娘「セック――」 男「言わせねーよ!?」(866)
男「最近まで蝉がうるさいだとか、死ぬほど暑いだとか思ってたけど、もうすっかり肌寒いな。十月の終わりってこんなに寒かったっけ?」
毎年経験しているはずなのに、季節の変わり目はいつも新鮮だ。寒空とはまだ言えないが、しかし両手をポケットに突っ込みたくなるぐらいにはしっかり寒い。
男「あー寒い。こんな時は恋人と手でもつなぎたいなー。なんて」
恋人が居たことなんてないけど。だからこそそう思った。上京してからというもの、何故か時より人恋しい。今までそんな事無かったのに。
男「明日は大学行かなきゃな……」
そうつぶやいてみる。
そうつぶやいた事は前にもあった。
この一ヶ月と半月、ずっとそうぶつぶつとつぶやき続けていた。
だけど。
男「なんでこうなったんだろうなぁ……」
語尾がそのままため息となる。
色々駄目な俺が、一ヶ月ほど前からはついに大学をサボるようになっていた。
理由は不透明。
それか無色透明。
多分、何となくやる気がなくなってきたから。
男「まあいいや。飯買わないとな、今は」
仕送りの金で買う飯は、なんだかすごく酸っぱいし苦いのだけれど。
男「いつものメンチ弁当とリプトン」
男「まあそこそこの値段でそこそこの満足感があるよな、うん」
男「さて、帰えるとす―――」
ブー ブー ブー
男「電話?」
一ヶ月ぶりの着信だろうか。まあ友達は殆どいないし、母親からの電話だろう。
男「もしもし」
女の声『あーもしもし? 男だよね?』
母親じゃなかった。だが俺の下の名前を呼んだ。
男「は、はい。 そうですけど?」
叔母「私よ私。叔母。ってあんまり覚えてないかな?」
男「あ、あー。叔母さんですか」
名前は知っている。でも最後に会ったのは俺が6才くらいの時か? 今19才だからおよそ13年前。正直顔は解らないし、声だって今聞いて何となく思い出した様な感じだ。しかし、なんで俺のケータイの番号なんて知っているんだ?
叔母「突然ゴメンね。とても急いでいたから事前に連絡も出来なかったんだけど、私今○○駅前のファミレスにいるの」
男「え? あの? どういう事ですか?」
叔母「今すぐ来てほしいの」
頼み事があるから、そう一息おいた後に付け足された。
乙レベル2か……
>>7
そのスレ読んだわw
俺はヴァージンだよ。
~ファミレス、叔母さんと向かい合いながら~
男「えーと、叔母さん。叔母さんは僕をからかってるんですか?」
久々に、本当に久々に体中に血がめぐるのを実感した。寒さなんて忘れて、今はひたすらに体が熱かった。
叔母「お金は振り込むし、それとこれ。クレジットカード。好きに使って良いよ」
いきなり現れて、勝手に身勝手な事情を説明して……そしてこれは金とかの問題じゃない。
男「自分の娘なんですよね? それって簡単に他人に投げ渡したりしていいものなんですか?」
なんと。自分の娘を俺に引き取って欲しいのだと。
震える腕を隠すようにテーブルの下にやる。震える声はどうしようもないけど。
男「もう育てられないって、一体どういう事なんですか? お金に困ってる訳ではないんですよね? だったらなんで? 自分の子供でしょ?」
叔母「自分の子供だからよ」
叔母「もう無理なの」
男「ッ――!」
震えていた手が耐えきれずに大きく脈を打つように跳ねた。意図は無くともテーブルの裏を殴った形になる。コーヒーカップが跳ねてソーサーにぶつかり大きな音を立てる。スプーンは床に落ちてしまった。
男「はぁ…はぁ…ああ、ええと、すいません。取り乱しました」
隣の客からの視線を受けつつ、言った。
叔母「いいのよ。当然だもの。誰だって怒るでしょうね」
他人が同じ事をするならば、私だって怒るでしょうし。叔母さんはそう言って窓の外に視線を向けた。表情は、西日でよく見えない。
叔母「頼まれてくれる?」
男「そんなの無理に決まってるじゃないですか! 大体なんで俺にたのむんですか? もっと適当な、もっと大人の人に頼むべきでしょう?」
叔母「あの子、大人のことあんまり好きじゃないの。ううん。大嫌いなの」
大人のことが嫌い。
だからって大人から見捨てられてしまったら、子供は生きていけないだろう。
はらわたが煮えくりかえる。だけどどうやってこの怒りを爆発させればいいのか解らない。
叔母「とにかく、わたしそろそろ、行かなくちゃ。じゃあお願いするわね」
叔母さんはクレジットカードを俺の方に手で押しやり席を立つ。
男「は? どういう事ですか? まだ何にも話して無いようなものじゃないですか?」
何を勝手に言っているんだ。お願いするって一体何をだ。
叔母「あの子、賢いから。住所渡しておいたのよ」
男「え?」
叔母「今頃あなたの家に着くぐらいじゃない? 迷ってなければいいけどね」
男「なにを――」
何を言っているんだこの人は。
そんな事、親がしていいのかよ。
叔母「じゃあ、仲良くしてあげてね」
ガタっ!!!!
今度はテーブルが跳ねた。
勢いよく立ち上がりすぎたのだ。
叔母「えーと。胸ぐら掴むのは止めてくれないかな? 目立つよ?」
男「ふざけんなよっ! なんでそんな事出来るんだよ! お前親だろ? 親ならそんな事出来ちゃいけないだろうがよ! 子供のことを一番に考えて、自分の事だって犠牲にするべきだろうが!」
十三年ぶりに会っただとか。母親の妹だとか。相手は女性だとか。怒りに任せずに、しっかりと話をするべきだとか。そういうものが、湧き出た熱いものに一気に溶かされ蒸発する。
叔母さんは俺に胸ぐらを捕まれても尚、無表情を貫き通す。
叔母「これが一番なの。じゃあね。お金は払っておくから」
叔母さんは俺の手を払うと、どんどんと歩いて行ってしまう。
さも当たり前の様にそうされて、俺は馬鹿みたいに立ち尽くす。
男「すぐにあなたの所に連れ戻しますから! 逃げたって、地獄まで送り届けますから!」
負け犬みたいな台詞になってしまった。
だけどとにかく何か言ってやらなければ気が済まない。
叔母「地獄はやめてあげてほしいかな」
レジで会計を済ませた叔母さんはそういって笑う。酷く苛立つ。
体の芯が熱いのか冷たいのか。よくわからない。
男「あー……なんかもう……あんた、もう消えてくれよ……顔を見たくない」
叔母「そのつもり」
そして付け加えた。
叔母「二度と会うことが無いように願ってる」
男「な――」
チャリンチャリーン
ドアが閉まり、心境にそぐわない間抜けなベルが鳴る。
なんて言う大人だ。
無責任ここに極まれり。
男「うっ……」
頭に血が上っていて気がつかなかったが……
男「お、お騒がせしました……」
集まってしまった客達からの奇異の視線に気が付いて。さっさと店を出た方がいい。
それに――
叔母さんの子。
叔母さんに捨てられたその女の子は寒空ともつかない空の下。
俺に何が出来るか解らないけど。
今は出来ることをするべきだろう。
俺はもらったクレジットカードを丁寧に四枚にへし折って灰皿に入れた。
冷めたメンチ弁当の袋を下げて家までひとっ走りだ。
四階建てのマンションの二階、204号室の前。その子は確かに居た。
男「えっと、叔母さんの子だよね?」
十歳ぐらいだろうか。腰に届きそうなほど伸びた黒髪と、大きな目が叔母さんによく似ている気がする。
女の子「……」
露骨に警戒された。
女の子「そうだが……あなたが男なのか?」
怪訝に思う気持ちをみじんも隠さぬジト目で俺を見上げる女の子。三十センチぐらいの身長差を感じさせない威圧感だ。
男「そうだけど……えーと君、名前は?」
逡巡した後。
娘「娘」
俺から目をそらして短く答えた。
娘「好きに呼んで良い」
男「えーと、じゃあ娘ちゃん。今からお母さんを追いかけよう」
まさか、じゃあ部屋に上がってお茶でもしながら自己紹介をしようじゃないか、なんて抜かす程俺もおめでたくない。あの人はあのまま家に帰っただろう。だったらこの子を家まで連れ返すまで。
娘「それは出来ない」
また短く言う。
男「は、はあ? なんでだよ? 嫌なのか」
娘「そうじゃない。違うけど、迷惑をかけたくない。事情があるんだ」
まだ幼い声でかたくなに言う。
娘「しばらくの間でいいから、私をここに置いてほしい。お願いする。いや、お願いします!」
男「な、何なんだよ。 よくわからないぞ……君、もしかして、その、叔母さんに虐待されてたのか」
我ながらデリカシーの欠片も何もあったもんじゃない言い方であった。
娘「いいや」
娘「大事にしてくれていた」
だったら尚更わからない。何で彼女がそんなお願いをするのか。何で叔母さんがこの子を俺に投げつけるみたいに預けるのか。
一体どんな理由があるんだ。
と言うか少しぐらい『事情』について教えてもらえてもいいと思うんだけどなぁ……。
そのあたりを曖昧にしか言っていなかった叔母さんからみるに、それは聞いても納得できない物なんだろうけど。
娘「とりあえず一日だけ」
男「一日だけって……」
一日泊めるぐらいどうってこと無い。でも、それは根本的な解決には全く結びつかないだろう。だったら今すぐ動くべきだ。
だが。
娘「頼む……どうしてもなんだ……いいや、お願いします」
頭を垂れて今にも泣きそうな女の子にそう言われてしまえば……俺は折れる男なのだ。それが正しいかは解らないけど。本当に俺の意志の弱さには愛想が尽きる。
なんだか、いいように巻き込まれてるなぁ、俺……。
男「はぁ……まあ上がって。その、まあ自己紹介でもしよう」
まあ一日だけ。
明日には、きっとお別れだ。
10才。
趣味は読書。
堅苦しいしゃべり口調(自覚していた)は本の読み過ぎのため。
猫が好き。
お茶を呑みつつの自己紹介で解ったことはこれぐらいだろうか。
肝心な「なんで俺がこんな状況に陥っているのか」は未だに不明瞭だ。
男「俺の事は男と呼んでくれればいいよ」
娘「そうか。なら男、一つ頼みたい」
男「お、おう。なんだ?」
娘「友達、になってほしい」
男「は、はい? いきなりどうしたんだ?」
娘「私には友達がいない。だから至急友達になってほしい。男。私では駄目なのか?」
男「えーと。何というか。俺たちさっき会ったばかりだろ?しかも経緯が経緯だし……それでいきなり友達って言うのはなんかなー? いや、別に娘ちゃんと友達になりたくない訳では無くて。というかなんでいきなりそんな話に?」
俺が言うのはおかしいかも知れないが、この子に友達がどうとか言っている余裕があるわけ無いと思うんだが……。事態の深刻さが解っていないのか? それとも俺が深刻に考えすぎているだけなのか? ドッキリなの?
娘「じゃあ明日ならいいのか?」
男「そういうものでもない気がするなー……」
娘「難しいな……じゃあそれはまた今度でいい。 じゃああれだ、友達が駄目なら私とセッ――むぐっ!?」
なんかすごく嫌な予感がした。
男「……今なんて言おうとした……?」
こいつなんかとんでも無い事を言おうとしていた気がする。
娘「だから私とセックむぐっあ!?!?」
男「言わせねー! 絶対いわせねーよ!? 十歳の女の子には絶対言わせちゃいけないワードなんだよ、それは! そして絶対しません!」
娘「むぐっ――なに? 十歳だと駄目なのか?」
男「俺はそういう趣味の人じゃないから、そんな法律を熟知してたりしねーけど、たぶん、というか確実に駄目だろきっと……」
少なくとも俺の人生はそこで終わる。
娘「法律も絡んでくるのか? はあ、そうなると難しいな……じゃあこれは没か」
娘は大きな鞄(彼女の唯一の持ち物だ)からメモ帳のようなものを引っ張り出す。
娘「書くものを貸してくれ」
男「え? いいけど?」
デスクからペンを取ってきて渡してやる。
娘「これは没、と」
男「何やってるんだ?」
娘「これはあれだ。to do リスト的なものだ」
男「やることリストって事か?」
娘「そうだ。私のやりたい事が書いてある」
B4ぐらいはありそうな手帳を俺に向けてバラバラと一気にめくって見せる。
男「うお。めちゃくちゃやる事あるじゃん」
内容までは見えなかったが、全ページが真っ黒くインクに染まっているのは解った。俺よりやることの多い10才だった。なんだか自分が恥ずかしい。
娘「もう二つも駄目になってしまったがな」
男「セッ――後者はともかくとして、友達にならなれるだろう。多分」
娘「何? そうなのか? てっきりもう駄目なのかと思っていたが」
男「今は駄目かもしれないけどそのうちだろ」
この子が親の元に戻って。すべてが解決した後ならば、友達にぐらいにはなってやれるだろう。俺も友達あんまり居ないしね!
娘「ふむ。そういうものか」
娘「ん? ならば、後者も可能だろう。それは親しい間柄である男女の間で交わされると言う。だったら友達になれば可能だろう。どうだ」
どうだ、じゃねーよ。
男「人はそれを最悪の人間関係と呼ぶ……」
はぁ……。この子と話すと疲れるな。
そういえば、この子友達がいた経験すら無いのだろうか。こう言う状況に陥ってしまっている、ってことは何か色々他の問題も抱えていそうだしな……。ちょっとの間だろうし、優しくしてあげた方がいいのかもしれない。
そういえば。
男「そういえば学校はどうするんだ?」
娘「学校とは何だ?」
男「それは古典的にボケてるのか?」
娘「人間とは何だ?」
男「哲学的な問いだったのか!?」
じゃなくて。
娘「冗談だ。しかし、私は学校には通っていないんだよ。これは冗談抜きで」
男「通っていないって、お前小学生だろ? 義務教育だろ?」
娘「義務教育だからこそ、通わなくてもいいんだよ。それに、小学校とは世にも幼稚な事を教わる所と聞くが?」
誰から聞くんだよそんな事。
男「いや、今となっては幼稚に思えるけど、お前ぐらいの年の奴だったらみんな行ってるし、行くべきだと思うぜ。それこそ、友達だって百人単位で出来るだろうよ」
俺は友達百人なんて出来たこと無いけど。
娘「別に百人も欲しい訳じゃないんだよ。一人作ればそれで完了だ」
男「? まあとにかく、小学校には行くべきだと思うぜ。勉強以外にも学ぶことはたくさんある」
自分で言っていて、胡散臭かった。でもまあこう言っておくべき、だと思う。
娘「ふん……まあいいよ。とにかく学校の心配はしなくていいんだ」
男「……まあ、今はそれで納得しておくよ」
俺もそこまでは面倒みられないだろうし。
書き溜めてあるのか
できる>>1だ
男「そういえば飯……」
娘「ああ、そういえばもうそんな時間だな」
結構話し込んでしまっていた。というか打ち解けすぎだ。
10才の女の子とこんなに打ち解けてる事が誇れるかどうかは不明だが。
男「あー、悪いけど今日はこれを俺と半分つ、って事で手を打ってくれないか?」
メンチ弁当をコンビニ袋から出し、娘の前に置く。
娘「半分もか? 私は半分のそのまた半分で十分だ」
男「いやいや、子供が遠慮するなって。レンジで温めておくから、先に食っといてくれ。残りを俺が食うから。それじゃ俺は風呂掃除に行ってくる。着替えとかは鞄に入ってるよな?」
娘「ああ。そうか、わかった……」
>>45
言い忘れてたけどこれ、糞長い。
あと途中からリアルタイムで内容書き込んでく事になりそう。
~数十分後~
男「掃除おわったぞ。今お湯沸かしてるから二十分ぐらい待ってくれ、っておまえ、気分でも悪いのか? 飯も半分の半分ぐらいしか食ってないし」
娘は少し、気分が悪そうな顔をしながら箸を置いてイスに座っている。
娘「いや、すこし油が強くてな。そして食べる量はいつも大体これぐらいだ」
男「まじかよ。いくら何でも燃費が良すぎないか?」
いや、でも燃費が良いわけでは無いのだろう。長袖と長ズボンで覆われているから解りづらかったが、彼女の肢体は酷く華奢だ。それこそ、欠食児童のそれのように。
娘「まあ、気にしなくて良い。それよりもテレビをつけてもらえるか?」
男「ああ? いいけど。はい」
電源を入れて、リモコンを渡してやる。
娘「ありがとう」
礼儀正しく礼を言い、娘は迷い無く目当てのチャンネルのボタンを押す。
国営放送の堅苦しいニュースから一変、民放のチャライ音楽が流れ出す。
なにやら動物を紹介する種の番組らしかった。
娘「ふふ」
猫の親子が仲むつまじく散歩している映像を見て娘は笑みをこぼす。
たぶん俺が見る彼女の初めての笑顔。やっぱり母親の笑顔と似ている。母親の方の笑顔は思い出すだけでもむかっ腹がたつが。
娘「なあ男」
男「なんだ?」
娘「猫を解体」
男「なんてことを!? お前猫好きじゃなかったのか!?」
娘「ではなく、猫を飼いたい、だ」
男「ああ、そっちか。もちろん駄目だよ。というか何ここに長いこと住むことが前提になってる、みたいな話してんだよ」
娘「なんで駄目なんだ!? いくら積めばいいんだ!?」
男「どこで覚えてきたんだよそのフレーズ……。俺が個人的に駄目って言ってる訳じゃなくて、このマンションの入居規約としてNGなんだよ」
娘「ああ、なるほど。じゃあ家を建てよう」
男「どんだけ猫飼いたいんだよお前……」
何がなるほどだよ。みじんも納得してないどころか、めちゃくちゃわがままじゃねーか。
娘「いや、まあテレビで観ているだけで十分なのだけどな」
男「そう言っちゃうと言っちゃうで、なんだかオヤジくさいな」
娘「可愛いから、もしも居なくなってしまった時悲しい思いをするからな」
男「それは……」
確かにそれはそうだ。居なくなってしまうと、死んでしまうととても悲しい。俺も小学生の時に亀を飼っていて、そいつが飼い始めて二年と経たないうちに死んでしまった時はひどく悲しんだものだ。死んでしまうなんて、全然考えていなかったし。
男「俺が小学生の時はそんなとこまで考えなかったけどな」
娘「まあ、これは元々望みの薄いお願い事だったからな。よし、没、と」
男「それもリストに入ってたのか」
娘「ん? ああ。そうだ。でもまあ難しい事だろう? 生き物を扱うというのは。だからまあ、もともとダメ元で加えたようなものだ」
男「そうか。そういえばさ、猫を飼えないのは仕方ないにしても、猫とをふれ合うだけなら案外簡単にできるぜ」
その言葉に娘がピキンと背筋を猫みたいに動かして反応する。猫耳が生えてきそうな程猫っぽい動きだ。
娘「本当か!? そんな都合の良い話があるのか!? ヤリ逃げってやつなのか!?」
男「どっからそんな下品な語彙を仕入れてるんだよ10才! 意味はわかってなさそうだけど!」
まあともかく……。
男「あー……えーとな。俺の記憶が正しければ、ここから電車で5駅ぐらい行ったところにそういうテーマパークがあるんだよ」
名前は忘れたけど、建物の中にいろんな猫が居て、そいつらと自由にふれ合えるって奴だ。
男「そこにいけば少しは猫を飼っている気分に浸れるだろ」
娘「なんと! 地上にこそ楽園があったのか!」
男「なんかお前のキャラつかめねーよ……。まあ喜んでくれるのはいいんだけど」
娘「そこにはいつ連れて行ってくれるんだ!?」
え?
男「何? 俺が連れて行くの?」
娘「他に誰が居るんだ?」
男「お前のお母さん、叔母さんと行けよ」
娘「……」
娘は困ったような顔をしながら目線を下に落とす。そしてもう一度俺を見上げる。
娘「さっきは一日だけと言ったが、やっぱり私はお母さんの所へは帰れないのだよ」
男「「お前も結構物わかり悪いのな……」
さすが親子だ。なんだか扱いの難しさが似ている気がする。
男「今はちょっと色々あってこんな事になってるだけなんだろうよ。だからきっと、全部解決したときにはちゃんと家に帰るんだよ。その時叔母さんに連れていってもらえばいい」
娘「それは違うよ」
娘「全部は全部、そっくりそのまま解決なんてしないんだ」
だって、悪いのは私だから。
そう娘は言う。
いや、俺が言わせたのかもしれない。
どちらにせよ、
男「そんな訳ない。俺が保証する」
娘「どうして……」
男「俺がそう思うからだよ」
酷く脆弱な根拠だった。だけど、それだけで十分だ。
男「明日には全部良くなる」
チキンの癖に、頭はまあまあ悪い方の癖に。こう言う大見得は一丁前にきれてしまうのが俺の悪いところだった。
翌日。自室。
事態は思いもよらぬ形で迷宮入りしかけていた。
男「吐け」
娘「黙秘だ」
男「どうしても?」
娘「黙秘だな」
男「往生際わりーな! そんなもんその内わかっちまうんだから早く吐けやあああ!」
娘「そういえば、ベッドの下からこんなイカガワシイ本が顔をのぞかしていたぞ。これは男の所有物だろう?」
男「黙秘だあああああああああああ!!」
娘の手からエロ本をひったくって、そのままの勢いでゴミ箱にダンクした。
ちくしょう! 自室のベッドを貸したらこのざまか! やっぱり娘をリビングのソファーで寝かせ方が良かった!
娘「おいおい。本は大切に扱わないと」
男「俺の中の何か大切な物を失うよりはましだよ!」
10才の女の子に奪われてしまうなんてたまった物じゃない。なんて10才なんだよまったく!
