梓「S.B.」(273)

sb

梓「ただいま!」

唯「梓ちゃんおかえり~」

梓「ちょっとお母さん、いちいち抱き付かないでよ」

唯「えー」

澪「おかえり梓」

梓「澪さんただいま」

私にはお父さんがいない。
そのかわり私の家にはお母さんと澪さんがいる。

お母さん。
ちょっとぬけている所があって家にいる時はぐーたらでちょっと子供っぽくて……まあ優しいし若々しくて綺麗なんだけど。

澪さん。
お母さんと同い年、綺麗でかっこよくて何でも出来る人で私の憧れの人。
私の物心がつく前から一緒にいるもう一人のお母さん的存在。
お母さんにも言える事だけどこの外見で40を超えているなんて正直ありえない。

それと高校生の私を含めた3人で暮らしている。

何度かお父さんの事を聞いた事もあるけど、私が大人になったら教えると言われてきたのでお父さんの事は知らない。
それでも高校生にもなるとお父さんがいない理由の一つや二つ予想できる。
いつかお父さんの事について話を聞いたとしても極端に驚いたり悲しんだりはしないだろう。

梓「あれ、お母さん今日休みだったの?」

唯「うん。私達買い物してご飯食べに行こうと思ってるんだけど梓ちゃんも行こうよ」

梓「え、うーん……でも私ギターの練習しないと」

澪「学園祭ライブ近いもんな」

梓「そうなの。だから今日はやめとく」

唯「そっかーそれじゃ仕方ないね。ご飯は買ってくるからみんなで食べよ」

梓「2人で食べてきなよ。私は家にあるものでいいから」

唯「えー」

梓「いいからいいから」

澪「もし何か買ってきて欲しくなったら連絡して?」

梓「ありがと」

唯「うう……じゃあいってくるよ梓ちゃん」

梓「はいはいいってらっしゃい」

寂しそうな眼差しで出掛けるお母さん。
でもこればっかりはしょうがない。
ライブでいい演奏したいし。

自室で練習しようと思ってたけど家に誰もいないならリビングでもいいかな。
うちはお母さんも澪さんも音楽が好きで演奏もするから機材には恵まれている方だ。
ギターやベースは何本もあるし、物置にはドラムセットまであるから軽くバンドが組めそう。
現にお母さん達とセッションしたりするしね。
ちなみにジャズが多めだけどたまに歌詞がやたらかわいい曲なんかもやる。

部屋から愛用のギターを持ち出していざ練習。
まずはチューニングを……あちゃあ、チューナー持ってくるの忘れた。
でもうちにはリビングにもチューナーあるもんね。
……チューナーの電池切れてる。
そういえばお母さんも澪さんも殆どチューナー使わないんだった。

ええと、電池電池。
電池どこだっけ……見つからない。
戸棚やクローゼットを探してみるけどどこにもない。
物置部屋を躍起になって探している時にふと気が付いた。

梓「私のチューナー使えばいいじゃん……」

小物入れの引き出しを開けた所でうなだれた。
何やってるの私。
早く練習しよ……ん?

梓「……なにこれ?」

文房具ばかりの小物入れの奥に異彩を放つ物体が。

梓「これ……パソコンの?」

最近ではほぼ見ない旧式のUSBメモリーがそこにあった。

梓「へぇ、うちにこんなのあったんだ」

フォルムや大きさに懐かしさを感じつつUSBメモリーを手に取る。
見慣れない企業名の横に4GBという表記があった。

梓「4GBって4ギガ? 容量少ないなぁ」

昔はこんな容量でも事足りてたんだろうか。
それにしても……気になる。
十余年暮らしてきた我が家にこんなものがあったなんて。
それに記憶媒体だから中に何かが入っているかもしれない。
お母さんや澪さんの仕事関係の資料かもしれないし、写真とか入ってるかもしれない。
もしくは私の知らない何かが。
ギターの練習の前にちょっとだけ見てみようかな。

USBか……私のパソコンじゃ見れない。
お母さんのパソコンはどうだろう。
私はお母さんの部屋へ行ってパソコンを調べる。
USB端子……あった!
USBなんて古すぎて無いだろうと思ってたけどちゃんと端子があった。
どうやらUSB端子をわざわざ付け足していたようだ。

梓「お母さんわざわざこんな事してたんだ」

ともかくこれで中身を見る事が出来る。
早速パソコンの電源を入れてUSBメモリーを接続した。

梓「どれどれ……」

メモリーの中には1枚の画像ファイルのみ。
ファイル名はS.B..jpg
緊張しながらいざ開いてみると。

梓「……写真」

お母さんと澪さんのツーショット写真。
それだけだった。



梓「なーんだ」

写真のお母さん達は今より若く見える。
私と同じくらいかな?
2人の昔の写真自体はまあまあ面白いものだけど……少しがっかり。

正直期待していた。
私の知らない情報、つまりお父さんの事。
見たことのない父に対してある程度割り切っているとは言え、気にならない訳じゃない。

梓「私のお父さんてどんな人なんだろ」



?「知りたいのかい?」

梓「えっ!?」

背後から知らない人の声がした。
振り向くとそこには……



   ∧_∧
  //(・ー・)ヽ   「やあ」
 /ノ ( uu ) ヽ)



見たことのない生物(?)が猫みたいに座っていた。

梓「……は?」

//(・ー・)ヽ「foooooo……久々の電気は実に美味しい」

謎の生物が半目になりながら天を仰いでいる。
なん、なにこれぇ……。

//(・ー・)ヽ「ええと、PCの日付は……ふむ、15年ぶりくらいか」

梓「……」

//(・ー・)ヽ「おっと、挨拶がまだだったね。ボクの名前はしゅうべえ、電子の妖精さ」

梓「……え、私に喋ってるの?」

SB「もちろんさ」

梓「……ナニコレ」

SB「しゅうべえだよ。キミは?」

梓「ひ、平沢梓ですけど」

反射的に目の前の珍獣に自己紹介してしまった。

SB「ふむふむ、それで君は自分のお父さんが気になると」

梓「それはまあ……っていうかあなた何なんですか。普通に喋ってるし」

SB「ボクはしゅうべえ」

梓「それはさっき聞いた」

SB「キミの願いを叶えてあげられる……かもしれないよ」

梓「……どういうこと?」

SB「ボクには時間を遡る力があるんだ。電力食うけどね」

梓「はあ、そうですか」

SB「あっ! その目は信じてないね?」

梓「まあ……」

SB「それなら体感してもらった方が早いかな」

梓「え、結構です」

SB「まあまあ、君のお母さんには恩があるからね。せめてもの恩返しだよ」

梓「お母さんに恩……?」

SB「そういう訳だから、どうかな?」

梓「どうって……何をするつもり?」

SB「そうだね、まずは君が生まれる前の時代に行ってみようか」

SB「それで君のお母さんに乗り移ってみよう!」

梓「は……? いやいいです。何か怖いし」

SB「それじゃあ行くよ!」

梓「ちょっと! 話聞いてよ――えっ?」

突然眩暈に襲われた。

あう……頭が真っ白に――



――ん?
私何してたんだっけ?
……。
あ、ギターの練習しなきゃ。
……。
あれ、体が動かない。
えっなんで?
そもそもここどこ!?
なんで私知らない家でパソコンいじってるの!?
しかも古いパソコン……。

SB(やあ、梓)

えっ?!
その声は……。

SB(そう、ボクだよ。しゅうべえだよ)

梓(どこにいるの?)

うぐ……目も動かせない。

SB(それはしょうがないよ。ボク達は今唯の頭の中にいるんだから)

…………へっ?

SB(だから梓が身体を動かせなくて当然さ。今のボク達は意識だけなんだから)

梓(そんな馬鹿な……)

SB(現にこうして過去の唯の家に来ているじゃないか)

梓(ってそんなの確認しようがないでしょ!)

唯「ダメかなぁ、可愛いと思うんだけど」

っ!!?
今勝手に自分の口が開いた!

SB(違うよ、口を開いたのは唯だよ。キミは今唯の頭の中にいるから感覚がリンクしているんだよ)

まさか……。
でも今口が勝手に開いた。
だけど声は明らかに私の声じゃなかったし……お母さんの声みたいだった。

SB(暫く観察してみるといいよ。それと意識を集中すれば唯の思考が読み取れるかもしれないよ?)

