桐野アヤ「クロスファイヤー」(775)




Cross1.向井拓海



「ちっ、あれだけ働いたのにたったこんだけかよ。もうあそこはやめるか」



 雨が降る帰り道の途中で、アタシはバイトで稼いだ僅かな金を確認してガッカリした。
東京に住んで2年とちょっとだけ。フリーターのアタシはいくつかバイトをかけもちし、
さらに空いた時間を日雇いのバイトで働きながら食い扶持を稼いでいる。



「あーあ、せめて免許があればもうちょいマシなバイト探せるんだけどな」

 地元の福岡と違って東京は交通機関が発達してるから移動には苦労しないけど、交通費
だってバカにならない。一度チャリを買った事があるけど、3日でパクられた。交番には
届けたけど、やる気なさそうなオマワリだったしきっと見つからないだろう。だけどもし
見つかったら……という期待もどこかにあって、新しいのはまだ買ってない。



「ニャーン… ニャーン…」



「あん?」

 愛しの我が家(ボロアパート)がそろそろ見えてきたと思ったら、雨音に混じって猫の
鳴く声が微かにした。アタシはその声のする方へ歩いて行く。




「ニャーン… ニャーン…」



「おいおいマジかよ……」



 猫はアパートの階段の下にいた。ただしそこにいたのは猫だけじゃなかった。猫の近く
には、血と泥で汚れたセーラー服を着たヤンキー女が雨でずぶ濡れになって倒れていた。
どうやらケンカでもしたらしい。いや、この感じは一方的にボコられたのか?




「ったく、人のアパートの前で倒れてんじゃねえよ」



 アタシはもう一回大きなため息をついてビニール傘を閉じ、そのヤンキーを背負って
ついでに猫を脇に抱えてアパートの階段を上った。


桐野アヤ(19)
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向井拓海(18)
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***



「う……」



「おう、やっと起きたかよヤンキー」



 温めた牛乳を小皿に入れて猫に飲ませていると、ヤンキーが目を覚ました。ヤンキーは
ゆっくり体を起こすと、自分の腕や足に巻かれたバンテージを見た。



「これは…… アンタが?」

「気にすんな、昔使ってたやつの余りだ。ちっとキツイかもしれねえけどガマンしろよ。
 骨は折れてないみたいだけど相当痛めつけられていたからな」

 布団に寝かせる前に、ヤンキーに傷の手当てをしてやった。ついでに血と泥だらけに
なっていたセーラー服も脱がせて、アタシのジャージを着せておいた。

「アタシのサイズだとちと胸がキツいかもしれねえけど、ゼータク言うなよ。てかお前
 何カップだよ?牛みたいなデカいチチしやがって」

「う、うるせえっ、ジロジロ見んなっ!! 」

 アタシに言われて自分がジャージに着替えていた事に気付いたみたいで、ヤンキーは
慌てた様子ですごんだ。おーおーいっちょ前に照れてやがる。カワイイねえ。



「財布とケータイは枕元に置いてあるからな。でもコイツは没収だ。悪いけどアタシの
 部屋は禁煙だからよ。どっちみち雨で湿気てて吸えねえけど」

 アタシは手に持ったタバコとライターをひらひらさせてやった。ガキのくせにやけに
ヘビーなの吸ってるじゃねえか。身体壊すぞ?

「そんなのアタシの勝手だろ。テメエには関係ねえ……」

「そりゃそうだ。お前がどうなろうとアタシが知ったこっちゃねえ」

 アタシはタバコをゴミ箱に捨てて、牛乳を飲み終わった猫を抱えてよっと立ち上がった。
そして布団の上に座り込んでいるヤンキーの膝の上に猫を載せてやる。



「コインランドリーに行ってくるわ。ついでにお前のセーラー服も洗ってきてやるから、
 ここで猫と留守番してろ。1時間くらいで戻るからよ」

 アタシは洗濯物を持ってアパートを出ようとしたが、ヤンキーに呼び止められた。

「待てよ、アタシも行く」

「あん?いいぜ別に気を遣わなくても。ウチには盗られて困るようなものはないし」
 
「アタシも外に忘れ物があるんだよ」

 ヤンキーは猫を自分の胸元に放り込むと、よろよろと立ちあがった。無理すんなよ。




「カサは1本しかねえから、狭いけどガマンしろよ」



 ヤンキーの靴は濡れていたのでスリッパを貸してやって、アタシ達はアパートを出た。
アタシ達は特に会話もなく、2人で1つの傘に入って雨の中を歩いた―――――


次回に続く




***



「よっと、これでよしっと」



 洗濯物をランドリーに放り込んで、ヤンキーと2人並んで椅子に腰掛ける。いつもなら
洗濯が終わるまでコンビニで立ち読みでもするんだけど、雨も強いしここで待つかな。

「カサ貸してくれ。ついでにコイツも頼む」

「ああ、そういえばお前も用があるんだったけな。さっさと帰って来いよ」

 ヤンキーから猫を預かって、代わりに傘を渡してやる。ヤンキーは痛む身体を我慢する
ように歯をくいしばりながら、雨の中をふらふらとコインランドリーから出て行った。






「ニャーン…」

「大丈夫だよ、アイツはちゃんと帰って来るさ。ボッコボコにされながらもお前を守って
 いたんだし、ヤンキーのわりにはいいヤツじゃねえか」

 不安げに泣く猫の頭を優しく撫でてやる。しかし何だろうなこの状況。家の前に倒れて
いた名前も知らないヤンキーの面倒を見て、ついでにあいつの猫の世話までしてやって。
ただの気まぐれにしちゃお節介が過ぎたかな。

「でもあのままほっとくと面倒な事になるし、サツや病院に連絡しても面倒な事になって
 いただろうしなあ。とりあえず今日は一晩泊めて、明日追い出すか」

 猫がまんまるな瞳でこっちを見る。そんな目で見ないでくれよ。第一ウチはペット禁止
なんだから、お前がアパートにいるのがバレたらアタシまで追い出されるっての。






「にしても遅えなアイツ。一体どこ行きやがったんだ?」



 ヤンキーがコインランドリーを出てからそろそろ30分になる。アタシは猫を抱えたまま
コインランドリーの入り口に首だけ出した。すると遠くに、ヤンキーが胸に何かを抱えて
トボトボ歩いて来るのが見えた。また何か拾って来やがったのかアイツ。






「おかえりさん。ほら……」

 アタシは預かっていた猫を返してやろうと思ったが、ヤンキーが抱えていた物を見て
手が止まった。それはボロボロになった学校カバンと、ビリビリに破られて雨に濡れた
教科書やノートだった。あちゃー、どうやら殴られたヤツらにやられたみたいだ。

「くそぅ………… ちくしょう…………」

 ヤンキーは寒いのか怒っているのか悔しいのか分からないけど、ぶるぶると身体を
震わせていた。顔は下を向いているので見えないけど、泣いてるみたいだ。






「とりあえず中に入れよ。そんな所につっ立ってるとカゼひくぞ」



 ヤンキーを中に入れてやって、アタシは再び洗濯機の前のイスに座った。とりあえず
ヤンキーに猫を抱かせてやる。はぁ、面倒だな。どうすりゃいいんだアタシは?






―――



「なぁ」



「あん?なんだよ?」



 洗濯が終わって服を乾燥機に放り込んでいると、ヤンキーが話しかけてきた。どうやら
泣きやんだみたいだ。今は猫を抱いていくらか落ち着いている。






「アンタ、どうしてアタシを助けてくれたんだ?一体どういうつもりだよ」

「あのままお前を放っておいたら、お前をボコったヤンキーが集まってくるかもしれねえ
 だろうが。かといってサツか病院に連れて行けば、アタシまで痛くもないハラを探られ
 ちまうし、ああするのが一番良かったんだよ」

「んだよ、結局テメエの為かよ」

 ちっと舌打ちして、ヤンキーはそっぽを向いた。当たり前だろうが。どうしてわざわざ
見ず知らずのヤンキーにアタシが優しくしなくちゃいけねえんだよ。

「で、お前これからどうすんだよ。もう夜だけど家に連絡しなくていいのか?」

 こういうヤンキーは家にろくに帰らない事は知っているけど、今コイツの身を預かって
いるのはアタシだし一応聞いておく。





「家なんてねえよ。それに今は職場の寮に住んでるし……」

「へえ、お前働いてるのかよ。じゃあその寮に帰れよ」

 見た所学生だし、住み込みのバイトでもしてるんだろうか。門限とかあるだろ。

「もうとっくに門限オーバーだ。それにこんな問題起こしちまったし、仕事もクビだな。
 ついでに学校も退学だぜ」

 腕の中の猫を優しく撫でながら、ヤンキーはヤケ気味に笑いながら言った。そりゃまた
ご愁傷様だな。同情はしねえけどよ。





「だからよ、その……」

「ダメだ」

「ま、まだ何も言ってねえだろうがっ!」

「言わなくてもわかるっての。どうせ今日泊めてくれって言うつもりなんだろ?アタシは
 ヤンキーもサツも嫌いなんだ。服が乾いたら着替えてさっさと出てけ」

 ヤンキーはアタシを睨みつけて悔しそうに歯ぎしりをする。世の中甘くねえんだよ。





「ヤンキーなんてバカやってられんのもガキのうちだけだぞ。ガッコウ卒業したら誰も
 助けてくれねえし、明日のメシ代稼ぐのも精一杯だ。だからお前も家出なんてせずに
 大人しく帰って……」

「ニャーン」

 アタシがヤンキーに説教かましていると、ヤンキーの腕の中の猫が鳴いた。アタシと
ヤンキーは猫を見て、それからお互いに顔を見合わせる。

「……コイツどうすんだよ?」

ヤンキーが真顔で聞いてきた。はぁ?お前が拾ったんだろうが。お前が何とかしろよ。






「いや、アタシ猫の世話とかしたことねえし……」



 じゃあ拾うんじゃねえっつーの。これだからヤンキーは嫌いなんだよ。後先考えずに
余計な行動して、周りに尻拭いばかりさせやがる。迷惑ったらありゃしねえ。






「さっきからアタシの事ヤンキーヤンキーって、テメエも人の事言えんのかよ……」

「アタシは『元』だからいいんだよ。今はマジメに働いてるし、お前と違ってつまらねえ
 ケンカもしねえしな」

 アタシがニヤリと笑うと、ヤンキーはちっと舌打ちした。そもそもアタシの地元は福岡
だし、福岡のヤンキーがアタシを追いかけて東京まで来るわけねえしな。






「アタシも東京に出てきたくらいじゃダメなのかな……」



 ヤンキーがポツリと言った。ん?コイツも東京の人間じゃないのか?ま、アタシには
関係ない話だしどうでもいいけど。結局猫をどっちが引き取るか決まらずに、アタシは
一晩だけヤンキーを泊める事にした。一晩だけだからな?






つづく





訂正>>18


×「でもあのままほっとくと面倒な事になるし、サツや病院に連絡しても面倒な事になって
  いただろうしなあ。とりあえず今日は一晩泊めて、明日追い出すか」

   ↓


○「でもあのままほっとくと面倒な事になるし、サツや病院に連絡しても面倒な事になって
  いただろうしなあ。とりあえずケガの手当てはしてやったし、さっさと追い出すか」






***



「ん?なんだありゃ?」

 翌日のバイト帰りの夜、街を歩いていると爆音をまき散らしながら族のバイクが何台も
走り過ぎて行った。特攻服を着て改造バイクに乗って、チームの名前が書いてある団旗を
シートに差している。団旗に書いてあるチーム名を見ると、どうやら横浜の族らしい。

「何ジロジロ見てんだよてめえ」

「あん?」

 ふと気づくと、アタシの後ろにガラの悪そうなヤロウ2人乗りのバイクがいた。後部
座席にいる男はバットを担いでいる。群れからはぐれたのか?






「何か文句あんのかよ」

「いや、別にねえけど?」

 ガムをクチャクチャしながら、ヤンキー2人が至近距離でガンを飛ばして来る。なんか
懐かしいなこの雰囲気。アタシの地元のヤツらの方がもっと気合入ってたけどな。





「その態度気に入らねえな。女だからって優しくしてくれると思ってんのか?あァ?」

「ナンパなら他をあたってくれ。アタシお前らタイプじゃねえし」

「んだとこのアマッ!! 」

 ヤンキーがアタシの胸ぐらをつかもうとしてきたが、アタシはその手をさっとかわして
足をひっかけてやった。するとバランスを崩したヤンキーは盛大にすっ転んだ。






「気安く女の体に触ろうとしてんじゃねえぞガキが。セクハラだぞ」



「て、てめえ……っ!! 」

 バットを担いだもう1人の方が、鼻息を荒くして詰め寄って来る。情けねえなあお前ら、
女相手に2人がかりでスゴむなよ。こりゃOGとして教育が必要かな。







「は~いストップ、なにしてんのかな~?」



 ヤンキーがまさに殴りかかろうとしてきたその時、スクーターに乗った小柄な婦警が
やって来た。ちっ、サツが来やがったか。めんどくせえなあ。

「なんでもありませんよ。この2人が仲間とはぐれたみたいだから、道を教えてやって
 いたんです。な、お前ら?」

「は、はぁ!? 何言ってんだよテメッ……」

 ヤンキーが言いかけたが、アタシはヤンキーを一睨みして黙らせる。







「さっさと消えろ。お前らもサツに絡まれたくないだろうが」



 アタシが婦警に聞こえないように小声でつぶやくと、ヤンキーは「憶えてろよ……」と
捨てゼリフを吐いて走り去って行った。うだうだ言わずに横浜に帰れっての。






「大丈夫お姉さん?ケガとかしてない?」

 婦警が話しかけてくる。アタシは作り笑いをして返事をした。

「道案内しただけなのにケガするわけないじゃないすか。ホントになんもないですって。
 それより婦警さんの方こそ大丈夫なんすか?パトロールは2人組が基本でしょ?」

「へえ、お姉さんあたし達の事ずいぶん詳しいんだね」

 婦警がニヤリと笑う。しまった、つい余計な事をしゃべっちまった。





「いや~、誰もあたしとコンビ組んでくれなくて。やっぱこの前ミニパト1台オシャカに
 しちゃったのがいけなかったのかなあ。おかげでしばらくスクーターだし」

 ああ、コイツか。噂に聞いた事がある。警視庁始まって以来の史上最悪の問題婦警で、
この前スリをミニパトで追い回して公園のトイレに突っ込んだとか。確か名前は……

「あたし片桐早苗。見ての通りおまわりさんやってるの。よろしくね!」

 そうだ、カタギリだ。背がちっちゃくて童顔だけど、30近いベテランだって聞いている。
バイト先のイキったガキ共が『カタギリに見つかったらめんどくせえ』って話してた。






「はぁ、そっすか。そんじゃアタシはこれで……」



 名刺を受けとって、アタシはそそくさとその場を離れようとした。しかしカタギリは
私の隣をゆっくりとスクーターで並走してきた。







「……まだ何か用っすか?」



「いや、お姉さんの事が心配でさ。大通りまで送ってあげるよ♪」



 なるほど、こりゃ確かにめんどくせえな。でも余計な事を言ってまた絡まれたら厄介
だし、黙って好きにさせとくか。






「ところでお姉さん、どうして横浜の暴走族が走り回ってるのか気にならない?」

「いや、別に」

「どうやらこっちに逃げてきた仲間を探してるみたいなんだよね。噂だとすっごく美人な
 女の子らしくてさ、おっぱいもこーんなに大きいんだって!」

 聞いてもないのにカタギリはペラペラ喋る。ふーん、おっぱいの大きい女の子ねえ。

「名前は向井拓海ちゃんって言うんだって。地元の横浜を離れて東京の高校に転入した
 らしいけど、昨日は学校に行ったきり家に帰って来なかったらしいよ。それで今日は
 学校にも来てないみたいだし、心配だよねえ」

 カタギリは1枚の写真をアタシに見せた。そこには目つきの悪い生意気そうな顔をした
あのヤンキーが写っていた。美人なのかコレ?確かに胸はでかかったが。





「そっすか。そりゃ心配っすね。カタギリさんもアタシなんかに構ってないで、さっさと
 この子を探した方がいいんじゃないすか?アタシなら大丈夫っすから」

 アタシはすっとぼける。そろそろ大通りだな。そこでカタギリとはサヨナラだ。

「もしまた危ない目に遭ったら、その名刺に書いてある電話番号にすぐに電話してね。
 24時間いつでもスクーターかっとばして来ちゃうから!」

 カタギリはニコっと笑ってぶんぶん手を振った。どうにかやり過ごす事が出来たかな。
しかし噂で聞いていたよりニブイというか、大した事ない女だったな。あのレベルだと
ただの世話焼きな婦警じゃねえか。






「あ、そうそうアヤちゃん」



「な……っ!? 」



 教えてもいないのにいきなり自分の名前を呼ばれて、アタシは反射的に振り返った。
カタギリは笑顔のままで、しかし声は真面目なトーンで言った。







「最近ネコ飼ったんだってね。大きいのと小さいのと2匹いるって聞いてるけど、今度
 見に行っていいかな。あたしネコ大好きでさ♪」



 全部バレバレかよ。こりゃ相当ウゼえサツだな。アタシは接客バイトで身につけた営業
スマイルを顔に張り付けて、カタギリに返事をした。






「たまたまノラを拾っただけですよ。でも雨もやんだし、もうどっか行っちまったんじゃ
 ないですかね。もしかしたらまだその辺うろついてるかもしれませんよ」

「ありゃ、そりゃ残念。それじゃ気を付けて帰るんだよ!」

 カタギリはそう言って、アタシのアパートとは逆方向にスクーターを走らせていった。
てっきり乗り込まれるかと思ったが。いや、ありゃ仲間を呼びに行ったのか?

「こういう仕事は早えなサツは。だったらアタシのチャリもさっさと見つけろよ」

 アパートに着いたアタシは、ポケットからカギを取り出して開けた。部屋の中では猫と
ヤンキー改め向井拓海が丸まって眠っていた。





「すぅ…… 」

 朝一応バイトに行く前に出て行けとは言ったが、やっぱりいたか。こっちの苦労なんて
1ミリも知らずに幸せそうに寝やがって。顔にラクガキしてやろうか。

「お、こうして見ると確かに美人かもなコイツ」

 アタシはカバンからバイト先でもらった惣菜の余りを取り出す。多分コイツがいると
思ったから、多めにもらっといて良かったぜ。





「ニャーン」

「おう、お前は起きたか。そっちのヤンキーと違って野性が残っているんだな」

 こっちに来た猫の頭をなでて、アタシは昨日と同じように牛乳を温めた。





つづく





片桐早苗(28)
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***



「横浜の族がお前の事を探し回ってるぞ。何しでかしたんだよ?」



「……」



 拓海と2人で晩メシを食ってから、アタシは聞いてみた。拓海は下を向いたまま何も
答えない。都合が悪くなったらダンマリかよ。ガキらしいな。






「ついでにサツにはお前の居場所がバレてたぞ。ちっちゃくて可愛い婦警が、明日にも
 サツのお仲間を連れてここに乗り込んで来るかもな」

 アタシの言葉に拓海はピクっと反応した。そしてゆっくりと顔を上げて、何か諦めた
ような顔をして小さくため息をついた。

「早苗か。それじゃもう逃げきれねえな……」

「なんだよ知り合いだったのか。アイツに補導でもされたのか?」

 カタギリのヤツ、拓海に会った事もないような口ぶりでアタシに話しかけてきたくせに
隠してやがったのか。アタシが警戒するとでも思ったのか?





「3ヶ月くらい前に東京のゲーセンでヤンキーに絡まれてケンカをしたら、アイツが来て
 捕まってよ。そんでチーム辞めて、地元の横浜を離れて東京で働くことになったんだ」

「ちょっと待て。色々すっとばし過ぎだお前。どうしてサツに捕まって地元を離れる事に
 なるんだよ?普通は横浜に追い返されておしまいだろ」

 拓海は面倒くさそうに頭をガシガシ掻いて、順を追って説明した。





「アタシガキの頃に両親に捨てられてよ、ずっと施設暮らしだったんだ。でも施設でも
 馴染めずに問題ばっかり起こして、そのまま地元の族に入って特攻隊長になったんだ。
 それで施設にも嫌われて、アイツらアタシの引き取りを拒否しやがったんだ……」

 地元の族ってのはさっき見かけた族らしい。女だてらに特攻隊長やるとはなかなかじゃ
ねえか。そりゃ施設の人間だって嫌がるだろうさ。

「アタシはお飾りの特攻隊長だ。それほど大した事ねえよ……」

 今までツっぱてた拓海が初めて弱音を吐いた。猫も拓海を心配そうに見ていた。






「で、行くあてがなくなったアタシに早苗が住み込みの仕事を紹介してくれたんだよ。
 初めは断ったけど、断ると少年院送りだって脅されたから行ったんだ……」



「はは、それは親切なのか恐喝なのかわかんねえな。何の仕事だよ?」



 あたしの言葉に拓海は顔が硬直して無反応になった。ん?聞こえなかったのかな?






「拓海?」

「…………言いたくねえ」

「あっそ。まぁ、無理に聞き出すつもりもないけどな。しかし寮がついていて学校にも
 通わせてもらえる仕事なんてこのご時世そうそうねえぞ?やめちまうなんて勿体ねえ、
 むしろアタシが代わって欲しいくらいだぜ」

 アタシも高校卒業したかったなあ。高2の途中で辞めちまったから学歴は中卒だし、
そのせいで東京に来てもロクなバイトが見つからねえ。






「アタシもわかってるよ。でもこんな事になっちまったしもう職場には戻れねえ。かと
 言って今更チームにも帰れねえし、どうしていいのかわかんねえよ……」



 拓海はがっくりとうなだれた。やれやれ、ガキはすぐにイチゼロで物事を考えるんだな。
アタシも経験があるからわからなくもないけど、でもカタギリも心配しているみたいだし
コイツはまだ引き返せるだろう。アタシと違ってな。






「とりあえず族に帰るってのはナシだろ。お前昨日散々ボコられたんだろ?普通に考えて
 もうチームには戻れないんじゃねえのか?」

 拓海は無言で頷いた。いくら元特攻隊長でも、族ってのはそのへん容赦ないからな。

「だったら職場に戻るしかねえだろ。カッコ悪くてもアタマ下げて、上司に怒られても
 同僚にバカにされても必死で謝って許してもらえよ。先の事を考えたらそうするのが
 一番だし、それにお前また学校に行きたいんだろ?」

 部屋の隅には昨日拓海が拾って来たカバンと教科書やノートが置いてあった。汚れを
丁寧に拭き取り新聞紙の上で乾かしている。制服もその隣に綺麗に畳んで並べていた。





「でもよぉ、アタシがいたら職場のみんなに迷惑がかかるし……」

「そん時はカタギリに助けてもらえよ。何のための国家権力だよ。東京のサツってのは
 全国のサツの中で一番偉いんだろ?ガキ1人守れねえほど無能じゃねえさ」

 拓海は露骨にイヤそうな顔をした。ははは、アタシがお前の立場だったらカタギリの
世話になるなんて死んでもイヤだけど、他人事だし好き勝手言ってやる。





「誰に迷惑がかかるとか誰の世話になるのがイヤだとか、そんなの関係ねえよ。お前は
 ヤンキーを辞めてやり直したいんだろ?だったら死ぬ気でしがみつけよ。お前を受け
 入れた会社もそれくらい最初からわかってるさ。職場のみんなもハラ決めてるよ」

「いや、アイツらはそんな世界とは無縁だし……」

 拓海が難しい顔をして首をかしげる。ん?お前の仕事ってガテン系じゃねえのか?
昔ヤンチャだったヤツが集まるような土方の事務あたりだと想像してたんだが……






「それならどんだけマシだったか…… 早苗のヤツ、やっぱり嫌がらせじゃねえのか?
 アタシにあんなヒラヒラしたカッコさせやがって……」



 ヒラヒラしたカッコ?ああ、ボンタンか。へえ、こいつ現場に出てるのか。まぁ元々
特攻隊長にまでなったヤンキーだし、男がやるような仕事もあまり抵抗ないのかな。






「どっちみちよ、カタギリには居場所がバレてるんだし、隠れててもそのうち向こうから
 来るだろ。だったらさっさと出頭しろよ。悪いけどアタシのアパートはサツは立ち入り
 禁止だから、カタギリが来たら問答無用でお前を引き渡すぞ」

「他人事だと思いやがって……」

 拓海がうらめしそうにアタシを見る。当たり前だろ、アタシを巻き込むんじゃねえ。






「お前とは違ってアタシには頼れる仲間も守ってくれる人間もいないんだよ。これでも
 アタシ苦労してんだぜ?毎日朝から晩まで働いて、下げたくねえ頭を下げてやっすい
 バイト代もらってヒーヒー言いながら生きてんだよ。お前もアタシみたいになりたく
 なかったら、ちゃんと勉強して学校出て働けよ」



 さ、話は終わりだ。明日も早いし、シンクで頭洗ってさっさと寝るか。今時風呂なし
トイレ共同ってどんなアパートだよ。つい最近まで隣に大学生っぽいのが住んでたけど、
1ヶ月もたたずに引っ越していった。お前もこんな所にいつまでもいたくないだろ?





「アンタはこのままでいいのかよ?何ならアタシが職場に頼み込んでも……」

「はっ、ガキが偉そうな事言ってんじゃねえよ。アタシの事を心配するよりも、まずは
 自分の心配しろよ。それより問題はコイツだな」

「ニャーン」

 アタシは拓海に抱かれている猫の頭を撫でる。猫は拓海の胸に顔をうずめて、気持ち
良さそうにゴロゴロとノドを鳴らしていた。お前オスか?やらしいヤツめ。





「お前の職場ってペットOKなのか?サツは引き取ってくれねえだろ」

「犬とイグアナ飼ってるヤツがいたから、猫も大丈夫だと思うけど。あ、でもセンパイに
 猫好きだけど猫アレルギーの人がいたな…… 」

 犬はわかるけどイグアナってすげえな。イグアナってあれだろ?体の色が変わるヤツ。




「それカメレオンじゃねえのか?イグアナはほら、もっとデカくて恐竜っぽくて……」

 あれ?そうだっけ?まぁ、どっちでもいいや。そんじゃ頭洗って来るわ。拓海は猫を
アタシがバイト先でもらってきたダンボール箱の中に入れる。とりあえずのハウスだ。
拓海は箱の中の猫を優しい顔で見ている。へっ、まだまだガキだなホント。

アタシはあくびをひとつして、玄関の近くにあるシンクに向かって歩いた。あんまり
言いたくはないけど、アタシはこの時完全に油断していた―――――



「それカメレオンじゃねえのか?イグアナはほら、もっとデカくて恐竜っぽくて……」

 あれ?そうだっけ?まぁ、どっちでもいいや。そんじゃ頭洗って来るわ。拓海は猫を
アタシがバイト先でもらってきたダンボール箱の中に入れる。とりあえずのハウスだ。
拓海は箱の中の猫を優しい顔で見ている。へっ、まだまだガキだなホント。



 アタシはあくびをひとつして、玄関の近くにあるシンクに向かって歩いた。あんまり
言いたくはないけど、アタシはこの時完全に油断していた―――――







「がっ!? 」



 アタシがシンクに頭を突っ込もうとしたその時、アパートのドアが力任せに思いっきり
蹴破られた。寝る前でいいかと思ってカギをかけていなかったのが最大のミスだ。玄関の
近くにいたアタシは、勢いよく開いたドアに頭をぶつけて吹っ飛んだ。







「な、なんだよテメエらっ!! はなせコラッ!! 」



 ぐわんぐわんする頭を抑えて畳に這いつくばりながら見た先には、拓海が数人の特攻服
を着たヤンキー達にガムテープで口を塞がれて、手足もテープでグルグル巻きに縛られて
拉致されようとしていた。ここでアタシの意識は途切れる―――――






つづく






***



「……、……!……ろ!おい、起きろ!」

「んあ……?」

「起きろって!」

 拓海のヘッドバッドがアタシの腹に直撃した。






「ぐはっ!? なにしやがるテメエ!! 」

「寝てる場合じゃねえっての!いい加減目を覚ませよ!」

 だんだん意識がハッキリしてきたと同時に、右側頭部に痛みが走った。いててて……
ああそうだ、アタシ確かアパートのドアにアタマぶつけて気絶したんだ。

「ここは…… どこだ……?」

 改めてぐるっとあたりを見回すと、自分のアパートじゃなかった。あたりは真っ暗で、
上半身だけのマネキンがあちこちに転がってる。ここって確か……





「町はずれにある閉店した紳士服店だ。地元の族の溜まり場になってるって聞いてたから
 近寄らないようにしてたんだけど……」

 拓海が言った。ああそうだ、確かそんなスポットがあったな。てことは、アタシ達は
そこに拉致されたのか。アタシまで連れて来てどうするつもりなんだ?

「ご丁寧に手足もしばりやがって。アタシもヘマしちまったな」

 アタシと拓海はガムテープで手足をぐるぐる巻きに縛られていた。





「すまねえ、アタシのせいで……」

 拓海がぽつりと言った。あん?いいっていいって、あんなのどうしようもねえだろ。

「で、アタシ達これからどうなるんだ?」

「さっき下っ端が様子を見に来たから、もうすぐ総長が来ると思う……」

 拓海が言ったと同時に、外でうるさいバイクの音がした。そしてドカドカと何人かの
足音が建物の中に響く。懐中電灯で顔を照らされて、拓海はビクっと身を震わせた。






「よぉ拓海!久しぶりだなぁ!」



 10人近いヤンキーと一緒に現れたのは、ガタイの良いさわやかな総長だった。身長は
190近くて、女ウケしそうな顔した筋肉質のヤロウだ。あれは何か武道やってるな。

「サツをまくのに時間がかかってよ。さすが警視庁の白バイ部隊は腕が良くてさ、かく乱
 させるのに30人近く使っちまった。それでもアイツら1時間もたないかもな」

 タバコをくわえた総長が他人事みたいに笑う。手下を駒ぐらいにしか考えてねえんだな
コイツ。警察から逃げ切れたら昇格って条件でも出して釣ったんだろう。






「拓海がいれば10人は減らせたんだが。オマエはバイクの運転がウチのチームの中で
 一番上手いし、だから女で初めて特攻隊長に選ばれたんだぜ?」

 総長は拓海の前にしゃがむと、床に転がっている拓海のアゴをくいっと持ち上げた。

「どうしてチームを抜けたんだよ拓海?今まで散々目にかけてやったのに、何が不満
 だったんだ?オマエも楽しそうに走ってたじゃねえか。チーム全員使ってハマから
 わざわざオマエを探しに来たんだ。戻って来てくれるよな?」

 優しい口調で言った総長の顔に拓海はツバを吐いた。そして震えながら言った。






「アタシ聞いちまったんだ…… ア、アンタはアタシをダマしてたんだ!特攻隊長にして
 自分のいいように利用して、最後はヤクザに売り飛ばすつもりだったんだろ!? 」



 総長はタオルで顔を拭くと、無表情になって拓海の腹を思いきり蹴っ飛ばした。拓海は
5メートルほど吹っ飛び、苦しそうに咳込んだ。







「がはっ、げほっ……」



「調子に乗ってんじゃねえぞクソアマ。目にかけてもらっただけありがたいと思えよ。
 ウチのバックのヤクザがお前を裏AVに使いたいから高値で買ってやるって言うから
 チームの中でポジション与えていい思いさせてやってたのによ」



 さっきのさわやかな笑顔な笑顔はどこに行ったのやら、ギラギラとした獣のような目で
総長はニヤリと笑った。周りのヤンキー達もニタニタ笑っている。なるほど、『お飾りの
特攻隊長』ってそういう意味だったのか。






「もう二度と逃げようなんて思わないように、ここで徹底的にぶっ壊してやんよ。どうせ
 ヤクザにぶっ壊されてゴミみたいに捨てられるんだから、ちょっとくらい痛めつけても
 問題ねえだろ。おいオマエら、拓海好きにしていいぞ」

「あざーっす♪」

「へへ、前からこのチチ好き放題したいと思ってたんだよ……」



 拓海に向かってヤンキー達がジリジリと近づく。どうやら世間話は終わったようだな。
アタシは総長に話しかけてみた。






「なぁ、アタシはどうなるんだ?」

「あん?オマエ?アイツらが拓海に飽きたら次はオマエの番だから待ってろ」

 総長はどうでも良さそうに適当に言った。うげ、それはイヤだなあ。





「だったらアタシから先にヤッてくれよ。こっちはバイトでヘトヘトなんだし、さっさと
 終わらせて寝たいんだよ。明日も朝からバイトだし、もう限界だ……」

「はぁ?オマエ自分が元の生活に戻れると思ってんの?オマエもアイツと同じで道連れ
 だっての。アイツらにマワされた後はヤク漬け裏AVコース直行だろ」

 総長がヤンキー達と大笑いする。わかってるよそんな事。でも眠気には勝てねえんだ。






「お前らデカい図体してるくせに、一発ヌいたら萎えちまうようなフニャチン揃いなの
 かよ?横浜の族ってのも大した事ねえんだな」



「へえ、面白え…… そんじゃご希望通り、オマエからぶっ壊してやるよ。おいお前ら、
 拓海は後だ。まずはこっちの生意気なアマからマワしてやれ」



 アタシの挑発に総長はイラっとしたみたいで、ヤンキー共を呼び寄せた。拓海が後ろ
から慌てて呼び止める。






「ま、待て!ソイツはカンケーねえだろ!アタシはどうなってもいいから、ソイツだけは
 見逃してやってくれ!」

「うるせえ処女は黙ってろ。ガキがイキがっててもバレバレだっつーの。アタシがお手本
 見せてやるからしっかり勉強しろよ」

「な……っ!? 」

 アタシは拓海に笑いかけてやった。そうこうしているうちに、アタシの周りにぐるっと
ヤンキーが集まった。拓海がまだ何か必死で叫んでいたがアタシは無視した。





「さぁ、さっさとテープ切ってくれよ。これじゃ服も脱げねえ。アタシは服を着たままで
 ヤる趣味はねえんだよ」

「そうだな。オマエは貧乳だし、ハダカに剥かねえと俺もヤる気が起きねえ」

 ヤンキーの1人がナイフを持って近づいてくる。アタシは笑顔で言った。





「お前の顔覚えたぞ。覚悟しろよ♪」

 アタシの腕のテープを切りながら、ヤンキーはヘラヘラと笑った。

「ああ、楽しみにしてるぜ。せいぜい俺の上でヒーヒー鳴いて……」

 しかしヤンキーはセリフを全部言えなかった。なぜなら、






「『アタイ』は小さくねえ。拓海がデカすぎるだけだ」



 アタイが超高速のジャブを放ち、ヤンキーの顔面に叩き込んだからだ。ヤンキーは
鼻血を噴き出しながら、その場に倒れた―――――






つづく






***



 ―――――おっと、のんびり実況してる場合じゃねえ。アタシはぶん殴ったヤンキーが
地面に倒れ込む前に手に持っていたナイフを奪い取り、そのまま体の下に滑り込む。よし、
とりあえず『盾』ゲット。 さっさと足のテープ切るか。

「て、てめえ……っ!! 」

 ようやく状況を理解したヤンキー達が、アタイを取り抑えようと襲いかかってきた。
しかしヤンキー達は、アタイの体の上でのびているヤンキーをボコボコと殴るだけだ。
おいおいお前ら仲間なのにひでえ事するな。ちったあ手加減してやれよ。







「さてと、足も自由になったしそろそろ反撃させてもらおっかな」



 アタイは盾にしていたヤンキーの下から、水面蹴り(足払い)で一気に3人転がす。
その3人の腹を踏みつけて跳び上がり、目の前にいたヤンキーの顔を蹴とばす。ふう、
これで半分か。あとは5人だな。






「さぁ、次はどいつだ?まとめて相手してやるからかかってこいよ」

「ひっ、ひぃっ!! 」

 残りのヤンキー達の動きが乱れる。すっかりビビって逃げようとするヤツ、勢いだけで
突進しようと身構えるヤツ、持って来た凶器を拾おうとするヤツ、他のヤツの動きを見て
どうしようか迷ってるヤツと、まだ状況が理解出来ずにボケっとしてるマヌケもいる。





「来ねえならこっちから行くぞ。アタイは気が短いんだよ」

 アタイはヤンキー達に殴りかかった。逃がさねえ、突進させねえ、凶器を拾わせねえ、
考えさせねえ、状況を理解させねえ。アタイはさっさと終わらせて帰って寝たいんだよ。
もう実況するのもめんどくせえ、お前らがボコられるシーンは巻きでいくぜ。

「けっ、準備運動にもならねえ。お前らそれでもキン○マついてんのか?」

 あっという間に10人のヤンキーを床に転がす。ここまで大体1分だ。1人あたり6秒か。
ブランクがあったのに体は憶えてるもんだなあ。





「おっとそうだ。忘れてた…… ぜっ!! 」

「げぼぉっ!? 」

 アタイは最初にアタイの事を貧乳呼ばわりしたヤンキーの腹を、力いっぱい踏み抜いて
やった。ヤンキーは胃の中の物を全部吐き出して、白目を向いて気絶した。






「待たせたな拓海、ほれよ」



「お、おう……」



 アタイは拓海にナイフを放り投げてやった。あとは勝手に自分で切って脱出しろ。






「テメエ…… 自分が何したのかわかってんのか……?」

 アタイがヤられるのを少し離れた所で高みの見物をしていた総長が、鬼みたいな顔で
真っ赤になっていた。おーおー、イケメンが台無しだな。

「知らねえなあ。アタイは群がってきた鬱陶しいハエ共を潰しただけだ。ああそっか、
 横浜のギンバエってお前らだったのか」

 アタイが挑発してやると、総長はタバコを捨ててゆっくりと歩いて来た。改めて見ると
デカいヤツだな。アタイが160だから、単純に30センチくらい身長差がある。そのまま
アタイと総長は互いに1メートルくらいの距離まで近づいた。





「気をつけろ!総長は空手の有段者でインハイにも出てるぞ!」

 アタイの後ろで拓海が叫んだ。ああ、何となくそんな気はしてたよ。立ち姿が空手の
スタイルだったからな。アタイも昔は何人かケンカした事がある。

「女にここまでコケにされたのは初めてだぜ…… 殺してやるテメエ……」

 総長は空手の構えをとる。お、わりと真面目にやってたみたいだな。構えもキレイだし
サマになってるじゃねえか。なのに族の総長やってるなんてもったいねえなあ。





「やってた?俺は『現役』だ。横浜にある強豪高の空手部主将だよ。お前も何か格闘技を
 かじってるみたいだが、俺にかかれば1分でグチャグチャのミンチに……」

「いいからさっさとかかってこいよ。アタイは眠いんだ」

 話に飽きたアタイがあくびをした瞬間、総長は高速の上段突きをアタイの顔めがけて
放った。アタイは首だけひょいと動かしてその突きをよける。





「な……っ!? 」

「見え見えのフェイクにひっかかてんじゃねえよボケ」

 アタイはそのまま総長の懐に飛び込んで、ノドの急所に一発、鳩尾に一発づつ突きを
当てて、最後にローキックでヒザを蹴りとばした。総長はガードする事も出来ずに全て
モロに食らって、そのままヒザから崩れ落ちた。






「アタイがあくびをして見せたら、プライドの高いテメエは絶対に顔を狙って来るって
 分かってたからな。部活の空手程度でアタイに勝てると思うなよ」



 総長は自分が膝をつかされた事が信じられないみたいな顔をして、わなわなと怒りで
震えていた。ついでにヒザもガクガク震えている。生まれたての小鹿みたいだな。






「そういやお前、1分でアタイをグチャグチャにするとかほざいてたよな。空手ってのは
 そんなにトロいのか?アタイは『6秒で倒せ』って教えられたぜ」

「6秒だと……? テメエまさか……!! 」

 総長は何かに気付いたみたいでハっとした。お、わかったか。武道をかじったヤツなら
一度は憧れるからな『ウチのセンセイ』は。



「当たりだよ。ブルース・リーが作った実戦型総合格闘技『ジークンドー』が、アタイの
 やってた格闘技だ。映画チックにぶっ倒してしてやるよ―――――」






つづく






***



「ぐ…… ぐおおおおおおおおっっっ!!!!!! 」

 アタイの前で膝をついてた総長は、クマのような大きな叫び声をあげて立ち上がった。
お、もう回復したのか。さすが空手家は打たれ強いな。

「女の攻撃でこの俺が倒れるか!オマエにはパワーがねえんだよ!」

「あちゃー、それを言われるとアタイも弱えんだよなあ」

 アタイはポリポリと頭をかいた。ジークンドーの一番の特徴は『6秒で決着をつける』
という教えがあるように実戦を想定した素早い攻撃だ。ブルース・リーは0,01秒でも速く
相手を倒す為に、ありとあらゆる武道の要素を取り入れて超高速の格闘技を作り出した。
アタイは最初からスピード重視で技を磨いて、攻撃力は後回しにしている。






「まぁ、数を当てればどうってことはないけどな。お前が1発空手の突きをしてる間に
 アタイは3発お前に入れられるし」

「バカにしやがって…… おいテメエら!いつまでも転がってないでさっさと起きろ!」

 総長はさっきアタイが転がした手下共を怒鳴りつける。しかし手下から返事はない。
代わりに暗闇の中からうめき声が聞こえてきた。





「何やってんだよテメエら…………っ!? 」

 店内はヤンキー達が持って来た懐中電灯のあかり以外は薄暗くてよく見えなかった。
だからアタイ達がバトっている間に、総長は手下がどうなってたか気付かなかった。



「ん゛―――――っ!! ん゛―――――っ!! 」



 総長が気付いた時には、手下の最後の1人が拓海にガムテープで口を塞がれていた。
手足には細いヒモのようなものが巻いてある。あれは…… 結束バンドか?







「いやーゴメンゴメン、来るのが遅くなっちゃった♪ 大丈夫アヤちゃん?」



「別に呼んでねえよカタギリ。だけどサツのわりにはいい仕事するじゃねえか」



 暗闇の中から現れたのはニコニコとした小柄な婦警だった。その手に結束バンドを
持っている。今時のサツってそんなもの支給されてるのかよ。







「いや、これは自前よ。ほら、手錠って1個しかないじゃん?だから大人数をシメる
 のには数が足りなくてさ。結束バンドならホームセンターで安くいっぱい買えるし、
 一度シメちゃえば絶対取れないし。ジェット・リーも映画で使ってたしね♪」



 カタギリは明るく笑う。こいつ、アタイが転がしていたとはいえ、この短時間で
10人のヤンキーの手足をアタイ達に気付かれないように縛り上げたのか。拓海にも
手伝わせてたみたいだけど、とんでもないヤツだな。






「余計な事しやがって。こいつらくらいアタイ1人で相手出来たよ。で、仲間のサツは
 どうして来ねえんだ?まさかお前1人で来たのか?」

「そうよん♪ みんな街中の暴走族を捕まえるのに忙しいみたいでさ。だからあたしだけ
 こっそり抜けて来ちゃった。でもさっき応援呼んだからもうすぐ来るわよ」

 マジかよ。単身で暴走族のアジトに乗り込んで来るなんて命知らずにも程があるだろ。





「お、表の見張りはどうしたんだよ!? 10人はいたはずだぞ!! 」

 総長が慌てた様子でカタギリに言った。カタギリは軽い調子で返事をする。

「ああ、みんな当身食らわせて結束バンドでシメちゃった。最近のコは見かけだけだね。
 もうすぐ警察の応援が来るから回収してもらうわ。あ、ついでにあんたが揺動に使った
 ヤンキーも全員確保したって連絡入ったから。警視庁ナメんじゃないわよ」

 カタギリが総長を睨みつける。これが警視庁史上最悪の問題婦警か。史上最強の間違い
じゃねえのか?少なくともアタイの知る限り今までこんなサツはいなかった。






「ナメやがって…… ナメやがって…… 」



 総長はぶつぶつとつぶやいたかと思えば、手元にあった鉄パイプで殴りかかってきた。
アタイとカタギリは左右に分かれて逃げる。






「丸腰の女相手にエモノ使うなんてカッコ悪すぎるな」

「るせぇっ!! 脳天カチ割ってやる!! 」

 総長は完璧にキレている。こりゃマジで殺されかねんな。素手だと負ける気はしない
けど、エモノがあるとちとヤバい。向こうは元からリーチもあるし、懐に飛び込むのは
至難の業だ。アタイも何か使えそうなものは……





「お、ちょうどいいのがあるじゃねえか」

 アタイはヤンキー達が持って来たゴルフクラブを拾おうとした。しかし、

「ダメよアヤちゃん。もしそれ使ったら過剰防衛でアヤちゃんも逮捕しちゃうから」

「はぁっ!? 」

 まさかのカタギリからストップがかかった。この状況でそんな事言ってる場合かよ!?