――しかし
今日は朝から娘、もとい叔母さんの家にカチコミに行く予定だったのに。
男「なんで家の場所を言わない……」
娘「何度も言っているだろう。帰る気は無い」
確かに何度も言われた。
それについての理由も尋ねた。
家が嫌いなのか? 『好きだ。むしろ大好きだ』
とにかく俺だけでも行かないと話が進まないんだが? 『別に進める話は無いよ。私をここに置いて居てくれればいい。迷惑は……かけないように善処する』
お父さんはどうなってるんだ? 『さあね。私が生まれる前に何処かに行ってしまったらしい』
わからないが。一つだけ解った。
叔母さんが娘と暮らす気がないのと同時に、娘も家に帰る気が無いのだ。
男「足止めを食う、どころか後退させられている様な……」
事態は悪くなって行くのみだった。
いや、事態は俺の知らないところでもっと悪い事になっているのかも知れない。
なにしろ俺は叔母さんの事情も、娘の事情も、何一つとして正確に把握していないのだ。つい昨日までは叔母さんに子供が居たことすら知らなかった訳だし。母親は何だかんだで叔母さんと会っていた様だから知っていたのだろうが、そんな事は教えてもらっていない。
娘「とにかく、しばらくの間で良いんだ。頼みたい……お願いします」
表情は悲痛で。願いは切実だった。
一体この子の周りで、この子の中でどんな事が起こっているのかわからない。
男「わからない……が、わかったよ……。しばらくの間だけだからな。しばらく経ったらすぐに家に帰すからな」
娘「ありがたい!」
汚いマンションの一室に華やかな笑顔が咲いた。
男「ま、まあ最低限の家事手伝いはしてもらうぞ」
不覚にもその笑顔を可愛いとか思ってしまう。と言うかこの子かなり整った部類のお顔をしていらっしゃる。男っぽい口調と、普段の仏頂面で気がつかなかったが。
娘「ああ! 任せてほしい。 こう見えても食う寝る遊ぶに関しては鬼泣かせなレベルで極めている!」
男「それ極めちゃったら親泣かせだろうが! 働かない大きなお子さんの肩書きじゃなくて実務としての家事手伝いだっての!」
娘「ああ、なら最初からそう言ってくれればいいのに」
男「なんか悪意的に取り違えてる節があるよな、お前……」
10才女子への突っ込みに息を切らしてる19才男子ってどうなんだろう。
娘「じゃあ手始めにこの部屋の掃除でもするとしようかな」
娘はそう言うと立ち上がり、部屋をぐるりと見渡す。
娘「呑みっぱなしの空き缶はデスクの上だけにとどまらず、床にまで勢力を展開。脱ぎっぱなしの服はそこら中に。弁当のプラスチック容器とファーストフードの紙袋で形成された、部屋の角にそそり立つ現代アート……」
……。
娘「汚い!」
ズビシッと指を指されて断言された。
男「クッ……悔しいが反論の言葉が無い……」
二週間も掃除しないとこんな有様だろう。男の一人暮らしなんて。
男「いや、ここの所忙しくて……」
娘「そうなのか。そういえば昨日、大学に通っていると言っていたな。今日は行かないのか?」
男「ああ、ちょっとね。休みみたいな? 普段は忙しいんだよ。うんすごく忙しいよ」
娘「大学生と言えばあれか。すべての食事に金粉を振りまいて食し、定期的に恋人にブルガリの時計とヴィトンのバッグをプレゼントし、夜はシャツをパンツインにしてポルシェでディスコに向かうんだろう?」
男「一つとしてやった事ねーよ……」
どこのバブル大学生だよ。
男「そんな世代の大学生とは大きくかけ離れてるけど、まあ普通に勉強とか、バイトとか急がしいんだよ」
まあ、勉強もバイトも『してた』なんだけど……。
娘「そうか。学生たるもの学業や勤労に精を出すのが一番だな、うん」
男「いや、小学校中退みたいな生活してる奴に言われたくないけどな」
昨日は聞きそびれたけど、こいついつから学校行ってないんだろう。昨日は行きたくないから行かないみたいな感じに言っていたが、実際は何か問題でもあったんだろうか? なんかこいつすべてが謎だな……。
娘「まあいい。とりあえずゴミ袋とゴム手袋を貸してくれ。掃除を始める。男は……そうだな、とりあえず掃除機をドアの前に置いておいてくれ。後は私がすべてやろう」
男「お、おう。なんか頼もしいな」
俺はすべて言われた通りにして、自室の掃除を娘に任した。
現在はリビングのソファーに寝転がり、観るとも無くテレビを眺めていた。
男「アナログで所持していたアダルトな物はあのエロ本が最後だから、まあ心配ないな」
非常に惜しいことをした。だが俺も男だ。一度別れを告げたエロ本をゴミ箱から引きずり出すような真似はしない……!
男「昨日はソファーで寝たからまだ疲れが残ってるな……」
疲れるような生活はしてないはずだけども。
男「一眠り……」
一時間ぐらい経っただろうか? 目覚めればもういいともが始まる時間だった。
娘「掃除おわったぞ」
男「うおうっ!!」
背もたれの方から娘が顔をのぞかせ、俺の顔に娘の髪が覆い被さる。
男「びびったわ! 一気に目が覚めた」
と言うか昨日は俺のシャンプー使ったんだよな? なのに俺の頭から垂れ流れてくる臭いと違う。なんだこの良い香り。女の子って不思議!
娘「よかったではないか」
男「心臓に悪いって……えーと終わったのか。じゃあ早速アフターを見てみよう」
立ち上がり、自室へ向かった。
男「うおうっ! なんじゃこりゃ」
俺の部屋がキレイ…だと?
男「床が見えるし輝いてる。服も洋箪笥に収まっている。本棚の整頓も欠かしてない!」
素直に関心した。俺だったら色々手を抜いて絶対にこうはならないだろう。
男「お前やるな! かなり良い嫁さんになるとみた!」
娘「お、おう!? そうか? 良いお嫁さんになれそうか!?」
男「おうマジでマジで。つーか俺のところに嫁げ!」
娘「えっ……それはちょっと……その……」
素で反応かよ! そこは頼むからノって欲しかったよ! 褒めたときはちょっと赤くなってて可愛かったじゃん!
男「少し傷ついた……」
娘「少しは気がついて欲しい」
男「ええ!? 俺が知る以上に俺には欠点があるのかっ!? 頼む教えてくれ! 気がつかないまま一生独身だけは勘弁してくれええ!」
娘「冗談だよ」
男「冗談じゃねぇ! 危うくアイデンティティーを失う所だったよ!」
娘「ずいぶんチャチャな作りなんだな……」
いやまあ、もちろん冗談だってわかってるよ。
だから。
だからこそまた違和感を感じた。
男「なんかお前と話してると、お前が小学生だってことを忘れちまうなぁ……」
というかそこらの同年代より大人な印象を受ける。
こんなくだらないやりとりが参考になるかどうかは解らないが、こう言うのだって色々頭を使ったり、他人の考えを読み解く力が無いと出来ない事のはずだ。
だから、それが出来るこいつに違和感を感じざるを得ない。
環境が人を作ると言うが、だとしたらどう育って、こいつはこんな風になったんだろうか?
娘「まあ、多少変わっていることは認めよう……一般がどうであるかは良く知らないのだがな」
男「別に変わってるとかだなんて、俺は思わないよ。それどころかすごいし、良いことだと思う」
えらいえらい、と頭をなでてみた。140センチぐらいだから撫でやすい。そしてサラサラだろうと思っていた髪はやっぱりサラサラだった。
娘「べっ、別に大した事じゃないっ! 遊ぶ金ほしさでやってるだけだっ!」
娘の顔がボッと赤くなる。
男「いや、それは犯行動機だろう」
そして別に遊ぶ金は手に入らない。
娘「そうじゃなくて、あれだ! 別に最初は殺すつもりじゃなかった!」
男「言い訳する部分がすり替わってるぞ……」
娘「あー、とにかく! 私は普通でなくとも、年相応だ! むやみに褒めるな! むしろ罵ってくれ! さあ早く!」
男「第一印象の欠片も残らないキャラになってんなお前……」
まあ、家に上がって自己紹介をしあった時点で片鱗は見えてきていたが。
娘「男がそうさせているんだろうっ」
男「そうなんだろうか? まあ、ちょっとからかったかも。悪い悪い」
娘「ふんっ」
娘は腕を組んで顔を横にプイッとする。
リアルでこの感情表現する人いるんだ……。いや、まあ様になっていて可愛いけど。
やっぱいくら性格が大人っぽいといっても、やっぱり子供だなぁ。あー微笑ましい。
娘「まあ全部演技だったのだがな」
男「台無しだよ!」
恐ろしい人心掌握術だな!
まあ、そんな感じで。
さよならの日だと思っていた日は過ぎていく。
夜。
娘「この野菜炒め、モヤシが八割なのは匠のこだわりと言う解釈でいいのか?」
男「雪国モヤシにそこまでの意匠を凝らしたつもりはねーよ。ただあれだよ、節約。暫く二人分の飯を作らなきゃならないんだ」
娘「節約? 金が無いのか?」
男「仕送りと奨学金で生活している身分なのでね。そうそう贅沢は出来ないんだよ」
娘「そうなのか。だが、金の心配はしなくて良いぞ.。私も少しなら持っている」
そう言うと箸を置いて鞄を持ってくる。
男「おいおい、いくらこう言う状況とは言え小学生女子から金を巻き上げるような真似は出来ないぞ。男、というか人として」
それにこいつ全然食わないっぽいし。コンビニ弁当を買わないようにして自炊に専念すればむしろ今までより安上がりじゃなかろうか。
娘「ほら、一束あれば足りるか?」
はい、とそれを俺の手のひらにのっける。
男「あーうんそうそう。これが一束あればうまい棒が1、2、3、4――」
娘「……ん? どうした? 急に止まってしまって」
おいおいこれって。
男「うわあああああ!? 百万円だあああああ!?!?!」
うまい棒換算してたら日が昇ってまた暮れる!
娘「おいおい、そんな事は絶対にないだろう。 百万円はヒャックマンに勝たないと手に入らないんだぞ?」
男「いつのネタだよ!? 俺でもぎりぎりの世代だっつの! そんな冗談はいいからさ! どうしてこんな大金持ち歩いてるんだよ!」
娘「お母さんから貰ったんだよ」
あの人小学生に現生100万をポイと渡す様な人なのかよ。犯罪に巻き込まれでもしたら、とか考えないのかよ!
男「あー……! なんかもう無茶苦茶だなーお前も叔母さんも!」
娘「この野菜炒め、バンジージャンプで食べられたら百万円」
男「今すぐその話題から離れろ!」
バシッ、と堪えきれずに頭をはたいて突っ込んだ。
こいつ、気を抜くとすぐボケに走りやがる!
娘「殴ったな!? 殴った人には冬場の暖房の効いた満員電車の中で体がめちゃくちゃ痒くなる呪いがかかります」
男「地味にすごく嫌で二度ぶてないっ!? いや、というか俺はすでにその体質を抱えているんだっ!!」
スッパーン。二度もぶった。多分、親父にもぶたれたことない子を。
どうでもいいけど、冬場に発汗すると体中が非常に痒くなるアレはコリン性蕁麻疹とかと呼ばれるらしい。電車の中でアレが来ると地獄なんだよなぁ……。
娘「おおっ……中々激しいな、男」
男「……いや、なんか盛り上がりすぎたとは言え、俺も反省してるよ……今後このような突っ込みはひかえる」
娘「いやいや、そんな事は言わなくていいんだ。これも私の願いだからな」
男「え? そうなのか? と言う事はあのリストに?」
娘「もちろんだ。ほら」
おおう……本当だ。びっしり文字の書き込まれたページ。娘が指さす一行に目を通すと『激しく突っ込まれる』と達筆に記されていた。というかもうちょっと他に書き方があるだろう……。
男「そのリスト、一体どこまでお前の願望をカバーしているんだよ」
娘「そうだな……吉野屋でお持ち帰りするときに紅ショウガを20袋ほど入れて貰う、までかな」
男「そんな紅ショウガに飢えた小学生いてたまるかっ! というかお前吉野屋でお持ち帰りとかしねぇだろ絶対!」
並を間食するまでに袋換算で15袋ほど消費する俺には割と共感出来る話だけども。10袋ぐらいは何も言わずに入れてくれるんだけど、それ以上頼むのはちょっとためらわれるよなぁ。
娘「まあ吉野家にも松屋にも行ったことがないがな」
男「未経験なのにそこまで紅ショウガに熱くなれるお前に脱帽だよ……」
そんな感じで。
夕食の時間は過ぎていった……。
ちょっと出掛けてくる。
そうとだけ娘に伝えて俺は夜の住宅街へと足を運ぶ。
目的はあるが、目的地はない。
男「自分から電話するのってどれぐらいぶりだろう」
ギリギリ二桁の名前達が並ぶアドレス帳から「母」を選択する。そこからの一歩が重かった。
男「かかってくるのを受ける分にはまだいんだけどなぁ……」
自分からかけるとなると別だ。
高校の時のアレコレで。俺はちょっと変わってしまって。そして家族と顔を合わすのが何となく気まずくなってしまって。東京の大学に逃げるように入学して。そこでもまた挫折しかけていて……。
男「俺が地元に帰れる日は来るのだろうか……」
ケータイを握りしめたまま、ドーンと気分が重くなる。
精々噛んだりどもったりしない様に努力しよう……。
通話ボタンをプッシュして十秒と経たない内に相手が出る。
妹『はい、○○ですけど』
母親の声ではなくもっと若い、妹の声が受話口から鳴る。
ビクッ、と曲がった背筋が伸びる。
男「い、妹か。あの、お兄ち――男だ。今お母さんいるか?」
妹『……少し待ってて』
あー……。なんでこう言う時に限って妹がでるかな-。
軽く冷や汗かいた。背中が痒い。
何故か妹とは特に気まずいんだよなぁ……向こうも気まずそうだし。昔は結構仲が良かったはずなのに。
母『もしもし男? 送ったお米届いた!? 今年は豊作だったから期待しておけ、っておじいちゃんが言ってたわよ』
男「お、おう……まだ届いてないよ」
母『念のため一俵送ったからね』
念の入れ方が間違っていた。置き場所に困ること間違いない。
男「あのさぁ、まあそれはいいとして……えーとさぁ……娘ちゃん、って知ってる?」
回りくどく言っても仕方がない。俺は単刀直入に言うことにした。
沈黙の後、
母『……うん』
まあ、知っている事ぐらいは想定済み、というか知らない方がおかしいだろう。
男「昨日さ。叔母さんにその子を半ば強引な形で引き取らされた。
えーと、つまり……いきなり呼び出されて、要領を得ない説明を受けて、
その間に娘ちゃんは俺の家の前まで来てた……。
まあ、昨日は諦めて、今日は叔母さんに家にその子を連れて行こうと思ったんだけど、
何故かあいつ中々家の場所を教えなくてさ。なんかもうほとほと困り果ててるんだよ、今の俺。
何か知らないかな? 叔母さんの事情とか、その他諸々の不明な点について」
そもそも、叔母さんに子供が居たなら俺が聞き知っていても良いはずだろう、とまでは言わなかった。
母さんは少しの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。
母『娘ちゃん、今一緒にいるの?』
男「一人。外で歩きながらかけてる」
母『そう……』
男「もしかしてさ、この事知ってた?」
母『……うん、知ってる。事情についても、知ってる』
やっぱり。何というか。親子のカンみたいな物で感じ取っていた。
知っていた、そう確認すると少しだけ腹が立つ。それって叔母さんがしている事を容認してるって事と同じだろう。
男「じゃあさ、叔母さんに連絡つけてくれないか? 昨日の夜にも電話かけてみたんだけど全然通じなくて……」
母『悪いけど、それは出来ないの』
男「えーとさぁ……」
また体の芯が熱くなる。なんでみんなそうはっきりしないのかなぁー、なんて思う。
男「正直さ。俺がなんでこんな事に巻き込まれてるか全く意味がわからないんだよ。別にさ、少しぐらい子供を預かるのは良いよ。だけど、ろくな説明もなしに『無理だから預けます、はい』みたいに言われたらさぁ」
――俺だって困るし、困られるあいつだって可哀想だろ。
母『今は……詳しくは言えないの。ゴメンね。でもこれを言ったら色々駄目になっちゃうから……だから今は少し待って欲しいの。あの子と居てあげて欲しいの。たぶん……きっと遠くない日に』
彼女が全部をあなたに教えてくれるはずだから。だから今は少し待ってあげて。そんな事を言われた。
母『そして、たぶん私は、私たちはあなたに謝らなければいけないと思う。でも今は言わせて。あの子と、精一杯、出来る限り仲良くしてあげて』
なんだか、よくわからない。
昨日からよくわかる事が一つもない。
それから母親は話の流れを無理矢理変えるみたいに俺の近状を聞きまくり、俺はぼーとする頭をなんとか働かせてそれに答えていた。
電話を切って。帰り道。
随分と住宅地の外れの方まで歩いてきてしまった。
男「八方塞がり、孤軍奮闘、か」
誰も何も教えてくれやしない。
男「やっぱり俺ってついて無いのかなー」
石ころを蹴っ飛ばそうとして、思いとどまる。嫌なことを思い出しそうになったから。
そして思い直す。たぶん、そういうわけでは無いんだろう、と。
そして。
八方塞がりなのも、孤軍奮闘しているのも、俺ではなくて娘なんだろう。
だったら。
男「まあ、俺ぐらいは味方になってやらなきゃなぁ……」
頼りない俺だけど。味方を名乗るぐらいは、まだ出来たはずだ。
娘「随分と遅かったな」
家に帰ると娘がリビングのソファーに寝転がりながら俺の漫画を読んでいた。
というか、部屋着スカート穿くならもっと上品に振る舞え。パ、パンツが見える! 細い太ももが限界まで露出してるぞ! いやまあ、10才のパンツにはマジで興味が無いけども。
男「ああ、あれだよ。電話したり、その後もちょっと」
娘「ん? 汗をかいているな? 外はそんなに暑いのか?」
男「いいや、別に。まあ、ちょっと汗っかきなんだよ俺」
娘「ははは、風をひかない内に早くシャワーを浴びた方がいいぞ」
そう言って視線を漫画のコマへと移す。なんでチョイスがマサルさんなんだよ。くすりともしねぇで読んでるし……。
娘「そういえばさっき見知らぬ男が何やら叫びながらいきなり家に入ってきたぞ」
男「それを一番先に言ええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
娘「大丈夫だ。今は男の部屋にいる」
男「大丈夫じゃないだろそれ!? 不審者と一つ屋根の下とか非常事態だっての!!」
娘「まあ落ち付けって、あんちゃん」
男「お前と一つ屋根の下なのも嫌だなああ!!!」
何なんだよこいつ……。なんか嫌だよ……。怖いよぉ……。
しかし。
男「鍵は閉めたはずだよな!? なんで入ってきたんだ!?」
俺は背負っていたバッグを床に置き、拳を握って軽く構える。俺の拳がやや内角に抉り込むように空を切る。
俺の部屋のドアは閉まっている。
娘「開けてくれ、と大絶叫していたので開けてやった」
男「なんなんだよお前……。それ絶対入れちゃいけない奴の台詞じゃん……。男らしすぎるよお前……」
一歩間違えれば大事件じゃねーか。というか事件だよこれ。
でもまあ見たところ何もされていないようだし……。
今のところは大事には至っていないか。
男「しかしこの状況……」
閉ざされたドア。
その向こうには得体の知れない変質者が居るらしい。
男「どんな奴だった? 強そうだったか? 凶器になりそうな物は持っていたか?」
娘「うーん……年の頃合いは男と同じぐらいだっただろうか。 凶器になりそうな物は右手に持った一本のちくわぐらいだろうか……?」
娘はひとまず漫画を置いて、ソファーの上であぐらをかいて腕を組みながら言った。
男「ちくわは凶器じゃねーだろう……」
ちくわで殺されてたまるか。
男「なんだかわからねーな……部屋も静かだし……」
娘「三十分前ぐらいからは静かにしてるな」
男「というか本当に居るのか? もしかしてお前ものすごくたちの悪い冗談を――」
?『デゥっアアアアアアアアアアアアッーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!』
男「誰かいるううううううううう!!!!!」
部屋の中からものすごい絶叫が聞こえてきた。
娘「だから部屋に居るといっただろう」
お前なんで、何を当たり前なこと声を大にして言ってやがるんだよコイツみたいな顔してるんだよ……。
?『男おおおおおおおおおおうああああああうううあああおろああ!!!!!!!!! しゃあああ!!』
男「あわわわわわああ!?!?! どうすればいいのっ? なんかあたしの名前呼んでるよっ!? 怖いよおおおおおお!! うわーん!!!」
台詞だけ読めば不審者におびえる可愛い女の子だった。まあ俺だけど。
娘「おいおい、そんなに取り乱しても仕方ないだろ。事はもう起きてしまっているのだから」
男「お前が入れたんだろうがよっ!!」
?『男あああわっっおうっおろろろろこおおおおうっ……うあう、はやくううううう、早く、ひゃああく来てくれっえええええええ!!!!』
なんかすげー俺の事呼んでるよこの不審者っ! すっげー怖いぜ。
だがよ。
男「チクショウ……こんな羽目になるとはな……」
右手で顔を覆うポーズをとりつつ、俺はニヒルに微笑する。
娘「おおっ、何故かいきなり顔つきが漢らしくなったぞ!」
男「ふふっ……覚悟は決まってるさ……おっと、ドアががたがた言ってるぜ……そろそろ今宵のメインディッシュがご登場ってわけかい……
ふっ、いいだろうよ。この俺がおいしく射止めてやろう……危険な戦いになるだろう。でもさよならは言わないぜ……アディオス・アミーガ」
娘「スペイン語で言っているではないか……」
ドアのガタガタ音が一層と大きくなる。くるかっ!!
男「でてこいやああああああああああああ!!!!!!」
ガタッン
友「うわあああん!!!男ぉ~~ゲロはいちゃいそうだよぉ~ん!!!!!」
男「おまえかあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
俺の右がやや内角に、抉り込むように吠えたのだった。
~数分後~
男「で、何故このような事になったんだ」
俺の右を食らって気を失いかけた友をトイレまで引きずって吐かせた後、俺は友にリビングの中央で正座するように命じた。
友「えーとその……彼女とその友達とで飲みに行って……ぐすっ……でも、実はその飲みというのは俺との別れ話のために開かれたものでして……はうんっ……四人+彼女という女性陣から……えんっ!……遠回しで優しい感じの言葉遣いで……うっ……別れを迫られました……!」
うわあ……。それは壮絶だなあ……。
一対五の状況で別れ話ってどんな刑罰なんだ……。
男「なんでちくわを片手にしてたんだ?」
友「鞄と間違えて、目の前にあったちくわを引っつかんでここまで来たんだよ……」
男「おお……それはまた大層な間違いを……」
でもまあ……そんな振られ方をしたら、ちくわも鞄もあったもんじゃないのかもしれない。
友「ああぁ、多分、彼女……元彼女が鞄をもってるからなぁ……また会わないといけないのかなぁああ……気まずいなああ……!」
友の目からは大粒の涙が溢れていた。ああ、なんかカワイソウだなこいつ……。さっきは殴ったりして悪かったよ……。
友「はぁ……そういえばその子……恵まれない僕を家に入れてくれた天使はどちら様? はっ! もしかして男さんっ!」
友はあんぐりあいた口を手で覆い隠し、空いた手で俺の股間を指さす。
男「出来てねえし作ってねえよ!! 子供の前でそういうのやめろって!」
友「子供っ!?!?!?!?」
男「親戚のなっ!!!!!!!!! 大体年齢的にありえないだろ!
