雪歩「大きくなるということ」(141)

立て直し

「TOP×TOP……ですか?」

12月になり、だんだん外を出歩くのが辛くなってくる頃。
私は、プロデューサーの唐突の言葉に、目をしばたたかせていた。

「ああ。日程はクリスマスイブで、生放送だ。三人とも、久しぶりのゴールデンタイムだぞ!」

思わず真ちゃんや美希ちゃんと顔を見合わせる。

私たち三人がデビューしてからもう一年以上経つ。
今まで精一杯頑張ってきたつもりだし、小さくてもいろいろな仕事に出向いてきた。
だというのに、なかなかファンの人は増えてくれなくて、どうにもくすぶっている期間が続いていた。
そんな私たちが、ゴールデンタイムの番組に出られるなんて、にわかには信じがたい話だった。

「ゴールデンタイムだって! これでボクたちの実力が知れ渡れば……」

「ミキ達も人気アイドルの仲間入りなの!」

「うぅっ……私、今から緊張してきちゃったよ……」

小さく取り上げられるだけなのか。
はたまた、これからの命運を賭けて、大々的に出ることになるのか。

私たちにとって、これはまたとない大きなチャンス。
だから、みんなが思い思いにその様子をイメージしていたけれど、

「みんな、いったんは落ち着いてくれ。それで、だ。もう一つ、大事な話がある。……実は、その番組内で竜宮小町と新曲で勝負することになったんだ」

プロデューサーが語ったそれは、予想した内容とは大きく食い違うものだった。

「竜宮小町……って、ええっ!?」

すっとんきょうな声をあげる真ちゃん。
無理もない。
私たちよりも一足先にデビューした竜宮小町は、今やメジャーアイドルの一員で、Dランクアイドルの私たちとは人気も実力もまるで違う。
そんな竜宮小町と勝負だなんて、やる前から結果は決まっているように思えた。

「プロデューサー……あの、それって、私たちなんかが出て本当に大丈夫なんでしょうか……?」

「何言ってるんだ。俺は三人とも、竜宮小町にだって負けない力を持っていると思ってる。今日からのレッスンは、すべて新曲の練習に充てるから、当日まで全力で頑張るぞ」

「これで竜宮小町に勝てば知名度も一気に……なんだかボク、燃えてきましたよ!」

いつになく強気のプロデューサーに同調して、真ちゃんはいつも通りのガッツポーズをする。
美希ちゃんも、プロデューサーのことをじっと見ていて、珍しくやる気十分、といった感じ。
そんな二人を見て、私も腹を決めた。

「話した通り、今日の仕事は予定を変更して、三人にはそっちのレッスンに努めてもらう。新曲については向こうのスタジオで聞くことになってるから、俺も同行するよ」

「え? ここで聞くんじゃないの?」

「ああ。ここではちょっと、な」

プロデューサーの視線の先にはパソコンと向き合っている律子さんの姿。

……ああ、そうか。
今回のライバルは、同じ765プロの仲間なんだ。
これは、プロデューサーと律子さんの勝負でもあるんだよね。

全員がプロデューサーの意図を悟り、小さくうなずく。

「じゃあ、移動しよう。時間もそろそろいい頃合いだ」

「はーい」

その合図で、私たちはいそいそと支度を始めた。

「……はい、ここまで。今回のリミットは三週間くらいだから、一週間前には確実に踊れるようになってもらいます」

レッスンスタジオで、新曲の確認をする。
今までの私たちのイメージ通り、クールな雰囲気を前面に押し出したこの曲は、それに見合って激しいダンスを要求されるものだった。

「これが、新曲……私にちゃんと踊れるかな」

一通りの動きを見せられ、つい弱音をこぼしてしまう。
そんな私とは対照的に、二人は既に自分が踊りきるイメージを固めているようだった。

「よし、じゃあ始めますよ!」

先生の一声で、急かされるように立ち上がる。
兎にも角にも、踊ってみないことには始まらない。

真ちゃんも美希ちゃんも、ダンスは大の得意。
一度見ればある程度の形は出来てしまう。
私はレッスンの間中、必死で真ちゃんたちの動きについていった。

「あ、萩原さん、そこの八拍が少し遅れてるわね。はい、もう一回やって」

一人前に出て、直前の八拍を繰り返す。
少し不安げにしていた先生は、今度はにっこり笑ってくれた。

「うん、よくなった。じゃあ、三人で次から行くよ」

ふと、レッスンを見学しているプロデューサーと目が合った。
私に気付くと、小さく笑って親指を立ててくれる。
それだけなのに、なぜか心が温かくなって、元気が湧き出てくる気がした。

……もらった元気が切れないうちに、しっかり頑張ろう。
私はこっそり気合を入れ直した。

午前中のレッスンが終わると、プロデューサーが私たちのところに歩いてきた。

「お疲れ、みんな。今日は初回にしてはいいペースだって、先生が言ってたぞ。……雪歩、さっきのところ、すぐに修正できててよかったよ」

「あ……ありがとうございます」

その言葉に、少し頬が熱くなる。
私が少し遅れていただけなのに、褒めてもらえるとどうにも嬉しい気持ちが心を満たした。

「むー……雪歩ばっかり、ズルいの! ねえ、ミキも褒めてくれるよね?」

「あ、ああ。美希も真も、通して難なくこなせていたな。三人ともこの調子なら、心配事はなさそうだ」

……これなら、なんとかいけるかも。
少し引っかかるところはあっても。本番まではまだしばらく時間がある。
その間に、しっかり形にしておかなくちゃ。

レッスンルームを出ると、ちょうど隣の部屋の扉が開いた。

「あっ、律子!」

姿を見せたのは律子さん率いる竜宮小町の面々。
私たちと同じくジャージ姿で、肌にはたくさんの汗が張り付いていた。

「お疲れ様です、プロデューサー。どうです、そちらの調子は?」

「ああ、おおむね順調だよ。……って言っても、まだ頭の部分を少しやったくらいだけどな。とにかく、今回はみんな気合が入ってるぞ」

「なるほど。うちと戦う心構えは万端ってわけね。こりゃ、私たちも負けてられないわよ、あんたたち!」

「まぁ、私たちと勝負しようってんだから、それくらいは当然よね」

綺麗な髪をかきあげ、いつも通り自信に満ちた様子の伊織ちゃん。
その自信は、弛まぬ努力に裏付けられたもの。
そんな伊織ちゃんが、時にとても格好よく思えることがある。
竜宮小町のリーダーとして連日テレビに出演する伊織ちゃんは、私なんかとは違って、輝きにあふれて見えた。

