ライベルユミ「出立前の話」(57)


※CPなし

※主に独白ばっかり

※一気に完結させる


自分の命にはもう幾分もの時間が残っていない
私が決めて期限をつけてしまった

随分と馬鹿な事をしたもんだ


――本当に、馬鹿な事を



自傷めいたことを考えても、この思考を止めてくれる人はいない

考えても無駄なのだ
なのに、考えてしまうと言う悪循環



――分かっているのに何故、止まらないんだろう


きっとこの考えを止めなかった事すらも、後悔になると言うのに


私は、後悔ばかりしている

こいつらに施しをしたいと願っている癖に
そして体は壁の外へ向かうのに


――気持ちだけは、切ない程に壁の中を望んで

愚かな行動だと分かっているのに
体と気持ちの矛盾が、心を締め付けて辛い


――まぁそれは、私だけに限った物じゃないのだろうが



同じく心が締め付けられているであろう
つい先程別れた二人の事を……ふと考える


逃げるなら今だ


そう言っていたお人好しは
時間が空いてもなお、健在だったらしい


「ユミル、食料以外にも服や備品が必要だろう――お前も取って来い」

壁の下へと降ろされ、言われた言葉につい目を見開いた

がっしりとした体格の男はそれだけ言うと、すぐに背をむけ
町の中央方面へと相方を伴って立ち去ていく

なので
私は現在、たった一人でシガンシナ区の街の中に取り残されている訳だ


――駐屯兵団の施設に先に走り込み、立体起動装置を得れば逃げられるかもしれない


そんな状況を、奴らは私に託したのだ


甘い奴らだ
奴らの為に命を使おうとしている私が言うと、滑稽な物だが


――まぁ、立体起動装置は拝借していくがな


あいつらのミスで
放っておかれた私が巨人に食われる展開、そんな物は御免だ

今だってそう

巨人たちが完全に動き出すまでの数時間の空白
そこに当てて行動をしているとは言え、巨人に遭遇しない可能性が完全にゼロと言う訳ではない


――でも立体起動装置より前に、まずは服だ

こんな四肢がむき出しの格好で、立体起動装置を選ぶ事なんて出来やしないし


適当に目に入った家のドアを、靴を履いている方の足で蹴り破る
隙間が空いていた状態で野ざらしになっていたドアは、簡単に内側へと倒れた

まず、玄関を見渡す
女物の靴が目についた

それを確認し、部屋の中に入る


ドアを蹴り破っておいて、こんな事を思うのも可笑しい物だが

無駄に他人の家の中を荒らすのは、どうにも気が引ける
荒らすのなら最小限で収めたい



そう思ってはいたのだが、部屋に入ると何かが吹っ切れたのだろう
スムーズに寝室へと歩を進め、他人の空間を侵害する

ふと、脳裏に中央で盗みを働いていた時の記憶が蘇った
あの時の慎重な行動を思い返すと、今の堂々と他人の家に入っている現状に少し違和感を覚えてしまう


――あの頃とは、まるで現状が違うと言うのに

そう思うと、何故か少しだけ笑えた


女物の服は簡単に見つけることが出来た
洋箪笥の中にあった衣類の中から無難な色を選び、手に取ってから軽く体に合わせてみる

サイズは合わない

仕方がないので、出来るだけ綺麗な下着をメインに手に取り
そこら辺にあった鞄に詰め込む、その途中

ふと、無造作に放り投げられ
寝室に一枚だけ落ちていた若い男物の服が目につく

手に取り合わせてみる


――サイズはピッタリ合った

