?「親愛なる友、ヒストリアへ」クリスタ「……え?」(71)

 
 
 
――親愛なるヒストリア


――君は僕のことを覚えているだろうか。


――それとも、君が、君自身の名前を忘れてしまったように、


――僕のことも忘れてしまったのだろうか。



あの地で産まれてしばらくして、僕は君と出会った。

僕はその時のことをよく覚えている。

何しろ僕にとって、君は初めて見る「子供」だったから。

それまで僕が出会った人々はみんな大きくて、低く唸るような声を浴びせてくる人ばかりだった。

だから君を初めて見た時は、なんて小さな人だろうとびっくりした。

高くて細い声を聞いた時には、これは本当に人なのだろうかと疑ってみたりもした。

初めて見る姿に少し怯えていた僕に、君は優しく微笑みながら頭を撫でようとしてきた。

僕はびっくりして君の手を軽く噛んでしまった……すぐに恐くなって離したけれど。


あの時の君に悪意がなかったことは知っている。

もちろん僕にも敵意があったわけじゃない。

だから弁解させてほしい。

僕らはそこをいきなり触られるのが好きじゃないんだ。

……さっき軽くと言ったけれどきっと君は痛かったはずだ。

だって君の小さな手には僕の幼い歯形と、赤い色が滲んでいたから。


『ごめんね、びっくりしたよね』


けれど君はすぐに微笑んで、僕の鼻の近くにゆっくり手を差し出してきた。

まだ少し恐かったけど、君の手の匂いを嗅ぐうちに何故だか不安がなくなっていくのを感じた。

心が穏やかになるような不思議な感覚の中で君は僕に言った。


『おともだちになってくれる?』


そうして君が僕の頬を優しく撫でたとき、僕らは友達になったんだ。



そのあと僕は母に聞いた。

あの子は何者なのか、どうしてあんなに小さいのか

どうして触れられただけであんなにも落ち着くのか。

母は一つだけ教えてくれた。

君が僕と同じ、子供だということを。

そして母は言った。


――仲良くしてあげなさい


あの時はまだ君のことを何も知らないはずの母だったけれど

きっと既に君の孤独を見抜いていたんだ。

今なら僕にも分かる。

あの時僕たちを見て微笑む君はとても寂しそうだったから。



それから数ヶ月して、一人で考える力が身に付いてきたころ、

僕はようやく母の言葉を理解した。



君はいつも一人だった。

食べる時も、働く時も、休む時も、本を読む時も、眠る時も。

遊ぶ時は僕たちと一緒だったけれど、それ以外の時はずっと一人だった。

時折、牧場の敷地の外によその子供たちが姿を見せることはあったけれど、

遊びに誘うどころか、君を見かけたとたん罵声を浴びせ、石を投げてくるような連中しかいなかった。


一度その石が君の頭に当たったことがある。

僕らが心配して近づくと君は頭を抑えてうずくまりながらも、何でもないという風に微笑んでみせてくれた。

そんな君を気遣おうともせず、子供達はなおも石つぶてを投げ続けた。

ついに僕らの中の一頭が怒って威嚇すると、彼らは仰天し、逃げ出そうとして柵に足をひっかけ、そのまま顔から転げ落ちた。

泣き出した子供達を見て、僕はいい気味だと内心笑っていたけれど、問題はその後だった。

家に帰った彼らはそのことを各々の両親に言いつけたのだ。

自分たちがした行為は隠し、君が僕らに命じて子供達を襲わせたという最低の脚色を加えて。

それから数日の間、僕らは君と会うことができなかった。


君があの時、厩舎の反対側にある納屋に閉じ込められていたということを知ったのは、ずっと後になってからだった。

牧場に住む老人と老婆の日常会話の中に出たからだ。

納屋の戸が腐ってきているとか、次に閉じ込めた時には逃げられる可能性があるとか、

だから今の内に修理しなければならないとか、そんな程度のものだったけれど、

何があったのかを察するには十分だった。

とにかく君はいつも一人で、君と会話するほど親しい人間を見たことがなかったから

僕らの見えないところで君の身に何が起こっていたかを知るのは、いつも思い出になってからだった。

働いている時に大人たちから指示を受けてるところは見かけたけれど、

言葉を持たない僕たちにだって、あれが「会話」じゃないことくらい分かった。



そして母親であるはずの女性との間には言葉すらないように見えた。


僕はそれが不思議でならなかった。

君たちは僕たちと違う生き物だから、そういうものなのかと――

――人間の親子とはこういうものなのかと、そう思ったりもした。

なんて寂しい生き物なんだろうと哀れんだ。

