美琴「極光の海に消えたあいつを追って」2(1000)
・時間軸は「とある魔術の禁書目録」22巻直後から
・主人公は御坂美琴、彼女が上条当麻をさまざまな意味で追いかける話となります
・22巻発売直後での構想なので、「新約」とは大きく矛盾すると思います
・原作との乖離やキャラ設定、人間関係などの矛盾が出てくると思いますが、ご都合主義、脳内変換でスルーしてください
・初SS、それも長編なのでつたなく見づらい点などあるでしょうが、お付き合いいただけると幸いです
前スレ
美琴「極光の海に消えたあいつを追って」
美琴「極光の海に消えたあいつを追って」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/news4ssnip/kako/1299/12996/1299609986.html)
これまでのあらすじ
第三次世界大戦後、北極海へと消えた上条当麻。
彼を探して、ロシアを旅する御坂美琴。
出会った魔術師たちと共に、苦労の末に学園都市の研究機関で治療を受けていた上条を発見する。
だがそこで知ったのは、彼の記憶喪失の悪化。
全てを忘却した上条とともに、美琴は学園都市へと帰還した。
学園都市に帰ってきた二人を待っていたのは、懐かしい日常。
上条にとっては見る物や会う人間全てが初めての経験だ。
二人は少しずつ、心地良い平穏へと戻って行く。
その裏で、悪意にまみれた陰謀が進んでいるとも知らずに。
主な登場人物
・御坂美琴
本作の主人公。
ロシアでレッサーや神裂らをはじめとする魔術師たちと出会い、苦労の末に上条を見つける。
学園都市帰還後は一端覧祭で大役を任されたり白井に妹たちの事が知られたりとおおわらわ。
・上条当麻
『ベツレヘムの星』とともに極寒の北極海へと沈み、その際の大怪我で脳の損傷が悪化し再度記憶喪失を患う。
そのことを理由にインデックスの管理者を解任される。
快復の可能性は残されてはいるものの、いまだその兆しは見えず。現在入院中で、もうすぐ退院。
・インデックス
上条が記憶障害により管理者たりえないと判断されたことでローラに学園都市滞在続行か英国帰還かを迫られ、
自分がいると上条の身を危険にさらすと考え(こまされ)、英国への帰還を決める。
「上条の事を託せる人間」として美琴に上条のことを頼み、別れを告げた。
五和にメールの打ち方を教えて貰い、今では美琴とメル友になった。
・一方通行
学園都市帰還後、黄泉川や芳川らに打ち止めや番外個体のことを頼み、闇の中へと潜って行った。
暗部の解体はいまだ行っておらず、まずは『第三次製造計画』を潰すことを最優先として定めている。
打ち止めや番外個体の見舞にはちょくちょく顔を出しており、そのたびに土産をせびられている。
・妹たち
打ち止め、番外個体、10777号を加え、冥土帰しの病院に滞在する妹たちは7人となった。
皆何度か美琴と一緒に遊びに出かけており、私服を買い与えられそちらを着用するようになった。
数名はファッションに目覚めつつある。
10777号はロシアの研究機関にいた時の名残で、「7が3つでナナミ」という愛称で美琴に呼ばれたがる事がある。
・グループ
エイワス権限以降捕らえられていたが、アレイスターから命を受けた土御門の任務遂行のために解放される。
今は『第三次製造計画』を潰すために行動中。
一方通行が抜けた穴を埋めるために、絹旗最愛が臨時メンバーとして加入している。
こんばんは、お久しぶりです
大変長らくお待たせしました
今晩より、2スレ目スタートとなります
これからもよろしくお願いします
それでは投下していきます
12月8日。
早朝、一方通行は身を刺すような寒さで目を覚ました。
ここは雑居ビルを借りて作った拠点の一つであり、寝られてチョーカーの充電ができればいいというような粗末な作りだった。
自分で暖房器具を運びこむのは面倒だし、業者に運ばせるのはもってのほか。寒さなど毛布でも被ればしのげるだろう。
そう考えたのが間違いだった。
「雪、か」
ロシアの大雪原ほどではないにせよ、雪が降れば当然気温は下がる。
能力を常時展開できなくなった今、考慮しておく必要があったかもしれない。
「……寒ィな。コンビニで朝飯とコーヒーでも買うか」
冷えて強張った体を起こし、財布や携帯を身につける。
その時、彼の携帯電話が鳴った。
打ち止めか、番外個体か、はたまた黄泉川や芳川か。あるいは冥土帰しか。
彼の新しい携帯電話の番号を知っているのはそれくらいだ。
大方、雪にはしゃいだ打ち止めあたりがかけてきたのだろう。
そう思い受話器に耳をあてるが、相手は予想を裏切る人物だった。
『よう一方通行、元気にしてるかにゃー?』
「……土御門か」
"グループ"の元同僚、土御門元春だった。
「どォやって俺の電話番号を割り出した?」
『おやおや、"グループ"の諜報班がそれなりに優秀だってことを、もう忘れちまったようだな?』
「……チッ」
通信を傍受されたか、あるいは通話記録を探られたか。
いずれにしろ暗部組織にとってそう難しいことではない。
『一端覧祭は楽しんだかにゃー?』
「ンなもン興味ねェよ。用件はなンだ」
『つれないねぇ。世間話を楽しむのも、世渡りの術の一つだぜぃ?』
わざとらしいため息が、電話越しに聞こえてくる。
『会って話がしたい』
「用件を話せ。話はそれからだ」
『電話では話せない。傍受される可能性があるからな』
用件の内容はアレイスターへの反逆に近いものなのか、それとも上層部に近い"闇"を相手取るものなのか。
そのどちらにせよ、今の一方通行の目的に合致する可能性は低い。
だが、以前拾った土御門元春の生体情報を使ったプロテクトをかけられた妙なチップのことがある。
会って有益な情報を得られればよし、でなければ彼の生体情報を力づくでも手に入れるまで。
そう言えば、求められた認証は虹彩と指紋だったか。
「……場所はコッチで指定させてもらう。文句はねェな?」
『構わんぜよ』
相手は集団、こちらは個人だ。
いざという時守るべき者たちを守るならば、出来る限り近くにおいておきたい。
今日は一端覧祭の終了翌日であり、"彼女"に出くわす可能性も低いだろう。
そう考えたのが、運のツキだった。
「……うわぁ、もの凄い雪ねー」
目を覚ましカーテンを開けた直後、一面の銀世界が目に飛び込んできた。
15cm以上は積もっているだろうか。関東地方で12月初旬にこんな記録的な大雪が降るのは前代未聞の事ではないだろうか。。
「学園都市内はともかく、首都圏の交通網はほぼ全滅状態ですの……」
携帯電話でニュースを見ていた白井が呟く。
学生の街と言うこともあり、学園都市内の大多数の人間は、「無理すれば徒歩」圏内で日常生活の全てが賄えてしまう。
"外"に比べても車両などの安定性は高く、この程度の雪ではせいぜい遅延が関の山だろう。
「一端覧祭の後片付けに行く人は大変そうねー」
「お姉様は片づけに参加なされないのですか?」
「うちのクラス、昨日の当番の人が論文片づけて終わりだもの。黒子たちは?」
「わたくしたちも同じような感じですわ。
……しかしこの雪ですと、確実に雪かきや交通整理に書きだされますわね」
「あんたは手首怪我してるから、呼び出しはかからないんじゃない?」
「怪我はしていても、能力は使えますから。はぁ、憂鬱ですわ……」
白井の能力は『空間移動』だ。最大約130kgのものを、最長80m前後転送させることができる。
邪魔なものを移動させるにはもってこいの能力だ。
「とはいえ、いちいち能力の制約上雪を集めて山にする必要もありますし……」
触れなければものは飛ばせない。飛ばしたものの形状を好き勝手に変えることもできない。
雪のような不定型の物を飛ばす際にはあらかじめ形状を整えるか、あるいは少しずつ何度も転送して山にする他ない。
「頑張りなさいよ風紀委員、学園都市の明日はあんたたちの肩にかかってんのよ」
「他人事だと思って……」
深くため息をつく後輩の肩を、美琴はぽんぽんと叩いた。
雪は止んではいるものの、依然として重く垂れこめた鉛色の雲が空を覆っている。
天気予報では、午後からまた降りだすかもしれないと言う。
が、一端覧祭の後片付けの為に与えられた休日を、部屋でごろごろして過ごすのは性に合わない。
昨日と今日で、気温が大きく下がった。
暇を持て余した美琴が佐天に電話をかけると、風邪をひいたらしい初春の看病をするのだと言う。
他の友人たちもめいめい予定があるのだと言う。
することのない美琴は、ぶらぶらと街を歩くことにした。
主要な道路は既に雪かきが進んでおり、車道と歩道を隔てるように雪山が築かれている。
裏路地のように小さな道では、元気な小学生たちがはしゃいで雪合戦などをしたりもしている。
そう言えば、10777号のように北国の研究所に配属されたり、国内でも北海道などの機関に預けられた妹たちはともかく、
学園都市内にいる妹たちは、雪を見るのは初めてではないだろうか。
一面の銀世界に興奮し、いろいろ雪をいじくって遊ぶ妹たちを想像し、美琴の胸が温かくなる。
今日は妹たちと遊ぶのも良いかもしれない。
そう思った美琴は、足を冥土帰しの病院へと向けた。
「……よりによって、なーんでこんな超寒い日に一方通行にコンタクトを取ろうとするんですかね」
可愛らしいくしゃみと共に愚痴を言い、可愛らしく唇をとがらせるのは絹旗最愛。
今彼女が"グループ"のメンバーとともにいるのは、とある商業ビルの屋上。
空調の室外機や非常用電源装置などが置かれているだけの場所が除雪されている筈もない。
そんなところにニットのワンピース一枚で入ればどうなるか。答えは自明だ。
「コートでも着てくれば良かったじゃない。でなきゃタイツでも履いたら?」
「私の能力は"体表"から数センチ以内にしか効果がないんです。コートなんて着たら超アウトです。
あとタイツは絶対に履きません。これは私のポリシーに超関わる問題ですから。
そういう結標だって、ずいぶん超寒そうな格好ですね」
絹旗は会話の相手、結標の姿を眺める。
さすがに今日の寒さには耐えきれなかったのか普段は肩に引っ掛けただけの学生服を羽織ってはいるが、ボタンは止められず、中にシャツも着ていない。
ミニスカートはそのままだ。
「塗るだけで寒さをある程度和らげてくれるような、特殊なクリームがあるのよ」
「なんですかそれ、私にも超提供してくださいよ」
「嫌よ、自分で買いなさいな」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ絹旗と結標に、暖かそうなコートを羽織った海原がにこにこと笑いかける。
「なんなら、自分のコートを着ていますか?
万が一戦闘行動に入ったら脱ぎ捨ててくれても構いませんので」
「せっかくですが、超遠慮しておきます」
「そうですか」
それは残念、と海原が呟く。
「ところで、土御門はまだ来ないの?」
結標が呟く。
"グループ"の中では彼が渉外担当であり、交渉事の多くは彼を中心に行われる。
「約束の時間には間に合わせる、と言ってはいましたが。……っと」
海原の携帯が着信音を鳴らす。
彼はそれを胸ポケットから取りだし、通話ボタンを押す。
『……悪い悪い、すっかり遅くなっちまったにゃー』
「今どこにいるんですか」
『そのビルの真下だにゃー』
海原が柵から身を乗り出し下を覗くと、金髪の少年が手を振っていた。
『階段登るのメンドウだし、ちょっとテレポしてくれると嬉しいんだが』
「結標さん」
「はいはい」
結標が愛用の軍用懐中電灯を一振りすると、土御門が虚空から出現する。
「いやー朝起きたら表が真っ白でびっくりしたぜぃ。コートがどこにあるか分からないせいで手間取っちまった」
「あら、妹さんは用意してくれなかったの?」
「昨日は自分の寮に帰っちゃったんだにゃー。ところで」
土御門は軍用の双眼鏡を取り出し、ビルの対岸に目を凝らす。
「やっこさんはまだ現れないか」
「約束の時間まではまだしばらくあるでしょう?」
「最終確認をするぞ。まずは俺があいつと話をする。大人しく従ってくれればそれでよし。
仮に話が決裂しそうなら、絹旗と海原があいつに突撃する。結標は転送係。問題はないな?」
「問題ないわ」
「大丈夫です」
「……本当に大丈夫ですかね」
「まあダメだったら、腕の良い医者のところにすぐに運んでやるから心配しなくていいぜぃ。
ちゃんと元の形に整えてくれるぜよ」
「それは明らかに"ダメ"というか"もうダメ"の領域よね」
「……そんなことになったら土御門の枕元に立って、私の末路と同じ形に超整形してやりますからそのつもりで」
絹旗が軽く片足で屋上を叩くと、その周囲がボコォッ!! とすさまじい音を立てて大きく砕ける。
その破壊力に、土御門の顔がサーッと青ざめた。
今後は枕元にお札でも張っておくにゃー、と呟く土御門を放置して、海原が自らの腕時計を見る。
「約束の時間まであと30分、と言ったところでしょうか。そろそろ準備をしておくべきころかもしれませんね」
その言葉に土御門は軽くストレッチをし、寒さに冷えた筋肉をほぐして行く。
「さーて、"グループ"、久しぶりのお仕事だ。気合を入れて行こうぜ」
面会の受付時間が始まったばかりの病院は閑散としている。
時折看護師らが行き交うほかは、人の影は見えない。
廊下で顔なじみになりつつある婦長に会釈をすれば、クスリと微笑まれる。
「カレシくんのお見舞い? それとも妹さんたち?」
「か、彼氏なんかじゃないですよぉ!? アレはただの友人です!
それに、今日は、妹たちです!」
通りすがりに不意に放たれた一撃に、美琴は真っ赤になり一言一言強調して否定する。
そんな様子を見て、婦長はにまーっとさらに笑みを深めた。
「あはは、若いって良いわねー。青春は大事にしないとダメよ。
それがどんな結果を迎えるにしろ、それは大切な記憶になるのよー」
からからと笑いながら去る婦長。
美琴は固まったままそれを見送った。
これは最近本当によく思うのだが、美琴をからかう人がとても増えた気がする。
『常盤台の超電磁砲が無能力者の高校生に恋をしている』という噂は、一体どこまで拡散してしまったのやら。
妹たちの元に向かう途中、ふとあることを思い出す。
この病院の屋上には、綺麗な庭園があった。
それが大雪に埋まれば、どんな光景になるのだろうか。
面会時間が始まり、入院患者たちも各々の部屋から外出し始めている。
きっと美琴と同じように考えている人間は何人もいるに違いない。
誰も足を踏み入れていない白銀の庭園を見てみたい。
そう思った美琴は、妹たちの所より先に屋上へ向かうことにした。
そう考えたのが、運のツキだった。
冷えたノブを回すと、軋んだ音を立ててドアが開く。
目の前に広がるのは、白一色の世界。
そこには、誰一人いない。
否、"いない"のではなく、"見えなかった"のだ。
何故なら、彼は風景にまるで溶け込むかのようにそこに佇んでいたから。
白い服。
白い髪。
白い肌。
雪景色に溶け込むほどに"白"い男。
美琴はその男に見覚えがあった。
忘れない。
忘れはしない。
忘れてはいけない。
高笑いしながら、妹を押し潰した男。
楽しそうに、妹を肉片へと変えた男。
自らの欲望の為に、妹をバラバラにした男。
一方通行が、庭園の中ほどに立っていた。
ドアの閉まる音は一方通行までは届かなかったのか。
彼は美琴に気付くそぶりを見せなず、ポケットから携帯電話を取り出し眺めていた。
彼を見た瞬間、美琴の頭の中は恐怖と憎悪に塗りつぶされた。
どうしてあの男はこんなところにいるのか。
一方通行。
妹たちのいる病院。
この二つをつなぎ合わせるのは、『実験』というキーワード。
学園都市の技術力ならば、例え『残骸』がなくても『樹形図の設計者』を作り直すことはそれほど難しいことではないかも知れない。
『樹形図の設計者』の再建が意味するのは、『絶対能力者進化計画』の修正が可能になると言うこと。
美琴や上条による実験への介入の影響を加味した上で、改めてレベル6へ至るための道筋を再演算することが可能になってしまう。
そうなれば、恐らくターゲットとして再び使われるのは残る9969人の妹たち。
妹たちを殺させはしない。
傷つけさせすらもしない。
自分の能力では、一方通行には一切のダメージを与えることはできない。
記憶を失った上条に頼ることもできない。
けれども、自分に注意を引きつけてこの病院から引き離すことくらいはできるだろう。
たとえその結末がわずかの時間稼ぎ程度にしかならなくても。
前髪を逆立たせ、ひりつく喉を無理やり動かして雄叫びを上げる。
「一方通行ぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
次いで放つのは、紫電の槍。
一方通行はドアが開き、そして閉まる音を聞いていた。
反応をしなかったのは、約束をしていた土御門あたりだろうと思ったから。
一方通行は制限がかかっているとはいえレベル5であり、土御門はレベル0。しかも戦闘向きの能力ではない。
彼から離しがあると言う呼び出しを受けた以上、いきなり銃撃をしてくるということもないだろう。
ポケットから携帯電話を取り出し、時間を調べる。
約束の時間まではあと5分少々。
あの男はそんなに律儀な男だっただろうか。
声をかけようと、振り返ろうとしたその時、
「一方通行ぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
自らの名を呼ぶ、少女の叫び声が耳をつんざく。
振り返りつつ、反射的にチョーカーに指をあてた。
だが。
その少女の服装、声色、そして顔。
それらを認識した途端、一方通行は息を呑んだ。
"同じ"顔だ。
妹たちの一人か、あるいはオリジナルか。
どちらにせよ、この少女を傷つけてはならない。
そこまで考えた瞬間、彼の体は紫電に打たれ、弾かれるように雪の上を転がった。
チョーカーのスイッチは、入れることができなかった。
電撃の直撃を受けて吹き飛んだ一方通行を見て、美琴は目を丸くする。
「……う……そ、当たった……?」
美琴はその能力の性質故に、ある程度以下の電撃であれば無効化できる。
今放った電撃はあくまで反射されることを前提に放った弱いものであるが、それでも並のスタンガン以上の威力はあった。
しかし、彼の能力から言えば美琴の最大出力もそこらのスタンガンも一緒くたにして一蹴出来るレベルのはず。
雪の上を転がった一方通行を呆然と目で追って、そこでハッと気づく。
彼の体に、雪が付着している。
超電磁砲の直撃を受けようが、粉塵爆発の中心にいようが傷も塵もつかなかった彼の体に、だ。
何らかの要因で、反射が働いていない?
そう考えた美琴は、しかし頭の中でそれを否定する。
学園都市第一位の能力強度を誇る一方通行は、その反射膜を常時体表に展開している筈だ。
だが、一方通行のそばに転がる歩行補助用の杖を見て考えは変わる。
今の一方通行は、歩行に支障が出るほどのハンデを負っているのか?
8月中旬の時点では、一方通行は杖などついてはいなかった。
健常者がハンデを背負うには、大まかに分けて脳障害などの神経伝達系統の要因と外傷などの構造的な要因の二つがある。
ただし『幻想殺し』などのイレギュラーを除き、後者の要因で一方通行がダメージを負うことはない。
ならば、彼が歩行障害を患ったのは前者の要因だろうか。
外傷を負うことが無いのであれば疾病か。そんなことはどうでもいい。
脳にダメージがあると言うことは、つまり脳と密接なかかわりを持つ演算能力にも影響が出ている可能性が高いということだ。
やはり能力は使えてないのかもしれない。
一方通行がのろのろと身を起こすのを見て、美琴は歯ぎしりをする。
反射が働いていない今なら、一方通行を排除できるかもしれない。
けれど、それは。
しかし、でも。
一瞬の逡巡のち、美琴は駆けだした。
その勢いのまま、一方通行の胸に蹴りを入れる。
靴越しに、骨ばった固い感触が通る。
最悪脚一本を駄目にするかもしれない賭けに、美琴は勝った。
再び倒れた一方通行の胸を、思い切り踏みつける。
「…………ぐっ……」
「……………………なんで」
苦しそうに呻く一方通行を、美琴はそれだけで人を射殺せそうな形相で睨みつける。
憤怒と、憎悪と、怨嗟と、厭悪と、恐怖と、殺意。
それらが全て入り混じった視線は、しかし一方通行のそれとは合わなかった。
「……なんで、あんたがここにいるんだ」
クローン人間として生まれた妹たちは、表面上は「いない」人間として扱われる。
戸籍もなく、未だ検体番号で呼ばれ、そしてリハビリのために学園都市の研究機関から離れることもできない。
そんな彼女たちを温かく迎え入れ、身守ってくれる冥土帰しの病院。
そのような場所に、この虐殺者が足を踏み入れていいはずがない。
「……ここは、あの子たちの大事な居場所なのよ」
妹たちの血で染まったその手で。足で。体で。
どんな顔をして、この場所に足を踏み入れているのか。
美琴には理解できないし、理解しようとも思わない。
「その居場所を、あんたはぶち壊しにしようっていうの?」
一方通行の赤い瞳が揺れた。
彼は何も答えない。
一方通行への恐怖を、美琴は忘れていない。
彼を踏みつける足は今も小刻みに震えている。
美琴が分かっているのは「一方通行は今能力を使えないようだ」ということだけだ。
二度と能力を使うことができないのか。
それともただ今は使っていないだけなのか。
それすらも分からない以上、怯えが消えるはずもない。
それでも、美琴は自分の心を奮わせる。
妹たちを守るために、自分が戦わなければならない。
「私は、あんたが何をしたか絶対に忘れない。忘れちゃいけない」
目の前で電車に潰された9982号。
画面越しに血流を操作され"爆発"するところを見せられた10031号。
彼女たちの死にざまは、今でも夢に見て飛び起きることがある。
「あんたは、10031人の妹たちを殺した」
その言葉に、一方通行の体がびくりと小さく震えた。
それにも気づかず、美琴は一方通行の杖をちらりを視界に移す。
何らかの問題をその体に負って、治療を受けたのだろうか。
無慈悲に、残忍に、冷酷に、妹たちに耐え難い苦痛と死を与え続けた虐殺者のくせに。
彼に傷つけられ死んでいった妹たちは、そんなこともして貰えなかったのに。
「…………また、あんたのくだらない野望の為にあの子たちを苦しめようって言うの?」
けれど、そもそもそんな実験が企まれたのは、自分がDNAマップを不用意に与えたから。
上条はその事で自分を責めるなと言った。妹たちが生まれたことを誇るべきだと言ってくれた。
だが、妹たちに命を与えたと同時に、自分が例えようのない苦しみを与えたことに変わりはないのだ。
「……………………なんとか言いなさいよッ!!」
焦れて、大声を出す。
一方通行は沈黙を保ったまま。
いらいらと、美琴は自分の髪を掻き毟る。
傍から見れば、自分はどんなに醜いことをしているのだろうか。
無抵抗の身体障碍者に手を上げ、足蹴にし、暴言を吐いている。
社会的に見れば、それは許されざることだ。
心の中で冷静な自分がそう呟けば、だからどうしたと熱い自分が叫ぶ。
こいつはそれだけの事をした。むしろ甘すぎるくらいだ。こんな奴は世界から爪はじきにされ、一人寂しく死ねばいい。
考えつく限りの苦しみをその身に与え、地獄のような苦しみの中で惨たらしく殺したところで、誰にも文句を言われる筋合いはない。。
……だが、これは半ば八つ当たりだ。
自らの罪を、より罪深き者になすりつけて逃れようとしてるだけの、醜い行為。
御坂美琴と言う人間の、心の奥底に澱のように溜め込まれた誰にも見せられない汚い部分。
それを自覚してなお、美琴の糾弾は止まらない。
「私はあんたを絶対に許さない。
例え全世界があんたの味方でも、私は、私だけはあんたを絶ッ対に許さない……ッ!」
美味しそうにファーストフードを頬張る9982号。
一緒に生きる理由を探してくれと呟いた10032号。
愛称で呼んでくれと言う10777号や、ちょっぴり照れ屋な19090号。
無邪気で可愛らしい打ち止めや、性格はひねくれてるけど可愛いもの大好きな番外個体。
彼女たちと同じように、死んでいった妹たちもまたそれぞれの命を持ち、それぞれの未来が待っていたはずだ。
それを残酷に蹂躙し、破壊し、凌辱し、全てを奪い取っていったのは目の前の男。
許せない。
許せはしない。
「なんで今、私が普通にあんたを踏みつけていられるのかは知らない」
こうした瞬間にも、『突如能力を使われたら』という恐れは消えない。
そうなれば待っているのは妹たちと同じような死に様。
その恐怖をこらえて、美琴は言葉を続ける。
「だけど、今ならあんたにも私の能力が通るってのは分かる」
電磁波を照射しても、通常以上の反射はない。
電流だって特に抵抗なく流れて行くだろう。
今だったらこの憎い憎い男に対していくらでも報復ができる。
それこそ、いくらでも。
「もし、あんたがこれ以上妹たちに近づこうっていうのなら」
美琴が右手を宙にかざすと、雪の下の花壇から砂鉄が飛び出し、長剣を象る。
その鋭い切っ先は、一方通行の首筋に向けられた。
震える腕。
揺れる瞳。
かすれた声で、美琴は宣言をする。
「今ここで、私があんたを"排除"してやる!」
「……にゃー、あれは相当ヤバいんじゃね?」
双眼鏡を覗いたまま、土御門が呟く。
事の顛末は向かいのビルからでも見えていた。
超電磁砲が一方通行に砂鉄の剣を向けている。
この状況は非常によろしくない。
「集音マイクで音声拾った限りじゃ、超電磁砲は一周回って妙なブチギレ方してるみたいだぜぃ。
ありゃあ、いつやらかしてもおかしくないぞ」
「我々が割って入るべきでは?」
笑みではなく、珍しく焦ったような表情を浮かべる海原。
渦中の人物が人物だけに、気が気ではないのだろう。
「俺らは暗部組織だぞ。いくら隠蔽班が控えているにしろ限度はあるし、それにあの病院は超電磁砲にとって大事な場所だ。
あんなところでドンパチやってみろ、俺たちは超電磁砲と冥土帰しという大きな敵を2つも抱えることになる。
……結標、ここから一方通行を飛ばすことは?」
「出来なくはないけど、肉眼での観測ができないから最悪壁の中に飛ぶかもね。
そもそもそんなに離れた距離の物をこっちへ飛ばすって言うのはほとんどやったことがないのよ」
今いるビルから病院の屋上までは何百メートルもある。
双眼鏡を頼る必要がある以上、正確な座標計測ができないかもしれない。
「それよりも絹旗さんを向こうに飛ばして無理やりにでも超電磁砲を引き剥がさせた方がいいんじゃないかしら。
それならまだ正確に飛ばせると思うけど」
「やめとけ、絹旗が人型の炭になるのがオチだ。高位能力者同士の喧嘩は両者を引き離すのが手っ取り早い収拾手段だろう」
「なんだか超納得がいきません……」
「やはり結標、お前が頼りだ。いざという時は、一方通行を適当にどこか離れた空中にでも飛ばせ。
あとはあいつ自身がどうにかする」
「はいはい。……それにしても土御門、あなたが一方通行を心配するなんてね?」
「いや、俺が心配してるのはむしろ超電磁砲のほうだ」
土御門が視線を飛ばせば、海原が頷く。
「あの子は普通の中学生だ。強い力を持っていても、学園都市の闇を知っていても、本質的にはそこらの14歳の女の子と大差ない。
そんな子が恨みに駆られて手を汚せば、待っているのは悲惨な最期だけだ。
壊れた心を抱えて暗部へ落とされるか、あるいは自ら死を選ぶか。どちらにしろ、ろくなことにならない」
『人を殺す』ということがどういうことか知らない人間に、人殺しをさせてはいけない。
偽善的な倫理観を振りかざすつもりはないが、それが最低限暗闇に生きる人間が守るべきルールだと土御門は思う。
(……踏みとどまるか、それとも踏み越えてしまうのか。ここが分水嶺だぞ、超電磁砲)
サングラスの下の眼光は鋭く、土御門は事態を冷静に注視し続ける。
切っ先は揺れる。
高速で振動する砂鉄の剣は、かすっただけで物を容易に切断する鋭さを持つ。
何も言わぬ一方通行の首筋まで、あと5cm。
たったそれだけが、果てしなく遠い。
これを振り下ろせば、一方通行は造作もなく死ぬだろう。
あるいは、反射され自分が真っ二つになるのかもしれない。
どちらにしろ、一つは命が失われる。
『テメェも私も同じ穴の狢、つまるところただのバケモノなんだよ』
『自分の持つ力をどう使うか、そこに人間とバケモノの境界線があるの』
麦野との会話が、脳内でリフレインする。
一方通行を殺せば、自分もヒトゴロシ。
つまりは、彼と同じ醜いバケモノに成り果てるということ。
一方通行を憎悪するものとして、彼と同じ存在にだけはなりたくないと思う。
だが、彼を殺してしまえば、妹たちに対する脅威は永久に消滅する。
自分の破滅と引き換えに、訪れるのは妹たちが怯えることなく静かに暮らして行ける世界。
切っ先は揺れ続ける。
美琴は職業軍人でも裏稼業の人間でもなく、本質としてはただの女子中学生に過ぎない。
人を殺す勇気なんて、持っていない。
一方で後顧の憂いとなり得る、目の前の男を見逃すことだってできない。
麦野に語ってみせた己の理想が、がらがらと音を立てて崩れて行く。
結局は自分だって、力の使い方を誤っているのだろう。
むしろ自覚も覚悟もなく振るおうとしているだけ、自分のほうがタチが悪い。
切っ先は大きく揺れる。
結局、美琴の心は弱くて。
殺したいほど憎んだ、10031人の妹を虐殺した男に対して。
断罪の刃を振り下ろすことが。
できなかった。
一方通行は、ただそれを眺めていた。
『妹達』のオリジナルたる、『超電磁砲』御坂美琴。
彼女が一方通行に持つ怒りも、憎しみも、恨みも、殺意も。
それらは全て、正当なものだ。
御坂美琴は『妹達』のことを非常に大事にしている。
数度、街角で『妹達』と楽しそうに歩いているところを目撃した。
長姉として、何があってもきっと立派に彼女たちを守って行くだろう。
打ち止めも番外個体も、ちゃんとその範疇に入っている。
だから、御坂美琴がそれを望むなら、彼女に殺されてもいいと思った。
自らが犯した大罪に対する、正当な報復。彼女にはその権利がある。
『妹達』は彼女が守ってくれる。その世界に、自分はいなくても問題ない。
下手な釈明も請願もしない。ただ黙って、その運命を受け入れようと思った。
だが、彼女の様子を見て、考えは変わる。
戸惑うように揺れる切っ先。
躊躇するように震える腕。
堪えるように涙を湛える瞳。
それを見て、悟ってしまった。
御坂美琴には、人の命を奪い自分と同じところまで『堕ちる』覚悟は無い。
彼女はどこまで行っても『光の世界』の住人だ。それでいい。そうでいてほしい。
ならば、彼女の手を、汚させてはいけない。
あくまで綺麗なままで、打ち止めや、番外個体や、妹達の世界を守っていてほしい。
弱体化したとはいえ、彼の能力が『最強』であることに変わりはない。
誰もが手を出そうとすら思わない『無敵』にはほど遠くとも、美琴のトラウマを刺激するだけの力はある。
彼女が殺意を覚える存在は己だけ。
ならば、自分が未だ「彼女の能力では傷一つつけられない」領域にいることを再認識させれば、彼女はきっと闇へとは堕ちてはこない。
だからこそ、一方通行は彼女の前ではあえて絶対悪を演じる。
「…………………………………………………………………………ぎゃは」
作られた狂笑が、はじけた。
一瞬、美琴は何が起きたのか理解することができなかった。
状況を理解したのは、降り積もった雪に落下した瞬間。
一方通行が何かしらの能力を使い、瞬時に10mも吹き飛ばされたのだ。
受け身もとれずにぐしゃりと倒れた美琴に対し、一方通行はゆらりと立ち上がる。
「…………おォおォ、人様に電撃ぶつけておいてナニを愉快なことを言いだすかと期待してみれば、そのザマはなンなンですかァ?」
チョーカーのスイッチは入っている。
怯えたように一方通行を見上げる美琴に対し、一方通行は凶悪な笑みを浮かべた。
「ちょっと能力を使わずにからかってやったらすぐ調子にのりやがって。
土足で人を踏むたァどォいう教育を受けてきたンだか」
「……くっ!」
手加減なんてする余裕はない。
美琴は最大出力で電撃を放った。
だが、一方通行は微動だにせず。
その能力に散らされた紫電は、庭園中をほとばしる。
変電設備か空調機器が電撃にやられたのか、スパークするような音がした。
「……無駄だァ、『超電磁砲』。オマエの能力じゃあ、俺の『ベクトル操作』には通用しねェってことくらい分かってンだろ?
それとも、その上で愉快なオブジェになるために特攻でもしてくるか?」
口元を、醜く歪める。
「俺とオマエが、初めて出会った時のようによォ」
その言葉に、カエルのバッジを抱きしめる9982号と、引きちぎられた彼女の足と、彼女を押し潰した電車の光景がフラッシュバックして。
「~~~~~~ッ!!」
声にならない叫びを上げ、雷撃を纏わせた砂鉄の剣を思い切り振りかざした。
かき集められるだけ集めた砂鉄の剣は、黒の暴風となって一方通行を襲う。
纏わせた雷撃は、彼女のフルパワーを込めた。
だが、
「確かあン時も言ったと思うがな、オマエにとってはこれが全力かも知れねェが」
一方通行をすり潰すはずの砂鉄の剣は、彼に触れた途端ぐにゃりとその形状を変える。
もちろん美琴が操作したのではなく、磁力のベクトルを一方通行に"乗っ取られた"のだ。
それはそのまま一方通行の周囲に渦を巻くように漂う。
「俺にとってみりゃァ、こンなシケた攻撃は数のうちに入ンねェンだよ」
砂鉄の渦からにゅっと突起が飛び出たかと思うと、それは目にもとまらぬ速度で射出された。
音速を遥かに超える速度で撃ちだされたそれは美琴の頬を掠め、一筋の切り傷をつけた。
知覚なんてできなかった。できたとしても、防御すらできなかった。
今美琴が生きているのは、単に一方通行が狙いをわざと外したからにすぎない。
「オマエじゃ、俺には勝てない。序列の差ははっきりそのまま力量の差を示している。
例え同じレベル5に序せられていよォが、その差が絶対的なものであることに変わりはねェンだよ。
1秒でも長生きしてェンなら、学園都市の隅で大人しくブルブル震えてるンだな」
そう言うなり、一方通行は軽く地を蹴る。
ふわりと宙高く跳び上がった彼は、そのまま柵の外へと身を躍らせ、そのまま落下を始める。
最後に見えたのは、へたり込み血が出るほど唇を噛みしめた美琴の顔。
一方通行はそのまま病院の中庭に降り立ち、さっさと立ち去ろうと考える。
どうせ土御門達は事の顛末をどこかから見てただろうし、話は中止もやむなしと判断するだろう。
連絡先は手に入れた。改めて待ちあわせればいい。
「一方通行!」
背中から声をかけられ振り返ると、そこには息も絶え絶えの打ち止めがいた。
恐らく病室から勢いよく駆け降りてきたのだろう。
そう言えば、ミサカネットワークに繋がるチョーカーによって位置をある程度捕捉されているのだったか。
「……お姉様とケンカしてたの? ってミサカはミサカは聞いてみる」
「…………」
御坂美琴はかなり強力な電撃を放っていた。
電撃使いの打ち止めや妹達はそれを感知したことだろうし、彼女並の出力を持つ電撃使いは存在しない。
打ち止めや番外個体には今日自分が訪れる事は伝えていた。
ならば、その2つが繋がるのは道理だ。
「あなたとお姉様が仲良くできない理由は知ってる。ちゃんと理解してる。
だけど、ミサカはあなたにもお姉様にも傷ついてほしくないよ、ってミサカはミサカはミサカの願望を訴えてみる……!」
「…………」
心やさしいこの少女が自分の心配をしてくれていることは分かっている。
けれどそれは、彼女の御坂美琴に対する裏切りにも等しいのではないだろうか?
彼女が打ち止めを大事に思ってくれるのなら、自分は打ち止めのそばにいるべきではないのかもしれない。
例え自分がどう思っていようと、そんなことはどうでもいい。
そう思った一方通行は、唇を噛みつつ黙って打ち止めの横を通り過ぎようとする。
「あっ、待って……」
彼を引きとめようと伸ばされた小さな手を、しかし"不自然に"一方通行の手がすり抜ける。
その意図するところを察して、打ち止めは愕然とした。
それでも再度彼を引きとめようとして、影で見ていた番外個体に遮られる。
「引き留めるべきじゃない」
「でも……っ!」
番外個体の背の向こうに消える一方通行を見送りながら打ち止めは涙ながらに懇願するが、しかし番外個体は黙って首を振る。
彼が屋上で美琴と何を話していたかは知らない。
けれど数日前の会話から、彼が何を思っているかは多少の想像がつく。
「それよりも、あなたはあなたの心配をするべきじゃないかな」
「なんで………、ッ!?」
美琴が一方通行と接触してしまったと言うことは、彼の周囲の状況について断片的にでも知ってしまった可能性があるのではないか。
打ち止めや、妹達が担っている役割について。
番外個体や、『第三次製造計画』について。
当事者として、彼女たちにはきちんと美琴へ説明する義務があるのではないか。
「ミサカも、あなたも、他のミサカ達も。みんなお姉様の優しさに甘えてきた。
甘えて、お姉様に伝えるべき問題を何度も先送りして、隠し通してきた。
だけど、今回はもう逃げられないよ。あなたは上位個体として、全てを説明する責任がある。
その結果、お姉様がミサカたちを忌避するようになってもね」
「お姉様はそんなこと……!」
「一方通行」
極めて表情を消したまま呟かれた言葉に、打ち止めはびくりと肩を震わせた。
「お姉様にとって、一方通行は諸悪の権化。残虐非道のジェノサイダーでしかない。
彼の演算補助をしていることは、お姉様にとっては裏切りのように映るかもしれない」
「…………」
否定はできない。
美琴に甘えながら、その一方で一方通行にも好意的に接していたのは事実。
よりによって一方通行に「殺される側」だった自分たちが彼と親交を持っているという事実は、彼にトラウマじみた忌避感を持つ美琴には耐えがたいかもしれない。
「……結局、甘えっぱなしだったツケが回ってきたってことだよね」
番外個体が、寂しそうに呟いた。
庭園に一人残された美琴は、ただうなだれて雪に覆われた地面を眺めていた。
力なく地面にぺたりと降ろされた掌に、ぽたりぽたりと涙の粒が落ちて行く。
一方通行を。
妹たちを虐殺した、憎い憎い男を。
耐え難い苦痛と死を巻き散らす、災厄の塊のような男を。
殺せなかった。
仇を取ってあげられなかった。
あまつさえ、手を汚さぬに済んだことでほっとしてしまった。
殺せなかったことも、殺されなかったことも。
それを心のどこかで喜んでしまった自分が情けなくて、あさましくて。
今まで築き上げてきた矜持と自尊心が音を立てて崩壊していく。
結局自分は無力で、口先だけで何もできない、醜く、意地汚く、卑小で弱い人間。
それをまざまざと自覚させられ、壮絶な自己嫌悪に苛まれた。
そこからの逃避を、痛みに求めた。
きりきりと痛む胸から声にならない悲鳴を絞り出し、ぎりと握りしめた右の拳を思い切り地面へ叩きつけた。
雪が積もっているとはいえ、その下はレンガ作りだ。
一度。
二度。
三度。
何度も。
何度も。
何度も。
拳の皮が剥け、
血が流れ出し、
やがて肉が抉れる。
病棟内が停電したのだろう、変電施設の様子を見に来たスタッフたちが庭園の入り口から飛び出してくる。
彼らに無理やり止められるまで、形容しがたい嗚咽を漏らしながら美琴はいつまでも地面を殴り続けていた。
今日はここまでです
今回はちょっとヘイト描写強めな感じですが、軽く流していただければと
本来は前スレでここまで終えておきたかった
新スレそうそうでアレですが、前期考査期間直前なので次回もまた少し時間が……
気長にお待ちくださいませ
ではまた次回
こんばんは
たくさんのレスありがとうございます
今日の分を投下していきます
「……ずいぶんとまあ、無茶をしたものだね?」
自身の診察室で美琴の掌の傷の治療をしながら、冥土帰しは言った。
その声にはいつもの優しげな響きはなく、どこか冷たいものが混じっている。
「幸い、停電した病棟は軽症者向けの棟だったし、常に医療機器を繋いでいないと命を保てない患者さんはいなかったから良かったけどね?
だけど、これがもし重症患者さん向けの病棟だったり、手術中の人がいたら。それが分からない君じゃないだろう」
美琴は答えず、その視線は床に落とされたまま。
「もし今度同じことをしたら、患者として以外では君のこの病院への立ち入りを禁止させてもらう。
妹さんたちや、上条くんへのお見舞いもお断りさせてもらうよ。分かったね?」
美琴の掌に冥土帰しはしゅるしゅると包帯を巻いて行く。
その下の怪我は、大分酷い。
レンガに叩きつけ続けたことで傷口はひどく傷つき、骨にもひびが入っている。
「頬の方の傷は切り口も綺麗だし、しばらく経てば痕も残らず治るだろう。
だけど、手の方はもしかしたら傷跡が残るかもしれない。美容整形が必要になるかもしれないね」
包帯をさすりながら、痕が残ったところでどうなのだ、と美琴は思う。
そんなことは、今はどうだって良かった。
憔悴した美琴の様子を見ながら、冥土帰しはどうしたものかとため息をつく。
一方通行は厄介な置き土産を残して行ってくれたものだ。
患者に必要なものは何でも用意するのが信条である冥土帰しだが、今回は色々と難しい。
怪我自体は大した問題ではない。むしろ肉体よりも精神的な問題だ。
様々な負の感情が複雑に絡み合った過剰ストレスからくる精神の不安定と、それによる過度の自己嫌悪や無力感。
自傷まで引き起こしているわけで、これは外科医ではなく精神科や心療内科の領域だ。
彼女がなにを必要としているのか。対応を誤れば、それはこの少女の暴走を招く恐れもある。
最悪、『乱雑解放』を引き起こす可能性だってある。
対応には細心の注意が求められるだろう。
頭の中で美琴のこれからの治療計画を練っていた冥土帰しの耳が、美琴の小さな呟きを拾った。
「…………あなたが、あいつを治療したんですか?」
「あいつ、とは一方通行のことかな?」
ややあって、美琴は小さくうなずく。
「そうだね、彼は確かにこの僕が治療した」
「…………どうして?」
美琴がようやく視線を上げた。
その冥い眼光は、言外に「どうして見捨てなかったのか」と詰問しているかのよう。
これは重症だ、と冥土帰しは独りごちる。
「僕は医者だ。怪我や病気で苦しんでいる『患者』を前に、その人の善悪なんて気にはしない。
大怪我をした瀕死の凶悪犯がこの病院に飛び込んできたら、僕は彼を十全に治療してから警察に引き渡す。
例えば刑が執行される寸前の死刑囚が病に苦しんでいれば、僕は万全の体調にしてから彼を十三階段へと送るだろう。
思考ロジックが一般と比べてズレているのは自覚しているけど、医者とは、僕とはそういう生き物だと解釈してくれると嬉しいね?」
「…………あいつは、どうして杖なんか」
「……それは、話せば長くなるんだけどね?」
冥土帰しはしばらく思案する。
目の前の少女に、全てを話してしまってもいいのだろうか。
一方通行が脳に障害を負うことになった理由。
ミサカネットワークによる彼への演算補助。
そして、一方通行が今まで行ってきたこと。
その一つ一つは全て重大な事実であり、美琴の心に打撃を与えはしないだろうか。
今の不安定な状態の美琴にあまり刺激を与えたくはない。
だけど、いずれは知ることになるのもまた事実。
ならば、今回の件がそのきっかけだということなのかもしれない。
冥土帰しは受話器を取り上げ、内線をかけた。
ややあって現れたのは、緊張の面持ちの打ち止めと番外個体。
「……打ち止め? ワースト? なんで二人が」
「……あ、あのね、お姉様」
「まずは僕の話を聞いてほしい。
あくまで僕が知っている部分の話だからね? 足りないところは彼女たちに捕捉してもらおうと思う」
たどたどしく話し始めようとする打ち止めを冥土帰しが遮る。
「今から話すいくつかの内容は、君にとってとてもショッキングだろう。
けれど、逃げずに最後まで聞いて、その上で考えて欲しい。
それが君にとっても、妹さんたちにとっても、…………彼にとっても、いいと思うからね?」
ミネラルウォーターのボトルを冷蔵庫から取り出し、冥土帰しは一口煽る。
そして、彼は信じられないような、信じたくないような内容の話を美琴に聞かせたのだった。
気付けば、いつの間にか自分の部屋のベッドの中で頭から毛布をかぶり、身を丸めていた。
いつ、どうやって帰ってきたのかが全く思いだせない。
冥土帰しや打ち止め、番外個体がどのような話をしたのかも記憶にない。
否、記憶にないわけではなく、きちんと記憶はしている。
ただそれを「思い出したくない」のだ。
それほどまでに、三人の話は衝撃的だった。
考えたくない。
思い出したくない。
記憶から消し去りたい。
現実と記憶に対する拒絶は、脳を万力で締め付けるような痛みとなって美琴を襲う。
思わず身を縮めた拍子に、ちゃり、と音がした。
胸元で音を立てたのは、上条がくれたネックレス。
何故だか、無性に上条の声が聞きたくなった。
震える指で携帯電話から呼び出すも、彼の携帯電話には繋がらない。
携帯電話を使ってはいけない病室にいるのだから当然なのだが、それがとても寂しくて。
美琴は携帯電話を投げ出し、枕に強く顔を埋めた。
寝てしまおう。
意識が無ければ、何も考えなくてもいいから。
自分の心を一瞬でも埋め尽くしてしまった、醜くて汚い感情に向き合わなくて済むから。
一方通行は、気付けば、暗闇の中にいた。
前後も左右も上下もなく、音も光も感じられない。
言わば深淵、あるいは虚無。
そんな場所に、一方通行は立っていた。
否、立っていたと言う表現は適切ではない。
立っているのか、浮いているのか、それすらもはっきりしない。
漂う一方通行の肌を、ぺたり、ぺたりと不愉快な感覚が這う。
まるで濡れた手で触れられているかのような、おぞましい感覚。
ただし手そのものは見えず、ただ一方通行の肌の上を濡れた感覚がはいずり回っている。
脊髄に氷水を流し込まれたような、久しく感じたことのない異様な感情が胸の中を満たして行く。
気持ちが悪い。
気味が悪い。
脳の奥がちりちりと本能的なアラートを発している。
反射的に能力を使おうとした。
しかし能力は発動しない。
チョーカーのことを思い出し、スイッチを入れようとした。
しかし手は動かない。
思わず声を上げ、逃げ出そうとした。
しかし足は動かない。
『……カ…………』 『……………………と、…………』 『……な………………』
まったくの無音だったはずの空間に、いつしかざわざわと『声』が満ちて行く。
それは訴えかけているようで、責め立てているようで。
『………………苦……』 『助……………………』 『…………死』 『……験……』
いつしか、その肌の上を血まみれの手が撫でてた。
指が欠けているものもある。妙な形にひしゃげているものもある。
引きちぎられたように半ばで切断され、赤い肉と白い骨が覗いているものすらある。
『……痛……』 『…………カの』 『ミサ……』 『…………許さ……』 『苦……』
それはゆるゆると一方通行の足を、膝を、腹を、手を、腕を、胸を這い、どこであろうと構わず掴もうとする。
まるで、彼を逃がさないというように。
『ミサカは』 『この苦し』 『みを忘れ』 『ることは』 『ないだろ』 『うとミサ』
もう声は明瞭に聞こえてくるようになった。
間違いない。
この声は、『妹たち』の怨念、負の想念。
虚空からにゅうっと影が飛び出してくる。
血にまみれた土気色をした肌、眼球の代わりに暗黒を湛えた眼窩などの違いはあるものの、間違いなく『妹達』。
気付けば、一方通行はたくさんの『妹達』に囲まれていた。
右半身が吹き飛び、白い肋骨と極彩色の"中身"が溢れ出た『妹達』。
やめろ。
頭の半分が吹き飛んで片目が飛び出し、灰色の"中身"が覗いている『妹達』。
もうやめろ。
体のあちこちが爆ぜ、原形をとどめないほどに奇妙に体がねじくれた『妹達』。
やめてくれ。
切断された頸動脈から血を噴き出し、もぎ取られた自分の頭をボールのように抱える『妹達』。
頼むから。
万を越える『妹達』は、万を越える死にざまでその場に佇んでいた。
全員に共通するのは、ただ一方通行を見ていること。
そして、リレーのように一方通行への恨みつらみを呟いていること。
その光景はまさに地獄のようで、一方通行は逃げ出してしまいたくなった。
だが体や手足に絡みついた『妹達』がそれを許さない。
一方通行の目の前に現れた『妹達』の両手が、一方通行の細い首へとかかる。
『ミサカは、ミサカたちは絶対にあなたを許さない』
『ミサカたちだって、外の世界を生きてみたかった。自らの命を謳歌してみたかった』
『あなたが憎い。あなたが呪わしい。あなたが恨めしい。あなたが厭わしい。あなたが、あなたが、あなたがあなたがあなたがあなたが……』
ぎりぎりと一方通行の首が絞まって行く。
ごりり、と軟骨が潰される嫌な感覚がした。
酸欠にあえぎもがく彼の体に、無数の手が爪を立てて、肉をむしり、骨を折ろうと無理な力をかけて行く。
鼻が触れ合いかねないほどに一方通行へと顔を近づけた『妹達』は、絶対零度の瘴気のような怨嗟を彼へと叩きつける。
『たとえ10000回死んだとしても、あなたを許しはしない』
その声と共に、首にかける力はさらに強まり。
ごきり、と何かが砕ける嫌な音がした。
「────────────────────────ッ!?」
がばっと身を起こせば、そこは見慣れた部屋だった。
自身の拠点の一つ、暖房器具のない寒い部屋。
病院から帰宅して、自己嫌悪していたうちに寝てしまったのだろう。
限界を越えて全力疾走した直後のように息は荒く、全身は嫌な汗でびっしょりだった。
夢なんかではなく、実際に起きた出来事だった。
そう言われてもおかしくないほどにリアルな悪夢。
それを思い出して胸元に酸味がこみ上げ、慌てて洗面所へと駆けこむ。
胃の中身を全て吐き出して、口元をぬぐいながら鏡を見た。
酷い顔だ。
思わず首元を確かめるが、そこには絞められたような指の跡など存在しない。
一方通行は学園都市の超能力者の頂点に立つ男だ。
しかし同時に、科学の力では説明できないオカルティックな"何か"の存在も知っている。
例えば"天使"。
例えば"魔術"。
それらを知ってしまえば、案外"幽霊"だの"怨念"だのも、一笑に付して切り捨てるべきではないのかもしれない。
何かが震える音がして、思わず背筋を凍らせる。
トラウマじみた夢を見て、神経が過敏になっているのかもしれない。
今まで、何かに"怯え"たことなんて、数えるほどもなかったのに。
音の主はサイドボードに投げ出した携帯電話だ。
サイレントモードにしていた故に着信音はならず、振動がサイドボードに伝わってがらんどうな部屋に響いていたらしい。
発信者は、土御門元春。
『……災難だったにゃー』
開口一番、土御門はそう言った。
『こっちとしてはかなりハラハラしたぜよ。
垣根帝督がリタイアした今、お前と超電磁砲は事実上超能力者のトップ2だ。
その二人がガチで激突したとなっちゃ、暗部組織間抗争の時ほどではないにしろ大惨事になっただろうからにゃー」
「……何が言いてェ」
『ちょっとは大人になったにゃー、ってことかな?』
「切ンぞ」
『ああっ、ちょっと待て!』
こっちは色々と頭の中を占める事柄がいくつもあるというのに、バカな金髪のバカな戯言なんて聞いている暇はない。
何より、今は非常に気分が悪い。人と話したい心境ではないのだ。
『ふざけたわけじゃなくて、本気で言っているんだぞ。
昔のお前なら、一も二もなく超電磁砲をぶち殺してただろうからな。
こっちは海原を食い止めるのに必死だったんだ』
「……海原の野郎なら、まァそォだろォな」
あれは確か、『超電磁砲を影ながら守るため』に暗部にいるのだったか。
彼女も難儀なストーカー野郎に好かれたものだ。
『砂鉄か何かで超電磁砲の頬を切ったろ?
お前の同じ部位の皮を剥ぐ、とか言ってるぞ。こいつどうしたらいい?』
「自分の尻の皮でも剥いでろ、って伝えとけ」
人の事を言えた義理ではないが、奴もとんでもない猟奇趣味の持ち主だ。
『……それで、お前はどうするつもりなんだ』
ガラリと土御門の声色が変わる。
『冥土帰しや最終信号は馬鹿正直にお前と"妹達"の関係を話したみたいだぞ』
「あンのカエルにクソガキども、余計なことをしやがって……」
一方通行はいらだたしげに吐き捨てる。
これではなんのために彼が絶対悪を演じたのかが分からなくなる。
そもそもこの問題は一方通行一人が悪者となれば万事解決する話なのだ。
事実として諸悪の根源は自分であり、それは甘んじて受け入れる覚悟がある。
土御門が言うように、御坂美琴は今や事実上は学園都市第二位の超能力者だ。
序列が変わらないのは単に暗部の人間である垣根の死亡が発表されていないだけの事。
彼の死が発表され、改めて『身体検査』が行われれば彼女の序列は格上げされることだろう。
そんな彼女の庇護下にあるのなら、そうそう『妹達』に手を出そうと言う輩は現れないだろう。
御坂美琴が『妹達』の世界を守ってくれる。
彼女の目の届かない闇の中で蠢く陰謀は、自分が潰す。
光の世界では彼女が、血なまぐさい汚れ仕事は自分が分担すればいい。
そんな風に考えていたのだ。
『現実はそう甘くないぞ。
歪な構造に支えられた関係は、いつか必ず破綻して大爆発を起こす。
強烈な圧力で押し込められたプレートがいつか砕けて、甚大な被害を伴う大地震が起こるようにな。
最終信号の為にも、超電磁砲の為にも、そしてお前自身の為にも、歪みを正すことは必要だ』
「……ハッ。歪ンでるって言うなら、そもそも今まで俺とガキどもがつるンでたこと自体が歪ンでンだよ。
俺はアイツらを10031回殺した。アイツらは俺に10031回殺された。
アイツらは被害者であり、遺族だ。そンな奴らに俺が近づいても許されるなンてことそのものが何かの笑えねェ冗談だ。
超電磁砲が激昂するのも仕方がねェって話だ」
打ち止めの笑顔が。
番外個体の差し出した手が。
その記憶が去来して、胸の奥がちくりと痛む。
今まではこんな経験、一度としてなかったはずなのに。
だが、その全てを振り払って、一方通行は突き進む。
自分が『妹達』への脅威とみなされるのならば、二度と彼女たちの前には現れない。
彼女たちには温かく守ってくれる人がいる。
自分はその外側の脅威を排除する。
それでいい。
善でも悪でもなく、もう自らの立ち位置にはこだわらないと決めたのだ。
例え打ち止めのそばでなくとも、彼女たちを守れるのならばそれで構わない。
『それでいいのか、一方通行。
お前は、"お前自身の手で最終信号を守りたい"んじゃなかったのか』
「……それが許されねェって話だろォが」
その決意は変わっていない。
けれど、状況がそれを許さない。
このまま一方通行と居続ければ、御坂美琴と打ち止めの関係に修復不能の関係破綻を生みかねない。
それはきっと、とてもとても悲しいことだ。
自分との関係が切れても、御坂美琴との関係が切れても、打ち止めはとても悲しむだろう。
どちらかを選ばなければいけないと言うのなら、一方通行は自分との関係を打ち切ることを考える。
例えその事で打ち止めを泣かせたとしても、その方が良いと思うから。
自分のエゴで、他者との関係を断ち切らせることなんてできないから。
『……そもそも俺らが口をはさむ問題ではないな。これはお前と、超電磁砲と、そして"妹達"の問題だ。
お前たちにとって最善の道をゆっくりと考えろ。お前との話はしばらく延期とする』
一方通行の返事も待たず、土御門は通話を打ち切った。
通話が切れたことを示す電子音を聞きながら、一方通行はしばらく佇んでいた。
「クソ野郎が……!」
土御門はいらだたしげに携帯電話を自室のベッドの上に投げつけた。
頭の中で考えているのは言うまでもなく、一方通行たちの事。
「一方通行、それは『逃げ』だぞ」
一度誰かを守り通すと決めたのなら、何があってもそれを貫き通せ。
状況が悪いからと他の誰かに託すのは、それはつまり大切な誰かを背負い込む重さから逃げると言うこと。
それは勇気ではなく欺瞞であり、勇断ではなく臆病なだけだ。
『背中刺す刃(Fallere825) 』
ただ一人の守るべき大事な人の為に、世界の二大勢力を両者同時に裏切って見せると決意した男。
大陰陽師にしてレベル0の無能力者、土御門元春はただ静かに憤っていた。
12月9日。
「36.8度……か」
常盤台中学外部女子寮、208号室。
二つあるベッドのうち、ドアを開けて左側に位置するベッドの前で、保健医を伴った寮監は体温計片手にうなる。
横では白井が心配そうな顔をして立っていた。
「平熱に比べて高いと言えば高いが、熱があると言うほどではないな」
「……でも、頭が割れそうなくらいに痛くて、もの凄く気持ちが悪いんです」
ベッドに伏しているのは美琴だ。
顔色は悪く、熱が無くてもとても調子が悪そうだ。
女性特有の周期的な体調不良でもないとすると、やはりどこか悪いのかもしれない。
保健医は美琴の瞳や喉の奥をのぞき込んだり、心音や脈を測ったりしていたが、やがて、
「強い頭痛や吐き気ということですが、視線の動きやろれつなどに問題はないようですし、急性な脳疾患の心配はないと思います。
多少体温も上がっているようなので、やはりここ最近急激に冷えたことによる風邪ではないかと。
インフルエンザの予防接種は受けたのよね?」
保健医の問いかけに、美琴は弱々しく頷く。
寮監はしばらく考え込んでいたが、
「……分かった。学校への欠席の連絡は私がしておこう。
白井、お前は早く登校しろ。遅刻するぞ」
「しかし……」
白井の能力を活かせば、陸上部の生徒が全力疾走するよりも早く学校へ着ける。
出来る限りギリギリまで、白井は美琴のそばにいたかった。
「……黒子、私は大丈夫だから。行ってらっしゃい」
「お姉様……」
結局美琴に促され、後ろ髪を引かれる思いで部屋を後にした。
寮監が持ってきてくれた卵粥を食べ、処方された薬を飲んでベッドに横たわる。
普段授業を受けている平日の午前中に、自室で寝ていると言うのは中々奇妙な感覚だ。
つい一月前は、ロシアの雪原をかけずり回っていたと言うのに。
上がった体温で傷口が開くことを懸念して、包帯でぐるぐる巻きの右手は布団の上。
それを軽く左手で撫でると、鈍い痛みが傷口に響いた。
体調不良の原因が風邪などではないことは分かっている。
処理能力の落ちた脳でも、それくらいは自己分析できる。
一方通行に出会ったことによる、過度のストレス。
彼によるトラウマの刺激。
仇を取れなかったという、強い悔恨の念。
そして──
「~~くぅッ!?」
ズキン、とこめかみのあたりが強く痛んだ。
『それ』を思い出してはいけないという、精神の自己防衛機能によるものか。
思い出したくない。
向き合いたくない。
そんな思いが、不明瞭な脳内を痛みとなって駆け巡る。
気分の悪さはますます酷くなり、喉の奥に不快な酸味を感じる。
けれど、
思い出さなければならない。
向き合わなければならない。
自分は妹たちを守ると決めたのだ。
この程度のことは、乗り越えて見せなければならない。
例え自分が壊れたとしても、彼女たちを守りきれる強さを持たなければならない。
それくらいのことをしなければ。
例え一瞬でも「裏切られた」と感じてしまった自分を許せそうにはないから。
思考を遮ったのは、ノックの音。
「入るぞ」という声と共に入ってきたのは、ビニール袋を下げた寮監。
「体調が悪い時は、常温のほうがいいと聞いてな」
と、ビニール袋からミネラルウォーターやスポーツドリンクのペットボトルを取りだし、何本かサイドテーブルに置いた。
美琴はそれを不思議そうに眺める。
「なんだ、私が差し入れをするのがそんなに珍しいか?」
「…………いえ」
「私はお前たちに規律をきちんと守らせるのが仕事だが、同時に保護者の方々から大事な子供たちを預かっている身でもある。
体調を崩せば看病をしてやるのは当り前だろう? 母上に連絡を入れたが、とても心配をしていたぞ」
「……これくらいでわざわざ連絡しなくても」
「そう言うわけにもいかんだろう。保護者の方々はいつでも我が子のことを心配しているのだからな」
そう言うと、自分用なのか、ビニール袋から缶コーヒーを取り出し煽る。
袋の中にはフルーツゼリーなどの消化に良さそうなものが色々と入っていた。
ひょっとして、自分の為にコンビニかどこかで買ってきてくれたのだろうか。
少しだけ、毛布の中で口元を綻ばせた。
「……………………何か、悩み事でもあるのか」
「……え?」
出し抜けに聞かれ、素っ頓狂な声が出る。
「昨日お前は深刻な表情で寮へと帰ってきた。夕食もとらず、部屋に引きこもっていたな。
そして今日の体調不良。何もないと思う方がおかしい」
「…………」
「悩みがあるのならば、周囲の大人は有効に使え。
子供たちの悩みに応えるために、我々は年齢を重ねているのだからな。
ご両親を始めとして、保健医や学校の教師陣、能力開発の担当官でもいい。
どこかの誰かに何かをされたのならば、私に遠慮なく言え。
私が責任を持ってそいつを半年は流動食しか食えない体にしてやろう」
最後の言葉は寮監なりの冗談なのだろう、少しだけ声のトーンが変わる。
だが、さしもの寮監と言えども一方通行には叶うまい。
「……ありがとうございます。けれど、これは私の中の問題だから」
「そうか」
少しだけ、寂しそうに寮監は呟いた。
そう、これは美琴の中の気持ちの問題なのだ。
一方通行が妹たちを10031回殺したことも。
そんな彼が打ち止めを守り、凶弾に倒れたことも。
能力を失った彼の補助を妹たちがしていることも。
どれも変えられぬ純然たる事実であり、それに対して美琴がどう考えるのか。
そしてどうレスポンスを返すのか。
それが問題なのであり、他者に介入する余地はない。
他者の手に委ねてはいけない。
「相談したくなったら、いつでも私の所へ来い。問題解決に向けて、真摯に対応しよう」
「…………はい」
その夜。
肉体年齢的にまだ幼い打ち止めは他の姉妹か、あるいは黄泉川ら保護者の誰かと一緒に風呂に入るように言い含められている。
今日は10032号とともに入浴をした。
自室で彼女に髪を拭かれながら、打ち止めはうじじじ……とシーツのしわをつまんだり伸ばしたり。
「まーだ気にしてんのー?」
向かいのベッドに寝そべってロビーから借りてきた雑誌をぱらぱらめくりながら、パジャマ姿の番外個体は軽い調子で言う。
「事情を話すことを決めたのはミサカたち。実際に話したのもミサカたち。
あとはお姉様がどう受け止めるかだよ。あなたがうじうじしててもしょうがないじゃん」
「だけど……」
「ほらほら、仮にも上位個体ならどーんと構えてなって」
「……番外個体は、あまり気にしていなさそうな様子ですね、とミサカは心の中でなんだあの戦力差はちくしょうと思いつつ観察します」
「まーね、さっきも言ったけど気にしてたところでなるようにしかならないんだし。気を揉んでたってムダムダ。
それにミサカはミサカの利益になることしか興味ないし、そのために行動するだけ」
「……あなたの利益とは?」
「お姉様のただのクローンじゃなく、ワンアンドオンリーになること。
お姉様はミサカが"成長"するための参考になる指針。
第一位はミサカが"進化"するための踏み台、ってところかな。
だから、出来れば二人には出会わずにいて欲しかったんだけどね」
反目しあう二人の両方に通じるためには、美琴に一方通行との接触を知られないことが必要だった。
しかしそのことについてはもう話してしまった。
つまり、今後の方針は白紙に戻ってしまったことを意味する。
「……これから、どうしようかねぇ」
「今後のことと言えば、一方通行の代理演算のことはどうするのでしょう、とミサカは疑問に思います」
「どうするって、どういう意味? ってミサカはミサカは訊ねてみる」
「決まってるじゃん。お姉様にとって、一方通行は死んでいったミサカ達の憎い憎い怨敵。
そんな一方通行の代理演算をミサカネットワークが担ってる。
そのことを話しちゃった以上、お姉様がなにも思わないと思う?」
『妹達』をさんざん虐殺した一方通行が彼女たちの作るネットワークによって生き永らえているという事実は、美琴にとっては耐えがたいことだろう。
そのことについてなにもアクションを取らないということは考えにくい。
「ひょっとしたら、お姉様は一方通行への代理演算を止めるようミサカたちに要求してくるかもしれません、とミサカは推測します」
「そ、そんな……ッ!?」
「かもねー。少なくともミサカがお姉様の立場なら、力づくでもそうする」
「あ、あの人はミサカたちを何度も助けてくれたのに、ってミサカは、ミサカは……ッ!!」
絶句する打ち止めに、番外個体は諭すように言う。
「そうだね。第一位は『妹達』を守るために暗部に落とされた。あなたを助けるためにはるばるロシアまで行ったし、
あなたや第一位を殺そうとしたこのミサカすら助けた。
その全てがあの人の自己満足に過ぎなくても、それは確かに事実として存在する」
「だったら……」
「けれど、お姉様にとってはその全てが『関係ない』ことなんだよ。
万の罪は十や百を償った程度で清算できやしない。
清算し終えたところで、死んだミサカたちが生き返るわけでもない。
故にお姉様は一方通行を許すことはないし、永遠に憎み続ける。
それもまた、厳然とした事実なんだよ」
しばらく沈黙が続く。
「……10032号はさ、どう考えてるのかな?」
「どう、とはどのような意味でしょう、とミサカは聞き返します」
沈黙を破ったのは番外個体。
困惑したように、10032号が首をかしげる。
「そのままの意味だよ。
このミサカを除いた正規ナンバーで、第一位と戦ったことのある個体はあなただけ。
感覚共有ではなく生の感覚で第一位の恐怖を味わったことのある、あなたという個人の意見を聞きたい」
「…………」
10032号は番外個体の顔を見、打ち止めの顔を見、しばらく視線を泳がせていたが、
「……ミサカは」
ぽつりぽつり、と呟いた。
「このミサカは、お姉様が望むのならば一方通行の代理演算から離脱したい、と考えています」
くしゃり、と打ち止めの表情が歪んだ。
「このミサカは、あの『実験』に対し、思うところはありません。それがミサカの生まれた理由であり、存在意義であったからです。
けれども、それから解き放たれ、自らの五感を持って世界を感じ、その結果このミサカの中にある精神の働きが生まれたのです。
それは即ち、『何かを失いたくない』という感情です、とミサカは訴えます」
上条が死亡したと推定された時、涙を流すことができた正規ナンバーの『妹達』は数少ない。
その中でもひときわ強い感情の発露をさせた10032号は、何を思ったのか。
「ミサカは、『失いたくない』のです。それが『怖い』のです。
あの方を、他の姉妹たちを、冥土帰しを、この居心地の良い病院を、そして何よりもお姉様を、とミサカは声高らかに宣言をします」
「……それは、あの人を切り棄てるってこと? ってミサカはミサカは訊ねてみる」
「必要があれば、とミサカは簡潔に答えます」
「…………」
打ち止めはいよいよ泣き出しそうな表情で、シーツのしわをいじる。
「ま、優先順位の問題だよね。
お姉様と同じくらい、あるいはそれ以上に一方通行が大事だなんて言うミサカは上位個体くらいだろうし。
これはネットワーク上でどうこうじゃなく、ミサカたちそれぞれ全員が考えなくちゃいけない問題だよ。
一方通行の演算補助を続けたいミサカはそうすればいい。離脱したければお好きにどうぞ、ってね。
……言っておくけど、『上位個体権限』で他のミサカに言うことを聞かせて解決する問題じゃあないからね」
番外個体の鋭い指摘に、打ち止めはびくっと背を震わせた。
「だ、だって、ミサカたちが演算補助をしないと、あの人は歩けもしないし言葉も理解できないんだよ……? ってミサカはミサカは呟いてみたり」
「それが甘い仕打ちに見えるくらいの事はしてきた男だよ?」
「それでも……ッ!!」
憤慨する打ち止めの頭を、10032号はぽんぽんと叩いた。
「そのことを全てひっくるめたうえで、ミサカたちは考え、選択をしなければならないのでしょう、とミサカは上位個体をなだめます」
「……そうなのかな。
本当に、お姉様か、あの人か。どちらかを選ばなきゃいけないのかな……。
そんなの、選べっこないよ……ッ!!」
打ち止めの苦悶の表情を見つめながら、番外個体は思案する。
生来小さな子供の苦しむさまを見て心を動かされるようなタチではないが、それでもこの状況は彼女自身にとってもいささか不利益だ。
(『電撃使い』としての能力の使い方はお姉様に習えばいいとして、問題は一方通行の『暗闇の五月計画』のほうだよね。
実現性はあまり高くないかもしれないけど、逃す手はない)
代替不能の存在を目指すために、両者からのスキルの吸収は逃したくない。
このままであれば、一方通行はやがて『妹達』の前から姿を消してしまうかもしれない。
それは、彼女にとって大きな損失となる。
(仕方がない、面倒くさいけど、ここはミサカが動いてやりますか)
番外個体はぴょんと自らのベッドから飛び降りる。
「おや、どちらへ?」
「ちょいと野暮用」
振り返ることなくひらひらと手を振り、番外個体は病室を後にした。
今日はここまでです
今回は余り話が進みませんでした
この問題は当事者皆でそれぞれの考えを出さないといけないと思うのです
それではまた次回
試験?ここからが本当の地獄だ……
こんばんは
大変長らくお待たせいたしました
もの凄い量のレスをいただき、とても恐縮でございます
一回の投下でこれだけの量がついたのは初めてだぜ……
では今日の分を投下していきます
12月9日、英国時間午後4時。
ロンドン郊外セント・パンクラスにある大英図書館。
イギリスの国立中央図書館の役割を担い、英国王室図書館を経て大英博物館に集められた蔵書を多く受け継ぎ、
古今東西ありとあらゆる書物を管理する世界有数の図書館である。
その一角、解剖学や病理学の専門書が並ぶ本棚の谷の間に、いささか場に不釣り合いな三人がいた。
「かおり、一番右側の本と、その2つ左の本と、その3つ下の本を取ってほしいんだよ。タイトルは──」
メモも見ず、長く専門用語だらけの本のタイトルをつらつらと並べていくインデックス。
はしごに乗った神裂はそのタイトルの本を探し出し、はしごの下にいるステイルに渡していく。
「インデックス、これらで合ってますか?」
「うん! ありがとう」
インデックスが神裂にとってもらった本はどれも脳の構造や記憶障害の治療法に関するもの。
その知識を『完全記憶能力』で取りこみ、『魔導図書館』としての分析能力を流用して上条の記憶障害の治療法を模索する。
それが今の、インデックスが己に課した役割。
「……け、結構な量だ。一度テーブルにでも運ばないか?」
百科事典のように大きく分厚い本を何冊も抱え、ステイルはその腕を震わせつつ提案する。
身長が高いとはいえ、彼は体を特別鍛えているというわけではない。
少し持ちましょう、とひょいひょいと彼の持つ本を片手で持ちあげる神裂を見て、彼はため息をついた。
常人と聖人の違いがあるとはいえ、女性の前で情けない姿を見せることに英国紳士たる彼はいたくプライドが傷つくのだ。
えっちらおっちらとどうにか手近なテーブルまで運び終えると、インデックスはさっそく本の山から一冊を取り上げ、目を通し始める。
『読む』のではなく、『見る』だけで良い。
覚えてさえしまえば、内容に対する理解は後でゆっくりとできる。
『完全記憶能力』という神に与えられた力は、それを可能にしてしまうのだ。
ぱらぱらとページをめくり、ものの数分で分厚い本を読了してしまう。
「……何か有益な情報はあったかい?」
「んー、目新しい情報はなかったかな……。
やっぱり、学園都市の"外"だと無理があるのかも」
学園都市はありとあらゆる科学分野で最先端を行き、それは医学に関しても例外ではない。
研究され、確立された画期的な最先端医療は学園都市の提携機関を通じて世界へその恩恵を発信するものの、全てが公開されるわけではなく、
医療従事者の中には出し惜しみするような学園都市の態度に異を唱える者も多いが、学園都市とてせっかく得た技術を無償公開するわけにもいかない。
結局、世界の医療従事者は学園都市に行って技術を学ぶほかないのだが、一般人にそれができるはずもない。
インデックスが二冊目に取りかかったところで、誰かの携帯電話が鳴りだした。
静謐な図書館に着信音が響き、皆の視線がこのテーブルへと集中する。
「……すている、図書館は『けいたいでんわー』は禁止だよ!」
「すまない」
インデックスに注意され、ステイルが申し訳なさそうに携帯電話を開くと、一通のメールが。
ほっとしたような、呆れたような。そんな笑みを浮かべて、画面をインデックスと神裂に向けた。
「……土御門からだ。上条当麻が、明日退院するそうだよ」
「ほんと!?」
反射的に大声を上げて立ちあがってしまったインデックス。その弾みで椅子が倒れ、大きな音を立てる。
先ほどよりもより強い注目を浴びて、赤面しながら椅子をそそくさと直したのだった。
12月10日。
上条の長かった入院生活も終わり、ついに退院の日がやってきた。
「……忘れ物はありませんか、とミサカは最終確認を取ります」
「ない、とは思うけど……」
上条当麻は自分の病室で、ボストンバッグに私物をなんとか詰め込んでいた。
手伝ってくれているのは10032号だ。
ぎゅうぎゅう詰めのカバンをなんとか閉め終えたところで10032号がベッドの下にノートが落ちているのを発見し、泣く泣く再び空ける羽目になった。
「これで完璧、かな」
「後日何か発見した際は連絡をいたします、とミサカは気が利く子アピールを……」
「それ自分で言っちゃ意味無くないか?」
そんな軽口を叩きつつ、上条はようやく再び閉め終わったボストンバッグを持ちあげた。
ロビーへと降りるエレベーターに乗りながら、取りとめない話をする。
「そう言えば、お姉様は来ていないのですか、とミサカは訊ねます」
「御坂? 来てないな。どうかしたのか?」
「お姉様の性格ならばご友人が退院の際には出迎えに来るのではないか、とミサカは思いましたので」
「忙しいんじゃないか? 今日平日だし、学校だってあるだろ」
腕時計を見れば、時刻は午後3時。
時間割次第ではまだ授業を行っている時間だ。
「あとで退院したってメールでも送っておくかな」
「その際もしお姉様の元気がないようでしたら、励ましてあげてください、とミサカはお願いをします」
「?? 何かあったのか?」
「……いえ」
上条は首をかしげるが、10032号は答えない。
「姉妹げんかでもしたのか?」
「……このミサカとではありませんが」
「ふむ」
上条の見る限り美琴と妹たちの関係は良好だ。
だが、近いからこそ、というものはあるかもしれない。
「ま、喧嘩するほど仲が良い、とも言うしな」
「仲違いしているのに仲が良いのですか? とミサカは疑問に思います」
「それだけ互いの事を想ってるからこそ、意見がぶつかり合ったりするもんなんだよ。
相手がどうでもいい存在なら、適当に意見を合わせて衝突を回避しておけばいいんだしさ」
「そういうものなのですか」
「そういうものなんです」
ちょうど、エレベータがロビーへと到着した音を告げる。
入院費の清算は先日両親が見舞に来た時に済ませてくれていた。
二人はロビーを横切り、まっすぐ玄関へと向かう。
「ミサカの見送りはここまでです。
それでは、お姉様によろしくお願いします」
「おう、またな」
病院を出れば、冬特有の大分傾いた柔らかな日差しが上条の顔を照らす。
一昨日降った雪は一部未だ消えずに残っており、あちこちに凍った雪山がある。
滑らぬように足元に気をつけて歩いていると、
「おーい、カミやーん!」
「迎えに来たでー!」
車道をまたいで反対側の歩道で、土御門と青髪ピアスが手を振っていた。
二人は車が来ないことを確認すると、そそくさと車道を渡ってこちらへやってきた。
「今日が退院だから二人で迎えに行ってやろうと思ってたんだけどにゃー、まさかカミやん、オレたちをおいて一人で帰るつもりだったぜよ?」
「いやぁ、だって来るって聞いてなかったし」
「ほら、そこはサプライズってやつやん?」
サプライズがフイにならずにすんでほっとしたように、青髪ピアスが胸を撫で下ろす。
「どうせ寮の住所は聞いてても、そこまでの道筋は分からへんやないかなーと思てな、土御門クンと二人で学校の周りから寮までを案内したろ考えててん」
「ついでに退院祝いがてら遊び歩こう的なものでもあるぜぃ」
「おお、助かる」
住所を書いたメモは受け取っているが、実際にそれだけで寮まで辿り着けるかと言うと不安なものがある。
タクシーでも使えばいいのだが、財布の中身はそこまで頼もしくはない。
「よっしゃ決まり! 善は急げ!」
「今日は遊ぶでー!」
「え、ちょっ、おーい!」
土御門と青髪ピアスの二人は、上条を半ば引きずるように連れ去って行った。
何かの拍子に、美琴はまどろみの中から引きずり上げられた。
枕元に置いた携帯電話が震えていることに気付いたのは数秒後。
遅れて、強い頭痛が彼女を襲った。
今日も頭痛は引かず、一日中痛みと戦いながら頭の中で堂々巡りの思考を繰り広げていた。
頭が休息を求め、いつの間にか意識を手放していたのだろうか。
窓の外はもう暗くなり始めていた。
のろのろと携帯電話に手を伸ばす。
メールの発信者は、上条だった。
【FROM】アイツ
【sub】退院しました
------------------------
御坂妹が「元気ないかも」
って言ってたけど
どうかしたのか?
そう言えば、今日は上条が退院する日だった。
そんな大事なことを件名だけで済ませ、本文ではこちらの心配をしてくるだなんて、彼らしい。
【TO】アイツ
【sub】ごめんね
------------------------
ちょっと風邪引いたみたいで
凄く頭が痛いの
迎えに行けなくてごめんね
自分と妹との事は、彼に知らせるような性質のことではない。
だからあえてはぐらかした答えを返す。
【FROM】アイツ
【sub】大丈夫か?
------------------------
風邪はさっさと治すに限るぞ
姉妹げんかでもしたのか?