もう一度箪笥の中を物色して、男物の服を探す
見つかった服は、色合いも比較的若者らしい物だ


――若い夫婦だったのか

そう考えが巡ってしまうが、今はどうでもいい事だ
頭から追い払う


どうせ誰も見ていないので、その場で洋服を勢いよく脱いで鞄に詰めずに残しておいた下着を着付ける

流石に下着を着付けるには、少しだけ躊躇もあった
けれども巨人が徘徊するまでの時間を考えると、悠長にしている時間は無いので勢いよく履く

下着のサイズは違和感が無かった


まぁ、ある程度合えばどうにでもなる
どうせ立体起動装置を使用する際には、移動しやすいようにブラの上からさらしを巻いて固定するのだし


そこまで考えて、はたっと気が付く


――包帯

この家の中にあるだろうが、どこにあるのだろうか
取り敢えずシャツを着こみズボンを履き、再度箪笥の方へと手を伸ばしてみる

一通り箪笥を確認したが、どうやら医薬品らを収めているのは別の場所らしい


――と、なると……リビングあたりだろうか

あたりをつけて、寝室を出る


リビングにある、小さな棚の中に医薬品は置いてあった
ついでなのでその段ごと手に取る、巨人の修復能力があるとは言っても必要になる事があるかもしれない


って


――んな訳ない、か

自分も他二人も巨人なのだ
道中で人が増える予定もない

もし必要だとしたら、それはヒストリアが居たかもしれなかった展開のみ……で

そこまで考え、その思考がまた「くだらない事」だなとユミルは気付いた
思考を緩やかにする為、意識的に大きく息を吸って吐く

それでも全く持って、気分は晴れなかったけれど



――なんか虫の居所、悪くなっちまった

僅かに眉を寄せながら、ユミルは包帯だけをあるだけ取り
残りの医薬品は棚を元に戻した


思い切り足音を立てながら、衣類が置かれている寝室に戻る
その途中


黄色い物が、視界の端を過った

ヒストリアの事を考えていた頭が
無意識に「金髪らしき色」と認識して、顔をそちらの方へと向かせる

改めて見てみると、「金髪らしき物」は金髪でもなんでもなく
少々汚れて放置されている、小さな人形だった



ピンクの洋服を着せていると言う事は、持ち主は女の子だろうか
どうやらこの家には、若夫婦以外にも子供がいたらしい

逃げる際に、唯一出していた靴を履いていって
だから玄関に子供用の靴が見当たらず、今まで子供の存在に気付かなかったのか


――それはいくら考えてもわかる物ではない

わかるのは
その人形は持ち主には連れて行って貰えなかったと言う、事実だけだ


でも、一目見た瞬間から
その人形が打ち捨てられ、全体が埃にまみれている様子が


泣いている様だと、思えてしまった



――ヒストリア


一緒に居たいと言う彼女を、私は振り払い一人にしてしまった

泣いていないだろうか、怒っていないだろうか
出来るならば後者がいい

元気よく私を恨み、罵り
友人等と一緒に私を貶してくれれば、どんなに嬉しいだろう


私が、振り払った
大切な人


人形に近づく
近づいてみるとその汚れ具合は更に目立って見えた

少なくとも五年は放置されていたのだから
これだけ汚れるのも当たり前なのかもしれないが


手に取ってみる

腕の付け根が辛うじて二、三本の糸で繋がっていて、胴体も頼りなくくたびれている
髪の毛の部分の毛糸にも埃がついていて、しかも少々臭う……これではまるで、小さいモップだ


