・これは咲-saki-(キャラ)と、されど罪人は竜と踊る(世界設定)のクロスSSです
・n+1番煎じの須賀京太郎が主人公です
・臼沢塞が主人公その2です
・エロ、グロ、リョナ、鬱、その他暴力的シーンが含む場合があります(なるべく控えるつもりですが)
・咲キャラが戦闘します
・割とシリアスです
・死者が出ます(なるべく少なくするつもりですが)
・麻雀要素はあまりありません
・原作とは違うキャラ付けになっていたりします
・ものすごく遅筆です
以上のどれか一つでも疑問や嫌悪感などを持たれる方
そもそもこれ咲のキャラでやる意味あるの?と疑問に思われる方
そういった方は閲覧注意ということでお願いします
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第一話「咒式と剣の禍唄」
1
闇夜を切り裂く叫声。
竜の咆哮が大気と街路樹の梢と、俺の耳朶を振るわせた。
筋肉の束ねられた太い前足とその先端の五本の剣のような爪は、踏みしめるだけで舗装されたアスファルトに亀裂を刻む。
蛇のように伸びた首の先端には蜥蜴とも鰐とも取れる三角形の頭部が鎮座し、開かれた口腔から覗くのは短剣のような牙の群れ。
赤い鱗に覆われた小型の火竜だった。しかしその大きさは南方に生息する像をも超える巨躯で、優に家一軒のほどもあった。
ビルの屋上に佇む俺の眼下、竜と対峙した一人の少女が、抜き放った魔杖剣を正眼に構えている。
獰悪な橙色の双眸が少女を捉え、大きく開かれた口腔には咒印組成式の光。火竜が灼熱の劫火を吐き出すその瞬間!
少女が動く。魔杖剣の引き金を引き、少女の意識と咒力が仮想力場を通り、魔杖剣〈鳴神のライネ〉の鍔元に埋め込まれた法珠で収斂し位相転位、
装填された薬室内の咒弾薬莢内の置換物質を触媒に物理干渉。
紡がれていた咒式が刀身で増幅され、その切っ先の空間に青白く輝く咒印組成式を描く。
化学練成系咒式第四階位〈銀嶺氷凍息(クロセール)〉により発生した氷点下195,8度の液体窒素の氷槍が高速飛翔。
数十条の氷の槍が今まさに炎を吐き出そうとしていた火竜の上下顎をまとめて貫通し、血飛沫を跳ねさせながら地面に縫い付ける。
瞋恚の怒りを瞳に宿し、氷の槍を振り払う火竜。だが、すでに大勢は決している。
ビルの屋上から飛び降りていた俺が、魔杖剣〈蜃気楼〉を大上段に構えながら落下し、瀑布となった白刃が高硬度の竜鱗とうねる筋肉の鎧と頑健な骨を一気に両断。
鮮血の尾を引きながら、両断された火竜の首が宙空に舞い三回転して地面に落下。
重々しい音を立てて落下した首の、牙の隙間から漏れた不完全な咒印組成式が砕け、街灯の灯らない街の闇に溶けて消えた。
一瞬後に、切断された竜の首の断面から血の豪雨が降り注いだ。
血の雨を被らないように俺は慌ててその場から飛び退く。
今になって排出された空薬莢が地面に落ち、澄んだ鈴のような音を響かせた。それが戦闘終了の合図となった。
2
京太郎「報告に聞いてたほどの相手じゃなかったな」
塞「安全であるならそれに越したこてはないね」
優雅な装飾の施された魔杖細剣〈鳴神のライネ〉を鞘にも戻しながら、塞が息を吐き出す。
俺も自身の魔杖剣〈蜃気楼〉を、血糊を払いつつ鞘に戻す。
足元には、竜の首と胴の断面から溢れ出した血が赤い水溜りを作っていた。俺は一歩さがる。
咒式の残滓とむせ返る血の臭い。
いつもどおりだった。俺たちはいつもの攻性咒式士だった。
前方に視線を投げる塞が、鼻梁に指先を添え知覚片眼鏡(クルークモノブリレ)の位置を戻す。
俺たちの視線の先に竜の死骸が横たわっていた。
3
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
青白い光を降らせる下弦の月が浮かぶ、朧月の夜空。
道路のアスファルトには亀裂が刻まれていた。路肩に乗り捨てられた自動車は車体の表面に砂埃が層となっている。
設置された道路標識は鉄柱が半ばから折れて『駐車禁止』の看板が地面に転がっている。
三階層までの高さしかないビル郡の窓ガラスはその殆んどが割れているか、ひびが入っているのどちらかだった。
荒れ果てた無人の街を寒々とした初春の夜風が吹きぬけ、焚き火の炎を揺らしていく。
俺たちは倒壊しかけたビルの一階で暖を取っていた。塞は横たわる瓦礫の上に毛布を敷いて座り、俺は地面に直接腰を下ろしている。
野営用の焚き火から薄白い煙が立ち上り、一部が崩落した天井の隙間から抜けていた。崩れたコンクリ壁の断面から曲がった鉄骨が突き出し、その向こうに星空が見えた。
俺たちがいるのはリツベ市から遠く離れたマヨヒガ竜保護緩衝地区の廃村だった。
マヨヒガの街にも以前は人が住んでいた。しかし〈異貌のものども〉の跳梁や竜保護緩衝区の境界線の引き直しで住民はすべて退去し、街だけが廃棄された。
リツベや衛星都市郡からも遠い辺境では、こういう街もそれほど珍しくはなかった。
取り残された廃墟の街には、俺と塞だけがいた。
俺は野営用の道具が詰まっている鞄から携帯食料を取り出し、封を切って口に放り込む。味もくそもあったものではないが、栄養補給をしておかねばならない。
塞にも投げ寄越そうとすると、手を振って拒否された。
代わりに塞は魔杖剣を鞘から少しだけ引き抜き、遊底を引いて静音で咒式を発動。空圧で空薬莢は排出された。
咒印組成式からすると発動されたのは化学練成系咒式第一階位〈征酸(アザン)〉のようだ。
4
京太郎「胃痛か?」
俺の問いに塞は皮肉気な笑いを浮かべる。
塞は胃酸過多の胃に水酸化マグネシウムと水酸化アルミニウムを合成しその制酸効果で胃痛を和らげたようだ。
塞「なに? 珍しく心配でもしてくれるの?」
京太郎「低性能援護咒式発生装置の調子を聞いただけだ」
塞「はいはい。それはお優しいことで」
京太郎「心配ついでに聞くが、胃痛ならショ糖硫酸アステルアルミニウム塩か塩酸ロキサチジンアセタート」
京太郎「もしくは、アチモジンやシメチジン、ラニチジンなんかに作用するH2ブロック等で胃酸分泌自体を抑えた方がよくないか?」
塞「生憎と、医療用咒式の組成式を覚えてなくてね」
そういって肩を竦めながら、塞は続けてくる
塞「生憎ついでに聞きたいんだけど、さっきの戦闘。事前の打ち合わせより跳躍が少し遅くなかった?」
京太郎「俺は打ち合わせ通りだよ。竜を表の通りに誘き出して、塞が足止め、俺が頭上から奇襲。なんの問題もない」
京太郎「それよりも塞こそ、さっきの〈銀嶺氷凍息〉はあの距離であの生成量じゃ不十分だ」
京太郎「氷凍系咒式じゃあ竜の鱗の鎧を確実に貫通できるとは限らない。同じ第四階位なら〈死哭燐沙霧(バル・バス)〉のが確実だったと思うけど」
塞「メチルホスホン酸イソプロピルフルオリダート、つまりサリンガスを生み出す〈死哭燐沙霧〉をあんな至近距離で使えるわけないでしょう?」
塞「少しでも制御に失敗すれば私たちが死んでいたかもしれないんだよ」
京太郎「鍛えとけよ」
塞「歳も学年も、ついでに攻性咒式士としての階梯も下の京太郎には言われたくない」
5
お互いに沈黙。
膝にかけていた毛布を胸元まで引き上げながら塞は顔を背ける。
視線を辿ると、その先には火竜の首が収められた咒化合金製の檻箱。死せる火竜は檻箱の格子の間から濁った瞳でこちらを睨み返してきていた。
塞「あまり私たちを恨まないでよ」
塞が小さく呟く。
塞「あなたたちの棲家を狭めた人類が気に入らないのはわかる」
塞「けどだからといって、緩衝区に迷い込んだ人間を喰らえばあなたを狩らなければならないのは仕方無いでしょ」
塞の言い訳が死した竜に届くわけがない。
京太郎「お互いに運がなかったんだろうな」
京太郎「昔からたまにあることさ。巡回商人や旅行者が知らずに国と龍の合意によって決まられた緩衝区に迷い込む」
京太郎「ただでさえ棲家を狭められて人類を敵視している竜が、聖域にまで踏み込まれて激怒し人を喰い殺す」
塞「近隣の警備部隊にまで被害が出て、そして今度はその竜が私たち攻性咒式士に殺される。救い難い連鎖だね」
我が国は、高度知性を持つ竜とは表向きには友好的な関係が築かれている。
竜族最大派閥の〈賢龍派(ヴァイゼン)〉とのティエンルン合意によって互いの生息域への相互不可侵条約が結ばれている。
しかし幾星霜を生きる高位の竜が大昔に結んだ共存条約も、元々が個体で活動する竜族の大多数には支持されず、生息地を頑迷に護ろうとする竜のがむしろ絶対的に多い。
竜の怒りもわからなくもないが、それでも俺たちは人の側にしか立てない。俺たちは攻性咒式士であり、人類の刃だからだ。
6
塞「嫌な仕事だったね」
京太郎「いつもの通りの仕事だったろ」
俺と塞は学院や企業の研究、産業を支える咒式師ではない。
EMES(咒式師市場独立保護会)やENOK(咒式師受益委員会)の規約にすら従わない荒事専門の攻性咒式士だ。
そのためいろいろな雑事、大昔の地回りや護民官、探偵や傭兵のような仕事をこなして糊口をしのいでいる状態だ。
今回も国家委任自治都市リツベ市の役所との契約で、自身の咒式の力を切り売りしている次第である。
その所為か契約内容も恐ろしく不安定だ。法的にも公務員でもなんでもない扱いなので、健康保険とか労災とか非常に、たぶん恣意的にいい加減だ。
塞「ねぇ」
京太郎「うん?」
焚き火に薪を足しながら、生返事を返す。
塞の視線は相変わらず竜の首に注がれている。知覚片眼鏡に数字が煌きなにかを計測。
眉尻が跳ねる。
塞「落ち着いて観察するとおかしくない?」
京太郎「なにが?」
塞「報告にあった竜にしては小さくないかな?」
俺は視線を動かし、火竜の首を観察する。
表に横たえられている死骸の胴体と合わせて考えると確かに違和感がある。
7
塞「汎ドラッケン式竜測定法、通称DDMMからすると竜は生まれてから大体10から100年で全長20メルトル前後に成長する」
塞の言葉を引く継ぎ俺が続きを述べる。
京太郎「そこから100年毎に1メルトルずつ成長する。つまり、200歳なら21メルトル、300歳なら22メルトルという風に」
塞「この竜の全長は19,4メルトルだった。100歳程度のまだまだ若い竜だよ」
京太郎「報告で聞いていた竜は家一軒より巨大って話だったから、少なくても4、500歳級の強敵と覚悟していたんだけどな」
京太郎「鱗の色も、黒と聞いてた。確かに暗い赤だけど、そんな見間違いするかな?」
塞「恐慌状態の人間が見たものだから、見掛け以上に大きく見えたとか、光の加減で黒く見えたとかいくらでも考えられるけど」
京太郎「それでも少し誤差が大きい気がする」
塞「もう一つの報告に、つがいの竜ってあったけどもう一頭いてそっちがそうなのかな」
塞の推測に気が重くなる。
心なしか、周囲の闇夜がその暗度を増したような気がする。
8
塞「はぁ、早く帰ってお風呂入りたい……」
薄い口唇から溜息を漏らしながら、塞は消沈した面持ちで前髪を弄っている。
京太郎「ここからだと緩衝区の近くの〈異貌のものども〉の森を通ることになる」
京太郎「さすがにこの時間にそこを通り過ぎるのは危険すぎる。夜が明けて迎えの車が来るまで、大人しく待つほうが懸命だよ」
塞「それはわかってるけど……」
唇を尖らせ、いかにも不満がありますと言わんばかりの態度である。
普段年上振っているくせに、こういう仕草はいちいち子供っぽいと思う。
塞「いっぱい汗かいたし、埃も被ったし。男はいいね、そういうの気にならなくて」
京太郎「気にしないわけじゃないが、この状況じゃどうしようもないってわかるくらいの分別はある」
塞「私からしたら同じだよ」
実際、せめて水浴びでも出来ないかと水源を探したが見捨てられた街では水道管も生きたおらず、戦闘の後は汗と埃と血に汚れたままである。
携帯してきた水でタオルを湿らせ一応、身体は拭いたがそれも気休めにしかならない。
赤い舌が暗闇を舐めるように焚き火が揺れ、くべられた木の枝が骨を折ったかのような音を立てて小さく爆ぜる。
塞「もういいや。仮眠とるから、火の番よろしく」
そういいながら塞は瓦礫に敷いた毛布に転がる。
京太郎「見張りは2時間交代な」
塞「3時間にして」
それ以上の会話を遮るように塞は膝にかけていた方の毛布を頭から深く被った。
俺は我知らずに溜息をついて空を見上げる。冴え冴えとした月だけが俺を見下ろしていた。
9
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
凪いだ水面のようなまどろみの中に、ほんの一瞬だけ波紋が広がる。
俺は弾かれたように勢いよく飛び起きる。
京太郎「塞!」
鋭く言い放つのへ、
塞「わかってる」
すでに立ち上がっていた塞は魔杖細剣〈鳴神のライネ〉と予備の魔杖剣である魔杖短剣〈峯風フウネ〉の鞘が吊られた革帯を腰に巻いていた。
俺も塞に倣い、手近な瓦礫に立てかけていた〈蜃気楼〉を引き寄せ、腰に巻きつけながら立ち上がる。
睡魔は一瞬で吹き飛んだ。抜きこそしないものの、俺たちは魔杖剣の柄に手を掛け、周囲を警戒する。
帯電したような緊迫感が空間に充満していく。
俺は塞に手信号で合図を送る。頷き返してきた塞とともに、瓦礫を飛び越え街路に飛び出した。
亀裂が刻まれた誰もいないアスファルトの道路。錆びた廃車と、暗灰色に塗りつぶされたビル郡の表通り。
敵の姿を目視する前から、その気配はすでに俺たちの咒式知覚圏が感知していた。
10
奴らは巨大で鈍重な外見からは想像できないほどに俊敏に動ける。長い尾をくねらせしなやかに石柱の間を抜けてくる。
大質量が石畳を踏み割る音。身体の放射熱や排出される炭酸ガスすら、奴らはその咒式結界で無効化できる。
しかし、奴らは気配を消すことは得手ではない。何故ならこの地上で奴らが恐れ、身を隠すべき相手など存在しないからだ。
轟音。
突如、周囲を窺っていた俺たちの左手前方にある背の低いビルが破砕され、石壁が崩落する。
吹き飛んだ瓦礫が礫の散弾となり、俺たちを強襲! 俺は塞を左腕に抱えながら転がって回避する。
大音響が鼓膜に耳鳴りを起こし、白く煙る粉塵を突き破って、そいつの黒曜石のような金属質の昏い鱗に覆われた巨躯が出現する。
長く伸びる首の先の蜥蜴にも似た頭部の、その頭頂部には王冠のような太い角が幾本も屹立していた。
奴ら特有の氷点下の瞳が、俺たちを睥睨する。
京太郎「どうやらこいつが被害の元らしいな!」
塞「昼間のは単なる迷子の幼竜かしら?」
俺たちの眼前に現れたのは、その身体を覆う鱗が如実に示すとおり〈黒竜〉だった。
11
黒竜とは、生物学的には鱗竜目巨竜科這竜属で、炎を吐く火竜や塩素ガスを吐く緑竜の同属異種で、強酸を吐き出す凶悪な竜の一種だ。
掲げられた頭部の高さは、二階建てのビルほどもあり、巨木を捻り合わせた四肢に支えられた胴はそれだけで家一軒ほどもあった。
長大な尾が振られ、路面を叩く。それだけでアスファルトが砕ける。
塞「全長、26,93メルトル」
知覚片眼鏡により計測された数値を塞が搾り出すように告げてくる。
最悪だった。
京太郎「クソッ! まさかよりにもよって長命竜級かよ!」
我知らずに悪態を吐き捨てる。
竜は加齢とともにその知力、戦闘力、咒力が向上する。その強さはまさしく生ける災害に等しい。
そして千年の星霜を生きた竜は鱗に金属的な光沢を加え、我ら人類はその竜を畏怖をこめて〈長命竜(アルター)〉と呼ぶ。
26,93メルトルだとすると、DDMMに当てはめて考えればおおよそ8、900歳の竜ということになる。
〈長命竜〉ではないが、それに近い力を持つ準長命竜級の邪竜と、俺たちは今まさに対峙していた。
塞と組んで1年半ほどで、最大で400歳級を含む大小七頭の竜を倒してきた俺たちだが、そんなものは虚勢にもならない。
12
黒き巨竜の碧の双眸が俺たちを捕捉。竜族の瞳には相手を恐慌、麻痺させる効果があるとされている。
俺は咄嗟に自分と塞に、生体強化系第一階位〈醒奮(ヴェリネ)〉を発動していた。
脳内青班核などでノルアドレナリン、ドーパミンなどのモノアミン類が分泌され意識が賦活する。
それでも本能的恐怖で身が竦んでいた。
前進も後退も出来ない。ただそこに存在するだけですべての生物を圧する、〈異貌のものども〉の王の威容。
蝙蝠にも似た一対の翼が音を立ててはためく。竜の左前肢が高く掲げられる。大剣のような五本の爪が振り下ろされ、俺たちを圧殺する瞬間!
京太郎「うおおおああああぁぁぁー!!」
俺は吼えた。恐怖で身が竦んだときは大声を出して自分を決起しろというトシのばあさんの言葉を思い出した。
生存本能と闘争心が、全身を満たす恐怖心を駆逐していく。俺はいまだ動けないでいる塞は突き飛ばし、自分も殺戮の範囲外に逃れる。
それが戦闘開始の合図となった。
俺は魔杖剣〈蜃気楼〉を引き抜きながら咒式を発動、生体強化系第三階位〈衂蟹殻鎧(ドラメルク)〉による鋼色のさざなみが俺の左半身を覆っていく。
強化合金骨格の無数の六角形が皮膚に拘束具のようにまとわりつき、
さらにその上を強化キチン質と硬化クチクラの装甲と強化筋肉が覆っていき俺の左半身を完全装甲していた。
生体甲殻鎧を纏った俺が右手、ようやく恐怖の拘束から解けた塞が左手に散開。
竜の死の吐息を分散させる、対竜戦術の常套手段で突撃する。
13
疾走しながら俺は腰の後ろから、三本の金属の筒を取り出す。封咒弾筒という咒式具で、内部に封じられた爆裂咒式が炸裂する!
低級の〈異貌のものども〉ならこれだけでも十分に殺傷可能だが、爆風と撒き散らされた鉄片は竜の眼前の不可視の壁によって掻き消されていた。
塞「咒式干渉結界……」
苦々しく呟いた塞が示したとおり、竜が展開したのは数法量子系第五階位〈反咒禍界絶陣(アーシ・モダイ)〉による咒式干渉結界だった。
それは、咒式の原理たる外部的な量子観測効果である作用量子定数や波動関数への干渉を、さらに桁違いの干渉をかけて割り込み威力を減衰、
低位のものであれば無効化する超高位の防禦結界である。
こんな厄介な相手に出てくるとは、自分の不運に涙が出そうになる。
そういえばリツベを発つ前に知り合いの自称占い師に「京太郎のラッキー死因は轢殺やな」といわれたことを思い出した。死ね。
小さく舌打ちしつつ、爆風の威嚇と撹乱効果で俺たちは間合いを詰めていく。
左前肢を再び掲げ、向かって左から右に振り払われる。巨大は槌の一撃が暴風の速度で薙ぎ払われるのを、俺は飛び込み前転の要領で転がって回避。
破壊の暴威が鎧の表面を削っていき、青白い火花を散らしていく感触に全身が総毛立つ。俺は起き上がる反動を利用して低空飛翔。
過ぎ去った左前肢が高く掲げられ垂直に落下。アスファルトが爆散し破片が舞う中、石畳を蹴りつけ急制動を掛ける。
肩口に掲げていた〈蜃気楼〉が振られ、空いていた黒竜の右前肢に命中。
八九五ミリメルトルの刀身が鱗の鎧を断ち割り、強靭な筋肉を引き裂き、赤い鮮血が弾け飛ぶ。
踵で石畳を踏み割りながら、振り抜いた刃が巨木のようなを前肢を半ば以上両断する。
14
苦悶に呻く巨竜。
無事な左肢を振るい小癪な人類を叩き潰そうとするが、すでに後退していた俺の眼前のアスファルトを破砕するのみだった。
塞の意識が魔杖剣を通り、現実空間に転移。化学練成系第三階位〈爆炸吼(アイニ)〉が発動する。
淡黄色の結晶であるTNT爆薬、正式名トリニトロトルエン爆薬を生成し、雷汞(らいこう)やアジ化鉛を起爆剤にして炸裂!
秒速6900メルトルの爆風と混入された金属片の刃が竜へと襲い掛かる。
咒式干渉結界に阻まれほぼ無効化された立体攻撃の爆裂では、竜の高硬度の鱗には傷一つ付けることが出来ない。
俺は塞の援護を受けつつ、さらに後退。塞の隣に並び機会を窺う。
竜の細い瞳孔が俺たちを見据えていた。奴はようやく気付いたのだ。
俺たちが、だた喰われ殺されるだけの無力な獲物ではなく、偉大なる自らを滅ぼしうる力を持つ敵であることに。
爆煙によって濛々(もうもう)と煙る夜の街角。煙幕を切り裂き、飛燕の一撃が強襲!
負傷した右肢から鮮血を振り撒きつつ、竜の長大な尾が屈んだ俺たちの頭上を音速に近い速度で通過していった。
超高度の鱗に覆われた巨大質量の一撃は装甲戦車の突撃にも等しく、直撃を受ければ原型も残さず肉片以下の血霧に爆散する。
15
うねる靭尾がビルの壁面を削り残っていたガラスが割れ砕け、瓦礫とガラス片が散華と散る中、竜の胸腔が急速に膨張。
爬虫類にも似た咥内構造を覗かせながら開かれた顎の前に、咒印組成式の燐光が出現する。
頭部が後方に高く引かれ、喉元が膨れ上がる。竜の死の吐息が吐き出される瞬間、塞の握る魔杖剣の細い刀身が前方に突き出される。
紡がれた電磁雷撃系第五階位〈電乖鬩葬雷珠(マーコキアズ)〉のプラズマ雷球が光速で掛け抜ける。
この咒式によって発生されたプラズマは、大気中の原子内部の電子と原子核とが極度に電離した状態で、
命中すれば庭園の池の水程度なら瞬時に蒸発させられるだけの凶悪な破壊力を持つ。
飛翔した死のプラズマが、眼前の干渉結界と衝突し青白い紫電を霹靂のように散らせる。
光速の憤怒の雷は物理干渉への割り込みを許さず、多少威力を減衰されながらも結界を貫通。
胸板に着弾する寸前、掲げられた右肢が血肉の霧となり四散していた。
俺たちの間に驚愕が走る。結界では防ぎきれないと読んだ竜は、負傷を最小限に抑えるためにすでに負傷していた右肢を捨てたのだ。
驚くべき状況判断能力と防御方法だった。片肢を失う激痛と怒りに竜の瞳孔が細まる。
竜の咒式は継続され、溜めていた息吹がついに吐き出された。
吐息は王水の奔流だった。
16
化学練成系第三階位〈硝硫灼流(プロケ)〉の咒式は王水を生成する。
王水とは濃塩酸と濃硝酸の混合酸であり、その塩素と塩化ニトロシルの働きで安全金属である金や白金(プラチナ)すら腐食、溶解させる超強酸である。
ひとたび浴びれば、生きながらにして身体が溶解していくという地獄の苦痛の、人生でたった一度の壮絶な体験をしながら絶命するだろう。
地上に突如出現した波濤が、俺たちの頭上に影を落とす。渦巻く王水の紗膜の向こうに下弦の三日月が透けて見えた。
沸騰した死の奔流が俺たちを熱烈に抱擁する寸前、俺は身を翻し猛禽類の強襲速度で走り込み塞を抱きかかえて横転する。
塞「第二射が来る!」
相棒の叫びを聞き流しつつ慣性運動のまま起き上がり、地を蹴って飛翔。
靴底の数寸下を強酸の河川が流れいく。俺たちは廃車の上に着地する。
竜の息吹は周囲の風景を一変させていた。
俺たちが立っていたアスファルトは沸騰したように泡立ち、道路標識やガードレールなどが溶解し蒸気を上げていた。
金属の錆びたような強酸の刺激臭が夜の街路に充満していた。俺たちが立つ廃車の車輪に強酸が接触、溶解してタイヤの空圧が抜け高度が一段下がる。
激痛に呻き声があがる。回避しきれなかった飛沫が背中や脚に付着し、衣服が破れ肌や肉の灼く激痛に苛まれる。
竜の尾がしなり、地上最大の鞭が殺到。一瞬早く、後方跳躍で躱していた俺たちの眼下で廃車の車体が紙細工のように圧搾される。
俺と塞は街路の欄干を蹴り付けさらに後退していく。
17
塞「今年度、最初の大きな仕事が準長命竜級の相手だなんて不運すぎる。無性に帰りたくなってきた」
京太郎「帰れるなら俺だって帰りてぇよ」
応急処置用の咒符を傷口に貼り付けつつ、対策を立てる。
京太郎「とにかく、どうにかあの干渉結界を突破するしかない。小技が必要だな」
塞「”塞ぐ”かい?」
塞が自身の右半面、知覚片眼鏡に指先を触れさせる。
京太郎「イエス、と、いいたいがもし失敗した場合、へばったお前を抱えての戦闘続行も撤退も困難だ」
塞「じゃあ、今回はなしってことで」
俺たちは短いやり取りで互いの役割を確認。
俺は〈蜃気楼〉の回転弾倉から空になった薬莢を排出し新たな咒弾を一括装填。金属音を響かせ撃鉄を起こす。
塞は〈鳴神のライネ〉弾倉を引き抜き、新たな弾倉を叩き込み遊底を引く。
京太郎「じゃあ行くか」
塞「行くに決まってるでしょ。しっかり付いてきなさいよ脳ミソ筋肉!」
京太郎「赤毛眼鏡こそ遅れるな!」
高僧のように悟って悄然と死ぬより、最後まで戦って暴れて足掻いて死ぬ。単純だがそれが俺たちの人生観だ。
18
交差点の向こうに立つ黒竜の消失した右肢の断面が泡立つ。
骨格が形成され、筋繊維と血管と神経組織が絡み合い、刷毛で塗ったように鈍く輝く黒鱗が覆っていく。
大剣の如き五本の爪はせり出し完全再生まで、この間わずか三秒。
咒弾する必要としない、竜の治癒咒式だった。
これが竜だ。
高度な知性と強大な咒力。巨大質量の体躯を持つ地上最強生物。すべての食物連鎖の頂点に君臨する王。
俺たち人類の咒式と剣技では軽症すら与えられない。こんなの相手にどうやったら勝てるのか誰か大至急教えてくれ。
無人の夜の交差点で俺と塞は、竜と再び対峙していた。
竜が巨躯を乗り出し、石畳を踏み割りながら前進してくる。消灯した信号機が薙ぎ倒される。
再戦の口火を切ったのは俺からだった。
魔杖剣を肩に担ぎながら疾走。それに応えるように竜も急速前進。
振るわれた尾の一撃を転がって回避し、続く左右の前肢からの薙ぎ払いを次々に躱していく。
数十トーンもの竜の体重が乗った一撃をまともに受ければ俺程度は容易に即死する。
一撃必殺の弾幕をギリギリで避けつつ、横に跳んで射線を開ける。
空を切り裂く砲弾が竜の胸板へと水平に駆け抜けていった。
19
化学鋼成第四階位〈鍛澱鎗弾槍(ウァープ)〉の直径120ミリメルトルのタングステンカーバイド製の砲弾は戦車の主砲にも匹敵する。
砲弾は竜の分厚い胸板に着弾。戦車砲の一撃を受けわずかに後退する。
が、〈反咒禍界絶陣〉によって威力を殺された砲弾は堅牢な竜鱗を砕きこそしたが、その下の筋肉の鎧を多少抉るだけだった。
隙を窺っていた俺は竜の空いた懐へ襲撃。手近な左前肢へ、背面跳びで接近し空中で身を捻って斬撃を放つ。
血飛沫と、鱗の欠片と肉片が舞い散る。
竜の瞋恚の双眸が俺へと向けられる。開かれた顎の前に煌く燐光が咒式を紡ぐ。
化学練成系第四階位〈銀嶺氷凍息(クロセール)〉の氷点下195,8度の数十条の氷槍が飛翔し殺到してくる。
昼間の火竜を倒すために塞が使ったものと同じ咒式だが、竜の咒力によって生み出されたそれは生成量と速度が桁違いだった。
〈蜃気楼〉を盾のように掲げつつ、対咒式戦用の長外套の裾を回転させ、甲殻鎧の覆われた左腕で遮断していく。
俺は凍気が激突する直前に生体強化系第二階位〈耐凍蛋(バテ・ム)〉を発動させていた。
体内で生成された不凍タンパク質は氷の結晶が成長するのを防ぎ、甲状腺ホルモンが体温上昇を促し、低温に耐えさせたのだ。
甲殻鎧と外套の表面で、凄まじい冷気が荒れ狂う。
竜が再び息吹を吐くべく、首を高く掲げ超強酸の放射姿勢をとる。
視界の端に苦々しい表情を浮かべる塞が見えた。竜は後方で塞が咒式を紡ぎ機会を窺っていたことを見抜いたのだ。
俺は自身の魔杖剣を掌で回転させ、投げ槍のように一気に投擲した。
夜気を切り裂いて飛翔した刃は、竜の下顎部に半ば断ち割るように突き刺さり顎ごと咒印組成式を貫通。死の奔流の放射を強制阻止させる。
20
不完全な状態で生成された強酸が竜の咥内で溢れかえり、牙や肉を灼く。
激昂した竜は俺を喰い殺すべく無理矢理に上下の顎を開き、首をたわめて襲い掛かってくる。
だが、竜は戦術を見誤った。塞の咒式に気付いたのなら、俺などに気を取られるべきではなかったのだ。
その失策を地獄の底の冥府の海で後悔しな!
京太郎「塞!」
塞「ここだっ!」
俺の鋭い叫びに応えるように、塞の掲げる魔杖剣ライネの切っ先に咒式の光が煌く。
咒式によって魔杖剣の周囲に生み出した位相空間を蓄電器の代わりにして負の電荷を溜め込む。
位相空間に静電気が充分に蓄電されると電場の中にある絶縁体である魔杖剣の刀身に静電誘導によって静電気が発生する。
位相空間に蓄えられた電子はマイナスの電気を帯びているため、電界の中にあるマイナスの電気と反発しあってこれを地面に追い払う。
これにより電界の中にあるものはプラスの電気を帯びるように電位差が生じる。
電位差が充分に高まり空気の絶縁体の限界値を超えると、位相空間が電化を放出する。放出された電子は空気中にある気体原子と衝突しこれを電離させる。
これが繰り返され、電子の数が増幅されていく過程を『電子雪崩』ち呼ぶ。
電離によって生じた陽イオンは、電子とは逆に魔杖剣の刀身に向かって突進し、魔杖剣の刀身から新たに電子を叩き出す。
この二次電子が更なる電子雪崩を引き起こし、持続的に放電現象となって目標へ向かって電撃が飛んでいくことになる。
21
光速度で大気を切り裂く一条の雷鞭は、竜が急速展開した干渉結界の表面に弾かれ、激しい火花を散らす。
竜の氷点下の瞳の奥に、嘲りの色が浮かぶ。
塞の展開した電磁雷撃系第二階位〈雷霆鞭(フュル・フー)〉は100万ボルト程度の電撃で、竜の結界を破れるかどうかすら怪しい低位咒式でしかなかった。
だが次の瞬間、塞の手に握る〈鳴神のライネ〉が振られ電子の触手が、結界の範囲からわずかにはみ出した俺の魔杖剣〈蜃気楼〉の柄へと絡みついた。
その途端、電撃が急成長。魔杖剣の刀身を伝導体として結界の内側、竜の体内へと迸っていく。
凶暴な電子の悪魔の奔流は、竜の脳髄から首、胴、内臓を灼き尽くし後肢から地面へと抜けていった。
竜の脅威の咒力も、肉体復元も、思考を司る脳が沸騰し、全身の神経網が灼き切れては発動も出来ない。
眼窩や鼻、口、耳など全身の穴から沸騰したタールのような赤黒い血を白煙とともに吐き出し、大きく痙攣する黒き竜。
俺と塞の神速の連携は、あらかじめ綿密な作戦を立てたわけではない。
組んでからそれなりの付き合いのため、互いの戦闘の呼吸を知っているのだ。
相手の結界や装甲が頑強なら、俺が囮となり塞の雷撃咒式に繋げるという戦闘方程式へ帰結したのだ。
22
即死こそしなかったものの死に瀕する竜は、その地獄への道連れに自分に決定打を与えた塞を選んだ。
熱で白濁した瞳を兇気に輝かせ、顎を上下に開き首を急速降下させてくる。
機会を見計らっていた俺が横合いから強襲。先程受けた凍結咒式の残滓が霜となって纏わりつき、走るたびに氷の破片が散り落ちていく。
白く染まる吐息を吐き出しつつ、塞と迫る竜の牙の間に身を滑り込ませる。
俺の身体と竜の鼻先が激突、身体が宙に浮き後方へと吹き飛ばされる。
だが、俺は竜の顎下に突き刺さっていた魔杖剣の柄をしっかりと握り締めていた。
京太郎「あああああああ!!」
裂帛の咆哮とともに両脚を地面に突き立てる。そんな程度で竜の突進が止まるわけも無く、左右の踵がアスファルトを踏み割り、二条の轍を刻んでいく。
折れそうになる脚を必死に踏ん張り、俺は魔杖剣の引き金に指を掛け咒式を発動。
生体変化系第二階位〈蜘蛛絲(スピネル)〉によりポリペプチドやタンパク質の複合繊維は、強度は同じ太さの鋼鉄の5倍、伸縮率はナイロンの2倍にもなる。
白い複合繊維の一方を竜の上顎や角に、反対側を周囲の建造物に結びつけ即席の手綱として竜の突進に急制動をかける。
23
さらに左手から塞が肉薄。刺突剣の剣身を高硬度の鱗に護られていない白濁した眼球に突き立てる。
鮮血と、瞳孔や虹彩の一部と硝子体の液体が弾け飛ぶ。
あまり激痛と赫怒に竜が吼え猛る。
塞は後ろ手に回した左手に予備の魔杖短剣〈峯風フウネ〉の柄を握り、刀身を交差するように〈鳴神のライネ〉の機関部に添える。
魔杖短剣の回転弾倉は回転し咒式が展開される。
化学鋼成系第四階位〈錣磔監獄(ボフイ)〉のチタン合金の槍の檻が竜の首と頭部の付け根に殺到、串刺しにしていく。
そこで竜の突進は完全に停止していた。
脛まで埋まった脚をさらに踏み込み、俺は顎に刺さった〈蜃気楼〉に渾身の力を一転集中させ一気に振り抜いた!
刀身は竜の上顎部から後頭部に抜け虚空へと駆け抜けて、頭部の上半分を切り飛ばしていった。
吹き飛んだ竜の頭部が重々しい音を立てて路面に落下。
一拍遅れて、頭部の断面から血が噴き出す。
24
頭部の上半分を失った首が大地に落ちる。巨躯を支えていた四肢が折れ、小山のような胴体が倒れ込み、蝙蝠に似た翼が一度だけはためいた。
耳を聾する地響き。そして、痛くなるような沈黙と静謐。
俺は甲殻鎧を畳みながら、魔杖剣を杖にして辛うじて立っている塞に歩み寄る。
止めていた息を吐き出し、前のめりに倒れそうになる塞の脇に手を差し入れ支えようとする。
が、こちらも疲労が限界で縺れあうように無人の道路に転がった。
握っていた魔杖剣が放り出され、無機質な音を響かせる。
空には変わらず澄んだ星々と、三日月がたゆたっていた。
俺は傍らに寝転がる塞に言葉を投げる。
京太郎「大丈夫か?」
塞「あはは、まぁらくしょーってことで」
そういって俺の相棒は小さく握り拳を作り、弱々しく笑ってみせた。
25
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
厚生省委託生活安全部リツベ市生活安全課。課長、久保貴子。
木製の執務机に置かれた長々しい役職名の札を俺たちはただただ眺めていた。
〈異貌のものども〉の討伐が国民の健康と福祉を司る厚生省管轄下に置かれているのはわかるようでまったくわからないし、その真の理由は誰も知らない。
きっと永遠に謎なのだろう。
お世辞にも広いとはいえない執務室の空気は、つぶれる寸前の場末の飲食店よりなお澱んでいた。
本棚に飾り棚に机、窓を背にして立つのは久保課長。理由は知らないがあだ名はコーチ。
若くして課長の地位に着いた女傑の、長く激しい叱責が分子一つに隙間も無く部屋中に充満している。
隣に立つ、冷や汗を流した塞は後ろ手に組んだ掌を開いたり閉じたりしている。
正式な屠竜士のように規約をきちんと護らないから死に掛けるのだということから始まり、当然労災は音速却下。
普段の生活態度から、俺の髪の色、塞の片眼鏡の傾き具合。生まれた月の星座、箸の持ち方から呼吸の間隔まで幅広く叱責されている。
説教が始まってそろそろ1時間ほどになる。
何故か? 俺が知るか!!
不条理極まる論理の流れが、まったく自然なことのように流れ出るその話術はある意味、熟練の匠の神業の域に達している。
何かを思い出したのか、コーチは窓の外に向かって「なにやってんだ池田ァ!!」っと叫んでいた。
立場上、いろいろ溜め込んでいるのだろうか?
貴子「よそ見するな! 公費の無駄遣いの腐れ龍理使いの須賀ァ!!」
俺は悄然と項垂れるしかなかった。
26
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
結婚もしていないどころか恋人すら出来たこのない俺の孫の孫の孫の色漁癖と生活態度まで未来余地で説教され、
傾いた太陽が室内を朱に染めだした頃、俺たちはようやく開放された。
京太郎「竜を二頭、しかも一頭は準長命竜級を倒したのにあんなに怒ることないよな?」
京太郎「これは報酬満額も怪しいな」
凝り固まった足腰や肩を擦りながら俺たちはリツベ市役所の課長室を後にする。廊下を渡り、市役所の外に出る。
乳酸蓄積によって疲労した肩を廻す。
塞「アレでも一応、加減したほうなんだよ」
どの辺りがどう加減されているのか、襟を掴んで問い質したい気分だ。
京太郎「これからどうする? なんなら飯でも」
塞「悪いけど、疲れから今日は帰るよ。また学校でね」
それだけ言い残し、塞は手を振って去っていく。市役所の石床に足音が優雅に反響する。
学校でというが、そもそも俺と塞は私生活ではあまり交流が無いことを思い出した。
今度、どこか遊びにでも誘ってみるか?
踵を返して俺も帰路につく。
27
俺は大事なことを思い出し、携帯電話を取り出す。
短縮番号から相手を呼び出す。相手はコール2回で出た。
咲『きききゅ、京ちゃん!?』
受話器越しに相手の狼狽が伝わってくる。その仕草と表情が容易に想像でき、思わず口元が綻んでしまう。
京太郎「おう、俺だからいったん落ち着け」
咲『あ! う、うん……』
深く息を吸う呼吸音が聞こえるてくる。
咲『それで、京ちゃん。いつ帰ってきたの? ずっと心配だったんだよ、そうだ! ケガとかしてない!?』
矢継ぎ早に捲くし立ててくるのへ、俺は冷静に返す。
京太郎「いろいろ言いたいことかあると思うけど、まずこれだけは言わせてくれ」
咲「なに?」
京太郎「ただいま。咲」
咲『! うん、お帰り。京ちゃん』
【To be continued】
書き溜め尽きたから今日はここまで
一応、週一更新を目標にがんばります
どっちもギギナっぽくはないからギギナの役割がどうなるのか期待。でも咲がジヴっぽいから一応京太郎がガユス枠なのか?
いつか雑談で言ってた人かな?とりあえず期待。
もしストーリーの流れがある程度原作に沿うのだとしたら
アナp……うっ、頭が……
見返したら誤字酷いな
×位相空間が電化を放出する。
○位相空間が電荷を放出する。
×『電子雪崩』ち呼ぶ。
○『電子雪崩』と呼ぶ。
×100万ボルト程度の
○100万ボルトル程度の
×未来余地で
○未来予知で
ほかもなんかあった気がするけどもういいや
>>32
あくまでキャラは咲に準ずるので、さすがにギギナほどぶっ飛んだキャラ付けには出来なかったんです
京太郎がガユスで塞さんがガユシって感じですね。で、戦闘時のみ京太郎がギギナの役を担う的な
暗黒魔女皇の咲様とか内臓愛好家の憩ちゃんとか
ピリ辛トキちゃん占いとか魔法少女に変身するすこやんとか出来たらいいなって思います
>>34
そうでせう
>>35
父子家庭、姉(厳密には違うけど)、竜の因子、ヤンデレ……あ、
スレタイ見て一瞬なんで塞さんかと思ったが、赤髪眼鏡か
振り込め清澄のあたりとかもちょっとガユスっぽさがあるな
>>35-37
無印なのかDDなのか、そこが問題だ
第二話「あるいは平凡な日々」
1
紗膜の隙間から朝の日差しが緩やかに零れている。
俺は寝起きの目蓋を擦りつつ、紗膜を開け放つ。
初春の朝日が脳内の覚醒ホルモンであるセロトニンを分泌し、視覚から入った日光が逆に睡眠ホルモンであるメラトニンの分泌を抑制する。
うん。目が覚めてきた。
寝室を出て私室兼執務室と客間(たまに塞が使う程度で基本空き部屋)の前を通り過ぎ階段を下りていく。
倉庫になっている二階を素通りし、居間兼応接室に出る。
応接室の中央の机に作成途中の咒印組成式のメモ書きが置きっ放しになっていた。
隣に置かれた反応機の上には立体光学構成式が青白い燐光に照らされて浮かび、秒速六度で回転しながら力の解放を待っている。
書類と反応機を脇に除けつつ、平面光学映像機を起動。今時古めかしい平面テレビを使っているのは、単純に春を待たずに立体光学映像機が天寿を全うしたからだ。
……そろそろ新しいのを買うか。
報道官が伝えるのは世界各国の散発的紛争と膠着と、それに対する国連の声明。
ニュージーランドの外務事務官、全権大使のルクセィン・エリナート氏が国連を代表し間近に控えたリツベ市の自治権返還期限と、
期限更新の申請と承認を兼ねたリツベ祭に合わせてリツベ市に表敬訪問するという報道。
グルシアのサガルトヴェロでは希少金属の鉱脈発見に端を発する民族紛争が激化。
リツベ市東岸南部に、地上32階建て総工費200億イェンで造られたテンペリッツビルが近々完成し夏頃には落成式が行われるということ。
建造に携わった龍門渕グループの現総帥・龍門渕透華が相変わらずの高笑いを浮かべながら報道官の質問に答えている。
世界八大金持ち……世界八大企業の一つ龍門渕咒式総合社は本社従業員九千人、系列企業十万人で全系列企業の前年度の売上は一兆円を越える国内有数の大企業だ。
数法系咒式による咒式制御系の事象誘導演算機関や、情報測量器が主力製品だが、車や船舶も作っているとまでは知っていたが建築業もやっていたのか。
当代の総帥になってからさらに業績が伸びているらしい。変人で有名だけど。
市警察が使っている突撃式魔杖剣〈スミル&ウィリス〇一二式〉もここのメーカーだったか。
そういえばクラスメイトの原村和はこの人とネト麻友達だとか言っていたな。
んな、バカな。そもそもこれほどの財界の要人がそんな簡単に個人情報を出すわけがない。
和も面白い冗談をいうようになったものだ。
2
続く報道は、鹿児島での〈古き巨人(エノルム)〉との領土問題の続報。
リツベ市内で起きた2件の咒式師の殺人事件。現場の状況と殺害手口から同一犯と見て警察は捜査を進めているらしい。
我が愛する松山フロティーラは今期調子を落としており、連敗が続いているということ。
その他、リツベ西岸南東区にある吉野動物園で翼竜の赤ちゃんが生まれ、近くの阿知賀女子学院という学校の生徒が元気にインタビューに答えている。
あまり俺に関係のある報道はなさそうだな。まぁ一端の学生兼攻性咒式士の俺には世界情勢とか内政とかあまり関係ないことだ。
一通りの報道が終わり、学生や勤め人の景気付けのための運勢コーナーが始まる。
水瓶座は見事12位を獲得した。
試しにチャンネルを回すと、血液型占いではA型が最下位。
どこに需要があるのかわからない頭髪色占いでは金髪は仕事運は最悪。
最早、誰がどうやって占っているのかすら不明な身長占いでは身長180センチメルトル前半は男性は近々死ぬとまでいわれた。
これらの事実を統合すると、水瓶座の血液A型は運気最悪で、金髪の身長180センチメルトルは近々仕事で死ぬかもしれないということだ。
…………お前ら、そんなに俺が嫌いか?
