安部菜々「嘘つきうさぎと魔法使いさん」 (139)

自分が主役の夢を見て、笑われないうちに忘れるんだ。










――ひとつのウソにさえ、すがる私に。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1384445462

あれは、確か小学生の頃。
母親にねだって連れて行ってもらった、アイドルのコンサート。

そこで「私」は……魔法にかけられた。

キラキラと客席で光るペンライト。スポットライトの当たる舞台。
その中心で一際輝く、アイドルの姿に魅せられて。

そして今でもまだ、その魔法……呪いは、解けないままだ。

バタバタと、騒がしい気配を感じて目が覚める。
知らない天井……とは、少し違っていた。
眠りに落ちる前、私はこの白い天井の下で、お医者さんの説明を受けている。

「ええと……?」

騒がしさの原因を探して瞳を動かすと、苦笑いを浮かべた卯月ちゃんと目が合う。

「あ……おはようございます、菜々ちゃん」

どうやら、騒がしいのは個室の外らしかった。
耳をすませると、誰かが看護師さんに怒鳴られているらしいのが分かる。

「菜々っ!」

「プロデューサー、揺れすぎ……きもちわるい……」

「ぜぇ、ぜぇ……Pチャン、病院で走っちゃダメだってば……」

勢い良くドアがスライドして、見慣れた顔が飛び込んでくる。

「あ、あはは……ご心配おかけしました……」

「ああ……意識、戻ったのか……」

張り詰めていた糸が切れるように、プロデューサーは床に座り込む。
全力疾走したのか、みくちゃんも隣にしゃがみこんでいた。

「あれ? 私、菜々ちゃん目が覚めましたよってメールしたはずですけど」

「え? あ、すまん……運転中で見てなかった」

「もー、だから杏言ったでしょ、そんなに急いでも意味ないって。ほら、下ろしてよ」

プロデューサーさんの脇に抱えられていた杏ちゃんは、酔ったのか少し顔色が悪い。
大げさだなあ、と思いながらも、ここまで心配してくれたことは純粋に嬉しかった。

「大丈夫ですってば。お医者さんの話でも、ただの過労って話でしたし」

不安そうな顔を続けるプロデューサーさんに、お医者さんから聞いた話を伝える。
開口一番、お医者さんが「こんな状態で、よく今まで踊ってましたね」と言ったことは、伏せて。

「季節の変わり目で、体調崩したみたいで……ちゃんと食事はとらなきゃダメですね、あはは」

「……卯月?」

「あ、はい。私も隣でお話を聞いたので、過労なのは間違いないです」

「ふむ……まあ、卯月もそう言うなら……」

「な、ナナのことも信用してくださいよぉ!」

多分、隠したところで気づかれているのだろう。
それでも私がこうして笑うのは、意地のようなものだった。

「今朝、俺が体調聞いた時に大丈夫って言って、収録中に倒れたのは誰だったっけな?」

「……ナナですね。はい……」

「もう、Pチャン! 病人をいじめるのは良くないよ?」

「分かってるよ。とにかく、いい機会だと思ってしばらく入院してろ」

「でもナナ、レギュラーのお仕事が……」

「どうにか穴埋めはするさ。うちの事務所も結構な大所帯だからな」

プロデューサーさんが担当している子達の顔を、頭の中で浮かべてみる。
……十人は超えていた。これで、事務所内では担当が少ない方らしいから驚きだ。
プロデューサーさんの方こそ、一度検査入院した方がいいんじゃないかと思う。

「大所帯なのは確かですけど……ここで寝てると、若い子達にお仕事取られちゃいそうで」

休んでいたら、みんな私のことを忘れてしまうんじゃないかという、漠然とした不安。
自分が浦島太郎になってしまうことが、怖かった。

「不安なのは分かるが、万全じゃないまま出てきて、また倒れられるのは困る」

もっともだった。それは私も困る。

「倒れるまで働かせたこっちも悪いんだ、いつ戻ってきても仕事ができるようにはするさ」

お医者さんから提示されたのは一週間の入院。
体力回復の期間も考慮して、二週間は表には出さない、というのがプロデューサーさんの指示だった。
反発したところで自分でお仕事は持ってこれないから、黙ってうなずく。

「プロデューサー、杏も最近ちょっと疲れが……」

「なら一週間ぐらい、無菌室に監禁させてもらうか?」

「な、なんだこの扱いの差は……おーぼーだ! えこひいきだ!」

杏ちゃんは、相変わらずだ。
文句を言いながらも二年間続けてきたんだから、これからもアイドルは辞めないんだろう。

「あ……ごめんなさいプロデューサー。私、そろそろ帰りますね」

「っと、そうか。連絡くれて助かったよ、卯月。直帰か?」

「いえ、事務所で未央ちゃんの受験勉強のお手伝いなんです」

凛ちゃんは、推薦で私立への入学が決まっているらしい。
受験、という単語に、みくちゃんの顔が一瞬曇っていた。

「今日はごめんね、卯月ちゃん」

「いえいえ。お大事に、菜々ちゃん」

現役女子大生アイドル、島村卯月。
私の秘密を知っても、変わらずに菜々ちゃんと呼んでくれる、天使だった。

「はぁ……いや、思ったよりも元気そうで安心したよ。着替えとかは?」

「後で、美世ちゃんと若葉ちゃんが持ってきてくれるらしいです。この後、お仕事ですか?」

「ああ。すまんな、ライブツアーの打ち合わせが今夜なんだ。杏も次の収録に連れていかんと」

私一人のための、プロデューサーじゃない。そんなことは分かってる。
だから……心細いからもう少しだけそばに、というのは私のワガママだ。

「何かあったらメールしてくれ、飛んでくるから。また、時間作って面会に来るよ」

「大げさですよ……どうせ時間作るなら、ナナが退院してからにしてください」

「ん……まあ、考えておくよ」

「ナナはー、おいしいごはんが食べたいですっ」

「あのなぁ……まずは退院してからだぞ、いいな?」

「はーい」

慌ただしい時間は終わり。
申し訳なさそうな彼とみくちゃん(と、抱えられた杏ちゃん)に手を振って、病室に一人ぼっち。
特にすることがあるわけでもないから、またベッドに体を預ける。

過労、か。
どうせ倒れてしまうのなら、私は……

「もう少しだけ、眠っていたかったな……」

「寝てれば?」

「ふぇ……?」

私以外に誰もいないはずの病室で、漏れ出していた独り言。
返ってきた言葉に、私はまた上体を起こした。

「はぁ、だるい……ごめん、カエダーマ忘れちゃって。多分ベッドの下なんだけど」

「なんでそんなとこに……珍しいですね、自分で取りに来るなんて」

「自分で取ってこいって放り出されたんだよ……人使いの荒いプロデューサーだ」

ぶつぶつと文句を言いながら、杏ちゃんはベッドの下に潜り込む。

「杏ちゃん」

「んー?」

「あの人は杏ちゃんが倒れたら、きっと背負ってでも病院に連れて行ってくれると思いますよ」

「私は菜々と違って、ぶっ倒れるまで働いたりなんかしないんだよ……それに」

ベッドの下から這い出た杏ちゃんの手には、いつものぬいぐるみが握られている。
雑に扱われてボロボロになったうさぎの体は、ところどころに修繕の跡があった。

「プロデューサー、杏と菜々じゃ向けている感情が違うでしょ。菜々自身もそう」

表情筋が引きつったのが、自分でも分かった。

「二人とも、嘘つくのが下手すぎなんだよね……自分では、うまくできてるつもりかもしれないけど」

「あはは……ウサミン星人は、嘘つきですから」

「……ま、私には関係ないから、二人がそれでいいならいいんだけどさ」

プロデューサーを待たせてるから、と杏ちゃんは病室を出て行く。
だから、

「……ナナは、アイドルですから」

白い天井に溶けていった言葉が、誰に向けられたものなのか。私自身にも、はっきりしなかった。

入院生活、三日目。

元々ワーカーホリック気味な自覚はあったけど……
それを差し引いても、病院にいるだけの生活は退屈なものだった。

事務所のみんなは面会に来てくれるけど、それも仕事の合間を縫ってのことだ。
どうしても自然と、一人でいる時間が増えてしまう。

アイドルの姿が気になってしまうから、ゴールデンタイムのテレビを見るのも避けていた。
お昼のワイドショーを見て、売店で買った週刊誌をペラペラめくって。
ひどく時間の無駄遣いをしている気になるけれど、体力を回復させるのがプロの仕事、と自分に言い聞かせる。

……「安部菜々が倒れた」というニュースは、私が思っていたよりも大きく取り上げられているらしかった。
病室のテレビで、私の「設定」について議論しているワイドショーを見るのは……正直、割と恥ずかしい。

もう信じてる人は少ないし、事務所のみんなにはいろいろ打ち明けているけれど。

対外的には、ウサミン星出身の永遠の十七歳。
気がつけば、忍ちゃんより年下ということになっていた。

ワイドショーの話題が政治家のスキャンダルに移ったのを見て、テレビの電源を消す。
枕に顔を埋めると、病室からは音が消える。
真っ白な狭い病室はちょうど、暗くて広い、ステージとは真逆のように思えた。