」
なんで俺の周りの人間は扱い辛い奴ばかりなんだよ!
娘「娘だ。好きに呼んでいいい」
読書(漫画)を再開していた娘が短く自己紹介をする。
友「天使ちゃんと呼ばせて貰うよっ! かわいいしねっ!」
いきなりテンション高いな~……。いつの間にか泣き止んでるし。
男「そんで、なんで俺の家に来たわけ?」
友「鞄の中に鍵を入れてたんだよ……大家さん九時には寝ちゃうから開けて貰えないし……」
男「散々な奴だな……同情するよもう……」
友「あと、直接話したい事もあったんだ」
男「何だよ……いきなり真剣な顔しちゃって」
友「監督からの言い伝え。そして、僕からの個人的な誘いだ」
こっから少しの間、話の方向性が変わります。
具体的に言うとスポーツ要素と男の過去とかが中心になっていきます。
女の子の話もっとかけや、と言う人には申し訳ない。
友と出会ったのは高校生の時だった。
校内放送『一年B組の男君。サッカー部のミーティングがあります。至急一階の視聴覚室にきてください』
高校一年生の頃の俺は、まさしく調子に乗ったクソガキだったと思う。
だが――
まあそれは仕方が無かった事だと思うのだ。
日本代表U-15のレギュラーであり、U-18入りもほぼ確定していたし。
順風満帆。将来有望。何も心配することなんて無い。だから無敵だった。自分を無敵だと思っていた。まあ、その性格が災いしてクラブユースチームの監督と大げんか、チーム追放という事になったんだけどな。
そして地元の高校。高校選手権の常連。最近では十指の内に数えられる名門サッカー部でプレーする様になった。
男「ミーティングかよ。だるいなぁ~」
そんなの試合前にちょちょっとやれば良いと思うんだけどな~。
友「あの……男君」
男「だるいし、まあ行か無くとも俺をスタメンから落とすほどあの監督も無能じゃないだろう」
友「ねえってば!」
男「うん。きっとそうだ! よし、気合い入れてねるぞ!!!」
友「起きろおおお!!!」バスンっ
男「いってえええええええ!?!?」
こいつ加減なしで殴りやがった!?
友「うわっ! あ、あのそのっゴメンっ!!! 別にそんなに強く殴るつもりは全くなかったっていうかそもそもミーティングに来て欲しかっただけだからあのその――」
男「うるせええ! 何だお前! いきなり殴るってのはこっちぶん殴っていいって事だよなあ!? ああっ?!」
クソガキだった俺は当然、喧嘩早かった。
胸ぐらを掴んで問い詰める。
男「ああ!?! お前あれだろ……部に居る奴だよなああ!? ホモとかいったけよおお!?!?」
友「と、と、と、と、友ですっ! ちなみにノーマルですっ!!!」
男「トトト・ト・トモ!? どういうネーミングセンスだそりゃっ!?!?!」
友「友ですっ!」
男「なんでもいいわコラァァァアッ!!!」
友「ひあああああああっ!!!!!」
多分そんな感じの。どうしようも無いぐらいにくだらないファーストコンタクトだったと思う。
だけど、15才だとか16才っていう年頃は不思議だ。
そんな最悪な出会いをした奴と友達になって、今では消して換えがきかない親友になっているんだから。
まあ、友と俺の話はまた、少し後に話せばいいだろう。
~住宅街。男と友~
娘を家に残して再び住宅街へ。今度は友を連れ立っての散歩だった。
男「誰か来ても絶対に入れるなと命じたが……全然信頼できないよなぁ……」
なんつーか、あいつは常識という人間にとってとても大事なピースを欠かしているような……。
友「はは。まあ彼女ならうまいことやりそうだけどね。もしも変な奴と出会っても」
男「あいつ自体が大分な変人だからな」
友「こらこら、女の子の悪口は駄目だぞ☆」
男「何が、駄目だぞ☆、だよ。女にこっぴどく振られてきた癖に」
友「ははっ! そんなのは過去だよ! もうすっかり元気! ほらっ!」
男「……」
満面の笑みをたたえたまま鼻水と涙の大洪水を起こしてる男がそこにいた……。
男「ほら……ティッシュ」
友「ははっ……ありがとう……」
やっぱり振られたショックはでかいのか……。
友はものすごくでかい音を立てて鼻をかみ、俺の方へと向き直る。
男「で、話」
友「うん。さっき言った通りだけど。監督の伝言と僕からの誘い」
男「まあ、手短にたのむよ。娘を一人にしたくない」
友「はは。つれないな~。すっかりお兄ちゃん、いやお父さんになっちゃったのかな?」
男「からかうだけなら帰る」
友「違う違う。悪かったよ。ここからは真剣な話」
そう言ってまた表情を硬くさせる。
友「まず監督の話。彼は君のことをまだ諦めてない。見捨ててない。そしていつもみたいに言ってたよ『諦めるのは死んでからにしろ』って」
男「あのおっさんまだそんなスポコン漫画かぶれな台詞を口癖にしてんのかよ」
友「はは。僕は結構気に入ってるけどね。実際結構励まされる」
ふん。さすが高校時代から『高校卒業したら監督さんの居る大学でスポーツ心理とスポーツマネージメントを学びたい』とか言ってただけあるぜ。昔から気持ち悪いほどあの初老に入れ込んでたしな。
まあ、事情は違えど俺だっておっさんが居るからあの大学に入ったわけだが。
男「……で、そんなくだらない事をわざわざ伝言に?」
友「それは前置き、というか締めの言葉だったね。本筋はこうだった」
『男、お前は未だに勘違いしているようだが、お前が思っているほど挫折とは甘くない。
だからお前が今経験している甘くて温いそれは、挫折と呼べるものじゃない。
だから俺は学校に行きたくないとぐずるクソガキを叩き起こすように何度もお前に言う。
サッカーを捨てるな。自分を捨てるな。諦めるのは死んでからで良い。
一度はぐれたなら、今からまたチームに合流すればいい。お前は生まれ変わることの出来る選手だ』
低い声で友が言う。糞にて無いおっさんの物まねだった。
友「実際はもっとキツイ言葉で遠回しに言っていたけどね」
男「いい年こいてラノベの読み過ぎの厨房みたいな事いってるなーおっさん、はは」
友「男」
男「それに別に俺サッカー嫌いになった訳じゃないよ? テレビでよく見るし、ゲームも結構やるよ?」
友「男……」
男「つまりさ。俺は思う訳よ。別にサッカーを『プレー』しなくてもいいやって。満足だって。
人それぞれに価値観ってあるわけじゃん? ピッチの中にしかサッカーがないなんて時代錯誤も甚だしいぜ?」
男――!
けして大きくない。でも俺の心を抉って、不快にさせて、何よりも恐怖させる声だった。
友「逃げるのはもう止めてくれ! 現実に向き合え! 君は終わってない!まだ――君はまだ逃げられないっ!」
静かな住宅街の夜が、突然花火でも打ち込まれたみたいにざわめいた。
そして、またすぐに薄暗い静けさを取り戻す。
友「君の脚、君の左膝は完全に終わっちゃいない。筋肉で補強して、練習で熟練させればいいんだ。そうすれば君はまだ第一線で活躍出来る。それだけの才能と資質が、君にはまだ備わっている」
なにを。なにを言っているんだ。
こいつは俺をよく知っているはずなのに。
何で俺がもう駄目なのか。
俺が、俺のすべてを失った瞬間をこいつは全部見てたはずじゃないか。
男「俺は……俺はもう昔みたいは成れない」
昔の俺。
俺が膝を壊す前。
誰よりもピッチを速く駆け抜け、誰よりもサッカーの神様に愛されていたあの頃。
そんな俺は、もう戻らない。
男「だから」
すっかり冷えた十月の空気。
すう、と軽く吸い込んだ。
男「俺はピッチを捨てた」
俺はもうただの凡人。平凡な挫折に脚をもがれた弱い人間なのだ。
~回想~
あれはまだ高校一年の春だっただろうか。
友とのファーストコンタクトがあって、また少し経った頃。
友「……」
男「……」 シュタッ バコン!
友「……」
男「……」 シュタッ バコン!
友「……」
男「……」 シュタッ バコン!
友「……」
男「……」 シュタッ……
男「おい」
友「えっ? ル、ルイス?」
男「いや、そこは『ナ、ナニ?』だろうが」
どういう言い間違いだよ。
男「どうでもいいが観られながらだと集中出来ない。どっか他に行ってくれないか」
練習が終わった後。誰も居ない学校のグラウンドでボールを蹴るのがあの頃の俺の日課だった。その日もいつも通りに、ゴール手前25メートルの位置から黙々とボールを蹴り込んでいた。
友「あっ!そのごめんね! 邪魔になるつもりじゃなかったんだけどさ! なんかあまりにもキレイな球蹴るからさ、びっくりした」
男「お前の玉を蹴り飛ばせばもっとビックリできるぜ。ビックリ『マン』になる事は叶わなくなるけど」
友「はっ……はは~……男君は冗談が好きだな~」
男「冗談で済む内にかえって欲しいね。ホモ君」
友「と、友だってば!」
男「ホモ田・ト・友だって? 変わったミドルネームだな」
友「ホモ田さんという名字の方が珍しいよっ! と言うか日本には存在しない! とにかく僕の名前は友だよ!」
男「まあ、なんでもいいけど」シュタッ バコン
友「はー……なんか男君はもう少し硬派だと思っていたよ」
男「はぁ? うるせーな。何でだよ」シュタッ バコン
友「だってさ、格好良くて女の子にもてまくる癖に彼女の一人も作らないでしょ?」
男「別に。ボール蹴るのに女は必要ないだろ」シュタッ バコン
友「あと、そういう臭い事も平気で言う」
男「……」シュタッ バコン
友「天才だって自称するけど、こう言う努力も欠かさないってのは少し硬派だね」
シュタッ…… ス……
男「何が言いたいんだ?」
友は目を伏せて、情けない顔をさらに情けない笑みにゆがめた。
友「僕、君みたいになりたいんだ」
男「はあ? それは無理だな。俺は天才だし、無敵だ。俺は二人としていらない」
友「はは……そうだね。同じなのはポジションぐらいだろうね……。先輩負かしてスタメン張ってる男君と違って、まだまだベンチ外だけど……」
そういえばそうだったかも知れない。
わざわざ東京からこの高校まで『サッカー留学』しに来てるんだったっけ? そんな遠出して、ベンチすら温めさせてもらえないなんて哀れだな、なんて感想を抱いた事があったかも知れない。
男「そういえばお前もオフェンシブミッドフィルダーだったか? 相手にならなすぎて忘れてたけど」
友「うん……一応トップ下志望でやってる」
男「なんでまた、そんな競争率高いポジションでやってるんだよ?」
友は照れたように笑った。
友「僕、サッカーが大好きなんだよね。そして、サッカーが一番良くみえる場所が、僕にとってはそこなんだよ」
シュタッ
男「……ふーん」
バコン!
男「俺はただ誰よりも強く速くありたいだけだ。そうなれるなら何処だってかまわない」
シュタッ バコン
男「そして、サッカーが好きなのかどうかもよくわからない」
友「はは。サッカーが好きじゃない奴がこんなキレーな球蹴れるわけないじゃないか!」ニカッ
男「うっ……! あ、ああもう! なんかお前と話すと調子狂うんだよっ! ドライブシュート!!!!」
バッコーーーーン!!!!!!
友「うわあああ!!! それは人に向けて撃って良い物じゃないよ!?!? わ、わかったよ! 帰るから振り上げた脚をゆっくり下ろして!?!?」
友は慌てた様子で下ろしていたエナメルバッグを背負い直し、俺に背を向けて小走り。ちょっとやり過ぎたかも知れない。
男「……」
男「……おい!」
友「ナ、ナスリ!?!?」
男「いや、もう全然何を言い間違えてるのか解らないぞ……」
男「まあいい。えーと、そのあれだ。たまには来い」
友「えーと…何処に?」
男「だからっ!」
友「ひっ!!!!」
男「……ああもう……調子狂うなお前……」
友「ゴ、ゴメス」
男「もういいよそのネタの縛り……とにかく、えーと、あれだ! 練習の後はここに残ってろ。俺がサッカーを教えてやる。勘違いするなよ? 俺はとにかく下手な奴が嫌いなんだ。そんな奴が俺の控えになんてなった日には一日十時間しか寝られない」
友「十分寝られてると思うけど……じゃなくて、それって本当なの!? 教えてくれるの!?」
男「タイガーショットまでは教えてやる」
友「いや、それは無理だと思うけど……でもありがたいよ! やっぱり君みたいな才能がある人から教わる事は多いからね!」
その時の友の喜びようと言ったらこっちが恥ずかしくなる程だった。
友「師匠って呼んで良い!?」
男「それは絶対に止めろ」
そんな感じで。
俺と友は友達になっていくのだった。
また結構住宅地の奥の方まで歩いて来てしまっていた。
俺と友は来た道を引き返す。
ケータイで時間を確認するともう零時を回っていた。早く帰らなければ。
友「監督からもう一つ伝言。三週間後の○○大学との練習試合。君をスタメンにラインナップしてるそうだ」
男「おいおい、もうかれこれ一年と数ヶ月も顔出してないボンクラだぞ? そんな奴をスタメンに入れるなら、近所の野球少年を招き入れた方がまだマシだと思うぜ?」
一年生の夏ぐらいには既に幽霊部員、今は二年の春。今更俺なんて呼ばなくてもいいだろうが。
友「システムは変わらず4-1-3-2。男には中盤の底、ボランチの位置に入って貰う」
男「! だから何度も言ってるだろうがっ! 俺にボランチは向いてないって! 速く走れなくなったからって守備的に使ってもらっても俺は何も出来ないんだよ! 勝手に話し進めるんじゃねぇ!!」
そんな『使い回し』がきいてたまるか。
友「監督の采配だよ。僕に言われても困る。それに君は勘違いしてる」
>>143
あ、場面チェンジの記号入れるの忘れた。
~住宅街~ です
というかサッカーの用語の説明した方がいいのか?
大体知ってる?
男「俺が何をどう勘違いしてるって?」
友「それは自分で気がついてほしいな」
あー全く……! 自分の親友ながら腹がたつ。おっさんもおっさんだ。勝手に変な真似しやがって。こっちはにはこっちの日常があって、それについて今めちゃくちゃ苦労してるっていうのに……。
友「それから。これは僕からのお願い、いや、誘いだ」
友「君を世界一のサッカー選手にさせてくれ」
何を言うかと思ったら。
なんの脈絡の無いことをさらりと言うなよ。
いやさ、お前は昔からそういう奴だったけどよ。
男「寝言は寝てからいってくれよ」
そんな言葉に乗るには、もう遅すぎるんだよ。
だって。
速かった俺はもう死んだのだ。
~男のマンション~
娘「さらに遅かったな」
男「ああ、ちょっと宇宙人や陰謀論や世界滅亡諸説について語っていたらお互い熱くなってしまってな」
嘘だけど。
娘「ああ、そういえばさっき見知らぬ宇宙人が勝手に家に入ってきたぞ」
男「それを一番先に言えええええええええええ!!!!!!?!?! あれか!? また俺の部屋にいるのか!?!?」
娘「いや、もちろん冗談だ」
冗談か。
男「ちょっと期待してたのに……」
娘「してたのか……」
宇宙人。居ると信じなきゃ現実ってつらいじゃん?
友「はは、なんか二人とも息ぴったりだねー。もうどれぐらい一緒にいるの?」
そういえばこいつ、あんまり深く俺たちの関係について聞いてこなかったな。まあ、元々こいつはそういう奴だったっけな。そういう気を遣う奴だから俺みたいなのとも一緒にいられるんだろうけど。
娘「昨日……もう日付が変わったから正確には一昨日からだ」
友「ええっ!? あの男君がこんなにも打ち解けてるのに!?」
娘「ん? そうなのか男?」
男「しらねーよ。でもまあなんか……一昨日知り合ったばかりとは思えないのは確かだけどな……」
心の声ではもう『こいつ』 とか呼んじゃってるし。
オフェンシブミッドフィルダー=守備よりも攻撃に特化したポジション。ディフェンスの選手とフォワード(一番前の方に居る選手)の選手の間がオフェンシブミッドのポジション。
トップ下=フォワードの一個後ろに位置をとる選手。ゲームメイクの能力に長けた選手が多いポジ。パスが巧かったり、ゴールも狙える感じ。
ボランチ=デフェンダーより前、オフェンシブミッドフィルダーより後ろの位置。守備の割合が大きいが、ゲーム全体を把握して巧く調整してやるようなボジ。
凄く簡単に書いた。
分かりやすいかはわかりません。
続ける
友「驚きだよ~! 僕を名前で呼ぶのに慣れるまで一ヶ月半要した男だよ?」
男「おい、余計なことは話すんじゃねぇ」
娘「おお。男はそんな内気な性格をした男だったのか? そうだとは想像に難いのだが」
友「いやー、男の場合は内気というよりツンデレだったね。落ちた後は早かったよ」
男「落とされてねぇし後も糞も何にもねーよっ!」
娘「これがツンデレという奴なのか!?」
男「ちげぇよ! 純粋な誤りの修正だ!」
なんで目をキラキラさせてるんだよ。それはパンダとか観るとき目だろうが。
友「いいやっ! これがツンデレだよ天使ちゃんっ! さあ早く! 捕まえろ~~~っ!!!!!!!!!!!!!」ガッバーーー
娘「わかったぞ! とりゃあああああああっ!!」トーーン!!
男「鬱陶しいわコラアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!」
こいつらを同時に相手するのは絶対にやめよう。
体中をもみくちゃにされながらそう思いました マル
別に全然緊張してない。
だって10才だぜ?
いくら一緒のベッドで寝る事になろうが、そんなの隣に大根を一本置いて寝るのと全くかわりねーよ。いや、むしろ大根の方が緊張しちゃうって。
娘「男、ベッドから落ちる恐れがあるからもっとそっちに寄るぞ」
男「……」
娘「うーん……これでも少し不安だな……恥ずかしながら私の寝相は相当悪いんだ。もうヤバイぞ、私のは」
男「……」
娘「おお、そうだ」
男「……」
娘「男、腕を動かすぞ? よし……男の右腕を私の頭の下にして……そしたら男、私の肩を抱くような形に出来るか?
……うん、それでいいぞ。後は私が右手で男の胴の反則面を抱える様にして……そうだな、念のために脚も固定しておくか。
男、私の両脚を男の右足に絡めるから少し持ち上げてくれ」
男「……ひふっ……!」
な、な、な、な、何なんだこの状況は!?!?!?
腕枕をしてやっている女の子に抱きつかれ&脚からませだと!?!?
いやまて男っ! 冷静になれっ! こいつはたかだか10才のガキンチョじゃないか!? 深呼吸していつものお前に戻れは全然どうってことうわああ鼻から息吸うと女の子特有のいい香りが鼻腔に充満しゅるよおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!
娘「どうした男? 窮屈なら体制を考え直すが?」
男「いやイイよ。じゃなくて別に考え直すなんて面倒な事はしなくてもいいよと言う事だよ」
いやぁ……。なんか、やっぱり俺がソファーで寝て、友に娘と寝て貰えばよかったなぁ。あいつなら別にこれ位のことでは何にも感じないだろうし。それはそれでむかつくけ。どうせ俺は10才相手にも緊張するドチキン童貞『キング・クズ』だよ。まだまだ小僧だよ……。
娘「ならいいな。じゃあお話をしてくれ」
男「はあっ?」
首を回して横を見ると、娘と目が合う。うっ、上目遣いは止めろっ! 何の意図も無いのだろうけども!
娘「寝る前のお話だよ」
この状況でお話かよ。こっちはとっとと夢の世界に逃げ込んで平常心を取り戻したいってのに。
男「いや、いっても俺には話すお話が無いぞ……それこそ、誰もが知っている日本昔話系だけだ」
娘「ふうむ……私も、そこら一帯はもう制覇した感があるからなあ……」
娘「でも男を困らせるわけにはいかないな……楽しみにしてたんだけどなぁ……でも仕方ないよなぁ……」
男「お、おい……そんな風に言われても――」
娘「うっ……うぐっ……」
涙目+上目遣いキターーーーーー!!!!!! じゃなくてえええ! ええっ? 泣くの!? これって泣く様なことなの!? ああっ! えーとこう言うときはもうとにかく適当にメイクサムシングアップ!
男「あっ! ああっ-! 今一個思い出したぞっ! これはやばい名作だよ!」
娘「本当かっ!?」ぎゅっ!
男「あ、ああ本当だとも! これはマジでやばいよ。百回話して百回とも大盛況だったもん。寝ながらのお話なのに最後はスタンディングオベーションだったもん!!」
娘「それはすごいなっ! じゃあ早速話してくれっ!」脚カラメッ
男「ふはっ!? ああ!? ああっ! 今すぐ始めるぜ!? 乗り遅れるなよ? このビッグウェーブに!!!」
勢いで色々盛り上げちゃったけど……。
肝心な話す内容がないようううううう!?!?!
娘「さあ! スタート!!」
スタートしてしまった!
男「え、ええーと……昔々……」
ああもう! こうなりゃ適当に!
えーと……えーと……。
男「あるところに大国を治める偉大な王様がいました」
娘は余計な突っ込みはしないようで、俺の腕の中で目をぱちくりさせながら真剣に聞いている。
適当な設定を……えーとこんな感じか……。
男「王様は戦が大好きで、日々剣術の鍛錬を怠りません」
そんで何かお話の起点になりそうなイベントを……。
男「ある日、王様はいつもの様に城を抜け出し、剣術の鍛錬をするために森へ行きました」
おお。中々それっぽいぞ!