「ゆきぴょん、どうかしたの? なんかぼーっとしてるっぽいよ?」

「えっ?」

気付くと、亜美ちゃんが私の顔をのぞきこんでいた。

「ううん、なんでもないよ。ただ、伊織ちゃんは自信満々ですごいなぁって。……私たちもがんばるから、亜美ちゃんたちもがんばってね」

「……おうよ! 亜美たちの新曲で、ゆきぴょんをビックリさせてあげるかんね」

一瞬首をかしげた亜美ちゃんは、すぐにいつもの嬉しそうな笑みに戻って、そう言った。

「はいはい、お話はそれくらいにして。みんな、そろそろ移動するわよ」

パンパン、と手を叩く律子さん。
仕事の多い竜宮小町は、一日中レッスンには使えないそうで、今日もこれから収録があるらしい。

「じゃあプロデューサー、私たちはこれで失礼しますね」

「真ちゃん、美希ちゃん、雪歩ちゃん、みんながんばってね~。あ、あと、プロデューサーさんもですね。がんばってください」

「あんたたち、この伊織ちゃんと共演するんだから、死ぬ気で練習しなさいよ?」

「では諸君、けんとーを祈る!」

口々に励ましの言葉をかけてくれながら、四人はスタジオを後にした。

「……律子たち、忙しそうでしたね」

「ああ、そうだな。でも、今度の出演で俺たちもそうなるんだ。そのためにも、午後から気合を入れていこう」

「はいっ!」

もう一度気合を入れ直し、私たちは午後のレッスンスタジオへと向かった。

翌日。
今日もレッスンのみの一日が予定されている。
昨日と同じく、午前中はダンスレッスン。

一回経験しているとはいえ、どんどん先に進んでいく内容に加え、それをテキパキこなしていく二人についていくのは、至難の業だった。

「萩原さん、そこ逆に移動してる。もう一回やって」

「はっ、はい、すみません」

今日も間違いを指摘されたのは私。
曲よりもどこかしらで少しテンポが遅れてしまう。

「うーん、またダメね。もう一回」

「はい……」

何回か繰り返しやって、ようやくOKが貰える。
先生の表情には、いくらか安堵の色がうかがえた。

その日の帰りにも、今日失敗したところをイメージする。

……もしかしたら、もう遅れ始めてるのかも。
一応二人と同じところまでは完成しているけど、私だけ少し時間がかかっている。

でも、今のままなら大丈夫なのは確かだ。
次回からもこのペースを維持できるようにしよう。

私はその日、イメージトレーニングをしながら家に帰った。

「……さて、もうすぐ、と言える時期にもなりました」

アイドルのいない静かな事務所の中、話し声とキーボードの音だけが響く。

「もうどうするかは決めてあるんですよね?」

「ああ。以前話した通りにいこうと思います。くれぐれも、抜かりの無いようにお願いします」

「無論だよ、君。でなければ意味がないからね」

「私、何だかしゃべっちゃいそうです……気をつけなきゃ」

「大丈夫ですよ。その時は、私たちみんなで止めに入りますから」

「……そろそろみんなが来る時間だな」

その言葉を最後に声はやみ、キーボードの音だけが静寂を形作る。

萩原雪歩は、まだそれを知らない。

それから数日。

レッスン漬けの毎日に、久しぶりの休日が入った。
その日は、真ちゃんと美希ちゃんと一緒に、かねてから考えてあった繁華街でのウインドウショッピングめぐりをしていた。

「それじゃあまずは、ミキのお気に入りのお店を教えちゃうの」

美希ちゃんに案内されてきたお店は、センスのいい洋服店かと思いきや。

「……おにぎりの、お店?」

それは、見慣れない看板を掲げ、『おにぎり専門店』と銘打たれたお店だった。

「……なんというか、美希にぴったりのお店だよね」

「お昼にはまだ少し早いんじゃ……?」

「いいから、早く早く!」

美希ちゃんに片方ずつ手を引かれながら、私たちは店内に入った。

カウンターまで行くと、美希ちゃんはこなれた様子で、店員さんに二言三言注文する。
常連なのだろう、店員さんも美希ちゃんのことを知っているようで、心得たふうに奥へと入っていった。
少しして、たくさんのおにぎりが載せられたトレイが運ばれてくる。

「……あれ、全部美希ちゃんが食べるの?」

「え? そうだよ。あ、二人の分はミキがオススメをプレゼントするから、任せてほしいの」

そう言って、また店員さんに二言三言。
ほどなくして、そちらもトレイで渡される。
山盛りじゃなくて、少しだけ安心した。

適当なテーブルを見つくろって、思い思いのおにぎりを一口かじる。
私が口にしたそれは、具が入っていなかった。
それでも、お米の優しい味わいが、口いっぱいに広がる。

「……おいしい」

「でしょでしょ! それ、ミキのお気に入りなんだ。ここのお店、使ってるお米もお塩もおいしいから、ミキが三ツ星付けてあげたの!」

「それって美希がつけるものなの?」

「わかんない。でも、ミキが決めたから三ツ星なの」

三ツ星は別にしても、確かにこのお店のおにぎりは、今まで食べたどれよりも丁寧に作ってあって、すごくおいしかった。

おにぎりを食べ終わって、真ちゃんおすすめのぬいぐるみ屋さんに行ってみたり、お茶のお店に二人を案内したり。
次はどこに行こうかと考えていた時、唐突に美希ちゃんが立ち止まった。

「美希ちゃん、どうしたの?」

「いいこと考えたの! これから、みんなが一番欲しいものを見て回ることにしようよ!」

「あっ、それいいかも。雪歩、そうしようよ」

随分いきなりな話だけど、真ちゃんも乗り気だし、私も二人の欲しいものは見てみたいと思う。

「じゃあ、そうしよっか」

まずは真ちゃんの欲しいもの、ということで、来た道を戻って自転車のお店に入ることとなった。

「真ちゃん、自転車って、すっごく高いんだね……」

お店に入ってから、私はずっと驚きっぱなしだった。
二、三十万円単位の自転車が何台も並んでいる。
私が使っているようなカゴ付きの自転車じゃなくて、細い車体の、見るからにカッコいい感じ。
それに、いろんなパーツみたいなものが、たくさん売られている。
これで、改造みたいなことをするんだろうか。