気分が悪いので朝飯を食って気持ちを切り替えることにする。
薬缶に水を入れ、部屋の隅に設置されたコンロに火をつける。
冷蔵庫を開ける。
なにも無かった。ふと気付けば俺の中にはなにも無かった。
それが一番の恐怖。
3
厳密には長ネギが一本とチューブの練りショウガしかなかった。
京太郎「……」
しばし一考。そして閃き。
そういえば緩衝区への竜討伐へ向かう前に冷蔵庫の中身をあらかた処分したんだった。
昨日のうちに気付いていれば、買い足すことも出来たのだがそれを今更嘆いても仕方ない。
京太郎「コーヒーだけで済まして、行きになんか買ってくか」
今後の指針を決定し、渋々とコーヒーの瓶に手を伸ばそうとしたとき。
壁に備え付けられた呼び出し機が電子音声を響かせる。
京太郎「誰だよ朝っぱらから」
悪態をつきつつ、回線を開く。
京太郎「はいはい、どちら様? 朝一の押し売りなら間に合ってますよ? 直ちに退去しない場合は玄関先が爆発、」
咲『あ、京ちゃん? 私、咲だけど……』
京太郎「咲?」
4
尋ねてきたのは幼馴染の咲だった。
京太郎「ちょい待ってろ。今、鍵開けるから」
咲『うん』
いいながら、俺は指先でボタンを操作し何重もの電子鍵と咒式防犯装置を解除。
玄関先のすりガラスから見える影を確認しつつ、軽合金のドアノブを引いて扉を開け放つ。
咲「おはよう。京ちゃん」
京太郎「おう、おはよう咲。どうした、こんな朝から?」
問いを投げつつ、咲を居間兼執務室に招き入れる。
咲「えと、なんだか早く京ちゃんの顔見たくて」
照れ含んだ返答にこっちまで気恥ずかしくなってくる。
京太郎「っていうか、お前の持ってるケータイでも鍵開けれるようにしてやったんだからいちいちインターホン押さなくても勝手に入ってくればいいだろ?」
咲「うう、それが……まだ使い方がよくわからなくて」
相変わらずのポンコツだなぁ。
京太郎「コーヒーでも飲むか?」
咲「うん。あ! そうだ京ちゃん」
京太郎「うん?」
咲「朝ご飯ってもう食べちゃったかな?」
京太郎「いや、それが残念なことに我が家の冷蔵庫が空でね。仕方ないからコーヒーだけで済まそうと思ってたところだ」
咲「ふふ、そんなことだと思った」
5
咲は自分の通学鞄に手を差し入れると。ハンカチに包まれた拳大くらいの楕円形の物体を取り出す。
咲「はい。おにぎり作ってきたよ」
にこやかに微笑みながら、咲は包みを差し出してくる。
京太郎「うお、マジか。助かるわ」
咲「お米だから、コーヒーよりお茶のがいいよね? 私がやるから京ちゃんは学校の準備してきて」
京太郎「ん、じゃあ。そうするわ」
そういえば、俺は起きてから着替えもしていなかった。
寝巻きにしているシャツとハーフパンツというラフを通り越して少々だらしない格好だった。
京太郎「じゃあ準備してくるから、ちょっと待っててくれ」
咲「うん」
それから俺は身支度を整え、咲の用意してくれたおにぎりとお茶で胃を満たした頃にはなかなかいい時間になっていた。
鍵と防犯装置を施錠し自宅兼事務所を出る。
見上げた先に、『熊倉咒式総合相談事務所』の真鍮製の少し傾いた看板が目に入る。
前に一度、塞にいい加減事務所の名前を変えないかといわれたが結局保留のまま有耶無耶になったことを思い出した。
咲「それじゃ行こっか。忘れ物とかない?」
京太郎「お前は俺のかーちゃんか」
咲「そんなつもりじゃ、あ、京ちゃん。ちょっと屈んで」
京太郎「? こうか?」
咲の言葉に従い、少し身を屈める。
小さく柔らかな指先が俺の髪を優しく撫でた。
咲「寝癖、ついてた。…………うん、これでいいよ」
京太郎「あ、ああ。もういいだろ? いくぞ」
母親という言葉が少しだけ身近になった気がした。
俺は気恥ずかしさと咲を置き去りにしてさっさと歩き出した。
咲「あ! 待ってよ京ちゃん! 京ちゃんってばぁ」
6
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
俺たちの通う清澄高校へはここから徒歩で5分ほどのところにあるターミナルへ行き、そこからバスで20分ほどの場所にある。
視界の端々で淡い桜の花弁が、気流の流れに合わせて舞い踊っていた。
咲「まだ散ってないんだね。桜」
京太郎「春といってもまだまだ肌寒いからな」
俺たちの歩くこの道は別名、桜並木通りともいわれ春先にはその名の通り見事な桜の花を咲かせる。市内の観光名所の一つでもある。
俺は道路側の防護用の欄干に引っかかっていた桜の花を指先で弾く。
通りを抜け、徐々に人の通りが増えてくる。
ターミナルには電車で西岸に向かう勤め人や学生、俺たちと同じようにバスに乗るものたちでひしめき合っていた。
財布から定期券を取り出していると、咲が別の方向に視線を向けていた。
京太郎「咲?」
呼び掛けつつ、視線を辿ってみる。
ブラウンのブレザーに紺のネクタイと、短いチェックのプリーツスカート。
胸元の双翼が示すとおり、東岸中央区にある名門・白糸台高校の冬用制服に身を包んだ女生徒だった。
京太郎「咲」
先ほどより少し強く呼びかける。
訂正
×胸元の双翼が示すとおり、
○胸元の双翼の校章が示すとおり、
7
咲「あ、うん。なに? 京ちゃん?」
京太郎「なにって、お前こそどうかしたのか?」
咲「えっと、その可愛い制服だな~って」
誤魔化すように手を振って答える咲。
京太郎「着てみたいのか?」
咲「あ、ん~ 少し?」
咲が先ほどの白糸台の制服に身を包んだ姿を想像してみる。
うん。着慣れて無い感が酷いな。
俺は想像を放り出し、バスの昇降所に向かう。
京太郎「ほら、バス着たぞ」
咲「あれ、感想とかは? 咲さんかわいいとか」
京太郎「いいからほら、これ乗らないと遅刻確定だぞ」
俺は昇降口から一歩横にズレて、咲に先に乗るように促す。
咲「むぁ、なんか誤魔化された気がする」
不承不承といった面持ちで咲はステップに足をかけて乗り込んでいく。
俺もそれに続く。程なくしてバスの扉が閉められた。
8
狭いバスの車内を進む。
俺は右手に鞄を持ち、左手で魔杖剣の柄が人に当たらないように気を遣いながら咲の背に続く。
一人掛け用の座席が一箇所だけ空いていた。視線で問うて来る咲に、顎で示して座るように勧める。
小さく微笑んだ咲が鞄を抱くようにして席に着く。俺は支えを掴んで、その傍らに壁のように立つ。
咲「なんだか。京ちゃんと歩いてると、護衛されてるみたいだね」
自分の行動を思い出してみると、歩道の道路側に立ったり、バスに乗るときの背後を固めたり確かに思い当たる節もいくつかあった。
冗談めかしていうのへ、苦笑しながら俺も答える。
京太郎「いつでもお護りしますよ、お姫様」
咲「ふふ、じゃあしっかり護ってね? 強い攻性咒式士さん」
そういって俺たちは揃って朗笑した。
9
俺たちを乗せてバスは走る。
咲は静かに外の風景を見ていた。何の気なしに俺もそれに倣って、外を見つめる。
心地よい沈黙が俺たちの間には横たえられていた。
歩道を歩く人々や車輌が、回遊魚のように行きかっている。
俺たちもその中の一つとなって街の中を移動する。
雑多で鬱蒼とした街並みがバスの速度に比例して後方へ流れていく。
見慣れた風景、見慣れた街並み。
昨日と、先週と、先月と、そして去年からも変わりばえのない、どこまでも平凡なリツベ市の朝の風景だった。
リツベ市。
40年ほど前から日本国と各国家の交流のため、国連との共同で委任統治されており、観光や貿易、外交が盛んに行われている。
面積834.85平方キロメルトル、人口約390,000人の中規模都市。
本州の東端の海に面し、5つの運河と58の橋があり、
市の中央をアグリ大河が横断し、その東岸と西岸が関東地域と関西地域それぞれの地方文化に別れているという奇妙な特色を持つ。
観光名所としては、各種博物館や史跡。詩の双乙女リツベとアグリの像がある大文化聖堂が有名だろうか。
経済的には、税制優遇の企業誘致が推進され、世界八大企業の一つの龍門渕の本社ビルがあるほか、
同じく世界八大企業のヤマト咒式化学社、M2(ムラクモ・ミレニアム)社、クローム技術連合などの支社や研究施設が地域経済を支えている。
一つ加えるなら、奇人、変人、妖人、魔人、悪人、螺子のトんだ善人。
そして俺のように『行き場の無くなった奴らが最後に流れ着く場所』だろう。
リツベ市とはそんな街だ。
とりあえずここでいったん区切ります
ちょっとこれヤバいかな、ドン亀みたいな進行速度になるかも
10
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
リツベ市東岸中心部の、高いビルの連なりから外れた外縁部。小高い山に半ば埋もれるように清澄高等学校はあった。
少々錆びの浮いた緑のフェンスに囲まれ、手前の建物から新校舎、特別教室棟、旧校舎の順で建ち並び、右手には運動場や武道場、奥には水泳場がある。
規模でいえば中規模。良くも悪くも普通の高校だった。
学校の門前にある交差点で、信号機の灯火が赤から碧に切り替わる。忙しなく行きかっていた乗用車や輸送車が停まり、代わりに人々が歩みだす。
自転車のペダルを漕いで走っていくもの。友人と談笑しながら歩を進めるもの。人の大波の中に紛れ臼沢塞は横断歩道を渡っていく。
塞は元々清澄の学生ではなかった。去年まではリツベ東岸北区の宮守女子高校に通っていた。
しかし近年の生徒数の減少と、突然の土地買収により旧三年生の卒業を機に廃校が決定。
二年生以下の在校生は、編集試験の免除こそあったものの、市内の各高校に割り振られる形で今年の春からの編入となった。
昇降口を潜り、外履きから上履きに履き替え三階の教室へ、階段を上がっていく。
「あ、臼沢さんおはよー」
塞「おはよ」
「なんか、ちょっとぶりだねー」
塞「あはは、そうかも」
顔見知りの生徒と挨拶を交わしつつ、廊下を進んでいく。
何から何まで普通の学校である清澄は、名門進学校のように他人を見下すエリート意識の高い生徒も、
底辺高のような部外者を快く思わない頭の悪い生徒もおらず、今年度からの編入生である自分たちを普通に受け入れてくれていた。
それが塞にはありがたかった。小さく微笑みつつ、人の間を抜けて教室へ辿り着く。
閉じられていた軽合金の引き戸に手を掛けようとして、扉がひとりでに開いた。
エイスリン「!?」
塞「おっと」
11
教室の出入り口に、見知らぬ少女が立っていた。
知り合いの何某とは違う、本物の金髪。透き通るようなその色合いは金というより白金に近く、美しい金糸のようだった。
白磁の肌と筋の通った鼻梁。なにより特徴的な澄んだ湖海のような、磨き上げられた蒼玉の瞳。
まるで精巧な陶器人形(ビスク・ドール)のような、日本人離れした容貌の美少女だった。
エイスリン「アノ……」
自分より目線がひとつ下のその少女は、気まずそうに目をしばたたかせる。
覚束ない日本語発音からすると、まだこちらの言語に不慣れなようだ。
塞「ああ、ごめんね。ちょっと余所見してたから、怪我とかない?」
なるべく相手を刺激しないように、柔らかく話しかける。
エイスリン「ア…………」
なにかを言い掛けて、口を噤む。小さく頷く。
塞「そっか、よかった」
笑いかける塞に、少女は勢いよく頭を下げると足早に去っていってしまった。
去っていく小さな背中を見送りながら、不思議そうに首を傾げる塞。
しかし、いつまでもここに立ち尽くしているわけにもいかず塞は室内へと入っていった。
12
朝の始業前の教室は生徒たちの談笑によって喧騒が充満していた。
胡桃「あ、塞。おはよー!」
塞の顔を目敏く見付けた栗色の髪を短く切り揃えた女生徒が、元気よく声を掛けてくる。
塞は教室の自分の机に通学鞄を置き、教室後方の壁に設えられた生徒用の専用ロッカーに魔杖剣を押し込み厳重に鍵を掛ける。
胡桃「シロ、塞来たよ」
胡桃の呼び掛けに、机に突っ伏していた白髪の女生徒は緩慢に顔を上げる。
あまり手入れがされていない前髪の隙間から、いかにも眠たげな双眸が覗いている。
白望「塞…………?」
塞「胡桃、シロ、おはよ」
胡桃「おはよう。遠征は大丈夫だった? ケガとかしてない?」
塞「ん、まぁね。ねぇ、さっきの誰?」
胡桃「んー? ウィッシュアートさんのこと?」
塞「そそ、そのウィッシュアート?、さん」
胡桃は自分の鞄から数冊の大学ノートを取り出しつつ、塞の質問に答えていく。
胡桃「そ、エイスリン・ウィッシュアートさん。なんかニュージーランドからの留学生なんだって」
塞「へぇー」
答えを聞きながら塞はもう一度、教室の扉に目を向ける。
目当ての少女の姿は影も形も存在しなかった。
13
塞「こんな時期に留学生なんて、なんか変なの」
胡桃「私たちもあんまり人のこと言えないけどね。はい、これ今週分の授業のノート」
塞「あはは、違いない」
笑いつつ、塞は胡桃が差し出してきたノートを受け取る。
ワーキング・ホリデー協定とかその辺の関係だろうか? っと考えつつ塞は渡されたノートの束を自分の鞄にしまう。
塞「ありがと。いつも悪いね」
胡桃「なんの、良いってことで」
白望「私にも、後で見せて…………」
胡桃「いやいや、シロは一緒に授業受けてたでしょ!」
白望「授業聞くより、胡桃のノートの方がわかりやすい…………」
胡桃「はいはい。お世辞はいいから、怠けない!」
人差し指を突きつけ、白望の要望を斬って捨てる胡桃。
白望(お世辞じゃないんだけどなぁ)
白望「ダル…………」
胡桃「もぉ! シロはまたそうやってダルダルいって!」
塞「あははは!」
胡桃と白望のやり取りに、塞の口から自然な笑いが零れていた。
この2人と話している時だけは、〈異貌のものども〉や同業の攻性咒式士との、昏い血塗れの世界のことを忘れられる。
それが塞にはなにより心地よかった。
14
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
健夜「今から四百年以上前に、バレディンガル学派によって、宇宙を埋め尽くしてエネルギー的に低く安定し、物質の質量を司る質量粒子が予測され、観測された」
春の木漏れ日が差し込む午後の教室に、担任教諭である小鍛治健夜先生の教科書を読み上げる声が響く。
健夜「1ボルトルの電位差がある自由空間内で電子一つ得るエネルギーが1電子ボルトルであり、」
健夜「素粒子の動きにくさ、すなわち質量に変換すると1,783×10の負の36乗キログラムルとなる」
健夜「質量粒子の質量下限値は約1140億、上限値は1530億ボルトルとされた」
健夜「人類は世界を構成する電磁力に重力、大きい力に小さな力の四つの力に別れる前の、一つの〈力〉におぼろげながら理解しはじめようとしていた」
俺は机の上に開かれている教科書に視線を落とす。
最早、わかりきっている内容だが授業は授業なので一応真面目に聞いている。
小鍛治先生の手が動き、立体光学映像装置を起動させ数式が表示される。燐光で描かれた数式が、教室前方を埋め尽くしていく。
健夜「バレディンガル学派を継承したイプラット研究室は、量子世界の基本単位に注目した」
健夜「6,626068963×10の負の34乗(J・s)と定義された作用量子(プランク)定数hを操作し、」
健夜「局所的に変異させることが可能なら、Δq・σp+Δp・σq+Δp・Δq≧h/(4π)によって、」
健夜「熱量と時間の不確定性の積分が作用量子定数hより少なくならないという理論を考案した」
15
視線をずらして教室を見渡す。視界に捉えた咲の横顔を盗み見る。
咲は真剣な表情で立体光学映像を眺め、時折手元のノートにペンを走らせている。
健夜「インプラット理論は不等式の逆転をありえるものだとし、また、中間子のエネルギーが陽子や中性子より大きくなる原理と同様に、存在する時間が短いものであるならば、」
健夜「エネルギーの不確定性、つまり物質の大きさは増大するという原理が導き出せた」
健夜「それら、先人方の理論と実験をふまえ、西暦1788年の夏の盛りである7月12日」
先生が言葉を区切り、立体光学映像を切り替える。地図と建造物、そして2人のおっさんの顔が表示される。
健夜「ヨーロッパの後アブソリエル公国にある国立アブソリエル大学院、エルキゼク・ギナーブ共同事象物理学研究室の実験室」
健夜「エルキゼク・イブ・ナガラン事象界面物理学教授と、ギナーブ・ロル・ヘルマン予測物理学教授主導による、24年におよぶ共同研究の78回目の作用量子干渉実験が開始された」
間を置かずに先生は続ける。
健夜「2人の教授が組み上げたのは、大学院の巨大な実験室を占有するほどの事象誘導演算装置と、室内を埋め尽くす膨大な組成式だった」
健夜「同日午後9時38分35秒。ついに実験は開始された」
健夜「一片の長さが1,616252×10の負の35乗メルトルである立方体に、」
健夜「2,17645×10の負の8乗キログラムルという仮想質量を持たせた置換物質は、作用量子定数を含む基本物理を変異させた時空領域を作り出した」
同時にもっと単純な組成式が示される。
16
健夜「力場指示式に導かれ、熱量保存の法則を破って虚空から物質が出現した。そこで、水素原子と炭素原子が組み合わされた六角環の生成が確認された」
立体光学映像の青白い燐光で、水素と炭素を結んだ所謂ベンゼン環が表示される。
健夜「古来より、魔法や魔術、錬金術や呪術や霊術といったオカルト的な現象のそのすべての全容が暴かれた」
健夜「また〈竜〉や〈異貌のものども〉や一部の人間が使う超常現象の原理が解明され、同じ力で対抗することが出来るようになったわけ」
健夜「ではここで問題」
教科書から視線を上げた小鍛治先生が教室内を見渡す。
健夜「ん~っと、じゃあ原村さん」
原村と呼ばれた女性とが「はい」と短く返事をして立ち上がる。
健夜「エルキゼク・ギナーブ実験の正式名称は?」
和「『限定系における、状態方向の物理的神経における観測指示作用。線形分解と作用量子定数変異。および位相変異による強制作用力実験』、です」
一切の淀みもなく和は長ったらしい実験の正式名称を朗読する。教科書やノートに視線が落とされていないということは暗記しているということだ。
健夜「うん。正解、ばっちりだね」
健夜「この実験で、これまであった超物理現象は〈咒式〉と呼ばれるようになり、単なる科学技術体系の一つとして理解されるようになった」
歴史に踏み込んで話が進む。
健夜「〈咒式〉は驚くべき速度で発展していった。物理干渉能力という特殊な力を持たない人間も学習や訓練、機械の補助によって操ることが可能になった」
健夜「化学系咒式、電磁系咒式、生体系咒式、重力系咒式、数法系咒式、そしてそれらの汎用咒式を超える超定理系咒式すら発見、開発された」
健夜「人間自身が物質を生成し、力を振るう。森羅万象を統べる究極の力〈咒力〉、その〈咒式〉の時代の到来というわけだね」
言い切ったところで、拡音器から電子合成された鐘の音が響く。本日の授業の終了を告げる音。
17
健夜「それじゃあ、今日はここまで。今日やったところは基礎の基礎だけど、たまに試験にも出るからきちんと復習しておいてね」
健夜「先生、この後すぐ出ないといけないから今日のホームルームはなしね」
出席簿と教務日誌を手早く片付け足早に教室を出て行く小鍛治先生へ、生徒が各々声をかける。
「すこやんセンセ、さよなら~」
「教師になる前は攻性咒式士だったって本当ですか? 街の賞金首や竜と戦ったりしたんですか?」
「今度、もっとすごい咒式見せてください」
「先生は結婚とかしないんですか?」
生徒たちの怒涛の質問に、愛想笑いを返して先生は教室を去っていった。
俺も机の上に広げられた自分の荷物を片付ける。久々の学校だし、部活にも顔を出しておきたい。
咲「京ちゃん」
声するほうに目を向ける。
自分の荷物をまとめた咲が俺の机の傍らに立つ。
咲「今日は部活いくの?」
京太郎「おう。しばらく休んでたからな。雑用も溜まってそうだし」
和「昨日、こちらに帰ってきたのでしょう? 無理はダメですよ」
俺たちの輪に加わって来たのはクラスメイトで友人の原村和と、
優希「のどちゃんのいうとおりだじぇ! ただでさえここ何日かは京太郎がいなくて咲ちゃんは凡ミスを連発していたからな!」
咲「ちょ、優希ちゃん!」
この小さくてやかましくてやたら自信満々なのは俺たちのもう一人の友人である片岡優希だ。
18
和「そうですね。昨日一昨日ほどの咲さんは、いかにも心ここに在らずといった面持ちで」
咲「もぉ! 和ちゃんまで!」
京太郎「ははは、そうかそうか。咲は俺がいなくて寂しかったか」
いいながら顔を真っ赤にしながら慌てふためいている咲の頭を撫でる。
咲「べ、別に寂しくなんて……」
京太郎「本当は?」
咲「ちょっとだけ……」
京太郎「はい。よくできました」
咲「ううう~……」
唸りながらむくれる咲を囲んで、俺と和と優希が笑う。
俺たちのいつもの光景だった。
ふとある事に気付く。
京太郎「あれ? なんか俺の心配から、咲の心配に摩り替わってないか?」
疑問の声と視線を向けた先に、三人娘はすでにいなかった。
優希「今日もガンガン飛ばすじぇ!」
咲「負けないよー」
和「ふふ、私も負けませんよ」
京太郎「おーい、あのちょっと」
教室の出口で三人が振り返る。
俺は慌てて鞄を掴み、専用のロッカーから魔杖剣を取り出して腰に差す。
優希「早くしないと置いていくじぇ!」
和「須賀君も早く来てください」
咲「行こう京ちゃん!」
三者三様の声に小さく苦笑しがら俺は歩き出す。
今日もこの三人に振り回されるのだろう。
それが俺の凡庸で退屈で、そして安らかな日常だからだ。
【To be continued】
今日はここまで
週一とかいってたけど自分でも意外なほどやる気があるので3日に一回くらいの頻度で更新出来るかも
そろそろ話も動き出していきますが、まだしばらくはこういう退屈なシーンばっかになるかもしれないですね
あ~はやく、エイちゃんとかころたんとかあわあわとか姫様とか
はっちゃんとか巴さん小走先輩とかネリーとか明華とか書きたいんじゃ~
>>38
巴さ、……いや、なんでもない…………
それではまた
第三話「詩乙女市の祝祭」
1
週末の放課後、俺と塞はうた屋を訪ねていた。
休日前の夕方というだけのことはあり、それなりの賑わいを見せる繁華街の表通りの一角。
一際、異彩を放つ店舗が他の貸し店舗や商業ビルを押しのけ我が物顔で鎮座していた。
人の波で混み合う歩道も、この店の前だけは誰も寄り付かず閑散としていた。
店先には陶器の皿や糸車、アンティークの食器セットにオルゴール、ギターや家具となんら統一性がない。
京太郎「相変わらずの店だな」
俺は、積み上げられていた箱が転んで中身が零れたと思しきガラクタを、足で退けつつ店の奥へと進んでいく。背後には塞が続く。
店内は無人だった。店の左右の壁には魔杖剣や魔杖短剣、大型の魔杖槍や魔杖槍斧が銀色の刀身を鈍く煌かせながら並んでいる。
ヤマト咒式化学社とクローム技術連合が激しく競合する汎用咒弾の箱が棚いっぱいに所狭しと並べられている。
ガラス製のショーケースの中には優美な銀の装飾が施された回転弾倉〈レインシー三〇九型〉が安置されている。
棚の隙間から、現在で生物・化学兵器咒式を禁止したジェルネ条約において研究と使用、習得に絶対許可が降りるはずもない、
〈タブン〉や〈ソマン〉といった有機燐系毒ガス咒式特化型弾頭が、恥ずかしそうに顔を覗かせている。
床には最早骨董品としか言いようのない火薬式の拳銃まで転がっている。
「来やがれぃ、破壊大好きろくでなし共!」とか「気合で25時間営業」とか「法律?いやそんなん知らんしー」とかの張り紙がされた、
かなり善意が絶滅気味な咒式具総合専門店。それがこの、うた屋である。
2
俺はカウンターに置かれた呼び鈴を鳴らす。
「は~い」っと、店の奥から少々舌足らず気味の声が響く。
現れたのは小学生と見紛う顔立ちと背格好を、仕立ての良さそうな着物で包んだこの店の店主・三尋木咏だ。
咏「お!、なぁんだ京太郎に塞じゃん。お久し~」
袖に隠れた手を振って応じる咏さん。
京太郎「どうも」
塞「お久し振りです」
咏「聞いたよ~準長命竜級を倒して最近羽振りがいいみたいだねぃ? これは月賦のほうも期待していいんかね」
京太郎「会って早々に金の話はやめてくれ」
咏さんはお気に入りの扇子を取り出し優雅に扇いでみせる。
塞「どこでそれを?」
咏「街の情報通ならみんな知ってるよぃ?」
京太郎「お陰様で。っと、いいたいところですけどあんまりですね」
咏「そっかそっか!」
なにが面白いのか快活に笑う店主。
3
一昔前までは、「竜一頭で蔵が建つ」とまで言われたように、竜の骨は咒式反応素材。脳や心臓などの結晶体は法珠素材として重宝され、
代替品ができた現在でも美術品た芸術品として好事家や蒐集家に高値で取引されている。
そんな竜の、最強に近い準長命竜級を滅ぼした俺たちの羽振りが、何故よくならないかと聞かれれば。
咏「リツベ市特有の吝嗇(けち)及び意地悪病で、役所に報酬を渋られたわけだねぃ」
京太郎「まったくもってその通りでございます」
咏「あっはっはっ、そんないい加減な契約あんたらもよくやるねぃ」
塞「とはいえ、民間企業と契約すれば委託契約咒式使いとしての仕事が途絶します」
京太郎「典型的なリツベ手法でいずれは有耶無耶にする気だろうけど、とにかく安定した収入が減り各種咒式法違反も見て見ぬ振りをしなくなる」
咏「世知辛いねぃ」
棚を漁っていた咏さんが重々しい金属製の箱を引っ張り出し、見た目に比例して重そうな音を立ててカウンターの上に置かれる。
咏「これが目的だろ?」
箱の留め金が外され中身が外気に触れる。ビー玉ほどの大きさの金色の宝玉が二つ、それは〈法珠〉と呼ばれる咒式具だった。
咏「〈IFX-V301ドルイドⅧ型〉。低位咒式に割り込み無効化することができるほか刃の強度と摩擦係数も八・三%も上昇している優れものだねぃ」
咏「ヤマト社の最新式法珠。いや~お目が高い」
商売のこととなると途端に饒舌になる咏さん。瞳の形も¥になっている。
俺は鞄から封筒を取り出し、カウンターに置く。
4
咏さん、封筒を手に取り中身を確認。
約200枚近く束ねられた10000イェン札を指先で弾いて数えていく。
咏「お! ちょうどだね、感心感心」
咏「それにしても、こんな買い物よく塞が許したねぃ」
咏さんは札束から視線を外さず、塞に疑問を投げる。
塞「京太郎が自分で貯めてたらしいですからね。文句はありません」
憮然とした表情で答える。実際のところは三日三晩の口喧嘩の末、剣と咒式を持ち出したあたりで互いに譲歩案を出し合い、
今後必要以上の無駄遣いをしないということで事なきを得た。
咏「ついでに、今なら大サービスで工賃無しで機関部の交換も受け付けるけどどうする?」
京太郎「じゃあ、お願いします」
俺は腰から魔杖剣〈蜃気楼〉を鞘ごと引き抜き、カウンターに置く。
咏「ほいよ、んじゃちょっと待っててねぃ」
塞「ついでに、低位用汎用口径咒弾を十箱ください」
咏「あいよ~毎度どうも~」
5
俺たちは咒式具の溢れた店内に取り残される。
俺は店内に飾られた魔杖剣を見渡していく。
言うまでもなく近代以降の咒式使いにとって、咒式の展開を補助・支援する魔杖剣は必要不可欠だ。
魔杖剣の刀身には元素粒子の通り道となるカーボンナノチューブの射出線が無数に埋め込まれており、
鍔元の制御機関から送り込まれる重元素粒子を法珠の制御によって空間に放出することによって位相空間を作り出す役目を持っている。
鍔元に埋め込まれた〈法珠〉と呼ばれる事象誘導演算用機関は波動関数の崩壊現象を制御するために、
「咒印組成式」「演算式」「具現化式」などを処理する演算装置の役目をしている。
その他、制御機関や接触端子などが組み合わさった機関部。
そして、鍔と柄に内蔵された咒弾倉は発動時に回転し咒式を選択、装填された各種咒式弾頭がそれぞれの咒式の元となる置換物質を開放するようになっている。
塞の持つ〈鳴神のライネ〉は自動装填式で咒弾装填数も多く、弾倉の入れ替えも簡便だがこの形式は極稀に弾詰まりを起こす。
俺の使っている〈蜃気楼〉や塞の予備の魔杖短剣〈峯風フウネ〉は回転弾倉式で、弾詰まりの恐れもないが、全弾発射後いちいち咒弾を装填しなくてはならない。
前衛の俺はともかく、後衛の塞は制圧力に優れた自動装填式と、破壊力に秀でた回転弾倉式を併用するのが常識で本人もそれに倣っている。
御伽話の原理不明の魔法は問題外として、現代の複雑高度に発展した咒式を近接戦闘で高速かつ正確・精密に展開するには魔杖剣の補助が不可欠というわけだ。
思考が逸れていたようだ。
俺はカウンターに背を預け、店内から表の通りを眺める。
忙しなく人々が行き交い、街が奏でる喧騒が店内音楽となって響いていた。
6
京太郎「今日はいつにもまして人の通りが多いな」
塞「リツベ祭がいよいよ明日だからね。街全体が浮き足立ってるんだよ」
京太郎「俺は咲と回るって約束してるけど」
塞「私だってシロや、胡桃たちと約束してる」
互いに牽制。
シロや胡桃、っというのは確か塞の旧友でクラスメイトだったか。
京太郎「てっきり、ぼっちになってクラスで浮いてるのかと思ったぜ」
塞「お生憎様。こう見えても社交性は高いほうなんで」
京太郎「そうかい。まぁ、もしかしたら明日か明後日会場でばったりなんてこともあるかもな」
塞「冗談。休日まで君の顔なんて見たくないよ」
お互いの目も見ることもせず無為な軽口の応酬を重ねていく。
会話を続けるかどうか迷いっていると、置くから咏さんが戻ってくる。
咏「お待たせ~」
俺の魔杖剣と塞の注文していた咒弾の箱を机の上に並べていく。
塞「私が注文したのは十箱ですけど?」
詰まれた箱の数は十一箱だった。
咏さんは苦笑を浮かべて壁の張り紙を指差す。「汎用口径咒弾、十箱買うと一箱サービス!!」の文字。
咏「まっ! 飴と鞭って奴かね」
先ほど同様に快活に笑う咏だった。
7
俺は鞘から〈蜃気楼〉を引き抜く。
右手に柄を握り、水平に構えた刀身の峰に左手の人差し指を沿え機関部から刀身を眺める。歪みなし。
次に、思考で咒式の組成式を構築、発動寸前まで展開し畳む。
京太郎「以前より展開速度が14、68%向上してるな」
俺は魔杖剣を鞘に戻す。鞘と機関部が嵌る涼やかな金属音が響く。
京太郎「相変わらず、見事な手並みですね」
咏「そこが私の咒式具屋としての腕の見せ所だからねぃ」
咏「それよか、咒弾で思い出したけどあんたらにイイ物が入っててねぇ」
咏さんの含んだ物言いに俺と塞は顔を見合わせる。
塞「いえ、咏さん」
京太郎「俺ら金がですね」
まぁ俺が言えた義理じゃないんでけどさ。
8
俺たちの意見など無視気味に、咏さんは先ほどのような金属の小箱を出してくる。
大きさから言ってまた〈法珠〉か咒弾だろうか。もったいぶった挙動で咏さんが箱を開ける。
隙間からドライアイスの白煙のような冷気が漏れ出ていた。
中身は咒弾だった。円柱状特殊ガラス製の容器に垂直に保管された咒弾が二発。
咏「禁咒対応型第七階位用咒弾、二発。どうだぃ?」
俺たちは息を呑む。
咒弾の中身は昔の拳銃のように火薬と弾丸が詰まっているのではなく、咒式用の置換物質が封入されている。
それはプランク密度を作るときの補助になるように、高い圧力で原子構造をゆがめさせて密度を増やした重元素の粒子を弾丸型のケースに封入した物。
高位の咒式であるほど咒式の発動によって発生する熱量が大きくなるため、大量の重元素粒子を封入しておく必要が生じるのだが、
第七階位の咒式に使う高階位の咒弾は、白色矮星を構成する物質のように、
高密度に縮退させた粒子を人工ダイヤモンドの板で封じ込めたものであるため極めて高価である。
人工的に原子構造をゆがめさせた物質は非常に不安定であり安定して保存が出来るのは第六階位の咒弾までである。
第七階位になると保存しておくこと自体に特殊な技術が必要になるため第七階位の咒弾は極めて高価で希少な物になっている。
そもそもジェルネ条約によって、一部の第六階位と過半数の第七階位は研究と使用が禁止されておりそれに対応した咒弾の製造も当然厳重に規制されている。
禁咒対応型となれば、所持しているだけでも咒式士最高諮問法院にバレればただではすまない。
中途半端だけどちょっと更新
これで大体、世界観と舞台、咒式と咒式具の説明が終わったくらいですかね
クロチャーイェイ~
今回は多少グロがあるので一応先に閲覧注意と言っておきます
9
厳密に言えば俺の魔杖剣も咒式法違反だ。
法令で魔杖剣の刀身は八〇〇ミリメルトル以下。柄と機関部を含めた全長は一二〇〇ミリメルトル以下と定められている。
塞のライネの刀身全長七八五ミリメルトルはギリギリ規程内だが、俺の蜃気楼の八九五ミリメルトルは割と洒落にならないレベルで言い訳が利かない。
禁止されている破壊咒式の日常的使用もあり、厳密に咒式法院に捜査を入れられると法に問われる。
そこを漬け込まれて、リツベ市流に役所にいい様に酷使されているのだろうけど。
とにかく常日頃から咒式法を無視しがちな俺たちにとって、今更禁止咒式具が一つや二つ増えようと大して気にならない。
が、問題はそこではない。
塞「咏さん、ありがたいんですがこれは私たちには使えません」
咏「え~そんなん知らんしー。いいから買ってよー」
塞「残念ですけど、私も京太郎もいまだに第七階位は扱えません」
京太郎「…………」
申し訳なさそうに断る塞と、その傍らで頭を掻く俺。
そうなのだ。攻性咒式士の強さの指標でありその最高位の十三階梯は所謂〈到達者〉といわれている。
俺が現在十一階梯で、塞が十二階梯。咒式士としての頂にはいまだ遠く、未熟な俺たちには第七階位という複雑高度な咒式は起動すら出来ない。
10
咏「でも、準長命竜級を倒しだろぃ?」
咏さんの挑むような不適な声。
咏「なら、今度は真の長命竜級とやりあうこともあるかもねぃ」
塞「むしろその状況に陥ること自体がイヤなんですけど」
咏「私はこれでも、人はともかく攻性咒式士を見る目はあるつもりだからね」
咏「私が保証する。あんたらはもっと強くなる。その時、こいつが必要になるんじゃないかい」
ほんの少し真剣さを帯びたその瞳との言葉に、俺たちは押し黙る。
そういえば目の前のこの小柄な店主は、元は魔杖剣の刀剣職人を目指していたという話を思い出した。
その専門技術と知識に自負と誇りを持ち学院試験を受けたのだが、そのときになって初めて咒式の力がまったく備わっていないことが判明した。
つまり努力次第で二流にはなれても、決して一流以上にはなれないと知って、売る方に転身したそうだ。
その話が本当なのか、俺たちの同情を引き出し売り上げを伸ばすための嘘なのかは俺たちにはわからない。
だが、この店と咒式具を通して様々な攻性咒式士を見てきたその慧眼は本物なのだろう。
11
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
塞「結局買ってしまった……」
第七階位咒弾の収まった小箱を慎重に抱えた塞が、人波を避けながら進む。
京太郎「なんか、うまく乗せられた感じがするんだが」
塞「もしかして私って押しに弱いのかな?」
そうだよ? とは言わない。
京太郎「まぁ、咏さんの言うことももっともだな。もし長命竜級に出くわした時、そいつが必要になるかも知れない」
塞「君は先天性脳震盪か! あれだけ死にそうな目にあったのに」
塞「今度、大型の竜に出くわしたら他の熱狂的自殺志願者に依頼してよ」
京太郎「俺とお前が組んで負けると思うか?」
塞「それは……いや、結構負けると思うけど」
京太郎「そうだな……」
ホントなんでこんなもん買っちまったんだろうな。
俺たちは並んで立ち止まる。沈んだ空気をダメ押しするように横断歩道の信号機が赤を灯す。
12
「ねぇ、知ってる? 市内で最近起こってる例の咒式師殺人のこと」
帰りがけらしい女子高生の噂話が流れ込んでくる。
気になる内容は不思議と耳が選択して聞き取っていく。
丸眼鏡の友人らしき少女が聞き返す。
「もしかしてあれ?」
「そう。深夜、咒式師が仕事帰りに歩いていて、ふと気配に気付いて振り返ると、真っ黒な服を着たそいつが立ってるの」
「漆黒よりも無明よりも暗い真っ黒な服に、腰まである黒髪と緑に光る目の人影がね」
「そしてそいつは『お前が私の愛しの人を殺したのか?』って聞くの」
「違う、そんなのは知らないって言っても、そいつは咒式で咒式師を殺して首を刎ねるの」
「あたしが聞いたのは赤い目で『やっと見つけたーちょー探したよー』って話だったけど」
「え? それホント?」
「いや知らないけど、なんか一昔前のオカルト番組とかホラー映画とかでありそうな話だよね」
「口裂け女とか赤マントみたいな?」
「そうそう」
「とにかく、そんな事件が今朝でもう3件目が起きてて市警察も必死に捜査してるらしよ」
「でもさぁ、その話おかしくない? 被害者は全員死んでるのに、なんで質問の内容とか目が光ったとかわかるわけ? 警察ですら目撃者探しをしてるのに」
「それは……きっと、近くで誰かが見てたのよ! きっとそう」
13
信号機が切り替わり、人の波が動き出す。
女生徒の噂話は喧騒の中へと溶けていく。
塞「どう思う?」
京太郎「さっきの話?」
塞「そう」
京太郎「完全に怪談調だったな。彼女たちには世界も殺人も冗句でしかないんだろうな」
塞「そうじゃなくて」
京太郎「犯人像が割れてるなら、いずれ警察の捜査網に引っかかるさ」
京太郎「その頃には逮捕されているか、賞金が懸けられてるだろうからその時になったら動こう」
塞「それしかないか」
京太郎「塞は真面目だなぁ。自分から変態に関わりたいだなんて」
塞「今し方、事務所を経済的に圧迫する椿事が起きたからね」
放られた皮肉を目を閉じてやり過ごす。
とは言え、あまり楽観視も出来ない。このまま先程の話の咒式師連続殺人が連続すれば、
県と市の自治統治機関が市警に事件の早期解決への圧力をかけてくるだろう。
もちろん、県の咒式士教会も怯えた咒式師たちの声に押され、そろそろ犯人に賞金が懸かるだろう。
それに釣られて街の攻性咒式使いどもも動き出す。言うまでもなく俺もその卑しい猟犬の一匹だ。金になるならやるしかない。
14
だが、それ以上に懸念されるのが、これが大昔の咒式士への偏見を助長させるようなことにならなければいいということだ。
巨大な咒式という力は現在、大昔と比較して、別次元なほどに論理化され使いやすくなった。
各種学院や資格専門学校でも習得できるが、人類諸族の半数にはやはり手の届かない力である。
誰でも普遍的に利用できる科学技術と違い、咒式は才能という個人的要素が多いため、
自分たちを普通の人間より優れた人間だと存在だと思う傲慢な咒式士や、
咒式使いの犯罪が起こる度に「やはり奴らは邪悪な龍の理を操る怪物、龍理使いなんだ」という妬み混じりの偏見を持ち出す時代遅れの人々も、
雑踏に石を二つ投げれば、大体どちらかに当たる程度にはいるだろう。
大半の大学院でも咒式歴史学や倫理法学講座では、この意識の断絶を一応だが伝えており、
咒式使いとしての基本的な心構え教えているのだが、一般の高校や予備校では入試や資格試験にはまったく不要なのでわざわざ教えたりはしない。
おそらくそんなことをするのはうちの担任くらいだろう。
超物理現象の力を持つ者と、持たない者。この断絶は、いくら世界が変わっても未来永劫決して変わることはないのだろう。
15
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
繁華街の喧騒が遠く聞こえるビルの谷間。
夜の帳が下りた路地裏を、工業化学咒式技師の江川睦美はほろ酔い気分で歩いていた。
クローム技術連合の系列会社に勤める彼は、普段は厳格な技術主任だが今夜ばかりが酒を飲んで浮かれずにはいられなかった。
今朝の辞令で、江川が来週から本社に研修に行くことが決まったのだ。
本社研修といえば出世筋の本道。ゆくゆくは技術研究員、もしくは支社技術主任という昇進もあり得る。
同僚の祝辞を受けつつ、酒屋を梯子しているうちに仲間とはぐれてしまい、一人で見知らぬ裏路地を歩いていた。
男は無人の路地に立ち尽くす。思い返してみれば、同僚や部下も心から自分を祝福してくれていたわけではないらしい。
やはり咒式技師の自分と通常人とでは出来る仕事の範囲が歴然と違い、どこかで一線を引かれていたんだと寂しく悟った。
そういえば、自分と咒式師ではない妻の間にやはりすれ違いや価値観の違いが生じていた。
普段は自分の仕事に対して無知な妻を責めたが、これからはもっと妻を大切にしようと素直に思えた。
妻の下へ帰ろう。江川は家路に向けて右脚を踏み出した。少々遅くなってしまったが妻の好きな洋菓子でも手土産に買って帰ろうか。
36年の人生で一番優しくなれたその時、自分の身体に影を落とす存在に気付いた。
「なんらぁ?」
アルコールにもつれた舌を動かし声を上げたその時、そいつの奇妙な眼球に気付いた。
瞳孔が猫のように細く、まるで燐光を放っているかのような緑瞳が暗闇に浮かんでいた。
「汝ガ、我が愛シの背ノ君を殺シたのかエ?」
童女とも老婆とも取れる奇妙な発音で、闇が静かに問うた。
16
深淵を切り取ったかのような衣装を纏った人影。身体のラインからして恐らく女だろうが断言できない。
「汝ガ、我が愛シの背ノ君を殺シたのかエ?」
苛立ったように、舌の動きを確認するように再び問う。
江川はそこでようやく、自分が街で噂の連続殺人犯と遭遇していることに気付いた。
酒精が急速に抜けていく。覚束ない指先で腰の工業用魔杖叉を手繰る。
女は、男の慌てぶりをただ不思議そうに眺めるだけで動かない。
江川は弾倉を回転させ、〈爆炸吼(アイニ)〉を発動。
専門の攻性咒式士ではないため、トリニトロトルエン爆薬には不純物も多く生成量も少ないがそれでも炸裂した爆風が、
女を中心に、左右の路地のビルや路上駐車された車の窓ガラスに亀裂を刻んでいた。
狭い路地裏に濛々と立ち込める煙幕を切り裂き、女の不自然なまでに白い五指と掌が振り上げられた。
放たれた不可視のなにかが、悲鳴を上げようとした男の上顎部から上を消失させていった。
脳漿と頭蓋骨の破片、血液の飛沫が後方に吹き飛びビルの壁面に激突。壁とアスファルトに赤黒い花弁を咲かせていた。
白い歯が並ぶ下顎部だけになった男の身体が、主体性をなくしたように前後に揺れそして後方に倒れる。
腰、背中と順に落ちていき、頭部の断面から残った脳漿と血液を盛大にブチ撒けた。
心臓の動悸に合わせて鮮血が噴水のように噴き出ている。やがれ死骸の痙攣がとまり自分の血の海へと四肢を落とした。
真紅の血液と桃色の脳から、凄惨な湯気が上がる。
女の肌や衣服は爆裂咒式を喰らったにもかかわらず、傷一つなかった。
残酷酸鼻な光景を見下ろし、影が呟く。
「あナ哀しヤ。コヤツは敵デは、ないヨうだ」
「では、何故、この者ハ我を害そウとしタ?」
声には本物の悲哀が含まれていたが、表情にはまったくの感情が含有されていなかった。
まるで表情筋の動かし方を知らないかのように。
もしこの光景を見るものがあれば、恐らくは気付いたであろう。
月明かりに照らされる大地に染みるように広がるその影が、人影とは不釣合いなほどに長大なことに。
下弦に痩せていく月の下、通りかかった黒猫だけがその光景を見ていた。
とりあえずここまで
実際の咲キャラのオカルト持ちと非オカルト持ちってどのくらい意識の違いとかあるんですかね?
あと和的には咒式はオカルトに含まれのか、どうなんですかね
され竜クロスとか俺得
枢機卿、翼将ポジは誰がくるのだろう
捨てられるチェレシアさんは…
まだ書き途中だから修正出来るうちに聞いとこうかな
>>85
枢機卿長ポジは悩んだ末に一応決定しましたが
翼将ポジはなしにしようかと思ってたんですがやっぱ出したほうがいいですかね?
政治的理由で自由に出せない枠に主要キャラ12人も取られるのはどうかと思ってたのですが
一つのポジションに一人を当てはめるんじゃなくて
され竜側のキャラの要素を分解して咲のキャラに振り分けるみたいに考えてたのですが
例として
パンハイマ――→龍門渕透華:龍門渕家の家督は女性だけが継ぎ、継いだ時点で「透華」と名乗る。今の透華は二十二代目龍門渕透華
│
└→雀 明華:父親の生体実験と生体生成系第七階位〈吸血蟲鬼身転化法(サタナキーア)〉で転向型後天性吸血種になる。紫外線が苦手で屋内でも日傘を差している
後、巴さんあたりが扱う咒式で〈九蛇狐召砲(クー・コーン)〉で生み出した管狐を融合させて九尾の狐を生み出す
生体生成系第七階位〈九尾天狐憑咒召法(ターモ・メイ)〉みたいなオリジナルの咒式も少し出していこうかなとか思ってるんですがどうですかね?
そういうの寒いんじゃハゲっと思われる方がいるならもう少し練り直そうかな
>>87
そこまでいくかはわからないですね
個人的には短編も挟みつつベギンレイム事件あたりまで出来たらなぁと思います
そもそもこの京ちゃん彼女いない歴=年齢だし……童貞だし……
あまり知られてないですが
京太郎→イーギー
菫さん→ニドヴォルク
コーチ→ツザン
なんですよね中の人的には
ちょっと忙しくてなかなか書き溜め出来ませんが今のところのやる気的にエタはしばらくないと思うので
気長に待っててください
これエタってたんじゃなかったのか
17
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
窓から舞い振る朝日を浴びながら、蛇口を捻る。
流れる冷水を両手で掬って顔にけると、眼窩の奥にくすぶっていた眠気が水滴とともに零れ落ちていく。
かけてあったタオルで顔を拭う。使い終わったタオルは洗濯籠に放り込んでおく。
鏡に映るのは、金髪に赤みがかった黒瞳。どこにでもある十人並みの顔立ち。いつも通りの俺の顔だった。
「ニュージーランドと竜族賢龍派とのティルンエル条約批准は、同国推進派の民進党党首ウェルズリー議員の熱意に反して難航している模様です」
「続報です。今朝未明、市内西岸北区三丁目で発見された変死体は会社員の江川睦美氏36歳と確認されました。」
「市警察は市内で連続している咒式師連続殺人事件の四人目の被害者だと断定し捜査を続行。市民からに目撃情報を求めています」
「最後に、本日から開催されるリツベ祭の様子と今日の天気を……」
俺はコーヒーを啜りながらテレビの電源を切った。世間は相変わらずろくでもないことで溢れている。
俺が生まれる以前、現在、そして死んだ以降もずっと世間はそうなんだろう。
机の上に置かれていた携帯電話がけたたましく鳴り響く。曲は葬送曲だった。
専用の着信音なので出なくてわかる。塞だ。
俺は無視して身支度を整える。卓上鏡を見ながら服の襟元と髪型を正していく。
18
壁の操作盤から電子合成された呼び鈴が鳴る。
機会越しに鍵が開いていることを告げると、ドアベルの涼やかな音と共に扉が開く。
咲「京ちゃん。来たよ」
京太郎「おう。時間通りだな」
少しだけいつもよりお洒落に気をかけたであろう咲が、戸口を潜ってくる。うん、当社比1,5倍で可愛い。
今日のために1ヶ月も前から予定を空けてきたのだ。咲の笑顔も燦然と輝いて見える。
本日は快晴。二人で出掛けるには、最適な祭り日和だろう。
咲「京ちゃん、ケータイ鳴ってるよ」
京太郎「ああ、いいのいいの」
咲の指摘を手を振っていなす。机の上の葬送曲はいまだに続いていた。そろそろ曲の一週目が終わる頃だ。
咲「でも……」
気を遣ったような声に、なんだかこっちが悪いことをしてるような気がしてきた。
諦観の溜息。俺は携帯を手に取り通話ボタンを押して回線を開放。
京太郎「うっせぇぞ塞!」
塞『京太郎、仕事だよ』
俺よりさらに一段上の不機嫌極まりない声で塞が憮然と告げてくる。
京太郎「時候の挨拶とかしろよ」
塞『役所の久保課長から呼び出し。とにかく役所前で落ち合おう』
京太郎「まったくこちらと会話をする気がないな。なら答えは一つだ。知るか。俺はこれから咲とリツベ祭の喧騒に繰り出すんだよ」
相棒からの通話を適当に切り携帯を畳む。少し考え再び諦めの溜息を吐く。
なんというか、こういうところが俺の悪癖なんだろう。小器用というか流されやすいというか。
振り返った先、俺の目に映ったのは困ったような咲の笑顔だった。
19
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
長外套の裾が春の東風にはためく。
鋲の打ち込まれた戦闘用の靴でアスファルトの表面を踏みしめて進む。
リツベ市東市役所の敷地を囲む塀の切れ目、門前に塞が悠然と立っていた。
生真面目そうな目元に理知的な知覚片眼鏡(クルークモノブリレ)をかけ、袖のない赤い漢服に白一色に塗られた紙垂を模した長裳。
赤と白を基調とした長外套を肩口が見える程度に着崩し、結い上げられた燃えるような赤髪の後頭部のお団子ヘアには蒼瞳宝珠が煌く簪が二本挿されている。
腰元の外套の裾を押し上げているのは魔杖剣の柄。相棒のいつも通りの格好だった。
塞「来たね」
こちらに気付いた塞が特に表情を変えることなく、声を投げてくる。
京太郎「まぁな」
適当な返事を返す。これまたいつも通りなので、特に気にした風もなく塞は市役所の敷地に入っていこうとする。
?「先輩?」
っと、そのとき後ろから声がかけられた。
振り返ると見慣れた街並み。通りの向こうでは、忙しなく人が行きかい、飲食店の従業員は客の入りを見込んで店外にも机や椅子を並べている。
祭りの関係者はヘリウムガスの詰まった風船を引き連れて歩いていく。街は色めき立っていた。
俺の視野に映る背景の下方に大きな赤いリボンが揺れていた。
20
視線の俯角を修正。紫がかった短めの髪に大きなリボンと大きな瞳。
高遠原中学の夢乃マホだった。
マホ「やっぱり先輩だ!」
自分の答えが当たっていたからか、それ以外の何かかマホは嬉しそうに両手を打ち合わせて微笑む。
塞「誰?」
背中越しに塞が問うてくる。
マホ「むむ! 先輩、そちらの美人さんは誰ですか?」
今度はマホが塞に気付き、誰何と聞いてくる。
なんだ俺のこの立ち位置。拗れる前に軌道修正。
京太郎「塞。こいつは俺のクラスメイトの出身中学の後輩で夢乃マホだ」
塞「微妙に遠いね」
俺の紹介の言葉に合わせ、マホは深く頭を下げる。
京太郎「それでマホ、こっちは俺の、あー……なんだ、連れだ」
21
俺のおざなりな紹介に塞は渋い顔をする。
使えないと判断し、俺を押しのけて前に出る。
塞「私は臼沢塞。京太郎とは、まぁ学校の先輩後輩かな」
マホ「なんと! じゃあマホにとっても先輩なのですね」
途端にマホは嬉しそうに笑う。最初の警戒心はどこ吹く風で、元々人懐っこいマホはすでに塞に興味を持ち始めている。
京太郎「マホはこんなところでどうしたんだ?」
俺の問いにマホが何かを思い出したように右手をで左手を打つ。
マホ「そうでした。マホは今日は従兄のお兄さんとリツベ祭に行く途中でした」
振り返った先の視線を辿ると、少し離れたところで柔和な表情の青年が一人こちらを伺っていた。
青年はマホと少しだ目元が似てる気がした。俺が小さく頭を下げると、相手もそれに答えてくる。
マホは従兄さんに駆け寄っていき、その腕に絡みつく。
マホ「お兄さんは市内の消防署で、咒式消防士をしているのです!」
我が事のように小振りな胸を自慢気に逸らす。子供が自分の両親の職業を自慢するそれに似ている。
身内の活躍が素直に誇らしいのだろう。従兄は困ったように頬を掻いている。
その何気ない仕草がどこかおかしく、口元が自然と綻ぶ。
22
「マホ。そろそろ」
マホ「そうでした。それでは先輩方、バイバイです!」
元気よく手を振るマホと、もう一度軽く頭を下げる従兄。
仲の良い兄弟のようなそのありふれた平和な光景が眩しく、細めた眼前に手を翳す。
京太郎「あの、」
気付けば俺は2人を呼び止めていた。
不思議そうに振り返る2人に、どう答えたものかと考えあぐねる。
京太郎「最近はなにかと物騒ですから。昼間の人通りの多い場所なら問題ないと思いますが、一応気をつけて」
俺の言葉に小さき礼を告げ、2人は今度こそ雑踏の向こうに消えていった。
冷静に考えたら本来なら俺も咲とあんな風に出掛けるはずだったのだ。
そう思うとだんだんむかっ腹が立ってきて。
23
俺は俺をこの場に呼んだ諸悪の根源へ振り返る。
塞「…………」
諸悪の根源は俺をゴミを見るような目で見ていた。
京太郎「なんだぁ!? その目は!?」
塞「いや、君ってさ。………………ロリコンなの?」
京太郎「あ?」
何を言い出すんだこいつは。
京太郎「俺の言葉が理解できなかったのか? マホはあれでも一応中学2年だぞ」
塞「京太郎」
京太郎「なんだよ」
塞「性犯罪者にだけはならないでね」
京太郎「なるか!!」
天使との戯れを阻まれ、何故こんな地獄の悪魔とすごさにゃならんのか誰か俺に説明してくれ。
24
くだらない無駄話を切り上げて市役所の敷地進む。
玄関へと続く石畳の小道を進んでいく。戻る。
駆け寄った俺たちの目の前。敷地内の屋外掲示板に、リツベ祭の開催期間中の交通規制の情報とその他の細かい情報。
最新の賞金首の顔写真が並ぶ横に俺と塞の顔写真が張り出されていた。
ついに自分が指名手配されたのかと思って口から心臓が飛び出しそうになった
塞「まさか、京太郎の性格の大絶滅具合がついに法に触れた?」
京太郎「塞の性根の原子崩壊加減に嫌気が差した住人がついに賞金を懸けたのか?」
お互いを見もせず責任を相手に擦り付け合う。
詳しく読み進めると、先日の火竜と黒竜退治の決着を市当局が告知しているだけだった。
ご丁寧に住所を電話番号まで書いてある。まぁ宣伝になるからいいだろう。
第二市庁舎に入ると、一階の窓口は苦情やら各種書類申請で人が並び所員がその対応に追われていた。
世間では祝祭が催されているのにご苦労なことだ。
盛大な自爆だということに気付いて少し落ち込んだ。
俺と塞は人波の合間を抜け、二階の課長室へと向かう。
25
俺たちにとって楽しい思い出が分子一つも存在しない久保課長室。
ノックをして返事を待ち、一言断って木製の扉を開ける。
開け放った先、応接用の長椅子に腰を下ろしていたコーチが立ち上がりこちらを一瞥する。
目が合った瞬間、叱責の幻聴が聞こえてきた。もう心の病気だ。労災申請しよう。
コーチが座っていた対面の長椅子。高級官僚の制服を着込んだ男と、この場に似つかわしくない異国人であろう風貌の金髪の少女が座っていた。
塞「ウィッシュアートさん?」
塞が驚きの声を上げる。「誰?」っと今度は俺が問うと、塞は自分のクラスにやってきた留学生だと答えた。
当のウィッシュアートさんは、どうやら慣れない場所に連れてこられたようで酷く緊張していた面持ちだったが、
多少なりとはいえ見知った相手が現れたことに安堵し、わずかに相好を崩す。
貴子「こちらの方々が、お前たち2人に御用があるそうだ」
貴子「それからもう一人、お前たちに会いたいいう御方がいるそうだ。それもかなり上の方の御意向のな」
官僚の男が小さく頭を下げ、ウィッシュアートさんも慌ててそれに倣う。
特に説教もされるでもなく、課長は淡々と用件だけを告げてきた。
そこがまた不気味だった。俺たちは小さく視線を交わす。結論が一致。
俺たちの勘が、至急かつ迅速にこの窓から飛び降りて逃げろと告げていた。
今日はこの辺で
余談ですが塞さん魔杖剣の「ライネ」と「フウネ」というのは
塞さんの中の人の佐藤利奈さんが飼っているネコの名前です
なんか他のキャラでこういう名前どう?みたいなのとかあったらください
>>90
更新期間が長く開きそうなときや、万が一に書けなくなった場合も一応きちんとレスしますので
無言でいなくなるというのはないようにしたいと思ってます
もし無言でエタった場合は>>1は死んだか半身不随で入院してるかと思ってください
それではまた
26
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
エイスリン・ウィッシュアート。ニュージーランドからの留学生。18歳。
母親は1年前に他界。父親は不明。学校と官庁の勧めで、大使館を通して留学してきた。
俺は手元の資料から、対面に座る少女へと視線を移す。
俺たちは現在、車で市内を移動していた。初めて乗った高級車は慣れないためか、その高級そうな黒革の座席は少々座りが悪い。
リツベ市の中央部から離れた郊外。街並みは煉瓦造りの建物が並ぶ、いかに閑静な高級住宅街といった風情だ。
やがて車が停車。官僚の男が運転席、久保課長が助手席。
後部座席から俺、塞、ウィッシュアートさんの順番で降りる。最後に降りたウォッシュアートさんが、緊張か長時間の乗車で疲れたためかバランスを崩す。