次は会話シーンの挿入だ!
王様『てやあああああ!!! とうああああああ!』 バスッ バコッ!!!
木こり『……』
王様『うわっはああああああああああうりゃああああぐおおおおおおおあああfoooooooooooooooooh!!!』バッスーン! シュタバシュババシュバーン!!!!!
シュタッ……
王様『……! そこのお前ええええええええ! 我が気が付かぬとでも思っていたか! こそこそとのぞき見る様な真似はやめて、今すぐ姿を晒すがいい!!! 我のこの伝説の剣の鋭い切っ先で、お前の喉を一突きにしてやろうぞ!!!!』
木こり『ひああああああっ!!!!! ごめんなさいいいいい!!! あまりにも美しい刀裁きにみとれていたのです!!! 偶然です!!! 偶然なのです王様あああ!!!!!』
男「木こりは木の陰から飛び出し、そのまま王様の足下へとジャンピング土下座しました」
王様『なんだお前は。ただの平民ではないか! 私の命を狙う敵国の刺客かと思って割とビビったぞ!!!! 名を名乗れ! そして我にひれ伏せ!!!!!』
木こり『ひいいいいいっ!?!?!? キキ、キ、木こりですうっ!!! あとこれ以上はひれ伏せませんですぅっ!!!!!!!!!』
王様『キキ・キ・キコリニデスウだとっ!?!? まさかあの一家のご子息!?!?』
木こり『いや普通に木こりですっ!!! というかそんな名前の貴族が実在するんですかっ!?!?!?』
男「強くて戦好きの王様はいつも敵国から狙われていて、どんな時でも気が抜けず、いつもピリピリしていたのでした」
王様『なんだ。ただの木こりか。気構えて損したぞ。まあどうでもいいんだが。あ。でも慰謝料はもらわないとな-? ほらちょっと飛んでみ? 木こりでも銅貨ぐらいもってんだろ?』
木こり『一国の主がそんなちんけなカツアゲしちゃうんですかっ!? ていうかさっきから伝説の剣でそこのウンコつついてるのは何なんですか!?!? ネームバリューが大暴落ですよ!?!?!?』
王様『おまえうるさいよ』
木こり『え? あれ? なんか僕がわるいのか? というかいつの間にか王様のボケに激しく突っ込んでいたけど、これって何かの罪に問われるんだろうか!? すみません! どうか家族だけは!!!』
王様『え……そういえば結構失礼だったよな……今のやりとり。うん、国家反逆罪で死刑になってもおかしくないな』
木こり『ひいいいいいいいっ!!!! そんなあああ!! でも家族は助けてくれますよねっ!?!?!?!?!?』
王様『いや。別にお前を死刑にする気はないよ』
木こり『え? 助けてくださるんですか!? なんと王様の徳高きことおおお!!!!!!』
王様『もちろんロハとはいかないぜ。ちゃんと体で払って貰う』
木こり『えっ……///// それってもしかして/////////』
王様『いやいや違うから!?!? ってズボンを下ろすな! 何で結構乗り気なんだよ!?!? 俺が言ってるのは、俺の側近として城で働けということだ!!!』
木こり『そ、側近?』
王様『そうだ。今の側近の奴らって厳しいんだよなぁ……だからそいつらを左遷してお前を側近に迎え入れる。そしておやつを三時以外にも食べられて、夜十時以降も夜更かし出来る生活を手に入れるのだ!』
木こり『今の時代、子供でもそんなルール守りませんけどね……というかそんなに簡単に側近変えちゃっていいんですか?』
王様『え? ああ。まあ、俺はいいと思うよ!』
木こり『僕、こんな王様の国に住んでたのかぁ……』
男「こうして、木こりは王様の側近になるのでした」
うん。割とまともに進んでるぜ! この調子だ。
男「その日から王様は木こりに側近に必要な剣術を教え、木こりはどんどんと剣に腕を上げていきました」
男「数年の月日が経つと、木こりはすっかり王を慕う様になり、二人はもう親友と呼べる間柄になっていて、戦場での二人の息のあった連携は敵兵達を震え上がらしました」
男「……しかし……」
なんだろう。
ただの作り話のおとぎ話だ。
なのに。
なのになんで古傷をほじくり返している気分になっているんだろう。
男「しかしある日の事です」
男「とある敵国の兵士群を相手取っていた王様と木こりとその他の兵達」
男「その日の王様の剣捌きはいつものそれよりも一段も二段も落ちる物でした。少し前の戦いで負った傷がまだ治直っていなかったのです」
王様『とうとう追い詰めたぞ! 敵国の王よ!』
敵国の王『追い詰められてなどいないぞ。兵を失えど、私にはこの剣と、消しても消えぬ闘争心が残っている』
木こり『降参する気は無いのですか……王様、どうします?』
王様『無論、お望み通り伝説の剣の錆になってもらうまでだ……!』 シュタッ
ズキッ
王様『クッ……! こんな時にも痛むか! この軟弱な体め……! 木こり! 位置をとれ! いつも通りに片づけるぞ!』
木こり『はいっ!!』
男「二人の連携は……完璧だった」
そうだった。
完璧なはずだった。
王様『とりゃあああ!!!』
敵国の王『くっ!!!! 噂に違わぬ速さだ!!! だがまだかわせる範疇だ!』
シュンッ!
王様『紙一重だな! 敵国の王よ! それではこの一撃は――相棒とのこの一撃は避けきれないだろう!!!!!!!!!!!!』
男「……王様は自分の持てるすべての力を振り絞り……敵国に王へと走り出しました」
暗い。狭い。
そんな場所から嫌な記憶が顔をのぞかせる。
あの日。
あの寒空の下に広がるピッチ。
俺。
そして友。
ゴール前。
全力でディフェンダーを抜きにかかった俺。
もう一人のディフェンダーを背負ってコースを空ける友。
王様『うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!』
ズキッ
あの時、時間は酷くゆっくりと流れた。
王様『くっ!!! これしき――くっ!?!?――』
前の試合で痛めた脚が、まだ痛かった。
でも、無理を押して試合に出たのだ。
スカウトが来る。そう聞いていたから。
日本のリーグの中では一、二を争う大きなクラブ。
そこのスカウトに俺の技術、センス、そして試合を俺のものにするゴールを見せつけて、俺の実力を知らしめてやろう。
なんて事を考えていた。
馬鹿だった。
自分のことしか、考えていなかった。
後半45分。
ロスタイム一分。
スコアラインは0-0。
ゴール前。
全力で走る俺――
目の前の友。
敵国の王『わ、解った!!! 私がわるかったよ! 降参する! ほらっ!!!』
世界は音を失って。
王様はもう止まれずに。
バランスを崩したまま愚かしく、滑稽に進んでいく。
王様『――木こり!! 避けてくれっ!!!!!』
木こり『え――』
あの時のあいつ――友の顔はしわ一つとして忘れることが出来ない。
まさかこんな簡単に。
まさかこんないきなり。
まさか自分の大好きな物を奪われるなんて。
そんな事が起こるなんて思ってもいないような。
男「――王様は止まりきれず、木こりは避けきれず」
男「伝説の剣は木こりの脚を突き抜けた」
ゴールポストと俺の体に挟まれた友の右足。
悲鳴。
担架。
あざ笑うかのように、俺の愚かさを晒すように。スコアボードに点灯する皮肉な『1』
男「……こうして、木こりは戦場を去ることになり、二度と戻りませんでした」
続かない物語。
もう、あいつの中で終わってしまって……紡げない物語。
男「……めでたし、めでたし……ははっ」
娘は今どんな顔をしているんだろう。
こんな救いも落ちもない話を聞かされてしまって。いったいどんな顔をしているのだろうか。
見たくない。
男「ははっ……! これはまだお前には難しい話だったかな?
これはいわゆるイングランド産の民族伝承系のお話で、エンディングには色々な説があるんだぜ?
あと、王様の側近が木こりじゃなくて奴隷商人であったりするエディションもあってだな、
娘「なぜ泣いているんだ?」
男「えっ?」
娘「さっきから、なぜ泣いているんだ?」
思わず娘の方に首を回してしまう。二つの大きな瞳が俺を真っ直ぐ見据える。
男「ははっ……えーと……これはあれだよ! ナイアガラの滝だぜ!? 知ってたか? 実はナイアガラの滝は俺の顔面上にあったのだ!」
娘「……」
くだらない冗談。いつも通りの逃げ。
止まらぬ涙は、まさにナイアガラの滝のそれだったが。
娘「……その後、王様はどうしたのだ」
親友を、かけがえのない相棒を傷つけた王様は。
男「……罪悪感から逃げるように走り続けた王様の剣は……いつか折れてしまい、王様も――」
男「――二度と戦場には戻らなかった」
それで本当にこのお話は終わる。
娘「……何がいけなかったのだろうな」
娘「自分の傷をおしても戦を続ける王を誰が責められよう? それが王の責務であり、やはり正しいことに思える。持つべき者は、それを半端にしてはいけない、そんな風に思う」
娘「そして」
娘「木こりは……王の親友は彼を恨んだのだろうか? 慕っていた友を、勇敢な王を、果たして恨んだのだろうか」
そんなの決まってる。
こんなのは俺が一番しっていなきゃいけないはずだ。
男「もちろん」
そうだ。
そうなのだ。
男「もちろん……恨むわけが無かったよ。木こりは……親友はそういう奴だった……」
娘「そうだろうな。そんな気がする。だとすると、王の親友はさぞ心を痛めたのだろうなぁ……」
男「……」
娘「自分の所為で、王を追い詰めて、最後には王の剣を折るという結末を迎えてしまう。それはきっと酷く痛かったのだろうなぁ……それこそ、自分が失ったものに対する痛みよりも、もっともっと痛かったのかもしれない」
男「……ああ……きっとそうだった……」
……きっとそうなのだ。
愚かな裸の王様の親友は。
どうしようもなく優しいのだ。
見てるこっちが痛いほどに。
奪ったこっちが失ってしまうほどに。
娘「だったら」
娘の小さくて白い手が、俺の頬に触れ、涙をぬぐう。
娘「二人の友情はそのままなのだろう? だったらそれはハッピーエンドだな」
だから。
娘「そんなに泣かなくてもいいのではないか? 涙とは……きっと、もっとどうしようもないときに流すものだろう?」
娘の手が俺の頭を優しくなでる。
誰かにこんなに真っ直ぐ優しくされたのはいつぐらいだろう。思い出せない。
娘の言葉が胸に響く。
涙が溢れる。
男「あははっ……っく……じゅ、じゅっしゃ……10才のっ……がっ、ガキにぃ…なぐっ、なっ…慰められるようなぁ……や、くっ、ふうっ…! 奴はぁなぁ……! も……もうっ……とっ…とっくに……」
男「とっくにどうしようもねぇんだよおおおおおおお! うわあああああああん!!!!!!!」
娘「お、おいおい……そこまで泣く話だったか? いや、感情移入の仕方は人それぞれだと思っているが……」
まあ、と娘は呆れたように。
諦めたように。
とても優しく言う。
娘「生きてれば、泣くことも必要だろう」
そういってより強く俺を抱きしめる。
その安らぎに俺は身を任せて、気が付いたら目を閉じていて。
まるで小さな天使に縋るようにして眠りに落ちた。
そしてまた男の過去編が続きます。
なんかゴメン。
古い記憶。
いや、そこまで古いわけじゃないがどこか輪郭がハッキリしない、今の俺とは関係ないようにも思える記憶。
友から全てを奪ってしまったあの日。
年が明けて数日。高校サッカー選手権の第二戦終了後。
チームメイトや監督が宿泊所に戻るバスに荷物を詰め込んでいる間、俺はこっそりとそこから抜け出す。
誰にも話かけられたくない。誰も見たくない。
何も考えられなかった。
競技場から少し離れた公園。
寂れたベンチに腰を下ろしうな垂れる。目立つからせめてユニフォームからジャージに着替えておいた方がよかったかもしれない。寒いし。なんて考えるでもなく感じていた。
それにしても。
男「俺は取り返しのつかないことをした」
声に出すと、それは一気に現実味を増長させる。
俺が奪った。その事実を。
男「つまらない事を気にして、無理に試合に出て……結局はこのザマか」
くだらない。
くだらない…。
くだらない……。
男「友は……多分ただじゃ済まないだろうな……」
ぶつかった体が、友の足を通してポストの感触を伝えてくる程だった。
おかしな方向に曲がったあいつの膝がフラッシュバックする。
男「うっ……くっ……! おえっ……!」
我慢する気にもなれずにうな垂れたまま地面に吐き散らす。
心に詰まったものまでは、当然吐き出せない。
男「もう、あいつに見せる顔がないなぁ……」
初めてあんなにわかり合える友達が出来たのに。
こう言う結末を迎えてしまうのか。
あいつは、俺になんて二度と会いたくないと思っているんだろうか。
そう思われてたって、文句の言葉は一つもない。
文句を言われないと、殴って貰わないと、誰よりも嫌悪してもらわないと――
俺はもう死んでいく。
そんな感じがする。
ゆっくり折れる。
ゆっくり沈んでいく。
?「試合、みせてもらったよ」
声。
うな垂れていた上体をゆっくり、死体を引っ張り起こすみたいにして持ち上げる。
見知らぬ初老がそこにいた。
?「まあ、90分間の内、五分は楽しませて貰ったよ。そこは素直に評価しよう」
?「残りの85分は、息をするのですら一級品の娯楽であるかの様に思わせる退屈ぶりだったがね」
無表情というか仏頂面というか。
声の抑揚も表情の変化も読み取りにくい。
男「……誰だ?」
監督「スカウト、と名乗るのは気が乗らないのだがね。なにせ薄給の上に長くて骨が折れる割に合わない仕事ばかりやらされるのだから。
まあ、クラブへの感謝の気持ちを込めたボランティア活動のつもりでやらせて貰っているだけなのだけれども。
まあ……だから、今は監督としての私を名乗らせて貰おう。○○大学で指揮をとらせてもらっている監督という者だ」
監督「今日は君を観に来ていた」
俺を指さしながら抑揚の無い声で言う。
監督「さて、今日の君の総評を聞きたいか? 普段はこんなサービスは絶対にしないのだが、今日は特別に教えてやろうと思っているんだ」
いきなり現れて何を言うかと思えば。
男「……有り難いお話ですが結構です。もう帰るんで」
そういって立ち上がり、歩き出す。
たとえクラブのスカウトだろうと。ついさっきまで絶対に評価を得て俺の実力を知らしめてやると思っていた相手だったといっても。
今となってはもう意味がない。
どの言葉も耳障りだった。
監督「おや。君はそんなに謙虚な人物だったのか」
監督「あんなプレーをしてまで一点もぎ取った選手だとは、到底思えないな。いや、これだからサッカーは面白い」
男「……何が言いたいんだ?」
監督「そう苛立つな。そこに車を止めてある」
公園の敷地外を指さす監督と名乗る男。
堅苦しい表情だが、その雰囲気は飄々としたものを漂わせ、つかみ所がない。
監督「少し話をしよう」
監督「少し話をしよう」
監督と名乗る男は神経質そうにあごを撫でる仕草をして、言葉を加える。
監督「いや、君のために話をして上げたい、だろうか」
どっちにしろそんなの聞く気分じゃない。
歩みを早める。
監督「そして、君を助けてあげられるかもしれないよ」
背中を向けた向こう側。そんな言葉。
いつもなら信じないだろうに。
だけど、弱った心はその藁よりも信用ならない言葉に縋る。
見透かしたような事を言う見知らぬ男に、ひょっとしたらこのやり場のない物をどうにかしてもらえるかもしれない。なんて叶わぬ愚かな希望を抱いてしまう。
~車内~
黒皮シートの車に乗るなんて久しぶりの経験だった。
高級どころのドイツ車の静かなエンジンが作る独特の静寂に、すこし緊張して体が硬くなる。
遠征先であるここでの地理カンはゼロに等しい。さっきから何処に向かっているのか、目的地なんてあるのか、全く解らない。
監督「とにかく脚が速い選手だと聞いていたよ」
車に乗ってから続いていた約五分の沈黙。監督がそれをなんのためらいもなく、流れるような品のある低声で破る。これがベストタイミングである、と計算していたみたいな、何処か得体の知れぬ余裕を感じさせた。
監督「そこにズームアップして編集されたビデオも幾つかみせられた」
監督「確かに速い選手だと思った」
赤信号の交差点。ブレーキが生む緩やかなGが胸を押す。
監督「でも、それだけだと思ったね。それ以外は何も持っていない平凡な選手だと、正直思っていた」
青信号になり、また車が進み出す。監督は俺の反応なんて待ちもしないで話を続ける。
監督「そういう前振りがあったからだろうか。今日は、久しぶりに、少し心が動いたよ」
抑揚の無い声で監督が言った。
監督「君、いつから中盤の高い位置でプレーしているんだ? いいや、答えなくてもいいよ。多分ずっとそうしてきたんだろう」
監督「これは君の過失じゃないだろう。正しく、君を見誤っていた、君の周りにいたコーチや監督の所為だろう」
何を言いたいのかさっぱり伝わってこない。話までつかみ所のない人だ。
監督「今日の君が一番輝いていたのはどういう所だろう?」
俺が回答するのを待つような空白。だけど俺は窓の外を流れる景色を眺めながら口を閉ざす。
監督「ふん……なら私が答えよう」
監督「君が低い位置でボールを奪ったり受けたりした時から始まる攻撃だよ」
監督の声は心なしか高揚しているようだった。
正直、息を呑んだよ。そう監督がつぶやく様に言う。
監督「一番遠い位置にいる選手の動きを予測出来る理解力と視野の広さ。細かいパスの流れから、一気に大波をたてるように蹴り込むサイドチェンジ。そしてそれを可能にする積極性と技術」
監督「味方の選手、相手の選手を高いレベルで把握し、ベストな判断を下せる冷静さ」
監督「ピッチを俯瞰出来る選手と言うのは、観ている者ですら驚く『道』を探し出す事が出来る。君もそういうものを持っている。そう感じたよ」
監督「チームを押し上げ、ゴールが生まれるまでのシナリオをその場で創り上げる創造性。それが君の武器だよ。誰でも持てるものじゃないんだ、これは」
監督が運転席から振り返り、俺の目を数秒睨むように見据える。
監督「君も、君の周りの人間も、その他人よりも速く動く両脚を伝家の宝刀の様に扱ってきたかも知れない」
監督「だけどね」
監督「それは只の脇差しだ」
監督「だからそれに頼りすぎたらいけない。確かに脚を武器に戦うサッカーに置いて、俊足であることは有利に違いない」
監督「だが、君という人間が戦う人生という時間を考えた時、それに頼り続けるというのは酷く危うい生き方だと思うのだ」
眺めるビルも少なくなっていく。
監督の声を聞きながら、俺は逃げ出したい心を抑えるように胸を押さえる。
一体、何を言いたいのだ。この初老は。
監督「そういうものは、案外簡単に奪われてしまうものだから」
その言葉に胸が刺されたように痛んだ。
より強く押さえる。
痛みは止まらず、鼓動が暴れ馬みたいに跳ね回る。
監督「無くしてしまったら、二度と戻らない事がほとんど。それが現実だよ」
監督「だから。だからこそ、君は自分と言う人間が持つ武器に気が付くべきだと思うのだ」
監督「速いことは強さではないよ。強さとは、もっと誰にも見えぬ高い所にある。君がいくら地ベタを速く這い回ろうと手には入らない」
監督「だから、君はもっと全てを広くとらえるべきだと思うのだ。君は、君という人間は」
君にとって、サッカーが最も美しく見える場所を探さなくちゃならない。
いつまでも覚えているその言葉。
今までの自分が酷く薄っぺらく思えたその瞬間。
監督「ピッチの上でも、心の中でも。それを見つけなきゃならない。そうしなければ君はいつか止まってしまうよ。つまらぬ挫折に脚を持って行かれ、立ち止まる事も出来ずに土の味を噛みしめる事になるかもしれない」
監督「……久々に説教くさい事を言ってしまったな。年のせいか。これでも若い頃は結構な爽やかキャラだったんだがな」
冗談ともつかない事をいい、車を止める監督。どれぐらい走ったのだろうか。もう何処なのか見当もつかなかった。
監督「さあ、着いたよ。君の所の監督には既に『話がある』と伝えてあるから、面倒な事にはならないと思う」
男「……どこ……ですか」
監督「君が泊まってるホテルだろう」
言われて気が付く。そういえばこんなフロントだったっけ。
監督「ドアを開けてあげよう」
エンジンを切り、車を出る監督。
俺が座っている席の方に回り込み、ドアを開ける。
監督「忘れ物はないかな。これは借り物だから、もしもの場合取り戻すのに手間がかかる」
男「大丈夫です。何も持ってきてないので」
そういえば手ぶらだった。曲がりなりにもこうして送って貰ったのは幸いだったかもしれない。さすがにユニフォームのパンツには電車に乗る小銭なんて入ってない。というかポケットがない。
車を降りる。
すまん。
筋トレの時間になってしまった。
メニュー終わって、ホットケーキ作り終えたら再開する。
筋トレ早めに切り上げた。
ホットケーキを焼きながら再開する。
長いけどよろしこ。
男「わざわざ送ってくれてありがとうございました」
監督「いや、これは私の頼み事だったからね。気にしなくていい」
男「じゃあ、さよなら」
短く告げて、ホテルの正面玄関のドアへと歩みを進める。
監督「最後に。今日のことはよく考えてみてくれ。そして――」
後ろは振り返らない。
聞こえないふりをする。
監督「――被害者面は止めた方がいい。失ったのは彼で、奪ったのは君だ。そしてこれは、ただそれだけの事。君が逃げ出す理由にはならないよ。それを理解して、納得しろ」
後のことは良く思い出せない。
泣いたのかも知れないし。
いらだちに任せて叫んだのかもしれないし。
何もせずに何処かに籠もっていたのかも知れない。
いずれにせよ変わらない。
それが俺が友から大切な物を奪った日の話。
~朝。男の部屋。ベッドの中~
男「……」
最悪な目覚めだ。
久しぶりに嫌な夢を見てしまった。
男「寝る前に変な話するんじゃなかった……」
娘にせがまれて適当に話しを作ってみたけど、最後の方は色々ごっちゃになって大号泣していた気がする……。大人としてどうだったんだろう、それって。
男「そういえば娘が居ない」
空っぽの右腕。
もう起きているんだろうか。
手探りで目覚まし時計を探し当て、目の前にもってくる。
男「もう十時かー……つーかもう大学に行かないのが普通になってるなー……」
それに伴う罪悪感も感じなく無くなってきていた。
それって色々まずいよなー……。
男「まあ、やる気は出ない訳だけども……」
やっぱり、母さんと親父には申し訳ない気持ちになる。だからと言って何か行動に出られる訳じゃないけれど。
なんとなくやる気が無くなって、大学をサボるようになってもうすぐ二ヶ月になろうとしている。
将来への不安は、曖昧な輪郭から実体的な像へと変わりかけていた。
出来る事もやりたい事もわからない今の俺。
一体、一年や二年たった頃にどうなっているのやら。想像もしたくない。
男「朝からテンションがガタ落ちる……」
ガチャ
娘「男。朝だぞ」
朝というには微妙な時間だが。
男「おう、今起きた。飯作るからちょっと待っててくれ」
寝癖頭を手串で押さえつけながらベッドから這い出る。
娘「朝食なら私と友が作ったぞ」
男「え? マジで? お前料理とか出来るの?」
娘「多少の心得はあるぞ。だが、実戦経験が少ないゆえ、今回は友の手伝いをしただけだ」
男「あいつまだ居たのか……まあ元彼女から鞄の取り戻すなんてハードな任務を前にしたら、ルンルンと朝から出掛ける気分にはならないか」
娘「まあとにかく、朝食が出来たから早くきてくれ」
男「はいよ」
部屋を出て食卓へ。
食卓にはいつもよりも多い食器達が並ぶ。
友「遅いよ男。朝には強い方じゃないか」
先に席に着いていた友がそんなことを言う。
男「昔の話だろそんなの。今はめっきり早起きなんてしなくなったよ。それのおかげで10時には眠ってしまう体質が改善されたぜ」
友「確かに、最近まで10時以降に男を見かけたこと無かったかも……」
どうでもいいところで大人になっていた俺だった。
男「それにしても、焼き魚なんて久しぶりに食べるなぁ。魚、買ってきたのか?」
友「朝早くからやってるスーパーがあるからね。そこで」
わざわざご苦労な事だ。
娘「よし、これで準備が整った」
サラダの入ったボウルと取り分け用の皿をテーブルに置く娘。本日のメニューは焼き魚と卵焼きと味噌汁と白米。そして今持ってきたゴマドレッシングサラダと言う事らしかった。
男「朝から二品目以上食べるのは幾らぶりだろ……」
一人暮らしとなると朝は抜かす事だって多くなりがちだったからな。
作るのめんどくさいし、腹減ったら出掛けるついでに外で買っちゃうし。
毎日朝食を作っていた母さんの偉大さを思い知った。
あ、参考に聞きたいんだけど、SSってやっぱり台詞のみで書いた方が良い?