しばらくすると、満足したように真ちゃんが出てきた。

「もういいの?」

「うん、十分だよ。新しい自転車が欲しくって。どれもカッコよくて目移りしちゃうなぁ……」

「じゃあ、今度真くんにミキからプレゼントしてあげるね」

……プレゼント、か。
そういえば、そろそろクリスマスだな。
日頃の感謝の気持ちを込めて、プロデューサーに何かプレゼントするのも悪くないかも。

「じゃあ、次はミキの番だよ。さあ、急いで服屋さんに行くの!」

案内された場所は今度こそ服屋。
さすが美希ちゃんというべきか、ファッション誌に載っててもおかしくないような、私から見てもかっこいい服や可愛い服がいっぱい。

いつも美希ちゃんは散歩をしたりするらしい。
だからこういういいお店を見つけるのが上手なのかも。

「ミキの欲しい服は、これだよ」

美希ちゃんが手にしているのは、タータンチェックのコート。
シンプルなデザインが、美希ちゃんによく似合っていた。

「この前ね、ハニーが、ミキがいっぱいがんばったらプレゼントしてくれるって言ったの。だから、最近のミキは本気モードってカンジ」

「ああ、それで美希、やる気入ってるんだね。ボクもちょっと気を抜くと美希に先を越されそうだよ。今度の曲、ダンスがかなりハイレベルだし」

二人から見ても、やっぱり今度のダンスは難しいらしい。
でも、私の目には二人とも難なくこなしているようにしか見えない。
……これは、私のレベルが低いからなのかな。

「ねえ、真ちゃん。私って、二人よりも遅れてるとこあるよね……」

「あー……まあ、確かにそうかもね。ちょっとボクたちがどんどん進み過ぎてる部分もあるし」

「でも、雪歩が気にすることないの。ミキ、このままなら平気って思うな」

意を決して胸の内を話してみると、二人は私の遅れを受け入れてくれた。
それが嬉しくて、少し気分が晴れる。

「ありがとう、二人とも……じゃあ、今度は私の欲しいもののお店に行こうか」

私は二人を連れて、さっきのお茶屋さんに戻った。

「あれ? さっきと同じ店……ってことは、雪歩が欲しいのって、お茶?」

「えへへ、実は……。いいお茶だなとは思ってるんだけど、事務所にはこの前たくさんお茶っ葉が届いたばっかりだったし、ちょっとだけ買いづらくて」

真ちゃんに説明している傍らで、美希ちゃんはお茶の銘柄をじっと見つめていた。
それを見ている私に気付いて、顔を上げる美希ちゃん。

「美希ちゃん、お茶に興味あるの?」

「ううん、あんまりないの。……あっ、でも、雪歩の好きなお茶は覚えとこう、かなって」

どうにも歯切れの悪い返答。
真ちゃんも、美希ちゃんと同じような顔をしていた。

「さ、さあそろそろ行こうか雪歩、もう時間も結構経ってきたし」

「え、真ちゃん?」

半ば二人に押し出されるようにして、店を後にする。
もう結構な時間帯だったから、帰る以外にすることもなかったけれど、その間二人の会話は少なく、どこかぎこちなかった。

家に帰り、居間のソファに腰掛ける。

思い出すのは、今日の二人のこと。
帰る途中の二人は、なにかよそよそしい感じがした。

……もしかしたら、何かまずいことしちゃったのかもしれないな。

そう思ったけど、すぐにその思考を放棄する。

真ちゃんも美希ちゃんも、そういうことで態度を変えるようなタイプじゃない。
気にするのはよそう。

そのまま私はソファに深く体を預けると、目の前に置いてあるテレビをつけた。

事務所の中、プロデューサーは十一人のアイドルの前で話をする。

「会は当日、二週間後の月曜日に行う予定だ。みんな忙しいとは思うが、仕事のスケジュールは空けてあるから、どうにか時間を作ってほしい」

「当然ですよ、プロデューサーさん。みんなしっかり予定、空けておきますからね!」

彼女の言葉に同調し、うなずく面々。

「ああ、助かる。それと、これが一番大事なことだが、くれぐれも本人に気付かれないように」

それだけを伝えると、各人はそれぞれの作業に戻る。

萩原雪歩は、まだそれを知らない。

明くる朝、いつもより少しだけ早く事務所に着く。

最近遅れがちだったレッスンも含めて、今日は一日、失敗がないといいな。
そう思った。

扉を開くと、すでに真ちゃんと美希ちゃんはプロデューサーと話をしていた。

「おはよう。二人とも、早いんだね。私なんて、いつもよりも早く来たつもりだったのに」

「まぁ、ボクたちも練習が待ちきれないってことだよ」

「一生懸命がんばらなきゃってカンジ。えいえいおー、なの!」

腕を上げてえいえいおー、のポーズとする美希ちゃん。
それにつられて、私たちも同じようにする。

「あら、やる気十分じゃない?」

そこに、伊織ちゃんが声をかけてくる。
さっきまでの私たちのやり取りを見ていたらしい。

「デコちゃん言うなってのに……最初見たときのペースは維持できてるみたいね。まあ、勝つのは私たちなんだけど」

「言ったな、伊織! そういうのは、本番ボクたちのダンスを見てからにしてよ!」

「ふーん……そこまで言うなら期待することにするわ。せいぜい頑張んなさいよね」

それだけ言って、伊織ちゃんはやよいちゃんの方へ行ってしまった。
それと入れ替わりにプロデューサーに声をかけられる。

「おはよう、雪歩。今日は午前中は営業に行くぞ。久しぶりの外回りだからな、ミスや失礼がないように気を引き締めていこう」

「営業……ですか? レッスン以外の時間は減らしてるから、そういう時間はメディア露出の方に回したほうがいいんじゃ……?」

「いや、今回の相手はTOP×TOPのディレクターさんだからな。一応顔見せってことで。打ち合わせもあるしな」

「なるほど、そういうことなら、早速行きましょう!」

真ちゃんはもう待ちきれない様子だったので、早々にプロデューサーの車でテレビスタジオへと向かった。

「君、本当にちゃんと聞いてる? これで三度目なんだけど」

「ごめんなさい……私、その、男の人、苦手で、その……」

「ふうん……まぁ、そういうことならいいけどね。でも、プロデューサー君は平気みたいだし、さっさと俺や他のスタッフさんにも慣れてくれないと大変だよ?」

「はい……ごめんなさい」

「すみません。雪歩のことは、ボクたちでフォローしていくようにします。ご迷惑、おかけします」

私と一緒に、真ちゃんや美希ちゃんまでも頭を下げてくれる。
そのことが少し嬉しくて、とてもきまりが悪かった。

「君たちはなかなか見込みありそうだし、この子も悪くないからね……。まぁ、早めに慣れてくれればいいよ」

「はい……」

これは、さっきまでのディレクターさんとの会話の一部。
他にも、私が粗相をしてしまうことが何度もあった。

「気にすることないよ、雪歩。ゆっくり慣れていこう。な?」

帰りの車の中、プロデューサーが慰めてくれる。
真ちゃんたちも、気にするなと言ってくれた。
それでも私は、苦手を克服できなくて、一人迷惑をかけている自分が不甲斐なかった。

その後は、いつも通りレッスンスタジオへ。
私の朝の願いは、そこでも叶うことがなかった。

「ほら、また遅れてる! 萩原さん、一回ストップして!」

曲を止めるのはこれで五回目。
そのすべてが、私のミスによるものだった。

「ちょっと休憩しましょう。萩原さん、ゆっくり休みなさい」

汗が噴き出る顔をタオルで拭い、壁に寄りかかってへたり込む。
今日は、二人が到達したパートまで踊りきれていない。
そればかりか、二人はどんどん先に進んでしまい、引き離され続けている。

「萩原さん、他の二人よりもだいぶ遅れてきたわね。あんまり辛いようなら、萩原さんに合わせてレベルを下げることも検討しなくちゃいけない。だから、そういうことも少しは考えておいてね」