梓(そんな事が出来る訳……)

SB(ものは試しだよ。さあ)

う……仕方ない。
夢って線は消えてないけどちょっと観察してみよう。
と言っても目すら自由に動かせないからお母さん(仮)が見たものしか見えないんだけど。
もし本当に私が生まれる前のお母さんだったら……姿くらいみたいかも。

とりあえず目前にはパソコンが見える。
なんとも古臭いディスプレイとインターフェイス。
確かに十余年前のパソコンっぽいな。

他に日付を確認できそうなものは……あった。
インターネットブラウザには動画サイトが表示されており、動画の投稿日時が記されていた。
そこには私が生まれるより1年以上前の日付が記されている。
うそでしょ……いや、これは動画の投稿日時だし……。
……いやー面白い夢だな。

他には画面下のタスクバーからフォルダやらメモ帳やらのタイトルが見て取れる。
S.B..txt……なんだこれ?
ここでお母さんがブラウザのタブを切り替えた。
そこには「精子」という文字が。

梓(……は?)

ちょっと、なにこれ。
別のタブに切り替えられる度に「精液」やら「風呂」やら「ザーメン」とか。
お母さん何検索してるの!?

梓(いや、これがお母さんなわけない。多分私の夢だ)

SB(キミも意固地だね。これは紛れもなく君が生まれる前の唯だよ)

梓(……)

パソコンの画面に意識を戻すと先程の動画サイトに戻っていた。
日付は何度見ても私が生まれる前。
あ、動画を再生したみたい。

画面には20才ちょいくらいの女の子が1人。
学生服を来てバスタブに入っている。バスタブには女の子以外何も入っていない。
そこに画面外から垂れてくる…………ナニコレ。

動画のタイトルを確認してみると

『疑似精液風呂』

と書かれていた。

梓(ちょっ!!!?)

な、何見てるの?!
いやいやいや!
お母さんがこんなの見る訳ない。

SB(それなら意識を集中して唯の思考を覗いてみればいいよ)

そんなこと出来る訳……。
……あ。

見えた。
少しずつだけど頭の中に情景が流れ込んできた。
なにこれ、お母さんが動画と同じようなバスタブに入って、ドロドロしたものが注がれて。
……精液をかけられている、という妄想。
ありえないでしょ、こんな……。

あれ、手が勝手に動く――

――ッ!?

手が勝手に胸を揉んでいた。
つまりお母さん(仮)が自分で自分の胸を……ひ!?
これってつまり……オ、オナ――!

梓(無理無理無理無理! ストップストップ!)

必死に身体を動かそうとしてもどうにもできない。
なのに胸を揉んだ感触だけは生々しく伝わってくる。
このボリューム、弾力……間違っても私の身体じゃない。
その事が分かると本当に過去のお母さんに乗り移っているのではと思えたり。
いやそれよりも!

梓(しゅうべえ! しゅうべえってば!)

SB(なんだい梓?)

梓(わかったから! もういいから! とにかくここから脱出させて!)

SB(やっとわかってくれたんだね! そう、ここは紛れもなく過去の唯の頭の中で――)

梓(いいから早くして! このままじゃ……!)

しゅうべえと言い争いをしている間にもお母さんの手が下腹部に伸びてスウェットの中に潜り込む。
ショーツの上から陰核の周りを中指で擦るとじんわりとした快感が私とお母さんの脳みそをふやけさせる。

梓(ふあああっ!? ちょ、やばいやばい……!!)

ショーツの中に手を伸ばし直にクレバスをなぞり始めた所為で思わず叫んでしまった。
そこは既に湿っていたが直に刺激を与える事で指ですくえる位に濡れ出す。
そうして濡れた指を再びクリトリスに這わせて塗りたくる。

梓(ん……っあ!!?)

唯「ん……っあ!」

唯「……?」

梓(しゅうべえ早くしてえ!)

SB(あんまり騒ぐと唯の頭の中にノイズが入っちゃうよ? それで今度はどこに行こうか?)

梓(どこでもいいから! ここではないどこかにして! あと人の頭の中に入りたくない!!)

SB(やれやれわかったよ。それじゃあ次は唯の高校時代に行って見ようか)

梓(急いで!)

SB(それじゃあ行くよ!)

梓(急いでえええ……あ――)

また眩暈がする。
それから頭が真っ白に――



唯「……なんだったんだろ」




――あ。

梓「酷い夢だった……」

SB「だから夢じゃないんだってば」

梓「そんなぁ」

SB「もうひとつ付け加えておくとさっきの唯の行動は紛れもなく過去にあった事だからね」

梓「それ以上言わないで」

SB「……」

梓「で、今度はどこなの?」

SB「ここはさっきよりもさらに十余年ほど過去の時代だよ。梓のいた時代から考えると30年前くらいかな」

梓「へえ、それで場所は?」

SB「私立桜が丘女子高等学校。キミのお母さんの母校だよ」

先程の悪夢と違って今度は自分の身体が普通に動く。
胸もない。
誰かの頭の中ではないみたい。

梓「ここがお母さんと澪さんの母校かぁ……」

感慨深い。
経過はどうであれここを見れた事は良かった。
それに……。

梓「私も制服着てる」

SB「うん、サービスだよ」

澪さんと同じ制服だ。写真で見た事ある。
……うふふふ。
青いリボンまでお揃いだ。

梓「でもさ、ここに来てお父さんの秘密とか分かるの?」

SB「キミがどこでもいいからって言うからここにしたんだけど」

梓「あ、そう……」

さっきみたいなエロピンチは無いみたいだし学校を散策してみようかな。
ええと、前方に音楽室、左手に音楽準備室、後方は階段か。
音楽室……もしかして。

梓「ここってお母さん達の部室……?」

見てみたい。
ここでお母さん達はバンドを組んで高校生活を過ごしていたんだ。

いや待って、こんな事が現実なわけ……時間を遡るとか言ってたのに何でもアリじゃん。
そんな事を考えていると左からガチャっという音がした。

梓「えっ?」

音楽準備室の扉から人が……

?「ん?」

ひ、人がいる!?

SB「そりゃあいるよ、ここは――もが」

黙って!!

?「……あのー」

梓「あ、いえ、これは!」

?「もしかしてあなたが平沢唯さん?」

梓「え?」

梓「あ、いや、違います……」

お母さんの名前を知ってる人。
それにこのカチューシャしてる人写真で見た事ある。
確かお母さん達と一緒にバンド組んでた人だ。

カチューシャ「ありゃ、ごめんね」

てことはここが軽音楽部の部室なのかな。
それなら当然澪さんもいるはず。
若かりし日の澪さん……見たい、すっごく見たい。

梓「あの……」

カチューシャ「ん?」

梓「軽音楽部ってここなんでしょうか?」

カチューシャ「そうだけど、もしかして入部希望とか!?」

梓「ええっと、見学したいと思いまして……」

カチューシャ「オッケェーイ!!」

カチューシャの人に手を引っ張られて音楽準備室へと連れ込まれた。
こっちが軽音楽部の部室だったんだ。

カチューシャ「みんなー! 見学希望者が来たぞー!」

澪「本当かっ!?」

?「まぁ~!」

梓「あ……!」

あの長い黒髪に凛々しい目元……間違いない。

梓「澪さんっ!」

澪「えっ、私の事知ってるの?」

しまった。

梓「あ、いや! 名前だけ……」

律「なんだよ澪ーもう有名になってたのか?」

?「すごいですね」

澪「いや、そんなわけないだろ」

もう一人の方も写真で見た事がある。
この人もバンドのメンバーだったはずだ。

律「冗談だよ。よーしムギ、お茶の準備だ!」

ムギ「はい~」

促されるまま席についてムギさん(?)から紅茶とケーキを頂いた。
……ここ部室だよね?

カチューシャ「ところでさ」

梓「はい」

カチューシャ「その腋に抱えてる人形何?」

SB「ボクは――」

梓「ばっ!!!」

喋っちゃダメでしょ!

カチューシャ澪ムギ「……」

梓「あ、や、これはゲームセンターで取った喋る人形で……」

苦しい……。

カチューシャ澪ムギ「へぇ」

あんまり気にしてないな。

ムギ「ところでお名前は? 学年は同じですよね?」

梓「あ、はい、平沢梓と言います」

カチューシャ「平沢? 平沢唯さんじゃなくて?」

ムギ「同じ苗字なのかしら」

この人達お母さんの名前だけ知ってるんだ。
お母さんが入部する前なのかな?

SB(そのようだね)

梓「えっ」

SB(大丈夫、これはテレパシーのようなものだから梓以外の人には聞こえてないよ)

梓「そうなんだ」

カチューシャ澪ムギ「……」

SB(キミも言葉を思い浮かべればボクとテレパシーできるよ)

梓(先に行ってよ!)

澪「え、えっと……平沢さんは楽器経験者?」

梓「ええ、ギターを」

カチューシャ「ギター!! やったーこれでバンドが出来るぞー!」

SB(ちなみに彼女たちは現在高校一年生で今は4月だよ)

ふぅん。
……あれ、私が入る事前提で話が進んでない?