コンコンコン、とノックの音。
どうぞと声をかけると、コートの下に、見慣れた緑の制服。

「こんにちは、菜々さん」

「ちひろさん!? え、来るってお話でしたっけ……?」

「急に来ちゃってごめんなさい。ホントは、もっと早くにお見舞いに来たかったんですが」

「いえ、そんな……忙しいのに、わざわざすみません。椅子出しますね」

差し入れだというゴージャスセレブプリンを、恐縮しながらいただく。
スタドリも勧められたけど、点滴と一緒に摂取すると危ない気がしたから遠慮しておいた。

「どうですか、入院生活は?」

「うーん……窮屈、ですかね。一人でいる時間が、多くって」

仕事をするわけにもいかず、一人の時間が増えると……考え事をしてしまう時間が増えて、困る。

「寝たきりってわけでもないですし、家の布団で寝て、早く仕事に戻りたいですねえ」

「ダメですよー? プロデューサーさん、ずいぶんと心配してたんですから」

彼の名前を出されると、私は何も言えなくなる。
心配させてしまったのは事実だし、迷惑をかけてしまったことも間違いない。

「その……ちひろさん、お仕事とか大丈夫なんですか?」

ちひろさんは、とても多忙な人だ。
アイドルが一人倒れたくらいじゃうちの事務所は傾かないだろうけど、
ちひろさんが居なくなれば、あの事務所は一週間も保たないと思う。

「気にしなくていいですよ。スタッフ代表としてお見舞いに行くと言ったら、社長も喜んで仕事を引き受けてくれましたから」

「は、はは……」

冗談とかではないんだろう。
ちひろさんは、やると言ったらやる女性だ。

そこまでして私のために時間を作ってくれたことが、嬉しかった。

「そういうことですから、今日は菜々さんが嫌って言うまで居座っちゃいますよ」

「嫌だなんて、そんな……ホントのこと言うと、ちょっと寂しかったので」

「病院のベッドって、なんだか心細くなっちゃいますよね。個室だとなおさら」

清良さんの元職場だというこの病院は、芸能人の入院先としてよく使われているらしい。
高そうな個室に経費で入院しているということもあって、入院してからもどうにも落ち着けなかった。

「アイドルの子たちも忙しいですし……今日はお言葉に甘えて、ちひろさんのこと頼っちゃいます」

「はい、頼られますよー」

お話といっても、そんな大層なことを話すわけじゃない。
あの店の洋服がかわいい。結婚した同級生。最近イチオシのアイドル。
同年代の女の子と話す、そんな他愛のない話。

「こうやってちひろさんとお喋りするの、久しぶりかもしれませんね」

「そうですね……菜々さんがランクBになってから、仕事終わりに居酒屋、なんてこともなくなりましたし」

事務所が軌道に乗る前は、楓さんたちとこっそり宅飲みをしていた時期もあった。
週刊誌に居酒屋にいるところを撮られて、私の年齢に関するあれこれの釈明でいろいろとあって……
それ以来、暗黙の了解として、外でお酒を飲むことは避けていた。

「冬になったら、お鍋を囲みながら日本酒いただく会なんて開きたいですね」

「ああー、いいですねぇそれ。しゅーこちゃんもお酒が飲める年齢ですし……」

ずず……と緑茶をすする。……なんだか、入院して老けこんでしまった気がした。

「それで」

湯呑みを置いたのを確認して、ちひろさんが口を開く。

「本当に、働きすぎただけなんですか?」

「……ええと」

杏ちゃん曰く、私は嘘が下手なのだそうだ。
あまり否定できないとは思う。今だって、目が泳いだのが自分でもはっきり分かった。

「……きっと、笑っちゃいますよ」

「笑いませんよ。アイドルが真剣に悩んでいるなら、私は絶対に嘲笑したりなんかしません」

少し悩んで、結局私は口を開いた。
きっと、誰かに打ち明けたかったことではあるのだ。

「夢邪鬼、って知ってます?」

「……えーっと。ビューティフル・ドリーマーでしたっけ?」

肯定の意味で頷く。
人が願った夢を作り、その中に人を引き込んで夢を見せる妖怪。

「ナナは、夢を見させてもらっているんです。ナナの願った、ナナにとって幸せな夢を。
 楽しいお仕事、アニメの主題歌、キラキラのステージ、ファンの反応。
 二年間一緒に頑張ってきたみんな。新しく入ってきたかわいい後輩。
 ……ナナが子供の頃、夢見てた光景」

でも、夢はいつか覚める。

「ときどき、怖くなるんですよ。
 こうやって、アイドルになって楽しく過ごしている日々は、あの人がナナに見せている夢で。
 寝て起きて、夢から覚めたら……
 本当のナナは、いい年してアイドル夢見てる、痛い女のままなんじゃないかって。
 だから……最近、ちょっと寝不足気味で。あはは……」

「……菜々さん……」

もちろん、それが全てじゃない。

今年度に入ってずっと働き詰めで、まともにオフの日が無かったのは事実。
たまにあった休日もブログ更新やアニメの消化で潰して、自己管理できていなかったのも事実。
……いろいろと考え込んでしまって、ぐっすりと眠れていなかったのも、事実。

入院してからもそうだ。
真夜中、布団に入って一人天井を見上げていると、思考がぐるぐると下の方に落ちていく。
そのまま落ちていった先の結論を見るのが怖くて、無理矢理眠りに落ちようとするから、目が冴えてしまう。

これが夢にしろ現実にしろ、今の私を失ってしまうことが、ただひたすらに怖かった。
それは詰まるところ、「将来に対するぼんやりとした不安」というものなんだと、思う。

気がつくと、手の甲が濡れていた。
それが自分が泣いているせいだとすぐに分かったから、慌てて目元を拭う。

「あ……ごめんなさい。せっかく来てもらったのに、こんな……」

「いいんですよ、今日は。無理して笑わなくても」

膝の上に乗せた握りこぶしを、ちひろさんの手のひらが包み込む。

「ここには、私と菜々さん以外誰もいません。……私、結構口が固いんですよ?」

そのまま、ちひろさんに抱きしめられる。
なんだか、母親にあやされる子供みたいで……恥ずかしくて、でもすごく安心した。

「ファンに愛される、アイドルである必要も。
 後輩の目標となるべき、先輩である必要も。
 恋する女の子である必要も、ないんです」
 
「ちひろさん……ちょっと痛い、です……」

「痛いなら、これは夢じゃなくて現実ですよね?
 ……遊びに来た飲み友達の前でくらい、普通の女の子にならなきゃ、疲れちゃいますよ」

それはひょっとすると、悪魔の囁きだったのかもしれない。
でも、体を包み込む暖かさは、天使に抱きかかえられているようで……抗えない。

「だ、ダメですよちひろさん。そんなに優しくされたら、好きになっちゃう、なんて……」

「いいですよ。私も菜々さんのこと、大好きですから」

軽く茶化してみても、ちひろさんは後ろに回した腕を離してくれなくて。
私は目の端を拭うこともできないまま、しばらくの間泣き続けていた。

おさわがせしました^^;

2分前 投稿者:usamin77 [編集]

安部菜々、久しぶりの自宅なうです!

お仕事の関係者のみなさん、そしてファンのみなさん、
心配をかけてしまってごめんなさい!m(_ _)m
最近、お仕事が楽しすぎて……ちょっと、頑張り過ぎちゃったみたいです(ixi)

本当は、皆さんに早く歌ったり踊ったりしてる姿をお見せしたいのですが……
無理して周囲を不安にさせるわけにもいかないということで、もう少しだけお休みです(--;

待っていただいたアフレコのお仕事とかを消化しながら、体力の充電です!
溜まっていたアニメの消化もしたいんですが、それは復帰後の楽しみにしておきおます(*^◯^*)

あさっては、二周年ライブツアーの大阪公演♪
ナナは参加できませんが、参加する子たちの調子はいいみたいなので、お楽しみに!