「だからここはお姉さんに任せて、アヤちゃんは拓海ちゃんと逃げなさい」

 カタギリは結束バンドを構えて、総長にじりじりと近づく。冗談じゃねえ、コイツは
アタイのエモノだっての。サツなんかにみすみす渡すかよ。



「……っ!! じゃあこれならどうだっ!! 文句ねえよなカタギリ!? 」



 アタイは足下に落ちていた『あるもの』を2つ拾って、カタギリに見せた。カタギリは
目を丸くして、大きな声で愉快そうに笑った。






「うんっ!『それ』ならいいよ。でもそれも殴られたら痛いからやりすぎちゃダメよ?」

「わかってるって。んじゃお前は拓海と一緒にそこで大人しく見物してろよ」



 アタイは両手に持った『あるもの』をヌンチャクみたいに振り回した。お、意外と
いけそうだな。ちと強度が心配だが一応木製だし、多分大丈夫だろ。







「待たせたなヤンキー!さぁかかってこい!」



 アタイは両手に持ったスーツ用ハンガーを構えて、総長と向かい合った―――――






つづく






***



「いい加減にしろよテメエ…… ナメんのも大概にしろ……」

 総長は鉄パイプを握りつぶしそうなくらい怒っている。そりゃ女にハンガーでケンカを
挑まれたらプライドも傷つくだろうな。

「ムダ話はいいからとっとと来いよ。テメエは何もかも遅えな。アッチも遅えのか?」

 アタイは手に持ったハンガーをヒュンヒュンと振り回してバカにしてやった。総長の
血管がブチっと切れる音がした。







「うおらあああああああああああっっっ!!!!!! 」



 総長は鉄パイプを振りかざしながら襲いかかって来た。アタイは総長の顔をめがけて
ハンガーを1つ投げつけてやる。総長はそれを鉄パイプで叩き落した。スキあり!

「簡単にひっかかってくれてありがとよ!そんじゃトドメを……」

 鉄パイプを完全に振り下ろしたのを見計らって、アタイはもう1つのハンガーで殴り
かかろうとした。すると総長がニヤリと笑った。







「アヤちゃん!」



 カタギリの声がしてアタイははっと気づいた。総長は鉄パイプから『手を離して』いた。
総長の正拳突きがアタイに突き刺さる。アタイはとっさにハンガーでガードしたけど、
ヤツの拳はハンガーを砕いてアタイの腹に届いた。







「かふっ……」



 アタイはたまらずその場にうずくまる。頭の上から総長の声がした。



「形成逆転だなバカが。調子に乗り過ぎなんだよ」



 勝ち誇ったように総長が言う。いてて、ドジっちまったぜ……






「アヤ!」

「アヤちゃん!」

 拓海とカタギリがこちらに来ようとする。しかし、



「おっと近づくな。そこから一歩でも動いたらコイツの顔を切り刻むぜ?」



 総長は懐からバタフライナイフを取り出してアタイの鼻先に突きつけた。2人は慌てて
立ち止まる。文字通りの懐刀ってやつだな……







「俺は族の頂点に立つ男だ。女に負けるなんてありえねえ……」



 総長は血走った目で、アタイの頬をナイフでペチペチと叩く。まるで映画に出て来る
悪役そのもので、すっかり自分の勝利を確信してやがる。しかし、







「だからオマエは遅えんだよ。そんな事してるヒマがあればさっさとアタイにトドメを
 させばいいだろ?ホントに学習能力がねえなあ」



「あん?お前今の状況がわかって……」



 総長が言い終わる前に、アタイはパーカーのポケットからいつもバイトで使っている
サインペンを取り出して総長の目を突いた。これがアタイの懐刀だ。目を潰してやろう
かと一瞬思ったけど、過剰防衛で捕まるのもイヤだから勘弁してやるよ。






「がっ!? 」

 総長が後ろにのけぞる。アタイはナイフから顔をずらしてかわしながら距離を取って
立ち上がり、一度体を後ろに捻って全身の筋肉をフルに使って、



「うおおおぉぉぉぉぉぉるるあああっっっ!!!!!! 」



 気合一閃、渾身の後ろ回し蹴りを総長の胸元に叩き込んだ。総長は5メートルほど
ぶっ飛んで壁に激突し、そのまま動かなくなった。どうやらノビちまったみたいだ。







「スピードにこだわらなければアタイでもこれくらいの力は出せるぜ。武道やってるなら
 相手の戦力くらい正しく認識しろ。……って、聞いてねえか」



 アタイが一息つくと、ようやくパトカーが到着したみたいで店の外が赤いパトランプで
チカチカまぶしくなった。はぁ、ようやくこの騒ぎも終わりだな。







「アヤッ!! 」



 拓海が走り寄って来て、アタイを力任せに抱きしめた。ぐえ、苦しい……

「すまねえ…… 巻きこんじまってホントにすまねえ……」

 拓海はぼろぼろと涙を流しながら、アタイにひたすら謝り続けた。







「気安く呼び捨てにすんじゃねえよ。それにこういう時は謝るんじゃねえ」



 アタイは拓海の頭を撫でてそっと離した。特攻隊長なら簡単に泣くなよ。






「ここは『助けてくれてありがとう』だろ?これだからヤンキーは嫌いなんだよ」

「お、お前だってヤンキーじゃねえか!」

 ぐしぐしと涙を拭って、拓海が反論した。一緒にすんじゃねえ。



「『アタシ』は元だって言っただろ?今はただのフリーターだ―――――」






つづく






***



「んじゃ、アタシ帰るわ。アタシの事は上手くごまかしといてくれよ」

 族がパトカーに次々と乗せられて、最後に総長が連行されるのを確認してからアタシは
隣にいたカタギリと拓海に言った。

「ちょ、ちょっと待てよ、これから警察に行って証言しないと……」

「そんなめんどくせえのに付き合ってられるかよ。今から署に行ったらアパート戻るの
 朝になっちまうだろうが。アタイは1秒でも早く寝たいからお前1人で行け」

 もう夜中の2時を過ぎてる。明日は朝7時からバイトだし寝坊しちまうぜ。






「で、でもよぉ……」

「ちょっと~、2人で勝手に話を進めないんでほしいんだけど~?」

 カタギリがアタシ達の間に割り込んでくる。んだよ何か文句でもあんのか?さっきも
説明したけどボコられたのも拉致られたのも拓海で、アタシはおまけのついでみたいな
もんだから関係ねえよ。被害届も出すつもりねえからさ。






「それは聞いたけどさ、でもね……」



 カタギリは一瞬のスキをついて、あっという間にアタシの両手を結束バンドで縛った。
なるほどこりゃすげえ、こんだけ早かったら反応出来ないわけだ。

「アヤちゃんもバリバリ当事者だから来てくれないと困るのよ。それにあの総長ちょっと
 面倒でさ、アイツの悪事を証言してくれる人間は1人でも多い方がいいの」

 どうやら総長は、親が市議会議員様で警察に顔が利くらしい。そういえば名門高校の
空手部主将とか言ってたっけな。暴走族はボンボンの道楽だったのか。








「神奈川県警もアイツの親からだいぶ圧力かけられて、今まで見逃して来たみたいなの。
今回はウチ(警視庁)の管轄で問題起こしたから、あいつの親も簡単に介入出来ないと
思うけどもしかしてって事があるからさ。だからアヤちゃんも協力して!」



 カタギリは両手を合わせてアタシに頼み込んだ。確かにあの総長はムカつくヤツでは
あったけど、でもアタシはサツにも協力するつもりはねえよ。







「知るかよ。後はお前らで勝手にやってろ」



 アタシは口の中からクリップを取り出す。それを手で伸ばして1本のハリガネにして、
もう一度口にくわえて結束バンドのカエシに差し込んでこじ開けた。はい脱出っと。

「準備いいのねアヤちゃん。お姉さんびっくり」

「さっき店の中で拾っといたんだ。アタシはサツを信用してねえし、悪いがお前の事も
敵だと思ってる。これ以上ヤンキーにもサツにも関わるのはゴメンなんだよ」

 アタシはカタギリを一睨みしてから、拓海の方に向き直った。






「お別れだ拓海。アタシのお節介はここまでだ。後はお前1人で戦え」



「ど、どういう事だよ……?」



 拓海は戸惑いながらも聞く。まったく、ホントにお前は甘えん坊のガキだな。







「お前が総長にトドメを刺すんだよ。総長を少年院にぶち込んで、お前は自由になるんだ。
 そうすればもう学校帰りにボコられる事もねえし、仕事だってちゃんとやれる。晴れて
 お前は真人間ってワケだ」



 拓海は昨日学校の帰りに、捨て猫を拾った所を族に襲われたらしい。カサもカバンも
捨てて雨の中猫だけ抱えてひたすら逃げたそうだ。それでも追い付かれてボコられて、
拉致されそうになっていた所を運よく巡回中のパトカーが通り、ヤンキー達は逃走し、
拓海も気力を振り絞ってアタシのアパートまで逃げてきたというわけだ。






「アタシみたいなテキトーな人間が言っても説得力がねえけどさ、お前はまだ十分に
 やり直せるぜ。カタギリみたいなお節介なサツもいるし、仕事も学校もあるんだ。
 ここからがお前の正念場だぞ。しっかり気合入れてけよ」

 アタシは拓海の肩をポンと叩いた。拓海は泣きそうになるのを必死でこらえながら、
不器用に笑顔を作ってみせた。

「ま、任せとけ……!アタシは喧嘩上等、特攻隊長の向井拓海だ!あ、あんなヤロウに
 負けるかよ…… テメエの助けなんてなくても少年院にブチ込んでやるぜ……!」

 よしよしよく言った。隣にいたカタギリも拓海の頭を撫でる。






「それじゃ拓海ちゃんに頑張ってもらうよ。パトカーで送ってあげるから待ってて。
 ここからアヤちゃんのアパートまで遠いでしょ?」



 カタギリはそう言って近くにいた警官にパトカーの手配をした。パトカーに乗るのは
イヤだけど、疲れたしお願いするか。パンダじゃなくて覆面にしてくれ。ついでに猫と
拓海の荷物を持って帰ってもらおうかな。






「しっかりやれよ拓海。もう二度とウチに来るんじゃねえぞ」

 パトカーに乗り込む前にアタシは拓海に言った。拓海はペコリと頭を下げて、

「ありがとうございました!アタシもこれからトップアイドルを目指して、心入れ替えて
 気合を入れて頑張ります!」

 と、大きな声で言った。やっと礼を言ったな。ちょっとは素直になったじゃねえか。
もうタバコなんて吸うんじゃねえぞ。今のオマエならアイドルにでも……






「……ん?アイドル?お前アイドルになりたいのか?」



 アタシの聞き間違いか?でも今コイツ、ハッキリとアイドルって言ったような……
キョトンとしたアタシの顔を見て、カタギリが不思議そうに言った。






「あれ?アヤちゃん聞いてないの?拓海ちゃんの仕事先はアイドル事務所よ。このコ今、
 アイドル候補生としてレッスン中なの」



「はああああああああああああああああああっっっ!!!??? 」



 さっきまでのしんみりした雰囲気も眠気も一気に消し飛んだ。ヤンキーにどんな仕事を
紹介してんだよ!? アタシはてっきりガテン系かと思ったぜ。でも確かによく思い返せば
拓海も言いにくそうだったな。こうして最後にとんでもない事実が判明して、アタシの
長い1日が終わった――――――






つづく






***



 ピ~ンポ~ン♪



「はい!ただいま参ります!」

 拓海と別れてから1週間後。バイト先のファミレスで勤務中、客に呼ばれたアタシは
注文票を持ってテーブルに向かった。

「お待たせ致しました。ご注文をお伺いしま…………っ!? 」

 テーブルにいた2人組の客を見て、アタシは固まった。そこには私服姿のカタギリと
スーツ姿の若い兄ちゃんが座っていた。






「やっほ♪ 久しぶりねアヤちゃん☆」

「……ご注文をお伺いします」

 アタシはカタギリを無視して仕事に専念する。

「ねねっ、バイト終わるのっていつ?ちょっと話があるんだけどさ」

 しかしカタギリも諦めない。うぜえな。





「ご注文をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「あ、この人拓海ちゃんのプロデューサー!あたしのカレシじゃないわよ!アヤちゃんに
 会いたいって言うから連れて来たの!この人もアヤちゃんに話があるんだって」

 拓海のプロデューサーはぎこちない笑顔でペコリと頭を下げた。ああ、わかってたよ。
この兄ちゃんいかにも『業界の人間』って感じの雰囲気がするしな。






「とりあえずコーヒー2つね。アヤちゃんのバイトが終わるまでここで待ってるから、
 終わったら来てね。お話してくれないと毎日来ちゃうから♪」



 カタギリがニヤニヤと笑う。サツのくせにストーカーしてんじゃねえよ。アタシは
ため息をついて、コーヒー2杯のオーダーを取った―――――







―――



「あれ?思ったより早かったのね。もっと待つと思ってたけど」

「早めにあがらせてもらったんだよ。見張られてるみたいで気分も良くねえし」

 バイトを終えたアタシは、カタギリと拓海のプロデューサーの待つテーブルに座った。
プロデューサーは名刺を取り出してアタシに渡した。







「はじめまして、私はCGプロでアイドルのプロデューサーをやってるPと申します。
 この度はウチの拓海を助けて戴いたそうで、ありがとうございました。本日まで
 ご挨拶とお礼が遅くなって本当に申し訳ありませんでした」



 プロデューサーは丁寧な物腰で、名刺を渡しながらアタシに礼と謝罪の言葉を言った。
別にいいっすよ、アタシは無関係って事になってますから。で、話って何すか?






「その前にあたしからあの後どうなったか報告。アヤちゃんも気になるでしょ?」

「いや、全然」

「あの後拓海ちゃんが頑張ってくれたおかげで、総長は無事に少年院に入ったよ。総長が
 捕まったし、チームが解散するのも時間の問題だわ。まだ横浜で残党が暴れてるみたい
 だけど、そっちは神奈川県警に任せるわ」

 カタギリはアタシの返事を無視して一方的に報告した。だから気にならねえって。






「拓海ちゃんも元気にやってるみたいよ。学校通ってアイドルのレッスンして、ついでに
 猫ちゃんの世話も頑張ってるみたい。レッスンも前より真剣に取り組んでいて、まるで
 別人みたいだってプロデューサーさんもびっくりしてるみたいよ」



 拓海の事はどうでもいいけど、猫が元気そうで良かったよ。アイツをアパートに入れて
やったのも猫が可哀想だったからだしな。これからも可愛がってやってくれ。







「はい!あたしの報告はおしまい!お待たせP君どうぞ!」



 カタギリは自分の言いたい事だけを言ってさっと身を引いた。拓海のプロデューサーは
改めてアタシに向き直る。笑顔を浮かべてはいるけど、表情がひきつっている事くらいは
アタシでもわかる。嫌なら会いに来なくても良かったのに。






「本当はもっと早くお伺いするべきでしたが、片桐さんから桐野さんの事を聞いて
 恥ずかしながら会いに行くのを躊躇してしまいました。しかし拓海を助けて戴いた
 お礼はプロデューサーとして言わなくてはいけないと思いまして……」

「どうしてアタシに会いたくなかったんだ?」



 アタシは顔の筋肉だけで笑顔を作って話しかけた。プロデューサーは言葉に詰まり、
気まずそうな顔をしてアタシから目を逸らす。アタシはカタギリの方に目を向けた。







「カタギリ、この人にアタシの事をどう説明したんだよ?困ってるじゃねえか」



「あたしは警察にある情報をそのまま話しただけよ。アヤちゃんの本名が『青島綾』で
 福岡で地元の暴走族を何個も潰した有名なヤンキーキラーだって。福岡県警は今でも
 アヤちゃんを『危険人物』として監視対象リストに登録してるわよ」



 カタギリはいつもの人を食ったような不敵な笑顔と違い、真面目な顔をして答えた。
やっぱりそこまで調べてたか。サツのデータベースはスゴイねえ。だけど言い方って
ものがあるだろ。それじゃまるでアタシが凶悪犯罪者みたいじゃねえか。







「で、プロデューサーさんはそんなアタシの話を聞いてビビっちまったのかな?うん?
 怒ったりしねえから正直に話してみな?」



 アタシが出来るだけ優しくお淑やかに聞いてやると、プロデューサーは何かを決心した
ようにアタシの目をまっすぐ見て、そして真剣な声で言った。







「『私達』は青島…いえ、桐野さんとご両親に本当に申し訳ない事をしてしまったとただ
 ひたすら反省するばかりです。あなたにどう償えばいいのか……」



 バシャッ、プロデューサーが言い終わる前に、アタシは手元にあったコップの水を
自分でも無意識のうちにプロデューサーの顔にぶっかけた。カタギリは何も言わずに
ハンカチを取り出し、プロデューサーの顔を拭いた。







 バシャッ… プロデューサーが言い終わる前に、アタシは手元にあったコップの水を
自分でも無意識のうちにプロデューサーの顔にぶっかけた。カタギリは何も言わずに
ハンカチを取り出し、プロデューサーの顔を拭いた。



「憐れんでんじゃねえよ。同情もいらねえ。アタシが学校を辞めたのも、ヤンキー共と
 ケンカするハメになったのも、家族がバラバラになったのも、アタシが1人で生きる
 ハメになったのも全部『お前ら』のせいだろうが……!! 」



 怒鳴りつけたいのをこらえるだけで必死だった。アタシはヤンキーもサツも嫌いだが、
それ以上に業界の人間が嫌いだった。目の前のプロデューサーは無関係なのは
分かってるけど、我慢出来なかった。







「カタギリ、他人事みたいな顔をしてるけどお前も同じだからな。プロデューサーが先に
 フザけた事をぬかしやがったからこっちにぶっかけただけで、ずぶ濡れになってたのは
 お前だったかもしれないぜ?」



 アタシはカタギリを睨みつけた。しかしカタギリはアタシから目を逸らさずまっすぐに
アタシの眼を見て真剣な声でハッキリと、そしてキッパリと言った。






「わかってるわよ。あたし達警察もアヤちゃんの人生をメチャクチャにした当事者だし。
 あたしはそれを否定しないし、許してもらえるならアヤちゃんとアヤちゃんのご両親の
 名誉回復の為に出来る限りの事はさせてもらうわ。それはP君も同じよ」

「けっ、2年遅えよ。アタシ達がお前らに望むのは『ほっといてくれ』って事だけだ。
 頼むから二度と近づかないでくれ。この2年死ぬような思いをしてここまで生きて
 来たんだ。ホームレスもしたし、ゴミを食って腹を壊した事もあるぜ。サツの前で
 言うのもアレだけど、身体を売らず犯罪もしなかったのが奇跡に近いな」

 今のボロアパートはアタシにとっちゃ天国みたいなもんだ。公園や駅で野宿していた
昔に比べれば、屋根があって風をしのげるだけありがたい。毎日バイト生活でヘトヘト
だけど、せっかく手に入れた今の生活をお前らに壊されたくないんだ。






「アンタ達は拓海のついでに、アタシにも人生をやり直すチャンスをくれようとしてる
 みたいだけど、アタシの事は終わってるんだ。だからもう構わないでくれ」



 プロデューサーも早苗も何も言わなかった。どうやら話は終わりみたいだな。アタシは
席を立って、出口に向かってさっさと歩いた。







「アヤちゃん」



「あん?」



 カタギリに呼び止められて、アタシは振り返った。カタギリはコーヒーカップを持って
立っていた。そういえばあいつコーヒー飲んでなかったな、とか思い出していると、



―――――カタギリは頭の上から、自分でコーヒーをぶっかけた







「……なんのパフォーマンスだよ。それでアタシがウケるとでも思ったのか?」



「ううん、違うよ。これは私の決意表明みたいなものかな」



 プロデューサーとウェイトレスが慌てておしぼりで拭こうとするのを手で払いのけて、
カタギリはニヤリと笑った。アタシは一瞬ぞくりとした。







「助けてあげるなんて偉そうな事は言わない。警察も関係ない。私は1人の同じ女として、
 絶対にアヤちゃんをほっとかない。そうしないとアタシの気が収まらないから」



 コーヒーまみれの笑顔をして、カタギリは指を銃の形にしてアタシを『バーン☆』と
撃った。ははっ、ホントに面白いサツだな。お前とはもっと別の形で会いたかったぜ。







「それがウゼえって言ってるんだよ。サツはサツらしくパトロールでもしてろ」



 付き合ってられるかよ。おろおろとしているプロデューサーと不敵に笑い続ける
カタギリを無視して、アタシは振り返らずに店を出た―――――





Cross1.向井拓海おわり

Cross2.小室千奈美につづく






Cross2.小室千奈美



「ふわぁ~、夜勤は時給いいけどやっぱキツいな。さっさと銭湯行って寝よっと」



 カタギリと拓海のプロデューサーに会ってから数日後。コンビニバイトの夜勤を終えた
アタシは朝の街中をアパート目指して歩いていた。この後は銭湯に行って、少し寝てから
夕方から夜までファミレスのバイトだ。フリーターライフ充実してるなあ。







「桐野アヤさんですか?」



「あん?」



 アパートが見えてきたと思ったら、後ろから声をかけられた。振り返るとそこには
身長2メートル近い黒のスーツを着たコワモテのオッサンが5人立っていた。

「な…… なんすか……?」

 徹夜の眠気も疲れも一気に吹っ飛んで、アタシはビビりながら返事した。間違いない、
コイツらヤクザだ。ヤンキーキラーと呼ばれたアタシでもヤクザは怖い。







「現在桐野さんが住んでおられるアパートの事で少々お話がありまして。お時間は取らせ
 ませんので、部屋の中でお話をさせて戴いてもよろしいでしょうか?」



 茶色い色つきのメガネをかけたリーダーと思われるオッサンが低い声で丁寧に言った。
本音を言えばお断りしたいが、ヤクザ5人に取り囲まれちゃどうしようもない。銭湯と
仮眠は諦めて、アタシはがっくりしながらアパートに向かった。







―――



 ミシ…… ミシ…… ヤクザ5人をアパートに招き入れて、アタシの部屋は悲鳴をあげて
いた。このまま床が抜けたりしねえよな?下の部屋は空き部屋だったと思うけど……

「ご挨拶が遅れました。私達はこういう者です」

 色つきメガネは名刺を差し出す。そこには『村上建設』と書かれていた。建設会社か。
いかにもヤクザの表向きのシノギっぽいな……

「そ、それでお話というのは……?」

 向こうが全員正座をしているので、アタシも自然と正座になる。色つきメガネが後ろの
部下と思われるヤクザに合図を出すと、そのヤクザはカバンを持って来た。







「実はこの度、私達村上建設がこのアパートを買い取りまして。それでこのアパートを
 取り壊して新しいマンションを建てるので、住人の皆様に立ち退きをお願いしてます。
 今住んでおられるのは桐野さんだけですので、こうして参りました」



「な……っ!? 」

 突然出ていけと言われて、アタシは相手がヤクザなのを忘れて大声を出してしまった。
そんな事をいきなり言われても困るぜ。明日からどこで生活しろって言うんだよ!






「大家さんとは既に話がついています。後はこの立ち退き契約書にサインを……」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ!勝手に話を進められても……」

 カバンから契約書を取り出そうとしたヤクザの手を、アタシは慌てて掴もうとした。
こんな事をしても何の意味もないけど、契約書を出させたら終わる気がしたからだ。





「あ……」

 ヤクザの手を掴んだ瞬間、何かがポトっと畳の上に落ちた。いけねえ、ついつい我を
忘れちまった。何やってんだよアタシは……

「す、すみません…… ひっ!? 」

 畳の上に落ちたものを拾おうとして、アタシは心臓が止まりそうになった。そこに
落ちていたのは人間の指だった。

「お見苦しいものをお見せしました。昔『事故』で切ってしまいまして……」

 色つきメガネのヤクザは何事もなかったかのようにその指を拾うと、第一関節しかない
自分の左手の小指に装着した。へ、へえ、『事故』ねえ……





「兄貴、ですからA社の義指はダメですって。俺も試してみましたけど、やっぱりB社が
 ガッチリくっついて外れませんぜ」

「いや、B社のは肌がかゆくなっていけねえ。兄貴、ここはやっぱりC社のに買い換え
ましょうぜ。オーダーしてから完成するまで時間もかからねえし」

 色つきメガネの後ろにいたヤクザ達が次々と自分の小指を外す。義指にメーカーとか
あんのかよ。どうでもいいけどグロいから、あまりアタシの目の前で着けたり外したり
しないでくれねえかな。これって恐喝じゃねえの?






「バカ野郎!自慢げにそんな汚ねえもん見せんじゃねえ!桐野さんが困ってるだろうか!
 後は俺1人でやるからお前らは外に出てろ!」



 色つきメガネが怒鳴りつけると、他のヤクザ達は逃げるように部屋から出て行った。
ついでにアンタも出て行ってくれませんかねえ……






「ではこの契約書にサインを……」

「はい……」

 指ポロリ事件ですっかり気力が削がれたアタシは、契約書をまじまじと見た。そこには
『アパート取り壊しによる住人様への一時立ち退きのお願い』と書かれてた。仕方ねえ、
ここは潔く諦めてまた別の格安物件を探して……

「……ん?『一時』立ち退き?」

 ふと目に入った不可解な言葉を見て、アタシはペンを持った手がピタっと止まった。
色つきメガネの方を見ると、カバンから別の書類を取り出していた。





「はい。新しいマンションが建設されるまでの間、桐野さんにはウチが保有している
 仮住まいに住んで戴く事になります。マンションが完成した後には、また戻って戴く
 予定となっていますのでご安心下さい」

 色つきメガネは物件のチラシをずらずらと並べる。そこには今のボロアパートよりも
数段グレードの高いアパートが載っていた。こ、ここに住んでいいのか!?

「桐野さんの生活に支障が出ないよう、ウチも最大限サポートさせて戴きます。ちなみに
 完成予定のマンションは現在の2階建て10部屋の木造のアパートから3階建て8部屋の
 鉄筋コンクリート造りとなります。フロア面積を大きく取って住居スペースは2・3階で、
 1階は共有スペースとしてトレーニングルームと談話フロアになります」

 おぉ…… このボロアパートがそんなオシャレな高級マンションになるのか!各部屋に
風呂もトイレもついてるし、それどころか最新式の家具家電までセットでついてやがる。
下の階の共有スペースってのも、マンション住人なら24時間使えるらしい。





「でも残念だけど、こんな高級マンションにはアタシの稼ぎじゃ住めねえな。今の家賃も
 結構ギリギリだし、どっちみち立ち退くことになりそうだ……」

 現実ってのは厳しいもんだ。居住権はそのままでも、家賃が払えないと意味がない。
そうなるとさっきの仮住まいの話もなくなっちまうのかな。

「ご安心を。実はこのマンションはある会社の寮として運営する予定でして、家賃や水道
 光熱費は会社から全額負担されます。今回のマンション建設は急な計画でしたので、
 会社も桐野さんに申し訳ないと思われて2年の期間限定ですが、特例として桐野さんを
 社員扱いで家賃をはじめ諸費用を負担してくれると約束しておられます」

 マジかよ!? こんなオシャレな高級マンションにほぼタダで、2年も住めるなんて
信じられねえ!! こりゃダラダラしてられねえ!! すぐに荷物まとめないと!!






「荷造りはウチで引っ越し業者を手配致しますので、桐野さんは何もされなくても結構
 です。桐野さんは貴重品と最低限の着替えを持って仮住まいに移って下さい。荷物は
 遅くても明日には届けます」



 色つきメガネのヤクザのオッサンは、優しい笑顔でアタシに物件のチラシと契約書を
差し出す。まるで夢みたいな話だぜ。福岡から上京してこの2年散々苦労して、ついに
アタシにもツキが巡ってきたのか?このチャンスを逃すわけにはいけねえ!




「―――――って、そんなワケあるかよ」



 アタシはふう、とため息をついて、色つきメガネに契約書を突き返した。







「アタシだって伊達に東京で修羅場くぐってませんよ。こんなウマい話があるわけねえ。
 どう考えても妖しいのに、ホイホイ釣られるようなバカ女に見えたんですか?」



 アタシはジロっと色つきメガネを睨んだ。色つきメガネは一瞬だけビクっとする。でも
残念ながらアタシが出来るのはせいぜいこれくらいだ。相手はヤクザだし、まともに相手
して勝てるわけねえ。アパートも買い取られちまったみたいだしな。







「一晩だけ待ってくれませんか?今晩中に荷物まとめてアパートから出て行きますから。
 立ち退き料もいりませんし、引っ越し先も自分で探しますので」



 アタシは色つきメガネに頭を下げた。こんなお願いなんて通じないかもしれねえけど、
下手にヤクザと関わったらこの先どんな目に遭わされるかわかんねえしな。







「まぁまぁ姉さん、そう言わんと考えてくれんかのう」



 アタシが頭を下げていたその時、アパートのドアが開いて若い女の子の声がした。ふと
顔を上げると、そこには中学生くらいの赤みがかった目つきの鋭い女の子がいた。

「お、お嬢!? 」

 色つきメガネが驚いた声をあげる。お嬢?こいつヤクザの娘なのか?






「自己紹介が遅れたのう。うちは村上巴じゃ。広島の極道『村上組』組長の一人娘で、
 今はCGプロでアイドル候補生やっとる。姉さんにはこないだうちの拓海が世話に
 なったみたいじゃのう。拓海はうちの後輩じゃけえ、あんがとさん」

「な……っ!? 」



 アタシの驚く顔を見て、巴がニヤリと笑う。極道の娘がアイドルというのも驚いたが、
こいつの口から出た『拓海』という言葉に更にびっくりした。こいつ、この前の事件を
知ってやがる。一体誰が教えたのかなんて考えるまでもない。近くにいないはずなのに
どこからかカタギリの笑い声が聞こえた気がした―――――






村上巴(13)
http://i.imgur.com/sBeIw56.jpg






つづく




訂正
>>155
最初の段落が重複の為カット

>>180
× アタシが頭を下げていたその時、アパートのドアが開いて若い女の子の声がした。ふと
 顔を上げると、そこには中学生くらいの赤みがかった目つきの鋭い女の子がいた。


○ アタシが頭を下げていたその時、アパートのドアが開いて若い女の子の声がした。ふと
 顔を上げると、そこには中学生くらいの赤色っぽい髪をした目つきの鋭い女の子がいた。






***



「お、お嬢、組の名前出したらワシらがヤクザやってバレてしまいますぜ……」

「アホぅ、もうバレとるわい。それにこの姉さんしっかりしてはるから、うちらの事も
 CGプロの事もちゃーんと説明したらんと納得せんぞ。そうじゃろ?」

 巴がアタシを見る。いや、オッサン達がヤクザだってのは最初からわかってたけどな。
しかしCGプロも絡んでいたとは。お前ヤクザの娘ってのは役作りで、実はCGプロの
子役タレントじゃねえだろうな?






「うちが子役じゃと?かっかっかっ!おもろい事言うやんけ姉さん!じゃが極道やて
 人の子じゃ。組長に娘がいたっておかしないやろが」

 巴は豪快に笑った。ガキのくせに妙な落ち着きがあるというか、腹が据わってやがる。
芝居がかってる気もするけど、裏表のないまっすぐな性格をしているなと感じた。

「うちらは確かに極道やけど、この仕事はCGプロから受けた真っ当なシノギじゃけえ
 安心してくれてええ。ドスとチャカ持ってドンパチやるだけが極道のシノギちゃうで。
 うちらかて真っ当な会社とも付き合うし、極道は極道なりにお天道様に顔向け出来る
 ように筋は通しとるんじゃ。何なら早苗に確認してくれても構わんよ」

 巴は自信満々に、真剣な声ではっきりと言い切った。隣に座っている色つきメガネや
ドアの外からちらちらと見てるヤクザ共も心配そうにアタシを見ている。とりあえずは
信じてやるよ。しかしまた新たな疑惑が生まれたわけだが。






「マンション建設が真っ当な仕事だと言う事は、とりあえず納得したよ。でもどうして
 わざわざこのボロアパートを買い取って作り直すなんて手間のかかる事をするんだ?
 それにアタシに援助したってCGプロに何のメリットもないだろ。普通に考えれば、
 何か裏があるんじゃないかって不気味に思うぜ」



 アタシがそう言うと、巴は「はんっ」と鼻で笑った。何がおかしいんだよ?







「憐れじゃのう姉さん。いや、お前は思っとったより肝の小さい女じゃな。そんな風に
 びくびくしながら生きとっても人生つまらんじゃろう」



「んだとコラァッ!」



 アタシは巴の胸倉を掴んだ。世間知らずのヤクザのお嬢がアタシに説教たぁいい度胸
じゃねえか!色つきメガネが慌てて引き離そうとしたが、巴は片手で制した。






「うちも正直、お前みたいなヘタレは放っておいてもええと思うとる。でもPと早苗が
 どうしてもって頼むから、他の工事を後回しにしてこのマンション建設を受ける事に
 したんじゃ。生温い同情やお節介やったらうちらも断ったけど、あいつらの気持ちは
 本物やったぞ。じゃけんお前も逃げんなや」

 巴は胸倉を掴まれたまま平然と言った。アタシが逃げてるだと?どういう意味だオイ。

「お前は人間の善意や好意を信用出来んと怖がっとる。うちもそうやったから分かるよ。
 ヤクザの娘なんて世間では嫌われ者じゃからのう……」

 巴はふと寂しそうな目をした。一瞬だけど、その目はアタシの心を動かした。





「そろそろ手ぇ離してくれんかのう。仕事着やからシワになったら困るんじゃ」

「す、すまねえ……」

 巴は学校の制服姿だった。アタシが手を放すと、巴は丁寧に胸元のシワをのばした。






「うちらヤクザもんを信じろとは言わんけど、Pやったら信じられへんか?いや違うな、
 Pと『戦って』みぃひんか?その善意が本物かどうか、お前が自分で立ち向かって、
 それから判断してもええんとちゃう?」



 さっきの人を小馬鹿にしたような笑い方とは違って、巴はガキのくせにまるでヤクザの
親分のような、強気で自信満々の頼りになる笑顔を見せた。






「ほなうちは学校行くで。政、後はしっかりやれや」

「お、お嬢!送ります……」

「阿呆ぅ、学校くらい1人で行けるわい。それにお前らにはお前らの仕事があるじゃろが。
 ここでしっかり気張らんと、うちもお前も広島に帰れんぞ」



 後を追いかけようとする色つきメガネ(政というらしい)の手を払って、巴はさっさと
アパートを出て行った。女のアタシが見ても惚れ惚れとするような退場だった。







「とりあえず電話しなきゃいけねえヤツがいるな……」



 アタシはサイフの中からカタギリの名刺を取り出した。一度しか顔を見てないけど、
あのCGプロのプロデューサーがこんな大胆な事をするとは思えなかった。カタギリの
人を食ったような笑顔を思い出してイラつきながら、アタシは電話をかけた―――――






つづく






***



『ああ、マンションの話?したした。アヤちゃんのアパートって人目につきにくい場所に
 あるじゃん?アイドルの寮にするには丁度良いかなって思って♪』



 カタギリに電話をすると、まったく悪びれることなくあっさり認めた。確かにウチの
アパートは路地裏の袋小路のようなわかりにくい場所にあって、周りから隠れるように
生活するには都合が良かったりする。アタシもそれで選んだしな。






「どういうつもりだよカタギリ。アタシはほっといてくれって言ったよな?CGプロや
 ヤクザまで巻き込んで、一体何を企んでやがる」

『別にアヤちゃんの為じゃないわよ。CGプロには拓海ちゃんがお世話になってるから、
 そのお礼に寮に使えそうなアパートを教えてあげただけよん♪ いいじゃんCGプロの
 お世話になっちゃえば。アヤちゃんもアイドルになれちゃうかもよ~♪」

 けっ、それが狙いかよ。お前はアタシも拓海みたいに、アイドルの事務所に放り込んで
更正させるつもりだな。その為にわざわざこんな手のかかる事しやがって。





「ナメんなよカタギリ。アタシがなし崩し的に思い通りになると思ったら大間違いだぜ。
 大体アタシが芸能界や業界の人間を憎んでる事はお前も知ってるだろ?」

『あら~?もしかしてアヤちゃんって意外とナルシスト?アイドルってよっぽど自分の
 歌とかルックスに自信がないとなれないと思うけど、その言い方だと自分は今すぐに
 でもアイドルになれちゃうって思ってな~い?』

 アタシは無言で電話を切った。すると5秒後に再びカタギリからかかってきた。くそ、
さっさと着信拒否にしとけば良かったぜ。





『怒っちゃいやん♪ あたしはアヤちゃんに友達が出来ればいいな~って思っただけよ。
 あたしも何度かCGプロに行ったけど、アイドルの子達はみんな可愛くて良い子よ。
 アヤちゃんもアパートに1人だと寂しいでしょ?』

「余計なお世話だ。喋る相手くらいバイト先にいるっての。それにさっきヤクザの娘に
 上から目線で説教されたぞ。アイドルがみんな可愛くて良い子かは疑問だな」

『あれ?巴ちゃんに会ったの?あの子ちゃんと学校に行ったのかしら』

 カタギリはキョトンとした声を出す。やっぱり巴の事も知ってたんだな。サツのくせに
ヤクザとつながりがあっていいのかよ。






『ううん、あの子はヤクザじゃないわよ。だからOK』

「はぁ?フカしてんじゃねえよ。あのガキはヤクザの娘だから一般市民ですとでも言う
 つもりか?そんな言い訳は通用しねえぞ」

『そうじゃなくて。確かに巴ちゃんは組長さんの娘だけど、『村上組』って極道はちょっと
 前に看板を降ろしてるの。だからアヤちゃんも怖がらなくてもいいわよ』

 カタギリはふざけた様子もなく、真面目な口調で言った。つまりあのオッサン達は
ちょっと顔が怖いだけの、小指を事故で切っちまった建築屋って言いたいのか?






『それで合ってるわよ。今はヤクザも生き辛い世の中だし、あの人達も生きてく為に
 必死なのよ。巴ちゃんは組の再興を目指してるけど難しいでしょうね』



 要するに組は看板を下ろしているのに、巴がそれを認めず組員のケツを蹴っ飛ばして
いるのか。あいつの振る舞いがやけに芝居がかっていたのはそのせいだったんだな。
組員も組長の娘だから断れずに付き合ってやってるのかな。







「でもあの子の生き方はカッコいいと思うわよ。まだ13歳なのに、たった1人で村上組を
 背負おうと一所懸命頑張ってるから。現実を認められないお子様だって言えばそれまで
 だけど、あの子は現実から逃げずに戦ってるわ」



 カタギリが電話の向こうでニヤリと笑ったような気がした。お前もアタシが現実から
逃げてるって言いたいのかよ。で、CGプロと戦ってみろってか?






『あはは!巴ちゃんそんな事言ったんだ!あたしは別にアヤちゃんが逃げているなんて
 思ってないし、仮にそうだったとしてもそれは悪い事だと思わないわよ。巴ちゃんの
 言う事なんて気にしないで、どうするかはアヤちゃんが決めればいいじゃない』

「言われなくてもそうするっての。アタシはアタシで好きにさせてもらうから、お前も
 これ以上余計な事すんじゃねえぞ。不意打ちみたいな事しやがって」

『頑固ねアヤちゃんも。まぁ、あたしも個人的に用事があって少しの間東京を離れるから
 アヤちゃんともしばらくお別れになっちゃうんだけどね』

 カタギリは軽い調子で言った。ほう、それはアタシにとっては良いニュースだな。
どこに行くのか知らねえけど、ゆっくりして来いよ。





『うん、そうさせてもらうわ。いや~、一度本場の博多明太子食べてみたかったのよね。
 後はもつ鍋でしょ、それから博多ラーメンと…… ビールが進みそうねえ♪』

「はぁっ!? お、お前もしかして福岡に行くのかよ!? な、何しに……」

『じゃ、行ってきま~す♪ 』

「おい!カタギリ!おいって!」

 それ以降電話はぷっつり切れて、何度かけ直してもカタギリから応答はなかった。
アイツ、今更福岡県警にアタシの事をチクる気か……? いや、でも別にアタシって
指名手配になってるわけでもないしビクビクする事もないんだが……






「はぁ…… すっかりあいつのペースに乗せられてるな。オトナになったつもりだけど、
 アタシもカタギリから見ればまだまだガキだって事か」



 アタシはため息をついて、ごろりと部屋のベッドに横になった。ちなみに今アタシが
いるのは、村上建設が紹介してくれた仮住まいのアパートだ。巴にケンカ売られた気が
して勢いで契約書にサインをしちまったけど、早まったかな―――――






つづく






***



「おぉ…… あのボロアパートがこんなに綺麗なマンションになるとはねえ……」



 マンションが完成したという連絡を受けて2ヶ月弱の仮住まいから戻って来たアタシを
待っていたのは、路地裏の袋小路という立地に似つかわしくない豪華マンションだった。
本当にこんな所にタダで住んでいいのかよ?

「うわ、すっげえな。まるでホテルみたいだ」

 部屋の中を一通り見て回りながら、アタシはガラにもなくはしゃいでいた。仮住まいの
アパートも豪華だったが、この部屋は更にランクが上だ。本当は自分で安い物件を探して
マンションに戻る前に引っ越すつもりだったけど、早まらなくて良かったぜ。







「ま、いっか。どうせ行くあてもないんだしちょっとくらい世話になっても。一応2年も
 あるんだし、それまでに次に住む物件のんびり探そっと」



 部屋に備え付けのふかふかのソファに腰掛けて、やる気のない決意表明を口にする。
この生活が罠だったとしても、その時はその時だ。カタギリやプロデューサーが何を
企んでるのか知らないけど、とりあえず今だけその企みに乗ってやるよ。







「おっと、のんびりしてる場合じゃねえ。そろそろバイトの準備をしねえと」



 今日は夕方から夜までバイトだ。帰ったら風呂にゆっくり入ろう。シンクで頭を洗って
身体をタオルで拭いて、週2~3くらいで銭湯に通っていたのが信じられないな。思わず
ニヤける顔を堪えつつ、アタシはバッグを持って意気揚々と部屋を出た。

「行ってきま~す!」

 マンションの階段を2段飛ばしで降りて、アタシは鼻歌を歌いながらハイテンションに
なっていた。誰かに見られていたら恥ずかしくて死にたくなってただろうが、他の住人は
明日以降に引っ越して来るらしい。だから構うもんか~♪







「…………」



「ふんふんふ~ん…… はっ!? 」



 完全にラリったアタシがスキップしながらマンションを出ると、出口付近で視界の端に
人影が動いた気がした。おそるおそるその方向を見ると、1人の女が立っていた。







「…………」

「…………」



 女とアタシはしばし無言で見つめ合う。女はでっかいグラサンをしているので、どんな
目をしているのか分からないけどいかにも芸能人って感じだ。長く綺麗な髪をなびかせ、
鍛え上げて引き締まったボディを洗練されたファッションで固めてる。背もすらっと高く
スタイルも良くて、まるでマネキンみたいに見えた。

「し、CGプロのアイドルか?寮ならここだぜ……」

 黙ってても間が持たないので、アタシは分かりきった事を言う。女は手に持った地図と
写真を見て、マンションを見て、そして最後にアタシをもう一度見た。







「あなたもここに住んでいるの?」



 女は感情のこもってない平坦な声でアタシに聞いてきた。アイドルなのに愛想のない
ヤツだな。それともたまたま機嫌が悪いだけなのか?

「そうだけど。あ、アタシは桐野」「あー、サイアク」

 アタシが挨拶がてらに自己紹介をしようとすると、女はそれを遮って大きなため息を
ついた。アタシはこの時確信した。間違いない、コイツ絶対に性格悪い。






「こんな事務所やレッスン場から離れた立地の悪い寮に飛ばされて、周りはアイドルの
 アの字も知らない素人ばかりで、それどころか身だしなみにも気を遣ってないなんて。
 あなたこの業界をナメてるんじゃないの?」

 悪かったな化粧っ気もファッションセンスもなくて。でも初対面の人間にそこまで
偉そうに言われる筋合いはねえよ。たとえアタシがアイドルじゃなくてもな。

「アタシはアイドルじゃねえ。前のアパートの時からここに住んでいるただの住人だ。
 お前こそ先輩面して、自分の事務所にいるアイドルを把握してないのかよ」

 アタシが言い返すと、女はムっとした様子で眉を吊り上げた。こりゃ相当プライドが
高そうだな。こういう所もいかにも芸能人って感じだ。






「お前がどれだけ凄いアイドルかは分からねえけど、アタシが知らないって事はそれほど
 大した事はなさそうだな。まぁ、せいぜい有名になれるように頑張れよ」



 アタシは手をひらひら振ってその場を離れた。お互い最悪の第一印象だな。まぁ、別に
同じマンションに住んでるだけで、仲良くする気なんてこれっぽちもねえけどな。しかし
拓海に巴にあの女って、CGプロって事務所はロクなアイドルがいねえな。カタギリの言う
可愛くて良い子ってのは、ヤンキーが基準になってるんじゃねえのか?







