女友「アンタの体質って何なの?」男「…」(120)

薄暗い室内に声が響く。
人の足が向かわなくなって久しい、油の匂いが濃く残る工場の中。

女友「ったく本当に…まんまと捕まっちゃうなんて」

一人の短髪の少女がつぶやく。
その少女の細い腕には縄が掛けられており、どう見ても自力で逃れられるようではなかった。

男「…」

隣では少女と同じく、両手を縄で縛られており。
しかし少女と違って口には猿轡をかけられた──男がいた。

女友「ねえアンタ、この街に住んでるなら〝体質〟ぐらい持ってるでしょ」

男「…」

少女が男に小さく呼びかける。
しかし猿轡で答えられるわけもなく、少女も分かりきってる上での発言だった。

女友「…なら、ここは一先ず脱出する為に協力しなさいよ」

男「むぐぐ」ゴソゴソ

女友「変に声を出すな。見張りの奴にバレたらどうすんのよ」

トゲがある言い方であったが、確かにそれは適切な判断だった。
この閉じ込められている空間。誰も寄り付かなくなった工場でありながら、今は多くの影が蔓延っている。

女友「見る限りだと…見張りは三人ぐらいね、アタシ一人じゃちょっとキツイかも」

この室内の入口付近には、大きな影があった。
もちろん、それは捕まっている少女らを見張るための人間であった。

女友「だからアンタに手を貸して欲しいのよ。わかる?」

男「むぐ…」

女友「…とりあえず縄を解いてっと」パラリ

難なく解かれる、少女に掛けられた縄。
はらりと地面に落ちた縄を見開いた瞳で男は見つめる。

女友「なによ。アンタも解いてほしそうな顔ね…ま、協力してくれるならやってあげてもいいケド?」

男「…」コクリ

男は、そう頷くしか無いと判断した。

女友「良い判断。じゃあ解いてあげる」パラリ

男「…?」

しかし解かれたのは両足の縄だけであり、両手の縄はそのままである。

女友「なに? 足の拘束だけでも十分でしょ?
   猿轡と腕の拘束はそのままよ。でも、感謝しなさいよね」

肩に付いた土埃を静かにはたき落としながら、短髪の少女は音もなく立ち上がった。
まるで猫のようなしなやかさで、数歩その場から歩き出す。

女友「さて、じゃあ──」

部屋の隅で小さく座っていた、もう一人の少女へ駆け寄った。

女友「──大丈夫? 平気? どこか怪我してない?」

「大丈夫、へいき」

薄暗い室内に声が響く。
もとより声色が希薄の為か、まるで隙間風が鳴っているかのようだった。

女友「…よかった。じゃあ解いてあげるから待ってて」

女「うん」

腰まで伸びた長髪の少女が軽く頷き返す。
どこか雰囲気が人ではなく物ような、そんな生気を感じさせない仕草だった。

女友「これでよし。さて、これから脱出するわよ」

女「彼のは解いてあげないの?」

腕に赤く残った縄の後を撫でながら髪の長い少女が問う。
しかし短髪の少女は首を横に振り、

女友「良いの。相手は男よ? 一応ハンデは負わせておかないと。
   それにどうしてここに一緒に捕まってるのか…それも気になるし、嫌な予感もするのよ」

女「わかった。貴方がそういうのなら」

長髪の少女はコクリ、と頷き返す。
それを見て短髪の少女はすぐさま気配を消し、周囲を探る為に壁際へと走り寄る。

女友「それにしてもやけに警備が多いわね。あの学校──『西林校』は人手が足りてるのかしら。
   今のところだとアタシたちが通ってる『南火校』と一々揉めてるし」

今にも崩れそうな壁に背を貼り付けて、少女はつぶやく。

女友「…けが人が多くて人手が足りないと思ってたけれど、そうでもないみたいね」

男「むぐ」

女友「なに? ああ、アタシたちは南火校の生徒よ。アンタの制服は、『東風校』みたいね」

チラリと男の着ている制服を一瞥する。
そして馬鹿にしたようにハン、と溜息を零した。

女友「あの甘ちゃん共が通ってる共学校…
   …なんでその生徒が西林校生徒に捕まってんのよ」

男「……」

女友「ま、どうでもイイケド。詳しくは聞かないでおくから、とにかく…
   …ここから脱出するから、手助けしなさい」

男は静かに頷き返した。

 ※

女友「さっきも言ったけど見張りは三人。性別は全員男、西林校は男子校だから当たり前だけど」

女「みんな身体が凄いおおきい」

長髪の少女が端的な感想を述べる。男にとっても同意権だった。
あの西林校は、この街で有名なほどの男子校。
やたらと身体を鍛え込まれた生徒が多く、そして身体に見合った争い事が耐えないと噂されている。

女友「下手に相手したらこっちも酷い目に合う。だからアンタに活躍してもらうわ」

男「……」

短髪の少女はそう言いつつも、まるで期待してない瞳で男を見つめる。

女友「まずアンタがドアを抜けて先に進む。勢い良くね、
   そしたら見張りがそっちに向かうはずだから」

少女は、指先で地面に簡易的な室内図を書き、男の作戦の示唆を行った。

女友「…後は簡単に後ろをとれる。任せなさい、問答無用で見張りの奴らをとっちめてあげるから」

と、簡単に説明されたものの。男にとっては納得しかねるような雑な内容。
その思いが表情となって出ていたのか、短髪の少女は口の端を吊り上げて笑う。

女友「だいじょーぶよ。安心して、こっちも〝体質〟持ちだから」

女「相手も体質持ちだったら?」

長髪の少女が問う。

女友「…その時はもしかしたら、アンタの手助けが必要になるかも」

女「……。わかった、任せて」

重々と頷く様子に、男は多少の疑問を覚える。
言わばこの『街』に住む人々は全員と言っていいほどに、己の『体質』を自由奔放に使用している。
だが長髪の少女から伺えるものは──怯え、不安、そして苦痛。

男「……」

確かにこの状況下で、自分の『体質』を発揮し逃走を図ることに不安を覚えるのは当然のことだ。
しかし男にはそうじゃないように思えた。まるで自分の『体質』を──使うことに、

女友「じゃあ行くわよ。覚悟はいい? アンタの活躍にかかってるんだからね」

短髪の少女に呼びかけられ、男は思考の渦から浮き上がる。
慌てて首を縦に振って了解を伝えた。

女友「おっけ。それじゃあ──」

短髪の少女は拳を前に突き出し、強気に笑みを浮かべる。

女友「──脱出、開始よ」



油の匂いが鼻につく工場にて、二人の男が気だるそうに立っている。
どちらも薄い黄緑色の制服を着ており、胸の当たりには『西林』と刺繍された校章が施されていた。

「はぁ~あ。見張り役ってのも退屈だよなぁ」

「だなぁ。最近は南火校とのいざこざも多いしヨォ、変に大将が張り切って大変だぜ」

愚痴を零し合う二人は、手に持った木刀を軽く振るい合う。
その木刀の大きさは通常のよりも数倍大きい。刃の丈は大きさに見合った長さを持っていた。
しかし、それを難なく振るう腕は、着ている制服をはちきらせらんばかりに筋肉によって膨張していた。

「にしても、あの南火校の生徒…可愛い子多いよな? さっすが女子校なだけある」

「おいおい。別名鬼ヶ島校って呼ばれてるところだぞ? めちゃくちゃ性格悪いに決まってるじゃん」

「こっちは男子校だ! 女の子と知り合いたい!」

「何いってんだお前は──誰だ!?」

片方の男子生徒が声を上げる。もう一人が驚きで転けかける。

男「むぐぅっ!?」

二人のマッチョを縫うようにして飛び出した──両手を縛られた状態の男が走り去っていく。

「お、おいっ! 男が一人逃げていったぞ!?」

いち早く男に気づいたマッチョの一人が、気持ち悪い程の瞬発力で追いかけようとするが、

男「むぐっ………むぐぅうううううう!!?」

視界の先で、脱出を計った男が思いっきり転ける。
盛大に頭から地面へとダイビングをした。

「あ。コケた!」

「馬鹿だアイツ! おいそこのお前! そいつを捕まえろ!」

転けた男の数歩先には、持ち場を離れていた三人目の見張りが居た。
イマイチ状況を掴めていない様子だったが、しかし、すぐさま男へと駆け寄ろうとする。

「よ、よし! って、待て! 後ろ後ろ! お前ら後ろッ!?」

しかし男を捕まえようとして突然、大声をはりあげた。

「えっ?」

女友「ふんッ!」

「んぎゃっ!?」

叫び声を上げて、立ったままで居たマッチョが地面に崩れ落ちる。

「なん、」

駆け出していたマッチョが驚きで振り返る。
四肢を投げ出して涎と涙を盛大に零しながら痙攣するもう一人のマッチョがそこは居た。

女友「きゃああ?! ご、ごめんなさい! アタシ…こんなつもりじゃなくって」

短髪の少女が慌ててその場から後退する。その手にはスタンガン。
ロッド式の警棒の形に似たものだった。

「、ってオイ! 何やってるんだ! そのスタンガンは…!?」

女友「ち、違うんですっ! アタシは別に怪我をさせたかったワケじゃなく…!」

短髪の少女が目の端にジワジワと涙を浮かべる。
気が動転しているのか、派手な音を立てて放電するスタンガンを余裕なく振り回した。

「い、いいからそれをよこせ! オイ!」

マッチョが声を張って差止めようとする。
すると落ち着きを見せたように動きを止めて、短髪の少女は

女友「わ、わかりました…渡せばいいんですね…?」

「お、おう…わかればいいんだよ…」すっ

女友「じゃあスイッチを付けて渡しますから」

「え、ンギャアアアアアアアアア!!!」

放電されたままのスタンガンを手に取り、絶叫を迸らせてクネクネと崩れ落ちるマッチョ二人目。

女友「…ふぅ」

短髪の少女はパチン、とロッドをスカートの中にしまい込む。

「お、お前ら! 大丈夫か!? 今から人を呼ぶ──」

前方に居たマッチョ三人目が、捕まえていた男を放って、脱兎のごとくその場から走り出す。
彼の判断は往々にして正しい。この街では一見での自己分析では痛い目に合うのが常套句だ。

女「……」

だがそれも、この『街』では無意味になることも多い。

女「──ふわぁ~……」

室内入り口の影から蔓延るように身を出した長髪の少女が、
背中を見せた西林校の男子生徒に向かって──大きく欠伸をした。

「──から…待って…あ…? なんだ…眠気が…」

不意にマッチョの足取りが不規則になり、膝から崩れ落ちる。
まるで操り人形の糸がプツリと切れてしまったかのような、不用意さで。

男「……っ?!」

今日はここまで
以前vipで投下したのをリメイクし、それから地の文を足してまた投下します

続きは明日に
ではではノシ

男の目の前で、倒れこんだマッチョがイビキをかく。
顔面から倒れたにも関わらず、その痛みで起きることなく、マッチョの眠りは深かった。

女友「これでよしっと、案外簡単に片付いたわね」

女「うん」

監禁されていた部屋の入口で、二人の少女は確認しあう。
短髪の少女が爪先で倒れた男子生徒を突いて、無事に気絶しているのを再度確認。

女友「アンタも良くやったわ。まさかコケるとは思わなかったケド」

男「むぐ…」

男は不器用に体制を整え、その場に座り込む。
なんともまぁ凄惨な光景だった。大の男三人が、女子生徒二人に壊滅状態だった。
それが普遍的に起こってしまうのが、この『街』の恐ろしさだろう。