梓「あの、他に部員はいないんですか?」

カチューシャ「そうなんだよー。実は部員が私達3人しかいなくてさ、危うく廃部になるとこだったんだ」

梓「さっき言ってた平沢唯さんは……?」

カチューシャ「今日来る入部希望の人らしいんだけど、そういえば平沢さん来るの遅いなー。とっくに来てもいい頃なのに」

え……?

梓(ねえしゅうべえ)

SB(何だい?)

梓(過去に戻るって事はさ、私がこの時代に少なからず影響を与えてるって事になるの?)

SB(キミは察しがいいね、その通りだよ)

梓(じゃあ、ここにお母さんがこない事も私が影響してたりするの……?)

SB(その可能性は否定出来ないな)

梓(それってまずいんじゃ……あれっ!?)

フォークを握っていた手がうっすらと透けている。
これってもしかしなくても……。

梓(私が与えた影響で私自身が生まれなくなるなんて事も……?)

SB(当然ありうるだろうね)

梓「わああああああーー!!」

カチューシャ澪ムギ「!?」

梓「す、すみません! 私やっぱり軽音楽部に入れません!」

カチューシャ「えー!?」

梓「そのかわりお母さ、平沢唯さんをつれてくるのでちょっと待ってて下さい!」

そう言い残して部室を飛び出した。
急いで階段を駆け下りる。
まずいまずいまずい。
お母さんが部室に来ないと私が消えるという事はお母さんが部活に入らないと私が生まれないって事だ。
何とかお母さんを見つけないと!
でも私この学校の構造わかんないしどうしたら……。

こうなったら恥はかき捨てだ。
どうせ私を知ってる人なんていないんだし。
私は大きく息を吸い込む。

梓「平沢唯さーーーーーーん!!!!」

廊下にいる生徒が驚いてこちらを振り向く。
ぐあー恥ずかしい。
けど今はそれどころじゃない。
右手がかなり薄くなってる。

梓「平沢唯さんはいませんかーーーー!?」

お願い見つかって!

?「あの」

梓「お母さん!?」

?「えっ」

違った、眼鏡をかけた生徒だった。

梓「すいません間違えました」

顔が熱い。

?「えーっと、唯を探してるのよね」

梓「あ、はい! 大事な用があるんです!」

?「唯なら軽音部の部室に行ったわよ」

梓「それがまだ来てないんです!」

?「そうなの? 何やってるのかしらあの子……あ」

眼鏡をかけた生徒が窓から校舎の入り口付近を見ている。
そこには栗色ショートカットの生徒がいた。
あれだ間違いない。

梓「ありがとうございましたっ!」

急いでお母さんの元へ向かう。

校舎を飛び出してもう一度。

梓「平沢唯さーーーーん!!!」

唯「!?」

あっ気付いた!
何だかすごく怖がってるけどそんな事はこの際どうでもいい。
お母さんに駆け寄って手を掴んで軽音楽部の部室へ走り出す。

唯「あ、あのっ……!」

梓「もー! どうして部室に行かないのよ!」

唯「え、あ、軽音部の方ですか!? ごめんなさいSATSUGAIしないでぇぇ!」

梓「いいから早く!」

唯「はっはいぃ!」

全速力で部室に舞い戻ってお母さんを放り込む。

唯「はぁはぁ……うわあっ!?」

梓「ぜえはあ……皆さん! 平沢唯さんを連れて来たので後はよろしくお願いします!」

そう言い残してその場を後にした。
とにかく恥ずかしかったので急いで学校を後にする。
全く知らない土地をひたすら走っていると踏切が見えてきた。
ここまでくれば大丈夫かな。

SB「キミは何から逃げているんだい?」

梓「へっ? あ……色々恥ずかしくて」

SB「恥はかき捨てじゃなかったの?」

梓「う、うるさい」

膝に手をついて息を整える。
消えかかっていた右手は元に戻っていた。

梓「よかったぁ」

SB「結局お父さんのヒントは得られなかったね。もう一度学校に戻るかい?」

梓「それはちょっと……でも手がかりなら少しは」

SB「本当かい?」

梓「うん、この時代でもお母さんは平沢って苗字だから……だから……」

結婚してない……と思ったけど離婚とかしたら旧姓に戻るか。

SB「収穫はなかったんだね」

梓「で、でも澪さんに会えたし。ああ……やっぱり澪さんかっこよかったなぁ」

SB「ふーん、やっぱり学校に戻った方が」

梓「でもなぁ……お母さん達が同い年っていうのも何だか落ち着かないし」

SB「それならここから1年後に行ってみるかい? キミが彼女達の後輩になるんだ」

梓「私の事を覚えられてたら不審に思われるでしょ」

SB「それはないね」

梓「え?」

SB「時間を遡る事によってその時代に影響を与える事は出来てもその時代にいない人の事は忘れられていくんだ」

SB「だから別の時代に行けば今日出会った梓の事はみんな忘れるさ」

梓「へぇ……って事は1年後に澪さん達の後輩として入っても」

SB「誰も覚えていないだろうね」

梓「それなら1年後に行ってもいいかなぁ」

SB「決まりだね。それじゃあ行くよ!」

梓「だからどうしてそんなに急……ぐ……」

3度目の眩暈が……。
ちょっと慣れて来たかも。
この後は段々目の前が真っ白になっていって――



――。

梓「……あれ?」

梓「何も変わってない」

SB「いいや、ここは唯達が入学してから1年後の世界だよ。まあ時期も春だし景色に大きな違いもないけどね」

梓「でも……あ」

私の制服のタイが青から赤に変わってる。
1年後……なんだろうなあ。

梓「でもこの時代でお父さんの秘密が見つかるとは限らないんじゃないかな」

SB「軽音部が重要なファクターなのは間違いないよ」

梓「確かに。私消えかかったてたもんなぁ」

SB「それじゃあ高校に通う準備をしようか」

梓「うん……えっ?」

梓「通う?」

SB「そうさ、これからキミは唯達と同じ高校へ通うんだ。毎日ね」

梓「いやいやいやいや、私もう学校通ってるし。この時代じゃないけど」

梓「それにもうすぐ学園祭のライブもあるからギターの練習しないと」

SB「大丈夫。今は時間を遡ってるだけだから帰りたい時に帰れるよ」

SB「もちろん帰る場所や時間はキミが唯の部屋でパソコンをいじっていたあの日あの時あの場所だよ」

梓「こっちで1日過ごしたからといって現代でも1日経過するわけじゃない……って事?」

SB「その通り」

梓「だとしてもここって桜が丘でしょ? 私が暮らせる場所なんてないよ」

SB「そこは任せてよ! キミにぴったりな家を既に探してある」

梓「はい?」

SB「ついておいで!」

しゅうべえが私の腕から飛び降りて走り出した。
あんな珍獣が平然と道路を走っちゃまずい気がする。

梓「ま、待ってよしゅうべえ!」

しゅうべえの後を追って辿り着いた家はちょっとした豪邸だった。
外観もさることながら家自体も大きい。

SB「ここがキミの住む家だよ」

梓「いやいや……この家人住んでるでしょ。表札ついてるもん」

SB「キミはこの家の子供になるんだ」

梓「はぁ!? 大体私がいたら過去に影響を与えるんだからこの家の人達だって……」

SB「キミは素行も良さそうだし大丈夫だよ」

梓「お、お金とか経歴とかライブの練習とか……」

SB「キミは養子としてココに迎え入れられるのさ。だからお金も問題ない」

今に始まった事じゃないけど無茶苦茶だ。
私とこの珍獣とでは価値観のようなものが違い過ぎている。

SB「それにこの家ならライブの練習も問題なく出来ると思うよ? ほいっ」

しゅうべえがジャンプして表札の横にあるインターホンを押してしまった。

梓「ちょっと!?」

SB「さあ、キミは今からここの家の子供だよ」

梓「ええっ!」

暫くすると玄関の扉が開いて40代くらいの女性が出て来た。
私はテンパりながらも軽く会釈をして、改めて表札を確認する。
どうやらこの時代の私は『中野梓』になるらしい。

梓「ええと、梓です。今日からお世話になります」

母「中野家に!」

父「ようこそ!」

パンパーン。
クラッカーが弾けて中身が私の頭にかかった。
リビングで父となるであろう人が見えたので挨拶をした矢先の出来事だ。

梓「あ……はい」

急な出来事だったからうまく言葉を返せなかった。

母「あら……もっと盛大にお祝いした方がよかったかしら」

父「だから言っただろう。くす玉くらい用意しておこうって」

母「そういえば物置に去年の花火があったかも……」

父「それだ! 今とってく――」

梓「あっいや大丈夫です本当にありがとうございましたーー!!」

父「あらそう?」

母「じゃあ改めて、中野ゆかりです。よろしくね」

父「短っ! 母さんそれは短すぎるよ」

母「母さんって呼び方キモい」

父「ええー、母さんって呼んだ方が大黒柱っぽいかなと思ったんだけど」

母「それより自己紹介でしょ」

父「ん、中野国利です。僕達は一応音楽で生計を立てているんだよ」

梓「ミュージシャンて事ですか? すごいです! どんな音楽をやってるんですか?」

父「え、そう? そんなにすごいかなぁ~ドゥフフフ」

母「こらこら」

父「ああすまんすまん。僕達は主にジャズだね」

梓「ふわぁぁぁ……!」

父「おっ、もしかして音楽に興味あるの? それなら演奏すればよかったなぁ」

SB(どうだい梓、いい人達だろう? それにプロの音楽家だから趣味も合うと思うよ)

梓(……)

SB(梓?)