「そんな……」

私のせいで二人が力を出し切れないなんてことは、絶対にあってはいけないことだと思う。
でもそうならないためにどうすればいいか、私には分からなかった。

「雪歩……」

私のことを心配そうに見つめる二人。
二人に申し訳ないのと悔しいので、私はこの場から逃げ出してしまいたかった。

そんな苦行のようなレッスンが終わった後。
スタジオを出ると、隣の部屋から聞き覚えのある声がした。

「……見ていくか?」

みんなでドアの窓をのぞきこむ。
中からは知らない曲と歌、そして手拍子。

竜宮小町は既に踊りながら歌う段階まで入っていた。

「うわぁ……すごい高いレベルのダンスですね。三人の息もぴったりです」

「そうだな。でも、真。あれぐらいのダンスなら、ついていける自信はあるんだろ?」

「まあ、そうですね。ダンスだけなら、負けないと思います」

「ミキもだよ! ミキは歌でも、絶対負けないって思うな」

力強く答える二人。
ここ数日の厳しいレッスンで、真ちゃんも美希ちゃんもその自信を、強く、固くしている。
今の二人なら。本気であの竜宮小町と勝負できる。

……じゃあ、私は?

残念なことに、そんな自信はこれっぽっちも持てなかった。
あるのは、ただ漠然とした不安だけ。
真ちゃんたちが、春香さきにいる竜宮小町のもとへ走り去ってしまう、そんな気がした。

「……雪歩? おーい、雪歩ってば」

「あ……。真ちゃん、どうしたの?」

「そろそろ行くよ」

「あぁ……うん」

どうやらぼーっとしていたらしい。
少し慌て気味にカバンを拾い直す。

「雪歩、なんか考え事でもしてたの?」

「……ううん、なんでもないの」

そのまま、レッスンスタジオを後にした。

夜、家の布団で一人考える。

今日の営業。

印象的だったのは私の失敗ばかり。
私のせいで打ち合わせがとぎれとぎれになってしまい、プロデューサーや真ちゃん、美希ちゃんにずっと迷惑をかけっぱなしだった。

今日のレッスン。

私一人がもたついて、レッスンの進行に影響が出てしまった。
二人はもっと、ずっとハイレベルなところにいるのに。

今、私は二人の足手まとい。
真ちゃんたちは否定してくれるような気もするけど、それは紛れもない本当のこと。
実際、私がいなければ今日の仕事は二つとも滞ることなく進行しただろうから。

……もしかしたら二人も、それを実感して、私のことが嫌になってきたんじゃないか。
思い返してみれば、三人で買い物に行った日も、少し二人がよそよそしく思えるようになったのは、私がレッスンで遅れていることを切り出してからだった。

……いや、そんなことはないはず。
二人に限って、そんなことはない。

そう思ったし、思いたかった。
それでも、胸の中のしこりはどんどん大きくなっていくばかりで、私の心は一向に休まらない。

その日の夜は、長かった。

「みんな、よく聞いてくれ!」

かなり焦った様子で、男が叫ぶ。
それを察知してか、事務所はすぐに静まる。

「これから収録が終わって、帰ってくるまでにあと3,4時間しかない。その間に準備が完了していないと、失敗だ」

その言葉に、部屋のところどころから固唾をのむ音。
全員の緊張が伝わる。

「そこで、効率よく準備をするために、役割分担をしてほしい。それで、響とやよい。二人は料理が得意だからな。今日の料理は二人でやってくれ」

「うん、分かった。一緒に頑張ろうな、やよい!」

「はいっ!」

男は、続いてリボンの女の子に向き直る。

「春香は千早と協力して、ケーキを作ってほしい。事務所にあるものは使っていいし、必要な食材があれば、社長がお金を出してくれるから」

「プロデューサー……? 私にケーキ作りなんて、出来るでしょうか」

「大丈夫、春香の言うことをよく聞いてやればできるさ」

「そうだよ、千早ちゃん。二人でやれば大丈夫だよ」

「……分かりました」

と、男の腕が別の女の子に引かれる。

「ねえ兄ちゃん、真美は?」

「真美と貴音は、小鳥さんと協力して、ツリーとか事務所の飾りつけをしてもらうよ」

「んっふっふ~。兄ちゃん、真美のスーパー飾り付けテクでババッとデコっちゃうかんね」

「……ああ、頼むよ。じゃあ俺は三人のところに行かないといけないから、行くぞ」

そう言い残して男は事務所を出る。
残された面々は速やかに言われたとおり、手分けして準備を始めた。

萩原雪歩は、まだそれを知らない。

次の日も、また事務所へ。

……また、昨日みたいに失敗しちゃいそうだな。

一日のことを考えるだけで、気が滅入る。
小鳥さんには心配されてしまったけど、今の私にこの状況を切り抜けるような力はなかった。

「よし、みんな揃ってるな。今日もレッスンに行くぞ」

「はい……はぁ」

思わず、今日何度目かのため息をついてしまう。
途端に、プロデューサーにびっくりしたように見られる。
真ちゃんたちにも、どこか不安げな目を向けられた。

「おい雪歩……大丈夫か?」

「あ、はい、大丈夫です」

ここで何を言っても仕方ないので、少し強引に先に進むのを促す。
プロデューサーは怪訝な顔をしながらも、私に押されて事務所を出る。

そんな私たちを、不思議な目で見送る伊織ちゃんが印象的だった。

「全然ダメね。ストップして。これ以上はやっても意味がないわ」

少し進むと、すぐストップが入る。
それを何回繰り返したか。
私の能力は、今のダンスをこなすには明らかに不足している。
そればかりか、今まではできていた部分でさえ、ところどころに粗が目立つようになっていた。

先生は、プロデューサーと話し始めた。
何かの相談だろうか、プロデューサーは渋い顔をしている。

ややあって、先生が私の方に向き直った。

「萩原さん、これ以上のダンスがきついようなら、前話したようにレベルを下げざるを得ないわ。でも、他の二人はもっと高いレベルで踊れるのも事実なのよ」

「でも、先生。雪歩にこれ以上を求めるのは……」

「ええ、そうね。だからあなたたちで決めてほしいのよ。萩原さんに合わせてレベルを下げるのか、それともこのまま高いレベルでいくのか」

確かにレベルを下げれば、私でも踊れるようにはなるだろう。
でもそれは、TOP×TOPでの敗北を意味する。
私一人が、二人の足を引っ張っていた。

「とにかく、それが決まるまではレッスンをしてもしょうがない。残りの時間は三人での話し合いに使ってもらいます。あなたたちのこれからに関わることだから、よく考えてどうするか決めなさい。次のレッスンまでに決まらなければ、私が判断するわ」

そうして、今回のレッスンは思わぬ形で終了することとなった。

「……どうする?」

真ちゃんが、恐る恐る切り出したその言葉に、私は何も答えられなかった。
二人にレベルを下げるようにお願いすることも、無理をして未完成のまま本番を迎えるのも、チャンスを不意にしてしまうことに他ならなかったから。

