野、食蜂のレベル5女子陣。
食蜂は操っているおじさんの方ではなく、本人が直接来ていた。そこら辺は気持ちの問題なのだろう。
やがて、何かを見つけたらしく、三人は立ち止まった。
美琴は思い切りげっそりとした表情を浮かべて、
「……もしかしてここから落ちたんじゃないでしょうね」
目の前には見事な崖があった。
流石に下が見えないというほどではないが、落ちて登ってこられるような高さではない。
麦野は面倒くさそうに頭に手をおいて、上空を恨めしげに見る。
「この雪で、滑り落ちたっていう痕跡もすぐに消されるのがうざったいわね」
「でもぉ、あの子の言い分を聞けばここから落ちたって考えるのが一番自然じゃなぁい? 一向に出てこないのも説明つくし」
「ったく、仕方ないわね」
美琴はそう呟くと、掌を地面に向ける。
すると雪の下から次々と黒い砂鉄が吹き出て、彼女の周りに集まっていく。
「とりあえずこいつで下りてみるわ。麦野も原子崩し(メルトダウナー)使えばいけるわよね?」
「あんたに出来て私ができないわけないでしょうが」
「妙な対抗心持ってるし……じゃ、食蜂はここで待ってなさい」
「ええっ!?」
即座に食蜂は顔全体で拒否の姿勢を示した。
なんだか面倒な事になりそうだ、と美琴はうんざりして尋ねる。
「で、アンタはどうやって下りるつもりなわけ? ここは学園都市の外だし、他に能力者も居ないわよ?」
「……御坂さんなら私一人くらい下ろせるでしょぉ」
「いやよ面倒くさい」
「そんなぁ!! ほら、上条さん達の事考えても、人手は多い方がいいわよぉ!?」
「だあああ、引っ付くな鬱陶しい!!!」
食蜂は懇願して美琴にすがりつく。
てこでも動かないと言わんばかりにガッシリと。
人一人を崖下まで下ろすのも面倒だが、こうして諦め悪く粘られる方がもっと面倒かもしれない。
そんな事を思い始めた美琴は思い切り大きな溜息をつく。
何か食蜂の思惑通りに事を進められてしまったような気がして、妙に不愉快な気分だ。
「分かった分かった!! 連れてきゃいいんでしょ!!」
「さっすが御坂さぁん!!!」
そんなわけで、三人とも崖下へと下りていく。
麦野は悠々と飛び降りて、原子崩し(メルトダウナー)の噴射で落下スピードを殺して。
美琴は砂鉄をロープ状に変形させて、それを掴んで崖をトントンと蹴って下りていく。
食蜂に関しては同じ事をさせるのは運動能力的に厳しいので、そのまま砂鉄で掴んで無理矢理下ろす。能力の出力的には大きいが、仕方ない。
崖下に着いてみると、やはり落ちたような痕跡は降ってくる雪によって消されてしまっているようだった。
麦野は口元に手を持ってきて少し考え、
「崖沿いに歩いて、どこか登れるところを探した……ってとこかしら」
「そう考えるのが自然ね。けど、崖沿いって言っても二方向ある。手分けしたほうが良さそうね」
正面から崖を見て、右手に行ったのか左手に行ったのか。そういった話だ。
美琴は食蜂の方を見て、
「とりあえずアンタは私達のどっちかと一緒に居たほうがいいわね。二重遭難しそうだし」
「な、なによぉ!!」
食蜂は憤慨するが、本人も同意見なのか、ただ頬を膨らませるだけだ。
すると麦野が、
「それじゃ私が一人で行くわよ。上条達を見つけた時はお互い連絡を取るように」
「あ、うん。分かった」
「……ていうかさ」
麦野はここでじっと二人の様子を見つめる。
その視線はこちらの心の中を探っているかのようで、二人共妙に居心地悪そうに体をよじる。
「な、なによ?」
「昨日で色々動きがあったわけだけど、上条の事はどうするか決めたわけ? まぁ関係ない私に言いたくないなら別にそれでもいいけどさ」
「私はアプローチは続けていくけど、ストレートに気持ちを伝えるのはインデックスさんがイギリスへ行ってからって決めたわぁ。理由まで聞きたいかしらぁ?」
「いや、いい。何となく分かるし。それで、御坂は?」
「……まだ考え中よ」
「そう」
麦野はただ一言そう言うと、さっさと右手の方へと歩き出してしまう。
そして、振り返らずにまた一言。
「例えどんな選択をしようが勝手だけど、“選ばない”っていう選択はやめときなさい」
彼女の言葉はいちいち嫌に重い。美琴はその後ろ姿を見つめながら、そんな事を思った。
だが、いつまでも立ち止まって考え込んでいる暇はない。
今この瞬間にも雪は降り続いており、これ以上視界が悪くなる前に見つけたいところだ。
美琴はさっさと左手の方へと歩き出す。
「行くわよ。さっさと二人を見つけないと」
「分かったわぁ。あと御坂さんは歩きながら色々考えたい事もあるだろうし、話しかけないでいてあげる☆」
それは嫌味ったらしく聞こえても、自分の事を考えてのことだという事くらいは、美琴自身にも何となく分かった。
***
上条とインデックスは二人で色々な事を話す。
それは上条の学校の話だったり、インデックスの必要悪の教会(ネセサリウス)での仕事の話だったり。
他にも以前あった事の思い出、例えば一緒に海に行ったことや大覇星祭後の打ち上げの話などなど。
二人の間にはいくらでも話すことがあり、思い出話ではその当時の光景が鮮明に思い出された。
二人共、遭難しているとは思えないほどの笑顔を浮かべていた。
「……あはは、なんだか話したいことが次々と出てくるんだよ」
「あぁ、俺もだ。よし、それじゃあ次は青髪ピアスが風紀委員(ジャッジメント)に捕まった話をしてやる」
「もうその時点で面白いかも。じゃあその次はかおりが学園都市の高性能洗濯機に恋してる話ね」
「おい待て、その話気になりすぎて先に聞きたいんですが」
「だーめ。まずはとうまからだよ」
そんなやり取りもあって、二人の話は続く。
こんな事は別にそこまで珍しいことでもなかったはずだ。
まだ二人が同じ部屋で過ごしていた頃、そういった時間がいつまでも続くものだと心のどこかで信じていた頃。
やはり二人は部屋で同じような事を度々話していたはずだった。その時も楽しく話していたとは思うが、ここまでではなかった気がする。
こういった何気ない会話が実はとても大切なものだと知った事が大きいのだろうか。
人間、お互い会えなくなってからもっと話しておけば良かったなどと後悔する。そんなものなのだろうか。
上条は頭を振る。また嫌なことを考えてしまった。
別に彼女がイギリスへ行ってしまったらもう二度と会えなくなるわけではない。
そんな事分かっているはずなのに、何故こんなにも自分に言い聞かせるようにしなければいけないのか。
二人の間に僅かに沈黙が広がる。
話のネタが尽きたわけではない。
その気になれば夜になるまで話し続けられるくらいのストックはある。
おそらくこれは二人が同時に何かを考え込んだ、そういう事なのだろう。
上条と同じようにインデックスも何か思うことはある。
その内容までは分からない。上条は精神系の能力を持っているわけではない。
だが、それが自分の事ならいいな、と漠然と思ってしまう。
「……ねぇとうま」
「ん?」
「あの子は両親と仲直りできたのかな?」
「あの子……ってスキーのストック探してた子か?」
「うん。自分から両親の側を離れてあんな事になっちゃったって言ってたから」
「はは、まぁ俺達も人の心配してられる状況でもないんだけどな」
「そうでもないよ。私はとうまが居てくれれば全然不安じゃないんだよ。でも、あの子は私達が居なくなって一人になっちゃったと思うから……」
インデックスの表情を見る限り、本気で自分よりあの少女の事を心配している様子だ。
それだけ上条を頼りにしてくれているというのは喜ぶべき所なのだろうが、流石に危機感が無さすぎるんじゃないかとも思う。
まぁ、上条自身もインデックスが側にいて安心している節もあるので、そこまで言えたものではないのだが。
上条は洞窟の外をぼんやりと眺める。
雪の勢いは収まっておらず、依然としてかなりの量が降っている。
「……まぁ、きっと大丈夫なんじゃねえか、あの子も」
「何だか投げやりじゃない?」
「いや、ケンカしても何だかんだお互いの事を想ってる。たぶん家族っていうのはそういうものだと思うからさ。
きっとあの子の両親も必死に探してるだろうし、あの子自身も両親と会おうとしてる。ずっと一人なんていう事はねえよ」
「そういうもの……なのかな? 私には家族が居ないからよく分からないかも」
「俺達だって家族みてえなもんじゃねえか? 少なくとも、俺はそう思ってるぞ」
「……そうだね。確かに私ととうまの関係が家族って言われると、何だかしっくりくる気がする」
家族というものは、例えどんな事があっても相手の味方でいようとする者で、常に互いのことを想っている。
そんなものはただの幻想で、実際には本当に仲の悪い家族もいるのだろう。
だが、上条はそんな者達はまず本当に家族と呼べるのだろうか、という疑問がある。
血の繋がりだけが重要なわけじゃない。
お互いがお互いを本当の意味で想えなくなった時、初めて家族でないと言えるのではないか。
逆に例え血の繋がりがなくても、そうやってお互い想い合う事ができれば誰とでも家族になれるのではないか。
もちろん、常にすれ違いや争いが無いなんていうのは少ないだろう。
家族だったとしてもケンカはする。気を使わない相手という事もあって、むしろ他の者達よりも頻度は多いかもしれない。
それでも、相手の事を心の底から嫌いにはなれない。見捨てることなんてできない。だから溝ができても、それは必ずいつか埋まる。
そういうのが家族なんだと、上条は思う。
「とうま」
「どうした?」
「手、握っていいかな?」
「……ほほう、心細くなってきましたかインデックスさん。まぁこの上条さんが居れば安心ですよ」
「うん……だから、もっととうまに触れていたいなって」
「…………えーと、あの、今のはムキになって怒って俺の頭に噛み付く場面では?」
「とうまは噛み付かれたいの?」
「いやそうじゃないけど……」
「そっか、てっきりとうまがそういう性癖を持っているのかと思っちゃったんだよ。……それで、手は握ってもいいのかな?」
「お、おう、いいけど」
許可が下りると、彼女は自分の手袋を外して、その後上条のものも外す。そして嬉しそうに上条の右手を握る。
それもただ握るだけではなく、指と指を絡める、いわゆる恋人繋ぎというものだ。
彼女の知識の中にそういったものがあるかどうか分からないが、少なくとも上条の心臓を数段跳ね上げるには十分だった。
「イ、インデックス?」
「うん?」
「あ、いや、ただ握るだけじゃないんだなーってさ……」
「こっちの方がとうまを感じられるんだよ」
「…………」
彼女の純粋な笑顔に、どこかエロい妄想をしてしまった自分を唐突に殴り飛ばしたくなってくる上条。
そして、どうして彼女はこんなに落ち着いていられるのだろうか。
上条の方はというと、インデックスの柔らかい手の感触に心臓は早鳴り、頭はフワフワと考えがまとまらない。
それでも、心のどこかでこの状況を喜んでいる自分が居るというのも不思議なものだと思った。
コトン、と今度はインデックスの頭が上条の肩に乗せられた。
思わずビクッと体を震わせてそちらを見ると、彼女は気持ちよさげに目を閉じていた。
「ふふ、こんな状況なのに、こうしているととっても幸せかも」
「……あぁ」
インデックスの一言一言が胸の奥に染み渡っていくようだった。
こうしていると時間がゆっくりと進んでいくような感じがして、周りの音も聞こえなくなっていく。
ここは紛れもなく二人だけの空間だけであり、まるで上条の部屋のように居心地がいい。
たぶん、場所なんかは関係ないのだろう。
側に彼女が居る。ただそれだけで、上条にとってはどんな場所でも幸せに感じる事ができる。
それならば、いっそ――――。
「…………」
「……とうま? どうしたの、何だかとても」
「あっ、居た居た!! アンタ達ホントいつもトラブルに巻き込まれて…………って何やってんのよ!?」
なんと、唐突に御坂美琴が洞窟に入ってきた。
上条もインデックスも、急な彼女の登場に目を見開いて驚く。
ゆえに手を握り合って体を寄せ合っているという状態のまま、動こうともしない。
そんな端から見ればラブラブな二人の様子に、美琴はワナワナと震えて口をパクパクとさせる。
そしてすぐにまた一人、洞窟の中へ入ってくる。
急いで走ってきたのか、ゼイゼイと肩で息をしていてやたら苦しそうだ。
「ちょ、ちょっとぉ、いくら何でも洞窟見つけた瞬間置いて行くなんて酷い……って上条さん!? えっ、な、何よそのイチャイチャっぷりはぁ!!」
「非常事態だから仕方ないかも」
インデックスはそう言うと、二人にだけ得意気なウインクを送る。
それに対しては、美琴も食蜂もただぐぬぬと唸ることしかできない。顔全体に羨ましさが滲み出ている。
しかし、一方で上条は心ここにあらずといった様子でぼーっとしていた。
「ちょっとアンタ? 何ぼけっとしてんのよ、落ちた時に頭でも打った?」
「大変! それなら私が撫でて……」
「いいから、アンタはそういうのいいから!!」
と、美琴は食蜂を羽交い絞めにする。
この二人、見ればすぐこんな有様になっているような気がするが、やはり意外と相性は良いのかもしれない。
そしてインデックスもまた心配そうな表情で上条を見て、
「とうま? 大丈夫?」
「……あぁ、悪い。ちょっとぼーっとしてただけだ」
「はぁ、この状況でその気の抜け様はある意味感心するわね」
美琴のそんな言葉に苦笑いを浮かべながら、上条は皆と一緒に洞窟を出る。
上条もインデックスも外の雪に備えて、ちゃんと再び帽子を被って手袋をはめている。
外に出た瞬間、冷たい雪が全身に降り注いでくるのを感じる。
こうしてみると、あの洞窟を見つけた幸運を実感することができた。
……上条の頭の中のモヤモヤは晴れない。
いや、それどころか、そのモヤは頭から体全体に広がっていき、全てを曇らせているかのように思えた。
周りで彼女達が色々と話しているのは分かるが、内容はろくに入ってこないので空返事しかできない。
こうして無事に見つけてもらったのは喜ぶべきことだ。
美琴や食蜂には感謝しなければいけないし、インデックスの事を思っても割と早い内に何とかなって安心する所だ。
しかし、それでも。
あの一瞬、自分は何を考えたのか。
目を逸らすことはできない。思い出そうとすればハッキリと浮かんでくる。
そして、それはあまりにも――――。
***
あの後、崖から引き上げられた上条とインデックスは、駆けつけた例の少女とその両親に何度も謝られた。
上条達は「謝る必要なんてない」という事と、「仲直りできたようで良かった」と伝えると、少女は眩しい笑顔を見せてくれた。
側に居る両親もバツの悪そうに苦笑いを浮かべており、そんな光景は見ているだけで胸が暖かくなった。
上条とインデックスは、自分達の事を探してくれた者達に礼を言うが、返ってきた言葉は気にしなくていいという事だった。
ただし、一方通行、垣根、浜面の三人は酷く顔色を悪くしており、何でも麦野と誰が一番早く上条を見つけられるか勝負していて見事に負けてしまったらしい。
確かに、上条達を見つけた美琴と食蜂はすぐに麦野と合流したので、その四人の中で一番早く見つけたのは麦野ということになる。
それから一、二時間程滑ったらすぐに夕暮れだ。
結局、インデックスは上条の腕を超すことはできず、食蜂もあまり上達しなかったが、それでも何だかんだ夢中になっていたので良かったのではないかとも思った。
夜になって宿に戻った一行は、温泉に入って夕食も済ませて、後は寝るだけになる。
だが、もちろんこのまま静かに夜が更けていく事などない。
麦野なんかはどんな罰ゲームを考えているのか、凄まじく上機嫌であり、それを見た一方通行達は本気で絶望しているように見えた。
そんな中で、インデックスだけは眠気が襲ってきたのか、目をこすって部屋に戻ってしまう。まぁ、今日も早起きして昼間はトラブルにも見舞われたので無理もない。
しかし、同じく今日は早く目が覚めてしまった上条は、とても眠る気にはなれなかった。
今は一人で二階のロビーにあるソファーに座って、ぼんやりと窓の外を眺めている。雪は若干勢いを減らしたが、それでもまだまだ降り続いている。
モヤが一向に晴れない。
こういうのは時間と共に薄くなっていくものだと思っていたのだが、むしろ酷くなるくらいだ。
あの時の自分の事を思い出すほど、心の中のモヤは質量を持ってまるで蛇のように締め付けてくる。
考えないようにするという事もできない。実際はそう思っている時点でその事について考えているわけで、様々な思考の隙間隙間に入り込んでくる。
逃げることはできない。向き合わなければいけない。
あの時上条が思ったことは、とても無視出来るようなものではなかった。
話を聞いた限りでは、インデックスが眠そうにしていたので、他の女子達は男部屋に来て騒ぐ予定らしい。
麦野の男達に対する罰ゲームもあるので、それはそれは面白いことになりそうだ。受ける本人達からすれば恐怖しかないだろうが。
とはいえ、今の上条はとてもそこに混ざろうとは思えなかった。こんな他のことばかり考えてぼーっとしている人間が行っても、空気を悪くするだけだろう。
上条はすくっと立ち上がる。視線の先には景色を眺めるためのバルコニーがあり、ガラス戸を開いて外に出る。
浴衣の上に茶羽織だけという格好なので、とてつもなく寒く、体の芯から凍えるようだ。それに上空から降ってくる雪が頭や肩に着いていく。
そのままバルコニーの一番外側まで行き手すりに両肘を乗せると、目の前に広がるのはポツポツと見える民家の光と、ぼんやりと輪郭だけ見える山々。
こうして遠くから見る光は、どこか宝石のようにも思えた。一つ一つがぼんやりと光っており、ゆっくりと落ちてくる雪に反射して幻想的な光景にしている。
だが、上条はそんな光景をろくに見ていなかった。目は確かにそちらを向いているのだが、それを頭で処理しようとしていない。
しばらくじっとしていると、頭や肩に雪が積もっていくのが分かる。
それでも、上条はそれを払ったりはしない。僅かにでも動く気にもなれなかった。
今はそんな事よりも、集中して考えなければいけない事があった。
舞い落ちる雪。時折刺すような冷風が吹く、二月の夜の雪空の下。
上条は、動かない。
***
「ごめんね気を使わせちゃって」
「いいっていいって、ゆっくり寝なさいよ。……よし、それじゃあ行こうかしら男部屋」
女部屋ではインデックスが布団に入って眠そうにしている。
そして、それとは対照的にやけにハイテンションなのは麦野だ。
それも無理は無い。これから罰ゲームで男三人に対して彼女の言うことを何でも聞かせることができるのだ。
Sっ気たっぷりの彼女にとっては楽しくないはずがない。
彼女の両手には大量の酒瓶が握られている。
昨日と同じように酒も入れて思い切り騒ぐつもりなのだろう。しかしこのテンションでは何かの拍子で浴衣がはだけないか心配な面もある。
流れで美琴と食蜂も一緒に行くという事になっており、食蜂の方も麦野と同じくノリノリだ。
彼女に関しては初めからゲームを受けていないので罰ゲームを与える資格はないのだが、それでもただ見ているだけでも面白いのだろう。
他人の不幸は蜜の味というやつだ。
一方で、美琴は口数少なく思考にふけっていた。
(……あの馬鹿)
宿に戻ってから、いやそれよりも前、インデックスと一緒に助け出されてから。
上条のその表情にはどこか影が下りていて、何かに悩んでいるという事くらいはすぐに分かった。
もちろん宿に戻って少し落ち着いてから、何かあったのかとは尋ねた。しかし、上条はハッキリとは答えてくれなかった。
『俺、もう自分が分かんねえよ……。何であんな事思っちまったんだ。そんなのアイツが望んでるわけねえのに、俺は……』
その言葉からは多くのことは分からない。しかし、重要な事は分かる。
それは上条が今インデックスの事について悩んでいる事、そしてそれは上条自身の認識に関係する事。
そこまで考えて、美琴の中では上条を助けるための一つの方法が浮かび上がってくる。
いや、実際それはもっと前から心の中にはあった。だが選び取ることができずに押し込んでいたものだ。
その方法をとれば上条の助けにはなるかもしれない。
しかし、その選択は美琴にとっても大きな意味を持つ事になる。
「まーた上条の事で頭いっぱいだよこいつは」
「……へっ!? な、ちょ、いきなり何言ってんのよ!」
「けど図星でしょ?」
「そ、それは……」
「御坂さんは心読めないけど、こういう所は分かりやすいのよねぇ。女の子はそれじゃ不利だゾ☆」
「少なくともアンタみたいにはなりたくないわ」
どうやら美琴の様子に対して、どこかおかしいと思われていたらしい。
そして、同じように上条の様子にも気付いていたらしく、
「そういや、上条もなんかおかしかったわね。ずっと心ここにあらずって感じで」
「そうそう。私も聞いてみたんだけど、『少し自分で考えさせてくれ』って言われちゃったのよねぇ」
「…………」
「ははーん、それで御坂は『私が何とかしてあげないとっ』とか思ってるわけね」
「なっ、いや、その……」
間違ってはいないので正面から反論はできない。
だが、それはもはや上条の問題と言うよりも自分の問題になっていた。
方法はある。彼が悩んでいるのであれば、ハッキリさせる可能性があるものが一つ。
ただ、それを選択する一歩が、美琴には中々踏み出せない。
すると食蜂はスッと立ち上がって扉の近くまで行く。
「とにかく、もう行きましょぉ? 上条さんの事は心配だけど、何でもかんでも干渉する事もないと思うわぁ」
「……まぁ私は元々上条に何かするつもりはないけどさ。御坂、あんたはいいわけ?」
「考え中。いいわ、とりあえず行くわよ」
三人は女部屋から廊下に出る。
今は学園都市からの生徒受け入れで貸切状態なので、廊下に人通りはない。
そのまま適当な事を話しながら、男部屋へと歩いて行く。
ふと窓から外を見ると、まだ雪が降り続いてるのが分かる。
そんな夜の闇に映る白い結晶を眺めながら、美琴の頭の中では答えがあるのかどうかも分からない問題を考え続けていた。
食蜂はスタンスを崩す事はないようだ。
彼女も上条の事を想っている。だからこそ、何もしない。
そうやって一貫している態度は、むしろ感心するくらいだ。
美琴も選ばなければいけない。
考えて考えて考えて、今自分がどうしたいのか。
それを、見つけなければいけない。
「……ねぇ、麦野」
「ん?」
「アンタはさ、浜面の事が好きだったのよね。それなのにどうして何もしないの?」
「…………」
「ちょ、ちょっと御坂さぁん?」
麦野は立ち止まり、それを見た食蜂は慌て出す。
それもそうだ、こんな事をハッキリ言えば大惨事にもなりかねない。
それでも、美琴は麦野から目を逸らさない。しっかりとその目を真正面から見つめている。
麦野は小さく笑った。
「あんたもあんたで大変みたいね」
「そうでもないわよ。まぁ、ちょっと考えてることはあるけどさ」
「だから上条関係だろ?」
「ぐっ、そ、そうよ!」
「ははっ、相変わらずからかいがいがある奴ね」
麦野は本当に面白そうに笑う。
そして、静かに、それでいてよく通るハッキリとした声で話し始めた。
「私がそうしたかったからよ。私は浜面が好きだ、アイテムが好きだ。それに、浜面は滝壺が好きだし、アイテムが好きだ。
その中で、私が一番良いと思う選択をした。それは他の奴等から見れば間違ってるのかもしれない、逃げと言われるのかもしれない。それでも、私はこれで良かったと思ってる」
「……本当に?」
「本当よ。何度だって胸張って言ってやるわ」
麦野の目は決してブレない。意思がしっかりとしていて、気を抜けば押されてしまいそうな瞳。
美琴はその目を見て、話を聞いて、意味を決意を頭の中で読みほどく。
細かく砕いて、自分の中に取り込み、吸収する。
少しでも、前に進むために。
そんな美琴を、麦野はどこか暖かい表情で見ていた。
おそらく本人は否定するだろうが、その様子はまるで先生か何かのようでもあった。
一方で食蜂は何か言いたそうな顔で口を開きかける。
だが、喉に何かつっかえたかのように止まってしまった。
そんな彼女に、美琴は眉をひそめて、
「なによ?」
「あー、えっと……なんでもないわぁ」
食蜂がそう言ってしまったので、美琴はそれ以上追求はしない。
気になることは気になるが、どうせ聞いた所でまともに答えると思えなかったからだ。
そんな事を話している内に、三人は男部屋まで着く。
麦野がノックもなしにいきなり開けると、中では浴衣姿の一方通行、浜面、垣根の三人が一斉にこちらを向いていた。
どうやら、いつ麦野が来るかと戦々恐々としていたらしい。
上条は、居ない。
「よぉ、罰ゲームの時間よ」
「……む、麦野さん。確かに俺達は負けた。けどさ、流石に命に関わるような命令はなし……だよな?」
ビクビクと尋ねるのは浜面だ。
それに対し、麦野はニッコリと笑顔を作ると、
「大丈夫大丈夫、死にはしない…………いや運が悪けりゃ死ぬか」
「おいいぃぃぃぃ!?」
「と、とりあえず何やらせるつもりか言ってみろよ……」
垣根までもが若干腰が引けた様子だ。
この瞬間、第四位が第二位に勝つという下克上が完全に成立したかのようにも思える。
麦野はそれを聞いて、両手に持っていた酒瓶を畳の上に叩きつけた。
「付き合え」
「はぁ!? いや待て確かにお前は顔は悪くねえが、性格が最悪すぎぶごぁぁああああ!!!!!」
言葉の途中で殴り飛ばされる垣根。
そのままヒューと飛んでいき、一方通行の近くまで転がっていった。
一方通行の方はというと、少しでも麦野と視線を合わせないように目をあらぬ方向へと向けている。
麦野はポキポキと拳を鳴らして、
「なーに愉快な妄想ぶちかましてんだテメェ。私は酒に付き合えって言ってんだよ」
「えっ、酒?」
麦野の言葉に意外そうな反応をしたのは浜面だ。
それもそうだろう。罰ゲームで酒に付き合えというのは、彼女にしては優しすぎるものだ。
おそらく浜面の頭の中ではとても想像すらしたくないような事が色々と巡っていたはずである。
だが、それだけに何か裏がある可能性が考えられる。
ここにきて、一方通行が苦々しげな表情で口を開いた。
「……本当に酒に付き合うだけなンだろうな?」
「えぇ、もちろん。あ、でも言っておくけど能力は禁止よ。それだけ」
やはり、聞くだけでは本当に一緒に酒を飲めばいいだけのように思える。
能力禁止というのもそこまで重い条件というわけではない。
しかし、こんな優しい罰ゲームは彼女の性格上考えにくい。だからこそ、浜面と一方通行はその言葉を聞いても、より一層嫌な表情になっていく。
ところが垣根の方はそれですっかり調子に乗った様子でニヤニヤと、
「なんだなんだ、そういう事ならお安いご用だぜ! けど意外だな、お前がただ酒に付き合えってだけなんて。浜面にフラれでもしたか?」
その瞬間、空気が凍った。
麦野は無表情、そして浜面は顔を蒼白にして口を小さく開けたまま動かない。
美琴と食蜂も何となく気付いた。一方通行ですら、激しく顔をしかめる。
そして流石に垣根も空気が読めてきたらしく、
「……え、もしかしてマジでごぶはぁぁああああああああああ!!!!!」
麦野が垣根の元へすっ飛んで行き、勢い良く蹴り倒した。
それから彼女は持ってきた酒瓶の一つを開けると、彼の口の中に突っ込んでしまった。
非常に危険ですので真似しないでください。
「ごぼっ、ぶごごごごごごごごごごごぼぼぼぅ!!!!!」
「あぁそうだよ文句あっかメルヘンヤロウがァァ!!!!!」
ドボドボと大量に垣根の口へと流れこんでいく酒。飲みきれなかった分は口の端からどんどん溢れていく。
取り繕っていた態度はどこへやら、もう完全にヤケクソ気味な麦野と、白目をむいている垣根。
そんな目を覆いたくなるような凄惨な光景の前で、美琴、食蜂、一方通行の三人は一斉に浜面の方を見る。
三者の表情は明らかに「責任取れよ」的な無言の圧力が込められていた。
当の浜面の方は気まずそうに目をそらす。
しかし、いつまでもそれでは受け流せないと分かったのか、少しして遠慮気味に麦野に話しかけた。
「えっと、そ、そういうのって俺も付き合った方がいいのか……なんて……」
「当たり前だろうがァァ!!!」
ターゲットが変わった。
酒瓶をまるで生花か何かのように垣根の口に差し込んだまま、新たな酒瓶を持ってユラリと今度は浜面の方へと近付く。
浜面はもう蛇に睨まれた蛙の状態だ。
「テメェが元凶なんだからよぉ……もちろん最後まで付き合ってもらうわよ……?」
「ひぃぃぃぃ!!!」
「おい後そこの白モヤシィィ!!! 何我関せず状態決め込んでんだオラァァ!!! さっさとこっち来い!!!!!」
「……ちっ、上等だ。能力なンざなくてもオマエなンかに飲み負けたりはしねェよ」
「ははっ、言ったな!! よっし、じゃあいきなりこの一番キッツイやついくぞ!!!!!」
「ぐっ……!!!」
何故だろうか、こうして見ていると麦野が飲み負けるイメージが全く浮かんでこない。
そしてそれは隣の食蜂も同じだったようで、ワクワクと楽しげに男達の方を見ている。
「ふふ、何だか愉快力の高そうな事になりそうねぇ? 私もちょっと飲もうかしらぁ」
「学校にバレたら大目玉よそれ」
「御坂さんがそれ言うー? ははーん、やっぱりお子様だからお酒なんて飲めないのねぇ」
「そんなやっすい挑発には乗らないっての」
「ぶー、つまんなぁい」
そう言って口を尖らせる食蜂。しかし、その目は注意深く美琴を観察しているのは分かった。
食蜂が何を思っているのか、そんなものは美琴には分からない。
こうして楽しんでいるように見せて、頭の中では様々な策略を巡らせているのかもしれない。
だが、そんなものは美琴にとっては興味が無い。
何か邪魔してくるようであれば、その時は正面から受けて立つ。ただそれだけだ。
先程からずっと考えていた。
今までの上条との思い出、周りの人間からの言葉、自分の気持ち。
それらを頭の中で一つ一つ丁寧に向き合い、選択の材料にする。
それは思わず頬が緩むほど楽しかったり嬉しかった事であったり、暗い顔で俯いてしまうほど気分が沈むような事だったり。
ただ、こうしてみると、様々な事を確認する事もできた。
例えば自分がどれだけ上条の事を想っているのかという事。
目を閉じれば彼の色々な表情を浮かべることができる。それは楽しげな笑顔だったり、呆れたような顔だったり、真剣な顔だったり。
そんな表情に連なるように、上条との思い出がいくつも浮かんでくる。全てが楽しい思い出というわけではないが、大切なものである事に変わりはない。
周りの人達にも助けられた。
白井はやたらと上条を敵視していたかもしれない。しかし、心の何処かではある程度認めてくれている事も何となく分かっていた。
それに初春や佐天も相談に乗ってくれた。特に佐天なんかは嬉々として聞いていて、どう見ても楽しんでいたが、それでもいつも美琴の事を考えていてくれた。
加えて、食蜂と麦野も。食蜂なんかは美琴に協力する気などはこれっぽっちも無かったはずだが、それでも彼女の事を見ているだけで参考になることは多々あった。
麦野なんかはぶっきらぼうでいて、そのくせ美琴の事はある程度気にかけてくれていたように思えた。おそらく本人は否定するだろうが。
彼女の言葉や姿勢は美琴にとって感心するような事ばかりで、勝手に先生のようなイメージを持っていたのかもしれない。
考えることはたくさんあった。悩むことはそれ以上にあった。
そして、決めた。
美琴の中では一つの答えが、彼女だけの選択が、ハッキリと生まれていた。
「麦野」
「ん?」
麦野は酒を片手に振り返った。
その前では既に一方通行がクラクラきている様子で、浜面もげっそりとしている。
美琴は、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
「私、ちょっと行ってくるわ」
「……くくっ、景気付けに一杯飲んでく?」
「はは、お酒の力なんていらないわよ」
「ふん、言うじゃないの。まぁ、もしもの時のために酒は残しておいてあげるわ」
「不吉なこと言ってんじゃないわよ、まったく」
美琴は若干呆れて溜息をついた。だが、これが彼女なりの送り方というのは分かる。
麦野はやたら満足気にダランと片腕を上げて横に振る。
男達はどうしたのかとぼんやりとこちらを見るには見ているのだが、頭のアルコールのせいでそれ以上考えることはできないらしい。
美琴はしっかりとドアノブを握りしめ、外へ踏み出した。
まるで、RPGのボスの元へと向かう主人公のように。
***
視線は真っ直ぐ前へ。足は一定の速度でしっかり踏みしめて。
一歩一歩進む度に、美琴の中の意志はどんどん強くなっていくような気さえした。
頭の中は上条のことで一杯だ。おそらく新学期の頃の自分はここまで誰かに恋する事になるとは夢にも思わなかっただろう。
もちろん、興味がなかったわけではない。美琴も中学生らしく、恋に恋する時もあった。例えば仲の良いカップルを見かけた時や、恋愛物の映画を観た時などだ。
それでも、美琴にとってそれはどこか現実味のないもので、本当に自分はこの先そういったものに出会えるのかという疑問もあった。
いつからだったろうか、その姿を常に探し始めたのは。
いつからだったろうか、会う度に心が安心してどこか舞い上がったりするようになったのは。
それは時には痛みも伴うものだったが、そんなものは気にならないくらい遥かに多くの幸せを実感することができた。
毎日の景色も明るく見え、遊びも、はたまた授業でさえいつもより楽しく感じることができた。
寝る前には自分の理想を頭に思い描き、それだけで自然と頬が緩み胸が満たされて。
朝起きた時には今日は会えるかな、などと希望に胸を膨らませ。
放課後に彼を見つけることができた時には、決して表には出さなくても、それはそれは飛び上がらんばかりに喜んだ。
上条からは大切なものをいくつももらった。
それこそ、どうやって返せばいいのか分からない程のものを、たくさん。
おそらく彼は返す必要なんかないと言うのだろう。
自分の好きにやったのだから、それに対して見返りを求めているわけじゃない、と。
当然、そんな事は受け入れられない。美琴自身の気が済まない。
だから、美琴は上条を助けようと思った。
いつ、どんな時でも。彼が助けを求めてくれた時はもちろん、そうでなくても苦しそうな時はいつでも。
上条は常に誰かのために動き、ただ自分がやりたいようにやっているだけだと言って誰彼構わず救い上げてしまう。
だから、美琴も自分のやりたいようにした。文句は言わせなかった。逆に感謝された時は、頭が真っ白になる程嬉しかった。
どんなに危険な状況であっても、最後に上条が満足気に笑ってくれればそれだけで美琴は満足だった。
美琴は、数え切れないほどの幸せをくれた上条が不幸になるなんて許せなかった。
だが、それで自分の幸せを疎かにしても、上条はいい気がしないというのは分かっていた。
だから、自分も上条も幸せになる。そんな未来を思い描いて進んできた。
今も何も変わっていない。
これから少し後、美琴はその思い描いた未来を試すことになる。
もしかしたらその未来は現実へと近付くかもしれないし、崩れてしまうかもしれない。
でも、例えそれが崩れたとしても。思い描いていたものと違っていても。
美琴は決して後悔などはしない。
それはきっと上条にとって一番の幸せなのだろうし、それならば美琴にとっても幸せだ。
それでも、きっと彼は美琴の事を気にかけるのだろう。そして彼は自問自答する。本当にこれで良かったのかと。
そんな時は胸を張って堂々と、相手が驚くくらいの勢いで言ってやる事にする。
私は幸せだ、と。
「御坂さん」
静かな声が背中を追ってきた。
不本意ながら、聞いただけで誰のものか分かるその声、しかしそれはあくまで表面的な声の質の話だ。
美琴は、彼女のこんな声を一度も聞いたことがなかった。本人は分かっているのかどうかは知らないが、それはまるで。
友達を気遣うような、柔らかな調子だった。
振り返ると、やはりそこに居たのは食蜂操祈だ。
浴衣が若干ずれていて、頬が上気している所を見ると、慌てて追いかけてきたのかもしれない。
それからとにかく息だけは整えて話しかけたのだろう。
美琴は小さく笑って、
「なによ、見送りに来てくれたわけ?」
「……どこへ行く気?」
「アイツのとこ」
「何をしに?」
「アンタの想像通りで合ってると思うわ」
この会話にはほとんど意味がないのかもしれない。
ただの形式的なやりとり。それこそ手紙の最初に書かれるような季節の挨拶のように。
当然、そんな事をするだけの為に彼女は追いかけてきたわけではないはずだ。
「あなたって、そういう所上条さんに似てるわぁ。そうやって自分のことなんかお構いなしに誰かの為に動く所」
「褒められてんのかしら?」
「褒めてるわけないじゃない。なによ、人には自分を犠牲にするなって態度のくせに、自分はいいの?」
「私は別に犠牲になるつもりなんかないわよ。それにこれはインデックスの為じゃない。私とアイツの為よ」
「……ウソよ。これはあなたが一番望む選択なんかじゃないでしょ」
本人は気付いているのだろうか。
食蜂の表情は美琴を糾弾するようなものではない。むしろ、こちらを心配しているようにも思えるものだ。
おそらく指摘した所で彼女は絶対に認めないだろう。どうして恋敵にそんな気持ちを向けなければいけないのか、と。
美琴はゆっくりと目を閉じた。
言うことは決まっている。それは決してブレることはない。
「これが私が一番望む選択よ」
「ウソよ」
「本当よ」
「何でそんなウソつくのよ!!!」
食蜂の叫び声が廊下に響いた。
彼女は息を荒立て、肩で息をしてこちらを睨む。
しかし、その表情は今にも泣きだしそうなものだった。
美琴は何も言わない。
ただ、彼女の視線を正面から受け止めるだけ。
それだけで、十分だと思った。
そのままどのくらい経っただろうか。
時間の感覚はあやふやになっており、もしかしたら思っているよりもずっと長い時間、こうして視線をぶつけ合っていたのかもしれない。
膠着状態を崩したのは食蜂の方だった。
「……理解できない。そんなの、私には絶対に」
「理解してもらおうとは思ってないわ。ただ、私はアンタのその選択も理解はしてるけどね」
彼女の選択を否定する気などない。
彼女は彼女で、上条と一緒に居たい、その一心で選んだ道だ。
その気持ちは痛いほど理解できる。美琴もまた、彼女と同じで上条の事を想っている少女だ。
そして、食蜂操祈は浴衣の袖口からリモコンを取り出す。
「悪いけど、あなたのその選択は私にとっても不都合なのよ。だから、ここで止めさせてもらうわ」
「へぇ、いいわよ。私もそっちの方が分かりやすいし」
静寂。
まるで西部劇のように、二人の間には緊張の間が広がる。
少しでも何かに気を取られた瞬間、勝負は決する。そんな空気が旅館の廊下に立ち込める。
美琴も食蜂も、互いのまばたき一つ見逃さないくらいに集中して相手を見る。
瞬間、食蜂はリモコンを真っ直ぐ美琴に突き付けると、ボタンを押し込んだ。
瞬間、美琴は前髪の先から青白く光る電撃を放った。
ピッという電子音と、バチンッというスパーク音が鳴ったのはほぼ同時だった。
「つぅ……」
美琴は頭を押さえて顔をしかめる。
何度か味わった、食蜂の洗脳を電磁バリアで弾いた時に響く痛みだ。
それは鈍く頭の奥まで刺激し、少しの間美琴の動きを鈍らせることができる。
だが、その間に食蜂が追撃を加える事はない。
彼女が持っていたリモコンは、美琴の電撃により彼女の手から弾き飛ばされており、拾った所で使い物にならないだろうからだ。
予備のリモコンも持ってきていないらしい食蜂は、静かに目を閉じて両手を上げる。
「流石御坂さんね。私の負けよ」
「何が負けよ。初めから勝つつもりなんかなかったくせに」
「…………」
美琴の言葉に、食蜂はゆっくりと目を開いて、ただ床を見る。
待っていても彼女は何も言わないだろうと判断した美琴は、そのまま言葉を続けた。
「大体、アンタ言ってたじゃない。シングルスじゃ敵わないって。こんな真正面から勝負挑んでる時点で勝つ気があるとは思えないわ」
「そう……かしらね」
「えぇ。それに本気で私を止めたいなら、それこそ大勢の人間を操って全力で止めるでしょ。私の性格も考えて。
どれもこれもアンタの戦術じゃない。こう見えてもアンタの力はある程度は認めてやってんのよ。本気を出されたらそう簡単には勝てないってのも分かってる」
「……ふふ、それはどうも。じゃあ、何でそれをしなかったと思う?」
彼女の問いには、美琴はすぐに答えられた。
九九を言っていくように、スラスラと。
「アンタがそこまでして私を止めようと思わなかったから」
「それって答えって言うのかしらね」
「じゃあもっと言ってあげるわよ。アンタは自分で思っているよりも」
「もういいわ。やめて」
食蜂は静かに言う。
俯いて表情は見えない。だが、美琴には彼女がどんな顔をしているのか、何となく分かる気もした。
美琴はクルリと食蜂に背を向ける。
もう、彼女の用は終わった。美琴からも特に何かあるわけでもない。
だから、最後に一言。
「アンタとは一生反りが合わないと思ってたけど、そうでもないかもしれないわね」
当然、返事は何もなかった。
***
夜の闇に映える舞い落ちる白い雪。
それらは相変わらず旅館からの光や遠くの民家の光に照らされて、幻想的な光景を生み出している。
上条はまだバルコニーの手すりに両腕を置き、その上に顎を置いて考え込んでいた。