女友「はてさて。見張りはとりあえず放置しておいて、後は脱出するだけね…それと」

女「わたしは大丈夫」

長髪の少女が生気の無い瞳で頷く。
その少女の手には何かしら瓶のようなものが握られていた。

女友「…本当に? 頭が痛いとか、胸が苦しいとか無い?」

女「うん。平気」

少量の薬を便から取り出すと口に運ぶ。
細い喉がごくりと流動し薬を体内へ流し込んだ。

女友「そっか…うん、じゃあ行くわよ」

その様子を痛々しく見つめ、短髪少女は息を切る。

女友「騒ぎを聞きつけて来る奴も居るかもしれないし、さっさとアンタも早く起き上がって!」



女友「…変ね」

見張りを気絶させてから数分と立ち、
未だ見えぬ工場の出口を求め、走り回っていた時だった。

女友「最低でも数人と鉢合わせになると思ったけど、案外…
   …まあいいわ。とにかくもう少しで出れるはずよ、急いで!」

短髪少女は、疑問を断ち切るようにして駆ける速度を速めた。
丁度、その時であった。

女友「──あのドア! 確かあそこから入れられたハズ!」

男「…!」

前方に両開きの鉄製ドアがあった。
確かにそれはここに連れて来られた時に潜ったドアで間違いなかった。

女友「このまま行けば上手く出れるはずよ、早く───」

男「……!」

男も急いでドアへと走りだそうとする。
このまま上手く行けば無事に脱出が可能だ、しかしその刹那、

女友「──と、思ったけどやっぱダメ」

男「? ……むぐぅッ!?」

男の足が不意に宙へと舞う。そしてそのまま二度目の大転けをみせた。
原因は前方のドアに気を取られすぎて足元の注意を怠ったせいではない。

男「…ッ? …ッ?」

女友「あっらー派手に転ぶものね。ちょっと足をかけたつもりだったんだケド」

うつ伏せの状態で倒れた男は、短髪少女の表情を伺えない。
しかし耳にする少女の声は──ただひたすらに冷めていた。

男「…っ!?」

女友「ま、とにかく、なるほどね。西林校生徒が少なかった理由はコレか…」

男の驚きを他所に、短髪少女は周囲へと意識を向ける。
ここからそう遠くない距離で、多くの声が近づいてくるのが聞き取れた。

「おい! ここかよ男どもの巣窟ってのは!」

「らしいよー? ウチラのボス…黒猫さんが言うにはそうらしいねぇー」

男「……?」

会話が続く多人数の気配、前方のドアから響いてた。
既にドアの前まで来ているようだ。

女友「…そっちに人を送ったってワケか。それじゃあ人も少ないわよねっと」

短髪の少女が長髪少女の腕を掴む。
進行方向を変え、真逆へと走りだそうとした。

女「あ…」

女友「こっちのドアは駄目! 反対に逃げるわよ! 南火校の『黒猫組』は最悪中の最悪なんだからッ!」

短髪少女はここに来て初めて焦りを見せる。
額にびっしりと玉のような汗を散りばめさせ、吐く息も荒い。

男「むぐぅっ!?」

思いがけない展開に、男は倒れ込みながら講義の視線を送るが。

女友「アンタは囮役よ! 黙ってあいつらに捕まってなさい!」

女「ま、待って…」

長髪少女が握られた腕に微かに抵抗する。
チラリと地面に伏せた男を見つめ、迷いの表情を浮かべた。

女友「良いから! アンタこそあの黒猫組に見つかっちゃアウトなのよっ!?」

懇願する短髪少女は、全くの余裕はない。
いち早くこの場から逃げ出さなければと、力いっぱいに長髪少女を引き寄せた。

女友「お願いっ…アタシの言うことを聞いて…! ……アンタの体質は絶対にあいつらにバレちゃだめなのよ…?!」

女「……」

女友「…ね? 気持ちもわかるけど、ここは置いていくしか無いの…っ!」

女「……!」

少女が引かれる腕に促されるままに走り去る。
最後の最後に、男へ虚ろな瞳を彷徨わせ、やがて二人の少女の姿は薄暗い工場内へと消えていった。

男「……むぐ」

男は芋虫のように蠢き、ゆっくりと息を整える。
見事に短髪少女の小細工にしてやられたことは、既に、どうだっていい。

男「ふへぁー……」

大きくため息を吐いて、己の状況を出来る限り冷静に判断する。
己が陥っていた現実。それは流石に笑えないレベルのものだと理解した。

そうやってまとまらない思考の中で、男は視界の先で何かを見つける。
割られた窓から差し込まれた日差しに、キラリと輝くそれは──茶色の瓶。

男「…あふぇあ…」

その瓶は長髪の少女が持っていたものだった。
逃げ去る時に落としてしまったのだろう。男は這いよって近づき、後手で瓶を握る。

その瞬間、前方のドアが轟音を上げて吹き飛んで行った。

「やーと開いたぜぇ…ん? 誰だこいつ?」

「…東風校の制服だねぇ? なんで西林校のアジトに居るのかなぁ?」

男「………」

握った瓶をズボンへと挟み込み、素知らぬ顔で、工場内へと入ってきた女子生徒を見つめる。

「見たところ縛られてんぞ。捕まったんじゃね?」

「みたいだねぇ。それに、私らにも見つかっちゃったわけだねぇ…ふふふふ」

人数は少なくとも五人以上は居た。
外には未だ何人かの足音も聞こえる。絶体絶命とはこのようなことをいうのだろうと、男は思った。

「おーい! オマエラぁ! こっちこい! 珍しい奴がいんぞ!」

「なになにー? お、東風じゃん。めずらーし」

工場内へと入り込んできた少女は皆、全員真っ赤な制服を着ていた。
そらら全ての右肩付近には『南火校』と刺繍された校章が施されている。

「ねぇねぇどうするぅ? この子?」

「あー…どうすっか。黒猫さんにはなんら司令もらってないしな」

「…じゃーあ、好きにしちゃおっかぁ?」

棒付きキャンディーを加えた生徒が下品な笑い声を上げる。
その手には、ギラギラとビーズが散りばめられた品のないスマートフォンが握られていた。

「ぎゃははは! おまえってほんとゲスいよなぁ!」

「どうすっべ? 裸にひん剥いて、東地区のどっかにつるしとく?」

「おもしろそー! じゃあじゃあ! 写メ取ってみんなにおくろーよー」

「いいなぁそれ! ぎゃは! おい、おまえ……どうするぅ? くはは、これからちょっと…」

顔中に下衆な笑みを浮かべ、心底愉快そうに目元を歪めて。

「…おれらの相手してもらおうかって話なんだけどもよぉ?」

──この『街』では有名な『南火校』生徒は堂々と立ち振る舞う。

男「……」

この街──『黄泉市』では、東西南北と分かれ建てられた4つの学校がある。
中でも女子生徒だけを集めた──南火校。

「まったく運が悪いなぁ…オレら南火校…しかも黒猫組に見つかったからには」

「それなりのご褒美ってのをあげねえとなっ?」

「きゃははは! じゃあ、まずは声をきかせてよぉ? んふふ!」

「おい! オマエオマエ! 確か───『爪が伸びやすい体質』だったよな?」

「そうだよぉん! だからぁ~」

性格も含め、その凶悪さ、そして黄泉市では誰しもが持つ、
『体質』も悪質極まりない物ばかりだと噂されている。

「その猿轡を切ってぇ~」ズバァ!

男「っ……」パラリ

「…貴方の声をきかせて欲しいなぁ?」

「おうおう! 何言うつもりだ? 助けを乞うつもりか? いいぜー! まぁ無視するけどな!」

「ひっでー! ぎゃはははは!」

「きゃはははっはは!!」

南火校。別名鬼ヶ島校。近寄れば特などなく、こちらが不利益になり他ならない。
絡まれれば傷つき、集られればモノを失う。

男「……はぁ」

それが3つの他校が認識する南火に対する見解だった。
なんともまぁ、本当に不幸だと男は思う。

男「なんともまぁ──本当に、本当に──運が悪いというのはこういう事なんだろうなって、思うよ」

「なんだぁ? くひひ、そう悲観すなって! もしかしたらやみつきになっかもよ?」

「楽しい思いさせたげるヨォ~?」

南火生徒が微笑ましく男を笑いあげる。彼女らにとって、今までどおりのことなのだろう。
これから弄り倒し、そこから生まれる現実を──幾度と無く彼女らは経験しているのだろう。

男「…いや違うんだって。ごめんけど、本当に今だからこそ謝っておくけれど」

しかし、そんな当たり前に続く現実が──順当に続かないのが、この『街』の特性だ。

男「…僕は君たちを泣かしてしまうかも、だから」

これから先の現実は、とてもじゃないが辛いものとなる。そう男は予想していた。

男「…これも運命なんだろうか、いやいや、違うよな、うんうん、違うはずだ」

男は一人納得するように頷き、重たい腰を上げた。

「…ねぇつまんなーい! もっと泣いてよぉ? 叫んでよぉ?」

「頭が狂ってんじゃねーの? ぎゃははは!」

男(まあ、確かに、そう思うかもしれないな)

けれど君たちは──そうやって今まで全てを舐めきって生きてきたのだろう。
だからそういった意味でも、自分は本気を出して分からせないと駄目なのだ、と。

男(なんて自分に言い訳をする。ごめんなさい、本当は殴られたり弄られたくないだけだ)

かちり。と自分の中でスイッチを入れる。
過去の傲慢さを思い出すように、伸ばした指先を──己の目玉へと突き刺した。

しかし最後まで突き通すわけではない。
指先で軽く触れるようにして、素早く振り払う。すると、指の先には2つのコンタクトレンズが乗っていた。

「ねぇ? アンタの言葉を最後に聞いてあげる、後はずっと叫ぶか泣いてるばっかだろうし──」

「──だから、ねぇ? 何か言い残すことはあるかなぁ?」

苛々しげにキャンディーを奥歯で噛み砕いだ少女は、
刃のように鋭く伸びた爪を、男の首元に差し向ける。

男「──くっくっく……ああ、そうだなぁ…」

だが男は臆することも、怯えることも、謝ることもしない。

男「そうお前たちが望むのであれあ、取り敢えず形式的に言っておいてやるぞ」

「…は? 何だコイツ?」

女子生徒の一人がアホを見るような目で男を指さす。
だが、それも今までだろう。

そのような余裕を持てるのも──後数秒。

男「はてさて、南火女子生徒諸君」

男は大仰に声を張り上げ、ガラリと変わった口調に恥ずかしがることなく。
ただ傲慢に大胆に、言い放つのであった。


男「──下着の色は何色だ?」


工業用の油の匂いが濃く残った、作業員が足を運ばなくなって久しい工場。

男「…はぁーあ、やっちまった…」

強引に破壊された鉄製のドアを抜けて、一人の男子生徒が歩き去っていく。
制服はホコリだらけ、顔には幾度と無く転けた際に付いた傷が赤く腫れている。

男「もうコンタクトレンズ付けたくないんだけどなぁ。すぐに充血するし、いててっ」

無理矢理にコンタクを両目にはめ込んで、男はピタリと立ち止まる。

男「おっとと。こんなところにまだくっついてた」

ハラリ、と頭の上に乗っていた『モノ』を払い落とす。

──それは縞柄の女性下着。

男「…」

しばし地面に落ちた下着を見つめ、それから大きくため息を吐く。

男「…はぁ~、うおー! ダメだ駄目! 自己嫌悪に陥るな! フレッシュフレッシュ!」

気を取り直してずんずんと歩き出し、数歩歩いたところで、また肩を落として落ち込む男。

──そうして、この工場には誰の気配もいなくなった。

今日はここまで
続きは…未定!

ではではノシ

第一章

神に認められた土地──『黄泉市』
今から二十年前、この地一帯を襲った〝大地震〟があり、
過去推定最高の震度と言われる地震は、街を壊し、人を襲い、そして命を脅かした。

生存者はゼロだと推測され、救助隊も政府も絶望に染まった。

──しかし、神は人々を見捨てなかった。

死亡者は一人も居ない。重傷者も居ない。けが人も皆無。


教師「なんと! この災害による被害は──人の命を取らなかったのです!」

教師「奇跡とは、まさにこのようなことを言うのでしょう。先生も、まさに神を信じました」

教師「後の人々はこの土地を──神が認めた場所として呼び始めるようになりました」

教師「元とあった3つの市を合併し──大きな街を作り上げ」

教師「ここを『黄泉市』と名付けたのです」

教師「しかしながら、奇跡はまだ起こりました」

教師「──特殊な〝チカラ〟が目覚め始めたのです」

様々な場所において、その土地で震害を受けた人々例外なく力に目覚めた。
子供や大人、性別も国籍も関係なく──全ての人間たちに。

教師「人々は恐れたものの、それは神が授けた力だと言う人もいれば…」

教師「…地震による危険に晒され、人の脳が進化したのだという人も居ます」

教師「政府は全力で研究を重ね、そして昨今、それは〝体質〟と呼ばれるようになりました」

あらゆる研究機関が様々な検証を行い、各個人に特化したチカラがあることが実証された。
世の常識を覆すチカラは世の常識となったのだ。

教師「そして人が起こす奇跡のチカラ──体質は、みなさん生徒にも存在します」

教師「それは人によって多大なものもあれば、小さなものでもある」

教師「しかし、安易にその体質を使ってはいけません」

体質は個人に目覚める正しきチカラ。
そのチカラは単純でありながら【実生活の妨げ】になる可能性も秘めていた。
突如湧いた体質は、数千年と続いた現実には大きく負担を及ぼす。