ナナも復帰ができ次第、ツアーに参加する予定ですので、応援よろしくお願いしますねo(*^^*)o
では、今夜もいい夢を・x・

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ケータイを充電器に差し込んで、部屋の照明を消す。

病室のベッドと違って、家の万年床は固く、ベッドメイクもされない。
でも、そんなことはあまり関係なかった。
どっちにしろ、熟睡なんてできるか分からないのだし。

ちひろさんに手を握られながら眠ったあの日は、安心して眠れたのは事実。
でも、ちひろさんに依存してしまうことはできない。彼女には彼女の生活がある。

悪夢でもなんでもいい。
夢を見るほど深い眠りに落ちて、目が覚めても私がアイドルであるのなら、それで。

もう一度だけ、目を開ける。
星一つ無い真っ暗な部屋の天井には、ウサミン星は輝いていなかった。

私は……決断を迫られている。
それに一つの回答を用意して、また瞳を閉じた。

「ぜぇ……ぜぇ……はぁっ……」

週明け……アイドル活動、復帰ゼロ日目。
ブログに復帰のお知らせを書いて、レギュラー番組の担当者さんと復帰の打ち合わせ。

昼食を食べてからは、ずっとトレーナーさんにレッスンを付き合ってもらっていた。

「菜々さん、休憩入れましょうか。ちょっとこれ以上は無理そうです」

「ぜぇ……ま、まだ頑張れます……」

「私が無理だって言ってるんだから、無理なものは無理です」

……手厳しい。

「遅れを取り戻そうとして、オーバーワークしても効率悪いんですから。体力の無駄遣いですよ」

「プロデューサーさんからも、厳しくしていいが無茶はさせるなと言われてます。はい、仰向けになって」

「すみません、わざわざ付き合ってもらってるのに」

「いいんですよ。これが私の仕事ですし。菜々さんクラスになると、報酬も結構いいですからね」

お給料の分はがんばりますから、と横になった私にマッサージをしてくれる。

「久しぶりのレッスンなんですから、急にハードなレッスンしても怪我の元です」

「そうですね……体は重いですけど、でもやっぱりアイドルって楽しいです。えへへ……」

「楽しいのは分かりますけど、無理はダメですからね? もっとスタッフを頼ってください」

「はーい……」

焦っても、仕方のないことなのは確かだ。
優秀なスタッフさんの助言に、今日は素直に耳を貸すことにする。

「お疲れ様です」

「お疲れ様です、プロデューサーさん」

「えぇっ!? あれ、もうそんな時間ですか……えっと」

「いや、マッサージ中だろ? いいからそのまま受けてろ」

私を挟んで、右側にトレーナーさん。左側にプロデューサーさん。
……汗臭くないだろうか。二週間運動してなかったから、お腹もちょっと不安だ。

「どうですか、うちのお姫様の調子は」

「とりあえず、予定通りですね。トークの方は問題ないでしょうし、ボーカルも簡単な修正だけでした」

後は規則正しい生活になるように管理すること、とお医者さんに言われたことを再び忠告される。

「元々、かなりレベルが高かったですからね。二週間休んだぐらいで、ボロボロになるような指導はしてませんから」

「トレーナーさんにそう言っていただけると、プロデューサーとしてもありがたいです」

……レベル、高いのだろうか。
がむしゃらに走り続けて、気がついたら今の場所にいたから、あまりそう言われてもピンとこない。
方向性が違うと言われればそれまでだけど、楓さんや蘭子ちゃんと比べると、私なんてまだまだだと思う。

「はい、クールダウン終わりです。お迎えも来たことですし、今日はここまでにしましょう」

「ありがとうございました……また、よろしくお願いします」

「こちらこそ。姉さんと一緒に、ツアーの曲合わせも担当すると思いますから」

事務所が契約しているトレーナー姉妹は、みんないい人ばかりだ。
レッスンはハードだけど、その分効果的なのは確かで、末っ子さんもだいぶ貫禄が出てきた気がする。

「じゃ、着替えてこいよ」

「はーい。帰りに事務所寄ったほうがいいですかね?」

「いや、いいだろ。今夜は俺に付き合え」

「ふぇっ?」

「お前が言ったんだろ。退院したら遊びに連れてけって」

……顔が熱い。返事もそこそこに、私はシャワー室に駆けていった。

髪を下ろして、眼鏡をかけて。
OL向けのファッション誌に載ってるような服を着こめば、私も「歳相応」には見えるらしい。
背伸びしているみたいで少しむず痒いのだけど、年齢確認で雰囲気を壊されたくはないので仕方ない。

フレちゃんが絶賛していたという、イタリア料理を楽しんだ後。
すっかり寒くなった秋の風に身をすくめながら、二人並んで並木道を歩く。

「いやー、こうやってると、なんだかデートみたいですね」

……私は、彼に恋愛感情を抱いている。

「言いふらすなよ? みく辺りがうるさそうだ」

自惚れでなければ、彼も私に好意を抱いているのだと、思う。

「えへへ。それじゃあ、今夜のことは二人だけの秘密ですね」

お互い、好意を言葉にしたこともなければ、手のひら以外で肌に触れたことも、ないのだけど。

「そうだ。映画の主題歌、オリコン四位だったぞ」

「あ、あれってもう発売でしたっけ?」

先月はじめに封切られた、人気シリーズの最新作劇場版。
魔法少女に助けを求める星の使いとして、ゲスト出演させていただいていた。

「結構話題になってるみたいだな……主演の中の人と一緒に、少年誌でグラビアって話も出てたぞ?」

「えぇ!? いや、それはちょっと……」

「ああ……病み上がりだしな。ちょっとウエストが不安か」

「いや、そっちじゃなくてですね……」

主演の子と二人で並ぶのは、主に肌年齢の都合でいろいろと問題がある。勘弁してもらいたい。

「でも、今回はホントにお仕事とってくれて嬉しかったです」

学生時代大好きだった初代シリーズの中の人とも共演できたし、台本にサインも貰ってしまった。
ブログにそのことを書いたら、どこかのまとめブログにいろいろ書かれてしまったらしいけど。
「ホンモノだこの人」とか「ガチすぎる」とか……まあ、否定的な要素ではないと思う。おそらく。

「俺は仕事持ってきただけだからなあ……シリーズのファンに受け入れられたのは、菜々の実力だよ」

「それでも、嬉しいものは嬉しいですよ」

私の好きなこと、やりたいことを理解してくれて、その夢を叶えてくれたんだから。

「プロデューサーさんは、ナナの魔法使いさんなんです」

「……饅頭は出せないぞ」

「アニメとかじゃなくて。かぼちゃの馬車を用意してくれる、アレです」

ところでフレちゃんが何故イタリア料理…?

「アイドルの世界を夢見て、地球にやってきたウサミン星人は……
 魔法使いにきれいなドレスをと歌を与えられて、憧れの舞踏会に行くんです」

「アイドル」という王子様と、踊るために。

「シンデレラ・ガールか……そこまで喜んでもらえてるなら、光栄だよ」

でも、物語は破綻してしまう。
シンデレラは、王子様だけではなく……魔法使いにも、恋をした。
夢だった舞台で踊れるだけで、十分だったはずなのに。

「プロデューサーさんは、どうしてナナを、プロデュースしてくれたんですか?」

「なんだよ、いきなり……そうだな。目がきれいだったから……かな」

「……は、恥ずかしいですね、なんか……」

「菜々が聞いたんだろ……俺は、自分の判断は間違ってなかったと思ってるよ」

ああ、ダメだ。決意が揺らぐ。

「デビューして、楽しそうに仕事をする菜々を見て……プロデューサーをやってて良かった。そう思った」

お互い、足は止まっていた。
背が低い私は、自然と彼を見上げる形になる。

「アイドルについて語る菜々の目は、キラキラしててな。俺はそれに、惹きつけられた」

「……プロデューサーさんも、アイドルについて話してる時、すごい男前になりますよね」

視線が交錯して、お互い気恥ずかしくなって目を逸らす。
これ以上、二人でいると……おかしなことを、口走ってしまいそう。

「あー、この間もな。面接で、菜々に憧れてうちを志望したって子が来てさ……」

だからそうなる前に、伝えるべきことを伝えなくちゃ。

「プロデューサーさん」

「……ん? なんだ、菜々」







「ナナ、アイドルを引退しようと思います」





今日はここまでです。ちょっと精神もたないので続きは明日以降
レスありがとうございます、はい

>>42
キュート、+2してお酒飲める年齢、食通っぽい子という選択(+好み)です
適当にレストラン渡り歩いて適当なレビューしてまわる番組とかあるんじゃないですかね……
中華だとフェイフェイだしフランス料理だとそのまますぎかなーという謎心理

彼が「そうか」とだけ呟いて。
そのまま、いつも通りに駅で別れて。
家に帰って寝て起きて、朝になったら日付が変わっていた、今日。

朝の町並みも電車の中も、事務所の空気も、以前とは何も変わらなかったけれど。

レッスン前に、社長室に呼び出されて。
彼と、社長さんと、ちひろさんと、トレーナーさんと、私。
五人による話し合いで、私がアイドルじゃなくなる日が、決まった。

二周年記念ライブツアー・ファイナル。東京公演最終日。

彼が私にかけた魔法が解けるまで、あと三ヶ月を切っていた。

「引き止めないんですね、プロデューサーさん」

移動中の車内。
聞いたってどうしようもないことなのに、私はそんなことを聞いていた。

「引き止めて欲しいようには、見えなかったからな」

「……そうですね。引き止められていたら、撤回したとは思いますけど」

事実、社長さんから説得されたときは、少し心が揺らいだ。
彼やちひろさんの「本人の意志を尊重する」という意見で、結局話は流れたのだけど。

「自分で見つけ出したアイドルなら、どんな状態だって、望まれたらプロデュースし続ける覚悟はあるよ」

「……昔、アイドルが好きだと笑う女性がいた」

ハンドルを握ったまま、プロデューサーさんは独り言のように呟く。

「その笑顔を、綺麗だと思った。だから、彼女の夢を一緒に叶えたいと思った」

運転中だから当たり前だけど、彼はこちらと目を合わせようとしない。

「彼女がアイドルという存在を嫌いになって、あの笑顔が見られなくなるなら……
 夢なんて、叶わなくていい。俺はそう思うようになった。プロデューサー失格だ、笑ってくれ」

