雪歩「一緒に歩く道」 (36)

書き溜めているのでいっきに投下する予定です。

拙い文章ですが、よろしくお願いします!

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「今日、新しいプロデューサーが来るらしいよ」

真ちゃんがそう言ったとき、私は驚きよりも、期待よりも、まず先に怯えを感じていた。

「そ、その人って……」

恐る恐る口を開くと、真ちゃんは苦笑を浮かべる。

「男の人、だね」

ああ、やっぱり。

なんだか頭がくらくらしてきた。

「だ、大丈夫だって! きっと優しい人だよ」

曖昧に頷いて応える。

真ちゃんのフォローももう何度目だろうか。

前も、その前も、そのまた前も。

同じ言葉をかけてもらって、同じ結果に終わって。

未だに私には担当プロデューサーがいない。

「私の所為だから」

「そんなことないって」

首を横に振り、否定。

「全部……全部、私が弱い所為だから」

いつまでも変わることのできない、私の所為だから。

真ちゃんはそれ以上何も言ってこなかった。

それが彼女の優しさで、その優しさに甘えてしまう私は……私は——




■ ■ ■ ■




「本日から、よろしくお願いします!」

新しくやってきたプロデューサーは眼鏡をかけた好青年。

まさに初々しい社会人といった感じで、元気良く自己紹介を終えた。

でも、時々声が裏返っていたり言葉を噛んだりしていて。

緊張して失敗するなんて、なんだか私みたい、なんて思ったけれど、さすがに失礼だった。

私にとって幸いだったのは、彼が強面ではなく、柔和な雰囲気だということ。

それでも彼は例外ではない。私にとってはどんな男性も、恐怖の対象でしかないのだから。

「では、君が担当するアイドルを紹介しよう」

社長がそう言うと、皆の視線が私の方を向けられた。

私はつい隣の真ちゃんの背に隠れてしまう。

「ほら雪歩。前に出て?」

で、でもぉ……。

「プロデューサーが困ってるよ?」

顔を向けるとプロデューサーは苦笑していて。

どうやら私の男性恐怖症について、聞いているようだ。

「萩原さん、大丈夫。ゆっくりでいいから」

うう……で、でも。

「自分のペースで。俺はいつまでも待ち続けるからさ」

「…………」

そう言ったプロデューサーの目は、どこまでも真剣で。

私はついその意志のこもった目を見入ってしまい。

気が付くと、吸い込まれるようにしてゆっくり、ゆっくり彼の方へと歩いていた。

「は、萩原雪歩ですぅ……」

それが私の最初の一歩。

プロデューサーと一緒に進んでいく道での、最初の一歩だった。





■ ■ ■ ■




「プロデューサーさん、どうぞ?」

プロデューサーに小鳥さんが日本茶の入った湯呑を手渡す。

笑顔でそれを受け取る彼を、私はジッと見つめていた。

「ありがとうございます」

「私じゃなくて、雪歩ちゃんに、ですよ」

言わないでって約束したのに、あっさりと小鳥さんは破ってしまう。

給湯室であたふたしている私へと、プロデューサーは顔を向けた。

「萩原さん、いつもありがとうね」

ひぃい! つい体が強張って、奥に引っ込む。

プロデューサーはただお礼を言ってくれただけなのに、それがどうしようもなく怖かった。

理由なんてない。ただ私が、男の人が苦手なだけ。

怖がる必要なんてないということは、わかっている。

プロデューサーのおかげで最近は徐々に仕事も増えているし、こんな私に親身に接してくれる彼はきっと、いい人なのだから。

それでも私は怖かった。男の人が、プロデューサーが、怖かった。

「ご、ごめんなさいぃ……!」

あはは、という苦笑が聞こえる。

「どうして謝るんだ?」

「ご、ごめなさいぃ」

「ほら、また」

「はぅ……ごめんなさいぃ」

「あはは。萩原さん、面白いなぁ」

それからお茶を啜る音が聞こえた。

「うん、美味しい」

私が、私なんかが淹れたお茶をさんな風に言ってくれて。

「いつもありがとう」

私なんかに笑いかけてくれて。

「……っ」

どうしてかわからないけど、顔が熱くなってしまった。





■ ■ ■ ■




大股で三歩の距離を空け、プロデューサーと向かい合う。

頑張れば、このくらいまでは近づくことができる。

お茶はまだ、小鳥さんに渡してもらっているけれど。

「じゃあ、今日のスケジュールの確認をするね」

「は、はい」

手帳を開く彼をならって私も自分の手帳を取り出す。

そういえば今日はCM撮影の打ち合わせがあるはずだった。

ちょっと前の私なら、CM撮影なんて雲の上のまた上のように感じていたけれど、まさか手が届くなんて。

実感が湧かないが、これも私なんかを導いてくれる彼のおかげだ。

「うん、そうだね。地方のペットショップのCMだ」

なるほど、ペットショップのですか。

…………ペット……ショップ……!?