すばやく手を差し出し、転ばないように支えてやる。ウィッシュアートさんは戸惑いながらも照れ笑いを浮かべて頭を下げる。
俺もにこやかに微笑み返しておいた。
広い敷地の奥に、豪商か貴族の避暑地のような、瀟洒な建造物が見えた。
麗々しい蔦を模した門扉を抜け、踏み石が敷き詰められた小道を歩いていく。
塞「君のその色漁癖はどうにかならないの?」
京太郎「人を年中女を漁ってるようにいうな」
塞「違うの?」
京太郎「違うわ!」
前の2人は俺たちの会話を無視したまま歩き、ウィッシュアートさんは不毛なやり取りを続ける俺たちを不思議そうな目で見ていた。
27
久保「では、私はこれで」
「ありがとうございました。帰りは別の車を用意しますので」
玄関まで来たところで久保課長は断りを入れて戻っていく。特に興味もないのでどうでもいい。
踵を返したコーチがすれ違う瞬間、正面を向いたまま俺と塞にだけ聞こえる声で小さく呟いた。
久保「これから会う人をあまり信用するな」
謎の言葉を残し、久保課長は今度こそ去っていった。
俺たちは顔を見合わせる。説教をされたのは最早数えるのも馬鹿らしいが忠告めいたことを言われたのはこれが初めてだった。
官僚制服に招き入れられ、黒檀の扉の間を通り過ぎていく。
内部に進み、すぐのところにあった応接室に通された。広さからすると部屋というより広間に近かった。
中央に置かれた応接具の周囲に7人の男が立っていた。それぞれが黒や紺の背広に身を包み、まったく特徴が掴めないのが逆に不自然だった。
隙のない佇まいから、全員が高度に訓練された護衛官や攻性咒式士であると推測できる。
男たちに囲まれた奥の応接用の革椅子に座る女性がいた。
短めの黒髪と黒瞳。服は上下とも黒で、首元に羽飾りのついた白乳色の襟巻きが巻かれている。
脚を組んで優雅に座り、右手の指先が典雅な長煙管(キセル)を弄う。口元に薄い笑みを湛えた女性が、一目でこの場の中心だと気づいた。
28
微かな既視感。俺はこの女性をどこかで見たことがある。塞も俺と同じような顔をしていた。
俺たちを案内してきた官僚が女性へ歩み寄り、片膝をついて第一種最敬礼を示す。
「エイスリンお嬢様と、そのご学友であり信用のおける攻性咒式士である臼沢塞氏とその朋友、須賀京太郎氏の両名お連れしました」
「藤田靖子参議院議員閣下」
横隔膜が収縮し、呼吸が一瞬途絶した。
藤田靖子。
日本の立法府を構成する上院の構成議員の一人にして、自民党の国会対策本部長。
参議院常任委員会の一人にして、外交防衛委員会理事の五人のうちの一人。
旭日勲章と宝冠勲章の叙勲者。プロ麻雀チームの強豪佐久フェレッターズの筆頭株主等々……。
この様々な肩書きを持つ人物を知らない国民はなかなか気合の入った世捨て人だろう。
とは言え当然だが俺もテレビの画面や新聞の紙面上でしか見たことのない。
隣にいた塞も予想外の大物議員の登場に呼吸を忘れて目を見開いている。
そんな最重要人物が俺たちの目の前にいた。
29
俺たちは先の官僚に倣い、慌てて第一種最敬礼を取ろうとして、藤田参議院閣下が優雅に手を振ってそれを制した。
藤田「君たちは私の部下じゃないし、そんな表面だけの敬礼は必要ないよ」
指先で弄っていた長煙管を卓上に置き、席を立つ。
こちらに歩み寄り、俺たちの背後に遠慮がちに立っていたウィッシュアートさんの傍に立つ。
藤田「久し振りだねエイスリン。十日ぶりくらいかな」
静かな目で穏やかに笑い、金糸の頭部に手を添えて優しく撫でる。
エイスリン「オヒサシブリデス」
俺たちより幾分慣れた様子で挨拶を返す。
視線に気付き、閣下が告げてくる。
藤田「エイスリンは知人の娘さんでね。って言っても私も知り合ったのは最近なんだけどさ」
掲げられた手に導かれ、勧められるがままに応接用の長椅子に俺と塞とウィッシュアートさんが座る。
一応、国民の端くれとして大物政治家との対面に緊張する。
30
藤田「さて、臼沢君に須賀君。だが家名で呼び合うカビの生えた古臭い習慣は避けて、早速だが塞に京太郎と呼ばせてもらおうか」
俺は頷いておくしか出来ない。塞にしても同様のだった。
藤田閣下が続ける。
藤田「実は君たち二人に、私の特務における現地、つまりこのリツベの案内と身辺警護を頼みたいんだよ。今、この瞬間からな」
塞「身辺警護を今からですか?」
塞が言葉を繰り返す。すでに俺たちは場の雰囲気に飲まれつつあった。
藤田「調べさせてもらったが、君たちはそっちのエイスリンと同じ清澄高校の学生だ」
藤田「政治的な背景や不審な経歴もなく信用できる。公式非公式の仕事の履歴を見てもかなり腕も立つようだしな」
藤田「最近では黒竜の片割れを倒したらしいしね」
含みを持たせたような言葉に、俺が疑念を口にする。
京太郎「市街の案内に現地の者を使うのはわかります」
京太郎「我々は〈竜〉や〈異貌のものども〉とも戦いますし、護衛なども得手の仕事の内です」
京太郎「しかし、いくら国家の実力者といえど、咒式士協会を経由するか、あらかじめ話を通していたただければ」
京太郎「今日いきなりの案内や護衛などという不審な契約は出来かねます」
31
俺の率直かつ慇懃無礼な態度に、護衛たちの空気が高質化する。
こちらも折角の休日と約束を袖にしてここにいるのだ。俺の言葉が刺々しくなるのを誰が責められるというのか。
京太郎「それにわざわざ外部のものを使うまでもなく、閣下にはご自慢の、獅子姫に従う七騎士がいるではありませんか」
藤田靖子参議院議員には十三階梯、俗に言う〈到達者〉級の獅子の七騎士と呼ばれる攻性咒式士が常に付き従い護衛している。
日本国内で見てもその強さは精強無比。そんな連中を押しのけてまで、俺や塞の出番があるとは思えない。
藤田「だがその騎士たちは今この場に一人もいない」
藤田「そんな連中を引き連れては折角の『観光』が楽しめないだろう?」
京太郎「はぁ!?」
何気ない面持ちで流れ出た『観光』という言葉に思わずわけのわからない素っ頓狂な声を上げてしまった。
藤田「それにエイスリンも一緒に祭りを見て回るなら見ず知らずの大人連中より、多少なりとも見知った学友のがいいよな?」
閣下の言葉に、俺と塞は出会ってからほとんど口を開いていないウィッシュアートさんの方へ視線が吸い寄せられる。
三者三様に注視されながら閣下、俺、塞へと順番に視線を移しそれからはっきりと頷いた。
藤田「ほらな? お姫様も君たちの同行をご所望だ」
閣下が立ち上がりながら言葉を続ける。
藤田「それでは浮かれるリツベの街に繰り出そうか」
俺は苦い顔をする。塞に苦い顔をしていた。
俺たちはわけのわからないまま事後承諾をさせられ、この女王様の観光案内をさせられるようだ。
短いですがこの辺で
枢機卿長ポジは靖子ちゃんでしたと
このSSはもちろんフィクションですので実際の政府組織や肩書きとかとはなんら関係ありませんし
細かい矛盾なども無視の方向でお願いします
それではまた
32
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
赤、青、黄、白の細かい紙片の紙吹雪が宙に舞い、道路に降り積もっていた。
大通りを間に囲むマンションやビルの窓から人々が紙吹雪を撒いていた。
リツベの大通りは祝祭の熱狂の中にあった。
俺は髪や肩に降りかかる紙片を手で払う。
車道を行進する楽隊が笛や太鼓を打ち鳴らし、普通の神輿のものからマスコットキャラクターなどを模した様々なデザインの山車が続いていく。
行進隊は音楽に合わせて歌い踊り、歩道を埋め尽くす群集が歓声を上げている。
露天、大道芸、花火、踊り、音楽、演劇。そして道や橋を行き交う人々の波濤。
怒号のような雑多な交響音楽の喧騒の真っ只中に俺たちは混じっていた。
大半が日本人種だが、それに混じって日本人以外の東方系や西方系、北方系や中東系の人々も混じっている。
さすがは交易の窓口たるリツベ市といったところだ。
藤田「リツベ祭の盛大さは、話には聞いていたけどなかなかのものだね」
エイスリン「It's superb(スゴイ)……」
感心したように閣下が言葉を口にする。その隣ではウィッシュアートさんが歳い相応な顔で目を丸くしていた。
橋の欄干に手をついて体重を預け、遠巻きに大通りの喧騒を眺めている。これが近づける限界の距離だった。
俺と七人の護衛が囲いとなり、周囲を常に警戒。塞が二人の案内と解説役になっている。
33
護衛官の何人かは苦い顔をしている。
「恐れながら。先ほども申し上げたとおり、特殊装甲車輌から、観光なさってほしいのですが……」
藤田「先ほども言ったように、私は観光がしたいのであって、護送犯ごっこがしたいわけじゃないんだよ」
護衛の進言に薄く笑いながら、だがきっぱりと手を振って拒否する。
歩き出した閣下に、俺たちは警備の網を移動させる。
藤田「それに、芸能人でもない私一人にわざわざ注目するような人間もいないから、壁を作る必要もないんだけどね」
藤田「そうだろ? 塞」
塞「確かに、リツベでは様々に人種や人間が行き交いますし、魔杖剣や積層甲冑で武装した人間も普通に往来を歩いていますけど……」
塞が語尾を逃がす。仮装した人間が何人もいるこの人の洪水の中では俺たちの格好はむしろ地味なほうだろう。
しかし、先ほどから藤田閣下の日本人然とした美貌と、ウィッシュアートさんの陶製人形のような愛らしさに何人もの男性が時には女性が足を止め振り返っている。
塞「リツベ祭は、祇園祭や天神祭、神田祭などの日本三大祭り程ではありませんが八大祭りの一つです」
視線に促され、塞が解説を述べていく。
塞「大よそ520年ほど前、この街を流れの山賊が占拠しました。そのとき、りつべという詩人の女性とその盟友であるあぐりという二人の女性が立ち上がりました」
塞「二人は民衆を率いて、歌と踊りとともに行進し占拠された砦に入りました。そこで民衆は隠し持っていた刃を抜き、油断しきっていた山賊に襲い掛かりました」
塞「その作戦は見事成功し山賊を撃退しました」
塞が指差した橋のたもと、欄干の最端に二人の女性の彫像が静かに佇んでいる。
塞「その故事からこの街の名をリツベ市、その街を横断する河の名をアグリ大河と命名し、詩の双乙女市として今現在までいたるわけです」
34
俺たちの耳に、澄んだ歌声が届く。
”私が壊れても あなたが壊れても
運命の歯車は 皮肉に笑っている
約束は海の底で待っていて
空を懐かしむ孔雀のように
世界を夢見て孵化しない雛鳥のように
あなたとなら煉獄も天上の褥(しとね)”
藤田閣下は優雅な仕草で聞こえてくる音楽に耳を澄まし、ウィッシュアートさんは一部に日本語にしきりに首を傾げている。
塞「今聞こえてきたの、先ほどの解説した故事で歌われたといわれる詩です」
塞「一説では、詩のその大半は紛失し現代になって改作されたともいわれています」
塞「またそれに引き摺られるように、本来のリツベは女性ではなく男性であったという説まで挙がっているくらいです」
塞の解説を聞きつつ、俺は一人こっそりと溜息を吐き出す。
本来なら、今頃は咲と一緒にこの祭りを楽しんでいたはずなのだ。
急な仕事だと告げたときの、「お仕事なら仕方ないね」と呟いた咲の優しく、しかし寂しそうな顔と声が忘れられない。
今すぐにでも彼女の元へと駆け出し平伏したいくらいだ。
35
藤田「京太郎も楽しんでいるか?」
京太郎「俺、いえ、私のことはどうぞお気遣いなく。むしろいないもの、空気かなにかだと思ってください」
俺は大量生産消耗品の愛想笑いを浮かべておく。
ついでに閣下の呑気な声に疑問を返してみようか。
京太郎「本気で祭りを楽しんでいますね。閣下は御自分が国内でも有数の最重要人物だとわかっておられますか?」
藤田「さぁねぇ。でも本当は違うかもね。それから、先ほどもいったが君たちは私の部下じゃない。私のことは靖子で構わない」
京太郎「そんな無茶を……」
藤田「そうか」
そういってしばし考え込む藤田閣下。
藤田「ではこうしよう。私は麻雀のプロ資格を持っているし、月に一回は我が佐久フェレッターズとの慰労試合もしている」
藤田「ということで私のことは藤田プロとで呼んでくれ。閣下などと仰々しい呼び方ではなくな。これも警護のための一種の偽装だ」
藤田閣下、いや藤田プロの完璧な論理武装に俺は頷くしかなかった。
藤田「先ほどの質問だが、本当は単なる遊びとカツ丼、それからニコチンが好きなだけのただの女。……だったら楽なんだけどね」
いいながら長煙管から紫煙を吐き出し、楽しそうに笑う藤田プロ。
この人は祭りに着てからずっとこんな調子だ。
まさか十代半ばで権力者のご機嫌取りをすることになろうとは、
小学五年生の冬に肺炎にかかって熱に浮かされた頭が緑色の斑模様の妖精を幻視していた悪夢の時には思いもしなかった。
企業や国家に飼われる咒式師がイヤで、自由で自堕落な攻性咒式士になったというのに。
36
藤田プロの傍らにいたウィッシュアートさんが物珍しそうに周囲に視線を巡らしている。
俺はこの人を引っ込み思案で口数が少なく、大人しい性格をしてるのかと思っていたが実は案外好奇心が旺盛なのかもしれない。
藤田「そうだ。京太郎」
京太郎「なんですか?」
藤田「エイスリンに自由に祭りを見せたやりたい。こちらは人手が足りているから、君はエイスリンについててやったくれないか」
京太郎「それは構いませんが」
藤田プロは頷き、ウィッシュアートさんに振り返る。
藤田「というわけでエイスリン。少し自由にしていいぞ案内はこっちの彼に任せるか」
エイスリン「イイノ?」
ウィッシュアートさんが可愛らしく小首を傾げて問うてくる。
言葉は遠慮がちだが、瞳の置くには期待の感情が波打っていた。
京太郎「俺は構いませんよ」
恭しく頷くと、輝くような笑顔が咲く。
まぁこの笑顔が見れただけでも今回はよしとするか。
藤田「ただし、あまり遠くへはいくなよ」
エイスリン「ハイ!」
塞「京太郎は定期的にこちらを連絡を」
京太郎「おう」
塞「それから……」
塞が一歩近付き、小声で告げてくる。
塞「人気のないとこに連れ込んで変なことしないように」
京太郎「しねぇよ!」
俺の絶叫に、ことを察した藤田プロが大声で笑い、ウィッシュアートさんは不思議そうに目を丸くしていた。
また短いですがこの辺で
短いスパンでちょっとづつ更新するのと
多少間隔開いても一気にあげるのとどっちがいいんですかね
それではまた
37
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ウィッシュアートさんは湖畔色の瞳を輝かせながら行きかう人々の波濤を眺めていた。
道端では芸人が大道芸を披露し、歩道の端に整然と並べられた露店では様々な軽食やお菓子が食欲をそそる芳香を漂わせていた。
設営された簡易な舞台の上では黒いローブを纏った魔法使いから、騎士が姫君を護る劇が演じられていた。
猥雑としながらも、活気がある光景。俺はこういう風景が割りと好きだった。
エイスリン「ニッポン、スゴイ!」
エイスリン「ユタカデ、ヘイワ」
拙い日本語で感想が述べられる。
俺は苦笑しつつ、観光案内人らしく案内をすることにする。
京太郎「どうしますか? あまり遠くまでは行けませんけどその辺を見て回るとか、なにか軽くつまみすか?」
ウィッシュアートさんが興味深げに周囲を見回している。
エイスリン「コレハナニ?」
露店の台の上に等間隔の格子状のケースに並べられた黄色や青や緑や紫、桃色に白といった小さな小球形の粒。
ウィッシュアートさんの視線の先にあったのは屋台で売られていた金平糖だった。
京太郎「これ金平糖と言って日本のお菓子ですね」
エイスリン「コンペートー?」
京太郎「ええっと、だから、食べると甘くて……」
エイスリン「?」
身振り手振りで説明しようとしたが、どうにもうまく伝わらないらしい。
こんなことなら英語の授業をもっときちんと受けておけばよかったと後悔した。
海外の学院の咒式論文を読むときも辞書を片手に四苦八苦しながら読んでいて、よく塞に馬鹿にされていた事実まで引き摺られて思い出した。
38
俺は周囲を見渡す。何か状況の打破になりそうなものは……。
すぐ近くの露店にあるものを発見、ウィッシュアートさんにその場で待つように言って俺は露店に走る。
目的のものを手早く購入し、ウィッシュアートさんの元に戻る。
京太郎「えっと、これはスイーツ。お菓子で、甘いものです」
俺が買ってきたのは画板だった。ペンで紙に図説する。
目を覆いたくなるような酷いディティールの人間が、小球形の物体を口に入れている絵だった。
エイスリン「Sweets! オカシ」
京太郎「そう! そうですお菓子です」
ようやく得心がいったらしく、俺の言葉を復唱しつつ頷いてみせる。
ウィッシュアートさんは俺の手から画板を取ると、ペンで自分を俺が金平糖を食べている絵を描く。
俺より遥に上手いのがなんとなく寂しかった。
エイスリン「オカシ!」
京太郎「食べたいんですか?」
ウィッシュアートさんは細い顎を引いて肯定と示した。
39
金平糖の粒を咥内で転がしつつ、ご満悦といった感じで雑踏を見渡しているウィッシュアートさん。
舞台背景のような?くさいほどの青空に、花火が飛んでいく。
通常では有り得ない軌道を描き、「リツベ市に長寿と繁栄を!」とか描かれていた。
ウィッシュアートさんの手元が動く。画板には青空と同じ文字が描かれていた。
日本語はまだ不慣れだが、文字を一つの絵として捉えることで再現しているんだろう。
京太郎「気に入ったんですか? それ」
俺は画板を指差すと、ウィッシュアートさんは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
元々は俺が買ったものを勝手に使いまわしていたことに罪悪感を感じたようだ。
エイスリン「ゴ、ゴメンナサイ」
京太郎「いえ、気に入ってもらえたならいいです。よければ差し上げますよ」
エイスリン「ホント!?」
驚きと期待が等配合された瞳が見詰め返してくる。
俺は頷き、手にした画板の掛け紐を首にかけてやる。
京太郎「ええ、知り合った記念ってことで」
エイスリン「アリガトウ、エット……」
京太郎「京太郎です。須賀京太郎」
エイスリン「アリガト、キョウタロウ!」
両の手で画板を大事そうに抱き締めながら、ウィッシュアートさんははにかんだ様に笑った。
40
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
藤田「なにか飲もうか」
言うが早いか藤田は露店で飲み物を注文し、紙杯を差し出してくる。
目礼で謝辞を示しつつ、塞は紙杯を受け取る。
塞は街の喧騒を眺める藤田プロから目を逸らす。
歩道の上、ビルの壁面の光学映像の報道番組が目に入った。
藤田『……無益な東方戦線は萎縮すべきですね。今、戦争を起こしてリツベ市の統治権を主張しても得られるものは何もありません』
藤田『国家が経済を制御しようとする新ゲイブル主義と市場の自由性に任せる新古典主義は、効果時間の差でしょうね』
藤田『ただどんな時代だろうと、最低限の政策は必要です』
画面の中の藤田靖子は報道官に求められ、意見陳述をしていた。
画面の端には生中継と表示されていた。塞は何かに気付き藤田に視線を戻す。
藤田は悪戯が見付かった子供のような、ばつの悪そうな笑みを浮かべていた。
藤田「ちなみに私は兄弟姉妹はいないよ」
塞「つまりアレですか」
藤田「そう巷間で言うところの影武者だよ」
藤田は手品の種明かしのように嬉々として語る。
藤田ほどの人物となれば影武者の存在ももっともと言える。
しかし、偽者を議会に送り込み、生放送せ演説させるなど正気の沙汰ではない。
藤田「画面の者とは別に、東北の避暑地に行ってもらっている者もいる。そいつも今頃「画面の中の自分は偽者だ」っと言っているだろう」
藤田「そういう影武者が後5人。私も含めて7人の藤田靖子がいるということさ」
藤田「まっ、政敵の放った暗殺者に殉教刺客にと年間行事だからね」
塞「休日にも大層な嘘と演出が必要とは、偉い方も大変ですね」
藤田「その、嘘と演出こそが楽しいんだけどね」
41
藤田が呟きを漏らしたのと同時に、花火が打ち上げられた。
通常では有り得ない軌道を描きながら上下を繰り返し、蒼穹に煙で「リツベに長寿と繁栄を!」と描かれていた。
藤田「昔から不思議だったのだけど、あのよく動く花火も咒式なのか?」
塞「はい。化学錬成系咒式第一階位〈噴矢(ロレイ)〉という簡単な咒式です」
塞はそこで説明を終えたつもりだったが、欄干に寄りかかる藤田の目は更なる説明を求めていた。
塞は仕方なく「実演を見せましょうか」といい、腰の魔杖剣を少しだけ引き抜き静穏で咒式を展開。目星をつけ空になった紙杯を投げる。
紙杯は放物線の途中で火花を噴射して、飛翔軌道を何度も変更しながら屑篭へ飛び込んでいった。
通行人が驚いて何事かと注目するが、すぐに興味をなくして去っていく。
塞「指示式を作成し、硝酸カリウム75%、硫黄10%、木炭15%を合成し黒色火薬を生成」
塞「後は基礎電磁咒式で発火させて軌道を順次変更。あの花火もその程度の単純な原理ですよ」
藤田「咒式遊びもたまには楽しいね」
藤田「現代はまさに咒式時代と呼べるね。けど私には簡単な咒式の原理一つもまったくわからない」
藤田「だから私にはすべてが万能の魔法のように見えるよ。魔法の杖の一振りで人々の幸せを創出してほしいものだね」
藤田の言葉と視線の先では、路上演劇が催されていた。
黒いローブの魔法使いが石ころを金に変えていた。たわいない手品に、見物客が歓声を上げる。
42
塞「残念ながら咒式は万能の魔法ではありません。どこまでも物理法則に支配された単なる技術です」
塞「例えば、一番基本の水素元素をヘリウムに変換するには、太陽内部と同等の50兆ワットルの熱量と2500億気圧、数百万度の高温で、」
塞「正の電荷で反発する水素原子を核融合させなければなりません」
塞「金に至っては小匙一杯で数十億トーンの質量を持ち、超高熱の中性子星同士の衝突によって1兆度という冗談のような超々高温で初めて誕生したそされます」
塞「それらは明らかに通常の人間の咒力の限界を超越してますし、それほどのエネルギーを消費して金を生み出すのははっきり言って無駄です」
塞「咒式は即物的な限界のある技術の一つで、幸せの助けにはなっても、幸せそのものを生み出すこととは別問題ですね」
塞は言った直後に後悔した。咒式士が嫌われる要因の一つのしたり顔の講義口調になっていたからだ。
しかし藤田は特に気にした風もなく愉快そうに笑う。
藤田「君の話は即物的で面白いな。咒式士とはもっと無限の可能性を語りたがるものだと思っていたが、君は案外教師などに向いているかもね」
どこか嫌そうな顔をする塞を、藤田はおかしそうに眺めていた。
藤田「ではもう一つ意見を聞こうか。そうだな、君は咒式と人についてどう思う?」
塞は少し考え、浮かんだ意見を並べていく。
43
塞「確かに咒式による因果律の破壊、それによる並列世界との不自然な次元回廊の増大、そして咒式を犯罪に濫用する者の増大とその被害の拡大」
塞「さらに、咒式を使えるものと使えないものの富や雇用の差という新しい階層化、と一般的には問題視されています」
藤田は黙って頷き塞の言葉を聴いている。塞は続けていく。
塞「真の問題は、咒式が普遍的体系である科学技術に比べ、個人技能の要素が強いことです」
塞「大昔に重火器が登場し個人の勇気や技能は無意味になりました」
塞「しかし咒式の登場によって、個人の力が爆発的に拡張され、超がつくほどの咒式士ともなれば個人で集団を圧倒します」
塞「力の拡張に、自我の拡張が重なればどうなるか、それらをどこまで法で規制するのか」
塞「すでに、法が定めた咒式使用の届出義務は、道路交通法の速度制限並みに誰も護っていません」
塞「しかも咒式は科学武器と違い、頭脳や手から取り上げることはできません」
塞「あまりに強大な破壊の力の個人所有という問題に対し、古典的な平等概念は沈黙するのみです」
塞「それは思想と思弁の問題でもあります。科学技術の延長でしかなかった咒式は結局、根源原理が解明できず超常現象という位置づけのままです」
塞「それゆえに、自分を霊的に進化した人類だと思う咒式士もいます」
塞「一方、一般の人々は攻性咒式を操る我々を、竜と同じ破壊の力を振るう、龍の理を操る龍理使い(ろんりつかい)の蔑称で呼ばれることもあり、問題は昔より複雑化するばかりです」
藤田「まさに、神話にある神々から火を盗んだ人間に、神が掛けた呪いのようだね」
藤田「しかし、君は自分の寄ってたつ咒式の力を否定するのか? その歳で十二階梯に登った高位攻性咒式士の君が」
44
塞「私は……咒式文明の絶対な否定はできません。咒式が存在しなければ人類は自然淘汰や〈異貌のものども〉との熾烈な生存競争に敗北し、」
塞「現在のように、この大地の傲慢な支配者面は出来ていませんでした」
塞「愚かしい言い方ですが、咒式問題に対して倫理道徳や思想や法よりも、咒式それ自体が進歩の問題を解決し、」
塞「そしてまた、解決した咒式の方の問題が立ち塞がるという繰り返しでしょう」
塞「それでも我々は咒式とともに歩まねばなりません。豊かな今の生活水準を捨て、なにも知らなかった時代に戻るには、少し人類は歳を取り数を増やしすぎました」
藤田「君は、君たちはあまりに若く、そして矛盾した決定論者だね。人の心と叡智の力を無視することは、自らの、そして全ての意思の否定だよ」
塞「そうでしょうね」
塞は自嘲気味に笑うしかなかった。
塞「けど、しかし人の心と言葉はあまりに不確実です」
藤田「君は人類が、いや知性それ自体が、時の果てまで完全で永遠でないからといって、心の存在を嫌悪しているみたいだな」
塞「違う、いえ、違います……私はただ……」
そこで塞の言葉は途切れた。群集の中で2人は言葉を喪失していた。
藤田は人の波に視線を向ける。それは行きかう人々を見ているようで、どこか遠く、遥か彼方を見ている様でもあった。
エイスリン「ヤスコ!」
京太郎「あの、そんな走ると転びますよ?」
雑踏が発する雑多な騒音の中を、よく通るソプラノが響く。
それに追いすがって来る相棒の声が、停止していた時間を再び回し始める。
45
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ウィッシュアートさんとともに塞と藤田プロたちに合流する。
エイスリン「ヤスコ!」
藤田「おう。エイスリン、祭りはどうだった?」
エイスリン「タノシカッタ!」
藤田「そうかそうか」
満足気に頷く藤田プロは、俺に小さく目礼してくる。どうやら俺は案内役として一応合格らしい。
憮然とした塞が無言で俺の傍らに立つ。
京太郎「どうかしたか?」
塞「いや、別に……」
どこか居心地が悪るそうに立つ相棒に、怪訝な表情を向ける。が、その横顔からは内心は読み取れなかった。
塞「ただ、君の近くにいると面倒なことを考えなくて済むから楽だと思っただけだよ」
京太郎「お前、……バカにしてんのか?」
塞「さぁ、どうかな?」
今し方と打って変わって、どこか楽しげに笑う塞に俺は不振な目を向けるだけだった。
俺たちの横を甘い芳香を放つアイスクリームの屋台が通り過ぎていく。
藤田「言葉遊びはこのくらいにして、甘いものでも食べないか?」
俺たちは視線を交差させ、渋々頷いた。
46
俺が代表して金を出すことにした。
屋台の親父に聞くと、バニラ、ストロベリー、アップル、メロン、ミント、チョコチップ等々あるらしく二段重ねに出来るそうだ。
プロはストロベリーを、ウィッシュアートさんはチョコチップ、塞がバニラ、俺が甘さ控えめのミントを注文しついでにほかの護衛たちにも配っておいた。
藤田プロは手元のアイスを特に美味しくもなさそうに舐めながら、眼前の光景を注視していた。
視線を辿ると、その先には俺たちのようにアイスを舐める小さな女の子が父親の肩車に乗り、
道行く大道芸が披露されるごとに目を輝かせ、満面の笑みを浮かべながら無邪気な歓声を上げていた。
京太郎「藤田プロは、子供がお好きなのですか?」
藤田「まぁね。子供はいい。子供が笑いながらアイスを食べられる。その光景がある限り、私はこの国と世界を肯定しよう」
藤田「その為に私は血を流し、騙し、裏切り、殺し、弑逆してきた。君の言う言葉の呪いも何とか乗り越えられるように研鑽と叡智を傾けよう」
藤田プロは俺の傍らに立つ塞に視線を向けた。塞はその言葉と瞳をただ黙って見詰め返しているだけだった。
藤田「ま、次の選挙では私の派閥に清き一票を投票していただければ恐悦至極。おっと、君たちはまだ未成年だったね」
真っ直ぐだった視線を、いつものどこか皮肉ったような薄い笑みに変える。
俺にはこの人の言葉の意味も、塞とこの人の間にどんな会話があったのか知らない。
けれど、彼女のその大仰な言葉の中にほんの少しでも真意が含有されているのなら、俺はこの人の言葉を肯定しようと思えた。
47
藤田「さて、そろそろ良い時間だな。お昼にしよう。昼食は、……そうだなカツ丼がいい」
周りを囲んでいた護衛たちの顔に「またか……」っという呆れが浮かんだのを俺は見過ごさなかった。
そういえばこの人は無類のカツ丼好きだったことを思い出した。
そんな部下たちの態度など気にも留めず、藤田プロは続けてくる。
藤田「それで、この辺でカツ丼の美味い店はどこかな?」
京太郎「それなら、学校の先輩のご実家が経営している麻雀喫茶がお勧めですね」
藤田「ほう、ならそこに行くか」
「閣下、急に予定を変えられては!」「この混雑では無理です!「今からでは店の貸切にするのは不可能かと!」
藤田「おいおい貸切にしてどうする。地元の店に飛び込みで入ってこその観光だろう?」
藤田プロは愉快そうに笑いならが歩き出し、ウィッシュアートさんもその歩調に続いた。
俺たちもその気紛れに付き合わされて群集の中を抜けていく。
歩き出す際に、塞が俺の背に指先を触れてきた。俺は立ち止まって塞を見詰め返すが相棒は振り返ることもなく俺を追い抜いていく。
その背中からは無機質な沈黙だけが垂れ下がっていた。
リツベの祝祭の熱狂は明日まで続く。
【To be continued】
京太郎は女の子とイチャイチャし塞さんは世界と対峙する
長らくお待たせしてすみませんでした
ようやくそれっぽい雰囲気になってきました
最近は、忙しくてなかなか時間が取れなくて一週間近く開くことに
しかも10レス程度しか書けなくて
これからは1話でまとめて更新するか、長くなりそうなら半々くらいにまとめて更新しようと思いますのでその方向で
それではまた
第四話「夜と邂逅」
1
夕日が彼方に沈み、夜の帳が舞い降りリツベ市を覆おうとも詩乙女の祝祭は続いていた。
ガラス管内部の陰極と陽極の間の電子が交差し、ナトリウム灯やネオン灯の色とりどりの明かりが街の角々で煌々と灯り始める。
目抜き通りは橋の上には、まだまだ人で溢れていた。これからが本番とばかりに夜の祭りを楽しもうとしていた。
リツベ市随一の格式と豪華さと高料金を誇る、リンツホテルの正面玄関前。
磨き上げられた花崗岩で飾った壁面の、十五階建ての楼閣を左方に見ながら、車道を悠然と進んでいく。
藤田「いやぁ、久し振りに楽しんだよ。祭りと美食と喧騒をね」
藤田プロはが祭りの堪能した感想を漏らす。
俺たちはは相槌もそこそこに車窓から周囲を監視する。
視界の端には黒や赤字でそれぞれの主張が書かれた看板を掲げ、どこか思い詰めた表情の人々が悲鳴にも似た叫び声をあげていた。
「ティエンルン合意反対!」
「人と竜の間に何の約定か! 即刻、条約を破棄せよ!」
2
主張の内容からすると、彼らが問題にしているのは人類諸族と竜族によって結ばれた相互不可侵不干渉条約のティエンルン合意条約のことらしい。
その条約があるからこそ、緩衝境界線を侵犯し人類に危害を及ぼす竜族強硬派を、竜族全体の平穏を脅かす反逆者として、
人類が独断で討伐することを半ば黙認されており、竜と人との本格的な衝突が避けられている。
俺たちも市委託の依頼で竜を討伐することもあるのでまったくの無関心ではいられない。
塞は俺を一瞥するが、何も言わずにまた視線を外に戻した。
俺もそれに倣って車外を見る。目は自然と抗議運動を続ける人々を追っていた。
藤田「彼らを愚かと思うかい?」
突然の問いかけのようでいて、どこか俺の内心の興味を見透かしたような声だった。
俺は言葉に窮したが、それでもなんとか返答を返す。
京太郎「無知と貧困、そして困窮が結合しあえば行進するしかないでしょう」
当たり障りのない言葉。否定も肯定もしない、何の主体性も持たない空虚な言葉だった。
藤田「しかし彼らの主張の幾分かは正しい。人と〈竜〉の、もしくは〈異貌のものども〉との相互理解の共存などありえない」
藤田「みんな仲良くなんていうのは夢物語だ。絶対的な断絶の存在を理解し、だからこそ相互不可侵の条約という枠組みが必要なんだよ」
塞「しかし一方で、敵に家族や親しい友人を殺されれば、条約なんていうのは許しがたい妥協に思えるのでしょう」
3
返答は俺ではなく、意外にも塞からだった。
塞の声には僅かに批判的な成分が加味されていた。
藤田「それはわかる。少なくとも私自身はわかったつもりでいる。だが、それは個人の視点だ。国家がそれを肯定するわけにはいかない」
藤田「そういえば、君たちは竜災孤児だったね」
プロの言葉に塞の双眸の奥に鋭いものが宿るのを俺は見逃さなかった。
竜災孤児というのは書いて字の如く、竜被害によって両親や家族を亡くした者たち。かつての俺たちのような子供を言う。
竜災といっても内容的にはその他の〈異貌のものども〉の被害も多分に含まれている。
俺自身は、物心ついた頃にはすでにトシのばあさんに拾われ生きるための術を叩き込まれていたのでいまいち真剣に捉えることができない。
逆に塞は人と竜の関係に複雑な感情を抱いているようにも思えた。
車内に静寂が満ちる。
張り詰めた空気に、ウィッシュアートさんは不安げに俺たちの顔を見比べている。
藤田「すまない、失言だった」
真剣な眼差しで、藤田は静かに謝罪した。
塞は小さく「いえ……」っと返すのみ。
俺の視線に気付いた塞は気まずそうに視線を逸らした。
4
俺たちを乗せた高級車はホテル裏手の賓客専用の入り口を目指し左折していく。
京太郎「で、これからの護衛計画は?」
空気を換えるように俺は軽い調子で前の席に座る護衛官に問いかける。
「リンツホテルに入ればまったく心配ない。匿名で一つの階層を丸ごと、そしてその上下も偽装で借りてあります」
「滞在階は何階のどこかは防犯上わからないようになっている独立構造で、最高の咒式結界と防犯装置が十重二十重に張り巡らしてあります」
「例え第七階位の準戦略級咒式の直撃にも耐えられますよ」
京太郎「国内最高の宿泊施設と安全、か」
ホテルの冷たい壁面がまるで城砦のように見えてきた。
塞「ということは、私たちも中まで同行して警護するのですか?」
藤田「いや、明日の朝からの観光までは特に警護も案内も必要ないね。明日の早朝の感動の再会までしばしのお別れだ」
「閣下! 護衛を下げるなんてとんでもない!」
血相を変えて振り返ってくる護衛に藤田プロは皮肉気に笑う。
藤田「安全といったのは君だぞ? なぁにさすがの私もここへの侵入は完全装備の軍隊以外は思い付かない。つまり絶対安全だということだ」
藤田「2人も今日はご苦労だった。ゆっくり休んで明日の楽しい楽しい舞台に備えてくれ」
正面に座る俺たちに、労いの言葉をかけてくる。口元は悠然ね笑みに形作られていた。
完全に論理武装した、一度言い出だしたら聞かないこの人物の発言に、俺と塞とそして護衛官たちは重い溜息をついた。
ウィッシュアートさんだけが不思議そうに小首をかしげていた。
5
賓客専用の入り口に消えていく藤田プロの背中を見送りながら、俺たちは踵を返す。
今日はいろいろあって疲れた。早く帰って風呂に入りたい。
エイスリン「キョウタロウ! サエ!」
帰路に着こうとしていた俺たちを駆けてきたウィッシュアートさんが呼び止める。
急いで来た為、肩で息をしており僅かに見える首筋にうっすら汗が滲んでいる。
エイスリン「アノ、エット……」
何かを言おうとして言葉に詰まる。何度か開閉し、それから俺が贈った画板に何かを描き始める。
「デキタ」と呟きながら、画板をこちらに向けてくる。
塞「なにその絵!?」
描かれていたのはウィッシュアートさんと俺と塞。後、ついでのように藤田プロが描かれていた。
エイスリン「タノシカッタ! ダカラ、アリガトウ!」
そういってウィッシュアートさんは頭下げた。
俺たちは顔を見合わせ、小さく苦笑する。
6
塞「私も、なんだかんだで楽しかったよ」
塞「だから、ありがとね。ウィッシュアートさん」
優しく微笑み返す塞。
本来の塞は、俺以外には丁寧で優しい態度なのだ。
嬉しそうに表情を輝かせるウィッシュアートさんはそれから、何かを考えるように視線を彷徨わせる。
エイスリン「エイスリン」
塞「?」
エイスリン「ワタシ、フタリノコト、ナマエデヨビマス。ダカラ、フタリモ、エイスリンッテヨンデクダサイ」
期待に満ちた声が夜に響く。
俺たちは微笑しつつ、お嬢様の要望に応えることにした。
塞「了解。改めてよろいしくね、エイスリン」
京太郎「よろしくお願いします。エイスリンさん」
微かに頬を染めながら少女は満面の笑みで笑った。
おそらくだが、日本に来て日が浅い彼女には、いまだに同年代の友人と呼べる存在がいなかったのだ。
この笑顔が見れたのなら、今日のくだらないように思えた観光案内の仕事も決して徒労なんかではないだろう。
7
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
気苦労の多い一日だった。
帰りの車を辞して、俺たちは夜の街を肩を並べて歩いていた。
見上げた建物の稜線に祝祭の残火がチラついて見えた。
さすがにこの時間は、通りにも人の気配が絶えていた。両脇に聳える建造物が深海の昏い海溝のようだった。
塞「そしたら、あの人「心の存在を嫌悪しているみたいだな」ですって」
塞「なんで私がそんなこと言われなきゃいけないのよ!」
塞の機関銃のような愚痴だけが闇夜に反響していた。
京太郎「そ、そうか……」
若干引き気味に曖昧な返答を返す。
俺は俺で、先ほどの車内でのやり取りを思い出す。
人と竜の関係はそのまま、国家間の関係にも置き換えられる。が、相手が人間なら凡庸な利益合理主義がある程度通じる。
それが人々が取りうる施策の限界なのだろうか。
8
塞「ちょっと聞いてる?」
京太郎「うん。聞いてる聞いてる」
俺の返事もだいぶ適当になってきた。
そういえば、いい機会だから以前から聞きたかったことを問うてみる。
京太郎「塞はさ、今の生活についてどう思ってる?」
塞「いきなりどうしたの?」
京太郎「いや、こんな危険でいつ死ぬかもわからないような、しかも収入の安定しない仕事をわざわざ続ける意味ってあるのかなって」
塞「ホントにどうしたの? なにか変なもの拾い食いした?」
京太郎「真剣に聞いてんだよ」
俺は口元を引き結ぶ。
ビルの角まできて俺の脚が止まり、塞も立ち止まる。
京太郎「塞は俺と違って学校の成績もいいし、別に俺に付き合って攻性咒式士を続ける必要なんてない」
京太郎「卒業して、大学院に入るなり、地道に就職して企業の顧問咒式師になるなりいくらでも道はあるだろ」
塞「……」
俺の合理的な意見に塞は押し黙る。
腹部に鈍い痛み。見下ろすと塞の細い腕が俺の腹筋に突き刺さっていた。
本気ではないだろうが、苦痛にくぐもった呻き声が漏れる。
9
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
リンツホテルの13階。七重の咒化強化ガラスの前に立つ人影があった。
藤田靖子は眼下に広がるリツベ市の夜の街並みを見下ろしていた。
夜空の星々よりも、祝祭に浮かれる街の灯火の方が輝いていた。
毛足の高い絨毯に、美麗な装飾の施された豪奢な調度品が並んでいた。護衛官の姿はなく藤田一人だけだった。
藤田の背後、絨毯に落ちる調度品の影が真夏の陽炎のように揺らめいた。
平面から影が垂直方向に膨れ上がる。蠢いた影が触手を伸ばし絨毯を掴む。触手に見えたものは人間の五指だった。
光学迷彩咒式で隠れていた人間が姿を表したのだ。暗灰色の装束に身を包んだ人影が、部屋の隅に跪いていた。
藤田「ようやく来てくれたか」
振り返ることなく肩越しに藤田が言葉を投げる。
藤田「南十字星の老人の懐刀との会談はどうなっている?」
「順調です。指し手たちは笛の音に踊り、傀儡を猟師を呼び寄せました」
藤田「最後の配役はどうなっている?」
「生贄を探して街を彷徨っているようです。さすがに故郷と勝手が違うらしく、事件にまで発展しています」
藤田の問いに影が答える。それに合わせて手首に嵌った鎖が澄んだ音を響かせた。
10
藤田「大方、襲われて反撃を繰り返してるのだろう。哀れなことだ」
藤田「すでに追手には合図を送っている。その内見つけるだろう」
藤田「不確定要素は多少存在するが、充分な柔軟性は持たされている。劇の上演は成功するだろう」
藤田「あの人の言葉通りにな」
藤田は楽しそうに窓の外を眺める。地上の星とそこに行きかう人々の見つめていた。
会話は終わりだとばかりに藤田は黙る。影は光学迷彩咒式を再動させ、背景に溶けていく。
樫の扉を叩く音に藤田は許可を出す。
藤田「どうした?」
「いえ、なにか話し声が聞こえた気がしたので」
藤田「ああ、独り言だ。気にしないでくれ」
「了解しました。では、全室異状なしです。明日の大事ために今日は早めにお休みくださいませ」
直立不動で護衛は一礼し、静かに下がる。
藤田「異状なし……ね。まぁ、彼女相手じゃあ腕利き程度の咒式士じゃあそれも道理だろう」
藤田「さて、劇は開演した。示された脚本の演出を装飾し、またそれを誰かが彩る。最後に万雷の拍手を受けるのは誰だろうな?」
まるで演劇の台詞のように、朗々と声が響く。それは眼下のリツベに問いかけるような声だった。
藤田「物質の構成要素が粒子で波形でもあるという発見により、古典物理学における、事象の完全予測は崩壊した」
藤田「神であろうと予測と決定をなしえないからこそ、この劇は、人生は楽しいものになる」
11
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
俺は腹部に埋まる塞の拳を払う。
京太郎「なんの、つもりだ?」
塞「京太郎がつまらない話をするからでしょ?」
京太郎「あのなぁ、俺は真剣に……」
塞「私と京太郎は、トシさんの意思と事務所を受け継いだ相棒だよ」
見上げてくる燃えるような赤い瞳は真剣で、不敵な色を湛えていた。
塞「それ以下になる気はないし、それ以上にもなりえない」
塞の決然とした宣言に、俺は小さく吹き出した。
京太郎「なんだそりゃ」
塞「私なりの結論。っというか、宣言だよ」
塞も小さく笑っていた。
京太郎「帰るか」
塞「そうだね。自宅まで帰るのも面倒だし、ここからだと隠れ家の一つが近いからそこでいい?」
俺たちは2人で、白糸台のエースにも評判のマイート菓子店の意味不明に巨大なマイートの笑顔の看板の下を通り過ぎていく。
俺と塞の視線の先、街頭の灯りの絶えた闇の世界。
黒々としたアスファルトに降るわだかまる影。暗天より落ちた夜の破片が散らばっていた。
12
「汝ガ、汝らガ我が愛シの背ノ君を殺シたのかエ?」
.
すみません
まとめて書くとか言っときながらここでいったん区切らせてもらいます
それではまた
13
それは無責任な噂通りの問いかけだった。老婆と幼児が同時にしゃべっているような奇妙な韻律の声。
こちらも噂同様、光すら呑み込む無明色の上下の衣服と、腰まで届きそうな長い黒髪。燐光を放つ緑の瞳。頬の肌の色だけが作り物のように白かった。
問いかけた声には、純粋な悲哀と哀切が成分組成されていたが、声の主である女の表情は無機物の仮面であるかのようにまったくの平坦だった。
まるで表情の作り方を知らないかのように。
京太郎(咒式士殺しだ!)
俺の背に落雷を受けたかのような強烈な怖気が走り抜ける。
身の内の本能的な何かが告げている。噂話以上にこいつは危険な相手だ。
ここまで敵意と殺意が放射された相手には今まで出会ったことがない。
塞も膨大な敵意を瞬時に感じ取り、魔杖剣の柄に手を掛けている。
マイート菓子店の角を曲がった先、女は道路と水路の上に跨る橋の上に立っていた。
足元には噴出した赤黒い液体がタールのように広がっていた。鉄錆に似たこの臭気は間違いなく血液だった。
警備会社の制服の男がアスファルトの石床に転がっていた。手にした魔杖短剣は半ばから折れており、周囲には咒弾の空薬莢が散乱している。
男は、腹部から小腸や肝臓を大量の血液と共に零して絶命していた。
咒式士連続殺人の現場にたまたま遭遇してしまった不運と、もう少し早ければ警備会社の男を助けられたかもしれないという巡り合せに俺は唇を噛む。
女が水溜りの赤い飛沫を跳ねさせながら、無造作に一歩を踏み出す。その足がアスファルトを踏み割った。
俺は魔杖剣〈蜃気楼〉を抜剣しながら突進。塞も魔杖細剣を抜き、俺の背に追走してくる。
俺が右手、塞が左手に別れ、左右から斬撃による二条の銀光が挟撃する。
金属音にも似た硬質な音が響き、そいつは翳した両腕で鋼の殺到を受け止めていた。
俺の刃は黒い袖を浅く傷付けただけ。塞の刃に至っては命中こそしたが、その漆黒の袖を1ミりメルトルも傷付けることが出来なかった。
14
空かさず塞の魔杖剣の鍔元から空薬莢は跳ねる。
斬撃と同時に、化学練成系第二階位〈矢髑(ビ・ネ)〉の咒式が乗せられる。合成されたd-ツボクラリンはアルカロイド系毒物で、
致死量は体重1キログラムルあたり640マイクログラムル。
アルカロイド系毒は、神経伝達物質であるアセチルコリンと分子構造が相似ているため、アセチルコリンと拮抗して受容体を占拠し筋肉への伝達を遮断。
呼吸困難から痙攣を起こさせ、急速に窒息死させる。
そして生体強化咒式を使役する俺の斬撃は、並みの強化装甲程度は容易に両断する威力を持つ。
この猛毒と破壊の攻撃を、眼前の女は多少苦い顔をしただけで受け止めたのだ。
双刃を載せた両腕を、女は無造作に捻る。
信じられない膂力に俺の視界は急速回転、石畳に背中から叩き落される。
視界の端に後方のビルの壁に叩き付けられる塞の姿が見えた。
軋む肺腑から呼気を漏らしつつ何とか受け身を取るが、即座に起き上がることが出来ず地面を這う姿勢のままだ。
女は追撃もせず悠然と立ったまま、斬りつけられた袖口を眺めていた。
こいつは重力系咒式士だった。
重力系は、質量下限値はおよそ1140億、上限値は1530億電子ボルトルとされる質量粒子、さらに重力子に重力微粒子を操る稀有な咒式士だ。
肉体や武具の一撃を見かけ上増大させ威力を増加、重力密度を上げて肉体の硬度を上昇させるその特性から、近接・遠隔系ともに使われる。
力の基礎特性は単純で距離に反比例するが、それ故に近接格闘においては生物故の出力限界がある生体系よりさらに剣呑な咒式系統だ。
でなければ、咒式強化で肉体組成を置換し体重100キログラムル以上もある俺の身体を、手首を軽く捻っただけで投げ飛ばすことなど出来ない。
加えて、塞の毒を寄せ付けなかったことから生体系の使い手でもある証明だ。
俺と塞は立ち上がり、警戒を緩めることなく魔女と対峙する。
恐ろしいのは、魔杖剣も無しに咒式を発動したことだ。十三階梯か、それより遥に上の咒式士。もしくは特異体質の者ということになる。
15
女は俺達に目もくれず、自身の袖を眺めていた。
?「こノ刃の切レ味、コの咒い(まじない)ノ波長……」
女は大きく目を見開く。冷徹な大理石のような顔に初めて感情の波紋が広がる。
?「我が背ノ君の仇共、つイに見付ケたぞ!」
號っ!
膨大な殺気とも呼ぶべき、無目的に放射された莫大な咒力が量子干渉を起こし、物質的な圧力となって夜闇を疾る突風となったのだ。風圧で広告や落ちていた紙屑が宙に舞う。
気弱な人間ならそれだけで昏倒か、最悪気死していたかもしれない。
女の視線はまさに、眼光だけで死を与えようとする邪神の視線だった。
京太郎「いったい、どこの誰の仇だとっ!?」
圧力に耐えながら、俺は前屈の姿勢から身を起こしつつ言い放つ。
俺達は街の攻性咒式士で、人類の刃として、あるいは後ろ暗い理由でさまざま敵と戦ってきた。
現代の攻性咒式士の、都市部で事務所を開いている程度には腕利きが、人を殺したことがないなどあり得ない。
賞金首となった凶悪犯や〈異貌のものども〉との戦いは、逮捕や追い払うだけで終わることは少ない。
殺すか殺されるか、血塗れの最前線だ。
塞の意向で極力逮捕を優先していても、死者は出る。例えそれが法の内側であったとしても誇れるものなど何もない。
人殺しはいつか復讐者の前に倒れるという覚悟、っというかそういうものだという理解はあった。
しかし、俺達を二人一緒に仇と狙う心当たりはそう多くはない。
16
?「何処の誰ダと!? 汝ラはそれスら知ラずニ殺したトいうノか!」
女は俺と塞に距離を詰める。
*ルグ#ィッド「我ガ名はウルズの*ルグ#ィッド。我ガ愛シの背ノ君、誇リ高きジェ#ル*クスの仇を取ルベく疾ク推参しタ!」
女の言葉は俺の知らない異国の発音であったためはっきりとは判別できなかった。
無理矢理日本語に変換すれば、この魔女の名はマルグリィッドだかワァルグリィッド。後者はジェイルゥクスかジェウィリクスだろうか。
繰り出される横薙ぎの一撃を、俺は盾にした魔杖剣の刀身で受け止める。
右の剛腕をなんとか迎撃するが、刀ごと身体を持っていかれ夜の宙空へ水平に飛ばされる。
一瞬の浮遊感と、次いで背中に衝撃。橋の落下防止用の欄干に背中から激突しつつ、欄干を超えてそのまま下方へ落下していく。
不快な浮遊感と共に空中で姿勢制御しながら、なんとか下の道路に着地する。
風切り音。前方に塞が着地してきた。俺を追って手摺を乗り越えて来たのか。
石床に手をついて落下衝撃を緩和した塞の上方に影。俺は相棒の襟首を掴んで無理矢理上体を起こさせる。
寸前まで塞の頭部があった空間と大地を追撃してきた魔女の右足が穿孔。アスファルトを踏み砕き、埋没した右足を軸に回転を加えた水平蹴りを放ってくる。
後衛を後ろに突き飛ばしつつ、身体の位置を入れ替え俺が前に出る。握っていた魔杖剣で迎撃して弾き、上体の流れた軸足に下段斬りを打ち込む。
マルグリィッドは右足を撓め、片足で後方飛翔。刃は空を切るだけ。
黒衣の魔女が距離を離し、塞は俺の横に並んで立つ。
静寂の夜闇に、流れの速い運河の水の音だけがさざめく。運河に隣接した道路で、俺達とマルグリィッドとの第二回戦が開幕した。
17
俺は地面の紙片を踏みつつ横手に跳び、路上駐車されていた車輌の天面部に着地。さらに車を蹴りつけ低空飛翔。
掬い上げるように下段からの眉間狙いの刺突を繰り出す。魔女の左手の甲部が刃を弾き、右腕が振るわれる。
俺は反射的に横に跳ねる。背中に硬い感触。俺は駐車されていた中型貨物自動車の荷台に背をつけていた。
追撃してきた魔女の貫手が意趣返しとばかりに俺の眉間へ打ち込まれる。超反射で首を捻ってこれを回避。
女の一撃が貨物車の荷台の壁を貫通し、衝撃で片輪を宙に浮かせていた。車輌重量だけでも5から8トーンもある中型トラックを、だ。尋常な力ではない。
魔杖剣を掲げつつ、その場から距離を取る。マルグリィッドの五指が鉤爪となって俺の脳髄を掻き毟るべく、金属壁ごと引き裂いてくる。
後ろ髪を犠牲にしつつ、転がってさらに回避。左手を地面につけ、四足獣の姿勢で起き上がる。
塞「ダメ、横へ跳んでっ!」
塞の声で俺は瞬間的に右後方上空へ跳んでいた。明かりの灯る街灯の中程に横向きに着地。鉄管を掴んで空中に固定する。
俺の眼下、マルグリィッドの右手の示す先にある路上駐車された車の車体に黒点が発生し、金属製の屋根や扉が波打ち、内側に向かって瞬時に圧壊した。
窓ガラスが砕け、金属骨格がまるで握りつぶされたかのように元の数分の一にまで圧縮されていた。
一瞬後、破壊された電気系統が漏れ出した燃料に着火し、爆発、炎上。紅蓮の炎を巻き上げ、膨張した熱風が周囲に散乱していた紙ゴミを吹き散らし、俺の前髪を揺らす。
塞「噂に名高い、重力力場系咒式第五階位〈轟重冥黒孔濤(ベヘ・モー)〉だ!」
18
俺は塞が叫んだ咒式の名を思い出し、戦慄していた。
重力力場系咒式第五階位〈轟重冥黒孔濤〉。
位相空間内の中性子星並みの超巨大仮想質量から放出される、質量、スピン、電荷がすべて無で寿命無限大の粒子とされる強力な重力子を束ね合わせ現実空間に順次転移させるという高位咒式。
その破壊力は眼前の、元が車であったかどうかも判別しがたい残骸を見れば嫌でも実感させられる。
重力波が時空の曲率で表せられ、時空そのものが歪められていると考えられるため、これを遮断する防禦方法が事実上物理的に存在しないという厄介極まる咒式である。
重力咒式使いと戦う時に特に注意しなければならない咒式だが、これを自在に行使する人間は噂でしか聞いたことがなく実際に目にするのは初めてだった。
白磁器の頬を紅蓮に染めて立つ復讐の魔女。
さらに向けられた右手から重力波が、街灯の中腹に留まる俺に向かった殺到。街灯の鉄柱を破壊。
飛翔して逃げた俺の背を、重力波が追跡し、アスファルトを、石壁を、他の車輌を紙細工のように千切り飛ばし圧搾崩壊させていく。
さらに空いていた左腕からの重力波が後方にいた塞の圧殺するべく空間の波濤となって放たれる。
掩護を期待したいが、塞も自身が不可視の重力攻撃を躱すので手一杯だ。
降り注ぐ石壁の破片を掻い潜り、塞が〈爆炸吼(アイニ)〉を放つ。紙片や砂埃を巻き上げながら、爆裂が魔女を襲うが大して効果がない、のはわかっている。
牽制の爆裂咒式を腕を掲げただけでやり過ごしたマルグリィッドへ、白煙を煙幕に一気に間合いを詰める。
胴薙ぎの一閃を、魔女は腕を跳ね上げて受け止める。触れる寸前で刃を停止、軌道変更で咽喉へ狙った上段斬り払いに移行する。
マルグリィッドは残ったもう片方の手でこれを振り払う。体勢を崩した俺の頭蓋へ翻った左足が落雷のような踵落としを放つ。
だが、俺の一連の攻撃はすべて詐術。敵の防御を空けさせ、塞の咒式の射線を開くための陽動。
俺の頭上を迸る液体が、激流の瀑布となって駆け抜ける。
攻撃姿勢中のマルグリィッドは避けられない。波濤は魔女の身体に激突し、後方へ弾き飛ばす!
19
激流で魔女は石壁に叩き付けられ、液体が跳ねる。
猛烈な白煙と、酸化反応による刺激臭が充満する。排出された空薬莢が落下し澄んだ音を響かせる。
塞の放った化学練成系第三階位〈皇瑞灼流(フォーカロル)〉によって生み出されたのは、クロロ硫酸や過塩素酸。
沸騰した強酸の奔流は生物を溶解させる。俺の刃を受け付けなかったとしても強酸は防げない、という塞の読みだろう。
夜の川辺の道路で、白煙が濛々と煙る。通常行う、咒式効果の限定発動をしていないため広範囲に破壊が及んでいた。
京太郎「さ、」
塞「黙って構えてて相棒!」
塞の制止に、俺は慌てて口を引き結ぶ。向こうはこの遭遇まで俺達の目星をつけれていなかった。
名前で呼び合うのは危険、という塞の戦術的判断だが、危うく俺がそれを台無しにするところだった。
緊張状態で推移を伺う。俺は魔杖剣を正眼に構えたままで、塞はいざという時のために咒式を紡いでいた。
?「やっと見つけたーちょー探したよー」
声は後ろから来た。
20
警戒も忘れて俺達は振り返っていた。
道路の先の街の明かりを逆光に、もう一つの影が出現していた。身体の線からしておそらく女、遠目なので細かくはわからないが恐ろしく背の高い、俺よりも背丈のある女だ。
影絵を立体化させたかのような黒一色の服に、腰まである長い黒髪。幅広の帽子のつばから微かに見える赤みがかった瞳が印象的だった。
それは先日、街ですれ違った女学生が口にしていた噂話のもう一つの説。
誤算だった。相手は、複数だったのだ。
マルグリィッド「このヨうな……」
右腕が白煙を引き裂き、靴に包まれた脚が現れる。踵が石床を踏み砕く。
マルグリィッド「このヨうナ咒イを使うなド、どこマで我を愚弄スる気かっ!」
怒声とともに重力波が放射される。左右に転がった俺達の後ろの壁が圧搾される。
魔女の纏っている闇色の衣服や黒髪は蒸気を上げているが、そこにはほとんど焦げ目が見られなかった。
あり得ない。質量密度を上昇させ、肉体自体を強化するのはともかく、この魔女は末端の髪や衣服までも同時に強化しているということだ。
俺達の眼前にそれほどの強大な咒力を持つ咒式使いが実在するという事になる。
今の俺達の装備ではこの女を倒しきることは出来ない。加えてこの位置関係は拙い!