「ミキはね。これは多分、雪歩が決めなきゃいけないことだって思うな」

だけど、美希ちゃんの出した答えは、私の願いとは正反対のものだった。

「美希も、そう思うんだね。ボクも、この問題を最後に決めるのは、雪歩の役目だと思う」

「そうかな……そうだよね、うん。私が、決めなきゃ……」

そうは言っても、どうすればいいのかなんて分からない。
ただ、途方に暮れるほかなかった。

二人には先に帰ってもらって、一人事務所で悩む。

「どうすればいいんだろう……」

誰にともなく呟く。

いっそ、考えるのをやめてしまおうか。
このまま帰って寝てしまえば、明日には先生が決めてくれる。
そんな考えが頭をもたげた。

「あら、雪歩じゃない」

思わず、肩が大きく揺れる。
伊織ちゃんが、手にいつものうさちゃんを抱えて立っていた。

「一人でどうしたのよ? あんたたち、さっきまで隣の部屋でレッスンしてたんじゃないの?」

「それは、その……」

私の顔が浮かないのを見てか、伊織ちゃんは小さく息を吐くと、私の隣に腰を下ろした。

「雪歩、あんたそんな辛気臭い顔して、何があったのよ。話だけなら、聞いてあげないこともないわよ?」

そう言ってくれる伊織ちゃんの表情は、いつもよりずっと優しくて。
心がなにか、暖かくて、やわらかいものに包まれたような気がした。

「……実はね。私が下手で、ダンスが先に進めなくなっちゃったの。みんなは私にレベルを下げるか決めろって言うけど……そんなこと、私には決められなくって」

そこまで話したところで、伊織ちゃんが立ち上がる。
そして私の顔をじーっと見つめると、今度は深く、長く溜め息を吐いた。

「ほんっとにアンタは……心配して損したわ」

「えっ?」

「ダンスが難しいだなんて、そんなの練習するしかないに決まってんじゃない。私たちはプロなのよ?」

「でも、私は……私は何をやってもダメで、美希ちゃんと真ちゃんはダンスが得意で……いつまでも、何回やっても私だけ遅れたままで、これ以上は二人に迷惑がかかって」

「何言ってんのよ。何回やってもできないところがある。そんなの誰だって同じに決まってるじゃない。私だって真だって、弱点や苦手くらいあるわよ。だから頑張るんじゃない。二人はダンスが得意だなんて、そんなの言い訳にもならないわ」

「で、でも、レッスンの度に、二人との差は離れるばっかりだし……」

「レッスンの時間じゃなくたって、出来ることはあるでしょ。やれることを全部やってから、泣き言は言いなさい。それでもダメだったら、レベルを下げるのに何も恥じることなんてないわよ」

自信満々に告げる伊織ちゃん。
その瞳には一片の迷いもなく。
私よりも年下の彼女は、私よりもはるかに先の世界を見据えていた。

今の私に、出来ること。
今の実力不足な私でも、出来ること。

……それは、見る人から見れば見苦しいかもしれないこと。

でも、私は伊織ちゃんに教えてもらったから。
迷うことなんて、もう無かった。

「ありがとう、伊織ちゃん。私、もう大丈夫だから」

「本当でしょうね……私の言いたいこと、ちゃんと理解してる?」

私の覚悟が伝わるように、伊織ちゃんの目をじっと見つめる。
伊織ちゃんは、しばらく私を見つめ返した後、ふいと視線を逸らした。

「まあ、それならちゃんと、行動で示してみなさいよね」

伊織ちゃんはそう言って、先に帰っていった。

……私も、動かなくちゃ。
今出来ることを、するために。

翌朝、真ちゃんたちが来る前に事務所に入る。

「あのっ、プロデューサー!」

ドアを開いて開口一番、出た声は自分で予想していたよりもずっと大きかった。

「雪歩? ……一体、どうしたんだ?」

「あの、私、実は……」

これから言うことは、ともするとプロデューサーに迷惑をかけることになりかねない。
そう考えると、私がする「努力」なんてものは、ただの他力本願なのかもしれない。

それでも、私は決めた。
もう絶対に、言い訳なんてしない。
ダメな自分に。

私は、逃げない。
出来る努力から。

「プロデューサー、私に個人レッスンをつけてください!」

「個人レッスンって……そんな時間も体力も、あるのか?」

「私……自分の実力が二人に及ばないって、分かってます。でも、今回のテレビは、私たちには二度とないかもしれないチャンスだから……絶対に、諦めたくないんです! そのためなら、どんな努力もできます! ……だから、お願いします!」

そのまま深く頭を下げる。
幾年ともいえるような時間が流れたように感じた。

「そうか……それが雪歩の選んだ方法なんだな」

「はい」

「後悔しないな?」

「はいっ!」

「……分かった。そこまで言うなら、俺の方で時間を用意しよう。社長には俺から話しておくよ。……勤務時間外になるけど、構わないな?」

「もちろんです!」

目の前の壁にしっかり向き合ってみれば、その壁にはいくつものでっぱりがついていた。
それを登る私はきっと不格好だけど、確かに上に進んでいた。

二人はそうなることを分かっていたのか、別段驚いた様子もなくて、ただ笑ってくれていた。

レッスンの進度は少し落としてもらうことになったけれど、上手く出来ないところを丁寧にやり直してくれて、私の細かい粗は少しずつ減っていった。

レッスン後は、私の家へ。

仕事の時間を過ぎての活動は、お父さんが許してくれなかった。
だから、前にお父さんが据えてくれた離れのミニスタジオで、今はプロデューサーとの特別レッスンに臨んでいる。

「俺にはコーチの先生みたいなことは出来ない。だからまず、雪歩に何が足りないかを徹底的に考えていこう」

プロデューサーが取り出したのは、白いディスク。
マジックペンで、「ダンスレッスン」と書かれていた。

「DVD、ですか?」

「ああ。どうすればいいかは分からなくても、お手本とどこが違うかは教えられるからな」

プロデューサーと並んで、私のダンスを鑑賞する。
画面の中で、今までならったダンスを踊る私。
その動きが乱れたのは、開始二分後だった。

「……雪歩、これ、息上がってないか?」

「それは……そう、ですね」

テンポが遅れるときは、いつも頭の中が真っ白になってしまう。
だからその時の私がどんな感じになっているのか、分からなかった。
ただ、今画面の中で遅れた踊りをしている私は、みっともなく肩で息をしていた。