梓(何かおかしくない?)

SB(何の事だい?)

梓(養子って言うけど普通は家に迎える前に顔を合わせたりするんじゃないの?)

SB(キミは容姿の割に思慮深いね。まあその辺はボクが何とかしておいたよ)

梓(何とかって……)

SB(幸いこの2人は養子縁組はこういうものだって思っているし戸籍も完璧さ。キミがこの時代にいる間だけはね)

この珍獣……最初は時間を遡る事しか出来ないみたいな事言ってなかったっけ?

梓(それってつまり何でも出来るって事なんじゃ……)

SB(何でもは出来ないよ。過去の事象に対して多少のデバッグが出来るくらいさ)

十分過ぎるほど恐ろしい存在だ。

梓(じゃあこの人達も騙してるようなものじゃ……)

SB(感情まではデバッグ出来ないよ。この人達は元々養子縁組に興味を示していたんだ。そうでもなければこんなに豪勢な歓迎会なんて行うはずないだろう?)

梓(……)

父「ん? どうした梓?」

梓「あ、いや……」

母「楽器しかない家だけど自由に使っていいからね」

梓「はい……」

新しい両親との初顔合わせはなんだか複雑な思いだった。
私の部屋も用意してくれていて申し訳ない気持ちでいっぱい。
……なんだけどあの2人はとにかく陽気で盛大に歓迎パーティーをしてくれるものだから私もつい楽しくなっちゃって。
初めて来た家だというのに寝つきは悪くなかった。

翌日の放課後。
私は転校生ではなく最初からいた新入生という設定で学校生活を送った。
流されるままこんな状況になっちゃったけどここまでする必要あるんだろうか。
とにかく早くお父さんの秘密を掴んで現代に戻らなきゃ。
まずは軽音部へ向かう。
部室へ入るのはこれで2度目だ。

梓「あのー」

唯「……はい?」

扉を開けると澪さんとお母さんとあの2人がいた。
どうしよう。
どうせ記憶が無くなるなら私が入部しても大丈夫だよね。

梓「入部希望なんですけど」

唯「……へ? 今なんと?」

梓「入部希望……」

この後カチューシャの人にタックルをかまされて捕獲された。

梓「えっと、1年2組のひら……中野梓と言います」

唯「何この人形! かわいい!」

SB「ボクは――」

梓「UFOキャッチャーで取りました!」

その日は入部届を出して終わり、

唯「梓ちゃんていつギター始めたの?」

梓「あ、えっと、小4くらいからです。親がジャズバンドをやっていたのでその影響で……」

律「すげーサラブレッドだ!!」

暫くは雑談と紅茶の日々が続いて……。
練習したりしなかったり、友達が出来たり遊んだり。
部室には同年代のお母さんと澪さんがいて、現代とは少し違う愛情を注いでくれた。
そして家に帰ればお父さんとお母さんがいる。

正直に言うと悪くなかった。
中野家に引き取られた私に愛情をたっぷり注いでくれるお母さんとお父さん。
私は生まれて初めてお父さんという存在を知る事が出来た。
今までは最初からいなかったから何とも思わなかったけど、これほどの存在が突然消えてしまったらと考えると恐ろしいものがある。

そして中野家の、私の両親はジャズバンド奏者だ。
おかげで家の中には楽器や機材やレコードが山のようにある。
私にとってまさに宝の山だった。
それに3人でセッションしたりも。
当然の如く演奏レベルが高くて、それに加えてこの人達はすっごく楽しそうに演奏するんだ。
まるでお母さんと澪さんみたい。
つられて私も楽しくなっちゃたり。
そんなこんなで学園祭ライブの練習も滞りなく行えた。
そもそも現代に戻ったところで学園祭までの時間はそこそこあるしね。

お母さん達の後輩として軽音部に入ったのも悪くなかった。
この時点でかなり過去を変えているような気もするけどしゅうべえは問題ないって言う。
本当なのかな……?
幸い私の身体が薄くなって消えるという事態には陥っていないから大丈夫……だと思う。

しかし……あんな部活だったなんて。
何て言うか色々ひどい。
もっと練習して欲しい。
それにお母さんも色々ひどい。
若さが有り余ってるからなのか私を見る度に抱き付いてくるし変なあだ名つけるし。
そんな中でも澪さんは輝いていた。
この時代に来て澪さんが益々好きになったと思う。
まあお母さんも好きではあるんだけど……かっこいいところや尊敬できる部分もあるし。
とにかくお母さん達の新しい魅力に気付く事が出来た。

そんなこんなで流されるがままの生活だけど楽しんでしまっています。
でも何か忘れているような……

梓「あーーーー!!?」

SB「うわあ!?」

梓「そうだよ! 私は遊ぶためにこの時代に来たんじゃない!」

SB「……忘れていたのかい?」

梓「だって楽しかったんだもん。お父さん達も優しくてあったかいし」

SB「それはよかった」

梓「よかったけどよくないの! 本当のお父さんの手がかりを探すのすっかり忘れてた!」

こちらの時代は今10月。しかも2年目。
先にこちらで学園祭ライブを経験してしまった。
どんだけ忘れてたのよ私。

SB「手がかりならもう出てき始めてるんじゃないかな?」

梓「えっ、しゅうべえそれってどういう……?」

母「梓ー、朝ごはん出来たわよー」

梓「あ、はーい今行きまーす」

リビングへ行くとお父さんがご飯を食べていた。
最早見慣れた光景だ。

父「おはよう梓」

梓「おはよう、お父さん」

今日から調査再開。
久しぶりに目的を思い出した私はお母さんの様子を窺うことにした。
お母さんを張り込んでいれば必ずお父さんと接触するはずなんだから。
でも。

唯「澪ちゃんはいあーん」

澪「自分で食べるから」

唯「ちぇー」

律「じゃあ私にあーん」

唯「もぐもぐ」

律「おいっ!」

紬「りっちゃん、はいあーんして」

律「サンキューあーん」

お母さんどころかこの人達まるで男っ気がないんだけど……。

どうしよう、帰り道ならお母さんと2人きりになれるしその時にでも……。
ああでも澪さんの好きな人も気になる。ていうか聞きたい。
考えてみたら現代の澪さんとお母さんって私が物心着いた時にはもう同居してたんだよね。
それに澪さんが外泊する時なんて年に1度の社員旅行くらいしかない。
正直30年後も男っ気はない。

梓「あの、皆さん」

律「ん?」

梓「突然なんですけど皆さんて好きな人とかいるんですか?」

騒がしかった部室が一瞬で静まった。
私に注がれる4種類の視線が痛い。
え、何かまずかったかな……。

澪「と、とと突然何を言い出すんだ梓!」

昔の澪さんってものすごく恥ずかしがり屋なんだよね。
かわいい。

律「なんだよーもしかして梓に彼氏でも出来たのか?」

梓「ちがっ、違います! ただその少し気になって……」

唯「好きな人かー……」

律「おっ、唯はいるのか?」

唯「憂かな」

梓「ちょっお母さん!?」

なんというカミングアウト。
そんなものすごい事をこんなに平然と――

唯「憂のご飯ってほんとにおいしいんだよ~」

ですよね。
この人はこういう人だった。

紬「『お母さん?』」

律「どんなツッコミだよそれ」

梓「あはは……びっくりしちゃってつい」

律「じゃあ澪は?」

澪「何で私に振るんだよっ」

律「いいじゃーん教えてよー」

澪「い、や、だ」

律「嫌? 嫌って事は好きな人いるのか!?」

澪「ひぐぅ!?」

紬「本当っ!?」

これはラッキーかも。
澪さんの好きな人ってどんな人なんだろう。

澪「いや、その……」

梓「澪先輩の好きな人ってどんな人なんですか?」

澪センパイ。
最初はこの呼び方に違和感があったけど今ではすんなりと言える。

澪「……わ、わたしは」

唯「うんうん!」

澪「っ! ……わたしは軽音部が恋人みたいなものだからッ!!」

……?
つまりいないって言う事か。
ちょっと期待してたのになぁ。
お母さんも好きな人いないみたいだし。



調査再開からひと月。
私は未だに手がかりを掴めずにいた。
だってお母さんは部活が中心で相変わらず男の気配も無いからデートなんかも当然ないし。
むしろ部員同士でデートしてる感じだよ。
特に澪さんと。
お母さんと澪さんはこの頃から既に親友って呼べるほど仲が良い。
それは傍から見ても分かるほどだ。