塞「退くよ相棒!」
叫びと同時に、塞は俺に向かって突進。跳躍した塞を俺は左腕で抱きとめ、抱えながら川辺の欄干に向かって後方跳躍。
次の瞬間、〈鳴神のライネ〉の切っ先で閃光と炸裂音が闇夜を白亜に染め、瞬間的に昼夜を反転させる。
化学練成系第一階位〈光閃(コヴァ)〉の硝化綿、所謂ニトロセルロースとマグネシウム粉の燐分の燃焼が、夜に60万カンデラルという光量の小太陽を生み出した。
俺は落下防止用の欄干に着地し、さらに再跳躍。リツベに五つあるアグリ大河の支流の一つへ消えていった。
21
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
一瞬のうちにマルグリィッドの目が暗順応を完了し、視力を取り戻す。
二人の咒い士の姿は、すでに路上から消えていた。注意深く、周囲を観察すると運河に続く川辺の淵にわずかに水滴が跳ねていた。流れる水面には波紋。
頭上から声が降ってくる。騒ぎを聞きつけ、周囲の人間が集まってきたのだ。遠くに警報も聞こえる。
恐ろしく頭の回る相手だった。逃走時に背後から重力波で狙い撃ちにされるのを防ぐためにはじめは逃げなかった。
しかし現在の彼女を倒す手段がないと判断すると、即座に退却に移行した。
マルグリィッド「よク組み立てラれてイル」
相手の咒いは攻撃だけではなく裏の意味があった。音の大きな爆裂に、時間稼ぎと煙幕代わりの強酸。
最後に閃光で目くらましをし、ダメ押しで臭いでの追跡を防ぐために迷わず運河へ飛び込んだ。
加えてマルグリィッドが咒いの波長から相手を追うと言った瞬間から、互いの名前を伏せ追跡調査をさせないようにしたのだ。
地元である地の利を生かした鮮やかな引き際だった。
魔女自身も相手の力量を認めざるを得なかった。
そう、なんと言ってもあの二人は彼女の愛した猛き強きジェイルゥクスを殺したのだ。
今この時にも周囲に人は集まりだしている。憤怒のままに周囲の者を皆殺しにしようかとも考えた。
それだけの力が彼女にはあった。しかし自分とて決して無敵ではない。無理をしては、本懐を遂げる前に軍隊や咒い士の集団、
そして彼女が捨てた故郷の無情な追手の手に粛清され、倒れるだろう。
それは彼女の望むことではなく、それ以上に自ら課した掟と誓約、内なる絶対律が決して許さなかった。
マルグリィッドは闇の中に帰還し、次の好機を待つことにした。
激情に流され、愛しき背の君の形見を奪還するという手順を忘れるところだった。
踏み出された一歩はアスファルトに穴を穿つが、次第に穴を開けることがなくなり、次の一歩は宙を踏んでいた。
黒の装束と長髪を夜風に靡かせ女は宙空を進んでいく。
やがてその姿は夜闇に紛れ誰にも視認されることはなかった。
22
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
魔女は気付かなかった。
いや、気付いていてあえて無視したといった方が正解だろうか。
闘争のあった地点から距離にしておよそ30メルトル。運河に隣接する道路の路肩、その石壁い波打ったような波紋が広がっていたことに。
石を落とした水面のように幾重もの波紋がたゆたい、その表面から指先、掌、手首、腕、肩と順に迫り出し、黒色の靴が石畳を踏む。
?「あー逃げられちゃったかー仕方ないよねー」
?「まだこの街に来て日が浅いもんねー」
バカにするでもなく、本気で残念そうに無邪気に笑う影。
?「私なら絶対逃がさないんでけどなー」
口では自信満々な言葉を紡ぐが、とはいえ今の自分も彼女同様にこの街には不慣れな身だった。
周囲のざわめきが大きくなっている。警察車輌の警報の音も大きくなってきた。
面倒なことになる前にそろそろ自分もこの場を離れた方がいいだろう。
長身の女、というには、まだ幼さの残る顔立ちは少女といった方が正確だろうか。
黒ずくめ少女は地面に落ちた宣伝用のポスターを拾い上げると、それを石壁の表面に貼り付ける。
角度が気に入らなかったのか、何度か微調整をし、正しく貼り終えると満足そうに頷いた。
少女は右手を翳す。広告の貼り付けられた石壁に再び波紋が拡散する。
出て来た時とは逆順に、壁の中へと沈んでいく。身体のすべてが消えた壁からは冷たい硬質な感触が戻っていた。
煌々と灯るリツベ市の街の灯りだけが無人となった道路を照らし続けていた。
【To be continued】
塞さんって声優さん補正の所為か妙に主人公気質な気がするのは自分だけですかね?
というわけで今日はここまで
それではまた
第五話「予感の朝」
1
地球の自転周期に従い太陽が朧気な陽光を投げかけ、目覚めはじめた街の高層建造物の輪郭に白銀の稜線を描き始める。
窓辺に置いた椅子に座り、俺は新聞の朝刊を眺めていた。
一面には俺が贔屓にしている松山フロティーラが驚愕の今期十連敗を喫したという記事。
そして「連続咒式師殺人犯、現行犯逮捕」の大見出し。
両方に驚愕しつつ、前者はいったん置いておいて連続殺人の方の記事を先に読む。
4月9日未明、リツベ市内ラン通りで、帰宅途中の咒式技術者の飯塚重典氏(51歳)が攻性咒式で襲われ、犯人は金品を強奪することなく逃走した。
さらに、咒式戦闘があったと通報があった同じくラン通りで咒式警備士高山晴夫氏(42歳)が殺害されているのが発見された。
警察は緊急検問を設置した。飯塚氏は搬送先の病院で午前3時27分に死亡した。
3時45分頃、巡回中の警察士によって逮捕されたのは、市内高等学院に通う化学咒式学専攻の16歳の少年。
一時間後に少年と接見した弁護士は、記者会見で被疑者は模倣犯で一連の事件とは無関係であると発表した。
警察も連続殺人事件との関連性の確認を続行中で明言を避けているもよう。
俺は新聞を畳んで、椅子の背凭れに体重をかける。見上げた天井には無機質な木目が浮かんでいるだけ。
考えうる限り最悪の巡り会わせだ。
2
俺は長椅子の肘掛を枕代わりにして毛布に包まって寝息を立てている塞を起こすことにした。
わずかに覗く薄い肩に手をかける。
京太郎「おい、そろそろ起きろ」
肩を揺り動かすと、相棒の薄い口唇から妙に艶めかしい吐息が零れる。
塞「ん、後……500分」
京太郎「ふざけるな。誰が8時間半も寝かすか」
突っ込みを入れつつ、寝返りを打って向けられた後頭部に手刀を打ち込む。
毛布を押しのけ、塞は上体を起こす。
目元を擦りながら手近に置いてあった知覚片眼鏡に手を伸ばす。
塞「まだ、眠い……」
眠気と片眼鏡を鼻先に引っ掛けながら欠伸を噛み殺して呟いた。
京太郎「我慢しろよ、俺だって眠いんだから」
とりあえず塞の顔目掛けて丸めた新聞紙を投げておいた。
3
塞「最悪だね」
京太郎「ああ、最悪の巡り会わせだ」
塞「世間は犯人の妄言と思うだろうね。けど、私と京太郎は摸倣犯と別に真犯人がいることを知っている」
京太郎「昨日、俺達は真犯人と実際に遭遇したからね」
昨夜の遭遇から、襲撃現場近くの倉庫兼第三事務所や、場所の知られている本事務所は避け馴染みのうた屋の二階で夜をやり過ごしていた。
朝まで二人で検討したが、それらしい人物ジェイルゥクスだかジェウィリクスという人物は互いに記憶になかった。
京太郎「名前からして日本人ってことはないだろうが、リツベは各国の諜報員が溢れかえっていて外国人は特に珍しくもないしな」
俺達が関わった異国人もそれなりの数になる。塞はなにかを思い出そうとして、やめた。
塞「京太郎がうるさいから思い出せなくなったでしょうが」
京太郎「俺の所為かよ」
なんにしろ、俺達が殺した人間はそう多くないとは言えすべての関係者を知っているわけではない。
この詮索もあまり有益な結果にならないとして、早朝になって交代で仮眠をとったのが今の現状なのだ。
4
俺達を狙ったあのマルグリィッドという女咒式士は多分、俺達と同様の暗い世界の住人。
いや、おそらくはもっと深い闇の底からの。
最後に現れたもう一人は情報が無さ過ぎるため一旦保留。
塞「とにかく、魔女が私達の顔を確認した以上これから他の咒式士殺人は起こらない」
京太郎「警察に匿名で犯人を告発しても、最近の汚職や冤罪で評判が落ちてる警察は事件を解決したことにしたいだろうな」
さらに一般警察が対抗できる相手でもない。実際、軍か警察の咒式部隊。高位咒式士が集団が必要なくらいの強大な相手だ。
塞「このままだと、次に連続殺人で発見されるのは私達の惨殺死体って事になるね」
京太郎「そしてめでたくよくある迷宮入りの未解決事件の仲間入り、か」
塞「昨日の様子だと、私達を追うマルグリィッドが容易に諦めてくれるとはちょっと考え辛いね。しばらくは外出を控えたほうが良さそう」
京太郎「残念だけど、今日も藤田女史の護衛がある」
塞「頭痛がしてくるね」
京太郎「逆に考えれば、藤田プロの護衛を自分達の隠れ蓑に出来るとも、」
咏「おーい、ちょっと来て手伝ってよぃ!」
階下からなんとも緊張感に欠ける声が響いた。
5
新聞を片手に階段を下りていくと、うた屋の主人である咏さんが棚から商品を引っ張り出していた。
店内は相変わらずのごった煮状態で、例えるならおもちゃ箱をひっくり返したような状態といったところか。
京太郎「相変わらずの節操のなさだな」
咏「ちょっと京太郎、これ、そこの台車に載せといてぇ」
咏さんは着物の裾からわずかに指先を出し、床に置かれた棺ほどもある木箱を指差す。
匿ってもらった手前文句も言い辛いので、仕方なく手伝うことにする。
腰を屈めて、縁に手をかける。持ち上げようとして腰に予想以上の負担が掛かる。
京太郎「なんじゃこの重さは? 箱いっぱいの夢と希望でも詰まってんのか?」
咏「ちょい前に狙撃系光学咒式特化の咒弾が大量に仕入れられたと秘密情報があってねぃ」
咏「これは流れが来ると思って緊急山盛り仕入れだよ」
京太郎「この木箱いっぱいに金属が詰まってんのかよ」
咏「そういえば、業者は決死の六人掛かりで運んでたねぃ」
京太郎「最初からそっちに載せとけよ」
まるで手伝う気のない咏さんを横目に見つつ、俺は床に置かれていた台車に木箱を載せる。
京太郎「塞も見てないで手伝えよ」
塞「力仕事は男の子の仕事~」
カウンター近くの手近な丸椅子に腰を下ろしていた塞は笑っていた。
男女比の関係で俺の意見は断固無視されるらしい。
6
咏「それからあんたら、まだドブ臭いよぃ」
嫌そうに顔を顰めながら扇子を振る咏さん。
京太郎「シャワー一回じゃあ取れないか」
塞「うう、仮にも現役女子高生がドブ臭い言われた……」
俺と塞はそれぞれ、自分の腕を掲げ臭いを嗅いでみる。確かにまだ少し臭うかもしれない。
隅に寄せてあった丸椅子を引っ張り出し、塞の横に腰を下ろす。徹夜の欠伸を噛み殺し、店内を見渡していく。
京太郎「相変わらずの店だな。ここにある咒式具で小規模な戦争くらい起こせそうだな」
咏「まぁリツベの街くらいなら景気良く一回半は吹き飛ばせるだろうねぃ」
棚の商品を木箱に詰めつつ、咏さんはとんでもないことを言いやがる。
咏「けど他で言うんじゃないよ? ただでさえ咒式具屋は警察から睨まれてるんだから」
塞「真っ当な咒式具屋なら問題ありませんよ」
京太郎「まぁ、問題のない咒式具屋ならそもそも俺と塞も用は無いですけどね」
咏「あっはっはっ、違いない」
愉快そうに笑う咏さん。
警察や役所が苦情を入れれば報復で吹き飛ばすくらいのことはやりかねないのがこの人の恐ろしいところだ。
7
ついでに、俺は先程から気になっていることを聞いてみる。
京太郎「さっきから咏さんはなにをやってるんですか? 開店準備をしてるって風にも見えないけど」
魔杖剣や魔杖槍の柄が突き出した木箱を台車に載せ終えた咏さんが楽しそうに振り返る。
咏「なにって、今日のリツベ祭のフリマに参加するための準備に決まってるじゃないかぃ」
京太郎「いや、フリマってのは不用品を安く譲り合うためのイベントであって、戦争をする場所じゃないですよ?」
平和主義者の俺なんかは、台車に詰まれた咒式具の山を見るとこれから戦争に出掛けるんじゃないかと錯覚する。
咏「おいおい、商売は戦争だぜ?」
京太郎「なに言ってんだこの人」
塞「あはははは。あ、そうだ咏さん」
塞が思い出したように懐から油紙包みでくるまれたものを取り出す。
油紙が開かれ中から出てきたモノをチタン製の小鉗子(しょうかんし)で摘み上げる。
塞「これがなにかわかりませんか?」
咏「なんだい、これ?」
8
それは小さな破片だった。金属のような光沢のある、芥子粒の十分の一ほどの大きさの黒い黒い破片だった。
塞「昨日戦った相手の身体を斬りつけた時、京太郎の剣の刃に付着していた破片です」
塞「知覚片眼鏡(クルークモノブリレ)の資料にもない妙な素材なので、これから女の身元を辿れないかと思って」
自分の右目を指しながら塞が言葉を投げかける。
知覚眼鏡(クルークブリレ)は、資料検索機能や、各種探知波を放射し咒印組成式や成分から発動前に咒式を判別出来る。
また対象物の簡単な成分分析も可能な他、望遠機能や遮光機能もある優れものだ。塞が使っているのは珍しいモノクル型である。
発売当時は商品の成分の虚偽表示を次々と暴露し、企業倒産が相次いだ。技術が社会を変えた一例だな。
塞から破片を受け取り咏さんは自身の知覚眼鏡を取り出し、破片の成分検索をする。
咏「岩石のような、金属のような、見たことない素材だねぇ。肉眼じゃあわっかんねーね」
咏「咒式合成された新素材は毎年出るから私も全部は知らんしー」
咏「委託してる測量分析士にでも依頼すれば明日明後日にはわかるかもしれないねぃ」
塞「ではお願いします。出来れば大至急で」
咏「もちろんだ。こういう咒式具屋らしい真面目な仕事はいつでも大歓迎だよ」
珍しく真面目な顔つきになった咏さんが、引き結んだ口で真剣に答える。
9
咏「最近は咒式を覚えたての学生が試験か悪戯で買っていくか、実際に使いもしない蒐集家が増えるばっかりだからねぇ」
咏「塞や京太郎みたいに実戦で使ってくれる攻性咒式士は馴染みの固定客ばかりで新規が増えやしない」
そういって咏さんは少しだけ寂しそうに差して広くもない店内を見回す。
俺達からはどうと言ってやることも出来ない。
顔を見合わせ、小さく肩を竦めるだけだ。
咏「まぁだからこうやって、宣伝も兼ねて出張販売をするんだけどねぇ!」
咒式具がてんこ盛りに詰まった木箱を叩きながら、先程の寂寥感はどこ吹く風といわんばかりに微笑む咏さん。
恐ろしく商売魂の逞しい人だ。
俺達は、そんな咏さんに苦笑するしかなかった。
10
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
藤田国会対策本部長殿の護衛は昼からということでいったん事務所に向かうことにした。
塞に自分の家に帰らないのかと聞いたら、東岸北区に自宅を持つ塞は歩いて帰るには時間がかかり過ぎるし、
ドブ臭いまま電車には乗りたくないということらしので、そのまま俺の自宅兼第一事務所に向かうことになった。
事務所に到着した俺達は電子鍵と各種防犯装置を解除して連れたって中へ進む。
塞「先にお風呂入っていい?」
京太郎「いいけど、お前着替えあるのか?」
塞「前に泊まったときに置いていったから大丈夫」
京太郎「あっそう」
俺の返答を聞いているのかいないのか、塞はさっさと奥へと消えていった。
っと、思いきや通路の縁から顔を出して問うてくる。
塞「一応聞くけど、変なことしてないよね?」
京太郎「別に変な店に売ったりしてないよ」
塞「そういう発想がすぐ出てくる時点で信用できない」
京太郎「冗談だし、そもそも今の今まで存在すら知らなかったものをどうしろっていうんだ?」
塞は、「それもそうか」と呟き再び奥へと引っ込んでいった。
11
交代で風呂に浸かり、着替えを済ませて俺は応接室の革張りの長椅子に座っていた。
洗濯物は適当に自動洗濯機に放り込んでおいたので放置でいい。
呑気にしているのも時間が勿体無いので、紙面と咒式反応器を使って咒式組成式の展開していく。
展開された咒式は生体生成系第四階位〈胚胎律動癒(モラックス)〉の咒式。
未分化細胞、現代ではiPS細胞やSTAP細胞とも呼ばれる多様性胚細胞を生成し傷を癒す治癒咒式だ。
未分化細胞が傷口はもちろん、折れた骨や、神経系、血液まで作ってくれるかなり便利な咒式で生体系咒式士のひとつの指標とも言える。
俺は元々生体系咒式士ではなく、どちらかと言えば後衛寄りな塞と同じ化学系咒式士だった。
塞と組に当たって、俺が前衛役を担うこととなりそれに伴い主系統を丸々変更するかということになった。
それ故、生体系咒式士としてはまだまだ知識と経験と技術が足りず今もこうして合間を見ては研究に励んでいるのが現状だ。
その代わり、少しではあるが低位の化学系咒式が使用できるといおまけはある。
器用貧乏とは言ってはいけない。
12
塞「ちょっとそんなの広げてないで、退けて退けて」
奥の調理場から大型の配膳盆に大量の料理を載せた塞が出て来た。
炒飯、海老のチリソース炒め、麻婆豆腐。トマトソースのパスタにカボチャのスープ。
鰈の香草焼き、筑前煮、薬味の乗った豆腐と和洋中に節操がない。
俺はせっつかれるままに応接机の上の書類や反応器を退けていく。
ごたついていて朝食をとっていない上に、昨日の戦闘で疲労している為実際はかなり空腹だ。
食欲をそそる芳醇な香りが部屋に充満していく。
向かい合って座り、俺が料理に手を伸ばそうとすると塞に軽くはたかれた。
塞「こら、行儀悪い」
料理と食事の場においては塞の絶対王政であるため、大人しく従うしかない。
塞「じゃあ、いただきます」
塞は両手を合わせて音頭をとる。
俺はともかく作った本人は言うものなのだろうかと疑問に思いつつ俺も「いただきます」といって今度こそ料理に手をつけていく。
13
炒飯をかき込み、パスタを飲み込み、スープを啜る。
豆腐を箸で切り分け口に運ぶ。
塞「どう?」
京太郎「え? まぁ美味いよ。いつも通りに」
京太郎「塞のこの才能だけはなかなかになかなかだと思う」
塞「だけ、とかいうな」
ぼやきつつも満足気な塞の横顔を見つつ、料理を消費していく作業に戻る。
士気と連帯感を高めるには揃って食事を摂ることだというばあさんの言を思い出した。
そういえば最近は塞と一緒に食事をすることも多い。
互いの生い立ちを考えると、絶対に認めたくはないが俺にとって塞は家族……姉のような存在なのかも知れない。
塞「なに?」
俺の視線に気付いた塞が不思議そうに見返してくる。
俺は視線を逸らしつつ「なんでもない」と言い捨て、再び料理に向かうことにした。
14
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
片付けと装備の補給を済ませ、事務所を出る。
なにかを思い出した塞が携帯を取り出す。登録番号を呼び出し、立体光学映像で通話を起動。
浩子「はーい。お、臼沢さんに須賀君やん。おひさー」
現れたのは名門千里山の情報屋、船久保浩子の胸像の立体光学映像だった。
浩子「なんや、相変わらず面倒そうな事態に巻き込まれてるみたいやな」
こちらの不愉快さに反比例して愉快そうに船久保先輩は笑う。
京太郎「こちらの状況を掴んでいるのか、それとも俺達が常に面倒な自体の最中にいると言う予想なのか。考えるまでもなく後者か」
浩子「挨拶代わりの軽口はこの辺にしとこか。わざわざ連絡してくるってことはそっちの事情やろ?」
浩子「で、なにが知りたいん?」
塞「マルグリィッドかそれに近い発音の名前の女咒式士を調べてほしいの」
塞「年齢は20から35歳くらい黒髪に碧瞳、北方系の白人で……いや、人種は特定しないほうがいいかも」
浩子「ふんふん。他に情報は?」
15
京太郎「重力系咒式の使い手で、おそらく到達者級かそれ以上の超達人で」
京太郎「それからウルズとかいう地名だか組織名に関連があって、あと夫の名前はジェイルゥクスとかい名前です」
浩子「ちょい待ちぃ」
船久保先輩の視線が素早く動く。回線の向こうで情報検索をかけているのだろう。
浩子「というか、そこまでわかってるなら一発で…………出ーへんな」
塞「こちらでも調べてみたけど、電子網の中には記録がなかったの」
浩子「協会に属していても個人情報をいっさい出さない咒式士は多いしなぁ」
浩子「これは咒式士協会や国家の記録庫に潜り込まないと出てこんかも知れへんね。洒落にならへん難易度やけど。わかっとります?」
塞「だからこそ、船久保さんに頼みたい」
浩子「わかりました。動いてみましょう」
船久保先輩は肩で息をつき、重々しく頷く。
同時に回線が途切れ、胸像が掻き消えた。
16
入れ違いに俺の携帯から呼び出し音が鳴り響く。
耳に押し当てると、回線の向こうから凄まじい叱責が飛び出してきた。
久保「早く出ろ違法生物!」
久保「我が生活安全課仮託の委託の一時保管個が襲撃された! これは国家と役所と私への叛逆だ!」
久保「腐れ人類至上主義か反咒式主義者の挑戦だ! 犯人を調べろ捕まえろ龍理使いども!」
久保「保管していた竜や異貌のものどもの資料と、先日君達が討伐した二頭の竜の首も盗まれたのでその分の報酬は引く!」
久保「今朝見た空の青さに感動して牛乳を零し、驚いた私が弾みで皿を落として割ったので当然その分も報酬から減額しておく!」
市役所の久保課長の叱責が怒涛のように続き、唐突に切れた。
何故、生粋のリツベ市民というのは理不尽な難癖をつけてまで金を払うのを渋るのか。
なにかそういう吝嗇(けち)と意地悪を競う大会でも開催されているのだろうか? まさに吝嗇と意地悪のオリンピック状態だった。
俺は耳鳴りのする耳を押さえつつ、携帯を畳んで懐に戻す。
傍らの塞も課長からの電話に苦慮したのか、眉をひそめていた。
権力者の接待に謎の復讐者、ついでに役所の襲撃犯と、よくまぁこんな厄介絶頂な仕事の最中にさらに剣呑と面倒な事態が重なったものだ。
嘆息とともに見上げた空は、確かに感動的なまでに青かった。
【To be continued】
今回は短かったので最後まで書ききってからの更新ということで
iPS戦士となった京太郎とドブ臭い系ヒロインの塞
今後はこの新コンビを流行らせて行けたらなと思います
それではまた
第六話「闇の中の影なるものども」
1
天井には真鍮とガラス体が複雑に組み合わさった照明が吊り下げられ光を散りばめていた。
リンツホテルのロビーで背広姿の男が椅子に座って新聞を読み、隣接するバーで若い女が昼間から酒杯を傾けていた。
対照的に俺と塞は柱の壁を背にして表情を消していた。
目の前を通り過ぎていく若い男女に、自分と咲を重ねて虚しい気持ちになった。
鈴のような音が鳴り、自動昇降機が一階に到着する。
扉が開き、先に出て来た背広姿の男達が壁を作り、藤田閣下とエイスリンさんを囲うように動く。
一団が俺達の前までやってくる。
手を振って昼の挨拶をしてくる藤田に、俺は疑問を口にする。
京太郎「普通にロビーに降りてきたのでは、専用のエレベーターを使う意味がないのでは?」
藤田「こそこそと裏口から出入りするばかりでは、退屈だ」
藤田「正面から堂々と現れるのも一興だよ」
京太郎「失礼ながら、閣下は本当に政治家ですか?」
藤田「一応、その範囲らしいよ」
まるで他人事のようにいう藤田プロに俺は小さく肩を竦める。
2
藤田「しかし、早いご到着だね」
欠伸を噛み殺しながらロビーの壁に掛かった時計を見上げる。
藤田「いや、私達が遅いのか」
エイスリン「サエ、キョウタロウ! Good morning!」
画板を抱えたエイスリンが前に出てくる。
赤いキャップのペンが両耳に一本ずつ、ヘアピンのようにアクセントとして引っ掛けている。
なんというか、すごく可愛かった。
塞「おはよ。エイスリン」
京太郎「その画板、使ってくれてるんですね」
エイスリン「ウン!」
3
塞「なるほど、もので釣ったのか」
塞がエイスリンさんに顔を向けつつ、視線を向けてくる。口元には嘲弄。
京太郎「人聞きの悪いことをいうな! これは、そう……あれだ。クイズ番組の解答用のボードみたいなもんだ」
京太郎「塞は逆に男っ気がなさ過ぎるんだよ」
塞「あ、あんたに私の交友関係をとやかく言われたくないわよ!」
京太郎「そんなもん俺だって同じだわ!」
塞「そういう京太郎は、いやらしい裏物の記憶素子を『嫁選びより真剣に選ぶ』とか言ってたくせに」
京太郎「な、何故それを!?」
塞「これが咲ちゃんに知れたらどうなるかしらね」
京太郎「ぐぬぬ……」
俺と塞の会話は悪口なのか不条理会話なのかいまいちよくわからない。
藤田「昼前から元気だねぇ」
藤田「観光よりも君達を見ている方が楽しいかもな」
4
塞「それで、今日の観光はどちらへ?」
塞「街へ出て文化聖堂でリツベの劇でも観覧されますか?」
塞「それとも賭博場か、美術館で後期啓示派の巨匠ボレッティの描いた『使徒たちの連祷』でも見学します?」
藤田「どれもやめておこう」
藤田プロは手を振って提案を拒否し、小さく微笑んでみせる。
藤田「私は観劇より脚本を書くほうが好きだし、絵画も後期啓示派の主題性の強さはどうも完成に合わなくてね」
藤田「そうだね。絵画なら事象派の鬼才ルグランや混沌派の幻視者イェム・アダー、もしくは詩情派のエギル・エギレラあたりのが好みだな」
藤田の言葉に俺達は顔を見合わせる。塞も、塞の瞳に映る俺も苦みばしったような顔をしていた。
塞「いえその、あまり詳しいほうではないですが、その三人は権力者に歯向かって精神が崩壊したうえに獄死、自殺した三人のはずですが?」
藤田プロの「君達もそうなりたいの?」という遠回しな嫌がらせなのだろうか。
その真意は別になったく本気でこれぽっちも知りたくないけど。
5
藤田「それに、今日は遠くからのお客様とお茶会をすることになってね」
藤田が付け足すように続けてくる。
藤田「これからその約束の場所へ行く予定だ」
俺達は青酸カリウムを服毒したような、この世でも有数の厭そうな顔をしていただろう。
藤田「そんなに嬉しそうな顔をされると照れるな」
京太郎「閣下の正確な表情観察力には頭が下がりますね」
藤田「美味しいお茶に甘いお菓子も出る。愉快な幕間劇も催される。なかなか退屈させないお茶会になると思うが?」
そういって片目を閉じて見せた。
今時、可憐な少女がやってもその仕草はどうかと思う。
6
リツベの祝祭の熱狂を横目に見つつ、俺達を乗せた車が街の合間を進んでいく。
方角からして郊外へ向かっているのだろう。それに合わせ熱狂や喧騒が徐々に減っていく。
こんなことは最近もあった気がする、っと思ったらつい昨日のことだった。
別荘街の中に一際古臭い石壁が見えてくる。壁に沿って進み、錆の浮いた鉄扉の前に車が停まる。
先の降りた俺達が鉄扉を押し開ける。あまり手入れがされているとは言い難い、雑草が生い茂る敷地には、
まばらに植えられた木々は緑の枝葉を天に向かって伸ばしていた。敷地の奥には霊廟が見えた。
視線を前方に戻すと、小道が続き終点には今は廃棄された石造りの巨大なラファレス教会があった。
巨大な扉を開き、内部へと進んでいく。一般信徒用の礼拝堂には向かわず、傍らの螺旋階段を登る。
藤田「この上だよ」
礼拝堂の上、四階ほどの高さの階に貴賓用の礼拝堂が設えられていた。
緩やかな半円の橋梁を描く、天蓋型の天井を見上げる。ガラスには色褪せた天使や聖人が描かれていた。
採光用の嵌め込み窓から日射しが投げかけらる。白色光の中で埃が極微の天使のように舞っていた。
連なる信徒用の革張りの長椅子も、所々が綻び埃を積もらせ、本来は固定されているはずのそれも熱力学第二法則に従い混沌のままに放置されていた。
正面に高く掲げられた十字架も金箔が剥落し合金製の地金を晒している。
その下にはひび割れた白い頬の贖罪の御子像が自分の救済の結果をただただ見下ろしているだけだった。
7
藤田プロとエイスリンが完璧な手順で礼拝を捧げ跪く。
俺と塞もそれに続こうとして、やめた。
考えなくても物理法則を崇める俺達のような咒式士。それも街の底辺を蠢く攻性咒式士にまともな信心などありはしないからだ。
藤田「君達は神を信じないのかい?」
礼拝の姿勢のまま閣下が背中越しに問うた。
暫時の時を置き、素直に答えようかどうか迷っていると塞が代わりに口を開く。
塞「この世の悲惨さを見るかぎり、物理的に存在するとは考え辛いですね」
藤田「ずいぶんと正直だな」
塞「神が、もし神が存在するのなら、人々を紛争や疫病や事故で死なせる理由を尋ねたい」
塞「私や、京太郎の両親をなぜ竜との抗争で死なせたのか」
塞は一瞬だけ俺を見た。
塞「神の所為だと思うほど私も愚かでないつもりですし、けど教会の僧侶が苦難を神の試練だというのを受け入れられるほど大人でもありません」
塞「神が全能なら、苦難を与えて弱き人々を試す必要などありません」
塞の口から出たのは静かな、凍えるような叫びだった。
8
藤田「その通り。神は存在しないか、我等を苦しめて楽しんでいる虐待性愛主義者だ」
藤田「だが、言語が人と人の意思疎通の道具であるのと同様、神とは異なる人間の内面の均衡化のための共通認識装置だろう」
藤田「どの論にしろ、神がこの世の惨劇と苦悩を作ったわけではないのは確かだ。すべての災厄は心とその営みよりのみ、生まれ出ずるものである」
藤田「人間の心的機構は『観測可能な結果を引き起こす、観測不可能ななにか』を常に想起してしまうこと」
振り返った藤田は、どこか遠く優しい目をしていた。
藤田「社会的事件にしろ自然災害にしろ『誰か』が起こしていると考える」
藤田「この魔術的思考は受け継がれるわけでもないのに、現在でも次々と生まれている」
藤田「交流が無いはずの世界各地の宗教が似ているのも、人類が元々そういう錯覚が生まれやすい心的機構であるためだと推測される。からだそうだ」
塞「レゼネ・ベラヒムの『錯覚思索』……ですか」
藤田「昨日も思ったが、君はなかなか博学だな」
藤田プロが楽しそうに微笑む。
9
塞「だとすれば、私達の哀しみはどこで救われるのですか?」
藤田「救われなどしない」
藤田プロは一言で切って捨てた。
藤田「死んだものは蘇らない。奇跡は起こらない。もし一度でも起きれば、それは世界の崩壊だ」
藤田「我々と世界に本来的な意味も理由もない。だからこそ意味という捏造で覆うことのよって生きていくしかないだろう」
相手の言葉に塞は沈黙する。
藤田「すべての咒式士は世界を理解しようとしている。だがそれこそ傲慢だ」
藤田「我々は世界に直接触れることは出来ない。ただ訪れを受け入れるだけだ。そして世界は我等の鏡像であることでしか存在できない」
その言葉は何かを示しているようで、わかるようでわからない。手を伸ばしても指先をすり抜けていく陽炎のようだ。
俺は欠伸を噛み殺す。
京太郎「言葉遊びはそのくらいにしてくれませんか?」
京太郎「説教と高説は学校の授業だけで十分です。ついでにこいつは考え過ぎるきらいがあるのであんまり謎掛けはやめてやってください」
俺は顎で塞を指し示す。
10
藤田「表面上はともかく、君たちは仲良しのようだね」
俺達は苦い笑み浮かべる。
京太郎「ニコチンの摂り過ぎで視覚に影響が出てるみたいですね」
塞「私が京太郎と組んでるのは、考えが足りなくて金銭感覚がずぼらで色漁癖があることを除けば良い相棒だからですよ」
京太郎「この毒舌さえなければね」
俺は肩を竦めるしかなかった。
藤田「自分で気付いていないようだが、君達は相対的であり相補的だな」
藤田「存在をあるがままの存在として認められない。それが君達の限界なのだろう」
俺はゆっくりと首を左右に振って否定しておく。
その時、背後にあった大扉が開いた。振り返ると護衛官の一人が一礼して入室してくる。
「お客様が到着されました」
藤田「通してくれ」
11
護衛官が一度下がり、ほかの八人の護衛が現れる。
八人が壁となって列を作る。秘書官らしき一人を除き、全員が鋭い視線をしており、腰に魔杖剣を提げている。
まったく足音のしない歩みと立ち振る舞いから全員が十階梯以上の高位咒式士だろう。
最後に現れたのは仕立てのよい背広。薄青のシャツにシックなネクタイを締めた威厳のある壮年の男性だった。
その顔には見覚えがあった。先日テレビに映っていたニュージーランドの大物議員のルクセィン・エリナートだった。
昨日今日に引き続き政界の大物に立て続けに会う展開にまったくついていけない。
立ち尽くす俺達を他所に、先ほどまで黙った話を聞いていたエイスリンさんが、表情を輝かせながら男性へ駆け寄っていく。
エイスリン「パパ!」
京塞「「パパっ!?」」
驚きの声が突いて出た。しかも二人同時に。
「おお、エイスリン。久し振りだな、元気だったかい?」
エイスリン「ウン!」
エリナート氏は娘と違いかなり流暢な日本語を発する。
画板を胸元に抱きしめるエイスリンを撫でながら、氏の視線がこちらに移る。
「娘がお世話になっているようだ。ありがとう」
塞「いえ……」
自体の飲み込めない俺達は曖昧な返事をするだけだった。
藤田「今日はおこしいただきありがとうございます」
「こちらこそ、お招きいただき感謝します」
藤田「本日は気楽に楽しみましょう」
二人は頷き合う。俺と塞は中央の道を空けるために脇に退く。
氏はエイスリンに一言二言告げると、一団とともに奥の司教室へと進んでいく。
すれ違う時、鋭い視線が俺達を見ていた。俺にはそれが何かを告げているように思えた。
司教室に一団が消え、青銅飾りの獅子の扉が静かに閉められた。
12
礼拝堂は静かだった。
窓から見下ろすと、敷地の芝生を踏みしめ背広に魔杖剣の護衛達が巡回していた。
館の外、周囲を藤田側とエリナート側で双方四人ずつ、教会の内部を残りの三人ずつで分担。
腕利きの俺と塞が司教室前の礼拝堂に陣取る。十分毎に連絡を取り、一時間毎に警備する場所を変えて緊張感を保つ。
視線の先、髭面の巨漢と細身の護衛が見える。髭が俺に気付き携帯無線機を耳に当てる。
呼び出し音が鳴った無線を俺が開く。
『こちら庭園。礼拝堂、聞こえて見えているか』
再び下を見下ろすと、髭が手を掲げているのが見えた。
京太郎「ああ。髭だるまのおっさんが手を振ってるのが見える」
『言うじゃねぇか糞ガキ。年上に対する口の利き方を知らないのか?』
京太郎「攻性咒式士に年齢は関係ない。実力がすべてだ」
『ははは! 違いない』
俺の軽口に巨漢の護衛の笑い声が重なる。
『こちらは敷地北の庭園、先ほど西と東、南とも連絡を取ったが異常なしだ』
京太郎「了解。こちら礼拝堂。女の子二人が楽しそうにおしゃべりしてて、俺だけ疎外感を感じていること以外は異常なしだ」
13
中央の信徒席では塞とエイスリンさんが座っている。
エイスリンさんが画板に何かを描きそれを二人で笑いながらあれこれと話してるのが見える。
その平和な光景に自然を口元が綻ぶ。まぁ俺が護衛に専念しておけばいいだろう。
『羨ましいねぇ。こっちはむさい男とペアだからな。なんにしても今は俺達も雇われの攻性咒式士だ』
京太郎「お互い苦労するね」
『だからこそ、十二階梯と十一階梯の腕利きの存在は心強い。頼りにさせてもらう』
頼りにされているという事実が少しだけ面映かった。
こちらも世辞を述べておこう。
京太郎「護衛と警護の場数と経験ならそちらのが上だ。こっちこそ頼りにさせてもらいます」
『そうかい? ああ、そうだ。そろそろ次の交代で順番に食事を済ませてしまおう』
京太郎「了解。俺達は最後でいい」
そこで通信は切れた。見下ろすと、髭面に男が相方の細身の同僚にしゃべりかけ、なにやら苦笑いを浮かべていた。
俺との会話を報告しているのだろう。なにが面白いのかわからない。
14
窓辺の壁に背を預け、司教室の青銅製の扉を注視する。
唯一の出入り口であるここを護っていれば護衛は完璧だ。
塞「なに考えてるの?」
窓を挟んで反対側の壁に塞が腕を組んで凭れ掛かっていた。
見ると、エイスリンさんは別の窓から外を眺め、蒼穹をはばたく野鳥をスケッチしていた。
京太郎「なぁ、さっきの『パパ』ってやっぱそういうことなのかな?」
塞「う~ん、そういわれると少し目の色とかが似ていたような気もするけど」
京太郎「藤田が言っていた友人の娘ってのはこういうことだったのかな」
考えれば、大物政治家が留学生とは言え一般の女学生を護衛付きの観光に招くというのも変な話だ。
逆に、政界の要人の娘となればこの待遇も納得できる。
塞「けど、家名が違うよね」
京太郎「二人の関係も気になるが、さらに気がかりなのはなぜこの場にエリナート氏が訪れたか、ってことだ」
ルクセィン・エリナート下院議員はニュージーランドの最高義会長の一人ニコルソン・カイ・クロウィスの腹心で民事党の幹事長だ。
この度、リツベ祭に合わせてリツベ市の自治権の更新申請と承認のために国連を代表して来日したと聞いている。
京太郎「そんな大物と、藤田閣下の会談が単なるお茶会だと思うのは物理的に不可能だな」
15
京太郎「中で、革命の相談でもしてるのかな」
塞「京太郎の冗句はどうも面白くない。革命ならそれこそ私達みたいな外部の者を使わず、身内で固めるはずだよ」
京太郎「外部の者なら、捨石として使われることもあるかと思ってね」
言っておいて、もしそうならそうで嫌だなぁと考えて顔をしかめる。
塞「なら、他国に亡命でもする?」
京太郎「他にどこにも行き場がないからここにいるんだけどね」
塞「違いない」
俺の皮肉に塞が苦笑する。
エイスリン「サエ、キョウタロウ!」
顔を上げると、いつの間にかエイスリンさんがこちらに歩み寄ってきていた。
エイスリンさんは嬉しそうに画板を掲げ、自身が描いた絵を見せてくる。
そこには笑顔の俺と塞が仲睦まじく手を繋いでいる絵だった。
16
エイスリン「フタリ、トッテモナカヨシ!」
塞「なっ!?」
耳まで真っ赤にした塞が絶句している。
先ほどの藤田の言葉にしてもそうだが俺達はどうも仲が良く見られるらしい。
嬉しいかどうかは別次元に問題である。
塞「だ、誰がこんなのと! 私達はただ仕事だから一緒にいるだけで」
うろたえる塞を見ていると俺の中の悪戯心がムクムクと急成長してくる。
京太郎「おいおい、そんな言い方ないだろ? 俺と塞の仲じぇねぇか」
言いながら俺は塞の肩に手を回し、軽く抱き寄せる。
が、乱暴に振り払われる。
塞「あんたも悪乗りするな!」
京太郎「ええ~そんな邪険にしないでさ~」
エイスリン「ホラ、ヤッパリナカヨシ」
17
塞「っ…………もう知らない!」
肩を怒らせながら、信徒席の方へ行ってしまう塞。
その背中を見ながら俺は、笑いを噛み殺していた。
エイスリン「サエ、オコッテル?」
京太郎「ああ、気にしなくていいですよ」
不思議そうにしているエイスリンさんに俺は助言をしていく。
京太郎「塞はこういう話題に弱いんですよ。この程度は俺達からすれば『こんにちは、今日はいい天気だね?』」
京太郎「『ご丁寧ありがとう。ご機嫌はいかが?』という挨拶みたいなものですよ」
エイスリン「???」
俺の比喩に少女はますます理解不能といった表情をしていた。それがまたおかしくて、俺は口元を押さえて一人で笑う。
そこで俺はふっと小さな違和感に気付き時計を確認する。
表示されていた時刻を見て、違和感が確信に変わった。
18
京太郎「塞!」
塞「なによ? 私は別に……」
京太郎「そうじゃない。なにかおかしい」
俺の真剣な声に塞が表情を引き結ぶ。塞の碧玉の瞳が外に向けられる。
先の定時連絡から明らかに時間が経ちすぎている。俺は急いで窓に駆け寄る。
眼下の寂れた庭園を巡回する護衛官。先ほどの髭の巨漢と細身の二人の姿も失せていた。
振り返ると、反対側の窓を見ていた塞が小さく首を振る。
硬質化した雰囲気にエイスリンは画板を抱きしめ不安そうに身を竦ませている。
俺達は礼拝堂の扉の両端に背を向けるように立ち、視線で意見を交換する。細心の注意を払いつつ、無音で扉を開けていく。
礼拝堂の前にいる筈の二人の護衛官の姿も消えていた。
俺が先にゆっくりと扉から身を乗り出し、次いで塞が頭を覗かせる。
右は行き止まり。左を見ると、端の壁には二人の護衛官が壁に凭れ掛かり、両脚を投げ出して笑っていた。
喉下の切り裂かれた半月状の傷口を笑みとする。そんな歪んだ美意識があるのなら、の話だが。
俺達の様子に、不安気な表情のエイスリンさんが顔を出そうとする。
京太郎「見るな!」
肩を押して礼拝堂の中に押し戻す。
背筋に悪寒。
19
甲高い金属音が響く。白刃を迎え撃つ刃。
俺の雷光の抜き打ちで、塞の頭部への斬撃を受け止めていた。
火花を散らせる刃を振りぬく。刃に掛かる力を利用し、人影が後方飛翔。まるで奇術のような体術だった。
人影は空中で回転し天井に着地。さらに飛翔し、右の壁に着地したかと思えば反対側の壁に移動。
撞球反射のような動きで左右の壁を動き通路の置くに降り立つ。
人影はまさに影というべき姿だった。
小柄ながら鍛え上げられた身体。鼻下まで暗灰色の覆面と装束、鎖帷子で覆い、右手には主流の〈剣〉ではなく、
緩く湾曲した〈刀〉、魔杖刀が握られていた。
塞「まさか〈忍者〉!?」
塞の叫びを合図に俺は疾走。忍者、忍びの者である彼らは日本古来からある職種で、主に暗殺と諜報を生業としている。
鍛え上げられたその身体は素手で人間の首を刎ねるなど、まさに殺人機械ともいえる。
俺は魔杖剣を掲げながら接近、間合いを詰めていく。
暗殺者の魔杖刀が翻り、化学鋼成系の咒式が放たれる。
飛来した物体を刃で弾く。
壁や床に突き立ったのは手裏剣と呼ばれる四方に刃が伸びた投擲用暗器。
命中すればどこからでも肉を引き裂くそれは、化学鋼成系第一階位〈矛槍射(ベリン)〉ではなく暗殺者が好んで使う同系同階位の〈手剣射(リケン)〉だった。
20
肩や交差させた腕が切り裂かれようと無視して突進。
体勢を崩す愚を犯さないための直進だった。
俺と暗殺者の殺傷圏が衝突。〈蜃気楼〉を左から右に振り抜く。
忍者は掲げた左腕の篭手と魔杖刀で受けるが、受け止め切れないと判断し左脚を軸に回転。
俺の刃を後方に流しつつ、回転を加えた右水平蹴りを放ってくる。これを跳ね上げた左の脛で受け止める。
連なる動作で繰り出された魔杖刀の斬撃を俺は魔杖剣の柄で弾く。返しの逆袈裟切り放つ。
後方回転で逃げる暗殺者を俺の紡いだ〈矛槍射〉の投槍が追いかけるが、捉えきれない。
だが連携は完璧だった。
俺の背後に控えて機会を伺っていた塞が化学練成系第二階位〈緋蛇舌(サランダ)〉を放つ。振り向きざま後方へ。
咒式で合成されたアルミニウムナフテン酸塩25%、アルミニウムオレイン酸塩25%、アルミニウムラウリン酸塩50%を、
さらに粗製ガソリンに混ぜて増粘して放射して燃焼させる。
猛火が塞の首を刎ねようと背後に迫っていたもう一人の暗殺者を炎の舌に包み込む。
必ず二人で行動する護衛を連絡もさせずに殺すには、敵も二人以上でなければありえないと予測できる。
炎の装束を纏った忍者がそれでも尚、前進してくる。炎で呼吸が出来ず、視界も利かないはずなのに正確な突進だった。
塞の動薙ぎの一閃が鎖帷子とその下の筋肉を切り裂き、ようやく廊下の床に倒れた。
21
廊下の奥から、さらに黒装束の群れが現れる。俺は眼前の忍者の退かせつつ、塞達がいる礼拝堂の前まで後退。
前方の暗殺者達が放つ手裏剣を弾く。このままでは数で押される、どこかで後続を断ちたい。
塞「京太郎、伏せて!」
塞の叫びに俺はその場で慌てて身を低くする。両腕を左右に開きそれぞれの手に握った〈鳴神のライネ〉と〈峯風フウネ〉の先端に咒印組成式が展開。
俺の頭上を緋色の劫火が波濤となって駆け抜けていった。
塞が二振りの魔杖剣で二重に紡いだ化学練成系第三階位〈緋竜七咆(ハボリュム)〉のナパーム火線が廊下に吹き荒れていた。
猛火は忍者の集団を一瞬で包み、天井を壁を床板を炎が埋め尽くす。
ハイドロキシンアルミニウムビス、2-エチルヘキサン酸の白い粉末をオクタン価の低い粗製ガソリンに混ぜて増粘したナパームは、
燃焼温度1300度となり骨まで焼く。迫ってくる忍者達をまとめて葬っていく。
俺達は口元を覆いながら礼拝堂へと後退を開始する。
莫大な酸素を消費するので、近くにいるだけで一酸化炭素中毒になるが暗殺者達の後続はこれで断てる筈だ。
炎から飛び出してくる塊があった。火炎に包まれた忍者が酔っ払いのような千鳥足で歩いている。
目や口は黒い穴となって炎を吹き出しており、焼け落ちた指が足元の転がっていても、執念で魔杖刀を握っていた。
その先端に紡がれていた咒式に俺は戦慄する。
22
京太郎「塞、下がれ!」
叫びながら俺は横に跳ね、礼拝堂に飛び込む。後ろ手に扉を閉めながら着地。
先に飛び込んでいた塞と恐怖で固まっていたエイスリンに覆い被さるように、床に倒れこむ。
一瞬送れて、轟音。堅牢な跡形もなく吹き飛び、俺達の頭上を破片と爆風が吹き荒れていく。
礼拝堂に降り注ぐのは、扉の破片と自爆した忍者の肉片。
恐ろしい相手だった。人間とは思えない体術と、卓越した組織戦闘術。そして、任務のためには自爆も辞さない。
どんな〈異貌のものども〉よりも人間の心。その執念や狂信、そして信念こそが恐ろしい。
司教室の扉が開き、藤田の秘書官が顔を出してくる。
「なんだ! なにが起きた!?」
京太郎「味方の反対だ!」
俺は床に蹲っているエイスリンさんを抱え上げ、信徒席の間を抜けていく。
秘書官にエイスリンさんを押し付けるように預ける。
エイスリン「キョウタ、」
京太郎「大丈夫、絶対護ります!」
それだけ言い置き、俺は叩きつけるように司教室の扉を閉める。
一拍遅れて、俺の顔の真横に手裏剣の刃が突き立った。
23
爆風によって弱まった炎から、回転する三つの影が躍り出てくる。
床に手を突いて着地し隊伍を組んでいく。
塞「残りは三人かな?」
京太郎「いや、まだ来るみたいだ」
礼拝堂の天蓋や窓ガラスを割り砕き、さらに六つの影が侵入してきた。
ここまで敵が侵攻して来たということは他の護衛は全滅したということだ。
俺は気さくな髭面の咒式士のことを思い出した。
彼は俺達のことを見掛けや年齢で判断せず、むしろ頼りにしているとまで言ってくれた。
いつもそうだ。善い人間から先に死んでいく。
俺と塞は礼拝堂の中央通路に背中合わせで立っていた。
塞「司教室に一人も通すな、ここで食い止める!」
京太郎「応っ!」
俺達と暗殺者達の、闘争の第二幕が開始された。
すまぬ…すまぬぅ……
ここで区切らせてくれぇ
24
俺達は背中合わせのままその場で右に回転。互いの位置を入れ替え、接近していた忍者の一人を迎撃し、咒式を放とうとしていた一人に逆に咒式を応射する。
迫る暗殺者の左側頭部へ魔速の刃を叩き込む。忍者はそれを両手に握った双剣で受けとめ、絡め取る……ことをさせずに俺は双刀を叩き折った。
魔杖剣の刀身は左側頭部、頸部、鎖骨、鎖帷子で覆われている肋骨とその肺腑、心臓、小腸上部、そして右脇腹へと駆け抜け黒衣の侵入者を一刀両断にする。
斬り飛ばされた上半身は、脳漿と内臓と大量の鮮血をブチ撒けながら壁に激突し不恰好な華を咲かせる。
俺は確かな手応えを感じていた。
最大業物級十二口径型回転弾倉式魔杖剣〈蜃気楼〉。片刃の直剣型。刃渡り八九五ミリメルトル機関部を除いた柄全長は三〇二ミリメルトル。
鍔は鋲装飾、事象誘導演算用宝珠は双連金瞳珠で中折れ式の6発装填型。
そしてうた屋で購入した馬鹿高い咒式具である〈IFX-V301ドルイドⅧ型〉が嵌め込まれている。
その法珠に封入された咒式の一つは単結晶の刃に微細な超高速振動を起こさせ、破壊力を増大させるというもの。
両者が合わさり、まさに魔剣と呼ぶに相応しい剣となっていた。
背後では塞の放った〈雷霆鞭(フュル・フー)〉が跳躍中の暗殺者の胸板に着弾。100万ボルトの電子の毒蛇が脳や内臓を灼き尽くし、受身も取らせずに感電死させる。
25
それを合図に俺達は散開。
俺の左半身を六角形の金属のさざなみが覆っていく。強化キチン質の硬化クチクラ、強化筋肉が生成され〈衂蟹殻鎧(ドラメルク)〉の生体甲殻鎧がを纏っていく。
疾風の速度で迫る黒き衣の群れ。魔杖剣が巨大な円弧を描き、その先頭にいた暗殺者の頭部をすれ違い様に斬り飛ばす。
忍者達がさらに咒式の手裏剣を放ってくるのへ、甲殻鎧の篭手で撃ち落しつつ魔杖剣の柄ごと握った封咒弾筒を投擲。
忍者の胸郭に拳大ほどの穴を穿ち、そのまま死体を炸裂衝撃で後方へ跳ねさせる。
攻撃動作中の俺へ迫る暗殺者に、塞の〈矛槍射(ベリン)〉が突き立つ。生成された四本の銀の投槍が右眼窩、心臓、右肺腑、鳩尾と急所に貫通していく。
俺は塞に迫る凶刃を受け止める。そのまま刃絡め、引き寄せた忍者の喉下へ左手に逆手に握った短剣を走らせる。
喉を切り裂かれた暗殺者の口から僅かな呼気が漏れる。即死し切らなかった暗殺者の胸板へ水平蹴りを叩き込む。
肋骨を全損し、口元を覆う覆面から下を鮮血に染めた暗殺者がそこでようやく溜息ほどの苦鳴を漏らして絶命した。
仲間の死体を足場にして次の暗殺者が迫るも、横手から放たれた電撃の鞭が強襲し、電撃に撃たれた忍者が痙攣。
耳や鼻や口から蒸気と沸騰した赤黒い血を吐きながら絨毯の上に落ち、濡れた音を立てる。
忍者を相手にして、通常咒式では遅い。秒速30万キロメルトルの光学系か、雷撃系咒式でないと後衛である塞の反射速度では補足しきれない。
26
残りは二人。走りこんでくる暗殺者の魔杖刀を自身の魔杖剣で受け止める。
暗殺者は身を屈め、軸足へ向けての回転蹴りを放つが、俺はそれを打ち下ろした右足で頚骨ごと粉砕する。
床に縫いとめられた忍者の瞳に絶望の色。俺は掲げた魔杖剣を振り下ろし、頭頂部か顎先までを一刀でかち割った。
大量の血と脳漿を零して傾斜する死体を尻目に、俺は塞の方へ向き直る。