考えて考えて、それでも答えは一向に出てこなかった。
何度も何度も、様々な視点から考えようとしても、それは水面に映る月を掴もうとしているかのように、全く手応えを感じられない。
だからといって、考えることをやめることはできない。
これは目を逸らしていいような問題ではなく、答えが出るまで向き合わなければいけないものだ。
それまではここを動かない、そんな意地のようなものまで持ち始めていた。
そんな時。
「何やってんのよ、アンタ」
背後から聞こえてきた声。
それは素っ気ないように聞こえて、どこか優しさも感じられる不思議なものだった。
振り返ると、御坂美琴が居た。
彼女は微笑んでいた。
その表情は強さと優しさが同居した、それこそ物語のヒーローのようだ。
今の上条には眩しくて思わず目を逸らしたくなる程だった。
ここまで来るには、二階ロビー近くのガラス戸を開けなければいけない。
上条はそれに気付かないほど考え込んでいたらしい。
「……少し考え事があったんだ」
「それってここでしなくちゃいけないわけ? ロビーに居ないからどこに行ったのかと思ったわよ。
ていうか寒い。アンタよくその格好で平気ね。流石に雪が降る二月の夜に浴衣で外出るのはキツイでしょ」
美琴は体を震わせながら、上条の隣まで来て同じように両腕を手すりに乗せる。
上条と違って浴衣の上に羽織るものもないので余計に寒そうだ。
いくらなんでもその様子を見て放っておけるほど薄情でもないので、上条は着ていた茶羽織を彼女にかけてやる。
「ん、ありがと。でもこれだとアンタが寒いでしょ」
「俺はもう冷えまくってるから関係ねえよ」
「そういう問題なの……? まったく、ほら」
と、美琴は腕が触れ合う程近くまで寄ると、茶羽織を上条にもかけてお互いで共有する形にする。
上条は小さく苦笑して、
「これじゃどこかのバカップルみたいだな」
「バカって何よバカって。仲良さそうでいいじゃない」
「へぇ、御坂的にはこういうのに憧れでもあんのか?」
「まぁ、人並みにはね。私だって恋に恋する中学生なのよ」
「果てしなくお前のイメージから遠いなそれ。恋とかそういうものの前に、とにかく強くなりてえって言ってる方がしっくりくる」
「どこの少年漫画の主人公よ。それ結構失礼だって分かってる?」
「わるいわるい」
彼女との会話は気楽でいい。余計なことを考えずに済む。
それは案外会話において重要な事なんだろうし、常に次に何を話そうかと考えなくてはいけない状態は息苦しい事この上ない。
その時その時で言いたいことを言う。何もない時は何も言わない。それが自然にできる間柄というのはいいものだ。
しかし、一方で彼女はそんなどうでもいいような会話をしに来たわけでもないらしい。
まぁ、考えてみればわざわざこんな所まで来るのだから、それも当たり前だ。
「それで、こんな所でアンタ一人で考え込まないといけない事って何なの?」
「……できればあまり言いたくないっていうのが正直な所なんですが」
「アンタ、人をこんな所まで連れてきて何も言わないってどうなのよ」
「いやいやいや、お前が勝手に来たんじゃん!」
「そうだっけ? まぁいいじゃない、そんな小さなこと。それより早く言いなさいよ、どうせインデックスの事でしょ」
美琴の余りにも直球すぎる追求に、上条は思わず彼女から離れようと、体を少しずらす。
すると彼女はすぐにその後を追って、結局元の距離感に落ち着く。つまりは腕が触れ合って、茶羽織を共有できるほどのゼロ距離というわけだ。
雪は静かに二人の上にも積もっていくのだが、それでも腕が触れている部分は熱く感じ、雪が乗ってもすぐに溶けそうな気がした。
美琴は真っ直ぐこちらの目を見てくる。
こうなったらおそらく言うまで諦めないなと思い、上条は一度溜息をつく。
先程からずっと考えても答えはでなかったのだ。
インデックスがこっちに居る期間などを考えれば、素直に相談に乗ってもらう方がいいのかもしれない。
「今日、俺とインデックスが崖から落ちて色々大変だっただろ?」
「えぇ、そうね。もう毎度のことって言っちゃうとそうなんだけど、やっぱアンタっていつもそうよね」
「その全てがもう手遅れっていう感じに言うのやめてください。……あー、でもありがとな、俺達の事探してくれてさ」
「何度お礼言う気よ、もういいっての。私達だって別にいやいや探してたわけじゃないし、一緒に旅行来てた人が居なくなったらそりゃ探すでしょ」
「それでも、だ。俺は本当に嬉しかったからさ、そうやって俺達の為に動いてくれる人が居るって事が」
「どういたしまして。でもアンタだっていつも誰かのために動いてるじゃない。それこそ『情けは人のためならず』ってやつじゃない?」
「えっ、それって人に情けをかけるのはその人の為にならないって事か? 随分つめてえな……」
「バーカ、人の為にしてあげたことはいつか自分にも返ってくるっていう意味よ。勉強しなさいよ勉強」
中学生相手にこう言われる高校生というのも何とも情けないものだが、もう慣れたものだ。
そもそも、常盤台中学というのは卒業と同時に社会に出ていけるようになるという話だし、この知識差も仕方ないものなのだと思い込む。
ただ、美琴の言葉に嫌味なものは含まれていなかった。
どこまでも優しく、包まれるような言葉は良い意味で中学生らしくない。
上条は苦笑いを浮かべて頬をかくと、顔を上げて視線を上空から舞い落ちてくる雪に向けて、ぽつりぽつりと話し始めた。
「俺さ、ひでえ事思っちまったんだ」
「え?」
「あの洞窟の中で、インデックスと二人で色々話した。そんで、やっぱり落ち着くんだ、アイツとそうしてるとさ。
話の大半は中身がほとんどないような、どうでもいいような事だった。それでも、俺にとってはいつまでもそんな話をしていたいって思っちまうほどに居心地が良かった」
「そっか……」
「それでさ……俺……」
上条は言葉を切ると、静かに目を閉じた。
暗闇の中で考える。これから言うことは決して気分の良いものではない。
正直美琴には話したくないという理由の大部分は、それを話して失望されるのが怖かったからだ。
彼女は自分のことを心配してくれている。力になりたいと思ってくれている。そのことがとても嬉しかったから。
目を開く。流石に彼女の方を見ることはできない。
視線はただ真っ直ぐ前。ぼんやりと浮かぶ民家の光と雪だけを捉えている。
「……ずっとこのまま居たいって思ったんだ」
「それって」
「あぁ。誰も助けに来なければ、インデックスとずっと一緒に居られる。イギリスに帰ることもなくなる。
いっそ、そのまま二人で全てから逃げて、学園都市もイギリス清教も見つけられないような場所でずっと二人で暮らしたい、そんな事まで思っちまったんだ」
一度口に出すと止まらなかった。
悪いものは一気に吐き出そうとするように、上条は次々と言葉を紡ぎだす。
しかし、どれだけ吐き出しても中のドロドロは一向に良くなる気配がない。
「インデックスは全然そんな事思ってねえのにな。アイツは立派な想いを持って、イギリスで自分の力を役立たせたいって思ってる。
それなのに、俺はそれを無視して、ただ俺の都合が良いってだけで無茶苦茶な事を思っちまった。それで、同時にすっげえ怖くなったんだ」
「怖い……?」
「こんなんでインデックスが居ない生活に俺は耐えられるのかって。一ヶ月であの有様だ。それが半年、一年って続いて、俺は本当にまともな生活を送れるのかってさ。
それで俺だけが辛いならまだいいけど、何かの拍子に周りまで巻き込んじまうんじゃねえかって、自分で自分が分からなくて怖いんだ」
「…………」
「俺は一度そういう奴を見たことがある。インデックスのために全てを捧げて、それでも報われなかった男。
インデックスは他の男の隣で幸せそうに笑っていて、もう自分はその場所に立てないと知った時のその男の事が頭から離れねえんだ。
これからインデックスにとっての居場所はイギリスになる。そして俺は過去の人間になっていく。二度と会えねえってわけじゃなくても、俺はもうアイツの隣に居られねえ」
グッと手すりを握る力が強くなる。
歯を食いしばり、その間から白い息が漏れ出して上空へと昇っていく。
「インデックスはきっと幸せそうに笑ってる。イギリスで誰かのために自分の力を使えて、誰かを笑顔にする事ができて。
俺はそれを心から祝福してやれるのかって。本当の意味でアイツの事を考えてるなら当然それができると思うんだ。でも、俺はその確信を持つことができねえ」
上条は乾いた笑いを漏らした。
たぶん、今まででここまで何の気持ちもこもっていない笑い声を出したのは初めてかもしれない。
上を見上げると、雪が顔に落ちてくる。
それに対して冷たいと思えるくらいには、今の自分は冷えきっていないらしい。
「ホント、どこまで依存してるんだって話だ。アイツは俺の所有物なんかじゃねえのに。これじゃ娘を持つ親父どころの話じゃねえよな」
「……あのさ」
ここにきて、上条は視線をすぐ隣の美琴に向ける。
だが彼女はこちらに目を向けているわけではなく、先程の上条と同じようにただ前方の景色を見ていた。
彼女の口が動く。
しっかりとした意思のこもった言葉が、紡ぎ出される。
「ごめん、アンタの話を聞いて、正直私は何を言えばいいのか分からない。でもさ、代わりに一つ、私の話を聞いてほしいの」
「御坂の?」
「うん。何となくだけど、それがアンタにとって何かのヒントにもなりそうな気がする。どう?」
「いや、別にいいけどさ。俺も話聞いてもらったし」
「ありがと」
美琴はそう言うと静かに目を閉じた。口元には穏やかな笑みを浮べている。
その様子を見て、上条は思い出話でもするのかなと思った。どこか楽しげな事を思い出そうとしているように見えたからだ。
そしてそれは一応は当たっていた。
「私とアンタが初めて会った時……って覚えてないんだっけ」
「あぁ、その、悪い」
「別に謝らなくていいって。あ、そうだ、じゃあちょっと予想してみてよ、私とアンタの初対面がどうだったか」
「……ビリビリをぶちかました?」
「ご明察。私が不良に絡まれてる所をアンタが通りかかってさ、助けようとしてくれたわけよ。その時は『へぇー、こんな奴居るんだ』ってちょっと感心したのにさ。
けど、次に出てきた言葉が『こんなガキ相手に何人がかりだ!』よ。その後も反抗期も抜けきってない子供とか好き勝手に言ってくれちゃってさ。それで」
「すみませんでした」
「あはは、いやだから別に謝ってほしくて言ってるわけじゃないっつーの。それに今思えば私もちょっと手が早すぎたってのもあったし、ね。
とにかく、それからアンタに私の力が通じない事が気に食わなくて、いつも勝負勝負って追いかけるようになったわけ」
美琴は笑みを浮かべたまま続ける。
「今だから言えるけど、正直そうやってアンタの事を追っかけまわしたりするのは楽しかったわ。
ほら、私って周りからは広告塔みたいな扱いされて、素の状態で話せる相手なんて黒子くらいしか居なかったのよ」
「そっか……」
そういえば白井黒子から聞いたことがあった。
美琴は人の輪の中心に立つことはできても、輪の中に入っていくことはできない。
上条のような平凡な者には分からない、持つものゆえの悩みがあったのだ。
そんな彼女にとって上条は、
「アンタもアンタで、私のことをただの中学生として扱ってくれた。
そんな人今まで居なかったから、最初はちょっと戸惑ったけど、やっぱり気が楽で居心地が良かった」
「でも子供扱いするとキレるじゃんお前」
「う、うっさいわね!! それはそれ!!」
美琴は顔を赤くしてピシャリと言う。
ちょっと良い雰囲気になったと思ったら、すぐに崩れ去ってしまう。
それでも上条はそれに対して嫌な感覚は持たない。むしろ自分達らしくて良いとも思う。
美琴は気を取り直すように小さく息をついて、
「変化があったのは、あの夏。アンタがボロボロになって実験を止めてくれた時」
「あれ、か。確かに御坂にとってあの事件は大きな事だったよな」
「えぇ。後にも先にもあそこまで絶望に追い込まれた事はなかったわ。でも、そんな私をアンタは助けてくれた」
「まぁ俺は」
「やりたいようにやっただけ、でしょ? アンタっていつもそうよね。分かってるわよ、私だけが特別なわけじゃない。
でもさ、アンタにとっては今まで助けてきた人達の一人にすぎないとしても、私にとっては自分を救ってくれた、たった一人の男なのよ」
美琴は相変わらず視線を上条には向けず、前を見ている。
何か、違和感のようなものが生まれた気がした。それは会話の流れから、この場の空気全体に広がっていく。
いつもの彼女との間にある空気とは別のものに変わっていくような。
美琴の話は続く。
「思い返してみれば、たぶんその時からだった。夏休み最後の日とか、罰ゲームの時にはそれに少し戸惑った時もあった。
ちゃんと自覚したのは、あの第二十二学区でアンタがボロボロになりながらどこかに行こうとするのを見た時。アンタの記憶喪失について話した時」
「……御坂?」
「それを知ってからはもう止められなかった。気付けばどうやってもっとアンタと仲良くなれるか、隣に居られるかって考えてた。
アンタと話すだけで自分でも呆れるくらい舞い上がって、アンタが他の女と仲良くしてるとどうしようもなく胸が痛くなって。
こんな気持ちが自分の中で生まれるなんて夢にも思わなかった。でも、嫌じゃなかった。ううん、嬉しかった。気付くことができてよかった」
不意に手すりに乗せた手に暖かく柔らかい感触が伝わってきた。
驚いて目を向けてみると、自分の手の上に美琴の手が乗せられている。
今度は美琴の方を見る。
すると彼女は視線を真っ直ぐこちらに向けており、視線が至近距離で交錯する。
彼女は頬を染めて、ただじっとこちらの目を見つめていた。
こうして近くで見ると、彼女がどれだけ整った顔立ちをしているのかがよく分かる。
そんな彼女の目が、今は自分だけを捉えているのだ。
静かに風が吹き、二人の髪を揺らして白い雪が流れに沿って落ちていく。
寒さなどはどこかへ行ってしまったようだった。
今上条が感じ取ることができるのは彼女の手の温もりと、ドクンドクンと早なる心臓の鼓動だけだ。
そして、彼女は。
「好き」
消え入るような小さな声だった。それこそ雪に溶けてしまいそうな程に。
でも、聞こえた。
その言葉が上条の耳に入って脳まで届くのに、かなりの時間がかかった。
今度はその言葉の意味を抽出する作業にまた時間がかかる。
その間に、彼女はもう一度。
「アンタが……上条当麻が、好きなの」
先程よりハッキリとした声。
上条の視線は、美琴に向けたまま固定されてしまった。
他のものは何も見えてこない。夜の闇も、ぼんやりとした民家の光も、舞い落ちる白い雪も。
ただ、目の前にある御坂美琴のほんのりと赤くなった顔しか見えない。
それは不安そうだったり、期待しているようだったり、他にも様々な感情が混ざり合っているように見え、今までに見たことのないものだった。
自分は告白されているのだと気付き、それからすぐに返事を考えなくてはいけない事に気付く。
「ありがとう」と感謝の言葉だけを伝えるのは簡単だ。重要なのはその次の言葉という事になる。
流石の上条も、彼女のその表情を前に、告白の返事を求めているという事くらいは理解できた。
考えるまでもなく、御坂美琴は自分にはもったいない程の女の子だ。
容姿は誰が見ても美少女だという程整っているし、それに他の誰かの事を想って怒ったり悲しんだり喜んだりする事ができる人間だ。
いつもやりたいようにやっていた上条を止めることはなかった、それどころか自分も力になると言って戦ってくれた。
もちろん上条は彼女のことを悪く思っているはずがなく、むしろお互いに信頼出来る大切な友人だと思っていた。こんな事は気恥ずかしくて普段は言えないが。
それでは、上条は異性として美琴の事をどう思っているのか。
今まで一度も彼女を女の子として意識した事がないわけではない。
ふとした接近の時は心臓が高なったりもしたし、現に今だってこうして心臓の鼓動は収まる気配がない。
しかし、それは他の女の子でも同じだ。それならば、もっと彼女の事をよく考えて答えを出さなければいけない。
その場の空気だけに流されてはいけない。こうして正面からぶつかってきてくれた彼女の気持ちに応えるためには、中途半端な答えを出すわけにはいかない。
ところが。
(……なんで)
上条の中に、ある一人の少女の姿が現れる。
(何を、考えてんだよ俺……今は御坂の事を……御坂だけの事を……)
その姿を懸命に払おうとする。
だが、何度消そうとしても、彼女の姿は一向に消えてくれない。
美琴の事を考えているはずなのに。
彼女の告白を聞いて、自分自身と向き合って、自分にとっての彼女の存在について知ろうとしているのに。
(なんで……インデックスの事を思い浮かべてるんだよ……!!)
銀髪の少女は優しく微笑んでいた。いつもの、全てを包み込むような暖かみを持って。
なぜ、彼女の姿が浮かんでくるのか。
今告白してきたのは御坂美琴であり、インデックスではない。彼女は何の関係もないはずだ。
確かに彼女の事の問題はある。それでも今は美琴にだけ集中しなければいけない、そんな事は誰にでも分かる。
だが、美琴との事を考えようとすればするほど、インデックスの姿が頭にちらつく。
笑った顔、怒った顔、呆れた顔、まるで頭の中で動画か何かを見ているかのように鮮明に。
それを受けて、上条にある可能性が浮かぶ。
もしかしたら美琴の事を考える上で、インデックスの事は避けて通れないのかもしれない。
美琴の告白の返事を考える事と、インデックスとの問題というのは何かしらの関係があって、切り離せないものなのかもしれない。
そんな事を考えた時だった。
上条の思考に空白が生じた。
(…………そっか)
周りの音が、景色が戻ってきた。
目の前にある美琴の顔の他に、夜の闇、民家の光、白い雪が見えてくる。
二月の雪空の下の寒さが体を伝っていくのを感じる。
ふと、気付いた。
そしてすぐ思う。どうして今まで気付かなかったのか。
違和感ならいくらでもあったのに。
上条は美琴を女の子として意識していた。
そしてそれは、インデックスに対してもそうだった。
上条は一度ならず二度もインデックスを家族で娘のようなものだと思い込んだ。
その時の自分にとってそれは最も納得のいく答えのように思えた。
しかし、それは違った。
今ならハッキリ言い切ることができる。それは単なる逃げでしかなかったのだ。
そう思い込むことで楽な方へと進もうとする。無理矢理悩みはなくなったという事にする。
いや、家族というのは合っていると言ってもいいのかもしれない。だが、彼女を女の子として意識している事から、娘という事はない。
それならば、相手を異性として意識した上で家族と呼べる存在とは何なのか。
他の女の子から告白され、その子への恋愛感情について考えているのに、彼女の姿ばかりが浮かび上がるのはなぜか。
少し考えてみれば何でもない、簡単な事だったのだ。
「御坂」
もう逃げたりはしない。特にこうして真っ直ぐ自分にぶつかってきてくれた相手にそんな事ができるはずがない。
だから、上条はハッキリと告げる。
「俺、インデックスのことが好きだ」
視線は彼女へ、想いのこもった言葉は重く。
その言葉を口に出した途端、上条の中が透き通っていくような感覚があった。
今まで色々なものが見えなくなっていた。それは今も頭上に広がる雲しかない雪空のように、その向こうが隠されているようだった。
それがこの瞬間に雲が消えてなくなり、綺麗な満天の星空が姿を現すような、そんな感覚だった。
だが、自分だけ満足しているわけにはいかない。
このきっかけを与えてくれたのは美琴の告白だ。そして、今上条は彼女の想いを受け取れないと言ったのだ。
美琴は表情を変えず、ただじっと上条の目をのぞき込んでいる。
今しがた告白を断られたとは思えないほど、その目は少しも揺れずにしっかりとしていた。
小さく、彼女の口が開かれる。
「ぶっ……ふふ……」
「……ん?」
「あはっ、あははははははははっ!!!」
いきなり大笑い。
その楽しげな声は静かな雪空の下にはよく響き、遠くまで聞こえるかのようだった。
これには上条もポカンとするしかない。
混乱する頭で考えても考えても分からない。ここまで大笑いされる要素がどこかにあっただろうか。
まぁ、同時に深刻な空気にならなくて、心のどこかでほっとしている所が情けないものだが。
彼女は目尻に涙を浮かべて苦しそうに話しだす。
「くくっ、なーにが『インデックスの事が好きだ』よ。そんなのとっくに分かってたっつーの」
「えっ……ええええっ!? マジで!?」
「驚きすぎ。たぶん分かってないのアンタとインデックスくらいよ」
「なっ、そ、それなら言ってくれたっていいじゃねえかよ……」
「こういうのは直接誰かに言われて気付くものじゃないでしょ。まぁ、これじゃほとんど教えてあげたようなもんだけどね」
どうやら彼女は上条に気付かせるためにわざとウソの告白をしたらしい。
これでは真剣に美琴の事で悩んでいた自分がとてつもなく滑稽に思えるが、それでも文句を言う気にはなれず、それどころか自分も一緒に笑えるくらいだ。
方法は何にせよ、彼女は上条の事を思ってそうしてくれたのだ。ありがたい事に変わりはない。
美琴はまた小さく笑うと、手すりから腕をどかして上条の隣から離れた。二人で共有していた茶羽織は当然のごとく奪われている。
そのまま彼女はクルリと後ろを向くと、肩に乗った雪を払いつつ、一度両腕を抱いてブルッと震えた。やはりこの二月の雪空の下はキツかったらしい。
それを見ていると、上条自身にも急激に寒気が襲ってきた。ブルブルと震えながら、恨めしげに舞い落ちる白い雪を見る。先程まで綺麗な光景だとか思っていたのはどうかしてた。
美琴はさっさとガラス戸のところまで歩いて行ってしまう。
あれから一度もこちらを振り向いていないが、頭の上に乗った雪は払わなくていいのだろうか。
「そんじゃ、私は先に戻ってるわよ」
「あっ、俺も行くよ。流石にさみーし」
「ダメ」
「なんで!?」
「アンタは私をこんな所に長時間居させた罰として、インデックスの事が好きだと知った今、これからどうするかここで考えること」
「あ、あぁ……えっ、でもここじゃなきゃダメなの!?」
「うん」
異論反論は認めないといった様子で一言で切り捨ててしまう美琴。
あまりにもハッキリとした物言いに、上条は何も言い返すこともできずに固まってしまう。
だが、とにかく言わなければいけない言葉は他にあるはずだ。
「……ありがとな御坂。俺に気付かせる為に告白するフリまでしてくれてさ」
「なーに言ってんのよ」
彼女は茶化すようにそう言うと、ガラス戸を開ける。
そして、旅館に戻る前に一言。
「あれはフリなんかじゃないわよ」
何か言葉をかける暇もなかった。
ただそれだけ言い残すと、彼女はさっさと旅館の中へ入ってガラス戸を閉めてしまう。
上条は少しの間呆然とする。
あの反応から、美琴は上条に気付かせるためにウソの告白をしたと思い込んでいた。
だが、それは違ったらしい。
彼女は正面からぶつかってきて、その上であんな笑顔を浮かべていたのだ。
その事実に、上条は指一本動かせなくなる。
もし逆の立場だったとして、自分にそんな事ができただろうか。
インデックスに告白して、他に好きな人がいると言われて、それでも彼女のことを想って笑えるだろうか。
どうして彼女はあれほどまでに強いのか。
しかし、だからといって上条の答えは変わらない。
それに、いつまでも呆然としているわけにはいかない。
上条は静かに目を閉じる。
彼女の想いは知った。その上で受け取らなかった。
それならば、上条にはインデックスの事にきっちりとケリをつける義務がある。
今度こそ、自分と正面から向き合って答えを出す。
相変わらず雪は降り続け、時折冷たいを通り越して痛みすらある風が頬を撫でる。
上条の頭にも白い雪が積もっていたが、それを払おうとする気すら起きなかった。
凍える雪空の下、上条は思考の海へと潜り込んでいく。
***
それからしばらく考えた後、上条は旅館の中へと戻った。
体はすっかり冷え込んでしまい、こうして暖房の効いた所に居るだけでまるで湯の中に入っているかのような感覚さえある。
とりあえず上条は、もう一度温泉に浸かろうかと男部屋へと戻ることにした。
答えは出た。
それはもう揺らぐことのない、ハッキリとしたものだった。
彼女の意志は尊重し、上条自身も納得できて後悔しない。しっかり考えて、そんな満足いく答えを出す事ができた。
足取りが軽い。
自分の進むべき道が見えて、ようやく上条は歩き出せたような気がした。
闇雲にもがくのと、明確なものへと突き進むのでは大きな違いがある。
男部屋の前に着くと、何やら中で盛り上がっているのが聞こえてくる。
上条は小さく笑うと、そのドアを開いて中に入った。
「…………」
真っ先に目に飛び込んできたのは、男達が一人残らず見るも無残な状態で倒れて白目を剥いている光景だった。
浜面は明らかにボコボコにされた様子で大の字になっており、垣根なんかは全裸に剥かれ、一方通行は髪を可愛らしい感じに結ばれたまま気を失っている。
対照的に、女子の方はそれはそれは楽しげに笑顔で酒を飲んでいる。
それも麦野だけではなく、美琴や食蜂といって常盤台のお嬢様も一緒だ。
女の子達の視線が一斉にこちらに向く。
尋常ではない危機感を覚えた上条は、すぐさま向きを変えて部屋から出て行こうとする。
しかし。
「うおあっ!!!」
美琴が超反応で駆け寄ってきて、足を掴んで引きずり倒した。
その瞬間に、麦野、食蜂も加わって無理矢理上条を部屋の中へと引きずり込む。
「ま、待て!! 待ってください!!!」
「何よ私を思いっきりフッたくせに!! 責任とれこのやろう!!!」
「完全に出来上がってらっしゃる!? ちょ、一旦落ちつごぼっ、ぶぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!!!!!」
「ぐすっ、私はこんなに好きなのにぃぃぃぃいいいいいい!!!!!」
上条の腹に乗っかって、泣きながら酒瓶をその口に突っ込んでくる美琴。頬は先程と違った意味で上気しており、目もトロンと焦点が合っていない。
その気持ちは分からなくもないが、アルコールが問答無用で流れ込んでくるこの状況は、真面目に生命の危機を感じるので上条は必死に抵抗する。
すると、意外にもこの状況から救ってくれたのは食蜂だった。
彼女は上条の上から美琴をどかすと、口に突っ込まれていた酒瓶をどかしてくれる。
「ちょっとぉ、そんなので口塞がれちゃったら私がキスできないじゃなぁい!!!」
訂正しよう、彼女は上条を救う気などさらさらないらしい。
彼女もまた見事に出来上がっている上になぜかヤケクソ気味になっており、そのまま頭突きしそうな勢いで顔を近づけてきたので、上条は慌ててその頭を手で押さえる。
シャンプーの良い香りがほのかに香ってくるのだが、それにドキドキしているような余裕はない。この勢いでキスなんかされたら口が血だらけになりそうなので必死である。
そこに飛び込んでくるのは美琴だ。
「ふざけんじゃないわよ!!! キスするのは私よ!!!」
「フラれた人は引っ込んでなさいよぉ!!!」
「はぁ!? フラれたらキスしちゃいけないっていう法律でもあるわけ!? あっても無視するけど!!」
「だああああああ!!! 俺の意志は完全無視ですか!?」
上条は渾身の力を込めて何とか二人の中から脱出すると、ズササササと一気に後ずさって距離をとる。
先程のアルコールが頭に回ってクラクラする頭を押さえて彼女達を警戒して見ると、ユラユラとまるでゾンビのようにこちらに迫ってきていた。
こんな状態の彼女達を常盤台の教師なんかが見たらどうなるのだろうかと考えるだけで頭が痛くなってくる。
すると、ここにきてやっと割と大人しく座って飲んでいた麦野が口を開く。
「それで、アンタはどうするか決めたわけ?」
「……あぁ。俺はどわああああああああああ!!!!!」
言葉の途中で二人に押し倒された。
美琴の自己主張の小さい胸と、食蜂の大きすぎる胸が一気に体に触れて、頭の中がパニックに陥る。
「おいいいいいいい!!! 今ちょっとシリアスなところだっただろ!!!」
「知らないわよそんなもん!!! ほら、んー」
「あっ、だからなんで御坂さんがしゃしゃり出てくるのよぉ!!!」
「それで、どうするわけ?」
「えっ、この状態で言うの!? 助けてはくれないんですか麦野さん!!!」
美琴と食蜂が、上条の上で勝手に争いを始めてくれているお陰で何とか唇は無事ではあるのだが、それがいつまで持つかも分からない。
というか、こんなギャグしかない状況で一応は自分の一大決心を口にするというのも何とも虚しい。
しかし、少しして思った。
こういうのも自分らしいのではないか。不幸な上条にとっては自分の思い通りにならない事なんてしょっちゅうなのだ。
まぁ、この状況を不幸といえばあらゆる者達からフルボッコにされる可能性が高いが。
とにかく、上条は言ってしまうことにした。
酒が入った影響もあるのか、もうヤケクソだ。
「俺はインデックスが好きだ!! だからアイツがイギリスに帰る前に告白する!!!」
その瞬間、静かになる部屋。
上で暴れてた美琴と食蜂は同時にピタリと止まる。まるでビデオの停止ボタンを押したかのようだ。
一方で麦野は満足気にニヤニヤと笑っていた。
美琴と食蜂の表情が見えない。
上条の言葉を聞いた瞬間思い切り俯いており、ピクリとも動かない。
素直に恐ろしいと思った。
酒も入りまくっているこの状況では、次に彼女達の取る行動が予測できない。
そして、美琴が動いた。
「バカァァあああああああああああああああああああ!!!!!」
上条の頬に綺麗な平手打ちがぶち込まれ、パァァン!!! と良い音が響く。
あまりの勢いに視界がブレ、強制的に顔を横向きにされてしまう。
それは今まで彼女から受けたどの攻撃よりも優しく、強く、痛かった
今回はここまで。次から最終章
先週の超電磁砲Sの放送観て、美琴ルートに変更しようか迷った(ウソ)
ごめんもうちょいでキリの良い所まで書けるからちょっと待って
***
目が覚めたら両脇で女の子二人が、浴衣をはだけさせてぐっすりと寝ていた。
右側には小さめな胸のレベル5の第三位、御坂美琴。左側には大きめな胸のレベル5の第五位、食蜂操祈。
学園都市でも最上位と呼べる能力者の女の子二人を同時に丸め込むなんていうのは、それこそレベル6にしかできない芸当のように思えるかもしれない。
しかし、上条は違う。レベル0の無能力者だ。
したがって、別にこれは決して彼女達を丸め込んだというわけではない。
昨夜は大量のアルコールのせいで途中から記憶が曖昧だが、何も間違いなんて起きていない。起きていないのだ。
「…………」
後で一応麦野辺りに確認しておこう。
そう思いつつ、上条は上半身を起こして周りを眺めてみる。
薄暗い部屋。時刻はまだ六時前のようだ。
なんだか旅行に来てから早起きの習慣が付きそうな勢いである。まぁ別にそれは悪いことではないが。
部屋では麦野がきちんと布団を敷いて寝ている他は、酷い有様だった。
浜面や一方通行なんかは昨夜の状態のままで動いていない様子だ。あれは死んでいるのではないかとも思う。
そして、上条の両隣。いくら酔っ払っていたからといって、年頃の女の子が男と同じ布団で寝るというのはいかがなものか。
といっても、上条自身インデックスのことがあるので、そういった事を言える立場でもないのだが。
「よう、また早起きか。流石学生ってとこか?」
「ん、垣根か」
窓際の肘あて付きの椅子に垣根が座っていた。
記憶の限りでは彼は全裸に剥かれて放置されていたが、今ではきちんと浴衣を着て正統派イケメンに戻っている。
上条は二人を起こさないように布団から出ると、垣根の向かいの椅子に座る。
「お前こそ早起きじゃねえか。まぁ俺が来た時は既に気絶してたけどさ」
「その話はやめろよ……人生の汚点ってレベルじゃねえ……」
思いの外ダメージを受けている様子なので、それ以上は触れない方がいいようだ。
やはり麦野の罰ゲームは生ぬるいものではなく、きっちり一人の男にトラウマを残していた。
それでは何か他のことを話そうか。そう考えた時、自分にとってタイムリーな話を思い出す。
気絶していた垣根はあの話を聞いていないはずだ。
「俺さ、インデックスに告白することにした」
「へぇ、いいじゃんいいじゃん。つか何だかんだ言ってあのシスター狙いだったんだなお前」
「あぁ、つっても昨日の夜まで自分でも気付いてなかったんだけどな。御坂に告白されて分かったんだ」
「え、マジ? ってことはお前御坂の事フッたのか?」
「……おう」
「なんだなんだ、お前も随分と贅沢なもんだな。御坂もガキだがかなりの上物だとは思うぜ?」
「分かってるよ。けど、俺はやっぱりインデックスの事が好きなんだ」
「……御坂の反応は?」
「思いっきり笑われた。そんなの分かってるってさ。そんでその後酔っ払った勢いでビンタされた」
「ははっ、大した女だ」
こうしていると、ただの学生の会話にしか聞こえない。
超能力なんていうものを身に付けているだけに奇異の目で見られることも多いが、元々学生であることに変わりはないのだ。
こういった恋愛事への関心もあるし、都市伝説なんていう学園都市にあるまじきオカルト的なものさえ広まっている。
要するに、例え能力開発によって体の作りの違いはあっても、人間的には外の学生との違いはさほどない。
皆がそれぞれ貴重な学生生活を楽しんでいる。
垣根は小さく笑って、
「なんつーか、お前ってすげえよな。今まで何度も現実離れした事件なんかに巻き込まれて、それでもそうやって普通に学生っぽい生活も送れてるんだからな」
「あー、でも出席日数とか結構ヤバイぞ」
「それでも学校に戻れば普通の学生に戻れる。それって相当すげえ事だと思うぜ。俺や一方通行には真似できねえ事だ。
俺たちなんかはどんなに平和な場所に居ても、やっぱどこか暗いもんを抱えちまう。切り離そうとしてもなかなかできねえもんだ」
「……そういや同じような事一方通行にも言われたな」
「うげっ、マジかよ」
垣根は心底嫌そうに顔をしかめた。
一方で上条は少し考えてみる。
上条と一方通行達では何が違うのか。そう考えると違う所などというのはいくらでもある。
その中で決定的に違う所。それはやはりまともな学生生活の長さという所ではないか。
「これは一方通行にも言ったんだけどさ、やっぱ慣れだと思うんだ。最初は誰だって新しい環境には慣れねえ。
例えば小学校から中学、中学から高校、もっと言えば毎年のクラス替えも。けど何だかんだそこに適応していくんじゃねえかな」
「そういうもんかねぇ」
「そういうもんだろ。つかそう思わねえとやってらんなくね?」
「はは、確かにな」
上条も上条で、学園都市に入る前は迫害を受けた時もあるらしい。記憶が無いので分からないが。
それでも、今ではこうして普通……ではないが、少なくとも学校にいる時はどこにでもいるような学生として居られる。
もしも上条も一方通行や垣根のような暗い所で生きていたら、彼らと同じような悩みを抱えたかもしれない。
確かに人には生まれ持った性質はあるかもしれない。
しかし、結局は本人の意志によって左右する所も多く、周りの環境というものも大きく影響してくるものだと思う。
これは上条自身が、生まれ持った悪などは存在しないと信じたいという所もあるのだろうが。
垣根はぼんやりと窓の外へと目を向けていた。
雪は止んでいるようで、徐々に昇り始めた太陽によって空全体が白く染められている。
「学校生活ってのは楽しいもんなのか? よく言うじゃねえか、外から見てる分には楽しそうに見えても、実際そこに居るとそうでもねえって」
「んー、そりゃ勉強とか面倒な事はあるけどさ、俺は楽しいと思うぞ。まぁそれこそ実際に行ってみねえと分かんねえよ」
「それもそうか。学校生活で何か気をつける事とかはあるか、先輩?」
「分かってると思うけど、とりあえずムカついたからってすぐにぶっ飛ばすのはなしだ。一発で停学にされるからな」
「了解了解。俺だってその気になれば穏便に進められるっての」
「それならいいんだけどな。後は……昼休みの購買は戦争状態だから、スタートダッシュに遅れると負けると思ったほうがいいな」
「おっ、なんかそういうの学校っぽくていいな。まぁ俺は飛べるし関係ねえけど」
「うわっ、ずりー」
毎度毎度学食やら購買というものは昼になると学生でいっぱいになる。
長点上機のような上位校で同じ現象が起きているのかは分からないが、少なくとも上条の高校はそうだ。
そしてそういった上条にとってはそれほど気に留めるような事でなくても、垣根にとっては貴重な体験になるらしい。
垣根は満足気に目を閉じて、
「けど何だかんだこの旅行も結構楽しかったぜ。一方通行の監視ってのがウザいことこの上ない事と麦野の暴走を除けばな」
「はは、そりゃ良かった。普通の学生らしい生活ってのも悪くねえだろ?」
「……そうだな。まっ、何にせよこれだけじゃ判断できねえな、実際に学校行ってから考えてみるさ。今までのクソッタレな生活よりはマシだと願うぜ」
そう言うと、垣根は静かに目を開く。
その先にはやはり白み始めた空があった。
「俺はお前に勝てねえんだろうな」
「はぁ? 何だよ、随分控えめじゃねえか」
「何となくそんな気がしただけだ。たぶん、クソヤロウじゃお前には勝てねえんだ」
「そうか……? 俺からすればレベル5なんてのはいつだって分が悪い勝負にしかならねえけどな」
「それでも最後にはその右手でぶっ飛ばすんだろ。第一位相手にすらそうだったんだ、他の能力者でも同じ事が言えんだろ。だからよ」
垣根はそこで言葉を切り、口元に小さく笑みを浮かべてこちらを見る。
窓から差し込む淡い光に照らされて、その表情は明るく柔らかく、そして楽しげに見えた。
それは普通の生活を送る学生と何ら変わらないものだった。
おそらくこの前までの垣根ではこの表情をする事はできなかったのだろう。
「俺がお前に勝った時、それは俺がまともな人間になった時なんだろうな」
垣根の言葉に、上条は少しの間言葉を忘れてただ目の前の少年を見つめる。
これはどういった意味なのかまだよく理解できていないのだが、それでも何となく不吉な感じはした。
「おいちょっと待て。なんか俺とケンカする前提で話してねえかお前」
「ん、まぁな。ただ今は勝てねえだろうから、その内って事だ」
「いやいやいやいや、ふざけんな。無能力者相手にケンカ売るレベル5とかどこがまともなんだよ」
「大丈夫だろ、その右手があれば」
「そういう問題じゃねえよ! 何でレベル5ってのはどいつもこいつも戦闘狂なんですか!?」
どういう理屈でそういう話になるのかは分からないが、とにかくレベル5にケンカを売られるなんていうのは勘弁してもらいたい上条。
今まで何人かのレベル5を相手にしたことがあるのは事実だが、進んで戦いたいなんて思うわけがない。
それなのに垣根の方はなぜか「遠慮すんなって」みたいな態度で軽く流そうとしている。
ダメだ、これはちょっとやそっとで普通の学園生活なんて送れるはずがない。
そう判断した上条は、それからしばらく普通の学生とは何なのかというのを熱心に伝えることにした。
もちろん一番の理由は垣根の学校生活よりも、自分自身の身の安全のためだ。
***
旅行最終日、インデックス滞在六日目。
朝食を済ませた一行は、各自男部屋と女部屋の荷物の片付けに入る。
といっても、大きな荷物は全て学園都市に送ってもらっているので、後は細かい荷物が残っていないか確認するだけなのだが。
男部屋には上条一人だ。
他の者達は既に自分の物を持って行ってしまったのだが、上条だけケータイの充電器という微妙なものがどっかにいってしまっているようで探すはめになっていた。
まぁ今持っているケータイに関しては壊れてしまっているのだが、それでも充電器は会社が同じであればまた使えるので無くしたままというのは良くない。
昨日とは打って変わって外は晴れ渡る青空が広がっており、部屋の中には柔らかい日差しが入り込んでいる。
「あーもう、どこいっちまったんだよ……昨日の大暴れでどっかとんでもねえ所にあるんじゃねえだろうな……」
昨日の夜の大騒ぎは酷すぎた。
一応麦野に確認をとったところ、一線を越えるような事はなかったらしいが、それでも耳をふさぎたくなる程の惨状だったことは分かった。
それは、アルコールのせいで記憶が曖昧なことを幸いと思える程であり、やはり酒は恐ろしいものだと上条は再認識する。
その時だった。
「上条さぁん? まだ見つかりませんかぁ?」
そう言って部屋の中に入ってきたのは食蜂操祈だった。
上はフード付きのパーカーに、下は黒のタイツにショートパンツ。いくらタイツを履いてても冬にショートパンツは寒いんじゃないかとも上条は思う。
「あれ、もしかして待っててくれたのか?」
「えぇ。他の人達はもうそれぞれどっか行っちゃいましたけど、私は上条さんとデートしたかったのでぇ☆ あ、インデックスさんと御坂さんには話つけてますよぉ」
「えーと、デートって初日にしなかったっけか?」
「いいじゃないですかぁ、何度したってぇ。もしかして好きな子がいるのに、他の子とデートなんてできない、っていう硬派力の関係ですかぁ?」
「それは……その……」
「それじゃあデートじゃなくてただのお買い物って事にしましょぉ?