だからこそ、この隔離された土地──『黄泉市』が作られた。

己に目覚めた体質をある程度制御できるまで。
つまりは第二次成長期を済ませ、世界の知識と自己形成を把握し。

この世で【体質】と共に生きていくすべを得る場所なのだ。

教師「この黄泉市に東西南北として設立された──」

教師「東風校、西林校、南火校、北山校」

教師「『黄泉市総合病院』を中心に立てられた学校ですが、」

教師「なんとも遺憾な話ですけれども、争いが絶えません」

教師「今から四年前にも、この四校によって行われかけた──」

教師「──?四校戦争?と呼ばれるもの」

教師「人を教える身として、教師という肩書きとして、先生はとても悲しい争いだと想います」

教師「ほんとうにっ…うぐっ…ほんとうにっ…先生はぁ…!」

突然、教壇に立つ御年45歳のベテラン教師が大粒の涙を零し始める。

「あーあ、また始まったよ先生の『泣き虫体質』が…」

「先生ー! もうその話何度も聞いて飽きましたー!」

教室内で声の通る二人の生徒が、泣きじゃくる教師を囃し立てる。
そんな態度の悪い生徒に、教師は赤く目を腫らしながらプリプリと怒りだした。

教師「うぐぐ! なんて言い草ですか! 先生は皆さんの心配をしているのですよぉ!?」

「だって何かあるたびにその話するしさー」

「その四校戦争だって、未遂に終わったんでしょ? じゃあいいじゃん」

教師「そういう簡単に済む話ではありませんよぉ!? 先生はひどく悲しんでます!」

教師「あなた方のチカラは争いを生むためのものではありません! 
    人々の暮らしを良くするための、素晴らしいチカラなのですぅ!」

端に溜まった大粒の涙を指先で拭き取り、流れだした涙のつぶ。
それは通常の涙とは比べ物にならないほどのデカさ。
軽くソフトボール程の球体を維持したまま、教卓へと落ち、豪快にはじけ飛ぶ。

教師「だからぁ…だからですねぇ!」

「せ、せんせぇー! 山田クンの顔が真っ赤です!!」

教師「えっ?」

「『保温体質』みたいですからヤバイんじゃないっすか!?」

囃し立てていた生徒の一人が、慌てて前方の生徒へ指をさす。

山田と呼ばれた生徒はフグのように頬を膨らませ、
更に顔色は潰されたトマトのように悲惨な色を彩っていた。

教師「な、なんと! 誰かこの中に『雨女体質』か『雨男体質』の生徒は居ますか!?」

「はーい! 私がそうですけどー?」

この一瞬までつまらなそうに携帯を弄っていた女子生徒が大きく手を挙げる。

教師「よ、よかった! なら山田くんを雨で冷やしてあげてください!」

教室の窓から見える空は、雲ひとつ無い日本晴。
この状態からどうやって雨を降らせるのか。いや、降らせられるのが──【体質持ち】なのだ。

「そうしたいのはやまやまなんですけどー私って勝負事で三回連続で勝たないと、雨が降らせなくって~」

教師「じゃ、じゃあ隣の生徒とジャンケンをするんです! はやく!」

「はーい! じゃんけーん、ぽん!」

「せんせぇー! 山田くんの頭が燃えてます! すっげー燃えてます!」

山田の天然パーマにポッと火が灯る。一気に燃え上がる頭。
悲鳴と怒号が教室獣に響き渡り、一人は笑い、一人は悲しみ、一人はやれ騒げと踊りだす。

教師「ぎゃー! し、仕方ありません! 先生の『泣き虫体質』の恩恵──大量の涙で冷やしてあげましょう!」

「山田ぁー! ぎゃー! 火がカーテンにっ…ぁああああああああ!!!!」

慌てふためく教師が山田を取り押さえようとするが、
ゴロゴロと吹き荒れ始めた空模様に押されカーテンに火が移る。

男「……はぁ」

今日も今日とて、男が通う東風校は平和なのだった。


※※※


東風高校は黄泉市の中で北山校と続いき、2つ目の共学だった。
学校ごとに体質や性格、基質の違う子供たちが通っており、
勿論のこと入学する先の学校は個人ごとに選ぶことができる。

男「……」

「やあ男。もう帰るのかい」

男「まあな。今日は用事があるんだ、とっても忙しい用事がな」

この男と呼ばれる生徒も、周りの生徒と同じように自分から東風を選択した。
かくいうそれは──大きく意見は変わっているのだが。

「ふーん。そうなんだ」

カバンに教科書等を詰め込みいざ立ち上がった男。
隣には年齢と性別にしては背の小さめな男子生徒が朗らかに笑みを浮かべている。

友「一体どこに行くのかな」

男「…見れば分かる話をするなって」

友「あはは。ごめんごめん、慣れないコンタクトレンズに目が真っ赤だもんね」

男「ああ、そうなんだよな。イメチェンのつもりで変えてみたけど、やっぱり俺には向いてないかも」

友「意外といい雰囲気だけどね。昔の君みたいでさ、けれど身体にあってないのならやめたほうがいいよ」

男「……。変な言い方をするな、普通にやめとけと言っとけ」

異物を除外しようと瞳が鈍い痛みを発しているのを、男は残念そうにため息を零す。

友「またもやごめんって言っとくよ。あはは」

男「それで何のよう?」

友「うん? えっとね用事があるなら別にいいよ、なんかこれから他校と合コンがあるって誘われたから。
  君もどうかと思って聞いてみたんだ。けど、用事が終わったらくるかい?」

男「…お前が行くのか?」

友「誘われたからにはね。それで、君はどうする?」

さらっと言いのけた他校との合コン。
それは決して男子校の西林でも女子校の南火でもないことは重々承知だった。
北山高校。通う生徒は割りかし基質としては東風と近いので、微々たるものだが交友関係もあった。

男「あー俺は別にいいや。友は知らないだろうけど、この前みたいに大変なこと起こりそうだし…」

友「大変なこと?」

友と呼ばれた男子生徒は意図しない言葉に驚く。

男「前に山田とかそこら辺の男集めて、いざ始めようとしたらさ。
  お互いの体質が反応しあって警察やら病院送りやらで……滅茶苦茶だった」

友「なにそれ…え? それで合コンどうなったの?」

男「会場場所だったカラオケが燃え尽きて、終了」

友「……あの炎上騒ぎって君たちが原因だったのか……」

一時期火災事件として黄泉市でも報道されていた。
しかし、そういった事件は頻繁に起きるので、また違った報道に一瞬で流されてしまったのだが。

男「お前も気をつけろよ。なにがあっても決して諦めるな。逃げ切れ、そうすれば明日も学校に出れるからな」

友「決して合コンに向かおうとする人にいうセリフじゃあ無いね……うん、分かった頑張るよ」

引いた椅子を戻し、数時間後の友の未来を案じつつも、男はサヨナラを告げる。

男「じゃあ俺は行くぞ。また明日学校で」

友「うん! …あ、そうそう。そういえば最近、南火校が色々と活発みたいだから気をつけてね」

男「……南火が?」

行き先急いでいた歩みがふと止まる。
今の男にとって聞き捨てならない情報だった。

友「四年前の戦争未遂から、南火校のトップ争いが絶えないみたいだよ。 でも、ここ最近は沈静化してるって話もあるし」

友「どうやらボスが決まりかけてるみたいだね、ボクの予想によるとあの赤髪の彼女が───」

男「そこまででいい」

話を断ち切るように男は顔をそむける。
友は困ったように笑い、そしてつぶやいた。

友「あ。うん、ごめん…ちょっと要らないこと言い過ぎたね」

男「…すまん、心配してくれてるのは分かってる。けど、俺はもう関係ないんだ」

歩き出し教室のドアへと手を掛ける。
男は指先に感じるドアが少し、重く感じた。

男「南火も四校戦争も全部、今の俺には関係ない」

友「……」

男「だから、そういことだってことで……うん、じゃあ頑張れよ」

友「うん、また明日!」

ガラリと開け放ち、消え行く男の背中を見届けつつ。
友は浮かべていた笑みを消して、誰にも届かない言葉を吐く。

友「…君は本当に四年前から変わったよね」

小さな言葉は誰にも伝わることはなく。
太陽が上る雲ひとつない空は、今日もまた一日を終わらせに沈んでいく。


※※※


男の目的地は言わずもがな眼鏡屋だった。
東校を中心にして【東地区】と呼ばれる区域にはメガネ屋は存在しない。
つまりは存在する区域に出向かなければならなかった。

今日はここまで
続きは明日にノシ

男(東地区にもメガネ屋があれば便利なんだけどな。そうも上手くは行かないか)

各区域にはそれぞれ別に、日常的に必要とされる店が建てられている。
東地区にあれば西地区にはない。南地区にあれば北地区にはない。
そういった不便さが黄泉市で特筆すべき所だろう。

男「コンタクトにするべきか、だが眼鏡は掛けるだけで便利だしなぁ──」

この街の住民たちは皆慣れたものだったが、ある時期ではその不便さが問題となり。
誰も、なんの得にもならない争いが絶えなかった。

男「──……?」

男の向かうメガネ屋は【南地区】にあった。
出来ればこの区域は余程の用事がない限りは近づきたくないものだったが。

男(この路地裏──なんだ変に視界に喰いついてくる)

南地区名物の『人気のない路地裏』。
ビルとビルの隙間に出来た不用意なスペースに、男の『視線』は微かに反応を示す。

男「……」

良からぬ気配を感じずには要られないが、己が汲み取ってしまった『体質』は無視できない。
目を逸らして素知らぬ顔で通り過ぎることは、男には出来なかった。

男「むっ!?」

鼻孔をつく異臭。足を一歩踏み入れただけで漂う清潔さを感じさせない雰囲気。

こと黄泉市では4つの区内ごとに清掃員が配備されている。
この現状は清掃が行き届いてない、のではなく、多くの人間が汚すことを前提にしている輩が多いからだ。

そしてなにより南地区は他の地区よりもっとも──女性人口が多い。
とんだ自己解釈だが、至ってシンプルにそういうことなのだろう。

男(友もよく言ってたな。女子校は夢パラダイスなところじゃない、最もリアルに地獄に近い場所だって)

良くわからない匂いと降って湧いた悪寒に身震いをしつつ、
薄暗い中。気配だけを鋭敏にさせ、路地裏へと足を運ぶ。

男「…なんだ、あれ」

すると前方に、なにか蠢く物体が視界に入った。
乱雑に放置され山積みとなったゴミの中で、明らかに意思を感じる動作を続けるモノ。

がさごそ。
       がさごそそ。

男「………」

一見では野犬の可能性を考えた。
しかし、近づくにつれてより明確になっていくモノは──どうみても、

男「人の……尻?」

見間違いだと理性は訴えている。
合わないコントレンズをつけているせいで、ぼやけた視界が誤認しているのだと。

男「……、」

だがどう視てもアレは人の尻だった。ゴミの山からにょっきりと生えた、二本の真っ白な足。
上半身はこれでもかとゴミの山に頭から突っ込まれていた。

男「…………、」

そしてパタパタと悶えるようにばたつかせる足の根本には、嫌でも見覚えのある真紅のスカート。
それは先日、あの湊町の倉庫で大変お世話になった連中の制服。

男「…………………、」

間違いなく南火校生徒だった。
野良犬や野良猫、または可能性として好奇心旺盛な男子生徒、ではなくて、

ゴミの中に紛れているのは──女子生徒で、アレは良いんだ。

男(うん、逃げよう見なかったことしようか)

そうなれば決断は早い。
露骨にいいものを感じない女子生徒から一秒でも早く遠ざからんと、
振り向く手間も惜しむほどに、ゆっくりと路地裏から逃走を図る。

じりじり、と──

抜き足差し足でこの場から遠ざかる。
視界に揺れ動く尻を収めながら、少しでも異変があれば一目散に走り出せるよう神経を張り詰めた。

男(もう少し──もう少し──で……)

すぐ後方には路地裏の入り口が迫っていた。
一歩、一歩でいい。この足が日影の空間から出てくれれば、この不安は霧散する。

男「──今、だっ」

吐き出した掛け声と共に、後ろへと振り返る。
一切の無駄なく後腐れもなく、全てを見なかったことにして走りだす、

男「なっッ…………うッ…おおッ!!?」


──事は出来なかった。


己の【眼】が、身に降りかからんとする【危機】を察知した。

振り向くのはまずい。
逃げ出すのは危険だ。
そして、この場に突っ立っていることが何よりも駄目だ。

嵌めこまれたコンタクトレンズの障害すら突き抜けて、
ただいっぺん足りとも思考を絡ませずに、条件反射より最速に、

『体質』は発動した。


───バチィィイイイ!!