けれど、しばらくして放牧されるようになり、よその人間の親子を見かけるようになったころ

僕はそれが間違いであることに気が付いた。


僕はそれが間違いであることに気が付いた。

彼らはみんな僕たちと同じだった。

母にじゃれつき、父におぶさり、

抱きしめられて撫でられて、やんちゃをすれば叱られる。

そんな普通のやりとりが、君しか知らなかった僕には意外な発見で、

あたり前のことなのに新鮮に感じた。

同時に君たちへの疑問はますます強くなった。


君はどうしていつも一人なのか。

あの女性は――あの、いつも木の根元で本を読んでいる女性は、間違いなく君の母親であるはずなのに。

言葉も交わさず、共に行動もせず、寄り添うこともなく、夜は君を置いてどこかへ出かけていく。

いや「置いて」という表現は正しくない。

まるで最初から女性の世界に君は存在していないかのようで、

女性の目には君が見えていないようだと

そう、思った。

けれどそれも違った。


見えていないのではなく、見ないようにしていたんだ。


あの日、僕と遊んでいた君は、こんなことを漏らした。


『ねぇ、私が抱きついたらお母さんは私を抱きしめてくれるのかな』


今まで読んだ本から母親とはそういうものだということに気付いた、と君は少し興奮気味に話していた。

母が自分に何もしないのは、自分が母に何もしなかったからなんだ、と。

何か特別な発見でもしたかのように君ははしゃいでいた。


少し思うところはあったけれど僕は僕自身の経験と、外で見た光景を思い出し、

肯定の意味をこめて君に頬ずりした。

君は嬉しそうに笑うと


『なんだかドキドキするなぁ……なんていって抱きつこう?

 こんにちはかな? それともごきげんよう?』


と頬をほんのり赤らめた。

それは初めてみる寂しさのない綺麗な笑顔で、

異なる生物の僕から見てもとても可愛らしいと思った。

君の笑顔を見て、そして、僕自身が君に抱きしめられた時の安心感を思い出し、

僕は君の作戦が成功すると信じて疑わなかった。



……

きっと君は抱きつき方を知らなかったのだろう。

僕に初めて触れたあの時のように、本から得たイメージをそのまま行動に移したのだろう。

だからまた失敗してしまった。

女性はいつものように木の根元で本を読んでいた。

そんな彼女に、初めて話しかける気恥ずかしさを隠すように、

お母さん!と君は飛びついた。

干し草の山に身を任せる時のように倒れ込んだのだ。

ああ、これは叱られるな、と僕は思った。

けれどそれでいいとも思った。

叱られるのも親子の正常な交流の一つだから。




最初、何が起こったのか分からなかった。

君の小さな身体がふわりと浮きあがり、そのままゴロゴロと後ろに転がる。

上体を起こした君の鼻から血が出ているのを見た時、僕は君が打たれたことを悟った。

目の前が真っ赤になった。

もしもあのとき杭につながれていなければ、僕は女性に飛びかかっていたかもしれない。

なのに君は……


……どうしてあの時君は笑顔だったんだ?

あんな仕打ちを受けて、どうして嬉しそうだったんだ。

僕は今でもあの時の君の気持ちが分からない。



『こいつを殺す勇気が……私にあれば……』


もしかすると彼女は君の母親じゃないかもしれない。

そう思った。

そう思いたかった。

実の子を、まるで穢らわしいモノを見るような目で見下ろして、女性は君にそう言った。

自分を慕う幼子に憎しみをこめて言い放ったのだ。

ただ、その目には別の感情も混じっているように見えた。

涙を浮かべていたからというのもあるのかもしれない。

僕が感じたそれは、恐ろしい外敵に出くわした小動物の怯えと似ていた。



女性がどこかへ去っていったあと

君はしばらく呆然と座り込んだまま動かなかった。

しばらくしてポツポツと雨が降ってきても、君はへたり込んだままだった。

いよいよ本降りになり始めて、水を含んだシャツが肩に貼り付きだしたころ

我に返ったようにカクンと首を動かしてのろのろと立ち上がり、

僕の方へ近づいてくると


『えへ……失敗しちゃった』


そう言って笑った。

いつものように寂しそうに。

この時の僕の気持ちをどう表現すればいいのか分からない。


ただ、一つだけ分かったことがある。

僕は生涯、君の友達でいるだろうということだ。

たとえ世界が君を否定しても僕だけは君の味方でいよう、と


そう決意した。



次の日女性は家を出て行った。

結局、彼女が君を視界に入れたのはあの時だけだった。


.