さすがに10032号から何らかの事情は聞いたのだろうか。
誤魔化しに引っかかってはくれなかった。
【TO】アイツ
【sub】大したことじゃない
------------------------
あの子とではないんだけど
ちょっとね
あんたが気を揉むことじゃないわよ
頭が痛いので寝るね
さすがに体調を理由にすれば、彼は追撃をかけてはこないだろう。
携帯電話を手放し、天井を仰ぎ見た。
伸ばした手には白い包帯が巻かれている。
これは自分の中で折り合いをつけなければいけない問題だ。
妥協も逃避もせず、きちんと向き合わなければいけない事柄であり、
そのためにはもう一度、打ち止めたちとちゃんと話をしなければならない。
丸二日考え、そこまでは頭の中を整理することができた。
だが、そこから先がどうしても踏み出すことができない。
何か取り返しのつかないことになりそうで、なかなか踏ん切りがつかないのだ。
けれど、いつまでも放置し続けてよいことでもない。
頭痛が治まったらちゃんと膝を突き合わせて話をしに行こうと思った。
【FROM】アイツ
【sub】おやすみ
------------------------
温かくして寝ろよ
その短いメールに、美琴の心が少し温かくなった。
「ふー……」
携帯電話を閉じ、上条は息をついた。
悪友たちに引きずりまわされ、へとへとになって自宅へ"帰って"きたのが十分ほど前。
病院からの帰り道に送れなかった美琴へのメールを打っていたのだ。
改めて、部屋の中を見渡す。
玄関も、廊下も、リビングも、台所も、ベッドも、洗面所も、風呂場も、ベランダも。
初めて見たのに、どこか懐かしい。
初めて見たのに、何かが欠けている。
その欠けたものは頭では理解していても、記憶としては存在しない。
にも関わらず、何故か胸の奥がきゅうと痛んだ。
手の中の携帯電話が音を立て、着信を知らせる。
寝ると言っていたのに美琴が返信してきたのかと思い画面を開くと、そこには「インデックス」の文字が。
「もしもし」
『とうまー!?』
聞こえてきたのは、はしゃいだようなインデックスの声。
「おう、久しぶり」
『久しぶり、じゃないもん!! とうまったら全然電話かけてきてくれないんだから!!」
一転、怒ったような口調に変わる。
『大体、退院の日付を教えてくれないってどういうことなのかな!?
もとはるが教えてくれなかったら、私はいつ退院するのかと今でも心配してたところなんだよ!』
「……あー、悪い悪い。小萌先生が出席の代わりだって課題山ほど持って来てさ。
ずーーっと問題集やらされてたんだよ。携帯使うためにいちいち外に出るのも億劫でなぁ」
『む……それなら仕方がないかも……』
ここは日本で、向こうはイギリス。
こちらの詳しい状況が分からなければいくらでも誤魔化しようがある。
本当は単に忘れていただけなのだが、課題が山ほど出たのは事実なのだから嘘は言っていない。
『……短髪には、教えたの?』
「短髪? ……ああ、御坂のことか。
あいつに教えるも何も、あいつがお見舞いに来てる時に先生が来て、退院予定日を告げられたんだよ」
『……ふーん』
「なんで不機嫌そうな声になるんだ」
『別にー。私もお見舞い行きたかったなーって思っただけ。
しょっちゅうとうまのお見舞いに行ったり、退院の日を知ってたり、短髪がうらやましいだなんて思ってないもん。
……とうまの周りの皆は元気かな? あいさとか、こもえとか、ひょうかとか。どうしてるかなぁ……』
「姫神と小萌先生は分かるけど……ひょうか?」
『そっか、まだひょうかには会ってないんだね……かざきりひょうか、私ととうまの友達なんだよ』
「うーん、まだ会ったことはないなぁ。会ったら、お前のこともよろしく言っておくよ」
『ひょうかだけじゃなくて、他の皆にもよろしくね!
……そうそう、そう言えば、この間あったことなんだけどね──』
インデックスは楽しそうにイギリスで起きたことを話して行く。
上条はそれを聞き、時折質問をしたりするだけ。
けれどそこには、以前のロシアの病室の時のような悲壮な雰囲気はなく、
この部屋に欠けていた何かが、少しだけ満たされたような気がした。
夜。
「まだ寝ないのですか? とミサカは物憂げな上位個体に問いかけます」
10777号がベッドの上で膝を抱えている打ち止めに問う。
そこは10777号のベッドであり、どいてくれなければ彼女は寝ることができない。
考え事をするのならば自室でしたら良いとは思うのだが、打ち止めはいかにも「聞きたいことがあるけどなかなか聞けない」オーラを放っている。
打ち止めと同室である番外個体はどこかへふらふらと出かけて行ったまま帰ってこない。
冥土帰しはあまり心配していないようなので、連絡くらいはしているのだろう。
「……10777号や他のミサカは、10032号と同じように考えているのかな? ってミサカはミサカは呟いてみたり」
「同じとは? とミサカは聞き返します」
「一方通行の、こと」
10777号は理解した。
昨日の番外個体や10032号との会話の中で、「美琴が代理演算の停止を求めてきたら」という話題に対し、
10032号は「その場合は停止に応じる」と答えた。
10777号は10032号に賛成なのか否か、ということだろう。
「ミサカは10032号の主張に賛成します」
「……そっか」
ネットワークを介して分かっていたこととはいえ、改めて音声化され打ち止めはますます俯いてしまう。
妹たちは実験から解き放たれたあの日、常に全個体で同期を取ろうとすることを辞めた。
ある個体の意見に程度の差はあれ「共感」はしても、「共有」することはない。
他の個体の意見に賛同すると言う行為はそれぞれの自由意志から発生したものであり、上位個体権限で叩きつぶすようなことはできない。
それは彼女たちの尊厳に対する否定行為となってしまうからだ。
「上位個体はどう考えているのですか、とミサカは問い返します」
「ミサカは……」
昨夜番外個体と10032号に言われたことを、今日一日かけて彼女なりに噛み砕いた。
だけど、でも、しかし、と行きつ戻りつする思考の中に、彼女にも譲れない芯は確かに存在する。
けれど、それを、
思っていいのか。
口にしていいのか。
口にした言葉には、結果と責任が付きまとう。
最初はとても小さな事柄でも、それをきっかけに大きな事象へ発展することはざらにある。
ならば、大きな衝撃が伴う事柄を最初に引き起こせば、それはどれだけの事態へと波及するのだろう?
「ミサカは」
唇が震え、鼓動がうるさいくらいに聞こえる。
この思いを心の奥底にしまい込んでしまえば、"表面上は"丸く収まるのだ。
一方通行は妹たちの前から姿を消し、美琴が彼女たちの守護者となる。
世間一般常識から見れば、それが本来あるべき"正しい"状態になるのかもしれない。
「ミサカは、それでも一方通行と一緒にいたい!」
けれど、そんな常識なんて知ったこっちゃない。
自分たちは元々イレギュラーな存在だ。イレギュラーな行動を取って何が悪い。
自分の生まれた意義と生きる意味は自分たちで見つけると決めた。
ならば、これこそ打ち止めの生きる理由。
「このミサカの人生はミサカのもので、お姉様のものじゃない。
だから、お姉様に指図される理由なんてどこにもない!」
上位個体として、実験に従事する一方通行の姿をずっと"見て"きた。
その姿は文字通りの最強でありながら、同時にどこか脆く儚げだと思っていた。
肉を裂き、骨を砕き、臓を撒き、血を撒き散らして吹き荒れた暴虐の嵐。そこに擁護の余地は一片もない。
けれど打ち止めは知っている。彼が誰かに自分を止めて欲しがっていたことを。
壊され、"慣らされた"心は容易には止まらない。誰かに無理やり止められなければいつまでも暴走を続ける。
そのSOSはいつだって発せられていた。ただそれを受け止めるだけの力が自分たちには無かった。
それが、ずっと心残りだった。
もう傷つけ合いをしてほしくないから。
今度は自分が守ってあげたいから。
何よりも、自分が彼と一緒にいたいから。
「例え他のミサカが一方通行の代理演算を打ち切っても、ミサカと他の人の区別がつかなくなっても。
ミサカは絶対に一方通行のそばから離れたりしない。
歩けなくても、話せなくても、考えることができなくても、このミサカがあの人を守るんだ!」
打ち止めは一方通行と共にあることを選ぶ。
それが、姉との決別につながりかねないとしても。
美琴が大事じゃないわけではない。
でも一方通行も見捨てることはできない。
子供特有の口下手の為か、それとも思いをうまく言語化できないのか。
二言三言続けようとして口に出ず、涙をぽろぽろとこぼす。
「……演算補助を停止すると言うことは、彼が誰かの介護を要するということになります、とミサカは説明をします」
打ち止めは小さく頷いた。
「脳損傷は極めて治癒例が少なく、恐らくは一生の介護を必要とする事になるでしょう。その覚悟はありますか、とミサカは問います」
先ほどよりもやや大きく首は縦に振られる。
「介護は力仕事です。あなたの小さくか弱い体で彼の体を起こし、体勢を変えさせ、あらゆる世話をすることが出来ると思いますか、とミサカは問いかけます」
その言葉に、打ち止めは頷けなかった。
自分の体は10歳相当であり、細いとはいえ16歳の少年の世話をするには非力だ。
黄泉川や芳川には頼れない。「自分が守る」と言いながら最初から他力本願だなんて、論理破綻にもほどがある。
リハビリのやり直しを覚悟で、いっそ培養カプセルに入れて貰い他のミサカや番外個体と同年齢設定にまで成長させてもらうか。
そんなことまで考え始めた時、10777号が見かねたように言う。
「……そのあたりの事をちゃんと検討せずに宣言をしたのですか。困った"妹"です、とミサカはため息をつきます」
「ちゃ、ちゃんと考えてるよ! 例えばミサカが培養カプセルに入って大きくしてもらうとか! ってミサカはミサカは主張してみる!」
「またろくでもないことを……とミサカは果たしてコレを上位個体に据えたままでいいのか本気で心配になります」
これ見よがしに、先ほどよりも大きなため息。
「そう言う時は、素直に人を頼るものです、とミサカは説きます」
「え……?」
「一方通行を助けるのではなく、あくまで上位個体を助けると言う名目であれば、お姉様も文句は言えないでしょう、とミサカは推測します」
代理演算を切られてしまえば一方通行は能力を微塵も使えなくなってしまう。
そこに危険性はもはやなく、あるのはただ意思疎通もできなくなった少年のみ。
あくまで彼を介護する打ち止めの補助という名目ならば、美琴だって納得はせずとも黙認せざるを得ないのではないだろうか。
彼女だって、自分の妹が苦労し、疲弊していくのを見たいはずが無いのだから。
「でも、あなたたちは一方通行の代理演算には反対してたんじゃ……ってミサカはミサカは指摘してみたり」
「それはお姉様に求められた場合の話です。求められなければ現状維持でも構わない、とミサカたちは思っています」
これもネットワーク上でのやり取りを元に合意が行われ、打ち止めには流れている筈だ。
が、一日中考え込んでいた打ち止めは気付かなかったらしい。
「ですが、代理演算の継続に向けた積極的な動きはしません。それを望むのならあなたがお姉様の説得に動かなければ、とミサカは諭します」
「…………そうだね。ミサカはちゃんと、お姉様と話し合ってみる! ってミサカはミサカは決意表明してみたり!」
「おや、ついに腹をくくったみたいだね」
横から掛けられた声にそちらを向けば、番外個体が扉の所に立っていた。
手には何やらビニール袋を持っている。
「お帰りなさい、番外個体。どちらへ出かけていたのですか、とミサカは質問します」
「ちょっと野暮用を、ね。事態をミサカの有利な方向に動かすための布石ってところかな」
番外個体はそのまま10777号のベッドへと腰を下ろす。
「……それで、あなたはちゃんと自分の意志を固めたんだね。最終信号」
「うん、ミサカはミサカが望む未来のために動くって決めた! ってミサカはミサカは堂々と宣言してみる!」
「その意気だよ。この期に及んでグダグダ言うようならあなたなんか放置してミサカ好みに事態を推し進めるところだった。
10777号や他のミサカたちは静観って事で良いの?」
「昨夜10032号が語った通り、ミサカたちはお姉様の意向に従います、とミサカはネットワークを代表し表明します」
「つまり、アクションを起こすのはミサカと最終信号だけなわけだ。
……ねえ最終信号、もう具体的な説得方法は思いついたの?」
「それは……これから考えるんだけど……ってミサカはミサカは口ごもってみたり……」
「じゃあ、ミサカのプランに乗ってみる?」
「あなたのプランって? ってミサカはミサカは聞き返してみたり」
番外個体は唇の端を吊り上げ、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「それはね────」
12月11日。
相変わらず美琴は学校を休んでいた。
和らいだのか、感覚が麻痺しつつあるのかはわからないが、頭痛は少しだけ軽くなった。
少なくとも、歩きまわることくらいはできる。
朝とも昼とも言えぬ微妙な時間に美琴の携帯電話が鳴った。
発信者は打ち止めだ。
出るかどうか数秒だけ逡巡して、通話ボタンを押した。
「……もしもし?」
『……お、お姉様?』
体調が声に出たのか、打ち止めの声は気遣わしげだ。
『体調悪いって聞いたけど、大丈夫? ってミサカはミサカは心配してみる』
「これでも昨日一昨日よりはマシになったのよ。今日はだいぶ頭もはっきりしてるし」
『そっか、良かった……』
上条あたりから美琴の体調不良を聞いていたのだろうか、胸を撫で下ろすため息が聞こえた。
『病院に行ってお医者さまには見て貰ったの? ってミサカはミサカは訊ねてみたり』
「寮の保健医さんに見て貰っただけ。長引くなら病院に行こうかと思ってね」
『……カエルのお医者さまに診て貰うついでに、ミサカたちと少しお話しない? ってミサカはミサカは誘ってみるんだけど』
打ち止めの言葉に、美琴の心が揺れる。
それはいつか必ずしなければならないことで、でも出来る限り先延ばしにしたいこと。
しかし、もう向き合うと決めた。あとはそれが早いか遅いかの違いだけ。
だから思い切って、打ち止めの誘いに肯定を返す。
「………………分かった、これから病院に行くわ」
制服に着替え、防寒具をかっちり着こみ、部屋の外に出たところで寮監とばったり出くわす。
美琴の具合を見に来たのだろう、手には差し入れのビニール袋が下がっていた。
「どこへ行く?」
「……長引いても嫌なので病院に行ってこようと思います」
「私が送って行こう」
「動ける程度には良くなったので、一人で行けます」
探るような寮監の瞳と、体調不良で潤みつつも確かな意思を秘めた美琴の瞳が交差する。
数十秒視線を交わし合い、何かを悟ったのかふいに寮監から視線を外す。
「……タクシーを呼んでやる。玄関でしばし待て」
「ありがとうございます」
美琴は背を向け、玄関へ向かおうとする。
「……ついでに、悩み事も解決すると良いな」
背後からかけられたいつになく優しい声色に心の中を見透かされているような気がして、美琴は答えることができなかった。
タクシーに揺られ、美琴は窓の外の景色を見る。
数日前にあれだけ降った雪もいつの間にかほとんど溶け、あとは日陰に残るばかり。
妹たちに聞いたのは一方通行が行ってきた行動だけで、その背景については聞いていない。
かつて見た快楽殺人鬼としての彼の姿と、その行動がどうしても重ならない。
許すつもりはない。
許せるはずがない。
けれどまず第一に考えるべきは妹たちのことで、美琴自身の感情は二の次だ。
一方通行の行動が妹たちの為にならないならば、今度こそ全身全霊で潰す。
そうでなくても、認めるつもりはない。
あの男はそれだけのことをしたのだから。
だが、自分は知らない事だらけ。
激情に囚われ、物事をある側面からしか見ないのは愚かだ。
だから、一方通行の行動の理由を知らなければと思う。
それが、どんなものだったとしても、知らないよりはきっと良いだろうから。
妹たちが一方通行をどう思っているのか。
一方通行が妹たちにどのような気持ちで演算補助を受けているのか。
質さないことには始まらない。
いつの間にかタクシーは冥土帰しの病院の前へと到着していた。
金を払って降り、病院を見上げる。
妹たちの安息の地。
数日前に一方通行と戦った場所。
さまざまな思いを抱え、美琴は病院の玄関をくぐった。
今日はここまでです
一方通行との対峙は3回くらいで終わる予定だったのにどうしてここまで長くなった……
完結するころには何スレ行ってるんだろう
試験が終わってやっと暇になったので、次回はできるだけ早めに……
ビニール袋の中から出て来る大量のゲコ太グッズ
番外「これを賄賂にして……」
妹達「おい」
>>1は介護のことについてもっと勉強した方がいいんじゃね
打ち止めが10歳だろうと16歳だろうと30歳だろうと介護は1人じゃどうしたって出来ないよ
それを子供に指摘するなんて性格悪すぎる
>>176
IDが御坂美琴だからってお前なぁ
早く来週にならないかなーってミサカはミサカは
待ち遠しくてうずうずした気持ちをアピールしてみる。
早く来週にならないかなーってミサカはミサカは
待ち遠しくてうずうずした気持ちをアピールしてみる。
あ~二重になってるってミサカはミサカは涙目になってみる(*~*)
あ~二重になってるってミサカはミサカは涙目になってみる(*~*)
あ~二重になってるってミサカはミサカは涙目になってみる(*~*)
………………なんで~(*~*)今度は三重?
いったいぜんたいどうなっているのってミサカはミサカはパソコンを叩いてみる
………………なんで~(*~*)今度は三重?
いったいぜんたいどうなっているのってミサカはミサカはパソコンを叩いてみる
………………なんで~(*~*)今度は三重?
いったいぜんたいどうなっているのってミサカはミサカはパソコンを叩いてみる
199の言うとおりにやってみた!
,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
(.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
|i i| }! }} //|
|l、{ j} /,,ィ//| 『総合スレに新しいSSが投稿されたと思ったら
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ スペシャルサンクスとしてこのSSの名前が挙がっていた』
|リ u' } ,ノ _,!V,ハ |
/´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
/' ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ おれも何をされたのかわからなかった
,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉
|/_/ ハ !ニ⊇ '/:} V:::::ヽ 頭がどうにかなりそうだった…
// 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
/'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐ \ 超スピードだとか催眠術だとか
/ // 广¨´ /' /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
ノ ' / ノ:::::`ー-、___/:::::// ヽ }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::... イ もっと素晴らしいものの片鱗を味わったぜ…
これからもよろしくお願いいたします
大変長らくお待たせしましたorz
これから今日の分を投下していきます
数日前に美琴と一方通行の戦闘の余波を受けた冥土帰しの病院の屋上庭園はすでに修繕され、真新しい電源設備が唸り声を挙げている。
その中央にあるベンチで、打ち止めと番外個体は美琴を待っていた。
不安そうな打ち止めとは対照的に、気楽に構える番外個体。
「ほらー、リラックス、リラーックス。お姉様が来ないうちから気を張ってどうするのよ」
「わ、わかってはいるけど、それでも……ってミサカはミサカは言葉に詰まってみる」
一方通行の処遇について、美琴と徹底的に戦うと決めた。
その結果美琴との反目につながりかねないとしても、それでも譲れないラインはある。
とはいえ、覚悟はしていても、恐ろしいものはある。
「……ねぇ番外個体、あなたのプランは本当に大丈夫なんだよね? ってミサカはミサカは最終確認を取ってみたり」
「さぁねぇ」
番外個体は腕に引っ掛けたビニール袋を揺らす。
「この"中身"についてはあなたも確認した通りだけど、これがお姉様に与える影響については想像するしかないね。
見たところで、お姉様はぶち切れるか、泣きだすか、どっちかだと思うけど」
「……それって、大丈夫なの? ってミサカはミサカは急に不安を感じ始めてみる」
「そんな簡単に解決するほど根の浅い問題じゃないってことでしょ。
ま、でもこれを見れば、心やさしいお姉様はきっと多少心を揺らす。
あとはあなたの交渉術次第ってところじゃないの?」
「うぅ~~……」
打ち止めは逃げ出したい欲望に駆られる。
無理もない。肉体年齢10歳、実年齢にして半年に満たない少女の肩に、多くのことがのしかかっているのだ。
妹たちの運命。
御坂美琴の運命。
そして、一方通行の運命。
薄氷の上を渡るような危うい綱渡りを強いられれば、逃げ出したくもなる。
そんな彼女を横目で見つつ、番外個体は空を仰ぐ。
今日は快晴。日陰に残った雪もそろそろ溶けてしまうだろう。
「……お姉様、遅いなぁ」
寮監に「医者に診てもらってくる」と言った手前、きちんと診察は受けなければいけない。
内科で診て貰い頭痛薬を処方してもらった後、美琴は冥土帰しの元へ寄る。
右手の怪我の経過も診てもらわなければならない。
「……ふむ、若いと言うのはいいね? 順調順調」
包帯を剥ぎ、美琴の傷口を眺めた冥土帰しはそう呟いた。
見た限り、特殊な治療は行っていない。
軟膏を塗ったガーゼをあて、包帯で保護しただけのこと。
それにも関わらず、傷口はもう再生を始めていた。
「この分だと、2週間もあれば傷は塞がるんじゃないかな?
骨のひびも問題なくくっつき始めているようだし」
新たな包帯を巻きつつ、冥土帰しが言う。
「……ところで、今日は妹さんたちとおしゃべりしに来たんだってね?」
「打ち止めや番外個体に聞いたんですか?」
「妹さんたち、意外とおしゃべり好きでね。女の子が三人で姦しいとはよく言ったもんだね?」
取りとめのない会話をしながら、冥土帰しは美琴の状態を観察する。
少しは時間を置いてクールダウンしたのだろうか、数日前のような危うさはなく、見た感じは平静である。
頭痛のせいか、声は小さく元気はなさそうではあるが。
「……あの子たちは、私にどんな話をするつもりなんでしょうか」
「それは僕にも分からないね。治療に関係ないところでは、僕はそこまで患者さんのプライバシーに立ち入らない主義でもあるんだ」
「ですよね……」
結局は、美琴自身が妹たちときちんと向き合わなければいけないことなのだ。
ぎぃ、と音を立て、屋上へと続く扉が開いた。
一瞬陽光に目がくらみ、それに慣れると、屋上庭園の中央にあるベンチに、二人の少女が腰掛けているのが見えた。
一人は背が小さく、一人は美琴よりも背が高い。
美琴がやってきた音を聞きつけ、番外個体が手を振った。
「お姉様、こっちこっち」
三人がけのベンチにゆったりと座っていた番外個体と打ち止めは少し詰めて座りなおし、美琴の為の場所を空けた。
並びとしては、右側から打ち止め、番外個体、美琴となる。
「頭痛は大丈夫?」
「ええ。少し良くなったわ」
「急に呼び出しちゃってごめんね、ってミサカはミサカは頭を下げてみたり」
「いいのよ。私もね、ちゃんとあんたたちと話をしなきゃいけないと思ってたし。
……この間は、話を聞いただけで逃げ出しちゃったし」
ふらふらと危なっかしく帰って行った美琴の姿を思いだしたのだろう。
少しだけ、二人の表情が悲しげに歪む。
「……それで、話って何?」
前置きはいらない。
美琴はいきなり本題を切り出した。
内容は分かり切っている。
一方通行と、妹たちのこと。
それ以外に何があると言うのか。
一方通行が妹たちを殺し、妹たちを救い、そして妹たちに救われたこと。
その事実は知っていても、その理由までは知らない。
知らなければいけない。
「だよねぇ、やっぱりいきなり核心をついて来るよねぇ」
番外個体はかなわない、と言うように両手を肩の高さまで上げる。
辛抱たまらなくなった様子で打ち止めは、口火を切ろうとする。
「お、お姉様。あのね、ミサカはね──」
「ストップ。暴走しないの」
が、番外個体がチョップでそれを止めた。
脳天を押さえながら打ち止めが抗議するが、番外個体はどこ吹く風だ。
「まずは、お姉様に見て欲しいものがあるんだ」
「私に見て欲しいもの?」
番外個体はビニール袋をごそごそとやり始めた。
取り出したのは中央部に画面のついた携帯ゲーム機であり、それに何やらデータチップのようなものを差し込んで行く。
そこにイヤホンをつけて、美琴へと差し出した。
「決定ボタンを押せば、再生できるようになってるから」
「……これは?」
「ミサカネットワークから抽出した、ミサカたちの記憶」
その言葉を聞いて、美琴は息を呑んだ。
人の記憶は脳に電気信号パターンとして記録されている。
電撃使いの能力ならばそれをエンコードしてメディアに落とし込むことも可能だろう。
実際にそれは今美琴の手の中にある。
ミサカネットワークから抽出された記憶。
20002人の妹たちが、この世に生を受けた証。
その重みは、実際の携帯ゲーム機の重さの数十倍、数百倍にも感じた。
思わず躊躇する美琴に、番外個体が笑いかける。
「それを見るかどうかは、お姉様が決めて。
中には、お姉様にとってはショッキングなことも映ってるかもしれないしね」
「……だけど、ミサカたちはお姉様に見て欲しい。知ってほしい。
だから、見るなら、どんなことが映ってたとしても最後まで見て欲しいの、ってミサカはミサカはお願いしてみる」
美琴の指が携帯ゲーム機の上でしばらく泳いだ。
画面には、決定ボタンを押せば動画ファイルが再生される旨が表示されている。
視線が打ち止めと、番外個体と、携帯ゲーム機の画面を行き来する。
この中に、美琴の知りたいことが記録されているのだろうか。
妹たちの意志は推し量れない。
しばらく迷ったのち、美琴はイヤホンを耳にかけ、
決定ボタンを、強く押し込んだ。
しばらく、画面は白黒のノイズのままだった。
人の記憶は当然ながら録画機器に対応するような形式ではない。
鮮明には表示されないのも仕方が無いのかもしれない。
しばらくして、映像がクリアになり始めた。
映っていたのは、一人の男。
紛れもなく、それ一方通行。
周囲は実験施設のようだ。
『よォ、オマエが実験相手って事でいいンだよなァ?』
『はい、よろしくお願いします、とミサカは返答します』
妹たちの声がした。
姿が見えないことが気にかかったが、良く考えればこれはミサカネットワークに蓄積された記憶なのだ。
つまりこれは、妹たちの一人の記憶を、彼女の目を通して見ていることになる。
あちこち映像が揺れるのは、そのせいか。
『では、実験を始めてくれ』
男の声が聞こえた。
実験。つまりこれは、あの忌まわしい実験の中での出来事。
思わずえずきそうになるが、「何があっても最後まで見る」という約束だ。
無理やりそれを飲み下し、目は画面から離さない。
横っ跳びに跳ねた妹は一方通行に向けて発砲した。
それは彼の能力によってあらぬ方向へと反射される。
一方通行の能力が妹には分からないのか、一度距離を取ろうとするが、
『ふざけてンのか、てめェ』
その声と共に、視線が大きく回転した。
思わず悲鳴をあげかけた。
一方通行は触れただけで人を殺せる。
当然、『妹達』だってただではすまないだろう。
『チッ、テンション下がンぜ。今回はこいつだけだったよなァ? 帰ンぞ』
ゆるゆると起き上がった妹の目に飛び込んできたのは、つまらなさそうに頭を掻く一方通行。
映像が途切れなかったこと、それがゆっくりと持ち上がったことで、『妹達』がまだ生きていることが分かり、ほっとする。
だが、忘れてはいけない。
これはミサカネットワークに蓄積された、"過去"の記憶なのだと言うことを。
『まだ第1次実験は終わっていない。後ろの実験体を処理するまではね』
美琴は一瞬、男の言葉を理解できなかった。脳が理解を拒否した。
理解できなかったのは一方通行も同じようで、呆けたような声で聞き返した。
『武装したクローン20000体を処理する事によって、この実験は成就する。
目標はまだ活動を停止していない。さあ、実験を続けてくれ』
その言葉に、妹は了解した、とだけ呟いて銃を拾い上げる。
やめて。
拳銃を操作するその手はまるで自分のもののように見えるのに、言うことは全く聞かなくて。
お願いだから。
がちゃりと音を立て、拳銃をリロードする。
誰か止めさせて。
ゆっくり持ちあげられた拳銃の照準が、一方通行を捉えた。
あの子を助けてあげて。
美琴の願いも空しく、引き金は引かれる。
ぱぁんと乾いた音がして画面がぐらりと傾ぎ、視界が徐々にかすれて行く。
最後に妹が見たのは、愕然とした表情の一方通行の顔だった。
思わず、美琴は動画を停止させていた。
妹たちが死ぬところなんて、もう見たくない。
どうして見なければならないのか。妹たちが何を考えているのか。
それが全く分からなかった。
「……あんたたちは、私にこれを見せて、どうしたいの?」
問わずには居られなかった。
動画の中で、男は第一次実験だと言った。
つまりは、一方通行は00001号を望んで手にかけたわけではないということだ。
けれど、実験後期では一方通行はそれこそ愉しむように妹たちを痛めつけていた。
例え最初の一人を望んで殺したのではなかったとしても、それで彼のやってきたことがなかったことにはならない。
「……まだ、映像は終わってないよ」
番外個体は努めて無表情に、続きを見るように促してきた。
「お姉様は見ることを選んだんだ。泣いても、叫んでも、最後まで見て貰うよ」
ベンチの後ろから、番外個体はまるで逃がさないと言うかのように美琴に抱きついた。
その手を美琴の手に重ね、再び再生ボタンを押させた。
『はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ……』
これはどこかを全力疾走している記憶だろうか。
映像が上下にがくがくと揺れ、激しい息遣いが聞こえた。
『はっはァ! ンだァその逃げ腰は。愉快にケツ振りやがって誘ってンのかァ?』
罵声と嘲笑が背後から浴びせかけられた。
さきほどの映像とは異なる、完全に"狩り"を楽しむ様子の一方通行の様子に、再び吐き気を覚えた。
『妹達』は手にしたアサルトライフル、『オモチャの兵隊(トイソルジャー)』を一方通行へと乱射する。
電子制御により『最も効率よく当たる』ように調整された弾丸は、しかし一方通行の肌に傷一つつけることなく反射される。
そのうちの一発が、『妹達』の肩を穿った。
倒れこむ『妹達』、その視界に映るのは一方通行の顔。
その口元が大きく、醜く歪み、映像が途切れた。
映像が切り替わる。
『──もうこれ以上、一人だって死んでやることはできない』
少しだけ低く、冷たい打ち止めの声。
厳然たる事実を突き付けられたかのような一方通行の顔は、視線よりも高い所にある。
これは打ち止めの記憶だろうか。
『でも、ミサカはミサカはあなたに感謝してる。
あなたがいなければ傾きかけてた量産能力者計画が拾い上げられることもなかったはずだから。
命なきミサカに魂を吹き込んだのは、間違いなくあなたなんだから』
それはある側面では正しいのかもしれない。
一方通行がいなければ、確かに妹たちがこの世に生を受けることはなかっただろう。
例えその最期までもが生まれる前に定められていたとしても。
一方通行はそれを鼻で笑う。
『全っ然、論理的じゃねェだろ。人を産んで人を殺して、ってそれじゃあプラスマイナスゼロじゃねェか。
どォいう神経したらそれで納得できンだよ。
どっちにしたって俺がオマエたちを楽しんで喜んで望み願って殺しまくった事に変わりはねェだろォが』
『だったら、何で実験の中でミサカに話しかけてきたの? ってミサカはミサカは尋ねてみる』
何度も、何度も。
一方通行は『妹達』に話しかけてきた。
それが罵倒や、嘲りだったとしても、一方通行が何らかの目的を持って発せられていたことは確かなのだ。
『もしも仮に、それらが否定して欲しくて言った言葉だとしたら?』
画面の中の一方通行と、美琴の動きが同時に止まった。
『あなたたの言葉はいつだって、実験……戦闘の前に告げられていた、ってミサカはミサカは思いだしてみる。
まるでミサカを脅えさせるように、"ミサカにもう戦うのは嫌だって言わせたいように"、ってミサカはミサカは述べてみる』
打ち止めは続ける。
『……もし、でも、仮に。あの日、あの時、"ミサカが戦いたくない"って言ったら?』
絶対能力者進化計画は一方通行が主軸となる計画だ。
『樹形図の設計者』が演算した限りでは、彼の他にレベル6へと到達できる人間はいない。
ならば、万が一彼が実験への参加を拒否していたら?
もしも実験が始まる前。
まだ妹たちの誰ひとりとして死んでいない段階で、二万人の妹たちが揃って「死にたくない」と懇願していれば。
彼はどのような行動に出ていただろうか?
それを考えることに意味はない。
歴史に、時の流れにIFはなく、ただの思考実験の域を出ないからだ。
彼が10031人の『妹達』を殺害したことは厳然たる事実として存在し、変えることはかなわない。
例え最初の1人が自らの意志で殺害したのではなくても、それは残る罪に対する贖いにはならない。
彼の犯した罪は、何をしても"なかったこと"にはならない。出来はしない。
しかし。
それでも。
……それでも、と願わずにはいられなかった。
映像がノイズとともに切り替わる。
かすれたような視界が、時折暗くなる。
『──このガキが見殺しにされていい理由にはなンねェだろォが。
俺たちがクズだってことが、このガキが抱えてるモンを踏みにじってもいい理由になるはずがねェだろォが!』
血を吐くような一方通行の絶叫が聞こえる。
相変わらず視界は不明瞭で、声にもノイズが混じる。
彼が叫んでいるのは、恐らくこの記憶の主のことだろう。
一方通行が叫んでいることは、限りない自己矛盾を孕んでいる。
10031の命を踏みにじった彼が、ある1つの命を守りたいと訴える。
それは理不尽を通り越し、滑稽とすら言えるような光景だった。
けれども、彼はその矛盾をあえて受け入れる。
助けたいと思ったから。
守りたいと思ったから。
誰かを救うことができれば、自分も何かを変えられると思ったから。
もちろん、そんな都合のいい話はない。
最初から見返りを期待して誰かを助けようということがそもそも間違っている。
偽善どころではない。彼は完全に悪に分類される立場だ。
だが、救う権利が無ければ、誰かを助けてはいけないのか。
守りたいと思ったものを、守ることは許されないのか。
矛盾と撞着を抱えながら、一方通行は吼える。
『例え俺たちがどれほどのクズでも、どンな理由を並べても、それでこのガキが殺されていい理由になンかならねェだろォがよ!!』
一方通行の叫びの残響の中、映像は暗転した。
番外個体の指が、映像を停止させた。
「この時、一方通行は最終信号を助けるために脳に障害を受けたんだ。
最終信号の脳内データを書き換えるために全演算能力を使っているところを銃撃されたんだっけ?」
番外個体が振り返れば、打ち止めはこくりと頷く。
「ヨシカワはそう言ってた。ミサカの頭に打ちこまれたウィルスを取り除くために、あの人は能力の全てを使ってたの。
当然、自身の反射も使えなくて、それで頭に銃弾を受けちゃったの、ってミサカはミサカは説明してみる」
壊すことしか知らなかった少年が、初めて何かを守ろうと戦った。
結果、少年の障害と引き換えに、少女は守られた。
自力では歩くことも話すことも、考えることすらできなくなった少年。
そんな彼に、少女たちは手を差し伸べた。
失われた脳の機能と演算能力を、少女たちのネットワークを使って補完する。
それによって、少年は制限時間つきで力を取り戻した。
それが、妹たちが一方通行へ代理演算をしている理由。
「……続けて」
今度は、自分の意志で再開させる。
『……あのねー、ミサカはミサカはもう帰らないといけないの、ってミサカはミサカは残念なお知らせをしてみたり』
『ま、時間が時間だからなぁ』
視界には上条が映っている。
冬服ということは、9月30日あたりだろうか。
『本当はもっと一緒にいたかったんだけど、ってミサカはミサカはしょんぼりしてみたり。
ここで会ったのはたまたまだけど、お礼をしたかったって気持ちは本当だし、ってミサカはミサカは心中を吐露してみる』
背景から察するに、罰ゲームの際に上条を引きずりまわした地下街かもしれない。
そう言えば、あの時に打ち止めとニアミスしていたのだったか。
『でも、"あの人"は心配すると思うんだ、ってミサカはミサカは思い出しながら先を続けてみたり。
あんまり遅いとあの人はミサカを探すために街に出てくるかもしれないし、
ミサカもあまり迷惑とかはかけたくないから、ってミサカはミサカは笑いながら言ってみる』
あの人とはきっと一方通行の事で、楽しそうに語る声はどれだけ彼に懐いているかを伺わせる。
『あの人はいっぱい傷ついて、手の中の物を守れなかったばかりか、それをすくっていた両手もボロボロになっちゃってるの、
ってミサカはミサカは断片的に情報を伝えてみたり。
だからこれ以上は負担をかけたくないし、今度はミサカが守ってあげるんだ、ってミサカはミサカは打ち明けてみる』
『そっか』
上条は何かを感じ取ったかのように頷いた。
打ち止めが、一方通行の何を見たのかはわからない。
彼女にしか分からないものを感じ取ったのかもしれない。
きっとそれは、美琴の視点からでは見えないもの。
『格好良い所もあるんだよ、ってミサカはミサカは補足してみたり。
だって血まみれになってもボロボロになってもミサカのために戦ってくれたんだ、ってミサカはミサカは自慢してみる』
実験体である"最終信号"に、手を差し伸べるものなどいなかった。
一方通行はそんな彼女を、文字通り体を張って助けようとした。
彼の今までの行動は忌むべきものだ。
けれど、打ち止めを助けたことまでは否定できるものではない。
場面は切り替わり、視界は暗いまま明るくはならなかった。
ただ、とぎれとぎれに音が聞こえる。
まるで何かの『歌』のように、美琴には思えた。
『歌』。
それはパズルのピースのように、美琴の頭の中で様々な事象と組み合わさって行く。
この記憶が一つ前の記憶と連動しているのならば、おそらくこれは0930事件のことだ。
その日、何か記憶に引っかかる出来事はなかったか。
『天使』。
『外部からの襲撃者』。
そして、『禁書目録(インデックス)』。
彼女はマジュツに対して造詣があった。
その彼女が、誰かを助けるために『歌』を歌ったはずだ。
あの時、電話越しに彼女に聞かれたことはなんだっただろう?
『脳波を応用した電気的ネットワーク』
『学園都市に蔓延しているAIM拡散力場』
『脳波を基盤とした電気ネットワークにおける安全装置』
そこまで思い出して、それがまるっきり打ち止めのことを指していることに気付いた。
ミサカネットワークのコンソールたる上位個体として作られた彼女。
恐らくは、この記憶の中では再びネットワークへの介入装置として使われているだろう妹。
彼女を助けるためにインデックスは科学的な『知識』を求めた。
美琴はそれに応じ、適切な『知識』を提供した。
インデックスはそれに基づき、『歌』を編み出した。
『科学』を取りこんだ『魔術師』の祈りは、確かに一人の少女を救ってみせた。
その背後に、何かを殴打するような湿った音、そして高らかに狂笑する男の叫び声が響く。
『あははぎゃははあはははッ!!』
男が"誰か"を殴り、叩き、床に押し倒し、蹴りを入れ、着実にダメージを重ねて行く凄惨な音が響く。
その間もインデックスの歌は絶えることなく続く。
"誰か"が彼女たちを守って戦っているのは間違いない。
ただ、途切れがちな音だけでは誰なのかまではわからない。
『おおおおおおぉぉあああああああッ!!』
男の雄叫びから一拍遅れ、重い物をを撒き散らしたかのような大きな音が聞こえた。
恐らくは、少女たちを守っていた"誰か"が大きく殴りとばされたのだろう。
立ち上がるような音は聞こえない。
ダメージが限界を越えたと感じたのだろうか。
男の下衆な挑発が聞こえてくる。
それにすら、"誰か"は応じようとしない。
あるいは応じることができないのか。
満足そうに鼻を鳴らした男は、こつこつと靴を鳴らし、少女たちのほうへとやってくる。
インデックスは歌を止めようとしない。
この記憶の主はぴくりとも動かない。
その気になれば、少女ふたりごとき造作もなく始末されてしまうだろう。
その時、"誰か"がよろよろと立ち上がる音がした。
何かの残骸にでも突っ込んでいたのだろうか、がらがらと音を立てながら。
彼の口が、開かれる。
『き、はら』
呟かれた言葉に、意味はないのかもしれない。
『木ィィ原ああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!』
それはただの絶叫だったのかもしれない。
けれどそれは、明らかに少女たちをかばい、注意を自分に引き付けるためのもの。
直後、走り出すような音がした。
それに再び続いた戦闘音。
この時少女たちを守るために戦っていた"誰か"は、一方通行だったのだ。
次の記憶は、クリアな映像だった。
どこかの大通りだろうか。その開けた場所は、まるで戦場のようだった。
多重事故でも起きたかのように車はばらばらに散らばり、通りに面した建物のガラスは破れ、壁面にはひびが入っている。
標識は折れ曲がり、アスファルトはめくれ、街路樹は吹き飛んで建物のコンクリートに突き刺さっていたりもする。
しかし、そこにはあるべき悲劇が存在しない。
学生、教師、騒ぎを聞きつけた風紀委員や警備員。その場にはたくさんの人々がいた。
当然、このような状況ではけが人が出てもおかしくない、いや出ていなければおかしい。
けれど、彼らは傷一つ負っていない。
何故か。
答えは、彼らが呆然と見上げているものが握っている。
白い翼を生やした茶髪の男と、竜巻のようなものを背に備えた白髪の男。
一人は言うまでもなく、一方通行。
もう一人は何かの資料で見たことがある。
確か、レベル5第二位の『未元物質』だったはずだ。
『未元物質』の顔には、愕然としたような表情が張り付いている。
一方通行の表情はここからでは見えない。
『……あの人だ』
打ち止めの声が聞こえた。
『……あの人が、みんなを守ったんだ』
視界が揺れ、打ち止めが走り出したことが分かる。
行き先は一方通行と『未元物質』が戦っている、その真下へと。
直後轟音が響き、自らが生成した白い翼を制御され全身を貫かれた『未元物質』が空中から叩き落とされた。
またしても、不鮮明な映像。
かすむ視界に、気遣わしげな一方通行の顔が見え、美琴はびくりと体を震わせた。
この男の顔は心臓に悪い。
一方通行は上空の何かを警戒しているようだった。
首元のチョーカーの電源を入れ、体を動かした。
轟音とともに、何かが上空へと撃ちだされた。
記憶の主はぼんやりと空を眺める。
何か影のようなものが、宙に浮いている。
それは見る間に大きくなっていくが、決して地面に叩きつけられることはなく、紫電を纏いながらふわりと地に舞い降りた。
美琴よりもやや年上くらいの少女に見えた。
その体格、身のこなし、そして彼女の『能力』に、強い既視感を覚えた。
とてつもなく、嫌な感じがした。
『オマエは誰だ』
一方通行が不審そうに問う。
仮面をかぶった少女の顔は見えない。
『"第三次製造計画"って言えば、ミサカのことはわかるかな?』
少女の言葉に、心臓を鷲掴みにされた気がした。
第三次製造計画。
ミサカ。
いかにもという不穏な雰囲気がありありと見てとれる。
少女は嘲るように、楽しそうに言った。
『やっほう。殺しに来たよ、第一位。ミサカは戦争の行方なんか興味ない。
そういう風なオーダーはされていない。ミサカの目的は第一位の抹殺のみ。
ミサカはそのために、そのためだけに、わざわざ培養器から放り出されたんだからね』
美琴は番外個体の横顔を見た。
画面の中の少女は、間違いなく彼女だ。
「聞きたいこととか言いたいことはいくらでもあるだろうけど、それは最後まで見てからね」
珍しく真剣な表情で返され、美琴はやむなく動画へと戻る。
どこかの病室のような空間だった。
記憶の主はベッドに腰かけ、目の前には一方通行が立っていた。
右腕にはギプスが取り付けられ、三角巾で吊られていた。
そう言えば、出会ったばかりの番外個体は右腕を骨折していたのだったか。
『それにしても、まあ。
学園都市第一位を殺すためだけに調整されたこのミサカが、まさかこんな目に遭ってでも愛想笑いを浮かべる日が来るとはね』
ミサカワースト。
姉妹一の性悪の自称に恥じぬ人の神経を逆撫でするようなあてつけの言葉に、しかし一方通行は、
『……悪かったな。ありゃあヤツらの口車に乗せられた俺のミスだ』
番外個体の言葉が止まった。
同時に、美琴の思考も止まった。
一方通行が何に対して「悪かった」と言ったのかは不明瞭だ。
前後の分からぬぶつ切りの映像では状況がつかめない。
けれど、あの絶対悪たる一方通行が、詫びのような言葉を口にした。
それが画面の中の番外個体には意外だったのか、それとも思考のキャパシティを越えたのか、壊れたのかと思うような馬鹿笑いを上げている。
一方通行は滔々と心中を吐露していた。
それは美琴にとっては自業自得、自分勝手きわまる話ではあったが、それでも一定の論理はあった。
守りたいものを守るために、彼はプライドを投げ出した。
そして、一方通行は手を差し出す。
『頼む』
次の瞬間、視界は病室へと変わった。
番外個体が笑い転げているのだろう、尋常ではない笑い声が響く。
だが、パァン!! と小気味よい音を立て、番外個体は差し出された手をとった。
一方通行の言葉に心揺さぶられるものがあったのだろうか。
言葉尻に込められる感情が少しだけ変わる。
『ミサカもそうだけどさ、こんな風に他人と手を握るなんて、これが初めてなんじゃないの?』
一方通行は少しだけ、視線をそらした。
『……いいや。
今までだって、たくさンあった。オマエと良く似た顔つきの、憎たらしいガキとならな』
それが誰を指しているのかは明らかだった。
『……番外個体。木原数多のウイルスを駆除した"歌"のデータってのは手に入ったか?』
ダウンロード済み、と番外個体の声が応えた。
どうやらこれも、彼女の記憶らしい。
雪の上には息も絶え絶えな打ち止めが寝かされていた。
『"歌"は手に入ったけど、ミサカのスペックじゃ表現できない。
喉の使い方って言うより、呼吸の方法、体内での音の響かせ方からして普通じゃない。
これなら電子信号にしてスピーカーで出力したほうが早いね。
楽譜、擬似音声データ、サウンド振幅グラフ。どれがお好み?』
『全部出せよ』
番外個体が呆れたようにかぶりを振ったのか、視界が左右に揺れる。
『でも、この"歌"だけじゃ話にならないんでしょ?
専用のパラメータを置き換える必要があるとか何とか。そっちはどうなってんの?』
『どォにかなる』
『……ミサカの事バカにしてんの?』
一方通行が懐から取り出したのは、羊皮紙の束。
番外個体が露骨に不信感全開の声を上げる。
だが、かつてロシアで『マジュツ』に触れた美琴には分かる。
それは明らかに、学園都市とは異なる『技術』によるものだ。
『魔術』。
それは学園都市に暮らすものの常識では解析できない、まったく未知なるもの。
そのはずだった。
しかし一方通行はそれすらも、自らの計算領域に取り込んで見せた。
かつて彼に入力された、『不可思議』のベクトル。
それを軸に、彼はいくつもの架空のベクトルを設定していく。
そこから導き出されるのは、限りなく正解に近い推論。
つまり、
『このガキを助けるために必要なパラメータは手に入った、ここからは逆転する番だ』
それは、不思議な歌声だった。
10000以上の命を奪った男に、こんな歌声が出せるとは思わなかった。
単なる言葉と旋律以上の力を持つ歌声に、美琴は圧倒されていた。
だが、同時に引っかかるものがあった。
『歌』の基盤は、元々はマジュツ師であるインデックスが紡いだものだ。
それを改変する材料となった羊皮紙もまたマジュツに関するもの。
ならば、どうあってもその結果生み出された『歌』はマジュツの要素を帯びるのではないか。
かつてロシアで、レッサーに言われた言葉。
『超能力者は魔術を使えない』
その言葉の意味を、彼女はすぐに理解することになる。
少しずつ『歌』の旋律が変化をしていく。
『不可思議の法則』を咀嚼し、消化し、その内へと取り込み、そして世界へと出力されていく。
変化は、突如起こった。
一瞬一方通行が苦悶の声を上げた。
直後、一方通行の全身から赤黒い液体が噴出する。
拒絶反応。
脳を開発された超能力者と、魔術は競合する。
その過負荷が血管を通って全身を駆け巡り、その軌跡は小爆発となって一方通行を酷く苛む。
けれど、一方通行は止まらない。
目の前の大事な少女を救うために。
元より彼は彼女の"姉"を大量に殺し、そして今は彼女らに生かされている身だ。
彼女が救えるなら、この身がどうなろうと知ったことではない。
番外個体はただ呆然とそれを見ていた。
邪魔することなどできない。できやしない。
荒々しさと荘厳さが共存する歌声が、雪原に響いた。
「やめて……」
気付けば、美琴はそう呟いていた。
何故そう呟いたのかは、自分でも分からない。
一方通行の出血量が尋常ではないことは、画面越しでも分かる。
恐らくは命取りになりかねない量だ。
妹たちが助かるのならば、引き換えに一方通行が死のうが知ったことではない。
普段の美琴ならば、そう考えたかもしれない。
けれど、一方通行が打ち止めを守りたいと願う気持ちは本物だ。
それがどれだけ大きいか、これまで見てきた。見せられてきた。
彼女を救うために、自分の命すら犠牲にしようとしている。
それは否定することのできない事実だ。
美琴の中で、彼は許しがたい絶対悪だった。
そのイメージが少しだけ揺るがされたような気がした。
心の中で「これは嘘だ、虚飾だ」と叫ぶ声と、「しかし、妹たちが見てきた現実だ」と叫ぶ声が入り混じる。
それらがごちゃまぜになり何だか良く分からなくなったものが、目から滴として零れたのかもしれない。
打ち止めを救うために、一方通行は歌い続ける。
彼の命は赤い液体となって溢れ、とめどなく流れ続ける。
そんなことに構いはしない。
これは祈り。
そして贖い。
かつて一方通行は自らを変えることを夢想して打ち止めを助けようとし、彼女に救われた。
今、彼が思うのはただ純粋に打ち止めを救うことだけ。
見返りなんていらない。
己の命すらもいらない。
ただ、目の前で苦しむ少女を助けることさえできるのならば、他のすべてを投げ出してもいい。
その一心で、一方通行は自らの身を顧みることなく歌い続ける。
神の気まぐれで偶発的に起きる奇跡を、自らの手で必然とするために。
そして。
『……大、丈夫……? ってミサカはミサカは尋ねてみたり』
打ち止めがうっすらと目を開き、一方通行に問いかけた。
先ほどまで意識もあやふやで、自ら動くこともできずにいた打ち止めが、しっかりとした声を発している。
最悪の状況は免れた。
打ち止めの危機は去った。
そう察した一方通行は、思わず打ち止めを抱きしめていた。
きつく、きつく、二度と離さぬように。
『……良かった……。
……ちくしょう、良かった。本当に良かった……ッ!!」
それに答えるように、打ち止めもまた、一方通行の背に手を回す。
受け入れるように、慈しむように、愛おしげにその背を撫でた。
その時、番外個体が空を仰いだ。
夜空のような天空には、巨大なあの空中要塞が。
その下部に得体のしれない黄金の光が集まり、それはどんどん膨らんでいる。
あの要塞はマジュツ的なものだった。
あの不気味な光だってそうだろう。
それがどんな効果を生むかは、学園都市の常識からでは計り知れない。
『……ふざけやがって』
何かが爆発するような音がして、一方通行の背から黒い翼が噴き出した。
それは美琴が見たこともない、一方通行の『能力』とはまた異なったモノ。
怒りを湛えた瞳で、空を見上げた。
『……番外個体。俺はあれを止めてくる。このガキを任せられるか』
『どこに行くの、ってミサカはミサカは聞いてみたり』
『心配いらねェよ、すぐに終わらせる』
どこにも行かせない、とばかりに服を掴む打ち止めの指を、一本一本優しく外して行く。
まるで、自分が抱える未練を断ち切るように。
彼女を救うことができた。だが、すぐに別の災厄が降りかかろうとしている。
そんなことはさせない、許さない。
『……嫌だよ。ずっと一緒にいたいよ、ってミサカはミサカはお願いしてみる』
『……そォだな』
打ち止めの懇願に、けれど一方通行は肯定を返さない。
代わりに、この世の誰も見たことが無い、心からの笑顔を。
『俺も、ずっと一緒にいたかった』
ガラスが割れるような音を立て、一方通行の翼が漆黒から純白へと染め上げられていく。
打ち止めの肩を押しふわりと浮かび上がったかと思うと、直後猛スピードで飛翔した。
向かった先には、要塞から切り離された黄金の光が。
後には打ち止めの悲痛な声だけが残された。
動画はそこで終わった。
美琴はしばらく呆然としていた。
目まぐるしく状況が変化し多くの情報がほとんど同時に脳にぶち込まれたせいで、考えがまとまらない。
美琴と妹たちが見てきた一方通行は、余りにも違った。
美琴にとっては狂気の大量虐殺者でも、妹たちにとってみればそうではない。
打ち止めに至っては、彼の事を絶対の保護者として見ている節がある。
無論、彼もそう振る舞おうとしていることは分かった。
その二つの像が重ならない。
美琴の記憶に残っている一方通行と、動画の中の一方通行が、どうしても同一人物には思えない。
脳の損傷が人格にも影響を与えたのだろうか。
そうとしか思えなかった。
「あ、あのね。お姉様があの人を憎む気持ちも、許せない気持ちも、ミサカたちには分かるの」
気付けば、打ち止めが美琴の前に立っていた。
妹たちは美琴があの悪夢の一週間にどれだけ苦しんだかを知っている。
悩み、戦い、足掻き、苦しみ、そして特攻してまで全てを終わらせようとしたことも。
それがどれだけ美琴の心に傷をつけ、それが今まで後を引いているかも。
「だけど、ミサカは、ミサカたちは、お姉様にいつまでも恨みや憎しみを抱えていてほしくない」
ネガティブな感情からは決して何も生まれない。
何より、大好きな姉にいつまでもその表情を歪めていてほしくない。
「あの人を許してなんて言わないし、言えない。だけど、あの人に罪を償うチャンスをあげてほしいの」
世の中には死んだ方がマシという人間は腐るほどいる。
一方通行は間違いなくその部類に入るだろう。
けれど彼が『罪を償おう』と思うのなら、そのために最大限の努力をするのなら、誰にもそれを否定したりはできない。
それが報われるか否かは別にして。
「何よりも、このミサカがあの人と一緒にいたいの!」
これが、混じりっ気なしの打ち止めの本心。
彼女の心の奥底から生まれた、本音の本音。
「一方通行とつるむことには、いろいろメリットもあるんだよ」
横合いから番外個体が口をはさんでくる。
「弱体化しても、障害を負っても、『学園都市第一位』のネームバリューは消えやしない。
それが自己満足に過ぎないとしてもミサカたちを助けるために動いたことも何度もあるしね」
実際ただの独り善がりに近いけどね、と呟く。
「それとも、お姉様はミサカたちが代理演算をしてることが許せなかったりするのかな?
ミサカたちを殺したのに、ミサカネットワークに頼って生きるとは何事か、みたいな?」
その問いには、ふるふると首を振る。
「代理演算はあんたたちが善意でやってることで、誰かに強制されたことじゃないんでしょ?
だったら私が口を出すことじゃない。思うところが無いわけじゃないけど」
「納得できないならさ、逆に考えてごらんよ。
代理演算はミサカたちが一方通行にはめた、彼を飼い慣らすための『首輪』なんだ、とかさ」
「首輪?」
「そう。ミサカたちは自分たちの意志で一方通行の代理演算を行ってる。参加離脱はそれぞれの自由だよ。
つまりミサカたちがそう望めば一方通行の演算はいつだって止められるってこと。
だから、一方通行はミサカたちに危害を加えることはできないし、意にそぐわぬ行動もできないってこと。
実際、この間一方通行がお姉様を傷つけた時、ミサカネットワークはずいぶん紛糾したんだよ?
結果としてお姉様が望むなら代理演算を停止するってことになったし、怒って今は代理演算に参加してない個体もいる」
「代理演算を停止することになっても、それは仕方の無いことだとは思うの、ってミサカはミサカは心中を吐露してみたり。
だけど、それでもミサカはあの人から離れたくない」
打ち止めは切実に訴える。
「話すことができなくても、考えることができなくても、ミサカのことが分からなくなってもいい。
ミサカは、あの人と一緒にいたい。
何度もミサカのことを助けてくれたあの人を、今度はミサカが助けてあげたい。
例えその結果お姉様に嫌われても、これだけは譲れない、ってミサカはミサカは鋼の意志を表明してみる!」
美琴の目をしっかりと見据えて、打ち止めは自分の意志を美琴にぶつける。
本当に守りたいものは、代わりに何かを犠牲にしてでも守らなければならない。
妥協も譲歩もしない。
揺らがせてはならない芯は自分の中にちゃんと存在する。
美琴はしばらく考え込んでいた。
ビデオの内容、打ち止めの訴え、そして番外個体の説明。
それらが頭の中でぐるぐると混じり合い、思考があちらこちらへと振れる。
考えて、考えて、考えて、考えて。やがて、一つの結論を出した。
くしゃっと打ち止めの髪を撫でる。
「……代理演算を止めろだなんて、言わない。
それはあんたたちが自発的にやってるんでしょ。だったら、私はあんたたちの意志を尊重する」
妹たちに芽生え始めた自我と個性。
それを大事にしてあげたいから。
それが美琴の意に反することでも、彼女たちが自分たちで決めたことだ。
干渉する必要はない。
「だけど、一方通行にはきっちりけじめをつけてもらう。
胸の中、お腹の中身を全部さらけ出してもらう。
話はそれからよ」
見せてもらったビデオは妹たちの視点からのみだ。
一方通行の"行動"は把握できても、その"理由"までは分からなかった。
それを彼の口から吐かせるまでは、彼女の感情のやりどころが無い。
そのあたりの決着はきちんとつけてもらう。
「ひっひ、一方通行をボッコボコにするの? いいねぇ、ぜひミサカも参加させてよ」
「ええ。気が済むまで、顔の形が変わるくらい殴ってやりなさい」
「ちょっと、二人とも手加減してあげてー! ってミサカはミサカは懇願してみたり」
正直に全てを話すとは思えない。
話しても、理解できないかもしれない。
理解できても、納得できないかもしれない。
納得できても、決して許しはしない。
「手加減なんてしないわよ。そんな間柄じゃないし」
怒りも、憎しみも、恐怖も、悲しみもそっくりそのまま残っている。
トラウマとなりじくじくと膿む心の傷は、今も癒えてはいない。
けれど、あの男の口から、あの男の言葉で全てを吐いてもらうまでは、美琴だって前には進めないから。
"なかったこと"にしてはいけない。
"終わったこと"にしてはいけない。
しかし、どこかで区切りをつけることは必要だから。
頭の中の整理をつけて、胸の中の思いを固めて。
美琴は再び一方通行と対峙する決意をする。
その夜。
一方通行は自らの隠れ家にて、集めた情報の整理を行っていた。
打ち止めや番外個体に会う気はもうない。
それでも、『第三次製造計画』を潰すという意志に揺らぎはない。
これを放置すればやがては災厄を引き起こすトリガーになりかねない。
事実、旧世代の『妹達』は新世代にとって代わられ廃棄される可能性がある、と番外個体は示唆した。
それだけは絶対に回避しなければならない。
『妹達』の世界を、これ以上血にまみれさせたくはないから。
番外個体の存在から、既に『第三次製造計画』の個体の量産は既に始まっているか、あるいは完了していると考えるべきだ。
彼女が一方通行の前に現れてからおよそ一月半。
仮に番外個体の設定年齢を16歳とすると、その頃から生産に着手しても既に3ロットの育成が終了しているころだ。
そして、その次ロットにも取り掛かられていると見るのが妥当だろう。
ここまで情報を集めても、まだ研究の拠点がつかめない。
いくつかの施設は潰したが、既に逃げられた後だった。
統括理事会レベルでの動きに対し、一方通行一人ではできることにも限界がある。
頼みの綱は、土御門の生体データによってプロテクトがかけられたデータチップ。
しかし土御門からはしばらく連絡はとらないと言い渡されている。
手詰まりに近いものを感じる。
疲れだって溜まっているし、チョーカーだってそろそろ充電しなければいけないころだ。
今日はもう寝ようと考えた時、味気ない着信音が鳴った。
発信者は、冥土帰し。
妹たちに何かあったのかと思い、すぐさま通話ボタンを押した。
『はぁい、一方通行。お元気ー? ヘソ曲げたりしてない?』
「あァ? オマエか、番外個体」
『あったりー☆ さすがに数日じゃミサカの声は忘れないよねぇ、ぎゃは』
「……何の用だ。わざわざ冥土帰しの番号からかけてくるたァ」
『だってミサカは自分の携帯電話もってないし。まあそれはそのうちお姉様におねだりするとして。
用件は、そうだねぇ。お姉様のこと』
「……『超電磁砲』がどうしたってンだ」
『ひひひ、あなたが最終信号を助けるために動いたこれまでのこととか、その他色々をね。
最終信号と一緒に何から何まで一切合財もろもろぜーんぶお姉様にバラしちゃった☆』
「なッ……!? 何余計な事してやがるクソガキども!!」
心底愉快そうな笑い声が受話器から流れ、それがいちいち癇に障る。
それがどれだけリスクを孕んでいるか、彼女たちは分かっているのだろうか。
御坂美琴が『妹達』を一方通行から遠ざけ、完全に縁を切らせようとする。それならまだ良い方だ。
『妹達』が一方通行の代理演算を行っている。この事実は、ともすれば御坂美琴への重大な裏切りと捉えられかねない。
『それでね、お姉様からあなたに伝言。
"明日午後3時、冥土帰しの病院の屋上に来い"ってさ。決闘でも申し込むつもりなんじゃないの?』
「……行くわけねェだろ」
『"来ないならその時点で代理演算は即時打ち切り。あとは自分の力で好き勝手に余生を送りなさい"ってさ。手厳しいねぇ。
あ、もしもの時に代理演算打ち切りってのはミサカネットワーク上でコンセンサスが取れてるから、そこんとこ考えてね。
ミサカたちの力を使ってお姉様に危害を加えようとするなんて、一発アウトの極刑でもおかしくなかったんだよ?』
その言葉に、一方通行は凍りつく。
『妹達』を助けるために命を張ることは、彼にとっては辛いことではない。
その結果命を落とそうがそれは自業自得なのだし、生き延びられたのならばその分長く『妹達』を守れると言うことになる。
例えエゴ全開の自己満足でも、独り善がりの自慰行為と思われようとも、それが彼なりの償いになると信じているから。
そんな彼にとって、何よりも辛いこと。
それは『力を振るう機会すら与えられず、何もできずにただ見ていることしかできないこと』。
『妹達』が窮地に陥っているのに、自分は何もできない。
それは彼にとっては至上の苦しみとなるだろう。
だから、一方通行は御坂美琴の要求に応じざるを得ない。
「……分かったよ。行きゃあいいンだろ。明日の午後3時だな?」
『さっすが第一位、頭の回転は速いねぇ。ミサカたちが代理演算してるだけのことはある』
「うるせェよアホ。『超電磁砲』に了解って伝えとけ」
『答えは聞かなくていいんだってさ。間接的にでも、あなたの声や言葉を耳に入れるのは最小限にとどめたいみたいよ』
そう言って、番外個体は通話を打ち切った。
声や言葉を聞きたくないのならそもそも接触してこなければいい話ではあるが、そこには向こうもやむをえない事情があるのだろう。
代理演算停止という脅迫をされては、一方通行だって無視するわけにはいかない。
『妹達』と同じ顔を持つ彼女がぶつけてくる敵意は、一方通行の心を深く抉る。
かつて一方通行は、御坂美琴を「誰よりも恐ろしい敵」と評した。
正当な理由を振りかざし、一方通行から全てを奪い、否、奪い返して行こうとする少女。
正直に言えば、彼だって御坂美琴には会いたくない。
それは彼女だってきっと同じ。けれど、彼女はそれをおしてまで一方通行を呼びつけようとした。
ならば、自分にはそれに応える義務があるのではないか。
彼女が何を話すのか。
彼女が何を聞いてくるのか。
全く予想もつかない。
今まで数多の苦難を乗り越えてきた。
けれど今回は、一番大きな試練なのかもしれない。
自分の罪から逃げず、目を背けず、きちんと向き合う。
その時が、今訪れようとしていた。
今日はここまでです
いつの間にか8月……だと……?
あと10日足らずで新約二巻ですね
それまでには一方通行編も終わってるのかな……終わってないかもorz
ではまた次回
お休みなさい
こんばんは、というよりもうおはようございます……?
どーーしても新刊を読む前に投下しておきたかったので、こんな時間になってしまいました
個人的には「オーロラ」でも「きょっこう」でも好きなほうで呼んでいただければと
個人的には「きょっこう」ですけども。何故なら響きがカッコイイから(キリッ
では投下していきます
12月12日。
一方通行は、冥土帰しの病院の階段を上っていた。
杖をついている彼が何故エレベーターではなく階段を選んだのか。
それは彼にしか分からない。
単にエレベーターを待つのが嫌だったのかもしれない。
たまには体を動かしたくなったのかもしれない。
あるいは、目的地に着くのを出来る限り先延ばしにしたかったのかもしれない。
彼が向かう先に待ちうけるのは御坂美琴。
学園都市第三位である彼女は、力そのものは一方通行にははるかに及ばない。
『一方通行』と『未元物質』の間に絶対的な壁が存在するように、彼と彼女の間には更に絶望的な壁が存在する。
だが、彼にとっての御坂美琴の恐ろしさは能力強度にあるのではない。
『妹達』の素体である彼女は、当然のように『妹達』と同じ外見を持つ。
打ち止めでも番外個体でもなく、彼が殺してきた『妹達』そのものの外見をだ。
彼女の口から吐かれる恨み言は、ぶつけられる憎しみは直接一方通行の心の罪悪感を強く深く抉る。
番外個体のように、打ち止めや他の『妹達』を傷つけようとしたのならば、まだ『妹達への脅威』として排除することもできただろう。
だが、彼女は『妹達』を傷つけることはなく、むしろ温かく受け止めようとしている。
彼女にとってしてみれば、一方通行こそが『妹達への脅威』だ。
だからこその、数日前の排除行動。
それは厳粛に受け止めている。
右手を杖に、左手を手すりに預け、一歩一歩着実に階段を上って行く。
ただでさえ体力が無い上に、杖に頼って階段を上がると言うのは実に辛い行為だ。
それを屋上まで続けるというのは、どれだけ体力を奪うのだろうか。
それでも、一方通行は上り続ける。
まるで十三階段を上がっているような心境で。
相変わらず、屋上庭園へと続く扉は軋む。
小春日和の陽気が庭園には満ち溢れていた。
その中央に、御坂美琴がこちらに背を向けて立っていた。
状況はあの日とまるで逆。
あの日彼を見るなり攻撃を仕掛けてきた少女は、今は無防備に背を晒している。
否、全くの無警戒ではない。。
電撃使いが無意識に放っている電磁波を応用したレーダー。
既にそれに引っかかっているだろうことは容易に想像できる。
一方通行がどう声をかけるか決めかねていると、美琴がゆっくりと振り返る。
「……遅かったわね」
「…………知ってンだろ」
彼が杖をついていること。
何故そうなったのか。
全て打ち止めと番外個体が彼女に話したはずだ。
「そうね。全部聞いた」
硬いものを含んだ美琴の視線は、しかし一方通行には合わされようとはしない。
少しだけ伏せられたまま、唇からは言葉が紡がれる。
「あんたの、最初の実験も」
一方通行は歯噛みする。
妹たちの一人が見たことは、ある時点までは全ての姉妹に共有されている。
ならば、それが露呈するのも当たり前だ。
「あんたが、打ち止めを助けるために戦ったことも」
打ち止めたちが気を回したと言うのなら、話の焦点がそこになるのも当然だろう。
「そのために、ロシアまで行ったことも」
そう言えば、彼女もあの時ロシアに居たのだったか。
彼女はあの無能力者を助けるために、自分は打ち止めを助けるために。
「そして、あんたが打ち止めを助けるために、"マジュツ"を使ったことも」
"マジュツ"。
学園都市にはない、外部に存在する未知の技術。
それが美琴の口から出てきたことに、一方通行は驚きを隠せなかった。
謎の襲撃者が持っていた羊皮紙。
エリザリーナ同盟で知った、"魔術"という既存の常識とは異なるチカラ。
そして、彼は実際にそれを行使してみせた。
それは偶然の産物だと思っていた。
たった一つの命を救うためにもがき続けた結果、ようやく編み出した一つの成果。
「オマエも"魔術"について知ってたのか」
「……私も、ロシアで"マジュツ"師の人たちに会って、教えてもらったから。
アイツを助けるために協力してもらったから。少しは分かる」
美琴が知った"マジュツ"と、一方通行の知った"魔術"は、正確には別物だ。
北欧神話になぞらえた術式を使う『新たなる光』、日常の中に魔術的要素を見出す『天草式』に対し、一方通行が掴んだのはロシア成教の秘中の秘。
『人間』が使う術式に対して、『天使』や『神の右席』の知識を補填する目的のものとでは、性質も用途も全く異なる。
けれど、決して"マジュツ"や"魔術"に明るいとは言えない二人にとっては、それは同種の物と言っても問題はないだろう。
「私が昔知り合った人間が、実は"マジュツ"師だった。ロシアで再会して色々と教えてもらった。
『法則を理解し、自ら術式を作り上げ、そして行使する。 それによって望む結果を手に入れる』だったかしら。
私たちの超能力とは、似てるようでまったく別の技術だってね」
御坂美琴とあの無能力者は互いに命を賭けて救いに来るほどの関係だ。わりと親しい方なのだろうと一方通行は推測した。
ならば、あの無能力者が記した言葉の意味を知っているかもしれない。
「『Index-Librorum-Prohibitorum』。知ってるか?」
「『禁書目録』。"マジュツ"に関わってる、とある女の子の名前」
Index-Librorum-Prohibitorum。
インデックス。
女の子。
脳裏をちらと白い修道服がよぎる。
「……というか、私があんたに聞きたいことがあるから呼びだしたのよね。
あんたの質問に私が答えてどうするんだろ」
ため息をつき、美琴が頭を掻く。
聞きたいことが無ければ、わざわざ一方通行を呼び出したりなどしない。
見たくもない顔。
聞きたくもない声。
それがどれだけ彼女の心を削っていることか。
「あんたには私の質問に答えてもらう。
私が納得できるような回答をしてもらう」
「……嫌だ、と言ったら?」
「言う権利があると思ってるの?」
美琴の視線が冷たさを帯びる。
「これは質問じゃない。尋問よ。
口を割るかどうかはあんたの自由。どうしても口を割らないというのなら、それはそれで結構。
だけど、それ相応のペナルティは用意してあるわ」
「オマエの力じゃ俺には敵わない、ってェのはこの前その身に叩き込ンでやっただろォが」
脅しのつもりか、一方通行はチョーカーのスイッチをトントンと叩く。
美琴が攻撃行動に入れば、いつだって迎撃できるというように。
「……そうね。私の力じゃあんたには勝てない。それは何度か戦った中で自覚してる。
だけど、正面からあんたとぶつかり合う必要なんてない。
ううん、あんたは正面からぶつかってくることもできない。だって──」
美琴の言葉と同時に、前髪の一部が逆立ち、ぱりと音を立てて火花を散らす。
それとともに一方通行の体がぐらりと揺らいだ。
姿勢を立て直せない。立て直そうと思考することすらできない。
演算能力が失われた。そのことにすら思い至らない。
「"あなたは私のやり方の下に、演算能力があるので"」
内容がグチャグチャになった美琴の声が、横倒しになった一方通行の耳を叩いた。
倒れ込み動かなくなった一方通行を、美琴は複雑な胸中で見つめる。
彼のチョーカーの弱点を突き演算能力を奪えたのは、妹たちが彼の演算補助をしているからだ。
彼が演算補助を必要とするようになったのは、彼が体を張って妹たちを助けたからだ。
そのジレンマに首をゆるゆると振りながら、美琴はもう一度火花を散らす。
「……オマエ、今何をしやがった!?」
演算能力を取り戻しようやく体を起こした一方通行が、美琴を下から睨みつける。
「ミサカネットワークには、同系統上位能力者に対する脆弱性があるの。
そのチョーカーはあんたの脳波を変換して、ミサカネットワークに接続できるようにしてるんでしょ?
電波は波動だけど、その伝播原理には電子の振る舞いが大きく関わってる。
私は『超電磁砲』、学園都市最強の『電撃使い(エレクトロマスター)』。
電子(エレクトロン)の扱いなら、誰にだって負けはしない」
唯一の例外は、目の前にいる男。
彼の能力の支配下におかれた電子は、例え美琴の能力を持ってしても干渉はほぼ不可能に近い。
逆に言えば、彼の支配下に置かれる前に手を打ってしまえばいい。
現在の一方通行の能力はチョーカーを介しミサカネットワークと交信をすることで能力を使っている。
かつて塩岸の部下である杉谷は、チョーカーに仕込まれた遠隔制御装置を使って彼の能力を封じようとした。
それは一度は上手く言ったものの、杖に仕込まれたジャミング装置で遠隔制御装置を無効化され、返り討ちにあった。
美琴が干渉したのはチョーカーそのものではなく、交信用の電波だ。
一方通行がミサカネットワークに出した演算オーダー、またはネットワークから返された演算結果。
そのどちらかでも妨害できれば、一方通行の能力は使用不能となる。
能力の余波だけで大規模な電波障害を引き起こせる彼女だ。意図的に行えば特定の周波数の電波だけを遮断することも不可能ではない。
あるいは、それをジャックすることさえも。
「ペナルティの内容はこれで分かった?
私の能力が及ぶ限り、どこでだってあんたの演算補助は止められる。
演算補助が止まれば私はあんたに攻撃できるようになるし、チョーカーを壊すことだってできる。
そのあとは別にあんたに好んで関わろうとは思わないし、好きにすればいい」
「……脅しのつもりか?」
「さあ? あんたの誠実さ次第ね」
美琴は出来るだけ冷淡に聞こえるように努力して言った。
実際にはチョーカーを壊すつもりなんてない。
それは打ち止めとの約束だ。
代理演算は止めなくてもいいと彼女に言った。ならば、自分はそれに即した行動を取らなければならない。
けれど、一方通行にはその事実は告げない。
彼に対して切れるカードは多いほうが良い。
代理演算は妹たちが彼にはめた『首輪』。ならば自分もそれは最大限に活かすべきだ。
「さあ、あんたの思ってること、考えてること。全部聞かせて貰うわよ」
代理演算と言う生命線を握られた一方通行に、拒否の余地はなかった。
「全部って、何を話せってンだ」
「文字通り全部よ、全部」
話の主導権を握ったことを確信した美琴は、思案顔で一方通行を眺めまわす。
聞きたいことはいくらでもある。
時間もいくらでもある。
「あんたは『レベル6』になって、絶対的な力を得るためにあの実験に参加したのよね」
「……あァ」
「なんで、あんたはレベル6になりたかったの?
そのあたりから、全部話してもらおうかしら」
これがそもそもの始まり。
一方通行がレベル6になろうと思わなければあの非道な実験は開始されることはなかったのだ。
「……レベル5だとか、学園都市で最強だとかそんなくだらねェもンじゃねぇ。
誰も俺に挑もうとすらしようとは思わないほどの、絶対的な力を得るため」
「……本当に?」
探るように向けられた美琴の視線を、一方通行は直視できなかった。
当然のことだが、美琴は妹たちや打ち止めにとてもよく似ている。
その瞳、その声には、一方通行に対する多大な影響力が宿っているのかもしれない。
気付けば、言葉に促されるように心の中で自問自答をしていた。
誰も挑もうとは思えないほどの、無敵の力。
それを求めるに至るまでの過程、全ての始まりとなった原因があったはずだ。
脳裏をよぎる光景。
放たれた罵声。
怯えるような怒号。
向けられた、冷たい銃口。
そして、広がる血の海。
心の奥に淀む澱のような部分を、少しずつ紐解いて行く。
やがて、一方通行はその重い口を開いた。
きっかけは、ささいなことだった。
『一方通行』と呼ばれる少年が、まだ名字二文字に名前三文字の人間らしい名前で呼ばれていたころの話。
ある日、見知らぬ少年と喧嘩をした。それだけならばどこにでもある話だ。
だが、彼の人生はそこから大きく転じることになる。
彼を殴りつけた少年が、ただそれだけのことで腕を折った。
一方通行が能力を使い少年を傷つけたのだと判断した大人が。
通報によって駆け付けた風紀委員が。
事態を重く見た警備員が。
そして、重厚な駆動鎧を着込んだ正規軍までもが。
たった一人の幼い少年に牙を剥いた。
たった一人の幼い少年に屈服させられた。
その時はまだ今ほどには能力をうまく使えず、ベクトルをそのまま『反転』させるのがやっとだった。
外部から彼へと向けられた敵意はそのまま外部へと跳ね返っていった。
傷つけて、傷つけて、傷つけて、傷つけて、傷つけて、傷つけて、
傷つけて、傷つけて、傷つけて、傷つけて、傷つけて、傷つけて。
同じように、外部へと向けた敵意はそのまま彼の内部へと跳ね返った。
傷ついて、傷ついて、傷ついて、傷ついて、傷ついて、傷ついて、
傷ついて、傷ついて、傷ついて、傷ついて、傷ついて、傷ついて。
誰かに傷つけられるたびに、その誰かが傷つく。
誰かを傷つけるたびに、彼自身も傷ついていく。
その苦悩は、幼く柔らかい彼の心にどれだけ深く消えない傷をつけただろうか。
やがて、少年は一つの真理に辿り着く。
「チカラが争いを生むなら、争いが起きなくなるほどのチカラを手に入れればいい。
戦う気にさえならないほどの絶対的なチカラの持ち主になれば、人を傷つけることも傷つけられることもない」
それが、悲劇の始まりだった。
彼が思春期を迎えるころ。
彼の本名を知る人間は、ほとんどいなくなった。
学園都市第一位『一方通行』の通り名だけが独り歩きし、彼自身もそれが自分の名前なのだと認識していた。
一方通行は荒んでいた。
施設をたらいまわしにされ、彼一人の為だけに用意された特別クラスには足も向けず、彼はただひたすら街を放浪した。
居心地の良い日向ではなく、わざと薄暗い路地裏を通る。
当然、そこに吹きだまるスキルアウトたちに目をつけられた。
スキルアウトの大半は能力開発に挫折した元学生だ。
レベル5などという"分かりやすい"アイコンが、彼らにとって嫉妬と憎悪の対象になるというのは想像に難くない。
そんな彼らの縄張りを一方通行が堂々と踏み荒らせばどうなるか、分かりきったことだ。
最初は、降りかかる火の粉を跳ね返すだけだった。
やがて、痛めつけること自体を楽しむようになっていった。
出来る限り結果が派手になるように、『一方通行』という化物の恐ろしさを刻みつけるかのように、その暴力はエスカレートしていった。
恐怖は人の行動を規定する。
それは人の間を伝播し、ある者は畏怖を覚えてその前では身を縮め、ある者は反骨心を芽生えさせ一方通行に挑もうとした。
結果は言うまでもない。
こうして『一方通行』という災厄は、学園都市の日陰に蔓延していくこととなる。
そんな彼の前に、一人の研究者が現れる。
言葉巧みに一方通行の心の闇を刺激した彼は、彼を『実験』に引き込むことに成功する。
『絶対能力者進化計画』
20000体の『超電磁砲』クローンを用いて戦闘実験を行い、指向性を持たせた能力の成長をさせることにより『絶対能力者』へと至る、悪夢のような実験。
その本質は実験開始までは一方通行に対しては秘匿され、気付いた時にはすでに引き返せなくなっていた。
自らの能力によって命を絶たれた最初の『妹達』を見て、一方通行は何を感じたのか。
彼女たちは『人間』ではなく、それを模して作られた『人形』。
そう思い込むことで心の平静を保とうとしたのかもしれない。
やがて彼は、『妹達』を『処理』することを楽しむようになっていく。
無敵になるために。
絶対的な力を得るために。
『人を傷つけることも傷つけられることもない力を得るために、誰かを傷つけ続けている』という事実に、気付かないふりをしながら。
あの『実験』は、もしかしたら一方通行にとっても悪夢だったのかもしれない。
一度動き出した悪意は容易には止まらない。誰かに無理やり止められなければいつまでも膨らみ続け、いつか大爆発して、災厄を周囲に撒き散らす。
何よりも不幸だったのは、彼が学園都市最強の能力者であり、彼を止められる人間なんて存在しなかったということ。
たった一人の最弱(さいきょう)を除いて。
あの無能力者に殴り飛ばされ敗北が決定した瞬間、一方通行は何を思ったのか。
『実験』の終了が宣告された瞬間、胸に去来したものは何だったのか。
そこで一方通行の告解は止まった。
求められたのがそこまでだと思ったのかもしれないし、これ以上は語る意志がないということなのかもしれない。
とにかく、一方通行は再び口を閉ざしてしまった。
対する美琴は不満顔だ。
一方通行の過去を知った。
実験に至るまでの経緯も分かった。
実験中、彼が何を考えていたのかも。
かと行って理解も納得もしないし、生い立ちに同情だってしてはやらない。
そんなことで帳消しにできるほど彼の罪状は軽くはない。
何より、これでは聞きたいことの半分も聞けてはいない。
「……とにかく、あいつが『実験』を止めてくれた時のことまでは分かった。で、続きは?」
「続き?」
「なんであんたが打ち止めを助けて、その後も守ろうと思うようになったのか。
それをまだ聞いてない」
「オマエに言う必要はねェ」
「あんたにその必要が無くても、私には必要なの」
目を反らす一方通行に、美琴は食ってかかる。
これは一方通行を理解するためではなく、彼女が一つの区切りを迎えるために必要なことなのだ。
一方通行にその気が無くても、最後まで付き合ってもらう。
もう一度代理演算を止めてやろうかと思ったその時、一方通行が小さく呟いた。
「……つーかよォ、オマエは俺が憎いンじゃあねェのかよ」
視線を正面に戻し、睨みつけるように美琴を見据える。
一方通行には、美琴の行動が理解できなかった。
彼女にとって、一方通行は『妹たち』を殺した虐殺者だ。
怒りも憎しみも存分に抱えているだろう。
事実、数日前の彼女は会うなりその激情を思い切りぶつけてきた。
うって代わって今彼の目の前にいる彼女は険しい顔をしているものの、平静を保っているように見える。
一方通行にはそれがかえって気味悪く見えて仕方が無かった。
「俺は10000人以上のオマエの『妹達』を殺した。オマエは10000人以上の『妹たち』を俺に殺された。
俺とオマエの関係はそれ以上でもそれ以下でもなく、出会えば即殺し合いになってもおかしくない関係だ。
それがなンで、こンなところでお喋りなンかしちゃってるンですかァ?