頭上で派手な音を立てて、何かが通過した。

男「はっ──はぁっ…はぁっ…!」

彼は振り向く瞬間、次の行動を走りだすのではなく、しゃがむ行為に変換させていた。
両眼はズキズキと痛みを発し、鼓動は早鐘を打っている。

何かが、頭上を、通過した。
それが何かはまでは把握できない。しかし、それは今なんだって良い。

男(俺の体質が──発動した、って──)

改めて脳が陥った状況に理解を示し始めた。無意識的に体質が発動した自体に驚いてるのではない。
そんなのは昔からあることだった。むしろ無意識でやれるからこそ、彼の体質は脅威なのだが──

男「…うっ…!」

目の前には2つの足があった。今度のはゴミに山に突っ込まれているわけでもなく、真っ直ぐに地に立っている。
するとつまり先程から、彼の真後ろには気配をさせずに誰か立っていたことが分かる。

けれど、それもどうだっていい。

足の根元には──これまた見覚えのある、ありすぎて困る真紅のスカート。
南火校女子生徒。今日日二人目の遭遇はまた、顔を確認できないでいる。
その女子生徒は後方から容赦無い一撃──電気スタンガンを彼に浴びせようとしていたのが分かる。

けれど、それもどうだっていい。

俺がなによりもこの状況で『恐怖』しなければならないのは、目の前の要因だけだった。
二本の引き締まった足、気配をさせずに後方に立ち、電気スタンガンで攻撃をくわえていた南火女子生徒の、

──パンツを引き下ろしてしまっていた。

男「…やっちまった」

すぐにて後悔。
出来る限り己の体質を【制限】していたとしても、咄嗟の発動はどうしようもない。
2つの脹脛の中間で、橋のように繋がったパンツを握りしめたまま、

男「すみませェん──何処の何方かわかりませんけど、」

ゆっくりと目線を上げて顔を確認する。

男「出来れば怒らない方向性で居てくれれば、ありがたいなって…」

女友「……………」

男「あ」

その顔には見覚えがあった。
先日、あの油の匂いが残った工場内で、男と同じく西林に捕まっていた短髪の少女。
呆然と何が起こったのか分からないような表情を浮かべ、じわりじわりと、目線をコチラへ向ける。

男「………」

女友「………」

巻き起こる無言の応酬。
一瞬足りとも微動だにしない二人は、互いに状況判断に全力を持って脳を活用していた。


──何かが起こるまで、きっと、この状況は動かない。

男「……ッ!」

そういち早く算段を付けられたのは、やはり『女子のパンツを下ろし慣れている』男のほうだった。
あらん限りのチカラを足元へ集中させ、しゃがんだ姿勢のまま後方へと思いっきり体勢を倒した。

女友「こ──のッ!」

上方の短髪少女の顔が赤色に染まるのが、男の流れる視界で確認できる。
伸ばしていた腕を振り下ろし、電気スタンガンが男のこめかみに高速で迫る。

男「ちょ、まっ!? あぶっ!?」

男の姿勢は既に後方へと伸びきっていた。
顔から数センチ先をスロッド先端が音を立てて空振り、鼻先が焦げた空気の匂いを感じ取る。

男「ッ───……ぐっはぁッ!」

カエルのように両足で地を蹴り出し、背中から地面へとダイブする。
間一髪、短髪女子との攻防を成し遂げた男は、荒い息を吐きつつ、すぐさま体勢を整えた。

男「なん、てことをするんだよ! たかがパンツを下ろしただけで───」

女友「死ねーぇ!!」

バチチチ! と、握りしめた電気スロッドが躊躇いなく迫り来る。
しかし降ろされたパンツはそのままで、その走りだした足元は危うげで。

男「待て! その状態で走ったら危なっ───!」

だが時は既に遅し。

女友「絶対に許さ──ぬあっ!?」

二歩目にて、引っ張られる形で片足が空を切る。

バチバチと電流を発するロッドは宙に放り投げられ、
勢い任せで飛び出た為に、反射的な制止もいうことを聞かずに。

男「って、こっち来るなっ!」

無防備な身体が男の方へと倒れこんでくる。
男は口だけは拒絶したが、既に腕は差し出して受け止める体勢に入っていた。

男「うごぉっ!?」

女友「きゃああっ!?」

どっしーん。
チンケな効果音のまま、二人の身体はもつれ合う。

男「痛たた…」

視界の先で、コン、と地面に落ちるロッド。
全身に起こる鈍い痛みにため息を零しながら、男は我が身に起きた状況を確認する、が、

女友「んっ」

鼻孔をくすぐる柑橘系の匂い。
痛みに震えているのか、触れている部分が女性としての柔らかさを直に伝えてくる。

男(あ。柔らか)

仰向けになっている男に覆いかぶさるように、
短髪少女は──何かを耐えるように、ぎゅっと男の制服の胸元あたりを必死に握りしめていた。

男「…えっと、あの、ちょっと…?」

女友「ひっ!?」

びくん、と少女の肩が跳ね上がる。
まるで思わぬ唐突な刺激に惑わせれているような、今もなお、その刺激に悩まなされているような。

男「……あれ?」

ふと──何かに気づいた。
この両手に握られたモノはなんだろうか。柔らかく、そして指先にしっとり吸い付くような感触。
少女の身体が震える度に、伝わる感触が七色に変化し、けれどしっかりとした形を保ったモノは──

男「………」

もみもみ。

  もにもに。

    むにゅむにゅ。


女友「いっ…いい加減にしなさいよッ──そろそろ……ッ!!」

無意識に指先で感触を楽しんでると、目の前には多大な怒気。

男「えっ、あ───っ…!?」

女友「いい度胸じゃないアンタッ…!! ひ、人様のお、おしおしっ……!!」

燃え滾る怒りの炎が爛々と両眼に宿り、
その臨界がいざ迎えんと直感で理解した瞬間、

男「っっっ!」

魅惑な感触から即座に手放す。
だがそのような反応は、時既に遅い。

男「あれ、もし、かして……お尻触って、た?」

女友「ッッッ!!!」

神速にて放たれる拳。男に拳の軌道は見えていたが、
互いに密接してた為に避けられるわけもなく。

男「ぷごぉっ!? ちょ、まっ…!! 話しあえばわかるはずだ! まずは話しあおう! なっ!?」

男は豪快に頬を撃ちぬかれるも、健気に無毛な助言を口にする。

女友「死ねっ! 死ね死ね死ね死ねぇ────!!!」

乱打。乱打。乱打。
覆いかぶさった短髪少女は一切の情け容赦無く、それはもう的確に男の顔面にわたる急所を殴りつける。

男「どはぁっ!? んぐっ!? ぐげぇっ!? まっ、て、マジでしゃれないんないから───」

やばい。これ死んじゃうわ。
咄嗟に構えた両腕のカバーを難なくすり抜け、短髪少女が打ち出す弾丸はガチで命を獲りに来ていた。

男(鼻の骨、おれ───)

嫌になるほどの正確性。
一見感情任せの殴打に見えるが、しかし実態は人を拳で殺せる急所を着実に攻め切っている。
いくら女子供と言えど、その気合と怒涛が秘められた暴力に怪我以上の危険性を感じずに入られなかった。

男「うぶっ!?」

振り下ろされた一打。
またさらに一打。

もうひと更に一打。

男「ぐっ!? だっ…!? ごぉっ!?」

流石に耐え切れないと男は全身を持って暴れだす。
いくら優位的なポジションを取られようとも、男と女、身体的優位は覆らない、

男「っ……!?」

──はずなのだが、なぜか身体がびくともしない。

まるで縫い付けられたかのように微動だにしない下半身は、水面でもがく虫のよう。
踵は無様に地面を掻くだけで、それ以上の駆動を制限されてしまっている。

焦る。焦りで状況を速やかに把握できない。
なぜだ、なにゆえに身体はいうことを聞かない───

女友「はぁっ! はぁ、はぁっ!!」

男「っ…!」

霰のように降り落ちていた拳が、ふと影を潜めた。
殴られすぎて重くなった瞼を薄く開き、おそる恐る男は確認する。

女友「あ、あんた意外に頑丈じゃない…っ! こんだけ殴って意識保ってんの、あんたが初めてよ…!!」

男「……っ…そうでも、ないっ」

女友「っ…返事も返せるなんて、ちょっと自分の拳に自信が無くなってきたわ」

なくなっちまえそんなモン。
男は心中で愚痴る。そして、チラリと見た少女の顔には焦燥と疲労が伺えた。

逆転を狙うなら今しかない。
拳が降り止み、体格差と現在の体力差を考えれば状況は動く。

女友「──今ならあたしを負かせられる、とか思ってるんでしょうね」

男「……え」

女友「わかるわよ。はぁ、くっ、あんたからビンビンと──『そういった気配』を感じるもの。はぁ~…はぁっ…」

けどね、と彼女はニヤリと口端を歪め。

女友「これ見える? 見えるなら首を縦に振りなさい、振らないとノータイムであんたの顔面にブチ込むから」

その手には【電気スタンガン】が握られたいた。

男「ッ…!?」

青白い電流を迸せるロッド。
男は驚きで息を呑む。しかしそれは突如切っ先が向けられた事ではなく、

男(なぜ『あの位置に落ちていたロッドを拾えたんだ……!?』)

疑問は答えを得ずに脳内で駆けずり回る。
男が確認した最後のロッドの行方は一メートルと離れた所だったはず。

なんら手を抜くこと無く男の顔面を強打していたにも関わらず、その手には電気スタンガンが握られている事実。

男「たっ…体質、か…!」

女友「あら。あんたってば呑気に状況を飲み込もうとしてるワケ? よっぽど問答無用に電撃浴びたいようね」

不敵に笑みを浮かべる彼女で、男は無事に答えを知り得た。
短髪少女は何らかの『体質』によって、この場を制しているに違いない。

体格の差。状況の不利益。機微なる動作。

それら全てを独自で把握し、かつ己を相手より『上級者』として昇華させる手際。

男(この動かない下半身もまた、決して偶然じゃなくコイツのせい──!!)

さすれば先ほどの乱打もフェイク。
本命という電気スタンガンを安全に手にするまでの時間稼ぎに違いない。

男「……わかった。ここは一応、頷いておく」

こくり、と。命令通り軽く頷き返す男。
無事に帰還したければ素直に従うほか無さそうだと判断した。

女友「そ。なら良いわ、けど───」

男「ああ。俺に話があるんだろ、わざわざスタンガンを拾い直してるんだ」

バヂリ! と撓む電流の波を一瞥し。

男「分かりやすい凶器は脅しとして有効だし、円滑に事を進めるのに役に立つからな」

女友「へぇー……呑気なアホかと思えば案外。まぁ良いわ話がすぐ終わりそうで助かるしね」

なにか試すような視線を向けた後、
指先をスタンガンのスイッチに掛けて威力を数倍高め上げた。

女友「クマでも一撃で気絶する電流を浴びたくなかったら、答えなさい。あんた『黒猫組』に何吹きこまれたのよ?」

男「…黒猫組?」

怒気の孕んだ詰問に、男は疑問を浮かべる。
黒猫組。どこかで耳にしたようで聞き慣れない名称。

男「あの連中か……港の倉庫で捕まった時、多くの人数を引き連れていた」

品の無い雰囲気を纏わりつくしまくっていた女子生徒達。

今思い出すだけで怖気が立つ。
他人を陥れ、こと傷つけることに対してなんら躊躇を見せない集団──黒猫組。

元より【南火】であってさえも、この街では恐怖の対象源とされているのに、
あの連中はその中でも一線を画している。

存在を既知ではなかった男が一目で分かるほどなのだ。
黒猫組とは如何にどのような人格性の集まりなのかと。

女友「わかってるなら答えなさい、良い? これは質問じゃなくて命令なのよ。アンタが黒猫組と関わっていることなんてお見通しなんだから」

男「…何でそう思うんだ」

女友「そんなの、あんたが無事に外を出回ってるの所で一目瞭然じゃない! あの状況下で、なんの被害もなく歩き回れるほど──アイツ等は優しくない!」

短髪少女の荒げた声に順応するかのように、ロッドが火花をあげる。

女友「一体どんな弱みを握られたかは知らないけど、あたしには関係ないこと。けれど、そこから先は見過ごせない」

男「……」

男は自然と身体が強張る。
一見強気に見える少女の態度は──何処か今にも崩れそうなほどに危うく感じた。

答えを間違えれば、問答無用に電気スタンガンが顔面に突き刺さる。
一呼吸後の近視される未来に──緊張を覚えながら、男はゆっくりと口を開いた。

男「俺が脅されて、あんたらの動向を探れと命令されたとでも…思ってるのか…?」

女友「ッ……!」

少女の表情がピシリ、と強張る。
なるほどな、と男は思った。

短髪少女は男を疑っている。
事実、男は何事もなかったかのように【南地区】に出向いているのだ。

無傷に無防備で。昨日まさに危機的状況下で捨て去った人物が──呑気に町を歩いている。

そんな姿を見かけた日には、何事かと驚きを隠せないだろう。

男「言っても信用しないと思うけど、俺はあの後──ちゃんと一人で帰ったし、奴らからも逃げ切った。
  だからあんたらの事を話すこともなかったし、そもそも話せる機会もなかった。それだけだ」

