男「誕生日、でっかいケーキ買ってきてやるよ」 少女「本当!?」(245)

●牧本ひかり 当時2才 女 千葉県
平成14年 12月25日 失踪。
ショッピングモールで買い物中、母親が目を離している隙にベビーカーから消え去り、失踪。
誘拐事件として捜索が行われたが、行方を掴めず、その後10年間行方不明。


……
………

コンビニ従業員「いらっしゃいませぇー」

「……」

おれは、今まさに、万引きをしようとしている。

「……」

リュックサックを背負ったおれは、自然な足取りでカップ麺コーナーへ向かう。

「……うーん」

商品を選ぶ演技をして、おれはタイミングを見計らっていた。

最新のポップ曲が流れる店内で、他の客がレジに訪れるその瞬間をじっと待つ。


客「骨なしチキンください」

コンビニ従業員「はい」

今だ! と思ったね。

その場にしゃがみ込んで、できるだけ音を立てずに、適当なカップ麺を素早くリュックに詰め込んでいった。

男「……」

量にして大体一週間分ぐらい。

店を出ようとした時、偶然、文具コーナーの棚に置かれた消しゴムが目に留まった。

おれはやせ細った腕を伸ばして、その消しゴムもポケットにしまい込んだ。


破裂しそうなくらいぎちぎちに詰まった食料を背負って、緊張しながらコンビニを出た。


コンビニ従業員「ありがとうございましたー」


バイト君のその言葉を耳にしておれは一気に安堵したよ。

“こちらこそありがとうございます”って言いたくなったけど、やめた。


でも全く悟られずに万引きに成功した証のようにも思えるし、なんだか褒められた気分になった。

小学生のテストで『よくできました』のハンコを先生に押してもらったみたいでさ。

だからコンビニの前でなんか照れちゃって、つい後ろを振り返ったんだよ。

男「……!!」

バックヤードの扉から店長と思わしき小太りの男が出てくるのがガラス越しに見えた。

こっちを睨み付けて近付いてくる光景にぎょっとしてさ。


走ったよ。


店長「逃げられると思ってんのか!!」

おれの背中がイカつい怒号が浴びた。

完全にビビっちゃって、危険だって分かってるのに、おれは猛スピードで車が走る大通りに向かって飛び出してた。

道路の真ん中で進んだり後退したりして、走ってくる自動車を交わしながら、向かいの歩道を目指して走った。

さすがのコンビニ店長も追いかけてこれないだろうなと思って、振り返ったら、案の定立ち止まってやがってさ。

男「ふう……」

それで油断したんだろうな。

その時、象の鳴き声みたいなクラクションが聞こえた。

ものすごい光を発する方角を振り向いたら、人を轢くために作られたようなどデカい4トントラックが、勢いよくおれに突っ込んできてた。

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死ぬ前に、この辺で自己紹介でもしておく。

性別は男、B型、独身29歳、定時制高校を中退。

中退した理由はただ勉強が面倒だったから。

面倒だったんじゃなくて、たぶん勉強に対する辛さのせいだ。

中退後は、高校で知り合った不良仲間の家でだらだら過ごす。

グループの中ではおれが一番下っ端だったから、よく使いパシリにされてた。



男「うぐぅっ」

間一髪でトラックを避けて、勢いあまってガードレールに腹をぶつけて情けない声が漏れた。

男「はあ、危なかった…マジ危なかった」

振り返ると、コンビニの店長はおれを睨み付けながら電話を耳に当てていた。

男「…やっべ、通報されてる!」

それからおれは一心不乱に走り続けた……。


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男「はあっ、びゃあ…」

女みたいな走り方をしている自分が悲しかった。
深夜で人通りが少ないのが幸いだった。


自己紹介の続きをしよう。


17歳のとき、仲間の運転する無免許ドライブで人をはねて捕まった。

その車が盗難車だったのが不味く、児童相談所で正月を迎えることになった。


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出所してからも相変わらず友達の家に入り浸っていた。

臆病なおれは、他グループとの喧嘩が始まるといつも隅っこで見てるだけ。


男「ぜえ、ぜえ…」


ある日、仲間の間で車上荒らしが流行る。

深夜の駐車場に止まっている酔っ払いの車。

腕っぷしの強い友人は指を差して「やってこい」とおれに命令した。

友達の見よう見真似で財布と抜き取ろうとしたけれど、呆気なく逮捕された。

どこかで顔の見たことのある裁判官に「何を反省したんだ、キミは」と叱られて、少年鑑別所送りが決まった。


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男「ふう……はあっ……!」


ランクは児童相談所よりも1つ上で、坊主にしたのも人生でそれが2回目だ。

個室でバリカンで刈られた。

一緒に収監された友人達はおれの坊主を撫で繰り回して「ダッセー」とか言って笑い合っていた。


男「……っ!」


下っ端でパシリの青春だったが、それなりに楽しかった。

ぼんやりと年を取る度に友達はいつの間にか減っていって、気がつくと居候先から追い出されてた。

最後に残ったのは前科持ちの無職。それだけ。

……。

男「はあ、はあ…」

滝のような汗がシャツを乾かそうとしなかった。

前かがみになって、『楓荘』の表札を見上げた。


アパートのボロ階段を上がってゆく。

背負っているリュックサックは砂でも詰まってるみたいに重たい。


ガチャ。

男「ただいまあ…」

部屋に帰ると、石油ストーブの音が充満していた。


少女「あ、おかえりー」

ちゃぶ台に頬を付けながら、スケッチブックに鉛筆をなぞらせる女の子がこっちを見た。

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名前は、こはる。


それだけ。



男「メシあるから、好きなの食って」

おれはバッグの中から数日分のカップラーメンを、ちゃぶ台に積み重ねてゆく。

少女「……」

こはるは頬を赤く染めながら、ラーメンタワーの隙間を覗き込んでいた。

肩まで伸びた髪をリボンで2つにまとめたおさげが揺れる。

(あのコンビニ、もう行けないよなあ…)