――……おいアレはどうした


               ――何も喋らないんですよ……気味が悪い


――何を企んでいるんだろうな……まったく、あいつも厄介なモノを置いていった


               ――ええほんとうに……ううっ、あの目!おぞましい…


――何かやらかす気かもしれん……アレから目を離すな


               ――もしも何かをすればその時は……





.



君はようやく自分の孤独に気が付いた。

本当はずっと前から心の底では気付いていて、

けれど気付かないふりをしていたのかもしれない。

でも親に捨てられて――それも敵意とともに拒絶されたことで、思い知らされてしまった。

自分が必要とされていないことを

自分が全ての人に忌み嫌われているということを

本当の孤独を知ってしまったんだ。


けれど君は笑顔を失ったわけではなかった。

たしかに人間の世界に君の居場所はないかもしれない。

でも僕たちの世界は違う。

僕だけじゃなく、みんないつだって君のことが大好きだったから

そのことを忘れないでいてくれたことが嬉しかった。


君は僕たちといる時だけはよく笑い、よく喋った。

相変わらずどこか寂しさを含んだ笑顔だったけれど、

それでもこの笑顔が僕たちにだけ向けられているのだと思うと誇らしく感じた。

君 “に” 失望された人間たちに哀れみすら感じた。

僕たちは毎日のように会話をした。

もちろん僕は言葉を発することが出来ないけれど、

それでも僕らの交流は間違いなく「会話」だった。




――あいつ実は……らしいぜ


             ――えっマジかよ、恐ぇ


――マジだよ、父さんが言ってたからな


                  ――そういや兄ちゃんから聞いたけど、あいつ家畜と……


      ――げっ……頭おかしいじゃん


              ――どうする?またやっつけに行くか?


――何かやらかしてからじゃ遅いからな


                    ――ああ、でも
       

    ――だな、あの目に見られないようにしねぇと




それから数年が経ったあの日の夜。

連日の大雨がまだ尾を引いているのか月は雲に隠れていた。

君が住む小屋を除いて近くに民家がないこの土地は、まさに闇の中にあった。

もっとも、夜目が利く僕らにとって闇は何の問題にもならない。

ただ、君と朝まで会えないことだけが残念だった。


そんなことを考えながらふと厩舎の外を見た時、一台の馬車が牧場の前に停まるのが見えた。


久しぶりに見る光景。

そう思っていると馬車から二人の人間が降りてきた。

一人は僕たちも知っている人物……数年前に君を捨てたはずのあの女性だ。

……どことなく以前よりも怯えているように見える。

もう一人は誰だろう。

上から下まで黒ずくめの洋服を身に纏って、どこか高貴な印象を受ける紳士だった。


『初めましてヒストリア、私はロッド・レイス……君の父親だ』


目に見えて混乱している君に、彼はそう告げた。


嫌な予感がした。

どうして今さら彼が君の元へ現れたのか、どうして女性は君の元へ戻ってきたのか。

一体何のために?

女性の怯えた表情に、嫌な予感は一層膨らんだ。

そんな僕の不安を煽るように、男性は


『これからは一緒に暮らすぞ』


と続けた。


母が止めるのも聞かず、僕は口を使って柵の鍵を外そうとした

が、上手く外れない。

いつもなら簡単に開け閉めできるのに、焦りがいつも以上に口を不器用にしていた。

君が僕らの元から離れて行ってしまう。

いや、それ以上に何か不穏な空気を感じた。

あの男性から?