ほら、イギリスに帰っちゃうインデックスさんに告白と一緒に何か渡すっていうのもロマンチックでいいじゃないですかぁ」
「……確かにそうかもな」
少し考えて上条は頷く。
彼女が帰る前に何か形に残るようなものを渡すというのは良いアイデアだと思った。
それならば自分だけの感覚で決めるよりも、同じ女の子の意見も参考にして決めたほうがいいかもしれない。
上手く言いくるめられたという感はあるが。
それから二人で充電器を探し始めるのだが、なかなか見つからない。
諦めたくない上条は、だんだん文句を言い始めた彼女に少し違う話を振ってみる事にした。
「そういやさ」
「はーい?」
「結局操祈の思わせぶりな態度は俺をからかってたって事でいいんだよな? まったく、別に期待なんかしてなかったけどよー」
「えっ、本気力全開でしたよ?」
「……はい?」
上条は何とも気の抜けた声を出して彼女の方を向く。
一方で、食蜂の方もキョトンとした表情で首を傾げている。何か噛み合っていない。
「え、いや、それにしては俺がインデックスの事好きだってハッキリ言っても態度とか全然変わってねえなって……」
「ふふ、見た目だけじゃ女の子のことなんて分かりませんよぉ。
正直に言うと泣き喚きたいところなんですけど、それだと上条さんを困らせちゃうんで、この演技力でいつも通りに振舞ってるんですよぉ」
「マジで?」
「どうでしょう?」
「おい」
やはり彼女は掴み所がない。
向こうからはグイグイと押してくるのに、こちらから押してみても手応えがない感覚だ。
のらりくらりと、彼女はいつも余裕を持った微笑みを浮かべて自由に動いている。
まぁ、旅行初日の電車の中ではそんな彼女の貴重な面を見られたわけだが。
食蜂はクスリと可愛らしい笑みを浮かべて、
「この際だからハッキリ言っておきますねぇ。私は上条さんの事が好きです」
その目は真剣で、冗談なんかではない事を突きつけている。
その声はよく通り、ずっしりとした重みを持って上条の耳から脳へと伝わる。
部屋に広がる沈黙。
だが、それは長くは続かない。上条の中ではそれに対する返答はすぐに出てくる。
だから、こちらもハッキリと伝える。
「その気持ちは嬉しい。でも、俺はインデックスが好きだ」
迷いはない。
ただ自分の中にある揺るぎない答えを真っ直ぐ伝えるだけ。
今まで散々回り道をしてきたように思えるが、やっと手に入れた大切な答えだ。
彼女は静かに微笑んでいる。
旅館の一室に二人きり。窓からは柔らかい日差しが優しく差し込んでいる午前中。
その沈黙は決して苦しいものではなかった。
「……私がいつも通りに振舞っている理由について聞きましたよね?」
「あぁ」
「私は、恋人になれないからって友達としても居られないなんて嫌なんです。
ほら、よくあるでしょぉ? 仲の良い異性の友達に告白したけど上手くいかなくて、その後ギクシャクしてろくに話せなくなっちゃうっていうの」
「あー、聞いたことあるなそれ」
「例え恋人になれないとしても、上条さんが大切な人であることに変わりはないですからね。それに私、友達少ないですし」
「平然と悲しいこと言うなよ……俺にとっても操祈は大切な人だし、お前ならすぐにたくさん友達できるって」
「ふふ、ありがとうございます。そう言ってくれるだけでも幸福力上がりまくりです」
彼女の笑顔はとても良いものだ。見ているこちらまで自然と笑顔になる。
これはインデックスにも通じるものであり、元々彼女はそうやって誰かを包み込むような人柄だったのだろう。
そんな彼女なら、すぐには切れない固い絆で結ばれた本当の友達だってきっとできるはずだ。
そして上条は彼女に対して強さというものも見出していた。
「でも、すげえよな操祈って」
「すごい?」
「あぁ。もし逆の立場だったとしたら、俺はそんなに割り切れる自信ねえよ。
もしインデックスが他の男のことを好きで、俺には振り向いてくれないって知ったらどうなっちまうか分からねえ」
すると食蜂は斜め上を見て少し考える素振りを見せて、
「んー、でもでもぉ、私だって完全に諦めたわけではないですよぉ?」
「え?」
「ふっふっふ、もしも二人がめでたく付き合うような事になっても、それでそのまま結婚までいくとは限らないですよぉ。
まぁあなた達に関しては一度付き合ったら別れそうにもないですけど、絶対ないとは言えないわぁ。それに例え結婚したとしても、離婚という可能性は常にあるんですしぃ」
「な、なるほど」
「ダメですよぉ上条さん、あんまり私を信頼しちゃ。私って諦めの悪い女なんですからぁ。
上条さんの告白のお手伝いだって本当はしたくないですよぉ? でも目的はどうあれ、上条さんと一緒に居られる口実にはなるんで、その気持ちを優先してるだけなんです」
食蜂はパチッとイタズラっぽくウインクする。
まさに小悪魔という言葉がピッタリといったような仕草だ。
「本当は上条さんがインデックスさんの事を好きだっていう事くらい分かってたんですよぉ。ほら、初日のデートの最後のほうで私何か言いかけたでしょ?
でも、言わなかった。上条さんにはインデックスさんではなく私を見てほしかった。二日目のスキーの時にインデックスさんがイギリスに帰ってから全部話すって言ったのもそういう事です。
アピール力は大事ですけど、告白なんていう直接的すぎるものは、そこから上条さんがインデックスさんへの気持ちに気付いてしまう可能性があったんです」
「す、すげえ色々と考えてたんだな……」
「まぁ結局御坂さんのせいでメチャクチャですけどねぇ。でも、どうですかぁ、上条さん。私ってやっぱり嫌な女でしょ?」
「そんな事ねえよ。そこまで俺の事を想ってくれている子を嫌な奴だなんて思うわけねえだろ」
上条は即答する。
確かにもし食蜂が上条の本当の気持ちについて指摘していれば、ここまで遠回りすることもなかったかもしれない。
だが、それは彼女にとって喜ばしいことではなかった。なぜなら彼女も上条のことが好きだからだ。
もし逆の立場だったとして、自分はどうするだろうか。
考えてみても分からない。食蜂と同じように動くかもしれないし、美琴と同じように動くかもしれない。
結局、どちらが正しいのかなんて分からないし、そもそも正解自体がないようにも思える。
だから、上条は彼女の事を責めることなんてできない。
むしろ、そこまで自分のことを想ってくれている事に感謝したいくらいだ。
彼女は穏やかな笑顔を浮かべて、
「何となく上条さんならそう言ってくれると思っていました。ちょっと甘え過ぎですかね」
「別にいいんじゃねえの。前も言ったけど、俺は懐が深いからな」
「ふふ、それじゃあとことん甘えさせてもらいます」
これでいい、と思う上条。
上条はインデックスを選んだ。だからといって、他の全てを捨てたわけではない。
その事で周りの状況は変わっただろう。こうして食蜂とも笑い合えているが、それは昨日までのものとは違うのだろう。
しかし、変化はしたが壊れてしまったわけではない。
人と人との関係というものは少しずつでも変わっていくものだ。
その瞬間では若干の溝ができたりする事もあるかもしれない。心の底から笑い合う事はできないかもしれない。
それでもずっとそのままである事なんてないと信じている。
今はまだ無理でも、いずれ食蜂とも美琴とも、月日が経ってから「こんな事もあったな」と笑って話せるような日がくる。
これは上条の思い描く都合の良い夢物語なのかもしれない。
どれだけ時間が経っても埋まらない傷というものは存在するのかもしれない。
それでも、上条は信じ続ける。今までもずっと、そうしてきたから。
と、ここまで考えて上条はふとあることに気付く。
「なぁ、操祈は俺とインデックスが、その、恋人同士になるっていうのは反対なんだよな?」
「当たり前じゃないですかぁ。上手くいかない事を全力で願っています☆」
「なんかもうそこまでハッキリ言われると清々しいわ…………つまりさ、俺の告白も邪魔する気満々って感じか?」
彼女が本気で邪魔しにきた場合、相当面倒な事になるというのは予想できる。
理由は分かっていたとしても、正直旅行前のあの一件並の騒動を引き起こされたら、告白どうのこうのといった問題ではなくなる。
そんな事を考えて苦い顔をする上条だったが、食蜂の方は何でもなさそうに、
「邪魔はしませんよぉ。それだと上条さんに嫌われちゃうじゃないですかぁ」
「えっ、あ、あぁ! 嫌うぞ、メッチャ嫌う」
「それじゃあダメなんですよぉ。あくまで私への好感度は保ったままじゃないと。
だから、邪魔はしませんけど、余程のメリットが無ければ協力もしないって事です。積極的安楽死より消極的安楽死を選ぶって感じですね」
「その例えは何とかならないんですかね……つか死ぬこと前提じゃねえかそれ」
そう言いつつも、とりあえず邪魔はしてこないというので、ほっと胸を撫で下ろす上条。
同時に、目の前でニコニコ微笑んでいる彼女を見て思う。
この少女は強い。信じられないほど強い。
暗い気持ちはおそらくあるのだろう。しかし、それを微塵も表に出さずに、決して下を向かない。
ここまで常に前を向いていられるというのはとても簡単な事ではないだろうし、その様子はどこか美琴に通じるものがある。
そういえばその美琴も、朝食の時は今までと変わらず対応してくれた。
彼女も当然心の中では色々と思う所もあるのだろう。だが、見た目だけでは判断することができなかった。
その事に安心していた自分は、きっと彼女にすがっているという事なのだろう。
そして、インデックス。旅行に来ている者達の中で、彼女だけが上条の気持ちを知らない。
これは誰かが言うようなものではなく、上条自身が正面から伝えるものだからだ。
結局、ずっと探していた充電器は、浜面が間違えて持っていたというオチだった。
***
旅行最終日、街へと繰り出した学園都市一行。
食蜂は上条とデートするという事で、それ以外でそれぞれ回る事になる。
組み分けは美琴と麦野、それ以外というものになった。単に目的の違いだ。
インデックスはガラス工芸体験というものをやりたがり、浜面も後でこっそり滝壺にプレゼントする事にしたらしく、彼女に付き合うことにした。
そして垣根もそれに興味を示し、監視役の一方通行も仕方なしについて来るという展開だ。
美琴と麦野はそういったものに興味が無いらしく、二人で山の方へと行ってしまった。
とあるガラス工房の中。
インデックスはいつもの修道服に身を包んで、頬を膨らませた可愛らしい表情で手にした竿に口をつけていた。
これは吹き竿といい、この先端に溶けたガラスを巻きつけて、別の先端から息を送ることで膨らませ、ガラス細工を作る。
やってみると中々面白かったりするのだが、隣にいる手先の器用な浜面の出来栄えが凄いので敗北感を覚える。
「……まぁ、人間誰にでも取り柄はあるものだし」
「おい待て、それ褒めてるっていうか貶してる感が強いよな?」
浜面はジト目でインデックスの方を向く。
それでも真っ赤になって変形しやすいガラスが綺麗な形状を保っているのが何とも悔しい。
「つーか、俺よりもアイツらの方が明らかにおかしいだろ」
「あっちはもう何ていうか、根本的に違う感じがするから張り合う気も起きないかも」
そう言う二人の視線の先。
そこではレベル5の第一位と第二位が同じくガラス細工を作っている。
いや、同じではない。
例えば第二位、垣根帝督。彼の手元には複雑な形状の翼を広げた女神様が神々しい光を放っている。
例えば第一位、一方通行。彼の手元には迫力のある翼を広げた悪魔が禍々しい光を放っている。
どう見ても素人レベルのものではない。その証拠は店の人のまん丸と見開かれた目と、あんぐりと開けられた口だ。
垣根は得意気に一方通行の作品を鼻で笑うと、
「へっ、俺の方が数段上だな」
「あ? そのクソメルヘンのどこに勝てる要素があるンだ? さっさと絵本の世界に帰れ」
「んだとコラ。よくその厨二病全開の痛々しいやつを堂々と晒せるな。テメェこそ黒歴史ノートの中に帰れ」
「どの口が言ってやがる未元物質(ダークマター)」
「能力名で呼ぶなァァああああああ!!!」
何というか、今日も仲良さそうで何よりだ。
別段口を出すこともないので、インデックスも浜面も自分のものに集中する。
それから少しして、二人はそれぞれガラス細工を完成させた。
やはりクオリティの面ではインデックスは浜面には及ばない。
しかし、そこは大きな問題でもないと思い込んだ。こういったものはどれだけ心がこもっているかが大事なのだ。
……いや、その面でも恋人に送るという浜面には勝てない気がする。
「やっぱそれって上条にあげるものか?」
「ううん、これはイギリス清教に。とうまのは一昨日買ったパワーストーンを加工して、誕生日プレゼント用にしようかなって」
「へぇ、加工? 手伝ってやろうか?」
「大丈夫大丈夫、私だってそこまで不器用なわけじゃないし」
その言葉に浜面は何とも微妙な表情を浮かべた。
確かにこのガラス工作だけ見ればそこまででもないようにも思えるが、もっと科学が絡んでくるものになってくると違う。
インデックスが最近やっと電子レンジの使い方をマスターしてきたというのは、割と広まっている話でもあった。
だが、こういうのは無理に手伝うようなものでもない。
プレゼントというものはどれだけ質が高いかというよりも、どれだけ想いがこもっているかという事が重要だ。
インデックスはとにかく自分一人で完成させたかった。
とは言え、浜面はそこはかとなく不安である事には変わりないようで、
「じゃあさ、手伝わねえけどやり方だけ教えるってのはどうだ? 後、仕上げの難しい所だけちょこっと手伝うって感じでよ」
「……うん、それはちょっとお願いしたいかも」
「へへ、分かった」
実を言うとインデックスも不安なのは同じだった。この浜面の申し出はありがたい。
すると垣根が、
「そういや明日は上条とデートなんだろ? 結局告白すんの?」
「だからしないって言ってるかも。それに、夜はとうまの誕生パーティーだし」
インデックスは若干呆れたように受け流す。
というのも、この話題は今日の朝から何度も繰り返されたものだからだ。
そこまで人の恋話が面白いのか、周りの者達は興味津々といった様子で聞いてきた。
その度にインデックスは同じような答えを返すのだが、それはあまり面白くない返答らしい。
まぁ、彼らからすれば映画やドラマのように別れ際に告白なんていう展開が見たいのかもしれない。
別にインデックスとしてもそれが心の底から嫌だというわけではなく、上条と付き合えるなら付き合いたい気持ちはある。
しかし、簡単に流されるわけにはいかないという理由も確かに存在している。
学園都市に来た初日。付き添いのステイルと話した事が頭に浮かんでくる。
もしも告白が失敗したら、それによる精神的ダメージにより遠隔制御霊装に影響が出るかもしれない。
もしも告白が成功したら、離れたくないという気持ちにより遠隔制御霊装に影響が出るかもしれない。
その他もろもろ、旅行初日の夜に話したような理屈やら何やら色々あって、インデックスはこのままの関係で別れる事に決めていた。
これが一生の別れというわけではないのだ。また会えるからこそ、大きなリスクを背負ってまで動こうとは思わない。
今度は別の声が彼女に向けられる。
それはずっとこの話題には触れて来なかった一方通行のものだった。
「もし上条がお前と付き合いたいって言ったらどうする」
「えっ!?」
その言葉に目を大きく開けて動揺するインデックス。
だが、そういった反応は彼女だけではなかった。
同じように浜面と垣根も、どこか慌てた様子で一方通行の事を見ている。
これはインデックスには知る由もないのだが、上条の気持ちを彼女に伝えるのは本人の役目であり、他の者達は知っていても教えない事にしていたからだ。
今回は直接的なものではなく、あくまで仮定の話として出したわけだが、それでもかなりギリギリな所を攻めている事に変わりはない。
インデックスは視線を慌ただしく彷徨わせながら、
「え、えっと……たぶんそういう事はないんじゃないかな。ほら、とうまって私のことを娘のように思ってて、恋愛感情とかはないみたいだし……」
「もしもの話だ。アイツだってそういう恋愛事に慣れてるわけじゃねェだろうし、気持ちが変わるってのは十分考えられる」
それを聞いた垣根が顔をしかめて、
「お前が恋愛とか口にすると凄まじく気持ち悪いな」
「うるせェぞクソ童貞」
「ど、童貞じゃねえし!!」
「落ち着けよ俺だって童貞だしさ」
「何だその彼女持ちの余裕!!!」
「つーかオマエら少し黙れっつの」
どんどん話が脱線していくので、一方通行はイライラした様子で頭をわしわしとかく。
今この瞬間において垣根や浜面が童貞だという話は何の意味もないものだ。
一方通行はその真っ赤な瞳をインデックスに向けると、
「で、どうなンだよ」
「……そ、そんなの困るかも。たぶん応える事はできない……と思う」
「それがオマエの答えなンだな?」
「……うん」
「ならいい」
そう言うと一方通行は満足したのか、彼女から視線を外した。
上条は悲しむだろうか。例えそうだとしても彼はそれを表には出さないだろう。
その後、おそらく美琴や食蜂が上条を慰めるのだろう。そして、不安定だからこそ彼女達の方に心が揺れるのかもしれない。
インデックスの胸がチクリと痛む。上条に対してウソをついて悲しませる事もそうだし、彼の隣に自分以外の誰かが立つようになる事も。
しかし彼女達を恨むような事はしない。立場が逆だったとしたら自分も全く同じ事をしただろうから。
インデックスにとって、離れたくないという気持ちが大きくなるのは良いことではない。
上条からの告白が嬉しくないわけがない。ただ、彼女には彼女の決意がある。
といっても、これらはあくまで喩え話だ。
本当にその通りになるとはインデックス自身は思っていない。だからそこまで気にかける必要もないだろう。
首を傾げたのは垣根だ。
「なぁ、今のやりとりに何か意味はあったのか?」
「少なくともオマエの存在価値よりはあンだろ」
「よーし、もう我慢の限界だ。表出ろやコラァァ!!!」
「だから何でケンカになんだよお前ら!!」
考え込むインデックスをよそに、男達は勝手に盛り上がっていた。
***
美琴と麦野は山に来ていた。
美琴は厚手のセーターにミディスカート、麦野はジャケットにジーンズ。二人共上にはコートを羽織っている。
今日は青空が綺麗ないい天気だが、雪はまだ残っていた。昨日の大雪以前からのものも多いだろう。
彼女達がここまで来たのは、決して失恋のショックで早まった事をする為ではない。
そもそも、彼女達の性格を考えればむしろ山の方を心配したほうがいいのかもしれない。八つ当たり的な意味で。
とにかく、彼女達は別に木にぶら下がるわけでも、山を吹き飛ばすつもりでもないのは確かだ。
麦野は退屈そうな表情で、
「それで、あんたはこんなとこまで来て何するつもりなのよ。いい加減なんか面白いことしなさいよ」
「アンタ……ついてきた目的はそれか」
「もちろん。男にフラれたばかりの女ってのは結構面白いことするからね」
「それは体験談?」
「バカ言え」
麦野がどういった事を期待しているのかは知らないが、それに添えるかどうかは不明だ。
少なくとも、美琴自身の評価としては対して面白い事ではない。
そんな事であまり付き合わせるのも悪いと思ったので、正直に言うことにする。
美琴はコートのポケットからあるものを取り出した。
「ただこいつを捨てようと思っただけよ」
「そりゃペアリングか? おいおい、付き合ってもない男の為にそんなもん買ってたのか。随分重い女ね、ストーカーになるタイプよ」
「うっさい、今思えばちょっとアレだったかもってのは分かってるわよ」
このペアリングを買ったのはハワイでの事だ。
重いという指摘も既に番外個体から受けているわけで、それから密かに自分は重い女なのかと割と真剣に頭を悩ませたりもした。
まぁその時は初恋なんだしこれくらい突っ走っても問題ないという風に考えていたのだが、こうして冷静になってみると飛ばしすぎたとも思えてくる。
恋は盲目とはよく言ったものだ。
麦野はしげしげと指輪の模様などを眺めた後、
「……ふーん、とりあえず何がしたいのかは分かったわ。でもさ、別に捨てるまでしなくていいんじゃないの。
ほら、上条がインデックスに告白して玉砕とかしたら、その時はまたアプローチを始めて狙っていくっていうのもありなんじゃない?」
「インデックスはアイツの事が好きって言ってるじゃない」
「だからといって、上条の告白を受け入れるかどうかは分からない。
元々、色々と面倒くさい事情とか絡みまくってるんでしょ。それを考えて自分からは告白しないって考えているみたいだし」
「それでも、私は一度ケジメをつけたいのよ。もしアイツがフラれた時は、その時また考えるわ」
これからどうするかという事を考える為に、美琴には区切りが必要だった。
だから、ペアリングを捨てる。ケータイのペア契約も解消するべきだろう。ゲコ太ストラップは勘弁してもらいたいが。
時に前へ進むためには何かを捨てなければいけない事もある。
麦野はそんな美琴を観察するようにじっと見つめていた。
彼女も彼女で思う所も多くあるのだろう。
「はっ、表向きじゃ普段通りを装っていても、やっぱ結構キツイのね」
「当たり前でしょ、初恋が砕け散ったのよ。普通はボロボロ大泣きして今頃は目を真っ赤にしてる頃よ」
「アルコールの力を借りないと泣けもしない奴がよく言うわね。ほら、ここは人通りもないみたいだし、私の胸を貸してやってもいいわよん?」
「結構よ。それに泣けないとかアンタにだけは言われたくないわ」
「……それには何も言えないわね」
麦野は愉快げに小さく笑う。
レベル5の女は恋に破れるというジンクスでもあるのだろうか。
いや、科学の粋の結晶のような超能力と、ジンクスといった非科学的なものを結びつけるのはどうかとは思うが。
例えそうだとしたら、強大な能力を手に入れることができるとしても、かなり大きな代償だ。思春期の学生にとっては特に。
そんな事を考えていた美琴だったが、麦野の言葉にすぐに意識を持っていかれる。
「それにしても、アンタもホント面倒くさい性格してるわよね。上条と付き合いたいなら、食蜂と同じようにインデックスがイギリスに帰るまで待てば良かった。
と言っても、それができないのがアンタなわけで、結局はどう足掻いてもこうなる運命だったのかもしれないけどさ」
「そうね。別に後悔はしてないわよ、自分で出した結論だったし。アンタだって少しは分かるでしょ」
「まーな。本当は分かりたくもないけど」
美琴も麦野も、自分で決めた道を真っ直ぐ進んだ。
その先には想い人との未来はなかったわけだが、かといって後ろを振り返って立ち止まったりはしない。
彼女達はその道を歩き続ける。ただひたすら、前を向いて。
美琴は手の中にある指輪を見る。
初心な恋心が詰まった大切な物。それでも、結局彼には渡すことができなかった物。
目を閉じれば次々と浮かんでくる。
不良に言い寄られている所に割り込んできたあの時。河原で対決し、結局追いかけっこになったあの時。
鉄橋の上、目の前が真っ暗になった時に都合のいいヒーローのように登場して全てを救っていったあの時。
素直になれなかった恋人ごっこや罰ゲーム。彼の記憶喪失を知り、そしてこの気持ちの正体を知ったあの時。
第三次世界大戦で彼を追って、そして並べなかったあの時。グレムリンとの戦いでようやくその隣に立てたあの時。
全てが手放しで喜べるような楽しい記憶でもなく。
むしろ素直になれなかった後悔やら、失敗した時の喪失感といった負の感情が湧き出る記憶も少なくないのだが。
まぁ、総括してみれば何だかんだ楽しかったとは思う。
美琴はクスリと口元に笑みを浮かべた。
結果的にフラれてしまったが、それでもこの恋自体は大切なものに変わりなかった。
手を真っ直ぐ天へと伸ばす。
「――ありがとね」
鈍い震動、轟音と共に。
明るいオレンジ色の閃光が、真っ直ぐ空へと昇っていった。
音速の三倍で射出された指輪は空気抵抗により空中で燃え尽きる。
再び、この手に戻ってくる事はない。
美琴はしばらく指輪が消えていった青空を眺めていた。
頭の中は空っぽだ。スッキリとした爽快感と、少し痛い喪失感があった。
それでも、小さく息をつくと、
「よっし、終わり」
そう、笑顔で言うことができた。
それは完璧な笑顔ではなかったかもしれない。だが、例えそうだとしても、一番大切なのは笑おうと思える事なんだろう。
そんな美琴を見て、麦野も小さく笑うと、
「なんか奢ってやるよ。あまりにも哀れだし」
「へぇ、お嬢様相手に奢るって? 安くないわよ」
「はっ、私の財力をなめるなよ。金なんざ有り余ってる」
二人は軽口を叩き合いながら、山を下りていく。
人生山あり谷ありというが、今は谷なのだろうか。
いや、きっとそうではない。もう谷は脱している。既に歩き出している。
次の山は今程高くはないかもしれない。それでも、彼女は止まらずに進み続ける。
まだ見ぬ頂上を目指して。
***
上条と食蜂はとあるお土産屋まで来ていた。
そして二人は知る由もないのだが、ここは初日にインデックスと浜面が訪れた店でもある。
更に偶然は重なって。
「お、こんなのはどうだ。パワーストーン」
「あっ、結構いいんじゃないですかぁ。女の子って基本そういうおまじない系好きですし」
「……あー、でもインデックスはちょっと特殊なんだよな。そういうおまじないに詳しいからこそ、半端なもんは認めねえみたいな……」
「ふふ、大丈夫ですよ。ぶっちゃけ一番大事なのはおまじないの効力というより、相手がどんな想いでそれを渡してくれたのか、ですので」
「そう……か? そんじゃいいのかな」
やっぱり食蜂も一緒に居てくれて良かった、と上条は思った。
自分の感性だけで女の子へのプレゼントを選ぶというのは不安で仕方なかっただろう。
「それにしても、いろんな効果があるんだな。恋愛関係だけじゃなくて学業成就とか健康長寿とか」
「人間って欲張りですからねぇ。自然と色々なものを求めちゃうんですよぉ。でもでも、上条さんが欲しいのはもちろん恋愛成就ですよねぇ?」
と、ジト目で食蜂が尋ねてくる。
その視線に上条は思わずたじろいで、
「あ、あぁ、そうだな」
「……まっ、力尽くで阻止なんてしませんから安心してください。買いたいなら買えばいいじゃないですか」
「なんか凄く買いづらい空気を感じるんですが」
「そこは我慢してください。好きな人が他の女に愛情力こもったプレゼントを選んでいるのを見てニコニコしているのは無理です」
「……そうだ、操祈にも何か買うよ。付き合ってくれたお礼もしたいし」
「えっ、本当ですかぁ!?」
「お、おう。つか、予想以上の食い付きなんだけど……」
「じゃあこのパワーストーン! 『永遠の愛』!!」
「却下」
「ぶーっ!!!」
確かに買うとは言ったが、流石にそのチョイスはない。
これから告白しようと思っている女の子が居るのに、そんなものを他の子に渡す男はぶっ飛ばされても仕方ないと思う。
上条は同じ棚を少し眺めて、
「おっ、これなんかいいんじゃねえか。ターコイズっていうの」
「……友情の石ですか。確かに友達居ない私にはピッタリですねぇ」
「い、嫌な言い方するなよ……でもさ、操祈はすぐに本当の友達だってたくさんできる。俺が保証するよ」
「ふふ、だといいんですが。でも好きな相手から友情のパワーストーンをプレゼントされるっていうのも中々キツイですねぇ。
それって暗に『お前とはあくまで友達だから』って言ってるのと変わらなくないですかぁ?」
「えっ……あ、ちがっ、いや、違くないけど……そうじゃなくて、友達作りのお守りみたいなものになればいいって……!」
「……あはははははははは!! 冗談ですって!! それじゃ、これでお願いします」
焦りまくる上条とは対照的に、食蜂は朗らかに笑う。
彼女には相変わらず振り回されてばかりだが、そこまで嫌な気はしない。
上条はターコイズのパワーストーンを持ってレジに並ぶ。鮮やかなスカイブルーの石だ。
そして、もう一つ。そちらはインデックスに渡す用のものだ。
レジで精算した上条は、ターコイズの方を食蜂に渡す。
彼女は満面の笑みで、
「ありがとうございます、一生大切にしますね」
「そこまで大袈裟にしなくても……本物の宝石とかじゃねえんだし……」
「ふふ、そういう問題ではありませんよぉ。上条さんから貰ったプレゼント、ただそれだけで墓まで持っていく理由にはなります」
「お、重い……なんか重いですよ操祈さん」
しかし、まぁ、喜んでもらえたのは何よりだ。
相手は常盤台のお嬢様、本来であればプレゼントというものもかなりの高難易度であるべきはずなのだ。
そして、彼女はニヤニヤと上条が持っている袋に目を向けて、
「インデックスさんへのプレゼントには、あのパワーストーンを選んだんですかぁ。結構積極的にいきましたね」
「あぁ、まぁな…………そういや俺も重いって人の事言えねえな」
「そこら辺は相手の気持ち次第ですねぇ。向こうもこっちに少なからず好意を持っているなら、重さもむしろ可愛く見えたりするものです」
「そういうもんか」
「そういうものです」
上条は袋から勝ったばかりのパワーストーンを取り出してしげしげと眺める。
おそらくインデックスはこの石に込められた意味は知っているだろう。
つまり、これを受け取るか受け取らないかで、ほとんど告白の返事を聞くのと同じようなものだ。
このままでもストラップとして使うことはできるが、何か一工夫をしたいところだ。
一応は愛の告白と一緒に……という事なので、できれば指輪とかに加工したい。
「上条さん」
食蜂に名前を呼ばれて、そちらを向く。
その声色は真剣なもので、向いた先にあった彼女の表情にも同じく真剣なものが浮かんでいた。
「どうした?」
「私、これから本当のお友達っていうのを作っていきたいです。でも」
彼女はそこで一旦言葉を切り、一度目を閉じる。
その後再び目を開けた彼女の顔には、眩しいほどの笑顔が広がっていた。
「あなただけは――――ずっと、特別です」
その言葉に対してどのように返せばいいのか。
何が正解で何が間違いなのか。そんなものが本当にあるのかどうかも分からないし、あったとしても上条にすぐに導き出せるはずもない。
だから、いつも通り。ただ思ったことをそのまま口にする。
「ありがとな。誰かにとって特別な人間になれているっていうのは、俺も嬉しい」
「……えぇ。きっとあなたは私だけじゃなく、もっと沢山の人にとってもまた特別な存在なんでしょうね」
自分がそんな大層な人間だとは思わない。
今まで様々な経験をしてきたのは事実だが、それだけ自分よりもずっと優れているであろう人間はいくらでも見てきた。
だが、そこは関係ないのかもしれない。
自分自身がどう思っていようとも、誰かが自分の事を特別な存在だと思ってくれている、その事が重要なのではないか。
自分のことであれば何でも知っているなんていう事はない。それはこの旅行でも嫌というほど知ることができた。
だから、上条は素直に彼女の言葉を受け取って、誇ろうと思った。
好き勝手に動いて、一人の少女にとって大切な存在になる事ができた。
胸を張って、堂々と。
***
学園都市の自分の部屋に戻ってきた。
二泊三日の旅行だったのでそこまで長い間留守にしていたというわけではない。もっと長い時間部屋を空けていた時だってある。
それでも、何だか懐かしく感じてしまうのは不思議なものだ。
「ただいまー!」
隣ではインデックスが元気な声と共に部屋に入っていく。
その言葉を聞くだけで、彼女にとってここは帰る場所なんだと知ることができて、口元が緩む。
それから荷物やら何やらを整理して一息つくと。
(さて、と)
上条は少し考える。
これからの予定はある事はある。問題はインデックスだ。
しかし、日が落ちるまでは少しあるが、彼女の様子を見る限りは外に出るような元気も――。
「とうま、とうま。私ちょっと外行ってくるね」
「えっ?」
出鼻をくじかれた。というか、予想外の行動だ。
旅の疲れもあるし、彼女はきっとそのまま部屋で休んでいるものだとばかり思っていた。
むしろ、ちょっと外へ行きたいのは上条の方なのだ。
「ど、どうしたんだ?」
「ふふふ、秘密。ヒントを言うと明日のとうまの誕生日関係」
「あっ」
忘れていた。そういえば、と上条は思い出す形になる。
明日は上条の誕生日。彼女は既に土御門に話をつけていて、明日のデートの後はどこかの会場を借りてパーティーを開く事になっていた。
たかが高校生一人の誕生パーティーに大袈裟だと思ったが、土御門の話に寄るとそれなりの人数は集まる見込みらしく、この部屋では狭すぎるとの事だった。
そうやって沢山の人が自分の誕生日を祝ってくれるのは素直に喜ぶべきことなんだろう。
まぁ、その大部分がただ単にパーティーという騒げる場所を求めてやって来るような気がしないでもないが。
インデックスはもしかしたら上条に渡すプレゼントでも探すのかもしれない。それならば彼に事情を説明できないのも納得できる。
だが、上条からすれば不安な事もあるわけで。
「なんつーか……お前を一人で外に出すと凄まじいトラブルを引き起こしそうで、上条さんからすれば嫌な予感しかしないのですが」
「むっ、何なのかな人をトラブルメーカーみたいに。というか、とうまにだけは言われたくないんだよ」
「そりゃそうだろうけどさー。やっぱ心配だろ、ほら、学園都市だって決して治安がいいとも言えねえしさ」
「んー、あ、そうだ! じゃあ他の人と一緒っていうならいいよね? 舞夏とか!」
「舞夏かぁ……」
確かにインデックス一人にするよりかは随分マシだ。
それでも何かの拍子にスキルアウトなんかに絡まれて「おいなんだテメェこら」みたいな事になったら対処しきれない可能性もある。
……少し心配しすぎか? ただ、まぁ、舞夏にそんな危機が迫ったら土御門が黙っていないだろうし、彼女自身もメイドとしてそういう時の対処法を心得ている可能性もある。