少女「……」

こはるはその中の醤油ラーメンを手に取ると、細い指でビニールの包みをびりびりと破いていった。


室内には女児用の下着と、おれのパンツと靴下が干されている。

こげみたいな汚れのついた小さな電球だけが点っていて、6畳ほどの部屋を照らすにはこれ1つで十分だった。


パシャ、バシャ。

水垢がこびり付いた流し台で、顔を洗った。

男「はあ……」

氷水みたいに冷たい。鼻の奥がキンと痛む。

おまけに汗だくのシャツが気持ち悪い。


少女「雨、ふってたの?」

こはるは粉末スープの銀袋をしゃかしゃかと振ると、袋を破いて麺に振りかけた。

男「少しだけ降ってたよ」

少女「ふぅーん」

少女「ちょっとどいて」

背伸びして台所の鍋掛けに手を伸ばす。

少女「バイト見つかった?」

鍋に水を入れて、沸かし始める。

男「いや、まだ…」

男「早く仕事みつけないとなあ…」

前のバイトやめてから結構経ってるし。


ちゃぶ台には粉末スープのごみと、ビニールと
書きかけのスケッチブックと、キャラ物の鉛筆が散らかっている。

つけっ放しのテレビから、温泉旅だの良い気分だのそういう番組が流されていた。


少女「あひゅい……」

頬を染めて、ずるずると麺を口に運んでいる。

こはるはティッシュを1枚つまみとって、鼻をふいた。

自己紹介の続きをしよう。

中学まで、児童福祉施設で育った。

昔から勉強することが嫌いで、何をやっても続かない。

怠け癖がついたせいで、高校で始めたバイトは3日でやめた。


男「……」

煙草はハタチ過ぎまで吸っていたが、もう辞めている。

こはるが5歳の時に喘息持ちだと知ってからだ。


酒はたしなむ程度。

金に余裕のあるときにパックの焼酎をちびちび飲んでいる。

4リットルボトルに手をだしたら本気で人生を考えると思う。

審査の緩い会社で作ったキャッシュカードは、もう引き出し限度額に達している。

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男「……」

その日暮らしの生活をいつまで続けるのか。

ちゃぶ台に並べられたラーメンの顔ぶれがおれをにらんでいた。


少女「ふうー、ふうー」

スープの蒸気は天井に向かって、一人勝手に立ち昇る。


29歳。

中年手前のおれに何ができる。

小学生の頃、ひとりだけ夏休みの宿題をやってこなくて、みんなの前で叱られたことがある。
おれはクラスメイトが向けてくる、その見下すような視線が大嫌いだった。

“自分は周りと劣っている”