気でも狂ってるンじゃねェのか?」
責められ、なじられ、罵倒されたほうが、遥かに気が楽だった。
それは自身が犯した罪状に対する当然の罰であり、美琴の持つ当然の権利だ。
いっそ自分を切り刻んでくれるなら、黒焦げにしてくれるなら、彼にとってのある意味の救いとなっただろう。
新たな罪を彼女になすりつけるだけだと分かっていても、それはひどく甘美に思えた。
だからこそ、美琴の態度が癇に障ったのかもしれない。
彼女は妹たちの、無条件の味方のはずだ。
ならばこそ妹たちの『敵』であった一方通行に対し、憤慨すべきなのだ。
なのに、そのザマはなんだ。
罪人は罪を贖い、禊がれることを望む。
ならば、最も辛いのはその機会すら与えられないこと。
勝手な失望にも幻滅にも似た感情が、虚勢のような言葉をすらすらと吐かせる。
「それともなンだ? オマエの『大事な妹たち』ってのは、その『仇敵』と仲良くお喋りできる程度に軽いもンだったのか?
オマエの憎しみってのは、その程度のもンだったのか?
『アネキ』がそのザマってンじゃあ、死ンだ『人形』どもも浮かばれ──」
一方通行の言葉は途中で中断した。
何故か。
美琴がその右拳で、渾身の一撃を一方通行の顔面へと放ったからだ。
中学生女子の腕力とはいえ、美琴の身長は同年代に比べて高めだ。
加えて一方通行は杖突きの身であり、生来の線の細さもある。
はずみで彼はもんどり打って倒れ込んだ。
美琴はその襟を引っ掴み、無理やり引きずり起こす。
「…………憎くないか、ですって?」
激情を強く噛み殺す低い声が、美琴の喉から漏れる。
「憎くないわけないでしょ? あんた、自分が何をしてきたか分かって言ってるんでしょうね?
ええ、憎いわよ! 人を本気でぶっ殺してやりたいと思ったのは生まれて初めてよ!
あんたを八つ裂きにしてやりたい、黒焦げにしてやりたい、バラバラにしてやりたい!
あんたがあの子たちに与えた苦痛を、1000倍返しにしてあんたに味わわせてやりたい!」
心の奥底に押し殺していた感情のたがが外れたように、美琴はまくしたてる。
「あんたみたいな最低最悪のクズ相手に、私だって我慢に我慢を重ねてんのよっ!
腹が立って、胸の中がムカムカして、目の前が真っ赤になって、頭の中が真っ白になって。
それでも、こっちはそれに必死に耐えてんのよ!」
「……だったら、それを全部吐き出しちまえよ。楽になンぜ?」
「黙れっ!」
美琴が憤る姿を見て、楽しそうに一方通行は笑った。
そうだ、その調子だ。
その内に溜め込んだ恨みも、憎しみも、全部自分にぶつけてこい。
自分にはそれを受け止める義務があり、彼女にはその権利がある。
「あんたには分かんない。一生に分からないでしょうね!
ふとした拍子にあの『実験』のことがフラッシュバックしてくることなんか!
あんたへの憎悪で頭が煮えて、枕を抱えて眠れない夜を過ごしたこともある!
あの子たちが死んで行った時のことが夢に出て、嫌な汗びっしょりで跳び起きたこともある!
きっとあんたには、そんなことは一生理解できない!」
傷つけられた側は一生忘れない。その典型例。
きっと彼女は生涯苦しんで行き、それが風化し『過去』となることはないのだろう。
彼女が何故我慢をしているのかは知らない。
一方通行の能力を無力化する手段を得た今は、復讐する絶好のチャンスだ。
実際、その誘惑に魅かれてはいるのだろう。
それを理性で押しとどめていると言ったところか。
一方通行は少しだけ、嬉しいと奇妙で場違いな気持ちを抱いた。
美琴がこれだけ一方通行に対し激昂する理由。
それは間違いなく、彼女が『妹たち』のことをとても大事に思っているから。
「あんたは私利私欲のために10000人以上を殺した、最悪の虐殺者だ。
チョーカーを壊されて、川にでも放り込まれても文句は言えない。そんな立場。
ちゃんとそれを理解してるの?」
当然だ。
一方通行はその覚悟で、今この場に立っている。
彼女に手が下せないと言うのなら、幕は自分で引いたっていい。
「やれよ。好きにやればいい。オマエにはその権利がある」
「そうね、そうできたらどんなにせいせいするかって話よ」
睨みつける表情は変わらぬまま、何かを飲み下したように声のトーンだけが少しだけ変わる。
「私はあんたを許さない。
たとえあんたがあの子たちを10031回救っても、そのために死んだとしても、絶対に許しはしない。
それだけのことを、あんたはしたのよ。
……だけど、その恨みも憎しみも私だけのもので、あの子たちにまで押し付ける気はない」
「あの子たちが私に全部話してくれた時、打ち止めは何て言ったと思う?」
「さァな」
美琴の声の調子は打って変わって静かなものへとなった。
一方通行は肩をすくめ、美琴の視線から逃れるように顔を下へ逸らした。
力なく垂れ下がった、血のにじむ包帯が巻かれた美琴の右手が見えた。
「あの子は『あんたと一緒にいたい』って言った。
あんたの代理演算を切る結果になっても、……例え、私に嫌われたとしても」
打ち止めは一方通行と美琴を天秤に乗せ、苦慮の末に一方通行を選んだ。
美琴が大事じゃない、ということではない。
どちらも手放したくはない。
けれど美琴の味方はたくさんいる。
しかし、一方通行の味方になれるのは恐らく自分だけだろうから。
一方通行はその言葉を聞いて、苦々しさと温かさを同時に覚えた。
彼の配慮は無駄なものだった。
だけど、彼女も自分と同じ気持ちでいてくれた。
「『妹』は『姉』の従属物じゃない。あの子たちは一人一人、ちゃんと自分の考えも意志も持った人間よ。
だから、私はあの子たちの判断を尊重する。例え私の意に反してようが、そんなことはどうでもいい」
それが例えば身に危険が及ぶようなことだったなら、美琴は例え妹たちの気持ちを無視してでもそれを阻む。
けれども危険が無いのならば、それは彼女たちの自由意志に任せたい。
問題は、それが『危険かどうか』という判断を、何に従って下すべきなのだろう。
「私はまだあんたを『危険』だと思ってる。
あんたが取った『行動』は知っても、その『理由』までは知らないから」
それは当然の判断だ。
むしろ簡単に危険視しなくなるほうがどうかしている。
「……あんたは、あの子と一緒にいたいんでしょ?
あの子たちが見せてくれた記憶のビデオの中で、あんたは確かにそう言ってた」
もう視線をそらしたりはしない。
美琴はまっすぐに一方通行を見据える。
「だったら、私に『あの子があんたと居ても大丈夫』と思わせるような納得のいく説明をしなさい。
これが今日あんたを呼びだした、一番の理由」
一方通行は考え込む。
打ち止めが一方通行と共にいる場合のメリットと、美琴と共にいる場合のメリットを勘案すれば、間違いなく後者の方が上だろう。
人格が破綻している自分よりも、美琴の方がまっすぐな愛情を打ち止めに注いでやれる。
何よりも、美琴は血に汚れていない綺麗な存在だ。
自分のような汚い人間が、いつまでも打ち止めに触れていることは社会的にも倫理的にも許されないことではないか。
だが、そんなことはもはや関係ない。
あの雪原の大地で自らの立ち位置にはこだわらないと決めた。
善も悪も是も非も越えて、ただ「一緒にいたい」と願った。
一度は別れを決意した。
だけど、あの温もりがもう一度腕の中に帰ってくると言うのなら、そのために何だってできる。
プライドだなんだとそんな役に立たないものは捨ててしまえ。
美琴が一方通行の襟を離した。
そのままずるずると垂れ下がるように、一方通行は膝をつく。
まるで跪くような体勢のまま、一方通行はぽつりぽつりと話し始めた。
「……きっかけはあの無能力者に殴り飛ばされて、『実験』が中止になったあたりだ。
あの後から、ずっと何か違和感みてェなものを感じていた。世界がなンだか変わって見えた。
でもそれが何か、どうしてかは分からなくて、ずっと頭の中で考え込ンでいた」
その事に気を取られ上の空になり、絡んできたスキルアウトたちもせいぜい自動反射で返り討ち程度で見逃してしまった。
これは彼にしてみれば、大きな変化だと言える。
「そんな時、打ち止めと出会った。培養器から放り出されて、毛布一枚で街を彷徨ってたところを拾ったンだ」
突き放しても後ろをついてきて、廃墟のような彼の部屋でも構わず眠りについて。
翌日レストランで飯を食べさせてやっているさ中、いきなり打ち止めが倒れた。
尋常ではない高熱に苦しむ彼女を置いて、一方通行はレストランを後にした。
「逃げ出した実験体を連れてノコノコ研究員どものところにいくなンてのはバカげてると思ったンだ。
あいつを調整するための機材を手に入れてから戻るつもりだった」
が、研究所では打ち止めの身に何が起きているかを聞かされた。
彼女の頭に打ち込まれたウィルス、そして天井亜雄の逃亡。
それを聞かされた上で、どちらを追うかという選択を迫られた。
一方通行は『妹達』を10000人以上殺した張本人だ。
彼の能力では、殺すことはできても守ることなんかできない。
だけど、それでも、誰かを助けることができたなら。
何かが変わるかもしれない。
何かを変えられるかもしれない。
だから、打ち止めを助けたいと思った。
その後の結果は美琴も知る通り。
何かを変えたいと願って、1つの命を救った。
もちろん、そんな浅はかな思いが報われるはずもない。
けれど、世界はそこまで無慈悲なわけでもない。
打ち止めは救われた。
どんな罪にまみれていたとしても、一方通行にとっては誇るべき成果だ。
何度も。
何度も。
何度も。
これまでも。
これからも。
それが許されるなら、一方通行は打ち止めをいつまでも守り続ける。
何かを変えたいと願い、打ち止めを救った。
いつの間にか、彼女を守ること自体が彼の願いになっていた。
「そンなことを思うこと自体、許されないことかもしれねェ。
虫が良い、都合が良い、利己的、自分本位、そんなのは痛いくらいに自覚してる。
自分がどれだけ酷いことを望んでいるのか、それがオマエにどれだけ負担を押しつけることになるのか、それだって分かってるつもりだ。
…………だけど、それでも、それでも……」
心の奥から、奥底から絞り出すように、一方通行は自らの願いを口にする。
「………………………それでも俺は、打ち止めと一緒に居たいンだ……ッ!!」
美琴はため息をつく。
(……これじゃまるで、私の方が悪者みたいじゃない)
ここまで言われれば、もう返す言葉はない。
一緒に居たいと互いに強く思い合う二人を引き離そうだなんて、お話の中の三流悪党でも今日びやりはしない。
一歩通行の願いをかなえてやる義理はない。
だが、打ち止めの願いは尊重してやりたい。
いまだ一方通行に対する認識を改めることはできない。
もしかしたら、生涯それは変わらないのかもしれない。
そう簡単に一方通行を信じることはできない。
だけど、彼を信じる妹たちを信じたいから。
「……一つだけ誓いなさい、一方通行」
念を押すように、心に刻みつけるように、なるべく強い言葉と口調で。
「あの子たちを二度と傷つけない、泣かせたりしない、って」
「誓う」
答えは即時。
それほどまでに、彼の感情に迷いはない。
瞳に、相貌に、揺るぎない絶対の意志が見え隠れする。
それが、どこかの誰かの瞳と一瞬だけ似てる気がして。
嗚呼、と心の中で嘆息を漏らした。
「……………………あの子のこと、よろしくね」
小さく放たれた美琴の呟きに、一方通行はただ頭を下げた。
「『超電磁砲』」
「何よ」
「…………済まなかった……ッ」
跪くような体勢だった一方通行が、さらに頭を下げ呟いた。
形としては、ほぼ土下座に近い。
プライドが高いだろう一方通行がそんな姿勢を人に見せるのは、恐らくこれが初めてだろう。
「……そんなことで私の気は済まないし、そもそも謝る相手が違うでしょうが。
謝るなら、まずあの子たちが先でしょ」
「…………そォだな」
体を起こし、美琴が指差したほうを見れば、棟内へと至る階段の扉から打ち止めと番外個体が様子を伺っているのが見えた。
一方通行と目が合うとびくりと身をすくませ扉の中へと隠れてしまい、またそろそろと様子を見るために顔を半分だけ覗かせた。
その様子がおかしくて、一方通行は思わず苦笑してしまう。
「あんたもそんな表情ができるのね」
「……あいつらに教えてもらったのかもしれねェな」
美琴が見てきた一方通行のどの表情とも違う優しそうな表情に、美琴は意表を突かれた。
やがて、自分も口元を緩ませる。
「……誓い、守りなさいよ。何よりも、あの子たちのために」
「……あァ」
「────『第三次製造計画』?」
「あァ」
屋上の柵にもたれかかりながら、一方通行はその詳細を美琴に聞かせた。
予想通り、美琴は険しい顔をして何かを考え込み始めた。
彼女は『実験』当時、一人で施設を何十件も潰して回ったのだと言う。
今回も同じことを考えているのだろうか。
「……何を考えているかは知らねェが、変な真似だけは起こすンじゃねェぞ。
オマエは大人しくしてろ」
「はぁ、何言ってんの? そんなこと出来るわけ」
「良いから」
有無を言わせぬ一方通行の口調に、美琴は思わず口を閉ざしてしまう。
「少なくとも番外個体の派遣には、統括理事会クラスの意向が関わってる。それも複数のな。
オマエはこの学園都市の最上層部にケンカを売りてェのか?」
「そんなことは問題じゃない。あの子たちがまた生み出されて、好き勝手に利用されようとしてるなら、私は……ッ!!」
「落ち着け。この街に喧嘩を売って、オマエが学園都市にとっての敵になって、その結果何が起こるかを考えろ。
レベル5の離反は学園都市にとって大きな脅威となる。ヤツらはそれを全力で排除しよォとする。
例えば世界各地に散らばる『妹達』を人質にとったり、それこそあらゆる手を使ってでもだ」
前例もあるしな、と一方通行は鼻を鳴らした。
「だから、お前は"何もするな"って言っているンだ。
お前が学園都市にとっての脅威にならない限り、『妹達』の安全は保障される。
『第三次製造計画』で生み出された『妹達』も、お前の腕の中ならきっと安全だ」
「……だったら、『第三次製造計画』は……っ」
「俺が潰す」
一方通行は硬質混じりの声で言い放った。
「俺はもうとっくに統括理事どもには嫌われてるからな、今更罪状がいくつか増えたところで痛くも痒くもねェよ。
そういう荒事は、俺みたいな血に汚れきった奴に任せておけばいいンだよ。
オマエは光の当たる世界を恥じる事なく堂々と歩ける身なンだ、わざわざ自分から汚れることはねェ」
「それじゃ、私の気が…………ううん、何でも無い」
美琴は途中で言葉を呑みこんだ。
まず第一に重要なのは、妹たちの静かな生活を守ること。
美琴の感情なんて、二の次三の次だ。
そんな彼女の葛藤を見透かすように、一方通行は言う。
「あいつらの敵を排除するのは俺がやる。オマエはあいつらの"居場所"を守れ。
それは俺には出来なくて、オマエにしかできない仕事だ。
『アネキ』なンだろ? だったら、やるべきことは分かっている筈だ」
「……そう、よね。私が守らなくちゃ」
「もう二度とこンなふざけたことが出来ないように徹底的に潰す。
『第三次製造計画』の奴らには傷一つつけさせやしねェ。
…………オマエに誓わされたことでもあるしな」
「……忘れずに、肝に銘じておきなさいよ」
「……あァ」
一方通行は頷いて柵から背を離し、階段へと向かう。
扉に差し掛かったところで打ち止めがその影から跳びだし、美琴の方をそっと伺う。
笑って一度だけ頷いてやると、打ち止めは嬉しそうに一方通行の腕に自分のそれを絡ませた。
その後ろ姿は、まるで仲の良い兄妹のようにも見えた。
その光景に口元をほころばせながら、美琴は空を仰ぎ見た。
もう陽はかなり落ち、橙から群青色へのグラデーションが見えた。
『何もするな』。
それは美琴にとっては、とても苦痛なことだ。
妹たちに関わる事なのに、自分は何もできない。
けれど、妹たちを守るためには仕方がない。
その二律背反はもどかしさとなって彼女を苦しめる。
「……何か、出来ることはないのかな」
その呟きは、白くたなびいて虚空へと消えた。
今日はここまでです
やっと一方通行との話にケリがつきました
ちょっと八月は多忙なので、もしかしたら次は下旬か月末になるかもしれません
思い出したころにまたいらしてください
俺、寝て起きたら新約二巻とSP買いに行くんだ……!!
こんばんは、お久しぶりです
大変、たいっへん長らくお待たせしましたorz
集中講義、インターンシップ、海外旅行、そしてゼミ研修
ついにやるべきことを全部始末し終わりましたorz疲れた……
では今日の分を投下していきます
妄想科学注意、"そういうもの"だと思ってください自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
12月15日、正午過ぎ。
学校の帰り道、上条はため息をつきながらとぼとぼと歩いていた。
楽しい事の後には、必ず大変なことが待っている。
戦勝記念ということもあり盛大に行われた一端覧祭が終わったのがおよそ一週間前。
その後には戦争ムードにより延期されていた定期試験が待っていた。
数日前、上条はようやく退院し、学校生活への復帰を果たした。
登校していた彼を待っていたのはクラスメイトたちによる祝福と、翌日から期末試験であるという知らせ。
行われなかった中間試験も合わせ範囲がとてつもなく広く、しかも一発で成績が決まってしまうという情報に凍りついたことを今でも鮮明に覚えている。
そして、期末試験が終わったのが今日と言うわけだ。
ぶっちゃけ出来た気がしない。
授業を受けていないのに問題が解けるはずがない。
入院中美琴に色々とレクチャーしてもらっていなければ、きっと彼の解答用紙のほとんどは白紙提出されていたことだろう。
出席日数不足に関しては教師陣の温情により、入院中に行われた小萌の出張授業と冬休みの補習でなんとかなるそうだ。
だが、成績不良で進級ができないという事態のフォローまではしてもらえるはずがない。
(……こりゃあ真面目に勉強しないとまずいかなぁ)
何故ちゃんと勉強しなかった、恨むぞ前の俺などと呟きながら、肩を落として家路を急ぐ。
「……あら、殿方さんではありませんの」
少女の声に振り返れば、ツインテールの中学生が立っていた。
「……あー、えーっと御坂の後輩の、白、白井……ん? 黒だったか……?」
「白井黒子、ですの」
「ああ、そうそう」
目を細め記憶を探るように顔をしかめる上条に、白井は唇をとがらせて訂正した。
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
「人の名前を間違えるということは、その方を軽視しているということを意味していますのよ。
こちらとしては、お姉様と親しくしていらっしゃる方ですから、と挨拶いたしましたのに」
「お前だって俺の事名前で呼ばなかったじゃん……」
「あら、それでもきちんとお名前を存じ上げてはいますの。
上条さん、上条当麻さん。お姉様曰く"あのバカ"さん」
「否定できないけど、ひでぇ言われようだ……」
いくら超エリート校の出身とはいえ、中学生に勉強を教えてもらった時点で年上のプライドなんてとっくに崩壊している。
そんな彼の惨状を端的に表した屈辱的なあだ名を、あえて甘んじて受け入れることにした。
「試験が終わって学校帰りか?」
「常盤台の試験は一昨日終わりましたの。今日は『身体検査(システムスキャン)』を行いましたわ」
学生の能力強度を計測する『身体検査』は学期始めや学期末のほか、定期試験のたびに行われる。
能力の系統や強度によって計測方法も変わるため、数校合同で会場をいくつも用意することが多い。
試験の時期が校区ごとに違うのは、主に『身体検査』のための会場確保が大変だからという理由が大きい。
「確か……レベル4の『空間移動』だったっけか」
「ええ。今回もレベル4のままでしたの。少しずつ能力の限界も向上してはいますが……。
全く、いつになったらお姉様に追いつけることやら」
白井はため息をつく。
「学園都市に7人しかいないレベル5の、第三位だろ。
きっとすっげぇ努力したんだろうなぁ。
……そういや御坂は、まだ『身体検査』が終わってないのか?」
「お姉様は、今回の『身体検査』を学校ではなく、他の場所で行っていらっしゃいますの。
研究協力のためのデータ提供という側面もありまして、存分に能力を振るう必要があるのだとか」
「……御坂が能力を使ってるところか。ちょっと見てみたいなぁ」
実際のところ"今"の上条は美琴が能力を使ったところを見たことがない。
誰だって、レベル5が能力を行使しているところを見てみたい。
そんな内心を見透かしたのか、白井がこんな誘いをしてきた。
「……では、今からお姉様を応援しにまいりましょうか?」
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
航空機や宇宙産業の研究が盛んな第二十三学区と並び、第二学区は学園都市の中で最も「うるさい」学区として有名である。
爆発物や兵器を研究している区域では日がな爆発音が鳴り響き、自動車関連の学校が持つサーキットでは昼夜の区別なくエンジンが唸りを上げている。
学園都市中から騒音を出す産業や施設を集中させた結果、他学区との境界には防音壁が必要なまでになってしまったのだ。
その中に、とある実験施設がある。
広さは200m四方ほどで天井はとても高く、空間の中に柱はない。軽量かつ丈夫な新型素材と堅牢な設計によって為しえる構造だ。
可動壁によって空間を仕切ったり、ブロックを積み上げ擬似的な建造物を作ったりして、普段は警備員や風紀委員の実戦演習などに使われている。
壁から約20m程度のところに美琴は立っていた。
ちょうど壁に埋め込まれた観覧室から見下ろせる位置だ。
彼女の周囲には無数のコインが浮いており、警備ロボットを改造したような外見の機械が10台程度、彼女を取り囲んでいた。
常盤台中学で能力開発の為に使われている検査用ロボットだ。
美琴が装着しているヘッドセットを通して、彼女の能力開発の担当教官の声が聞こえてくる。
『あ、あー。御坂さん、聞こえてる?』
「はい、大丈夫です」
『良かった。さっき電撃についての計測をした時、電磁波の影響かノイズがもの凄くて会話できなかったのよね」
「……データ、ちゃんと取れてます?」
『心配ないよ。収集したデータはリアルタイムでやりとりしていると共に、君がつけているヘッドセットにも蓄積されているんだ。
万が一君の能力で通信が阻害されても、そちらからデータを回収できる』
美琴の疑問に、木山春生が答えた。
今回のデータ提供は一端覧祭の時に美琴が木山と約束したものであり、『身体検査』を利用して最新データを収集することになった。
常盤台中学の管理下にある以上能力開発の担当教官は難色を示したが、美琴個人のデータである以上彼女が望めば無理な拒否はできない。
結局、『提供前に担当教官が全データをチェックする』という条件の元、今回のデータ提供が実現したのだ。
『じゃあ、次の磁力操作の検査に移りましょうか。
準備はいい?』
「はいっ!」
『5、4、3、2、1……』
教官のカウントダウンが0になると同時に、甲高いブザー音が鳴る。
『始めっ!』
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号令と同時に、美琴の後ろ側に位置していた検査ロボットの上部のスリットから薄い円板が上方へ射出された。
直径は約10cm程度、中央には『TARGET』と書かれている。
円板は射出されると同時に、美琴の体から発せられている微弱な電磁波のレーダーに捉えられた。
美琴は振り返ることなくコインを磁力で弾き、正確に円板の中央を貫く。
自身の異名でもある超電磁砲は使わない。
今調べているのは磁力操作における精密性と瞬発力。それに足りるだけの威力さえあればいい。
最低限の威力と最高の効率で、上方だけではなく斜めや水平にも射出される円板を次々に撃ち落として行く。
「ランダムに動き回り、不規則に発射される円板を正確に撃ち落とす……。
能力開発に力を入れている常盤台中学ではもっと複雑なカリキュラムを組んでいると思っていましたが、意外ですね」
「我々の中学校に居るような子は、複雑な能力の使い方は自分で考え出してしまいますからね。
こちらとしては単純に出力を上げるようなカリキュラムを組んであげたほうが、彼女たちの為になるんです」
木山と教官は美琴の検査の様子を見つつ、また既に得た情報を解析しつつ話をする。
「御坂さんの場合は出力よりもむしろ、その能力の応用性……いや、万能性に焦点を当てられることが多いでしょう?
あれは我々のような教師陣が教え込むのではなく、彼女自身が常に研鑽を怠らないからこそ辿り着いた境地だと言えます」
「確かに、超電磁砲のような物騒な使い方は、学校では教えないでしょうね……」
二人は視線を合わせて苦笑をした。
「御坂さんのような『電撃使い』の場合は、ある程度のレベルまで行ってしまえば出力よりもむしろその使い方が重要になりますね。
電気エネルギーが関わる分野はとてつもなく幅広いですから、ビリビリと電流を放つだけではもったいないでしょう?」
「ええ。せっかく恵まれた力を手に入れたのですから、それを最大限に活かしてもらいたいものです」
そんな二人の会話を遮るように、テーブルの上に置かれたノートパソコンが音を発した。
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「先ほどの、電力の計測をした時の詳細な分析結果が出ましたか」
「……先に見ても?」
「どうぞ、そういうお約束ですから」
教官はパソコンを操作し、ダイアログを開いた。
一通り目を通し木山に見せても問題はないと判断したのか、画面を木山に向ける。
そこには美琴の詳細な計測データが画面いっぱいに表示されていた。
木山はそれを順に上から目で追っていく。
「持続性、精密性、応用力、どれもまさに『最強の電撃使い』の名にふさわしいレベルですが、やはり目につくのは……」
「出力、でしょうか」
美琴をここまで育て上げたという自負があるのか、教官の顔は満足げだ。
「ただ、私も今見て驚いたのですが、最大出力が9月の『身体検査』から更に伸びてますね」
「と、言いますと?」
「こちらが彼女の9月時点の計測データなのですが」
教官がキーボードを叩くと、2つの計測データを比較できるように画面に並んで表示された。
「9月時点での最大出力は左側の数値で、先ほど計測した彼女の最大出力は右側の数値。比べてみるとおよそ1割増しですか。
1割と聞けば大したことなさそうに聞こえるかもしれませんが、電圧の単位に直せば並の『電撃使い』にとっては驚異的な数値でしょう。
たった3カ月でこれほど出力を伸ばしたことは、彼女のこれまでには無かったはずです」
「中学生は心身ともに大きな変化を迎える年頃ですから。能力強度も、この時期に大きく上下する子もいます。
彼女にも、何か心境や精神に強い変化を与えるような大きな出来事があったのかもしれませんね」
現在のサーバのご機嫌:ちょ、ちょっとキツいです。(LA:2.15087890625)自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
「ふむ、例えば?」
「…………恋、とか?」
にやり、と木山は笑った。
「近ごろ噂になっているでしょう、"常磐台の『超電磁砲』が男子高校生にご執心"、と」
「……ああ、その噂ですか」
うんざりしたように教官はため息をつく。
「我が校は女子中学校ですから、不純異性交遊は禁止となっています。
あまり噂が広がるようならば何か対策を取らねば、保護者の皆さまからの信頼を損ねてしまうかもしれません。
何のために『学舎の園』に校舎を置いたのか、ということにも繋がってくる問題ですし」
「大丈夫だと思いますよ、"彼"ならば」
懸念を表す教官に、木山は笑って答えた。
"彼"と美琴の間に起きたこと、そして彼女にどんな影響を与えてきたかを考えれば、そんな懸念は無用だと分かるだろう。
「少なくとも、私はお似合いだと思いますけどね」
実験終了を告げるブザー音が鳴り、二人の話はそこで終わった。
眼下を見下ろせば、美琴が笑顔で手を振っていた。
その足元には、大量の砕けた円盤が散らばっていた。
パソコンに表示された結果は、もちろんパーフェクト。
文句なしのレベル5判定だ。
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今回の『身体検査』の主目的は『最強の電撃使いである美琴が能力を使う時、脳がどのような活動を行っていて、どのような演算式を組んでいるのか』を調べることだ。
思いつく限りありとあらゆる使い方をし、データを計測することが必要となる。
通常の『身体検査』では超電磁砲をプールに数発撃つだけなのに、今回は数時間にも及んだ。
当然すっかり体力を使い果たし、全行程が終わると同時に床にへたり込んでしまった。
時刻は午後二時、昼食もとらずにぶっ続けなのだから疲れるのは当然か。
「おっねえっさまーん♪」
「ひょわぁっ!?」
突如耳元で甘ったるい声が聞こえたかと思うと、背後から誰かに抱きつかれたかのように体に重さがかかる。
彼女の電磁波レーダーに引っかからずにこんな芸当ができる、かつしそうな人間と言えば、たった一人しか思い浮かばない。
抱きつくだけでは飽き足らず背後から体をまさぐり始めた白井の手を掴み、出来るだけ甘い猫撫で声を作る。
「ねーえ、黒子?」
普段の反応とは全く違うトーンに白井は思わず手を引っ込めようとする。
が、その手はがっちりと掴まれていて、引き離すことができない。
「な、なんですの、お姉様?」
「私、9月から更に最大出力が上がったらしいのよね。大体1割増しくらい」
「それは大変喜ばしいことですの……」
「だからさ、お仕置きの威力も1割増しって事で良いわよね?」
「そ、それは……」
目の前でばちん、ばちんと帯電を始める美琴の髪を見つつ、白井は逃れるための手段を模索する。
単純な腕力の引き合いでは勝てない。となれば逃れる手段はテレポートのみ。
「逃がすかコラ!」
「ぎゃぴんっ!?」
当然、そんな思考ロジックは美琴には既に見抜かれている。
演算を邪魔する程度のごく弱い電流を流しテレポートを妨害すると、本格的なお仕置きへと移る。
「さあ黒子、今日と言う今日は覚悟しなさ──」
「……何やってんだ?」
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
この場で聞こえるはずのない声。
ぎこちなくその声の主のほうを見ると、そこには呆れ顔の上条がいた。
「ななななんであんたがここに!」
「御坂が『身体検査』をしてるからって、白井が連れてきてくれたんだよ」
「普段何気なく接している方がどんなに凄い人物であるかを、殿方さんに思い知らせてあげようと思いまして」
いつの間にかテレポートで美琴から距離を取っていた白井が、意地悪そうに笑う。
「実際、『身体検査』をご覧になっている間の殿方さんは、何度も感嘆のため息を漏らしていらっしゃいましたし」
「ま、レベル5の能力なんてそうそう見れるもんじゃないしなぁ」
「でも、あんたには一度も効かなかったのよ」
称賛するような上条の態度が何故か気に入らなくて、美琴は唇を尖らせる。
「電撃飛ばしても、砂鉄をぶつけても、何したってあんたは防いじゃうんだから。
おかげでこっちはレベル5の面目丸つぶれなのよね」
「そ、そんな事を言われましても……うわっ!?」
前触れなく美琴の前髪から放たれた青い火花を上条は慌てて右手で受け止めた。
それを見た美琴は獰猛な笑みを浮かべ、上条は表情を引きつらせる。
「久しぶりに、勝負よ!」
「……勘弁してくれ」
「問答無用!」
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
疲れも忘れて上条を追いかけ回す美琴と、泣きそうな表情で逃げる上条。
それを見ながら、白井ため息をついて、壁に背を預ける。
真横の壁が開き、エレベーターとなっているその中から、木山と教官が現れた。
「……あれが恋、なのかしら?」
「恋と言っても様々な形があるでしょう」
「お姉様があそこまで追いかけ回すのはあの方くらいですの」
呆れ顔の教官、興味深そうな木山、そして少し寂しそうな白井。
三者三様の表情で、超電磁鬼ごっこを繰り広げる二人を見つめた。
「……とっても楽しそうでしょう? 少なくともお姉様は」
「……この調子では話もできないな」
木山はため息をつくと、手を勢いよく叩く。
ただっ広い空間にその音はよく響き、走り回る二人の注目を集めた。
「今日は協力してくれてありがとう。貴重なデータをたくさん集めることができたよ。
おかげで私の研究もはかどりそうだ。私がいただいたデータと同じものを君にも渡しておくから、気になることがあれば何でも言ってくれ」
木山に渡されたデータチップを、学生3人は珍しいものを見るような目で眺めた。
「……この中にはお姉様の詳細なデータが何から何まで…………うひひ」
「やめろ変態」
「疲れただろう。今日のお礼と言ってはなんだが、お昼を御馳走させてくれないか。
良ければ君の友人たちも一緒に」
木山の言葉と共に、誰かの腹が鳴った。
それが誰かは、あえて書くまい。
ため息をつき、美琴はその申し出を受け入れた。
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
同時刻。
第十七学区の路上を一方通行は歩いていた。
その隣には番外個体が。
何故この二人が共に出歩いているかと言えば、ちょっとした事情がある。
第十七学区は工業製品の製造に特化した学区であり、施設のほとんどはオートメーション化が進み、人の姿は少ない。
人影が少ないということは機密が漏れにくいと言うことでもあり、非合法な研究の舞台になることもしばしばある。
事実、『実験』当時にはこの学区にも『妹達』を製造・教育する施設がいくつもあった。
ならば『第三次製造計画』の中枢となる研究所もここにあるかもしれない。一方通行はそう考えた。
当初一方通行はここの調査に番外個体を同行させる気などなかったのだが、彼女はどうしても、と言い張った。
駄目だ、連れてけ、断る、ケチ死ねこの白モヤシなどと口論になった挙句、番外個体は恐るべき手段を持って一方通行を脅迫した。
その内容は、「打ち止めと一緒にお風呂に入ったことを美琴にチクる」と言うもの。
数日前、一方通行と美琴は問答の末に一応の"停戦"を見た。
その時に立てた「妹達を決して傷つけない」という誓いを一方通行は遵守するし、守られ続ける限り美琴は彼が打ち止めと共に居ることに口を出さない。
そういう約束だ。
だから、もし仮に「一方通行が妹達の誰かに危害を加えかねない」と美琴が認識してしまえばその関係は成り立たなくなる。
彼が打ち止めと共に入浴したのは子守のためであり、そこに性的な意味や行動は全くない。
だが、事実を面白おかしく脚色してしまえば美琴の中では「一方通行は自分の妹の貞操を狙うロリコン」という事になってしまう。
自分の妹に欲情しているかもしれない男のそばに、妹の身柄を置いておきたがる姉などいない。
結果、打ち止めと引き離され一方通行の履歴書に「小児性犯罪で補導」の文字が追加される、という事もあり得る。
笑えない冗談だ。
やっと取り戻した守るべきものをそんなことで失ってたまるか。
万が一の時は自分が戦い、番外個体の手を汚させるようなことはしない。
そう約束させ、一方通行は要求を呑むことにしたのだ。
一方通行に対して絶大な破壊力を持つカードを握ったのが嬉しいのか、気分良さそうに鼻歌など歌う番外個体を見て一方通行は小さく舌打ちをした。
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
「それにしても寂しいところだねぇ。町並みは綺麗なのに人の姿が全然見えないよ」
「この学区にある工場のほとンどはオートメ-ション化されてンだ。
工業材料の搬入や仕分けから製品への加工に出荷、設備のメンテナンスから掃除まで全部機械がやってる。
人間の仕事なンざモニターを眺めて定時報告書やら時折出るエラー潰しくらいだ。そンなに数は必要ねェ。
掃除するロボットばかりで汚す奴がいなけりゃ、自然と町並みの清潔さは保たれるだろ」
「ふぅん、味気ないの。学園都市らしいっちゃぁらしいんだけどさ。
で、あなたはこんな寂れた学区に、『第三次製造計画』の本拠地があると踏んだわけだ」
「あくまで"かもしれねェ"レベルだがな。情報が足りないなら、自分の足に頼るしかねェ」
そんな事を言いながら、二人は並んで歩き続ける。
不意に一方通行が歩みを止め、少し歩いてから気付いた番外個体が振り返った。
「どうしたの?」
「……疲れた」
「はぁ?」
「コーヒーが飲みてェ。そこの角を左に曲がってまっすぐ言った突き当たりを更に左に曲がったところに自販機があるから、買ってこい」
「あのさぁ、ミサカはあなたのパシリじゃないんだけど。立場が逆なんじゃないのー?」
「こっちは杖突いてンだぞ。たかがコーヒー一本買うのにミサカネットワークの力を借りていいってンなら話は別だけどよォ。
ほら、オマエの分の金も出してやるから、好きなもン買ってこい」
塀に寄りかかった一方通行に財布を放り投げられ、番外個体は渋面をする。
が、何かを思いついたかのように意地の悪い笑みを浮かべ、一方通行に指示された方向へ向かう。
「はいはい、砂糖とミルクアリアリのあんまーいコーヒーを買ってきてあげるからね。
ミサカを使いっ走りにしようって言うんだ、鼻をつまんででも流し込んでやる」
「……ブラックにしろ、ブラックに」
肩をすくめて背を向けひらひらと手を振る番外個体に、無駄だと分かりつつも一応言い含めて置く。
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
人の少ないこの学区では自販機を大量においても無駄ということもあり、番外個体に指示した自販機は実のところかなり離れたところにある。
本当にコーヒーが飲みたかったわけではなく、実際は彼女を遠くへ行かせたかったのだからそれでいい。
番外個体が離れてから3分、一方通行が塀から背を離した。
視線の先に立っていたのは、土御門元春。
「……よォやく現れたか、土御門」
「上手いとこ落とし所を見つけたようで何よりだぜぃ、一方通行」
ニヤニヤと笑う土御門の鼻先に、一方通行はデータチップを突きつけた。
かつて『実験』に使われた施設の廃墟で拾い、セキュリティに土御門の生体データが使われていると思しきものだ。
「ああ、これか。拾ってくれたのかにゃー」
「これの中身はなンだ。狡猾で慎重なオマエが落し物をするなンてことはありえねェ。
きっとなンらかの意図を込めて置いて行ったに決まってる」
「……確かに、それはオレがばらまいたものだ。お前をこうして釣り上げるためにな。
で、肝心の中身と言えば…………」
もったいぶるように言葉を切る土御門。
相変わらず人を不愉快にさせることが上手い男だ。
「…………オレが収集した、世界中の選り抜きメイドさん画z待て待て待てチョーカーのスイッチを入れるな!」
「くだらねェモン拾わせてンじゃねェぞ!」
「く、くだらないとは聞き流せない言葉だにゃー! いいか、メイドとは……」
「オイ」
一方通行が鳴らしたカチッ、という音は、土御門を黙らせるには十分だった。
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
「……チップは俺を釣り上げるためのもので中身はフェイク。それは理解した。
その理由を聞かせろ。まさか『グループ』に戻ってこいだなンて甘っちょろいことを言うつもりはねェよなァ?」
「戻ってくるならばそれでいいし、戻ってこないならオレたちの邪魔をしなければそれで構わない。
元々俺たちは利害関係だけでつるんでたんだ、それに絡まないのならばどうだっていい。そうだろ?」
「…………」
「それに今、俺たちは別の目標を追いかけてる。あまりお前だけにかかずらってる余裕はないんだ」
「だったら……」
「ところで一方通行、さっきまでカワイイ子と一緒だったな。あの子、オレに紹介してくれないかにゃー?」
「……あァ?」
へらへらと軽薄そうに放たれた土御門の言葉に、一方通行の体は一瞬で臨戦態勢に入った。
番外個体はこの学園都市の『闇』によって作られた存在だ。同じ『闇』である土御門らが探しているということに、余り良い意味は感じない。
むしろ十中八九は悪い意味だろう。
そこに彼女たち『妹達』を進んで関わらせる理由は全くない。
彼女たちがようやく得た平穏を壊させないために、一方通行は『闇に浸りつつも決して染まらない道』を選んだのだ。
チップはフェイクでも、土御門達は何か情報を握っているかもしれない。
彼から情報を得るメリットと、『妹達』を闇に近づけるデメリット。
行き詰った状況下にあっても、一方通行は後者を重要視する。
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「……知らねェな。見間違いじゃねェのか」
「そうか? 何やらイイ雰囲気だったもんで話しかけづらかったんだがな」
言外に「ずっと監視していた」と匂わせる土御門。
この男に関わる事にメリットがないのならこれ以上話し続ける意味はないし、早急に対応策を取らねばならない。
「……じゃあな。変なことを考えてみろ。潰すぞ」
一方通行が背を向けると、土御門は何故か焦りを混じらせた声を出す。
「おい待て、一方通行」
「…………」
「俺の話を聞け」
「……」
土御門は数度声をかけるが、それは全て徒労に終わった。
その背から発せられる敵意は、土御門の干渉を全て拒絶するかのような雰囲気を伴っている。
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
言葉運びを誤ったか、何か誤解をさせたか。
これ以上の会話は無意味だと悟った土御門は、ため息をついた。
話したくないのならば、話したくさせるだけだ。
「……絹旗」
「はい」
突如、一方通行の背後に人の気配が生じた。
(結標のヤツの仕業か!)
何もないところに出現できるのは『空間移動』能力者だけ。
瞬時に思考ロジックを入れ替え、チョーカーのスイッチを入れつつ振り返る。
そこに居たのは結標ではなく、見知らぬ少女。
何の武装もせず、ただ徒手空拳で突っ込んでくる。
一方通行の能力を知らないのか、それともただのバカなのか。
少女が拳を振りかぶるのを、一方通行は鼻を鳴らして眺めていた。
一瞬何らかのデジャヴを感じ、直後一方通行の世界が揺れる。
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
まるで、いつか操車場の夜空を見た時のようだった。
違うのは、今見ているものが青空だと言うこと。
視界の隅に映っているのが少女だと言うこと。
そして、一方通行が"殴り飛ばされた"ことを自覚していること。
頭蓋骨が揺さぶられ中身がシェイクされるような感覚から、きっと顎を殴られたのだろう。
軽いジャブのような打撃でなければ一撃で顎を砕かれていたかもしれない。
「……言ったとおりだろ、絹旗? "お前なら"一方通行を殴れる」
「はい。超いけます」
そんな二人を睨みつけながら、一方通行はふらふらと立ち上がる。
チョーカーは正常に作動していて、能力はきちんと発動している。
だとしたら、あの無能力者のように能力を打ち消す『秘密』を持っているのだろうか。
ここのところ光の世界の空気に慣れ、『最強』だったころの悪い癖が蘇ったのかもしれない。
「自分を傷つけられるものなど存在しない」という根拠のない確信は、もう捨てたはずなのに。
再度突っ込んでくる少女をかわし、一方通行は距離を取ろうと地面を蹴った。
瞬時に10mほど後ろに下がり、少女の出方を伺おうとする。
が、その時には既に少女の姿はない。
再び、背後に現れる気配。
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
振り返る余裕もなく、即座に足元のベクトルを操り爆発させる。
砕かれたコンクリートの破片が弾かれるように跳び上がり、容赦なく少女を襲った。
しかしそれにも怯むことなく、少女は果敢に手を伸ばす。
いかなる能力によるものかコンクリートの驟雨を浴びても傷つかぬその手は、一方通行の右腕を"掴んだ"。
そのまま、片手一本で振り回すように一方通行の体を地面に叩きつける。
「ぐっ!?」
もちろん、そんなことでダメージを受けるほど一方通行の『反射』は弱くない。
だが、うつ伏せになった一方通行に少女が飛び乗ったことで身動きが取れなくなる。
それは一方通行にとって衝撃的な出来事だった。
何故なら、少女が飛び乗ったことにより、通常ならば反射されるはずの『圧力』が加わったからだ。
繰り返すが、チョーカーは正常に作動している。
少女は何らかの『能力』を用い、コンクリートを防いだ。
あの無能力者のように、「能力を打ち消す能力(仮定)」を持っているわけではない。
木原数多のように一方通行の能力のバグを突いているわけでもない。
エイワスのように一方通行の『反射』を力押しで破ったわけでもない。
まるで『反射』の膜をすり抜けるかのように、彼女の拳は直に一方通行を叩く。
…………すり抜ける?
腕の関節を極められ組伏せられた一方通行の脳裏に、一つの仮説が浮かんだ。
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
普段生物が何気なく呼吸している大気は78%の『窒素』と21%の『酸素』、そして何種類かの微量成分によって構成されている。
この話の場合は重要となるのは前者二つ。
『窒素』と『酸素』。大気の99%を占めるこの二つの成分は、生体の生存に大きく関わっている。
酸素中毒、という疾患がある。
超高分圧の酸素を摂取した場合、またはある程度高分圧の酸素を長期にわたって摂取し続けることにより、身体に様々な異常を発し最悪の場合は死に至るものだ。
生物は吸った大気から酸素を得て生命活動を維持しているが、だからと言って酸素のみを得ていれば生存可能というわけではない。
原始的な微生物が嫌気性を持っていることが多い事実から分かるように、本来生物にとって酸素は劇物なのだ。
ただ進化の過程で有酸素環境に対してある程度の耐性を得たにすぎない。
酸素分圧は流体の体積あたりに占める酸素量を現す指標であり、気圧と酸素濃度の乗算で求められる。
酸素濃度が変わらなくても、例えば登山などで気圧の低くなれば低酸素症を引き起こし、呼吸困難となる。
酸素濃度が高くても、宇宙服のように低圧環境下ではなんら問題は発生しない。
あくまで、この二つの値の積が重要なのだと覚えてほしい。
ここで絹旗最愛の能力、『窒素装甲』を考えてほしい。
空気中の『窒素』を自在に制御し身に纏うことで、自動車を持ちあげたり、銃弾を受け止めたりすることができる能力だ。
当然彼女の拳も窒素を帯びることとなる。正確には「彼女の拳の動きに合わせて、窒素の鎧も動く」とすべきか。
この状態で絹旗が一方通行を殴れば、彼女の力は『窒素装甲』を媒介として一方通行へ伝わる。
置き換えれば、運動エネルギーを与えられた窒素が一方通行に対して作用する、ということになるだろう。
この時、一方通行がこの『窒素』を反射してしまうとどうなるだろうか。
大気中の78%を占める窒素は反射され、21%を占める酸素は彼の反射膜を素通りする。当然、気圧は変わらぬまま。
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上記のとおり、酸素分圧は気圧と酸素濃度の乗算で求められる。
窒素が取り除かれれば当然、一方通行が吸う大気に占める酸素の割合は急上昇する。
結果、待っているのは酸素中毒だ。
学園都市最高の頭脳を持つ一方通行がその事を知らないはずがない。知っているが故に、彼は窒素を反射することができない。
「無害なもの、必要なもの」以外を弾く、ホワイトリスト式の反射能力が仇となった。
それは言い換えれば、「無害なもの、必要なものを反射することができない」ということになる。
もちろん、これは窒素に限った話。「絹旗最愛」そのものにまで適用される訳ではない。
だが、能力の範囲の問題がある。
一方通行の反射膜はごく薄く、絹旗の『窒素装甲』の厚さは数センチメートル。
思いっきり殴りつけたところで、彼女の拳そのものは一方通行の加害範囲外にある。
それは彼を組伏せている今も同じ。
傍目から見れば、絹旗は一方通行の体から数センチ浮いて見えることだろう。
窒素と言う媒介を通す限り、絹旗の全ての行動は一方通行に対し、何ら阻害されることなく通用してしまうのだ。
『暗闇の五月計画』にて一方通行の演算パターンを植え付けられながらも彼と同等の力を得ることはできず、
レベル5に至ることのできなかった彼女が一方通行への特効性を手に入れたことは、運命の皮肉なのかもしれない。
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一方通行の首元でカチッという音がした。
絹旗が一方通行のチョーカーのスイッチを通常モードへと戻したのだ。
男女差や年齢差はあれど、接近戦では絹旗の方が優れている。
能力を奪われ、関節を極められたままの一方通行に為す術はない。
「絹旗、これを使え」
土御門が手錠を放り投げ、絹旗はそれを片手で受け取った。
能力を奪われ、手足の動きを封じてしまえば無能力者と変わりはしない。
あとは『窒素装甲』に頼らずとも、いくらでも好きなようにできる。
片手に手錠をかけられた瞬間、一方通行が小さく「……クソッタレ」と呟くのを絹旗は聞いた。
「あなたが超快く協力してくれれば、こんなことにはならなかったんです」
「…………」
「それとも、ただの超負け惜しみですか?」
「……違ェよ」
一方通行は視線を絹旗でも、どこかへ電話をかけている土御門でもなく、どこか別のところへ向けている。
つられて絹旗がその方向へと顔を向けた瞬間、何か筒状の物体が飛来した。
「ッ!?」
音速で飛来したそれは絹旗の顔面に直撃し、中身の茶褐色の液体をぶちまけて大きくひしゃげた。
自動防御能力を持つ絹旗は当然無傷だが、芳醇な香りを放つ液体を頭からもろにかぶってしまう。
「これは……?」
「……ふざけンなよ、土御門。人が苦労してじゃじゃ馬を押さえこンでるってのによォ」
ため息を漏らしたのは一方通行だ。
改めて絹旗が一方通行の視線の先を見れば、そこには一人の女が立っていた。
「ミサカの獲物を取らないでくれるかな、泥棒猫さん」
右手に似合わぬ大きな軍用拳銃を、左手には缶ジュースを持って。
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「対象2、番外個体だ!」
土御門が叫ぶ。
絹旗が女の外見を確認すると、確かに『超電磁砲』が少し成長した姿のように見えた。
「良い格好ね、一方通行。最終信号と言い、年下の女の子にのしかかられるのが趣味なの?」
「趣味じゃねェよ。この頃なンだかそォいう星の下に生まれた気がしてきたが」
「あっそ。まあ、あなたが苦痛に呻く姿を見るのはゾクゾクするんだけどさ」
番外個体の周囲を紫電が走り、空気の爆ぜる音がする。
同時に彼女の姿が掻き消えた。
直後絹旗の視界に映ったのは、番外個体の靴の裏。
「その苦痛を与えるのは、やっぱりこのミサカであるべきだよねぇ!!」
蹴り飛ばすのではなく、あくまで足で押しのける。
言葉で表すのは簡単だが、それを空気を爆発させた勢いのまま行えばどうなるか。
生まれた時から彼女に叩き込まれていた戦闘プログラムがそれを可能にする。
絹旗の『窒素装甲』はあらゆる衝撃を受け止めても、衝撃そのものを打ち消すわけではない。
受け止めきれない衝撃は、絹旗の体を一方通行の上から吹き飛ばした。
「……くぅっ!?」
「ぎゃは☆ 軽いなぁ、女の子はちゃんと食べないと色んなところが大きくならないんだってさ!」
受け身を取り土御門のそばまで後退した絹旗に対し、笑いながら番外個体は右手の軍用拳銃を向け、躊躇なく引き金を引く。
サイレンサーを通過する擦過音がし、2発の弾丸を右肩へと正確に叩きこんだ。
が、
「……ありゃ、堅いなぁ」
その弾丸は絹旗の『窒素装甲』に阻まれ、ひしゃげて地面へと落下する。
当然、本人は無傷だ。
「……私の『窒素装甲』は拳銃ごときでは貫けませんので」
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懐から拳銃を取り出しながら、土御門が絹旗に囁く。
「こうなったら仕方がない、番外個体も一緒に捕獲する」
「いいんですか、オーダーじゃああれも超保護対象でしょう?」
「情報を得なければ話は進まない。今後退してもいずれかは接触しなければならないんだ」
込めている弾頭はゴム弾。当て所さえ間違わなければ死なせることはない。
周辺のクリーニングは終了してる。派手にドンパチをやらかしたところで誰かに目撃される恐れはない。
真っ先に動いたのは絹旗だ。彼女の能力であれば、銃弾程度怖くはない。
一方通行に対して攻撃可能なのは彼女だけ。そちらへ再びダメージを加えるべく飛びかかろうとする。
「そうだね、そう来るよねぇ。有効打が与えられるあなたが、そっちを狙いに行くよね!」
絹旗の前に立ちふさがったのは番外個体だ。
「超邪魔です!」
彼女は土御門に任せる。致命傷にならぬ程度に吹き飛ばそうとその拳を振るおうとした。
が、その拳が番外個体を捉える事はなく、するりとすり抜けるようにかわされる。
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「『窒素装甲』。レベル4の大気操作系亜種。周囲の窒素を自在に操り、攻防ともに優れた威力を発揮する、だったかにゃーん?」
すいすいと身をこなし、時には手でさばいて絹旗の拳の軌道を捻じ曲げながら、番外個体はすらすらと絹旗の特徴を述べて行く。
何のためかは知らないが、『暗部』の人間のおおまかなパーソナルデータは生まれた時から頭の中に入力済みだ。
「相手の能力を知っている」という事実は戦闘において大きなアドバンテージとなる。
「窒素を圧縮して作った装甲は堅牢だけど、それ自体が大きな破壊力を生むわけじゃない」
「……何が超言いたいんですかっ!?」
絹旗は反駁とともに腕を大きく突き出し、番外個体の顔面を狙う。
気絶さえさせてしまえば、あとはどうにでもなる。
だがその腕を『窒素装甲』ごと両手で掴まれ、絹旗の動きは止まる。
「つまりさ、第一位みたいに触っただけでどうにかなるわけじゃないのなら、対処する手段はいくらでもあるんだよねってこと!」
そう言うや否や番外個体はハンマー投げのように絹旗を振り回し、周囲の塀に叩きつけた。
当然能力の加護により絹旗自身に怪我はないが、それでもめり込んだ壁から脱出するには苦労する。
そんな彼女を、余裕の嘲笑を顔に張り付けた番外個体が見下ろす。
「この間まで入院してて体がなまってるんだ。ちょっとは運動させてよね?」
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
番外個体と絹旗が繰り広げる戦闘による轟音が響く中、一方通行は脳震盪からの回復を待ってのろのろと立ち上がる。
当然、チョーカーのスイッチは入れ直されている。
視線の先に佇む土御門の表情は、サングラスの影になって伺うことはできない。
「……遺言代わりに聞いてやる。何故あのガキを狙う?」
「狙ったわけじゃないさ。ただ話を聞く必要があるだけだ」
「話ねェ。その割には、ハナっからヤる気だったみてェじゃねェか」
「お前が人の話を聞こうとしないからな」
一方通行は舌打ちをする。
「……全部洗いざらい話せ。地獄に送るかどうかは、その後で決めてやる」
結標と海原はその光景を離れた所から伺っていた。
奇襲と撤退、バックアップとして重要な役割を持つ二人は容易には手を出せない。
「……貴方の大好きな女の子と同じ顔の子が大暴れしてるけど、どうするの?」
「どうするもこうするも、自分たちはバックアップです。前線は土御門さんに任せましょう」
「その土御門を、一方通行がやたら睨んでるんだけどね……」
ひとたび彼の能力が振るわれれば、その暴虐はたちまち『グループ』全員を呑みこむだろう。
ぶるりと背筋を振るわせ、結標は事態が好転することを祈った。
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
「ぎゃははははははは、ほらほら、上手く避けないと装甲に穴が空いちゃうよ?」
後退を繰り返す絹旗を、攻撃に転じた番外個体が追っていく。
その周囲には大量の鉄釘が浮いていた。
オリジナルの『超電磁砲』には遠く及ばないものの、彼女の鉄釘攻撃も高い威力を持っている。
一発一発では『窒素装甲』を穿つことができなくても、連射されればいつかはその内側にまで届くかもしれない。
5本ほど同時に射出された鉄釘をバックステップで避けた瞬間、絹旗の眼前で爆発が起こった。
「ッ!?」
絹旗の体を爆風が叩いた。
空気を爆発させることによって、絹旗のシールドを形成している窒素そのものが吹き飛ばされていく。
そこを鉄釘で集中的に攻撃されれば、容易に装甲は削れてしまう。
ついに一本、絹旗の左腕を鉄釘が抉った。
「がぁっ!?」
痛みを噛み殺し、周囲に散らばるガレキを掴み投げつけるが、番外個体はそれを首を振るだけで回避する。
「それでオシマイかにゃーん? 本当にミサカと同じレベル4なのか、ちょっと信じがたいなぁ」
そう言い放つ番外個体は今だ無傷。
どんな怪力も、当たらなければ意味はない。
どんな装甲も、弱点を的確に突かれ続ければいつかは崩壊へ至る。
同じレベル4でも、ここまで差があるものなのか。
自分は近接戦闘専門、相手は長射程からの攻撃が可能。
装甲を削る空気爆発は能力で引き起こされ、狙撃に使われる鉄釘は装甲に弾かれひしゃげようが潰れようが威力は変わらず、事実上の弾切れはない。
互いの優劣は明らかだった。
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
絹旗は考える。
今まで番外個体は、一度も攻撃を受けていない。
いつだって避けるか、またはいなすことで直撃を避けていた。
裏返せばそれはすなわち、「直撃した場合にダメージを防ぐ手段がない」ということではないだろうか。
巧みな動きで攻撃をかわされると言うのなら、その動きを止めればいい。
そう結論付け、絹旗は立ち上がった。
「勝手に超決着させないでくださいよ。まだまだ超これからです」
体勢を低くした絹旗が番外個体に向かって突撃を開始する。
「はん、猪突猛進ってヤツ?」
「正面からいかせてもらいます。それしか能が超ありませんので!」
「いいねぇ、そうこなくっちゃ!」
襲い来る絹旗を迎え撃とうと、番外個体は腕を振って周囲の鉄釘を自分の前面へと集中させた。
この時、番外個体は絹旗だけに意識を集中させるべきではなかった。
もしもっと広い視野を持っていたら、絹旗が立っていた地点に何が落ちているかに気付けたかもしれない。
能力の出力や戦闘技術で勝ってはいても、経験値の差で勝ててはいない。
直後、絹旗が残したスタングレネードが炸裂し、閃光と爆音が番外個体の意識の外から襲いかかった。
「ッ……しまっ……!?」
予期せぬ閃光に目がくらみ、思わず腕をかざして防ごうとしてしまった番外個体。
絹旗はその隙を逃さない。
ありったけの液体窒素缶をぶちまけ装甲を強化。同時に地面に渾身の一撃を地面に与える。
乗用車すら軽々と持ち上げ易々と引き裂く剛力が、周囲の地面を大きくひび割れさせた。
視力を失い、足元も確かではないとなれば、自在に動くことはかなわない。
機動力を失った相手に、あとは必殺の拳を叩きこむだけ。
そのはずだった。
「……ぎゃは」
絹旗が振るった一撃を、番外個体はまるで"見えている"かのように軽やかに避けた。
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
叩きつぶすはずの目標に避けられたたらを踏んだ絹旗の背中を、番外個体の弾幕が襲う。
装甲を貫通させるための一点集中砲火ではなく、衝撃を与えるための攻撃だったのだろう。勢いを殺しきれず、絹旗は地面に叩きつけられる。
「……な、なんで……」
「目や耳を潰した程度で、ミサカたちを攻略できると思ったら大間違いだよ。
お姉様ほどじゃないにしろ、このミサカにもそれなりに高性能な電磁波レーダーが備わってる。
特にあなたの周囲は能力のせいで空気密度が違って電磁波が変な反射をするから、丸わかりなんだよね」
絹旗の背中を踏みつけた番外個体の手元から、カシュッという小気味よい音がする。
手にしたままだった缶ジュースを開封した音だ。
「気になってたんだけどさ、あなたってさっきミサカがぶつけたコーヒーまみれでしょ?」
「…………?」
確かに、自分の着ているニットのワンピースの上部は茶褐色に染まり、芳醇な匂いが鼻をつく。
突如、脳天から冷たい液体を浴びせかけられた。
番外個体が絹旗の頭の上で、封を切ったジュースの缶を逆さにしたのだ。
「ほら、あなたの装甲って液体は通しちゃうみたいなんだよね。
気体って密度がもの凄く低いし、いくら圧縮しても限度はある。
堅くて密度の高い固体は防御できても、固体ほど密度が高くなくて不定形の液体は通しちゃうんじゃないかなぁ」
「……それが、何だって言うんですか」
「つまりは、あなたの『窒素装甲』は絶対強固なものじゃないってことだよ。
防御できる限界があったり、防げずに通しちゃうものもあるんじゃない?
そう、例えば」
番外個体の口元が、サディスティックに歪んだ。
「電撃とかさ」
その愉しげな声に悪寒を覚えた瞬間、2億ボルトの電流が絹旗を襲った。
声にならない悲鳴を上げ、体中の神経と筋肉が意志に沿わないでたらめな動きをする。
ようやく通電が終わった時、絹旗は涙を流し、全身が嫌な汗に包まれていた。
自分の心臓の鼓動音が嫌に大きく聞こえる。
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
「──ちぇー、生きるか死ぬかの『暗部組織』の一員だって言うから、どんなもんかと思ったのに」
2、3回電撃を浴びせたのち、期待はずれとでも言いたげに、番外個体がつまらなさそうな声を出す。
興味を失くしたかのように絹旗から離れる。
「この程度で生き残ってこれるなら、この街の『闇』ってのもたいしたことないんじゃないの?」
「…………『暗部組織』なんて、この街の『闇』の超上澄みでしかありませんよ」
よろよろと体を起こす絹旗。今だ体のあちこちにしびれは残っている。
けれど、まだその目は死んでいない。
「私はもっと深い『闇』を見てきた。今みたいな逆境なんて、超何度も乗り越えてきたんです」
今だ震える足で、しかし力強く絹旗は立つ。
そうだ。これより酷い状況から生き残ったことなんて何度だってあるし、これからだって乗り越えて行く。
こんな所で斃れる訳にはいかないのだ。
何故かと問われれば、ちゃんとした答えを出すことはできない。
物ごころついた時から『置き去り』として実験動物と同じ扱いを受けていた彼女は、まず第一に「生存する」という目的を持つ。
死なないために生きて行く。
あるいは、いつの日かちゃんと「生きる」ために生きて行く。
その為に、今倒れるわけにはいかない。ただ、それだけだ。
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
そんな意志を秘めた絹旗の瞳を見た番外個体は、なおも攻撃を加えようとするが、
「いい加減にしろ」
と一方通行に襟元を引っ張られ、中断せざるを得なくなってしまった。
「お姉様が買ってくれた服なんだから無理に引っ張らないでよ、伸びちゃうじゃんか」
「悪かったな。だが、そのままだとオマエがそいつを面白半分に殺しかねねェと思ったからな」
手を汚させないという約束は、何が何でも守らせるつもりだ。
興が削がれたと言いたげに、番外個体は絹旗に背を向ける。
一方通行の背後では土御門が拳銃を懐へと閉まっていた。
「それで? ミサカは遊んでたから分からないんだけどさ、どういうことになったわけ?」
「ドンパチは終わりだ。場所を移して情報交換をする」
「あっそ、信用できるの?」
「できねェと思ったら、その時は潰すだけだ」
「そういうことだから、お疲れさんだにゃー、絹旗」
土御門が労わるように手を伸ばすと、絹旗は崩れ落ちるようにそれに体重を預けた。
「……結局、私は超骨折り損、ってところですか」
「そんなことはない。絹旗が時間を作ってくれなきゃ、今頃土御門さんのウェルダンなサイコロステーキが出来上がっていたところだぜぃ」
「なンなら、今からその通りにしてやってもいいンだがな」
「いやいや、遠慮しておくぜよ」
息も絶え絶えな絹旗を背負うと、土御門は残る二人に向き直る。
「それで? 場所はお前が指定するんだろ、一方通行」
「……そォだな」
一方通行はしばらく考え込んだのち、土御門に告げる。
「……俺のアジトの一つに来てもらおォか」
自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
今日はここまでです
絹旗ちゃん好きの人はごめんなさい
これからの展開を書くにあたり、この作中でのワーストの強さを設定しておきたかったんです
個人的なイメージとしては、レベル4内では黒子……中堅クラス、絹旗ちゃん……上位クラス、あわきん・ワースト……最上位クラスではないかと思っているので
このSSではだいたいそんな感じで展開していきます
ではまた、来週末くらいに自治スレッドでローカルルール変更の話し合い中
こんばんは
週末どころか翌週半ばになってしまいました……orz
絹旗VS一方通行ですが、あくまで「解析され、対処される前に即効で潰す」ことが前提になるもので、
窒素さえ操れればいつでも一方さんをフルボッコ☆ とは考えていません
タネさえ分かってしまえば触れられる前にミンチになってしまうわけですし、
今回通用したのは「結標の能力による奇襲」かつ「初撃で顎に一撃入れて体力を奪う」ことに成功したからということでどうか一つ……
読めば読むほど矛盾が出てきて読み返すのが辛い
では投下していきます
「──うわぁ、殺風景」
番外個体が間の抜けた声を出せば、それは空間に響いた。
ここは一方通行の作った拠点の一つで、以前とは場所が異なるがここも雑居ビルを借りて作られていた。
広さはおよそ20畳。その中央にソファーベッドやらテーブル、いくつかの家具類が置いてあるほかはがらんどうだ。
テーブルの上には何台かのノートパソコンが載っており、今は動いていない。
ソファーベッドに傷ついた絹旗を寝かすように指示し、一方通行は一同に向き直る。
一方通行、番外個体に現『グループ』を加えて6人。
人を入れることなど想定していない場所だ。椅子などない。
ストーブの電源を入れた一方通行は「適当に座るか立ってろ」と無慈悲な言葉を発した。
いち早くソファーの手すり部分を確保した番外個体が、部屋の中を見まわし呑気な声を出す。
「ふーん、ここが第一位の"巣"なんだね。もっとショボイところに住んでるのかと思った」
「……オマエは何を想像してたンだ」
「『核戦争後の地球でも生き延びられる』がキャッチフレーズだったし、路地裏にダンボールでも敷いて寝てるんじゃないかなって」
「言ってろアホ」
温冷庫からコーヒーを取りだした一方通行は、そのまま温冷庫に寄りかかった。
「それで、だ」
一方通行の瞳が鋭くなり、周囲の空気が一変する。
「改めての状況を整理しよォじゃないか。クソガキは話を聞いてなかったみたいだしな」
「まずはこちらの状況から話させてもらう」
応えたのは土御門。
「……10月17日。『ドラゴン』の出現と同時に倒されたオレたちは、3人別々に収監されていた。
お前も捕まっていると思ったんだが、上手く逃げおおせたと聞いてびっくりしたよ。
で11月4日、オレたちは突如解放された」
このあたりの事情は土御門と、結標や海原では少し違う。
学園都市の最上層部の事情に通じているか、いないのか。その差によるものだ。
「その後数日は大人しくしていたさ。戦争が起こった後だし、表も裏も大混乱だったからな。
オレたちは自分たちが守りたいものを守るので必死だった」
「そのころからでしょうか。『闇』からの締め付けが、少しずつ弱まって行ったのは」
元々の『グループ』は、皆大事なものを学園都市の『闇』に人質に取られた人間の集まりだった。
一方通行は打ち止めや『妹達』を。
土御門は義妹を。
結標は仲間たちを。
海原は大切な少女たちを。
ある者は監視され、ある者は監禁されて、彼らを無理やり働かせるための『エサ』とされていた。
が、その頃から『エサ』に対する脅威が少しずつ和らいでいった。
もちろん、完全になくなったわけではない。
それでも気にならないレベルにまではなったのだ。
その働きかけを行ったのが目の前にいる一方通行であることを、結標や海原は知らない。
それでも、その『どこかの誰か』には感謝していた。
「私たちの守りたいものは少なくとも今すぐどうこうされるってことはなくなったけれど。
あなたはどうなのかしら、一方通行?」
笑いかける結標に、だが一方通行は渋い顔を返す。
「「第三次製造計画」」
一方通行と土御門の声がハモり、たがいに嫌そうな顔をする。
「……今『グループ』が動いているのは、親船最中からの依頼があったからだ。
彼女の情報網に、統括理事の誰かが不穏な動きをしていて、それを潰してほしいとのことだ」
「親船、ねェ」
確かに統括理事会の中ではまだ信用できる人間だ。
が、統括理事会そのものに対する不信感が根強い今、彼女をそう簡単に信用していいものか。
「親船から受けた依頼は2つ。
1つは『第三次製造計画』に関わる施設・データの破棄と、生み出されたクローンたちの保護。
もう1つは、『超電磁砲』のDNAサンプルの回収」
「DNAサンプル?」
「ああ。彼女からDNAマップを得る際に提供された毛髪。その標本が『絶対能力者進化計画』後に行方不明になっていてな。
標本と言えど細胞の鮮度が保たれる処置がされている。いくら施設を破壊したところで、そのサンプルさえあればいくらでも研究再開できてしまう」
「本当に『超電磁砲』のクローン製造を根絶したければそのサンプルを回収しなきゃならないというわけ。
まあ生きたサンプル採集元が世界に一万人ほどいるけど、そっちは手を打ってあるらしいし」
親船最中と貝積継敏、そして『あの』雲川芹亜がバックについているの。
そうそう危害を加えられるようなことはない、というのが『グループ』の共通見解だ。
「本当にそれで大丈夫かは疑問だが、あいにく体は一つしかねェ。
優先順位の高い順に問題を解決していく必要がある」
「その通りだ。だが、どうやら今度の敵さんは狡猾で、中々尻尾を出さない。
行き詰った俺たちの元に、とある上方が舞い込んできた」
「それが、この『番外個体』ってわけ?」
黙って聞いていた番外個体が、ここで初めて口を開いた。
「ああ。親船のルートから、統括理事の誰かがロシアにいる一方通行を殺すために『妹達』を送り込んだという情報が入ってきた。
その既存とは違う『妹達』はロシア行の間一方通行と行動を共にし、学園都市帰還後に消息不明になった。
調べてみる価値はあると思ったんだ」
「ふーん、ふん、ふん。ミサカってば意外と有名なんだね」
「単刀直入に言おう、番外個体。お前の正体はなんだ」
土御門の詰問に、番外個体は一方通行をちらりと見る。
数秒考えた後、彼は小さくうなずいた。
「ご察しの通り、ミサカは『超電磁砲』のクローン。最新モデルである『第三次製造計画』の一人だよ」
「……やっぱりか」
「でも、ま、なんて言ってもこのミサカは試作品だし、そもそも一月半も前に死んでるはずの個体だし?
あなたの欲しい情報なんてほとんど持ってないと思うよ?」
「ふむ。じゃあ、『第三次製造計画』の拠点は?」
「知らない」
「『第三次製造計画』で作られてる『妹達』の数は?」
「知らない」
「……『第三次製造計画』の首謀者は誰だ?」
「知らなーい」
あっけらかんと答える番外個体に、土御門の苛立ちが募る。
「だってさ、さっきも言った通りミサカは使い捨ての試作体だよ?
これから死に行く鉄砲玉にそんな重要な情報教えるわけないじゃん」
「確かにそれは一理あるけれど……本当に何も知らないの?」
「ミサカはずっと研究所で育ったし、他の『第三次』からは隔離されてたし……。
そもそも、ミサカネットワークに初めてアクセスしたのってロシアに向かう戦闘機の中なんだよね。
研究所から飛行機に乗せられるまでの間は薬で眠らされてたし」
「あの時降ってくる直前か」
「そうそう。それに、このミサカは『第三次』なのに、『第二次』のミサカネットワークにしかアクセスできないようになってる。
『第三次』のネットワーク接続できない以上、そっちとの情報共有はできないよ」
「……? ミサカネットワークというのは、『妹達』全員で構築しているのではないのですか?」
科学に疎い海原が、疑問符を頭の上に浮かべた。
「『妹達』でくくらず、『第二次』と『第三次』で分けて考えて。
今あなたたちが『ミサカネットワーク』と呼んでいるのは、検体番号20001号までの『妹達』が構築してる旧ネットワーク。
『第三次』は旧ネットワークとは別に、独自に自分たちだけの新たなネットワークを構築できるはず。
ミサカの頭の中のスペックシートが正しければね?」
「つまり、お前は意図的に情報封鎖されていて有益な情報は持っていないということか」
「『暗部』の人間のパーソナルデータとか、死亡した『妹達』の詳細な死因とか、そういうのはぎっしり詰まってるんだけどねぇ。
ま、バカじゃなければ身元がバレるような情報なんて与えないでしょ?」
「お前が育った施設について、なンか覚えてることはねェのか」
一方通行の言葉に、番外個体は天井を睨んで考え込む。
「ミサカが入れる所って、何カ所かだけって決まってたんだよ。
ひたすら牢獄みたいな部屋と実験場を往復する日々だったし」
起きて栄養剤を与えられ、ひたすら一方通行を殺すための技術を獲得し、そしてまた牢獄のような部屋に戻って寝るだけの日々。
もうあそこには戻りたくない。
『第三次製造計画』の姉妹たちは、今もあそこに居るのだろうか。
「……一度だけ、施設の見取り図を見たことがあるんだよね。
その時ミサカネットワークに繋げてたら記憶を保存できてたんだけどなぁ。
どうなってたっけ……?」
腕を組み、記憶をたどる。
「……えーっと、確か……3Dモデルだと建物は下に伸びて行ってたような……?
B6フロア、B7フロアみたいに呼ばれてたし、多分どこかの地下なんじゃないかな」
「地下、か」
学園都市の優れた建築技術により、地下の商業・工業的開発技術は日本の他都市や諸外国に比べて格段に発達している。
十分な耐震性能を持った巨大な地下構造物を設置可能だと言うのは、商業施設が地下数百メートルまで設置されている第二十二学区の存在からも明らかだ。
当然地下に研究施設を持つところも数多くあり、これだけでは範囲は絞れない。
「あとは……大きい穴があったかな」
「穴?」
「そう、見取り図だと研究所の最上層から最下層までどの階層にも大きな円形のスペースが同じところにあったと思う。
多分、吹き抜けになった巨大な円筒状の空間になってるんじゃないかなぁ」
「……地下研究所、巨大な円筒状の空間……」
一同は考え込む。
この二つのキーワードを結びつける物はなんだろう。
そこにきっと、『第三次製造計画』の本拠地があるはずだ。
「……考えるのは、互いに情報を全て出しきってからにしよう」
────────
「……なるほど、木山さんは脳科学者なんですね」
上条、美琴、白井、木山の4人は場を実験場近くのファミレスに移し、遅い昼食を取っていた。
ちなみに能力開発の担当教官は「データの分析をして報告書を書かねばならない」ということで帰ってしまった。
この中で木山のことを良く知らない上条が、木山にいろいろと質問をしていた。
「まあね。と言ってもかつての私のチームは解散してしまったし、今では雇われの下っ端に過ぎないが」
「……? 何かあったんですか?」
「とある事件を起こしてしまってね。それで周囲からの信頼はどん底さ」
「ですが、その目的は純粋に子供たちの為だったわけですし。
真摯に罪を償っていけば、きっと信頼を取り戻せる日も来るでしょう」
白井が微笑めば、木山もそうだな、と応えた。
そんな三人の様子を面白くなさそうに見ているのは美琴だ。
そもそも席順からして気に入らない。
テーブルを挟んで
木山 美琴
■■■■■
上条 白井
のように並んでいるのだが、上条が座った瞬間横に白井が座ってしまったのだ。
上条の隣に座りたかったものの言いだす勇気もない美琴としては、歯噛みして黙る他ない。
「じゃあ、今はどんなお仕事を?」
「教員免許を取るための勉強の傍ら、新たな能力開発の為の教材づくりに関わっていてね。
実は今日御坂くんに協力をお願いしたのは、このためなんだ」
「私の演算パターンを元に最適化した演算式を使って、『電撃使い』の子のための教育ソフトを作るんだってさ」
「はぁ、御坂ってやっぱりすげぇんだな……」
感嘆のため息をもらす上条に、何故だか美琴の心がざわついた。
感心されるよりも、対等に扱ってほしいのに。
「その私より凄い能力を持ってるくせに、なーにを言ってんのよっ!
ねぇ木山せんせい、こいつの能力解析できないの?」
「そうだな……」
木山は顎に手を当て、考え込み始めた。
先ほどの超電磁鬼ごっこの際、木山も能力開発の教官も、上条の持つ『幻想殺し』の効果を確かにその目で見た。
レベル5第三位の電撃を軽々と消してしまうほどの出力。
それでいて、『身体検査』の際には何も引っかからず無能力判定されてしまう矛盾。
加えて、右手"だけ"にしか適用されない効果範囲。
規格外の能力に、二人して頭を抱えたものだ。
「君のその右手は、どんな能力も消せるのだろう?」
「一応そう言う風には聞いてますが、記憶には……」
「むぅ」
約一月半前に記憶を失い先日まで入院していた少年に、「能力を打ち消す能力」を使う機会などないだろう。
「私が知る限りから考えると、多分学園都市のどんな能力者でも消しちゃうでしょうよ。
なんせレベル5の能力だって軽々消しちゃうんだから」
美琴の電撃も一方通行の反射も容易く打ち消してみせた上条の右手。
その中には、どれだけの力が内包されているのだろう?