「……嫌いになんか、なってませんよ」

赤信号で車の動きが止まったから、私は彼と逆方向に意識を向ける。
……今目を合わせたら、泣いてしまいそうだった。

「今は、だろ。予感はあったんだ。最近の菜々は……少し、おかしかったからな」

「やだなあ……そんなことないです。いつも通りですよ」

「出会った頃の菜々は、そんな笑い方はしなかったよ。だから、違和感があった」

……私はどうやら本当に、嘘をつくのが下手らしい。

「好きですよ、アイドルのお仕事は。それだけは、嘘じゃないです」

アイドル活動が嫌いになったのか、と聞かれたら。
私は間違いなく、そして迷うことなく「いいえ」と答えるだろう。
アイドルの仕事は、とっても楽しい。声優もやらせてもらったし、CDも何枚か出すことができた。

気がつけば、ランクBアイドル。
毎日が新しいことの連続で、すごく充実していると思う。

「このまま永遠に、こんな時間が続けばいいのに……そう思ってました」

でも。この世界に永遠なんて、ない。
時間というものは、いつだって無慈悲に流れていくものだ。

……体が言うことを聞いてくれなくなったのは、ここ数ヶ月の話だ。

「最近、自分で思ってるようなパフォーマンスができなくなったんです」

年齢や体型、特性を考えた上で決断した、ステージの上を跳び回る、歌って踊れるアイドルというスタイル。
「遅れ」を取り戻すために、平均以下の体を酷使した、その代償。
アイドルである以上、誰にだっていつかは訪れる……「衰え」。

「どうにかこうにか、今の力を現状維持するのが精一杯。
 それも、だんだん難しくなって……もがいてたら、疲れて倒れちゃいました」
 
「……それでも、アイドルは好きなんだろ。なら……」

「引き止めないんじゃ、ないんですか?」

「……辞める理由、それだけじゃない気がした。プロデューサーとしての勘、かな」

辞める理由。それはいろいろなことが複雑に絡み合っていて……私にも、ハッキリとは言えない。
ちひろさんに打ち明けた不安感も、辞める理由の一つにはなっているだろう。
あんなこと彼には言えないし、ちひろさんも、女同士の秘密と言ってくれているけど。

「求めてくれる人がいる間は、アイドル続けたかったんですけどね」

ボロボロになるまで、アイドルを続ける覚悟はあった。
ファンが一桁になっても、私がおばさんになっても……愛さんや聖子ちゃんみたいに、かわいいアイドルでいたい。

「ナナには、失うものなんて何もなかったんです。だから、アイドルになる為ならなんだってできた」

でもそれはあくまで、私が「売れないアイドル」だった時の願望だ。
私一人のわがままでは、アイドルにしがみつけない程度の地位を、私は手に入れてしまっていた。

……失いたくないものが増えすぎて。
気がつくと、前にも後ろにも進めなくなっていた。

「ナナは……アイドルに、嫌われたくないんです」

「……誰かに、何か言われたのか? どこの馬鹿が……」

「いえ、そうじゃなくて」

「ニートアイドル」杏ちゃんを筆頭に、彼の担当アイドルには業界内のアンチが多いことで有名だ。
私も例外ではないけれど……それは、さほど問題ではない。

「大好きなアイドルってお仕事に、振られてしまうのが怖い、といいますか。
 かわいい後輩が増えると、やっぱり考えちゃうんです。引き際って、大事なのかなって」
 
動きが鈍くなったのも事実。
私よりも才能のある後輩が、増えてきたのも事実。
私の業績が下がることで、路頭に迷う人が出るのも事実。
ランクが下がる前に引退することで、諸々の引き継ぎが行いやすいのも事実。

これ以上、彼の隣にいると……自分がどうなるか分からないのも、事実。
だから、いい機会だったのだ。

「アイドルと、ナナ。お互いを嫌いにならないために……
 ナナの方から別れを切り出して、お互い別の道を歩いて行くんです。
 ……ずるい女ですかね。あはは……」

それから、レッスン場に着くまで私達は口を開かなかった。
ラジオから流れる美穂ちゃんの新曲が、どうにか間をもたせてくれる。

「それじゃ、行ってきます。プロデューサーさんも、お仕事頑張ってください」

「……対外的には、ウサミン星に帰るってことにでもしておくか」

「え?」

「今週中には、記者会見を開く必要はある。
 引退理由、一言でまとめられないなら……そっちの方がいいかもしれない」

「……そうですね。そっちの方が、ナナらしいかもしれないです」

夜にもう一度打ち合わせをすることにして、彼と別れる。

ファンが納得してくれるかどうか、分からないけれど。
最初から最後までウサミン星人を貫くのも、悪くないような気がした。

引退会見の後。
事務所は……ちょっとした、パニックになっていた。

関係各所、ファンからの問い合わせ。
年が明けてからの、レギュラーの引き継ぎに関する折衝。
年少のアイドル達からの質問攻め。

「菜々おねーさん、このまま残りやがってください!」

「ごめんね。ナナはメルヘンチェンジの使い過ぎで、メルヘンパワーがもう残っていないの……」

「ダメだよ! ラブリーチカのパワーを分けてあげるから、いなくなっちゃ、だめ!」

「あ、あはは……」

……非常に、心が痛む。

一段落して解放されて、ブログに記事を上げる頃には、すっかり日が暮れてしまっていた。

千佳ちゃん達のことは美優さんに任せてしまったけれど、大丈夫だろうか。
……今の私には、彼女達の目を見ながらうまいこと説明できる自信がない。

一息入れようと立ち寄った休憩スペースには、どうやら先客がいるらしかった。

「お疲れ様、菜々」

「あれ、杏ちゃん? 珍しいですね、この時間に」

「今日はきらりとラジオ収録だったからねー。今、きらりの打ち合わせ待ち」

しばらくかかる、ということなので、お茶の用意をすることにした。
給湯室にはアイドルの趣味で色々と備蓄があるので、下手なファミレスよりも凝ったものができるのだ。
星花ちゃん推薦の茶葉は値段を聞いてしまったから、自分で飲む時は安物を使っているけれど。

「はい、ミルクティーです」

「どもー。久しぶりだね、菜々の紅茶飲むのも」

前はよく、こうやってお茶汲みしてたな……なんて。
感傷に浸ってしまうのは、こんな時間の終わりが見えてしまったからだろうか。

買いすぎて余ってしまったらしいビスケットの封を開けて、もそもそと口に運ぶ。
お互い夕食前だから、あまり食べ過ぎるわけにもいかないだろう。
杏ちゃんはおそらく、きらりちゃんと食べるのだろうし。

「人気アイドルになるって、大変だよねえ……辞めるってだけで、みんな大騒ぎ」

「そうですね……杏ちゃんにも、しばらくご迷惑おかけしちゃうかもです」

私から、いくつか仕事が引き継がれる可能性は無いわけじゃない。
私の辞める理由について、事務所の子たちに聞いて回る記者もいるかもしれないし。

「いや、それは別にいいんだけどさ。パパラッチも、杏の性格は知ってるでしょ」

確かに。無視するか、有無をいわさずにちひろさんやプロデューサーさんに投げそうではある。

それでも……この時期に私の引退が重なったことは、杏ちゃんにとってプラスにはならないだろう。

「はぁ。菜々も辞めるっていうのに、なんで杏はアイドル続けてるんだろうなあ……」

いきなりそんなことを言い始めたものだから、どう反応したものか困ってしまう。
まさか「一緒に辞める?」なんて言うわけにもいかない。今回のことはあくまで私の問題だ。

「杏ちゃん、まだまだ若いじゃないですか」

「突っ込まないからね……まだって言っても、来年には杏ハタチだよ」

ハタチは十分若いだろう……というのは、あくまで私から見た話。
事務所の最年少が九歳だから、二十歳はどちらかといえば年長に分類されるのだろう。

「そういえば杏ちゃん、昔引退コンサートやってましたねー」

コンサート中に、突然の引退発表。
プロデューサーさんも初耳の爆弾発言に、事務所が今以上に大騒ぎになったのを覚えている。
引退宣言そのものは、確かその後三日もしないうちに撤回されたはずだ。

「まあね……辞めて家でニートやってるよりも、ここでだらけてた方が居心地いいんだよ」

……杏ちゃんは、引退を撤回するまできらりちゃんの家に軟禁されていた、なんて噂もあったっけ。
本人達が何も言わないから、私達もあまり詮索はしなかったけれど。

「プロデューサーは、なんだかんだ杏には甘いし、きらりも適当に面倒みてくれる。
 ゲーム仲間もいるし、仁奈やこずえはかわいいし、黙っててもお菓子は出てくる。極楽だよねー」