おれは大人になっても、自分が社会で通用しないことを必死に否定し続けた。

ダメな自分を見て見ぬふりをしていた。


少女「……」

いつの間にか食べ終わっていた。

いつもみたいにスケッチブックに色鉛筆をなぞらせている。


男「あ、そうだ」

おれはポケットにしまっていた消しゴムをこはるに渡す。

男「欲しかったんだっけ?」

少女「うん…」

こはるは少し嬉しそうに唇を引き締めていた。

おれは象牙色の壁に手をついて、カレンダーとにらめっこする。

男「こはるって、今12歳だったっけ?」

少女「うん、今月誕生日だあー」


こはるの誕生日は12月25日。

ちょうどクリスマスの日だ。



男「そっかー、もうすぐ13歳か」

……マジかあ。

少女「しょーちゃん」

腰の辺りをつまんで、服をゆすってきた。

少女「トイレいきたい…」

男「いってこいよ」

少女「うん…」


こはるはお尻を突っ張らせて、玄関ドアの隙間から周りをキョロキョロと見回した。

男「人に見つからないようにな」

少女「うん」

そして裸足で出て行った。

こはるが部屋を出くと、空気がしんと静まり返った。


男「……」

おれは窓の景色を覗き込む。


ちょうど二階の高さまで桜の樹木が伸びている。

夏になれば濃い緑の葉を茂らせ

冬になれば葉っぱを落とした枝が雪を乗せる。


そして春になるとピンク一色に花が咲き乱れて

季節が移るのを教えてくれるのだった。

男「おかえり」

しばらくすると、こはるが戻ってくる。

少女「……」

なんだかうつむいた様子で
おれの腹に顔をうずめてしがみついてきた。

男「どした?」

少女「見られちゃった…」

男「え、マジで。誰に?」

少女「下のお婆ちゃん」

男「ああ、山下さん?」

こくり。

男「なら大丈夫だよ。なんか言われた?」

少女「話しかけられた」

男「なんて?」

少女「学校楽しい?とか、勉強がんばってる?とか」

男「ふぅーん」

こはるは机にほっぺを付けながら聞いてくる。

少女「ねー、学校ってたのしい?」

心なしかしょんぼりしているように見えるのは気のせいだろうか。

男「つまらんよ」

少女「そっか」


それからしばらくの沈黙が続いた。

石油ストーブの送風音が部屋に立ち込める。


男「…誕生日さぁ」

少女「んー?」

男「誕生日、でっかいケーキ買ってきてやるよ」

少女「本当!?」

ガタッとちゃぶ台が揺れる。


男「お、おぉ…」

ビックリしたあ…。

少女「……」

四つんばい歩きで近寄ってくる。

少女「ありがとーしょーちゃんー」

ぎゅっと抱きついてくる。

顔を覗き込むと、にんまりと口元に幸せそうな笑みを作っていた。


金策行かないとなあ……。


思い返せば、この子の誕生日はコンビニの小さいデザートやなんかで済ますばかりで
デカいケーキなんて1度も買ったことが無かったな。

この子と10年近く共に過ごしてきて。

10年かあ。

あれから何が変わったのか。

このままやる気のないまま、だらだらと人生を過ごしてしまうんだろうか。

男「準備できたぞー」

月明かりが綺麗な夜

おれたちはバスタオルを巻いて、楓荘の庭に出る。


少女「さっむぃー…」

小走りで庭を駆けた。

楓荘の敷地内までが、こはるが外に出れる最大範囲だ。

男「石踏んづけるなよ」


少女「もうお風呂入れる?」

庭の一角で、薪火の上のドラム缶が湯気を立ち昇らせている。


『うちのアパートお風呂無いし、毎日銭湯に通うのも大変でしょう?』

前の大家さんが、おれたちのために善意で設置してくれたドラム缶風呂。

紐で吊るされたカーテンとブロック塀で、周囲から見えないようになっている。


少女「はやく入ろうよぉ、しょーちゃん」

男「待って、板敷かないと焼けどするから」

冬の寒さが体の芯に浸透してくる。

少女「はやくぅー…」

そうとう寒いらしい。

震えながら裸足で地団駄を踏み始めた。


男「よし、いいよ」

こはるはバスタオルを付近の物干しにかけると、丸裸でブロックの階段を上った。

男「熱くない?」

少女「だいじょぶ」

こはるは腰からゆっくりと浸かり「はあー」と満面の笑みを浮かべる。


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男「よいしょ」

こはるを後ろから抱きかかえる形で、おれも一緒に入った。

おれとこはる二人がギリギリ入れるほどの狭さだ。

ちゃぷん…。

少女「きもぢいーねー」

男「ああ…」

冷たい風が、火照った顔に気持ちいい。

夜空を見上げると、一面の星が窺える。

息を吸い込むと、冷気とお湯の香りがたちまち肺に満たされた。


少女「もう外は寒いんだね」

男「うん、先月まではちょっとした春みたいに暖かかったのにな」


こはるが大きく成長してゆくつれに、風呂の幅が縮まって行くような気がした。


ちゃぷん…。

少女「……」

周りが見えなくなるほどの湯気の中に、頬を真っ赤に染めたこはるの横顔が映リ込む。

寝てしまいそうなくらい、幸せそうに目元を緩めている。


ちゃぷん…。

少女「いつかさー」

パキリと薪の弾ける音がする。

少女「しょーちゃんと外に行きたい」

男「……」


静かな冬の夜空に溶けて消える。

少女「無理だってのはわかってるけどさー」

男「……」


少女「けっほ…」

こはるは咳を繰り返した。

男「大丈夫?」

少女「だいじょぶ…」

男「そか…」

まだ花のついてない桜の樹木が

風に揺られて音を奏でているような気がした。


しばらくの沈黙の後で

男「いつか、な」

口を開いた。


いつも風呂からあがると、体が冷たくならないうちに部屋に戻るようにする。


バスタオルを巻いたこはるは湯気をまといながら、楓荘の階段を駆け上がっていく。

古い木の板には、湿った小さな足跡。

男「こーらっ、静かに」

少女「はぁい」

おれはサンダルを鳴らしながら部屋に戻った。

少女「……」

こはるはパジャマに着替え終わると、タオルで髪の毛を拭く。


おれは冷蔵庫からコーヒー牛乳の瓶を取る。

男「ほれ」

少女「ひぇっ…!」

冷えた瓶を首筋に当てると、こはるはすっとんきょんな声を漏らした。

男「好きだろ、コーヒー牛乳」

少女「あ゙ーー!」

嬉しそうに大声を上げたこはるのおでこを瓶で小突いた。

男「大きな声出すなよ」

少女「ごめんなひゃ…」

男「昨日買ってきたの忘れてた」

少女「ありがとお、しょーちゃん」

深夜を回ったころ。

男「電気消していい?」

少女「んー、もうちょっと観てたい」

かじりつくようにテレビに夢中だった。

男「わかった、終わったら消せよ」

おれは布団に入って横になると、腕に顔にかぶせた。

テレビ番組に出る司会の馬鹿笑いが聞こえる。

(金策どうすっかな…)

いろんな考えをめぐらせ、30分ほどすると、思考がぼんやりと霞んでゆくのを感じた。



いつの間にかテレビの騒音は止んでいて、カチッと音して部屋の明かりが消えるのがわかった。


あたたかい物が、布団の中でもぞもぞと絡み付いてきた。

男「…もういいの?」

寝ぼけたような声で問いかける。

少女「うん」

こはるの息遣いが耳元に伝わってくる。

少女「おやすみ…」

眠たそうな弱々しい声だった。


時間が止まってしまったように真っ暗な世界。


時々窓の外から聞こえるカブの走行音で、現実に引き戻された。


数分も経たないうちに、こはるの呼吸は寝息へと変わった。


視線を隣に向ける。

暗闇でもよくわかる、透けてしまいそうなほど白い肌。

そして、純粋無垢な寝顔。


男「なあ、こはる…」

夜は静かに過ぎて行った。


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ついに仕事が決まった。

先日、日給1万の引越し屋のバイトに採用された。


これといって面接らしい面接はなかった。

事務所の受付カウンターのような場所で履歴書を渡すと

スタッフは特に興味なさそうに目を通すことない。

「いつから出れますか?」とだけ聞かれた。



男「ふう……」

天気の良い空気の透き通った朝、おれは引越し事務所の前に立つ。

男「気合入れていこう」

おれは気を引き締めて事務所の扉を引いた。

男「こ、こんにちわぁ……」

事務スタッフ「あ、更衣室はあっちのほうだから」

男「あ、はいー」


おれは別室の更衣室の扉を開ける。

男「あ、こんにちはー…」

明かりの付いてない薄暗い室内に、おっさんが数人。

煙草を吸ったりスポーツ新聞を読んだりしていた。

おっさん達は興味なさそうにおれを一瞥した。


男「……」

無視かよ。

……マジかあ。

朝9時。

集合時間になると、トラックが並んだ駐車場で朝礼が始まる。

男(ああ、緊張する……)

周囲を見回すとあくびをしたり気だるそうにしている人が多かった。

おれの隣に並ぶおっさんが、前に立つおっさんの尻を蹴ってへらへら笑ってる。

こいつ酔っ払ってんのか?


適当すぎる朝礼の後に、トラックの助手席に乗せられて出発した。

男「よろしくおねがいします」

「ん、よろしくぅ~」

隣で運転しているのはおれより年上にみえるおっさん。

胸のネームプレートに“グループリーダー 佐藤”と書かれていたのでリーダーと呼ぶことにした。

しかしこの業界おっさんしかいないんだろうか。


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トラックでの移動中。

リーダー「おまえメシ食った?」

男「あ、まだっす…」

リーダー「じゃーコンビニ寄っから」


そう言ってコンビニの駐車場にトラックで乗り込む。

リーダー「うっし、行くか」

男「あ、はい…」

おれ金もって無いんですけど…。

取り合えず待つのもアレだったので一緒に降りることにした。


結局、おれは何も買わないままコンビニの中をうろうろしているだけだった。

引越し屋の制服で歩き回るのはなんだか恥ずかった。

だから雑誌コーナーで週刊誌を手にとって

男「ふぅーん」

とか言ってみたりした。


天井には「クリスマスケーキ予約受付中」と大きく吊るされていた。

…頑張らなければ。

おれは拳にぐっと力を込める。


リーダー「おーい、なんか食うもんあったかー!?」

男「あっ、はいー!」

会計レジの方からリーダーの声が響き渡る。

恥ずかしいから馬鹿でかい声上げるなよ。

しかも釣られて返事しちゃったよ。

リーダー「なんだよ、買ってねーじゃん」

トラックに乗り込む時に、怪訝そうな面持ちで言われた。

男「あ、はい…」

さっきからこんな返事しかできない自分が情けないと思った。


リーダーはおれのやせ細った体を値踏みするように見ると

リーダー「…ふぅーん」

と漏らして車のエンジンをかけた。

何を納得したんだ。


リーダー「とりあえずこれ読んどけ」

リーダーはビニール袋をあさるとおれに分厚いコンビニ本を差し出した。

数台のトラックが高層マンションに到着すると、いざ仕事に取り掛かる。

おれの役割は荷台に乗っけられた家具をトラックまで運ぶことだった。


男「はあ、くっそ……」

荷台の操縦が予想以上に難しい。

狭い通路に、L字型の曲がり角。

たびたび荷物を落としそうになる。


そのままエレベーターで1階まで降り、トラックで待機してるグループの人に荷台を渡す。

ひたすらこれの繰り返し。

男「はあ、はあ」

何時間かすると汗が垂れだしてくる。

冬なのに体が熱い。

おれの役割って一番きついんじゃないだろうか。

ようやく昼休憩。

おれはマンションの噴水広場で大の字で寝転がった。

今にも空を突き破りそうな高層マンションの壁を、真下から眺める。


男「どんな金持ちが住んでるんだろうなあ」

腹減ったなあ……。

男「腰いてえ…」

リーダー達は皆で飯を食べに行ってしまった。



ようやく1件の引越し作業を終わる。

そして次に行くらしい。

男「これいつまでやるんですか?」

トラックの助手席シートに埋まりながら訊いた。

リーダー「終わるまで」

そっけない返しだった。

(鬱だ…)