違う。

この牧場全体に恐ろしく不気味な雰囲気が漂っていたんだ。


それは既視感だった。

今までに何度か、牛小屋が妙に騒がしくなる日があった。

そういう日は必ず知らない人々が牧場を訪れて、何頭かの牛達を選びだす。

そして嫌がる彼らを、引きずるように大きな荷馬車に乗せて、何処かへ連れていくのだ。

彼らが戻ることは二度となかった。


この時僕が感じた空気はそれと同じものだった。



みんな同じ空気を感じていたのか、厩舎の中が騒がしくなる。

ある者は蹄を鳴らし、ある者は鼻を何度も震わせ、ある者は高くいななき、僕は一向に外れない柵をガタガタと揺らして。

皆それぞれのやり方で君を呼んだ。


――危ない!

――ついて行ってはだめ!

――こっちへ逃げて!


僕たちは僕たちの友人を護るため必死に君を呼んだ。

有無を言わさず君を連れ去ろうとする男性を威嚇した。


その時

女性の甲高い悲鳴が牧場に響いた。

一瞬、厩舎の中がシンと静まりかえる。

柵から口を離して外を見ると、馬車に向かおうとしていた三人の周りに

大勢の男達が現れていた。


――いつの間に。


夜目が利く僕たちですら気付かなかったのだ。


彼らは皆、男性と同じような黒い服を全身に纏っていた。

まるで闇夜よりもさらに深い闇のようだと思った。

一人の男が女性を後ろから羽交い締めにすると、

君の父と名乗る男性に向かって、一言二言何か言うのが聞こえた。

言葉の意味は分からない。

けれど、彼らにとって男性の行動は都合が悪いことなのだということだけが分かった。

もしかしてこれは僕たちにとっても好都合な展開なのではないか。

彼らが抵抗してくれれば君が連れて行かれなくて済むかもしれない。


そう思ったとたん女性が大声で叫んだ。


『私はこの子の母親ではありません!私とは何の関係もありません!』


ああ、なんだ。

やっぱり母親じゃなかったのか。

あの一件で彼女が母親だと信じたくなかった僕は、女性の言葉をそのまま飲み込んだ。

男が男性にその真偽を問うと、男性はしばらく君を見下ろして逡巡したあと


『ああ、この二人は私と何の関係もない』


そう言って肯定した。


次の瞬間、強引に跪かされる女性の姿が目に入った。

怯える女性に男が何かを言っている。

「お前は存在しなかった」とか

「誰もお前のことなど知らない」とか

そんな言葉だったように思う。



どうして?

彼女は間違いなく存在しているのに、彼は何を言っているの?

どうして女性を跪かせたの?

どうして急にナイフを取り出したの?

どうして彼女は泣いてるの?


混乱する頭に女性の絶叫が響く。


『あ……お母……さん……』

君はなおも女性を母親と呼び、近づこうとした。

彼女は君の母親ではないのに。

そう思ってもう一度女性の顔を見た僕は、それが間違いであることに気付かされた。

その目は君の呼びかけを否定していなかった。

彼女が否定していたのは自分が母親であることではなく


『お前さえ』


君そのものだったんだ。



『お前さえ生まなけ――』


.