居心地の良さ、か。それは確かに、うちの事務所の自慢できることろだろう。
765プロにだって、負けていないとは思う。

でも……だから、ここに居ると、甘えてしまいそうになる。

「このお茶も、飲めなくなるのかあ……それは、ちょっと寂しいな」

「杏ちゃん……大丈夫ですよ、まだ二ヶ月以上、ありますし」

何が、どう大丈夫なんだろう。
まだ、二ヶ月。それは多分、自分に言い聞かせた呪文。

「ナナも、事務所のみんなは大好きですから。二ヶ月の間に、たくさん思い出を作ろうかなって」

「そっか。ん……そうだね。ま、頑張りたまえよ」

「もーしもーし。ん、きらり終わった? や、いーよ、行くからそっちで待ってて。
 ……いや、別に具合悪いとかじゃないよ。失礼だなあ……」

カップの片付けをしていると、ちょうどきらりちゃんから連絡があったらしい。

「迷わないってば、事務所の中でしょ。杏をなんだと思ってるのさ……うん、じゃー切るよ」

「……心配されてますね」

「もうちょっと信頼して欲しいんだけどね……あー、そうだ。引退の先輩から一つ、助言をしよう」

いつものぬいぐるみを引っ張り上げながら、杏ちゃんは胸を張る。

「助言ですか?」

「うむ。友達に気絶するほど抱き絞められたくなかったら、撤回は早めにすること。以上」

いつものかわいいドヤ顔は。少しだけ、やりきった感が少ないような気がした。

「……経験者は語る、ですね」

「あー……杏、やっぱり湿っぽいのは苦手だなあ。じゃあね菜々、ちゃんと寝るんだよ」

「はい。おやすみなさい、杏ちゃん」

……今夜は、ぐっすり寝れるだろうか。

小学生の一ヶ月と、大学生の一ヶ月は体感時間が違う、なんて話もあるけれど。
引退が決まってからの一ヶ月は、びっくりするぐらいのスピードで駆け抜けていった。

ツアーの合同練習に、最後のアルバムの収録。
年末年始の特番を撮影しながら、アニメのアフレコ、インタビュー。

プロデューサーさんと相談して、やりたい仕事を詰め込めるだけ詰め込んだスケジュール。
結果として、入院する前よりもタイトなスケジュールになってしまった。

心配する声もあるけれど、たぶん大丈夫。
どうせ、あと少しでアイドルではなくなるのだ。
少し働き過ぎくらいの方が、今の私にはちょうどいい。

仙台公演から帰京して、その足でブーブーエスに。
デビュー後初めて出演して以来、ずっとお世話になっていた歌番組の収録に参加する。

初出演の時のVTRを見ると、MCさんの質問にしどろもどろになっている私がいて、苦笑してしまう。
同時に、うろたえながらも収録を笑顔で楽しむかつての私を……羨ましいと、思ってしまった。

「いやあ、寂しくなるねえ。菜々ちゃん、結構スタッフから評判良かったからさ」

顔なじみの編成さんからかけられる、そんな言葉。
残り少ない時間、仕事の合間を縫って、スタッフさんや共演者に挨拶回りをすることにしていた。
お礼を言いたい人が多すぎて……たぶん、引退には間に合わないだろうけど。

「いえ、そんな……ナナがここまで来れたのは、スタッフの皆さんのおかげですから」

「辞めた後はどうするの? 実家……あー、ウサミン星だっけ? 帰るのかい?」

引退してから……か。

「まだ、ちゃんと考えてないんです。今は、仕事に集中したくて」

先のことを考えたら、足が止まってしまいそうな気がした。
それよりも今は、一つ一つの「最後の仕事」を真剣に取り組みたい。

「とりあえず、落ち着くまでゆっくりして……その間に、親孝行でもしようかと」

電話はたまにしているけれど、最近は実家に帰れていない。
引退することを伝えると、お母さんは「お前が決めたことなら」と言ってくれた。
最終公演には呼ぶつもりだけど……来てくれるかな。

「そっか。ま、親孝行はできるうちにしないとねえ……
 戻ってくるなら声かけてよ。菜々ちゃんが歌うなら、仕事用意するからさ」

「あはは……ありがとうございます。今まで、お世話になりました」

スタッフさんの後は、共演者さんの楽屋を回る。
プロデューサーさんは、今日は「同時多発ゲリラライブ」でこちらには来れないはずだ。
幸子ちゃんのプロデューサーさんがついでに迎えに来てくれるらしいから、もう少し余裕はある。

「菜々さん、もう若くないのにすごい格好してますよねー」

初めて顔を合わせる、最近徐々に売れ始めてきたという三人組は。

「いい年してファンシーすぎ、っていうか……ちょっと、痛々しいかなって」

「もー、やめなよかわいそうでしょ。菜々さんはえ・い・え・ん、の十七歳なんだから」

なんというか……怖いもの知らずだった。

「菜々さん、ウサミン星がどうとかって、やってて恥ずかしくないんですか?」

「えぇ? ナナは恥ずかしいとか、そういうのは考えたことは、あんまり……」

「だってぇ、年上のアイドルさんって、楓さんとか、美優さんとか?
 なんか、おっとなーって感じの方が人気じゃないですか」

「メルヘンなんとかー、とか、見ててキツイっていうか……あ、そういう芸風なんでしたっけ?」

「いや、芸風っていうか、なんというか……」

「菜々さん見ると、私はこうはなりたくないな、頑張らなくちゃって思えるんですよね。
 だから、反面教師としてはいつもお世話になってまーす」

……大丈夫。この手の発言には慣れている。
偏見と好奇に満ちた視線は、デビューした時から浴びてきた。

「引退するのって、やっぱり年齢の問題なんですか?」

「えっと、まあ……それもある、かな……なんて」

複雑な感情を誰かに説明するのは難しい。
何より、彼女たちに言っても、きっと理解できないだろう内容だ。

「やっぱりー! 常識的に考えて、そろそろそのキャラも無理がありますもんねー」

「でもさ、そのノリでランクBまで上がれちゃうんだから、アイドルって結構ちょろいよね」

「あ、あはは……いろいろと、苦労もしましたけどね」

……若いって、すごいな。
そんな甘くないよ、なんて言っても、きっと笑われるだけなんだろう。

「やっぱ、やりたいことやるなら、若い内じゃなきゃダメなんですねー」

「菜々さんが引退するなら、あたし達もお仕事増えるかもね」

「あ、そっか! じゃあ菜々さんには感謝しないとだね!」

「私あれやりたい、朝の情報番組! 菜々さん、木曜レギュラーでしたよね?」

私も、もっと早くデビューしていれば……色々と、違っていたのだろうか。
でもそれは、彼にプロデュースしてもらえない、ということで……結局、デビューはできなかっただろうけど。

「苦労していろいろ誤魔化してデビューしても、おばさんになったら全部手放さなきゃいけないのかあ」

「だから言ってるじゃん? さっさと人気になって、玉の輿乗っちゃおうって」

「でも、そこまで努力しても、幸子さんや智絵里さんに勝てないって……
 なんだか、すごく滑稽ですよね」

……言い返す気力もなかった。
言い返したところで、私が引退することにもファン投票の結果にも、何の変化もない。
ただ……少し、息苦しい。

「ああ、こんなところに居たんですか。探しましたよ、菜々さん」

いつから、楽屋のドアが開いていたのだろう。

「……幸子ちゃん」

「まったく、ひどい人ですね。カワイイボクを放っておいて、こんな低俗な方々に油を売っているなんて」

高校生になった小さな売れっ子アイドルは、いつものように鼻を鳴らす。
……少し違和感があった。
普段の彼女は、自分を上げることはあっても、他人を下げる発言はしないはずだ。

「……いくら幸子さんでも、低俗呼ばわりはひどくないですか?」

「あたし、ちょーっと傷ついちゃったんですけど」

「おや、失礼しました。ボクがカワイイばかりにご迷惑を」

噛み合わない会話は……おそらく、わざとだ。

「途中からしか聞いていませんが。友人の悪口にしか聞こえなかったものですから、言葉を間違えました。
 カワイイボクの友人は、みんなボクに迫るくらいカワイイものですから」

「あの、幸子ちゃん? ナナは、別に……」

「ランクAのボクから言わせてもらえば、ランクDに上がったくらいで今の菜々さんを見て、
 『ちょろい』なんて言えるあなた方は……低俗というより、かませでしたね」

……穏便に済ませる、つもりだったのだけど。
幸子ちゃんは、そのつもりはないらしい。

「ひょっとして幸子さん、喧嘩売ってます?」

「ボクはケンカなんかしませんよ。非売品ですし、売ってもあなた方が買える額ではありません」

「意外ですね。幸子さん正統派だから、菜々さんの肩を持つなんてしないと思ってましたけど」

「……まさかあなた方。本気で、若いうちにそこそこ努力しておけばボクに勝てると思ってるんですか?
 だとしたら、滑稽なのはあなた方の方ですね!」

「なんですって……!?」

「文句が言いたいなら、せめてライブでボクを苦戦させてからにしてください。
 本当にランクBまで上がってこれるなら、お話くらいは聞きましょう。まあもっとも……」

語気を強める幸子ちゃんに、三人は気圧されていた。

「他人が落ちていくのを期待しているようなアイドルが、ボクのカワイさに近づけるとは思えませんが。
 ……さ、行きましょう菜々さん。ボクのプロデューサーさんが車で待っているそうです」

