男「……よっこらせ!」
ようやく最後のダンボールを部屋に運び終えた。
ここが今日から俺の新生活――大学生活の拠点になる。
額から大粒の汗が流れ落ちるとともに、すっきりとした達成感をおぼえた。
そして、蒸し暑い部屋のこもった空気を追い出すために窓に手をかけた。
がらりと音を立てて窓が開かれる。
男「ふう……」
少しだけひんやりとした風が俺の頬をなでた。
携帯の時刻を確認すると、夕方の6時だった。
キリがいいから、とりあえず今日の作業はここまでにして、続きは明日やることにしよう。
男「これからどうしよう?」
そんな言葉を口にした時だった。
男「あ」
腹の鳴るけたたましい音が部屋に響き渡った。
あまりにもマヌケな音だったから、周りにだれもいなくてよかった。
だけど――
?「……くす」
近くからだれかの笑い声が聞こえた。
それは女の人の声だった。
男「~~~~~~ッ」
恥ずかしい!
自分でもかわいそうなほどに、顔が熱くなっているのがわかった。
男「ご、ごめんなさいっ!」
俺は気まずさに耐え切れなくなって、気がつけば財布を片手に部屋を飛び出していた。
ドアを勢いよく閉めて、階段を二段飛ばしに下りて行く。
男「あ」
そして、マンションの出口に差し掛かったところで立ち止まる。
すると、頭が一気に冷静になった。
男「さっきのはちょっと失礼だったかなあ……」
だが、今の俺にはもう一度部屋に戻って、隣人さんに話しかける勇気はなかった。
我ながら情けないと思うのだが、正直なところもう少し時間を置いておきたかった。
男「まあ、あとで入居の挨拶に行った時に謝ればいいか」
まずは腹ごしらえをするとしよう。
そのついでに、近所のスーパーで菓子折りを買っておこう。
そう思い直した俺は、ゆっくりとした足取りでマンションを抜け出した。
男「ふう、まんぷく、まんぷく……」
俺は歩いて10分ぐらいのところに牛丼屋を見つけた。
そこのチーズ牛丼は旨かった。
それにボリュームがある割に値段もお手頃だった。
明日からの生活ではお世話になりそうだ。
あんまり健康的ではないかもしれないけど……
男「おっと、そういえば……」
菓子折りを買いに行くんだったな。
帰り道にたしかスーパーがあったはず。
そこで買うことにしよう。
男「すいませーん」
菓子折りを買って、マンションに帰った俺は、隣人さんの部屋のドアをノックしているところだった。
だけど、しばらく待っても反応は返って来ない。
男「もしかして出かけてるのかな?」
今日はなにをするにしても、つくづくタイミングが悪いな。
俺は深い溜め息をついた。
男「しょうがない。部屋にもどろう」
そしてポケットに手を突っ込んで、ドアの鍵を取り出そうとしたその時だった。
男「……あれ?」
見つからない。
ポケットをいくら探ってみても、財布以外はなにも入っていない。
ひんやりとした嫌な予感が背中をつたった。
男「オイ、チョットマテ」
――どこで落とした?
――最後はどこで見た?
いくら考えてみても、思い当たる節はない。
男「いや、待てよ?」
もしかしたら鍵をかけ忘れたのかもしれない。
男「頼む……っ!」
それが俺の中のに残された最後の希望だった。
だけど――
男「…………」
ドアノブを回そうすると、途中で引っかかる感触がした。
いくら繰り返しても鉄の擦れた音がするだけだった。
?「……くす」
男「……ッ!?」
俺はぐるぐると落ち着きもなくあたりを見回した。
さっき部屋を出る前に耳にした、女の人のあの笑い声が聞こえてきたのだ。
男「あ、あのー!だれかいるんですかー?」
震える声を喉からしぼりだして、周りに呼びかけてみる。
だが、どこからも返事が返ってくることはなかった。
それどころか、人の気配なんてひとつもしなかった。
男「~~~~~~~ッ!!」
例えようのない恐怖を前に、俺は思わず駆け出していた。
今度は三段飛ばしで階段を下りて行く。
途中で何度も足が絡まって転びそうになったが、そんなことを気にする余裕は俺には残されていなかった。
気味が悪かった。
一刻も早くその場から離れたかったのだ。
マンションの外に出ると、薄ら寒い夜風が俺を出迎えた。
それからの俺はしばらく外で鍵を探していた。
マンションから牛丼屋までの道を往復する作業を何度も繰り返す。
だが、鍵はついに見つからなかった。
男「ってか、あの状態で失くすのは普通ありえないだろ」
鍵には用心のために、ちゃんとキーホルダーをつけている。
金属製のものだから、道に落としたらなにかしら音を立てるはずだ。
イヤホンとかで耳をふさいでいない限り、普通はその音に気づく。
男「だけど、俺は歩きながら音楽なんて聞いてなかったし」
そうだとしたら、いったいなにが原因なんだろう。
考えられる原因をできる限りかき集めてみる。
男「――鍵を部屋に置いてきた」
これはまずありえないだろう。
ドアが閉まっているということは、俺が鍵を持ち出したという決定的な証拠なのだから。
男「……いや、ちょっと待てよ?」
妙な違和感をおぼえた。
もし部屋を出るときに鍵を閉め忘れたのだとすれば、考えられる原因はもう1つある。
それは――
男「――別のだれかが部屋に入って内側から鍵を閉めた」
考えただけでもぞっとした。
普段なら笑い飛ばすところだが、女の人を声を耳にした今となっては、もはや他人事とは思えない。
だけど、これはあまり現実的じゃない。
推理小説とかだったらありえそうな話だけど。
というかそもそも、俺の部屋に入る理由がない。
泥棒が入ったとすれば――いや、ありえない。
俺は見ての通り貧乏学生だ。
わざわざ危険を犯してまで入ってくる物好きなんて、まずいないだろう。
じゃあ、いったいどうして――
男「……頭が痛い」
急に強いめまいがした。
考えれば考えるほど、頭は混乱してしまうだけだった。
ダメだ!さっきからいったいなにを考えているんだ、俺は!
