男「え、あいつが倒れた?」 (27)
「あいつなんて言わないのよ」
携帯越しの母の声は少し疲れていた。でも慌てた様子はない。
だから大した事では無いのだろうと思った。
「ああ…それよりなんで?…大丈夫なん?」
「それがね、もう後少ししかもたないと思うの」
「えっ?」
俺の父はどうやら死ぬらしい。
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三日後、俺は新幹線で実家へ帰った。久しぶりに訪れた故郷は、すっかりと形を変えていた。
「うわー」
多少は変わっているだろうとは思ったが、予想以上の変化で驚いた。
なんだが中学生の時の事を思い出す。俺が大好きだった菜々子ちゃん、清楚で可愛かった。なんとなく菜々子ちゃんはずっと素敵なままだと思った。
しかし俺が高校生になった頃、街で見かけた菜々子ちゃんはギャル化していた。
似たような髪型をした子達と、下品な笑い声をばら撒いていた。
その時と似たような感情を、俺は今感じている。
「はあ」
俺は駅のベンチに腰掛け、タバコを出す。やっぱ変わっていくんだな。
ぼっーとタバコの舞う煙を見ながら
良い感じに感傷に浸っていると、後ろからタバコを取り上げられた。
驚いて後ろを見ると、16歳程の少女がいた。髪は鴉の濡れは色で、肌は髪と対照的に透き通るような白い色だった。
「もしかして由井ちゃん?」
母が由井ちゃんが迎えに来ると言っていた。
由井ちゃんというのは、家が隣で子供の頃によく遊んでいた女の子だ。
俺よりも3.4歳ぐらい年下だった思う。
僕のタバコを手に取り、得意げな顔していた少女の表情が曇った。
「そうだよ、忘れたの?」
悲しさ8割、怒りが2割ぐらいの顔をしている。
「いや、ごめんごめん久しぶりに会ったからさ。大きくなったね、いま何歳だっけ」
由井はまた得意げに笑い、答えた。
「19だよ!」
19、そうか4歳年下だったか。
ところで確かに大きくなっているけど、よく考えてみると。
「えっ?じゃあ、年の割りには大きくなってはないのか」
「酷い!ちゃんと大きくなってるよ!」
「胸にばっか栄養がいったか」
「うるさいよ」
「ごめん」
「自分がチョット背が高いからって調子に乗ってる」
「ごめんって」
「ふん」
由井ちゃんはわざとらしく拗ねて見せた後に、にっこりと笑顔を作って右手を差し出した。
「おかえり」
「…ただいま」
俺はその手を握り返した。
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バスに乗って家へと向かった。
駅付近こそは昔の面影を殆ど残して無かったけれど、街から離れるにつれてあまり形の変わっていない故郷
が見えてきた。
バス停から20分歩くと家が見えた。
無駄に広い庭にある大きな木を見て、懐かしさを感じる。
「今日はわざわざ悪いね、由井ちゃん」
「いいよ、楽しいし」
「本当に?」
「うん」
「ふぅん」
俺は目の前の我が家を見上げる。
「…ここは変わんないな」
「それは、嬉しい?」
「微妙」
俺は苦笑いで答えた。
********
「ただいま」
そう言って家に上がると、すぐに奥からパタパタと母さんが出て来た。
「よく来たね。お父さんの部屋に行く?」
俺の返事を聞く前に、母さんは俺の荷物を運んで行く。
「やめとく」
母さんは呆れながら言う。
「…それじゃ意味ないじゃない、なんでわざわざここまで来たのよ」
「別にあいつは関係ない…スランプになったから、気分転換で来たんだ」
「スランプ?」
「曲が作れなくなったんだ」
********
俺は夢見るバンドマンだ。
この一文だけを見ると、何となく駄目な若者を想像してしまう。
自分で言うのも可笑しいのだが、俺は駄目な若者ではない、つもりだ。
適当な気持ちでこの道を選んだわけではないし、何よりメジャーデビューの話も来ているのだ。
まだまだ未熟な若者ではあるけれど、駄目ではないと信じたい。
俺がバンドを始めたのは中学生の頃だった。先輩に誘われてバンドに入った、その頃は楽器など触った事もなかった。
正直音楽にたいして興味もなかった。何故入ったかというと、先輩にバンドをすると女の子にモテると言われたからだ。
そんな軽い気持ちで始めたのだけど、いつの間にか俺の中で火がついた。先輩達との温度差が原因でそのバンドを抜け、もっと上手なバンドに入れてもらった。
その頃はまだプロを目指していたわけではない。
ただもっと良い演奏をしたかった、それだけだった。それがいつしか、もっとたくさんの人に聞かしたい、へと変わった。
その頃から俺はプロを目指し出した。
「お前には無理だ」
俺が初めて夢を語った高校1年の時、父はそう言った。
俺は一度ライブを見てくれと言ったが、相手にされなかった。
俺は頭にきて、生まれて初めて父さんと喧嘩をした。
簡単に認めてくれるとは思ってなどいなかった。でも、あそこまで相手にされないと思わなかった。
それから俺は父の言う事に反発して生きてきた。
俺は父が大嫌いになった。
父も俺に呆れたのだろう、目を合わさなくなった。
しかし悪いことばかりでは無かった。父と険悪になった代わりに、母との仲が良くなったのだ。
俺は小さい頃から母が嫌いだった。
父の言いなりだからだ。母は父に一切逆らわないのだ。
それが情けなく見えて、母のことが嫌いだった。
でも俺が父と険悪になってから、母は父に逆らってでも俺の味方をしてくれるようになった。