「これじゃ、踊れるものも踊れないな。その体力がないようじゃ。雪歩、明日の朝からランニングをしよう。基礎体力をつけるんだ」

「そんな……それくらい、私一人でもやれます。ただでさえ今手伝ってもらってるのに……」

「いや、俺も走るよ。最近運動不足だから。それに、雪歩と一緒なら、ただ走るだけでも楽しいしな」

……いつも私たちの仕事を取ってくるのに忙しそうで、そんな暇無いはずなのに。

私が無理を言っても、プロデューサーはいつも隣で笑っていてくれる。
その事実が、私の頬を熱くさせた。

「ありがとうございます、プロデューサー」

「だから俺がやりたいだけだって」

「それでも、ありがとうございます」

「……そうか」

くすぐったいような心地がして、とにかくプロデューサーにお礼を言う。
そうでもしないと顔が火照ってしまいそうだった。

「あとは、この時間に何をするかだけど、さっきも言ったように俺は難しいことは教えられない。だから、ここにいる間は、ずっと基礎練習のみを行ってもらう」

「基礎練習……ですか」

「気が、進まないか?」

基礎練習は、決して甘いものではない。
普段のレッスンと違って、パフォーマンスの質を高めるそれは、むしろ普段よりも厳しいものと言えた。

それをプロデューサーが指定してくるということは、今の私には、根本的な欠如があるということ。
だったら、どんなに辛くても、私はそれと向き合おう。

だって、それは私が決めたことだから。

「……いいえ。どんな努力もできるって、そう言いましたから」

その日から、私に課せられるレッスンは倍になった。
それは、私の覚悟の証。
そして、私を信じてくれている人にとっても、それは同じだった。

別の日、プロデューサーと駅で朝早く待ち合わせる。
プロデューサーは、私が来るよりも早くからいて、一人で待ってくれていた。

たまの運動よりも長めに設定した距離を、二人並んで走る。
途中から息切れしちゃったけれど、それでもプロデューサーと走る道は、いつもより楽しかった。

一通り走った後、そのまま事務所に向かう。
中はいつも通りに騒がしくて、みんな揃っているようだった。

「あら、プロデューサー……雪歩が一緒なのね、珍しい」

プロデューサーを見て寄ってきた伊織ちゃんは、彼の後ろに私の姿を認めると、その表情を訝しげなものへと変えた。

「なんか汗かいてるみたいだけど……雪歩、あんた何を始めたの?」

軽く今までのことを話す。
すると伊織ちゃんは、その眉をわずかに上げて、小さく笑った。

「へえ、アンタがねえ……そっか、そうよね」

「伊織、どうかしたのか?」

「なんでもないわよ。……にひひっ、そうこなくっちゃね」

突然機嫌をよくした伊織ちゃんは、にこにこ笑いながら竜宮小町のみんなの方へ歩いていく。
そして、

「何やってんのよ、アンタたち! 早くレッスンに向かうわよ?」

ゆっくりファッション誌をめくっていたあずささんや、真美ちゃんとゲームをしていた亜美ちゃんに喝を入れて回っていた。

そして、レッスン後は私の家へ向かう。
今日は、少しだけ珍しいことが起こった。

「よし、前より少し良くなってるな。でも、このままだとやっぱり詰めが甘いから、今日はこのステップを……」

唐突に言葉を詰まらせるプロデューサー。
どうしたんだろう。
そう思ってプロデューサーの視線を追った私も、同じように動きを止めた。

「……こんばんは」

そこに立っていたのは、私のお父さんだった。

自然と空気が重くなる。
隣にいるプロデューサーの喉が、ごくりと鳴る音が聞こえた。

そのまま一歩、二歩と距離を詰めるお父さん。
その眼は鋭く細められ、プロデューサーの顔を正面からじっと射抜いている。

どうすればいいのか分からず、二人の顔を何度も見比べる。
プロデューサーもプロデューサーで、お父さんから目を逸らさず、眉一つ動かさない。

押しつぶされそうな重圧が部屋を満たし、今にも逃げ出したい気持ちでいっぱいになった頃。
お父さんは小さく片足を引いて、頭を下げた。そして、

「雪歩をよろしくお願いします」

と、それだけ残すと部屋を出ていった。

直後、プロデューサーが長い息をこぼす。

「雪歩のお父さん……やっぱり怖いよなあ」

そんなことを言うプロデューサーは笑っていたけれど、足が震えていて。
あんまり格好良くはなかったけど、私はその日の二人の様子に、何よりも安心した。

「響さん、チキンライス、出来ましたー!」

「こっちも焼きあがったぞ! これであとは、軽く盛りつけるだけだね」

いつものこの場所には似つかわしくない声が飛び交う。
その二人も、いつものそれとはほど遠い格好をしていた。

「……これで、いいのかしら」

「それであとは、イチゴをのせたら……出来上がり! やったね、千早ちゃん!」

「こっちも、完成したよ→!」

「はて……これはどうすればよいのでしょうか」

「うわわっ、貴音ちゃん、私がやっておくから座ってて!」

部屋のところどころで歓声が上がる。
それは、この場所が今日の主役を待つ姿に変わったしるしだった。

「……あとは、待つだけだね」

リボンの女の子の言葉に、誰しもが小さくうなずく。
その場所は、その時は、彼女を待っている。

萩原雪歩は、しかしながら、まだそれを知らない。

それから2週間。
私はジョギングと基礎練習を、毎日欠かさず行った。

二人のレベルにはまだ追いつけそうにないけど、体力が足りなくて、途中でへばるようなことはなくなっていった。

その日のレッスンは、私も二人に加わって、通しで曲を踊ることに。
ボイスレッスンも兼ねて、歌いながらのダンスに挑戦した。

スタジオの壁にもたれて、スポーツドリンクのボトルに口をつける。
やっぱりお茶の方が好きだな、なんて思っていると、ふいに視界に影が差した。

「雪歩、お疲れ様」

「あ、真ちゃん、美希ちゃん……お疲れ」

挨拶を返すと、二人は興奮したように詰め寄ってきた。

「雪歩、いつの間にあんなダンス上手くなったの? ミキ、ビックリしちゃった。雪歩に追い付かれちゃうって」

「そんな、まだ、全然二人には敵わないよ……でも」

言いかけて、思わず笑みをこぼす。
……今までの私なら、こんなこと言おうだなんて絶対に思わなかったな。

「でも、本番では、誰にも負けないダンスを踊りたいな」

その時、ふと窓の外を見ると、可愛いおでこが一つ、ドア越しにこちらを覗いていた。

「……伊織ちゃん?」

思わず声に出すと、ドアの外のおでこは大きく震えて、どこかに走り去ってしまった。

「伊織? 伊織がいたの?」

美希ちゃんがドアまで行って、外を確認する。

「もう行っちゃったみたいなの」

「あ、もしかして、ボクたちのレッスンを偵察してたのかも」

好き勝手に想像を始める二人。
でも私は、伊織ちゃんが来た理由が、少し照れくさいけど、なんとなくわかる気がした。