塞は自身の魔杖細剣で強襲者の刀を受け、片膝をついていた。
忍者の方が膂力が上回り、受けた刃が押し込まれ左肩に食い込んでいた。
俺は信徒席の椅子の背を乗り越え、通路を疾走。鍔競り合いを続ける忍者の右頬へ慣性運動のまま水平蹴りを打ち込んだ。
吹き飛んだ暗殺者は衝撃で窓枠に激突。上半身と首が玩具のように跳ね回る。
先の暗殺者同様、握った魔杖剣の切っ先に自爆咒式を紡ぐ忍者の胸板に〈雷霆鞭(フュル・フー)〉を纏って塞の刺突が突きこまれる。
裂傷部から激しく出血し、さらに100万ボルトの猛威に全身を蹂躙され、傾いだ暗殺者の身体が窓の向こうへと落ちていった。
礼拝堂はまさに血の海となっていた。
流れ出た鮮血にブチ撒けられた臓物。咒式の流れ弾によって破壊された信徒椅子や壁や床。
俺達自身も返り血や自分の流した血で壮絶な姿になっていた。
京太郎「都合九体。終わったか」
塞「そうみた、京太郎!」
27
塞の声に反射的に顔を上げる。
窓の外、陽光を背後に背負いながら踊りかかってくる影があった。
影が人型となって接近。凄まじい魔杖刀の刺突を、振り返りざまに魔杖剣で受ける。
が、完全には防ぎ切れずに刃が胸板を切り裂いていく。胸部の血管を三本ほど切断。自己診断だが重症。
続く中段回し蹴りを左肘で防御しつつ、返しに横薙ぎの水平斬撃を打ち込むが忍者は魔杖刀に左腕を添えてこれを受け止める。
刃を旋回させて俺の魔杖剣を弾き、さらに突きこまれる刀を再び引き抜いた左手の短刀で受けるが衝撃でチタン合金製の刀身が砕け散った。
俺と相手は互いに距離を取る。
こちらを警戒しつつ司教室へ走る忍者を併走して追いかける俺と塞。
先回りした俺が礼拝堂の床板を踏み割って急停止。
迫る影へ、牽制の下段斬り。受けようとする相手の刃は空中を泳いでいた。柄を引き戻していた俺は変化した必殺の三段突きを放つ。
顔面、心臓、左肺腑を正確に刺し貫いた。はずだったが、予想以上に手応えがない。
目の前には空になった忍装束の残骸が舞っていた。
視線で追うと、後方飛翔で空中に逃れていた相手の姿があった。
忍者は生体変化系第三階位〈晩夏空蝉(カラセ・ミー)〉の咒式を使い、服を囮にして致命の一撃を回避していたのだ。
28
下着とも水着ともいえる、極度に面積の少ない格好になった忍者がさらに奇術めいた体術で空中で姿勢制御。
着地と同時に抜き放った十手のような魔杖叉で咒式を発動。
輝く斜線が回避した俺の肩口を切り裂き、走り抜けていく。
さらに斜線軸上にあった椅子の背や説教台。燭台や十字架の一部を破壊していた。正確には削り取っていた。
忍者の手からさらに銀の斜線が振るわれる。
飛燕の動きで躱していくが掠めた大腿部や上腕部の一部を甲殻鎧ごと削り取られ、鮮血と激痛が跳ねる。
再び距離が開いたことで、塞の〈矛槍射〉が飛翔。相手の輝く帯と鋼の槍が激突し、瞬時に銀の破片へと分解される。
塞の掩護受けつつ体勢を立て直す。
京太郎「なんだ、これは」
魔杖剣を掲げる俺の問い。塞は知覚片眼鏡で咒式の正体を予測していく。
塞「相手が使用してるのは、おそらく化学鋼成系第三階位〈微塵極針(チリアット)〉だね」
塞の検分に俺は脳内検索をかける。確か極微の針を何億本も生成し、相手に放つ咒式だ。それが対象物を粉砕したのだ。
29
もちろんただの金属の強度ではこのような驚異的な破壊力は不可能だ。
生み出されているのは単分子の針だった。
極小の針自体が一個の巨大な分子であり、分子間の引っ張り力がそのまま針の強度となる。
その張力は直径1ミクロルあたり約2,4トーンという超強度を持ち、原子一つ分の針先はこの世でもっとも鋭利さを誇り、人体程度は文字通り水のように貫通する。
忍者はその恐るべき咒式をさらに紡ぐ。俺は椅子の陰に飛び込みながら礼拝堂を逃げ回る。
塞と合流。相棒を背に庇いつつ魔杖剣を床に突き立て即席の縦として針の群れを受け止める。咒化合金の刀身の表面に極微の悪魔の群れが激突し、凄まじい悲鳴と火花が上がる。
一瞬の間隙を縫って、塞が咒式を応射。化学練成系第三階位〈爆炸吼(アイニ)〉を放つ。
分子式C7H5N3O6の、淡黄色結晶が高速生成され、起爆薬で炸裂。
爆風と鋼の散弾が6900メルトルの速度で吹き荒れ、烈風が俺や塞まで吹き寄せていた。
予想していた忍者は、上空に飛翔していた。空中回転で爆風や衝撃波の被害を最小限に抑えたのだ。
しかし相手が尋常でない達人であることはこちらも予想している。
足場のない空中では回避行動が取れまいと、塞が〈雷霆鞭〉で追撃し、俺がダメ押しで〈矛槍射〉を放つ。
しかし、水平の雷撃と投槍の群れは落下する暗殺者を捉える事が出来なかった。
忍者が魔杖刀から同じ〈爆炸吼(アイニ)〉を発動。下方へ噴射する爆風の反作用を利用して急上昇、
礼拝堂の天蓋に描かれた天地創造図に刃を突き立て空中に逆さまの状態で着地した。
30
それは俺達の想像を超える凄絶な実践応用能力だった。
確かに鋼の散弾を混ぜなければ、爆風での負傷は少ない。が、それがわかっていても自分を爆風範囲に巻き込める人間などそうはいない。驚くべき胆力だ。
左手の十手からさらに極微の針の群れが恵みの雨のように降り注ぐ。
塞を押し倒しながら、破砕された長椅子の下に転がり込むも、殺到した銀雨が俺達の左脛の一部を削り取っていく。
床を転がりながら、魔杖剣の剣腹で強襲してくる単分子針を受け、火花を散らすその下から塞が魔杖細剣を突き出し〈雷霆鞭〉を発動する。
雷の刃は、しかし天井の天使画の表面で弾けたが、忍者はすでにそこから退避していた。
空中で一回転。礼拝堂の絨毯の上に、羽毛のように無音で着地する。
この身のこなしといい技量いい、恐るべき忍郡の中でも頭一つ以上抜きん出ている。おそらくこいつが頭領だろう。
京太郎「恐るべき猛者だ。どうせなら死ぬ前に名前を教えてくれないか」
俺は塞が咒式を組み立てる時間を稼ぎつつ、軽口を吐きながら相手の隙を伺う。
改めて観察すると、想像以上に相手の身体の線が細いことに気付いた。
手首に嵌った手錠とそこから吊られた鎖。そして僅かに裂けた覆面から覗く頬の、三日月の刺青が妙に印象的だった。
?「名乗るわけにはいかないけど、コウガの一派をまとめるただの忍者ってところかな」
忍の者は炯眼を光らせつつ、意外と高い声で、子供のような口調で短く応じた。
コウガ忍の掲げた魔杖刀の先、白色針状結晶が発生。その答えに血流が逆流するかのような悪寒を感じた。
塞「京太郎っ!」
叫びよりも先に、轟音が咆哮した。
【To be continued】
更新遅かった割りに短くても申し訳ないです
バトルシーンは書いてて楽しいんですがどうにも時間が掛かるのは難点でして
しかも台詞も少ないし
速報の咲、というか京太郎SSってあんま知らないんですがこんな主人公勢がガンガン人殺しまくって大丈夫かなぁっと
思ったり思わなかったり
次はもう少し早めに更新できるよう精進します
それではまた
第七話「光条の狙撃手」
1
内臓を攪拌するかのような重低音の二重奏が響き、礼拝堂を教会ごと揺るがした。
爆風が壁を、窓枠を、天井を砕き散らせていた。
コウガ忍の頭目が発動したのは化学練成系咒式第四階位〈曝轟蹂躙舞(アミ・イー)〉の咒式だった。
シクロトリメチレントリニトロアミン。通称ヘキソーゲン、別名RDX爆薬という強力な軍用爆薬を合成。
電気的操作で起爆し、平均秒速8350メルトルで炸裂させる咒式だ。
同系統の〈爆炸吼(アイニ)〉と比べても約1,6倍もの破壊力を発揮する。
相手の咒式に気付いたとき、咄嗟に俺が魔杖剣を盾としながら後退し、塞が同じ〈曝轟蹂躙舞〉を高速展開。
指向性を持たせて発動し、超破壊力を散らして相殺しなければ俺達は確実に死んでいた。
天蓋が崩れて吹き抜けた蒼穹が見えた。白煙と瓦礫に埋まった礼拝堂の、残った床と降り積もった瓦礫の合間から俺達は抜け出す。
俺の胸郭と塞の身体の間で押し潰される形になっている、平均よりやや大きめの乳房が妙にエロかったが言うと尻を蹴り上げられるので言わない。
瓦礫を押し退けながら立ち上がり、降りかかった塵埃を払う。ついでに塞を腕を掴んで立ち上がらせる。
俺も塞も、全身に決して軽症とは言い難い傷を負っていた。俺にしても全身に細かい裂傷が刻まれいまだに出血が続いている。
塞にいたっては限界を超えた咒式の高速発動で負荷が全身に逆流している。右手の動きが鈍いところを見ると、おそらく右腕の神経と脳の一部が焼き切れている。
2
過負荷と出血で貧血気味の塞が足元を縺れさせる。俺は肩を貸して倒れるのを防ぐ。
京太郎「死ぬのはここを出てからだ」
俺達は周囲を見回す。
塞「暗殺者は撤退したの?」
京太郎「おそらく。二対一ではさすがに不利と判断したんだろうな」
塞「アレだけ動けて高位化学練成咒式まで使えるって、いったいどんな怪物よ」
京太郎「しかも、偏執的に用意周到っぽいな」
袖口で口元を覆いつつ吐き捨てる。
忍者は館中に燃焼剤を撒いたらしく、建造物のあちらこちらで猛烈な火災と黒煙が発生し始めている。
京太郎「なんかこういう感じに獲物を追い立てる田舎の奇祭があった気がするんだけど、なんだっけか?」
塞「そうやってすぐ妄想に逃避しないの」
傾いた片眼鏡の位置を直しながら、塞が窘めてくる。
俺と相棒は黒煙を避けながら礼拝堂の奥、爆風で歪んだ扉の中へ転がり込む。
3
四方を本棚で囲まれた小さな書斎のような部屋だった。
「敵は退けたのか? 他の護衛はどうなった?」
飛び込んできた俺達に秘書官が矢継ぎ早にまくし立ててくる。
京太郎「俺達以外は全滅した」
別に秘書官が悪いというわけではないが、突っかかるような言い方になってしまった。俺は視線を潜ってきた扉に戻す。
京太郎「地獄の悪魔の親戚のような剣呑極まる暗殺者共は退けましたが、連中は我々を速やかに焼却したいようです」
視界の端に俺達の壮絶な姿に表情を凍りつかせているエイスリンさんが見えた。今は強引に無視する。
俺は唯一ある小さな小窓を見る。四階からでもわかるほど黒煙が立ち上っていた。ここもすぐに火の手が回る。
京太郎「俺もさすがに、五人と塞を抱えては飛べません。それに向こうの頭目を取り逃しました、窓から脱出すればそこを狙い撃ちにされます」
京太郎「いかに俺と塞でも護りきれません」
4
塞が俺の腕を解き、一歩前に出る。
塞「他に脱出経路があるはずです。どこですか?」
書斎の奥の長椅子に恬然と座る藤田に塞が問いかける。
俺は横から口を挟む。
京太郎「それはあまりにも都合が良すぎないか?」
塞「貴族や要人相手の教会で緊急用逃走路が無い方がおかしいんだよ。身分の高い人間って言うのは病的に臆病で、そして一切他人を信用しないからね」
相棒の言葉に、藤田は小さく苦笑しつつ繊手を掲げて悠然と立ち上がる。
その指先が書き物机の下を指し示していた。
藤田「机の下に納骨堂へ通じる通路がある。そこから外の廟へ出れるだろう」
5
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
教会が炎上し背中を煤けさせながら、先頭に俺、藤田の秘書官、藤田プロ、エイスリン、エリナート氏、その秘書官、最後尾に塞の順で続く。
狭隘な地下の納骨堂は薄暗く、カビと埃の匂いが充満し閉塞感で息苦しかった。
俺の紡いだ生体変化系第一階位〈螢明(ネミノン)〉の淡い白光が、左右に積み上げられた聖職者達の棺を薄く照らしていた。
合成されたルシフェリンにATPとルシフェラーゼ酵素と酸素を結合させ、酸化ルシフェリンが発生するというものだ。
その時の化学エネルギーから光エネルギーへの変換率は98%以上と効率に優れ、無駄な熱がほとんど発生しない蛍の発光原理と同様の優雅な光が崩れた土砂の上に零れていた。
俺達は立ち尽くしていた。出口への階段が途中で瓦礫に塞がれていたのだ。俺と秘書官達が魔杖剣や板切れで土砂を掻き出し、瓦礫の撤去に掛かる。
背後を盗み見ると、塞は荒い息を吐きながら壁に手をついていた。衣服の端々の赤黒い染みが大きくなっている。俺の生体咒式で塞いだ傷が再び開いて出血していた。
藤田「君達はここで、私とエリナート議員の間で何が話されたのか聞かないのかね?」
塞「下っ端は何も知らず聞かないことが由緒正しい保身術ですよ」
言いながら流れ出た血を袖口で拭う。
エイスリン「サエ、ダイジョウブ?」
画板を抱えながらエイスリンさんが塞に恐る恐る尋ねる。
塞「あはは、これくらいらくしょーらくしょー」
強がって見せるが顔色はよくない。
塞は息を吐き、化学練成系第一階位〈殖血(ゾーチ)〉でエリスロポイエチン等の増血剤を合成し、血を増やして身体賦活で止血を試みるが気休めにしかなっていない。
エイスリンがハンカチを取り出し、右腕の傷口を縛る。白地の布切れはすぐさま赤く染まっていく。
塞「エイスリン、汚れちゃうから」
エイスリン「イイ! サエノホウガ、ダイジ!」
予想外に強い言葉に、塞は黙って応急処置を受ける。
6
エイスリンにされるがままの塞が口を開く。
視線は藤田とエリナートに向けられていた。
塞「それでも推測をしてみましょうか」
会話を続けることで塞は意識が途絶えるのを防ぐ。
塞「藤田外交防衛理事とエリナート下院議員という二大巨頭の会談は、まさにこの日取りと場所。リツベ市という国際的に絶妙な位置にある土地の利権問題でしょうね」
相棒の言葉に議員の瞳に興味の色が宿る。
塞「リツベ市は竜族の領空領海を避けながら北米と東アジアを繋ぐ重要な中継地点で、また国家の統制も緩いため各企業体が競合し経済を活性させています」
塞「リツベ市の内外の境界線がそのまま日本と国連諸国との割譲線にもなります」
塞「今は委任統治という形で共同で管理されていますが外国からしたら喉から手が出るほどほしい土地でしょう。それこそ紛争になってでも」
塞「また、日本にしても沖縄米軍基地や樺太、最近では尖閣諸島問題で領土問題は非常に神経質になっておりリツベの利権を完全に日本に帰属させようという強硬派もいます」
塞「頭に血の上っている愛国者と軍人。金儲けのことしか頭にない軍需産業は熱くなり過ぎていて互いに引くことを考えていません。両者の所為で外政は常に緊迫状態です」
塞「だから藤田理事は、同程度に冷静で太平洋安全条約でアメリカやオーストラリアに顔が利き、」
塞「東アジアEPAの同盟国であるニュージーランドの有力者ニコルソン・カイ・クロウィスとその代理であるルクセィン・エリナート下院議員に秘密会談を持ちかけ和平の道を探った」
塞「そこで日本や諸国の強硬派の面目を潰さない程度の取引を成立させ手を打つ、といった内容の会談でしょうね」
塞「この襲撃はその成就を妨害したい主戦派か軍需産業のどこかが送り込んできた暗殺者、そんなところでしょうね」
7
長々と話した塞は一度大きく息を吐き出す。
増血とエイスリンの応急処置で多少ではあるが顔色がましになっていた。
藤田プロは典雅に微笑み、エリナート氏は高雅に微笑していた。
藤田「概ねその通り。我が国は主産業である各咒式産業には他国より先進的だ。だが島国である日本は食料自給率は決して高いとはいえない」
藤田「また国連との関係悪化はそのまま地域の情勢不和に繋がる。どうあっても避けなければならない」
藤田「日本は二度の世界大戦を経験し、広島と長崎に二発の戦略級咒式弾頭が投下された」
藤田「その痛みを忘れろとは言えない。だが人は過去から学ばねばならない」
藤田「私は戦争を否定はしない、それも一つの外交手段だからね。だが、無用な戦争は断固避けるべきだろう」
藤田は先程と変わらぬ笑みのまま、強く言い放つ。
「そこで、同じ島国であり境遇に同情的な我が国が日本と国連との仲介役を買って出たというわけだよ」
下院議員が言葉を引き継ぐ。
「しかし羨ましいですな。日本にはまだ学生の身でありながらなかなか頭の切れる人間がいる、それも器量も良い。将来有望だ」
「どうですか? なんなら我が国の正義馬鹿どもと交換していただきたいのですが」
藤田「それは丁重にお断りさせていただきますよ。彼女は日本でも貴重なマシな方の人材でしてね」
藤田「代わりといってはなんですが、愛国心とやらを振りかざすだけの阿呆どもの山などいかがですか?」
「申し訳ないが、それらはもうこちらも手一杯でしてね」
藤田「お互い、自身が一番正しい思い込んでいる無能どもには苦労しますね」
そういって二人の大物政治かは社交辞令の笑みを交わしていた。
8
こういう狂気の世界においてもより合理的でより我慢の出来る人物がいるからこそ、狂気という政治が成り立つのだろうか。
俺は血と汗と泥で汚れた頬を拭いながら土砂を掻き分ける手を進める。行く手を塞ぐ土の壁の合間から徐々に外の光が差し込みだしていた。
塞「しかし、今の話ですと日本ばかりが一方的に得をしていてニュージーランドには利益が見られません」
塞「日本は何を政治的代償に差し出すんですか?」
塞が疑問の投げかける。発掘作業をしながら黙って話を聞いていた俺の頭にも疑問が浮かぶ。
最近、何か聞いた気もするがなんだったか思い出せない。判断材料が足りない。
「開きました!」
秘書官の一人が振り返りながら叫ぶ。
階段の上から光が振り込んでいた。まさに日本神話における此岸と彼岸を繋ぐ黄泉比良坂のようにも見えた。
全員が階段に向かう中、塞だけが立ち止まり何かを思案していた。
京太郎「なにやってんだ、さっさと来い!」
塞「あ、うん。ごめん……」
俺は塞の手を引いて階段へ走る。
今は政治的疑問の解決より、生存の道を行くのが最優先だ。
9
出口のそこは教会の庭園に日陰を作るための小さな霊廟だった。
背後で轟音が鳴り響き、崩壊音と共に土煙が噴出して全員が咳き込む。
炎上がついに地下を崩落させたらしいが、後数秒遅ければ地下の納骨堂に眠る聖者達と仲良く埋葬されるところだった。
藤田「どうやら助かったようだね」
「とにかく2人を、特に臼沢君を早く高位治療咒式を扱える医師の下に運ばなければ危険だ」
「車を回してきます!」
栗毛の秘書官が駆け出す。
その腹部に黒点が生まれた。小さな赤黒い穴だった。
音はまったく聞こえなかった。
京太郎「咒式狙撃だ!」
藤田側の秘書官が倒れた秘書官を引き摺ってこようとして、その右肩で血霧が弾ける。半回転してそのまま芝生の上に転がる。
さらに助けに向かおうとするエリナート下院議員を俺は霊廟の柱の陰に押し込む。
寸前まで議員の身体が締めていた空間を光の帯が薙いでいき、大地に熱線の焦げた穴と臭いが満ちる。
10
俺は厳しい視線で大地に転がる二人の秘書官を見据える。
京太郎「ばあさんにこういう手管の狩猟方法を聞かされたことがあります。場所は不明ですが、狙撃手は初弾であなたの秘書官を殺さなかった」
京太郎「それは助けようとする我々を物陰から誘き出すためです。藤田さんの秘書官を殺さなかったのも同様です」
京太郎「あなた方をここから引きずり出すための、猛毒の撒き餌に手を出しては駄目です」
塞「京太郎の指摘の通りです。相手は凄腕の咒式狙撃手でしょう」
塞が俺の分析を補足していく。
塞「発動しているのはおそらく電磁光学系第四階位〈光条灼弩顕(レラージェ)〉の咒式です。熱線での狙撃の為、音がしません」
塞「光の正体は、光速にまで加速した自由電子を強力な電磁場干渉で電子軌道で蛇行させ、共鳴的な相互作用によって位相を揃えたマイクロ波より波長の短い近赤外線の光です」
塞「それを高密度に集束させています」
右手の指で蛇行する電子を示し、次に指で表した光を左手に衝突させる。
塞「放射された光線は地上の大気で通用しやすい、波長が1,315マイクロメルトルの赤外線レーザーを選択していて、空気中でも拡散による減衰が小さく、長距離狙撃に向いています」
塞「狭い範囲に極めて高密度の光エネルギーを集束させれば、標的を灼き、溶解させます。レーザーを移動させれば切断も可能です」
11
俺は荒い息を吐いてふらつく塞の背を支え、抜いた魔杖剣を肩に当てて咒式を発動。〈胚胎律動癒(モラックス)〉で応急処置をしていく。
京太郎「単なる射撃というより、光速の秒速約30万キロメルトル、実際には大気で減速するため約29万キロの刃というわけか」
ここまで長距離から放たれると恐ろしく厄介だ。
塞「京太郎。向こうの正確な位置はわかる?」
生体強化系第一階位〈鷹瞳(ルコン)〉はレチオールを合成し、網膜のオブシンを最活性化させ、黄斑の中心窩を拡大させる。
先程から強化した視力で周囲を探っているが狙撃手を見付かられない。
京太郎「光の方向と威力から左手から来ていた。周囲に高層ビルなどがないから、たぶん数百メルトル先の商業地区のビルからだろうけど正確な位置まではわからない」
塞「絶望的な距離だね」
京太郎「相手は、走る人間の急所を正確に外して撃ってきた。尋常な腕じゃない」
京太郎「これほどの腕前はおそらく、現役か元軍人の長手のエルビレオか光射のブレッケン、もしくは白糸台の弘世菫くらいだろうな」
塞「厄介さなららどれもいい勝負ね」
藤田「二人とも、落ち着いて救援を待ちたまえ」
焦りを見せる俺達に、指先で長煙管を弄った閣下が冷静に窘める。
12
「ここで救援を待つと!? 炎が迫り、このままでは燻製になって焼け死にますぞ!」
エイスリンさんを護るように抱きながら、議員が閣下の言に続ける。
その言葉の通り、俺達が抜け出てきた地下からは熱気を帯びた一炭化酸素の黒煙が禍々と吐き出されていた。
留学生の少女は不安気に全員の顔を見渡していた。
俺は倒れる二人の秘書官を見る。二人の顔が俺と塞に向けられていた。助けに向かおうとする俺達を制するような強い眼差しだった。
俺は小さく拳を握りこむ。
京太郎「だからと言って、ここを出れば狙撃されます。おそらく先程の暗殺者も待ち伏せているでしょう」
京太郎「この騒ぎです、警察や消防の到着を待つのが最善策でしょう。例え二人の秘書官を見捨てることになってもあなた方を死なせない。そういう護衛契約だったはずです」
俺は努めて冷静に告げる。
「警察は間に合わない。それに君の同僚の臼沢君も死に掛けているのだぞ!」
俺は塞を見る。塞も俺を見ていた。
塞は俺には何も言わず、ずれた片眼鏡を直しながら言うべき言葉を紡ぐ。
塞「私の、私達の命は考慮に値しません。私や京太郎、秘書官達の命は誰とでも交換できます」
塞「しかし、藤田プロとエリナート議員が死ねば、それこそ泥沼の戦争にまで発展するか知れません。そして私達の友人や知人もその戦火に巻き込まれて死ぬ」
俺の脳裏に、振り返る咲の笑顔が掠めた。だが今は強引に忘れた、ことにした。
13
藤田「その通りだろうな。だが、他人の命にそういえても、自分の命で語れる馬鹿に私は敬意を払いたい」
塞「別に国家や貴方の命を尊重したわけではありません、単に咒式士としての合理的な思考を述べただけです」
珍しく引き締められた藤田プロの発言に、塞はぶっきら棒に答える。
「この子は、エイスリンは……エイスリン・エリナートは所謂、妾の子でね」
娘を胸に抱く議員の顔は、大物政治家ではなくどこにでもいる父親の顔になっていた。
「隠し子であるが故に、満足に愛情を注いでやることも出来ない。私の立場の所為もあり、隠れるような生活を強いて友達すらまともに作らせてやれない状態だった」
「だが、今回のことが片付けば自由にしてやれる。もう、苦労や心配をかけないようにしてやれる」
父はそういって娘の頭を優しく撫で、汚れた頬を拭ってやった。
法令で非嫡出子は父方の姓を名乗れない。公的に父と名乗り出ることの出来ないエリナート氏は、それでもなお娘を全力で守ろうとしていたのだ。
エイスリン「パパ……」
「娘と同じ歳頃の君達に、命を預ける情けなさは承知で頼む。私達を救ってくれ」
一国の要人が身を低くする。自分の半分も生きていないような若造に腰を折って頭を下げたのだ。
俺達はその光景に思わず目を細めた。
14
霊廟の入り口で鈍い音が轟いた。石材が落下して砕けた音だった。
〈光条灼弩顕〉の光線が石材の角を切り落としたのだ。
京太郎「どうやら相手は窒息死を待ってはくれないらしいな」
京太郎「前衛職の俺にはこの距離では手が出せない」
塞「後衛の私にも遠すぎる。せめて狙撃地点がわかればなんとかなるかもしれないけど、私が相手を捕捉した時点で向こうは狙撃が終わっている」
塞「条件は最悪だ。通常、攻性咒式士は相手との相対距離を正確に掴む必要がある。相手を視覚その他で捕らえ、咒式の効果範囲を厳密に決定するからだけど」
塞「相手は通常の攻性咒式の弱点を的確に突いた熟達の狙撃咒式士だ。視認不可能なほどの長距離狙撃の相手を、私や京太郎も想定していない」
京太郎「完全に手詰まりだな」
俺は魔杖剣を地面に突き立て、正面を見てから再び塞に向き直る。
明確な打開策が思い付かないが、それでも決意は変わらない。
京太郎「俺と塞で外に出よう。命を懸けてでも血路を開くんだ」
告げた俺の手を塞が握って止める。
塞「待って。もう少し、もう少しでなにか……」
呟きながら額に手を当てて必死に思案する塞。
15
いい加減焦れてきた時、塞は顔を上げる。
双眸は藤田を見ていた。
塞「ここを無事に出られたら頂きたいものがありますが、よろしいですか?」
藤田「ここを無事に出られるなら、何を与えても惜しくはないね」
塞「絶対ですよ。言葉を反故にしないでくださいね」
結論が出たらしい。塞の言葉と眼光には芯の強さがあった。
塞「京太郎、私と一緒に死ぬ覚悟はある?」
再び向けられた真っ直ぐな視線が、正面から俺を見据えていた。
この距離と、俺の頭ではどうしようもない。ならば結論は決まっている。
京太郎「相棒が命を懸けるなら、俺も命を懸けるよ。戦術は?」
塞「ある。賭けになるけど、たぶんこれが最善手」
塞は不敵に微笑み、作戦を説明していく。
その内容に俺はすごく嫌な顔をしてやった。
ごめんなさい
ここで区切ります
これ書いてて思ったのが
学生時代もっと算数と経済と政治学をちゃんと勉強しておけばよかったということ
あとは心理学や宗教学とか
それではまた
16
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
弾丸の速度で柱の陰からとび出す人影。
生体甲冑で装甲した俺の疾走だ。
颶風を纏って走る俺は、倒れた二人の秘書官を助けるべく一直線に駆け抜ける。っと見せかけて疾走の軌道を変えて跳躍。
直後に熱線が大地を沸騰させ抉っていく。
狙撃手の呼吸を呼んだ方向転換だ。
初弾を外した咒式狙撃手が咒式反動を処理し、次弾光学咒式を紡ぎ、再び狙いを付けるまで一秒弱。
先程の狙撃と今の一発で相手のおおよその位置を掴んだ俺は、その方角へ向けて再び走り出す。
想定次弾発射時間に、右に大きく跳ねる。
それを捕らえ切れなかった不可視の光条が空間を貫通し大地を炸裂させる。
俺は両手に握った魔杖剣を魔鳥の対翼として走り抜ける。
後方から魔杖短剣を握った塞も霊廟へと続いてくる。
俺は右手に握った魔杖剣〈蜃気楼〉で生体強化系第一階位〈鷹瞳(ルコン)〉を紡ぎ、視力を全開にしている。
さらに生体強化系第二階位〈飛迅燕(セエレ)〉により、筋肉神経伝達物質アセチルコリンとそのエストラーゼ酵素えお合成し反射速度を、
同系同階位〈疾惟隼(セレー)〉によりドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリン等のカテコールアミン類を合成し、
脳神経系の戦闘に余計な回路を遮断して思考速度を限界以上に引き上げ、超高速反射と運動を可能にしている。
本来なら戦闘中に瞬間的に使うこの咒式を霊廟からとび出す前から同時併発して高速の反射と移動を行っている。
その為、俺の全身の筋繊維と神経と脳が悲鳴を上げている。
それでも今はやるしかない!
17
後方を走る塞の目の前に、俺が左手に握った魔杖剣〈鳴神のライネ〉で発動した化学鋼成系第一階位〈斥盾(ジルド)〉の鋼の壁が屹立する。
魔杖剣には本来、個人識別装置が付いており所有者以外には使えないようになっているのだが使用者権限で識別装置を解除し俺でも扱えるようになっている。
塞は鈍色の壁の陰に走りこむ。
塞を狙った大気を渡るレーザーは鋼の壁に命中。赤い火花が上がり、一瞬のうちに壁は水平に切断。
壁の背後で身を屈めていたため、塞の首は飛ばずに済んだ。残念ながら一瞬で人間一人が隠れられるだけの大きさの壁を構築すれば、厚さは十数センチが限界だ。
再度、俺を狙って飛来した光線をギリギリで躱すが爪先と背を掠めていく。灼けるような痛み駆け抜けるが、今は無視!
流れたレーザーが庭園に植えられた樹木の幹を両断。葉擦れの音を立てながら傾斜していき、重々しい音を響かせて敷地に横たわる。
切断面は激しく炎上していた。
俺は左人差し指で引き金を引き続ける。次の〈斥盾(ジルド)〉を発動。前方に鋼の壁が生み出されていた。
さらに敷地のあちこちに、次の壁、次の次の壁。次の次の次の壁。次の次の次の次の…………。
空薬莢が連続で排出される。単純物質とはいえ超高速での連続展開は俺の脳を沸騰させる。
最後の一枚を生成しようとしたところで違和感。引き金が軽い、つまり弾詰まりっ!?
京太郎「嘘ぉっ!?」
俺は思わず場違いなほど間抜けな叫び声を上げていた。
視界の端に見えた塞がかつてないほど呆れた表情で俺を見ていた。
塞「馬鹿、馬鹿! ホント馬鹿な子! ホントに!」
京太郎「やめろ、やめて! マジで凹むから!」
18
迷いの一拍を置いて、叫ぶ俺を熱線が猟犬の如く追跡してくる。
生成された七枚の鉄壁の列に着弾し、水平に薙ぎ払っていき、一刀両断にしていく。
溶解した切断面を見せて、七枚の鉄の壁が半ばから切断され落下する。
翻った右腕で魔杖剣を即席の楯とし熱線を受ける。軋り叫ぶような甲高い悲鳴と火花が散乱。
灼熱の死線が刀身の上を移動し、輪郭からはみ出して俺の左上腕二頭筋に焼き切り左腕を切断。金属音を響かせ魔杖剣ごと肩口から下が大地に転がる。
灼け尽くすような激痛と共に、続いて俺も大地に倒れ臥した。
倒壊した壁の後ろに塞はいない。もちろん、藤田プロもエリナート議員もエイスリンもいない。
俺達は別に逃走経路を確保するために多量な壁を作っていたわけではないからだ。一応、最低限として秘書官達の身体が隠せていればそれでいい。
俺達の予想が正しければ狙撃手はもう俺を狙ってこない。
倒れながら開始前に伝えられた作戦を脳内で反芻する。
長距離の相手に対処する手段は三つある。
一つは一個大隊を壊滅させるほどの破壊力の第七階位の戦略級、準戦略級咒式。
しかし、未だ到達者である十三階梯に達していない俺達のは絶対起動すら出来ないし、それらの大型咒式の市街での使用は50年も前からジェルネ条約で厳重に禁止されている。
第一、そもそもこの長距離では観測咒式の助けがなければ正確な命中は不可能だ。
二つには、光・雷系の咒式だ。
相手が使用しているよな電磁系の特に光学系は遮蔽されない限り一直線に目標へ飛んでいく。
だが俺は生体系を主系統、化学鋼成系を副系統に持つ生体系咒式士で、塞は化学系の主に練成系を主系統にする咒式士だ。その為、専門でない咒式は低位のものですら扱うのは難しい。
塞は補助として、雷撃系の咒式を一部使用できるがこれらは制御が難しく長距離発動は伝導体がなければ命中精度は無いに等しい。
三つに誘導系の咒式。生物の放つ熱、赤外線や咒力などを感知し追跡する組成式を物体に込めて放つものである。
しかし、その性質ゆえ発動と展開が難しい上、この場合は時間的に手遅れだ。
つまり俺達には長距離咒式に対抗する手段が存在しない。
ただ一つを除いて。
19
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
塞は壁のさらに後方まで退避していた。
地に臥した京太郎は隻腕で這ってなんとか壁の陰に隠れていた。多少ハプニングはあったが京太郎はよくやってくれた。
塞の知覚片眼鏡(クルークモノブリレ)は射線を分析していた。
知覚片眼鏡の表示によると、霊廟から直線で753.34メルトルの先、商業ビルの屋上からの狙撃だ。
まず発射から着弾までのレーザーを通す媒体である大気による減衰率、μの値を考える。
気温15度、1気圧、Vを射程0.75334キロメルトル、λを赤外線の波長1.315マイクロメルトルとすると、
10-3×3.91÷V×(0.55/λ)×(0.585×Vの0.33乗)となる。
減衰率は0.001156606%となる。距離の二乗に比例する減衰率、大気のプラズマ化による減衰率もあるが、
そもそも波長1.315マイクロメルトルの赤外線レーザーは大気の窓と呼ばれる最も減衰が小さい周波数領域であり、塞達のとって都合のいい威力低下など起こらないだろう。
塞は〈鷹瞳〉と知覚眼鏡の視覚倍率増幅機能を使い、一瞬だけ壁から姿を見せている狙撃手を確認する。
屋上のコンクリ床に片膝を付き、狙撃用魔杖弓を構える弘世菫の姿があった。
菫も塞達が自分の居場所を捕捉したことに気付き、照準器を覗く右目とは逆の左目に苦渋の表情を浮かべていた。
相手を確認するのは一瞬だけ、弾倉が回転し先攻入力されていた咒式が発動。一瞬の連続発動で三枚重ね、50センチメルトルのを超える厚さの鋼の壁が立ち上がった。
同時に火花。熱線が乱舞し一枚目の壁が切断される。
これ程の厚みの壁であっても〈光条灼弩顕(レラージェ)〉の威力の前には十秒も持たないだろう。
20
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
警察靡下の白糸台の中でも、さらに正義感と義侠心に厚い彼女が何故そこにいるのかはわからない。
狙撃手である弘世菫は俺達の窒息死を待たなかった。いや、おそらくこちらの窒息死を防ぐためにわざと俺達を燻り出したんだろう。
そして弘世菫は執拗に護衛である俺達の、急所以外を狙って撃ってきた。
それが予測できたからこそあれ程の連続回避も可能だったのだ。
俺達を殺さずに、大目標である藤田プロやエリナート議員を狙わずに、こちらを降服へ誘導していたと推測していく。
そしておそらく、その人命への配慮こそが俺達のつけ入ることが出来る唯一の隙だ。
自身の位置が捕捉されたにも拘らず、弘世菫は一定の場所から動いていない。
ならばやれる。
塞が展開した壁は切断させるのが目的だった。
相手が動かないのなら、切断面の角度がそのまま相手の射線の角度となる。
耐熱壁ではなく、切断される壁にしたのは相手の正確な位置を掴むためだ。
塞は咒式を発動するべく、意識を深く深く降下させていく。
俺の背中に氷塊が滑るような悪寒が一捌けされる。
21
残った右腕で上体を起こし、俺は霊廟の中を疾風となって駆け抜けていく。
咒式を展開している暇はない!
三枚目の壁が斜めに斬られた。
呼吸を計っていたが、塞の回避は間に合わない。
俺は魔杖剣を掲げながら相棒の前に立ちはだかっていた。
塞の目の前にかざした刀身の表面にレーザーが激突し、咒化合金を瞬間的に赤熱させていた。俺の右肺を背中から貫通させながら。
死の熱線はさらに脾臓と腎臓を掠め、右腹斜筋と寛骨を掻き毟りながら縦断。右の大腿部を灼き斬り、構造上立てなくなった俺は前のめりに倒れる。
せり上がってきた血を吐き出しながら倒れこむ俺を、塞がその身体で抱き止める。俺の吐血で半貌を血化粧で染めながらついに紡いでいた咒式が展開される。
俺達二人に突き刺さる筈だった最後の熱線が、しかし煌く銀板に激突していた。
それは、化学練成系第五階位〈積晶転咒珀鏡(サブナック)〉が生み出した三面鏡だった。
物質表面にさまざまな光を当てた場合の反射率は、波長の関数として表した、光学反射スペクトル率で、約98%を誇る水酸化炭酸マグネシウム。
その無色の立方晶系結晶を分子一つまで制御した完全平面の鏡とした、三枚の咒鏡を生成。
22
光を反射する性質を持った炭酸マグネシウムに1兆分の1の反射層を作った完全平面を、それぞれ直角に三枚組み合わせた、
言わば立方体の半分が狙撃手に向かって立ち上がっていた。
〈光条灼弩顕(レラージェ)〉の光が天から振り下ろされる。
しかし、赤外線レーザーならば、光線がどのような入射角で鏡面に入ろうと、同じ角度で反射が可能だ。
ある角度で出ると、2倍曲がることになる。次の鏡面で直角から最初の角度が引かれ、
出る角度は直角引く最初の角度となり、直角二つ分の角度引く最初の角度の2倍ほど曲がることになる。
合計すると、最初の2倍の角度に直角二つ分の角度を足し、また最初の角度の2倍を引くことになる。
つまり最初に来た方向へ戻る再帰性反射お起こす。
反射スペクトル率で約98%、都合三回の反射で元の94.1192%ほどまでエネルギーが減殺された〈光条灼弩顕(レラージェ)〉の光線が元の角度で狙撃手に撥ね返される。
反射された死線は753.34メルトル先の商業ビルの屋上に到達。
光は角度と方向は正確だが位置は少しだけずれる。魔杖弓の先端ではなく、照準器を覗き込む弘世菫の右目を正確に打ち抜き、
眼球を蒸発させ、脳髄を沸騰させ、頭蓋骨を貫通して天へと抜けていった。
減殺され、、94.1192%まで威力が低下されようとも〈光条灼弩顕(レラージェ)〉は人一人を殺すのには十分以上の威力を持っていた。
苦渋の表情をした弘世菫の身体が傾斜していき倒れた。輪郭に違和感。
23
そこで限界に達した俺は静かに息を吐き出す。
藤田「終わったようだね」
霊廟の隅の方では、藤田プロが息を吐いた。
「どうやら、そのようだね」
一酸化炭素中毒になる前にエリナート議員が霊廟から、それでもなお用心深く娘の手を引いて出てくる。
連れられたエイスリンの顔も不安を拾うで青ざめていた。
それぞれの無事を確認し、それから自分の身体を眺める。
塞「見ちゃダメ!」
そういえば俺は塞に抱きかかえられていたことを思い出した。
塞の手が俺の視界を塞ぐ前に、自分の傷を見てしまった。
左腕と右太腿を切断し、炭化した断面かたら赤黒い血を吐き出していた。
右肺腑が焼かれ、呼吸が満足に出来ない。
京太郎「ホン、トだ、み、見なければ、よかった、な……」
いくら前衛でもこれはさすがに重症だ。
警報の音が聞こえてきた、漸く警察と消防が駆けつけて来たのだろう。それとは逆に俺の名を呼ぶ相棒の声が遠くに聞こえる。
視界が徐々に黒く染まっていく、すべてが滲んで混濁していく。
そこで俺の意識は暗黒に呑まれた。
24
暗転。
.
25
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それは抽象的な風景だった。
すべてが忘却の彼方、輪郭すら定かではない。
寄せて返す白波。その上を木製の桟橋が横たえられていた。
それは二つの影だった。
幼い、しかしどこか幼馴染の少女の面影を残す少女。
もう一人は俺と似た髪と瞳の色をした少女。
世界が回転する。
二人の少女は立っていて、座っていた。
曖昧な舞台。朦朧とする輪郭。
高速上映される映画のように、二人は戯画的に重なり合い、連なり揺らめいていく。
時間の流れは、静かなほどに緩やかだった。
事後関係は不自然なほどに省略されていた。
場面は移り、さらに早回しのようにたゆたっていく。
26
白い薔薇。
少女はストレッチャーで運ばれていく。
繋がれた医療器具。
家族写真。
?「 」
少女を呼ぶ誰か。
火災、車椅子。
煉獄を楽園に変え、煉獄は楽園をたやすく焼き尽くす。
そしてすべては水面に沈んでいく。
27
記憶にない昔の記憶。
それは誰かの断罪の宣告なのか。
それは世界に対する呪詛の絶叫なのか。
それは俺に対する告発なのか。
俺はあの時、あの場所にはいなかった。
すべてが破砕されると思った。そう、今でも、いつまでも。
存在の輪郭が薄れていき、自分が保てなくなる。
これでいい。これでいいんだ。
消滅に任せようとした俺を、衝撃が襲う。
聞きなれた二つの声と、俺という存在を掴む巨大な黒い手。
五指の先の爪が、俺を虚無から引き剥がす。
自らが平面化し、立体化した。
自らが微塵となり、喪失した。
そして割れた俺の破片が断片が集束し集中し、消滅し喪失し俺の意思と意志が主体と主観にとなっていく。
混沌に沈んでいく俺の意識を、柔らかな栗色の髪の少女と、燃えるような赤い髪の少女がすれ違っていく。
俺はそちらに手を伸ばした。俺を掴む黒い五指に力がこもる。
圧倒的な力が俺を俺とさせた。
微塵となった俺を再生させた。
呼吸。肺の痛み。
眩い光。
【To be continued】
お詫びというか訂正なんですが
以前何かで英語圏は英数字は小数点をコンマ表記するとか
経済、科学、工学では世界規格でコンマ表記で統一するとかって見てなんの疑いもなくコンマを使っていたんですが
これってもしかしたら皆さん見辛いんじゃないか?って思いまして
今回から英数字の小数点はピリオド表記にすることにしました
以前:3,141592
以降:3.141592
みたいな感じで
それではまた
第八話「魂は帰郷する」
1
一面の白。
なるほど俺は目を開けてるのか。
死後の世界にしては無味乾燥として過ぎているからそんなわけではないようだ。
目を凝らして確認する。白い合板の天井、清潔感のある掛布と寝台。鼻先を掠める消毒液の臭い。
ベッドの脇には主のいない花瓶が置かれていた。
身を起こそうとして、身体が上手く言うことを利かないことに気付いた。ああ、俺という概念はどうにも使いづらい。
首を左に向けると、窓から外の景色がよく見える。ガラス越しに庭園が見下ろせた。
女性看護師が患者を乗せた車椅子を押したり、ベンチに座っている患者が談笑している。
人の頭頂部が見下ろせたということはここは二階か三階らしい。
右側に首を動かすと、何台もの医療機材から管が伸び俺の腕や喉に繋がれていた。
小さな駆動音がし、油圧式の扉がスライドして開く。
女学生用の革靴が見えた。続く細い足首と白い太腿。
さらに視線を上げると、制服姿の少女が鞄を抱いたまま固まっていた。
柔らかな栗色の髪。大きく見開かれた朱塗りの瞳。咲だった。
2
京太郎「咲、か……」
微かな痛みとともに搾り出した声は酷く掠れていた。
喉に水分が足りない。
咲「京ちゃん……?」
京太郎「ここは病院か?」
咲「え? う、うん。ここはリツベ市三箇牧総合病院です」
咲は素直に答えた。律儀な女だ。
京太郎「俺は生き残ったってわけか」
たったこれだけの会話が酷く疲れた。
物音に振り返ると、咲が抱えていた鞄が床に落ちた音だった。
っと気付いた時には俺はベッドに叩き付けられていた。後頭部が枕に沈む。
駆け寄ってきた咲が両手で抱きついてきていた。
3
咲「京ちゃん! 京ちゃん、よかった! よかったぁ……京ちゃぁん」
京太郎「痛い」
俺の感想は無視された。咲はさらに強く抱きしめてくる。
ちょっと手加減をしてもらおうと左手を掲げると、切断された左腕がくっついていることに気付いた。
シーツの下で動かすと右脚もだった。こういう大怪我をする度に現代咒式医療技術の高さに感服する。
だからといって痛むことには違いはないのだが、胸板に埋められた咲の口から「京ちゃん、よかった。本当によかったよぉ」という嗚咽交じりの呟きと、
病院着を濡らす熱い雫の前に、俺は咲を引き剥がすのを諦めた。
行き場を無くした左腕を、仕方がないので咲の頭に乗せ指先で掬うように髪を撫でた。
京太郎「大丈夫、俺は大丈夫だ」
咲をあやす様に、俺はただ無心で撫で続けた。
4
暫くそうしている内、ようやく落ち着きを取り戻した咲に水を持ってきてくれと注文すると、脇に置いてあった水差しを持って病室を去っていった。
ベッドの上で目を瞑って待っていると再び扉が開く。
京太郎「咲。早かったな」
塞「やっほ」
咲ではなかった。入れ違いにやってきたのは塞だった。
京太郎「なんだ、塞かよぉ」
俺は寝返りを打って入り口から背を向ける。
塞「何よ。意外と元気そうじゃない」
言いながら塞はベッドの端に腰を下ろしてくる。
塞「腕はちゃんとくっついてる? 脚は? ちょっと試しに歩いて見せてよ」
京太郎「ヤだよ、めんどくさい」
5
京太郎「俺は何日寝てた?」
塞「今日で丸々一週間だね」
京太郎「そんなにか」
塞「一時期は完全に心停止までいったのに持ち直した。まさに奇跡としか言いようがないね」
京太郎「そうか」
塞「ここに来る途中、咲ちゃんを見かけたよ」
京太郎「……」
塞「一週間付きっ切りで看病してくれてたんだからね。感謝しなよ」
京太郎「わかってるよ」
そういえば気になっていたことを訪ねてみる。
京太郎「あの後はどうなった?」
塞「全員無事だったよ。詳しいことはもう少し落ち着いてから、まずは身体の快復が先だよ」
京太郎「えらく真っ当な意見だな」
塞「あのねぇ……」
言いかけた言葉を扉の駆動音が遮った。
6
咲「京ちゃん! 水持ってきたよ。それからお医者様を、」
咲の後ろに初老の医師と女性看護師が見えた。
咲「あ、塞さん。来てたんですか」
塞「やっほ。お邪魔してるよ」
立ち上がった塞が咲への挨拶もそこそこに、俺へ振り返る。
塞「私は帰るよ。事務所もあるし」
それだけ言い残し、俺の返事を待たずに塞は去っていった。
あいつ何しに来たんだ? もしかして暇なのだろうか。事務所の経営状態が少し不安になった。
その後は咲に付き添われて医師の診断を受けた。
塞の言葉通り、俺は六日間昏睡状態で一時は心拍及び生命活動が停止し、脳波まで消失したらしい。
咒式医師の正式な死亡診断が下ったにも拘らず、そこから持ち直したのはまさに医学的奇跡としか言いようがないだろう。
我ながら悪運の強さに感服する。
医師に訊かれたので昏睡していた間に見た夢を話した。
限界異常の肉体と脳の行使による精神崩壊状態を自己修復するべく、過去の記憶から再編したのだろうといい加減な分析をされた。
どうでもよかった。
7
人の絶えた病室には俺と咲だけがいた。
すでに昼を大きく回っていたらしく、室内には西日の赤さが満ちていた。
ようやく水が飲めると思った矢先、咲が俺の手から水差しとコップを取り上げる。
視線で抗議すると、さらに強い視線で見つめ返された。
咲「いきなり飲むと身体によくないんだよ? だから、はい」
そういって差し出されたのは、匙で掬われたほんの数滴の水。
俺の視線はその先端の水面と笑顔の咲との間を何度も行き来する。
これはアレか。いわゆる「あーん」って奴か。
夕日の赤さそれ以外の何かか、咲は頬を薄く朱に染めつつも手を引っ込める気は無いらしい。
俺は溜息をつく。咲の強情さは俺がよくわかっている。心配と世話を掛けたということを差し引いても、したいようにさせてやるのが賢明だろう。
小さく身を乗り出し、匙の先端を口に含む。水の冷たさと潤いが、喉に満ちる。
それから何度か、咲の手ずから水をちびちび飲ませてもらう。まるで雛鳥になった気分だと内心自嘲する。
8
水差しと匙を置いて、咲は簡素な椅子に座り直す。
細い指先が俺の右手を握っていた。
されるがままにしていると、咲がゆっくりと口を開く。
咲「ホントに、本当、に……心配したん、だからね……」
手の甲に熱い感触が滴っていた。先ほど胸に感じたものと同じ温かさだった。
咲は静かに涙を零し、泣いていた。
俺は何かを言おうとして、何も言うべき言葉が見付からなかった。
咲の嗚咽の混じった独白だけが続く。
咲「六日間も、目、覚まさなくて……心臓まで止まっちゃって……」
咲「絶対、死んじゃったって、思ったん、だよ?」
双眸は深い湖となっていた。
咲の顎先を雫が伝っていく。
京太郎「ごめん」
俺はただ一言、短く謝ることしか出来なかった。
9
咲「本当、だよ……」
咲は乱暴に目元を拭うが、次から次へと溢れ出る泪が頬に跡を作っていく。
咲「い、いっつも、塞さんとばっかり、どこかへ行っちゃって、大怪我して、わた、私に学校まで、休ませて看病させて……」
咲「ふぇぇ、京ちゃんが、生きてて、よかったぉ」
涙に沈む咲の頬を、俺は左手で撫でる。親指が目尻の雫を掬い取る。
京太郎「ごめんな」
咲「私、こんなんじゃ、ないのに、本当は、小説のヒロインみたいに……」
咲「もっとかっこよく、京ちゃんに『おかえりなさい』って言ってあげるつもりだったのに」
咲の思いが胸に刺さる。
好きなように生き、理不尽に死ぬ。
俺はそういうつもりで今まで生きてきた。
けれど違うのだ。俺の死を悼み、涙を流してくれる人がいるということに俺は思いが至っていなかった。
その甘い痛みが郷愁となって胸を締め付ける。
咲「今度からは、もし京ちゃんがまた戦いに立ち向かう時は、私には告げていって」
咲「そしたら、もし京ちゃんが死んじゃっても、悲しい涙を半分に出来るから」
10
シーツの掛かった俺の脚を枕にして、咲は静かに寝息を立てていた。
ずっと気を張っていて、ろくに寝ていなかったのだろう。
それに引き換え俺は六日間も寝ていたのだ。これは退院後の埋め合わせに骨が折れそうだ。などと考え頬に苦笑いは張り付く。
俺は咲を起こして仕舞わないように気を遣いながら、栗色の髪をゆっくりと撫でる。
そういえば夢の中で、咲によく似た少女を見たような気がした。
あるいは俺の悪運などではなく、咲の思いが俺のこの世に繋ぎ止めたのかもしれない。
咒式士にあるまじき非科学的な思考だが、今はそれでいい気がした。
俺は生きている。そして俺には俺の帰りを待っていてくれる人がいる。
今日見た限りで相棒も元気そうだった。
護衛対象の連中も全員無事だと言っていた。
暗殺事件は未遂で終わったのだろう。ならばそれでいい。
だが一方で、気になることはまだ残っている。。
懸念材料は未だ片付いてはいない。
やっぱり京咲がナンバーワン!