今投下してるのは地の文大杉な気がする。
次回何か書こう思いついた時はどうするべきか……。
娘「さあ、食べる前にはいただきます、だぞ男」
男「そういういえばこの国にはそんな文化があったなぁ。一人暮らしの所為で忘れてた」
友「僕は一人でも言うかなー。この前までは彼女と一緒に食べる事が殆どだったから一緒にいってたね。今日からまた一人なのかー」
男「目から何か出てるぞ……」
友「ははっ……これは今朝の汁物だよ」
遠慮したい。というか味噌汁が既にあるから。
娘「ほら、早く手を合わせるんだ二人とも」
行儀の悪い大人二匹をたしなめる娘。
なんだか朝から情けない。
でも。
でもなんだか悪くもない。
なんだか悪くない日になりそうだった。
一同『いただきます!』
そんな感じで一日が始まる。
娘「なんだって?」
友が戦場(元彼女宅)へ赴くため家を去ってから数十分。
男「だから。俺がお前のリストの完遂に一肌脱ごうって事だよ」
娘「願ってもない話だが……男も忙しいのでは無いか?」
男「うーん……」
多分、忙しくあるべきなのかなー。
でも大学行く気にもなれないし……。
今更行ったところで、もうテストとかサボっちゃってるわけだし……。
男「えーと……知ってたか? 出来る男は大学に行かなくてもいいんだ」
娘「な、なんだって-!?!?」
期待してた以上のリアクションだった。
男「まあ、驚くのも無理はないな。あまり知られていない事だから」
娘「なんで出来る男だと大学に行かなくていいんだ!?」
男「出木杉君から成績の良さ、人望の厚さ、誠実さを引いた男、と呼ばれる俺みたいな奴は大学で『BOCCHI』と呼ばれ、周りから一目引かれる存在なのさ」
娘「おお! なんかすごそうだ! そんなにすごい奴だったのか男!」
男「HAHA. 別に大した事じゃないぜ? 食事は大衆用の汚い食堂ではなくとある個室で。
講義中は俺の近く二メートルの場所に座ってはいけないというルールがあり、
たまにある『じゃあ、近くの人とこれについて話し合ってみてください』は免除される等々……
その他思い出してみればまだまだいろんな特別待遇があったなぁ……」
アレ……? 目から朝の味噌汁が。
娘「おお! すごい待遇だな! まるで貴族だなっ!」
そこまで読みにくい訳で無いのならこんな感じで書いてみるよ。
どうも。
男「まあそんな感じで、大学の心配はしなくていいぞ」
娘「そうか! それは私にとってもうれしい事だな!」
娘の無邪気な笑顔が痛かった……。
情けないなあ俺!!!!
男「……で、早速今日からリストに書かれてるものを消費していこうと思う」
娘「今日からか! さすがだ! 出来る男は違う!」
テンション高いなー……。俺が上げたんだと思うけど……。
男「えーと……じゃあ、早速リストを持ってきてくれたまえ」
娘「わかったぞ!」
鞄をがさごそして例の大きめの手帳を持ってくる。
男「うんじゃ、ざっと目を通すとするか」
娘から手帳を受け取り、一ページ目を開く。
男「うわ……この前も思ったけどかなりびっしり書き込まれてるのな……」
紀元前の遺跡から発掘された解読不能の書物みたいな感じだ。書かれている文字自体はキレイなもんだけど。
娘「いやー、書き出すとお願い事とは尽きないのでな」
男「いやまあ確かにそうだろうけど……まあいいや、とりあえずこれを全部読むわけにはいかないから目に留まった奴を適当に候補に挙げていくぞ」
娘「わかった。それでいいぞ」
男「よし、そんじゃ適当に……」
ページを飛ばし飛ばしめくっていく。
男「えーと……ショートケーキの生クリームだけ食べたい、テリヤキバーガーにマヨネーズを追加したい、バブを一箱一気に使ってみたい、野菜炒めの肉だけ食べたい、吉野家ので並と牛皿を注文したい、吉野家のゴボウサラダが復活しますように、吉野家で働きたい」
いや。
願い事は人それぞれだけどさぁ。
男「もうちょいマシな願い事無いわけ?」
吉野家へ情熱は一丁前だな。行ったこともない癖に。
娘「む」
娘「それらの何処に不足があるんだ。どれも叶えたら幸せになる事間違いなしの願い事達ではないか」
男「いやさぁ……そりゃまあちょっと幸せになるだろうけど、こう言うのってもっとスケールでかい方がいいじゃん?」
娘「むー……そう言われてもな。何がスケールのでかい願い事なのか検討がつかないぞ」
男「そうか? 俺がお前ぐらいの時なんて、平気で『将来はアメリカ人になる』とか言ってたけどなー。アメリカンドリームだよ、アメリカンドリーム」
娘「いや、それはアメリカンドリームが本来意味する物では無いと思うのだが……とにかく、私はよくわからないから男が選んでくれ」
男「う……そう言われるとやっぱりチョイスが難しいな……」
ページをぺらぺらとめくる。
それにしてもあんまりデカイ事を書かないな、こいつ。
学校に行って無くても年齢的には小学生なんだからもっと大胆な願いを書きまくればいいものを。
男「ん、これは比較的まとも……なのだろうか」
『水族館でイルカをみる』
小さな願い事には違いないけど、他の鰻重のウナギだけ食べたい等々と比べてみれば立派な方だ。
男「これはどうだ?」
娘「おお、さすが男だ。それは特Aクラスの願い事だ」
男「これで特Aなのか……それはいいんだが、まあこれ位なら簡単に叶えてやれるぞ。電車で一時間と少し行けばイルカショーやらなんやらをやってる水族館があるはずだ」
娘「本当か!? イルカはいるか!?!?」
男「いや、そういう寒いこという奴連れて行かないけどな……」
そんな感じで。
俺たちは水族館に向かう。
これ前もみた気がする
>>251
前も投稿を試みたがことごとく連投規制くらった。
しびれを切らして●ってリベンジ←今ココ
水族館。
俺自身も十年ぶりぐらいだ。
彼女なんて作らなかった(作れなかったわけでは無い!)から家族と行った以来。
娘「おい男! あそこに人が居るぞ!」
男「あー、あれだよ。水槽の掃除してる人だよ」
娘「なんでレモンガスボンベを背負っているんだ?」
男「いや、レモンガスボンベだったらすぐ死ぬだろうが。酸素ボンベだよあれは。あれで息継ぎとかしなくてよくなるんだよ」
娘「ああ、あれか。テレビで観たことがあるなー、すごいなー」
いちいちウキウキとしている娘だった。
チケットを買い、入り口を潜ってすぐそこ。
曲線的に反り出た水槽。
雑多な種類の魚たちが銀色の鱗を煌めかせながら通り過ぎていく。
男「へぇ~さすが東京だな。地元の比べると立派なもんだ」
娘「おい! あそこ水槽に人とサメが! 人の後ろ割と大きいサメがいるぞ!!」
男「ああーあれは結構でかいなー。何々、ああ、ジンベエザメかー。確かに斑点柄が甚平っぽいかな」
でもサメと言うよりも鯨っぽい印象だ。
娘「な、何を暢気な事を言っているんだ! 危ないっ! やられるぞ!」
そう言って娘はジンベエザメの水槽へ向かう。
娘「おい! 後ろ! 後ろだぁぁあ!!」ゴンゴンゴンゴンゴンっ!!!!
男「ってコラっ!! なにやってんだよ!?!? 他のお客さんめっちゃみてるだろうが!!!!」
娘「人が、人が死んでるんだぞっ!?!?」
男「まだ死んでねーよ! というか死なねーよ! 水族館に居るサメは餌をいっぱい貰っていて人とか他の魚おそわない様になってるの!!!」
奴らは満腹だと狩りをしない省エネ族なのだ。
娘「そ、そうなのか? それは良かった……」
安堵に胸をなで下ろす娘。大げさだ。
男「はぁ……水槽の掃除のたびに死人が出てたら水族館の人材不足がとんでも無いことになるっての」
しかし、周りの人にクスクス笑われてるのが気になるなぁ……。
そういえば、俺達は親子だとでも思われているのだろうか? いや、それは見た目の年齢的にちょっと無理があるか。それと同じ理屈でカップルも。
係員「あはは、可愛い妹さんですね」
近くにいた若い係員の女性にそんな事を言われた。
男「あ、え?」
娘「おお! イルカの帽子をかぶっているな!」
係員「ああこれ? うん、ここで働いてる人は海の生き物の帽子をかぶるんだよ~。イルカ好き?」
娘「大好きだ! 今日はイルカに会いに来た」
係員「へぇ~。今日はお兄ちゃんに連れてきて貰ったんだ?」
娘「? 男はお兄ちゃんでは無いぞ。大学に行かない『BOCCHI』だ」
係員「へ、へぇ~……そうだったんだぁ~……」
すげー怪しい物とか哀れな物を見る目で見られてる……。いや、あんな紹介をされれば当たり前か……。
男「あはは……今のはたちの悪い冗談ですよ。ちょっと訳があって叔母さんの子供を預かってるんですよ。普段は普通に楽しく大学生活してますよ僕」
平日に堂々と水族館に居るのにこんな事言っても無駄かもしれないが。
係員「そ、そうだったんですか~。若いのに偉いですねぇ~、子供の面倒みてあげるなんて~」
棒読みで褒められた。
そして係員さんはすっと逃げるように俺から娘へと目を移す。
係員「えーと、イルカ好きなんだよね? それじゃあ、あと十五分ぐらいでイルカショーが始まるよ? 観に行きたい?」
娘「行く!」
一つ返事だった。
~イルカショー。プール前~
イルカショー。
恥ずかしながら人生初体験だった。
娘「なんでイルカショーなのにアシカが一番手なんだ?」
男「うーん……これは一番手というよりも前座な感じが否めないな……」
輪っかを器用に受け取るアシカのトリオ。実に年季が入った無駄のない所作だった。
しかし息荒くひげを揺らす姿が何処となくオッサンを彷彿とされる。残念ながらイルカほどのスター性は感じられない。
なんか現代社会の序列をそこに観た気がした。
男「どれだけ頑張っても、所詮はイルカ達の前座なのさ……」
娘「そうなのか……確かにイルカほどの華々しさは無いからな……」
そんなこんなで前座が終わる。
前座が終わればいよいよショー本番。
ピョーン!
吊されていた輪を三匹のイルカが連続でくぐり抜ける。大ジャンプだった。
娘「うおおおお!!! 飛んだぞ! 羽ないのに!」
娘は大興奮。飛び散る水しぶきにキャッキャしている。
男「すげーもんだな。俺も初めて観たけど」
悪くない。最初はどんなもんかと思っていたが、かなり楽しめるぞ!
娘「すごいなー。おお、今度は尾ひれで水面に立つ様にして泳いでいる!」
男「すげー!! エビフライみてぇだ!!!」
娘「今度はボールをバスケットのゴールにシュートだ!」
男「すげー!! 俺だったら外してたぜ!!!」
どっちが子供かわからない。
というかどっちも子供だった。
イルカショーの人『はーい!! じゃあ、イルカに触りたい人手をあげてー!!!』
娘&男『はああああああああああああああああああいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!!!!』
イルカショーの人『!?!? あ、あー……じゃあええと、そこのご兄妹のお客さん。下りてきてくださーい……』
俺たちの鬼気迫る大絶叫に営業スマイルが引いていた。
いや、だって触りたいじゃん? イルカ。
そしてイルカたちが待機するプール際へ。
娘「Oh////// すごいな……なんかヌメッとしてるけどあったかいぜ……本当にほ乳類なんだな……」
男「なんかお前キャラが崩壊してるよ……でもこいつは……ゴクリ……!?!?!?」
すげー。
ヌメッとしててあったけー。
でも灰色の肌は結構傷みたいなのがあって痛そうだ。
イルカ『……』
……。
男「イルカなのにマグロなんだな……」
そんな感じで。
俺たちはイルカと触れ合った。
その後。
ウニを触るコーナーでウニタワーを作って怒られたり(ヒトデが居たのでそれを一番上にのせてみた)、サメの水槽に餌の小魚を入れる体験をさせて貰ったり、おみやげ屋さんでイルカの帽子を買ったり。
そんなこんなですっかり夕方になっていた。
娘「マンボーが思った以上に大きかったな。そして、もっと愛嬌がある物かと思っていたのだが現物観て少し考えを改めてしまったよ」
男「あー、なんか目が怖いよなあいつら。寄生虫とかもヤバイらしいし」
娘「そうなのか……サン○オがアレンジしたマンボーはあんなに愛らしいのに……」
そんなくだらない話をしながら歩く帰り道。
娘は早速イルカの帽子を被っている。
後ろで二つに結っている髪がプラプラ揺れているのと合わさってなんだか宇宙人みたいだ。
娘「しかし、今日は楽しかったなー。たぶん、人生で一番楽しかった!」
そんな事を、本当に屈託のない笑顔で言う。
夕日のオレンジに照らされるそれがとてもまぶしい。
そしてちょっとストレート過ぎて照れる。
男「はん、この程度で楽しいなんて言ってたらこの先ぶっ飛び過ぎてマジバイヤーだぜ姉さん? こっからマジでギンギマリだぜ? ah hun?」
娘「本当か!?」
イルカの宇宙人が俺に抱きつく。
男「当たり前だっつーの。まあ、色々終わるのに時間かかりそうだし、その間に俺がお前のリストをコンプリートしちゃうって寸法だぜ!」
こいつの事情がどうなるのか。まだ全然不透明。
でもなんだろう。
まだ出会って数日なのに。
こいつのこの笑顔を見ていると嬉しくなるのだ。もっと見ていたくなるのだ。
娘「あははっ! 大好きだぞっ! 男!!」
小さい宇宙人の頭を撫でてやり、手をつなぐ。
駄目人類とイルカの宇宙人は仲良くオレンジ色に染まっていた。
~深夜、男のマンションの玄関~
家に帰ってきて飯を食って数時間後。テレビを見終わった娘を俺の部屋に連れて行った。
そろそろ娘は寝ただろうか。
男「じゃあ……今日もジメジメ未練たらっしく言ってみるか-!」
無意味に明るく言ってみた。
余計惨めな気分になるだけだった。
男「……まあ、特に目標があるわけじゃないんだけどな」
ランニング。軽い走り込み。そして基本的な筋トレ。
それらは膝を壊した後も、結局観るだけだった大学サッカー部の幽霊部員になった後も止めずに続けていた。
惨めにダラダラジメジメと。目的なんて無い癖に。
ただ、止めたら自分が消えてしまいそうだから。
今までの自分が無かった事になりそうだから。
そんなくだらない理由で続けていた。
男「今日は少しペース早めでいっときますかー」
最近買い換えたランニングシューズに手をかける。
男「……? なんだこれ?」
ランニングシューズの片方に、一枚の紙が入っていた。
取り出してみる。
男「……友の奴……またこう言う余計な事を……」
あーあ。
何が『男改造計画その一 ~世界一のサッカー選手への道~』 だよ。小学生でも考えないっての。
ざっと目を通すと、筋トレのメニューや、走り込みをする際に意識する点、その他には友が独自に考えた『俺の現在の体のパフォーマンスの限界』を引き出すカギなど、いろんな項目に別れてびっしりと書き込まれている。
見た感じの印象だと、高校の時にやっていたメニューと同等、またはそれ以上にハードなものかもしれなかった。
男「本当に余計なお世話だよな~……」
そしてたちが悪い。
男「お前にここまでして貰ったらさー」
簡単に無碍にできないよなー。と。
俺がそう思うことをあいつは解ってやってる。
男「世界一のサッカー選手なんてお笑いだけどさ」
ふっと、なんだか懐かしい様な気持ちが溢れる。
友の膝を壊したのは分かるんだが何故こいつの膝が壊れてるんだ?
「次の試合に出るぐらいなら考えてもいいかもしれないな……」
言って、自分で驚いた。
試合に出てもいいかもしれないなんて。
もう一度やってみようなんて。
そんな事思った自分に酷く驚く。
男「あーあ。やっぱりまだ未練たらたらなのかねー」
彼女なんて出来たこと無いけど。
人を好きになった事なんて数える程だけど。
それでもこれは。この気持ちは否定できやしない。
やっぱり俺は、惨めなまでにサッカーに一途なのだ。
>>273
軽く触れておいて、後で過去の話書こうと思ってた。
分かりづらくてごめんな。
~時間は流れていく~
次の日も。
その次の日も。
そのまた次の日も。
多分一週間と少し。
俺たちはリストに従っていろんな事をした。
男「いやー、吉野家で紅ショウガの使いすぎで注意される奴を見ることになるとは思わなかった」
娘「いや、デ○ズニーランドでミ○キーに「あの、あんまり触らないでください」と普通のトーンで注意される人の方が珍しいのではないか」
まあ、本当に色々なところに行って色々な事をした。
ゲーセン、カラオケ、ボーリング、動物園、スクランブル交差点、高級店をウィンドーショッピン、東京タワー、
夜景、プール、ピンポンダッシュ、二人だけの鬼ごっこやかくれんぼ、ザリガニ釣り、野球観戦……。
言い出したら切りがない。よくもまあ一週間と数日でここまでやったもんだ。
俺にしては珍しく、ちょっと飛ばし過ぎた感がある。
娘も疲れた様子で歩いていた事が多かった気がするし。
男「これだけ遊んだのはいつぶりだろうか……というかこんなに遊んだ事ねーよ」
金が水のようにするする何処かに行ってしまうなんて初めての体験だよ。
俺が知らないだけで、世の中にはこんなにも多くの娯楽があったのか。
娘「ああ、私も生まれて初めてだよ。多分、一生分遊んだぞ」
まあ一生分は言い過ぎでも。
男「ああ、なんか遊ぶのも結構な体力がいるもんだな」
娘「確かにな。こんなに楽しくて疲れたのは初めてだ」
楽しんでくれたならよしてするか。
いや。
それだけでいいんだろうか。
やっぱり色々引っかかる。
男「……あのさ」
娘「? どうした」
男「楽しかったあとにこう言う話するのもアレだけど……お前のお母さん。お前を俺に預けたっきりなんの連絡もない。お前もお前で自分の家いわねーし」
しかも家の母親まで黙りときた。
男「俺はさー。こう言う『解らない』だとか『知らされない』だとかが嫌いだ」
男「でもさ。お前に理由があったり、叔母さんに理由があったりするのは……今では冷静に見る事が出来る。良しとするほど俺は出来た人間じゃないけど、少しの間看過するぐらいは出来るつもりだ」
でもだ。
何か根本的におかしいとは思わないか?
つまり。
預けるだけなら俺の実家でいいわけだし。
じいさんとばあさんの家もあるわけだ。
そのなかで、なんで一番無責任そうで、一番若い俺が選ばれる?