「能力ならば何でも消せる、ただし効果範囲は右手だけ……。
一体どのような『自分だけの現実』をお持ちになれば、そんな能力になるのやら。
殿方さん、あなた能力が発現する前、『……くっ、この右手に封じられた邪気が疼く……ッ!!』とかおやりになってたタチではありませんの?」
「何それ、うわぁ」
「……やってないと信じたいが、明確に否定することもできない……ッ!?」
まさかの厨二病疑惑。
今はもう思い出すこともかなわぬ中学生時代、自分はもしかしてそんなに痛々しい存在だったのだろうか。
想像して悶絶する上条を、現役中学生二人は呆然と眺めていた。
「……御坂の演算パターンを使った教材作りって、具体的にはどんなものなんですか?」
「あ、無理やり話を逸らしましたの」
上条は苦し紛れに話題を変えようとするも、あっさり見破られる。
「君は『幻想御手』を知っているかい?」
「名前くらいは聞いたことがあるような、ないような……」
昔の自分がどこかで聞いたのかもしれない。
エピソード記憶を失った上条にも、単語名くらいは心当たりがあった。
「部外者の君にはあまり詳しくは話せないが、『幻想御手』とは他者の『自分だけの現実』や演算能力を間借りして出力を高めるものなんだ。
今回はその仕組みに手を加え、御坂くんの演算パターンを用いて擬似的に高レベルを体験できるようなものを作ろうとしているというわけだ」
「簡単に言えば、『私がどんな風に能力を使っているか』を直に体感して、自分の能力に役立ててもらおうってこと」
「……うーむ、どんな仕組みなのかさっぱり想像がつかん」
「確か『マインドサポート』という技術と、スパコンを使った演算補助を行うのでしたわよね?」
「ああ。『これを被ってる間は能力が向上する』ヘッドギアを作っていると考えてくれればいい」
「ヘッドギアを被るだけで能力向上……なんだか聞いてる分にはもの凄く胡散臭く聞こえるんですが……」
入院中、大量の「脳を活性化させる十二の栄養素が入った能力上昇パン 」なる味気ないパンを差し入れられた身としては、にわかに信じがたい。
「あんたね、木山せんせいはガチの優秀な脳科学者なのよ?
そんなプラシーボ効果頼りのしょっぱい物と一緒にしないでよ」
「うーむ、簡単に能力が上がると言われると途端に眉唾に思えるのはレベル0のサガなのだろうか……。
……ん? 待てよ。『御坂がどんな風に能力を使っているか』を直に体感するんですよね?」
「ああ、そうだが」
「いくら学園都市製とはいえスパコンとかに繋がってる精密機器が、至近距離で雷と同じ威力の電撃を浴びて大丈夫なんですか……?」
「え」
「え?」
「あっ」
上条の素朴な疑問に、残る三人が固まる。
美琴の出力は10億ボルトを優に超え、自然界における雷と同等の威力を持つ。
今回はあくまで「美琴の演算パターンを用いて『自分だけの現実』を補強する」という物であるため同等の威力が出ることはないはずではあるが、
過去の『幻想御手』事件ではレベル5の被害者がいなかったにもかかわらず、質を数で補ったことで多大な効果を発揮した実績を持つ。
スパコンによる演算補助とレベル5の演算パターンによる能力補助、それが織りなす効果は今だ未知数だ。
「……万が一ということもあるし、材質を選び直したり、設計レベルから作り直したほうが良いかもしれないな」
「ということは、研究の完成は……」
「まあ、大分遠のくな」
はぁ、とため息をつく木山。
「あの、なんだかすみません……」
「いや、君にはむしろ礼を言わなければ。『このアイデアをどう実現するか』ということにばかり気が向いていて、構造の耐久性にまでは考えが及んでいなかった。
あくまで能力開発の為の教材だからね、『安全である』と言うことが何よりも大事だ」
もちろん効果の高さもね、と付け加える。
「だから、御坂くんに頂いた貴重なデータも、上条くんの意見も大事な糧にして、私はこの研究を絶対に完成してみせるよ。
それが私に出来る罪滅ぼしだと思っているし、何よりもレベルが上がらずに悩む子供たちのためになると思うからね」
そう語る木山の表情はとても明るく、思い描く未来への希望と自信に満ちている。
過去の楔から解き放たれ、ようやく自分の生きる道を見つけた人間だけが出来る、とても魅力的な笑顔だ。
「頑張ってください、木山せんせい。私たち皆、応援してますから!」
「ああ、期待していてくれ」
そう言って、木山は笑ったのだった。
────────
情報を粗方出し終え、しばしの小休止。
立ちっぱなしで疲れた体を休めるべく壁に寄りかかる者、腹ごしらえをすべく近くのコンビニへ向かう者などさまざまだ。
そんな中、ずっとソファーベッドに臥せっていた絹旗がようやく目を覚ました。
「…………ここは?」
「おや、やっとお目覚め?」
それに気付いた番外個体が声をかけると、絹旗は一瞬びくりと肩を震わせ、敵意丸出しの視線を番外個体にぶつける。
「あー、そんな怯えなくてもいいよ。第一位とあなた達のリーダー、協同歩調を取ることになったみたいだし」
「……それでも、左腕の風穴と電撃の恨みは超忘れてませんよ」
「じゃあいつでもかかっておいでよ、『窒素装甲』」
にやにやと甘い悪意を口の中で転がすような表情の番外個体に、絹旗はそっぽを向く。
「ところで服が血とコーヒーとジュースで超べたべた、甘ったるい匂いがして超嫌なんですけど。
シャワーないですか、第一位」
冷蔵庫から缶コーヒー取り出していた一方通行に、絹旗が尋ねた。
「あるにはあるが、使った事がねェからちゃンと動くかは分からねェぞ。
最悪水でも良いなら好きに使え。シャツくらいなら貸してやる」
「シャワー使ったことない……って、ここあなたのねぐらじゃないの?」
「あの場所から一番近かったからここに来ただけで、設置はしたけどほとンど使ってない拠点なンだよ」
補充を終えた一方通行が引き出しから適当に2、3枚Tシャツや無地のYシャツを引っ張り出し、絹旗の前のテーブルに置いた。
それを戸惑うように眺める番外個体と絹旗。
「ンだよ」
「一方通行……あなたって、幼女に自分の服を着せて喜ぶ性癖なの?」
その言葉に、一方通行と絹旗は同時に噴き出した。
「ンなわけねェだろ!」
「いっつもしましまのダサイシャツしか着てないあなたがわざわざ白無地のシャツを出して最終信号に着せてるなんて、おかしいとは思ってたんだ……。
まさかフェチのためにポリシーを捨ててただなんて……そんなに幼女に自分の服を着せたいのね、この変態!」
「そろそろ黙ろォか、それとも黙らせてやろォか?」
「あなたがチョーカーのスイッチを入れてミサカを黙らせるのと、ミサカがメールを送るの、どっちが早いと思う?」
番外個体が一方通行に携帯電話の画面を見せた。
【TO】おねーさま
【sub】緊急
------------------------
第一位は幼女に自分の服を着せて喜ぶ変態
最終信号のYシャツを脱がしたほうがいいよ!
「オマエは何を送ろォとしてンだァ!」
「面白おかしくしたじ・じ・つ☆」
「それは事実って言わねェ。というか事実じゃねェよ捏造すンな!」
携帯電話を巡り取っ組み合いが始まりかける中、絹旗は蒼白な顔で自分と番外個体の胸部を見比べつつぶつぶつと何かを呟いていた。
「私が幼女……? いえ総合的に考えれば私の方が超スタイルはいいはず……しかしあの盛り上がりは無視するわけには……」
「あいつら、何やってんだ?」
コンビニから帰ってきた土御門が、海原と結標に問う。
「仲がいい事は良いことではないですか?」
「あれが仲良いって言うのかしら……」
絹旗がシャワーを浴び終えるのを待って、再び話し合いが再開される。
ちなみに絹旗は結局一方通行のシャツを着ていた。
番外個体によってその写メールを送られた打ち止めからメールや電話が一方通行の携帯電話へと山のように送られてくるが、それはあえて無視。
「……というか、オマエいつのまに携帯電話買ったンだ」
「お姉様に姉妹の中でミサカだけ持ってないって言ったら買ってくれたよ。
最終信号は黄泉川に、他のミサカたちは冥土帰しに貰ってたしさ」
分類としてはスマートフォンに入るのだろうか。
番外個体はキーのない機体を器用に手の中で弄ぶ。
「……話を戻すぞ。
さっき挙げた『地下の研究所』『大きな縦穴』という条件で学園都市中の施設を調べたところ、大分絞れた。
役所への建築申請書類、軌道衛星からの各種分析、他にも色々あるけどどれから見たい?」
「全部出せ、まどろっこしい」
「了解」
土御門がノートパソコンを操作すると、学園都市の衛星写真上に数多くのアイコンが乗った画像が表示される。
うんざりするほどあるアイコンの一つ一つが怪しい施設なのだろう。
「とりあえず、条件に該当する施設はおよそ752カ所。
さあ、ここからどうやって絞る?」
「ひとまずバイオ関連の施設から当たってみるのはどうでしょう?」
「確かにバイオ系にカモフラージュしてる可能性はあるが、してねェ可能性の方が高いと思うぞ。
なンせ『絶対能力者進化計画』ン時は航空産業から発電所まで、幅広く偽装してたンだからな」
「専用インフラの超整備されてるところから当たってみては?
水や電気、あるいは資材の調達は超必須事項でしょうし、超誤魔化しきれるものでもないでしょう」
「そんなのはどうとでもなるんじゃない。
最悪学園都市の端から端まで物資調達用のパイプラインを通すくらい、苦もなくやってのけるでしょ?」
「必要ならばやりかねないな。そもそもここ学園都市は教育と研究の街。
都市内のどこであっても研究に必要なインフラは無尽蔵に手に入る」
ああでもない、こうでもないと議論が紛糾する中、番外個体だけがその議論に加わっていなかった。
「番外個体、お前の意見を聞かせてくれないか」
土御門が意見を出さない番外個体のほうを向いた。
「んー、さっきも言ったけど、ミサカは施設内の一部しか入れなかったから、さっき挙げた以上の特徴は思いつかないなぁ。
あえて挙げるなら、綺麗な水が入手しやすい場所じゃない?」
「水?」
「ほら、生物は水がなければ生きていけないでしょ?
学園都市のクローン技術って代謝速度を上げて短期間で急成長させるから、その分不要物ももの凄い速度で出るんだよ。
不要物で汚れた培養液内って言うのは生物の成長には適さないし、その浄化のためには大量の水が必要。
綺麗な水を大量に安定供給できるっていうのは重要なファクターじゃないかな?
もちろん工業用水じゃなくて、飲用可能なレベルのものね」
「ふむ……」
番外個体の意見を付け加え再検索すると、候補数は一気に半減した。
それを地図上に表せば、学園都市の西側に集中していることが分かる。
その中心は、学園都市でもっとも西側に位置する第二十一学区。
貯水用のダムなどを多く抱え、学園都市全域に飲料水や工業用水を配給するための水源地となっている学区だ。
ここに多くのアイコンが表示されている。
「確かにこの付近なら綺麗な水を安価で大量に安定供給できる。
インフラも外部から隔離されている学園都市は、東側に行くほど水道代が高くなるからな」
「この図を元に当たってみる価値は高いってわけか」
「そうじゃない? ま、ミサカにゃそういう分析スキルはないし、そこらは任せるよ」
それよりさ、と番外個体は続けた。
「あなた達は今、『第三次』の本拠地を"見つけるまで"の話をしてるけどさ。
ミサカとしては"見つけたあと"の話をした方が良いんじゃないかと思うんだよね」
「どォいう意味だ」
「意味も何も、そのまんま。
『第三次製造計画』の本拠地を見つけました。悪者をやっつけて、囚われのクローンを救出して、これで全部解決だやったね!
で終わると思ってるの?」
「……………………」
「まあはっきり言っちゃうとさ、そんなことは『絶対に』ない」
番外個体は確信を込めて言い切る。
「何故そう思う?」
「決まってるじゃん。ミサカ達は『軍隊』だよ? そしてその司令塔たる新しい上位個体はきっと研究者たちに握られてる。
暗部の研究者たちが自分たちのテリトリーに踏みこまれて権益を奪われようとしてるのに、馬鹿正直に全面降伏すると思う?」
「しないでしょうね」
「侵入者たちを排除できるだけの力を持った軍隊があって、しかもそれに対して自由に命令できる。
だったらさ、それを使わない手はないよねぇ?」
「つまり、オマエはこォ言いてェのか。
研究者どもが『第三次製造計画』を俺たちにぶつけてくるかもしれねェ、と」
「しれない、じゃなくて確実にぶつけてくるよ。少なくともミサカならそうする。いざという時に使わない『兵器』ほどもったいないものもないしね。
……自分で言うのも何だけど、ミサカたちは強いよ? 特に『第三次』は『第二次』よりもさらにパワーアップしてる。
『レベル5を除く全暗部構成員に対し、一対一で余裕を持って打倒できる』くらいのスペックを要求されてるんだし」
それが実際に与えられたかどうかは、先ほどの番外個体と絹旗の戦いを思い出せば明らかだ。
さして時間もかけず満身創痍になった絹旗に対し、番外個体はかすり傷一つ負ってはいない。
相性や情報格差の問題もあるだろうが、プロトタイプである番外個体でさえこれくらいの力を持っているのだ。
さらに磨き上げられているだろう正式ナンバーでは、その性能はどれほど向上していることか。
レベル4以下では相手にならない。
この場で唯一のレベル5である一方通行は、彼女たちに攻撃することができない。
質と数、両方を兼ね揃えた『敵』にどう立ち向かうべきか。
さらに、もう一つの問題がある。
「それに、ミサカたちに酷い事したりされたりすると、『敵』がもう一人増えるかもよ。
お姉様のこと、忘れてないよね?」
御坂美琴。
『妹達』のオリジナルであり、彼女たちを自分の大事な『妹たち』として守り通そうとする少女。
彼女はきっと、『妹達』を傷つけることも、その手を汚させることも許さない。
敵の敵が味方とは限らない。彼女にしてみれば『グループ』も研究者たちも両方敵としてみなされるかもしれない。
レベル5である彼女による介入は、事態を収拾不能にしかねない。
番外個体を遥かに超える、『電撃使い』の頂上に立つ少女。
彼女と正面からやり合って、無事でいられる人間がどれだけいるだろう。
強大な力を持つ『第三次製造計画』を傷つけたり、逆に傷つけられることなく保護し、その上で黒幕たちを捕まえる。
その概要を聞いただけで、成功確率は限りなく低そうに思える。
それでも、
「それでも、やらなきゃならねェンだ」
一方通行は言い切る。
それは償いきれないほどの罪を償うためであり、守りたいと願った人たちの笑顔を守るためでもある。
危険だからやらない。可能性が低いから手を出さない。
そんな次元には、最初からいやしない。
「……ま、それが仕事だしな。付き合ってやるさ」
ため息をつき、同意を示す土御門。海原や結標もそれに続く。
利害の上だけでの繋がりでも、仕事上だけの付き合いでも、それでも今後あるかしれない『もしも』のために恩を売っておくことは悪くない。
「とりあえず、手分けして怪しい施設を片っ端から当たろう。
『妹達』にどう対処するかは、状況を確認しないことには手を打てないしな」
今日は解散することとなり、めいめい己の休息場所へと帰って行く。
『表』の顔での居場所に戻る者もいれば、『グループ』の拠点の一つで体を休める者もいるだろう。
一方通行の拠点であるこの部屋には、一方通行と番外個体、そして土御門だけが残った。
「オマエは帰らないのか」
「帰るさ。だがその前に大事な話があるんだ。
……番外個体。5分でいいから外に出ていてくれないか」
「えー? ミサカは仲間はずれなの? つまんねー」
「……オマエ、まだ俺の財布持ってるだろ。コンビニで好きなもン好きなだけ買って待ってろ」
「……しょうがないな。早くしないと、あなたのキャッシュカードを暗証番号付きで募金箱に叩きこむからね」
などと優しいのだか悪意まみれなのだか分からない軽口を叩きつつ、番外個体は出て行った。
「で、話ってのはなンだ」
「今回の、『グループ』に降りてきた依頼の出所についてだ」
「親船が情報を掴んで、オマエたちに依頼したンだろ? 自分で言ってたじゃねェか」
「……そうだな。確かにお前たちや『グループ』のメンバーにはそう話した。
だが、実際には違うんだ」
一方通行は眉をひそめる。
暗部組織にとって依頼人の意向は絶対だ。特にわざわざ依頼元を明かしてきた時などは、「依頼人の領域に影響がないように」任務を遂行する必要があるということだ。
なのに、何故わざわざ依頼人を偽るのだろう。
「……他の統括理事の誰かか」
「それも違う。オレたちに、……正確にはオレに任務を与えたのは、その更に"上"のヤツだ」
土御門は人差し指を掲げ、上方を示す。
学園都市を統べる統括理事会の、更に上。それを示す人物は一人しかいない。
「……おい、まさか」
「そう、『第三次製造計画』を潰せと命じたのは、統括理事長アレイスター=クロウリー本人だよ」
思わず立ち上がり、大声を出しそうになる。
一方通行はそれほどまでに強い怒りを覚えた。
『量産超能力者計画』『絶対能力者進化計画』を利用して全世界に『妹達』を配備したのも、
その『妹達』のネットワークを張り直すために新たに個体を製造しようとしているのも、
何より、ネットワークを利用して何度も打ち止めを狙ったのも。
全て、アレイスターの何かしらの目的のためだったのだろう。
あのエイワスさえも、極論してしまえばその目的を遂げるための過程で発生した副産物にすぎないのかもしれない。
「……どォしてあの野郎が『第三次製造計画』を止めたがる!?
あの野郎の目的のためには、『妹達』を自由に製造・配備出来た方がいいンじゃねェのか?」
「それは分からん。必要な数は作ったと言うことなのかもしれないし、何か他の理由なのかもしれん。
あるいは、あの男の計画に『妹達』が不要になった、ということかもしれないしな」
「…………」
「で、どうするんだ」
「どうするって、何をだ」
「今回の件だよ」
土御門は壁に背を預けたまま、一方通行に問う。
「『第三次製造計画』を潰せば、それはアレイスターの目論見通りになる。
あくまでアレイスターの言いなりになることを避けるのならば、『第三次』を見過ごすしかない」
「決まってンだろ。『第三次』を潰したうえで、あのクソ野郎の思い通りになンかさせねェ道を選ぶ」
「……ま、お前はそう言うと思ってたにゃー」
声のトーンを明るくさせた土御門が、ひらひらと手を振り玄関へと向かう。
「それだけ分かってりゃ十分だぜぃ。さてと、オレももう帰るかにゃー」
「………いきなりその馬鹿口調に戻るの、気が抜けるからやめろ」
「日常と非日常を行き来するなら、気持ちを切り替えるためにわざと口調を変えるっていうのは意外と有効なんですたい」
土御門は悪友に向けるような笑顔を一方通行に向けて見せた。
対する一方通行は渋面のまま。
「んじゃ、また明日な。何かあったらいつでも連絡をくれ」
そう言って、土御門は帰って行った。
昼食やその後のお茶を終え、美琴ら四人は実験場の駐車場まで戻ってきていた。
「──ふむ、どうしようか」
自身の車の前で、木山は考え込む。
彼女の愛車・ランボルギーニは後部座席が無く、4人も乗ることはできない。
無理やり押し込めば乗れるかもしれないが、そんなことをすれば間違いなく警備員に捕まってしまう。
「私たちほとんど同じ方向だから、一緒に電車で帰ろうと思ってるんだけど」
「……むぅ、そうするしかない、かな」
木山はごそごそと自分の財布を漁り始めた。
「これだけあれば帰りの電車賃には十分だろう」
と差し出されたのは樋口一葉が描かれたお札。
帰りの電車賃に十分、どころか数往復は出来てしまう額だ。
それを三人分。
「こ、こんなにたくさん受け取れないですよ」
「そうですわ。依頼を受けたお姉様はともかく、わたくしと上条さんは勝手に見物に来ただけなのですから。
気持ちだけ、ありがたく頂いておきますの」
「なぁに、気にしないでくれ。君たちを置き去りにして自分だけ車でさっさと帰ると言うのは私としても心苦しいんだ。
お小遣い程度に思って受け取ってくれると嬉しい」
そう言われれば受け取るしかなく、三人はお札をそれぞれのポケットに収めた。
それを木山は満足げに見つめると、愛車の運転席へと滑りこむ。
「御坂くん、今日は本当にありがとう」
「ええ。また何かあったら、喜んで協力させていただくわ」
軽く握手を交わして、美琴らは木山を見送った。
「──さあ、ぶらぶらしながら帰ろっか」
「ぶらぶらって、まっすぐ帰んねーと俺はともかく中学生は門限ヤバいんじゃねーか?」
「確かに日も沈みかけてますし、あまり時間的余裕は……あら?」
白井の言葉を遮るように、携帯電話が鳴る。
それは美琴のでも、上条のでもなく、白井自身のものだ。
「少々失礼を」
と言って、白井は美琴と上条から距離を取る。
電話越しに何事か話していた白井は、すぐにしかめっ面になって戻ってきた。
「……申し訳ありません、お姉様。初春が大至急ヘルプで手伝ってほしいことがあるそうですの」
「風紀委員の仕事?」
「ええ。それで……あの、その……」
とここで白井は美琴ではなく、何故か上条の事を値踏みするようにじろじろと眺めまわした。
「……殿方さん、決して門限破りなどせぬよう、きっちりとお姉様をエスコートして差し上げるんですのよ!」
「お、俺が?」
「他にどなたがいらっしゃいますの。ちゃんとレディーをエスコート出来ぬ殿方に、紳士を気取る資格はありませんの。
……と言うわけでお姉様、黒子は先を急ぎますのでこれにてごきげんよう」
一方的にまくしたてたのに、空間に溶けるように消えてしまう。
『空間移動』の能力で一足先に駅へと飛んで行ったのだろう。
あとには、ぽかんと口を開けたままの上条と、何故か赤くなった美琴だけが残されていた。
二人が駅に着く直前に、第七学区方面への電車は発車してしまっていた。
白井はちゃんと電車に乗れたようで、ホームにその姿は見当たらない。
次の電車までの待ち時間を、美琴と上条はベンチに並んで座って待っていた。
「聞きそびれてたんだけどさ、その右手、どうしたんだ?」
「ああ、これ?」
上条の言葉に、美琴は包帯の巻かれた右手を軽く持ち上げた。
その下には、いまだ痛々しい傷口が残っている。
「何日か前に思いっきりぶつけちゃってね。傷口、結構酷いのよ」
「痛そうだな……女の子だし、傷痕残らないといいな」
「男の子だと『傷痕は男の勲章だー!』なんて言えるんでしょうけど」
「まーなぁ。俺の膝小僧なんて傷痕だらけですよ。
きっと怪我が治る前に次の怪我をするような、そんなやんちゃ坊主だったんじゃねぇかなぁ」
断定ではなく、推量。
もう思い出すこともできないことに対する彼の口調に、美琴は少しだけ寂しいものを覚えた。
「そーいやさ、その……この間あげたネックレス、つけてないのか?」
「これ?」
美琴は首元までシャツのボタンを一つ外し、中に隠していたネックレスを引きずりだした。
「授業じゃないとはいえ教師が一緒に居たしさ、没収されたら嫌だから服の中に隠してたのよ。
シャツを首元まで閉めてれば分かんないしさ」
「そっか」
「何よ―、私がネックレスつけてるかどうか、気になるの?」
「そ、そりゃあまあ、自分があげたのを相手が付けてくれてるかどうか、気にならない奴はいないだろ?」
「んふふー、そっか、私がネックレスをつけてるとあんたは嬉しいんだ」
「嬉しいって、別に……」
ふい、とそっぽを向く上条に、にまにまと口元を緩める美琴。
以前だったらきっと、真っ赤になって泡を吹いていたかもしれないシチュエーションだ。
だが、自分の中に生まれた想いとどう向き合っていくか。その筋道をちゃんと付けさえすれば、感情に振り回されることなんてない。
恋は人を成長させると言うが、この時美琴は確かに少しずつ成長しているのだろう。
「さすがに学校につけてはいけないけどさ、休日寮を離れる時はつけてるから安心しなさいって」
「いやだから、安心も何も……」
上条の言葉を遮るように、電車の到着を告げるベルが鳴った。
これ幸いとばかりに、上条は学生カバンを抱え立ち上がる。
「……よし、じゃあ帰るか!」
「……逃げた」
唇を尖らせる美琴に、上条は気付かないふりをした。
その夜。
『──『ティルフィング』第7ロット精製完了。続いて第8ロットの精製に取り掛かります』
『──『ミステルティン』は第8シークエンスまで終了。完成率85%に達しました』
電子音が作業の進行状況を伝える中、布束砥信はそのギョロリとした目をモニターに向ける。
『新素材』によって作られた最新鋭の携行兵器が出来上がっていく様を、憂鬱そうに眺めていた。
(……あなたもひたすら災難に遭うわね、『超電磁砲』)
それに加担している私が言うのもなんだけど、とため息をつく布束の耳に、馴染みとなったハイヒールの音が飛び込む。
背後に立ったのは、テレスティーナだ。
「布束さん、進捗状況は?」
「about...『ティルフィング』は第7ロットまで完成。『ミスティルティン』は85%完成。
先ほどそう報告があったわ」
「そう」
布束につられて、テレスティーナもモニターに目を向ける。
そこに映っているのは、『期待の新装備』の精製ラボだ。
不思議な色の液体の入った水槽の底から、1mほどの円柱状の物体が何本も林立している。
表面はとても滑らかだが有機物とも無機物ともとれぬ不思議な質感を持ち、その側面には金色に光る文字が書かれている。
『Tirfing』
『第三次製造計画』によって生み出された個体に制式兵装として与えられる予定の新装備の一つだ。
「これで『最上位個体』以外の現存する『第三次』全員に一通り行き渡る分の装備が整ったわけだけど、慣熟訓練の方は?」
「『ティルフィング』『スレイプニル』は既に終了しました。
あとは『ミスティルティン』が完成次第、『最上位個体』と併せて最終調整を」
「精製に手間取っている分、スケジュールが押しているわね。
そっちのほうも急いで頂戴」
「了解しました」
「By the way...あの『棺』の件なのだけれど」
布束は『新素材』を発生させる装置のことをそう呼んでいた。
なんとなく他の研究員が呼ぶように、『工場長』と呼ぶ気にはなれなかった。
「先日の『バージョンアップ』以来何やら挙動がおかしい件については、原因は分かりましたか?」
「特に問題はないわ。必要な量の素材は得られているのだし」
「But...このままではいつか、大きなトラブルにつながるのでは?」
「その時は『処分』するわ。元々それ込みでの運用なわけだし」
テレスティーナの笑みが冷たさを帯び始め、布束はこれ以上口を出さないほうが良いと判断する。
頷いて了承の意を示せば、テレスティーナは満足そうにうなずき返した。
踵を返し立ち去るテレスティーナの背中を、布束は諦観の面持ちで見つめた。
自分だけが闇に落ちるのなら、それは因果応報かもしれない。
だが『妹達』まで巻き込むのはごめんだ。
ちらりと『工場長』が安置されている部屋の方向を見る。
『バージョンアップ』以来、通常の駆動とは異なる強い振動を起こしたり、計器に突如異常をきたしたり。
『中に人が入っている』ことを知ってしまった今、ただ調子が悪いだけとも思えない。
あの時インストールしたプログラムに、何か問題があったとしか思えない。
『棺』に打ち込まれたプログラムの名は『Prometheus(プロメテウス)』。
人間に火を与え、代わりに永遠の責め苦を受け続けることになったという神の名であること以外、布束には分からない。
ただ『新装備』と異なりギリシア神話から名を取られたことに違和感を覚えただけだった。
『第三次製造計画』の停止と引き換えに御坂旅掛によって学園都市にもたらされたソレは、今なおこの『棺』の中で息づいている。
終わらぬ苦痛によってその臓物を喰われ続ける代償に、プロメテウスが地上へともたらした『天界の火』。
仮にこの場に『棺』の中で何が起きているかを知っている人間がいれば、その名の由来に納得し頷いたかもしれない。
敬虔な十字教徒がいれば、その神の持つキーワードからあるものを連想したかもしれない。
『天界』に住む天使を束ね、『右方の炎』を司る大天使の名を。
──すなわち、『神の如き者(ミカエル)』を。
12月18日、深夜。
木山は自身に与えられた研究室で、コンピュータの画面とにらめっこしていた。
机の端におかれた夕食代わりのカップラーメンはとうに伸びきり常温になってしまっている。
それほどまでに木山を夢中にさせているのは、御坂美琴から得られたデータの解析と分析。
それが今彼女の頭の中を占めている事柄だ。
得られるものは多く、実に興味深い。
(数ヶ月前の彼女と、今の彼女。出力だけではなく、脳の活動状況にまで大きな変化があった)
常盤台中学から提供された美琴の脳波グラフなどを含む大量の詳細データ。
それを今回得たデータと比較してみると、その差異は一目瞭然だった。
基本的に人間の脳はある動作に習熟すると、それに伴いその動作を行った時に働く脳の部位や脳波の変化パターンが次第に固定されていく。
習熟済みの同じ行動をしているはずなのに、二つの時点で脳の活動状況が大きく異なるというのは、通常考えにくいことだ。
変化の理由として考えられる可能性は2つ。
1つは、美琴自身が意図的に行動を、この場合は能力使用に関する演算パターンを改変しようとしている場合。
もう1つは、「何らかの原因により、彼女の心身に大きな変化をもたらしている」場合。
思春期の学生では、心身の成長のバランスが取れていないために変調をきたす者が少なからずいる。
そのような学生では、能力強度の上下に伴い脳波の乱れが見られることもある。
だが、今回の美琴のようにここまで大幅な変化を見せる学生は、木山のこれまで触れてきた学生たちのデータにも見られない。
まるで精神そのものに大きな衝撃を受けたような、それほどまでに大きな心の振れ幅。
『自分だけの現実』を変質させてしまうほどのショッキングな出来事があったのだろうか。
「御坂美琴……君に、一体何があったのだろうか」
「────オリジナルがロシアで直面した出来事を考えるに、さして不思議はないかと」
木山しかいないはずの研究室。
なのに、背後から少女の声がした。
驚き振り返ろうとした木山の口元を、少女の左手が無理やりにふさいだ。
パチンという音がして部屋の照明が落ち、光っているのは木山のコンピュータだけとなる。
片手で壁に押し付けた木山の脇腹に、少女は硬いものを押しつけた。
拳銃。体の影になって見えないが、木山はそう判断した。
唯一の光源であるモニターとの位置関係のせいで少女の顔は見えないが、十代半ばくらいのようだ。
目深にかぶったフードの下から、冷たい光を帯びた瞳が見えた。
「木山春生博士でお間違いないでしょうか。正解であれば瞬きを続けて二度」
当惑する木山は、少女の命令には応えない。
少女は目を細め、無造作に右手を動かした。
かしゅん、という小さな音がした。
直後、内臓を灼かれたかと思った。
遅れて、腹を撃たれたのだと木山は理解した。
「ぐ、が、あああああああああああああああああああああああッッッ!?」
苦しみ悲鳴を上げる木山を少女は無造作に投げ捨てた。
それきり興味を失い、木山のデスクへ向かう。
「……脳波のモニタリングにより木山博士本人だと確認しました。
セキュリティシステムは殺してありますし、この施設は研究を妨げぬために全室完全防音であることは確認済みです。
どれだけ悲鳴を上げたところで、助けに来てくれる人はいません」
「…………君は、うぐ、何者だ。何が……目的だ」
床に倒れ伏した木山は、目だけを動かし少女を見上げた。
何事かをしているようだが、木山の位置からでは何をしているのかはよく分からない。
位置関係が変わり、コンピュータのモニターが少女の顔を照らしているのが見えた。
色素の薄い髪。
無機質な表情。
その造形は、見知った少女によく似ていた。
「『第三次製造計画』における先行試作評価体、『リプロデュース』と言ったところでしょうか」
少女はこともなげに自らの出自を明かして見せた。
だが、それに木山の知っている単語は含まれていない。
自分が狙われた理由が分からない。
少女の目的すらも分からない。
ただあの少女に関係しているのであれば、何があろうともそのことを伝えなければならない。
木山の目的は一貫して「子供たちを守る」こと。
直接受け持ったことはなくても、彼女はもう木山の守りたい人間の範疇に入っているのだから。
そんな木山の決意を嘲笑うかのように、『リプロデュース』は黒光りする銃口を向けた。
「では、『お姉様』によろしくお伝えください」
弾丸が消音器を通過する擦れたような音がして。
木山の意識は、そこで途絶えた。
今日はここまでです
>>495の一番下の行は消し忘れなので無視してください
どんどん妄想具合が悪化していく……
こんばんは、お久しぶりです
大変ご無沙汰しておりますorz
3週間ちょっとぶりにも関わらず短めですが、今日の分を投下していきます
12月20日。
「──? ─────ッ!?」
「…………んー……?」
ルームメイトのの素っ頓狂な声に眠りを乱され、美琴は目を覚ました。
白井はそれに気づかず、美琴に背を向け電話に熱中している。
「……えぇ、……えぇ。しかし、何故そのようなことに……」
「……くろこー、どーしたの?」
美琴の問いかけに白井は振り向き、静かにしてほしいというジェスチャーを返した。
「……はい、わかりましたの。ではのちほど」
ようやく通話を終えた白井はため息をつき、美琴に向き直った。
「起こしてしまって申し訳ありません」
「何かあったの?」
どう見ても穏やかな内容の電話ではなかった。
美琴の質問に、白井は答えて良いものか、というように逡巡する様子を見せる。
「……どうせそのうちお耳に入るでしょう。
一昨日深夜、木山春生が研究室で何者かに襲撃を受け、意識不明の重体だそうですわ」
「木山せんせいが!? なんで、どうして!?」
「詳しいことはまだ……。
襲撃犯がまだ近くをうろついているかもしれないということで、これから風紀委員の緊急会合が行われるという連絡でしたの」
怨恨、物取り、性犯罪目的。あるいはそれ以外の目的があったのか。
犯人の思惑が判明しない以上、次の犠牲者が出てしまう危険性も考慮した上で対応策を練らねばならない。
「下手な動きは犯人を刺激し、被害の拡大や逃亡の恐れを増大させますの。
お姉様は下手なことをせず、おとなしくしていてくださいまし」
などと言われたところで、大人しくしていられる美琴ではない。
気もそぞろに授業を受け、何か出来ることはないかと考えているうちに放課後になってしまった。
だが、『警備員』どころか『風紀委員』ですらない美琴に出来ることなどほとんどない。
襲撃事件と言うこともあり搬送された病院は公表されず、見舞いに行くことすらできない。
と、ここで美琴はあることを閃いた。
携帯電話を取り出し、電話をかける。
相手は妹の一人だ。
『──もしもし、ミサカ10032号です、とミサカは応答します』
「もしもし、私。電話は久しぶりね、10032号」
『いかがなさいましたか、とミサカは普段電話をかけてはこないお姉様を訝しがります』
日常、妹たちとメールのやり取りはすれど電話をすることはあまりない。
存在が露見したとはいえ妹たちとの電話は、予定が漏れて白井の襲撃を避けると言う意味であまり自室でしたいものではないからだ。
外であればどこで誰が聞き耳を立てているか分からず、彼女たちを守るためにも余り情報を漏らすようなことはしたくない。
というわけで、もっぱらやりとりはメールばかりなのである。
「ちょっと聞きたいんだけどさ、その病院で夕べ夜更かししていた子はいる?」
『19090号が午前二時ごろまで雑誌を読んでいたようですが、どうかいたしましたか、とミサカは尋ね』
「深夜に大怪我をした女性の急患があったかどうかちょっと聞いてみて欲しいんだけど」
木山が現在所属している研究施設は第七学区にある。
そして意識不明の重体で発見された。
となれば、運ばれる可能性が高いのは妹たちのいる冥土帰しの病院だろう。
『女性かどうかはわかりませんが、重傷を負った急患の緊急オペが深夜に行われたことは事実のようです、とミサカは伝聞を伝えます』
「……そっか、ありがとね」
そう言って、通話を切った。
木山だという確証はないが、重傷患者が冥土帰しの病院に運ばれたことは事実のようだ。
ならば、他に出来ることはないし行ってみるべきだろう。
「──守秘義務がありますし、部外者の方にお答えすることはできません」
「ですよね……」
婦長ににべもなく拒絶され、美琴は肩を落とす。
すっかり顔なじみになり会えば談笑することもある人だが、それはそれ。
特に事件性のある患者の情報は、再襲撃の可能性も考慮され、親族でもない限り明かすことはできないことになっているはずだ。
結局その患者が木山であるかどうかも確認できず、美琴は病院のロビーでうなだれていた。
数日前の木山の笑顔を思い出す。
自らの研究を、子供たちの為に役立てたいと語った木山の笑みは、何よりも綺麗だった。
その彼女が何故、襲撃されねばならなかったのだろう。
ひょっとして、『幻想御手』事件の被害者の誰かが木山の事を恨んでの犯行なのだろうか。
様々な考えが頭の中で渦巻き鬱々とした感情をもてあましていると、不意に誰かが美琴の前に立った。
冥土帰しだ。
「やあ、こんにちは」
「こんにちは」
「右手の調子はどうだい?」
「だいぶ良いです。もうお湯につけてもしみませんし、手を動かした時の変な感じも薄れてきました」
負傷してから2週間が経ち、右手の甲の傷もだいぶ良くなった。
治りかけの傷口が引き攣れて痛むなんてことも少なくなり、もう1週間もすればかさぶたも剥がれ落ちることだろう。
「ふむ。ただ、痕が残るかどうかは治りかけの時期にかかっているからね?
時間が空いているようなら、今から診てあげようか」
診察がてら、彼から木山について聞けるかもしれない。
そう思った美琴は頷いた。
冥土帰しの後について院内を歩く美琴は、そのうちに奇妙なことに気付いた。
今まで数度手の怪我を冥土帰しに診てもらった時はいつも彼の診察室だった。
だが今歩いている廊下は、彼の診察室へと向かうルートではないはずだ。
そんなことを考えていると、冥土帰しが歩くペースを緩めて美琴に並びつつ言った。
「一昨日の夜大怪我をした女性が運ばれてきたかどうか、妹さんたちに聞いたんだってね?」
「はい」
冥土帰しのほうからその話を切り出されたことに少々驚いた。
が、向こうから切り出されてしまった以上、今聞こうが後で聞こうが同じことだ。
「木山春生、という女性は運ばれてきませんでしたか?」
「来たね」
即答。なんともあっけらかんと応える冥土帰しに、美琴は少々拍子抜けする。
というか、守秘義務がどうのこうのはいいのだろうか。
「け、怪我は大丈夫なんですか!?」
「執刀時間2時間42分。内臓・主要血管などに後遺症を残すような損傷はなし。
予後は順調だね。退院まで一月もかからないだろう」
「ああ、良かった……!!」
ようやく胸を撫で下ろせた美琴。
その様子を、冥土帰しは満足そうに眺めた。
「実はね、君をロビーから連れ出したのは、君に聞きたいことがあるからなんだ」
「私に、ですか?」
美琴は首をかしげる。
木山に最後に会ったのは一週間近く前で、それ以降は直接の接触はしていない。
電話やメール越しにしても、昨日の昼間が最後であり、事件にはなんら関わっていないはずだ。
「話を聞きたいのは僕じゃなくて、彼女がなんだけどね?」
冥土帰しはとある病室の前で止まった。
扉の両脇を固めていた『警備員』2人が、冥土帰しに軽く礼をする。
「木山春生さんの要望で、お客さんをお連れしたんだけど」
「お聞きしています。どうぞ」
手招きに促され病室へ入ると中央にはベッドが一つだけ置かれ、脇には別の『警備員』が控えていた。
ベッドの中で寝かされていたのは、紛れもなく木山春生だ。
いくつもの点滴のチューブを腕につながれ、力なく横たわっていた。
「木山せんせい!」
思わず美琴は大声を出してしまった。
木山の様子が余りに痛々しかったからだ。
いくら手術に成功したとはいえ、即座に体調が戻るわけでもない。
「……やあ、よく来てくれたね」
「…………大丈夫、なの……?」
「なぁに、ちょっと腹と胸が痛むくらいさ」
鉛玉を至近距離から腹や胸に撃ち込まれて、大丈夫なはずがない。
発見が遅れていれば、間違いなく致命傷となっただろう怪我だ。
辛そうな息の下で、それでも木山は美琴に笑いかけた。
泣きそうな顔の子供がいれば、強がらずにはいられない。
どんな時でも子供たちを安心させるのは大人の仕事だと思っているからこその行動かもしれない。
現在のサーバのご機嫌:普通ですー(LA:0.5458984375)
「……『警備員』さん。少し、プライベートな話があるんだ。
あまり時間はとらせないから、席を外してくれないか」
木山に問いかけられた『警備員』は、木山と美琴、冥土帰しの顔を数度見比べた。
「分かりました。我々は表にいますので、何かあれば声をかけてください」
警備員が退出し、扉が閉まったことを確かめてから、木山は話を切り出した。
「……早速だが、君に聞きたいことがあるんだ」
「何かしら」
木山が美琴に聞きたいことというのが、彼女自身にはさっぱり思いつかなかった。
ひょっとして、病床の中でも彼女の進めている研究を続けるつもりで、その疑問点を解消するために呼んだのだろうか。
「君は、『第三次製造計画』という言葉を知っているかな……?」
「……っ!?」
だが、木山の口から飛び出したのは意外な言葉だった。
10日ほど前に一方通行に聞かされた、この学園都市の『闇』が進めているおぞましい計画と同じ名前だ。
何故、それを木山が知っているのだろう。
何故、この場面でその名が出てくるのだろう。
「……その反応だと、何かを知っているようだね。
良ければ、教えてくれないか」
「……『第三次製造計画』と、木山せんせいの事件は、何か関係があるんですか?」
「私を撃った犯人は、フードを目深にかぶっていたけれど。
それでも一瞬だけ、ちらりと顔が見えたんだ」
嫌な予感がする。
妹たちは生み出された目的に対し、何の疑いもなく従ってしまう。
ならば、その目的が悪意まみれのものだったなら。
「君に、とても良く似ていた」
「……ッ!?」
「私を撃った犯人が、名乗ったんだ。
『第三次製造計画』の先行試作体、『リプロデュース』と」
「私の妹たちの誰かが、木山せんせいを襲った……!?」
美琴の懸念は、最悪の事態として現実になった。
元々が『軍用クローン』として生み出された『妹達』だ。
暗殺者のような使役のされ方をされても、何の不思議もない。
善悪の意識に乏しい彼女たちを操るために、なんら難しい事をする必要はない。
ただ命令すればよい。それだけだ。
たったそれだけのことで、『妹達』は自身に与えられた力を躊躇することなく振るってしまう。
結果として、木山襲撃の実行犯はその『リプロデュース』ということになってしまうのだろう。
命令したその『誰か』は、命令しただけで実行はしていないとして、例え捕まっても罪は実行犯ほど重くはならない。
そもそも捕まるかも分からない。
「……その事は、『警備員』の人には?」
「言っていない。誤解しないでほしいのは、私は犯人探しをしたいわけじゃないんだ。
その子もきっと、誰か黒幕に操られているのだろう。ならば、退治すべきはその背後にいる連中だ」
だからこそ、黒幕を突きとめるためにも情報を提供して欲しい、と木山は言った。
美琴は悩む。
彼女が持っている情報は、一方通行に与えられたものだけだ。
彼自身とて、そんなに多くの情報を得たわけではないのだろう。
あくまで概要だけであり、突っ込んだところの詳細までは彼も分からないと言っていた。
今彼は番外個体と共に『第三次製造計画』を暴き立て、中止に追い込むために動いている。
彼から『第三次製造計画』に関する情報を得てから10日余り。
あれから有益な情報を得られたのだろうか。
尋ねてみるべきではないか。
「少しだけ、席を外してもいいですか?」
「構わないが、どこへ行くのかな?」
「携帯電話を使える場所、ここからだと近いのは……屋上ですね」
「──じゃあ、情報を整理するぞ」
一方通行のアジトの一つで、『グループ』のメンバーに加えて番外個体が顔を合わせていた。
メンバー間の情報共有は何よりも大事なファクターであり、日に一度はこうして集まっている。
「一週間の調査で、候補はおよそ残り2割にまで絞れた。
……が、ここからが一苦労だな。なんせ残りの施設は『やたら大きい』か『セキュリティが固い』か、あるいはその両方だ』
「こんな時こそ適任な人がいるでしょ? 今までもそうして調べてきたんでしょうし」
結標が横の海原を肘でつついた。
「一つ一つ調べるにも限度があるでしょう。
『成り済ます』にしても念入りな前準備がいりますし、あまり効率的とは言えません」
「クライアントからの依頼は年内に、ということでしたよね?
余り残り時間も超多いとは言えませんが」
「もォ一度情報を精査して、少しでも可能性の高いところを片っ端から当たってみよォじゃねェか。
時間がないからと言って、雑な仕事をして嗅ぎつけられ逃げられたってンじゃ話になンねェし」
プリントアウトした施設の情報をテーブルの上にぶちまけ、順番に検討していこうとした時、部屋に可愛らしい音楽が流れた。
番外個体が慌てたように、ポケットから携帯電話を取り出す。
「邪魔だから音は消しとけって言っただろ」
「マナーモードにするのを忘れてたんだよ。……あ、お姉様からだ」
画面を見てどうしようかと番外個体が一同を見まわし、土御門が肩をすくめる。
「俺たちの事には触れず、声も聞こえないところでなら出てもいいぞ」
「りょーかい」
番外個体は身を沈めていたソファから立ち上がり、部屋の隅へと移動した。
「もしもし、お姉様? どーしたのー? 遊びのお誘い?」
『ワースト、ちょっと聞きたいことがあるんだけど』
学生たちももうすぐ冬休みに入り、浮かれて遊びの予定を立て始めるころだ。
姉もそうした手合いで、てっきりどこかへ遊びのお誘いのために電話をかけてきたと思ったのだが、どうも様子がおかしい。
急いたような声がいやに真面目と言うか、シリアスモードだ。
「……何かあったの?」
『ええ、ちょっとね。
"第三次製造計画"についての調査は進んでる?』
「うーん、あんまり……。
いくつか情報は出てきたけど、あの人がお姉様に話しただろう内容からは大きな進展はないよ」
『そっか……』
美琴の声に落胆の色が混じった。
実際は『第三次製造計画』が進められている根拠地の特定が着々と進んでいるのだが、それを話してもいいのかどうか番外個体には判断ができない。
悩む番外個体に、美琴が核心を切りだした。
『出てきた情報の中に、"リプロデュース"って単語は出てきた?』
「……ううん、ないなぁ。初耳だよ。その単語は、何を意味しているの」
『……実はね、私の知り合いの研究者の人が誰かに襲われて、酷い大怪我をしたの。
それで、その襲撃犯が……私にそっくりだったらしいの』
美琴の言葉に、番外個体は目を見開いた。
『その研究者さんが気を失う寸前に、犯人が名乗ったんだって。
"第三次製造計画"の先行試作体、"リプロデュース"って」
「……『第三次製造計画』の、『リプロデュース』」
前半はともかく、後半の単語は番外個体の知る限りは単なる英単語以上の意味は持たないはずだ。
しかし、番外個体は『第三次』とはいえ持っている情報は極めて限定されている。
彼女の知らないところで、『第三次』に関して何か別のプロジェクトが動いているのかもしれない。
研究者の襲撃。『リプロデュース』を差し向けた黒幕の怨恨か、あるいは技術奪取など何か別の目的があったのか。
それを判断するには、現状ではあまりに情報が少なすぎる。
『……もし、悪人の私利私欲のために『第三次製造計画』の子たちが利用されているのなら、私はそれをなんとかしたいの』
焦りが透けて見えるような美琴の声に、番外個体も力になれず申し訳なく感じた。
「…………ごめんね、ミサカたちも頑張ってはいるんだけど……」
『ううん、気にしないで。こっちもちょっと探りを入れてみるからさ。
何か分かったら、私にも教えてね』
そのまま通話を切ろうする気配を感じ、番外個体は慌てて引き留める。
「ミサカからもちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
『なぁに?』
「『地下』『縦穴』『水』。そのキーワードから連想するものって何?」
今『グループ』が頭を悩ませている問題だ。
問題がにっちもさっちも行かなくなった時は、たいてい思考がごちゃごちゃと絡み合い、自分でわけが分からなくなってしまっていることが多い。
案外、第三者に条件だけを提示して先入観なしで考えてもらった答えの方が的を射ていることもある。
『……何に関係するの?』
「いいからいいから。余計な情報なしで考えてよ」
『うーん、急にそう言われてもなー』
電話越しに美琴はしばらく考え込んでいるようだったが、
『…………セノーテ、とか?』
「……なんでユカタン半島の水没鍾乳洞?」
番外個体の期待する答えとは180度逆の答えに、少しだけ脱力をする。
そういうのはマジュツだのなんだのとオカルト臭みなぎる技術の領分ではないだろうか。
『夕べドキュメンタリーでやってたのよ』
「お嬢様学校ってテレビ禁止なイメージだけど」
『部屋にテレビがなくたって、PDAにチューナーぶっ刺せば見られるじゃない。携帯にだってくっついてるし』
「はぁ」
お嬢様学校として名高い常盤台中学校生徒の知られざる実態に、番外個体は呆れ声を出した。
「ミサカの携帯電話、テレビ機能ないんだよねぇ。
……じゃあさ、『人工物』って条件を付け加えて考えて?」
番外個体の言葉に美琴は再び考え込み、しばし沈黙が流れる。
『……井戸』
「ちょっと違うかなぁ。もっと大きいの」
『地下、縦穴、水、人工物、大きい…………ねぇ』
「なんかこうレベル5の閃きとか叡智とか第六感とかでズババン!! と思いつかない?」
『そんなので簡単に思いついたら苦労はしないわよ。
……そうねぇ、じゃあ緊急放水路とかは? 災害防止用のヤツ』
「放水路? 人工的な川か何か?」
『違う違う。大きな縦穴で、底に大きな貯水槽があるのかなぁ。
大雨とかで水害が発生しそうな時に、余分な水をそこに流し込んで洪水を未然に防ぐの。
東京に大きなヤツがあるし、確か学園都市にも第二十一学区あたりにあったような……』
番外個体の脳裏に浮かんだのは、もの凄く大きなマンホールだ。
コンクリートに固められた巨大な縦穴の底に、大きな地下水路でも存在するのだろうか。
第二十一学区は水源地帯だ。
水害が発生するとしたら、大きな河川やダムを抱えるこの学区から真っ先に発生するだろう。
そして、目下のところ『第三次製造計画』の本拠地があるのではないだろうかと疑われている場所でもある。
『東京にあるのは深さ50mくらいだけど、学園都市のは地下開発の関係で200mくらい深いところにあったはずよ。
あんたの挙げた条件だと、最大限に満たしてるのはここじゃないかなぁ。
……ところでさ、これがどうかしたの?』
「それはちゃんと調べてから話すよ。ありがとね」
番外個体は電話を切ろうとして、その前に一つだけ気になったことを尋ねた。
「ねぇお姉様。『リプロデュース』だかに襲われた研究者の人って、何て人?」
『名前? ……木山春生さんって名前だけど、知ってるかしら』
「うーん、ミサカの記憶にはないや。
……じゃあねお姉様」
じゃあね、と美琴が返答したのを確認してから、番外個体は通話を切った。
「──何だったンだ?」
ソファに戻った番外個体を、一方通行らが待っていた。
「なんだか、あんまり悠長に構えてる時間はないみたいよ?」
「……何かあったのか?」
「『第三次製造計画』の誰かが、お姉様の知り合いの研究者を襲ったんだってさ」
「何だと?」
『グループ』のメンバーに、かすかな困惑の色が漂う。
「どォ言うことだ。詳しく話せ」
「そのまんまだよ。一昨日の夜、お姉様の知り合いの研究者が襲われて銃で撃たれたの。
その犯人の顔がお姉様にそっくりで、『第三次製造計画』の……なんだったかな、『リプロデュース』って名乗ったとか」
「……『第三次製造計画』、か」
一方通行がその名を呟き、深く考え込み始める。
彼のその胸の中を、何が駆け巡っているのだろう。
守ろうとしている少女が凶事に手を染め、未だ自分は計画の尻尾をつかみ切れずに燻ったまま。
そのストレスもそろそろ限度に近付きつつある筈だ。
「しかしなんでまたそんなことを。被害者の名前は?」
「木山春生」
その名を聞いた土御門が手元のノートパソコンを操作しだす。
やがて『警備員』のネットワークから木山の事件についてのファイルをダウンロードし、その概要を読み上げ始めた。
「……被害者は木山春生、女性。職業は研究者。
昨日深夜、自らに与えられた研究室に籠って作業をしていたところを何者かに襲撃された模様。
被害は胸、腹に一発ずつ貫通銃創。凶器は不明で、壁や床に残った弾痕は丁寧にナイフかなんかで抉られている。
ただし、医師より学園都市軍で制式採用されている拳銃ではないかという指摘あり……」
「その木山って研究者、どんな研究をしていたのかしら」
「確かアレですよ。『幻想御手』を超バラまいた研究者です」
「『音楽を聞くだけで能力が向上する』ってヤツか……」
約半年前に学園都市を震撼させた『幻想御手』事件の名はいまだ記憶に新しい。
その実体はある研究者が共感覚という現象を利用して被害者の脳波を補正する音楽をばらまき、巨大な脳波ネットワークを作り上げようとしたものだ。
『幻想御手(レベルアッパー)』という名前のように、被害者のレベルを一時的に引き上げる副作用があったという。
「……つまり、『第三次製造計画』の襲撃者はその『幻想御手』を求めて木山春生を襲撃した……ということになるのでしょうか?」
「それはねェと思う。あンだけの事件を起こしたんだ。
『幻想御手』は少なくとも製作者側の周囲からは完全抹消されてンだろ。
そこらのチンピラ襲って音楽プレイヤー奪った方がまだ手に入る望みはある」
「そもそも、『幻想御手』と同じようなものをもう既に『第三次製造計画』は保有しているじゃないか。
改めて入手し直す必要はあるのか?」
土御門の指摘に、一同の顔がいっせいに番外個体のほうを向く。
集中した視線を浴びた番外個体は、きょとんと土御門の顔を見返した。
「ひょっとして、ミサカネットワークのことを言ってるの?」
「そうだ。同じ脳波ネットワークなんだ、仕組みが同じなら、出来ることも同じでも不思議じゃないだろ?」
「うーん、どうなのかなー」
土御門の意見に番外個体は難色を示す。
この場にいる人間は誰も知らないが、そもそも『幻想御手』はミサカネットワークを参考に作られたものであり、運用原理としてはほとんど同一と言ってよい。
だが、『幻想御手』とミサカネットワークでは決定的な違いがある。
「……ミサカの考えだと、ミサカネットワークを『幻想御手』として運用するのは無理だと思うよ?」
「どうしてだ?」
「だって、その『ネットワークの構成員』っていう根本的なところが違うでしょ?
『幻想御手』って、脳波を同一にしてネットワークを構成し、演算能力や『自分だけの現実』の差異を互いに補い合い、より強力なものへと拡張させる。
結果、能力強度が使用者の本来のものより格段にアップする。そんな認識で合ってるよね?」
土御門が頷き、肯定を示した。
「だけど、ミサカたちにはそもそも補い合えるだけの『自分だけの現実』の差異そのものが存在しない。
生まれてから時間が経った『第二次』の『妹達』は少しずつ自我を芽生えさせ始めているけど、最初に設定されたものからしてみれば誤差の範疇でしかない。
つまり、何人ネットワークに繋いでいようが、『自分だけの現実』はほとんど同一のままで補正し合うことはできない。
演算能力は第一位の演算補助が立証しているように融通し合えるかもしれないけど、それだけで能力は向上しないでしょ?」
「演算能力を高めるだけで能力強度が上がるなら、スパコンと繋いだヘルメット被ればみんなレベル5ってことになってしまいますしね」
「それに、仮に『ミサカネットワーク≒幻想御手』説が正しいなら、ミサカの姉妹はみんなもっとレベル高いはずだよ?
単体でレベル2~3なんだから、20000人の能力を合わせたらどうなることやら」
「でも現実には、今現存する『妹達』はあなたを除いてみんなレベル2~3。
つまり、ミサカネットワークは『幻想御手』としての機能は果たせない。『第三次』においてもそれは恐らく同じ。
故に、『第三次』が『幻想御手』を狙う理由もないということになる。……ってところかしら?」
「そゆこと」
結標の意見を首肯し、番外個体はソファに体を埋めた。
「論点がズレてンぞ。『妹達』のネットワークが『幻想御手』としての役割を果たすかどうかは問題じゃねェ。
一番重要なのは、『いかにさっさとその黒幕を潰すか』だ。
その『リプロデュース』とやらの襲撃が、一度で終わるとは限ンねェぞ」
「そうですね。ですから、まずは場所の超特定からです」
「それについても、ちょっとお姉様に尋ねてみたんだけどさ」
「……お前、まさか『超電磁砲』に情報を漏らしたのか?」
「違う違う。『縦穴』『水回り』『人工物』とかいくつかのキーワードを挙げて、何を思い浮かべるかって聞いてみたの。
先入観なしで何を思い浮かべるかって言うのが利きたかったからさ。
人の直感って意外と馬鹿に出来ないし」
「で、『超電磁砲』は何て答えたの?」
「災害防止用の緊急放水路、だってさ。第二十二学区にもでかいのがあるらしいよ?」
「放水路、ねェ」
怪しい施設のリストの中に入っていたか定かではないが、第二十二学区にそのような施設があることは一方通行も知っている。
「土御門、資料を出せ」
ほどなくして、土御門の手元にあるノートパソコンにいくつかのファイルが現れた。
片っ端から印刷しつつ、その概要を読み上げて行く。
「役所の『広域環境管理局』という部署が管理している施設の一つに、『水源地水位監視センター』という施設がある。
数年前から民間委託されていて、今は同名の法人が管理者として登録されているな」
部屋の隅に置かれたプリンターから吐き出された紙の束を結標が次々と転送し、それが卓上にばらばらと散らばる。
その中から適当に紙を取り上げ、土御門は説明を続けた。
「位置としては、第二十二学区でも一番大きなダムの真横だ。
施設内に大きな縦穴があり、ダムの水位が危険域に達した時、その縦穴から地下の巨大水槽へと排水を行う。
……だが、ここは違うかも知れんな。施設は完全に地下にあり、地上3階建ての施設で──」
「超ちょっと待って下さい」
土御門の説明を、絹旗が遮った。
「今、"地上3階建て"って言いました?」
「ああ。それがどうかしたか?」
「『書庫』の記述には、"全20層"って超書いてあるんですが」
絹旗が広げた一枚の書類に、全員の視線が集まった。
そこには確かに「全20層構造」の文字が記されている。
「……いくら学園都市と言えど、さすがに20階建を3階建てに見せかけることは無理よね」
「人間を20分の3の大きさにしたり、元の大きさに戻したりする技術が完成したのかも知れねェな。
学園都市ならやりかねねェ」
「とある青狸の秘密道具じゃないんですから。
つまりは、地上じゃなくて地下に17階層分超埋まってると言うことでしょう?」
「そうなるね」
一同で、ホームページと『書庫』の記述の両方を見比べる。
「……普通に考えりゃ、まともな施設なら地下に埋まってるもンを隠す必要はない。
テロ対策って線もねェ訳じゃねェが、だったら余所にダミーを作って本物は完全に地下に隠してしまえばイイ話だ」
「地上部分と地下部分は、実質的には別の施設なんじゃないの?
『書庫』を見られる人は限られているんだし、地上部分の施設で働いてる人は自分の足元に何が埋まってるか知らないのかもね」
「ダムの管理システムを運用するための機材と動かす人、あとはそれらを収容するハコモノさえあればいいわけだからな。
どう考えても20層もの施設は必要ない。調べてみる価値はあるだろう」
と、ここで土御門は番外個体を見る。
「どうだ、番外個体。ここがお前の『生まれ故郷』だと思うか?」
「……うーん」
問われた番外個体は眉をしかめる。
「……何とも言えない、かな。せめて地下部分の見取り図が欲しいよ。
そうしたら昔ちらりと見た見取り図を思い出せるかもしれないし。
今の段階じゃ判断はできない」
「ふむ」
答えを受け、土御門は視線を海原へと戻した。
「すると、とりあえずはお前に忍び込んでもらうことになるな、海原」
「ええ、お任せください」
海原は薄く笑う。
自分が学園都市の闇に身をやつしているのには理由がある。
例え二度と日の目を浴びることの出来ない境遇に落ちようとも守りたいと思った少女のため、海原は単身敵地へと向かう。
「──そうか。君や『妹達』も、あまり詳しくは知らないのだな」
番外個体との電話を終えた美琴は木山の病室へと戻り、知っていること全てを木山と冥土帰しに話した。
難しい顔をする木山に美琴は尋ねた。
「他に『第三次製造計画』について何か知っていることは?」
「私が知っている事は昨夜起きたことだけだし、そもそも詳しく知っていたら君を呼びつけたりはしないよ」
苦笑する木山。
その横から、冥土帰しが木山に尋ねる。
「木山さんの怪我に関することなんだけど、御坂さんに話してもいいかな?」
「構いませんよ、この件に関するのであれば」
「では失礼して。
僕は長年医者として、数多くの怪我を見てきた。
切創、裂傷、擦過傷、捻挫に骨折、火傷や凍傷、電撃傷に化学傷。
怪我には様々なタイプのものがあるが、経験を積むうちにその傷が『どんな状況で発生した』ものなのか、
人為的なものであるならば『どんな目的で負わされたか』。患部を見ただけでそれが大体分かるようになってしまった」
「はぁ」
「今回、その観点から木山さんの傷を見るとね、単なる襲撃事件とは思えなくなってくるんだよ。
木山さんの怪我は、まずお腹に一発。その後、胸に一発。お話を聞くと、殺そうと思えば確実に殺せた状況のはずなんだ。
動きの鈍った相手なんて、心臓でも頭でもその他のどこか主要臓器でも狙いたい放題なんだから。
けれど、今回の犯人はそれをすることなく立ち去った。事前に切っておいた警報装置を手動で作動させてからね」
単に木山を襲撃することそのものが目的ならば、警報装置なんて動いていないほうが良いに決まっている。
犯行から発覚までの時間が長ければ長いほど逃亡に使える時間は多くなり、また仕留めそこなっていたとしても木山が死ぬ確率は高くなる。
わざわざ捕まりやすくなるメリットを増やしてまで警報装置を再び動かす理由が見つからない。
(694)
「二発の貫通銃創と言うのは確かに致命傷になり得るものだけど、それは撃たれた場所によるんだ。
通常口径や弾丸で手足を撃ったところで即命には関わらないだろう? 放っておけば失血死する可能性はあるけれどね。
お腹や胸を撃たれて死に至る場合、銃創が臓器や大きな血管を傷つけることで臓器不全や出血性ショックを起こし、死に至るケースが多い。
これは、逆に言えば『内臓や血管を傷つけなければ命に関わる可能性は低い』と言うことも出来るんだ。
もちろん、まったく死に至るリスクがないというわけではないけどね?」
「私の怪我もそうだった、と?」
「うん。内臓と血管の間を綺麗にすり抜けるように、銃創が貫通していたよ。
人間の体の大きさや形には個体差があるけれど、内臓の位置関係は大体同じだからね。
人体構造に対する適切な知識と、銃弾を狙ったところに正確に通すほどの腕前があれば、やってやれないことはないだろうね」
つまり、木山を襲撃した犯人は「木山を殺さないように」銃撃した、ということになる。
産業スパイ対策の為に学園都市の研究所の警備レベルはどこも極めて高い。
そんな高度な警備を掻い潜り、個人の研究室にまで忍び込み、しかし殺害目的ではない襲撃を行う。
その理由は、一体何だと言うのだろうか。
「……何か別の目的があって、木山せんせいの生死そのものは問題ではなかった……?」
「それもちょっと違うね。今回のケースは明らかに死なないように撃っているとしか思えない。
僕は『死なない程度に木山さんを傷つける理由』があったのではないかと思っている。
……木山さん本人への恨みではなく、例えばほかの誰かへの警告や見せしめ目的とかね?」
「……っ、一体誰が……!」
本人ではなく他の誰かへの怨恨などに巻き込まれたというのなら、これほど理不尽なことはない。
誰かを殺したいほど憎むという感情は理解できる。美琴だって一方通行への恨みや憎しみを決して忘れたわけではない。
しかし、復讐を美化するわけではないが、それでもある人物への恨みはその人物に直接返すのが筋ではないのか。
自身の復讐のために関係のない人間を巻き込むというのは理解できない。
「……とりあえず、今僕が知っていることや、それから推測できることはこれくらいだね。
あとは警備員さんたちの捜査の進展を待たなければならないかな」
「これから君は、『リプロデュース』という子のことについて調べるつもりかい?」
「そうですね。その子が誰か悪い人間に従わされているなら、私は助けてあげたい。
……万が一、自分の意志で木山せんせいを襲ったのだとしたら、私はその子を止めてあげないといけないと思うんです」
私は『姉』だから、という美琴の言葉に木山は深くうなずいた。
「私に出来ることがあれば、何でも言ってほしい。力の及ぶ限り協力をしよう」
「ありがとう、木山せんせい、お医者さん」
病院を後にした美琴は、この後どうしようか一瞬悩む。
日はもう暮れ始め門限までの時間は差し迫っており、破れば当然寮監によるきついお仕置きが待っている。
だが、美琴は敢えて寮とは別の方向へ足を向ける。
アテがあるわけではない。だが、じっとしているよりはマシだろう。
『妹達』が再び悪人に利用されているかも知れないという状況は気分のいいものではないし、本当にそうなのかもわからない。
『リプロデュース』が番外個体のように明確な自我を与えられているのならば、自発的に襲撃事件を起こした可能性だって否定できないのだ。
もしそうだとしたら、例え殴ってでもそれを止めさせるのが自分の義務だ。
寮とは逆方向へと走り出した美琴は、いくつかの施設を頭に思い浮かべる。
『絶対能力者進化計画』がまだ健在だった頃、ついぞ潰すことのかなわなかった実験施設。
馬鹿正直にそこで今でも研究が続けられているとは思わないが、それでも何らかの手がかりがあるかもしれない。
ならば、まずはそこを調べてみよう。
美琴を見送った木山と冥土帰しは、『リプロデュース』のことは上手く避けつつ『警備員』に話をしていた。
事がうまく運んだなら、表向きこの事件はきっと迷宮入りとなるのだろう。木山にとってもそのほうが望ましい。
ようやく事情聴取が終わり警備員が帰っていくのを見届けた後、木山は冥土帰しにある話を切り出した。
「……さっきあの子に意図的に話さなかったことがあるでしょう?」
「何のことだい?」
「私を襲わせた黒幕の怨恨の対象が、あの子自身ではないかということですよ」
木山の言葉に、冥土帰しはしばらく沈黙した。
窓から望むビルの向こうの地平線に、ちょうど夕日が沈んで行くのが見えた。
「木山さんは、そのことを御坂さんに話したほうが良かったと?」
「いいえ、きっとあの子はそれをとても気に病むでしょうから。
話さなかったことは正解だと思います」
「だろうね、とても優しい子だから」
今回の被害者である木山は美琴と同じ顔で、加害者である『リプロデュース』は彼女と同じ顔だ。
『自分と同じ顔の刺客が自分の知り合いを襲撃していく』というのは、ごく一般の少女にとっては耐え難い苦痛となるだろう。
手を汚さずに怨恨の対象が苦しみ悩む姿を見るという卑劣な目的のために平気で子供たちを利用する黒幕に、木山は強い嫌悪の情を抱いた。
「話そうが話すまいがきっとあの子のやることは同じだろうし、
ならば精神に影響を与えるようなことは言わない方が良いと思ってね?」
「優しいんですね」
「あの子も、僕の患者の一人だからね」
美琴の手の怪我は完治してはいない。
きっちり痕も残さず治るまでは冥土帰しの患者なのだ。
だから、彼女に必要なものは全部揃える。
逆に、不必要なものは出来る限り遠ざける。
「子供たちを守らねばならない大人が、その子供に重荷を背負わせているというのは、なんとも歯がゆい状況ですね」
「そうだね。だけど僕らにはない力を、彼女は持っているんだよ」
『超電磁砲』。レベル5第三位にして、学園都市最強の電撃使い。
彼女と実際に対峙したことのある木山は、その底知れぬ強さを身を持って実感している。
「子供たちはただ守られるだけの存在じゃない。大人が思っている以上に強いものなんだよ。
だから、僕たち大人はいざという時のためのフェイルセーフとなってあげた方がいい場合もあるのさ」
学園都市、いや世界最高峰の名医として『冥土帰し』の名を拝する男は、自分に何ができて何ができないかをきっちり理解している。
自分の領域の外に躊躇なく突っ込んで行けるのは子供の特権だ。だからこそ、自らの領域では最高の働きを。
窓の外のすっかり群青色に染まった学園都市を眺めながら、冥土帰しは小さく呟いた。
「……死なない程度に頑張っておいで。怪我で済むうちはそれがどんなものであろうと綺麗に治してあげる」
それが、彼の『医者』としての職務であり、矜持でもあるのだから。
今日はここまでです
お腹に風穴が空いてるのに木山先生が元気?冥土帰しなら……なんとかしてくれる……!
最近間が空きに空きすぎていて本当に申し訳ない
速度を取り戻せるよう、少しずつリハビリしていきます
それではまた次回
ブス… ∫ ;′ ∫ ,;′
ブス…',. -――-゙、 ;' ジジジ…
; / へ `>、'; ∫
_;'___{. ,>-/、/=;´イヽ;'_ 大変申し訳ございません
/三三j='rー、\_>、)_?, >;;〉三'`、ジジ…
囮ヱヱヱヱヱヱヱヱヱヱヱヱ囮
囮災炎災炎炙災炒炎災灸災炭囮
◎┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴◎
「速度を戻せるように」なんて大言壮語しておきながらこの体たらく……
ちょっと詰まっていまして、短いですが今現在書けているキリのよい所まで投下していきます
12月22日。
「──ふぁ~~あぁ……」
およそお嬢様らしからぬ大あくびをしたのは、白井の隣を歩く敬愛してやまぬ先輩。
大気中から存分に酸素を摂取しながら、指で目尻の涙をぬぐう。
「寝不足ですの?」
「ん、ちょっとね。
終業式の間もずっとヤバかったわ……」
今日12月22日は、学園都市の全ての学校で終業式が行われた。
明日23日は祝日であり、24日は休日と重なる。それ以降は冬休みであるため、例年に比べて2日ほど早いことになる。
学校が午前中に終わってしまった美琴と白井は、予定もなくぶらぶらと繁華街を歩いていた。
「お姉様は冬休みをどうお過ごしになるつもりですの?
やはりご帰省を?」
「年末年始は実家に帰るつもりよ。お父さんも帰国するらしいしね」
「……その、妹様たちは……」
「あの子たちは学園都市に残るわよ。
うちのお母さんはあの子たちのこと知らないしね」
そう語る美琴の姿は、白井には少しだけ寂しそうに見えた。
御坂美琴にとって、御坂美鈴は紛れもなく自らを産み育てた母である。
同時に、『妹達』もまた彼女の血肉から生まれし大事な妹たちだ。
だが、御坂美鈴と『妹達』の関係はどう表すべきなのだろうか。
『母娘』とは到底呼べない。美鈴が腹を痛めて産んだ子らではない。
『他者』とも分類できない。そうするには、両者は余りに似通っている。
ロシアの病院で遭遇した父には、全てを話した。
その全てを受け入れた上で、10777号を含む妹たちを『娘たち』と呼び、温かく抱きしめた父の姿には感じ入る物があった。
だが、父がそうであっても、母もまたそうであるとは限らない。
「ま、知ってもあの母なら大丈夫だと思うけどさ、問題は事情をどう話すべきかってことよね」
『妹達』にまつわる話は、重く冷たい。
あまり何度も人に語って聞かせたいものではない事は、白井も以前美琴に聞かされた時に感じている。
これから一生美琴と妹たちについて回る闇だ。「美琴の露払い」を自負する白井としては、なんとかそれを減じてあげたいと思う。
白井は美琴の寝不足の理由を、なんとなくながら感じていた。
夕べも布団を頭までかぶり、その中で遅くまで何やらPDAをいじっていたことを知っている。
それが意中の人物とのメールのやり取りならば、白井も睡眠不足を注意することはあっても、その事に気を回すことはないだろう。
白井が抱く感情は、美琴が抱く感情とは全く別個のものであり、うるさく口をはさむ問題ではない。
だが、美琴の表情にはわずかながら焦りの表情が見えた。
担当している事件の調査が行き詰った時同僚や警備員が浮かべる表情に極めて近いものだ。
何事もなければいいのだが。
そう思い、ひそかに心を痛めていた。
「──いつの間にか、もうクリスマスなのよね」
ここ最近は色々と考えることが多すぎて気付かなかった。
街角に流れるクリスマスソング、ウィンドウを彩るモールやリース、そしてどの店にもあるクリスマスツリー。
「寮も広いのですから、エントランスや談話室などにツリーを置けばよろしいのに」
「去年は24、25日だけツリー出てたわよ」
「あら、そうなんですの?」
規律、規律と口うるさい堅物の寮監が昨年クリスマスツリーを設置したという事実に、白井は目を丸くする。
指導される立場の子供たちからは分からないことであるが、教育者たちは何も子供たちをいじめようと思って規律を守らせるわけではない。
過度の締め付けは学業に対するモチベーションを著しく下げる物だ。休業期間中のイベントまで禁止するほど堅苦しいものではない。
「確か去年は2日間とも寮でパーティがあったんだっけ。
料理もいつもより豪華で、大きなケーキが出てきたっけなぁ」
「大きなケーキ……ですの」
白井が自分の腹を撫でつつ、苦々しく呟く。
「……アンタ、またサイズ増えたの?」
「言わないでくださいまし言わないでくださいましぃー!?」
ぎゃー!! と頭を振って耳をふさぐ白井の姿に、美琴はため息を一つ。
「『風紀委員』の訓練してるのにサイズ増えるって、それは間食のカロリーが消費カロリーをオーバーしてるんじゃないの?」
「デスクワーク漬けの時に限って初春がやれたい焼きだそれあんまんだと高カロリーなものを買ってくるのが悪いんですの!」
「でも同じ物食べてる初春さんはサイズ気にしてないじゃない」
「アレはお子様体型だから気にしていないだけなのでは……」
なおもぶつぶつ呟く後輩をなだめ、美琴は目下気になっている出来事について問う。
「『風紀委員』と言えばさ、……木山せんせいの事件ってどうなってるの?」
「事件の捜査は『警備員』の管轄下に置かれ、『風紀委員』の出る幕ではないそうですの。
事件の内容が内容ですし、『門限をきちんと守らせよ』としか。
捜査の方はあまり進んではいないようですわね」
「そうなんだ……」
『警備員』は志願した教職者たちで組織される自警組織でありながら、その練度と装備レベルは極めて高い。
それは子供たちを守るためでもあり、能力を使った凶悪犯罪を速やかに制圧するためでもある。
下手をすると、犯人である『リプロデュース』が捕まってしまうのではと危惧していたのだが。
「……もしや、首を突っ込もうとお考えでは?」
「え、いや、そんなわけじゃ……」
美琴は即座に否定するが、白井の美琴を見る目は厳しい。
「そんなことをおっしゃって、『幻想御手』事件の時も、『乱雑解放』事件の時も、
妹様の件も、『残骸』事件の時も、何から何まで首を突っ込んでらっしゃったではありませんの。
おおかた、今回も何か裏でして回っておられるのでは?」
「そんなことしないわよ。大体夕べだってちゃんと寮にいたでしょうが」
「どうだか、わたくしが寝ている間に寮を抜け出すなど、お姉様にとっては日常茶飯事ですものね」
じとーっとした視線に、美琴は思わず身を引いてしまう。
「分かった、分かったわよ。今回は何もしない、大人しくしてる。
大体『警備員』が数日調べて何も出てこない事件なんて、私の出る幕じゃないでしょうに」
「……そういうことにしておきましょう」
白井の追及が止み、美琴は胸を撫で下ろす。
が、本当に事件への介入を諦めたわけではない。
『警備員』の優秀さは理解している。だからこそ指をくわえてみているわけにはいかないのだ。
『リプロデュース』が捕まれば、黒幕は必ず彼女を切り捨てる。場合によっては彼女を自決させて証拠隠滅を図るかもしれない。
いくら学園都市と言えど死者から情報を得る手段はない。黒幕につながる情報は無くなり、事件は被疑者死亡で終わり。
御坂美琴のクローンである彼女の出自も調べられぬまま、事件は迷宮入りとなるだろう。
そんな最悪のシナリオがある限り、美琴は立ち止まれない。
なんとしても『警備員』より先に黒幕を叩き、『第三次製造計画』を潰さなければならない。
計画を潰すために、今一方通行と番外個体が動いている。
だが、それでいいのだろうか。それだけでいいのだろうか。
レベル5たる自分がそこに参加すれば、更に解決は早まるのではないだろうか。
『オマエはあいつらの"居場所"を守れ。それはオマエにしかできない仕事だ』
一方通行の言葉が耳に蘇る。確かにそれは正論だ。
だが、それと今危険な立ち位置にいる『妹達』を助けようとすることは、矛盾しないのではないだろうか。
今ある妹たちの居場所を守りたい。利用されている妹たちを助けたい。
そうした思いが「何かをしたいが、何をすればいいのか分からない」というもどかしい気持ちと絡み合い、美琴を焦れさせて行く。
こんな時、彼ならどうするだろうか。
拳一つで学園都市最強に立ち向かい、極寒の雪原に浮かぶ空中要塞に乗り込み、そして打倒した彼ならば。
思うよりも先に手足を動かし、美琴が悩んでいる間に事件を解決に導いてしまうのではないか。
だが、彼には頼れない。
必死に戦い抜いた少年は再度記憶を失うと言う哀しい結末を迎え、しかし引き換えにわずかばかりの平穏を得た。
もう彼を戦いの世界には戻したくない。ゆえに彼の力があれば解決する事件でも容易には頼らない。美琴はそう決めていた。
「おや、あの方は……」
白井の声に、美琴は思索から顔を上げた。
学園都市全域で下校時刻が一緒であり、加えて通学路が一部被っているのだからこういうこともあるかもしれない。
白井の指の先では、見慣れたツンツン頭の少年がふらふらと歩いていた。
同時刻。
「──川辺くーん、もう帰りー?」
川辺と呼ばれた男は、帰り支度をしているところを同僚に呼びとめられた。
野暮ったい眼鏡にボサボサの頭、垢じみたシャツの上にこれだけは清潔そうな真っ白い白衣を着ている。
典型的な研究職タイプの男だ。
時間は午前11時。
変則的な勤務体系であるここは、終業時刻も人によってまちまちだ。
「ええ。僕は夜勤組なのでそろそろ帰ろうと思います」
「いいなぁ。俺はこれから夜まで仕事だよ」
同僚がため息をつき、川辺も愛想笑いを浮かべる。
二人の職業は雇われの研究員だが、その研究内容は『普通』ではない。
親や友人にはとうてい言えないような内容のそれは、学園都市の裏の顔を如実に体現していると言っても過言ではない。
二人の職場であるこの研究所は、第二十二学区の地下に存在する。
職場と言っても、アリの巣のように張り巡らされたこの研究所の隅々まで二人に知らされているわけではないあたり、その機密性が伺える。
「仕事だから仕方ないと言えばそうなんだけどさー。どうせなら『下層』で働きたいよねぇ」
「と、言いますと?」
「だってさぁ、考えてもみなよ。『下層』では若い女の子を丸裸にして色々データ採ってるらしいじゃん?
男としてはなんというか、タギるというか、ねぇ。ぶっちゃけコーフンしそうなシチュでしょ?