そして、とうとうクリスマス・イブ当日。
私たちは律子さん達と一緒に、セット入りの待機をしていた。

「……ねえ、伊織ちゃん」

隣に立つ伊織ちゃんに、声をかける。
顔は、見ないまま。

「……何よ」

「いままで私、伊織ちゃんがしてきたような、『当然の努力』が足りなかったみたい」

「ええ、そうね。……今は、違うみたいだけれど」

「うん。伊織ちゃんに教えてもらって、私は出来ることを全てやった。自分の力を出すために。……伊織ちゃん達に、勝つために」

自分の中で、精一杯の宣戦布告。
伊織ちゃん達のの顔を、見た。
そして、私は息をのんだ。

そして、とうとうクリスマス・イブ当日。
私たちは律子さん達と一緒に、セット入りの待機をしていた。

「……ねえ、伊織ちゃん」

隣に立つ伊織ちゃんに、声をかける。
顔は、見ないまま。

「……何よ」

「いままで私、伊織ちゃんがしてきたような、『当然の努力』が足りなかったみたい」

「ええ、そうね。……今は、違うみたいだけれど」

「うん。伊織ちゃんに教えてもらって、私は出来ることを全てやった。自分の力を出すために。……伊織ちゃん達に、勝つために」

自分の中で、精一杯の宣戦布告。
伊織ちゃん達の顔を、見た。
そして、私は息をのんだ。

「あんたが頑張ってたことは、知ってるわよ。それで、遅れていたダンスを克服したのも知ってる。……でもね」

生で初めて見た、伊織ちゃん達の『プロ』の顔。
あの柔和なあずささんの、可愛らしい亜美ちゃんの、優しい伊織ちゃんの、これ以上ないほど真剣な、顔。

「それは私たちが負ける理由には、ならないわよ」

ちょうど時間になって、竜宮小町がステージに入っていく。
私はただ、その姿に圧倒されるほかなかった。

「竜宮小町の三人です!」

アナウンスと同時の、割れんばかりの拍手。
それが最初に課せられた私達と、彼女達との差だった。

「今回勝負に使うのは新曲ということで、大いに期待が持てそうです。ではお聞きください、『七彩ボタン』!!」



「うわ……すごい……」

自然と、賞賛の言葉がこぼれた。
一糸乱れぬ動き。
洗練された歌声。
どれをとっても、それはレッスン中の私のそれを上回っているように思えた。

圧巻のパフォーマンスに、曲が終わった後も、司会者までもが一時言葉を失う。
そんな竜宮小町と、私達は勝負するんだ。
そう考えると、私は足の震えが止まらなかった。

「よし、そろそろ準備をして……雪歩? どうしたんだ?」

「プロデューサー……私、あと一歩も進めません……」

怯え。

怖れ。

不安。

言いようはいくらでもある。
それらの感情がないまぜになって、私が前に進むのを許さなかった。

これじゃ、踊れない。
そう思った、その時。

てす

「……プロデューサー?」

私の頭に、ぽんと手が乗せられる。
その手は、私の髪を優しくくしけずった。

「今まで、俺たちは全力を出してきた。勝っても負けても、その事実だけは変わらないさ。だから、雪歩。怖がることなんて、ないんだぞ」

目を閉じて、プロデューサーを通した世界を感じる。
私に向かう世界。
それは、私を支えてくれた世界。

逃げ腰の私に、喝を入れてくれた伊織ちゃん。
……いや、今から手合わせをしてくれる、竜宮小町のみんなと律子さん。

ダンスが苦手な私を信じて、協力してくれた真ちゃん、美希ちゃん、プロデューサー。

その全てが、私を支えてくれる世界。
私の足を掴んでいた何かが、消えた。

「すみません、プロデューサー。何だか、少し弱気になってました。でも、もう大丈夫。私、踊れます」

「……そうか。じゃあ、もう平気だな。よしみんな、行ってこい!」

ぐっと背中を押されて、ステージに飛びだす。
目をつぶりたくなるような光が、視界いっぱいに広がった。

楽屋で、一人椅子に座りこむ。
ステージの上での事は、ほとんど覚えていない。
ただ、曲を踊ることに精一杯で、必死で。
覚えているのは、私たちは勝ったということ。
それだけだった。

「勝ったんだよね……」

呆けたまま、一人呟く。
すると、どこかから呆けたような「うん」が帰ってきた。

「なによ、勝ったってのに、辛気臭い部屋ね」

いつからそこにいたのか、すぐ隣に伊織ちゃんが立っていた。

「今日のステージ、すごく格好よかったわよ。……『エージェント夜を往く』、なかなかいい曲じゃない。覚えちゃったわ」

「あ……ありがとう」

「とにかく、今回は私たちの負けね。いい勝負だったわ」

そう言って、右手を差し出す伊織ちゃん。
その手を握った時、私の中で何かが変わった気がした。

……これで伊織ちゃんとは、また勝負ができる。
そう感じた。
その時は、もう迷っている私じゃないことも。
少しさびしいような気もするけど、私は強くなれたから。
もう後戻りは、しない。

「じゃあ私たちは、先に帰ってるわ。アンタも、早めに戻ってきなさいよ。……待ってる人が、いるかもしれないしね」

そう言って、楽屋を出ていく伊織ちゃん。

「……待ってる人?」

最後の言葉の意味は、私には分からなかった。

「ただいまー」

四人の少女が帰ってくると、部屋の中にいた少女達は素早く視線を巡らせた。

「律子さんたちだけですね。さあ、早くこれを持って待機です!」

少女の一人が、四人に渡したのは、クラッカー。
それは、ある一人の少女のためだけに用意されたものだった。

「多分、もうじきあの四人も到着すると思うわよ。……ほらメール来た。あと五分で着くって」

「分かりました。ほら、みんな用意しよう?」

リボンの少女の言葉で、同じく手にしたクラッカーを事務所――彼女達がいる部屋のドアに向ける。

萩原雪歩は、それを――。

車の中、私たちはようやく勝利を実感し始めていた。

「ねえねえハニー。ミキ達、あの竜宮小町に勝てたんだよね?」

「ああ、そうだぞ! これでお前たちも一気に注目されるはずだ」

「へへっ、やーりぃ! これも頑張ってくれた雪歩のおかげだね!」

「へっ?」

唐突にそんなことを言われて、面食らう。

私が頑張ったのは、ただ遅れたのを取り戻すためだったし、そもそも二人にはそれを内緒にしていたから。

「あー……雪歩。言い忘れてたんだけど、な。実は、二人にはもう話してあるんだ。特訓の事を」

「あはは……雪歩がいつもと全然変わらないように見えたから、隠しときたいのかと思って言い出せなかっただけで……雪歩、ボクたちなんかよりもずっと頑張ってて、格好よかったよ」

「ミキ、雪歩の頑張りで目が覚めたの! ミキもこれからは、もーっと本気、出してみるの」

今日まで、ダンスの目標としてきた二人。
二人に追い付くことこそが特訓の動機で、意味だった。
今、その二人が私の努力を認めてくれている。
ただその事実だけが、私は嬉しかった。