高校を卒業後すぐに上京してバンド活動を始めた。
上京してから挫けそうな時は、いつも憎たらしい父の姿が浮かんだ。
思い浮かぶ姿は後ろ姿だ。父は俺が夢を語って以来、目を合わせようとしなかったから。
その姿を思い出す度にがむしゃらに努力した。
ひたすら努力して叫び続けていたら、いつの間にかプロまで後少しで届くとこに来ていた。
そして、1つの電話から俺は曲を作れなくなった。
「何してるの?」
縁側でタバコを吸ってると、いつの間にか由井ちゃんが近くにいた。
「不法侵入だぞ」
「じゃあ警察に連れてく?」
ニコニコしながら近づいて来る。
「…いいや別に」
「ありがと」
そう言って、由井ちゃんは俺の隣に座る。
「どういたしまして」
そう言いながら頭を撫でると、猫みたいに目を細めた。
「で、何してるの」
由井ちゃんは、顔を近付けて尋ねてくる。
その勢いに押されながら答えた。
「見たまんまだよ」
「何もしてないように見えます」
「その通り、何もしてないんだ」
「ハハ、駄目人間」
俺は後ろに倒れるように寝た。
頭上には、青い空が大きく広がっている。
「こっちの空は大きいな」
「どこでも一緒でしょ?」
「いや、東京の空は狭いよ」
「そう?」
「うん、窮屈だ」
由井ちゃんはあまり信じてくれてないみたいだけど、本当に東京で見た空は窮屈だった。
自分の心情とかの問題なのかもしれないけれど。
「東京はどんなとこなの?」
「んー、どんなとこってなぁ。人が多くて」
「じゃ、じゃあ、可愛い子とかもいっぱいいるの?」
「なに、女の子好きなの?」
「いいからそういうの。ちゃんと答えよ、どうなの」
「別にそんなにだな、由井ちゃんぐらい可愛い子なんて滅多にいないよ」
「そうなんだ」
わざとらしく褒めたのに、由井ちゃんは無邪気に喜んでいる。
見た目通り純粋なんだな。
「他にはな、んーと、しんどい街だな」
「しんどい?」
「うん、しんどい」
********
夜は久しぶりに、母さんの手料理を食べた。手料理自体が久しぶりだったから、とても上手く感じた。
「あのさ」
「なに?」
「なんであいつは家にいるの?病院に行かなくていいの」
「入院してたんだけど、無理矢理帰って来たの。俺はここで死ぬって」
実にあいつらしい。頑固で我儘だ。
「こっちの迷惑も考えろよ」
つい、口に出してしまう。
これはまずかったと思い、母さんの顔を伺った。
母さんは悲しそうな顔で俺を見つめる。
「…ごめんって」
「あんた…ねぇ、本当に父さんに会わないのかい」
「…会わない」
俺の返事を聞いて、母さんは何やら悩んでいる。
口を開いては閉じ、閉じては開き何かを言おうとしている。
「なに?」
母は決心したようで、話し始めた。
「あんたの事を本当に分かってたのは、父さんなんよ」
「はい?」
「父さんはねワザとあんたに厳しくしたんよ、あんが自分と似ているから。下手に優しくされるよりも否定された方が反発して頑張れるタイプだと分かってたから」
母の突然の告白に戸惑う。
本当なのだろうか、それとも最後に父親と顔を会わさせる為の嘘なのだろうか。
「でもあまり厳しくし過ぎて潰れたら駄目だから、私があんたの味方をするようにって父さんが言ったんよ。父さんがあんたの顔を見なくなったのは、あんたに憎まれた顔で見られるのが辛いからだったんだよ」
母は一呼吸置いて言う。
「最後ぐらい会ってやってよ」
やけに最後という言葉が耳に付く。
急によく分からない焦燥が生まれた。
********
庭で大きな木を眺めていた。
ぼーっと、何も考えずに眺めていた。
この木はあいつが植えたものだ。
小さな俺があいつにお願いしたのだ。今考えると、とても下らない理由で欲しがったものだ。
忍者になろうとして、木を植えてくれと頼んだのだ。
テレビが本かは覚えてないが、忍者の特訓方法に成長する木を飛び続ける事により驚異的なジャンプ力を手にするというものがあると知って頼んだのだ。
父は木を植えてくれた。
俺は中々成長しない木に飽きてしまって、いつの間にか跳ぶのをやめていた。
そして気づかないうちに木は、俺が跳べやしない高さまで成長していた。
そんな俺を見て、父さんは笑ったのだった。
「子供の時の俺と一緒だったな」
父さんに会うことにした。
********
父さんの部屋に入ると、病人の匂いがした。
「よお」
「なんだ、東京から逃げて来たか?」
父さんは俺の顔も見ないで、憎まれ口を叩いた。
「あのさ、聞いたんだ…母さんから、色々」
父さんは少し間をおいてから言う。
「色々じゃ分かんねえだろ、馬鹿」
「色々っていうか、全部…」
「それじゃ…分かんねえだろ」
「父さん、こっち見なよ」
「…やだな」
「東京はさ、色々としんどいとこだった。そこで頑張れたのはさ、父さんがいたからだよ。むかつく背中がいつも心の中にあったから、だから頑張れたんだよ」
父さんは黙って俺の話を聞いている。
「俺は父さんを憎んでないよ」
その言葉に引っ張られるように、父さんはゆっくりと振り向く。
いつの間にか、父さんの顔には沢山のシワが出来ていた。
父さんはジックリと俺の顔を眺めると、涙を流した。
目を閉じて、声を殺して泣いている。
そしてゆっくりと目を開けてから、口を開いた。
「俺に似て男前に育ったな」
そう笑った。
********
それから一週間も経たない内に父さんは死んだ。
そして俺は東京に戻った。
終わり
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