川辺くんはそういうシチュとか、エロゲでやったりしないの??」
「……あなたみたいな人がいるから、直接『あの子たち』に関わるスタッフが女性ばかりになるんじゃないですか。
むやみに手を出されて商品価値を下げられても、『上』としては面白くないでしょう」
舌舐めずりをし好色そうな笑みを浮かべる同僚に、川辺は眉をしかめる。
能力が優秀であることは確かなのだろうが、人間性に大きく問題があるのもまた事実。
同僚でなければあまり仲良くしたくはない人種だ。
「……それに、僕には『あの子たち』くらいの歳の妹がいますので、そういう目ではちょっと見られないですね」
「え? 川辺くん妹いたの? いくつ? 可愛い? 今度紹介してよー」
「嫌ですよ。30秒前に自分が言ったこともう忘れたんですか。
あれを聞いて大事な妹たちを近づける兄はいませんよ」
「そりゃそーだ。俺が兄貴でも俺には近づけない」
黄色い歯をむき出しに笑う同僚。
自らの人格が破綻していることを自覚していなければ、非人道的な研究には携われない。
そもそもこんな地下研究所で働いている時点で何かしら表立っては言えない秘密を2つ3つは抱えているものだ。
例えば、この目の前の同僚はかつて『置き去り』を被験者とする能力開発機関にいたころ、児童に対する性犯罪を何件も起こしていたはずだ。
川辺自身も元は生物学を専攻しており、遺伝子を組みかえた微生物を作ろうとしてバイオハザードを起こしかけ、研究所を追放された過去がある。
俗に言えば、食い詰めたはみ出し者の集まり。
そうくくってしまうのは簡単だが、この街に置いてその意味はすなわち「倫理を外れることを厭わない技術者集団」ということになる。
『表』の人間ならばともかく、この街の『闇』は能力のない人間が生きていけるほど優しくはない。
スキャンダルを起こし放逐された彼らが無事に『再就職』できたということは、すなわちその能力の高さを証明できていると言うことだ。
そんな彼らであっても、この研究所においては『上層』にしか立ち入り権限が与えられていない。
被験者となる少女たちと接触することはかなわず、ただ収集したデータを解析し、『下層』へと送り返すだけ。
そのようなつまらない仕事であっても、日々の糧を得るためには仕方がない。
それ以上同僚と話す気がわかない川辺はビジネスバッグを持ちあげた。
「では、お先に」
「おう、お疲れー」
ひらひらと手を振る同僚に応えることなく、川辺は自らのオフィスを後にした。
川辺の職場は地下にあり、地下7階に出入口が存在する。
その階で研究所は『上層』と『下層』に隔てられており、川辺の職場は『上層』である。
守衛に自らのIDカードを渡し、金属探知器を通り、いくつものバイオメトリクス認証を経て、預けていた通信機器などの私物を返してもらう。
とても長い動く歩道をいくつも乗り継ぎ、その先のエレベーターを登れば、そこはとある雑居ビルの中だ。
登記上は研究所とは無関係の企業が入居しているが、それがダミー企業であることは言うまでもない。
来客などおらず、ただ出退勤するだけの職員を見送るだけの仕事をする受付の声を聞きながら、川辺は雑居ビルの玄関を出た。
珍しく雲のない青空と、肌を刺すような風の冷たさに思わずくしゃみが出てしまった。
地下に存在する研究所には当然ながら窓がない。
空調システムが完備され、隅々にまで新鮮な空気が常に行き届いていることは言うまでもないが、やはり人の手が加わった加工物という感覚はぬぐえない。
例え近隣都市を走る車の排ガスに汚染されていようとも、自らの肌で感じる自然な風こそが一番だ。
「……む?」
スーツの胸ポケットに入れていた携帯電話が震えていることに気付き、川辺は携帯電話を取り出した。
発信元は何の変哲もない彼の友人の名前だ。
だが、
「……もしもし。『お仕事』なら、ちょうど今終わったところですよ、土御門さん?」
川辺はディスプレイに表示されている物とは全く別の名を口にした。
『お疲れ。こっちも首尾よく終わったところだぜぃ、『海原』』
「そうですか。それは良かった」
電話先の相手も、川辺とは全く違う人間の名前を呼んだ。
その瞬間を、誰か別の人間が見ていれば大層驚いただろう。
瞬きをした瞬間に川辺と言う男は消え失せ、代わりにそこにいたのは川辺の服を着た、まだ少年とも言うべき年齢の男だ。
若干余り気味の袖を一つ折りながら、川辺、いや『海原』は問う。
「『本物』はどうしていますか?」
『一方通行と番外個体が脅したら、こちらから質問するまでもなくべらべらと喋りだしたよ。
どんな脅し方をしたんだか知らんが、見てるこっちが可哀想に思うくらいの怯え方だ』
「それは気の毒に」
拉致した自分たちが言うことではないが、と海原は苦笑する。
『研究所のことについても色々聞きだしたが、内部の情報についてはあまり収穫はないな。
研究所に義理立てしてるわけじゃなくて、どうやら本当に知らないようだ』
「ええ。職務レベルによって明確に権限が区分けされているようです。
自分がすり変わっていた川辺さんのパスでは、施設構造については図面の呼び出しすらできなかったくらいですし、
仕事をする上でも、『上層』の半分も入れませんでしたからね」
『ま、それは想定されてたことだにゃー。後ろめたい事をしてる奴ほど、身内の守りは固くなる。
古今東西、それが違えられたためしはない』
「それで、ちゃんと『地図』は書けましたか?」
『ああ、バッチリだぜぃ。後で番外個体に確認させる』
「おや、今は別行動を?」
『今日は終業式だぜぃ。この結果を持って、あとで合流する予定だ』
「なるほど。
……それにしても、土御門さんも大胆ですね。学園都市の暗部組織として仕事を行うために、魔術を使うなんて」
『それは考えなくてもいいさ。第三次世界大戦以降どこもかしこも自分のところの事に気を取られているんだ。
学園都市の魔術的な監視網は今までないほどに薄くなっている。小さな術式1つ2つ発動させたところで、どうってことはない』
海原が研究所にもぐりこむに当たり、内情把握の一環として内部の詳細な見取り図データの取得を命じられた。
資料の持ち出しが容易でない事を事前に拉致した川辺本人から聞き出していた『グループ』は、携帯電話に搭載されているGPSを使って把握しようとした。
海原に施設内の外周を歩き回ってもらえば、彼の歩いた軌跡から侵入可能な区画だけとはいえ大まかな内部構造が把握できる。
それと番外個体の記憶を照らし合わせ、同一であると判断できればここが『第三次製造計画の本拠地』であると断定できる。
その結論に至ったのが、一昨日の夜の話だ。
だが、情報漏洩などを警戒するためか、個人用の通信機器の持ち込みは禁じられていた。
研究員である川辺と言う男を拉致してすり変わったまでは良かったものの、怪しまれぬためには携帯電話を守衛に預けなくてはならなかった。
保険として金属製ボタンに偽装した小型のGPSマーカーも分厚いコンクリートと地面に阻まれ全く用を為さず、やむなく昨日は情報収集に徹したのだ。
その結果、『第三次製造計画』がここで行われていると言う確証は得られた。
人間と言うものは守りが固ければ固いほど共にその中にいる仲間に対しては心安くなるものだし、そもそも情報を共有しなければ同僚として仕事はできない。
断片的ではあっても「そこで何が行われているか」という情報は容易く手に入り、確証に至るまではさほど時間はかからなかった。
問題は、内部構造がつかめなければ飛び込みようがないと言うことだ。
結標の『座標移動』はどんな障壁をも越えて移動することができる能力だが、一つだけ欠点が存在する。
それは『転送先に物体が存在する場合、転送した物体は転送先の物体を押しのけるように出現する』という、『空間移動』系能力に共通するものだ。
研究員などに重なってしまうくらいならまだいいが、壁の中に出現したり、救出対象である『妹達』に重なってしまうと目も当てられないことになる。
施設攻略のための方策を立てるためにも、内部構造の把握は必須だった。
そこで土御門が海原へと持ちかけたのが、『魔術』の使用だった。
『理派四陣』という魔力の送受信に使われる霊装から持ち主を逆探知し、その位置を特定する術式がある。
土御門はその術式のしくみを応用し、『霊装の持ち主である人間の周囲の情報を術者が取得できる』ように強引に改変したのだ。
改変の結果、情報を検知できる範囲は約100mと大きく狭まったが、その分情報の送受信ができる距離は飛躍的に伸びた。
海原が作った通信および情報収集用の霊装に込められた魔力パターンを陣が捉え、学園都市のどこにいようともその周囲の情報を陣の中に描画する。
表示されるのは海原の周囲の情報だけであり居場所までは分からないが、そこはあまり問題ではない。
取得される情報は平面だけではなく対象の上下にも及び、海原が侵入できなかった『下層』の構造までも手に取るように分かった。
情報を取得すると言っても、それはあくまで陣に描写されただけであり、決して形に残る形式のものではない。
土御門は手に入れた情報を別の術式を用いて紙に転写し、それをノートパソコンとスキャナを用いて取り込んでいく。
魔術の事は『グループ』の中でも土御門と海原しか知らない事だ。
それを余り露見させたくない以上、デジタルデータ化してしまうのが一番手っ取り早い。
こうして、施設を上から見た見取り図と横から見た階層図、そしてそれを総合したポリゴンモデルが出来上がっていく。
『……海原、地下14階までしか情報が出てこないんだが。
施設は確か、地下17階まであったはずだぞ』
網の目のように張り巡らされた通路やところどころにある研究室、何に使うのか分からない大きな空間などが、手元にある地図には正確に描かれている。
地下1階から順にナンバリングされているが、それは地下14階で途切れていた。
「変ですね。自分は川辺さんの権限で行ける最下層、地下7階をくまなく歩いたつもりなのですが。
何か魔術的な妨害を受けた可能性は?」
『無いな。それならすぐに分かるし、そもそも妨害が入るなら施設全体が映らない』
「……では、単純に術式の範囲外なのでは?」
『かも知れんな』
「地下7階から地下14階までで7階層、それで高さ100mですか……。
どれだけ大きな構造物が埋まっているのでしょう」
『この地図を見る限り、『下層』部分は『上層』みたいな理路整然とした研究所みたいな構造じゃないな。
大きな空間がいくつもあって、それを通路が縦横や斜めに走って繋いでいる感じだ。
まるでアリの巣だな』
恐らくこのところどころに点在する大きな空間は、それぞれ『妹達』の育成プラントや生活空間、訓練所などの役目を持っているのだろう。
短期間でこれだけの施設を用意できたとも思えない。恐らくは、『絶対能力者進化計画』の時にも実験の一翼を担う施設であったのではないだろうか。
摘発を免れ生き延びた施設であれば、資材さえあれば即座に『妹達』の生産や訓練を始めることも可能だったはずだ。
『……ま、オレたち2人だけで考えても仕方がない。
他のメンバーも集めて、それから詳しい事を話し合おう』
「ええ」
すみません、今日はここまでですorz
話が全然進んでいない……
年内完結が目標だったのに、終わるかどうか不安になってきました
プロバイダーを切り替えた関係で、名前欄に地名が出なくなってしまいました
なのでこれからは、このスレを立てた時に使ったトリップを使っていこうと思います
>>1です
長々放置して申し訳ありませんorz
続きのほうはほとんど出来ていますので、日付が変わったあたりから投下したいと思います
とりあえず今は寝て起きてバイト……
本当に大変お待たせしました
ようやく続きを投下いたします
学園都市は都市整備計画を綿密な計算の上に行い、その限られた土地を最大限に活用できるような街づくりを推し進めている。
例えば第二十二学区のように地下を掘り進めて利用可能な面積を広げている場所もあるかと思えば、
『とりあえず近場のアミューズメント施設を一カ所にまとめてしまいました』というような作りの施設もある。
第七学区最大のアミューズメントパークであるこの施設は、ゲームセンターに遊園地、スポーツ施設などをひっくるめた複合施設であり、
今日のように半日で放課後を迎えるような日は、暇を持て余した多くの学生でにぎわっている。
だが、その中でもひときわ人目を惹きつけているのは……
「ぬぅおりゃああああああああああああああああああああ!!」
えも言われぬ奇声と、それに負けないくらい大きな太鼓の音が周囲に響き渡っていた。
白井黒子がまるで親の仇であるかのように太鼓を叩きまくっているのだ。
もちろん本物などではなく、ゲームセンターに置かれている太鼓型のリズムゲームだ。
小さな子供でも遊べるように、あまり大きな力で叩かずとも反応するようにはなっている。
にも関わらず、あの力の入れようは何なのだろうか。
ベンチからそれを眺める御坂美琴は、そっと溜息をついた。
美琴の連れは後輩である白井と、それから今はお手洗いに行っているもう一人。
放課後に出会い、暇だと言うので(半ば強制的に)連れ出したのだ。
遊びに行く前の腹ごなしにとファーストフード店に寄った際、白井が物凄い顔で睨みつけてきたが、そんなことにいちいち構ってはいられない。
「……何なんだ、アレ?」
「あら、お帰り」
ゲーム機の音が飛び交うゲームセンターでは、意識していなければ人の接近に気付くのは難しい。
横から話しかけられるまで、美琴はその接近に気付かなかった。
そこにいるのはツンツン頭の少年、上条当麻だ。
「女の子には色々あんのよー。色々とね」
「はぁ……」
もの凄い負のオーラを放ち、鬼気迫る表情でバチを振るう白井の姿にやや引いている上条に、美琴は問う。
「あんたはなんかゲームやらないの?」
「せっかくゲーセンに来たんだし、やりたいのは山々なんだけどなぁ。
ほら、先立つ物が……」
ズボンから取り出された上条の財布は薄く、振っても音がしない。
上条は分類上レベル0であり、支給される奨学金もレベル5の美琴やレベル4の白井に比べて格段に少ないはずだ。
加えて支給日は月末であり、今の時期は意識して節約していかなければ持たないのではないだろうか。
「ふんふん。じゃあ、お金のかからないゲームをやる?」
「そんなのあるのか?」
「あるわよ」
美琴は立ち上がり、バチを置きぜぇぜぇと荒く息を吐く白井の方へ向かう。
画面にはかなりの高スコアが表示され、「もう一回遊べるドン!」などと間の抜けた音声が流れていた。
「黒子ー、私たちあっちのほうにいるから」
「でしたら黒子もご一緒に……」
「1クレジット残ってるじゃない、勿体ないわよ。
もう少しカロリー消費してらっしゃい」
再びぬがーっ!! と猛烈にバチを振るい始めた白井を置いて、美琴は悠然とクロークのほうへ歩いて行った。
ずしりと重いカップを渡された上条。
その中では銀色のメダルが重厚な輝きを放っている。
「……何これ?」
「メダルよ、見て分かるでしょ?」
そういうなり、美琴はさっさとゲームの筐体の前に座ってしまう。
目の前にあるのは背の高いプッシャーゲームの筐体だ。
投入したメダルを使ってゲーム機内のメダルを押し出し、指定された場所に落としたメダルを獲得できるこのゲームは、学園都市でも高い人気を誇る。
「このゲーセンは良く来るんだけど、来るたびメダルゲームをしてたら預けられる上限近くまで溜まっちゃってね。
景品に変えることもできないしさ、じゃんじゃん消費しちゃってちょうだいな」
「……人を運のない人間みたいに言うなよ」
「あら、『不幸だー』が口癖だった方が、何をおっしゃるのかしらー?」
おほほ、とわざとらしく口元に手を当てて笑う美琴の姿が勘に触り、ならば一山当ててやろうとコインを引っ掴む上条。
だが……、
「何……だと……?」
「あららー」
一般的にプッシャーゲームは、他のゲームに対して儲からないと言われている。
だが、それにしてもカップの半分ほど消費して未だ1枚も落とせないと言うのは、さすがに擁護のしようもない。
投下したメダルがどんどん前方へと押し出されていくプッシャーゲームでは、数を重ねればそれだけメダルを獲得しやすくなる。
が、投下したメダルがイレギュラーなバウンドをして他のメダルの上に乗ってしまったり、かと思えば落としたメダルを得られない両脇のデッドエリアへ大量にメダルが流れ込んだり。
とにかく色々と惨憺たる結果だった。
「メダル落としは稼ぐんじゃなくてときたまコインがざばーって落ちてくるのを楽しむゲームだけどさ……これはひどい」
「うるせぇ! 俺だってやるの初めてなんだよ!」
むすーと膨れる上条の袖を引っ張り、違うフロアのほうへと誘う。
「メダルで遊べるゲームは一杯あるし、色々やってみましょ」
メダルゲームの理念は、「浮いたお金で余興の時間を過ごすための、大人の社交場的な空間の創造」なのだと言う。
それは学園都市でも変わらないようで、学生たちが過度にのめり込まぬようにいくつかの規制が行われている。
例えば、一日にメダルへと交換できる金額の上限設定は「レベル0の学生が毎日訪れても最低限の生活レベルを保てる」額になっている。
また、クロークに預けたメダルの引き出し枚数にも上限があり、一定枚数以上を引き出すとその日はもう遊べなくなってしまう。
その代わりメダルの払い戻し設定は甘くなっており、例え引き出し額が少なくとも充分な時間は遊べるようになっている。
はずなのだが……。
「……つくづく運がないのね、アンタ」
「……………………orz」
空になった、100枚はメダルが入っていたはずのカップを前に跪き項垂れる男の姿がそこにはあった。
ここに至るまでに獲得できたメダルはわずかに30枚に満たない。
それすらも全てゲーム機に飲みこまれ、今やいわゆる『すってんてん』。
これが遊戯ではなく賭博であったなら、間違いなくパンツ一枚で賭場の外へと蹴りだされるレベルである。
「……あー、まあ、たかがゲームだし?
元気出しなさいよ。ほら、私のメダル分けてあげるからさ」
美琴がずざざーと上条のカップに自らのメダルを流し込む音が、上条には酷く虚しく聞こえた。
「……御坂さんはどうやってこんなにメダルを手に入れたんでしょう?」
「ずっと前にもの凄い大当たりを出したのよ。その時の賞金がまだ一杯残ってるの」
「どれくらい出たんだ?」
「えーっと、ポーカーでダブルアップで十何連チャンもしたから……何万枚の世界かな」
「ちくしょうレベル5は運の強さでもレベル5かよ!?」
不公平だー!! と嘆きの叫びを上げる上条に、近づく影が二つ。
「あ、お姉様とヒーローさんだー!」
「このような所で出会うとは奇遇ですね、とミサカは挨拶をします」
「あら、アンタたち……」
打ち止めと御坂妹の姿が、そこにあった。
────────────────
海原と土御門が『グループ』のアジトに到着した頃には、もう『グループ』のメンバーは勢ぞろいしていた。
「やー悪い悪い、ヤボ用があってにゃー」
「確か、今日まで超学校だったんでしたっけ?」
「そうそう。見たくもない通知表貰って帰ってきましたぜぃ」
ソファにどっかりと腰をおろせば、一方通行が睨むようにして身を乗り出してくる。
「ご託はいい。さっさと結果を報告しろ」
「へいへい。海原」
「はい」
海原がビジネスバッグから取り出したのは、魔術を使って手に入れた施設の見取り図だ。
出所を隠すために、土御門が関わっていることは伏せている。
「手に入れられた図面は地下14階層までです。それより下は手に入りませんでした。
自分が行う潜入捜査は成り替わる人物の権限に大きく影響されますから、短期間ではこれが限度ですね。
時間的余裕があれば、さらに上の権限の人物にすり代わることもできたでしょうが」
「親船に切られた期限はあと10日ねェンだろ。これだけありゃ充分だ。
おい、これ見て何か思い出すか?」
一方通行が隣の番外個体を見やると、番外個体は頷いた。
「うん、確かにこんな感じの構造だった気がするよ。
ミサカがいたのは、結構下の方だったんだなぁ……」
「番外個体さんに確認するまでもなく、施設内の様子を見る限り100%クロでした。
川辺さんの業務内容がそのものズバリでしたし。
彼を拉致した土御門さんの慧眼はさすがですね」
海原の賛辞に、土御門はにやりと笑った。
「すり代わっている間はどんな仕事を?」
「『下層』と呼ばれる研究所深部から送られてきたデータを解析し、送り返すという内容です。
正直自分にはさっぱりでしたが、『第三次製造計画』に関わっていることだけは読み取れました」
「本決まり、だな」
懸案事項が一歩前に進んだという小さな達成感と、これから行わなければならないことへの緊張感が一同を包んだ。
「次に考えなきゃいけねェのは、ここをどう『陥とす』かって事だな」
「この地図だと、施設そのものの構造は分かっても、『この部屋がどんな役割をしているか』までは掴めないよね」
土御門や海原の持ってきた地図は全ての構造を同じ色の実線で描いたものだ。
番外個体が言う通り、部屋の構造は分かっても、そこで何が行われているかまでは分からない。
「そのあたりは実際に突入してみてから、超フレキシブルに対応するしかないでしょう」
「『上層』についてはある程度は分かる場所もありますが、突入時はあまり役に立たないでしょうし。
重要な施設は『下層』に集中しているようなので、恐らく制圧するのもこちらがメインになると思います」
海原は地図上の『下層』部分を指し示す。
「見ての通り、『下層』部分は上層のように綺麗な区画分けではなく、あちこちに分散した空間を通路が繋いでいるような感じになっています。
これは実験の影響が他の施設に影響を与えることを防ぐだけではなく、反乱防止のためではないかと」
「反乱防止?」
「通路がクネクネ入り組んでたり、主要施設が離れて設置されてるのは施設を制圧されるのを防ぐためのように思える。
恐らく、ここは『絶対能力者進化計画』の時から稼働してたンだろ。
研究者がクソガキをミサカネットワークに対するコンソールとして扱うのは良いが、クソガキ自身が強制命令を出すことだってできるンだ。
そォ言う場合に備えて、施設を強靭な隔壁で閉鎖出来るよォになってンじゃねェか」
「一度超閉鎖してしまえば、あとは水でもガスでも超流し込んで『処分』してしまえばいい……ということですか」
その想像は当たらずとも遠からずと言ったところだろう。
強力な軍用クローンである『妹達』は、ひとたび牙をむけばそれは大きな脅威となる。
研究者にとって、万に一つでも『飼い犬に手を噛まれる』ことは避けたいはずだ。
反乱防止のための策は、そのまま施設防衛にも転用できる。
特に『グループ』のように少数の精鋭で大規模な施設の陥落を目指す場合、必然的に単独やペアでの行動が多くなるだろう。
ごく少数での行動を強いられるということはつまりトラブルへの対応策が限られると言うことであり、結果策にはまる可能性は高くなる。
「ま、その辺りの対策は後で考えるとしよう。
まずは、どこから攻めるかについて考えようか」
「侵入口はいくつあるの?」
「地図を見る限りでは……人が侵入できそうな場所はあまり多くはありませんね」
海原が赤いサインペンで地図上にいくつか丸をつけて行く。
「その中でも研究員の出入りのメインになりそうな場所は……正面玄関と、放水路へと通じる扉くらいでしょうか」
「溜め込んだ水を排水するためのトンネルはどうかな」
番外個体がテーブルの上に置かれたファイルの束から、施設の公式ホームページを印刷した物を取り出した。
「『水源地水位監視センター』のホームページで見たんだけど、こういう施設って水を貯めたら溜めっぱなしじゃないんだよね。
頃合いを見計らってダムに水を戻したり、近隣の大きな川に放水したりするために水を吸い上げる施設があるんだ。
その施設まで水を流すためのトンネルが放水路の下から伸びてるんだけど、ここを通って『下層』に忍び込めないかな」
「大雨が降って、施設が超稼働していない時限定の話ですね。
考慮には入れるべきでしょうが、アテにするのはやめておいたほうが超無難でしょう」
「出入り口、放水路へと抜ける道、地下トンネル、あとはいくつかあるだろう非常口か。
入る分にはあまり苦労はしそうにねェな」
「それよりも、どうやって出入り口を押さえておくかの方が重要じゃない?
やらなきゃいけないお仕事はクローンの保護や施設の破壊だけじゃなくて、研究データや『超電磁砲』のDNAサンプルの回収も入ってるでしょう?」
「確かに、それは問題だな……」
最大の問題はこれだろう。
隠蔽の難しい『妹達』や大掛かりな研究機材と比べ、研究データやDNAサンプルは容易に隠せてしまう。
施設の掌握と同時に、全研究員の身体検査も行う必要がある。
「出入り口をいくつか潰しちゃったら? 人の出入りを制限した上で、一人一人調べるしかないと思うけど」
「施設に傷をつけることにはあまり賛成できませんね。緊急放水路は学園都市の水源を支える必須インフラです。
それを破壊してしまうと、いざという時に問題が起こるかもしれませんよ」
「下部組織を動員しよう。壊せない部分は人海戦術で抑えるしかない。
まあ、どちらにしろ表に出ることのできない研究者たちなんだ。手荒な手段を使って足止めしても問題はないだろう」
「取り調べを行うための人員は親船にも出してもらおう。
スキルアウト上がりの下部組織じゃあスマートな身体検査は出来っこねェ」
「その辺りは土御門に交渉してもらいましょう。
それが仕事なんだから」
「オーケイ、任されたにゃー」
土御門は早速携帯電話を取り出すと、親船へと電話をかけ始めた。
────────────────
「──こんな感じで良いのか?」
「もう少し脚を広げたほうが安定するかと……」
ガンシューティングゲームの前で、ライフルを構えた上条が御坂妹に銃の構え方のレクチャーを受けている。
銃の持ち方が悪いせいで命中率が安定せず、序盤でゲームオーバーになってしまう上条を見かねたのだ。
メダルを投入してチュートリアルモードを起動し、教えてもらった構え方を意識しつつのろのろと近づいてくるゾンビの頭を照準する。
引き金を引くとライフルの軽いリコイルが体を揺らし、同時にゾンビの頭が砕け散った。
「……おお! 当たった当たった」
「適切な構え方は命中率を向上させ、制圧率を維持・向上させるために必要不可欠です、とミサカはレクチャーします。
では、初めからどうぞ」
「せっかく協力プレイできるんだし、一緒にやろうぜ」
上条はもう1挺のライフルを持ちあげ、御坂妹に渡した。
「よろしいのですか? とミサカは訊ねます」
「いいぜ。上手い奴と一緒にやった方がクリアは楽だろうし、それにクレジットはお前の姉ちゃんに貰ったメダルだし」
「では遠慮なく、とミサカは銃を構えます」
口元を少し和らげ、御坂妹はライフルを構えた。
追加のメダルを投入し、ゲームをシナリオモードへ。
2人は並んで筐体に銃を向け、カウントダウンを始めたゲームの画面に意識を向ける。
画面には既に溢れんばかりのゾンビが表示されており、ゲームが始まるのを今か今かと待ち受けている。
5...4...3...2...1...
カウントが0になると同時に、2人のライフルが激しく火を噴いた。
2人の放つ銃弾が並いるゾンビたちを次々に破砕していく様を、後ろのベンチから美琴と打ち止めが眺めていた。
「あの子、やけに手慣れてるわね」
「銃器に関する教練を受けてるからね、ってミサカはミサカは説明してみたり」
美琴に比べて大幅に劣化した能力を補うために、『トイソルジャー』や『メタルイーター』と言った本物の銃器で武装していたのだ。
おもちゃの銃器の扱いなど、大したことではないだろう。
「……ねぇ打ち止め、あんたはどう思ってるの?」
「……『第三次製造計画』のこと? ってミサカはミサカは問い返してみる」
可愛らしい瞳に陰鬱な色を乗せ、打ち止めは美琴を見上げた。
「……番外個体がミサカネットワークに情報を上げてくれるから、ミサカたちも自分たちで色々と考えてみたの、ってミサカはミサカは告げてみたり。
『実験』のようなことがまた起きるのかな、とか、誰かが傷つくことになるのかな、とか」
「そうね。みんな無傷で『第三次製造計画』が解決するなんて事態は、難しいでしょうね」
『絶対能力者進化計画』当時は、どれだけの人間が傷ついたのだろうか。
美琴や上条、犠牲となった10031人の妹達。敵対した『アイテム』や一方通行。
自分が破壊した研究所に勤めていただろう研究員だって、きっと怪我をした人間はいるはずだ。
そんなことを考えている余裕はなかったし、そんなことを考えていては『実験』は止められなかっただろう。
今回、『第三次製造計画』による犠牲者は既に出ている。
計画の尖兵となった番外個体はロシアの雪原で一方通行を強襲し、瀕死の重傷を負った。
『リプロデュース』に襲撃された木山春生だって、手心を加えられたとはいえ発見が遅れていれば死んでいたかもしれない。
これ以上被害者が出る前に、なんとしても事態の収拾を図りたい。
美琴はそう考えているのだが、
「何と言うか、すっかり蚊帳の外モードなのよね……」
『妹達の居場所を守る』という大義名分は、その実美琴を縛る枷ともなっている。
学園都市にとっての脅威とならない限り、妹たちの安全は保障される。
だが、その学園都市によって妹たちがいいようにいるのなら、それに対してはどうしようもないではないか。
もちろん、学園都市が一枚岩の組織でないことは重々承知している。
230万の人間がいれば230万の思惑がそこには存在する。
『美琴を縛りつけておきたい』と考える人間と、『妹達を使って実験を行いたい』という人間がいることは明らかなのだ。
前者と後者が別の人間で、かつ後者を排除することが前者の利益を損なわないのであれば、存分に後者を排除しても何も問題はない。
後者を排除することで美琴が大人しくなるのなら、前者の人間は喜んでその行動を黙認するだろう。
問題は、前者と後者が密接な利害関係にあるか、あるいは同一であった場合。
美琴が『第三次製造計画』を解決するために動けば、即座に妹たちを使った脅迫を伴う妨害が入るだろう。
実際にそうであるかどうかは問題ではない。
『その可能性がある』。ただそれだけで、美琴の動きは大きく縛られてしまう。
この件に絡んでいる統括理事を刺激しないために、大胆な情報収集は行えない。
今できるのは、番外個体などから手に入れた情報を整理することくらいだ。
「……きっとね、あの人は今もの凄い葛藤に悩んでると思うの、ってミサカはミサカは訴えてみる」
「あの男からしたら、悪夢みたいな相手でしょうね」
仮に番外個体と同等のスペックであるならば、『第三次製造計画』の妹たちが彼に強い敵意を持っているだろうということは容易に推測できる。
番外個体の時はたった1人。たった1人の襲撃者に、彼は心を壊されかけた。
その事が、『妹達』の彼に対する特効性を証明してしまった。
きっと一方通行が『第三次製造計画』を止めるために具体的な行動に移れば、黒幕はきっと迎撃部隊として『第三次製造計画』を出してくる。
1人ですらなんとか退けた相手を複数相手にして、彼はどこまでその心を保てるのだろうか。
「もし、ミサカがこんなにちっこくなかったら。他のミサカくらいに体が大きくて能力も強かったならあの人の役に立てるのに。
けれど、今はそんなことを言っても仕方がないよね、ってミサカはミサカは唇を噛んでみる」
打ち止めはミサカネットワークのコンソール役として生を受け、その体躯は年齢にして10歳相当ととても幼い。
恐らくは、上条のような平均的な男子高校生でも片腕でその体を持ちあげられてしまうだろう。
自分の非力さ、無力さを悔やんでいるのか、苦渋の表情でうつむく打ち止めの表情に美琴は痛ましいものを感じた。
一方通行は未だ許せないし、わざわざ彼を助けるために体を張ろうと言う気にはならない。
だが一方で、妹がこんなにも沈痛な表情をしているのを見過ごす美琴ではない。
「打ち止め、私は──」
「おっねぇさまー!!」
ある決心を秘めた美琴の言葉は、突如現れた少女の奇声によって遮られた。
背後から密着してきたこの哀しいほどにつつましやかな感触は、紛れもなく白井の物だ。
「ええい抱きつくな鬱陶しい!」
「2曲目もパーフェクトを叩き出し、最高速で追いかけましたのにどこにもおらず!
黒子を置き去りにしてあの殿方とふふふふ二人で逢引を──はっ!?」
言葉を切り硬直した白井の視線の先には、突然の闖入者に驚き戸惑う打ち止めの姿が。
白井の瞳は目まぐるしく打ち止めを、美琴を、そしてゲームをしている御坂妹を映す。
「なんというお姉様パラダイス……黒子の桃源郷はこんなところに存在しましたの!」
「この状況で言うことがそれ!?」
「ぐへへへ……小さなお姉様マジ天使ですの……じゅるり。
さーさささ小さなお姉様、あちらにゲコ太のぬいぐるみのクレーンゲームがございましたのよ!
この黒子めが小さなお姉様の為にぜひとも手に入れてごらんに……」
「……お姉様この人怖い、ってミサカはミサカは……」
「この……やめんか変態!」
「ごきゅ!?」
美琴の肘打ちが綺麗にみぞおちに決まり、床を転げ回って悶絶する白井。
その騒ぎにより周囲の妙な視線を引きつけてしまい、、上条や御坂妹までもがゲームを中断して戻ってきた。
「……まったく!」
美琴は大きなため息をつくと、ひとまず人の視線から逃れるべく白井の腕を取って引き起こした。
────────────────
「──話はついた。必要な人材の手配はしてくれるそうだ」
土御門が携帯電話を閉じ一同を見まわした。
「が、いかんせん動かせる駒が少ないし、何より能力者がいない。
研究員はともかく、『第三次製造計画』に太刀打ちできる奴はいないだろう」
「結局、前線に立てるのは私たちだけってことね。
この間の絹旗さんと番外個体の戦闘を見る限り、さすがに戦力差は大きいわ」
「戦力が足りないならさ、お姉様に協力を求めるのはどう?」
番外個体の提案に、全員が視線を向ける。
「レベル5にして電撃系最強能力者だよ。単純な能力勝負ならお姉様はどのミサカに対しても圧倒的な優位に立てる。
何よりも、お姉様自身が『第三次製造計画』を助けたいと思っている。
お姉様を動員すれば、ここにいる誰よりも強力な戦力になると思うけど?」
「却下」
しかし、一方通行が即座にそれを切り捨てた。
「なんでさ」
「『超電磁砲』は表の世界の住人だ。暗部の事件に関わらせられるわけねェだろ。それが『妹達』に関する事件であってもだ。
あの女がむやみに動いて統括理事会を刺激したら『妹達』の居場所が危うくなることは分かってンだろ?」
「……あなたはこのミサカをこき使っているくせに」
「オマエは自分の為に好き好んで俺にくっついてきてンだろォが。
なンならクソガキと一緒に黄泉川の家にでも転がり込ンでたって構わねェぞ?」
「…………むぅ」
番外個体は何かを言い返そうとするような素振りを見せたが、結局何も言わず言葉を呑みこんでしまった。
「結局、ここにいる6人で何とかするしかねェってわけだ。何か異論は?」
「ないわ」
「特になし」
「よし。海原、お前が成り代わった研究員の次の勤務シフトは?」
「明日の深夜からです」
「施設に突入する時、内応する人間がいた方が色々とやりやすい。海原にはその役割を頼もう。
一方通行と番外個体、結標と絹旗。お前たちにはそれぞれ2人ずつペアで動いてもらう」
組分けられたペアがそれぞれ顔を見合わせ、絹旗が手を上げた。
「組み分けの根拠は?」
「能力の相性。絹旗、お前の能力は近接特化だからな。障害物を無視して射程を補助してくれる結標との組み合わせが良いだろう。
一方通行と番外個体は単純に両方とも高火力だからだ。
基本はこっちの2人が大暴れして施設内の注意を引きつけ、結標と絹旗のペアに暗躍してもらう」
「土御門、オマエは何をするンだ」
「色々とな。親船から頼まれたアレやコレを同時に片づけなきゃならない。
まあ現場からそう離れはしないから心配するな。窮地に陥りゃ助太刀に行くぜぃ」
「いらねェよアホ」
ニヤニヤと笑う土御門に、一方通行はそっぽを向いた。
「──とまぁ、突入する日時、メンバーはだいたい決まった。
情報が足りないのは仕方がないから、その辺りは状況に応じて柔軟に。
方針としてはこんな感じだが、ここまでで何か質問は?」
土御門が一同を見回すが、特に口を出すメンバーはいない。
「じゃあ、一端休憩だ。少し休んで、これからの具体的な行動を決めよう」
────────────────
結局、『美琴の視界内にいる』という条件付きで、白井は妹たちと遊ぶ許可を得た。
ファーストコンタクトがアレなだけに初めは警戒していた打ち止めだったが、変態性さえ発揮しなければ白井は基本的に面倒見の良い性格であり、
数十分もしないうちにすっかり打ち解けていた。
今は白井、打ち止め、御坂妹の3人でクイズゲームに興じている。
その出自ゆえに行動が制限される妹たちにとって、医者でも研究者でも姉妹でもない人間と触れ合う機会は少ない。
彼女たちにとって、白井は(暴走さえしなければ)いい友人となってくれるだろう。
そう考えていると、突如頬に触れた冷たいものに思考を遮られた。
「ひゃっ!?」
驚いて振り返ると、上条がヤシの実サイダーの缶を美琴の頬に押し付けていた。
「な、何すんのよ!」
「いやぁ悪い悪い、御坂がぼーっとしてるのを見てついな。これ飲むか?」
美琴が真っ赤になって抗議するのを見て、上条はくっくっと喉を鳴らした。
見れば、ヤシの実サイダーを持っているのとは反対の手に違う銘柄のジュースを持っている。
となると差し出されたヤシの実サイダーは美琴の為に買ってきたのだろうか。
「あ、ありがと」
「メダルのお礼だ。気にするなよ」
小気味良い音を立ててジュースの栓を開け、ぐいっと煽る上条。
美琴もそれに倣い、ヤシの実サイダーをちびちびと啜った。
クイズゲームは白熱しているようで、打ち止めは1問正解するたびに大はしゃぎだ。
隣でプレイしている御坂妹も、唇にうっすらと笑みを浮かべている。
美琴はそんな光景を、頬を緩めながら眺めていた。
「楽しそうだな」
出しぬけに上条がそんなことを呟いた。
「あんたが一方通行を殴り倒して、あのイカレた『実験』を止めてくれたから、今あの子たちはああして笑っていられるのよ」
「未だにレベル5第一位を殴り倒しただなんて信じられないんだけどなぁ……」
上条が自分の右手を見ながらそう言った。
その拳には、無数の傷が残されている。
魔神を、最強を、暗殺者を、刺客を、武装シスターを、運び屋を、司教を。
『前方』を、『左方』を、『後方』を、王女を、『右方』を、そして『大天使』を。
上条当麻はその右の拳一つを振るって戦い、そして打ち倒してきた。
そう聞かされた。
彼の記憶は未だ戻らない。
ゆえに、自分が挙げたと言う戦果の数々を、自分が為したものだとは思えない。
いや、そもそもの話として、以前の自分はそれを自分の戦果だと思っていたのだろうか。
誰かを助けたいと願って必死に戦い、その結果として数々の『戦果』がくっついてきただけなのではないだろうか。
誰に教えられたわけでもない。けれど、上条にはそんな奇妙な確信があった。
「本当のことよ。私はこの目でちゃんと見たんだから」
「……そっか」
上条はどう答えるか迷った末、短くそう答えた。
「……あの、さ」
「なんだ?」
「あぅ、えーと、あの……」
彼女としては珍しい、歯切れの悪い態度を見せる美琴に、上条は首をかしげる。
美琴はやや頬を赤らめながら、
「……あ、あり、ありが……」
「蟻?」
記憶がないにもかかわらず記憶喪失以前と同じ反応をとったことに、少しだけ気が抜ける。
性格が災いしたのか、それとも気恥ずかしさが先行したからか、今まできちんと感謝の気持ちを伝える機会が無かった。
確かに、今の上条には当時の記憶はない。しかし、だからといって感謝をしなくていいことにはならない。
「……その、妹たちのこと、助けてくれてありがとう」
面と向かってようやく伝えたかった言葉を伝えることができ、美琴はほっと胸を撫で下ろした。
上条は一瞬だけ面食らったような顔をした後、徐々に表情を緩ませ、
「……ああ」
と短く答え、笑った。
「……そのお礼と言っちゃなんだけどさ、何か困ったことがあったら何でも私に言って。
力の及ぶ限り、協力するからさ」
「……じゃあ、明日から毎日朝から晩まで山のようにある補習を何とか……」
「それはさすがに無理。試験の手伝いならともかく、補習はどうにもならないわよ」
「だよなぁ……」
「ま、ちゃんと予習していけば、補習を受けても全然意味が分からないなんてことにはならないでしょ。
勉強してて分からないことがあれば、いつでも美琴センセーに聞いてきなさい」
「へいへい」
明日からの補修漬けの日々を想像したのだろう、上条は本気で憂鬱そうな顔をする。
その表情がなんだか無性におかしくて、美琴は思わず笑い出してしまった。
つられて上条も、きまりが悪そうに笑った。
「笑う」という行為にはストレスを解消し、心労を軽減させる効果があるという。
ならば、ここ数日悩み事に悩まされていた美琴の心が少し軽くなったのも、またその効果によるものなのかもしれなかった。
その夜。
「──首謀者が掴めた?」
「はい」
自身の執務室で、親船最中は子飼いの情報収集班から報告を受けていた。
彼女の前には十数枚の報告書が並べられており、首謀者や関係者と思われる人物の顔写真やプロフィールが記載されていた。
「……『彼ら』が、この件に関わっているとする根拠は?」
「『書庫』に対する閲覧や書き換えを行った許諾コードの1つが、『彼ら』の権限で発行されたものであることが分かりました。
閲覧許可レベルは統括理事に次ぐランクです。そこまでの権限を付与できるのは統括理事クラスだけでしょう」
「その閲覧や改ざんをされた内容が、首謀者であると断定できる証拠になりうるものだった、というわけですか」
「はい。改ざん箇所につきましてはリストにまとめてありますので、ご一読を」
親船が手元のコンソールを操作すると、卓上のモニターに電子ファイルが表示される。
改ざん前と改ざん後のデータを並列表示したファイルを読めば、何らかの策謀が働いていることは容易に感じ取れた。
情報操作が『グループ』の調べている案件に関わっているものであるならば、なおのこと。
「……すぐに『グループ』へ情報提供を。首謀者と思しき『彼』についてと、『書庫』を信じるなということを言い含めておいて」
「分かりました」
秘書が胸元のポケットから携帯電話を取り出しどこかへとかけ始めるのを見ながら、親船は内心で唇を噛んでいた。
(実験の内容からうすうす感づいてはいましたが、やはり『彼ら』でしたか)
学園都市の闇の奥底に蠢く、狂気の科学者集団がある。
卓越した頭脳と奇抜な発想、そして禁忌の道を悠然と突き進める破綻した倫理観を共通点として持つ彼らを、『木原一族』と呼ぶ。
その中にあって、科学の分野ではなく政治の分野においてその才能を発揮させた男がいる。
科学の才能を持たないことで疎まれつつも、とても研究のしやすい環境(やみ)を作ることによって一族の中での地位を確立させたのだ。
そして今や彼は統括理事の座を獲得し、彼が図る便宜によって一族の隆盛は最高潮へと達している。
同時にそれは、彼らの研究によって『死んだり、死に損なったり』した被害者の数が雪だるま式に増えていることをも意味している。
彼らを潰さねば、学園都市の闇は永久に晴れはしない。
潰すのであれば、尻尾を掴んだ今が好機。
ここに至って、自分だけが安全地帯から事態へ介入すると言うわけにはいかない。
彼女自身も危ない橋を渡る必要が出てきた。
(……保険を用意しておく必要がありますね)
親船はポケットから鍵束を取り出し、彼女のデスクについている厳重に鍵の掛けられた引き出しを開けた。
中には数枚の紙が入っており、それぞれいくつかの名前と、電話番号らしき数字の羅列が書かれていた。
その中から1枚を抜き出し、デスクに散らばった紙の一番上に置く。
しばし逡巡したのち、彼女もまた自身の携帯電話を取り出した。
彼女の視線の先には、『アイテム』という名が記されていた。
「──あぁん、お姉様、そこですの、もっと、もっとぉ~!!」
「……何なのよ、あの気持ち悪い寝言」
同居人の不快な寝言に邪魔をされ、美琴は寝つけないでいた。
白井の言動が気持ち悪いのはいつものことだが、今日はことのほか酷い。
仕方がないのでベッドの中をごろごろと転がりつつ、考え事をする。
寝返りを打った拍子にネックレスがちゃらりと音を立て、何の気なしにそのチェーンを指に絡めてみたりした。
(……アイツ、クリスマスも一日中補習なのかあ。終わるころには門限よね……じゃなくて!
考えなきゃいけないのは、妹たちのこと!)
日中考えたことを、改めて思い返す。
『美琴を縛りつけておきたい』と考える人間と、『妹達を使って実験を行いたい』という人間がいる。
後者を止めようとすれば、前者が妹たちを脅迫のネタに使うかもしれない。
かと言って、後者を放置することなどできはしない。
美琴は大きなため息をついた。
きっと上条ならば、こんなことで悩む間にさっさと殴り込みをかけてさっさと事態を終わらせてしまうのだろう。
貫きたい信念を通しぬき、後のことなど後で考えればいい。
そんな生き様は、うじうじと思考してばかりの今の自分とは大違いだ。
だが、美琴は彼のような人間になりたいと思った。彼に追いつき、追い越したいと思った。
ならば、今すべきことは思考ではなく、決意と行動だ。
「……よし!」
気合を入れ、体を起こした美琴の出鼻をくじくように、枕元の携帯電話が震えた。
気勢を削がれたようによろよろと携帯電話を開くと、1通のメールが届いていた。
【FROM】ワースト
【sub】夜中にごめんね
------------------------
明日の午前中、会えるかな?
薄暗い研究室で、ただひたすらにパソコンの画面を注視し続ける研究員がいた。
画面に映っているのは、彼の最高傑作であるミサカ00000号『最上位個体』フルチューニング。
彼が持てるすべての技術を余すことなくつぎ込み造り上げた少女は、他者の力を借りてさらなる高みへと至った。
「お気に召した、天井博士?」
天井が座る椅子に体重を預け、背越しに画面を見つめるテレスティーナの顔にも若干の興奮の色は隠せなかった。
「あ、ああ。貴女の話を聞いた時からもしやとは思っていたが、まさかここまでとは。貴女は天才だ!」
「ふふふ、元々の素体が良かったからこそ、上手く適合したのではなくて?」
機嫌良さそうに笑うテレスティーナは、ポケットからマーブルチョコを取り出し一粒口に放った。
天井の作り上げた、素体としてのフルチューニング。
テレスティーナのもたらした、能力者を後天的に強化するいくつかの技術。
その2つが合わさらなければ、ここまでの性能を持つ個体は生まれなかっただろう。
「……そう言えば、『リプロデュース』に届けさせた招待状はきちんと受け取ってもらえたみたいね」
「ふむ?」
「これを」
テレスティーナが1枚の写真を差し出し、天井はそれを受け取った。
何のことはない。白衣の男が映った、ただの写真だ。
「これがどうかしたのかね?」
「その研究員ね、"すり代わられてる"わよ」
彼女の言葉に、天井は片眉を上げた。
「なぜ分かる?」
「全所員から無作為に選んだ複数の人間に、『周囲の人間の誰かがおかしな言動をとったらその場は合わせ、隙を見て報告しろ』と命令を出したの。
同時に、『書庫』に登録されている全所員のパーソナルデータを一部書き換えたわ。
きっと準備時間が短くて、裏の裏を取る余裕がなかったのでしょうね。案の定、それに引っかかったお馬鹿さんがまんまと釣れたってわけ」
「調子が悪かったとか、ちょっとした勘違いということもあるのではないか?」
「その研究員ね、彼の兄弟は弟だけなの。他の兄弟姉妹はいないし、存在したこともない。『妹がいる』ことにはしたけれどね。
そして、彼は妹の話をした。さすがに弟と妹を間違える人はいないもの。明らかにクロ。
拉致した研究員から家族構成を聞きだすと言うことをしなかったのかしら?」
「では、そのすり代わった人間が『招待客』と繋がっていると言う根拠は?」
「わざわざ『襲撃犯の顔を木山春生に目撃させ、かつ死なせないように撃たせた』のは何のため?
木山は間違いなく超電磁砲や事情を知っている人間にしかそのことを話さない。
超電磁砲もまた、問題の渦中にいる人物にしかその情報を共有しようとは思わないでしょうね。
そして今、彼女の近辺には『第三次製造計画』に関係ある人物がいる。知っているでしょう?」
「……30000号か」
本来、『第三次製造計画』が始まる前に死亡しているはずだった個体に検体番号は存在しない。
あくまで製造の都合上便宜的に与えられた番号だが、彼女はその事を知ることもなく死地へと送り込まれていった。
そして今、その個体はオリジナルと知り合い、一方通行と行動を共にしていることが判明している。
「そう。超電磁砲は間違いなく『第三次製造計画』についての情報を得るために30000号と情報交換を行った。
当然、30000号が知り得た情報は一方通行や、『グループ』だったかしら? 彼が所属している組織のメンバーにも伝わったはず。
そして、その中には姿を自在に変えることができる能力者がいたはずよ」
それが彼、とテレスティーナは写真をひらひらと振った。
一方通行らが『書庫』を使ってこちらの情報を調べられると言うことは、こちらとて向こうの情報を掴めると言うことにもなる。
ましてやこちらは統括理事のお墨付きの身だ。得られる情報の機密レベルや範囲も格段に広い。
「……なるほど。私たちが招待したい人間は両方とも招待状を受け取ってくれた、という解に繋がるわけか。
では、私たちもそれ相応のもてなしの準備をしなければいけないな」
「それもたった今、フルチューニングの完成を持って終わったわ。
もてなしに相応しい衣装や内装は全て整えた。あとは主賓の到着を待つばかり」
天井とテレスティーナは、ニヤリと獰猛な笑みを交わした。
全てはこの時のためにあった。
この時のためにテレスティーナは虫酸の走るクローンたちの顔を日夜眺め続けたし、天井はいつ自分を処分しようとするかも分からぬ女科学者に尻尾を振った。
恥も外聞も矜持も何もかもかなぐり捨てて、ただひたすら雪辱へとひた走った。
それが成就する瞬間は、もうすぐそこにまで迫っている。
「貴方が造った『フルチューニング』が超電磁砲を仕留め」
「貴女が育てた『サードシーズン』が一方通行を打倒する」
渇望と期待に興奮を押さえきれぬ二人はくつくつと喉を鳴らし、それはやがて哄笑へと変わる。
弾みで天井がマウスから手を放すと、それに従いモニターの表示が切り替わる。
表示されたのは、『フルチューニング』のスペックシートだ。
髪がやや長い少女のポリゴンモデルの周囲に彼女専用装備の画像がいくつか並び、また彼女のパラメータが何十も羅列されていた。
その中の一つに、見慣れない表示があった。
そこは通常能力強度を表示される場所であり、0~5の6段階のレベルのうちいずれかが書きこまれ、また強度によっては『+』『-』が付けられることもある。
だが、彼女のスペックシートに書かれていた表記はそれに似ているようでいて、しかし明確に異なる場所があった。
『 Average Intensity of Ability:Virtual level 5 』
『能力強度:仮想レベル5』
この表記が意味するところとは一体何なのか。
それを知るのは、この場の2人しかいない。
今日はここまでです
風呂敷を壮大に広げまくっておきながら回収するのに時間がかかるこのSSを読んでくださる皆様には頭が上がりません
次回は……可能な限り早めに
>>594の
>遊びに行く前の腹ごなし
は
>遊びに行く前の腹しらえ
の間違いです
終わった……
課題とかマシントラブルとか人生とか色々終わって、ようやく書き込めるようになりました
今回も放置した時間の割に短めですが、どうかご容赦を
12月23日。
学園都市はいよいよ冬休みへと突入し、街は朝からにわかに喧騒を見せていた。
長期休みに浮かれ朝から街へと繰り出すもの、帰省するために混雑する駅へと向かうもの、と様々だ。
朝食を食べ終えた美琴は、その足で冥土帰しの病院へと向かった。
昨夜の番外個体からの呼び出しに応じるためだ。
そして今、彼女は病院の屋上にいるわけなのだが、呼び出した当の本人はと言えば……
「──何これ、超美味しい」
大口を開けて、美琴の買ってきた中華まんにかぶりついていた。
右手にあんまんを、左手に肉まんを持って交互に頬張る番外個体の姿に、美琴はため息をついた。
「出がけに『緊急!』なんてメールを送って来るから、何かと思えば……」
「だってー、朝のニュースで冬のコンビニ特集を見て急に食べてみたくなったんだよ」
「だいたい、朝ご飯食べたばかりじゃないの?」
「そんなものはとっくに遥か彼方だよ」
食べることは幸せだ、と言わんばかりの姿に、美琴は呆れ果てる。
だが、こうやって食べたいものを好きなだけ食べるということは、妹たちにとっては本当に幸せなのだろう。
だから、それ以上は何かを言おうとは思わず、ただ美味しそうに頬張る番外個体の姿を眺めていた。
「……それで? 呼び出した用事ってなによ?」
「そうだった」
番外個体が食べ終わるのを待ち、美琴は本題を切り出す。
「『第三次製造計画』。色々調べたから、いちおうお姉様にも報告しておこうと思ってさ」
口元をごしごしとこすりながら、番外個体は答えた。
「と言っても計画の本拠地と、その内部事情がちょっぴりだけど……聞きたい?」
「聞きたい」
美琴は即答する。
情報の多寡は事態の推移に大きく影響する。なくて困ることはあっても、ありすぎて困ると言うことはない。
それが妹たちに関することならば、特に。
「じゃあ、まずは本拠地からね。これについては、テキトーにお姉様に聞いたことがまさかのビンゴ」
「……この間の、良く分からない謎かけ?」
「そ、アレ」
数日前の電話で番外個体はいくつかのキーワードから思いつくものはあるかと問い、美琴はそれに「緊急放水路」と答えた。
試しにそれを調べてみたところ、なんとあっさりと見つかってしまったのだ。
「なんか、拍子抜けするほど簡単に見つかったのね」
「実際に怪しいと思ったのは、施設の公式ホームページと『書庫』の記述が違っていたから。
それだけならまだテロ対策として理解できるけど、実際忍び込んだらクロもクロ、まっクロだったよ」
「忍び込んだって、アンタが?」
彼女らが持つ特質上、軍事クローンとして妹たちが求められる役割は戦闘だけではなく、むしろ諜報活動にこそ向いていると言えるだろう。
妹が危ない橋を渡っていると早合点し、美琴は驚いたような声を出した。
苦笑しながら、番外個体は慌てて否定する。
「違う違う、一方通行の仲間」
「……え、アイツ仲間なんていたの……?」
先ほどとは少し違う、訝しむようなニュアンスを含む驚愕の音が美琴の口から飛び出た。
あの男とつるめるだなんて、その仲間とやらもきっと相当な人格破綻者ではないのか。
「以前、一方通行がお姉様の前で懺悔した時に言わなかったかな?
上位個体を守って暗部に落とされた時の同僚なんだってさ」
「……暗部の」
美琴にとって、『暗部』と聞いて思い浮かべるのはまず一方通行であり、その次にレベル5第四位・麦野沈利率いる『アイテム』が来る。
心の底から『狩り』を楽しんでいる節のあった麦野であるが、その根底には暗部に心を歪められたと言う過去があった。
学園都市の、『暗部』。妹たちのことも、麦野の事も、第三次世界大戦中に見た上条の回収命令の事も。
美琴が経験してきた全ては、そのぬばたまの暗黒の一辺でしかないのかもしれない。
だが、どんな事情があろうとも、『暗部組織』というものが後ろめたい組織であることには変わりない。
一般人として普通の良識を持ちあわせている美琴にとって、裏稼業の人間というものはどうしても信用しがたい。
「……大丈夫なの、その人たち」
「大丈夫じゃない? 少なくともミサカに危害を加えられるほどの連中じゃないし」
それは番外個体の身の安全の証明であると共に、戦力としての不安を抱えていると言うことをも裏付けているのだが、顰められた美琴の眉は少しだけ緩む。
が、そもそもそのような「裏の人間とつるむ」こと自体、美琴は良く思っていないのだ。
「それも大概でしょ。目的の為とはいえ、第一位とつるんでる時点でさ」
「それもそうなんだけどね……」
「話がずれたね。『第三次製造計画』の根拠地の名前は、『水源地水位監視センター』。
第二十一学区にある水源地域の管理と、緊急時の放水を行うところ」
「そこが例の放水路を抱えてるところ?」
「そうそう。ミサカが施設にいたころ、地図に放水路があったことを覚えてたおかげで早期特定余裕でした」
「うん、お手柄だわ。よしよし」
「撫でるなぁ! ……んで、これが施設の概略図ね」
いつだったか妹たちの記憶を見せられた時にも使われた携帯ゲーム機の電源を入れると、地図が画面に表示される。
画面が小さいせいで、地図の詳細やその縮尺は分かりにくい。が、部屋数の多さや構造の複雑さは、その広大さを伺わせるには十分だった。
「……こんな施設、良く作ったものだわ。まるで蟻の巣ね」
「うん、第一位の見立てだと、ここは『実験』当初からわりと大きい役割を担ってたんじゃないかってハナシ。
部屋の数や大きさといい、プロトタイプのこのミサカが造られたことといい、状況証拠としてはバッチリでしょ」
「……『実験』の時に潰して回った研究所も、バカでかくて無駄に広いところばっかりだったわね。
仮に狭くてちんまりしてたところだったら、今頃私も死んでるか再起不能だったかもしれないけど」
「誰かと戦闘にでもなったの?」
「第四位の『原子崩し』率いる『アイテム』っていう暗部組織と戦ったのよ」
「参考までに、結果は?」
「私の勝ち……というか逃げ切りかな。施設は破壊したし、私は五体満足で脱出出来たもの。
所期の目標は達成したんだし、あまり勝つとか負けるとか興味ないしね。目標を達成せずに死ぬのも馬鹿らしいから、さっさと逃げた」
(『書庫』の情報だと、『アイテム』は『グループ』『スクール』と並んで暗部組織のトップグループだったんだけどなぁ)
それを単騎で退けるとは我が姉ながら恐ろしい、と番外個体は心の中で呟いた。
「……ねぇワースト、このデータ、私にも分けてくれないかな」
「……何に使うの?」
美琴の瞳をじっと見据える番外個体。姉もまた、妹の目を見つめる。
このデータを見せようと決めた時から、この問いは予想されていたものであった。
この『姉』ならば確実にそう言いだす。約一月半の付き合いの中で、その確信は得られている。
今の『グループ』に一抹の戦力不安を覚えているのは確かだ。
その気になれば彼女一人で殲滅することも可能かもしれない『グループ』一つで、『第三次製造計画』を潰そうだなんて馬鹿げている。
土御門や海原はまだ何かを隠しているような雰囲気ではあるが、それにしたってそこまで状況に劇的な変化をもたらすものではないだろう。
そんな中で、レベル5第三位『超電磁砲』という戦力は確かに魅力的だ。
だから今、番外個体は独断で動いている。
だが、それを操る美琴のメンタルに若干の不安要素がある。
いやでも当時の事を思い出させる裏の世界に、彼女を関わらせていいのか。
『実験』当時のように、忌まわしい連中との鉄火場に立たせていいのか。
その葛藤を「お姉様が望むのなら」という免罪符で塗りつぶすべく、番外個体は敢えて問う。
「このデータを使って『何をするつもり』なの?」
「何をする? 何をって、決まってるでしょ?」
けれど、そんな葛藤は美琴にとってはもう通り過ぎた場所だ。
迷うことはやめた。そんな暇があるのなら、さくっと懸案事項を片付けてしまえばいいのだ。
『美琴を縛りつけておきたい』と考える人間と、『妹達を使って実験を行いたい』という人間がいる。
後者を止めようとすれば、前者が妹たちを脅迫のネタに使うかもしれない。
ならば話は単純明快だ。『まず後者をぶっ飛ばし、展開次第では前者もぶっ飛ばす』。
こんな簡単な結論に至るまでに、何日時間を無為にしたのだろう。
「私とアンタの妹たちを、助けに行くのよ!」
いっそ不遜なまでに不敵な笑みを浮かべる美琴に、番外個体はしばし唖然とし、やがて笑みをこぼす。
根拠がなくても、論理が破綻していても、ただそこに立つだけで『なんとかできる』と思わせてくれる人間とはいるものだ。
敵わない。この『姉』は『姉』と呼ぶには十分な人格と威容を兼ね揃えている。生まれたばかりの未熟な妹には、全く持って敵わない。
だからこそ、頼る。自分より背が低く、自分より華奢なこの目の前の姉を、"信"じて"頼"る。
その証は小さなデータチップとして、姉の手へと渡された。
同時刻。
番外個体を除く『グループ』の一同は、昨日と同じ集合場所へと集まっていた。
昨夜は遅くに解散し、決められた集合時間まではまだ時間がある。
あくびを噛み殺しながら、一方通行が不機嫌そうな声を出した。
「……集合は昼だっただろォが」
「何かあったの?」
一同の疑問を表す結標の声に、土御門が頷いた。
「やることに変わりはないが、少し状況が変わるかもしれない。
夕べ解散した後、親船から連絡があってな。『第三次製造計画』の首謀者が判明したそうだ」
「それって、夕べのうちに私たちを呼び戻すべき超緊急の案件じゃないんですか?」
「あっちは親船らが相手をする。オレたちはオレたちのするべきことをしろ、との事だ。
とはいえ状況を知らないよりかは知っていた方が良いだろうから、こうして早く集まってもらった訳だ。
……ところで、番外個体はどうした?」
「午前中だけだ、と遊びに行った。オリジナルが一緒だと呼び戻すわけにもいかねェだろ」
「マイペースな奴だな。まあいい、番外個体にはあとで掻い摘んで説明しよう。
話を戻すと、首謀者は……やはりというか、うん、予想通りってところだな。『木原』だ」
「木原だと!?」
その単語に、一方通行は色めきだつ。脳裏に浮かぶのは、凶悪に笑う木原数多の顔。
一方通行に能力開発を施し、打ち止めの脳にウィルスをぶち込み、そして一方通行が確実に息の根を止めたはずの男だ。
「落ち着けよ、一方通行。お前が思い浮かべたのとは別の『木原』だ。
お前たちは『木原一族』を知っているか?」
「学園都市の闇の中の闇、その底辺を蠢くクソッタレのド外道どもだろ」
「おおむね正解だ。後ろでキョトンとしてる奴らのために簡単に言うと、『一族郎党ほとんど皆狂った研究者の集団』ってところか。
この街の研究者にすら『狂っている』と言われる意味は、分かるな?」
比類なき才能と、倫理なき邁進。この都市の闇において、『狂気』と『天才』は同意義の言葉だ。
「その木原一族の中にあって更に異端──逆に常人に近いのかもしれないが──その才能を科学にではなく、政治において発揮した男がいた。
名前は木原 無量。統括理事会の1人だ」
「その人物が一族の研究に利便を図り、学園都市の闇が膨れ上がるのに手を貸している……そんなところですか」
「『暴走能力の法則解析用誘爆実験』だの『暗闇の五月計画』だの『プロデュース』だの、奴らが手掛けただろう血腥い事件はいくらでもある。
こいつらは通常の倫理観なんて持ち合わせちゃいない。『置き去り』なんてただのでかくて喋るモルモット程度にしか考えていないんだろう」
「その研究の成果が、ここに2人もいる。そォだろ、チビガキ」
「チビガキって私のことですか!?」
うがー! と怒る絹旗をよそに、一方通行は話を続けた。
「俺がガキの頃の能力開発の監督者の中に、木原数多って言うクソがいた。レベル5とはいえ10にもならねェガキに平然と大砲だの爆弾だの山ほどぶつけやがったイカレ野郎だ。
それと、そこのチビガキ。オマエ、俺の演算パターンを植え付けられた『暗闇の五月計画』の被験者だろ。
土御門の話じゃそれも『木原』の仕業って話だが……まァ、それなりの結果は出せたみたいだな」
「それなりって……そのチビガキに超殴り倒された第一位サマが超偉そうに」
「もォ一度殴れたら認めてやるよ」
一方通行はチョーカーのスイッチを入れ、絹旗に向かって手のひらを向けた。
以前の戦闘を覚えていて尚伸ばされたその手に絹旗は少しだけ躊躇するが、やがて意を決したように握り拳を一方通行の手のひらへと叩きつけた。
「あ痛ァ!?」
「メルヘン野郎と同じだな。タネが割れたらこンなもンだ。
……くだらねェことはいい。なンだって、『妹達』の問題に『木原』が出てきやがる?」
「超電磁砲よりも劣化しているとはいえ、能力者の軍用クローンが依然として魅力的な研究テーマであることに変わりはない。
もし自由自在にレベル5のクローンを造り出せるようになればそれは莫大な利益を生むし、単純に結果を追求したいヤツもいるだろう」
「番外個体を見る限り、着実に能力者クローンの完成度は上がってきているわ。
このまま放置すれば、量産型レベル5は夢物語ではないかもね」
仮に結標の予想が現実化したならば、世界の軍事力バランスは大きく変わるだろう。
特別な戦闘訓練を受けていない一般人の『超電磁砲』でさえ、ロシアにて単騎で本物の軍人を一掃するような働きを見せている。
単騎で軍隊と渡り合えるレベル5。それを好きな数だけ造り出し、好きなように使役できる存在が現れたとしたら、間違いなく世界は混乱する。
あまりに過剰な戦力は、世界の恐怖を煽る。いくら学園都市と言えど、世界そのものを敵に回して生き残れるわけではない。
軍事面でのアドバンテージは圧倒的だが、学園都市の領地はごく小さな土地しかないのだから。
「親船が危惧しているのはまさにそンなところだろ?
ミツバチがよってたかってスズメバチを蒸し殺すよォに、どれだけ強力だろォとも単騎はいずれ雲霞のよォな弱小の集団に圧殺される。
どこぞの恐慌状態のアホな首脳が核でも持ち出してみろ。いくら学園都市と言えど、さすがに核爆発から都市が消し飛ぶのを防ぐテクノロジーはねェぞ」
「そこまで行けばもはや世界は最後の審判を待つだけの荒廃し切った状態だろうがな。シナリオとしてはあり得ないわけじゃない。
実際に第三次世界大戦ではロシアが核弾頭を持ちだそうとした痕跡が見つかっている。
何者かが解体して学園都市軍にその所在を知らせたらしいが、その人物がいなければ今頃極東アジアは放射能まみれになっていただろう」
「小さなことが発展して、大きな災禍へと繋がっていく……。
それを食い止めるために、今ここで『妹達』に関わる計画を完全に終わらせる必要があるってことですね」
「だが、ここで少し困ったことになった。親船が言うには、どうにも『書庫』が信用ならないらしい」
「『書庫』が?」
戸惑う声が上がるのも無理はない。『書庫』は学園都市の総合データベースであり、そこに記載されている情報には絶対の信頼性が求められる。
仮にそこに記載されている情報が信頼できないのであれば、他に何を信じればいいというのか。
「高レベルのセキュリティコードを持っていれば超閲覧や超編集は不可能じゃないでしょう。
統括理事が関与しているのなら、それくらいのことは超簡単に出来るのでは?
信用できない、ということは超いじくられていることは判明しているんでしょう。どんな内容なんですか?」
「『水源地水位監視センター』を始めとする数百カ所の施設のデータ、およびその所属研究員のパーソナルデータだな。
改ざん日は『リプロデュース』が木山春生を襲撃する数日前からその当日にかけて」
「どこから漏れたかは知らンが、一連の動きは俺たちをあぶり出すための動きだろォな。
こっちの行動は読まれていると考えるべきだ。……となると、一番危ないのは海原か」
海原が拉致した研究員に成り替わるための準備期間はとても短く、『書庫』の全ての情報の裏を取ることはできなかった。
その『書庫』のデータが改ざんされているのなら、知らず知らずのうちに海原がボロを出していた可能性は否定できない。
忍び込んできた人物をあぶり出すことまで考えての行動なら、既に察知されている可能性は高い。
「どうします? 海原さんは先んじて施設に超潜入する役割でしたよね。
バレているのだとしたら、『超飛んで火に入る冬の海原』ですけど」
「海原が補足されている可能性は高い。あくまで施設内に先行している人物がいれば色々やりやすいというだけの話だ。
今から編成を再編して、突入組に入っても構わないぞ」
「自分ならこのままでも構いませんよ」
笑みを絶やさぬまま、海原は静かに言う。
「自分の身を守るすべは心得ていますし、バレているからといってそれが減じるわけではありません。
いざとなれば別の人間にすり変わることも出来ますしね」
「……いいんだな?」
「ええ」
大事な人間の為ならば危険を厭わない、というのは本来の『グループ』である4人が唯一持つ共通目的だ。
目的の為に有効であるならば、もっとも危険な最前線に単独先行することなど構いやしない。
身近なやり取りの中に海原の覚悟を感じた土御門は、それ以上何も言わなかった。
「……わかった。あとで番外個体が合流したら、そのあたりも含めて作戦の最終調整をしよう」
深夜。
美琴は自らのベッドの中で、PDAを握りしめて息をひそめていた。
彼女が様子を窺っているのは同室である白井が寝入ってしまったかどうかだ。
番外個体は今夜が『第三次製造計画』潰し作戦の決行日である、と教えてくれた。
それを知らされて、指をくわえて見ていられる美琴ではない。
当然、彼女も独自に参戦するつもりだった。
番外個体に貰ったデータチップには、『水源地水位監視センター』に関する様々な情報が詰まっていた。
彼女が今必要な情報は、すべて彼女の手の中にある。
問題があるとすれば、美琴がこれから行おうとしている行為を白井に知られやしないかどうか。
美琴は風紀委員でも警備員でも、学園都市軍の軍人でもない。
非合法な研究を行っているとはいえ施設を襲撃することは、立派なテロ行為とみなされかねない。
対して白井は風紀委員の1人だ。夏休み、「もし美琴が学園都市の治安を乱すような行為をしたらどうするか」という問いに、
白井は「たとえそれが美琴であっても、学園都市の平和を脅かすなら捕まえる」と答えた。
それはとても立派な志だと思う。けれど、今の美琴にとってそれは目的達成を妨げる枷にしかならない。
大事な後輩を実力で黙らせ排除する、なんてことはしたくない。可能ならば、全て白井が寝ているうちに終わらせてしまいたい。
身じろぎもせず、ただ布団の中で目を開けて待つこと数十分。
白井のベッドのほうから、安らかな寝息が聞こえてきた。
「……寝ちゃったかな?」
それを確認して、美琴はそっと体を起こし、ベッドの下からあらかじめ用意しておいた荷物を取り出す。
突発的に事態へと放り込まれ、何の用意もなく戦いを強いられた夏休みと違い、『第三次製造計画』について聞いた時からひそかに準備をしておいたものだ。
音を立てぬように私服へと着替え、荷物を積み込んだショルダーバッグを背負うと、白井のベッドの脇へと立った。
「……ごめんね、黒子」
なぜ自分を頼ってくれないのか、と憤ってくれた。
美琴や妹達の力になりたいのだ、と申し出てもくれた。
めったに得られない、大事な大事な後輩だ。
でも、連れて行けない。だからこそ、連れて行けない。
妹達と同じように、彼女もまた守りたい人間だから。
誰も傷つかずに、『第三次製造計画』が止まるとは思わない。
誰かが傷つかなければならないのならば、それは自分が背負う。
誰かを傷つけねなければならないのならば、それもまた、自分が背負う。
不退転の覚悟を持って、彼女は戦場へと発つ。
「さっさと終わらせて、帰って来るから」
そっと白井の髪を撫でて、美琴は静かに部屋を後にした。
扉が閉まった後、白井が片目を開けたことにも気付かずに。
深夜の学園都市では、学区によっては公共の交通機関はおろかタクシー1つ走っていないところもある。
もっとも、寮を抜け出してきた中学生の身でタクシーを使えば、行き先は寮か警備員の詰所しかないのだが。
ロシアで上条の生還を確かめ共に学園都市に帰還した後、美琴は無我夢中で行ったことがいくつかある。
その1つが、能力開発だ。
もしあの空中要塞でのわずかな邂逅で上条を救いだせていたならば、彼は記憶を失うことはなかっただろう。
ひょっとしたら死んでいてもおかしくなかった要塞落下に巻き込ませることも、極寒の海に落とすこともなかった。
自らの無力さや、「あの時こうしていたら」という後悔を感じることは無意味ではない。
それを教訓に「ならば次に同じ事態に陥った時、どう行動するべきか」ということこそが重要なのだ。
御坂美琴は極光の海での悲劇から、「徹底的な自己の鍛錬」を選んだ。
その結果が先の身体検査で数値として現れた。そして今、その恩恵が十分に発揮されている。
自らの体に磁気を纏わせ、発生させた磁界の中をまるで自身を弾丸としたレールガンのように直線的に飛んで行く。
リニアモーターカーや電磁式カタパルトと同じような理屈だ。
弾丸が自分である以上、ある程度以上の速度は出せないが、それでも走るよりは時間も体力も節約できる。
欠点はその構造上直線的な動きしかできないことであるが、それは磁力線の糸と付近のビルを用いて方向転換をし、新たなレールを生成することでクリアした。
常に電力を供給し続ける都合上誰かと共に移動できないのも難点であるが、それでもこれは大きな成果だ。
そして、彼女が会得した新たな能力の使い方はこれだけではない。
一夜あれば、人は生まれ変わることができる。
2か月近くを一心不乱に努力し続ければ、人は進化できる。
超能力者として更に1つ上のステージへと上がりつつある美琴は、夜の街を疾走する。
美琴の寮がある第七学区と目標の第二十一学区の間には、学園都市最大の繁華街である第十五学区がある。
身を切るような寒さの中、眼下に広がる街並みには色とりどりにネオンサインが輝いていた。
時節柄、この時間になっても繁華街はにぎわっている。
休日出勤の憂さ晴らしや忘年会、中には「イヴイヴ」なるものに興じているのだろう。
頭上を飛び回る美琴には誰も気づかぬまま、友人や同僚、恋人らと楽しそうに笑いながら行き交っている。
そこにいるのは、普通で当たり前の人々だ。その「普通」を妹たちが享受できるのはいつになるだろう。
もちろん友人と遊び歩き、同僚と酒を呑み交わし、恋人と愛を囁き合う。そんな「普通」は得るものではあって、与えられるものではない。
美琴とてそこまで傲慢ではない。彼女に出来るのは、妹たちがその「普通」を得る自由を獲得できる、そんな環境作りだけ。
やがて第二十一学区へと入ると、風景は一変する。
水源地でありダムが多いという土地柄かビルは少なく、学園都市には珍しく山がちな地形が続いているのが見える。
もう敵の本拠地まですぐそこだ。あまり目立つ行動はしたくない。
ここからは歩いて行くことに決め、地図を呼びだすべくPDAを取りだしたその時。
「…………お姉様」
焦りと、心配と、呆れと、そして何より怒りが入り混じった声がした。
振り返るとそこには、息を切らせた白井黒子が立っていた。
書いている時も「短いかな……」と思ったけれど、実際に投下してみるとさらに短く感じる
あると思います
今日はここまでです
次回は新刊までに書けるかなー書けなさそうだなー書けないと思いますorz
誰かお尻を蹴り飛ばしてください
[モガの森]・ω・)ノシ
新刊やらゲームから面白いネタを拾ったのでプロット変更に伴い書き溜め破棄して書き直している最中です
年内には続き落として行くのでしばしお待ちを
こんばんは
デカい口叩いておいて結局年末になってしまいました。典型的なビッグマウスだよ!
二次創作はあくまで原作ありきの存在だと思うので、原作sage二次創作ageというのはあまりよろしくないかと思います
美琴と一方通行の問題も「当面先送り」といった感じだったので、おいおいきちんとやることを祈って
では投下していきます
話は一週間ほどさかのぼる。
「……なんだか最近、お姉様の様子が変ですの」
場所は風紀委員第177支部。
白井黒子は目の前の同僚、初春飾利に愚痴をこぼすように呟いた。
年末、クリスマスや帰省ラッシュや初詣などで学園都市中が混雑することに備え、風紀委員の先輩たちは警戒態勢を整えるための会議を行っている。
年齢が低い白井と初春は支部で留守番をしているのだ。
「変って、どんな感じなんですか?」
留守番と言えど、やらなければならない仕事は多い。
パソコンを用いて書類を整理しながら、初春は聞き返す。
「以前、お姉様が脳科学のお勉強に没頭していらっしゃったのは覚えているでしょう?
以前ほどではないにしろそちらのお勉強も続けておられるのですが、最近はそれに加えて電子工学や機械工学にまで手を広げておられるようで……。
朝はわたくしが起きるよりも早く起きて机に向かい、夜はわたくしよりも遅く床に入られますの。いったいいつ寝ておられるのでしょう?」
「能力開発に関するお勉強でしょうか。それとも、将来なりたい職業でも見つけたとか。
御坂さんって、一度思い込んだらそれに向かって、"こう"な人ですし」
耳の横に当てた手のひらをそのまま前へと持ってくるジェスチャーをし、クスクス笑う初春。
その能天気な様子に、白井はため息をついた。
「いくら常盤台が『義務教育期間中に世界に通用する人材を育成』していても、学歴としては中卒であることに代わりはありませんの。
職業選択をするには経験が圧倒的に足りませんし、さすがに今の段階から職業選択を考えているのは、将来家業を継ごうと考えている方くらいでしょう」
「じゃあ、飛び級のお誘いが来たとか。例えば長点上機や霧が丘は年齢にこだわらない特進コースを置いていますし。
御坂さんくらい能力も学業もずば抜けてる人なら、勧誘されてもおかしくないと思いますが」
「確かにお姉様ほどの才を示される方でしたらあり得ない話ではないと思いますが……。
そんな大事なことをわたくしにお話しいただけないはずが有りませんの」
白井は唇を尖らせる。
初春の言う通り飛び級の誘いが来ていて、そのために学業に邁進しているのならばいい。
白井と美琴では専攻が違う。同じ学校の後輩としてそばに控えることができなくなるのは寂しいが、彼女の輝かしい未来の為ならば白井は喜んで応援する。
だが、気がかりなのは、
「ここ数日、お姉様が何やら浮かない顔をしてらっしゃるのも気になりますの。
何かを心配しているような、焦ってらっしゃるような」
美琴が努めて平静を装っていることはすぐに分かった。
元々美琴は嘘や演技がうまい方ではない。風紀委員の仕事で鍛えられた白井の観察眼は、すぐにそれを見抜いてしまった。
「何かを思いつめていらっしゃるのだとしたら、わたくしにはそれが心配で……」
「うーん、電子工学や機械工学のお勉強を何かに悩むような様子で頑張っているとなると……能力関連の悩みなんでしょうか。
私たちからしてみればレベル5の御坂さんは雲の上にいるような人ですけど、御坂さん自身では今のレベルに満足していないのかもしれません」
「9月の身体検査から先日までで、並の『電撃使い』数人分の出力アップを果たされていますのに、お姉様は自己の鍛錬には貪欲でいらっしゃいますから……。
しかし、能力開発は自分のペースで進めて行くもの。単に能力の事で悩んでいるにしては、切羽詰まりすぎているといった感じですの」
むぅ、と初春は首を傾げた。
「……やっぱり、御坂さんに直接問いただしてみるのが一番じゃないですか?