一度手に取ってしまうと
どうもまた打ち捨てなおすのは、気が引けた

どうしようかと一瞬思考を巡らして
その後に


溜息を吐きながら、ユミルは人形を持ち直し
寝室へと、今一度向かう






……


…………


………………



――なんなんだろうな、こんな風に……自分から死の淵に足を踏み入れるだなんて


ザリッと鳴る、足元の感覚が急に怖くなって足を引いた
引いても、また音はなるのだろうに

傍から見たら奇妙に見えるだろうそうの行動

けれども自分の、傍にいた男たちにはそうは見えなかったらしい
悲しみの籠った瞳で、こちらを見ている


何も言わない
気丈で兄貴肌な男も、空気に敏感で人に気を使わせない男も

そして自分も、言わない


こんなにも、ジワリと這ってくるような恐怖はいつ振りだろう

少なくとも巨人の群れに飛び込んだ時は、この様な恐怖を味わう事が無かった
踏ん切りがついていたのだろうな、あの時は



「戻って、きたのか」

ぽつり、と落とされた声
けれどもその声のもたらす空気の振動が、不思議と恐怖を和らげてくれた

張り付いていた声帯が、ゆっくりと動き出す


「悪いか」
「……いや」

その、帰ってきた一単語の続きにどんな言葉があったのかはわからない
けれども続きの感情はわかった


――混沌だ

様々な感情の糸が絡み付き合い、喉の奥で引っかかって吐き出すことが出来ないのだろう


立ちすくんで、こちらを見る事しか出来ない男二人
その二人の元へ、自分から足を大きく踏み出す

その一歩分の体重移動が終わったら、更にもう一歩
重ねてもう一歩


そうすれば、五歩で二人の元に辿りついた
でも、立ち止まらず歩を進める


――行こう

横を通り抜ける際に、軽く二人の肩に手を当てて意思を伝える
二人は何も言わずについてきた


三歩進むと、すぐに壁の端へと到着する
其処から先に見える世界は広大だ


空、森、動物
そして巨人

壁の外の世界は、とてつもなく広い


――その広さの中に巨人と言う物はどれだけ存在するのだろう

海と空と大地と空気
植物に動物

それらを合わせた体積に対し、私の敵はどれだけだろうか


――きっと微々たる割合しか、存在しないのだろう


これから待ち受ける運命が、どんな物かはわかっている
けれども広い世界を目の前にして、少しだけ恐怖が消えてくれたのも事実だ


――こんな広い世界の中で死ねるのなら、案外悪くない

浮かんだ思考を、苦笑してから掻き消す



「よし、じゃあ行くか」
「その前に、一つだけいいか……ユミル」


ライナーの声が、出立を遮る

なんだよ、出だしが悪いな
視線にかすかな抗議を込めて見返すと、ライナーは少し言いづらそうに口を開いた


「……その人形は、なんだ」

言葉で示された先にあるのは、私がつい先程修繕して来た人形
黄色に近い髪、青いボタンで止められた目、笑った形に縫い付けられた口

胸ポケット中に収められたままのソレを、私は軽く手に取って持ち上げて見せる


「可愛いだろ」
「お前にそんな趣味があったとは驚きだが……いや、その」

言葉に勢いがない
いつもの頼れる兄貴分なお前はどうしたんだ

全く、着いていくと言ってから
こいつは私に対して強く言葉を発する能力を失ってしまったかのように見える

ちなみにベルトルさんは、最初から皆無に近い能力だがな



――まぁ仕方がない

今回は私が察してやるとしよう


「はは、わかってるよ。柄じゃねぇって言いたいんだろ」
「まぁ……簡単に言うと、そうだな」

素直に帰ってきた返答に、私もそう思うと返す
それは皮肉でもなんでもなく、私も思っていた事だ

でも


「似てねぇけれどよ、なんか愛着湧いたんだ」

兄貴分の動きが止まる
ベルトルトも申し訳なさそうにこっちを見ている

何に、なんて言わなかったけれど
わかったからこそ、動きを止めたのだろう



「手元に何かしら欲しかったんだ」

そう言いながら、軽く人形の髪に口づけを落とすと
先程洗った洗剤のにおいがほのかにした

まだ少し湿気ていて生乾きだけれど、手を加えた証と思うと不思議と不快感は無い


二人は何も言わなかった
黙って私の後ろにつく

私はにこりと笑って、もう一度行動を促した



「――じゃ、行くか。お前らの故郷へ」





ユミル「出立前のお話」【終】


目が覚めたのは、とても寒かったからだ



着の身着のまま担ぎ出され、馬に乗り
途中の城でも休むことは出来ず、同期や兵士達によって追い回され

更に飲まず食わずでの三日目突入
いや、水だけは飲んだか

この町に到着し、一息ついてすぐに眠りについたのは
おそらく、ほんの数時間前の事だと思う



あまりの情報量に、頭が置いてついていかない