「……分かった、それで頼む」
「了解! それじゃ、行ってくるねー!」
そう言ってインデックスは小走りで部屋を出て行く。
その直後、隣の部屋から舞夏を呼ぶ声が響いてきた。流れるような展開だ。
(俺も行かねえとな)
上条の目的はズバリ、明日のデートのプラン構築とプレゼントの加工。
その二つの目的を達成するために、上条には既に一人頼るあてがあった。
デートの経験があって、手先も器用な人物。あの男だ。
旅行中に壊れたケータイの修理が終わるまでの、使い慣れない代わりのケータイを出して電話をかける。
『おっす、上条。どうした?』
電話に出たのは元スキルアウトの浜面仕上だ。
彼には滝壺理后という恋人が居て、それに手先も器用だ。
「おう、悪いんだけどさ、ちょっと手伝ってくんね? 明日の、ほら、デート関係で」
『……ほうほう。流石の大将も好きな子とのデートは緊張する、ってか?』
「う、うるせえな……」
ニヤニヤとからかうような彼の表情が透けて見えるようだ。
だが、言っていること自体は何の言葉も挟めないほど正しいことなので、特に何か言い返す事もできない。
『ははは、分かった分かった、俺に任せろ…………って言いたいところなんだけどな』
「え、ダメか? 何か用事でもあるとか?」
『まぁ、そうだな。ちょい先約が居る。つってもそんな長くかかんねえだろうし、時間置いてくれりゃあ大丈夫だぜ』
「そっか……実はさ、プレゼント用の加工を任せてえんだけど、それって今日の明日で済ませられるか?」
『お、何だあんたもその用事か』
「あんたも?」
『あ、いや、何でもねえ何でもねえ。加工の種類にも寄るが……どんなもん作ってほしいんだ?』
「えーと……ほら、指輪……とか」
『指輪……ふむふむ、指輪ねぇ……』
「な、何だよ楽しそうだな文句あんのか! それより、できんのか?」
『ん、そのくらいならすぐできんな。つかそんなに大事なものなら素直に業者に頼んだほうがよくね?』
「急ぎなんだ。こんな慌ただしい仕事受けてくれるか分かんねーだろ。コネがあるわけでもねえし」
『なるほどな。うっし、分かった分かった。そんじゃ作ってやる。こっちの用が済んだら連絡するわ』
「悪いな。礼は必ずする」
『気にすんなって、あんたにゃ借りがあるんだ。このくらいじゃ返せねえ程のな。じゃな』
「あ、おいっ」
そっちこそ借りなんて気にするな。それを言う前に切られてしまった。
おそらく偶然ではないだろう。上条がそう言うと読んで、何かを言う前に意図的に通話を終わらせたのだ。
何というか、意外とそういう所は揺るぎない部分があるものだ。
***
浜面に電話をかけてから一時間とちょっと後。
上条は彼から連絡を受け、アイテムのアジトへとやって来ていた。
「尾行……なし、か?」
一応確認しておくが、上条自身は別にそういう感覚に優れているわけでもないので、確信は持てない。
場所は、とあるデパートの人気のない掃除用具入れ。その奥の壁を三秒置きに一度ずつ三回ノックする。
すると、ガコンという音と共に何かが外れる音が聞こえる。
「お邪魔します…………うおっ」
奥に広がっていたのは、西洋風の豪華な部屋だった。
床には高級そうなカーペットに、ソファーは見るからにフカフカ。更に雰囲気作りの為か暖炉まである。煙突はどこに繋がっているのか。
照明は明るいものではなく、全体的にぼんやりとしたオレンジ色の光が部屋に満ちていた。
「いらっしゃい。超歓迎とまではいきませんが、まぁごゆっくり」
そこでソファーに座っていた茶髪ボブの少女、絹旗最愛の存在に気が付く。
小さくてすぐに気付かなかったなんて言えば悲惨な事になるのは分かっているので、当然ながらそんな事は言わない。
「急に悪いな。浜面は?」
「ん」
絹旗は首だけ小さく動かして奥の部屋を指し示す。
ざっと見る限り他の部屋に繋がっているらしき扉もいくつかあり、それなりの規模の空間である事が予想できる。
といっても今は探検よりも自分の用事を優先すべきだ。
上条は真っ直ぐ指し示された扉へ近づき、コンコンとノックする。
「おーい上条だ。浜面いるか?」
「別にそのまま入っちゃっていいと思いますよ」
「へっ? いやでも……」
「超大丈夫ですって。それなりに急ぎの用事なんでしょう?」
「ん、まぁそうだけどよ……」
絹旗の言葉に押されるように、上条はドアノブを握って回す。鍵はかかっていないらしく、扉は簡単に開いた。
その奥では浜面仕上が何かの作業に集中しているようだった。
ガキッガキッという金属音が聞こえているが、それだけで何をしているのか理解できるほどの洞察力は持ち合わせていない。
いや、上条も極限状態の中ではたまに優れた洞察力や機転を発揮する事もあるのだが、それを常時発動できる程完成されていないというだけか。
何はともあれ、彼の背中だけを見ていても仕方がないというのは事実だ。
「浜面?」
「…………」
「おーい浜面。聞こえてんのかー?」
「…………お?」
ここに来てようやくこちらに気がついたらしく、浜面が振り返る。
そして。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
ガタガタッと何かを隠した。
「……何してんだ?」
「あ、いや、何でも…………つかいつの間に来てたんだお前!?」
「ついさっきだ。気付いてなかったのか?」
「あぁ…………って絹旗の奴か…………」
浜面はなおもガサゴソと何かを隠そうとしており、上条としてはかなり気になる。
首を少し伸ばして奥を見てみようとしたが、浜面はそれに気がついて、
「上条、ここにはきっとあんたが興味を持つようなものは何もない」
「いやそんな必死に何かを隠そうとしながら言われてもな」
「……知りたいか?」
「知りたいかと言われれば知りたい」
「じゃあ知らなくていい。あんたはできれば知りたい、俺は絶対知られたくない。それならこのまま何事もなかったかのように部屋を出ても何も問題ないはずだ」
「分かった分かった、そんなに知られたくないってんなら無理に知ろうとは思わねえよ」
元々、ここへ来た理由は浜面の秘密を無理矢理暴くためではない。
本人がこれだけ隠したがっている事を、意地でも明らかにしてみせようなどといった探偵精神旺盛なわけでもない。
世の中には謎のままにしておいた方がいいと、どこかの名探偵も言っていた気がするし。
そんなわけで、上条と浜面は部屋を出て元のロビー……と言えばいいのだろうか。とにかく初めの空間へと戻る。
「おい絹旗、上条が来たら呼べっつったろ」
「私を顎で使うなんて超百万年早いです。それを身を持って知ってもらおうと思いまして」
「……はぁ、そうだな俺のミスだ。お前に任せたのが間違いだった」
浜面は諦めたようにそう言うと、ドカッと絹旗の向かいのソファーに座り込む。
「隣空けてやれよ」
「まぁ浜面でないのであれば許容しましょう」
絹旗はそう言うと、少し横にずれて場所を空ける。
普通はまだあまり面識のない上条よりも浜面の方が気分的には楽なような気がするが、そこは照れ隠しなのだろうか。
……いや、何だか本気で言っているような気もする。
上条は絹旗の隣に座りながら辺りを見渡して、
「そういや麦野と滝壺は?」
答えたのは浜面ではなく絹旗だった。
「何でも二人きりでお話したい事があるとか。たぶん浜面関係でしょう。
この後ドロッドロの昼ドラ展開で、最終的に浜面が超刺されるんじゃないかってワクワクしています」
「え、浜面って麦野ともそんな感じなのか!?」
「……ちょっとな。つか絹旗、その話はマジで洒落にならねえからやめてください」
内心浜面も心配な気持ちはあるのか、表情には思いっきり苦いものが浮かんでいる。
確かに、考えてみてば自分の彼女と自分に好意を向けている女が二人きりでお話というのは中々に怖い。
二人共ニコニコとしながらも、周りの空気を歪めるほどのプレッシャーをかけあっている様子が頭に浮かんでくる。
ここは浜面の為にも話題を変えたほうが良さそうだ。
「えーと、それで浜面。こいつを指輪に加工してほしいんだけどさ」
「パワーストーン……ってマジか。すげえな」
「なにが?」
「あ、いや、別に……」
「へぇ、パワーストーンですか。それは凄い偶」
「とうっ!!」
すかさず浜面は手元にあったリモコンを手に取ると、絹旗に向かって投げつけた。
それは綺麗な放物線を描き、彼女の頭にぶつかる。
「いたっ…………超浜面ァァああああああああああああああああ!!!!!」
即座に絹旗は浜面に襲いかかり、マウントポジションをとってボコボコにする。
いや、ボコボコという擬音では生ぬるい。ゴシャメシャといったところか。
少しして、絹旗はふんっと鼻を鳴らして上条の隣に収まる。
そして浜面はというと、すっかり変わり果ててしまった顔面でもごもご話し始めた。
「とりあえず、指輪の方は俺に任せとけ。明日にゃちゃんと渡してやるよ。んで、デートの方は大丈夫なんか?」
「サンキューな。デートの方はまぁ……少しは考えてる」
「例えば?」
「インデックスはとにかく食うことが好きだからな。ブラブラ食べ歩きでもすれば喜んでくれんじゃねえかって。
ほら、最近は目隠しして食べたものを探すゲームなんてものもやってるみたいだしさ」
「はは、なるほどな。しっかし、食ってばっかってのも流石に飽きんじゃねえか? ただ食うって言っても色々やりようはあるだろ」
「アイツに限ってはただ食うだけで十分満足しそうだけどな……けど、他にも何かした方がいいのか?」
「食うっつってもシチュエーションが色々あんだろ? そうだな、ほら、定番の自然公園のボートの上で何か食べながらのんびりするとかよ」
「それ滝壺さんとやって、彼女超爆睡したまま寝ぼけて池に落ちそうになったとか言ってませんでした?」
「うっ……!!」
「つーか、なんか浜面が先輩面してますけど、そんな胸張れるほどデートで滝壺さん楽しませているわけでもないでしょう」
「ぐがっ!!!」
痛いところを突かれまくったようで、浜面は身をよじっている。
絹旗はそんな彼の反応に満足気に小さく笑うと、
「デートといえば映画館というのが定番でしょう。ポップコーンなど食べられるものもありますし」
「映画……かぁ。今どんなのやってんだ?」
「おっ、聞いちゃいますか? ふっふっふっ、いいでしょう。映画のことならば全てを知り尽くした絹旗最愛ちゃんが超何でも教えてあげましょう!!」
「B級ってとこ抜けてんぞ、そこ大事な所だろ。つかやめとけ上条、コイツのオススメする映画ほんっとつまんねえから」
「それは浜面の残念すぎる感性では超理解できないだけなのです。はぁ、嘆かわしいですね。B級にはB級なりの楽しみ方があるのに、それが超分からないなんて」
「まずB級でなきゃいけねえっていう必要性がねえ!! 普通の話題物でいいじゃねえか、この前だって滝壺さんグースカ寝てたんだぞ!!」
「誰もが楽しめる映画を人並みに楽しめて何が面白いんですかねぇ。浜面は全然分かっていません、えぇ、超全然分かっていません」
絹旗はやれやれといって様子で首を横に振る。
「B級やC級といったものは、ハリウッド超大作とは比べ物にならない程貧困な制作費の中から四苦八苦して、何とか最高の映画を創り出そうとしている所が最高なんですよ。
以前にも言いましたよね。例えるならよくあるハリウッド物が『ドヤァァ面白いだろぉぉぉぉ』みたいな感じだとすれば、私が見るB級は『うりゃぁぁ面白いだろぉぉぉぉ』みたいな」
「いや分かんねえ、ぜんっぜん分かんねえ。しかもそういう御大層な思想語った直後に『うわ、つまんねー』って全力で放り投げた事も忘れてねえぞ!!」
「違うんですよ、B級にも色々あるんですって。私は『ウェーイ、いっちょバカな映画作ってやるぜ!!』みたいな初めから勝負していないB級には興味がないんです。
本人達は本気でハリウッド超大作にも勝つつもりで作ったものが、どういうわけかB級になってしまったような……ってこれも前に言いましたよね。
まぁ、私もその辺りは実際に観てみないとどういうタイプのB級か判断できないので、そこはもっと精進すべき部分ではあると思いますが」
長々と語り続ける絹旗。そしてそれに対してツッコミを入れていく浜面。
それはともかく、これほどまでに情熱を注げるものがあるのは幸せだと思う。
上条は一度深く頷いて、
「……なるほど。そんな楽しみ方もあんのか」
「いや納得しちゃダメだ上条。何か色々言ってるけど、結局のところは『みんな知らない面白い映画を知ってる自分すげえええええええ』って事だから」
「それもないとは言いません」
「いいやそれが九割九分九厘だね」
「超聞き捨てなりませんね、九厘までいくわけないじゃないですか。よくて八厘です」
「その一厘の差がどれだけ重要なんだよ!」
「重要です。ほら、例えば戦場に咲いた一輪の花という曲があります。もしこれが一輪ではなく二輪だったら超微妙じゃありませんか?」
「漢字がちげえ!! つーか俺的には二輪の花でも一向に構わない!! なぜなら二輪の方が寂しくないから!!」
「お前ら仲良いな……」
上条を置いてけぼりで白熱する二人。
話の内容は本当に些細でくだらないどうでもいいような事なのだが、表情は活き活きとしている。
その様子はどこか上条とインデックスの関係と似たようなものを彷彿とさせる。心を置ける相手というものは大切で貴重だ。
ところが、絹旗は面倒くさそうに片手をヒラヒラと振ると、
「こんなのと仲良いとか言わないでくださいよ超気色悪い。それに、どうせこの腐れ縁ともあと少しでおさらばです」
「えっ?」
「解散すんだよ『アイテム』。当然俺と滝壺は二人で居るけど、麦野も絹旗もそれぞれ別の道へ進む」
「音楽性……もとい人間性の違いですね」
「無理に解散するバンドみたいに言わなくてもいいだろ」
「……なんつーか、それでも案外あっさりしてるもんだな」
上条が尋ねると、絹旗は不敵な笑みで、
「そりゃどっかのお子様みたいに『びええええええええん』とか泣くわけないでしょう。大人は超クールに超ドライに別れるものなんですよ」
「まぁ今生の別れってわけでもねえしな。会おうと思えばすぐ会えるし、それで繋がりが途切れたりするような関係でもねえよ」
「超残念な事に、ですね」
「そっか……そう、だよな……」
「といっても、上条の場合はまた別の話だ。あんたはインデックスと一緒に居たいんだろ? それならそうすべきだ。俺だって滝壺とは離れたくねえし」
まるでこっちの考えている事が読めるかのように言い当てられてしまう。しかも浜面相手に。
何だか妙な敗北感を覚える上条だったが、言っている事に対しては特に反論する事もない。
その辺りは上条の中でも結論がついている事だ。
「分かってる。今更決めた事を変えるつもりはねえよ」
「おっ、そういえばあなたは例のシスターさんに超告白するんでしたっけ?」
「浜面……お前言いふらして周ってんのかよ……」
「まぁまぁ、別にいいじゃねえか。それこそ今更だろ?」
それはそうかもしれないが、何だか納得出来ない。
絹旗はニヤニヤと楽しげな笑みを浮かべながら、
「それでそれで、具体的に告白するシチューエーションはどんな感じを計画しているんですか?」
「いや、普通に別れ際に空港で……」
「くぁー、超つまんねー」
「は!?」
「何ですかそのコッテコテのテンプレは。ダメですダメです、そんなんじゃ玉砕して終わりです」
「え、マジで!?」
「おい待て上条聞くな」
「今時の女の子は告白にも意外性を求めているんです! そうですねぇ例えば…………キスしないと死んでしまう病気なんだと超懇願するとか!! 何の脈絡も伏線もなく!!」
「お前それどっかのB級映画からパクってきただろ絶対!!!」
浜面が全力でツッコミを入れる。危ない危ない、もう少しで流される所だった。
そんな感じに、それからしばらく三人でギャーギャーと明日のデートの作戦会議をした。
一人でひたすら考えるというのも不安な部分も大きかったので、何だかんだ為にはなったと上条は思った。
絹旗の提案は尽くB級だったが。
***
夜。上条とインデックスは共にコタツの上で焼き肉という豪華な夕食をとっていた。
彼女がここで夕食をとるのも、今日と明日で最期。それに明日の夕食は上条の誕生パーティーで済ませてしまうだろう。
だからせめて今日はできるだけ奮発してあげるべきだ、と思ったのだ。
ちなみに彼女がどこに行っていたのかは聞いていない。
自分の誕生パーティー関係だというのは分かっているので、上条もそこを詳しく聞こうとするほど無粋ではない。
インデックスは満面の笑みを浮かべて肉にかぶりつきながら、
「美味しい!! やっぱりお肉は牛だね!!」
「……お、おう」
「でも大丈夫、とうま? お金苦しいならやっぱり私も少し……」
「いや、そこは大丈夫だ!! というか出させてください!!」
「ふふ、分かった。それならありがたくいただくね」
食べ物に関してこちらの財布の心配をする。
少し前の彼女であれば驚きを通り越して、偽物なんじゃないかという疑いさえ抱くレベルだ。
それだけ彼女は大きく変わった。
ただ、こうしてよく見ると、外見的なものでも大きく変わったような気がする。決定的に、何かが。
上条は頭を捻って彼女を凝視する。
何だろうか。これは目の錯覚だろうか。触れたら壊れる幻想なのだろうか。
「……うーん」
「ん、どうしたのとうま? そこまで凝視されるとちょっと食べにくいかも」
「あ、いや…………なぁインデックス」
「なに?」
「お前整形した?」
ボキッ!! と。
コタツの中でインデックスの足が上条の急所を捉えた。
「ごっ、がああああああああああああああああ!!!!!」
ジタバタとのたうち回る上条。
これはマズイ、息が止まりそうだ。ゾーンに入れば何とかなるレベルを超えている。
はるか昔ビッグバンが起きて宇宙が誕生し、そこに地球という惑星が誕生し、そこには海があった。
海にはやがて生物が生まれ、数を増やして陸上で生活するものも現れた。
猿が進化してヒトになり、知能を活かして道具を使い、文明を築いて地球を支配しているといってもいい程の生物となった。
……いや、ダメだ。こんな事を考えていても股間の激痛は収まらない。
もう何か現実逃避の妄想も巨大隕石激突によって強制終了させられる勢いだ。
そんな地獄の痛みを知らない、そしてこれからも知ることのない少女がプンスカと頬を膨らませて、
「もうっ、いきなり何言ってんのかなとうまは!!」
「おごぉぉぉぉぉおおおおううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……!!!!!」
「……と、とうま? 大丈夫?」
当然大丈夫じゃない。大丈夫であるはずがない。
流石に心配になったのか、インデックスはコタツを出てこちらに回り込んでくる。
それでも、どうすればいいのかは分からないようで、オロオロとしながら、
「えっと……ご、ごめんなさい。どうすればいいのかな……ソレ……」
「…………」
上条当麻は男子高校生だ。
同時に食蜂操祈やレッサーといった肉食系女子の攻撃にも動じない紳士でもある。
だが、もう一度言おう。上条当麻は男子高校生なのだ。
そして、男子高校生が銀髪碧眼の美少女に自分の股間をチラチラ見られながら「どうすればいいのかな」なんて聞かれたのだ。
(いや仕方ないよね。うん、仕方ないよ。ただハッキリしているのは俺は青髪ピアスみたいな変態じゃなくて、健全な精神を持ったまともな人間だという事で……)
「とうま?」
「その涙目上目遣い首傾げやめてください!!!!!」
「???」
上条の都合などお構いなしに、インデックスはベキバキと心の障壁を崩しにくる。
負けてはいられない。もしこの壁が崩れ去った時、その奥からは青髪ピアス化した上条さんが満を持して登場するかもしれないからだ。
そんなものの存在を認めるわけにはいかない。
いくら激痛で頭がよく回らなくても、譲れないものはあるのだ。
「ふっ、ふふふふふ……!!!!!」
「え、えっと?」
「あまり上条さんをなめないでもらいたい…………この絶対防御隔壁はどんなものでもぶち壊せたりはしないのだはははははははははははははははははァァ!!!!!」
「……大丈夫? 頭とか」
詰まるところ、上条は紳士だった。
***
常盤台学生寮。
そこの208号室が美琴と白井の部屋となっている。
「うううぅぅ……黒子は……黒子はお姉様成分が不足しまくっていますのぉぉぉおおおおおおおお!!!!!」
「てい」
「へぶっ!!」
チョップで一撃。見事なまでに手馴れている。
結局白井は愛の巣である彼女のベッドに辿り着けず、その間に置かれている小さなテーブルの上に不時着する。落ちた衝撃で腹が痛い。
美琴は一度溜息をつきながら、
「ったく、アンタもブレないわねー。私が居ない間にベッドに何かしなかったでしょうね」
「…………えぇ、もちろんですわ」
「おいコラしたのか、吐け今すぐ」
美琴は目の前の変態のホッペを両手で引っ張る。
しかも「もー、ダメだぞ☆」みたいな力ではなく、ギチギチと皮膚が不吉な音をあげるくらいにマジだ。
「いだだだだだだだだだだ!!!!!」
「ほらほらほっぺがちぎれる前に楽になった方がいいわよー」
「わ、わかっ、分かりましたからあああああああ!!!」
バチン、と美琴は手を離す。心なしか、反動で白井の頬がみょいんみょいんと振動したかのようにも見える。
「で?」
「……あう」
白井が口ごもると、美琴はゴキゴキと手を鳴らす。
「い、言います!! 言いますわ!! でも……」
「でも?」
「わたくしも乙女ですので……そういう事を口にするのは少し恥ずかしいのです……」
「んな恥ずかしい事してたんかアンタはァァああああああああああああああ!!!!!」
「あばばばばばばばばばばばばば!!!!!」
白井の言葉で大体の予想はついたのだろう。
美琴はここで思う存分電撃を爆発させて、いつも通り白井を黒焦げにする。
ところがこの風紀委員(ジャッジメント)の中学生。
この走り渡る電撃も中々良い物だ……などと新たなる扉を開いちゃってたりする。
美琴も、目の前の変態の表情がどこか恍惚としている事に気づくと、顔を青くして電撃を止めた。
そして、ガックリと肩を落として頭を押さえると、
「……はぁ。アイツにはフラれるわ、帰ってきたらベッドが変態に好き放題にされてるわ。私が何したってのよ……」
「うふふふふ、お姉様はもはや存在そのものが美しすぎて罪…………へ?」
「なによ」
「…………あ、あのぉ、今お姉様、何とおっしゃいました? 『アイツにフラれた』……?」
「あれ、言ってなかったっけ。そうなのよ、旅行中にアイツに告白したら『インデックスが好きだ』ってさ。あーあー、思い出したらまた凹んできた」
白井の思考が完全に停止した。
「…………」
「ったく、まぁあのシスター相手だとやっぱキツイってのは分かっ…………黒子?」
「…………」
「おーい黒子どうした? 電撃で麻痺っちゃった感じ?」
時間の経過と美琴の声により、徐々に白井の脳が活動を始める。
さて、まずは落ち着いて事実確認をしよう。
何が起きているのか、それを正確に理解する。これは風紀委員の仕事においても大切な事だ。
「お姉様の言う『アイツ』というのは上条さんに間違いありませんわね?」
「うん、そうだけど」
「そしてその告白というものは、愛の告白という事でよろしいのでしょうか?」
「そ、そうよ。いちいち確認すんなっつの、こっちだって恥ずかしいんだから」
「…………」
「あー、それと……」
しばらく美琴の説明が続く。
聞けば聞くほど複雑に絡み合った中での告白だという事が分かる。
美琴が説明し終えた時、白井は笑顔だった。
……なるほど、なるほど。
やっと上手く整理できた事に、白井は満足感を覚えながら、
「つまりは、わたくしは類人猿を殺せばいいのですね」
「やめい」
再び美琴のチョップが頭にめり込む。
まさしく作業のような一撃だ。それこそ続々と運ばれてくる刺し身にツマを乗せていく簡単なお仕事のような。
人間の頭を次々と叩いていくというのは精神的にマズイ気もするが。
すると美琴はふと首を傾げて、
「あれ、でもアンタの反応っておかしくない?」
「何がですのおおおおおおおおおおおあんの類人猿がァァあああああああああああああああああ!!!!!!」
「いや、だってアンタって私とアイツが接近している度に暴走してなかった? それなら」
白井の絶叫がピタリと止まる。
「…………わたくしにとって、お姉様と上条さんが付き合わないというのは、むしろ良い知らせなのでは、と?」
「え、あー、うん」
「……確かに言われてみれば、少々おかしいですわね」
白井は少し考える。
自分にとって大切なお姉様を、他の男に取られることが嫌だ。その気持ちに従って今まで上条を攻撃したりもした。
だが、こうして実際に二人が恋仲にならない事が決まって、白井の中では上条への怒りが芽生えた。
彼女は少し考える。そして。
クスリと、笑みをこぼした。
別に、こんな改まって考えこむ必要もなかった。簡単な事だったのだ。
確かに白井は他の男にお姉様を取られたくなかった。その隣には自分が居たいと思った。
それでも。
「結局、わたくしにとってはお姉様の幸せが一番、という事なんでしょうね」
「えっ?」
「お姉様が上条さんに好意を持っているという事くらい、本当は気付いておりました。それでもきっと、認めたくなかったのですわ。
認めたくない、その一心で上条さんをお姉様にまとわりつく悪い虫だと決めつけて、あのように追い立てていたのです」
実際にはそんなに昔の事ではないのだが、白井は懐かしい事を思い出すように目を閉じる。
「けれどもこうしてお姉様のお話を聞いて、怒って、そして思い知りましたわ。
あんな態度だったのに今更何をと思うかもしれませんが、お姉様が上条さんと一緒に居たいのであれば、その望みを叶えていただきたかったのでしょう」
「黒子……」
「ふふ、これでは上条さんの事をバカにできませんわね。わたくし自身も自分の事を良く…………んっ」
白井の言葉が途中で止まる。
その原因は頭。それも痛みや衝撃といったものではない。
美琴の手。柔らかく綺麗な手。
その手で頭を撫でられていた。
「ありがとう、黒子。でもさ、そこまで気にしなくていいわよ。これでも結構スッキリしてる所もあるのよ」
「……でも、ハッピーエンドではありませんわ」
「はは、確かにね。だけど、私もアンタと同じような事を思っているのよ。私はアイツが好き。アイツには幸せになってもらいたい」
「…………」
「負け犬の言い訳とか思ってる?」
「いえ……決して」
普通に考えれば強がりにしか聞こえない。
フラれたけど、それでも相手が幸せになってくれるのであれば、自分も本望だ。
そんな事を誰が真面目に聞くというのだろうか。必死に理由をつけて綺麗な思い出にしようとしているのが見え見えだ。
それでも、美琴の顔を見れば分かる。彼女は本心からそう言っている。
おそらく悩んだのだろう。悩んで悩んで、悩みぬいたのだろう。そこで力になれなかったのは悔やまれる所だ。
そして彼女は決めた。自分で選んで、決めた。
自分が最も納得できる、上条が最も幸せになれる、その道を。
そんな彼女の選択を、白井が否定することなんてできるはずがない。
美琴は既に前を向いて進んでいる。もう、彼女は日常の中に戻ってきている。
それならば、白井もそれに応えるべきだろう。
「……ふふふ」
「黒子?」
「うふっ、うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
「おーい大丈夫かー。いや頭がヤバイってのは分かってるけど」
「失恋の痛みには…………やっぱり人肌ですのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
「ぎゃっ……おいコラ抱きついてくんな、ちくしょう油断した!!!!!」
「うへへへへへへへ、あばっ、あばばばばばばばばばびびびびびびいいいいいいいいいっっ!!!!!」
途中から奇妙な悲鳴にシフトしたのは、もちろん電撃のせいだ。
ただ美琴は憤慨しながらも、どこか嬉しそうな笑みを浮かべていた。…………決してそっちの道に目覚めたというわけではなく。
だが、その時。
「さて、お前達に質問だ。人間の首はどこまで曲がると思う?」
ガチャリ、という音と共に部屋の扉が開き、その向こうに何かが立っていた。
そう、何か、だ。もはや“それ”は言葉で形容することが出来ないほどの有様に変貌してしまっていた。
白井は口を開く。諦めたら試合……いや、他にも色々と終わってしまう。
「あの、寮監様。これには海よりも深い理由がありま」
***
「……はい。わざわざありがとうございました」
育ちの良さそうな爽やか系の少年は、その言葉と共にケータイを閉じる。
二月の夜はよく冷える。吐く息は白く、真っ直ぐ夜空の月へと昇っていく。
対照的に、少年の心は焼けつくように燃え上がっていた。
隣を歩く少女は、そんな少年を見て目を細めて、
「何をするつもりだ?」
「…………」
「完全に八つ当たりだぞ」
「分かっていますよ」
「なおさら質が悪いな」
「それも分かっています」
隣の少女の言う事は分かる。分かり過ぎるほど分かる。分かりたくないのに分かる。
このように、自分の頭は思うようにはいかないものだ。それはいつだって。
「でも、まぁ…………彼なら何とかなるでしょう」
そろそろ日付が変わる頃であろう時刻の学園都市。
一人の少年は、そんな無責任な言葉を白い息と一緒に吐き出していた。
今回はここまで。遅れてごめんね
ごめん、明日までってのは無理っぽい
実は今就活中で決まらなくて焦ってたりする
結末まではずっと前から全部考えてあるから、まとまった時間できたら一気に書く
明日か明後日投下するでごんす
***
朝がやってきた。
上条の十六回目の誕生日。
だが、正直その辺りは記憶の事もあって大した実感も湧かない。
それよりも、上条にとって今日とは、もっと重要な意味合いを持つ。
そう、インデックス滞在最終日だ。
こうしていつも通りの朝を迎えて、お互い穏やかな表情で朝食をとっていても、その事実は何も変わらない。
明日になれば、彼女はイギリスへと旅立ってしまう。いや、帰る、という表現の方が適切なのか。
あまり考えてはいけないと、上条は頭を振る。
残された時間は少ない。だからこそ、今日この日を彼女にとって素晴らしいものにするべきだろう。
「とうま? 難しい顔してどうしたの?」
「あ、いや、何でもねえ」
「それならいいけど……もしかして今日は実は補習でしたとかいうオチはないよね?」
「いかにも上条さんらしいオチで悲しくなってくるけど、それはないから安心しろ」
「ふふ、良かった」
にっこりと安心して微笑むインデックス。
……純粋に、可愛いと思った。
そして、上条は頭をひねる。
自分はこの少女と半年近くも同棲していて、特に何事も無く過ごしていたというのか。
それは何というか、もはやあっち系の疑いすら出てくるレベルじゃないか。
少し前までの自分がここまで信じられない日が来るとは。
それだけ上条が変わったという事なのかもしれないが。
上条はおもむろに手を伸ばして、彼女の頭を撫でてみた。
「ふえっ!?」
彼女のサラサラとした銀色の髪の触感が心地いい。
その反応の可愛さも相まって、このままずっと撫で続けていたくなるような。
「と、ととととうま!? 急にどうしたのかな!?」
「ん、あぁ、何となくこうしたいなって」
「何となく!? とうまは何となくですぐ女の子の頭を撫でるような人だっけ!?」
「……それは違う」
そう言われるのは何となく不名誉な感じがしたので、仕方なしにやめる。
インデックスは頬を染めて、落ち着きなくもじもじとしている。
「もう……びっくりしたんだよ……」
「悪い、嫌だったか?」
「……嫌、ではないけど」
消え入るような小さな声で呟くインデックス。
その様子を見て、上条の心臓の鼓動が跳ね上がった。
何だこれは。インデックスの一挙一動が可愛すぎて、このままでは心が保たない。まだデートも始まっていないのに。
ここまでいくとわざとやっているのではないかとも疑いたくなるが、彼女に限ってそういう事はないだろう。
そういうのは食蜂の得意分野だ。
こういう時は相談するに限る。
上条はインデックスに一言言ってベランダへと向かった。
外へ出ると、二月の朝の寒気が身を包むが、今の火照った頭にはむしろ心地いい。
それに、少しは冷静になる必要もあったので、好都合だった。
ケータイを取り出してある番号にかける。
朝早い時間なので出るかどうか分からなかったが、案外すぐに繋がってくれた。
『もしもし上条? どうしたんだよ、いきなり何か問題発生か?』
声の主は浜面仕上。
やはりこういった恋愛関係の相談は、今現在恋人がいる者にした方がいいと思ったのだ。
「……あぁ、結構やばい問題だ」
『マジかよ……あんたのその不幸体質を考えれば仕方ねえとはいえ、こんな日にまでか。で、その問題ってのは?』
「インデックスが可愛いんだ」
『…………は?』
「だから、インデックスが可愛いんだ。可愛すぎて心臓が保たねえ」
『切るぞ』
「何でだよ!?」
唐突に通話を切られかけて慌てる上条。
ここで見放されてしまったらたまらない。
すると、浜面は盛大に呆れた様子で溜息をついて、
『何が問題だよ惚気じゃねえかただの』
「いや問題っての、これじゃまともに話せねえ。目も合わせられねえよ」
『中学生か! しっかりしろよ、そういうもんだよ恋ってのは』
「……そういうもんか」
『あぁ、こっ恥ずかしい事言わせんなよな。けど嫌な気分ってわけじゃねえだろ?』
「そう……だな。むしろ、なんか幸せな感じだ。自分でも信じられないくらい」
『これで付き合えればもっと幸せだぜ?』
「想像できねえよ全然」
『じゃあ実感しちまえばいい。告白の手順は考えてるんだろ?
