紬「最上解で」 (18)



「一番いい景色が見えるところでお話がしたいです」というメールに、考え抜いて返信したのが昨日の夜だった。




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待ち合わせの場所までは別々に行くことにした。今日話す相手があの子なら、私はそうしなければならない。
ここに来るまでの妨げとなるであろうものは全て排した。相手があの子なら、私はそうしなければならない。

どうしても先に着きたかった。
私はそうするべきだと思った。


紬「………」


思いが届いたのか、ビルの屋上の扉を開いて周囲を見渡しても人影は無かった。


紬「……ほっ」


父の会社が保有する、何の変哲も無い6階建てのビル。そこの屋上を私は待ち合わせ場所に指定した。
エントランスの警備員と受付の女性には待ち合わせの相手の写真を見せてある。顔パスでここまで辿り着けるだろう。
昨夜考えに考え抜いて、相手があの子ならこの方法がいいと思った。
間違っていない、とは言い切れないけど、私に出せる最上の答えだった。

……これでダメならどうしようもないくらいに。


——それからほんの少し待って、待ち合わせの30分前。私の背後の扉がゆっくりと開く音がした。



憂「……紬さん」

紬「……いらっしゃい、憂ちゃん」

憂「早いんですね。私のほうが先だと思ってたんですけど」

紬「大丈夫。私も扉を開くまではそう思ってたから」


憂ちゃんは屋上を一目見渡し、私を見て小さく笑った。きっと私も同じように笑っている。
それなのに、お互いいつもの雰囲気はしていないなぁ、なんてことを思った。
それが勘違いか真実かはどうでもいいこと。きっと今日はずっとこのまんま。だから私も、このまんま。


紬「ちょっと無理言って一日ずっと貸し切りにしてもらったけど、どうする?」

憂「……まあ、なるようになるんじゃないでしょうか」

紬「それもそうね」

憂「それにしても、いろいろびっくりしましたよ。警備員の人にあんな丁寧な対応されたのは初めてです」

紬「私が言い出したことなんだから、私が招待したことになるんだから、いろいろ尽くすのは当然よ」

憂「大人ですね、紬さん。スーツ似合ってますよ」

紬「憂ちゃんも、ね。いつもは白衣なの?」

憂「ふふ、そんなにいつもではないですけど」


お互いスーツだから雰囲気が違うんじゃないか……なんてことはない。
服装ぐらいの殻で雰囲気を見間違えるほど、私達は浅い関係じゃない。

間の、唯ちゃんという存在によって、私達の距離は必然的にとても近いものとなっている。
具体的には私が唯ちゃんと伴侶にしたいと思い始めたときから、長い時間をかけて近づいていったんだろう。


そんな私達の今。
唯ちゃんは大学を出て教師へと一直線。
私は父の事業の一部を継ごうと努力し。
憂ちゃんは……養護教諭になっていた。

憂ちゃんがその道を選んだ理由を尋ねたことはない。
そもそも結果から知ってしまった私に、今更尋ねる権利があるのかさえわからない。
でも私は、その道を選んだことが問題だとは思わない。
唯ちゃんと同じ学校に赴任したと聞いて、素直に「よかったね」と口をついて出たくらいに。

憂ちゃんの子供の頃の夢を聞いたことがある人がいるなら、話を伺ってみたいとは思うけれど。


憂「あと、待ち合わせ場所の選択にもびっくりしました」

紬「びっくりさせようと思ったわけじゃないんだけど、どんな風に?」

憂「……気を悪くしないで欲しいんですけど」

紬「大丈夫」

憂「……普通のオフィスビルだなぁ、って。屋上は絵になりますけど」


きっと『琴吹』ならではの場所になるか、逆に『ムギ』らしい場所になると思ってたんだろう。
実際私もその二択で悩んでいた。前述の通り、私が招待する側なのだから礼を尽くすべき、というわけで琴吹家なじみの場所にしようかとも思った。
あるいは、あの頃の輝かしい思い出の中にもある場所とか、唯ちゃんを好きになった場所とか、憂ちゃんとも遊んだ場所とか、そういう案もあった。
それなのに、あえてどちらでもない場所を選んだ。驚かせてしまっても無理はないと思う。


でも同時に、こうも思う。
憂ちゃんはいろいろ予想しつつも、どこになろうと「びっくりしました」と言ってくれるのではないか、と。
社交辞令というのに近いけれど、それとも少し違う、続く言葉を引き出す『話術』として。
自らの戸惑いを見せることで、私の思案の果ての決意を「教えてください」と言ってくれているんだ。