あ、あのあの、それってひょっとして——

「うん、動物と触れ合っているところの撮影だね」

パサリ、と乾いた音がした。

私の掌から手帳が滑り落ちる音だ。

精一杯頑張って、男の人には大股で三歩の距離まで近づける私だけれど……。

「い、犬だけは無理なんですぅ!」

唖然とするプロデューサーだったけれど、戸惑いながらもすぐに口を開いた。

「犬、苦手なの?」

「は、はいぃ……」

「そうか」

なら仕方ないね、と彼は手帳にペンを走らせる。

今度は私が戸惑う番だった。

「あ、あのっ」

「うん? ああ、心配しないで。なんとか撮影の構成を変えてもらえるよう、交渉するから」

「そ、そうじゃなくて!」

否定の言葉こそ強く発せたが、それからいつものように小さな声になってしまう。

「怒らないんですか……?」

「どうして?」

「私がだめだめな所為で……沢山の人に迷惑をかけちゃうから」

最後の方は自分でも聞こえないくらいのぼそぼそとした声になってしまった

そんな私に困ったような、でもどこか嬉しそうな顔でプロデューサーは笑いかける。

「気持ちはわかるからね」

「……気持ち?」

「俺も犬が苦手なんだ」

この年にもなって恥ずかしいよね、と頬をかくプロデューサーさん。

ぽかんと口を開ける私を見て、話を続けた。

「子供のころに噛まれてね。以来、トラウマになっちゃって」

「…………」

「だから犬が苦手な萩原さんの気持ちがわかるんだ」

萩原さんといっしょだよ、彼の優しい声音に私は顔をくしゃりと歪めてしまう。

違います。私とプロデューサーはいっしょなんかじゃありません。

プロデューサーはとっても、とっても凄いんです。

だめだめな私とは、違うんです。

プロデューサーは、この仕事をいっぱい走り回って、頭を下げて取ってきてくれて。

犬の鳴き声でいっぱいのペットショップに、怖いと思う心を抑えつけて視察に行ってくれて。

私なんかの為に、頑張ってくれて。


それなのに私は、彼の頑張りに応えようとしていない。

見捨てないでいてくれる彼に、恩返しなんてできていない。

情けなくて涙が溢れてくる。

結局私は私のまま。

ひんそーでちんちくりんで、いつも弱虫な、私のまま。

萩原雪歩はそういう人間で、きっとこれからもこのままなのだろう。

——嫌だ。そんなの、嫌だ。

私は今まで甘えてきたんだ。

男の人が苦手で、犬が苦手で、弱虫な自分に。

優しい言葉をかけてくれる、765プロの皆に。

変わるためにアイドルを始めて、変わらないままでいる。

そんな矛盾に甘えていた。


でも、それもやめよう。

今までの自分とは、もうさよなら。

せめて、せめて。

「萩原さん、大丈夫だから」

だから——笑って?

そう言って私を導いてくれる彼に、せめて応えたかった。

「私、この仕事、受けます」

「平気なの? 犬と、触れ合わなきゃいけないよ?」

「頑張ります。だから——」

見守っていてください。

傍にいてください。

貴方が照らす道を、一緒に歩いてください。

その道は今はまだ眩しいけれど、いつか、きっと。

堂々と歩けるように、頑張ります。

だから、それまで、いつまでも——

「私をプロデュース、してください」

「もちろん、二人でもっともっと強くなろう」

まだ私とプロデューサーとの間には大股で三歩空いているけれど。

想いはきっと、届いたはずだ。





■ ■ ■ ■




お疲れ様でしたー!