夕方まで続くこの重労働。

求人に軽作業って書いてあったぞ、おかしいだろ。


裏バイトなら同じ時間で何十万も稼げるけど、もうやりたくないしなあ…。



事務スタッフ「お疲れ様」

夕方を迎えて、今日働いた分の7000円と小銭を少し貰った。

日給1万とはなんだったのかと。


男「でも、これでケーキ買える…」

これだけ働いたんだから十分だろ。

男「今月かなりギリギリだったからなあ」

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少女「おかえりなさい」

楓荘に帰ると、玄関の前にこはるが正座をして構えていた。

男「な、なんだよ、気持ち悪いな…」

少女「これを観てほしくって」

そう言ってビデオデッキのリモコンを操作する。

男「録画…?」

再生されたのは、テレビ番組のクリスマスケーキ特集。

少女「お昼流れてたんだあ」

ケーキの写真がいくつか並べられていて、それぞれ下に値段が表示されている。
…桁おかしくね?

男「なあ…」

少女「ねえー、どれがいいかなあ、しょーちゃん」

男「あ、うん…」

さすがに何も言い出せなかったよ。

テレビ画面に顔くっつけて、目キラキラさせちゃって…

少女「そういえば、お仕事どうだったー?」

うつ伏せに漫画を読むこはる。

男「辞める」

少女「えっ」

男「辞める」

少女「…そっか」

こはるの背中を枕にして、かかとで壁を小突く。

男「大丈夫…ケーキは買えるから」

少女「…ほんと?」

男「本当」

少女「いくらもらったの?」

顔だけこっちを向けて訊いてきた。

男「ニ万くらい」

少女「やったー!」

こはるは漫画を宙に投げて嬉しそうな声を上げた。

少女「ありがとーしょーちゃん…」

こはるは仰向けになると、おれの首に腕が絡み付いてきた。

男「お、おお」

こはる独特の良い匂いが漂ってくる。

赤ん坊のころに嗅いだ頭の柔らかい匂いを思い出した。


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風呂の準備をしようと、ドラム缶に水を入れている時のこと。