紬「……憂ちゃん、「景色が綺麗な場所」って言ったでしょ? 今の私にとっては、ここがそうなの」

憂「……『今の』ですか」

紬「うん、今の」


さすが、よく気づいてくれるなぁ。


紬「もちろん、そういう事情関係無しに綺麗な景色が見れるところだって自信もあるの。夕焼け、綺麗でしょ?」

憂「そうですね、とても遠くまで、よく見えます。……朝焼けは見えそうに無いですけど」


東にはここより高いビルが多少立ち並んでいるから、きっと朝焼けは見えない。
ただ、西は遥か彼方まで見渡せる。ビル街にありながら少し遠くには民家が見え、田んぼが見え、目線を上げると山々に沈みつつある夕陽が見える。
徐々に近代化が進む桜が丘の街中において、この光景はとても貴重だと思う。
だから私はここを選んだ。昨日も、そして、あの時も。


紬「……私、いずれこのビルを経営することになると思う」

憂「……そうですか。それで」

紬「気持ちはわかるでしょ?」


憂「そうですね、ここからなら桜が丘の表半分くらいは見えそうですし。紬さんらしい素敵な判断だと思います」

紬「ありがとう」

憂「綺麗な景色は、いつも見ていたいですもんね」

紬「…うん」


時が止まることは望んでいない。大人になった私が望めるはずもない。
そしてきっと、変わらない景色もない。今だって西の空で太陽が沈みつつあり、雲も風に乗って流れている。

それでも、せめて目に見えるものは綺麗なものであってほしいから。

そんな私の考えを、憂ちゃんは全部正確に理解しているんじゃないかな、と思う。
もしかしたら私以上に。
もしかしたら私の弱さまでも。

その考えを裏付けるように、景色に目をやる私に向かって一陣の風が吹く。


紬「っ……」


……ほら、風だけで目を閉じてしまうほど、私は弱いんだ。


憂「紬さん、大丈夫ですか?」

紬「……うん。ちょっとびっくりしただけだから」

憂「ならいいですけど……目にゴミが入ったら変に擦ったりしちゃダメですよ?」

紬「ふふっ。大丈夫よ、先生」

憂「もう……」


からかってはみたけれど、この場における精神的な優位は憂ちゃんのほうに持っていかれている気がした。
それとも私が持っていたはずのそれが、さっきの風に攫われていってしまっただけなのか。
……別にどちらでもいいか。この場所に招待した側、というだけの優位性なんて、どうでもいい。


紬「……お話、聞かせてくれる?」


鳥が風に乗って飛んでいる。


憂「……元々、紬さんがしたいという事自体に何か言うつもりはありませんでした」

紬「この前も、憂ちゃんはそう言ってくれたね」

憂「お姉ちゃんの幸せは、私の幸せです。紬さんのことも私は好きですから、二人ともが幸せになれると言うのならそれでいいと、今でも思っています」

紬「ありがとう」

憂「……でも、みんなが——和ちゃんも梓ちゃんも純ちゃんも、お父さんもお母さんも、みんなが——言うんです。私は何か言うべきだ、って」

紬「………」

憂「形だけでも異を唱えておくべき、ということなのかもしれません。私からお姉ちゃんを奪う紬さんに対して」


奪う、と言ったものの、その表情はとても穏やか。
わかってる。この姉妹は私達が思っているよりずっと自立していて、そして私達には想像すらできないほどの絆で繋がっているから。
だから、奪う立場である私のことも祝ってくれる。姉妹の絆を案ずる必要が全く無いから、そのぶん他の人のことを祝福してくれる、と言ってもいいかもしれない。

でも、そのことは私でさえわかるのに、私より付き合いが長いであろう人達は憂ちゃんに何かを言わせようとしている。
そのことがどうしても腑に落ちない。だから、私は何も言えない。

憂「だから、とりあえず形だけ言わせてもらいます。……いいですか?」

紬「うん、大丈夫」

憂「……紬さんは、お姉ちゃんを一生愛せますか? 幸せに出来ますか?」

紬「……絶対に。誓ってでも」


山の方で、群れを成すカラスが大きく鳴いた気がした。


憂「………何があっても、お姉ちゃんを守れますか?」

紬「………」


前の二つとは違い、その言葉に即答することはできなかった。
……というか、言葉に詰まった、と言った方が正しい。
それなのに憂ちゃんの表情は穏やかなままだったから、私はどうにか「守りたい」とだけ言い切ることが出来た。