女友「嘘よ…! 逃げきれるわけがない! 少なくとも十人以上はあの場には居たはず! しかもアンタは両手を縛られていた…!
    アンタじゃなくても、どんな屈強な体質や体格を持っていたとしても、黒猫組相手に代償なしで逃走は不可能よ!!」

男「まぁそうなると思う。俺だって馬鹿みたいなことを言ってるってわかってる。けど、それが事実なんだ」

一字一句、気合を入れて言葉にする。
少しでも信用を得るために嘘を交えずに。ただひたすら事実を口にする。

男「俺はお前らをバラしてない。それだけは信じてくれ」

女友「ッ……じゃあアンタは何でここに居るのよ、しかも、どうして女に近づこうとしたのよ…!!」

男「女?」

ふと脳を掠める名前に、該当する人物が居ない。

そも南地区に訪れている理由は男個人の問題だ。
少女から疑われる余地を持たせるのは仕方ないとしても、上げられた名前の人物に心当りがない。

男「ごめんけど、何でそこで女…さん、の名前が上がるんだ?」

女友「はぁ? アンタも見たでしょ、あのゴミ山に突っ込まれてる足!」

男「………………あれが?」

忘却しようにもこびり付いてしまった景色。
パタパタと暴れる二本の真っ白な足。真っ赤なスカートから伸びる肉付きのいい太ももは、うん、忘れ用もない。
まさかアレが、あの時の長髪の少女だったなんて思いもしない。

女友「路地裏で、しかも顔も見えない状況でバレるとは思わなかったけど……アンタはちゃんと感づいて近づいていった…!」

男「ま、待ってくれ! 違う、それは勘違いだ! 俺はまったくもって女さんだとは気づいて無かった!」

思わぬ着眼点からの攻撃に、男は焦ってしまう。
こればっかりは言葉が出ない。なにせ、路地裏に近づいた事実を説明し得るものを男は持っていなかった。

己の体質が反応したなどと、言えるわけがない。

女友「…そう、素直に白状する気はないってコトね」

少女の目に判決が意が灯る。
しまった──と後悔しても遅い。男は冷静さを欠いてしまった。

男「違うっ! お前は最初から全部勘違いをしているんだって!! 俺は……!」

女友「勘違いだって、なんだって良い。あたしと女にとってあんたは──良くないものだということには変わりはしないから」

少女は意を決したように口を一文字に引き締め、

女友「外敵不安要素は全て排除する。それはアタシのモットーなの、だから───」

一際派手に弾けたロッドを握りしめて、短髪少女は端的に告げた。

女友「──物事が終わるまで総合病院で伸びててもらう。悪く、思わないで」

言葉とは裏腹に、微かに懺悔を思わせる残滓を残しつつ、
両手に持った熊でさえも悶絶させる一撃を振り下ろさんと、

男「ッ───」

男は咄嗟に瞼を閉じる。
迫る凶器。狭まる狭軌。接する狂氣。

振り上げた腕もすり抜けて、きっと迫り来る一撃は躱せない。

男(──やっぱり駄目なのか)

既に陥ってしまた状況を覆せる機転は起こりえない。

男(駄目なのか、これじゃあ俺には駄目なのか)

男は限りなく無力だった。一秒にも満たない刹那の中で──深く深く、後悔。

男(俺は『こうする他以外の方法は駄目』なのか──)

そして男は決意する。
それは、身に降りかかる絶望的な脅威にではない。

確かに男は無力だった。しかしそれは──

男(……ごめんなさい。けれど許してもらおうとは思ってない)

彼が弱いからこそ弱いのであって、
【彼自身が持ちえる価値が消失したワケじゃない】。

弱者は元より弱者だ。
望まない限り強者へと変革はなり得ないだろう。

しかし強者が弱者となり得ていた場合。
それはきっと何かしらのセーブを持ちえていた時だ。

ストッパーと呼ばれるものは個人で自由に制御できる。
出来ぬものも居るだろうが、彼にはそれが出来得た。

自らその【制御】を確立させ、無意識にも価値を陥れる。

だが今はそれを──彼は解き放つ。

男(傲慢になれ。強欲になれ。常に己は強者であると疑うな)

かちり、とスイッチを切り替わる。
それは大きくこの場の状況を塗り替えるほどの、絶大なる転機。

身を焦がす巨大なチカラは電流の様に身を駆け巡る。
それでは問おう、彼は一体、何者か?

男(──俺は誰よりも傲慢で強欲で最強の……【王】…!)

己の本心すら騙し切る過剰な自己顕示欲は、解き放たれた瞬間、瞬く間に男の常識を覆す。
体質が──彼の体質が全力を尽くし、世界の常識をも凌駕する。

この時、初めて男は『短髪少女の顔』を『視た』。

それは通常の視認ではなく、体質としての認識。
【発動させる為が故の行動起源】。かくいうそれは、本来それは閉じた瞼を開ける必要性すら無かった。


ただ、少女を【対象】として視るだけでいいのだから。


男「っ……うぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


声を荒げる。突き出された己の手。
如何なる者も到達できぬ、彼だけが可能な域へと────






ぽにょにょにょん。





女友「ふぇ?」

静寂。世界の全ての音は死に絶え無が訪れた。

男「フン。どうした?」

無限に続くかと思われた冷死した空間の狭間で。
彼は──優越に身を満たしながら、笑う。

男「当てられてないようだが、その一撃は」

女友「っ……!?」

少女の顔が驚愕に染まる。
確かに振り下ろされたロッドは男の顔面ではなく──地面へと刺さっている。

女友「な、に……っ!?」

そして外敵と見なした標的に諭された故の驚きではない。
これは、一体、何が起こっている?

男「分からないのであれば説明してやろう」

ガラリと変貌した口調ぶりのまま、男は現実を告げる。


男「──俺は今、君の胸を揉んでいる」


もにゅもにゅ、ぽよよん。
さしてはそれ程まで豊満な重量を感じないのだが、ふむ、Bといったところか。
男は冷静に片手で胸を揉みしだきながら感想を述べる。

女友「きっ」

絹を裂く悲鳴。
己の双眸は空を裂く声よりも素早く、更なる現象へと着手する。

女友「ゃああああああああああああああこのヘンタイがぁああああああああああああああ!!!」

弾頭。そうそれは弾頭だった。
縦横無尽に貫かれるロッドは見境なく対象へと降り落ちる。
勢いを持って高速に放たれる電気スタンガンはもはや銃弾に近い。

元より持ち得る効果を十二分に発揮できない攻撃。
だがしかし、その一撃は重い鈍器となり男を襲う。

当たれば死。良くて後遺症。悪くて凄惨な生き地獄。

男「甘い」

──しかし当たれば、の話だ。

男「たわけっ!冷静さを欠いた乱雑なものは! 俺に当たりもしなければこのまま胸を揉まれ続けるだけだぞ!!」

躱す。躱される。紙一重で銃弾は男の横を掠めていく。
マウントポジションをという不利な状況下でありながら、男は難なく雷撃の雨をすり抜ける。

そして伸ばした両手は彼女の胸を揉みしだく。

女友「いっ……!! やだぁああああああああああああ!!!」

一際盛大な悲鳴。心地良とばかりに、嗤う男。

勢いを増す雷撃の弾丸。持ち手には既に冷静さのかけらもない。
それに対する男の動きは不可解極まりなかった。

男「くっくっくっ」

女友「いっ…あっ! んんっ……ちょ、ばかっ! んだぁあああああああ!!」

確かに彼女から放たれる一撃に先ほどの素手による乱打よりの鋭さは伺えない。
だが、男がそれを避けれるとは如何様なことなのか。

女友(なによこれなによこれなによこれ!! どーいうことなのよっ!!?)

一瞬前にあった決め手となり得た一撃。
男はそれを無残に受ける手段しかなかった筈だ。彼女もまた、これで終わると確信していた。

しかし現状はこうだ。
こうなって、そうなってしまっている。思考し言葉にするのが恥ずかしくて馬鹿らしくなる。

冷静とは程遠い思考回路。躱される焦燥感と、不敵な男の笑みの不快さ。
そして毎度毎度スキを付いて伸ばされる手に──揉みしだかれる、胸。

女友「ひぁっ!?」

思ってもない声が漏れた。顔が羞恥で真っ赤に染まる。
弾くように掠めていった男の指が、下着を通り越して少女の頭頂部をさすり上げる。

女友「っ……この……!!!」

更に腕に力が篭った。既に己では感情の制御をできていない。
だがそれがどうした。もはや相手は殺していいと思えるほどの仇敵となったのだ、躊躇いや後悔などを生み出す感情など捨て去って結構──!

更に勢いが増す決め手。
当たればいい。一撃だけでも、いや触れれさえすれば電流が駆け巡り決着はつく。

男「それが甘いというのだ。何故わからんッ!」

少女の意図を見透かしたかのような発言に、彼女の意識に一瞬の間が生じた。
それは均衡した対面で致命的なまでの隙──!

男「だが許そう。この胸の礼だ」

ニヤリと口元を綻ばせ、

男「ふっ───!!」

一息吐いた瞬間、蛇のごとく畝る手腕は少女の背中へと回り込み。


パツン! と彼女の胸が弾けた。


女友「っ~~~~~!!?」

何が起こったかのかはいち早く理解できた。
しかし脳と心がそれを拒む。無理だ、信じたくない、そんな現実あってはイケないはずだ。

男「おっと。下と同じく縞柄か、いい趣味をしていると言えるな」

だが、視界はありありと起こってしまったリアルを見せつけてくる。
彼が握っているのはブラジャーで間違いない。彼の所有物でもないことも、わかっている。

女友「あん、た───……ッ……!!」

男「そうも激怒するな縞パン少女。極めて限りなく平和的に事は進んでいる。クック、望んでも叶わぬ状況だぞ」

指先で摘んだブラジャーを弄びつつ、男は皮肉げに嘲笑する。
状況は女子生徒にマウント取られて仰向け状態に変わりないのだが、不屈な態度がそうも思わせない。

場は動かなくとも、彼は勝者。
互いが用いる精神的リード権を握っているのは男で間違いなかった。

女友(なん、なのよコイツ…ッ…!! 一体何なのよッ!?)

彼女──女友の疑問はもっともだった。

女友(コイツの動きはまるで無駄! 無駄で出鱈目で無茶苦茶じゃないっ!
    あたしの打撃を突然避けきったことは百歩譲って認めたとしても! そのっ…過程にある…!)

胸を揉まれる行為については理由が付けられない。
ハッキリ言って無駄の極致だ。揉むぐらいなら不利な状況下を打開したほうがよっぽど意味がある。

けれどコイツは揉む。なにがあっても揉んでくる。
ロッドの切っ先が頬を掠めようとも、散らした火花が肌を焦がそうが、

──身の危険を犯してまで、女友の胸を執拗に揉んでくる。

女友「……ッ…」

そして極めつけがコレだ。
目にも留まらぬ神業で女友のブラホックを開放し、その手を返して素早くブラを抜き取った。

男「まずは話し合いと行こうじゃないか。些か荒行事だが、こうやって時間を得られたことは互いに幸運だと思うべきだ」

女友「…なによ、互いに幸運って…!」

男「違うか? 挑まれれば挑み返すような野蛮な主義ではないが、俺とて無作為な──怪我人など出したくない」

これは脅しだ。
男の言い出しは和平を求めているように見えて、限りなく命令に近いもの。

女友「……それは、何時でもどうとあろうとも、あたしを撃退できるって意味よね…っ?」

男「さて。どう受け取るかは君次第だ、俺は単純に物事は済ませられると提示しているだであって──」

男「──先ほどまでの面白問答を再開させたいのであれば、俺もやぶさかでない」

男の笑みと共に怪しく蠢く毒牙の一指。
一本一本折られブラへと絡み付くさまは、怖気よりも純粋な身の危険を女友は感じた。

女友(物事を直結に捉えちゃ駄目。アイツは【こともなくブラを抜き取った】のよ)

言葉にすれば只の変態行為。
されど見間違うな──元より忍ばされた手は【己の心臓】へと届き得た一撃。

女友(人体の中でどうしようもないほどの急所。心臓に加えられたものを、ブラを抜き取ることに変換している)

これが脅しじゃなくして何なのか。
格上が格下を誂う、嘲りにも近い実力差に女友は静かに喉を鳴らす。

男「了解を得られたのであれば是非に、一つ。首を縦に頷いてくれ」

女友「……」

コクリ、と。女友は心を無色にして応じる。


──こと、己が陥った立場の状況把握能力は、黄泉市の住人の中で随一の天賦を持つ彼女。


女友(今ほど自分の『体質』に感謝したことはないわよ、ほんっとに)