大家「あのぉー、すいません…」

暗がりからおっかない顔したおばさんが出てきてぎょっとした。

おれはとっさに口を開いた。

男「あ、あの、家賃ならまだちょっと待ってもらえませんかね…?」

大家「いや、それはいいんだけど」

家賃の催促をされているのかと思った。


大家「前から思ってたんだけどさー、私有地でこういうことされるとちょっとねえ…」

ドラム缶風呂に目を移した。

男「はあ…」

大家「近所の目もありますし」

男「どうもすいません」


大家「それと家賃なんだけど…」

やっぱりきたか。

大家「こっちも色々ストレスなのよねぇ。待ってられません」

男「あ、いや」

大家「今月払えないなら出て行ってもらうしかないかなーって」

男「あっ、ちょ、ちょっとまってください!」

まずい。

男「待ってもらえません?少しだけなんで」

大家「毎回毎回待っても滞納するだけじゃない、あなた」

男「今ほんと金欠なんで…」

大家「銀行からおろせばいいんじゃない?」

男「貯金がなくて…」

男「と、とにかくちょっと待っててください、ここで」

おれは楓荘の階段を駆け上る。

バイトで痛めた足腰が悲鳴を上げたが気にせず鞭を打った。


バタン。

少女「けっほ…どうしたの?しょーちゃん」

男「なんでもないから」

カバンの中の封筒を手にとって飛び出す。

慌てたおれは階段を下りる最中、最後の一段を踏み外し

男「いっつぅ……」

足首をひねって地面に倒れこんだ。

そんなおれを迷惑そうに見下ろす大家。


男「とりあえず、これで…」

伸ばした手から、バイト代の入った封筒の感覚がすっと消えた。

大家「ひい、ふう、みい」

中の札束を数え始める。

大家「……足りないよね」

男「必ず払うんで、それ頭金にして待ってもらえませんかね」

大家「……」

足首をさすっているうちに大家はどこかへと姿を消していた。




階段のほうからペタペタと下りて来る足音。

少女「しょーちゃん…」

男「さっきお風呂に水入れたから…沸くまでもうすこし待ってな」


パキパキと音を立てる焚き火。

こはると寄り添って、地面に座り込んでいた。


少女「さっきのひと…新しい大家さんでしょ」

男「うん…」

少女「わたしあの人嫌い…」


炎が照らすこはるの横顔は、丸裸の樹木みたいに素っ気無かった。


男「前の大家さんは良い人だったのにな」

この風呂を設置してくれたのは前の大家だ。

いつの間にか居なくなってしまい、今の人はその妹だか親戚だとか。


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ちゃぷん…。

いつものように後ろから抱きかかえる形の入浴。

少女「んふー」

にんまりと口を綻ばせている。


おれの人生設計力の無さがこはるを苦しめている。

おれがこの子を連れてきたせいで。


ちゃぷん…。

男「あのさ」

少女「んー?」

男「おれ、居なくなってもいいかな」

少女「え……」


男「いいかな」


口を半開きにしたまま固まっている。


少女「やだよ…」

消えてしまいそうなほど、弱々しい声――。


男「嘘だよ」

こはるのほっぺをつまんでぐにーっと伸ばしてやった。

少女「……」

男「ほら、綺麗だよ。みてみ」

空を指差した。

少女「うんー、星いっぱい…」


いつか、別れる時がくるのかもしれない。


少女「……」

こはるは湯面から手を伸ばして、おれの頬にくっつけてきた。


少女「ねー」

男「ん?」

少女「やっぱり小さいケーキでいいや」

男「…どうして」

少女「わかんない」

男「……」

風呂上がり。

部屋に戻ると冷蔵庫からコーヒー牛乳を取り出す。


男「そうそう、今日も帰りに買ってきたんだよ、牛乳」

少女「おー」

いつもより反応が薄い。

男「ほら」

赤く染まったほっぺたにくっつけてやると、目をつむってにっこりと口を引き締めていた。

少女「しょーちゃん飲みなよ」

男「え? いやこはる飲みなよ…」

少女「この前はわたしが飲んだから、今度はしょーちゃん」

男「……」

少女「バイト疲れてるでしょ?」

男「まあ…」

少女「お風呂あがりのコーヒー牛乳は最高だよー」

そう言っておれから離れていく。

おれはコーヒー牛乳を一気飲みした。

男「……ふう」

飲み終わった後も、甘い余韻が口の中にいつまでも残るのだった。


少女「けっほ…けっほ」

男「最近またひどくなってきたんじゃないか?」

少女「そうかも…」

こはるの喘息は昔から軽めのものだから、今までは市販の薬で間に合っていた。


少女「この季節になるとねー」


その時、こはるは一瞬だけ、窓の外を見つめたのだ。

春がくるのを待つような、ずっと遠くを見つめる目で。


男「加湿器でもありゃいいんだけどな」

少女「そんな高いの買えるわけないじゃん。もう寝よう」

男「今日はテレビ観ないの?」

少女「うん、寝るー」

枕に顔を押し付けると、また咳を繰り返していた。


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次の日。

その日は朝から曇りで、テレビの気象予報士が夕方から雨が降ることを伝えた。

おれとこはるはニュースを観ながら、貧しい朝食を口に運んでいた。



男「昨日テレビ観てたっしょ…」

眠たい声で言った。

少女「うん…」

今朝起きたら、テレビが点けっぱなしだったのだ。

男「なんか面白いのやってた?」

少女「ダウンタウン…」


別に、電気の無駄遣いで怒ったりはしない。


男「今日、ちょっと出かけてくるから」

少女「うん…」

新しい仕事を探すために

駅前まで行って新しい求人誌を取りに行かなければならない。


少女「しょーちゃん、今日お昼ご飯いらない」

男「えっ、なんで?具合悪い?」

少女「そうじゃなくてー」

男「じゃあなんだよ」

少女「我慢できるもん」

男「……」

食べ物の蓄えは10日分以上はある。

男「いや、ちゃんと食っとけよ」

少女「…いいよ」

こはるは使い終わった食器を台所に運ぶ。

>>1はエロゲライターじゃないか・・・?
背景画像にところどころ見憶えのあるものが・・・

こはるの異変はそれからも続いた。


男「今日も牛乳買ってくるからな」

少女「うん…」

男「コーヒーとバナナ味どっちがいい?」

少女「…しょーちゃん、やっぱ牛乳わたしの分いらない」



なんなんだろうな、この態度。


男「おまえなんなんだよ、昨日から」

少女「えっ…」

男「子供は子供らしくワガママだけ言ってろよ」

自分を捨てる生き方に何の意味がある。

少女「……」

昔から教えてきたことだろ。



こはるは、無言で食器を洗い終わると、押入れの中に篭ってしまった。


男「じゃ、行って来るよ」

少女「……」

>>91
http://k-after.at.webry.info/
ここから借りてる


http://ichigo-up.com/cgi/up2/oiu/xs33851.jpg

