P「今年の誕生日はどうだった?」響「えへへ♪ でーじ幸せさー!」(129)

-10/7-

「うわぁーっ! 見て見てプロデューサー!」

沖縄に向かう飛行機の中で響は声を上げた。

「おぉ、高いなぁ」

「すっごーいちっちゃーいっ! あははっ」

窓際に座るプロデューサーの前に身を乗り出してはしゃぐ響。
ポニーテイルがぴょんぴょんと跳ねる。

「響、やっぱり席変わったほうがいいんじゃないか?」

「どうしてだ?」

「外見たいんだろ? 窓に近いほうがいいじゃないか」

「じっ、自分はべつにっ! 子供じゃないしっ!」

勢いよく席に戻った響は腕を組んでそっぽを向いた。
プロデューサーは苦笑する。

「ああ、わかってるって。それにしたって俺まで沖縄に行くことになるとはなぁ」

「び、びっくりだよね。社長がいきなりあんなこと言い出すなんて」

「響が帰省するって言ったら『だったら君もついていきたまえ』だからな……」

「う、うん」

「時々あのひとの考えてることがわからないよ。今回もなにかティンと来たのか?」

「さぁ、そ、そうなのかなぁ」

「ま、響のご家族に挨拶して、ふるさとで営業していくのもいいかもな」

「ゆ、ゆっくりしていってくれればいいさー」

「おう、ありがとな」



「すぅ……すぅ……」

(寝たか。はしゃいだら疲れて寝ちゃうなんて、まったく響もまだまだ子供だな……)

(俺も寝るか)