この2人は似合っているというかなんというか。
独特の感じがするんだよね。
2人とも美人だし優しいし。
お母さんは決める所は決めるし、澪さんは相変わらずかっこいいし頼りになる。
正直私はこの2人にかなり惹かれていた。
私の親だからじゃない。
人間的な部分て言うのかな……難しいんだけど心が温かくなるっていうか、ドキドキするっていうか。

だから遊びに誘われたりすると調査そっちのけでついて行っちゃう。
今日もお母さんと澪さんのお出かけに私もお呼ばれしたのでついつい……。
澪さんから電話を貰った時はすっごく嬉しかった。
だって澪さんからのお誘いだよ?
そりゃあ嬉しくなるよ……うふ、うふふふ。

唯「どしたのあずにゃん? ニヤニヤしちゃって」

梓「いえ、なんでもないです」

唯「そお? そういえば今日はしゅうべえくんは一緒じゃないの?」

しゅうべえは私のお気に入りのぬいぐるみという設定で通っている。
お母さんはしゅうべえを気に入っているみたい。

梓「ええまあ。それで次はどこへ行くんですか?」

澪「1時過ぎちゃったしご飯でも食べに行こうか」

唯「そうだね~私お腹空いちゃったよ」

こうしてると現代のお母さん達とお出かけしてるみたいですっごく楽しい。

唯「あ、ここなんてどうかな!?」

お母さんが指差したのは和食ダイニング的なお店。
見た所飲み屋みたいだけど。

澪「へえ、この店ランチもやってるんだ。あ、唯これ見て」

なるほど、昼はランチで夜は居酒屋みたいな感じか。

唯「何々……女性同士のご来店で……デザート一品サービスぅ!? 行こう!!!」

澪「うわっ!? 分かったから引っ張るな!」

澪さん達の後に続いてお店に入る。
店内は和風の内装と暖色系の照明が落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
大人っぽいというか飲み屋チックというか。

店員さんに案内されて席に着くとお母さんは早速メニューを睨み始めた。

澪「いきなりデザート見てどうするんだよ」

唯「てへっ」

つっぱしるお母さんをたしなめる澪さん。
この構図は昔から変わらないんだなぁ。

しかし……

唯「うはぁ……! 澪ちゃんこのカツオおいしいよ!」

澪「唯デザートにパフェ頼んでたよな? その組み合わせはどうなんだ?」

唯「いいじゃーん。それより澪ちゃん、あーん」

澪「ばっ……! こんな所で出来るかっ!」

唯「大丈夫だって! はいあーん」

澪「う……うく……っ……あ、あ~ん……」

唯「ね? おいしいでしょ?」

澪「っ……うん……」

唯「あっ澪ちゃんのシューマイ美味しそうだなー」

澪「食べるか?」

唯「いただきまーあーん」

澪「うえっ!?」

唯「はやくちょうらーい」

何やってんだこの人達。

澪さんもまんざらでもなさそうな顔してるし。
ていうか顔赤っ。
ああー……シューマイ食べさせるのがそんなに楽しいのかっていう笑顔を……。
でもそんな澪さんもかわいい。
無邪気なお母さんもかわいい……かな。

澪「口にクリームついてるぞ」

唯「え、どこー?」

澪「取るからじっとしてて」

唯「んー……ありがと澪ちゃん」

2人ともいい顔してる。こんなベタな事して何が楽しいのか。
お母さんはともかく澪さんまで……でも澪さんの歌詞からしてこういう事嫌いじゃなさそうだな。
ていうか私の事忘れてない?
あーもー。

もうこの2人が付き合っちゃえばいいんじゃないかな。
悔しいくらいにお似合いだ。

……え。

悔しい?
私が?
何で?

唯「お? あずにゃんもあーんして欲しいの?」

梓「結構ですっ!!」

唯「うわあっ! そんなに怒らないでよー」

澪「梓?」

梓「あ、すみません……」

視線を落として自分のデザートをぱくつく。
甘いティラミスを流し込んでも胸のモヤモヤは消えなかった。

これ以後も調査と称して2人を観察したりお出かけについて行ったりした。
それにしてもこの2人仲が良すぎる。
何だか親だけで楽しくやってて子供の私は蚊帳の外みたいな感じがして面白くない。
私が放っておくといつまでもいちゃいちゃしてるから悔しくて私も首を突っ込んだり。
何やってるんだろ私。
これじゃあ親に構ってもらえなくてダダこねてる子供そのものじゃん。

梓「はぁー」

律「どした?」

梓「あ、いえ……あれ? 律先輩来てたんですか?」

律「さっきから来とるわい!」

紬「梓ちゃんずっとぼーっとしてたけど大丈夫?」

梓「あ、はい、すみません」

先輩方が部室に来た事も気付かないくらいくらい考えてたのか。
またしても本来の目的を見失っているような気がする。

律「んで何考えてたんだ?」

梓「いえ、ただちょっとぼーっとしちゃってて。あ、澪先輩と唯先輩は来てないんですか?」

律「あーもうすぐ来るんじゃないかな」

梓「そうですか……」

律「なんだあいつらがいなくて寂しいのか」

梓「ち、違います! ただちょっと気になっただけです」

律「寂しいよなームギ、私達がいるっていうのに梓はあいつらの事ばっかり考えてるんだぜー」

紬「これは……三角関係ね!」

梓「だから違いますってば!」

梓「でも……あの2人ってすごく仲良いですよね」

律「だよなー。仲良いっていうか双方べったりだもんな。梓が嫉妬するくらいに」

梓「嫉妬なんてしてない……です」

嫉妬。
今の私の気持ちをこれでもかというくらい的確に表している言葉だった。
おかげで語尾が弱くなってしまう。
……図星じゃん。

紬「いつ頃からだったかな。気が付いた時には2人ともべったりだったわ」

律「あ、でもさー今年の春くらいに一旦大人しくなったよな。主に澪が」

紬「言われてみればそうかも」

律「あれ何だったんだろうな。結局またべたべたし出したけど」

そんな事あったっけ……?
この1年以上の間私は何をやっていたんだろう。

律「実はあの2人付き合ってたりしてな」

梓「な、何を……」

馬鹿な、とは言えず否定出来なかった。
もしや今頃2人で仲良く……

梓「私ちょっと探してきます!!」

律「へっ?」

勢いよく立ち上がって部室の扉へ向かう。
が、手を触れる前に扉が開いた。

唯「ごめーん遅れちゃったー。お?」

澪「ごめんな。ん、どうした梓?」

梓「あ……」

丁度2人が部室へ。
私はその場を取り繕って、いつもの部活をこなした。

その日の帰り道。
澪さん律先輩ムギ先輩と別れて最後はお母さんと2人きり。
そしてお母さんとも別れた後、私はいつものようにお母さんの尾行を開始した。
何か手がかりを掴めればと思って始めた尾行だけど今の所成果は全くなし。
正直時間の無駄かもしれない。
と思いつつもだらだらと尾行を続けていると、突然お母さんがUターンしだした。

やばいっ!!
油断しきっていた私はパニックになるのを抑えつつ脇道へ逃げ込む。
……。
ふぅ、どうやら気付かれなかったみたい。
でもいきなり来た道を戻るってどういう事?