幼い頃から才覚を見せた体質は、見事にこの場を乗り切る。
得てしてやり遂げたかと言えばそうじゃない。

問題はこれからだ。心して挑め我が体質よ。と、彼女は奮い立たせた。

女友「……あたしは何をすればいいのよ。ここから、どうしたらいいの」

男「まずは話しやすい状況から作り上げよう。持っているスタンガンを地面に置き、それから君が俺の身体から退く。
  数歩下がった後に、次に俺が後方へと数歩さがる。おっと、その前にパンツを履き忘れるな。転びでもしたら二の舞いだ」

馬鹿にしたように嗤って、やってみろ。と命令されたとおりに、女友は行った。
女友の身体が男から離れていき、道中にてスタンガンを放置。

女友「…ちょっと、そんなに見ないでよ」

成り行きを無言で見つめていた男に、女友は少し顔を赤らめる。

女友「今から……ちょっとパンツ履くんだから……」

男がよく見ると、くるぶし辺りで引っかかった下着。
所々土汚れと──薄い焦げ目だろうか、元の色を少し燻らせている。

男「それで?」

女友「だ、だから! 見られてるとやりにくいって、いうかっ! わかってよそれぐらい!」

男「道理ではないな。仮にもし俺が目を逸らしたとして、その隙に逃走を図らないと言えるだろうか?」

女友「しないわよ絶対に! このまま逃げたらあたしっ……ノ、ノーパンのままじゃない……っ」

男「嘘を吐くな。俺の後ろに居る女を置いて逃げることが出来無い、が本音だろうに」

クックックッ、と。
男は厭味ったらしく苦笑を零し、女友は心中で舌打ち。
完全に手玉に取られている。そのことが何とも言い難い程に悔しい。

男「元より狙いは反撃の手立て。いやはや抜け目ない小賢しいばかりではないか。
  では少し譲歩してやろう。見た限りだと──いや【視た】限りではイベント発生率は低迷気味なのでな…」

女友「……?」

男の口調は一瞬、小声となり最後まで聞き取れない。

数秒程、思考した後に男は──うむ。と頷き、

男「認めよう。その姿のまま話し合いだ、異論はないな?」

女友「あるわッ!」

なんかとんでも無いことを言い出した。

男「…なんだと、たかが下着がずり落ちた程度でもしや女としての品位に欠けるとでも?
  アホなことを言うな女々しい奴め。素手で人を殴殺しかねん輩が、今更乙女を気取るんじゃない」

女友「ち、違うわよ! こんな状況下なのに、恥ずかしさを理由に文句いってるワケじゃないっ! い、色々とあるでしょっ?
   だって下着……ズリ落ちたままじゃ場の空気が締まらないって言うか、そ、そんなんあるでしょうが!?」

男「要らぬ気苦労だ。なんの色気もない下着に目移りするほど俺は目出度くはない。せめて老若貴賎とは言わずとも、
  同年代の男共から目を惹きつけさせるものを身につけてから不平を垂らせ。元より問題は君に求められる品格を持ちえているか、だがな」

女友「なっ…ぐぅっ…うう、うるさいわねばか! じゃー良いわよやったろーじゃなのよ!! パンツぐらいどーってことないわ!」

ずん、と胸を張る女友に男は憮然と受け止める。

男「やはり持ち得てなかったか…」

女友(コイツ…ッ!!!)

いやいや駄目だ駄目。踊らせれるな、未だ相手の思惑を見据えてない。
女友は吐き出しかけた烈火の諫め呼吸を整える。

女友「ふーっ。…ゴホン、それで? 話したいことがあるならさっさと言いなさいよ」

男「にべもないな。だが本題に移ろう──しかし語らずとも伝わっただろう?」

女友「…なにが」

男「【俺が黒猫組相手に無傷でこの場にいること】だ」

女友「それは……」

思わなくも、なかった。
確固たる根拠を得たわけでもないが──しかし【納得】は得られた。

女友(このあたしに対して、ああもこうまでやりきった手際)

言わばこの街において絶対的なバックグラウンドとなる『体質』。
巨悪たる集団に囲まれようが、命を刈り取る脅威に晒されようが。

定着された『無理難題』の常識を覆すチカラは、それだけで理由となる。

女友「まぁ、ね。未だに全然信じられないけれど、あんたの体質の脅威だけは信じてあげる」

男「ありがたい。では次の問題だ、俺は君らのことはバラしてない。客観的に見て君らは黒猫組と相まみえたくないんじゃないか?」

女友「……」

静かに女友は頷く。
その質問にどういう意図があろうとも、『あの工場』で起こった事実に関して秘匿するリスクはない。

女友「ふーっ。…ゴホン、それで? 話したいことがあるならさっさと言いなさいよ」

男「にべもないな。だが本題に移ろう──しかし語らずとも伝わっただろう?」

女友「…なにが」

男「【俺が黒猫組相手に無傷でこの場にいること】だ」

女友「それは……」

思わなくも、なかった。
確固たる根拠を得たわけでもないが──しかし【納得】は得られた。

言わばこの街において絶対的なバックグラウンドとなる『体質』。
巨悪たる集団に囲まれようが、命を刈り取る脅威に晒されようが。

定着された『無理難題』の常識を覆すチカラは、それだけで理由となる。

女友「まぁ、ね。未だに全然信じられないけれど、あんたの体質の脅威だけは信じてあげる」

男「ありがたい。では次の問題だ、俺は君らのことはバラしてない。客観的に見て君らは黒猫組と相まみえたくないんじゃないか?」

女友「……」

静かに女友は頷く。
その質問にどういう意図があろうとも、『あの工場』で起こった事実に関して秘匿するリスクを負う必要はない。

この男が話し合いの上で何を望んでいるのか。
実のところ女友は興味はあるのだ、その訳は言わずもがな──何故この男は【西林】に捕まっていたのか。

女友「だからあたし達のことは黒猫組に話してないって? だとしたら超がつくほどのお人好しねあんたは。
    あの時、別れ際にあたしがあんたにやったことは私怨に至るほどのものでもないって言いたいの?」

男「そうでもない。流石に怒りもしたし恨みも感じた、だが落ち度は俺にある。君の本質を見抜けなかった愚かさにな」

女友「…大層深い懐だとこと。内股膏薬なあたしじゃ耳が痛いわ」

今は膏薬じゃなくパンツだが。なんて心のなかでぼやく。

男「俺にとって君に感じる様は違ったがな。 囮に使用されたとは言えど、仲間を優先的に守ろうとする心意気は素晴らしかった」

女友「ふんっ……んで、それを信じろと? 正直ぶっちゃけると無理ね。あんたがそう言ってもあたしが納得出来ない」

確かに今は違ったのかもしれない。
偶然が重なりあい、互いの思惑がミラクルによって繋がった可能性も有り得た。

しかし嘘という可能性も拭えない。
今こそ乗り切れれば後に『黒猫組』が控えているなんて得てしてあり得な無くもないのだ。

女友「黒猫組相手に快談で釈放──無事生還なんて南火じゃ誰も信じないけど、そこはあたしの体質が認めなくもない。
    でもだからこそ、あんたがアタシたちを恨みで売ったんじゃないって理由にはならないでしょ?」

むしろ驚愕的な事実こそが、その疑いをより浮き彫りとさせるだろう。
数人相手の全員が体質持ちに難なく立ち振る舞えた男は、些か逸脱しすぎている。

男「成る程。未知なる存在は脅威こそなるが、信用に足らぬと」

女友「そうね。だからハッキリと言ったらどお? そもそもの狙いって奴、いい加減出し渋ってちゃこっちも面倒臭いから」

男「………」

この時。男は初めて口を噤んだ。
言うべきか言わぬべきか──元より馬鹿げた発想だと後悔しているような。

男「…初めに言っておくが、この事は当初から狙っいた訳じゃないんだ」

言いづらそうに男は口火を切る。
それは今にも途切れてしまいそうで、本当に心から迷っているようだ。

男「俺の体質は認めこそすれ、しかし売った可能性を疑うのであれば──一つ君に提案があるんだが……その、良いかな?」

ぽっしゅん!
と、男の雰囲気から明らかに【凄み】が抜け落ちた。

女友「……な、なによ?」

突然の変化に女友はざわつきが収まらない。

恐い。怖い。強い。
酷く怯える心は未知なるものからだ。怯えと言っても恐怖でもなく、怖れからでもない。

女友(──なんか良くないもの引いちゃった? それとも、)

男から感じる己の心の戸惑いに、確固たる理由が思い至らない。
体質──そう女友の体質は【戸惑いはするが過剰な自尊心は揺るがない】のを自負している。

けれど今は揺れ動く。
ミチミチと締め付けられる心臓は、いわば興奮状態だと言ってもいい。

女友(良くない展開。認めちゃいけない空気。けれど──やっと本命に出会えたような、気配)

そう、それは──男と同じく何故【西林生徒に彼女たちは捕まっていた】のか?
恐怖の根源黒猫組、対立関係である西林生徒。その2つを相手してまで町に繰り出すという危険を犯すワケ。


その解決策たるモノを得たのではないか──と。


男「じゃ、じゃあ言わせてもらおうと思う。あの、さ」

男は心底言いづらそうに、けれど言わねばとぎゅっと拳を握り上げて。

男「──お、俺が黒猫組から君たち護るから……俺の願い、聞いてくれない?」

     ※※※

男がそう口にした時、彼自身「俺は何を言っているんだ?」と度肝を抜かれていた。
正しくは度肝を己で抜いただが、それでも予期せぬ自体に心底怯えていた。

男(おっおおおっ!? 俺はっ! 何を言ってるんだ一体……ッ!?)

声にならない悲鳴が心内で木霊のように鳴り響く。
まずい。感付かれていないか、不自然な態度を相手に読み取られていないか。

男「………っ」

女友「っ………」

恐る恐る確認するも──どうやら相手方も驚愕してしまってるらしい。
そりゃそうだろう。突然、援助の申し出を始め、敵だと見据えていた者が一転して見方になると言い出す。

男(いや、別に本音じゃないというワケでもない──むしろ想定内の一部だった、とも言えるんだけども……)

男としても【絶望的なまでの希望的な想定】だった。
あり得ないからこそあり得て欲しい。だが口にするのは憚れる。

男(考えても見れば…一見、お互いの状況は一辺足りとも統合しあえないものに思える。けれど、)

決して拒絶しあわなければならない、というワケでもないのだ。
女友は何かしらの理由で町に繰り出さなければならない。男はなにかしらの理由で町に繰り出さなければならない。

そうでなければ【西地区にて同じ工場に捕縛される理由が見当たらないではないか。】

男(そう、そうだって。なんでこうも啀み合わなきゃいけないんだ)

つまりは互いの損得は補えるのではないか?
何故今の今まで思いつかなかったのか──いや、違う、【本題】はそうではない。

男「…なんで今になってそんな事を思って」

女友「まさか、あの娘起きてるんじゃ…」

男「っ!?」

女友「っ…!」

一変して凍りつく場の空気。両者思わず零れ出た言葉に警戒心を最上まで引き上げる。
張り詰めた糸のように急激に鋭さを増した雰囲気は、先ほどの緩みを崩壊させていた。

男「ど、どうした。何か問題でも?」

女友「……いえ、むしろ何なのかしらって言いたいわよコッチは。いきなり援助を申請するなんて、正気?」

男「正気も何も本音を口にしたまで……なんだけど」

女友「…………」

明らかに疑惑の視線を向けられ、男はたじろぐ。
純粋な疑問がぶつけられるのであればまだ良い。違って彼女が向ける瞳には一抹の好奇心が伺えた。

男(ううっ。気まずい、まさか思わず出た願いなんて言える状況じゃないよコレ……)

己の体質を良いことに、無駄にキメて色々と口出しして、相手を言い負かせてたのは良い物の。
まさか本題になって確証もない提示を望むなど、馬鹿を通り越して逆に天才的だ。発想力に祝杯を設けたい。

男「答えを聞かせてくれ。俺は君たちを守る、黒猫組とやらも蹴散らそう。西林からの追手があれば手助けしよう」

女友「…その代わりアンタの願いを聞き入れろ?」

男「ああ、そうだ。決して悪い条件ではない筈だ、ギブアンドテイク──都合がいい共同関係を望めると思う……けども」

女友「ま。確かに聞こえのいい条件に思えなくもないわ。アンタの体質はアタシ達により良い結果を生み出してくれそうだし」

男(む…)