朝の駅前は、がばんを提げたサラリーマンや学生達の雑踏で満たされていた。

男「……」

おれは、すし詰め電車で通勤する苦しさを知らない。

その景色はひどく冷たい眼差しでおれを見つめ返していた。

男「……」

棚に置かれたタウンワークを手に取る。

リュックにしまいこんだところで、今日の目的は終わってしまった。


男「どうすっかなあ…」

男「帰っても、こはるの機嫌が悪いんだよなあ……」


おれは散歩がてら、アルバイトの募集張り紙求人を探しながら歩くことにした。


しばらく歩いているうちにすっかり暗くなってしまった。


男「そろそろ帰るかあ…」

そんな時、偶然目に留まったショーウィンドウのサンプル料理。

ファミレスから漂ってくる美味そうな匂い。


男「いやあー、無理だろ…」

ポケットの中の小銭数枚。


男「ジュースぐらい……なら?」

緩んだおれの口元。

ウェイトレス「いらっしゃいませー」

気付いたら入ってたよ、ファミレス。

おれは、こはるの機嫌が治るまでファミレスで時間を潰すことにした。

男「……」

おれはテーブルに肘をついて手のひらで口を隠す。


飲み物だけ頼むつもりで入ってきたのに

色んな料理の写真が並べられたメニューを渡されると、なんだか申し訳ない気持ちになってきた。


男「まあ、昨日バイト頑張ったからいいかあ…」


隣の席には、親子と思える二人組みが座っていた。


高そうなスーツと腕時計に、きちっとネクタイ締めた父親。

対照的に、私服を着飾った中学生くらいの男の子。


2人はほとんど会話もせず、黙々と料理を食べていた。

結局30分ほど居て会話したのは1分ぐらいで、お互い話題が見つからないみたいだった。


男「そういや夕方から降るんだったっな…」

空は、今にも泣き出しそうな顔をしながら、下界を見つめていた。


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歩いていると、ついに雨が降りだした。

男「やっば…」

さっさと帰ろう…。


走り出そうとしたその時、背後から「待てよ、兄ちゃん」と声を掛けられた。


店長「どこかで見たことある顔だよな?」

男「あ…」


おれが万引きしたコンビニの、小太り店長だ…。

おれは雨の中、何度も土下座した。

背中をぬらしながら、前髪を路上につけて、何度も許しを求めた。


コンビニ店長はそんなおれの首元をがっちりとつかんで携帯電話を耳に当てる。

しばらくしてパトカーがやって来る。


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男「……」


逮捕だってさ。



耳を引き裂くような雨の音はいつまでも止まなかった。

2日間の取調べ。

その後は、10日間の拘置らしい。

はは。


警察の取調べでは色んなことを話した。

「うちの人に電話しとく?」

「困ってんなら生活保護受ければいいじゃない」

「自己破産は良いよ。うちの叔父も……」

本当に映画やドラマで出てくるような牢屋でぼーっと過ごした。


男「大丈夫かな……こはる」

コンクリートの壁に背中をつけて、ぼんやりと思考を巡らす。


拘置所の生活は予想してたより忙しかった。


まず拘置されている他の人間がそれぞれの房に居て

朝になるとスピーカーから流れる音楽で起床する。

それから布団かたずけ、洗面や房内の床掃除。

刑務官の「点検ー!」の声で、ドアの前に正座をして自分の番号を言ってゆく。


それから朝食が始まる。

味噌汁に麦飯、日によって違うが漬物や納豆や佃煮が出てくる。

正直に言って、普段食ってる飯より美味い。

箸は自分で管理して使う。

昼はシチューやカレー、ラーメンなどが出る。

風呂のある日は3人で独居風呂に入る。

風呂は3つに別れていて、湯船とシャワーがついていた。

行き返りは必ずTシャツとトランクス姿だった。


夜は、ご飯に焼き魚や野菜炒め、湯せんしたハンバーグなどが出た。



ずっと、こはるのことが心配だった。

ちゃんと飯食ってんだろうか。

電気は止まってないだろうか。


ふと、おれを捨てた親のことを、思い出していた。

いつも喧嘩ばかりしてた。

生んだ責任がどうだの…育てる責任がどうだの。


結局、初犯だということで起訴はされなかった。

その代わり、5万の罰金と盗んだラーメンの弁償代を背負った。


「じゃ、気をつけてね」

肩に手を置かれる。

その人は踵を返して県庁に戻っていった。


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男「……」

灰色の空の下、葉をなくした樹木が、一列に並んでいる。


男「5万…かあ」


重い…。

楓荘に帰ると、庭を掃除していた大家が鬼のような形相で近寄ってきた。


大家「あんたねえ、家賃、いつまで待たせるんですか!?」

男「あ、いや…」

大家「もう今月限りで出てってください」

男「あっ、ちょ…」


おれの話も聞かずに去ってゆく。


男「……」

鈍色の空から、雨が降り出す。

乾いた地面に、黒い斑点を作ってゆく。

おれはうつむきながら、ボロ階段を静かに上る。

雨は瞬く間に強まってゆく。


男「ただいま…」


少女「……」

こはるは、座布団を枕にして眠っていた。

台所に重なったカップ麺のゴミ。

どうやら食事はしているようだった。


男「……」

台所のアルミシートに映り込む、死んだ魚の目。


おれはこはるの隣に寄り添って寝ると、静かに目を閉じた……。


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そろそろこはると出会った時の話をしようと思う。

10年以上前のことだ。


当時、おれは19歳だった。


『生活困ってんなら稼げる仕事紹介してやろうか』

居候先から厄介払いを受けて、都市公園に半ホームレス化として住み着いていた時期だった。


ある日、電話越しに友達の知り合いのヤクザから、仕事の話を持ちかけられた。

おれは、また裏バイトの紹介だと期待して、よく訪れた暴力団事務所に向かった。



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「このケースん中に、その辺のガキ入れてさらって来い」

黒光りする旅行カバンが、堂々とおれを威圧していた。


考えが甘かった。

ようするにおれが受け持ったのは、子供を誘拐して海外に売り渡す闇の仕事。


机の黒椅子でじっと構える背広姿の男は、冷徹な声色でおれに言う。

「お前家族は居ないんだよな」

「この仕事出来たらうちの組入れてやるよ」

暴力団というのは、若くて活気があり、後々面倒のない若者を鉄砲玉として迎え入れることが多いという。


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クリスマスを迎えた繁華街は、鮮やかなイルミネーションに彩られていた。