お母さんの後をつけて行くと澪さん達と別れた場所まで戻ってきた。

唯「澪ちゃーん」

澪「あ……唯」

澪さんがいた。
これは……わざわざ私達がいなくなってから待ち合わせたって事だよね。
なんだろう、心がざわつく。

お母さんと澪さんはどこかへ歩き出した。
私は気配を殺して後をつける。

辿り着いた場所は小さな公園。
2人はベンチに座って話をしているようだ。
大きい公園ではないため私が入ったら即バレるだろう。
だけどここからじゃ会話が聞こえない。

梓「ああもう」

SB「お困りのようだね」

梓「……まあね」

SB「それならボクがこっそり近づいて2人の声をテレパシーで梓に送ってあげるよ」

梓「そんな事出来るの?」

SB「まあね」

言いたいことはあるけどとりあえずこの生物にお願いしよう。
珍獣型集音マイク発進。

梓「お願い」

SB「まかせてよ」

しゅうべえが音を立てずに2人が座るベンチへ近づく。
すると私の頭の中に2人の声が聞こえてきた。
すごい、本当に何でも出来るなあの生物は。

2人は昔話に花を咲かせているようだ。
なんだろ、お話するためだけに集まったのかな。

……なんて思ったけどそんな事はなくて。
次第に澪さんの声から緊張のようなものが表れてきた。
何故だか心臓が痛い。

澪さんの言葉が途切れたり、どもったりしている。
だけど伝えたい事は少しずつ着実に浮かび上がってきていた。

梓「うそ……これって……」

多分お母さんも気付いているだろう。
普段はあんなだけど人の気持ちに敏感な人だ。
澪さんの気持ちが伝わらないわけない。
現に澪さんの覚束ない言葉を黙って聞いている。
ていうか。

ていうかうそでしょ。
あの澪さんがそんな。
お母さんの事を好きだなんて。

いやだ。

お母さんは、何て返事するんだろう。



母「梓ーどうしたの?」

梓「……調子悪い」

母「風邪かしら、大丈夫?」

梓「学校休む」

母「そう? じゃあ学校に連絡入れておくね」

梓「……ありがと」

母「まあ今日が金曜日でよかったわね。土日ゆっくり休めるし」

梓「うん……」

母「それじゃ私達行ってくるね」

父「僕のグレープフルーツゼリー食べてもいいよ」

梓「いってらっしゃい」

梓「……」

梓「……」

梓「……お腹空いた」

私は生まれて初めてズル休みをした。

昨日の公園での出来事。
あれを思い出すと押し潰されそうになる。
澪さんがお母さんに告白して、それから、それをOKするお母さん。
私の好きな人が2人いっぺんに消し飛んでしまった。
あああぁ……あああぁあああぁぁ……。

お母さんが澪さんに返事をした瞬間、私はその場から逃げ出した。
頭の中がぐるぐるして、とても嫌な気持ちになってうまく考えられなくなって。
そのまま家までひた走って自室のベッドに飛び込んで泣いた。
その時はただショックで泣いていると思っていたんだ。
だって私の親になる人のあんな秘密だよ?
だけど今なら分かる。
2人の事がいつの間にか先輩や親以上の存在になっていたんだ。
自分でも気付かなかったけど2人の事が好きだった。2人とも好きになってしまっていた。
それを同時に失ってしまったからこんなに哀しいんだ。

あー。
私ってそっち系だったのかな。
お母さんも澪さんも女じゃん。同性を好きになるなんて。
まあそれは澪さんとお母さんにも同じことが言えるけど。
それにプラスして私にとって2人は親なのに。
そっち系であっち系とか私の方が断然頭いかれてるじゃん。

一晩経っていくらか落ち着きを取り戻した頭だけどろくな事を考えない。
これ以上私の気持ちやあの2人の事を考えてもどうしようもないのに。

だめだ、このままだとまた泣いちゃう。
何かして気を紛らわそう。

適当に元気の出そうな音楽を流す。
インストゥルメンタルで明るめな曲。
こういう時、今の自分と共感できる歌を聞くって人もいるけど私はやめておく。

後は……パソコンでもつけよう。
30年前の時代でも娯楽は一通り揃っている。
気を紛らわすには丁度いいかもしれない。

私は何もしたくないという心と体を無理矢理動かしてネットを閲覧し始めた。

無理矢理な気分転換だったけど多少気が紛れて来た。
気が紛れるまでが苦痛でしょうがなかったけどこれで少しは……。

梓「あ、これ私の時代でプレミアがついてる名盤だ……嘘、定価で売ってる」

梓「……すごい、これって私の時代だと半世紀前に発売されたやつだ」

梓「へえ……この時代のネットって使い辛いけど味があるなぁ……」

SB「何だかんだ言って楽しんでるじゃないか」

梓「うるさい。どうしよう、これ買っちゃおうかな……定価だもんね……。ねえ、物を未来に送る事って出来る?」

SB「ボク達が現代に戻る時に一緒に持っていく事が出来るよ」

梓「よし」

SB「データくらいならボクを通してすぐに移動出来るんだけどね」

梓「データ?」

SB「そうさ。例えばそうだな……キミが現代で見ていたUSBの中身をこちらで見る事が出来る」

梓「どうやって?」

SB「これをパソコンに接続してよ」

しゅうべえは自身の耳だか耳毛だかの先端をこちらに向ける。
そこにはUSB端子がついていた。

梓「うわぁ……」

SB「さあ」

とりあえずしゅうべえの耳毛を掴んでUSBポートに突っ込む。
パソオンからテロン、という音がした。
どうやらUSBメモリーと認識したようだ。
どうなってんだ。

SB「ほらほら早く」

梓「はいはい」

スタートメニューからコンピューターを選択、リムーバブルディスクと書かれた項目をクリックする。
そこにはS.B..jpgという画像ファイルが1つ。
現代で私が見たお母さんと澪さんの写真だ。
あれ……写真を見てたら視界が……。
ああもうしゅうべえのバカ。
明るいBGMがやたら耳障りだ。

……落ち着きを取り戻すのに30分かかった。

SB「やっと落ち着いたみたいだね」

うるさい。
イラッとするなあこの生物。

それにしてもこの写真、まさか私が撮影していたとは。
今年の夏、澪さんとお母さんと私の3人で出掛ける事があった。
写真を撮りに行こう、なんて言い出したお母さんがきっかけでプチ撮影会が行われたんだよね。
この写真は2人がベンチに座っている所を私がお母さんのデジカメで撮影したものだ。
それに気付いた時は興奮したけどがっかりもした。手がかりがまた一つなくなったから。

思えばこの写真を撮った時、既にお互い好きあっていたんだろうな。
はぁぁぁぁああ…………。

……ん?
写真の左上に何か書いてある。

……『ステガノ』?





ステガノ……なんだろう。
こういう時はネットで検索かな。
気を紛らわすのには丁度いいかもしれない。

ブラウザの検索バーに『ステガノ』と打ち込んでエンター。
約 9,140 件 (0.10 秒)というレスポンスで返ってくる。
どうでもいいけどいちいち秒数を表示する意味あるのかな。
検索して上位に出てきたのは大手のソフトウェア紹介サイト。
他の検索結果を見ても『ステガノグラファー』というソフトウェアの紹介が殆どだった。
うん、これで間違いないみたい。
何々……画像の中にファイルを埋め込むソフト、このソフトを使ってファイルの埋め込みと抽出が可能……。

つまり何か、このお母さんと澪さんの画像はフェイクで中に別のファイルが隠されていると?
確かに小さい画像なのにファイルサイズが300キロバイトもあるのは怪しいかも。
だけどお母さんがそんな手の込んだ事するかなぁ。

梓「無いね、きっと無い」

と言いつつもステガノグラファーをダウンロードしてしまった。
だって気になるんだもん。
それに何かしていないと落ち着かないし。

EXEファイルをダブルクリックしてインストール開始。
何とも趣のあるインストール画面だ。
それが終わればいよいよ本題に突入。
ステガノグラファーを起動して問題の画像ファイルをドラッグ&ドロップ。
ドロップされたファイルをどうしますか? ……このウィンドウに表示する、でOKクリック。
続いてウィンドウ上部にある電子透かし>透かし情報の抽出をクリック。

パスワードの入力を求められた。

梓「パスかぁ……」

試しにyuiやmioと入力してみるもエラーが出てきてしまう。
1127も0115も駄目だ。
後は……ファイル名くらいしか手掛かりがない。
S.B.……ダメ。ピリオドを抜いてSB……これもダメ。
ダメ元で『sb』とも入力してみた。

梓「あれ……通った」

出来ちゃった。あはは……。
隠されていたファイルはS.B.txtとS.B.2.txt.jpg。
それらを保存して開いてみる。
画像はこれまたお母さんと澪さんの写真だった。
そしてテキストに書かれていた物は……



――――――――――――――――――――
■精子風呂計画 概要

   ∧_∧
  //(・ー・)ヽ  「ボクはしゅうべえだよ」
 /ノ ( uu ) ヽ)


気が付いたらとっても精子風呂に入りたくなったよ!
思い立ったら実行だね!

詳しい方法はS.B.2.txtに書いたよ!