頭の回転はまぁまぁいい方だと思っていたのだが、それを改めなくてはいけないかもしれないな


情報は頭に入っていると言うのに、脳味噌に浸透していかない
それのなんと、もどかしい事だろう

からからと空回る思考回路を持て余し
思考の休憩がてら、自分の傍らにいた――もう二人の方を見る

二人は、まだ寝ていた


昨晩、男二人で持ってあがった水を三人揃ってがぶ飲みした後
地面に突っ伏しながら「毛布も持ってこなくては」と呟いたのは、たしか俺だったと思う

「おうおう持って来い」と投げやりに言ったのはユミルで
不もなく可もなく「そうだね、必要だもの」と相槌を打ったのはベルトルト


そうは言っても、全員動けなかった
動く予定ではないユミルすら「早く行けよ」と急かさない


――このまま眠ってしまいたい

その場にいた全員の総意だ

もしも
この場に人数分のベットがぽんと現れるのならば、俺は腎臓だろうが肝臓だろうが喜んで売り払う


――はは、どうせまた……生えてくるんだし

あれ、腎臓も「生える」でいいのか
それとも「作られる」の方がいいだろうか


――全部、どうでもいい

投げやりな思考回路も、生き延びたからこそだと思うと
何故だか心地良かった


だがそんな悠長な事はしていられない


――寒い、な

日も完全に落ち、運動をしていない俺たちの体から体温は奪われていくばかり

巨人体を喰われすぎて消耗したのか、感じる悪寒はゾクゾクとした物で
風邪をひく一歩手前の様に感じる


百歩譲ってこのまま地面で寝るにしても、このままだとやばい


――覚醒しろ、体……動け

最大の強敵、重い瞼をぐぐっと気合で持ち上げる

黒い空、冷たい壁の地面
そして黒髪の男女が一人づつ視界に写り込んだ



「お、い……ベルトルト、ユミル。このままだと駄目だ、固まって暖を取るぞ」
「はは、おいライナーさんよぉ……こちとら女なんだが」

いつも通りの減らず口に安心するも、けれども全く張りが無い
しかも生身で戦った幼馴染からの返答は無かった

聞こえているのか、それとも


「おい……ベルトル…」

次の瞬間、男の指がピクリと動いた
ゆっくりと肘をくの字に曲げ、少しだけ声を漏らしながら上半身を起こす


「は……みんな疲れてる、でしょ。僕が移動手伝うから、近くに寄ろう」

無理をしている
そんな事が一目瞭然の表情だった

汗で髪が張り付いているし、唇も真っ青
まぁ俺も似たり寄ったりなのだろうが



「あぁ、くそ……わかったよ」
「同意してくれて何よりだ」

ユミルの了承も貰い、今夜は三人並んで寝る事は決定となった
ベルトルトの寝相は気になる所だが、俺とユミルでがっちりと挟んで寝れば何とかなるだろう


「ユミ、ル……動ける?移動するよ」
「は、いらねぇよ。お前はライナーの方を助けてやれ」

女の声に対する返答は聞こえなかった、その代わり人一人の気配がこちらに寄ってきた

薄目で確認すると、案の定
背の高い幼馴染がこちらのすぐ傍に立っている


「ライ、ナー……立ち上がれる。流石に君を抱える体力は無いから、立ってくれると嬉しい」

伸ばされた手、鉛の様に重い腕を持ち上げて掌をぎゅっと握った
汗ばんでいた手に滑りそうになったが、なんとか反動をつけて上半身をあげる事に成功する


――だがもう、立ち上がるのは無理だから四つん這いで移動しよう

冷たい地面に膝をつき、丁度三人が居た間あたりの所に体を横たえる
地面に自分の温もりがすっと溶けて行き、体温が少しもったいなく感じる


ユミルも近づいてきて、俺との間に一人分程度の空白を空けて横になった
それを見て、ベルトルトが「あ」と声を漏らす


「そう、言えば……ねぇ、配置はどうす」


「ベルトルトが真ん中で」
「ベルトルさんが真ん中だな」

弱々しい声を、二人揃って一蹴
ベルトルトの寝相天気予報は女子にも伝わっていたからな、まぁ当然の結果だろう


気の弱い幼馴染は、大きい反論こそはしなかったものの
少し迷っているかのように視線を彷徨わせる

だがすぐに観念して俺とユミルの間に体を入れた

こう言う時に、無駄な体力を使わせない彼の気弱な性格が便利だと
俺が心底思ってしまった事は秘密にしておいて欲しい


「野良巨人の匂い、少しついているな……くせぇ」
「唾液やらなんやら、たくさん掛かったもんな」


つらつらと、力のない声が一つ二つ聞こえる
自分の声か、他人の声かなんて特に問題は無かった

あれだけの死地を潜ったからか、危害を加えない奴等だと言うだけで安心できた
その声は疲れた体に子守唄の様に浸透する


「なぁ」

誰ともなしに発せられた声を皮切りに
それぞれ思っていた感情が、ゆっくりと溢れる

愚痴でもなければ、恨み言でもない言葉が


「巨人の体は蒸発するとしても、ついていた汚れは蒸発しねぇし」

「最悪だな」

「お湯浴びたい」