「あ……その、失礼しました。ナナのことは、気にしないでください……」

「あはは……迷惑かけてごめんなさい、幸子ちゃん」

「ボクのことはご心配なく。昔から、誰かに嫉妬されるのには慣れてますし」

駐車場に向かう、エレベーターの中。

「……ボク、菜々さんに対しても少し怒っています。どうして何も言い返さなかったんですか?」

どう答えたものか迷って……今の素直な気持ちを、口にする。

「あんまり、間違ったことは言ってなかったから……かな」

「ウサミン星人はね。少し違うけど……ナナが子供の頃夢見た、『理想のアイドル』なんです」

魔法の星からやってきた、みんなを幸せにする、うさぎのお姫さま。
アイドルがシンデレラだとするなら、それはまさしく私にとっての「王子様」だった。
秘密の呪文を唱えると、小さな私は十七歳の美少女になって……ステージの上で、歌うのだ。

「夢見てたよりもずっと時間はかかったけど、魔法使いに出会って、ナナは理想のアイドルに近づけた。
 でも……時間の流れは、小さな頃に思っていたより、ずっと残酷でした」

体力の低下、肌荒れ、痛む腰。

「家に帰って、姿見の前に立つと……あの子達の言うとおり、本当のナナはおばさんなんです。
 ナナがなりたかったアイドルは、もっとたくさん、上手に踊れました。
 肌はもっと綺麗で、写真をパソコンで修正する必要なんかありませんでした。
 十七歳であるアイドルは、周囲からイロモノ扱いされることもありませんでした」

ズレ始めた……いや、最初からズレていた理想と現実。

見て見ぬ振りをして、「痛々しい」と言われてもお姫様であり続けることもできた。
でも私は、私の「夢」を私と心中させたくはなかった。

現実と向き合ってお姫様を卒業し、歳相応の落ち着いたアイドルに転身することもできた。
でも私は、私の「夢」を忘れてしまうことはできなかった。

いろんなことに傷つきながら、しがみついて、一緒に踊ってきた「理想のアイドルになる」という、嘘。

「だから……ナナという抜け殻を残して、ウサミン星のお姫様は地球を去るんです」

夢が色褪せない、綺麗な夢であるうちに。十二時の鐘が鳴る前に。
私は夢から覚めて、現実に戻るのだ。

私が大好きな、理想のアイドルの物語を。ハッピーエンドで終わらせるために。

「……やっぱり、あの方達にはケンカを売りつけて、ライブで叩きのめしておくべきでした」

エレベーターの扉が開く。地下の駐車場には、秋の冷たい空気が溜まっていた。

「こんな素敵なアイドルに、あんなひどいことを言うなんて……許せませんね」

「ありがとう、幸子ちゃん。こんな話しちゃって、ごめんね」

「それと……抜け殻だなんて、言わないでください。
 菜々さんはアイドルであろうとなかろうと、ボクの大切な友人なんですから」
 
「……そうですね。ごめんなさい、えへへ……」

二人だけの秘密、にしましょう。ボクのプロデューサーさんは、女心を分かってませんから。
そう言いながら、車を見つけると走りだした彼女を……少し、羨ましいと思った。

書き溜め追いついたんでちょっと攻コス消費してきます……
たぶんあと30レスもあれば終わる(はず)んで日付変わってから投下して夜明けまでに終わればいいな(震え声)


時間は、誰にとっても平等に流れていく。

街路樹が紅葉して、やがて落ち葉が道を埋め尽くすカーペットになるように。

たくさんのお別れと、ありがとうを積み重ねて。

――東京公演。夢の終わりまで、あと一週間。

公演三日目、通称「キュート組」の、最後の全体練習。
スケジュールの都合で当日のセットリスト通りにはいかなかったけれど、充実したものにはなった。

トレーナー姉妹にお礼を言って、更衣室で着替えをしていると、卯月ちゃんだけが入ってきた。

「……あれ? 他のみんなは?」

「え? あ……居残り練習、だそうです」

……私達二人以外全員残ることは、普通居残りとは言わないだろう。

「じゃあ、ナナもまだやっていきますよ。完璧にしておきたいですし」

「いや、その……ごめんなさい。プロデューサーさんの指示で……」

卯月ちゃんの話を要約すると。
ライブを前にまた私が倒れてしまうことのないように、早めに帰って休みをとれということらしい。
つまり、卯月ちゃんは私が余計なことをしないための監視役……か。

「はぁ……そんなに信用ないんですかね、ナナは」

「そ、そんなことないですよ。万全の体調でライブをしてほしいんです、きっと」

「それは別に、ナナに限った話じゃあ……忙しいのは、みんな一緒じゃないですか」

ビルの外に出ると、冷たい風が頬を襲う。
ひゃあ、と情けない悲鳴を上げて、マフラーを巻き直した。

「もう、すっかり冬ですね……私もアイドル三年目かぁ……」

「そっか……卯月ちゃん達は、事務所立ち上げからのメンバーなんですよね」

コンビニの窓ガラスには、イヴちゃんがクリスマスケーキの宣伝をするポスターが貼られていた。
……今年は、実家で過ごすのかな。去年は……お酒飲んじゃって、彼に迷惑をかけちゃったっけ。

「せっかくのアニバーサリーライブですし、卯月ちゃんも本当は居残り練習したかったんじゃ?」

「いえ……実は、菜々ちゃんと少しお話したくて。自分で立候補したんです」

「お話……ですか?」

少し回り道を……ということで、コンビニでホットの紅茶を買って、公園へ。

腰掛けた古いブランコは、キィキィと掠れた音で鳴いていた。

「寒いですし、さっそくですけど本題に入っちゃいますね」

レモンティーを一口。吐き出した息は、白い雲になって、夜に溶けていく。

「私、プロデューサーさんに告白しました」

……ブランコが、少し大きな悲鳴をあげた。

動揺する必要なんて、どこにもないはずなのだ。
私と彼は、仕事仲間。それ以上でも、それ以下でもない。

「……プロデューサーさんは、なんて答えたんですか?」

「えへへ、フラれちゃいました。ずっと、好きな人がいるんだそうです」

「そう、ですか」

私は……安心、していた。
なんてひどい、罪悪感。私のものでも、なんでもないのに。

「でも、良かったです。これで『卯月はアイドルだから』なんて言われたら、
 きっと私、プロデューサーさんを引っ叩いてましたから」

それはつまり、卯月ちゃんをアイドルではなく、女の子として断った、ということ。
それは多分、彼なりのケジメなのだと思う。

「菜々ちゃん。最近、プロデューサーさんとお互いを避け合ってますよね」

バレていた。無理もない、元々隠すつもりもなかったことだ。

「避けてるわけないじゃないですか」

嘘が下手な私が。
ウサミン星人を月に送るためにつくことにした、最後の嘘。

「プロデューサーさんがいないと、ナナはお仕事できないんですから」

「菜々ちゃんの引退会見から……二人がお仕事以外の話をしてるのを見た子、いないんです」

「おかしいじゃないですか。私達とはお喋りするし、私が告白する時間だって作ってくれたのに。
 菜々ちゃんとだけ、一切お喋りしないなんて」

「……辞めるって言っちゃったから、プロデューサーさんに嫌われたのかもしれませんね」

「菜々ちゃん!」

卯月ちゃんは、ブランコから降りていた。
その表情は……街灯が逆光になって、よく見えない。

「……ナナは、アイドルですから。初恋が、アイドルだったんです」

「その言い方は……ズルい、です」

それは、そうだろう。
卯月ちゃんがアイドルではなく、一人の女の子として私に話しかけているのに。
私は、アイドルであることを盾にして、逃げているのだから。

「ねえ、卯月ちゃん。運命の出会いって、信じてますか?」

ぎこぎこと。ブランコを揺らしながら、夜空を見上げる。
満月を過ぎた、オムレツのような月が浮かんでいた。

「……憧れては、いますけど」

「私にとってあの人は間違いなく、運命の人でした。
 諦めかけてた夢を、思い出させてくれた人。
 憧れていたあの場所に連れて行ってくれた、魔法使いさん」

月に恋い焦がれて、見上げるだけだった私を。
彼は、手が届くところまで連れて行ってくれたのだ。

「ナナは、ずっと叶えたかった夢……アイドルになることができました。
 だから、これ以上何かを欲しがったら……きっと、神さまに怒られちゃいます」
 
私が顔を伏せると、ブランコの揺れは少しずつ小さくなっていく。

「それに、ナナはプロデューサーさんと付き合うことなんてできません」

彼は、十人以上の売れっ子アイドルを抱えるプロデューサーだ。
たとえ私が、じきにアイドルではなくなるのだとしても……私が独占するなんて、許されることではない。
私がなりたかったアイドルは、そんな女の顔は見せなかったはずなのだ。