―――
――


「おい、響。おいってば」

「むにゃ……くぅり幸うぇー……なんくるないさぁ……」

「起きろ、我那覇響!」

「! な、なまー何時なとーいびーが!? 遅刻!?」

涎を垂らして寝ていた響は飛び起きてきょろきょろと辺りを見回した。
そして自室ではないことをぼんやりと把握して、首を傾げた。

「う?」

「響、もう少しで空港につくぞ」

寝ぼけている響に苦笑するプロデューサー。

「ぷろでゅーさぁ……? ……あっ」

ようやく今の状態を思い出した響は赤面した。

「ほら、響。きれいな海だ」

「えッほんとっ?」

だが、プロデューサーの声にすぐ反応して、窓から外を見た。
ちらほらと薄い雲をはさんで、碧い海と小さな島々が眼下にあった。

「わーぁ……すごい、きれい……」

目をきらきらさせて、響は風景に見入った。

「おーし到着」

「とうちゃくーっ!」

「いやー暑いなぁおい」

「プロデューサープロデューサー!」

吹き出した汗を拭う彼を呼ぶ響。
空港の看板を指している。

「『めんそーれ! 沖縄』だぞ、プロデューサー!」

読み上げながら一礼して、響はにっこり笑った。

「おう! ……で、ここどこだ」

「えっ」

「もーっどうなるかと思ったぞプロデューサー!」

「すまんすまん。響がわかるかと思って下調べの手を抜いた」

「そのわりにはお土産屋さんをやけにじっくり見てたじゃないかー」

「悪かったってば」

フェリーを降りながら響が唸った。
荷物を降ろすプロデューサーは頭を掻いて笑った。

「んーっやっと着いたなぁ。長かった……」

ぐいと伸びをするプロデューサー。

「………」

黙ったまま港からの風景を眺めていた響だったが、とつぜんぽろりと涙をこぼした。

「! 響」

「ごめん、だいじょぶ……あははっ、なんか、ぐすっ、島を出るときのこと、思い出して」

「うん」

響は涙を拭って笑顔を作った。

「自分、トップアイドルになるまで帰ってこないって決めて、島を出たんだ。
 船からずっとこの景色を見てた。ずっと見てた」

優しく相づちを打つプロデューサー。
小さく震えながら、響はそれでも背伸びをして島の様子を見渡した。

「変わってない。ぜんぜん変わってないさ。ねぇプロデューサー。ぜんぜん変わってないんだ」

声を震わせる響。
また瞳から涙が落ちる。

「けーてぃちゃびたん……自分、帰ってきたよ……」

―――
――


「もういいのか」

「う、うん! ごめんね、プロデューサー! そろそろ出発するさーっ」

泣き止んだ響は勢いよく腕を突き出して、跳ねるように歩き出した。
それを空元気だと理解して、それでもプロデューサーは調子を合わせて声を上げた。

「おいおい響! 頼むから自分のぶんの荷物くらいは持ってくれー!」

「あははっプロデューサーしっかりしてよー!」

駆け戻って彼の手からリュックサックを受け取って背負った響は、プロデューサーを見上げてにっと笑った。

「プロデューサー、うちまで競争だからねっ!」

そう言ってぴょこりと向き直ると足取りも軽く走り始める響。

「おいおいそりゃないだろ! うおーい響ぃーっ!」

苦笑しながら追いかけるプロデューサーの前に広がるのは、周囲10km程度の小さな島。

港のある南側に伝統的な住居がかたまり、西にいけばなだらかに盛り上がった草原が唐突に途切れて崖になっている。
人の暮らす地域のそばを通る川をさかのぼっていくとすぐに鬱蒼と広がる森と海抜100mもない小山がある。

その小さな島の、舗装もされていない白砂の道を、ふたりは並んで歩き始めた。



20分ばかり歩いたふたりは、石垣とフクギで囲われた古民家のうちのひとつにたどり着いた。

「あー着いた着いた! プロデューサー、ここが自分のうちだぞ!」

「やっと着いたか……。おぉ、なんか風格あるな。ちょっと俺、緊張してきた」

「なーにいってんのさ! プロデューサーらしくないなー」

服装を気にするプロデューサーに響はけらけら笑った。

それから二人は我那覇宅に上がり、響は久々の家族との対面にまた涙ぐみ、プロデューサーはお土産を渡して挨拶した。
日が傾いてきた頃、風呂を借りたプロデューサーを含めて晩ご飯が振る舞われ、最終的に酒盛りになった。

「響はほんとにねぇ~よくやってくれてますよ! トップアイドルになるべくしてなった、と俺は思います!」

「ちょ、ちょっとプロデューサー! 恥ずかしいからやめてってばぁっ」

「ダンス、ヴォーカル、ヴィジュアル、どれをとってもまさに完璧! 俺は確信を持って言えます、響こそトップアイドルのなかのトップアイドルだと!」

「もぉープロデューサーやめろぉーっ!」

はじめは"響さん"と遠慮して呼んでいたプロデューサーも酒精についついいつもの呼び方に戻り、
さらにどれだけ響がアイドルとして素晴らしいかを力説し始めるに至って、響は彼を外へと連れ出した。

「なんだよ響ぃ……いいところだっただろ?」

「よ、よくないぞ! あんなの、すっごく恥ずかしかったんだから……!」

酔っぱらったプロデューサーはすこしおぼつかない足取りで、庭を歩く響のあとをついていく。
響も彼と同じようにすこし赤くなった顔を隠すように星空を見上げた。

「ねえ見て、プロデューサー! すっごいきれいな星!」

「おわぁ、すごいなぁ……。事務所の屋上で流星群を観たときのことを思い出すなぁ」

プロデューサーの呂律が回らなくなってきている。
井戸の脇に腰を下ろした響の隣に、プロデューサーもへたりこむように座った。

「響」

「うん?」

「お母さん、喜んでたな」

「うん」

「お兄さんも、嬉しそうだったな」

「うん」

「おじいちゃんやおばあちゃんも笑ってたな」

「うん」

「響」

「うん」

「帰ってきて、よかったな」

「うん……!」

―――
――


夜も更けた頃。
プロデューサーはアシャギ(離れ)で目を覚ました。

「うあ……飲み過ぎたな……」

倒れるように眠り込んだことをぼうんやりと思い出して彼は頭を掻いた。
サンダルを履いて外に出る。
虫の鳴き声と海の音が背景音楽だ。

「トイレトイレ……っと」

トイレはアシャギとは反対側の北西にあるため、本家の正面を通ることになる。

ふと彼が本家のほうを見遣ると、響がひとり、仏壇に向かって座しているのが見えた。
そこには彼女の父親がいるはずだ。
顔は見えないが、嬉しそうに報告しているみたいだった。

彼がトイレから戻ってくると縁側に響が腰掛けていた。

「ちょっと肌寒いね、プロデューサー」

髪を下ろしている彼女はいつもより大人びて見えた。

「響。眠れないのか?」

「ううん」

プロデューサーは柱にもたれた。
縁側の向こうでは蚊帳のなかで家族が寝ている。
ふたりは静かな声で会話を続けた。

「スーに――父さんに、向こうに行ってからのことを話してたさ」

「うん」

「ねえ、自分は、うまくやれてるかな」

「ああ」

「父さんも、褒めてくれるかな?」

「当たり前だろ」

「……プロデューサーも、褒めてくれる?」

「もちろんだ」

「えへへ、よかった……」

響はすこし眠たそうだった。

「自分ね……、いつも不安だった。これでいいの? これでいいのかな? って……」

「………」

「自分、これでいいって、言ってほしい。言ってほしいんだ」

「――いいよ」

「プロデューサー……」

「これでいいんじゃない。響。響の、そのままがいいんだ」

「……うん」

「心配するな。もし間違ってたって、俺が言ってやる。俺はお前の、プロデューサーだからな」

「………。うん、そうだよね」

響は眉尻を下げて立ち上がった。

「おやすみ、プロデューサー」

「おう。おやすみ、響」

-10/8-

「プロデューサー! 起きろー! 朝だぞー!」

「むが……」

朝。
彼が目を覚ますと傍らに響が腰に手を当てて立っていた。

「響か……おはよう」

上体を起こすプロデューサー。

「はいさい! もうすぐ朝ご飯できるぞー。顔洗って来なよ、プロデューサー」

「ああ。わかった」

小走りで響が本家に戻っていってから、プロデューサーは井戸で顔を洗ってそちらに向かった。



「今日はどうしようか」

「せっかく沖縄に来たんだし、海で遊ぼうよ!」

「そうだな! そのために水着も持ってきたんだし」

「じゃあ準備してくるぞー」

「おう」

それから水着に着替えて上着を着て、ふたりは砂浜へと出向いた。
砂浜は船が着いた場所の隣にある。
というよりも、浜から桟橋が延びて船が停まれるようになっているというのが正確なところである。

「美ら海どっくせんだぁーっ!」

上着を脱ぎ捨て、その桟橋を駆け抜けて側転からの空中宙返りで響は海に飛び込んだ。

「おいおい響、準備体操はちゃんとしろよー」

「ぷはっ! プロデューサーも早く来なよー!」

「はいはい」

シートとパラソルを準備して、彼はきちんと体操をした。
水を巻き上げ、海底を蹴って跳ね上がり、響は楽しそうに笑いながら戯れている。

「あははっ! プロデューサー、早く早くー!」

「すぐ行くってば」

それからふたりで散々遊び、昼食を挟んで夕方まで海にいた。

「うあーっ肌がふよふよするぞぉーっ」

「もう動けない……」

砂浜に座り込んで、ふたりは黄金色に照らされた海を眺めていた。

「きれいだな……」

「うん」

「こんな風景を見られただけでも、ここに来た甲斐があったって思わせてくれるなぁ」

「………。い、いつだって見られるように、したい?」

「ん? でもきっとここに住んでる人たちはこれが当たり前なんだろうな」

そう言ってプロデューサーは屈託なく笑った。

響はなにも言えなくなって、合わせるように笑ってまた海へと顔を戻した。

「………」

「………」

「……響はさ、ここに帰りたいって、思ったりしないのか?」

「え?」

ぽかんとしたような顔でプロデューサーを見る響。

「いや、アイドルをやめて、故郷に帰りたいって思ったり……うわわ、泣くなよ!」

「なっ泣いてないっ!」

響はぐしぐしと涙を拭った。

「プロデューサーは、自分がアイドルやめたいって思ってるって、本気で言ってるのか?」

「……悪かったよ。そんな風に思ってないし、俺もそれを望んでない」

「――当たり前さ。自分はトップアイドルになれたかもしれないけど、それはゴールじゃなくてスタートでしょ?」

「ああ。響はもっと高みを目指せる。俺がしてみせる」

「ふ、ふふんっ♪ 自分、完璧だからなーっ!」

「ああ、その通りだ」

「ちょ、ちょっとぉ~っなんか恥ずかしいからやめてよぉ~っ!」

「いやどうしろっていうんだ」

夜。
響は眠れないでいた。

(プロデューサーは、自分がアイドルを続けることを望んでるんだ……)

複雑な気持ちだった。
本当は、もうアイドルを辞めてしまおうかと思っていたからだ。

どれだけがんばっても、アイドルでいる限り彼と一緒になることはできない。
響と彼は、どこまでいってもアイドルとプロデューサー。
だから、アイドルではいられない。

このまま、この気持ちを秘めてずっと今の関係を続けていくなんて、響にはできなかった。
涙が出るほど、辛い。

(自分は、プロデューサーが、好き……だけど、こんな気持ちになるなら、好きになんてなるんじゃなかった……)

熱くなってきた目頭を両手で押さえて、響は嗚咽をこらえた。

プロデューサーに告白したって、彼は戸惑うだろうし、困るだろう。
どうしたって彼はプロデューサーで、彼からすれば響はアイドルの一人にすぎないのだ。
あのひとを困らせたくなかった。
もう、どうしたらいいのかわからなかった。

(わかんない、どうしたらいいか、わかんないよ……)

しとしとと、枕が濡れた。
離島の夜は更けていく。

-10/9-

「響、おはよう」

「はいさい、プロデューサー」

門の前で待ち合わせたふたりは静かに挨拶を交わした。
まだ日も昇らぬ早朝である。
薄暗いなか、家々を抜けて川を渡り、森へと入った。

「響、あの山に登るんだよな?」

「そうだぞ。いい景色だから、プロデューサーにも見てほしいさ」

踏み固められただけの道を歩いていく。

前を行く響の足は速く、プロデューサーは追いつくのがやっとだった。

「響……っ、ちょっと、スピード、落としてくれ!」

「!」

響はそこでようやく彼の様子に気付いたようで、驚いた顔で振り返った。

「ご、ごめんプロデューサー。自分ちょっと、考え事を……」

「情けない話で申し訳ないが、こういう道は慣れてなくてな。で? なにを考えてたんだ」

ようやく連れ立って歩きはじめて、プロデューサーは問いかけた。

「う、うん。えっと、たとえば、たとえばだよ?」

のたくる木の根をまたぎ、岩を迂回して、ふたりは進む。

「もし、自分の欲しい物が、どうしても手に入らないとすれば、プロデューサーはどうする?」

「うーん……、俺はあんまりなにかを欲しいと思うことないけど、まぁ本当に欲しいものなら、俺は諦めないよ」

「でもでもっ、やっぱりダメなんだ、それを手に入れるためには、別の大切なものを捨てなきゃいけないんだ」

プロデューサーはなにかに勘付いて、すこし考えてから話しだした。

「実は俺ってけっこう欲張りなんだよ」

「でも……」

「何かを捨てないと何かを得られない、ってよく言われるけど、俺はそうじゃないと思う」

道が坂道へと変わった。
勾配はゆるやかだが、大きな段差があったりして気を抜けない。

「諦めなければ、きっとなにか手段が見つかるはずだ。たとえ今はムリでも、時間が状況を変えることもある。
 大切なのは、諦めずにずっとその気持ちを持ち続けることだよ」

「持ち続ける……」

「なんて、まぁそれが一番難しいんだろうけどな」

「プロデューサー、もしかして」

「響。お前の目指してるもの、そのためなら俺は必ず力を貸す。響の思う通りにやってみろ。俺はお前の味方だよ、響」

「あ、うん……」

「? おっ、もしかしてそろそろ頂上じゃないか?」

「えっ? あ、あぁっ急がなきゃ!」

慌てて響が走り出し、プロデューサーもなんとかそれに追いすがる。
唐突に樹々が途切れ、一気に視界が開けた。

「おお……!」

「ま、間に合わなかった……」

たとえ小山といえど周囲に何もなければずっと遠くまで見渡せる。
どちらを向いても碧い海が広がっている。
そして、東側の水平線のうえに朝陽が輝いていた。

「海からの日の出を見せようと思ったのにぃ~……」

「ああ、なるほど。いやいや、じゅうぶんキレイだよ。ありがとう、響」

「プロデューサーがそうなら、よかったけど……、夕焼け! 夕焼けはぜったい見に行こっ」

「今日はもう勘弁してくれよ~、慣れない道を歩いて疲れたよ」

「何言ってんのさ、帰りも同じ道だぞ!」

「きついなぁ、休憩してから帰ろう」

「あっ、サンドイッチ作ってきたんだ。た、食べる?」

「おお! 用意がいいな、ちょうど腹減ってきた頃だったんだ」

響はバックパックからサンドイッチを取り出して、渡した。

「いただきます」

柔らかな草に腰を下ろして、ふたりは朝陽が昇っていくのを眺めながら朝食をとった。

「ん、うまい!」

「そ、そう? よかった」

「さすが響、料理も完璧だな~」

「……プロデューサー」

「ん?」

「自分、もうちょっとだけ、諦めないで、がんばってみる」

「ああ、さっきの話か」

「うん。ほんとはね、もう諦めようとしてたんだ。けど……、プロデューサーの話を聞いて、なんとかしてやろう、って思ったんだ。
 だからその、ありがと」

「完璧な響ならきっとだいじょうぶさ、ええっと、なんくるないさー?」

「あははっ! そうだね! なんくるないさーっ!」

昼食も済んだ昼下がり。

「………」

縁側に腰掛けて、プロデューサーはぼうんやりとしていた。
波の音が聞こえる。

「プロデューサー、お茶入れてきたよ」

「おっ、ありがとう。響」

持ってきたお盆を静かにおいて、響も縁側に座る。

燦々と降り注ぐ陽光は雨端にさえぎられ、縁側は日陰になって涼やかである。

「いーい天気だなープロデューサー」

「ああ、いい天気だ」

プロデューサーは一口お茶を飲んだ。

「ん、うまいな」

「さんぴん茶だぞ!」

「縁側といえば緑茶って感じもするけど、沖縄に来たらやっぱりこれだよなぁ」

もう一口飲んで、グラスをお盆に戻す。

響は伸ばした足をぱたぱたさせた。

「潮の香りがするさ」

「うん。音も相まって、まるで目の前に海が広がってるみたいだ」

実際には縁側の前には中庭を挟んでヒンプンと呼ばれる衝立があり、外の様子は窺い知れない。
しかし、そのヒンプンによって勢いを弱められた海風が匂いと潮騒を届けてくれて、澄み渡る碧い海を想起させてくれるのだ。
ふたりはしばし黙って、心の中の海を楽しんだ。

「プロデューサー、退屈じゃないか?」

彼のほうを見ずに、響がおもむろにそう言った。

「いや?」

「そっか」

響はへへ、とすこし笑った。

「なにもせず、なにも考えないで過ごすなんて、久しぶりだけどさ、」

プロデューサーはそこで口を止め、ちょっと考えた。

「……もしかしたら、初めてかもしれないけどさ。いいもんだなぁって思う」

「そうなの?」

「ああ。時間がゆったり流れていくみたいな、贅沢な時間の使い方してるなーって」

「……うん、ゼータクかもな」

プロデューサーをちらりと見て、響は真顔でひとりごちた。

氷が溶け崩れて、からんと音を立てた。

「ね、ねえプロデューサー」

ちらちらと彼の顔を盗み見ながら、響は切り出した。

「ん? どうした響」

「ちょっと、そっちに寄ってもいいかな」

「ああ、いいぞ。ていうか、そんな気を使わないでくれよ」

可笑しそうに笑ってプロデューサーはお盆をすこし下げた。
迷っているように足の指をぎゅっとしたり伸ばしたりしていた響だったが、
思い切ってぱっとプロデューサーに身を寄せた。

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