面倒に思ってるわけでは無く、純粋に。何か引っかかる。
男「お前が何か抱えてる様に思えてならない」
男「だから俺はお前のことが心配だ」
嘘偽りなく言った本心。
男「お前のことを助けたいとも思ってる。短い間しかまだ付き合いが無いけど――」
いざ言おうと思うと結構緊張する。別に恋人になってくれと告白するわけでもないのに。
男「――お前の事が大事だ。多分友達とか親友とか、もしくはそれ以上に思える」
俺には妹がいるけど。やっぱり妹と比べても同じぐらいに大事だった。
男「だから話してほしい。お前が言いたい事とか、お前が一人じゃ抱えきれず背負いきれない物を」
娘「……」
娘は何処か悲しそうな。何かを諦めた様な目で俺を見る。
娘「……もう少し……約束しよう、もう少ししたら全部話す」
そして、と娘が付け加える。
娘「全部謝る」
男「……わかった。俺もお前を急かしてる訳じゃない。ただお前の力になりたいってだけだ」
娘「……ありがとう」
いつもの張りのある声ではなく、しぼんだ声でそういう。
力になれないのがもどかしい。
こんな小さな女の子の力になってやれない俺が情けなかった。
男「……今日は一緒に寝ようか」
そうやって。
何か変化の予感を残して。その日は終わっていく。
次の日。
俺の通う大学にて。
娘「おい男。何処を見ても若い男女しかいないぞ」
男「……だから来たくなかったんだよ」
文化祭とかいう何処がどう文化的なのか理解に苦しむ大騒ぎ。
その渦中で俺と娘は人いきれにのまれていた。
どこもかしこもチャランポランな男女でごった返すここはまさにアウェイ。娘に『興味深いな。行ってみたい』と言われなければ絶対に来なかった。
娘「しかし、色んな屋台が並んでいるな」
門をくぐってすぐのここは屋台ゾーン。
何か食べ物が焼ける音。氷水がかき混ぜられる音。人を呼び込もうと大声で宣伝して回ってる男女の声。
嫌って程に多様な物がごった返していた。
男「まあ、お祭りと同じ様なものだよ。中では文化系のサークルとかが色々やってるけど」
去年は文化祭にも参加していたのだ。
てきとーなサークルでスポーツ喫茶的なのをやっただけだが。
娘「ほう。さすが学生の最終形態大学生。規模が違うな」
いや、俺が言うのもなんだけど、大学生って最もお遊びが過ぎる部類の学生だと思うぜ。
男「まあ、その通り規模だけなら立派なもんだから暇はしないと思うぜ」
娘「そうか。ならざっと回ってみるか」
男「おうよ」
そんあ感じで。
俺たちは文化祭をぼちぼち楽しむのだった。
二時間後。
娘「何故か知らないが両手がふさがっている」
両手に袋。中には大量のお菓子。
男「お前がそんな魔性の持ち主だとはな……」
何処に行っても。何をしていても。
娘は絶対と言っていい確率で大学生たちを虜にしていた。
『可愛いいいいいいいい!!!!』『ちっちゃああああああああああああああああああい!!!!!!!』『だっこしたああああああああい!!!』『デゥフフッwwwく、黒髪ロリ美少女発見でござるwww神速で撮るべしw撮るべしwww』
などなど。
娘「そういえば、私が女子大学生たちと話している間にカメラを持った男と何処か行っていたな? どうしてたんだ?」
男「ああ、あいつか。あれだよ。友達になったんだよ。メールアドレスと電話番号と本名を聞いて絶対に、顔写真付きで廃棄されるべき汚物、としてネット上に公開しないよ☆っていう堅い誓いを交わしていた」
娘「おお、男にも友達が出来たのか。私もなんだか知らないが沢山アドレス交換したぞ」
娘の携帯のアドレス帳の登録件数が夢の三桁代を叩き出していた。
俺はギリギリ十件なのに……。
男「くっ……! ま、まあさすが子供だな。大人受けが抜群だ」
俺はあんまり受けていた記憶ないけどね……。
男「しかし」
もう殆どの事はやったんじゃないか?
変な自主制作映画をチラ見したり、バンド演奏を観てみたり。屋台で色々買い食いするのはもちろん、文化系のサークルも結構のぞいた。
男「まあ、大学の文化祭なんてのはこんなもんだ」
そろそろ帰るか。
そんな風に思ったとき。
女「あーーーーー!!!!!!!!!」
人がごった返す構内。その喧噪の中に一際うるさく響く声。
思わずその声の主から目をそらし、背を向ける。
やっかいなのに出会ってしまった。
女「男くん!! こんな所でなにやってるの!!!」
女「目をそらさない!!!」
回り込んで、俯いていた俺の顔を無理矢理下からのぞき込むそいつ。
女「チームの練習にも来ない。サークルのミーティングにも来ない。その上授業もめちゃくちゃサボってる!! 今の今まで何処でどんな油をうってたのかなー!?」
大音量に思わず顔を上げ、そのまま仰け反る。うるさすぎるんだよ……。
男「えーと、これはこれは。○○大学サッカー部マネージャー兼なんとかサッカー研究部部長さんじゃないですか……」
女「アジア南米欧州サッカー研究部だよ! 自分の所属サークルぐらい把握しといてよね!? というかもしかして私の名前も忘れてたりしない!?」
男「いやいや、そんな失礼な事は無いって」
……。
男「久しぶりだな、なんとかかんとか!」
女「私の名前は部分的にも覚えてないの!?!?」
いやまあ冗談だけど。
男「いやまあ女……俺にも色々あったんだよ」
長い髪を後ろで一本に纏め、どっかのクラブチームの赤いレプリカユニフォームを纏った長身ですらっとした体型のこの女子。サッカーオタクのハイテンション。
名を女と言う。
大学に入ってから知り合っただけなのにこの通りかなり馴れ馴れしい。
女「名前覚えててくれたんだ……さすがに忘れられてたら悲しすぎたよ。で、言い訳はなにかな? 聞くだけ聞くよ?」
男「えーと、色々ってのは色々で、最近だとほら、こいつとか」
娘の肩を両手で掴んで、女の前につき出してみせる。
女「まさか男くんつ!!!!!!!!!!!!」
女が俺の股間を指さしながら大絶叫した。
男「お前とおんなじ反応した奴がいたなあ!!!! もう一度言うけど違う!!! そして子供の前でそういう事やめろ!!!!!」
女「子供っ!?!?!?!?!?」
男「叔母さんのな!!!」
やっぱり俺の周りはめんどくさい奴ばかりだった。
>>294
>>女「まさか男くんつ!!!!!!!!!!!!」
でっかい つ になってた。
まあ続ける。
男「色々あって、今は俺と暮らしてる」
女「え~!? 本当に? というかそういう事なら今すぐ私に電話しなよ! 色々手伝ったのに!」
男「そういえばお前に無理矢理連絡先の交換させられたっけ……けどまあ、そこまで大変じゃなかったよ」
娘「娘という。好きに呼んでくれていいぞ」
女「あ、あたしは女だよ! 男くんのお友達!」
友達だったの俺たち。初耳だぜ。
女「あ、そうだ! 積もる話もあることだし、ウチの『喫茶、ピッチで汗を流す漢達』で歴代の名試合を観戦しながら話そうよ! というか強制だよ! 本当なら男くんも働く側だったんだから!」
男「なんだよその汗臭そうな喫茶店は……まあちょっとぐらいならいいけどよ」
二時間歩きっぱなしだったから少し座りたいし。
そんな感じで。
俺たちは喫茶、ピッチで汗を流す漢達に入店するのだった。
男「うおっ! なんだこれ! 店内が芝だらけじゃねーか!!」
短く刈りそろえられた芝が本来ならあるべき床の上敷き詰められていた。
ちなみに人の入りはまあまあで、弱小研究部にしては健闘している方だろう。
女「ふっふーん! どうだこの天然芝! 去年は許可が下りなかったけど、今年は頑張って許可をもぎ取ったんだよ! ○○大学文化祭の奇跡だよ!」
また余計な事に情熱を捧ぐ奴だなー……。こんな一発芸みたいなのにいったい幾らかかっているのやら。
女「はい! メニューだよっ!」
必要以上に大きな声で元気に言う女。
俺は軽くため息を吐きながらメニューを受け取った。
男「えーとなになに……って水しかねーじゃねーか!」
A4の紙にでかでかと『水』とだけ印字されていた。
これじゃあメニューではなく標識だろう。
女「当たり前じゃん。天然芝のピッチにお茶とかジュースとか食べ物なんて持ち込めないよ」
男「確かに天然芝のピッチでは禁止されてるけどな……」
こいつ、喫茶店なんて作るきなかったんだなぁ。なにがやりたかったんだろう……。
女「はい! ボトル入りのミネラルウォーター! 芝の上だから被ってもいいよ!」
男「被らねーよ」
もう十月の終わりだっつの。
女「はい! 娘ちゃんにも! お代はいらないからね!」
娘「おお、ありがたい。それにしても凄い店内だな」
女「すごいでしょ! 頑張って芝を育ててきた甲斐があったよ!」
娘「外でやればいいのに」
周りに居た何人かの部員達が凍り付いたように動きを止めた。
そして目で語っている。そういうまともな意見は止めてあげてくれ! 部長が死んでしまうよ! と。
男「お、おい……あんまり身も蓋もない事を言うなよな」
時既に遅し。女が瞬間落ち込み機と化していた。どよーんと肩を下げている。
女「そうだよね……外でやればいいのにね……こう言う馬鹿な事ばかりやってるから色々みんなから引かれるんだよね……分かってるよ…うん知ってる……」
男「い、いや……俺はお前のそういう所悪くないと思うぜ! なんかもう自分の好きなことに一途な感じで!」
スッ! と女が素早い動きで顔を上げた。
女「えっ? そう思う? 男くんそう想っててくれてたの!? いやああん!! 男くん大胆な接触プレーだよ! そのプレーで私はベッカムの低弾道&高精度クロスだよっ! 当てるだけでゴールだあああ!!!」
一際うるさく意味分からない事を叫びまくる女だった。
余計なところで気を遣って慰めてしまった……。
男「いやぁ、相変わらずお前は何言ってるかわからねぇな……」
まあ分かる必要も無いだろうけど。
その時。
ピピピピッピュイイイイイイイイイ!!!!!
けたたましくホイッスルが鳴った。
チャラ男「はああああい! 男、今のプレーで一発退場ね!!!」
レッドカードを高々と掲げ、俺を指さす銀髪野郎が現れた。
お察しの通り、こいつもめんどくさい。
男「……久しぶりだな」
そういえばこいつも部員だったか。
チャラ男「いきなり現れたと思ったら何勝手に女にちょっかいだしてんだよ!」
あー……そういえばこいつ俺が女と話してると異様につっかかって来てたよな~……。
絶対こいつ女の事好きだよな。
それに気が付かない女の鈍感っぷりが恐ろしいぜ。
女「こーらーー!! チャラ男くん! すぐに男くんにつっかかっちゃ駄目だっていつも言ってきたでしょ!!」
チャラ男「えっ!? いやだって男が!」
女「審判への抗議はイエローですっ!」
チャラ男「ちょっと!? 冷たいよ女!!」
……。
娘「なんだか賑やかな店だな……」
男「悪いな……あんまりこう言う駄目な大人達を見せたくなかったんだが……」
まだ二人でごたごた騒いでいる。
チャラ男もどうしてあの騒がしい変人女の事が好きなのやら。
まあ黙ってればまあまあ可愛い部類に入るんだろうけど。俺としては変人扱いする他にない。
女「も-! チャラ男くんはもっとスポーツマンシップを持つべきなんだよ! 分かった? とりあえず買い出し行ってきて!」
チャラ男「くっ!! あからさまに追い出されようとしている気がするが女の頼みならば断れない……!」
そう言い残してあっさり店を後にするチャラ男。
素直なのか馬鹿なのか。
女「ふっー……やっと落ち着いたよ。なんでああやって男くんにつっかかるかな-? 昔はむしろ懐いてたじゃん!」
男「……まあ、俺みたいな不真面目な奴は嫌いなんだろうよ。あいつ、ああ見えて結構真面目な奴だったし」
大学サッカー部にも所属するチャラ男。
少しの間だったが、俺もあいつのプレーをみていた。
ポジションは俺がやっていたものと同じ。フォワードの一列後ろ。
男「まあ、色々話している内に俺の事が嫌いになっただけだろうよ」
女「うーん……なんかそういうのとは違う気もするんだけどねー……」
もちろんお前の事もあるだろうよ。そう心で突っ込んだ。
まあ、色々あるんだろうよ。あいつにも。
男「うんじゃあ、色々回って疲れたし、そろそろ帰るわ」
女「えー? もう帰っちゃうの? これからオールドトラフォードの奇跡の上映が始まるのに?」
男「いいよ。帰ってYoutubeで観るから」
女「現代っ子なんだね……男くん……」
男「そういうわけで」
娘「お邪魔したな。水、ありがとうな女」
女「うんっ! じゃあね二人とも! あっ! 男くんは来週から練習に参加すること! 監督からも言われてるんだからねっ!」
男「……分かったよ。行くだけ行くよ」
女「ぜーーーーーーったいだよっ!!」
そんな感じで。
俺たちは喫茶店を後にした。
~大学構内、階段~
娘「そういえば、女とはどういう知り合いなのだ?」
喫茶を出て、大学構内の下り階段。娘にそんな事を聞かれた。
男「……あれだよ。部活のマネージャー。あと俺もあいつがやってるあのサークルのメンバーなんだよ」
ほぼ強制的に入れられたのだけども。
娘「? 男は部活をやっていたのか? 何をやっていたんだ?」
男「……サッカーだよ。それももう昔の話だけどな」
娘「そうなのか? でも女の話から察するに、来週はその部活に参加するんじゃないのか?」
子供の癖にイヤに鋭かった。今更驚きはしないけど。
話は変わるが、
帰り道、チャラ男に会った。
男「おう、なんでこんなところに?」
チャラ男「さっきはよくも…」
そう言うとチャラ男はいきなりジャンプし、こちらに飛びかかってきた
男「うわっ!」
やられる、そう思った時
「破っ!!」
その声が聞こえた瞬間、チャラ男は跡形もなく消え去っていた
T「童貞のまま死んでいった霊達だろう。あの世で彼女でも作るんだな」
寺生まれってすごい、改めてそう思った。
男「まあ、そうだけど。それも気まぐれだよ」
娘「ふうん? 何かよく分からないが、頑張るんだぞ男」
そう言って笑顔になる娘。
当の俺は何を頑張ればいいかすら分かっていないのだけれど。
チャラ男「やっと帰るのかよ」
男「あ? ああなんだ、チャラ男か」
ミネラルウォーターのボトルが入った袋を両手に持ち、階段を上ってくるチャラ男。
チャラ男「なんだとは失礼だな! まあいい! 今日こそ決着をつけるぞ!」
男「ああ? 決着って。何を」
チャラ男「決まってるだろうが! 女の事だよ! 負けた方が潔く手を引くってことだよ!」
手を引くも何も、手を伸ばしてもいないのだが。
男「つっても、お前何やっても俺に勝てないじゃん。カラオケ採点対決、ボーリング対決、卓球対決、釣り対決……全部俺の圧勝だっただろうが」
チャラ男「ふん! そんなのは昔の話だろうが! そして俺は気がついたんだよ!」
男「何に」
チャラ男「サッカーだよ! そもそも女にふさわしいのはよりサッカーが巧い奴に決まっていたんだよ! だから最終決戦はサッカー対決だ!! 会場はこの下だ! ついてこい!」
そう言って、チャラ男は上ってきた階段を下りていく。
うーん……。
まあ適当に付き合うしかないか……。
そうして。
俺たちはその会場とやらに向かう。
フレームに収められた1から10のボード達。
それをより多くサッカーボールで打ち抜いた方が勝ち。
ストラックアウトで勝負とは、中々文化祭っぽいな。
チャラ男「言っておくが遊びじゃねーぞ、これは。負けた方は問答無用で千円払う」
男「なんか小さいな……つーかさっきはそんな事言ってなかっただろうが」
チャラ男「うるさい。今決めたんだよ」
男「そーかい……」
チャラ男「じゃあ一番手はもちろん俺だな」
そう言って、係の学生からサッカーボールを受け取る。
そしてそのままリフティング。
巧みなボールさばきに周りが沸く。
チャラ男「ふっふーん! これは圧勝かな?」
10球の内の第1球目。
バコンっ!
チャラ男「よっし! 1番ゲット!」
そんな調子で順調に枚数を重ねていく
そして最終的に。
チャラ男「ふーん。9枚か。まあ一発外したのはちょっと朝から足首に違和感があったせいだろう。万全の状態だったら普通に抜いてたね」
男「いや、素直にしてれば結構凄い結果なのに……」
15メートルぐらいの距離から縦横50センチ程のボードを狙い打つのはけして容易じゃない。
チャラ男「うるせー! 次はお前の番だからな!」
そう言ってボールを足で浮かして俺にパスを出す。
それを受けて軽くリフティング。実用性の無い小技も挟んでやる。
チャラ男「くっ!! 俺の時よりまわり女の子達のリアクションが大きい!」
男「知るかよ」
ボールを足で踏んで感触を確かめながら的達をみる。
男「まあ右足で十分かな」
チャラ男「はっは~ん余裕だな! そういうお前の慢心が破滅の始まりなんだよ!」
別に破滅は始まらないだろう。千円は払いたくないが。
男「いっちょ行ってみるか」
一発目。
パスッ!
男「あー。1番狙ったんだけど2番に当たった」
チャラ男「ふん。まあまぐれでも当たって良かったんじゃないか? そんなんで俺の記録を超えられるかどうかは分からないけどな! 負けるのが怖かったら利き足使ってもいんだぜ?」
男「そうかもな。やばくなったら使うわ」
そして。
一球。また一球と蹴り込んでいく。
そして最後の一球となる。
チャラ男「おいおい。四枚も残ってるじゃないですか~? え~? これ勝負にならないな~?」
やっぱり利き足じゃないと細かいブレがある。元々、逆足で蹴るのは得意では無かったし。
男「うーん。じゃあ左足解禁」
ヒョイッ、とボールの位置を逆にする。
男「幸い的は一カ所に固まっているな」
上段の4と5。下段の9と10。
こうなると狙うのはフレームだろう。
当たれば全部を打ち落とす事が出来るフレームの真ん中。十字の中心を狙う。
男「よし、いくぜ! 千円のために!」
シュバッ!!
ガスンッ! バタッバタッ!
男「よっしゃー! 四枚抜き-!!!」
おー、と声が上がり、ぱちぱちと拍手が響く。
チャラ男「お、おい!!!! これはルール違反だよなっ!?!?」
係の男子大学生「いや、別にいいっすよ」
チャラ男「軽いなああ!!! こっちは女をかけて戦ってるのに!!!」
男「いや、俺は千円のためだけに戦ってたけど。お前、前からなんか勘違いしてるけど俺別にアイツの事好きじゃないから」
チャラ男「……! お前が好きとかどうとかじゃねーんだよ!!! ほらよっ!千円!!これでヤバイ物でも食って○ね!!」
男「じゃあなんの戦いだったんだよ……まあ千円は有り難く貰っておくよ」
娘と出かけすぎて金欠が著しいからな
どういう配置でボードが並んでるんだ・・・
チャラ男「あーもう!! お前を見たり、お前と喋ってたりすると本当にイライラするわ」
男「いやー、だったら無視してくれてかまわないぜ」
チャラ男「そういう所がうざいって言ってるんだよ!」
男「はいはい。じゃあ俺は帰るよ。おーーい、帰るぞ娘!!」
ちょっと離れたところで女子大学生達に囲まれていた娘に声をかけながら歩き出す。
背を向けた後ろ。
チャラ男「おい……来週は練習に来いよな。ボランチ男とその控えが怪我で人が足りない。だから不本意ながらお前が必要だ」
……。
男「今更いったところでどうなるかわからねぇぞ」
だって。
俺はもう長い間ピッチを離れている。
チャラ男「チームの同期達と後輩は俺から説得しておいてやったよ……マジで不本意だったけどな。先輩達もいいって言ってる。
そして……監督はお前を必要としてるよ。いくら監督の意向だからっていって、こればっかりは俺も快く全部飲み込もうとは思えないけどな」
>>323
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6 7 8 9 10
チャラ男「だから。これがお前にとっての最後のチャンスだと思った方がいいぜ」
そしてチャラ男は言う。
チャラ男「あの高校三年の選手権決勝。お前の対戦校の控えだった俺は、お前がピッチで倒れる瞬間をベンチから観ていた」――三年間の血のにじむ様な努力。だが、それだけでは決勝という舞台には立てなかった。悔しさに唇を噛みしめ、ピッチに立つ選手達を眺めていた。
チャラ男「あれで美しく散ったとか思ってるんじゃねーぞ。お前は、お前みたいな奴は惨めにボールを追いかけてる方がお似合いなんだよ」
チャラ男「止めるなんて楽でしかたない事に逃げるんじゃねーよ。俺みたいな……俺たちみたいな高校では鳴かず飛ばず、でもサッカーを諦められない奴からしたらよ、お前みたいな才能をもてあまして、舐めた態度で諦めた振りしてる奴が一番うざってーんだよ」
だから。
与えられたチャンスには結果で答えろ。
……。
男「……ああ。やれるだけはやってみるよ」
出来るのかは……正直分からない。
でも何だかんだ言って。
走り込みの時間を延ばしたり。友のメソッドに打ち込んだり。
結局この数週間、娘と遊びながらもピッチに戻ることについてばかり考えていたのだ。
男「もう一度、やってみる」
~過去。高校三年の選手権決勝~
友の足を壊したのは二年時。
それからの俺は酷い有様だった
一年を通してのゴール数が二桁を下回った事が無かったのに、その年はわずか3点しか取れていなかった。
マネージャーとして部に復帰した友を避けるようになって。代表招集も無くなって。自分の才能が信じられなくなって。
そして何より。
サッカーが怖かった――
男「……今日の日のためにみんな良く頑張ってくれた。だから絶対に勝とう!」
円陣を組み、チームを鼓舞する台詞を吐く。
観客席からの声。熱気。
そして形容しがたい緊張感に満ちたこのムードに心が高ぶっていた。
チームのみんなが叫ぶと、高揚は最高潮に達する。
心拍数が急激に上昇し、雑音が聞こえなくなる。
主将として。そして友のためにも、俺は絶対に勝とう。
ベンチで親指を立てる友をみやる。本当はこのピッチに立っていた筈なのに、俺の所為でそのチャンスを失ったと言うのに、恨みなんて微塵も感じさせないいつもの笑顔。
男「よしっ! 行こう! 一発と言わず何発もかましてやろう!」
全員が位置について、とうとうホイッスルが鳴る。
キックオフ。
対戦校の選手がボールを蹴る。
――――――――
前半、試合は相手のペースで進んでいた。
こちらがボールを持っても直ぐに多人数でボールを奪いにきて、ボールがうまく繋がらない。
そして後半も両者一歩も譲らない展開。
そして90とロスタイムを終え――
~ロッカールーム~
友「お互い通常よりも激しく動いた後の延長戦……つらいけど頑張って!」
友が疲れたチームメイト達に飲み物とタオルを配って回っている。
友「はい、男にも」
男「あ、ありがとう……」
未だに友と話すのには慣れない。むこうがどう思っているのかは分からないが、俺は未だにこいつの目を観て話すことが出来ない。
俺を責めるような目をしているんじゃないか。なんて事を思ってしまうのだ。
友「左足は大丈夫? 少し痛んできてるんじゃない?」
男「……ああ、問題ない。……延長もフルで行ける」
三年の初めに軽い故障をした左足。それが今でも時より痛む。
ほとんどプレーに影響が無いので、今の今まではそれほど気にしないでやってきた。
しかし。
連戦を強いられる選手権において、これは決して小さな問題ではなかった。
痛むのだ。
90分を走って、わずかな痛みは確かな疼痛となっていた。
友「そうか! それなら良かった! でも無理はいけないよ」
男「分かってる」
口だけで友の言葉を肯定する。
ここで逃げ出すなんて発想は微塵もないのに。
男「絶対勝つよ」
友の為に。
この試合に勝てば、自分道をふさいでいる何かを打開出来るような気がするから。
延長戦。辛い戦いだけど、俺は立ち上がり戦うのだ。
延長戦の立ち上がり。
俺は足の痛みを無視して走り回る。
普段なら無視出来ない痛み。しかし、決勝、歓声、感情、様々なものが俺の中で渦巻き全てを忘れさせる。
欲しいのは唯一、この先にある勝利のみ。
男「足止まってるぞ!!!!!! プレス早めにいけ!!! 一秒でもスペース空けるな!」
つぶれかかった喉から無理矢理声をひねり出す。
チームメイトも同様に声を上げ、チームが一つになって動く。
悪くない流れだった。
延長戦。早めに勝負を決めたかったらしい相手は明らかに消耗している。厳しかったプレスは着実に弱まっている。
チャンスだ。
チームの全員がそう感じていたと思う。
男「そこ!! 三人で寄せろ!!!」
パスを出すと直ぐに奪われるという状況に焦れた相手の選手が突破を試みる。しかし、こちらのデフェンダーが多人数でよって、奪い取る。
ピッチの真ん中より少し下。良い位置だった。
俺は走り出す。思考と言うよりは感覚で。戦略というよりは意地の為に動く。
男「今だ!」
バスッ
チームメイトが大きくボールを前に蹴った。
それを合図に俺は一気に足の動きを速め、トップスピードを目指す。絶対に俺が勝利を掴むという決意が背中を押しているようだった。
ボールが相手四人から成るデフェンスラインを飛び越える。それをトップスピードで追う。
男「行ける!!」
デフェンダーがボールに向くよりも速く俺はデフェンスラインを超える。目指すはボールの落下点。
男「ッ!!」
トップスピードの勢いのまま右足でボールを受けた。立ち足となった左足が痛みに悲鳴を上げるが、今はそんな事に構っていられない。
ボールを持った俺。
目の前にはゴール。そして立ちふさがるゴールキーパー。
試合はここで決まる。
全ての音が消え去り、視界が一気に広がる。一つ一つの思考が形があるように明確になった。
左足は……痛んでいてシュートを正確に打てるか確かじゃない。
かといって逆足の右で打とうというもリスクが伴う。
そして俺は今トップスピードで走っている。
だとしたらベストアンサーは一つだろう。
このままキーパーを抜いてボールをゴールに流し込む。それだけだ。
男「ッ……!」
痛みを堪えキーパーを見据える。
いつ動く? どっちに動く?