それではまた
その街には一つの噂があった
京太郎「袋女?」
塞「うん。まぁよくある都市伝説なんだけどね」
それはよくある噂話
憧「リツベの最西端の外縁部にすっごい寂れた住宅街あるでしょ? あそこの空き家になってるマンション。出るんだってさぁ……」
玄「や、やめてよ憧ちゃん……」
穏乃「お化けなんているわけないですよ! 迷信迷信」
憧「じゃあ、私達で肝試しに行ってみない?」
西岸西区のさらに端。再開発の手が加わっていない古めかしい木造建築がいまだに残っている住宅街
そこにひっそりと佇む打ち捨てられた一軒のアパート
穏乃「け、結構雰囲気あるね」
玄「ふえぇ、もう帰ろうよぉ……」
憧「なに言ってんの? ここからでしょ」
そこにあったのは……
玄「なにこれ!? なにこれぇ!?」
憧「玄、落ち着いて! ただの絵だから!」
穏乃「でも、これは雰囲気あるね」
首のない人形を抱いた麻袋を被った女の戯画
その絵には決して言ってはいけない言葉がある
穏乃「『遊ぼう』…………これでいいの?」
憧「その筈だけど、なんにも起きないわね」
玄「ね? もういいよね? もう帰ろう」
それから突如、身の回りで起き出す異変
綾「きゃああああああああああああっ!?」
凛「なにこれ、なんだこれぇ!?」
憧「綾、凛! どうしたの!?」
綾「あ、ああああ……」
凛「憧ちゃん! ウサギさん達が……」
憧「これ、酷い……」
惨殺された学校のウサギ
京太郎「小動物の連続惨殺事件?」
竜華「そうなん。ペットショップとか、野良犬のたまり場とか学校の飼育小屋とかな」
塞「それは、わざわざ千里山が動くほどの仕事なの?」
竜華「地域の小事もうちらの大事な仕事や」
京太郎「公僕の犬も大変ですね」
竜華「ただ、一つ共通してるのは揃って首が切り落とされてるっちゅことや」
塞「変質者にしても悪趣味だね」
蠢く影
穏乃「今、そこに誰かいなかった?」
憧「? いや、気付かなかったけど」
あ…………そ……………ぉ
狂乱
京太郎「穏乃の様子がおかしい?」
憧「うん。もう三日も学校休んでるし、シズのお母さんも心配してて」
京太郎「穏乃! 俺だ、京太郎だ。少しでいいから顔を見せてくれないか?」
憧「待って。何か聞こえる」
京太郎「穏乃、開けるぞ?」
ふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろお
んながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながく
るふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろ
おんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんなが
くるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふく
ろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんな
がくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふ
くろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおん
ながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくるふくろおんながくる
ふくろおんながくる
迫りくる怪異
「あそぼぉ! あぞぼぉよお!!」
塞「なんだこいつ! 新種の〈異貌のものども〉なの!?」
京太郎「詮索は後だ! とにかく穏乃達を守れ!」
苦戦
塞「低位咒式を無効化した!?」
京太郎「それよりも、生物であるなら脳が詰まった頭部を破壊すれば死ぬはずだろう!? 何故死なない?」
「いのちはたいせつにしなきゃだめぇぇぇぇぇぇぇ!」
京太郎「はっ! いいぜ、来いよ。俺が『遊んでやる』!」
京太郎「四肢を斬り飛ばしても、脳を潰しても、心臓を貫いても追いかけてきやがる。どうやったら殺せるんだ?」
塞「京太郎の問いはまだ遠い。そもそもあんな不自然な生き物がどうやって成立して動いているかだ」
京太郎「奴の存在そのものが一種の法則。異貌のものどもの中でも〈禍つ式〉に近いって考えられないか?」
塞「それにしても常識外れ過ぎる!」
颯爽と現れる救いの手
「破ぁ!!」
塞「ち、超定理系第七階位〈疫鬼滅戮祓法珖破(テーラ・ウー・マレ)〉っ!? 魔杖剣もなしにどうやって……」
京太郎「命の恩人、なのか?」
「たまたま近くを通りかかったんでね」
次回「ふくろおんな」
ウソ予告をしつつ生存報告
最近になって狂乱暗黒短編撰「Strange Strange」を読んだので
冗談じゃなくてホントに書けたらいいなぁと思いつつ
ちょっと諸事情で次の更新は週末明け以降になりそうですすみません
気長に首を長くして待ってていただければ幸いです
それではまた
11
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
京太郎「神は六日間で天地を創造し、七日目で休んだ」
京太郎「俺はその逆で、しかも何も生み出してないわけだから、俺は神じゃない」
京太郎「どう? この見事な三段論法。どう思う?」
塞「あのまま死ねばよかったのにって思う」
一刀両断に斬って捨てられた。
京太郎「って言うかお前、最近毎日来るけどなんなの? 暇なの?」
塞「私だってそこまで暇じゃない。ここで張ってればその内来ると思ったんだけどな……」
ベッドの縁に座っていた塞が新聞を畳んでシーツの上に投げる。
俺は病室に備え付けの、旧式のテレビの電源を落とす。
事件のその後は塞の言葉と、新聞や報道で聞くことになった。
今回の藤田理事とエリナート下院議員の暗殺未遂事件は公となり、狙撃手の咒弾購入経路から背後関係が速やかに捜査され、
外交防衛委員会理事の内、最強硬派とされる大川哲郎が証人喚問に呼ばれ、追求がなされた。
証拠不十分のため、起訴も実刑も避けられたようだが、同理事の政治的失脚は確実だろう。同時に強硬派は領袖を失ったことになる。
事件に関わったその他の強硬派や軍人はそうもいかなかった。失脚したか、または暗殺の指示を出したものは逮捕されたらしい。
藤田理事の仇敵といわれていた、具志川統合幕僚次官はさすがに追求を回避したようで、容疑線上にも浮上しなかった。
事件後、国民世論からも主戦論は大きく後退した。そして藤田理事とエリナート議員両名主導により、当初の目的であるリツベ市の自治権の期限更新の承認式典と、
それに合わせて改めて暫定議会が開かれることとなった。夏までには正式に新たな条約が締結するだろう。っと事情通が紙面や報道番組で語っていた。
12
あの恐るべきコウガ忍の頭目は、軍の徹底的な捜査にも関わらず行方不明のままだった。
京太郎「なんか、腑に落ちない幕切れだな」
塞「いや、本当の戦いはたぶんこれからだよ」
塞の言葉には硬質は響きがあった。
それからもう一人。敵として戦い、俺達が殺したはずの人物のことを尋ねてみる。
京太郎「弘世菫の死体は出たのか?」
塞「彼女なら……」
塞が言いかけたところで、乾いたノックの音が響き言葉尻を遮った。
回診だろうか? 俺は入室許可の返事をドア越しに返す。
?「失礼する」
扉が横に滑り、開け放たれた入り口から背の高い女性が現れる。
美しい群青の髪を腰まで靡かせ、姿勢良く伸びた背筋と隙のない佇まい。凛然とした雰囲気の女性。
白糸台の弘世菫が立っていた。手には果物の詰め合わせの籠が提げられていた。
13
京太郎「お久し振りですね。弘世先輩」
菫「ああ」
俺は特に驚かない。
目覚めてから暇潰しにいろいろと思考を巡らした結果、その予想は現実と寸分も違わなかった。
京太郎「元気そうでなによりです」
菫「君は、そうでもないな」
俺の皮肉にも顔色を変えない。
菫「どうして生きているのか? とは聞かないのだな」
京太郎「ええ。そちらも予想できています」
あの時、再帰性反射によって頭部を打ち抜かれた筈の弘世先輩の輪郭は不明瞭だった。
そのことから類推すると結論は一つ。
京太郎「狙撃していると思われた弘世先輩は電磁光学系第二階位〈光幻軆(イリュー)〉による、立体光学映像の幻像だったということですね」
俺の分析に弘世菫は顎を引いて肯定する。
14
塞「何故生きてるのかとか、そんなことはどうでもいい」
塞「何しにきたの?」
敵愾心を隠そうともせずに塞はベッドと入り口の間に立つ。
そんな殺気立たなくても……っと思うがなんとなく雰囲気が怖いので黙っておく。
菫「もちろん。意識が回復したと聞いて、見舞いに来た」
そういって差し出された果物の盛り合わせを、塞は受けとらない。
いや、そんな高級そうなのは取り敢えず貰っとけって。メロンとか久し振りに食べたい。
手渡すのを諦めた弘世は手近にあった台に置く。
菫「すまなかった」
そういって弘世菫は腰を折った。
面食らった俺は二の句が継げなかった。塞にしても同様だった。
15
菫「まさか、自分が暗殺事件の片棒を担がされていたとは気付かず……いや、薄々感づきながらも従ってしまった」
菫「君達には迷惑をかけた。すまなかった」
振り返った塞が言葉を捜していた。
俺は視線を弘世先輩へ戻す。
京太郎「一つ、聞いていいですか」
菫「なんだ」
京太郎「あの狙撃を指示したのは誰ですか?」
そこで弘世先輩は静かに顔を上げた。
何かを言おうとしてやめる、という動作を数回繰り返す。話すべきかどうか迷っているのだろう。
それでも迷いを振り切るように、一度首を振り答えを述べた。
菫「上からの指示だ」
塞「上? まさか署長から直接指示が出されたってこと?」
もしそうなら、警察の醜聞なんてレベルの話ではなくなる。
菫「違う。もっと上からの指示だ。名前は明記されてなかったが政府の要人から直接封書で指示が出された」
菫「人質をとった立て篭もり犯のアジトを突き止めたから、合図があったら犯人を狙撃して制圧しろというだけの簡潔なものだった」
16
弘世先輩は、自らの手を白くなるほど強く握りこんでいた。
俺にはかけるべき言葉が見付からなかった。
室内には静謐が満ちていた。時折聞こえてくる室外からの雑音だけが、まるで異国の言葉のように響いていた。
塞「弘世さんの敗北感は間違っている」
塞が静かに、けれで決然と言い放った。
京太郎「どういうことだ?」
塞「それは近々……」
今日、二度目のノックの音が聞こえてきた。
俺達は顔を見合わせる。
菫「それでは、私はそろそろ」
塞「いえ、弘世さんはここにいて。おそらくあなたにも関係のある相手だから」
要領を得ない塞の言葉。弘世先輩が答えを求めて俺を見るが、そんなもの俺が持ち合わせているわけがない。
17
藤田「やぁ。生きていてなにより」
現れたのは事件の中心人物。藤田靖子外交防衛委員会理事。
以前のゴシック調の趣味丸出しの服装ではなく、高級そうな女性用の背広に礼装用の帽子と珍しく高官といった出で立ちだった。
大物政治家の登場に弘世先輩が息を呑む。俺達はもう慣れてしまったが、先週の自分がこんな感じだったのかと思うと、どこかおかしかった。
京太郎「おかげ様で。見舞いに来てくれたんですか?」
藤田「君達が今回一番のお疲れ様だからな。功労賞といったところだ」
手には先程と同じような果物の盛り合わせが提げられていた。
病院に見舞いに来る人間とはフルーツを持ってくる集団心理みたいなものでもあるのだろうか?
そもそも事件後、閣下はすぐに東京に戻った。記者会見だなんだで多忙な筈が何故こんなところにいるのか、どいつもこいつも暇人なのだろうか。
誰とも何し会話が途切れる。弘世先輩は居心地悪そうに身動ぎする。
暫時の沈黙の後、閣下が口を開く。
藤田「今回の君達の働きのお陰で、私とエリナート議員の命は救われた。そしてなにより和平会談により、多くの無辜の民の命が救われた」
藤田「何と感謝の言葉を述べていいかわからない。何か望みはないか? 私に出来ることならなんでもしよう」
京太郎「別に。仕事ですから」
俺は素っ気無く答えた。
何故か特に何かを貰おうとか、そういう欲求が起きなかった。自分が生き残れた。ただそれだけでいっぱいいっぱいだったからだ。
18
塞「閣下。教会での私との約束を覚えていますか」
塞が言葉とともに前に出る。戦いに挑むような声音だった。
藤田「もちろんだ」
塞「では、真実をいただけますか?」
藤田「真実……か。いいだろう、なんでも答えよう」
一拍の間を置き、塞は口を開く。
塞「藤田さん。何故あなたは御自分を暗殺しようとなされたのですか?」
二人の間の、氷河のような冷たい沈黙。
藤田の表情は、先程と幾分も変わっていない。いつもの他人を皮肉ったような典雅な微笑のままだった。
ただ、淡い感嘆の言葉を口の端に登らせただけだった。
藤田「君はなかなか怜悧な頭を持っているね」
塞「お世辞の演技は結構です」
藤田「それは失礼した。約束に従って素直に答えることにしよう」
19
塞の頬に一筋の汗が伝っていた。それはおそらく体温調節の発汗ではなく、強大な相手への畏怖だった。
俺は黙って推移を見守る。
塞「まず、奇妙な点が多過ぎます。あなたはリツベ祭の時、自分以外の議会に送り込んでいるのも含めて六重の影武者を用意したと語った」
塞「にも関わらず、暗殺者達は閣下達の行動を詳細に知り過ぎていた。機密会談の日時や場所まで正確に把握していた」
塞「そして、祭りの最中や移動中でもなく、もっとも警備が強固な会談中を狙って襲撃してくるのは演出にしても過剰に過ぎます」
俺と弘世先輩は完全に傍聴人となっていた。
塞の糾弾が続く。
塞「つまりあなた自身が、情報漏洩を行い、暗殺の結末を制御した。そしてあなたが望むように政敵た国家へ仇なすものたちが一掃された。そんなところですか」
藤田は楽しそうに頷き、懐から長煙管を取り出す。口に咥えて火を着けようとしたところでここが病院であることに気付いて手を止めた。
肩を竦めながら口から離し、手に取った長煙管を緩く弄う。
藤田「概ね正解といったところか。実は暗殺者というのも私の既知の信用の置ける筋の者でね。私の指示で強硬派に接近させた。暗殺者そのもの制御しなければ、荒事は制御できない」
藤田「そして、臆病で口先だけで考える頭のない彼らに私がわざわざ私自身を暗殺させる為の計画を与えてやり、安全に失敗させたというわけさ」
そこで初めて、藤田の目が弘世菫を見た。
藤田「そこの弘世君は、暗殺者だけでは出るかも知れない私の匂いを消すためと、緊迫感と真実味を出すための単なるおまけだよ」
事も無げに放たれた言葉に、弘世先輩の顔は青ざめていた。
自身の矜持を曲げてまでの行動が、単なるおまけだったのだ。
20
俺は思わず口を挟んでいた。
京太郎「暗殺者のコウガ忍や弘世先輩と、俺と塞そして護衛達に殺し合いをさせてまでですか」
俺の声には畏怖と、そして僅かばかりの怒りを反駁心が添加されていた。
藤田は意外だという風に細く笑う。
藤田「それこそ、死ぬことも忍や護衛達の仕事の範囲だ。死んでもらわなければ真実味に欠ける」
藤田「その為の彼らの死の全責任は私が持つ。私に出来るのは思考することと、責任を取ることだけだからね」
藤田「誤算だったのは君達が予想以上に強かったことだ。まさか全滅寸前まで追い込まれるとは、彼らも思っていなかったようだけどな」
藤田「本来なら狙撃手の弘世君と、塞と京太郎のどちらかには死んでもらう予定だった」
藤田「計画では感情的に強硬派を責める一般人が出るはずだったんだがな」
俺は、俺達は藤田の策謀に戦慄していた。計画通りならこの場にいる半数が死んでいたはずなのだ。
閣下は薄く微笑んでいた。微笑み続けていた。
市役所の久保課長が言っていた言葉の意味はようやくわかった。二人がどこで知り合い、どんな関係なのかは俺は知らない。
ただ一つ確かなことは、この女は信用できない。信用してはならない。
藤田「和平会談は神、いやそんな不確かなものではなく、死んでいった護衛達の命に誓って本物だ。ついでに政敵と仇敵を舞台から退場させただけさ」
21
塞「わざわざ我々を使った理由は?」
藤田「君達という第三者を入れることで、舞台と事件後の証言に客観性が生まれ真実味が増す」
藤田「加えて君達は各咒式師種協会からも孤立していて他の勢力に利用される心配もない」
藤田「同時に君達、特に塞は私の力。本物の国家権力に刃向かおうと思うほど愚かでも勇者でもない」
藤田「何より、観客がいないというのは退屈だ」
螺鈿彫りの指輪が嵌められた人差し指を立て、藤田理事は片目を閉じて笑ってみせる。
藤田「最後の一つと、あの時教会で塞が口にした日本が支払う代償はまだ秘密だ。後のお楽しみに取っておこう」
そういって、理事はベッドを避けて室内をゆっくりと横切る。誰にもその歩みを遮ることは出来なかった。
藤田の視線は窓の外、遠くに見えるリツベの街並みの注がれていた。
無駄な抵抗が俺の口を衝いて出た。
京太郎「無駄にややこしくて、無意味な策謀ですね」
藤田「私の趣味だよ。人が織り成す裏切りと陰謀、闘争と死。そして愛。極めて劇的だと思わないか?」
振り返ることなく、藤田が問うてくる。
顔を見なくてもその口元が薄く笑っているのがわかった。
22
藤田「そうだ、報道番組を点けてみたまえ。面白いものが見れるよ」
俺は塞と弘世先輩を順に一瞥し、それから備え付けの平面テレビの電源を入れる。
局を回し、報道番組に合わせる。
『……停めてあった車が爆発し、焼け跡からエリナート議員の御息女であるエイスリン・エリナートさんが遺体で発見されたとされ、警察と消防で事実確認を続行中と……』
京塞「「はぁっ!?」」
俺は思わず立ち上がっていた。
そのままテレビの画面に詰め寄り、食い入るように画面を見詰める。
何度も見直しても「エイスリン・エリナート(17)」の文字。それは間違いなくエイスリンさんだった。
続く報道では、娘と護衛達の死に激しく憤慨しリツベ内にある外資系の軍需産業を激しく糾弾するエリナート氏が映っていた。
京太郎「どういうことだよ! なんでエイスリンさんが!?」
塞「こっちが聞きたいよ! なんで今になって、」
目を見開き、言葉尻を消失させた塞が別方向に顔を向けた。
視線を辿ると、その先には一人の女性が、精神の怪物が静かに佇んでいた。
23
塞「あなたが、やったんですか?」
藤田はゆっくりと振り返った。
藤田「そうだ。といったらどうする?」
そう問いかけた口元は酷薄な笑みを湛えていた。
俺は腹の底にドス黒くそして熱く煮える溶岩のようなものが溜まっていた。
相手は国益のためとは言え、多くの人間を、なんの罪も無い留学生の少女を無残に焼き殺した悪魔だった。
それでも、俺は……俺達は動くことが出来なかった。
藤田「君達に私をどうこうすることは出来ない。何故なら、君達はこの斜陽の国に私が必要だと理解しているからだ」
その通りだった。相手は表向きには救国の英雄。対して俺は医学的奇跡で生き返った病人。
正式に真実を公表しても、俺の正常性が疑われるだけだ。実力で排除するなどもっての外である。
藤田「これは戦争なのだよ。戦争の前の戦争だ。戦争を起こさないための戦争だ。その為に必要な犠牲なら私はそれを厭わない」
俺は目の前の女に恐怖していた。
すべては藤田靖子理事の掌の上だったのだ。
どの地点においても関係者は安全で、どうなろうと理事の望んだ結果だけが出る。
強硬派もすべて脚本通りに動いた。俺も塞も弘世先輩も単なる添え物だった。
予定された死亡者名簿の一人にすぎず、味方であるニュージーランドすらもう一つの役目を負わされているだけだった。
その結果がエイスリンさんの死という残酷な現実だった。
24
藤田「さて、では私は次の舞台に向かうとしようか。そうそう暗殺に関わった狙撃手はについてはこちらで工作しておいたから何も心配はいらないよ」
弘世先輩は返答に窮したようで、ぎこちなく頷くだけだった。
典雅に微笑み理事は病室の扉へと向かっていく。
その笑みが、俺には何か更なる不吉なものに見えた。まるでまだ何か切り札を隠しているような、そんな笑みだった。
傍らに立つ塞は青い顔をして俯いていた。
弘世先輩も、堪えるようにただきつく唇を引き結んでいた。
〈竜〉や〈異貌のものども〉を前にしても立ち向かっていく、歴戦の攻性咒式士達が無力な小娘のように立ち尽くしていた。
相棒の消沈した横顔に、俺の中の感情は噴火していくのを感じた。
俺は塞の肩に手を置きながら、前に出る。ゆっくりと塞が俺を見上げてくる。
俺は去り行く藤田の背に言葉を叩きつける。
京太郎「俺達を上手く利用したと思っているんでしょうね」
藤田理事は振り返ることなく立ち止まる。
京太郎「塞はあんたの計画に薄々気付きつつも無視した。こいつはあんたの計画がこの街の、国の人々の為になると信じて敢えて無視したんだ」
京太郎「わかるか? こいつは、塞は、祭りとアイスクリームを嬉しそうに食べる少女の笑顔を肯定し守るといった。その言葉を、信念を信じたかったんだ!」
塞「京太郎……」
俺はただ、藤田の背を見据え続けていた。
藤田「では、その気遣いに感謝しようか」
京太郎「それだけでは料金が足りない」
25
俺は前に一歩踏み出す、ことが出来なかった。
肩に置いていた俺の手に、塞の手が重ねられ、行かせまいと必死に繋ぎ止めていた。
俺は相棒の顔を見詰め返した。瞳には意思の力が戻っていた。輝きを取り戻した双眸の嵌まる顔が静かに左右に振られた。
塞「理事、リツベ祭の意味を知っていますか?」
藤田「詩人りつべの騙まし討ちの意味? 単純に目的のためなら、手段は正当化される。かな」
塞「違いますよ」
塞は言葉を切り、そして続けた。
塞「その本当の意味は『あらゆる行為は必ず誰かに記憶される』、です」
藤田「少々捻りの無い言葉だが、なるほど覚えておこう」
そこで初めて藤田理事が振り返り、優雅に会釈をすると今度こそ去っていった。
菫「あれは、なんと言うかすごいな。想像以上の怪物だ」
今まで傍聴に徹していた弘世先輩が静かに零した。
俺達はただ力なく笑うだけだった。
今まで正義感や倫理で生きてきたことはあまり無いが、それでも他人に利用されるのは不愉快だった。
爆裂や砲弾、熱線や雷撃を放つ咒式使いも、魔剣を振るう咒式剣士も、なんの武力も持たないただ一人の怜悧な頭脳の策謀の前に手も足も出なかった。
突然、病室の扉が勢いよく開いた。今日は来客の多い日だと、どうでも良い事に気付いた。
エイスリン「キョウタロウ! メ、サマシタッテ、ヤスコガ!」
そこに立っていたのは留学生のエイスリン・ウィッシュアートだった。
26
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翌日、病院を無事に退院した俺は久々の我が家兼事務所の中を徘徊していた。
イラついて動き回り、室内をあっちへこっちへ右往左往していた。
塞「ちょっとは落ち着いてよ鬱陶しい」
京太郎「なんでそんな冷静なんだ、お前はムカつかないのか?」
塞「そりゃ、少しは腹立つけど」
長椅子に座る女の視線は中央の長机に、正確には投げ出された封書に向けられていた。
それは今朝、朝一で郵便受けに投函されていた封書。黒い封筒は金縁の装飾。
裏返したそこにはルクセィン・エリナートの署名とエリナート家の封蝋という古風でご大層な手紙だった。
内容は、今回の事件の感謝と例のニュースの真実。それから今後のエイスリンさんの事だった。
簡単にまとめると、エイスリンさんはエイスリン・エリナートとして暗殺に巻き込まれ社会的に死亡したことにするということ。
今後は留学生としてではなく、藤田が用意したらしい新たな国籍で日本に帰属しエイスリン・ウィッシュアートとしてリツベで暮らしていくということだった。
新聞の紙面では、娘の死を武器に今後は自国内に潜む主戦派を燻り出していくと主張するエリナート氏の会見記事だった。
藤田理事とエリナート議員の手腕で、国際問題にこそならなかったものの、暫定議会によって緩んだ両国の関係はこれでまた少し緊張することとなった。
京太郎「クソ! 結局あのおっさんも共犯で、自分の娘の生き死にすら姦計の一部かよ」
俺は怒りを拳に乗せて打ちっ放しになっているコンクリの壁に叩きつける。
硬い質感と、手の痛みだけが跳ね返ってきた。
27
塞「私は、そうは思わない」
片膝を抱えていた塞が静かに返してきた。
俺は相棒に向き直る。
京太郎「何でそう言える?」
塞「確かに、エリナート氏はエイスリンの死亡をでっち上げて、それすら自国の強硬派残党の追求材料にしたけど」
塞「あの時の氏の言葉と目はそんなんじゃ無かった」
京太郎「お前がそう思いたいだけじゃないのか?」
塞「それもある。けど、今なら暗殺の悲劇の犠牲者として遺族年金も出る。お金に困ることも無く、今後のエイスリンのリツベでの生活は安定する」
京太郎「んなもん。わかるかよ」
塞「そうだね。でも、妾腹の子として自国で隠れて暮らすよりはずっと自由なんじゃないのかな」
そういえばエイスリンさんは日本を豊かで平和だと言っていた。
もしかしたら祖国では苦しい生活をしていたのかもしれない。
京太郎「行き場を無くなった者が最後に流れ着く街、か」
独り言ちた俺に、塞からの返答はなかった。
俺は対面の長椅子に乱暴に腰を下ろす。落ち着かないので両腕を首の後ろで組み、肘掛を枕代わりにして寝転がる。
寝返りを打って背凭れに顔をうずめる様に向きを変える。次第に意識が混濁し、やがて意識が眠りに落ちていった。
【To be continued】
ちょっと菫さん扱い悪かったけど今後は原作におけるベイリックみたいな立ち位置でちょくちょくお世話になるんでまぁそれでってことで
地上4000キロの空飛ぶタングステンを撃ち落して貰わないといけなしね
ようやく現在の話の半分くらいってとこですかね
気付いたっていうか、薄々気付いてたけどこれ銘打つなら宮守編って感じですね
それではまた
第九話「立ち込める暗雲」
1
ビルとビルの谷間の底。
女は疲労困憊していた。
女の絶大な力をもってしても自然の摂理に反する〈究極の咒い〉を連続で行使して平然としてなどいられなかった。
マルグリィッド「これ程の、強大な咒いは、我でも、辛いな……」
目標との接触時に受けた咒いの波長を基に、命を削るほどの超広範囲探知の咒いを使ってもついには目標を捕捉出来なかった。
しかし、つい先ほどどこの誰だかわからないが、目標の位置を知らせる咒信号を発しているのを捉えた。
すぐにでも復讐の儀を始めたかったが、目立つ昼間に動くわけにはいかない。また、目標のいる癒しの施設には無関係の者達も多くいる。
何故かはわからないが二つの目標の近くにいた礼服の女は常に強力な咒い士を周囲に控えさせていたため、安易に手を出すことが出来なかった。
そしてついには先日のような不手際を起こしてしまった。
視線を上げる。湿ったアスファルトの上には漆黒の毛並みをした一匹の黒猫が立っていた。
その黄金の目が不思議そうに女を見上げていた。
マルグリィッド「我がおかしいか? 猫族よ」
黒猫は怯えることなく静かに小首を傾げていた。
マルグリィッド「汝は怯えないのだな」
2
マルグリィッドはビルの壁面に背を預け、重力に従って腰を落とした。
女はリツベに不慣れに過ぎた。その結果が先日の不手際だった。
標的のことを尋ねようとしただけで、街の者達は自分に触れようとしてきたり、襲い掛かってきたりした。
止むを得ず自己防衛しようとして、加減がわからず殺してしまった。
マルグリィッド「不手際といえば、まさか標的が別の者に殺されそうになるとは」
魔女の唇には皮肉な笑みが浮かぶ。蒼白となっていた顔に嵌る瞳には緑の炎。
マルグリィッド「だが目標は蘇生した。目印もつけた。後は目的を完遂するのみ」
黒猫は小さく「にあ」と鳴いた。マルグリィッドは我ともなしにそちらに手を伸ばす。
白い指先が顎先の毛に触れる瞬間、猫はそれをひらりとかわし、まるでパーティーを去る貴婦人のように優雅に通りの向こうへ消えていった。
女はもう一度、小さく笑った。自嘲の笑みだった。
マルグリィッド「やはり、我は正気を失っているらしいな。猫族と戯れようなどと」
血族の掟に背き故郷を捨ててまで、愛しき背の君とかつての一族の誇りを取り戻そうとしたのは間違いだったのだろうか?
故郷の古老達は予めこうなることを予想していたのだろうか。
急がなくてはならない。古老達の放った苛烈な追っ手はすぐそこまで迫っている。
だが、その身の内を灼く溶岩のような復讐心を静めることは出来ない。今は咒力の回復を待ち、機会に備えるしかない。
女の意識は束の間のまどろみの中へと深く沈んでいった。
左手が開かれ紙片が落ちる。そこには金髪の少年と、赤毛に片眼鏡の少女の顔。そして事務所の所在地が描かれていた。
黒い衣装が踊り、女の全身を包む。黒い防壁の上空、路地に球体が浮かんでいた。
透明な外殻の内部に、薄桃色の物体が詰まっていた。球体は小さく明滅していた。
浮遊する球体は女を守護するように、静かに空中で静止し続けていた。
3
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
数日振りの爽やかな目覚めだった。
最近は通り魔に襲われて徹夜したり、生死の境か生還したりと碌な目覚め方をしなかった。
開け放った窓から、緩く吹き込む朝特有の白んだ空気が肌寒いながらもどこか心地よかった。
薬缶に水を注ぎ、火にかけてから玄関を出る。
郵便受けに手を突っ込み新聞と請求書、封書の束を掴んで応接室に戻る。
適当に眺めていくと、一枚の封書が目に留まる。咒式士最高諮問法院からだった。
いつの間にか調査されていたらしく俺が十二階梯、塞が十三階梯に到達したという実力認定の通知だった。
併せて資格申請の書類もあったが、資格が上がると法的に使用できない咒式が増えるので面倒だ。
肩書きは後でいいだろうと机の上に投げておく。
沸騰した薬缶のお湯をコーヒーメーカーに入れて豆を蒸らし、続いて用意しておいた二つのマグカップに注いでいく。
足音と物音。階段へ続く奥の扉が開く。
塞「ふあぁ、おはよ……」
朝の爽やかさを吹っ飛ばすように、欠伸を噛み殺しながら塞が姿を現す。
寝ぼけ眼とはまさにこのこと。半眼を擦りつつ、爪先にスリッパを引っ掛け、眠気を引き摺りながら応接室に入ってくる。
京太郎「おう。お前、今、女としてかなり終わってるぞ」
塞「人間としても生物としても終わってる京太郎には言われたくない」
俺は、人間と両生類の合成生物の出来損ないのような戯画が描かれたマグカップを机の上に置く。
京太郎「コーヒーここ置いとくから、顔洗って来い」
塞「ん、ありがと……」
短く礼を言い、塞は奥へ戻っていく。
4
洗面所から帰ってきた塞と向かい合って朝食をとる。
キツネ色に焼き跡のついたトーストと、目玉焼きに、レタスにプチトマトのサラダ。いたって普通な朝食の献立だった。
京太郎「リツベが動いたな」
塞「ホントだね」
トーストにイチゴジャムを塗っていた塞が手を止め、新聞に視線を落としながら同意してくる。
塞「確かにすごい事になってるね」
塞「松山フロティーラまさかの十二連敗。これはプロ麻雀史上最高、いや最低の十四連敗に到達するかもね」
京太郎「そっちじゃねぇよ! いや、そっちも重大だけど、そっちじゃない。政治面だ」
塞が興味なさそうに新聞のページをめくる。いや、俺も興味ないけどそんな嫌そうな顔するなよ。
記事によると、藤田理事がリツベ市を再訪問しているということだった。
一昨日会ったのでそれは知っているが、市庁舎でリツベには感謝してるとかなんとか言いに来たらしい。
明日にはまた首都に帰るらしい。見舞いの時も思ったが忙しいのか暇なのかよくわからない人だ。
塞「ふぅん」
続く記事を塞の視線が追っていく。
そういえば、藤田の記事に気を取られてそれ以降の記事を読んでいないことに気がついた。
5
塞「ニュージーランドのティエンルン合意批准は、失敗に終わった」
塞「鹿児島赤山から経済制裁を受けていたニライカナイ、旧鹿児島奄美群島が沖縄の援助を受ける……ん?」
視線を落としていた塞が顔を上げる。
塞「ちょっと待って。ティエンルン合意批准を進めていたウェルズリー議員といえば、クロヴィス議員の反対派閥だったはず。つまりエリナート議員とも政敵ってことだよね?」
塞が何を問いたいのか俺にもなんとなくわかった。
京太郎「深読みすれば、条約批准は藤田理事が〈賢龍派(ヴァイゼン)〉に干渉してやられた、ってことか?」
塞「その蓋然性は高いと思う。けど、竜族に対する取引材料が足りない」
京太郎「それに、どうにもあの人がやるにしては遊び心が足りない気がする」
塞の指先がフォークの握り、先端に突き刺したプチトマトが薄い口唇に飲み込まれていく。
すでに食べ終わっていた俺は、食器を重ねてシンクへ運んでいく。
塞は他の記事にも目を通していた。
6
塞「連続咒式師殺人の続報が来てるね」
京太郎「へぇ、どんな?」
塞は俺にもわかるように内容を読み上げていく。
塞「昨日午後、事件の容疑者として逮捕された少年の現場見聞を行うための護送車に、遠隔咒式火砲が撃ち込まれた」
塞「容疑者の少年は即死。護送に当たった警官四人と運転手が重症で、群衆と報道関係者にも被害が出たらしい」
塞「事件後、報道機関や新聞社に〈反咒式共同人民解放戦線〉から声明文が届いたって。内容は『咒式による殺人をここに裁く』だってさ」
俺は食器を洗いながら、苦笑する。苦笑するしかない。
京太郎「俺達の事務所にもたまに電話とかメールが来るよな」
塞「この事務所は私達二人だけだけの零細事務所だから、そんな底辺にまで連絡を寄越すってことはリツベにある咒式事務所全部に送ってるんだろうね」
ようやく朝食を食べ終えた塞が自分の食器を持って俺の隣に並ぶ。
一歩除けてスペースを作る。蛇口から出る水道水で使用済みの食器を洗っていく。
塞「被害者も加害者も、加害者の加害者もみんな咒式使い。しかも咒式による殺人を裁くと言って、自分達も咒式で人を殺す論理錯誤」
咒式士と一般人の溝は深まるばかりだった。
京太郎「俺達にとって重要なのは、これで真実は永遠に闇の中。もう警察も利用できないし誰も助けてくれない」
塞「いつだってそうでしょ」
7
学校の身支度を整え事務所を出る。
鍵と防犯装置を掛けていた俺へ、先に立って前髪を弄っていた塞が向き直ってくる。
塞「そうだ。今日のお昼一緒に学食行かない?」
京太郎「昼飯までお前と一緒するほど心が荒んでない」
塞「話しておきたい事がある」
京太郎「今じゃダメなのか?」
真剣さを加味した表情で塞は頷く。
塞「少し思考を纏めない。けど放課後だとたぶん遅いかも」
京太郎「わかった。その代わりレディースランチを俺の代わりに注文してくれ」
塞「レディースランチ?」
京太郎「好きなんだよ。うちの学校のレディースランチ」
塞「ふ~ん。変なの……」
京太郎「うるせえやい」
俺は相棒を置き去りにして前を歩く。
背後に続く軽やかな足音が俺の影を踏んでいた。
8
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
一週間振りの学校は以前とあまり変わらなかった。
ただ、級友達が各々退院祝いの言葉を投げかけて来た。話によると、俺は交通事故で入院していたということになっていたらしい。
咲の配慮だろうが、変な噂が立つよりはいいだろうと適当に流しておく。
自分の机に向かおうとする俺の前に一人の女生徒が、行く手を塞ぐように立ちはだかっていた。
優希「京太郎……」
京太郎「優希か」
俺は静かにその名を呼んだ。
次の瞬間、詰め寄ってきた優希の小さな拳が俺の顎先を打ち抜いた。
俺は床を見ていた。体重も乗っていないし姿勢も滅茶苦茶。だけどそれはとても痛かった。胸を撃ち抜くような痛さだった。
優希「犬、京太郎の、アホォ!」
自らの拳を抱きながら透明な涙を流す優希の震える肩に、優しく手を掛ける女生徒がいた。
和「優希」
和は昔なじみの親友に優しく声を掛ける。慈しむような優しさだった。
優希は親友の、その豊満な胸へ抱きついて顔を埋める。普段なら羨ましいと感じるところだが、さすがに今はそんな感慨は浮かばなかった。
和「でも、本当に無事快復して良かったです。本当に……」
優希の頭を撫でながら、そういって微笑む和の目元にも薄っすらと涙が滲んでいた。
京太郎「すまない。心配掛けた」
和「ホントです。この埋め合わせはいずれきちんとしてもらいますからね」
涙は女の武器というが確かにこれは強力だ。俺にはそれに抗うすべが無い。
悪戯っぽく笑う和へ、俺は頷くことしか出来なかった。
9
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
塞は僅かに狼狽していた。
教室全体が異様な空気に包まれていたからだ。
その空気の中心は一目でわかった。
窓際の席に、居心地悪そうに小さく座っているエイスリン・ウィッシュアートだった。
人並みに報道を目を通していれば、藤田理事の暗殺未遂事件を目にするだろう。
そうなれば、事件に巻き込まれた被害者のエイスリン・エリナートの名前も当然知っているはずだ。
家名が違っても、ニュージーランドからの留学生という符合に誰もが懐疑の念を抱く。
いつもは雑談と喧騒で満ちる朝のHR前の教室は不気味の静まり返り、微かな囁き声だけが聞こえてきた。
親友の胡桃も今は自分の席に座り、しきりにエイスリンへ、正確にはその少し前方へ視線を送っている。
エイスリンの前の正面に座る白望だけが、教室の雰囲気も気にせず机に突っ伏して小さな寝息を立てていた。
塞「……」
塞は一度目を瞑り、小さく深呼吸する。
塞「おはよう!」
そして臆することなく、快活な朝の挨拶と共に教室に踏み込んだ。
10
教室全体がにわかにざわめき立つ。
視線が塞へと集中するが、塞自身は気にせず教室内を横断していく。
鞄を置き、魔杖剣をロッカーに押し込む。
通り際に胡桃にも挨拶をする。
塞「おはよ、胡桃」
胡桃「う、うん……おはよう」
胡桃は曖昧に頷くだけだった。
塞はさらに窓際の白望の許まで向かう。
塞「シロ、おはよう」
白望「ん~……」
白望は傍らの立つ塞に顔も上げずに手を振ってみせる。どうやらそれが朝の挨拶ということらしい。
塞「相変わらずのめんどくさがりだね」
やれやれといった感じで腰に手を当て、呆れた表情を作る。
その視線が左に動く。
塞「おはよう。エイスリン」
エイスリン「Good morn……ア、エット、オハヨウ。サエ」
11
はにかんだ様に笑うエイスリンへ、塞も笑い返す。
精巧な陶製人形のようなその顔には安堵の色が浮かんでいた。
塞「これからはずっと日本にいるんだっけ?」
エイスリン「ア、ハイ!」
塞「改めてよろしくね」
エイスリン「コチラコソ、ヨロシクデス」
塞「この辺の地理にはもう慣れた?」
エイスリンは小さく首を振る。手にした画板にペンを走らせ、道に迷っている自分の絵を描く。
塞「そっか、じゃあ今度また案内するよ。生活用品も揃えないとだし、」
胡桃「あの、塞!」
話を続ける塞の言葉を、いつの間にか近くに立っていた胡桃の声が遮った。
塞「ん? どうしたの? 胡桃」
胡桃「えっと、塞ってウィッシュアートさんとそんな仲良かったっけ?」
12
胡桃の疑問に、塞はまるで今気付いたかのように軽く笑い飛ばす。
塞「ああ、実はこの前街でたまたま会ってね。困ってたみたいだから声掛けたら、なんか意気投合しちゃって」
塞「ね? エイスリン」
塞は異邦の少女へ、片目を閉じて賛同を求める。
エイスリン「ハイ。サエ、イッパイタスケテクレマシタ」
多少ぎこちなかったが、それでもエイスリンは塞の言葉に同意した。
塞「ねぇ胡桃、まだお互い知らないこともあるし戸惑うこともあるけどさ、私達がここに編入して来た時もみんな快く受け入れてくれたんだ」
塞「だからエイスリンのことも、受け入れてあげようよ」
碧玉の瞳が親友から、教室全体へと向けられる。
塞「みんなも、怖がったり不振に思わないでさ。エイスリンはとても良い子なんだ。人のことを思いやれて、優しく出来る」
塞「だから、どうか受け入れてあげてくれないかな。お願い!」
そういって塞は頭を下げた。その姿に生徒達は呆気に取られていた。
互いが互いの顔を見合わせる。小さな背中が、塞を避けてエイスリンの前に立っていた。
胡桃「私は鹿倉胡桃。よろしくねウィッシュアートさん」
13
薄い胸に手を当てて自己紹介をする胡桃へ、エイスリンは僅かに戸惑う。
エイスリン「ハイ。エイスリン・ウィッシュアートデス。ヨロシクデス」
しかし、ぎこちないながらもしっかりと返事を返した。
どちらともなしに、二人は笑い合った。それが合図となった。
教室中の生徒がエイスリンへと詰め寄ってきたのだ。
「よろしくなウィッシュアートさん!」
「嫌な態度とってごめんね? 私は……」
「俺はサッカー部の……」
我先にとエイスリンへ話しかけていく生徒達。
人の波から逃れた胡桃と塞は、遠巻きにその様子を眺めていた。
胡桃「みんな、ホントはウィッシュアートさんと仲良くしたかったんだね。現金なの」
塞「胡桃も人のこと言えないでしょ」
胡桃「あ、あはは。まぁそれはそれってことで。そういえばさ」
胡桃は塞へと身を寄せる。身長差があるので、塞が小さく身を屈める形となる。
胡桃「実際のとこどうなの? ウィッシュアートさんと、塞の「仕事」って関係ないの?」
塞は少し考え、悪戯めいた笑いを口元にのぼらせた。
塞「それは企業秘密かな」
胡桃「なにそれ」
呆れた声を出す胡桃と、微笑み続ける塞。
さらに喧騒で睡眠を妨害された白望が緩慢に顔を上げた。
白望「ダル……」
その小匙一杯分もやる気の無い声は生徒達が放つ騒音に混じって、誰にも拾われること無く溶けて消えた。
14
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
昼時の学食は腹を空かせた生徒で賑わっていた。
俺と塞は人目に付き難い、隅の方のカウンター席に肩を並べて座っていた。
俺の前には塞が代わりに注文して来てくれたレディースランチ。反対に塞の前には俺が注文してきた月見蕎麦が置かれていた。
京太郎「で? 話したいことって?」
俺はレディースランチを胃に詰め込みつつ、隣に座って蕎麦を啜っている相棒に横目で問う。
塞「ちょっと待って」
塞は取り出した携帯を操作する。呼び出されたのは電子メールの文面だった。
塞「千里山の船久保さんからの情報。ウルズなんて地名も人名の存在しないし、」
塞「重力系で少なくとも私達が提示した条件に当てはまるマルグリィッドなんて人物も存在しないそうよ」
向けられた画面の文章通信を見ると、確かにその旨は記されていた。
さらに読み進めると、EMESやENOKの経歴情報にも該当なし。
塞「咒式士としての資格試験を受けたこともないし、公開咒式の購入履歴ないことになるね」
京太郎「正規の咒式組織や学院、師匠に学んだことがない咒式士か。いないことはないだろうが少ないだろうな」
京太郎「しかも、あそこまで強力となれば逆に有名でもおかしくない」
俺は可能性を探っていく。
京太郎「すべての条件が組み合わさるとなると、じゃあ俺達を襲ってきたのだ何処の誰さんだ?」
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塞「もう一つ、情報がまだだった」
今度は電子文章ではなく、回線で通信を繋ぐ。
咏『塞か? やっと掛けて来たねぃ?』
相手は咒式具屋の咏さんだった。
そういえば先日、襲撃者の身元調査を依頼していたんだと思い出す。
咏『やっと報告が出来るねぃ。あんたらがこないだ預けてきた破片から大変なことがわかった』
咏さんの声が一変、いつに無く真剣な声音となる。俺は聞き漏らすまいと、塞に身を寄せ耳を傾ける。
咏『あれは鎧や衣服なんかじゃない。重力咒式で超圧縮を掛けて組成を変化させた、生物の生体組織だねぃ」
普段、飄々としている店主の声には僅かな怯えがあった。
塞は強引に礼を告げ回線を切る。
塞「嫌な予感が的中したかも」
京太郎「どういうことだ?」
問いに対する答えが無かった。
しばらく無言で料理を食べていく。
見ると塞の丼には月見が残っていた。
京太郎「塞って、卵嫌いだったっけ?」
その割りには今朝の目玉焼きは普通に食べてたような。
塞「ああ、これね」
塞は小さく笑いながら、丼の縁に口を着けそのまま卵を丸呑みにした。
塞「ん、おいし♪」
京太郎「蛇かお前は」
相棒の変な食べ方に俺は呆れるしかない。
塞「絶望的な状況だけど、光明が差してきた」
そういって塞は、食べ終えた食器を持って立ち上がる。
塞「放課後また合流しよう」
今一要領を得ない俺を置き去りにして、塞はテーブルの間を進んでいく。
食器を持って去っていく塞の背を見ながら、俺は短く嘆息した。
ここでいったん区切ります
この後はそれほど続かないですが
今回こいつら食ってばっかですね
宮守って基本5人とも仲良くて一緒にいるのがデフォみたいになってるから
全員揃ってなくてしかも打ち解ける前の話を書いてると自分でも不思議な気持ちになります
それではまた
16
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
学生食堂を後にし教室に戻った塞が目にしたのは、今朝とは違う不思議な光景だった。
クラスメイト達は各々仲の良い友達グループに分れ、弁当箱を広げたり購買で買ってきたパンを齧りながらそれぞれ自由に昼休みを過ごしていた。
そこは普段通りなので問題ない。問題は窓際の二つの席である。
一つは友人の小瀬白望。彼女は机に頬をつけたまま、パンを口に咥えそれを手も使わず器用に頬張っていた。
めんどくさがりを通り越して少々変人くさい光景だがそれは今は一旦いい。置いておく。
問題はその後ろの席だった。
胡桃「エイちゃんは、リツベ祭は回ったんだよね?」
エイスリン「ウン! タノシカッタ」
胡桃「西岸の方には行った?」
胡桃の質問にエイスリンは可愛らしく首を左右に振る。
胡桃「そっか。じゃあ今度みんなでいこっか。向こうにね、イワナガ地区って行ってすごく大きな神社があるから」
エイスリン「ジンジャ? ジャパニーズ・チャペル!」
胡桃「そうそう。いや、私も詳しく知らないんだけどたぶんそう」
古くからの友人と、新しい友人は一つの椅子に2人で座り机の上に広げたリツベの観光案内の地図を顔を突き合わせながら覗き込んでいた。
塞「2人とも、何してるの?」
呼び掛けると、胡桃とエイスリンはまったく同じタイミングで顔を上げる。
胡桃「あ、塞。お帰りー」
エイスリン「オカエリ!」
塞「うん、ただいま。2人で何してるの?」
その質問に再びまったく同じタイミングで顔を見合わせる。
胡桃「なにって、週末の遊びの予定決めだよ。ね?」
エイスリン「ネ!」
顔を見合わせて微笑み合う二人。
塞は眉を顰めながらながら、小首を傾げた。
塞「なんだろう。この敗北感」
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◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
電子合成された終礼の鐘が教室内に響く。
俺は広げていた授業用のノートと教科書を手早く鞄に押し込み、足早に教室を出ようとする。
っと、そこで後ろから声を掛けられた。
優希「犬ぅーっ!!」
声と呼称で振り返らなくても誰かわかる。
京太郎「前々から言ってるが、誰が犬だ誰が!」
優希「私が犬と言えば、それは京太郎以外いないじぇ」
自信満々に腕を組んで豪語しやがる。
急いでいるので、用件だけを問い質す。
京太郎「で? なんか用か?」
優希「うむ、それはだな」
和「優希が、須賀君の快気祝いがしたいそうで」
優希の言葉を遮り、歩み寄ってきた和が内容を引き継ぐ形で告げてくる。
咲「私も、あの後バタバタしてたし、よかったらこの後みんなでどこか寄り道していかない?」
学生鞄の紐を弄いながら、咲が上目遣いに提案してきた。
正直、俺はその仕草にめっぽう弱いわけだが。
18
京太郎「すまん。実はこの後、用事があってさ」
俺は拝むように両手を合わせ、軽く頭を下げる。
優希「なにぃー!? この優希様のお誘いを断るとは何事だじぇ!」
和「まぁまぁゆーき。都合が悪いのなら仕方ないですよ」
食い下がる優希を和が宥める。
これも普段通りの光景だが、
咲「京ちゃん……」
その傍に立つ咲の瞳は不安に揺れていた。
咲「また、危ないことじゃないよね……?」
京太郎「あ、ああ……当たり前だろ。ただの書類整理だよ一週間も寝てたからいろいろ溜まってるんだ」
一瞬、言葉に詰まってしまった。
俺は作り笑いを取り繕い、何とか言葉を繋ぐ。
虚実が胸の内に小さな棘を生む。真実を言わないことと、虚偽を述べること。二つの嘘があるがどちらがより罪悪なのかは俺にはわからない。
京太郎「すまん。ぼやぼやしてる相方にどやされるから、俺行くな?」
咲はまだ何か言いたげだったが、それでも言葉が紡がれることはなかった。
挨拶もそこそこに俺は足早に去っていく。後ろから優希の制止の声が追いかけてきたが、振り返ることなく俺は教室を後にした。
19
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
塞は魔杖剣を下ろし、甲板に突き立てる。
荒い呼吸を繰り返しながら、そのまま地べたに腰を落とした。
数分ほど待って、ようやく通常の呼吸が戻ってきた。
俺は相棒の傍らに歩み寄り、手にしていたタオルとペットボトルのミネラルウォーターを手渡す。
塞は自らの頬に滴る汗を拭きつつ、蓋を外して水を流し込み喉を潤していく。
京太郎「理論と実践は違うな」
塞「まぁね」
疲労して立とうとしない塞の横に俺も腰を下ろす。
難破した船舶の屋根に俺達は座っていた。
潮風は吹き、汗ばんだ頬と前髪を揺らしていく。
視線の彼方に水平線と海鳥が見えた。
眼前に広がるのはマスズ突提の風景。景色を埋め尽くすのは船、船、そして船だった。
輸送船が突提に乗り上げて船底を晒し、他にも漁船や小船が重なり、遠くには巨大タンカーに威容も見えた。
20
何年か前の大地震で、停泊してた船舶が津波の押し流され纏めて突提に激突した。
撤去には莫大な予算が掛かるとと予想されたが、行政は元々廃棄が決まっていたマスズ突提の復旧を諦め、今になっても放置されている。別名、船の墓場。
無人の船の墓場で俺と塞はそれぞれ実験しておかなければならない咒式の試験運用をしていた。
特に塞は、数ある攻性咒式の中でも特に危険な咒式であるため入念な組成式の構築と、演算、発動寸前まで組み上げては畳むという行為を繰り返し、ひたすら精度を上げていた。
脇に置かれた携帯液晶画像器には、あの藤田外交防衛理事が映っており、リツベでの事件の声明と、講和交渉への意義と熱意、それによる経済的利益を演説していた。
京太郎「なぁ、塞」
塞「なに?」
京太郎「やっぱ来ると思うか?」
俺の疑問の声が潮風に乗り海を渡っていく。
塞「本気で私達を殺したいなら、まず意識不明の京太郎を千回は刺し殺してるよ」
京太郎「じゃあ、どっちの襲撃もないってか?」
塞「いや、来るって予感はしてる」
塞は自らの魔杖剣の柄を握りこむ。
塞「ただ、物理的な限界は存在する。一連の事件の後始末で理事がリツベに滞在してる今夜までが要注意だね」
塞「あの人の狷介(けんかい)極まる性格からして、自分が特等席で観劇できない「遊び」はおそらく避けるだろうから、今日を乗り切れば大丈夫なはず」
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京太郎「だろう、に、はず、ね。なんか頼りないな」
塞「彼女にとって私達は仇で、また彼女にとって私達が何かの鍵になってる気がする」
俺は小さく嘆息する。
塞「どうかした?」
京太郎「平和な世界で、俺達はいったいなにやってんだろうな?」
塞「そうだね」
俺達の間には一抹の寂寥感があった。
半月ほど前に準長命竜と戦って死に掛け、先週には忍者と戦争ごっこ。
一週間生死の境を彷徨ったかと思えば、今日には学校へ行き普段通りに級友と談笑していた。
世間では、別に悪の組織が世界征服を企んでいるわけでもないし、〈異貌のものども〉が街中に跋扈しているわけでもない。
普通の人々が当たり前のように暮らす傍らで、何故俺達はこんな命懸けの戦いをしているのだろうか。
塞「生きる意味とかそういう言葉遊び?」
京太郎「そうじゃないが、なんていうかたまに酷く現実感がなくなるっていうか」
塞「なんとなくわかるけど、今は自分達が生き残ること。それだけでいいと思う」
須臾の沈黙。
空気を換えるために、俺は一つ提案してみる。
京太郎「なんなら、リツベの他の攻性咒式士を頼ってみるか?」
22
塞は、さも意外そうに俺を見た。
それから胸の前で両腕を交差させバツの字を作る。
塞「無理。他の攻性咒式士を雇うなんてそんなお金うちにはありません。それに友情も不足中」
京太郎「我らを救うのは我らのみ、か。いつもそうだったな」
相棒の視線が右に向けられた。それをなぞって、俺も右を向く。
塞「準備だけはした。急造だけど切り札になる」
京太郎「問題は、実戦で使うには時間が掛かりすぎることと集束率だな」
塞「うん。今の私じゃ、瞬間的な発動が出来ない。どうにかして近距離に誘い込み、罠に嵌める必要がある」
座礁した輸送船や漁船の連なりの向こう。
斜めに傾いたタンカーが七階建てのビル程の大きさの断崖となってそびえていた。
錆付いた壁面の向こうに、太陽光を反射して煌くリツベ湾の海面が見えた。
巨大なタンカーの横っ腹に大穴が開いていたのだ。
分厚い装甲に開いた直径10メルトル程の大穴の向こうには、船倉や船室が円柱状に削り取られその断面では赤熱した構造材が飴細工のように滴っていた。
塞「まぁ気休めにはなると思う。もしもの時は頼りにしてるよ、相棒」
翻った塞の右手の甲が、俺の胸板を軽く叩いた。
相棒の浮かべた苦笑いが、精一杯の強がりだとわからないほど、俺は間抜けでもなかった。
【To be continued】
先週届いた咲全国編三巻のBDのジャケの角の辺りが
後ろのブックレットごと小さくひしゃげてたんですがこういうのって交換してもらえるんですかね?