私たちがこうして考えていても想像の域は出ませんし、的外れなことで私たちがどうこうしてもかえって迷惑になります」
「それはそうですが……」
白井は躊躇する。
美琴の悩みを解決することが嫌というわけではない。
彼女を取り巻く環境が余りにデリケートすぎるために、不注意に踏み込むことが難しいのだ。
美琴が抱え込んでいるものの大きさを、白井は知っている。
彼女がどれだけそれを大切にしているかも、それがどれだけ大きく重たいのかも、白井は知っている。
もし、美琴の悩みが彼女の『妹たち』に関わるものだとしたら、白井のとり得る選択肢はごくわずかなものになってしまう。
彼女は『権力』という意味での力を持たない。『妹たち』の味方にはなれても、後ろ盾にはなれないのだ。
自分に出来るのは、風紀委員であるこの身に宿る信念に基づき『妹たち』のために戦うことだけ。
だが、門外漢である白井が的外れなところで暴れたとして、それが美琴らの益になるかと言えば、そんなことは決してあり得ない。
結局、美琴の悩みについて知らなければ白井は動きようもない。
「白井さん、いつも言ってるじゃないですか。自分は御坂さんのパートナーだって」
悩む白井に、初春は微笑む。
「御坂さんの一番そばにいるのは、いつだって白井さんです。困っている時にすぐ助けてあげられるのも白井さんです。
私も力になりますから、ここはどーんと白井さんが御坂さんにぶつかっていくところですよ!」
「初春……」
短くない時間をともに過ごしてきた相棒の力強い言葉に、白井は深くうなずいた。
とはいえ、馬鹿正直に正面からぶつかっていったところで、素直に話してくれる美琴ではない。
何より白井自身の風紀委員としての仕事が忙しかったこともある。
美琴となかなか時間が合わず、勉強している彼女の邪魔をすることもはばかられたため、美琴の悩みとは何か、となかなか聞けずにいた。
美琴の変調は木山春生の襲撃事件を境に、さらに深刻化したように見えた。
例えば彼女が普段コインを貯めている貯金箱の中身がいつの間にか満タンになっていたり。
深夜寝もせずにベッドの中で転がっている回数が増えたり。
これは確実に何かがあったと思い、白井は美琴の様子や行動を注意深く見守ることにした。
夏休みのように美琴が一人で暴走を始めた時は、いつだって駆け付け力になれるように。
美琴と一緒に居られる時は、いつだって彼女の動向に気を配っていた。
不穏な発言をすればそれとなく釘を刺し、深夜寮を脱走しないよう、彼女が寝入るまで寝たふりをしつつ見張っていたり。
そして今日、ついに美琴が行動を起こしたのだ。
「……黒子、どうしてここに」
美琴が呟くと、白井はため息をついた。
「ここ最近お姉様の様子がおかしいことがどうにも気になりまして。
それで、お姉様が寮を抜け出すのを見て、風紀委員のシステムからお姉様の携帯電話のGPSをトレースしたという次第ですわ」
「あんた、それはやめなさいって前にも言わなかったかしら?」
「お姉様の様子が、夏休みに似て余りにもおかしかったものですから」
その言葉に、美琴は思わず反論の言葉を呑みこんでしまった。
出来る限り平静を装っていたはずだ。
にも関わらず、この鋭い後輩には勘付かれていたのだろう。
「お叱りはあとで頂戴いたしますの。しかし、風紀委員として深夜に寮を抜け出すことは看過できませんの。
さあお姉様、寮監に脱走がバレる前にわたくしと部屋に戻りましょう?」
美琴の左手を掴んだ白井の腕には風紀委員の腕章が巻かれている。
美琴が共に帰ることを拒めば、強硬手段を持ってしてでも連れて帰ると言う意志の表れかもしれない。
それでも、美琴には帰る事のできない理由がある。
「私にはやらなきゃいけないことがあるのよ。帰ったりはしない」
「それは、こんな夜中に急いでやらなければならないことですの?」
「これでも遅いくらい。これ以上は先延ばしにはできない」
「それは、お姉様がなさらなければならないことですの?」
「誰かに任せられる問題じゃない。私がやらなければ、きっと後悔する」
「それは、どのような事柄ですの?」
「あんたには関係ない」
「…………妹様方に関わることでしょうか」
白井の指摘に、美琴は言葉を詰まらせた。
半月ほど前だろうか、ひょんなことから白井には妹たちの存在を知られてしまい、その事情の全てを話した。
当然、美琴にとって妹たちがどんな存在であるかも知っている。
白井から見て今の美琴が「夏休みの状況に似ている」のなら、妹たちのことに思い至られるのは当然だろう。
そこまで突きとめられているのならば、もう隠し通す意味はない。
美琴は誤魔化すことを諦めた。
「……だったら、どうするの? 風紀委員の腕章までつけちゃってさ。
私を深夜徘徊やら寮脱走やらの素行不良で捕まえてみる?」
「ええ、わたくしの諫言を受け入れてくださらないのでしたら、当然『風紀委員』としてはそうせざるを得ませんの。
それが、わたくしがこの腕章に誓った信念ですから」
素行不良だなんてただの建前に過ぎない。その真の意味は美琴を危険へと近づけさせないという意味合いが大きいだろう。
高速で『飛んで』きた美琴に追いついて見せたように、白井の『空間移動』の速度は美琴が出せる速度よりもはるかに速い。
加えて、美琴の携帯電話の位置は白井によって捕捉されている。
この状況から白井を振り切るのは不可能だ。
つまり、白井を巻きこまないためには、ここで彼女に手を上げなければならない。
想定していた中では、最悪のシナリオ。
「……と、ここまでは『風紀委員としての』わたくしのお話。
ここからは『白井黒子としての』わたくしのお話を聞いていただきますの」
「……黒子?」
「状況はよく存じ上げませんが、要するにお姉様は妹様方に起きた問題を解決するために動いておられるのでしょう?」
「…………」
見透かすような白井の視線に、美琴はどう答えるべきか迷った。
しかし、この場での沈黙は肯定とほぼ同意義だ。
白井は呆れるようにかぶりを振ったのち、真剣味を増した視線を美琴に向ける。
「でしたら、わたくしをお供させてくださいまし。
わたくしにも、お姉様とともに妹様方のために戦わせてください」
彼女が現れた時から、その申し出は想定できていたものではあった。
人一倍正義感の強い彼女が、妹たちの境遇を知って憤らないはずがない。
そして再び妹たちに危機が迫っていると勘付いたなら、じっとなんてしていられないに違いない。
妹たちのことを知った時、白井は『自分は美琴や妹たちの味方である』と言ってくれた。
そのこと自体は、純粋に嬉しく思う。
だが、『妹たちの味方である』からといって、『彼女たちの為に戦う』必要はない。
それは自分の仕事であって、白井の仕事ではないのだ。
「悪いけど、あんたは巻き込めない」
「……どうしても、ですの?」
「どうしてもよ。これは私の戦いであって、あんたの戦いじゃない」
風紀委員が普段相手にしているような相手は、せいぜいが『表』の犯罪者だ。
人を傷つけることには慣れていても、命を奪うことは躊躇する。その程度の雑魚でしかない。
だが、今回の敵は自らの欲の為に人間を作り出しては使い潰して喜ぶ狂った変態どもだ。
風紀委員が扱うべき領域の遥か外側にいる連中とわざわざ相見えさせる必要はない。
そんな唾棄すべき連中との接点は持たないに越したことはない。そのほうがきっと幸せでいられるのだから。
威嚇のつもりで髪の毛を俄かに帯電させながら、美琴はあくまで言い聞かせるように言う。
「面倒をかけさせないで、黒子。私は今とても急いでんのよ。
これ以上手間を増やすようなら、いくらあんたでも……」
「いくらでも電撃をお浴びせになればよろしいんですの。
それでも、黒子は絶対にこの手を離しはいたしません」
美琴の手を握る白井の手に力が込められる。
見上げる視線には、何が何でも離さないという強い意志が宿っていた。
言葉で説得するのは難しいだろう。
「あんた、私がこれから何をしようとしているか、察してて言っているんでしょうね?」
「妹様方を助けるために、その元凶をぶっ飛ばしに行かれるのでしょう?」
「不法侵入、器物損壊、もしかしたら障害や殺人未遂まで罪状に乗っかるかもね。
で、風紀委員ってのはいつからそんなことの片棒を担いでも良くなったわけ?」
「ですから、わたくしは『風紀委員として』ではなく、『白井黒子として』申し上げているのです」
白井が空いている手で腕章に触れると、それは瞬時に虚空へと消えた。
恐らくは荷物の中にでも転移させたのだろう。
白井にとって風紀委員であることは大きな誇りであり、強固な信念の根源でもある。
これから事件を起こそうと言う人物を前にしてその象徴とも言うべき腕章を外すと言うことは、その信念を捨てると言うことにも等しいのではないだろうか。
ましてやその事件に加担させろとまで言っているのだ。場合によっては、風紀委員としての名誉や実績すら失いかねないと言うのに。
それでも、彼女の眼は迷いなくまっすぐに美琴を見据えている。
「当然ペナルティはあるでしょう。しかし、誰かを助けることと引き換えだと言うのなら、わたくしは胸を張って堂々と罰を受けます。
それよりも、わたくしには少々のペナルティに怯えて大きな悪を見過ごす方がよほど悪に思えてなりませんの」
その志は立派だ。1つしか歳は変わらないのに、白井は美琴よりも遥かに高潔な精神を持っている。
だが、それはこの都市の『闇』を知らないが故なのかもしれない。
罰で済むならいい。怪我で済むならいい。その程度ですむなら、美琴だってどんなに無茶をしてでも困っている人を助けようとするだろう。
しかし、今回のようなケースは文字通り命懸けだ。一つのミスが死に繋がり、命を拾ったとしても四肢が無事に残っているかはまた別問題。
『暗部』との戦いとはそういうものなのだ。そして今回も学園都市の『闇』が絡んでいる以上、『暗部』が絡んでこないはずがない。
「……やっぱりだめよ。あんたは巻き込まない」
気心の知れた仲だとしても、安易に越えさせてはならないラインというものは存在する。
例えば、それを越えた人間に致命的な結果、不可逆的な問題を発生させかねない場合。
美琴はそれを『自分は越えてもいいが、人に越えさせてはならないライン』と規定する。
とんだエゴイズムだとも思う。けれど、大事な人たちを守るためには必要なことだから。
信念を曲げてまで自分たちの為に戦ってくれるという白井の気持ちは感激するほど嬉しいし、実際に彼女がいればとても頼もしいことは言うまでもない。
しかし、彼女を連れて行くわけにはいかない。白井は大事な後輩だ。
大切な人間をわざわざ敵地に伴う人間がどこにいるだろう?
少なくとも、美琴はそのような人種ではないことは確かだ。
「あんたは私の大事な後輩だから、連れて行かない。
警備員でも寮監でも呼べばいいじゃない。けど、それで私は止められない。
あんたを連れて行かないって決定も、覆したりはしない」
「……お姉様っ!?」
白井が悲鳴を上げるように叫んだ。しかし、美琴の意志は変わらない。
こうしている間にも、『第三次製造計画』はどんどん進行している。これ以上時間は浪費できない。
可愛い後輩に手を上げることに、良心の呵責を覚えないわけではない。しかし、連れて行く方がよほど危険であることにも代わりはない。
白井を気絶させるため、痛む心を抑えながら美琴は俯く白井の頭へと手を伸ばした。
「…………ごめんね、黒子」
唇の奥で小さく呟いた瞬間。
白井の左手が、伸ばされた美琴の右手を掴んだ。
驚く美琴に、白井はぐいと体を寄せる。
美琴の左手は先ほどから白井に掴まれている。そして今、右手をも掴まれた。
とっさに身を守る手段は封じられてしまっている。
勢いのままに思い切り突きだされた白井の額が、派手な音を立てて美琴の額に叩き込まれた。
「痛ぅっ!?」
予想外の反撃に、美琴は目を白黒させた。
痛みと衝撃に一瞬生まれた思考の空白。あっ、と思った時には既に遅い。
奇妙な浮遊感を感じた直後、美琴の視界に映るのは夜空と、憤怒の表情を浮かべる白井の顔。
彼女は美琴を組み伏せるように、その体の上にまたがっていた。
「お姉様は、今わたくしのことを『大事』だと、そうおっしゃっていただけましたわよね」
「痛つつつ……それが何よ?」
「……それと同じ用に、わたくしもお姉様のことが何よりも大事ですの」
彼女の下で痛みに涙を浮かべている人物ほど、白井の心を占めている人間はいない。
人は誰だって大事なものを守るために動く。それが大事であればある程、人は自分の手で、自分の力で守りたいと願う。
美琴が白井に危険なことをして欲しくないという気持ちは十分に理解できる。
それは白井が美琴に抱いている気持ちと同種のものであろうことは明らかだ。
「お姉様なら、大切な人が傷ついているのにその助けにもなれず、黙って見ているしかない辛さも理解しておられるでしょう?」
とたんに、美琴の表情が苦々しいものになる。
大切な人間の役に立てないということがどれだけ苦しいか。
何もすることができないと言うことがどれだけみじめな気持ちをもたらすのか。
美琴は、それをいやというほど知っている。
「……私は、あんたに危ない事をして欲しくないから」
「危険など、風紀委員の腕章をこの身につけた時からとっくに覚悟しておりますの!
わたくしが恐れるのはただ一つ、わたくしの知らないところ、関われないところで大切なものが傷つこうとしていることだけ。
それを未然に防ぐチャンスを前に、この白井黒子が怯むとお思いですの?」
「そういうことを言っているんじゃない!
今回は下手したらケガじゃすまないかもしれないのよ!?
大事な人間が傷つくところを見たくないって気持ちは、あんただって分かるでしょう!」
例えば『残骸』事件。あの時は当初結標淡希に殺意はなかったから、白井は重傷程度で済んだ。
それでも、上条や美琴がいなければ最後は命を落としていたかもしれない。
自分の問題で大事な人間が傷つくところを見るのは何よりも辛い。
そして、今回は既に木山という被害者が出てしまっている。相手はそのくらい『やる気』なのだ。
「そう思ってくださっているのと同じくらい、わたくしもお姉様に傷ついてほしくないという気持ちがどうしてご理解いただけませんの!
終わりよければ全てよしと言いますでしょう?
例え取り返しのつかない怪我をするはめになったとしても、それでもわたくしは人の為に戦うことを選びます。
悪い結果になったあとで『あの時ああすればよかった』と後悔し嘆くことだけはしたくありませんから!」
その白井の言葉は、美琴の胸の深い所に突き刺さった。
それは、美琴がずっと思い続けていた言葉。
DNAサンプルの提供。追及しきらなかった9982号の存在。やり直したい過去なんて挙げればきりがない。
その中でもっとも記憶に新しいのは、あの空中要塞でどうして上条の手を掴めなかったのか。
あの時手を掴めていれば、彼は記憶を再度失わずに済んだかもしれない。あの時要塞に飛び乗っていれば、彼が致命的なダメージを負う前に救出できたかもしれない。
もう頭の中で1000回は繰り返した問答だ。
だが、全ては手遅れなのだ。過去に『もしも』は通用しない。終わったことは変えられない。
それはただの願望、いや空想でしかなく、それを考えることになんら意味はありはしない。
だからこそ、彼女は望む。その時点でとり得る手段に、最大限の努力を。
その気持ちは、白井もまた同じ。
美琴に覆いかぶさり、訴えるような視線を向けてくる白井の姿がどこかの大馬鹿と重なった。
そう言えば、彼には今と同じような方法で救われたのだったか。
美琴の思惑など一顧だにせず、心の奥にずかずかと入りこんでくるような方法で。
しばらくの沈黙ののち、はぁ、と美琴はわざとらしく大きなため息をついた。
「……馬鹿ね。あんたって本当に馬鹿。馬鹿馬鹿。呆れるほど馬鹿。信じられないほど馬鹿。『黒子』と書いて『ばか』って読めるほど馬鹿」
「お姉様には負けますのよ」
「どうだか。私、あんたやあの馬鹿に並ぶほどの大馬鹿って見たことないんだけど」
「なっ! あの類人猿と同列だなんて、わたくしの名誉にかかわる由々しき問題ですの!
取り消してくださいまし!」
「嫌よ。私の中で馬鹿さ具合ではあんたたちがトップ。もう決定よ。
これは宇宙が滅んで消え去るまで永久不変の真理ね」
そして、自分もきっとそれに比肩する大馬鹿。
自分の上でぎゃあぎゃあ大暴れをする白井を、美琴はどこか憑き物が落ちたような顔で見つめた。
「……いいわ」
「え?」
「ただし、ケガはしないこと。危ないと思ったら迷わず逃げること。
交戦はおそらく不可避、しかも多分ネジがぶっ飛んでる。戦う覚悟はあるのね?」
「当然ですの!」
「……聞くまでもないか」
心底呆れながら、美琴は手ぶりでどけ、と白井に指示をする。
態度を改めた美琴を警戒しながらも、白井はゆっくりとした動作で美琴の上から離れた。
「何を警戒してんのよ」
「油断させたところをこう、ビリビリ! とされるのではないかと思いまして」
「しないしない」
服についた砂やほこりを払いながら、美琴は立ち上がった。
遠ざけられないなら、近くに置いておくしかない。
大事な人間に降りかかる危険は、全て自分が引き受けて払いのけてみせる。
この数カ月、彼女はそのために、そのためだけに必死に能力を鍛えてきたのだから。
「けど、さっきも言ったように我が身優先、ってのは徹底してもらうからね。
ケガで済むならリカバリーはできる、けどミイラ取りがミイラになっちゃったら意味がないのよ」
「…………承知しました」
「よろしい。……じゃあ、征きましょうか。妹たちを助けに」
美琴が手を伸ばす。その手を、白井は力強く握る。
「ええ。この白井黒子、全身全霊を持ってお供させていただきますの!」
同時刻。
『全員持ち場についたか?』
耳につけた通信機越しに、土御門の声が一方通行の耳を叩く。
隣では番外個体が持ちこむ火器の準備をしている。
「俺と番外個体はオーケーだ。痴女コンビはどォだ?」
『誰が超痴女ですか!? それは結標さんの我がままボディだけでしょう!
私のスカートは超計算された角度ですからね、そこらのビッチと一緒にされたら超困ります』
『私だって別に見せびらかしたいわけじゃないわ! ただ能力を使うのに下着の感触が邪魔になるのよ!』
「ほほう、つまり結標さんは常時ノーブラノーパンだと? うわーやらしー寒さで変なところ勃たせないでよ?」
手にした大型拳銃をがしゃり、がしゃりといじくりながら番外個体が茶化す。
『なっ、違っ!?』
「どォでもいい、別にそそンねェし」
「さすがロリコンは言うことが違うね。あとで上位個体に教えてやろ」
「……オマエなァ」
話が脱線し始めるが、大きな咳ばらいが全員の耳朶を打つことで中断する。
『……海原はもう潜入してる。全員、マーカーは持ったな?』
以前の海原の潜入時の失敗を踏まえ、各自の位置の特定の為に複数の通信方式を同時に併用できる強力な位置マーカーを所持している。
当然敵にも探知されやすくはなるが、交戦が前提の任務だ。仕事は増えるかもしれないが、致命的なデメリットにはならないと判断した。
『確認するぞ。黒がオレ、青が一方通行、黄色が番外個体、赤が結標、ピンクが絹旗。
今は点灯してない水色が海原で、……この緑は誰だ?』
訝しがるような土御門の言葉に、全員が自身の端末を見る。
電子地図上に、いくつかの光が表示されている。
突入班を示す青と黄、赤とピンクは施設への突入地点に。そして後方支援を担う土御門の黒が離れたところに表示されている。
ならば、この離れたところに表示されている緑の光点はいったい誰なのだろう?
「ああ、それたぶんおねーたま」
「……おい番外個体、どォいうことだ」
一方通行は番外個体の襟元を掴み、問い質す。
「よせやい。このミサカはレベル4だよ? レベル5のおねーたまに"脅されたら"抵抗なんてできっこないじゃない。
むしろ行動を察知できるようにしておいたミサカの手腕を褒めて欲しいくらいだね」
昼間に美琴に渡したデータチップ。
あの中にあらかじめ位置マーカーを仕込んでおいたのだ。
へらへらと笑う番外個体に、一方通行はちっと舌を鳴らす。
戦場に超電磁砲を介入させることを提案したのは番外個体であり、それを却下したのは一方通行だ。
翌日にオリジナルと遊びに言った時点で警戒すべきだったかもしれない。
「敵は間違いなく『第三次製造計画』を戦力として投入してくる。それがどォ言うことが分かってて、オリジナルを巻き込ンだンだろォな?」
「昨日、ミサカはお姉様と話をして確信した。
あの人はミサカたちを助けるために、ミサカたちと戦える人だよ。
それに、お姉様のミサカたちに対する優位性は昨日言ったよね?」
『相手の能力によってダメージを受けない』という事実は、交戦時において状況を極めて優位に傾ける。
相手を傷つけることもなく、かといって傷つけられることもなく、状況を見極め、そして速やかに終結させる方法を見出す時間を手に入れられるからだ。
もちろんそれだけで乗り切れるわけではない。だが、腐っても学園都市レベル5第三位。
乗りこんでくるからにはそれなりの考えが有るのだろう。
『……一方通行。どの道超電磁砲の動向は不確定要素として考慮には入れてあったんだ。
彼女がどう動いているかが分かるだけよしとしようじゃないか。
いざという時は誰かが彼女の援護に回れば問題はない』
「……ちっ」
土御門の言葉に、不機嫌をあらわに舌打ちしつつも一方通行は手を離した。
『となると、超電磁砲の進攻を考慮した上で作戦を遂行しなければいけないのよね』
『そうだな。超電磁砲がこっちと共同歩調をとってくれるわけではないし、彼女とはできるかぎり接触したくない。
こっちが彼女のフォローをする形で、状況に合わせて柔軟に作戦を変えて行こうと思う』
「お姉様は結構短気で直情的だからねぇ。たぶん正面突破じゃないの?」
「だろォな。超電磁砲のマーカーを見てみろ。
海原の言っていた正面玄関目指して堂々と動いてやがる」
施設の出入り口として設置されている、ダミーの雑居ビル。
緑の光点はその付近でうろうろと動き回っている。
『番外個体、超電磁砲に提供したデータはどの程度だ?』
「ミサカが持ってた情報はぜーんぶ」
苦々しげな表情で睨みつける一方通行もなんのその、番外個体の表情は涼しげだ。
『正面は彼女に任せよう。結標、絹旗は地下トンネルから予定通り突入。
一方通行、番外個体は侵入箇所を変更。放水路上部から侵入しろ』
「ちゃンとバックアップ体制はできてるンだろォな!?」
『問題ない。さあ、作戦開始!』
なおも何か言いたげな一方通行だったが、早くも移動を開始した番外個体の姿を見て、舌打ちをしてその後を追う。
彼らの長い夜が、始まった。
とある雑居ビルの中は、無残な光景と化していた。
入口からその内部へと何かが床を削り取りつつ移動したようなような痕跡。
その周囲には武装した黒服たちが黒焦げになって倒れており、その手に持っていただろう武器は全て真っ二つだ。
武器を手にしていなかった受付嬢はカウンターの中で怯え、泣きじゃくっている。
そんな光景を作り出した主は、緩やかに傾斜する動く歩道を早足気味に下っていた。
その周囲を黒く蠢くのは大量の砂鉄。
数百キロを優に超えるだろうそれは、壁や天井を覆うようにして主の後を追う。
「……エスカレーターに影響したりはしませんの?」
「そうならないように配慮はしてるわよ」
やがてエスカレーターを下り終わり、大きな鉄の扉が姿を現した。
それが開いた途端、大量の銃声が空間に響き渡る。
おそらくは待ち伏せていた守衛や防衛部隊のものだろう。
だが、彼らの銃撃が目的を達することはなかった。
銃弾が襲いかかるよりも早く、狙い撃たれた少女を背後から黒い渦が包んだ。
何かを噛み砕くかのような嫌な音が連続し、渦の表面が幾度となく弾けるが、しかし内部への貫通は許さない。
防衛部隊全員の銃器が弾切れになった時、渦の内部から現れたのはまったく無傷の少女。
「邪魔をしないなら攻撃はしない。ケガをしたくないなら、さっさとそこを開けて逃げなさい」
超能力者(レベル5)。数の暴力が通用せぬただ一つの強大な暴力を前に戸惑い、呆然とする防衛部隊たち。
しかし、彼らのクライアントは目の前の少女よりもはるかに"恐ろしい"。
そのことを思いだした彼らが慌てたように応援を呼んだり、守衛所から予備の銃器を持ちだしてくるのを見て、美琴はかぶりを振った。
「あっきれた。あくまで邪魔をするって言うのね」
溜息と共に再展開される砂鉄の壁。
先ほどよりも厚く、大きく、加えて紫電まで纏うその威容に防衛部隊たちはぎょっとするも、もう遅い。
黒き嵐が、その場に吹き荒れた。
「……死んではいませんわよね?」
「手加減はしたわよ。心配なら一応脈とか調べておいて」
数分も経ってはいない。しかしその場に立っているのは美琴と白井だけ。
10人以上はいたはずの防衛部隊はみな砂鉄に押し流され、電撃を浴びて昏倒してしまっている。
美琴は砂鉄の海と化した空間から火器を拾い上げては、砂鉄を器用に使い念入りに分解していく。
全員の脈を確認した白井が、困惑気味に言った。
「歩くと靴の中に砂鉄が入りますの……」
「それは仕方がないわよ。ほら、そこにいなさい」
そう言うや否や、白井を中心に砂鉄が円形のスペースを開けた。
靴を脱ぎ中の砂鉄を捨てると、白井は感心したようにため息をつく。
「本当に、器用というか万能というか……。
やはりレベル5というのはこの域の応用性に達してこそなのでしょうか」
強力なエネルギーと光速を誇る電撃に対し、広範囲かつ圧倒的な物理的破壊力を伴う砂鉄操作。
両者を手足のように使い分け、いとも容易く敵対者を退けてのける姿はまさに雷神と言ったところか。
「第4位みたいに一点集中の尖がり具合でレベル5になった人もいるけどね。
んで、これどうやって開けようか」
美琴が指で示したのは、出入り口と研究所を隔てる最後の防壁である、先ほどよりも大きく頑丈そうな鉄の扉。
内外に扉を開けるためのスイッチがあるのだろうが、それがあると思われる守衛所の中は砂鉄で埋まっている。
あの中にあったおそらく機械類は壊れてしまっているだろう事は容易に推測できる。
「制御機器類は……ダメでしょうね」
「仕方がない、ぶっ壊すか。……黒子、ここが後戻りする最後のチャンスだけど、覚悟は良い?」
「この期に及んで、何をいまさら」
対する白井は、不敵に笑む。
それに満足そうに微笑み返す美琴は懐からコインを取り出し、扉に向けて腕をまっすぐに構えた。
自身の異名であり、必殺技でもある。その名は『超電磁砲(レールガン)』。
親指で跳ね上げたコインは、快音を響かせて宙を舞う。
「さあっ、行くわよ!!」
直後、音速の3倍の速度で駆け抜けたコインは轟音と閃光を撒き散らし、分厚い鉄の扉をたやすくぶち抜いた。
今日はここまでです
ようやくですよ、よーーーーやく敵地突入です
長かった……そして大変お待たせいたしましたorz
冬休み中にもう一度は投下できるようにがんばります
それでは良いお年を
PSP超電磁砲の相園ちゃんが可愛すぎて夜も眠れない。下乳半ケツエロい。本編出ろ
冬休みどころかセンターも終わっちゃったよ!
もう私大一般試験始まってるよ!
というわけで久しぶりに投下していきます
「──だーかーらぁ、それがなんだっつーんだよ!」
『水源地水位監視センター』の『所長室』で、テレスティーナ=木原=ライフラインは苛立たしげにテレビ電話をしていた。
猫を被ることもせず、彼女の素である粗野な口調を丸出しにしているところからも、彼女がいかに不快を感じているかが伺えるだろう。
実際問題、ようやく待ちに待った瞬間が訪れようとしているところだというのに老人の退屈な話を聞くはめになれば誰だって不愉快にもなる。
電話の相手は統括理事の椅子に座る『木原』。彼女のパトロンであり、一族の重鎮でもある男だ。
『超電磁砲の介入を許した時点で、"第三次製造計画"は大きくつまづいているのだぞ。
テレスティーナ、それをお前は本当に理解しているのか?」
「そんなもん超電磁砲を消せば丸く収まる話だろーがよ」
『……レベル5ほどの有名人を消すのはコトだ。特に超電磁砲のような、暗部にも落ちていない表の世界の有名人はな』
常に脚光を浴びる存在であるが故に、姿をくらませばたちまち騒動となる。
そんなところへ、仮に彼女が変死体で発見されたらどうなるだろう? あるいは、どれだけ時間が経とうとも痕跡一つ見つからなければ?
レベル5である超電磁砲がそう簡単に殺されるわけがない。そこにゴシップに飢えた民衆は必ず(根拠の有無に関わらず)陰謀の匂いをかぎ取るだろう。
真に闇へと身を隠すのであれば、裏の情報に通じない一般人に「存在するのではないか」と思わせることすら許してはならない。
その程度のことさえできない個人や組織など、瞬く間に殲滅されてしまうだろう。
『彼女の場合、母親も母親だからな……』
学園都市が大規模な襲撃を受けた0930事件後、保護者たちが自分の子を手元へ取り戻そうとした『回収運動』は記憶に新しい。
その中心人物であったのは御坂美琴の母親である美鈴だ。
仮に娘が行方不明になったとすれば、彼女は周囲を巻き込んで大きな騒ぎを起こすだろう。
それは"彼ら"にとっても、学園都市にとっても好ましい事態ではない。
「じゃあどうしろっつーんだ。超電磁砲はもう攻め込んできてるんだぞ。
みすみすぜーんぶ明け渡しちまえってか?」
冗談ではない。この計画には、多くの資材や資本、労力が投入されているのだ。
それを成就目前で無償で引き渡すなどという馬鹿げたことがあってたまるか。
『そうは言っていないだろう。テレスティーナ、お前は昔から思慮が足りんからな。
私の方で一つ手を打っておいた』
テレビ電話とは別のモニター、テレスティーナの私用PCの画面に一通のメールが届いた通知が為された。
発信者は画面の中の老人であり、開くととある文書ファイルが表示された。
訝しげなテレスティーナだったが、それを読み進めるにつれ口角がニヤニヤと上がっていく。
「……さぁっすが、政治に長けたジジイだぜ。やることがえげつねぇ」
『文句を言われるのが嫌ならば、文句を言えないようにしてしまえというのはこの世界の基本則だぞ。
それに、何らかの保険くらいにはなるかもしれないしな』
「だろーなぁ。逆に言えば、これが通用しないような奴ならこんなところに攻めてきたりしねーよ」
楽しそうに文書を眺めていたテレスティーナだが、ふと表情を変え、老人の顔を見つめる。
「んで? 私の計画をフォローする目的は何だ? ウチらは慈善団体じゃあない。
他者への政治的便宜を図る代わりに自らの地位を固め、そこまでのし上がったアンタだ。
どうせ何か見返りを求めているんだろ?」
『話が早くて助かるよ。私からの要求は一つ。
どうせなら、"できる限り、面白く"して見せろ』
にぃ、と笑みを浮かべる老人。
いくら研究者ではなく政治畑に身を置く人間であったとしても、この男とてまた『木原』。
みなぎる好奇心を抑える理由などありはしない。
言うまでもなく、レベル5の肉体は貴重なサンプルだ。
能力開発のノウハウが詰まっているだけではなく、なぜ『レベル5』たる能力を振るえるのか、レベル0と比べて何が異なるのかという比較対象としても最適だ。
それを解き明かすことは、能力開発技術に更なる飛躍をもたらすだろう。
だが、レベル5は極めて貴重な存在だ。重要性に反して、その肉体の調査が進んでいるわけではない。
表の世界に生きるレベル5には人権が存在し、闇の世界に生きるレベル5は貴重な戦力として運用されている。
彼らの体を調べると言ってもせいぜい影響の残らないサンプル提供程度が関の山であり、その身体構造が詳細に調べられたことはない。
当然、『木原一族』と言えどレベル5を解体したことは未だかつてない。
『どうせ"壊して"しまうなら、その過程を心行くまで楽しんでも構わんだろう?』
下衆な笑みを浮かべる老人。
人間は誰だって美しいもの、可憐なものを好む。
だが、時にはそれを穢し、傷つけ、自らの望むままに征服することに快感を覚える人種もいる。
例えば真っ白な壁面に、派手なペンキでべったりと下品なマークを書き散らすように。
例えば降り積もったばかりの足跡一つない新雪を、思う存分踏み荒らして回るように。
「……ご要望はそれだけか?」
『出来る限り長く楽しめるようなものをお願いしたいね。
私は一瞬で終わってしまうような快楽には興味がないのだ』
気丈に振る舞い反抗的な目をした少女が臆面もなく泣き喚いて許しを乞うようになり、やがては心を手放して行く様は美しい。
そこには破壊と衰退の美学、ある種の『侘び寂び』すら存在するのではないか。
レベル5の少女という貴重な得がたい素材だ。一瞬で終わらせてしまうのはあまりに贅沢が過ぎると言えよう。
その情景を夢想するようにニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべる老人。
『超電磁砲の命を奪う』こと自体はテレスティーナの到達目標だ。それを妨げはしない。
だが、どうせならそこに至るまでの過程も素晴らしいものにしてもらいたい。
「りょーかい。だが『解体』は私主導でやる。他のヤツには関わらせない。それは約束しろよ」
『いいとも。私は楽しいものが見られればそれでいい』
「あいあい。せいぜい期待して待ってろよ」
では楽しみにしている、と言い残し老人の顔が画面から消える。
残されたテレスティーナは暗い画面の中に自分の顔を見ながら、愉快な空想に思いを巡らせる。
例えば思いつく限りの凌辱を彼女に加えたら、彼女はどんな声で鳴くのだろう?
例えば意識を保たせたまま四肢を切り落とし、内臓を引っ張りだしたら彼女はどんな表情をするのだろう?
例えば、例えば、例えば。脳内で瞬時に10回は御坂美琴を虐殺したテレスティーナは壮絶な笑みを浮かべた。
デスクの上の電話機が、内線の着信を告げる。恐らくは侵入者への対応策を求める部下からだろう。
楽しい想像を中断させられた彼女は舌打ちをすると、面倒臭そうに受話器を取り上げた。
『しょ、所長、今どちらに!?』
「所長室に。……状況は?」
『正面ゲートが破られました。戦力は2、片方は恐らく超電磁砲です!』
「慌てないで。想定されていたことでしょう。事前に立てたプランに沿って対応を。
超電磁砲が連れているのは誰?」
『分かりませんが、背格好から見るに恐らく同年代の学生ではないかと』
「ふむ……?」
超電磁砲と同年代かつ戦地に伴えるような実力者と言うと、彼女の後輩である空間移動能力者か。
連れてくるとは思っていなかったが、しかし対応するには十分なデータを蓄積している相手だ。
『う、うわぁっ!?』
悲鳴ののちザザァッとノイズが走り、そしてぶつりと通話が途切れた。
恐らくは電話の相手が超電磁砲か、その相方の攻撃を受けたのだろう。
一度受話器を置くと、テレスティーナはは別の部署へと電話をかけ始めた。
「……私よ、正面ゲート周囲に侵入者2」
『……彼女たちに迎撃させますか?』
「いいえ、まずは小手調べ。『カルテル』に相手をさせるわ。
『第三次製造計画』には施設内の精査を。侵入者が彼女たちだけとは限らないわ」
了解、と告げた部下の声を聞きながら、テレスティーナは獰猛な笑みを浮かべる。
ついに、計画を成就させる時がやってきた。もうここから先は戻れない。
テレスティーナが本懐を遂げ、超電磁砲を打倒するか。
それとも超電磁砲が彼女の計画を打ち砕き、妹たち全員を保護することに成功するか。
賽は投げられた。
あとは全身全霊をこめて、敵を潰すだけ。
地下10階 下層・通路。
「──それで、これからいかがなさいますの?」
なだらかなスロープとなっている通路を走りながら、白井は美琴に尋ねた。
正面ゲート周囲にいた防衛隊など物ともせずに蹴散らした2人は間近にあった階段を駆け降り、下層へと向けて進行中である。
それ以来ここまでは一本道で何の障害もないが、派手にやらかしたあとだ。
『第三次製造計画』の首謀者たちに侵入がバレていないなどという虫のいい願望は抱かない。
「まずは首謀者を引きずり出してとっちめてやらなきゃ。
いるとしたら……下層のほうでしょ。上層のほうはただの研究施設みたいな感じだもの」
「利便性を考えたら、むしろ研究室に近い方に根城を置くかもしれませんわ」
「その時はその時よ。最下層まで行って影も形もなかったら、上まで戻ってくればいいわ。
どっちみち、下層にある妹たちの生産ラインもどうにかしなきゃいけないんだから」
「『量産超能力者計画』に『絶対能力者進化計画』、それに加えて『第三次製造計画』……。
よっぽどお姉様のクローンを作ることに固執している方がいらっしゃるようですわね」
「レベル5の中では私は比較的オーソドックスなほうの能力だし、心理掌握と違って出力の計測もしやすいし。
『レベル5の量産型を作る』という観点からしたら私やあの子たちはうってつけなのかもね。嬉しくもなんともないけどさ」
第一位である一方通行や第二位である垣根帝督、第七位である削板軍覇のように、レベル5の半分は類似能力なし・再現不能の能力者である。
彼らは基本的に能力開発を受けたその瞬間から高位認定を受けており、従って低レベル時における能力開発のカリキュラムというものが存在しない。
対して美琴は学園都市に数多くいる『電撃使い』であり、そのカリキュラムは豊富に存在している。
能力強度の劣化が予言されていたクローン作製にあたり、そのあたりが素体選定の為の判断材料とされたのではないだろうか。
「あ、そうだ」
何かを思い出した美琴が、ごそごそと自身のポケットを漁る。
「はいこれ、あんたにあげる」
「これは……」
白井が受け取ったのは安眠用の耳栓だ。謳い文句は『音のない世界をあなたに』。
「……何に使いますの?」
「んー、経験から言ってなんだかこういう建物にはキャパシティダウンとかなんかそんな感じの対能力者用装備がありそうに思えたのよね。
さすがに3回も引っ掛かれば勘が働くようになるのかしら?
私はいざとなったら砂鉄を固めて耳に突っ込むからさ、それはあんたが持っておきなさい」
「いえ、お姉様のものなのですから、お姉様がお使いになってくださいまし」
キャパシティダウンは音響兵器の一種であり、耳栓で防いでしまおうというのは理には適っている。
しかし、白井はレベル4で、美琴はレベル5。有事の際にどちらがより強力な戦力であるかということを考えるならば、これは美琴が持つべきだろう。
「何言ってんのよ。仕切り直すにしろ、撤退するにしろ、あんたの能力の方が役に立つでしょ。
いいからあんたが持ってなさい」
そう言い、美琴は受け取ろうともしない。
仕方なく白井は自分のポケットへと耳栓をしまう。
研究所内の細い通路を歩く二人。その後ろを、美琴が放つ磁力に吸い寄せられた大量の砂鉄が追いかけて行く。
「それにしても、人っ子ひとり見当たらないのはどういうわけなのでしょう?」
「そうね、さっきから変だと思っていたのよ」
ゲートを破られたことにより異常事態を告げるブザーが鳴り響いているが、二人の前にも後ろにも、人の姿は見えない。
正面ゲートを突破する際あれだけド派手に騒いだというのに、最初に防衛部隊が出てきたっきり音沙汰もないというのはどういうわけなのだろう。
稼働中の研究所なのだし、慌てた研究員の一人や二人くらいは彼女らの前に姿を現してもいいはずなのだ。
「そういう研究員をとっ捕まえて、情報を吐かせようと思ってたのになぁ」
「……あまり道を外すようなことはしないでくださいましね」
「状況が状況だし、やむを得ない事情っていうものもあるでしょ。手段を選んでる場合じゃない」
「それでも、最低限越えてはならないというラインはわきまえておくべきですの。
外道を相手取るからこそ、こちらはあくまで高潔でいなくてはならないという考え方もございますでしょう」
「そりゃ人殺しにまではなるつもりはないけどさ。
それでも、妹たちを苦しめている奴ら相手に、手加減するつもりもないわ」
やがて通路は、大きな扉へと行き当たった。
扉の上に掲げられたプレートには、『23番大試験場』の文字が。
砂鉄を使って扉を開け、扉の影から様子をうかがう二人。
どうやら数階層分をぶち抜いた大きな実験用スペースの底部のようだ。
戦闘実験でも行われたのだろうか。床は片づけられているものの、壁面には大きな傷痕が刻まれたりもしている。
「……こんなところに妹たちを押しこめて、武器を持たせて戦うための訓練でもさせてたのかしら」
静かに呟く美琴。だが、その瞳には怒りが燃えている。
一刻も早く『第三次製造計画』を止めたい。一秒でも早く妹たちを自由にしてやりたい。
そう思う美琴の気が立っていることを、白井は感じ取っていた。
だから、ともすれば先走りがちな美琴のストッパーになろうと心に決めた。
緊急放水路外周部・非常用階段。
巨大な構造物にの周囲や内部には必ずメンテナンス用の空間が存在する。
いくら学園都市の技術力が優れているとはいえ、やはり人の目によるチェックは欠かせない分野もあるのだ。
縦穴である放水路の外郭を取り囲むようにキャットウォークが何十層も設けられ、各階層間を非常用の階段が繋いでいる。
外壁に沿って大きく螺旋を描くその階段を番外個体と一方通行は降りていた。
「メンテナンス用の階段なのに、通路の外側にあってどォすンだ。
内側の方が壊れやすそォな気がするが」
「内側にも一応通路や階段はあるらしいよ? ただ水を流し込んだ時のショックで壊れると困るから、使う時以外は壁面に格納されてるらしいけどさ。
排水する時は何千トンって水を捨てるんだろうし、ちょっとした抵抗でももの凄い負荷になりそうね」
一方通行は杖突きの身であるが、ただ歩くだけのことに能力を使ってチョーカーの電源を無駄使いするのも馬鹿らしい。
速度の都合から必然的に先行する形になる番外個体の肩や腰には、いくつかの火器が吊るされていた。
例えば『妹達』の標準装備であった『オモチャの兵隊(トイソルジャー)』など見慣れたものも含まれている。
「……そンな重火器、どこから調達しやがった」
ざっと見ただけでもアサルトライフルが1挺、拳銃が数挺、そして彼女が動くたびに何やらゴツゴツした物音を立てる大きなミリタリーバッグ。
大きなサバイバルナイフや手榴弾と思しき物体もいくつか腰にぶら下げていた。
「んー? 病院のミサカたちに借りた分と、あとは冥土帰しに調達してもらった。
ほら、この『演算銃器(スマートウェポン)』なんか、ゴツくてカッコいいでしょ」
見せびらかすように番外個体が取り出してみせたのは、引き金の手前に太いマガジンが二本突き刺さった奇妙なフォルムの大型拳銃。
かつて一方通行が殺害した駒場利徳が所持していたものと同一モデルであり、これもまた一方通行に苦い思いを抱かせた。
「『鋼鉄破り(メタルイーター)』は威力としては申し分なかったんだけど、あれデカいし重いんだよね。
機動攻撃を主軸とした高速戦闘を前提に戦略を組み立てられてる『第三次製造計画』のミサカじゃあ、あれの真価は発揮できない」
「そもそもあれって超遠距離狙撃用の対戦車ライフルだろ。今回みたいな施設攻略には向いてねェンじゃねェか?」
「こういう閉所戦だと大口径の火器は充分な脅威になるよ。
別に徹甲弾に限らず、同じ口径の焼夷弾ぶっ放してもいいわけだし。
ま、今回は相手に死人を出しちゃいけないって縛りもあるけどねぇ」
「それにしちゃァ、ずいぶん装備が豪勢じゃねェか」
アサルトライフルに大型拳銃。
それだけでも人を殺害するには十分すぎる火力ではないか。
「中身はゴム弾に変えてあるよ。これでも距離によっちゃ非致死性武器とはいかないけどねぇ。
必要とあらば実弾に変えるけど?」
「……いや、いい」
『妹達』に人殺しはさせない。
これもまた、一方通行が自分に課した最低限のルール。
手を下す必要が有るのならば、それは既に血にまみれた自分が行う。
わざわざ『妹達』の綺麗な手を汚させる必要はない。
「そっちの装備は意外に貧弱そうだけど、大丈夫?」
一方通行が所持しているのは、腰に差した拳銃が1つ。予備として右脇のホルスターに収納した拳銃を入れて、計2つ。
どちらも口径は小さく、一撃の威力よりかは連続して銃弾を叩きこむことを主眼としたチョイスだ。
「まァな。利き手じゃねェ左手一本で扱う以上、これ以上ゴツいモンは使えねェし」
「あなたって能力なきゃ非力そうだもんね」
ケラケラと笑う番外個体は、腰に差していた拳銃の弾倉を実弾の物へと変更し、一方通行に差し出した。
彼が装備しているものと比べて、やや大きめだ。
「『オモチャの兵隊』から無反動性という要素だけを抽出して小型化した軍用拳銃。
3歳児でも撃った時のリコイルに負けることはないって代物だけど?」
銃を受け取った一方通行は持ち上げたり構えたりしていたが、
「悪くねェな。預かっておく」
「お値段は1ミサカ分となっております」
「カエルにでもツケとけ。っつゥか、そォ言うもの言いはやめとけ。"アネキ"が悲しむぞ」
あ、いけね、と舌を出す番外個体。
目の下の隈は薄れても、生まれ持った性質はなかなか変えられるものではないらしい。
「超電磁砲と言やァ、もう突入して大暴れしてやがンだろ?
その割には、随分と静かじゃねェか」
この施設のような非合法の研究所が襲撃された場合、研究員たちはまず捕まらないように施設から退避することを優先するだろう。
頭の回る人間なら少しでも多くのデータを持ち出したり、足がつかないように記録を抹消したりすることを考える。
当然ひっくり返したような大騒ぎになっているはずで、規模から言って研究員がほとんど見当たらないというのは不自然極まる。
「当然いるだろう防衛用の兵隊はお姉様の方に行ってるとして、一般研究員までいないのは不自然だね。
大暴れしてハチの巣を突いてみる?」
「しばらく何にもねェよォならそれも手だな。元々俺らの役割は陽動だ。
放っときゃこっちの方が被害が甚大だと判断すれば、超電磁砲も楽になンだろ」
「わーお、驚き。さんざん巻き込むなと言っておきながら、お姉様を立てる気はあるんだね」
「出来ることなら、首根っこ掴ンで放り出してェけどな」
非常階段と施設内部は分厚い鋼板で出来た防火用シャッターで隔てられている。
2人はその両脇に分かれ、番外個体が電装部品を操作してシャッターを上げさせる。
警戒していた施設内部からの攻撃はない。
コンパクトミラーで施設内部の様子をうかがっていた番外個体がそれをパチンと閉じた。
「……目視問題なし、電磁波レーダーにも反応なし。
施設の重要性からするといきなりハチの巣くらいは考えてたんだけどな。
まさかハズレってことはないよね?」
「海原を信用する限りならそれはねェな。
……だが、施設は壊しちゃならねェ。敵はいねェ。注目を引けと言ってもどォしろってンだ」
閉塞感のある白い通路は、はるか向こうの突き当たりまで見渡しても誰もいない。
その通路の両側にある扉を覗き込んだり、時には蹴り倒したりするが、先ほどまで誰かがいた痕跡はあっても人自体は見つからないのだ。
いくつか交差する通路を越えたころ、いらつき始めた一方通行は耳に取りつけた通信機をいじる。
「オイ土御門、本当にこの施設で合ってンだろォな。とても襲撃を受けている最中の研究所とは思えねェぞ。
これで場所が間違ってました、本命の研究所は余所でこの隙に逃げられましたなンて事態になったら、そのサングラスをケツに突っ込ンで粉砕してやるぞ」
『……超電磁砲ちゃんは突入時にちょっとやりあったっぽい気配はあるが、結標・絹旗ペアは今のところ進攻はスムーズだな。
海原が潜入しているんだし、何らかの異変があればすぐに知らせてくるはずだが』
「海原さん、もう消されていたりしてね?」
番外個体が悪戯っぽく言うが、一方通行も土御門もそれを咎めたり否定したりはしない。
潜入任務とはそういうものだ。身元が割れれば即座に始末される運命なのだ。
彼はそれを承知で敵地へと赴いた。無抵抗にやられるとは考えにくいが、そうなっている可能性は否定出来るものではない。
「……ヤツがくたばっちまったかどォかは今は調べよォがねェ。
とりあえず、俺たちは敵に行きあうまでこのまま下層まで降りて行く。いいな?」
『ああ。そこは敵地だ。くれぐれも警戒は怠るなよ』
通信を切った一方通行は、そこで番外個体がぴたりと動きを止めたことに気がついた。
「どォした?」
「……どうやら、場所を間違えたわけではなさそうね」
一方通行がは? と聞き返すよりも早く、番外個体は身を翻す。
大きく伸ばされた手から音速で放たれた鉄釘は、先ほど通り過ぎた通路の影に身を潜めていた何者かの手を抉った。
悲鳴を上げ思わず手にした銃器を取り落とす何者か。正体は知れないが、友好的な人物でないことだけは確かだ。
奇襲の失敗を悟ったのか、いくつもの銃口が曲がり角から2人へと向けられる。
「……よォやくお出ましか。ヤる気に満ち満ちているよォで何よりだ」
「とりあえずノしちゃう?」
「意識が残るくらいにな。聞き出さなくちゃいけねェことが山ほどあるからよォ」
「りょーかい」
発砲タイミングを虎視眈々と狙う襲撃者たちの銃口に身をさらしながら、悠然と向かっていく一方通行と番外個体。
銃弾程度は意にも介さぬ高位能力者2人の大胆不敵な笑み目がけて、先走った襲撃者の1人が引き金を引いてしまう。
それが、戦闘開始の合図となった。
「──防衛隊第8班、一方通行および30000号と交戦開始」
「『カルテル』各メンバー、迎撃位置につきました」
「非戦闘員は全員シェルターに避難済みです」
本来は実験を管理するための管制室には、今は大きなモニターいっぱいに施設各所の監視カメラの映像が映し出されている。
下層の通路を歩く御坂美琴とその後輩や、防衛隊と交戦している一方通行らの映像も当然、含まれていた。
施設の規模を考えれば、あまり広くはない。オペレーターたちも20人いるかどうかというところだ。
階段状になっている部屋の最上段にあるデスクに、テレスティーナと天井は座っていた。
「……ついに始まったわね、天井博士」
「ああ。……だが、本当に上手くいくだろうか」
何度もシミュレーションし、幾度となく提案と廃案を繰り返し、練り上げた計画が始まった。
そこに不備はないはずだ。しかし、敵は学園都市最強の2人なのだ。
イレギュラー要因を書き出せば、それこそ対策を練るために『樹形図の設計者』が必要となるくらいの数になる。
「そういくように、これまで積み上げてきたのでしょう? 必ず成功するわ」
「だと良いのだがなぁ……」
それでも、一度一方通行と対峙しその恐ろしさを身を持って知っている天井は心配そうにモニターを見つめた。
その心境を知ってか知らずか、テレスティーナは机の上にあったマーブルチョコの箱を持ち上げた。
「手を出して?」
「は?」
「そうね、……黄色」
意味が分からぬままおずおずと差し出した天井の手の上で、テレスティーナはチョコの箱を振った。
チョコの糖衣が触れ合う心地良い音と共に落ちてきたのは、黄色のチョコレートだ。
「幸先いいわね」
「え、あ、あぁ」
満足そうにチョコの箱を元の位置に戻す彼女を首をかしげつつ見ながら、天井はチョコレートを口の中へ放り込む。
糖分は脳のエネルギー源になると言うが、まさかこんなチョコレート一粒でどうにかなるものではないだろう。
モニターの中では、一方通行と番外個体に防衛隊が駆逐されつつあった。
「……ま、あの程度でどうにかできる連中ではないことは分かっていたものね」
「どうするんだ。彼らを迎撃に出すのか」
「当然、このために高いお金を出して雇った連中ですもの」
婉然と微笑むテレスティーナは通信機のスイッチを入れる。
「──お仕事の時間よ、『カルテル』」
ガコン!! と、遥か頭上で何かが外れるような音がした。
美琴が目をやると、大きな天井材のようなものが落下してきたのが見えた。
そして、その上方には赤い光のようなものがちらりと。
その光は、何故だか美琴の背筋をぞくりとさせた。
「危ない!!」
美琴はとっさに白井を突き飛ばし、同時に大量の砂鉄で二人を覆う。
直後、落ちてきた天井材が"爆発"した。
いや、正確に言えば天井材自体が爆発したわけではない。
その上方で発生した爆炎に飲み込まれ、飴細工のようにひしゃげ、弾け飛んだのだ。
砂鉄に突き刺さった天井材の破片や残骸の放つ焦げた臭いを嗅ぎながら、美琴は意識を切り替える。
夏休みに研究所を潰して回り、暗部組織との戦いも経験した。
今の状況はそれと同じだ。向こうだってそれなりの戦力を備えているに違いない。
押し倒したような状態になっている白井を起こし、敵襲に備える。
「──レベル5とはいえ暗部にも触れちゃいないただのお嬢様かと思ったけど、意外と……」
断続的に何かが爆発する音が鳴り響いたのち、靴底が床を叩く音が実験場に響き渡った。
天井から降り立ったその人物を、美琴は砂鉄の盾越しに見た。
そこに立っていたのは背の高い赤髪の少女だ。年の頃は高校生といったところか。
ジャケットからインナー、ジーンズに至るまであちこちにフレアラインがあしらわれていることや、先ほどの攻撃からすると『発火能力者』なのかもしれない。
「『業火焔弾(メテオライト)』」
「…………?」
「あんたらを燃やす女の名前だよ」
内ポケットから煙草を1本取り出しくわえる少女。
明らかに"場馴れ"しているその挙動は単なる伊達や酔狂ではなく、恐らくはどこかの暗部組織に属するものなのだろう。
「……黒子」
「ええ、お姉様」
美琴の脳裏をよぎるのは、夏休みに戦った『アイテム』との戦闘。
彼女たちはチームとして美琴たちの前に現れ、見事な連携プレーをもって美琴を追い詰めた。
目の前の少女が同じような組織の一員であるならば、他に仲間がいる可能性は極めて高い。
正面を見据えつつ周囲にも気を配る2人に対し、赤髪の少女は手のひらを向ける。
その手の中に生み出されたのは紅い光。それは周囲の空気を巻き込み瞬時に少女の身長と同じくらいの大きさにまで膨れ上がる。
少女の顔が火球の照り返しを受けて紅蓮に染まった。
「あんたらに恨みはないけど、これも仕事だ。骨も残さず灰にしてやるよ」
直後周囲の酸素を喰らい尽くす轟音を放ちながら、火球はさらに膨れ上がり美琴たちに襲いかかった。
「──いぎぎぎッ!? し、知ってることは全部話した! 今話したので全部だ!」
うつ伏せにされ番外個体にキャメルクラッチを極められた状態の哀れな防衛隊員は、血のにじむ唇でそう喚き立てた。
頼みの綱の同僚たちは皆気絶させられてそこらに適当に転がされており、助けは望めない。
もっとも、銃器全てを破壊された丸腰の状態で高位能力者に立ち向かえる力など元から持ち合せてはいないのだが。
番外個体の柔らかな手は背後から防衛隊員の首や顎を掴むような格好になっているが、その親指は防衛隊員のこめかみに添えられている。
脳内の電気信号の計測による嘘発見器。いつかロシアで行った尋問を再びここでも行っているのだ。
「どうする? 嘘はついていないみたいだけど」
番外個体の言葉に同調するように可能な範囲で首をカクカクカクと動かす防衛隊員の惨めったらしい様子に、さすがに一方通行も気を殺がれたのだろう。
「……使えねェ。適当にお仲間と一緒に転がしとけ」
あいよー、という番外個体の声と共に空気の爆ぜる音が鳴り、悲鳴を上げて防衛隊員が崩れ落ちる。
彼の体の上から降りた番外個体は律儀に仲間の横まで引きずっていきつつ、その装備を見分した。
「……装備のレベルとしては警備員に毛が生えた程度。戦力としての練度も同じくらいだろうね。
他のを叩き起こして情報抜き取ったところで、どうせろくなものは出てこないと思うけど」
「せいぜいが雇われの兵隊か。暗部の中でも、随分浅いレベルの……」
番外個体に下品な落書きをされている防衛隊員の顔から視線を上げた一方通行の動きが止まった。
一瞬前までは何もなかったはずだ。
なのに、突如床面から生えるように"それ"は伸びあがった。
"それ"は無防備な番外個体の背中に向け、その腕を振り上げ……。
「後ろだッ!!」
一方通行が叫ぶのと同時に、番外個体は身を翻しその場を飛び退く。
「ッ!?」
番外個体の髪を数本切断しつつ、黒い刃が彼女の顔をかすめた。
彼女の背後に現れたのはフード付きのコートを目深に被った人物。
右腕には前腕部から手首、その先を飲みこんで伸びる黒く大きな刃が。
たった一太刀で諦めたりはしない。
返す刀で横薙ぎの斬撃を放つべく、襲撃者は滑るように番外個体へと肉薄した。
「このッ!」
のけ反るように身を引いた番外個体の胸元を刃がかすめる。
大きく体勢を崩した彼女を追撃すべく襲撃者は刃を引くが、遮るように現れた一方通行の飛び蹴りがその胸板を直撃した。
一方通行のチョーカーのスイッチはすでに入っている。
ベクトル操作によって力を一点に集約された蹴りを受けた襲撃者は錐もみ回転し、バウンドすらせずに十数メートル吹き飛んだ。
床に激突して勢いよく転がり、ようやく起き上がった頃には既に番外個体も体勢を立て直している。
牽制程度の一撃とはいえ、並の人間なら粉砕されているほどの攻撃を受けてなお、平然と立ち上がる襲撃者。
相当の防御力を備えた能力者なのかもしれない。
しかし2対1。単純に考えて不利なのは襲撃者の方だ。おまけに2人とも単純に数では数えられない高位能力者でもある。
にも関わらず、襲撃者はそのフードの奥で笑みを隠そうともしない。
「何がおかしい」
「別に?」
声からするとフードの襲撃者は女性、それもそこまで年齢を重ねているわけではなさそうだ。
彼女はさもおかしくて仕方がないというように、忍び笑いをしながら、
「ただ、案外チョロいなと思って」
どういうこと? という番外個体の詰問は、言葉として発せられることはなかった。
直前、彼女の足元が泥のようにぬかるんだからだ。
元々、通路の床は白い塩化ビニルで出来ていた。踵で叩けばよく音が響く。
だが、今や彼女の周囲だけではなく見渡す限りの廊下の床がどす黒く変色し、靴を滑らせればねちゃねちゃと粘性の音を立てた。
そしてそれは突如として番外個体や一方通行を飲みこまんとすべく液体へと姿を変える。
「……クソッ!!」
能力を駆使し飲みこまれるのを防いだ一方通行だが、番外個体はそうはいかない。
一気に腰のあたりまで沈みこんでしまう。
一方通行は手を伸ばしかけるが、能力を発動した今の状態で彼女に触れればどうなるか。それは、彼自身が一番よく知っている。
一瞬の躊躇がこの場の明暗を分けた。
「!? 何かミサカの足に触れ」
番外個体の言葉はそこで途切れた。
完全に液体へと沈んでしまったわけではない。その姿そのものが虚空へと消え去ってしまったのだ。
彼女がいた証拠である床にぽっかりと空いた空間に黒い液体が流れ込んで行き、やがて完全に埋めてしまう。
(……『空間移動』能力者。黒い粘液の中に隠していやがったのか)
だとすれば、床を溶かしたのは目の前の襲撃者か。
どんな能力なのかは得体が知れないが、恐らくは分解あるいは腐食のような効果をもたらすのだろうか。
何にせよ、一方通行の能力に通用する類のものではないだろう。
幸いにして番外個体は位置マーカーを身につけている。
例え拉致されたのだとしても、目の前の敵をさっさと片づけて救出に向かえばいい。
「……ひょっとして、ちゃっちゃっと私を倒してあっちの子を助けに行こうとかなんとか考えているのかな?」
そんな思考を見透かすような襲撃者の声に、一方通行は眉を寄せる。
その声色に籠っているのは侮蔑と自信。
自分の力が一方通行に、『学園都市第一位』に通用すると本気で思っている者の声。
「駄目だね。全然駄目だよ、第一位。そんなオゴった考え方じゃこの先の人生はやってけないよ?」
鬱陶しそうにフードを跳ね上げた少女の明るい茶色の短髪に乗っているのは、どこかで見たような軍用ゴーグル。
一方通行は一瞬息が詰まりそうになった。
だが目が違う。鼻も違う。耳や口元も違う。髪の色や長さ、ゴーグルという類似点はあっても、その顔つきは全くの別人だ。
(……敵の作戦だ。流されるな)
だが、努めて意識しないように考えれば考えるほど、嫌でもその相貌が目に飛び込んでくる。
人間は視覚から80%以上の情報を得ているという。相手のトラウマを刺激するような格好で心理的圧迫を与える作戦はそこまで理屈から外れたものでもない。
一方通行の苦々しげな表情を愉快そうに見つめながら、襲撃者は言う。
「わざわざ自慢の黒髪ロングを切って染めたかいがあったみたいでよかったよ。
これで反応なしだったら女がすたるってものだし」
「……その貧相な体で興奮して欲しかったらケツ振っておねだりでもしてみやがれ、クソボケ」
「好みじゃない男にそこまで大盤振る舞いするほど安売りするつもりもないなぁ。一応まだ"きれい"な身体なもんでね」
笑いながら、少女はゴーグルをはめる。顔のパーツがいくらか隠れた分、より印象は『彼女たち』に近づく。
渋面の一方通行に、襲撃者は揶揄するような言葉をぶつけた。
「……それではただいまより戦闘(じっけん)を開始します、ってね!」
同時刻、神奈川県某所。
夜の住宅街をひた走る影が1つ。
「な、な、なんなのよもうっ!?」
影の主の名は御坂美鈴。見た目は大学生とといったところだが、れっきとした1児の母である。
夫は単身赴任で娘は学園都市の寮。2人とも正月には帰省してくるらしいが、今は帰っても彼女1人。
家を守りつつ、気ままなキャンパスライフを送る身だ。
その彼女が何故脱兎のごとく走り続けているかと言えば、理由はごくシンプルだ。
何者かに後をつけられているから。
最初に"彼ら"を目にしたのは、所属する大学のゼミナール仲間と行った忘年会の会場である居酒屋だった。
彼女らが座っていた席と隣り合う位置のテーブルには、揃えたように黒のスーツをきっちり着込んだ数人の男たち。
頼んだ酒に口もつけずただ黙々と軽食を口にする姿は居酒屋の陽気な空気からするともの凄く浮いて見えたが、
恐らくはうかつに酒を飲めない職業なのではないかと思い気にも留めなかった。
はしごして彼女らが足を運んだバーでも同様のグループを見た。
店の隅のテーブルに陣取り、前の店で見た連中と同じように酒を頼むが口は付けず、ただ何かを待っているような様子。
少しだけ気味悪く感じたのを覚えている。
その後も駅のホームで、電車の中で、帰りがけに寄ったコンビニで、美鈴は黒服の男たちを何度も見た。
全員顔は違ったが、ここまで来ると気持ち悪くもなる。
みんな同じ企業か団体の構成員ということは考えにくい。スーツを統一するようなところならば、どこかにロゴが入っていてもおかしくないはずだ。
酔いなど覚めてしまった。早く帰って寝てしまおう。
念のため、家から最寄りの交番の電話番号を携帯電話に入力し、発信ボタン1つでかけられようにしておこう。
そう思った彼女が携帯電話をポケットから取り出すと、はずみで家の鍵が落ちてしまう。
「おっとっと」
不気味さで神経が敏感になっているのだろうか、鍵がアスファルトの路面に落ちる音がやけに響いたように思えた。
慌てて鍵を拾おうと振りむいたその時、美鈴は唐突に気がついてしまった。
黒服の男が、美鈴の遥か後方を歩いている。しかも単独ではなく複数だ。
通行人を装いながら少しずつ、少しずつ着実に彼女との距離を詰めている。
それに気付いた瞬間、美鈴の背筋をぞわりと冷たいものが走った。反射的に思わず駆け出してしまう。
後方で黒服の男たちも走り出したのを横目でちらりと確認し、美鈴は出せる限りの速度で駆けた。
人通りなどほとんどない深夜の住宅街だ。防犯ブザーは最近失くしてしまったのを面倒くさがって放置したままである。
追いかけ回されていると通報しようにも、警察が保護してくれるまで彼女が無事でいるとは限らない。
いっそ自分の足で交番に駆け込んだ方が早いと考え、美鈴は現在地から交番までの最短ルートを思い浮かべつつ行き先を変える。
住宅街を駆け抜け、公園を突っ切り、付近の住人しか知らないような宅地裏の小道で身を縮めて黒服の男たちをやり過ごした。
男たちが明後日の方向へと駆けて行ったのを確認した後、今のうちに逃げてしまおうと身を翻したその時、いきなり背後から口元をふさがれた。
抵抗しようと放った裏拳はなんなく受け止められ、手首を掴まれてしまう。
何をされるのかと怯える美鈴の耳朶を、襲撃者の柔らかな声が叩いた。
「……御坂美鈴様でお間違いないですね?」
やはり狙いは自分なのか。美鈴が一瞬身をすくませたのを肯定ととらえたのか、背後の男は美鈴をそのまま裏道の向こうへと引きずって行く。
その先の路地に停められていたのは闇に溶け込むような黒塗りのリムジンだ。
男はその後部座席に美鈴を放り込むと、自らは助手席に乗り込んだ。
リムジンは静かに走り出し、住宅街を抜け、街中を走り、やがて高速道路へと乗る。
スモーク塗りの窓ガラス越しに、美鈴はかろうじて案内標識の文字を読み取ることができた。
『学園都市』。
絶句する美鈴を乗せたまま、リムジンは猛スピードで夜の高速道路を駆けて行った。
今日はここで終わりです
ここに来てまだオリ要素が増えていく……
オリはべつに良いんだが。
最近時間かかってるようだし、この風呂敷ちゃんと畳んでくれるよね…?
こんばんは
>>787
想定より長くなってしまい、元々予定されていた忙しい時期へと突入してしまったというのが正直なところです
読んでくださっている方々には長らくお待たせしてしまい、本当に申し訳ございません
それでは投下していきます
階層不明・小実験場。
「……参ったな」
周囲を見回し、番外個体は呟いた。
『空間転移』能力者に拉致され連れてこられたのは、廃機材で埋め尽くされた小さな実験場だ。
小さいと言っても、高さも面積も本格的な室内スポーツができるくらいの大きさは優にあるのだが。
機密保持の関係で外部に廃棄できないものを収める倉庫、あるいは廃棄物の保管場所となっているらしい。
中身が飛び出した大きな機械や埃をかぶったパソコンなどさまざまなものがかなりの高さにまで積み重なり、まるでうっそうと茂る森林のようだ。。
うず高く積まれた機材の間を苦労して抜けながら、番外個体は脱出路を探す。
空間転移能力者を仮に『同伴移動(アブダクター)』としよう。
この場所に転移してきた瞬間にちらりと見えたその横顔は、番外個体の外見年齢と同じ程度かやや幼いくらいの少女のもの。
彼女は番外個体が状況を認識し反撃に転じる前に物陰へと姿を隠してしまい、それ以来姿を見ていない。
「防衛部隊はただの足止め。本命は一方通行とミサカの隔離……かな?」
敵戦力の分断および各個撃破は対複数を想定した戦闘ではごく当たり前に狙われる手段だ。
彼我の物量差が同程度であるならば、少しずつ着実に敵戦力を殺いでいったほうが作戦の成功確率は高くなる。
しかし、学園都市最強の能力者相手に数的有利の論理は通用しない。
ならば狙われているのは自分と見るべきか。
一方通行と番外個体、どちらが狙いやすいかと言われれば、残念ながら反論の言葉はない。
「むざむざやられるつもりはないけれど、そうとなると早めに脱出したいところだよね」
番外個体の目の前にそびえたつのは実験場とその外を隔てる鋼鉄の扉。
押しても引いてもびくともしないし、システムはあらかじめ殺されているらしく彼女の能力にも反応はなし。
当然、拳銃程度ではわずかに凹みがつく程度だ。
わざわざ転移させてきた以上、ここは襲撃者にとって有利なフィールドであると考えるべきだ。
現に空間の随所に仕掛けられた装置の放つ高出力の電磁波が、番外個体の電磁波レーダーを乱している。
加えて所々に高く積まれた廃機材の山は視界を遮り、電磁波を放つ装置がどこにあるかを分からなくさせていた。
敵の動きは明らかにこちら側の情報を得て、それに対応すべく行われている。
恐らくは施設内への侵入を許したのも、入念な準備を済ませた自陣内へと誘い込むため。
冗談ではない。そんな蟻地獄のようなところに、いつまでも留まっていてやる義理はない。
扉を吹き飛ばしてやろうと腰の手榴弾を持ち上げた瞬間、背後でがちり、という音がする。
まるで、銃の安全装置を外したような。
「ッ!?」
慌てて身をかがめ、物陰へと逃げ込む。
直後、爆風と轟音が実験場内を駆け廻った。
「こんにゃろう!」
腰から拳銃を引き抜きお返しとばかりに数発撃ち返すが、既に物陰に隠れてしまった相手には届かない。
榴弾の爆発を受け、機材の山が付近の山を巻き込んで崩壊して行く。
(……着弾が拳銃に比べて遅かったし、ロケット独特の噴進音も聞こえなかった。
わざわざ銃弾じゃなくて榴弾で狙ってきたって事は、グレネードランチャーかな。
"当てれば終わる"武器って事は腕に自信がないのかな? とはいえサブ兵装にライフルやらサブマシがないとは限らないし)
巨大で重い機材が多かったことが幸いしたのだろう。
倒壊の連鎖は実験場の一部だけで終わり、番外個体も爆風からの盾にした何かを納めるタンクの下敷きにならずに済んだ。
が、肝心の扉はと言えば倒れた機材のせいでその上部すらも見えなくなってしまっている。
脱出は容易には困難。そんな素振りを見せようとすれば、襲撃者が攻撃を仕掛けてくる。
だが、
「……面白いじゃん」
番外個体は"笑う"。
こんな場面で笑えるのは根っからの戦闘狂か、あるいは頭のネジが数本ぶっ飛んでいる奴だけ。
どちらかと言えば自分は後者なのだろう、と番外個体は自答する。どうせまともな生まれ方はしていない。
襲撃者はこんな裏稼業に身を落としているいるような奴だ。
そのうちに溜め込んだ悪意はさぞかし熟成されているに違いない。
それでこそ倒し甲斐が、否、"踏みにじり甲斐"がある。
自分の悪意が敵の悪意を粉砕する瞬間ほど、番外個体にとって心が躍る瞬間はない。
屈服させたい。ちらりと見えたあの可愛らしい顔を涙と鼻水まみれにさせて思い切り嘲笑ってやりたい。
そんな嗜虐心に心を湧かせながら、番外個体は右手に『演算銃器』を、左手に『オモチャの兵隊』を構える。
「さーてどこかな兎ちゃん。頑張って逃げないとこわーい狐さんに食べられちゃうぞ」
地下10階・23番大試験場。
火球が炸裂し、美琴が盾にした砂鉄が爆ぜる音が響く。
心もとなくなった盾を補強しつつ、美琴は別の操作を砂鉄に加える。
彼女の周囲の床には、彼女の磁力に引き寄せられてきた砂鉄が無尽蔵にばらまかれている。
それは美琴の意のままに動き、一斉に浮かび上がった。
「おー、『電撃使い』ってこんな能力の使い方もできるんだね」
軽口を叩く『業火焔弾』の周囲を、砂鉄の奔流が取り囲む。
それは横薙ぎに斬り裂く刃、鋭く貫く槍など数十の凶器へと姿を変え、あらゆる角度から敵を狙う。
こんな場所で浪費する体力も時間もない。さっさと片をつけてしまうに限る。
「……お姉様、さすがにやりすぎでは」
「死なせはしないわよ、っと!」
美琴が号令をかけるように軽く手を振り、それを合図に砂鉄の凶器が一斉に襲い掛かる。
1つ1つがほぼ必殺の威力だ。当たればただではすまない。
だが、
「そんなお砂遊びじゃ、私には届かないよ」
凶器が直撃する直前、『業火焔弾』の足元から轟々とうなりを上げ、炎の壁が噴き上がる。
もちろん、実体のない炎に実体のある砂鉄を防げる道理はない。
しかし、
「砂鉄が……!?」
凶器が炎の壁に触れるかどうかというその刹那、突如としてその動きが鈍る。
形状を保てなくなるどころか美琴の支配も受け付けなくなった砂鉄の凶器は重力に従って落下し、炎壁の熱を浴びて赤熱する。
やがてどろりと溶けだし、さながらマグマのようになって床材へと絡みついた。
(……私の磁力操作に対する砂鉄の反応が鈍い。一撃防いだ時点で思い出すべきだったわね)
磁力に敏感に反応するような強磁性体には、それ以上の温度になると強磁性を失う『キュリー温度』というものが存在する。
砂鉄の主成分である磁鉄鉱のキュリー温度は摂氏にして580度前後。溶けてしまうほどの熱量を与えられれば強磁性を失ってしまう。
完全に操れなくなったわけではないにしても、やはり磁力に対する反応は格段に鈍くなる。
冷えたとしても、一度溶けてしまった砂鉄はもはや粒子状ではなく歪な鉄塊となってしまっている。
美琴が得意とする繊細な砂鉄操作にはもう用いることはできない。
「その程度か、超電磁砲とそのお供ちゃん。
大人しくさっさと燃やされてくれるとおねーさんも助かるんだけど」
「誰が!!」
髪を逆立たせ、美琴は右手に意識を集中させる。
手の中から溢れだすのは青白いスパーク。最大出力10億ボルトを越え、光速で駆け抜ける雷撃の槍。
最強の『電撃使い』たる美琴の真骨頂とも言うべき一撃だ。
だが、出力が大きいからこその問題というものもある。
『電撃使い』と言えど、普段からその最大出力の電圧を生みだしているわけではない。
そんな事をしていれば日常生活などとても送れやしない。
したがって、高出力で能力を使う際にはどうしても数秒の"溜め"が必要になり、それは最大出力に近づけば近づくほど長くなる。
それでも、たかが数秒。しかし暗部との戦いでは、その数秒が命取りとなる。
美琴の眼前で、突如空気が爆ぜる。
彼女が放とうとしていた電撃の副産物ではなく、『業火焔弾』が小さな爆発を起こしたのだ。
反射的に腕で目を覆ってしまい、指向性を失った電流が美琴の周囲を走った。
(コイツ、手元だけじゃなく離れたところでも能力を……!)
「いただき!」
手中に赤い光を宿しつつ美琴めがけて襲撃者が突撃する。
それを遮るように、白井が美琴の前へと身を躍らせた。
「させませんの!」
彼女の手中にあった鉄針が虚空へと消え、直後肉を穿つ音と共に『業火焔弾』の右肩から突き出すように姿を現した。
だが、苦悶の表情を唸りを漏らしながらも彼女の勢いは止まらない。
彼女の左手の赤い光が今にも迸ろうとした瞬間、白井の首根っこを引っ張る手が。
「なっ、めんなっ!!」
寸前まで白井がいた空間を、足元から巻き起こった黒い暴風が吹き荒れる。
それに飲みこまれることを避けるように後ろへと飛び退く『業火焔弾』。
そこへ狙い澄ましたかのように美琴が放つ雷撃の槍が彼女の体を撃ち抜いた。
しかしチャージなしの一撃は、彼女の意識を刈り取るまでには至らない。
弾かれたように吹き飛びつつも、彼女は美琴らに向けてある物を投げつけた。
大きめの携帯電話と同じくらいのサイズの、黒い粉末が詰まったパッケージ。
それは美琴が自分たちの前に展開した砂鉄の渦に粉砕され、こぼれおちた中身は渦に飲み込まれ、巻き上げられて──。
「テルミットって、知ってる?」
『業火焔弾』の言葉に美琴らが顔をひきつらせたときにはもう遅い。
爆ぜた火花が空間を伝播し、砂鉄に混じる粉末を燃焼させていく。
全てを灼き尽くす凄まじい爆炎が、周囲の空間全てを飲み込んだ。
地下4階・通路。
倒れていた防衛隊員達の周囲の床が変色し、彼らの体がずぶずぶと沈んでいく。
番外個体を捕らえたのと同じように、襲撃者の能力だろう。
「役に立たない奴ら。これで高い給料貰ってるんだろうから、社会ってのはままならないね」
「わざわざどけてやるとは、お優しいこった」
「気の乗らない殺しはしない主義なんだ」
最後の一人の体が完全に沈み終わる。それが開戦の合図となった。
先に動いたのは襲撃者の方だ。
右腕から伸びる黒い刃がどろりと溶け出し、勢いよく振られた彼女の腕の動きにしたがって飛沫のように飛び散った。
壁や床、天井にランダムに"跳ね返った"それは円錐状の杭に硬化し、様々な角度から一方通行を狙う。
(……単なる腐食や分解じゃねェな。妙な刃に杭。分解して再構築するまでが能力か)
観察しつつ、一方通行は電極のスイッチを入れる。
飛来したいくつもの杭は彼の肌に触れるや否や、通常の物理法則ではあり得ない奇妙な軌道を描いて襲撃者の少女へと襲いかかる。
学園都市最強にして最凶の超能力者が誇る『ベクトル操作』。
触れた物質の『ベクトル』を操作し、攻防において最強の座に君臨する能力だ。
この程度の攻撃など造作もなく処理できる。
布を裂く音と、べちゃりという粘着質の音が響いた。
一方通行が跳ね返した黒色の杭は間違いなく、襲撃者の四肢へと叩き込まれたはずだ。
事実、彼女が羽織るフードつきのコートにはいくつもの穴があいている。
だが、少女はさしてダメージを受けた様子もなく、その口元には笑みが浮かべられたまま。
(あのコートの下に何か着込ンでやがるな)
思えば、能力を使った一方通行の蹴りを受け止めた時点で既に異常。
派手に吹き飛びはしたものの、けろっと何事もなかったかのように立ち上がっていた。
相手はこちらの攻撃を察知していた節がある。出来得る限りの防御力増加策を取っているのだろう。
ならば、その防御力を上回る威力の攻撃をすればいい。
彼の能力を持ってすればそのための手段はいくらでもある。
例えば、その場の空気の流れを操ったりなど。
まるで不格好な、槍投げのフォームに似た動きだった。
ただし投げたのは槍ではなく圧縮された"空気"だ。
一方通行は左手に掴んだ空気のベクトルを収束し、あたかも槍のようにして撃ち出した。
音速の数倍以上の速度で襲い来る不可視の槍。
それを前に、襲撃者の少女が取った行動は1つ。
靴の爪先で、床を軽く叩いた。
黒く変色した床が勢いよくせり上がり、少女の前に壁となって立ちふさがる。
不可視の槍に粉砕された壁が液体に変化してびちゃびちゃと飛び散るが、その先に少女の姿はない。
(……床下への潜航か!)