「待ちなさいよお祭り女」



「なっ!? 誰がお祭り女だコラァッ!! アタシには桐野アヤって名前があんだよ!! 」

 さっき見た事は忘れろ!二度とそんな名前で呼ぶなよ!アタシが大声で怒鳴りつけると
女はグラサンを外しアタシを睨みつけた。この時初めて女の顔を見たけど、作り物の人形
みたいに整っていて、10人中10人が美人と答えるような顔だった。ただし頭に『とても
気の強そうな』がつくだろうけど。







「私は小室千奈美よ。すぐにトップレベルのアイドルになるから、そのお気楽な頭によく
 叩きこんでおきなさい。くれぐれも私の邪魔はしないで」



 小室千奈美と名乗った女はそれだけ言い残すと、大きなキャリーバッグをガラガラと
引きながらマンションの中に入って行った。あんな性格だとプロデューサーもさぞ苦労
してるだろうな。快適なマンション暮らしを送る為にもあいつと出来るだけ顔を合わせ
ないようにしようと思いつつ、アタシはバイトに向かった。






小室千奈美(19)
http://i.imgur.com/CH4eiEm.jpg






つづく





***



「はじめまして201号室の新田美波と申します。よろしくお願いします」

「202号室…… 瀬名詩織よ。よろしく……」

「さ、鷺沢… 文香です…… 203、です。よろしくお願いします……」

「梅木音葉です…… あ、204号室です」

「301号室藤居朋っ!よろしくねっ!」

「岸部彩華でぇ~す♪ 302号室だからぁ、いつでも遊びに来てね☆」

 それから3日ぐらいの間に続々とCGプロのアイドルが引っ越してきて、部屋は満室に
なった。真面目そうな子からキャバ嬢みたいな子まで、色々な子がアタシの部屋に挨拶に
来る。野沢菜漬けやもみじ饅頭は食べた事があるけど、海ぶどうや鮭とばってどうやって
食べたらいいんだ?あと藤居と岸部、ティッシュ被ってるぞ。






「アイドルの子達はこんなに沢山いるのに、なんでアイツが隣なんだよ……」



 アタシはため息をついて、隣の部屋を見た。ちなみにアタシの部屋は3階の一番端の
304号室で、小室の部屋は303号室だ。たまに見かけてもお互いに完全シカトだった。
しかし小室はアタシだけじゃなくて、他の子達とも仲良くせず孤立してるみたいだった。







「仕事がうまくいってないのかなアイツ?」



 アイドル達の生活サイクルは大体同じだ。新田・鷺沢の大学生組は朝早くから出て行く。
次に藤居・岸部のレッスン生組がわいわいと騒ぎながら出て行く。梅木・瀬名は藤居達と
同じレッスン生組らしいが専門的な事をやってるらしく、レッスンや仕事はやや不定期で
1日中マンションにいる時もあれば2・3日帰って来ない時もあった。






「小室もレッスン生組らしいけど、ちょっとだけ動きが違うんだよな。仕事やレッスンを
 してる感じでもないし、アイツ何やってんだろ?」

 ちなみにアタシがどうしてこんなに詳しいかと言うと、

「お疲れ様です桐野さん。交代の時間です」

「あ、ども。何事もなく無事に終わりました」

 アタシはマンションの1階にある管理人室に入って来た、村上建設の政さんと管理人を
交代する。アタシは週4回午前中だけマンション管理のバイトを始めた。この寮の建設は
急に決まったから管理人が見つからず、とりあえず見つかるまでアタシと村上建設の人で
交代しながら臨時で回している。





「桐野さんに手伝ってもらってワシらも大助かりですわ。ありがとうございます」

「いえいえ、アタシも通勤0分だしありがたいですよ。タダで住ませてもらってるんだし
 これくらいはしないと」

 家賃も水道光熱費も払わなくて良くなって、あたしは少しバイトを減らした。そして
談話室で雑誌を読んでると、管理人室で政さんが本社でトラブルが起きたのに動けずに
困っていたから代わってあげたのが始まりだ。このバイトを始めて2週間になる。





「廊下の掃除とメーターのチェックも済ませておきましたよ。住人からの苦情もないし、
 帰宅時間も小室以外は全員報告してくれました。確認お願いします」

「はい、確かに確認させて戴きました。桐野さんは仕事が早く丁寧ですから助かります。
 うちの組員…ではなくて従業員達も喜んでますよ」

 政さん達は最初は怖かったけど、慣れちまえばみんな普通のオッサンだ。巴お嬢の
教育が行き届いてるのか、紳士的で優しいしな。アタシにはわりと遠慮がないのか、
組員さん達はヤクザ時代の話もしてくれた。

「そういえば桐野さん、ヤスから聞いたんですけど例のブツ持って来ましたよ」

 政さんはそう言って、カバンからある物を取り出した。マジっすか!? もしまだあったら
持って来て欲しいとは言ったけど、本当にあったとは……






「使える使えないは別として、ヌンチャクは男のロマンですからね。案の定組員の誰も
 使いこなせずにホコリかぶってましたから、よろしければ差し上げますよ」



 ありがとうございます!ハンガーヌンチャクもそこそこ使えたけど、やっぱり本物は
違うな。アタシは政さんからもらったヌンチャクを持ってまじまじと見た。木刀によく
使われる赤樫製の本格派だ。ブルース・リーの真似して、家や道場で練習していた昔を
思い出すぜ。東京に来る時に捨てちまったのを後悔してたんだよなあ。






「桐野さんも物好きですね。ワシらはこれ一本あれば大抵は物足りますけどな」

 政さんは管理人室の壁にかけてある木刀を手に取った。一応護身用という事で置いて
ある。本音を言えばポン刀を置きたいそうだが、警察沙汰になるといけないので木刀で
我慢してるらしい。ていうかまだポン刀持ってんのかよ。

「あまり大きい声では言えませんけど、お嬢が捨てたらあかん言うて怒りましてな。
 代々組に伝わる大事な家宝ですし、看板降ろしても広島の屋敷に隠しとるんです。
 ドスやチャカもまだぎょうさんありまっせ」

 政さんは声を潜めて、いたずらっぽく笑った。どうリアクションすりゃいいんだよ。
カタギリにチクったら速攻で全員パクられそうだな。






「巴お嬢は本当に頑張ってるんですね。ヤスさんも言ってましたけど、お嬢がいるから
 自分達もやっていけるって、ありがたそうに言ってましたよ」



 カタギリから巴の話を聞いた時、ガキのワガママに付き合わされて気の毒だなと思った
けど、組員達と話してるとそうとも言い切れないようだ。巴お嬢の存在は、政さん達の
心の支えになってるらしい。






「もしお嬢がおらんかったら、ワシらは今頃どうなっとたかわかりませんな。こうして
 組員達と仕事することもなかったやろし、ほんまお嬢には頭が上がりません」

 村上組は元々広島で代々海運業を営んでいたらしい。それがこの不況の煽りで仕事が
立ち行かなくなり、会社が倒産して組の存続も不可能になったそうだ。

「三代続いた組の看板を降ろすのは組長もワシらも悔しくてたまらんかったですけど、
 生きてく為にはしゃあなかったんですわ。組を解散して、極道から足を洗って全員
 バラバラになりかけてた時に、お嬢が喝を入れてくれたんです」

 巴も組が存続出来ない事は十分承知してたが、組を解散するのは猛反対したそうだ。
たとえ看板を降ろしたとしても、皆が一緒だとまたやり直す事が出来る。家族も同然の
組員達が屋敷からいなくなるのが寂しかったのだろう。父親である組長と大喧嘩をして、
しまいには組員全員で2人を羽交い絞めにして止めたらしい。






「でもそのお陰でオヤジももう少し気張ってみるかって話になりまして、それで海運から
 建設業界に方向転換したんです。東京には『萩原組』っていう先代から付き合いのある
 土木や建設をやっとる組がおりまして、ワシとワシの部下が東京に出て来て萩原組から
 援助を受けて、広島におるオヤジ達にも仕事を回しとります」



 建設業界に参入した村上組は地元の広島と東京の二手に分かれ、日々奮闘してるらしい。
慣れない土地と仕事で四苦八苦しているそうだが、萩原組の組長に気に入られて、最近は
少しづつ仕事が回っているそうだ。ただし気に入られてるのは組ではなく巴らしいが。







「萩原の組長さんにもお嬢と歳の近い娘さんがおるみたいで、組の再興の為に頑張っとる
 お嬢を見て胸を打たれたみたいです。村上組の再興についても協力したるって有り難い
 言葉をもらいました。萩原の組長はほんまに懐の深いお方ですわ」



 巴に東京でアイドルの仕事を紹介したのも萩原組の組長だそうだ。萩原組は芸能界に
ツテがあるらしく、巴のオヤジにアイドルをさせてみてはどうかと勧めたらしい。巴は
地元の広島では極道の娘として怖がられ避けられていた。だが看板を降ろしたとなると
今度は虐められる危険性がある。だから避難も兼ねて巴は東京にやって来た。







「お嬢は最初嫌がったんですけど、オヤジに『お前が言い出したんやから、お前も組の
 再興に協力せんかい!』って言われて最終的に納得したんです。本当の事を言うたら
 お嬢は絶対に首を縦に振らんってわかっとりましたから」



 最初は嫌々レッスンをやっていた巴も、最近はわりと楽しんでいるらしい。村上組の
一員として『アイドルで有名になって故郷に錦を飾るんじゃ!』と政さん達に言ってる
そうだ。政さん達もその言葉を励みにして東京で頑張ってるらしい。







「どんな境遇に置かれても、人間は誇りを持って戦えたらなんとかなりますわ。お嬢も
 ワシらも組はのうなったけど、誇りだけは無くさんように大事にしとります。余計な
 お世話ですけど、ワシは桐野さんにもそうあって欲しいです」



 政さんの色の付いたメガネの奥にある鋭い視線に射抜かれて、アタシはドキっとした。
政さんは今までアタシの事は聞いて来なかったのに、今日は違うみたいだ。







「『北九州のヤンキーキラー』の噂はワシも聞いとりました。同じ西日本やしこの世界は
 狭いですからな。族のバックについとった若い組員も何人かやられたって聞いてました
 けど、まさかこんな華奢な子がやったとは信じられませんわ」

 政さんは表面上は穏やかに話してるけど、管理人室の空気がだんだん張りつめていく。
でも殺気は感じないので、ここでアタシとやりあうつもりはないみたいだ。アタシも引退
してるとはいえヤクザとはケンカしたくない。ヤクザはヤンキーと違って吹っ切れている
から、ケンカして勝っても無事じゃ済まない事が多かったしな。

「福岡のヤクザには今でも桐野さんを血眼になって探しとるヤツもおるみたいですから、
 もうしばらくは地元に戻らん方がええと思います。でもいつかは現実と戦わんといけん
 ようになるでしょう。桐野さんも『被害者』とはいえ、あなたのやった事はあまりにも
 福岡をかき乱しすぎましたから」

 政さんは低く真剣な声で、重く言った。まさかヤクザに説教される日が来るとはな。
でもこの人は事情をよく知ってるみたいだ。アタシの正体を知った上で『被害者』と
言ってくれる人はほとんどいないからな。





「何と戦えって言うんですか。まさかこのヌンチャクを振り回して、アタシにヤクザの
 事務所に突っ込めなんて言うつもりじゃないでしょうね?」

 アタシが冗談交じりに言うと、政さんも『いやいやまさか』と笑った。いくらケンカで
ちょっとくらい腕が立っても、流石にそれは自殺行為だ。

「桐野さんを憎んでいる人間がいれば、同じくらい桐野さんを応援しようとしてる人間も
 います。お嬢も桐野さんの事を心配しておられますし、CGプロや片桐さんもあなたの
 力になってくれます。ワシらも応援しとりますから、世の中の全ての人間を拒絶せんと
 味方になってくれる人達がいる事もわかって下さい」

 政さんはそう言って不器用に笑った。こんな温かい言葉をかけられるなんて何年ぶり
だろうな。凍りついていたアタシの心がじんわり熱を持ったような気がした。






「こんなにいいマンションに住ませてもらってるだけで十分ですよ。巴お嬢にもアタシは
 元気でやってるって伝えてください。それじゃ失礼します」



 アタシは政さんに頭を下げて、早足で管理人室を出た。あのままあそこにいたら泣いて
しまいそうな気がしたから。アタシもまだまだガキだな―――――






新田美波(19)
http://i.imgur.com/JM9XCk7.jpg

鷺沢文香(19)
http://i.imgur.com/qvsllRz.jpg






藤居朋(19)
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岸部彩華(19)
http://i.imgur.com/ow2jwQV.jpg






瀬名詩織(19)
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梅木音葉(19)
http://i.imgur.com/JPQDXm6.jpg






つづく






***



 マンションに住み始めて1ヶ月が過ぎた頃、バイトから部屋に戻ると小室の部屋から
怒鳴り声がした。どうやら誰かとケンカをしてるようだ。



「……!! ……、……!! 」

「―――――、―――――」



 風呂から上がって髪を乾かしていても、まだ言い争いは続いていた。話の内容までは
聞こえないけど、どうやら喚いてるのは小室だけで、もう一方はなだめてるらしい。







「……、……!! 」



 アタシがバイトから帰ってきて風呂から上がってそろそろ1時間半くらいたつけど、
小室の怒りはまだ収まらないみたいだ。アイツもよくエネルギーが持つな。



「……!! ……!! ……、……!! 」



 そろそろ寝たいんだけど、いい加減に静かにしてくれねえかな。管理人権限を使って
黙らせてやろうか?アタシが隣に踏み込むか悩んでいると呼び鈴が鳴った。玄関の
ディスプレイを覗くと、そこには岸部がいた。






「どうしたんだ岸部?」

「もうアヤちゃ~ん、『あやか』って呼んでって言ってるじゃな~い!」

 玄関を開けると、相変わらずの間延びした声で岸部はぷんぷんと怒った。うるせえな、
アタシもアヤだから何となく紛らわしいんだよ。






「それよりアヤちゃん、千奈美ちゃん気にならな~い?千奈美ちゃんさっきからずっと
 怒ってるっぽいしぃ~、プロデューサーさんもかわいそうっていうかぁ~」



「プロデューサー?プロデューサーが来てるのか?」



 どうやら岸部…じゃなくて彩華の話だと、アタシがマンションに帰って来る1時間
くらい前にプロデューサーが小室の部屋にやって来て、それからずっと話をしている
らしい。最初は静かだったけどだんだん小室の声が大きくなってきて、ついに激しい
怒鳴り声に変わったそうだ。じゃあかれこれ2時間以上やってるのかよ?







「もう夜も遅いしぃ~、プロデューサーさんもおうちに帰らないといけないと思うのぉ~。
 このマンションCGプロから遠いしぃ~、あやかもそろそろ寝たいっていうかぁ~」



 最後のが本音だな。でも気持ちはわからなくもない。レッスン生とはいえアイドルだし
睡眠不足が肌の大敵なことくらいアタシも知ってる。キャバ嬢みたいな見た目とは違い、
意外と規則正しい生活をしている彩華なのであった。






「仕方ねえな、バイトとはいえ一応管理人だし、住民の苦情は対応しなくちゃいけねえ。
 そんじゃちょっと様子を見て来るわ」

「ありがと~!アヤちゃんも一緒だとあやかも心強いしぃ~、頼りになるよ~♪」

 彩華はアタシの手を握ってとても喜んだ。え?お前も来るつもりなのか?アタシ1人で
十分だぞ?ちょっと様子を見に行くだけでケンカの仲裁をするつもりもねえし。






「アヤちゃん水臭い~!あやかも一緒にいくよぉ~。ひとりよりふたりで行った方がぁ~、
 千奈美ちゃんもおとなしくなるでしょ~?」



 そういうもんなのかなあ?余計に逆上させないといいんだけど。何となくだけどぉ~、
ストイックな小室とマイペースな彩華って気が合わなさそうだしぃ~。






「ささ、それじゃあしゅっぱ~つ! 」

「お、おいちょっと待てよ、アタシ部屋着だからせめてジャージ羽織らせてくれ!」

 ぐいぐい手を引く彩華を何とか止めつつ、アタシは部屋に戻ってジャージを掴んだ。
何か懐かしいなこの感じ。友達付き合いってこういうのだったけ―――――?






―――



「二度と来ないで!」

「お、おいちょっと待て千奈美!もう少し話をぶっ!? 」

 アタシと彩華が部屋を出ると、ほぼ同時にマンションの廊下にプロデューサーが追い
出されていた。小室の姿は見えなかったが、プロデューサーのものと思われるカバンと
革靴を投げつけて、最後に部屋の鍵をガチャリと閉めた。






「プロデューサー、だいじょうぶぅ~?」

「ああ、彩華か。ごめんな騒がしくしちゃって」

 投げつけられた革靴とカバンを拾って、プロデューサーは苦笑いした。小室に飲み物
でもぶっかけられたのか、顔と上着が濡れている。

「ご無沙汰してます桐野さん。桐野さんにもご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

 プロデューサーは彩華の後ろにいたアタシに気付き、あの時と同じように丁寧に頭を
下げて謝った。またずぶ濡れになっちまったのかあんた。前はアタシがやったけど。





「そのままにしていたら風邪ひいちゃうからぁ~、あやかのお部屋にきてぇ~。タオルで
 拭いてあげるよぉ~」

「いや、今日はもう遅いし帰るよ。気を遣ってくれてありがとな」

 しかし彩華はプロデューサーの話を聞かず、『いいからいいから~♪』と腕を引っ張って
自分の部屋に入れようとする。ホントにマイペースだなコイツ。





「アヤちゃんもどうぞ~♪ ちょうどお茶もらったからぁ~、淹れてあげるね~♪ 」

「いや、アタシは帰るよ。もう静かになったし……」

「だぁ~め!プロデューサーさんはアヤちゃんのお話も聞きたいと思うよぉ~?」

 彩華に急に話をふられて、プロデューサーは驚いた顔を見せた。こいつ、アタシ達の
間に流れる微妙に気まずい空気を読んだのか?マイペースっぽく見えて意外と鋭いじゃ
ねえか。やっぱり元水商売の人間じゃねえだろうな?






「あ、あの~…… 」



 その時階段の方から、遠慮がちな小さい声がした。アタシ達が振り返ると、その声の
主は静かに姿を現した。

「美波ちゃん?美波ちゃんも千奈美ちゃんが気になって来ちゃったのぉ~?」

「は、はい。プロデューサーさんの車がずっとマンションの前に停まっているから、
 千奈美さんとの話し合いが長引いてるのかなって思って……」

 階段の陰から出て来たのは新田だった。風呂あがりなのかアタシと同じジャージ姿だ。
しかしアタシと違ってジャージ姿でも可愛い。ていうか髪が少し濡れていて、顔もやや
赤く上気して妙にエロい。プロデューサーも目のやり場に困ってる。





「美波ちゃんもおいでよぉ~。今からプロデューサーさん達とぉ~千奈美ちゃんのことで
 お話するのぉ~。美波ちゃんはみんなをよ~く見てるしぃ~、アヤちゃんも管理人さん
 だからぁ~、プロデューサーさんもイイ話が聞けると思うよぉ~?」

 ああ、それでアタシも呼んだのか。別にアタシとプロデューサーの妙な空気を察した
わけじゃねえんだな。でも期待に応えられるか分かんねえぞ?小室はいつも管理人室の
前を無視して素通りするし、アタシも政さん達も困ってるんだよ。

「ほらぁ、寒いからみんな早く入ってぇ~」

 こうしてアタシとプロデューサーと新田の3人は、やや強引に彩華の部屋に招かれた。





つづく






***



「ふんふんふ~ん♪」



 彩華がキッチンでお茶の準備をしてる間、アタシ達3人でテーブルを囲んで座っていた。
なんて言うか、彩華がいないと間が持たないなあ……

「き、桐野さんはマンション暮らしは慣れましたか……?」

 アタシが黙っていると、プロデューサーがやや緊張した様子でアタシに話を振った。
そんなに気を遣わなくてもいいのに。でも一応礼くらいは言っとくか。






「ありがたく快適に住ませてもらってるよ。ありがと」

 アタシがぶっきらぼうに言うと、プロデューサーはほっと胸を撫で下ろした。

「それなら良かったです。何か不都合がありましたらすぐに対処しますので、いつでも
 管理人室に遠慮なく言ってくださいね」

「アタシも管理人だっての。マンション住人の不都合に対処する方だよ」

「そ、そうでしたね…… すみません……」

 アタシが冷たくピシャリと言うと、プロデューサーはまた小さくなってしまった。
ああ~、せっかく気を遣ってくれたのに。カンジ悪いなアタシって……






「あの、アヤさん……」



「ん?どうした新田さん?」



 今度は新田さんがアタシに声をかけてきた。この子は大学にアイドルの仕事に資格の
勉強にと毎日忙しそうで、アタシは朝の挨拶くらいしか会話をした事がない。

「管理人さんのお仕事お疲れ様です。アヤさんが寮の管理人さんになってくれてから、
 文香さんや音葉さん達はほっと出来るって言ってました」

 アタシも愛想が良い方じゃないけど、元ヤクザのオッサン達よりはマシってわけか。






「それは良かったよ。新田さんも政さん達に言い辛かったら、アタシに遠慮なくどんどん
 言ってくれ。とりあえず週4日は午前中あそこに座ってるからさ」

「はいっ、ありがとうございます」

 新田さんは可愛らしい笑顔で言った。この子は本当に優等生タイプの賢い子だな。変に
遠慮をしたりしないし、かと言って馴れ馴れしくもしない。パーソナルスペースだっけ?
こちらが踏み込んで欲しくない領域には絶対に入って来ない。






「美波ちゃんカタ~い。アヤちゃんもぉ~、あやかと美波ちゃんで話し方がちが~う!」



 キッチンから4人分のお茶を乗せたお盆を持って、彩華が文句を言いつつやって来た。
管理人と住人だったらこれくらいの距離感が普通だろ。お前は馴れ馴れしすぎるんだよ。






「お前も社会人なら新田さんを見習えよ。いつまで学生気分なんだっつーの。そんなの
 事務所やプロデューサーが教える以前の話だぞ」

「アヤちゃんはお友達だからいいのぉ~。あやかはぁ~、トレーナーさん達にも素直で
 良い子だって褒められるんだよぉ~?」

「いつアタシがお前の友達になったんだよ。それにお前が言われた素直で良い子ってのは
 キャバ嬢みたいな見た目のわりにはスレてなくて能天気って事だろ」

「ひど~い!アヤちゃんあやかにつめた~い!美波ちゃんもそう思うよね~!」

 アタシと彩華のやりとりを見て、プロデューサーと新田さんは苦笑いをしていた。
笑ってないで何とかしてくれよ。こんなのがホントにアイドルやれてるのか?





「グダグダ喋ってないでさっさと終わらせようぜ。アタシも明日管理人のバイト入って
 いるから5時起きなんだよ。プロデューサーも帰らないといけないんだろ?」

「プロデューサーあやかの部屋に泊まってく~?あやかは別にいいけどぉ~」

「よくねえよバカ。デビュー前にアイドル生命終わるぞ。いくらプロデューサーでも、
 普通は男を部屋に簡単に入れちゃいけないんだぞ」

「え~?千奈美ちゃんもプロデューサーを部屋に入れてたしぃ~、問題なくな~い?」

 彩華がきょとんとした顔で言った。小室にも注意しとかないといけないな。どいつも
こいつも男に対してガードが緩いんじゃねえのか?






「いいなあ……」



 その時ポツリと新田さんが呟いた。何がいいんだよ?







―――



「プロデューサーさんもご存知かと思いますけど、千奈美さんは寮でもあのままです。
 私達も取りつく島がなくて……」

「最近はレッスンにも来てないよね~。同じ寮に住んでるけどぉ~、あやかも1週間
 くらい千奈美ちゃんに会ってないしぃ~」

「そうだったのか…… 環境が変われば千奈美もスランプから抜け出せると思ったが、
 それくらいでは解消されなかったか。むしろ前よりひどくなってるな……」

 3人の話を合わせると小室はスランプ状態で、仕事もレッスンも休業してるらしい。
プロデューサーも今日みたいに何度か面談をしてるそうだが小室が逆ギレして話に
ならず、どう扱えばいいのか困っているとか。






「アヤちゃんは千奈美ちゃんとお話してないのぉ~?ふたりはおとなりさんだしぃ~、
 アヤちゃんが管理人室にいる時はゼッタイに千奈美ちゃんと顔合わせるでしょ~?」

「いや、悪いけどあいつとはマンションに来た初日にケンカしてな。それ以来顔を見たら
 挨拶どころか舌打ちする仲だよ。管理人室の前もシカトして通り過ぎるしな」

 一応行き先や帰宅時間を報告しなくても夜にはちゃんと寮に帰って来るから、アタシも
うるさく言ってないけどな。いつも不機嫌そうな顔をしてるぞあいつ。

「千奈美がご迷惑をおかけして本当にすみません。本人はとても真面目で、アイドルの
 活動にも意識が高くてストイックな子なんですけど……」

 プロデューサーがアタシに謝る。いいよ別に。アタシはアイドルじゃないし、あいつと
ほとんど接点もないしな。でも新田さんや彩華は大変だな。






「今の千奈美ちゃんはそっとしといてあげた方がいいと思うよぉ~?小さい子とか関係
 なくキツくあたっちゃうからぁ~、千奈美ちゃんを怖がってる子もいるしぃ~」



 小室は業界歴が長く、地元の愛知県ではそこそこ名の知れたアイドルだったらしい。
アイドルに対する意識が高く自分にも他人にも厳しい小室は、事務所でだらだらしてる
子達を見ると叱りつけたりするそうだ。その行為は業界の先輩としては間違っていない
かもしれないけど、最近はただの八つ当たりになってるとか。






「加蓮ちゃんがレッスン中に1人だけ抜けたのを千奈美ちゃんが怒った時は、凛ちゃんが
 すごく怒って千奈美さんと大ゲンカになるところでした。トレさんが間に入ってくれた
 ので助かりましたけど……」

「千奈美と加蓮の事は聞いてるよ。加蓮は自分が身体が弱い事をよく分かっているから
 こういう事を言われるのは慣れていて気にしてないらしいけど、凛がまだ相当怒って
 いるから千奈美とのレッスンはずらして欲しいって奈緒に言われたよ。トレさん達も
 困ってるみたいだし、少し休ませた方がいいのか……?」

 それは下手に刺激しない方がいいな。プロデューサーもカタギリもちょっとお節介
すぎるんだよ。お節介を焼いたり構ったりするのがあんた達の仕事なんだろうけど、
誰だって1人にしてほしい時もあるんだぜ。





「いやしかし、今の千奈美を1人にしておくのはやっぱり心配だしなあ……」

 プロデューサーが悩み、彩華と新田さんも再び考え込む。このままだと朝になるな。
2時間話しても無理だったなら、もう結論出てるだろうが。

「じゃあこうしよう。明日はアタシが管理人だから、小室の雰囲気がヤバそうだったら
 声をかけておくよ。とりあえず毎日9時くらいにあいつはマンションを出て行って、
 21時くらいには帰って来るし。他の管理人さんにもしばらく注意するように言って
 おくから、それでしばらく様子を見るって事でどうだ?」

 反抗期真っ最中の小室だが、ちゃんと寮に帰って来るって事はまだアイドルを続ける
気はあるんだろう。あいつもガキじゃないんだし、ほっときゃいいだろ。





「アヤちゃんやさしぃ~♪ アヤちゃんも千奈美ちゃんのことが心配なんだね~」

 彩華がニヤニヤしながら言った。別に心配してねえよ。これも管理人の業務のうちだ。
アタシはバイトだけど仕事はきっちりするタイプなんだよ。

「すみません桐野さん、それではお願いしていいですか?千奈美に何かあればすぐに
 事務所に電話して下さい。いつでも駆けつけますから」

 プロデューサーは申し訳なさそうに言った。あんた今日アタシに謝ってばかりだな。
あまりカッコ悪い姿ばかり見せると彩華と新田さんに嫌われるぞ?





「そ~だよプロデューサー。アヤちゃんはあやか達の友達だしぃ~、プロデューサーも
 フレンドリーにいこうよぉ~」

「だから友達じゃねえっての!アタシはただの近隣住民か寮の管理人だよ!」

 『あやか達』って、新田さんまで巻き込んでるんじゃねえよ。






「お友達に…… なってくれないんですか……?」



「なっ!? 」



 その時突然、新田さんが爆弾発言をかました。アタシは思わずぎょっとする。






「私も彩華ちゃんみたいに、アヤさんともっと仲良くしたいです!さっきからアヤさんは
 彩華ちゃんばっかり構っていてずるいですっ!」

 新田さんは頬を膨らまして怒った。あんたそんなキャラだったっけ?さっきまでの
優等生っぽい新田さんはどこに行ったんだよ?

「そんなの知りませんっ!美波はわるい子ですっ!」

 やべえ、新田さんが深夜のテンションで壊れた。どうにかしてくれよプロデューサー。

「すみません……」

 結局アタシはその日、新田さんを彩華と同じように『美波』呼びにする事を強制され、
メアドまで教える羽目になった。出来ればこうなる事は避けたかったけど、彩華がいた
時点で無理だったのかもな。それに藤居には『ケータイのアドレス占い』をやるとか
言って、結構前に強引に聞き出されちまったし……






「これもお前の狙い通りかよ、カタギリ」



 アタシは久しく顔を見ていないあのお節介な婦警を思い出しつつ、心の中で呟いた。
1人でいじけてるアタシをほっとかないし、確かにみんな良い子かもな―――――






つづく






***



「ふわぁ……」



 次の日、アタシは眠い目をこすりながら管理人室に座っていた。昨日はあれから彩華と
美波につかまって、プロデューサーが帰った後も部屋に帰してもらえなかった。

「まさか徹夜で女子会になるとは思わなかったぜ…… 彩華も美波もそのままいつも通り
 レッスンに出て行ったし、あいつら見た目よりタフだな」

 ついでに彩華に朝飯をご馳走になった。誰かと朝飯を食べるなんていつ以来だろうな。
パンにサラダにベーコンエッグと簡単なものだったけど美味かった。彩華はまたみんなで
朝飯食べようって言ってたけど、悪くないかもしれねえな……







「あの……」



「……はっ!す、すまねえ!おはよう!」

「お、おはようございます…」

 ふと気が付くと、目の前に梅木・瀬名コンビが立っていた。いけねえボーっとしてた。
アタシは2人の行き先と帰宅時間の確認票を取り出す。






「今日は私も詩織さんもレッスンですので…、レッスン場にいます。レッスン後に次の
 仕事の打ち合わせを事務所でして、寮に戻るのは20時くらいになります……」

「はい、レッスンと仕事の打ち合わせ、帰りは20時と。OK!いってらっしゃい!」

 記入を終えて二人を送り出す。いつもは控えめに「行ってきます…」と言いながら
出て行くのだが、今日は二人ともアタシの顔を不思議そうに見たままじっとしてる。

「ま、まだ何か連絡する事あるのか……?」

 アタシが聞くと、梅木さんの後ろにいた瀬名さんがぽつりと言った。






「あなた、今朝は機嫌が良さそうね…」



「そ、そうか?いつも通りだと思うけど……」



 つばの広い帽子の下から、瀬名さんがまじまじとアタシの顔を見つめる。この子普段は
口数は多くないのに珍しいな。ていうか雑談をするなんて初めてだ。



「私もそう思います…。明るい旋律…… 楽しくて元気で…、そして温かくて……」



 アタシの顔を見て、梅木さんはそう言ってぽろぽろと目から涙をこぼして泣き出した。
ど、どうしたんだよ梅木さん!? 大丈夫か!? どこか具合でも悪いのか!?






「よかったです…、管理人さんの奏でる旋律は…いつも冷たくて寂しそうだったから……
 だからずっと気になっていて……」

 梅木さんがハンカチで目をおさえつつ、途切れ途切れに言った。旋律?なんだそりゃ?
アタシはピアノとか弾けないぞ?誰かと間違えてないか?
 
「涙の海で溺れている人がいれば、誰でも心配になるわ。あなたが無事で良かった…」

 瀬名さんは柔らかく笑った。すまん、あんた達が何を言ってるのかよくわかんねえ。
とりあえずアタシなんかより、あんた達は小室を心配してやった方がいいんじゃねえか?
あいつの方が色々と悩みが多そうだし。





「あの子はわがままを言ってるだけよ…。本当に仕方のない子……」

 瀬名さんはちらっと上の階に目をやって、ため息をついた。意外と厳しいんだな……
そうこうしていると、泣きやんだ梅木さんがアタシの顔をまっすぐに見て、

「私の事も『音葉』って呼んでいいですよ…。アヤさんはお友達ですから……」

 と、涙を拭ってやや照れくさそうに言った。まさか昨日の彩華達との会話が聞こえて
いたのか?この寮は防音が結構しっかりしているのに、一体どんな耳してるんだ。





「あら、いいわね。それじゃあ私は『しおりん』と……」

 いきなりハードル上がりすぎだろ。真顔でボケをかます瀬名さんにツッコミを入れて、
アタシは二人を送り出した。とっつきにくそうに見えて意外と気さくなんだなあの二人。
鷺沢さんも『ふみふみって呼んでください……』なんて言い出したりして。

「これで小室以外全員出て行ったな。後は9時頃に出て行く小室に声をかければ、今日の
 アタシの仕事は終了か。早く来ないかな」

 管理人室の時計を確認すると8時30分だった。今日は午後からのバイトも休みなので
管理人のバイトが終わればフリーだ。昨日は徹夜だったしゆっくり寝よう―――――






―――



「遅えな……もうすぐ11時だぞ」

 9時になっても小室は寮から出て来なかった。アタシが管理人のバイトを始めてから
こんな事は初めてだ。体調崩して寝てんのか?

「内線かけてみるか?いや、そっとしとこうって言ったばかりだしな。あいつも昨日は
 あれだけ騒いでたし、疲れてるのかもしれねえな……」

 参ったな、部屋から出て来なかった時の対処法を考えてなかった。まさか部屋の中で
首吊ってるなんて事ないよな?あいつ気は強そうだし、大丈夫だと思うけど。







「ん?エレベーターが動いてる?」



 ふと管理人室の窓からエレベーターに目をやると、エレベーターが3階に昇っていく
最中だった。小室はいつもは階段で降りて来るのに、珍しいな。やがてエレベーターは
一階に到着して、ドアが開いた。







「おはよ……って、んん!? 」



 エレベーターから出てきた小室は、初めて会った時と同じように大きなスーツケースを
ひいていた。そしてまっすぐ管理人室の前に歩いて来て、アタシに部屋の鍵を渡した。







「アイドル辞めて地元に帰るわ。部屋に残ってる荷物は処分しておいて」



 感情のない平坦な声で小室は淡々と言った。アタシがあっけにとられていると、小室は
何も言わずにそのままさっさと寮を出て行った。



「……って、待てよおい!」



 アタシはスーツケースをひいて、スタスタ早足で歩く小室の背中を慌てて追いかけた。
どうしてこいつはいちいちめんどくせえんだよ―――――!






つづく






***



「離しなさいよっ!! 」

「だったら行くなよっ!! 」



 小室のスーツケースを両側から引っ張り合いながら、アタシ達は睨み合った。アタシが
何を言ってもシカトしやがるから、こうして強硬手段に出てるわけだ。






「何の権限があってあんたは私を引き留めようとしてるのよ!あんたはCGプロでも
 アイドルでもないただの寮の管理人でしょうが!」

「管理人は住民の管理も仕事のうちなんだよ!勝手に出て行くんじゃねえ!」

「人を備品扱いするんじゃないわよ!」

 さっきからこんな様子でアタシと小室はギャーギャーと怒鳴り合っていた。参ったな、
今この寮にいるのはアタシ達だけだ。CGプロに連絡しようにもこの場を離れると小室は
いなくなりそうだし、小室が落ち着くまでアタシが踏ん張るしかない。






「あんたも何よ!ずっと私を無視してたくせにどうして今更止めるのよ!? 私が辞めても
 あんたには関係ないでしょ!? 」



 小室が声を張り上げて私を睨みつける。そ、そりゃそうだけどさ…… でもお前がいなく
なったら彩華達やプロデューサーが困るだろうし、……ん?どうしてアタシがあいつらの
気持ちを考えてやらなくちゃいけねえんだ?それよりもっとなんだっけ、こいつには前に
ムカつく事を言われたような記憶が……







「あ!思い出した!お前アタシにトップアイドルになるとか偉そうな事言ってたよな?
 あれはどうしたんだよおい!? 結局アイドル諦めて逃げんのかよ!? 」



「そ、それは……」



 小室は気まずそうに目を逸らした。やっぱりそうか、こいつは勢いで言ってるだけで
本気でアイドルを辞めようとか考えてないみたいだ。地元に帰るっていうのもおそらく
嘘だろう。そうじゃないとこんな風に動揺しないはずだ。






「昨日プロデューサーと何を喋ったのか知らねえけど、とにかく落ち着けよ。事務所を
 辞めるにしても、せめて電話の一本でもかけて……」

「……そうね。電話一本かければ済む話よね。どうせプロデューサーはすぐに来ないし」

 小室は急に冷静になって、バッグからスマホを取り出そうとする。しまった!うっかり
余計な事まで言っちまった!スーツケースの次はバッグの奪い合いになった。





「あんたが電話しろって言い出したんでしょ!? どうして邪魔するのよ!? 」

「今のはものの例えだ!ちょっと冷静になれって!」

 12時になれば管理人交代の時間になって村上建設の人が来る。とりあえずそれまで
小室を足止め出来れば何とかなりそうだと考えながら、アタシは小室が電話するのを
阻止していた。それにしてもホントにコイツめんどくせえな。あまり聞き分けが悪いと
腕ひしぎ逆十字でもかけて黙らせるぞ。





「お、どうやら来たみたいだな。助かった……」

 アタシ達が寮の前で揉めていると、車のエンジン音が聞こえてきた。交代の時間よりも
ちょっと早いけど、村上建設が来たみたいだ。でもいつものベンツと音が違うな。

「ん?ハイエース?迷い込んで来たのか?」

 アタシ達の前に停まったのは、村上建設のベンツではなくて大型のハイエースだった。
窓にはスモークが張られていて、中が見えないようになっている。とりあえずカタギの車
じゃなさそうだし、やっぱり村上建設か?。






「おはようございます小室さん。お迎えに上がりましたよ!」



「あ、あなたは……」

 運転席から降りて来たスーツの男を見て、小室は驚いた。男は髪を茶色く染めていて、
スーツは黒だがシャツやタイは派手でホスト風だった。しかしホストより礼儀が正しい
気がする。となるとこんなリーマンがいる業界は……

「おや?荷造りをされているその様子を見ますと我が『トッププロ』に来て戴ける決心が
 ついたみたいですね。いや~、小室さんが決断してくれて嬉しいです!」

 男は自分のペースで一方的にまくしたてる。間違いない、こいつは業界人だ。しかも
よりによって『トッププロ』ときやがったか……







「おい小室、どういう事だ?お前はCGプロを辞めてトッププロに移籍するのか?」



「わ、私はおととい事務所で話を聞いただけで、移籍するなんて一言も……」



 一応小室に聞いてみると、本人も戸惑っていた。まあそうだろうとは思ったぜ。






「事務所に来られた時点で既にご契約されているようなものじゃないですか!さあさあ!
 あなたの魅力を引き出す事の出来なかったCGプロなどさっさと辞めてトッププロで
 私達と一緒にトップアイドルになりましょう!」

「え?ちょ、ちょっと待って……」

 トッププロのスカウトマンらしき男は、小室のキャリーバッグを奪って強引に車に
積み込もうとする。小室はバッグから手を放して慌ててそちらに走った。





「ご安心ください!我がトッププロは業界でも3本の指に入る大手の芸能事務所です!
 こんなマンションよりもっと良い寮も持っていますしレッスン設備とスタッフも
 最高の環境も整えています!小室さんは何も心配なさらなくて結構ですよ!」

「そうじゃなくてそんな強引に…… だから少し待って……っ!? 」

 スカウトマンは小室の話を一切聞かずに、強引に車内に連れ込もうとしている。ドアを
開けると車の中には、ガラの悪そうな男達が何人か座っていた。それを見た小室は小さく
悲鳴をあげて何も言わなくなった。どうやら抵抗は無理だと悟ったのだろう。






「お、お願い……」



 ドアの前で小室は振り向いて、アタシに小さい声で言った。しかし女が2人でどうこう
出来る状況ではないと思ったみたいで、アタシに『助けて』とは言わなかった。



 ―――――でも小室に言われなくても、アタシは黙って見ているつもりはなかった。






「おい、ちょっと待てよ兄ちゃん」

「あん?何だテメエ?」

 アタシが声をかけると、スカウトマンは小室に向けていた丁寧な笑顔とは真逆の顔で
チンピラのようにすごんで見せた。本性見せるの早過ぎだろオイ。

「テメエ呼ばわりされるとは寂しいな。『アタイ』の事を忘れちまったのか?」

「だから誰だよテメエは。ジャマすんじゃねえよ」



 どうやら本気で知らないみたいだな。だけどお前がアタイの事を知らなかろうが、
そんな事はどうでもいい。アタイはお前らの事をよ~~~~~く知ってるぞ。







「アタイは『青島綾』だよ。2年前にお前らトッププロが福岡でスカウトした、北九州の
 ヤンキーキラーだ。テメエらが勝手にアタイにそう名付けたくせに、アタイをすっかり
 忘れちまうとはちぃっとひどくねえか?」



「な!? 青島綾だと……!? 」



 スカウトマンはぎょっと驚いて、その場から後ずさりした。小室はそのスキに自分の
スーツケースを奪い返して、慌ててアタイの後ろに逃げてきた。







「正直オマエらがどこで何しようがアタイには関係ねえけど、でも目の前でアタイと同じ
 目に遭おうとしてるヤツをほっとくわけにはいかねえな。それにアタイはまだお前らを
 許してねえぞ。小室が欲しかったらアタイを倒してからにしな」



 アタイのただならぬ雰囲気を感じたのか、ハイエースの中からぞろぞろと男達が出て
来た。一応スーツは着ているものの雰囲気はまんまチンピラかヤクザ崩れだ。スカウト
合わせてざっと6人ってところか。もし小室が抵抗したら、無理やりにでも連れて行く
つもりだったみたいだな。






「小室、管理人室に避難してろ。そこにいられると邪魔だ」

 小室は何かを言い返そうとしたが、アタイが睨みつけると黙って管理人室に入った。
さて、これで遠慮なく暴れる事が出来るな。覚悟しろよテメエら。

「あ、相手は女1人だ!構わずにやっちまえ!」

 スカウトが声を上げると、男達は懐やパンツのポケットからスタンガンや特殊警棒を
取り出した。凶器準備とはいよいよ誘拐犯だな。品性のカケラもねえ連中だ。






「後悔するなよ。先に仕掛けたのはそっちだからな」



 アタイは尻ポケットに突っ込んでいたヌンチャクを取り出した―――――







つづく






***



 ヌンチャクを取り出したアタイを見て、トッププロの男達はゲラゲラと大笑いした。

「そんなもんで俺達を倒せると思ってるのかよ!」

 アタイの近くにいた男が、警棒でこちらを指しながら腹を抑えて笑う。そんなもんとは
何だ、ヌンチャクは確かに映画では演出用に使っていたトンデモ武器かもしれねえけど、
ちゃんと戦えるんだぜ?そんじゃ手始めに……







「よっと」



「え?」



 アタイはヌンチャクを一振りし、近くにいた男の警棒を弾き飛ばす。警棒はガキンと
固い金属音を立て宙を舞い、地面に落ちた時はぐにゃりとへし曲がっていた。

「あれ?折れなかったか。やっぱ久々にやると思うように扱えねえな」

 曲がった警棒を見て、男達の顔から笑みが消えた。アタイはスカウトの男にニヤリと
笑いかけてやる。男はビクっと身を震わせた。







「ヌンチャクはトッププロに散々練習させられたよ。アクションが派手だし、入場の時や
 パフォーマンスに使えるってしつこく説得されたしな。お前らが仕込んでくれたから、
 おかげでここまで使いこなせるようになったんだぜ?」



 アタイはヌンチャクを超高速で振り回した。ヌンチャクはブォンブォンと轟音を立て、
男達は慌ててアタイから離れる。当たったら痛えぞ。おまけにこちとら久しぶりに使って
コントロールが利かねえから、手加減出来ねえぞ。







「元々お前らに教えてもらったパフォーマンスだ。あれからケンカ用に色々と手を加えて
 少し凶悪になってるけど、アタイの特訓の成果を見せてやるよ」



 脇に挟んでヌンチャクを構え、空いた左手でちょいちょいと挑発してやった。男達は
再び手にした武器を構えて、じりじりとアタイに近づいてきた。



「うおおおおおおおおっ!! 」



 互いの緊張がピークに達した所で、痺れを切らした男の1人がスタンガンを突き出して
真正面から突進してきた。1・2発殴られても、とりあえずスタンガンを当てるのが狙いの
捨て身の作戦だな。工夫のねえヤツだな。







「つまんねえな。アタイはこんなにサービスしてやってるのに、もっと楽しませろよ」



 アタイはヌンチャクでスタンガンを叩き落とし、突っ込んでくる男をさっとかわして
そのケツに蹴りを入れてやった。男はそのまま勢いあまってマンションの壁に激突して
ピクリとも動かなくなった。自爆とかダサすぎだろ。







「せっかくお互い武器を持ってんだ。もうちっと遊ぼうぜ?」



 アタイの挑発を受けて、警棒を持った男が前に出てきた。お、こいつケンカ慣れして
やがるな。アタイとの間合いを慎重に見極めようとしながら、警棒を構えてじりじりと
近づいてくる。武器を持った相手とのケンカを想定した動きだ。







「ヌンチャクの間合いが読めるか?コイツは如意棒みたいに伸縮自在だぜ」



 初見でヌンチャクに対応するのは難しい。使う方もだけど、相手をする方もそれなりの
技量が要求される。男は警棒をフェンシングのように前に突き出し、アタイのギリギリの
距離まで近づいてきた。意外とガードが堅いなコイツ……







(こりゃ『突き』を当てるつもりだな。ヌンチャクを振ればその瞬間にノドか目をやられ
 ちまうか。だったら対応策は……)



 アタイはヌンチャクを挟んだ右腕の脇を緩める。ヌンチャクはぽろりと落ちた。



「もらったっ!! 」



 男はそれを見て、アタイがヌンチャクを振り出すと読んでまっすぐアタイのノドを
めがけて警棒で突きをした。だがこれはフェイクだ。アタイは警棒をしゃがんでかわし、
落ちた方のヌンチャクの一端を左手で持って両手で八の字に構えてから、







「ふんっ!! 」

「がはっ!? 」



 男の鳩尾をヌンチャクの接合部で突き上げた。これはヌンチャクの『突き』攻撃だ。
ヌンチャクにはブンブンと振り回して当てる他にも『突き』や『払い』といった地味な
攻撃もある。映画のイメージが強いからあまり知られてないけどな。






「はいお疲れさん。おやすみっ!! 」

 アタイは足下で蹲っている男の後頭部に、エルボーを振り下ろして地面に叩きつけた。
男は気を失ってピクリとも動かなくなる。これであとは4人だな。

「やれやれ、いざ実戦となると映画みたいに派手なアクションはなかなか出来ねえな。
 これじゃお前らトッププロの理想のアイドル格闘家にはなれねえかな?」

 アタイは軽い調子でスカウトの男に言った。スカウトは他の男達の陰に隠れながら、
声を震わせてアタイに言い返した。






「こ、こっちだってお前に騙された被害者なんだぞ!お前のせいで会社は傾きかけたし、
 業績は悪化するわヤクザにつけ込まれるわで散々だ!」



 ああ、アタイが福岡で大暴れした時にトッププロもその責任を追及されたらしいな。
でもお前らは結局アタイ1人に全部の責任を押し付けて、福岡からトンズラしやがった
じゃねえか。ざまあ見ろだよバーカ。







「確かにアタイもお前らトッププロの話に乗ったから、全くの被害者とは言えねえよ。
 でもアタイはマジで格闘家としてデビューする事を夢に見て頑張ってたんだ。アタイ
 だけじゃねえ、父さんや母さんやクラスの友達や道場のみんなも、アタイを応援して
 くれたんだ。アタイの夢はみんなの夢だったんだよ……」



 ふと気が付けば、アタイの目からは涙がこぼれていた。声もわずかに震えている。あれ?
おかしいな。アタイの中ではもう過ぎた事だってとっくに割り切っていたのに……







「お前らはアタイを騙して逃げただけじゃねえ、アタイから全てを奪ったんだ……っ!!
 家族も!友達も!家も!道場も!学校も!お前らがアタイの人生を狂わせたんだっ!! 」



 アタイは大声で怒鳴りつけた。アタイが上京したのは地元に住めなくなったからという
理由もあるけど、トッププロに復讐してやろうという気持ちもあった。しかし今更そんな
事をしても何も元通りにはならないし、無駄に暴れてムショ行きになるのもアホらしくて
やめた。だけど目の前にトッププロがいると、どうしても怒りが収まらなかった。







「骨の1本2本は覚悟しろよお前ら。アタイはアバラにヒビが入ってもケンカしてたぜ。
 2年経った今でも消えないナイフ傷もまだあるし、降参なんてさせねえからな……」



 男達はアタイの気迫にビビって後ずさる。4人もいるのに情けねえな。全員でアタイに
かかって来たら、もしかしたらワンチャンあるかもしれねえぞ?