優希をどうにかもうちょい出してあげたいんですがなかなか思いつかないですね
和は一応「尾を喰らう蛇」でも書こうかなと思ってるんですが
それではまた
第十話「黒き背向に追跡者」
1
訓練を終えて、俺達はマスズ突提を後にし事務所への帰路を歩いていた。
角を曲がって路地に入る。
京太郎「前から少し考えてたんだけどさ」
塞「うん?」
京太郎「いい加減徒歩での移動ってのも効率悪いし、これもどうにかしたいな」
塞「たとえばどんな?」
京太郎「う~ん。単車でも買うか?」
塞「えぇ~う~ん」
酷く微妙そうな顔で曖昧に頷く。
塞「それ、私が予算捻出するの?」
京太郎「いや、まぁうん」
金の話は俺の急所なので適当なところでやめておく。やぶ蛇とはよく言ったものだ。
人通りの少ない寂れた裏路地。近所の猫の悪戯なのか、ゴミ捨て場に置かれたゴミ袋の中腹が破られ、中身の紙ゴミが散乱していた。
道にまではみ出した紙片を踏んで進む。
2
塞「それにしても疲れた」
言いながら塞は肩を回す。
京太郎「まっ、準備がムダになることを祈るよ」
塞「あはは、違いない」
視界の端に閃光。
京太郎「塞っ!」
叫び声とともに、俺は塞の襟首を掴んで引き寄せていた。
煌く銀光が塞の左前腕部を通過していった。塞は傷口を手で押さえることなく魔杖細剣を抜いて後退。
大よその方向に〈爆炸吼(アイニ)〉を放つ。俺は抜き放った魔杖剣を振り抜く。
トリニトロトルエンの爆風が路地裏の空間を砕く。俺の放った刃も空を斬るのみ。
白煙の向こうに人影がチラつく。塞の指先がさらに連続で引き金を引き〈爆炸吼〉を連射。爆裂に次ぐ爆裂。
同様に俺も〈矛槍射(ベリン)〉を二重展開。影を追走して鋼の投槍が駆け抜ける。
吹き荒れる暴風と轟音の中に、三発分の空薬莢が落下する澄んだ音が混じる。
3
俺が壁となり、塞を背に庇いながら後退。安全圏で立ち止まる。
京太郎「無事か!?」
肩越しに塞の傷の状態を確認する。
左前腕部の肉と上着の袖の一部が消失し、薄い黄色の魚卵のような脂肪層と、薄桃色の筋肉繊維が見えた。
断面に赤い斑点が浮かび、血として滲む。滴った血液が地面へと落ちる。
塞「掠っただけ。京太郎が引っ張ってくれたから胴体狙いの一撃が左腕にそれた」
掠っただけというが、決して浅い傷には見えなかった。耐刃繊維の外套でなければおそらく左腕を切断していた。
塞の頬は激痛を堪えて噛み締められていた。
治癒咒式を発動したいが、相手の動きがわからない以上下手に隙を作れない。俺達は膠着状態で周囲を警戒。
地面に落ちていた紙片や広告の紙が爆風で巻きあがる。その間から人影が現れる。
立っていたのは黒一色の上下に幅広の黒い帽子。両手には魔杖刀。その一方が血に濡れていた。
問うまでもない。襲ってくるなら敵だ。今の状況なら相手の正体も大よそわかる。
?「また会えたねー超嬉しいよー」
赤い瞳が嬉しそうに微笑む。
4
背格好と喋り方から、相手は一週間ほど前に遭遇した襲撃者の片割れだとわかった。
今回は単独での襲撃なのかそれとも……。
京太郎「名前くらい名乗ったらどうだ?」
?「岩手から来ました。姉帯豊音です」
姉帯豊音と名乗った女は長身を折って頭を下げた。
そのあまりの律儀さに一瞬呆気に取られた。馬鹿なのかそれとも余裕なのか。
京太郎「存外素直に名乗ったな」
塞「姉帯豊音……聞いたことないな」
俺達の口からはそれぞれ別々の感想が漏れる。
塞「何故、今なの? 暗殺ならそれこそ京太郎が寝てるときに何千回でも出来たはず」
京太郎「わざわざ現れたのは警告、といったところか」
豊音「うん。ある人に言われてね、あなた達を追い詰めろっていわれてるんだー」
満足気に頷いた姉帯豊音は、自身に課せられた命令を告げてくる。
ある人、というのはおそらく藤田理事だろう。
京太郎「今日は一人なのか?」
豊音「? 私はいつも一人だけど?」
ある程度予測していたが、目の前の女とこの間の魔女はまったくの無関係だった。
5
豊音「逆に聞くけどどうして逃げないの?」
塞「この襲撃がお遊びなら、これを乗り切れば劇的展開を好む理事はすぐに飽きる。そして勝算はある」
だがいまだ解けない疑問も残っている。やはり襲撃の理由と時期が不明瞭だ。何故、今なのか。
襲撃者は一つ頷くと、納得したような笑顔を向けてくる。
豊音「そっか。それじゃあなるべく頑張って抵抗してね」
それはヘリウム元素並みに軽い死刑宣告だった。
姉帯豊音は右手の魔杖刀を前に、左手の魔杖刀を後方に引いて構える。
やや変則気味だが二刀流の構えとしてはありえない範囲ではない。
語尾の間延びした呑気な喋り方をしているが、相手から発せられる圧力は本物だ。魔杖剣の柄を強く握る。
塞「気を付けてよ京太郎。相手はかなりやるよ」
京太郎「問題はそこじゃない」
俺は魔杖剣を掲げ、緩やかに前進。徐々に速度を増し疾走へと移行する。
京太郎「問題は俺達が、最初の一撃を見えずに受けたことだ!」
強引に加速しながら俺は間合いを詰めていく。
6
路上で互いの殺傷圏が接触し、俺は上段から魔杖剣の一撃を振り下ろす。
落雷の如き一撃を姉帯豊音は右の魔杖刀で受け止め、金属同士が甲高い悲鳴と火花を散らせる。
相手は俺より上背があるが、膂力では俺が圧倒。重撃に襲撃者の膝が沈む。
しかしそこで両者が停滞。右手での防御に成功したことで、左手が自由に動く。
左手の斬撃を、俺は手首を翻し横薙ぎに走らせた刃で迎撃。左の魔杖刀を弾き返す。
柄を引きさらに追撃の刺突を重ねるが、これを肩口に掲げた右の魔杖刀が切っ先を逸らされる。
俺はそのまま半歩横へずれる。射線が開いたことで、後方から放たれた〈矛槍射〉の銀の槍の群れが脇を通過していく。
姉帯が振るった左の魔杖刀が投槍の群れを両断。前衛咒式士特有の咒式無効化で、〈矛槍射〉の槍は量子の光に分解される。
俺は魔杖剣を旋回させ、牽制を加えつつ襲撃者と距離を取る。
前衛同士の距離が離れたことで今度は〈雷霆鞭(フュル・フー)〉の100万ボルトルの電子の鞭が空を灼きながら殺到していく。
女は戻していた二振りの魔杖刀を前面で交差させ紫電を散乱させながら必殺の一撃を防ぐ。俺の呼吸を読んでの急所狙いの塞の援護だったが逆に見え見えに過ぎたか。
ならば俺が再び前進。中段突きから軌道を変化させ顎先を掠める眉間への斬り上げを放つ。姉帯豊音は半歩引いてこれ回避するが、俺はさらに鋼の乱舞を叩き込む。
刀剣の嵐で襲撃者を圧迫していき、再び放った中段突きを受けて姉帯は後退。
前衛が力で抉じ開けた隙へさらに塞の〈矛槍射〉が飛翔してくる。槍の散弾が姉帯豊音の肩と脇腹を掠め、切り裂きながら通過していく。
俺はさらに前進。射線を探して塞が追走してくるのを背中越しの気配で確認する。
前衛咒式士が間合いを詰めて攻性咒式の発動の時間を潰し、後衛が掩護。それでも凌がれるようなら再び前衛が突撃する基本的な波状連携。
相手がいかに強力だろうと、いずれ手数の差で俺達が勝つ。
7
詰みの一手だと理解した姉帯豊音がさらに後退。俺は力で押せると踏み、追撃すべく前進していく。
目深に被った帽子のつばの奥で赤い双眸が不気味に閃いた。
塞「逃げろ京太郎!!」
咄嗟に俺は首を大きく左へ振る。頚動脈狙いの一撃を躱すが、切っ先が右肩を掠める。傷口が熱となり、一瞬後には激痛と鮮血が吹き零れる。
後方で爆発音。肩越し振り返ると、塞が後方に向かって〈爆炸吼〉を放っていた。
点や線や面ではなく、立体での牽制攻撃。塞は広範囲の爆裂で空間を制圧する。
一瞬の隙に突撃してきた姉帯豊音の突きを受け、俺は大きく後退。後ろ向きで後方を警戒しながら前進してきた塞と背中同士が接触。背中合わせで周囲を警戒する。
距離を開けるために俺が放った〈矛槍射〉を刃で払いつつ、姉帯もいったん距離を置く。
爆風に剣に雷の応酬で、散乱していた紙ゴミがさらに巻き上げられていた。
俺達は周囲を伺いつつ、右へ右へ緩やかに動く。姉帯もそれに合わせて円弧を描く円運動となる。
京太郎「最初と同じだ。突然、背後から攻撃を受けたが、どういうことだ?」
俺の背後には塞がいた。仮に伏兵がいたとして塞の背後ならともかく、俺の死角を狙うのは物理的に不可能だ。
塞「見たままにしか言えないけど、空中から刃が出現するのが見えた。京太郎の右背後からだった」
まったく意味がわからない。が、塞が見たというのならそうなのだろう。状況から見ても信じざるを得ない。
塞「相手は必殺の一撃になりやすいけど、動きが大きく狙いにくい頭部じゃなくて当てやすい胴体を狙ってきた」
前方では〈爆炸吼〉の爆裂によって全身細かな傷を負った姉帯豊音が、同じく爆風によって煤けた帽子を手で払い被り直している最中だった。
8
相手は多少の傷などものともしていない。姉帯豊音は前衛でもかなりの高位咒式士だ。
〈矛槍射〉には容易く対応し、光速の〈雷霆鞭(フュル・フー)〉も読まれ、さらに耐電装備と絶縁素材の魔杖剣の刀身には効果が薄い。
爆裂咒式は重装甲の相手にも有効だが、正確に効果範囲に捉えなければ必殺とはならない。
背後を素早く確認する。塞の左脇腹から背中を横断し右肩に架けて朱線が走っていた。線は徐々に輪郭を大きくし濡れたような光沢を照らしていた。
相棒も俺もそこそこの重症。
姉帯豊音は左腕を引いた最初の構えに戻る。どうやら右の魔杖刀は牽制と防御用で、本命は左の魔杖刀らしい。
後方に引いて見難い左の魔杖刀が謎の咒式を放っているようだ。
不可解な方向から刃を飛ばすのだろうが、いまだに正体がわからない。
豊音「この咒式で仕留められなかったのはずいぶん久し振りだよー」
笑みを含んだ言葉には不敵さと余裕があった。
脇腹に激痛。耐刃繊維を裂き、腹筋を貫いて刃が出現していた。俺は魔杖剣に鍔を絡ませそれ以上の刃の進行を阻止する。
刃が引かれ、鮮血の尾を引いて戻っていく。魔剣で追撃するが空中に散った俺の血を切り裂くだけだった。
傍らでは塞が前転で空中からの刃を躱している最中だった。赤毛を犠牲にしながら回避。こめかみからは血の一筋。
9
相手の呼吸を読んで俺は距離を詰める。今はそれしかない。塞も俺に追走してくる。
脚に痛み。俺の右脛を切り裂く刃は、柄を握った腕ごと即座に消失。塞の肩を割った刃も同様だ。
塞「どうやって間合いを詰めて死角から攻撃してきてるの?」
京太郎「おそらくだが」
距離を詰めてきた相手に雷撃と投槍の群れを見舞う。魔杖剣が旋回し。雷撃を受け止め槍を切り落とす。
熟達の前衛咒式士には正面からの砲弾など落としやすい的でしかないか。
姉帯の左腕が後方に引かれる。
京太郎「ここだ!」
俺は左後方に魔杖剣を掲げる。金属音。
後方から出現していた刃を予測し、俺は魔杖剣を盾として受け止めたのだ。
魔杖刀の刃を握っていたのは姉帯豊音の左腕だった。ただし肘から先は空中で突如として消失している。
断面には肉と骨の層ではなく咒符があった。咒符の表面には複雑な咒印組成式。
七十二分の一秒の確認時間から復帰し、塞は前方の目標に向けて化学練成系第五階位〈鍛澱鎗弾槍(ウァープ)〉の120ミリ滑空砲を発射。
横へ跳ねた襲撃者にさらに〈爆炸吼〉の追撃を放つ。姉帯豊音は右の魔杖刀を掲げて盾とする、致命傷は避けたがその右腕には裂傷が刻まれる。
10
爆風の白煙を煙幕とし、俺と塞は大きく後退。
牽制と同時に相手から距離を取れたため、俺は咒式を発動。生体生成系第四階位〈胚胎律動癒(モラックス)〉の未分化細胞が、
塞の背中と左腕の裂け目を肉の腫瘍で埋めていく。筋肉が癒着し、血管が繋がり、白い肌が塗られていく。細胞分裂による高温が湯気となって大気へ逃げる。
同様に自身の傷も塞いでいく。
塞「死角からの攻撃を見たことで、ようやく正体不明の咒式の推測ができた」
京太郎「見たままだな。姉帯豊音は数法系の咒符使いだ」
塞の論に肯定の言葉を繋げる。相棒はさらに予測を続ける。
塞「私にも原理が推測できる。自分の肘から先を咒符によって亜粒子に変換、量子転送で周囲に撒いた咒符から再生、発現させる。咒符の特性で、一度設置すればいつでも発動できる」
京太郎「条件させ揃えばほぼ確実に相手の背後を衝ける優位性がある。想像以上に厄介だな」
豊音「だーいせーいかーい!」
前方の建物の陰から姉帯豊音の笑い声が響く。
すかさず塞が〈爆炸吼〉を、俺が〈矛槍射〉を放つが建物の壁を削るだけ。
笑い声は移動する。
豊音「私の故郷に伝わってる特性の咒式だよ。学会には登録されてないけど数法式法系第五階位〈喰間躍跳撫手(アダ・スー)〉っていうの」
俺と塞も建物の陰から陰へと移動する。建物の角に貼られた咒符から刃の一撃。
死角からの攻撃を避けるために、さらに移動。塞が牽制の爆裂咒式を発動する。
白煙を抜けて姉帯豊音が追撃してくる。互いに大きく移動しながらの市街戦になってきた。
11
数法系咒式士の中でも咒符士は特異な存在だ。
咒弾と魔杖剣の刀身塗料で、宝珠の回路と組成式を咒符に描き咒式を発動させる。
咒式の発動手段からして通常の咒式士と大きく違う。
一度設置すれば任意の時間と場所で発動が可能で、周囲の物質を変換し地雷や自動砲台にも出来る。いわば待ち伏せと多角攻撃の専門家。
塞「今日まで接触が無かったのこういうことか」
京太郎「下手に手の内を見せることを避け、絶対の包囲網の準備していたってことだな」
罠を張り巡らせる待ち伏せ戦において咒符士より秀でた咒式士は少ない。
京太郎「剣士が命を削って学び練り上げる剣術はいかに間合いを詰めて相手に物理力を叩き込むかだが」
京太郎「この咒式は剣術の根底を覆す。振れば相手の死角から剣が出てくるなんて反則もいいとこだ」
塞が空の弾倉を交換しながら周囲を警戒する。俺も回転弾倉から空薬莢を捨て、六発の咒弾を一喝装填。
街路には不自然なほどに紙が多い。散乱した紙屑にポイ捨てされた紙コップ、広告の紙に新聞紙、食品の包装紙に、
宣伝用のポスター、選挙のための顔写真、路上駐車の窓ガラス貼られた駐禁切符まである。
すべてが偽装された咒符の可能性がある。
咒符を撒いて疑われない状況と多方から攻撃が可能なある程度の広さ、姉帯豊音は罠を完全に作り上げてから俺と塞に仕掛けてきた。
塞「この一帯は危険だ。いったん退くよ!」
京太郎「仕方ないか」
再び放たれた〈爆炸吼(アイニ)〉の爆炎を煙幕に、俺達は路地の奥へと後退していく。
豊音「おっかけるけどー!」
追跡者の声が背後を追走してくる。
区切ゅり
最近リアルが忙しくてコレがアレでソレなのですが
エタッてないアピールの為にちょっとだけ更新
それではまた
ブラックブレッドの10話を見てて「これだ!」って思いました
っというのはまぁ置いといて
ちょっと前から想定してた弊害なんですが
数法式法系第四階位〈符複模身?(ロノベ)〉
数法量子系第五階位〈量子過?遍移(タプ・ス)〉
のように咒式名の漢字の一部が表示できない場合があるので
少し対策を練ろうと思うのでもう少々お待ちください
それと前回の投下で塞さんが使った咒式が
化学練成系第五階位〈鍛澱鎗弾槍(ウァープ)〉となっていましたが
正しくは化学鋼成系第四階位〈鍛澱鎗弾槍(ウァープ)〉でしたので合わせてお詫びします
12
俺達はビルとビルの谷間を縫うように併走する。
肩越しに振り返ると、ビルの角を曲がってくる人影がチラついて見えた。
京太郎「どうする!?」
並んで走る塞に叫ぶように問う。
塞「この先に閉鎖された工場街がある、そこまで行けばなんとか!」
叫び返してきた塞が頭を屈める。数瞬前まで塞の頭が占めていた空間を巨大な刃が横断していく。
それは建造物の側面に縦横無尽に這い回る配管は変形した姿だった。
腕の転送ではなく、咒符が得意とする基本的な物質構造の変換。
塞「この一帯は罠だらけだ!」
言いつつ塞が周囲へ向けて放った化学練成系第三階位〈緋竜七咆(ハボリュム)〉のナパーム火線が、大地に散乱する紙ゴミや書類や広告を焼き払っていく。
13
炎を背景効果に背負いつつ俺達はビルの角を曲がる。
煌く白刃。俺は咄嗟に、提げていた魔杖剣を跳ね上げ魔杖刀の一撃を弾き返す。
豊音「はーい♪」
迎え出たのは姉帯豊音の呑気ん笑顔だった。
姉帯は柄を握ったまま起用に右手を振ってみせる。
舌打ちをしつつ俺が前へ出るのと同時に、姉帯の左腕の肘から先が咒符に格納される。
急制動をかけ、畳んだ魔杖剣の剣腹で下方からの奇襲を受け止める。金属同士が拮抗し、火花を金切り声が上がる。
腕力で跳ね除け、追撃しようとするも腕が量子分解される方がわずかに早い。
俺は後方へ飛び退く。姉帯豊音の魔杖刀を避けるため、ではない。
掩護の〈爆炸吼(アイニ)〉を紡ごうとしていた塞の傍らに着地。襟首を掴んで前方に引き倒す。
塞の首筋をさらに後方から振るわれた刃が掠めていく。
襲撃者自身はその間に間合いを詰めて来ていた。右の魔杖刀が振るわれる。
砕かれたアスファルトが飛散。俺と塞は左右に分かれて後退。合流し、さらに後退していく。
14
塞「今の一手は間違いだった。姉帯豊音の得意手は死角からの奇襲で一撃で相手を倒すこと。でもそれだけじゃあ強力な咒式士相手には勝てない」
京太郎「どういうことだ?」
相棒の瞳と表情には分析の色。
塞「今、京太郎に行ったのがそう。初手で倒せない場合、相手は当然の戦術として姉帯豊音本人を狙う」
塞「焦って攻撃してくる攻性咒式士には死角が増え、背後からの一撃で縊きやすい」
京太郎「なるほど。よく組み立てられた咒式と戦術だな」
後退しながら俺達は背中合わせになる。それは間違いだ。俺と塞は瞬時に離れる。
二人の足元にあった紙片から刃を握る長い腕が噴出。旋回し、逃げ遅れた太腿や脛を切り裂いていく。
背中合わせで死角を消す、など意味がない。散乱している紙屑から魔杖刀が伸びてくる。
俺は手近にある紙を片っ端から切り裂いていくが、数が多すぎてこれも無意味。
塞が再び〈緋竜七叫〉を二重に展開。炎の奔流が周囲の紙屑をその赤い舌で舐め上げていく。
姉帯豊音は飛び退いて回避。
塞「咒符使いには炎が基本。行くよ京太郎!」
咒符を焼き払い安全となった空間に俺は突撃。塞も追走してくる。
15
炎の壁を裂いて接近。裂帛の刺突を姉帯豊音の胸板に叩き込む。
柄を握る俺と、追跡者の赤い瞳が激突。姉帯豊音の口元が薄く笑う。
姉帯豊音の眼球表面に亀裂。
割れ目は顔面全体に広がり、格子状の断層が女の全身に走っていく。
顔や腕、貫かれた胸から下腹部。脚までと、全身が本のページが捲れるように解けていく。
幾重にも重ねられた紙束が舞う。数法式法系第四階位〈符複模身躯(ロノベ)〉の咒式。それは咒符で作られた身代わりの紙人形だった。
咒符が散ると同時に静寂。姉帯豊音の長躯は路地裏の谷間から完全に消失していた。
京太郎「どこへ消えたんだ?」
外側を警戒しつつ、塞を合流。
互いの距離を保ちながらお互いに死角を庇い合う。
塞「もう一つ疑問なんだけど、なんで先行していた私達の先回りが出来たんだろう」
言われて気付く。相手がリツベの外から来たならば現地の土地勘は圧倒的に俺達のが上のはずだ。
にも拘らず、姉帯豊音は退却する俺達の前方に回りこんで来た。
何か仕掛けがある筈だ。
16
上方のビルの上から風きり音。
俺と塞の身体に影を落としながら長躯が降下してくる。
それは姉帯の上からの奇襲だった。すかさず俺が〈矛槍射〉の銀の投槍で、塞が〈鍛澱鎗弾槍(ウァープ)〉のタングステンカーバイド砲で狙い撃ちにする。
槍の群れと戦車の正面装甲を撃ち抜く砲弾が女の身体を穿っていく。
砲火が着弾した長躯は瞬時に四散。数百枚もの紙片へと変わり、不規則に宙を舞う。
頭上を覆う多量の紙片の影が俺達の身体に黒い斑点のように降り注いでいた。視界を埋め尽くすのは咒符、咒符、咒符。
同時に左右のビルの屋上が炸裂。さらに大量の咒符が降り注いでくる。
街路のあちこちで燃えている炎に触れても紙は焼かれない。ご丁寧に姉帯豊音は咒符以外の新聞紙や広告まで不燃紙を使って偽装して周囲に撒いていた。
本物の紙も混じっていてさらに判別が出来ない。
京太郎「罠がどうとか言ってられなくなったぞ!!」
塞「本物の咒符をどうやって見分ける!?」
俺と塞は周囲の紙切れを凝視する。
街路に溢れる炎の上昇気流で紙片は上や下だけでなく、横にも動く。
攻撃の起点が予測できないため、前に出ることも後ろに下がることも出来ない。
17
降り注ぐ紙の雨の中で、数十枚の紙片に咒印組成式の燐光が灯っていた。
行動の隙を衝かれるのを避けるため、限界まで堪える。
紙の雨の向こうに姉帯豊音の姿が見えた。帽子に隠れて目元が見えないが、緩く吊りあがった口元に極大の悪寒を感じた。
四方八方に舞う数千枚の咒符の内、百枚の咒符が咒式を発動。
百の紙の表面から百の腕が伸びる。
百の腕の先端が握る百の刃が残酷に煌く。
京太郎「うっそだろ、これえええええええええええええっ!?」
俺は咄嗟に頭を抱えてしゃがみ込もう、として踏み止まった。
違う。これは相手の詰めの一手だ。強引に動かないと死ぬ。
俺は魔杖剣を旋回させ、周囲の咒符を破砕していく。
屈んでいた塞の魔杖細剣の先端に咒式の光。見上げてくる頬には引き攣った笑みを貼り付けていた。
爆裂の衝撃波が俺達の身体に叩きつけられていた。塞は自分達を化学練成系第三階位〈爆炸吼(アイニ)〉の有効範囲に巻き込みつつ発動したのだ。
烈風が屑籠を砕き、紙屑を巻き上げ、周囲を吹き飛ばしつつ咒符の雨の散らす。
鉄片の混ぜない爆風だけの炸裂衝撃によって俺と塞は纏めて後方に吹き飛ばされていた。
18
俺は爆風の反動から空中で回転して着地。肩から落ちそうになる塞の腕を掴んで強引に立たせる。
京太郎「この間のコウガ忍がやっていたあの回避方法か」
塞「まさか自分で実践することになるとは思わなかったよ」
二人は全身に打撲と裂傷。耳は生体強化系第一階位〈閉耳(ヘイア)〉で咄嗟に塞ぎ、口を閉じていたので内臓にはダメージはない。
それでも身体の末端部は細かく裂け、血を流していた。百の刃に刻まれるよりはマシだが。
京太郎「健康と精神衛生には恐ろしく悪い。今度からはやる時は事前に言ってくれ」
塞「じゃあ今度からは事務所の予定表にでも書いとくよ」
豊音「今のを避けるなんてすごいねー」
俺と塞の軽口に襲撃者の呑気な声が割り込む。まるで世間話でもするかのような緊張感のない声だ。
豊音「数法式法系第六階位〈喰間躍跳百撫手(アダス・ミース)〉とでも名付けようか。周りから襲う百の刃は、そう何度も避けられないでしょ?」
前方には、姉帯豊音と爆風に巻きが上げられた数千枚の紙切れと、百の咒符から伸びた百の腕と刃。
魔丈刀の斬撃を避けて俺達は街路を走っていく。姉帯豊音も追ってくる。
19
塞「同時に百の刃は厄介に過ぎるね」
京太郎「身に染みてよくわかった」
塞「腕を量子化させて飛ばしてくるだけでも厄介なのに、情報として分解した腕と魔丈刀をさらに百枚の咒符に複写してきた」
複写された百の腕は元となる左腕と同じ動きをするが、咒符が空中で不規則に動くため軌道がすべて違ってくる。
塞の解説を聞きつつ、飛び出してくる刃を躱していく。すでに設置されている咒符も忘れてはいけない。
敵はありとあらゆる死角から百の刃で斬りつけてくる。
京太郎「完全に圧倒されてるな」
振り返ると、追ってくる姉帯豊音の左腕がまた消えていた。
俺は即座に反応し転移してきた刃を〈蜃気楼〉で弾くが、同時に肩と脇腹が切り裂かれる。
京太郎「もう一回あれがきたら凌げないぞ!?」
塞「勝算はある。こっち!」
相棒が走る方へ俺も追走する。
裏路地の切れ目。開けた視界の先に夕日の朱に塗りつぶされた廃工場が見えた。
塞は踵で地面を削りつつ急制動をかけて停止。振り向き様に三度目の化学練成系第三階位〈緋竜七咆(ハボリュム)〉を放つ。
咒式で合成されたベンゼン21%、ガソリン33%、ポリスチレン46%のナパーム火線が散布され、猛烈な火炎が赤く唸る。
20
炎の渦が周囲を赤く染め、赤や橙の中で紙片が黒く燃えていく。
豊音「不燃紙のが多いから無駄だよー」
姉帯豊音が咒式をは発動させ、咒符から百本の腕と刃が生み出される。百振りの刃が俺達に向かって同時に振り下ろされる。
俺達から遠く離れた空間、上空で刃が振られていた。
姉帯豊音は硬直していた。塞の炎の目的は紙を燃やすことではなかったのだ。
炎によって生まれた熱は、空気を暖めて膨張させる。熱波は、空中に舞う咒符を俺達から遠くへ追い払っていた。
遠く離れた場所で発動すれば間合いに入ってこない。
そして咒符は紙であるため宙に舞う軽くても、実体化した腕と刃には重量があるため、重力に引かれて大地に落下する。
姉帯豊音は事態を理解し咒式を停止。咒符で飛ばした腕を戻す。
だが、すでに俺は間合いを詰めていた。
焦燥の色を浮かべた姉帯豊音は急速後退。それに追随する俺は颶風を纏って駆けていく。
足で石畳を踏み割った姉帯豊音が急停止、反転して迎撃姿勢に入る。
追跡者の必殺の領域から脱し、双方が間合いに踏み込んだ。
21
魔杖剣〈蜃気楼〉を一閃。左の魔杖刀が迎撃する。
銀の破片が宙に舞った。
魔杖刀が砕け、左の肩口を深く切り裂く。
苦痛に顔を歪めながら、姉帯豊音は激しく出血する傷口に咒符を貼り付け、生体系咒式を流し込んで止血する。
塞「罠さえなければ二対一だ! 削って倒せ!」
京太郎「おう!」
俺はさらに踏み込んで魔杖剣を振るう。
敵は折れた魔杖刀の鍔で強引に受け止める。
豊音「ぼっちじゃ、ないよー!」
次の瞬間。姉帯豊音の全身に拘束具のように複雑な咒印組成式が刻まれていた。
先程の数法式法系第六階位〈喰間躍跳百撫手(アダス・ミース)〉に近い極大の悪寒。
襲撃者の長躯に波紋が生まれるのと同時に、俺は上体を仰け反らせていた。
赤い濁流が俺の頭上を通り抜けて行った。
22
赤い鱗。短剣のような牙。その牙の間からは蒸気の吐息が漏れていた。
巨大な火竜の頭部が姉帯豊音の身体から出現していった。
数瞬前まで俺の上半身があった空間を大顎が噛み砕き、引き戻される。
塞「数法量子系第五階位〈火竜呼召法(ガルーヴァ)〉か!」
相棒が叫ぶよりも早く俺は身を翻して、街路を逆走していた。
振り返らずとも、背後から迫る咒印組成式の光でわかる。
化学鋼成系第四階位〈遮熱断障檻(フォエニク)〉のニッケル基超合金の耐熱殻を生み出している塞を抱え上げ俺は全速後退。
慣性運動のまま跳躍し、ビルの壁面を蹴りつけ裏路地を抜けて廃工場の敷地内に飛び出す。
生体変化系第二階位〈空輪龜(ゲメイラ)〉で足裏に生成した噴射口から圧縮空気を噴射。
直線軸をずらし、手近にあった棟工場の屋根上に屋根瓦を踏み砕きながら着地する。
炸裂する紅と緋と赫。
23
視界に広がるのは炎の壁とでも呼ぶべき業火だった。
吐き出された火竜の息吹が敷地内の大地に燃え盛っていた。
一拍遅れて、黒く煤けた耐熱壁が地面に落ちて量子の光に還元される。
塞の〈遮熱断障檻(フォエニク)〉を一瞬の時間稼ぎと割り切り、街路を飛び出してなければ氾濫する炎の坩堝に呑まれて消し炭になっていた。
塞「いつまで抱えてんのよ」
憎まれ口を叩きつつ、塞は手で俺を押しのけて自分の脚で屋根の上に立つ。
塞「まさか数法量子系も使うとはね」
俺は小さく頷く。おそらくだが左の魔杖刀が数法式法系、右の魔杖刀が数法量子系を発動している。
屋根の縁に槍の穂先を束ねたような五指が衝きたてられる。
連動して太く長大な首が迫り上がってくる。鰐にも似た紡錘形。人間の親指ほどの牙が並ぶ赤い口腔。
両の眼窩は制御桿によって無残に貫かれ脳にまで達していた。
屹立する角の合間に立つのは姉帯豊音。
豊音「お友達が来たよー。元気いっぱい遊んであげてね」
魔杖刀の先端から繋がる数列の鎖が首に繋がれ、その軋りに合わせて竜は轟と吼えた。
24
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
藤田「なかなか燃える対戦カードですね」
薄暗い室内でその戦いの様子を観戦していた藤田靖子は丼に盛られたカツ丼を頬張りつつ、傍らに座る初老の女性に問いかける。
問われた女性は特に何も答えることなく、手にした使い捨ての容器をから簡易食のラーメンそ啜っていた。
藤田「個々の戦闘力で言えばあなたの秘蔵っ子のが一枚上手。しかし同じくあなたの弟子の塞と京太郎は腐れ縁で連携に優れている」
藤田「それでもまぁ七割ほどの確率で姉帯豊音が勝つでしょうけが、逆でも結末は変わらない」
場所は以前と同じリツベ市のリンツホテル秘密の十三階、最上級警備貴賓室。
画面の眺める藤田の横顔はまるでスポーツ観戦でもするような穏やかさだった。
藤田「さて、遅れてきた最後の配役がこちらの合図に気付いてようやく舞台に上がる。これですべての役者と演出が整い劇は終幕へと向かうわけだ」
映し出された光学映像の中に黒点のような微細な影が生まれ、急速に前方に接近してくる。
大きさから考えると、それは飛燕の速度で駆ける人影だった。
?(豊音、塞、京太郎……)
映像を見詰める初老の女性の瞳の奥には微かな憂いに翳っていた。
【To be continued】
最近好きなスレの更新が軒並み無くて寂C
まだバリアン全員出揃ってないのに
一回くらい僕もこのスレで安価形式の短編やってみたいですね
それではまた
京太郎SSって作者も読者も特撮好きな方多いですよねパロネタとかクロスとかよく見かけますし
で、思ったんですが仮面ライダークウガのグロンギの殺人ゲゲルと
され竜のザッハドの使徒の血の祝祭って似ますよね。人を殺した人数が得点になるとか
だから何?って感じですけど
名前出しちゃっていいのかちょっと不安ですがタッグフォーススレと最高の和了スレが好きですね
更新ゆっくり目ですが京ちゃんって好きな人いるのかなぁと普通に文学少女スレも雰囲気ゆったりしてて好きです
季節外れのバレンタインスレは完結するのだろうか
後は最近立った京太郎とは関係ないですが全国二回戦次鋒組の大学生活のスレには期待してます
第十二話「復讐の女神」
1
屋根瓦を割り砕いて屹立した耐熱壁が、迫る猛火を受けとめる。金属の壁が業火を周囲に散らしていた。
破壊と狂乱の緋と橙と朱。金属壁の裏側で、俺達は炎の暴風に耐えていた。
京太郎「なかなか楽しくなってきたな」
塞「そう思える京太郎の精神構造が理解できない」
京太郎「何でも前向きに考えるのは大事だと思うんだけどな」
治癒咒式と簡易咒符を使い応急処置を施しながら俺は口元で笑ってみせる。
化学鋼成系第五階位〈遮熱断障檻(フォエニク)〉で生成したニッケル基超合金やチタン・アルミニウム金属化合物に、ホウ素や高融点金属であるハフニウムを添加し、
耐熱効果を高めた積層金属の壁ならば、一千度を軽く超える竜の息吹であろうと燃えたり溶けたりしない。
裏路地のように勢いと熱が周囲に逃げない閉所でないため、十分に対処可能だ。
散らされた炎の破片が周囲に舞い、風景を赤く染めている。
2
壁の端から塞が魔杖細剣を出して応射しようとするが、その瞬間、炎が勢いを増し塞は悔しげに壁の裏に身体を戻す。
塞「打つ手なしのこの状況で?」
京太郎「塞、それが楽しいって事だ」
とは言ったがいつまでもこうしてもいられない。
攻性咒式のほとんどは一瞬から数十秒程度の発動が想定されている。
咒式原理のひとつである作用量子定数hの変異には限界があり、物質の大きさに比例した時間しか操作できない。
つまり〈遮熱断障檻〉の防護壁はすぐに消失する。
その瞬間には俺達は炎の猛威に晒され今度こそ黒焦げにされるだろう。
再度同じ咒式を展開しようにも、咒式発動の間隙を突かれるか、いつかは竜の無尽蔵とも言える咒力量の前にこちらが咒式を紡げなくなり終わり。
要するに打つ手なし。
京太郎「なんか毎回、打つ手なしとか言ってる気がする」
塞「それは京太郎が不甲斐ないからでしょ」
京太郎「そこで責任を他人に求めるところが最高にウザい」
生命の危機を前にしても俺達はこんなものだ。
実際には軽口でも叩いてないと気力が萎えて死ぬだけだからだが。
その間にも耐熱金属を構成・維持する作用量子定数と波動関数の変異が崩れ、金属壁が消失しかけていた。
3
耐熱檻が消失する寸前、火竜が灼熱の吐息を吐き出すべく大量酸素吸入を始める。
そしてついに金属壁が消失。同時に、姉帯豊音の精神感応指揮で煉獄の劫火が放たれる。
しかし口腔から吐き出されたのは紅蓮の猛火ではなく、大量の赤黒い血泡だった。
それは昼間、塞が実験を繰り返していた咒式が、密やかに展開されていたのだ。
化学練成系第六階位〈髑翁腐界腫蝕雲(アシタルテ)〉の咒式が琥珀色の油状の液体から、無味無臭の霧となった物質を限定空間内に撒き散らしたのだ。
合成した物質は典型的な神経ガスと皮膚侵食するイペリットガスの両方の構造と特性を併せ持つ、O-エチル-S-(2-ジイソプロピルアミノエチル)メチルホスホノチオラート、
現代最凶最悪の猛毒の霧VXガスだった。
灼熱の吐息を吐く為に呼気吸入を行った火竜はこの毒の霧を大量に吸い込み全身に浴びたのだ。
塞が咒式を解除すると、空気中の毒素成分が瞬時に消失。俺と塞は自分達に惨劇が降りかからないように一歩下がる。
火竜は瞳孔を収縮させ、口腔から長い舌を垂らしながらその巨大な体躯を傾斜させ工場棟の一部を押し潰しながら倒れこんだ。
大気を振るわせる重低音。
有機燐系の神経ガスが体内に入ると、酵素アセチルコリンエストラーゼのアセチルコリン認識部位と有機燐の有毒成分が結合し、
アセチルコリンエストラーゼの分解が阻害される。
中枢神経が混乱し、アセチルコリンが分解されず増大していくため、神経信号の伝達が阻害され、全身の筋肉が収縮し続ける。
あわせて副交感神経の熱代謝を破壊し、全身を摂氏50度近くまで上昇させ、生体組織を構成させる蛋白質を凝固させる。
もう一つのイペリット成分は遅効性で皮膚に潰瘍(かいよう)、糜爛(びらん)、水泡を発生させる。
筋肉や分泌線や臓器にも破壊的な効果を発揮し、涙や鼻水や涎を垂らす。皮膚からも吸収され長く残る。
VXガス原液は、半数致死量がおよそ15マイクログラムルと言われる最悪の毒性を示す。
このあまりに凶悪で非人道的な咒式は、50年も前のジェルネ条約で国際的に使用と所持、研究が禁止されている。
何故、塞がこの禁断の咒式に手を出したのか俺にはわからない。俺は相棒の内面にまだそこまで踏み込めていない。
自らの無力さへの反駁か、過去を清算できない焦燥か、俺には彼女の本心はわからない。
4
無意味な郷愁を払いつつ、俺は眼前の光景に向き直る。
火竜は全身の穴から血を垂れ流し、手足から尻尾の先まで痙攣させる。地獄とはまさにこの事だと確信させる光景だった。
俺は左足の踵を軸に身体の向きを高速に回転。魔杖剣〈蜃気楼〉を背後へと放つ。
背後の空間の波紋から出現し、塞の背に魔杖刀を振り下ろそうとしていた姉帯豊音の胸板に突き立てる!
追跡者と俺の視線が激しく交錯。
豊音「あれー?もしかして読まれちゃってた?」
京太郎「まぁね」
俺は最初から読んでいた。
数や法を支配する数法系咒式士は量子的確率に干渉し、物質と物質を透過させる現象や、場のすべての要素を計算し限定未来を予測したりと、
咒式士の中でも法則それ自体を操作する一派だ。
火竜の召喚が量子的な圧縮と移動だということは、自分も量子的に自己を分解して、瞬間的な空間移動を可能にするということ。
前を走る俺達を追い越し、回り込んできたのもそういう手品だったということだ。空間を渡れるなら地形も障害物も関係ないからな。
5
京太郎「量子を操り空間を渡る相手が、わざわざ宣言して派手な召喚を行うのは不自然だ」
京太郎「ならば火竜は囮で、失敗時には背後から襲撃してくること。厄介な遠隔咒式を操る塞を先に狙うであろう事も予測できる」
何故なら俺もそうするからだ。
俺の魔杖剣の鋭利な刃が、豊音の右肺を深く貫通し胸腔を抉じ開ける。
完璧な致命傷。だが、肉と骨が柔らかい。というよりも空を切るような軽さ。
数法式法系第四階位〈符複模身躯(ロノベ)〉でもない。
刃を水平に走らせ、豊音の背後にあった金属の機械を両断するが、敵には何の影響もなかった。
豊音の足元の屋根瓦が波打ち、足首から順に埋没していく。
そして完全に姿を消し、再び俺と塞だけが残された。
京太郎「クソ、どうなってる」
塞「噂に名高い数法量子系第五階位〈量子過躯遍移(タプ・ス)〉か」
立ち尽くす俺の背に塞が追いついてくる。
6
塞「物体の接触時に巨視的量子効果により自身の身体の分子と、対象の分子の間を透過させて致命傷を避けたんだ」
塞「その発生確率は10の10の24乗分の1という宇宙開闢以来いまだかつて発生したことのない奇跡以上の極微の現象を強制励起させたんだけど」
塞は袖口で口元を拭う。
塞「普通は透過させる物体に作用させるものだけど、まさか自分自身に使うなんてね」
なるほど。10の10の24乗分の1は1の後ろに0が1ヨタ並ぶ数で、この数字をテキストファイルに書いて保存するには、
100ギガバイトルのハードディスクが1000,000,000,000,000台必要とする。
また数字をA4用紙にびっしり書いて積み上げると月まで届くというそれくらいありえない確率。
まさしく瞬間的に絶対的な防御方法を行使し、霧のように希薄化して致命傷を避け、拡散しての姉帯豊音の量子的逃走ということか。
京太郎「咒符の次は自分自身を透過させての奇襲か」
塞「咒式の正体さえわかればやりようはある。まぁ見てて」
そういうと塞の魔杖細剣〈鳴神のライネ〉が手中で回転。逆手に持ち替え屋根に突き立てる。
7
空薬莢が排出され、咒式が発動。化学鋼成系第一階位〈練成(ベリス)〉が工場棟に作用する。
しかし人間の咒力量では全体で数百トーンはあるであろう工場棟の組成変換など不能だ。
だが、俺は確かにそれを見た。
内心で感心しつつ、俺は前進していく。
そして俺の剣の間合いに完全な好機で姉帯豊音が出現した。
豊音「っ!?」
いままでのどこか余裕のある表情は掻き消え、何が起こっているのかわからないといった驚愕の顔。
俺は構わず、その左肩に魔杖剣の刃を突き立て勢いのままに上方へ振り上げる。
筋繊維を断ち、鎖骨を粉砕し、鮮血が跳ねる。
豊音「どう、して。私の出現場所がわかったの?」
傷口を押さえながら豊音が後退。
俺の追撃の刃を、残った右腕の魔杖刀で弾く。
痛みと出血で豊音の顔色は蒼白となっていた。
8
塞「私はただ、この建物全体に咒式干渉を行った。ただそれだけ」
世間話でもするような気軽さで塞が解説する。
混乱していた姉帯豊音の双眸にも漸く理解の色が広がる。
そう、塞の紡いだ化学鋼成系第一階位〈練成〉は構造物の形状を変化させる為のものではなった。
建物全体に咒式的に干渉することそれ自体が目的だったのだ。
豊音の物質透過は一見無敵に思えるが弱点がないわけでもない。
透過中は擬似的に物質と一体になっているため、物体への干渉を術者にも被ることになる。
塞の咒式で構造物に量子干渉を行ったことで、姉帯豊音の確率操作が僅かに狂いが生じた。
これにより人体と建造物を構成する分子の電子軌道に乱れが生じ、励起光は放出していたため出現位置を先読み出来たということだ。
俺は油断なく魔杖剣を正眼に構える。
京太郎「咒符や量子透過の奇襲も見切った。退けば追わない。まだやるか?」
片腕で刃を構える姉帯豊音に問いかける。
すでに大勢は決している。これ以上の戦いは無意味だ。
9
豊音は、無言で刃を掲げる。
俺は息を吐き出した。
塞「何故、そこまで……」
俺達も負傷してるが、姉帯豊音も軽傷ではない。このまま続ければ必ず死者が出る。
それでもなお続ける意味はなんだ。
豊音「私、友達いないから……」
泣き出しそうの顔で、追跡者は答えた。
豊音「もし、この街にいられたら、友達できるかもって、だから」
いままでのはぐらかした様なものと違うおそらく本心からの言葉だった。
だから、藤田の命令に従ったとでも言うのか。
この少女もエイスリンさん、いや俺や塞と同じだった。
ただ、自分の居場所を探していただけなのだ。
10
京太郎「なら、」
言い募ろうとする俺の言葉を、甲高い破砕音が遮った。
音源は姉帯豊音の手元。残った右の魔杖刀の刀身が鍔元から粉砕されたのだ。
それはまるで不可視の巨人が爪楊枝を容易く手折るかのような光景だった。
その場にいた全員が恐るべき咒式が放射された方向に視線を向ける。
俺達が立つ棟工場に、隣接して立つ本工場の屋根から伸びた受信管。
その先端にこの世をすべてを睥睨すらかのような透徹した死神の影が立っていた。
鉄管の先端、その下部に靴裏を付け頭を下にして重力を無視した状態で。
光すら吸い込む漆黒の髪。頭髪と同色の暗い装束。
その名はマルグリィッド。
あの恐るべき復讐鬼がついにここまで追ってきたのか。
俺も塞も、豊音も指一本動かすことが出来ずただその姿を凝視しているだけだった。
魔女は重力を無視して水平に10数メルトルを水平に歩き、突然思い出したかのように重力に従い自由落下で棟工場の屋根瓦に着地する。
瓦を踏み割りながら、俺達の眼前にマルグリィッドは降り立った。
マルグリィッド「そこの咒い士達は我の標的、邪魔をするなら仕方なく殺すことになる。去れ、弱き者よ」
それは神が神託を告げるかのような荘厳な声だった。
11
行き先を見失い、姉帯豊音の魔杖刀の切っ先が揺れる。
それでも意を決したのか、折れた魔杖刀の柄を握り込みマルグリィッドへ向ける。
豊音「悪い人達には、負けないよー」
破損した魔杖剣を自身の演算力で強引に作動させ、数法量子系第四階位〈螺穿虫召法(グル・メガー)〉による咒式生物である螺旋虫の砲弾が発射される。
マルグリィッド「是非もなし、か……」
その言葉と僅かに伏せられた瞳には確かな哀惜があった。
無造作に振るわれた右腕が不可視の巨人の剛腕となり螺旋虫の砲弾を圧搾していく。
その間にマルグリィッド自身が颶風を纏って急接近。
迫る右の掌底が豊音の豊かな胸に接触。しかし、マルグリィッドの身体を構成する原子核と電子の隙間に自身の原子核を電子を滑り込ませ透過させる。
背後に抜けて振り返ろうとすると、豊音の右肩を掴む五指があった。量子的に制御された右肩をだ。
豊音「なんで触れるの!?」
疑問の叫びと同時に、右肩が血と骨を撒き散らして文字通り破裂していた。
重力力場系第一階位〈重爪(フィッグ)〉。原子や電子がどこにあろうとも重力の圧搾からは逃れられない。
血飛沫と苦鳴が高らかに宙を舞う。
12
塞「京太郎!」
塞が叫ぶよりも先に、俺は魔杖剣を掲げて飛翔していた。
豊音とマルグリィッドの間。両者を繋ぐ魔女の右腕を狙って大上段からの斬撃を振り下ろす。
右腕を畳んでマルグリィッドは後退。追撃で放たれた塞の砲弾が鼻先を掠めるが、眉一つ動かさずにさらに飛び退いて距離を開ける。
俺は姉帯豊音を背に庇いながら魔女と対峙する。
京太郎「逃げろ!」
豊音の右肩は完全に破壊され、白い骨や鮮血色の三角筋が見えていた。右腕は千切れかけている。
自分が助けられたことに驚いていた女は、僅かに迷いながらも小さく頷く。蹲っていた足元に波紋が発生。
豊音は量子透過で建物の中へと退避していく。
マルグリィッドは追撃の重力波を放とうと右腕を掲げ、ついに重力咒式は放たれることなく、魔女は静かに腕を下ろした。
今日はここまで
そら好きな牌ツモってくるのも余裕ですわな
この話終わったら小ネタで京豊デート書こう今決めた
非力な私を許してくれ
単行本見直したら割りとあったよ!
2回戦大将戦だと上から2番目だよ!