――――――――――――――――――――



なんだ、これは。

続きを目で追う。
そこに書かれていたのは訳のわからない箇条書きで。
所々に精子やら精液といった言葉がちりばめられていた。



――――――――――――――――――――
すぺしゃるさんくす
澪ちゃん


頓挫するかに思われた精子風呂計画。
だけどそれは地道な努力とほんのちょっとのミラクルで実現可能だという事をこの時の私達は知る由もなかった。

   ∧_∧
  //(・ー・)ヽ
 /ノ ( uu ) ヽ)

S.B.2.txtへ続く



S.B.2は牛乳ビンで
――――――――――――――――――――



テキストはここで終わっている。

梓「……何よこれ」

理解出来なかったけどとにかくふざけた内容だっていうのは感じ取れた。
続きはS.B.2.txtに記されているらしいがそんなテキストファイルは見当たらない。
それも偽装されているのか。
大方S.B.2.txt.jpgを牛乳ビンとやらのツールで偽装解除すればいいのだろう。
いやそんな事はどうでもいい。

『精子風呂計画』って……。
考えたくないけどお母さんともしかしたら澪さんまで入浴したって事?
そんなまさかありえない馬鹿げてる。でも……

頭の中に『精子風呂計画』という名の歯車が差し込まれる。
それが元で止まっていた別の歯車が動き出す。
嫌な音を立ててそれらが一つの流れを作り出していく。



教えてくれないお父さんという存在
家に隠されていた精子風呂計画
私が生まれる前の年に疑似精液風呂動画でオナニーしていたお母さん
すぺしゃるさんくす 澪ちゃん
お互いに好き合っていてつい昨日告白、そして現代でも一緒に暮らしている2人



思い描いた一つの可能性は最悪のシナリオ。
そしてそれを否定出来る材料は何一つない。
一瞬で頭に血が上った。

梓「ふっざけんなあぁあああぁああああぁァああああああアアッ!!!!」

SB「うわあっ!?」

机を思い切り叩く。
そんな事では到底収まらない。

つまりこう言う事だ。
あの人達は精子風呂とやらに興味を持っていた。
そしてそれを作ってお母さんがそこに入った。
結果私が生まれた。
ふざけんな。

梓「ぐ……っ……ああああぁああぁあああああああぁ!!」

何度手を叩きつけても足りない。
怒りが後から後から湧いてくる。
こんなに頭に来たのは生まれて初めてだ。

梓「なんなのよこれは!!?」

私が精子風呂から生まれた?
ありえない。

梓「こ、こんな……っ!」

気が付いたらとっても精子風呂に入りたくなったよ!
こんな軽いノリで何言ってんだ。
そしてこのAA、どう見てもしゅうべえだ。

梓「あんた……知ってたの?」

怒りで言葉が震える。

SB「キミの父親の事かい? それ自体は知らないよ」

梓「でも精子風呂の事は知ってたんでしょ!?」

SB「まあね、何といってもそれがボクの生まれるきっかけだったからね」

梓「私がどうやって生まれたか知ってたんだ……!」

SB「いやいや、ボクは精子風呂を作る手伝いをしただけでそれ以降の事は知らないよ。何せ15年も音沙汰無しだったから」

梓「こんなのどう見たって私がこのわけわかんない風呂から生まれてきたようなものじゃん!!」

SB「その可能性は否定出来ないね」

梓「っ!!」

思わず手を振り上げた。

SB「わああやめてよ梓!」

頭がぐるぐるして酷く気持ちが悪い。
最早自分が何者なのかわからない。
おぞましい。
込み上げてくる嫌悪感に耐えきれず、その場で嘔吐してしまった。

梓「ごぷ……っ……おぇ……げえ……」

ははは、最低だ。
私にはゲロが似合っているかもね。

梓「っ……うぐ……うえ、うえぇぇぇん……」

昨日からどれだけ泣いたのかわからない。
全てを吐き出したい。
もう嫌だ。
どうにでもなれ。



……あれ、私寝ちゃってたんだ。
ん……なんかゲロ臭い。
そうだ、私吐いちゃったんだ。

SB「起きたかい?」

梓「あ、しゅうべえ」

SB「キミが吐きながら泣いて暴れてそのまま寝ちゃったからボクが掃除しておいたよ」

梓「……ありがと」

SB「少しは落ち着いたかな?」

梓「ん、まあ……」

落ち着いたけど気分は依然として最悪だ。
この2日間であの2人の事が大っ嫌いになってしまった。
会いたくない。
だけどこの時代は毎日部活があるし、現代に戻っても同じ家で暮らしている。

もう何もかも消えてなくなればいいのに。
消えて……消える……。

梓「そうだ……消えればいいんだ」

こんな世界消えてしまえ。
それにあの2人がのうのうと恋人ごっこしてるのも許せない。
壊してやる。
そうすれば結果的に私も消える。
そうだそれがいい。
これからはあの2人を引き裂くためにこの時代で生きる。
私が消えてなくなるために元凶を潰す。
あんなふざけた結末にはさせない。

週明けの部活。
いつもと変わらないティータイムと練習のように見える。
あの人達はいつも通りだし。
律先輩とムギ先輩の態度も普段と変わらない。
という事は2人が付き合い出した事はまだ言ってないという事か。
当然だよね。
そんな事簡単に言えるわけがない。
それがどんな事かくらいはあの2人も分かっている。

でも軽音部内で公言したとしても大した問題にはならないだろう。
客観的に予想してもちょっとビックリされて冷やかされるくらいで友情にヒビが入るとは考えにくい。
だからあの2人がカミングアウトする前に先手を取る。
それから別れなければ2人の関係をバラすと言って脅す。
いや、差出人不明の脅迫メールで……それとも私が無理矢理関係に入り込んで亀裂を作るとか……。



……出来ないよそんな事。

こんなにも辛い気持ちなのにお母さん達を別れさせる事をためらっている。
3日前は失恋とうらみで別れさせる気満々だったのに。
冷静になって、改めて軽音部の空気にふれたら決意が鈍ってしまった。

2人を別れさせるという事は軽音部を崩壊させる事に等しい。
そうなってしまえばこの美味しい紅茶やケーキも味がしなくなるだろう。
私が歩いてきたこの時代は、現代よりも楽しいものかもしれない。
そんな夢の様なひと時を過ごしているのに、それをわざわざ壊すなんて。

確かにあの2人と話していると心が痛くなる。
これからの未来でどういう経緯で私を生むのかを考えると憎い。
でも私が生きてきた十余年間の中で生まれてこなければよかったと思うような出来事は何一つなかった。
お父さんがいない事で不自由な思いをすることもなかったし、お母さんと澪さんが与えてくれた愛情は紛れもなく本物だった。
そして私も2人の事を親として好きだし、それ以上の存在としても好きだ。

あぁ……私ってお人好しなのか意気地無しなのか……。

結局心に傷を抱えたまま部活をしたり、時には我慢出来なくなって実行しようとしたり。
あの人達の所為で私の底にこびり付く憎悪を、あの人達のおかげで育まれた良心が抑える。
私は壊したいのか、そのままにしたいのか。
今日の紅茶は美味しかったのか、味がしなかったのか。
そもそもこんな状態で部活を楽しめているのかどうか。
お母さん達が付き合い始めてから数か月経っても答えは出ない。
こんな思いをするくらいならやっぱり……。

父「どうした娘よ、最近元気ないな」

梓「え、そう?」

父「そう。だって前まで毎日楽しそうだったじゃない」

梓「……」

父「何かあったの?」

梓「いや、別に……」

父「……」

梓「……」

父「……うぅ、ぐすっ」

梓「えっ!?」

父「うん、分かってるんだ……そんな簡単に悩みを打ち明けてくれるわけないよね」

梓「えっいや、そうじゃなくて……」

父「いいんだ、いいんだ……梓と出会ってからまだ日も浅いし……」

梓「そうじゃなくて! ちょっと人には言えない事で、お父さんの気持ちはありがたいし、本当のお父さんだって思ってるし……ん?」

父「ウフフフ……」

梓「何笑ってんの?」

父「いや、ちょっと嬉しくて……ウフフフ」

梓「だぁーもー! ワザとそういう事言ってたの!? 信じらんないサイテー!」

父「ご、ごめんよ梓……ウフフ」

梓「もぉー! あんな恥ずかしい事言った私が馬鹿みたいじゃない!」

父「いやね、梓はどう思ってるのかなーって」

梓「そんなの生活してれば分かるでしょ!?」

父「いやでも言葉で言うのって大事だと思わない?」

梓「お父さんが言わせたんじゃん! 馬鹿!! ……あっ」

父「ん? 別に馬鹿って言われたくらいじゃお父さん気にしないぞー」

梓「……」

父「あと娘とセッションして心を通わせる作戦もあったんだけどさ」

梓「お風呂入ってくる」

父「ああんっ」

湯船に浸かっていると嫌な事も忘れられる。
おまけにさっき叫んで大分スッキリした。
あんなでも私を元気づけようとしてくれた……のかもしれない。

梓「言葉で言うのって大事……か」

私が伝えたい事……。
お母さんと澪さんに別れて下さいって言うの?
それとも好きです、とか?
両方とも言ってどうなるって感じだけど。
ていうか言ったら私自身が消えるかもしれないんだよね。
ある意味最高にスッキリサッパリするかも。

……改めて考えると自分が消えるなんて怖すぎる。
嫌な事もあったけどこれまで生きてきて楽しかったのも事実だし、それが消えてなくなるなんて。

憎い、生きたい、嫌い、消えたくない、好き、怖い、苦しい、伝えたい、つらい。
あああぁ……私はどうしたいの?