たなびく雲の絶え間から白い月が顔を覗かせ、辺りが明るくなった瞬間

刃物が女性の左首筋に添えられた。

そして何の抵抗を感じさせることもなく、根元までゆっくりと食い込んだ。

男が手をそのまま喉へと移動させると、その後をペンで書いたような黒い線が走る。

そしておもむろに女性の顎を上へ持ち上げると、勢いよく鮮血が飛び散った。


まるで屠殺だった。

君は自分の母親が目の前で屠殺される様子を、瞬きもせず、ただ呆然と見つめていた。

ああ、あの時と同じだ、と思った。

母親に殴られたあの時も君はそんな目をしていた。

何が起こっているのか分からない、なぜそうなったのか解らないという目だ。

実際そうなのだろう。

僕が知る限り、この地で起こった全てのことで、君の意思や気持ちが尊重されたことなど今まで一度もなかった。

何の気遣いもなく、説明もなく、理由も知らされず―― 


――いや、今回に限り君は“理由”を知ることができたのかもしれない。

母親が殺された理由の一端。

真実がどうあれ君はそう感じただろう。


初めて君に“理由”を教えてくれたのは、母親の最期の言葉だった。


男は何の感慨も見せず、女性の骸から手を離すと君の頭に手を伸ばした。

厩舎が再び騒然とする。

もはやそれが “大人が大人らしく子供を撫でる” ための予備動作だと、勘違いする者は誰もいなかった。

もはや誰も

大人が君に愛情を向けるなんて幻想を信じてはいなかった。

ただ恐ろしい結末だけが全員の脳裏をよぎっていたのだ。




『待て』


必死に柵をこじ開けようと口を動かす僕の耳に、低く太い声が響く。

君に向かってナイフを振り上げる男を、男性が制止しているのが見えた。

眉をひそめて訝しげな視線を向ける男に、男性はある提案をした。


この子はまだ何も知らない。

何も聞いていないし何も見ていない。

私とも、その女とも関係がない、ただの子供にすぎない。

唯一知っているのは自分の名前だけだ。

もしもその名前を捨て、ここから遠く離れた地で独り慎ましく生きるなら

見逃してやってはどうか。


あまり覚えてはいないけれど、そんな内容だった。

男たちは互いに顔を見合わせ、二、三の言葉を交わした後、

男性に向かって頷いた。



そして


呆然と目を見開いて見上げる君に男性は――


『君の名はクリスタ・レンズだ』


――そう告げた。






その夜、君は自分の名前を忘れた。




あの後、黒い男達から取り囲まれて君の姿はすっかり見えなくなってしまった。

まさに闇の塊だった。

色だけではない。

最初に感じた不気味が君を覆い隠していた。

人間の目に夜の風景はこのように見えているのか、

なんて不便な生き物だ、

と苛立ちながら凝視していたが、結局君を再び見ることは適わず

闇が去った後にはいつも通り静かな牧場の夜があるだけだった。


彼らが何者だったのかを知る術も、君の安否を知る術も僕らにはなかった。

分かったことは、次の日、この地から人が消えたということだけだ。

汚れたズボンに草臥れたシャツを突っ込み、麦わら帽を深くかぶった老人も、

継ぎ接ぎの多いスカートをずりあげ、変わった刺繍のスカーフを頭に巻いた老婆も、

何人かいたはずの従業員達も、いつも牧場の前にたむろしていた意地悪な子供達も。


彼らを見ることは二度となかった。



しばらくして僕らは別の牧場へと移送された。

今夜はここまで




あれから五年。


僕たちは君たちと生きる時間が違う。

君が一つ歳をとるとき、僕はその何倍もの歳をとる。

だから、久しぶりに君を見た時は、時間が巻き戻ったのかと錯覚してしまった。

もちろん君が他の同年代の人達と比べて小柄だからというのもあるだろう。


“調査兵団”


たしかそんな名前の職場だったと思う。

そこで僕らは再会した。


君は僕のことを覚えていなかった。

君が君自身の名前を忘れてしまったように、僕のことも忘れてしまっていたのだ。

いまや君は多くの友人達に囲まれている。

クリスタ、クリスタと彼らが君に話しかけるたび胸がモヤモヤした。

嫉妬しているのだろうか。

昔は僕らだけの君だったはずなのに、

と幼稚な独占欲を拗らせているだけなのだろうか。


いいや違う。

僕は君が、君ではない誰かとして扱われているのが我慢ならなかったんだ。

そしてそれを何も言わず受け入れている君にも――


――と、


そんなことを考えながら、友人達を見つめる君の目を見た瞬間、

またもや僕は自分の考え違いを思い知らされた。


昔と同じようにどこか寂しさを含んだ瞳。

けれど新しく加わった色があった。

僕らの仲間にもたまに見かける色だ。

幼いころに虐待を受けた個体は人を信用しない。

人を信用しなければ人を乗せて走ることはできない。

人を乗せて走ることが出来なければ食用に回されてしまう。


乗り越えなければ生きられない。

けれどトラウマがそれを邪魔する。

それでも、何とか乗り越えるため、

人に必要とされるため、

彼らはある色を瞳に宿すようになる。

それは素顔を他人どころか自分自身にすら隠すために作り出した壁の色だ。

他人から拒絶されることを恐れ、他人を拒絶する心の壁だ。


結局君は



ヒストリアは今も一人のままなんだ。



.