まるで、街全体が浮かれているかのよう。



おれはクリスマスソングの流れるショッピングモールに訪れる。

昼間から子供の姿をひたすら探していた。


男「はあ…」

動悸が速い。

視界が霞んで、息が苦しい。

カバンを持つ腕が震える。


男「さらうっつっても…」

どうすりゃいいんだよ…。

おれはショッピングモールの中を徘徊する。


そんな時、おれベビーカーの姿を発見する。


その近くには、ジャージ姿の若い茶髪の女。

大量のアクセサリーをぶら下げた携帯電話を耳に当てている。

店員に声をかけ、ショーウィンドウの中の大きなクリスマスケーキを一つ、指差している。


深くキャップ帽をかぶって、一旦トイレに入ってカバンを置いた。

おれはケーキ屋の前に立つ女の背後にしのび寄った。


派手にデコレーションされたベビーカーには

「牧本ひかり 2歳」と書かれたプレートが見えた気がする。


ゆっくりと子供に手を伸ばす……。


純粋無垢な黒い瞳と目が合った。


男「……」


おれは生温かい背中を一気に抱きかかえてトイレに駆け込んだ。


男「ごめんな…」

おとなしい子供だった。

毛布ごと幼児を旅行カバンに入れる。

少しでも明かりが入るようにファスナーを開けたまま、自然な足でトイレを出た。


事前に渡された無線電話を耳に当てる。


男「はあ、はあ、やっ、やりました!!」

心臓がばくばくと脈打つせいで、手の振るえが止まらない。


『今から○×ビルの地下駐車場に来い』


男「はあっ、はあっ……」


そこからのことはよく覚えていない。

すれ違う人々の視線。

大通りを過ぎるパトカー。

チラシを配る女性。


開いたファスナーから細く小さな指がはみだしているのを見て

おれはそのままどっかに走ったような気がする。

ようするに、この後に及んで怖くなったのだ。



……。
………。


『おい、ガキはどうした』

男「はあっ、はあっ……」


おれは6畳の部屋で、電話に向かって叫ぶ。


男「――すいませんッ!警察に職質されてカバン置いて逃げましたッ!!」


『……何やってんだ、お前』

男「すいませんっ、すいませんっ…」

『もういいから、しばらく身を隠せ』

男「……はい……」


『捕まらない安全な場所に篭ってろ』

『絶対にうちの事務所の名前出すなよ』

ガチガチと歯が揺れていた。


玄関には放置された大きな旅行カバン。


おれは恐る恐るファスナーを開ける。


中から、桜模様の子供服を飾った女の子が出てくる。


ほのかに漂うミルクの匂い。

弱々しく丸まった小さな手。

半開きの口から垂れる唾液。

幼児はおれの胸に閉じ上ってきて、手のひらを頬にくっつけてきた。


「ぱぁー、ぱぁー」

――――。


それから1年は警察におびえる毎日だった。

意識のどこかで、カウントダウンの表示が減り続けているような、そんなイメージがあった。


携帯のネットで調べて幼児食を作ったり、毎日おむつを代えたり。

次第におもちゃなんかを買ってくるようになった。


貯金が尽き、キャッシュカードが引き出し限度額に達する頃には、こはるは4歳になっていた。

その頃から、叱られると押入れにこもる癖がついた。


高校時代の友達から、新薬関係の裏バイトを紹介してもらった。

おかげでガリガリに痩せてしまったが、いい金にはなった。


こはるはどんどん成長していった。


怒りにまかせて頬をぶってしまったこともある。


泣き出すこはるの顔を胸に押し当てて、頭の後ろをさすってあげた。


バイトの合間に、文字の読み方や算数の仕方を教えてあげた。


楽器をやらせようと電子ピアノを買ってきたが、こはるは5日で投げ出した。


そういうところはおれによく似ていて微笑ましかった。


勝手に外に出た日は、厳しく叱った。


こはるが大きくなると、おれは庭までの外出を許した。


「お母さんはどこにいるの?」


いつか訊かれるのはわかっていたのに、おれはなにも返せなかった。


適当にはぐらかして、その度に自己嫌悪に浸った。


自首しようかと何度も葛藤した。


けれど臆病なおれは現状維持をし続けた。


おまえなんか誘拐しなけりゃ

もっと幸せな家庭で育ったんだろうな。


菓子なんかいっぱい買ってもらって

幸せそうに手をつないで歩いて。


おまえなんか誘拐しなけりゃ

おまえは共同便所の暗い廊下を歩く日々に

おびえることもなかったはずだったのに。

毎晩のように服引っ張って起こしてさ

暗がりで手つなぎながらトイレまで歩いて。


おまえなんか誘拐しなけりゃ

おまえは冷たい空を寂しそうに眺めるだけの毎日に

飽きることもなかったはずだったのに。


おまえなんか誘拐しなけりゃ…

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少女「どうして泣いてるの?」

夕陽が、おれのまぶたを射していた。


おれは、横たわるこはるの小さな体を、強く抱きしめていた。

こはるのおでこに頬を擦り付けて、ただ強く抱きしめていた。


「おれが…ダメ人間だから…」

熱くなった喉の奥から声を漏らす。


生まれっからの半端者。

白い視線を浴びながら生き続けた人生。

辛かった。寂しかった。


少女「ダメでも…いいんだよ」

頬に手を伸ばしてくる。

少女「しょーちゃんはダメダメでも、いいんだよ」


少女「たぶん、しょーちゃんにしかできない何かがあるんだよ」

真っ直ぐな瞳が、心に染み入る。

少女「それに気付くまでは、きっと、ダメダメでもいいんだよ」




おれはその夕方、久しぶりに声を上げて泣いた。



…。

………。

……………。


けれど、もう遅すぎたのだ。

おれ達の日常は静かに、確実にひび割れていった。



その日の夜に、退去命令の書類がポストに入っているのを見た。


おれは最後のケジメをつけるべく、こはると正面から向き合って全て話すことを決めた。


それは気象庁が全国的な雪を宣言した日で

昼食は買ってきた大盛り牛丼を2人で食べた。

おれたちが使える、最後のお金。


おれはこはるに「話すことがある」と言い

押入れから大事にしまっていた、当時の地方新聞を切り抜いた1枚を取り出した。



少女「え……?」

どこからか漏れた声は、石油ストーブの送風音にかき消された。


男「だから、おまえはおれの子じゃないんだよ」


おれはこはるに、誘拐してきた経緯を話した。

その間、こはるは口を半開きに、おれの吐き出す言葉を隅々まで聞き入っていた。


それからしばらくの沈黙が続いた。


男「だから、もう親のところに戻っていいんだ」

少女「……」

男「……」

少女「やだよ…」

男「こはる…」

少女「――やだって!!!」

建物が揺れるような、張り上げた声。


男「もうすぐ…この家を追い出されるんだぞ」

少女「……」


こはるの肩に両手を置いて、懸命に伝える。

男「もう一緒にいられないんだよ」

おれと一緒に居て良いことなんて、一つもない。

これまでも、きっとこれからも。


少女「……わかんないよ」

こはるは手の甲で涙をぬぐい始めた。

ぽたぽたと大粒のしずくが畳に音を立てる。


少女「しょーちゃんは……?」

少女「しょーちゃんはどうなるの?」

男「おれは…」

少女「逃げるよね……?」

男「……」

少女「逃げるんでしょ?」

男「ああ…うん」

少女「どこに…?」

男「どっか、遠い場所、かな」

少女「いつかまた会える……?」

男「…いつか、ね」


痛いほどに、張り詰める沈黙。


これでいいんだ、と思った。

これが正しい。

これが…。


男「おまえ、さ」

男「最後になにかやりたいこと、ある?」


…。
……。
………。


――手袋つけたか?

――うん。

――ニット帽ちゃんとかぶれ、ほら。

――んうー。

――マフラーきつくない?

―― ……うん。


男「じゃあ、行こっか」

少女「うん」


そうしておれたちは手をつないで、外へ。


『いつかさー』

『しょーちゃんと外に出たい』


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塀の外に出ると、道に積もった白い絨毯がおれ達を迎え入れた。

少女「うわあーっ」

誰の足跡一つない新雪だった。


深海みたいに暗い空から降る、粉雪。

こはるは頬を赤く染めながら、降り注ぐ全部を受け止めるように夜空を仰いだ。


少女「えへへー」

すぐにニット帽に積もった雪を、おれは掃ってあげた。

後ろをむくと、ずっと向こうまで伸びた足跡が、降り続ける雪に隠れて自然に途切れていた。


少女「えいっ」

原付バイクの椅子に積もった雪をつかみとると、おれに向けて投げつけてきた。


男「おー、つめてえ」

少女「あははっ」

無邪気な笑顔。


男「それっ」

地面の雪をつかんで優しく投げかえす。

こはるはジャンバーを揺らしながら、それを素早くかわしてみせた。

少女「本気でなげないと当たんないよー」

男「むう」

おれはこぶしほどの雪玉を作ると、さっきよりも強く投げた。

少女「うわーっ」

こはるは必死に逃げていると、電信柱にぶつかりそうになった。

男「大丈夫?」

少女「んーふふー」

電柱を盾に抱きつきながら、顔を覗かせてこっちをうかがっている。

おれの姿をみて、なぜかこはるは泣き出しそうな顔を一瞬だけ作った後に、口を引き締めた。

すぐに顔を隠して、後ろを向いて電柱から姿を現した。


少女「……」

手を後ろに組みながら、きょろきょろと辺りを見回している。

少女「この町、こんなふうになってるんだー」


白い吐息が、冷たい空気に溶ける。


少女「えいっ」

その場で跳ねて落ちる雪をつかもうとしている。

こはるは夜空に手をひろげて仰ぎ、くるくると回転しながら楽しそうに路上を駆け出した。


雪の草原にぽつんと電灯が立っている。

ほのかな明かりの中に、優しく伸びるこはるの影。


少女「……」


裸になった樹木たちが寒そうに枝に雪をのせている。

おれはパンダの乗り物の雪を掃うと、こはるを抱きかかえて乗せてあげた。


少女「あっは…」

白い吐息を撒き散らしながら、楽しそうに遊具を揺らしている。

終わらないものなんて、何一つない。

どれだけ楽しくても、どれだけ幸せであっても、けれど必ず最後が訪れる。


少女「おーい!」

ジャングルジムの頂点から手を振ってきた。


男「すべるから気をつけろよーっ」

おれはベンチに座ったまま、こはるの姿を見守り続けた。

手をこする。



おれは

こんな幸せを、あと少しの時間で何回感じることができるだろうかなんて

ふと考えていた。

公園を出て、どれくらいの時間が経ったのだろう。

手をつなぎながら、人気のない小道を歩く。

少女「……」

男「……」

こはるはうつむきながら、つま先で雪を蹴っている。

男「そろそろ…」


目の奥に熱いものを感じて、おれ必死にこらえた。


おれはこの後、出頭する。

こはるをひとり置いて。


それで、いいのか。


きっと、いいんだ。


男「こはる…?」

こはるの歩くペースが遅くなったのに気付いて、おれは足を止める。


少女「はあ……はあっ……けっほっ」


男「こはる…?」


少女「けっほ……けっほ!」

口を押さえてその場にうずくまった。


男「こはる、一旦家に帰ろう」

少女「はあっ…けほ…はあーっ…はあーっ」





喘息の悪化。

おまけに39度の熱。


石油ストーブの効いた暖かい部屋で

こはるは苦しそうに咳を繰り返しながら、布団に横たわっている。


男「……」


どうすればいい…?