だから。アイドルという夢から覚めるなら、この気持ちもかき消してしまおうと、決めた。

「ウサミン星には。ナナの許婚が、ナナが地球から帰ってくるのを待ってるんです」

幼い頃の、「お姫さま」への初恋に殉じようと、決めたんだ。

「……嘘が下手ですね、菜々ちゃん」

「知らなかったんですか? ウサミン星人は、嘘つきなんです」

彼に対して抱いたこの気持ちもきっと。
私が、自分についた嘘なんだ。

握っていたペットボトルは、すっかり冷たくなってしまっていた。
……帰ろう。私はともかく、卯月ちゃんが風邪を引いたら大変だ。
ブランコから立ち上がろうとして、

「菜々ちゃん。アイドルにとって大事なことって、なんだと思いますか?」

卯月ちゃんが、空を見上げているのに気づいた。

「デビューしてから二年経ったけど、私にはまだ分かりません。でも……確かなことは、一つ」




「それは、輝ける仲間がそばにいるってこと」



「私、プロデューサーさんのことが好きです。菜々ちゃんのことも、大好きです。
 一緒にここまで走り続けてきた、大切な仲間」

卯月ちゃんは、笑っていた。
みんなを、幸せにする……彼女が持つ、笑顔という天性の才能。

「だから……たとえ二人がお互いに納得しているのだとしても。
 このまま終わってしまうなんて、私は認めませんから」

ひょっとしたら……それは彼女から私への、宣戦布告だったのかもしれない。

ttps://www.youtube.com/watch?v=TaDRtIkI7g8

リハーサル中の会場は、いつも文化祭前日の教室を思い出す。
緊張と高翌揚感。みんな真剣で、だからドキドキとワクワクで笑顔がこぼれる空間。

このまま時が止まってしまえば……ライブの度に、いつもそんなことを思う。
それが叶わないからアイドルは美しいのだと、どこかの評論家が言っていたっけ。

最後は、笑って終わることにしよう。
私が、人生の全てを賭けて、手に入れたもの。

その集大成が、今日この日。

「調子はどうだ、菜々」

メンバー、スタッフ全員による打ち合わせが終わり……彼に、話しかけられる。

「ばっちりです! ……見ててください、ナナの晴れ舞台」

ぎこちなさを消そうとすればするほど、何も言えなくなってしまう。
だから……最後に、言わなきゃいけないことは、言っておかなくちゃ。

「プロデューサーさん。ナナをここまで育ててくれて、本当にありがとうございました」

「おいおい、礼を言うのはまだ早いだろ。
 それに……俺は結局、菜々をトップアイドルにはできなかった」

たぶんそれが、彼が私に感じている負い目。
私のわがままを聞き入れてくれる、理由だと思う。

「そんなこと、気にしないでください。
 アイドルになれた時点で、ナナの夢は、ほとんど叶ってましたから」

「……そうか」

「だから、プロデューサーさん。
 ライブの前に、ナナに激励の言葉をお願いします♪」

やさしさは、今は必要ない。
労りの言葉は、全てが終わってからでいい。

だから。

「泣いても笑っても、これが最後だ。菜々が持ってる全て、出しきってこい」

「……はいっ!」

弱い私に。最後まで歌い続ける、勇気を。

シンデレラは、王子様にガラスの靴を。
かぐや姫は、帝に不死の薬を残していった。
私は……安部菜々を好きだと言ってくれた人に、何か残せるだろうか。

――輝く世界の魔法 私を好きになぁれ♪――

舞踏会が、始まった。

『な、なんと。ここでみくちゃんから、二周年の重大発表ですっ』

『じゃじゃーん! 前川みく、来年春から現役女子大生猫アイドルだにゃあ!』

『はーいみなさん拍手ー!』

「……大学に行っても猫キャラを続ける気なのか、彼女は」

MCを挟んで、第三部。
トップバッターは、私と晶葉ちゃんが務めることになっていた。

「よし。ウサミンロボ全六体、いつでもいけるぞ」

「いつもありがとうございます、晶葉ちゃん」

「なに、気にするなよウサミン。君のアイドルに対する姿勢は……私にも、いい刺激になった」

「MC明けまーす、準備お願いします!」

「えへへ……それじゃ、行きますよ!」

――フレーフレー頑張れ!!さあ行こう♪ フレーフレー頑張れ!!最高♪――

お月見の頃からの付き合いになる彼らは、私の大切なパートナー。
私の踊りに合わせて、飛び跳ねながらライブを盛り上げてくれる。

――ミラクルどこ来る? 待っているよりも――

ずっと歌いたかった消耗の激しい曲だけど、今日は体力は気にならない。
カバー曲に合わせて振られるウルトラオレンジに、会場のボルテージは高まっている。
ああ……アイドル、楽しい……!!

――始めてみましょう ホップステップジャンプ!!――

「っ……!?」

……着地の瞬間。右足が軋む音が、聞こえた気がした。
悲鳴をあげようとする脳みそを、無理矢理抑えこむ。

……大丈夫、観客席には気づかれていない。
チラリとこちらを見た晶葉ちゃんに、笑顔で答える。

ここで演奏を止めるわけにはいかない。
これは私の最後の舞台である前に、事務所の大切な記念公演なんだから。

痛いだけで、動けないわけじゃない。
ギターソロの間にロボのリモコンを操作して、演出を少し変えてもらう。
脂汗は、どうせライトに反射されれば普通の汗と見分けがつかないだろう。

もう二度と、立ち上がれなくてもいい。
もう二度と、歩けなくなってもいい。

だから……お願い、神さま。
私の魔法が解けないように……もう少しだけ、私に力を。

――キラメキラリ、ちょっとフラット それでも、私のメロディー♪――

トレーナー姉妹に両脇を支えられて、されるがままに長椅子の上に仰向けになる。
プロデューサーさんやスタッフ、待機中のアイドル達も集まっていた……情けないな、こんなの。

「……どうですか?」

「今日限り、という話でなければ止めていますよ」

「アイシングとテーピングはしました。触った感じでは靭帯は問題ないので、後は……」

本人の、意志次第。だったら、答えは決まりきっている。

「行けますっ……っはぁっ……歌わせて、ください……!」

私の体力も考慮して、あとの出番は二曲だけになっている。
ゆったりとしたバラードと、アンコール前のラストの曲。

肩で息をしている。
そんなこと、自分でも分かってる。

立ち上がると、膝が震える。
そんなこと、ライブの後はいつだってそうだった。

姿見の前でくるりと回ると、足首が悲鳴を上げる。
そんなこと、明日からは気にしなくていいことだ。

まだ歌える。まだ踊れる。まだ、あの舞台には私の居場所が用意されている。
十二時の鐘は鳴っていない。姿見に映る私はまだ「ランクBアイドル安部菜々」だ。

魔法が解けてしまう前に、あそこから見える景色を目に焼き付けておきたい。
私の姿をファンのみんなに、仲間たちに、あの人の目にもっと焼き付けたい。

わがままなのは分かってる。辞めるのは自分で決めたこと。

でも、だからこそ。
アイドルを辞める最後の瞬間まで、私はアイドルにしがみついていたい。

「……大丈夫なんだな、菜々」

「大丈夫ですよ。ステージに立ってる時は、脳内麻薬で痛みとか消えますから」

「おい」

私の腕を握ろうとした手をすり抜けて、向かい合って笑う。

「歌いますよ。プロデューサーさんは多分、今日はナナのお願い全部聞いてくれますから」

「……死ぬならステージの上で、なんて馬鹿なこと考えてたら、許さないからな」

遠回しに心配してくれているのが分かるから、それが嬉しい。

「行ってきます、プロデューサーさん」

だから、私はそれに応えたい。私が彼にできる、唯一の恩返しは歌うことだ。

――あとどれくらい切なくなれば――

照明を絞ったステージの上で、スポットライトを浴びる。
うさぎは、寂しいと死んでしまうのだろうだ。

私は……大丈夫。寂しくなんかない。

――蒼いうさぎ ずっと待ってる 一人きりで震えながら――

手話を交えながら叫ぶ。
今この瞬間のおかげで……夢が覚めて一人になっても、生きていけるから。

「全員で組むと、円陣って大きいよね……みんな、聞こえますか?」

アンコール前、ラストの曲。
アンコールのおねシンは私は出ないことになっているから、事実上私の現役最後の曲。
みんなで組む円陣も、これが最後なんだな……なんて、思わず感傷に浸ってしまっていた。

「それじゃ……菜々ちゃん、コールを!」

「えっ、ナナがですか?」

いつもは、卯月ちゃんが緊張を解して、鼓舞してくれるのに。
遠慮しようとしたけど、みんなの視線がこちらに集まって……少し考えて、口を開く。

「……アニバーサーリーライブ。今日は、新しい一年の幕開けでもあるんです」

だから。最後の公演だとか、余計なことは私だけの問題。

「最後まで、楽しんでいきましょう! ファイトー!」

「オーッ!!」

――アタシ ポンコツアンドロイド ゴシュジンサマ ス キ――

それは……叶わぬ恋の歌。
人間に恋をしてしまった、こわれたアンドロイドに……奇跡が起こる。そんな歌。

――今日から不条理でキュートな 女の子なんです、じゃんじゃん♪――

間奏からCメロに入ると、照明はスポットライト一つだけになる。
アイドル・安部菜々に与えられた、ラストMC。
プロデューサーが演出として私にかけてくれた、最後の魔法。