警戒心を二割ほど増し上げる。意外にも好印象を持たれてることに気が気でない。
この手の輩は安定した立場を手に入れた瞬間、牙を剥くのに躊躇いがない。

女友「じゃあ立場もイーブンと行きましょうよ。まだ条件を飲むつもりは無いけれど、そうアンタが望むんであれば──願いを言いなさい」

男「それは良いけど──いや、それは良いが答えるならば、君も言うんだぞ?」

女友「当たり前よ。じゃなきゃ共闘関係なんて組めないわ」

信頼を得るにはまず譲歩からと、言い放ち。
にこりと臆面もなく「さあお前らから言え」と、本音を目で訴える彼女。

男「……。まず自己紹介から始めようか」

女友「良いわよ。っていうかその前に──そのやたらめった偉そうな口調やめない? 突き通すならまだしも、さっきからブレブレすぎるのよ」

男「ぶれぶれっ?」

男は思わず手を口に当てる。
何時の間にか身内を焦がすような顕示欲が潰えていたらしい。

女友「どうする? アンタがそっちの口調で良いって言うなら、コッチも我慢するけど」

男「……変な気遣いされても俺も困るし、むしろ俺もフランクな方が良い」

女友「そお? なら口調の話はこれでオシマイ。じゃあ、あたしから自己紹介始めるわね」

そう言って女友は、先ほどまでの鋭い眼つきを朗らかに緩ませる。

女友「南火校高等科二年──女友よ、部活はやってないしバイトもやってない。家が大金持ちだから。
    好きな食べ物は苺。嫌いな食べ物は梅干し。同じ赤色なのにどうしてあそこまで味の違いが出てくるのかしらね」

流暢に語られるモノは時と場所を違えば正しく適切な自己紹介なのだろう。

女友「今は学寮に住んでて、時折、町外に出向いて実家に帰ったりもしてるわ。まぁ特例過ぎておおっぴらに出来ないけど」

男「………」

はた、と気づいたのだが。
この状況おかしすぎやしないだろうか。

男「……えっと、そんな身内な情報を俺に漏らして大丈夫なのか?」

いや違うだろう。そんな事を聞くべきではなくて──この路地裏を客観的に見てどうなのか、と。

女友「良いことにはならないでしょうね。この街じゃ町外に出ることを禁止されてるし、厳密には【そういった空気】がある。が正しいでしょうけど」

男「それはわかってる。だからどうして話してくれたんだ。俺は、それを誰かに話さないとまで信頼されてるとは思ってないけど……」

見通せない相手の心理に気を取られながらも、男はチラリと見渡す。
湧いて溢れ出る違和感──何故この女友という短髪少女は【パンツを履かないで自己紹介を出来るんだ?】

女友「だから、その信頼を今から得ていくわけじゃないの。お互いに持ち得る秘密事項を言い合って、初めてそこで信頼を築けるって寸法」

男「あ、ああ。なるほどね……確かに親密度は増すと思う」

でしょでしょ、と。
満足気に頷く女友。いや、下着を吐けてないのにしたり顔をされても。

男「そうなると俺の方も言わなくちゃいけないな──いやまずは自己紹介からか、俺は東風校高等科二年の男。えっと好きな食べ物は…」

待ってくれ。
まだまだ不思議マッスクな要因が残ってるじゃないか。俺の後ろのゴミの山にある、未だピクリとも微動だにしない二本の足。

男(互いに自己紹介ってよりもまず! あの子の安否を確認することが最優先じゃないのか…!?)

女友「? なによ急に黙って、それで好きな食べ物は?」

男「えっ? あ、うん……そうだったな、ごめん自己紹介の途中で、あの…何処まで話したっけ……」

頭の中に急激に靄が蔓延ったように感じる。
男は不思議に思いつつも、何故かさっきまであった違和感が消失していることに気づかない。

男「あれ……そっか俺は君たちに願いを叶えてもらいたくって、仲良くなりたくて、えっでもそれは……」

まずい。脳の判断がまともじゃない、そう察しているのに男の心がヂリヂリと揺れ動く。
空気を察して従え。周りはそれを臨んでるのだから。心が同調しろと訴えかけてくる。

男「くッ…ちょっと待ってくれ、なんでか頭が、上手く、回らなくて」

女友「ちょ、ちょっと大丈夫なの? 急にどうしたっていうのよ──具合でも悪いワケ?」

男「いや悪いワケじゃない。ただ変なことを考えて、君には関係ないことだから気にしなくていいから……えっと、何処まで話した?」

女友「何処までって、勿論───」

にこり。と女友は屈託なく微笑み、

女友「──アンタの過去と、アンタの持っている体質の話が始まった所じゃない」

そう告げて、ああそうだっけ、と男はすんなりと納得した。

男「そう、だったよな。なんでだろう何故か忘れてた、言ってなかったような気もするし……いや、言ってないな多分」

凄く悪い気持ちになった。心苦しくまともに顔も見せられない。

女友「まあ気にしたってしょうがないわよ。アタシの体質は『クズ体質』って言ったんだから、あんたも気兼ねなく言っちゃいなさい」

クズ体質? ああ、それもさっき聞いた気がすると男は逡巡する。

にこやかに対応しているが待たせていることには変わりない。
焦燥感に心が脅かされる。男は上手く頭を──違う、待て。おかしいだろ、何かが違ってる。

男「…………」

女友「やっぱり言いにくい? そうよね、自分の体質を他人に教えるのって──自分の癖を教えるようなもんだし」

男「あ、ああ……でも君は教えてくれたんだ。だったら俺も教えないと道理じゃない。きちんと言うつもりだけど、」

一体何を言うつもりだ? 一体彼女に対して何を伝えるつもりだ?
言っては駄目だと脳が頑なに否定するのにも関わらず、反発する意思に心が怯えている。

女友「あ。そうだ口慣らしとして試しに男君の過去から話してみたら? そのほうが聞いてる方もわかりやすいと思うから」

男「あーそうかも知れない、えっと俺は……そう、俺は四年前にあった四校戦争の時、」

女友「──四校戦争……? なんでそれが出てくるわけ?」

男「だって俺の過去となったら一番関わってくるのは、それだと思うし」

女友の表情が一瞬、強張る。
まさかその単語が出てくるとは思わなかったのだろう。

男「この黄泉市で、俺にとってあの戦争は無くてはならない──いや違う、あっちゃいけないものだったから」

だから──止めたんだっけ。
元より求めた答えは違ったはずだったのだが、結果的には【四人の王】を諫める形となった。

四人の王──各四校に名付けられた『東風』『西林』『南火』『北山』。
それぞれ似て非なる体質と気質を持った生徒が合わせたかのように出揃い、そして中でも特質的に猛威を振るう一個人が居た。

馬鹿げた力を持ち、奇蹟に準ずる現実を描き、多を一で集結させるタイプホルダー。

こと黄泉市では──其の者を【王】と呼称した。

男「だから俺はアイツ等を止め、──違う、俺は何もしてなくて」

四校にて君臨する王は飽和する状況下を楽観視はしない。
故に頂点となり得た存在は更なるレベルへと目指すのだろう。
では、最強とは誰か。四人の王は単純でありながら不可解な決定打を求めた──物事は苛烈を極め、時は既に戦争へと、


男「ッ───!」


──目眩が酷い。残像ようにちらつく視界の全てが、歪に写り不快だった。


男「はぁっ……ふぅっ……」


吐き出した息を頼りに、握りしめた『ナニカ』を心の拠り所にする。
こめかみはジンジンと熱を発し今にも火柱を噴き出しそうで。


男はさっきブン獲ったブラジャーを握りしめる。

男「…………」

女友「あのね。そんな風に握らないでくんない? 形崩れちゃうんだけど、ちょっと?」

男「…ああ、そっか。なんで忘れてたんだろう」

手のひらが熱い。額の熱とは比べ物にならない程に。
彼の熱が火柱だというのなら、握りしめたブラジャーは太陽だ。身と心を芯から温める偉大な光。

男「──じゃあちゃんと【視なくちゃな】」

眼球へと指先を突き刺す。
しかし突き抜けるのではなく、振りぬいた先には2つのコンタクトレンズ。

男「こんなに暖かいんだ。視なくちゃ失礼だろう」

女友「…何、いきなり変なコト言って」

男「本当にごめん。自分から協力案を出しておいて、結局は自分が出し惜しみをしていた」


──だから今からは、そんな遠慮は要らないんだと。


男「俺のイベントに巻き込ませてもらう。イベント率の発生を待つんじゃなくて、自分から作ろうと思う」


この2つの差は大きく違う。
相手の出方を待つことで発生するイベントを処理は──断言して男の体質のオマケだった。

言わば女友の見当は当たらずと雖も遠からず。
先ほどの押し問答。男のマウントからの雷撃全てを避けきり、綽々と胸を揉むことが強みではなく。

胸を揉めるからこそ、避けられるのだ。
そのイベントがあるからこその強みなのだ。

女友「………!」

男「だから今のうちに言っておくよ。今この状況下で、【俺に対して暗示系統を行っているなら即刻やめてくれないか】」

ありとあらゆる現実が踏み均されてくかのように、ぎっしりと整っていく。
均等にバラバラに。無造作にきっちりと。
俯瞰的に見ればそれは破壊なのだろう。だが、身内を外界へと生み出す存在は──慣れた本棚を整理するかのよう。

女友(コイツ──さっきまでの言葉遣いも、雰囲気の変化も比じゃない……!!
    もとからもってる『体質』ってのは最初から何も出してなかった…!?)

男「三秒以内に答えてくれ。じゃないと、もしかしたら君を泣かしてしまうから、きっとそれは良くないことだと思う。
  誰にだって【やったら恥ずかしいことはあるだろ?】 それをやられたら泣きたくなるのも当然じゃないか」

身体から発する全ての警戒点は、男の体質が『展開』であること。
現実を【固有の展開】で塗り替える驚異的な体質、イベント系。

女友(見誤った──まさか展開系なんて、この体質相手じゃ私の『クズ体質』だと話にならない……!!)

分かってしまえば単純な話だった。
ジャンケン勝負だと思えばいい、コチラは同じグーの手合しか出せないのに、相手は永遠とパーを出し続けられる。

驚異的なほどまでの悪循環、女友が得意とする先手を準ずることが出来無い。

女友(ここは逃走を図りたい───けれど、それじゃあ彼女を……!)

男「…戸惑ってるな。どうやら何も話してはくれないらしい」

男が何かを指し示すかのように片手を上げる。
──来る予兆はわかるが、女友には何が来るか検討もつかない。

女友「ッ───!!」

男「話は終わってから聞くから、今は黙ってイベントを受け入れてくれ──」

空気が変換されていく。
都合のいい展開を運命が受け入れる、それが男の体質。

なの、だが、


男「──何?」


男の表情が驚愕に染まる。
そこまでの驚き。一片足りとも変化すること無い現実に、何も起こらないことに驚きを隠せない。

男「ど、どうして展開が起こらない…? 何故だ、ちゃんと体質は発動しているはずなのに……!!」

女友「……?」

男「なんだ、まさかこのようなこと──信じられない、上書きされているのか……?」

男の体質によって染めつくされた空間。
それが紫色と称するならば、更に濃い色がこの場を染め上げていく。

男「別の展開系が居る…?」

例えるならば水色の空気。
その透明にも近い気配が、男の無敗を誇る巨大な体質を塗り替えていた。

男「まさか、彼女が──しまった、」

女友「──女!! 体質を発動して!!」

男は咄嗟に振り向く、だが女友の呼びかけに勝るはずもなく。
蔓延るように侵食を続けていた体質は、その一声に反応したかのように弾け飛ぶ。

男「うっ──っわぁああああああっ…!!」

喉を握りつぶされたかのような絶叫。
声にならない声に、男自身が一番驚く。

女友「いっやぁあああっ…うわぁっ…ひっぐっ…うわぁあああああっ」

男の隣で、同様に叫び声を迸らせる女友。

男(一体何が起こって、涙が、止まらない…っ)

込み上げる嗚咽、止まらない涙、急激に気動が激しくなっていく。

悲しい。とてつもなく悲しくて、涙を零さずに入られない。
今にも胸が張り裂けそうで、どうして自分たちは争ってしまうのか情けなくて惨めになる。

男「うわぁっ…ひっぐ…ぐすっ…だめだ、なんだこれっ……涙が、くそっ…」

滝のように流れ落ちる涙に視界がぼやける。
自分たちは一体何をしているのか、わからなくて、それがとても悲しい。

男「ひっぐ、……あれ?」

──そして、それが唐突に終わる。

男「涙が止まった、嘘だろ。こんなにも悲しかったのに、それともこれが彼女の───」

そう理解しようと思考を巡らせた時、再度、息を吸う暇もなく空気が染め上げられる。

男「──ぐっ……なんだ、瞼が重く…!?」

今度は重度の眠気。
瞼に錘を付けられたかのような、信じられないほどの重さ。

体中の力が抜け、膝から崩れ落ちる。
男は抵抗する手立てがない、それは生理的な欲求が故になされるがままとなる。

男「うっ……あっ──これが体質だと言うのかよ…っ」

されどあり得ない話ではない。
体質とは常識を超えた現象をもたらすものだ、男とて嫌というほどに理解している。

男(けれどこれは、明らかに一般の度合いを過ぎてる…!)