最初の襲撃を思い出した一方通行は脚力のベクトルを操り、後方へと飛び退く。
直後、彼のいた場所を床下から斬り裂くように、大きな黒刃が突き出した。
「ああん、低レベルな組織の人間なら今ので真っ二つだったんだけど。
まー、さすがに学園都市サイキョーさんが、この程度でやられる訳ないかぁ」
刃がどろどろと溶けて床を覆い、やがて少しずつ膨らんでいく。
そこから姿を現したのは、黒い液体にまみれた少女。
「……オイルか」
「おや、もう見破っちゃった?」
「臭ェンだよ。鼻が曲がりそォだ」
わざとらしく鼻を鳴らす一方通行。
彼女が能力を使って床材を変質させるたび、つんとした独特の臭気が鼻をついた。
誰だって一度は真冬の学校などで嗅いだ事のある、俗に言う「ガソリン臭」に近いものだ。
「『油性兵装(ミリタリーオイル)』」
少女は呟く。
「私の能力の本質はもうちょっと違うところにあるんだけど。
とにかく、私"たち"の能力はそう系統づけられていた」
黒い液体が染み込んだ彼女のコートがどろどろと溶けだして行く。
その下に覗くのは、黒く鈍く輝く油製の兵装。
露出の多い装甲は、一見して防御力が高いようには見えない。
だが、彼女の防衛本能に直結して多彩に展開する液体と固体の区別すら曖昧な特殊複合装甲は、何人たりともそう易々とは貫かせはしない。
「……『白鰐部隊(ホワイトアリゲーター)』の生き残りか」
「ありゃ? 意外と有名なのね。
もしかして、昔白ワニちゃんに噛まれたことがあるとか?」
がおーっ! と両腕を広げ、ワニが獲物にかみつくかのようなジェスチャーを取っておどける『油性兵装』に対し、一方通行の反応は冷淡だ。
「『イレギュラーとしての要素が大きいレベル5対策を前提とした、安定戦力としてのレベル4の育成』だったか。
闇ン中に放り込まれてクソみてェな研究者どもに頭と体ン中いじくられて、挙句の果てに部隊丸ごと"吹き飛ンだ"哀れなガキどもってことくらいしか知らねェが。
……その生き残りの1人がオマエってワケか」
「そういうこと。他にも生き残ってる人はいるんだろーけど、どーこで何やってるんだか。
どこかでひっそり暮らしてるのか、私みたいに暗部にいるのか。それともイカレた研究者に捕まってホルマリン漬けにでもなってたりして?」
そう嘯く少女に、一方通行は鼻を鳴らす。
「……『闇』は解体したはずだ。俺がそォ仕向け、クソどもはそォ話を進めた。
なのにこの期に及ンで、なぜオマエみてェな連中が生き残ってやがる?」
ロシアの雪原で一方通行らを回収するために現れたヘリコプターの中で、彼は暗部の人間相手にそう恫喝した。
統括理事会がそれに恐怖し屈したとは思えない。
それでも『グループ』のメンバーに対する締め付けが弱まったように、暗部に囚われた人間は解放されたはずだ。
「あー、あったね。確かに人質やら借金やらで縛られたメンバーの解放は通告があった。
実際に捕まっていた人間は帰ってきたし、借金は帳消しにされた。
暗部が行ってた非合法実験の被検体にされて、暗部以外には行くところのなかった『置き去り』に対しても社会復帰プログラムが組まれたようだし」
当然、その対象には『白鰐部隊』の残党だって含まれている。
事実彼女の旧知の人間は残らず光の世界へと引っ張り上げられたようだし、彼女にもその誘いはあった。
けれど、少女は光の世界を拒絶し、闇の世界に残っている。
「だけど、あなたは1つ勘違いをしている。暗部で働いていた人間の皆が皆、弱みを握られて従事させられていたわけじゃない。
非合法の汚れ仕事ゆえに巨額の報酬のため、命を賭けたスリリングな任務のため。
人によって違うと思うけどさ、そういう理由で動いていた割とどうしようもない部類の連中だっているんだよね。
そういう連中からしてみたらさ、あなたのした仕事って有難迷惑に近いと思わない?」
ざわり、と『油性兵装』の背後で黒く溶けた床材が泡立つ。
何か隠していると見た一方通行は、注意深く周囲を観察しながらも少女から目を離さない。
「金、スリル。オマエが闇に残った理由はどっちだ」
「どっちでもないよ」
一方通行の問いに、少女は短く答えた。
揺るがない、自らの中に確とした芯を持つ者の声で。
「私はただ、誰よりも強くありたいだけ」
一方通行が大きく飛びのいた。
寸前まで彼がいた場所を床から飛び出した大きな杭が貫く。
その場だけではない。
床、壁面、天井を問わず、まるで剣山のように大小さまざまの杭が飛び出した。
迫りくる大量の杭を能力でへし折りながら、一方通行は周囲を見回す。
(……コイツ、どれだけの能力発動範囲を持っていやがる!?)
2人が戦っている通路は幅も高さもとても広く、前後の長さはさらに長い。
それにも関わらず、少女の足元から一方通行の背後の端までがまるで針山地獄と化してしまっている。
事前に頭に叩き込んだ地図では、この通路の長さは数百メートルはあったはずだ。
今いる場所がその中心と見積もっても、効果半径はとても広い部類に入る。
彼の視界に『油性兵装』が手元から放った数本の杭が飛び込んできた。
先ほど受けたものとは異なり、杭の後ろから炎を噴き出すことで速度を増している。
硬質化させたオイルで出来た杭の真後ろで可燃性のオイルを燃焼させ推進剤とした射突武器だ。
一方通行の肌に触れた杭は逆再生のように来た軌道を辿って『油性兵装』の元へと戻っていく。
そのあたりまでは最初に杭を叩き返した時と同じ。
違うのは、『油性兵装』がコートを着ているか否か。
特殊複合装甲に触れた杭は瞬時にその形状を崩し、粘着質の音を立てて装甲表面にへばりついた。
その質量の分だけ厚みを増した装甲は、何事もなかったかのように鈍く輝いている。
元は彼女の能力で変質していたオイルだ。彼女の制御圏内へと戻った以上、それが『油性兵装』にダメージを与える道理はない。
「……自分自身の攻撃ではダメージを受けないのなら、例え反射されようが意味はない」
大きな杭を踏み砕き、その勢いで一方通行は壁際へと跳んだ。
勢いよく振られた彼の腕が壁に生えた杭を砕き、そのまま壁材へとめり込む。
メキメキと音を立てて"引っこ抜いた"壁材に周囲からかき集めたありったけの運動エネルギーを乗せ、思い切り投擲した。
ダメージは受けずとも、その運動エネルギーまでは殺せないことは最初の飛び蹴りで分かっている。
壁材の直撃を受けた『油性兵装』が衝撃を受け流すべくその場で踏ん張り、足の動きが止まった。
今が好機とばかりに一方通行は床を蹴り、少女へと向かっていく。
どんな攻撃をも防ぐ鉄壁の盾を持っていたとしても、一方通行はその盾が持っているベクトルさえも捻じ曲げてしまう。
故に、彼に壊せぬものなど存在はしない。
間接的手段では破壊できずとも、彼が直接その手で触れさえすれば全ては終わるのだ。
だが、彼の指先が『油性兵装』に触れるか否かといったその刹那、彼女は滑るような動きでそれを回避する。
潤滑油の働きをする足元に集められたオイルと、ブースターの働きをする装甲の各所から噴き出した燃焼性オイルの炎。
その絶妙な制御があらゆる体勢での高速移動を可能にする。
「……どんなに破壊力の大きい攻撃であっても、当たらなければどうということはない」
少女が呟いた言葉は、ある意味では至言だった。
血の流れを逆流させる毒手。
生体電流を反転させる苦手。
当たれば必殺の一撃だ。ただし、"当たれば"の話。
例え自らの弱点を自覚しそれを補強したところで、能力を抜きにした一方通行の基本的な運動スペックは高くはない。
いみじくも夏休みに彼を打倒した無能力者が告げたように、"最強の超能力者であるからこそ"彼は弱い。
「……ナメてンじゃねェ!」
足元を爆発させさらに踏み込む一方通行。
だが突き出した腕も難なく避けられてしまう。
殴り方を知らない。
蹴り方を知らない。
ましてや拳の当て方なんて、知るわけがない。
低い身体的スペックを強力な能力で補正して強引に敵を葬ってきた彼は、近接戦闘においてド素人も当然だ。
その技量の差は、このような場面で如実に表れてしまう。
あるいは施設の一部を崩落させるような攻撃をすれば、『油性兵装』は耐えることも逃れることもできずに瓦礫の中へと消えるかもしれない。
だがここは敵本拠地であり、どこに誰がいるのかもつかめない場所だ。
万が一『第三次製造計画』を攻撃に巻き込んだ時のことを考えると、その手段は最初から考慮に入れることもできない。
そんな葛藤を見透かすように、少女は言う。
「……耐えることも避けることもできない攻撃ならば、最初からそれを使えない状況を設定してしまえばいい」
そのための『第三次製造計画』。彼女たちは戦力であると同時に最大の盾、人質としても機能する。
施設防衛のセオリーはまず侵入を許さないことであるにもかかわらず、わざわざ自らの本拠地へと招き入れた理由がこれだ。
徹底的に自陣内を自らに有利な環境へと改造した迎撃戦。最強の能力者であっても、易々と踏み越えることは許さない。
「『第一位を打倒する方法』だなんて小学生からネットの掲示板に張りつく大きなお友達まで日夜シコシコ妄想巡らせてるテーマをさ。
頭は良いけどイカレてる大の大人が集まって、スパコンなんか併用しつつ考えたらどうなるかっていう話だよね。
3人寄れば文殊の知恵。何ダースか集めりゃどれくらいになるのかな?」
直線的な一方通行の動きをアイススケートのように滑らかな曲線運動で回避しつつ、『油性兵装』は笑ってみせる。
「あなたに初めて泥をつけた能力者は、彼自身の能力であなたの反射膜を無効化した。
木原数多は蓄積したあなたの知識と並はずれた格闘センスで『拳のベクトルを反転させて直撃させる』なんて離れ業をやってのけた。
垣根帝督は『この世に存在しないはずの物質』なんてチート染みた能力だったんでしょ?
けれど、私にそれらはない。だったら『能力』の相性優劣じゃなくて、有利な『状況』で対応していくしかないよね!』
「正面から戦りあっても勝てねェから搦め手か、ザコの狡い手だな」
近接戦闘の応酬は続く。
一方通行が繰り出した飛び蹴りを『油性兵装』はするりと避け、両サイドの壁からオイルの触手を数本伸ばす。
鬱陶しそうにそれらを破裂させつつ足元のベクトルを操り、浮き上がらせた瓦礫を思い切り殴りつける。
だが、目にも止まらぬ速度で撃ち出された瓦礫の砲弾の直撃を胸部に受けてもなお、『油性兵装』は平然としていた。
「弱いなりの工夫、と言ってほしいね。
それに、付け焼刃とはいえそれなりの効果はあるみたいだし」
「少しやり合った程度で吹くじゃねェか」
「それでも見えてくるものはあると思うけど?」
『油性兵装』は硬質化したオイルをまとうその指で、自らの首筋を叩く。
「たとえば、さっきから必死にパチンパチンとしているこ・こ・と・か?」
痛いところをつかれた一方通行の顔が苦渋に歪む。
一方通行の能力は攻防一体のものであるが、そこには時間制限が存在する。
夏に脳損傷を受けた彼の演算能力を補う、ミサカネットワークへ接続するための電極を内蔵したチョーカー。
そのバッテリーの持続時間は、能力稼働状態で30分と極端に短い。
手に入れた設計図を基に時折いじくってはいるものの、稼働時間の問題の根本的解決には至ってはいない。
目の前の少女は前座に過ぎない。
にも関わらず、制限時間を消費し始めているというのはいただけない。
相手の動きが攻勢に出るでもなくあくまで回避と防御主体なのはそれが狙いなのだろう。
彼女一人を倒すことのみが目的ならばいい。
ここでチョーカーの電力を使い果たしたとしても、目的さえ達成してしまえば勝ちは勝ちだ。
逆に言えばここでチョーカーの電極を使い果たさせれば、それは少女の、ひいては『第三次製造計画』を遂行するクソどもの勝利ということになる。
それだけは絶対に避けねばならない事態だ。
焦れた一方通行は後ろに下がり、両手を広げる。
攻撃が当たらないのならば、当たる攻撃をすればいい。
点ではなく面。面ではなく空間。周囲全てを巻き込む攻撃ならば、閉所であるこの場には逃げ場がない。
その手に掴んだのは周囲にあまねく存在する空気。
圧縮され運動ベクトルを捻じ曲げられた空気は先ほどの『不可視の槍』ではなくうねり狂う大暴風となり、通路の中を吹き荒れる。
だが、
「むーだ」
パチンと『油性兵装』は指を鳴らす。
直後、一方通行が完全に掌握していたはずの空気が爆発し、膨張した爆風が無軌道に逃げ場を求めて通路内を駆け巡る。
「……ッ」
「さっきからさーんざんバキバキ砕いたりバシャバシャ飛び散らせてるのは自分じゃん。
オイルの臭いに慣れ過ぎて気付かなかったかなー?」
地下施設に窓はなく、空調設備も事前に切ってある。そこへオイルの粉末や飛沫を飛び散らせればどうなるだろうか。
飛散したオイルの粒子が揮発し、さながら気化したガソリンの充満する密室のようになった周囲は、彼女の指先1つで容易に爆破することができる。
「ちなみにこういうこともできまっす」
『油性兵装』の言葉とともに、床、壁面、天井にびっしりと生えた杭が一斉にその形状を崩しグズグズに溶けていく。
滴り落ちる黒い燃焼性オイルを浴びながら、一方通行は彼女を睨みつける。
「……オマエ」
「はい、着火ー」
軽い声と共に、特殊複合装甲で覆われた指と指とをこすり合わせ火花を発生させる。
それに呼応するように、オイル粒子をふんだんに含んだ大気が大爆発を引き起こした。
紅炎と爆風が通路中を駆け巡り、もくもくと吐き出された刺激臭を伴うねばつく黒煙が周囲を漂う。
『油性兵装』が能力を使って構造物を保護・補強していなければ、上下数階層は崩落していたかもしれないほどの大爆発。
その爆心地にあって、なお『油性兵装』は自らの足で立っていた。
(さすがに、この程度の爆発でくたばるわけはないか。そろそろアレの出番かなん)
『ベクトル操作』による反射を考慮し、今まで彼女が放った攻撃は全て『彼女自身が耐えうる』威力でしか放っていない。
彼女が狙ったのはあくまで空気中の酸素の燃焼だ。
あらゆる物質のベクトルを操作する一方通行だが、しかし対象となる物質が『体表の反射膜に触れている必要がある』という制約がある。
その場に存在しないものは操作できないし、欠乏しているものを他の物質で無理やりに代用させることもできない。
酸欠状態に追い込むことが有効なのは過去の戦闘データから把握している。
だが、"この程度"ならば力技でどうにでもしてしまうのがレベル5たる所以。
それを証明するのかのように、炎と煙の奥でゆらめく影が1つ。
「……だよねぇ、そうこなくっちゃ!」
直後砲弾のように飛び出してきた一方通行の拳を『油性兵装』は身を反らして交わし、そのままバック転をして距離を取る。
なおも襲いかかる一方通行と躍るように交錯しつつ、彼女は剥離させた装甲の一部をオイルへと変化させ、通路を覆うように展開する。
「うぜェンだよ!」
硬質化したオイルの壁を拳で砕き突破する一方通行。
その遥か向こうでは『油性兵装』が不自然なほど壁際に寄り、黒く変色した床の横で不敵に笑っていた。
直後泡立つ床面を切り裂くかのように、異様な物体が黒いオイルの糸を引きながら床下よりせり上がってきた。
横倒しになった長さ十数メートルほどの巨大な円筒状で、『油性兵装』がまとう装甲と同じように黒くぬめった輝きを放っている。
下部にはそれを正確に撃ち出すための発射台が設置されており、後部には複数の推進システムを組み合わせた複雑な発射機構が解放の時を今か今かと待ちわびていた。
もはや『杭』ではなく『破城鎚』と形容すべきその姿は異様な存在感を放っている。
「『複合手順加算式直射弾道砲(マルチフェイズストレートハンマー)』。私好みに改良してみました」
その滑らかな表面を愛おしそうに撫でる『油性兵装』。
設計通りなら意図的に空気抵抗を高められているはずの弾頭は、彼女の好みに合わせて超音速の壁を貫くための鋭い槍と化している。
ゴムの反発力、可燃性オイルの爆発力、超高速のプロペラ等を組合わせて作られた推進装置は、想定されていたものよりもより大型化された。
本来ならば8人がかりで構築するはずの砲台。研究者たちの設計スペックを大きく上回った彼女の能力は、それを1人で構築することを可能にした。
一方通行はちらりと床面を見る。
もはや白い場所の面積の方が少なくなった床の材質はは塩化ビニル。
合成樹脂の代表格であり、その大本を辿れば石油が原料である。『油性兵装』にとってみれば格好の材料だろう。
しかし、『複合手順加算式直射弾道砲』を構成するオイルの質量が、明らかにこの階層で『油性兵装』の影響を受けた建築材の質量を上回っていることが気になる。
この階層から供給していないのだとすれば、それは別の場所ということになる。
だとすれば、それは砲台が現れた1つ下の層ということになるが、
(……まさか下の階層を丸々潰したのか? どこに現れるかも分からない俺たちの侵入に備えて?)
いや、最初に現れた防衛隊員たちは恐らく侵入場所を特定し下準備を済ませる時間を稼ぐためのデコイ。
当然彼女のクライアントは施設の破壊を渋ったはずだ。それをはねのけてまで戦術を押し通すほどに、彼女はこの攻撃に自信を持っているのだろう。
だが、どれほど巨大な弾頭を使おうが、どれほど高速で撃ち出そうが、単純な破壊力では核爆発にすら耐える一方通行の反射膜を貫けはしない。
強力であればあるほどむしろ使用者への反射は苛烈なものとなる。
「理解できねェな。そンなに自殺してェのか」
「いや、死ぬ気はないよ? だって」
ギチギチと『破城鎚』を砲台に固定するためのゴム束が軋む音が響く。
それを抑えつけている安全装置を1つ1つ外しながら、『油性兵装』はにやぁと心から楽しそうに笑う。
「あなたが『反射』して変なところに飛んで行ったら、そこにいるかもしれないあなたのだーいじな『妹達』ちゃんたちが死んじゃうと思わない?」
その言葉に、一方通行は心臓に氷水を流し込まれたかのような感覚を覚えた。
最後の安全装置が外され、戒めを失った『破城鎚』は瞬時に音速の数倍へと加速する。
それと反比例するかのように、迫りくる『破城鎚』を前にして時間が奇妙に緩やかに流れる。
あれが直撃すれば、一方通行は確実に肉片一つ残さず消し飛ぶだろう。
あれを反射すれば、どこにいるかも分からぬ『妹達』が死ぬかもしれない。
本能はどうするべきかを告げている。
理性もどうするべきかを叫んでいる。
反射するべきか、しないべきか。
とっさに電極のスイッチに当てられた指は答えを決められぬまま、極限まで引き延ばされた刹那の時間は消費され尽くされる。
直後、施設を丸ごと揺るがすほどの凄まじい大震動が炸裂し、腹の底に響くような轟音と共に地下構造の一部が大きく崩落した。
今日はここまでです
絹旗戦に続き一方通行がアホの子気味なのは彼のせいじゃない、>>1の頭のスペックが足りていないんだ
冒頭で述べたように一身上の都合で秋ごろからとても忙しくなってしまい、しかもそれが最低でも初夏まで、下手するといつ終わるか分からない、という状況にあります
現在(個人的には)きりのいいところまで書いてから投下すると言うスタイルで書いていますが、ご指摘があったように現状で2~3週間かかっている上に
今後ますます書くための時間がなくなり、遅くなっていくことを危惧しています
そこで、
1、現状維持、出来る限り今のペース・投下量を保っていく
2、期限を切り、決めた期間ごとにその時点までに書けた分を投下していくスタイルへ変更
の2つの選択肢を考えているのですが、お読みいただいている方々はどちらのほうが読んでいて快適でしょうか
ご意見お待ちしております
こんばんは
納得できるものを書いてほしい、と仰っていただける方が多いですし、
また脳内で期限を切ってみて「ちくしょー無理だガッデム!」と頭を抱えることにもなりましたので、従来のままで行くこととします
春休みに入ったので少しは速くなる……といいなぁ
それでは投下していきます
地下10階・23番大試験場。
広大な試験場の内部は、まるで煉獄のように燃え盛っていた。
その中ほどに佇んでいたのは『業火焔弾』ただ1人。
無事であるとは言えない。
至近距離で発火したテルミット爆薬の爆炎は、彼女が放てる火球の最大温度よりもさらに高温の熱を発した。
『発火能力者』にすら火傷を負わせるほどの熱量だ。高熱に耐性のない彼女の敵たちは消し炭になってしまっていてもおかしくはない。
「──今のもの凄い振動は何? エネミーの誰かが施設ごと私たちを潰そうとしているんじゃないだろうね」
彼女が語りかけているのは、手にした携帯電話の向こうにいる彼女の雇い主だ。
『ちょっと待って…………これは酷いわね。
地下4階から数階層に渡って大きく崩落したみたいだわ』
「4階というと、『油性兵装』ちゃんの相手かな。
相手にしてた第一位が、あの子の装甲をぶち抜くような攻撃をスカしたのかね」
あの少女の防御性能は、同じ暗部組織『カルテル』の一員である自分がよく知っている。
施設ごと潰すような威力でなければ、あの装甲は貫けはしないだろう。
『逆よ逆。監視カメラの映像によると施設を大きく崩落させたのは、「油性兵装」の一撃みたいね』
「…………こんな施設内で『複合手順加算式直射弾道砲(マルチフェイズストレートハンマー)』でもぶっ放したのかなぁ?
あんなの人に撃ったら、"なくなっちゃう"んじゃないかと思うんだけどなぁ」
『相手が第一位なら、どれだけの威力を出しても足りないことはないと思うけど。
……それよりも、オーダーには施設を出来る限り傷つけないこと、と書かなかったかしら?』
「え」
その言葉に、ぴしりと音を立てて『業火焔弾』は固まる。
依頼人の利益になるように任務をこなすことで報酬を得る暗部組織は、その仕事ぶりによって報酬が決まる。
今回のような「施設防衛」に関する任務では、当然ながら施設を損壊しないことが大前提の任務だ。
それを大きく崩落させたとなれば、報酬どころかペナルティが下っても仕方が無くなってしまう。
はぁ、という依頼主の溜息が、いやに大きく聞こえた。
『……任務を完遂したら、施設の損壊については不問にしてあげる。
損壊と言えば、あなたもよ。いくら耐火構造であると言っても、加減はして欲しいものね。
あなたのリクエストに応えてスプリンクラーなどの消火設備は止めてあるから、あまり長くは持たないわよ』
「しょうがないじゃんよー、私の本領は大規模破壊工作だぞ?
経験がないわけじゃないけど、対人迎撃は専門外だっつの。
……このままだと、施設はあとどれくらい持つ?」
『一応建設時のスペックとしては、隔壁を閉鎖することで、消火設備が作動しなくても30分は延焼を防げるようには設計してあるけれど。
実際に火災を起こしたことはないから、本当にそれくらい持つかは分からないわ』
「それだけ持てば大丈夫だと思うけど。
……ところで、超電磁砲たちがもう黒焦げになってくれたっていう予想はさすがに甘いかな?」
『甘いでしょうね。超電磁砲のパートナーは「空間移動能力者」。
姿が見えないのなら、逃げおおせたと考えるのが打倒かしら』
「……あー、だから鉄針が私の肩から突き出してきたわけか。
りょーかいりょーかい。じゃあ周辺を狩りだしてみるよ」
通話を切った『業火炎弾』は血の滲む唇をぺろりと舐めた。
狭い空間に、2人分の荒い吐息がこだまする。
試験場の壁面、高さにして3階建てのビルに相当する高さに埋め込まれた実験の観察室に、美琴と白井は逃げ込んでいた。
美琴の体が白井に触れていたことが幸いとなった。
テルミット爆薬が混入された砂鉄が吹き飛ぶ刹那、白井がこの場所目がけて決死のテレポートを行ったのだ。
しばらく使われていなかったようで、試験場に面した大きな防弾仕様の窓ガラスはカーテンに覆われていた。
内部の様子が分からない以上自殺行為でもあったが内部の物に重なることもなく、一か八かの賭けに2人は打ち勝った。
「──ごほっ、何なのよあいつ、ありえない! イカレてるっつーの!
よく高性能火薬をこんな室内で、しかも自分の至近距離で爆発させる気になるわね。
自爆志望者ならどっかで勝手に1人で吹き飛んでなさいよね!」
熱気や煙で喉を痛めたのか、時折咳き込みつつ美琴が罵るように言う。
同じように息苦しそうに、涙を浮かべた目で白井が答えた。
「最後に使われた爆薬、まるでお姉様の砂鉄に吸い込まれたかのように見えたのですけれど。
何か特殊な仕掛けでもしてあるのでしょうか?」
「特に特別な仕掛けなんかないんじゃない? あの女、テルミットって言ってたわよね。
たぶんあれはアルミニウムと強力な酸化剤、あとは火力上げる薬品かなんかをいっしょくたに混ぜて微粒子状にしたものなんだと思う。
私が操ってる砂鉄って動かす時に粒子同士衝突してこすれあっているから……」
「砂鉄が帯びている磁気や静電気に粉末が引きつけられ、それが砂鉄の渦に飲まれてまんべんなく広がり……と言ったところでしょうか。
拡散されればまるで粉塵爆発のような効果を生み、パッケージのままなら高性能火薬として機能する。
何と言いますか、電気だけではなく磁力すらも操るお姉様対策な感じの装備ですの」
「夏に相当大暴れして、いくつ『あの子たち』関連の研究所を潰したと思ってんのよ。そりゃ対策も練られるってものよ」
苦笑しながら、適当に答えを返す。
「それで」
息を整えるまでの休憩はこれまで、と美琴は表情を変える。
「どうやってあいつをぶっ飛ばそうか。何か意見ある?」
「難しい質問ですの……」
先ほどの戦闘を見る限り、お世辞にも相性がいいとは言えない。
電撃使いである美琴と、発火能力者である敵。実体のないものを操る能力者同士、互いに互いの攻撃は防ぎにくい。
だが、ここで能力の本質の差が決定的な差となる。
例えば、発火能力者は高熱を伴う炎を操る。
当然、炎に熱せられて発火点を越えた周囲の物質は燃え、酸素を喰らいつつ熱と煙を吐き出すようになる。
炎そのものが敵に当たらなくともその副産物が容赦なく敵の体力を削り、終いには敵を窒息死や焼死に至らしめるだろう。
対して、電撃使いは一撃こそ高い威力と目にもとまらぬ速度を誇るものの、回避された場合はほとんど影響を及ぼすことはない。
また、施設の電源系統へのダメージも懸念される。なにせこの施設には培養機の中で『育成』中の妹たちがいるかもしれないのだ。
非常時対策として施設各所はブロック構造化されており、ここで最大出力を出したところで全館が停電になることはないだろう。
だが、この試験場と同ブロック内に妹たちの培養施設がないという保証はない。
万が一電源遮断や雷サージが培養装置を襲った場合、中にいる妹たちは無事では済まないだろう。
それを考えると、施設内で高圧電流を乱用することは避けたい。
「……お姉様、あの女は回避しましょう」
そんな状況を鑑みれば、積極的に交戦する理由はないように思える。
2人の目的はあくまで妹たちの救出、および親玉の撃破にある。
あえて立ちふさがる敵の打破に躍起になり、いたずらに体力をすり減らす意味はない。
白井の空間移動ならば、障害物とある程度の距離は無視して逃走できる。
だが、PDAの画面に映る地図を眺めていた美琴は、
「うーん、ここから脱出するにはどうしても一度あの女の前を通らなきゃいけないのよね」
と結論付けた。
ほら、と渡されたPDAの画面に表示された地図には、現在2人と敵がいる試験場が映し出されていた。
この観察室から降りるための階段は試験場内部にある。ノコノコ降りて行けば一発で見つかってしまう。
また、この観察室から試験場の2つある出口まではそれぞれ約100m。白井の空間移動1回で飛べる範囲を越えた距離だ。
出口へと転移するためにはどうしても1度どこかを中継する必要があるが、そんなことをすればどちらの出口へ逃げたかは一目瞭然だ。
「上か下の階層になら飛べるところもあるけど、そこには何があるか分からない。
出来るなら転移するのは有視界内にしておきたいでしょ?」
「……わたくしの力が足りず、面目ありませんの」
「いやいや、それは私も同じよ。
あの女の攻撃より早く一発で有効打を入れられるなら、正面切って攻撃すればいいだけの話なんだから」
あまり電撃は使いたくない。能力を用いるならば、出来得る限り磁力操作に限られる。
それであっても、あまりに強い出力を出せば問題が起こりかねない危険を起こす必要がある。
「……後の事を考えても、やっぱりあの女はきっちりここで倒しておきたいのよね。
何もない所にいきなり出現できるあんたの空間移動は、攻撃を仕掛ける上で大きなアドバンテージになる。
その後は私の仕事よ。なんとか電撃なしであの女をぶっ飛ばす方法はないかしら?」
何か役立つ物はないか、と美琴はショルダーバッグの口を開き、中身をそのあたりの机に無造作に並べ始めた。
予備のコインが詰まったカエル柄のがまぐち、水が入った小さなペットボトル、カエル柄のハンカチ、小さな水筒、カエル柄の応急セット……。
「……カエル柄のものばっかりですの」
「うるさいわね、可愛いからいいじゃないっ。ていうかそんなこと言ってる場合じゃないし!」
その他にも細々としたものを並べ、矯めつ眇めつしていた2人だったが、
「これとこれ、使えそうじゃない?」
「……なるほど、お姉様とわたくしの能力を合わせれば!」
「奇襲に失敗したら、これを使う。それでどう?」
「それでいきましょう」
奇策を思いついた2人は、早速準備に取り掛かり始めた。
階層不明・小実験場。
廃材を掻き分けるようにして逃げる『同伴移動』。
その後を、廃材の上を跳ぶよう追いかけ回す番外個体。
時折『同伴移動』が後ろを振り返り、手にした擲弾銃から榴弾を発射する。
対人榴弾、散弾、フレシェット弾。口径が合えば何種類もの弾頭を使い分けられる銃ではあるが、そのどれもが届かないのでは意味がない。
磁力を用い、そこらに散らばる廃材を持ち上げ即席の盾とする番外個体。
その防御力を突破されない限り、番外個体に負けはない。
とは言え、防御のために数瞬の隙を作られるのは確か。
その隙に物陰に逃げ込まれてしまうのは、電磁波レーダーを掻き乱す装置が設置されたこの空間においてはあまり好ましい事ではない。
「……にゃろう」
もう何度目か。元はサーバーか何かだっただろう、磁力で浮かび上がらせた機材に散弾がいくつも突き刺さる音を聞きながら、番外個体は舌打ちする。
"敵戦力の無力化"という条件下での戦闘は、殺害許可の出ている戦闘よりも幾分ハードルが上がる。
腹立ちまぎれに右手の『演算銃器』を発砲する。
自動精製された貫通力の高い銃弾が機材の山に突き刺さり、その下で強力な電磁波を放っていた機器を1つ破壊した。
レーダーに干渉できるほどの電磁波を放つ装置の場所を、電撃使いである彼女が探知できないはずがない。
これで今までに破壊した装置は5つ。
残りいくつの装置があるかは知らないが、装置を破壊するたびに少しずつ彼女の電磁波レーダーへの干渉が弱まっていくのを感じた。
互いに物陰へ隠れ、しばしの睨み合い。
「……さて、どうするかね」
干渉が弱まったとはいえ、未だに電磁波レーダーが正常に機能しないのもまた事実。
物陰が多く視界が悪いこの空間で目視による探査を強いられるというのは少々面倒だ。
また、障害物が多いことにより拳銃の有効性が薄いことも問題だ。
『演算銃器』ならば貫通力の高い弾丸も作り出せるが、障害物の向こうの敵を撃って致命傷を負われても困る。
(……というか、相手って空間移動能力者だよね?
距離も障害物も無視してミサカの頭に鉛玉を直接叩き込むことだってできるのに、なんでわざわざ擲弾銃で撃ち合いしてくる?
そもそも逃げるのにだって転移すりゃいいのに)
能力を使わず自らの身体能力だけで渡り合うのが好みという変わり種、という線はこの際排除していいだろう。
例えば、あえて能力を使わないことで「自分の他にもう1人いる」と思いこませることが目的なのだろうか。
しかし、番外個体は転移してきた時に敵の顔を見ている。
今追っている人物と同一人物であることは確認しているし、敵がそれを察知していないとも考えにくい。
あるいは、今のように考え込ませることで時間を稼ぐことが目的なのか。
(……第一位、大丈夫なのかな。
あの後即戦闘に突入したとしたら、大分電極の時間も削れてると思うけど。
さっきの大きな振動も気になるし)
電極の制限時間は一方通行が戦闘行動をする上で最大のネックとなる。
それを緩和するために予備のバッテリーを用意してはいるのだが、それは換装時のことを考え番外個体のポーチの中に突っ込んである。
つまり、彼がつけているバッテリーの容量が尽きる前に合流できなければ、彼に待ち受けるのは死ということだ。
(別に第一位が生き残ろうがくたばろうがミサカの知ったこっちゃないけどさ。
それでも上位個体が泣くのは鬱陶しいもんなぁ)
彼女の小さな1つ上の姉は、例えこの作戦で一方通行が死のうとも、おそらくそのことで番外個体や他の誰かを責めたりはしない。
ただ小さな唇をきゅっと真一文字に結び、涙を浮かべてうつむくだけだろう。
それが容易に想像できるからこそ、番外個体の胸の中で何かもやもやしたものが膨れ上がる。
(……それを"見たくない"って思えるくらいには、ミサカも"人間らしく"なったのかねぇ)
生まれてから時間が経ってやや薄くなった目の下の隈をこすりながら、彼女は内心で呟いた。
「しかし、どうするかな」
この膠着状態を何とかしなければ、ここからの脱出も味方との合流も果たせようもない。
出口は崩れた廃機材で塞がれている。脱出するためにそれをどけていて背後から撃たれるようなことがあっては元も子もない。
後顧の憂いを絶つべく、是が非でも『同伴移動』をぶちのめしておく必要がある。
番外個体は盾にしていたサーバーの表面をぽんぽんと叩く。
業務用のもので、大きさも重量もかなりのものだろう。
当然、盾として役に立つくらいなのだからそれなりに頑丈でもある。
この空間は、全体が膨大な量の機材で埋め尽くされていて、それらによって多くの死角が発生している。
盾となる大きな機材や、逃げ道である廃機材の隙間が存在するが故に彼女は番外個体の追跡を容易にかわすことが出来る。
ならば、それが役に立たなくなったとしたら?
敵は空間移動能力者。それは確定している。
だが、逃げる最中彼女は一度も転移をしていない。
もしそれが、能力使用に何らかの制約があって自由に転移できないからだとしたら?
先の読めない勝負に打って出ることは嫌いではない。
彼女は、面白いことを思いついたと言わんばかりににんまりと笑った。
物陰に隠れていた『同伴移動』は、追跡者が動く気配が無くなったことに違和感を感じていた。
(……根競べ、と言うところかしら?)
そうするメリットは、向こうにはないはずだ。不審に思い、警戒しつつ少しだけ息を整える。
体を鍛えてはいても、やはり軍用モデルとして設計された軍用クローンとのからの逃走は厳しいものがある。
逃走に能力は使えない。彼女は空間移動能力者であるが、その能力には大きなデメリットが存在するのだ。
『同伴移動(アカンパニー)』。それが彼女の能力の正式名称だ。
「同行」を意味するその能力名が示唆する通り、「誰かを伴って空間転移する」ことが能力の本質となる。
その転送可能圏内は極めて広く、距離だけならば空間移動系能力者の最上位とも言われる結標淡希すら凌駕する。
だが、彼女の能力には大きな制約がある。
「誰かを伴って空間転移する」。これは裏を返せば、「誰かと一緒でなければ転移できない」ことを意味する。
空間移動に必要な演算式が特殊で、転移するためには自分と他の物体の2つの位置情報が必要であったこと。
その別の物体が人間に限られたこと。
それが故に、彼女は『どんなに努力をしようとも、制約が解かれない限りレベル5には決してなれない」と宣告された。
一分野においてはレベル4の範疇を遥かに凌駕する尖った性能を示しつつも、ある致命的なデメリットが存在するために決して最上位には這いあがれない。
それが故に彼女は屈折し、堕落し、今このような汚れ仕事やらされるまでに身を落としてしまった。
だが、色々と言葉を並べてみたところで、今この状況下において、彼女が極めて不利な状況に置かれていることに変わりはない。
彼女単独では能力を発動できない。すなわち、今の彼女は無能力者も同然なのだ。
ただし、彼女が本当に単独だったならば。
不意に、彼女がその影に身を隠すタンクがずずと動いたような気がした。
嫌な予感が脳から脊髄を走り抜け、タンクの影を飛び出した瞬間、周囲の廃機材が一斉に天井近くまで浮かび上がった。
浮遊する機材の向こうには番外個体が。隠れる場所のなくなった『同伴移動』としばし視線を交わし、にやぁと笑った。
直後、浮上していた機材が一斉に落下した。
耳障りな音を立てて、床にぶつかった機材が損壊しながら元あった空間を埋め尽くして行く。
その周囲を『同伴移動』がどこに逃げ込んだかを把握するべく番外個体は注意深く観察する。
もし美琴ほどの出力があったなら、この空間に存在する機材全てを持ち上げることも可能だったかもしれない。
だが、スペック上では彼女に遠く及ばない番外個体では、フルパワーで磁力を操作しても半分機材を持ち上げるのがやっとだった。
今の攻撃で潰れたとは思いにくい。
曲がりにも暗部の構成員だ。この程度で死んでしまうような人間なら、とっくの昔にくたばっているだろう。
番外個体の推測を証明するかのように、『同伴移動』は姿を現した。
ただし、番外個体の真後ろに。
「ッ!?」
この距離ならば強力な干渉を受けている電磁波レーダーでも正確に察知できる。だが、身体を動かす速度がそれに準じるわけでもない。
番外個体が振り返るよりも早く『同伴移動』は手にした拳銃の引き金を引いた。
身体を捻るのがやっとだった。狙いを逸れた銃弾は番外個体の左上腕を抉る。
噴き出す血にも目をくれず、右手の『演算銃器』を構える番外個体。
だが、『同伴移動』はそんな彼女の目の前で虚空へと溶け消えた。
それは明らかに彼女能力によるものだ。
番外個体の、敵の能力の考察は間違っていたのだろうか。
(……違う!)
廃機材をひっくり返したことによって新たにできた物陰へと姿を隠しながら思考を瞬時に切り替え、番外個体は今起きたことを整理する。
まず、『同伴移動』の姿が周囲に"溶け込むように"かき消えた。
その直後、番外個体の電磁波レーダーの反応も消滅した。
この間にあったラグは1秒程度。
だが、どんなに短かろうと『姿の消滅』と『反応の消滅』の間のラグの存在は、『第三者の介入があったこと』をこれ以上なく明確に証明してくれる。
単一の空間移動能力者ならば、その2つは同時に起こるはずだ。
空間移動能力者である『同伴移動』。
そして、おそらくは視覚操作や偏光操作に類するだろうまだ見ぬ能力者。
番外個体は周囲にぐるりと視線を巡らせるが、そこに敵の影も形も見えはしない。
干渉装置のせいで電磁波レーダーは自分のごく近くしか働かず、かと言って応援を呼ぶ隙もない。
銃弾に抉られた左腕の銃創はじくじくと熱を持って痛覚を侵し、溢れだす血液は止まる気配もない。
敵がどこにいるかも分からぬ以上、物陰が果たして盾として機能するかもわからない。
孤立無援の状況の中、番外個体はその短い人生において2度目の正念場を迎えた。
地下10階・23番大試験場。
踏みつけにしていた焼け焦げた残骸から気まぐれに跳び降りたのは、『業火焔弾』にとっては全くの幸運だった。
直後、空気を裂く音と共に彼女がいた空間の真後ろに御坂美琴が出現したからだ。
「……ッ!?」
「あ、あれ?」
両腕を帯電させ、彼女がいた空間を抱きしめようとして失敗したかのようにたたらを踏む美琴の顔を見て、『業火焔弾』は即座に反撃に出る。
「背後からの奇襲! そーいうのはもっと相手の様子を観察してからやるもんだ!」
轟と唸りを上げ彼女の足元から噴き出す炎から逃れるべく、美琴は転がるように距離を取る。
暗部の人間がその隙を逃すはずがない。その背中を焦がすべく、『業火焔弾』は大きな火球を放った。
「いい加減そのパターンも飽きてきたっつーの!」
ぐっと拳を握るように力を込める美琴。
彼女に呼応するようにぶちぶちと配線を引きちぎりながら床の一部を構成する巨大なブロックが浮かび上がり、それにぶつかった火球が火花を飛ばしながら破裂する。
それを見届けた美琴が拳の力を弱めると、元々おさまっていた空間に対して水平に回転した床材ブロックが重厚な音を立てて着地した。
「そーか、内部の鉄筋を磁力で持ち上げて……。
けれど、そんな重たいもの持ち上げるのは辛いんじゃない?」
「どうかしら?」
美琴が爪先で軽く床を叩く。
それを合図に床や壁からいくつもの構造材が引き抜かれ、美琴に引き寄せられてまるで盾のように周りを浮遊す
「なっ……!?」
その光景を見て、『業火焔弾』は驚愕する。
大規模な実験などを行い内部が損壊することが予想される施設では、内装をブロック状の構造にして交換を可能にすることで整備性を向上させていることがある。
この施設では一辺数メートルのブロックを組み合わせて床や壁を構築しているが、その重さはどんなに少なく見積もっても数トンでは済まないだろう。
今、美琴が宙に浮かせているブロックの数は10や20ではきかない。
それでいてなお、美琴は大規模な能力を使うことの負担すら感じさせずに平然と立っている。
「全く、力の出し惜しみなんてするもんじゃないわね。
最初から全力で行っとけばよかった。時間の無駄だわ」
「……さっきまでは本気じゃなかったってわけかい?」
「そう。私たちの目的はもっと別のところにあるの。
あんたみたいな"前座"に使う体力なんかない」
いかにも鬱陶しそうな表情で手で虫を追い払うかのようなジェスチャーをする美琴に、思わず怒気を見せる『業火焔弾』だが、
「けど、さっさと倒しておかないと面倒臭そうだしね。
初めに言っておくけど、これくらいの質量の物だったら音速の数倍でぶっ飛ばすくらいわけはない。
それでも、私と能力のぶつけあいをしてみる?」
ゆらり、と美琴の左右に浮かぶ構造材ブロックが示威するかのように揺れる。
その威容を見て、『業火焔弾』の心が少しだけ怯む。
先刻、美琴の砂鉄操作をものともしなかったのは、それが『砂鉄だったから』という点に依るものが大きい。
磁力によって操作されている砂鉄の粒子は互いに触れ合っているわけではないために、粒子1つ1つの持つ熱容量は小さい。
したがって、『業火焔弾』の火球のように高熱を受ければ瞬時に液状化してしまう。
しかし、構造材ブロックのような巨大な物体になると話は変わってくる。
単純に考えた時、物体の温度を上昇させるのに必要なエネルギーは物質の体積に比例する。
一辺数メートルの立方体である構造材ブロックを融点にまで持っていくには、どれほどの熱量が必要となるだろうか。
時間をかければ、ブロックを破壊するのに十分な熱量を与えられるかもしれない。
だが、美琴は「音速の数倍で飛ばせる」と宣言をしている。そしてブロックは1つではない。
正面きって能力をぶつけあうには、勝算が余りにも小さすぎる。
能力を「使う」と宣言するだけで百戦錬磨の暗部構成員をここまで動揺させる、230万の学生たちが夢見て今だ到達し得ぬレベル5の地平に立つ少女。
レベル4の自分と彼女の間には大きな差があるのだろう。
だが、敵わないとは思わない。
能力の差を埋めるだけの経験値は積んできているはずだ。
敵の能力が強大だから何だ。勝算がないから何だ。
泥の中をのたうつような生の中で、そんな窮地から幾度も生き延びてきた。
時には他の暗部組織に属する強力な能力者や陰険な策略家との戦いからだって生き残ったじゃないか。
肝が座れば、逆に心は昂揚を始める。
ただ施設や物体を燃やすのとは違い、何かが心に熱く湧き上がる。
身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ。死地を楽しみ、自らの力にできるという点では『油性兵装』を笑えないのかもしれない。
『業火焔弾』が両手に赤く光を煌めかせたのを見て、美琴はため息をつく。
(下がってはくれないか。そりゃさっきまでは優勢で攻めてたもんね)
元々ここまでは織り込み済み。すんなりこの程度で引き下がる方が拍子抜けだ。
眼光鋭く『業火焔弾』を睨みつけ、彼女もまた臨戦態勢をとった。
そんな2人の様子を、白井は試験場の中ほどの高さ、壁際に設置されたキャットウォークから見ていた。
足元や柵が網状になっていて戦闘の様子を観察しやすく、それでいて気配を消してさえいれば容易には見つからない。
(……煙たいのが難点ではありますが)
敵は発火能力者ということもあり、事前に消火設備を停止させていたらしい。
天井に設置された換気設備は唸りを上げて煙や熱気を含んだ空気を盛んに排出し新鮮な空気と交換してはいるが、スプリンクラーが作動する気配はない。
換気能力は高く、天井から離れたこの場所にいても息苦しくないのは驚きだが、それでも完全とまでは行かない。
濡らしたハンカチで口元を抑え、柵の隙間からそっと戦う2人の様子を伺う。
白井が美琴に加勢せず、こうして息を殺しているのには理由がある。
1つは全力での戦闘に白井が巻き込まれるのを美琴が恐れたこと。
もう1つは美琴に頼まれた依頼を、最高のタイミングで完遂すること。
そのための布石は、彼女の手の中で出番を今か今かと待ちわびている。
瞬時に音速近くまで加速された構造材ブロックが爆音を上げて壁面へと激突し大きくひしゃげさせる。
直前に自身の右方で発生させた爆風に乗って左へと跳んだ『業火焔弾』が、空いた左手の中に発生させた火球を美琴へと放つ。
ブロックを盾に防御した美琴は、磁力の糸を手繰って宙に浮く別のブロックへと跳びつき、引っこ抜いたボルトやナットなどの金具を弾き飛ばした。
『業火焔弾』もまたブロックを盾にし、その表面に弾かれた金具類が甲高い金属質の音を立てて転がっていく。
「そっちだけが盾に出来るわけじゃないんだよ!」
「そう? それは悪手だと思うけど」
美琴の言葉とともに、『業火焔弾』が盾にしていたブロックが床とこすれる耳障りな音を立てつつ激しく回転し始める。
それに吹き飛ばされ、なんとか受け身を取ったところに向けて別のブロックが滑るように迫りくる。
「落ちゲーやブロックゲーじゃねーんだっつーの!」
叫びながら『業火焔弾』が懐から取り出したのは例のテルミットが詰まったパッケージ。
迫るブロックの内部空間目がけてそれを投げ込み、横っとびに回避する。
構造材ブロックは配線を通す都合上六面体のうち側面となる四面に穴が開き、内部に小さくない空間を持つ構造となっている。
それを支える四隅の支柱は当然頑強に作られてはいるが、軍事目的においてそもそもテルミットとはそういう柱などを焼き切る目的でも使われるものだ。
「なっ、しまっ……!?」
美琴が叫ぶのと、『業火焔弾』がテルミット火薬に着火するのは同時。
直後、眩い光と共に炎が炸裂し、支柱が弾け飛んだ構造材の天板が錐もみ回転しつつ吹き飛んだ。
爆風と煙は高く宙に浮かぶブロックに取りついた美琴の元にまで届き、衝撃をこらえるべくブロックの側面にしがみつく。
その眼前に、煙の尾を引きつつ『業火焔弾』が投げた火薬のパッケージが飛び出した。
「いくら超能力者と言っても、根本的に経験値が足りないね!」
「そっちこそ、色々と思慮が足りてないんじゃない!」
美琴が腕を振り、何かを持ち上げるような動作をする。
それと連動するように、床に散らばっていたはずの砂鉄や、砂鉄が熱で溶けて広がり固まっていた板状の鉄塊が浮かび上がった。
ズザザザザッ!! と凄まじい勢いで舞い上がる黒の奔流は今にも火薬に着火しようとしていた火花を弾き飛ばし、そのままパッケージをかっさらう。
「思慮が足りてないのはどっちだか。経験から学ばないんじゃ意味ないんだよ!」
先刻、砂鉄に混ぜ込んだテルミットを着火され一度撤退する羽目になったばかりだ。今の状況はそれに近い。
砂鉄もろとも吹き飛ばしてやろうと『業火焔弾』はその手中に赤い炎を滾らせる。
だが、
「じゃあ、これでどう?」
美琴の手が翻り、投げ落とすような仕草をした。
それを合図に一斉に砂鉄がきびすを返し、空間の底部にいる『業火焔弾』へと襲いかかる。
一転、窮地に追い込まれたのは『業火焔弾』のほうだ。
砂鉄自体は火球や炎壁などで高熱を与えれば容易に無力化できる。
だが、そんなことをすればテルミット火薬に引火するのは自明だ。
すんでのところでブロックの影へと飛び込み、寸前まで彼女がいた場所を砂鉄の渦が抉った。
距離を取って火花を走らせ火薬混じりの砂鉄を処理しながら、『業火焔弾』は考える。
(能力の操作範囲では明らかに差があるとみて、遠距離からの攻撃に切り替えてきやがった!
構造材ブロック自体は火薬を使って破壊できる、けど壊しても壊しても切りがなさそうだし)
美琴が操作する構造材ブロックはその辺りから適当に引き抜いたものだ。その気になればいくらでも補充ができる。
対して彼女が持つテルミット火薬のパッケージの数には限りがある。いつまでも無尽蔵に爆破して回るというわけにもいかない。
彼我の相性と自らの火力上、火球を相手にぶつけられさえすれば倒せるのだ。
あとは、どうやって標的を捕捉するか。
そこまで考えた時、ふと彼女の頭上が暗くなる。
ふと目を上げると、そこにはゆらゆらと揺れるキャットウォークが浮かんでいた。
当然、壁からは無理やり引き剥がされていれ、ひん曲がった鉄棒や金具などがぶら下がっている。
見ている間にも、各鉄材を連結させているボルトが引き抜かれ、ナットがひとりでに回って外れ分解していく。
この試験場にはキャットウォークが数本あった。
だからその存在自体は不思議ではない。
異常なのは、数多のブロックに加えてそんなものまで引き抜いて武器にしまう、レベル5の圧倒的な性能。
「……おいおいマジかよふざけんなって!」
目を剥く彼女の叫びをかき消すように、けたたましい音を立ててキャットウォークを構成していた部品が彼女目がけて一斉に投下された。
ガラン、ガシャンという鉄材が触れ合う音が、試験場内部に響いた。
浮遊するブロックの上から見下ろす美琴の眼下では、『業火焔弾』のいた場所に鉄材の山が出来ている。
死なないように手加減はした。
鉄材の下敷きにはなれど、決して致命的な怪我はせぬように緻密な操作を加えていたのだ。
だが、
(……逃げられた?)
『業火焔弾』を死なせぬように、落下場所にわざと作った空白地点にその姿はない。
中途半端に逃げ回り、鉄材の下敷きになってしまったのだろうか。
そんな予想を覆すように、美琴の電磁波レーダーに引っかかる影が複数。
「…………あっ!?」
思わず電撃で迎撃してしまったあとにその正体を見て、自らの失策を悟る。
彼女が破壊してしまったのは火薬の詰まったパッケージ。電撃を受けて粉砕され、盛大にその中身を撒き散らす。
「あーっはっはっはっはっ!! かかった、引っかかった!」
哄笑の元を見てみれば、そこには『業火焔弾』の姿があった。
いかなる手段を用いて逃れたかは知らないが、無事ではなかったらしい。
片腕はだらりとぶら下がり、額からは血が流れている。
だがそんなことは関係ないと言わんばかりの勢いで、上方に浮かぶ美琴を睨みつけていた。
上方に向けた彼女の無事な方の手の中に火球が生まれた。
それは今まで放っていたものの大きさを越え、周囲の酸素を喰らい尽くし、発火点を越えた塵を焼き尽くしながらどんどんと膨れ上がっていく。
「これだけの大きさと熱量があれば、火球が近づくだけであんたの周囲を漂う火薬に引火し大爆発を起こす!
頼みの綱の砂鉄は水飴みたいになって床材にへばりついてやがる。
もう逃げ場はないよ、超電磁砲!」
暴力的なまでの高熱を乗せた目も眩むほど眩い光に、火球そのものに触れていないにも関わらず周囲のあらゆるものが焦げ付き始める。
彼女の能力名『業火焔弾(メテオライト)』に相応しい、まるで隕石のような巨大さと熱量を持つほどに成長したそれを、さらに空間を埋め尽くさんばかりに膨らませる。
腕で熱気を防ぎながら、美琴は下方を見下ろす。
視界を白熱させるような火球の輝きに阻まれて、彼女の位置からでは『業火焔弾』の姿は見えない。
彼女の位置からならば。
相手の意識は完全に自分に向き、しかも能力を使うために足を止めている。
最高のタイミングだ。というよりも、これ以上は持たない可能性も出てくる。
だからこそ、美琴は信頼するパートナーの名を叫ぶ。
「──黒子っ!!」
ガン! と重い物が何かにめり込むような音がした。
自分の頭蓋骨が立てた音だと気付く間もなく、『業火焔弾』はぐらりと体勢を崩し、そのまま意識は暗転する。
彼女が崩れ落ちるのに伴い、極限にまで膨らんでいた火球も勢いを弱め、やがては完全に消滅した。
彼女の傍らに落ちているのは、コインを半分ほど詰め込んだ小さなペットボトル。
白井が彼女の真横へと転移させ、美琴が磁力操作で思い切りこめかみにぶつけたのだ。
浮遊するブロックの上、美琴の横に転移した白井が、恐る恐るといった様子で下を覗き込む。
「……彼女、死んではいないにしても、後遺症などは大丈夫でしょうか……?」
「うーん、どうだろ。相園美央とか『原子崩し』と戦った時の経験から、意識を失う程度にはしたつもりだけど」
そっと近くまで降下し、爪先で突いてみるが、『業火焔弾』はぴくりともしない。
一応脈や呼吸も確認するがそこまで異常ということはなく、単に気絶しただけだろうと判断する。
「……このまま放置しておいたら、彼女のお仲間が救護してくれるでしょうか」
「うーん、こいつらがどんな組織か分からないからなぁ。
仲間を回収することを優先するような義理堅い奴らならともかく、ビジネスライクな傭兵みたいな連中なら放置するかもしれないし。
見つけやすい所に拘束しておいておきましょ」
白井の持っていた風紀委員仕様の手錠を『業火焔弾』の手に嵌め、後ろ手に拘束する。
構造材ブロックの中から引き抜いた各種配線から使えそうなものを選んで、その上からぐるぐる巻きにした。
「……はー、これで良しっと。こいつ1人のためにかなり体力を使ったわー。
出し惜しみはするべきじゃない、とは言え使いすぎるのも考えものね」
「今になって思えば、最初からペットボトルをぶつけてしまえばよかったのではないかと」
「それも手かなと思ったんだけど、相手が周囲を見回して警戒してる状況でペットボトルだけ転移させてもぶつけるのはきっと無理。
せいぜいかわされて燃やされるのがオチね。だから、あえて相手の意識を私に引きつけた方が得策かなぁと。
……まあ、何にせよ障害物突破ということで」
本来の目的は達成されていないが、とりあえず当面の障害は片付いた。
ぱちん、と高らかにハイタッチの音を響かせて、先へ進むべく入ってきたのとは別の出入り口へと進む。
遥か上方の、『業火焔弾』が飛び出てきた天井裏へと続く穴。
そこから2人の背中を監視するいくつもの視線があることにはまったく気付かずに。
階層不明・小シミュレーター室。
小さな理科室ほどの広さの部屋で、十数人ほどの白衣を着た研究者達が一様にモニターを見つめていた。
普段であればプロジェクトに対して行う予測演算や、行われている実験を中継するためのモニターだ。
しかし、今は『超電磁砲』と『業火焔弾』の戦闘の中継と、それを分析したデータが表示されていた。
「──いやあ、さすがにあの組み合わせでは『超電磁砲』が勝つでしょうな。
なんせ単発の威力、能力の効果範囲共に『業火焔弾』を遥かに凌駕しているわけですし」
「しかし、最初の火薬爆発は危なかったでしょう。空間転移能力者の仲間がいなければ、あそこでやられていたかも知れません」
戦闘終了を合図に熱狂したように隣の人間と語り合い始める研究者たちを見て、その中の1人に扮する海原は苦々しいものを感じた。
やはり、この都市の暗部にいる人間はどこかおかしい。年端もいかぬ少女たちが殺し合うのを見て、何故ここまで嬉々として語らうことができるのか。
彼らは超能力者たちを『実験動物のように』みなしているのではない。本当に『実験動物である』としか思っていないのだ。
難しい顔をしているのを見られたのか、隣の研究員が馴れ馴れしく話しかけてくる。
「か~わ~べく~ん、なーに考えてんのー?」
海原が成り済ましている人間の名前を呼びながらいやらしい笑みを浮かべるその研究員が、海原は好きではなかった。
不潔で、好色そうで、嬉々として非人道的実験に手を出せる人種。自分の手が汚れていることを自覚していても、彼とは仲良くできそうにもない。
「……ええ、ちょっと」
「今の戦闘見てどう思った? 美少女同士のリアルバウトなんてめったにお目にかかれるもんじゃないでしょ。
個人的にはもうちょっと双方ズタボロになってくれたほうが燃えたんだけどなー」
口では下卑たことを口走りながら、それでもクリップボードには研究者としての立場から注目すべきポイントがノート中にびっしりとメモされている。
人格面はともかく、研究者としての才能は確かにあるのだろう。
だが、こんな人間といつまでも話をしていたくないし、そろそろ行動を開始すべき時だ。
「……ちょっとお腹が痛いので、トイレに行ってきます」
立ち上がり、背を向けて扉へと向かった海原の背に、隣の研究員が声をかける。
「ちょっと待ちなよ、か・わ・べ・く・ん?」
先ほどとは打って変わって硬質なものを含む声と一緒に、いくつもの撃鉄を起こす音が響く。
気配から察するに、その部屋にいる全ての研究員が彼に銃口を向けているのだろう。
「……何の冗談です?」
「ジョーダンじゃあないよぉ、ニセ川辺くん? キミが"入れ替わられた"パチモンだってことはとっくにバレてんだからさぁ。
だからさ、……両腕を上げて壁にひっつけよ」
いきなり背に蹴りを入れられ、その勢いで海原は顔から壁へと突っ込んだ。
拳銃らしきものを背中に押し付けられ、痛む鼻を抑えることも許されずに腕を上げた。
「そーそー、良い子だねー、ニセ川辺くん。
俺としてはどうやって本物そっくり、いやそっくり同じに"化けた"のか、キミを生きたまま解体して調べたい気持ちはあるけどさ。
ざーんねーんなこ・と・に、キミが不自然な動きをし次第ぶっ殺しちまえって命令が出てんだよね」
「……参考までに、不自然な動きとは一体何でした?」
「何のかんの言ってもさ、川辺くんてばこんな所にまで落ちてくるくらいの実験大好きっ子なんだよねぇ。
その彼があんな面白いものを見て、黙りこくってるなんてあり得ないんだよ」
「なるほど、勉強不足が祟りましたね」
「そゆこと」
へらへらと笑いながら、巻き添えを避けるべく研究員が他の仲間のところまで後退する。
「それじゃま、そう言うわけで名残惜しいけど、そろそろお別れの時間だぜ。
どこの組織の人間かは知らないけど、来世はもーちょっとマシなところに生まれてくることを祈りなよ」
そう言って、研究員は引き金に指をかける。
だが、
「ふ……、ふふ」
「何笑ってんだよ」
「いえ、"自分"を解体したところで自分の変装技術をあなたが解明できるとは思えませんし。
ましてや、あなたに自分を殺せるとも思いません」
「状況見て言えよ。今、自分が何挺の拳銃向けられてるか分かってんの?」
「知りませんよ。そもそも数の問題ではない」
両腕を下ろし、ゆっくりと振り返る海原。
その表情に張り付いているのは怯えでもなく、余裕でもなく、ただ嫌悪と侮蔑だけ。
「その拳銃によって放たれる弾丸は、自分ではなくあなたたち自身を殺す」
「撃ち殺せ」
研究員の合図と共に、他の研究員たちが一斉に発砲する。
だが、
「……ッ!?」
「なんだと……ッ」
銃声は確かに鳴った。だが、銃弾は1つとして海原には届かなかった。
銃弾が放たれる直前海原の胸元から飛び出した古びた巻物。
それは人の身に観測可能な速さを遥かに超える速度でしなやかに動き、銃弾の弾道を反らし、捻じ曲げ、粉砕した。
彼の周囲を取り囲むように展開され浮かぶ皮製の古びた巻物。
まるで獲物に喰らいつかんとする蛇のように鎌首をもたげるその物体が何なのか、研究者たちは誰1人として理解してはいない。
ただ1人、その現象を引き起こした主だけが事態を掌握していた。
「『暦石』」
海原が呟く。
「分かりやすく説明すれば、『学園都市外の法則』を記した巻物の1つ、というところでしょうか。
手なずけるには苦労しましたが、それだけの価値はありました」
優男の体でにこと笑う海原。だが、研究員たちにはそれが底知れぬ、得体のしれないものを秘めている人外の笑みに思えてならなかった。
理性ではなく本能的な忌避感。それに突き動かされるように拳銃の引き金を引こうとする。
しかし、
「指が、動かない……?」
「くそ、どうなってやがんだ、くそぉッ!!」
全員の右手が拳銃を握ったまま、指1本動かせなくなっていた。
そして、それはギリギリと少しずつ、だが着実にある方向へと向けられていく。
自身のこめかみ。それが意味することは、誰にだって明らかだ。
「ひっ!?」
「や、やめ……」
空いている手で銃を持った手を殴りつけたり、必死に首を動かして拳銃から逃れようとする研究員たち。
だが、どんな体勢であっても冷たい銃口は確実に自身の頭をつけ狙う。
「『自殺術式』。他者の持つ『武器』に干渉し、自在に操る技術です。
人に向けた拳銃が執拗に自分の頭部を狙う気分はいかがです?」
「お願いだ、やめてくれ……助けてくれ」
「1つだけ質問を。どうして、あなた達は御坂さんのクローンを使った実験に加担を?
あらかじめ言っておきますが、嘘は自分には通用しませんので、そのつもりで」
機会があれば聞いてみたかった質問を研究者たちにぶつける。
彼らにとって海原は理解の範疇外の存在だ。だから、虚言であってもそれを信じ込み、従わざるを得なくなってしまう。
それでも大半は尻ごみしていたが、数人の研究員たちはその胸の内を臆面もなくぶちまける。
「決まっている。そこに科学を発展させる手がかりがあるのなら、追い求めずにはいられないのが科学者たる存在だ。
彼女たちが持つ可能性は無尽蔵だ。本当ならレベル5に至らせるのが最高だが、レベル4でも充分な戦力としての価値がある。
『第三次製造計画』のスペックシートは見ただろう!? 彼女たちが本格的生産に入れば、世界の軍事バランスは大きく変わる!」
「その結果世界の均衡が崩れ、大戦争に陥る可能性があるとしても?」
「知るか! そんなものは上層部の仕事だ。俺たちが考えることじゃない!」
「自らの欲望のままに命を弄び、その結果に対して責任をとろうとも考えない。無責任な人たちだ」
「俺たちは悪くない! ただ命令されてやっていただけなんだ!」
恥も外聞もなく涙と鼻水を垂れ流し命乞いをする研究員たちを見ながら、海原は急速に心が冷えていくのを感じた。
この『原典』を取得してから2カ月と少し。
ようやく『原典』から得た知識を解釈し、自分なりに扱えるようになったころにこの依頼だ。
彼らは御坂美琴のクローンを作り出し、それを自分たちの好きなように弄んできた連中だ。
彼女の後の憂いを晴らすという意味でも、この研究者たちの存在は見逃せるものではない。
「……例えクローンとして生まれても、彼女たちはそれぞれ独立して存在するれっきとした1個の人間だ。
あなた達はそんな彼女たちを好き勝手に作り出し、いじくり回し、弄んで、しまいにはゴミのように『処分』してきたのでしょう?」
海原の操る研究員たちの拳銃はついに眉間へと押し付けられた。
その人差し指がゆっくりと引き金を引くのを見て、ついには失禁するものまで現れ始める。
「頼むから……俺たちが悪かった、この通りだ許してくれ」
「ならば、その代価はあなたたち自身の命で贖うべきだ」
断罪の言葉と共に、悲鳴と銃声が鳴り響いた。
弾倉が空になり、本人たちが絶命してもなお、研究員たちの人差し指は引き金を引き続けていた。
「──くっ、ふふっ、やはり『原典』の使用は、大きな負担がかかりますね……」
彼以外に生きているもののいなくなった空間で、腰を下ろし壁に寄りかかりながら海原は呟く。
頭の先から爪先までを貫く激痛。『原典』の知識による汚染は術者に絶え間ない苦痛を与える。
本来ならば、『原典』はもしもの時の防御に使って終わりにするはずだった。
しかし、彼らの話を聞いているうちに怒りが湧き上がり、どうしても惨たらしく殺してやりたい衝動に襲われてしまった。
その結果が、この虐殺劇。
美琴を影ながら守る騎士か何かを気取っているつもりなどない。
「彼女のために」という大義名分を掲げることすら許されぬ所業だと言うのはちゃんと自覚している。
けれど、今殺した研究員たちのような存在はどうしても許せなかった。
彼らが起こした罪を、もっとも非道な形で跳ね返らせてやりたかった。
「……大暴れした以上、ここにもいつまでもいられませんね。移動しなければ」
彼が働きを十二分にこなせば、それだけ『グループ』が動きやすくなる。
つまりは、美琴がそれだけ早く日常へと帰っていける。
それだけを目的に海原は今ここにいる。
痛む頭を振ってごまかし、彼に与えられた任務をこなすべく立ち上がった。
後には、原型を留めない頭部から脳漿を撒き散らしたいくつかの死体と、彼らが垂れ流した血の海だけが残された。
今日はここまでです
嗚呼白紙のESどうしよう
こんばんは
気付けば前スレを立ててから早一年と一日、時が経つのは速いなぁと思います
あれー、事前の想定だと去年夏休みには完結しているはずだったのに、あれー?
まあ予定は狂うものですし
それでもは投下していきます
階層不明・小実験場。
状況が一変し、攻勢と守勢が入れ替わる。
敵は番外個体を一気に殺してしまおうと言う気はないらしい。
まるで鳥が少しずつ獲物を啄んで行くように、じわじわと彼女を削ろうと攻撃を仕掛けてきた。
空間転移能力者と、物体を透明にする能力者。
敵の銃口がどちらを向いているのか分からない。どこから向けられているかもわからない。
セットで敵に回してこれほどまでに恐ろしい能力者はそうそういない。電磁波レーダーを封じられた状態ではなおさらだ。
身体のあちこちに傷を負い荒い息を吐きながら、それが身を隠すに足りているのかも定かではない機材に背を預ける。
バックパックの中にあった応急キットから薬剤入りのチューブを取り出し、痛みをこらえつつ中のジェルを傷口へとすり込む。
消毒と止血、そして傷口の保護をする効果を持った薬剤だ。冥土帰しの開発したものであり、風紀委員や警備員にも支給されているものである。
治療のために肩部分を引き裂いた服はその先の袖も血の色に染まってしまっている。洗濯しても落ちそうにはなく、もはや再び着ることは叶わないだろう。
(おねーたまに初めて買ってもらった服なのになぁ)
歯噛みしながら、改めて状況を整理する。
(……『同伴移動』と……めんどくさいな、"カメレオン"でいいやもう。
あの2人の目的がいまいち掴めない。単に第一位との合流を阻止するためなら、さっさとミサカを殺しちゃえばいいのに)
敵のペアは番外個体が出口を目指したり、電磁波レーダーに干渉する機械を壊そうとすると猛攻を仕掛けてくる。
しかし、今のように物陰でじっとしていれば、手を出してくることはない。
(積極的な狙いは、やっぱり一方通行?)
こちらの情報が漏れているなら、一方通行の電極の制限時間という弱点もバレていると考えるべきだ。
日常生活において48時間。戦闘行動においては30分。それが彼の活動可能時間。
腕時計をちらりと見る。今も彼が戦っているのなら、制限時間は既に半分以上削れているはずだ。
もちろん、学園都市最強の能力者である一方通行が今も戦いを続けているとは限らない。
だが、例えば奇襲と撤退を繰り返す戦術。例えば戦力を大量投入してのマラソンマッチ。
1人1秒で瞬殺したとしても、1800人つぎ込めば制限時間は尽きる。
それ以外にも制限時間を浪費させる手段はいくらでもあるだろう。
どれだけ強大な力を振るおうが、どれだけ強大な敵を打ち倒せようが、否応なく『時間』という絶対的な壁は彼の背後から迫りくる。
それが完全に一方通行を捉える前に、なんとしても合流する必要がある。
そのためには、現状を打破する一手を講じなくてはならない。
五感に加え、電磁波の跳ね返りを観測することで常人よりも多くの情報を収集できるのが電撃使いの強みだ。
しかしそれが優れているが故に頼り過ぎ、いざそれが封じられた時の混乱は大きい。
普段なら例え透明であったとしても手に取るように分かる距離なのに、そこに何かがあるのかどうかも分からない、というのは精神的に大きなハンディキャップとなる。
至近距離で目を合わせていてもこちらは気付かないかもしれないのは考えるだけでぞっとする事態だ。
干渉装置は強力であり、レーダーが正確に機能するだろう範囲は自身からたかだか数メートル。
それより外は自分が照射する電磁波が干渉装置から出る強力な電磁波にかき消されてしまうため、目視で確認するほかない。
まずは、これの破壊を完遂する必要がある。
(ま、引きこもりは性に合わないし)
磁力を使い、周囲の廃材を引き寄せる。
装置を破壊するまで保てばいい。レーダーさえ回復すれば、不可視の敵であろうと捕捉ができる。
敵がどこにいるのかさえわかれば、空間転移能力者が敵であっても対処は不可能ではない。
傷を負ってはいても腕はしっかり動くし、銃だって握れる。足だって走る事も出来れば、跳ぶことだってできる。
ならば、この程度で「どうにかできた」などと思われるのは癪というものだろう。
必ずぶちのめして逆さ釣りにしてやる、と意気込んで、番外個体は物陰を飛び出した。
地下10階・23番大試験場。
突如前触れもなく照明が落ち、空間を照らすのは炎だけとなった。
降下してきた人影が音もなく着地するのと、レーダーの反応を受けて美琴が振り返ったのは同時だった。
着地した人影は身をかがめて床を蹴り、その細い体からは考えられぬ速度で美琴と白井に襲いかかる。
その手には、炎の煌めきを受けて輝く大きな軍用ナイフが。
「……黒子っ!!」
美琴は応戦しようと鉄針を取り出した白井の首根っこを掴んで自分の後ろへ。
同時に床から板状になった砂鉄を磁力で持ち上げて凶刃を受け止め、動きを止めた襲撃者を観察する。
その身に纏っているのは、炎の照り返しのせいでよく分からないが薄い色に迷彩が施されている戦闘服だ。
上半身はぴっちりとしていて、要所にだけ装甲が施されている。あとは肘から手首にかけて、動きの邪魔にならない程度に大きな装甲が付いているくらいか。
対照的に下半身は比較的重装甲だ。特に膝から下には脚力をサポートするためと思しき大きな構造物がくっついていた。
軍用の駆動鎧。その高機動戦闘用モデルをさらにシェイプアップした、という印象だ。
顔の上半分を覆うゴーグル状の装備はマジックミラーのようになっているらしく、周囲で燃え盛る炎のぎらぎらとした照り返しを跳ね返し美琴へと投げかける。
だが、その全てが美琴の埒外にあった。
彼女が見ていたのは、襲撃者の肩を越えて背中まで伸ばされた髪。
この状況では色がよく分からないが、もしかするとそれは自分のそれと同色ではないのか?
そして、先ほどから彼女が感じている"もの"。
それはまるで、まるで──。
「……ッ!!」
考えを振り切るように身を翻し、白井を連れ襲撃者に背を向ける美琴。
白井はその『恐ろしいものを見た』かのような横顔を見て、ぞっとするような考えに至る。
2人は美琴の『妹たち』を助けに来た。それは彼女たちが何者かの悪意によっていいように使われ、消耗品のように使い潰されるのを阻止するため。
ならばその悪意の主が2人を排除すべく、『妹たち』を投入してくることだってありえるのではないか?
「……お姉様」
「あんたの思ってること、たぶんそう外れてないと思う」
苦しそうな、泣きそうな。そんな表情で試験場の出口を目指す美琴。
だが、あと数メートルというところで、出口に立ち塞がるようにまたも人影が降下してくる。
足を止めてしまった美琴と白井を前に、2人の襲撃者は挟み撃ちにするような立ち位置をとった。
否、襲撃者は2人ではない。
美琴と白井を円状に取り囲むように、すた、すたと次々に襲撃者が降下し、その数を増して行く。
その全員が同じ装備、同じ背格好。
想像を裏付けるには十分すぎる。
円から1人が進み出て、そのゴーグルを上げる。
それを見て、美琴は呼吸が止まるかと思った。
その顔は、やはり彼女と同じもの。
すなわち、『妹たち』だ。
「はじめまして、お姉様(オリジナル)」
その声もまた、美琴のものと同じだ。
ただし『妹たち』のように抑揚のないものではなく、どちらかと言えば美琴本人や番外個体に近く、感情が込められている。
「……あんたたちが、『第三次製造計画』なの?」
「はい」
答えたのは別の個体。こちらも同じ声だが、先ほどの個体に比べるとやや声の調子が大人しめだ。
美琴は両腕を広げ、戦う意志が無いことを示す。
彼女たちは助ける対象であって、戦う対象ではない。
「聞いて。私たちはあんたたちと戦うために来たんじゃない。助けに来たのよ。
あんたたちにはこんなところで使い潰されるんじゃない、もっと別の、あんたたち1人1人の人生があるの。
暗部の連中の言うことを素直に聞く必要なんかない。私たちと一緒にここを離れましょう?」
機械が生み出した生まれたての彼女たちは真っ白で、『軍用クローン』であると刷り込まれればその通りに動いてしまう。
しかし、きっかけさえあれば自分たち自身の人生を歩み出そうとすることができるのは、美琴の『妹』、そして彼女たちの『姉』らが証明している。
他者に決められた『生まれた意義』に縛られる必要はなく、ただ自身の選んだ生を送ればいい。
かつてとある少年が諭したことを、今度は自分が伝えたい。
そんな想いを込めて、美琴は懸命に言葉を発する。
だが、
「──確かに、そんな生き方もあるんだろうね」
「──それは確かに魅力的」
「──ですが、今の『第三次製造計画』のミサカたちにそんな意志は許されていない」
「──ミサカたちはとある計画のために造られ、そのために生かされている」
「──当然、その『駒』に自由意志なんてあるわけがない」
「──今のミサカたちは、最上位個体の命令によって動かされている」
「──ミサカたちには抗えないし、それに反する行動をとることもできない」
「──結論としては、ミサカたちを止めたいのであれば最上位個体を止める必要がある、ということです」
リレーのように別々の個体が連続して言葉を放つ『第三次製造計画』の妹たち。
彼女らに美琴の言葉は届いても、彼女たちの行動を止めることはできない。
逡巡する美琴らをよそに、『妹たち』は腰に提げていた筒状の物体を2人に向けて構える。
それは1メートルほどの長さで、有機物とも無機物ともとれぬ不思議な質感を持ち、その側面には金色に光る文字が書かれている。
『 Equ.DarkMatter ver."Tirfing" 』
『近親者殺し』の神話を持つ魔剣ティルフィング。
その名を冠する"それ"は、炎の照り返しを受けて不吉に輝く。
「──抜剣」
1人の『妹たち』の号令を受けて、筒状であったはずの"それ"は音を立てて大きく姿を変える。
それは背骨のような剣身から針のように細長い短冊状の刃を一直線に生やし、まるで真っ白い木琴の鍵盤部分のような形状を作っていた。
柄に相当する部分に近い刃は短く、先端に行くにつれて次第に長くなっている。
一斉に突っ込んでくる妹たちが振りかざす"それ"を見て、美琴はまるで場違いな感想を抱いた。
──まるで、天使の翼を根元から引き抜いたかのようだ、と。
地下4階・通路。
『油性兵装』の眼前には、階層の崩落によってできた大きな穴が口を広げていた。
一方通行と衝突した『複合手順加算式直射弾道砲』はその弾道を大きく反らされ、施設内を真下へ一直線に突き抜けた。その痕跡だ。
その衝突地点に一方通行の姿はない。
逃れたのか、直撃を受けて吹き飛んだのか。
弾道が変わったのだから、ベクトル操作はされたと見るべきだ。
しかし、それならば一方通行の姿が見えなければおかしい。
「反射したはしたけど、中途半端にしそこなったのかな?」
彼に与えた逡巡の時間は刹那の間でしかない。
反射するべきか。甘んじて直撃を受け入れるべきか。それを迷った結果半端な形でベクトル操作を行ってしまった、という可能性がある。
なんにせよ、死体を確認するまでは用心はしておくべきだろう。
懐から通信機を取り出し、待機している援護部隊へと繋げる。
「もしもし、私私。『油性兵装』だよん。
施設内で思いっきり『複合手順加算式直射弾道砲』ぶっ放しちゃったけど大丈夫?」
『施設自体への損害は甚大ですが、人的被害は我々も含めゼロのようです』
「おお、なんたる奇跡。『破城槌』のほうはどこまで飛んで行ったか、わかる?」
『第13階層の、実験場と他の実験場を繋ぐ通路で止まったようです』
「りょうかーい。最下層まで突き抜けるかなと思ったんだけど、意外と被害が少ないな。
『下層』は蟻の巣みたいになってるし、、通路が通っていない岩盤の部分を貫いたことで威力が低減したのかな?
……まあいいや。全員第13階層、現場付近の所定位置で待機。対一方通行作戦を第2フェーズに進めるよん」
『了解。2分で準備を終えます』
通話の切れた通信機を、勤勉だねぇなどと呟きながらしまいつつ、『油性兵装』は大穴へと身を躍らせた。
超音速で駆け抜けた巨大な『破城槌』が残した破壊の痕跡は、その威力の高さをありありと見せつけていた。
大穴の断面はひしゃげた鉄骨がはみ出ていたりと言うことはなく奇妙に滑らかで、『油性兵装』は特に苦労することもなく能力を駆使してその穴を降りて行く。
この研究所は第7階層を境として『上層』と『下層』に区別され、上下でその構造を大きく変化させる。
大きな廊下の左右に小さな部屋が大量に並んでいる『上層』とは異なり、『下層』は各施設の配置がバラバラで、離れた場所にある空間を細い通路が繋いでいるという形だ。
施設への侵入を防ぐため、内部反乱を制圧するため。理由は様々あるだろうが、どれであっても彼女には関係ないしどうでもいい。
だが、『下層』に辿り着いた途端に人工構造物内ではなく岩盤に空いた穴を通らなければならなくなった点については大いに文句を言いたい。
「うええ……」
暗部に身をやつしているとはいえ、自分だって年頃の女だ。
出来る限り土くれにまみれるような体験はご免こうむりたい。
装甲各部からオイルを燃やしたガスを噴き出し、壁面に触れぬように上手く姿勢制御をしながら垂直に空いた空間を落下していく。
穴の底は第13階層、さきほどまでいた第4階層から100メートルは下ったところだ。
上を仰げば通ってきた大穴が見え、その終端から時折ぱらぱらと何かが降ってくる。
足元にはそうした落下物やここまで『破城槌』が粉砕してきた大量の瓦礫や土砂の山。その下には大きくひしゃげた『破城槌』が頭を覗かせている。
額に乗せていたゴーグルを下ろし、もうもうと立ちこめる土埃の中周囲を見回すが、そこに一方通行の姿はない。
「……瓦礫の下か、あるいは逃げられたかな」
能力の発動が中途半端になり『破城槌』ごと落下してきたのなら、彼は瓦礫の下にいる公算が大きい。
その場合、きっと彼は『破城槌』と床材や岩盤にすり潰されて既に原形を留めてはおらず、恐らくは赤い液体となって瓦礫や土砂に吸われてしまっているだろう。
仮にどこかへ逃れたとしたら、通過してきた階層は実に10階層にのぼる。
大穴の周囲に姿を確認できなかった第4階層は除いても、あと9階層も探さなければならない。
「……どっちにしろ面倒だなぁ。番外個体の方に合流されたら厄介だし」
元々一方通行と番外個体の分断作戦は、彼女が一方通行を引きつけておけるという前提のもとで行われている。
電極の制限時間という弱点を考えると番外個体がそのバックアップ要員であることは明白であり、従って彼は番外個体との合流を目論むだろう。
ここで一方通行を取り逃してしまえば、番外個体に割り当てた2人では対処のしようがない。
待機させていた援護部隊を動かすべく通信機を取り出そうとしたその時、土埃の満ちる空間に一陣の風が吹く。
直後、人間の知覚速度を遥かに上回る速度で放たれた"何か"が、背後から『油性兵装』を捉えた。
「がぁッ!?」
まず彼女が知覚したのは、背中から伝わる『痛い』という神経の悲鳴だった。
遅れて装甲の外部で何かが砕けた音を認識する。
(……こいつ、私の『装甲』をッ!?)