「小さい頃、ナナは夢を見ていました。ピンクのペンライトに包まれて、スポットライトを浴びる夢」

笑顔を作って、一番後ろまで見えるように、届くように。
笑っていないと、涙で何もできなくなってしまいそうだった。

「ナナの夢を叶えてくれたみんな……今まで、ホントに、ありがとーっ!!」

――うまれたてのジュエルはピンク 回路はとっくにショートしたの――

照明が落とされたステージ。観客席からは、アンコールの声が響いている。

ああ……これで、楽しかった舞踏会はおしまい。

魔法の解ける時間がきた。みすぼらしい姿を見せてしまう前に、早く階段を降りなくちゃ。
ステージの方を振り向いたら……余計なものを、残していってしまいそうだ。

「お疲れ様、菜々。どうだった?」

「プロデューサーさん……はい。最高に、楽しかったです……」

涙腺は、限界を超えていた。
嗚咽がマイクに拾われてしまう前に、楽屋に、戻らないと。






「そのとき空から、不思議な光が降ってきたのですにゃ……」




「え……!?」

ステージに響く、みくちゃんの声。
ざわつく客席をよそに、ステージ上には他のアイドル達も集まっていた。
プロデューサーさんも困惑しているような顔をしている。

「アンコール、おねシンのはずじゃ……?」

「いいえ。正式なスケジュール通りですよ。菜々さん、プロデューサーさん」

「ちひろさん……どういうことですか、これは」

「アンコール、ありがとうございます。 今から歌う曲、皆様ならお分かりですよね?」

「今夜はスペシャルサプライズ! ウサミン召喚大作戦、いっくよー!」

「さあ、私達に力を貸してくれ。これから皆で、ウサミンに電波を送信するぞ!」

「カワイイボクの声に聴き惚れてないで、ちゃんとコール返してくださいね?」

「最初からフルスロットルで出迎えるよ! みんな、遅れず着いてきてねー!」

「わん!」

「つー!」

「せ・え・のっ!」

「ミミミン、ミミミン、ウーサミン、はいっ!」

「ミミミン、ミミミン、ウーサミン!」

「ミミミン、ミミミン、ウーサミン、にゃあ!」

「ミミミン、ミミミン、ウーサミン!」

「ミミミン、ミミミン、ウーサミン、はい!」

客席から、コールが響き渡る。忘れられるはずもない、私のデビュー曲。

「ふふ、別に魔法使いが一人じゃなきゃいけない、ってルールはないですよね?」

ちひろさんは、笑っているらしかった。

「私とアイドルのみんなから、菜々さんへ。最後のプレゼントです」

だって、こんなの、無理だ。
足腰はボロボロで。視界は滲んでうまく見えない。
喉だって、さっきから嗚咽混じりで、かすれて歌えそうにない、のに。

「……やっぱりナナ、シンデレラガールにはなれないみたいです」

「菜々……」

「一晩だけ、かわいい衣装を着て、舞踏会に出て……それで、満足なはずだったのに」

十二時の鐘が鳴る前に。ガラスの靴が脱げないように、そっと立ち去る予定だったのに。

「もっと、歌っていたいです。もっと踊っていたい、もっと……もっと、みんなと……」

もっと、あなたの隣で。

「もう少しだけ、この夢の続きを見ていたい……!」

「夢なんかじゃないさ、菜々」

プロデューサーさんが、私の肩に手を置く。

「でもっ、わた、し……こんな、泣いて、ひどい顔、して」

「最後くらい、泣いてたっていいんじゃないか? 今までずっと、笑ってたんだから」

アイドルは、夢と笑顔を与える仕事だ。
どんなことがあっても、裏に何があっても、ファンの前では笑顔。
こんな泣き顔で出て行って……私に、何ができるんだろう。

「歓声が聞こえるだろ。この場にいる人間は俺も含めて、菜々が手に入れた、菜々のファンだ」

「今まで頑張ってきた菜々さんへの、恩返しみたいなものなんです。楽しんできてください」

「でも……」

「みんな、菜々を待ってるんだよ。大丈夫、俺も一緒に歌うから」

トン、と背中を押されて。
痛んでいたのが嘘のように、軽い足取りでステージの中央にたどり着く。

ふらついた体を、響子ちゃんに支えられて。
美穂ちゃんから、マイクを手渡されて。

会場全体から聞こえる、私の曲の合唱。
何度拭っても、みんなの声が耳に入ってくる度に涙が溢れてくる。

「……ファンのみんなは、ナナの本当の姿を知っても、好きでいてくれますか?」

歓声が聞こえる。

ああ……やっぱり。

私はどうしようもないくらい、アイドルが好きなんだ。

ウルトラオレンジの、星空。


私は確かに、ウサミン星のステージに立っていた。

ttp://www.youtube.com/watch?v=-aOApqJjtKw
まっすぐ置いておきますね。

「泣けるメルヘンデビュー」というのが初期構想でした。
無印春香さんドームエンドを下敷きに、某ウサミンの薄い本と俺設定を乗せて。
BUMPとポルノの楽曲をフレーバーにして混ぜ込んであります。
書いてる途中に「コンプレックス・エイジ」と「NGs最終回」を読んで引きずられてるんであまり原型残ってませんが。

ウサミン大好きです。結魂したい。トップアイドルにしたい。
http://i.imgur.com/WStsuRt.jpg
好きなアイドルについて考えすぎて重い話しかかけない病気っぽいので、今度はいちゃこらするだけの話が書きたいですね。





――epilogue.



「……本当に、良かったのかにゃ?」

引退コンサートから、一ヶ月。

地球人に戻った私は、小さな喫茶店の店員として働いていた。

「寂しくないって言ったら、嘘になっちゃいますね」

どこから聞いたのか、お客さんとしてやってきたみくちゃんに、紅茶を淹れる。

「あのまま踊り続けても、いつか限界が来て倒れてたと思うんです。
 だから……いいんです。この二年間の思い出だけで、私は生きていけますから」

ちひろさんの紹介でバイトをすることになった、オフィス街近くの隠れ家的な喫茶店。
マスターの話では、藍子ちゃんや伊織ちゃんなど、アイドルもたまに遊びに来るらしい。

実家から通いながらお金を貯めて、ファンシーな喫茶店を開くのもいいかな、なんて思っている。

「もしもし、ちひろちゃん? え? うん、ちょうどいるけど……菜々ちゃん、電話だにゃ」

「えぇ、私ですか? いや、でも私仕事中……」

「緊急連絡らしいよ? ほら、どうせみく以外にお客さんいないんだし」

そういう問題じゃないと思うのだけど。
引き継ぎのトラブルだとまずいから、とりあえず電話を受け取る。

『ごめんなさい。ゲロっちゃいました』

「えっ? ゲロ……へ?」

『本当のこと言うと、私も卯月ちゃんも他の子も、彼に隠すつもりはありませんでしたからね。
 まあ、いい機会じゃないですか? あれで終わりなんて、私達は納得してないんですから』

心臓が、跳ね上がった。

『……お姫さまの王子様はアイドルでした。王子様が魔法使いを攻撃してしまわないように、
 お姫さまは思い出という毒りんごを食べて永い眠りにつきました。めでたしめでたし。
 ……ね、何もめでたくないでしょう?』

「でも、私は……」

『デモでもストでもないです。残念ながら、事態はもう動き始めてしまったんですよ。
 私の大切な友人の人生です。蛇足だなんだと言われようと、ハッピーエンド以外認めませんよ?』

カランカラン、と来店を知らせる鈴が鳴る。

「……プリティ・ウーマンのラストって、確かこんな感じだったよな」

『では健闘を祈ります……私達はみんな、菜々さんに幸せになってほしいんです』

「知ってるか、菜々。あの話、世間じゃシンデレラ・ストーリーと呼ばれてるんだそうだ。
 魔法使い役がシンデレラを攫っていく話なのに、おかしいだろ?」

「……ナナ、ジュリア・ロバーツほど美人じゃありませんよ」

「俺だって、リチャード・ギアほどかっこいい大人じゃないし、資産も無い雇われだよ」

ああ……ごめんね、私の初恋。
私はもう、これ以上嘘をつけそうにない。

「……俺は、みんなに愛されるようなアイドルを育て上げるのが夢だった」

私は、みんなに愛されるようなアイドルになるのが夢だった。

「その夢は、まあ、大体叶ったんだ。でも人間って奴は欲張りで……もう一つ、夢ができた」

その夢は彼のおかげで叶って。だから、私はもう一つ夢を描いた。

「だから今度は、菜々に俺の夢を叶えてもらおうと思ってな」

「……どんな、夢ですか?」

「菜々。お前さえ良ければ、俺と……」




<おわり>

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