憂「大丈夫です。こんな時間にこんな場所でこんな話をしてて、それでも今の問いに即答するような人だったら逆に信用できませんよ」


あまりの見透かされっぷりに、少し居心地の悪いものを感じる。

こんなにも物悲しくなる夕焼け時に。
こんなにも綺麗なものだけ見える場所で。
こんなにも、人生を左右する大事の話をして。

そんな私が、未来を楽観なんてできようか。
未来では何が起こるかわからないのに、何があっても守れるだなんて断言できようか。

唯ちゃんを愛する。唯ちゃんを幸せにする。それは私の『心』で出来ること。それなら私は断言できる。この想いは一生揺らぐことはないから。
でも、守るとなると話は別だ。残念だけど、すごく残念なことだけど、そればかりは気持ちだけじゃどうにもならない。
そのあたりの女の子よりは腕力はあるし、いざとなれば家に頼るという手もあるけど。それでも唯ちゃんを傷つけかねない全てのものに先んじることが出来る、というわけではない。
そんなの……イヤというほど知っている。
困難や苦労を乗り越えることを強いられ、七回転んでも起き上がることを強いられ、あまつさえ若い頃にはお金を払ってでも苦労しろと言われる、こんな世界なのだから。

そんな世界で、愛する人を「守れる」と断言できない私に言えることは——


憂「何があっても、お姉ちゃんの味方でいてくれますか?」

紬「……! それは、絶対に、必ず。命に換えてでも!」

憂「……ふふ、すいません、イジワルしちゃいました」


やっぱり見透かされていたらしい。
少しだけ子供っぽく笑った憂ちゃんは、しかしすぐに表情を戻し、続ける。


憂「でも、だからって「命に換えてでも」なんて言わないでください。重すぎます」

紬「ごめんね。でも、気持ちはわかるでしょ?」

憂「………私は、紬さんの全部を信用してます」

紬「………うん、そうだね。唯ちゃんを好きだから、憂ちゃんの信頼も裏切ることも絶対ない。ごめんね、言い過ぎだった」


唯ちゃんのことを愛しているだけで、必然的にその信頼には全面的に応える事が出来る。
そういう話だから、万が一にも信頼を重荷に感じたりする必要さえない。ありのままの私で、琴吹紬という『人』でいればそれでいい。
そういう話。四どころか二も三もない、それだけの話。

私はいつだって、唯ちゃんの味方として隣で生きていく。


憂「ありがとうございます。……って言うのも少し変ですね」

紬「いいんじゃないかな。私も憂ちゃんにはいつだってありがとうって言いたいし」

憂「照れますね……あと、こうして話し合う切っ掛けをくれたみんなにもお礼を言わないと」

紬「そうだね…って、憂ちゃん、形だけの話じゃなかったの?」

憂「そうですけど、紬さんが素敵な人だって再確認できたのは、やっぱり嬉しいですから」

紬「……うん、確かに改まって言われると照れるね」

憂「でしょう?」



そう言って、笑い合う。
こうやって笑い合えるのが何よりも嬉しい事だというのは充分わかっているつもりだ。
私は唯ちゃんの味方で、唯ちゃんは私の恋人で、そんな私と唯ちゃんの仲間として、こんなにいい子がそばにいてくれる。
もちろん憂ちゃんだけじゃないんだけど、学年も違い、部活でも一緒にならなかった子がこんなに近くにいてくれることって嬉しくも不思議だと思う。

でも、人との縁ってそういうものなのかもしれない。
大人になった時に誰との関係が続いているかなんて、小さい頃は予想も付かなかった。
当然だけど、だからこそ嬉しくも不思議なんだと思う、誰との縁も。
もちろん、高校でたまたま出会ったに過ぎない唯ちゃんとの縁も。
……運命の出会い、だなんて言ってしまうこともできるけどね。

夕陽が少しだけ、山の端に触れた。


憂「あと30分もすれば、日も沈んでしまうんでしょうね」

紬「寂しいね……」

憂「……寂しいといえば、紬さん。一つお願いというか、許してもらいたいことがあるんですけど」

紬「……なぁに?」


声色で予感がした。
この後の憂ちゃんの言葉は、風に乗って流れてくる緑の残り香のように、私の心を締め付ける。

子供の頃はそんなことはなかったはずなんだけど、大人になるとどうも空気の匂いに心を揺さぶられがちだ。
いいことなのか悪いことなのかはわからない。子供の頃に夢見た大人は、憧れた誰かの背中は、この匂いに震えていただろうか?

私は、私が望んだ大人になれているだろうか? 憂ちゃんはどうなんだろうか?


憂「……もし、結婚式で私が泣いちゃったら……お姉ちゃんに一回だけ抱きつかせてください。一回だけ……」

紬「……うん、もちろん」


沈む寸前の夕陽に照らされた私と憂ちゃんの影は、私達自身よりも細く長く伸びていた。

おわり

乙でした。
唯ムギありきの憂ムギを見事に描いてくれました。
ところで、スレタイを最上「階」ではなく最上「解」としたのは意図的なものですか?それとも、素で間違えましたか?

今やっとわかった。
「最上」の「了解」ってことでこのスレタイなのか。

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