その時、キーパーの体が一瞬左にぶれる。
左足でボールを右に蹴り出す。
行ける。
キーパーは俺の動きに反応して右に飛ぶがきっとボールには届かない。
勝利が明確な形を持って目の前に現れる瞬間だった。
目の前にはゴール。
あとは右足を振り抜くだけでいい。それで俺は呪縛から解放される。
右足が弓のように張り詰める。そして、それを一気に解き放ちボールを蹴る――
その時世界が暗転した。
夢から覚めた様に周囲の音が俺の耳に飛び込んでくる。
ホイッスル。怒号。悲鳴。
そして俺のうめき声。
男「ああっ……なんだこれ……」
どうやら俺は芝生に顔をつっこんで倒れているらしい事が口の中に紛れ込んだ土の味で分かった。
動けない。
ああ、そうか。キーパーの腕が俺の左足にかかったのか。
その場面を観て無くとも、それは明確だった。
だって。
男「左足が……動かない……」
誰かが俺の名前を呼んでいる。だけど意識はだんだんと遠のいていって……。
こうして俺の高校最後の大会は幕を閉じた。勝利と引き替えに、未来と希望を失って。
~文化祭の次の日~
その日は穏やかに始まった。
娘「もう土曜日か。といっても毎日が日曜日な私たちからしてみれば何の感慨も無いな」
男「うーん。同意したら何か社会に生ける人として大事な物を失うよな……だが概ね同意せざるを得ない!」
まあ来週からは本気出すけどな! そういう予定だけどな!
娘「そういえば世の中の人たちは土曜日や日曜日に何をするんだろうな?」
男「いや、俺まで『曜日とか関係ない自由な生活』をしてみたいに語りかけるな。俺はまだ駄目人間歴二ヶ月ぐらいだっての」
娘「そういえばそうだったか? まあ、過去の自分がどれだけ立派であったかではなく、今という瞬間に何をしているかが大事だと思うよ、私は」
男「だんだん気が付いてきたけど、お前って基本的に上から目線な……その意見には賛成だけどよ」
娘「まあとにかく、土曜日や日曜日には何をするべきなんだろうな? 今まであまり考えた事が無かったが、一般的な人々は土曜と日曜日にしか休めないのだろう?」
男「祝日やら有給やら学生の長期休暇やらなんやらを除けばそうなるんじゃないか?」
娘「で、何をするんだ?」
男「何って……そりゃその人のやりたい事だの何だのだろうよ。それこそ、俺たちがやってきたいわゆる『遊びに行く』ってのは本来土日なんかの休みの日にやるもんだぜ」
サボりと休みは違うのだ。
娘「なるほどな。まあそうなるか。だとしたら私たちは今日どうするべきなんだろうな」
男「は、はぁ? 何なんだよお前は。急に変な事きくよなぁ……まあ、多分普通にしていればいいだろう。何なら何処かに出掛けてもいいし」
娘「そうか。じゃあ出掛けよう」
穏やかな朝。
俺たちは朝食を済ませてから出掛ける事になった。
最後の日はこうして始まる。
スクランブル交差点。
男「何度見てもこの人の多さには圧倒されるな……」
一人一人というよりも大きな一つの塊。そう表現したくなる様な人々から成る大きな渦。
はぐれないように娘の手を強く握る。
名前も知らない誰かとなんども肩がぶつかりそうになる。
幾千もの足音を聞きながら、俺たちは歩く。
男「しかしいろんな所に行ったけど、映画は観てなかったな。盲点だった」
娘「そうだな」
映画を観よう、という事になり俺たちは映画館を目指していた。
男「下調べもせずに来た訳だけど、何か観たいのあるか?」
娘「特にないな。上映中の作品を把握していない」
男「俺も全然何やってるかわからねぇなぁ」
まあ、その場にいって決めればいいだろう。
そして映画館に到着。
男「えーと……SF系洋画が二本、バンド物が一本、アニメが一本、ラブコメが一本、切ないラブストーリーが一本……タイトルと広告を見る限りそんな感じのラインナップだな」
娘「男はどれが観たいんだ?」
男「俺はどれでもいいけど。お前が決めていいぜ」
娘「……じゃあこれだな」
娘がチケット売り場に張ってある広告の一枚を指さす。
男「切ないラブストーリーか。なになに、『死期迫る恋人との一ヶ月。訪れるのは予定通りの別れか、幸せな未来か』」
なんだかありがちな設定だ。
男「これでいいのか?」
娘「ああ」
……。なんだかさっきから口数が少ないなこいつ。
白いコート着た娘。その無口な横顔は、東京じゃあまり振らないと言う雪の様に白い。
どこかの誰かと同じく、こいつも黙ってれば絵になる奴だ。
男「よし、チケット買ってきたぜ。というか映画の料金っていつからこんなに高くなったんだろなー。昔はポップコーンと飲み物を買っても二千円以内に収まってたっていうのに」
娘「いつも悪いな。私のお金を使ってくれてもいいのだが」
男「いや……なんか抵抗あってな……まあいいから行こうぜ」
なんだかあの叔母さんのお金だと思うと素直に受け取れないのだ。
まあとにかく。
俺たちは飲み物を買い、劇場の席に着く。
凡作っぽい作品だからだろうか。人の入りは土曜日にしては少ない。
男「悲愛ものの映画ってのは見終わったあとなんとも言えない気持ちになるんだよなぁ。かといってご都合主義なハッピーエンドも白けるし」
娘「……」
本当にさっきから口数が少ないな。いつもなら気の利いた話題の展開をするのに。
まあ、最近の疲れがたまっているのかも知れない。
毎日が日曜日でも、それはそれで疲れるのだ。
書き溜め尽きた。
ここからリアルタイムで書いてく感じになります。
そんな事を思っている内に。
場内案内と注意事項の放送が終わると照明が落ちて幕が上がる。
――――――――――――――――――――――――――――――
話の内容を要約すると大体こんな感じだ。
幼なじみだった主人公とヒロイン。
しかし、ジュニアハイスクールの卒業式を明日に控えた日の夜にヒロインが突然倒れてしまう。
そして、宣告される過酷な運命。劇的な医療進歩が起こらない限り、彼女は十年と持たずに死んでしまう運命だった。
その日から彼は私利私欲を捨て、彼女のために医療研究の道を歩み出す。
そして運命の十年目。そこには研究を成し遂げた主人公と、回復の兆しを見せるヒロインの姿が……。
――――――――――――――――――――――――――――――
陳腐。それが唯一の感想だろうか。
エンドロールを眺めながらため息を吐く。
男「なんか。まあハッピーエンドだったな。善し悪しは別として」
まだ暗い劇場の中、俺は小さく娘に耳打ちした。
娘「ああ……現実味に欠ける。駄作といってもいい……」
娘がつぶやく様に答えた。
スクリーン眺める娘の表情は暗くてよくうかがえない。
だけど、何かがいつもと違う。
娘「時間の無駄だったかもしれないな……こんな映画を選んでしまって悪かった。出よう」
そう言って娘は立ち上がると、殆ど走るみたいに出口に向かう。
男「お、おい……! まてってば!……っ! もうなんなんだよ……」
俺の言葉は届かないようで娘はどんどんと進んで行ってしまう。俺も立ち上がり、後を追う。
一体、今日の娘はどうしたっていうんだ。
~映画館の外、混雑する交差点前~
人の声と足音。車の騒音と排気ガス。
その中に二人して黙り込んだまま立ち尽くす。
娘「悪かった。今日はなんだか調子が出なくてな」
男「……少し疲れが溜まってるんだろう。仕方ないさ、最近ちょっと遊びすぎてたからな、俺たち」
娘「ああ……そうかもしれないな」
娘がはにかむ。吹き付ける風に両のほほが赤くなっていた。
娘「……! どうしたんだ男?」
気が付いたら、娘を抱き寄せていた。過ぎゆく人の怪訝そうに視線を送ってくるが気にしない。
男「いや……何でだろう……? 何となく」
何となく現実に戻ってしまったからだ。
最近は娘と過ごすの楽しくて、色々な事を忘れていたから。目の前の問題を無視して、子供みたいにはしゃいでいたから。
だからだろうか。
ちょっとした変化の『兆し』におびえてしまった。
夢は終わって、また以前みたいな漠然とした不安がやってくるんじゃないか、と。
ほ
男「俺、お前とずっと一緒に居たい。そう思ってる」
これが一体どういう種類の感情なのか分からないけど、その気持ちは明確だった。娘を抱きしめたまま動かないこの両腕が何よりも確かな証拠だ。
男「母親の所には戻らなくていいよ。学校も家の近くの所に転校してやり直そう。色々金がかかるだろうけど、そこは俺がどうにする」
娘「……」
その為なら、今度はきっぱりサッカーと縁を切れるのかもしれない。そんな事も思っていた。
男「お前が大人になるまで、俺がお前と一緒にいてやる。俺はお前を絶対に捨てたりしないから……!」
気持ちが高ぶり、声が大きくなる。
そしてより強く娘を抱き寄せる。
娘「痛いぞ……言動もハグも」
男「なっ!? こっちは真面目なんだよっ!」
一世一代の勇気を振り絞って言った言葉だったのに!
娘「……でも、そう言われて嬉しい……人生で一番の幸せを今感じてる」
からかう様だった笑みを、少女はにかみに変えて娘が言う。
娘のおでこが俺の胸にこつんと当たる。
娘「大好きだ、男。心からそう思った」
男「……っ!」
言われた瞬間、心臓がバカになったみたいに早鐘を打ち始めた。
あわてて娘を俺の体から遠ざける。
男「はっはは……! 俺は結構モテるかならな! こんな感じでいっつも女を落として回ってるんだ!」
娘「彼女が出来た経験は無し、と友が言っていたが!」
男「あのボケッ! じゃなくて落とすだけ落としてポイしてきたんだよ!」
娘「ふーん……じゃあ私も落とされるだけ落とされて、後はポイされるのか?」
娘はピョン、と一歩後ろに飛び退いて、いたずらな笑みを浮かべながら首をかしげる。
その仕草に、また鼓動が高鳴る
男「お、お前なぁ……」
本当によく分からない奴だ。こっちが年上だって事を忘れてしまう程。
娘「ははっ! 少し意地悪し過ぎたかもしれないな。だけど嬉しかったのは本当だし、男がどんな意味で私の事を大切にしてくれているのか、理解しているつもりだ」
娘「だから、ありがとう、今はただそう言いたい」
明るい、いつもの娘の笑顔だった。
娘「そして……」
娘「そう思ったから、私は私の話をしなければらならないと思う」
大きな目が、力強い意志を持って俺を射貫くように見つめた。
娘『ここじゃ話もし辛い。どこか適当に店を開こう』
男『いや、適当に開業してどうするつもりだよ。それを言うなら店に入ろうだろう』
なんていつもみたいなバカな雰囲気を持ちかえして、俺たちはファミレスにやってきていた。
男「もうちょい洒落た店でもよかったんだけどな、せっかく渋谷まで出てきたんだし」
当ても金も無いけどそんな事を言ってみる。
娘「別に洒落た店に用は無いよ。お互い忘れがちだが私はまだ小学生なのだしな」
男「それもそうか」
店員「和風ハンバーグ定食とオムライス、お待たせいたしましたー」
頼んでいた料理がテーブルに届く。時間は既に六時。
晩ご飯はここで済ませていこう、という話になったのだ。
ごめんなさい。少し休憩します。
十五分ぐらいで戻ります。
娘「……思えば色々な事をしたな。たった数週間の出来事とは信じられない」
男「本当だよ。なんだか昔からの友達みたいだよな、俺たちって」
娘「はは。違いない……そうだ」
そう言うと、娘は思い出した様にポシェットから例の手帳を取り出し、ページをめくり始める。
そして目当てのページを見つけたのか、手帳をテーブルに置いてボールペンを走らせる。
男「今度は何の願いが叶ったんだ?」
娘「友達を作る、だよ。今更だけど、一応記しておこうと思ってな」
娘「ついでにセック――」
男「してねーよ!」
公共の場で何てこと言おうとしてるんだこの小学生。俺の世間体が危ういだろうが。
男「はぁ……というかその手帳に書いてある願い事を全部叶えるのにはどれぐらい時間が掛かるんだろうな。そのページを見た限りでも、チェックが付いてない願い事が殆どだし」
娘「まあ、全部を埋めなくてもいいんだよ」
男「そう言うなって、時間は余ってるんだから。その内埋まって次の願い事考える事になるかもしれないぜ?」
娘「……」
反応が無かった。
なんだか朝の時の雰囲気がまた漂い始めたような気がして、胸がざわつく。
娘「この願い事リストの事は忘れてくれていい。もう、必要なくなったから」
男「おいおい、そんな遠慮しなくたっていいんだぜ……? お前あんまりでっかい事お願いしないから俺だってそこまで苦労しないし、俺みたいにバカじゃないから『アメリカ人になる』とか無茶言わないだろ?」
娘「そうじゃなくて……」
娘「正直、この生活にはもう無理があると思う」
娘「男は私のために色々な事をしてくれるが私は何も返せない。そして男は自分の生活を犠牲にしてまで私に付き合ってくれているから、それが嬉しくもあり、心苦しい」
娘「そして――」
娘「私はずっと嘘を吐いていた。酷い嘘を」
娘は視線を窓の向こうの景色にやりながらそう言う。
男「嘘? 嘘ってなんだよ? お前は叔母さんに捨てられて、ただ為す術もなく、仕方なく俺と――」
娘「だから、それがもう嘘なのだ……」
それが嘘?
どういう事だよ? そこにどんな嘘を吐く余地があるって言うんだ。意図が汲み取れない。
すいません。
エンディング、といか設定を色々ひっくり返してました。
書き始めます。
\ ウホッ! /⌒!| =彳o。ト ̄ヽ '´ !o_シ`ヾ | i/ ヽ /
\ ! ハ!| ー─ ' i ! `' '' " ||ヽ ./
| ̄ ̄ ̄ \ | | /ヽ! | |./ヽ/-、,,_,, _,,
| \ ヽ | _ ,、 /,/ ヽ、
/  ̄ ̄ ̄ ̄ \\ ! '-゙ ‐ ゙ // . \
/ やらないか \ ∧∧∧∧∧ // ,! | | ト, ゙、
/ /\ < い > /,,イ ./|! .リ | リ ! .|! | ト|ト}
/ / /\ < 予 > / //ノノ //゙ ノ'////|.リ/
/ / < い > ´彡'゙,∠-‐一彡〃 ト.、,,,,,,,,,,,レ゙
―――――――――――――< 感 > 二ニ-‐'''"´ /`二、゙゙7
,, - ―- 、 < ! 男 > ,,ァ''7;伝 ` {.7ぎ゙`7゙
,. '" _,,. -…; ヽ < の > ゞ‐゙'' ,. ,. ,. l`'''゙" ,'
(i'"((´ __ 〈 } / ∨∨∨∨∨ \. 〃〃" ! |
|__ r=_ニニ`ヽfハ } /_,,._,,.....、、..、、、,,_ \ (....、 ,ノ !
ヾ|! ┴’ }|トi } /゙´ .}, \ `'゙´ ,'
|! ,,_ {' } / ,.ァぃぐ 意外に .\ ー--===ァ / す
「´r__ァ ./ 彡ハ、 / ァ')'゙⌒´ 'リヽ, 早いん | \ _ _ ./ 大 ご
ヽ ‐' / "'ヽ/ ヾ、 ,.、=ニテ‐゙レ だな l \` ̄ ,/ き く
ヽ__,.. ' / / . 〉 '" /{! .\ 〉 | \ ./ い :
/⌒`  ̄ ` / ,r‐-、 /  ̄´ `i. /ミlii;y′ \/ で
腹ン中パンパンだぜ / .| !`ト,jィ .`、 - 人 ./;jl髭' \ す
娘「私が私であると言う事がもう嘘なのだ」
男「お前が、お前であると言う事が嘘? 全く意味が分からないぞ?」
つまり、と娘は続ける。
娘「私は男が言うところの『叔母』の娘じゃない」
そして、
娘「男、あなたの両親はもう死んでいる」
男「……」
言葉が出なかった。
娘の言っていることが理解出来なくて。
理解しようなんて気にも到底なれなくて。
娘「あなたの記憶は偽りで」
娘「今のあなた偽物で」
娘「嘘つきな私は」
――あなたの妹だ。
私には自慢の兄がいる。
サッカーがとても上手で、優しくて、他の誰よりも素敵な兄だ。
周りからの期待も凄くで、将来は日の丸を背負う立派なサッカー選手になるだろうと言われている。だから、兄はその期待に応えるために沢山練習をしなくちゃいけなくて、あまり私と一緒に居てくれない。
だけど大丈夫だ。
私たち兄妹の両親は私が三歳で、兄が十二歳の時に死んでしまったけど私は寂しくなんか無い。
兄は昔から私が退屈しない様に色々な事をしてくれた。
練習帰りにはいつも何処からか本を拾ってきて私にくれる。私にとってそれはいつだって宝物で、内容がどうであれ一字一句覚えてしまう程に読んだ。
私たち兄妹を引き取ってくれたお母さんのお姉さん(叔母さんって言うのかな?)はとても優しいし、お金はあんまり無くても楽しく暮らしている。
高校二年生になった兄は以前よりもずっと生き生きとサッカーをしていて、なんだか私まで嬉しくなってくる。
>>525
~過去、娘(妹)目線~
付け忘れた。
今日は私の誕生日だった。
兄は私に大きな手帳をくれた。
『お金が無いからこれしか上げられない』なんて兄は言ったけど、私は嬉しくて仕方が無かった。
『これに願い事を書いておいてくれ。俺がプロになってガッツリ稼ぐようになったら全部叶えてやるから』
その言葉はまるで魔法みたいだった。いや、それを魔法と呼ばずに何を魔法と呼ぼうか。
私はその日から毎日日記のように願い事を書き連ねていった。
年が明けた。
私はおもち何かを食べてたりして、お正月気分を味わっていたけど、兄はそうとも行かない様だった。
高校選手権第二回戦。大事な試合を控えていたのだ。
一回戦も観たかったけど、叔母さんお医者さんだから忙しくて、結局都合がつけられなくて観られなかったから私はとてもワクワクしていた。
今日は父方の叔母さんの一家とこの競技場までやってきた。この家の人たちもすごく優しくて、私たちが困っていると良く助けてくれた。
この家の一人娘ちゃんは私より三つ年上でとても優しくて、なんだか私に姉が出来たみたいで嬉しかった。
兄の高校が勝った! しかも兄のゴールで!