親愛なる友、ヒストリアへ


毎年、僕が生まれた日になると、君は僕を祝ってくれた。

あの時は何の意味があるのか分からなかったけれど、

別の厩舎ですごす内に「誕生祝い」というものが普通の人間の家庭にはあることを知った。

きっと君も本で知ったのだろう。

君が生きていることすら憎み嫌っていたあの人達のことだ。

その日は祝うどころか八つ当たりのような嫌がらせをしていても驚かない。

今にして思えばあの時の君は、祝福されない自分の代わりに僕を祝っていたのかもしれない。

本に描かれた人並の幸せに憧れて、僕を祝うことで人並の慶びを得ようとしていたのかもしれない。


とにかく伝えたいことがある。

君が女性に打たれたあの日から決意していたことだ。


これからまた、辛いことがあるかもしれない。

君が恐れている通り、君の友人達もまた牧場のあの人達と同じように、君を忌避する日がくるかもしれない。

本当の君を知ったとたん蛇蝎のごとく憎み、虐げるかもしれない。

あの人達がどうしてあんなにも君をいじめていたのか、その理由を僕は知らないから、

君がそうであるように僕も彼らを信用しきることはできない。


けれどヒストリア、思い出してくれ。

君はたしかに一人だったけれど孤独ではなかった。

少なくともあの夜まではそうだったはずだ。

僕らに向けた笑顔はどこか縋るようではあったけれど、今のような怯えはなかった。

だからヒストリア、そんなに自分を否定しないでくれ。

僕の

僕らの友達を否定しないでくれ。


もしも……

……もし、この先も、君を認める人が現れなくても――




.





クリスタ「……え?」

ジャン「あ、おいこら!勝手に動くなブッフヴァルト!」

アルミン「クリスタ危ない!避けて!」

クリスタ「大丈夫だよアルミン。これは仲良くしようとしてるだけだから」

アルミン「えっそうなの?でも教科書には……」
     
クリスタ「うん……書いてなかったけれど……私には分かるの。ふふっ、ほら、いい子いい子」ナデナデ


ライナー「ふっ、相変わらず馬に好かれるんだなお前は」

アルミン「人にもね(神様…)」

ジャン「そうだっけか?(女神…)」

ライナー「ああ、違いない(結婚しよ)」

クリスタ「……そんなわけないよ」

ライナー「ん?何か言ったか?」

クリスタ「ううん、何でもない」ナデナデ


ジャン「あの……クリスタ、そろそろいいか?」

クリスタ「あとちょっとだけ」ギュッ

アルミン(クリスタに抱きつかれてる?!)

ライナー(なんて馬だ……うまやら……いや、うらやましい)

ジャン「……なぁ、早くしねぇと先輩方にどやされ……って、ぅおっ!?」

ライナー「!?」

アルミン「ク、クリスタ?」


ジャン「い、いや俺は別に怒ったわけじゃないぞ。ちょっと促しただけだ!」

クリスタ「うん? 分かってるよ?」

ジャン「分かってる、って……じゃあお前……」


ジャン「……なんで泣いてるんだ?」


クリスタ「え……」ポロ


クリスタ「あ……ほんとだ、涙が……私なんで……」ポロポロ

アルミン「ど、どこか痛いの? 医務室に行く?」

クリスタ「大丈夫……どこも痛くない……けど何でいきなり……」ゴシゴシ

ライナー「……何か嫌なことでもあったのか? もし良ければ俺に」

クリスタ「ごめん、何でもないの」

ライナー「そ、そうか」


クリスタ「ただ……なんだろう……

     ……この子の匂いを嗅いでると懐かしくなっちゃって」

ジャン「匂い?」

ライナー「懐かしい?」

クリスタ「……」

アルミン「実家が牧場だったとか?」

クリスタ「……あーごめん、やっぱり何でもなかった!」

アルミン「えっ」


クリスタ「ほら、もう行こ!」

アルミン「あ……うん」

クリスタ「早く行かないとナナバさん達に怒られちゃうよ!ほら早く早く!」

ライナー「お、おう……」

ジャン「いや、お前が止めてたんじゃねぇか」

クリスタ「ごめん!」









――親愛なるヒストリア


――もしこの先もずっと、君を認める人が現れなくても


――たとえ世界が君を否定したとしても


――全ての人間が君を憎み嫌ったとしても



――僕は君の味方だ。



――生まれてきてくれてありがとう、僕の友達。






――君の親友 ブッフヴァルトより






 了

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