 しかし残念ながら、アタイの復讐はパトカー2台と白バイ3台の乱入により時間切れに
なった。どうやら小室が110番をしたらしい。チッ、余計な事しやがって……

「全員今すぐに持ってる武器を捨てろ!」

 警官達に囲まれて、アタイはヌンチャクをゆっくりと地面に置いてから両手を挙げた。
はいはい抵抗しませんよっと。ったく、どうでもいい仕事は早いんだなお前らは。





「あれ?カタギリはいなのかな?」

 ぐるっと周りを見回したが、あの小柄な婦警はいなかった。3ヶ月くらい会ってないけど
いい加減あいつも東京に戻っているだろう。他の仕事で忙しいのかな?

「あ、あの女が俺達に殴り掛かってきたんですよ!」

 スカウトは警官達に必死で大嘘を吐いている。しかしこっちにはマンション入り口を
撮影している監視カメラがあるうえに、小室という目撃者もいるんだ。最悪事情聴取で
署まで連行されるかもしれねえけど、今回は正当防衛だろ。






「だ、大丈夫なのあんた……?」



 管理人室から小室がおそるおそる出て来た。どうって事ねえよ。普段のバイトの方が
肉体的にはキツイくらいだぜ。






「じゃあどうして、あんたはそんなに悲しそうな顔をしているの……?」

 小室はそう言って、ハンカチを取り出して震える手つきでアタイの顔を拭いてくれた。
ハンカチはキレイで柔らかくて、いかにも高価なブランド物って感じだった。アイドルと
して、こんな小物まで気を遣っているんだなこいつは。

「いいよもったいねえ、こんなの適当に拭いときゃ乾くって」

 アタイは小室に背中を向けて、ぐしぐしとパーカーの袖で拭いた。カッコつかねえよな
ホントに。拓海の時も最後にドジ踏んでヒーローになりきれなかったし、こういう役目は
向いてないみたいだな。それにアタイは基本的に悪役ポジションだし。






「お前、今日見た事と聞いた事は誰にも言いふらすんじゃねえぞ」

「言わないわよ。それにこれって機密情報になるんじゃないの?」



 小室が目を向けた先では、警官達がこちらを見ていた。まぁ、それもそうかもな。
お前がトッププロを連れて来たんだし、ちゃんと警察で証言してくれよ―――――?






つづく






***



 アタシと千奈美は警察署にいた……となるはずだったが、何故かそのままマンションに
いた。何故かというとアタシ達がパトカーに乗り込む前に村上建設のベンツが5台やって
来て、先頭のベンツに乗っていた政さんが警察に上手く話をしてくれたからだ。

「寮の防犯カメラは村上建設の本社からも見れるようになっとるんですわ」

 政さんが警察と話をしている間、政さんの部下のヤスさんが教えてくれた。千奈美も
警察に電話した後に村上建設にも連絡を入れていたらしく、政さんに状況を詳しく説明
していたそうだ。だから寮に到着した時には、政さんは全てを把握していた。







「小室さんは自分はCGプロをクビになっても警察に行ってもいいから、アヤさんだけは
 絶対守って下さいってワシらに必死に頼んではりましたよ。自分のせいでアヤさんまで
 迷惑かけるわけにはいかんと言いましてな」



 小室に聞こえないように、ヤスさんはこっそり教えてくれた。マジかよ、アタシはまだ
あいつから礼すら言われてないんですけど。まぁ別にどうでもいいけどさ。







「おうヤス、話は終わったぞ。今からトッププロさんと本社でじっっっくり話し合うから、
 お前はトッププロさんのハイエース運転しろ」



「へい。それじゃあアヤさん、申し訳ありませんが午後からも引き続き管理人をお願い
 しやす。ワシらは今から拷問…じゃなくて仕事ですから」



 政さんに呼ばれ、ヤスさんはアタシに一礼して走って行った。今回の事件は村上建設と
トッププロの間でマンションの住民(小室)の契約に関する行き違いがあり、少々小競り
合いが起きたものの警察のお世話になるほどではないという話に落ち着いた。






「どうもお騒がせしてすんませんでした。そんじゃ行きましょかトッププロさん」

「ひ、ひいぃぃ……」

 警察には体を小さくして何度も頭を下げる一方で、トッププロには元ヤクザの威圧感で、
部下達と有無を言わせずに笑顔で脅す政さんはすげえと思った。トッププロの男達は車を
取り上げられ、村上組のベンツに押し込まれて寮の前から姿を消した。このままこの世の
中から姿を消さなければいいけど……





「それでは本官達もこれで失礼します。また何かあればご連絡を」

 政さん達が帰った後、さっさと落ちていた警棒やスタンガンを回収して何事もなかった
かのように帰ろうとする警官達を見て(ヌンチャクは返してくれた)、アタシはパトカーに
乗り込もうとしていた警官の1人に思わず声をかけてしまった。

「あの、アタシが言うのもヘンだけどさ、ホントに警察に行かなくていいのか……?」

 アタシがそう言うと警官はいたずらっぽくニヤリと笑って、他の警官達を先に帰らせて
からこっそりと教えてくれた。





「本来ならばご同行して戴きたい所ですけど、トッププロの強引な勧誘方法は警察にも
 度々苦情が来てましたので彼らには良い薬になったでしょう。それに村上組…いえ、
 村上建設には以前横浜の暴走族が来た時に捜査協力をしてもらった借りがあります。
 あまり大きな声では言えませんけどね」

 おいおい、そんな事をアタシにバラしちまっていいのかよ。看板降ろしてるとはいえ、
元ヤクザと警察が仲良しなんてあまり感心出来ねえな。

「世の中は持ちつ持たれつですから。世間的には許されないかもしれませんが、事情が
 あれば手を組む事がありますよ。私達と村上建設は片桐先輩に、くれぐれもあなたを
 お守りするように言われてますから。青島綾さん」



 アタシはびくりと身を震わせた。ていうかさっきこの警官、拓海の事件の時の話をして
いたじゃねえか。バリバリ当事者のアタシの事を知らないわけがねえ。






「ていう事は、アタシはこのマンションで村上建設とカタギリに守られてるって事か?
 それともアタシが昔みたいに暴れないように見張ってるのか?」

「両方ですね。青島さん…今は桐野さんでしたか。警察内にはあなたの身柄を福岡県警に
 引き渡すべきだという意見もありますが、片桐先輩はそれに反対しています。あなたを
 そのような危険な存在にしてしまったのは私達にも責任がありますから」



 警官はあの時ファミレスで見たカタギリと同じ目をしていた。真剣でまっすぐで、でも
どこか申し訳なさそうな色をした複雑な目だった。







「あなたが今後どうなるかはまだ分かりませんが、ご自身の立場が非常に危うい事は自覚
 して下さい。前回の暴走族の件の時も今回も、運よくあなたを守ろうとする人達が先に
 到着してうまく収めただけに過ぎません。くれぐれも注意して下さいね」



 最後にアタシにきっちりと釘を刺して、警官はパトカーに乗って走り去って行った。
注意しろって言ったって拓海の時はアタシも拉致られたんだし、トッププロの連中は
凶器持って襲って来たんだぞ?どうしろってんだよ。







「ったく、色々と面倒な事になってきたな……」



 アタシはポリポリと頭をかいて、寮に戻った。入り口近くには小室がスーツケースを
椅子にして座っていた。どうやらもう出て行くつもりはないみたいだ。







「管理人室来るか?茶くらいなら出すぞ」



 アタシが声をかけると、小室は黙ってついて来た。さてと、ヤスさんの話では30分
ほどでプロデューサーが来るらしいが、それまでこいつと何を話そうかな―――――






つづく






***



「ほらよ。砂糖とかミルクとかは好きに入れろ」



 小室の前にブラックコーヒーを置いてやる。若い女の子だったら紅茶の方がいいかも
しれないけど、村上建設の人もアタシもコーヒー派だからコーヒーしかない。政さんは
アタシに気を遣って砂糖とミルクも置いてくれてるけど、あいにくアタシもブラック派
だから全く使ってなかった。

「はぁ~、やれやれ、今日はいつまで管理人やってりゃいいんだ?」

 アタシは濃い目に淹れたコーヒーを飲む。昨日は徹夜だったから眠いんだけどな。






「…………にがい」

「あん?」

 小室の方を見ると、アタシと同じようにコーヒーをブラックで飲んでいた。おいおい
無理すんなよ。カッコつけないで砂糖とミルクいっぱい入れとけ。

「にがい…… にがい……」

 しかし小室はアタシの言う事を聞かず、ちびちびとブラックコーヒーを飲み続けた。
よく見るとカップを持つ手が震えている。にがいにがいと呟いていた声も、だんだん
涙混じりになってきた。やれやれ、可愛げのない女だな。






「苦いなら無理して飲むなよ。アタシが淹れたコーヒーがマズイみたいじゃねえか」



 小室はようやく全て終わって、緊張の糸が切れたのだろう。誘拐されそうになって、
アタシがヌンチャクぶん回して大立ち回りやらかして、警察と村上建設がやって来て、
よっぽど怖かったみたいだ。しかしその気持ちをアタシに気付かれたくないみたいで、
苦いコーヒーのせいにして全てを必死に飲み込もうとしていた。







「ぐすっ、えぐっ、にがい……」



「はいはい悪かったよ。今度出す時は砂糖たっぷり入れてやるよ」



 アタシは泣いている小室に気付かないフリをして、窓の外をぼんやり見ていた。







―――



「ねえ、ひとつ聞いてもいいかしら?」



 10分ほどしてようやく落ち着いた小室が、唐突にアタシに質問してきた。

「内容によるな。さっき見た事と聞いた事は忘れろって言ったのは憶えてるか?」

余計な事を聞かれると面倒になりそうなので、アタシは牽制した。






「私があんたに言われたのは、見た事と聞いた事を誰にも『話すな』って言葉だったと
 思うけど。『忘れろ』とは言われてないわ」

 アタシの目をまっすぐに、見て小室はきっぱりと言った。そうだっけ?

「まあいいか。ひとつだけだぞ」

 何を聞くつもりやら。いざとなったらしらっばっくれて……






「あんた、『V-1』の選手だったの?」



「…………」



 そういえばこいつ、業界長いって聞いたな。だったら知っててもおかしくないか。さて
どうしようか。下手にごまかせば墓穴を掘っちまいそうだし、ここは……

「ああそうだ。トッププロにウチの選手にならないかって誘われてたよ。でもV-1自体が
 開催前に潰れちまったから、結局その話はなかった事になったけどな」

 アタシは半分だけ本当の事を言った。この答えは別に間違ってはいないしな。アタシは
確かに昔トッププロのファイターとして、V-1参加に向けて専用のジムでトレーニングを
していた事がある。それでアタシとトッププロの関係は説明がつくはずだ。






「潰れた?あんたが『潰した』んじゃないの?私も噂程度しか知らないけど、V-1選手の
 1人がデビュー前の売名の為に九州で大暴れしたって聞いた事があるわ。その選手って
 あんたの事だったんじゃないの?」



 小室は確信を持った口調で言った。さっきまで泣いてたくせに、やけに強気だなおい。
ここでアタシがキレてぶん殴られるとか思わないのか?






「アタシはひとつ答えたぞ。それ以上は知らねえ」

 どう答えてもドツボにはまりそうだったので、アタシは適当に言ってかわす事にした。
しかし小室はそれ以上聞いてこず、「そう」とだけ答えて引き下がった。

「あんたがどんな人間であろうと、私を助けてくれた事には変わらないわ。あんたには
そんなつもりはなかったのかもしれないけど、でも………… ありがと」

 小室はそう言ってぷいっとそっぽを向いた。それでお礼を言ったつもりかよ。ったく、
これだから今時のガキは…… って、こいつアタシと同じ19歳だったか。





「そんな事よりお前これからどうすんだよ?ここを出ても他に行くアテでもあんのか?
 お前がどうしてもそうしたいんだったら、アタシは止めないけどさ」

 アタシがそう言うと、小室は憂鬱そうにため息をついた。もうすぐプロデューサーが
来るけど、また昨日みたいに大ゲンカして部屋から追い出すつもりか?

「言っとくけどCGプロにはさっきのゴタゴタも全部耳に入ってるから、言い逃れとか
 絶対に出来ないぞ。ちゃんとプロデューサーに説明してやれよ」

「わかってるわよ。全部私が悪いんだし、自分の責任くらい自分でとるわ」

 どうやら小室はCGプロを辞めるつもりらしい。最初はそのつもりはなかったのかも
しれないけど、こんな大事件を引き起こしたのだから今更事務所にいられないと思って
いるのだろう。でもこのまま小室が辞めるのは、何となくだけど面白くないな。






「なあ、アタシからもひとつ聞いてもいいか?」



「何よ?」



 アタシは小室に聞いてみた。こいつが今回の事件を引き起こしたそもそもの原因を。
昨日彩華と美波が推測していた、小室のスランプの原因を―――――







「お前、プロデューサーの事が好きなのか?」

「な……っ!? 」



 小室は顔を真っ赤にして絶句した。彩華、それと美波。お前らの言ってた事は間違って
なかったぞ。そういえば、朝に詩織も似たような事を言ってたっけな。お前は隠している
つもりだったのかもしれないけど、結構バレバレじゃねえか。







「アタシはそういうのあまり詳しくないけどさ、そういう気持ちを抱えたまま辞めても
 後々ずっと後悔するんじゃねえのか?もしお前のスランプの原因がそれなら、辞める
 前に本人に気持ちをぶつけてもいいと思うけどな」



 小室は顔を真っ赤にしたまま、酸欠の金魚みたいに口をパクパクしていた。どうして
アタシはこんなお節介な事をこいつに言ってるんだろうな?こいつにはアタシみたいに
逃げて欲しくないからかな―――――






つづく






***



「あ、あんたに何が……!」

 小室はアタシに何か言い返そうとしたけど、それっきり言葉が続かずに顔を赤くしたり
青くしたりして、最後には白くなって黙ってしまった。どうやら否定はしないみたいだ。
もっと男慣れしてると思っていたんだが、意外と純情なんだな。

「ウソでもあの人の事を嫌いだなんて言いたくないのよ。今まで言い寄って来た男達は
 沢山いたけど、あの人は誰とも違った。いつも真剣になって私に向き合ってくれたし、
 私を本当に大事にしてくれたの。ただしアイドルとしてだけどね……」

 小室はぽつぽつ話し始めた。つまりビジネスライクな関係を勘違いしちまったのか?
業界長いくせに感情の切り替えが出来なかったのかよ。







「業界が長いからこそ、私はあの人のプロデュースの腕に惚れ込んだのよ。今までも
 何人かプロデューサーがついた事はあったけど、あの人以上に私をわかってくれた
 プロデューサーは他にいなかったわ。あの人といればトップアイドルになれるって
 本気で思えたし、ずっとあの人と一緒に仕事がしたかった……」


 
 小室は唇を噛んで悔しそうな顔をした。最初は1人のアイドルとしてその手腕に
惚れたのが、いつの間にか1人の女としてプロデューサーを意識するようになった。
自分の事をよくわかっていて自分の夢を一緒に叶えてくれる。そう考えると小室が
惚れちまうのも無理ないか。仕事とはいえプロデューサーってのも罪な男だな。







「あの人を意識しすぎて、あの人が近くにいるだけで体が思うように動かなくなって
 しまったの。簡単なステップが踏めなくなって、歌声も震えるようになっていたわ。
 最近はあの人が近くにいなくても、あの人が作ったレッスンプログラムってだけで
 もうダメになっていたの。だから事務所にも行けなくなったわ」



 どんだけベタ惚れなんだよ。もはや恋の病ってレベルじゃねえな。初恋フィーバーの
女子中学生でもお前よりはもう少し冷静だと思うぞ。







「しょうがないじゃない、私はあの人のプロデュースにも惚れてるのだから。でも私は
 トップアイドルになる夢を諦めたくないのよ。このままあの人の近くにいると、私は
 アイドルとしてダメになってしまう。でも私のプロデューサーはあの人以外考えられ
 ないし、もうどうすればいいのか自分でもわからないのよ……」



 小室はため息をついてうつむいた。それで出した結論が今の状況か。小室は公園や
カラオケBOXで1人で練習をしていたらしい。そこをトッププロに目をつけられて、
事務所に連れ込まれたそうだ。お前も脇が甘いんだよ。






「とにかく問題を先延ばしにしてるだけで、そろそろお前の精神も限界が来てるだろ。
 アイドルどころか日常生活にまで支障が出てるし、いい機会だからこの辺りで本人に
 気持ちを伝えればお前も楽になるんじゃねえのか?」

「そうね。トップアイドルになる夢を諦めれば、私も楽になれるかしら……」

 小室が遠い目をして自嘲気味に笑う。待て、何かおかしな方向に楽になろうとして
ないか?アタシは電車のホームに向かってお前の背中を押すつもりはねえぞ。





「どうして夢を諦めるのが前提なんだよ。アイドルとプロデューサーだからそういう
 関係になるのは難しいかもしれないけど、他にも解決策があるかもしれないだろ?
 プロデューサーにもどうすればいいか一緒に考えてもらえよ」

「今まで散々迷惑をかけて今日も警察沙汰を引き起こしたのに、今更何を一緒に考えて
 もらえばいいのよ…… あの人はアイドルを恋愛対象として見るような人じゃないし、
 私の事なんてとっくに愛想が尽きてるわ……」

 小室はひざを抱え、顔を埋めて小さくなってしまった。ったく、いつまでもウジウジ
しやがって。愛想が尽きているなら昨日の夜に、アタシや彩華や美波と一緒にあんなに
遅くまで悩んだりしねえよ。それにあのプロデューサーは、全く関係ないアタシにまで
お節介を焼こうとする底抜けのお人好しだしな。






「おい、千奈美」



 急に名前を呼ばれて、小室は驚いたように顔をあげた。アタシはそのマヌケな顔に
いつかのカタギリみたいに笑いかけてやった。

「賭けてもいいぜ。プロデューサーは寮に着いたらまずお前を力いっぱい抱きしめる」

「な……っ!? 」

 小室は再び顔を真っ赤にした。ちょっとは元気が出て来たかな?







「恋愛感情を抜きにしてもお前はそれくらい大事にされてるよ。そうじゃないと仕事を
 途中で放り出してまで、あんなに必死で車飛ばして来ねえだろ」



 アタシは外に目を向けた。すると寮の駐車場にちょうどプロデューサーの車が入って
来る所だった。荒い運転で車体にはところどころ傷がついている。この寮は狭い裏道の
袋小路に建ってるから、気を付けないとすぐに壁にこすっちまうんだよな。







「惚れた男だったらあまり心配をかけてやるなよ。それにお前もプライドがあるなら、
 メソメソしてないでカッコ良く告白してカッコ良くフラれろって。ついでにどうせ
 フラれるんだったら、抱きついて来た瞬間に―――――」

 車から降りて来たプロデューサーが、血相を変えて管理人室に向かって走って来る。
アタシは小室の耳元でそっと囁いてやった。



「―――――事故のフリしてキスのひとつでもかましてやれ」






つづく






***



「あっはっは!よく頑張ったじゃねえか!だからそう落ち込むなって!」

 プロデューサーが帰った後、アタシは談話スペースで小室を慰めていた。とりあえず
小室はプロデューサーの説得の甲斐もあってCGプロでアイドルを続ける事になり、
寮にも今までと同じように住む事で落ち着いた。

「うるさい……」

 隣に座った小室は鋭い目つきでアタシを睨む。落ち込んだり怒ったりしてるという
よりは、恥ずかしいのを必死に我慢してるみたいだった。







「でもキス出来たんだし、よかったじゃねえか」



「~~~~~っ!! 」



 小室は顔から火を噴き出すんじゃないかと思うくらい真っ赤になって、アタシの腕を
無言でべしべしと平手で叩いた。痛い痛い、まぁ落ち着けよ。






「でもあと3センチくらいズレたら唇だったのに惜しかったよな。あんな至近距離で
 外すなんて、お前ダーツとかヘタクソだろ?」

「わ、わざと外したのよ!それからダーツは得意よ!」

 小室がキーキーと反論する。何のアピールだよ。ちなみにプロデューサーはアタシの
予想通り、小室の顔を見た瞬間力いっぱい抱きしめた。小室はそのドサクサにまぎれて
キスを狙ったものの、ほんの一瞬迷って結局プロデューサーの頬にキスをした。





「まさか本当にキスするとはな。アタシは冗談で言ったつもりだったのに、真に受けて
 実行するとは思わなかったぜ。お前意外と単純というかバカだな」
 
「冗談だったの!? ホント最っ低!! あんたなんて死んじゃえばいいのよ!! 」

 小室は再びべしべしアタシの腕を叩く。悪い悪い、でもお前もスッキリしただろ?
プロデューサーも真っ赤になってたし、少しはお前を女として意識したって。





「まぁ結局フラれたけど結果は悪くないんじゃね?『すまない千奈美。お前の気持ちは
 とても嬉しいが、俺はお前の恋人になれない。だが俺は、お前をアイドルとして恋人
 以上に大事にすると約束する。だからお前も、俺をプロデューサーとして恋人以上に
 信頼してくれないか』だっけ?」

「うううううぅぅぅぅぅんんんんん……」

 小室は頭を抱え、よくわからないうめき声をあげた。とにかく恋人よりも大事にして
くれるんだったらそれでいいじゃねえか。プロデューサーもフったというより、小室の
気持ちを最大限に尊重してくれたような感じだった。





「こうなったら1日でも早くトップアイドルになって、プロデューサーを私の専属Pに
 してもらうわ。事務所の稼ぎ頭になれば社長も私に逆らえないでしょうし、私だけを
 プロデュースするようになればあの人の意識も変わるはず……」

「よし!それじゃアタシは美波を応援するか!」

「どうしてよ!? そこは私を応援する流れになるでしょ!? 」

 アタシのボケに素早く小室がツッこむ。冗談だって、だけどアタシはこの寮の管理人
として、みんな平等に応援するって決めてるんだ。まぁお前も頑張れ。






「とにかく明日からちゃんと事務所に行けよ。ついでに寮を出て行く時は、行き先と
 帰宅時間をしっかり管理人室に報告しろ。それがここのルールだからよ」



 アタシは談話室のソファから立ち上がった。さてと、そろそろ仕事に戻るか。さっき
村上建設から18時までお願いしますと電話が入った。あと3時間ちょい頑張るか。







「ねえアヤ」

「なんだ千奈美」



 ごく自然に名前で呼ばれて、アタシもごく自然に名前で返した。こいつとはこういう
やりとりの方がしっくり来る気がした。アタシはトッププロとの過去、こいつは告白の
シーンとお互いに秘密を見たから仲間意識みたいなものが出来ちまったのかな。







「さっきプロデューサーが帰る前に2人で話をしてたけど、何を話してたの?」



「何でもねえよ、ちょっとした世間話だ」



「ふ~ん……」



 千奈美は納得しない様子でアタシの目を見る。お前何か変な勘違いでもしてんのか?
アタシとプロデューサーはそういう関係じゃないぞ。







「違うわよ。何となく気になったの。プロデューサーもアンタも空気が重かったから、
 警察からよくない連絡でもあったのかなって」



 ちっ、気付かれちまったか。いやプロデューサーのせいか?アタシもちょっと動揺
したけど、顔には出さないようにしてたのに。






「お前が気にするような事は何もねえよ。今更警察に呼び出されたって誰が行くか。
 アタシの事なんて気にしないで、明日からの自分の事でも考えてろ」

 アタシはそれだけ言って管理人室へ戻った。部屋の中には千奈美とプロデューサーの
空になったコーヒーカップが仲良く並んでいた。何となくその光景が、昔福岡の実家で
よく見た父さんと母さんの湯呑みに見えて少し胸が熱くなった。

「……片付けるか」

 窓際の棚に置いてあったアタシのコーヒーカップも回収して、管理人室の中にある
小さなシンクで3つのカップを洗う。カップを洗いながら、アタシはさっき千奈美が
言ってたプロデューサーとの会話を思い出していた。






―――



『片桐さんから伝言を預かっています。『大和亜季を見つけたから近々連れて来る』と
 仰ってました。大和さんも快く引き受けてくれたそうです』
 
『……トッププロが作り上げた架空の人物だと思ってたんだが、実在してたのかよ。
 でもそんな女を今更連れて来たところで一体何が変わるって言うんだ?それにもし
 トッププロが言ってた事が本当だったら、そいつのせいでアタシは……!! 』

『……桐野さんも思うところはあると思いますが、片桐さんも俺もあなたを助けたいと
 思ってます。その為にはどうしても、桐野さんが引き起こした2年前の事件の真相を
 明らかにしなければいけません。彼女はその為の重要な証人です』






 
『あんたもカタギリもホント余計な事ばかりしやがって…… アタシがいつそんな事を
 してくれって頼んだんだよ。お前らはアタシを一体どうするつもりだ……?』



『詳しい話は、片桐さんが大和さんを連れて来られた時に改めて致しましょう。今日は
 ひとまずご報告だけしておきます。それから拓海に続いて千奈美まで助けて戴いて、
 本当にありがとうございました。桐野さんには返しきれないほど恩がありますから、
 俺はどんな手段を使ってもあなたを必ずお助けします。それでは―――――』







―――



「いよいよアタシも年貢の納め時かな……」



 コーヒーカップを水切りかごに入れて、アタシはため息をついた。いつか政さんが
言ってた『現実と戦う時』がすぐ近くに迫っている気がした―――――






Cross2.小室千奈美 おわり

Cross3.大和亜季 に続く






Cross3.大和亜季



 千奈美の一件があってから数日後。カタギリはいきなり現れた。



「ア~ヤちゃ~ん♪ 」



 アタシが村上建設の従業員と管理人の交代と引き継ぎをしてた昼過ぎに、カタギリは
ボロボロの自転車に乗ってぶんぶん手を振りながらやって来た。






「今度はバイク事故でも起こしたのかよ。そんなチャリで来るなんて、警察もよっぽど
 金がないみたいだな」

 およそ3ヶ月ぶりに会うカタギリに言いたい事や聞きたい事はいっぱいあったけど、
相変わらずの人を食ったような笑顔がムカついたのでまずイヤミを言ってやる。

「これアヤちゃんの自転車よ。半年ほど前に交番に紛失届出してたでしょ?」

 カタギリはきょとんとした顔で言った。アタシのチャリかよ!? けどよく見ると確かに
どことなく見覚えがあるような。買ったばかりだったのにひでえ有様だ。





「もっと早く見つけて欲しかったぜ。こんなチャリ恥ずかしくて乗れるかよ」

「こらこら、そんな事言ったらこのコが可哀想でしょ?ちょっとキズついちゃったけど
 ブレーキやギヤは修理してあげたし、ライトもちゃんと点くわよ。頑丈なカギも付け
 といてあげたから、今度は盗られないように大事にしてあげなさい」

 カタギリは駐輪場にアタシのチャリを停めた。まぁいいか、チャリがあるとアタシも
生活がいくらか楽になるしな。見つけてくれてありがとよ。

「ところで今日はお前1人なのか?」

 アタシはカタギリに聞いてみる。カタギリは私服で、パトロールのついでに来たって
感じではなさそうだ。だとしたら『例の件』で来たのかと思ったのだが……





「今日は別件よ。亜季ちゃんなら明後日に日本に来るからもうちょっと待ってて☆」

 カタギリはウィンクをして言った。アタシにとってはそんなに愉快なイベントじゃ
ないんだけどな。ていうかまだ日本に帰って来てないのかよ。

「あの子アメリカで何してたと思う?サバゲー好きが高じてそのまま民間の傭兵会社で
 働いてたのよ。G.I.ジェーンにでもなりたかったのかしらね」

 噂以上にぶっとんだ女だな。昔トッププロに大和亜季の事を聞いた時はそんな女が
実在するかよって信じてなかったけど、どうやらガチのミリオタらしい。






「そんなヤツがこんなつまんねえ事の為にホントに日本に帰って来るのか?アタシは
 別にどっちでもいいけどさ」

 

 アタシがそう言うとカタギリはふと真顔に戻って、それから小さく笑って言った。






「大丈夫よアヤちゃん、あたしに任せなさい。亜季ちゃんは『全ての始まり』だから、
 アヤちゃんは絶対に会わなくちゃダメよ。それに亜季ちゃんもアヤちゃんに会って
 みたいって言ってたわよ」

「はんっ、今更どのツラ下げてアタシの前に出て来るんだよ。言っとくけどアタシは
 大和亜季と馴れ合うつもりなんてこれっぽっちもねえからな。お前が言ったように
 そいつが全ての始まりだったら、『元凶』そのものじゃねえか」



 アタシはイライラを隠さず吐き捨てるように言った。カタギリはやれやれとため息を
ついて、アタシの肩をぽんと叩いて寮の中に入って行った。






「今日はこの寮の子達とパーティーの打ち合わせがあるから、中で待たせてもらうわね。
 パーティーは明日やるから色々準備が忙しいのよ」

 そういえばカタギリはCGプロのアイドルと面識があるんだっけ?拓海や巴の事は
よく知ってるみたいだったし、美波や彩華達とも知り合いだったのか。

「あんまりうるさく言いたくはねえけど、みんなを夜遅くまで連れ回すんじゃねえぞ。
 アタシも一応この寮の管理人だし、住民に何かあったら困るんだよ」

 カタギリは警察だから、未成年の美波達に酒を飲ませる様な事はしないと思うけど。
いや、でも不良警官だから信用出来ないか……?






「心配しなくても大丈夫よ。パーティーはここでやるし♪」



「…………は?」



 アタシは一瞬脳が停止した。『ここ』って、この寮でやるのかよ?







「談話スペースのソファーとか全部どけて、テーブル並べてご馳走を運んで大宴会よ!
 あ、ついでにアヤちゃんも強制参加だからね。アヤちゃんが明日のファミレスバイト
 休みなのはとっくに調べがついてるんだから♪」



 いつかの時みたいに指で銃を作って『バン☆』と撃つポーズをするカタギリを前に、
アタシはバカみたいに突っ立たまま何も言えなかった。前に拓海がカタギリの名前を
聞いた途端に諦めムードになったのが分かった気がした―――――






つづく






***



「あちゃ~、こりゃ談話スペースだけじゃ入りきらないかな~……」



 次の日の夕方、カタギリは苦笑いをしながら集まったパーティー参加者を見て言った。
当初の予定ではパーティー参加者は50人くらいだと聞いていたのに、いざ開いてみると
寮には軽く200人以上集結した。昼過ぎから寮の談話スペースを片付けて料理や飲み物を
準備してるのに、明らかにキャパオーバーだ。






「どうすんだよカタギリ!! スペースも料理も全然足りねえぞ!? 」

「聞いてないわよこんなの!! これじゃいつまでも準備が終わらないじゃない!! 」

 千奈美とパーティーの準備をしながら、アタシはカタギリに文句を言った。アタシと
CGプロのアイドル7人はパーティー会場の準備担当で、セッティングが終わってから
パーティーに参加する話になっていた。美波や彩華達も忙しそうに走り回っている。





「こりゃ予定変更ね。アヤちゃん達はここまででいいわ。どうもありがとね☆ 」

 しかしカタギリは余裕の笑みを崩さず、アタシ達にウィンクしてからパーティーの
参加者の中にいた若い男のグループに声をかけた。

「あんた達、悪いけど手伝ってくれない?とりあえずパーティーの会場を駐車場まで
 広げるから、署の会議室から長机テキトーにパクってきて」

 カタギリが声をかけたのは警察の一団だった。どうやら全員カタギリの部下らしい。
私服姿でわからなかったが、トッププロの件で通報を受けて来た警官もいた。





「もうとっくに取りに行かせてますよ。何となくこうなりそうな気はしてましたから。
 ついでに酒と料理の手配も交渉中です」

 アタシに釘を刺した警官が笑いながら言った。後ろでは仲間の警官達が携帯電話を
片手に忙しそうに電話をかけまくっている。制服着てないと普通の兄ちゃんだな。

「お、気が利くねえ。あんた出世するわよ♪」

「先輩の部下になった時点でとっくに出世コースから外れてますよ。な?」

 警官が後ろに向かって呼びかけると、仲間の警官も一緒に笑った。お前らそれで
いいのかよ。不良警官の部下は全員問題児って事か。






「酒と飯はワシらが手配しますわ。ヤス、萩原組にも連絡して急いで準備せえ」

「へい」



 カタギリ達の会話を近くで聞いていた政さんと村上建設の従業員達も動き出した。
政さん達は最初参加者側にいたが、いつの間にか準備を手伝ってくれていた。






「悪いわね政さん。でもあたし昔から萩原組とは仲悪いから無理してもらわなくても
 いいわよ。後々付き合いとか大変になるでしょ?」

「何をおっしゃいますか。片桐さんの新しい門出のお祝いですから、ワシらも精一杯
 気張らせてもらいまっせ。萩原の組長も、片桐さんが二度と警察組織に戻ってこん
 ようにド派手祝ったれって言うとりましたから、いくらでも手貸してくれますわ」


 
 政さんはそう言って豪快に笑った。今日のパーティーはカタギリの退官祝いだった。
カタギリは1ヶ月ほど前に警察を辞めたらしい。だが本人は変わらず明るくしてるし、
周りも悲しむ様子が全くないからアタシはまだ信じられないけど。






「どうしてサツを辞めたんだよ、カタギリ……?」

 元部下の警官達や政さん達にテキパキと指示を飛ばすカタギリを見ながら、アタシは
ぽつりと呟いた。その質問はなぜか怖くてカタギリに聞けなかった。

「どうしたのあんた?顔色が悪いわよ」

 隣にいた千奈美が心配そうに言った。なんでもねえよ、ちょっと疲れただけだ。





「後は片桐さん達に任せましょう。みんな先に休んでるわよ」

 千奈美が目を向けた先には、物置と化したトレーニングルームの隅っこで美波達が
へたり込んでいた。文香はすっかりのびていて、音葉と詩織に介抱されている。

「プロデューサーも顔を出すって言ってたけど遅いわね。この人数だと来ても簡単に
 見つからなさそうだけど……」

 千奈美はパーティーの参加者を遠巻きに眺めて言った。このパーティーの参加者は
カタギリが警官時代に知り合った人達らしく、後輩の警官や政さん達の他は商店街や
地域の住民や、カタギリが逮捕・補導した前科者や元ヤンもいるらしい。10年も街で
お巡りをやってると、これくらい知り合いが出来て当然だとカタギリは言った。





「サツやめてどうするんだろあいつ……?」

「さぁね。でも片桐さんなら何でも出来るんじゃないかしら。ローカルなアイドルより
 人気がありそうだし、バイタリティや行動力も普通の人よりも高そうだから、どんな
 仕事でもきっと成功するわよ」

 アタシの独り言に千奈美は答えた。そうだな、ここに来てるヤツらは全員カタギリの
ファンみたいなもんだし、アイツが再就職で困るような事があれば誰かが助けてくれる
だろう。アタシなんかがあいつの心配をしてやる事もないよな。






 だけどそう思う一方で、アタシはカタギリが辞めたのが心の中でひっかかっていた。
根拠はないけど、カタギリが辞めたのはアタシのせいじゃないかと思っていた。
カタギリは何も言わないし、何を考えてるのかアタシにはさっぱり分からないけど。



 どうしてサツを辞めたんだよ、カタギリ―――――?






つづく





訂正>>401

「何をおっしゃいますか。片桐さんの新しい門出のお祝いですから、ワシらも精一杯
 気張らせてもらいまっせ。萩原の組長も、片桐さんが二度と警察組織に戻ってこん
 ようにド派手祝ったれって言うとりましたから、いくらでも手貸してくれますわ」





「何をおっしゃいますか。片桐さんの新しい門出のお祝いですから、ワシらも精一杯
 気張らせてもらいまっせ。萩原の組長も、片桐さんが二度と警察組織に戻ってこん
 ようにド派手に祝ったれ言うとりましたから、いくらでも手貸してくれますわ」






***



「カンパ~イ!」



 パーティーは予定より30分遅れで始まった。もっと準備に手間取るかと思ったけど、
たった30分で会場を広げ、料理も酒も揃えたカタギリ軍団の力はすごいを通り越して
もはや怖かった。ボスのカタギリは『私が主役』とでっかく書かれたタスキをかけて、
酒瓶を片手にあちこちで参加者と乾杯をしていた。

「アヤちゃんビールなくなっちゃった~!なんでもいいからお酒もってきて~!」

 そして酒が無くなるごとにいちいちアタシを呼びつける。アタシはコンパニオンじゃ
ねえっての。いいようにこき使いやがって。






「あの、私が……」

 文香が日本酒の瓶を持ってカタギリの所に行こうとしたが、アタシは引き留めた。

「いいっていいって。文香はうまいもんでも食ってゆっくりしてな」

 アタシは文香から日本酒を受け取る。いつも談話室で大人しく本を読んでるような
子なのに、こんな役割はあんまり得意じゃないだろ。





「で、でも彩華さんや美波さんもお手伝いしてますし……」

「あいつらは好きでやってるからいいんだよ。しかし彩華のやつ、ああしてるとまんま
 キャバ嬢だな。アイドルより向いてるんじゃねえのか?」

 美波と彩華と朋は、参加者達にお酒をついだりしながらパーティーを楽しんでいた。
彩華はいつの間にかドレスに着替え、パーティー参加者のホステス軍団と一緒になって
他の参加者をもてなしている。まさかこのまま転職しないだろうな?

「楽しみ方は人それぞれよ。音葉と詩織はあっちでゆっくり楽しんでるし、あんたは
 あんたのやりたいようにパーティーを楽しみなさい」

 大皿を持った千奈美が文香に言った。千奈美はアタシと一緒にコンパニオンをしてる。
愛しのプロデューサーが来た時の為に女子力アピールでもしてるのだろうか。





「す、すみません、 私こういう場にあまり慣れてなくて……」

 文香は申し訳なさそうに指をもじもじしながら言った。ああ、言われなくてもよ~く
わかるぜ。プロデューサーはどうやってこの子をアイドルにスカウトしたんだ?

「まぁ無理にとは言わねえけど、適当に会場をうろついて雰囲気ぐらいは楽しめよ。
 これからアイドルをやってくなら慣れといて損はないと思うぞ」

 アタシは文香の肩をぽんと叩いて笑いかけてやった。あ、でも酒は飲むんじゃねえぞ?
一応未成年だし、プロデューサーも後で来るらしいからな。気分が悪くなったらいつでも
アタシに遠慮なく言ってくれ。





「アヤちゃんまだ~?」

 カタギリが催促してくる。はいはいすぐ行くよ。千奈美、悪いけどそこの取り皿も
何枚か持って来てくれ。あっちのテーブルもうなさそうだからさ。

「あんた意外と気が利くのね。こういう仕事向いてるんじゃない?」

 千奈美が感心したように言った。アタシがどれだけ飲食店のバイトしたと思ってんだ。
無意識にそういう所が気になってパーティーを楽しめないのが悲しい性だけどな。






―――



「おう、久しぶりじゃのう」

 パーティーが中盤に差し掛かった頃、洗い場で皿を洗ってると巴が来た。龍の刺繍が
入ったスカジャンを着て、広島風お好み焼きを2つ持って堂々と立っている。

「ちょっと休憩せえや。政のお好み焼きはうまいで」

 巴はそう言って、アタシにお好み焼きをひとつ差し出した。そういえば会場の端に
縁日で見るようなテキヤの屋台があったな。政さんはいつの間にかお好み焼き職人に
ジョブチェンジしていたらしい。いや、テキヤだから本業に戻ったのか?






「お前ひとりか?付き人なしで大丈夫かよ」

「いらん。ここにはいろんなヤツがおるけど、悪いヤツはおらんよ」

 アタシと巴は車止めのブロックに並んで座って、お好み焼きにかぶりついた。ガキの
くせに相変わらず肝が据わってやがる。可愛げのねえヤツだぜ。





「前に会うた時よりええ顔になったのう。仲間が出来てちっとは強うなったか?」

 巴がにやりと笑う。うるせえ、アタシを群れなきゃ何も出来ねえヤンキーと一緒に
するんじゃねえ。アタシを手なづけたと思ってたら大間違いだぜ。

「アタシに何か話があるから来たんじゃねえのか?さっさと言えよ」

 お好み焼きを食べながら巴に話をふる。巴はちらりと遠くでどんちゃん騒ぎをしてる
カタギリの姿を確認してから、アタシの方に向き直った。






「ウチはコソコソするのは好きやないから教えたるわ。実はこの会場に……」



「大和亜季が来てるんだろ。とっくにわかってるよ」



「なっ!? お前、亜季に会うたんか!? 」



「会ってはいねえよ。でもさっきからちくちくと妙な視線は感じるぜ」



 巴は目を丸くして驚いた。アタシが気付いてないと思ったのかよ。ここ2年ずっと
人目を気にして生きてきたから、それくらいわかるっての。うまく隠れてるみたいで
本人の姿は確認はしてないけどな。







「カタギリは明日に大和亜季が日本に来るって言ってたけど嘘だ。大和亜季はとっくに
 来て、事前にアタシや例の事件を調べてるんだろ?傭兵会社で働いてる軍人まがいの
 人間が、何の準備もなしにアタシに会いに来るって事はないだろ」



 カタギリの目的はアタシを助ける事じゃなくて、アタシが起こした事件の解決だ。
ひねくれた見方だけど、アイツは自分の目的を達成する為ならアタシに嘘ついてでも
大和亜季にこれくらいの便宜は図ってやるだろう。







「……すまん、ウチらもグルや。亜季は3日前から村上組が預かっとる。村上建設の
 庭にテント張ってキャンプしとるわ。部屋貸すって言うたのに嫌がってのう」



 巴は申し訳なさそうな顔をしてアタシに謝った。別に怒ってねえよ。大和亜季が
そうしたいって言ったなら、政さんやプロデューサーもアタシに言えないだろうし。
でも都会のど真ん中で野営ってバカじゃねえのか?