男「……っ!」
自分に気合を入れるためにも、頬を何度か強く叩く。
ひりひりとした痛みのおかげで、頭にこびりついたネガティブ思考も少しは和らいだ。
ポジティブ思考だ!
そう、今の俺に必要なのはポジティブ思考なんだ!
そう何度も繰り返して、弱気な自分を勇気づける。
男「よしっ!」
気分を無理やり一新したところで、携帯を確認するともう夜の10時だった。
最後にマンションを出てから、3時間は経っていることになる。
時間が経つのは意外と早かった。
男「明日には部屋の整理やら、なんかいろいろとやることがありそうだ……」
ふと、そんな考えが頭をもたげた。
明々後日からは大学の生活が始まる。
だから、いつまでもこんなところで油を売っているわけにはいかない。
とりあえず部屋に戻って、ドアが本当に閉まってるのかもう1度確認してみよう。
もしかしたら全部が全部、俺の気のせいだったのかもしれないし。
もしドアが閉まってたら、今日のところはカプセルホテルにでも泊まって、明日大家さんに電話をして確認を取ってみてもいい。
とりあえず今の俺は――
男「早く寝たい」
泥のように眠りたい。
それはもうぐっすりと。
今の俺の心のうちは、恐怖をはるかにしのぐほどの疲労感で満たされていた。
だから早く帰ることにしよう、俺の部屋に。
そして、俺はとぼとぼと足を進めたのだった。
男「…………」
しばらくして部屋の前に着いた。
ゆっくりとドアノブに手を触れてみる。
鉄のひんやりとした感触は、俺に先ほどの恐怖をもう1度思い出させた。
男「ごくり……」
粘り気のある唾を飲み込む。
そして、ゆっくりと、ゆっくりとドアノブを回していく。
今のところは特に引っかかる様子も見えない。
そして――
男「……あいた」
終わってみると意外と呆気なかった。
ドアはなんの苦労もなく開いたのだった。
男「うーむ……」
部屋の中は出た時とまったく変わっておらず、特に荒らされた形跡もなかった。
俺は荷物をそこらへんに放り投げた後、ベッドのスプリングの上に頭を預けた。
そして、今日のことを振り返ってみた。
男「――気のせいだったのかな?」
女の人の声と閉められたドア。
もう終わったことは考えてもしかたがないとは思うんだが、余計なことを考えてしまうのが俺の性質だ。
だが、今回だけは例外だ。
気にしないことにしよう。
じゃないと、明日からの生活に不安が付きまとってしかたがない。
だから、つまらないことを考えるのはやめよう。
ただ自分が損をするばかりだ。
男「――隣人さん」
いったいどんな人なんだろう。
女の人なんだろうか。歳は近いんだろうか。
だんだんといろんな妄想が膨らんでくる。
男「バカか、俺は」
くだらん妄想よ。消し飛べっ!
女だろうが歳が近かろうが、俺には関係ないだろう。
とりあえず隣人さんについては、明日の早い時間に菓子折りを持って、挨拶に行くことだけを考えれていればいい。
期待はほどほどにしておこう。
男「あとは部屋の整理、か……」
明日は1日忙しくなりそうだ。
そう思いながら、俺はゆっくりと瞼を閉じた。
その直後、強い眠気によって、すぐに意識は暗闇の中に落ちていった。
今の俺は、部屋の電気を消す気力がないほどに疲れ切っていた。
今日はここまで
ありがとうございました!
このSSまとめへのコメント
何が怖いってこのままエタったこった