「日時的に、今日中は無理かも」

「最悪」

「本当に」



「明日は、何時に起きる」

「時計もねぇよ」

「多分、朝日と一緒だね」

「そんな早く起きるのか」

「朝日を遮る物がねぇからな、問答無用で起きそうだ」

「腕で顔、覆っておいた方がいいんじゃ」

「そうかもな、でも」


その時はその時で、いいんじゃね

今は眠れれば、それで……



昨夜の記憶は、ぷっつりと途絶えている






……


…………


………………


首を動かそうとする
枕が無く、下方を向いていた首がいきなりの動きにグギッと音を立てた

激痛が走って、思わずそれ以上動かせなくなる


そのままの姿勢で、一分二分
ゆるゆると肩の力を抜き、ゆっくりと首を回すとようやく起き上がれる姿勢になった

激痛はまだ、和らぐ気配はない


――多分、こいつらも起きたらこうなるな

首だけではなく、腰や足も痛いが……そうも言っていられない
昨日外したまま放置していた立体起動装置を、自分に取り付ける

ガスの量はもうほとんど無い、出来るだけ早くに補給しなければ


――トルスト区でガス切れになった事を思えば、本当によく持ってくれた

ガスの使い方が上達したのだろう
兵士としては喜ばしい事だ

だがその実力を生かして、人が喜んでくれる事はもう無い



――俺はまだ未練があるのか

そうやって自分を責めてみた物の、この未練を完全に無くせる自信はない


証拠に、トルスト区襲撃で殉職した訓練兵の名前を自分は全員言えてしまう
追悼名簿を穴が出来るほど眺めた結果だ

彼等の名前くらいは自分の墓まで覚えておこうとしていた、あの時の自分を
俺は殴りたくもなるし、同時に褒めてやりたいとも思う


だが、今は



「取り敢えず、水と毛布……だな」

酵母付きの食糧も欲しいが、あまり期待は出来そうにない


――よし、じゃあ行くか

そう思い、アンカーを飛ばそうとした瞬間だった



「が――ごほっ!」

大きな声がしたので、慌ててそちらを見てみると
ベルトルトの大きな足が大旋回してユミルの溝内に乗りかかっている

ユミルは目を覚ましたようだが、先程の俺と同じく現状が脳味噌に浸透しきっていないのだろう
目を白黒させたまま、ぽかんと空を見上げている


俺は何も言われない内に、アンカーを飛ばしてシガンシナ区の町に降り立った


――取り敢えず、飛んで行った唾を拭うタオルを一枚余分に持っていこう

そう思いながら





ライナー「出立前の話」【終】


壁の上に登り切った時、浮かんだのは安心感だった


もう、大丈夫

心配する事は無い、脅威は去った
ここに居る二人は自分を傷つけない


大丈夫、大丈夫

だから存分休もう
僕は生き延びた



本当に……?

そんな疑問が首をもたげたのは、一息ついてからだ



――本当に安全だと思っているのか、お前はアニを取り戻しに戻るのに

そうだね、また命を脅威に晒す
でも仕方がない、アニが大切なんだ


――でも本当は、もう戻りたくないと言う気持ちもあるんだろ

それは


――さっき手土産になってくれると言った女も、本当にお前達に身をささげる覚悟があると思うのか?

そうだ……うん、おかしいよね
自分の身を犠牲にする程、僕達は親しかったわけではない

けれども助けてくれたのは本当だ、だからきっと


――本当に信用できるのか、本当に大丈夫か?

念を押されると、言葉に詰まるな
でも確かに……そう言われると、確証はないけど


信じる事で、寝首を掛かれるかもしれない
縛っておいた方が安心できるぞ

いいか、あいつの手の届くところにブレードは置くいてはいけない
寝ている隙にこちらの首を切り、壁の内に戻ろうと心変わりするかも


――それは、ないよ

そのつもりなら、あの時に彼女は僕等を見捨てて壁の中に戻っていた



そこまで考えて気付く
僕は、いったい何と話をしているのだろう

自分に不安を落とし込んでいた存在は、僕がその名を思い当たる前に掻き消えそうに揺らいだ


それでもなお、僕に不安を掻き立てる言葉を残す


信頼するのか、愚かなベルトルト
だったら今まで手を伸ばしてきた人達はたくさんいたじゃないか

寝ていたベットの隣に、難しかった課題を解く机の隣に
休み時間の水飲み場で水を飲んでいたその場所に


お前を信頼し、手を伸ばしてきていた奴等はたくさんいるだろう
そいつ等はなんで信用しなかった


――そう、お前が裏切るからだ。もしくはあいつは自分達を許さないと知っていたからだ

それとどう違う


――お前は見捨てるんだろう、その女の命を

その女は見捨てたこちらを恨むだろう、勝手についてきた癖に恨んでくるに決まっている
勝手だと思わないか


なぁ……だったら、どうすればいいと思う?