そんなおどおどしてんのは上条らしくねえぜ。いつも真っ直ぐ突っ走る、それがあんただろ』
その言葉に、上条はしばし沈黙する。
そうだ、浜面の言う通りだ。こんなのはらしくない。
きっとインデックスだって、そんな自分の事は見たくないだろう。
「…………分かった、サンキューな浜面」
『気にすんな。頑張れよ』
通話を切って、一度空を見上げる。
青空は見えてはいるが、雲もそれなりに多い。
確か天気予報では、日が落ちてから雪が降るかもしれないとも言っていた。
雪というのはこの間の旅行でもう存分に見たが、何も悪いというわけではない。
むしろ、雰囲気というか、シチュエーション的にはいいのかもしれない。
まぁ、その辺りも経験乏しい上条には予想するしかないのだが。
それから部屋に戻る頃には、上条の頭もすっかり冷えていた。
頭はクールに、心はホットに。
よくある言い回しだが、かなりいい事言っているなぁ、と上条は思った。
***
いよいよデートに出発。
流石にデートという事もあって、上条も服装には気を付けた。
まぁ、見た目は普通にジャケットにジーンズなのだが、細かい所にオシャレポイントがあり、例えばボタンなんかは……。
と、ここまで考えて、はたしてそういう所までインデックスは気付いてくれるのかという不安を覚えてしまう。
そして彼女はいつもの修道服だった。上には黒のコートを羽織っているが。
いや、最近は私服姿というのもかなり見て、とても良く似合っていた。
だからこそ、この大切な日はよく馴染みのある服を選んだのだろうか。
……というわけで、第一ステップだ。
第七学区の道路を歩きながら、上条は隣のインデックスに向かって話しかける。
「なぁ、インデックス」
「んー、なぁにとうま?」
「手繋ぐか」
「ええっ!?」
尋常じゃなく驚くインデックス。
まさかそこまでのオーバーリアクションを想像していなかった上条の方が驚かされたくらいだ。
そこまで意外な事だっただろうか。
何だかんだ半年の付き合いだ、その間に手を繋いで歩いたことくらい…………あんまりないかもしれない。
インデックスは顔を真っ赤にして口をぱくぱくとしている。
「と、とうま、朝からおかしいかも!」
「わ、悪かったって、無理にとは言わねえから……」
「あ、ちがっ、嫌とかじゃなくて……その……何でかなって……」
「それは……ほら、お前ってすぐ迷子になるじゃん。だから手を繋いでおけば安心……とか」
「むぅ! 私はそんなそそっかしくないかも!!」
しまった、気分を害してしまったみたいだ。
とはいえ、彼女の言葉に全面的に同意できるわけでもないが。
仕方ない、もう強硬手段だ。
あれこれ考えても、どうもまとまらない。
そう判断した上条は、左手で彼女の右手をしっかりと握った。
「ひゃうっ!」
「へ、変な声出すなって……」
「だってとうまが急に! も、もう……っ」
口ではそう言いながらも、握られた手を振り払ったりはしない。
まぁ、もし振り払われたりしたら上条にとってはショックが大きすぎるわけだが。
左手から伝わってくるインデックスの手の柔らかさ、温もり。
今日もまた一段と冷え込む真冬の午前中だが、何だか体全体が暖かくなってくるような気がした。
病は気からとはいうが、やはり心と体は切っても切れない関係にあるようだ。
インデックスは頬を染めたまま足元を見ながら、
「何だかとうまが肉食系男子みたいなんだよ」
「お前……そういう今時の知識どこで手に入れたんだか……」
「旅行で主にみさきが」
「あぁ……」
妙に納得してしまう。
「いや、別に肉食系になってっつーわけでもないっていうかさ」
「うん、まぁ、とうまが本気で肉食系になったら、それはもう大変な事になっちゃうからね」
「そうか?」
「そうだよ。具体的に言えば何股もして誰かに刺されたり」
「お前俺を何だと思ってんだよ……つかそんなモテたら苦労しない……」
そこまで言って止まってしまう。
この間の旅行。そこで上条は美琴と食蜂、二人の少女に告白された。
それはモテていると言っていいのではないか。
これがモテ期というものか。
てっきり都市伝説的なものだと認識していたが、本当に存在していたのか。
「……あー、とにかく、俺はそんな軟派な奴じゃねえっての」
「ふーん……まぁ、とうまがそう言うならそういう事にしておいてあげるけど」
インデックスはジト目で、明らかに納得していない様子だ。
この状態のまま放置しておくのはよくない。告白にもきっと支障をきたす。
そう判断した上条は、何とか誤解を解くことにする。
「その完全記憶能力でよく思い出してみろインデックス。俺は自分から女の子に突撃していった事なんてなかっただろ」
「なかったっけ?」
「なかった!」
正確に言えば大覇星祭のオリアナとか例外はあるが。
まぁそこはインデックスも知らぬ所ではあるし、ギャグという事で処理していいノリだったろう。
インデックスは少しは納得した様子で二、三回頷き、
「つまり、とうまは寄ってくる女の子の方が悪いんであって、自分は何も悪くないって言ってるんだね」
「…………」
そういう言い方をされると素直に頷けない。
結局言っている事は、そんな感じにまとめられるのかもしれないが。
だからといって、何と言うか、それはそれでチャラ男的な軽い男の言い訳じみている。
「その辺りも本当にとうまらしいよね。女の子を助ける時だって、自分では自分のやりたいようにやっただけで、感謝される為にやってるんじゃないっていう感じ。
うんうん、つまりとうまには女の子にモテたいとかそういう気持ちは全くなくて、今のモテモテの状況も望んだ結果ではないって事だね」
「あ、あの、インデックスさん? 言葉とは裏腹に、痛いほどの何かをひしひしと感じているのですが……」
「べっつにー。せいぜいいつもの『不幸だー』とか言いながら、みことのビリビリとか、みさきのキラキラとか受けてればいいかも」
「辛辣だ……せっかくのデートだってのに……」
「っ!!」
インデックスの顔が一気に真っ赤に染まる。
面白いくらいに分かりやすい。
まぁ、そういう上条も、彼女の表情を見て心臓の鼓動を速めており、必死に隠しているのだが。
「きゅ、急に何恥ずかしい事言ってるのかなとうまは!」
「いや、でもお前だってそういう事言った時なかったっけ」
「私が言うのはいいけど、とうまが言うのはダメなの!」
「何だその言論統制! 俺は断固として抗議するぞ!」
「だいたい、とうまってそんなキャラじゃないでしょ。いつもいつも私の事を女の子扱いしなかったくせに!」
「あー……その、悪かった。今は、ちゃんと見てるからさ」
「えっ?」
「お前の事、女の子として見てるから」
「~~~~っ!!」
もはや言葉にならず、インデックスはポカポカと小さな両拳で上条を叩く。
その姿は微笑ましく愛らしいものであり、抱きとめて頭を撫でてやりたい衝動を抑えるのが大変だ。
ここが上条の部屋であったらそうしていたかもしれないが、こんな人目に付く路上でするような事ではない。
と言っても、二人のやりとりは既に周りから見れば目立っており、「何だこのバカップルは……」といった目で見られていたりするのだが。
おそらくそれにインデックスが気付けば今以上に大変な事になりそうなので、このまま知らないでいた方が幸せというものだろう。
だが、そこは上条当麻。
そうも希望通りに物事が進むはずもない。
「イチャついている所申し訳ありませんが、少しお話よろしいでしょうか」
鈴を鳴らすような澄んだ声が聞こえた。
ともあれ、そんな事を言われれば振り向かずにはいられない。
上条もインデックスも、ばっと音をたてて息ピッタリに、ほぼ同時にその声の方へ振り返る。
茶髪のツインテール、小柄な少女、名門常盤台中学の冬服。
自称御坂美琴の露払い、風紀委員(ジャッジメント)の白井黒子だ。
常盤台もこの時期は試験休みだったはずだが、常盤台の校則で休日の日も制服を着用しなくてはいけない。
彼女は明らかに呆れた表情でこちらを見ている。
「別にイチャつくなとは言いませんが、場所をわきまえてほしいですの」
「ちがっ、私達はイチャついてるわけじゃないんだよ!」
「つか白井だって、よく路上で御坂に変態行為に走ってるじゃねえか……」
「あれはセーフですの。健全なコミュニケーションですわ」
「そりゃ変わった基準だなおい」
「わたくし、風紀委員(ジャッジメント)ですので、大概の事は許されますわ」
「職権乱用だ!!」
警察の汚職事件は少なくはないというが、それは学生で構成される風紀委員にも当てはまるのか。
とはいえ、他の風紀委員とこの変態百合テレポーターを一緒にするというのも失礼な話なのかもしれないが。
「今何か失礼な事考えていませんでしたか?」
「いや何も」
しかも変に勘が鋭い。質が悪い。
「それで、上条さん。デート中申し訳ありませんが、お姉様の事で少々お話があります。お時間よろしいでしょうか?」
「……それは」
「えぇ、あなたが想像している事で大体は合っていますわ」
「お姉様って……みこと? 何かあったの?」
「やはり、インデックスさんは知らないのですね」
「え?」
白井の言葉に、インデックスは首を傾げる。
上条は慌てて、
「白井、その話は……」
「……分かりましたわ。わたくしもそんなに言いふらしたいような事ではありませんし」
「待ってよ! なに、とうま、私に何か隠してるの?」
「隠してない隠してない、俺はそんなに隠し事は得意じゃねえって」
「記憶の事があったのによく言うかも。まぁ、ベッドの下の参考書の間に挟まってるものとかは隠しきれていないけど」
「ぐううううおおおおおおおおおお!! カモフラージュまで加えたってのに!!!」
「甘いですわね。そういうものは近くに無難な十八禁物を置いて、本当にマズイ性癖が分かるような物からは目を遠ざけるようにするものですわ」
「常盤台のお嬢様とは思えないほどの狡猾さだなおい。割と本気で同部屋の御坂が心配になってきたぞ」
「ていうか話逸らさないでほしいかも!」
「いやインデックス、年頃の男子高校生ってのはそういう本の一冊や二冊持っているもんで……」
「そっちじゃないってば!」
インデックスはバタバタと慌ただしく腕を振って抗議しているが、その要求を飲むわけにはいかない。
美琴や食蜂が告白して、上条がそれを断ったという事実は伏せていた方が懸命だ。
上条は別に女の子に告白された事を自慢して回るような事をするつもりはないし、しかも振ったというのだからそんな事が出来るはずがない。
加えてもちろん、インデックスに余計な心配をかけたくないというのがある。
上条は自分の選択に後悔はしていないが、この出来事を知った彼女は何か変な風に考えこんでしまうかもしれないと思ったのだ。
例えば、上条が二人を振ったのは、インデックスの今の状況に気を使って、だとか。
ここにきて、彼女の精神状態を不安定にする事は絶対に避けたい。
それは本当に、誰も幸せにしないという事はハッキリしている。
そんなわけで、どうやって彼女に納得してもらおうかと考えていた上条だったが、
「あ、そこのシスターさん! ちょっとお話いいですかー?」
「実は学校で異文化交流についての宿題が出ていまして、ご協力してくださると助かるんです!」
黒髪ロングの活発そうな少女と、頭に特徴的な花飾りを付けた少女。
上条も知っている、御坂美琴と白井黒子の友人、佐天涙子と初春飾利だ。
そしてこのタイミング。
あまりにも出来過ぎなので白井の方をチラリと見てみると、案の定彼女はコクリと小さく頷いていた。
つまりは、これは彼女が上条と二人で話すために仕組んだ策なんだろう。
インデックスは少し困った様子で佐天と初春の方を見る。
「え……え……? でも、その」
「お願いします! ぶっちゃけ結構ピンチなんですっ!」
「まぁ、いいじゃねえかインデックス。こっちの話もなるべく早く終わらせるからさ」
「……むぅ、なんだかいいように事が進んでいるような気がするんだよ」
若干ジト目でそう言うインデックス。
中々に鋭い。必要悪の教会(ネセサリウス)での仕事をこなす中で成長したのだろうか。
……と、そこで佐天がキラリと目を光らせる。
「今ならそこのカフェで好きなものをごちそうしちゃいますよ!」
「喜んで引き受けるんだよ!!!」
やっぱりあんまり変わっていないインデックスさんだった。
***
上条と白井は二人で人気のない路地裏へ入る。
本来であればこんな場所に女子中学生が来るものではないが、彼女に関しては別だ。
そもそも、仕事柄おそらく彼女は上条よりもこういった場所に詳しく、更に良く溜まっている不良への対処法もよく知っているだろう。
少し進んだところで二人は立ち止まる。
白井は無言で上条を眺めて、何かを考え込んでいる様子だった。
この微妙な間が、上条にとっては何とも落ち着かない。
「……えっと、その、御坂の件は本人から聞いたのか?」
「えぇ。旅行から帰ってこられたその日に」
「そっか……」
「では、わたくしがあなたにどのような用があるかは分かりますか?」
その質問に、背筋が寒くなり思わず身震いしてしまう。
正直言って、嫌な予感しかしない。
今までの記憶を辿っても、白井黒子と御坂美琴二人が関わった時というのはろくな目にあっていない。
「もしかして、御坂を振った事に対する報復……とか?」
「そう思いますの?」
少し考えてみる。
彼女は美琴に心酔している。それは普段の様子を見れば誰の目にも明らかだ。
だから、その美琴に付きまとう男として見られていた上条は、強烈な迫害を受けたりしたわけだ。
つまり、彼女にとっては上条と美琴が付き合うことの方が最悪で、この結果は悪くないのではないか。
少なくとも、大好きな美琴を上条に取られる事はなかったのだから。
だが、そんな簡単な話でもない気もする。
白井は美琴が悲しむような事を許さないというのもまた事実だ。
そして、上条に振られた事で美琴はそれなりのダメージを受けただろう。
それを考えると、次の瞬間には鉄矢が体に突き刺さってもおかしくないようにも思える。
上条はゴクリと喉を鳴らす。
選択を間違えてはいけない。
今日は大事なデートだ、この後あのカエル顔の医者にお世話になるような事は絶対に避けたい。
「……いや、報復だったら二人になった瞬間に襲い掛かってくるはずだ」
「えぇ、そうですわね。では他の可能性は?」
「実は白井は俺のことが好きでインデックスとのデートを邪魔したかっただけ……ごめんなさい何でもないです」
ここで一つ軽口を叩いて空気を和ませようと考えた上条だったが、白井の表情を見て思いとどまる。
あと少しでも遅れていたら、今頃全身に鉄矢が突き刺さっていただろう。
上条は肩をすくめる。
「降参だ、分かんねえよ」
「まぁ、そうでしょうね。元々わたくしもあなたにそんな察しの良さを期待していたわけでもありませんし。
わたくしの話というのはただ単に確認したいことがある、それだけですわ。別に暴力行為が目的ではありませんのでご安心を」
「……本当だろうな」
「正確に言えば、あなたの答えによっては暴力行為に繋がる可能性もありますが」
「一気に不安になったぞオイ」
無意識に右手を構えてしまう上条。
相手がテレポーターという事もあって、この行為にはあまり意味は無いのだが条件反射的なものだ。
白井は上条の言葉には取り合わずに、真っ直ぐ彼を見つめる。
少しも揺らがない瞳。それだけで、彼女の意思の強さが伺えた。
「あなたはインデックスさんの事が好きなんですね。お姉様よりも」
「あぁ、そうだ」
ハッキリと、そう告げる。
それだけ上条の心は固まっていて、そしてそれを彼女に伝える必要があった。
彼女が何を考えて確認しているのかは分からないが、応えなければいけないという事は分かった。
白井はゆっくりと瞳を閉じると、静かな声調で尋ねる。
「“御坂美琴と彼女の周りの世界を守る”という約束についてはどうするつもりなんですの?
まぁ、その約束を交わした相手はわたくしではありませんから、あまりどうこう言う資格はないのかもしれませんが」
「それは変わんねえよ。俺は今までどおり、御坂とその周りの世界を守っていく。
振ったくせにとか言われても構わねえ、俺にとってアイツは大切な友達だってのは変わんねえからな」
「……ですがそれは、何もお姉様に限った話ではないでしょう。
例えその時初めて出会った人に対しても、あなたはそれこそ命を賭けてでもその方を守る。違いますか?」
「それは……そう、かもしんねえけど……さ……」
「別に責めているわけではありませんわ。あなたのそういう所も含めて、お姉様はあなたの事が好きだった……いえ、好きなのでしょう」
彼女は穏やかに微笑んで言った。
こんな彼女の表情を、上条は初めて見たような気がする。
彼女にとって自分は単なる邪魔者でしか無いと思っていた上条だったが、それだけではないのかもしれない。
それは、とても嬉しい事だ。
相手が誰、という問題ではない。
例え誰からであっても、自分を認め少しでもよく思ってくれる人の存在というのは大切なものだ。
「ありがとうございます、わたくしが聞きたかった事はこのくらいですわ。
元々そこまで疑っていたわけではありませんでしたが、いつも通りのあなたで安心しました」
「俺からすればお前の方がいつもと違いすぎて不安になるけどな」
「あら、そんなにドロップキックをくらいたいんですの?
あなたにそんな趣味があったとは……お姉様に報告した方がいいですわね。いつまでも変態の事を気にしていても仕方ない、と」
「お前が言うなお前が! あと俺は何もドロップキックをくらいたいわけじゃねえ!」
「ふふ、分かりますわ。やはりお姉様の電撃にくらべてばそんなものでは満足できないでしょう」
「分かんねえよ、人を勝手に変態の理解者みたいにするな」
魔神の理解者になる事はあったが、変態の理解者なんかには絶対になりたくない上条。
そんな上条の主張が伝わっているのかどうか分からないまま、白井は制服のポケットから何かを取り出して上条に渡した。
「せっかくのデート中にお時間を取らせてしまったせめてものお詫びです」
「おうサンキュ……ってこれ学園都市食べ歩きチケット!?」
上条がこんな事を思うのは極めて稀なのだが、幸運にもそれはこれからのデートに予定していたものだった。
チケットには何種類かあり、インデックスにどれがいいか聞いて買うつもりだったが、今手にあるものは最高級のものだ。
「以前、常盤台でのちょっとした催し事の際に頂いたものですが、あなたの方が必要でしょう」
「い、いいのかこれ……すげえ高いもんだろ……」
「そこまで大袈裟になる程でもないでしょうに。それにお姉様を振ったのです、あなたにはちゃんとデートを成功させインデックスさんに向き合う義務がありますわ」
「……あぁ。ありがとな白井」
上条とインデックスの恋愛は、様々な事情が絡み合って、とても手放しで応援できるようなものではないはずだ。
だが、こうして実際に手を貸してくれる人はいる。
もちろん彼女だけではない。今この状況に至るまで、上条は色々な人に助けられてきた。
それは恋愛に限った話ではなく、いつだって上条には手を貸してくれる誰かが居た。
だから、こうして前を向ける。どんな事に対しても真っ直ぐ挑んでいける。
やっぱり何だかんだ言っても、自分はかなり幸福な人間だと、上条は思う。
「あ、そうですわ」
上条の表情を見た白井は、満足そうな笑みを浮かべていたが、ふと何かを思いついた表情になって口を開く。
最後に何かアドバイスを貰えるかもしれない、と期待する。インデックスと同年代の少女の言葉はとても参考になる。
しかし。
「インデックスさんの件が片付いてからでもいいですから、後でわたくしにお姉様をメロメロにさせて禁断の愛に身を委ねさせるコツを教えてくださいな」
「そんなもん知るか!!!」
***
白井との話が終わって、カフェに居るインデックス達の所へ戻ってみると、そこには真っ白に燃え尽きている佐天と初春の姿があった。
テーブルには大量の空いた皿。それを見るだけでおおよその状況は理解できる。
いや、そもそもインデックスに対して「好きなものをごちそうする」なんて言った時点で、この結果は予想できるものだった。
付け加えると、思いっきり注目も浴びていた。
それもそうだ、カフェでここまで大量に食べまくる者はそうそう見られない。
一時期フードファイトというものがテレビで流行っていた時もあったが、今では全く見ない。
流石に上条もいたいけな女子中学生にこれ程の負担を押し付けるのは良心が痛んだ。
だからこの支払いは上条が引き受けようと考えていたが、それを白井が遮った。
元はと言えば彼女の都合によるものということで、自分が払おうという事らしかった。
正直いきなりの多大な出費に頭を抱えたい上条だったので、これはとても助かった。
白井は白井で顔色一つ変えずに支払う辺り、ここでも貧富の差を痛烈に感じたりもしたが。
上条とインデックスは白井達と別れてデートを再開する。
手はうやむやのまま離したままでいる。上条としては何とかしたい所だが、中々きっかけを見出だせない。
第七学区はそれなりに人通りが多い。
元々学園都市で一番学生が集まっている場所ではあるのだが、現在は入試期間中という事で休みになっている事もあって、普段よりも多い印象だ。
そこを口実にすればいいかもしれない。
「結構人多いな。はぐれるなよインデックス」
「ん、じゃあこうするんだよ」
ぎゅっと上条の服の裾を握るインデックス。
微妙に狙いが外れてしまったが、これはこれで可愛いのでいいかと思ってしまう。
「それで、最初はどこから周るか。この食べ歩きチケット、学園都市の学区ほとんど網羅してるみてえだし、流石に全部は行けねえぞ」
「やっぱり近場から攻めていくのが定石じゃないかな?」
「なるほどな。そこからどんどん周りへと被害を拡大させていくって感じか」
「人を爆弾か何かみたいに言わないでほしいかも」
不満そうに頬をふくらませるインデックスだが、この表現はあながち間違ってもいない。
彼女の食欲というのは底がなく、食べ放題なんていうのはその店に壊滅的な打撃を与えること間違いなしなのだ。
「まったくもう、とうまには私の成長した姿を見てもらう必要があるみたいだね」
「と言うと?」
「ふふん、どうせとうまの事だから、私がお店を選ぶ基準としては何よりも食べ物の量を優先するとか思ってるでしょ?」
「そりゃな。お前の舌を満足させるよりも腹を満足させる方が遥かに難易度高いだろうしな」
「でも私は変わったんだよ。ここで私が一番重視するのはズバリ……」
と、ここでインデックスは妙に演技がかった動作で立ち止まり、ビシッと頭上の曇り空を指さす。
「ここならでは! っていうところなんだよ。日本とか学園都市でしか食べられない料理、それを優先するんだよ!」
彼女はやけに得意そうに言う。
まるで普通は誰も思い付かないような事を言ってのけたように。
「……あぁ、そうだな。いいんじゃねえの」
「えっ、な、なんか反応が薄いかも!」
「いや何と言うか、ぶっちゃけそれって割と普通の事だし」
「そうなの!?」
上条が頷いてみせると、インデックスはがっくりと肩を落とす。
どうやら彼女は本当に今までそういった事を真面目に考えた事がないようだ。
それはそれでとてつもなく彼女らしく、上条はクスリと口元を緩めてしまう。
「あ、今なんかバカにしたでしょ!」
「してないしてない。それで、具体的にはどんなのがいいんだ? 日本とか学園都市ならではっていう料理もいくつもあるぜ?」
「うーんと……」
チケットと一緒に渡されたパンフレットを覗き込みながら、インデックスは考えこむ。
ふいに触れ合うくらいに接近した事で、彼女のふわっとした良い香りが鼻孔をくすぐる。
その香りに、ドキンと心臓が跳ね上がるのを感じた。
そういったものは彼女を“女の子”として意識させるには十分なものであり、一度落ち着いた心も再び、いとも簡単に乱れてしまった。
だが、それを彼女に悟られるわけにはいかない。
女の子の香りに興奮して顔を赤くしているなんていう場面は、変態の汚名を受ける可能性が高く何としても避けるべきだ。
「うん、決めた! 私、これがいいかも…………って何してるの?」
「な、何でもないです」
満面の笑みでこちらを振り返ったインデックスだったが、上条があからさまに彼女から目を逸らして挙動不審になっている様子を見て首を傾げる。
一方で上条は、彼女からのそんな問いに気の利いた事も言えずに、言葉少なく誤魔化すしかなかった。
***
「……で、ワカサギ釣りかよ」
「うん、前にテレビで見て、一度やってみたかったんだよ!」
上条とインデックスは自然公園にある大きな池の上にいた。
池は厚い氷で覆われているのだが、東京でここまで凍りつく事は中々ない。
そもそも、こんな所にワカサギがいるというのもおかしな話だ。
まぁ、そこはやはりというべきか、人の手、科学の手が加えられている。
この氷も、その下にいるワカサギも特別な処置が行われており、こうして東京でワカサギ釣りを楽しむことができるのだ。
おそらく狙っているメイン層は大学生~大人あたりだろう。
食べ歩きチケットの対象にここが含まれているというのも意外な感じだが、どうやら研究者側からするとワカサギの味にも拘っているらしい。
食用としての価値はやはり重要視されるところらしく、外から多大な利益を得るという目的もあるそうだ。
DNAを弄くるという事は学園都市も十分得意としているという事は、上条も嫌な程知っている。
というわけで、初めてのワカサギ釣りにワクワクの上条とインデックス。
氷に覆われた池の上には防寒性完璧のビニールハウスがあり、その中で釣りをする事になる。
中はかなり暖かく、上着も必要ないくらいだ。これでは下の氷も溶けてしまうのではと思うのだが、そんな事もなくガチガチに凍りついている。
たぶん、これも学園都市ならではの技術が加えられた氷なのだろう。
こんな快適な空間でのんびり釣りができるというのはいいかもしれないが、何か間違っている感が否めない。
まぁ、上条も釣りは初めてなので、「ワカサギ釣りは寒さも含めて楽しむものだ!」などと通っぽい事を言うつもりはないが。
経験はないが、漠然とした知識を元に上条はアイスドリルを手にする。
確かこれで下の氷に穴を空けるのだ。
「とうま、とうま! 私がやりたいかも!!」
「……あの、インデックスさん。間違えて俺の腹に穴空けるとかはやめてくださいね?」
「何がどうなったらそうなるんだよ」
「いやお前の機械音痴っぷりと俺の不幸が合わさるとそんな事も起きそうだと思ってな」
「流石に心配性過ぎるかも。でも、確かに機械っていうのは色々面倒なんだよ。豊穣神の剣が使えれば、このくらいの氷スパッと切れるのに」
「街ごとスパッといきそうだからそれはやめろ」
「相変わらずとうまは魔術に対して偏見持ち過ぎかも」
そう言って呆れて溜息をつくインデックス。
だが、上条の今までの経験を考えれば、魔術に対してそのような印象を持つ事は仕方ないだろう。
どうやらアイスドリルも科学の力が相当加えられているようなので、説明書をよく読む。
何でも、先端を氷に少し突き刺してボタンを押せば、後は勝手に最適な穴を空けてくれるというものらしい。
流石にこれならインデックスでも扱うことができ、数秒後には二つの綺麗な円を描いた穴が出来上がっていた。
「……ねぇ、とうま。なんだかこれは違うような気がするんだよ」
「俺もそんな感じがするけど、気にするのはやめようぜ」
あまりにも単純化された作業に、インデックスも首をひねる。
これはこれで立派な釣りだと言われれば納得するしかないのだが、外の釣りマニアが見たらどう思われるかは何となく予想できる。
そんなこんなで、特に苦労することもなく、氷に空けた穴に餌を付けた釣り糸を垂らす。
あとは椅子に座ったまま辺りを待つだけだ。
本来なら竿を僅かに上下に動かして魚の目を惹いたりするものらしいが、それも自動でやってくれるらしい。
「これで釣れてもあまり自分の成果だって思えないかも」
「もうあまり考えないようにしようぜ……」
「むぅ、魔術が使えれば狩猟の神が使っていた道具とか出せるのに」
「とんでもねえものが釣れそうだからやめろ。
せっかくだしのんびり落ち着いて…………そういや釣りってのは短気の方が向いてるって言うから、インデックスにも合ってるかもな」
「私が短気になるのはお腹が空いた時くらいなんだよ」
「確かに腹が減るとカリカリするのは自然な事だけど、頭に噛み付くまでいくのは短気って言っていいだろ」
「でもほら、とうまの頭ってちょっとウニみたいだし」
「何がほらなのか全く分かんねえし、例え俺の頭がぺったんこでもお前は噛み付くと思うね」
「そうかな?」
「そうだ」
頭に噛み付くなんていう行為をしてくる相手は、今まででもインデックスだけだ。
逆に、インデックスの方もその行為は上条に対してだけにしかしていない。
もしかしたら親密な相手にしかやらないのかもしれない。
そう考えると、不思議と嫌な気持ちはしない。決して上条にそういう性癖があるというわけではなく。
そんな事を話していると。
「あ、釣れた」
「おー……ってもっと喜べよ」
「やっぱりイマイチ達成感ないんだよこれ」
「そう言うなって、ほら、これからそのワカサギを唐揚げにして食べるのとか想像すれば……」
「か、唐揚げ……っ!!!」
途端に目を輝かせるインデックス。
何とも分かりやすく扱いやすい。
そこからは、彼女は明らかにハイテンションになっていた。
やはりというべきか、彼女にとって食べることというのは大きな意味をもっており、それに繋がる行為はなんだって楽しいのだろう。
何にせよ、上条としては彼女に楽しんでもらえればそれで嬉しい。
それから少しして、上条は異変に気付く。
いや、ある意味ではそれは異変でもなんでもなく、彼にとっては日常的なものなのかもしれない。
それでも、普通の人間から考えれば十分おかしな事だ。
近くでどんどんワカサギを釣り上げていくインデックス。
それはたぶん彼女にそういった才能があったとかそういうわけではなく、ただ単によく釣れるように科学的に仕組まれているだけだろう。
まぁ、例え気付いていたとしてもそんな空気を壊すような事を言ったりはしないが。
そして、ここからがおかしな事というか、上条にとっては当然ともいうべき事態。
大漁のワカサギフィーバー中のインデックスの隣にいる上条が、全く釣れない。
初めは大漁の自分の方に夢中になっていたインデックスも、ふと我に返って哀れみを込めた視線を送る。
「…………」
「え、えっと、とうま? もしかして私がとうまの分のお魚まで取っちゃってる……って感じなのかな?」
「いや、たぶんそれは関係ないんだ多分。これで場所変わっても、どうせ俺は釣れないままなんだろうな、ふふふふふ」
上条当麻は不幸な人間だ。
それについては、この科学が進んだ学園都市でもまだ解明できていないものでもあり、どうしようもない。
故に科学的に釣りやすくなっている釣り堀でも、その効果は上手く発揮されない。
だが、上条は失念していた。
よく釣れるはずの場所で全く釣れない。この不幸はその程度のものだったか。
答えはすぐに返ってくる。
「……あれ、何か音しない? とうまの足元」
「音? そういえばなんか」
そこまで口にした瞬間。
バキン! という快音と共に、上条の足元の氷が一気に崩れ落ちた。
***
しばらくして、上条達は近くの建物の中で休ませてもらっていた。
とてつもなく寒い。
それも当然だ、雪が降るという予報もある二月の冬空の下、池に落ちたのだ。
ここは暖房もよく効いており、目の前には熱源もあるのだが、一向に上条の体の震えは止まらない。
一応北極の海に落ちた経験はあるが、そんなもの何度経験しても慣れるというようなものでもない。
不幸中の幸いだったのは、インデックスは無事だった事だ。
崩れたのはピンポイントで上条の足元。
係員は何がどうなればこんな事が起きるのかと困惑しながらも、何度も何度も頭を下げて謝罪してきた。
上条としては、そこまで謝られても申し訳ない。
たぶんどんなに安全面に考慮していたとしても、どの道上条は池に落ちていたと想像できるからだ。
何が悪いといえば、運が悪いとしか言い様がない。
「ふ、不幸だ……」
「大丈夫、とうま?」
「何とかな……けど悪いインデックス。もう少しこのまま暖まらせてくれ」
「うん、もちろんいいんだよ。とうまが風邪引いちゃったら私も困るし……」
そう言いながら、インデックスは何かを逡巡していた。
そして上条が首を傾げて彼女の方を見ると、どうやら彼女は何かを決心したようだった。
インデックスはおもむろに上条の近くまでやって来ると、後ろからギュッと抱きしめた。
「っ!?」
「え、えっとね、これはとうまが少しでも暖かければって思って……その、他に意味はなくてね……!」
その声を聞くだけで、おそらく彼女は顔を真っ赤にしているのだろうという事が容易に想像できた。
なにせ、上条の方も耳まで真っ赤にしているからだ。
「そ、そっか……サンキュ」
「う、うん」
ろくに会話も続かず、むず痒い沈黙が広がる。
デート的にはこの雰囲気は決して間違いではないのかもしれないが、だからといって身を任せられる程の余裕は上条にはない。
というわけで、何か空気を変えられるような話題を捻り出そうと頭を回転させるが、中々都合よくすぐに思い付いたりはしない。
(大体、インデックスの奴、自分はデートだって言われるだけであんな過剰反応してたくせに、こんな事してきて…………)
そこで上条の思考が止まる。
一つ、彼女に聞きたい事ができた。
だが、それはあまりすんなりと聞けるような事ではないかもしれない。
少なくとも、この空気をどうにかできるようなものではないし、下手をすると悪化する可能性だってある。
それでも、一度頭をよぎってしまった結果、どうしても聞きたくなってしまった。
「……なぁ、インデックス」
「な、なに?」
「もし、ここに居るのが俺じゃなくて別の奴……例えばステイルとかだとしてさ、インデックスは同じように、その、こうしてくれたりすんのかな」
「えっ……あ……そ、それは……」
明らかに彼女を困らせていた。
当たり前だ。こんな事を聞いておいて、何を言っているという感じだろう。
上条はすぐに後悔した。
そんな事を聞いてどうするのだ。
彼女は誰にでも優しい。困っている人がいれば、誰でも何とかしてやりたいと思う。
例え彼女がステイル相手に同じような事をするとしても、上条がどうこう言う権利などない。
「悪い、何でもない。忘れてくれ」
「……私はシスターさんだから、困っている人には手を差し伸べなければいけないんだよ。私自身もそうしたいと思ってる」
「そう……だよな。はは、そういえばお前ってシスターさんだったな。つい忘れそうになっちまうな」
上条はからかって、この空気を流してしまおうと考えた。
答えも聞けたのだし、もう十分だ。この妙に胸がざわつく感覚からも早く逃れたい。
だが、インデックスの話はそこで終わらなかった。
彼女は上条を抱きしめる力を強めると、耳元で囁くように、
「でも私にとって、とうまは特別な人なんだよ。他の誰よりも」
その言葉に、上条は何も言えなくなった。
今自分がどんな顔をしているのかも分からない。
ただ漠然とした幸福感だけが体の中を巡っていき、外に出たいと騒いでいるようだった。
上条は口元をぎゅっと結ぶ。
油断すれば、そこから様々な言葉が漏れてしまうと思ったからだ。
もう少し、冷静にならなくてはいけない。
今の二人を取り巻く状況というのは複雑で、その場その場の勢いで言葉を紡ぐのはやめた方がいい。
彼女に自分の気持ちを打ち明けようと決心した上条だったが、それにはきちんとした順序を踏みたいと思っている。
だから、今はただこう言った。
「……ありがとな、インデックス。俺にとってもお前は特別な人だよ」
「ふふ、そっか」
彼女の満足そうな声が背後から聞こえてくる。
どんな表情をしているのかは見えないが、声の調子からきっといつもの穏やかな微笑みを浮かべているのだろう。
今はそれだけで、良かった。
とりあえずこんなもんで。色々あって遅くなってごめん
ちょうど季節も合ってきたから春がくる前に完結させたいなぁ
***
それから上条とインデックスは学園都市のグルメ食べ歩きを続けた。
漫画に出てくるような原始的な骨付き肉から、普段の上条家の家計からは到底手の届かない最先端技術と食材をふんだんに使われた高級料理まで。
加えて、このチケットの良いところは、使える範囲がとてつもなく広い点だ。
具体的に言えば、お食事処だけではなく映画館のポップコーンのようなものにも使えたりもする。
本当の意味で学園都市のグルメを堪能し尽くす事ができるというわけだ。
こんな贅沢をし放題なチケットをあんなに簡単に渡してくれた白井黒子には、これからしばらくは頭が上がらないだろう。
とは言え、やたら美味いポップコーンを食べながら観た映画というのは色々と残念過ぎるB級だったため、もはやポップコーンの方に集中してしまう有様だった。
浜面が頑なに絹旗映画を否定し続けていただけに、逆に興味を持ってしまいこうして観てみたのだが、どうやら失敗だったようだ。
そしておそらく、あの絹旗最愛自身も、この映画を観て面白いとは言わないだろうと思ってしまった。
そんなこんなで、映画の感想などは皆無で、ポップコーンの感想ばかりを話しながら、上条とインデックスは次の目的地へと向かう。
時刻を確認すると、もう昼下がりだった。時間の流れを早く感じるのは、何も冬で日照時間が短いからとかいう理由ではないだろう。
楽しい時間というのはいつだって早く流れ去っていく。
かのアインシュタインも相対性を説明する例えに「熱いストーブに手をかざすと、1分間が1時間のように感じられるが、
素敵な女の子と話をしていると、1時間がまるで1分間のように感じられる」という言葉を残している。
人間の感覚というのは何とも都合の悪い作りになっているものだと、何か生き物として根本的な部分に不満を持ってしまう始末だ。
ただ、いつまでも嘆いていても仕方ない。
「よしインデックス、次は第六学区だ」
「第六学区? もしかして初めて行く所かな?」
「あー、そういえばインデックスは行った事ねえかもしれねえな。観光客向けにアミューズメント施設が集まった学区なんだけどさ」
「観光客……って一応私もそうなのかな? あまり実感ないんだよね、ほら、私にとってとうまの家が実家って感覚だから」
「なるほどな……まぁ、別にあそこは俺の家ってわけじゃなくて寮の部屋なんだけども」
確かに彼女にとっては、今の記憶で最も長い時間を過ごした場所というのがここ学園都市であり、むしろここが故郷と言ったほうがしっくりくるのかもしれない。
魔術サイド側の最たるものである魔道書図書館としては何とも奇妙な状況だ。
ただ、上条にとって大切な女の子としては、この街を、上条の部屋を自分の帰る場所だと彼女が思ってくれているという事は嬉しい事なのだが。
インデックスは期待を込めた眼差しを向けていた。
「それでそれで? これからそのアミューズメント施設に連れて行ってくれるの?」
「おう、オーソドックスに遊園地な。つっても学園都市の遊園地だから外のやつとは一味違うぞ、たぶん」
「やった! まぁでも私、外の遊園地も行ったことないから違いとかよく分からないんだけどね」
「そうだった!」
何だか学園都市というアドバンテージを失った感覚だ。
だが、それでも人生初の遊園地体験が学園都市製というのも、それはそれで思い出に残りそうな気もする。
「ふふ、でもとうま。映画に遊園地って、なんだかデートの定番所ばかりだね。別に嫌だっていうわけじゃないけど」
「おっ、やっとデートだって認めたかインデックスさん」
「え、あ、それは……だって、流石にごまかしきれないっていうか……」
「じゃあデートって事で手も繋ごうぜ、ほら」
「聞く前から繋いできてたような気もするかも」
「いやか?」
「そんな事言ってないけど……ねぇ、もしかしてとうまはこれからそういうスタンスでいく事にしたのかな?」
「ん、どういう意味だ?」
何故かインデックスは若干不安そうな表情でこちらを見ていたので、上条は首を傾げる。
「ほら、とうまって今まで女の子に全く興味ないような感じだったよね」
「そ、そうだったかな……」
「うん。でも今だと何て言うか……それこそ今時の学生みたいに恋愛を謳歌してるって感じなんだよ」
「お前今時の学生ってのが分かるのか?」
「てれびでよく見たんだよ。とにかく、その、とうまはこれからはやっぱり……恋人とか……作ろうとかって思ってるのかな……?」
「いっ!?」
ドキン! と心臓が一気に数段跳ね上がった。
上条はゴクリと喉を鳴らす。これはバレてしまったのかもしれない。
今の言葉はつまり、「私に恋人になってほしいっていう事?」と尋ねられているようなものではないか。
上条の様子が普段と比べておかしいというのは、自分自身でも何となく分かっていた。
そこから彼女は感付いたのではないだろうか。女の子というのは、そういった事に敏感だという事はよく聞く。
さらに、上条とインデックスは今までずっと一緒に居ただけに、互いの変化にも気づきやすいという事もあるだろう。
これからどうするべきか。
上条の計画では、少なくともデートの最中は自分の気持ちを相手に伝えるという事はしないつもりではあった。
絹旗にはB級だとか非難を受けたが、それでもやっぱり別れの前に言いたいと思っていた。
二人を取り巻く状況などを考えた上で、それが一番良いと判断したからだ。
しかし、何とも情けないことに、この段階でバレてしまった場合。
それをうやむやにしたまま、このままデートを続ける事の方が良くないのではないだろうか。
そうやって懸命に頭を回転させて悩んでいた上条だったが、
「あ、ううん、私はそれがダメだって言ってるわけじゃないんだよ。それは普通の事だと思ってる」
「えっと、インデックス、俺……」
「でもね……私に対してはいつも通りでいいと思うんだよ」
「……え?」
上条の思考が停止する。
話の流れ次第では、告白の返事のような感じにもなりかねないと思っていただけに、とんでもなく意表を突かれた形になる。