「ウチらや早苗に借りを作りとうないんやとさ。この件が済んだらさっさとアメリカに
 帰るつもりらしいで。ウチも一回会うたけど、ウチの従業員相手にも一歩もひるまん
 芯の強い度胸のある女やったわ。ありゃ早苗以上かもな」

 とりあえず噂通りの変人って事は変わりねえみたいだな。それだけわかれば十分だ。
アタシは洗った皿を重ねて手に持った。そろそろ会場に戻らないと。

「わざわざ教えてくれてありがとよ。アタシは逃げも隠れもしないし、大和亜季が
 調べたいなら勝手に調べればいいさ。アタシの日常なんてバイト三昧だけどな」

 とりあえず大和亜季に会う事だけは決めてるんだよ。そこから先はまだどうするか
考えてないけどな。まぁ、なるようになるだろ。






「ちょい待ち。最後にひとつ言うとくわ」



「あん?」



 巴に呼び止められて、アタシは振り返った。







「亜季はごっつう怖い女や。あいつに会うたら飲み込まれんように気をしっかり持ちや。
 せやないとあいつ、早苗やPと一緒に『お前抜きで』お前が起こした問題をさっさと
 片付けてあっという間におらんなってしまうぞ」



 巴は真剣な顔で言った。へいへいありがと。でもアタシはカタギリや大和亜季が今更
何をしようが特に何とも思わねえよ。勝手にしてくれ―――――






つづく





SRきりのん
http://i.imgur.com/ehmCIYQ.jpg
http://i.imgur.com/omL2zOd.jpg







***



「いやぁ~ひっさびさに飲んだわ~♪ 」



 パーティー終了後、後片付けを村上建設とカタギリの部下の警官達に任せてアタシは
カタギリと管理人室にいた。パーティーの参加者は全員帰り、アイドルの皆も自分達の
部屋にそれぞれ戻っている。






「ったくこんなに遅くまでバカ騒ぎしやがって。もう10時じゃねえか」

「まだ10時よ。ホントは日付が変わるまでやりたかったけど、アイドルのみんなの
 迷惑になっちゃうからねえ。拓海ちゃんと巴ちゃんも来てたし、あんまり遅くまで
 やるとP君に怒られちゃう♪ 」

 カタギリはアハハと笑った。拓海はプロデューサーと一緒に猫を連れてやって来た。
相変わらずヤンキーっぽさは抜けてなかったけど、それなりに楽しくやってるらしい。
猫も3ヶ月もたつとすっかり大きくなっていた。元気そうで良かったよ。





「結局何人ぐらい来たんだ?パーティー始まってからもどんどん来るし、あいさつだけ
 して帰った人もいたからトータル600人ぐらいか。お前最初は5、60人くらいだって
 言ってたのに、見込み違いにもほどがあるぜ」

「いや~ゴメンゴメン、あたしが声をかけたのはそれくらいだったんだけど、そこから
 ドバ~っと広がっちゃったみたいね。あたしってば人気者☆ 」

 カタギリは「てへ♪」と舌を出して、不○家のペ○ちゃんみたいな顔をした。いや、
可愛くねえから。アタシはため息をついてブラックのコーヒーを飲んだ。





「でもお前の為にあれだけ集まるなんてすげえな。お前が警視庁史上最悪の婦警だって
 言われていたのにサツを続けられていた理由がわかった気がしたよ。サツもヤクザも
 関係なくあれだけ味方がいれば、誰もお前に手出しは出来ねえよな」

 好き嫌いという感情は別として、カタギリという人間の器の大きさを見た気がした。
カタギリがいつも自信満々で堂々としてるのは、腕っぷしの強さだけじゃなくて大勢の
仲間がいるからだろう。よくあれだけの人間を従えたものだ。

「ちょっと~、人を暴走族のヘッドみたいに言わないでくれない?あたしはみんなを
 従えてるわけじゃないし、今日来たのはみんなあたしの友達よ。あたしはこの街で
 普通におまわりさんをやって、普通にみんなと仲良くなっただけなんだから」

 カタギリは口をとがらせて文句を言った。そりゃ悪かったな。暴走族やヤンキーの
方がまだ可愛げがあるか。あんな軍団誰も相手にしたくないだろうし。





「人間はねアヤちゃん、結局人間の中でしか生きていけないの。だからあたし達人間が
 仲間を作って群れるのは本能かもしれないわ。どんなにケンカが強い人でも1人じゃ
 何も出来ないし、生きて行けないのよ」

 それは生き方の違いだと思うぜ。アタシはずっと1人で生きて来たし、これからも
そのつもりだ。お前みたいに仲間を作って強くはなれなくても、自分1人の身を守る
くらいなら何とかなるさ。
 
「あら、アヤちゃんもあたしのお友達よ?もう1人になんてさせないから♪ 」

 勝手にアタシをカタギリ軍団に入れるな。パーティーの時にいちいちアタシに酒や
料理を持って来させたのは、自分の仲間にアタシを紹介する意図もあったんだろう。






「お前が何をしようが変わらねえよ。2年前の事件を今更解決しても、アタシの人生が
 何か変わるかと言えばそんな事はないだろ?それどころかアタシのした事が美波達に
 バレたら、もうこの寮にいられなくなるだろうしな」



 自分でもわかってる。アタシのやった事は余裕で刑務所行きの犯罪フルコースだ。
でもそうしないとアタシは殺されていたかもしれなかった。結果的にアタシは何とか
生き延びる事が出来たけど、二度と福岡に戻れなくなってしまった。






「変わるのも変わらないのもアヤちゃん次第よ。あたしが出来る事は、アヤちゃんが
 起こした事件の後片付けだけだから。『桐野アヤ』ちゃんを『青島綾』ちゃんに戻す
 事が出来るのはアヤちゃんだけよ」

「青島って呼ばれるのも久しぶりだな。だけど桐野って苗字も気に入ってるんだぜ?
 昔のイヤな事は全部忘れて、新しく人生やり直そうって思えるしな」

 最近朋がアタシの事を『きりのん』と呼ぶようになった。初めてそう呼ばれた時は
アタシの事だと気付かなかったけど、可愛い響きで結構気に入ってる。昔のあだ名は
『ブルース』とか『アオさん』とか、あんまり可愛くなかったからな。





「あたしとしては、青島綾ちゃんとしてもう少し前向きに生きて欲しいけどなあ」

「これでも精一杯前向きに生きてるんだぜ。アタシをお前好みに更正させたかったら
 刑務所にでもぶち込んでくれ。出来れば東京の刑務所で頼む。福岡の警察の世話に
 なるのは死んでも嫌だからさ」

 カタギリは苦虫を噛み潰したような顔をした。さて、そろそろお前も酔いが醒めた
みたいだな。駅まで送ってやるよ。






「あ……」



「ん?どうした千奈美?何か用か?」



 アタシが管理人室の扉を開けると、そこには千奈美が立っていた。千奈美はアタシと
目が合うと気まずそうな顔をしてからキッと睨みつけた。






「あ、開けるなら開けるって言いなさいよ!べ、別にアタシはここでアンタ達の話を
 盗み聞きしてたわけじゃないんだからね!」

何を怒ってるんだよお前は。ついでに盗み聞きしてたのか?

「だからしてないって言ってるでしょうが!たまたま聞こえたのよ!」

 お、おうそうなのか。とりあえずカタギリを駅まで送って来るから、用があるなら
後にしてくれ。それじゃ行くぞカタギリ。チャリの2ケツってセーフだよな?






「アウトよ。警察辞めたとはいえ、あたしに犯罪の片棒をかつがせないでよ。千奈美
 ちゃんも一緒に来る?アヤちゃんの事をイロイロ教えてあげるわよ♪」



 しかしカタギリはいつもの人を食ったような笑顔で、千奈美にニヤリと笑いかけた。
お前の方こそプライバシー侵害で訴えるぞ。千奈美はトッププロの件でアタシの素性を
ちょっとだけ知ってるから別にいいけど、余計な事言うんじゃねえぞ―――――?






つづく






***



「お前プロデューサーに『はい、あ~ん♪』くらいはしたのか?」

「み、みんなが見てるのにそんな事するわけないでしょ!バカじゃないのあんた!? 」

 カタギリを駅まで送る道中。なぜか千奈美もついて来たので、アタシはとりあえず
千奈美をからかう事にした。千奈美はいつもクールにカッコつけてるけど、こうして
からかうとすぐムキになるから面白いんだよな。






「それあたしがやったわ♪ P君恥ずかしそうにしながら食べてくれたわよ。お姉さん
 千奈美ちゃんのジャマしちゃったかしら~?」

 カタギリがニヤニヤと笑いながら言うと、千奈美は悔しそうに睨みつけた。おお怖い、
ヤキモチ妬くなよ。プロデューサーとカタギリはどう見てもそんな関係じゃねえだろ。

「いいえ、油断できないわ。あんたは知らないでしょうけど、片桐さんはアイドルでも
 ないのにウチの事務所に頻繁に顔を出しては、プロデューサーにちょっかいをかけて
 いつもベタベタしているのよ」

 千奈美は忌々しそうに言った。そうなのかカタギリ?





「あはは、最初は拓海ちゃんの様子を聞きにP君に会いに行ってたんだけど、そのうち
 すっかり入り浸るようになっちゃってさ。CGプロにはあたしと同年代のアイドルも
 いるし、その人達とP君を誘って仕事終わりに飲みに行ったりしてたのよ♪ 」
 
 今日のパーティーには、拓海と巴以外にも何人かCGプロのアイドルが来てたらしい。
そういえば詩織と音葉に話しかけていた長身のモデルみたいな女がいたな。もしかして
あれもそうだったのか?

「そのうち紹介してあげるわよ。みんなとっても優しくて面白いお姉さん達だから♪ 」

 面白い女はお前と千奈美で間に合ってるよ。アタシは無愛想で口下手なんだから、
そんな人達を紹介されても上手く喋れねえぞ。






「でもよぉ千奈美、お前いつもスカしてるくせに肝心な所でヘタレるよな。せっかく
 コンパニオンまでやってプロデューサーにアピールしてたのに」



 アタシがそう言うと、千奈美はムスっと怒ったような顔をした。あれ?アタシ何か
おかしな事でも言っちまったかな?






「そんな事の為にしていたんじゃないわよ。私はプロのアイドルだから、アイドルの
 実力と魅力で真っ向から勝負するわ。あまり見くびらないで頂戴」

 千奈美にギロリと睨まれた。ならどうしてあんなに疲れる役割を引き受けたんだよ。
お前ああいう仕事好きなタイプじゃないだろ?

「それはその、あんたが…… 」

「アヤちゃんが心配だったんでしょ?千奈美ちゃん今日のパーティーで、料理やお酒を
 運びながらずっとアヤちゃんを見てたもんね」

 千奈美が言い淀んでいるとカタギリが横から言った。そ、そうだったのか?






「別に心配なんてしてないわよ。でも私がトッププロを寮に連れて来たせいであんたは
 警察に居場所がバレちゃったんだし、もしもあんたが刑務所に入れられるような事に
 なったら私も責任を感じるじゃない……」



 千奈美はボソボソと小さい声で言った。こいつはアタシを指名手配中の逃亡犯とでも
思ってるのか?あながち間違いってわけでもないけどさ。






「ちょっとアヤちゃん、もしかして千奈美ちゃんにトッププロとの関係をちゃんと説明
 してないの?ダメよそこはきっちりと話しとかないと」

 カタギリがめっと怒る。どうしてそんな事をわざわざ説明しないといけないんだよ。
千奈美は無関係だし知らなくてもいいだろ?

「無関係なんかじゃないわ。千奈美ちゃんはアヤちゃんの友達でしょ?友達が心配して
 いるんだから、安心させてあげないと可哀想じゃない」

「別にこいつは」「友達じゃないわよ」

 アタシが答えるよりも先に千奈美が即答した。アタシもそう言おうとしていたけど、
そんなにきっぱりと宣言されるとちょっとムカつくな。






「でも、アヤは私の恩人よ」



 しかし千奈美はさっきより大きな声ではっきりと、カタギリに向かってそう宣言した。
そしてアタシを守るようにカタギリの前に立つ。こいつこんなに大きかったっけ?






「私はつまらない噂やゴシップは信じないの。アヤが昔何をしたのかは知らないけど、
 私は自分の目で見た不器用だけど面倒見が良くて、いつも私達を気にかけてくれる
 優しい管理人のアヤを信じるわ。だから警察には渡さないわよ」

 千奈美はカタギリを睨みつける。まさかこいつがそんな事を言うとは思わなかった。
ずいぶん高く買ってくれてるけど、アタシはそんなに立派な人間じゃねえぞ。

「安心しなさい千奈美ちゃん、アヤちゃんを警察には連れて行かないわよ」

 カタギリは優しい笑顔で千奈美に言った。千奈美の背中から力が抜けたのを感じる。
もう警察じゃないとはいえ、カタギリ相手に無理しやがって。





「千奈美ちゃんが言った通り、アヤちゃんは優しくてちょっと不器用な可愛い女の子よ。
 ついでに着やせするタイプの隠れ巨乳で可愛いものが好きかしら♪ 」

「ちょっ!? お前何を言ってるんだよ!! 」

 アタシは慌ててカタギリと千奈美の間に割り込む。まさかアタシの『アレ』の事を
知ってるんじゃねえだろうなこいつ……?





「あれ?あたし拓海ちゃんの猫ちゃんの事を言ったんだけど?アヤちゃんも猫ちゃんを
 可愛がってたから、てっきり可愛いものが好きじゃないかなって思って」

「あ、ああそれな!そうだな!アタシは犬よりも猫が好きだからな!」

 アタシは笑ってごまかした。どうやら勘ぐり過ぎたみたいだな。犬でも猫でも特に
こだわりとかはないけど。ふう、驚かせるんじゃねえよ……






「拓海ちゃんによく懐いてたわよねあの猫ちゃん。あたしも抱っこさせてもらったけど、
 【球体関節】…じゃなくて肉球がぷにぷにしてて可愛かったわ~♪」



 アタシの顔からサーッと血の気が引いた。カタギリはニヤニヤ笑っている。






「【ドール】ぅしたのアヤちゃん?まるで【お人形さん】みたいな顔になってるわよ?」

「てめえこの野郎!」

「ちょ、ちょっとどうしたのよあんた!? 落ち着きなさいよ!」

 アタシはカタギリに殴り掛かろうとしたけど、千奈美に止められた。離せ千奈美!
秘密を知られた以上こいつを生かしておくわけにはいかねえ!どっちみち『アレ』を
バラされたらアタシは生きていけねえ!





「安心してアヤちゃん、誰にも言わないから♪」

 カタギリは相変わらずの笑顔で言った。1ミリも信用出来ねえ。ていうかどうやって
調べたんだ?地元でも知ってるヤツはほとんどいないのに……

「隠さなくてもいいじゃない。あたしも持ってたわよ。千奈美ちゃんにも聞いたら?」

「それ以上喋るんじゃねえよ。頼むから黙ってくれ。もしバラすつもりなら、アタシを
 網走刑務所にぶち込んでからにしてくれ」

「そんなに刑務所に入りたいのアヤちゃん?だったら紹介してあげようか?」

 カタギリが呆れたように言った。入りたいわけねえだろが。でも『アレ』を知られる
くらいならヤンキーキラーの過去がバレた方がまだマシだ。





「だったら千奈美ちゃんに教えてあげてもいいじゃない。千奈美ちゃんはトッププロと
 アヤちゃんの関係を中途半端に知ってるみたいだし、今のままだったらアヤちゃんが
 心配で千奈美ちゃんもレッスンにも身が入らないでしょ」

「だから私は心配なんて……」

 千奈美はそう言いかけたけど、アタシの顔をちらっと見て黙ってしまった。そんなに
アタシの事が気になるのか?






「そんな素直になれない乙女な千奈美ちゃんに、お姉さんがとっておきのおまじないを
 してあげるわ♪ テ○マクマヤコンテ○マクマヤコン……」



 カタギリはどこかで聞いたような呪文を唱えながら、千奈美の手を引いてアタシの
隣に立たせた。一体何をするつもりなんだよ。







「そぉ~れ♪ 物理的友情の絆☆ 」



「んなっ!? 」「えっ!? 」



 カタギリは目にも止まらぬスピードで、どこからか取り出した2本の結束バンドで
アタシと千奈美の手首を十文字に縛り付けた。しまった!完全に油断した!






「なにしやがるテメエ!さっさとコレ外せ!」

「痛い痛い!急に動かないでよ!」

 アタシはカタギリに詰め寄ろうとしたけど、千奈美がジャマになって思うように
動けない。そんなアタシ達を見てカタギリはケラケラと笑った。

「千奈美ちゃん、アヤちゃんが逃げないようにしっかり捕まえておきなさい。無理に
 引っ張ったら手首に痕が残るかもしれないからくれぐれも気をつけてね♪」

 千奈美はビクリと身を震わせた。アイドルとして人一倍ビジュアルに気を遣ってる
千奈美にとって、それは恐ろしい事だろう。ひでえ事しやがるな。





「アヤちゃんも千奈美ちゃんがケガしないように気を付けなさい。せっかく出来た
 友達なんだから、大事にしないとダメよ?」

 だから友達じゃねえっての。それにお前のおかげでさっきからものすごい目つきで
千奈美に睨まれて、とても友達になれそうな空気じゃねえんだけど。

「きっかけなんて最初はそんなものよ。あたしはアヤちゃんと千奈美ちゃんは良い
 コンビになると思うわ。『きりのん&こむろん』なんてどうかしら?」

「ねえよ」「ありえないわ」

 千奈美と同時に即答した。ネーミングセンスが昭和くせえぞ。






「それじゃアヤちゃん、亜季ちゃんが日本に着いたらまた連絡するわ。千奈美ちゃんも
 今日はありがと♪ バイバ~イ☆」



 こうして結束バンドで強制的に接続されたアタシ達を置いて、カタギリはご機嫌な
鼻歌を歌いながら駅の中に消えた。誰かあいつをホームに蹴落としてくれねえかなあ。
それくらいで死ぬような気はしないけど。






「ったく、ホントにアイツは余計な事ばかりしやがる。おまけに人の話は聞かねえし、
 アタシが言うのもアレだけどロクでもない女だな」

 アタシはため息をついて千奈美とつながれた手を見た。とりあえずコンビニに寄って
ハサミかカッターナイフでも買って来るか。

「あんた財布持ってるの?私部屋に置いて来ちゃったんだけど」

「……アタシもだ」

 それじゃあ寮に帰るまでこのままかよ。どんな罰ゲームだこれ。






「……ねえ、教えてよ」



「何をだよ」



 アタシが途方に暮れてると、千奈美がぽつりと言った。千奈美は最初は下を向いて
いたけど、やがて決心したようにアタシの目を見てはっきり言った。






「あんたの事。あんたの昔の事全部。気になるのよ」

「気にするなよ。つまらねえ話だ」

「つまらないかどうかは聞いてみないと分からないわ。あんたが警察に捕まらないって
 確信が持てるまで、私はあんたが気になって仕方ないわ」

「レッスンに集中しろよ。それじゃトップアイドルになれないぞ」

「じゃあ集中させなさいよ。私の邪魔をしないでって言ったわよね?」

「どんな理屈だよ。それが命の恩人に向かって言う言葉か」

「命の恩人とは言ってないわ。あんたはただの恩人よ」

「なんだそりゃ」

 それっきり千奈美はアタシを睨みつけたまま黙ってしまった。アタシは千奈美の手を
引いて帰ろうとしたけど、千奈美はその場から一歩も動こうとしなかった。






「あんたが話してくれるまで動かないから。寮にも帰らないわよ」



 千奈美は手を引っ張っても、歯を食いしばってびくともしない。あまり無理に強く
引くと痕が残るし、ホントめんどくせえな。何をそんなに意地になってるんだ?






「わかったわかった話してやるよ。でもホントにつまらねえ話だから、聞いた後で後悔
 するなよ。ついでに無駄に長くなるぞ」

「いいわよ別に。朝まででも付き合うわ」

 そこまで長くはならねえけどな。寮で話すと他の子達に聞かれるかもしれないから、
とりあえず近くにある公園でも探そうかな―――――





つづく






***



「えーと、何から話そうかな」

 千奈美と一緒に公園のベンチに腰掛ける。こんな話を誰かにするなんて初めてだ。

「その前にひとつだけいいかしら?」

「なんだよ?」

 千奈美は確認するように、アタシの顔を見ながら言った。

「あんたの下の名前は『アヤ』でいいのよね?」

 ああ、名前の事か。青島とか桐野とか綾とかアヤとか、色々とややこしいからな。
それじゃまずはそこから説明するか。






「正しくは漢字で『綾』って書くんだけどな。アタシの本名は『青島綾』だ。だけど
 戸籍上は『桐野』でも問題ないんだぞ。こっちもある意味本名だからな」

 正確には『桐野綾』だけど、普段名前を書く時は画数が多くて面倒だから『アヤ』で
通している。バイト先でたまに怒られるけど、大抵は問題なかったりする。

「ご両親が離婚して母方の姓を名乗ってるとか、そういう事?」

「いや、養子縁組したんだ。『桐野』はアタシが昔通ってた道場の先生の苗字なんだ。
 父さんと母さんは多分まだ一緒に暮らしてるんじゃないかな」

 東京に来てから一度も誰とも連絡を取ってないから、みんなどうしてるか知らない。
父さんと母さんは元気にしてるかな。先生も道場を再開してたらいいんだけど。






「あんたがそんな事になったのは、やっぱりトッププロが原因なの……?」



「全部トッププロのせいだって言うつもりはねえけどな。もちろんあいつらは大嫌い
 だけど、アタシの現状はある意味自業自得だよ。今になって考えればもっとうまく
 やれたかもしれないけど、あの頃のアタシはバカなガキだったからな」



 アタシは夜空を見上げた。東京に来たばかりの頃は、住む家もなくて夜になったら
こうして公園のベンチに座って星を数えてたっけな。そうしてると何となくだけど、
1人でも何とかなる気がした。1人で何とかしてきたんだ―――――







***



 アタシは7歳くらいの時から、格闘技好きの父さんの影響で近所のジークンドー道場に
通っていた。道場と言ってもブルース・リーのファンのオッサン(先生)が趣味でやって
いた地元のクラブみたいなもので、町の公民館を借りて週2日稽古をしていた。

 そんなある日、アタシが17歳の春頃に東京からトッププロのスカウトマンが来た。
スカウトマンはどこからかアタシの噂を聞いたらしく、稽古の様子を見せて欲しいと
頼んで来た。アタシはすっかり舞い上がって、いつもより気合を入れて稽古した。

 稽古の後、スカウトマンは道場の先生とアタシに『V-1』の紹介をした。V-1は
『ヴァルキュリアグランプリ』の略で、わかりやすく言うと女版のK-1だと説明された。
まだ準備段階で、トッププロがメインで多くの芸能事務所が1年後の大会開催を目指して
選手を集めてる途中だった。






 V-1は『強くて美しいアイドル格闘家』を育てるのがコンセプトらしくて、アタシは
そのイメージに合ってたらしい。だから格闘技団体じゃなくてアイドルが所属するような
芸能事務所がメインで興行を進めていた。主な活動はV-1の選手としてリングで戦い、
合間にアイドルとして芸能活動をするという方針を説明された。

 アイドル活動ってのがちょっと引っかかったけど、格闘家としてデビュー出来るなら
そんなのは小さい事だった。ジークンドーは国際的な試合や大会が無い。だから自分の
強さが知りたかったら、他の格闘技の選手として大会に出るしかなかった。

 アタシもマジで格闘技をやりたいなら他の格闘技に転向する事を勧められてたけど、
小さい時からジークンドーだけでやってきたし、将来もジークンドーをやりたかった。
V-1は総合格闘技だし、そんなアタシにはぴったりだった。道場内での練習試合なら
オッサンや兄ちゃん達相手に善戦してたし、自分の腕には自信があった。






 こうしてアタシはトッププロ所属のV-1選手として、1年後のデビューを目指して
稽古に励むようになった。トッププロはアタシの為に地元のジムと契約をして、プロの
コーチを雇ってくれた。トッププロは業界でも3本の指に入るほどの大手だったから、
金に物を言わせて最高の環境を整えてくれた。



 この頃はまだ、トッププロとも仲良くやっていたと思う。父さんと母さんもアタシを
応援してくれてたし、アタシも毎日好きなジークンドーの稽古が出来たから楽しかった。
まさか後であんな事になるなんて夢にも思わなかったよ―――――







―――



「私が前にいた愛知の事務所にも、V-1のスカウトマンが来た事があったわ。ウチの
 社長は『アイドルに殴り合いをさせるとは何事だ!』って怒って追い払ったけどね」



 千奈美が昔を思い出すように夜空を見上げながら言った。V-1の開催には反対意見も
多かった。トッププロは反対派を全員必ずねじ伏せてやるって自信満々に言ってたけど、
実際には開催されなかったし最初から無理のある興行だったのかもな。






「……こんな言い方をしたらあんたに悪いかもしれないけど、九州で起こった事件が
 V-1開催中止の決定打になったって見方もあるわ。イベントの旗振り役になってた
 トッププロは、V-1が失敗して大手から一気に落ち目になったし……」

 千奈美が歯切れ悪そうに、慎重に言葉を選びながら言った。へえ、そうだったのか。
そういえばこの前寮に来たトッププロの連中は、アタシが知ってた頃と違ってずいぶん
余裕が無さそうだったな。あれからあいつらも大変だったみたいだ。ざまあみろ。

「結局アタシは自分で自分の夢を潰したのか。それどころか大嫌いなヤンキーとわざわざ
 ケンカしてしまいに東京まで逃げて、何がしたかったのかわからねえな」

 ヤケ気味に笑うアタシを千奈美は複雑な目で見てた。さて、雑談はこれくらいにして
続きを話そうか。まだ全体の3分の1くらいだからな。






「夏休みに入って、トッププロからジークンドーの本場アメリカでより本格的な稽古を
 受けないかって言われたんだ。夏休み丸々アメリカで過ごせるって聞いて、アタシは
 喜んでOKしたよ。気分はすっかり有名芸能人だったな」



 思えばあの時がアタシの人生のピークだった。そして運命の分かれ道だった。17歳の
夏休みを境に、アタシは『北九州のヤンキーキラー』に堕ちぶれた―――――







***



 アメリカでは地元でやってた同好会レベルじゃなくて、本格的なトレーニングを受けた。
毎日グローブ付けてマッチョな外人とスパーリングをやって、1ラウンド終わっただけで
ヘトヘトになってたな。おまけにトレーニングの合間に歌やダンスの練習もやらされて、
ホテルに帰ったらベッドにぶっ倒れてたよ。



 アメリカにはアタシとスカウトマンとトッププロのスタッフ数人で行ってたんだけど、
2週間が過ぎてスカウトマンはスタッフと一度日本に戻るって言った。どうやらアタシの
売り出し方について本社に呼び出されたらしい。1週間したらまたこっちに戻るからって
言われて、アタシはちょっと心細かったけどOKした。







 スカウトマンは日本に戻る前に、アタシにV-1選手としてキャッチコピーの希望とか
あるかって聞いた。アタシは特に興味なかったから、トッププロで適当に考えてくれって
言っといた。スカウトマンはわかったって言って先に帰国した。



 でもそれから1週間が過ぎてもトッププロはアメリカには戻って来なかった。電話を
かけてもつながらないし、仕事が忙しいのかなって思ってた。スカウトマンがいないと
歌やダンスの練習はせずに済むから、ジークンドーの稽古に集中出来てラッキーだった
けど。それから更に1週間が過ぎて夏休みも終わり、アタシも帰国する日になった。






 結局最終日までスカウトマンは戻って来なかった。アタシは仕方なくジークンドーの
コーチに教わって、自力で地元の福岡に戻って来た。空港には父さんが迎えに来る約束
だったけど、来てたのは道場の先生だった。先生はアタシを見つけると帽子とマスクで
変装させて、空港の裏口からこっそり出た。

 先生はアタシを車に押し込むように乗せると、そのまま頭を上げるなって言って車を
出した。アタシは先生にアメリカでの稽古の事とか色々言いたかったけど、でも車内は
空気が重くてそんな事を言える感じじゃなかった。こうしてお互い無言のまま車は走り、
到着したのは先生の家だった。アタシはよく分からないままあがらせてもらった。

 先生の家には奥さんと、地元で警察官をやってる息子さんがいた。どっちも昔からよく
知ってる人だったから、アタシは元気にただいまーって挨拶した。ところがアタシの顔を
見て奥さんは号泣し、息子さんはその場でアタシに土下座をした。この時になってから、
アタシはようやく何かがおかしいって気付いた。





 先生は険しい顔をして、アタシがいない間に何があったのかを教えてくれた。簡単に
説明すると3つ。まず1つ目。アタシはトッププロから一方的に契約を切られたらしい。
理由は『アタシがトッププロの方針に従わなかったから』だそうだ。もちろんまったく
身に覚えはなかった。V-1とは関係ないアイドルのレッスンもマジメにやってたしな。

 2つ目。アタシの家はなくなったらしい。アタシの留守中にヤンキーや暴走族が大勢で
押しかけて、これでもかってくらい破壊しつくしたらしい。アタシの家は取り壊されて、
今では何もないキレイな更地になってるって言われた。

 そして3つ目。アタシは『北九州のヤンキーキラー』って名で福岡中のヤンキー達から
狙われてるらしい。どうやらトッププロはアタシにこのキャッチコピーを付けて、地元の
ヤンキー達を買収してアタシの引き立て役にしようとしてたらしい。でも交渉は失敗して
ヤンキー達はブチ切れて、アタシを見たら殺せって言って探し回ってるそうだ。





 トッププロは全部アタシや先生達のせいにして福岡からトンズラし、先生達が連絡を
入れても一切取り合わないらしい。アタシは先生の話が信じられなくて、頭が真っ白に
なった。でも本当に頭が真っ白になっていたのは、アタシじゃなくて母さんだった。

 母さんはヤンキー達がウチに押しかけて来た時に家にいて、アタシと間違えられて
バットで頭をぶん殴られたらしい。幸いすぐ病院に運ばれて命に別状はなかったけど、
殴られたショックで記憶が色々ぶっ飛んで、



――――― 一人娘のアタシの事をきれいさっぱり忘れちまったんだ







―――



「母さんはアタシと違って優しい大人しい人でさ、リビングに人形を並べて、庭に花を
 植えて楽しむような可愛いものが好きなタイプだったんだ。だから家にヤンキー共が
 大量に来た時は、きっとすごく怖かっただろうな」



 事件の影響で、母さんは精神的に不安定な状態になってしまった。24時間監視体制に
置かれ、父さんがいなくなると泣き叫んで暴れるようになってしまったらしい。そんな
状態でアタシが会いに行けば、余計に混乱させて母さんの精神に深刻な影響が出るかも
しれないという病院の判断で、アタシは母さんに会えなくなった。







「他にも道場が閉鎖してたり学校が退学になってたりしてたけど、母さんの事が一番
 ダメージがでかかったな。母さんの記憶喪失は一時的なのか一生なのか分からない
 けど、アタシのせいで母さんはそんな目に遭ったんだし、もし仮に記憶が戻っても
 もう昔みたいに親子に戻れる気はしなかったよ」



 父さんは母さんを付きっきりで看病する事になり、アタシは先生に引き取られる事に
なった。親戚がヤンキーを怖がって引き取りを拒否したのと、先生はアタシがV-1の
選手を目指すのを後押しした責任を感じていたみたいだ。事件の影響で『青島綾』って
名前だとこの先苦労するかもしれないからと言って、養子縁組までしてくれた。







「こうしてアタシは『桐野アヤ』として、先生の家で暮らす事になった。学校は退学に
 なっちまったし、外ではヤンキー共がアタシを探してたから一日中家の中で大人しく
 していたよ。まるで夢でも見てるみたいで実感が無かったな」



 先生の家で過ごし始めた頃の記憶は今でも曖昧だ。現実を受け止めると気が狂いそう
だったから、先生に貸してもらった部屋の中で一日中筋トレやトレーニングをしてた。
トレーニングをしてる時だけは何も考えなくても良かったからな。






「警察は…… 警察は一体何をしていたのよ……?」

 アタシの話を聞いてしばらく絶句してた千奈美が、ようやく絞り出すように言った。
ああ、役立たずの上に影が薄すぎて話すのをすっかり忘れてたぜ。

「もちろん父さんや先生はサツにも訴えたさ。でもあいつら『ヤンキーの小競り合い』で
 片付けて、まったく取り合ってくれなかったらしいぜ。それどころかアタシにも原因が
 あるって言いやがったそうだ」

 警官だった先生の息子さんによると、どうやらトッププロが先回りをしていたらしい。
捜査資料によるとアタシは札付きのワルで、トッププロはむしろ被害者みたいに書かれて
いたそうだ。アタシが道場のみんなと結託して、『自分は北九州のヤンキーキラーだ』と
大ボラを吹いて売り込んで来たと、トッププロはサツに言ったそうだ。





「そんなの少し調べればウソだってわかるじゃない!! おかしいでしょ!? 」

 千奈美は大声で怒鳴った。どうしてお前がキレるんだよ?落ち着けって。

「まあちょっと調べればどっちがウソついてるかわかるよな。サツはヤンキー共からも
 トッププロに買収されたって証言を掴んでたらしいし。でもサツはトッププロだけを
 信じたんだ。そうした方がサツにとって都合が良かったんだよ」

 トッププロとサツの間にはある密約があった。トッププロはV-1を成功させる為に
アタシを切り捨てたんだけど、サツはサツでこの件を大事にしたくない事情があった。
サツはあてにならないと先生達が独自に調べようとすると、今度はヤクザが出て来て
脅しをかけてくる始末で、先生達はそれ以上追及する事が出来なかった。





「何よそれ……? それじゃあ警察がトッププロとヤクザとグルになって、あんた達を
 陥れたって事……?そんなのあんまりじゃない……!! 」

 千奈美は信じられないと呟きながら、わなわな震えた。そうか?サツだってヤクザと
似たようなもんだろ。どっちもムダに偉そうだし銃とか持ってるしな。

「あんたは何もしてないじゃない!ヤンキー達とケンカして大暴れしたわけでもないし、
 警察に目を付けられる事もないはずよ!それにあんたもあんたよ!地元の警察は無理
 かもしれないけど、どうして片桐さんに本当の事を言わないのよ!? 」

 千奈美はベンチから立ち上がって、アタシを怒りのこもった鋭い目で睨みつけた。
クールに見えて意外と熱いんだなお前。まさか怒られるとは思わなかったぜ。






「まぁ落ち着け、話はまだ終わってないから。お前アタシがそのまま泣き寝入りして、
 地元を離れて東京に逃げて来たとでも思ってるんだろ?」



 アタシはとりあえず千奈美を座らせる。確かに普通そう考えるよな。アタシが人目に
つかないようにひっそりと生きて行くか、先生の家でひきこもりにでもなってくれたら
トッププロも一安心だっただろう。ヤンキー共に殺されろって思ってたかもな。






「アタシがこうなったのは自業自得だって言っただろ?お前が思ってるほど、アタシは
 善良な人間じゃないぞ。なんてったって泣く子も黙るヤンキーキラーだからな」

「だからそれはトッププロが作りあげたウソの設定で……!! 」



 再び怒り出しかけた千奈美をつながれた左手を引っ張って黙らせてから、アタシは
ゆっくりと小さい子に言い聞かせるように言った。







「―――――ウソじゃないんだよ。アタシはそのウソを本当にしたんだ」



「…………え?」



 千奈美の表情が固まる。アタシはつながれてない右手で千奈美の頭をゆっくり優しく
撫でて、出来るだけ『怖がらせないように』笑いかけた。







「トッププロもサツもアタシを『北九州のヤンキーキラー』にしたかったみたいだから、
 お望み通りなってやったんだよ。それにこっちは家をぶっ壊されて、何の関係もない
 母さんまで襲われたんだ。手当たり次第ヤンキー共を殴っていたら、そのうち犯人に
 たどり着くだろうって思ってさ。どんだけバカだったんだよ昔のアタシ」



 アタシがヤンキーキラーになって暴れた結果、福岡中の暴走族と福岡中のヤクザと、
ついでに福岡中と隣県のサツまで巻きこんだ大事件になった。そんな事がやりたくて
厳しいトレーニングを頑張ったんじゃないのに、ホントにバカだよな―――――






つづく






***



 先生の家でアタシはひたすらトレーニングをしていた。最初は何も考えずに、ただ
トレーニングに打ち込んでいた。だけど時間が経つと、どうしても色々ロクでもない
事を考えちまうんだ。アタシはヤンキーキラーになる方法を考えていた。



 ぶん殴ってやりたい相手はいっぱいいたけど、トッププロは東京に逃げちまったし、
サツやヤクザをぶん殴るとややこしい事になっちまう。だからアタシは街をバイクで
走り回るヤンキーや暴走族をぶん殴る事にした。







 だけどヤンキーを相手にするのもリスクがある。それは『人数』だ。1人1人はザコ
でも、集団で押し寄せられるとどうしようもない。どうすれば1人で大勢のヤンキーを
相手に出来るか、アタシはそれだけをひたすら考えていた。



 その時ふとテレビに目をやると、アマゾンの森に住んでいる動物達に密着した番組が
放送されていた。テレビの中ではカメレオンが、木の葉の色に体を変えて近づいて来た
バッタを食べていた。アタシはこれだ!と思ったよ。あとはトレーニングをしながら、
チャンスが来るのをひたすら待つだけだった。






 それから1ヶ月が過ぎた。ヤンキー共はアタシを探すのにだんだん飽きて、地元に
帰ったり見回りをチームの下っ端に任せるようになって、数が減って来た。アタシは
この時をずっと待っていた。いくら百獣の王ライオンでも、獲物のシマウマに大群で
来られたら逃げるしかない。狩りには獲物のバランスも大事なんだ。

 アタシは先生と奥さんが完全に寝静まった夜中にこっそり家を出て、ヤンキー達の
溜まり場になっているある公園に行った。アタシの予想通り、そこには5人くらいの
派手な特攻服を着たヤンキー共がダベっていた。アタシはしばらく様子を見ていて、
トイレで離れたヤンキーの1人を背後から思いっきりぶん殴った。

 アタシは倒したヤンキーの特攻服を剥ぎ取り、その日はそのまま家に帰った。家で
特攻服に書いていた暴走族の名前をネットで調べると、地元のチームで30人くらいの
規模だって事がわかった。族としての戦力は中の上くらい。あとはアタシの代わりに、
こいつらに頑張ってもらおう―――――






―――



「どういう事……?あんたはその暴走族にケンカをふっかけたんじゃないの?」

 千奈美はよくわからないと言ったように首をかしげた。確かにアタシのやったことは
お礼参りだな。敵に認定されることはあっても味方になってくれるわけがない。だけど
やり方によっては敵でも自分の力にする事が出来るんだよ。

「『敵の敵は味方』って言葉知ってるか?アタシにとってはヤンキーは全部敵だけど、
 ヤンキーや族同士も仲が悪かったりするんだよ。アタシを探しに福岡中の暴走族が
 集まった時も、小さいイザコザはあちこちであったらしいぜ」

 大半は睨み合いや小さいぶつかり合いで終わるけどな。ヤンキー共だってまったくの
バカじゃない。下手にケンカすればチーム同士の抗争になって年少送りになるしな。







「あいつらって微妙なバランスで成り立っているんだよ。お互いに縄張りを作って干渉
 しないように気を付けたり、別々のチーム同士で同盟を組んで守り合ったりするしな。
 中にはヤクザがバックについてる族もあるんだぜ」



 余計な争いは避けつつ、群れを作って牽制し合う。ヤンキーや族に限った話じゃない。
サツでもバイトの派閥争いでも全部一緒だ。集団の中で生きる為には、このバランスを
見極めてうまく立ち回らないといけないんだ。





 
「そんな感じでお互い仲が悪くて睨み合ってるような族同士の間で、どっちかの族の
 構成員がケンカをふっかけてきたらどうなると思う?」

 アタシは千奈美に聞いた。千奈美はあまりこういう話をしたくないみたいで、少し
嫌そうに眉をひそめてから答えた。

「仲間がいっぱい来て、暴走族同士でケンカになるんじゃないの?」

 まあそうなるよな。あいつらはプライドとメンツが大事だしな。





「それじゃあケンカをふっかけられた方の族は、どうしてケンカをふっかけてきた族が
 わかったんだ?族同士がお互い顔見知りの可能性もあるけど、相手の族のメンバーを
 完全に把握しているわけじゃないだろ?」

「それはああいう人達って、同じ特攻服を着てたりするじゃない。チームの名前とか
 服に刺繍されてるし、それを見れば……」

 千奈美はそこまで言いかけて、何かに気付いてはっとアタシの顔を見た。なかなか
勘が良いじゃねえか。そうだよ、『特攻服』がポイントなんだ。






「名付けて『カメレオン作戦』だな。アタシはヤンキー共が全滅してくれたらそれで
 良かったんだ。出来る事なら自分の手で全員ぶん殴ってやりたかったけど、それは
 どう考えても無理だ。だからアタシは暴走族同士ケンカさせるきっかけを作って、
 チームが解散するまで潰し合いをさせたんだよ」



 サツがアタシの家が壊されて母さんが襲われたのを『ヤンキー同士の小競り合い』で
片付けるなら、その小競り合いを大きくして無視できなくしてやるだけだ。そうすれば
サツも動かざるをえなくなるし、密約を結んでいたトッププロも東京から引きずり出す
事が出来るかもしれない。こうして『北九州のヤンキーキラー』は誕生した―――――







***



 作戦は面白いように成功したよ。アタシは毎晩特攻服を着て、マスクとメットで顔と
髪を隠して街中をうろつき、目についたヤンキーや暴走族を手当たり次第ぶん殴った。
相手は全員倒さなくていい。適当に3、4人をぶん殴って逃げるだけだ。後はアタシが
着ていた特攻服を手掛かりに、族同士で勝手に潰し合ってくれるからな。



 アタシが最初に特攻服を奪った暴走族は、アタシが襲ったチームを2つ潰して全滅した。
化けていた暴走族が潰れたら、また他の暴走族を襲撃して特攻服を奪う。そして同じ事を
繰り返す。こうして暴走族同士のケンカはだんだんと広がっていって、ケンカがケンカを
呼んで福岡中の暴走族がまた集まって来た。







 アタシはヤクザにもケンカを売った。ヤクザの屋敷に火炎瓶を投げ込んで、ベンツの
ボンネットに石ブロックを落としたりした。激怒したヤクザが族のバイクを追いかけて、
そのヤクザをパトカーが追いかけているのを見た時は笑いが止まらなかったな。



 まあそんなアタシもいつも笑ってられなかったけどな。たまにケンカを売った相手が
思ったより強くて命からがら逃げたり、ヤクザに見つかってナイフで切られたりしたよ。
アメリカで練習したヌンチャクに何度も命を助けられたな。






 こうしてヤンキーキラーを1ヶ月くらい続けてたら、ほとんどの暴走族が解散または
消滅した。特に北九州のチームはほぼ全滅したらしい。その頃になってようやくサツは
アタシがこの事件の犯人だと気付いた。サラシを胸に巻いてマスクで顔を隠していても
女だって見抜いたヤツもいたしな。



 でもその頃はもうとっくに、アタシはヤンキーキラーを辞めていた。アタシが撒いた
ケンカの火種はあちこちで燃え上がって、もうアタシが何もしなくても暴走族は勝手に
潰し合うようになってたしな。サツは先生の家の近くに車を停めて、アタシを見張って
いたけどどうする事も出来なかった。ざまあみろって思ったよ。







 それからトッププロのスカウトマンが先生の家に来たな。サツから話を聞いたのか
福岡のヤクザに呼び戻されたのか知らねえけど、これ以上暴れるのはやめてくれって
土下座した。ヤツが来たのは昼間で、先生も奥さんもいなかったから家にあげようか
迷ったけどアタシ1人で対応したよ。



 ヤンキーキラーを始めた頃のアタシならぶん殴っていたけど、その頃はすっかり熱が
冷めていた。目の前のヤロウをぶん殴る事はいつでも出来る。それよりアタシはトップ
プロが何故ヤンキー共を金で買収して、やらせをしようとしたのかが気になっていた。
それさえしなければこんな事にはならなかったはずだ。






 トッププロのスカウトマンは、びくびくしながら教えてくれた。それによると、元々
アタシは『ある女』の代わりだったらしい。スカウトマンはその女をV-1選手として
スカウトする予定だったけど、逃げられてしまったから代わりにアタシをスカウトした
そうだ。そしてこれはトッププロ本社に報告してなかったそうだ。

 スカウトマンはアタシでも十分やれると思っていたそうだけど、トッププロの社長は
アタシを認めなかったらしい。アタシが代わりになったその女はアタシよりも圧倒的に
強く美しく比べ物にならないくらいスター性を秘めていて、まさにトッププロの選手に
ふさわしい威厳と貫禄を持った人間だったそうだ。

 だけどアタシにはもうかなり金をかけていて、今更選手の変更なんて出来なかった。
そこでスカウトマンが思いついた秘策が、アタシを北九州のヤンキーキラーに仕立て
上げて地元の暴走族を従える番長にする事だった。だけど東京出身のスカウトマンは
ウチの地元のヤンキー共の扱い方を知らず、ヤツらを激怒させた。






 アタシはもうひとつ聞いた。サツはどうしてトッププロの証言を鵜呑みにしたのか。
これには警官をやっている先生の息子さんも疑問に思っていた。上から強力な圧力が
かけられていて、とにかくこの件はヤンキー共の小競り合いにしろと厳命されていた
そうだ。サツを従える事は容易ではない。どんな密約があったのか知りたかった。



 スカウトマンはしばらく黙ってたけど、アタシがテーブルを殴るとビビって吐いた。
それはアタシが代わりになった例の女が、警察組織の中でかなりの権力を持っている
一族の娘だったから事件の関与を公にしたくなかったそうだ。トッププロはその女を
勧誘して、V-1開催の後ろ盾に警察権力を使おうとしていたらしい。







 女の名前は大和亜季。軍隊オタクのサバゲーマニアで、九州一のサバゲーチームの
リーダーを13歳の時に引き継いだ天才だそうだ。また軍隊格闘技も習得していて、
トッププロは何が何でも大和亜季をV-1選手にしたかったとか。だがタッチの差で、
ヤツはスカウトマンが接触する前に渡米して連絡出来なくなったらしい。



 アタシは一通り話を聞いてから、スカウトマンを外に叩き出した。聞けば聞くほど
バカらしくなった。そんなマンガみたいな女が存在するかよって信じられなかったし、
結局アタシがしてきた事は何だったんだって思うとすごく虚しくなった。







 こうしてアタシはその日のうちに荷物をまとめて、ヤンキーから奪った金を持って
先生と奥さんが帰って来る前に福岡を去った。何が真実かなんてもうどうでもいい。
トッププロを福岡まで引きずり出して、アタシの復讐は終わったんだ。それにいつ
妙な言いがかりをつけられて、サツに捕まるかわからなかったしな。



 アタシは青島綾という名前を捨てて桐野アヤとして、東京でひっそり生きる事にした。
ヤンキーキラーの過去を誰にも知られないように、誰とも親しくならずにな―――――






つづく






***



「こんばんは、桐野さん」



「ん?ああ、アンタか」



 パーティーから2日後の夜。ファミレスのバイトを終えたアタシが店を出ると、外の
駐車場でCGプロのプロデューサーが待っていた。






「アタシに用があるなら店の中で待ってろよ。もう水ぶっかけたりしないからさ」

「いえ、俺も今来た所でしたから。それにあの時の事でしたら気にしないで下さい」

 プロデューサーが苦笑いをする。何度か顔を合わせてるうちに、プロデューサーとも
いくらか打ち解けてきた。この人が色々してくれたおかげでアタシは今の寮に住ませて
もらってるしな。カタギリのおかげでもあるけど。





「大和亜季の事ならカタギリから聞いてるよ。明日の朝10時に○○ホテルの最上階の
 レストランに行けばいいんだろ?アンタも来るらしいな」

 昨日の晩にカタギリから電話がかかってきた。どうやらようやく大和亜季のスパイ
活動が終わったらしい。しかし○○ホテルって、都内一等地にある超高級ホテルじゃ
ねえか。アタシスーツとか持ってないんだけど中に入れるのか?