――気を許してはいけない、絶対に

命の恩人なのに?


胸の内で質問を返す
するとソレは、呆れた様に溜息を吐いた


――そうだな……わかっているよ、中途半端なベルトルト。残念な事にお前は、完全に恩人を恨む事は出来ない奴だ


そう言われ、一瞬安堵する
非情な奴だと言われなかった事に安心した


だが……また、あの時と同じようになるんだろ

ライナーの様にどっぷりとは人間関係に浸かれず、アニの様に気丈に振る舞う事も出来ない
中途半端にほだされて、結局見捨てる

行動としては戦士としてはギリギリ正解の模範解答

だが死なない程度に自分の首を絞める人生を悔やんで
なのに死んであげられるほど、自分の可能性を捨てきれないまま生きていく


それがお前の今までの人生だ
そして今後も変わる事は無い、だってそれはお前の「性根」だから



嘲る様な声が聞こえる、笑っている様に僕の心を切り刻むけれど
それでも僕は反論なんて出来やしなかった


――うん、そうやって僕は過ごしていくんだろうね

そう、自分の心の中で納得すると
今までこちらの不安を散々煽っていた「疑心暗鬼」はゆらりと消えた

でも知っている
消えたんじゃなくて、それは未だに僕の中にある事を



――なんて、僕は

なんて矮小で中途半端な存在なんだろう

思考が少し冷えたところで、ぽつりと感想が浮かんでくる
そして笑えた、自分の中で散々自問自答して出した答えがこれだけなんて


卑怯で、矮小で
でも人の好意を信じたくて、甘えたくて


――なんて、汚い存在なんだろう



僕の魂は、まだ定まらない
自分の責任にするのが怖くてたまらない

様々な方向を伺い、他人の選択を見て、
その人と自分を卑下して、ようやく行動を起こす事が出来るこの体

恩人も信じきれない、けれど他人の選択に流されるこの性分


そして、そんな僕が他人を非難するのは
決して仲間以外に限った訳ではない



「ユミル、食料以外にも服や備品が必要だろう――お前も取って来い」



――ぇ

擦れるほどの、周りには決して聞こえないであろう程の声
それを発したのは僕だった


ある程度の休息が終わり、体力的に動ける様になって
三人そろってシガンシナ区の町へと降りた際

ライナーが発した声に僕は驚いた


一方でユミルは言われた言葉を、比較的動揺も無く受け止めている様に見える

まぁ僕が見たのはその、言葉を聞いた後の反応だけで
すぐにライナーに呼ばれて、必需品を探しに町の中心街の方へと向かう事になった

だから、その後の反応は知らない

でもおそらく、特に動揺はしなかったのだろう
なんとなく、それがわかった


時間が補給をする時間は少ないので、まずは衣類を整える

僕らの体格の洋服は一般の人たちじゃほとんど持っていないと思ったので
兵舎へと赴いて兵士の私物から調達した

兵士を抜け出して、兵士の荷物を漁るなんてと心の端に浮かんだが
それでも背に腹は代えられない


次にガス

基本的には僕以外の、二人の巨人体での移動になるけれども
今後の事を考えると少しでも多く持っていた方がいい

それでも邪魔にならない程度だから
量的には、たかがしれているかもけれど


今後の展開と不安を、少しでも多く想像しながら荷物を作っていく


――そう、今後の展開と不安を

少しだけ疑問に思う事がある


僕はライナーに、最初にガスを補強しようかと進言したけれど
ライナーは「ユミルがすぐ補給処に来るかもしれないから、少しだけ時間を挟もう」と言ってきた



――ライナー、君はそれがどう言う事か理解して言っているの?


もしユミルが逃げたら僕達は



もしかして、また兵士の人格が入っている?
それとも戦士だけれど、まだ感情を割り切れていない?