インデックスは何を言っているのだろう。
上条はただただ、訳もわからずに彼女の言葉を待つ事しか出来ない。
「だからね、これからはデートとかそういうのに興味を持ったりするのは良いと思うけど、無理に私への態度まで変える必要はないっていう事なんだよ。
確かに私ととうまも、男と女っていうのは変わりないとは思うけど、でも、とうまにとって私はそんな存在じゃないでしょ?」
「いや、ワカサギ釣りの時も言ったけどさ、俺にとってインデックスは特別な……」
「うん、それはとっても嬉しいんだよ。でもね、その特別っていうのは恋愛的な意味ではないよね?」
「へ?」
「ごめんね、実はこの前の旅行の一日目の夜に、女子部屋の皆で男子部屋の様子を見てたんだよ。カメラで」
「はぁ!?」
「それで、その時にとうまがハッキリ言うのを聞いたんだよ。私の事は娘みたいに思っているって」
「…………」
上条は何も言えなくなっていた。金魚のように口をパクパクさせているだけだ。
完全に計算外の出来事だった。
別に上条も何もかもが予定通りに進むとは思ってはいなかったが、いくら何でもこれは予想外過ぎた。
あの時は相当酔っていた為、途中から記憶はあやふやになっている。
それでも、インデックスが言っているような内容を、自分が言った事に関してはかろうじて記憶に残っていた。
そして、その言葉も、あの時点では本心であった事には変わりない。
心の底にインデックスへの特別な想いがあったとしても、あの時点では気付いていない。
それを気付かせてくれたのは、二日目の夜の美琴の告白だ。
だが、今はそこは大きな問題ではないのかもしれない。
重要なのは、インデックスの中で上条の自分への気持ちというのは、そういった親子愛的なものだと認識してしまっている所だ。
上条が言った「インデックスの事を女の子として見ている」という言葉も、彼女からすれば取り繕っているようにしか聞こえないのかもしれない。
「待てインデックス、あれは酔ってても正直に言うのが照れくさかったっつーか……」
「あはは、でもみこととかみさきの所を聞いても、とてもそういう打算ができる状態には見えなかったんだよ?」
「……み、見くびってもらっちゃ困るな。実は俺、結構酒強くて、あれも本当はそこまで酔ってなくてだな」
「はいはい。もうそういう事にしておいてあげるから、早く遊園地行こ?」
「おい絶対信用してないよな!?」
インデックスはニコニコと笑顔を浮かべながら軽くあしらっている様子だ。
たぶんこれからも、どんなに上条がアタックを仕掛けたとしても、本気にはされないのだろう。
それは上条からすればかなりマズイ状況だ。
ゆえに一刻も早く、この誤解を解かなければいけないというのは分かっているのだが、その方法が全く思い付かない。
今の状態では、例え上条が告白した所で本気にされない可能性すらある。
そんなこんなで、ひとまずは頭を抱えたまま遊園地へ向かうしかなかった。
***
遊園地といえばまず浮かんでくるのが絶叫マシンだ。
定番のジェットコースターの他にも、上下移動のみで高所から一気に落下するタイプ、ぐるぐると同じ所を回転するタイプ。
そのバリエーションも豊富で、色々な方法で人々から悲鳴を引き出している。
そういった絶叫マシンというのはカップルにも人気がある。
吊り橋効果と同じような理屈なのだろうが、それをきっかけにいい感じになれたりする事も多いのだとか。
当然、上条もデートにこの場所を選んだ理由として、その事を全く考えなかったと言えば嘘になる。
ただし、大きな誤算があった。
「……ねぇ、とうま。大丈夫?」
「お、おう……なんとか……」
フラフラとした足取りで上条は何とか受け答える。
学園都市の誇る一番の遊園地の一番スリルのあるジェットコースター。
速度もさることながら、そのコースも従来の科学ではありえないような縦横無尽っぷりを発揮していた。
前もって調べていた段階から、流石にこれは乗るべきではないと思っていたものだ。
だが、予定を変更して乗らざるをえなかった。
わざわざこんなモンスターに乗らなければいけなかった理由、それは単純なものだ。
要するに、インデックスが驚異的な絶叫マシン耐性を持っていたのだった。
時間を少々遡って、最初のアトラクション。
いきなり彼女はかなりスリルのあるジェットコースターに乗ろうと提案した。
当然ながら上条は止めたのだが、大丈夫だと言って聞かなく、根負けした形で彼女の希望通りのものに乗ることになった。
そのジェットコースターは見た通り聞いた通りのダイナミックっぷりだった。
正直、上条もかなりのダメージを受けて、膝が笑いそうになるのを必死にこらえる有様だ。
しかし、彼女は降りた後に一言。
「うーん、私としてはもっとスピードあっても良かったかも」
上条としては十分過ぎるスピードで、あの時点でも結構ギリギリだった。
それなのにインデックスが平然とそんな事を言ってのけただけに、相当驚いたものだ。
まぁ、理由を聞いてみればなんて事はなかった。
「え、だって私、イギリスでもっと速く動いたりする時もあるもん。仕事で」
「はい!? ……あ、魔術か」
「うん。別に珍しいことでもないよ。ほら、かおりだってよく音速で動いたりしてるじゃん」
「あんな聖人持ちだされてもな……まさかインデックスまでそんな事できるとは思わなかったしさ……」
「ふふん、これでも私は禁書目録だからね。学園都市に来る前にやった仕事では、ビッグベンから一気に飛び降りたりしたんだよ」
「…………」
何と言うか、スケールが違いすぎた。
つまりは、神裂火織がジェットコースターに乗っても、眉一つ動かさないであろうといった事と同じ事だというわけだ。
普段から生身でジェットコースター以上の速さを体験していれば、怖がるはずがない。
しかし、このままでは終われない。
そんなわけで、無謀にも最高スリルのジェットコースターに挑戦したわけだ。
時間は今現在へと戻る。
学園都市の誇る、科学の最先端を文字通り突っ走る最強のジェットコースターに見事に打ちのめされた上条。
一方でインデックスはこれに関してはそれなりに楽しめたようでニコニコとご機嫌だったのだが、隣の少年の顔を見て一気に心配そうな表情に変わっていた。
「とうま、ちょっとそこのベンチで休んでいこ?」
「は、はい……」
最高に格好悪すぎて泣きたくなる上条だったが、そうも言ってられない有様なので大人しく従う。
未だに頭をシェイクされるようなグルグルとした感覚が抜け切れずに、かなりの吐き気もあるのだ。
こういった気分が悪くなった客のためかどうかは知らないが、人が休めるようなベンチはすぐ近くにあった。
上条はすぐに倒れこむように、そこに横になった。
するとインデックスは何故か視線を逸らしながら、ぼそぼそと尋ねてきた。
「……頭痛くない?」
「ん? あー、そりゃまぁ調度良く枕もねえし快適とは言えねえけど、それは仕方ねえよ」
「あの、えっと、それなら、さ」
インデックスは顔を赤らめてもじもじとしている。
一体どうしたのか、と疲労困憊の頭を動かして考えてみる上条。
「……え、もしかしてインデックスさん…………膝枕してくれるとか?」
「っ!!」
まさかと思って言ってみると、彼女は更に一層顔を染めて俯いてしまった。
……どうやら当たりだったようだ。
上条としては冗談のつもりで言ってみただけだったので、反応に困る。
だが、こうしてお互い微妙な空気のまま沈黙を続けるのはもっとキツイ。早い所、何か言わなければいけない。
もちろん彼女の申し出は上条にとって嬉しいものである事は確かだ。
ただし、だからといって欲望丸出しで即座に食い付くなんて事は、恋愛経験皆無な高校生にはいささかハードルが高い。
ここは無難に、平静を取り繕いながらお願いするのが一番だろう。
「それじゃあ……その、頼もう……かな」
「う、うん、分かった」
自分でも若干声が震えているのが分かった。もう完全にごまかしきれていない。
その辺りはとにかくインデックスが気付いていないという事を願うしか無い。
一方で、彼女も彼女で、相当動揺しているのが丸分かりだった。
視線はゆらゆらと定まらず、決して上条に合うことはない。
加えて、元々色白の肌が赤く染まってかなり目立つ。
そこまで恥ずかしいのなら、膝枕なんていうのは初めからやめておいた方が良かったんじゃないかとも思ってしまう。
といっても、それを言ってせっかくのチャンスをふいにする程、上条も全くの無欲というわけでもないのだが。
インデックスは上条の隣に座ると、やけに念入りに着ている修道服のふとももの辺りを整える。
「一応言っておくけど……変な所とか触ったりしたらダメなんだよ」
「そ、そんな事しねえって!」
思わず声が上ずってしまった。
いや、別に上条はそんなやましい事を考えていたわけではなく、純粋に動揺しただけだ。
それでも、インデックスの方も余裕があるわけでもないらしく、それで疑惑の目を向けてくる事もない。
上条は一度ゴクリと喉を鳴らし、彼女の膝の上に頭を乗せた。
「……おぉ」
「ど、どうしたの?」
「いや、なんつーか……凄くいいです」
「そう……? それなら、いいんだけど」
嘘偽りのない素直な感想だった。
サラリと優しく肌を撫でる彼女の修道服の感触。
そして何より、彼女自身の膝の柔らかさ。温もり。
二月の曇り空の下であるにも関わらず、上条は全く寒さを感じなくなっていた。
理由としては彼女の温もり以上に緊張しているという事があるはずだ。
あまりにも心地いいので、目を閉じればそのまま眠れそうだった。
流石に彼女にも悪いのでそんな事はしないが。
「……はぁ」
「なんだか随分と重い溜息かも」
「そりゃな……ジェットコースターでダウンして心配かけるとか情けねえなってさ」
「んー、でもとうまの場合は今更かも。私的には夏休みの宿題を年下の女の子に教えてもらう方が情けない気もするし」
「なぜそれを知ってる!?」
「もちろん、みことに聞いたんだよ」
ぐっ、と屈辱に震える上条。
それは紛れもない事実であり、全面的に自業自得なのだが、簡単に割り切れないものだ。
するとインデックスは穏やかな笑顔を浮かべて、
「大丈夫だよとうま。勉強が壊滅的にできなくても、人間何かしらで役に立てると思うし」
「それ慰めてるように見えて更に傷抉ってないか? そういうお前だって二次方程式とか解けんのか!」
「だって私はもう公務員だし」
「ぐっ!!!」
「それに少なくとも語学は自信あるから、それを活かしてもやっていけると思うんだよ。鎖国状態のとうまと違って」
「ぐぅぅぅぅっ!!!!!」
完全敗北。
少し前までは上条家でゴロゴロしているだけだった少女は、いつの間にか自分の遥か先へと進んでいた。
何とも虚しいものである。
「あ、せっかくだし、この前のお話の続きでもしよっか?」
「この前?」
「うん。ほら、旅行の温泉でちょっと将来の話をしたよね。とうまって将来何やりたいのかなって」
「……あー。いやでもそんなすぐ出てくるもんじゃないだろそれ」
「だけどちゃんと考えておいた方がいいよ? 難しい事かもしれないけど、自分が進みたい道が見えてるかどうかっていうのはとっても大切な事だと思うし」
「なんかインデックスがすげえまともな事言ってる……!」
「その言い方には激しく引っかかる所があるけど、今はスルーしてあげるかも。それで、本当に何もないの? 漠然とでもいいから」
「そうだな……」
少し考えてはみるが、中々すぐに出てくるものでもない。
そもそも、上条は常にやりたい事はやっているような感じだ。
ほとんどが困っている人を助けたいという分かりやすいもので、そのためにはどんな相手にだって右手を振るってきた。
その辺りを考えると、
「……やっぱ警備員(アンチスキル)とかになるのかねぇ」
「アンチスキルって……つまり先生って事?」
「いやそんなしっくりくるわけじゃねえんだけどさ」
「まぁでも、とうまのイメージ的には結構合ってるかも。いつも説教してる感じだし」
「別に説教好きってわけじゃねえんだけどなぁ。だけどほら、学園都市の治安維持にはこの右手とか役に立ちそうってのもあるしな」
上条の言葉に、インデックスもうんうんと頷く。
「問題は頭の方だけど、そこも体育の先生なら大丈夫なのかな」
「全国の体育の先生の皆さんに謝れ。そんな簡単なもんじゃないだろ」
「うーん……それもそうかも。とうまの場合、まずまともに学校に通えるのかっていう不安もあるしね」
「うっ」
やはりというべきか、一番の問題はそこかもしれない。
というか、まともに仕事場へ行けるのかというのは教師に限らず、あらゆる仕事で大きな問題だろう。
生まれ持ったこの不幸体質。
今日で十六年の付き合いになるわけで、流石に慣れてきたというのもある。諦めといった方が正しいかもしれないが。
それに加えて、やたらと上条の周りにはピンチに陥っている人やらも集まってきたりして、気付けば出席日数もギリギリの所まで追い詰められる有様だ。
今は学生の身で先生も色々と庇ってはくれているが、これが大人になったらどうなるのかというのは考えるだけでも頭が痛くなる。
「……まともな先生の仕事ってのは厳しそうだな。となると治安維持専門の仕事みてえのを探した方がいいか」
「しずり達みたいな?」
「あれはちょっと違う……」
「じゃあ必要悪の教会(ネセサリウス)みたいな?」
「それも暗部みたいなもんじゃねえか。つか俺、割と無給でそっちの仕事してたよな?」
「あはは、でも今から給料要求しても出してくれるかは微妙かも。最大主教(アークビショップ)があんな感じだし」
「期待はしてねえけどさ……けど、まぁ、そっちの仕事ってのもありかもな」
特に意識せずに、自然と口からこぼれた言葉。
もしかしたら、これが一番にある希望なのかもしれない。
インデックスと一緒に居たい、それは当然想うところだ。
彼女は少し目を丸くしてこちらを見る。
「えっ、とうま、必要悪の教会(ネセサリウス)で働きたいの?」
「そりゃ今すぐには無理ってのは分かってる。だけど、まぁ、選択肢としてはあってもいいだろ」
「……とうま英語話せないじゃん」
「勉強する勉強する。今だってそれなりにやってんだぜ、英語。今時はケータイのアプリにもそういうのがあってさ」
「それでも、ちょっとオススメはできないかも。やってる事も危ない事ばかりだし」
「そういう事には慣れっこだっつの。それに不本意ながら、お前らとは結構一緒に仕事もしたしな」
あまり考えなかった事だが、いざこうしてみると中々いい考えかもしれない。
インデックスは自分の力を活かせる場所として必要悪の教会(ネセサリウス)を選んだ。その決断を曲げさせる事はできない。
それなら、自分が彼女についていく形でイギリスへ行けばいいのではないか。
もちろん、今の世界の事情からそんな事が許されないという事は分かっている。
元々、一度科学と魔術の線引をハッキリさせるという目的の下、上条とインデックスは離される事になった。
だが、その後の話し合いできっとまた会えるようになると信じている。その時、上条はどんな立場に居たいかという話だ。
魔術を使えないというのが限りなく大きなネックだが、この右手があればそれなりにやれる事もあるのではないか。
一方で、インデックスは中々首を縦には振らない。
「うーん……でも……」
「なんだよ、もしかして俺と一緒にいるのが嫌だとかってんじゃねえだろうな」
「そ、そんな事はないんだよ! とうまには危ない事してほしくないからで、私だってとうまが居てくれるなら……」
最後の方は口ごもってしまい何と言ったのかは聞き取れなかった。
ただ、恥ずかしがりながらも、若干嬉しそうに頬を緩めるその表情はとてつもなく可愛らしいものだった。
あまりの可愛さに、上条も言葉を失い黙ってしまう程だ。
その微妙な沈黙の間。
インデックスが上条に対して抱いている、「自分の事を女の子として見ていない」という誤解を解くタイミングは今かもしれない。
実のところ、その機会をずっと伺っていたのだ。流石にこのままではダメだ。
しかし、そういった空白の瞬間を狙ったかのように、
「良い雰囲気のところ申し訳ありませんが、少々お話よろしいですか?」
耳触りのいい、柔らかい男の声が聞こえてきた。
おそらく、女子はこんな声で囁かれればたちまち鼓動を高鳴らせるのだろう。
上条にはそういう趣味はないので、間違ってもそんな事はないのだが。
そのセリフにはどこか聞き覚えがあったが、すぐに白井黒子にも同じように話しかけられた事を思い出す。
自分達の状態を確認した上条とインデックスは、バッとすぐに離れた。
「う、海原……か?」
「偽物ですけどね。まぁあなたとは初対面からこの姿でしたし、その呼び名で構いませんが」
常盤台中学の理事長の息子。さわやか系のイケメン。
ただし、それは変装である事を上条は知っている。その実はアステカの魔術師だ。
そして彼一人というわけではないらしく、隣には仏頂面を浮かべた少女がいた。
肌は浅黒く、ウェーブのかかった黒髪が肩まである。
インデックスはようやく顔の赤みが引いてきたようで、コホンと咳払いをして尋ねる。
「えっと、そっちの人もアステカの魔術師なのかな?」
「……あぁ、ショチトルという。私としては不本意極まりないが、コイツのワガママに付き合ってやってる感じだ」
「ワガママって……もしかしてデートとかか?」
「まぁそんなところですいったぁぁ!!!!!」
言葉の途中で、海原は隣のショチトルに思い切り足を踏まれる。
「……と言いたいところですが、あいにくそういうものでもないんです。自分はあなたに話があるんですよ、上条さん」
「俺に話……ってのは……」
このタイミングで海原が持ち掛けてくる話。
上条にはその内容について大体の予想がついた。
その為、声の調子も自然と確認のものになる。
ショチトルはやたらと大きく溜息をつき、
「おそらく今お前が想像している事で合っている。コイツはバカなんだ、どうしようもなくな」
「あはは、否定はしませんよ。それで、どうでしょう上条さん。少々バカの戯言に付き合ってはもらえないでしょうか」
「……分かった」
「え、どういう事? 私にはさっぱりなんだけど……」
インデックスはきょとんと首を傾げている。
この反応は何もおかしい事ではない。そもそも彼女はほとんど何も知らないのだ。
「大した事じゃねえって。悪いインデックス、ちょっと海原と話してくるわ」
「二人で?」
「えぇ、デートの最中で申し訳ないのですが、少し彼をお借りしますね。
インデックスさんにはショチトルを付けますので、何かあったら彼女が何とかしてくれるはずです」
「ちなみにこのバカは、暴れる気満々だがな」
「えっ!?」
ショチトルの言葉に目を丸くするインデックス。
そしてすぐに、敵意を込めて海原を睨みつける。
海原はショチトルに向けて苦々しく笑みを浮かべるだけだ。
ここは上条がフォローに入るしかない。
「大丈夫だって、インデックス。そんな心配すんなよ」
「だ、だって、この人、とうまを襲う気なんだよ!」
「安心してください、殺しはしませんよ、たぶん」
「そんなの信じられるはずないかも!」
「インデックス」
上条は静かな声でゆっくりと、一言一言に重みを乗せて話す。
「これはなんつーか、俺のケジメみたいなもんなんだ。海原だって似たようなもんだ。避ける事はできねえんだ」
「意味が分からないんだよ……そんなの、納得できない……」
「……悪い。でもさ、俺もそんな偉そうな事言える立場じゃねけど、理屈じゃねえんだ。
こんな何も教えないで、一方的に頼まれて納得できないってのは当たり前だ。それでも……頼む、インデックス」
インデックスは何かを言おうとして、口をつぐんだ。
それから懸命に何かを考えている様子で、何度も頭を振る。
上条は辛抱強く待つ。
ワガママを言っている事は百も承知だ。もし逆の立場だったら、インデックスを行かせるわけがない。
それをよく理解した上で、上条は頼む。
ただ、そうするしかない。彼女に甘える事しかできない。
インデックスはじっと、こちらの目を見て口を開く。
「……どんな話をするのかとか、どうしてこんな事になっているのかとかは教えてくれないんだよね」
「……悪い」
ここで、インデックスは目を閉じた。
そして、溜息と共に、
「一つだけ約束して。絶対に無事に戻ってくるって」
上条の心にチクリと針が刺さったような痛みが走る。
きっと彼女ならこう言ってくれる、上条はそう確信していた。
その上で、こうやってワガママを通した。
だから、今の上条にはハッキリと宣言する以外の事は、何も言えない。
そうやって、応えるしかない。
「あぁ、約束するよ。必ず戻ってくる」
「“無事に”が抜けてるかも」
「あ、いや、それはほら、どこまでが無事なのかっていうのもありましてね……」
「はぁ……分かったんだよ、一応はそれで納得してあげる」
「サンキュ」
上条はそう短く答えると、海原に目で合図して歩き出す。
インデックスからの視線を背中に感じたが、振り返る事はしない。
今はとにかく、一秒でも早く彼女を安心させたい。だから、自分のやるべき事をやる。
この男との約束の決着を、つける。
***
「お前が最後まで食い下がるという事も予想していたけどな」
「……まぁ、私も本当はそうしたかったけど」
インデックスとショチトルは、近くのフードスペースのテーブルについていた。
白井からもらったグルメチケットはここでも使えるので、今インデックスの目の前にあるパフェは無料だ。
ただ、彼女にしては珍しく、それは通常サイズのものだった。
ショチトルはコーヒーのみ注文して、何とも美味しくなさそうに飲んでいる。
「尽くす女とかいう奴か? まぁシスターならそれが当たり前なのかもしれないが」
「うーん、そういうのとはちょっと違うかも。とうまは何かあるとすぐに飛び出して行っちゃうから、半分諦めてるような感じかな」
「もう半分は?」
「信じているからだよ。何があっても、とうまは必ず帰ってきてくれるから」
インデックスはニコリと微笑む。
この笑顔には嘘はなく、心の底からのものだ。
ショチトルはフン、と鼻を鳴らす。
「信じる者は救われる、か。相当めでたい頭をしているようだな」
「頭に関しては結構自身あるよ、私」
「魔道書だけではカバーしきれない分野もあるだろう」
「科学の事とか?」
「お前の恋路の事とかな」
「ぶっ!!!」
突然のストレート球に、パフェを吹き出すインデックス。
急激に顔に熱が帯びるのを感じる。
「み、見くびらないでほしいかも。魔道書にだってそういう恋愛に関するものも……」
「なんだ、あの男に魅了系の魔術でもかけるつもりか?」
「そんな事しないってば! というか、どうしていきなりそんな話してくるのかな」
「本来私達くらいの歳の者のガールズトークというのはこういうものなのだろう? 暇潰しに読んでいた雑誌にはそう書いてあったぞ」
「それはそうかもしれないけど……」
「ちなみにアイツらのいざこざも恋愛関係だしな」
「えっ、とうま達の事!?」
さらっと言ってのけるショチトルに、インデックスは驚いてつい大声を出してしまう。
「ま、まさかとうまが本当にそっちの趣味があっただなんて……!」
「あー、いや、そういう意味じゃない。というかそんな疑いがある奴なのかアイツは」
インデックスは思わぬ大きな障害にわなわなと震えていたが、ショチトルが冷静に訂正する。
「エツァリが御坂美琴に惚れているのは知っているか? そして御坂美琴は上条当麻に惚れている。その辺りのごたごただ」
「……でも、それは夏に決着がついたんじゃなかったの?」
「あぁ。だが最近、大きな状況の変化があった」
「もしかして……私が関係しているのかな」
「間接的に、な。まぁ私がこの事について隠す義理もないから言ってしまうが」
「どうも最近、御坂美琴が上条当麻に告白してフラれたらしい」
冷たい風が通り過ぎ、体を撫でた。
周りの音が全く聞こえなくなり、ここだけ隔離された空間であるかのような錯覚を抱く。
インデックスは何も考えられなくなった。
頭の中は真っ白で、今見た事は完全記憶能力でも覚えられないのではないかと思ってしまう程に。
ただただ、呆然としていた。
何も知らなかった。
いや、知ることができなかった。
彼女の、美琴の様子を見ていれば、何か気付いても良かっただろうに。
その様子を、ショチトルは少し意外そうに見る。
「そこまで驚くことか? 御坂美琴が上条当麻に好意を抱いていた事くらいは知っていただろう?」
「……うん、それは知ってたんだよ。でも断るだなんて思わなかった」
「なぜ?」
「だって、とうまはみことの事を凄く良く想っているんだよ。いつも信頼してるし、感謝してる。断る理由なんて……」
「相手のことを良く想っている上でも、断る理由はあるだろう。他に好きな奴がいる時、とかな」
「…………」
「私から見れば、それはどう考えてもお前だとしか思えないが」
「それはないよ」
ハッキリと、言う。
それだけ、強く伝えたい事だったからだろうか。
それとも。
「とうまは私の事をそういう風には見てないよ。それは本人から聞いたから間違いないと思う」
「女に向かってそういう事を宣言する男というのもアレだな」
「あ、いや、真正面から言われたわけじゃなくて、そう言ってるのを聞いたっていうだけなんだけどね」
「なるほどな。だがそれだって嘘をついている可能性は否定できないだろう?」
「その時のとうまは完全に酔っ払っていたし、嘘をつけるような状態ではなかったと思うんだよ。とにかく、私じゃないよ」
「はっ、まるで迷惑がっているようだな。お前はアイツの事が好きなんだろう?」
「……色々とあるんだよ」
他の者達にはもう何度も言ってきたことなので、ショチトルにもまた詳しく説明しようという気にはならない。
もう、これは決めた事だ。
インデックスは自分の想いを伝えずに、イギリスに戻る。
そして次に出会うその時にこそ、上条にハッキリと伝えよう、と。
自分が居ない間、上条が他の女性と付き合うような事があるという可能性については考えていた。
例えそうなったとしても、上条は一番にというわけにはいかなくても、変わらず自分の事を大切に想ってくれるだろう、と納得しようとした。
そもそも、あの鈍感な男がそんな事になる可能性自体低いんじゃないかと思おうともした。
それはそれで、上手くいっている。
食蜂がちょっかいを出してきた一件で、上条が自分の事を大切に想ってくれている事をよく感じられた事が大きいのかもしれない。
だから、美琴の件については驚いたが、深入りする必要はない。
今のこの状態は限りなく不安定なもので、何か小さな要因ですぐに崩れてしまう、そんな予感がしている。
これは決して後ろ向きな選択ではなく、もっと先にある幸せを見据えた選択だ。
インデックスはぼんやりと、遠くイギリスまで続いている空を見上げる。
音もなくゆっくりと、白い雪が降り始めていた。
***
上条と海原は、遊園地のアトラクションの内の一つの中にいた。
といっても、もちろん遊んでいるわけではない。
中央の広場を囲うように高台に作られた観客席。
いわゆる、コロッセオという舞台の中央に、二人は立っていた。
人払いは済んでいるらしく、静かな沈黙が漂っている。おそらくいつもは賑わっているであろう独特な熱気なんかは少しも感じられない。
このシチュエーションに、上条は思わず苦笑してしまう。
「よくこんな決闘におあつらえ向きな場所が学園都市にあったな」
「自分も見つけて驚きましたよ。何でも、普段はロボット同士の決闘なんかを見せ物にしているらしいですよ」
「はは、そこは学園都市らしいな」
そんな軽口を言い合う二人。
しかし、その間にある空気は重い。
いつの間にか降り始めた雪も、心なしか落ちるスピードが速いように見える。
海原は静かに目を閉じ、話し始める。
「……御坂さんの告白を、断ったようですね。土御門さんから聞きました。というか、あなたが伝えるように頼んだようですね」
「悪かったな、本当は自分で伝える事なんだってのは分かってる。ただ、お前の連絡先が分からなくてさ」
「いえ、構いませんよ。自分との約束を覚えていてくれた、それだけで満足です。
それで、上条さん。あの『御坂美琴とその周りの世界を守る』という約束は、今後どうするつもりなのですか?」
「俺はその約束を取り消すつもりはない。今も御坂は俺にとって大切な人だっていう事には変わりないからな」
「ふふ、そう言うと思いましたよ、あなたは。ですが、すみません。どうやらそれでは自分は納得できないようです」
海原は自嘲気味に小さく笑う。
その表情はとても寂しげで、ひらひらと舞い落ちる雪のせいもあってか、酷く悲しくも見えた。
「理屈では分かっているんですけどね。人が人を守る理由に、必ずしも恋愛感情などはいらない。
そういった感情を抜きにしても、誰かを守りたいという気持ちに嘘偽りなどあるはずもなく、それも一つの真実である、と」
「…………」
「……それでも、自分は納得できないんです。男女間の友情を信じていないわけではありません。
ただ、例えどんな理由があろうとも、彼女を悲しませた事に関しては許すことができない。そういう事なのかもしれません」
「それは言い訳するつもりはねえよ。確かに俺は御坂を悲しませた。アイツに酒入ってたとはいえ、思い切り泣かせちまったしな」
上条はそう言うと、両手を横に広げた。
鉄橋の上で、美琴を止めたあの時のように。
「何の真似です?」
「別に。ただ、俺はお前に殴られなきゃいけねえと思ってるだけだ」
「……そんなのは望んでいませんよ」
「え?」
「構えてください、上条さん。自分が望んでいるのは一方的な攻撃ではありません。
それこそ、この場にふさわしい、拳と拳の泥臭い男同士の決闘というやつを望んでいます」
そう言って、海原は自分の顔を剥がした。
バキバキという音と共に、その柔和な顔の下から現れたのは、浅黒い肌に鋭い目。外人特有の骨格。
あの夏休み最終日に見た時以来の、彼の本当の顔だった。
「海原光貴ではなく、アステカの魔術師としてでもなく、一人のエツァリという男としてあなたに決闘を申し込みます」
エツァリは懐にあった黒曜石のナイフ、トラウィスカルパンテクウトリの槍を捨てる。
魔術を捨てる、つまりこの戦いの意味を表している。
その行動にやや呆気にとられていた上条。
だがすぐに自分のやらなくてはいけない事を察し、グッと拳を握りしめた。
「……あぁ、もちろん受けるぜ」
「念の為言っておきますが、わざと負けるような事はしないでくださいよ」
「分かってる。お前に勝つために全力でいく」
上条のその言葉を最後に、お互いに距離を取り、辺りは沈黙に包まれる。
二人の間は五メートル程か。
雪のせいで、視界は決していいとは言えない。
それでも、お互いに目の前の相手から目を逸らさない。
本当に静かだった。
人払いの影響も当然あるのだろうが、それ以上に二人の間の空気が張り詰めている。
そして。
ザッという足音が、やたらと大きく辺りに響き渡った。
ほぼ、同時。
何の合図も無かったにも関わらず、上条もエツァリも同じタイミングで前へ駆け出していた。
「ふっ!!!」
先に打ち出したのはエツァリの方だった。
綺麗なフォームからの右ストレート。
それは寸分違わず、上条の顔面を打ち抜く。
「がっ……!」
ブレる視界、走る激痛。
だが、それは上条にとってはもはや慣れっこだ。
すぐに上条は体勢を直すと、反撃とばかりに同じように右ストレートを打ち出した。
直後、上条の拳に、人体にめり込む馴染みのある感触が伝わる。
「ぐっ!!!」
エツァリは避けなかった。
避けられなかった、ではない。初めから避けるつもりがないのだ。
上条は驚いて目を見開いた。
上条も上条で、相手の攻撃を避けるという事は考えていなかったからだ。
意図せず行動が被ってしまった事に、思わず口元に笑みが浮かぶ。
「何が面白いんです……かっ!」
「っ……なんでもねえ……よ!!」
拳が顔面を捉える鈍い音が連続する。
ノーガードの打ち合い。
端から見れば子供のケンカのようにも見えるかもしれない。
それでも、二人は真剣そのもので、ただボロボロになっていく相手の顔を殴り続ける。
顔の痛みはもう麻痺してきていた。
代わりに、次第に拳の痛みがジンジンと広がっていく。
拳は皮が剥け、血が滲んでいる。とにかく力任せに殴りつけているだけなので、当然の経過だ。
「……どうして」
「あ?」
「どうしてあなたなんですか!!!」
エツァリは大声で吠え、更に重い一撃を放つ。
強烈な衝撃に、上条の足がフラつき反撃が遅れた。
その隙を見逃さず、エツァリは一気に畳み掛けてくる。
拳の乱打が、容赦なく上条の顔面へと叩き込まれる。
「自分はこんなにも御坂さんの事を想っている! あなたよりも遥かに!!」
「ぐっ……だ……ろうな……」
「自分の好きな女性を守ってほしいと、あなたに言うしかなかった! それが彼女の為だともっともらしい言い訳を噛み締めて!」
「……がぁ……ぐぅぅ……っ!」
「それなのになぜ……なぜ自分はこんな立場で、あなたが御坂さんの近くにいるんだ!
自分はただひたすら裏方で……いつだって主人公はあなただ! どうしてですか!? 答えてくださいよ!!!」
「そんなの知るわけねえだろうが!!!!!」
エツァリの乱打の間を縫って、今度は上条が思い切り右腕を振り抜いた。
クリーンヒットしたその一撃は、相手の体を浮かせ後方へ吹き飛ばす。
そうやって物理的な距離が開いて、間が生じる。
いつの間にか降ってくる雪の量が増えていて、積もるペースになってきていた。
上条もエツァリも、肩を激しく上下させながら、上空へ白い息を吐き出している。
「俺が知るわけねえだろ! 俺は俺で好きに動いただけだ。いつだってそうしてきた。
別に御坂に惚れてもらおうとしたわけじゃねえし、主人公になるつもりなんてなかった!!」
「運命……ですか。こうなる事は最初から決まっていた……と」
「そんな大それた事言うつもりはねえよ。それに俺は運命ってやつが一本道だなんて思ってねえ。
お前が主人公で、御坂がヒロインの物語だってどこかにあったはずだ。どっかの魔神の手にかかれば、その物語も簡単に作れたかもな」
「…………」
「でもお前は、“今ここにいるお前”は自分の足でこの世界を歩いてきたんだろ! 誰かに歩かされてきたわけじゃねえだろ!
それなら受け止めろよ! 運命だとか神様のせいにしてんじゃねえ! そんなもんに潰されてんじゃねえぞ!!!」
「勝手な事を言ってくれますね!!!」
エツァリが一気に距離を詰め、上条の顔面を殴る。
すぐに胸ぐらを掴んで引き寄せ、更に殴る。
何度も、何度も。
「勝者の立場からなら好き放題言えるでしょう! あなたに敗者の気持ちなんて分かるはずがない!!」
「つっ……がぁぁ……! 勝者だとか……敗者だとか……うるせえな……!!」
「では見て下さいよ! こんな無様な姿、それこそ敗者にお似合いでしょう!!」
「……答えろ……エツァリ……!」
「てめぇはそうやってずっと敗者で居続けるつもりなのかよ!!!!!」
上条の右拳が、再びエツァリの顔面を捉えた。
体重も上手く乗っていない、決してクリーンヒットとは言えない一撃。
それにも関わらず、エツァリの体は力なく飛んで地面を転がった。
ここでようやくまともな視界で相手を見る事ができる。
殴られたダメージに足はふらふらとおぼつかないが、倒れるわけにはいかない。
エツァリは倒れたまま、起き上がらない。
意識を奪うような一撃でも、立てなくなるような一撃でもなかったはずなのに。
彼は、ただぼんやりと雪の舞い落ちる灰色の空を眺めていた。
「立てよエツァリ」
「……厳しい事を言いますね。自分で殴り飛ばしておいて」
「なんで俺がお前をぶっ飛ばしてんだよ、おかしいだろ」
「別におかしくはないですよ。元々これは決闘ですし、敗者は地面に這いつくばる、ただそれだけです。
敗者で居続けるも何も、自分の意思には関係なく勝敗というものは決まってしまうものでしょう」
「俺はそうは思わねえ」
上条はすぐにそう言う。
この考えが正しいのか間違っているのかなどという事はどうでもいい。
そもそも、こんな漠然とした問題に答えも何もあったものではないだろう。
だから、上条はいつもの様に自分の言葉を相手に投げかける。
それが何かしら相手の心を動かしてくれる事を願って。
「全てに勝ち続ける人間なんているはずがねえんだ。誰だって思い通りにならない事はある、何かに負ける。
俺だって今まで散々負けてきた。でも俺は自分の事を敗者だとは思わねえ」
「……それはなぜです」
「本当の敗者ってのは、相手に負けた奴の事を言うんじゃねえ。勝つ気も無くなった奴の事を言うんだって思ってるからだ」
「…………」
僅かな間が生まれる。
上条も、エツァリも、何も言わずにただ自分の中で気持ちの整理を付けようとする。
殴り合っている最中には感じなかった痛みが、静かに、それでいて確実に押し寄せてくる。
音もなく舞い落ちる雪だけが、この場で動いているものだった。
「立てよエツァリ」
同じ言葉を、もう一度。
ここまでくれば、多くの言葉は必要ない。
そして、相手は受け取ってくれたようだ。
エツァリは動いた。
ゆっくりと、しかし迷いなく、立ち上がった。
透明な表情だった。
今まで抱えていたものが全て無くなったかのように。
先程の上条の右手の一撃によって、砕かれたように。
「あなたを倒して自分が主人公になれ、そう言いたいのですか?」
「まぁ、そんな感じだな」
「はは、そう単純な話でもないでしょう。ここであなたを倒した所で、御坂さんが自分の事を見てくれるとは思えませんし」
「でも、お前は見てるだろ。御坂を悲しませた最低野郎をぶっ飛ばす、正義のヒーローって奴の事を」
「ただの自己満足ですよ、それは」
「人生ってのは大体そんなもんだと思うけどな。たかだか十六年生きただけで何言ってんだと思うかもしんないけどさ」
「……ありえない程濃密な人生を送ってきたあなたが言うと、妙に説得力が出てきますね」
エツァリは小さく笑みを零す。
その様子は、上条が見た彼の表情の中でもっとも楽しそうだと思ったくらいだった。
目の前の、これから主人公になる男は拳を握りしめる。
対して、上条は悪役。この場において倒されるべき存在だ。
とは言え、簡単に負けてやるつもりもない。敵は敵で全力で向かって行くからこそ、散り様も映える。
先に動いたのは上条だった。
体全体に蓄積されたダメージに若干フラつきながら。
それでも、全力で目の前の主人公に突撃する。
ほとんど倒れこむように、結果的に全体重が乗った渾身の右ストレートを放つ。
コンマ数秒後、上条の顎に伝わる強烈な一撃。
ふわっと体が浮き上がるのが分かる。
分かってはいるが、どうしようもない。
感覚的にはスローモーションで、上条は背中から地面に叩きつけられた。
頭を揺さぶられたせいで、吐き気がこみ上げてくる。
視界にはどんよりと重い雲と、そこから落ちてくる白い雪だけ。
それもぼんやりとした視界では正確に捉える事ができない。
綺麗なカウンターをくらったという事くらいは分かっていた。
あれ程直線的な攻撃に合わせる事くらい、世界の暗い場所を生きてきた者なら容易にできただろう。
ヒーローは悪役の拳をわざわざ受けてやる必要もない。
決して、負けようと思ったわけではなかった。
ただ、実際に大きくダメージを蓄積していたのは上条の方で、戦いが長引けば長引く程不利になるのは明らかだった。
だから、捨て身の攻撃をするしかなかったのだ。
ぼんやりとした視界はハッキリするどころか、更におぼろげになっていく。
そんな中で、上条は重い口を開く。
悪役は悪役らしく、やられ際のセリフの一つくらいあってもいいだろう。
「ちくしょう……が……」
上条の意識は暗闇へと引きずり込まれていく。
次々と頬に落ちてくる雪の冷たい感触も、次第に薄れていった。
今回はここまで
この前の大雪はテンション上がってしまった
***
暖かく、心地いい。
ぼんやりとした感覚の中、上条はただそれだけ思う。
先程までの寒さが嘘のようだ。
(……寒さ?)
次第に頭の霧が晴れていく。
それと同時に、少し前の出来事が次々と脳裏に浮かんできた。
(そうだ……俺は海原にぶっ飛ばされて……それで…………)
「……とうまは…………うん……その時…………お願い…………」
声が聞こえる。インデックスのものだ。
まだ意識は曖昧で、彼女は誰かと話しているようだが、その内容までは途切れ途切れにしか入ってこない。
それでも、その声が彼女のものだという事くらいはすぐに分かった。
少し、いや、しばらく経っただろうか。
こういう意識がハッキリしない時の時間の感覚は当てにならない。
とにかく、上条はゆっくりと体を起こす。
ここはいつもの病室だった。
ぼんやりと目の前の白い壁を眺めながら、少しずつ意識を覚醒させていく。
次第に気を失う前の事を思い出していき、そこから今この場所にいる経緯も何となく予想がつき始めた。
そして。
「とうま」
ダラダラと、嫌な汗が流れ始める。
それは可愛らしい女の子の声ではあるが、裏に潜む感情がひしひしと伝わってくる。
顔を少し横へ向ければ、その音源の少女をこの目で確認する事ができるだろう。
だが、その選択はとてつもなく気が進まない。
だから、上条は正面を見たまま口を開いた。
「……インデックスさん。これには深い訳があるんです」
「うん、私はシスターさんだからお話は聞くよ? だからこっち向こうか、とうま」
「ホラー映画とかってさ、視点変えた瞬間すげえ恐ろしい事になるよな」
「大丈夫、ここには亡霊の類はいないから」
「よしインデックス、そっち向く前に一旦確認しておこうぜ。まず俺は怪我人だよな?」
「うん、お医者さんが言うには、頭に噛み付いても問題ない程度の怪我人だね」
「…………」
「とりあえず話し合おうよ、とうま。ね?」
上条はゴクリと喉を鳴らして覚悟を決める。
そうだ、彼女は一応は話を聞くつもりはあると言ってくれている。
それはつまり、上条の言い訳次第では丸かじりコースを避けられる可能性があるという事だろう。
懸命に頭を働かせて頭にいくつか言葉を浮かべる。
一歩間違えば大変な事になってしまうので必死だ。
(……よし!)