「大丈夫だと思いますよ。片桐さんの話では、大和さんもスーツを持ってなさそうな
 人らしいですから。俺も今から緊張してますよ」

 アンタはそのスーツでいいじゃねえか。男はラクでいいよな。





「用はそれだけか?アタシ帰ってからやる事があるんだけど、もういいか?」

「でしたら寮まで送りますよ。ささ、乗って下さい」

 プロデューサーは笑顔で車の助手席のドアを開ける。アタシはため息をついた。

「アンタは普段からアイドル達にそういう事をするのを慣れているかもしれねえけど、
 アタシはただの一般人だぞ。少しはこっちの気持ちも考えてくれよ」

「そ、そうでした、いつものクセでつい、すみません……」

 プロデューサーが慌てて謝る。プロデューサーとアイドルってのは、そんなに近い
関係なのか?彩華や千奈美も簡単に自分の部屋に入れてたな。






「まあいいよ。その様子だとまだ何か話があるんだろ?少しなら付き合ってやるから、
 寮以外の場所に連れて行ってくれ。アンタの車に乗ってる所を千奈美に見られたら
 色々と面倒な事になりそうだしな」



 アタシは助手席に乗り込んだ。プロデューサーは一瞬ポカンとしてたけど、すぐに
気を取り直して運転席に回り込む。敏腕プロデューサーのわりには結構抜けてるな。
千奈美、お前ホントにこいつの事が好きなのか……?






「あ、そうだ。どうせなら○○ホテルの近くまで行ってくれ。アタシあの辺あんまり
 詳しくないから、ホテルまでの道を確認しときたいんだ」

「わかりました。ここからだと30分ほどで着きますから」

 ホントは去年まで近くでバイトしていたからよく知ってるんだけどな。でもどこに
行こうかって聞かれても特に思いつかないし、千奈美には悪いけどプロデューサーと
夜のドライブと洒落込むか―――――






―――



「千奈美は元気にやってるか?」

「はい。桐野さんのおかげですっかり調子を取り戻して、マスタークラスのレッスンを
 受けてますよ。トレーナーさん達も「一体何があったんだ?」と驚いています。元々
 彼女の実力だとあれくらいはこなせて当然だったんですけどね」

 ちゃんとスランプ脱出したんだな。フラれて吹っ切れたのが理由かもしれないけど。






「大事にしてやれよ。アイツはちょっとめんどくせえ女だけど、基本マジメでいいヤツ
 なんだから。アンタも色々気まずいと思うけどさ」

 アタシがそう言うと、プロデューサーは少し困ったように笑った。おっと、余計な
お節介だったな。あんたにも立場があるし、外野があれこれ言うもんじゃねえな。

「ずいぶん千奈美の事を気にかけてくれているみたいですね。千奈美も桐野さんには
 俺や他の子達より心を開いているみたいですよ」

「そんなんじゃねえよ、あいつはマジメだからな」

 アタシはおとといの夜の事を思い出していた。アタシが昔の話をした後、千奈美は
話を聞いた事を後悔したのか、すっかり黙ってしまった。そのままお互い特に会話も
なく寮まで戻ってきたけど、あれから何となく避けられてるんだよな。





「ところで桐野さん、今日政さんから聞いたのですが……」

「ああ、引っ越しの話か?心配しなくてもこの件が片付くまではあそこにいるよ」

 以前からこの件が終わったら引っ越ししようと決めていた。あの寮はアタシみたいな
ゴロツキが住んでいい場所じゃない。寮に帰ったら荷造りを始めようと思っていた。

「東京暮らしもそろそろ飽きてきたし、次は神奈川あたりにでも住んでみようかって
 思ってるんだ。まだ住む場所とか決まってないけど上京した時だってそうだったし、
 何とかなるだろ。夏は海の家でバイトするのも悪くねえな」

 前から一度、海の近くで暮らしてみたかったんだよな。それに神奈川って何となく
オシャレなイメージがあるし、湘南とか横浜とか夢が膨らむぜ。






「ウチに遠慮しなくてもいいんですよ?美波や彩華も桐野さんをとても慕ってますし、
 桐野さんがよければこのままCGプロに」「やめてくれ」



 プロデューサーの言葉をアタシは途中でさえぎった。それ以上は聞きたくなかった。







「アンタやカタギリが悪いヤツじゃないのはわかってるんだ。でもアンタは業界人で、
 カタギリはサツだ。カタギリはサツを辞めたけど、アンタ達はアタシの敵なんだよ。
 アタシはもう二度と芸能界やサツに関わりたくないんだ」



 千奈美や美波達だって同じだ。あいつらアイドルを見ていると、どうしてアタシは
アイドルになれなかったんだろうって胸が苦しくなる。アタシはV-1の選手として
芸能界に入る予定だったけど、アイドルのレッスンもしてたからな。






「すみません、桐野さんの気持ちも考えずに……」

「いや、いいよ。全部アタシが自分で撒いた種だ。気にしないでくれ」



 その後はホテルに着くまでお互い無言だった。つくづく素直になれない自分がイヤに
なってくる。アタシも千奈美に負けないくらい面倒な女だな―――――






***



「アヤさんに渡すものがあります」

 ホテルに到着した時、突然プロデューサーに言われた。

「なんだよ」

「ここで気軽に渡せるようなものじゃないので、中に入りませんか?」

 プロデューサーはそう言ってホテルの方を見た。だからさぁ……






「アンタ、最初からこのつもりだったんじゃねえだろうな……?」

「ち、違いますよ!そんなつもりじゃありませんって!1階ロビーの喫茶店ですから!」

 プロデューサーが大慌てで否定する。ホントかぁ?そんな事を言って、アイドル達を
ホテルに連れ込んでるんじゃねえだろうな?文香とか抵抗しなさそうだし。

「しませんよ!もし俺がそういう男だったら千奈美をふったりしませんでしたよ!」

 ふむ、それもそうか。そもそもこのホテルの近くに連れて行ってくれって頼んだのは
アタシの方だったな。それじゃここはプロデューサーとして、あんたの事を信じるよ。
ただし千奈美には絶対に言うんじゃねえぞ。ついでに彩華と朋にもな。





「そ、それじゃ駐車場に車を停めて来ますので、先に中に入っていて下さい」

 プロデューサーに言われて、アタシは車を降りてホテルの喫茶店内で座席を探した。
あの人一応業界人だし、出来れば目立たない席がいいよな…… ん?どうしてアタシが
こんなに気を遣わないといけないんだ?これじゃまる逢引してるみたいじゃねえか。

「奥の席…… 外の窓から離れていて…… ついでにパーテションとかあれば……」

 店内をぐるりと見回すと、ちょうど良い席が2席あった。しかし片側にスーツを着て
黒いサングラスをかけた若い男の客が座っていた。アタシがどうしようか考えていると、
その男はアタシに気付いてこちらを見た。





「隣なら空いてますよ」

「い、いいんですか?」

「ええ、お気になさらずにどうぞ」

 にこやかに言われて断るのも悪いと思い、アタシはおそるおそる隣の席に座った。
男の人はいかにもこういう所が似合いそうなスラっとしたビジネスマンだ。パーカー
姿の自分を見て、つくづくアタシはこういう場にふさわしくないなと思った。

「お待たせしました桐野さん!」

 アタシが席に座ったと同時にプロデューサーが入って来た。もうちょっと静かにしろ。
あの人は自分が業界人だって自覚が無いのか?






―――



「で、渡したいものってなんだよ?さっさと出してくれ」



 コーヒーを注文して、アタシはプロデューサーに話をふった。プロデューサーは
深呼吸をひとつして、覚悟を決めたように小さなアタッシュケースを机に置いた。






「片桐さんからお預かりしました。明日でも良かったのですが、万が一渡せない場合を
 考えて今日桐野さんにお渡しする事にしました……」

 万が一ねえ。アタシが大和亜季とケンカして帰るとでも思ったのか?いくらなんでも
さすがにそこまでガキじゃねえよ。

「ん?このケースカギがかかってるぞ。これじゃ開かねえよ」

「す、すみません、い、いいい今出しますので……」

 プロデューサーは背広の内ポケットから小さなカギを取り出す。どうでもいいけど
さっきから何をそんなに緊張してるんだアンタ?ちょっとは落ち着けよ。





「随分厳重なんだな。何が入っているんだ?」

「実は俺も知らないんです。ただ『桐野さんがそのケースを開ける時は気を付けろ』と
 警告されました。最悪1発くらいぶん殴られるかもしれないと……」

 ますます意味がわかんねえな。アタシはケースにカギを差し込んでカギを開けた。
だからアンタさっきからビクビクしてるのか。

「そんな簡単に殴ったりしねえよ。アイツは人をなんだと思って…………………………
 …………………………………………………………………………」



 ケースを開けたアタシは、中を見て硬直した。そのまま1分近く動けなかった。






「桐野さん?どうしたんで」「動くな。そこから少しでも動けばぶん殴る」

 自分でも驚くほど低く恐ろしい声が出た。プロデューサーはびくりと身を震わせる。
アタシは深く深呼吸をして、ゆっくりとケースのフタを閉めた。

「すまねえ、ちょっと危なかった……」

「い、いえ、覚悟はしていましたので……」

 アタシはコーヒーを飲んで心を落ち着ける。アンタが『これ』を渡すのに、わざわざ
人目の多い場所を選んだ理由がわかったよ。この喫茶店なら車の中と違って、アタシが
暴れたら警備員が飛んでくるからな。





「それからもうひとつ。桐野さん宛にお手紙を預かっています」

 プロデューサーは自分のカバンから1通の茶封筒を取り出した。表には何も書かれて
いなかったけど、裏返すとゴツゴツと角ばった文字で『綾へ』と書いてあった。それは
お世辞にも綺麗な文字じゃなくて、母さんも呆れていた―――――



 ―――――父さんの字だった






つづく






***



 封筒には宛名も切手もない。おそらく手渡しだ。という事は、

「……カタギリは父さんと母さんに会ったのか?」

 アタシの手元にある『コレ』も、カタギリが直接父さん達の元へ行って預かったと
考えれば納得出来る。段ボールに詰めて郵送してきたのかもしれないけど、父さんは
アタシが『コレ』をどれだけ大事にしていたか知っているから、信頼できる相手じゃ
ないと渡さないだろう。カタギリはそれだけ信頼されているということか。







「詳しい話は全てその手紙に書いていると聞いています。片桐さんや俺の言葉よりも、
 お父様直筆の手紙の方が桐野さんも信頼出来るでしょう」



 プロデューサーはアタシに手紙を読むように促した。アタシは震える手で封筒から
手紙を取り出す。手紙は便せん3枚で、父さんと母さんの現状が詳しく書かれていた。
アタシはゆっくりと上から読み進めていった。






 手紙によると、父さんは去年福岡の病院から母さんの療養の為にバリ島に移住した
らしい。新婚旅行で行ったそうで、老後は南の島で暮らしたいと母さんは言ってた。
父さんはバリ島に行けば、母さんも記憶を取り戻すのではないかと思ったそうだ。

 最初は一種の賭けだったが、思った以上に効果があったそうで母さんは劇的に記憶を
取り戻していったらしい。そして今ではアタシの事もすっかり思い出しているそうだ。
母さんが落ち着いてきた頃を見計らって、父さんは全てを話したらしい。

 アタシがヤンキーキラーをやっていた事を父さんは知っていた。手紙には父さんが
それを知るまでの経緯と、アタシが福岡を出た後の事も詳しく書いてあった。





 先生はアタシが夜中にこっそり抜け出しているのを知ってたらしい。だけど家の中に
ずっと閉じ込めておくのはかわいそうだと思ってたし、朝にはちゃんと帰って来るから
気付かないふりをしていたそうだ。まさか特攻服を着て暴走族とケンカをしていたとは
夢にも思ってなかったらしいけど。

 家出をした時にアタシが残した書置きを見て、先生は慌てて警察に捜索願を出した。
そこで先生は、アタシがヤンキーキラーとして大暴れしていた事を知らされたそうだ。
どのみちアタシはもう福岡に戻れないから探すのは諦めろと言われて、キレた先生は
警官をぶん殴って留置所に一泊したらしい。

 先生は後に無罪放免で釈放されたけど、警官が言った通りアタシが福岡に戻るのは
もう難しいと思ったそうだ。それで捜索は続けるものの、新しい土地で元気にやって
いるなら無理に連れ戻す事はしないでおこうと父さんと話し合ったらしい。父さんも
アタシが心配だったけど、母さんの事もあるからそれで頷くしかなかったそうだ。





 アタシの事を思い出した母さんは、それを聞いてひたすら泣いたらしい。母さんは
ヤンキー共にひどい目に遭わされたのに、まったくアタシを恨んでなかった。自分が
記憶をなくしてしまったせいで、アタシを1人にしてつらい思いをさせてしまったと
ずっとずっと泣いていたそうだ。

 現在、父さんと母さんはバリ島の土産物屋で働いているらしい。アクセサリー類や
かばんを観光客向けに販売しているそうだ。アタシの『コレ』を入れていたケースは、
現地の職人さんに特注で作ってもらったらしい。

 手紙の最後に、アタシもバリ島に来てまた一緒に家族3人で暮らさないかって書いて
あった。アタシの気持ちもあるだろうから無理にとは言わないけど、父さんも母さんも
待っているからいつでも来なさいと住所と電話番号も書かれていた―――――






―――



「ふぐっ、ぐうっ、うえええええぇぇぇぇぇ……」

 手紙を読んだ後、アタシはしばらく涙が止まらなかった。父さんが元気で良かった。
母さんが無事で良かった。それだけで今まで背負っていたものがずいぶん軽くなった。
ケースを胸に抱きしめて、アタシはひたすら泣いた。

「片桐さんからだいたいの話は聞いています。この件が片付けば完全に元通りとまでは
 いかなくても、あなたは今のように1人隠れるように生きなくてもよくなるはずです。
 ですからどうか、どうかご自身の今後の人生をもっと前向きに考えてください」

 目の前のプロデューサーも少し泣いていた。アンタもカタギリも、ホントにお節介で
余計な事ばかりするよな。ちょっとはプライバシーってもんを考えやがれってんだ。







「アンタ達にアタシの人生をどうこう言われる筋合いはねえ。だけど礼は言っとくよ。
 あ、ありがとな……」



 アタシは涙をぐしぐしとパーカーの袖で拭って、ケースに手紙を入れてカギをかけた。
これでもう思い残すことはないな。明日刑務所にぶちこまれてもいいや。時計を見ると
夜の11時を過ぎたところだった。すっかり遅くなっちまったな。






「わざわざ時間とらせちまって悪かったな。アンタも忙しいだろうにすまねえ」

「いえ、こちらこそ夜分に申し訳ありませんでした。寮の近くまで送りますよ」

 アタシとプロデューサーは席を立った。だけどアタシはいっぱい泣いた後だったから
立ちくらみがして、そのまま隣のビジネスマンの方に倒れてしまった。ビジネスマンが
かけていたサングラスが落ちる。





「おっと、大丈夫ですか?」

「す、すみません!」

 アタシは慌ててプロデューサーの方に飛んだサングラスを拾いに行った。すると妙な
空気を感じて、何となく顔をあげた。そこにはプロデューサーが目を見開いて固まって
いて、その視線の先にはビジネスマンがにこやかに笑っていた。






「…………何やっているんですか、真奈美さん?」



「フッ、バレてしまったか。君の貴重なプライベートタイムに干渉しないように静観を
 決め込むつもりだったのだが。私は今日ここに宿泊するからいたのだが、君の方こそ
 こんな所で何をしているんだい?」



 真奈美さんと呼ばれたビジネスマンはそう言って、オールバックにしていた髪を前に
おろして軽く手ぐしで整えた。ん?この顔どこかで見たような……






「あ!アンタ確かカタギリのパーティーにいた……!! 」

 思い出した!音葉と詩織に話しかけていた長身のモデル女だ!……って女だったのか!?
アタシは完全に男だと思ってたぜ……

「私も君をパーティーで見かけたよ。はじめまして、木場真奈美だ。こんな格好をして
 いるがCGプロでアイドルをやっている。ウチのアイドルが世話になっているな」

木場さんは自己紹介をして、あぜんとしているアタシ達の顔を見て笑った―――――





***



「君も手が早い男だな。彼女をホテルに連れ込んで一体どうするつもりだったんだい?
 いくら彼女はアイドルではないとはいえ、未成年相手に感心しないな」

「ち、違いますよ!誤解ですから!」

 木場さんにからかわれて、プロデューサーは慌てて否定する。アタシは蚊帳の外だ。
えっと、とりあえず帰ってもいいっすか……?






「今からあの寮まで帰るのかい?もう遅いし、今日はホテルに泊まっていけばどうだ。
 君は明日もここに来るのだろう?」

 木場さんにじろりと見られてアタシはぎくっとする。プロデューサーもびっくりした
顔をしている。どうして知ってるんだこの人……

「実は今日の昼、早苗さんと一緒にランチをしてね。明日このホテルのレストランで君と
 ランチをする予定なのだが、九州の人間はどういう料理が好きなのかを聞かれたんだ。
 私は長崎出身だが、アメリカ暮らしの方が長いからあまり力になれなかったがな」
 
 なるほど、カタギリが絡んでいたのか。確かに時間的にちょっと早い昼飯時になるな。
どうやら大和亜季の事とか、余計な事は言ってないみたいだ。





「桐野アヤ君と言ったね。私も以前から君に興味があったんだよ。どうだい?明日に
 響かないように配慮するから、私の部屋で女同士腹を割って話をしないか?」

 そ、そんな事を急に言われても…… 確かに今から寮に戻るのもしんどいけどさ。

「でしたら俺が部屋を取りますので、桐野さんは俺と一緒に……」

「はあっ!? 何考えてんだよアンタは!! 」

「ち、違いますよ!そんなつもりはありませんから!」

「いや、私もどう考えてもそういうつもりにしか聞こえなかったのだが」

 アタシはプロデューサーから逃げるように木場さんの後ろに回り込んだ。木場さんは
アタシの背中を軽くぽんぽんと叩いて、安心させるように笑った。






「すまない。彼はアイドルのプロデュースについては全く非の打ちどころがないのだが、
 レディのエスコートとなると全く見当違いの事ばかりしてね。早苗さんならともかく
 一般女性の君を彼に任せるのは不安だから、やはり今夜は私が君を預かるよ」



 木場さんはそう言って、アタシの肩に手を回してくるりとホテルのエレベーターへと
連れて行った。男のプロデューサーは論外として、オ○ベっぽいアンタもちょっと心配
なんだけど。まさかアンタ、ソッチ系の人じゃないよな……?







―――



「さぁ、遠慮せずに入ってくれ」

「お邪魔します……」

 木場さんに案内されて入ったのは、ホテルの中でも特に高そうなツインの部屋だった。
大きなベッドが2つ並べられていて、アメニティグッズも二人分だ。






「だ、誰かと泊まる予定だったんですか?アタシお邪魔虫なんじゃ……」

「気にするな、遅れる方が悪い。さて今何時だ……?」

 木場さんはちらりと腕時計を見ると、ホテルのクローゼットを開けて上着とネクタイを
ハンガーにかけた。そしてクローゼットの中を確認してからアタシの方を見た。





「少しこの中に入っていてくれないか?」

「へ……?」

 木場さんはアタシがまったく予想していなかった事を言った。アタシがぽかんとして
動かなかったので、木場さんはアタシの手を引いてクローゼットの中に押し込むように
入れてドアを閉めた。

「な、何しやがるんだ!? 」

「静かに。理由は後で話すから、しばらく息をひそめてじっとしていてくれ」

 木場さんはそう言うと、アタシの靴や持っていた荷物を手早く隠した。そしてお茶を
沸かしてテレビを点けて、まるで最初から自分1人でくつろいでいたかのように部屋を
細かくセッティングしはじめた。





(なんでアタシが間男みたいなマネをしなくちゃいけねえんだよ!)

 今すぐクローゼットから飛び出して文句を言いたかったが、何となく言える雰囲気じゃ
なかった。木場さんはすごく真剣で、気軽に声をかけられる感じではなかった。



木場さんはコーヒーを片手に窓の外を見て、アタシはクローゼットの中で体育座り。
そのまま5分くらいじっとしていると、ドアをノックする音が聴こえた。木場さんは
ゆっくりコーヒーをテーブルに置いて、ドアに向かった。






「遅いぞ亜季。いつまで待たせるつもりだ」

「申し訳ございません真奈美殿!先ほど叔父達からやっと解放されたところであります!
 この処罰はいかようにでも!」

「もう遅いから大声を出すな。さっさと入れ」

「失礼します!」

 木場さんと一緒に入って来たのは、千奈美と同じくらいの背丈の女だった。レプリカの
軍服を着て、化粧っ気の無いさっぱりした雰囲気の軍人みたいな女だ。






(ん?軍人?おいおい、もしかしてこの女って……)



 さっき木場さんはこの女を何と呼んだ?よくある名前だが、まさか……






「二三一五、大和亜季到着であります!ではさっそく作戦を開始します!」

「いちいち口に出さないと行動出来ないのかお前は。さっさとしろ」

「いたっ!? 相変わらず真奈美殿は厳しいでありますな……」



 木場さんに頭をはたかれて、大和亜季は部屋に自分が持って来た荷物を広げ始めた。
まさかこんな形であの大和亜季にお目にかかるとは思ってなかった。アタシはまだ頭が
追いつかない。木場さん、アンタどういうつもりでこんな事したんだ―――――?






木場真奈美(25)
http://i.imgur.com/B2UzN7R.jpg

大和亜季(21)
http://i.imgur.com/c0AaTGw.jpg
http://i.imgur.com/p4ERgUQ.jpg






つづく




訂正

>>532
× プロデューサーに言われて、アタシは車を降りてホテルの喫茶店内で座席を探した。
 あの人一応業界人だし、出来れば目立たない席がいいよな…… ん?どうしてアタシが
 こんなに気を遣わないといけないんだ?これじゃ【まる】逢引してるみたいじゃねえか。


○ プロデューサーに言われて、アタシは車を降りてホテルの喫茶店内で座席を探した。
 あの人一応業界人だし、出来れば目立たない席がいいよな…… ん?どうしてアタシが
 こんなに気を遣わないといけないんだ?これじゃ【まるで】逢引してるみたいじゃねえか。

>>558
× 木場さんはそう言うと、アタシの靴や持っていた荷物を手早く隠した。そして【お茶】を
 沸かしてテレビを点けて、まるで最初から自分1人でくつろいでいたかのように部屋を
 細かくセッティングしはじめた。

○ 木場さんはそう言うと、アタシの靴や持っていた荷物を手早く隠した。そして【お湯】を
 沸かしてテレビを点けて、まるで最初から自分1人でくつろいでいたかのように部屋を
 細かくセッティングしはじめた。





***



「ふむ、少々味が濃いな。塩を入れ過ぎじゃないか?」

「ですがある程度濃い味付けにしないと、兵士達も食欲がわかないそうです」

「しかしこんなに濃いと水が欲しくなるだろう。安全な水が手に入る環境であるならば
 それでも問題ないかもしれないが、いつでもそうとはいくまい」

「それもそうですね。では改善案をメーカーにあげておきます」

 木場さんと大和は、ホテルの部屋にレーションを並べて味見を始めた。いやいや、
何やってんだよアンタ達。実況してるアタシがバカみたいじゃねえか。






「仕事は順調なのか?すっかりレーションの販売員が板についてるように見えるが」

「違います!あくまで私の所属は民間の傭兵会社です!……後方支援部門ですけど。
 おかげですっかり世界中のレーションに詳しくなりましたよ」

 大和はやや不満そうに言った。へえ、そうだったのか。てっきり戦場で銃とか持って
ドンパチやってると思ってたんだが、現実はそんなもんなんだな。





「くっくっ、いいじゃないか。会社には軍のOBもいるし、働きぶりが目に留まったら
 そのまま軍人への道も拓けるかもしれないぞ?」

「レーションの発注と事務の働きぶりで注目を集めるのはやや困難ですな……」

「だからこうして私もモニターとして協力しているだろう?めげずに頑張れよ」

 木場さんは愉快そうに笑いながら大和を励ます。ずいぶんと仲が良さそうだな。2人は
どういう関係なんだろう?





「ところで真奈美殿、今日はハリウッド仕込みの変装を見せてくれると伺ったのですが、
 私にはいつもの真奈美殿にしか見えませんよ?」

「ほんのついさっきまで完璧な男装をしていたのだが、少々アクシデントが発生してな。
 機会があれば今度また見せてやるよ」

「それは残念であります。私は変装や潜入作戦の類は不得手なものですから、今日は
 真奈美殿を見て勉強させて戴こうと思っていたのですが」

「そうだな。早苗さんの退官パーティーでお前を見かけた時は自分の目を疑ったよ。
 お前があまりにも堂々とうろついていたから驚いたぞ」

「あはは…… あれでも一応潜入していたつもりだったのですが……」

 ここでようやくアタシにもわかる話が出て来た。木場さんはこの前のカタギリ主催の
パーティーで大和を見かけて、今日こうして会う事にしたらしい。ついでに木場さんが
さっきまであんなカッコをしていた理由もわかった。





「あれは潜入とは言わん。普通にパーティーに参加して飲み食いして帰っただけだろう。
 結局お前は何しに日本に帰って来たんだ?早苗さんとはどういう関係だ?」

「申し訳ありません。いくら真奈美殿でもそれは話せません」

 大和は勘弁してくれと頭を下げた。木場さんはふう、とため息をついた。

「まあ大体想像はついてるがな。警察の早苗さん、CGプロの寮で管理人をしてる彼女、
 そして大和一族のお前とくればV―1」「わ―――――っ!! わ―――――っ!! 」
 
 大和は大慌てで木場さんの口を抑える。どうやら木場さんはアタシの正体も知ってる
みたいだな。それどころかV―1の件もかなり詳しそうだ。





「本当に勘弁して下さいよ、これは私だけの問題ではないのですから……」

 少し疲れたように、元気のない小さな声で大和は言った。さっきまでの明るい雰囲気と
違って、落ち込んでいるように見えた。

「私は自分の与り知らぬところで起こった事とはいえ、彼女と彼女の関係者に取り返しの
 つかない事をしてしまいました。今も自分が許せません……」

 大和は拳をぎゅっと握りしめた。その手はぶるぶると震えている。





「早苗殿に会わなければ、私はそのまま何も知らずに彼女への贖罪の機会を永久に失う
 ところでした。彼女はおそらく私を許してくれないと思いますが、私は彼女に出来る
 限りの償いをさせて戴こうと思ってます」

 大和はうつむいていた顔をあげ、木場さんをまっすぐに見た。その目はさっきまで
とはまるで別人のようで、腹を括った人間の顔に見えた。

「フッ、お前は負け戦をしない主義だと思っていたのだがな。そこまで覚悟している
 なら私から言う事は何もあるまい。潔く負けて来い」

「勝ち負けではありませんよ。彼女の長く続いた孤独な戦いが終わるだけです。私は
 その手伝いをする為に帰って来ました」

 木場さんはそれ以上この件に追及せず、黙って大和の肩をぽん、と優しく叩いた。
大和は服の袖で顔をぐしぐしと拭いて、不器用に笑顔を作った。





「やはり今日は退散します。これ以上真奈美殿と一緒にいると、また余計な事を喋って
 しまいそうですから。それは彼女の為にもよくありません」

 大和はてきぱきと自分が持って来た荷物をまとめ始めた。木場さんは小さくため息を
ついて、その様子を黙って見ていた。

「相変わらず律儀な女だな。私は既にこの件の全容をほぼ全て把握しているのだが」

「ですが完璧ではないでしょう?真奈美殿の推測の部分もあるはずです。私の事はどう
 思って戴いても構いませんが、彼女と彼女の為に奔走した早苗殿の事を悪く思うのは
 おやめ下さい。彼女達2名は最初から最後まで正しく善人です」

 バッグを肩に背負って、帽子を被り直した大和は出口へ向かった。木場さんは大和の
背中に小さな声でぽつりと言った。





「……私はお前も善人だと思うぞ。全てを知っていたのにお前に何も教えなかった私は
 間違いなく悪人だがな」

「いいのです。真奈美殿のお気持ちもよくわかっていますから。貴女がアメリカで見ず
 知らずの私に何かと世話を焼いてくれたのは、その償いもあったのでしょう?それに
 この件に悪人がいるとすれば、私以上の悪人は存在しないでしょう」

「すまなかった……」

「真奈美殿を恨んでなどいませんよ。誰もが早苗殿のように強く正しく出来るわけでは
 ありませんから。では私はこれで失礼します」

 大和はそのまま振り返らずに部屋を出て行った。木場さんはふう、とゆっくりと一息
ついてベッドに腰掛けた。そのままの姿勢で5分くらいじっと俯いてから、静かに顔を
上げてアタシのいるクローゼットの方を見た。





「もう出て来ていいぞ。しかし窓には近づくな。おそらく大丈夫だとは思うが、亜季が
 ホテルの外から見ているかもしれないからな」

 アタシは四つん這いになって、クローゼットから音を立てずに出て来た。木場さんは
そんなアタシを見て、ふっと緩んだ表情をした。

「アンタ一体何者だ?ただのアイドルってわけじゃねえよな……?」

「今はただのアイドルだよ。少し前までアメリカと日本を行ったり来たりするフリーの
 スタジオボーカリストだった。しかし君が今気にするのはそこではないよ、青島綾君」

 本名を呼ばれても特に驚きはしなかった。さっきも大和に言ってたけど、木場さんは
この件の全容をほぼ全て把握しているらしい。でも一体何のために?





「私はこの3ヶ月間、ずっと君の様子を探っていた。君だけじゃない。早苗さん、村上組、
 CGプロとP君の動きもな。事務所が本業を忘れておかしなことをやり出したらすぐに
 アイドル達を連れて辞めてやるつもりだったのだが、まさか亜季をアメリカから連れて
 来るとは思わなかったよ」

 すっかり冷めたコーヒーを飲んで、木場さんはゆっくりと真剣な目でアタシを見た。

「私が君に言いたかったのは、この状況を正しく理解しろということだ。誰が味方で誰が
 敵かは君の考え1つで全て変わる。誰も信じられないと目をつぶり、耳を塞いでいては
 君は必ず後悔する事になるぞ」

 アタシは木場さんに心の中を見抜かれたような気がしてドキっとした。前に巴にも似た
ような事を言われた。この人はアタシに大和亜季と戦えと言ってるんだ―――――






―――



「昨日の敵は今日の友という言葉があるなら、今日の友は明日の敵になるかもしれない。
 結局最後の最後まで自分の味方でいてくれるのは自分だけということだ」

 木場さんはホテルの冷蔵庫の中からミネラルウォーターを取り出し、アタシに渡した。

「やむにやまれぬ事情があって会社にリストラされる事だってあるし、信じていた仲間に
 裏切られる事だってある。しかしそれらを恐れていたら、この社会で生きて行く事など
 出来ない。ある程度のリスクは常に覚悟しなくてはいけないんだよ」

「話が見えねえ。何が言いたいんだよアンタは」

 アタシは難しい話は嫌いだ。さっさと結論を言ってくれ。





 
「私は君が福岡で大暴れをする前まで、トッププロとよく仕事をしていた」

 突然木場さんの口から出たトッププロという言葉に、アタシは固まった。

「あそこは昔は良い事務所だった。アイドルもスタッフもとても輝いていて、フリーの
 私も入社して働きたいと思うほどだったよ。V―1に手を出さなければ、トッププロは
 今のようにおちぶれる事はなかっただろうな……」

 木場さんは昔を思い出すように、寂しそうな目をして言った。





「V―1をトッププロに持ちかけたのは、福岡のとある極道と亜季の叔父の1人だ。亜季の
 家は代々軍人の家系で、西日本を中心に自衛隊や警察に巨大な派閥を持っている。君も
 見た通り亜季は正義感あふれるまっすぐな人間だが、親戚までもが全員そうではない。
 あいつは自分の叔父の1人に、V―1に売り飛ばされそうになったんだよ」

 大和亜季も被害者だっていうのかよ。でもだからってアタシが納得すると思うか?

「私は事実を話しているだけで、亜季をかばうつもりはないよ。V―1は亜季の為だけに
 作られた興行と言っても過言ではない。亜季を看板選手として、極道と亜季の叔父が
 一儲けを企んだんだ。だから君が福岡で起こした一連の事件を警察は全力で隠蔽した。
 件の亜季の叔父は警察にかなりの力を持っていたらしいからな」

 警察関係者と極道が結託して、芸能界で金儲けをしようとしたのがそもそもの発端か。
やっぱりサツとヤクザは似た者同士だな。





「君から見れば全て敵だろうが、私に言わせてもらえば元凶はこいつらだよ。亜季も
 トッププロも被害者だ。亜季はタッチの差で渡米したから実害はほぼゼロだったが、
 利用されて喰い物にされたトッププロは悲惨だったぞ」

 アタシは最後に会った時のトッププロのスカウトマンを思い出していた。そういえば
土下座していた時、昔と違ってヨレヨレのスーツで疲れた顔をしていたな……

「トッププロはV―1を失敗させてしまった責任を取る為に、各方面に多額の賠償金を
 支払う羽目になった。V―1は芸能界や極道など、ありとあらゆる業界を巻き込んだ
 巨大プロジェクトだったから、支払った額も膨大だっただろう。トッププロは業界で
 3本の指に入る巨大な事務所だったが、この件で一気に大手から凋落した」

 木場さんの話ではトッププロは賠償金を支払いきれず、いまだにヤクザにたかられて
いるらしい。V―1の話に乗った時点でトッププロも全くの被害者ではないけれど、昔を
知っている木場さんには辛いものがあるそうだ。





「しかし本当に気の毒だったのは、V―1とは関係なくトッププロでアイドルをしていた
 女の子達だ。彼女達は賠償代わりに枕営業をさせられたり、AVに売り飛ばされそうに
 なった。私は自分の力とコネをフルに使って可能な限り彼女達を救ったけれど、中には
 間に合わなかったり、最後までトッププロを信じて説得出来なかった子もいた」

 木場さんはその時CGプロにかなり助けてもらったから、その恩返しの為にフリーの
スタジオボーカリストから転職して、今はCGプロでアイドルをやっているらしい。

「誤解しないでほしいのだが、私は君が悪いと言ってるわけではない。だが君だけが
 被害者ではないことも知っておいて欲しい。V―1はどのみち長くなかっただろう。
 君が何もしなくとも、遅かれ早かれ潰れていたに違いない」

 木場さんによると、V―1は潰れるべくして潰れたらしい。ただアタシが大暴れした
せいで潰れた余波が予想以上に大きく、福岡だけでなく東京も対応に追われたそうだ。
2年経った今ではようやく落ち着いたが、今もV―1の話は業界のタブーらしい。





「なぁ、もうひとつ聞いてもいいか……?」

「何だい?私に答えられる事なら何でも教えてあげるよ」

 アタシはずっと気になっていた事を木場さんに聞いた。

「カタギリがサツを辞めたのは、やっぱりアタシのせいなのか……?」

 アタシの言葉に木場さんは少し目を見開いて驚き、優しく笑ってくしゃっとアタシの
頭をやや乱暴に撫でた。アタシは頭をふってその手から逃げた。






「正確には本人に聞かなければ分からないが、業界でV―1がタブー視されているなら
 警察でもタブーになっているだろう。早苗さんはそのタブーに挑んだんだ。君を助ける
 為か警察の仲間や部下達の為か、はたまた自分の正義の為か分からないが、あの人は
 どうやらそういう人らしい」



 相手は当時の福岡県警と、裏で隠蔽を指示した強大な大和派閥。やっとの思いで隠し
通したのに、今更事件の真相を掘り返されてはたまらない。大和派閥は警視庁にもいる
から、この事件を暴く事は警察全体に嵐を巻き起こす事になる。カタギリはその責任を
自分1人で背負う為に、警察を辞めたのだろうと木場さんは言った。






「ひどい事を言うが、早苗さんにはウチを巻き込まないで欲しかったよ。トッププロの
 アイドル達の二の舞になるのではないかと、私はこの3ヶ月間気が気ではなかった。
 しかし君は亜季が言った通りの善人で、早苗さんは私の想像以上にしたたかだった。
 それどころか君達は拓海と千奈美を助けてくれた。私からも感謝する」

 木場さんはアタシに頭を下げた。あれはたまたま偶然だよ。アタシはただケンカした
だけで、後始末はカタギリが引き受けてくれたし。礼ならカタギリに言ってくれ。

「結局全ては私の杞憂だったというわけだ。どうもフリーの期間が長すぎると、他人を
 簡単に信用出来なくなるからいけないな。いつ手のひらを返されるかわからないから
 つい疑心暗鬼になってしまう。私の悪い癖だ」

 木場さんはばつが悪そうに笑った。それは1人で生きて行く為なら当然のスキルだと
思うけどな。でもアンタは他人を完全に信頼せずとも、社会にうまく溶け込んで立派に
やってるじゃねえか。アタシには真似できそうにねえや。





「しかし組織に属していようが個人で活動していようが、常に危機感と警戒心は持って
 おいた方がいいとは思うぞ。自分の人生は自分だけのものだから、組織の言いなりに
 ならずに私達はどう生きたいのか常に考えて行動するべきだ。そうだろう?」

 アンタみたいに人生経験が豊富だったら、アタシもそうやって生きたいと思うけどな。
高校もロクに卒業していない19そこらのガキにはちとキツいぜ。

「そんな事はないさ。君と同じ19歳で、たった1人でこの業界を相手に戦い続けた女を
 私は知っているぞ。トップアイドルになるという夢をひたすら追い求め、何十社もの
 事務所を渡り歩いてきたじゃじゃ馬が君の近くにいるだろう?」

……なるほど、確かにアイツならやりかねねえな。





「くっくっ、ご明察だ。千奈美は東海地区では『プロデューサー泣かせ』として有名な
 アイドルだったぞ。あいつに振り回されたプロダクションは星の数ほどある。彼女を
 射止めたCGプロは大したものだよ」

 文字通りハートを射止められちまったんだけどな。でも今は自分の居場所を見つけて
楽しくやってるからよかったじゃねえか。大した女だよ。

「亜季も19の時に軍人になる夢を求めて渡米した。日本では厳しい両親が自衛隊に入隊
 するのを認めてくれなかったから、家出同然でアメリカに渡ったそうだ。ロクに英語も
 話せなかったから苦労したそうだぞ」

 木場さんはV―1の事件を追って大和亜季の存在を知り、アメリカの伝手を頼って接触
したらしい。最初は亜季から大和派閥の動向を探ろうとしたけど、世話を焼いてるうちに
いつの間にかすっかり懐かれて、妹みたいに可愛がっていたそうだ。





「なんか…… 悪かったな。アタシのせいで気まずくさせちまって……」

「フッ、君は本当に優しい心の持ち主だな。そのケースの中に入っている物を見れば、
 納得出来なくもないが」

 しんみりした空気が一気に吹き飛んで、アタシは自分の顔が真っ赤になるのを感じた。
木場さんはそんなアタシを見ておかしそうに笑った。

「み、見たのか……?」

「見るつもりはなかったのだが、君がそのケースを開けた時に隣に座っていたからな。
 安心しろ、秘密にして欲しいのなら墓まで持って行ってやるよ」

 そういえばそうだったな、目の前に座っていたプロデューサーに気を取られていて、
隣に座っていた木場さんの事をすっかり忘れていた。木場さんは話は終わりだという
ようにベッドから立ち上がった。






「口止め代わりと言っては何だが、明日亜季に会う前にもう一度ゆっくり考えてみて
 くれ。亜季を許してやってくれとは言わないが、彼女の本音は君も聞いた通りだよ。
 P君も言ってたが、君も今後の身の振り方をよく考えてみてはどうだ?」



 それだけを言って、木場さんはバスルームに向かった。シャワーの音が聴こえてきた
のを確認して、アタシはプロデューサーから受け取ったケースをこっそり開けた。







「アタシはどうすればいいんだろうな……?」



 ケースの中には、アタシが昔大事にしていた人形が2体入っていた。父さんの手紙に
よると、バットで頭を殴られて倒れていた母さんが胸に抱えていたそうだ。他の人形は
全部壊されていたみたいだけど、この2体だけはほぼ無傷だった。



「父さん…… 母さん……」



 人形をそっと抱きしめて、木場さんが戻って来るまでアタシは少し泣いた―――――






つづく






***



「ん…… もう朝か……」

 携帯のアラームを止めて、アタシはベッドからゆっくり起きた。隣のベッドで寝てた
木場さんはいなかった。服やカバンもなくなってたから、どうやら先に出たみたいだ。

「いつ出て行ったんだあの人?まだ7時だぞ……」

 テーブルの上にあった書置きを手に取る。そこには『クローゼットを確認しろ』とだけ
書かれていた。また中に隠れてろって指示じゃねえだろうな?





「ん?スーツかこれ?」

 中を見ると、そこには紺色のスーツ一式と白いシャツがハンガーにかけられていた。
スーツにはテープで手紙が貼りつけられていたので、それを読む。

「『ホテルに頼んで着替えを準備してもらった。既製品だがパーカーとジーンズよりは
 いくらかマシだろう。私からの餞別だと思って受け取ってくれ』か。今から帰って
 着替えるのも面倒だし、もらっとくか」

 シャワーを浴びて木場さんが用意してくれたスーツに着替える。ご丁寧に下着まで
準備してくれて、至れり尽くせりだな。





「はは、まるで就活でもするみたいだ」

 今までこんなカッコしたことなかったから何か落ち着かないな。髪型も変えた方が
いいかなって思ったけど、面倒だから結局いつものスタイルに落ち着いた。

「っと、そろそろ出るかな」

 昨日の夜に木場さんが言ってたけど、このホテルは警察や自衛隊関係者御用達らしい。
あまり長居すると大和に気付かれるかもしれないから、ホテルのモーニングには行かない
方がいいと言われて朝飯代わりのレーションをもらった。





「外で食うか。近くに公園があったっけ?」

 ドアの前には黒いパンプスが置いてあった。靴まで準備してくれたのかよ木場さん。
確かに上はスーツで下はスニーカーってのはおかしいけど、抜かりねえな。

「全部終わったらお礼言わないとな……」

 新品のパンプスを履いて、荷物を持ってアタシは部屋を出た。






***



「ごちそうさん。さてと、これからどうすっかな」

 レーションを食べて携帯の時計を確認すると8時を少し過ぎたところだった。約束の
時間まで2時間近くある。寮に戻るには中途半端だし、近くのサ店やコンビニで時間を
潰すには長すぎる。かといってこのまま公園でボーっとしてるのもヒマだな。

「ん?電話?」

 ふと携帯が震えたからポケットから取り出して確認する。そこには『向井拓海』と
表示されていた。そういえばこの前パーティーの時に番号教えたっけな。






「もしもし?どうしたんだよこんな朝っぱらから」

『あ、お、おはよう。今ちょっといいか……?』

 電話口の拓海はやや緊張しているみたいだった。何か用事でもあんのか?