やっぱり、兄は最高に格好良かった。
私は兄が格好良くゴールを決める瞬間が一番好きだ。自分のことより嬉しい!
だけど。
今回は少し不安だ。
兄の親友の友さんが怪我をした様だった。
ピッチに立つ兄の顔はスタンドからは良く見えなかったけど、いつも兄を観ている私にははっきりと分かった。
兄は今までで一番辛そうな顔をしていた。
じゃあ一応つけときます
わるい・・・もう全く頭まわってない・・・
とりあえず続ける
兄は三回戦には出なかった。友さんの事がショックだったかららしい。
試合は兄の高校の敗退という結果で終わった。私はなんだかよく分からないけど泣いてしまった。
とにかく、早く兄に会いたかった。
ミスった
正しくは↓
結局その日は兄に会えなくて、励まして上げる事が出来なかった。
父方の叔母さん一家の都合でその日にしか東京に居られなかったから残念だ。
兄が帰ってきたらいっぱい励ましてあげよう!
――――
兄は三回戦には出なかった。友さんの事がショックだったかららしい。
試合は兄の高校の敗退という結果で終わった。私はなんだかよく分からないけど泣いてしまった。
とにかく、早く兄に会いたかった。
選手権が終わってから兄の様子が変だった。
練習が終わった後も自主的に何かトレーニングをしているらしい。
今まで良く友さんが家に遊びに来たりしていたのだけど、そういうこともめっきりなくなってしまった。
そういえば本を持ってきてくれる事も無くなってしまったなぁ。
兄が高校三年生になった。
二年生の時とは違って、兄はあまり笑わなくなった。サッカーがうまくいってないからだ。
友達と遊んだりする事も少なくなった様だった。私は『変な奴』だから友達と遊んだりしないのが普通なんだけど、兄みたいなみんなから尊敬される人の場合は違うだろう。
私ともあまり喋ってくれない気がする。
はぁ。
元々、私の兄としては凄すぎる人で、絶対に釣り合わないなぁーなんて思っていたけど。
なんだろう。
最近は更に深い溝とか、遠い距離とかを感じるようになってしまった。
今日、兄の独り言を聞いてしまった。
盗み聞きをするつもりなんて無かったけど、偶然、兄の部屋を訪れようとした時に声を聞いてしまって何となく聞き耳を立てる形になってしまったのだ。
男『絶対に……俺は絶対に成功しなきゃいけない……。もう妹に辛い思いをさせない為だ……。もう誰にも迷惑かけずに生きていく為だ……。全部のしがらみを取っ払って――俺が救われるためだ……』
男『無理してでももぎ取れ……アイツの事は……もう仕方が無いんだから気にするな……! チクショウ! なんでずっと頭にこびり付いて離れないんだよッ! そんな下らない事忘れて結果出さなきゃ俺も終わっちまうだろうが!!』
兄はとても追い詰められているようだった。
だけど、私はそんな兄を慰めてやる事が出来なかった。無力は罪だ、なんて難しい事が本に書いてあったけど、その意味が何となく分かったきがした。
すまん。眠気が出てきてしまったのでシャワー浴びてくる。
10~15分ぐらいで戻ってペース上げて書けるように頑張るからその間保守お願いします。ごめん。
三年の選手権。
今までみたいな天才的な活躍が無くなって、代表戦にも呼ばれなくなってしまった兄だけどなんとか血のにじむ様な努力で高校チームのスタメン、そして主将の座を手に入れていた。
そして決勝戦。
この日は叔母さんと一緒に観戦しに来ていた。
兄がこの競技場に立っている姿をみて、私はやっぱり感動して泣いてしまった。背中の10番がまぶしくて、何より誇らしかった。
だけど――
そんな誇らしい兄の姿を観るのはこれが最後に成るかも知れなかった。
延長戦前半。
決勝ゴールを決めた兄が左足に大けがを負った。
私と叔母さんは東京の病院にいた。
兄が怪我をして三日目。兄は未だに目を覚まさない。
この病院のお医者さんも、お医者さんである叔母さんを何で兄が目を覚まさないのか分からないらしい。
もしかしたらこのまま――
そんな事が頭を過ぎるけど、そんなこと無いと自分に言い聞かせる。
私の兄が、私のかっこいい兄がそんな簡単に居なくなったりするものか。
そう強く念じながら千羽鶴を折り始めた。
そして――
私が920羽目を折り終えた時兄は目を覚ました。
その時、兄が眠ったままになってから五日経っていた。
男『あれ? ここどこだ?』
男『あ、あれ? 何だこの足? なんでこんな――』
男『うわああああああああああ! 俺の足が! 左足が!!!!』
男『なんだよこれ! なんなんだよ! 夢じゃなかったのかよ!!!! これじゃあもう……サッカー出来ないじゃねぇーかよ!!!!』
目覚めたばかりの兄は酷く錯乱していて私や叔母さんの事には気が付いていなかった。
いや、正確に言えば兄はその時点で私のことを『妹』だと認識することも、叔母さんのことを『今まで面倒をみてくれ来た叔母さん』だと認識する事も無くなって居たのだ。
男『何なんだよ……!』
ギプスにまかれ、吊された自分の足を見つめながら苛立ちを包含したため息を吐く。
男『あぁ……なんてこった……』
男『あの……』
兄は目覚めたから初めて私たちに目を向け、私たちに向かっての言葉を口にした。
男『どちら様か知りませんけど……今は一人にしてくれませんか……』
その時からだった。
かっこいい兄は消えなかったけど――
だけど。
兄の中から私は消されてしまったのだった。
兄とのコミュニケーションは困難を極めた。
兄の中では『父方の叔母一家』が彼の家族であり、妹は私ではなく一人娘ちゃん。
叔母さん(私たちの面倒を見てくれていた母方の方の叔母さんだ)の名前を聞くと幼少期に会ったことがある、と言ったが、それ以降の記憶は無いらしかった。
そして私に関する記憶。
それだけはどうしても見つける事が出来ない。
それどころか、私が昔の話をして兄の記憶を引き戻そうと試みる度に兄は頭痛を訴えて、その後眠りに落ちるのだった。
そして目が覚めるとまた
男『どちら様ですか?』
と、『他人としての私』と話した記憶さえも失う。
叔母と医師が相談した結果、兄はしばらくの間、彼が家族だと思っている父方の叔母一家と暮らす事になった。
ちょっとコーヒーいれてくる
そして、そこから彼の、私の兄としてではなくただの『男』としての生活が始まった。
幸いなのか最悪なのか分からないけれど、兄の抱える問題は『私と叔母との生活を覚えていない』 だけであり、他の部分では全く正常だった。
だから大学に行くことも出来た。
怪我でプロクラブ入団の道は閉ざされたが、監督さんという兄の知り合いからの誘いで東京の大学へ行くことになったのだ。
そうして、私と兄は切り離された。
何故、私は兄の中から消されてしまったのか?
兄の居ない生活の中でそれを問い続けた。
そして行き着いた仮説。
いや、仮説というのは自己保身がすぎて卑怯かもしれない。
だから私はあえて自分が傷つくように結論付けた。
――結局、私は邪魔な子供だったのだ。
兄にとって私は重りだったし、彼が経験した暮らしとは彼のストレスそのものだったのだろう。
両親の死。
私と叔母からの無言の期待。それがひたすらに邪魔だったに違いない。今ならそう分かる。
兄は優しいから期待には応えようとするし、実力も才能もあるから無理だって出来る。
それが決定的に、致命的に兄を苦しめてきたのだ。
そしてあの大けが。選手としての能力をごっそりと持って行かれたあの瞬間。
兄はついに折れてしまった。
――私はなんてバカな子供だったんだろう。自分の寂しさばかりに気をかけて、兄には何にもしてあげてなかった。
そう気が付くと、弱い私はやはり泣いてしまうのだった。
その時、なんとなく昔兄からもらった本の内容を思い出していた。
脳の病気で記憶を失っていくヒロイン。彼女の病はゆるやかに死に至るもので、ヒロインの幼なじみの少年は彼女を助ける為に先端医療の研究者を志す。記憶を失い行く彼女は、しかし何度も少年に恋する。
そして最後は大人になった少年が治療方を確立し、彼女を助けてハッピーエンド。
そんな小説らしい夢物語。
馬鹿らしい。現実はそんなに甘くないのだ。
私はその時初めて兄から貰った物を嫌いになった。
そして思う。
夢物語ではない現実の世界で私がすべきことを。
今後は兄から出来るだけ離れて暮らすべきなのだろうか。
私も、私の中から兄を消すべきなのだろうか? と。
だけど、私はやっぱり何処までも甘くて、兄が大好きで忘れることが出来なくて、だから――
だから一つの計画を思いついたのだ。
他人としてでもいいか兄と一緒に居よう。そう言う我が儘を叶えるための計画だった。
~現在、ファミレス店内~
ついていた嘘を全てバラしてしまうと、心がすっと軽くなった。
でも、こんな事をいきなり言われた『男』の心境を考えればまたすぐにどんより暗く重い気持ちが湧き出る。
男「……」
娘「すべて、本当の話だ」
『男』は私の顔を見つめたまま、黙り込んでいる。
私は思わず目をそらした。
やっぱり、心が痛むのだ。今から自分がやろうとしていることに。
娘「信じがたいかもしれないが、私はあなたの妹で、あなたが家族だと思っていた人たちは私たちの父方の叔母一家。そしてあなたが私の母親だと思っている人は私たちの『育ての親』だ」
男「やめてくれ……頭が痛い……」
『男』息が荒くなる。
それは一年前に何度も観た記憶喪失の前兆だった。
正直怖かった。
また失ってしまいそうで。
また『兄』を傷つけてしまいそうで。
だけどここで立ち向かわなければならない。
そうしないと『兄』には会えないのだから。
娘「……やめない」
ここで止めるわけにはいかない。
娘「正直、何も話さないままずっと『男』と居るのも悪くないと思った」
男「……! 本当にやめてくれ! 頭が痛いんだ!」
娘「あなたは『兄』と同じぐらい優しいし、一緒に居てくれる時間なら『兄』よりもずっと長かった!」
だけど。
あなたは『兄』が生きるべきはずだった時間を蝕んでいる。
偽物だらけの毎日を『兄』なりかわって生きている。
娘「その時間は本物じゃない。それは私の為にも、『男』のためにも使われるべきでは無かったんだ……」
だって、
娘「『男』、あなたは偽物だから」
そして私も偽物になりかけていたから。
娘「だからっ!」
偽物ごっこはもう終わりにしようよ。
妹「お兄ちゃんを返してよ!」
頑張ってくれ!
俺も700~800の間には終わるように善処する。
~路地裏、逃げ出した男~
吐き気を感じた時にはもう胃の中の物を半分以上吐き出していた。
人気の少ない路地裏。
ファミレスから逃げ出した俺は隠れるようにかがみ込む。
それにしても。
男「何だよあいつ……いきなり変なこと言いやがって……」
あんな嘘っぱちを俺に話すなんて、どういうつもりなんだよ……。
男「全部、嘘だよな?」
自分の存在を確かめる為に右の掌を眺める。
大丈夫だ。俺はココにいて、ちゃんと昔の事だって思い出せ――
男「うあああああ……っ! 頭が……っ!」
嘘だろ? おかしいって。
あるべき記憶がない。
あると思っていた記憶が見当たらない。
男「おえっ――」
痛みに耐えかねて胃液が逆流してくる。
頭の中を乱暴にまさぐられる痛みを伴う不快な感覚が増していく。
何かを探すような手つきを感じる。
誰かが何かを探している。そんな感覚。
男「俺が偽物ってどういう意味だよっ!」
俺が偽物。
『娘』は『妹』 で、俺は『兄』だって?
そんなの信じられないだろうが。あり得ないだろうが。
なのに、なんでこんなに混乱しているんだよ俺は!
何でだよ……。
もう屈んだ体勢すら維持できない。俺はゆっくり倒れていく。
目の前はゴミ捨て場だけど、そんな事はもう些末な事だった。
その時。
手にどこか懐かしい感触を覚えた。
ゴミ捨て場。
何の変哲も無いただのゴミ溜めから何を思い出すというのか。だけど、手から感じるその感覚は確かに懐かしい。
力を振り絞って首を持ち上げ、その手に触れる物をみる。
男「何だよ……」
ただの本じゃないか。
こんなもん、何だって言うんだ。
男「うっ……うっ……」
とうとう俺も気が触れてしまったのかもしれない。本を触っただけなのに涙がとまらない。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』
有名なタイトルだった。
それこそサッカーばかりやってきた無学な俺ですら知ってるくらい。
だけど、なんで俺はこんな本を見つけたぐらいの事で泣いてるんだ?
この本にそんな深い思い入れが有るわけじゃ無いだろう。
思い入れじゃないとしたらこの感覚はなんだ――
男「あー……なんだそういう事か……」
これはいつか俺が拾った本だった。
誰かのために拾って、その誰かを喜ばせようとしていたんだっけ。
男「誰にこんなもん上げようと思ったんだっけなぁ……」
思い出せない誰か。
その誰かを想うと何故か涙が止まらない。
男「こんな本だけじゃ喜べないのになぁ……」
必要なのはそんなもんじゃ無いだろう。なんて誰かに向けての怒りが沸く。
誰への?
もう分かってるさ。さすがに、馬鹿な俺だって。
男「立ち上がれよ……」
抜けた力を呼び戻すように命令する。誰にでも無く、ただ自分自身に。
なんとかゴミまみれながらも立ち上がる。
散々な姿だろう。
みっともない姿だろう。
だけど行かなきゃ。
そいつが誰なのかを確かめにいかなきゃ。
ずっと俺を待ってるやつ。しょうもないお土産なんかを宝物みたいに大切にする奴が俺を待ってるから。
――たとえ偽物だとしても、俺は走り出す。
~ファミレス~
きっともう店を出ただろう。
そんな駄目もとで戻ったファミレスにそいつは居た。
あっけないというか。こいつらしいというか。まるで全てがお見通しみたいな感じで、最後までまるで食えない奴だ。
妹「戻ってくるって信じてた」
男「はは……そんなに信頼されてるのかよ……その『兄』って奴は」
本当に。マジで妬けるよ。
男「はぁ……信じがたいけど、信じるしかないよな」
今まで感じない振りをしてきた違和感たちに一度気が付いてしまうと、もうそれは無視出来ない。
俺は偽物で、本物が他にいる。
男「俺ってなんだったんだろうな」
男「俺なんて居なくてもよかったんじゃないか?」
妹「……そんな事は無い」
男「はは、そう言われると悪い気はしないな。つーか結構報われるかも」
男「……短かったけど、楽しかったよ……」
そろそろお別れだ。
お別れの仕方はもう分かっている。
妹「私も楽しかった……絶対に忘れない」
右手の本。
さっきゴミ捨て場で拾ったうすきたない古本だ。
それを妹に差し出す。
これで本当にお別れ、というかバトンを本来もっていなきゃいけなかった奴に返さなきゃならない。
妹「ありがとう……っ!」
本がゆっくり妹の手に触れる。
――そして、俺の意識は急激に揺らいでいく。
どうやらこれで本当に終わりらしい。
意外とあっけない物だな。動揺していない自分も以外だし。
まあとにかく。
――あとは頼むぜ。本物の『お兄ちゃん』
~二年後、兄~
高校選手権決勝からの一年と何ヶ月かの間。
その間の記憶が思い出せるようで……しかし、なんだかハッキリしない。
気が付いたら脚は大分良くなってるし(そりゃ以前みたいに50Mを五秒台で走るなんて絶対無理だけど)東京でマンションを借りて大学に通っていた。
嘘みたいだけど本当の話だ。
一緒に暮らしている妹に聞いてみても「さあ」としか答えないし、俺たち兄弟を育ててくれた叔母さんに聞いてもまた「さあ」
まあ別に、その疑問に答えを見つけるのはいつだっていいんだけどな。
俺には今確固とした目標があって、それを目指して這いつくばるのに精一杯なのだから。
二年前の復帰試合。そこで俺は自分の中に新たなる可能性を発見した。
――速く走れなくたって、俺はまだまだサッカーを続けられる。
いつか監督のいった通りだったのだ。
ゲームメイクのセンスと正確なキック。それを生かしたボランチというポジション。
そこでならまだ俺は輝けるのだ。
そして俺は今新たな目標に向かって一歩踏み出そうとしている。
友は言った。
『やっぱり男は出来る男だよ! 世界一のサッカー選手とか夢じゃないよね!』
本当にむずがゆいことを平気で言う奴だ。
監督は言った。
『いや、実に良かった。君みたいな原石を目の前に『加工ミス』をしてしまってはフットボールの神様に申し訳が立たないからね。
良かった。まだ私の目は狂っていなかったよ。老眼だけどね』
いちいち訳の分からんこと言うオッサンだ。
まあ嫌いじゃないけど
パシャッ パシャッ! パシャッ パシャッ!
記者「怪我での挫折、そして大学二年時の劇的復活とプロデビュー。そしてその二年後の今はスペインの強豪入り! この劇的なシンデレラストーリーについてご自身はどうお思うなんですか!?」
空港の入り口。数十人の記者に囲まれてしまっていた。
兄「――っあ、ちょっと考え事してました。えーっとなんだっけ? この二年? いやー早かったですよねー。もうあれ、びゅーんって感じでしたはい」
記者の問いに適当に答えつつ、キャスターを引きエントランスへ向かう。
記者「恩師であり、プロデビューの立役者でもある監督氏からは何か言われましたか?」
兄「えーっと、なんだっけ。老眼?がどうのこうのって言ってましたね」
パシャッ パシャッ! パシャッ パシャッ!
記者「今の気持ちは?」
兄「早くサッカーがしたいですね」
パシャッ パシャッ! パシャッ パシャッ!
兄「うんじゃそろそろ」
記者「あ、最後の質問です!」
――感謝している人は誰ですか?
自然と足が止まった。
感謝してる人。
俺には沢山居る気がする。
妹、叔母さん、父方の叔母さん一家、友、監督、大学の奴ら。
兄「うーん……」
それで全部だろうか?
誰か欠けているような気がする。
一番近くて、一番離れている様な存在。
それは一体――
兄「まあ、それはまた今度で! 全部成し遂げてから纏めて感謝したいとおもいまーす! じゃ、アディオス!」
記者「あ、ちょっと待ってください!!」
パシャッ パシャッ! パシャッ パシャッ!
記者の群れを抜けてエントランスをくぐる。
なんとか待ち合わせの時間に間に合っただろうか。
兄「お待たせ」
今日みたいな真夏日にぴったりな白いワンピースを纏った長髪の少女。
数年前と比べれば随分大人っぽく成ったなぁ、なんてオヤジ臭くも思う。
妹「遅いぞ」
兄「いや、なんかインタビューとか記者の相手とか色々あって」
妹「スーツ。せっかく良いのを買ったのにもう皺になってるぞ」
そう言って彼女はスーツの皺を手で撫でならし、ついでにネクタイのズレまで直してくれる。
兄「はは、悪い。ありがとう」
そう言って頭を撫でてやる。
彼女、妹の表情は屈託のない笑み。
妹「何、兄妹なのだから助け合うのが当たり前だろう?」
そりゃそうだ。
そう心から思う。
一方的に頼られるだけでも、一方的に頼るだけでもない関係。
それが俺たちのあるべき姿。
兄「そうだな。じゃあこれからちょっと忙しくなるけど、一緒に頑張ろうぜ」
辛いことは絶えないだろうけど、こいつが居ればどうにかなりそうだ。
いつかお互いに好きな奴が出来て結婚したりしても、俺たちの関係はきっと変わらない。
足りない分だけ補い合うのみ、だ。
妹「分かってるって!」
妹「がんばろうね! お兄ちゃん!!」
そんな感じで。
俺たちは進んでいく。
END
おわったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
寝ちゃった人が多いだろうけど、付き合ってくれた人マジでありがとう。
長かった
途中でエンディングを変えたから回収できてない伏線があるかもしれない。出来る限り回収したと思うけど
それか若干わかりにくいかも。
娘が過度に華奢だった理由は兄の事で気を病んでいたからとか。
面白かった!
あえて言えば、前半と後半の
差異と言うか、違和感が気になる。
乙だけど…スレタイはなぜ?
>>738
その辺は明らかに準備不足だったわ。
こんな長くなるとは思わなかった。
乙カレー
変更する前も見てみたかったり
>>742
いや、どのみちあの部分からはリアルタイムで書き進める予定だった。
書き溜めなかったから。
>>739
わからん・・・。もう思い出せない。
思い出せないとな
そうとう無理をしたんだろう
もう寝るといい
おつかれー
面白かった!予想してた展開とはかなり違ったなぁ
俺は主人公の別人格ってことなのか?
西尾維新意識した?
おつ
やっぱ変えてたのか
最初はどうするつもりだったの?
超絶に乙!
今後>>1のSSをみつけるキーワード的なの教えてくれたら嬉しい。ギャグや地の文、雰囲気が好きすぎる
>>745
ありがとう。
しかし、今寝ると中途半端な気がする。
>>746
大体そんな感じ
>>747
戯れ言シリーズを読んだだけなんだけど西尾維新ってこんな感じ? もうちょいくどくない? いやこれもくどかったのかもしれん。まあプロとは全然レベルが違うね。
>>748
ベタに娘が病気でした死んじゃうよ系。
>>749
気に入ってくれてどうもありがとう。
キーワードか……多分、タイトルが登場人物同士の会話になると思う。たぶん。
それじゃあお疲れ。
寝る。
なんで娘は学校行ってなかったんだ
乙
友の左足の怪我した時の状況がよく分からなかった
起きた。大分すっきりしたわ。
>>777
最初のあれこれは男の正義感を利用した茶番って感じ?
どうやった男が「小学生の女の子」を家に置こうとおもうか思慮した結果。
小学校に行ってないのは兄の件以降。以前は変な奴扱いされつつも通い続けていた。
>>791
オーバーラップが雑で読みにくかったな。すまん。
簡単に言うと、ポスト(ゴールの縦柱的な)と、勢い余って突っ込んできた男に挟まれた。
あー。書き損ねたところがまた一つあった。
友も妹の計画の協力者。
娘を初対面の相手の様に扱ったり。
友にとっては『男』も『兄』殆ど変わらない様なものだけども。
坪倉「だからお兄ちゃん、私とセック……」
杉山「言わせねーよ!?」
このSSまとめへのコメント
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