どこをどの程度負傷したか、それすらも確認する暇はなく彼女は横っ跳びに身を躍らせ、直後彼女がいた場所を数メートルはありそうな瓦礫が唸りを上げて通過する。
明後日の方向へ飛んで行った瓦礫が何かにぶつかり砕け散る音を背後に聞きながら、『油性兵装』は瓦礫が飛んできた方向を凝視する。
一方通行がそこに立っていた。
予想通り反射は中途半端になりダメージを負ったようで、全身白ずくめの彼の服装はところどころ赤く染まっている。
だが、その双眸に宿る獰猛な光は、いまだ彼が戦う意志を失っていないことを表している。
「……さすがに、そう簡単にはくたばらないよね」
「そォだな。レベル5の看板はそこまで安くはねェ」
「良いよ。それでこそ打倒する価値があるよね!」
一方通行が蹴り飛ばした瓦礫を右腕の刃で切り裂き、『油性兵装』は地を蹴り後ろへと跳ぶ。
交戦開始から15分は過ぎた。しばしば電極のスイッチを切り替えていたことを考えても、一方通行に残された制限時間は15分強あれば僥倖といったところか。
その時間を凌ぎ切れれば彼女の勝ち。逃げ切れなければ一方通行の勝ち。分の悪い賭けだとは思わない。
ゴム状に変化させた足場の反発力と、潤滑剤の役割を果たす溶けた装甲表面のオイルが生みだす機動性。
対して、あらゆる運動の向きを自在に操ることによって人間の構造的限界を超越する機動性。
それはともに、常識の範囲を遥かに超えている。
滑らかに躍る『油性兵装』と、それを直線的な動きで追う一方通行。
2人はまるでダンスのパートナーのように近づき、交差し、離れ、戦いの余波を周囲に撒き散らして行く。
「1つ教えろよ」
交錯の中、一方通行が問う。
「どォしてお前は強くなりたいと願う?」
『誰よりも強くありたい』。それは、かつての彼の願いと同じ。
彼のように大きな悲劇を引き起こすきっかけになりかねない願いに対して、彼は問わずにはいられない。
「さぁね。人間が生まれ持つ上昇性向ってことじゃダメかな」
「理由になンねェよ。せっかく暗部から這い上がれるチャンスを蹴ってまでクソみてェなヘドロの中に留まってやがンだ。
それ相応の理由があンだろォが」
言葉と共に突き出された腕を紙一重に回避し、『油性兵装』は身を真横に滑らせる。
同時に発生させたオイル製の杭をいくつも作り出し、一方通行目がけて放つ。
「……生まれた環境に対する反発心、みたいなものじゃない?
小さなころから檻みたいなところにぶちこまれて、『こうあるべき』ってのを叩きこまれてさ。
挙句の果てに『組織が要求するレベル』を逸脱したことで、私は落第生として扱われていた」
『白鰐部隊』。大人の都合が通じない超能力者をプロジェクトから排除する為の、安定戦力としての大能力者を作り出すプロジェクト。
あくまで運用しやすい人材を求めていた『上層部』としては、集団の中でずば抜けた才能を示し始めた人間はむしろ不要だったのだろう。
上には刃向かわずに任務だけを淡々とこなすだけとなった『獣』にもならず、あくまで我を保ち続ける彼女を『上層部』は処分しようとした。
今彼女がこの場に存在するのは、処分される前に組織が崩壊するという幸運があってのことにすぎない。
「弱かった子らは死んでいった。強い私は生き残った。
物心ついたころから暗部にいて、そしてそこは弱肉強食の世界だ。それについては何とも思わないよ。
だから、その世界で『私がどれだけ強いのか、どこまで強くなれるのか』と考えるようになったのは、当然の帰結だよねー?」
杭を回避した一方通行が飛ばす瓦礫を肥大化させた左腕の装甲で砕き、破片の驟雨を浴びながら、彼女は言う。
「この気持ちが私が生来持っていたのか、それとも『調教』の過程で植え付けられたものなのか。それはもう私にも分からない。
だけど、そんなことはいい。今やどうでもいい。私が持っているものは"これ"しかないんだ。
なら、それを抱えて地獄の果てまで突っ走るしかないだろ!」
『油性兵装』の周囲の床や壁がグズグズに溶け出していく。
それに連動して、空気中に黒い靄がかかり始める。
気化した可燃性オイルの充満。着火すれば容赦なく周囲の空間を焼き払うナパーム攻撃。
「……馬鹿だよなァ」
そんな彼女の様子を見ながら、一方通行が呟く。
ナパーム攻撃は空気中の酸素を喰らい尽くすだろう。その末に待つのは窒息死。
だが、そんなことは彼は歯牙にもかけない。酸素を確保する方法などいくらでもある。
彼が揶揄したのは彼女の攻撃方法ではない。彼女の在り様そのものだ。
確かにその生い立ちは悲劇的だっただろう。抑圧の解放によるものか、『強くなりたい』と願ったことも不思議ではない。
「だが、オマエは決定的な間違いを犯した。表の世界を知らなかったが故の悲劇かもしれねェが、とにかくオマエは間違えた。
誰よりも強くなりたい。無敵になりたい。大いに結構な話じゃねェか。
だがな、『なってどォする』? そのビジョンも持ち合わせずただ戦いに明け暮れるってェのは馬鹿丸出しの話だ」
かつての自分のように。彼女に放つ言葉は、同時に自嘲となって彼自身へも突き刺さる。
誰も傷つけたくない。だからこそ誰も立ち向かおうと思わないような無敵の能力者になる。
そんな初心を忘れ、ただ無敵になるために10031の命をこの手で奪った。そんな底抜けの大馬鹿だからこそ、言えることもある。
「殺して、殺して、殺して、殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して。
その末に何がある? 何が待ってやがる? 答えはない。なァンにもない。
ただオマエの足元には自分が積み上げてきた骸の山が積み上がっているだけだ。そこから見える物なンかクソ以外の何物でもありゃしねェ」
強さを求めて戦って、後に残るのは自分か相手の骸だけ。他には何も残らない。
最終的には自分以外のすべての存在を叩き潰すか、あるいは夢半ばにして自分も死体の山の一部となるのか。末路はそのどちらかしかない。
特大の悲劇を引き起こした大馬鹿が、悲劇を引き起こしかねない馬鹿へと諭すように言う。
「悪いことは言わねェよ。オマエを光の世界に引き上げよォとする人間がいるうちに、さっさと足を洗え。
そのほうがきっと、オマエにとっても『しあわせ』になれるはずだ」
しばらく、『油性兵装』は一方通行の言葉を吟味するように黙りこくっていた。
今のように血と汚泥にまみれて闇の底を這いずり回る人生を送るのか。
それとも、未だ体験した事のない光の当たる世界へと飛び出して行くのか。
やがて、その口を開く。
「……ふー、何を言い出すのかと思えば、今更そんな綺麗事かよー。
確かに足を洗えば『しあわせ』にはなれるかもしれない。けれど、馴染めずにまた堕ちてくる奴だっているんだぜ?
一度『しあわせ』を味わってしまえば、また暗部に落ちてきた時の苦しみはなお増える。なら、最初から知らない方がマシ」
「オマエは二度と落ちてきやしねェよ」
憧れがある。期待もある。だが、戻ってきてしまうのが怖い。さきほどの無言にはそんな逡巡が含まれている。
結局は彼女だって、学園都市の暗部の被害者なのだ。また落下することが怖くて、這い上がることができなかったに過ぎない。
「落ちてくる先は、俺が埋め立てておいてやる」
そんな被害者たちはもう二度と生みださせない、と彼は心に決めている。
ならば、目の前の少女だって救い出すべきだ。
だが、
「……ぷっ、あはは。何それおっかしー」
少女は笑う。哂う。
「そもそもの話さ。あなたはどの面下げてオセッキョーしてんのかって話だよね。
私はあなたほど人を殺しちゃいない。多分暗部全体をひっくるめたって、あなた1人が生みだした犠牲者の数には及ばないと思うけど。
そうでしょ? 10000人殺しの大虐殺者さん?」
揶揄するように、悪意を込めて。それは差し出された手へ唾を吐き撥ね退けるかのような所業。
「五十歩百歩、って言葉は知ってるでしょ? この場合は10000歩逃げた人間が50歩も100歩も逃げてないような人間を笑っているようなものかな。
ねぇ、自分で言ってて恥ずかしくならない? 虚しくならない?
それとも『1人殺せば人殺しだが、100人殺せば英雄となる』ってやつ?
この場合、10000人を殺したあなたは何になるのかねー?」
「……俺は確かに『妹達』10031人を殺したとンでもねェ屑だ。それは消し去れねェ事実だ。
それ自体は何をしたって許されるもンじゃねェと思ってるし、何をしたって償い切れるとも思ってねェ。
だがなァ、だからこそ言ってンだ。俺みてェな大馬鹿を生み出さねェよォに。アイツらみたいな被害者を出さねェよォに」
「……それってさ、結局『自分は悲劇を引き起こしてしまった人間なんです……』って酔っているようにしか聞こえないんだよね。
あなたと私の抱える事情は違う。私は私のやりたいようにやってここにいる。
それを偉っそーうにあーだこーだと言われる謂れはないんだっつーの」
ぶちぶちと未練を断ち切る刃のように放たれる言葉は、しかし一方通行にはある悲哀の響きを含んで聞こえた。
否定して欲しい。
助けて欲しい。
止まる方法を知らない自分を、誰かに止めて欲しい。
「……そォかよ」
かつての自分と似ている、と一方通行は思った。
最強の超能力者であったが故に誰にも止められず、かつて『最弱(さいきょう)』の男に殴り飛ばされるまで災厄を撒き散らしていたころの自分に。
ならば、力ずくでも止めてやる。決定的な間違いを犯していない今の彼女ならばまだ間に合う。
「……だったら、無理やりにでもオマエを闇の底から引きずり出してやる」
『油性兵装』が指を鳴らし、澱んだ大気が爆炎へと姿を変える。
それすらも意に介さず黒煙の尾を引きながら飛び出した一方通行を待ち受けていたのは、宙に浮かぶ大量のオイルの滴。
(また酸素の消耗策か)
爆発するのを指をくわえて見ているなどということはしない。
その手に空気のベクトルを掴み、それを『振り回す』。彼を中心に唸りを上げて突風が吹き、浮遊するオイルを吹き飛ばして行く。
それすらも『油性兵装』の計算の内か、オイルの滴が燃焼し再び空間を煤煙で埋め尽くして行く。
刺激臭も有害物質を含む煙も一方通行にとって苦にはならないが、視界の悪さだけはどうしようもない。
掴んだままの空気のベクトルを操り、煙もまた吹き飛ばす。
「……ッ!!」
開けた視界の先には、再び『破城槌』が鎮座していた。
すでに台座にセットされ、推進装置は解き放たれる時を待ちわびるかのごとく軋んでいる。
その威力は先ほど既に身を持って体感済み。もう一度喰らえば、どんなダメージを受けるか分かったものではない。
「……今度は太平洋辺りまでぶっ飛んじゃうかも、ねッ!!」
言葉と共に、瞬時に超音速にまで加速された弾頭が放たれる。
彼我の距離はせいぜいが数十メートル。その距離を弾頭が駆け抜けるのに必要な時間は1秒の10分の1にも満たない。
余りの速度に残像の尾を引きながら、『破城槌』は一方通行へと突き刺さった。
「……は?」
至近距離で大口径榴弾が爆発したかのような、鼓膜が破れそうなほどの大轟音が巻き起こった。
間違いなく直撃はした。
しかし、『破城槌』が生み出すはずの暴力と破壊の痕跡は、彼女の視界には存在しない。
上を見上げれば一度目の攻撃が残した痕跡が見える。今の攻撃だってそれと同じ威力はあったはずだ。
『破城槌』は、ある一点で止まっていた。
自分が持っていた運動エネルギーによって自らの身を潰すことすらなく、まるで一方通行が伸ばした腕に受け止められたかのように。
一方通行自身はその場から一歩も動いていない。
弾頭を受け止め、悠然とその場に立っていた。
『反射』したのなら、既に『油性兵装』の元へと弾頭は跳ね返っているはずだ。
『操作』したのなら、あらぬ方向に弾頭が突っ込んでいてもおかしくはない。
ならば、この結果は何だ。
『破城槌』が持っていたはずの運動エネルギーはどこへ消えた。
その答えは、一方通行の口からもたらされる。
「ベクトルの『分割』ってところだな。
このバカでけェ寸胴が持っていた運動エネルギーは別の方向を向いた10万通りのベクトルに分解して逃がした。
これ自体が圧倒的な破壊力を持っていても、分解しちまえば大したことはねェンだよ」
例えば、とあるベクトルOAがあるとしよう。
そのベクトルは仮想点Xを通る2つのベクトルOXとXAの合成によって求められる。
逆に言えば、この仮想点Xを設定することでベクトルOAはOXとXAの2つに分割が出来るようになる。
この仮想点をX、X’、X’'……と大量に設定してしまう。
それだけで、巨大なベクトルを小さな多数のベクトルへと分解することができるようになる。
あとは一方通行自身と物体の接点から、物体の持つ運動エネルギーを分解したベクトルに乗せて発散させてやればいい。
そうすることで、『反射』でも『操作』でもなく、擬似的な物体の『停止』が可能となる。
運動エネルギーを失った『破城槌』が重力に引かれ、床へと落下し重厚な音を響かせた。
「ベクトルの操作と合成が出来りゃァ充分なもンで、分解はあンまり使わないンだがな。
やろォと思えばこンくらいは朝飯前だっつの」
戦闘という状況において、敵の攻撃を反らす『操作』と、周囲の運動エネルギーを集めて他の物体へと付与する『合成』があれば事は足りる。
わざわざ運動エネルギーのベクトルを『分解』して受け止めるという選択をする必要性はあまりない。
ゆえに彼が『分解』を使ったという実戦データは少なく、戦術分析のために『油性兵装』が事前に得ていたデータには含まれていなかったのも仕方がないのかもしれない。
「ほらよ、返すぜ」
「ッ!?」
一方通行が転がる『破城槌』の中ほどを無造作に蹴飛ばした。
くの字にへし折れたそれは、放たれた時に伍する速度で『油性兵装』目がけて飛んで行く。
人間の反応速度を越え、『油性兵装』をなぎ払ってそのまま吹き飛ばすはずの『破城槌』は、しかし彼女に触れた瞬間に不自然に停止する。
まるで一方通行に触れた時のように。
差異と言えば『破城槌』の表面が溶けだし、彼女の装甲と癒着し始めたということくらいか。
どんなに巨大な物体であろうとも、元は彼女が操るオイルから形作られている。
自由に動かせるということは、自由に動きを止められるということになる。
オイルの巨大な塊である『破城槌』が一方通行の手元を離れ彼女に触れた今、それが彼女を傷つける道理はない。
むしろ攻撃力・防御力・機動性を保つための要である装甲を強化することに繋がる。
だが、それが彼女の運の尽き。
あまりに巨大な『破城槌』は彼女の視界を覆い、一瞬一方通行の挙動を見失ってしまった。
それが致命的となる。
「直接触れられなきゃ問題はねェ。オマエはそォ言ってたな」
足元を爆ぜさせ前方へ飛び出した一方通行が手を伸ばす。
その手は『油性兵装』本人ではなく、形を崩し今まさに彼女の装甲へと一体化しつつある『破城槌』の尻へ突き刺さり、
「だったら触れられる策を練るまでだ、ボケ」
同時に、ごきり、という鈍い音が油製の装甲の下から響いた。
「ぐっ、がァああああああああッ!!??」
喉が裂けるのではないのかと思うほどの、つんざくような悲鳴が『油性兵装』の喉から漏れる。
彼女が纏う絶大な防御力を誇る液体と固体の区別すら曖昧な特殊複合装甲は、今や奇妙にボコボコと歪んでみえた。
どんな形で扱うにせよ、形状・性質を変化させるならば液状にしてしまうのが最も扱いやすい。
『破城槌』を受け止めた『油性兵装』は、一度それを液状化させ装甲へと取り込もうとした。
取り込むと言っても十数メートルもの大きさである『破城槌』の質量は余りに大きすぎ、そのまま全て装甲に取り込むわけにもいかない。
一瞬だけどうするべきか悩み、液状化した『破城槌』はその刹那形状を保ったまま装甲に一部をくっつけてその巨躯を晒していた。
『油性兵装』は一方通行に触れられることを極度に恐れていた。
いくら強靭な防御力を誇る装甲を持とうとも、ベクトルを操る一方通行に対しては紙切れに等しい。
ましてや今、『破城槌』は『油性兵装』の装甲と混じり合い一体化しているのだ。
その巨体に触れたならば。そのベクトルを操作したならば、それは装甲そのものに対する干渉すらも可能になるのではないか?
その答えは『油性兵装』本人が身を持って味わっている。
彼女が誇る絶対の鎧は、今や彼女を捉え戒める絶対の拘束服となった。
肉を縛り骨を砕く痛みに苦悶の表情を浮かべ絶叫しながらも、それでも彼女は戦意を捨てようとはしない。
「あ、が、ぐ、っらああああああああああああああああああああッ!!」
奥歯を噛み砕かんとする勢いで絶叫を引きちぎり、『油性兵装』は力を込める。
足元のオイル溜まりから伸びた黒刃によって『破城槌』が切断され、ようやく彼女は自由を取り戻した。
後方へと跳んで距離を取り、同時に全てのオイルに着火する。
もう幾度目だろうか、酸素を喰らう紅蓮の炎と視界を奪う漆黒の煙が渦を巻き、空間を蹂躙する。
その高熱は全ての物を焼き払い、低下した酸素濃度はあらゆる生物の呼吸を困難なものとする。
だが、そんなことはもう一方通行には関係ない。
先ほどの一撃で大きなダメージを与えた。機動力も大分削いだだろう。
流星のごとく煙から飛び出しつつ、なおも後退する少女目がけて拳を振りかぶる。
「病院のベッドの上で、自分の身の振り様を気が済むまで考えやがれ!」
鼻と鼻がくっつくほどの距離まで接近して、一方通行は脳裏にちりとした妙な違和感を覚えた。
それは直感や第六感、あるいは虫の知らせと言われるようなものだったのかもしれない。
だが、今の彼にはやるべきことがあった。そして残された時間は多くはなかった。
だから無視した。
無視してしまった。
一方通行の右腕が、少女の腹へとめり込む。
勢いのまま、少女は錐もみ回転をしながら悲鳴を上げて吹き飛んだ。
その悲鳴を聞いて、違和感は嫌な予感へと変わる。
以前にも、こんな感覚を味わったことはなかったか?
どこで?
白銀の雪原で。
喉がひりつく。
吹き飛び、どこかに叩きつけられて転がる過程で外れて落としたのだろう。
ふらふらと立ち上がった少女は、ゴーグルをしていなかった。
正面から一方通行を見据える。
その視線に射抜かれ、彼の身体がびくりと震える。
通った鼻立ち。
白い肌。
揺れる茶髪。
同じだ。
傷つけた少女と。そして、守りたい少女と。
狼狽する一方通行に向けて、少女の口が開かれる。
「──また、"ミサカたち"を傷つけるのですね?」
一瞬、一方通行の思考が空白になった。
心臓も肺腑も脳髄も全ての臓腑が機能を停止したかのごとく、彼は止まる。
その様子を見て、苦しそうに咳き込みながらも『ミサカ』はにぃと笑う。
楽しそうに。
憎むように。
詰るように。
蔑むように。
自らの言葉が一方通行に与えた打撃を、吟味するかのように。
思考を再開させた一方通行の脳内はパニックに陥っていた。
何故だ。
どうしてだ。
そんな疑問が思考を埋め尽くして行く。
彼が戦っていた相手は『油性兵装』だ。
大量のオイルを自らの体の一部のように操る能力者だ。
加えて、直前まで彼女と交戦しつつ会話の応酬をしていたのだ。
『油性兵装』の声は『ミサカ』のものとはだいぶ異なる。聞き間違えるはずがない。
能力が違う。
声質が違う。
だが、外見は?
全身を覆う、オイルでできた特殊装甲。
顔面を覆うゴーグルと、肩口で揃えられた茶色い髪。
同じ。ほとんど同じだ。
少なくとも両者は外見では判別できない。
遭遇直後の言葉が耳に蘇る。
『──わざわざ自慢の黒髪ロングを切って染めたかいがあったみたいでよかったよ』
一度素顔を見せたことで、戦っている相手を『油性兵装』であると信じ込まされた。
その上で、爆発により視界が遮断された隙に入れ替わられた。
入れ替わる手段なんて簡単だ。『油性兵装』は始め、どこから現れた?
(……外見による心理的圧迫狙いじゃなくて、最初から"この"つもりで──)
「よーやく気付いた?」
背後からかかる『油性兵装』の声。
一方通行に振り返る隙も与えず、彼女はその手に持っていた刃を振り下ろす。
彼女の能力で作り上げた漆黒の刃ではなく。
まるで天使の翼を象ったような純白の刃を。
それは『反射』されることもなく一方通行の背を易々と切り裂く。
焦げて黒くなった床を、一面の朱が塗り潰した。
地下10階・通路。
『妹たち』の包囲網を白井の『空間移動』で切りぬけた美琴と白井は、全速力で通路を駆け抜けていた。
"駆け抜ける"という表現は語弊があるかもしれない。何故なら2人は転移を繰り返し、通常ヒトが出せる速度を遥かに超えた速度で突っ切っているからだ。
目標地点などない。
『妹たち』と交戦したくない。彼女らから離れられるならどこでもいい。
そんな思いを抱え、ただひたすら施設内を飛び回る。
その速度は、時速に換算しておよそ288キロメートル。
「まだ妹さま方は追ってきていますの?」
「う、うん。5、6……うわ、更に2人合流してる!?」
自らの足で走っているわけではないのだ。
美琴は白井と手をつないだまま振り返り、後方を確認する。
相手が空間転移能力者だからと言ってそう簡単に諦める『第三次製造計画』ではないようだ。
高機動型の装備をしていることを活かし、床を蹴り、壁を蹴り、天井を蹴り、白井ほどではないもののこちらも尋常ではない速度で追いかけてくる。
軍用クローン。そんな言葉が美琴の脳裏をよぎる。
今まで美琴が接してきた妹たちは常盤台中学の制服を着ていたり、ワンピースだったり、入院着やアオザイだったり。
そんな「当たり前」の装いをしていたから、例え武装していたとしてもあまりその言葉を意識はしなかった。
だが、今自分たちを追いかけてきている彼女たちはどうだろう。
軍用の駆動鎧らしきものに身を包み、いくつかの携行兵装を身に帯び、そしてわけのわからない近接兵器まで装備している。
否が応にも、『軍事利用』の言葉を想起させられてしまう。
本来ならば彼女たちを受け止め、保護しなければならない立場だ。
だが、今の彼女らは最上位個体なるものに命令を受け従っている立場だ。
ならば、先に叩くべきはそちらだ。
悔しくはあるが、彼女らの保護は後回しにせざるを得ない。
歯噛みしつつ、とにかく今は彼女らの包囲網の突破を最優先とする。
「ッ!? お姉様、前方を!」
「なぁによっ!」
白井が転移をやめ、急停止する。
2人の目の前には、大きな穴が存在した。
まるで施設がそこだけ大きく崩落したかのように天井や床が大きく崩れ、上層や下層が見渡せるようになっていた。
その大穴の遥か向こうに、新手の『第三次』が見えた。
逃げ場を求め大穴の中を覗き込めばそこは暗闇。おまけに何だか重油が燃え盛るような臭いと共に黒煙が湧き出してきている。
下層の状況は分からないが、あまり飛び込みたいと思える状況ではなさそうだ。
となれば残るは上層。見る限り大分上層の方から崩落したらしく、遥か上方のほうまで空間が開けている。
後方には『第三次』。
前方には新手の『第三次』。
そして下方は恐らく火災のような状況になっている。
逃げ場は他にない。
「黒子、上層に向かうわよ」
「了解しましたの!」
白井は美琴の手を取って空間を跳躍する。
彼女の最大跳躍距離は最後の身体検査の時点でおよそ90メートル、最大重量はおよそ135キログラム。
この程度の空間なら転移1回でてっぺんまで跳躍可能だ。
一度最上層の床に空いた穴の中央に転移し、誰もいないことを確認した上できちんと床の上へと転移する。
そうしなければ万が一元いた場所からの死角に誰かが隠れていた場合、"重なって"しまうことが考えられるからだ。
追手を撒きようやく一息ついたところで周囲を見回すと、かなりの荒れようだった。
床や壁、天井の区別なくあちこちが砕け、抉れ、焼け焦げている。
大きな戦闘があったことは間違いない。
「……他に、誰かがこの施設内で戦闘を行っているのでしょうか」
「私の妹の1人が別ルートで潜入しているんだけど、あの子かな」
「妹さまが? でしたら同行なさればよろしいのに」
「あの子も充分な能力は持ってるし、徒手空拳なら私より遥かに上だろうし。
おまけに武器もぎっしり抱えて行ったみたいだから、やられることはないと思うけど」
単純な出力面では圧倒しているかもしれない。
だが、戦い慣れしていない自分よりは彼女の方が戦力としては上だろう。
戦いは力押しではなく、戦略や戦術といったものが重要となる。
それは彼女には合って、自分には足りないものだ。
故に、彼女がやられてしまうことなどない。
そう信じている。いや、信じたい。
だが、それらの能力を持ち合せているのは番外個体だけではない。
「ねぇ黒子。追いかけてきてた『妹たち』さ、何歳くらいに見えた?」
「……お姉様より、少し上。お姉様のお母さまよりは下。といったところでしょうか?」
「だよね。私にもそう見えた」
色んな意味で。
番外個体を見るに『第三次製造計画』は美琴よりも身体年齢を上に設定されているのだろう。
戦力として見るのならば、いまだ未成熟な14歳相当よりも心身ともに力強くなる年齢まで成長させることは納得できない話ではない。
その分、さらに彼女たちの寿命が削られているだろう事を除けば。
「……お姉様、また新手の『妹さま』たちが」
大穴の向こう、廊下の端。
すらりとした上半身とやや膨れた下半身のシルエットがいくつも見えた。
全ては黒幕を倒せば丸く収まるのだ。
やり場のない怒りは心にしまい、美琴は動きだす。
「……ええ、行くわよ」
その後も、何度も『第三次製造計画』に遭遇した。
角を曲がればそこにいる。
階段を下ろうとすればそこにいる。
彼女らは合流し、部隊を割いて別ルートから先回りし、じわじわと的確に美琴と白井を追い詰めて行く。
(……まるで、私たちを誘導しているかのような感じね)
彼女らの進路をふさぎ、空間転移でかわすことも出来ないような絶妙なポイントで『第三次』は仕掛けてくる。
どこかへ2人を連れて行きたいのか、あるいは遠ざけたいのか。
黒幕の意図を図りかねたまま、美琴と白井は施設内を駆け巡った。
どうして遠隔攻撃を加えてこないのかは定かではない。
きっと施設を傷つけたくないなどの理由があるのかもしれない。
代わりに『第三次』の手には天使の翼めいた純白の刃が煌めいている。追いつかれれば間違いなく切り刻まれるだろう。
それだけは許容できない。
隣の頼れる後輩を死に至らしめることは、そして妹たちを殺人者にしてしまうことは許すことはできない。
それだけは、決して。
どれだけ走り回っただろうか。
PDAの地図を見る暇もなく、自分たちがどこにいるかも分からなくなりつつある。
開きっぱなしのシャッターを抜け、分厚い防火扉の鍵を磁力でこじ開けた先。
そこにあったのは、奈落。
「うえっ!?」
勢いのままに飛び出し、危うく2人ともども足を踏み外すところだった。
すんでのところで踏みとどまり観察してみると、そこは大きな円筒状の空間の内側に入るための足場なのだろうと思われた。
扉を開けたことに反応したのか、内壁の随所から足場や階段のようなものがせり出し始めている。
おそらくはこれが緊急放水用の縦穴なのだろう。
「……どうなさいますの?」
白井は横目で美琴へと問いかける。
『第三次製造計画』の足音はもうすぐそこまで迫っている。
ここを上昇するのか下降するのか、それとも彼女らとの交戦覚悟で後退し別の道を探すのか。
「だいぶ上のほうまで上がってきちゃったし、やっぱり最初の方針通り地下に──」
そこまで言いかけた時、白井の視界から美琴の姿がぶれるように消えた。
不自然に、投げ出されるかのような格好で。
その背には、彼女と全く同じ顔をした人物がしがみついていた。
2人は衝突した勢いのまま、虚空へと身を躍らせ──
「えっ」
美琴のそんな小さな呟き声が、やたらと鮮明に聞こえた。
悲鳴を上げながら白井は必死に手を伸ばし、美琴もそれを掴もうとする。
だがそれは叶わずに2人の指は互いをすり抜け、美琴は重力に引かれ落下を始める。
白井が次に考えたのは彼女の能力によって落下する2人に追いつくこと。
しかし白井と美琴に重装備をした『第三次製造計画』を加えると、彼女が転移出来る最大重量は確実に超えてしまう。
それが故に一瞬躊躇した。してしまった。
その間に美琴と『第三次』の2人は漆黒の闇の中へと姿を消した。
美琴なら、レベル5の彼女なら自力で何とかしてくれるだろう。
白井はそう強く祈り、闇の中を覗き込む。
だが、
まるで、強固な地面かなにかに。
液体を大量に詰め込んだ重い物体を。
高い所から思い切り叩きつけたかのような。
ダアァァァン!!という湿った音が、空間に響き渡る。
「……お姉様」
呼びかける。
「お姉様ぁぁぁぁっ!!」
闇の中へと叫ぶ。しかし望む答えはない。
返事の代わりに彼女に与えられたのは、背後からの強烈な一撃だ。
「あぐぅっ!?」
脳が揺れ、彼女の体が横倒しになる。薄れゆく意識の中で必死に背後を確認すると、円筒状に戻された奇妙な剣を振り下ろした『第三次』の姿があった。
1人ではない。5、10、いやさら多くの数がその背後に見えた。
剣を振り下ろしたのとは別の個体が通信機に向かって話している。
「──対象Bの制圧終了。これより捕縛し、連行します」
『りょーかい。大事なゲストだ。くれぐれも"丁重に"扱えよ?』
「承知しました」
通信相手の声がスピーカーから漏れ聞こえる。
どこかで聞いたような声だ。意識の黄昏をさまよう白井には、それが誰だか分かりはしなかったが。
『……んで、対象A、御坂美琴の方はどうなった?』
「おね、対象Aは29982号の突撃により足を踏み外し、縦穴を落下。
直後、縦穴底面に水分を多く含む重量物が叩きつけられるような音を観測しました。
対象Bの呼び掛けに対しても応答はなし。
確認はこれから行いますが、状況から考えると──」
彼女は言葉を切る。
その次の言葉は、まさに意識を失おうとする白井にもしっかりと聞き取れた。
「──対象Aは、29982号もろとも墜落死したもの、と推測されます」
今日はここまでです
ベクトルってこんな感じで良かったのかな、高校卒業以来触れていないので記憶が……
まあ細かいことは(ry
なにはともあれ、2年目に突入してしまった『極光』を、これからもよろしくお願いします
俺、起きたら新刊買いに行くんだ……!
こんばんは
大変申し訳ありません
色々立てこんでいたのと、色々悩んで書いては消し、書いては消しを繰り返していたら遅くなってしまいました
3月の投下が1回とか笑えないorz
それでは投下していきます
今回はちょっと暴力描写が強めです
階層不明・小実験場。
「っらぁあああああああああああああああ!!」
気迫を雄叫びに変えて、番外個体は不安定な足場の上を駆け抜ける。
それを追うのは空間移動能力者である『同伴移動』と、まだ姿を見ぬカメレオンのような能力を持つ襲撃者。
彼女らが浴びせる銃弾の雨を周囲に浮かべた即席の盾で防ぎ、物陰へと滑りこんだ。
「ガラクタの山にどれだけ金属が含まれてるか分かんないけど!」
廃材の山から突き出たパイプを掴み、出せる限りの出力で電流を流す。
加害範囲にいたのだろう。2つの短い悲鳴が聞こえるが、番外個体の視界にも電磁波レーダーにも反応はない。
そちらはとりあえず捨て置き、電磁波レーダーを阻害する装置の元へと走った。
「ラス2っ!」
レーダーに干渉するほどの電磁波を出しているせいで、干渉装置の位置自体は簡単に判明する。
『演算銃器』の作りだした貫通性に優れる弾丸がガラクタの山を易々と貫き、その中に埋もれる干渉装置を破壊した。
残る装置は彼女が感知する限り恐らく残り1つ。ここまでくればレーダーも大分クリアになる。
正確な位置が分からずとも、「どのあたりにいるか」くらいは分かるようになった。
だが、その程度の精度ではまだ敵には届かない。
空間移動能力者と、視覚操作または偏光能力者。
「どのあたりにいるか」ではなく、「どこにいるか」を瞬時に把握できなければ彼女らへの攻撃は通らない。
逆に言えば、それさえ分かれば彼女の勝ちは揺るぎないものとなる。
彼女が飛ばす鉄釘の速度は音速を上回る。
この空間程度の広さなら、敵がどこにいたって人間の反射速度を越える速さで突き刺さる。
これはあくまで単純に「反応」する場合。そこからさらに演算を要する空間移動で逃げることは叶わない。
それは相手も分かっているのだろう。
弾丸の驟雨はより激しくなり、彼女の周囲に浮かぶ廃材を削り取ろうと襲いかかる。
だが、
(もう、"分かる")
残る干渉装置が離れた場所にあると言うのも関係しているのだろう。
まるで霧が晴れつつあるかのように、相手がどの方向から攻撃してくるのかもうっすらながら分かる。
あとは周囲から金属製の廃材を拾い集めて、その方向の盾を強化してやればいい。
ついでに引っこ抜いた金属製のデスクか何かを敵の方向へと放り投げ、番外個体は最後の干渉装置を壊すべく走る。
その背後で、まるでランチャーの安全装置を外すかのような、ガチリという金属質の音が響いた。
「……グレネード!?」
この空間から出るべく扉を開けようとしていた時に使ったものと同じものか。
その威力は折り紙つき。直撃すれば人体など吹き飛んでしまうだろう。
とっさに廃材の盾の厚みを後方に集中させ、衝撃に備える。
盾へとめり込んだ榴弾は爆音と爆風を撒き散らし、番外個体の盾を大きく損壊させる。
この程度で砕け散る彼女の盾ではない。しかし続いて放たれた2発目の榴弾の直撃を受け、今度こそ木っ端微塵に砕け散る。
その煽りを受け、彼女は大きく姿勢を崩した。
(……2人ともランチャー持ってやがんの!? 二段構えなら相手に隙を与えず攻撃できるんだろうけどさ!
どうする、どうしようこれ!?)
襲撃者たちは番外個体を逃がすくらいなら殺してしまおうと決めたらしく、獲物を牽制メインのものから殺傷能力の高いものに切り替えたようだ。
盾を作り直す暇もなく、3度目のガチリという音が響いた。
が、
カン、カンと空き缶が転がるような音が聞こえたような気がした。
直後番外個体の目の前を遮るように何かが出現し、榴弾の直撃から彼女を守った。
吹き荒れる爆風から守るべく顔を腕で覆いながら、番外個体は彼女を守った何かを見上げた。
それは、人だった。
彼女よりも背は低く外見年齢も若く、にも関わらずませたニットのワンピースを纏った少女。
「……絹旗さん」
「そろそろ超役に立っておかないと、『うわーこいつ超使えねー』と言われても癪ですからね」
振り返った少女はウィンクしてみせた。
絹旗の能力は窒素を操作する『窒素装甲』であり、その防御力は折り紙つきだ。
追加の液体窒素まで使った今、榴弾の数発で装甲が突き破られることはない。
しかし、彼女の能力に空間転移は含まれてはいない。
突如目の前に現れたと言うことは、彼女を番外個体の近くに転移させた人間もいるということになる。
「……苦戦しているみたいね、番外個体?」
空を裂く音と共に出現したのは結標淡希。
手にした軍用ライトで肩を叩きながら、にっこりと笑う。
「随分とまぁ、ボロボロだけど」
「電磁波レーダーが利かない状況で空間移動能力者や光学迷彩みたいな能力者と戦わされちゃ、苦戦もするよ」
腰を下ろしたまま手にした銃をリロードし、番外個体は笑い返す。
「けれど、それももう終わり」
右手の『演算銃器』を瓦礫の山に向けて発砲する。
タァン! と乾いた音が響き、銃弾が瓦礫の山の中に埋もれる最後の干渉装置を破壊する。
同時に、番外個体を苛んでいた全ての干渉が消滅した。
すっきりとした頭を軽く振り、立ち上がった番外個体は『演算銃器』をベルトに挟み込んだ。
「もう使わないんですか?」
「あくまでウザったい装置を壊すための武器だよ。無力化のために人に向けるには火力過剰かな」
「相手は空間転移能力者と、光学迷彩的な能力者って言ったわよね?」
「そう。目で見て相手するならこの上なくメンドくさい相手だけどねー」
ちゃりちゃりと、掌で鉄釘を弄びながら呟く。
「今となっちゃ、丸裸も同然だよ」
空を切る音、一瞬遅れて瓦礫を踏む音。
それは3人の背後から聞こえた。
続けて聞こえてきた金属が触れ合う音は、拳銃の安全装置を解除した音か。
しかしその引き金が引かれるより早く、番外個体の繊手が閃いた。
「……ぐぁっ!?」
苦悶の悲鳴とともに、何もないはずの虚空から血飛沫が噴き出し、拳銃がからからと音を立て廃材の上を転がっていく。
番外個体が目配せをするよりも早く結標が軍用ライトを振る。
血飛沫が噴き出た空間に出現した絹旗は、既にその拳を思い切り振りかぶっていた。
「ごぶふぅっ!?」
拳は腹にでもめり込んだのだろう。
肺から空気を吐き出させられる音と共に、姿の見えない能力者はもんどりうって吹き飛んだ。
絹旗はその後を追って跳び、どことも知れぬ部位を踏みつけて動きを封じた。
「隠蔽迷彩(ナチュラルカラー)ァっ!?」
姿を隠していた能力者のものらしき名を叫ぶ『同伴移動』。そちらと離れたためか、その姿はもはや隠れてはいない。
「──やぁーっぱり、仲間がいないと能力は使えないのかにゃーん?」
その言葉に『同伴移動』はびくりと背を震わせ、ぎこちなく番外個体の方を向いた。
その顔に浮かんでいたのは笑顔。ただし友好的なものではなく、加虐の喜びに満ちたサディストのものだ。
自分の物に加え誰かの座標データが無ければ能力を使って空間転移することはできない。
仲間である『隠蔽迷彩』は敵に捕縛され、抵抗を試みてはいるが敵の力に為す術がないようだ。
「……能力なんて使わなくても!」
「物騒なもの向けないでよね」
番外個体に向けたはずの拳銃が、そしてすとらっぷで肩に提げていたランチャーが彼女の手の中から溶けるように消える。
見れば、番外個体の背後で結標が2つの火器を見せびらかすように持っていた。
能力は使えない。
武器は奪われた。
番外個体はパキパキと指の骨を鳴らしながら、愕然としたような彼女の表情をそれはそれは楽しそうに眺めて言った。
「さあて、楽しい楽しいオシオキの時間だ」
『水源地水位監視センター』外部・指揮車。
大きなトラックの荷台にこれでもかと言わんばかりにコンピューターやモニターを突っ込んだ指揮車。
それが今作戦における『グループ』の根拠地であった。
モニターに映る光点は突入班の現在位置を示している。
その1つ、緑色の光点を見つめ、この場を預かる土御門の表情が険しくなる。
「まずいな」
「……どういうことです?」
隣にいた黒いスーツを着込んだ男が土御門の呟きに答える。
彼は親船の配下にいる人間であり、厳密に言えば暗部組織に所属しているわけではない。
部下に指示を出すことはあっても現場に出ると言うことはないのだろう。その顔には緊張の色が浮かんでいる。
「緑の光点、あれ番外個体曰く御坂ちゃんのなんだけどな。
さっきから排水用の縦穴の底から微動だにしない。
ひょっとして、ひょっとするとなぁ」
「何かの理由があり、穴の底に留まっているのでは?」
「さっきまでぴょんぴょんあちこちへと跳び回ってたんだ。何かに追いかけ回されていたと見るべきだ。
それが急に動きを止めるって事は、マーカーが付着しているものを落としたか、あるいは……」
「……動けない事情ができた、と?」
モニターに表示された施設内部の見取り図の縮尺はそこまで小さいものではない。
戦闘行動を行っているのならわずかでも動きが有るはずだ。
しかしそれすらないのなら、マーカー自体が動いていないことになる。
マーカーを落としていないのなら、その持ち主は身動きできないほどの重傷を負ったか、あるいは──
「──殺されてしまったか」
「……仮にもレベル5ですよ!?」
「あり得ない話じゃない。御坂ちゃんはレベル5であっても暗部の人間じゃない。
彼女は冷酷にはなれない人間なんだよ。自分や誰かの命がかかっていたとしても、そこで敵を"殺してしまう"という選択肢が取れない。
それは彼女の立場としては当然だし長所でもあるんだが、こと戦闘においてはそれは弱点にもなる。
まあつまり、彼女は『甘い』んだよ。暗部の人間にしちゃ、そこにつけ込まない手はない」
単騎で軍隊に匹敵する戦力と言われるレベル5、その第三位。
御坂美琴を殺害可能な存在があの施設の中で大暴れしていると知って、黒スーツの男の顔が青褪める。
「それに、さっき御坂ちゃんのマーカーが縦穴のかなーり高い所から落下したように見えたんだよな。
レベル5ならどうにかできるかと思ったんだが、それっきりぴくりとも動かん。
こりゃーいよいよヤバいんじゃねーかな」
「す、すぐにフォローを……」
「うん、海原あたりに様子見を……って、すまん」
土御門が纏う学生服の中から携帯電話の着信音が鳴る。
作戦中にも関わらずけたたましく鳴る携帯電話に向けられた非難がましい視線に、上からの指令だ、と答えつつ土御門は通話ボタンを押した。
「────、」
通話自体は30秒もしないうちに切れた。
しかし、その間にみるみる険しくなった土御門の表情に、黒スーツの男は怪訝な表情を浮かべる。
「いかがしました?」
「……すまん、ちょっと別の任務を与えられた。
1時間ほど俺はここを離れる。任せられるか?」
「そんな、現場への指揮は……!?」
掛けていた椅子から立ち上がり荷台の扉へと向かう土御門に、部下たちから慌てたような声が上がった。
「今まで指示なんて求めてきてないだろ? 元々現場判断で動くことに慣れてる連中だ。
インカム越しに通信は繋いでおく。何かあればそっちに回してくれ。
あ、あと海原に御坂ちゃんの様子を伺わせるのを忘れるなよ」
「あなたはどこへ?」
「言っただろ、別の任務だって。詮索すると危ないぞ?」
指で首を掻き切るような仕草をした土御門は開けた扉からひょいと飛び降り、振りかえって言った。
「じゃあ諸君、よ・ろ・し・く・にゃー」
悪戯っぽい調子で笑い、その顔は閉じられた扉の向こうに消えた。
地下13階・通路。
血の海に倒れ伏した一方通行を尻目に、『ミサカ』はふらふらと立つ『油性兵装』のもとへと歩む。
『ミサカ』の身を包んでいたオイル製の装甲は流体となって床へと流れ落ち、その下には純白の装甲が覗いている。
「さっすがに、あちこちイッたかな……?」
苦笑する『油性兵装』。
一方通行に装甲を操作され思い切り絞め上げられたことで、身体のあちこちが悲鳴を上げている。
そんな彼女に対し、『ミサカ』は手を伸ばした。
「『ティルフィング』を。ここからは"ミサカたち"が引き継ぎます。
じきに別働部隊が到着しますので、それまでしばらく休息を」
「こいつは私の獲物だ、って言いたいところだけど……立ってるのがやっとの状態じゃそうもいかないか」
「ここまで追い詰めたのはあなたの立派な戦果です」
「……ま、作戦通りってことで」
純白の刃を『ミサカ』に渡し、『油性兵装』はよろよろと壁際に近寄る。
何本かあちこちの骨が折れているような感覚がし、手足の動きはぎこちない。
そこに体重をかけぬようオイルで装甲を補強しながら、『油性兵装』は問うた。
「お腹に一撃喰らってたけど、そっちは大丈夫なの?」
「衝撃自体は通りましたが、自己診断では臓器や骨、筋肉などに異常は見られません。
あなたの『油性兵装』、および『新素材』製の装甲の防御力は充分だった、ということでしょう」
「私にもその装甲支給してくれりゃ良かったのに。
……ああ、ちくしょう、勝ちたかったなぁ」
やっとのことで壁際まで辿り着いた彼女はそんな呟きを残し、壁に背を預け座りこむ。
疲れた体を休めるかのように目を閉じた『油性兵装』に背を向け、『ミサカ』は一方通行に向けて身体を向ける。
「──納剣」
『ミサカ』が小さく呟くと、天使の翼を模した剣はくるくると剣身を丸め、1メートルほどの筒状へと姿を変えた。
その表面は金色の印字を覗いて純白であり、それが剣に変形するとは思わせないほどすべすべとしている。
落下防止のためだろう一端に取り付けられたストラップを持ち、それを軸にくるくると『ティルフィング』を振り回しながら、『ミサカ』は一方通行の前に立った。
「……どうせ意識はあるのでしょう? 狸寝入りは無意味です。
背骨や肋骨はあえて切断しなかったのですから」
彼女が見下ろす先には、一方通行が倒れている。
だが、その周囲に先ほどまであったはずの血だまりはなく、赤く染まっていたはずの裂けた衣服は元の色に戻っている。
血液のベクトルを操作し、自らの体内へと戻したのだろう。
出血時に混ざった異物や雑菌は彼の能力が選り分け、排除することで混入は防がれる。
つまり、意識がある=能力が使える限り彼が失血死することはない。
だが、それは同時に彼に能力の常時使用を強いることになる。
能力の使用時間に制限を持つ一方通行は、電極のスイッチをオン・オフすることで制限時間を伸ばそうと努力してきた。
しかし、これからはその手段を取ることはできず、仮に取ってしまえば再び大量の血液を流失することになる。
すなわち残る制限時間、およそ10分程度が彼の寿命。伸ばすことは不可能。
『油性兵装』の残した戦果は、彼我の戦力差に対して余りに大きい。
のろのろと一方通行が上半身を起こす。
その瞳に『ミサカ』の姿を映す。
だが、そこに先ほどまでのような、戦意はすでに宿ってはいない。
そこにあったのは、怯えと恐れ。
「無様な顔ですね。学園都市最強の超能力者らしくもない。
もっと傲岸かつ不遜に笑ってみたらどうですか?」
そんな彼の心に食い込むように傷口を抉るように、『ミサカ』は言葉を紡ぐ。
「楽しそうに"ミサカたち"をバラバラに引き裂いていた時のように」
床材が砕ける音がした。
一方通行がその拳で床を思い切り殴ったのだ。
そこから得た運動エネルギーを操作し、後方へと跳ぶ。
空中で身を翻し、そのまま『ミサカ』に背を向け逃げ出した。
自らの荒い息の音が嫌に大きく聞こえる。
その原因は彼が背後に置き去りにしてきたもの。
覚悟はしていた。
番外個体に警告は受けていた。
その言葉の意味をもっと吟味するべきだった。
『侵入者たちを排除できるだけの力を持った軍隊があって、しかもそれに対して自由に命令できる。だったらさ、それを使わない手はないよねぇ?」
2か月近くに及ぶ、彼女との付き合い。
それが彼の記憶を半ば風化させかけていた。
彼女は元々何のために一方通行の前に現れた?
学園都市は何を企んだ?
そして、彼女を前に一方通行は何を思った?
(怖い)
本能の奥底に眠る感情。
最強の存在である自分が幾度も感じた事のない感情。
それが自身の心をどれだけ縛りつけ、爪を立て、ぎりぎりと締め付けるか。
それを、甘く見過ぎてはいなかったか?
空気を切り裂く音がしたような気がした。
直後、彼の左腕を何かが貫いていった。
焼けるような鋭い痛み。一瞬だけ演算が狂い、彼は空中でバランスを崩した。
どうして、と思う暇もなく、ほとんど耳元ではないかと思うほど近くから『ミサカ』の声が聞こえた。
「逃がすと思いますか?」
いつの間に追いつかれたのか。
振り向くと、彼女は『ティルフィング』を左の逆手に持ち、右の拳を思い切り振りかぶっていた。
殴り飛ばされる。そう思い反射的に腕で顔面を庇おうとするが、訓練された人間から見れば彼の動きは緩慢に過ぎる。
彼のガードをすり抜けるように、『ミサカ』の拳は一方通行の顔面を捉えた。
脳を揺さぶるような、鋭い一撃だった。
ちっと一方通行の鼻先を掠めた拳は、勢いはそのままに突如向きを反転させた。
まるで寸止め、あるいは牽制のために放たれたジャブのよう。
しかし、その拳は『さらに向きを反転させ』、一方通行の顔面を打ち抜いたのだ。
吹き飛び転がる一方通行と自らの拳を交互に見ながら、『ミサカ』は満足げに言った。
「……ふむ、どうやら"ミサカたち"が搭載した対反射戦術は功を奏したようですね」
「対反射、戦術……?」
鼻腔内のどこかが切れたかもしれない。
だくだくと鼻血を流しながら、一方通行が問い返す。
彼女の動きは、とある男を彷彿とさせた。
彼の反射膜を正面から突破して見せた2番目の男。
木原数多。
一方通行の能力を『開発』した男の1人にして、この学園都市にはびこる『木原』の1人。
彼が編み出した対一方通行専用の格闘術に、『ミサカ』の動きはそっくりだった。
それは一方通行の反射が通常は「自動でベクトルを逆向きにしている」ことを逆手に取り、
「放った拳を寸止めの要領で反射の直前に引き戻すことで『遠ざかる拳』を内側に反射させる」というもの。
木原数多は一方通行の性格や特徴、能力のクセや『自分だけの現実』を把握し、どんなタイミングからでも正確に彼の反射膜を打ち抜いてみせた。
そんな神業じみた所業を成し遂げられる人間が彼以外にいてたまるものか。
「ありえない、と言いたげな顔つきをしていますね」
文字通り『一方通行の全てを識る』木原数多だからこそ実践しうる技だ。
彼の猿真似をした男は自らの拳を潰す結果に終わった。
例え木原数多の動きを完全にコピーしたとしても、一方通行の演算式をリアルタイムで解析し対処できなければ成り立ちはしない。
一方通行が今どのような式を組み、どのタイミングでどのように式を変化させるか。
それを完全に予測するための基準となるデータは机上の空論ではなく、実際に彼と接触して得た経験という形でしか得られない。
「10032回あなたと戦った"ミサカたち"では、足りませんか?」
彼と接触した経験と言うのなら、ある意味では開発者よりも多く持つ存在がいる。
彼に関する知識は『学習装置』によって手に入れた。
そして、彼との実戦データの量は誰よりも多く保有している。
「10031回あなたに殺された"ミサカたち"では、足りないでしょうか?」
10031の命と引き換えに得た経験値を、たった1人に集約して。
見せびらかすかのように、『ミサカ』は右手の中でちゃりちゃりと白く小さな物体を弄ぶ。
恐らくは彼の左腕を貫いただろう純白の弾丸。
彼女が携行する、純白の刃と同質に見えるもの。
どちらも彼の反射膜を苦もなく貫通して見せたもの。
彼を、死に至らしめ得るもの。
『純白』と『反射膜の貫通』。
そのキーワードに何かが脳裏をかすめるが、あれは文字通り叩きつぶしたはずだと頭から追い出す。
『第三次製造計画』。
その尖兵として、一方通行を殺すためだけに送り込まれてきた番外個体。
彼女と、目の前の少女は余りにもよく似通っている。
同一のDNAから生育されたクローンだから、という意味ではない。
恐らくはこの『ミサカ』もまた、一方通行を殺すためだけに送り込まれたのだろう。
彼を殺すための装備がその証左。
ばらり、と『ミサカ』が手にした弾丸をいくつか投げる。
一瞬重力に従い沈むものの、すぐに宙で静止し、その頭を一方通行へと向ける。
磁力操作か。
(……来る!?)
一方通行が身を沈めたのと、弾丸が超音速で駆け抜けたのはほぼ同時だった。
そのほとんどは避けた。だが1発だけ完全に避けきれず、それは一方通行の肩を掠めて背後へと抜ける。
一瞬出血するものの、自らの血流を操っているおかげですぐに血は止まる。
しかしその傷の存在そのものが、彼の反射膜が純白の弾丸に対して用を為していないことを証明してしまっている。
どういう理屈かは知らないが、あの弾丸は一方通行の反射膜を無効化しているか、あるいは反射できない素材で出来ているらしい。
「何故これらの装備があなたの反射膜を貫通するのか。分からないといった表情ですね」
『ミサカ』の攻撃はそれだけでは終わらない。
左手に持っていた『ティルフィング』を右手に持ち替え翼の形状へと展開させる。
弾丸を避けるために体勢を崩した一方通行に向けて、大上段に振り下ろした。
それを横に転がることで何とか回避する一方通行。
振り下ろされた翼剣が生み出した床の切断面を見て、背筋を凍らせる。
大きな翼のような形をした剣はは、遠目から見た限りでは柔らかな羽毛に覆われているように見える。
だが、背骨のような剣身から針のように細長い短冊状の刃が並ぶその剣は、床材をバターのように容易く切り裂いた。
その斬れ味は、彼の背に刻まれた真一文字の傷にも表されている。
「『 Equ.DarkMatter ver."Tirfing" 』」
床から引き抜いた翼剣を水平に持ち上げ、『ミサカ』が小さく呟く。
「学園都市が獲得した新素材から精製された、新時代の携行兵器です」
「……『未元物質(ダークマター)』……だと?」
『未元物質』。
超能力者序列第二位である垣根帝督の能力名であり、またそれによって生成される素粒子の名でもある。
文字通り『この世界には本来存在しない』はずの物質であり、それが秘める科学的価値は文字通り未知数だ。
常に最先端を追求する学園都市だ。それを兵器に用いようとすることもなんらおかしいことではない。
だが、『未元物質』で出来ていると言うことは、一方通行の反射膜を貫通する理由にはならない。
過去に垣根帝督と対峙した際、未元物質がもたらす独自の法則は既に解析し、彼の演算式に取り込んであるのだ。
彼にとってはすでに未知ではなく、既知の物でしかない。
にも関わらず、それから作られた2つの兵器は反射膜をすり抜けて彼の体を容易く傷つけてしまう。
しかし理屈は分からずとも反射ができないと言うのは、彼にとってはある意味で僥倖だったのかもしれない。
状況に飲まれ混乱する脳みそが正常に演算を行ってくれる保証はない。
反射が効かないのであれば、何かのはずみで刃を反射して『ミサカ』を傷つけることはない。
だから、敢えてその剣が持つ特性を解析しようとは思わなかった。
それを感じ取った『ミサカ』は悪戯っぽく笑って地を蹴り、『ティルフィング』を振るう。
反射はできない。受ければ易々と切り裂かれる。ならば、一方通行はそれを避けるほかない。
避け切れなければ死。制限時間が尽きれば死。
袋小路の状況を打破する手はなく、一方通行はただひたすら回避に専念する。
「……『第三次製造計画』ってなァ、随分期待されてるみてェだな」
その呟きは、彼の率直な意見を表していた。
未元物質は世界でも垣根帝督だけが生み出すことのできる素材だ。
それから作られた兵装を惜しげもなく装備させられるのだ。
戦場へ出した際、武器を奪われ解析されることなどないと思っているのか。
あるいは、使い捨てても問題ない程度のものでしかないのか。
それだけではない。
運動エネルギーを操作することで一方通行は常人を越えた速度で移動することができる。
直線的ではあるが、それでも並の人間に追いつけない速度であることに変わりはない。
しかし、『油性兵装』のように能力を使うことなく、『ミサカ』は純粋な脚力のみで彼に追いすがってくる。
それを支えているのは恐らく脚部全体に取りつけられた装甲のような装置だろう。
シルエットとしてはロシアで見た高機動型の『駆動鎧』よりも遥かにスマートであるにも関わらず、それが生み出す速度はさほど変わらない。
そこには一体どんな技術が投入されているのか。
番外個体は『第三次製造計画』を指して、
『レベル5を除く全暗部構成員に対し、一対一で余裕を持って打倒できる』
と評した。その言葉通りなら、つまりは彼女たち1人1人がレベル5に次ぐ火力を備えていることになる。
なんの特殊装備なしであっても、番外個体は暗部組織のレベル4である絹旗最愛をなんなく下して見せた。
相性もあろう。しかしそれはここまでの圧倒的な差を生むものではないはずだ。
同じレベル4に分類されてはいても、その中では最上位に位置する存在。
軍隊と単騎で渡り合えるレベル5に次ぐのなら、軍隊とだって戦えてもおかしくはない。
最先端の兵器と、最上位クラスの超能力者。
両者を組み合わせて兵站をしたのなら、それは間違いなく世界最高の軍隊となる。
その体現が、目の前の少女。
そう一方通行は思っていた。
しかし、
「何か勘違いをされているようですが、この"ミサカたち"は『第三次製造計画』の正式ロットではありませんよ?」
その言葉に、一方通行は動揺する。
「何……?」
「ふむ。どうやら、"ミサカたち"のメッセージは軽視されたようですね。
"本来の目的のついで"であったとはいえ、少しだけ傷つきました」
形のいい眉を顰め、不満げな表情を作る『ミサカ』。
「木山博士を撃ったのは、この"ミサカたち"です」
「なッ!?」
数日前、木山春生という研究者が自分の研究室で撃たれ重傷を負った、ということは番外個体から聞いている。
また、その犯人が『リプロデュース』と名乗る『妹達』であることも。
木山の銃創は大血管や内臓を意図的に避けたものであった、と冥土帰しのカルテにあった。
わざわざ殺害ではなくそんな回りくどい方法を取ったのには意味があったはずだ。
その意味について『グループ』は「御坂美琴に向けての示威行為」と結論付けていた。
彼らがどうこうするものじゃない。それよりもさっさと『第三次製造計画』の終結を。
そう考え、その後に入手した情報を処理する過程で、いつしか記憶の底へと埋もれていた。
「……『リプロデュース」ってやつか」
「その通りです。『プレサードシーズン・リプロデュース』。
それがこの"ミサカたち"に与えられた新たな開発コード」
『第三次製造計画』の前段階における先行試作体。
彼女たちを生みだす礎となったミサカたち。
「この"ミサカたち"に与えられた検体番号は26428号」
『Reproduce』。再生を意味するその単語が表しているものは何か。
知ってはいけない何かがそこに込められている気がして、一方通行の体は知らず震える。
「しかし、元々『このミサカ』に与えられていた検体番号は6428号」
そして、それは白日のもとにさらされる。
10031号以前のナンバー。死んだはずの個体のナンバー。彼が手にかけたはずのナンバー。
ただでさえ白い一方通行の顔がさらに青ざめて行くのを見て、『ミサカたち』の唇が弦月状に歪む。
「簡単に言ってしまえば、あなたに殺され損なった"ミサカたち"です」
発狂しなかったのが奇跡だと思った。
それほどまでの衝撃が彼を襲った。
目の前にいる少女は。
実験に生き残った個体ではなく。
番外個体のように新たに作られた個体でもなく。
「……俺が、殺し損ねた、個体……だと」
「かつてのあなたの戦い方は、一言で言ってしまえば『とても大雑把』。
派手な能力の使い方を好み、同時に複数の個体を投入した実験ではターゲットの生死を確認することなく次の標的へと襲いかかる。
それならば、九死に一生を得た個体がいたとしてもおかしくはないでしょう?」
それがどんな状態だったとしても、と『リプロデュース』は付け加えた。
「あなたに引き裂かれ、引き千切られて肉塊となった"ミサカ"たちは、たとえ生きていたとしても死亡した姉妹たちとともに焼却炉へと投げ込まれるはずでした。
しかし、まだ息がある"ミサカたち"を見て、1人の研究者はこう言いました」
『──新鮮な"部品"はいくらでもあるんだ。それを使ってこいつらを"仕立て直す"こともできるんじゃないか?』
クローンであるため遺伝的に同質体である『妹達』は、相互に臓器などを移植しあったとしても拒否反応を起こすことはない。
理屈の上では、損傷した臓器を他の個体の死体から移植することは難しいことではない。
壊れた個体を治療するよりも、新しく個体を再生産したほうがコストの面から言ってもいいのではないか。
そんな意見に対して、その研究者は『培養カプセルの医療的使用法の模索』を提唱した。
『妹達』の育成に使われる培養カプセルは1日で1年分の細胞分裂を被験者へと強いる。
例えば、大怪我をした人間をそのカプセルに放り込むのだ。
損傷により細胞組織が崩壊し生命活動を維持できなくなるよりも早く細胞分裂によって治療を施したとしたら、その患者はどうなるだろう?
損傷がより促進され、死を劇的に早めるだけかもしれない。しかし、もしかしたらその患者を死から救うことができるかもしれない。
実験台は今目の前におり、機材だって揃っている。
ならば、試さない手はない。
「そして、"ミサカたち"は他の個体から採取された臓器や組織を使って"修復"され、再び培養カプセルへと入れられました」
結果は大成功。翌日には何事もなく歩けるようにまで回復していた。
代償として、設定された年齢を1つ重ねてしまいはしたが。
リプロデュース。再生産された個体。
彼女たちはリナンバリングされ、、新たな生を迎えることとなった。
自らの首元から戦闘服のジッパーを下腹部まで引き下ろし、その隙間から柔らかな乳房が覗く。
その膨らみと膨らみの間からすべすべとした腹部にかけてうっすらと見えるのは、痛ましい手術痕。
傷痕を撫で、『リプロデュース』は妖艶に微笑んだ。
「左眼、右腕の肘から先、左腕の肩から先、右脚の太股から先、左脚の膝から先。
右肺、肝臓、膵臓、左の腎臓、子宮、小腸や大腸の一部、および全身の皮膚や骨、筋繊維。
……これらは何を意味すると思いますか?」
人体の組織の名称を羅列する『リプロデュース』。
その真意を、一方通行は悟った。悟ってしまった。
「あなたに奪われ、他の『ミサカ』の死体から補われた『このミサカ』の欠損部位ですよ。
『このミサカ』の身体を構成する血肉も精神も『このミサカ』のものだけではない。
この心身の中には他の『ミサカ』が今も生き続けている。
だから、『このミサカ』は自らを指して"ミサカたち"と呼称するのです」
個体としての生は終わってしまっても、その記憶はネットワークを通じて他の個体に溶け込み、、肉体は他の個体の一部となって生き続けている。
自らを生かす礎となった他の個体の命を自らの生へ取りこみ、背負い続ける。
自己の概念が希薄だった彼女たちだからこその死生観なのかもしれない。
死んでいった姉妹たちが、最後に想ったことはなんだろう。
ある個体が感じたのは死への恐怖か。他の個体に刻まれたのは虐殺者への憎悪かもしれない。
それら全てを生きている彼女が拾い上げ、今この時彼女を一方通行との復讐戦へと駆り立てる。
クローン人間を使い潰すだけでは飽き足らず、さらにその残骸までも利用する。
ちょうど部品の足りなくなった戦闘機や戦車を、一部を解体して得た部品を使って他の機体を共食い整備するかのように。
生体すらまるで機械の部品のように扱ってしまうこの都市の暗部を、一方通行は改めて狂っていると認識し直した。
人間を作り出して、一方通行に殺させて、そこから生き残った個体を修復してまた一方通行との戦闘に投入する。
そこに生命倫理の文字はない。
慈悲も呵責も何1つ持ち合せず、ただ己の好奇心のままに実験を繰り返す研究者どもの群れ。
学園都市の暗部とは、そういうところだ。
自分だってかつてはその一部で、今もなお抜け出せた訳ではない。
抜け出せる訳がない。
暗く澱むその闇を作り出し、光の当たる世界から隔絶しているのは紛れもなく彼自身でもあるのだから。
揺れる一方通行に向けて、『リプロデュース』が突進する。
反射的に回避しようと身体を反らすも、そこはやはり彼女の方が上手。
のけ反った一方通行の顔面に向けて、思い切り肘を突き込んだ。
「がぁふぁッ!?」
寸止めの要領で引かれた肘は狙ったはずの鼻をわずかに逸れ、一方通行の頬を打つ。
しかし、それでも彼の軽い体を吹き飛ばすには十分だった。
彼の能力を使えば一発の攻撃を回避することは簡単だったはずだ。
しかし、それをしなかったということは回避する気が無かったのか、あるいは、
「限界が近い、ということですか」
倒れ伏した一方通行の左手はしきりに電極の電源を弄っている。
基本は電極を日常生活モードにし、数秒おきに一瞬だけ能力を使って血液を体内に引き戻すことで残りの制限時間を節約しようというのだろう。
纏う衣服が朱に染まったり脱色されたりと大忙しで、もう反射を使っている余裕はないようだ。
「……便利な能力ですね。電極のオン・オフをするだけでいくらでも自身の延命ができてしまう。
実験に投入され、あなたに殺された"ミサカたち"には、そんなことは出来なかったのに。
『このミサカ』は四肢をもがれて他のミサカたちの死体に埋もれ、絶え間なく苛む激痛に耐えながらただ死を待つことしかできなかったのに……!」
彼女が今生きているのは、あくまで研究者の気まぐれによる実験が功を奏したからにすぎない。
彼らの思い付きが無ければ、彼女たちは生きたまま姉妹の死体と共に焼かれ、DNAの痕跡すら残さず灰となって消えていただろう。
出血を阻止するのに全力を注ぎ込まなければならない一方通行は、動くこともままならない。
転がったままの一方通行に26428号はゆっくりと近づき、彼の右腕に装着された折り畳まれたままの杖を剥ぎ取って後方へと放り投げる。
「そうまでして死にたくないともがき続けますか、一方通行。今のあなたはとても醜い」
「……なンとでも、ほざきやがれ」
今の彼には精一杯の虚勢。だが、それも26428号にはそれも通じない。
彼の横に跪いた彼女は武器を手放し、彼の右手を両手で包み込むように持つ。
「なっ!?」
「……この状態で、ベクトル制御ができますか?」
にやり、と番外個体を思わせる悪い表情で『リプロデュース』は笑った。
今の電極の状態は日常生活モード。出血を抑えてはいられない。
だが、電極のスイッチを切り替えればベクトル制御は彼女へも影響を及ぼしてしまう。
どうするべきか悩む一方通行をよそに、『リプロデュース』は彼の指を1本1本曲げたり伸ばしたりと弄ぶ。
「細くて白い指ですね。"ミサカたち"10032人の血が染みついた男性の指だとはとても思えません。
……覚えていますか? あなたと"ミサカたち"には、指に纏わるとある因縁があるのですよ?」
「……因縁? 何の話だ」
「10031号の、指ですよ」
10031号。彼が殺した、最後のミサカ。
一方通行は、彼女に何をしただろう?
ぶちぶち、ぶちぶちと何かを噛みちぎる感触が、口の中に蘇る。
裂ける肉、砕ける骨や爪、そして広がる鉄錆のような味と臭い──
思わず叫び出しそうになる一方通行をよそに『リプロデュース』の右手は一方通行の右手の親指を除いた四指を、左手は掌を掴む。
口元は切り裂かれたような笑みを浮かべ、そして……、
「彼女の指は、美味しかったですか?」
ごきり、という骨が砕ける嫌な音と、それをかき消すほどの絶叫が周囲に響き渡った。
第7学区・冥土帰しの病院。
「──やっぱり、行くのかい?」
「はい」
手元で何かの書類を書きながら、冥土帰しは机越しの相手に短くそう問うた。
そこにいるのはミサカ10032号。通称御坂妹と呼ばれる個体だ。
彼女が背負っているのは大きめのギターケース。
ただしその中身は楽器ではなく、『鋼鉄喰い(メタルイーター)』や『オモチャの兵隊(トイソルジャー)』と言った重火器が分解されて収められている。
ギターケースだけではなく、腰にぶら下げたポーチや太股に巻きつけたベルトにも火器や武器の類が備え付けられていた。
「君たちのお姉さんは、賛成しないと思うけどね?」
「これは元々ミサカたちの問題です」
『第三次製造計画』。『第二次』に当たる彼女らの"妹"たち。
同じ御坂美琴のクローン体として、対処に当たるのは自分たちのほうが適当だろう。
「そういう言い方は、君たちのお姉さんは好まないだろうけどね?」
「……では言い方を変えましょう。ミサカたちは、お姉様だけに任せきりにしておきたくはないのです。
ミサカたち1人1人が確固とした『個』である以上、何もかもを他者に委ねて置くと言うことはしたくありません。
ミサカたちはお姉様と『姉妹』になりたいのであって、決して『重荷』になりたいと思わない、とミサカはネットワークを代表し結論づけます」
美琴には自分たちを見なかったことにすることも、見捨てることもできた。
にも関わらず、彼女は身を削り、心を砕きながらも自分たちのために戦ってくれた。
ならば、今度は自分たちが美琴のために戦う時だ。
「……まあ、そう言い出すんじゃないかとは思っていたよ」
やれやれ、と肩をすくめ、冥土帰しはため息をついた。
「僕は医者だ。自分で言うのも何だけれど、医療が世界一進んだ学園都市でも一番の医者だと言う自信がある。
お姉さんや一方通行にも言ったけれど、どんな怪我をしたとしても死なない限りは治してあげられる。
それこそ内臓が潰れようが、手足がもげていようが、この病院に運び込まれた時点で心臓が動いていれば、僕は君たちを助けてやれる。
そして、君たちは僕の患者だ。どんな怪我をしようが、必ず生きて帰ってこい。それが出撃許可を出す条件だよ」
「当然です」
10032号は言い切る。何故ならば、
「ミサカたちはもう、1人だって死んでなんかやりません。
今いるミサカたちも、新しく生まれたミサカたちも」
そう決めたから。
姉である美琴が、自分たちを妹として扱い助けてくれたように。
今度は姉である自分たちが、妹である『第三次製造計画』を救いたい。
誰1人犠牲を出さず、全員で帰ってくるために。そのために彼女たちは戦場へと赴くのだ。
その決意を見た冥土帰しは、深く頷く。
「よし、行って来い。君たちが助けたい人を助けるために、全力を尽くしてくるんだ。
後のフォローは全部僕が持ってやる」
第7学区・ファミリーサイド。
教職員用に建てられた4LDKマンションの一室で、少女がまんじりともせずにベッドの中をごろごろと転がっている。
横になっているにも関わらずその頭頂部にはいわゆるアホ毛がピンと立ち、時折着信を受けた携帯電話のごとく震える。
実際、交信を交わしている。
彼女が上位個体を務めるミサカネットワーク。その交信を傍受し、状況の把握に努めているのだ。
(番外個体は敵戦力2名を打倒。あの人とは離れちゃってるけど、すぐに合流しようとするはず。
学園都市にいるミサカたちは武装し施設へ突入するための準備中。冥土帰しからの援護も引き出した。
なのに、このミサカは、ミサカは……ってミサカはミサカは項垂れてみる)
細く非力な腕。小さく華奢な体つき。
他の個体と違い未発達な体つきである打ち止めにはできることはほとんどない。
レベル3相当の超能力を持っていても、他の個体と同じ戦術思考や戦闘技術を植え付けられていても、基本的なスペックの差というところで根本的に彼女は劣ってしまっている。
今彼女に出来るのは、ネットワークを通して大きな思考回路を構成する一要素としての働きのみ。
(……違う!)
何か。何かが出来るはずだ。
そう思った打ち止めはがばと布団を蹴飛ばして跳び起き、静かに戸を開けて家の中の様子を伺う。
明日はクリスマスイブ。特別警戒に備えて、警備員である家主の黄泉川愛穂は早く寝てしまっていたはずだ。
打ち止めと同じく居候である芳川桔梗だって、昼まで寝ている癖に夜はやたらと早く寝てしまう。
意を決して廊下を突っ切り、リビングへと向かう。目的は固定電話だ。
打ち止め自身が持っている携帯電話はあらかじめ登録された数件の電話番号・アドレスとしか通信できない子供用のものだ。
これから電話をかけようとする相手は登録されていないため、固定電話を借りるしかない。
自分に強大な力があれば、全てに対処できる力があれば彼の力を借りる必要はないのだろう。
けれど自分は非力だ。誰かの力を借りなければ戦うことすらまともにできはしない。
彼に対してただひたすらに借りを積み重ね続けている。そのことに歯噛みしつつ、打ち止めは慎重に電話のダイヤルボタンを押して行く。
携帯電話に登録されていなくとも、彼の電話番号は複数の個体が目にしており、その記憶からネットワークを通じて情報を引き出すことができる。
問題は時間だ。
今は深夜。健全な人間なら寝ていてもおかしくはない時間帯であり、緊急でなければ電話を掛けること自体が非礼に当たるだろう。
しかし、そんな事を言っている場合ではない。
焦る指で番号を押し終え、受話器を耳に当ててただひたすら相手に繋がるのを待った。
5秒。
10秒。
15秒。
そして。
『…………もひもひ、こんな時間にどちらさまでふぁああああ…ぁ…?」
あくび混じりに答えたのは、打ち止めにとってのもう1人のヒーロー。
階層不明・通路。
ハイヒールが床を叩く硬質な音と共に、テレスティーナ=木原=ライフラインは通路を行く。
その背後に従うのは1人の少女。
茶色の髪を背中まで伸ばし、どこかの学校のものらしきブレザーを身に纏っている。
特徴的なのは彼女が付けているカチューシャで、ちょうど両耳の後ろから後方に向けてデフォルメされた翼のようなアクセサリーが生えている。
「──『第三次製造計画』の報告によるとオリジナルは死んだかもしれないとのことだけど、貴女はどう思う?」
「そうは思いません」
少女は短く答える。
「公的に記録されているオリジナルの戦闘データは全て閲覧しました。
ロシアでは上空約3000mの高さから生身で放りだされて無事に生還したというデータもありますし、まず生き延びているだろうと思います」
「さすがのレベル5。それくらいはやってのけても、不思議じゃないわね?」
単純な出力だけでは、レベル5に認定されはしない。
ただ能力を使うだけではなく、それを自在に使いこなす応用性があって初めて超能力者の最高峰に立てるのだ。
出力と応用性を極めて高いレベルで両立させた御坂美琴につけられた『最強の女の子』の異名は伊達ではない。
「……まあ、それも今日までなのだけれど」
口端を歪ませるテレスティーナ。満願成就の夜は今この時だ。
仕組んだのは彼女。御坂美琴を打倒するのは後ろの少女。
「そうでしょう、『フルチューニング』?」
「はい」
『フルチューニング』と呼ばれた少女は、自信ありげに答える。
彼女に叩きこまれた知識、技術、そして感情は恐らくこの日のためにあったのだ。
『最上位個体』
『仮想レベル5』
F i v e O v e r
本物を超越する贋物を作り出すことを目論んだ科学者たちの血と汗と努力の結晶。
『妹達』の起源にして頂点に立つ少女は、胸を張って宣言をする。
・ ・ ・
「お姉様を倒すのは、この"わたし"です」
緊急放水路・底部。
落下した2人の死亡確認を任された数人の『第三次製造計画』らは、懐中電灯の小さな明かりを頼りに縦穴の内側にせり出した足場を下っていた。
施設内の激しい戦闘で電源系統がダメージを受けたらしく、縦穴内部の明かりがつかないのだ。
戦闘用装備である彼女らも縦穴底部にまで届くような投光機などは持っていないため、底部まで降りて確認することとなった。
足場と言ってもあくまで内壁が破損などを起こした際に目視で問題の箇所を確認するための物で、工事などをするためのものではない。
そういうことはロボットの仕事だ。『外部』ならいざ知らず、この学園都市では人間がする仕事ではない。
足場は鉄板と金網がセットになって壁面に収納されており、展開した際には金網が起き上がって柵の役割を果たすようになっている。
1.5mほどの高さであり大の大人であれば容易に乗り越えられる程度のものであるが、このような場でそんなことをする人間はいないと想定されているのだろう。
幾度か階段を降りたのち、ふと先頭の1人が足を止めた。
どうしたのかと訝しがる姉妹たちの問いに、その『第三次』はある場所を指差した。
「あれを」
指差した先にあったのは金網の柵だ。
縦穴の内側に向かって少しひしゃげている。
一部分だけではない。その周囲の金網が、みな一様に内側に向かってひしゃげていた。
柵から身を乗り出し、底を覗き込んでみる。
懐中電灯に照らし出された下の階層の柵はこの階層よりも大きくひしゃげ、底に向かうにつれひしゃげ方がさらに大きくなっていく。
顔を見合わせた一同は、底部へと急いだ。
緊急排水が行われない時は基本的に、異物の侵入を防ぐために放水路と貯水槽は隔壁で隔てられている。
一同が降り立ったのはその隔壁の上であり、隔壁を隔ててその下には大量の水を蓄えるための空間が広がっているのだ。
最も、河川の水量や降水量の少ない今の時期は空っぽだが。
縦穴の底部には、およそ死体らしきものは転がってはいなかった。
床に残っていたは砕け散ったPDAらしき残骸と29982号が持っていただろう『ティルフィング』、空になったペットボトル、そして血痕だ。
血痕は少なくない量ではあった。しかし、よほど打ちどころが悪くなければ致命傷とはなりえない。そんなことを思わせる量でしかない。
ひしゃげた金網製の柵。
見当たらない死体。
最強の電撃使い。
それが示唆するものは、たった1つ。
「……30063号、木原博士へと連絡を。残りの個体は周囲の捜索へ」
そう指示する1人の『ミサカ』の目には、あるものが映っていた。
無理やりこじ開けられたサービスルートの入口へと消える、1つの血痕が。
今日はここまでです
一方さん豆腐メンタルすぎて黒翼出ない程度にいじめるの大変過ぎワロタ……
『ティルフィング』の外見については、『ゴッドイーターバースト』というゲームに出てくる武器「獣剣 少陽」をイメージして頂けたらと思います
これの刃をもっと細かくした感じでしょうか
このスレでの投下は今回で終わり、次回に次のスレを立てる予定です
お付き合い頂きありがとうございました
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