『今○○ホテルの前にいるんだけどさ、5分だけでも会えねえか……?』

 はぁ?何でお前がここに来るんだよ?カタギリが呼んだのか?





「今そのホテルの近くの公園にいるよ。正面入り口から向かって右方向に500メートル
 くらいってところかな。話があるならこっちで聞くぜ」

『わかった。じゃあ今からそっちに行く』

 拓海はそう言って電話を切った。それから少しして、デカいオートバイに乗った
セーラー服にフルフェイスのメットを被った女子高生がやって来た。なんてカッコ
してんだよアイツ。退学になっても知らねえぞ。






―――



「巴に聞いたんだ。アンタが今日あのホテルですげえ強いヤツと勝負するらしいから、
 応援してやれってな。だからガッコ行く前にちょっとだけ寄った」

「何の応援だよ。お前に心配されるほどアタシは弱くねえっての」

「そりゃアンタが強いのは知ってるけど、あの巴がマジなカオして言うからさ……」

 拓海は居心地が悪そうに、腕の中のヘルメットをくるくると回しはじめた。こうして
2人でいると、初めて出会った時の雨の中のコインランドリーを思い出すな。あの時は
コイツの腕の中にいたのは猫だったけど。






「学校ちゃんと行ってるのか?」

「おう。単位落とさないようにしっかり通ってる。勉強も頑張ってるぜ」

「アイドルの活動はどうなんだ?うまくやってんのか?」

「最初は周りのヤツらに怖がられてたけど、猫のおかげでちょっとづつ仲良くなったよ。
 今度の仕事で海外ツアーがあってさ、今の目標はそのメンバーに選ばれることだな」
 
「そりゃ良かったな。猫は元気か?パーティーの時はあまり構ってやれなかったけど、
 でっかくなってたな」

「そりゃあれから3ヶ月経つし…… って、アタシのハナシじゃなくてよぉ!」

 拓海は大声を出してベンチから立ち上がる。なんだよ急に。ストレス溜まってんのか?





「アンタがどうなんだって聞いてんだよ!アタシはよく知らないけどさ、アンタが今日
 会うのはかなりヤバいヤツなんだろ?巴はヤクザよりヤバいって言ってたぞ」

 そりゃ国家権力だからな。しかもサツだけじゃなくて軍関係者までいるみたいだし、
本気を出したらヤクザなんて相手にならないだろ。

「お前が心配するようなことは何もねえよ。ちょっと会って話するだけだ。カタギリも
 いるし、物騒なことは起こらねえよ」

 アタシがそう言って笑い飛ばしたのを、拓海は心配そうな顔で見ていた。そんな顔
すんなよ。こうなったのはある意味当然の結果だからな。





「お前も気付いてると思うけど、アタシも昔は地元でかなり派手に暴れちまってさ。
 そのツケが今になって来たんだ。やっぱ悪いことはしちゃいけねえな」

 アタシは大和亜季と戦うんじゃなくて全部終わらせるだけだ。自分が起こしたことの
責任は自分が取る。世の中はそういう風に出来てるみたいだ。

「初めてお前に会った時は面倒なヤツが来たと思ったけど、お前がアタシのアパートに
 来てくれたからカタギリに会えたし、何だかんだで今日の話し合いにつながったんだ。
 これからどうなるかわかんねえけど、今のうちに礼は言っとくよ」

 アタシがそう言うと、拓海は恥ずかしそうに顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。
こういう所は相変わらずウブだなこいつ。






「礼を言うのはこっちの方だぜ。アンタがあの時助けてくれたから、アタシはこうして
 いられるんだ。今もマジで感謝してる」



 礼ならカタギリに言え。アタシはいつだって何の考えもなしに気に入らねえヤツを
ぶん殴ってるだけで、事件の解決は他人に丸投げしてきたからな。ホントにオマエの
事をどうこう言えないくらいアタシもガキだよ。






「っと、もう8時半だな。お前学校大丈夫か?いくらバイクでもそろそろ行かないと
 遅刻するんじゃねえのか?」

「どのみちもう間に合わねえよ。でもアンタが気にする事はねえ。これはアタシが
 したくてやったことだからな」

「そうかい。でもちゃんと学校には行けよ。それがお前の責任だからな」

 拓海は黙って頷いて、メットを持って立ち上がった。そしてそのままバイクに向かう。
その後ろ姿がセーラー服なのに妙にサマになっていて、カッコいいなと思った。





「……アンタ、いなくなったりしねえよな?」

 拓海は振り返らずにぽつりと言った。ムショに連行されたら強制的にいなくるけど、
もし無事に帰れたとしてもあの寮に戻るかはわかんねえな。

「今度猫連れて行ってやるから、勝手にいなくなるんじゃねえぞ」

 拓海は一方的にそう言って、メットをかぶってバイクで走り去った。アタシの都合は
無視かよ。ちょっとはこっちの話を聞きやがれってんだ。





「ありがとよ、拓海」

 アタシは独り言をつぶやいた。アイツには余計なお世話だって言ったけど、心配して
わざわざ来てくれたのは素直に嬉しかった。それにああやって元気に女子高生アイドル
やってる拓海を見ると、アタシもなんだか嬉しくなった。

「アタシもシャキっとしないとな」

 アタシはスーツの上着を脱いで、軽く屈伸運動とストレッチをして呼吸を整えた。
あんまりボーっとしてると気が抜けるから、ちょっとばかし体を動かして頭の中を
クリアにしておくか―――――






***



 そしていよいよ約束の時間になった。アタシはホテルに入り、エレベーターに乗って
最上階のレストランを目指す。最上階に到着すると、レストランの扉の前でカタギリと
プロデューサーが待っていた。

「おはよアヤちゃん。お?そのスーツカッコいいね。よく似合ってるわよ♪」

 カタギリがいつもの調子で話しかけてくる。カタギリはアタシと違ってちょっとだけ
フォーマル程度の私服姿だった。プロデューサーは昨日とあまり変わらないスーツだし、
アタシだけ変に気合入ってるみたいでハズいな。






「何やってんだよこんな所で。アタシを待ってたのか?」

「いや~、アヤちゃんが心細いんじゃないかなって思ってさ。何となくこういう所って
 1人だと入りづらいじゃん。ね、P君?」

「え!? そ、そうですねハハハ……」

急に話をふられてプロデューサーは慌てて答える。心細いのはアンタじゃねえのか?





「ったく、いつまでもガキ扱いするんじゃねえよ。たかが大和亜季に会うのに、どうして
 アタシがビビらなくちゃいけねえんだよ」

「いや~それがさ、中にいるのは亜季ちゃんだけじゃないんだよね~」

 カタギリが苦笑いをしながら言った。どういうことだ?

「亜季ちゃんのお父さんや親戚の叔父さん達も来てるの。亜季ちゃんのお父さん達は
 アヤちゃんに会ってきちんと謝りたいんだってさ。話をするのは亜季ちゃんだから
 お父さん達は一切口出ししないらしいんだけど」

 そういえばあいつ、昨日の夜木場さんの部屋に来た時に叔父達につかまってたとか
言ってたっけ。今日の打ち合わせとかしてたのかな。





「やはり今からでも大和さんに言って、お父さん達には席を外してもらいましょうか?
 桐野さんが圧倒されて思うように話せないかもしれませんし……」

 プロデューサーが心配そうに言った。アタシってそんなに頼りなさそうに見えるのか?
巴もアタシを心配して拓海を寄越してきたくらいだし。

「ギャラリーがちょっとくらい増えたところで変わらねえよ。さっさと入ろうぜ」

 ここでうだうだしてても何も始まらねえ。ビビってるって思われたくねえし、堂々と
してりゃいいんだろ。アタシはカタギリとプロデューサーの間を通って、レストランの
扉を開けた。





「は……?」

 レストランに入ってアタシは一瞬固まった。そこにはすごく大きなテーブルがセット
されていて、警察の制服や自衛隊の軍服を着た兄ちゃんやオッサンや爺さん達が3列に
なって座っていた。そしてテーブルを挟んでアタシ達が座るイスが3つ置かれている。

「えっと…… これはどういうことだ?」

 アタシは隣にいたカタギリに話しかけた。

「みんな亜季ちゃんの親戚だって。全員合わせて45人いるらしいわよ。あ、1人休みで
 ここに来てるのは44人だったかな?」

 どんだけ暇なんだよコイツら。こういうのって親族代表みたいなのが2人か3人いれば
いいんじゃねえのか?アタシ達が入って来たのを見て、大和一族は一斉に立ち上がった。
隣のプロデューサーがびくっと身を震わせる。





「桐野アヤ殿でいらっしゃいますね?」

 オッサン達に気を取られていて気づかなかったが、最前列のテーブルのど真ん中に
大和亜季が立っていた。大和は周りの親戚達みたいな制服や軍服ではなく、アタシと
似たようなスーツ姿でビシっと決めている。

「はじめまして。私は大和亜季と申します。本日はお忙しい所をご足労いただき、真に
 ありがとうございます」

 大和が頭を下げると、後ろの親戚達も同じように頭を下げた。大和は昨日木場さんと
話してた時のような変な軍人言葉じゃなくて、やや緊張した声で堅苦しい言葉を遣って
いた。いや、そもそも来てもらったのはこっちなんだけどな。





「桐野じゃねえよ、アタシは青島だ。知ってるだろ?」

 アタシがそう言うとカタギリは驚いた顔をしてこっちを見た。なんだよその反応は。
本名で前向きに生きろって言ったのはお前だろ?

「……失礼致しました青島綾殿。どうぞお座り下さい」

 アタシ達はイスに座る。目の前の大和達も座った。さて、これからどうなるのかな。
レストランは貸切り状態でアタシ達しかいない。ホテルの給仕さんが持って来てくれた
水を少し飲んで、アタシは目の前の大和をまっすぐに見た―――――





つづく






***



「このような形で謝罪をされても青島殿も困惑されると思いますが、私は出来る限りの
 最大限の誠意を持って青島殿に償いをさせて戴こうと……」



「その前にちょっといいか?」



 大和の言葉を途中で遮って、アタシは切り出した。





「アンタだって何か言い分があるんじゃねえのか?後ろのオッサン達を代表して謝って
 くれてるのは分かるけど、アンタはずっとアメリカにいて何も知らなかったんだろ?
 そんなアンタに謝られてもピンと来ないんだよな」

 前にカタギリが言ってたように、大和亜季は確かに『全ての始まり』かもしれない。
でもだからといって、全部こいつの責任にするのは間違いだ。木場さんの言った事が
本当なら、大和はこの件に利用されただけの人間になるしな。

「色んなヤツを憎んで恨んで1人で生きて来て、もうアタシは疲れたんだ。だから
 これからはそういうのナシにして、前向きに人生やり直したいと思ってるんだよ。
 その為だったらアタシも自分がしたことの責任は取るから、アンタも自分だけが
 悪者になろうとしないで本当の事を言ってくれ」

 隣でカタギリが驚いたような顔をした。これが正解なんじゃねえのか?いつまでも
アタシがウジウジしたままだったら終わらねえからな。





「わかりました。では謝罪の前に、私がこの件にどう関わっているのか全てお話します。
 青島殿のお心遣い真に痛み入ります」



 大和はぺこりと頭を下げて、すっと顔をあげた。その体はピンと背筋が伸びていて、
さっきより大きくなったように見えた。大和の後ろから光が差しているように見えて、
アタシが優位な立場のはずなのにとても敵わないなと思った。






「アタシよりも圧倒的に強く美しく、比べ物にならないくらいスター性を秘めている、
 だったかな。悔しいけど当たってるじゃねえか」



 2年前にトッププロのスカウトマンが言ってたことを思い出しながら、アタシは
心の中で苦笑いした。目の前の大和は一点の曇りもないまっすぐな目をしていて、
いかにも正義の味方って感じだった―――――






―――



 大和の説明はほぼ木場さんの言ってた通りだった。ただひとつ木場さんの話と違って
いたのは、大和は渡米前に一度だけトッププロのスカウトマンに会っていた。

「街中で声をかけられまして、東京でアイドルにならないかと勧誘を受けました。彼は
 V―1の話は一言もせず、私に名刺だけ渡して5分程度で去って行きました」

 妙だな。アタシの記憶が確かなら、あのスカウトマンはグイグイ勧誘してくるヤツの
はずだったけど。大和のスカウト自体V―1開催の為に既に決まってたことだったから、
ミス出来ないって慎重になっていたのかな?






「話を受ける気になったら連絡してくれと言われていたのですが、私はその時既に
 アメリカへ渡る準備をしていました。そして勧誘されてから3日後に私は日本を
 発ち、そのまま連絡するのを失念していました」



 つまり大和はこの件に全く無関係というわけではないらしい。口約束だったとはいえ、
スカウトマンは大和の勧誘に成功したつもりでいたのだろう。しかし大和はアメリカに
渡ってしまい、それで困ったスカウトマンはアタシに声をかけたというわけか。





「もしあの時私がしっかり返事をしていれば、青島殿が巻き込まれる事はなかったかも
 しれません。私の曖昧な態度が、青島殿とご両親をはじめ多くの方々に多大な迷惑を
 かけてしまうことになりました……」

「でもアンタは最初からスカウトの話を断るつもりだったんだろ?結局何も変わらずに、
 どのみちアタシに話が来てたんじゃねえのか?」

「それは…… そうかもしれませんが……」

 大和はもごもごと口ごもる。『もし私が勧誘を受けていれば』なんて話は意味がない。
結局スカウトマンは大和の勧誘に失敗した。それだけの話だ。




「アイドルのスカウトってのは、スカウトされた人間はその場ですぐ返事を出さなきゃ
 いけないってことはないんだろ?大和は悪くねえよな?」

「え!? あ、はい、何も問題ありません。成人している方でも、勧誘してすぐに返事を
 戴く事はまずありませんから……」

 隣にいたプロデューサーに話かけると、プロデューサーは慌てて返事をした。おい、
ちゃんと聞いてるか?この中で業界人はアンタだけなんだからしっかりしてくれよ。

「ほら、本職の人間もこう言ってるし問題ないだろ。だからこの話は終わりだ」

 大和がトッププロに接触しているのはこの時だけで、事件にはほとんど影響がない。
お前があの時アメリカに行かなければ!なんて責めるのはお門違いにも程がある。




「それで、アンタをV―1に利用しようとしてた叔父さんってのはどこにいるんだよ?
 アタシはアンタよりそのオッサンに会いたいんだけど、後ろにいるのか?」

 V―1の話はトッププロもアタシも一度はのったから完全に被害者とは言えないけど、
このオッサンはその後、保身の為にアタシの家がヤンキー共に破壊された事や母さんが
殴られた事も全部隠蔽しやがったからな。一度ツラ拝まねえと気が済まねえ。

「件の叔父は今日ここに来ていません。彼は昨年から離島警備の任に就いています。
 最低でも10年は本土の土を踏めないでしょう」

 大和の話によると、そのオッサンは一族から追放処分となり、派閥に持っていた重要
ポジションからも外されて島流し同然で飛ばされたらしい。





「言い訳にもなりませんが、件の叔父は狡猾で自分がこの件に関与した証拠や痕跡を
 徹底的に消していて、父達も事件の真相に気付くのが遅れたそうです。ですが奴の
 した事は絶対に許される事ではなく、法的な責任は問えなくても相応の償いをして
 もらうという事で内々に処分しました」



 オッサンとグルになっていたヤクザは大和一族総出で締め上げた結果、地元の福岡を
離れて今は東京でトッププロにたかっているらしい。大和一族の人間が手を貸していた
という弱みもあり、決定的には潰せないそうだ。






「そもそもこの事件は、我々大和一族が東京での派閥争いにうつつを抜かして地元の
 福岡を件の叔父1人に任せていたから起きたのです。1年前に事の真相が発覚して、
 父達は二度とあのような事件が起こらないように東京から引き揚げました。現在は
 一部の人間を残して、我々一族は九州を中心に治安維持に取り組んでいます」



 大和は日本に帰ってから、一族の人間を今日のために1人1人説得していたらしい。
会うまでやけに時間がかかっていたのはこのせいだったのか。






「ていう事は、後ろのオッサン達は少なくとも1年前には事件の事を全部わかってたのに
 今日まで何もせずアタシをそのまま放置してたってワケだな。アタシはそうしてくれた
 方がありがたかったけど、それってサツとしてはどうなんだ?」
 


 アタシは大和の隣や後ろにいるオッサン達を睨みつけた。アンタ達はいつまで大和に
喋らせておくつもりだ?口出ししない約束でここに来てるみたいだけど、全く関係ない
女のコイツに謝らせて恥ずかしくないのかよ。





「……父達は何も出来ませんでした。事件の証拠は全て消されていて、青島殿の母上を
 襲い家を破壊した輩を特定する事も出来ず、全てが遅すぎました。今日まで謝罪すら
 なかった事は、本当に申し訳ないと思っています」

「アンタには聞いてねえよ。すっこんでろ」

 アタシは大和に言った。しかし大和は話を続けた。




「真相が分かっても誰も捕まえられず、青島殿とご家族にも償いが出来ず、父達に出来た
 のは件の叔父を内々に処罰する事と関係していた極道に圧力をかける事ぐらいでした。
 一族ぐるみで事件を隠蔽したととらえられても仕方ありません」

 大和はそう言って、ちらりと両隣のオッサンを見た。オッサン達は頷くと、懐から
それぞれ白い封筒の束を取り出す。大和はそれを受け取るとテーブル上に置いた。

「大和一族45名全員分の辞表です。もちろんここにいない件の叔父の分もあります。
 青島殿の前ではどれだけ謝罪の言葉を並べても償いきれないので、このように目で
 見える形で表すことにしました。どうか不器用な父達をお許し下さい」

 大和がそう言って頭を下げると、オッサン達も頭を深々と下げた。それでさっきから
全然喋らなかいのかよ。お前ら揃いも揃ってバカじゃねえのか?




「そんなもん出されても、アタシはサツじゃねえし受け取れねえよ。それにさっきも
 言ったけど、アタシは別にほっといてくれて良かったんだ。大体オッサン達にサツ
 辞められたら誰がウチの地元を守ってくれるんだよ?」

「そ、それは後任の警官が引き継げばいくらでも……」

「オッサン達が守らねえと意味がないだろうが。身内が起こした不始末なら、他人に
 任せてんじゃねえよ。アタシみたいなのが二度と大暴れしないように、気合入れて
 パトロールしてくれよな」

 アタシは大和達に笑いかけてやった。もう今更事件の謝罪とか償いとか、アタシは
そんなのどうでもいいんだよ。父さんと母さんも、自分達の事は心配しなくてもいい
からアタシの好きにしなさいって手紙に書いてあった。アタシが今日ここに来たのは
ただ大和の口から事件の真実が知りたかったからだ。






「アタシ達家族はもう大丈夫だから、謝罪とか賠償とかそんなのは何もいらねえよ。
 どうしても謝りたいんだったら、そうだな……」



 アタシはちらっと隣のカタギリに目を向けた。カタギリは首を傾げてアタシを見た。
コイツにはずいぶん世話になったし、ここらへんで恩返ししとくか。






「カタギリをサツに戻してやってくれねえか?頼むよ」



「アヤちゃん!? 」



 アタシは大和に向かって頭を下げた。カタギリはびっくりした声を上げる。アタシは
顔を上げると、目を丸くして驚いている大和達に向かって言った。






「こんなアタシが言うのもバカみたいだけど、アタシ昔は警察官になりたかったんだ。
 ドラマにこの苗字の有名な刑事がいただろ?先生の息子も警察官だったし、将来は
 カッコいい婦警になって悪いヤツをガンガン捕まえたいとか思ってたよ」



 そう思っていたはずなのに、気付けばサツに追われる方の悪いヤツになっちまって
いたけどな。カタギリはちょっとデタラメなところがあるけど、そんな昔のアタシが
なりたかったカッコいい婦警そのものだった。






「アタシはカタギリのおかげで、ちょっとは前向きに生きてみようって思えるように
 なったんだ。ちょっと問題があるかもしれないけど、こういうサツがひとりくらい
 いてもいいだろ?」



 ついでにもうひとつお願いしてみようかな。サツのお偉いさんがこれだけいるなら
出来ない事はそんなにないはずだ。一度は辞表書いたなら多少の無理は聞けるだろ。






「それからトッププロを助けてやってくれ。事務所にたかってるヤクザを追い払って、
 それでも手遅れだったらいっそひと思いに潰してくれ」



「なっ!? 」



 今度はカタギリとは反対の方向にいたプロデューサーが驚いた顔でアタシを見た。
アタシはプロデューサーの方を見て苦笑いした。





「あんな事務所でも一度は世話になって夢見させてもらったからさ。ああなったのは
 アタシのせいだけど、痛々しくて見てられねえんだよ」

 千奈美を拉致しようとした連中は見るからにロクでもないヤツらだった。だけど
木場さんが言うには今もヤクザの餌食にされている哀れな事務所らしい。アタシは
プロデューサーにもトッププロの現状を聞いてみた。

「表向きはアイドル事務所として、現在も少数のアイドルを抱えて営業しています。
 元々大手の事務所でしたから、今でもそのネームバリューで地方から何も知らない
 女の子が集まって来るそうなので。トッププロはその中から、ヤクザに通じている
 性風俗の店や業者に女の子達を斡旋していると噂されています……」

 トッププロが自ら進んで女の子達を売りとばしているのか、ヤクザが連れて行って
しまうのかまでは分からないらしい。これ以上トッププロの被害に遭うアイドル達が
生まれない為にも、いつまでもほっとくわけにはいかないよな?




「アタシの要望をまとめるぞ。まずひとつ、アタシとウチの両親はこのままそっとして
 おいてくれ。余計な事を思い出させて母さんの記憶がまた飛んだら困るしな」

「ふたつめ、カタギリの警察復帰。コイツを辞めさせたら600人以上のカタギリ軍団が
 黙っていないぞ。それにアタシと心中するのはもったいない女だ」

「みっつめ、トッププロの救済。事務所を助けるというより、アイドルの子達を助けて
 あげてくれ。アタシみたいな子が二度と出て来ない為にもな」

 アタシはそれだけ言って席を立った。これで話は終わりだ。後はアンタ達で勝手に
やってくれ。わざわざ確認とかする気はねえから、ちゃんとやってくれよ?





「お客様、お水のお代わりはいかがですか?」



 その時、ふと横からホテルの給仕さんがピッチャーを持って声をかけてきた。いや、
もう帰るからいらねえよ。ありがとな。





「まあそう仰らずに。一度その腐った脳みそを冷やしてみたらどうですか?」

「はぁ?何言い出すんだアンタ……」

 一流ホテルの給仕らしからぬとんでもない暴言を聞いて、アタシは思わず給仕さんの
顔をまっすぐに見た。給仕さんは気の強そうな顔をした若い女で、どこかで見たような
ような顔というか、確実に見た事がある顔をしていて―――――



 ―――――千奈美だと気付いてアタシは固まった






***



「お、お前、どうしてここに……?」

「ようやく気付いたのねこのバカ女」

 千奈美はそう言って、アタシの頭からピッチャーの水をぶっかけた。氷やらレモンの
輪切りやらが水と一緒に降り注いで、その冷たさでアタシは飛び跳ねた。

「な、何しやがる!? 」

 千奈美は空になったピッチャーを投げ捨てて、アタシの胸倉を掴むと往復ビンタを
2往復計4発かました。アタシは状況が理解出来ずに千奈美にされるがままだった。





「どう?目が覚めたかしら?」

 呆然としているアタシに向かって、千奈美は不機嫌さ全開の顔と声で言った。何で
コイツはこんなに怒っているんだ?周りもポカーンとしている。

「これがあんたの望んだ結末なの?それとも誰かに何か余計な事でも吹き込まれたの?
 まさか大和亜季に怖気づいたんじゃないでしょうね?」

「は、はぁっ!? そんなはずねえだろっ!! 」

 アタシはカっとなって大声で怒鳴った。しかし千奈美はまったくひるむことなく、
アタシの胸倉を掴んで睨みつけたまま微動だにしなかった。





「アンタ今までずっと1人で戦ってきたんでしょ?最後の最後で逃げてどうするのよ。
 スーツ着て物わかりが良くなったつもりかもしれないけど、今のアンタは悪い大人に
 都合よく利用されてる頭の足りないガキそのものよ」



 千奈美にズバっと言われて、アタシはガツン頭を思いっきり殴られた気分になった。





「もしかしてアタシは間違ってたのか……?じゃあどうすれば良かったんだ……?」

「そんなの自分で考えなさい。ただひとつハッキリ言えるのは、主役はあの女じゃ
 なくてあんたよアヤ。あんたは代役で舞台に上っただけかもしれないけど、一度
 主役になったのなら最後までやりきりなさい」
 
「主役?舞台?何の話をしてるんだよお前は。これはお芝居じゃねえんだぞ」

「誰も芝居の話なんてしてないわよ。だけど自分の人生は、いつだって自分が主役の
 はずでしょ?今ここで帰ったら、あんたはこれから先も一生あの女の代役よ」

 千奈美はそう言って大和の方を見た。アタシもつられて目を向ける。大和は突然の
千奈美の登場に戸惑っているみたいで、黙ってこっちの様子を見ていた。





「あんたは間違った事をしたかもしれないけど、でもあんたは悪くないわ。もし私が
 あんただったら、テーブルの向こうの連中を全員壁にはりつけにしてダーツの的に
 してやるわ。あんたはそれくらいのことをされたのよ」



 オッサン達の中から「ひっ」と悲鳴が聞こえた。眉毛ひとつ動かさずに恐ろしい事を
平然と言う千奈美に、アタシも背筋が寒くなった。誰だよコイツをマジメで良いヤツ
だって言ったのは。拓海や巴が可愛く見えるとんでもない悪女じゃねえか。





「あんたが今しようとしてる事は、敵の親玉に自分の首を差し出してるのと同じよ。
 そんな事をする為にここに来たわけじゃないでしょ?クライマックスの一番良い
 シーンで主役がヘタれたら、物語が終わらないでしょうが」

 ったく、他人事だと思って外野から好き放題言いやがって。お前はアタシに大和と
後ろのイカついオッサン達相手に1人で戦えって言いたいのかよ?

「1人じゃないわ。少なくともテーブルのこっち側にいる人間は全員あんたの味方よ。
 そうでしょ片桐さん?」

 千奈美がそう言うと、カタギリは悪い笑顔で頷いた。予想はしてたけど、千奈美を
ホテルに呼んだのはコイツで間違いないな。




「プロデューサーもよろしくお願いするわ。あなたは私のプロデューサーなんだから、
 最後まで私をアイドルとして恋人以上にしっかり大事にして守ってよね」

「あ、ああ、任せとけ……」

 プロデューサーは冷や汗をかきながら、震える声で返事をした。無理させてやるなよ
可哀想じゃねえか。それにアタシは素人を頼るほどおちぶれちゃいねえよ。





「ホントにめんどくせえ女だなお前は。そんな性格じゃそのうち友達なくすぞ?」



「ひとりぼっちのあんたに言われたくないわ。それに私は地元では人気者なのよ?」



 けっ、ウソつけ。地元のアイドル事務所で受け入れてくれる所がなくなったから、
東京に出て来たんじゃねえのかよ。





「で、どうするのよ?私午後から歌のレッスンがあるからそろそろ事務所に行かないと
 いけないんだけど、さっさと決めてくれないかしら?」

 ホントに自分勝手なヤツだな。こんなじゃじゃ馬をプロデュースしないといけない
CGプロとプロデューサーに心の底から同情するぜ。

「いい加減にすっこんでろ脇役が。お前はさっきから目立ち過ぎなんだよ。最後くらい
 主役の『アタイ』にカッコつけさせろっての」

 アタイは胸倉をつかんでいる千奈美の手を軽くタップした。千奈美はそっと手を放す。
その瞬間を狙って、アタイは雨に濡れた犬みたいに体をぶるぶると震わせてやった。





「つめたっ…… ちょっと!何するのよ!」



 アタイの水しぶきをモロにくらった千奈美が怒る。アタイはもっと冷たかったぞ。
危うく心臓が止まるかと思ったんだからな。千奈美を適当にあしらって、アタイは
大和の方をじろりと見た。大和はびくりと身を震わせる。






「大和さん、さっきアタイが言った事をちょっとばかし訂正させてもらうぞ。あれは
 アタイの『要望』じゃなくて『命令』だ。アタイに謝罪する気があるんだったら、
 どんな手を使っても絶対にやれ。カタギリの警察復帰とトッププロの救済が実現
 するまで、アンタ達は全員アタイの駒になって働いてもらうからな」



 アタイがそう言うと大和の後ろにいるオッサン達はどよめいた。おいおい、あの
辞表の束はウソでしたなんて言うつもりじゃねえだろな?誠意を見せてくれよ。






「それから命令の追加だ。アタイの福岡県警と福岡の極道へのお礼参りに協力しろ。
 アタイが起こした事件だし、最後はアタイがきっちり終わらせないとな」



 お礼参りなんて言ってるけど実際は謝罪行脚のつもりだ。アタイも山ほど迷惑を
かけちまったし、ちゃんと謝ってきっちり責任を取らないとな。ぽかんとしている
大和達をほっといて、アタイは隣にいる千奈美に言った。





「こんなもんでどうだ?ちっとは主役っぽくなったか?」

「まぁ、悪くないんじゃない?それでもまだ甘い気がするけど」

 千奈美はハンカチで自分についた水しぶきをぱっぱと払ってから、アタイに渡した。
それを受け取って顔を拭くと、何となく千奈美のいい匂いがした―――――




つづく



訂正

>>630

 大和がそう言って頭を下げると、オッサン達も頭を深々と下げた。それでさっきから
全然【喋らなかい】のかよ。お前ら揃いも揃ってバカじゃねえのか?

 ↓

 大和がそう言って頭を下げると、オッサン達も頭を深々と下げた。それでさっきから
全然【喋らない】のかよ。お前ら揃いも揃ってバカじゃねえのか?


>>647

「プロデューサーもよろしくお願いするわ。あなたは私のプロデューサーなんだから、
 最後まで私をアイドルとして恋人以上にしっかり【大事にして】守ってよね」

 ↓

「プロデューサーもよろしくお願いするわ。あなたは私のプロデューサーなんだから、
 最後まで私をアイドルとして恋人以上にしっかり守ってよね」





***



「お疲れアヤちゃん」



「ああ、ホントに疲れたぜ」



 大和のオッサン達との今後の話し合いを終わらせて、ホテルを出たのは夕方だった。
ちなみにプロデューサーはあの後千奈美がさっさと連れて帰った。

『彼は私のプロデューサーよ。事務所の仕事もあるし返してもらうわ』

 千奈美はそう言ってプロデューサーを引きずってホテルから出て行った。結局何しに
来たんだアイツ?プロデューサーをアタシ達から取り返したかったのか?





「あれは千奈美ちゃんなりの照れ隠しよ。可愛いじゃない♪」

 カタギリは面白そうに笑った。照れ隠しで水ぶっかけられて、往復ビンタされたら
たまったもんじゃねえな。しかも着替えがなくて大和に借りるハメになったし。

「アヤ殿~!」

 アタシがため息をつくと、後ろから大きな声がした。噂をすれば大和が笑顔で手を
振りながら走って来ていた。出会った頃よりずいぶん馴れ馴れしくなったなアンタ。
軍人相手に『駒になって働いてもらう』なんて言うんじゃなかったぜ……





「どうした大和さん?」

「亜季で結構ですよ。アヤ殿は私達の上官なのですから!」

「あはは!頼もしい部下が出来たわねアヤちゃん!」

 カタギリが大笑いする。よしてくれ恥ずかしい。アタシはサツや軍人じゃねえっての。
用件があるならさっさと言ってくれ。

「おおそうでした!明日の作戦ですが、萩原組の組長の協力が得られましたので予定を
 前倒ししてトッププロから回ります。よろしいでしょうか?」

「へえ、あの組長がよく協力してくれたわね。確かにヤクザ絡みなら、警察より地元の
 極道に頼った方がスムーズに解決出来るけど」

 お前らもカタギリも、サツやサツの関係者のくせにヤクザに手を貸してもらう事に
まったく躊躇しないんだな。アタシは日本の将来が心配になってきたぞ。





「我々はアヤ殿の命令を達成する為なら手段を選びませんよ。それが軍人ですから♪」

 亜季がニヤリと笑う。命令したアタシが言うのもおかしいけどあんま無茶すんなよ?
街中でヤクザと銃撃戦になったりしたら嫌だぞ。

「アヤ殿は何も心配しなくて結構ですよ。では明朝9時にお迎えにあがりますので」

 亜季はアタシとカタギリにビシっと敬礼した。そしてくるりと回れ右して、小走りで
ホテルに帰って行く。どうやらこのホテルが作戦本部になるらしくて、亜季達は作戦が
終了するまでここを拠点にするそうだ。

「豪華な作戦本部ね。あたしもこんなホテルで仕事したかったなぁ~」

 カタギリがホテルを見上げてうらやましそうに言った。アタシはそんなカタギリの
背中を見て、少し迷ってから言った。






「なあカタギリ」



「ん?なに?」



「ホントにサツに戻らなくてもいいのか?」



「もう、またその話?さっきもホテルでいいって言ったじゃない」



 カタギリは少し困ったように笑った。アタシは亜季達にカタギリを警察に戻すように
命令したけどカタギリはそれを断り、結局その話はナシになった。





「アタシさ、これでもお前に感謝してるんだぜ?アタシバカだから気の利いたこととか
 言えねえけど、ここまで来れたのはお前のおかげだって思ってるし、ちゃんとお前に
 恩返しもしたいんだ。だからさ……」

「ふふ、気を遣ってくれなくてもアヤちゃん。アヤちゃんが毎日元気で楽しく生活して
 くれたら、あたしはそれで満足だから♪」

 カタギリはあっけらかんと言った。そういう綺麗事はいらねえんだよ。今回の件で
一番活躍したのは間違いなくお前なのに、そのお前が報われないのはおかしいだろ。






「だったらアタシが元気で楽しく生活できるようにサツに戻ってくれ。アタシも亜季と
 同じくらい不器用だから、目に見える形で恩を返したいんだ。それにお前だってさ、
 本当はサツを辞めたくないんじゃないのか?」



 アタシがそう言うと、カタギリはアタシにくるりと背中を向けて黙ってしまった。
そして少ししてから空を見上げて、アタシの方を見ずにぽつりと言った。







「アヤちゃん、悪いけどちょっとだけあたしの話に付き合ってくれないかな?大丈夫、
 そんなに時間は取らせないからさ」



 カタギリはそう言って、そのまま歩き出した。確かこの先は朝に拓海と会った公園が
あったな。アタシは黙ってカタギリの後ろをついて行った―――――






***



「あそこに座ろっか」

 カタギリが指さしたのは拓海と一緒に座ったベンチだった。今日の一日の終わりに、
またここに戻って来るとはな。

「あたしね、アヤちゃんに言ってなかったことがあるの」

 カタギリは近くの自販機で缶コーヒーを2つ買って、ひとつアタシに差し出した。
カタギリはいつもの笑顔じゃなくて、真面目な顔をしていた。






「アヤちゃん、亜季ちゃんのお父さん達が1年前にトッププロとV―1の事件の全容を
 把握してたって話憶えてる?」

「ああ、そうだったらしいな。それがどうかしたのか?」

「あたしも知ってたのよ」

 ぽつりとカタギリは言った。アタシは一瞬カタギリが何を言ったのかわからなくて、
マヌケな顔で「は?」と聞き返してしまった。






「知ってたって言っても、亜季ちゃんのお父さん達と違って下っ端のあたし達が聞いて
 いたのはごく一部の情報だったけどね。アヤちゃんは福岡で特Aレベルに認定されて
 いる危険人物だから、あたし達から絶対に接触するなって上層部から通達が来てたの」



 カタギリは空を見上げたまま話を続ける。アタシは何も言えずに黙って聞いていた。







「1年前にその通達をもらったんだけど、あたしは何かひっかかってちょっとだけ自分で
 調べたのよ。そしたら2年前の福岡のヤンキーキラー事件が出てくるわ、トッププロと
 V―1が出てくるわ、しまいには大和派閥が出てくるわで、これはとてもあたしの手に
 負えないなって思ったのよ。だからね……」



 カタギリはそこで言葉を切って、少ししてからぽつりと言った。



「あたしはそれ以上何もしなかったの。アヤちゃんを見捨てたのよ」



 缶コーヒーを握りしめたカタギリの手はぶるぶると震えていた。






「警官失格よねあたし。もし拓海ちゃんがアヤちゃんのアパートに逃げ込まなかったら、
 あたしは今もアヤちゃんに何もしなかったと思うわ。拓海ちゃんはあたしにとって、
 救世主みたいな子だったのよ」

「ずいぶんガラの悪い救世主だな……」

 カタギリはふっと笑った。その目にはうっすら涙がたまっていた。






「アヤちゃん達が横浜の暴走族にさらわれた時、あたしはすぐ助けに行こうとしたけど
 署長からストップがかかったの。お偉いさんほど大和派閥が怖かったんでしょうね。
 どうしても行きたいなら警察手帳を置いて1人で行けって言われて、あたしは署長と
 大ゲンカして、手帳と手錠を投げつけて署を飛び出したわ」



 カタギリは巴に連絡を取り、村上組と萩原組を動かしてアタシ達を探し出したそうだ。
それでも予想以上に時間がかかってしまったと、カタギリは苦しそうに言った。







「あの時は生きた心地がしなかったわよ。お願いだから2人とも無事でいてって何度も
 願いながらアジトに突撃して、半べそかいて見張りの子達をシメて、急いで店の中に
 入ったわ。そしたらアヤちゃんがカンフーで10人のヤンキーを1人で倒していたの。
 その姿がすっごくカッコよくて、思わず見とれちゃったわ」



 アタシと拓海が無事で、カタギリは泣きたいくらい嬉しかったらしい。だけど助けに
来た自分がみっともなく泣くわけにはいかないから、必死で我慢していたそうだ。







「あの事件の後、署に帰ってからすっごく怒られたけど、神奈川県警が手を焼いていた
 総長を捕まえたから神奈川県警に感謝されてあたしのクビはギリギリ回避されたわ。
 アヤちゃんに二度と接触しないっていうのが警察に戻る条件だったけど、あたしは
 二度もアヤちゃんを見捨てる気はなかったわ」



 カタギリはアタシの事件を徹底的に調べる事を決意し、有給を取って福岡へ飛んだ。
そしてアタシに関する全てをカタギリ軍団を使って調べ上げ、バリにいる父さん達に
会って、最終的に大和を日本に呼び戻すまでやり遂げた。






「アヤちゃんを調べれば調べるほど、あたしは自分の事が許せなくなったわ。どうして
 1年近くアヤちゃんを放っておいたのか、どうしてあの時アヤちゃんを見捨てたのか、
 昔の自分をぶん殴ってやりたい気持ちだった……!! 」

 カタギリは怒りに震える声で、絞り出すように言った。カタギリの大きな目には涙が
どんどん溢れ出し、今にもこぼれ落ちそうだった。

「あたしがダラダラしてたから、アヤちゃんに1年も寂しい思いをさせちゃったの……
 だからあたしは、アヤちゃんに感謝されるような女じゃないの……」

 ぼた、ぼた、と、涙にしては大きな音を立てて、ベンチに小さな水たまりが出来る。
カラダは小さいくせに何から何までデカい女だなと、アタシは苦笑した。






「それでもやっぱり、アタシを助けてくれたのはアンタだよ。アンタにはホントに感謝
 してるんだ。だからそんなつまんねえ事なんて気にしないでさ……」



 アタシはポケットから千奈美のハンカチを取り出して、カタギリに渡した。







「いつもみたいに偉そうに笑ってくれよ。アンタはそんなに弱い女じゃないだろ?」



「う゛わ゛あああぁぁぁぁぁぁ~ん!! ごべんねアヤぢゃあああぁぁぁぁぁぁ~ん!! 」



 カタギリは子供みたいに大きな声で泣きじゃくり、アタシに思いっきりしがみついた。
ああもう、こりゃどうしようもねえな。アタシはわんわん大声で泣くカタギリの背中を
ぽんぽん叩きながら、あたりが暗くまでしばらくそうしていた―――――






つづく






***



「ちわ~す」



「なっ!? お前は……!! 」



 亜季達との話し合いを終えた翌日、電撃作戦よろしくアタシはトッププロの事務所に
突撃していた。中に入ると千奈美を誘拐しようとしたヤツらが3人いて、アタシの顔を
見ると驚いて飛び跳ねた。





「ちょっと社長さんに用があんだけど、会わせてくれねえか?」

 アタシは出来るだけにこやかにお淑やかに言ったつもりだったが、トッププロの連中は
懐から特殊警棒や大型ナイフ、さらにロッカーから木刀を取り出して身構えた。おいおい、
ここはヤクザの事務所なのか?

「うおおおおおおおおおっっっ!!!!!! 」

 アタシの話を無視して、男の一人が木刀を振り上げて襲い掛かってくる。前回アタシに
痛い目に遭わされたから、今度は最初から全力全開ってワケか。その姿勢は悪くねえけど
アタシだってこの展開を予想してなかったわけじゃねえよ。






「アヤ殿、頭を低くしてください」



「あいよ」



 背後から聞こえた声に従い、アタシはその場でしゃがんだ。するとアタシの上を亜季が
野生のシカのように飛び越え、懐から取り出した伸縮式のトンファーで襲いかかってきた
男の木刀を思いきり殴ってへし折った。

「ふんっ!! 」

「ぐはっ!? 」

 亜季はそのまま床を滑るような足捌きで男の懐に潜り込み、男のアゴを掌底で一気に
突き上げる。男は何も出来ずに膝から崩れ落ちた。これが軍隊格闘か。アタシの攻撃が
ぬるいくらい容赦ないな。





「さあ、次はどちらが相手でありますか?2人同時でも一向に構いませんよ」

 亜季は凶器を構えた男達に不敵に笑いかける。なんだか楽しそうだなお前。本来の
目的を忘れてないだろうな?

「な、なんの騒ぎだ!? 」

アタシ達が睨み合ってると、事務所の奥から茶髪のスカウトマンと、その上司っぽい
オッサンが出て来た。スカウトマンはアタシを見て「ひっ」と小さく悲鳴をあげたが、
オッサンは亜季を見て驚いていた。





「お前まさか…… 大和亜季か?」

「いかにも。本日はトッププロの社長殿にお話があって参りました」

 亜季がそう言うと、オッサンはいやらしい笑みを浮かべて勝ち誇ったように言った。

「何をしに来たんだ?言っておくが、この事務所から俺達を追い出す事は出来ないぞ。
 こっちは真っ当にビジネスをしてるんだし、やましいことは何もしていないからな。
 それにお前達大和の人間だって俺達を潰す事は出来ないはずだ」

 真っ当なビジネスねえ。どの口がほざきやがるんだと言いたいところだが、実際に
トッププロは芸能事務所として狡賢くやっているみたいだから警察は動けないらしい。
そもそもこいつらは大和一族の弱味を握っているからな。





「いえ、私達はただの案内役です。本日はこの事務所とトッププロを、全部まとめて
買い取りたいと仰る方をお連れしました」

「はあ?俺達が極道者だってわかって言ってるのか?いくら金を積まれても、こんなに
 おいしいカモをそう易々と手放すわけが……」

「失礼する」

 オッサンの言葉を遮って、アタシ達の後ろから真っ白なスーツを着たこれまた年配の
やや細身のダンディなオッサンが入って来た。その姿を見て、さっきまで偉そうにして
いたオッサンは青ざめる。白いスーツのオッサンは葉巻を取り出して火をつけた。





「ウチの地元でずいぶんと好き勝手やっているようだな。田舎極道のひとつやふたつ
 見逃してもいいが、お前達をこのままこの業界でのさばらせておくと、娘が怖がる
 かもしれないから排除する」

「は、は、は、萩原組……」

 そう、この白いスーツを着たオッサンこそが関東有数の極道『萩原組』の組長なのだ。
最近は娘にプレゼントしてもらった白スーツがお気に入りで、トレードマークのように
毎日着ているらしい。しかし残念ながら部下達のウケは悪いらしいが(政さん談)。

「私達の出番はここまでであります。あとは組長殿にお任せしましょう」

 萩原組の組長の後ろから、ぞろぞろと萩原組の構成員達が入って来る。アタシと
亜季は入れ替わるように後ろに下がり、彼らの後ろをついていった。






―――



「本日はご足労いただき、真にありがとうございました!」

「あ、ありがとうございました……」

 萩原組とトッププロの話し合いが終わり、亜季とアタシは組長さんに礼を言った。
組長さんは極道らしからぬ優しい笑顔で、アタシ達の肩をぽんと叩いた。

「こっちも良い買い物が出来たよ。いつか将来、ウチの娘が今の事務所を離れた時に
 娘専用の個人事務所が欲しいと思っていたんだが、準備する手間が省けた。まあ、
 しばらくはこの事務所を使う事はないと思うが」
 
 話し合いの結果、萩原組はトッププロを買い取ることになり、今たかってる連中は
追い出されることになった。トッププロは萩原組に守られながら、裏のビジネスから
足を洗って1からやり直すことになるようだ。





「だが裏のビジネスに関わっていた今の状態だと、事務所を立て直すのは大変そうだな。
 娘が独立するまで保ってくれればいいのだが……」

「ご安心を。手はずは既に整えてあります。後は私が責任を持ってトッププロを死守
 致しますので、どうぞお任せください!」

 亜季が胸を張って言った。おいおい、極道相手にそんな約束をして大丈夫なのか?
アタシはそこまで責任持てねえぞ?