上条は意を決してインデックスの方を向いた。
ここからが勝負――――。
「がぶっ!!!」
歯が頭にめり込む、あの感触。
あまりにも躊躇なく、覚悟もないままの出来事だっただけに、反応が遅れる。
まるで他人事であるかのように、自分の頭に少女が噛み付いているという状況を理解していく。
そして、時間と共に追いついていくのは理解だけではない。
ズキズキ、ズキズキズキズキズキズキン! と。
「ひぎゃああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
上条は一つ見落としていた。
確かにインデックスは話を聞くとは言っていた。
ただし一度も、噛み付かないとは言っていない。
つまりは、とりあえず噛み付いた後で話を聞いても、彼女が嘘をついた事にはならないというわけだ。
***
「大体とうまはいつもいつもいつもいつも!!!!!」
どのくらい経っただろうか。
インデックスの不満はいくらぶちまけても収まることを知らず、未だに勢い良くまくし立てている。
上条はひたすら縮こまって、シスターさんの説教を受け止めるしかない。
ちらりとカーテンの隙間から外を見てみると、すっかり日の落ちた夜の街に、かなりの量の雪が降っていた。
この前まで滞在していた群馬の山岳地帯ならともかく、西東京でここまでの雪というのも珍しい。
と、そんな事を思っていたが、ここで上条の意識が逸れている事に気付いたインデックスは鋭い視線を投げかけてくる。
「……とうま、聞いてるのかな」
「お、おう、聞いてる聞いてる! いや、ホント、悪かったって。だけどほら、一応無事にこうして戻って……」
「何か言ったかな?」
「ごめんなさい何でもないです」
「はぁ……このやり取りも、もう何度繰り返したか分からないかも。まぁ、でもこの辺でいいや」
ようやく解放されるようで、安堵の溜息が漏れそうになるのを何とか堪える。
そんなのを見られれば、お説教が更に数時間くらい追加されそうだ。
それからやっと上条は落ち着いて部屋を眺めて、ふと疑問を口にする。
「そういえば、お前ここで誰かと話してなかったか? まだ半分寝てた時にうっすら聞こえてきたんだけど」
「……えっと、ほら、お医者さんと話してたんだよ」
すると、まるでこのタイミングを見計らっていたかのように、病室にノックの音が入り込んできた。
上条は反射的に返事をする。
「はい、どうぞー」
「ん、失礼するね?」
入ってきたのは、いつものカエル顔の医者だった。
検診か何かかと思ったが、何やら大量の荷物を乗せた台車を転がしてきている。
「……えっ、俺、そんないくつも機械を使って検査しなきゃいけない程ヤバイんですか?」
「ははは、違う違う。これはプレゼントだよ」
「精密検査数時間プレゼントっていうドクタージョーク?」
「あぁ……君がピンとこないのも仕方ないのか。今日は君の誕生日だろう?」
「あっ!」
今日は上条の誕生日。
こうしてうっかりすると忘れてしまう程、あまり実感の湧かない事だ。
おそらく記憶を失う前はそれなりに特別な日だったはずで、少し寂しさも覚える。
しかし、これはこれで驚きだ。
「まさか先生が俺の為に、こんな大量のプレゼントを?」
「いや、これは僕からというわけではないんだ。何でも、今日は元々誕生パーティーを行う予定だったって聞いたけど?」
「あ、じゃあそれは……」
「そう、お友達からのプレゼントだよ。僕からのプレゼントは、これを君の病室まで運んできた労力で勘弁してほしいね?」
カエル顔の医者はそう穏やかに微笑んで、病室を後にする。
部屋には大量のプレゼントが取り残された。
「うわ、皆には悪い事しちまったな。ちゃんと謝っておかねえと……」
「私から言っておいたから大丈夫だと思うよ?
とうまは気を失ってたけど、お見舞いの人も結構来て、もうここでパーティーしようかみたいな流れになりそうなくらいだったんだよ。
もちろん止められたし、騒いでた人がいたから追い出されてたけど」
「そうなのか……いや、でもメールくらいは送っとかねえと」
「とうまって意外と律儀だね」
「意外とってなんだ意外とって。普通だろ」
上条はケータイを開くと、今日のパーティーメンバーに謝罪メールを一斉送信。
この病室はこうしてケータイも使えるので助かる。
数秒後、驚くべき早さでメールが返ってきた。
あまりの早さに、メールを送った相手の中でアドレス変更を教えてもらってなかった人がいたという、悲しい可能性が頭をよぎるくらいだ。
だが、確認してみるとそういうわけではないようだ。
『それより、私のプレゼントの感想を聞きたいわぁ。星柄の箱よぉ』
食蜂操祈からの返信だった。
まぁ彼女のイメージからすれば、この返信速度も頷ける。
ついでに、いつの間にか敬語が取れてるようだ。何か心境の変化でもあったのだろか。
上条からすれば、こっちの方が接しやすいが。
上条はプレゼントの山をガサゴソと漁り、
「星柄、星柄……これか」
「誰からのプレゼント?」
「操祈。なんかメチャクチャ軽いぞこれ」
「……一応警戒しておいた方がいいかも」
インデックスの意見には上条も概ね同意だ。
食蜂の行動は全く読めない。平気でとんでもない事を仕掛けてくる可能性だって十分考えられる。
まるで爆弾解除でもしているかのように、上条は思い切り身を引きつつ箱を開封する。
「…………ん?」
恐る恐る中を覗いてみると、そこには何やら紙が一枚入っているだけだった。
ライブか何かのチケットだろうか。
それはそれで普通で少し意外だと思いながら、上条はその紙に書かれている文字を見た。
「…………」
「とうま?」
上条はじーっとその文字を見る。
別に外国語で書かれているわけではない。
ただ、その内容を頭に入れて処理するのが激しく躊躇われた。
だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。
現実を見なければいけない。
☆食蜂操祈に何でも一つ言う事を聞かせられるチケット(18禁的内容も可、むしろ推奨!)☆
キラキラのラメたっぷりにデコレーションされたチケット。
おそらく、とてつもなく価値のあるものだろう。
ネットオークションなんかに出品すれば凄まじい額が付くはずだ。法的拘束力とかは置いといて。
何より破壊力が大きいのは、後ろの括弧内の文章だ。
前の文章だけでも、健全な男子高校生なら色々とアレな想像をするものだろう。
そして、彼女の場合はそれを止めるどころか思い切り背中を押しまくっている。
ただ、上条にはその押された先が真っ暗な社会の闇にしか思えない。
(よし、これは封印だ。こんなもん持ってるだけでも不審者扱いされて通報されてもおかしくねえ)
「とうまー? みさきのプレゼントって何だったの?」
「え、あー、ライブのチケットだチケット。意外と普通だったな!」
「らいぶってアリサがやってたみたいなの?」
「そうそう!」
これでいい。
世の中には知らないほうがいい事もある。
とりあえず食蜂には文句を並べたメールを返信し、インデックスへの誤魔化しの意味も含んで他のプレゼントの発掘にとりかかった。
目に付いたのは、本屋の包装紙だった。
誕生日に本を送ってくるような人と言えば、
「これは小萌先生だな、たぶん。参考書か何かか」
「うんうん、とうまはもっと本を読むべきだと思うんだよ。私を見習ってほしいかも」
「たぶん一生かかっても十万冊は読めねえけどな」
インデックスの言葉に答えながら、包装紙を外しにかかる。
小萌先生の専攻的に発火能力(パイロキネシス)系統の専門書だろうか。
いや、あの先生は生徒のレベルに合った本を薦めてくれるだろうし、案外AIM拡散力場関係の入門書か。
自分で買って読もうとまでは思わないが、贈り物という事であれば読まなければダメだろう。
こういうところも計算しているのであれば大したものだ。
包装紙を外すまでの時間なんていうのはそうかからない。
いくつか中身の予想をしている間に、上条の手の中の本はその姿を表していた。
デカデカと書かれた『魅惑のメイドお姉さん』の文字。
本職メイドさんが見たらブチ切れる事間違いなしの、布面積が少なすぎるメイド服。
それを着たお姉さんはスタイル抜群。まさに曲線美と表現できる肢体を惜しみなく晒している。
「…………」
「…………」
上条はそっと、本をプレゼントの山の中に封印した。
だが、それだけではこの空気をどうにかする事はできない。
インデックスの視線が痛い、生暖かい笑顔が痛い。
「よし、じゃあ他のプレゼントも開けてみるかな」
「とうまはやっぱり胸が大きいお姉さんが好きなんだね」
「おっ、これは万能ツールってやつじゃねえか! 浜面辺りかな」
「とうまはやっぱり胸が大きくて包容力があるお姉さんが好きなんだね」
「……こ、この安眠枕は滝壺っぽいな」
「とうまはやっぱり胸が大きくて包容力があってメイドのお姉さんが好きなんだね」
「メイドは俺の趣味じゃねえ!」
インデックスの容赦無い追求に、上条はギブアップする。
というより、勝手に変な汚名を受けているので、流すことができなかった。
上条の好みは寮の管理人のお姉さんで、メイドお姉さんではないのだ。
……と、そこまで考えて上条は首を傾げる。
(そういやインデックスはタイプ的にかすりもしてねえな)
それでも、上条は彼女の事が好きだ。
つまりは、今まで公言してきた好みというものは、所詮は表面的なものに過ぎないのかもしれない。
それとも憧れと好意を取り違えているのか。
どちらにせよ、インデックスの事が好きだという絶対的事実は変わらない。
一緒に居ると落ち着くから、暖かいその笑顔が心地良いから、そんな感じに理由を探せばすぐに出てくる。
それらの事柄が、上条が求めていたお姉さんの包容力と合致しているという考え方もできるかもしれない。
ただ、理由を考えること自体、あまり意味のない事のようにも思える。
こういう事に関しては、好きだから好き、それでいいんじゃないか。
すると、ジト目だったインデックスは、キョトンとした表情に変わる。
「何をそんなに考え込んでいるの?」
「……いや、俺は本当に寮の管理人のお姉さんが好きなのか、ってな。別に年上が恋人の絶対条件ってわけじゃないしな」
「女の子だったら誰でもいいって事かな」
「その言い方はまた何か違う誤解を受けそうだからやめてくれ……」
「可愛い女の子だったら誰でもいいって事かな」
「変わってねえよ」
世の中の男子高校生の大半はそんなものだろうが、一応は否定しなければいけないだろう。
実態がどんなものであっても、外向きのイメージを整えておく必要はある。
それに上条の場合は、可愛い女の子という条件だけなら周りに当てはまる者は多い。
そこからインデックスを選んだというのだから、ちゃんとした判断基準はあるはずだ。
正確に言葉で表せる自信はないが。
「……つか、そういうインデックスだってどうなんだよ」
「え?」
「いや、お前だって何だかんだイケメンの方が好きなんじゃないかってさ」
「うーん……そう言われてもちょっと困るかも。そもそも私は、男の人をそういう風に見るっていう事があまりないから……」
「あまり、って事はある事はあるんだな」
「……そんなに気になる?」
首を傾げて、ニコリとからかうような表情になるインデックス。
考えてみれば、上条がこういった事を訊いた事は無かったかもしれない。
そして、その答えについても少し考える必要がある。
あまり直接的に言い過ぎても、ほとんど告白のようになってしまう可能性もあるからだ。
異性として見られていないという彼女の誤解を解く事も大事だが、それでも告白のシチュエーションは選びたい。
「あー、いや、まぁ、答えたくないなら答えなくてもいいけどさ。どうしてもってわけじゃねえよ」
「ふふ、じゃあ言わない」
明るい微笑みでバッサリ拒否されてしまった。
ただ、彼女の好みのタイプを知れないのは残念ではあるが、これは仕方ないと割り切るしかない。
例えどんな答えが返ってきたとしても、上条のする事は変わらない。
それからしばらく、インデックスと二人で楽しくプレゼント開封をする。
やはりどんなものだとしても、自分のために送られてきた物というのは嬉しいものだ。
青髪ピアスからのエロ本やら、麦野からのコンドームやら、反応に困るものも確かにあったが。
美琴からのプレゼントは手袋だった。
メモには「これをボロボロにしないような生活を送ってみなさい」といった言葉。
ぶっきらぼうだが、こちらの心配をしてくれているのが伝わって、胸に暖かいものを感じる。
まぁしかし、何となくだが、結局美琴自身の電撃によってボロボロになるような予感はする。
続いて、またもや目を見張るようなプレゼントを発掘した。
「うおっ!? なんだこれ、銃!?」
「ほ、本物なのかな?」
「試すわけにもいかねえしな……」
拳銃としてはかなり大型のゴツイものだった。
恐る恐る手に取ってみると、ずしりとした重量感に冷や汗が流れる。
何か送り主の情報はないかと、箱の中を探ってみる。
すると、説明書と一緒にメモらしきものが一枚入っているのを見つけた。
『これは護身用で一方通行なりのプレゼントなんだよ! ってミサカはミサカはフォローしてみる』
その文を読み、冷や汗がどっと増す。
「本物じゃねえか!!!」
「あ、あはは……あの人も一応とうまの事を考えてこれを贈ったみたいだけどね」
「それはそうだけどさ……贈り物に銃とか、殺人予告に思われてもおかしくねえぞ……」
誕生日プレゼントに拳銃。
記憶の関係で誕生日というものを経験したことがない上条でも、明らかにおかしい事は分かる。
ただ、一方通行らしいと言えばそうなのだが。
説明書を読む限り、最先端の技術を詰め込んだ銃らしい。
思考補助なんていう機能もあって、脳内にあらゆる情報を送り込んだり、優れた照準補正もあるようだ。
つまり、ド素人の上条でも、ちゃんと狙った場所に撃てるというわけだ。
そういえば、浜面も最新型の駆動鎧(パワードスーツ)を使用した時に似たような体験をした事があるとか言っていた気がする。
見えないものに二人羽織りされているようで、あまり気持ちの良いものではないらしいが。
「……まぁ、こんなもんが必要な程度には修羅場くぐり抜けてきてるって所がまた泣けるな」
「でもとうまがそんなもの持ってると、いつもの不幸でとんでもない事になりそうかも」
「全く否定できねえなそれ……一歩間違えれば『不幸だー』で済まない事になりかねないし、どうすっかな……」
「というか、日本って法律的に銃持ってていいんだっけ?」
「日本じゃダメだけど……どうなんかな。ここは学園都市だし」
もはや学園都市は日本の中にあっても一つの独立した存在として成立している。
そのずば抜けた科学力の前では、日本政府も少し圧力をかけられただけで簡単に言いなりになってしまう。
「けど、せっかく貰ったものだし、一応は受け取っておくよ」
「うん……とうまがそう言うなら私は止めないけど……本当に気を付けてね?」
「分かってる分かってる。あと一方通行には、銃送りつけてくるのは心臓に悪いって言っといた方がいいかもな」
「あはは、何か恨まれるような覚えでもあるの?」
「……あるな」
「あるんだ……」
事情があったとはいえ、上条は今まで一方通行を二度に渡って殴り飛ばしている。
まぁ、何となく彼はそういった事をいつまでも根に持たないとは思うが。
そんな上条に対して、インデックスは困ったような苦笑を浮かべている。
「でも確かに、とうまって自分から首突っ込んで行く事も多いけど、理不尽に狙われる事も結構あるよね」
「あぁ、全くだ。もういい加減慣れたけどさ」
「今日のアステカの魔術師との一件も理不尽に入る?」
「……あー、それは自業自得だな」
海原との事は、上条が美琴を振った事から始まっている。
その理由はどうであれ、あの男には攻撃する権利があった、と上条は思っている。
インデックスは一度小さく頷いた。
「とうまならそう言うと思った」
「そうか?」
「うん、だって」
「とうまがみことを振って、何も思わないわけないから」
彼女の静かな声が病室に響いた。
物音一つない部屋では、決して大きくないその声も良く聞こえる。
耳から入ったその言葉は、上条の頭の中に直接深く深く突き刺さっていく。
咄嗟に声が出なかった。
何かを言おうと口を開くが、そこから言葉が紡ぎ出される事はなく、ただ金魚のようにパクパクとするしかない。
その過剰とも言える上条の驚きに対して、インデックスはいつもの優しい笑顔を浮かべていた。
「知ってるよ、あのショチトルっていう人に聞いたから」
「……あ、そ、そっか。なるほどな」
上条は懸命に頭の中を回転させる。
これでインデックスは、上条に好きな人がいるという事を知ったという事になる。
ただ、ここでネックになってくるのは、彼女の誤解だ。
彼女は、上条から異性として見られていないと誤解している。
つまり、その事柄と今現在新たに加わった情報を繋ぎ合わせると、自然とこういった結論が出てくるだろう。
上条には、好きな人がいるが、それはインデックスではない。
そこまで考えた上条は、思わず頭を抱えたくなった。
どうしてここまでこじれてしまうのだろう。それも含めて恋愛というものなのだろうか。
今まで様々な経験をしてきた割に、そういった事はからっきしだっただけに判断する事はできない。
「えっと……インデックス。それはな」
「あれ? もしかしてとうまの好きな人を教えてくれるの?」
「は!?」
「ちがうの? まぁ、別に無理に聞き出そうとは思わないけど」
「…………」
上条は考える。
もう、この場で告白してしまうべきなのだろうか。
状況的には二人きりで邪魔も入らない、告白には適しているとも言える。
だが、ここで告白したとして、彼女は本気に受け止めてくれるのだろうか。
この問題についてはずっと考えていた。
そして一つの答えとして漠然と考えていたのは、シチュエーション次第で何とかなるのではないかという事だ。
これからしばらく会えなくなる別れ際の空港。
絹旗にはベタ過ぎると鼻で笑われたが、上条としてはこれしかないと思っていた。
流石にそのシチュエーションなら、インデックスにも上条が本気だという事が伝わってくれるはずだ。
だから、飲み込む。
喉元までせり上がってきていた言葉を、外に出たいと暴れる感情を。
「……まぁ、その内言うよ」
「ふふ、そっか。楽しみにしてるね」
“その内”というのは、すぐにやってくる。
それまでの辛抱だ。
***
ざくざくと、雪を踏む音だけが辺りに響く。
背中にはすっかり眠り込んでしまっているインデックス。
彼女をおぶって、上条は雪降る夜の第七学区を歩いていた。
元々、上条は入院する程の怪我ではない。
だが、一応大事を取って、あの医者は今日は病院に泊まっていってもいいと言ってくれた。
別にベッドが足りないなどといった問題は抱えていないのだろう。
ただ、上条は断った。
明日になれば、インデックスはイギリスへ行ってしまう。
だから今日くらいは、いつものあの部屋で過ごしたかった。
とは言え、インデックスはインデックスで、あの病室で眠ってしまっていた。
まぁ、今日は色々あったしそれも仕方ない。起こすのも可哀想だったので、おぶって帰る事にしたというわけだ。
病室のプレゼントは後でまた取りにいく事になっている。
上条はチラリと視線を後ろに向ける。
インデックスは上条の肩に頭を乗せて、気持ちよさそうに眠っていた。
黒のコートも羽織らせてあるので、風邪を引いてしまうという事もないはずだ。
あまりにも幸せそうなので、自然とこちらの口もほころんでくる。
本当に静かだった。
もう完全下校時刻を過ぎているというのもあるだろうが、この雪だ。
中学生以上が多いこの学区では、内心テンションが上がっていても、流石にわざわざ外に出ようとは思わないだろう。。
上条に関してはこの間飽きる程見たばかりなわけだが、それでも心動かされるものはあった。
雪は雪でも、場所によって随分と変わって見える。
夜遅いとはいえ、この街の光はまだまだ消える様子はない。
そんな光に反射した雪は、キラキラと幻想的な輝きを見せる。
また、科学の最先端を行く街だけあって、景観も外の街とはまた違ったものになっている。
現代において変化の先頭にある街並みに、いつまでも変わらない自然現象。
その組み合わせに、どこか趣深さも感じる。
「んっ……」
背中から小さな声が届く。
同時に、もぞもぞと動く感触が背中から伝わってくる。
どうやら、インデックスが目を覚ましたようだ。
「悪い、起こしちまったか」
「……えっと、誘拐?」
「ちげえよ。帰宅だ帰宅」
いきなり誘拐犯扱いされた上条は溜息混じりに答える。
するとインデックスは何やら慌てて、再びもぞもぞと動き始めた。
「え、えっと……あったあった。良かった」
「どうかしたのか?」
「私からのとうまへのプレゼント。病室で受け取ってコートのポケットに入れておいたんだよ。落としてたら嫌だなって」
「病室で受け取った? どこかの業者にでも頼んであったのか? つかそれならその場で渡してくれればいいのに」
「それは作戦。『あれ、インデックスからはプレゼントないのかな』って不安にさせておいてから渡す。落として上げる戦法なんだよ!」
「今思いっきりネタばらししちまってるけどな」
「あっ!」
そんな彼女の間が抜けた声に、上条は笑い出してしまう。
そして直後に後頭部にゴツンと一発くらう。
彼女の小さな手ではそれ程の威力はなく、噛み付きよりは全然穏やかな攻撃だ。
「もう、いくら何でも笑いすぎかも! それで、帰宅って事は……とうまの部屋に、だよね?」
「それ以外どこがあるんだよ」
「……ふふ、うん、そうだね」
「……? なんかやけに嬉しそうだな」
「何でもない、何でもない」
そうは言っているが、やはりインデックスの声は楽しげだ。
別に物珍しい場所だというわけでもないだろうに。
「今日はありがとね。楽しかった」
「そりゃ良かった。上条さんも必死にプラン考えたかいがありましたよ」
「採点すると75点くらいかな」
「意外とシビア!?」
「あはは、冗談だよ。でもこれで、とうまもデートに慣れて良かったんじゃない?」
「それを活かせる機会があればいいけどな」
「きっとあるよ。もう自分が結構モテるっていう事くらい分かったでしょ?」
「……いや、それは……どうだろうな」
何とも答えにくい質問だ。
おそらく彼女は、美琴や食蜂の事について言っているのだろう。
客観的にはそこまで間違ってはいないのかもしれないが、それを本人が認めるというのもはばかられる。
自分に好意を持ってくれる人がいる事はもちろん嬉しい。
だが、それでも。
「自分が好きな相手に好かれる事が、一番だって思っちまうよな。どうしても。
何贅沢言ってんだとか、自分に好意を持ってくれている人の気持ちも考えろ、とか言われちまうかもしんねえけど」
「……そうだね。でも、大丈夫だよ。とうまの好きな人も、きっととうまの事好きになってくれると思う。もしかしたら、もう好きかもね」
「はは、そこまでモテモテだったら、今まで彼女の一人や二人いただろ」
「いたかもしれないよ?」
「えっ……あー、ないだろそれは」
一瞬その可能性について考えた。
上条は記憶喪失なので、七月二十八日より以前の事は分からない。
それでも、本当に好きな相手だったら何かしらの形で心に残っているものなのではないだろうか。
この前の食蜂が起こした騒動でも、上条は記憶の改竄を受けても本能的にインデックスを守った。
そして、上条の初まりの場所とも言える、あの白い病室でも。
「……あ」
「どうかした?」
「いや……たぶん、分かった。前の俺が好きだった人」
「ほんと? もしかして覚えてるの?」
「覚えてる……っつーか、残ってるって感じだな」
「へぇ~、誰誰? 私の知ってる人?」
「言わねーっての」
「えー!!!」
考えてみれば簡単な事だった。
記憶を失った直後の上条にだって、残っていたものはあっただろう。
友人も家族も、自分が誰なのかさえ分からなくなっていたあの時。
上条は、ただインデックスが悲しむ姿だけは見たくなかった。
確かにそう想う事はできた。
今だからこそ分かる。
きっと、以前の上条当麻も――――。
「なぁ、インデックス。前の俺と今の俺、割と変わってなかったりしねえか?」
「うん、確かに変わってないかも。それに、私にとってはどっちもとうまだし」
「そっかそっか」
「……? なんだか嬉しそうだけど」
「あぁ、やっぱ人ってのは根っこの方ってのは変わらねえもんなんだなってな」
変わっていくものと変わらないもの。
人々の住む街並みと降りしきる雪のように、それらは常に共にあるものなのだろう。
上条は空を見上げて、白い息を上空へと吐く。
視界の端、背中でインデックスも上条につられたのか、同じようにしているのが分かる。
星はほとんど見えない。
この前の旅行先とこの学園都市では場所が違うが、星自体の位置には大きな差はないはずだ。
これはただ単に、この街が明るすぎて見えなくなっているだけだろう。
イギリスなんかになれば、星の位置が変わって、見える空も違ってくるのだろうが。
「……イギリスは雪とか多いのか?」
「ううん、ロンドンは多くはないよ。スコットランドなんかになると違うけど」
「そっか……なら安心だな。インデックスは落ち着きねえから、雪とか積もってるとすぐ転びそうだし」
「もうっ! そうやって子供扱いする!!」
インデックスはポカポカと背中を叩いてくる。
こういったやり取りも、もう何度やったか分からない。
彼女の反応がいいからこそついつい言ってしまうという所もあり、上条も上条で子供っぽいとも言える。
「だいたい、落ち着きがないのはとうまの方なんだよ。いつもいつもふらふら~ってどっか行って女の子と仲良くなってるし」
「それだとまるで俺がナンパ好きか何かみたいに聞こえるぞ……」
「よく分からないけど、似たようなものじゃないの?」
「全然ちげーよ! ナンパは命かけたりしねえ!」
「なるほど……じゃあ命がけで女の子を口説く事はなんて言うの?」
「待て、命はかけてるかもしんねえけど、口説くことが目的じゃねえ。そもそも何が目的とか意識した事もねえし……」
「じゃあ…………習性?」
「…………もうそれでいいです」
野生動物扱いみたいなものに何か反論の一つもしたいところだが、中々的確に突いているようにも思えて何とも虚しい。
すると背後でインデックスがくすくす笑っているのが聞こえる。
「分かってるよ、とうまはそういう人なんだって事くらい」
「俺だってインデックスの事は良く知ってるぞ。よく食う所とか機械音痴な所とか」
「むっ、こういう時くらい良い所言ってくれてもいいんじゃないかな」
「お前自分の事は棚に上げて……はぁ、でも人に好かれやすいっていう所あるよなインデックスは。
風斬との事もそうだし、俺のクラスの奴等ともすぐに馴染んだし、御坂なんかは初めは仲悪そうだったけど、今はそうでもなさそうだしな」
「それはとうまも似たようなものなんじゃないかな。とうまがピンチの時なんかは、沢山の人が助けてくれるでしょ?」
「……あぁ、そうだな。それでもインデックスはなんつーか、守りたいって思いたくなるんだろうな。
一緒にいると落ち着くし、そういうのはやっぱり俺とは違う所なんじゃねえのかな」
「うーん、私としては守られっぱなしっていうのも気が引けるんだよね。旅行でも言ったけどさ」
「助け合い、か」
「うんっ。これでも私、イギリスじゃとっても役に立ってるんだよ? 一度とうまに見せてあげたいんだよ」
「はは、なんか父親に発表会で良い所見せようとしてる娘みたいだぞ」
「むぅぅっ!! またとうまは私を子供扱いしてー!!!」
「いででででででででででで!!!!!」
今度はいつものように、インデックスの鋭利な歯が上条の頭にめり込む。
こんな光景を“いつものように”と表現する事に違和感を覚えなくなってきた辺り、上条の中の基準も随分と鈍ってきたものだ。
そう、いつもの光景だ。
目を閉じれば、いくらでも思い出せる。
楽しかった事も、嬉しかった事も、悲しかった事も、辛かった事も。
それらは彼女の笑った顔や怒った顔といった、様々な表情と共に次々と浮かんでくる。
その時は何でもないような日常でしかなくても。
後から思えば、かけがえのない大切な時間だった。
でも、上条は何も考えていなかった。
こうしてインデックスと一緒に居る時間も、いつか終わりがくるという事。
そして、それを惜しむ日がくるという事を。
こんな幸せな時間がいつまでも続くものだと、勝手に思い込んでしまっていた。
「……とうま?」
上条が黙り込んだ事を気にして、背後からインデックスが声をかけてくる。
彼女を心配させたくない。
そう思って、上条は軽口の一つでも叩こうとした。
しかし、口を開いたところで、言葉が喉につっかえる。
これはマズイ、という直感。
意識しないようにしていた事だっただけに、それは容易く上条を飲み込む。
そもそも、意識しないようにという意識がある時点で、常にそれは近くで口を開けていたのかもしれない。
落ちていくような感覚があった。
きちんと両足で地面を踏みしめているはずなのに、ふわふわとした浮遊感が体を包み込む。
何とか、しがみつきたい。その強い想いが体を巡っていく。
一定の間隔で刻まれていた、雪を踏みしめる音が途絶えた。
それでも、舞い落ちる雪は決して止まる事はなく、静かに少しずつ二人を白く染めていく。
「明日のこの時間には……もうインデックスはイギリスなんだよな」
「……うん」
会話が途切れる。
インデックスの声は静かで、夜の雪に溶け込んでいくようだった。
背中には彼女の温もりを感じる。
こんなにも、近くにいるのに。
離したくなかった
「あのさ……」
だから、言葉が零れた。
「どこにも……行くなよ」
ダメだと分かっていたはずなのに。
いつだって、我慢していたはずなのに。
言葉を、塞き止める事ができない。
「何で科学やら魔術やらの都合に俺達が振り回されなきゃいけないんだよ。
そんなの俺達には関係ねえだろ、このままいつもみたいに過ごす事の何が悪いんだ」
次々と、溜め込んでいたものが溢れてくる。
今まで色々な言葉で、意志で押さえ込んでいたものが、溢れてくる。
「インデックスだって、こんな事情がなかったらここに居たいんだろ。
だから……だからこそ、またここに戻ってきたんだろ。それなら……それならさ!」
声に熱が帯びていく。
周りの雪を溶かさんとばかりに、全てを溶かしてなくしてしまわんばかりに。
二人を取り巻く面倒な事情全てを、熱で消しまおうとするように。
「俺、強くなったから……どんな奴が相手だろうと、全部残らず、一人残らずぶっ飛ばしてお前を守れるから!
ここに留まるのが難しいなら、一緒にどこだって、地獄の底にだってついて行くから!!
そうだ、このまま学園都市を出ちまおうか。夜の方がまだ逃げやすいだろうし、タイミング的にはここしか……」
「…………」
「だから……」
「…………」
「…………」
物音一つしない、完全な沈黙が辺りを包む。
インデックスは、どんな表情をしているのだろうか。
今の自分は、どんな表情をしているのだろうか。
上条は瞑目し、何も言えなくなってしまった。
本当は分かっている。
自分が言っている事は、ただの子供のワガママに過ぎない。
そして、今までと同じようにそのワガママを押し通す事ができない事も、分かっていた。
それは何より、彼女が望まない事だから。
もう少し、時間が経てば大丈夫なのだろうか。
現にこうした沈黙は、徐々に上条を冷静にさせていく。
先程までの熱は、現実という冷気によって失われていく。
これがもっと長い時間になれば。
この辛い想いさえも、だんだんと和らいでいくのだろうか。
あんな事もあったな、と。軽く笑って話せるようになるのだろうか。
ただ、それはなんだか寂しくて。
上条は目を伏せ、やっぱり沈黙を貫くしかない。
すると。
「……来月になれば、暖かくなるのかな」
優しい声が、背後から聞こえる。
なんだか久々に彼女の声を聞いたような気がした。
包み込むようなその声に、こんな時でも落ち着いていくのを感じる。
単純なものだが、それだけで胸に暖かいものが巡っていく。
「……そうだな、とりあえず今月を越えれば暖かくなるって天気予報で言ってた気がする」
「そっか……私ね、桜が楽しみなんだよ。やっぱり日本の春と言えば、桜の下でお花見だよね。あとお団子とか」
「最後に付け足されたやつが一番の目的なんじゃねえの、インデックスさんは」
「むっ、そんな事ないかも。私だって日本の趣深さをしみじみと感じる事くらいするんだよ。
あ、だからといって、お団子がいらないっていうわけじゃないけどね」
「はは、イマイチ説得力ねえな……けど、花見ってのも結構大変なもんらしいからな。まず、場所取りから凄まじい戦いらしいし。
まぁ、その辺りは土御門に相談すれば、何か妙なコネ使ってどうにか融通してくれそうな気がするけどさ」
「うん、確かにイベント事にはとっても強いよね、あの人」
「あぁ……ただ、アイツには毎回毎回とんでもねえ事に引っ張り回されたりしてるからな。そのくらいはこき使ってやらねえと。
だから安心して、夏には海とか花火、秋は紅葉、冬はまたスキーに挑戦してもいいし、とにかく遊びまくろうぜ」
「ふふ、とっても楽しみなんだよ」
頭の中にはその光景が浮かんでくる。
それはとても幸せなもので、とても輝いていた。
理想は美しいものだ。
遠くにあるからこそ、より一層その美しさは際立つ。
近付く事は難しい。それは今の自分の位置を知る事になるから。
でも、上条は近付きたいと思った。
理想との距離を知る事になっても、手を伸ばしたかった。
だから。
「なぁ、インデックス」
「んー?」
不思議と、心は穏やかだ。
そして、上条はそのまま言葉を紡ぐ。
遠く美しいものまで届く道までの、第一歩を踏み出すために。
「俺さ、お前の事が――――」
***
どさっと、重苦しい音が辺りに響いた。
雪降る夜の第七学区。
人通りもないこの辺りでは、その音は大きく聞こえる。
人影は二つ。
一つは白い修道服の上に黒いコートを纏った銀髪の少女。
もう一つは長い漆黒の修道服を身に付けた赤髪の少年。
イギリス清教第零聖堂区「必要悪の教会(ネセサリウス)」。
魔道書図書館禁書目録(インデックス)と、炎の魔術師ステイル=マグヌスだ。
ステイルは雪の上に倒れたもの……上条当麻を気だるげな様子で無理矢理起こす。
「まったく、この男の右手のせいで魔術が使えないものだから重労働だね」
「えっと、ごめんね。でも、こんな所に寝かせておくわけにはいかないから……」
「別に君に文句を言ったわけじゃないよ」
そう言って迷惑そうな視線を上条に向けるステイルに、インデックスは苦笑いを浮かべる。
上条の意識はない。
それをステイルが引きずっている。
インデックスは手元の霊装に目を向ける。
「ここで魔術反応出しても大丈夫なのかな? しかも私の」
「極一部の魔力を限定的に解除するだけだから許可は下りているよ。それに、これで最後だからね」
「……そっか。それならいいんだけど」
そう、これで最後。
イギリス清教や学園都市が不安視したのは、上条とインデックスの別れ際だった。
どんなにそれまで上手くいっていたとしても、その別れ方でインデックスの精神状態は大きく変わってくるかもしれない。
それによって遠隔制御霊装に悪影響を及ぼせば元も子もない。
その不安はインデックス自身にもあった。
だからこうして、イギリスへ渡る前日からステイルがやって来ていた。
これも全ては、彼女の精神状態の維持のために万全を期するためだ。
インデックスは病院でステイルから受け取っていた霊装を発動させた。
他ならない、上条相手に。
ずっと近くに居たからこそ、彼の右手への対処法も分かっていた。
体全体に及ぶ魔術であれば、右手によって打ち消されてしまう。
しかし、頭にピンポイントに叩き込むようなものはどうしようもない。
インデックスは直感的に察知した。
先程の上条の言葉の先を聞いてはいけない。
それを聞けば、おそらく自分は、この心はただでは済まない。
上条を引きずりながら隣を歩くステイルは、白い息を雪空に吐く。
煙草は吸っていない。
「これでは前回と変わらない別れ方だけど、本当に大丈夫なんだろうね」
「……前とは違うよ。この一週間で、とうまや、みんなから本当に沢山のものを貰ったから。だから、私は大丈夫」
「それならいい。でも、聞かなくてよかったのかな。上条当麻は何か言おうとしていたけど?」
「聞いたらダメだと思ったからこんな事したんだよ」
「……それで君の気持ちはいいのかい」
「イギリス清教からは特に連絡は来てないでしょ? それなら大丈夫って事でいいんじゃないかな」
インデックスの心に影響があれば、イギリス清教にはすぐに分かり、こちらに警告してくるはずだ。
それがないという事は、何の問題もなく事は進んでいるという結論が出てくる。
それでも、ステイルはどこか納得していない様子だ。
「その気になれば、僕も君達の手伝いくらいはできるんだけどね」
「えっ?」
「この男が言っていただろう。君を連れてここから出るってさ。
君が望むなら、僕も追手の相手くらいは引き受けてもいいと思っているという事だよ」
「…………」
「そもそも、先程の彼の言葉だって、おそらく続きは――――」
「そんなの、とうまにしか分からないよ」
インデックスはハッキリと言い切った。
そして、続ける。
「私達がどれだけ予想しても、それは予想にしかならない。
本当のところはとうま自身にしか分からないし、私達はとうまの口から続きを聞くまでは真実を知る事ができない」
「……箱の中の猫は、観測するまで生きてるとも死んでるとも言えない。そんな思考実験があったかな」
「何いきなり物騒な事言ってるのかな」
「いや、いい。君がそう望むなら、僕はこれ以上何も言わないさ」
「うん……でも、ありがとね。気持ちは嬉しいよ」
「お礼を言われるような事ではないよ」
インデックスも、もしかしたら、と思った。
だからこそ、この方法を取った。それも、即座に。
上条の言葉の先。
それが仮に、一瞬想像したものだった場合、自分はどうなるのか分からなかった。
彼の言葉に甘えて、周り全てを巻き込んだ世界規模の逃避行へと走る可能性もないとは言えない。
だから、インデックスは……言葉の先を知らない今のインデックスは、それを避けた。
微かな期待が自分の中に芽生えていたのを感じていた。
上条が「どこにも行くな」と言ってくれたのを聞いて、幸せな可能性を見出してしまった。
でも、その幸せに甘えるのは今じゃない。
それが、インデックスの選択だった。
「雪だ雪だー! ってミサカはミサカは全力疾走ではしゃいでみる!」
「大人しくしやがれ、鬱陶しい」
「雪が降ってテンション上がらないなんて子供失格だよ! ってミサカはミサカは至極当然な事を言ってみたり」
「まずその台詞からガキとしてどうなンだよ。あざとすぎンだろ」
聞いた事のある声だ。
前方からそうやって楽しげに話してやって来たのは、白髪赤目の少年に、活発そうに頭のアホ毛を揺らす少女。
一方通行と打ち止めだった。
そして、向こうもすぐにこちらに気付く。
「……あァ?」
「え、あれ、あなたは……ってそ、その状況は? ってミサカはミサカは目の前の光景に混乱してみたり……」
一方通行は怪訝そうに目を細め、打ち止めは逆に目を丸くして驚いている。
それも当然の反応だ。
なにせ、インデックスの隣には、気絶した上条を引きずっている赤髪長身で黒の修道服をまとった魔術師がいる。
異能者だらけの学園都市でも、十分に目を引く光景だ。
インデックスは、目だけを動かしてステイル見て、小さく首を振る。
何もしないでいてほしいという合図。
「こんばんは。とうまは大した事ないから大丈夫なんだよ。病院の途中でちょっと転んじゃってね」
「こ、転んだ……?」
「詳しい事は聞くなって事か。説明する気がねェンだろ」
「そうしてくれると助かるかも」
笑顔で、インデックスは歩み寄りを拒絶する。
と言っても、初めから一方通行が歩み寄ってくるとは思っていない。
だから、この行為はもう一人の少女に向けられたものだ。
「で、でも、でも。ミサカにはとてもスルーできるようなものじゃなかったり……」
「行くぞ打ち止め」
「ええっ、いいの!? だって、これってもしかして、このシスターさんが前みたいに……。
ほら、前だってその人が気絶している内にシスターさんが行っちゃったって! それに、そっちの人って、魔術師って人だよね……?」
「うん、ステイルっていうの。私の同僚だよ」
「じゃあ、やっぱりあなたは」
「一つだけ聞かせろ。答えたくないなら答えなくてもいい」
打ち止めの言葉を遮って、一方通行は言う。
その赤眼で、インデックスを真っ直ぐ捉えながら。
「それがオマエの選択なンだな? 後悔はしねェだろうな」
「しないよ」
「ならいい。邪魔したな」
「えっ、ちょっ、本当に……ってわわわっ!? 待って待って、ミサカはまだ納得してないー!! って暴れてみる!!!!!」
言葉少なく、一方通行は打ち止めを引きずって去っていく。
打ち止めの方がかなりの勢いで抵抗しているが、それを全く意に介さない辺り、あの少年も保護者らしくなってきたというべきか。
おそらくそれを言えば、全力で否定されるのだろうが。
インデックスはそんな彼らの後ろ姿にくすりと微笑みを浮かべると、コートを翻して別の方向へと歩き出す。
その先には慣れ親しんだ上条の寮がある。
「行こう、ステイル」
雪は依然として降り続き、冷気を伝える。
だから、できるだけ早く暖かい所に連れて行ってあげたい。
そう思ってステイルと上条を見る彼女の表情は、まさに聖女のように包み込むような優しさを帯びていた。
***
そろそろか、と一方通行はソファーから上半身を起こす。
時計を見ると、部屋に戻ってきてから三十分程が経過していた。
ここは、とあるマンションの一室。
名義は黄泉川愛穂になっているが、その友人の芳川桔梗だけではなく、一方通行や打ち止め、更には番外個体の拠点ともなっている。
テレビゲームに夢中になっている番外個体は、画面から目を離さずに口を開く。
「なんか上位個体サマが妙な事やってるみたいだけど?」
「知ってる」
「あぁ、知ってて放置してんだ。まぁ放任主義ってのは、あなたらしいっちゃらしいんだけど」
話を振ってきた割に、さして興味もなさそうに話し続ける番外個体。
対する一方通行も、同じような調子で話す。
「アイツは部屋か?」
「うん。ノックはしなよ、毎度毎度うるさいんだから」
「ちっ、面倒くせェ……」
一方通行は顔をしかめながらゆっくりと立ち上がり、目的の部屋まで歩いて行く。
そして、コンコンと、彼にしては驚くほど優しく扉をノックをした。
それから一秒も待たず、ガチャとドアを開ける。
その向こうでは、ベッドから立ち上がったばかりの少女が、ぽかんとこちらを見ていた。
「おい」
「おいじゃない!!!!! ってミサカはミサカは全力でツッコんでみたり!!!!!」
「なンだよ、うるせェな」
「どうしてあなたはそうやって、年頃の女の子の部屋にズカズカと無遠慮に入ってくるのかな! ってミサカはミサカは抗議してみる!!」
「ノックしただろうが」
「ノックしたら普通返事待たない!?」
「そりゃ悪かった。で、上条の奴は今どうしてる」
「軽い! そんな一言で流せる程ミサカは……ってえっ? ど、どうしてそんな事聞いてくるの? ってミサカはミサカは尋ねてみたり……」
打ち止めは明らかに動揺した様子で、目を左右に泳がせている。
その姿は悪さがバレて言い訳をしているようで、歳相応の普通の少女と変わらない。
出自が特殊なだけに、こういった姿はより微笑ましいものだ。
あまりの分かりやすさに溜息をつきつつ、一方通行は答える。
「オマエがミサカネットワークを使って、アイツらの事にちょっかい出そうとする事くらい分かるっつの」
「ちょ、ちょっかいって……ミサカは、ただ……」
「で、今どうなってンだよ」
「……あの人は自分の寮の部屋に寝かされているみたい。
でも、シスターさんもよく考えての事だろうからって、どうしようかみんなで相談していた所……ってミサカはミサカは白状してみる」
「そうかよ。ったく、面倒くせェな」
「えっ、ど、どこに行くの?」
さっさと部屋を出ていこうとする一方通行の背中を、打ち止めの声が追う。
一方通行は基本的にこの少女に甘い。
だから、振り返りまではしないでも、その問には一応答えた。
ちゃんとした答えになっているかと言われると、微妙な所だったが。
「……俺が行きてェ場所に行って、やりてェ事をやる。それだけだ」
***
上条は、遠巻きに子供達の輪を見つめていた。
自分は入っていけない、とても楽しそうなその様子を、ただただ眺めているしかなかった。
少しすると、大人達も歩み寄ってくる。
だが、当然ながら上条の元ではない。子供達の輪の方だ。
加えて、こちらに嫌な視線を送ってくる。ひそひそと、何かを話している。
そんな時、ふいに自分の両手が暖かいものに包まれた。
顔を上げると、そこにはいつもの両親の微笑みがあった。
それを見て、自然と上条の顔もほころぶ。
気付けば、心のもやもやは綺麗になくなっていた。
学園都市。
両親から離れての生活は、初めこそは戸惑ったものだが、次第に馴染んできていた。
この場所に来るまでに、色々な事があった。それこそ、不幸の一言では済ませられないようなものも。
もちろん上条自身も辛かった。どうしてこんな目に合わなければいけないのかと、大して信じてもいない神様を呪ったりもした。
そしてそれ以上に、ふとした時に見てしまう両親の辛そうな表情を見るのが、辛かった。
学園都市は外とは変わった環境が備わっている。
それは設備だけではなく、人々の空気の話でもある。それも単に子供が多いという事ではない。
みんな、上条を受け入れてくれた。
掌から炎やら電撃やらを放つ事も珍しくないこの場所では、運が悪いだけというのは笑いを誘う事はあっても恐怖を誘う事はなかった。
まぁ、同時に右手の妙な力が判明するという事もあったのだが。
高校生になって初めての夏休み初日。暑い、暑い朝だった。
前日に超電磁砲の少女と一悶着あり、クーラーが壊れていた寮の部屋のベランダ。
そこで、彼女と出会った。
その後は本当に大変な事の連続だった。
炎の魔術師に勝って、刀の魔術師に負けて。
彼女を取り巻く、冗談のように絶望しかない状況を知って。
だからこそ、彼女の事を助けたかった。
偽善使い(フォックスワード)ではなく、本当の、本物の。
ヒーローに、なりたいと思った。
ひらひらと、優しく舞い降りてくる白い羽によって上条は死んでしまう。それは何となく分かった。
それでも、不思議と穏やかな気持ちなのは、心の底から守りたいと思った彼女がすぐそこにいるからか。
いや、たぶんそれだけではない。
この心に宿る気持ちを、上条は知ることができた。
それは単純だが、とても大切なものだ。
たとえ、ここで自分が死んでしまったとしても。
きっと、それは消えない。どこかに残ってくれる。
そう――――思えた。
***
上条の視界には、見慣れた天井が広がっていた。
いつものあの病室ではない。自分の部屋だ。
電気が点いていないのでほとんど真っ暗ではあったが、ただそれだけは把握できた。
寝起きの感覚とはまた違う。
この覚醒の仕方は、おそらく気絶の後によるものだ。
(……気絶?)