13
十三階梯の攻性咒式士は個人で軍の二個中隊に匹敵する。
塞がつい最近その十三階梯に到達し、俺が一歩手前の十二階梯。
その二人と同等に渡り合った姉帯豊音は決して容易い相手ではない。リツベ市中を探してもそう多くはいないだろう。
攻性咒式士でも最上位に位置する使い手を相手取り、眼前の魔女は軽々と粉砕してのけた。しかもまったくの無傷。
周囲は惨状となっていた。屋根瓦は無数に、無残に踏み割られ、等間隔で設置された煉瓦作りの煙突はいくつも砕け倒壊していた。
一方で、死した火竜が赤黒い血を吐き出して棟に凭れ掛かるように倒れていた。
右にある工場の建造物からは火竜の息吹によって炎上し、黒煙を吐き出し続けている。
全身を刃に刻まれた塞が傍らに立つ。
魔女は悠然と立っていた。
マルグリィッド「可哀想なれど、これで我の邪魔者は去った」
女の声が荒涼とした廃工場の屋根に響き渡る。
京太郎「俺達を助けに来た、わけじゃないな……」
マルグリィッド「他の者達に汝らを殺させるわけにはいかぬ。汝らは我の手で直々に引き裂いてやらねばならん」
俺は魔杖剣を掲げる。塞も魔杖細剣の切っ先を上げていく。
14
京太郎「やるしかない、ようだな」
マルグリィッド「愚か者め、まだ我の正体がわからんのか?」
マルグリィッドの目には問うような色があった。
息をつき、塞がゆっくりと答える。
塞「正体はわかってる」
塞「マルグリィッド。あなたは以前、私達がマヨヒガ竜緩衝区で倒した黒竜の片割れ、そうでしょう」
京太郎「正確に発音すれば、*ルグ#ィッドだろうな。人間の姿だから、竜の言語とは気付かなかった」
「その通りだが」マルグリィッドは怪訝な表情を浮かべながら俺の顔を眺めてくる。
マルグリィッド「如何にしてその発音を可能とする?」
京太郎「我ら人類と竜族は表向きには友好条約を結んでいる。多少だけど、竜の言語の研究も進められているからな」
俺は何とか会話を繋いでいく。時間を稼がなければ、満足に動くこともできない。
フラつきながら立つ相棒の肩を支え、倒れ込みそうになるのを防ぐ。
15
塞「奇妙な発音の名前からは辿れない。学院や企業に登録していない人間もこの街にはいくらでもいる」
塞「でも、あなたはあまりに強過ぎた。私や京太郎を退け、今また到達者級の攻性咒式士を退けた」
塞「それほど強力な高位重力咒式士が協会にも属さず、また完全に無名であるなどありえない」
塞は慎重に推理の断片を繋ぎ合わせていく。
塞「そして、京太郎の剣に付着していた衣服の破片は、超重力によって圧縮され変化していたけど元々は爬虫類の鱗に酷似した組成で……」
マルグリィッド「我の高貴な鱗を、知性の低い爬虫類と同等に扱うのは侮辱であろう?」
魔女は鼻先に皺を寄せ、不愉快さを露にしていた。
そういえば、表情の作りといい声の発音といい人間の演技が上手くなっていやがる。
塞「失礼、黒竜の方。*ルグ#ィッド」
マルグリィッド「下賤の身で我の誇り高き名を口にするな。人族風情が」
目の前にいるのはただの人間の女ではない。竜が生体咒式を駆使して人間の姿に変異しているのだ。
京太郎「わざわざ人間の姿をとるとは、ご苦労だね」
皮肉が口を衝いて出た。
マルグリィッド「誓約だ。そして我が人類すべてを相手にして勝てるとも思っていない。目標はあくまで汝らだ」
16
にわかに信じがたいが、一ヶ月前に確かに準長命竜級の黒竜は存在し俺達が討伐した。
そしてその妻が仇を取る為に自力で俺達を見付け出したのだ。
マルグリィッド「堕落した故郷を捨て互いに手を取り合い旅に出た我が愛しの背の君を、愛しきジェ#ル*クスを弑逆した痴れ者めが」
女の目が俺を捕らえた。その口元には酷薄な笑みを浮かべていた。
マルグリィッド「汝にはもう一度、さらに二度の死を与えてやろう」
はじめ、その言葉の意味するところが理解できなかった。塞にしても言葉の意味を量りかねている。
落雷のような閃き。俺はその真実に気付いた。同時に手足の先から血液が逆流し、冷たくなっていくような感覚なくなっていくような錯覚を覚える。
京太郎「そういう……ことか……」
マルグリィッド「理解したか」
魔女は残忍に笑う。
マルグリィッド「汝は一度死んだ。刃に刻まれ、遠くからの咒いで撃たれ、限界を超えた咒いの行使によって、あの病院という癒しの施設でな」
塞の碧海の瞳が俺を見ていた。マルグリィッドは淡々と告げていく。
マルグリィッド「汝の心身が滅びる直前、我が竜の咒いを施した」
マルグリィッド「崩壊していく精神に侵入し、過去から再構成させ、併せて肉体も怪しまれない程度に治癒し蘇生させたのぢゃよ」
17
死ぬ寸前からの蘇生は、現代の咒式医療でも可能だ。
だが、死んだ脳細胞や破壊された神経系を再生させ、精神や記憶まで回復させるなど、ありえない。
脳や神経はどこまでも物質だし、記憶や精神も電気信号や各種化学物質から成立しているが、いまだに人類はそれを作り出せていない。
それは人間の限界を超えた、竜のみが可能とする超高位咒式。
そして今ここにいるは俺は、以前と同じだが、明らかに作り替えられた俺だった。
俺は自分の身体を見下ろし、悲鳴が漏れそうになる口元を手で押さえてなんとか堪える。
塞「大丈夫」
倒れそうになる俺の腕を、今度は塞が掴んでいた。
俺は視線だけで相棒の横顔を見る。塞ただ正面だけを、魔女マルグリィッドだけを見据えていた。
塞「何の為に?」
塞の唇が疑問を紡ぐ。それは同時に俺の問いでもあった。
塞「何故、仇であるはずの京太郎の命を助けたの?」
18
マルグリィッド「決まっておるであろう」
魔女は笑っていた。先程とは違う、怒気を孕んだ笑み。
笑っているように見えるというだけだが、恐ろしい笑みだった。
マルグリィッド「他の誰でもなく、我が自らの手で汝らを殺すためだ。我が愛しきジェ#ル*クスの鎮魂の為、我以外の手に掛かって死ぬなど断じて許さぬ」
愛した夫を殺された悲嘆と憤怒の復讐心は、俺にもなんとか理解できる。
しかし、憎むべき異種族の姿を借りて相手を探し、死から蘇生させてでも自身の手で殺す。
竜族の倫理観など寡聞にして聞かないが、恐ろしいまでの執念深さ。そして狂える復讐心だった。
塞「何故そこまで……そもそも、あなた達が緩衝区を逸脱して人間を襲ったから!」
俺は腕を掴んでいた、塞の手に自身の手を重ねる。
京太郎「塞、その質問は無意味だ」
震える声をなんとか絞り出す。
京太郎「同族でも、復讐心は起こる。まして竜にとって俺達なんて単なる餌でしかないんだ」
19
そう、問うことに意味などないのだ。
竜は我ら人間をいくら殺そうが、なんら良心の呵責など感じない。
俺達が牛や豚のといった家畜に自分達と同等の権利を認めないように。
竜の誇りを貫くべく番いの黒竜が故郷を捨てて緩衝区を出たこと。その緩衝区の境界線でたまたま人と出会ってしまったこと。
人間が怯えて攻撃したこと。その人間が死んだこと。そして、俺達がその竜の一頭を殺したこと……。
すべては巡り会わせだった。
竜にとって人間は地上に蔓延る虫で、人類にとって竜は凶暴な怪物でしかない。
どちらが悪いとも言えない。ただ、両者の間に埋めようのない種族の断絶が横たわっているだけだった。
そこでようやく、俺の発動していた生体生成系第四階位〈胚胎律動癒(モラックス)〉の治癒が完了した。
未分化細胞が傷付いた肉体を急速に修復し、傷口を塞ぎ、血液を作り全身に巡らせる。
会話の間に隠して発動していたが、相手も気付いていたはずだ。
塞は魔杖剣の機関部から咒弾倉を抜き取り、新たな弾倉を装填。遊底を引いて薬室に初弾を送り込む。
俺はスピードローダーで弾倉に六発の咒弾を一括装填、撃鉄を起こす。
俺達の治癒と弾の入れ替えを目の前にしても、マルグリィッドは一向に動こうとしない。
おそらく回復を待っていたのだろう。それが竜族の流儀なのかはわからない。
マルグリィッド「準備は終いか? ならば我が愛しの君の仇共よ、捻り潰す!」
魔女の双眸に業火が再点火。
一歩が踏み出され、屋根瓦が砕ける。その乾いた音が合図となった。
退路などない。俺達もまた、前へと一歩を踏み出した。
ごめんなさい
20
疾走に移行しながら、俺達はそれぞろ化学鋼成系第一階位〈矛槍射(ベリン)〉の投槍と化学鋼成系第四階位〈鍛澱鎗弾槍(ウァープ)〉の砲弾を放つ。
無造作にマルグリィッドが左右の手を掲げる。
俺と塞は踵で瓦を割り砕きながら急停止する。が、身体が前方に強く引かれる。
マルグリィッドが重力力場系第三階位〈重波障弾(ベヒー)〉を展開していた。
強力な重力場が殺到する投槍と砲弾の群れと、周囲すべての物質と大気を引き寄せ、中心部に達した物質が微塵に圧壊されていた。
脚が浮き重力場に飲み込まれそうになる塞を、腕を掴んで抱き寄せる。
俺と塞は屋根に魔杖剣を突き立てて吸引に耐える。
突然、重力を突風が消失。前のめりになる。
役目を終えた重力球が瞬時に消失し、マルグリィッドが前進。
地面をすべるように飛翔し、一気に間合いを詰めてくる。
両の拳が振り下ろされ、左右に分かれて躱した俺と塞の間の地面を砕く。
瓦礫が瀑布となって吹き上がる。さらに翳されたマルグリィッドの両腕から重力力場系第五階位〈轟重冥黒孔濤(ベヘ・モー)〉が放射。
左右から放たれる不可視の重力波を、俺と塞は後方に大きく跳ねて躱す。
寸前までいた場所に重力場が発生。強大な双子の重力波同士が反応し、重力の地獄が生まれる。
瓦を粉微塵にし、峰を梁を壁を砕き、工場内の塵埃まみれ機械をも圧壊していく。
21
長い工場の棟が圧壊。重力の反応地点から、工場の棟幅より巨大な擂鉢状の大穴が穿たれる。
破砕された幾百万もの破片と粉塵と煙を吹き上げ、横長い棟工場が半ばで折れ、擂鉢の底へと連鎖崩壊していく。
大きく回避した俺達も、重力から逃れるのに必死だった。
重力の作用は距離の二乗に反比例して弱くなるとは言え、凄まじい力が俺と塞を引き千切ろうとしてくる。
余波でこの威力。殺傷範囲に入れば即死だ。破片と粉塵ですら、重力に引かれて渦を巻く。
崩壊に巻き込まれるわけにはいかない、俺は塞を合流し揃って右へと疾走。空間へ跳躍する。
白煙と破片に人間の頭大の穴を穿孔しながら、重力弾が軌跡を追跡してくる。
煙幕が渦となって重力に引かれていく。
重力場の殺傷圏に捕らわれる寸前、爆裂が発生し、俺と塞の身体が急上昇。
化学練成系第三階位〈爆炸吼(アイニ)〉のトリニトロトルエンの爆風が俺達の身体を押し上げたのだ。
俺は手近にあった金属製の橋梁に魔杖剣を突き立て、左手で塞の左腕を掴み振り子の要領で半回転。
前方の橋梁に塞を投げ、さらに体操選手のような登攀術で塞に続き橋梁に着地する。
22
そこは船を作る作業場だった。
クレーンや運搬機が置かれ、通路が複雑に交差しており作りかけのまま打ち捨てられた船体がその体内を晒していた。
作業員が行き交うための通路を俺と塞は走る。
後方から轟音が響く。吹き荒れた白塵が俺達の身体を染めていく。
滲む視界の先にマルグリィッドが降り立つのが見えた。
塞の放った化学練成系第三階位〈爆炸吼(アイニ)〉炸裂する。
合成された爆風と鉄片が橋梁の通路を破壊。殺傷圏に巻き込まれないように、俺と塞は全力後退。
巻き上がる白煙の動きで大気の流れが変化したことを感知。煙幕を突き破り重力場が発生していた。
急速に視界が晴れていく。破壊され、崩壊していく通路を魔女が駆け上がってくる。
爆風の直撃を受け、人間の皮膚が破れ鱗が一部露出していた。
崩壊を続ける通路を蹴りつけ、重力咒式で飛翔してくる。掲げられた左右の手には重力波が紡がれていた。
塞「ここ!」
水平に構えた魔杖細剣〈鳴神のライネ〉と、その刀身に添えられた魔杖短剣〈峯風フウネ〉の切っ先に化学練成系第四階位〈曝轟蹂躙舞(アミ・イー)〉が二重展開。
かつて、コウガ忍と塞の咒式がかち合った時、堅牢な古式教会を崩壊させた無色斜方型結晶のシクロトリメチレントリニトロアミンを炸裂させる強力な軍用爆薬を生成する。
重力質量咒式で毒や刃を瞬間的に防御出来ても、この二方からの破壊の嵐はその防御力を何とか上回るはずだ。
23
爆裂が工場内を駆け抜け、金属橋梁を壁を崩壊させ、瓦礫が地面に落下していく大音響を轟かせる。
だが俺は魔杖剣を下ろさない。あくまでも、もしもの時のためだ。
濛々と煙る白煙の向こう。作りかけの甲板の上につま先が見えた。
晴れていく視界。続く足から上は、黒い装束に黒い髪をたなびかせた、傷一つないマルグリィッドの白い頬だった。
反射的に、俺は封咒弾筒を投げる。重ねる形で塞の〈爆炸吼〉と同時に炸裂。
しかしその爆風はマルグリィッドに届くことなく、不可視の壁に阻まれ尚且つ掻き消されていた。
京太郎「咒式干渉結界で防いだ、のか?」
自分で自分の発言に疑問を抱く。
塞「そんな、重力咒式で飛翔し、かつ必殺の咒式の発動の瞬間を狙った。干渉結界まで張れるわけない」
すかさず塞が電磁雷撃系第二階位〈雷霆鞭(フュル・フー)〉を放つ。駆ける雷撃が、やはりマルグリィッドの眼前で見えない壁に阻まれ紫電を散らしていた。
水平の落雷が青白い粒子へと変換される。それは紛れもなく咒式干渉結界だった。
24
マルグリィッド「無意味だな。この宝珠がいてくれる限りは、な」
魔女の唇が余裕の笑みを作る。視線が右横へと動く。傍らには一抱えもありそうな球体が空間に浮遊していた。
半透明の球体の外殻の内部に、薄桃色の内臓のような内容物が折り畳まれて格納されていた。
球体は脈動し、明滅しているように見える。
この不気味な宝珠、仮に竜宝珠とでも呼ぶべきかが、高位竜族が扱う対咒式結界である数法量子系第五階位〈反咒禍界絶陣(アーシ・モダイ)〉を展開し、咒式の原理に干渉する絶対防禦を成し遂げたのか。
竜は自身の頭脳だけで咒式を操っている。聞いたこともないが、俺達人間の法珠にも似た竜族の事象誘導演算用装置なのだろうか。
差し伸べられたマルグリィッドの繊手と視線が、どこか愛おしげに球体の表面を撫でる。
球体も、寄り添うようにマルグリィッドの傍らに浮遊している。まるで主星を守護する衛星のようだ。
我知らず、奥歯が噛み締められる。
塞「マルグリィッドは攻撃型の竜で、ただでさえ行使する重力咒式が防御不可能。それでも防御力はなんとか私達が凌駕できるものだった」
京太郎「けど、強力な防禦結界を展開する竜宝珠を従えているとなると、どうしようもない」
原理はわからないが俺達の勝利の可能性がほとんど皆無になったのだ。
25
魔女の視線が戻される。
甲板に一歩を踏み出しつつ、断罪の手刀が放たれる。
瞬時に生み出される重力場。咄嗟に大きく横に跳ねたが、俺の身体が軋む。
重力波の殺傷圏でなくとも内臓や血液は引き寄せられる。どんな人間も重力の圧搾には勝てない。
苦痛を堪える塞を抱えて俺は後退する。
竜宝珠を引き連れ、マルグリィッドが全力で追いかけてくる。
構えも何も無く無造作に放たれた手刀が、盾として掲げた魔杖剣の剣腹で火花を散らせる。
受けたのはいいが、竜の剛力を受け止めきれなかった。
抱えた塞ごと通路から空中に吹き飛ばされる。
膝をたたみ、回転しながら甲板に着地。膝を撓め、解放して跳躍。。
追撃してきた、マルグリィッドの手刀が金属製の床を穿孔する。
二手に分かれていた俺達は左右か挟撃。横薙ぎの斬撃を左手の甲に弾かれる。
開いた胴体へ、塞が魔杖細剣の刺突を放つがこれを跳ね上がったマルグリィッドの膝げ迎撃。
打ち上げられ、魔杖細剣の切っ先が天高く舞っていた。
26
旋回し、再び刃を打ち込むが魔女は空いた右肘で防御。マルグリィッドが回転し、腕の一撃でまたも俺は吹き飛ぶ。
背中から壁に激突し、衝撃で前のめりに倒れる。霞む視界の先で、塞がマルグリィッドの間合いから後退していた。
しかし、魔女の動きのが一瞬早い。繰り出される蹴りが相棒へと到達する寸前、四肢に力が篭る。
身体を限界上に駆使し、俺は全力で前進。塞の肩を突き飛ばして強引に攻撃の軌道から逸らしながら、自身も蹴りの間合いから退避しようとする。
あの状況からここまで動けたことに、マルグリィッドの瞳の奥に僅かに驚愕の波紋が広がるが、すぐさま嘲りの色に塗り潰される。
半円軌道を取る長い脚の先端。靴の爪先を破って、曲刀が出現していた。
蹴りの回転半径が伸張! 躱したと思っていた俺の胸板へ鋭利な先端部が到達。一気に耐刃性の咒化繊維で編まれた服を引き裂き、
右肺掻き回し、心臓の一部を通過し、首下から顔面へと抜けていく。
爪の先に左眼窩から零れた眼球が視神経の尾を引いて引っ掛かり、千切れる音と光景が何故か明瞭に感じ取れた。
視界の端に、俺へと必死に手を伸ばししている塞の姿が見えたがすぐに消失した。
視界が暗転。
27
胸の傷から、出血とともに自己が流れ出していく。
違う。自分の中に自分という存在が流れ込んでくる。
逆だ。死に行くのは眼前の竜で、塞で、俺がそれを眺めているのだ。
違うそれも逆だ、死に向かっているのは俺で、俺はそれを全力で逆向きに走っているのだ。
死は救いであり、その果ては善意と救いで敷き詰められていて、だからこそ俺はそこへ行きたいのに、
流れ出る苦痛を自己の胸に押し込んで、俺は地獄の生を生かされているのだ
それはあまりにもあまりにも苦しかった。
苦しいのは嫌だ。誰だって嫌だ。だからこそ死は救いで堕落で快楽で神だ。
そして俺の蘇生は完了していた。
28
胸板が熱い。それは痛みだ。痛みは生で命だ。
気付くと、自身の身体が急速に修復されていくのが見下ろせた。
空気の感触。風。頬を打つ雫。温かな感触。塞が俺の身体を抱えて、必死に後退しているのが感じられた。
塞「バカ! 死ぬな、意識を取り戻せこのバカ!」
京太郎「お、俺……俺、今もしかして?」
塞「うん、少しだけど死んでた」
徐々に五感が力を取り戻し、眼前の竜の女が傍らの竜宝珠とともに咒式を紡いでいるのが見えた。
咒印組成式は、治癒に部分が辛うじて読み取れる程度で、それ以外の部分は複数の咒式が多重に組み合わさった超高度なものであり俺には理解出来なかった。
これが竜のみが可能とする蘇生咒式か。虹色に輝く極彩色の数列の群れが、破損した俺の身体に繋がれていた。
千切れた左の眼球が駆け上がり、空洞となった左の眼窩に潜り込んでくる。その異様な感触に全身が総毛立つ。
マルグリィッド「この程度で死なせるものか。この程度では我が愛しの君の苦痛にの万分の一にも値せぬ」
咒式を停止した魔女の頬が不気味に微笑む。
マルグリィッド「百度殺し、百度蘇生させ、そしてもう一度殺してやろう」
超咒式の発動からくる疲労と消耗も感じさせない竜の不適な笑み。
人間にも似た愛情からくる残忍さが滲んでいた。
29
あいつは、あいつはまたやりやがったのだ。俺の蘇生を。
再びの生は苦痛でしかなかった。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚のすべてに砂が詰まっているような違和感。
それでいて世界は見ているだけで眩暈がし、音は轟音のようにうるさく、血生臭さで噎せ返りそうだ。流れるは大気は刺すように痛い。
死、では無いが限りなく近似値に近い地点からの再生。それはあまりも苦痛だった。苦痛に過ぎた。
こんなもの人間の精神が耐えられるはずが無い。次の生、次の次の生、次の次の次の……。
そうなれば俺の精神は確実に、粉砕され崩壊するだろう。
格が違う。半神に近い長命竜の前では、死する救いとはならない。
塞が拾っていた俺の魔杖剣を投げ寄越してくる。それを受け取り、柄を握りこむ。目元を拭った塞はすでに魔杖剣の切っ先を掲げていた。
塞「いくよ! 低能剣振り機!」
俺は勢いをつけて立ち上がり、塞の傍らに並んで立つ。
その罵詈と遠慮の無さが、逆に俺の中に反発と怒りを生む。だからこそ俺は立てた。
京太郎「応! 誰に言ってやがるこの移動式眼鏡置き場が!」
俺と塞は視線を一瞥させる。
お互いに闘志が衰えていないことを確認し、眼前の復讐鬼へと向き直る。
30
外套の裾をはためかせ、俺達は機会を窺う。
高所に吹く風が、魔女の前髪をなぶって行くが、マルグリィッドは気にした風も無く宝珠を従えながら悠然を立っている。
その双眸には烈火の殺意。
京太郎「ここで問題だ、あの竜の女を一撃で倒せる意外な方法とは?」
俺のくだらない問い掛けに、塞は少しだけ思案顔になり答えを述べていく。
塞「離婚問題で訴えられ借金問題で自殺寸前の、自らの破滅の道連れを探す税務署員を、脱税監査に差し向ける」
京太郎「それは確かに死ぬだろうな」
あまりのくだらなさに俺は鼻先で笑うが、その反動で全身に痛みが駆け抜ける。
先程の攻防で、心臓などの直ちに死に繋がるような器官は修復されたがご丁寧に折れた肋骨などはそのままで呼吸のたびに激痛が走る。
塞にしても、口元や鼻腔から鮮血が流れているし歩き方もどこかぎこちない。
31
塞「京太郎。君がもし、魔王とか超なんとか人だとかどこそこの血を引く末裔だとか、」
塞「そういう安い裏設定ならここぞとばかりにそのその醜い姿を本性を曝け出して暴れまわってもギリギリ許してあげるけど?」
京太郎「塞こそ、追い詰められると発揮される隠された超能力的なものがあるなら話の盛り上がり的に出し時じゃないのか」
京太郎「追い詰められ度が足りなりなら、俺がちょ~っと心臓を刺してやるけど?」
塞「残念だけど、能力の覚醒には仲間の死って言うお約束のイベントが必要なの」
塞「ちなみにさっき京太郎が99%ほど死に掛けてたけど、ピクリとも反応しなかったけど」
京太郎「はは、俺の死にも無感動かよ」
くだらない冗句に笑うしかない。
どちらにしろ怒りや窮地で都合のいい超自然的な力が湧いてくるということは無いらしい。
塞「見誤ったね」
京太郎「ああ」
俺は連続で治癒咒式を発動していくが、お互いまったく治療が追いつかないほどの重症だ。
32
塞「どうやら私達は対人戦術を行う間違いを犯していたみたいだね」
京太郎「これは竜相手の戦闘なんだ。振るわれる拳は巨獣の剛腕、放たれる蹴りは飛燕の靭尾」
塞「そして肌や衣服は高硬度の鋼の竜麟。牽制や半端な攻撃なんて通用しない」
京太郎「そして防御不可能な不可視の重力咒式と、咒式干渉結界の豪華特典付きか。手も足も出なさ過ぎてむしろ笑えて来るな」
前方の俺達を見据えるマルグリィッドの足元の甲板が重圧で押し潰されていた。
ようやく奴の超質量攻撃の原理がわかった。
塞「奴は人間の姿をしてるけど、正しく質量保存の法則に従うなら竜本来の10数トーン以上体重のままなんだ」
京太郎「それを奴は通常とは逆向きに重力咒式を使って軽量化して移動し、打撃の瞬間のみ咒式を解除して本来の体重で攻撃しているのか」
そうでなければ都市を歩くこともできないし、地形的にも不利になる。
塞「だから、汎ドラッケン式竜測定法での外見からの強さの判断ができない」
京太郎「実際に戦った感じでは、夫の黒竜と同等、いや明らかにそれ以上の強さだ」
塞「つまり900歳から1000歳の真の〈長命竜(アルター)〉ってことだね」
33
塞「倒す方法が見付からないね」
俺は顎を引いて同意する。
塞「けど、なんで彼女は憎むべき人間の姿をしているんだろう」
京太郎「前方被弾面積が小さいから」
塞「では無いね。竜本来の姿の方が圧倒的に戦いやすいはずなのに」
京太郎「誓約、ってやつか。あるいはそこに付け入る隙があるのかな」
塞「とにかく、竜相手に今までの小技で攻めるような持久戦は体力、咒力量的にこっちが不利」
京太郎「じゃあどうする?」
塞「結論。とにかく無理でも何でも相手の咒式干渉結界圏と鱗を破り、強大な攻性咒式を叩き込むしかない」
京太郎「簡単に言ってくれるな」
俺は苦笑しながら咒弾を再装填。
撃鉄を起こす。
京太郎「なぁ塞」
塞「なに、遺言?」
京太郎「何故か負ける気がまったくしない」
塞「その不思議な方程式の根拠が知りたいね」
間合いを計っていた脚を止め、全力疾走へと移行していく。
マルグリィッド「今生の別れはすんだか? ならば参る!」
竜の姫君もまた間合いを詰めてくる。
すまぬ…すまぬぅ…
最近環境変わって何かと忙しいんですよ
シロ、ころたん、アコチャー、ちゃちゃのん、のどっちのそれぞれメインの短編とか書きたいなーって思ってるんですが
気持ちばっかりが先行してぜんぜん書く暇がない
それではまた
生存報告
34
竜宝珠を従えマルグリィッドが間合いを詰めてくる。
塞は魔杖剣で紡いでいた化学練成系咒式第三階位〈緋竜七咆(ハボリュム)〉のナパーム火線を瞬時に二重展開。
あらゆる生物を焼き尽くす1200度という十四条の緋の劫火も、しかし竜宝珠の結界圏に接触し消失。一瞬の目眩ましにしかならない。
踊る火の粉を華麗な装束として纏ながら竜人の女は大きく頭を振るう。
束ねられた数万本の髪の束が、先端を硬化させながら俺達に殺到してくる。俺と塞は左右に分かれて回避。
放射された硬化先端の髪の槍が金属製の甲板や壁を貫通し、豪雨のような甲高い音を立てる。
躱したはずの俺達の足元から再度、頭髪の槍が裏側から穿孔しながら噴出してきた!
俺と塞の身体に極細の拘束具となり絡みつく。頭髪の縛鎖が俺達を絞め殺す寸前、さらに咒弾の空薬莢が空中へ跳ねる。
同時に、絡み合う頭髪の拘束が溶解、残りを魔杖剣の刃で切り払う。
塞が発動させた化学練成系第一階位〈毛壊(ゲハル)〉により合成されたチオグリコール酸が、頭髪の主成分であるケラチンを溶解させたのだ。
俺達が自由を取り戻したのと同時に、マルグリィッドの胸部が膨張。唇の端には見覚えのある咒印組成式の青白い燐光が見えた。
俺は踵で甲板を踏み締めながら疾走。咒式の展開姿勢に入っていた塞の前に壁となって立ち、魔杖剣を突き立て盾とする。
次の瞬間、マルグリィッドの口元から膨大な量の液体が迸っていた。
35
荒れ狂う瀑布が水平に走り、甲板や周囲に置かれていた金属機器を溶解させていく。
化学練成系第三階位〈硝硫灼流(プロケ)〉による濃塩酸と濃硝酸の混合酸である王水の奔流。
強酸の波濤が俺達へ到達する直前で爆ぜる! 壁となって立つ俺の脇から突き出され塞の魔杖剣の先端から液体の奔流が、マルグリィッドの吐く王水と激突したのだ。
大量の水飛沫が跳ねる。化学練成系第二階位〈瑞障流(フォネウス)〉の水とアルカリ物質が塩基中和反応を起こさせ、強酸の濁流による溶解を防いだのだ。
黒竜の息吹が強酸だとわかっていたからこその防御方法。かつて夫の黒竜と戦った経験からくる苦い戦術だった。
〈長命竜(アルター)〉の莫大な咒力から生み出される王水と人間である塞の生成する中和剤では量が違いすぎる。
マルグリィッドが咒式を強化する前に、電磁雷撃系第二階位〈雷霆鞭(フュル・フー)〉の光速の電子の蛇が強酸の河川を遡り、マルグリィッドの口腔内で炸裂した。
雷撃と強酸の二重奏が魔女の顔面を灼き、高熱と溶解作用が眼球を白濁させていた。
いくら強力な咒式干渉結界であろうと、自身の攻撃時にはそれを解除せざるを得ない。そして強大無比な長命竜といえど不死ではない。
好機は今!
同じ考えに達した俺と塞は同時に間合いを詰めていく。
マルグリィッドは眼球を修復しながら牽制の重力波を放ってくる。が、視界の利かない状態での重力弾など当たりはしない。
重力の余波で内臓が軋む程度なら、無視して前へ進む。
こちらの咒式に反応し、竜宝珠が干渉結界を展開しようとするが俺は構わず化学鋼成系第一階位〈矛槍射(ベリン)〉を連射する。
マルグリィッドではなく、魔女の周囲の床に向かって十四本。続く塞の化学練成系第三階位〈爆炸吼(アイニ)〉が炸裂。
爆裂は魔女ではなく、甲板の床を崩壊させた。
36
建造中の船体の甲板は砂上の楼閣のように内側に向かって崩れ落ちていく。
床材や鉄骨、支柱など雑多な金属の瓦礫が崩壊し、崩落し瀑布となって落下していく。
俺も塞も、マルグリィッドも竜宝珠もその落下物の中の一つだった。
落下していくマルグリィッドが巨大な重力波咒式を展開、上方にいる俺へ向かって放射してくる。
しかし重力の渦に捉まる直前、俺は破壊された床の断面から突き出した鉄骨の破片を蹴って横飛翔していた。寸前まで俺のいた空間を貫き、重力弾が瓦礫を圧壊させていく。
魔杖剣の引き金を引きつつ俺はさらに落ち行く巨大な金属製の床材に天地を逆向きに着地し、蹴りの勢いで下方へ向かって飛翔していた。
撃鉄が打たれ、そこで今日の昼間に練習していた咒式の一つを解放する。
振りかぶる魔杖剣の刀身を六角形の咒印組成式が覆っていき、瞬時に幅と長さと厚みが増大。六角形の破裂と共に瞬間的に質量を増大させたのだ。
化学鋼成系第五階位〈金鋼轟瀑落剣(テイーミス)〉が常識外れに巨大なチタン合金製の刃を生み出したのだ。
長さは4メルトルほど、現在の俺の実力では理論値の半分ほどの大きさしかないが今はそれで十分だ。落下速度と剣速と重量を乗せた〈蜃気楼〉が軌跡にあるあらゆる物体を両断しながらマルグリィッドへと迫る。
咒式干渉結界が即座に反応し、電磁磁場系第五階位〈界磁遮蔽紗幕(アスモダ)〉を展開する。強力な電磁障壁が物理攻撃を抑止しようとしてくる。
障壁とチタン合金の刃が噛み合い、俺の身体は空中に制止していた。
上方から生体変化系第二階位〈蜘蛛絲(スピネル)〉の蛋白質複合繊維を腕に絡み付けた塞が、反対側を下方の機器に絡ませその伸縮性を利用しながら放物線を描いて落下してくる。
同時に、うた屋で購入した宝珠〈IFX-V301ドルイドⅧ型〉のドルイドシステムが超演算を開始。
刀身に複雑な文様が浮かび、青白く発光。超演算が相手の咒式に割り込み、無効化し、ついに竜宝珠の結界の面の力を上回った。
竜の宝珠へ向かう刃はマルグリィッドの左の掌手が受け止める。一瞬、刃が運動を停止するが、マルグリィッドの左腕に加わる荷重が増大していた。
上方から降下してきた塞が刀身の峰の上に着地していたのだ。
37
重量に、剛力に、落下速度を加えての着地の衝撃によりマルグリィッドの膂力を上回り左腕を切断。
手首、尺骨、腕橈骨筋、上腕二等筋、上腕三等筋、左肩の三角筋、さらに大胸筋、肋骨上部、左肺、そしてその誇り高き心臓を掠め、長大なチタン合金の刃は地面を砕き断層を刻んでいた。
咒式による刀剣の増大を解除し、回転しながら船内の床に着地。即座に跳ねてマルグリィッドの右腕による追撃を避ける。
魔女の左腕から胸にかけての傷に強力な治癒咒式が発動するが、〈IFX-V301ドルイドⅧ型〉がその無効化能力によって式を破壊していく。
降り注ぐ瓦礫の雨に紛れながら塞は巨大剣の峰から飛び移り、竜の背後にあるタンクの上に着地していた。
電磁雷撃系第五階位〈電乖鬩葬雷珠(マーコキアズ)〉のプラズマ弾が連射され、掩護を受けて俺は後退。
恐るべき忠実さで竜宝珠が咒式干渉結界を再展開。だが、不完全な結界では原子核から電子が遊離するほどの超高温を防ぎきれない。
灼熱の弾丸はいまだ降り注ぐ瓦礫や破片を掻き消しながら竜へと殺到。斜め上方から結界を突き破り、マルグリィッドの身体を灼きながら貫通していった。
轟音。天井となっている船内の床を崩壊させ、さらに下へ下へと崩落していく。
落下物を魔杖剣を掲げて盾としつつ、連携攻撃を終えた塞が合流してくる。
俺は塞の細い腰に腕を回し、床材を蹴って後方飛翔。ダメ押しで化学練成系第四階位〈曝轟蹂躙舞(アミ・イー)〉をぶち込む。
地面に着地する。同時に、一際大きな轟音が響き、大きな鋼の板が落下して崩落は終わった。
俺達は破壊された船体の断面の横に立っていた。
背後に工場に敷地、そして夜の帳が下りていくリツベ市の街並みが眺められた。
刹那の静寂。
プラズマ弾の炸裂で地面に擂鉢状の大穴が開いていた。咒式の熱量はすでに消失していた。
いくら長命竜の生命力でも脳か心臓にプラズマの直撃を受ければ即死だ。
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塞「……っひぐ!?」
相棒の口から僅かの呼気のような苦鳴が上がる。薄桜色の口唇の端から鮮血が滴っていた。
京太郎「塞!?」
視線を下ろすと、塞の腹部に黒い円錐の頂点が突き刺さっていた。円錐を黒い鱗に覆われ長く伸びていた。
その逆端は大穴の上を横断し、瓦礫に這い上がる黒竜の女の尻から生えていた。
一気に竜の魔女が竜宝珠を従えながら飛翔。塞の胸部に踏んで着地し、おそらく衝撃で肋骨が砕かれている。
俺は即座に跳躍していた。塞を串刺しにしている尾槍を狙い、斬撃を疾らせる。
巨木のような黒い右の剛腕が迎撃してくるが、柄を引いてこれを空振らせる。
体勢が崩れたところへ、右腕を蹴って上空を飛び越え当初からの狙いであった竜宝珠へ刃を切り返す。
マルグリィッド「させるかぁぁぁっ!!」
半ばまで剪断された左腕が阻止してきた。
苦痛に絶叫しながらも魔女は巨大な腕を振り抜き俺の身体を空中に弾き飛ばす。
船体の壁に受身も取れずに背中から激突し、砕けた甲殻鎧の破片と蜘蛛の巣状に亀裂の走った壁の破片が飛散する。
胃から食道を抜け、胃液と臓器損傷による鮮血が反吐のようにせり上がりぶち撒けられた。
前傾姿勢で倒れそうになる俺の身体へ、さらに黒い暴風が叩きつけられる。
長く長く伸ばされた右腕。その先端の槍のような五本の爪が、左肩、腹部、両大腿部、そして魔杖剣を握る右肘を貫通し背後の壁に縫いとめ磔刑としていた。
生きているのが自分でも不思議なくらいの即死の一撃が、俺を完全に戦闘不能へと追い込んでいた。
39
霞む視界で状況を確認する。
マルグリィッドは人間の変化を一部解除していた。尻尾がうねり、両腕は巨大な前脚となっていた。
プラズマ弾の直撃は、さすがに竜の防御力を突破していた。身体の末端を灼き、右の脇腹は深く抉れて断面は炭化していた。治癒は始められてすらいない。
重症が竜の咒力を弱め、変身制御の持続を一部失わせたのだろう。
痛みから逃れるためか、妙に冷静な思考だった。
塞は床に仰向けで倒れていた。
壁に縫いとめた俺からいったん視線を外し、竜宝珠を従えながら塞を見下ろす。
マルグリィッドは荒い息を吐いていた。相手も限界が近いのだろうが、それでも俺達を完全に制圧したというこの事実は覆らない。
完全に万事休すとなっていた。
マルグリィッド「よく逃げ回ったが、ようやく我が手の内に捕らえた。いや、尾か」
苦しげに言葉を吐きながらも、その表情には喜悦があった。背後に控えた竜宝珠も喜びを共有するかのように淡く発光していた。
マルグリィッド「どうだ、痛いかえ?」
長大な尻尾がうねり、塞の腹腔を掻き回す。相棒の口から耳を塞ぎたくなるような絶叫があがる。
マルグリィッド「だが我が背の君、ジェ#ル*クスの苦痛はこんなものではなかった」
塞の右腕が動く。夫の仇の狂態を見下ろすマルグリィッドの横顔から、残酷な復讐者の笑みは消失していた。
40
塞は右腕を動かし、先端を自身の顎先に向ける。マルグリィッドの顔に戦慄が走る。
竜の超蘇生咒式であろうと、脳を完全に破壊されては生き返らせることはできない。
やめろ。塞、やめろ!
京太郎「やめろ! 塞!」
マルグリィッド「そのような一瞬の安楽な死など与えるか!」
引き金が絞られ〈爆炸吼(アイニ)〉が炸裂する寸前、巨大な腕が水平に掲げられる。
剛腕が振り払われ塞の右肘から先が消失していた。爆裂咒式が空中で炸裂する。
筋肉と骨と脂肪層の断面から脈拍に合わせて鮮血が吐き出される。
俺の視線の先。塞の宝玉のような瞳が俺を見ていた。血に汚れた口元を歪め薄く嘲笑しやがった。確かに嘲笑った。
奴は、「あんたはそこで脇役っぽく見ているだけか?」と問うたのだ。
この眼鏡の付属品風情がっ!
なんかよくわからないインディーズバンドの熱狂的追っかけ民族がっ!
さらに普段からの年上振った態度もっ!
俺は状況とまったく関係ない心理的怒号とともに、高速で咒式方程式を紡ぎ始める。
震える指先を魔杖剣の引き金にかける。しかしその震えは恐怖でも、死に瀕した際の生理現象でもなく、勝利への確信からだった。
41
塞の残った左腕が腰の後ろから魔杖短剣〈峯風フウネ〉を引き抜いていた。
そこで漸く思考が至る。先程の爆裂咒式も、この為の囮だったのだろう。すべてはマルグリィッドを致命の間合いに誘い込むための。
ならば俺のやることは決まっている。
強化咒式を急速展開。魔杖剣〈蜃気楼〉の回転弾倉が回転、咒弾が火を噴き生体強化系咒式第五階位〈鋼剛鬼力膂法(バー・エルク)〉が炸裂する。
筋肉繊維の遅筋にグリコーゲン、速筋にグルコースにクレアチンリン酸が、両方にアデノシン三燐酸と酸素を送り込み、乳酸を分解、ピルピン酸へと置換。
脳内四十六野と抑制ニューロンによる筋肉の無意識限界制動を強制解除する。
同時に甲殻鎧を絞める螺子が弾け飛ばすほどに、瞬間的に筋繊維容量が増大する。
脚部の大臀筋、中臀筋、大腿四頭筋、縫工筋から下腿三頭筋。
胴部の大胸筋、前鋸金と外腹斜筋と腹直筋。
背中の大菱形筋、広背筋、僧帽筋。
肩の三角筋、腕部の上腕二頭筋、上腕三頭筋。
全身の四百種六百五十の強化筋肉が限界まで膨張する。
超人化した剛力を束ね、俺は俺を磔刑とする五本の爪とその腕を強引に引き剥がしていく。傷口から血が吐き出され肉片が千切れ落ちるがアドレナリンの分泌がそれすらも無視させた。
自身の危機を直感したマルグリィッドは、俺の拘束が解けたことには気にも留めず塞の頭部の破壊にかかる。
この距離では助けは間に合わない。経験と戦闘感覚による閃きが脳裏に弾ける。
俺は魔杖剣振りかぶる。咒式を発動しながら渾身の力でそれを投擲した。
42
魔女の秀麗な額が弾ける。
水平に走る〈蜃気楼〉に再び〈金鋼轟瀑落剣(テイーミス)〉の咒式を作用させ、柱ほどにもなった刀剣がマルグリィッドの頭部の一部を掠め塞の傍らにある後方の壁に突き立った。
マルグリィッドの割れた側頭部から脳漿と鮮血が零れる。破壊された右の眼窩から視神経に繋がれた眼球が垂れ下がっていた。
脳を削る刃の投擲を受けても、無敵の長命竜は即死しない。だが、全身の制御を司る脳を貫通されて魔女の動きは一瞬完全に停止した。
回避不可能な竜宝珠の咒式干渉結界の内側という超至近距離。右腕を俺に使わせ、塞の自殺を防ぐべく残った左腕は流れ、俺の掩護による思考の隙。
一連の詐術で条件は揃い、ついに切り札は展開を開始した。
しかしそれでも超高速反応で、マルグリィッドは致命傷を避けるべく身体を反らす。
竜宝珠を背後に従えた魔女の動きが、何故か一瞬だけ停滞した。その緑の瞳と横顔には極限の懊悩。
その致命的な隙を見逃さず、塞はフウネの引き金を引き咒式を解放した。
マルグリィッドの人間のような秀麗な顔も、水平に広げた両腕も、すべて眩い閃光に塗り潰されていく。
猛り狂う爆風と超々々高温の熱波の刃が殺到し、細い身体と巨大な両腕と尻尾、背負った竜宝珠ごと吹き飛んでいく。
反動で後方に吹き飛び、壁に激突しそうになった塞を回り込んでいた俺が胸板で受け止める。
京太郎「まだ死ぬな! 貧弱眼鏡!」
塞「いいから黙って支えてろド低脳!」
頽れそうな塞の身体を右腕で支え、前方に掲げられた魔杖短剣を握る細い左手に俺の左手を重ねる。
解れかけていた咒印組成式が輝きを取り戻し、足りない咒力を俺の咒力で補填していく。
ごお、るるおあ、ぐるああっ!!
黒竜の咆哮が響き渡る。防禦結界が抵抗を試みるが、それすらも光と熱の波濤が塵のように破砕し、船体の壁面に激突。
咒式干渉結界を完全破壊し、そこで咒式本来の力が放射された。
43
塞が発動させたのは化学練成系第七階位の禁咒〈重霊子殻獄瞋焔覇(パー・イー・モーン)〉だった。
俺は可能な範囲で咒印組成式を読み取っていく。
それは水素に中性子が一個余計に付いた重水素と二個余計に付いた三重水素を極低温で液化させ、作用量子定数を変化させた触媒の負ミューオン粒子を照射。
位相空間内で超高圧放電による超高温高圧をかけてトンネル効果を励起、電子を切り離した原子核同士を衝突させる咒式だ。
そこでは原子核内部での陽子や中性子を繋ぎ止めているパイ中間子等の束縛、つまり世界が世界であり形作っている核力という名の神の縛鎖からの解放。
質量が熱量に変換される瞬間、ついに禁断の核融合爆発が発生しヘリウム原子核と中性子、そして数億度の超々々高温が発生する。
理論計算によると、重水素と三重水素に電子より207倍も質量の大きい負の電荷を持つ負ミューオンを導入して二つの水素同位体核の一つに巻きつかせ、
通常の水素原子の1/207のサイズを持つ中性原子を作ると電気的反発力が消失し、二つの核が容易に近付き、核融合反応が起こる。
ミューオンは約0.1ナノ秒で減速して電子と入れ替わり水素電子の1/207のサイズを持つ原子、ミューオン原子に変わるとミューオン原子が分子励起準位と共鳴する形でミューオン分子が生まれる。
ミューオン分子の基底状態の大きさは5×10のマイナス11乗センチメルトルで、核力の到達距離の100倍程度であり、
分子振動の助けを借りて分子内で核融合が10のマイナス12乗秒以下で起こり、
その結果、中性子とアルファ粒子とが発生してたった一個の分子から17.6メガ電子ボルトルもの熱量が生まれる。
自由になったミューオン粒子は発生したアルファ粒子に付着してまた次の反応へと向かう。
開放されたミューオン粒子は2.2マイクロ秒の寿命が尽きるまでの間に250回もの核融合を起こして一個のミューオン粒子が4ギガ電子ボルトルもの熱量を発生させる。
つまり、わずか1グラムルの重水素と三重水素にミューオンを練成するだけで理論上では、核融合により3億3600万ジュールルという爆発的な熱量を発生させるのだ。
その膨大な熱量の大部分は空間転移時に消失するが、擬似結界内に指向開放される数千度という超高熱は、原子核と電子が遊離したプラズマ現象を引き起こし、
重金属すら瞬時に沸騰させ蒸発させ、分解せしめる神の刃となりあらゆる物理・咒式防禦を貫通する。
44
核融合の緋と白の炎が吼え猛り、マルグリィッドと周囲の壁や柱の金属原子を巻き込んで崩壊させていく光景。
そのあまりの圧倒的な破壊に俺は、そして咒式を放った塞自身も痴呆のように見惚れていた。
禁忌の咒式の爆光が渦を巻き、そして次第に消失していく。
黒竜の魔女と竜宝珠が吹き飛ばされていった先、横たわる船体の壁や天井に大穴が穿たれていた。
マスズ突提で実験対象となった座礁した船舶とまったく同じ光景。熱だ穿たれた大穴だった。
〈重霊子殻獄瞋焔覇(パー・イー・モーン)〉は現在確認されている咒式の中でも最強最悪といわれるものの一つで、咒式による一定方向への収束がなければ俺達ごと工場の棟そのものが吹き飛んでいただろう。
分厚い船の船体は溶解し飴色に滴り熱い蒸気を上げている。余熱で陽炎が揺らめいて見えた。
高熱によってイオン化した空気が肌を刺す。支えをなくした壁や天井が崩落し落下の衝撃で全身に激痛が走る。
俺は傍らに落ちていた魔杖剣を拾い上げ、苦痛を堪えて咒式を発動。
塞の右腕の断面と、貫かれた腹部に治癒咒式と鎮痛咒式を発動する。
京太郎「死ぬのは、まだ待ってくれ」
細胞分裂の熱で女の口元から苦鳴が漏れる。
俺は塞の肩を担ぎ、魔杖剣を杖にして前に進む。
182センチの俺と、154センチの塞とでは頭二つ近く違うので奇妙な二人三脚いなる。
塞は俺の言葉に口を開かなかった。同時に俺は僅かな疑問を抱いていた。
魔女の生死と疑問の答えを解くべくゆっくりと歩いていく。
45
いまだ蒸気を上げる大穴の外円部に、かつてマルグリィッドだったものと竜宝珠だったものの残骸が引っかかっていた。
マルグリィッドの胸郭から下と左腕は完全に消失し、残る右腕も単なる炭の棒と化していた。右目は消失し黒い穴となっている。
胸郭の断面は完全に炭化し、赤黒い粘度の高い血をゆっくりと吐き出していた。
マルグリィッド「な、汝らの勝利、じゃ……」
炭化した皮膚と鱗が剥落していく。割れてなお美しいその顔は残った左目が大穴の向こう、日の暮れたリツベの星空を見上げていた。
塞「運、とは言わないよ」
塞「あなたは、京太郎に対して、強大な蘇生咒式を使い過ぎた。それで戦う力を削がれ本来の力を発揮できなかったのも原因だ」
マルグリィッド「確かに我の不手際であった」
魔女の頬には苦笑があった。俺はマルグリィッドの視線に違和感を覚え、すぐに気付く。おそらく残る左目も視力を失っている。
京太郎「二つ、答えろ」
俺は一歩を踏み出し、死に行く竜の姫の顔を覗き込む。
46
京太郎「お前は、完全ではないにしろ致命傷は避けられたはずだ。何故、避けなかった?」
マルグリィッド「そこの咒い士に聞くといい」
マルグリィッドは哀しげな表情を俺達へと向けてくる。
俺は傍らの塞に視線で問う。
塞「マルグリィッドは避けられなかった。何故なら背後にその球体があったから」
京太郎「これが? これがなん、…………そう、だったのか」
俺は理解してしまった。
マルグリィッド「我が、愛しの君だ」
弱々しく脈動しながら床に転がる竜宝珠。その亀裂の入った外殻から零れているのは巨大な肉の管と灰色の塊。竜の脳と脊髄と神経系だった。
攻撃型のマルグリィッドには、他系統の防禦咒式を行使できない。もう一頭の竜の演算能力と咒力が必要だったのだ。
マルグリィッドは市役所の保管庫から夫の頭部を奪還し、事象誘導演算用宝珠として使っていたのだ。
死んで腐敗の進行した脳髄には、竜の咒式であっても意識を宿らせることはできない。
何度となく竜宝珠を狙ったとき、最期の瞬間にも竜の女は身を挺して竜宝珠を護っていた。
例え単なる演算装置に成り果てようとも、彼女にとってはかつて愛した夫のジェイルゥクスなんだ。
47
俺は塞を見た。
こいつはマルグリィッドの心情を理解し、咒式を放ったのだ。
マルグリィッドが、自らが避けることで、亡骸といえど再び夫を死の恥辱に晒すことを避けるだろうと理解した上で。
塞は俺の、そして意外にもまったく責める色を宿さない竜の、澄んだ透明な視線から目を逸らした。
生き残るためにはすべてが許される。それでもあまりにも苦い戦略だった。
だが俺に、相棒を責める資格などなかった。俺もまたそれによって生き残った者の一人だからだ。
俺は相棒の肩を支える手に力を込める。
京太郎「もう一つ、聞きたい」
京太郎「あんたは最後に、俺達の所在を掴んでいたみたいだけど」
京太郎「なら何故、学校や事務所や病院ごと殺すなり、俺達があんたにしたみたいに俺達の仲間や友人達を殺さなかったんだ?」
塞も小さく頷く。
そこで初めて竜は怪訝な表情を浮かべた。
マルグリィッド「なにを、言っておるのだ?」
苦痛に歪む唇がそれでも言葉を連ねていく。
マルグリィッド「我に怯え、突然襲い掛かってきた者達は自衛のためにやむを得なかったが、我が愛しの君を殺しのは汝らじゃ」
マルグリィッド「汝らの愛する者や、この街に住む人族達には、いささかの責もなかろう?」
48
俺と塞は言葉を失ってしまった。
竜は人間などよりも遥かに論理的で高潔で、そして誇り高かったのだ。
動物は愛するものを殺されても復讐などしない。それは自らの命を余計な危険に晒すという生存競争において無駄な行為だからだ。
愛するものを奪われたとき、その報いを相手の命で贖わせたいと思うのは高等知性と感情の存在証明であり、竜もその一員だった。
だが、等価原則を厳密に守る竜と違い、俺達人間は奪われた命に対してそれ以上の、それこそ無制限の復讐を求めているのではないだろうか。
もし、何者かが咲を殺したのなら、俺はその相手は絶対に許しはしないだろう。そしてその相手を、関係者を、あるいは無関係な人間ですら問答無用で殺し尽くすだろう。
憎悪と復讐のために相手の命で贖っても、我々は渇きは、そのとき味わった哀しみと怒りと苦痛は決して救済されはしないのに。
それでもその無意味さを知りながらも人間はより凄惨な復讐と殺戮を渇望し、繰り返す。
それが人間の限界なのかもしれない。
49
マルグリィッド「我は、もう十全になした」
いつまでも答えが返ってこないことに倦んだのか、美しい碧玉の瞳ゆっくりと閉じた。
マルグリィッド「人間に頭を垂れることを善しとせず、竜の矜持のために故郷まで捨てて、それ故に、それに付き合わせた背の君までも失ってしまった」
竜の言葉は俺達ではなく、自らの内面に向けられていた。
マルグリィッド「大いなる世界の法に従い、行動した我を我が君は許してくれるぢゃろうか……」
マルグリィッド「冥府で、も、我が君と、悠久の森の、中で、星空、を見上げることが出、来るといいのぢゃが……」
マルグリィッド「しかし、誓、約を果たせなかっ、た、我は元の姿に戻ることは、許、されない」
マルグリィッド「この姿、で、冥府の、君と、出会って、我と気付いて、もらえる、ぢゃろ、うか、それだ、けが、心、配……」
そしてマルグリィッドは小さな小さな息を吐いて、二度と吸われることなかった。
マルグリィッドと咒力で繋がっていたらしい竜宝珠も活動を停止していた。
塞の唇が震え何かを言おうとして、結局言葉は何も紡がれることなく閉じられた。
俺には塞の思考がなんとなく察せられた。
相棒は伝えたかったのだ。彼女に。「会えるよ。きっとジェイルゥクスはすぐに見つけてくれるよ」と……。
だがそれは二頭を倒した俺達には許されない欺瞞なのだ。
それでも、俺は伝えたかった。例えそれが欺瞞であったとしても、俺の幼さと未熟さ故の残酷さだったとしても。
50
彼女の瞳にはただ一滴の涙もなかった。
その唇にはただ一言の恨み言もなかった。
ある説によると「泣く」という行為は自分のためにしか出来ないらしい。
愛する人の死でも、愛する人が死んで哀しいのではなく、愛する人を亡くした自分が可哀想で泣いているのだと。
竜にそんなものは必要なかった。
大自然の摂理と生物の論理と知性の情愛の間で、彼女は十全に行動したのだから。
不完全に生きる、孤独な人間だけが自らを哀れんで泣くのだ。
それはとても哀しいことだ。
工場には、リツベ市と同じ闇の帳が下り頭上には星空が広がっていた。
敷地内は戦闘による破壊で大きく変貌し、遠くからはまるで雑然と広がる森林のようにも見えたかもしれない。
青白い朧光が、俺と塞に、マルグリィッドとジェイルゥクスに降り注いでいた。
俺は手にしていた魔杖剣を地面に突き立て、塞を支えながらゆっくりと片膝をつく。
伝えられなかった言葉を、昔トシのばあさんに教えてもらった祈りの韻律に乗せて朗々紡ぐ。
51
夢破れ、剣折れし勇者たちよ
今は束の間の安らぎにまどろむがいい
汝の戦は語り部に返し、猛き身体は大地に返し、その気高き志は蒼天に返そう
だが、汝の心だけは草原を疾る風に乗り
そして故郷の愛しい人の胸へと還る
52
祈りの韻律が船内に響き渡る。
俺は、偉大で誇り高き種族の魂と死後の世界の安息を祈った。
左肩に荷重が加わる。
見れば、塞が俺の肩に寄り添う形で気を失っていた。
普段なら粗雑に跳ね除けているところだが、何故か今はそうする気にはなれなかった。
目元にかかる前髪を指先でそっと払ってやる。
奇跡的に破壊を免れた携帯電話を取り出し、救急車を呼ぶべく短縮番号を押す。
そういえば、咲との約束を思い出した。
俺は息を吐いた。視界に地面が見えた、近付いてくる。
そして俺も倒れた。
【To be continued】
これ、七月中に終わらせるつもりだったんですよ
ホントすんません
京太郎メインでたまにバトル物SSが書かれる理由の一つとして
やっぱり男だし多少の無茶とかケガとか人体欠損とかやっても大丈夫っしょ!みたいなところがあるからだと思うんですよね
僕も似たような感じですし
最近始まった遊戯王の奴に対抗して咲キャラでヴァンガードやるSSとかやってみたいかもですね
それではまた
第十三話「そしてすべては走り去る」
1
目蓋の隙間から光が差し込んでくる。
清潔感を通り越して殺風景は白い部屋。古臭いリノリウム製の床。人体解剖図の張り紙と薬品の棚。
どうやら自分は診療室のベッドに横たわっているようだ。
柔らかく細いものが腹を撫でる感触。
憩「目ぇ覚めたみたいやね、京ちゃん」
顔を上げると、白衣の女性が俺を見下ろしていた。
腹を撫でていたのは白く細り指だった。
京太郎「憩、さん?」
憩「そう。荒川憩。君の優しい優しい主治医ですよーぅ」
2
記憶が戻ってくる。
黒竜の魔女マルグリィッドと戦い、辛くも勝利した。
その後負傷した自分と塞を治癒咒式で塞いだが、限界以上の肉体と咒式の酷使でぶっ倒れたのだ。
再び枕に頭部を預けようとして、跳ね起きる。
撫でられていた腹部。右手、左手、両脚の順に確認する。
京太郎「よかった……まともだ」
俺は心から安堵した。
憩「むぅ、ウチの医療咒式が信用出来んのですか?」
憩さんの瞳には抗議と不機嫌さが滲んでいた。俺は事実を指摘しておくしかない。
京太郎「あんたの腕は一流だ。だけど、人格は崩壊してる」
俺は過去の記憶を掘り返していく。
3
京太郎「以前、俺の右手の腱を繋げる時、右手を犬の頭に、それと何故か左手に大蛇の尻尾にしようとしただろうが」
俺の冷たい視線に、憩さんは身振り手振りで言い訳を述べていく。
憩「あ、あれですーぅ! 最近の流行ですーぅ!」
京太郎「どこの誰の流行だ!」
憩「ここの私の」
「メガトロンみたいでカッコいいと思うんやけどなぁ」っと呟いている憩さんを無視して俺は寝台を降りる。
素足で触れる床は冷たかったが今は無視した。扉を開けて病室を出て行く。
廊下には看護師は入院患者が行き交っていた。時刻はわからないが明るさからすると昼を少し回ったくらいだろう。
隣の診察室の扉が開く。中から出てきたのは塞だった。入院着ではなく普段着に着替えている。
こちらに気付いた塞は一瞬だけ安堵の表情を浮かべ、すぐに嘲笑を鼻先に乗せていた。
塞「どうやら生き残ったみたいだね」
京太郎「お前の期待に添えなくて悪かったな」
塞「運が無かったね」
京太郎「お互いにな」
そこまで言い合って、俺達は同時に笑い出した。
くだらない軽口の応酬。それすらどこか懐かしく感じた。
4
俺達は姉帯豊音の病室に来ていた。
先日、俺達の命を狙ってきた襲撃者だが本をただせば巻き込んだ原因のいったんはこちらにもあるため一応話をしておこうと病室を訪ねたのだが。
豊音「ふええええええええええええ」
京太郎「……」
塞「……」
寝台に座って窓の外を眺めていた姉帯はこちらの姿を見るや否や、いきなりガチ泣きをしていた。
女とは言え182センチメルトルの俺より上背のある人間が人目を憚らず泣きじゃくる光景はなかなかにシュールである。
っていうか、これ俺らが泣かしたのか?
京太郎「え、ええっと……」
俺は指信号で塞に助けを求めてみる。
京太郎(おい、この状況どうすればいいんだ?)
塞(知らないわよ。あんた何とかしなさいよ)
京太郎(無茶言うなよ。こんな大型犬みたいな女どうすればいいんだよ)
塞(あんたのその顔と言葉で篭絡してきなさいよ)
京太郎(お前は俺をなんだと思ってるんだよ!)
豊音「なんかコソコソ話してるうううう!!」
5
泣き声の勢いが増してきた。
埒が明かない。俺と塞は互いを見ながら無言で拳を差し出す。
リズムを合わせ同時に手の形を変える。俺は五指をすべて開き、塞は人差し指と中指を立て残りを閉じる。
塞「ふっ」
鼻で笑いやがった。うぜぇ。
俺は諦観の溜息を吐き出し、いまだ嗚咽を上げている姉帯豊音に歩み寄る。
なるべく刺激しないように、にこやかに。
京太郎「あの、ええ、姉帯……さん?」
豊音「ふぁい?」
しゃくり上げつつ向き直る。
自分が相手すると決まると、少し冷静になってきた。他人が酷く取り乱している返って冷静になるアレだ。
京太郎「なんでそんなに泣いてるんですか?」
豊音「だって、ヒグッ、わだし、2人に酷いごど、したから……」
京太郎「それは……」
6
俺は言葉に窮した。
藤田の指先となって俺達と戦った彼女と、そもそもの原因を作った俺達。
あの場で善悪正誤がどちらにあったのか。
塞「良い事を教えてあげる。子供をあやすにはまず視線の高さを合わせて、」
京太郎「何もしない奴は黙ってろ」
俺の言葉に塞は押し黙る。無視して続ける。
京太郎「元々巻き込んだのはこちらだ。君が責任を感じる必要はない」
豊音「ほんとぅ?」
上目遣いでこちらを伺ってくる。年下の子供のような仕草がなんだか微笑ましい。
矛盾するが、大きな小動物といった感じだ。
俺は大きくゆっくりと頷いて意思を示す。
癪だが、塞の助言通り視線の高さを合わせ優しい声音となる演技をする。
7
こちらの態度に安心したのか、今度は自分の行為に恥じ入るように俯く。
赤い瞳が不安げに彷徨い、再び俺達を捉える。
豊音「あの、じゃあ許してくれる?」
俺は肩越しに背後へ視線を投げる。
塞の困ったような苦笑が俺を出迎えた。
京太郎「ああ」
豊音「ありがとぅ」
ようやく少女の顔が綻んだ。
年相応に表情をコロコロ変えるこの子が、俺達2人を相手に一時は圧倒して見せた凄腕の攻性咒式士だという事実になんとも不思議な感覚を覚える。
豊音「あの、あのあの、もう一ついいですか?」
俺は視線で先を促す。
豊音「私、この街に来たばかりで知り合いとかいなくて、だから……友達になってください!」
姉帯豊音は深く頭を下げた。
8
俺はもう一度振り返る。
背後に立つ塞はやれやれといった感じで苦笑していた。俺も似たようのものだろう。
塞「うん」
京太郎「ああ、よろこんで」
なにを言われたのかわからなくて姉帯豊音が顔を丸くする。
一瞬後、姉帯の頬をまたも雫が伝う。だがそれは先ほどのものとは明らかに違っていた。
豊音「えへへ、ちょーうれしーよー」
それは心からの安堵と喜びの透明な涙だった。
張り詰めていた空気が弛緩していくようだ。
俺は命をやり取りをした相手と奇妙な友情が芽生えるなどというアホはな話を信じちゃいなかったが例外もあるものなのだろう。
病室に遠慮がちなノックの音が響く。
声をかけると、扉が静かに開かれる。
憩「京ちゃんと塞ちゃんにお客さんやけど……」
顔を出したのは憩さんだった。
あの自由人にしては珍しく、その顔色には戸惑いの成分が加味されている。
憩「あの、どうぞ」
続いて現れた人物は俺達が二度と会いたくないと思っていた人物だった。
このSSまとめへのコメント
はあ?……は?
劣化コピーっていうこの