「ふむ、君がそう言うなら任せよう。では後のことはよろしく頼んだぞ」

 萩原の組長はそう言って、ゆっくりとベンツに乗り込んだ。組長は車を出す前に
窓から顔を出し、アタシの顔をじろりと見た。な、なんすか?





「君はもっと自信を持ちなさい。この私をここまで呼び出したことを誇ってもいい。
 君が先頭に立つと聞いたから、私は今日ここに来たんだよ?」

「は、はあ……」

 アタシが返答に困っていると、萩原の組長は財布から名刺を一枚取り出してアタシに
差し出した。うわ、代紋ついてるよ……

「何か困ったことがあればいつでも言いなさい。その名刺を見せるだけでも、東京では
 役に立つことがあるからね」

 萩原組長はいたずらっぽく笑うと、アタシ達の前から走り去って行った。そんな
チンピラみたいなことするか。アタシは普通の人間に戻りたいんだっての。





「すっかり組長殿に気に入られましたな。よかったではありませんか」

 アタシの隣で亜季が楽しそうに笑う。うるせえよ。

「次は警視庁に挨拶に行く予定ですが、トッププロとの話し合いが思ったよりも早く
 終わりましたので休憩にしましょう。少し早いですが昼食にしませんか?」

 そういえばそんな時間だな。亜季は作戦本部のホテルに戻ってランチを食べようと
言ったけど、亜季の親戚達が大勢いる中で食べるのは何となく気を遣うので遠慮した。
それよりこの近くに行きたい店があるんだが、付き合ってくれねえか―――――?






***



「名古屋メシでありますか?」

「ああ、どうしても嫌だって言うなら他の店でもいいけどさ」

 アタシは名古屋メシと愛知の郷土料理の店に亜季を連れて行った。アタシも詳しくは
ないけど、確か味噌カツとかあんかけパスタがそれだったと思う。

「小室殿と来られたことがあるのですか?」

 亜季が笑顔で聞いてきた。こいつ、もう千奈美の素性を調べ上げたのか?まぁ昨日
あれだけホテルで派手に啖呵切れば、亜季が千奈美に興味を持つのも無理ないか。





「いや、あいつと一緒にメシを食ったことはねえよ。でももし行くことがあったら、
 あいつの地元の料理がいいかなって思っただけだ」

 そんな機会はこの先ないかもしれなけど、あいつとメシを食ってみたいなと思った。
昨日の礼ってわけじゃないけど、おごってやってもいいくらいだ。

「2人は仲が良いのでありますな。羨ましい限りです」

 亜季が優しい表情で言った。あのじゃじゃ馬とアタシがか?そりゃ傑作だ。

「そう見えるか?もしそうだとしたら―――――」



「―――――ちょっと嬉しいな」






***



 ここで話は昨日の夕方、カタギリが泣き止んだ場面まで遡る。千奈美はどうして
あの場にいたのか?手引きしたと思われるカタギリに聞くと教えてくれた。

「昨日の夜の話だけど、あたし千奈美ちゃんに会ってたの。相談したいことがあるって
 言われて、千奈美ちゃんの部屋に行ったわ」

 千奈美はカタギリに、アタシからトッププロの話やヤンキーキラーの過去を聞いたと
言ったらしい。アタシの話があまりにもファンタジー感満載でとても信じられなかった
千奈美は、カタギリに真偽を確かめたそうだ。






「アタシは自分が調べたアヤちゃんのことを話したわ。アヤちゃんは千奈美ちゃんに
 隠さず全部話してたみたいね。アタシの話とアヤちゃんの話がほとんど同じだって
 千奈美ちゃんは驚いていたわよ」



 話を聞いた千奈美は、難しい顔をして考え込んだ後にカタギリに質問したらしい。
『あなたから見て、アヤは悪い人間なのか?』と。





「千奈美ちゃんはアヤちゃんから話を聞いた後、ずっと1人で考えていたそうよ。
 事件に巻き込まれたアヤちゃんは絶対に悪くないけど、その後ヤンキーキラーに
 なって大暴れしたアヤちゃんはどうなんだろうって」

 まあそう思われても仕方ないよな。あの時のアタシは暴走族同士をぶつけてゲラゲラ
笑っていた凶悪なサイコ女だったわけだし、無関係の人達にこれでもかってくらい迷惑
かけた。商店街は早めに店を閉め、休校になった学校もあったらしい。

「千奈美ちゃんはアヤちゃんの過去を知って、アヤちゃんにどう向き合えばいいのか
 わからなくなったって言ったわ。普通はアヤちゃんが怖くなって避けようとすると
 思うんだけど、あのコは全くそんなことを考えなかったみたいね」

 カタギリはどうして千奈美がそこまでアタシにこだわるか聞いたらしい。生半可な
気持ちだったらこれ以上アタシに踏み込むのはよした方がいいと警告までしたそうだ。
縁を切れと言ってるわけじゃない、人間誰でも触れて欲しくない部分はあるのだと。





「そしたらあのコ何て言ったと思う?『だったらそんな寂しい目で私達を見るんじゃ
 ないわよ!』って怒ったのよ。千奈美ちゃんは、アヤちゃんはよく何もかも諦めた
 目で管理人室から私や美波達を羨ましそうに見てるって言ってたわ。あの子には
 アヤちゃんのその目が我慢出来なかったみたい」

多分だけど、と前置きしてからカタギリは千奈美の心の内を推測した。

「千奈美ちゃんにとって、アヤちゃんは自分のピンチを救ってくれた白馬の王子様なの。
 とっても強くてとってもカッコよくて、もしアヤちゃんが男だったら千奈美ちゃんは
 一目惚れしてたかもね。あのコ意外とそっち方面はウブだから」

 加えてアタシの女らしからぬテキトーなカッコが、千奈美にそう錯覚させたんじゃ
ないかというのがカタギリの推理らしい。悪かったなテキトーで。もしかしてあいつ、
そのままヤバい方向に走ったりしてねえだろうな?





「それはないわ、千奈美ちゃんは骨の髄までP君にゾッコンだから♪ だけどP君に
 持ってる愛情に近い感情を、あの子はアヤちゃんに持ってるかもね」

 それでアイツはアタシをほっとけなかったらしい。カタギリは千奈美の話を聞いた後、
そこまで言うならアタシが悪人かどうか、自分の目で確かめてみてはどうだと提案した。
明日アタシはホテルで大和亜季と会う。そこでアタシの本当の姿を見る事が出来ると。

「家も家族も全部奪われて、復讐の鬼になって1人で福岡中の暴走族を壊滅寸前まで
 追い込んだアヤちゃんの本性を見る覚悟があるならホテルに来なさいって言ったの。
 千奈美ちゃんは『行きます』って即答したわ。あたしの想像以上にあの子は強くて
 度胸のある子だったわ」

 後は前述した通りだ。アタシが腑抜けた態度で亜季と戦おうとせず、ただ話だけを
聞いて満足して帰ろうとしたから千奈美はブチ切れた。ったく、お前が勝手に作った
イメージをアタシに押し付けんなよ。おかげでアタシは亜季に啖呵切って、大嫌いな
サツとヤクザの力を借りてあちこちにお礼参りする羽目になったじゃねえか。






 だけどおかしいよな、今のアタシは最高に晴れやかな気分なんだ。白黒写真が突然
カラーになったくらいの衝撃で、周りの景色がキラキラ輝いて見える。この2年間
逃亡犯みたいな生活をしてたから、世の中がこんなに綺麗だってことを忘れてた。



 アタシはもう二度と2年前のような辛い思いをしたくなかった。あんな思いをする
くらいなら、誰とも親しくならずに1人で生きる方がマシだった。だけどカタギリや
千奈美と出会って、そんな考えがちょっとだけ変わったかな―――――






***



「結局アタシは、自分で思ってるより弱い人間だったってことだな」

 味噌カツ丼を食べながら、アタシは亜季に言った。亜季はアタシの前の座席に座って
ひつまぶしを四等分して、茶碗によそいながら聞いていた。

「アヤ殿は弱くありませんよ。私が言うのもおかしな話ですが、アヤ殿はこの件を自分の
 中で完結させていて、それ以上戦う理由を見いだすことが出来なかっただけでしょう。
 どんなに強い兵士でも理由なく戦うことは出来ませんから」

 ああ、確かにそうかもな。じゃあカタギリと千奈美には戦う理由があったってことか?





「でもそれっておかしくねえか?どうして自分のことでもないのに、あいつらはアタシの
 為にそこまで必死になって戦う事が出来たんだよ?」

 ただのお節介にしちゃ度が過ぎてる。アタシはカタギリにも千奈美にも、そこまでして
もらう心当たりが全く思い浮かばねえんだが。

「アヤ殿の為というか、早苗殿も小室殿も結局ご自身の為に戦われたんだと思いますよ。
 早苗殿はご自身の正義を貫く為に、小室殿はアヤ殿に救って頂いた恩に報いるために
 貴女を放っておくことが出来なかったんだと思います。アヤ殿のことを見てみぬふり
 するということは、つまり自分を裏切ることになりますから」

 亜季が笑いながら言った。けっ、バカバカしい。大体腕の立つカタギリはともかく、
ただのアイドルの千奈美はあの場で何が出来たんだ?もし亜季の親戚のオッサン達と
乱闘になったら、プロデューサー共々足手まといにしかならなかっただろうが。





「そんなことはありませんよ。私達があの場で一番恐怖を感じたのは小室殿でした。
 叔父達も小室殿の事を只者ではないと評していましたから。若い親戚の中には
 彼女に心を奪われた者も何名かいるようです」

 おいおい、そいつらドMかよ。あんな女を嫁にしたら一生尻に敷かれるの確定だぞ。
でもまあ確かに、アタシも至近距離でアイツにガンつけられてブルっちまったな。

「我々とは戦場は違いますが、彼女もまた数々の修羅場をくぐり抜けてきた歴戦の猛者
 なのでしょう。腕力では敵わなくとも、身に纏う闘志はあの場の誰にも引けを取って
 いませんでした。アヤ殿は良い仲間に恵まれましたな」

「あいつはそんなんじゃねえよ。同じ寮に住んでいるたまたま隣同士のご近所さんだ。
 なりゆきで他のヤツより深く関わっちまったけど、それ以上でも以下でもねえ」

 アタシは味噌カツ丼をかきこみながら強引に話をまとめた。千奈美はアタシのことを
恩人とか言ってたけど、アタシはアイツに恩を売ったつもりもねえし。





「そう思っているのはアヤ殿だけではありませんか?早苗殿も小室殿も、アヤ殿のことを
 アヤ殿が思っている以上に大事にされてますよ。先ほど私は、彼女達は自分自身の為に
 戦ったと言いましたが、もう少しシンプルに言えばアヤ殿に惹かれたんだと思います。
 アヤ殿は素敵な方ですから、手を貸さずにはいられなかったのでしょう」

「買い被るにも程があるぜ。お前ならともかくアタシにそんな魅力はねえよ。こっちは
 ようやく日陰者から真人間に戻ろうとしてるところなのによ」

 この2年間1人でいじけてひねくれて、アタシはお世辞にも誰かに誉められるような
人間じゃなかった。今度はカタギリみたいなでっかい女になろう。千奈美みたいな強い
女になろう。名前は青島でも桐野でもいいけど、楽しく生きて行こうと思う。






「どの道のプロもそうですが、一流の人間はまるで予知能力のような先見の明を持って
 います。彼らは観察力と洞察力に優れ、常に物事の一歩二歩先が見えているのです。
 早苗殿と小室殿には、既に未来のアヤ殿が見えているのではありませんか?」

 

 他人が勝手にアタシの将来像を決めるなっての。もしこの先アタシが道を踏み外したら
またカタギリがお節介を焼きに来て、千奈美が氷水ぶっかけてビンタかましてくるのか。
そうならねえようにしっかりしねえとな。





「ところでアヤ殿、少し聞きたい事があるのですが」

 亜季は4分の1残ったひつまぶしとにらめっこしながら、神妙な顔をして言った。

「1杯目はそのまま、2杯目は薬味と海苔を載せて、3杯目はお茶漬けにして食べると
 聞いていましたが、では4杯目はどのようにして食べればよいのでしょうか?私の
 気分としましては、3杯目にお茶漬けにした時点で終わっていたのですが……」

「知るか。お前もその道のプロならひつまぶしの食い方くらい予想しろよ」

「いやあ、お恥ずかしながらマニュアル外のことに対応するのは苦手でして……」

 亜季は照れくさそうに笑った。今度千奈美に聞いてみようかな―――――





つづく。ラスト1(もしくは2になるかも)


おっつおっつ

おつおつ




***



 それから一週間が過ぎた―――――



「ここがCGプロか。そういや寮に住んでるのに来るのは初めてだったな……」

 寮から駅まで歩いて20分、電車にゆられて30分、そこからまた歩いて10分と合計
1時間くらいかけてアタシはCGプロの事務所の前に立っていた。





「あれ?きりのん?」

「ん?おう、朋か」

 入口の前に立っていると、アイドルの子達と一緒に朋が出て来た。

「ひっさしぶりじゃんきりのん!一週間も留守にしてどこ行ってたの?」

「ああ、ちょっと地元に帰ってたんだよ。お前は今日はもう終わりか?」

「うん。きりのんはどしたの?事務所に何か用事?」

「まあそんなとこだ。入口はここでいいんだよな?」

 朋はアタシの顔をまじまじと見ると、一緒にいた他の子達に先に帰るように言った。





「きりのん事務所来るの初めてだよね?だったらあたしが案内してあげるよ!」

「え、いいよ別に。適当にうろついて誰かに聞くからさ」

「いいからいいから♪それにウチの事務所結構広いし、もう夕方だからみんな寮に
 帰ってるよ。行き倒れになられても困るしさ♪」

 ならねえよ。樹海じゃあるまいし遭難するかっての。だけど朋はすっかりアタシを
案内する気になってるみたいなので、素直に頼ることにした。





「そんじゃお願いしていいか?レッスン場に行きたいんだけど」

「わかってるって♪ こむろんに会いたいんでしょ?」

 朋はニヤニヤしている。何をわかってるんだよ。確かに千奈美に会いたいんだけど、
お前何か妙な勘違いしてねえか?



 


―――



「いや~、ついにきりのんが決断してくれるとはねえ。みんなも喜ぶよ!」

「は?何の話だよ」

 レッスン場に向かう途中、朋が突然わけのわからないことを言い出した。

「え?きりのんウチのアイドルになるんじゃないの?だから一番最初に、一番仲の良い
 こむろんに報告しに来たんだと思ってたんだけど」

 朋がきょとんとした顔で聞き返して来た。ちげえよバカ。もしそうだとしても、まず
最初に千奈美に報告しに行く意味がわからねえ。






「え!? 違うの!? でもきりのんが留守にしてる間に管理人さん決まっちゃったよ?もう
 きりのんのお仕事なくなっちゃったんだよ?」



 ああ、知ってるぜ。アタシも次の仕事を探さないといけねえな。同僚が元極道という
意外は通勤0分で給料も良いバイトだったから辞めるのは惜しいけど、最初から正式な
管理人が決まるまでって話だったからな。





「もうきりのんもアイドルになっちゃえばいいのに。きりのんクールでカッコいいし、
 絶対アイドルになれるよ。あたしが保障してあげる!」

「お前に保障されてもな。美波や音葉が言ってくれるなら自信持てるけど」

「ちょっと!? それどういう意味よ!! 」

 ギャーギャー騒ぐ朋をあしらいつつ、アタシ達はレッスン場に向かった。冗談だよ。
だけどアタシはアイドルよりも、もっとなりたいものがあるんだよ―――――






***



「それじゃここまででいいから。案内してくれてありがとよ」

「あたしは2人のお邪魔虫ってことなのねっ!こむろんと末永くお幸せに……っ!」

 朋が芝居じみた口調でからかってくる。だからそんなんじゃねえっての。それ以上
ありもしねえことを言うと、お前の分の博多明太子食っちまうぞ。

「え!? お土産あるの!? やったー!あたし今週のラッキーパスタたらこスパなんだよ!
 寮で楽しみに待ってるね!」

 朋はスキップしながら帰って行った。何だよラッキーパスタって。スパゲティ限定の
占いなんてあんのか?






「さてと、千奈美はいるかな……」



 窓の外からレッスン場の中をのぞくと、千奈美が女子高生っぽいアイドルと2人で
話していた。レッスンは既に終わっているみたいだが、邪魔をしない方がいいかな。
アタシはドアの後ろで少し待つことにした。






―――



「私にレッスンをつけてほしい?」

「うん、じゃ、じゃなくてはい!よろしくお願いします!」

 女子高生のアイドルが頭を下げる。レッスン終わりの千奈美はスポーツタオルで汗を
ふきつつ、その子の話を聞いていた。





「Pさんやトレーナーのプロデュースが合わないの?だったら他の事務所に変えた方が
 いいわよ。アイドル事務所なんて他にもいっぱいあるんだから」

「そ、そうじゃなくて、じゃなくてじゃないんです!あれ?えっと、じゃなくて……」

「敬語じゃなくていいわよ。私はあんたと同じアイドルなんだから」

「す、すみません……」

 女の子は気まずそうにしていたけど、千奈美は優しく笑っていた。へえ、あいついつも
カッコつけてツンツンしてるのに、あんな顔もするんだな。





「Pさんもトレーナーさん達も優しいから、時々不安になるんだ。凛と奈緒もアタシが
 レッスンの途中でバテて中断しても怒らないし、このままだとアタシのせいで2人が
 ダメになっちゃうんじゃないかって心配になって……」

 凛?奈緒?前に彩華の部屋で千奈美の話を聞いた時に出た名前だな。ということは、
この女の子が千奈美が八つ当たりされた加蓮なのか。

「千奈美さんだけはアタシのことをしっかり怒ってくれたから、千奈美さんだったら
 アタシのダメなところをハッキリ言ってくれそうな気がして。そうすればアタシも
 みんなの足を引っ張らないように出来るんじゃないかと思って……」

 加蓮は真剣な顔をして千奈美の目をまっすぐ見た。千奈美はため息をひとつ吐いて、
タオルをバッグに直して制汗スプレーを取り出した。





「じゃああんたのダメなところを言ってあげるわ。そうやってPさんや同じユニットの
 2人を信じてないところよ。いくらレッスンが上達しても、今のままだったらずっと
 あんたは2人の足を引っ張る事になるわよ」

 千奈美は加蓮にはっきりと言った。加蓮は目を丸くして驚いていた。

「あんたは自分が体力がないのをコンプレックスに感じているみたいだけど、ダンスと
 歌の丁寧さと繊細さは一番よ。凛は体が大きいから小さなミスもどうしても目立って
 しまうし、奈緒は緊張がピークに達すると足下がバタつくわ。それをカバーするのが
 あのユニットでのあんたの役割なのよ」

 千奈美はスプレーを浴びて涼しそうに目を細める。ん?よく見ると顔が少し赤いぞ。
もしかしてあいつ、アドバイスを求められて照れてるのか?





「Pさんは凛と奈緒をあんたと一緒に組ませることで、あえてユニットが暴走しないように
 ブレーキをかけてるのよ。もちろんあんたがバテちゃってレッスンに本当にブレーキを
 かけるのはよくないけど、もっと周りをよく見てみなさい」

「そうだったんだ…… アタシにもちゃんと役割があったんだ……」

 加蓮は目を涙で潤ませて、千奈美の話を聞いていた。千奈美は荷物をまとめて、長い
髪を手でさっとなびかせて立ち上がった。

「みんなの短所を補い合って長所を伸ばせるのがユニットの良い所よ。だからあんたは
 全てを1人で背負い込もうとしないで2人にしっかり頼って、その分2人をしっかり
 支えてあげなさい。考え方を変えるだけで体はずっと楽になるから」

 千奈美はすれ違いざまに加蓮の肩を軽く叩いて、爽やかに去って行った。その後ろで
加蓮が「ありがとうございました!」と言って深々と頭を下げる。まるで青春ドラマの
ワンシーンみたいだな。





「あら?いたのあんた。何してるのこんな所で?」

「いやぁ、千奈美センパイのジャマしちゃ悪いと思ってよ」

 アタシがニヤリと笑うと、千奈美は顔を赤くして「ふんっ!」と不機嫌になって
さっさと行ってしまった。ありゃ、ちょっとからかいすぎたかな。





北条加蓮(16)
http://i.imgur.com/TDVpm0I.jpg






***



「全部終わったから報告しようと思ってさ。ちゃんと最後まで主役やってきたぜ」

 事務所の屋上で、千奈美と2人並んでベンチに腰掛ける。空はそろそろ陽が落ちて
夜になろうとしていた。

「東京はトッププロと警視庁だけでよかったんだけど、地元は大変だったな。福岡中の
 警察署を全部回って、極道の屋敷にも全部挨拶に行って、それから自治体の本部にも
 挨拶に行って、最後に学校の教育委員会にも挨拶に行ったからな」

 一週間で全部回るのはなかなかハードで、体力自慢の亜季も少し疲れていた。基本は
アタシと亜季が2人で訪問し、現地でその地区を担当している亜季の親戚が同行すると
いう形だった。極道に挨拶に行く時は機動隊についてきてもらうこともあった。





「まあこれで、アタシが地元でマークされたり命を狙われることはなくなったよ。
 みんな2年前のことは悪い夢を見たと思ってさっさと忘れたかったみたいだから、
 今後二度と暴れませんって誓約書をいっぱい書かされただけで終了かな」

「『書かされた』?」

 千奈美が鋭い目つきで聞き返す。いや、『書いてやった』んだよ。カッコよくな。

「でもこの誓約を破ったら、今度こそアタシはムショ行きになるんだよ。今のアタシは
 執行猶予っていうか、大和一族と萩原組が身柄を預かるという形で超法規的な処分が
 下されているんだ。ホントだったらこんなに自由にうろつけないんだぜ?」

 この2年何も問題なく大人しくしていたから、1年ほど様子を見ましょうってことに
なった。1年は勝手に東京から出るなって言われたけど、それ以外特に不自由はない。





「まあ、それが妥当な所かしら。あんたにしてはよく頑張ったんじゃない?」

 どうやら千奈美様の合格がもらえたようだ。へいへい、ありがとうございます。

「で、大和亜季に勝ったんでしょうね?」

 しかしアタシがほっとしたのも束の間、千奈美が再び鋭い目つきで聞いてきた。





「か、勝った?何の話だよ……?」

「決まってるでしょ、ケンカで勝ったのかって聞いてるのよ。アンタあの女の代わりに
 スカウトされたんでしょ?しかも比べ物にならないとか言われて捨てられて、悔しく
 なかったの?私があんただったらボッコボコにして見返してやるわよ」

 どんだけ血の気が多いんだよコイツ。いや、ただ単に負けず嫌いなのか?

「そんなことしてるヒマなんてなかったよ。スケジュールはカツカツだったし、二度と
 ケンカしませんって挨拶に行ってるのに、顔面に青タン作ってたりギブスはめてたり
 したら説得力ゼロだろが。アタシは元々温厚なんだよ」

「……あんたが温厚だとは思わないけど、それなら仕方ないわね」

 千奈美は何とか引き下がってくれた。ほ、助かったぜ……



 ……実は最終日に先生の家に挨拶に行った時、久しぶりに道場のみんなで集まって
公民館で練習して、流れでアタシと亜季のスペシャルマッチが行われることになった。
防具アリ、立ち技限定のV―1形式3ラウンドで試合をしたが、1ラウンドは何とか
獲ったものの、その後立て続けに2・3ラウンドを獲られてアタシは負けた。





「スピードはアタシの方が上だったんだけど、破壊力と立ち回りで完全に負けたな。
 そもそもウェイト差あるし、軍式戦術思考とかで3ラウンド目はアタシの動きが
 ほとんど読まれていたし……」

「何ブツブツ言ってるのよ。気味が悪いわね」

「いや、何でもねえよ。世の中は広いなあと思ってな」

 アタシは空を見上げた。そろそろ真っ暗になるな。





「ところであんた、片桐さんの話は聞いた?」

「聞いたぜ。アイドルになるんだってな」

 最初に聞いた時はアタシもびっくりした。しかもCGプロじゃなくて、トッププロの
アイドルになるって言うから更に驚きだ。

「トッププロじゃなくて『レスペディーザ(萩)プロ』に改名するみたいよ。経営陣も
 一新して、クリーンな芸能事務所として再スタートをするらしいわ」

 萩原組が後ろについてる時点でいきなり躓いてる気がするんだが。だけど基本的には
ノータッチだって組長さんも言ってたし、それに正義感の強いカタギリが悪事を見逃す
はずがない。カタギリには向いてる職場かもな。





「レスプロの経営が安定するまでは、しばらくCGプロと765プロが業務提携をして
 スタッフを貸し出したり一緒に仕事をするそうよ。そういえばあんた真奈美さんと
 面識あるの?真奈美さんが昨日あんたの話をしてきたんだけど、あの人もボーカル
 トレーナーとしてしばらくレスプロに通うらしいわよ」

 ああ、それは木場さんから直接電話で聞いたよ。木場さんは元々トッププロを何とか
したいって言ってたからな。カタギリと木場さんって強そうなコンビだ。

 だけどレスプロに行くのはこの2人だけではない。実は亜季もレスプロのアイドルと
して、日本に残って活動する。亜季はシュワちゃんみたいな軍人に憧れていたらしいが、
シュワちゃんそのものになることにしたらしい。アクションスターというかアクション
アイドルかな?意外とミーハーだなあいつ。





「亜季はあのホテルのお前に心を奪われて、アイドルとしてお前とステージで戦って
 みたくなったんだとよ。『鍛えられた身体と心で、厳しい芸能界を戦い抜きます!
 小室殿にステージで会いましょうとお伝えください!』って言ってたぞ」

 組長さんに安心しろと言ったのは、自分がアイドルになって文字通り事務所を守ると
いう意味だったようだ。それほどあの時の千奈美が強烈だったんだな。

「へえ、上等じゃない。元軍人だか傭兵だか知らないけど、片桐さんとまとめて相手を
 してあげるわ。ケンカは敵わなくてもステージでは負けないから」

千奈美が獲物を前にしたライオンのように不敵に笑う。何か嬉しそうだなお前。





「それで、あんたはこれからどうするのよ?」

「あん?アタシか?」

 千奈美に突然話をふられて、アタシはふと首をかしげた。

「呆れたわ。もしかして何も考えてなかったの?」

「いや、なりたいものはあるんだ。だけどそれは職業じゃないんだよな」

 アタシは千奈美にそれを聞きに来た。後でカタギリにも聞いてみようと思ってる。






「なあ、どうすればお前やカタギリみたいな女になれるんだ?」



 アタシは千奈美に聞いた。千奈美は少し間を置いてから、さっき加蓮にしたような
優しい笑顔をしてベンチから立ち上がった。





「知らないわよ。あんたはあんたなんだから、私や片桐さんにはなれないわ。
 でもどうしても私達みたいになりたいって言うなら―――――」

 千奈美はそう言いながらスタスタ歩き、屋上の出入口の前で立ち止まった。そして
出来るだけ平静を装った顔をしてやや上ずった声で、



「あんたもアイドルになってみたら?」



 と言って、さっさと屋上から出て行った。何恥ずかしがってるんだよアイツは。
そう言ってるアタシもきっと、同じような顔をしてると思うけどな。





「アタシがアイドル?何の冗談だよ」

 空を見上げて独り言をつぶやく。アイドルか。アイドルねえ……



「あれ?もしかして桐野さんですか?」



 しばらくそうしていると、懐中電灯と鍵の束を持ったプロデューサーが屋上に来た。
お、ちょうどいいタイミングだな。アンタにも会いたいと思ってたんだよ。





「おう、お邪魔してるぜ。全部終わったからアンタにも報告しようと思ってな」

「それはご丁寧にありがとうございます。お茶を出しますので中へどうぞ」

 プロデューサーは笑顔で言った。アポなしで来たのに悪いな。

「いえ、今日の業務はもう終わりですから。では屋上を閉めますので」

 アタシ達は屋上を出て会議室へと向かった。


 
 さて、最後の仕上げだな―――――






***



「どうぞ。ブラックで良かったですよね」

 プロデューサーがコーヒーを差し出す。アタシの好みをよく憶えてたな。

「アンタやっぱり優秀なプロデューサーだな。ホテルに連れ込まれそうになった時は
 ぶん殴ってやろうかと思ったけど、カタギリとアンタが力を貸してくれたおかげで
 無事に全部終わったよ。だから礼を言わせてくれ」

 アタシは頭を下げた。プロデューサーは慌ててアタシに頭を上げるように言った。





「俺は寮を手配したぐらいですよ。それどころか桐野さんには拓海も千奈美も助けて
 いただいて、更にはトッププロの再建もしてもらったんです。CGプロだけでなく
 他の事務所も桐野さんに感謝していますよ」

「そもそもアタシが混乱を引き起こしたようなもんだけどな。確かこういうの何て
 言うんだっけ?ああ、マッチポンプか」

 プロデューサーと2人で笑い合う。アタシに付き合ってもらって悪かったな。





「それで桐野さんは、今後はどうなさるおつもりですか?片桐さんと大和さんはトップ
 プロ…ではなくてレスペディーザプロでアイドルになると聞きましたが、桐野さんも
 2人から誘われているのではありませんか?」

 なかなか鋭いじゃねえか。確かに亜季にレスプロで一緒にアイドルをやりませんかと
言われた。近いうちに返事するとは言ってるけど、どうしようか悩んでいる。

「悪い話じゃないんだが、カタギリと亜季のノリについて行ける気がしねえんだよな。
 アイドルやるなら、アタシは千奈美みたいな路線で行きたいんだけど……」

「ではぜひウチの事務所に!! 」

 待て待て、そう焦らないでくれよ。アタシは身を乗り出して来たプロデューサーを
手で制した。子供じゃあるまいし、そうがっつくんじゃねえよ。





「その前にCGプロとは別に、アンタ個人に聞きたいことがあるんだけどいいかな?
 ちょっとプライベートなことなんだが」

「俺にですか?答えられることでしたらお答えしますが……」



 プロデューサーは頭に疑問符を浮かべる。ああ、アンタにしか答えられないことだ。
アタシは息を整えて、目の前のプロデューサーに向かって言った。






「アンタ、トッププロのスカウトマンと仲が良かったんだってな?」



 プロデューサーは文字通り固まった。いや、別にアタシに隠していたのを責めてる
わけじゃねえよ。アンタにも事情があったんだろうと思うし。でもこのままアタシに
隠し続けるのはアンタも苦しいんじゃねえか?






「アタシは正直アイツのことは今でも嫌いだけど、それとこれとは別問題だ。アンタの
 口からアイツの話を聞かせてくれねえかな」



 アタシが今日ここに来たのはこれがメインだった。プロデューサーからアイツの話を
聞かないと、アタシは次へ進めない気がした。事件の始まりは亜季かもしれないけど、
アタシにとって全ての始まりはアイツにスカウトされた時からだから―――――






―――



「仲が良かった、という表現は少し違いますね。俺達は事務所は違いましたけど、同じ
 プロデューサーとして素晴らしいアイドルを生み出す為にコンビを組んでいたんです。
 あいつが女の子をスカウトをして、俺がその女の子に合わせたレッスンのメニューを
 作っていました。個人情報保護の観点から互いの事務所には内緒でしたが」



 アイツはトッププロのスカウトマンじゃなくて、実はプロデューサーだったらしい。
だけどプロデュースの腕がからっきしで、アイドルを育てる事が出来なかったそうだ。
一方CGプロのプロデューサーはプロデュースは得意だがスカウトの成功率が低くて、
なかなか担当アイドルが増えなかった。そこで利害が一致した2人は手を組んだ。






「あいつと手を組んでからは面白いように仕事が回りましたよ。あいつが俺の分まで
 女の子をスカウトしてCGプロに回して、俺はあいつが受け持っているアイドルの
 分までレッスンメニューを作成する。俺達は最高のコンビでした」



 だけどそんな2人のコンビは、V―1が原因で解散する事になった。V―1推進派の
トッププロと、V―1反対派のCGプロで事務所同士が激しく対立したからだ。






「俺達がしていたことがバレると互いの事務所の立場が危うくなると思い、それを
 機にコンビは解散しました。俺はあいつにCGプロに来ないかと誘いましたが、
 あいつはトッププロを裏切ることは出来ないと断りました」



 だけど本心ではあいつもV―1に乗り気ではなかっただろうと、プロデューサーは
言った。アイツが亜季のスカウトを失敗したのは、もし亜季をスカウトしてしまうと
V―1は止められなくなるから迷いがあったんじゃないかと。





「あいつが桐野さんにしたことは決して許されません。ですが俺はあいつの相方として、
 あいつを助けられなかった事をずっと後悔しています。今の俺があるのは間違いなく
 あいつのおかげですから……」

「それじゃアンタは、アイツの尻拭いをする為にアタシに関わっていたのか?」

 木場さんも言ってたけど、業界人であればアタシと接触するのは絶対に避けるはずだ。
成り行きで拓海を助けたとはいえ、その恩返しの為だけにアタシに関わるのはリスクが
高すぎる。CGプロには拓海の他にも沢山アイドルがいるしな。





「黙っていたことは申し訳ないと思っています。ですがこの事が桐野さんに知られると、
 俺は桐野さんのそばにいられませんでした。あいつの罪滅ぼしというのもありますが、
 俺自身が桐野さんの力になりたいと思ったのも本心です」

 プロデューサーは真剣な顔をして言った。どうやらウソは言ってないみたいだな。
どうしてアンタがアタシにそこまで協力をしてくれたのか全然わからなかったけど、
よくやくスッキリした気がするよ。

「今まで隠していて申し訳ありませんでした。あいつの元相棒として俺からも謝ります。
 本当に、本当に申し訳ありませんでした」

 プロデューサーはアタシに深々と頭を下げた。やっぱあんた底抜けのお人好しだな。
だけどそんなアンタだからこそ、アタシも信じてみようって思えたのかもな。





「ったく、アイツは幸せ者だよな。でっかい恩のあるアンタにそこまで謝られたら、
 アタシもこれ以上何も言えねえじゃねえか」

 アタシは苦笑いして、プロデューサーに頭を上げるように言った。アンタもアイツの
ことなんて知らねえって突っぱねても良かったのに、よっぽど仲が良かったんだな。

「実際はケンカばかりしていましたけどね。お互い自分のことを棚に上げて、もっと
 使えるメニューよこせだの、アイドルの仕事に耐えられる子をスカウトしろだの、
 酒を飲みながらよく口論になってましたよ」

 プロデューサーは照れくさそうに言った。はは、そりゃひでえ。そういえばアイツ
結構言いたい事はズバズバと言うタイプだったもんな。





「俺達はアイドル業界という、同じ戦場で戦う戦友同士でした。分かりやすく言うなら
 アイドル達を後ろに抱えて、俺とアイツは陣地の最前線でクロスファイヤーを張って
 いるような感じでしたね」

 全然わかりやすくねえよその例え。亜季ならピンとくるかもしれないけどな。ええと、
確かクロスファイヤーって『十字砲火』って意味だっけ?

「左右に連射火器を持って配備し、一点に交差するように撃つんです。俺達はお互いに
 プロデューサー生命を預け合っていたので、とにかく毎日必死でしたね」

 お互いを助け合いながら戦うのか。ベタベタ依存したり甘えたりするわけではなく、
目的に向かって2人で銃をぶっ放し続ける。アタシもそんな仲間が欲しいな。





「それで桐野さん、アイツは生きているんですか……?」

 プロデューサーは恐る恐るアタシに聞いた。トッププロのスカウトマンは、2年前の
事件の後に失踪して行方不明になっていた。あのカタギリでさえも居場所を突き止める
ことは出来ず、亜季が調べてようやく判明した。

「ああ、北海道で農業やってるらしいぜ。アタシは会う気はないけど、亜季に頼めば
 連絡先くらいは教えてくれると思うぞ」

「そうですか、とりあえず無事でよかったです……」

 プロデューサーはほっと胸を撫で下ろした。やっぱり心配してたんだな。アタシも
アタシが起こした事件のせいで死なれていたらイヤだったから、生きてるって知って
安心したけどな。あんなヤツを気にかけるなんて、アタシもすっかり丸くなったよ。





「話は終わりだ。それじゃもう遅いし、そろそろ帰るよ」

 アタシはよっと席を立った。するとプロデューサーが慌てて呼び止めた。

「ちょ、ちょっと待ってください桐野さん!それでアイドルになるという話は……」

 ん?ああ、そういえばそうだったな。すっかり忘れてたぜ。






「アンタ、アタシがアイドルになれると思うか?余計な同情とかお節介とか抜きで、
 アタシみたいな女が本当にアイドルになれるのか?」



「なれます!俺が必ずあなたをトップアイドルにしてみせます!」



 プロデューサーは即答した。おいおい、頭大丈夫かよアンタ?自分で言うのもアレ
だけど、アタシ色々とやらかしてるんだぞ?






「初めて桐野さんに会った時、俺はあなたをこのまま日陰者にしてはいけないと強く
 感じました。桐野さんはどんな舞台でも輝ける人です。それに桐野さん以外にも、
 ウチには色々やらかしてるアイドルがいますからどうぞご安心下さい」



 プロデューサーは笑顔で言った。ああ、そういえばそうだったな。元暴走族や極道の
娘やプロデューサー泣かせのじゃじゃ馬に比べれば、アタシなんて大した事ないかな。
悪いなカタギリ、亜季。まあそのうち一緒に仕事をすることもあるだろう。






「じゃあアンタの熱意に免じて、CGプロでちょっとアイドルってヤツをやってみるよ。
 だからアンタも、きちんと仕事してくれよ!」



「はい!お任せ下さい!それでは今日はもう遅いので寮まで車で送りますよ」



 前なら断っていたけど、今日は送ってもらおうかな。だけど近くまででいいからな?
千奈美や朋達ともこれから仲良くやっていかなきゃいけないんだし、アイドルになって
早々アイツらに余計な誤解とかされたくねえからさ。





「あ、そうだ。ひとつ聞くのを忘れてたよ」

「何ですか?」

 アタシはふと、拓海から聞いた話を思い出した。





「拓海から聞いたんだけど、今度海外ツアーでバリ島に行くらしいな。今事務所内で
 メンバーの選考をやってるって聞いたけど」

「ああ、その話ですか。今月末までには決める予定なんですが、実はなかなか難航して
 いるんですよ。拓海と千奈美はおそらく確定になるでしょうけど」

 千奈美も行くのかよ。つくづくアイツとは奇妙な縁があるな。

「その選考さ、アタシもエントリーしていいか?」

「ええっ!? 今からですかっ!? 」

 プロデューサーは目を丸くして驚いた。アタシもCGプロのアイドルになったんだし、
別に問題ねえだろ?






「アタシ前からすっげえバリ島に行ってみたかったんだ。死ぬ気でレッスンをやるから、
 一応考えといてくれ。ダメなら遠慮なく落としてくれていいからさ」



 これでもアタシ、体力と運動神経には結構自信があるんだぜ?それに頼れるセコンドも
ついているし、アタシのデビュー戦にはちょうどいい舞台だ―――――






***



 そして―――――



「あっちいなあ、バリ島ってのは毎日こんなに暑いのかよ……」

「今日はまだマシみたいよ。現地の人達もピンピンしてるじゃない」

 アタシと千奈美は仕事の休憩時間に、バリ島で観光を楽しんでいた。アタシは1人で
うろつきたかったんだけど、千奈美が無理矢理ついて来た。





「インドネシア語が喋れないからって、アタシについて来んなよ」

「あ、あんただって喋れないでしょうが!」

「そんなの英語で何とかなるだろ。ハロー、サンキューってな」

「あんたのその適当さがうらやましいわ……」

 こんな感じで適当に千奈美の相手をしつつ歩いていると、目的地の土産物屋が見えて
来た。アタシは立ち止まって、近くの木の陰に隠れて離れた所から様子を伺う。






「あそこなの?」



「ああ、手紙に書いてあった地図と住所だとあの店で間違いないんだけど……」



 日本人夫婦がやってるなら、店構えに和のテイストがあってもいいと思うんだけどな。
目の前の土産物屋は藁ぶき屋根でエスニックな雰囲気がする店で、店員は奥にいるのか
店前には誰もいなかった。





「私がお客さんとして様子を見てきましょうか?こうしていても埒があかないでしょ。
 それにホテルに戻る時間だってあるし」

「いや、もうちょっと待ってくれ。アタシにも心の準備ってもんが……」

 アタシ達がそんなやりとりをしていると、土産物屋に観光客がやって来た。すると
店の奥から、日本人の夫婦が一緒に出て来た。






「父さん………… それに母さんも…………」



 アタシはその夫婦を見ながら、思わず口に出していた。





「あんた顔はお母さん似なのね。目元はお父さん似だけど」

 ああ、昔からそう言われてたよ。2年ぶりに見る父さんと母さんは、日焼けしていて
黒くなっていた。はは、父さんは元々色黒だったけど母さんも黒くなったな……

「元気そうでよかったじゃない。じゃあ早速会いに行きましょうか」

 千奈美はアタシの手をぐいっと引こうとする。だ、だから待ってくれって!まだ時間
あるし、もう少しここにいてもいいだろ……?





「それに何の意味があるのよ。いい加減あんたも覚悟を決めなさい。1人で会うのが怖い
 なら、私もついて行ってあげるから……」



 千奈美はにっこり笑ってから、大きく息を吸って、



「さっさと行って来なさいよ!」



 アタシのケツを思いっきり蹴っ飛ばした。





「いってえ!? 何しやがんだっ!! 」

 アタシは千奈美に負けないくらいの大声で言い返した。すると周りにいた現地の人や
観光客が一斉にアタシ達を見た。やっべ、こんなに目立っちまったら……

 アタシはおそるおそる土産物屋の方を見た。すると父さん達は、まるでUFOでも
見たような顔をして固まっていた。父さんの隣にいた母さんの目からは、ぼろぼろと
涙があふれていた。





「ついて行ってあげましょうか?」

 木にもたれながら、千奈美がアタシに優しく笑いかける。アタシは軽く首を振って、
手に持っていた小型のアタッシュケースを千奈美に渡した。

「いや、いい。その代わりこれを預かっていてくれ。アタシの宝物だから、落としたり
 ぶつけたりするんじゃねえぞ」

 千奈美はゆっくり受け取って頷いた。土産物屋からは、母さんが泣きながらこっちに
向かって走って来ている。アタシの視界はだんだん涙で滲んでいた。






「母さん……っ!! 」



 アタシは涙を拭くのも忘れて、母さんに向かって全力で走った。






 おわり






 およそ5ヶ月の間、読んでくれた読者の皆様に感謝を。感想を戴けると嬉しいです。

 以上



おお、ついに完結か、お疲れ様です
早苗、巴、拓海あたりのちょっと「?」な設定を上手く使ってるなぁという感想

毎日更新確認する程度には楽しみにしてました、次回作を期待してます

おつかれさまでごぜーます
なかなかないアヤ主役、強烈なキャラ付けとあいまって面白かったです

……アイドルメーカーの人?

>>769
>>770

何となくだけど>>706さんと>>707さんかな?感想ありがとうございます。

>>769
SSを書くときは二次創作として、公式の設定を守りつつ枠からはみ出さない
ように注意してますが、今回は思いっきりはみ出してみたらどういうものが
書けるだろうと思い、公式の曖昧な部分を広げてみました。少々やりすぎて
収拾をつけるのが大変でしたが。毎日更新すると宣言しといて、ダラダラと
引き延ばしてすみませんでした。特に軍曹編が大変だった……

>>770
作者の勝手な印象ですが、アヤは陰があるイメージです。陰気というわけ
ではありませんが、何か過去に嫌な事でもあったのかなと。その印象を
広げてキャラ付けしました。ジークンドーは作者の趣味ですw
……ちなみに何でバレたんだろう?最近は加蓮まゆユッコを書いてました。
今回はある意味「逆アイドルメーカー」ですね。あっちは奈緒が他の子達を
アイドルにしていく話でしたが、こっちはアヤがみんなと出会う事によって
アイドルになっていくイメージでした。終盤は千奈美無双でしたねw


きりのん&こむろんはもっと流行ってもいいと思うんだ。きりのんもSR化
したし、このコンビのSSがもっと増えますように。では

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