如何に『体質』が世界に影響を及ぼすチカラであっても、これは些か度が過ぎる。

まるでそれこそ【王】へと匹敵し得る程のものだ。
見境なく無作為に影響下に巻き込むチカラなど、誰彼と持てるチカラではない。

男「くっ──……」

コレほどのチカラを、何故彼女が持ちえているのか。
分からないが今は探っている時ではない。男は泥のように重くなった身体を必死に動かす。

女友「っ……だぁぁぁあああああああああああああ!!」

男「な、にっ…!?」

足だけを露出する女の方へ身体を引きずろうとした男の耳に、女友の絶叫が届く。

──彼女は立っていた。

両膝を支えにして手を着き、歯を食いしばり辛うじて立っている。
男はどうしようもなく彼女を見つめることしか出来ない、完全に後手に回った。

このまま女友の行く末を受け入れることしか──だが、彼女も今にも限界を迎えつつある。

女友「ふっくッ……んんっ、んあっ!! はぁ…はぁっ…!!」

男「…くっ…!」

一歩。女友はその一歩を、踏み出せないでいた。

今この瞬間にも崩れ落ちそうになる身体を、全力で駆動させ保っている。
見の内から沸き上がる欲求に負けるのも時間の問題だった。

女友「──舐めるな、あたしを」

しかし、踏み出した。
その勢いのまま倒れこむ身体を理解しながらも、それでも女友は前へと進む。

男(一体何を考えてる)

男は彼女の不可解な行動を見守る。
上げられた片足、それが地についた時はもう女友の身体は地面へと倒れこむだろうに──と、

女友「おりゃっっ!!」

女友は──飛んだ。
滑りこむかのように足から前方の地面へと飛び込む。まるで出来損ないのドロップキックだ。

しかし、それが【落ちていたあるモノ】への距離を十分に稼いだ。

男「──電気スタンガン……!?」

女友の狙いは元よりソレだった。
完全なる絶対勝利、この場において彼女の勝ち残ることの貪欲さに男は息を呑む。

その意表をついて女友は悠々に──警棒型スタンガンを【手に取ること無く】、

女友「うぉぉぉおおおおおおお!!」

片足にぶら下がっていたパンツへと──引掛け、それを、カタパルトの如く打ち出した。

男「なっ──!!」

男はパンツから射出されたスタンガンを呆然と見る。
迫り来る、ちゃっかりとスイッチも入った脅威を前にして──男の頭は先ほどの押し問答を思い出していた。

男(押し倒された時、どうしてスタンガンを手に出来たのか、それはパンツで距離を稼いで───)

届きえない距離をパンツで補い、絡めとって拾ったのか。なんという策士、巧妙なパンツの使い手。
成る程と、男は彼女のパンツに焦げ目が付いてた理由を把握する。

男「──がっ!!!?」

そして熊すらも悶絶する雷撃を身に受けた。



女友(へっ…やってやったわ、ザマーミロ変態)

女友は動かなくなった男を確認して、不敵な笑みを浮かべる。正直、身体はもう限界だった。

女友(今だ女の体質は発動中……このままあたしは彼女のチカラに【共感】し続ける……)

女友が知る女のチカラは、絶対だった。
例外なく特例無く、巻き込まれた者は必ず戦闘不能となる。

引き起こされる現象は様々であったが、結果は至って変わらない。

──その事実を把握していた女友だからこそ、一歩先んじることが出来た。

女友(あの男は睡眠ではなく気絶……少なくともあたしよりも先に起きることはない、だから今は、誘われるままに眠っておく)

直に女の体質が収まり、自然と起きるか、微動だにしない彼女が気を取り戻した際に、あたしを起こしてくれるだろう。
未だ女の姿は両足しか確認できていないが、それでも女友は信頼していた。

女友「……ばか、はやく薬の効果切れて、あたしを起こしなさいよ────」

女友は瞼を下ろす。次に開くとき、彼女の見慣れた心配顔が見れることを信じて。



──ふわりふわり、何かが飛んでいる。


三つの微かな息遣いが響く、薄暗い路地裏。俯瞰的に見れば四肢を投げ出し倒れむ惨状である今。


──何かが確かに、ふわりふわりと落ちてくる。


シマシマ模様の緑と白に構成された生地。見た目以上に多機能性を秘めた、人の知恵と功績の奇蹟の産物。

それはとある少女が体質を起動させ一矢報いた時に、電気スタンガンと共に宙に放り出された───


───パンツだった。


ちょっと焦げ目がついた見た目良くないことになってるパンツは、狭い路地裏を通り抜ける風に舞い上がり、
舞い落ちる木の葉のごとく、ひらりひらりと滑空地味た軌跡を見せて飛来してくる。

その行方は神のみぞ知る運命だろう。

主人の元へ舞い降りるのか。このまま空へと駆け登り風の流れるまま旅へと出るのか。



───しかし、そのパンツを視る者が居た。



彼自身は当に意識を失っている。

熊すら尻尾を巻いて逃げ出す電撃を身に受け──実のところ、そのショックで心臓が止まってもいた。

呼吸すら機能不全を起こしながら、口の端から涎を零し死に絶えかけの少年は、それでも視てしまう。

何も映らない虚空の様な瞳で。ひらりひらりと風に舞うパンツを意識が無いままに。

──彼の体質は発動するのだ。

彼の体質の絶対的なる基本は三つ。


一つ、必ず他人を体質に巻き込む。

二つ、必ず巻き込まれた相手から攻撃を受ける。

三つ、必ず良い思いをする。


この基本骨子から彼の体質は発動し得るのだ。
彼自身の有意識無意識関係なく、その三つを基本として、彼の体質は条件である【視る】ことによって──全ては促される。

それ故に体質。この街において、彼のような体質は希少なるチカラだろう。

人の意識が及ばない奇蹟とも取れる範疇にて──現実は変換されていく。


ふわりふわりと落ちるパンツは、突如、その方向性を変えて急速に勢いを落とす。

それは透明な糸で引きずり落とされるかのように、ただ真っ直ぐに、


──男の顔面へと舞い降りた。


音もなく着地した縞柄パンツは、まるで飛び方を忘れた鳥のように微動だにしない。

さもありなん。
元より惨劇だった現状が、パンツを顔に乗せて死にかけの男が出来上がって惨劇レベルが跳ね上がる。

この光景を初めて目にした人間はなんと思うのだろうか。

よっぽど恐ろしい記憶を脳に刻むことになるだろう、なにせノーパンにパンツ乗せた奴にゴミ山に突っ込まれた足だ。

こんなにも惨状、こんなにも意味不明、こんなにも、


「────…………っあ……」


こんなにも、ああ、そうだ。



「────………ぁ……ぅ……」



こんなにも【素敵な光景で埋め尽くされているのに、なぜ、自分は死に絶えている?】


「───うっぷ…!! ぐはぁっ!? げほッ! ごほごほごほっ!!?」


止まっていた肺が一気に空気を求めて収縮をする。
筆舌に尽くし難い奇妙な匂いが鼻腔いっぱいに広がり──意識を取り戻した男は、急激に咳き込んだ。

男「カハァッ……ぐ、げほごほッ……な、んだ……頭が痛い……ッ」

こめかみに響く鈍痛。
脳を直接殴られてるかのような頭痛。

男「……くっ…俺は、そうか──さっき電気スタンガンを、それで今は……」

辺りを見渡せば、危険な位置までスカートがめくれ上がった女友の姿と、未だ突き刺さったままの足。

そして最後に気づく、顔面に張り付いた焦げ臭い下着。

男「……。」

男は無言でパンツを引っぺがすと、くるくると丸めて、倒れている女友へと投げつけた。

男「なぜノーパンなんだ、違う違う。今はそうじゃなくて、」

気を取り直してこの現状をどうにかしようと、男は頭をひねる。
逃げ出しても良かったが、流石にこのまま放っておくのも些か非情すぎる気がした。

問答無用に攻撃され、さらに騙され、しかも殺されかけたにも関わらず男の思考は至ってシンプルだった。

──それはこの男が慣れている、この展開こそが彼の日常だと言わんばかりに。

男「…あ。そうだ、確かポケットに」

ふと男はズボンのポケットに手を突っ込んだ。
指先にカツン、と当たる滑らかな感触。つまみ出したソレは、茶色の小瓶。中には裸の錠剤が詰まっていた。

男「───体質安定剤……『ヘスティア』か」

物々しい見た目だが、こと黄泉市では薬剤店でも気軽に売られている安定剤だ。

錠剤の成分も小学生の頃から皆、意味がわからずとも学ぶよう義務教育に組み込まれている。

男「俺も大分昔にお世話になったな。けど、やっぱそうか……コレに頼らないと駄目なタイプなんだ、彼女の体質は」

重い腰を上げ、関節がギシギシと悲鳴を上げるが無視をした。
女の体質は微細だが未だ発動中だ。浅いまどろみの中で、男はゆっくりと、二本の白い足へと近づく。

男「…よいしょっと、ぐぁぁああ!?」

足首を掴み勢い良く引き抜くと、女の身体が抜けると同時に大量のゴミの山が男へと雪崩れ込む。
くそったれ──男は誰に言うつもりもなく愚痴を零し、そして、

男「………ん」

女「すーすー…」

──彼女の平穏な寝顔を改めて見つめた。

男「…なんで寝てられるんだろう、こんな状況で」

意味もなくつまらない感想を言って、知らず知らず、彼女の頬に指を擦らせた。
シミのように張り付いた、よくわからない汚れを掠りとる。

男「……」

閉じられた瞼。その奥に光のない真っ暗な瞳があるんだろうと。

行儀よく小さな鼻が微かな息遣いを残して、きゅーきゅーと鼓膜を揺らす。

改めて分かってしまう、彼女は一般的レベルで言えばきっと──

男「うっ──なに変な感想述べてるんだ、呑気にそんな事を思ってる場合じゃないだろ……っ」

頭を振って切り替える。
今はのんびりと他人の顔を拝んでる暇など無い。

散らばったゴミの中で、引っ張りだした女の頭を太ももに乗せて、男は錠剤を一個取り出した。

男「慈悲だ。わざとじゃないから許せ」

指先に錠剤を掴み、それを思いっきり女の口の中へ──問答無用に突っ込み入れる。

女「──むごぉっ!!??」

男「黙って飲むんだ。お願いだから噛みちぎってくれるなよ──!」

異常事態に気づいた女がパチクリ瞼をひらかせる。
ぐるぐるきょろきょろ縦横無尽に動き回る瞳に思うことはあったが、今更やめるわけにもいかず、

男「はい、ごっくん! 水が無いから素で飲んで! はやくそら!」

暴れ始めようとした女を押さえつけて、無理やり錠剤を突き入れていく。

女「んっ! はぁっ……んっ…ぇあ……?」

男「そう、唾液を沢山出せ。もっとだ、いっぱいに」

女「うっあっ──ひぅんっ……あっはぁ……んっんっ…!」

男「俺の指に吸い付くんじゃない。ちょ、コラ」

女「んふふ」

男「アンタわざとか!」

にんまりと細く伸びた目元に、思わずツッコミを入れて──それが違うと男は気づく。

女「…お母さん…」

男「……。一体どんな夢を見てるって言うんだよ……」

安らかそうにすやすや寝息を立てる女に、ため息を零す。
いつの間にやら錠剤は指先から消え失せていて、無事に飲み込まれたのだろう。

男「ほら起きてくれ。眠ってるんじゃない、今はまだ夕方だ」

女「うっふがっんぬっ?」

もう面倒臭いのかやたら大雑把に頬を叩く。

男「アンタが起きてくれないと状況が変わらないんだ。無事に家に帰りたいなら、倒れている彼女と共にここから去ってくれ」

女「…はぇ…?」

男「はぇ~? じゃない、いやほんっとどうにかしてくれ。このままだと寮の門限どころかメガネ屋自体に間に合わない、とにかく」

女「………」

薄暗い路地裏が更に暗闇に落ちかけている。
はっきりと視界には映らない女の表情を見つめて、男は言った。


男「───イベントはこれでお終いだ」


※※※


女友がゆっくりと瞼を開けると、そこには女の心配そうな表情があって安堵する。

女「起きた?」

女友「…やっと正気に戻ったのね、よっと」

軽快に起き上がり、周囲を確認。そして驚愕に至る、なぜ──あの男の姿が、無い?

女友「なんで───どうして、嘘」

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