どうしよう……もし、また接する人が増えて
ライナーが今のライナーでは無くなってしまったら



ぞくり、と悪寒が背中を駆け抜けて行った
怖い、と言う感情を強く感じる


――正体を明かして、兵団から逃げれば恐怖からは解放されると思っていた

けれども恐怖はついてきた
僕等を助けてくれると言う人の形を取って



――いや、それは違う

その受け取り方は、僕が恐怖によって卑屈になっているだけ

ユミルには恩もあるし、感謝もある
ライナーもいざと言う時はやってっくれるし、信頼している



――僕はその好意を素直に受け取る事は出来ず、完全に親友を信頼する事は出来なくなっている


五年間で捻じ曲がりすぎた

気を張り詰めて
いつ裏切られるか、裏切るかと怯えてしまう


僕はライナーの感情に、素直に向き合うことが出来なくて
ユミルの温情に、不利益が無いか探ってしまうなんて



なんて、僕は


――性根が醜いんだ

何故だろう、多くの人で溢れた壁の中ではぼんやりと自覚しているだけだったのに
三人になってからは、明確に分かってしまう



――僕は醜い

汚れきる事も、潔白である事も出来ず
部分的に汚れた部分が、異様に際立って見えてしまう



僕は、僕が嫌いだと思った
大嫌いだと思っていた






……


…………


………………


戻ってきた時、胸ポケットにつっこまれていたモノに
僕は驚きから思わず凝視してしまう


子供のいる家にはどこにでもある様な、手作り感あふれる人形
それはあまりにも、ユミルに似合わなかったから

必要な物だけ持ってくると思ったし
なにより、ただでさえ持っていける物は少ないのに


――何故、人形なんて子供が持つものを君が



その疑問は
一つだけいいか、と前置きをしてライナーが問いかけてくれた



「ユミル……その人形は、なんだ」
「可愛いだろ」

即答

まさか、本当に可愛いから持ってきた、だけのはずはない……と思う
けれどもまっすぐに帰ってきた言葉に嘘はなさそうだった



「お前にそんな趣味があったとは驚きだが……いや、その」

しどろもどろになり、救いを求めて彼はこっちを見たけれど
僕も今、驚いていて忙しいから助けてあげられない

僕たちの顔色を見て察したのか、ユミルは少しだけ自傷めいた様に笑って見せる


「はは、わかってるよ。柄じゃねぇって言いたいんだろ」

その反応は分かっていた、と言う様に軽く笑う
声を発する事を許された様な雰囲気に、ライナーは少しだけほっとして感想を重ねた


「まぁ……簡単に言うと、そうだな」
「私もそう思う」

だけど、と前置きをして
ユミルは持っている手の指だけを軽く動かし、人形の頭を撫でる

慈しむ様な視線、そしてその声色
それは訓練兵時代の日常で、彼女がよく発していた声によく似ていた


「似てねぇけれどよ、なんか愛着湧いたんだ」


何に、なんて言わなかった
けれどもわかった、彼女が愛着を示すのは“彼女”だけだから


「手元に何かしら欲しかったんだ」

そう言いながら、人形に口づけを落とす彼女を見て
僕はふと、偶像崇拝と言う単語が浮かんだ

そしてそれは、何故かピタリと思考に当て嵌った


――その姿はロザリオを持ち、願いを捧げる信徒によく似ている


彼女が心の拠り所にしている人
そしてそれは、縋っていると言う事


この連続した緊張状態の中
ようやく彼女は心を休ませられる物資を見つけられたのだと、僕は理解した


僕は弱い、目の前の女の人よりも
隣にいる男の人よりも

とても残念な事に
死地を潜りぬけても、この弱さは変わらかった



ちらり、と男の方を見る
男はもう何も言わず、これから向かう方向へと視線を向けていた

僕も、そちらに目を向ける
他人の行動に倣うなんて、僕はなんて意思が少ないんだろう

けれど、それでも
その人の意思に沿う事を決めたのは僕だ


――僕の性根は、そう簡単には変わってくれないらしい

だったらせめて



今を頑張るしかない
結局僕には、それしかできないのだ


頑張って、ひたすらに頑張り続けて

そうしたらきっと
努力を放棄するよりもいい未来は得られるはずと、信じるしかない

何も言わず、ライナーと共に黙って後ろにつく



ユミルは前を向いたまま笑う
何故か笑っていると、顔が見えていないのにわかった





「――じゃ、行くか。お前らの故郷へ」





ベルトルト「出立より前のお話」【終】


これにてお終い

ライナーの話にあった、隣の人の足が大旋回して溝内にヒットは当方の実話
本当に痛いので注意されたし

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom