とある後日の幻想創話(イマジンストーリー)3 (979)
※注意
・>>1はSS素人。駄文注意
・ジャンルは禁書×東方。苦手な方は回れ右
・『幻想入り』および『学園都市入り』ではない。言うなれば禁書世界をベースにした世界観クロス
具体的に言えば、東方キャラが禁書世界の住民として出てくる
・独自解釈、キャラ崩壊、設定改変が多数。もしかしたらオリキャラも出るかも?
東方キャラについては、もはや別物と言ってもいいほど改変される可能性が大
・時系列は禁書本編終了後。本編は開始から一年で完結している設定
・基本日曜更新。ただし不定期になることも無きにしも非ず
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とある後日の幻想創話(イマジンストーリー)
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とある後日の幻想創話(イマジンストーリー)2
とある後日の幻想創話(イマジンストーリー)2 - SSまとめ速報
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明けましておめでとうございます(遅)
今年初めの投下を開始します
入院27日目――――
黄泉川「失礼するじゃん」
美鈴「失礼しまーす。 また会いに来たよ、咲夜ちゃん」
咲夜「! こ、こんにちは……」
その日、先日お見舞いに来た『警備員』二人組である黄泉川と美鈴が、再び咲夜の下へとやってきた。
目の前に現れた自身のトラウマを前にして、咲夜は少々まごつきながらも挨拶する。
彼女らが来ることは事前に冥土帰しによって知らされていたため、以前のようなパニックを起こさずに済んだようだ。
現在、不死の薬と冥土帰しの両名はこの部屋にいない。
冥土帰しは他の患者の対応に忙しく、不死の薬は本来の薬剤師としての仕事こなすために自身の部屋に籠っている。
咲夜の容態も安定して常に監視をする必要が無くなったため、必要な時以外は自分達がするべき仕事をしているのである。
もし何かあった場合はナースコールで知らせるように、冥土帰しは咲夜に言いつけていた。
黄泉川「どうやら大丈夫みたいだね。 元気そうで安心したじゃん」
美鈴「本当ですね。 あ、これお見舞いの果物だよ」ドサッ
美鈴が果物の入ったかごをベッドの脇にある机の上に置く。
上には布がかけられており中は良く見えない。だが隙間から見える色と形から考えるに……
咲夜「……りんご?」
美鈴「『ふじ』っていう名前のりんごよ。 しかも成長促進剤を使った学園都市産じゃなくて、
青森県の農家で有機栽培で育てられたやつ。 すごく美味しいから味わって食べてね」
黄泉川「まったく、お見舞いだからって高い物を買いすぎじゃんよ。 最近金欠で困ってたんじゃなかったのかい?」
黄泉川「それに次の給料日までまだ間があるだろう?」
美鈴「だ、大丈夫ですよ。 その辺のことはちゃんと考えてありますし!」
黄泉川「本当かい? ならいいんだけどさ」
咲夜「……」
黄泉川「? どうしたんだい?」
咲夜はかごの中に入ったりんごをじっと見つめている。
白のベールがかけられたかごから漏れ出してくる甘い芳香。
立って離れているはずのこちら側にもその香りが漂ってきているようだ。
かごの至近距離に居る咲夜は、さぞかし濃厚で甘い香りを感じ取っていることだろう。
咲夜の喉からゴクリと唾を飲み込む音が聞こえたような気がした。
黄泉川「食べたいのかい?」
咲夜「! そ、そんなこと、ない、です……」
美鈴「遠慮しなくてもいいんだけどねー。 このりんごは咲夜ちゃんのものなんだから」
黄泉川「でも食べるには包丁が必要だね。 美鈴、看護婦に果物ナイフを持ってくるように言ってくれないかい?」
美鈴「わかりました」
黄泉川の言葉を聞いた美鈴は、果物ナイフを貸してもらうために病室を出ていった。
待っている間、黄泉川は準備をするためにかごの包装を取り払う。
布が拭い去られると同時に露わとなる紅い果実。想像より少し色が薄いが、これは無袋栽培で育てられたからだ。
袋掛けした果実は成長した時に外観が美しくなるが、袋をかけなかった場合は糖度が高くなり貯蔵性も良くなる。
その証拠に、先ほども言ったようにりんごの芳香がものすごい。切ったら中がどうなっているのか楽しみである。
美鈴「黄泉川さん、必要なもの借りてきました」
黄泉川「ああ、ご苦労じゃん。 で、どのりんごを切ろうかねぇ……」
美鈴「どれを選んでも同じだと思いますけど。 黄泉川さんが切りますか?」
黄泉川「いや、美鈴が切ってくれ。 私はまともに料理ができないからね」
美鈴「あ、そうでしたっけ?」
黄泉川「色々練習はしてるんだけどね。 でも材料を切るときは大雑把だし、味付けは大味だし……」
黄泉川「特に火の通し方のコツがうまくつかめないじゃん。 何かいいアイデアは無いかい?」
美鈴「火の通し方は練習あるのみですから、何度も料理しないと感覚は掴めませんよ。
電子レンジとか使えば時間の管理だけだから簡単にできるとは思いますけど」
黄泉川「ふむ、電子レンジか……ちょっと考えてみるじゃん」
美鈴「それじゃあ切りましょうかね~」
美鈴はそう言うと、りんごを一個軽く手に取る。数ある中でも一際大きいものだ。
そのりんごを左手に持ち、右手のナイフでまずは始めに二分割。
中央の種の周囲に色が濃い部分――――蜜が豊富な部分が見える。よく熟れた果実のようだ。
そして割った片方をさらに二分割にして四分の一にする。
さらに八分の一にしようとしたところで、ふと思い出したように作業を止めて咲夜に問いかけた。
美鈴「咲夜ちゃんってりんごの皮って食べれる?」
咲夜「大丈夫です」
美鈴「よし、それなら……」
美鈴はりんごを八分の一の大きさに切ると、皮の下の部分を半分まで切りこみを入れ、皮をハの字に切り落とした。
果肉の部分を胴体に、皮の部分を耳に見立てると……
美鈴「よし、これでうさぎさんの完成!」
黄泉川「へぇ、随分としゃれたことするじゃん」
美鈴「りんごときたらこれをするしかないでしょ。 ただ切るだけじゃ面白くありませんし」
咲夜「……」ジー
美鈴「? どうしたの咲夜ちゃん、そんなに見つめて……」
咲夜の視線が美鈴に注がれている。
しかし、その視線の先にあるものは左手に持ったうさぎ型のりんごではない。
彼女が見ているものは――――
黄泉川「どうやら果物ナイフを見てるみたいだね」
美鈴「ナイフですか?」
咲夜「……」ジー
黄泉川「……もしかして、自分でりんごを切ってみたいんじゃないのかい?」
美鈴「え? そうなの?」
咲夜「……」コクリ
二人の問いに、咲夜は首を縦に振って肯定の意を示す。
咲夜はこれまでの間、不死の薬からもらった料理の本を読んで今まで過ごしてきており、料理に対する関心が人一倍強くなっている。
ところが入院中の彼女が実際に調理を行うことなどあるはずもなく、これまで調理器具にすら触ったことが無い。
医者二人にも『料理をさせてあげることができるようになるのは退院直前だろう』と言われていた。
そんな状況の中で、咲夜の料理に対する憧れは日に日に強くなり続ける一方だったのだ。
そんな彼女の目の前に、今『果物ナイフ』という名の調理器具が存在する。
ただ、それを使って今できることと言えば『りんごを切る』というだけだが、
それも一種の『調理方法』であるということは紛れもない事実である。
彼女にとって、この千載一遇のチャンスをみすみす見逃すなど考えられない。
美鈴「どうしましょう? 刃物を使わせるのは怪我をするかもしれないので不味い気がしますけど……」
黄泉川「でも彼女の眼を見るとかなりご執心のような気がするじゃんよ。 簡単には諦めてはくれないような気がするじゃん」
咲夜「……」ジー
美鈴「そう、みたいですね……困ったなぁ……」
黄泉川「いっそのこと、手とり足とり教えてあげればいいんじゃないかい?」
美鈴「え? さすがにそれは……」
黄泉川「私達がよく見ていれば怪我をする危険性は減るだろうし、たぶん大丈夫だと思うじゃん」
咲夜「!」
美鈴「……何かあったら黄泉川さんのせいですからね?」
黄泉川「何も起こらないように努力するのが今のアンタの仕事じゃん」
美鈴「わかりましたよ……じゃあ咲夜ちゃん、こっちに来て」
美鈴は咲夜をベッドの横に座らせると、右手に果物ナイフを、左手に切ったりんごを持たせた。
今日はここまで
質問・感想があればどうぞ
乙
ここの咲夜さんのナイフ道はこうして始まったのか
乙
東方二次は大量に存在する
その中でも紅魔組は使いやすいのか年季ゆえか自機組の次くらいに多い
しかし美鈴を咲夜より目上にしているものは考えてみたら結構珍しいな
>>18
咲夜さんにどうやってナイフを持たせようかなーと考えた結果こうなりました
>>19
紅魔組は西欧色が強く、ファンタジー系と良く馴染む
さらに吸血鬼や悪魔や魔法使いなど、わかりやすいキャラクターが多いので二次創作が活発なのだと思います
もし北欧神話とかの日本人にあまり馴染みに無いキャラクター付けだったら、あそこまでの規模にはならなかったかも
後、紅魔館に迷い込んだ子供咲夜さんが美鈴に育てられるシチュとか、アリだと思います(興奮)
これから投下を開始します
* * *
咲夜「……」ショリショリ
美鈴「そうそう、右手の親指で皮を引き寄せるようにして……」
咲夜は美鈴に言われた通りに手を動かし、りんごの皮を少しずつ剥いていく。その表情は真剣そのものだ。
美鈴の方も教えているうちに熱が入ってきているようで、咲夜に対して熱心に包丁の使い方を教えている。
これまで彼女の包丁さばきの練習に消費されたりんごの数は二個。
その全てが失敗に終わっており、皮が薄過ぎて途中で千切れていたり、逆に皮を分厚く剥きすぎたりしている。
現在剥いているりんごは今までよりほ上手に剥けてきているが、力加減を誤って皮が千切れるかもしれないので油断はできない。
そんな二人の様子を黄泉川は、皮剥きに失敗したりんごをつまみ食いしつつ、
りんごの皮剥きに悪戦苦闘を続ける二人の様子を眺めていた。
黄泉川「おぉ、結構上手に剥けてるじゃん。 私が食べてもいいかい?」
美鈴「って、黄泉川さんさっきから食べてばっかじゃないですか! 咲夜ちゃんのためのりんごなのに……」
黄泉川「ほっといたら乾いちゃうじゃないか。 まぁ、流石に食べすぎだとは思うからそろそろ自重するよ」
黄泉川「咲夜、その剥いたりんごは自分で食べるといいじゃん」
咲夜「……」シャクッ
咲夜は自分で剥いたりんごを少しだけ齧ってみる。
若干酸味のあるりんごの甘い味が口の中に広がっていった。
りんご自体は病院食としても度々出てくるので、その味は既に慣れ親しんだものである。
だが、美鈴が持ってきたりんごは病院で出るそれとは一味もふた味も違うものであった。
まずは味の濃さ。いままで食べてきたどのりんごよりも濃厚な甘味が口内を隅々まで覆い尽くす。
その甘味に思わず微笑みがこぼれてしまいそうになるほどだ。
次に果肉の瑞々しさ。一口齧っただけで口の中が水浸しになるほど水分が多く含まれている。
濃厚な甘味と相まって、『りんごジュースを食べている』ような感覚だ。
『同じりんごなのにどうしてここまで違いがあるのだろうか』。
咲夜の頭の中にそんな疑問が湧き上がろうとしたが、『りんごをもっと食べたい』という欲求によって、
そんな難しい考えは瞬く間にどこか彼方へ押し流されてしまった。
咲夜「……もっと食べたい」
美鈴「そう言ってくれると買ってきた甲斐があったわね。 ……だいぶ黄泉川さんに食べられちゃったけど」
黄泉川「うぐっ……」
美鈴「あともう一個あるけど、自分で剥いてみる? 私が剥いてもいいんだけど」
咲夜「自分で剥きたいです」
美鈴「わかったわ。じゃあ見ててあげるから、自分で切ってみて」
咲夜「はい」
咲夜は美鈴に教わったように右手に果物ナイフを持ち、りんごをまな板の上に置く。
最初にりんごを切り分け。
包丁を使うときは常に自分の手の位置に気をつけること。刃の先に手を置いたりしたら、食材もろとも捌くことになる。
そして固い物を切るときは無理に力を加えないこと。何かのはずみで刃の位置がずれでもしたら非常に危険だ。
包丁は押しつけて切るものではなく、前後に動かして少しずつ切るのが基本である。
切ったりんごは種の部分を取り除いておき、次は皮剥きだ。
りんごの端、皮の下の部分に包丁の刃を当てて少しずつ食い込ませるようにして皮を剥いていく。
右手の親指でりんごの皮を抑えつつ包丁の刃を動かす。急ぎ過ぎると皮が千切れてしまうので要注意。
また、刃の位置に気をつけていないと分厚く皮を剥きすぎて果肉が皮の部分に多く残ってしまう。
その後数回に分けつつ皮をむけば、ようやく美味しいりんごにありつくことができる。
皮を残してもいいのだが、包丁の練習のために全部剥くことにした。
美鈴「お~上手上手。 咲夜ちゃんって結構飲み込みが速いね」
黄泉川「ついさっき包丁を持ったばかりなのに、私よりも上手い……だと……?」
咲夜の包丁さばきに美鈴は称賛の声をあげ、黄泉川は言いようのない敗北感に膝をつく。
確かに咲夜の包丁の扱い方は今日初めて持ったとは思えないほどの腕前である。
まだたどたどしさは残るが、日常生活で料理を作る上では問題ないだろう。
「咲夜さん、具合はどうかしら……って、あら?」
黄泉川「ん?」
部屋の出入り口から聞こえてきた声に振り向くと、不死の薬が部屋に入ってくるのが見えた。
出張を終えて戻ってきたようで、いつもの白衣に着替えて薬が入った小さな袋を携えている。
美鈴「あ、先生。 お邪魔してます」
不死の薬「ええ。 ……ところで、咲夜さんは大丈夫だったかしら? 貴方達を見て取り乱したりしなかった?」
美鈴「いえ、そんなことは無かったですよ?」
不死の薬「そう。 ならよかったわ」
不死の薬は袋の中の薬を取り出しながら言った。
見たところ、最初の頃にあったような動揺の面影はほとんどなく随分と打ち解けているようなので、
彼女のトラウマの払拭はほとんど済んだ言ってもいいだろう。
トラウマと言っても出会い方が少々不味かったというだけなので、
きちんと互いに意思疎通し合えば治療することは簡単だ。
ただ『きちんと互いに意思疎通し合う』という段階にまで到達することが難しいというだけである。
実際、不死の薬が咲夜を説得する際に非常に苦労したということは内緒だ。
不死の薬「その机の上に広がっているりんごの皮は……?」
美鈴「このりんごは私が持ってきたものです。 食べますか?」
不死の薬「いえ、遠慮するわ。 そのりんごは見舞いの品なのだから、私が食べるのは筋違いよ」
黄泉川「……」
不死の薬「……どうかした?」
黄泉川「な、なんでもないじゃんよ、先生」
何かに対して弁明するような慌て方をする黄泉川を見て、不死の薬は一瞬怪訝な顔をするが、
大したことではないだろうと判断して咲夜が飲む薬の準備を始めた。
いつものように膨大な数の薬を次々と目の前に並べていく。
咲夜の容態がかなり安定した状態に入ったので、以前と比べれば半分にまで量は減っているのだが、
それを加味したとしても通常よりも多いことには変わりない。
黄泉川「……これを一回で全部飲むのかい?」
不死の薬「そうよ。 これでも大分減らしてきているのだけど、まだまだと言ったところかしら」
不死の薬「彼女に投与する薬は特殊の物が多くてね。 複数を組み合わせて力を発揮したり、副作用を打ち消したりしているのよ」
不死の薬「本当は一つの錠剤にまとめるのが一番いいのだけど、そううまくいかないのが現実ね」
黄泉川に説明しながら淡々と作業を進めていく不死の薬。
そうこうしている内に20種類ほどの薬と1リットルの水、そして水を入れるための紙コップを並べ終えた。
不死の薬「今回はこれで終わりよ」
咲夜「わかりました」
咲夜はそう言うと、いつものように慣れた手つきで薬を手に取って服用を始めた。
彼女が薬を飲んでいる間に、不死の薬は後片付けをして美鈴と黄泉川に向き直る。
不死の薬「さて、貴方達二人に少し相談したいことがあるのだけれど」
美鈴「何ですか?」
不死の薬「咲夜さんの退院後についての話よ。 治療が終わって日常生活に支障がない状態になったら、
この病院を出てしかるべき場所で生活を始めなければならないということは理解できるわよね?」
黄泉川「ええ、まぁ……」
不死の薬「その時に問題となるのが『退院後にどのような施設に居住させるか』ということよ」
不死の薬「早い話、彼女が退院後に住む場所と通う学校が決まってないの」
不死の薬「この調子でいけば、一か月もしないうちに退院することになるだろうから、できればその前に決めておきたいのよ」
美鈴「つまり私達への相談というのは……」
不死の薬「咲夜さんが通う学校の選定に少し協力してほしいってこと」
不死の薬「協力と言っても、別に何か調べ物をさせたりするわけじゃないから安心して。
単純に咲夜さんをどの学校に通わせるべきか、案を出して欲しいだけだから」
不死の薬の言うとおり、病気が治って退院することになれば、どこかの施設に入って生活をしなければならない。
入ることになる施設が学校なのか、孤児院なのかはこれから決めることだが、退院までには確定させておく必要がある。
不死の薬が黄泉川達にそのことへの協力を頼んだのは、彼女らが教師であるからなのだろう。
それに加えて、咲夜に近い立場に居るからということもあるかもしれない。
不死の薬「咲夜さん、薬は飲み終わったかしら?」
咲夜「けふっ……さっき飲み終わりました」
黄泉川「本当に大丈夫かい? かなり苦しそうだけど……」
咲夜「慣れてますから……」
不死の薬「とりあえず、横になって安静にしてなさい。 新しい本を入れておいたから、それを読みながらゆっくりするといいわ」
咲夜「ありがとうございます……」
不死の薬「それじゃあ、話の続きは向こうでしましょう」
不死の薬は自分についてくるように二人に促す。
この話は咲夜も交えてしたいのだが、彼女が黄泉川達に聞きたいのは咲夜に対する各々の感想である。
学校の案ももちろん大切だが、それ以前に『十六夜咲夜の人となり』を二人の口から知りたいのだ。
担当に医師に対しては見せることがなかった新たな一面。それは彼女の通う学校を決めるうえで有用な情報になりうるかもしれない。
ただ、人格評価を咲夜本人の前でするのは問題がある。
子供である彼女にとっては、自分に対する批評というものは少々重すぎる話題かもしれないからだ。
年齢にしては精神的に大人になりすぎているきらいがあるので大丈夫かもしれないが、それでも時期尚早であろう。
子供の内は他人の評価をあまり気にせず、のびのびと過ごして欲しいと思う。
もちろん、羽目を外し過ぎるのはご法度ではあるが。
今日はここまで
質問・感想があればどうぞ
怪我して泣いちゃうんだろうなーとか思ってた時期が俺にもありました
リンゴと薬が合わさって大丈夫ですか?
>>35
そっち方面のキャラ付けも中々良いですが、このスレの咲夜さんは刃物の扱いがとても上手いということにしました
>>38
不死の薬の類稀なる調薬技能により、食べ合わせによる副作用は一切発生しません(嘘)
これから投下を開始します
* * *
不死の薬「ここよ。 中に入って」
警備員二人が不死の薬に連れられて辿り着いた部屋は、一つの小さな研究室だった。
中に入ると、部屋の中にはおおよそ医学で用いられる器具が、机の上に所狭しと置かれている。
ある程度の整理整頓は成されているが、部屋の狭さと物の多さが相まって、雑多とした雰囲気を醸し出していた。
不死の薬「ちょっと散らかってるけど、我慢してね」
黄泉川「ここは?」
不死の薬「私の臨時の仕事部屋よ。 咲夜さんの容態を常時観察するために病院に住み込むことになったから、
冥土帰しの許可をもらってここに色々と仕事道具を持ってきたの」
美鈴「そうだったんですか……ご苦労様です」
不死の薬「本来の仕事場とこの病院はそれほど離れてないから、通勤という意味での苦労は無いわ」
不死の薬「ただ、私に依頼をしに来る人には少し迷惑をかけてしまうことになってるけど」
不死の薬「まぁその話は置いておいて、とりあえず座りなさい」
言われるがままに、黄泉川と美鈴は用意された椅子に座る。
その間に不死の薬は手早くメモ用紙を取り出し、手に万年筆を構えた。
不死の薬「じゃあ早速で悪いんだけど、貴方達が咲夜さんを見た時の第一印象を教えてくれるかしら?」
美鈴「第一印象ですか?」
不死の薬「そう、あの子を初めて見た時の直感的な感想を述べて。 そういう視点って意外と侮れないから」
美鈴「そう、ですね……私たちがあの子に初めて出会ったのは、研究所制圧のときだったんですけど……」
不死の薬「彼女が以前居た施設ね。 貴方達が助け出したのだったかしら?」
美鈴「はい、その時は状況が状況だったので何かを気にかける余裕は無かったんですが……」
美鈴「今思い返してみると、随分と大人しそうな子のように見えた気がします」
不死の薬「うん……他に何か思ったことは?」カリカリ
美鈴「かなり無感情な感じもしましたけど、先ほどのことを考えるとそれは気のせいかもしれません」
不死の薬「無感情……ね。 黄泉川さんの方は?」
黄泉川「そうだね……大方は美鈴と同じ意見だけど、私としては寂しそうにも見えたじゃんよ」
黄泉川「誰かに頼らないと生きていけないような……そんな感じがしたじゃん」
不死の薬「ふむ……」カリカリ
二人の話を紙に書き留めつつ、不死の薬は黙考する。
大人しい。無感情。寂しそう。
彼女達の口からこぼれた言葉は、いずれも寂寥な印象を抱かせるものばかりである。
不死の薬自身としても初対面の時はシャイな子供だと感じていたので、
そういった印象を抱いたことについては間違っていなかったということだ。
だが実際に接してみると、一見大人しそうに見えてかなり感情が表に出てきやすいということが理解できた。
表情はあまり変化しないが、行動に方に感情が強く反映されやすいようである。
不死の薬「じゃあ次に、今まで接してきて何か思ったことは?」
黄泉川「随分と大人びた子供だってことは真っ先に思ったじゃん。 受け答えも礼儀正しいし、違和感だらけじゃんよ」
黄泉川「でも良く見てみると、それなりに子供らしい一面もあるということはわかったじゃん」
美鈴「そうですね。 興味があることには積極的に関わろうとしますし、
さっきなんて私が持った果物ナイフを食い入るように見てましたからね」
不死の薬「果物ナイフを?」
美鈴「はい。 どうやら自分でりんごを切ってみたかったみたいで、実際にやらせてみたらすごく上手でしたよ?」
美鈴「もしかしたら、咲夜ちゃんには料理の才能があるかもしれませんね」
不死の薬「料理の才能有……と」カリカリ
咲夜が料理に興味を持った切欠。
それは不死の薬が暇潰しのための道具として手渡した料理雑誌以外には考えられない。
本来は彼女の退院後の生活を考えてのものだったのだが、それに加えて咲夜に料理の才能の可能性を見出すことができたのは、
ある意味僥倖と言えるかもしれない。
それは兎も角、咲夜が通う学校に調理師学校も候補に入れることができるかもしれない。
警備員二人の話を聞くに、刃物の扱いに天性の才能があるようだから、将来料理人を目指すというのも一つの道だろう。
と、そこでもう一つ疑問が湧き上がってくる。咲夜に渡した雑誌はなにも料理関係のものばかりではない。
料理の他にも日常生活で必要になりそうな技術、例えば洗濯や掃除などのコツが記されたものも同時に渡している。
果たして咲夜にそれらの才能はあるのだろうか。あるとすれば、彼女には家事全般のスキルが備わっていることになる。
もしかしたらその能力を生かせる、もっと変わった学校に通わせることもできそうだ。
不死の薬「もし他の家事スキルの才能があるとすれば、それを踏まえて選んでもいいかもしれないわね」
美鈴「家事スキル?」
不死の薬「ええ。 貴方達教師なら『家政繚乱女学校』の名前は知ってるでしょう?」
黄泉川「一流のメイドの育成を目標としてる、あの学校かい?」
不死の薬「あの子に家事の才能があるのなら、そこに通わせることも一つの手と言えるわね」
不死の薬「他人の言うことを素直に聞けるという点でも、メイドという職業は向いてるかもしれないわ」
不死の薬「ただ、生半可な考えで決断するのは危険ね。 あそこに入ったら、将来の仕事はメイド以外に考えられなくなるから」
家政繚乱女学校はメイド稼業を専門とした、学園都市でもかなり異色の学校である。
そこに通う生徒は皆一様に一流のメイドとなるための研鑽を積んでおり、
メイド以外の職に就くことを考えている者は、生徒だろうと教師だろうと誰一人としていない。
絶対にメイドになりたいと言うのであれば文句なし環境であるが、
咲夜にそれだけの気概が無い場合は止めておいた方がいいだろう。
まだ様々な可能性を持つであろう彼女の未来を、早い段階で潰してしまうのは非常に危険だ。
不死の薬「とりあえず、この話は後であの子の意見を聞くとして、他に何か気になることはあったかしら?」
美鈴「そう言えば、あの子の超能力についてはどうなったんですか? 以前に聞いた時はあまり芳しくなかったみたいですけど」
不死の薬「超能力の発現ついては冥土帰しが色々と試行錯誤しているわ。 まだ目に見えた変化は出てないけど、
そんなに長く時間はかからないんじゃないかしら?」
美鈴「それは良かった。 少し心配してたんですよ」
不死の薬「ただあの子、自分の力に少し怯えてる節があるから、このままだと伸び悩むかもしれないわね」
美鈴「そうなんですか……私達にできることってありますか?」
不死の薬「こればかりは本人次第だから、手伝うことは難しいわね。 精々助言を与えるくらいよ」
不死の薬「でも、だからと言って手を拱いてるわけにもいかないし、私なりに何か考えてみるつもり」
不死の薬「まぁ、貴方達はそこまで心配しなくてもいいとだけ言っておくわ」
黄泉川「……わかったじゃん」
今日はここまで
これから私用で忙しくなるので、もしかしたら二月の下旬くらいまで更新できないかも……
毎週更新を心待ちにしてくださっている皆様には申し訳ありません
質問・感想があればどうぞ
>>1復活ッ!
ある程度身の周りが落ち着いてきたので再開
全てが片付くにはまだしばらく時間がかかりそうですが
それでは投下を開始します
入院35日目――――
冥土帰し「……よし。 咲夜君、今日はここまでにしよう」
咲夜「ありがとうございました」
冥土帰しの病院に入院してから早一ヶ月。
咲夜は既に日課となりつつある超能力を使う特訓を終え、病室に戻る準備を始めた。
今日の特訓における成果は、残念ながらほとんど無かった。
冥土帰しが言うには一週間程前まではそれなりに進展があったようなのだが、ここ最近は伸び悩んでいる状態らしい。
何が原因なのかはわかっている。咲夜自身が能力を使うことを恐れているからだ。
恐れていると言っても、目に見えて怯えているというわけではない。積極的に特訓に取り組んでいる姿を見れば一目瞭然である。
問題となっているのは表層には表れてこない彼女の意識していない部分、すなわち無意識の領域においての話だ。
二度の暴走によって心の奥底に植えつけられた、自身の力に対する怯え。それが彼女の成長を妨げているのである。
冥土帰し(このままだとこれ以上の進展は期待できないね。 何か手は無いものかな……?)
冥土帰しが頭を悩ませていると、不死の薬が紙袋を手にぶら下げて部屋に入ってきた。
袋の中には大量の雑誌が入っており、見た目以上に重そうである。
不死の薬「終わったかしら?」
冥土帰し「今終わったよ。 ……その袋に入っているものはなんだい?」
不死の薬「学校のパンフレットよ。 そろそろ考えないといけない時期でしょう?」
冥土帰し「そうだったね……もうそんな時期か」
不死の薬「もう殆ど完治していると言ってもいい状態だし、これなら一週間もすれば退院の許可を出してもいいと思うわ」
不死の薬「まだ超能力の問題は完全には片付いてないけど……今回の特訓はどうだったかしら?」
冥土帰し「能力の暴走については、もはや心配はいらないだろうね。 だけどそこ止まりな状態だよ」
冥土帰し「やはり『能力を自由自在に使えるようにする』となるとね……」
不死の薬「私達だけでは、もはやどうしようもない……?」
冥土帰し「僕ができる範囲のことについては全て手を尽くしたつもりだ。 だけど、どうしてもできないこともある」
冥土帰しの医療技術はとても素晴らしいものだ。それは紛れもない事実である。
しかし、それはあくまで肉体に対する医療によるもののみ。心の問題となるとそうは上手くいかない。
『心』というものは単に手術したり、薬を投与したりすれば治るというものではないからだ。
学校生活、職場環境、人間関係……それらを改善した上で本人が納得するなり、心を開くなりする必要がある。
冥土帰しと不死の薬の手によって、彼女が恐れる『超能力の暴走の危険性』は取り除いた。
後は咲夜自身がその恐怖を克服するだけなのだが……
冥土帰し「後少しなんだろうけどね。 わかってはいたことだけど、自分の非力さが恨めしいよ」
咲夜「……私のせいなんでしょうか? 私が不甲斐ないから……」
不死の薬「これは貴方が責められるべきことではないし、責めても意味のないことだわ」
冥土帰し「そうだね? 恐怖を克服することなんて、大の大人でもそうできることじゃない」
冥土帰し「頭ではわかっていても、心のどこかで恐れてしまうものなんだ。 だから焦らず、じっくりと治していかないとね?」
咲夜「……」
二人はそう言って咲夜を諭すが、彼女の表情は暗いままだ。
いつまで経っても進歩しない自分に、焦りを感じ始めているのだろう。
親身になって接してくれている二人に、未だに応えられていないことも理由の一つかもしれない。
不死の薬「ま、辛気臭い話はここまでにしましょう。 じゃあ咲夜さん」
咲夜「?」
不死の薬「以前、私が言ったことは覚えてる?」
咲夜「……」
突然の問いに、咲夜は一瞬首を傾げる。
しかし今までの会話から、不死の薬が言わんとしていることを直ぐに察することができた。
尤も、それは彼女にとってあまり思い出したくない事柄だったのだが。
咲夜「……学校のことですか?」
不死の薬「そうよ。 少し時間が経ってしまったのだけれど、考えていてくれたかしら?」
咲夜「……少し」
不死の薬「……本当に?」
咲夜「……」
不死の薬「……」
部屋の中に妙な空気が流れる。
何というか、子供が親に叱られる場面に遭遇してしまった時のような気まずさである。
咲夜は申し訳なさそうな顔をして不死の薬に目を合わせないようにしているし、
不死の薬はそんな咲夜の心情を見透かすかのようにじっと見つめている。
二人に血のつながりはまるでないが、明らかに親子の間でよく繰り広げられるそれに酷似していた。
咲夜「……………………ごめんなさい。 忘れてました」
不死の薬「素直でよろしい。 だからと言って、どうと言うこともないけど」
その空気に耐えられなくなったのか、結局咲夜の方から自白することとなった。
一方不死の薬は意地悪い眼をしただけで、それ以上の追及はしなかった。
実際の所、咲夜は忘れていたわけではない。考えないようにしていただけだ。
思い起こす度に、言いようない感情が自分を支配するのである。
故に彼女は、それから逃れるために自ら思考を放棄した。
記憶から消し去ることで、自身の心を守ろうとしたのである。
だがその行為は、時が経てば全くの無意味なものに成り果てる。問題は依然として解決していないのだから当然だ。
現実は逃げる彼女を執拗に追い続け、いずれは捕えてしまうのだ。
そんな眼を逸らしたい現実を突きつけられて重い心境になっている咲夜をよそに、
冥土帰しは不死の薬に対し話の続きを促した。
冥土帰し「ところで、どうやって学校を選ぶつもりなんだい?」
不死の薬「基本的には学校から配られているパンフレットの中から選ぶことになるわね。
後、咲夜さんとの相性を考えて私自身が探したものもあるわ」
不死の薬「パンフレットは平凡な学校、私が探したものは特殊な学校が主よ」
冥土帰し「僕にも見せてくれるかな?」
不死の薬「えぇ」バサッ
不死の薬から資料の束を受け取ると、冥土帰しは早速その中身を確認してみる。
なるほど、確かにパンフレットで紹介されている学校は、学園都市の中ではありふれた教育方針をしているものばかりだ。
冥土帰しは何か変わったところがないか読み進めてみるが、特に目ぼしいものは見つからなかった。
さまざまな学校のパンフレットを見比べるが、文章に色々と差異はあれど、指す意味はほぼ同じものである。
同じ意味を持たせつつ、いかに人を引き込む文章を生み出すか。そこがパンフレットを作る人間の腕の見せ所なのだろう。
次に不死の薬が自ら探しだしたという学校のパンフレットを見てみる。
各学校の広告欄にはスポーツ、美術、芸能、吹奏楽といったものを重点的に指導する旨が綴られている。
これらの施設は所謂『エリート養成校』に当たるもので、入学した生徒はそれぞれの分野のプロを目指し、学校生活を送っていく。
もし親が自分の子供を一つの技術に特化した人物に育てたいというのであれば、これらの学校に入学させるべきであろう。
冥土帰し「ふむ、この中から選ぶのかい?」
不死の薬「今のところは、ね。 決まらなかった場合は再度探すことになるけど」
冥土帰し「わかったよ。 最近、重病患者が来ることは殆どないから、僕も協力できそうだね?」
冥土帰しはパンフレットを閉じ、僅かな笑みを浮かべながらそう口にした。
* * *
不死の薬「冥土帰し、ここはどうかしら? 第13学区の24番地にあるのだけど、立地的にも悪くないし、
何より小中一貫校だから中学校選びの無駄な手間をかけなくて済むかもしれないわ」
不死の薬「残念だけど、この子には学校選びの助言をくれるような親はいないし、
今後を考えると色々都合はいいと思うのだけれど……」
冥土帰し「ふむ、確かにそうかもしれない。 でも、学校を支援している研究機関に少し不安があるね」
冥土帰し「僕が聞いた噂だと、この施設は能力開発を偏重し過ぎているそうだ」
冥土帰し「本来の学業が疎かにならないとも言い切れないね」
不死の薬「そう……咲夜さんはどう思う?」
咲夜「どう、と言われても……」
咲夜の病室に戻ってきてから30分弱。
冥土帰しと不死の薬は、咲夜が通う学校を選ぶために様々な議論を交わしていた。
時折咲夜にも意見を聞いてくるが、彼女にはそれに応えるだけの知識があるというわけではないため、
話を振られても『わからない』の一言を返すことしかできなかった。
何度も繰り返されている内に、返答が機械的になってきている感は否めない。
そもそも乗り気ではないのだから、いい加減な返事をしてしまうのは当たり前とも言えるが。
不死の薬「貴方のための学校選びなんだから、少しは自分の考えを述べてほしいのだけれど」
冥土帰し「それを言うのは少し酷じゃないかい? まぁ、流されるままになってほしくは無いというのは僕も同感だけどね」
不死の薬「前にも質問したのだけれど咲夜さん、貴方の希望を述べてくれないかしら?
私たちだけで決めてしまうのは色々と危険だし」
咲夜「希望……」
不死の薬「なんでもいいわよ。 興味があるものとかね」
不死の薬の言葉を聞いて咲夜は俯く。
このまま黙っていると不審な目を向けられかねないので、少しだけ考えてみることにした。
自分はどんな学校に入りたいのだろうか。正直に言って、どこでもいいような気がするというのが本音だ。
そもそも『学校』というものが何なのかよくわからないので、別にそんな所に行かなくてもいいのではないかという気もする。
しかし不死の薬が以前話した内容によると、自分が学校に通うのは義務であり、決して避けられないことらしい。
つまりここで行きたくないと駄々をこねても、その行為は全くもって無意味だということだ。
ここまできたら、最早腹を括るしかあるまい。
そこまで考えたところで、もう一度自分はどんな学校に入りたいのかを考えてみる。
学校というのは何かを学ぶところ。『何を学ぶ』のかは知らないが、『何かを学ぶ』所であるということだけは理解できる。
自分が学びたいことは何か?言語、数学、科学、地歴、芸術……不死の薬が言うには、学校ではそういったことを学ぶらしい。
しかしこの中に咲夜の学びたいことは無い。と言うよりこれらの分野は誰もが学ぶべきことであるため、
どれかを選び取るということはできないのだが。
だが、これらのことしか学ぶことができない学校に対して、自分はそれほど興味が持てないということは自覚できた。
つまり自分が心惹かれるのは一般的な学校ではなく、不死の薬が選別した特殊な学校なのだろう。
咲夜「先生が探してきてくれた学校を見せてくれませんか?」
不死の薬「いいわよ」
少し厚い紙の束を受け取ると、ぺらぺらとそれをめくってみる。
不死の薬から辞書を借りて本を読み漁っていたことが功を奏したらしく、多少の難しい漢字は理解することができた。
そんな咲夜の様子を見て、さしもの医師二人も驚きを隠せない。
未だ幼い少女が分厚い資料を読む姿は、あまりにも異様な光景だった。
不死の薬(この子の読み込みの速さには舌を巻くわね。 もう少し成長していたら、私の下で働かせたいのだけれど……)
不死の薬(彼女が興味あるのは家事全般のことだけみたいだし、諦めた方がいいわね)
咲夜「……」
不死の薬「何か気になるものはあったかしら?」
咲夜「これ……」
咲夜は束の中から数枚の紙を選び出す。
それを受け取ってみると案の定、その全てが家事に関わる技術を重点に置いた教育方針を掲げている学校であった。
その中には先日『警備員』二人との会話の中で出た学校――――家政繚乱女学校の名もある。
不死の薬「これが貴方の通ってみたい学校なのね?」
咲夜「はい」
冥土帰し「ふむ、やっぱり家事について学んでみたいのかな?」
咲夜「興味あることと言われてもそれしかないので……」
もう少し別のことにも興味を持つのではないかと思っていたが、彼女は家事一筋らしい。
しかし彼女自身がそうしたいというのであれば、それに対してとやかく言うつもりは無い。
咲夜「……」
冥土帰し「どうしたんだい? 咲夜君?」
黙り込んだ咲夜を見て、冥土帰しはどうしたのだろうと首を傾げる。
先ほどから、どうにも声に覇気が感じられない。
普段から物静かな子なのであまり変わらないようにも見えるが、やはりどこか不自然だ。
体の調子でも悪いのかとも考えたが、それであれば超能力の特訓中に気付くはずなのだが。
咲夜「……先生」
冥土帰し「何だい?」
咲夜「私、学校に行きたくないです」
冥土帰し「……それはどうしてかな?」
冥土帰しは咲夜の発言を緩やかに受け止めつつ、その真意を窺う。
現状の流れに対する突然の叛意。彼女は自身の言葉で学舎に通うことを拒否した。
これまでは明確に見せることのなかった否定の意思。これは彼女に何らかの変化が生じたということなのだろうか。
もしかしたら彼女の様子がおかしくなった原因がそこにあるのかもしれない。
冥土帰しは咲夜の言葉の続きを待つ。
当の彼女は聞き返されたことに戸惑っている様子で、次の句を続けるべきかどうか迷っているように見えた。
しかしそれもつかの間、咲夜は意を決したように語り始める。
咲夜「……先生」
冥土帰し「何だい?」
咲夜「私、学校に行きたくないです」
冥土帰し「……それはどうしてかな?」
冥土帰しは咲夜の発言を緩やかに受け止めつつ、その真意を窺う。
現状の流れに対する突然の叛意。彼女は自身の言葉で学舎に通うことを拒否した。
これまでは明確に見せることのなかった否定の意思。これは彼女に何らかの変化が生じたということなのだろうか。
もしかしたら彼女の様子がおかしくなった原因がそこにあるのかもしれない。
冥土帰しは咲夜の言葉の続きを待つ。
当の彼女は聞き返されたことに戸惑っている様子で、次の句を続けるべきかどうか迷っているように見えた。
しかしそれもつかの間、咲夜は意を決したように語り始める。
咲夜「……怖いんです」
不死の薬「怖い?」
咲夜「先生達と別れてしまうということを考えるだけで、全身に寒気が走るんです」
冥土帰し「ふむ……」
咲夜「先生方が言っていることはわかります。 いずれはこの病院を出ていかなきゃいけないということも、
何処かの学校に入って一人で生きていかなければいけないということも理解しているつもりです」
咲夜「でも、それでも私は、この場所から離れたくないんです」
不死の薬「……」
冥土帰し「……」
咲夜の絞り出すような言葉を最後に、今度は二人の方が沈黙してしまった。
無理を通せば、咲夜を冥土帰しや不死の薬の下に置きながら学校に通わせることは可能である。
冥土帰しの病院や不死の薬の事務所の双方に於いて、交通機関を使って通える距離に学校はいくつか存在している。
しかし問題は、それらの場所から通うとなると選べる学校が限られてくるということだ。
少なくとも、咲夜が本当に望む学校に通わせることは不可能だろう。
不死の薬「……一つ聞いてもいいかしら?」
咲夜「……何でしょうか?」
不死の薬「どうして私たちから離れたくないと思ったの? 何故それが怖いと思ったのか、自分でわかる?」
咲夜「そ、それは……」
不死の薬の問いに咲夜は再び言葉を詰まらせる。
何故彼女は二人との別れに恐怖しているのか?寂しさからか?それとも、もっと別の理由があるのか?
いずれにせよ、この問題を解決せずに話を進めてしまうのは危険だと不死の薬は判断した。
その意思が無いのに無理矢理学校に通わせてしまっては、後々良くないことが起こるのは明白である。
かと言って『学校に通わせない』という選択肢はもちろん無いため、何とかして本人をその気にしなければならない。
そのためには何か解決の糸口が必要なのだが……
不死の薬(彼女の口からその理由が出れば一番いいのだけれど、そう上手くはいかないようね)
不死の薬(他に手掛かりはあったかしら……? そう言えば……)
思い起こされるのは一週間前、『警備員』の二人が咲夜のお見舞いに来た時のこと。
そのうちの片割れ、黄泉川愛穂が咲夜の評した時の言葉は一体何だったか。
黄泉川『私としては寂しそうにも見えたじゃんよ。 誰かに依存しないと生きていけないような……そんな感じがしたじゃん』
不死の薬(誰かに依存しないと生きていけない……か)
黄泉川の言葉を現状に当て嵌めるならば、咲夜が依存している『誰か』というのは冥土帰しと不死の薬のことなのだろう。
そして今、その依存している二人が咲夜の傍から居なくなろうとしていると見ることができる。
次にどうして彼女が医師二人を拠り所にしているのかと考えてみる。
それについてはそれほど深く思慮しなくとも容易にその答えを導き出すことができた。
十六夜咲夜の人格が自分達を土台として成り立っていることは一目瞭然だからだ。
自分達は彼女の名付け親であり、それと同時に生きるうえでの必要な知識を授けた存在なのだ。
その存在がなければ、今の彼女は存在しないと言ってもいい。
その土台が突然無くなることになればどうなるのか。
『精神が崩壊する』という表現は大袈裟だが、少なくとも不安定になってしまうことは避けられないかもしれない。
不死の薬(彼女には私達に代わる『心の拠り所』が必要と言うことかしら?)
不死の薬(成長すれば何かに頼る必要はなくなるとは思うけど、現状では彼女を支える『何か』を用意する必要があるということね)
不死の薬(そのためには……)
不死の薬は机に積まれたパンフレットの山を見る。
選定する学校に求められる条件は、『生活する上で彼女の心の支えになるものが存在している』ということだ。
これさえクリアすれば、咲夜は自分から学校に通い始めるだろう。
しかしこの条件を満たせる学校などいくつあるだろうか?と言うよりも、そもそも探すこと自体が困難な気もする。
一体何が彼女の支えになりえるのかが全くわからないからだ。
不死の薬(わからないなら、なんとかして無理矢理仕立て上げるしかないわね)
不死の薬(さて、それができそうな学校は……やっぱりこれしかなさそうね)
不死の薬は頭の中で、咲夜に適するであろう学校に当たりを付ける。
本当にそれが『最善な判断』なのかは自分でもわからないが、『最悪な判断』ではないことは確かである。
不死の薬「咲夜さん」
咲夜「はい」
不死の薬「残念だけど、貴方の願いを聞き入れることはできないわ。 それをするための真っ当な理由が無いもの」
不死の薬「私たちを頼ってくれるのは嬉しいことなのだけど、この街で生きていくのであればここに籠ってばかりではいけないわ」
咲夜「……」
彼女の年齢で自立しろなどと言うのは、少し酷なことなのかもしれない。
しかし、ここは人口の8割が学生である学園都市。親の庇護の下で生活をしている子供は殆ど存在せず、
彼らは他の学生や先生達の手を借りながら生きている。
この街は学生同士の繋がり無しに生きていけるほど優しい世界ではない。
そして、その繋がりを作り出せるのが幼少の時期。
今ここで咲夜が引き籠ってしまうことになれば、その大切な繋がりを作ることができずに孤立してしまう。
それは彼女ためにも、絶対に回避しなければならないことだ。
不死の薬「大丈夫よ。 退院したら『はい、さよなら』ってわけじゃないし、
何か困ったことがあればいつでも相談に乗ってあげるわ」
冥土帰し「患者のアフターケアも大切な仕事の内だからね。 いつ来てもかまわないよ?」
咲夜「……」
不死の薬「それと、私から一つ提案があるのだけれど……」
不死の薬は咲夜が選んだ学校の資料の中から1枚選び取り、咲夜に見せる。
咲夜「……家政繚乱女学校?」
不死の薬「貴方のその力、誰かのために役立てるつもりはないかしら?」
咲夜「どういうことですか?」
不死の薬「貴方のその『時間操作』の能力……上手く使いこなせればかなり有用なものになるわ」
不死の薬「その力で多くの人を助けることができるかもしれない」
『時間を操る』。
言葉だけではとても簡潔であるが、それが持つ可能性は計り知れない。
なにせ次元の一つを自在に操作できるのだ。数ある超能力の中でも、一線を画す存在であることは間違いないはずである。
不死の薬「これは私個人の考えなのだけれど、貴方は『誰かのために仕事をする』というのが性に合ってる気がするの」
不死の薬「比較的冷静で感情に流されることが無く、それでいて向上心が高い」
不死の薬「加えて人の言うことを素直に聞くことができる。 貴方の歳でそれができる人間はまずいないわ」
不死の薬「この学校が専門としている『メイド』という職業……もしかしたら、貴方にとっての天職になるかもしれない」
咲夜「……」
咲夜の異常に大人びた性格を考えれば、メイドという職は以外と合っているかもしれないというのが不死の薬の考えだ。
その他にも、家政繚乱女学校は能力のレベルで差別しない学校であるというのも薦めた理由の一つとなっている。
能力者の数が多くない現状ではそれほどではないが、今後は大半の学校が能力開発に重きを置いた経営方針にシフトするだろう。
その一方で家政繚乱女学院では既に、『超能力に因らずメイドの技能で学生を評価する』と早くから明言している。
咲夜の超能力の伸びしろが読めない以上、こういった実力主義の方が彼女のためになるのではないかと考えたのだ。
不死の薬「これは私の考えだけど、冥土帰し、貴方はどう思うかしら?」
冥土帰し「君の咲夜君の見立ては間違ってはいないと思うよ。 僕としてはその案に対する異論は無いね?」
冥土帰し「後は咲夜君の判断次第という所だね」
不死の薬「咲夜さん、貴方の考えはどうかしら?」
咲夜「……」
自分の持つ力が、誰かの役に立つかもしれない。そんなこと考えたこともなかった。
というより、その発想に至るまでの判断材料が無かったといった方が適切か。
彼女にとっての超能力とは、いつ災厄を振りまくかわからない時限爆弾のようなものだったのである。
その他の考え、特に能力を有効活用するなどという考えは彼女の中には無かった。
しかし不死の薬の案により、咲夜には自分の能力を見つめる際の別の視点が加わることになった。
『能力を制御する』という考えを消極的に捉えるか、それとも積極的に捉えるか。
前者は『能力をどうやって抑え込むか』であり、後者は『能力をどうやって活用するか』である。
今までは『抑制する』ことしか考えてこなかったが、これからは『活用する』という視点も必要だ。
咲夜「……やります。 この学校に通ってみます」
不死の薬「本当に? 『私に勧められたから』という理由で決心したのであれば、止めた方が良いわよ?」
咲夜「大丈夫です。 先生の話を聞いていたら、自分に合ってそうな気もしますし」
咲夜「他に良さそうな所もないし、入ってみたいと思います」
不死の薬「……なんだかずいぶんとあっさり決まってしまったような気がするわ」
冥土帰し「咲夜君は結構思い切りが良いみたいだからね。 あれこれ迷わないというのは、結構いいことだと思うよ?」
こうして、咲夜の通う学校は『家政繚乱女学校』に決まった。
この決定が吉と出るか凶と出るか。その結末を知ることができたのは、だいぶ後のことであった。
今日はここまで
う~ん、中々筆が進まない
何と言うか、日本語とか話の流れが段々怪しくなって来ている気がする
ただの杞憂だといいのですが
質問・感想があればどうぞ
乙
つーか土御門さん?ほんとどーやってあんなチートと戦うんよ
そして出来上がったのが、どことなくヤン従事な気質のメイドでありましたとさ
MAP兵器があればさっきゅんでも行ける行ける(震え声)
これから投下を開始します
入院47日目――――
冥土帰し「大丈夫かい?」
咲夜「……大丈夫です」
不死の薬「その割には目が泳いでいる気がするけど……」
十六夜咲夜の病室。その場所で冥土帰し、不死の薬、咲夜の3人はある人を待っていた。
咲夜が冥土帰しの病院に入院して一ヶ月半。
医師二人の治療のおかげで咲夜の体はほぼ完治し、日常生活に戻っても大丈夫であると判断できるまでになった。
つまり、今日で晴れて退院できるようになったのである。
超能力については、突然の暴走の心配は全く無くなったので生活に支障が出ることは無い。
ただ自分の意思で自由に発現できるまでには至っていないために、
彼女のレベルは『1』であると『身体測定』の結果から判断されている。
だが彼女の向上心とそのポテンシャルを考えれば、レベルを上げるのは比較定容易だろうというのが冥土帰しの考えだ。
冥土帰し「それにしても、もう少しで時間なんだが……遅いね」
不死の薬「指定した時間まで数分しかないわね。 どうしたのかしら?」
三人が待っているのは家政繚乱女学校からの使者である。
いくつかの書類審査を終えて正式に入学することになった咲夜を迎えるために、学校から人が派遣される手筈になっていた。
しかし、もう少しで約束の時間だというのに、迎えの者と思われる人物の姿形すらまだ見当たらない。
『メイド』という最も時間が厳守されるであろう職業に関わる学校なのだから、遅刻するという失態は犯さないとは思うが……
冥土帰し「何かトラブルがあったのかな? それであれば連絡が来るはずなんだけどね」
不死の薬「一度こちらから連絡した方がいいのかしら?」
コンコン ガチャッ!
そんな会話をしていると不意に病室の扉を叩く音が響き、続いて一人の女性が静かに扉を開けて入ってきた。
長い金髪に赤を基調としたメイド服。胸元に大きな黒のリボンが結ばれている。
その整った顔立ちからは、彼女が非常に厳格な性格であることが想像できた。
まぎれもなく、彼女は家政繚乱女学校の関係者だろう。
金髪メイド「失礼します。 十六夜咲夜さんの病室はここでよろしいでしょうか?」
冥土帰し「うん、合っているよ。 君が連絡にあった家政繚乱女学校からのお迎えかな?」
金髪メイド「はい、家政繚乱女学校の生徒会長をしている者です。 名刺はこちらに……」
不死の薬「へぇ……てっきり教師が来るのかと思っていたのだけれど?」
金髪メイド「私程の立場になると、後輩のメイドに直接指導したり教育するということも珍しくはありません」
金髪メイド「今回の場合、十六夜咲夜さんは私の下でメイドとしての技能を磨かせるということになりましたので、
私が出向いて少しでも親交を図った方が良いだろうというのが上の決定です」
不死の薬「なるほどね。 ……一つ聞きたいのだけれど」
金髪メイド「何でしょうか?」
不死の薬「貴方はここに随分と時間ぎりぎり、と言うより指定した時間きっかりに来たのだけれど、
これは何かを意図してのことなのかしら?」
指定された時間通りにこの場所に来た金髪のメイド。
測り間違えば遅刻するかもしれない行動をとった彼女の真意は一体何なのだろうか?
金髪メイド「これは持論ですが、待ち合わせをしているときは時間より早く来てしまっても、
遅く来てしまってもいけないと考えています」
不死の薬「遅れてはいけないというのはわかるけど、早く来てもいけないというのは何故?」
金髪メイド「早く来てしまうと相手に『待たせてしまったかもしれない』という不快感を与えてしまうかもしれないからですよ」
金髪メイド「ただ、これは『遅刻してくるのではないか?』という疑念も与えることにもなりかねないので、
そのあたりを理解している上流階級の人々にしか使えないものではありますが」
不死の薬「ちなみに、上流階級でも何でもない私達にそれを行った理由は?」
金髪メイド「私が迎える子に『メイド』がどんなものなのかを知ってもらおうと一芝居打ったのですが……」
不死の薬「正直に言って、わかり難いわ。 下手すれば逆に悪印象も与えかねないわよ、それ」
金髪メイド「それは申し訳ありませんでした」
深く頭を下げて不死の薬に謝罪の意を示す金髪のメイド。
彼女は謝っているはずなのに、その姿に優雅さを感じてしまうのは何故なのか。
却ってこちらの方が申し訳ない感情になってきてしまいそうである。
冥土帰し「まぁ、遅刻してきたわけでもないし、これ以上咎める必要は無いんじゃないかな?」
不死の薬「別に私は咎めたつもりは無いんだけどね。 まぁ世間話をするために集まったわけじゃないんだし、本題に入りましょうか」
冥土帰し「そうだね」
金髪メイド「こちらに向かう際に校長から書類を手渡されましたので、お受け取りください」
冥土帰し「うむ」
冥土帰しは金髪のメイドから書類が入った封筒を受け取り、封を開けて中身に目を通す。
その書類に書かれていたことは、こちらから提案した『十六夜咲夜の身の上に関する情報を厳重に秘匿すること』や、
『十六夜咲夜の身の安全を確保するための処置を施すこと』などの要望を受け入れる旨を示すものだった。
咲夜を家政繚乱女学校に入学させるために学校側に初めて連絡を取った際、
冥土帰しには『何かと訳ありな身の上である咲夜を、学校側が入学を許可するのか』という一抹の不安があった。
身元不明の子供を学校が何の拒否感も示さずにすんなり受け入れるなど考え難い。
必ず何か一悶着が起こるであろうというのが冥土帰しの見解だった。
そして実際連絡を取ってみると、やはり学校側は少し難色を示した。
それなりに身元がわかる子供ならまだしも、戸籍までも抹消された子供を受け入れることは難しい。
そもそも、入学の際に必要な身分証明書等の資料をどのようにして用意するのか?というのが学校側の言い分である。
それに対して冥土帰しは、自分の学園都市における地位を利用して十六夜咲夜の偽装の身分証明書を作成することを提案した。
その結果として何か問題が起こった時は、自分が全て責任を持つとまで言い切ったのだ。
冥土帰しの言葉を聞いた学校側は、それならばいいだろうということで咲夜の入学を承諾した。
この他にも色々と問題はあったのだが、それらのことについては割愛する。
兎にも角にも、冥土帰しの尽力のおかげで咲夜が家政繚乱女学校の生徒になることができたというのが事の顛末である。
冥土帰し「うん、わかった。 校長には僕がそちらの配慮に深く感謝していたということを伝えておいてくれるかな?」
金髪メイド「畏まりました。 校長にはそのように伝えておきます」
不死の薬「ところで、今後の予定はどうなっているのかしら?」
金髪メイド「この後は学校に戻って一通りの説明を受けた後、付属の寮に送る手筈となっております」
金髪メイド「授業日程やその他諸々の知っておくべきことは学校での説明の時に……」
不死の薬「わかったわ。 咲夜さん、彼女の話はちゃんと聞いていたかしら?」
咲夜「はい、大丈夫です……」
金髪メイド「……」
金髪のメイドは突然静かになったかと思うと、じっと会話している二人を、正確には咲夜の方を見た。
まるで彼女を観察するかのような視線を途切れさせることなく送っている。
咲夜「……?」
もちろん咲夜もそのことに気づかないはずもなく、ずっとこちらを見つめているメイドを少し不安そうに見返す。
しかし、彼女は咲夜の視線を受けても目線を逸らすことは無く、むしろ傍まで近寄って半ば見下ろすような立ち位置にしてきた。
流石の咲夜もその行為には驚いたようで、普段はあまり見せないおどおどした表情をしている。
金髪メイド「……」ジー
咲夜「な、何ですか?」
金髪メイド「咲夜さん、仕事をする上で一番大切なことは何かわかりますか?」
咲夜「え……?」
金髪メイド「それは大きな声ではっきりと物事を言うことです。 他人と意思疎通を図るためには欠かせないことです」
金髪メイド「それだというのに、貴方の声には快活さがない。 さっきと同じ返事を仕事中にしようものなら、
間違いなく雇い主に不快感を与えることになりますよ?」
金髪メイド「見たところ性格によるものが大きいようですが、それを直さないことには一流のメイドにはなれません」
金髪メイド「そこで私から貴方へ与える最初の課題は、そのトーンの低い話し方を改善することです」
咲夜「はい、わかりました」
金髪メイド「声が小さい! はっきりと!」
咲夜「はい! わかりました!」
金髪メイド「それと、他にも貴方には直さなければならないことが……」
咲夜が持つ問題を指摘した上で、『メイドとは何たるか』の解説を始める金髪のメイド。
それに対して、解説される側の咲夜は多少戸惑いつつもメイドの言葉を聞いていた。
不死の薬「まだ一度も学校に通っていないのに、もう教育を始めるつもりなのかしら?」
冥土帰し「メイドは日々の研鑽が物を言う職業だろうし、早い段階から訓練を始めるのは理に適っているじゃないかな?」
冥土帰し「それに咲夜君は途中からの入学になるから、先に入学した他の子供達についていけるようにする狙いもあると思うね?」
普通の学校であれば転校などの理由で途中から学校に入ってきたとしても、
それによって起こる問題は『周りの子になかなか馴染めない』くらいのものだ。
しかし家政繚乱女学校のような一芸特化の教育を行う学校は、数ヶ月の遅れが技術の力量に大きな差を生むことになる。
スポーツにおいて『1日の休みを取り戻すには3日かかる』と言われるように、
経験の差を埋めるには非常に大きな労力を必要とするのだ。
その差をできるだけ早く埋めるためにも、早期の段階から教育を始めることは間違ったことではない。
不死の薬「にしても、彼女のメイドとしての力量ってどれくらいのものなのかしら? 彼女が咲夜さんの指導をするんでしょう?」
冥土帰し「少なくとも、先生から任されるくらいはあるんじゃないかい?」
金髪メイド「……ということなのです。 わかりましたか?」
咲夜「は、はい……」
金髪メイド「声!」
咲夜「はいっ!」
そうこうしている内に、どうやら一通りの説明が終わったようである。
メイドの方は何かをやりきったような爽やかな表情を浮かべているが、咲夜の方は少々疲れ気味のようだ。
前触れもなくメイドの矜持について小難しく語られても、その半分も理解できなかったのではないか。
本当に大丈夫なのか、少し不安になってくる。
金髪メイド「さて、簡単な説明も終わりましたので、そろそろ荷物を運び出しましょう」
不死の薬「一応荷物は昨日の内に纏めておいたのだけれど……」
金髪メイド「そうなのですか? なら後は外に運び出すだけですね。 私にお任せください」
冥土帰し「いいのかい? 君は仕事で来ているわけじゃないし、荷物も多いものではないんだが……」
金髪メイド「私の後輩になる子が目の前に居るのですから、先輩らしい所を見せるいい機会だと思います」
金髪メイド「それに荷物運びはメイドの仕事としてもよくあることなので、それを見てもらう意味もありますね」
冥土帰し「そうか。 じゃあ、よろしく頼むよ」
* * *
金髪メイド「よいしょっと……これで全部ですか?」
不死の薬「……えぇ、大丈夫よ」
不死の薬は車のトランクに積み込まれた荷物を点検し、すべて揃っているか確認する。
とは言うものの、咲夜が持っている私物は殆どないため数はそれほど多くない。
精々不死の薬からもらった本や雑誌、後は学校で使うであろう諸々の小道具くらいである。
不死の薬がトランクの容量の半分も占有しない荷物を確認し終えると、
金髪のメイドはそのままトランクを閉めて鍵をかけた。
不死の薬「それにしても、貴方自身で運転してきたのね。 てっきり運転手が待っているものだと思っていたのだけれど」
金髪メイド「運転の技術は主の送迎のために必要ですので。 一通りの運転免許は所持してますよ?」
不死の薬「なるほど」
確かに、雇い主を車で送迎するためには運転免許が必須だ。
彼女くらいの年齢になれば、そのような資格の取得を要求されることもあるのだろう。
それにしても『一通りの運転免許を所持している』というのはどういうことなのだろうか?
まさか特殊自動車の免許まで取得しているとは思えないが。
冥土帰し「さて、荷物も積み終えてしまったし、とうとう咲夜君ともお別れだね?」
不死の薬「私は治療の補助として呼ばれたわけだけど、一番長く彼女と付き合ってた気がするわ」
冥土帰し「時間があまりとれなかったとはいえ、それに関しては申し訳なかったと思ってるよ。
治療の時以外は殆ど君に任せきりになってしまったからね」
冥土帰し「これじゃあ僕の方が補助だと思われても仕方ない」
不死の薬「まぁ、私としてはいい経験をさせてもらったと思ってるわ。
いつも部屋に籠って薬剤の調合ばかりしてたし、たまにはこういう仕事も悪くないわね」
冥土帰し「そう言ってもらえるとありがたいよ」
不死の薬の協力が無ければ、咲夜の病気が完治するまでに倍以上の時間がかかっただろう。
それに加え、咲夜の病院生活の補助を看護婦達と共に行っていたのである。
この治療の成果の最大の貢献者は、他でもなく彼女なのかもしれない。、
咲夜「あ、あの……」
金髪メイド「ほら、しっかり挨拶!」
冥土帰し「ん?」
声のした方を向くと、咲夜が金髪のメイドに急かされながらまごまごした様子でこちらを見ていた。
しばらくすると何かを決心したような顔つきになり、医師二人に対してこう言った。
咲夜「今までありがとうございました! この恩は絶対に忘れません!」
不死の薬「――――ふふっ、何かと思ったらそんな大声で。 普段口数の少ない貴方らしくないわよ?」
咲夜「あ、う……」
冥土帰し「それに、そんなに堅苦しく感謝されることじゃないね? 僕達は当然のことをしたまでだよ」
不死の薬「それと私達に恩返ししたいのなら、もう二度と病院に来ることが無いように元気に暮らしなさい」
不死の薬「今度は、『医者と患者』という関係なしに会いたいものだわ」
咲夜「あ、あと……これなんですけど……」
そう言って差し出した手の中にあったのは、不死の薬から借りた懐中時計。咲夜の能力を制御するための道具として渡したものだ。
結局退院までに彼女が能力を操れる段階に進むことはできなかったのだが、それなりの意味はあったと思う。
実際、超能力の特訓の際には肌身離さず持っていたそうだから、いくらかはの心の支えになったのだろう。
そんなものであるから、本音では咲夜はこの懐中時計を手放したくないようだ。口では言わないが、表情を見ればよくわかる。
だが、借りたものは返さなければならないのは当たり前のこと。故に、彼女は名残惜しみながらもこれを手放そうとしているのだ。
それに学校に通うようになれば、不死の薬と会う機会は激減するだろう。もしかしたら、もう出会うことは無いかもしれない。
つまり、この懐中時計を返すタイミングは今しかないのである。
返すそぶりを見せながらも、手のひらの上で時を刻む懐中時計を未練がましく見つめる咲夜。
そんな彼女を見て、不死の薬はこう返答した。
不死の薬「それはまだ貸してあげるわ」
咲夜「え……? でも……」
不死の薬「貴方まだ超能力を上手く扱えないでしょう? そんな状態でこれを手放したら、
また何か良くないことが起こるかもしれない」
不死の薬「それに私がそれを持ち歩く機会は殆ど無いし、それくらいだったら貴方に持っていてもらった方がいいと思うの」
不死の薬「だから貴方が一人前になるまでそれは預けておくわ。 その時まで壊したり無くしたりするんじゃないわよ?」
咲夜「……ありがとうございます」
不死の薬の言葉を聞いた咲夜はその懐中時計を再び懐にしまう。
その顔は安心したような、それでいてどこか不安げなものであった。
果たして一人前のメイドになって彼女に会うことができるのか。そしてその時にこの懐中時計を返すことができるのか。
遠い先のことになるであろう話に、不死の薬との約束を果たすことができるのか心配になるのも仕方のないことだ。
その重圧に負けることなく学業に努め、成長することができるのかは彼女次第だろう。
金髪メイド「では先生方。 この子は私達、家政繚乱女学校が責任をもって一人前のメイドに育て上げて見せます」
金髪メイド「今後も何かとお世話になるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」
冥土帰し「うむ、こちらこそよろしく頼むよ」
金髪メイド「では、ごきげんよう……」
咲夜「さようなら……」
* * *
不死の薬「行っちゃったわね……」
不死の薬は咲夜を乗せた車が走り去っていく光景を眺めながら、ぽつりと一言漏らした。
車が動き出す間際、咲夜はこちらの二人を見ていたが、自分達に向かって手を振ることは無かった。
それが羞恥によるものなのか、それとももっと別の理由によるものなのか。
もはや知ることはできないが、あの反応はある意味、咲夜らしいとも思えた。
不死の薬「結構刺激的な生活だったから、これから寂しくなるわ」
冥土帰し「それなら、助手としてもっと僕の手伝いでもしてみるかい?」
不死の薬「それは遠慮しておくわ。 たぶん、忙しくなってくるだろうから」
冥土帰し「ふむ、それは残念だね」
もちろん、冥土帰しの言ったことは冗談である。
二人の関係は『協力』であり、それ以上でもそれ以下でもない。彼ら間に『従属』の関係は無い。
この関係はいつまでの変わることは無いだろう。お互いに変化することを望んではいないのだから。
不死の薬「そういえば統括理事会からの依頼、受けることにしたわ」
冥土帰し「そうか……」
不死の薬「私の腕を試すいい機会だと思うしね。 それから何か得るものがあるかもしれないし」
不死の薬「レベル5を対象とした研究……俄然燃えてきたわ」
統括理事会から不死の薬に依頼された研究。おそらくそれは、学園都市にとって大きな意味を持つものになるだろう。
そんなプロジェクトに携わることができる彼女は、研究者としては非常に幸福なことなのかもしれない。
だが、具体的な内容が殆ど伝えられていないことに少々引っかかりを感じる。
わかっていることは『レベル5の超能力者を対象とした研究』ということのみ。
『何を目的として研究するのか』や『どのような方法で研究を進めるのか』など、肝心なところが不透明だ。
人を集めた後に具体的な内容を決めるのかもしれないが、それにしても情報が少なすぎる。
冥土帰しからすれば、かなり胡散臭い話だ。
もちろん不死の薬も、それくらいのことはわかっているだろう。
その上で敢えて話に乗ろうとしているのは、好奇心に負けたからなのか、何かあっても大丈夫だと考えているからなのか。
研究する上で最も重要なことは『結果を出すこと』である。
加えて時間がかかればかかるほど消費される労力も資源も膨大になっていくので、スピードも重要視される。
それ故に、回答を迅速に得んと手段を選ばない人間が出てくることになるのである。
もしかしたら研究をしている中で、功を急くあまり道徳に反する手段を主張する輩が出るかもしれない。
だが、もし彼女がその研究において高い地位につくことができたなら、その主張を退けることができるだろう。
彼女はその地位に納まるだけの資格があると統括理事会から目されている。
参加を呼びかけられた、他の研究者には伝えられなかった情報を彼女は持っているのだ。
彼女の存在はプロジェクトを成功させる上で、かなり重要なのだろう。
冥土帰し「……もし力を貸して欲しくなったら遠慮なく言いなさい。 僕のできる範囲で手助けをしよう」
不死の薬「ありがとう。 でも、気持ちだけ受け取っておくわ。 たまには貴方に頼らずに自分だけの力でやってみたい気もするしね」
冥土帰し「そうか……くれぐれも無茶はしちゃいけないよ?」
不死の薬「えぇ」
今日はここまで
咲夜さんの過去編終わり。次からは元の時間軸に戻ります
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これから投下を開始します
――――7月28日 PM5:34
咲夜「……」
十六夜咲夜はリビングで一人、手に持った懐中時計を眺めながら過去の思い出に浸っていた。
するべき仕事は既に終わらせている。後は主の帰宅を待つのみだ。
想像以上に早く仕事が終わってしまったことで若干の暇ができたため、こうして一人で休んでいるのである。
思い返すと、あれから既に9年もの月日が流れていた。
時間の流れというものは本当に早いということを身に沁みて実感する。
時間を操作する自分がこんな感想を漏らすなど、滑稽としか言いようがないが。
あの病院を退院して家政繚乱女学院に通うようになってから、本当に色々なことがあった。
最初の思い出は、自分を教育することになった金髪のメイドの容赦ない扱きだ。
遅れて入学してきた自分を同学年の子と同じレベルまで引き上げるために、彼女は鬼教官よろしく、厳しく指導を始めた。
あまりの厳しさに何度か泣きそうになったが、今の自分があるのはあの教育のおかげだと常々思う。
入学したばかりの自分に教えられることは限られていたが、彼女はその分徹底的に手とり足とり教えてくれた。
彼女の指導の甲斐があってか、同学年の子供達と受けた初めての授業である『礼儀作法』の授業の時に、
先生から酷く褒められたことが未だに記憶の片隅に残っている。
そんな彼女から学んだ事柄の中で、特に心に残っていること。
それは『誰にも必要とされないメイドに存在する意味は無い』ということだ。
『メイド』は自分自身を商品として他者に売り込む職業である。
商品である以上、必要ないもの、価値の無いものには誰も寄り付かない。
では『メイドの価値』を決めるのは何か。それは『技術』であり、『信用』であり、『誠実さ』である。
どれか一つでも欠けてはいけない。『腕の悪いメイド』や『不信感が拭えないメイド』、『主に反抗的なメイド』に価値は無い。
三つの要素を十分に満たすことができて初めて、その人は『優秀なメイドである』と判断されるのだ。
その教訓から生まれた『誰かに必要とされる存在であり続けたい』という願い。これが今の自分の行動原理となっている。
そして現在、自分が師事したメイドは既に学校を卒業し、この学園都市を去っている。
どうやら海外の大きな屋敷に務めることになったそうだ。今でも元気にしているだろうか。
いや、その心配は無用だろう。あれほどの人がメイドの資本である『身体』の管理を怠るとは思えない。
きっと風邪一つひくことなく、主の傍に仕えているのだろう。
あの人直々の教育が終わった後、自分は同じ学年の子供達と一緒に授業を受け始めた。
周囲と比べて半年ほど教育の遅れはあったが、あの人の尽力のおかげで落ちこぼれることは無かった。
それどころか学年内で成績上位にあり続けることになってしまい、5年も経つといつの間にか、
他のメイドや教師達から『完全で瀟洒なメイド』と呼ばれるまでになっていた。
教師達が言うには『咲夜は自分達の指示を素直に聞いて、なおかつ完璧に仕事をこなしてくれる』からなのだそうだが、
目の上の指示に従うことは当然のことだし、仕事には常に本気で取り組むことも当たり前のことなのではないのかと思う。
だが自分は大したことではないと思っても、他の人にしてみれば普通のことではないらしい。
未だに理解できないが、彼らが呼ぶあだ名に対して不快感は無いので、勝手に呼ばせることにしていた。
さらに月日は経ち、家政繚乱女学校に入って9年目となった今年。
成績でトップを常に維持している自分に目を付けた学校のお偉いさん方は、
今後カリキュラムに組み込む予定になっている新たな卒業試験の有用性を確かめるために、自分を用いて実験を行うことを計画した。
幼少の頃に違法な研究の被検体として利用され、成長した後も別の実験に付き合わされる。
どうやら自分は、研究のために利用される運命にあるようだ。
もちろん学校が行おうとしている実験は違法でも何でもないので、
自分はその依頼を拒否することなく受け入れたのだが。
そして自分は実験の協力者でもあり、雇い主でもあるレミリア・スカーレットと、
その妹であるフランドール・スカーレットと出会うことになる。
二人の住む屋敷に住み込みで働く生活は、学校で普段行われている実習よりも一味も二味も勝手が違った。
普段の学校における実習は、学園都市内の定められた場所を数日置きにローテーションしていくものだ。
あらゆる場所での仕事をこなせるようになることが目的なので、特定の場所に長く滞在するということは殆ど無い。
一つの場所に慣れてしまうと、仕事場が変わった時に本来の力が出せなくなってしまうからである。
それに対してこの卒業試験は、『勤務期間1年』という普通ならば考えられない長さの時間を雇い主の下で過ごす。
しかも住み込みなので、実質的にその雇い主の家族の一員という立場になるという点が、
あくまでも従業員という立場になっている、学校における実習との相違点だろう。
他にもあらかじめ業務が決まっている実習とは違い、卒業試験での仕事は雇い主の生活の仕方によって変化する点や、
その都度自分の頭で考えて仕事をこなしていかなければならないという点もある。
ただ他人に命令されるだけではなく、自分から率先して仕事に取り組くむ姿勢がこの試験には求められるのだ。
当初はその勝手の違いによって何度か失態を犯してしまったが、
それを何とか乗り越え、今では主に十分に信用される立場なった。
しかし、主の妹であるフランドールはまだ自分に対して心を開いておらず、ほぼ赤の他人の状態になっている。
レミリアの命令の下、彼女を逐一監視しているが、実際に面と向かって話したことは数えるくらいしかない。
その時に交わされる言葉も業務の上でのことであり、私的なことで会話をしたことは一度もなかった。
何故自分の主は自分に対して妹の監視を命じたのか。
気にはなるが、下手に家庭の内情を詮索するのは礼儀に反することである。
いつか主自身の口から語られるだろうから、その時が来るまで待つのが最善だろう。
そして、レミリアの下で働き始めてから2ヶ月弱。だいぶ仕事に慣れてきたある日のこと。
レミリア『咲夜、貴方に頼みたいことがあるのだけど……聞いてくれるかしら?』
前触れも無く、唐突に主はそう話を切り出した。
レミリアが突拍子もなく何かを言いだすこと自体はさほど珍しいことではない。
ただ、その時の主の様子は今まで見たことのない、何処か不自然さを感じるものだった。
彼女は周りに対して、良く言えば毅然とした、悪く言えば横柄な態度を取る人間である。
その幼い容姿で高圧的な態度をとる彼女を知らぬ人間が見たならば、『なんて高飛車な少女なんだ』と思うだろう。
だがレミリアは、それをするに見合うだけの威厳を備えている女性であることは確かである。
咲夜は彼女の経歴を詳しく知っているわけではないが、ただ直感的にそう思ったのだ。
そんな性格であるはずなのに、その時の態度は上から誰かに命令するような高圧的なものではなく、
何かを嘆願するかのような、何処か弱々しさを含んだものだったのだ。違和感を覚えない方がおかしい。
一体主の身に何が起こったと言うのか。疑問を感じながらも主の言葉に耳を傾けると――――
レミリア『血液、それもできるだけ若い女性のものを集めてきてほしいの』
自分の想像を超えた命令が下された。
誰が聞いても『罪を犯せ』としか解釈することができない、正気の沙汰とは思えない依頼。
もちろん二つ返事で承諾したわけではない。その異常過ぎる言葉に、自分の頭の中は疑問符に埋め尽くされた。
命令の意図を全く汲み取ることができないのである。思わず素で聞き返しそうになった程だ。
だがすんでの所で留まり、動揺を隠しながらもその命令を聞き入れた。
他でもない主の依頼。しかも単なる依頼ではなく切願なのである。
誰に必要とされることに喜びを感じている自分にとって、命令の意図などそれほど重要なものではなかった。
そして自分は主の命令通り、路地裏などの人気の少ない場所で一人になっている若い女性を見つけては、
不意打ちで気絶させて首筋から血液を抜き取るという凶行を現在に至るまで繰り返している。
自分が行っていることに対して、罪の意識が全く無いというわけではない。
必要以上に騒ぎを大きくしないという理由もあるが、獲物に定めた女性の意識は苦しむことが無いように一瞬で刈り取り、
体には必要以上の傷を付けないよう細心の注意を払っている。
それでも、無実の人間を手にかけていることには変わりないのだが。
咲夜(こんなことをしてる私の姿を見たら、一体どんな顔をするかしら……))
咲夜(もうあの人達との約束は果たせそうにないわね……今更な話だけど)
不死の薬、そして金髪のメイドと交わした『一人前のメイドになる』という約束。
それが果たされることは永遠に来ないだろう。同時に、懐中時計を返す機会も失われてしまった。
既に多くの罪無き女性を手に掛けた犯罪者となってしまっている自分に、メイドを名乗る資格はもはや無い。
それどころか、彼らから受けた恩を仇として返そうとしているのである。全く以って、自分は最低な人間だ。
だがそれでも、主の命令に背くわけにはいかない。今更裏切って無関係を決め込むなど、それこそ人でなしの所業である。
最後の最後まで、主の傍に付き添う。それが己自身に課した誓いである。
「ただいま。 今帰ったわ」
どうやら主が仕事を終えて帰ってきたようだ。いつもよりも若干時間が早い。
だが、これは想定の内だ。これからの『大仕事』を考えれば、下準備のために早めに帰ってくるのは当然のことだろう。
彼女は主を迎え入れるため、能力を使って時間を止めつつ玄関へと向かった。
咲夜「お帰りなさいませ、お嬢様。 荷物をお持ち致します」
レミリア「ありがとう」
玄関に着くと同時に時間停止を解き、レミリアが持つ荷物を受け取る。
自分が持つ能力である『懐中時計』は、素早く目的の場所に移動するには非常に便利な代物だ。
時間を止め、移動し、時間を動かす。これだけの動作で、あたかも『空間移動』を使っているかのように一瞬で移動することができる。
もちろん自身以外の物や空間の時間を任意で操作することも可能だ。
だからこそ大人数の料理を一人で調理したり、広大な面積を短時間に掃除し終えたりすることができるのである。
この他にも色々とできることはあるのだが……それらを日常生活で使うことは殆ど無い。
レミリア「咲夜、私が出掛けている間に何か変わったことはあったかしら?」
咲夜「いえ、屋内外において異常は起きませんでした。 妹様も一日中大人しくしておられました」
前を歩く主に付き従いながら、投げかけられる質問に淀みなく答える。
今日は主の館にも主の妹にもトラブルが起きることもなく、平穏な一日だった。
――――全く問題が無かったわけではないが。
それについては後で話そう。主も既に知っているだろうし、このような場所で交わす話題ではない。
レミリア「わかったわ。 私が居ない間の留守、ご苦労だったわね。 褒めてあげる」
咲夜「恐悦至極でございますわ」
レミリア「それじゃあ咲夜、ちょっと早いけど食事の準備をして頂戴。 詳しい話はその後で聞くわ」
咲夜「畏まりました」
その言葉を最後に、レミリアはそそくさと自分の部屋に向かう。
残された咲夜は、彼女が残した言葉を反芻しながら食事の支度をするべく台所へと足を向けた。
今日はここまで
質問・感想があればどうぞ
乙!
会わせる顔がないってのは、現状では咲夜師匠も不死の薬も同じだったりして?
まぁ、みんなそれぞれ何か抱えちゃってそうではあるな
これから投下を開始します
――――7月28日 PM6:41
太陽が沈み、僅かながら西の空が紅く染まる時刻。
家の窓からその光景を眺めながら、上条当麻は必死な形相で思案に暮れていた。
ステイルから事の真相を聞き出してから、そろそろ一日が経つ。
『イギリス清教によるレミリア・スカーレットの断罪』。このまま時が過ぎれば訪れるであろう悲劇。
その最悪の結末を回避するために、脳味噌が搾った雑巾になるような錯覚を覚えながら今まで唸っていたのだが、
未だに問題を解決する糸口を見つけるには至っていない。
そもそも一人で、しかもたった一日で見つけようとすること自体が無謀なのである。
例え今日解決の案が浮かばなかったとしても、彼を責めることなど誰にもできはしない。
だが、当麻自身がその事実に甘んじるかと問われれば、間違いなく『否』である。
誰かが不幸になろうとしているこの状況下で悠長に身構えるなど、万に一つもあり得ないのだ。
故に彼は、折角作った食事を口にすることも忘れて考えることに没頭する。
上条(何か手は無いか? 何か……)
しかしどれだけ必死になろうとも、それが必ず結果に結び付くというわけではない。
現に有効な策が見いだせていないのだ。その事実が彼の心の余裕をジワリジワリと削り取っていく。
土御門とパチュリーがいつ行動を起こすのかわからないという状況も、彼を焦らせる要因の一つだ。
二人はもしかしたら、今にもレミリアの下へ向かっているかもしれない……
もしそうだとしたのなら、すぐにでも行動を起こさなければ手遅れになってしまう。
禁書「……」
そんな当麻の様子を、インデックスはただじっと見つめている。
彼女はテーブルの上に並べられた料理には少し口を付けただけで、それ以降は箸を持ってすらいない。
普段の彼女を知る者がその様子を見れば、明日は槍でも降るのではないかと思うだろう。
当麻の作った料理が不味いからというわけではない。
そもそも彼が心をこめて作ったものなのだ。味や量に多少不満があったとしても、いつも残さず平らげている。
彼女が料理に手を付けないのは、目の前の家主の様子があまりにも異常だからだ。
普段は滅多に見ないような顔で唸っているのである。
インデックスが食事に手を付けていないという異常にすら気づいていないのだ。
それを見れば、自分だけ呑気に夕飯を貪るのは良くないということは嫌でもわかった。
禁書(……とうまが何を考えてるのか気になる。 でも……)
彼にそれを聞き出す決心がつかない。
彼があのような顔をしているということは、きっと何か良くないことが起こっているのだろう。
そしてそれを、自分一人の力で何とかしようとしているに違いない。
彼がなんでも背中に背負いこもうとする性格であることは重々承知している。
誰かを巻き込みたくないが為に、自分から助けを求めようとしないのである。
他人が不幸に巻き込まれることは良しとしないくせに、自分に降りかかる不幸には以外にも寛容なのだ。
『不幸だ』と口にしつつも自分から不幸に突っ込んでいくあたり、自己犠牲も極まれりと言ったところだろう。
そんな彼に対して現状を聞き出そうとしたところで、おそらくはぐらかされるだけだ。
その理由が自分を守るためだということは知っている。
自分はイギリス清教の『禁書目録』だ。そして当麻は『禁書目録を守護する者』である。
彼が『禁書目録』を危険に晒さないために情報を教えないことは、その立場からすれば何も間違ったことではない。
しかし仮にその立場になかったとしても、彼はインデックスを守ろうとするだろう。
彼女に限ったことではない。他の誰であろうと、守るために同じような行動を起こすはずだ。
上条当麻は守るべきものに貴賎を付けない。例えそれが、嘗ての敵であったとしても。
自分だけを見てくれないことに少し嫉妬してしまうが、あの姿勢こそが彼の本質なのだ。
それを自分の我儘で捻じ曲げてしまうことだけはしてはならない。
それに、そんな性格だからこそ自分は彼に魅かれたのだから。
禁書(でも、少しくらいは頼ってほしいんだよ)
自分の不幸を顧みずに全ての人々に救いの手を差し伸べようとする当麻は、まるでお伽噺に出てくる『英雄(ヒーロー)』だ。
いや、既に何度か世界を救っているのだ。お伽噺などではなく、名実ともに彼は『英雄』である。
それはとても名誉なことである。しかし、自分は彼がその名誉を授かることを手放しに喜べない。
この感情は自分だけでなく、彼に深く関わる全ての人間が持っているはずだ。
当麻が『英雄』となる資格を得るまでの間に、一体どれだけ危ない目に遭ってきたのか。
その回数を一から数え始めれば、絶対に両手両足の指では収まりきらない状態になるはずである。
加えて、一歩間違えれば死んでいたかもしれないような危機も幾度となく経験している。
彼が五体満足で、しかも健康に生きている今の状況は、もしかしたら『聖人』が生まれてくる以上の奇跡かもしれない。
そんな修羅場を掻い潜り続けた結果として、彼はこの世界を救うことができたわけだが、
その様子を傍から見ていた者にしてみれば、あまりの無鉄砲な行動に気が気でなかった。
彼に対して命を危険に晒させてまで、何かを成し遂げてもらおうなど思ったことは一度も無い。
仮にそうすることが必要な状況になってしまったとしても、皆で協力すればいくらか危険を減らすことはできるはずなのだ。
それだというのに、いつも周りの忠告を聞こうとはせずに一人で走って行ってしまう。
彼は自分の身に何か起こった時に周りがどんな思いをするのか、これっぽっちもわかっていないのだ。
一方通行だけでなく、犬猿の仲であるステイルにでさえ再三言われているというのに、未だに改める気配はない。
『自分が不幸になることで周りが不幸になる』という負の連鎖。
自分が不幸になることを許容してしまった彼に、このことを気付かせるにはどうしたらいいのか。
その答えを見つけるにはまだ至っていない。
上条「……ん? どうしたインデックス、喰わないのか?」
ようやくインデックスの異常に気がついた当麻が、彼女に対して食事を促す。
食べていないのは自分も同じだというのに、その事実を棚に上げて催促するのだ。
本当に自分自身に対しては無頓着だなと毎回思う。
禁書「……とうまこそ食べないの?」
上条「俺は……いいや。 食欲が無い」
禁書「……」
インデックスの指摘に少々言葉を詰まらせながらも、彼は食べることに対して否定の意を示す。
あれだけ必死に考え事をしていたのだ。食欲が失せるのも当然のことなのかもしれない。
しかし、彼から『食べている時間すらも惜しい』という言外の感情が滲み出しているようにも感じ取れる。
このまま何も聞かずに放置するのは絶対に良くない――――
ついに心を決めたインデックスは、当麻に対して問いただした。
禁書「とうま」
上条「何だ?」
禁書「一体何を悩んでるの? 教えてほしいな」
上条「う……」
インデックスから投げかけられたあまりの直球な質問に、当麻は思わず狼狽する。
彼としては、今起こっている出来事をインデックスに教えたく無い。
もし彼女がフランドールに危機が迫っていると知ったらどういう行動に出るのか。
間違いなく首を突っ込んでくるであろうことは容易に想像できる。
つい数日前に会ったばかりだとしても、大切な友達を見捨てるようなことを彼女は決してしない。
大人しくしているように忠告しても、彼女それを聞かずに当麻の後をついてきてしまうだろう。
しかしその行動には、『フランドールに手を出そうとしている存在がイギリス清教である』という問題が付き纏う。
彼女はイギリス清教の構成員。しかもかなり重要な立場に居る存在である。
そんな彼女が、自分の所属している組織の意向に真っ向から反対できるのかと言われれば、それは非常に難しい。
仮に反対したとしても、『インデックスの言葉を聞いてイギリス清教が手を引いてくれる』という展開は望み薄だろう。
この案件はイギリス清教だけでなく、魔術サイド全体に波及しかねない問題なのだ。
彼女一人の力でどうこうできるような簡単な問題ではない。これは当麻も同じことである。
それに無理に我を押し通そうとするものならば、確実に彼女はイギリスに連れ戻されてしまう。
だからこそ当麻はインデックスには関わってほしくないのである。
そんな彼にとって今の状況は、非常に不味いと言わざるを得ない。
彼女を事件から引き離すためにも何とか話を逸らさなければならないのだが、どうやら難しいようだ。
少々回りくどい質問をしてくれれば幾らでも誤魔化しようはあったのだが、こうもシンプルではそれもできない。
上条「あー、それはだな……」
禁書「言っておくけど、嘘ついてもすぐわかっちゃうからね? とうまって意外と顔に出るんだよ?」
禁書「私の記憶能力があれば、今どんなこと考えてるのか顔を見ただけで見破れるんだよ」
禁書「だから、中途半端に誤魔化そうとするのは諦めた方がいいかも」
上条「むぐ……」
言葉を濁す当麻をよそに、白のシスターは畳み掛けるようにして逃げ道を塞いでいく。
彼女が公言した『顔を見ただけで考えが読める』という言葉には、
『もしかしたらできてしまうのではないか』と思わせる不気味な信憑性があった。
もちろん数回程度会っただけの人物では、そんなことは不可能だろう。
しかし1年以上共に過ごした上条当麻が相手ならば、もしかしたら可能かもしれない。
身近で彼の喜怒哀楽の表情を目に焼き付けてきた彼女だからこそできる芸当である。
禁書「迷える子羊の悩みを聞くのが、敬虔な神の僕である私の役目なんだよ。 だから遠慮なく話すといいかも」
上条「……ついこの前、小萌先生の所でジンギスカンをたらふく食ってた気がするがな」ボソッ
禁書「何か言ったかな?」ニコッ
上条「イエ、ナンデモアリマセンデス」
『敬虔な神の僕』とやらを自称する割には、その役目を全うしている姿をあまり見たことが無い。
宗教観念が薄い学園都市という土地に加えて、シスターが本来居るはずの教会に程遠い場所で生活しているために、
人々の悩みを聞く機会自体が少なくなってしまっているのだ。
とは言っても、宗教施設が密集した地域である第12学区に通うというのも非現実的な話である。
何せ、その学区は学園都市の東の端に位置するのだ。毎日電車を使って数時間かけて行くのは難しい。
別居するという手は『インデックスを守護する』という観点から見れば当然却下される。
彼女がシスターとしての職務を十分にこなすことができないのも、仕方のないことなのだろう。
それでも七つの大罪の一つである『暴食(グラトニー)』を体現しているかのような行動を取る彼女が、
果たしてその立場に立つに相応しいかと問われれば、少々首を傾げる所だが。
上条「……インデックス」
禁書「何かな?」
上条「正直に言って、お前にはこの件には関わってほしくない」
禁書「……それは本当のことみたいだね。 でもどうして?」
上条「そうだな……お前が悲しむ顔を見たくないってのは理由にならないか?」
禁書「そう言ってくれるのは嬉しいけど、本心は別の所にあるでしょ?」
上条「あぁ。 でも『悲しむ顔を見たくない』ってのは本当だぞ?」
禁書「わかってるんだよ、そんなこと」
上条「なら安心した。 ……もしもだ」
禁書「……?」
上条「もしもイギリス清教が自分にとって許せないことをしようとしたなら、インデックスはどうする?」
禁書「え……?」
困惑した表情を見せるインデックスを、当麻は真剣な眼差しで見つめる。
全てを話す前に、これだけは聞いておかなければならないと思った。
もし彼女がこの件に介入してくるのであれば、最悪イギリス清教に反抗する覚悟はしてもらわなければならない。
それはこれまでにおける彼女の『イギリス清教の信徒』としての人生を否定しかねないものである。
その覚悟を彼女にさせることはあまりにも酷な話だ。できればこの質問を聞いて思い留まってほしいと考えた。
インデックスは少し思案したような素振りをした後、静かに口を開く。
禁書「……私はイギリス清教の『禁書目録』。 だから私はイギリス清教の考えには従わなきゃいけない」
本来ならばここで言葉は終わっていただろう。信者が自分の信じるものに背くなど、本来ならばあり得ないことだ。
しかし彼女は、『でも』と二の句を継いでさらに言葉を紡いでいく。
禁書「私は『禁書目録』である前に一人のシスターなんだよ。 シスターは神の御言葉を聞いてそれに従うけど、
所属している宗教組織に服従しているわけじゃない」
禁書「もしイギリス清教が神の御言葉に背くようなことをするなら、私は声に出して反対するよ?」
上条「じゃあ『神の御言葉』に背かないことだったら黙認するのか?」
禁書「それは違うよ。 そもそも『神の御言葉』っていうのは明確な解釈があるわけじゃない」
禁書「色々な翻訳がされてて、解釈の仕方で微妙に意味が変わっちゃったりするんだ」
禁書「教義の中でも一番重要な『神の子』だって、昔は神性なのか、人性なのか、それとも両性なのかで解釈が分かれてたし……」
禁書「今言ったのが主たる原因ってわけじゃないけど、十字教内じゃ過去に何度も分裂が起こってるんだよ」
禁書「同じ十字教でも、いくつも宗派があるのはそのためだね」
十字教には様々な宗派が存在するが、元を正せば全て同じ『神』を信奉している。
それなのにここまで細分化されてしまっている主な理由は、神や聖書の解釈の仕方、
所属している宗派が掲げているものへの不満が原因の内部分裂、そして宗教改革などが原因だ。
他にも自分独自の解釈を広めようと設立された新興宗教や、もとは大きな宗派の中にある一つの派閥だったものが独立するなど、
分化の細かい原因を数え始めたらきりがないだろう。
禁書「長くなっちゃったけど、もしかしたら私の考えとイギリス清教の考えが違っちゃうこともあるかもしれない」
禁書「その時は自分の信念に従って動きたいと思うんだよ。 たぶん、破門されちゃうかもしれないけど……」
上条「そうか……わかった」
己に信念に従って動く。言葉にすることは簡単だが、それを実際に実行するのは難しい。
ましてや、何かの組織に属する身でそれを成し遂げるとなれば、その難度は倍増するだろう。
『組織』とは同じ考えを持つ人間の集まりである。
そこに異なる考えを持つ人間が存在してしまっては、組織としての体裁が保てなくなる。
だからこそ組織は、内部に存在する異端者を発見すると同時にその排除に乗り出す。
これはある意味、母体を守るための防衛機構と言ってもいいかもしれない。
その防衛機構は、特に宗教の場合において過激さが顕著である。
『神』という絶対的な存在に従うが故に、それに反するものはどのような手を以ってしてでも徹底的に取り除こうとするのだ。
その中で己の主義主張を貫き通すことがいかに困難なのか。それは推して知るべしだ。
それを理解しつつも、信念を貫き通したいと話す彼女のインデックスは如何程のものなのか。
彼女のことだ、口先だけの決意ということはないだろう。己の立場を犠牲にしてでも、イギリス清教に反論するに違いない。
禁書「……もしかしてこの質問って、とうまが抱えてることに関係あるの?」
上条「……あぁ」
禁書「……イギリス清教は一体何をしようとしてるの?」
先ほどの質問からどうして当麻が事情を話すことを渋っているのか、その理由を感じ取ったようだ。
『イギリス清教』と名指しをしている時点で、『必要悪の教会』関連で何か起こっていることくらい嫌でも気付く。
だが、それでも彼女が引く気配は一切無い。真剣な眼差しで当麻を見返してくる。
どうやら『インデックスを怖がらせて思い留まらせる』という当麻の思惑は完全に外れてしまったようである。
無理かもしれないということは何となく想像ついていたが、実際にその通りだったというわけだ。
こうなったらもはや、覚悟を決めるしかない。
上条「昨日ステイルに聞いたんだが、学園都市に侵入してきている魔術師、どうやらレミリアみたいなんだ」
禁書「! ふらんのお姉さんが……?」
上条「イギリス清教はレミリアを捕縛して、イギリスに連行しようとしているんだよ。 もしかしたらフランも……」
禁書「……とうま、詳しく教えて?」
当麻は昨日のステイルとの会話の内容を包み隠さず、全てインデックスに打ち明けた。
フランドールとレミリアの一族――――スカーレット一族は魔術師の家系であり、
彼らは吸血鬼を製造する魔術を研究していたということ。
その研究が原因で、スカーレット一族とイギリス清教は争うことになったこと。
最終的にスカーレット一族は滅び、姉妹二人は学園都市に逃げ延びたこと。
その他にもレミリアが件の魔術師である根拠や、何故超能力者である彼女が魔術を使えるのかなど、
ありとあらゆる情報を彼女に話した。
禁書「……そう、なんだ……」
話を聞き終えた彼女はそう呟くと、そのまま顔を俯いてしまった。
説明した当麻の方も、その後インデックスに向かって何か言葉を発するわけでもなく口を噤んでいる。
重苦しい空気がマンションの一室を支配する。
イギリス清教が二人を捕まえようとしているということにインデックスはショックを受け、
彼女たちを救う術が思い付かないという事実が当麻に再び重くのしかかる。
そして気が遠くなるような沈黙が続いた後、インデックスはぽつりと言葉を漏らした。
禁書「……とうまは、どうするつもりなの?」
上条「俺は……」
一体どうするべきなのか?
このまま部屋で考えていても、良い案が浮かびあがるとは到底思えない。
だが、何も策が無いままレミリアの下に向かった所でどうするのか?
それでは姉妹がイギリス清教に連れて行かれる姿を見送るだけになってしまうのが落ちだ。
かといって土御門とパチュリーに敵対してそれに勝利したとしても、それは根本的な解決にはならない。
イギリス清教は今回捕縛に失敗したとしても、何度でも追手を派遣してくるだろう。
当麻はメビウスの輪のような思考の堂々巡りから、自力で抜け出すことができなくなっていた。
禁書「……やっぱり、とうまらしくないよ」
上条「え……?」
禁書「そうやってずっと考えてるのが、とうまらしくないって言ってるんだよ」
小さな声で、しかしはっきりと聞こえるようにインデックスは断言する。
今の貴方はどこかおかしい。彼女の眼には、はっきりとその感情が宿っていた。
禁書「昨日も言ったよね? 難しい顔をしてるのはとうまらしくないって」
禁書「いつもだったら、私達が止めても一人で飛び出していっちゃうはずなんだよ」
禁書「それどころか知らない所で自分勝手に事件に巻き込まれて、
気づいたら病院に入院してたなんてのもいつものことだった」
禁書「自分で不幸に飛び込んで傷ついて……それでも笑ってるのがとうまだったはずなのに……」
禁書「それなのにこんなところでウジウジしてるなんて、絶対におかしいよ」
インデックスの声が静かな部屋に響き渡る。
当麻に事件に率先して飛び込んでほしいと言っているわけではない。
彼には不幸になってほしくはないし、危険なこともしてほしくない。その考えは不変だ。
単独で行動を起こさずに周りに対して事情を説明してくれたことは、彼女にとって喜ばしいことではある。
しかし、彼は明らかに『じっくり考えて動く』という慣れないことをして、その結果無理をしている。
己の心に湧き上がる感情のまま動くのが、本来の姿だったはずだ。
迷っている今の彼の姿はまるで、彼に似た別の何かのようであり、
それを目の前にしてインデックスは我慢ができなかったのだ。
禁書「とうまは一体どうしたいの? ふらんを助けたくないの?」
上条「助けたいさ。 でも、土御門達を止める方法が無い」
上条「考え無しにフラン達の所に行っても、助けることなんて到底無理だ」
土御門達を止めるのであれば、レミリアとフランに吸血鬼の製造法が欠片も残っていないことを証明しなければならない。
どうすればその証明をすることができるのか?
知識を持っているのかを調べたいのであれば、学園都市の『読心能力』だったり、専用の魔術を使えば済む。
何か魔術的な紋章が体に刻まれているのであれば、『幻想殺し』で破壊すればいい。
この二つについてはあまり心配する必要は無いだろう。
最大の問題は、『レミリアが吸血鬼である』可能性があるということである。
ステイルの話だと完全な吸血鬼というわけではなく、例え完全になったとしても単なる紛い物でしかないのだそうだが、
それでもイギリス清教が彼女達を捕えるには十分過ぎる理由であるはずだ。
イギリス清教に手を引かせたいのであれば、レミリアが持つであろう『吸血鬼の肉体』をどうにかしなければならない。
しかし『どうにかする』こと自体が、かなりの難問であることは間違いない。
もし彼女の肉体の大半が吸血鬼化していたとするならば、その部分全てを取り除かなければならないことになる。
そんなことができる医者は、おそらくこの学園都市でも片手で数えるくらいしかいない。
他にも、『人間の肉体』と『吸血鬼の肉体』を区別できるのかという疑問もある。
学園都市の医者が『吸血鬼』などというオカルトの存在をその目で見たことなどあるはずもなく、
何より殆どの者がその単語が聞いた時点で、基地外の戯言だと一蹴するだろう。精々望みがあるのは冥土帰しくらいのものだ。
スカーレット姉妹を救うためにはこれらの難題を解決し、彼女達の身の潔白を証明しなければならない。
それができなければ、二人はイギリスに連行されて完全な詰みになってしまう。
禁書「……でもとうま、ここでずっと考えてもどうしようもないと思うよ。
ふらん達に会って調べてみないと、どんな魔術なのかわからないし」
禁書「どんな魔術なのかわからないと、対策を立てることもできないよ。 私の頭の中の魔導書も役に立たない」
禁書「だから、今何も方法が見つからなくても、ふらんの所に行くべきだと思うんだよ」
このままここで考えていても、いい案が浮かぶとは思えない。
それならば行動を起こし、その後で改めて考える方が良いだろう――――
それがインデックスの主張だった。
上条「……そうか、そうだよな」
彼女の言葉を聞き、当麻は短く同意の言葉を呟く。
『ここで立ち止まっていても何も変わらない。それならばとにかく動いてみるべきだ』。
彼女の主張は至極尤もなことであり、そこに挿める異論を当麻は持ち合わせていなかった。
インデックスが言ったように、そもそも彼は考えて行動することが苦手なのだ。
この結論に辿り着くのは既定路線であり、疑いようのない結末である。
上条(かなり時間を無駄にしちまったな……急がないと)
決意を固めた当麻は、すぐさま行動を開始する。
時刻はもう既に7時に近い。今からフランの家に向かうとするならば、到着するのは9時半頃だろう。
果たして間に合うだろうか。いや、『間に合わせなければならない』。
土御門達が今どうしているのかはわからないが、彼らより1秒でも早くフランの下に辿り着かなければ。
上条「俺はこれからフランの所に行く。 インデックスは……」
禁書「私もついて行くんだよ。 今更仲間外れなんて許さないんだからね」
上条「……まぁここまできたら今更か。 じゃあインデックス、俺の傍から離れるなよ?」
禁書「わかってるんだよ。 とうまこそ、無茶はしないでね?」
上条「あぁ、わかってるさ!」
歩く魔導図書館とその守人は部屋を後にする。
目指すは第14学区。フランドール達が住む紅色の館だ。
今日はここまで
久々の上条さんの登場。実に半年ぶり
尚、またしばらくは出番無しになる模様
※今後について
年度末ということで生活環境が大きく変わるので、今月の投稿はこれで終わりになると思います
4月に入ってからも身辺の整理があるので、4月上旬の内に投下できるかは微妙です
できるだけ早く復帰できるように努めますので、気長にお待ちください
質問・感想があればどうぞ
しかし、今までの話で一番出番がないのは…………我等が楽園の素敵な巫女様というwwww
ここは(幻想求めし者達の)楽園じゃないからね。仕方無いね
科学だもんな
生存報告がてら、少し投下します
>>175, >>176, >>177
巫女様の出番は次の章までありません(断言)
彼女は完全に魔術側にするつもりでいるので……
細かい設定はまだ何も考えていませんがwww
――――7月28日 PM7:49
御坂妹(もう15分も歩けば家に着きますね。 と、ミサカは腕時計を見ながら家に着く時間に当たりを付けます)
一日の仕事を終えた人々が行き交う夜の街。
その中で御坂妹は一人、自分の住むマンションに帰るために帰路に着いていた。
僅かに流れる風が頬に当たって、とても心地良い気分である。
コンクリートだらけの街なのだから、ヒートアイランド現象で昼夜問わず茹だるような暑さなのではないかと思われがちではあるが、
実際はそんなことは無く、日が沈めばそれなりに過ごしやすい気温にまで下がる。
なんでも建造物に立地によって風の流れを操作し、風通しを良くして気温を下げているのだそうだ。
流石に詳しいことまではわからないが、実際に気温は下がっているのでそういうものなのだろう。
一般人にとってみれば原理などどうでもよく、ただその恩恵を受けることができればいいのだ。
携帯電話を毎日使っていても、その構造はまるでわからないことと同じである。
御坂妹(今日は久しぶりに長くお姉さまと一緒に居ました。 思えば、二人きりで外を出歩いたのは大分前のことですね。
と、ミサカはお姉さまとだけで出歩く機会がこれまであまりなかったことに気付きます)
御坂妹(まぁ、お姉さまの都合とミサカの都合がなかなか一致しなかったことが原因なのですが。
と、ミサカは社会人になって多忙な身となった自分にすこし哀愁を感じてみます)
御坂妹(でも、お姉さまと一緒に居られたことで少しは気分転換になりました。
と、ミサカは夜の仕事に向けて自分のやる気を出させるために、今日の出来事を振り返ります)
――――7月28日 PM0:31
美琴「で、アンタはここに何しに来たの?」
『アイテム』一行がファミレスを去った後、美琴は隣に立つ御坂妹に問いかけた。
台風の一つが去ったことによって、店内には徐々に穏やかな空気が漂い始めており、
この場に居合わせて戦々恐々としていた客に少しずつ会話が戻り始めてきている。
店員も重圧から解放されて本来の調子を取り戻しつつあるようであり、
あちこちから客の注文に対して受け答えする声が聞こえてきていた。
御坂妹「いえ、特に用はありません。 近くに居ることを察知したので顔を出しただけです」
御坂妹「今日は夜から仕事なので、それまでの間に息抜きとして街に出て来たのです。
と、ミサカは日ごろのストレス発散のためにこの場に居るということをお姉さまに教えます」
美琴「ストレス発散ね……アンタでもストレスを感じることってあるんだ?」
御坂妹「お姉さま、その言い方は少々酷過ぎるのではないでしょうか?
と、ミサカは能天気とも取られかねないお姉さまの発言に対して訂正を要求します」
美琴「だってねぇ……澄ました顔しながら時々変なギャグ飛ばすし、かなりエグイことを本人の前で堂々と言ったりするし……」
美琴「正直に言って、豪胆なんてレベルじゃないわね」
御坂妹「それはお姉さまも人のことを言えないのではないでしょうか?
と、ミサカはお姉さまの普段の言動を考慮した上で進言します」
美琴「だってそうしないと周りから舐められるでしょ。 レベル5が弱腰じゃ格好付かないじゃない」
美琴「それに、肝が据わってないといざという時に動けなくなるからね。 この街じゃ、それが一番危険よ?」
学園都市の治安の悪さは、この街の住む者であれば周知の事実である。
スキルアウトによる暴力事件は毎日のように起こるし、能力者による銀行強盗のような犯罪は月に1、2回は必ず発生する。
それだけ頻繁に犯罪が発生するこの街の現状。普通に生活しているだけでもいざこざに巻き込まれる可能性は非常に高い。
もし不幸にも自分が犯罪に巻き込まれてしまったら。巻き込まれなくとも、その現場に居合わせてしまったら。
自分の身を守れるかどうかは、その状況において最善の判断を迅速に実行できるかどうかにかかっている。
その場で思考停止に陥ることは、何もせずに自分の身を災厄に委ねることと同義なのだ。
それ故に、学園都市に住む人間の殆どが相当な肝っ玉の持ち主なのである。
そうでなければ、『風紀委員』などという学生が危険と隣り合わせの立場になる組織は成立し得ないだろう。
美琴「……」
御坂妹「……どうしたのですか、お姉さま?」
美琴「そういえばアンタ、その服どこで買ったの?」
突然こちらを凝視しながら沈黙した美琴に対して御坂妹が問いかけると、
彼女は妹に目線を合わせようともせずにそんなことを口にした。
御坂妹が着てきた服は白を基調としたシフォンのワンピース。腰には同じ色のリボンが結え付けられている。
服の下部には『清純な心』を意味する睡蓮の花が所々に小さく刺繍され、
御坂妹の表情も相まって、華美過ぎない落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
この服は上条当麻とインデックスに選定してもらった服である。服の形や柄は当麻の案で、色はインデックスの案だ。
姉からワンピースのことを聞いた時に、真っ先に想像したものと殆ど同じ物をチョイスしたのだから驚きである。
本来であれば、当麻の案でコスモス柄のリボンが巻き付けられた麦わら帽子も付属するはずだったのだが、
あまりにもベタ過ぎるということで、その案は御坂妹自身の手で却下された。
御坂妹「セブンスミストですが。 と、ミサカは極普通の洋服店で買ったことを告げます」
美琴「ふぅん。 にしてもその服、アンタにしては随分と……」
『あざといわね』と、美琴は口には出さずに視線のみでそう告げた。
言われなくとも、そんなことくらい御坂妹自身十二分に理解している。
このような服装が嫌いというわけではないが、実際に着てみようと思うかと問われれば、流石の彼女でも少し躊躇ってしまう。
普通の女性であれば、羞恥のあまりこのような服など購入しようともしないだろう。
それにも拘らず、どうして御坂妹がその服を着て街中を堂々と歩いているのかというと、
この服を選んだのが当麻であり、彼に『これを着てみてほしい』と言われたからである。
もちろん彼がそう言った理由が『御坂妹が自分の選んだ服を着ている姿を街中で見てみたい』というものではなく、
単純に『服を着て生活し、その感想を聞かせてほしい』程度のものであることは想像に難くない。
しかしそれでも期待を抱いてしまったため、こうしてその服を着て外に出てみたというわけだ。
その結果はと言うと、何ともまあ好奇の視線に晒されること晒されること。
男性のみならず、女性にまでその眼を向けられる始末である。
その原因の半分が余りにも目立つ服装、もう半分が『超電磁砲』とそっくりな顔にあることは間違いない。
もはや漫画ですら用いることが躊躇われるような夏服を、あの有名な『超電磁砲』が着ているのだから、
街行く人々の注目の的になることは仕方のないことであった。
美琴「アンタもしかして、ここに来るまでずっとその服で……?」
御坂妹「何を言っているのですかお姉さま。 まさか裸で来るわけが無いでしょう。
と、ミサカは突然トチ狂った発言をし始めるお姉さまに困惑の目を送ります」
美琴「いや、まぁ、うん……もういいや」
御坂妹「?」
美琴(また変な噂が立つかもしれないわね……困ったもんだわ)
常盤台の『超電磁砲』が白のワンピースを着て街中を歩いていた――――
もしかしたら数日後には、こんな噂が流れ始めているかもしれない。
ただでさえ噂好きな学生が多いこの街である。情報が広まる速さは、それこそ風のように早いだろう。
先日黒子から『超電磁砲の三角関係』の噂が『学舎の園』の中で流れていることは聞いていたので、
これ以上余計な艶聞が流れるのは勘弁願いたかったのだが。
美琴「ったく、しょうがないわね……」
御坂妹「何がですか?」
美琴「何でも無いわよ。 ところで、今日は暇だったりする?」
御坂妹「暇と言えば暇ですが。 と、ミサカは今日の仕事は夜勤になっていることを思い返します」
美琴「それなら少し付き合いなさいよ。 街に出て来たはいいけど一人だったから、回れる場所が無かったのよね」
美琴「だから一緒に色々見て回りましょうよ」
御坂妹「つまりぼっちなのが寂しいので、妹であるミサカに友達のふりをしてほしいということですか。
と、ミサカは浅ましい思考の持ち主であるお姉さまに嘆息します」ハァ
美琴「人聞き悪いこと言うな!」
レベル5という存在は、その強大な力のあまり周囲から孤立しがちである。
一方通行や麦野沈利は言わずもがな、常盤台中学で最大の派閥を築いているはずの食蜂操折でさえも、
その心は疑心暗鬼の塊であり、真に心を許せる友人というものは存在しない。
表立って親友と呼べる人間が居るのは美琴くらいのものだ。
その美琴も同学年には婚后光子意外に『親友』と呼べる人はおらず、ましてや同じクラスには皆無。
故に彼女の普段の学校生活は、一般と比べて少々寂しいものになってしまっていたりする。
御坂妹「冗談です。 それで、お姉さまは一体どこに行きたいのですか? と、ミサカはお姉さまの希望を聞いてみます」
美琴「そうね……お昼はもう食べちゃったし、久しぶりにセブンスミストに行ってみるのもいいかも」
御坂妹「私はまだ食べてないのですが。 と、ミサカは先ほどから腹の虫が鳴っていることを伝えます」
美琴「そう? じゃあ折角ファミレスに居るんだし、私が奢ってあげるから好きなものを頼みなさい」
御坂妹「そんな言葉を気軽に口にできるお姉さまには驚きを隠せません。
と、ミサカは成金染みた発言をするお姉さまに心中で嫉妬します」
美琴「口に出してる時点で『心中』じゃないでしょ。 ほんと、アンタって嘘をつくのが下手よね」
美琴「そんなんじゃ、これから生きていくのに苦労すると思うわよ?」
御坂妹「むぅ……お姉さまにも同じことを言われてしまいました。
と、ミサカはいよいよ本格的に自分の口癖を直す必要があることを自覚します」
美琴「ま、そういうことは後でじっくり考えればいいし、とりあえず今は遠慮せずに食べるものを決めちゃって頂戴」
御坂妹「わかりました。 では、カルボナーラを一つ……」
今日はここまで
※近況報告
まだ身辺が落ち着いていないので、書く時間が殆ど取れないのが現状です
今月の下旬頃には、ある程度時間が取れるようになると思います
質問・感想があればどうぞ
乙
無理しなさんな
巫女さんの登場予定あんのかい
しかし自機組全員出すのはキツいか‥?
設定のすり合わせが非常に面倒臭いだろう事は分かる
前回の投下から1月
その間に自機組追加が発表された件(それもそのままクロス物で使えそうな設定で)
>>1復活ッッッ!!!
とりあえずネット環境が整ったので更新を再開します。
ただ安定した投稿はできないと思うので、そこの所はご了承ください
>>195
世界一位さんの登場は次章ですよん
3年後くらいにはでるんじゃないんですかね?(適当)
>>196
東方の能力を禁書の世界観に当て嵌めてますからね
科学側なら擬似科学でもいいからそれなりに説得力を持たせないといけないし、
魔術側だったら神話とか伝承に沿った形にしないといけない
まぁ、そういう設定を考えている時が一番楽しいんですけどね
>>200
今回の東方最新作の自機の設定、結構話し作り易そうですね
スキルアウト達を相手に下克上を扇動するとか、
一通さん相手に反射合戦をするとか色々できそうです
これから投下を開始します
――――7月28日 PM3:41
ファミレスで食事をした後に彼女達がしたことと言えば、何の変哲も無い女子学生がいつも行っていることであった。
ゲームセンターで遊んだり、道端の屋台で食べ物を買って食べ歩きをしたり、装飾品店でアクセサリーを物色したりと、
年頃の女の子が街中で行う模範的な行動を、そっくりそのまま実行しているかのようだ。
しかし色々な意味で『普通の女の子ではない』御坂妹にして見れば、
それらの行動はこの街での生活に慣れた今でも、心の何処かに新鮮味を感じるものであった。
何故なら彼女が生まれたのはたった一年前のことであり、女性としての自覚を持ち始めた時期に至ってはごく最近のこと。
その短期間で日常生活における全てを、飽きるほど体感することなど土台無理な話だ。それが趣味の話となれば尚更である。
特に女性の衣服や化粧品に関する知識と言うものは、一年やそこらで習得できるものではない。
と言うより、完璧にマスターすることなど不可能だろう。
おしゃれと言うものはその時期の流行り廃りが色濃く影響されるため、単に知識を身に着けるだけでは不十分なのだ。
それ故に、女性のおしゃれの修行は生きている限り終わることは無いのである。
加えて、御坂妹は女性の自覚を持ち始めたとは言うものの、未だにその手の話についてはまだまだ疎い。
事実として装飾品店に行った際、色とりどりのアクセサリーやネックレスを目の前にしてもあまり反応は示さなかった。
既に当麻からネックレスをプレゼントされており、それさえあれば他に入らないと考えていたのかはわからないが、
姉としてはもう少しおしゃれに拘りを持ってほしいと考えていたため、
美琴は店内にある装飾品を使って御坂妹に手とり足とり説明した。
アクセサリーを選ぶ時のポイントや、どういう時に身につけていくべきかなどを熱心に妹に教えるその姿は、
正しく『とてもよくできたお姉ちゃん』と言ったところだろう。
熱心に教える理由には、常盤台中学が原則として制服の着用を義務づけているために、
そういったおしゃれの知識を使う機会がなかったことや、御坂妹の顔が自分にそっくりなために、
妹を着飾らせて自分に似合うかどうかを考察する意味も僅かながらにあったかもしれないが。
そんなわけで、現在御坂妹の髪には姉自らが選択したヘアピンがセットされている。
小さな四つ葉のクローバーがあしらわれた、少々控えめのものだ。
普段は物静かな彼女にはこれが合うだろうというのが美琴の意見であった。
御坂妹(最近嗜好品の類の物を多く買っているような気がしますが……まぁいいでしょう。
と、ミサカは趣味にお金を使うことが多くなってきていることに気付きつつも、その事実を肯定します)
これで御坂妹が持っているアクセサリーの数は合計3個。
一つ目はこの世に生を受けた際に『妹達』全員に配られた、美琴がいつも付けているものと同じヘアピン。
二つ目は上条当麻にプレゼントとして貰ったハートのネックレス。
そして三つ目が、今回美琴に買ってもらった四つ葉のクローバーのヘアピンである。
一般の女子が持つ数としてはまだまだ少ないが、今の御坂妹としては一先ず十分だろう。
御坂妹(これだけあればミサカの『女子力』は鰻登りですね。
と、ミサカは最近女性誌で学んだパラメータが上昇することに満足します)
御坂妹(ふふふ、このまま引き離して他の『妹達』に圧倒的な差を付けてあげましょう)
御坂妹(そして最終的にはお姉さまを出し抜き、あの人と添い遂げる……実に完璧なシナリオです。
と、ミサカは自分の手腕を自画自賛します)
御坂妹(残る問題は、あの人の傍に居る暴食シスターですね……)
自前で買ったゲコ太の新しいストラップを眺めている美琴を尻目に、
御坂妹は無表情を崩さずに頭の中でそんなことを考えるのであった。
* * *
その後一通り店を回った二人は、何をするわけでもなくだらだらと駄弁りながら街の中を散歩していた。
同じ学区内に住んではいるが、このように長い時間二人で話すような機会はそうそう訪れない。
あまり二人が一緒に居すぎると、妙な噂が立ってしまうかもしれないからだ。
『妹達』の存在が美琴に親しい者の間では既に知れ渡っているが、この学園都市の人間全てに認知されているというわけではない。
『人間のクローン』。その意味は善悪問わず、人に好奇心を植えつけるには十分過ぎるものだ。
その存在が広く知れ渡れば、彼女達は瞬く間に世間からの注目の的になるだろう。
しかしそうなると、『妹達』は『人間』ではなく、ただの『観賞用の動物』になり下がってしまうかもしれない。
彼女達が『人間』であるとしても、一般の人間の全てがそう見てくれるとは限らないのだ。
それに学園都市のみならず、世界へ大きな動揺を巻き起こす可能性もある。
本来人間のクローンを生み出すことは、生命倫理の観点から世界的に禁止されている行為だ。
クローン技術は『優秀な人間だけを個別に量産する』ことや、『患者のクローンから必要な臓器を抜き出して移植する』ことができる。
これらの行いは『生命の商品化』に他ならず、生命倫理を大いに逸脱する行為であり、それらを防ぐために禁止されている。
そのような禁止行為を平然と行って2万人を超えるクローンを生み出し、
あまつさえその半数以上をティッシュのように使い捨てたことが世界に知られれば、
間違いなく学園都市は世界から糾弾されることになるだろう。
さらには一部の過激な集団、特に宗教関係者の集まりが、
世界各地にある『妹達』が滞在する施設に攻撃を仕掛ける可能性もある。
それらを考えると、『妹達』の存在を公表することは学園都市にも『妹達』にも良い結果をもたらさない。
故に彼女達の存在は、美琴や『妹達』が自分の意思で伝えない限りは秘匿することとなっている。
美琴「へぇ~。 そんなことがあったのね」
御坂妹「はい。 あの時の入院患者には、本当に苦労させられました。
と、ミサカは自分の涙ぐましい努力を思い返し、感傷に浸ります。」
そんな境遇の二人が今何をしているのかと言うと、御坂妹の普段の仕事生活について盛り上がっていた。
御坂妹のみならず、学園都市に滞在する『妹達』が冥土帰しの病院で看護師として働いていることは周知の事実だ。
しかし、彼女達が普段どのような仕事をして生活しているのかはあまり知らない。
大方は冥土帰しの横で手伝いをしているのだろうが、具体的にどうなのかについては美琴も興味があったのである。
御坂妹「あの患者は運び込まれた時は全身打撲で安静していなければならないと判断されたのですが、
翌日にはまるで何事もなかったかのように院内を平気で動き回っていたのです」
御坂妹「ある日容態を見に行った時には部屋で見舞客と一緒に腕相撲で盛り上がっていました」
御坂妹「その時は流石に温厚な冥土帰しもマジ切れ寸前のようでしたが。
と、ミサカはその時の彼の表情を思い出し、背筋を寒くします」ブルルッ
御坂妹「流石に不味いと思ったのか、参加せずに見ていた見舞客の一人がその場を収めてくれたおかげで事なきを得ました。
と、ミサカはあの見舞客の行動に敬意を表します」
美琴「あの人が切れる寸前までになるって、一体どんな奴なのよ……」
御坂妹「何と言いますか、ひたすら陽気な人達でした。 アルコールでも入っているのではないかと思うほどでしたね。
と、ミサカはあの乱痴気騒ぎを見た時の気持ちを思い出します」
御坂妹「それと、かなりの喧嘩好きのようにも見えました。 しかし『あの男』を相手に喧嘩するなど……
と、これ以上は蛇足でしたね」
美琴「あの男? なによ、気になるわね。 教えなさいよ」
御坂妹「すいません。 例えお姉さまが相手だとしても、これ以上話すことは守秘義務違反に繋がりかねませんので。
と、ミサカはもっともらしい理由を付けて拒否します」
美琴「それじゃ仕方無いわね。 まぁ、結構上手くやってるみたいだし、安心したわ」
世にも奇妙な人間が集まりやすいこの街である。
病院にやってくる変人の対処に苦労しているだろうと思っていたが、問題無く仕事をこなせているようだ。
冥土帰しの指導が良かったのか、御坂妹の飲み込みが早かったのか。どちらにせよ良い傾向と言えるだろう。
彼女達はいずれ、普通の社会に生きていかなくてはならなくなる身である。
その時のために、職業訓練をこなすことは決して無駄ではないはずだ。
美琴「あ、そう言えば、アンタ達って番外個体のこと知ってる?」
御坂妹「末妹がどうしたのですか? と、ミサカは突然の話題転換に驚きつつも尋ねます」
美琴「ほらあの子、最近バイト始めたって言うじゃない? そのバイト先って冥土帰しの知り合いの所なんでしょ?」
美琴「詳しく話は聞いてないから、普段どんな仕事をしているのかは良くわかってないのよね。 何か知らない?」
御坂妹「番外個体であれば、薬品が搬入されるときによく見かけます。 働き先のことは既に知っていますか?
と、ミサカはお姉さまに番外個体が働いている場所についての知識を再確認します」
美琴「製薬会社で働いていることは聞いてるけど」
御坂妹「はい、そこで番外個体は主に薬品の輸送の手伝いを行っているようです。
従業員と思われる人間と一緒にトラックから積み荷を運び出す姿を目撃しています」
美琴「アンタから見てどう? あの子の仕事ぶりは?」
御坂妹「番外個体はミサカ達よりも肉体的に成熟した個体なので、力仕事はそれほど苦にはなっていないようです。
と、ミサカはそこで余分な部分まで成熟している番外個体を思い出し、歯噛みします」
美琴「あ~、うん……あの子って出てる所は出てるからね……」
御坂妹「まぁ、今は関係ないのでそれは置いておきましょう。 とりあえず、
様子を見る限り上手くいっていないということは無いようです」
御坂妹「職場との人間関係もそれほど悪いようには見受けられませんでした。
むしろ、従業員にちょっかいを出してからかう位は親密になっているようです。
と、ミサカは相変わらず自由だった末妹の様子を思い返します」
美琴「結構馴染めてるみたいね。 あの子あんな性格だし、ちょっと不安だったのよ」
番外個体は基本的に毒舌家であり、しかも場面関係なしに所構わず毒を振りまく。
その性格の原因は彼女の出自によるものなので、仕方が無いと言えば仕方が無いことだ。
他の『妹達』から伝わってくる負の感情を一方的に拾い上げてしまう体質により、
『学習装置』によって植えつけられたネガティブな人格と相まって、彼女の性格は非常に荒んだものとなってしまった。
最初の頃はとにかく相手の神経を逆撫でする発言を繰り返していたため、要らぬ騒ぎに巻き込まれることも少なくなかった。
近頃は少しその傾向が薄れてきたような気もするが、それでも傍から見れば口が悪いことには変わりない。
結果、その毒舌が災いして職場の雰囲気に馴染むことができず、辛い思いをしているのではないかと心配していたのだ。
御坂妹「お姉さまの心配はごもっともですね。 あの性格でまともな職に就けるとは普通は思いません」
御坂妹「末妹がバイトを始めると聞いたとき、ミサカや他の個体は一ヶ月も持たないだろうと予測していました。
と、ミサカは末妹の絶望的な口の悪さを考慮した結果として導き出された結論を述べます」
御坂妹「しかし、どうやらどこかで社交術を身につけたようで、
仕事をしている時は口の使い方にできるだけ気を付けているようです」
御坂妹「この間に至っては、冥土帰し相手に敬語を使いながら丁寧に挨拶をしていました。
と、ミサカはその時に見た衝撃的な光景をお姉さまに伝えます」
美琴「え? あの子が敬語を?」
御坂妹「はい。 あの時は衝撃のあまり、ミサカネットワークが一種の祭り状態になっていました。
と、ミサカはその日は一晩中ネットワークが大騒ぎだったことを思い出します」
美琴「あの子が敬語ねぇ……見てみたい気がするような、そうでないような……」
美琴は『礼儀正しい番外個体』を自分なりに想像してみる。
番外個体が仲間と協力しながら一生懸命に仕事に取り組んでいる姿――――
従業員A「そっちは大丈夫?」
番外個体「おっけーだよ!」
従業員A「それじゃあいくよ? せーのっ!」
番外個体「そぉい!」
グワッ!
従業員A「うわっとっと! 番外個体さん力入れ過ぎ! 傾いちゃってるよ!」
番外個体「あ、ごめんごめん」
従業員B「番外個体さんって力持ちだよね~」
従業員C「ほんとほんと! 毎回すごく助かってるよね!」
番外個体「いや~それほどでも……」テレテレ
従業員A「番外個体さん! ちゃんと後ろ見て後ろ! ぶつかるぶつかる!」
番外個体「おっと、危ない危ない……」
番外個体が快活な笑顔を浮かべながらお礼を言っている姿――――
雇い主「よし、今日の仕事はこれで終わりだ。 皆、お疲れさん!」
従業員一同「ご苦労様でした!」
雇い主「それじゃあ今日の分の給料を渡すぞ。 まずは従業員A」
従業員A「はい!」
雇い主「次、従業員B。 次――――」
番外個体(今回のお給料はどのくらいかな~)
雇い主「最後に番外個体だ」
番外個体「はい! ありがとうございます!」
雇い主「今回は随分と働いてくれたみたいだから、少しだけおまけしておいたぞ」
番外個体「本当ですか!?」
従業員B「羨ましいなぁ~」
雇い主「お前達も頑張れば相応に給料上げてやるが?」
従業員C「マジですか!?」
従業員「いよっ! 雇い主さん太っ腹!」
雇い主「煽てるのはいいから、仕事をきちんと頑張ってくれよ?」
番外個体が自分の失敗に対して謝罪をしている姿――――
雇い主「番外個体、今回ここに呼び出された理由が何なのかわかるか?」
番外個体「……はい」
雇い主「ほう。 なら言ってみろ」
番外個体「荷物を乱暴に扱ったせいで中身のガラス器具を壊してしまったからです……」
雇い主「そうだ。 あの積み荷の中には試験管やら薬瓶やらが沢山入っていた」
雇い主「それをお前は早く仕事を終わらせようとして積み荷を台車に乗せて走り、その結果転倒。
中身の商品の数点を粉々に粉砕することになった訳だ」
雇い主「あれだけ盛大にすっ転んで犠牲が数個だったのは奇跡だな」
番外個体「も、申し訳ありません!」
雇い主「言葉で謝るくらいなら誰でもできる。 本当にするべきことは行動で示すことだ」
雇い主「最近は上辺ばっかりの謝罪しかしない奴が多すぎる」
番外個体「で、でも、それならどうすれば……」グスッ
雇い主「それは……」ガシッ
番外個体「え……?」
雇い主「これから教えてやるよ」グイッ
番外個体「あっ……」////
ドサッ!
美琴「ストォォォォッッップ!!! それ以上いけない!」
御坂妹「一体誰に向かって言っているのですか? と、ミサカは突然叫び始めたお姉さまを見て、
どこかおかしくなったのかと不安になります」
美琴「な、何でもないわよ!」////
美琴(ヤバい。 あの子に対するイメージが崩壊しかけてるわ……リセットリセット)
美琴は頭の中に渦巻く妄想を振り払って空っぽにし、昂ぶっている心を落ち着かせる。
危うく自分の妹を使ってイケナイ妄想を炸裂させるところだった。
なまじ番外個体の顔が自分に似ているだけに、他人事とは思えないほど動悸が激しくなっている。
いや、番外個体が自分の成長した姿だとするならば、自分の未来の姿で妄想したようなものだ。
しかもその妄想が官能的なものだったのだから、顔を真っ赤にして身悶えることになるのは当たり前だろう。
美琴(ったく、何やってんのよ私は! よりにもよってあの子で、あ、あんなこと考えるなんて……)////
美琴(やけに色っぽかったし、何よりシチュエーションが……って、何言ってるんだ私!」
御坂妹「お姉さま、声に出てます。 と、ミサカはお姉さまの声で周りの視線が集まり始める前に警告します」
美琴「ご、ごめん……………………ふぅ、落ち着いたわ。 で、何話してたんだっけ?」
御坂妹「番外個体が真面目に仕事をしているという話です。
と、ミサカはついに痴呆の予兆が見え始めたお姉さまに対して懇切丁寧に教えます」
美琴「あぁ、うん、そうだったわね……番外個体がどんなふうに仕事してるかについて、一方通行は知ってるの?」
御坂妹「いえ、このことを知っているのは今の所お姉さまとミサカ達『妹達』のみです」
美琴「え? 知らないの?」
御坂妹「はい。 教えてもよかったのですが、お楽しみは後に取っておこうと思ったので。
と、ミサカは慌てふためく末妹と衝撃を受けて茫然としている第一位の光景を想像します」
美琴「趣味悪いわね、アンタ」
御坂妹「これは『妹達』の総意です。 個体毎の思惑は違うようですが。
と、ミサカはミサカだけの考えではないことを主張します」キリッ
美琴「さいですか……」ハァ
何故か自信満々に言う妹を見て、美琴はゲンナリとした表情で溜息をついた。
近頃御坂妹の腹黒化が進行してきているような気がする。
以前にもその兆候はあったが、最近はその傾向が顕著に思える。
これも個性を獲得した結果なのだろうが、正直に言うと、かなり疲れると言わざるを得ない。
このはっちゃけぶりに振り回されれば、誰であろうと精神的な疲労に苛まれるはずだ。
美琴(なんでこんな性格になっちゃったんだろ……『学習装置』のせいなのかしら?)
美琴(いや、あれはあくまでも簡単な人格を形成させるためのものだから、
完全な人格を獲得するためにはそれなりの時間がかかるはず)
美琴(と言うことは、やっぱり生活環境が原因なんだろうけど……)
御坂妹が過ごしてきた環境はあまりにも特殊過ぎて、どれが具体的な原因なのか断定できない。
しかも彼女達はミサカネットワークで意識が供給されているため、他の個体との意思疎通が原因であるとも考えられるだろう。
どちらにせよ、御坂妹の周りを取り巻く『何か』が、彼女のお調子者の性格を作り上げたことは間違いない。
美琴としては、彼女達にはあまり変な人間になってほしくはないのだが。
今日はここまで
質問・感想があればどうぞ
乙!
喧嘩だの腕相撲だのって絶対あいつらだろwww
おつ~
箸が転んでもおかしい年頃だとか言う言葉もあるからねぇ。まぁ大人になったら落ち着くんじゃないですかね(適当)
久しぶりに乙
だいぶ前にあったビルドアップ能力者の話題かな?本編には絡まないスタイル?
>>225
彼女等にかかればどんな場所も宴会場に早変わり
ちなみにその場を納めたのはみんな大好き淫乱ピンクさんです
>>226
思春期真っ盛りの美琴さんなら夜中に一人でイケナイ事でもしているに違いn(レールガン
>>227
Exactry(そのとおりでございます)
『身体強化』の能力者とその関係者は番外編で登場予定です
これから投下を開始します
――――7月28日 PM4:33
さらにあれから小一時間。
番外個体の仕事の話題や海外の『妹達』の話題で盛り上がった二人は、日が暮れて来たので最後に何か食べようと近場の店に入店した。
この一日で食べすぎのような気がするし、風呂場の体重計に乗るのが怖くもなってきたが、それはひとまず置いておこう。
年頃の女の子の食欲はとてもすごいのだ。
二人が入った店は、この第7学区では老舗とも言えるパン屋であった。
移り変わりが激しいこの街において、数十年以上同じ場所に店を構え続けることはかなり難しい。
少なくとも、どこにでも立地しているチェーンストアではありえないことである。
店内に入ると、二人の鼻腔が香ばしいパンの焼ける香りに満たされた。
どうやら今は丁度パンを焼いている時間帯らしい。このまま待てば、焼きたてのパンにありつくことができるだろう。
美琴(ふーん……あまり大きくないけど、良い雰囲気ね)
木製の机や棚に所狭しとバスケットが置かれている様は、パン屋の典型とも言える光景である。
しかし一見普通なものには見えても、内装の細部をよく見てみるとこの店が独自のセンスが光っている所が随所に見受けられた。
例えば天井から下がっている電灯の意匠であったり、値札に描かれている可愛らしいイラストであったり。
普段であれば気にもかけないもの。しかし『それ』は客の心の深層に入り込み、一つの記憶として定着する。
そして『それ』は、生活の中でこのパン屋のことをふと想起させ、客を再びこの場所に足を運ぶように仕向けるのだ。
美琴(この店の店員さんってどんな人なのかしら?)
何気なく辺りを見渡してみると、三人の従業員がせわしなく動き回っているのが見えた。
不自然なほど髪が青い細身の男が一人と、背丈が同じくらいの金髪の少女が二人。その二人は恐らく姉妹だろう。
彼等が忙しくしているのはパンが焼ける時間が近いので、その準備をしているためかもしれない。
金髪(妹)「お姉ちゃん、そっちは?」
金髪(姉)「こっちの整理はもう終わったわよ。 後は店長が焼き上げるのを待つだけね」
金髪(妹)「そっか。 私も早く終わらせないと……」
青髪の男「いや~、やっぱり二人のエプロン姿は様になるわ~♪ 眼福眼福♪」クネクネ
金髪(妹)「あんたはさっさと仕事しろ!!!」
青髪の男「その怒ってる顔もすごくキュートやで! もう一回!」グッ!
金髪(妹)「いい加減にせんか!」
バキィ!
青髪の男「げぼぁ!?」
美琴「なんなのこれ……」
少女に殴り飛ばされる青髪の男を見て、美琴は茫然としながらポツリと言葉を漏らした。
来店した客をそっちのけでコントをされたら誰でもそうなる。
しかもこの男(変態)の行動にデジャヴを感じ、彼女はさらに複雑な気持ちになった。
美琴(そういえば何処かで見たことがあるわね……確か、当麻の知り合いだったかしら?)
金髪(姉)「ほら、何やってるのよ。 お客さんが来てるわよ?」
金髪(妹)「え!? あ、ごめんなさい! パンを買いに来てくれたのよね!?」
美琴「うん、まぁ、そうだけど……」
御坂妹「そちらの男性は放っておいてもいいのですか? と、ミサカは白目を剥いている変態を恐る恐る見ます」
金髪(妹)「心配いらないよ。 いつものことだし」
美琴「いつものことって……」
青髪の男「」チーン
御坂妹「起こした方が良いと思うのですか。 と、ミサカはこの男性をそのままにするのは色々な意味で不味いと考えます」
金髪(姉)「起こすとまた煩くなるし、そのままでも大丈夫よ」
確かに、目を覚ませばまた何かしら騒ぎが起きることは容易に想像がつく。
しかもその標的が美琴と御坂妹になることも考えられる。正直、それだけは勘弁願いたかった。
気絶したままの男を放置し、美琴達は店内にある商品を物色する。
新しいパンが焼き上がる前なので、今ここに陳列されている商品は焼かれてからだいぶ時間が経ったものばかりだ。
だが、パンから放たれる芳香が薄れる気配はない。冷めてしまっているのが残念だが、十分に商品としての価値はある。
妹の方の少女はそれらのパンをビニール袋に詰め、値段が書かれたシールを張っていた。
どうやら一つにまとめて安売りをするようだ。
御坂妹「ふむ、なかなか安いですね。 食料調達地点の候補に加えておきましょう。
と、ミサカはこの店の名前と位置を頭の中に記憶します」
金髪(姉)「閉店目際になっても売れ残ったものは、さらに半額で販売してるわよ。 貧乏学生には結構評判なの」
金髪(妹)「その代わり争奪戦が起こるけどね。 近所のスーパーの大安売りほどじゃないけどさ」
御坂妹「問題ありません。 体術には自信がありますので」フフン
金髪(妹)「暴力沙汰になることだけは勘弁してよ?」
御坂妹「貴方はそこで伸びている男性を直々に殴り飛ばしていたではありませんか。
と、ミサカは自分だけが注意を受ける謂われはないことを主張します」
金髪(妹)「それは店長公認だから。 別に問題ないわ」
御坂妹「ふむ、所謂スキンシップというやつですか。 それではしょうがないですね。 と、ミサカは納得します」
あれをスキンシップと呼ぶのはどうかと思うが、彼らがそれでいいというのであれば、これ以上とやかく言うのは野暮と言うものだ。
もしかしたら、この緩いムードが新たな顧客を呼び寄せるかもしれないのである。
あくまでも『もしかしたら』の話ではあるが。
青髪の男「……ハッ!? ボクは一体何を……」
金髪(姉)「やっと起きたのね。 あなたにしては随分と遅かったわね?」
青髪の男「花屋のおねーさんが笑顔で手を振ってる夢を見たんよ。 もう少しで手が届きそうやったんやけどなぁ……」
金髪(姉)「たぶんそれに手が届いてたら、あなたは現世に戻って来れなかったわね」
青髪の男「あの綺麗なおねーさんと旅立てるんなら、天国だろうと地獄だろうとOKやで♪」
金髪(妹)「もうやだこの人……」
美琴(あの人達も相当苦労してるのね……)
変態に振り回され続ける金髪姉妹の姿を見て、流石の美琴も同情を禁じ得ない。
貞操を常に狙われ続けている自分程ではないにしても、その心労の程は容易に想像がつく。
もしかしたら良い友達同士になれるかもしれないと、美琴はふとそんなことを思った。
青髪の男「ん? なんや、お客さんがおるやないか!」
金髪(姉)「さっきからいたわよ。 あなたが気付かなかっただけで」
青髪の男「そうならそうと、はよう言うてくれればええのに。 しかも別嬪さんやないか~」
金髪(妹)「ちょっと青ピ! お客さんにまでちょっかい出さないでよね!?」
青ピ「大切なお客さんにそんなことはせぇへんよ。 店長に迷惑掛かってまうし、下宿させてもろてる身やからな」
金髪(妹)「それなら私たちにもちょっかい出さないでもらえる? あんたのせいで仕事が遅れまくってるんだけど」
青ピ「同じ従業員の仲やないの~。 それくらい大目に見てくれてもええやん」クネクネ
金髪(妹)「『親しき仲にも礼儀あり』って言葉、知ってる?」
妹の少女は青ピ――――青髪ピアスを非難の目で睨みつけるが、当の本人は全く意に介していないようだ。
むしろ嬉しそうにクネクネしているあたり、やはりかなりの筋金入りである。
この男と黒子を絶対に合わせてはならない。そんなことを漠然と思った美琴であった。
金髪(姉)「こらこら。 またお客さんそっちのけになってるじゃないの」
青ピ「おおっと、そうやったな。 すまんすまん」
金髪(妹)「誰のせいだと思ってるのよ……」
金髪(姉)「あなた達、買いたいものは決まった?」
美琴「そうね、えーっと……」
御坂妹「お姉さま、そろそろ新しいパンが焼き上がりますから、少し待った方が良いと思うのですが。
と、ミサカはどうせなら焼きたてが食べたい旨を伝えます」
美琴「そう言えばそうだったわね。 ねぇ、今って何のパンを焼いてるのかしら?」
青ピ「そうやな……ブレットとバケットと、後バターロールが今焼けるはずやで?」
金髪(妹)「その後にあんぱん、チョココロネ、りんごのデニッシュ、マフィンを焼く予定ね」
金髪(妹)「そろそろ夕方だし、夕食を買い求めに来る人のために沢山焼くつもりよ」
美琴「うーん、ブレットとバケットか……食べ歩きできるものじゃないわね」
御坂妹「バケットに齧りつきながら歩くのは流石に目立ちますね。 と、ミサカはバケットを片手に食べ歩いている姿を想像し、
流石にそれはねーよと自ら突っ込みを入れます」
美琴「バターロールはちょっと味気ないし、マフィンが出来るのはもっと後みたいだし……」
美琴「他に何かいいものは……ん?」
ふと店内の壁に目を向けると、そこには一枚の張り紙が貼られていた。紙にはこう書かれている。
『アイスクリーム各種(バニラ・いちご・チョコ・抹茶) 1カップ300円(税込)』
『新商品《さつまいも味》登場! 《紅赤》の甘味を存分に生かしたアイスです』
美琴「へぇ、アイスか……」
金髪(姉)「夏季限定で始めたのよ。 パンのついでにってことで買って行く人が多いわね」
御坂妹「アイスは全部で5種類ですか。 おや? 他にも選択肢がありますね」
金髪(妹)「アイスの下に敷くものを、コーンフレークとクルトンのどっちかから選べるよ」
美琴「クルトンってコーンポタージュとかに入ってるやつよね? 結構サクサクして病みつきになるのよね、あれ」
金髪(妹)「私も好きなんだよね。 だから店長に頼んで入れてもらったんだ。 材料のパンには事欠かないしね」
御坂妹「どうします? 食べますか? と、ミサカはお姉さまに問いかけます」
美琴「そうね。 値段も手頃だし、これにしましょ」
青ピ「それじゃあどんな風に食べたいか、希望を言うてぇな」
美琴「私はクルトンのバニラで」
御坂妹「ミサカはコーンフレークにさつまいも味でお願いします」
青ピ「はいよ~」
青髪ピアスはそう返事すると、カウンターの所へ向かい作業を始めた。
金髪の姉妹二人もどうやら店長の窯出しの手伝いをしに行ったようで、店内には美琴と御坂妹、そして青髪ピアスの三人のみとなった。
青ピ「ふ~んふ~ん♪ お、そうや、そこのお嬢さん?」
美琴「私?」
青ピ「人違いやったら悪いんやけど、もしかして君、カミやん……じゃわからへんか。
上条当麻を追っかけまわしてる子?」
美琴「!」ギクッ
青ピ「そのリアクションやと、間違いないみたいやね」
御坂妹「お姉さまのことを知っているのですか?」
青ピ「そりゃあもちろん。 何度かカミやんを追っかけ回してるとこ見たことあるし。
姿も似てたから、もしかしたら~と思うてな」
美琴「……」ダラダラ
御坂妹「あれだけ公衆の面前で追いかけ回せば、嫌でも噂になりますね。
と、ミサカは大衆の前で痴態を曝け出すお姉さまに対して溜息をつきます」ハァ
美琴「しょ、しょうがないじゃない! アイツ、何回挑んでも逃げてばっかりなんだから……」ブツブツ
青ピ「なんやお嬢さん、カミやんと勝負でもしたいんか?」
御坂妹「すいませんが、今のお姉さまの言葉には嘘が含まれています。 と、ミサカはズバリ指摘します」
青ピ「ん?」
美琴「ふぇ?」
御坂妹「お姉さまがあの人の突っかかっているのは、ただ単に構ってもらいたいだけむぐぅ!?」
御坂妹から先の言葉が続く前に、美琴はその口を両手で押さえつけた。
が、御坂妹は素早くその手を振り払い、すぐさま安全圏へと退避する。
御坂妹「ミサカは何も間違ったことは言ってないでしょう!
と、ミサカは事実を捻じ曲げようとするお姉さまの行動に抗議します!」
美琴「変な噂を立てられると私の立場が危うくなるのよ。 お願いだから黙っててもらえるかしら……?」
御坂妹「別にそんなことをしなくとも、既に手遅れだとミサカは認識していますが」
美琴「何ですって?」
御坂妹「冥土帰しの病院は色々と情報が集まりやすい場所なのですよ。 特に入院患者の世間話は良い情報源です。
と、ミサカは人が集まる所には情報も集まることを教えます」
御坂妹「『御坂美琴らしき人物が男を毎日追いかけ回している』と専らの噂ですよ。 と、ミサカは――――」
青ピ「え、お嬢さん『あの』御坂美琴なん? 第三位の?」
美琴「え?」
声に釣られて青ピの方向を見ると、彼は驚いたような顔をしてこちらを見ていた。
学園都市序列第三位の人物が目の前に居るのだから当然とも思えるが、どうやらそれ以外にも理由があるように見える。
ところが、少しすると今度は非常に深刻な顔をしてその場に考え込んでしまった。
その様子は先ほどの快活なものとはかけ離れており、多少の心の闇を含んだその表情は周囲の人に不安を与える。
おまけにブツブツと何かを呟いており、それがより一層不気味さを際立たせていた。
青ピ「ふ~ん……つまり、カミやんはこない美人な常盤台のお嬢さんに毎日追いかけ回されてるっちゅーわけね……」ブツブツ
青ピ「まさか『学舎の園』にまで手を出しとるとはなぁ……これは早急に対策せなあかんな……」ブツブツ
美琴「あの……どうしたんですか?」
青ピ「ん? あぁ、何でもあらへんよ! こっちの話や」
美琴が心配そうに話しかけると、青ピの表情はすぐに元のにこやかなものに戻る。
先ほどの異常を微塵も感じさせないほどの素早い変わり身だ。
何だったのだろうと美琴は思ったが、問い詰める意味もないのでこれ以上は気にしないことにした。
御坂妹「ところで、アイスはまだ出来上がりませんか? と、ミサカは未だに目的のものが出てこないことに不満を露わにします」
青ピ「すまんすまん、もうすぐできるで! 後はこれをこうして、と……よし! 完成や!」
青ピ「御坂さんはこっち、妹さんはこっちのアイスやね」
美琴「ありがとう」
御坂妹「ふむ、これがさつまいものアイスですか。 かなり甘い香りがしますね。
と、ミサカは人によってはこれを食べると胸焼けするだろうと考察します」
青ピ「妹さんの方は、甘いのはあんま好きじゃないん?」
御坂妹「いえ、そうではありません。 ただ少し、予想よりも香りが強かったので驚いただけです」
美琴「あむっ……ん~、美味しいわね~」
御坂妹「どれどれ……ふむ、さつまいものアイスというものは初めて口にしましたが、美味しいですね。
と、ミサカは中々いい仕事をしていると評価します。」
青ピ「まぁ、それ考えたんはボクやなくて、みのりんなんやけどな~」
~~~~♪ ~~♪
美琴「あ、電話……」
自分の携帯電話を懐から出して画面を見ると、そこには『初春飾利』の文字が映し出されていた。
何だろうと思いながら、美琴は通話開始のボタンを押して電話を耳にあてがう。
美琴「もしもし、御坂ですけど」
初春『御坂さんですか? 今どこに居ますか?』
美琴「今ちょっとパン屋に寄ってるところだけど……どうかした?」
初春『いえ、そろそろ下校時刻ですし、こちらの仕事も終わりそうなので連絡しただけです』
美琴「あ~、そう言えばもうそんな時間か……」
初春『一度こちらに戻りますか?』
美琴「そうね……黒子を迎えに行くついでに戻るわ。 多分、初春さん達が支部を出る頃には間に合うと思うし」
初春『そうですか。 じゃあ待ってますので』
美琴「えぇ」
ピッ ツー、ツー、ツー……
御坂妹「どうしましたか?」
美琴「初春さん達から電話。 5時に近いし、そろそろ帰らなきゃと思ってね。 アンタも一緒に来る?」
御坂妹「そうですね。 夜勤の時間帯までにはまだ時間がありますから、ミサカもついていくことにします。
と、ミサカは今後のスケジュールを加味した上で同意を示します」
美琴「そ。 じゃあ店員さん、美味しいアイスありがとね」
青ピ「ほな、今後も御贔屓にな~」
今回はここまで
東方分補充のため3キャラほど出してみました
そろそろ戦闘シーンが近いかも……
質問・感想があればどうぞ
これから投下を開始します
――――7月28日 PM7:57
御坂妹「その後は風紀委員活動第177支部へ向かい、そのままお姉さまと別れて現在に至るというわけです」
御坂妹「合流した時に少々問題が発生しましたが。 と、ミサカはこれまでの経緯を独り言のように呟きます」
その後パン屋から出た美琴と御坂妹は、アイスを食べながら一直線に支部に向かったのだが、
風紀委員一行に合流した直後にちょっとした騒動が起こった。
御坂妹が出会い頭に、初春に詰め寄られたのである。
原因は御坂妹が食べていたアイスにある。
彼女から漂ってくるさつまいもの甘い香りに反応したようで、そのアイスをどこで買ったのか興味を示したのだ。
甘い物好きの彼女が興味を示すのは当然とも言えるが、いくらなんでもがっつきすぎにようにも思えた。
ちなみに美琴は風紀委員支部に着く前にアイスを食べきっていたので、巻き込まれずに済んでいた。
御坂妹(あまりにも勢いがあったので思わず白状してしまいました。 と、ミサカは自分らしくなく動揺したことを思い出します)
御坂妹(まぁ、チョコレートを見せられた第二次世界大戦直後の子供のような反応を見たら、
ミサカでなくとも思わず後ずさりするでしょう。 と、ミサカは考察します)
そんなことをぼんやり考えながら、御坂妹はてくてくと歩みを進める。
若干心ここに在らずといった様子だが、だからと言って何処かの柱に頭をぶつけるというへまはしない。
美琴ほどではないにしても、彼女は電磁波を利用したレーダーを使うことができる。
その範囲は自分の周囲半径1メートル程とかなり狭いものであるが、暗い所で物を避けて歩くときは非常に重宝するのだ。
しかしこの『欠陥電気』、生活面に於いてはそれ以外に役立つ場面があまり無かったりもする。
せめてレベル4くらいあれば違ったのかもしれないが、無い物ねだりをしてもしょうがないだろう。
御坂妹(有って困るものでもないですし、現状に不満というものは有りませんが。
と、ミサカは足るを知る女性であることをアピールします)
御坂妹(それは置いておいて、家に着いたら仕事の支度をしなければなりませんね)
学園都市に存在する『妹達』は打ち止めと番外個体を除いて5人が冥土帰しの病院で働いている。
しかし全員が全員毎日のように働いているわけではなく、昼間が二人、夜間が二人、
一人が休みという役割をローテーションしながら勤務している。
御坂妹(ミサカの休暇も今日で終わりですね。 今度の休暇はまた1週間後です。
と、ミサカは平日前夜の陰鬱な心境を実感します)
御坂妹(文句を言ったところで何か変わるというわけでもないのですが。
そろそろ急ぎますか。 夜勤の始まりは9時からです)
御坂妹は思考を全て中断し、自分の家に向けて本格的に歩き始める。
家は仕事場の近くに立地しているので通勤するための時間はそれほどかからないが、
準備の時間を含めると意外とぎりぎりの時間かもしれない。
冥土帰しがいくら温厚な人だとしても、勤務時間に遅れるのは失礼以外の何物でもなく、社会的にも非常識な行動だ。
早く家に帰って仕事の支度をしなければ。
御坂妹「……おや?」
そこで御坂妹は異変に気付く。それと同時に眼を見開いた。
大抵のことでは驚かない彼女である。しかし、今回に限っては違った。
それは『異変』という稚拙な言葉で片付けられる変化ではなく。
何故今まで気づかなかったのか。自分の脳はどこかおかしくなってしまったのではないのかと思えるほどの劇的な変化だったからだ。
御坂妹「……ここはどこでしょうか? と、ミサカは疑問を呈します」
彼女はいつの間にか、人気のない路地裏にいた。
大通りからかなり離れているのだろう。車が走る音すら聞こえず、静寂が周囲一帯を支配している。
おまけに日の光も殆ど差し込まないため、視界が非常に悪い。
よく目を凝らさないと、足元に置かれている物に躓いてしまうかもしれない。
何故ここに至るまで、自分は全く疑問を抱かなかったのか。
いくら考え事をして歩いていたとしても、こんな所にまで足を運んでしまうなどどう考えてもおかしい。
まさか能力者の仕業だろうか。精神系の能力者であれば、人を無自覚のまま誘導するなど朝飯前だろう。
美琴であれば電磁バリアのおかげで精神系能力の干渉は一切受け付けないが、残念ながら御坂妹の能力はそれに数段劣る『欠陥電気』。
ある程度のレベルを持つ能力者相手では、精神の干渉を受けてしまう可能性も十分にあり得る。
御坂妹(とにかく、早く元の道に戻らなければなりませんね。 と、ミサカは今するべき行動を弾き出します)
相手が何の目的でこのようなことをしたのかはわからないが、少なくとも善意で起こした行動ではないことは確かだ。
心無い組織が『妹達』の捕獲のために仕掛けて来たという最悪のケースも考えられるため、
できるだけ速やかに人の多い所に移動する必要がある。
流石に公衆の面前で誘拐しようとするような愚か者ではないはずだ。
御坂妹(とりあえず最終信号に連絡しますか。 と、ミサカは件のチビッ子に対して通信を試みます)
打ち止め『……はーい、こちら最終信号だよって、ミサカはミサカは応答してみたり!』
御坂妹『最終信号、報告したいことがあって連絡しました。 と、ミサカは理由を説明します』
打ち止め『急に改まってどうしたのって、ミサカはミサカは10032号の言い草に少し驚いてみる』
御坂妹『普段は粗暴な物言いかのように聞こえる表現の仕方は止めてもらいたいのですが。
と、ミサカは最終信号の言い方に抗議します』
打ち止め『だってあなたって、いつもあの人の悪口言ってるでしょって、ミサカはミサカは10032号に指摘してみる』
御坂妹『セロリはいじってなんぼの存在ですよ。 と、ミサカは一方通行をいじるのはノーカウントであることを主張します』
打ち止め『もうっ、どうなっても知らないからねって、ミサカはミサカは警告してみる!』
御坂妹『あのもやしに何ができるのか是非ご教授願いたいところですが、今は置いておきましょう。
と、ミサカは話を本題に移します』
話題を本筋に戻し、御坂妹は簡潔に今起こったことを手短に伝える。
もちろん周囲への気配りは忘れない。いつ、何処から敵が仕掛けてくるかわからないのだ。
電磁レーダーで周りを把握しながら視界が悪い道を駆け抜ける。
打ち止め『……ってことは襲撃を受けたのって、ミサカはミサカはもう一回聴き直してみる』
御坂妹『襲撃、というには大袈裟かもしれませんが、何かしらの干渉を受けたことは間違いありません』
御坂妹『他の個体も標的になるかもしれないので、一応注意するよう通達してくれませんか?
と、ミサカは最終信号に情報の伝達を依頼します』
打ち止め『それはわかったけど、お姉さまには報告するのって、ミサカはミサカは聞いてみたり……』
御坂妹『いえ、この程度のことでお姉さまに心配をかけさせるわけにはいきません。
どうしても手を借りなければならない場合のみ協力を持ちかけましょう。 と、ミサカは返答します』
打ち止め『わかったよって、ミサカはミサカは同意してみる!』
御坂妹の意志に、打ち止めは強く同意の意を示した。
姉に頼るのはあくまでも最終手段。いつまでも甘えてばかりではいられない。
自分達は学園都市第三位と血を分けた妹達なのだ。ちょっとやそっとの困難くらいは自分の力で撥ね退けなくては。
御坂妹『……おかしいですね』
打ち止め『どうしたの?』
御坂妹『かなりの距離を走ったつもりですが、一向に大通りに辿り着く気配がしません。
と、ミサカは自身が感じている違和感を説明します』
御坂妹は一旦走るのを止め、息を整えつつ周囲を見渡しながら疑問を口にする。
今の御坂妹はこれまで、少なくとも一級アスリート並みの速度を維持して走り続けていた。
体内の生体電流を操作し、足の筋肉を補強することによってできる芸当だ。
華奢な女子中学生の肉体でありながら様々な重火器を扱い、大人相手に近接格闘を挑める理由がここにある。
素人相手ならば、例え無手であっても圧倒することができるだろう。
それなのにも拘らず、未だに人通りの多い場所へ辿り着けないのは何故なのか。
打ち止め『もしかして、道を間違えたのかなってミサカはミサカは考えてみたり』
御坂妹『いえ、それはあり得ません。 と、ミサカは方向音痴のレッテルを貼られかねない最終信号の考えを即座に否定します』
彼女の頭の中にはこのあたり一帯の構造についての知識が入っている。
元々は『絶対能力進化』において、一方通行と戦闘するために『学習装置』を用いてインプットされたものであるが、
日常生活でも色々と役に立つものなので、時折巡回して知識の更新を行っているのだ。
御坂妹『このあたりの地形は常に把握しているので、道順を間違えることはあり得ません』
打ち止め『じゃあ他にはどんなことが考えられるのって、ミサカはミサカは10032号の考えを聞いてみる』
御坂妹『現在進行形で精神系能力者の干渉を受け続けている可能性があります。 と、ミサカはできれば避けたいケースを挙げます』
御坂妹『もしかしたら目的地を目指しているように見えて、実際はこの周辺をぐるぐる回っているだけなのかもしれません』
打ち止め『うーん、そうだとすると、まずはその能力者をなんとかしないといけないね。 どこにいるのかな?』
御坂妹『精神系能力者が相手に干渉する際は『見えない糸』を脳に潜り込ませ、
微弱な電流を流すことでシナプスのシグナル伝達を操作し相手を操ります』
御坂妹『『見えない糸』の長さはレベルに依存しますが、『心理掌握』程の技量が無い限り、
どれだけ糸が長くても自分の視野外から能力を行使するのは困難です』
御坂妹『ですから、少なくともミサカのことを観察することができる場所に陣取っているはずです。 と、ミサカは考察します』
打ち止め『ってことは、この周りを探せばすぐ見つかるかもって、ミサカはミサカは予想してみたり』
御坂妹『はい。 ですが、相手にする必要はないでしょう。 電磁バリアを最大にすれば干渉を遮断することができるはずです』
御坂妹『しかし演算の大半をそれに裂くことになるので、しばらくの間ネットワークに繋げることができなくなりますが。
と、ミサカは現状考えられる対抗策とそのリスクを考察します』
強力な電磁波を身に纏うことで、精神系能力者の『見えない糸』から送り込まれる電流を遮断することができる。
美琴はこの力を電磁レーダーなどの他の力と併用することができるが、
美琴の1%にも満たぬ力しか持っていない御坂妹では、自分が持ちうる力全てをそれのために傾けなければならない。
当然その間は他の力は使えなくなるわけであり、今回の場合において言えば御坂妹の身体能力は、
中学生の平均より少し上くらいの程度にまで低下してしまう。
CQCを会得しているので1対1の肉弾戦であれば何とかなるだろうが、もし相手が『妹達』を認知している存在であった場合、
近接戦闘という反撃の危険性がある行動を選ばずに、遠距離から安全に攻撃する手段を取るだろう。
干渉を遮断したら相手側が攻撃を仕掛けてくる前に、速やかにこの場から退避しなければならない。
御坂妹『もし15分以上ミサカがネットワークに接続しなかった場合はお姉さまに連絡してください。
と、ミサカは万が一の時のために最終信号にお願いします』
打ち止め『わかった。 もし増援が欲しくなったらすぐにミサカに連絡してね』
御坂妹『了解です。 と、ミサカは返答してネットワークを切断します』
御坂妹はミサカネットワークから自分の意識を切断すると、すぐに自身の周囲を覆う電磁波の強化を開始する。
出力を上げて行くうちに地面にある砂や埃が動き始め、能力によって生じた電界に沿った複雑な紋様を作り上げていく。
しばらくすると――――
バチン!
と、何かが弾けるような音が御坂妹の首筋から鳴った。
御坂妹(――――っ! ……お姉さまによれば精神系能力者の干渉を防御すると音が鳴るそうなので、
どうやら成功したようです。 と、ミサカは判断します)
御坂妹(痛みまで伴うことは聞いていませんでしたが。 と、ミサカは不十分な知識を教えたお姉さまに不満を持ちます)
御坂妹(さて、後はこの場から離れるのみですが、その間に襲撃を受けないことを祈りましょう)
その思考を最後に、御坂妹は踵を返してそのまま走って行った。
* * *
「……あーあ、逃げられちゃった」
御坂妹が立ち去り、その姿が見えなくなった頃。
一人の少女が先ほどまで御坂妹がいた場所に歩いてきた。
淡い緑色のウェーブがかかった髪に、頭にはリボンが結ばれた黒色の帽子を被っている。
着ている服は黄色を基調とした上着に緑色のスカート。
全体的に地味な配色であるが、それが不思議と少女の雰囲気に合っていた。
緑髪少女「もう少し遊びたかったけど、向こうから手を切られちゃったら諦めるしかないよね」
緑髪少女「色々やってみようと思ってたんだけどなぁ……でも、しょうがないか」
しょうがない、しょうがないと呟きながら、少女は陽気に歩みを進める。
こうは言っているが、少女の顔には依然として口元は笑っており、その顔からは微塵も落胆の感情を見出すことはできない。
しかしその一方で、喜びや楽しみの感情を持っているようにも見えない。『笑み』を浮かべているにも拘らず。
それはまるで『張り付けられたような笑み』。顔は微笑んでいても、その緑色の目は全く以って無感情。
その矛盾によって生じる隠しようのない違和感が、少女の不気味さを強烈に浮き彫りにしていた。
緑髪少女「今度は何をして遊ぼうかなぁ。 かくれんぼはもう飽きちゃったし」
緑髪少女「またお人形を集めて飾ってみるのもいいけど、すぐダメになっちゃうしなぁ……」
緑髪少女「何か他に面白いことはないかな?」
少女は疑問を投げかけるが、その問いに答える人間は無論この場にはいない。
しかし少女にそれを気にする様子はなく、やがて何かの答えを得たかのように満足げな表情になる。
緑髪少女「今度は探検ごっこにしよっと♪ まずはあのおっきな建物からかな~」
少女はそう言うと、今来た道を後戻りして闇夜の中に消えて行く。
後に残るのは静まり返った薄暗がりの石の回廊。
その日は二度と、この路地裏に誰かが訪れることはなかった。
今日はここまで
質問・感想があればどうぞ
やっぱ地底組はロクでもないのしかいないのかー!?
一瞬魅魔様かと思ったけど言われてみれば……
無意識のうちに思考から外すなんて怖い
乙
最初の方に出てた尾行者か
応用の利く異質な能力を持ってそうだが本筋に絡むのはいつになることやら
>>279
だって、地底に住む妖怪はみんな問題児だし……(震え声)
>>280
魅魔「あたしゃここにいるよ……」
まぁ、出番は考えてありますのでご安心を
>>281
最初に美琴を尾行していた人間と御坂妹を尾行していた人間は同じです
どう本筋に絡ませるかは思案中
これから投下を開始します
* * *
御坂妹(今の所、襲撃の兆候は表れていませんね。 と、ミサカは現在の状況を確認します)
周囲を警戒しつつ、御坂妹は思案する。
電磁バリアを駆使しつつ走り始めてから数分。現在に至るまで攻撃に類するものは受けていない。
このまま何事もなく走り抜けたいところだが、奈何せん、ここ一帯は建造物の乱立により道が非常に入り組んでいる。
常に全速力を維持したいところだが、随所にある曲がり角がそれを許さない。
角を曲がる際の加速と減速が走るリズムを乱し、必要以上の体力を奪っていく。
御坂妹(予想していましたが、思ったよりも体に負荷がかかります)
御坂妹(最近平和続きで体が鈍ってきているようなので、これが終わったら今一度鍛え直す必要がありますね。
と、ミサカは自分の肉体の弱体化を実感し、トレーニングプランの構築を考慮します)
鈍ってきているとは言っても、御坂妹の身体能力は平均的な女子中学生のそれと比較すればかなりのものである。
少なくともただの一般人であれば、大の大人が相手でも軽くあしらうことができるだろう。
しかし彼女は色々と訳ありの身。相手が一般人ではないことも十分にあり得る。
もしも何かの不足な事態に巻き込まれ、そのような存在に対峙することになった場合、
脅威から身を守ることができるだけの最低限の力は維持しておかなければならない。
御坂妹(基礎的な体力作りはスポーツジムで何とかなるとして、問題は戦闘技術をどう鍛えるかですか)
御坂妹(他の個体と感覚を共有すれば知識を補うことはできますが、精神だけでなく肉体の面でも差別化が進んでいますし、
共有した感覚をそのまま利用することは難しいかもしれませんね。 と、ミサカは考察します)
御坂妹(いっその事、他の個体を相手に組み手をするべきでしょうか。 と、ミサカは――――?)
御坂妹は突然立ち止まり、そのまま背後を振り向く。
視線の先に見えるのは、これまで走ってきた月明かりも届かぬ暗闇の道。
通路の脇には角材や鉄筋といった建築材や、何が入っているのかわからないドラム缶などが乱雑に放置されている。
それ以外に何か目につくようなものはない。生き物のようなものはいないし、当然のことながら人影などありはしない。
だが――――
御坂妹(……誰かいますね。 と、ミサカは自分の直感が警鐘を鳴らしていることに気付きます)
姿は見えないが、誰かがこちらを見ている。
過去に幾度も修羅場を潜り抜けて来たことによって培われた第六感が、御坂妹にその視線を気付かせた。
こちらを観察している人物は果たして何者だろうか?
自分に干渉してきていた精神系能力者か?もしそうだとするならば、相手は走って逃げる御坂妹を追いかけて来たということになる。
しかし、御坂妹が自分を追いかけている人間に今まで気づかなかったというのは少々不自然だ。
音が反響しやすいコンクリートの建造物が周囲を取り囲んでいるのである。
下手に足音を立てれば、たちまちその音は御坂妹の耳に届いてしまうだろう。
電磁レーダーを使えないとはいえ、周囲を警戒していた彼女がそれを感知できないということは考えにくい。
やはり一番あり得る可能性は、精神系能力者の仲間がこのあたりで御坂妹を待ち伏せしていたということか。
何人いるのかはわからないが、御坂妹を捕獲するためだとするならば、少なくともここ一帯をカバーできるだけの人数はいるはずだ。
御坂妹(これはいよいよ急いだ方が良いかもしれませんね。 もたもたしていると包囲されかねません)
御坂妹(精神系能力者の干渉はもう無いようなので、今からは電磁レーダーと身体強化を併用して進みますか。
と、ミサカは考えて行動に移します)
* * *
「……」
地上より20メートル弱ほど上空。
廃ビルの6階にある部屋の一角に、一人の人間の姿があった。
漆黒のコートに身を包み、頭にはフードを深々と被っている。
そのため辛うじて顔の下部を覗き見ることはできるが、全体を観察することは叶わない。
まるで闇に溶け込むように身を潜めながら、彼は地上を見下ろしていた。
この者は『とある目的』を果たすために、これまで人気の少ない路地裏一帯を駆け回っていた。
その目的の内容とは、妙齢の女性――――できれば中学生程度――――を見つけ、それから『ある物』を得ることである。
そしてその『ある物』を然るべき人物に届けることで、その任務は果たされるのだ。
今回課されたノルマは3人分。1人分で済んでいたいつもと比べると、優に3杯の量である。
それを今日の21時までに届けなければならなくなっているため、時間制限も相まって任務の難易度は桁違いだ。
だが幸いなことに、既に2人分を回収することに成功している。
回収するには標的が一人でいることが条件のため、本当に運が良かったと言えるだろう。
最後の標的である眼下に居る少女から手に入れることができれば、後は帰還するだけだ。
向こう側がこちらの気配に気づいているようなそぶりを見せているのが気になるが、
どうやら正確な位置までは把握できていないらしい。
多少リスクはあるが、自分の能力を持ってすれば問題ないレベルだろう――――
そう判断して眼下の少女が再び動き始めたことを確認すると、彼は自身の能力を発動して窓辺から飛び降りた。
ビルの6階から飛び降りるなど、傍から見れば自殺行為以外の何物でもない。
例え運良く死を免れることはできても、落下の衝撃で下半身に深刻な傷を負うことになるのは避けられない。
だがこの者に限っては、その心配は全くの杞憂であった。
「……」スッ
懐から取り出したのは、手のひらに収まる程度の黒い機械――――スタンガン。
これまで襲って来た人間は一人の例外を除き、この機械を用いて一撃で昏倒させている。
その例外も、正確に言えば襲撃自体に失敗したわけではなく、目撃者の対処のためだったので、
実質的には今まで一度も獲物を逃していないと言えるだろう。
スタンガンを右手に構え、目の前の少女の後ろ首に狙いを定める。
もはや相手は目と鼻の先。この一撃を外すことなどあり得ない。
襲撃者は黒い凶器を少女の首に押し当てると、そのまま戸惑うことなくスイッチを押した。
バチィッ!
スタンガンから火花が飛び散り、小さな破裂音が周囲に木霊する。
機械から放たれた電流は少女の肉体を駆け巡り、気を失った彼女はそのまま前のめりに――――
倒れこまなかった。
ガシッ!
「――――!?」
「せいっ!」
手首を掴まれるのを感じて間もなく、その者の視界は反転する。
そしてそのまま受け身を取ることもできずに、少女の手によって地面に叩きつけられた。
今日はここまで
う~ん、誤字った。すいませんが、大目に見てください
あと過去を見返してみたら、間が抜けたまま放置している箇所を発見
今更修正するべきなのかどうか悩みどころ
質問・感想があればどうぞ
乙
>地底に住む妖怪はみんな問題児
どこかの風紀委員「‥」
黒服はとりあえず「彼」なんだな
それとも「3杯」だけじゃなくここも誤字か?
>>301
『彼』という言葉は男女問わず使える言葉ですが、紛らわしかったですね
これから投下を開始します
* * *
御坂妹「せいっ!」
御坂妹は襲撃者の手首をつかみ取ると、腕をひねり上げて地面に叩きつける。
相手の体格は自身よりも大きいが、体術を会得している御坂妹にとってはそのハンデなど無いに等しい。
ドサッ!
襲撃者「ぐっ!」
御坂妹「残念ですが、ミサカは『電撃使い』なので電気には耐性を持っているのですよ。 と、ミサカは解説します」
地面に伏せている襲撃者を見下ろしながら、御坂妹は少し自慢げに口にした。
超能力を会得した人間は、その能力の他に副次的な力を手にすることがある。
『発火能力者』がある程度の熱に耐えられるようになったり、『空力使い』が風の流れを視覚できるようになったり。
念動系能力や精神系能力の場合は、自分より格下からの干渉を防御することができるようになるのだ。
御坂妹の場合においては、『電撃使い』から派生した『電気への耐性』。
体に電流を流されたとしても、ある程度までならば火傷や筋肉硬直による運動障害を負うことなく、
普段通りに行動し続けることができるのである。
御坂妹(ふむ、背丈の割には思ったより軽かったですね。 コートを着ているので細部はわかりませんが、女性でしょうか?)
御坂妹(このまま気絶させるのもいいのですが、その前に顔を確認しましょう。 と、ミサカは襲撃者のフードを――――)
襲撃者「……」
ビュッ!
御坂妹「!」バッ!
掴んでいない襲撃者の左腕がこちらに振りかぶっているのを見た御坂妹は、すぐにその場から退避してその腕をかわす。
鉄色をした何かが、先ほどまで御坂妹の腕があった場所を通り過ぎた。
その手に握られていたのは一本のナイフ。
刃渡り数十センチの、所謂コンバットナイフに分類されているものである。
御坂妹も『絶対能力進化』の訓練の中で、一度手に取ったことがある代物だった。
御坂妹「怪我したらどうするんですか。 と、ミサカは突然の不意打ちに対して抗議します」
襲撃者「……」
御坂妹は軽口を叩くが、相手がそれに対して反応することは無かった。
起き上がった襲撃者は右手に持ったスタンガンを懐にしまうと、左手のナイフを持ち替えて構えを取る。
見るからに臨戦態勢。引く気はないようだ。
御坂妹(どうやら逃げてはくれないようですね。 随分と面倒なことになりました。
と、ミサカは厄介事に巻き込まれたことに対して、心の中で溜息をつきます)
失敗した時点で諦めて逃げてくれると良かったのだが、やはりそう都合良くはいかない。
大抵の悪人は、引き際というものを知らない。
場数を踏んだ悪党ならば、状況の有利不利を判断して行動することができる。
しかし、それができる者は極少数。目前の成果に目が眩み、引き際を誤る小悪党の方が圧倒的に多いのだ。
従って、御坂妹は目の前の襲撃者をそれらと同じ質のものだと判断し、それ程の脅威ではないと結論づけた。
御坂妹(見た所ナイフの扱いには長けているようですが、構えは我流のようです。 と、ミサカは分析します)
御坂妹(体術ならばミサカも負ける気はありませんが、問題は相手が持つ能力ですね)
御坂妹(スタンガンを首に押し当てられるまで、ミサカはこの女性を全く関知することができませんでした)
御坂妹(そこから考えられる能力は――――)
襲撃者「……」フッ
バリバリバリィ!
襲撃者「!?」
御坂妹「――――『空間移動』ですね。 と、ミサカは襲撃者の能力に当たりを付けます」
御坂妹はゆっくりと背後を振り向き、襲撃者を見据える。
突然姿を消した襲撃者に対し彼女が行った行動は、全方位へ向けた放電攻撃。
襲撃者が『空間移動』の持ち主である以上、相手の攻撃が何処から来るのかを見極めるのは難しい。
ならば最初から見極めるという考えを捨て、自分の周囲を全て攻撃してしまえばいいだけの話だ。
電流が分散してしまうため、指向性を持たせた電撃よりも威力は若干劣るが、
相手の筋肉を痙攣させて身動きを取れなくすることくらいは容易い。
だがこの方法が通じるのは、これが最初で最後。
元々不意打ちのような攻撃だ。仕留めることができなければ、今後相手が接近戦を挑んでくることはない。
御坂妹「……あれを躱しましたか。 随分と勘が良いですね。 と、ミサカは襲撃者の勘の良さを褒めます」
御坂妹「ですが、完全に無傷というわけではないようですね」
襲撃者「……っ」
果たして、襲撃者は御坂妹の罠を回避して見せた。
しかし金属刃のナイフを右手持っていたために電流が引き寄せられてしまい、右腕が感電してしまったようだ。
感電によって手に力が入らなくなった結果、ナイフを地面に落してしまっている。
身動きを完全に封じるまでには至らなかったが、相手の戦力を削ぐことができた事実は大きい。
自分自身をテレポートできたということは、レベル4相当の『空間移動』を会得しているということである。
誰が見ても御坂妹が持つ能力では、真っ向勝負で勝利するのは難しい。
だが相手が負傷している今であれば、勝利の可能性は格段に上がっているはずだ。
襲撃者「……」チャキッ
襲撃者は地面に落としたナイフを拾い上げるようなことはせず、左手を自分の太ももに伸ばすと、
その場所に巻き付けてあったナイフケースから新しい得物を抜き取り、構えた。
御坂妹「右手が使えなくなっても諦めませんか。 しつこいですね。 と、ミサカは襲撃者の執念に辟易します」
御坂妹「このまま放置しては他の個体にも被害が及ぶかもしれないので、あなたを見せしめに叩きのめすことにしましょう」
御坂妹「不用意にミサカ達に手を出したことを病院で後悔しなさい。 と、ミサカは襲撃者に告げ、戦闘を開始します!」ダッ!
襲撃者「……」バッ!
その言葉を最後に、御坂妹と謎の襲撃者は同時に駆け出す。
人気のないこの場所で、能力者同士の闘争が幕を上げた。
短いですが今日はここまで
質問・感想があればどうぞ
これから投下を開始します
――――7月28日 PM8:03
黒子(えっと、事件資料Bの7は……これですわね。 次は……)
常盤台中学学生寮208号室。
その部屋で黒子は自分の机にあるPCの前に向かい、黙々と『風紀委員』の仕事をこなしていた。
彼女が行っているのは、風紀委員177支部に送られてきた資料の整理である。
風紀委員支部に送られてくる資料の類は、重要なものでない限りは電子メールの形で送られてくる場合が殆ど。
データ形式の資料は、紙媒体によるものとは違って場所を取らないために色々と都合がよいからである。
しかし形の無いものであるが故に、進んで整理しようと思わなければ乱雑に放置してしまいがちだ。
データファイルがあちこちに散逸し、最終的にはどんな資料をどこに仕舞ったのかわからなくなってしまう。
そうならないためにも、資料の種類をリスト化してわかりやすくする必要があった。
本来であればこの仕事は初春が行うはずだったのだが、見回りばかりでは良くないという固法の考えにより、
今回は黒子がこの仕事を担当することになった。
そして仕事を命じられた黒子は数ヶ月分の資料データを持ち帰り、こうして自室で仕事に励んでいるのである。
正直な所、事務処理的な能力に関しては黒子よりも初春の方が遥かに上手なので、彼女はこの仕事にあまり乗り気ではない。
だが手を抜くといざという時に資料を探すのに手間取ってしまい、その結果大きな失敗を招くことにもなりかねない。
地味ではあるが、重要な仕事なのである。
黒子(初春が日頃からある程度整理していてくれたおかげで、幾分はマシではあるのですけど……)
黒子(やはりこのような仕事は性に合いませんわね)ハァ
美琴『~~♪ ~~~♪』
黒子(……お姉さまの美しい歌声をBGMに作業するというのも乙なものですけど)
美琴は黒子より先にお風呂に入っている。どうやら今はシャワーを浴びている途中のようだ。
温水がタイルに打ち付けられる音に混じって、少女の鼻歌がバスルームに木霊している。
黒子(……ものすごく、バスルームに突撃したい気分ですわ。 お姉さまの背中をお流しして一緒に浴槽に浸かりたいですの)
黒子(でもそれをすると、この仕事が今日中に終わらなくなる可能性が……何というジレンマ!)
黒子(流石にこれ以上失態を犯しては、固法先輩からどんなお仕置きを受けてしまうかわかりませんし……)
黒子(ここは黒子、涙を飲んで作業に戻るとしましょう)
美琴と一緒にお風呂に入ることを諦め、再び机に向かう黒子。
パソコンを操作していると、今度は目を引く単語が使われている資料を発見した。
黒子(これは……『風紀委員本部(サプリームコート)』からの通達書。 固法先輩当てですわね)
『風紀委員本部』とは学園都市全23学区に分散する風紀委員支部の元締めであり、第1学区に所在している。
『風紀委員』の中でも選りすぐりの人間が集う場所だそうだが、黒子や初春は外から建物の景観を見たことがあるだけだ。
故に、2人とも内部の状況を詳しく知っているというわけではない。
一方固法は会議などで何回か中に入ったことはあるが、訪ねてもあまり詳しく様子を教えてもらえなかった。
『風紀委員』のトップである本部長とも会ったそうだが、聞いても口を閉ざしたままである。
話題を出した途端、まるで思い出したくないとでも言うかのように陰鬱な表情になるのだ。
そのため、177支部では『風紀委員本部』の話題はできるだけ避ける傾向にあった。
黒子(風紀委員本部長……どのような方なのか、とても気になりますわ)
黒子(名前だけは聞いたことはありますが、実際にお会いしたことはありませんでしたわね)
黒子(噂ではどんな凶悪犯でも、本部長を前にすると子猫のように大人しくなるそうですけど……)
黒子(固法先輩も畏れる人物……できれば、『風紀委員』の長に相応しい方であることを祈りたいですわね)
ガチャッ
美琴「黒子、お風呂上がったわよ」
黒子「了解ですの。 お姉様」
入浴を終わらせた美琴が、バスタオルで頭を拭きながら部屋へと戻ってきた。
シャンプーのものであろうフローラルな香りが彼女から漂い、部屋の中を充満する。
湿った髪と少し湯気を上げている思春期途中の肢体が、彼女をより艶っぽく見せていた。
美琴「ふぅ……スッキリしたわ」
黒子(お風呂から上がりたてのお姉様……むしゃぶりつきたくなるほど魅力的ですわ!)
黒子(思わず跳びかかってしまいそうですけど、それをしてはわたくしの汗の匂いがお姉様に染み付いてしまいますの……)
黒子(先に体の不潔を洗い流して、身を清めてからですわね)
美琴「? 黒子、早く入らないとお湯が温くなるわよ?」
黒子「わかりましたですの」
催促する美琴の声を聞いた黒子は、着替えを持つとそそくさと風呂場へと向かい、着衣所の扉を閉めた。
黒子「……」ゴソゴソ
いつも通り上下の服を脱ぐと、脱いだ服はポケットに物が入っていないか確認してから自分の洗濯籠に入れておく。
後の洗濯は学生寮に駐在しているメイドがやってくれるので非常に楽なものだ。
同じ『学舎の園』にある別の寮では、着替えすらもメイドにさせているという噂もある。
何処の王族貴族だと言いたいが、『あり得ない』と言えない所が恐ろしい。
黒子(さて、今のお湯加減は……)
黒子は美琴の入浴の余韻が残るバスルームに入ると、初めに湯船のお湯の温度をチェックする。
彼女はどちらかというと、熱い湯に入るのが好みな性格なのである。
黒子(……少々温めと言ったところですわね。 湯を足しましょうか)
そう判断すると、熱湯のバルブを捻り浴槽に流し込んだ。
何度か湯をかき混ぜた後に浴槽に足を入れ、体を沈ませて湯船に浸かる。
温かい湯が、彼女の全身を包み込んだ。
黒子「あ゛~、癒されますわ……やはり仕事の後の入浴は格別ですわね」
美琴『ちょっと黒子、外まで聞こえてるわよ。 それになんか年寄り臭い』
黒子「気持ち良いのは事実なのですから、仕方ありませんわ」
黒子はそう話しつつ、じっくりと入浴を堪能する。
段々とお湯も温度も上がってきている。もう少しすれば大分体も温まるだろう。
美琴『黒子~』
黒子「どうしたんですの?」
美琴『牛乳って全部飲んじゃったんだっけ?』
黒子「それはわたくしが今朝飲み終えてしまいましたわ」
美琴『そっか……お風呂上りに一杯飲もうかと思ったんだけど……』
黒子「……お姉様」
美琴『何?』
黒子「その台詞はオヤジ臭いですわよ」
美琴『む……』
黒子「お返しですわ」クスクス
十分に体が温まった黒子は蛇口のお湯を止めると、浴槽から出て体を洗い始めた。
始めに体を洗うためのタオルにボディーソープを付け、少しずつ泡立てる。
きめ細かい泡が泡立ったらそれを自分の肌に塗り、タオルで丁寧に擦っていく。
力を込めてはいけない。皮膚の必要な油分まで落としてしまい、肌荒れの原因となる。
だから表面を撫でるように、優しく……
黒子(淑女たるもの、お肌の手入れは念入りにしなくてはなりませんわ)
黒子(その点、お姉様は少々その手のことに疎い気がしますわね)
黒子(お姉様はあのような性格ですから、仕方のないことなのかもしれませんれど……)
黒子(だからこそ、わたくしがお姉様の絹のような美肌を守らなければならないんですの!)グッ!
などという美琴に対する忠誠を心の中で叫びつつ、黒子はシャワーの蛇口を全開にする。
しかしこの時、黒子はあることを失念していた。
先ほど浴槽の湯の温度を上げるため、温度設定を熱めに調節していたのだ。
その設定を変えずにシャワーの蛇口を捻った結果……
キュッ ジャァァァァ!
黒子「あっつぅ!?!?!?」
熱湯を頭から被ることになった。
黒子「熱っ! 熱いですの!」
その湯の熱さに、黒子は堪らず浴槽に飛び込む。
水飛沫と共に、大きな音がバスルームの中を響き渡った。
突然の騒ぎに、美琴が外から心配そうな声を投げかけてくる。
美琴『ちょっと黒子、何やってんの?』
黒子「い、いえ、お姉さま。 何でもありませんわ。 お気になさらず……」
美琴『はぁ、しっかりしなさいよ……っと、電話電話』
美琴は呆れたように言うと、携帯電話を取りに部屋の向こうへと行ってしまった。
熱湯が放出されるシャワーの音が聞こえる中で、黒子は浴槽の中で己の犯した失態に身悶える。
黒子(お姉さまに恥ずかしい所を見せてしまいましたわ……黒子、一生の不覚……)
黒子(はぁ、さっさと髪を洗って、お風呂から上がることにしますの……)
暗鬱な気分になりながらシャワーの温度を調節し直し、椅子に座って再び髪を洗い始める。
気を紛らわすかのように少々乱暴に髪を揉み洗うと、シャワーで泡を念入りに洗い流して再び浴槽に入る。
そのまましばらくぼーっと呆けていたが、そろそろ寮監が見回りに来ることを思い出し、お風呂から上がることにした。
コンコン
寮監「御坂、白井、入るぞ」
黒子「少々お待ちくださいまし!」ゴソゴソ
着衣場で服を着ながら、廊下に居る寮監に対して声を張り上げる。
門限は8時20分なのでそろそろ来るとは思っていたのだが、どうやらタイミングを見誤ったらしい。
もう少し時間を考えてからお風呂に入るべきだったと後悔するが後の祭りだ。
もたもたしていると鬼寮監に不審がられるので、多少の服の乱れを無視しつつ着衣場を出る。
黒子(お姉様がおりませんわね……もしかして、他のお部屋に?)
黒子(もしそうだとするなら、急いで戻ってもらいませんと……おや?)
頭を拭きながら部屋の中を歩き回ると、自分の机の上に書置きがあることに気がついた。
それを拾い上げてみると――――
『ちょっと急用ができたから出かけてくる。 寮監への言い訳はお願いね。 by美琴』
黒子「」
手紙の文面を見て頭の中が真っ白になる黒子。
どうやら『また』門限を破って何処かに飛び出して行ってしまったらしい。
美琴が門限を破ること自体は、こう言っては何だが珍しいことではない。一年前にも同じような状況になったことはある。
しかしその時は彼女が何か重要なことのために奔走していることを、黒子は彼女の様子から直感的に理解していた。
だからこそ心配こそはすれど、それに対してとやかく言うことはなかったし、
ましてや引き止めるなど無意味であることを重々承知していたのである。
だが今回は事情が違う。良くわからない理由で、突然こうも簡単に門限を破られてしまっては堪らない。
美琴が居ない間、寮監への言い訳を考えるのは黒子なのだ。少しは自分の身にもなってほしいと思う。
黒子(ま、不味いですの……言い訳を考えようにも、こんないきなりでは……!)
この場で愚痴を零したい気分だが、そんな暇はない。既に『寮監(ラスボス)』は扉の前に立っているのだ。
言い訳を考えることができなければ、その先に待つのは――――
寮監「おい白井。 まだなのか?」
黒子(何でも良いですの! 何でも良いですから違和感のない言い訳は……!)
寮監「まさか何か隠し事でもしてるんじゃないだろうな? 強引に入らせてもらうぞ……」
黒子「――――!!!」
ガチャッ!
背後から扉が開く音が聞こえる。
地獄の門が開け放たれ、『地獄の番人(寮監)』が入ってきた音だった。
今日はここまで
質問・感想があればどうぞ
これから投下を始めます
――――7月28日 PM8:31
御坂妹(くっ……これは、かなり不味い状況と言わざるを得ませんね。 と、ミサカは現状を分析します)
苦々しい顔をしながら、御坂妹はそう心の中で毒づく。
襲撃者との戦闘を始めてからおよそ15分。そろそろ御坂妹の体に疲労が見え始めてきていた。
何せこれまで常に全力で体を動かしていたのだ。それに加えて攻撃や身体の強化のために能力を連続して使用しているのである。
普通であれば体力切れで動けなくなっているはずであるが、未だに動き回ることができるのは、
彼女が軍事用のクローンとして生まれたからなのだろう。
しかし段々と動きが鈍ってきているためか、彼女の体のあちこちには襲撃者から受けたものと思われる傷が見られる。
その傷口から滲む血が切り裂かれたワンピースに点々と斑を浮き上がらせており、端から見ても非常に痛々しい。
仏頂面のおかげで表情にこそ出ていないが、内心苦痛に耐えているであろうことは想像に難くない。
御坂妹(見栄を張っておいてこの体たらくとは、少し前の自分を土に埋めてしまいたい気分ですね。
と、ミサカは自分の不甲斐なさに腹を立てます)
襲撃者「……」
一方、満身創痍の御坂妹に対して襲撃者は息切れ一つせず、しかも傷らしい傷は殆ど見えない。
電撃で使えなくなっていた右腕も治ったようで、両手の指にナイフを挟んで佇んでいる。
いつでも目の前の御坂妹に攻撃を仕掛けることができる状態だ。
どちらが狩人でどちらが獲物なのか。誰が見ても一目瞭然だった。
御坂妹「っ!」
襲撃者「!」
バリバリバリィッ!
御坂妹(!? また……!?)バッ
ガキンガキン! カランカラン……
御坂妹「っふぅ……!」
襲撃者「……」
御坂妹は不意打ちで電撃を浴びせるが、襲撃者はそれをテレポートで回避。
そして移動直後に背後からナイフを投げつけて来た。
飛来するナイフを御坂妹が躱し、金属の地にぶつかる音が鳴り響く。
攻撃し、躱され、反撃を受ける。これまで何度も行ってきた動作だ。
御坂妹の傷は、このサイクルの過程で付けられたものである。
今回は反撃を躱すことができたが、次もできるとは限らない。
襲撃者の反撃も唯のナイフの投擲ではなく、時間差で複数投げたり、多方向からだったりと変化を付けてきている。
疲労で集中力が途切れかけている状態では、今後相手の攻撃の変化に対応していくのは難しいだろう。
早急にけりをつけたいところだが、襲撃者は電撃を警戒してか、こちらには一切近寄ってこようとはしない。
ナイフを投げるだけの、遠距離のみの攻撃しかしてこないのだ。
こちらから近づいて攻撃を仕掛けようにも、空間を移動されて常に距離を保たれてしまう。
御坂妹の手が届かない場所から、ジワリジワリと体力を削っていく魂胆のようだ。
恥を忍んで撤退することも考えたが、相手が『空間移動』のような能力の持ち主である以上、逃げ切ることは困難。
相手の思惑がわからない以上、向こうから見逃すという展開も期待すべきではない。
立ち向かうことも、引くことも難しい危機的な状況。
この状況を打開するために彼女は相当頭を回転させているのだが、それとは別に気にかかることがあった。
御坂妹(何度攻撃を仕掛けても躱されてしまいます。 まるで、こちらの動きを事前に察知しているかのような……!)
御坂妹(そのせいで折角の仕留めるチャンスをフイにしてしまいました。 と、ミサカは戦闘開始直後のことを思い返します)
それは御坂妹と襲撃者の戦闘が始まった時のこと。
襲撃者は戦闘が始まるや否や、右手が使えない状態では不利だと悟ったのか、自分の動きを『回避』のみに絞った。
自分から仕掛けるようなことは全くせず、相手の動きを注視して行動を先読みして攻撃を避ける。
あるときは手に持ったナイフで飛んでくる石礫をたたき落とし、またある時は空間を自在に飛び回る。
そして自身右手が復活するまで、御坂妹の猛攻を物の見事に避けて見せたのである。
その後も迫りくる電撃と礫を回避し続け、遂にはこちらの攻撃に対してカウンターを仕掛けてくる余裕を持つまでになったのだ。
御坂妹(やはり、ただの『空間移動』ではないようですね。 と、ミサカは相手の能力の異常性について考えます)
単純な攻撃であれば、『空間移動』でそれを回避することは不自然なことではない。
ある程度訓練をした者ならば、相手の攻撃を読み取り能力を発動させることくらい、難しいことではないからである。
だが問題は、御坂妹の攻撃は『単純な攻撃』などではないということだ。
彼女が繰り出した攻撃は『電撃』。これを『不意打ちにも拘らず回避した』のである。
落雷の移動速度は秒速150キロメートル毎秒。どう考えても、目視してから避けるなど不可能な速度だ。
前兆を察知したとしても、前兆が現れてから御坂妹の能力が発動し、電撃が相手に届くまでにどれだけの時間の余裕があるのか。
あって一秒、もしかしたらそれ以下かもしれない。
果たしてその短時間で3次元から11次元への特殊変換を演算し、能力を発動し、指定の空間に移動することができるだろうか。
一度だけならば望みはあるだろうが、二度も三度も同じことが続くとは考え難い。
だが事実として、襲撃者は回避して見せている。
襲撃者の能力は、単純な『空間移動』として片付けるにはあまりにも不可解なものであった。
御坂妹(ですがミサカの攻撃を察知することが能力ということはあり得ません。 それでは空間を瞬時に移動する説明がつかない)
御坂妹(しかし『空間移動』に攻撃を察知する副次的な力があるとも……)
襲撃者「……」フッ
御坂妹(!? また消えました! どこに……上!)
上を見上げると、そこには数十本のナイフの群れ。それらが御坂妹めがけて落下してくる。
何処にこれだけのナイフを隠し持っているのかと疑いたくなるが、今はそれどころではない。
電撃を飛ばし、自分に当たるであろうナイフを弾き飛ばしていく。だが――――
ドスッ!
御坂妹「ぐぁっ……!?」
鈍い音と共に、御坂妹の口から苦悶の声が小さく漏れる。
自身の体を見下ろすと、右太ももにナイフが深々と突き刺さっているのが見えた。
御坂妹(く、上ばかりに気を取られ過ぎました!)
相手の気を上に逸らし横から攻撃する二段構え。
しかも横からの攻撃は御坂妹が能力を発動している最中、すなわち最も意識を集中している時に繰り出されたのである。
万全の状態であれば対処はできただろうが、疲れが出てきている今の彼女には、
もはや一方向からの攻撃を受け流すことが限界であった。
御坂妹「っづ、あああぁぁぁぁぁ!!!」
ジュウウウウ……!
御坂妹はナイフに電流を流し、少しずつ引き抜いていく。
刃に電流を流すことで発熱させ、傷口を焼いて止血しながらの方法。
傷口は塞がるが、これに伴う激痛が御坂妹の脳髄を直撃する。
御坂妹「っはぁ、はぁ……」
襲撃者「……」
引き抜いたナイフを投げ捨て、再び襲撃者を見据える。
こちらは大分消耗しているが、未だに相手側に止めを刺そうとする気配は見られない。
やはり先ほどの電撃を警戒しているのか。こちらが完全に能力を使えなくなるまで疲弊させるつもりなのか。
それとも誰かを待っているのか。もしそうだとするなら、すぐにでもここから逃げ出さなくてはならない。
御坂妹(ですが、この足では逃げることは絶望的ですね。 『空間移動』の能力者の可能性がある時点で難しかったのですが……)
御坂妹(情けないですが、最終信号の呼びかけに応じてお姉さまがここに駆け付けるまで、何とか持たせるしかありません。
と、ミサカは判断し、攻めることを止めて守りの姿勢に入ることにします)
既に打ち止めとの会話から15分以上の時間が経っている。約束通りなら、打ち止めは美琴に事情を報告しているはず。
常盤台中学の門限は過ぎているが、あの妹思いの姉のことだ。そんなことはお構いなしに飛び出しているだろう。
美琴がこちらに向かっているとするならば、ここに辿り着くまでそれほど時間はかからない。
後はそれまでに自分が立っていられるかどうかだけである。
御坂妹(お姉さまが来たら、この状況はかなり改善するでしょう。 ですが、まだまだ油断できません)
御坂妹(襲撃者の能力の詳細がわからない以上、お姉さまであっても苦戦する可能性は十分あり得ます。
と、ミサカは万が一の事態を想定します)
御坂妹(できるだけ相手から情報を引き出したい所なのですが……)
襲撃者はこれまでの間、言葉らしい言葉は一切発していない。
そこら辺のスキルアウトであれば、自己顕示欲を満たすためにべらべらと聞いてもいないことを話してくれるのだが、
どうやら今回の相手は、そのような虚栄心は持ち合わせていないようだ。
むしろその姿からは、何かの任務を黙々とこなす仕事人のような雰囲気を感じる。
御坂妹(相手の口からの情報を期待できない以上、これまでの戦闘から相手の能力を割り出さなければならないということです)
御坂妹(できるかどうかわかりませんが、やってみましょう。 と、ミサカは判断し考察を始めます)
今までの襲撃者の行動からわかった特徴を挙げてみる。
一つ目。能力を使用することで、空間を瞬時に移動することができる。
二つ目。不意打ちで放たれる電撃を事前に察知できる。もしくは能力を使って回避することができる。
三つ目。ナイフを複数本、相手の上空に配置することができる。
とりあえず、この三つが目立った所だろう。
御坂妹(一つ目と三つ目だけであれば『空間移動』という結論で済むのですが、やはりネックはこちらの電撃を回避できることですね)
御坂妹(ここは一旦、『空間移動に類する能力である』という先入観を捨て去る必要がありそうです)
御坂妹(他に『空間を瞬時に移動することができる』という状態を再現する方法は……)
襲撃者「……」
ビュビュッ!
御坂妹「っと!」バッ!
思考をしながら襲撃者のナイフを転がるように回避する。
電撃で撃ち落とさなかったのは、できるだけ力を温存するためだ。
相手はこちらの電撃攻撃を警戒しているからこそ、接近戦をしかけてこないのだ。
もし御坂妹が『電池切れ』になれば、すぐにでも組み伏せようとするだろう。
御坂妹(『空間移動』を擬似的に再現する方法としては、目にも止まらない速さで移動することが挙げられますね)
御坂妹(肉体強化系の能力であれば、筋力と動体視力を強化することでミサカの電撃を回避することができるかもしれません)
御坂妹(しかし今度は、三つ目の『上空に複数本ナイフを設置できる』という事実の説明がつかない)
御坂妹(あれは『ナイフを投げている』のではなく、『ナイフを置いている』と言った方が正確ですから)
御坂妹(眼にも止まらぬ速さで動いている中で、何十本ものナイフを空中に静置することは不可能です)
御坂妹(肉体強化以外にあるとすれば……?)
その時、ふと御坂妹は襲撃者の動きに変化が生じていることに気がついた。
御坂妹(……構えを解いている?)
襲撃者「……」
御坂妹より10メートルほど離れた地点で相手は両手を下ろし、静かにその場で佇んでいる。
ナイフの一本すら手に持っていないのだ。戦闘中に武器を自ら手放すなど、普通ならば考えられない。
まるで戦闘を放棄したかのような動作に御坂妹は酷く困惑したが、未だに襲撃者から漂う殺気を感じ取って再び気を引き締める。
ナイフを仕舞ったことは理解できないが、おそらく相手はこれまでとは違った手法で攻撃をしてくるのだろうと踏んだ。
御坂妹(どんな攻撃を仕掛けるつもりなのかわかりませんが、見過ごすつもりはありません!)
今までよりも一層神経を集中し、相手の動作を注意深く観察する。
この行為がどれだけ有効なのかはわからないが、やらないよりは良いだろうと考えたのだ。
しかし、その御坂妹の行為は全くの無意味であった。
御坂妹「……!? ……っ!?」
襲撃者「……」
突如、御坂妹はその場で喉を押さえて苦しみ始める。
口を酸欠状態の魚のようにパクパクさせるが、そこから吐息の音が漏れることはない。
御坂妹(息が……できな……!?)
御坂妹は苦しさの余り体を捩じらせようとするが、もはやそれすら叶わない。
彼女の首は何かに固定されたかのように、その場所から微塵も動かせないようになっていた。
首を支点にして吊り下げられているかのような体勢で彼女は悶え続ける。
御坂妹(首が動かせない……まるで空間に縫い付けられているかのようです! 不味い、意識が……)
戦闘による肉体的な疲労。能力を行使したことによる精神的な疲労。
この二つの疲労が体に蓄積されている状態の彼女に、窒息による意識の混濁に対して抗う術は無い。
相手に向かって電撃を放とうにも、能力を行使するだけの体力も集中力も残されていなかった。
御坂妹は何も出来ぬまま意識を手放し、闇の底へと沈んでいく。
彼女が最後に見たものは、襲撃者の真紅の眼光だけだった。
今日はここまで
質問・感想があればどうぞ
乙
細かい空間操作は見事と言えるが、目的を達して放置するだけなら、助けにやって来るであろう彼女から情報が漏れて、ミサカ包囲網が作られるぞ?
>>361
襲撃者は『妹達』関連のことは全く知らないので、用が済んだらポイです
まぁ、そうは問屋が卸しませんけどね
これから投下を開始します
* * *
襲撃者「……終わったわね」
襲撃者は少女が完全に沈黙したことを確認すると、そこで初めて口を開いた。
能力を解除し、宙吊りになっている少女を地に下ろす。
そして淀みなく少女の体に近寄って仰向けにし、首に手を当てて脈を診た。
脈拍は正常。呼吸のリズムも規則正しい。命に別状はないようだ。
襲撃者(仕方なく最後の手段を使ってしまったけど、大事に至らなくてよかったわ)
襲撃者(あれは気絶させる目的で使うには、少々制御が難しいものだから……)
自分から気絶させておきながら心配するのも何だが、流石に命まで取るつもりはない。
目的はあくまでもこの少女から『ある物』を得ることであり、必要以上に傷つけることに意味は無いのだ。
ただ今回に限っては、今までとは違って標的が手だれの人間だったために、止むを得ず痛めつけることになってしまった。
ただし、それに対しては自分も色々と負傷しているので、謝罪するつもりは全く無いが。
襲撃者(しかしこの子の顔……何処かで見たことがあるわね。 誰だったかしら……?)
深い眠りに落ち、小さな吐息を立てている少女を見ながら怪訝な顔を浮かべる。
茶色がかった髪の色に、まだ子供っぽさがどこかに残っている少女の顔。
それを見ていると、頭の隅に引っかかるものがあることに気付く。
自分は過去に於いてこの少女に出会っている。これは間違いない。
しかし、それはいつ頃のことだったか。つい最近のことであると思うのだが、具体的に思い出すことができない。
人の顔を覚えることには自信があったのだが、どうやらその自信は返上する必要があるようだ。
襲撃者(思い出せないということはほんの一瞬見ただけだったか、もしくはそれほど重要ではないことだということね)
襲撃者(いつまで悩んでいてもしょうがないし、さっさと取るものを取って退散しましょう)
襲撃者は思考を放棄して、本来の目的に考えを戻す。
このあたりは人通りが少ない地域ではあるが、万が一ということもあり得る。
それにこの時間帯はスキルアウトが動き始めるため、誰かに見つかる前に用を済ませた方が良い。
襲撃者(まずは、この子の上半身を持ち上げて……)
襲撃者(あ、さっきの部屋に置いてきた物を取りに戻らないといけないわね。 まぁ、後でいいわ)
物を置いてきた場所は先ほど飛び降りたビルの一室だ。
必要最低限の道具は手元にあるが、他の物についてはその部屋に置きっぱなしになっている。
戻るにはそれなりの距離があるが、自身の能力を使えば大した時間はかからないので、後回しにしても問題ないだろう。
そう判断し、必要な道具を懐から取り出したその時だった。
パリッ……
襲撃者「……?」
どこかから小さな、しかし聞き慣れた音が耳に飛び込んでくる。
この音は足元で眠っている少女が持つ能力が生み出すもの。
電子が放出される時に放たれる熱量により大気が膨張し、衝撃波となって伝わった時に起きる現象。
すなわち――――
バリバリバリィッ!
襲撃者「――――っ!!!」
大きくなる音の出所を確認するより先に、なりふり構わず襲撃者は能力を使って全力でその場を退避する。
その直後、強力な閃光が周囲を包み込み、同時に爆音が周囲に響き渡った。
* * *
バリバリバリィッ!
襲撃者「――――っ!!!」
大きくなる音の出所を確認するより先に、なりふり構わず襲撃者は能力を使って全力でその場を退避する。
その直後、強力な閃光が周囲を包み込み、同時に爆音が周囲に響き渡った。
* * *
ドォォォォォン!!!
美琴(……ちっ! 躱された!)
自身の放った電撃が当たるより先に、黒いコートの人間の姿が消えた所を見た美琴は、心の中で舌打ちする。
完全な不意打ちにも拘わらず避けられたのだ。一撃で仕留められなかったことは口惜しいが、今はそれどころではない。
美琴(……とりあえず、最悪の事態は免れたみたいね)
御坂妹の傍に駆け寄り、周囲を警戒しつつ心の中で安堵する。
自身が考える最悪の事態――――『御坂妹が誘拐され、消息不明になる』という結末は防ぐことはできた。
とりあえずは安心、といった所だろう。
美琴は数分前、打ち止めから御坂妹が何者かに襲われているとの連絡を受けた。
そして衝動に駆られるままに学生寮を飛び出し、一度も休むことなくここまで走って来たのである。
打ち止めの説明を聞いた途端に過去の悪夢がフラッシュバックし、居ても立ってもいられなくなったのだ。
御坂妹の経歴を考えれば、最悪の事態というものが容易できてしまうのも仕方のないことだろう。
その必死な行動が功を奏したのか、御坂妹が何処かに連れ去られる前に辿り着くことができた。
そして視認した不審者に向かって、一心不乱に電撃を飛ばしたのである。
13557号「お姉さま、10032号の容態ですが、体全体に複数の切り傷と太ももに大きな刺傷が見られます。
ですが、命に危険はありません。 と、ミサカは10032号の診断結果を報告します」
学園都市に住む『妹達』の一人、13557号が御坂妹の診察の結果を報告する。
彼女の他にも10039号や19090号もおり、この場着いて直ぐに周囲の捜査を始めていた。
彼女達がここにいる理由は、打ち止めが美琴への増援として呼び掛けたからである。
美琴としては、危険な目に遭うようなことを『妹達』にさせたくなかったのだが、
他ならぬ彼女達がものすごい気迫で参加を表明していることを打ち止めから聞き、渋々承諾した。
『妹達』の強い思いを感じて喜ばしくもあり、その反面心配にもなった美琴であった。
美琴「わかったわ。 早いとこ病院に連れて行かないとね。 あたりの様子はどう?」
19090号「特に異常は見当たりません。 スキルアウトの気配も無いようです」
美琴「そう……あの黒っぽい服を着た奴、逃げたと思う?」
19090号「そうですね、あの不審者の目的は定かではありませんが、
ミサカであればこの人数の相手をすることは厳しいと判断して一旦退却します」
19090号「ただ、もし向こう側にのっぴきならない理由があるとするならば、その限りでは無いと思います。
と、ミサカは不審者の動向を考察します」
美琴(そいつが何の目的でこの子に手を出したかはわからないけど、どちらにせよ早めに何とかする必要があるわね)
美琴(問題はどうやってそいつらの情報を集めるかだけど……)
10039号「お姉さま、このようなものを見つけたのですが……」
美琴「ん? これは……」
見やると、10039号が何かを手に持ってこちらに近づいてきた。手には何か小さなものが乗せられている。
どうやら先ほどの不審者が落としたもののようだ。
それは一本の注射器。雑菌が付かないように、アルコールが満たされた袋に入れられている。
注射針も一緒に入れられており、針の長さは大体4センチ、外径は1ミリ程度だ。
病院の採血において用いられているそれと、非常に良く似ていた。
美琴「これって……病院でよく見る普通の注射器よね?」
10039号「いえ、確かに似ていますが、これは医療用の注射器ではありません。
胴体部分は市販品、注射針も工業用のもののようです。 と、ミサカは分析します」
美琴「……これを使って『妹達』の血液を手に入れようとしていたのかしら? もしそうだとするなら……」
13557号「研究目的で採血しようとしていたという可能性は低いと考えられます。
と、ミサカはお姉さまの考えを読み取り、その考えを否定します」
美琴「何でよ?」
13557号「もし研究目的で採血するつもりであれば、このような粗末なものではなく正規の医療用の注射器を用いるはずです。
と、ミサカは血液の清潔さの保持という観点から主張を述べます」
美琴「へぇ……ってことは、採血の目的は研究じゃない?」
13557号「断言はできませんが、その可能性は高いと思います」
もし血液を研究に用いたいのであれば、きちんとした道具を使って採血するはずである。
何故ならば血液は生ものであり、雑菌の混入は絶対に避けるべきことだからだ。
一般に市販されている物を組み合わせた粗末なお手製の道具を用いるはずがないのである。
美琴(研究目的じゃないとすると一体何のために……? いや、まさか……!?)バッ
突然、弾けるようにして美琴は背後を振り向く。
しかしそこには誰もいない。暗い通路を通る、寂しげな風の音が聞こえるだけだ。
だが彼女の険しい表情は少しも緩くならない。なぜなら『何者かが自分達の背後に居る』ことを確かに感じ取ったからだ。
13557号「お姉さま、どうしましたか?」
美琴「アンタ達、今すぐこの子を連れてここから離れなさい」
19090号「それはどういう――――」
美琴「いいから早くしなさい!」
19090号「……了解しました。 気を付けてください、お姉さま」
三人の『妹達』は美琴の鬼気迫る表情を見て、何も言わずに御坂妹を担いでこの場を離れて行く。
あの姉があそこまで必死になっているということは、自分達ではどうにもならないことが起きたのだろうと結論付けたのだ。
未だに美琴の隣で一緒に戦うことができない事実に歯痒さを感じるが、このまま残っても足手纏いにしかならないことも事実であった。
美琴(……さて、と)
妹達がこの場から離れたことを確認すると、美琴は何処かの誰かに向かってこう問い掛けた。
美琴「そこに居るんでしょ? 出てきなさいよ。 『連続通り魔事件』の犯人――――十六夜咲夜さん?」
今日はここまで
次回から美琴 vs 咲夜が始まります
戦闘描写なんていつ以来だろうか……
質問・感想があればどうぞ
これから投下を開始します
美琴が呼びかけると、一人の人間が通路先の闇から浮き出るようにして現れる。先ほど電撃を避けた『誰か』だ。
『誰か』は何も言わずに被ったフードに手を掛け、ゆっくりと脱いでいく。
そこから現れたのは、白銀の髪。次に雪にように白い肌。そして血のように紅い瞳孔を持つ眼。
家政繚乱女学院の『完全で瀟洒な従者』。
『十六夜咲夜』その人であった。
咲夜「……驚いたわね。 私のことを知っているの?」
美琴「知ってるわ。 アンタとは数日前に会ってるもの。 学生寮に仕事で来てたでしょ?」
咲夜「学生寮? ……なるほど、その服は常盤台中学の学生服。 ようやく思い出したわ」
咲夜「貴方、土御門さんと会話していた子ね?」
美琴「そうよ。 まさかその時会ったメイドが、あの事件の犯人だとは思いもしなかったけどね」
咲夜「まだ私のことは誰にも気づかれていないはずなのだけれど……」
美琴「でも段々とアンタに疑いの目が向けられてきている。 特に『風紀委員』から。 違うかしら?」
咲夜「……何故それを?」
美琴「アンタ最近『風紀委員』と戦ったでしょ? 黒子は私の後輩なのよ」
美琴「それで黒子の話を聞いて、私がアンタが犯人かもしれないって考えたの。
正確にはアンタの能力から予想したんだけどね」
美琴「『時間停止』の能力ってことがわかれば、調べるのは簡単だったわ」
咲夜「……なるほど。 どうやら少し舐め過ぎていたみたいね」
そう話しながら、咲夜は納得がいったように首肯する。
これまで彼女が襲ってきた人の数は14人。
それだけの犠牲者が出ていながら足を全く掴めていなかった『警備員』や『風紀委員』を前に、
彼女の心に驕りが生まれていたことは否定できないだろう。
美琴「さて、大人しく投降するんだったら気絶する程度で済ませてあげるけど?」
咲夜「そこの台詞は『痛くはしないけど?』じゃないかしら?」
美琴「バカじゃないの? 妹を傷つけておいて何も無いわけ無いでしょ。 それにアンタは佐天さんの仇だし、
きっちり落とし前をつけさせてあげるわ」
咲夜「妹? それにしてはそっくりだったけど、双子かしら?」
美琴「そんなもんよ。 で、どうするの? 降伏するの? しないの?」
咲夜「そうね……………………丁重にお断りするわ」
その言葉を言い放つと同時に、咲夜はナイフを投擲する。
ナイフは獲物めがけて寸分も狂いもなく空間を飛び、鉄の身を少女の肢体に突き立てようとする。
それに対し、迫りくる鋼鉄の刃を目の前にして美琴は右手をかざし、自身の能力を発動した。
腕から火花が迸る。
パリッ!
咲夜「――――!?」
咲夜にとっては既に聞きなれた音が聞こえたかと思うと、空を飛ぶナイフは突然本来の放物線の軌道上から外れ、
美琴の前で急カーブして逸れていくという、物理的にあり得ない動きをして見せた。
さらにそのナイフは、あろうことかまるで衛星のように美琴の周囲をぐるぐると周回運動をし始める。
しかもナイフの周回する速さは、時間が進むにつれて高速になっていく。
『時間を操る』という物理法則を逸脱した能力を持つ咲夜としても、その光景には驚くばかりであった。
美琴「まぁ、そんな簡単に解決できるなんて考えてなかったけどね」
美琴はナイフを自分の周囲に回転させつつ、余裕綽々といった様子で咲夜を眺める。
彼女にとって見れば金属製のナイフなど、玩具のそれと同じくらい脅威に成り得ないもの。
膨大な電流は強力な磁力を生み、周囲の金属に動きを与える。
最大10億ボルトにも達する電撃を操る美琴は、副次的に発生する電磁力を用いて金属を自在に動かすことができる。
それ故に彼女にとって金属製の武器は脅威になることは無く、逆に利用することも可能なのだ。
美琴「返すわ」
咲夜「!」
咲夜が投擲した時の倍以上にまで動きが加速されたナイフが、ハンマー投げのように射出される。
その速さを見て、咲夜は容易に躱すことはできないと判断し、能力を用いて『自身の時間を加速』させた。
『自身の時間が加速される』ということは、相対的に『自分以外の全ての時間が遅延される』ということ。
どんなに高速で動く物体であっても、時間の流れが引き延ばされれば赤子が地面を這う速さよりも遅くなってしまうのだ。
美琴が投げ返したナイフも例に漏れず、咲夜に届く数メートルの時点で人が歩く速度以下に減速させられる。
咲夜「……」スッ
咲夜はナイフの軌道上から体を避け、能力を解除した。
異能の力によって歪められた時間の流れは、再び本来のあるべき速さに戻される。
ナイフの時間の流れも復元され、正しい速度でもって彼女の脇を通過した。
ガスッ!
咲夜「……」
美琴「避けたか。 当たるとは思ってなかったけど」
咲夜は後方でナイフが突き刺さる音に一抹の関心を向けることもなく、目の前の敵を見据える。
美琴の方にも、攻撃が避けられたことを気にしている様子は微塵も無い。
咲夜「……貴方、ただの『電撃使い』じゃないわね?」
美琴「御名答。 そんじょそこらの能力者と同列に考えないことね」
美琴「私は学園都市第三位の『超電磁砲』。 その気になれば電気だけじゃなくて、電磁波も磁力も操れるのよ」
咲夜「第三位……名前は確か、御坂美琴……」
美琴「どう? これでも降参しないつもり?」
咲夜「……私に二言はないわ」
美琴「……そう。 残念ね」
美琴は本当に残念だとでも言うかのような表情でそう口にした。
その顔の意味する所は、無謀にもレベル5に楯突いたことへの憐れみか。
それとも数多の人間に尊敬される存在でありながら、その過ちを正そうとしないことへの嘆きか。
咲夜「……」
美琴「……」
二人の間に長い沈黙が流れる。
聞こえる音は時折吹きぬける風の音のみ。
空気が質量を持ったかのような重圧が、この辺り一帯を支配する。
そのあまりの重苦しさに、羽虫一匹残らずこの場から逃げ去ったように感じる。
数えるのも億劫なほど長い時間が経ったような、そんな錯覚に陥りかけた時、漸く状況が変化した。
咲夜「……シッ!」
ビュッ!
咲夜は何処からともなくナイフを取り出すと、間髪入れずにそれを投擲する。
先ほどと同じ動作を繰り返しただけように見えるが、そんなことはない。
何故ならば、今回の行動は咲夜が能力を使用した上でのことだからである。
『自身の時間の流れを加速させた上でナイフを投げる』。
すると通常の何倍もの速さを持つ腕の力を加えられたそれは、音速をも超える速度で空間を突き進んでいく。
どんなに軽く小さな物体であっても、それを補うだけの速度と物質の強度があれば、容易く人を殺傷する凶器と成り得るのだ。
美琴「何度やっても同じよ!」
だが、学園都市の序列第三位に位置する『超電磁砲』にとって見れば、そのような攻撃ですら児戯に等しい。
どんなに高速で打ち出された物体でも、それが金属であれば磁力を用いて容易に捻じ曲げることができ、
非金属であっても自身の周囲に展開された電磁バリアが、攻撃に対して自動的に迎撃してくれるのである。
美琴も先ほどと同じように、音速で自身に向かってくる金属の刃の軌道を磁力で捻じ曲げる。
そして向かってきた速度のままナイフを咲夜に向かって投げ返そうとして、相手の姿が見えないことに気がついた。
美琴(いない……そこ!)
咲夜「!」
目で確認するより先に、美琴は自身の背後に姿を表した咲夜に腕を向ける。
その動きを見た咲夜は、腕から紫電が迸るより先にその場から退避した。
バチバチッ!
それから少し遅れて、先ほど咲夜がいた空間を電撃が通過する。
美琴の制御下から離れた電撃はそのままビルから突き出た電子看板に直撃し、看板の土台ごと粉々に破壊する。
ガシャァァァァァン!!!
美琴(……困ったわね)
落下して地面に激突する看板が鳴らした大きな音を気にもかけずに、美琴は心中で歯噛みした。
彼女は咲夜に対して、今の所それほど脅威は抱いていない。
咲夜の攻撃はいずれも『物体を投擲することによる遠距離攻撃』だからだ。
そんなものなど自分に対して何の危険も持たないことは、既にわかり切っていることである。
では何が問題なのか。それは咲夜に対する決定的な攻撃手段が思い付かないからだ。
咲夜は美琴の『攻撃する方向に腕を伸ばす』という動作から攻撃の前兆を見極め、
瞬時に能力を使用して電撃の射程圏内から退避している。
彼女の洞察力もさることながら、その思い切った判断力には感服するばかりだ。
一瞬でも判断に迷おうものなら、そのまま肉体を紫電の槍で貫かれることは不可避となるのだから。
予備動作から攻撃を読み取られるのであれば、その動作を行わずに能力を使用すればいいだろうと考えるかもしれない。
だが美琴の『攻撃する方向に腕を伸ばす』という行為は、思った以上に重要な意味を持つ。
電気というものは正と負にそれぞれ帯電した二点間の、できるだけ短い距離を進もうとする。
雷が高い所に落ち易いのは、負に帯電した雷雲と正に帯電した地表が近くなるためだ。
厳密な原理は複雑であるためこの説明は正確ではないが、大まかに理解する分には問題はないだろう。
『電撃使い』は自在に電気を発生させることができると言われているが、ただ発生させるだけでは攻撃手段にはなり得ない。
何故ならば、ただ単純に放電しただけでは近くの物体に電撃が引き寄せられてしまい、
自身の目的とする場所に命中させることは難しいからである。
膨大な電位差が生じている場合はその限りではないが、普通は何らかの方法で電撃が進む方向を矯正する必要がある。
そこで美琴に限らず、多くの『電撃使い』はその問題の解決策として、
自身の伸ばした腕の向きを基準に電撃の進行方向を決めている。
途中で電撃の進む方向を変更したい場合も、自身の腕を基本として行っているのだ。
この動作を行わずに電撃を命中させたいのであれば、通常の倍以上の出力でもって能力を行使しなければならない。
しかしそこまでの出力になってしまうと、直撃した際において相手の人体に深刻なダメージを与えることになるだろう。
微弱な電流による感電であれば熱傷や神経の一時的な麻痺で済むが、
強力な電流になると心室細動、もしくは心停止を引き起こし、高い確率で死に至る。
佐天や御坂妹を傷つけられたことに対して怒りを覚えてはいるが、咲夜を殺したいというわけではない。
第一、美琴はどんなに激昂しても絶対に人を殺すことはできないのだ。
それが彼女の本質であり、大半が学園都市の深い闇に囚われたことがあるレベル5の中で、
彼女が表の世界でまともに生きていくことができている理由にもなっているのである。
美琴(こっちの攻撃を当てるためには、何とかして相手の動きを封じ込める必要があるわね……)
美琴(でも電撃じゃ動作を読まれて避けられちゃうし、攻撃を加えて機動力を削ぐのは難しいかもしれない)
美琴(とすると、何とかして『避けられない攻撃』をする必要が……!)
ビュオッ!
美琴の思考を断ち切るかのように、前方から空気を切り裂く音が聞こえ、『何か』が高速で飛来してきた。
即座にその場を飛び退くと、飛んで来た『何か』はそのまま背後の壁にぶつかり、粉々に砕け散る。
足元にまで転がって来た破片を見てみると、どうやらそれは木片のように見受けられた。
と言うことは、先ほど飛んで来た『何か』は木材でできたもの。大方、杭のようなものだったのだろうと美琴は判断する。
美琴(攻撃を返されないように手段を変えて来たわね……)
咲夜は磁力で軌道を捻じ曲げられてしまうナイフを使うことを止め、
磁力の影響を受けない素材でできたもので攻撃することに決めたようだ。
この杭をどこから持って来たのか気になるが、おそらく周囲に放置されている廃材から拝借したのだろう。
肝心な咲夜の姿と言えば、常に能力を使用して動き回っているためか視認することができない。
だがこの場から逃げ出す様子はなさそうだ。その証拠に、再びこちらに向かって物体が飛来してきた。
美琴(別に撃ち落とせるし、大した問題じゃ無いんだけど、早いとこ対策を考えないといけないわね……)
向かって来る飛来物をある時は躱し、またある時は電撃で撃ち落としながら美琴は考える。
飛んでくる物体は先ほど杭だけでなく、路上に落ちている石なども混ざり始めてきている。
とりあえず近くにある電気を通さない物を、手当たり次第に投げているようだ。
当然それらも咲夜の能力によって、常人には回避することが不可能な速さで飛び交っている。
それはさながら、機関銃の銃弾をその身に浴びているかのようだった。
美琴(『点』の攻撃じゃどうやっても躱される。 なら『面』で攻撃すればいいわけだけど……)
美琴(電撃は面攻撃をするには向いてないし、何よりビルから突き出てる鉄骨に引き寄せられちゃうわね)
美琴(他に代わりになる物は……)
周囲を見渡すと、そこには先ほど自らの電撃で破壊した電子看板の残骸。
その他にも打ち捨てられた鉄パイプやら、咲夜が投げた後にそのまま放置されたナイフ等々。
これらを上手く利用して『絶対不可避の攻撃』を生み出すことはできないだろうか?
美琴(逃げ道があると時間を操作されて逃げられるから……これならいけそうね。 まずは……)
咲夜(何を……?)
次の行動の計画を頭の中で練り上げると、美琴はビルの壁に向かって全力で走り出す。
傍から見れば全く意味が見いだせない行動。咲夜も彼女の意図を読み取ることができずにただ見送るのみ。
だが、すぐさまその行為の意味をその目で理解することになった。
美琴はビルの壁の手前で飛び上がるとヤモリのように壁に張りつく。そして壁を蹴りつつ、上へ上へと登っていく。
彼女は自分自身を磁石とすることで、壁の中にある鉄骨に体を引き寄せて張り付くことができるのだ。
美琴(もう少し高さが必要ね……っと! あぶな!)
バチュン! バチュン!
背後から咲夜が投げて来た凶器を察知し、再び電撃で撃ち落とす。
美琴はビル3階付近の高い位置にいるはずのだが、咲夜は軌道を外すこと無く正確に投げつけて来た。
だが、『上に向かって物を投げる』という状況のためか、先ほどよりも投擲の動きにキレがない。
物が飛んでくる速さも大分落ちてきているように見えた。
美琴(ここまで来れば、少しは時間が稼げるわね……)
咲夜の攻撃をいなし続け、地表から10メートル付近の場所まで上り詰めた。
眼下にはこちらを見上げている小さな咲夜の姿がある。
ここまで高く離れてしまうと、流石の彼女でも攻撃を当てることは難しいようだ。
軌道のぶれが大きくなり、美琴の位置から大分外れた場所に攻撃が飛んでいくことが多くなってきている。
第1段階の行動を終えた美琴は、間を挟まずに続けて第2段階の行動を開始する。
美琴「いくわよ……!」
バリバリバリバリィ!
咲夜「……!?」
美琴の周囲から今まで以上に大きな放電が巻き起こる。それと同時に、周囲の光景が劇的に変化し始めた。
地面に打ち捨てられていた金属という金属が、この一帯が無重力になったかのように次々と浮き上がる。
この現象を引き起こしているのが、ビルの壁に張り付いている少女によるものであることは疑いようがない。
だが、彼女は重力を操っているわけではない。美琴の能力が『電撃使い』であることは不変の事実。
この現象の正体は、彼女の強力な電力が生み出した磁力によって引き起こされたものだ。
自身の能力を用いて周辺の空間に磁力を生じさせ、範囲内にある全ての金属を操っているのである。
もちろん普通の『電撃使い』であっても似たようなことはできるが、精々近くにある金属を引き寄せるのが関の山であり、
半径15メートル以上もの広い範囲を覆う磁界を生み出すことは不可能だ。
彼女以外全ての『電撃使い』をかき集めても、足元にすら及ばない程の圧倒的な発電量を誇るからこそできる芸当である。
浮き上がった金属片の群れは咲夜から少し離れた場所に移動し、彼女を中心として取り囲むようにして停止する。
それはまさに『鉄の檻』。上下前後左右、全ての方向に於いて逃げ場は無い。
咲夜「これは……!?」
美琴「食らいなさい!」
美琴が号令をかけると同時に、周囲に浮遊していた金属片がその鋭利な角を咲夜に向けて打ち出された。
今日はここまで。
美琴「アンタが何秒時間を止めようと関係のない処刑を思いついたわ……」
咲夜「なんてことを思いつくの……こいつは……やばい……わね」
美琴「フン! 逃れることはできないッ! アンタはチェスや将棋でいう『詰み(チェック・メイト)』にはまったのよッ!」
……やってみたかっただけです。ごめんなさい
来週は帰省でお休みです
質問・感想があればどうぞ
※近況報告
執筆が少々滞っているため、今週はお休みです
誠に申し訳ありませんが、今しばらくお待ち願います
これから投下を開始します
全ての金属片の発射速度はほぼ同じ。幕のようにして迫ってきているため、時間を操作して一つ一つ回避することは不可能。
加えて遮蔽物に適した大きな物体も周囲に無いので、身を隠してやり過ごすこともできない。
確実に決まった――――美琴がそう思いかけた時だった。
ガガガガガガガキィン!
けたたましい音と共に、咲夜に命中した金属片が辺り一面に飛び散る。
人体に命中したにしては、あまりにも無機質な音。
まるで石のように頑丈な物質に当たったかのようだ。
美琴「嘘……まさか、無傷……?」
咲夜「……ふぅ」
果たして、攻撃の中心部には未だに健在な咲夜が佇んでいた。怪我どころか服すら破れているようには見えない。
一体どのようにしてあの攻撃を耐えきったのだろうか。美琴の頭の中に疑念が渦巻く。
咲夜の能力は『時間操作』である。肉体を強固にしたり、壁を作り出したりするものではない。
自分の時間を加速させた上で攻撃を叩き落としたのかと思ったが、そのようなことをした素振りは見えなかった。
ジャラ……
美琴(? あれは……)
金属が擦れ合うような音を聞き、美琴は咲夜をもう一度注視する。
すると彼女の片手には、いつの間にか鎖が付いた、銀色の何かが握りしめられていることに気がついた。
大きさは手のひらに収まるくらいで、形は丸く、少々厚みのある円盤型である。それに鎖が付いているものと言えば……
美琴(……懐中時計? 何でそんな物を……)
咲夜「御坂美琴さん」
美琴「……何?」
咲夜「悪いことは言わないわ。 ここは引きなさい」
美琴「……はい?」
突然の忠告に、美琴は呆けながら返事をした。
この女は何を言っているのか。ここまで散々やり合っておいて、今更そんな戯言を聞き入れられるわけがない。
そもそもこの場で引く理由が無い。現状における戦いの優位性は、明らかに美琴の方が上なのである。
このままいけば確実に捕まえられるというのに、その機会を自ら放棄するなどあり得ない。
何より、佐天と御坂妹を襲った犯人が野放しになっているという状況を、彼女が我慢できるはずがないのだ。
よって美琴は、当然のごとくその提案を蹴り飛ばす。
美琴「何でそんなことしなきゃいけないのよ。 アンタがこれからも人を襲うのをみすみす見逃せっての?」
咲夜「こんなことをするのは今日までの話よ。 これが済んだらもうしないわ」
咲夜「それに私は自分が犯した罪から逃げるつもりはない。 全てが終わったら牢獄に入れるなり何なり好きにすればいい」
咲夜「だから貴方が持ってるその注射器を渡しなさい。 もう時間がないし、それがないと何もできないわ」
美琴「罪から逃げるつもりがないなら、この場で大人しく捕まりなさいよ。 何言ってんの?」
美琴「それに犠牲者が出るのを見過ごすわけ無いじゃない。 だからアンタの要求は却下よ、却下」
美琴「『注射器(コレ)』を渡すつもりは毛頭ないし、アンタはこの場でふん縛って『警備員』に突き出してやるわ」
美琴「何の目的で血を集めているのかはまだわからないけど、その話は牢屋の中でじっくり聞いてあげるわよ」
咲夜「……そう。 交渉決裂ね」
美琴「交渉ってのは対等な立場で成り立つものよ。 アンタと私の立場が同じだなんて思わないことね」
美琴「この戦いの主導権を握っているのは私。 アンタはそのまま倒れなさい」
咲夜「……」
美琴の挑発を何も言わずに聞く咲夜。その顔に怒りの感情は全く見えない。
このような安っぽい挑発では意にも介さないらしい。この辺りが『瀟洒』と言われる所以なのだろう。
これまで美琴が戦ってきた人間達とは、大分違う人種のようだ。
下品な暴言を躊躇い無く使い、狂人同然の行動をする輩が多い中で、
咲夜のような闘いの中で常に冷静沈着でいる存在は珍しい。
ただ、反応があまりにも希薄すぎることが却って不気味だ。
咲夜の鉄面皮はまるで能面のようであり、彼女が今何を思っているのか全く読み取ることができない。
その特徴的な容姿と相まって、等身大の人形を相手にしているかのようだった。
咲夜「……仕方ないわね。 あまりやりたくは無かったのだけれど、本気を出さないといけないみたいね」
美琴(本気……ね。 見せてもらおうじゃない)
咲夜の言葉を聞き、美琴は再び身構える。
十六夜咲夜の本気。果たしてそれは、どのようなものなのだろうか。
そもそも、彼女の超能力で『本気を出す』ということはできるのか。
『懐中時計』ができることは、時間が流れる速さを変えるということだけである。
本気を出すとすれば『時間が流れる速さを極端に変える』ことくらいだが、
今の戦況を覆せるほどの効果を生み出せるのか想像がつかない。
美琴(いや、さっきの全方位から来る攻撃を完全に防ぎきった現象……)
美琴(もしかしたら、あれがこいつの本気の片鱗なのかしら……?)
咲夜「……いくわよ。 精々足掻くことね」
美琴「……!」
バチバチバチィ!
美琴は再び磁界を生み出し、周辺の金属を浮遊させ始める。
兎にも角にも、先ほどの完全防御の秘密を解明しないことには有効な打開策を見出せないと判断したのだ。
一方咲夜は懐中時計を握りしめたままで、特に何かをするような様子は見せていない。
まるで無防備なその姿に美琴は一抹の不安を感じるが、それを無視して磁力の操作に専念する。
どのようなつもりなのかはわからないが、こちらがするべきことは変わらない。
先手必勝。相手が何かをする前に決着を付けることが最善の方法である。
美琴(さぁ……どうするつもり?)
着々と鉄の檻を構築しつつ、咲夜の行動を観察し続ける。
しばらくすると、咲夜は手に持った懐中時計を一瞥した後、美琴に向かって何かを口走った。
その声はとても小さく、度々鳴る放電音にかき消されて聞き取ることはできない。
だがその口の動きを読み取ることで、彼女が何を言っているのかを理解することができた。
その紡がれた言葉は――――
『貴方の時間は私のもの。 ようこそ――――私の世界へ』
短いですが、今日はここまで
今まで投稿した文章を見ていると無性に修正したくなる
これが黒歴史ってやつか……
質問・感想があればどうぞ
これから投下を開始します
次の瞬間、美琴の体に今まで体感したことの無い異常が現れ始めた。
美琴(!? がっ……何!?)
喉を塞がれている。掠れた息が出る隙間すらないほどに。
慌てて首元に手を伸ばすと、何やら固いものが首の周りを覆っている。
直接見ることはできないが、『それ』が首を固定し、さらには気管を堰き止めているようだ。
『それ』を外そうと試みるが、まるで空間に縫い付けられたかのようにピクリとも動かすことができない。
このままでは、窒息死して首吊り死体の出来上がりだ。
美琴(~~~! 落ち着くのよ私! まずは……)
頭を過った最悪の光景に背筋を寒くするが、すぐさま冷静になって現状を分析する。
この現象が何であれ、それを引き起こしたのは間違いなく咲夜である。
彼女を止めることさえできれば、この異常も解除することができるはずだ。
どういう原理なのか考えるのは、今は後回しにしよう。
兎にも角にも、この状況から早く脱しなければ。
美琴(このっ!)
バリバリッ!
美琴は磁力で金属片を操ることを止め、即座に電撃を咲夜に向けて打ち出す。
案の定、美琴が何をしようとしているのかを理解した咲夜は、攻撃が届く前に時間を操って消え去った。
その途端に美琴にかけられた『首輪』が外れ、正常に呼吸ができるようになる。
美琴「ゲホッゴホッ! ど、どこに……!」
激しく咳き込みながらも、美琴は消えた咲夜の姿を探す。
今の攻撃はこれまでと違い、殺意が見え隠れするものだった。
相手が相手であれば、その場から動かずとも確実に葬ることができる力。
時折レベル5は『人間兵器』と揶揄されることがあるが、
レベル4でも人一人を殺めるには十分な力を持っているのだ。
自身より格下の相手であっても、油断すれば危険であることを改めて認識する。
もしも自分が『電撃使い』でなかったとしたら。
咲夜に届くだけの攻撃射程を持つ能力でなかったとしたら。
おそらく何も出来ないままに、窒息していただろう。
美琴(あいつの能力には有効範囲があると思ってたけど、まさかここまで届く広さとはね……)
美琴(おそらくアイツは、これからは私の電撃を回避できる、かつ自身の能力が届く範囲で攻撃を仕掛けてくるはず)
美琴(私も、アイツとの距離を考えて戦わないといけないかも……)
美琴「それにしても、どこに消えたのかしら……?」
美琴は地上に降り立ち、周囲を見渡しながら警戒する。
咲夜の『本気』がどれだけ脅威なのかは、先ほど身をもって経験している。
射程圏内に入った人物の呼吸を奪い、尚且つ動きを封じ込める。
あの力を相手に、長期戦を仕掛けるのはあまりにも危険すぎる。
再びあの攻撃を受ける前に、早急に決着を付けるべきだ。
美琴(……おかしい。 アイツの位置を感知できない)
美琴(まさかこの期に及んで逃げたなんてことは……)
『本気を出す』と言いながら逃亡するなどあり得るだろうか。
先ほどとは違って、咲夜に不利な戦況というわけではないのだ。
咲夜が用いた正体不明の攻撃は、美琴に危機感を抱かせるには十分な代物だった。
なにせ攻撃の予兆が全くわからないのだ。それ故に攻撃を前もって阻止することも、回避することもできない。
どのように対策すればいいのか、まるでわからないのである。
そんな勝利の可能性が見え始めている状態であるにも拘らず、咲夜は易々とそれを放棄したというのか。
美琴が見た限りでは、そんなことをするような人間には思えなかったのだが。
美琴(それに注射器はまだ私が持ってるから、これを見す見す手放すとも考えにくいし……)
美琴(替えを何処かに用意してるなら別だけど、それなら私と戦わずに最初の段階で逃げているはず。 となると……)
ヒュオッ……
美琴「……!?」ゾクッ
何気ない風の音が、美琴の背筋を異常なほど震え上がらせた。
どこからか視線を感じる。
姿を現さない咲夜が、明らかにこちらを観察しているのを感じる。
目に見えない虫が体を這い回るような、とても嫌な感覚を彼女は覚えた。
美琴(っ! アイツはまだ逃げてない! 一体何処に隠れたってのよ!)
美琴(ソナーに全くかからないって事は、少なくともこの近くには居ないってことだけど……)
美琴(何かに隠れながらこっちを観察するには、この場から遠くに離れることなんて出来ないし)
美琴(物陰やビルに隠れずに、私を遠くから観察できる場所といったら……あるにはあるけど……)
だが他に候補は無いのだ。そこに居ると判断するしかない。
美琴は一瞬の思考の後に決断し、咲夜が存在するだろう場所に視線を移した。
美琴「!」バッ!
美琴が目を向けた場所。それは――――
『空』。
美琴(――――いた!)
咲夜「……」
果たして、地上から50メートルほどの上空に咲夜の影は存在した。
一体いつの間にその高さまで飛び上がったのだろうか。謎は色々とあるが、今はそれ以上に驚くべきことがあった。
彼女は標的である美琴を見下ろす形で『空に居座っている』。つまり『空を飛んでいる』のだ。
フリルのついたスカートを靡かせながら、彼のメイドはその場所に佇んでいた。
『念動力』。『空力使い』。そして『空間移動』。
先ほど挙げた能力は、いずれも宙に浮くことが可能な能力である。
『念動力』は自身に重力を逆らう力を与えることで。
『空力使い』は風の力で体を浮かび上がらせることで。
『空間移動』は空中に連続して移動し続けることで。
それぞれ空を自在に飛び回ることができるのだ。
だが咲夜の空の飛び方は、そのいずれの方法にも当てはまらない奇妙なものであった。
美琴(空中に……立ってる?)
咲夜はあろうことか、空中で『二本足で立っていた』。
まるでそこに見えない足場があるかのように、しっかりとした姿勢で直立している。
『空を飛ぶ』と言うには余りにも不自然な姿勢。『空に立つ』と表現した方がしっくりくる。
美琴(見えない足場を作る? でもあいつの能力でそんなことができるはずが……待って、もしかしたら……!)
美琴の脳裏に、過去のある場面が鮮明に思い出された。
それはつい昨日の出来事。白髪赤眼の男と、自身の妹である二人の少女の会話。
一方通行『周りの時間が遅くなればなるほど自分の周囲にある空気の『粘度』が増大するンだ』
打ち止め『ねんどってなーにって、ミサカはミサカは質問してみる!』
一方通行『『粘度』ってのは流体の粘り気のことだ。 粘度が大きいほどドロドロした流体ってことだなァ』
一方通行『つまり周囲の時間を遅くすれば遅くするほど……』
番外個体『空気の粘度が大きくなって仕舞いにゃ動けなくなるね』
一方通行『そォいうことだ』
美琴(空気の時間が遅くなると粘度が増大してドロドロになる。 それなら、時間を極限まで遅くした場合はどうなる……?)
粘度が増大した果てに行きつくもの。それは――――
咲夜「……いくわよ」
美琴(……! 来る!)
強烈な殺気が放たれると同時に、咲夜は美琴の方に向かって『坂を駆け下り始めた』。
もちろん空中に坂などあるはずがないが、彼女の体の動きは急峻な勾配の道を走っているかのように見えた。
『地面に向かって走る』ことを恐れないそのフォームは、彼女の走る速度を極限にまで高めている。
その速さは既に『空から落ちている』状態と変わらないものとなっていた。
美琴(粘度が極限にまで大きくなると起こるのは『流体の固形化』!
アイツは空気の時間を遅くすることでその場に固めている!)
美琴(さっきの全方位攻撃を防いだのも、私の呼吸を止めたのも、その力のおかげってことね……)
美琴(様々な物質適用することができる能力の汎用性。 肉体を激しく動かしながらも、
正確かつ瞬時に自分の足場を作ることができる演算能力……)
美琴(確かに能力はレベル4の中でも規格外の部類に入る。 でも――――)
美琴「わざわざ私の前に体を晒すなんて、バカもいい所よ!」
バチバチッ!
美琴は再び体から紫電を迸らせる。
迫り来る標的を、電撃の槍で打ち落とすために。
もし咲夜の防壁が、ただ空気を固めたものであったならば、それを電撃で突破することは十分可能の筈だ。
電撃とは電子の流れ。電子ほどの微細な粒子ならば、空気を構成する酸素や窒素の隙間をすり抜けることなど造作もない。
美琴の最大の武器は、咲夜の造る壁を容易く打ち破ることができるのだ。
バチィッ!
美琴は咲夜に狙いを定め、電撃の槍を飛ばす。
小細工を全く使っていないただの電撃。それには理由がある。
相手は先ほどとは違い、足場が不安定な空中に居る。
地上ならまだしも、そのような状況では躱せないと考えたからだ。ところが――――
咲夜「!」カチッ!
ヒュッ!
美琴「!? 避けた!?」
そのような状況下でも、咲夜は電撃を躱して見せた。彼女の姿が消え、残った虚空を電撃が通り過ぎる。
そして別の場所に姿を現すと、お返しと言わんばかりに木杭を投げつけ、再び地上へと駆け下りてきた。
美琴はそれを避けつつも、咲夜の姿から目線を外さない。
それをしたら最後、間違い無く再び相手を見失うことになるに違いないからだ。
今度見失ったら、もう一度相手の姿を再び視界に納められるとは限らない。
美琴(そうか……足場を自分で作れるなら、空中でも地上と同じように行動できるって事ね)
美琴(そして、一瞬で空高く飛び上がることもできる……つまり、立体的に動き回ることができるってこと)
美琴(今まで以上に、こっちの攻撃を当てるのが難しくなったってわけね……)
美琴「こうなったらっ……!!!」バチバチッ!
ついに美琴は、もはや咲夜を手加減しながら勝利できる相手ではないと判断した。
覚悟を決めた彼女は、リミッターを外して更に多くの電気を身に纏った。電流の火花が周囲を明滅する。
電流の量は既に、その一撃を受けた者の意識を容易に刈り取ることができるまでになっている。
最早近づいただけでも、彼女を守護する白雷の餌食となるだろう。
美琴(アイツが持つ攻撃手段の中で、おそらく私に効くのは空気の時間操作だけ!)
美琴(飛び道具類が意味ないってことは理解してるはずだから、必ずその手を使ってくるはず……)
美琴(幸い、アイツは複数の時間を一度に操作できないみたい。 じゃなかったら、
わざわざ『私の拘束を解いて攻撃を避ける』なんてことはしないはずだし……)
美琴(だから、アイツが私に勝つためには、能力を使った後に『私が窒息するまで自分の足で逃げ回らなくちゃならない』)
美琴(さっきと同じような攻撃を受けたとして、息を止めていられるのは……大体1分前後ってところかしら)
美琴(勝負所はアイツが能力を発動してから、私が窒息するまでの間……)
美琴(意識が保てる間に、アイツを倒す。 それしか決着を付ける方法はない!)
美琴が窒息する前に、咲夜が電撃に捕らえるか。
咲夜が電撃から逃げ切り、美琴が意識を失うか。
決着はこの2つのいずれかに収束するだろう。
そして結末を左右するのは、1分間の行動である。
咲夜「……」チャキッ!
美琴「墜ちなさい!」
右手にナイフ、左手に懐中時計を握りしめる咲夜。それを迎撃せんと身構える美琴。
もう少しで文字通り両者が衝突しようとして――――
ドガァンッ!
美琴「づ、ああぁぁぁあぁあ!?」
前触れなく、美琴の体は自動車に撥ねられたかのように強く横に弾き飛ばされた。
今日はここまで
原作の方のスケールがぶっ飛びすぎて、こっちの話が陳腐に見える不具合
できるだけ原作の情報に沿って話を作ろうと思ってたけど、このままだと創作の範囲が狭まる可能性が……
かぐや姫ネタとか第6位ネタとか出始めてるし、何より上条さんパワーアップしすぎィ!
数十億年の戦闘経験とか、誰も上条さんに勝てる気がしない……
原作の途中で分岐したパラレルワールドにするかな……旧約最後からの分岐ならまだ何とかなりそう
まぁ完全に別世界というわけではなく、『ある程度原作と同じ歴史を辿った所々が違う世界』になると思うけど
質問・感想があればどうぞ
乙!!
やっぱりすごい。傑作だと思いますよ~!!
もう咲夜さんLevel5級じゃね?ww
Lv5だったら美琴さんも言ってた様な複合攻撃や……へたしたら時間遡行まで出来ちゃうかも知れないからな
二次創作で原作との齟齬が生じそうな時はこう言っておこう
「○巻までの設定です」
>>446
お褒めに与り光栄です。今後も精進していく所存です
>>447, >>448
流石に時間逆行までしたら、レベル5どころじゃない気がします
精々効果範囲の拡大もしくは延長位じゃないでしょうか
ちなみにレベル5認定を受けていない理由は他にも……
>>449
その案採用。次スレ建てる時に書き加えておきます
これから投下を開始します
何もわからぬままビルの壁に激突し、その場に崩れ落ちる。
まるで全身が砕け散ったかのような錯覚を覚える強烈な痛み。
危うく気絶しそうになるが、済んでの所で意識を繋ぎとめた。
美琴(がっ、あっ……何をされたの……!?)
激痛に対して歯を食いしばりながらも、自分の身に起こったことを把握しようとする。
先ほど自身に加えられた衝撃を生み出したのは何者なのか。それは十中八九咲夜だろう。
それにしても、まだ隠し玉を持っていたとは。しかもまた攻撃の原理がわからないと来た。
あの力の加えられ方を考えると、少なくとも自分の背丈以上ある、硬質の物体をぶつけられたことは間違いない。
ただ一つ疑問がある。その物体は目視するどころか、電磁レーダーで感知することすらできなかったのだ。
『自身の背を超える程の大きさのものを察知できなかった』という事実。未知なる攻撃が美琴の頭を混乱させた。
美琴(全く次から次へと良くわからない攻撃を……手品師みたいな奴……!)
咲夜「思うように動けないようね」
美琴「!」
気が付くと、いつの間にか咲夜が目の前に立って冷めた目でこちらを見下ろしていた。
彼女に向かって電撃を飛ばそうにも、未だに続いている激痛が能力使用のための演算を阻害する。
敵を目の前にして何もできないという焦燥感。そして敵に屈しているという屈辱。
二つの大きな感情が地に蹲る美琴を責め立てる。
咲夜「さて、注射器は返してもらうわよ」
美琴「ぐ……」
咲夜は身動きが取れない美琴の近くにしゃがみ込むと、彼女の服を弄り始めた。
美琴は必死に抵抗しようとするが、力の入らない体では目の前の女の華奢な細腕にすら抗うことができない。
しばらくして咲夜は目的のものを見つけ、美琴のスカートのポケットから注射器が入った袋を抜き出した。
咲夜「うん、壊れてはいないようね。 安心したわ」
咲夜は袋の中で浮かぶ物を観察し、安心したように呟く。
少女一人の体が吹き飛ぶ衝撃を受けても、袋には破損の陰は一切無かった。
それが無くては仕事もままならなくなる手前、安堵の言葉を口にするのも無理からぬことである。
ただ、実際にそれをやった本人がその言葉を漏らすのは、些か奇妙なことではあるのだが。
一方その様子をただ見ていることしかできなかった美琴は、
ふと戦いの中で頭の中に浮かんだ疑問を咲夜に投げかける。
美琴「アンタ……本当にレベル4なの? それにあの体裁き……とてもメイドの動きとは思えない」
咲夜「私のナイフを扱う技術は、元は護身用として覚えたものよ」
咲夜「夢中になって練習しているうちに、護身どころのものじゃなくなっちゃったけど……」
咲夜「まぁ、刃物の扱いは料理の腕前に比例するというし、事実料理を作る腕が上達したから、
あの練習は全く無駄と言うわけじゃなかったわ」
咲夜「あぁ、舞夏さんや他のメイドはこんなことしないから安心しなさいな」
咲夜の話からするとどうやら彼女以外のメイドは、彼女のようなナイフ捌きは修得していないようだ。
常識的に考えて、そんな物騒な技術を学校で学ぶはずがないのだが。
咲夜「それと私の能力のことは貴方自身が良く知っているでしょう? 私は貴方より格下のレベル4よ」
咲夜「ただ、私は『身体検査(システムスキャン)』で一度も本気を出したことがないし、
日常生活でも必要以上に能力を使ったことは無い」
咲夜「本当のことを言うと、レベル4の真偽は私にもわからないわね」
美琴「何故、そんなことを……」
咲夜の言葉に、美琴は困惑の色を隠せない。
この学園都市では、『超能力の強度』は自身の価値に直結するほど重要なものだ。
それ故にこの街に住む学生は自身のレベルを上げることに心血を注ぎ、
その結果己に才能がない事実に絶望して身を破滅させる者がいる。
そんな学生たちにとって『身体検査』は、自身の実力を数値として知ることができる唯一の機会。
数値で表されるということは、そのデータは客観的事実ということであり、一切の誤魔化しが効かないということ。
そして自身のレベルに悩んでいる人にとっては、何よりも恐ろしいイベントである。
日々努力を続けて全力で測定に挑んだにも拘わらず、微塵も成長が認められなかったとなれば、
その者を襲う虚脱感は並大抵の物ではないだろう。
それ程重要なものにも拘わらず、咲夜は何故本気を出そうとしないのだろうか?
咲夜「それは自身を不幸から遠ざけるためよ」
美琴「……?」
咲夜「『過ぎた力、特別な力は災いを招く』……小説や漫画でよくある話ね」
咲夜「力に溺れてその身を破滅させる者。 他者に利用された揚句使い潰される者。
人々から恐れられ、孤独の内に死に逝く者……」
咲夜「いろいろ理由はあるけれど、いずれしても力を持ちすぎた者の行きつく先は不幸であることが多い」
咲夜「強大な力を持つレベル5の貴方なら、わかるのではないかしら?」
美琴「……!」
『過ぎた力は災いを招く』。その言葉が意味する所を、美琴は一年前に嫌というほど思い知った。
『能力者量産計画』。『絶対能力進化』。そして『第三次製造計画(サードシーズン)』。
どれも彼女が『電撃使い』のレベル5で無かったなら、計画すらされなかっただろう狂気の実験である。
もしも自身が平凡な少女のままでいたのなら、『妹達』は造られず、彼女等が実験によって犠牲になることも無かったはずだ。
決して『妹達(シスターズ)』が生まれてしまったことを後悔しているわけではない。
例えクローンであったとしても、彼女達は紛れもなく自分の『妹達(いもうとたち)』なのだ。
後悔しているとすれば、それは彼女達が実験に利用されていた事実に気付けなかったことだろう。
咲夜「私は自身の力がどれだけ異常なものなのかを知っている。 そして、それを付け狙う輩がこの街にはいるということも」
咲夜「それらから身を守るためには、自身の実力を隠して生きなければならない」
咲夜「『出る杭は打たれる』と言うのは少し違うけど、無用ないざこざを避けたいのであれば必要なことなのよ」
咲夜は自身の持つ力がどれだけ異常なものなのか、そしてそれが自身に危険を呼び寄せることを理解していた。
だからこそ彼女は今まで、自分の実力を周囲に隠して生きて来たのだ。
それと同時に美琴は気付いてしまった。咲夜は『自身に危険を及ぼすものの正体』を知っている。
学園都市に蔓延っている闇。そこに潜む、倫理観が欠如した『狂科学者(おとなたち)』。
能力者を餌として肥大化するこの街の狂気に、彼女も自分と同じく囚われたことがあるのだ。
咲夜「……さて、無駄話はここまでにして、本来の仕事に取り掛かりますか」
美琴「また、どこかの女の子でも襲いに行くつもりなの……?」
咲夜「何を言っているのかしら? 獲物なら私の目の前に居るじゃない。 貴方よ、貴方」
美琴「なっ!?」
咲夜「折角弱った獲物が居るのに、一々別の奴を探しに行くような手間はかけないわ」
咲夜「時間も押しているし、散々手こずらせた償いとして貴方が血液を提供しなさい」
咲夜「貴方が犠牲になれば、他の罪の無い子を救うことができるわよ?」
美琴「ふっ……ざけんじゃないわよっ!!!」
咲夜の言葉に美琴は激昂する。
目の前の女が血液を集めている理由は、今でも見当が付いていない。
だが『自身の血を奪われる』ということが、どうしようもなく彼女に『あの悪夢』を思い出させ、恐怖させるのだ。
そしてその悪夢を繰り返すかもしれない咲夜に対する怒りも、同じようにして彼女の心を支配する。
二つの感情が痛覚を麻痺させたことで、彼女は一時的に体を動かせるようになった。
美琴はふらつきながらもその場に立ち上がり、咲夜に掴みかかろうとするが――――
咲夜「動くな」
美琴「っ!? 体が……!?」
咲夜が言葉を告げた途端、美琴の最後の気力を振り絞った抵抗も空しく、
彼女の体は石の中に埋まってしまったかのように、微塵も動かすことができなくなってしまった。
どうやら美琴の周囲にある空気の時間の流れを遅くして固化させたようだ。
咲夜「下手に暴れないことね。 これからする作業は結構繊細なんだから、失敗でもしたら最悪死ぬわよ?」
美琴「何をするつもりよ!?」
咲夜「貴方を気絶させるのよ。 首の動脈の時間を操作すれば、それだけで簡単に昏睡状態にすることができるわ」
咲夜「5秒もあれば済むけど、時間操作中に体を動かされたら動脈が破れて失血死は確実ね」
咲夜「それが嫌なら、さっきみたいに喉の時間を操作して窒息させる方法でもいいけど?
ただ、これをやっちゃうと色々と悲惨なことになるからお勧めしないわ」
咲夜「貴方も道端で排泄物を漏らしたりはしたくないでしょう?」
美琴「くっ……!」
咲夜「用が済んだら救急車を呼んであげるから、そんなに心配しなくてもいいわ」
咲夜「まぁ、到着する前に別の誰かに攫われる可能性もあるけど、そこまで面倒をみる義理は私には無いし……」
咲夜「それじゃあ、御坂美琴さん。 良い眠りを……」
美琴「畜生っ……!」
咲夜の右手が美琴の目の前にかざされる。左手には白銀の懐中時計が握られていた。
――――そういえば、彼女は何故いきなり戦闘中に懐中時計を手に持つようになったのか。
『何かを手に持つ』ということは『手が塞がる』ということである。
それが武器ならまだしも、懐中時計など戦いに於いては不利となる要素にしかならない。
にも拘らず、彼女が懐中時計を手に持つ理由。そこには何か重要なことが隠されているではないか?
美琴(今更そんなことを考えても仕方ないわね……)
しかし今その答えを得た所で、この危機を乗り越えられるわけではない。
体を固定されて身動き一つ取ることすらできず、しかも未だに電撃を放てるほど体が回復していない現状では、
咲夜の弱点に気付いたとしてもそれを突くことすらできないのだ。
もはや自分にできることは何も無く、目の前の女の手にかかる他ない。
全てが手遅れであり、万事休すである。
美琴(ごめん、みんな。 私――――)
美琴が自身の敗北を受け入れようとした、その時――――
ヒュゴッ!
咲夜「――――!?」
美琴「――――え?」
突如大きな何かが飛来し、咲夜の脇腹に直撃した。
ゴッガァァァァァン!!! ガランガラン……
路地裏に響き渡る無機質な轟音。そして続く落下音。
思わず眼を瞑っていた美琴が再び見開くと、自分の足元に拉げたドラム缶が転がっていた。
恐らくこの近場に放置されていたものだろう。雨風に晒されていた為か、所々塗装が禿げている。
誰なのかはわからないが、これを咲夜に目掛けて放り投げたのだ。
咲夜「っ……!」
一方、ドラム缶の直撃を受けた咲夜は相変わらず無傷でその場に立っていた。どうやら防御に成功したらしい。
しかし彼女としても不意打ちだったのか、清楚な顔が心なしか強ばっているように見える。
その表情から、かなり動揺していることが読み取れた。
それでもパニック状態に陥らないだけ流石というべきか。
美琴(一体何が……)
「チッ、防ぎやがったか……」
美琴「!?」
咲夜「何者……!?」
カツッ カツッ カツッ……
通路の奥から何かで地面を突くような軽快な音が聞こえてくる。
一歩、また一歩と、人が歩くにしては少しテンポが悪い気がするが、それでも暗闇から着実に近づいてくる。
それはまるで得体のしれない何かが忍び寄るかのようで、この場に居る者の背筋を怖気つかせた。
そして足音が目の前に近付いた時、その人間の姿が月光の下に曝け出された。
美琴「ア、アンタは……!」
ドラム缶を咲夜に投げつけた人間の正体は、病的にまでやせ細った一人の男であった。
右手には盾のようなものが付いた奇妙な杖。それを慣れたように使いながら、一歩ずつゆっくりと歩いてくる。
白い髪。白い肌。そして血のように紅く染まった赤眼。その特徴は美琴の目の前に居る女と全く同じ。
白面に浮かび上がる二つの赤が、異常に際立って見えた。
彼の姿を見た瞬間、美琴の顔は驚愕に埋め尽くされる。
何故ならその者は、彼女が最も良く知る人間の一人であり、同時に自身に最悪の悪夢を見せた人間だったからだ。
一方通行「よォ。 随分と情けねェ姿になったな。 『超電磁砲』」
レベル5序列第一位。学園都市最強の超能力者。
『一方通行』と呼ばれる『怪物』がそこに居た。
今日はここまで
一通さん満を持して登場
最後に出たのはいつの話だったか……
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美琴「一方通行!? 何でアンタがここに!?」
一方通行「あン? そンなもン『打ち止め(クソガキ)』から話を聞いたからに決まってンじゃねェか」
一方通行「コーヒー買って帰ってきてみれば、俺の顔を見た途端ソワソワしやがりやがって……」
一方通行「そンで聞いてみりゃァ、オマエが『妹達』を襲った馬鹿と戦ってるとか言いだしやがる」
一方通行「正直乗り気じゃなかったンだが、クソガキが行けってピーピーうるせェから、
わざわざこうやって足引き摺って来たンだよ。 土下座して感謝しやがれ」
叫ぶ美琴に対し、一方通行は心底面倒くさそうにしながらここに至る経緯を話す。
確かに、打ち止めが一方通行に助けを求めることは何ら不思議なことではないし、
この場に来ることは、ある意味規定路線であると言えなくもない。
一方通行が乗り気でないのは、今回の件は美琴一人だけで十分だと判断したからなのだろう。
一方通行「それにしてもだ。 レベル5ともあろう者が、この程度の三下相手に屈してンじゃねェよ。
レベル5の品格に関わるじゃねェか」
一方通行「それとも何かァ? ぬるま湯に浸かり過ぎて腑抜けちまったかァ?」
美琴「っ……!」
一方通行「まァいい、オマエの出番は終わりだ『超電磁砲』。 後はそこら辺で指でもしゃぶりながら寝っ転がってろ」
彼はそう言いながら、二人の会話を黙しながら聞いていた咲夜の方に視線を移した。
視線を向けられた彼女は、手に握っている懐中時計をさらに強く握りしめる。
突然現れた『乱入者(イレギュラー)』に対する警戒か。
それとも自身と似た容姿をした者が現れたことへの動揺か。
いずれにせよ、彼女は美琴と戦っていた時よりも強く緊張感を表していた。
一方通行「十六夜咲夜。 RSP実験の最後の生き残りか……良くもまァ、再び闇に飲まれずに生きて来れたもンだ」
一方通行「一度闇に落ちた奴が這い上がれる確率なンて、高が知れてるってのによォ」
美琴(!? どういうこと……?)
咲夜「……何故」
一方通行「なンで知ってるのかって? そりゃァ、その実験が俺の能力の再現が目的で行われたからに決まってンだろ」
一方通行「つまり、オマエの不幸の原因は俺にあるってことだ」
咲夜「そう……」
一方通行「だからって謝るつもりなンて毛頭ねェけどな。 あァ、言っておくが、
それくらいのことで悲劇のヒロインぶるンじゃねェぞ?」
一方通行「その程度の悲劇なンざ、この街じゃまだまだマシな方だ。 オマエに自分の不幸を自慢する資格はねェよ」
咲夜が体験した悲劇は、この街に星の数ほどあるものの中の一つでしかない。
彼女以上に壮絶な経験をしたり、自分の大切なものを奪われたりした人間は数多くいる。
そもそも、こうして普通に生きていること自体が幸運以外の何物でもないのだ。
『生きている幸福』を得た咲夜に、自身の不幸を嘆く資格は無い。
もちろんこれは彼女に限った話ではなく、一方通行を含めた学園都市の闇から生還した者全員に言えることではあるが。
一方通行「さて、下らねェ話はさっさと終わりにして、だ。 オマエ、『妹達』のことを随分と可愛がってくれたみてェじゃねェか」
咲夜「『妹達』……?」
一方通行「オマエが襲ったこの『超電磁砲』似の女のことだよ。 俺は言ってしまえば、そいつらの保護者見てェなもンだ」
一方通行「俺にはそいつらを守る義務がある。 そしてそいつらに手を出した奴は誰であろうと、
例外なくブチのめすことに俺は決めている。 オマエならこの意味がわかるよなァ?」
咲夜「……」
二人の間の空気が急速に冷えていく。
それこそ、冷える音が幻聴として聞こえそうなほどに。
一方通行は獰猛な笑みを浮かべてその場に立っているだけだ。身構えることもなく、全くの隙だらけである。
だというのに、自分の心臓を鷲掴みにされたかのような、強い圧迫感を咲夜は感じ取った。
この男は危険だ。理屈を抜きにして、自身の五感全てが警鐘を鳴らしている。
奴を相手に戦うのは蟻が像に立ち向かうことと同じこと。
どんな策を講じたとしても絶対に覆らない、圧倒的な隔たりが奴と自分の間にある。
故に戦闘は全くの無意味。それどころか不利益にしかならない。
既に最低限の目的は果たしているのだ。この場は引いて、血液の採取は別の人間を標的にした方が良い。
咲夜はそう考えたのだが――――
一方通行「おォっと、逃げ出すのは止めた方がイイぜ? 大事なご主人サマを巻き込みたくなかったらなァ」
咲夜「!?」
一方通行「オマエの主人が何処に住んでいるのかはとっくに割れてンだ。 既に『警備員』がそいつの家の周囲に張り込ンでる」
一方通行「もしオマエが尻尾を巻いて逃げたら、オマエのご主人サマは共犯でしょっ引かれるかもしれねェなァ?」
一方通行「ま、俺は別にそれでもかまわねェがな」
咲夜「くっ……!」
一方通行の発言を聞いて、咲夜は憎しみの籠った目で相手を睨みつける。
彼女にとっての主は、自分自身の身の安全よりも優先すべき存在だ。
この場を引いた結果として主に危険が及ぶのであれば、目の前の敵から逃げることなど決してできない。
例えどんなに勝利することが困難だとしても、それこそ不可能であったとしても挑まなくてはならないのだ。
この時点で彼女の頭の中から『逃げる』という選択肢は完全に抹消された。
一方通行「神サマへのお祈りは済ませたかァ? 尤も、この街で神に祈るなンてことをする奴はいねェだろォがな」カチッ!
一方通行はチョーカーのスイッチを入れ、身体能力と演算能力を復帰させ、自分の杖を収納する。
先ほどまで足を引き摺っていたことが嘘であったかのように、真っ直ぐに二本の足で直立した。
顔の笑みは野獣のそれのようにさらに凶悪になり、眼は猛禽類のような鋭さでもって目の前の獲物を射抜く。
そして、彼の口から宣戦布告がなされた。
一方通行「さァ、楽しい楽しいおままごとの始まりだ。 自分が食材になっちまわねェように、精々足掻きやがれ!」
咲夜「ちぃッ!」
咲夜は懐からナイフを取り出して迎撃しようとする。しかし――――
ドンッ!
咲夜「!?」
一方通行「クカッ!」
それよりも早く、一方通行は咲夜の目の前に肉薄した。
前に一歩。たったそれだけの動作で、10歩以上の距離を瞬く間に詰める。
そして間髪を入れずに振り翳される白の右手。
この手が触れた時点で、戦いは終わりを迎えるのだ。
咲夜「――――」
常人であれば何が起きたのかもわからぬまま、その魔の手によって沈んでいただろう。
だが咲夜は『時を操る者』。彼女にとって『速さ』など意味の無いものである。
咲夜(……ギリギリ、か)
一方通行と呼ばれる男を見下ろしながら、そう感想を漏らす。
彼の手は自分の胸元の、ほんの数センチという所で止まっていた。
もし一瞬でも判断が遅れていたら、自分はその手で何かをされていたかもしれない。
だがこうなってしまえば何の恐怖も感じない。なぜなら、男の手が自身に届くことは無いのだから。
咲夜(ただ真っ直ぐに突っ込んでくるなんて。 少し驚いたけど、あまりにも無策な行動ね)
咲夜(一目見た時は猛烈に嫌な予感がしたのだけど……気のせいだったのかしら?)
咲夜(ま、いいわ。 さっさと黙らせて仕事に戻らないと……)
咲夜はそのまま重力が弱くなった空間を飛ぶように移動する。
重力を支配する要素の一つである『重力加速度』の単位は『m/s^2(メートル毎秒毎秒)』。
咲夜自身の時間の加速によって一秒の間隔が長くなると、それの2乗に反比例して重力加速度は減少していく。
擬似的な時間停止の状態ともなれば、その一帯は殆ど無重力空間となってしまうのである。
彼女が美琴の戦いに於いて、一瞬にして上空50メートルに飛び上がることができたのはこれが理由である。
一方通行背後に回り込んだ咲夜は、手に持ったナイフを振りかざす。
狙うは両手足の靭帯。この部分を切断してしまえば、この男は身動き一つ取ることができない状態になるだろう。
そして彼女に、それを行うことを躊躇う理由は無い。
この男は自分の主を危険に晒そうとした人間。そんな存在に対して、慈悲の心を持ち合わせる必要などないのだから。
咲夜(お嬢様に仇なす者には鉄槌を――――)
咲夜は一方通行の体目掛けて、迷いなくその腕を振り下ろした。
――――ここで一つだけ述べておこう。
十六夜咲夜は『一方通行のことを何も知らない』。
何故レベル5である『超電磁砲』が屈している光景を見た上で、あれほどまでに余裕だったのか。
何故反撃を受ける危険性を考えずに、咲夜の方向に向かって真っ直ぐに突っ込んできたのか。
それは彼も『超電磁砲』と同じレベル5であり、『超電磁砲』よりも圧倒的な強者であり、
そして『反撃など容易く無に帰する能力』を持っているからである。
バキン!
咲夜「ぐ、ぁ……!?」
ナイフが男の体に刺さろうとした瞬間、咲夜の腕を強烈な衝撃が伝播した。
手首から上をバットで殴り飛ばされたような感覚。腕の骨が悲鳴を上げる。
彼女は余りの痛みに、思わず持っていたナイフを手放してしまった。
一方通行「残念だったなァ? 腕の骨でもイっちまったかァ?」
咲夜「!?」
我に返ると、そこには相変わらず口角を釣り上げたような笑みを浮かべる一方通行の姿。
それが視界に入った次の瞬間、彼女の腹部が彼の足によって蹴り飛ばされた。
今日はここまで
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ドゴッ!
咲夜「ごっ――――!?」
鈍い音と共に籠った声と胃液を吐き出しながら、咲夜の体は枯れ葉のように吹き飛ばされる。
そのままビルの壁に激突すると思われたが、彼女の体は突然ブレーキをかけたかのように急激に減速し、
ぶつかる前に地面に落下してそのまま地べたを転がっていった。
一方通行「ほォ、空気の時間を操作してクッションにしやがったか。 器用な真似しやがる」
咲夜「が……は、ぁ……」
腹部を抑えながら体を痙攣させて蹲る咲夜の姿を遠目に見つつ、一方通行は先ほどの現象を解析する。
時間を遅延することによって空気の粘度を上げ、その抵抗により自身の速度を落とす。
少々荒っぽいが、あの刹那に於いて判断したのであれば上出来と言えるだろう。
それをしなければ、ビルの壁に激突して全身の骨が砕け散っていたに違いない。
一方その光景を茫然と見ていた美琴は、突然思い出したかのように一方通行に向かって叫んだ。
美琴「一方通行!」
一方通行「なンだ『超電磁砲』?」
美琴「殺したりなんかするんじゃないわよ!? そんなことしたら……」
一方通行「オマエなンざに言われなくとも、死なねェ程度には手加減してるっつゥの。
しばらくはクソ不味い病院食を食う羽目になるだろうがなァ」
一方通行「そンなまどろっこしいことをするのは俺の流儀じゃねェンだが、クソガキに釘を刺されたからな」
一方通行「全身粉砕骨折くらいで済ませてやる」
美琴「アンタねぇ……それはどう考えてもやり過ぎでしょ……」
一方通行の慈悲とは程遠い言葉に、美琴は心の中で大きく溜め息をついた。
咲夜は一方通行の攻撃から復帰することができず、まともに起き上がることすらできていない。
彼女は既に満身創痍の状態なのである。そこに追い打ちをかけるのは、美琴としては少々気が引けた。
しかし忘れてはいけないが、彼女も咲夜に向かって全方向から鋭利な金属片をぶつけるという、
全身串刺しの血だらけになりかねない、結構洒落にならないことをしていたりする。
その時点で彼女も人のことを言えないのだが。
一方通行「ったく、オマエは相変わらず甘ェな『超電磁砲』。 甘過ぎて胸焼けがしそうだ」
美琴「アンタの方が異常なのよ。 どいつもこいつも、レベル5には他人をいたぶるのが趣味な奴しかいないのかしら?」
一方通行「ハッ、オマエも人のこと言えンのかよ」
美琴「私はアンタみたいにサディストじゃないわ。 至ってフツーの女子中学生よ」
一方通行「レベル0の三下相手に電撃浴びせてる時点で普通じゃねェよ」
美琴「ア、アイツは例外よ! 例外!」
一方通行「例外もクソもあるかってンだ」
美琴「もう! そんなことは良いでしょ! それより早くアイツをふんじばらないと……!?」
一方通行「……何だァ?」
咲夜「ハァッ、ハァッ……!」
美琴が見ている方向に眼を向けると、咲夜が立ちあがってこちらを睨みつけていた。
だがその脚は非常におぼつかない。
本当に『立っているだけ』という状態であり、何かの拍子に再び倒れてしまいそうな不安定さだ。
腹部を抑えつつ屈んでいることから、一方通行から受けたダメージも癒えていないのだろう。
しかしそれでも、彼女の眼が衰える気配はない。
刺すような鋭い眼光で二人を見据えている。
一方通行「意外と早い復活だな。 もう少しは這い蹲ってると思ってたンだが……」
咲夜「ぐっ……!」
一方通行「どうだ? 降参でもするかァ? 犬っころみたいにケツ振りながら土下座すれば考えてやってもいいぜェ?」
一方通行「言っておくが、オマエが俺に勝つ可能性は万に一つもありはしねェ」
一方通行「そこの『超電磁砲』はともかく、俺がオマエなンざに後れを取ると思ってたら大間違いだ」
一方通行「そもそも第三位が無様に倒れてる状況で、それより格下の奴がオマエに真正面から戦いを挑むわけがねェ」
一方通行「相手の力量も見抜けねェ無能は、ご主人サマの足元でキャンキャン叫びながら走り回ってるのがお似合いだ、犬っころ」
咲夜「貴様っ……!」
もはや敵に対して全く脅威を抱いている様子がない一方通行を見て、咲夜は大きく悪態をつく。
ただし、彼女は『自分が見下されたこと』に対して怒っているわけではない。
正確には『主に仕える自分が見下されたこと』に対してである。
自身が侮辱されることは、間接的に主を侮辱されることと同義。
主は咲夜のことを信用した上で、自分のメイドとして雇っているのだ。
咲夜の存在が軽んじられるということは、その彼女を雇った主には人を見る目がなかったということになる。
従者への評価は、そのまま主君の評価となるのだから。
自身の失態が主人の顔に泥を塗るという現状を、忠誠心の強い彼女が許容できるはずもない。
ジャラッ!
美琴「あれは……!」
一方通行「……」
咲夜が胸に掲げたのは、鎖の付いた銀色に輝く懐中時計。
美琴との戦闘の途中から、何故か手に持ち始めたものだ。
彼女はそれを強く握りしめたまま、一方通行だけを強く睨みつけていた。
もはや一方通行以外の存在は眼中に無いようだ。
美琴「一方通行! 気をつけなさい! アイツは――――」
咲夜「潰れなさい……!」
手に握られた懐中時計を見て、嫌な予感を感じ取った美琴は一方通行に向かって警告しようとする。
しかし、その言葉の全てが告げられるよりも早く咲夜の能力が発動した。
ドゴォンッ!
美琴「っ!?」
重くて固い何かがぶつかったような、大きな音が辺りに木霊する。同時に、強い突風が周囲を吹き抜けた。
その音を聞いて美琴は何が引き起こされたのかと見渡すが、目についた変化を見つけることは出来ない。
目の前には変わらず睨み合う一方通行と咲夜の姿があるのみだ。
美琴(何も起きてない? そんなはずは……)
一方通行「……これがオマエの切り札って奴か。 これだけの力があれば、人一人殺すには十分過ぎるなァ」
咲夜「バカなっ……!?」
美琴の困惑をよそに、咲夜は目の前の男に向かって叫んだ。
彼女の表情には驚愕と焦燥の色が見え隠れしている。この現状が信じられないとでも言うかのように。
一方通行「空間そのものの時間の流れを減速すると、その空間は『地球から置き去りにされる』ことになる」
その中で、ただ1人平然としていた一方通行が口を開く。
一方通行「これを使えば空間に閉じ込めた奴を問答無用で宇宙空間に放り出したり、地球の公転速度、
つまり秒速30キロメートルで固定した空間をぶつけたりすることが理論上可能だ」
一方通行「無論そんなことすりゃァ、発生した衝撃波でこの辺り一帯は消し飛ぶことになるだろォがな」
一方通行「だがレベル5でもねェオマエに、そこまで能力を使いこなせるはずがねェ。
もしできるなら、『超電磁砲』を軽く超えて新しいレベル5が誕生しているはずだ」
一方通行「さっきの衝撃の強さを考えるに、オマエによって遅延された空間が俺に衝突した時の速度は……
およそ秒速300メートルって所か」
一方通行「これだけでも人間をミンチにするのは簡単だが、元から0.1%しか遅延できねェようじゃァ、
レベル5に認定されるにはちィと力不足だな」
一方通行「まァ例えレベル5になった所で、俺にとっちゃァそンなもン、ガキのお遊びと大差ねェがなァ!」
ズドン!
一方通行が足踏みをするとその場に地面大きな亀裂が入り、続いて砕けた地面の塗装が宙に打ち上げられる。
宙を舞う瓦礫の群れを前にして、彼は自分の目の前の小石を右手で小突いた。
ガガガガガガガガッ!
すると一方通行のベクトル操作によって音速に近い推進力を得た石は、
宙に舞っている他の石を弾き飛ばし、弾き飛ばされた石はさらに別の石を弾き飛ばし……
それはまるでビリヤードのように、石同士がけたたましい音を立てながら連鎖的に衝突し始めた。
咲夜「……!」
その光景を前にして、咲夜は身動きすることができない。
一方通行の攻撃は面の攻撃。石の間隔が狭すぎて、時間を加速させても避けることができないのだ。
ならば美琴による『鉄の檻』を受けた時と同じように、自分の周囲にある空気の時間を遅延させて壁を作るしかない。
しかしこの方法はそれなりのリスクを伴うものだ。
咲夜は自分自身を『空気の壁で囲う』ことができない。
彼女が指定できる空間は一箇所、形は球形と直方体のみであり、
中が空洞である『箱』のような複雑な形で指定することはできないのである。
故に彼女は美琴の『鉄の檻』を捌く際に、自身の周囲にある全ての空気の時間を遅延することで空気の壁を作った。
しかしそれは、自分自身が空気の塊の中に閉じ込められるということであり、その間は全く身動きが取れなくなってしまう。
それは相手に対して、決定的な隙を晒すことと同じことだ。
美琴は咲夜の能力を詳細まで知っていたわけでは無かったので、一度限りの防衛として成立したが、
彼女とは違って隅々まで知っているであろう一方通行を相手に、そんなことをするのは危険極まりない。
では、何もできないのかと言われればそうでもない。
幸いなことに、石の群れは咲夜の前方からのみ迫ってきている。
一方向からの攻撃だけであれば一枚の壁を作るだけで十分対処可能だ。
その代わり、今度は後方からの不意打ちに対して対処できなくなってしまうが。
咲夜「くっ!」
しかし、今の咲夜に対策をじっくり考える時間は残されていない。
咄嗟に頭に思い描いた、最良の判断を実行することしかできない。
ガガンッ! ガンガンガンッ!
作り出した空気の壁に、飛来した石が次々と衝突して砕け散る。
その一つ一つが当たっただけで肉を抉り、骨を容易に粉砕するような代物だが、その程度では壁はびくともしない。
物質的な攻撃では、彼女の防壁を貫くことは不可能だからだ。
咲夜(不味い、身動きが……!)
しかし弾幕が濃すぎて、身動きが全く取れない。
この状況下で下手に動こうものなら、石の散弾をもろに浴びることにもなりかねない。
相手の攻撃がこちらに届くことはないが、こちらも攻撃することが出来ない。
咲夜(だけど石の数は無限じゃない。 それに、あの男が持っている能力は『念動力』もないみたいね……)
咲夜(だから、必ず攻撃に切れ目ができるはず。 そのタイミングを見逃さなければ……!)
この膠着は長く続かないと確信した咲夜は、機を得るべく辛抱強く待ち続ける。
すると咲夜の予想通り、暫くすると徐々に石の弾幕は薄くなってきた。
男は最初の場から動くことなく、口角を釣り上げながらこちらを見ている。
その顔を見て思わず腸が煮え繰り返そうになるが、すんでの所で抑えて平静を保つ。
ナイフが刺さらず、音速に近い速度での空気の壁の衝突を受けても平然としていられる男。
何かの能力者であるのか判らないが、規格外の存在であることは間違いない。
そんな相手に対し、咲夜に残されている最後の手は『相手自身の時間を操作する』こと。
こちらのあらゆる攻撃を無傷で受け止めてしまうあの男であっても、
頸動脈の血液の流れを直接止められてしまってはひとたまりもあるまい。
それすらも無力される可能性もあるが、彼女にはそれしか打開案が思い浮かばなかった。
咲夜(……見えた!)
全ての石礫が地に墜ち、咲夜と一方通行を隔てるものが一切なくなる。
これが最初で最後の好機。それを見逃すような彼女ではない。
咲夜は懐中時計を一際強く握りしめ、演算を開始した。
――――この時、咲夜は取り返しのつかない間違いを犯した。
勝利に急ぎ過ぎたためであろうか。
それとも一方通行に注意を向け過ぎていたからなのだろうか。
彼女は標的である男の近くに居た一人の少女について、完全に失念してしまっていたのだ。
美琴「――――」
咲夜「――――な」
視界の隅に映る人影。
見やると、そこには咲夜に向けて右手を突きだしている御坂美琴の姿があった。
咲夜「しまっ……!?」
美琴「これで終わりよ!」
バリバリバリィ!
美琴の指先から紫電が迸る。彼女の指から、強烈な電撃が咲夜に向かって打ち出された。
咲夜は慌てて一方通行に対する攻撃の演算を中止し、回避のための演算を試みようとする。
しかし時は既に遅く。美琴から放たれた電撃は空気の壁を容易く打ち破り、咲夜の体を貫いた。
咲夜「っがあぁぁぁぁああぁあ!!!」
パキンッ!
電流によって全身の筋肉が痙攣するのを、激痛と共に感じ取る。
それと同時に、右手に持った懐中時計が小さな音を立てて壊れたことを理解した。
咲夜(申し訳、ありません……)
それは、主君たるレミリアから与えられた任務を達成できなかったことに対しての謝罪なのか。
それとも、借りた懐中時計を返す前に壊してしまったことを元の持ち主に謝ったのか。
彼女は無念を心の内に抱きながら、自分の意識を闇の中へと手を放した。
今日はここまで
咲夜さんが美琴を吹っ飛ばした攻撃の種明かしをしつつ、戦闘終了
少々強引に終わらせた感が否めませんが、あまり長引かせると収拾がつかなくなりそうなので
ちなみに話は後もう少し続きます
質問・感想があればどうぞ
遅れてしまい大変申し訳ありませんでしたァ!(土下座)
日常生活が忙しくて筆が中々進まない
とりあえず今回でなんとか一区切りつきそうです
それでは投下を開始します
* * *
一方通行「……フン、くたばったみてェだな」カチッ!
煙を上げて倒れ込んだ咲夜を見て、一方通行は興味無さそうに呟きながらチョーカーのスイッチを切った。
美琴「はぁ~、しんどかった……」
それに対して美琴は、大きなため息をつきながらその場にへたり込む。
先ほどの緊張はどこへやら、といった感じだ。まるで100メートル走を走り終えた子供のようである。
そんな彼女を見て一方通行は、突然戦いに割り込んだことに対して苦々しい顔で苦言を呈した。
一方通行「オイ『超電磁砲』。 横槍入れるンじゃねェよ」
美琴「だって、あのままじゃ負けっぱなしで癪じゃない。 それにアンタなんかに助けられるなんて、
他でもない私自身が許さないわ」
一方通行「くっだらねェ……」
美琴の言葉に心底呆れたという様子を醸し出しつつ、一方通行は倒れた咲夜の傍に近付く。
そしておもむろにその場にしゃがみ込むと、地面から銀色の何かを拾い上げた。
美琴「それ、そいつが持ってた懐中時計じゃない。 ……壊れちゃってるわね」
懐中時計は風防であるガラスの部分が割れており、見るも無残な姿になってしまっている。
勿論時刻を示す長針や短針も動いてはいない。もはや二度と時計としての役割を果たすことはできないかもしれない。
何せ美琴の電撃を食らったのだ。精密機械にとって天敵である電気を通されたのだから、壊れない方がおかしいと言える。
一方通行「能力補助のための道具か……」
美琴「やっぱりそうだったの?」
一方通行「あァ。 こいつを手に持っている時に限り、能力を使って『空間を地球から置き去りにする』ことができるみてェだな」
一方通行「……つゥかオマエ、それに気づいてンだったらさっさとぶっ壊しちまえばよかったじゃねェか」
一方通行「なンでこんな犬っころ相手に負けてンだよ?」
美琴「……それに気づいたのはついさっきだし。 何となく予感はしてたんだけどね」
一方通行「マジで弛ンでやがるな。 ちったァ気を引き締めねェと、もし何かあった時に対処できねェぞ?」
一方通行「まだこの街も、完全にまともになったとは言えねェンだからな」
美琴「言われなくてもわかってるわよ、そんなこと……」
一方通行の言うとおり、美琴は少々気が緩んでいたのかもしれない。
本来であれば彼女は、咲夜の能力の秘密を即座に見破るだけの頭脳は持ち合わせているはずなのだ。
アレイスター=クロウリーとの全面戦争を体験した後であり、
あれから何も事件に関わらず平和に生きて来たのであれば、油断してしまうのも仕方ないとも言える。
美琴「……ねぇ、ちょっと聞いても良いかしら?」
一方通行「何だ?」
美琴「アンタはこいつのことをかなり知ってたような口だったけど……どうして前に会った時に教えてくれなかったのよ?」
美琴「RSP実験……アンタが関わってたらしいけど、一体どういうことなのかしら?」
美琴「それにこいつの『ご主人サマ』って一体……」
一方通行「……オマエには関係ねェ話だろ」
美琴「関係無いわけ無いでしょ。 こいつの自身ことは百歩譲って良いとして、
こいつに命令した黒幕がいるんだったら、そいつも捕まえないと同じ事が起こるわ」
一方通行「ったく、めンどくせェな……確かに『時間操作』の能力者がどンな経緯で生まれたのかは、
オマエに聞かれる前から知っていた」
一方通行「だがこの犬っころの名前が『十六夜咲夜』だと知ったのは昨日の夜だ。
あの時点でオマエにこいつの名前を教えられるわけがねェ」
一方通行「それに、RSP実験の話はクソガキがいる状況で話せる内容でもねェしな。
オマエもどンな実験なのかは大方予想ついてンだろ?」
美琴「まぁ、ね……碌でもないものだってことはわかったわ。 アンタが関わってるくらいだし」
一方通行「後は黒幕についてだが、それは俺も知らねェ。 そもそも黒幕がいるかどうかもな」
美琴「はぁ? だってアンタ、こいつの『ご主人サマ』の周囲に『警備員』を張り込ませてるって……」
一方通行「そンなもン嘘に決まってるだろォが。 そもそも俺に『警備員』をどうこうする権限なンざねェよ」
美琴「良くもまぁ、そんな滅茶苦茶なはったりを堂々とかませたわね……」
一方通行「この犬っころに上司がいるのは事実だからなァ。 レミリア・スカーレットだったか?」
美琴「そんなことまで知ってんの? アンタの情報源って一体何なのよ……」
一方通行「それは企業秘密って奴だ。 ……さて、この懐中時計はオマエが持っとけ。 俺が持ち帰ってもしょうがねェからな」
一方通行は壊れた咲夜の懐中時計を美琴に差し出す。
彼が懐中時計を使うことなど無いだろうし、彼の身内にも愛用しそうな人間はいない。
つまり持っていても使い道が無く、さらに風防が割れている状態となれば、
アンティークとして家に飾っておくことすらできないだろう。
だがそれは美琴にとっても同じであり、彼女の手に渡ったからといって有効利用されるというわけでもない。
一方通行が彼女に渡した理由は、ただ単純に壊れた懐中時計の処分が面倒だったからである。
しかし美琴は彼の思惑に気付いている様子は無く、素直にそれを受け取った。
一方通行は懐中時計を渡すと、そのまま何も言わずこの場から離れようと歩きだす。
その様子を見た美琴は、慌てて彼を呼び止めた。
美琴「ちょっと、何処に行くつもり?」
一方通行「帰るに決まってンだろ。 こちとらだるい体引き摺ってここまで来てンだ」
一方通行「家に帰ってコーヒー飲んだら、さっさと布団に入って寝る」
美琴「まさか、事後処理を全部私に押し付けるつもりじゃないでしょうね?」
美琴は怪訝な視線を一方通行へと向ける。
正直に言って、自分一人で咲夜を『警備員』の下に連れて行くようなことしたくない。
『連続通り魔事件』の犯人は咲夜であると説明しても、『警備員』が素直に納得してくれるとは到底思えないし、
絶対に今まで起きたことの一連の流れを説明しなければならなくなる。
何より『常盤台の超電磁砲がこんな時間に外で何をやっているのか』と、色々と問い質されることになるだろう。
一方通行「俺にはこれ以上オマエに付き合う義理なンかねェよ。 それに、俺までついて行ったら色々面倒なことになる」
美琴「面倒? 何よ面倒って?」
一方通行「それはこっちの都合だ。 オマエにとっちゃ関係ねェ話だよ」
一方通行(今日は黄泉川が残業だって言ってたからなァ。 犬っころを『警備員』に連行した先で鉢合わせになるかもしれねェ)
一方通行(わざわざ小言を聞きに行く物好きなンているわけねェだろ)
美琴「はぁ……アンタがこっちの頼みを聞くはずがないし……わかったわ。 こいつのことは私に任せて」
美琴「聞いておくけど、『警備員』に説明するときは捕まえたのは全部私のおかげってことにしていいわね?」
一方通行「あァ、全部オマエの手柄にしちまえばいい。 俺にとっちゃァどうでもいいことだからな」
一方通行「『警備員』に感謝でも何でもされてろ。 じゃァな」
一方通行はその言葉を最後に、松葉杖を突く音を鳴らしながらこの場を去っていった。
その後ろ姿を見て美琴は、『相変わらず身勝手な男ね』と心の中で思う。
一応事件の当事者なのだから、その役目を最後まで全うするくらいしてもいいのではないか。
しかし文句を言った所で彼が言うことを聞くとは思えないし、彼相手に実力行使なんてことが美琴にできるはずもない。
美琴「まったく、仕事押し付けられるこっちに身にもなりなさいよね……」
一人で『警備員』に説明すること以外の選択肢がない美琴は、ブツブツと愚痴を零しながら携帯電話を取り出す。
これから行われるであろう大人達からの質問攻めの考えると気が重くなるが、覚悟を決めるしかない。
病院に向かった『妹達』のことも気になる。『警備員』から解放されたら、真っ先に行くとしよう。
美琴(そう言えば、何か重大なことを忘れているような気がするけど……)
美琴(まぁ追々思い出すだろうし、今は気にする必要はないわね)
* * *
一方通行「ったく、面倒くせェったらありゃしねェ……」
一方通行は口から気怠い声を漏らしながら街灯に照らされた道を歩く。
頭上から照らされる光を彼の長い前髪が遮り、その目元を薄暗くしており、
闇から覗いている真紅の瞳が、まるで周囲を威嚇するかのようにギラギラと輝いている。
その不機嫌が極まった表情は、他者を遠ざけるには十分な代物であり、
彼が通ろうとすると自然に人が避けて道ができるようになっていた。
しかし一方通行は、そんなことを気にすることもなく歩を進めていく。
むしろ、周りが勝手に道を空けてくれることを歓迎していた。
今の彼が望んでいることは、早く家に戻って缶コーヒーを呷ることだけなのだから。
一方通行(それにしても、本当に情けねェ。 仮にもレベル5だろうがってェの)
一方通行(『妹達』とは違うンだ。 奴を倒す方法なンて、両手両足で有り余る程あるだろォが……)
一方通行(これも平和が訪れた弊害か。 そもそも『超電磁砲』は表側の住人……)
一方通行(先の戦争が終わって、緊張の糸が切れちまったんだろォな。 俺みてェに未だに戦場に身を置いているわけじゃねェ)
一方通行(腑抜けになるのも仕方がねェってことか。 今回の件で多少はマシなるとは思うが……)
今回の出来事は、御坂美琴の危機意識の低下を浮き彫りにする結果となった。
『妹達』というガラス細工を抱えている彼女。上条当麻や一方通行が居るとはいえ、それを守っていくのは他ならぬ本人である。
一方通行(まァ、腑抜けになったという点では俺も人のことは言えねェな。 本当なら十六夜咲夜は初撃で沈めるべき相手だ)
一方通行(俺の『ベクトル操作』と奴の『時間操作』はすこぶる相性が悪い)
一方通行(もし俺の能力の正体に気づかれていたら、間違いなく劣勢を強いられていただろォな)
一見、一方通行の圧勝に終わったかのように見えた今回の戦い。
しかし実際の所、その勝敗が覆される可能性は大いにあった。
あらゆるベクトルを自在に操ることができる超能力『一方通行』。
学園都市最強の名を恣にしている力であるが、『時間』という概念だけは操ることはできない。
何故なら『時間』はスカラー量であり、ベクトル量ではないから。
『時間』は『一方通行』が操ることができる力の対象外なのだ。
そんな『一方通行』でも手に持て余す概念を、自由に行使できる超能力『懐中時計』。
『一方通行』では、『懐中時計』による時間操作を防ぐことができない。
故にその力保持している十六夜咲夜は、一方通行の反射防壁を突破することができる数少ない人間となるのである。
一方通行(時間操作は俺の能力じゃあ防ぐことはできねェ。 というより、
アレはそもそも力の優劣でどうにかなるような次元の代物じゃねェ)
一方通行(アレを攻略するには、能力の『相性』が良くなくちゃァ話にならねェンだ)
一方通行(相性が良ければ張り合うことができるかもしれねェが、そうじゃねェ場合は逆立ちしたって勝てねェだろォな)
一方通行(おそらく奴に対抗できるのは……俺の思いつく限りでは『未元物質』の野郎しかいねェ)
一方通行(『未元物質』は物理法則自体をねじ曲げる。 『時間』そのものを変質されちまったら、
まともに能力が使えなくなるはずだ)
レベル5の序列、第2位に位置する能力者。『未元物質』こと垣根帝督。
この世界の法則に縛られない力を自在に操ることができる彼ならば、
所詮物理法則の一端しか触れられない『懐中時計』など、赤子の手を捻るようにして制圧できるだろう。
そもそも超能力と人体が完全に同化し、無限増殖を行うことすらできてしまうのだから、端から勝負にすらならないだろうが。
一方通行(にしても、俺よりもメルヘン野郎の方が、相性が良いってのは気にいらねェな)
一方通行(気に障るくらいに爽やかになりやがって……これなら前の方がある意味マシだったかもなァ)
かつてのキザな性格から、別人とも言えるほどの清々しい性格になってしまった彼。
以前のナルシストが極まった人格については、今でも虫酸が走る程嫌悪しているが、
今の好青年を絵に描いたような人格も何処か気にくわない。
何と表現すればいいのか、とにかく苦手なのだ。あのような輩は。
今の垣根帝督にはあまりにも悪意が無さ過ぎる。
基本他人と関わる時は、初めから疑ってかかることにしている一方通行であるが、
あの男を前にすると、そんなことをしている自分が実に馬鹿馬鹿しく思えてくるのだ。
だからといって端から信用するという訳でもないが、会う度に毒気を抜かれ、調子が狂ってしまう。
一方通行(まァ、以前の奴に戻ることは二度とねェだろォから、四の五の考えるだけ無駄か)
一方通行(前の人格が復活することがねェよォに、『可能性』はきちんと管理しているみてェだからな)
一方通行(打ち止めについてはそれなりに世話になってるし、良しとしておくか)
一歩通行(……後は土御門の野郎か)
頭の中に軟派な笑顔を浮かべるサングラスの同僚を思い浮かべる。
先ほど、一方通行は御坂美琴に『通り魔事件の黒幕は知らない』と言った。だが、それは嘘だ。
彼は『十六夜咲夜に事件を起こすよう命令したのが、レミリア・スカーレットであること』を知っている。
そしてこの事件には、『魔術』が少なからず関わっていることも。
だからこそ彼は『警備員がレミリアを拿捕しようとしている』などという、突拍子も無いはったりを言うことができたのだ。
咲夜がそれを聞けば、彼女の頭から『逃走する』などという考えは無くなるだろうと彼は確信していた。
そして何よりも、美琴に嘘をついたのはこれ以上事件に深入りさせないためでもある。
あのまま咲夜を経由してレミリアの所に辿り着いていたら、まず間違いなく魔術のいざこざに巻き込まれていただろう。
もしそうなったら、事態は更に複雑な方向に向かっていたであろう事は想像に難くない。
一方通行(にしても、奴にはできるだけ関わらないよう釘刺されてたが……なっちまったもンは仕方ねェ)
一方通行(少なくとも不利になることはねェだろォし、放っておいても大丈夫か)
ヴー ヴー ヴー
思考に一区切り付けた所に、割り込むようにしてズボンのポケットの携帯電話が振動する。
少々面倒くさそうにしながら取り出すと、液晶画面には『打ち止め』と書かれていた。
一方通行「……何だァ?」
打ち止め『あなたってば大丈夫って、ミサカはミサカは呼びかけてみる!』
一方通行「うるせェ……電話越しに叫ぶンじゃねェよ」
スピーカーから聞こえてくる、幼子特有の甲高い声を聞いて顔をしかめる。
打ち止めはこちらの身を案じて電話をかけてきたようだが、むしろ今ので心労が倍増した。
毎度毎度、やかましい奴だと思う。一体どこからこれだけの元気が出てくるのだろうか。
その精神はまるで子供。他の『妹達』と比較しても抜きん出て精神年齢が低い。
そのようにして造られたのだから、仕方のないことと言われればそうなのだが、
あれだけ個性的な人間がいる環境の中で暮らしているというのに、彼女はまるで変わらない。
もしかして大人になってもこのままなのだろうか――――などという考えが脳裏を過ぎるが、
今そんなことを考えても栓のないことだと思い、思考を早々に切り上げた。
打ち止め「ねぇ、怪我はない? 本当に大丈夫?」
一方通行「俺を誰だと思ってンだァ? 五体満足、かすり傷一つもねェよ。 速攻で馬鹿を黙らせてそれで終わりだ」
一方通行「まさか、俺が格下相手に後れを取るとでも思ってたのかァ?」
打ち止め「だってあなた、何回かけてもでなかったじゃない! 心配したんだよって、
ミサカはミサカはさっきまでの気持ちを伝えてみる!」
一方通行「そりゃァ、マナーモードにしてたからなァ。 ドンパチかましてる時にケータイのことなんか気にしてられるかよ」
一方通行「それともオマエは、俺に電話片手にぺちゃくちゃお喋りしながら戦えと?」
一方通行「俺のことを心配するンだったら、さっさと寝た方がまだ有意義な時間を過ごせるっつゥの」
一方通行は、打ち止めの心配を完全な杞憂と断じて一蹴する。
実際はそうでも無いのだが、それをわざわざ口にして打ち止めを不安がらせることはない。
それは自分を慕ってくれる数少ない者達への、彼なりの配慮の仕方だ。
自分は誰にも負けない。己の身を案じることは、何よりも無駄なことなのだと示すために。
それは『最強としての矜持』。彼が嘗て被っていた、『罅割れた仮面』である。
一方通行は過去に於いて、『己はこの世界で最も強く、己を超える者は存在しない』と考えていた。
あらゆる物理的な干渉を遮断し、跳ね返すことができる超能力『一方通行』。
『核兵器にすらも耐えうる』と言われたその力は、彼自身だけでなくその周囲も含めて、
『最強』を幻想させるに十分に足る代物であった。
だがその栄光は、『幻想殺し(かみじょうとうま)』に打ち倒されることによって崩れ去る。
そして、相対することになった『天使』や『魔神』という名の怪物。
『魔術』という埒外の力を使い、天体の動きを自由に操作し、世界そのものをも自在に破壊、再構築できる者達。
それらを前にして、どうして自身が最強だと胸を張って口にすることができようか。
彼等の存在は、彼が被っていた『最強の仮面』を打ち壊すには十分過ぎる代物であった。
一方通行は世界を知り、己の限界を知り、自身を超える者は数多く存在することを知った。
『自分は最強の存在である』と人前で軽々しく口にすることは無くなった。
だがしかし、彼は打ち止め前でのみ、今でも頑なに『最強の仮面』を被り続けている。
自身は何者にも屈することのない、己の右に立つ者などいない、不敵の存在だと言い聞かせている。
何故、彼は仮面を被り続けるのか。
それは、その方法以外に自身を慕う幼子を安心させる術を持ち合わせていないから。
例え虚勢だとしても、そうすることでしか大切な人の笑顔を守れないのだと彼は考えているのだ。
しかし、彼が被っているのは『罅割れた仮面』。かつて壊されたもの。
ふとした拍子で壊れてしまいそうな、脆くも弱々しい仮面だ。
それを付けて振る舞う彼の姿は、あまりにも寂しげで、そして痛々しい。
そんな姿を見る打ち止めの心中は、果たして如何様なものなのか。
不幸なことに、仮面を被っている当の本人はそれに気づいていないようだ。
もしくは、気づいていても止められないのか。それは彼にしか判らないことである。
打ち止め「うぅ~~~~……」
一方通行「うーうーうるせェよ。 ……何もねェなら切るぞ」
打ち止め「あ、待って! おねえさまは大丈夫なの?」
一方通行「『超電磁砲』のヤツなら無事だ。 俺と違って無傷じゃねェが」
打ち止め「おねえさま、ケガしちゃったの!?」
一方通行「叫ぶんじゃねェ……そんな深刻でもねェよ。 ま、後一歩遅かったらどうなってたかはわかんねェけどなァ」
一方通行「今頃は『警備員』の取り調べでも受けてンじゃねェの?」
十六夜咲夜を引きずった御坂美琴が、一体どのようにして『警備員』に事のあらましを説明するのか。
興味こそあるものの、自分から面倒事に首を突っ込むような真似などする気はない。
彼にとっては今回の事件の結末など、もはやどうでも良いことなのだから。
打ち止め「とにかく、おねえさまは無事なんだねって、ミサカはミサカは何度も確認してみる」
一方通行「だから言ってるだろォが。 ……で、襲われたっつゥ『妹達』はどうなんだァ?」
打ち止め「10032号のこと? それなら、さっき19090号から連絡があったよ」
打ち止め「あちこち切り傷があるけど、命に危険はないって」
打ち止め「3日もあれば退院できるって言ってたよって、ミサカはミサカは報告してみる」
一方通行「……ほォ、くたばっちゃァいねェみてェだな」
打ち止め「うん……そうだ! 明日お見舞いに行こうよって、ミサカはミサカは提案してみる!」
一方通行「ハッ、何でそンなことしなきゃならねェンだよ?」
一方通行「俺が行った所で、助走を付けて殴り飛ばしたくなるレベルのうざってェ笑み浮かべながら、
へらへら軽口叩く姿が余裕で見えるつゥの」
一方通行「そもそもこの程度のことで死ぬわけがネェ。 仮にも軍用クローンだぜェ?」
一方通行「そこらのスキルアウトの豚よりかは遥かに頑丈だろォが」
打ち止め「そんなこと言って、実は心配してたんでしょって、ミサカはミサカはあなたの本心を言い当ててみたり!」
一方通行「……チッ」
打ち止め「そうやって、何も言わなくなるのは図星の証拠なんだって、ミサカは――――」
プツッ
打ち止めが言い終わる前に、一方通行は通話を強制的に切断してしまった。
これ以上会話を続けたら、面倒なことになると踏んだからである。
一方通行「………………ハァ、くだらねェ時間過ごした」カッカッ
一方通行「変に生意気になりやがって……他の『妹達』の影響かァ?」
一方通行「番外個体がもう一人増えるなンて、冗談じゃァねェぞクソが」
一方通行は何度目になるかわからないため溜息をつきつつ、全身に錘を付けたかのような重い足取りのまま帰路につくのだった。
今日はここまで
美琴VS咲夜戦はここでお終いです。長かった……
次からは魔術サイドの話に戻ります
質問・感想があればどうぞ
※補足 咲夜さんの強さについて
咲夜さんは『互いに相手の能力を知っている』という条件下での戦いだった場合、
垣根帝督以外の全てのレベル5に対して優位に立つことができます
何故なら一方通行、美琴、麦野、食峰、削板のどれを相手にしても、
『相手が動き出す前に自身の能力を発動する』という先手必勝の方法をとることが可能だからです
『頭部とその周囲の空間の時間を遅延する』なんて事をすれば、それだけで簡単に首を引きちぎることができますからね
今回彼女が敗北したのは、『一方通行の事をよく知らなかった』ということに尽きます
ただし、削板だけは不思議パワーで何とかしそうな気がしますけれども
一方で話にあったように、物理法則そのものを変えてしまう垣根帝督とはすこぶる相性が悪いです
昔の垣根であれば生身の体に能力をぶち込むこともできたでしょうが、白垣根になった今ではそれすらできません
また、これほどの力を持っていながらレベル5認定されないのは、
彼女の能力は一対一の戦いに於いて真価を発揮するものであり、軍隊のように多数を相手にするには不向きだからです
『懐中時計』の対象にできる数は一つなので、数の前には押し切られてしまうのです
もっと指定できる空間を広げるか、対象とできる数をもっと増やさなければレベル5になることはできません
※今後について
これからレミリアの話に入っていくわけですが、その中に『レミリアの過去話』があります
ただこの話、レミリアが主人公と言うより、彼女の親世代が中心となって動く話になっています
過去話の中だけの限定的なものですが、オリキャラが多数出てくるので、気に入らない人が出てくるかもしれません
話を後に回すこともできますが、皆さんいかがでしょうか?
これから投下を開始します
――――7月28日 PM9:52
パチュリー「……ここね」
夜の帳が濃くなり、街から人々の姿が殆ど見えなくなってきた頃。
第14学区の住宅街の一角にある公園に、イギリス清教の魔術師であるパチュリー・ノーレッジの姿があった。
彼女の恰好は昨日着ていたワンピースのような軽いものではなく、いつもの魔術師としての服装である。
つまり胸部に紫を基調としたスプライトが施されているネグリジェに、
同じく紫色をした、赤と青のリボンと三日月のアクセサリーが付いた帽子。
そして手に携えているのは、彼女が用いる魔術が記された電話帳並みに厚い本だ。
それは戦闘を行うための装備であり、事実として彼女は戦うためにこの公園に来たのである。
パチュリー(10時まであと少し。 早い所準備しないと……)
パチュリーは手に持った本を開くと、その中の1ページを開く。
魔術師にしか解読できない文字群を前に、彼女は歩きながら言葉を紡ぎ始めた。
パチュリー「T P I M I M S P F T(これよりこの場は我が隠所と化す)」
それは『人払い(Opila)』と呼ばれる、魔術師が覚える中でも最も基本的な魔術。
風水の理論を利用した『特定の領域から無関係な人間を遠ざける魔術』である。
魔術師同士が戦闘を行う際、その戦場が人通りの多い場所になることは良くあることだ。
魔術を用いる際に有用となる地脈や龍脈は、人の流れにも色濃く影響を及ぼす。
そのため、魔術師が拠点とする場所が都市の街中であったりすることがままある。
そんな場所で争い事を起こそうものなら、その場にいた人間や騒ぎを聞きつけて来た野次馬を巻き込むことになってしまう。
そのような事態を避けるために、『人払い』を用いて周辺の無関係な人間が持つ『この場に対する興味』を希薄化させ、
人が寄りつくことの無い空間を生み出すのだ。
パチュリー「……人払い完了。 次は……T H E F P I O(284ページを開け)」
公園の周囲に『人払い』の魔術を刻み終えると、パチュリーは次の魔術を用いるべく本のページを捲る。
手で捲る必要は無い。口で指定すれば自動的にそのページが開かれる。
これだけの厚さの本から決まったページを見つけ出すのは、非常に時間がかかるためだ。
魔術師の戦いに於いて詠唱の遅れは致命的である。
膨大なページ数を誇るこの本の中から目的の魔術を素早く見つけ出すために、
彼女はページの検索も魔術として形式化していた。
パチュリー「G O W C I D O T B(死を身に纏う戦の神)」
パチュリー「T W O W I D I A J S(霜の巨人の泉にて知恵の水を飲む)」
パチュリー「T Y W C T N W(九つの世界を結びし世界樹よ)
パチュリー「P A G U T W(我らにもその英知を与えたまえ)」
パチュリー(……魔力の属性の変更、終わり)
『死を纏う戦の神』とは北欧神話の主神であるオーディン。
『水曜日(Wednesday)』の語源ともなった神である。
オーディンは知識に対して非常に貪欲な神であり、知識を求めて『世界樹(ユグドラシル)』の根元にある『ミーミルの泉』を訪れ、
自身の片目を代償としてその泉の水を飲み、魔術を修得した。
このことからオーディンは『魔術と狡知の神』とも呼ばれ、一部の魔術師の間では信仰の対象となっている。
また泉の所有者である『巨人ミーミル』は、『霜の巨人』と呼ばれる大自然の精霊の一人であり、
水にまつわる自然現象を象徴する存在でもある。
パチュリーはこの逸話を土台とした魔術を用い、自身の魔力に『水』の属性を付与した。
これにより、彼女は水属性の魔術をより強力な形で行使することができるようになったのだ。
では何故、そのようなことをしたのか?
理由は敵がお伽噺の中でしか現れない、『ある魔物』の力を身に宿しているかもしれないから。
その敵に対して、少しでも有効な攻撃を繰り出すためである。
本当なら今回の敵に1対1で挑むのは無謀でしかない。
敵が宿しているはずの魔物の力は、規格外中の規格外とも言える代物だ。
そこら辺の凡俗な魔術師では、例え百集まった所で無意味だろう。
1時間もしない間に、彼等の血で河ができることになるのは確実である。
しかし、パチュリーだけは例外だ。
彼女は『精霊魔術』によって、その敵に対抗しうる強力な術を行使することができる。
さらに7属性という膨大な属性を併用して多種多様な攻撃を生み出すことができる彼女であれば、
魔物の弱点を突き、もしかしたら勝利を手にすることができるかもしれない。
だからこそイギリス清教は、最も敵と相性が良いと考えられる彼女を学園都市に派遣したのだ。
パチュリー(あの子に効きそうな属性は『日』、『火』、『水』、『金』の4種類)
パチュリー(それを考慮した上で私が使える魔術は……大体10~15種類といった所かしら)
パチュリー(その中で、詠唱の時間を考えた上で使えそうなものは……)
カチッ!
パチュリーが思考に没頭している最中、公園の時計が午後の10時を指し示す。
それは約束の時が訪れた合図。そして、彼女が戦うべき敵がこの公園に訪れる報せでもある。
ゾォッ!
パチュリー「――――!!!」
自身の背中に怖気が走ると同時に、公園の空気が鉛のように重くなる。
その場に居るだけで押し潰されそうな圧倒的な重圧。それがパチュリーの心を容赦なく圧し折りに来る。
全身から冷や汗が吹き出す。手足の震えも収まる気配は無い。
戦いを放棄して公園から逃げ出せば、あるいはこの恐怖から逃れることができるだろう。
しかし彼女には引くことができない理由がある。
何故なら敵は『自身の父親の仇である一族の一人』であり、そして『自分にとって一番の親友』なのだから。
パチュリー(……来た)
気配を察知して公園の出口の向こう側に眼をやると、一人の人間がこちらに向かって歩いてくる姿が見えた。
人払いしたはずのこの公園に足を運ぶということは、その人間こそがパチュリーの『敵(しんゆう)』なのだろう。
遠目に『敵』の姿を見て、特に気を引いたのはその容姿。
目測ではあるが、その人間の身長はパチュリーの腰程までしか無い。まるで幼子のようだ。
だがその歩き方は子供のようなたどたどしいものではなく、誇り高い貴族のような優雅な歩み方である。
子供のような姿と大人のような立ち振る舞い。矛盾する二つ特徴が強い違和感を生じさせる。
『敵』が公園の領域に足を踏み入れる。その瞬間、雲に隠されていた満月が顔を出し、公園をその光で照らしだす。
その光の色は純白ではなく紅。まるで月面に血液をぶちまけたかのような真紅である。
生理的な嫌悪感を覚える色であるが、その光に照らされても『敵』の優美さが薄れることは無い。
『敵』は若干呆けているパチュリーから少し離れた所に立ち止まり、
彼女の名を今でも変わらぬ友であるかのように、親しみを込めて『あだ名』で呼んだ。
レミリア「久しぶりね、『パチェ』。 ……10年ぶりね」
パチュリー「……『レミィ』」
レミリア・スカーレット。
パチュリー・ノーレッジにとっての唯一無二の親友にして、彼女の父親を奪った一族の生き残り。
彼女はパチュリーの最後の記憶にある姿から、寸分たりとも変わることなくそこに在った。
レミリア「元気にしてたかしら? まぁ貴方のことだから、毎日部屋に閉じこもって本でも読み漁っているのしょうけど……」
レミリア「それにしても随分と大きくなったわね。 身長だけじゃなくて胸とか、お尻とか……」
レミリア「幼児体型から全然成長しない私とは大違い。 ……妬いちゃうわね」
レミリア「喘息で余り動き回ることができなかった貴方がそんな風に成長するなんて、世の中わからないものだわ」
パチュリー「……」
パチュリーは世間話をしているかのように話し続けるレミリアを茫然と見続ける。
今まで死んだと思っていた親友に再会したことで感極まってしまったのか。
それとも今は敵であるはずパチュリーを前にして、世間話をする彼女に呆れ果ててしまっているのか。
パチュリー「……どうして」
パチュリーは少しの間呆けていたが、意識が現実に戻って来た途端、頭の中に様々な疑問が湧きあがってくる。
彼女は質問をぶつけようとするが、言葉の先を読み取ったレミリアによって遮られた。
レミリア「どうして私が生きているのか、かしら?」
パチュリー「……スカーレット家の人間は、あの掃討作戦で一人残らず討ち取られたはず」
パチュリー「あの家にいた者は老若男女問わず。 働いていた使用人ですら例外じゃない。
討ち漏らすなんてことはあり得ない」
パチュリー「どうやって生き残ったの……?」
イギリス清教が『異端抹消』に課した命令は『スカーレット一族の完全抹殺』。一族に関係する者は容赦なく殺された。
『異端抹消』に属する魔術師は、いずれも一流の存在なのだ。手抜かりなどあるはずがないのだが。
レミリア「それは簡単な話。 私たちはイギリス清教の掃討作戦が始まる前に国外に逃がされていたの」
レミリア「作戦が実行される数日前には、既にイギリスにはいなかったわ」
パチュリー「国外逃亡? そんな馬鹿なことが……いえ、それよりも貴方の家の焼け跡からは、
『貴方自身の焼死体が見つかっていた』はずよ」
パチュリー「当時のイギリス清教の検死官は、その死体を貴方のものだと断定したわ」
パチュリー「彼等の眼を欺くなんて、一体どんな方法を……」
レミリア「さて、ね。 お父様がどんな手を使って私たちの死を偽装したのかはわからない」
レミリア「私は言われるままにフランを連れて家を出ただけだから……」
レミリア「ま、どちらにせよ私がこうして今でも生きていることは覆しようのない事実だし、
そんなことはどうでもいいことではないかしら?」
パチュリー「……」
レミリア「それにしてもパチェ。 いいのかしら、ぼーっとして?」
パチュリー「……?」
レミリア「あら、忘れちゃ駄目じゃない。 貴方は――――」
「私 を 殺 し に 来 た ん で し ょ う ?」
パチュリー「――――っ!?」
レミリアの一言が、パチュリーの心の臓を貫く。
親友は未だに表情を崩さずに微笑んだままだが、彼女から感じる重圧は今までにも増して大きくなった。
――――レミリアは本気だ。
敵であるパチュリーが親友であるにも拘わらず、彼女からは躊躇の気配が一切しない。
それどころか、この戦いに一種の喜びを見出しているようにも見てとれる。
時間の流れはここまで人を変えるというのか。自身が知っている彼女は、殺し合いを好むような人間では無かったはずだ。
もはや嘗ての仲に戻ることはできないのか。
いや、そんな幻想を微塵でも抱くこと自体が既に愚かなことなのだろう。
レミリアは両親をイギリス清教の者の手で殺されている。
そしてパチュリーはイギリス清教の一員であり、即ちレミリアの両親の仇ということになる。
一方のパチュリーも、父親をスカーレット一族との戦いによって失っており、
スカーレット一族の一人であるレミリアは父親にとっての仇である。
レミリアとパチュリーの仲を切り裂くには十分過ぎる程の理由があり、憎しみを育てるには有り余るほどの時間が過ぎ去った。
二人の間にできた奈落の溝を埋めることなど、もはや何者にも不可能なことなのかもしれない。
パチュリー「……そう、そうだったわね。 『レミリア・スカーレット』」
パチュリー「私としたことが、敵を前にして感傷に浸ってしまうなんてね……」
パチュリーはその事実を改めて理解し、そのまま受け止めた。
レミリアをあだ名で呼ばなかったのは決別の表れ。
もはや親友では無くなった彼女に対して、躊躇する必要などありはしない。
自身の全力を持って目の前の敵を排除することだけが、自身に課せられた使命である。
眼つきが変わった嘗ての親友を見て、レミリアは満足気に口角を釣り上げた。
レミリア「いいわよその眼。 それでこそ私の親友よ。 『パチュリー・ノーレッジ』」
レミリア「さぁ殺し合いましょう。 この夜が明けるまで、たぁっぷりとね?」
パチュリー「えぇ、そうね」
レミリアは空に浮かぶ紅い月を見上げる。
空中の錆ついた巨岩は、こころなしかいつも以上に大きく見えた。
それはまるで、これからこの場で起こる惨劇を予兆しているかのようであり、
同時にあらゆる不吉を地上に振りまいている元凶のようにも感じられる。
彼女は満月を見て心地よさそうに微笑むと、パチュリーに視線を移してこう告げた。
レミリア「ふふ、こんなにも月が紅いから――――」
パチュリー「――――」
レミリア「――――本気で殺すわよ」
パチュリー「――――『あらゆる知を求む者(Scientia 069)』!」
それが戦いの合図。
運命に弄ばれた二人の魔術師は、『魔術』とは対極の『科学』の街で激突した。
今日はここまで
次からまた過去編です
質問・感想があればどうぞ
これから投下を開始します
* * *
吸血鬼。
魔術師の間では『カインの末裔』と呼ばれる怪物であるが、その存在は深い謎に包まれている。
――――不老不死の肉体を持ち、その身を何度砕かれようと瞬く間に再生してしまう。
食料として人間の生き血を啜り、吸い殺した人間を自身の眷属として従える。
太陽の光を浴びると灰になり、流水の上を渡ることができず、銀に触れると肌が爛れてしまう。
殺すには心臓を白木の杭で貫くか、大きな炎で残らず燃やし尽くすしかない――――
このように伝承においては様々な特徴が記されているが、果たしてそれが本当なのか、
確信を持って言える情報は何一つとして無い。
何故なら有史以来、誰一人として本物の吸血鬼に会った者がいないからだ。
それは言葉の中だけの存在であり、正しく『伝説上の存在』なのである。
また吸血鬼は世間一般の人だけでなく、さまざまな伝承を取り扱う魔術師にとっても架空の生物である。
その理由は魔術師の価値観で吸血鬼を捉えた時、余りにも凶悪すぎる存在となってしまうからだ。
魔術師が行使する魔術には『魔力』と呼ばれるエネルギーが必要とされる。
この『魔力』を生み出す元となるのは自身の生命力、言ってしまえば体力や寿命であり、
それらを消費することによって『魔力』を得ている。
一方で吸血鬼は、『無限の体力』と『永遠の寿命』を併せ持つ生き物。
即ち、彼等は無尽蔵に『魔力』を生産することができてしまうのだ。
また『人間の寿命』という制約上、完成することができない魔術も扱うことができるため、
『魔術を使える吸血鬼』は魔術サイドにとっての最悪の存在と評されている。
幸運なことに、『魔術が使える吸血鬼』が確認されたという情報は、過去に於いて一度も報告されていない。
もし仮に吸血鬼が存在するのであれば、魔術サイドの属する彼らがこれまで魔術と一切関わらずに生きてきたとは考えにくい。
姿を隠し、人間との接触を断っている可能性もあり得なくはないが、これだけ凶悪な存在を人類が見逃しているとも思えないため、
つまりは『吸血鬼は存在しない』というのが魔術師たちの共通の見解であった。
このように吸血鬼は魔術師たちにとってはこの世に存在しない架空の生物であり、
そのことを疑って実在を主張しようものなら、間違い無く一笑に付されることになる。
しかし、それでもお伽噺の存在を追い求めようとした奇特な人間がいなかったわけではない。
元来魔術師とは科学者と同じ、未知を探求する者たちだ。
ネッシー、イエティ、ツチノコ、スカイフィッシュ……
多くの情報がありながらも、今まで一度も姿を確認できていない『未確認生物(UMA)』。
彼らに魅せられ、その姿を探し続ける科学者がいるように、
吸血鬼の存在を信じて疑わない魔術師がいてもおかしくは無いのだ。
そして、そんな風変わりな魔術師達の中に、500年にも渡って吸血鬼を研究する筋金入りの一族が存在した。
一族の名は『スカーレット』。
嘗ては現在のルーマニアの片田舎に住んでいた一族であり、後にヨーロッパの各地を転々としつつ、
現在はイギリスに居を構えている、由緒ある魔術師の家系である。
歴史のある魔術師の一族は独自の魔術を編み出して運用することが多いが、
スカーレット一族も例に漏れず、自分達だけの魔術を生み出すことを至上の命題として研鑽を重ねていた。
しかし、彼らの500年の努力が日の目を見たことは今まで一度もない。
何故なら彼らが求めていたものは、他の魔術師にとってして見れば余りにも荒唐無稽過ぎるものだったからだ。
彼ら目指していた魔術とは『吸血鬼の製造』。
基盤とする人間の肉体に術的な加工を施し、その体を徐々に吸血鬼へと変えていくというものである。
不老不死であり、それ故に無限の魔力を持つ吸血鬼。
その圧倒的な力を手に入れんが為に、彼らは5世紀にも及ぶ年月をかけて研究を続けて来たのだ。
だが、そんなスカーレット一族の姿を見た他の魔術師の声は、極々一部を除いて嘲りの言葉ばかりだった。
存在しない吸血鬼を追い求めていることだけでも、魔術師にとっては抱腹絶倒ものであるはずなのに、
それに加えて吸血鬼を造るなど、まさしく笑いを通り越して憐憫の目を向けてしまうほどの愚行である。
吸血鬼を悪魔と同一視して敵視する十字教ですら、彼らの『吸血鬼の製造』という行いを全くの無害なものと判断し、一抹の関心も向けることは無かった。
そんな扱いを受けながらも、スカーレット一族が研究を止めようとしなかったのは何故なのか。
長年に及ぶ努力を気泡に帰すようなことをしたくはなかったのか。
或いは周囲の目も気にならないほど、彼らにとって吸血鬼の肉体は魅力的だったのか。
どんな理由であれ、彼らの吸血鬼に対する執着は異常なものであったことは事実であった。
彼らは自身の目指すものに必ず手が届くと信じ、今日も研鑽を積み重ね続ける。
――――10年前 9月下旬 AM7:05
「すぅ……すぅ……」
夏が過ぎ、大分肌寒くなってきた秋の朝。ロンドン郊外の一角ある少し赤茶けた屋敷。
その屋敷の二階にある部屋で、一人の少女がベッドの上で静かに寝息を立てていた。
窓のカーテン隙間から日の光が差し込み、少女の顔を照らし出しているが、
彼女が目を覚ます気配は一向に感じられない。完全に熟睡しているようである。
夜更かしでもしたのだろうか?
彼女の横に本が開きっぱなしで置いてあるので、おそらくそれを読んでいる内にいつの間にか眠ってしまったのだろう。
少女は未だに安らかな顔をしながら惰眠を貪っているが、そんなひと時がいつまで続くはずもない。
子供の朝寝坊を容認する家庭など昨今あるはずもなく、彼女場合も例に漏れずに、
部屋のドアを叩く音によって無理矢理夢の中から引き上げられた。
コンコン!
「お嬢様、お目覚めの時間です」
少女「うぅ……ん……」ゴソゴソ
どうやら、屋敷に勤める召使いが少女を起こしに来たようだ。
既に屋敷のあちこちから人が忙しなく動き回る音が聞こえている。
そろそろ朝食の時間が近付いているので、未だに起きない少女を目覚めさせるためにやって来たのだろう。
しかし当の少女は耳に突然入って来た音を遮断すべく、布団のさらに深い所に潜り込む。
その様子は傍から見ると、ベッドの上に白い小山ができているようだ。
折角温かくて心地よい布団の中にいるのである。
自らわざわざベッドの外の肌寒い空間に出ようなどという考えが、彼女の頭の中に浮かぶはずもない。
召使い「お嬢様? ……失礼します」
ガチャ!
どうやら召使いは、少女が自分から目覚める気が無いことに気付いたようで、半ば強引に少女の部屋の中へと入った。
そして真っ先に目に留まったのは布団に潜り込んだままの少女。
思った通りの光景を見て少々呆れ顔になるが、召使いは少女に向かってもう一度朝の知らせを告げる。
召使い「お嬢様、お目覚めの時間ですよ」
少女「うー……後5分だけ……」
召使い「そんなことをおっしゃられても……このままではお父様に叱られてしまいますよ?」
少女「……」ピクッ
召使い「お父様は時間には厳格なお方ですからね。 お嬢様が時間通りに目覚めなかったと聞いたら……」
少女「……それは、不味い」
少女は小さく呟くと、力が入らない体に活を入れてベッドから起き上がる。
早く起きなければ怖い父親に叱られてしまう。それは少女にとって、起床を決心するには十分過ぎる理由であった。
桃色のパジャマに同じ色をした帽子。青みがかった髪をしている年端もいかない女の子。
彼女は瞼を半開きにしたまま、ベッドの横に立っている召使いを見やる。
召使い「おはようございます。 レミリアお嬢様」
レミリア「おはよう」
召使いは眠そうな顔をしている少女に対していつものように朝の挨拶を交わし、『レミリア』と呼ばれた少女もそれに答える。
彼女の名前はレミリア・スカーレット。
この屋敷に住むスカーレット家の長女であり、将来においてスカーレット一族の次期当主になることが確約された子供である。
今日はここまで
質問・感想があればどうぞ
乙!
学園都市でのレミィ達は、確か能力者も混ざってるんだったよな?なら吸血鬼殺しされても魔術部分だけ消えて他は残る可能性もある訳か?
乙
とあるの世界は物語や伝説を元に魔術を作成することもあるんだったかな
確かに魔術で人間を別物にするってのは人体実験が必要っぽいし難しそうだ
おぜう様ー、しまむら妖夢の服は流行りますかー?
ええい!宴会はまだかーーー!!(幻想勢)
>>585
物語の結末に関わってくるのでノーコメントで
>>587
過去から残っている神話・伝承は魔術に適しているものですからね
むしろ一から作り上げられたものより、そちらの方法で造られたものの方が圧倒的に多いはずです
>>588
レミリア「ブームは『起きるもの』ではなく『起こすもの』よ」
>>589
???「ンフフ、僕と飲み比べで勝てた者だけに宴会の参加資格を与えよう」
これから投下を開始します
――――AM7:30
レミリア「……」モグモグ
屋敷のダイニングルーム。
レミリアがこの場所に居るのは言わずもがな、朝の食事を食べるためである。
テーブルの上に並べられているのは、表面がこんがりと狐色に焼きあげられたトーストと大きな目玉焼き、
ハムやサラミといった肉、チーズ、そして切ったレタスやトマトなどの野菜である。
それらが盛られた皿の横には、白い湯気を立てているティーカップ。中には紅茶が入っているようだ。
レミリアはパンと目玉焼きを交互に含みつつ、時たま野菜を口にしながら無言で朝食を食べていた。
食べている時に話すのはテーブルマナーに反する。
ただ黙々と、静かに。食事をする時の基本中の基本である。
微かに聞こえる食器の音の中で行われる朝餐。しかし、その静寂を破る者が存在した。
「……これ、嫌い」
レミリアの隣に座る金色の髪をした少女。
彼女は皿の上に乗った野菜を見て、眉間に大きな皺を彫りながら苦々しく言った。
レミリア「……フラン、好き嫌いは良くないわよ?」
フラン「嫌」プイッ
フランと呼ばれた少女の名はフランドール・スカーレット。レミリアより5歳年下の妹である。
彼女は姉の窘めの言葉を聞き入れようとはせず、顔をむくれさせそっぽを向いた。
眼の前に盛られている緑色の一群は、自分が食されるのを今か今かと待っているが、
当のフランには彼らを食べるつもりなど毛頭ない。
彼女も年頃の子どもの例に漏れず、野菜が嫌いであるようだ。
フラン「お姉さまが食べてよ」
レミリア「それは貴方のでしょ? 私に押し付けないでよ」
フラン「……」カチャカチャ
レミリア「ちょっと!? 私の皿の上に乗せないで!」
フラン「ふーんだ!」
レミリア「フラン!」
次々と自分の皿にある野菜をレミリアの皿へ移し替える様子を見てレミリアは怒声を上げるが、
そんなことはお構いなしにフランは次々とフォークで器用に移動させていく。
慌ててその手を制止させようとするも、フランはレミリアの手をすり抜けて椅子から飛び降り、
テーブルの反対側へと走り去ってしまった。
レミリア「待ちなさいフラン!」
フラン「やだよー!」
テーブルの周囲を全速力で走り回る二人の少女。
先ほどの厳かな空気はどこへやら。あっという間に騒がしい朝食に風景に早変わりしてしまった。
幼子がテーブルマナーを守り続けることを期待するという考え自体、無謀であることはわかり切っていたわけだが。
「……」ガサッ
そんなダイニングルームに響き渡る喧騒の中、顔色一つ変えずに椅子に座り新聞を見続けている銀髪の男が一人。
きっちりと刈り揃えられた顎髭を蓄え、片目に銀縁のモノクルかけている。
口には年季の入ったブライヤ材のパイプを咥えており、中世の貴族を再現したかのような伊達男だ。
彼は暫くの間黙々と新聞を読み耽っていたが、遂に我慢できなくなったのだろう。
追いかけっこを繰り広げているレミリアとフランを見やると、威厳のある声で二人に向かって戒めの言葉を放った。
「レミリア、フランドール。 食事は静かに食べたまえ」
レミリア「! ……申し訳ありません、お父様」
フラン「ごめんなさい……」
その言葉を聞いて二人は、まるで子犬のように大人しくなってしまった。
少しお転婆そうに見えるフランですら、俯いて申し訳なさそうな顔をしている。
父親と思われる男に叱られたのが相当堪えたようだ。すごすごと自分の席に戻り、食事を再開する。
娘がマナーを守って食事しているのを見て満足したのか、男は再び新聞に目を戻した。
「あらあら」
そんな光景を微笑ましく見ている女性が一人。
光り輝くような金色の髪を腰まで伸ばし、白に統一された足元まで届くドレスを着こんでいる。
アクセサリーやネックレスのような飾り付けは何もしていないが、
むしろ余分なものが無いことで彼女の本来の美しさが際立っているように見えた。
女性はレミリアとフランを叱りつけた男に、少し窘めるような声色で話しかける。
女「あなた、あまり叱り過ぎてはだめよ?」
男「マナーというものは幼い頃から身につけなければ。 大きくなってから教えては遅すぎる」
女「それはそうだけど……」
男「君は少々甘やかしすぎだ。 必要な躾はきちんとしなければならない」
男「特にレミリアは私の後を継ぐことになるんだ。 当然人前に出る機会も多くなるだろう」
男「そんな時に恥をかこうものなら、一族の名に泥を塗ることになってしまう」
男「そうならないためにも、私は行儀作法の教育は怠らないつもりだ。 わかってくれ、ルーシー」
ルーシー「……わかったわ。 でも、やり過ぎないようにね? ヘンリー」
ヘンリー「あぁ」
どうやら男の方はヘンリー、女の方はルーシーという名のようだ。
会話から察するにこの二人は夫婦。つまりレミリアとフランの両親ということになる。
髪の色から考えれば、レミリアは父親似、フランは母親似といったところか。
ヘンリー「執事、今日の予定はどうなっている?」
執事「はい、ヘンリー様。 本日は午前11時にノーレッジ家の御当主がこちらに訪問される予定となっております」
執事「その後午後3時より、ロンドンのグリニッジにてイングランド魔術協会の定例会議」
執事「そのまま午後6時30分より、シティ・オブ・ウェストミンスターのレストランにて御食事会がございます」
ヘンリー「うむ。 先日の話し合いの件については?」
執事「先方との時間の折り合いが付いておらず、正確な日時はまだ決まっておりません」
執事「ですが、今月中には確定すると思われます」
ヘンリー「わかった。 日時が決まり次第、直ぐに私に連絡してくれ」
執事「かしこまりました」
レミリア「お父様」
食事を終えたレミリアが食器の片付けを召使いに任せ、ヘンリーの傍に歩み寄ってくる。
父親を見上げるその瞳をみると、何かしらの期待の感情が込められているようだ。
ヘンリー「ん? どうした?」
レミリア「ノーレッジのおじ様が来るの?」
ヘンリー「あぁ。 何やら用事があるらしい。 それを話し合うために来るそうだ」
レミリア「あの子にも会える?」
ヘンリー「それはわからんよ。 体調が良ければ来るとは思うが……どうだろうな」
レミリア「そうなんだ……」
レミリアはそう呟いて視線を床に下ろす。酷く落胆しているのがありありと伝わってくるようだ。
『あの子』に会えないということがそれほどまでにショックだったらしい。
その子供は彼女にとって、大切な友達なのだろう。
そんな様子を見ていたルーシーは、何かフォローをしなければならないと思ったのか、
娘の傍に近付いて同じ目線までしゃがみ込むと、微笑みを浮かべながら優しく話しかけた。
ルーシー「落ち込むことは無いわ。 何週間か後にノーレッジ家に訪問する機会があるの」
ルーシー「今回会えなくても、この次なら必ず会えるわ。 だから元気出して、ね?」
レミリア「……はい、お母様」
母親の言葉を聞いて幾らか慰めになったのか、レミリアは俯いていた顔を上げてしっかりと返事をした。
ここで喚いたりしないあたり、彼女の素養の高さが見てとれる。両親の教育の賜物なのだろう。
しかし、少々大人び過ぎているような気がしないでもない。
偶にはフランのように年頃の女の子らしく、自分に甘えに来て欲しいと思うルーシーであった。
今日はここまで
名前付きオリキャラ2名。レミリアとフランの両親です
顔立ちのイメージとしては
ヘンリー:アークシステムワークスの格ゲー『GUILTY GEAR』の『スレイヤー』(銀髪ver)
ルーシー:TYPE-MOONの同人ゲー『月姫』の『朱い月のブリュンスタッド』
名前の由来は
ヘンリー:小説『ドラキュラ』の作者であるブラム・ストーカーの友人の俳優『ヘンリー・アーヴィング』
ルーシー:『ドラキュラ』の作中に登場する女性『ルーシー・ウェステンラ』
質問・感想があればどうぞ
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――――AM11:02
スカーレット家の屋敷の一階に存在する書斎。
屋敷に数多く存在する部屋の中で最も大きなものであり、ヘンリーが魔術の研究を行う場所でもある。
その大きさは一階の面積の4分の1近くを占めており、更には地下にまで繋がっているという、
書斎として利用するには少し広すぎる部屋だ。
何故ここまで広いのかと問われれば、スカーレット家に代々伝わる書物の殆ど全てが、その場所に保管されているからである。
500年にも及ぶ歴史の中で培われた魔術理論。それらを本に纏めようとするなら、その数が膨大になるのは当然であり、
結果として広大な保管場所が必要になることは自明の理であった。
故にスカーレット一族は、過去においてこの屋敷を買い込んだ際に大規模な改装を行っており、
二階層に及ぶこの書斎はその時に造られたものだ。
当時はだいぶ余裕を持つように考えて改装されたそうだが、それを行ったのは100年以上も前のこと。
今となっては殆どの本棚が満杯となっており、収まり切らない本がそこかしこに積み上げられているような状態だ。
そろそろ二度目の改装を行うべきか、現在予算と睨めっこをしながら検討中である。
「やぁヘンリー。 元気にしてたかい?」
そんな本だらけの部屋に訪ねてくる、物好きな客人が一人。
茶髪に黒い角縁のメガネを掛けて、鼻の下に小さなちょび髭を生やしている男。
背が異様に高く、比較的大柄であるヘンリーよりも頭一つほど飛び出ている。
それでいて体は痩せている為、まるで枯れ木のような印象を受けた。
彼の名前はロータス・ノーレッジ。
魔術の世界では有名なノーレッジ家の現当主であり、ヘンリーとは10年来の友人である。
ヘンリー「あぁ、特に問題は無い」
ロータス「それは良かった。 前回会ったのはだいぶ前のことだったから、ちょっと気になってたんだよ」
ヘンリー「それよりお前の方は……いや、これは愚問だな」
ロータス「それはどういう意味かな? 少しくらい心配してくれてもいいじゃないか」
ヘンリー「ロータス……お前が病気にかかった姿など一度も見たこと無いんだが?」
ロータス「はっはっは。 まぁ、僕は元気なことだけが取り柄だしね」
ヘンリーは呆れたような顔をして呟くが、ロータスはそれを笑いながら受け流す。
厳格なヘンリーと比較して、彼は飄々とした人間のようだ。
ロータス「ノーレッジ家の先人達と比べたら、僕なんて圧倒的に見劣りする人間だよ」
ロータス「元々僕はメリッサに会うまで、魔術とは全く関係の無い世界で生きて来た人間だ。
彼女に会わなかったら、僕は今頃何事も無く医者になっていただろうね」
ヘンリー「ノーレッジ家の魔術の基礎を僅か3年で習得した揚句、
更には新たな魔術理論まで構築してしまうような奴が良く言う」
ヘンリー「それに飽き足らず、最近は昔学んでいた薬学の方も熱心に学び直しているそうじゃないか」
ヘンリー「そこまでできるような奴が見劣りする人間なわけがなかろう。 一体どこからその活力が出てくるのか……」
ロータス「そこはほら、愛のなせる技って奴じゃないかな?」
ヘンリー「それは妻や娘に対する愛かね?」
ロータス「理由はそれだけじゃないけど、大体は合ってるかな」
ロータス「ノーレッジの一族、その中でも特に女性は遺伝的に体が弱いからね」
ロータス「その苦しみを少しでも和らげるために、僕はできることをするだけだよ」
ロータスは窓から空を見上げ、自身の決意を露わにする。
ノーレッジ一族は、体に何らかの異常を抱えている人間が異様に多いということで有名だ。
これまで様々な魔術的方法を用いて治療が試みられてきたが、今も尚有効な治療法は確立されていない。
昨今における最先端の医学を駆使すれば解決するのかもしれないが、
ノーレッジ一族は筋金入りの魔術師であり、尚且つイギリス清教の熱心な信奉者なのだ。
そんな彼等が、魔術と敵対している科学の手を借りようなどと考えるはずもない。
歴代当主の中には何人かイギリス清教の重要な役職に就いている者もおり、
そこから彼等の信仰の深さと言うものが垣間見られる。
ただし婿養子であるロータスに限っては、イギリス清教に対する信仰は一般人のそれと変わらなかったりする。
それでも『ノーレッジ』という家名と自身の魔術の腕を買われて、
イギリス清教の中枢とも言える『必要悪の教会』に所属することになったのだが。
ヘンリー「そう言えば、娘はどうした? 連れて来たのか?」
ロータス「パチュリーかい? あの子ならここに来て直ぐに、レミリアちゃんに手を引かれて行っちゃったよ」
ロータス「今はレミリアちゃんの部屋に居るんじゃないかな?」
ヘンリー「全く……彼女は病弱だというのに、何かあったらどうするつもりなんだ」
ロータス「いや、僕としては有り難いよ。 あの子は喘息のせいで、普段は家の外に出たがらないんだ」
ロータス「家の中でも殆ど動き回らないからね。 偶には運動をさせないと、今以上に体が弱ってしまう」
ロータス「だからレミリアちゃんがパチュリーを連れ回してくれるのは、僕にとっては願っても無いことなんだよ」
ヘンリー「だが彼女は重度の喘息持ちなのだろう? もしものことがあれば……」
ロータス「大丈夫だよ。 喘息を抑えるための薬はちゃんと作って持ってきてるし、もしものことも考えてあるから」
ヘンリー「ならいいがな……」
ロータスの娘、パチュリー・ノーレッジは持病として喘息を患っている。
喘息は一度発症すると、最悪生命を落としかねない非常に危険な病気だ。
レミリアが彼女を強引に連れ回すことで、その命を危険に晒しはしないかと懸念したのだが、
友人の弁だと対策はしっかりとしてきているようだ。
ロータス「それはそうとヘンリー、今日は君に伝えたいことがあってここに来たんだよ」
ヘンリー「そうだったな。 少し話が逸れてしまっていたが……今日は一体何の用だ?」
ロータス「実は最近、『必要悪の教会』で妙な噂を聞いてね……」
ヘンリー「……噂?」
ロータス「実は――――」
短いですが今日はここまで
オリキャラ1名。パチュリーの父親です
顔立ち…『BLEACH』の藍染惣右介(初期)+髭
名前の由来…香水の原料となる『蓮(lotus)』
質問・感想があればどうぞ
乙
作者の技量が問われるからか「底知れない天才キャラ」ってのは貴重
元ネタみたく作者の都合で負けさせられるキャラにはならなそうだが何となくTRPGの探索者っぽいな(動画見すぎ感)
妖々夢もとっても楽しみだなぁ(暗黒ゲス微笑)
これから投下を開始します
* * *
同時刻、スカーレット家の屋敷の二階。丁度ヘンリーがいる書斎の真上に位置する部屋。
その場所こそが、一家の長女であるレミリア・スカーレットの自室である。
部屋の広さは大型ベッドや箪笥、鏡台が余裕で入り、それでいて床面積の半分以上が空くほど。
10歳前後の少女に与えられる部屋としては大き過ぎるような気がしないでもないが、
住む人間に対して部屋数が異常に多いこの屋敷の事情を考えれば、さほど不自然なことではない。
屋敷に住んでいるのはスカーレット一家の4人と何人かの使用人のみ。
それに対して、寝室に割り当てられるだけの大きさを持つ部屋は十を優に超える。
子供のレミリアにすら、上等な個室が割り当てられてしまうのは当然のことと言えた。
レミリア「パチェ、いつまで本を読んでるの?」
部屋の主であるレミリアは、自身に所有権があるはずのベッドを一人で占領している少女に問いかけた。
ベッドの上で体育座りをしながら、本を読み耽っている少女の名はパチュリー・ノーレッジ。
レミリアからは『パチェ』の愛称で呼ばれている、ノーレッジ家の一人娘である。
彼女は辞書ほどの厚さがある書物を膝の上に広げ、それなりに難解な言葉が続く文章を苦もなくすらすらと読み進めていた。
パチュリー「……」ペラッ
レミリア「ねぇ、パチェ……パチェったら!」
パチュリー「……レミィ、五月蠅い」
呼びかけても一向に反応しないパチュリーを見て、業を煮やして言葉を荒げるレミリア。、
それに対してパチュリーは、騒ぎ立てるレミリアを恨めしそうにジト眼で睨み返す。
どうやら読書を邪魔されたことに対して相当御立腹らしく、その怒りのオーラが幻視できるほど。
その氷のような視線に晒されようものなら、誰であろうとも竦み上がってしまうだろう。
ところがレミリアからは、パチュリーのオーラを前に気押された様子は微塵も感じられず、
まるで関係無いとでも言うかのように堂々と言葉を言い放つ。
レミリア「パチェってば、この部屋に来てからずっと本だけ読んでるじゃない。 つまんないわ」
パチュリー「……そんなに暇なら、あなたも本を読めばいいでしょ」
レミリア「何言ってるのよ。 折角会えたのに本を読むなんて、そんなこと私は望んでない」
レミリア「もっとこう、アグレッシブで楽しいことがしたいわ」
パチュリー「あなたが望んでなくても、私はこれで満足してるから。 それに今日は余り動きたくないし」
レミリア「そんなこと言って、一日ずっと部屋に閉じこもるつもりなの?」
パチュリー「別に……いつものことよ」
パチュリーは素っ気なく言うと、再び本に視線を戻す。
彼女にとって、『本を読み続けていたらいつの間にか夜になっていた』などと言うことは日常茶飯事だ。
喘息のために満足に体を動かすことができない彼女は、いつも自分の父親が所有する書物を読んで毎日を過ごしている。
父親が持つ書物は植物の図鑑や御伽話の本、そして魔術の理論書など、子供が読むにしては難解過ぎるものである。
しかし他にすることが無かった彼女は意味がわからないにも拘らず、のめり込むようにして本を読むことに没頭していった。
その結果、パチュリーは子供らしからぬ多様な知識を身につけ、初級程度の魔術を軽々扱う力量を持つに至っていた。
レミリア「はぁ、全く、もう……」
結局元の状態に戻ってしまったパチュリーをみて、レミリアは小さく溜め息をつく。
今日は雲一つない快晴だというのに、このままでは一度も日光に当たることなく終わってしまいそうだ。
しかし、強引にパチュリーを外に連れ出すことは無理だろう。
レミリアも彼女が病気を患っており、激しい運動ができないということを重々承知している。
自分のせいで病気が悪化するようなことになれば、それこそ最悪の事態だ。
ベッドに座っている『本の虫』を日干しすることは望めそうにない。
レミリアは仕方なく、パチュリーと一緒になって本でも読もうかと考えを切り替えようとした時、
ガチャッ!
フラン「お姉さま?」
レミリア「いきなりどうしたのよ、フラン?」
フランドールが出し抜けにレミリアの部屋の中へと入って来た。
突然やって来た妹を見てレミリアは訝しげな顔をするが、
当人はそんなことはお構いなしに姉に近寄り、心の内を吐露する。
フラン「お勉強、つまんない」
レミリア「? ……あぁ、そう言えばこの時間帯は、貴方は勉学の時間だったわね」
レミリア「でも駄目じゃない、ちゃんと勉強しないと。 お父様に叱られるわよ?」
フラン「むぅ!」プイッ
レミリア「……しょうがないわねぇ」
顔をむくれさせてそっぽを向くフランドールを見て呆れるが、
この様子だとレミリアが説得した所で聞き入れてくれそうにない。
休日のこの時間帯は、妹はいつも教育を担当している召使いの下で勉学に励んでいる。
しかし、元気が有り余っている彼女が大人しく机に座っているなどあり得るはずもなく、
勉強に嫌気がさした彼女は、召使いの目を盗んで部屋を抜け出して来たのだろう。
今頃召使いが部屋からいなくなった彼女を見つけるために、屋敷のあちこちを探し回っているはずだ。
兎にも角にも、フランドールを部屋に帰して勉強を再開させなければ大変なことになる。
父親のヘンリーは、教養と言うものに非常に厳しい大人なのだ。
妹がサボってこんな所に居ると知られたら、一体何を言われるか……
フラン「……」
レミリア「どうしたの?」
ふと、フランドールは何かに興味を引かれたかのように、一つの方向に視線が釘付けになる。
視線の先には、依然として黙々と本を読み続けているパチュリーの姿。
正確には、彼女が読んでいる本に目が向いているようだ。
どうやらその視線に気がついたのか、パチュリーは本から目を離すと、
自分を見つめ続けているフランドールに困惑の視線を送る。
パチュリー「……ん、何?」
フラン「ねぇねぇ、何見てるの?」
パチュリー「……植物図鑑よ」
フラン「しょくぶつずかん?」
パチュリー「いろんな木とか、花とかが書かれてる本のこと」
フラン「お花の本なの? 見せて!」バッ!
パチュリー「あ、ちょっと……」
レミリア「……」
フランドールはパチュリーから本を奪い取ると、その中身を猛然と読み始めた。
突然起きた妹の変化に、それを観察していたレミリアはただ驚くばかりである。
何がフランドールをそこまで駆り立てたのかと考えたが、何のことは無い、
毎回代わり映えのしない日々の勉強に倦み疲れてきていた彼女は、
パチュリーが読んでいた本に退屈を打破する何かを感じ取ったのだ。
家でいつも習っている勉強は語学や倫理学、神学いったものばかりに重点が置かれている。
スカーレット家は魔法円を研究の主眼としている魔術師なので、
文系の学問に勉学の中心が置かれてしまうのは仕方の無いことだ。
仮に生き物の生態を学ぶことがあっても、それは魔術を扱う上での知識に過ぎず、
日常生活の会話の内で話題に上がるような、平穏な内容ではない。
故にフランドールが持つ植物の知識と言えば、母親と一緒に外を散歩した時に見聞きした花の名前くらいしかない。
つまり彼女にとっての植物図鑑は、未知の花々の情報が詰め込まれた書物なのである。
フランは本のページをめくると、ある花を指さしてパチュリーに尋ねた。
フラン「ねぇ、これは何?」
パチュリー「それは『エリカ・キネレア』ね。 ヨーロッパ西部やノルウェー、イタリアに生えているわ」
パチュリー「5月から9月にかけて花を咲かせる植物よ。 この辺りにも生えているんじゃないかしら?」
フラン「そうなの? 探せば見つけられる?」
パチュリー「そうね……比較的大きい植物だから見つけられるとは思うけど、今でも咲いているかどうかはわからないわ」
パチュリー「9月も終わりに近いし、もう散ってるかもしれないわね」
フラン「そうなんだ……じゃあ、これは?」
パチュリー「それは無花果よ。 アジアを中心に生育している樹ね。 秋に紫色の果実を付けるわ」
パチュリー「果実は干した後にケーキやパン、ワインなんかにも使われているみたいね」
フラン「どんな味がするの?」
パチュリー「私は食べたこと無いから何とも言えないわ……でも、甘酸っぱいらしいわよ?」
フラン「甘酸っぱい? クランベリーのジャムみたいな?」
パチュリー「さて……どうでしょうね」
レミリア「……」
フランドールの質問に対して丁寧に答えて行くパチュリーを見て、レミリアは目を丸くする。
内向的な性格である彼女が誰かと積極的に会話をする姿など、今まで見たことが無かったからだ。
常に一人で静かに読書に勤しむ。それがパチュリーと言う名の少女だったはずである。
ところがどうだろう。今の彼女はまるで教師のようにフランドールに対して接している。
心なしか、読書をしている時よりも活き活きしているような気がしないでもない。
恐らく自覚は無いのだろうが、パチュリーは自身の知識を他人に教えるのが好きなのだろう。
今まで貯め込んできた情報を誰かに伝えたいという欲求を、心のどこかで抱えていたのかもしれない。
そんな二人の姿を見て、レミリアはあることを思いついた。
これを使えばパチュリーを部屋の外へ連れ出せるかもしれないし、妹の勉強の代わりになるかもしれない。
妹がこちらの思うように動いてくれるかどうかがネックだが、このチャンスを逃すのは勿体ないだろう。
レミリア「ねぇ、パチェ」
パチュリー「何かしら?」
レミリア「折角だから、その本を持って家の周りを探索してみない?」
パチュリー「……何でそんなこと」
レミリア「だって実物を見ながらの方がいいでしょ? 目の前にある植物を図鑑で調べるとか面白いと思うわ」
レミリア「フランの勉強にも丁度いいだろうし、私も興味あるからね」
パチュリー「それなら、あなた達二人だけで行けばいいでしょ。 私が付き合う義理なんて……」
案の定、パチュリーはレミリアの提案を頑なに拒否する。
先ほどまで妹に教えることにノリノリだったくせに、外に出るとなった途端にこれだ。
どうしてそこまで外に出たくないのだろうか。太陽の光が苦手などというわけでもあるまい。
だが、この程度のことで諦めるレミリアではない。
パチュリーの反応は予想通り。むしろここからが本番である。
レミリアはおもむろに夢中になって図鑑のページを捲っているフランドールに近付くと、
自身には驚くほど似合わない甘い声色で優しく問いかけた。
レミリア「ねぇ、フラン?」
フラン「何? お姉さま?」
レミリア「図鑑を見るのはおもしろいかしら?」
フラン「うん!」
レミリア「じゃあ、家の周りにどんな樹や草が生えてるのか、それで調べてみない?」
レミリア「きっと面白い発見があると思うわよ? もしかしたら、本にも載ってない新しいお花に会えるかもしれないわ」
フラン「本当!? 行く行く!」
レミリア「それじゃあ決まりね……」
レミリアからの提案に、フランドールは目を輝かせて大いに頷く。
しかし、提案した当のレミリアは何故か深刻そうな表情をしている。
眉間に皺を寄せて考え込んでおり、何やら良くない雰囲気を漂わせていた。
喜んでいたフランドールも姉の異常に気付いたようであり、少し不安な顔をして話しかける。
フラン「……? お姉さま? どうしたの?」
レミリア「うーん、行くのは良いのだけど、実の所私はあまり植物のこと詳しくないし、このままだとちょっと不安なのよね」
レミリア「図鑑があっても本に書かれてることを貴方に教えることができないのよ。
フランはその本を自分一人で読むことができるかしら?」
フラン「え? ……わかんない」
レミリア「そうでしょう? 私も少しは読めるけど、やっぱり解説してくれる人が必要なの」
レミリア「お父様に頼みたいのだけど、今はお客様の対応で忙しいだろうし、お母様もお出かけ中」
レミリア「召使いさん達も自分たちの仕事で忙しいだろうから、相手にはしてくれないし……」
レミリア「はぁ……誰か代わりに私たちに教えてくれる人はいないかしら? ねぇ、フラン?」チラッ
パチュリー「……レミィ、あなたいい加減に――――」
わざとらしい溜め息をつきながらこちらをチラ見するレミリアを見て、パチュリーは心底恨めしそうに睨み返す。
どうやら彼女は自身の妹を出汁に使ってでも、パチュリーを外に連れ出したいようだ。
レミリアは時たま、子供にしては驚くほどの悪知恵を働かせることがある。
生まれ持った才能というものなのかもしれないが、それに振り回される身としては堪ったものではない。
親友であるパチュリーにとってもこれは許せなかったようであり、レミリアに対して抗議を始めようとするが――――
フラン「――――パチェなら教えてくれるかな?」
パチュリー「!?」
フランドールが漏らしたその一言が、この場の流れを完全に決定付けた。
レミリア「あぁ、それが良いわね。 丁度その本の持ち主だし、植物にも詳しいから適任ね」
レミリア「そうと決まったらフラン、パチェにちゃんとお願いしないといけないわ。 できるわよね?」
フラン「うん! ねぇパチェ、私にもっと木とかお花のこととか教えて!」
パチュリー「う……」
レミリア「……」ニヤニヤ
フランドールの非常に期待が籠った瞳を見てたじろぐパチュリー。
そしてその光景を、釣り上がる口角を隠そうともせず眺めるレミリア。
如何に面倒臭がりであるパチュリーでも、フランドールの純真無垢なお願いを断ることは難しいようである。
自身の背後でニヤニヤしている、この状況の原因となった友人を張り倒したい衝動に駆られそうになるが、
友人の妹の前でそんな暴挙ができるはずもない。
結局パチュリーは半ば強引な形でフランドールの手に引かれて外に連れ出され、
レミリアが見守る中で教師紛いのことをする羽目になるのであった。
今日はここまで
筆が進まず、書き溜めをただ浪費するこの状況
なんとかならんものか
城プロ面白いです(^q^)
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――――PM10:23
ヘンリー「今帰った」
ルーシー「お帰りなさい、ヘンリー」
仕事を終えて帰って来たヘンリーを、ルーシーは穏やかな顔をして出迎える。
今日、ヘンリーは半年に一度行われる魔術師同士の会議に出席した。
会議にはイングランドに居を構える魔術師、および魔術組織が参加しており、
かのイギリス清教の『必要悪の教会』も関わっている比較的規模が大きいものである。
この企画は元々、イギリス清教が自国に存在する魔術師を管理することを目的として開催されたものだ。
国民を悪い魔術師から守ることを信念の主軸に置いているイギリス清教は、
自国に住まう魔術師を把握するため、そして自国に害をなすであろう魔術師を見つけ出し易くするために、
様々な魔術師が集まる集会のようなものを企画し、国内に住む魔術師達に呼びかけた。
しかし、ただ呼びかけただけでは魔術師達がそれに応じるはずもない。
彼らは利害や信念の一致以外では、他者と協力することなど殆ど無いからだ。
魔術師を管理しようという清教側の思惑が見え透いている計画に、彼らが参加するわけがない。
イギリス清教の権限で参加を強制させることもできたのだが、後顧の憂いを絶つためには良好な関係を構築したい。
そこで企画に参加する対価として、清教が管理している地脈・龍脈の限定的な使用や、
本来申告が必要である大規模な魔術理論の研究を緩い条件で許可する等、様々な優遇策を取ることを決定した。
その結果、当初からイギリス清教と友好な付き合いをしていた魔術師のみならず、
比較的繋がりの薄かった魔術師も優遇策に釣られて参加し、その計画は成功に終わったのである。
そして現在、始まった当初は知り合い同士が集まって魔術の話題に花を咲かせるだけであったこの会議も、
今では個々の理論を発表し、それを評価し合う学会のようなものになっている。
無論科学者とは違い、魔術師の中には自身の研究結果を他者に公表することを望まない者が多いので、
歴史の有る家系の魔術師や力のある魔術師が、大勢の前に立って発表することは多く無い。
それでも若輩者の魔術師にとっては、自身の力量を評価してもらう絶好の機会でもあるため、
そう言った意味では毎回盛況となっている会議であった。
ルーシー「今日の会議はどうだったかしら?」
ヘンリー「どうもこうも無い……いつも通りとしか言いようがない」
ルーシー「そう……お疲れさまね」
ヘンリー「全くだ」
心労の色を隠し切れていないヘンリーを見て、ルーシーは問い質そうとはせずにただ優しく呟く。
何故自身の夫がこれほどにまで疲れているのか。その理由を痛いほど知っているからだ。
原因はスカーレット家が代々に渡って続けて来た魔術の研究にある。
その魔術が成すべき事象は『吸血鬼の製造』。西欧に住む人間であれば知らぬものはいない怪物を作るという、
聞く人が聞けば皆、『正気の沙汰とは思えない』と口にするであろう代物だ。
何故なら吸血鬼は口伝えによる情報は様々あるものの、実際に確認されたことは未だに無く、
魔術師の間ではもはや架空の存在として認識されてしまっているからである。
そんなものを製造する魔術を研究しているなどと他の魔術師に説明した所で、鼻で笑われて終わるのが落ちだ。
今回参加した会議でも、参加者である魔術師達はヘンリーの姿を認めた途端、その眼の色を躊躇い無く嘲笑のそれに変えていた。
その視線に長時間晒されながら、良く冷静を保てたものだとヘンリーは心の中で自画自賛するのであった。
ヘンリー「……そういえば、娘達はどうしている?」
ルーシー「フランは眠っているわ。 レミリアは貴方が出掛ける前に言い付けた通りにまだ起きているわよ?」
ヘンリー「そうか……」
ルーシー「でも、どうしていきなりそんなことを言いだしたの? 出かける前に一度聞いてみたけど、
『帰って来てから話す』と言ったきりでまだ何も知らされてないわ」
ヘンリー「それについては後だ。 ルーシー、レミリアを連れてきてくれ。 私は書斎で待っている」
ヘンリーは何その言葉を最後に、妻の返答も聞かずその場を立ち去る。
その後ろ姿は何処か焦っているようにも感じられ、それを見ていたルーシーの心に微かな不安を植えつけた。
* * *
スカーレット家が『吸血鬼の製造』の研究を始めたのは、屋敷に残されている文献によるとおよそ500年前。
一族が入手したとある書物を切欠として始まったと考えられている。
その書物の名は『ヴォルデンベルクの手記』。書物とは言うが、見た目はただの古いメモ帳にしか見えないものだ。
ヴォルデンベルクとは吸血鬼の専門家と『言われている』男爵の名であり、
そのメモ帳は彼が吸血鬼のことについて思考を巡らせる時に用いていたものと『考えられている』。
『言われている』だの『考えられている』だの、はっきりしない言い回しをしているその理由は、
ヴォルデンベルクという男が実在したという証拠が、全くと言っていいほど無いからだ。
この世に実在するあらゆる文献を探しても、その名前どころかそれらしき人物の影さえ掴むことができないのである。
彼の名は『ヴォルデンベルクの手記』に記された、彼自身のサインのみでしか確認されていない。
そんな存在するかもわからないような人間が書いた一冊のメモ帳。
それに書かれている内容も、著者と同じく存在が確認されていない怪物についての話。
普通の人間であれば間違いなく無用の長物として捨ててしまうであろうそれを、
スカーレット家はまるで家宝であるかのように厳重に管理してきた。
何故スカーレット家はそこまで『ヴォルデンベルクの手記』に執着するのか。
それはこのメモ帳には『吸血鬼の肉体』に関することが記されているからである。
ただし『吸血鬼の肉体』のこととは言っても、『太陽の光に弱い』とか『ニンニクが苦手』等のような、
世間に一般に知られているようなものではない。
もっと具体的な、例えば太陽に弱い理由を学術的な知見から考察していたり、
吸血鬼が誕生する原因をきちんとした論述での立証を試みていたりと、
走り書きではあるが、他の書物には見られない吸血鬼の詳細な知見が数多く記されている。
このメモ帳以上に吸血鬼のことを詳しく知ることのできる書物は他に現存せず、
それ故にこの書物は、吸血鬼を研究するスカーレット家にとっては正に、聖書と同列に扱うべきものなのだ。
スカーレット家がこのメモ帳に執着している理由はそれだけではない。
一見、吸血鬼に関する情報が書き込まれているだけに見えるこのメモ帳。
その情報を然る手順でもって読み進めて行くと、何と『人間を吸血鬼にする魔術』が記されているというのである。
余りにも非現実的な話であるが、スカーレット家がその考えに疑問を持ったことなど一度も無い。
何故ならば、現実として『ヴォルデンベルクの手記』を解析していった結果、
不完全ながらもその魔術を構築することに成功しているのだから。
コンコン! ガチャッ!
ルーシー「ヘンリー、連れて来たわよ」
レミリア「失礼します……お父様」
ヘンリー「すまないな、レミリア。 眠いだろう?」
紅茶を淹れながら書斎で待っていたヘンリーは、娘達が部屋の中に入って来ると、彼女等に労いの言葉を贈る。
本来であればレミリアは、この時間帯には既に自分のベッドで熟睡しているはずなのだ。
慣れない夜更かしをしたためなのか、彼女の眼は若干赤くなっており、
必死に睡魔に抗おうとしているのが見ただけでわかった。
ルーシー「ヘンリー、こんな夜遅くまでこの子を起こして……本当に、一体何のつもり?」
ヘンリー「それについては申し訳ないと思っている。 だが、こればかりは今すぐに君達に伝えておかねばならないことだ」
ヘンリー「本当であればフランにも伝えたかったのだが……あの子はまだ幼い。 話の内容についていけないだろう」
ルーシー「……どんな話なのかしら?」
ヘンリーが一体どんな用でこの時間帯に二人を呼び出したのか。その真意を未だに教えてもらっていない。
ただ何となくだがわかることは、ヘンリーは今非常に興奮しているということだ。
ヘンリーは少しの間口を噤んだかと思うと、レミリアの方を見やり語りかける。
ヘンリー「レミリア、我々スカーレット家がこれまで研究し続けて来た魔術のことは理解しているな?」
レミリア「はい。 私達が目指しているものは『ヴォルデンベルクの手記』の全容の解明」
レミリア「そしてそれを基にして『人間を吸血鬼にする魔術』を完成させることです」
ヘンリー「その通りだ。 我々はその目的を成し遂げるために500年の歳月をかけてきた」
ヘンリー「そして私はもう間もなく、一族の悲願は叶うと考えている」
レミリア「そうなのですか?」
ヘンリー「うむ。 私の見立てであればお前の次の代、もしくはさらにその次の世代に完成するというのが有力だ」
ヘンリー「見立てが外れることも考えられるが……どちらにせよそう遠くは無いだろう」
レミリア「……はい」
もう直ぐ自分達の一族の悲願が叶うという話を聞いたレミリアであるが、彼女のそれに対する反応は薄い。
確かに彼女はスカーレット家の次代の当主であり、一族の歴史については当然のごとく知っている。
当主としての自覚と品格を持たせるために、ヘンリー自らが教育を施しているのだ。
魔術の教育についても同様であり、レミリアは実際に使ったことは無いものの、
一族特有の魔術をそれなりにだが行使することができる。
しかし、そうだとしても彼女はまだ幼い子供。肉体的にも精神的にもまだまだ未熟だ。
父親の教育のおかげで身振りや言葉遣いは上品に行えるようにはなっているが、
精神は一族の思想を真に理解し、共感するまでには至っていない。
ヘンリー「……ん? どうした? 嬉しくは無いのか?」
ルーシー「それは仕方の無いことだわ、ヘンリー。 だってこの子はまだ子供よ?」
ルーシー「一族の悲願とか、そんな壮大な考えを持つには早すぎるってこと」
ヘンリー「む……そうか」
レミリア「……申し訳ありません、お父様」
父親の期待に添えなかったことに気がついたレミリアは、頭を垂れて謝罪の言葉を漏らす。
レミリアにとっての父親は、怖くはあるが尊敬している人物である。
彼が自分に向けて語る言葉は、何れも自分の為を思ってのことであるということを彼女は理屈ではなく直感で理解していた。
子供は感性が鋭い。難しい言葉は理解できなくとも、その言葉の裏に隠された感情は大人よりも鋭敏に感じ取ることができる。
そして、その言葉に素直な反応ができるのも子供なのだ。
ヘンリー「気にすることは無い。 これからゆっくり理解すれば良いだけのことだからな」
ヘンリー「それに、これから話すこととは関係の無いことだ」
ヘンリー「さて、話を戻そう……知っての通り、我々の一族はこれまでの間、吸血鬼のことについて様々な研究を行ってきた」
ヘンリー「おそらく、我々以上に吸血鬼を知っている魔術師は他にはいないだろう」
ヘンリー「そして一族の悲願である『人間を吸血鬼にする魔術』は、完成させれば魔術世界の根本を塗り替えることができるものだ」
ヘンリー「『人間が人間の枠を自身の力のみで始めて超える』。 その偉大なる一歩を我々は成し遂げようとしているのだよ」
魔術の世界に於いて『人間の限界を超えた力を持つ人間』は、数は少ないが確実の存在している。
その名は『聖人』。生まれた時から神の子に似た特徴を有し、それ故に『偶像の理論』によって神の力の一端を手にした人間達。
その力は絶大であり、他の魔術師が1000人束になったとしても、聖人の一振りの攻撃で跡形もなく消し飛ぶ。
しかし彼らは世界人口80億人の内の20人前後、すなわち4000万分の1という極微小な確率の中で生まれた存在だ。
その存在になるためには、まさに『神に愛される程の運』が必要となってくる。
つまり聖人とは、なろうと思ってなれるような存在などでは無いのだ。
その点スカーレット家が研究している魔術は、聖人とは別種であるが、
強大な存在であると言われている吸血鬼になることができる魔術。
しかも魔術である以上、手順さえ踏めば誰でも扱うことができる代物だ。
運や才能に頼らなくとも力を手に入れることができるのである。
そして何よりも、聖人はどんなに強大な力をその身に宿したとしても人間であることには変わりないのに対し、
その魔術は本物の人外に成ることができるという点が違う。
人類史に於いて、人間が生きながらにして人間以外の種族になったという事例は存在しない。
人類種の超越。それは科学の頂点である学園都市が掲げる、
『神ならぬ身にて天上の意思に辿り着く者(SYSTEM)』と奇しくも同じものであった。
ヘンリー「しかし、その知識が周りの者に正当に評価されたことは一度も無い」
レミリア「……それは何故ですか?」
ヘンリー「それは我々以外の魔術師にとって、吸血鬼は『存在しないもの』だからだ」
ヘンリー「有史に於いて、吸血鬼には我々も含め誰一人として会ったことは無い。
故に魔術師達は、吸血鬼は存在しないと結論付けた」
ヘンリー「それに吸血鬼の力は世界のバランスを崩しかねないものだからな。 存在しないものとして考えた方が、
魔術師にとっては色々と都合が良かったりするのだよ」
ヘンリー「そして、その存在しないものを研究し、あまつさえそれと同等な存在になろうとしている我々の行動は、
彼らにとってはあまりにも愚か過ぎるものと映るというわけだ。 嘆かわしいことではあるが」
レミリア「……」
自身のスカーレット家が周囲の人間から嘲笑われているという現実。
その事実は、レミリアにとって初めて耳にすることであった。
父親から教えられていたことは何れも、一族がこれまで成してきた功績の話ばかりだったからである。
恐らく、ヘンリーは精神的に幼い自分の娘が傷つくことがないように、自分たちを取り巻く風評を伏せていたのだろう。
また、彼は娘を魔術師達が多く集まる場所に連れて行ったことがない。
それも、他の魔術師達の心無い嘲弄から守るためなのだ。
しかし今日、レミリアはスカーレット家の立場の現状を初めて知らされることになった。
自身の一族が、そして尊敬している父親が姿も知らない人間達に後ろから嗤われている。
それを知った彼女の心境は如何様なものなのだろうか。それは、彼女にしかわからない。
ただ少なくとも、『不快』と断じることができる感情が宿ったことは確かであった。
そんなレミリアを知ってか知らずか、ヘンリーは『だが』と前置きして話を続ける。
ヘンリー「実は、そんな風評を吹き飛ばす朗報が今日耳に入ってな」
ルーシー「風評を吹き飛ばす? ついに吸血鬼が見つかったの?」
ヘンリー「いや、そこまでではない。 それであれば、今頃大騒ぎになっているはずだ」
ヘンリー「少なくともこんな所で、私がのんびりなどしているはずがない」
ヘンリー「今日、午前にロータスが来ただろう? その時奴に面白いことを聞いてな……」
ヘンリー「極東の島国にある山奥の村で、不思議な力を持つ少女を先槍騎士団が保護したそうだ」
ルーシー「先槍騎士団……イギリス清教十三騎士団の人間が何故そんな所に?」
ヘンリー「さて、な。 ロータスからの又聞きだから、そこまで詳しくは知らん。 奴等の仕事は敵情視察だから、
その辺りに居を構えている魔術組織のことでも調べていたんだろう」
ヘンリー「だが、この話の重要な所はそこではない。 重要なのは保護された少女、正確にはその少女が持つ力だ」
ルーシー「……一体どんな力を?」
ルーシーは夫の言葉を聞き、解せないといった顔で問い返す。
イギリス清教直属の騎士団が辺境の地に出向いていたという事実だけでも不可解だというのに、
それ以上に、彼らの手で保護された少女が重要だとヘンリーは言う。
保護された少女はどんな力を持っていたのだろうか?
ヘンリー「……『吸血殺し』。 噂によると『自身の血を吸った吸血鬼を殺す力』だそうだ」
レミリア「吸血鬼を、ですか?」
ヘンリー「そうだ」
ルーシー「随分と突拍子もない話ね。 一体何の根拠があってそんな噂が立っているの?」
ヘンリー「どうやら少女が発見された状況、そして少女自身の証言が根拠となっているらしい。 順を追って話そう」
長話になることを見越したヘンリーは紅茶で喉を潤しつつ、静かに事の顛末を話し始めた。
ヘンリー「保護された少女は騎士団に発見された当時、灰の山の中に一人で立ち竦んでいたそうだ」
ヘンリー「その光景を見て異常を感じ取った騎士団は村の中を捜索したが、村には発見された少女を除いて誰一人居なかった」
ヘンリー「その村の周辺に住んでいた者の証言だと、前日までは人がいたらしい。
つまり村人は僅か一日で、少女一人を残して忽然と姿を消したことになる」
ヘンリー「騎士団は異常の原因を調査したが、結局突き止めることはできなかった」
山奥の村で起こった不可思議な現象。
一夜の内にそこに住む村人が一人残らず消え去るなど、与太話もいい所だ。
人が聞いても、何かの都市伝説的な話だとして相手にすらしないだろう。
しかし、超常的現象を扱う魔術師の視点から見ても不可解な点が多い。
それはイギリス清教十三騎士団の力を以ってしても、その現象の原因を突き止めることができなかったということだ。
彼らはイギリス清教の中でも、『必要悪の教会』に並ぶほどの強力な戦闘組織である。
そこら辺の一般の魔術師よりも豊富な魔術の知識を備えているのだ。
もし村人の消失が魔術によって引き起こされたものであるのなら、その魔術は相当な規模になるはずであり、
必ずどこかにその痕跡が残されているはずである。
それをみすみす見逃すなど、どう考えてもおかしいとしか言いようがない。
ならば、魔術に依らないものであると考えるべきなのだろうか?
疑問が次々と湧き上がるが、ヘンリーはさらに話を続ける。
ヘンリー「捜索を断念した騎士団は、保護した少女を連れて帰還しようとしたが、
その時少女の首筋に傷跡があることに気がついた」
ヘンリー「騎士団はその傷の理由を少女に尋ねた。 すると少女は『吸血鬼に噛まれた』と答えたそうだ」
ルーシー「『吸血鬼に噛まれた』……?」
ヘンリー「あぁ。 それを聞いた騎士団が更に詳しく尋ねた所、少女は村で何が起こったのかを途切れ途切れにだが話したらしい」
ヘンリー「話せば長くなるから要点だけ話すが、『少女だけでなく村人全員が吸血鬼に噛まれ、
少女はその吸血鬼を村人共々皆殺しにした』とのことだ」
ルーシー「……なるほど、概ね理解したわ」
ルーシーはヘンリーの説明を聞き、『吸血殺し』の噂の根拠を理解するに至った。
灰に覆われた村。一夜にして消え去った村人。そして残された少女の証言。
これらの話を踏まえると、その村で起こった出来事は以下のようになる。
まず始めに、どのような理由なのかはわからないが吸血鬼が少女の村を訪れ、村人を全て吸血鬼にした。
しかし少女だけは自身が持っていた能力により吸血鬼化を逃れ、更には血を吸った吸血鬼を死に至らしめた。
そして残された吸血鬼化した村人も、その少女の血を吸って全てが息絶えたのだ。
村を覆っていたという夥しい灰は、おそらく吸血鬼化した村人達の遺灰だったのだろう。
これであれば、先槍騎士団が魔術の痕跡を発見できなかったことも頷ける。
それを引き起こしたのは少女が持つ力であり、魔術は全く関係ないのだから。
ルーシー「確かにヘンリーの言うとおり、『吸血殺し』の情報は私たちにとって朗報ね」
ヘンリー「あぁ。 『吸血殺し』が存在するということは、吸血鬼が存在することと同じだからな」
ルーシー「本当にその少女がそんな力を持っていればの話だけどね」
『○○を殺す』という言葉は、殺す対象が存在しなければ成立しない。
逆に言えば、その言葉が成立した時は殺す対象が存在するということだ。
つまり『吸血鬼を殺す力』の存在は、逆説的に吸血鬼の存在を証明することになるのである。
そして吸血鬼の存在が証明されるということは、今まで嘲笑われてきたスカーレット家の研究が評価されるということでもある。
今まで自分達がのけ者にされてきたその原因は、『吸血鬼はこの世に存在しないものである』と考えられてきたからであり、
その原因を払拭してしまえば、もはや自分達の背中を指さして笑う者は一人としていなくなるだろう。
レミリア「んぅ……」
そんな両親の会話の外で、レミリアは一人眠たげな声を上げた。
途中までは話を聞いていたのだが、元々無理して夜更かしをしている身である。
殺すだの何だのといった血みどろな話に付いていけるはずもなく、睡魔に負けかけているようだ。
レミリアの声に気がついたルーシーは、慌てて傍に近寄りふらついている彼女の体を支える。
するとレミリアは母親が近くに居ることに安心したのか、糸が切れたようにルーシーの体に凭れかかった。
ルーシー「あらら。 少し長話し過ぎてしまったみたいね」
レミリア「ぅ……申し訳ありません、お母様……」
ヘンリー「まだ話すべきことはあるのだが……コーヒーを飲ませようか?」
ルーシー「それだと今度は眠れなくなってしまうわ。 水はあるかしら?」
ヘンリー「ここには無いな。 キッチンまで出向いて持ってくるしかない。 私が持ってこよう」
ヘンリーは椅子から立ち上がり、水を持ってくるために部屋を後にする。
ルーシーは夫が戻ってくるまでの間、これまでの話について思案を巡らせていた。
ルーシー(『吸血殺し』は私たちスカーレット家にとって、これ以上に無い吉報。
でもヘンリーは、興奮はしていたけど嬉しそうには話さなかった)
ルーシー(普段から余り表情の変化が見えない人だけど、私には彼の気持ちが手に取るようにわかる)
ルーシー(一族の悲願を前にしても喜びの素振りを見せない……もしかして何か心配事があるのかしら?)
ルーシー(何か嫌な予感がする。 できれば私の思い過ごしであってほしいのだけど……)
ヘンリー「水を汲んで来たぞ。 早く飲ませなさい」
ルーシー「えぇ、わかったわ」
彼女は一旦思考を打ち切り、夫が持ってきた氷が入った水をレミリアに飲ませる。
夫の心の中にどのような心配事があるのかはわからない。だが、それを詰問するのは野暮と言うものだ。
彼が何も言わないということは、それほど恐れることではないものか、もしくは既に対策がとれるものなのだろう。
自分達がするべきことは、彼の意思を信じて支え続けることだけだ。
ヘンリー「レミリア、少しは目が覚めたか?」
レミリア「はい……申し訳ありません」
ヘンリー「気にすることは無い。 無理にお前を起こしている私の責任だ」
ヘンリー「もう少しで話が終わるから、それまで我慢してくれ」
レミリア「わかりました」
どうやらレミリアは水を飲んだことで、幾分か思考を取り戻すことができたようだ。
だが、それも長くはもつまい。睡魔は子供が抗うには、少々きつ過ぎるものだ。
再び船をこぐ前に用事を済ませてしまった方がいいだろう。
ヘンリー「さて……最後に一つ、今後のことについて伝えておく必要がある。
本当はフランにも関係のある話なのだが……」
ルーシー「それであれば、私の方から後で伝えておこうかしら?」
ヘンリー「いや、その必要はない。 魔術に関係する話だからな。 まだあの子には早すぎる」
レミリア「魔術ですか?」
ヘンリー「あぁ。 スカーレット家が持ちうる魔術の中の秘奥。 私達にしか扱えない、
一族に脈々と伝わって来た一つの魔方陣――――」
「――――『竜の子(ドラキュラ)の刻印』についてだ」
今日はここまで
読み返す度に『このキャラの性格ってこんなんだっけ?』と思う今日この頃です
やっぱり自分のイメージに引きずられてしまうと言うか……気をつけなければいけませんね
※連絡事項
来週から所用でネットに接続できなくなります
年末に一度だけ投稿できるかもしれませんが、来年までできない可能性もあります
誠に申し訳ありませんが、お待ちいただけると幸いです
質問・感想があればどうぞ
乙
【朗報】空気さん(話題に)登場
あとこれが今年最後の投下なら来年早々一ヶ月ルールでエタる可能性もあるのか
霊夢「不思議な力も空気度も、今ここでは私の方が上なんだけどね。まぁ何事もなくてお茶が美味しいだけだから、私としては一向に構わないんだけど」
メルブラ世界だったら大活躍だろうになぁ
霊夢さんって巫女?服とフリル付きリボンの描写じゃなかったら、謎の美少女としか分からない自信がある
手が空いたから今年最後の投下をするよ!
>>679
なおまたしばらく空気になる模様
>>680
まだ登場していないので空気ですらないです
>>681
死徒二十七祖どころか真祖ですら危ないレベル
お前の能力で型月がヤバイ
>>683
それについては後ほど。まぁ魔術側なので……
――――1週間後 PM1:42
大英魔術図書館 一般書架――――
ロータス「魔術薬学辞典の12巻は……と、あったあった」
イギリス清教が管轄するものの中でも最大の規模を誇る魔術図書館。
その一角でロータスは、右腕に大量の分厚い本を抱えながら本棚の間を歩き回っていた。
ロータス「……うん、こんなものかな。 これだけあれば十分」
ロータスは本棚から抜き出した本を確認しつつ、悠々と書架から離れる。
幾許かの距離を歩くと、幾つかの長机が置かれた広い空間に出た。
この図書館を利用する人達のために設けられた、読書用のスペースである。
机の中央に置かれたガスランプが辺りを淡く照らし出していた。
彼は他と比べて本が異常に積み上げられている机に近付くと、自身の抱えた本をその机の上に置く。
その振動で、辛うじてバランスを保っていた幾つかの本の山が崩れ落ち、床の上に散らばった。
ロータス「あぁっと、いけない……」
同僚「よぉ、ロータス。 捗ってるか?」
ロータス「ん? あぁ、君か。 ぼちぼちと言ったところかな」
同僚「拾うの手伝おうか?」
ロータス「そうしてくれると助かるよ」
ロータスとその同僚は協力して散らばった本を拾い上げる。
そのついでに整理整頓も行い、その結果机の上は以前と比較して『ある程度』綺麗になった。
最後の本の束を机の上に置いた同僚は、その光景を見て少し呆れ気味に言葉を零す。
同僚「また随分と散らかしたな。 余り汚く扱うと、管理人にどやされるぞ?」
ロータス「そろそろ本を返そうとは思ってるんだけどね。 でも、また必要になった時に取りに行かなきゃならないと思うと……」
同僚「その手間をかけるのは面倒臭いってか? まぁ、気持ちはわからんでもないがな」
ロータス「だろう?」
同僚「だが、使った本はちゃんと返さなきゃいけねぇのが常識って奴だ。 他人の迷惑になる」
ロータス「それなら、僕の所に取りに来ればいいじゃないか」
同僚「どうやってお前が持ってるって知るんだよ。 とにかく、使い終わったら毎回元に戻すようにしろよ」
ロータス「しょうがないなぁ……」
ロータスは面倒臭そうな顔をしながら頭を掻く。
彼は基本的に能天気でマイペースな男なのだ。そして少し身勝手な人間でもある。
彼の言動に振り回された人間は少なくない。かく言うこの同僚も被害者であったりする。
同僚は少しばかりのため息をつくと、机に積まれた本のうちの一冊を手に取り、
どっかりと椅子に座って繁々とその本の表紙を眺めた。
同僚「魔術薬学の本か……やっぱり、奥さん関連か?」
ロータス「そうだよ。 娘も入るけどね」
同僚「お前が『必要悪の教会』に入って研究を始めてから随分と経つが、まだ目処は立っていないのか?」
ロータス「症状を抑えるだけの薬はある程度できてるんだけどね……あれは服用後3時間程度しか持たないんだ」
ロータス「もっと持続時間を延ばさないと、とても実用に足るものとはいえないね。 材料費も馬鹿にならないし」
ロータス「それに、解呪の方法に至ってはずっと行き詰ったままだし、根本的な解決には程遠い。 どうしたものかな……」
ロータスは溜め息をつきながら同僚の向かいの席に座りこむ。
その顔には、なかなか自分の思い通りに事が進まない現状に対する歯痒さが滲み出ていた。
ノーレッジ一族に特有の虚弱体質。その始まりは、一族が成り立った時期にまで遡ると言われている。
彼らはノーレッジの名を名乗る以前から、魔術の扱いに長けていたことで有名であり、
その突出した技術を用いて遙か昔から様々な実験を行っていた。
実験によって培われた理論は現在でも数多くの魔術論文に引用されており、彼らが成し遂げた功績の片鱗が見受けられる。
だが、一見輝かしく見えるその一族にも深い闇が存在していた。
彼らが行っていた実験は、必ずしも他者から称賛されるものばかりだったわけではない。
一つの結論を見出すために、何かを犠牲にすることもあった。
人一人を生け贄に捧げるだけならば、まだ良い方。
時には小さな村落丸々一つを実験材料にし、それを使い切ったこともあるという。
彼等の標的になった村落は、人知れずこの世から姿を消した。
それで実験が成功すれば、材料にされた者達にも救いはあっただろう。しかし、現実は甘くない。
研究というものは、実践と失敗の繰り返しの上で成り立っている。つまり、試行錯誤当たり前だ。
目的を達成するか、もしくは彼等が諦めるまで同じだけの犠牲を繰り返すことになる。
彼等は知識に関して常軌を逸するほど貪欲だったのだ。
それこそ、自分自身をも躊躇いなく捧げてしまうほどに。
――――そして、悲劇は起こった。
何があったのかは定かではない。
その時を記すものは、根こそぎ闇に葬られてしまった。他ならぬ彼等の手によって。
ただ確かに言えることは、彼等が行っていた実験は物の見事に失敗し、
代償として一族は『生まれながらにして肉体の何処かに欠陥を持つ』という呪いを受けることになったのだ。
その呪いは、現在に至っても解かれること無く一族を蝕み続けている。
ノーレッジ家の現当主であるであるメリッサは心臓に。
娘のパチュリーは肺と気管支にの欠陥を持っていた。
ロータスは彼女等を呪縛から解き放つために、毎日書物の山にこもって研究を続けているのである。
しかし、その目的を成し遂げることは容易な話ではない。
何故ならノーレッジ一族にかけられた呪縛は、そう単純なものではないからだ。
魔術によって施された呪いは、対応する魔術で以って解呪することができるというのが常識である。
ところが一族が受けた呪いは失敗した魔術による産物であるため、対応する魔術というものが存在しない。
ならば術式を一から組み立てるしかないのだが、必要な資料は一族当人によって廃棄されてしまっている。
呪いを受けた当人の体を調べ、魔術の正体をある程度予測することは出来るが、それだけでは情報が足りなすぎる。
解呪に至るまでの道のりは、困難を極めていた。
――――そして、悲劇は起こった。
そして、そんな難問に挑んでいるロータスは魔術師としては未だ半人前だ。
彼の頭脳は一般のそれよりも遙かに優れてはいるが、魔術に触れてから10年も経っていないのだ。
数百年にわたる歴史を持つ一族が生み出した呪いを解くには、彼はあまりにも若過ぎた。
故に彼ができることと言えば、若い頃に学んでいた薬学の知識と、
ノーレッジ家の一員になってから学び始めた魔術の知識を活用して、妻や娘の病状を和らげる薬を作ることだけ。
彼一人では、一族の呪いを解くことは難しい。現に彼は思考の袋小路の中にいた。
常識を打ち砕くような真新しいアイデアでもあれば、話は変わってくるのだが。
ロータス「このまま研究を続けてもどん詰まりだ。 他に何か手は無いかな……」
同僚「……何度も言うが」
ロータス「わかってるよ。 『科学の力には絶対頼るな』、だろ? そんなことは耳にタコができるほど聞いたさ」
同僚「それならいい。 『魔術と科学は交わってはならない』。 これは絶対順守しなければならないルールだ」
同僚「破ろうものならここから追い出されるどころか、最悪異端者として処断されかねん」
魔術サイドと科学サイドとの間に交わされた条約。
それはお互いの領分を守り、相手側の領分を侵してはならないということだ。
具体的に表現するならば、魔術師は自分が用いる魔術に中に科学的要素を取り入れてはならない。その逆も然りである。
その契約を破った者は、大なり小なりの処罰を受けることになる。
ロータス「でも本当のことを言うと、科学には既に片足を突っ込んでるんだけどね。 薬学とかその最たるものだし」
同僚「おまっ……大丈夫なのかよ!?」
ロータス「勿論ちゃんと配慮はしているよ。 できるだけ科学の知識を使わないようにして薬を作ってはいる」
ロータス「でも、科学の力を取り入れた方が上手く行くことがままあるのさ」
同僚「……何か言われたりしていないか? 警告とかは?」
ロータス「いや、研究を始めて数年間、そういったものを受けたことは無いね」
ロータス「別に隠しているつもりもないし、上も僕が何をしているのかは知っているはずだ」
ロータス「警告を受けていないのは、僕の行いがルールに抵触していないか、
もしくは抵触していても黙認しているから……なのかな?」
同僚「……まぁ、露骨なものであれば一発アウトだが、細かい話になると解釈の仕方で若干変わってくるらしいからな」
同僚「昔にあった話だそうだが、ある魔術師が考案した『あぶり出しを利用した魔方陣の形成法』が、
ルールに違反している可能性があるってことで議論になったことがあったらしい」
同僚「その時は『あぶり出しの原理は科学の領分に抵触する』って主張する側と、
『あぶり出しは科学が学問として成立する以前から知られているものだから問題無い』って主張する側に二分したそうだ」
同僚「もしかしたらお前の研究も、そういった状況下にあるものなのかもしれないな」
ロータス「まぁ、僕としては研究さえ続けられれば何だっていいよ」
彼の人生は愛する妻や娘をノーレッジ一族の呪縛から解放することに捧げられている。
その研究を行うことができなくなる状況に陥ることは、是が非でも避けたい。
逆に言えばその状況に陥ることさえなければ、周りが自分をどう評価しようと知ったことではないのだ。
ロータス「まぁ、一つだけ気になることがあるとすれば、家の老人たちに白い目で見られてることくらいかな」
ロータス「あの人達は大の科学嫌いだからね。 メリッサが庇ってくれなかったら、僕は確実に追い出されていただろうから」
同僚「そうか。 理解してくれた奥さんには感謝しないといかんな」
ロータス「あぁ、感謝しているさ。 今までも、今でも、そしてこれからもね」
「ロータスさん、ロータス・ノーレッジさん。 いらっしゃいませんか?」
不意に何処からかロータスの名を呼ぶ声が聞こえて来た。
周囲を見渡してみると、書架の間を女性の職員が通り過ぎる姿が見てとれる。
どうやら彼女がロータスのことを探しているらしい。
同僚「おい、呼んでるぞ?」
ロータス「一体何かな……おーい、僕はここだよ」
職員「あぁ……そこにおられましたか」スタスタ
ロータス「どうしたんだい? 随分と焦っているみたいだけど……」
職員「先ほど貴方様宛に連絡が届きまして……『最大主教』様からです」
ロータス「『最大主教』から?」
同僚「一体何なんだ?」
職員「詳しいことは……ただ、今すぐ聖ジョージ大聖堂に来るようにと」
英国において最も力を持つ三派閥の一つ、『清教派』。そのトップに君臨する『最大主教』。
イギリス清教の一般教徒や『必要悪の教会』を統括する人物であり、ロータス達にとっては最も上の上司に当たる。
そんな人物から直々に指名が来るとは珍しい。普段であれば誰か中間の役職に就く者を通して連絡が来るのだが。
そこまでする必要があるほどの何かがあったというのだろうか?
ロータス「まだ調べたいことがあったんだけど、『最大主教』様に呼ばれてしまったのなら仕方ない。 行ってくるよ」
同僚「あぁ、わかった。 道中事故には気をつけろよ」
今日はここまで
質問・感想があればどうぞ
それでは皆さん、良いお年をお過ごしください
あけましておめでとうございます(遅)
スレを立ててからまもなく3年。本年もよろしくお願いします。
全然今年中に終われる気がしない(白目)
――――翌日 AM10:33
ヘンリー「――――このように、我々が用いる魔術は『風』、『火』、『土』、『水』、『エーテル』の『五大属性』が基本となっている」カッカッ
ヘンリー「それぞれの属性は天使と対応関係があるため、十字教の魔術師の間では非常に重要視されている概念だ」
ヘンリー「私たちは十字教の信徒ではないが、イギリスに拠点を置く魔術師であれば知っていて当然。
知らない人間は魔術師ではないとまで称される、常識中の常識とも言える知識だろう」
ヘンリー「この概念は今後の話に何度も登場する。 しっかりノートに取っておくように」
レミリア「……」カキカキ
太陽が南東の方角に差し掛かり、段々と空気が暖かくなってくる時刻。
屋敷の1階の書斎でレミリアは、父親から直々に魔術の指導を受けていた。
父親が黒板に板書した内容を必死に書き込む姿からは、彼女の学問に対する意気込みがひしひしと感じられ、
そんな娘を前にしているヘンリーからも、教師としての情熱がオーラとして幻視できそうなほど漂っている。
レミリア「お父様、質問があるのですが」
ヘンリー「ふむ、言ってみなさい」
レミリア「お父様の本で勉強していた時に、その本の中に『四大属性』の事について書いてありました」
レミリア「その時は『エーテル』が他の属性の中から外されていたのですが、何故でしょうか?」
ヘンリー「ほう、ちゃんと予習はしているようだな」
レミリアからの質問対し、ヘンリーは僅かに上機嫌になりながら黒板に板書する。
書かれた『エーテル』の単語を大きく丸で囲い込み、説明を始めた。
ヘンリー「嘗て『エーテル』は、他の元素とは全くの別物として区分されていた」
ヘンリー「『風』、『火』、『土』、『水』の四属性は地上の世界を構成する要素だが、『エーテル』は天上の世界、
つまり『天界』を構成する要素だと考えられていたためだ」
レミリア「天界?」
ヘンリー「天界とは私達が棲む世界とは波長がずれた世界、簡潔に言うならば異世界のことだ」
ヘンリー「私たち魔術師は『異世界の法則』を行使して魔術を用いるが、
天界はその『異世界の法則』の源となっている場所でもある」
ヘンリー「そしてその天界には天使達が棲むと言われているが……今ここで話すことでは無いな」
そこでヘンリーはコップに汲んだ水を一口煽り、更に説明を続けていく。
ヘンリー「『エーテル』は我々の魔術の根源である天界を構成する要素と認識されていた」
ヘンリー「つまり、他の属性よりも数段『格』が高いのだ。 一緒するのは好ましくないと考えられていたのだろう」
レミリア「どうして今は五大属性になっているのですか?」
ヘンリー「それについては少し事情が複雑でな。 説明するには『科学』について少し触れなければならない」
レミリア「『科学』……?」
『科学』の言葉を聞いて、レミリアは不思議そうな顔をしながら首をかしげる。
今までの魔術の授業の中で、『科学』という言葉やそれに類する単語は聞いたことが無い。
それは当然だろう。科学と魔術は相反するものであり、決して交わることが無いものなのだから。
ヘンリー「まずは、『エーテル』という存在がどのような歴史をたどってきたのかを説明しよう」
ヘンリー「少々長くなるが、話の途中で居眠りするんじゃないぞ?」
レミリア「はいっ!」
ヘンリー「良い返事だ。 ……『エーテル』は元々『スコラ学』において用いられていた単語だ」
ヘンリー「スコラ学は『学問のスタイル』として神学、自然哲学、自然学、認識学などに大きく拘わっており、
特定の陣営に属するものではない」
ヘンリー「魔術と科学が完全に棲み分けされている現在では、到底考えられないことだがな……」
ヘンリー「詰まる所、『エーテル』という言葉はどちらかの陣営が生み出したものとは言い切れないのだ」
ヘンリー「スコラ学が十字教の教義に束縛されていたことを鑑みると、若干魔術寄りであったとも言えなくもないが……」
ヘンリー「レミリア、ここまでの話はきちんとノートに取ったか?」
レミリア「……はい、大丈夫です」カリカリ
ヘンリー「うむ、では話を続けるぞ。 ……その後スコラ学は『スコラ哲学』、『スコラ神学』となり、
科学的要素は完全に排除されるようになった」
ヘンリー「その理由は『人文主義者(ユマニスト)』……ギリシアやローマの古典文芸や、
『聖書の原典』を最重要視していた人間に依るところが大きい」
ヘンリー「スコラ学の目的は『矛盾の解消』。 有名な著者が残した様々な書物同士を照らし合わせ、
それらの間に生まれる不調和点を見出し、議論することだった」
ヘンリー「その段階において、書物の内容は『批判的な視点』で読み進められるのだが……」
ヘンリー「『聖書』という書物を世界の真理と位置付けていた『人文主義者』達にとって、
その内容を疑問視することは許容できることではなかったのだ」
ヘンリー「十字教内においてそれなりの権力をもっていた彼らは、スコラ学を『神に仇なす思想』として排除しようとした」
ヘンリー「表向きの理由は『スコラ学は古典的なものであり、学問の手法には適さないから』とされているがな」
ヘンリー「最終的にスコラ学は、聖人トマス・アクィナスが起こした『新スコラ主義』により、
科学的要素を排除した形で再び注目を浴びることになったというわけだ」
ヘンリー「……ここまでが『エーテル』の言葉を生み出したスコラ学の歴史だ。 ちゃんと付いてきているか?」
レミリア「……………………はい」カリカリ
ヘンリー「少し早く喋りすぎたようだな。 ここら辺で小休止にするか……」
コンコン!
ヘンリー「誰だ? この時間が授業だと言っておいたはずだが……」
唐突に話に割り込んできたドアのノック音に対して、ヘンリーは少々苛立ちながら不満を零す。
この時間帯はレミリアへの魔術の講義を必ず行うと決めている。それは家内の全員が知っていることだ。
そして授業の間は絶対に邪魔をしないよう厳格に言い含めており、
ヘンリー自身もできるだけ用事が入らないようにスケジュールを組み立てていた。
それにも拘らずドアを叩く者がいるとは。そこまで物覚えの悪い召使いを雇ったつもりは無いのだが。
流石に無視するわけにもいかないため、ヘンリーは用事だけ聞こうとドアノブに手をかけて戸を開いた。
ヘンリー「……お前か、ルーシー。 今は授業中だぞ? 知っているだろう?」
ルーシー「えぇ、わかっているわ。 でも貴方にお客が……」
ヘンリー「私に客? そのような予定は無かったはずだが……誰かね?」
ロータス「僕だ」
ヘンリー「む……ロータス、お前か」
ルーシーの背後を見ると、そこにはロータス・ノーレッジの姿があった。
飄々としていている割には礼儀を弁えているこの男が、アポイントもせずに押しかけてくるとはらしくない。
最低限の弁えすら忘れるほどの何かが起きたとでも言うのか。
ふと、彼の顔を良く見てみると、かなりの焦燥を感じ取れる表情をしていた。
普段のにこやかな彼からは考えられない強張った顔。蒼褪めているようにも見え、額からは汗が流れおちていた。
ヘンリー「どうした? 随分と顔色が悪いようだが……」
ロータス「……話があるんだ。 しかも火急の」
ヘンリー「……了解した。 レミリア?」
レミリア「何でしょうか、お父様?」
ヘンリー「私はこれからロータスと話をしなければならない。 よって、今日の授業はこれで終わりだ」
ヘンリー「お前は自分の部屋に戻って自学自習に励みなさい」
レミリア「わかりました。 今日の授業、教えていただき有難うございました」
ヘンリー「ルーシー、レミリアを部屋へ」
ルーシー「……わかったわ」
ルーシーは一瞬訝しげ顔をしたが、夫に言われた通りにレミリアを連れて部屋を離れていった。
一方、その姿を見送ったヘンリーはロータスを部屋の中に招き入れ、適当な椅子に座るように促す。
ロータスがレミリアの座っていた椅子に座るのを尻目に、部屋の隅に置かれたポットに近付いて飲み物を入れようとした。
ヘンリー「何か飲むかね? とは言っても、水かコーヒーしかないが……」
ロータス「いや、いいよ。 長居するつもりは無いから」
ヘンリー「そうか。 して、一体何の用かな? 一応、人払いはしておいたが」
ロータス「助かる。 できれば、君と二人きりで話し合いたいと思っていたからね」
ヘンリー「……ふむ」
ロータスの言葉を考えるに、できるだけ内密にしたい話らしい。人払いをして正解だったようだ。
一体彼の口からどんな話が飛び出すのか、全く見当がつかない。
ただ彼の慌て具合から漠然と言えることは、その話は自分にとって決して良いものではないということだ。
ロータス「ヘンリー、僕が一週間前に君に教えた噂話ことは覚えているね?」
ヘンリー「一週間前……『吸血殺し』のことか?」
ロータス「そうだ。 実は今日君に会いに来た理由は他でもない、それに絡んだ話なんだ」
ヘンリー「何があったのだ? やはりあの噂は事実無根の戯言だったのかね?」
ロータス「いや、あの噂は未だに噂のままだよ。 真実にも嘘にもなっていない」
ヘンリー「だろうな。 その程度の理由で、お前がここに来る訳が無い。 では何の用だ?」
ロータス「あぁ……」
ロータスはそこで一端言葉を区切り、躊躇いの感情を宿した目を静かに閉じた。
そのまましばらく、とは言っても数秒のことでしかないが、思案を巡らせた後に再び目を開く。
その瞳はまるで、何かを覚悟したかのようだ。それを自身の目の前に立つヘンリーに向ける。
そして彼は静かに、淀みなく言葉を紡いだ。
ロータス「……単刀直入に言おう。 イギリス清教からスカーレット一族が行っている研究に対して凍結命令が出た」
ヘンリー「……そうか」
ロータスの言葉を聞き、ヘンリーはただ一言だけそう呟く。
『研究の凍結命令』。それはその言葉通り、魔術師が行っている研究を今後一切禁止させるというものだ。
魔術師にとっては自身の生き甲斐とも言えるものを奪われるも同然のことである。
そして、その判断を下された当人への衝撃は計り知れない。
魔術師としての年季が入っている者ともなれば、それを聞いた瞬間顔が絶望の色に染まるだろう。
しかし何故か、ヘンリーはその知らせを聞いてもさほど心を乱したようには感じられなかった。
その表情からは、僅かにではあるが『案の定そうなったか』という感情と、
『やはりそうなってしまったか』という二つの感情だけが読み取れる。
おそらく彼は、前々からこうなることを予想していたのかもしれない。
ロータス「……予感はしてたのかい?」
ヘンリー「何となくだがな……お前はそれを伝えるために来たということか?」
ロータス「そうだ。 君に最も近しい『必要悪の教会』の人間という理由で交渉役に選ばれた……さて、
凍結命令の理由の説明は必要かな?」
ヘンリー「頼む。 私の予想とそう違わないと思うが」
ヘンリーは黒板の前の椅子に座り、何ともわからぬような視線で以って友人を見つめる。
先ほど感じたものとはまた違った、感情の底が知れない無機質な眼。
それを向けられたロータスは何を思うことも無く、ただ事務的な口調で事の顛末を語り出した。
ロータス「まず始めに、君の研究に凍結命令が下された理由だが、これは言うまでも無く『吸血殺し』が関係している」
ロータス「『吸血殺し』は『吸血鬼を殺す力』だと、『必要悪の教会』の中で専らの噂となっているのは先日話した通りだ」
ロータス「現在、大半の魔術師は『吸血殺し』の力のみに目が向いているが、本当に注意すべき点は別にある」
ロータス「君はもう気付いていると思うが、『吸血殺し』という力の存在は、そのまま吸血鬼の存在を裏付けることになるんだ」
ロータスが語ったことは、ヘンリーが『吸血殺し』の話を聞いた時に思い立ったものと全く同じもの。
ある程度頭が切れる者ならば、『吸血殺し』の存在が何を意味するのか容易に想像がつくはずだ。
むしろ話の本題はここから。何故イギリス清教はスカーレット家に対し研究の凍結命令を下したのか?
ロータス「その事実に気がついた『最大主教』は、スカーレット一族の研究が吸血鬼の量産に結び付く可能性を懸念した」
ロータス「『人間を吸血鬼にする魔術』。 吸血鬼の存在が絵空事なのであれば、注意を向ける価値すら無いはずのもの」
ロータス「しかし、『吸血殺し』の出現で吸血鬼が存在する可能性が僅かにでも出てきた以上、無視するわけにはいかなくなったのさ」
吸血鬼はその存在自体が、人類にとっての脅威となり得る生物である。
過去に於いて誰も遭遇したことが無かったために、今までは誰も存在するとは微塵も考えていなかったが、
『吸血殺し』の発見で『もしかしたら存在するかもしれない』という域にまで認識が変わってしまった。
そしてスカーレット一族が研究する『人間を吸血鬼にする魔術』。
万が一吸血鬼がこの世界に居るとなると、スカーレット一族の魔術が完成した場合、世界に吸血鬼が溢れかえることになる。
もしもそうなってしまったら、魔術という枠組みを超えて世界が大混乱に陥ることは必至。
その可能性を潰すために、『最大主教』はスカーレット一族に対して研究の凍結命令を出したのだ。
ロータス「『最大主教』は君に、これまで一族が行った吸血鬼に関わる全ての魔術研究の破棄と、
所有している『ヴォルデンベルクの手記』の即時引き渡しを求めている」
ヘンリー「勝手なものだな。 これまで見向きもしなかったくせに、可能性が生まれた途端奪い取るつもりかね?」
ロータス「いや、ただでというわけじゃない。 その埋め合わせも用意している」
ロータス「要求を飲んだ暁には、イギリス清教の名に於いてスカーレット一族の魔術師としての地位を保証するよ」
ロータス「少なくとも、そこら辺に居る魔術師達を顎で動かせる程度の地位は与えるそうだ」
ヘンリー「……拒否した場合は?」
ロータス「『処刑塔』への幽閉は確実。 もしかしたら処刑されるかもしれない」
ロータス「勿論君だけじゃなく、君の家族、いやスカーレット一族に関わった人間全員がその対象になる可能性も……」
ヘンリー「……」
ヘンリーは天井を見上げつつ、瞼を閉じて思案にふける。
部屋に流れる沈黙。眼に見えぬ重圧が二人の体に重くのしかかる。
屋外の庭に立つ樹からツグミの啼く声が窓を通して聞こえてくるが、
部屋の重苦しい雰囲気は小鳥の囀りすらもただの雑音へと変貌させてしまう。
そしてその雑音は、二人の心に更なる不快感を齎した。
会話が途切れてから数分。二人にとってはその倍以上に感じられる時間が流れた頃、
この重圧に耐えられなくなったのか、ロータスは感情を押し殺したような顔をしながら口を割った。
ロータス「ヘンリー、お願いだ。 何とかイギリス清教の条件を飲んでくれないか」
ロータス「そうでないと君は間違いなく、イギリス清教に拿捕されて『処刑塔』送りになってしまう」
ロータス「君が幽閉されるのは我慢できない。 それに、レミリアちゃんやパチュリーも悲しむ。 だから……」
ロータスの哀願とも言える言葉が部屋の中に響き続ける。
自分の親友の身に危険が迫っているのだ。彼の内心の荒れ具合は想像に難くない。
彼は何としてでも、親友にイギリス清教から提示された条件を飲んでもらいたいのだろう。
ヘンリーはそんな彼の言葉を何も言わず、表情も変えずに聞き続ける。
そして目の前に座る親友の哀願が途切れを見せ、それから数秒経った後、そこでやっと彼は口を開いた。
ヘンリー「ロータス」
ロータス「……?」
ヘンリー「私はこれまで、自身の人生の全てを賭けるつもりで今の研究を行ってきた」
ヘンリー「それはこの研究が一族の悲願だったからということもあるが、
それ以上に『スカーレット一族として生まれた』ことに対して、何物にも代えがたい誇りを感じているからだ」
ヘンリー「私はこれまでも、そしてこれからもその誇りを忘れることは無いし、忘れるつもりもない」
スカーレット一族が持つ500年以上にも及ぶ魔術の歴史。その長さは魔術の世界の中でも数限られたものだ。
中世において活発となった『異端審問(インクィジション)』と『魔女狩り』。
それらの禁圧を乗り越えた上でその魔術を現在まで受け継ぐなど、余程の信念と運がなければ成し遂げられないだろう。
ヘンリーはそんな自分の一族の歴史を心から尊び、そして誇りに思っている。
さらには絶対に捨て去ったりはしないと、ロータスの目の前で堂々と誓った。
その心情は同じ魔術師であれば、誰でも例外なく理解できることだ。
もしも他の魔術師が彼と同じ立場になったのであれば、同じように一族の歴史を誇りに思うはずである。
ロータス「……ヘンリー?」
しかし『ヘンリーが一族誇りを捨てない』という事実は、今のロータスにとって最も認めたくないことであった。
スカーレット一族の歴史の根幹となっているもの。それは『人間を吸血鬼にする魔術』に他ならない。
彼が一族の誇りを捨てないということは、すなわち――――
ヘンリー「あの魔術は私の全てであり、あれ無くしては『私』という存在は成り立たないと言ってもいい」
ヘンリー「それをイギリス清教は、私からあの魔術のみならず、更には一族の根源とも言える魔道書までも奪い取ろうとしている」
ヘンリー「今まで全く眼中になかったにも拘らずだ。 これほど身勝手で理不尽なことは無いだろう?」
ヘンリー「褒美だの何だの、小手先を使って私を懐柔しようとしているようだが、そんなものには乗るつもりは無い」
ヘンリー「私にはこの魔術を完成させる義務がある。 それを邪魔する輩は誰であろうと許さん」
ヘンリー「従って、私の答えはノーだ。 ロータス」
ロータス「……っ!」
それは明確な拒絶の言葉。
イギリス清教の命令には従わないと、ヘンリーは言い切った。
余りにもの衝撃に、ロータスの頭の中が真っ白になる。
命令に従わないということは、自ら破滅の道を歩むと同じ事。
イギリス清教は自分の敵と見なしたものに対して、絶対に容赦しないのだ。
彼らを敵に回して無事でいられるなど、あり得るはずもない。
しかも今回の場合、ヘンリーは『吸血鬼の量産』を企む危険な人物としてマークされているはず。
清教側はヘンリーとその魔術を完全に消し去るために、過剰なまでの戦力を用いて潰しにかかるに違いない。
ロータスは何としてでも引きとめようと、声を荒げる。
ロータス「皆殺しにされるかもしれないんだぞ!? それなのに……」
ヘンリー「何を言おうと私の意思が覆ることは無い。 例え君だったとしてもね」
ヘンリー「あぁ、そう言えば君は『必要悪の教会』の一人だったな。 これで私と君は晴れて敵同士というわけだ」
ヘンリー「こんな所で油を売っていていいのかね? 早く『最大主教』に報告するべきなのではないのかな?」
ロータス「~~~~っ!」
彼の必死の思いは伝わらず、それどころか面に向かって『お前は敵だ』と言われてしまう。
もはや自分が何を言おうと彼に考えを改める気は無いということが、否が応にも理解できてしまった。
ヘンリーとロータスが知り合ってから十数年余り。
始まりは何かの時に隣に座った程度の出会いだったが、今では家族ぐるみで付き合うまでになった友好な関係。
まさかその関係が、このような形で呆気なく、しかも最悪の形で幕を閉じるとは思ってもみなかった。
もしもレミリアやパチュリーがこのことを知ったらどう思うだろうか?
今まで仲良くしてきた友達から、大人達の都合で突然無理矢理引き離されてしまう。
本人達にとっては不幸以外の何物でも無いだろう。
子供は肉体的にも精神的にも未熟であるが故に、大人の庇護の下でしか生きることができない。
大人は例えるならば、彼らを残酷な世界から守る盾であり、心の拠り所であるはずなのだ。
だというのに、大人は自分達の勝手で子供達を振り回し、あまつさえ傷つけてしまう。
それは守るべきものより力を持っているがための高慢なのかもしれない。
ロータス「……わかったよ」
暫くの間ロータスはヘンリーを睨んでいたが、やがて視線を床に落とし、幽鬼のように椅子から立ち上がる。
帰るつもりなのだろう。話の進展が見込めない以上、それ以外にはどうしようもないのだが。
彼はヘンリーを振り返ることなく部屋の扉に近付き、ドアノブに手をかける。
と、その時、唐突に何かを思い出したように動きを止め、背中を向けたまま口を開いた。
ロータス「……3日後だ」
ヘンリー「……何かね?」
ロータス「3日後に、もう一度ここに来る。 その時に再び君の意思を聞こう」
ロータス「いい返事を待っているよ」
ガチャッ バタン!
ロータスはそう告げると、返事も聞かずに扉を閉め部屋を去って行った。
ヘンリー「……奴もつくづくお人よしだな」
親友『だった』男の足音が遠ざかるのを聞き届けると、ヘンリーはぽつりと言葉を零す。
『3日後にもう一度ここに来る』。この言葉を文面通り受け取るほど愚かではないつもりだ。
確かにロータスは言葉通り、数日後に再度この屋敷にやってくるだろう。
ただし一人ではない。彼の周りには大勢の『必要悪の教会』の魔術師が存在しているはずである。
その理由は勿論、ヘンリーを含めたスカーレット一族を捕縛するためだ。
だが、相対して直ぐに問答無用で戦闘になるということはないはず。
彼の『再び君の意思を聞こう』という言葉は嘘ではない。
あの男はこの期に及んでも、ヘンリーが心変わりしてくれるとどこかで思っているのだ。
そうでないのなら、捕縛作戦の決行の日時を悟らせるような言動をするはずがない。
ヘンリー(だが、君の期待に添うわけにはいかないな。 私にも譲れぬものはあるのだから)
一族が幾星霜の時を経て培ってきた歴史。
それを自分の代で途絶えさせるなど、どうしてそんなことができようか。
普通に考えれば、研究を廃棄したほうが自身や家族の身の安全が保障され、
更には相応の地位を得られるのだから、そうした方がいいはずである。
それを理解していても一族の誇りを選んでしまうのは、
やはり自分も生粋の魔術師だったということなのだろう。
ヘンリー(ともかくこうなってしまった以上、早急に対策を練る必要があるな)
ヘンリー(近いうちに奴らが来るのは確定している。 もしかしたら今日にもこの屋敷の周りに間諜が放たれるかもしれないな)
ヘンリー(果たして間に合うか……?)
ヘンリーは部屋に据えられた黒電話を手に取ると、黙々とダイヤルを回す。
そして受話器を耳に当てて3コールほど待つと、自分が今求めている人間が電話口に出た。
ヘンリー「……私だ。 忙しい所すまない。 今、時間は空いているかな?」
ヘンリー「……そうか、よかった。 実は先日の話についてのことなのだが……」
ヘンリー「……あぁ。 あの時は冗談のつもりだったが、考えが変わった。 君の提案に私も乗ろう」
ヘンリー「……どういう風の吹き回しかって? 何、あの後もう一度色々考えてな。
あの子達の社会経験に丁度いいと思っただけだ」
ヘンリー「……まず1年程度留学の形で住ませてからだな。 それからあの子達の意見を聞いてどうするか考えようと思う」
ヘンリー「君の娘も将来は入れるつもりなのだろう? その前情報として、私たちの意見を聞いてみるのも一興じゃないかな?」
ヘンリー「まぁその代わり、暫くの間は君の世話になるとは思うがね」
ヘンリー「……そうか、承諾してくれるか。 心から感謝する。 では改めて――――」
「――――レミリアとフランドールを学園都市に在留させる手続きをして頂きたい」
今日はここまで
質問・感想があればどうぞ
乙
そんな昔からあったんだな学園都市
>>733
アレイスターが学園都市を建設し始めたのが作中から50年ほど前
超能力については20年前には既に生み出されていたようです
これから投下を開始します
――――PM6:11
ローラ「……そうか、交渉は失敗になりたるか、ロータス・ノーレッジ」
ロータス「申し訳ございません、『最大主教』……私が不甲斐ないばかりに」
聖ジョージ大聖堂の中のとある一室。
そこにロータス・ノーレッジとイギリス清教の最高権力者である『最大主教』こと、ローラ=スチュアートの姿があった。
二人は部屋に置かれた机を挟んで向かい合うように立っている。彼ら以外は部屋に誰もいないようだ。
机の上に置かれた燭台の明かりが二人の顔を妖しく照らしだす。その表情は険のある、非常に厳しいものだ。
それは当然のことだろう。スカーレット家の当主、ヘンリー・スカーレットに向けた『魔術研究の凍結命令』。
『最大主教』自らが下した決断を、当主はあろうことか正面から蹴り飛ばしたのである。
つまりそれは、『イギリス清教そのものに反旗を翻す』ということに他ならない。
その行為が一体何を意味するのか。そしてそれがどれほど危険なことなのか。
イギリスに居を構える魔術師であれば誰もが躊躇うことを、あの男は平然とやってのけたのだ。
ローラ「ある程度は予想したりことなりけるが……やはり500年の成果を捨てさせたる事は険しいことなりけるな」
ローラ「知己であるお主でも説得できぬこととなれば、おそらくは他の者でも交渉は無理であろう」
ロータス「……はい」
ヘンリーと最も深い繋がりがある魔術師であるロータスでも説得できなかったということは、
それ以外の魔術師を指し向けても同様の結果しか得られないだろう。
すなわち、平和的な解決の道はほぼ完全に閉ざされたということになる。
となると、次に使うことになる手立ては当然――――
ローラ「向こうが自ら和平の道を閉ざしたることとなれば、もはや残された手は力による屈服のみ」
ローラ「彼の者がそれを望みたるというのであれば……」
『その望み通りにしたりけるの』と、ローラは怖気が走る声色でそう告げた。
話し合いによる解決ができないのであれば、武力によって無理矢理従えさせるしかない。
この状況下において、『戦闘を回避できるかもしれない』などという甘い考えを持つ『最大主教』ではなかった。
敵性分子は発見次第、速やかに排除する。
国を守護する上では当然のことであり、イギリスを守る立場にあるイギリス清教にとっては最良の判断だろう。
しかし彼女は、敵の発見から判断に至るまでの思考時間が異常に短い。まるで迷いなど始めから無いかのようだ。
例えその判断で夥しい犠牲が生じ、多くの不幸が生まれようとも、顔色変えることなく命令を下すことができる。
そしてその結果として、自身が数多の怨嗟の的になったとしても、彼女はそれを前にして笑い続けるだろう。
人が見れば、何と非情な人間だと思うかもしれない。
だが、『最大主教』という存在が背負うものを考えれば、多少の犠牲など安いものなのかもしれない。
少なくとも、ローラ自身はそう考えているのだろう。
ロータス「いかがなさるおつもりですか?」
ローラの言葉を無言で聞いていたロータスは、これからの行動について問い質す。
スカーレット一族と戦闘になることは既に明白になったが、具体的にどのようにするのかは未だ決まっていないからだ。
ローラ「今すぐに、と行きたき所なりけるが、昨日お主に申したように、準備を整えたるにはいましばらく時間がかかりにけるの」
ローラ「下手を打って手痛い反撃を受けたる事態は真に避けるべきこと。 十分な戦力を用意しなければならぬ」
ローラ「それまでは情報収集を行い、彼の者たちの力を見極めたる必要がありけるな」
自分達にはスカーレット一族がどれだけの力量を持っているかの情報が不足している。
今まで彼らに対して、殆ど注意を向けて来なかったことが仇になったようだ。
準備が不十分なまま戦闘になった場合、少なくない犠牲が出てしまう可能性がある。
戦争は、戦争をする準備の段階で既に勝敗が決まると言われている。
確実に、そしてなるべく犠牲出さずに敵を制圧するには、敵の情報は不可欠だ。
ローラ「作戦の決行は予定通り3日後の夜9時。 ロータス、貴方にも参加してもらいたきことなのだけれども……」
ロータス「えぇ、私も加わります。 あの男を止められるのは、おそらく私だけでしょうから。 しかし……」
ローラ「何か疑問が湧いたるか?」
ロータス「一体誰を招集するつもりなのですか? 流石に集めるのに3日もかけるのは……」
『時間をかけ過ぎではないのか』と、ロータスは口に出さずに己の疑問をぶつける。
争う相手が大規模な魔術組織だというのであれば、戦力を整えるために十分な時間をかけるのは理解できる。
しかし、今回相手にするのはごく普通の魔術師の一族。
確かにスカーレット一族は未知なる部分が多いが、それを加味したとしても脅威になるとは思えない。
戦力を集めるだけであれば、現在『必要悪の教会』に居る魔術師達だけでも十分間に合うはずだ。
それこそ、ものの1日で準備を整えることができるだろう。
ローラ「結論から言いけるに、人員を招集することに時間がかかりたる主な原因は、
その人員が『異端抹消』に属したる魔術師達であること」
ロータス「『異端抹消』……!? いくらなんでもそれは……!」
ローラ「度が過ぎたると申すか?」
ロータス「『異端抹消』は異端者を処罰するために設立された部署のはずです! 彼らを出動させるということはつまり……」
スカーレット一族に『異端者』の烙印を押すことと同じこと。
それはあまりにもやり過ぎではないのかと、ロータスは主張する。
『異端者』とは、本来は『正統な十字教の教義とは相反する教義を掲げる者達』を指す。
しかし、その言葉を正しく用いていることは、昨今に於いては殆ど無い。
例えば十字教最大派閥であるローマ正教は、『ローマ正教を信奉しない者全て』を『異端者』としている。
そして彼らは『異端者』を人間として認識しない。『異端者』との性行為は獣姦罪に問われることからも如実に理解できる。
一方イギリス清教に於いては、本来の意味に加えて『イギリス清教を裏切った許されざる者』のことを指している。
つまり『異端者』の烙印が押されるということは、イギリス清教にとっての背教者として認識されると同じ。
そして背教者には下されるのは神の名の下における正義の鎚、すなわち処刑のみである。
それはあまりにも行きすぎた話ではないのか。
『最大主教』の命令を無視したからと言って、問答無用で処刑される程のものとは思えない。
それとも、『異端者』の烙印を押さざるを得ないほどの明確な根拠が、ローラの中にはあるのだろうか。
ローラ「それはロータス、万が一のことを考えたりけることなるの」
ロータス「万が一……?」
ローラ「スカーレットの一族どもは『吸血鬼を造る魔術』の研究をしたると聞く」
ローラ「もし彼奴らがその魔術を完成し、吸血鬼の力をその一部でも手にしたるとするなれば……」
ローラ「最悪、こちらの全滅も視野に入れなくてはならなりにけるの」
もしもスカーレット一族が魔術を完成させ、吸血鬼の力を手にしているとしたら。
吸血鬼がその伝承通り存在であると考えるならば、これほど恐ろしいことは無い。
生半可な戦力では、瞬きをする間に消し飛ばされてしまうかもしれない。
その最悪のシナリオを考慮した上での人選。
『異端抹消』に属する魔術師は、いずれもイギリス清教が誇る戦闘のスペシャリストだ。
彼らであれば万が一の事態にも対応できるかもしれない。
ローラ「ロータス、当日の作戦の指揮はお主に任せる。 『異端抹消』をどう扱うかもそなた次第……」
ローラ「そなたは大家たるノーレッジ家に連なる者でありけるから、『異端抹消』の指揮権を譲渡しても問題は無きしこと」
ローラ「それにお主は彼奴等のことを最もよく知る者。 他の者よりも迅速な判断ができにしかろう」
ローラ「もし彼奴等に脅威が無いと判断したるのであれば、穏便に事を済ませたるがよろしい」
ローラ「その代わり、僅かにでも危険であると察知したるのであれば――――」
『その時は有無を言わさず、彼の者達を葬れ』。ローラはそう口にした。
今日はここまで
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――――PM6:58
『最大主教』との会談を終えた後、ロータスはそのまま帰路についた。
彼の家は聖ジョージ大聖堂があるブルームズベリーからそう遠くない、ランベス・ロンドン特別区に在る。
イギリス清教の頭脳とも称される場所の近くに居を構えているその理由は、まぎれもなくノーレッジ家の功績によるものだ。
それなりの地位に位置する魔術師一族であるが故に、相応の場所に住むことを許されたのだろう。
現在の時刻は7時前。街には夕食を食べるために外出してきた家族連れがあちこちに見られる。
道路にはタクシーやバスといった公共車両が引っ切り無しに行き来しており、
歩道には会社帰りの自転車に乗った人々が列となって走っていた。
いつもと変わらない街の活気。しかし道中に於いての彼は、それに反して心ここにあらずといった様子だった。
考えるまでも無い、『最大主教』との会談について今に於いても考え続けているのだ。
ロータス(作戦の指揮権を全て僕に委ねる……『最大主教』も随分と無茶なことを言ってくれる)
ロータス(でもこれは、ある意味良かったのかもしれない。 もしも僕以外の人間が指名されていたら……)
まず間違いなく、最終交渉をすることなく戦闘になるだろう。
その先に待つものは『どちらかの陣営の全滅』という結末だけだ。
自分であれば、まだそのような事態を回避することができる可能性がある。
この期に及んで尚、ヘンリーが心変わりすると考えている彼に対して、考えが甘過ぎると指差す人がいるかもしれない。
『裏切り者に対して、一切の慈悲を与えることなく断罪せよ』と叫ぶ、熱心な信奉者もいるだろう。
だが、元々ヘンリーは魔術とは全く無関係な世界で生きて来た人間であり、
十字教に対する信仰心も一般人のそれと殆ど変わらない。
敵になったからと言って、それまでの友人と迷いなく殺し合いができるほど非情な性格では無かった。
ロータス(とにかく3日後が最後のチャンス。 何としてでもヘンリーを説得しなきゃならない)
ロータス(こればかりはその時の状況によるから、今はどうしようもない。 それより……)
妻のメリッサや娘のパチュリーにどう説明するか。
ノーレッジ家とスカーレット家は仲がいい。パチュリーとレミリアに至っては唯一無二の親友と言っても過言ではない。
果たして彼女達にこれまでの顛末を話すべきか。本来であればそうするべきなのだろうが、
この話を聞いた時二人がどんな顔をするのかと考えると、どうしても怖気ついてしまうのだ。
ロータス「……」
ふと気が付くと、彼はいつの間にか住宅街の真ん中に居た。
道行く道路に沿って、ジョージアン様式の少し古めかしい煉瓦造りの家屋が建ち並んでいる。
イギリスの家屋は基本的に古いものばかりだ。
建築から取り壊しまでのサイクルが短い日本とは違い、100年以上の歴史を持つ年季の入った家が大半である。
古いものであれば、300年も前に建てられたというものも珍しくない。
その理由は、家に対する日本人とイギリス人の考え方の差異から来ている。
日本人は基本的に新築の家に住みたがる。時には自費で家を建てるということも珍しくない。
日本人にとっての『家』とは自分のため、そして家族のためのものであり、
『家』の内装はその要望に沿うものでなければならない。
故に古い家屋を購入するということはせず、自分が望む形の家を一から立てるのである。
一方イギリス人の場合、彼らが持つ考え方の一つとして『古いものほど価値がある』というものがある。
イギリスでは中古の住宅市場が発達しており、家は『新しく建てる』ものではなく、
『他の家に住み替える』ものであるという考えが根強い。
つまり彼らは自分に合った中古の家を探し、その内装を自分の好みに彩るのだ。
ロータス(……もう少しだね)
雄大な時間の流れの中で残ってきた石造りの家屋。
ロータスが棲む家もその例に漏れず、非常に歴史あるものである。
築400年。世界の歴史に残る大火災の一つである1666年に起きた『ロンドン大火』。
その再興の最中において、最も初期に建てられたパラディオ様式のシンプルなものである。
しかしシンプルではあるが、それが占める敷地面積は他のものとは比べ物にならない。
その広さは平均の3倍以上を誇り、非常に狭いロンドンの土地における建築事情など露知らぬといった感じだ。
歩いた先にある高台に建てられた、石垣に囲まれている白色の家。
そこがイギリスに於いて、最も名のある魔術師家系の一つであるノーレッジ一族が住む場所であった。
とは言っても、住んでいるのはロータス、妻のメリッサ、娘のパチュリー、後は何人かの使用人くらいのものだ。
他のノーレッジ一族の人間は、魔術とは関わりの無かった男が当主の伴侶になることに対して反発し、
3人以外の全ての者が出て行ってしまっている。
時折訪ねてくることはあるが、彼らとの仲は劣悪を極まるため、あまり戻ってきてほしくないのが本音だ。
門番「お帰りなさいませ、ロータス様」
門に立っていた老年の門番が快くロータスを出迎える。
彼は一族離散の折にロータスの下に残ってくれた、数少ない使用人のうちの一人だ。
メリッサが子供の頃から大変お世話になっていたようで、その縁で今でも門番の役を務めている。
ロータス「ただいま、いつも性が出るね。 開けてくれるかな?」
門番「畏まりました」
ギギィ……
門番は鉄柵の扉に手をかけ、少しずつ押し開ける。金属が軋む音が周囲に響いた。
ロータスは門をくぐった後に門番に礼を言うと、扉が再びしまる音を背にして一直線に家の玄関まで歩いていく。
玄関へ続く石畳の両脇には色取り取りの花が咲いた花壇が整備され、少し遠い所には小さな噴水がある。
噴水から聞こえる水の音と緩やかに吹く風の音が、この場を優しく包み込んでいた。
やがて彼は、家の玄関である木製の二枚扉の前に立つ。
その取っ手に手をかけて押し開くと、鈴の音と共に扉が開かれた。
ロータス「ただいま」
「おかえりなさい」
家の中に上がり込むとそこには、彼にとっての最愛の妻がいた。
メリッサ・ノーレッジ。ノーレッジ一族の正当な血を受け継ぐ者。
ノーレッジ家の現当主であり、この家の全てを取り仕切っている女性である。
だが彼女の姿からは、当主が持ち得るはずの雰囲気は微塵も無い。
顔は少々青白く、四肢は普通の人よりも細い。正しく、病人と言った風体だ。
そして、その認識は間違っていない。彼女は生まれつき体が弱い。
虚弱体質で、心臓に重い病気を抱えている。屋内を移動するだけでも息切れがするほど体が弱いのだ。
加えて生来の消極的な性格もあって、彼女には当主らしい威厳は殆ど感じられなかった。
メリッサ「けほっ、こほっ……」
ロータスを出迎えようとしたメリッサだが、無理をしたのか軽く咳き込む。
その様子を見て、ロータスは慌てて彼女に駆け寄り、咳を楽にしようと背中を撫でた。
ロータス「……体の方は大丈夫かい?」
メリッサ「少し、具合が悪いです……」
ロータス「そうか……夕食の前に、少し診察をしよう。 パチュリーはどこに居るかな?」
メリッサ「あの子ならいつも通り、貴方の部屋で本を読んでいますよ」
ロータス「わかった。 あの子も一緒に診察しようか」
メリッサ「はい。 お願いしますね」
恭しく一礼をする妻を見て、ロータスは少し呆れたような顔をする。
夫婦だというのに、今の遣り取りには教師と生徒のような立場の差ができてしまっている。
妻の引っ込み思案は重々承知しているが、それでも気分がいいものではない。
彼としては、常に妻と同じ目線に立って歩きたいと思っているのだから。
ロータス「そんなに畏まらなくていいよ。 君と僕の仲だろう?」
メリッサ「でも今の私は患者で、貴方はお医者様でしょう? やっぱり……」
ロータス「医者なんて大したものじゃないよ。 僕は家族の健康を心配するただの父親さ……」
ロータスそんなことを呟きながら、妻を支えながら自分の部屋へと歩いていった。
今日はここまで
質問・感想があればどうぞ
※追記
オリキャラ一名追加。パチュリーの母親です
顔立ち…同人サウンドノベル『うみねこの鳴く頃に』のベルンカステル
名前の由来…香水の原料となるハーブである『香水薄荷(Melissa)』
パチュリーの両親は香水の原料となる植物から名前を取っています
パチュリー(パチョリ)も匂い消しとして利用されている植物ですからね
※報告
今週体調を崩して執筆することができませんでした
来週投稿したいと思いますので、申し訳ありませんがしばらくお待ちください
メリッサさんて、そんな身体で良くパチェ産めたもんだな
一族に対する呪いが、末代まで呪い続ける為にそこだけ逆に補正かけてんのか?
>>765
ノーレッジの家系では出産後に死去することが珍しくありません
メリッサが生還できたのはロータスによる懸命の補助と、とてつもない幸運のおかげです
これから投下を開始します
* * *
パチュリー「……」
ロータス「……うん、もう大丈夫だよ」
ロータスはパチュリーの胸から聴診器を外し、ノートに診察結果を書き込んでいく。
その動作は手慣れたものであり、この診療が彼にとって既に日常となっていることが窺い知れる。
彼は嘗て、学生の時に医学を学んでいた身であるが、結局医者という職業に就くことは無かった。
詳しいことは語らないが、その切欠は間違いなく、妻のメリッサに出会ったことだろう。
しかし医者の道を捨ててしまった結果、代々医業を営んできた実家からは勘当されてしまったのだが。
ロータス(気管支からはあまり異音がしてないから、今の所は大丈夫みたいだね)
ロータス(これならいつもの薬を服用するだけでいいだろう)
メリッサ「どうですか?」
ロータス「呼吸している時に変な音がしていないから、とりあえずは安心していいね」
ロータス「いつもの薬を飲んで、現状が維持できるように努めようか」
パチュリー「……お父さん」
ロータス「ん? どうかしたかい?」
パチュリー「あのお薬、すごく苦いんですけど……」
ロータス「う~ん……あれは薬の材料のせいだからどうしようもないんだよね。 我慢してもらうしかないなぁ」
ロータス「今度もっと分厚いオブラートを用意してあげるから、それでとりあえず頑張ってもらおうかな」
ロータス「『良薬口に苦し』って言うしね。 自分体を治すためだと思ってね?」
パチュリー「……」
パチュリーは少し残念そうな顔をしているが、こればかりはどうしようもない。
言うのも何だが、彼女に飲ませている薬は大人でも結構きついくらいの苦さがある。
彼自身舐めてみた時は、思わず顔がしかめっ面をしてしまったほどだ。
大人でさえそうなのだから、子供である彼女にとってはそれこそ、毒を飲まされているようなものだろう。
しかしこの苦みは、薬の薬効成分に由来するものだ。
それを消してしまっては、薬としての役割を果たさなくなってしまう。
気の毒ではあるが、耐えてもらうしかない。
ロータス「とりあえず、これで診察は終わりだね。 薬はこれとこれの二袋。 いつも通り、食後に飲むようにね」
パチュリー「……」コクッ
ロータス「メリッサも、先ほど渡した薬を夕食後に飲むように」
メリッサ「わかっていますよ」
ロータス「さて……少し遅くなってしまったけど、食事の方は出来ているかな?」
メリッサ「たぶん、出来ていると思います。 貴方が帰ってくる少し前に給仕の方が下ごしらえをしていましたから……」
ロータス「そうか……パチュリー? お願いがあるんだけど……」
パチュリー「?」
ロータス「先に食堂に行っててくれないかな? ちょっと、メリッサに話さなきゃいけないことがあるんだ」
ロータス「僕達も話が終わったらすぐ行くから、大丈夫かな?」
パチュリー「……大丈夫」コクッ
ロータス「……君だけには伝えておかなきゃいけないと思ってね」
メリッサ「……?」
ロータスは今日あった出来事のことを話す。
『最大主教』がスカーレット一族の研究を危険視し、彼らに即座に中止するよう命令を下したこと。
自分がその交渉役として出向いたのだが、説得することができなかったこと。
『最大主教』がその知らせを聞き、一族に対して『異端抹消』を動員した武力行使に出ようとしていること。
その作戦の指揮官に自分が指名されたこと。
メリッサ「……そう、ですか」
全ての話を聞き終えたメリッサは、目を瞑ってただ一言だけそう呟いた。
夫から語られた事実に、彼女がどのような思いを抱いたのだろうか。
驚きか。それとも悲しみか。はたまたその両方か。
どちらにせよ、その感情は良くないものであることは容易に推察することができた。
ロータス「……すまない」
メリッサ「……どうして謝るのですか?」
ロータス「僕がしっかりしていれば、こんなことにはならなかったのに……」
ロータス「パチュリーがこれを知ったら、一体どう思うか……」
パチュリーは親友のレミリア本人の前では普段と変わらない、よそよそしい態度を取っているが、
その実かなり親友を気にかけているであろうということは、夫妻共々良く理解している。
彼女にはレミリア以外に、友達と呼べる子供がいない。
それは彼女の体が病弱であるが故に余り外を出歩かないため、
同年代の子供達と触れ合う機会が全くと言っていいほど無いことが原因であるが、
それ以外にも彼女自身、人と積極的に関わろうとはしないことも理由の一つだ。
そのため昔は、彼女が会話する相手と言えば両親や家で仕事をしている人間達くらいだった。
ただ、それを考えたとしても両親以外の人間との会話する回数は数少なく、彼女は一日の大半を読書で過ごしていた。
そんな常に部屋に引きこもり、一人で本を読んで過ごしてきた彼女にできた初めての友達。
それが『レミリア・スカーレット』という名の少女なのだ。
二人が出会った切欠はロータスが所用でヘンリーの下を訪ねる際に、一緒にパチュリーを連れて行ったことである。
ロータスは自身の用事を済ませている間、レミリアとパチュリーを二人で遊ばせていた。
最初は何かと積極的なレミリアに対して煩わしい顔をしていたものだが、
今では多少愚痴を零しながらも無視することなく会話をしているくらいになっている。
初期の様子から考えれば、かなり仲が進んだと言えるかもしれない。
積極的なレミリアと消極的なパチュリー。
まるで正反対な性格の二人ではあるが、それが却ってお互いの足りない部分を埋め合っている。
誰の目から見ても、とても似合ったいい親友に見えることだろう。
レミリアの存在はパチュリーに少なくない好影響を与えていることは明らかである。
そんな、自分にとっての唯一とも言える理解者が危険に晒されようとしている。
それを知った時、果たしてパチュリーは一体何を思うのだろうか。
目に見える動揺をしたり、声を荒げたりするということは無いだろう。
彼女が感情をあまり表に出さないことは周知の事実である。
だが、その事実に対して何も思う所は無いということは決してあり得ない。
彼女の心に、深かろうと浅かろうと傷跡が残ることは間違いないだろう。
メリッサ「そんなに落ち込まないでください」
ロータス「……メリッサ」
メリッサ「この事態を引き起こしてしまったのは、貴方のせいではありません」
メリッサ「貴方ではなく他の誰が説得したとしても、恐らく同じ結果になっていたでしょう」
メリッサ「ヘンリー様は自身の研究に誇りを持っておられましたから……」
メリッサ「『吸血殺し』が見つかった時点で、こうなることは必然だったのだと思います」
メリッサはそう話しながら肩を落とす夫を慰める。だが、それでもロータスの顔は浮かないままだ。
ヘンリーが先祖代々に渡って行っている研究に対して、並々ならぬ心血を注いでいるということは理解している。
彼は自身の研究の話題を話している時、普段では見られないほど活き活きとした表情をしていたからだ。
ロータス自身、そんな彼の様子を傍から見ているのは好きだったし、
周りから指される後ろ指をものともしない精神力に対しても、かなりの尊敬の念を送っていたのだから。
メリッサ「いつまでも落ち込んでばかりではいけません」
メリッサ「こうなってしまった以上、貴方はヘンリー様と否が応にも相対しなければならないのですから」
メリッサ「それに、まだ交渉の余地は残っているのでしょう? 諦めるにはまだ早いと思います」
ロータス「わかっているさ……そうだ」
メリッサ「? どうしたのですか?」
ロータス「万が一の時のために、君にお願いしたいことがあるんだ」
ロータス「もし僕の身に何かあったら、そこにある金庫を開けて欲しい」
ロータス「ダイヤルの番号はこれから教えるよ」
ロータスが指を指した先には、黒色の小さな金庫が置かれていた。
その金庫には、ロータスが自身の書いたメモやら何やらを仕舞いこんでいると記憶している。
どんな内容なのかは良く知らないが、自分達の病の治療に必要なものであるということは把握していた。
ロータス「中には僕が君達に処方している、薬の調合方法が記されたノートが入っている」
ロータス「もしも最悪の事態が起こってしまった場合、君達に薬を処方できなくなってしまうかもしれない」
ロータス「その時はそのノートを持って『必要悪の教会』を訪ねてほしい。 僕の仕事仲間がなんとかしてくれるはずだ」
今回の作戦で自分の身に何かが起こり、それが原因で薬を調合することができなくなってしまったとしたら。
後に残されたメリッサとパチュリーは、快方に向かっていたはずの病に再び苦しめられることになる。
それだけは何としても避けなければならないことだ。
幸い自分の周りには、自身の研究を理解してくれている仲間達がいる。
彼らになら、自分が書いた研究ノートを任せても大丈夫だろう。
研究ノートと『必要悪の教会』の仲間。この二つさえ揃っていれば最悪には至るまい――――
それが、ロータスが導き出した結論であった。
メリッサ「……そのようなことは言わないで下さい」
ロータス「え……?」
しかし、夫の言葉にメリッサは明確な否定の言葉を重ねる。
その彼女の顔は普段見ることの無い、何処か怒りを含んだものであった。
一体何が彼女を怒らせてしまったのか。
ロータスは一瞬戸惑うが、彼が理解するより先に彼女自身の口から言葉が紡がれる。
メリッサ「死んでしまうかのような、そのようなことは口になさらないで下さい」
メリッサ「必ず生きて帰ってくる。 そう約束してください」
メリッサ「私達にはまだ、貴方が必要なのですから……」
ロータス「――――」
少し掠れた妻の言が、ロータスの心の臓を貫いた。
これまで色々と話をしてきたが、そのどれもが『自分が斃れた時の予防線』ばかりであったことに気づく。
確かに、万が一に時に残された二人のことを考えれば、それらの予防線を張ることは妥当な判断なのかもしれない。
しかし、本当にそれでいいのだろうか?中途半端な発言は、却って彼女達の心に不安を残すことになる。
二人のことを真に思うのであれば、『絶対に無事に帰ってくる』と豪語するくらいのことはしなければならないはずだ。
勿論、そう断言するのであれば必ず約束を守らなければならない。
約束の反故は、中途半端な発言よりも心に深い傷を負わせることになるだろう。
だがそれができずして、何故一家の大黒柱を名乗ることができようか。
ロータス「……そうだね、その通りだよ。 僕としたことが妙に弱気になっていたみたいだ」
ロータス「『僕は必ず君達の下に生きて帰ってくる』。 そう約束するよ」
メリッサ「……ありがとう。 安心しました」
ロータスの言葉を聞いたメリッサの顔から固い表情が消え、いつもの穏やかなものに戻る。
彼女にとってロータスの存在は単純に夫としてだけではなく、自分の心の支柱となるほど大きな存在だ。
病弱の体のために塞ぎこんでばかりいた昔の彼女に対し、己の道を捨ててまで手を差し伸べてくれた人。
夫の存在がなければ、今の彼女はここに存在し得ない。
もしも、ロータスがメリッサの傍を永久に離れることになったとしたら。
その時点から彼女は、長く生きることはできなくなるかもしれない。
ロータスは、自分にはまだ生きなければならない理由があるということを、改めて実感するのだった。
今日はここまで
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ザァァ……
夜の帳が下り、街から人々の姿が疎らになる時刻。冷めた秋風が大地を強く吹き抜ける。
風に揺られた草木が大きくざわめき、道行く人々を浮足立たせた。
東の空には真円を描く満月。それから放たれる一際強い白色の光が、地上をぼんやりと照らし出している。
それはまるで目に見えない何かを暴き出そうとしているかのようであり、人の心を大きくかき乱す妖光でもあった。
そんな、寂寞とした草原の光景が広がるロンドンの郊外。
その一角に、月光に照らされながら何処かに向かって進軍している一つの集団が存在した。
闇に蠢くその人間達は皆が皆、黒で統一された少し長めのローブを着込み、
胸元に十字教のシンボルである十字架のネックレスをぶら下げている。
この土地がイギリスであることを考えるに、どうやら彼らはイギリス清教に属する者達のようだ。
しかしよく見ると、彼らがぶら下げている十字架には、他とは違ったある一つの特徴が見受けられる。
それは『十字架の色が烏の羽のような漆黒の色をしている』ということ。
『黒の十字架』。その色の意味する所は、『異端者の絶滅』。
イギリス清教において対魔術師の戦闘を担当する『必要悪の教会』の中でも、
特に敵対する魔術勢力の『殲滅』に特化した『異端抹消』に配られる処刑人の証。
彼らの役目は、一切の慈悲を与えることなく異分子の痕跡をこの世から抹消することである。
ロータス「……」ザッザッ
その処刑人達の先頭を歩くのは、ノーレッジ家の現当主であるロータス・ノーレッジ。
『最大主教』の命により、今回の作戦における全ての権限を附与された男だ。
彼の姿は他と違い、黒のローブや十字架を身に着けていない。彼は『異端抹消』に属していないのだから当然である。
『異端抹消』に属する為には、卓越した魔術技術といくつもの死線を潜り抜けてきた経験が必要となる。
名門のノーレッジ家の出身とはいえ、元より魔術と無関係な世界で生きて来たロータスが加入できるはずもないのだ。
故に今回における彼の役目は、スカーレット家の当主を説得することのみ。
説得できればそれで良し。出来なければ、後の始末は全て『異端抹消』に任せることになっていた。
異端抹消1「ノーレッジ殿、あとどのくらいで着きますかな?」
ロータス「……もう少しです。 後5分も歩けば着きます」
『異端抹消』の一員である老人の質問に対し、彼は普段からは考えられないような素っ気ない態度で返答する。
彼の顔からはいつもの飄々とした表情は消えうせ、眉間に深い堀を刻み込んでいる。
その眼は鬼気迫るものであり、彼を知る者達がその姿を見たとしたら、思わず驚きの声を上げるだろう。
しかし、今この場に本来の彼のことを知る人間がいるわけでもなく、ましてや彼に対して興味を抱く者など存在しなかった。
彼らの目的はあくまでも『敵の殲滅』であり、それ以外のことなど一抹の関心を向ける価値も無いものなのだから。
異端抹消2「それにしても、まさか我々が招集される事態になるとは思いも寄りませんでしたね。
以前呼び出されたのはいつのことだったか……」
異端抹消3「3年前の夏頃じゃなかったっけ? 確か、スコットランドのネス湖の近くを根城にしてた奴の粛清だったはずだけど」
異端抹消2「あぁ、そうでしたね。 裏でローマ正教と繋がっていたのが理由でしたか」
異端抹消4「ま、俺が一番に見つけて切り刻んだ上で火炙りにしてやったんだけどな!」
異端抹消3「あんた、あれはいくらなんでも手間かけ過ぎでしょ。 殺すならスマートにやらないと」
異端抹消3「私はいつも心臓一突きで仕留めるようにしてるし。 その方が血で汚れないし、後片付けも楽だからね」
異端抹消4「バッカ、そんなんじゃあ見せしめにならねーだろーがよ!」
異端抹消3「あんたの場合どう考えても、いたぶるのを楽しんでたようにしか見えなかったんだけど……」
異端抹消2「まぁ、見せしめという意味でなら彼の意見には賛成ですね。 異端者に慈悲は不要ですから」
異端抹消4「だろ?」
異端抹消2「ですが、ただの趣味だというのであれば反対ですけどね。 私達がやるよりも、
さっさと殺して地獄に送った方がより苦しめられると思いますから」
異端抹消4「けっ、お前も大概じゃねーかよ。 あーあ、今回の奴はどんな風にしてやろーかな」
異端抹消1「これこれ皆の者、油断するでない。 気を引き締めて仕事にかからんといかん」
異端抹消4「じーさんこそ、少し肩張り過ぎじゃねーの? もっと楽に行こうぜ? 楽によー」
異端抹消3「……駄目だこいつ」
ロータス「……」
黒のローブを身に纏った人間達の会話を、ロータスはただ無言で聞き流す。
『異端抹消』についての情報は、その組織の特殊性から殆ど無いと言っても良い。
故にロータスにとって、『異端抹消』に属する人間に会うのはこれが初めてである。
そして実際に会ってみた感想というのは、『何とも物騒な人間の集まりだな』というものだった。
『必要悪の教会』は敵対する魔術師と戦う役目を持つ者達の集まりであるが故に、
色々と攻撃的な人間が居るということは彼も十二分に理解している。
敵対する魔術師との駆け引きは、穏便な形で纏まるということは全くと言っていいほど無い。
大抵は交渉の途中で決裂し、血で血を洗う殺し合いに発展することが常だ。
従って『必要悪の教会』を構成する人間の大部分は戦闘分野に特化しており、それらの役目に相応強い性格をした人間、
つまりいざという時に人殺しを躊躇しない者や、冷徹な判断を下せるような者が数多く居るのである。
勿論、暗号解読班や偵察班といった非戦闘分野を担う者達が居ない訳ではないが、
彼らであっても護身術程度の魔術は全員覚えているし、中には戦闘を行う実働班と兼任している者も少なくない。
ロータス(しかし、普通の会話で話題にするようなことではないと思うんだけどね)
いくら『必要悪の教会』が戦闘を専門にする部署だとはいえ、『殺し』の話を堂々とすることはない。
作戦を立てる際に『どのように行動を起こせば相手を仕留められるのか』といったことは議論することはあっても、実際に仕留める際に『どのようにいたぶり殺すのが良いか』などといった話をするわけがないのだ。
最も重要なことは『相手を確実に始末する』ことであり、始末する方法の甲乙など無意味極まりないものである。
ところが『異端抹消』の人間達の大半が、相手を殺すことに対して何らかの優越感を持っているように見受けられる。
『必要悪の教会』の中で最も魔術師の殲滅に特化した組織なのだから、あり意味当然の傾向と言えるだろう。
だが、例えそうだとしても彼らが聖職者の身分であることには変わりない。
そのような者が快楽殺人者のような言動をするのは、果たして良いことなのかという疑問が残る。
いや、もしかしたら根本的に違うのかもしれない。
『異端抹消』という組織自体が、『そう言った人間達』を隔離することを目的として造られたのだとしたら――――
異端抹消1「あそこが目的地ですかな?」
ロータス「……えぇ、そうです」
気が付くと、少し遠い場所にある小高い丘の上に大きな赤茶色の建物が立っているのが見えた。
それこそが、スカーレット一族が住んでいる館。
周辺住民からは、その外壁の色合いから『紅茶の館(レッドティーマンション)』と呼ばれている。
ヘンリー自身は紅茶が好物だったので、自分の家がそう呼ばれることに対しては満更でもなかったようだが。
異端抹消4「ほー、異端者の分際で随分と大層な家に住んでるじゃねーの」
異端抹消3「でかい……私の家の何倍あるかしら?」
異端抹消2「異端者の持ち物に惹かれるのは感心しませんよ?」
スカーレット家の屋敷を見て、『異端抹消』の面々はそれぞれの感想を口から漏らす。
その一方でロータスは、能面のような表情のまま親友だった男が住む家を見ていた。
――――ついに来てしまった。
彼は心の中で小さくそう小さく呟きながら溜め息をつく。
この期に及んでも覚悟ができていないなどという、優柔不断なことを言うつもりはない。
だがそれでも、自分の心を締め付ける何かを感じずにはいられないのだ。
家族の身の安全よりも魔術師としての吟持を、そして一族の誇りを優先した親友。
彼がその決断をした時、一体どのような心境だったのだろうか?
危険に晒されるだろう家族のことは全く考えなかったのだろうか?
様々な疑問が頭の中に湧きあがるが、その解答が得られるということは無く、再び忘却の中に沈み込んでいく。
浮かんでは沈みの繰り返し。
ロータスはそれらの謎を前にして、堂々巡りの問答を頭の中で繰り広げていた。
異端抹消1「……ふむ。 ノーレッジ殿、少しよろしいですかな?」
ロータス「……何でしょう?」
『異端抹消』の老人が突然、考え事をしているロータスに声をかける。
声をかけられた彼は一旦思考を打ち切り、その老人の方へと顔を向けた。
老人は何やら複雑な顔をしてこちらを見ている。
その顔は興味、疑念、そして僅かな不信……それらが入り混じった、一言では表現し難い表情だった。
彼はロータスを鋭い眼光で見据えると、厳かに話を切り出す。
異端抹消1「先日招集された際に『最大主教』様に聞いたのじゃが……お主は今回の標的と随分と親しい間柄だそうじゃな?」
異端抹消4「え、じーさんそれマジですか?」
異端抹消2「本当であればちょっと考え物ですね……」
ざわざわ……
ロータス「……」
老人の発言に、『異端抹消』の面々にどよめきが走る。彼らの反応は尤もなことだろう。
この作戦を指揮することになっており、仮にも自分達の上司に当たる男が異端者と親密な間柄だというのだから。
しかし勘違いしないでほしいことは、別に彼らはロータスと彼の親友が敵対している現状に対して同情しているわけではない。
彼らが動揺しているのはあくまでも、『ロータスが情に流されて誤った判断をするのではないか』と危惧しているからである。
異端抹消1「本来我々は『最大主教』様以外、他の誰にも従うつもりはない」
異端抹消1「今回お主の命に従っているのは、あくまでも『最大主教』様がそうしろと仰ったからじゃ」
異端抹消1「じゃからお主がどんな判断をしようとも、多少の不満はあれど我々はそれに従わねばならん。 じゃが――――」
異端抹消1「余り度が過ぎると、『うっかり』お主を殺してしまうやもしれんぞ?」
ロータス「――――」
ピシリと、何処かで罅が入る音が聞こえた気がした。
二人の間に沈黙が流れ、重苦しい空気が漂う。周りに居る者達も口を噤み、一言も声を発しない。
ロータスの首筋に冷や汗が流れる。原因は、目の前の老人から発せられる目に見えそうなほどの重圧によるものだ。
流石、『異端抹消』の最年長と言ったところか。その年齢に相応しく、数多くの修羅場を潜り抜けて来たのだろう。
そしてそれと同じ……いや、それ以上の数の異端者たちを自身の手で葬った違いない。
下手な返答をすれば、間違いなく厄介な事態になる――――
そう確信したロータスは、心の動揺を鎮めるために一呼吸置いた後、
相手の気迫に負けないようにはっきりとした物言いで詰問に答えた。
ロータス「……大丈夫ですよ。 覚悟は既にできています。 情に流されたりなんかしません」
ロータス「確かにヘンリーは私の親友ですが……何を優先するべきかはきちんと把握しているつもりです」
異端抹消1「そうかの? ならば良いが」
その返答を聞き、老人は体から迸らせていた重圧を収める。
あまりにもの雰囲気の変わりように少し面食らったが、とりあえずは危機を回避することはできたらしい。
目的を果たす前にチームが空中分解するという、お粗末な結果にならずに済んだようだ。
異端抹消4「おいおいじーさん、そんなんでいいのかよ? 万が一のことが起きて被害を受けるのは俺たちなんだぜ?」
異端抹消1「何、心配するでない。 これでも人を見る目はあるつもりじゃ」
異端抹消1「まだ不安要素は残っておるが、少なくとも最悪の選択はせんじゃろう」
異端抹消2「貴方がそう言うのであれば、これ以上とやかくは言いませんが……」
異端抹消3「まぁ、これ以上話をややこしくすると良くないし、この話はもう終わりにしましょ?」
『異端抹消』の一同はその言葉を聞いて一様に同意の意を示す。
多少心にしこりは残っていたようだが、そこは自分なりに納得できる理由を作って解決したようだ。
集団のざわめきが収まり、雰囲気が本来の静かなものに戻る。
彼らは再び、討つべき敵が住まう根城へと進軍を開始するのだった。
今日はここまで
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―――― PM8:51
ヘンリー「……」
カリカリ……
スカーレット家の屋敷の一階に位置する書斎。
その部屋の主であるヘンリーは椅子に座り、机に広げられた紙に魔術理論を書きとめている。
外では秋風が吹き荒れ、それを受けて屋敷全体が不気味な音を立てている。
窓の額縁はガタガタとけたたましく騒ぎ立て、その隙間を通り抜ける風が唸り声をあげている
まるでこれから迫り来る脅威を警告するかのような、人の心をざわめかせる音だった。
コンコン! ガチャ……
ルーシー「ヘンリー、飲み物を入れて来たわよ」
ヘンリー「む……すまないな」
扉を叩く音を聞いて顔を上げると、部屋の入口の前にはお盆にカップを乗せたルーシーの姿。
彼女はヘンリーの机のそばに近寄ると、カップをお盆から机に下ろす。
カップの中には熱めのコーヒーが入れられている。
ソーサーには角砂糖が二つ。ミルクは添えられていない。
それを見たヘンリーの顔には、何やら不満げな表情が浮かび上がる。
ヘンリー「……コーヒーか」
ルーシー「あら、お気に召さなかったかしら?」
ヘンリー「そうではないが……私はどちらかというと紅茶派だということは知っているだろう?」
ヘンリー「出来ればそちらの方が良かったのだがな……」
ルーシー「何言ってるのよ。 紅茶なんか飲んだら眠くなっちゃうでしょ?」
ルーシー「これから『大一番』があるんだし、しっかり目を覚まさないとね」
ヘンリー「……」
夫の不満の言葉を前にして、彼女は微笑みながらそう諭した。
ところが、それでもヘンリーの顔から苦い表情が取り除かれることは無い。
しかし先ほどまでの『不満』といったものではなく、どちらかと言えば『負い目』を感じさせるものであった。
ヘンリー「……しかし、良かったのか?」
ルーシー「何が?」
ヘンリー「君がここに残ることについてだ。 これからこの場で何が起こるのか説明しただろう?」
ルーシー「えぇ。 今日は私達に対してスカーレット家の魔術研究を破棄させるために、
イギリス清教から最終通告の使者がやって来るわ」
ルーシー「使者として来るのはロータス・ノーレッジ。 彼の説得を聞き入れなければ、
イギリス清教は私達を異端者として『処刑塔』に幽閉、もしくは処刑される……」
ヘンリー「その通りだ。 それがわかっているなら、何故レミリア達と一緒に逃げなかった?」
ヘンリー「あの二人のみを残してしまうのは……」
今、この屋敷にレミリアとフランの姿は無い。
3日前にロータスがやってきた直後に手早く手を打ち、彼女達を国外へと送り出したからである。
今頃はここより遠く離れた、東の最果ての島国に降り立っている頃だろう。
ヘンリーとしては、本当であればルーシーもレミリア達と一緒に国外に逃がすつもりだった。
あの二人はまだ幼い。生きるためには親の手助けが必要である。
この戦いで生存する確率がほぼ皆無であることを考えれば、その判断は妥当であると言える。
しかし彼の意を反して、妻はこの場に残ることを選んだ。もうすぐ死地に変わることを承知の上でである。
一体そこにはどのような思惑があるというのか?
そんな疑問を余所に、ルーシーは夫の言い分に対して諭すように言う。
ルーシー「大丈夫よ、あの子達は強い。 別れ際の目を貴方も見たでしょ?」
ルーシー「私達がいなくても、立派に生きていくことが出来るわ」
ルーシー「それに、貴方が買っている『ダンディーな男』が、しばらくの間面倒を見てくれるそうだしね」
ルーシー「第一、そんなことを言う位なら、最初から素直に向こうの言うことを聞けばよかったじゃない」
ヘンリー「それはできない。 私にはスカーレット家の長としての責任というものがある」
ヘンリー「奴等の弾圧に屈して魔術の継承を途絶えさせるなど、先人達への冒涜にしかならない」
ヘンリー「しかし、逃亡するという選択も無意味だ。 奴等はあらゆる手を使って私達を追跡するだろう」
ヘンリー「だからこそ私一人がここに残り、君達については偽装を施して奴等の目を欺くつもりだったのだが……」
ヘンリーはそう口にしながら、地下に繋がる階段を見る。
この書斎の下の地下室には、二体の子供の人形が置かれている。
無論、ただの人形では無い。生肉を用いて制作された『レミリアとフランに似た人形』である。
実際に触れば僅かな違和感から造り物だとわかるだろうが、遠目に見る限りではそうそう見破ることはできないほどの出来栄えだ。
スカーレット家が研究している魔術は『人間の肉体を吸血鬼に変質させる』という特性であるため、
土台となる人間の身体についての情報は先人たちの手で事細かに調べ上げられ、本に纏められている。
現代の医学には及ばずとも、魔術師として見ればかなりの知識を保有していると言えるだろう。
だからこそ、ヘンリーは即興ながらも娘二人の精緻な偽物を生み出すことができたのである。
ルーシー「でも、私の分の偽物までは間に合わなかったんでしょ? 家にあった材料じゃ、あの子達の分を造るので限界だった」
ルーシー「今更材料の調達なんてできるはずもないし、造れない以上、私が残らなきゃならないのは必然なのよ」
ルーシー「それに、私が残った方が向こうを騙せる確率も格段に上がるしね」
ルーシー「後……使うつもりなんでしょ? 『竜の子の刻印』」
ヘンリー「……あぁ」
妻の鋭い指摘に、ヘンリーの体に力が入る。
『竜の子の刻印』。スカーレット家が生み出した『人間を吸血鬼にする魔方陣』。
ヘンリーの右肩に『入れ墨』という形で刻まれているそれは、実際に使用するにはまだ不完全な部分が多い。
無理に起動すれば、大なり小なり良くない現象を引き起こすであろうことは想像に難くなかった。
ルーシー「本当にいいの? それは……」
ヘンリー「わかっている。 この刻印はまだ不完全だ。 一端起動すれば何が起こるかわからない」
ヘンリー「レミリアやフランに刻まれているものと違って、これは旧式だからな……起動したら最後、ただでは済むまい」
ルーシー「最初から死ぬつもりだったの?」
ヘンリー「あぁ。 私の命を代償に、あの二人を確実に逃がす。 それを成すためには、この刻印が絶対に必要なのだ」
『竜の子の刻印』で自身の肉体を吸血鬼化し、それによって得られた膨大な魔力で以ってこの家を破壊し尽くす。
その後自分は討たれ、家の瓦礫の中からは『身元が判別できない程損傷した子供の遺体』が二体見つかり、
それらの証拠からレミリアとフランは死亡したものと判断される――――これがヘンリーの思い描くシナリオだ。
普通の人が聞けば、実にお粗末な作戦だと言うかもしれない。
幾ら精巧な身代わりを用意したとしても、歯型なりDNA鑑定なりすれば偽装を看破されてしまうだろう、と。
その指摘は実に尤もなことであり、ヘンリー自身も十分に理解していることだ。
だが、彼はこの作戦が必ず成功する確信している。それは何故か?
その理由は、相手が科学を極度に毛嫌いしている魔術師であり、
そんな魔術師の中でも特に科学を敵視している『十字教信者』であるからだ。
彼らは絶対に『科学』に頼ろうとはしない。例え、魔術だけではどうしようもない状況に直面したとしてもである。
そんな彼らでは、黒焦げになった人型の死体が人間なのか、それとも人に似せた模造品なのか判断することはできないだろう。
敵の性格を考慮した上での今回の作戦。
自分はここで死ぬことになるが、レミリアとフランを確実に逃がすことで、一族の魔術の断絶を防ぐことができる。
一族の矜持を守ることができるのであれば、この命など惜しくは無い。
ルーシー「全く、本当にあなたって人は……」
ヘンリー「失望したかね?」
ルーシー「というよりも、呆れ果てるわね。 ま、そんなことだろうとは思ってたけど」
ヘンリー「……すまないな」
ルーシー「謝らなくてもいいわ。 それを知った上で一緒に居るんだからね」
ルーシーは笑いながらそう口にする。
長年連れ添ってきた仲なのだ。お互いのことは、それこそ手に取るようにわかる。
彼女は夫が死ぬつもりであることを理解した上で、ここに残ることを決意したのだ。
娘と一緒に生き延びるよりも、夫と共に死ぬことを選んだ彼女。
意味では愛に殉じる素晴らしい女性であると賞賛する者がいる一方で、
己の自己満足のために娘を捨てたと糾弾する者がいるかもしれない。
だが、例え後ろ指を指されたとしても、彼女は自分の下した決断に対して後悔することはないだろう。
何故なら確信しているからだ。自分が産んだ娘達は、必ずや立派に成長するであろうことを。
ズドンッ!!!
突然、屋敷に大きな衝撃音が響き渡る。まるで爆弾が爆発したかのようだ。
それに続いて、遠くからバキバキと何かが崩れ落ちる音が聞こえて来る。
急いで窓から外を見やると、玄関口に火の手が挙がっている様子が見て取れた。
ヘンリー「……来たか」
それ見て、ヘンリーは微塵も動揺することなくぽつりと一言零す。
玄関口を良く目を凝らして見ると、炎に紛れて何物かが屋敷に侵入してきているようだ。
この状況下で夜襲を仕掛けて来る存在など一つしかあり得ない。イギリス清教の手先だろう。
建物の内側から再び小規模な爆発音が聞こえてくる。どうやら手当たり次第魔術を放っている輩がいるらしい。
恐らくロータスの連れの一人が暴走しているのだろう。随分と過激なものだと心の中で苦笑する。
ロータスが言うにはもう一度だけ話をしたいそうだが、この様子だとそれすらできないような気がする。
まぁ、そもそも最初から交渉の余地などないのだが。
部屋の外から大勢の人間が走る音が聞こえる。
奴等がここに来るのは時間の問題。いよいよ腹を括らねばならない時が来たようだ。
ルーシー「奴らね?」
ヘンリー「そうだ。 ルーシー、こんなことを聞くのは愚問かもしれんが……覚悟はできているか?」
ルーシー「えぇ。 ここに残ると決めた時から……」
ヘンリー「ならいい。 最後に、今の内に言っておきたいことはあるかね?」
ルーシー「そうね……ならヘンリー、一つだけ――――」
「 」
バタンッ!
部屋の扉が壊れんばかりに勢いよく放たれる。
中に入り込んでくる黒煙。それに紛れて、黒ずくめのローブを着た人間達が次々と侵入してきた。
その数10人。彼らはヘンリー達を取り囲むようにして出入り口の前に立ちふさがる。
二人の体に突き刺さる鋭い殺気。その視線の源は、紛れもなく目の前にいるローブの人間達である。
殺意、嘲笑、嫌悪……彼らから感じる雰囲気は、その全てが負の感情を帯びている。
まともな人間であれば、この場に居合わせただけで吐き気を催すだろう重圧の中で、
ヘンリーは表情を微塵も変えることなく招かれざる者達を見据えた。
「ちょっと待ってくれないかな? 約束は反故したくないからね」
一触即発の沈黙を澄んだ男の声が突き破る。
その声を聞いた出入り口付近に陣取っていた者がその場を退き、背後からやって来た男性を招き入れた。
ロータス「……ヘンリー、3日ぶりだね」
ヘンリー「……そうだな、ロータス」
部屋に入ってきた新たな男――――ロータスとヘンリーは挨拶を交わす。
何時もと変わらない、何気ないもの。だが周囲の状況が、その一連の流れに強烈な違和感を与える。
ヘンリー「その無個性な服を着た者達は何者かね?」
ロータス「この人達はイギリス清教の人達だよ。 君を捕まえる命を受けた、ね」
ヘンリー「随分と派手にやらかしてくれたじゃないか。 交渉するつもりはないのかと思ったぞ?」
ロータス「すまない。 僕の想像以上に気性が荒いが者多くてね。 ここに付いた途端、
興奮していたのかはわからないけど、いきなり攻撃を仕掛けてしまったんだ」
ロータス「本当は僕が合図をするまで何もしないはずだったんだけど……やっぱり無理だったみたいだ」
ヘンリー「全く……教育が成っていないな。 独断専行など、あまりにもお粗末すぎる」
ヘンリー「そんなことでは、この国を守ることなど到底できんぞ?」
ロータス「返す言葉もないよ」
ロータスはヘンリーの指摘に対し、反論することなく素直に受け入れる。
仮にもこの作戦の指揮を任されているロータスの指示を無視し、独断で行動を移したのだ。
どんなに相手が唾棄すべき存在だったとしても、感情に振り回されてはいけないのである。
しかし、敵対する人間にその事実を指摘されたことが気にくわなかったのか、何名かから放たれる殺気が一段と強くなった。
ヘンリー「……そう言えば、ここで働いていた使用人達はどうした?」
ロータス「彼らならまだ生きていると思うよ。 他の人達が拘束しているはずだ」
ロータス「でも、今後どうなるかは君の判断次第だね」
ヘンリー「そうか……」
その言葉を最後に、部屋の中にしばしの沈黙流れる。
炎が燃え盛る音と、それにより建物が崩壊する音が鳴り響く。
熱風が黒煙と共に部屋の入り口から吹き込んできた。
想像以上に火の回りが早い。おそらく1時間と待たない内に、炎によりこの屋敷の全てが燃え落ちるだろう。
もはや一刻の猶予もないと判断したのか、ルーシーが二人の会話の間に割って入る。
ルーシー「ロータス。 さっさと本題に入ってはいかがかしら?」
ロータス「そうだね、ルーシーさん。 ……それにしても、君も残ったのかい?」
ルーシー「えぇ。 逃げようと思っても逃げ切れそうになさそうだし」
ロータス「……娘さんはどうしたのかな?」
ルーシー「地下に避難させてるわ。 ――――あの子達に手を出そうと言うのなら、相応の覚悟をしなくてはダメよ?」
ぞわっと、部屋にいる一同に悪寒が走る。
見た目は争い事を露とも知らない女性だというのに、今の彼女から発せられる圧迫感は、歴戦の魔術師をも気圧すものだった。
母親としての意地だろうか。少なくとも、数の優位性のみで勝利を確信するような生半可な考えでは、
間違いなく煮え湯を飲まされることになるだろうというとを否が応にも自覚させられた。
ロータス「……やっぱり、君は良い母親だよ」
ルーシー「褒めても何も出ないわ」
ヘンリー「……さて、ロータス。 用件を聞こうか。 無論、わかりきった内容ではあるが」
ロータス「そうだね。 それじゃあ――――ヘンリー、君に今一度問おう」
ロータスはそこで一呼吸置き、ヘンリーに最後の詰問をした。
ロータス「――――汝は偉大なる我らが神に謀反するや否や?」
ヘンリー「――――我らの誇りを蹂躙するならば、命を賭して抗うまで」
二人の間で交わされた言葉は、3日前と同じもの。
つまり、ヘンリーは自身の意志を曲げることはなく、ロータスは親友を説諭することが出来なかったと言うこと。
今ここに以て、スカーレット家はイギリス清教の『異端者』となったのだ。
ロータス「そうか……残念だよ。 ……やってくれ」
異端抹消「はっ!」
諦観を覗かせる声色の合図と共に、周囲で待機していた『異端抹消』の者達が動き出す。
杖、カード、ナイフ……それぞれが手に持った自身の凶器を掲げ、異端者である二人に向ける。
後呪文を唱えさえすれば、無慈悲な断罪の刃が彼らに襲いかかるだろう。
ところが、それらを前にしても依然としてヘンリーの表情が恐怖に歪むことはない。
むしろ、彼は余裕の笑みさえ浮かべている。それは妻も同じだ。
彼らに訪れる結末は破滅しかあり得ないというのに、その眼は濁ることなく力強い光を灯している。
ヘンリー「……ルーシー、いいか?」
ルーシー「えぇ、いつでも」
夫の問いかけにルーシーは穏やかに応じ、その側に寄り添う。
ヘンリーはその妻を自身の体に引き寄せて抱きしめると、ロータスの方を一瞬だけ一瞥し、そして――――
一切迷うことなく、自分の妻の首筋に噛みついた。
今日はここまで
レミリア&パチュリーの過去編もそろそろ終わりに近い
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これから投下を開始します
「――――!?!?!?」
じゅるるるるるるるるるる……
ロータスと『異端抹消』の者達が、魂が抜けたかのように呆然とする中で、液体を啜る音が部屋に響き渡る。
麗しき熟女のうなじ。それを咬む男の口腔から、真紅の血液が一筋流れ落ちた。
人間が人間の生き血を吸うという、あまりにも常軌を逸した光景。
それはこの場に居合わせた者達の心に、あり得ざるものへの恐怖を刻みつける。
ヘンリー「く、ハ、ァ……」
ルーシー「――――」
ドサッ!
ひとしきり血液を飲み終えたヘンリーは、ゆっくりと妻の首筋から口を離す。
ルーシーの体が、糸が切れたかのようにその場に崩れ落ちた。
彼女の首にはヘンリーの歯形がくっきりと残っており、その傷から血が滲み出ている。
その肢体からは先ほどまであったはずの生気が消え失せ、蝋のような青白い肌へと変貌していた。
完全に空気が凍り付いた空間。
行為が繰り広げられてから幾許かの時間が経ったが、ルーシーが起き上がる気配は微塵も感じられない。
それは当然のことだろう。彼女は既にこの世を去ってしまっているのだから。
力なく投げ出された四肢を見れば、経験のある者であれば直ぐに見抜けるだろう。
しかし今起きた出来事があまりにも非現実すぎて、ロータスはその事実を飲み込むことが出来なかった。
ロータス「ヘンリー、君は……」
自分の手で妻を殺した友人に声を震わせる。
それに対して妻を見下ろすヘンリーの顔には、感情のようなものは全く読み取れない。
その瞳はただのモノを見るかのようであり、無機質な灰色のガラス玉のようだった。
ヘンリー「ク、クク……」
ドクンッ!
彼の口から小さな笑い声が聞こえたかと思ったその時、目に見えぬ波動のようなものが周囲に放たれた。
心臓を鷲掴みにするかのようなそれは、ロータス達の肉体を通り抜け、廊下で燃え盛る炎を消し飛ばす。
その凄まじさに、危うくその場にへたり込みそうになるが、辛うじて踏みとどまる。
しかし、冷や汗と足の震えが止まらない。
それはロータスだけではなく、戦闘のベテランであるはずの『異端末梢』達も同じ。
彼らの顔には、得体の知れない恐ろしいものに出くわしたかのような恐れの感情が浮かんでいた。
ヘンリー「そうか、これが……ぐっ!?」
ブシュゥッ!!!
ヘンリーは突然、苦痛に体を屈める。
そして、全身の血管という血管から血が吹き出し始めた。
真紅に染まっていく体。服に染み込みきれなかった血液が裾からしたたり落ち、数多の小さな血溜まりを造る。
おそらく彼は今、筆舌に尽くしがたい激痛に襲われているはずだ。
それに加えこの出血。本来であれば、失血死してもおかしくはない。
しかしそれでも、彼の口元から笑いが消えることはない。
それどころか、歓喜に打ち震えているように見えた。
ヘンリー「良い……実に良いぞ! こんなに素晴らしいものだったのか!?」
ロータス「――――! まさか!?」
ヘンリー「あぁ、君の考えている通りだ、ロータス。 私は妻の血液を鍵として、一族の秘奥である刻印を起動させた」
ヘンリー「そしてその刻印の効力で、私の体は吸血鬼へと変貌したのだ」
ヘンリー「まだまだ未完成の代物故、何かしら不具合が生じるだろうことは予想していたが……それは見ての通りだな」
ヘンリー「だが、それを差し引いたとしても、全く気にならないほど私は満ち足りている!」
先刻の無表情から一変、彼は破顔させながら笑い声を上げる。
しかしその笑いは何処か狂気を含んでおり、体を彩る血がその狂気を増長させている。
ヘンリー「ロータス、わかるか? 全身が活力に満ちあふれているのだ。
まるで若かりし頃の体に生まれ変わったかのように」
ヘンリー「近頃体力が落ちてきていてな……迫り来る歳には勝てんと思っていたが、
今ならそこらの若者と力比べしても余裕で勝てる気がするよ」
ヘンリー「それに加えて、精神的にも気分が良い。 柄にもなく鼻歌でも歌いたくなるほどにね」
確かに、ヘンリーの姿形や雰囲気は、先ほどと比べて明らかに活気に満ちている。
僅かながら顔に見えていた皺は消え失せ、筋肉で盛り上がった肉体からは覇気が迸っている。
吸血鬼の肉体になると、肉体が若返るのか――――
実際の吸血鬼がどのような存在なのかを知る者はいない。
故に、ヘンリーが本物の吸血鬼になったかどうかを確かめる術はない。
だが確かにわかることは、目の前にいる男は魔術を使って『何か』に変貌したと言うことだ。
異端末梢「くっ……舐めんじゃねぇ! 異端者風情がッ!」
『異端末梢』の若い男が腰に携えた剣の柄に手をかけ、ヘンリーに襲いかかる。
異端末梢「海神の剣よ! 我の意に応えたまえ!」
彼が言葉を紡ぐと、その剣はまるで意志を持っているかのように鞘から飛び出し、持ち主の手に収まる。
大きな十字架のようにも見えるそれの刃には、ルーンと思しき文字がビッシリと刻まれていた。
その剣の名は『報復の剣(フラガラッハ)』。
『光の神 ルー』が持つとされる、持ち主の意のままに操ることが出来る剣。
ルーの養父である海神『マナナン・マクリーヌ』から贈られたものであり、
持ち主の意志に従ってその手に滑り込み、投げると自らその手元に戻ってくるとされる。
さらに特筆するべきは、規格外とも言える刃の切れ味だろう。
あらゆる金属を容易く切り裂き、どんな鎧をも両断できるその刀身は、
その並外れた美しさで敵を魅了し、自ら刃に身を晒すように誘い込む。
故に、その剣を前にして死から逃れ得た者は居らず。白刃によって切り裂かれるのみ。
ヘンリー「下らん……ヴラフの国に生まれた竜の子……」
その至高の刃を前にして、ヘンリーは狼狽えることなく詠唱を開始する。
優雅に、歌うように紡がれるそれは、張り詰めた空間をやんわりと包み込んだ。
ヘンリー「何者とも交じらず、そして屈せぬ孤高の王」
ヘンリー「彼の王の怒りに触れたる者は、その指爪にて貫かれる」
ヘンリー「――――全ての不義に残虐なる裁きを」
そして白刃が彼の体に到達する直前、呪文の詠唱が完了する。
不意に屋敷に振動が走り、そして――――
ズドッ!
床から数多の木杭が、ロータス達目がけて突き出された。
ロータス「――――!?」バッ!
自分の足下から杭の先端が顔を出しているのを視認したロータスは、反射的にその場から後退する。
その直後、先ほどまで立っていた場所から屈強な男の足よりも太い白木の杭が勢いよくそそり立った。
ロータス「……っ!」
早鐘のように鼓動する心臓を手で抑えながら、目の前を垂直に立つ柱を見る。
もし少しでも判断が遅れていたら、自分は百舌鳥の早贄のようにその場で串刺しになっていただろう。
今用いられた魔術は、スカーレット家も用いる代表的なものの一つ。
『串刺し公 ヴラド・ドラクリヤ』が行った凶行、『敵軍の捕虜を一人残らず生きたまま串刺しにした』という説話を元とした魔術。
ヴラドは己の権力を誇示するために自分に仇なした者に対し、
農民貴族問わず、最も卑しい刑とされる『串刺しの刑』を執行した。
彼の残虐性はそれに留まらず、中央集権化を目指すために自国の有力貴族を騙し討ちで殺害し、
周辺の列強国であるオスマン帝国から使者が来訪した際は、自分の前で帽子を取らなかった使者に対し、
自ら釘を使って使者の頭と帽子を打ち付けたと言われている。
自身の意にそぐわぬ者には徹底的な裁きを与えるという、矯激なまでの独善。
彼の思想を組み込んだその魔術は、術者に敵対する人間を無慈悲に排除する聖槍となる。
ロータス(他は無事なのか!?)
もしかしたら、自分以外の全ての人間が串刺しにされてしまったのではないか。
そんな最悪の光景が脳裏に浮かぶのを感じながら、ロータスは杭が乱立する部屋を見渡す。
しかし、流石は戦闘のスペシャリストと言った所か。
『異端抹消』の面々もロータスと同じように回避行動を取ったようで、全員が無傷でその場に立っていた。
しかも突然の不意打ちに対して動揺した素振りもなく、先ほどまで顔に浮かんでいた恐怖も形を潜めていた。
どうやら先の出来事によって頭が冷えたらしい。
ヘンリー「仕留められたのは突っ込んできた愚者だけか。 中々厄介だな」
杭の林の向こう側からヘンリーの声が聞こえてくる。
と、同時に杭が地面に引っ込み、何事もなかったかのように部屋の風景が元に戻った。
――――先ほどヘンリーに斬りかかった男の、穴だらけの死体があることを除けば。
ヘンリー「……フン」
ごちゃっ!
ボロ雑巾のようになった死体の頭部を、ヘンリーは無感情に踏みつぶす。
骨が砕ける音と共に、脳味噌がぐちゃぐちゃに飛び散った。
血生臭い匂いが、タールのように鼻にこびりつく。
ヘンリー「……さて、次は誰が死にたい? 希望があるならば、望み通りの死を与えてやるが?」
ヘンリー「足下の男と同じように、串刺しを望むか? 手足を引きちぎられたいか?
それとも……ひと思いに首の骨を折られたいかね?」
血溜まりの中を、吸血鬼と化した男は壮絶な笑みを浮かべながらゆっくりと歩いて来る。
その口の隙間からは、異様に鋭くなった犬歯が顔を覗かせていた。
――――彼をこのまま放置するのは危険だ。頭の中で警鐘が鳴り響く。
吸血鬼云々よりも、最も危険視するべきは以前の彼からは考えられない残虐な性格。
魔術の弊害だろうか?理由は何にせよ、今の彼を放逐したら何をしでかすかわからない。
ロータス「くっ……! 皆! 何が何でも彼を止めるぞ!」
彼は己を奮い立たせるようにして、仲間達に号令を下す。
もはや、一刻の猶予もままならない。
今この場に於いて、全精力を賭けてヘンリーを仕留める。
逃げることも、敗北することも許されない。
絶対に失敗してはならない責務が自分に課せられたことを彼は理解した。
ヘンリー「フ、ハハハ……今の君は実にいい眼をしているぞ、ロータス! お前もそんな眼が出来たのだな!」
腹を括った友人の目を見て、ヘンリーは歓喜の表情を浮かべながら笑い声を上げる。
闘争心に火が付いたのだ。こうなった以上、もはや彼が立ち止まることはない。
目の前にいる敵を血祭りに上げるまで、暴虐の限りを尽くし続けるだろう。
ロータスと『異端抹消』達から、強烈な殺気が沸き起こる。
対するヘンリーは、それを一笑に付すと高らかに戦闘の開幕を宣言した。
ヘンリー「さぁ、刮目せよ! 我は『カインの末裔』……原初の罪を体現する者なり!」
ヘンリー「人間共よ、これより先は地獄の宴……己の命と誇りを賭ける覚悟はあるか!?」
今日はここまで
質問・感想があればどうぞ
乙
ところで奥さんあの状態から眷属化したら奇襲に使えそうだけどどうなん?
>>842
あの時点では吸血鬼化してないので、眷属にすることはできません
ただ、例えできたとしても彼が妻を眷属とすることはないでしょう
これから投下を開始します
―――― AM5:24 日本:東京
レミリア「――――!」ガバッ!
東の空が白み始めてくる、日の出の時刻。
レミリアは熟睡の状態から突如目を覚まし、弾けるようにベッドから起き上がった。
まるで狸寝入りを決め込んでいたかのような、眠気が微塵も残らない清々しい覚醒。
しかし、それに反して今の彼女の心中は穏やかと言えるものでは無かった。
心の何処かに燻るしこり。それがレミリアに煩慮をもたらしていた。
フラン「すぅ……すぅ……」
彼女の隣では妹のフランが、可愛らしい寝息を立てながら惰眠を貪っている。
自分の隣で起きた異常には露ほども気づかなかったようだ。
彼女らしいと言えば、らしいのではあるが。
レミリア「……」ゴソゴソ
妹を起こさないようにしてベッドから降り、外が見える窓際に歩みを進める。
クリーム色の安っぽいカーテンを開けるとそこには、無機質な灰色のビル群が下に広がり、
少し遠くでは石壁が端から端まで横切っているという光景が広がっていた。
イギリスより遥か極東に位置する島国、日本。
その首都である東京のとある地区に位置するホテルの一室が、今レミリアがいる場所である。
故郷を離れてから早3日。彼女はフランと共に、父親の知り合いを名乗る男に連れられてこの地にやってきた。
何故文化も慣習も、更には言葉すらも殆ど通じないこの場所に来ることになったのか。
彼女達がここに来た目的。それは目の前に見える石壁の向こう側にある街――――『学園都市』だ。
世界で最も『科学』が進歩した場所。その技術力は、外のそれより数十年先を行くという。
『学園』と名の付く通りに数々の学校施設が集まっており、住民の8割以上が学生らしい。
そして何よりも興味を引くのは、『超能力』と呼ばれる『魔術』とは違った力の研究をしていることである。
レミリアとフランは今回、その街で『一年間の留学』という形で住むことになった。
今まで『魔術』に首まで浸かっていた人間が、突然真逆の存在である『科学』の直中で生活する。
魔術師が聞けば開いた口が塞がらなくなるだろうが、今のレミリアにとってはそんなことはどうでも良い事だ。
彼女は『科学』と『魔術』の確執に全く興味がない。
親であるヘンリー自身も同様であり、その価値観を受け継いだためなのだろう。
そもそもそうでなければ、学園都市に住むことになど、なるはずがないのだが。
レミリア(……何か、嫌な感じ)
険しい顔をしながら、徐々に明るくなっていく空を見上げる。
自分の心の中にある『不安』という名の感情。
何に対して不安を抱いているのか、自分でもよくわからない。
しかし確かなことは、『自分は何かに対して不安を抱いている』ということだ。
理由が不明瞭な、明確な根拠のないもの。
しかし不明瞭であるが故に、その不安は容易に拭い去れない厄介なものとなっていた。
レミリア(お父様、お母様……)
英国の地に二人で残った両親のことを想う。
突然自分の娘に、学園都市で1年間過ごすように言いつけた父親。
何故彼は前触れもなく、そのようなことを言い出したのか。
レミリアはその理由をただ一人、本人の口から聞かされていた。
イギリス清教が自分たちを捕らえ、幽閉するためにやってくる。
自分たちが研究している『竜の子の刻印』。それを闇に葬り去るために。
その言葉を聞いた時に、彼女の頭に浮かんだのは『何故』と言う疑問。
どうしていきなり、イギリス清教は自分たちにそんな仕打ちをしようとしているのか。
余りにも唐突すぎる出来事に、幼い少女の心中は大きな困惑に包まれた。
彼女の疑問に答えるならば、『スカーレット家を放置すれば、将来において強大な脅威になると判断されたから』だ。
吸血鬼の存在はそれそのものが、魔術の世界にとって最悪の脅威である。
その理由は以前父親が彼女に話した通りであり、それに疑問を挟む余地はない。
そして『竜の子の刻印』は、完成により『人間の吸血鬼化』という恩恵を齎す。
故に吸血鬼の存在になろうとする自分達を危険視するのは、ある意味当然のことと言える。
そして何よりも大きな理由は、『吸血殺し』が見つかったことで『吸血鬼が存在する可能性が生まれたから』だ。
吸血鬼は荒唐無稽な特徴と姿を誰も確認したことがないという理由により、これまで『存在しないもの』として扱われてきた。
スカーレット家の所業が今まで見過ごされてきた理由はそこにある。
しかし『吸血殺し』の存在は、仮にその力が本物ならば逆説的に吸血鬼の存在を証明してしまう。
その力を持つ、山奥で見つかった少女が齎した僅かな可能性。
それ放置するには、『吸血鬼』という存在は余りにも危険すぎた。
一つの出来事がもたらした最悪の状況。
その危機から娘たちを逃れさせるために、ヘンリーは彼女達を科学の総本山である『学園都市』に避難させることを決めた。
あの場所であれば、魔術師たちの目が届くことはあり得ない。魔術と科学は互いに領分を守るのが暗黙の了解となっている。
それを自ら破ることなど、余程のことがない限り無いだろうというのが彼の出した結論だった。
ヘンリーはこれらのことを、疑問を呈した娘に対して懇切丁寧に説明した。
しかし彼女はまだ幼い。同じ年代の子供より若干大人びている彼女でも、
今回の出来事はそうそう容易く受け入れられるものではなかった。
だが、レミリアがごねても状況は変わるわけではない。逆に悪化させるのが落ちだ。
いつまでも堂々巡りを続けていては、娘二人を逃がすことができなくなる。
ヘンリーは伝えるべきである最低限のことだけを告げて、半ば強引に彼女達を送り出した。
その間際、彼がレミリアに言い含めたことは二つ。
一つ目は『一族の魔術を絶やさない』こと。
『竜の子の刻印』は今回の騒動の主因である。それを残すのは良い判断とは言えない。
加えてレミリアは、それをさらに改良し、発展させるほどの知識をまだ持ち合わせていない。
精々できることは、その刻印の図形を正確に模写することだけだ。
それならば、いっそのこと捨て去るのが理に適っていると言える。
しかし、その魔術はスカーレット家の始まりとも言える代物。
それを捨て去ることは、自身の存在意義を否定することと同じである。
だから彼は、再び一族に災いが降りかかるリスクを承知した上で彼女に魔術の継承を託したのだ。
二つ目は『学園都市では絶対に魔術を行使してはいけない』こと。
レミリアは大規模な魔術を操ることはできないが、護身用の簡単なものであれば、ある程度扱うことができた。
自身に流れる魔力『オド』を、集中したり、放出したり。ただそれだけの簡単なことであるが、咄嗟の状況には役に立つ。
一族の令嬢として、最低限の身を守る方法は覚えておいた方が良いだろうという考えによるものである。
しかし学園都市に住むとなると、そんな簡単な魔術すらも禁忌。
『魔術を使う』という行為は、『自殺をする』に等しい行為であるからだ。
学園都市では『超能力』について研究しており、学生の全員が超能力の身につけるための教育を受けている。
だが実はこの『超能力』、魔術を一緒に併用すると拒絶反応を起こし、『肉体が爆発する』という現象が引き起こされてしまう。
その事実は約10年前に一度だけ起こった、魔術と科学が互いに手を取り合った出来事、
『超能力と魔術を両方扱える人間を生み出す実験』で既に確かめられている。
学園都市に住む以上、超能力開発の教育を受けることは避けられないだろう。
『竜の子の刻印』の継承は図形を模写するだけなので問題はないが、魔術を行使することは死に繋がりかねない。
その事態が起こることを考慮し、ヘンリーは娘に魔術を絶対に使わないように言い聞かせた。
父親から一方的に告げられた二つの約束。
『一方的に』というところに多少不満はあっても、それに逆らう気持ちは露ほども無い。
尊敬する父との約束。それを反故するなど、どうしてできようか。
フラン「う……ん……おねえ、さま?」
窓から差し込む日の光に目を覚ましたのか、フランが眠たげな眼を擦りながら窓際にいるレミリアを見る。
その視線に対しレミリアは、眠っていた所を起こしてしまったことに罪悪を感じ、
自分が感じていた不安を頭の片隅に追いやって妹に謝罪した。
レミリア「ごめんなさい、起こしちゃった? まだ朝早いし、寝てても良いわよ?」
フラン「……………………眠れないよ」
レミリア「そう……じゃあ、仕方ないわね。 今濡れタオルを持ってきてあげるから、ベッドの上に座ってなさい」
フラン「はぁい……」
瞼を擦っているフランを尻目に、レミリアは部屋に備え付けられた浴室へと足を運ぶ。
前日の入浴による湿気が漂う部屋の中で、壁に掛けられていたジメジメするタオルを手に取ると、
洗面台の蛇口を捻り、噴き出す水にタオルを浸す。高置水槽のためなのか、余り冷たくはなかった。
十分に水を吸わせたタオルを少女の非力な腕力で懸命に絞ると、それ持って妹の下へ急ぐ。
レミリア「ほら、フラン。 これで顔を拭きなさい」
フラン「ん……」ゴシゴシ
フランは手渡された濡れタオルを使って、思いっきり自分の顔を擦りあげた。
数秒ほどタオルが擦れる音が続くと、彼女は水で濡れた顔を露わにする。
そこには、先ほどまでのしょぼしょぼとした目付きではなく、ぱっちりと活気に満ちあふれた瞳があった。
レミリア「目は覚めた?」
フラン「うん。 これからどうするの?」
レミリア「そうね……渡されたチケットを見ると、朝食は6時からみたい。 少し時間があるわ」
フラン「え~……」
レミリア「しょうがないじゃない。 こんなに早く起きちゃったんだから」
フラン「でもつまんないよ。 面白いことないの?」
レミリア「テレビでも見てれば? 日本語だからわからないと思うけど……」
フラン「むぅ……」
レミリア「ふてくされるんじゃないの。 今日は学園都市に行くんだから、我慢しなさい」
頬をむくれさせる妹を見て、レミリアは少し呆れながら窘める。
全く、フランの我が儘には困ったものである。
これではこれから始まる1年間の学園都市での生活がどうなるのか、先が思いやられる。
見知らぬ土地で子供だけの二人暮らし。不安にならない方がおかしいというものだ。
だが、父親は一族の誇りを守る望みをかけて娘二人を送り出した。
その思いを無駄にしないためにも、自分達は歩かねばならない。
今更泣き言を言うなど許されないし、言う意味もない。
レミリア(これからどんなことが起こるのか、まだ何もわからない)
レミリア(でも、絶対に挫けたりしない。 フランを守れるのは、私だけなんだから……)
レミリア(だからお父様。 お母様。 どうかご無事で……)
コンコン!
その時、部屋の扉が軽快な音を立てて来訪者の存在を告げる。
どうやら、私達をここに連れてきた人がやって来たらしい。彼も相当な早起きのようだ。
何やら世界のあちこちを忙しなく飛び回っているそうだから、早起きが体に染みついているのだろう。
レミリアは扉に駆け寄り、来訪者を部屋に招き入れた。
レミリアはまだ知らない。その日、自分の住んでいた屋敷が跡形もなく焼け落ちたことを。
レミリアはまだ知らない。父親が母親の血を啜って怪物となり、親友と殺し合った結果、相打ちとなって倒れたことを。
彼女が両親の訃報を知るのは、この日から1ヶ月も経った後のことだった。
――――AM 2:12 イギリス:ロンドン
部下「――――以上で報告を終わります」
最大主教「うむ、ご苦労」
深夜2時の聖ジョージ大聖堂。
その主であるローラ=スチュアートは、自室において部下からの知らせを静かに聞き届けていた。
ローラ「……『異端抹消』はほぼ壊滅の状態になりけるか」
部下「はい。 構成員の7割が死亡。 残り3割についても負傷者が多く、戦線復帰には時間がかかるかと……」
部下の報告を聞き、ローラは深く椅子に座って眼を閉じる。
今夜決行された作戦である『スカーレット一族の討伐』。
『吸血鬼の製造』を企むスカーレット一族を阻止するために計画されたものだ。
その作戦に参加したのは、その一族をよく知る一人の人間と、
イギリス清教の中でも指折りの実力を持つ魔術師達で構成された組織『異端抹消』である。
常識に考えれば過剰すぎる戦力。
その気になれば、それなりの規模の魔術組織の一つ二つを続けて殲滅できるであろう代物である。
しかしそれにも拘らず、部下の口から告げられた報告は、とてもではないが最良の結果とは言い難かった。
――――『異端抹消』の壊滅。
ローラが想像していたものも中で、最悪の部類に入るであろう結末。
救いがあるとすれば、その下手人を打ち取ることができたという点だろう。
予期していなかったわけではない。
むしろ予期していたからこそ、あれだけの戦力を投じたのだ。
だが、それでも自分は事態を甘く見ていたのだと彼女は実感していた。
ローラ(まさかとは思いていたが、『スカーレット』め、やはり術を編み出しておりたるか)
ローラ(しかし、まだ不完全なものでありたようであるな。 聞くに『スカーレット』は、
戦いの最中に於いて理性を無くし、最後には力任せで暴れたりていたようだからの)
ローラ(そうでなければ違い無く、こちらが全滅したることになり得たろうな)
部下「『最大主教』、このまま我ら清教派の戦力低下が続きますと、騎士派から介入される恐れがあります」
部下「急ぎ外部で展開している者達を呼び戻す必要があると私は愚考致しますが……」
ローラ「うむ。 心苦しきことなりけるが、そうしたるしかあるまい。
優先順位が低い任務に就きたる者から順に、こちらに帰還したるよう通告せよ」
部下「かしこまりました」
命令を承った部下は、足早にこの場から立ち去ろうとする。
その時、突然思い出したようにローラは部下を再び引き留めた。
ローラ「……少し待たれよ。 一つ、聞き忘れしことがあることに気が付きたりけるの」
部下「何でございましょうか?」
ローラ「私が直々に指揮権を譲渡したりける男……ロータス・ノーレッジは如何した?」
ローラが自分の代わりとして、『異端抹消』を行使する権限を与えた男。
これまでの会話の中では、彼の安否については一言も触れられていない。
そもそも彼は特別な存在などではなく、普通の魔術師と変わりないのだ。
それよりも戦略的に重要である『異端抹消』の報告に時間が割かれてしまうのは仕方のないことと言える。
部下「……帰還した『異端抹消』の者によりますと、敵と相打ちになって壮絶な死を遂げられたそうです」
ローラ「そうか……奴の家内にそのことは?」
部下「はい、ロータス氏の訃報についてはいち早く伝えました。 しかし……」
ローラ「如何した?」
部下「その知らせを受けてショックを受けたのか、ノーレッジ夫人はその場で卒倒し、未だに目を覚ましていません」
部下「患っていた病も悪化しており……先は長くないというのが医師の見解です」
ローラ「……了解したるの。 下がってよろしい」
部下「はっ、失礼します」
上司の言辞を聞き届けた部下は、今度こそその場を後にした。
部屋に残されたローラはテーブルの上で揺らめく蝋燭の明かりを眺め、一人考えに耽る。
ローラ(今回の出来事はかなりの痛手なりけるが……『想定しうる最悪の事態』を思いたれば、
まだ良きしことと判断できしことなるの)
ローラ(『コレ』が部外者に渡ろうものなら、齎されたる損害はそれの比にならなしことであろうからな)
ローラは自身の脇に鎮座する鋼鉄の箱を眺めながら、そんなことを考える。
その箱は、戦闘の余波で焼け落ちたスカーレット邸の跡地から回収されたもの。
厚さ10センチの鋼鉄で造られた耐火金庫である。多少黒ずんではいるが、壊れてはいないようだ。
その頑丈な箱の中に納められているのは、スカーレット一族が家宝として保管していた一冊のメモ帳。
名を『ヴォルデンベルクの手記』と言う。
ローラ(この書物を回収できしことなれば、あれだけの被害を出そうとも損は無しというもの)
ローラは箱を撫でるように触りながら、微かに口角を釣り上げる。
彼女にとって、ロータスの妻がどのような感情を抱こうと余り意に介していない。
何故なら『ロータスの妻の心情』よりも『ヴォルデンベルクの手記』の方が遥かに重要だからである。
一個人の女性に齎される悲劇と、一冊のメモ帳が引き起こす世界規模の動乱。
どちらを容認するかと問われれば、圧倒的に前者であろう。
ローラ=スチュアートは、イギリス清教の頂点に位置する『最大主教』だ。
そして最も権力を持つ者であるが故に、時に非情な選択を迫られることがある。
例えば今回のように、たった一つの目的のために多大な犠牲を強いられる事態を彼女は何度も経験してきた。
だが、彼女は自身の決断によって犠牲になった者達に謝罪をしようと考えたことなど一度もない。
彼女の役割は『英国の安寧を守る』こと。それ以上でも、それ以下でもない。
その役割を果たすために何かを生け贄にする必要があるのであれば、躊躇いなくそれを捧げる。
何も捨てることが出来ない者には、何一つとして守り抜くことなどできはしないのだから。
だがもし、全てを取り落とすことなく救うことが出来る人間がいたとしたら。
それはまさしく『英雄(ヒーロー)』と呼ばれる存在なのかもしれない。
ローラ(……本当にそのような者が居たるならば、是非とも一目見たしことではあるがの)
ローラは部屋で一人、期待すらしていない願望を心の中で漏らすのだった。
* * *
「……ふむ。 都市建設の進歩率は87%、能力開発の進歩率は62%……か」
「能力開発の進行が遅れているな。 許容範囲ではあるが……少し急がせるか」
日の光が一切射さぬとある密室に、一人の男の声が響き渡る。
その部屋の床は鋼鉄に勝るとも劣らない強度を持つ合金板で覆われ、
部屋の壁には何に使うともわからない機械が所狭しと並んでいた。
それらの機器から発せられるランプの明滅は、まるでプラネタリウムのように神秘的な光景を造りだしている。
しかし天地を這う鉄のパイプが、その光景を逆に無機的な冷たい印象を抱かせていた。
その蛸足のように張り巡らされたパイプが収束する場所に、一つの巨大な培養槽が鎮座されている。
やや黄色みがかった液体が満たされたそれは、容器の底から照らされる明かりにより、まるで黄金の柱のように見える。
時折補給される酸素の泡が液面を揺らめかせ、光が周囲に複雑な紋様を刻み込んだ。
「『土台』の量産についてはこれで良いとして……問題は『役者』の選定か」
「おそらく、『幻想殺し』がここに来るまで後数年……それまでに選定を終えておかねばならんな」
「現状、候補となっている人間は3名……しかし、一人は役目を負うには素質に不安が残る」
「精々良くても、スペアとしての価値までにしかならないだろう」
「もう一人は素質があるものの、役者が揃うまでに成長が間に合いそうもない」
「間に合ったとしても、既にあの一族が目を付けている。 介入するのは得策ではない」
「やはり、この――――が現状における最有力候補と言えるか」
その培養槽の中で何やら独り言を呟いている、緑色の手術衣を着た一人の『人間』。
男と女。子供と老人。聖人と囚人。相反するはずの要素を矛盾無く内包した姿をしているその者は、
どのような経緯なのかはわからないが、天地が逆転した逆さの状態で容器の中に浮かんでいた。
――――彼の名は『アレイスター・クロウリー』。
極東の島国に存在する、世界で最も科学技術が進んだ箱庭の長――――『学園都市総括理事長』を務める人間である。
アレイスター(舞台の役者は着々と揃いつつある。 虚数学区の構築も予定通りに進んでいる)
アレイスター(全ては順調。 後は機が熟すのを待つのみ……か)
アレイスター(ここまで来るのに40数年……存外早いものだな)
彼は培養槽の中で静かに目を閉じ、笑みのような表情を微かに浮かべた。
アレイスターは『学園都市の長』であると同時に、『学園都市の生みの親』でもある。
彼は数名の協力者と共に街の建設に着手し、40年以上の年月をかけて発展させてきた。
この街が建設されてからかなりの時間が経過しているが、彼の姿はその時の流れを微塵も感じさせない。
まるでその培養槽の中だけ時が止まっているかのような、そんな錯覚を覚える。
それは当然だろう。この培養槽は普通の代物ではなく、『ある人物』が己の持ちうる全てを用いて生み出された機械であり、
『その培養槽に入っている限り半永久的に生き続けることができる』という生命維持装置なのだ。
彼が一体どのような目的で、ガラス容器の中に缶詰になってまでこの科学の街を造ったのか。
その真意を知っている者は誰一人としていない。彼の協力者ですら。
だが、一つだけ確かなこと。それは彼にとって、この街を造ることはそれだけの労力を費やすに値することであるということだ。
アレイスター「……ふむ、このまま時間を浪費するのは面白くないな」
アレイスター「暇つぶしというわけではないが……時間は有効に使わねばな」
ふと、アレイスターは閉じた目を開くと、そんなことを呟いた。
『娯楽』というものには無間地獄よりも遠い場所に位置し、喜怒哀楽の感情を失ったように見える彼であるが、
空いた時間を何もせずに過ごすという行為に何かを思うだけの心はあったらしい。
アレイスター「ここは……そうだ、『プラン』の短縮に使えそうな素材を探してみるとしよう」
アレイスター「確か、今期来学する者のリストが届いていたはず。 何か掘り出し物があるかもしれん」
彼がそう口にすると同時に、目の前にホログラムの画面が映し出された。
そこには、様々な人の名が顔写真付きで一列に羅列されている。その全てが幼い子供だ。
彼らはこれから学園都市にやってくる子供達。未来に希望と夢を心に抱き、世界の清濁を未だ知らぬ者達である。
その写真に映る子供達の輝く瞳を前にして、アレイスターは何の感慨を抱くこと無くリストをスクロールし始める。
彼とってこの街にやってくる有象無象の子供は、虚数学区を構築するための材料でしかない。
この街の教育を受けることで発現する力、『超能力』。そして、その源である『AIM拡散力場』。
彼らがこの街で能力者となり、AIM拡散力場を発して虚数学区の礎となってくれるのであれば、後のことはどうでも良いのだ。
例えばこの街に蠢く闇に飲まれ、絶望に打ちひしがれようとも。役目さえ果たすのであれば何も言うことはない。
アレイスター(『素養格付(パラメータリスト)』を見るに、今回はめぼしい存在はいないようだ)
アレイスター(レベル4の見込みがある者が数名、と言った所か……虚数学区の土台にしか使えんな)
アレイスター(『プラン』に組み込める素質を持つ人間が、易々と見つかるわけではないことは当たり前だが……)
アレイスター(元々期待していなかったからな。 今回は諦めるか……む?)
ホログラムを閉じられようとした時、アレイスターの目線が一点で止まる。
その目線の先には、ある子供達の名前が映し出されていた。
アレイスター「……『レミリア・スカーレット』と『フランドール・スカーレット』」
そこには近く学園都市に来るはずのスカーレット姉妹の名があった。
アレイスターの眼は彼女らの名前、もっと言えばファミリーネームの部分に釘付けになっている。
彼にしてはかなり珍しく、僅かに疑問を含んだ目の色をしていた。
アレイスター(イギリス、ロンドン在住……確か、嘗て似たような名前の魔術師が居た気がしたが……)
アレイスター(単なる偶然か? ……少し調べてみるか)
アレイスターは自身の周囲に、さらに数多くのホログラムを出現させる。
彼は周りに漂うそれを身動きせずに操作し、イギリスの身分登録機関に対してクラッキングを開始した。
幾重にも張り巡らされた情報保護のための隔壁を、濡れ紙であるかのように易々と突破する。
そして、クラッキングを始めてから数分後……
アレイスター(……これか。 『ヘンリー・スカーレット』、『ルーシー・スカーレット』)
アレイスター(レミリアとフランドールはこの者達の娘か)
アレイスター(彼ら以外に『スカーレット』の性は存在しない。 あの魔術師一族で間違いないようだな)
アレイスター(しかし、何故あの一族がこの街に来る? 『スカーレット』は500年の歴史を持つ魔術師……)
アレイスター(ワラキア公国のウラド3世に感化されて、『カインの末裔』の研究をしていたはずだが……何か起きたのか?)
アレイスター「……………………なるほど、これが原因か。 『イギリス郊外の邸宅で謎の火災。
一家4人と邸宅で働いていた使用人達が焼死体で発見される』」
そう口にするアレイスターの眼の先には、イギリスの電子新聞の一面が映し出されていた。
燃え上がる屋敷の写真と共に、この事件の一連の顛末が記載されている。
――――ロンドンの町外れにあるスカーレット邸から、原因不明の出火による火災が起き、家屋が全焼した。
この火災により、焼け跡から邸宅に住むヘンリー・スカーレット(32)及びその妻と娘二人、
邸宅で働く使用人4人の死体が発見された。消防に通報した住民によると、『午後9:15頃に爆発のような音が聞こえ、
慌てて外に出てみるとスカーレット邸が炎上している様子が見えた』と話している。住民は直ぐさま消防に連絡したが、
消防の到着が遅れたことによって炎が燃え広がり、家屋が全焼したと見られている。
到着が遅れたことに対して消防側は、『災害救急情報センターから通報を受けた時点で出動したが、
現場に到着した時点で既に手遅れの状態だった』と話しており、救急センター側の対応に問題があったとしているが、
救急センター側は『通報を受けた時点で迅速に連絡しており、対応に問題はなかった』としており、
相互の主張に食い違いが見られる。この問題を受けて、ロンドン警視庁では――――
アレイスター「……茶番だな」
記事を見ていたアレイスターは、心底つまらなそうに言った。
何故なら、この顛末の裏に隠された真実をいとも簡単に見抜いてしまったからである。
アレイスター(これはイギリス清教による粛正……間違いはないだろうな)
アレイスター(情報封鎖はしたようだが、余りにも雑すぎる。 余程火急のことだったらしいな)
アレイスター(考えられるとすれば、『カインの末裔が生み出される危険性が出た』……か? ならば、この慌て様も理解できる)
アレイスター(私としては、『あの書物』を見た時からこうなることは予期していたが……)
アレイスターは何度かスカーレット一族と関わりを持ったことがある。
もはや何百年も昔の話だが、己の魔術の研鑽のために当時のスカーレット家の当主に会い、
彼らが所持していた一冊のメモ帳――――『ヴォルデンベルクの手記』を拝見させてもらっていた。
その時当主は少しシミが付いたメモ帳を手に持ちながら、解読が齎す利益を興奮しながら力説していたが、
アレイスターはそれを一目見ただけでメモ帳の本質を理解してしまった。
しかしそのメモ帳は、彼が望んでいるものを得る道具として役に立つものではなかった。
解読法を伝えても己の利益になることはないと判断したため、その後用済みとなった彼らとは疎遠になり、現在に至る。
アレイスター(アレは確かに興味深いものだったが、私にとっては不要なものだ)
アレイスター(だが他の者にとって見れば、まさに『悪魔の所業』とも言えるか)
アレイスター(おそらく、それ故の行動。 しかし、最後の詰めを誤ったようだ。
現にスカーレットの血を引く者が生きてこの国にいる)
アレイスター(当主がどのようにして娘達を逃がしたのかは知らぬが……それはどうでも良いな)
アレイスター(ほぼ事態が収束している所を見るに、向こうは一族全員を始末できたと判断したようだ)
アレイスター(イギリス清教の追手がここに来ることはあり得ない。 今の所、魔術と科学は相互不干渉の状態だからな……)
アレイスター(つまり、この二人は『狼の狩場から抜け出した小兎』。 さて、どうするか……)
かつて自身が関わったことがある者達が、何の因果か十字教の網をすり抜けて自身の手元に居る。
何もしなければ彼女達は、他の子供たちと同様にこの街で暮らし始めるだろう。
このまま見なかったことにし、放置することはできる。
彼女達が魔術側の人間であったとしても、教育を受けて超能力を発現することは問題なく可能である。
その代わり魔術は使えなくなるだろうが、ここに来る以上、そのことは重々承知しているはずだ。
彼女達は魔術の目が届かない安全な居場所を手に入れ、アレイスターは虚数学区を構築のための材料がさらに充実する。
つまり、損をする者はだれもいない。万事丸く収まる。しかし――――
アレイスター(もし『スカーレット』があの書物の解読に成功し、彼女らがその力の断片を保持しているとするならば……)
アレイスター(そのまま放置して腐らせるのは惜しい。 『幻想殺し』の成長に使えるかもしれん)
アレイスター(あくまで可能性の段階だが……何も無かったとして、不都合が起きるわけでもない)
アレイスター「……候補に入れておくか」
スカーレット姉妹が『幻想殺し』の成長にどのようにして利用できるか。
今の段階では、それを明確に判断することはできない。
しばらくの間は二人の行動を観察し、よく吟味する必要があるだろう。
利用できるのであればこちらの思い通りにできるように誘導し、役に立たないのであれば何もしない。
もし仮に『プラン』の短縮に役に立つとして、何か懸念すべきことがあるとすれば、
『時期が来る前に二人がこの街の闇に呑まれて死ぬかもしれない』ことだろう。
だが、それでも構わない。
彼女達がいなくとも、『プラン』の進行には何の悪影響も及ぼさないのだから。
アレイスター「……久しいな」
不意に、アレイスターがそんなことを口走る。
彼の目の前には、いつの間にか一人の人間が居た。
突然そこに湧き出たかのような、不可解な来訪。
それを前にしてアレイスターは驚くわけでもなく、平然としてその者に話しかけた。
アレイスター「最後に会ったのはいつ頃だったかな? ――――――――――――――――『狭霧の賢者』よ」
今日はここまで
レミリアとパチュリーの過去編はこれで終わりです。次回から時間軸が元に戻ります
何やら意味深な方が出てきましたが、登場するのはずっと後になりますのであしからず
なお、来週は所用でPCに触れないためお休みになります。申し訳ありません
質問・感想があればどうぞ
乙
ロータスさんどうやってあんなん倒したんだろう。自爆くらいしか浮かばんが、それで倒せるとは思えないし
乙
☆さんの出番が来るとは思わなかった‥って『窓のないビル』丸ごと消せそうな人(?)まで‥
>>887
ヘンリーに刻まれた刻印はまだ発展途上で、完全な吸血鬼になることはできず、また副作用が存在します
その一つが、ローラの会話にあった『途中で理性をなくす』というものですね
理性のある怪物は脅威ですが、獣と同じ所まで思考能力が落ちたのであればまだ対処ができます
まぁその時点で『異端抹消』はほぼ壊滅状態であり、ロータスも致命的な怪我を負っていました
そんな彼等が最後の力を振り絞り、起死回生の手を打って何とかなったというのが実情です
>>888
『狭霧』の意味がわかれば、容易に正体がわかるあのお方
果たして彼女が出てくるのはいつになるのか……
長らくお待たせしました
投稿を始めてから早三年。未だ終わりは見えません
これから投下を開始します
――――7月28日 PM10:10
パチュリー「T F O B W I A E W C E(万物を構成する元素である始まりの炎)」
パチュリー「I S O T A I A P L T G(その象徴たる神々の導き手、火神アグニ)」
パチュリー「T P I V C V F A A I A V
(彼の神は万物から崇敬されるべき創造神にして、確固たる掟の王)」
パチュリー「T O H G I T P O T P W B D T S I T W
(その炎は、世の罪咎を焼き払う浄化の力なり)」
パチュリー「――――『火神の聖炎(アグニシャイン)』!」
パチュリーが呪文を紡ぎ終わると、彼女が手に持つ本からいくつもの大きな火球が溢れだす。
インド神話に登場する『火神 アグニ』。
小さな火花から空に浮かぶ太陽まで、この世界に存在するあらゆる『火』の象徴とされる神である。
彼の役割は『天地の仲介』。人によって捧げられた供物を天上に住まう神々に届け、
逆に神々が地上に降りてくる際は、その道案内の役を担うとされる。
だが彼の神にはもう一つ、重要な役目が存在する。それは『浄化』だ。
『天則(リタ)』、すなわち神意に背く人間や悪魔を自身の炎によって焼き払う。
アーリア人の歴史に於いては、彼が一度地上を焼き払うことによって人々が居住できる大地が生み出されたとされ、
その浄化の力は祭火と共に最も重要視されるものなのである。
そして今パチュリーが生み出した火球は、その火神アグニの浄化の力を秘めたもの。
インド神話をベースとした魔術によって造り出されたそれは、
『術者の意にそぐわぬ者』、すなわち『敵対者』を跡形もなく灰にする聖なる炎なのだ。
パチュリー「T B T C I F(目の前の罪咎を焼き尽くせ!)」
レミリア「――――!」バッ!
号令をかけられた火球の群れはその命を果たすべく、『主に仇なす敵』を駆逐せんと突進を開始する。
それを前にして、『主に仇なす敵』――――レミリアがとった行動は『回避』。
パチュリーが生み出した炎は、術者とっての敵のみを選択的に焼き払うもの。
つまり、『敵ではないもの』に対しては何ら影響を及ぼすことはなく、即ち何かを盾にして防ぐことはできない。
その魔術の標的になった者にできることはただ逃げ惑うのみであり、
やがて火球の大群に追い詰められ、骨も残さず燃やし尽くされるだけだ。
――――本来であれば。
レミリア「――――遅すぎるわ」
パチュリー「!」
火球から逃げ回っていたレミリアはそう呟くと、姿勢を一段低くして『加速』する。
その脚力により地面が抉れ、土塊となって飛び散った。
自分に向かって来る数多の火球の間を、素早い身のこなしによって縫うように通り抜けてくる。
レミリアを追跡する火球の速さはかなりのものであり、さらにその数を考えてみれば、
人間の動体視力では到底処理しきれるものではない。
ところがレミリアは、明らかに人間の限界を超えた速度と瞬発力で以ってパチュリーの攻撃を躱し続けている。
それはまるでフィクション映画の中の一コマのよう。
オカルトの世界に身を置くパチュリーであるが、魔術を全く用いずにこれだけのことを成し遂げるレミリアに対し、
大きな驚きと一種の確信の眼差しを向けた。
パチュリー(やはり貴方は……!)
レミリア「そんなにぼうっとして、いいのかしら?」
パチュリー「!?」
刹那の思考から現実へと引き戻されると、そこには既に間近まで迫ったレミリアの姿。
彼女の遥か背後には、標的を見失って彷徨う火球の群れの姿があった。
それは正しく、瞬きする間の出来事。
自身が気を逸らした時間は一瞬であったにも関わらず、目の前まで接近してきたレミリアを見て、
パチュリーは普段不機嫌そうにしているはずの目を大きく見開く。
火球の群れの突進をただ避けるだけではなく潜り抜け、更にはそれらを置き去りにする程の速さとは。
流石の彼女も、このような形で自分の魔術が打ち破られることは想定外だったようだ。
しかし、そのショックのまま茫然と立ち尽くすような彼女では無い。
その身はイギリス清教第零聖堂区『必要悪の教会』の一員である、魔術戦闘のエキスパート。
この程度のことで判断を鈍らせていては、『必要悪の教会』としての職務を全うすることなどできはしない。
パチュリーはすぐさま、この状況に於いて最も効果的と考えられる魔術を頭の中で弾き出し、詠唱を開始する。
パチュリー「U D M(水の精霊よ、我を守れ!)」
レミリア「! ちっ!」
ドッパァッ!!!
パチュリーが短く呪文を唱えると、彼女の周りを囲うようにして大きな水の柱が勢いよく立ち上る。
その高さは十数メートルにまでおよび、辺り一面に土砂降りのような雨を齎した。
それを見たレミリアは、パチュリーに攻撃を加えることを早々と諦めて素早く撤退する。
あの水の柱に手を突っ込もうものなら間違いなく、その水勢により手首から先が千切れ飛ぶことになる。
水の壁を打ち破る術は今手元に存在しない。故に彼女が取れる手は『退避』のみだった。
パチュリー「C A T O Y T O C F Y N T T C T Y E
(――――座標指定。 我を原点として北に1.5ヤード、東に3.2ヤード)」
レミリア「くっ……!」
ドパァン! ドパァン!
逃げるレミリアの後を追うようにして、何もない地面から水柱が立ち上る。
その一つ一つが必殺の一撃。一度でも食らったら、その時点で体に大穴が開く。
いや、胴の部分が吹き飛んで下半身と上半身が互いに別れを告げるだろう。
そんな死に方は誰でも真っ平御免だ。
だからレミリアは呪文の詠唱に集中して無防備なはずのパチュリーを狙うことなく、攻撃の回避に専念する。
パチュリー「P C P F P J T E A A S A T R T C O W
(C点、F点、J点。 大蛇の如く絡み合い、水の檻となせ!)」
レミリア「――――!」
術者の号令を聞き届けた三本の水柱は、まるで生き物であるかのようにその身を捩らせた。
意志を持った水の蛇は透明な体を重ね合わせ、『獲物(レミリア)』を逃がさぬように蜷局を巻く。
レミリア(間に合うか……!?)ダッ!
このままでは閉じ込められる――――
そう判断したレミリアは全力で地面を蹴り、真上へと大きく跳び上がる。
それに対して蛇達は、『獲物』を逃すまいと素早い身のこなしで蜷局を巻き上げていく。
さながら自我を持っているかのような動きであるが、これらを操っているのは紛れもなく紫色の魔術師。
三本の水流を当時に、そして精密に操っている所に、彼女が持つ魔術の技量の片鱗を垣間見ることができる。
しかし今のレミリアにとって、その技術は厄介なことこの上ない代物だ。
まさかここまでとは――――彼女は心中で歯がみしながら水の管の中を突き進む。
そして三匹の蛇が己の頭で檻に封を施そうとする直前。針に糸を通すように彼女は穴を通り抜けた。
目下に残るのは巨大な水の柱。
それは大きく身を震わせたかと思うと見る見るうちに収縮し、やがて崩れ去った。
その直ぐ側には、鋭い目でこちらを睨みつけるパチュリーの姿。
あのまま閉じ込められていたらどうなっていたか。
考えたくもないが、間違いなく碌でもないことになっていただろう。
レミリアは首筋に僅かな冷や汗を流しながら地面に降り立った。
レミリア「……」タッ
パチュリー「……」
二人は再び距離を取り、一旦戦いの手を休めて睨み合う。
戦闘が始まってからおよそ10分。公園は既に、二人の戦いの余波によって凄惨たる様相となっていた。
パチュリーが行使する『精霊魔術』。そしてレミリアが持つ、吸血鬼特有の圧倒的な腕力と脚力。
それらに晒された人々の憩いの場には、ある所には地面に1メートル以上もの大きさの大穴が空き、
またある所には何かが激しく燃え上がったかのような、不自然な焼け跡が残っている。
敷地の中央に生えていた一本の広葉樹は幹の中ほどから無残にもへし折られ、
水飲み場はそのコンクリートの土台ごと吹き飛ばされて水が噴き出していた。
人が見れば確実に目を覆いたくなるような惨状。
だがこの公園にはパチュリーが『人払い』の魔術を施しているため、関係の無い人間がこの戦場に訪れることは無い。
パチュリー(この人外じみた身のこなし……やっぱり体が吸血鬼化しているようね)
パチュリー(一体いつから……? いや、それよりもどうやって……?)
レミリアの動きを注視しながら、頭の中に浮かんだできた疑問に頭を捻る。
魔術を使わず、己の肉体のみで攻撃の嵐を全て回避し、地面をも踏み砕く脚力でもって駆け回る。
瞬きする時間の間に十間の間合いを詰め、その態勢から撤退する時は、
ゴムボールが跳ね返るような不自然な動きで後方に反転する。
聖人でもなければあり得ない、人間の枠を超えた動きの数々。
レミリアがその動きを成し遂げられるのは、彼女の肉体が吸血鬼化しているからとしか考えられない。
やはり彼女はスカーレット家の魔術を受け継ぎ、その魔術を自らに施したのだろう。
しかし、その考えを完全に肯定するには僅かながらの疑問が残されていた。
パチュリー(記録だとスカーレット家が構築した魔術は不完全なものだったはず)
パチュリー(だからこそ、それを使ったヘンリー・スカーレットは知性を失った怪物になった)
パチュリー(同じ方法をとったのなら、あの子も同じ末路を辿ったとしてもおかしくないのに……)
イギリス清教に残っている記録では、ヘンリー・スカーレットは『異端抹消』による制裁を受けることになった際、
自身が研究していた魔術を行使した結果、理性を失い暴れ回ったと聞く。
それは『異端抹消』を壊滅に追い込んだ原因でもあり、逆に彼が討ち取られる原因にもなった。
何故理性を失ったのかは定かではないが、一説には魔術によって肉体に変化が生じたことによる副作用であると考えられている。
ヘンリー・スカーレットと相対し、最後まで生き残った『異端抹消』の構成員の言葉によると、
彼の雰囲気は吸血鬼化する前と後では明らかに変わったそうだ。
それは『柳に吹き付けるような微風』から『大木をへし折る暴風』に変わるような、体で感じ取れる規模の圧倒的変化であり、
その威圧を身に受けた時は全身から冷や汗が止まらなかったらしい。
歴戦の魔術師の身を竦ませるほどの豹変。
もしレミリアが同じような魔術を使ったのだとすれば、彼女も父親と同じように理性を失っても不思議ではないのだ。
パチュリー(考えられるとすれば、あの子が使っている物と父親が使っている物は別物と言う可能性……)
パチュリー(いや、全く違うと言うことは考え難いし、『改良型』と見た方が良いかもしれない)
パチュリー(暴れ回らないというのは捕獲の面から考えれば都合が良いけど……理性がある分、手間がかかりそうね)
パチュリー(こっちとしては、戦闘が長引くことになるのは極力避けたい所なのだけれど……)
戦いが長期化することに対して、パチュリーが危機感を感じている一方、
レミリアはパチュリーが用いる魔術への対策と、次の攻撃の一手を思案する。
レミリア(さっきの魔術は『白波の姫君(プリンセスウンディネ)』……
確か、簡単な水柱を造って操る初歩の魔術だったはず)
レミリア(魔術を習い始めた子供が使うような代物。 元々呪文の文章が短いそれを、
『高速詠唱(ノタリコン)』を使って極限まで短縮しているのか……)
レミリア(喘息による詠唱の中断を抑えるための工夫かしら? まぁ、当然と言えば当然の策ね)
レミリア(それよりも問題は、初歩の魔術にも拘わらず威力と規模が大き過ぎること……)
レミリア(あの水の勢い……一度触れたら最後、肉を丸ごと削ぎ落とされかねない)
レミリア(『この体』が無かったら、初めの水柱に突っ込んで上半身が跡形もなく消し飛んでいたかもしれないわ)
『白波の姫君』は四大元素の一つである『水』を用いる魔術の中で、初歩の初歩とも言えるものである。
『焔の蜥蜴(サラマンダー)』。
『波の乙女(ウンディーネ)』。
『森の仙女(シルフ)』。
『石の小人(ノーム)』。
これらは四属性のそれぞれを象徴する精霊達であり、初歩的な魔術の殆どは彼らの伝承に肖って構築されたものが多い。
どの精霊がどの属性を表しているのかがこれ以上になく明確であるため、
術式を安定させるための余分な呪文を付け加える必要がないのだ。
呪文が複雑でないということは、非常に扱いやすい魔術であるということでもあるため、
魔術を学び始めた子供に教えるにはこれ以上にない教材なのである。
そんな低級魔術を戦力として使っているパチュリー。
本来であれば噴飯ものであるが、彼女が使役しているそれは明らかに『子供が学ぶ魔術』の枠に収まるものではない。
この世の何処に人体を軽く千切り飛ばせる『初級魔術』があるというのか。
人為的に何かしらの手が加えられていなければ、あの威力を出すことはできない。
レミリア(土地の属性の変更? それとも他の方法かしら?)
レミリア(ま、どっちにしても止める術はなさそうね……)
パチュリーの策を破ることを早々に放棄し、他の自身が打つべき手のみを考える。
先ずはパチュリーが繰り出してくる魔術の対処法。
あの分厚い本から生み出される『火球の群れ』に関しては、自身の肉体があれば余裕で回避することができる。
数が2倍に増えたとしても、問題なく対処することが可能だろう。何処まで増やせるのかは定かではないが。
他にも色々と小規模な攻撃魔術を行使してきていたが、それらは『火球の群れ』以上に脅威に値しないものだ。
まだ奥の手を隠している可能性はあるが、それらが使われた時はその時に考えればいい。
それよりも厄介なのは『高速詠唱』。長文である魔術の呪文を極限まで単純化する技術。
その技術により、パチュリーはレミリアの速さに後れを取ることなく、魔術を行使することができる。
一度守りに徹すれば、どのような攻撃に対しても即座に対処することができるだろう。
陣地での強化も相まって、今の彼女の防護は鉄壁だ。
遠距離攻撃、近距離攻撃問わず、あの防壁を力ずくで突破するのは容易ではない。
そもそも十分な力を出せる態勢を整える余裕など、与えてくれはしないであろうが。
レミリア(とにかく、隙ができるのを待つしかないわね。 ……次はどんな手で来るのかしら?)
パチュリー「……G G T L A T S(大地の子は赤の蜥蜴に跨り、母の血の河を進みゆく)」
パチュリー「『紅血奔出(ラーヴァクロムレク)』」
ブシュウッ!
突然地面を濡らしていた水が残らず蒸発し、深い濃霧を生み出す。
しかしそれ以上に驚愕すべき事は、その地面から発せられる膨大な熱だ。
まるで熱せられた鉄板の上にいるかのような、強烈な熱の放射が肌をジリジリと焼く。
レミリア「熱っ――――」
突き刺すような肌の傷みに、レミリアは咄嗟に顔覆う。
その指の隙間から周囲の様子を見てみると、何と地面が段々と赤熱し始めているではないか。
一体どれほどの温度にまで加熱されているのだろうか。
彼女はこの地獄の暑さから逃げるようにして、その場所から逃避しようと後ろに後退する。
と、次の瞬間、霧の向こうから煌々と輝くドロドロとした何かがレミリア目がけて突進してきた。
レミリア(これは……熔岩!?)
摂氏約1000℃。自ら光を放つ、粘性を持った液体。
地面を加熱して生み出されたそれは、さながら燃え盛る龍のよう。
突然の襲撃にレミリアは咄嗟に身を捩るが、宙に浮いているためか上手く身動きがとれない。
しかし行動を起こすのが早かったのが功を奏したのか、直撃を避けて背中を通り過ぎるだけに留まった。
ボウッ!
レミリア「!? ぐ、ああぁぁぁあぁあ!!!」
しかし、『辛うじて躱せた』程度では不十分。
熔岩は近づくだけでも肌を焼け爛れされるほどの高温を有しているのだ。
その熱から逃れるためには十分な距離を取らなくてはならない。
故に、熔岩の至近距離に近づいてしまったレミリアの衣服は自然発火し、炎が彼女の背中を纏わり付く。
レミリア「う゛ぅぅぅっ……!」ズシャッ!
彼女は背中から地面に落ちると、そのままごろごろと地べたを転がる。背中の炎をもみ消すためだ。
幸いなことに、落ちた所はパチュリーの魔術の範囲外だった。
熱くなってはいるが地面の水分は蒸発していない。火を消すには十分。
だが、火を消すことはできても背中の火傷まで消せるわけではない。
黒こげになった衣服の下に見えるのは、無残にも赤黒く変色した肌。
背中を叩きつけた衝撃で水泡が破裂し、淡黄色の体液が垂れ流されていた。
レミリア「~~~~~~っっっ!!!」
背中全面を剣山で滅多刺しにされたかのような激痛。
本来であれば、大声で泣き叫ぶほどの痛みであるはずだ。
しかし彼女は全身から脂汗を吹き出しながらも、喉から出かかる声を必死に押さえ込む。
火傷の重傷度の度合いは『熱傷深度』、即ち皮膚表面からどれくらいの深さまで傷が及んでいるかということと、
どれだけの面積が火傷で覆われているかを示す『熱傷面積』で決定される。
この二つの中でも『熱傷面積』は、『小児』では全体の15%以上、
『大人』では30%以上になると重度の火傷と判断され、早急な対処が必要となる。
レミリアの体格を考えると彼女は小児、そして背中の面積が皮膚全体の15%を占めることを考えると、
背中全面に熱傷を負った彼女の容態は深刻であり、生死の危険さえあると言えるだろう。
しかし彼女に限って言えば、その心配は全くの杞憂である。
彼女の体であれば、この程度の火傷など1時間もあれば全快するだろう。
一つ問題があるとすれば、『今この場を生き延びることができるのかどうか』に尽きるが。
レミリア「!」バッ!
どうやらパチュリーは一息つく暇も与えるつもりはないらしい。
背後に悪寒を感じたレミリアがその場を飛び退くと、霧の中に消えていった熔岩流が再び舞い戻ってきた。
赤く輝く体を波打たせ、獲物に食らいつこうと突進する。
しかし、同じ轍を踏む彼女ではない。
確かにアレは触れただけで致命傷となるような代物であるが、動きについてはそれ程ではない。
前の水流の方が精密性、速度共に数段上だった。そんなものに今更後れを取るなどあり得ない。
レミリアは熱が届かない距離を、そして熔岩流の姿を濃霧で見失わない距離を保ちながら走り回る。
レミリア(霧が濃すぎる。 いくら何でもやり過ぎよ。 3歩先までしか見えないじゃない)
レミリア(熔岩は常に光っているから位置がわかるけど、あいつを見失ったわ)
レミリア(でも、おかしいわね。 相手の姿が見えないのは、向こうも同じはずなのに……)
レミリア(精度は低いけどこの熔岩、確実にこっちに向かって攻撃してくる。 どうやってるのかしら?)
熔岩は多少のズレがあるものの、レミリアがいる方向に向かって移動している。
パチュリーからはレミリアの姿が見えないはずなのにだ。
自動制御の術式でも組み込んだのだろうか?そうだとすれば、少々厄介なことになりそうだ。
熔岩の動きを自動制御にしたと言うことは、今のパチュリーは完全にフリーな状態であると言うこと。
レミリアが逃げ惑っている間に大規模な魔術を発動し、この一帯を綺麗に噴き飛ばすかもしれない。
もたもたしてはいられない。一刻も早くこの霧を脱し、居場所を突き止めなければ。
レミリア(チッ……さっきからうざったいわね!)
ドコンッ!
レミリアは心の中で苛立ちの声を心の中で上げると、思いっきり足を振り下ろして踏みつける。
すると地面に大きく罅が入り、巨大な土の塊が宙に跳ね上がった。
それを自分に向かってくる熔岩に目掛けて蹴り飛ばす。
レミリア(潰れてろっ!)
ドチャッ!
トマトが潰れるような音と共に、輝く液体が四方に飛散する。
大質量の土によって熔岩は堰き止められ、埋め立てられた。
暫く注視していたが、再び動き出す気配は無い。脅威は去ったようだ。
レミリア(……さて、さっさとここから抜け出さないと。 いつ、何が起こるかわからない)
レミリア(あいつの手数は尋常じゃない。 直ぐに見つけないと……)
パチュリーは今レミリアがどのような状況にあるのか、しっかりと把握はできていないはずだ。
自動操縦と言うことは、パチュリーは自身の魔術がどのような状態になっているのかを感知できないと言うこと。
音で大まかな位置は把握できるだろうが、所詮はそこまでだ。
こちらの位置を特定される前に、こちらのアドバンテージを確保しなければ。
「N R F U(神と共に歩む人の子らは、神の火より啓示を受ける)」
レミリア「!」
霧の何処かから女性の声が響き渡る。
レミリアは聞こえてくる方角から位置を特定しようとするが、声が洞窟の中にいるかのように反響し、それを許さない。
この霧の中パチュリーの元に辿り着き、詠唱を止めることは不可能に近い。
そう判断すると、レミリアは逃げの一手に出た。
「V T T H R F W A T U H L T W O T G G
(これより訪れるは聖なる審判。 聖地の不浄を洗い流す大水。 大いなる神の意志)」
覇気が殆ど感じられず、氷の様な冷たさを感じさせる声が聞こえてくる。
「N T C A S I A W G I S T S T C F G A T L O H O
(人の子らは神に従い船を創る。 それは己の命を、そして神からの戴物を救うための大箱)」
まだ霧の中から逃げられない。
もう抜け出してもおかしくはないはずなのに。
「T T S A W T P O A A N W F T D O J
(彼らは全ての戴物のつがいと共に船に乗り、審判の日を待つ)」
自分の想像以上に体力を失ってしまっているのだろうか。
だが、それを気にする余裕すら残されていない。
「I W S A A T F O F D H T G E A L
(やがて大地を四十日四十夜の洪水が襲い、生きとし生けるもの全てを押し流した)」
間に合わない――――
そう思いかけた瞬間、白に染まっていた視界が瞬く間に晴れ上がる。
広がるのは緑の芝生と青々とした植林樹の林。レミリアはそのまま林の中へと駆け込んだ。
しかし、その安心もつかの間、パチュリーの詠唱が完了する。
「――――『神罰の大洪水(ノエキアンデリュージュ)』」
ズドッ! ゴゴゴゴ……!!!
大地を伝わる激震。そしてそれに続く地鳴りと震動。
背後から何か大きな物が迫ってきている。しかもかなり速い速度で。
その正体を知るべく、レミリアは走りながら背後を振り向く。
その時、彼女の瞳に映った光景は――――
レミリア「――――!?!?」
津波。
幅100メートル、高さは優に10メートルを超すほどの巨大な泥の壁。
それは芝生ごと地面を捲り上げ、木々をバキバキとへし折りながら飲み込んでいく。
更には飲み込んだ物を己の血肉にするかのように、段々とその体を大きくしていた。
レミリア(速い! この林の中じゃ上手く身動きがとれないし、すぐ追いつかれる!)
レミリア(跳び越えるのも難しい……例え跳び越えられたとしても、着地地点に地面があるとは限らない)
レミリア(真横に飛び込めばギリギリ避けられるけど、出てきた所を狙い撃ちにされるわね……)
レミリア(こうなったら……!)
レミリアは足を止めると、迫り来る暴食の泥壁を睨みつけた。
全身に力がこもる。手からは強く握りしめ過ぎたために爪が食い込み、血液が滴り落ちている。
それは心に沸き上がる恐怖を押さえつけるためか。それとももっと他の何かか。
だが津波はそんな彼女を全く意に介することなく、その体の中に取り込まんと無情に襲いかかった。
今日はここまで
質問・感想があればどうぞ
乙
旧約聖書のノアの方舟か?
>>923
元ネタはパチュリーのスペカ『土水符「ノエキアンデリュージュ」』
英語に直すと「Noachian Deluge」で、直訳するとそのまま「ノアの大洪水」
パチュリーが使う魔術の元ネタの殆どは原作のスペカから取っています
これから投下を開始します
* * *
パチュリー「S A Q B(風の精霊よ。 静やかな息吹を)」
パチュリーが呪文を唱えると穏やかな風が吹き込み、濛々と立ちこめる霧を優しく拭い去る。
『妖精の角笛(シルフィホルン)』。
周りに風を吹かせるだけの、子供でも扱える他愛もない魔術だ。
だが『霧を晴らす』という目的を成すためであれば、これ以上適した魔術は無いだろう。
魔術に限らず、どんなものにも『最大限に実力を発揮できる状況』が存在する。
それを上手く使い分けることが、物事を効率よく進める上で必要なことなのだ。
パチュリー(さて、状況はどうなっているかしら?)
霧が晴れていく様子を眺めながら、パチュリーは周囲を見渡す。
すると公園の奥には、前へ前へと突き進んでいく土色の津波の姿が。
言うまでもなく、パチュリーの『神罰の大洪水』によって生み出されたものだ。
それが地面にある全ての物を根こそぎ飲み込んでいく様子を、生みの親は唯々見つめていた。
パチュリー(向こうに見えるのは林……いくら人離れした体を持っていても、あの中じゃ存分に力を発揮できないはず)
パチュリー(土地との相乗効果によって、あの魔術は従来の倍近くの規模になっている。 追いつかれるのは時間の問題)
パチュリー(避けるには津波の両脇に飛び退くか飛び越えるしかないけど、その気配は今の所無い。
ってことは、未だに進路の反対に向かって逃げていると言うこと?)
パチュリー(それとも、既に波に飲み込まれたか……もしそうだとしたら面倒ね)
魔術を中断したとして、後に残った残骸の中からレミリアを見つけ出すのは骨が折れる。
泥の中を必死になって探し回るのは流石にきつい。彼女は一般女子の平均以下の体力しかないのだから尚更だ。
もしかしたら、別れて行動している土御門を呼び寄せないといけないかもしれない。
パチュリー(そうなったら間違いなく、彼は小言を零すでしょうね。 どうでも良いことだけど)
パチュリー(さて、そろそろ止めようかしら? 公園の外まで行っちゃいそうだし……)
津波は既に、公園の彼方まで突き進んでしまっている。
このままだと敷地内を越えて、居住区まで到達しそうな勢いだ。
『人払い』は敷地をギリギリ覆うことができる大きさに設定している。
これをはみ出してしまうと、この街の住人に自分達が起こしている騒ぎを悟られてしまうだろう。
そうなったら、事後処理やら何やらで面倒なことになる。
公園をここまで徹底的に破壊している時点で処理も何も無いと言えるが、
そこは学園都市側が上手く隠蔽してくれるだろう。
パチュリー「頃合いね……N G O D T T O(人の子らは大海原に向けて鳩を放ち……)」
津波を治めようとパチュリーが言葉を紡ぎかけたその時だった。
一瞬、津波の中心が淡く光ったような気がした。
パチュリー(……?)
その光を見て彼女は目を細める。しかし、再びそれを見ることは叶わない。
一体何の光だったのか?ただの気のせいなのか?数々の疑問が頭を過ぎる。
だがそれらのことを判断するより前に、『何か』によって泥の壁に大きな穴が開いた。
ズドォンッ!
それから僅かに遅れて、鼓膜を打ち付けるかのような凄まじい轟音が轟く。
衝撃により津波がぱっくりと左右に分断され、霧散した。
そしてその間隙を飛び出してくる真紅の光を放つ『何か』。飛来するそれの姿を一言で表現するなら『紅の槍』。
紅い電流のようなものを身に纏ったそれは、バチバチと派手な音を立てながらパチュリー目掛けて一直線に飛んでくる。
パチュリー「っ!? U D M!」
パチュリーは驚きながらも呪文を唱え、再び水の柱を吹き上がらせる。
その数7本。暴走した大型トラックが全速力で突っ込んできても、余裕で防ぐことができる程の厚さだ。
単純な力押しでは絶対に破ることはできない、パチュリーが持ちうる最高の防御魔術の一つである。
パチュリー(突破してくる!?)
だがそれにも拘わらず、真紅の槍は壁を易々と突き抜けてくる。
さながら、濡れた指で障子紙に穴を開けるかのようだ。
それでいて、勢いは全く衰える気配を見せない。このままでは間違いなくパチュリーの下まで到達する。
あれを防ぐことは不可能。ならば避けるしかない。
そう判断したパチュリーは即座に槍の進路の脇に飛び退いた。
槍が鋭い風切り音を立てて、先ほどまで彼女が立っていた場所を通り抜ける。
そしてそのまま100メートルほど飛んでいくと、槍はかき消えるようにして消滅した。
パチュリー(あの子は――――)
槍の行く末を見届けたパチュリーは、それが飛んできた方向を即座に見やる。
しかし、そこには人影の姿はなく、薙ぎ倒された木々の残骸があるのみだ。
槍の投擲主は何処に消えたのか?
パチュリー「どこに……」
「こっちよ」
パチュリー「!」バッ!
声が聞こえてきた左の方角を見やると、そこにはレミリアが公園灯の上に立ってこちらを見下ろしていた。
どうやらパチュリーが槍に気を取られている隙にそこまで移動したようだ。
幼い容姿にはそぐわない、見た相手を萎縮させる鋭い目付き。そして口元に浮かぶ妖艶な笑み。
大きな紅い月を背景にして佇む彼女の姿からは、得体の知れない恐怖を心に思い起こさせる。
しかしそれらよりも、一際目を引くある要素が今の彼女の容姿に在った。
パチュリー(……血?)
レミリアの服に血が付いている。
ただし、『切り傷から滲み出た』などという生半可なものではない。
頭からペンキを被ったかのように、全身の衣服が真紅に染まっていた。
スカートの縁から衣服が吸いきれなかった血液がぽたぽたと滴り、足下の公園灯を紅で濡らしている。
そして電灯の光が血液を透過することで、地面をもそれと同じ色に彩っていた。
『血塗られた悪魔(スカーレットデビル)』。
パチュリーの目に移る一枚絵の光景は、そう表題を付けるのに相応しい。
パチュリー「――――」
レミリアの凄惨な姿にパチュリーは言葉を失う。
全身が血濡れの人間を見て、何も思わない方がおかしい。
あの血が出血によるものならば、レミリアは間違いなく出血多量で命の危機に瀕しているはずだ。
しかし、当の人には疲労や動揺と言った様子は微塵も見受けられない。
まるでそうなることを知っていたかのような。そして、そうなることに慣れきっているような。
彼女の落ち着き様は静穏を通り越して不気味ですらある。
バチバチッ!
と、突然何かが大きく弾ける音が響く。
音の出所はレミリア。正確には彼女の手からだ。彼女の手から淡い紅色の光が迸っている。
やがてそれは段々と収束し始め、輝きを増しながら『何か』の形を形成していった。
ドクン、ドクンと鼓動するかのように、それは彼女の手の中で明滅している。
ブシュッ!
レミリア「ぐ、ゴフッ!!!」
そしてそれ呼応するかのようにレミリアの体から鮮血が吹き出す。
頭から。腕から。両足から。全身のありとあらゆる所から満遍なく。
さらに彼女の小さな口からは大きな血の塊が吐き出された。
レミリアが全身血濡れになっていた理由がこれであることは間違いない。
だが彼女は自身の身体の異常を全く意に介することなく、更に手に力を込める。
すると彼女の手に集まっていた光は爆発的な煌めきを起こし、そして直ぐに収まった。
全てが終わった後に、彼女の手に握られていたのは1本の長い槍。
先ほどパチュリーに向かって放たれたものとほぼ同じものだ。
ただし、前のそれよりも一回り大きく見えた。
レミリア「ゲホッゲホッ……あら、どうしたの? そんなに驚いて……」
パチュリー「貴方、やっぱり魔術を……!」
息を乱しながらも余裕を失わないレミリアに対し、パチュリーの驚愕はここに来て頂点を迎える。
学園都市の能力開発を受けているレミリアが魔術を使った。
その事実が一体何を意味するのか。それを理解していないパチュリーではない。
超能力者は魔術を使えない。使ったら最後、人体が爆発してしまう。
そんな計り間違えれば命を落としかねない暴挙を、レミリアは躊躇いなくやってのけたのだ。
レミリア「別に、これくらいいつもの事よ……この体を手に入れるために、何度も同じ目にあったんだから」
レミリア「最初は痛みでのたうち回ってたものだけど、慣れてしまえばどうって事無いわ」
レミリア「一端変えてしまえば、傷の治りも早くなるしね……痛いことには変わりないけど」
顔を伝う血を拭いながら、彼女は何でもないかのように言う。
事実、拭った後の肌には裂傷のようなものは何一つ見受けられなかった。
あれだけの血が吹き出たのだから、傷の一つや二つあってもおかしくないはずである。
だが、それに対して疑問を抱くのは愚問でしかない。
レミリアにはそれだけの傷を、いとも簡単に治癒しうる方法を所持しているのだから。
パチュリー「吸血鬼化の魔術……」
レミリア「ご名答。 何れ来る貴方たちを迎え撃つために、刻印を使って少しずつ肉体を造り替えていたの」
レミリア「まだ全体の3分の1も変えられてないけど、それでも十分過ぎるほどの効果が得られたわ」
レミリア「その代わりとしていくらかの女性の生き血が必要になったけど……」
レミリア「幸い優秀な協力者がいたから、それ程問題じゃなかったわ」
パチュリー「それってもしかして、最近騒ぎになっている『連続通り魔事件』のことかしら?」
レミリア「あら、そんなことまで知っているのね。 ちょっと意外」
パチュリー「仲間にこの街の事情を詳しく知る人物がいてね。 彼から聞いたのよ」
レミリア「ふーん。 ……そう言えば、確かあの時見えた人間は『二人』だったわね」
レミリア「まぁ、どうでも良いことだけど。 気にする必要もないし……」
パチュリー「……?」
怪訝な顔をするパチュリーを尻目に、レミリアは手に持つ槍を持って身構える。
それは両手に持って槍先を相手に向けているだけの、簡素極まりないもの。
お世辞にも様になっているとは言えない、素人丸出しの構え方である。
そもそも槍の長さとレミリアの体格が釣り合っていないのだ。
自身の身長の3倍近い丈を持つものを細腕の女性が振り回せばどうなるか。
まず間違いなく、槍の重さに振り回されて体が泳ぐことになるだろう。
だが、彼女の体は既に人外の領域へと半歩程足を踏み込んでいる。
それを考えればあの程度の重さなど苦でもない。
いや、そもそも魔力で生み出された槍に重さがあるのかという疑問はあるが。
レミリア「さて……そろそろおしまいにしましょう。 何時までもダラダラと引き延ばすのはスマートじゃないわ」
レミリア「私にはまだやらなきゃいけないことがあるし……貴方も時間が惜しいでしょう?」
レミリア「あ、言っておくけど、拒否権はないから」
パチュリー「……仕方ないわね」
驕傲な態度で告げられた横暴すぎる命令を、パチュリーはにべもなく承諾する。
実際の所レミリアの言う通り、彼女には余り時間は残されていなかった。
立て続けの魔術の使用で、体力が限界に近くなってきていたのだ。
『精霊魔術』を用いた『白波の姫君』の威力強化。
そして『血潮の湧出』、『神罰の大洪水』といった多属性の掛け合わせ。
どれも強力な魔術であるが、相応の魔力と術式を維持するための精神力が求められる代物だ。
威力強化はまだしも、多属性の掛け合わせは要領を間違えると発動すらできない。
彼女が用いる魔術は西洋魔術師が良く用いている概念である『四大属性』ではなく、
東洋の地域で主流となっている『五行思想』を元としている。
『木、火、土、金、水の5属性が生滅盛衰することで、万物が変化し、循環する』という考え方である。
そしてこれら5属性の相互関係には、魔術として使用する上で欠かせない性質が存在する。
1つ目は『相生』。相手を生み出す陽の関係。
2つ目は『相剋』。相手を討ち滅ぼす陰の関係。
3つ目は『比和』。同じ気同士が重なり合うと盛んになる性質。
4つ目は『相悔』。気が盛んになると『相剋』を受け付けなくなる性質。
5つ目は『相乗』。『相剋』が過剰になり、相手を蹂躙してしまう性質。
これら5つの性質を正しく流用することにより、普通では考えられないような莫大な威力の魔術を行使することができるのだ。
例えば『白波の姫君』は土地の属性と術の属性を重ね合わせる。つまり水の『比和』により威力増大させている。
『血潮の湧出』は『火』と土、すなわち『火生土』で相性が良く、互いを補い合い本来以上の力を発揮できるのである。
だが問題は『神罰の大洪水』。これは『水』と『土』であり、この二つの属性は『土剋水』で相性が非常に悪い。
この二つの属性を掛け合わせるためには『水気』を盛んにして力を釣り合わせなければならない。
しかし逆に盛んにし過ぎると、『水悔土』となって再び力関係が崩れてしまう。
強い『水気』と弱い『土気』。二つが丁度良い力関係となった時、初めて『神罰の大洪水』は機能するのだ。
パチュリー(でももう、これ以上『多属性複合魔術(マルチソーサリー)』を使うのは危険だわ)
パチュリー(精神力は兎も角、属性のバランスを維持する術式を保つ魔力が殆ど無い)
パチュリー(単属性の単発魔術を使うなら余裕があるけど、それだと威力に不安が残るし……どうしたものかしら?)
パチュリー(『あれ』ならあの子の性質を考えればどうにかなるかもしれないけど……)
自身が今用意できる最大級の魔術。しかしそれを発動するには相応の準備を要する。
具体的に言ってしまえば、詠唱を終えるまでにかかる時間がとても長いのだ。
その時間をざっと計測すると約1分。とてもではないが、戦闘の最中で唱えられるものではない。
そんなことをしようものなら、敵方に『殺してください』と言っているようなものだ。
しかし、だからといってこの魔術が全くの役立たずというわけではない。戦闘中に有効に活用する方法は当然なから存在する。
それは『魔術発動の遅延化』。予め魔術が起動する直前の状態まで詠唱を行い、必要になった場面で完成させる方法だ。
しかしこれを行っている間は、他の魔術が一切使えないという致命的な欠点がある。
集団戦に於いて後列で待機し、ここぞという場面で前に出て使う一撃必殺であり、1対1の戦いで使用できるようなものではない。
結局の所この魔術を使う案は却下せざるを得ず、他の手段を模索するしかない。
そのはずであったのだが……
レミリア「それじゃあ……貴方からどうぞ。 好きな魔術を詠唱すると良いわ」
パチュリー「……はい?」
その時レミリアの口から放たれた言葉は、パチュリーの予想の斜め上を行くものであった。
何と目の前の女は、自分に攻撃を準備する余裕を与えてやるというのである。
パチュリーとしては願ってもないことであるが、その真意を全く理解できない。
パチュリー「……何のつもり?」
レミリア「別に。 ただ単純に、貴方と全力でぶつかってみたいだけよ」
レミリア「この戦い、私としては『けじめ』の意味が強いの。 貴方を全力で打ち倒すことで因縁を断ち切る」
レミリア「中途半端じゃ許されないのよ。 それだと心残りができてしまうから……」
レミリア「だから、貴方の全身全霊を以て来なさい。 力を温存しようなんて考えないことね」
レミリア「そんなことしちゃたら私、怒りのあまり貴方を八つ裂きにしちゃうかもしれないわ」
そんな冗談のようにも、本気のようにも捉えられる言葉を口にするレミリア。
彼女にとってこの戦いは、過去との決別を意味するのだろう。
パチュリーを殺すことでイギリス清教に明確な敵対を示し、自身にとっての弱味を排除する。
それにより、自分自身に覚悟を決めさせようとしているのだ。
それを成し遂げるためには、『パチュリーを明確な殺意を持って殺した』という事実が必要となる。
中途半端な意志では後に必ず自責の念を抱き、イギリス清教と敵対する意志が揺らいでしまう。
そして、その心の揺らぎを突いて来る輩がいないとも限らないのだ。
故にレミリアは、この戦いを中途半端に終わらせるつもりは毛頭無い。
自身に牙を剥いた者共は徹底的に叩き潰す。それが、彼女が自らに課した覚悟だった。
パチュリー「……訊くけど、それは舐めてるのかしら? 私が全力を出したとしても、余裕で勝てると?」
しかしその言葉を聞き、パチュリーは不快な表情をしながらレミリアを睨む。
彼女にとってレミリアの発言は、明らかに自身の力量を軽視したものに他ならないからだ。
少なくとも、パチュリーの全力と拮抗できるという自信がなければ出てこない言葉である。
そんなことを目の前で堂々と言われては、他人の目を余り気にしない彼女も流石に憤怒せざるを得ない。
彼女にも魔術師としての矜持がある。それに泥を塗るような下劣な行為を許容できるはずがない。
だがそんな様子を見て、レミリアは心外だとでも言うかのようにパチュリーを宥める。
レミリア「まさか。 そんな訳ないじゃない。 私がそんな下らない虚栄心を持っているように見えるのかしら?」
パチュリー「さて、ね。 そこは普段の自分自身をよく見つめ直すことを強くお勧めするわ」
レミリア「ご忠告ありがとう。 後の良い参考になりそうね」
軽口を叩き合う二人。
例え殺し合う仲になってしまったとしても、根本の繋がりまで変わることはないと言うことか。
今の彼女達の姿は、かつてあった『親友』としての遣り取りをどことなく彷彿とさせていた。
しかし、その関係が長く続くことはない。それは当然のことだ。
既に二人の間には、狭くとも深い溝が横たわっているのである。
かつてのように、彼女達が再び歩み寄ることは無いだろう。
パチュリー「……いいわ。 貴方の提案を受けてあげる。 私の本気に何処まで抗えるかしら?」
レミリア「クスクス……貴方こそ、私を失望させないでね?」
色々と考慮した結果、結局パチュリーは相手の提案を承諾することにした。
レミリアの意図は何であるにしろ、彼女を確実に仕留められる機会を逃す手はない。
ただでさえ有効な手段が乏しいのだ。向こう自ら好機を与えてくれるのであればそれに越したことはない。
パチュリー「W F E M W F E T M U T W
(――――木、火、土、金、水。 世界を構成する五つの元素)」
パチュリーは静かに目を閉じ、自分にとって唯一の武器である本を胸に広げて詠唱を始めた。
これから行うのは、五行思想の概念を最大限に用いた魔術。
彼女が持つ異名――――『七曜の魔術師』の名を体現する力の片鱗である。
パチュリー「T B T A T G T D T T T C
(此は万物を産み、育て、そして滅ぼす、輪廻を絶えず回すもの)」
五行は世界を構成する、尤も根本的な元素。
それは形ある物のみならず、四季の移り変わり、方角、色、その他の色々な概念にまで影響を及ぼす。
パチュリー「T I T F A F I A W B F F F O S
(木は自身を糧として火を滾らせ、火より産み落とされた灰は土に還る)」
パチュリー「S F M I T C M S T F C(土はその胸の中で金を育み、金は頬から泪を流す)」
パチュリー「A W D N T T T C A T I A L O N D T C E
(そして滴り落ちた泪は木々を養う。 全ては循環。 自然の理であり、逃れ得ぬ定め)」
それぞれの属性は順送りに相手を生み出していく。
それは閉じた輪であり、その流れこそが万物の循環を創り出す。
パチュリー「T B T A T G T D T T T C
(此は万物を産み、育て、そして滅ぼす、輪廻を絶えず回すもの)」
五行は世界を構成する、尤も根本的な元素。
それは形ある物のみならず、四季の移り変わり、方角、色、その他の色々な概念にまで影響を及ぼす。
パチュリー「A T M T P T G S I W T W I T H
(その理を律するのは、天上にて現世を見守る大いなる太陽)」
その『相生』の流れは『陽』の関係。そして『陽』を司るのは空に鎮座する『太陽』である。
逆に相手を討ち滅ぼす『相剋』の流れは『陰』の関係であり、それは同じく空に有る『太陰』が司る。
この二つを合わせると『陰陽』となり、それは五行と同じく森羅万象の動きを支配している。
パチュリー「T L S G O I A H S T E S T I U A W I T L A L T
(彼の者が放つ光は、生きとし生けるものを慈愛で包み、不浄なるものを滅す聖なる輝きなり――――)」
太陽は地上で生きる全てにとっての母であり、そして闇に巣くう魑魅魍魎を打ち払う、聖なるものの象徴でもある。
故にその力を運用して放たれる魔術は、目の前の悪鬼を滅ぼす大いなる御業となるのだ。
レミリア「……パチュリー、貴方は一つだけ勘違いしているわ」
眼下で詠唱を続けるパチュリーを見つめていたレミリアは、不意に言葉を小さく漏らす。
その口調は物分かりの悪い子供を窘めるかのような、不思議な慈しみが篭められたものだった。
しかしそれは余りにか細い声であった為に、その言葉が相手に耳に届くことはない。
だが彼女はそれを理解しているのか、していないのか、下にいる女を見下ろしながら独り言のように言葉を紡ぐ。
レミリア「私は貴方のように立派な魔術の教育を受けてないの。 私にできるのは、精々子供だましのものだけ……」
レミリア「魔方陣を書いたり詠唱をしたりするなんて、そんな大層なことはできないのよ」
レミリア「だから私の『これ』は魔『術』なんて大それたものじゃないわ……」
レミリア「私にできるのは、自分の魔力を収束して、そのまま投げつけることだけよ!」
ガキュンッ!
レミリアは足場の公園灯を拉げさせながら、空高く飛び上がる。
その手に持つのは、自身の魔力を圧縮させて生み出した1本の真紅の槍。
小細工など何一つ無いただの魔力の塊であるが、それ故に『破壊』という単純すぎる結果を齎す。
さらにその槍を凶悪足らしめているのは、彼女が持つ吸血鬼の肉体だ。
その不死の体から溢れ出す無尽蔵の魔力は、槍の破壊力を青天井の如く引き上げ続ける。
レミリアはそれを右手に掲げると、眼下のパチュリーを目掛けて大きく振りかぶった。
パチュリー「――――『女帝の光輪(ロイヤルフレア)』!」
それと時を同じくして、パチュリーの詠唱が完了する。
彼女の口から最後の一句が放たれた瞬間、公園の全てが白色に染まった。
ゴォウッ!
パチュリーの頭上に掲げられた本から解き放たれたのは、一つの大きな光の球。
いや、『大きな』などと言う陳腐な表現では収まらない。
直径50メートルにも及ぶそれは『馬鹿馬鹿しい程巨大な』ものだ。
それは表面から炎を迸らせ、時折小さな爆音を発しながら莫大な光と熱を放出し続けている。
その姿は正しく、天を支配する『太陽』そのもの。
人の手により創造された偉大なる生命の母は、その荒々しい熱情を大地に振り撒いていた。
レミリア「――――!」
突然目に飛び込んできた極光に眼を細めるレミリア。余りの光量に目が眩みかける。
ジリジリと熱線が彼女の肌を焼く。それどころか、皮膚から白煙まで立ち上り始めた。
それは彼女の肉体が吸血鬼であるが故に。
吸血鬼が太陽の光に晒されると、灰となって死んでしまう。
だからこそ、パチュリーが持つ最大の威力を持つ魔術の一つである『女帝の光輪』は、
吸血鬼であるレミリアに対して最も有効な攻撃手段であり、切り札となる。
パチュリー「これで終わりよ! レミリア・スカーレット!」
レミリア「――――舐めるなッ!」
自身を焼きつくさんとする業火を前にして、レミリアは微塵も臆することはない。
彼女は手に握った紅槍の内に籠もった魔力を一気に解放する。
何かが強く吹き出す音と共に閃光が煌めき、槍は大きな1本の光の帯と化した。
レミリア「っああぁッ!!!」
先ほどの10倍以上の大きさと長さになったそれを、レミリアは雄叫びを上げながら、
あらん限りの力を込めて光球に向けて投げつける。
人外の腕から放たれた槍は、音速以上の速さで以て紅電を周囲に放ちながら直進し――――
――――太陽の中心へと吸い込まれていった。
今日はここまで
次スレは様子を見ながら建てようかと思います
質問・感想があればどうぞ
これから投下を開始します
ドッガァァァァァァァァァッ!!!
そして引き起こされる大規模な爆発。
地上から10数メートル上空で発生した爆風が、地上にあるもの一切合切を吹き飛ばし、燃え上がらせていく。
地面を覆う芝生を焼き尽くし、林立する樹木をへし折る。破壊の波が地上を蹂躙していった。
立ち上るのは空の彼方にまで届く大きな茸雲。
白色の粉塵で造られたそれは、地上に広がる破壊の爪痕をじっと見下ろす。
土埃が漂い、爆風の残滓である残り火がちらつく荒廃した大地。
全てが破壊し尽くされ、生物が死滅したはずの爆心地において、『彼女』の姿は存在した。
パチュリー「……」
パチュリーはあの破滅の炎を受けて尚健在であった。彼女の体には埃一つ付いていない。
それは何故かと問われれば簡単な話で、光球が爆発する瞬間に自分の身を守ったというだけの話。
彼女の周りを取り囲む、透明で緑色をした分厚い石の壁がそれである。
『三賢者の碑文(エメラルドメガリス)』。
それが石板を生み出した魔術の名だ。
『神人』とも称される、伝説的魔術師『ヘルメス・トリスメギストス』が遺したエメラルドの石板。
同じく彼が遺したものである、『ヘルメス文書』と並ぶ代表的な魔道書である。
錬金術の奥義が記されたそれは、外部の脅威から文書を守るために強固な防衛魔術が施されており、
曰く、千の馬の脚に踏まれても、燃え盛る溶岩の河に投げ込んでも傷付くことはない。
何物にも侵されないがために、『絶対不変の真理の石板』とも言われている。
そして『三賢者の碑文』という魔術は、その石板と防衛魔術を再現したものである。
無論そっくりそのまま再現しているわけではなく、数段階劣化させたものに過ぎないわけだが、
それでも一般的な魔術に対しては鉄壁のとも形容できるほどの防御力を誇る。
故に『女帝の光輪』の至近距離の爆発にも十分に耐えることができるのだ。
パチュリー「……死んだかしら?」
「勝手に殺さないでくれる?」
パチュリーの一言に対し、レミリアは即座にどこからか否定の言葉を返す。
声色から考えるに、どうやら向こう側も健在のようだ。
あの爆発からどのようにして逃げたのかはわからないが、随分としぶとい。
無傷ということはないだろうが、今の魔術で完全に仕留めきれなかったのは予想外だ。
これはいよいよ不味い状況になったかもしれない。
そんなことを考えていると、煙の向こうからレミリアが姿を現した。
パチュリー「……無事だったのね。 手加減はしなかったのだけど」
レミリア「でしょうね。 あれだけの規模の爆発……手を抜いた訳じゃないことは理解してるわ」
パチュリー「その爆発の中で生き延びられたのが不思議でならないんだけど……」
パチュリー「宙に浮いた状態で対処するなんて……もしかして、蝙蝠になって飛んで逃げたの?」
レミリア「馬鹿言いなさい。 私にそんなことはできないわ。 単純に魔力を放出して爆風を逸らしただけよ」
パチュリー「面白くないわね」
レミリア「何期待してるのよ。 仮にできたところで、一発芸にしかならないじゃない」
パチュリー「それもそうね。 にしても……」
『随分とひどい格好になったわね』と言いながら、パチュリーはレミリアの容姿を見て目を細める。
普段通りのような会話をしているが、レミリアの今の姿は悲惨極まるものであった。
自身の魔力で身を守ったとは言っているが、やはり防ぎきれなかったらしく、彼女が着ている服は熱で黒焦げになっていた。
被っていた帽子は何処かに吹き飛ばされ、可愛らしい桃色のドレスはその殆どが焼失してしまっている。
体のあちこちに火傷があり、背中のものと合わせてほぼ全身が覆われているような状態だ。
その中でも特に酷い火傷を負っているのは彼女の左手である。
おそらく前に突き出して魔力の噴出点にしたためなのだろう。
指の大部分が炭化し、黒ずんだ縁からは白い骨が顔を覗かせていた。
レミリア「えぇ、本当にひどいわ。 この服、結構お気に入りだったのに……」
レミリア「体中が痛いし、左手は使い物にならないし……本当にひどいことしてくれたわ」
しかしこれだけの傷を負っているにも拘わらず、彼女は痛がる素振りを見せない。軽口を叩く余裕まであるらしい。
体の火傷は兎も角、炭化した左手は神経ごと焼失したために感覚がなくなってしまったのだろう。
しかし痛みを感じなくなっていることを差し引いても、レミリアの体は既に満身創痍。戦闘の続行は不可能に近い。
少なくとも今までのような機敏な動きをすることはもう二度とできない。
獲物を捕らえるならば今が絶好の機会。
魔力は底を尽きつつあるが、獲物の動きが鈍っている今ならば十分事足りる。
戦闘が始まって20分。これくらいの時間であれば、本来ならばまだまだ余裕が残っているはずなのだ。
無駄に魔力を浪費してしまっている理由は、偏にレミリアの動きが機敏すぎたため。
魔術を悉く避けられていたが為に、その分だけ余分に手間が増えてしまっていたのである。
しかし機動性が封じられたこの状況であれば、その手間をかける必要は無い。
パチュリー「その体だと、もう戦うことはできなさそうね。 私としては仕留めるつもりだったんだけど……」
パチュリー「でも『最大主教』からはできるだけ生け捕りにするように言われてたし、結果オーライと言った所かしらね」
パチュリー「どうする? このまま降参してくれるなら、私としては願ってもないことなのだけど」
パチュリーはレミリアに最後の通告をする。
無傷であり、まだ少なからず余裕が残されている彼女と、全身に傷を負い、左手を失ったレミリア。
戦局は素人の目から見ても一目瞭然。パチュリーが優位に立っていることは明白である。
このまま戦い続けても、戦局が覆ることは考えにくい。
それ故の降伏勧告。パチュリーの最後の慈悲だ。
彼女としては生け捕りにできるこの状況を見す見す無駄にはしたくないのだが、だからといってそれに固執するつもりは毛頭無い。
『捕獲』は二の次であり、重要なのは『吸血鬼の情報の抹消』。そこを取り違えてはいけない。
レミリア「冗談。 まだやれるわ。 私は死んでいないのだから」
パチュリー「……残念ね。 何となくわかってたことだけど」
敵側から差し伸べられた恩情の手。しかしレミリアは、その甘言を顔色変えずに一言で蹴り飛ばす。
答えを聞いたパチュリーの顔にも驚きの表情は見られなかった。
レミリアの負けず嫌いの性格を考えれば、当然の結果と言えるだろう。
自分勝手で我が儘で、他者に屈することを良しとしない。自分を中心にしないと気が済まないのだ。
頭の中にある過去の記憶と殆ど変わりない性格をしていることにちょっとした安心感を覚えるが、
この場に於いては全く必要のない余分な感情である。
パチュリー「でも、本当に良いのかしら? この状況、どう考えても私の方が有利」
パチュリー「私は無傷でまだ余力を残してるけど、貴方は傷だらけ。 戦局は明らか」
パチュリー「その判断は愚かとしか言い様がないわ。 それとも何、策でもあるのかしら?」
レミリア「それはどうかしら……ね」クスクス
窮地の陥っているにも拘わらず、妖艶な笑みを浮かべるレミリア。
場面に不相応なその表情が周囲に不安をまき散らした。
まだ何か手があるのか。もしかして何かを見逃しているのか。
疑問を抱けば抱くほど思考の泥沼に嵌っていき、心の余裕を失ってしまう。
疑心暗鬼は物事を正常に判断する力を奪う。例え向こうが強がっているだけだったとしても、
僅かな可能性を憂慮してしまうのが人間の性というものだ。
こんな時こそ平静を保たなければならないのだが、保った所で向こうの嘘も見抜く手段はない。
レミリアの表情に危機感が全く見られないのだ。これが演技なのであれば、相当な役者だろう。
嘘か本当かもわからないこの状況。果たしてどうするべきか。
パチュリー(どちらにしても、その策ごと吹き飛ばしてしまえば問題ない)
わからないのなら、そんな策を講じられても大丈夫な選択を取ればいい。
例えば、圧倒的な力で以て相手の計略をねじ伏せる。実にシンプルでわかりやすい方法だ。
そして、これほど確実な方法は他にないと言える。
策というものは単純にすればするほど、付け入る隙が無くなるものだ。
『力』という名の極限まで単純化された『策』は、如何なる小細工も許しはしない。
決断したパチュリーは呪文の詠唱に入る。
『三賢者の碑文』で創り出された緑の箱は、生半可な力で破られるような柔な代物ではない。
例え人間離れした力を持つレミリアであっても、そう易々と突破することはできないだろう。
だからこそパチュリーは、安全な密室の中で呪文を唱えることができるのだ。
パチュリー「P O K T R I H T T I A T B O J B
(天上に君臨する王のつがい。 二人は漆黒の臥所にて交わる)」
自身に残された魔力はあと僅か。
これ以上の魔術の行使は魔力の枯渇を招き、最後には立つこともままならなくなるだろう。
彼女の貧弱な体力のことを考えれば、それ以上に危険な状態に陥ってもおかしくはない。
今正しく、彼女は自壊の道へと足を踏み入れようとしているのだ。
だが、例えそうだとしても、呪文を紡ぐのを止めるわけにはいかない。
目の前の吸血鬼を止めることができるのは自分だけ。この場で彼女を御することができなければ、
その先に待つのは更なる破滅と悲劇しかないだろう。
レミリアは今の所、魔術の扱いにはそれ程長けておらず、自身が持つ膨大な魔力をただ振り回しているだけだ。
だがもし、彼女がこの科学の街の外に飛び出し、本格的に魔術を修めたとしたら?
そうなったら最後、彼女を止めることは二度とできなくなる。
アレイスターが起こした先の大戦により、イギリス清教のみならず、十字教全体が疲弊している状態だ。
今の十字教に、魔術を会得した吸血鬼を食い止める力は残されていない。
だからこそ、今この場で自分が仕留めなければならないのだ。
レミリア「そろそろかしら?」
パチュリー(……?)
緑の箱の外で暢気にそんなことを呟くレミリア。
パチュリーはそんな彼女を見て、呪文を詠唱しながら怪訝な顔を浮かべる。
レミリアは臨戦態勢に入っているパチュリーを見ることなく、公園にある時計を眺めているだけだ。
パチュリーを守る緑の箱を壊そうともせず、それどころが戦う素振りすら見せていない。
血反吐を吐きながらも戦う先ほどまでの戦闘狂じみた雰囲気とは打って変わって、
時計を何度も見上げるその仕草は、待ち人を待つ一人の少女のようである。
『殺し合いの最中』という状況を完全に度外視した行動。
これは最早、『自分勝手』と言う次元を完全に逸脱してしまっている。
頭が狂ったのかと思いたい所だが、そもそも彼女は吸血鬼だ。
人外の存在になった時点で、人間と全く違った行動原理を持つようになったとしてもおかしくはない。
パチュリー(でも、もうそんなことどうでもいい。 貴方は人間を止めた化け物。 それが揺るぎない事実)
パチュリー(そして化け物は人間に殺されるのがセオリーなのよ。 貴方もその例に漏れないことを、私が証明してみせる)
『怪物(レミリア)』は『人間(パチュリー)』に打ち倒されなければならない。
数々の御伽話の中で語られる、怪物と人間の闘争。
その何れの話に於いても、怪物は人間の手で討ち取られることになる。
それは人間が持ちうる『勇気』、『知恵』、そして『力』を示し、人々に希望を示すため。
そして人間はあらゆる脅威にも立ち向かえるという偉大さを教え伝えるためだ。
だからパチュリーはレミリアを倒さなければならない。
『吸血鬼』という名の怪物に立ち向かう人間として。
人々の尊厳を守るためにも屈するわけにはいかないのだ。
パチュリーは一心不乱に言葉を紡ぎ続ける。目の前の『怪物』を葬るために。
例えその怪物が嘗て人間であり、自分の親友であったとしても。その言葉を止めることはない。
彼女は思い出の全てを投げ捨てることで、『怪物』を殺す覚悟を結実させる。
――――しかし、その想いが実を結ぶことはついに無かった。
今日はここまで
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とある後日の幻想創話(イマジンストーリー)4
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