スタッフがそう声を上げたと同時に私は駆け出していた。

「プロデューサー! 私、私……っ」

昂る気持ちを抑えようともせず、彼の傍に。

「ああ! よく頑張ったね、萩原さん!」

「……っ」

もう、我慢なんてできない。私はプロデューサーに寄り添い、涙と共に嗚咽を漏らしていた。

「大丈夫? やっぱり怖かった?」

「違うんです」

怖いわけではなかったが、それよりも。

ただ——嬉しかった。

「……そっか」

プロデューサーが私の目元に何かをそっと当てる。

涙を拭ってくれるその手つきが優しくて、温かくて。

胸いっぱいに広がる気持ちにまかせるまま、余計に泣いてしまった。


「特訓した甲斐があったね」

こくりと頷く。

伊織ちゃんにはずいぶん迷惑をかけてしまった。

「おかげで、良いCMになるよ」

犬を克服したわけではないが、それ以上に得たものがある。

苦手なものに立ち向かう勇気。

背中を向けて逃げ出さない勇気。

まだまだちっぽけだけれど、私には十分に大きくかけがえのないものように思えた。

それも、プロデューサーがいてくれたから。

同じ道を一緒に歩いてくれたから。

「お疲れ様、萩原さん」

「……はいっ!」

きっと、目は真っ赤だし涙でひどい顔になっているけれど。

それでも今までで一番の笑顔を向けられている気がした。


——そういえば。

「あ、あの、プロデューサー」

「うん? どうかした?」

「わ、わわわ、私……プロデューサーに引っ付いてますぅ!」

一瞬ポカンとした顔になる彼だったが、ハッと我に返り慌てふためく。

「ご、ごめん! すぐ離れるから!」

「そ、そうじゃないんです!」

「そうじゃないって……あ」

どうやらプロデューサーも気づいたようだ。

私が、男の人が苦手な私が——プロデューサーに触れていることに。

怖くなんてない。体も震えない。

それどころか、もっと、もっと——


「やったね、萩原さん!」

プロデューサーに触れていたかった。

プロデューサーの傍にいたかった。

なんだか体がぽかぽかして、どきどきして、そわそわして。

それが何を意味をするのかなんて、よくわからないけど。

「……えへへ」

すごく、幸せだ。

彼と喜びを分かち合えることがすごく幸せだ。

私たちは気まずそうな顔をしたスタッフに声をかけられるまで、そのまま寄り添い合うのだった。





■ ■ ■ ■




それからの私は、CMが好評だったのか、日々増える仕事で忙しい時間を過ごしていた。

ちょっと前までは思いもつかないように埋まったスケジュールを見ると、つい顔が綻んでしまう。

それも全部、プロデューサーがいてくれたから。

朝に逢うと、おはよう。

失敗してしまったときは、笑って。

お仕事の時は、がんばれ。

オーディションの時は、負けるな。

プロデューサーの言葉一つ一つが私を強くしてくれた。

私の背中を押して一歩を踏み出させてくれた。

今では私にとって、プロデューサーは欠かせない存在。

大切な存在になっていた。


そんなある日。

「おはよう、萩原さん」

私は外でプロデューサーと待ち合わせをしていた。

おはようございますぅ、私もにこやかに挨拶を返す。

「ごめんなさい。待たせちゃいましたか?」

「ううん。今来たところだから」

いつの間にか、漫画でしか見たことのないようなやり取りができるような距離感に縮まっていた、私たち。

もう随分長い間、一緒に活動していたから、当然かな、なんて。

少しだけ、おこがましいかな?

「久しぶりのオフだね」

「はい。お仕事で忙しかったですから」

「萩原さんや皆のおかげだよ。事務所も潤って、賑やかになってきたし」

最近、事務所にアイドルやスタッフが増えてきた。

事務所も移転して、765プロは更に活気づいているのだけれど。

前の狭くて古ぼけた事務所が、少しだけ、懐かしかったり。


「ところでさ」

「なんですか?」

「せっかくのオフに、俺なんかと過ごして良いの?」

そんなことを言うプロデューサーに、ちょっとだけ意地悪をしたくなった。

涙ぐんで顔を伏せ、悲しそうな表情を、"つくる"。

「私といっしょじゃ……嫌ですか?」

「な、泣かないでよ! そんなことないから——って、萩原さん? ひょっとして演技?」

あ、もうばれちゃった。自信あったのになぁ。

「もう、心臓に悪い……」

「ふふっ、最近演技にはちょっと自信がありますから」

それでも早々にばれちゃったけど。

「それはそうだよ。だって俺は君のプロデューサーだから」

萩原さんのことはいつも見ているからね、笑顔でそう言われて私は。

「……っ」

顔が熱くなって、胸がドキドキしてしまう。


最近、こういうことが増えてきた。

プロデューサーといると、胸がいっぱいになって、訳が分からなくなるのだ。

だ、大丈夫だよね? ドキドキしてるの、聞こえてないよね?

もし気づかれたなら、気づいていたなら——

「じゃあ、行こうか」

どうやらその心配は杞憂だったようだ。

先を行く彼の後を追いかける。

今日はプロデューサーとお出かけ。

真ちゃんにそのことを伝えると、で、デートだって、騒がれちゃったけど。

ただお出かけするだけなのに、真ちゃんは大げさなんだから。

……で、デートじゃないよね? デートじゃないよね!?