「何泣いてやがる」
体を起こすと同時に、声がかけられた。
驚いてそちらを向くと、そこには意外も意外、一方通行が怪訝そうな表情を浮かべていた。
ベッドから少し離れた所で、ただこちらを見て突っ立っている。
「一方通行……なんで…………つか、泣くって……?」
そう言いながら自分の目元に手を当てる。
そして、驚いた。
一方通行の言う通り、そこには確かに涙が伝っていたからだ。
音もなく、ただ一筋だけ。
「あれ? なんだ、これ」
「はっ、怖い夢でもみてたンじゃねェのか」
「……夢」
復唱してみても、何の実感も湧かない。
そんな気もするが、結局はいくら考えても何も覚えていないからだ。
「何となく……そういうんじゃない気がするけど…………あれ、インデックスは?」
次第に記憶が繋がってくる。
そう、上条はインデックスを背負って、病院からこの部屋まで向かっていたはずである。
彼女と話している内に、離れたくない気持ちが溢れてきて。
上条はその気持ちを抑えきれずに、彼女を引き留めてしまって。
そして…………そして?
「……俺、確かアイツに告白しようとして……えーと…………」
「フラれたショックがデカすぎて気絶、記憶も消しちまったってわけか」
「い、いや、違う違う! 俺は返事聞いてない…………よな?」
「俺に聞くな」
どうもまだ記憶が安定しない。
それでいて、この感覚はどこか身に覚えもあった。
(そうだ、これ……アウレオルスに記憶を消された後と似てる……妙に頭がガンガンする辺りとか…………)
思考がまとまっていく。
もしもあの状況で上条が何かしらの魔術攻撃を頭に受けたとして、その出処はどこか。
……次第に導き出されていくその答えを、上条は頭を振って否定した。
「いや、ないない。何考えてんだ俺」
「オマエが何考えてンのかは知らねェが、とりあえずその置き手紙は読ンだ方がいいンじゃねェの」
「置き手紙? あっ」
一方通行が指差すテーブルの上。
そこには確かに、一枚の紙が置かれていた。
これで一方通行は用も済んだのか、ゆっくりと部屋から出て行く。
何となく、その足取りがふらふらとおぼつかないような気がするが、気のせいだろうか。
上条はその背中に声をかける。
「なぁ、お前は結局ここで何を……」
「アイツは選んだ。だからオマエも選べ」
「は?」
振り向くことはなく、一方通行はそのまま部屋を出て行ってしまった。
彼の言葉はすんなりと頭の中に入ってくる事が少ない。
それでも、何とか頭をひねって考えてはみるのだが、都合よく理解できたりもしない。
ただ、じわじわと胸騒ぎだけが忍び寄ってくる。
気絶、そして置き手紙。
インデックスはここにはいない。
代わりに、一方通行が居たというイレギュラー。
そう、似たような状況はあったはずだ。
意識が途絶えて、目覚めたら彼女がいない。
それは一ヶ月程前に体験した事だ。
「っ!!」
遅すぎる行動。
上条は急いでテーブルの上の手紙を拾って読み始める。
しかし、暗い。小さく舌打ちをして、電気を点ける。この僅かな時間がもどかしい。
部屋が蛍光灯によって明るくなり、手紙の文字が読みやすくなる。
その内容は。
『とうまへ。
この手紙を読んでいる頃には、私はもうここにはいないでしょう。
って、こんな書き方だと何か物騒だね。安心して、ただ学園都市にはいないってだけだから。
まず始めに、ごめんなさい。
こんな別れ方だと、前と何も変わっていないって言われても仕方ないよね。
でも、私はこれが一番良いと思ったんだよ。この選択が、私達にとって一番正しい選択だって。
きっと、とうまは納得しないよね。
とうまはとっても強いから、私なんかよりもずっと強いから。
私は弱いから、とうまから逃げることしかできないんだよ。
分かってるとは思うけど、とうまを気絶させたのは私だよ。頭に直接魔術を打ち込んでね。
だから、朝まで目が覚めなくても、それは私の計算通りなんだ。決してとうまの責任じゃないよ。
あと、プレゼントも一緒に置いておきました。
人生の重要な局面や複雑な問題で助けになるパワーストーン、タンザナイトのブレスレットだよ。
たぶんとうまの事だから、これからも色々と大変な事にぶつかるんだろうなって思って、お守りにね。
といっても、魔術的な力は込めてないから、右手で壊れたりはしないから安心してね。
最後に、ありがとう。
とうまや、他のみんなからは、大切な物を沢山貰ったよ。
だから、私はもう大丈夫。向こうでも、しっかりやっていける。
最後って言ったけど、もちろんこれは手紙の最後って意味だよ。
次に会う時は、私ももっと立派になってるから、期待していてほしいかも。
それじゃ、体に気を付けて、あんまり無茶しないでね。
また会える日を楽しみにしています。
インデックスより。
追伸、色んな女の子とイチャイチャするのも程々に』
テーブルの上、手紙が置いてあった場所のすぐ近くには、明るい色の小さな紙袋が置いてあった。
今まで気が付かなかったのが不思議なくらいで、それだけ慌てていたのかもしれない。
今は、不思議と落ち着いていた。
なぜだかはよく分からない。
手紙を読み始めるまでは、確かに焦っていたはずだ。
しかし、読み進めていく内に、その焦りはどんどん引いていくのを感じた。
紙袋から中身を取り出す。
出てきたのは、綺麗なブルーの石のブレスレット。
さっそく右腕に付けると、妙にしっくりときた。
(人生の重要な局面……か)
それは今までも沢山あったと思う。
いつだって上条は、その局面局面に全力で挑んでいった。
そして、今この瞬間も。
インデックスはこの別れ方が最良だと判断して、決断した。
あのタイミングで上条を気絶させたのは意図的だった。だとすれば、言葉の先は聞きたくないという意思表示でもある。
上条が次に言う事が分かって、それでいて拒否したという事にもなる。
その事実は、ほとんど彼女の返事だと言ってもいいかもしれない。
それでいて、波風はそれ程立たなく、無難な展開だと言えるかもしれない。
今の心地良い関係のまま別れる。彼女の精神状態を考えても、理解できる判断だ。
だけど、納得はできない。
上条は立ち上がった。
その直後に、何とも物騒なものを視界の端、枕元に発見する。
一方通行からのプレゼントである銃だ。
「……なんつーもんを置いてってんだよアイツ」
上条は苦笑いを浮かべ、それをベルトに挟み込んだ。
ここから先は、インデックスの為ではない。
彼女の事を考えるなら、その選択を尊重するべきだ。
しかし、インデックスが選んだように、上条にも選ぶ権利と義務がある。
一方通行はそれが言いたかったのだろう。
朝まで目覚めないように計算された魔術を受けても、こうして上条が意識を取り戻している理由。
そして、体をふらつかせていた一方通行。その二つはすぐに繋がる。
彼が、その解析能力を使って上条を目覚めさせたのだ。その手順の中で、どうしても魔術も使わなければならなかった。
そうやって得る事ができた選択肢を、上条は決して無駄にはしない。
今、自分が何をしたいのか。
彼女の為に、だとかは関係ない。上条はどうしたいのか。
考えるまでもない。
それはもう、既に出した結論だからだ。
***
上条はとにかく走った。
完全下校時刻はとっくに過ぎている為、交通機関も止まっている。
彼女に追いつくには、自分の足で進む必要がある。
もちろん、彼女の通る道というのは分からない。
でも、ゴールはある程度予想できる。
第二十三学区。
ここに来る時と同じ方法であるなら、そこから飛行機でイギリスまで飛び立つはずだ。
彼女もまさか上条が追いかけられる状態だとは思っていないはずなので、意表をついた出国方法を取る可能性は低い。
寮の階段をほとんど全て飛ばして下りていく。
着地の度に足にかなりの衝撃が伝わってくるが、そんなものを気にしている余裕はない。
外に出ると、雪はまだ変わらず降り続いていた。
一瞬、これで飛行機が出せなくなってくれればとも考えたが、この程度ではあまり望めないだろう。
どっちにしろ上条の取る行動は変わらない。
全力で走って、全力で追いつく。
ただ、それだけだ。
勢い良く外へ飛び出した時、ジャケットのポケットの中で、ケータイが振動した。
できれば後回しにしたかったが、もしかしたらインデックスに関係する事かもしれない。
そう思って、走りながら画面を開いてみると、そこには食蜂操祈という表示。
「もしもし、操祈か?」
『はいはぁい、“あなたの”操祈ですよぉー。ふふ、良い夜ねぇ』
「……悪い、今ちょっと急いでんだ。大事な用じゃないなら」
『インデックスさんの所へ行きたいんでしょぉ?』
「なっ、知ってんのか!?」
『私の情報力を舐めてもらっちゃ困るわぁ。
こうして電話してのも、あなたに選択肢を与えるためよぉ。一方通行さんじゃないけどぉ』
「選択肢……?」
『えぇ。インデックスさんが第二十三学区へ向かっているって事くらいは予想できているわよねぇ?』
「あぁ、とにかく場所は分かってるから、まずはそこまで行こうと……」
『そう簡単にはいかないのよぉ』
上条の足が止まった。
これは別に、食蜂との会話に集中するために、というわけではない。
止まりたくなくても、止まらざるをえなかった。
警備員(アンチスキル)の交通整理。
車がいくつも停められており、赤いライトが目に眩しい。
いつもであれば、こんな雪の日にご苦労様ですと通り過ぎる所だが、今はそうもいかない。
第二十三学区へ行くためには、この道が一番の近道だからだ。
「なんだ……これ」
『なんでも、雪の影響がどうたらこうたらで、あちこち交通整理が行われてるみたい。
それも、第七学区から第二十三学区までの最短経路を一つ残らず潰すように。すごい偶然よねぇ』
「……妨害工作ってわけか」
『学園都市上層部には上条さんの情報はすぐ伝わるでしょうしねぇ。さて、どうするのぉ?』
「…………」
ギリッと歯を鳴らす。
遠回りしている時間はないはずだ。
アンチスキルの目が届かない、道なき道を探せばやり過ごす事はできる。
ただ、食蜂の言葉通りだとすれば、交通整理はここだけではない。その度にいちいちそんな事をしていれば、大きなタイムロスとなってしまう。
上条が黙り込んでしまうと、食蜂は軽い口調で話し出す。
『だから、私はあなたに選択肢を与えたいって言ったのよぉ』
「選択肢って……もしかして助けてくれるのか?」
『えー、いやよぉ。なんでわざわざ自分の好きな相手と他の女の恋愛応援しなきゃいけないのよぉ。でもぉ……』
『“強制力”があるなら、仕方ないわよねぇ』
一瞬彼女の言葉が分からず、上条はただパチクリと目を瞬く。
別に彼女は上条に対して絶対に服従しなくてはいけないなんていう事はないだろうし、むしろ上条の方が振り回されっぱなしだ。
……だが、やがて右腕に巻かれたタンザナイトのブレスレットを見て気付いた。
誕生日プレゼントを見て、気付いた。
そう、今日は上条の誕生日だ。
うっかりするとすぐ忘れてしまうような事だが、嬉しいプレゼントの数々を忘れてはいけない。
そして、彼女の……食蜂操祈のプレゼントはなんだったか?
「操祈、チケットの効果を使う。インデックスの元へ行きたいから手伝ってくれ」
その言葉に、彼女は笑った。
電話越しでも、その笑顔が浮かぶように、クスクスと。
『もう、まさかそんな使い方をするなんて、上条さんも酷い人ねぇ』
「……悪い。でも、俺」
『いいわぁ、どうせえっちな命令とかは期待してなかったしぃ。
それに、これはこれで好感度上がるし、あながちメリットが全くないっていうわけでもないのよねぇ』
「あぁ……ありがとうな、操祈」
『ふふ、どういたしましてぇ。それじゃ、インデックスさんに追い付きましょうかぁ。もう手は回してあるから、大船に乗った気でいていいわよぉ』
「えっ、もう何かしてくれてんのか!?」
『えぇ、時間ないしぃ。まず、インデックスさんが向かっている先は第二十三学区の最終ゲート。
出発予定時刻は午後十時、今から約一時間後ねぇ。足が必要だと思うけど、そっちの方はもうすぐ来るはずよぉ。
それと、上層部による妨害工作も、何とかしてくれそうな人に声かけておいたわぁ』
「お……おう……サンキュ……」
一気にまとめて説明してくる彼女に、上条はただ生返事しかできない。
確かに、彼女の能力を使えば情報収集も連絡伝達も迅速にできたはずだ。
だが、いくら何でも手を打つのが早すぎないだろうか。
(もしかして、俺が頼む前から……最初からそのつもりで……)
そこまで考えた時、ブォン! と大きな音の直後、鋭いブレーキ音と共に一台の車が上条の近くに停車した。
積もり始めている雪が飛び散り、横なぎにふりかかる。
「上条、乗れ!」
「は、浜面!? 滝壺も……」
「話は後。時間がないから速く」
慌てて後部座席に乗り込む。
浜面はそれを確認すると、一気にアクセルを踏み込んだ。
一瞬の躊躇もない。
「お、おい待てって! 前見ろ前!!」
「前がどうした?」
「どうしたって、アンチスキルが通行止めを……!」
「はっ」
浜面は鼻で笑い飛ばした。
上条の頬を嫌な汗が伝う。
滝壺が耐ショック姿勢をとる。
「あんなもん、通行止めとは言えねえな」
ズガァァァァァ!!! という、凄まじい轟音と衝撃。
ろくに準備もしておらず、シートベルトも締めていなかった上条は後部座席でメチャクチャに転がった。
全身を打つ痛みと、グルグル回り続ける視界に気分を悪くしながらも、何が起きたかくらいは理解できた。
要は、アンチスキルの車と車の間を強引に突破したわけだ。
少しして、ようやく体勢を整えた上条は恨めしげに浜面を見る。
「いってーよ……何か一言くらいあっても良かったじゃねえか……」
「はは、悪い悪い。でもお前なら大丈夫だろ」
「言っておくけどな、俺の耐久度はそこまで高くねえよ」
そう文句を言ったところで、上条は手元のケータイの通話を切っていなかった事に気付く。
どうやら食蜂の方もまだ切っておらず、繋がったままのようだ。
「悪い操祈。ちょうど今、浜面と合流したところだ。お前が呼んでくれたんだろ?」
『そうだけどぉ……なんか凄い音したけど、大丈夫なのぉ?』
「あぁ、何とか。このくらいはいつものことだ」
『壮絶力たっぷりな人生を送っているのねぇ……まぁでも、ここからは他の人達のサポート力もあるんで、何とかなるとは思うわよぉ』
「他の人……って結構いるのか?」
『えぇ、色々手を回して片っ端からコンタクト取ったから、期待してもらってもいいわよぉ。
あ、でも垣根さんとはまだ接触できていないわぁ。あの人がいればどうにでもなるんだけどぉ』
「いや、十分だ。ありがとな、操祈」
『ふふ、これは上条さんが当たって砕けた後に有利になれそうねぇ』
「おい、聞こえてるからな」
『えー、何も言ってないわよー?
あ、そうだ、聞いて聞いてぇ。私、一応御坂さんにも連絡したんだけど、あの人何て言ったと思うー?』
「何て?」
『「手伝うわけないでしょバーカ」、よぉ!? もう、失礼しちゃうわぁ。
こんなの上条さん的にも好感度ガタ落ちよねぇ? ふふふ、これで上条さんがフラれた後は私の一人勝ち!』
「あの、操祈さん? 俺がフラれる前提で話すのやめてもらえますか?」
それと、と上条は言葉を続ける。
美琴に関してだ。
「御坂の言ってる事ももっともだ。
自分をフッた奴が他の子に告白するのを手伝うなんて、できるはずねえよ。少なくとも、俺がその立場だったらたぶんできねえ」
『それはそうだけどぉ……その点、私はとっても良い子でしょ!』
「あぁ、そうだな。お前には感謝してもしきれねえよ」
『えっ、あー、いや、今のはボケというかツッコミ待ちだったんだけどぉ…………と、とにかく!』
電話の向こうの声が微妙に上ずっている。
もしかしたら照れたのかもしれない。珍しい事もあるものだ。
『インデックスさんとはバッサリフラれて決着つけてって事よぉ!』
そんな言葉と共に、乱暴に通話は切られてしまった。
上条は小さく口元を緩ませる。
何だかんだ言って、彼女も中学生らしいところもあるものだ。
「うおっ!?」
気を緩めていたら、再び車が大きく揺れ、上条は横のドアに叩きつけられる。
いい加減にシートベルトを締めた方が良さそうだ。
前方からは浜面の声が飛んでくる。
「ったく、俺には派手なカーチェイスやらせておいて、自分は女子中学生と楽しくお喋りかよ!」
「カーチェイスって……うわっ! 追いかけられてんじゃねえか俺達!」
「あんな強行突破したら当たり前。はまづら、そこ右」
「おっけ!」
また大きく車が揺れる。
今度はシートベルトのお陰で、全身を打ち付けるような事にはならない。
座席に手を乗せて後ろを見てみると、数台のアンチスキルの車が追いかけてきているのが分かる。
「これ大丈夫なのか!? なんか後ろの奴等、銃構えてるぞ!?」
「ん? あー、大丈夫大丈夫、慣れてっから。滝壺、あとどのくらい?」
「もうすぐ。そこを曲がった先」
「えっ、まだ第二十三学区には着かないだろ?」
「違う違う、その前に追手を何とかしないといけないだろ?」
浜面の言葉の直後、ズガン!! と車の背後で土煙があがった。
***
舞い上がる土煙と、舞い落ちる白雪。
それは別に綺麗なコントラストを描くわけでもなく、ただ土煙が邪魔なだけだ。
麦野沈利は、後方へ走り去っていく車を見ながら溜息をつく。
「これがアイテムの最後の仕事になるのかしらね」
「超不満そうですね」
「ふん、浜面の奴に使われるってのは確かに気に食わないけど、まぁ、最後だってんなら少しくらい許してやるわよ」
「まさか麦野がここまで丸くなるとは思いませんでしたよ」
「うるさいわね」
隣の絹旗最愛はフードを下ろしながら、心なしか楽しげな口調だ。
そのまた隣には、黒夜海鳥が明らかに不機嫌そうな表情で舌打ちをしている。
「なんで私まで……」
「はまづら団だからじゃないですか。あなたとフレメアとフロイラインと垣根で」
「そんなもんに入った覚えはねえ!」
「ゴチャゴチャうっさいわね、くるわよ」
土煙が晴れていく。
目の前には車が数台に、アンチスキルが数十人。
この者達にとっては、取るに足らないものだ。
「一応言っておきますが、超殺さないように」
「分かってるわよ。その辺の手加減は流石に慣れたし」
ジュッ、と雪が麦野の能力に触れて音をあげる。
これはアイテムにとっては簡単な仕事だ。
それでも、失敗は許されない。
今まで色々あったが、最後くらいは綺麗に終わらせたいものだ。
浜面にはもう随分と情けない姿を見せてしまった。
だからせめて、ここで麦野沈利の強さというものを示した方がいいだろう。
麦野は小さく微笑む。
「よし、やるか。頼りない浜面の尻拭いをさ」
***
妹達(シスターズ)検体番号10032号、御坂妹はぼんやりと空から降ってくる雪を眺めていた。
知識では知っているし、他の個体を通して見たことはあるのだが、この御坂妹が直に見るのは初めてだった。
やはりこうして実際に見てみるのは違う。
素直に綺麗だ、と思えた。
『10032号、何をサボっているのですか、とミサカ10039号は注意します』
『ミサカ達には、あの少年を全面的にバックアップするという目的があったはずです、とミサカ13577号は思い出させます』
「……すぐに任務に戻ります、とミサカ10032号は応答します」
御坂妹はゆっくりと立ち上がる。
手には鋼鉄破り(メタルイーターM5)、強力なライフル銃が握られている。
ここでいう任務というのは誘導だ。
同時多発的に複数の地点で騒ぎを起こす。
それによって、各地に配置されているアンチスキルを本来の持ち場から動かすのだ。
アンチスキルに与えられている任務は、雪の影響による交通整理。
それは重要度でいえばさほど高いものでもなく、例えば今彼女が手にしている銃をぶっ放せば、こちらを優先するのは当然だ。
『ですが……これは学園都市への反逆行為なのでは? とミサカ19090号は指摘します』
「立場がまずくなった時は、食蜂操祈に洗脳されていたという事にしましょう。
あの少年からの好感度を上げて、ライバルを陥れる。一石二鳥です、とミサカ10032号は提案します」
他の個体も次々とその提案に賛成する。
何とも妙な部分まで人間らしくなってきたものだ、と例のカエル顔の医者は言っていた。
妹達(シスターズ)にとって、上条は大切な恩人だ。
それぞれの個体が、彼にとっての特別な存在になりたい、そういった感情を持っている事は確かだ。
それでも、基本的に彼の助けになる事であれば、どんな事でも協力したいという意思を持っている。
そう、これは、紛れも無く自分の意思だ。
「任務を開始します、とミサカは宣言します」
引き金にかかった指に力がこもる。
直後、各地で凄まじい銃声が一斉に響き渡った。
***
エツァリもまた、妹達(シスターズ)と同じ行動をとっていた。
つまり、騒ぎを起こしてアンチスキルの目を引いているのだ。
既に数ヶ所に渡って騒いだ後、今は使われなくなった研究室の中に身を隠している。
暴れる、隠れる、暴れる、といったローテーションだ。
「……相手がアンチスキルだとやり過ごしやすいですね。暗部と比べると随分とぬるい」
「はっ、そもそもそんな平和ボケした奴等を相手にしている時点で恥に思わないのか。
いや、それ以上に、好きな女を取られた相手に協力する事自体がどうしようもなく情けない事か」
「あの、なぜショチトルまでここに?」
「貴様がしょうもない事で捕まれば、貴様に負けた私の名前にも傷がつく。ただそれだけだ」
これは本当に照れ隠しなのだろうか。
トチトリ曰くそういう事らしいのだが、本気で言っているようにしか思えない。
「なんだ、その目は」
「あ、いえ……それと彼に協力する理由はちゃんとありますよ。
ほら、彼がインデックスさんと恋人になる事があれば、御坂さんへのアタックも楽になりますし」
「…………」
「……冗談です」
完全に汚物を見る目で見られたので、エツァリは付け加える。
目を細めて、自嘲気味な笑みを浮かべて。
「ただ、自分はいつだって彼女に味方したい、それだけですよ」
「御坂美琴はむしろあの男の告白を止めたいと思っているんじゃないのか?」
「どうでしょうね」
口ではそう言いながらも、エツァリには何となく分かっていた。
自分が惚れた少女が、どんな人だったか。
この展開で、彼女は何を望むか。
それに協力した結果、恋敵とも言える相手を助ける事になっても、彼にとっては一向に構わなかった。
***
青髪ピアスは走っていた。
雪降る第七学区を、パンツ一丁で走っていた。
変態。
彼を表現する言葉はそれだけでいい。というか、それしかない。
当然というべきか、道路の真ん中で交通整理を行っていたアンチスキルも駆け寄ってくる。
「君、止まりなさい! なんて格好をしているんだ!!」
「うはははははははは!!! 雪ってのは子供のテンションが上がるもんやでー!!!」
「上がりすぎだ!!!!!」
この程度では、上条にとってほとんど助けにはならないかもしれない。
むしろ、上条の現状を伝えに来た、第五位を名乗るあの少女の好感度を上げる目的の方が大きいかもしれない。
基本的に、女の子の頼みは断れないのがこの男である。
(どうせあの子もカミやんに落とされてるんやろうなぁ……)
走りながら後ろを振り返ってみると、まだアンチスキルとは距離がある。捕まるには猶予があるはずだ。
はぁ、と溜息をつく。
何だかんだ言って、自分も上条の為にこんな事をしてしまっている。
これではまるで、自分もあのカミやん病に感染したみたいではないか。
「……うわ」
本気で鳥肌が立った。これは寒さによるものではない。
ブンブンと頭を振る。
いかに様々な属性をカバーしているとはいえ、それはあくまで女の子に対するものだ。
というか、なぜそういった変な方向に行くのだろうか。
もっと単純な答えがあるはずだ。
これはきっと普通に……友情なのだろう。
「……えー」
それはそれで恥ずかしい。
そもそも、本当に友情なんていうものがあるのか。
モテる男は男の敵、それはこの世の真理だ。
つまり、上条当麻は敵だ。
「つまり……?」
行き詰まった。
どうして、自分は男の敵である上条当麻の味方をしているのだろうか。
そこで、答えが出た。
正確には、目の前に飛び込んできた。
「なっ、ちょっ、何やってるんですかああああああああああ!!!!!」
なんという偶然。
担任教師、月詠小萌とばったり遭遇。
とても可愛らしくぷりぷり怒るその姿に、心が満たされていくのを感じる。
あぁ、そうかと納得した。
つまりは、アンチスキルに捕まる→小萌先生に説教される、というコンボを楽しみにしていたわけだ。
何もおかしくない、至って正常な思考回路によるものだった。
直後、青髪ピアスはアンチスキルに捕まった。
小萌先生の怒った声も聞こえる。
そしてなぜか、またもや偶然居合わせた吹寄の怒鳴り声まで合わさる。
青髪ピアスは、最高に幸せだった。
***
第七学区の中央部、窓のないビル。
その内部では様々なモニターが空中に展開されていた。
それを黙って見つめるのは、円筒状の巨大ビーカーに逆さに浮いている人間。
学園都市統括理事長、アレイスター=クロウリーだ。
彼は表情にこれといった感情を乗せず、ただモニターに目を向けているだけといった方が正しいように思えた。
そんな男に声をかける者……天使が一体。
「随分と杜撰な妨害工作だ。もしや君は例の幻想殺し(イマジンブレイカー)が活躍する舞台を整えているだけなのかな?」
「そうでもない。そもそも、私にはどうでもいい事だ。妨害工作も、あちら側の顔を立てた形式的な対応にすぎない。
それにしても、あなたはやけに楽しそうだ。そんなにあの男のもがく姿が気に入っているのか?」
「あぁ、そうだね。彼はいつだって私の興味を惹いてくれる貴重な存在だ」
「私からすれば、ありきたりで陳腐なストーリーにしか見えないが」
「陳腐なものを好んではいけない理由はあるまい」
長い金髪の間から見える表情は、言葉とは裏腹にフラットなものだった。
だが、それでも確かにその目はモニターに向けられており、それだけの価値は見出している事に他ならなかった。
「また妨害工作の妨害が入ったようだ。
今度は正体不明の立体映像(ホログラム)が各地に出現しているらしい」
「……あなたの仕業か?」
「いやいや、ヒューズ=カザキリの独断だろう。しかし、直接禁書目録側を抑える事は難しいらしい。
まぁ、追手をやり過ごす為に、この街とは違う法則を用いているのだから捉えきれなくても無理はない」
「第一位はその内一つを突破したようだがな。その程度の解析能力は身に付けていて当然なのだが」
「まるで息子の成長を見守る父のようだな」
「本気で言っているのか?」
「さぁ、どうだろうね」
エイワスは軽い口調で流すと、今度は別のモニターに視線を固定した。
つまり、そこにもこの存在が興味を示すものがあるという事だ。
「ふむ、しかしこれはつまらない展開だ。私も出ることにしようか」
***
上条を乗せた車は第二十三学区に向けて突き進む。
これまで何度かアンチスキルとぶつかる事はあったが、強引に突破している。
その結果、今も後ろにはアンチスキルの車両が何台か追ってきているという状況だ。
浜面はすっかり慣れた様子でハンドルを回しながら、
「これでも少ない方だけどな。まともにいってればこんなもんじゃ済まなかった」
「どういう事だ?」
「むぎの達以外にも、アンチスキルの包囲網を撹乱している人達がいる。人望が厚いんだね、かみじょうは」
「……俺はそんな大した奴じゃない。みんながとんでもなく良い奴なんだ」
「自分ではそう思っていても、周りの奴等にとっては違うって事だろ」
そう言われても、上条は素直に頷く事はできない。
今までやってきた事が全て正しいとは思えないし、もっと上手くやる事もできたはずだ。
それに結局のところ、上条は自分の好きなように動いているだけで、自己満足に過ぎないとも思っている。
だけど、例えそれが自己満足でしかなかったとしても。
その結果、救われた人がいる、こうして助けてくれる人がいる。
それは、きっと――――。
「……どっちにしろ、協力してくれたみんなの為にも、意地でもインデックスの元まで行かねえとな」
「おう、その調子だ。やっぱその方が上条らしいぜ」
「俺らしい?」
「あんま色々考えずに、とりあえず突っ走る……みたいな?」
「なんかすげえバカにされてる感があるぞ」
「大丈夫、はまづらも似たようなところある。私以外の女も助けてイチャイチャしてるし」
「だ、だからフレメアをカウントするのはどうなんでしょうか滝壺さん!?」
「惚気けてんのはいいけど、ちゃんと前見ろって前」
そう言う上条だが、こうやって楽しげな二人を見ていると、心を鼓舞されるようだった。
自分が手に入れたいもの、それは今この二人が見せているような、暖かい関係であるはずだから。
すると、滝壺がこちらをじーっと見る。
「……かみじょうは、インデックスの事が好き?」
「あぁ、好きだ」
「そう。それならやっぱり、私もハッキリ示した方がいいと思う。これは体験談」
「あー、そういや滝壺の方からキスしたんだっけ…………俺はちゃんと自分からいかねえとな」
「お、おい待て! それは俺もいっぱいいっぱいだったからで、もちろん俺だって自分からガツンといくつもりで……」
「はまづらの方からガツンと来られてたら引いてたかも」
「えっ、マジ?」
浜面は本気で驚いたらしく、目を丸くして彼女を見る。
このスピードで余所見しまくりというのは心臓に悪いのだが、それだけ自分の技術に自信があるのだろう。
「……なぁ、俺もインデックスに引かれるっていう事はないだろうな」
「ないとは言えない。笑顔で『ごめんなさい、無理かも』って言われる可能性もある」
「それやられたらしばらく寝込む自信あるぞ、俺」
「普通に情けねえなオイ……」
浜面が呆れた声を出すが、事実なのだから仕方ない。
出来れば想像したくない返答だ。
「でも、私はかみじょうの気持ちを伝えるべきだと思う。それはきっと、インデックスに必要な言葉だから」
「そう……だといいけどな」
インデックスがどんな言葉を求めているのかは分からない。
そもそも、上条を気絶させた事から、何も求めていないという事も考えられる。
でも、少なくとも。
この胸に秘めた言葉が、上条にとって必要なものだという事は確かだった。
自分にとって大切な事だから、伝える。結局はそういう事だ。
すると、浜面が思い出したように、
「あ、そうだそうだ、これ必要だろ。できてるぜ」
と、運転しながら何かを後ろに投げてきた。
反射的にキャッチすると、どうやら妙に洒落っ気のある小さな箱である事が分かる。
「これってもしかして」
「おう、頼んでただろ。ちなみに今お前が右手に巻いてるブレスレットも俺が加工したもんだ」
「あぁ、それは何となく分かった。サンキューな、インデックスの方も、こっちの方も」
上蓋を開いてみると、やはり中には予想通りのものがあった。まぁ、元々こちらから頼んだのだが。
ただ仕上がりは想像以上で、かなりのクオリティではないだろうか。
滝壺はそれを見て、
「私のも期待してるよ、はまづら」
「おう、任せとけ。ただ、ほら、俺としてはそういうのは一緒になる時までとっておきたいっつーかさ」
「……うん」
「やっぱアウェー感すげえなここ」
考えてみれば、恋人同士の乗る車にお邪魔している形なので当然と言えば当然だ。
せめてその気まずさを誤魔化せないかと、視線を彷徨わせて色々考えていると、
『あー、こちら第七十三支部所属の黄泉川愛穂。お前ら公務執行妨害とか色々で地獄逝きじゃんよ!』
何やら威勢のいい声が聞こえてきた。後ろだ。
というか、この声と名前には聞き覚えがある。
上条は後ろを見ると、そこには大型特殊車輌。
そして、運転席にはやけに楽しげな笑みを浮かべている女性がいた。
「やっぱうちの学校の先生じゃねえか……」
「マジかよ上条、あんなのがいる学校に通ってんのか。つかやべー、よりによって黄泉川かよ」
「……また女の知り合い」
「ごめん滝壺、その辺りは後で」
その直後、浜面はハンドルを切って裏道へと入っていく。
車一台がやっと通れる程度の道幅だ。これなら、あの大型車両では入ってこれない。
「撒いたか?」
「黄泉川はな。また花火とかふざけたもん投げつけてこなきゃいいが」
「花火?」
「いや、こっちの話だ。とにかく、ちょい道外れちまったから、修正して……」
「はまづら、前」
滝壺が指差す先。
そこは大きな道路に出る方向だったが、見事に大型車両によって封鎖されていた。
この道の狭さ故に、これではどうしようもない。
「くそっ!」
流石にあれは強行突破できないのか、浜面はすぐにギアをバックに入れると、車を後退。
別の道へと進み始める。
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