簡単なことだった。

救急車を呼べばいいじゃないか。


おれは電話を手に取る。

少女「や……」

携帯を持つ手に触れる、こはるの白い手。


少女「やめて…」

男「なんで…」


少女「やだ…」

涙をためながら必死に訴えかけてくる。


少女「やだあ…」


…。
……。
………。


少女「……」

喘息は軽く治まり、余っていた風邪薬を飲ませて、今は安静している。

喘息は放っておくと死に至る。

これ以上悪化したら…。


こはるは何日もの間、寝込んだ。

熱は引かず、時おり喘息に苦しむ。


そんな日々が続く。

何度も電話を耳にかけそうになって、何度もこはるに止められた。


おれはこはるの看病をし続けた。

自分のしていることに、頭が痛くなって、つぶれそうだった。

少女「明日はクリスマスだねー…」

弱々しい声。

男「うん…」

少女「……」

男「ケーキ、買えなくてごめんな」

少女「ううん、いいよ」

白い肌に映える柔らかな微笑み。

空気を乾燥させないように、コンロに火をかけてお湯を沸かし続けた。

少女「けっほ、あともう少しで春だねー…」

男「うん…」

少女「クリスマスが終わったら、お正月が来てー…」

少女「テレビみながらお餅食べてー…」

少女「節分で豆まいて、もう少しして花が咲くんだね…」


窓の高さまで伸びた桜の枝。

春の到来を待つようにじっと寒さに耐えている。

こはるは布団から腕を出して、おれの手を握った。

少女「んふー…」

男「ん…」

少女「わたしの近くに、まだしょーちゃんがいる…」

頬を赤く染めて幸せそうにほころんだ。

男「うん…」

おれはぎゅっと手を握り締めた。


男「こはる、ちょっと待ってろ」

少女「…へ?」

男「ケーキ買ってくるわ」

少女「でも、お金…」

男「あるから、気にすんな」

おれはその場を立ち上がる。

男「すぐ帰ってくるから」

ジャンバーを羽織って、靴を履いた。


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男「はあっ、はあっ」

顔に当たる雪が痛い。

人気のない道を走りぬける。

雪を踏みしめるたびに鈍い音がした。


…。
……。
………。


男「はあ…はあ…」

白い息を吐きながら、AMTの前に立つ。

もう限度額一杯で引き出せない。


おれは寒さでかじかんだ手で、壁にかけてある受話器をつかんだ。

男「どうしても急用でお金が必要なんです。限度額を上げてください」

誠意を込めてお願いをする。


少々お待ちくださいと女性が言うと、受話器の向こうから穏やかな音楽が聞こえてくる。

はやくしないと。

こはるが、一人で待っている。



受話器を戻し、ATMを見ると女性の言った通り限度額が10万増えている。

急いで10万を引き出すと、繁華街に向かって走り出した。


ショッピングモールに訪れると、寒さで感覚のなくなった耳が痛んだ。

クリスマスイブを迎えたケーキ屋は、10年前のあの日と同じように賑わっていた。


男「これ、一つください」

ショーウィンドウの中に並べられた一番高いケーキを指差す。

代金を払い、箱に包まれたケーキを受け取る。


中身が崩れないように、小走りで外に出る。



ひらり、ひらり。

白い結晶が、かすめ落ちていく。

この世界を浸食しつくそうとでもいうように。


男「桜――」

まるで、花びら。

男「こはる!」

楓荘に帰ると、こはるは体調を悪くしていた。

男「熱が上がってる…」


ちゃぶ台にはケーキの箱と、玄関の鍵と、くしゃくしゃになった万札が数枚。


少女「ケーキ、食べる…」

布団から這いずって起き上がるこはる。

男「無理すんな…寝てろ」

少女「やだぁ…食べるの…」

男「……」

少女「えへ…これ高いやつでしょー…ありがとー、しょーちゃん」

男「……お皿、用意するね」

ケーキを切り分けて、こはるのお皿に乗せる。

少女「んふー、いちごぉ…」

嬉しそうに指先で突つく。


少女「甘ーい…」

にんまりと口元をほころばせた。


おれもプラスチックのフォークで一口運ぶ。

冷たくて、甘い。

喉の中に流し込むのに苦労した。

途中でむせそうになって、お茶を飲んだ。


少女「…おいしい?」

顔を斜めにして覗きこんでくる。

男「…すごく美味しいよ」

その日の深夜、さらに体調を悪くする。

少女「しょーちゃん…もう13歳だよ」

男「うん…おめでとう」

少女「けっほっ…はあ」

男「こはる…」

少女「しょ…ちゃん…けっほ」

こはるのまぶたは、閉じそうになるのを何度も繰り返した。


そっと手を重ねる。

今にも心が、つぶれそうだ。



少女「しょー…ちゃん…」

男「…うん?」

おれの喉から漏れる声は湿っていた。


ばしてきた手は、今にも落ちそうに弱々しい。

そして、おれの頬に当たる温かいもの。


こはるは涙を浮かべて言う。


少女「しょーちゃんと…いっぱい…いられて…良かったあ…」


細く、けれどたしかな声。

おれの目に映っていた、こはるの顔が、不意に視界がにじむ。

最初に一滴が頬を伝って流れると、涙は後からあふれてきて、おれの世界を塗りつぶした。


男「こはる――」

喉に熱いものがつかえて、何かを叫びだしそうだった。



頬にあった熱がそっと消えると、おれは大粒の涙を撒き散らした。

まだ温かいこはるの手のひらを掴んで、湿った頬にくっつけた。


人生で一番大切な物を、教えてもらった気がする。

こはるは、おれの心にそれを残していった。


おれの叫びは、静謐な冬の空に尾を引いて消えていった。

…。
……。
………。


― 6年後 ―


「…ま、君。頑張りなよ」

刑務官はしわくちゃの手をおれの肩に置くと、門の中に去っていった。


男「ん……」

その場で背伸びをすると、何年かぶりの開放感に身を包まれた。

男「……」

涙が出そうなほど広い青空を仰ぐ。

3月の空の下で、ぽつんと佇むおれの姿。

刑務所の前にそびえ立つ桜の樹木の枝には、小さな春のつぼみが今にも花を咲かせようとしている。


これからどうやって生きようか。

まずは、そこから見つけなければいけない。


桜の木を背にして、おれは歩き始める。

男「……」

そこに確かな存在を感じて、振り返る。

透き通るくらいに晴れた初春の空の下。

木の下には、学校の制服をまとった女の子。

両手に鞄を提げながら、誰かを静かに待つように、枝のつぼみをじっと見上げている。

おれは喉の奥が熱くなって、彼女に近寄って行く。


男「あの、すみませんが…」

こっちを振り向いた時、はらりと桜が舞うような錯覚を覚えた。


―終わり―

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