うぅ……なんだか緊張してきちゃったよう。

「どうかした?」

「な、なんでもないですぅ!」

顔を赤くする私の気持ちを知ってか知らずか、プロデューサーは楽しげな笑顔を見せるのだった。





■ ■ ■ ■




映画を見たり、お洋服を選んだり、美味しいパスタを食べたり……。

プロデューサーと過ごす休日は実に有意義で。

プロデューサーの隣にいるだけで、私は幸せだった。

胸に溢れるこの想いは、やっぱり——

「萩原さん」

夕日が照らす公園で、プロデューサーはゆっくりと口を開いた。

「大事な話があるんだ」

大事な話? いったい何だろう?

真剣な瞳で私を見つめて、彼は、躊躇うことなく、こういった。

「実は、他のアイドルをプロデュースすることになったんだ」

頭をガツンと殴られたような衝撃が走る。


プロデューサーが何を言っているのかわからなかった。

わかりたく、なかった。

信じたくない。認めたくない。

プロデューサーと、離れたくない。

私には貴方が必要なんです。

今までどんな人も、私のプロデュースをすぐにやめていきました。

でも、貴方だけは私の傍にいてくれて。

立ちすくんでいる私の背を押してくれて。

私は最初の一歩を踏み出せたんです。

嫌だ。プロデューサーがいなくなるなんて嫌だ。

だって私はプロデューサーのことが——

「わかりました」

肯定。

私の口からは、そんな言葉が出ていた。


「私なら、大丈夫ですから」

違う。そんなこと思っていない。

ひとりは嫌だ——だけど。

プロデューサーにこれ以上迷惑をかけたくなかった。

強くなれたということを、示したかった。

ひとりの道でも怖くないことを、教えたかった。

「だから、ありがとうございます」

言いたい言葉は沢山あった。

いっぱいの感謝と、いっぱいの思い出。

言葉じゃ足りない気持ちがそこにあった。

本当は甘えたいけれど、プロデューサーが信じてくれた、私自身を信じたかった。

だから私はもう一度言う。

「本当に……ありがとうございました」


……………………あれ?

へ、変だなぁ。なんででしょう。

おかしいな。そんなつもりなかったのに。

泣くつもりなんて、なかったのに。

プロデューサーはいつも笑ってって言ってくれたから、笑顔でいたかったのに。

涙が溢れて止まらない。

それどころか、そのことに気づいたことで。

もう自分を、止めることができなかった。

「やっぱり……やっぱり嫌ですぅ!」

辺りに私の涙声が響く。


「プロデューサーがいないと嫌です……一緒じゃなきゃ嫌です」

貴方がいないと私はだめだめなまま。

強くなれたと思っていたけど、それはただの勘違い。

プロデューサーを送り出そうとしても、最後まで縋ってしまうし甘えてしまう。

結局私は私のまま。

ひんそーでちんちくりんで、いつも弱虫な、私のまま。

萩原雪歩はそういう人間で、きっとこれからもこのままなのだろう。

それでも私は、貴方と一緒なら強くなれます。

貴方と一緒ならどこまでも歩いて行けます。

貴方と一緒なら、一緒なら……。


「だって私はプロデューサーのことが——」

「萩原さん!」

プロデューサーが私の声を遮る。

どこか戸惑っている彼の表情を見て、私は覚悟を決めた。

「俺はこれからも萩原さんのプロデュースを続けるよ?」

「……………………へ?」

呆気にとられて、うまく彼の言葉が呑み込めない。

ゆっくり、ゆっくり整理して、理解して。

「〜〜〜〜〜〜っ!」

熱湯に浸かっているかのように体が熱くなってしまった。

「担当アイドルが増えるってことを伝えたかったんだけど……」

ということはプロデューサーはこれからも私のプロデューサーで、私はひとり勘違いして舞い上がってしまっただけで……。

あうぅ……恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしいぃ!

穴掘って埋まって……って、今日はスコップを置いてきたんだった……。


「ううぅ……」

「あー、ごめんね? なんか、勘違いさせちゃったみたいで」

「プロデューサーが紛らわしい言い方するからですよぉ!」

そう言うとプロデューサーは誤魔化すように、あはは、と笑った。

もう、笑わないでください!

ごめんごめん。

そんなやり取りをしていると、彼がぽつりと呟いた。

「でも、嬉しかったよ」

何が……ですか?

「萩原さんが、俺のこと、大切に思っててくれて」

「——っ!」

そういえば、結構大胆なことを言っていた気がする。

それに途中までとはいえ、とんでもないことを口走ろうと……。

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