目の奥の熱いものが抑えきれなくなって、形になって零れた。

「雪歩、もしかしたら、涙はちょっとだけ早いかもしれないぞ」

「え……?」

気付けば、私達はもう事務所に到着していた。
車から出て、いつもの階段をのぼる。

「早いって、どういうことですか?」

「それは、多分もうじき分かるさ」

プロデューサーの言っていることが、どうにも要領を得ない。
私は誰も開こうとしないドアを掴むと、それをいつものように開けた。

破裂音。
みんなの笑顔。
幾重にも重なった「おめでとう」。
それら全てが、ドアを開けた途端に私に降り注いだ。

そして次々に渡される、たくさんの包み。
私一人だけが、状況を理解できないでいた。

「あの……みんな、これって……?」

しどろもどろになりながら、何とか声を絞り出す。
プロデューサーはクラッカーを持ったままの春香ちゃんと顔を見合わせて、心底不思議そうに言った。

「どうしたんだ、雪歩。今日はお前の誕生日だろ?」

私は、自分が大きな勘違いをしていたことに気が付いた。
渡されたものは、クリスマスのプレゼント交換用のものではなく、私へのプレゼント。
このパーティー自体、私のためのものだった。

「ほら雪歩、今日は雪歩が主役だよ」

真ちゃんに押されて、みんなの前に出る。
どうすればいいのか分からなくなっていると、誰からともなく、懐かしい歌が聞こえてきた。

世界一歌われる曲、『ハッピーバースデートゥーユー』。
いつからか気恥ずかしくなってしまって、歌うことも歌われることもなくなったそれは、今も確かに私の心を温めてくれた。

さっきプロデューサーが言っていたのは、こういう意味だったのか。

分かっていても、嬉しくて、嬉しすぎて。
しばらく涙は止まらなかった。

私が泣き止んでからも、パーティーはつつがなく進行する。

真ちゃんと美希ちゃんは、この前買い物に行ったときに見たお茶をプレゼントしてくれた。
あの時二人は、私にばれるとまずいから、いつもより会話を減らそうとしていたらしい。
もちろん嬉しかったけれど、それ以上に安心してしまった。

やよいちゃん達の作った料理を食べて、みんなでお話して。
私はずっと誰かと話をしていたから、それを見つけたのは本当に偶然のことだった。

パーティーのざわめきから、少し外れたところ。
プロデューサーが、竜宮小町の三人と一緒にいた。

「……ねえアンタ、勝者の分際で敗者の会に寄って来るなんて、どういう神経してんのよ」

反射的に、隠れるようにしてしまう。
幸い、誰も私には気づいていない様子だった。

「何かしら俺にも、みんなにできることはないかと思ったんだけど……」

「全く、ちょっとは空気を読むとかしなさいよね」

「そっか……悪かったな」

立ち上がろうとするプロデューサー。
その裾を、伊織ちゃんがそっと掴んだ。

「まあでも、折角来たんだから……背中くらい、貸していきなさいよ……」

そう言って、伊織ちゃんはプロデューサーのスーツに、静かに頭をつける。

「いおりん……」

目を逸らして、小さくつぶやく亜美ちゃんの指にも、優しく触れる手が一つ。

「私たちも、我慢することはないんじゃないかしら。……ほら、行きましょう、亜美ちゃん」

あずささんは、そのまま亜美ちゃんの手を引いてプロデューサーのもとへ。
亜美ちゃんは少しためらって、あずささんは小さく、悲しく笑って、プロデューサーに寄り添う。

私達より上の世界にいる竜宮小町。

Aランクアイドルの竜宮小町。

その竜宮小町は今、私達に負かされて、声を殺して涙を流していた。

驚いた様子のプロデューサー。
ただ、その場に立つままだった。

「そんなところで、何してるの? ……って、あらら」

「あ……律子さん」

「……ねえ雪歩、あなたは今回の勝負で一番頑張ったんだって?」

隣に立っている律子さんは、伊織ちゃん達の方を見たまま、私に問いかける。

「そっ、そんなことないです! 私なんて……」

「嘘。プロデューサー殿から聞いたからね。……でも、あの子達も、一生懸命頑張ったのよ。だから今、あそこで泣いてる。……ねえ、雪歩」

気付けば律子さんは、私のことをじっと見ていた。

「忘れないで。これが、プロになるってことよ」

竜宮小町も律子さんも、数えきれないほど泣いてきたし、泣かされてきたんだろう。
彼女達はAランクでまだまだ遠いけど、こんな私でも、少しだけ近づけた気がした。

「……さて、私も行こうかな」

「え? どこにですか?」

すると律子さんは、珍しくイタズラっぽい笑みを浮かべる。

「決まってんじゃない。混ざりに行くのよ。私だって、たまには甘えてもいいと思わない?」

四人はひとしきり泣いた後、またいつもの元気を取り戻した。

「次の仕事では、絶対に負けませんからね!」

そう言い残してみんなのところに戻る律子さんたちの姿は、さっきまでよりも幾分か魅力的に見えた。

プロデューサーは一人になると、ゆっくり息を吐きながら椅子に座る。
私は深呼吸すると、そこに静かに歩み寄った。

「あのっ、プロデューサー」

「ああ、雪歩か。誕生日、おめでとう」

「ありがとうございます。私、こんなにたくさんの友達に祝ってもらったことなんて無くて、すっごく楽しいです」

「そっか。そりゃ、あいつらも喜ぶだろうよ。……そうだ、雪歩。これ、誕生日プレゼントだ」

白い小箱を手渡される。
金の字があしらわれたそれは、一見して安くないものだと分かる。

てす

「……開けても、いいですか?」

プロデューサーがうなずくのを見てから、恐る恐るふたを取る。
そこには、小さな真珠のイヤリングが、ちょこんと鎮座していた。

「雪歩に似合うと思ったんだ。受け取ってくれるか?」

「はい……あの、私も、プロデューサーに渡したいものがあるんです」

「雪歩も? 今日は雪歩の誕生日なのに……って、クリスマスだから別に構わないのか」

微かに笑うプロデューサー。

初めは、そんな彼へのいつものお礼のつもりだった。
響ちゃんに編み物を習って、時間を見つけては少しずつ作ったもの。
それはいつしか、私の中で特別な意味を持つようになっていった。

勝ったら渡そう、勝ったら伝えよう――そう思っていた。

日々の、感謝の気持ち。

そして、胸に秘めていた、この気持ち。

半ば押し付けるようにして、手の中のそれをプロデューサーに手渡す。

「聞いてください、プロデューサー。私、その、前から、プロデューサーのことが――

冬ももう半ば。
外を出歩く人も少なくなる中、私とプロデューサーはジョギングをしていた。

「だんだん寒さも強くなってきましたね……」

私が呟くと、プロデューサーはにっこり笑って片手を上げてみせる。
少し不格好に出来上がってしまっている、黄色い手袋。

「雪歩がくれた手袋があるから、今年も暖かいよ」

「えへへ……じゃあ、私も」

プロデューサーの手を握る。
握り返されたそれは、私の心を安らがせてくれる。

「仕方ないなぁ……ジョギングはここまでにするか」

手をつないだまま、歩調を緩める。

……プロデューサーは、あの時のプレゼントの意味に気付いているのだろうか。
そんなことが、ふと気になった。

それは、口にするのは、少しだけ恥ずかしくて。
だから、遠回しに。
願わくば、この気持ちが少しでも伝わりますように。

「ねえ、プロデューサー。『てぶくろ』って絵本、知ってますか?」

これでssは終わりです
ありがとうございました

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