結局答えは出ないまま、気が付けば翌日の放課後になっている。
部室で先輩達を待ちながらこれからもこんな気持ちで部活を続けるのかと考えていると扉が開いた。

唯「あれっ? あずにゃんがいるよ」

澪「ほんとだ、どうしたんだ?」

梓「どうしたって、部活に決まってるじゃないですか」

唯「えぇー、今日は部活休みだよ?」

澪「うん」

梓「え……あっ」

考え込み過ぎててすっかり忘れてた。

唯「あずにゃんてばおっちょこちょいだね」

梓「く、唯先輩に言われた……ってそういう唯先輩達はどうしてここに?」

唯「私達はちょっとおしゃべりしに来たんだ。ていうかりっちゃんもムギちゃんも気が付いたら先に帰ってるんだもん。せっかく遊びに行こうと思ったのに」

梓「それは2人に気を使っ……」

しまった。

唯「えっ」

澪「……」

梓「いえ、何でもないです」

お母さんと澪さんが顔を見合わせている。
ど、どうしよう私が知ってるってばらしちゃった……。
……いや、別にこのくらいはいい、のか?

唯「やっぱりばれてたかー」

梓「え?」

澪「律達も気付いてるんだろうな。それで気を使わせちゃってる」

唯「あずにゃん最近ずっと元気なかったけどさ、それってやっぱり私達が原因だったり……するよね?」

梓「え……と」

素直にはいとは言えなかったけど、結局ばれてしまったみたいだ。
ていうかその言い方は私の気持ちを知ってる……!?

唯「……ごめんね」

梓「ど、どうして謝るんですか」

唯「だってすごく気を使わせちゃってたみたいで。ええと、そのー、私達っていわゆるアレだし」

なんだそっちか。
それ自体はどちらかと言えば肯定派ですよ。

澪「黙っててごめん。それとこんな事になっててごめん……」

何を言っていいのかわからないけど、今まで私の中に溜め込まれていた想いがぐつぐつと沸騰し始めていた。
この状況でなら言えてしまうかもしれない。

梓「実は最初から知ってました」

唯「へ?」

梓「先輩達が付き合ってる事」

澪「さ、最初って?」

梓「ずっと前ですけど、公園にいましたよね?」

2人がビクッとする。
告白シーンを見られていた事に衝撃を受けたらしい。

唯「え、えへへ……そうだったんだ」

澪「あ、ぅ、ぁぁ……」

唯「ええっと、あずにゃん的にはどう思ってるのかな、なんて……」

梓「……」

それは他人から見た2人の関係って意味だよね。
ここで気持ち悪いとでも言えば別れるのだろうか。

梓「私は別に……いいと思いますよ」

唯「あずにゃん……!」

澪「梓……」

安堵の表情を見せる2人。
恐らくこれが初めてのカミングアウトなんだろう。
ただ私がいいと思っているのは私もあなた達に対してそういう感情を抱いてるからなんだけど。

梓「でも……2人が付き合ってるって知ってからは毎日憂鬱でした」

唯「……え?」

梓「だって、私は……唯先輩も澪先輩も…………好きでしたから」

言葉にした瞬間、私を押さえつけていたものが決壊するのが分かった。
2人を好きな思いと、2人を破滅させたい思いが混ざり合い濁流となって溢れ出す。

好きだという気持ち、嫉妬、私が2人に抱いていた憎しみ、別れさせようとした事等。
どういう順番でそれを伝えたのか分からないくらい冷静さを失ってて、途中からお母さん、澪さんと呼んでしまっていて将来この2人が犯す愚行まで言いそうになってしまう。
それでも言葉が止まらなくて。
頭が空っぽになるまで残らず吐き出して漸く私の気持ちは収まりを見せた。
気が付いたら涙も零れていて、この分だと顔も真っ赤でくしゃくしゃだろう。

唯「あずにゃ……」

澪「……」

梓「うっ……ぐすっ……うえぇ……」

唯「ごめんなさい」

澪「……ごめん」



2人から別れた事を告げられたのは1週間後だった。
どう考えてもきっかけは私だけど、2人は前々から思う所があって別れる事を考えたりしていたらしい。
聞かされた理由は大学受験が近いから、というもの。
その理由が全てかどうかも、あの時2人が私に謝った理由も分からないままだ。

私は我慢できずに全てをぶちまけてしまった。
確かにスッキリしたし、2人が別れた事を聞いた時少なからず嬉しい気持ちもあった。
だけど自分の命が懸っているというのに流れと感情に任せてしまうなんて……子供にも程がある。
今までの素敵な思い出がそれを後悔させている。
私ってバカだなぁ……。

でもなってしまったものは仕方がない。
それに忌まわしい出生自体もなくなる。
あ、でも最後にみんなに挨拶くらいしておけばよかったな。

梓「ねえしゅうべえ」

SB「なんだい梓?」

梓「私っていつ消えるのかな?」

SB「消える? どうして?」

梓「お母さんと澪さんが別れたから。私が生まれる訳ないじゃん……」

SB「それは何時だい?」

梓「昨日聞いたから、一昨日かそれより前かな」

SB「だったらキミは今頃とっくに消えてるはずだよ」

梓「……えぅ?」

梓「で、でも、まだ身体はどこも透明になってないし……」

SB「という事は唯達が別れる=梓が生まれないという事にはならないという事さ」

梓「な……え……!?」

そんな馬鹿な!
だって現代ではお母さんと澪さんと私が暮らしてて、お父さんは精子風呂で……!

梓「あ、じゃあ澪さんとは一緒に暮らしてない事になってるとか!?」

SB「それもないね。現代はほぼ通常通りさ」

梓「どういう事……?」

お母さんと澪さんは確かに別れたはずだ。
現に2人ともどこかぎこちなかったし。

梓「で、でも、まだ身体はどこも透明になってないし……」

SB「という事は唯達が別れる=梓が生まれないという事にはならないという事さ」

梓「な……え……!?」

そんな馬鹿な!
だって現代ではお母さんと澪さんと私が暮らしてて、お父さんは精子風呂で……!

梓「あ、じゃあ澪さんとは一緒に暮らしてない事になってるとか!?」

SB「それもないね。現代はほぼ通常通りさ」

梓「どういう事……?」

お母さんと澪さんは確かに別れたはずだ。
現に2人ともどこかぎこちなかったし。

SB「確かめに行くかい?」

SB「キミが生まれる1年前の時代へ」

梓「……そうだよ、そうしよう。でも待って」

SB「え、もう準備出来てるのに」

梓「だからいつも急ぎ過ぎなんだってば。ちょっと待ってて」

SB「唯達かい?」

梓「ううん、お父さんとお母さん」

リビングに足を運ぶとお父さんとお母さんがくつろいでいた。

梓「お父さん、お母さん」

父「ん?」

母「なぁに?」

思えば2年近くも一緒に暮らしてきたんだ。
そして私を育ててくれた。
感謝してもし足りない。
経緯を考えると本当に申し訳ないけど。

梓「今までありがとうございました」

父「……」

母「……」

父「今日って何かの記念日だっけ?」

母「梓が来たのは4月だから違うわよね?」

父「え、なに、もしかして結婚するとか……?」

梓「違う」

梓「何ていうか日頃の感謝をこめて……」

父「梓ぁ~!」

梓「ちょ、くっつかないでよ!」

母「梓っ!」

梓「お母さんまで!?」

2人とも今までありがとう。
ちょっと変なところもあるけれど、とっても素敵な私の両親です。
いつまでも。

SB「……お別れは済んだのかい? というかあれでよかったの?」

梓「いいの。それより私がいなくなった後のフォローしっかりしてよね。特に中野家」

SB「任せてよ」

梓「……うん。後、一番最初みたいにお母さんの頭の中に乗り移りたい」

そうすれば私の出生の秘密は必ず分かる。

SB「OK。それじゃあ行くよ!」

いつの間にか信じ切っていて、慣れてしまった時間跳躍。
今度で終わらせる。
どういう理由で生を受けたにしても私は今生きていて良かったと思っている。
勢いとは言えお母さん達に言いたい事全部言ったしある程度割り切った……つもり……やっぱ無理、割り切れない。
だけどここまで来て結末を見ずに現代に戻るなんて出来ない。
どんな結果であれ私がどうやって生まれたのかを見届けるんだ。

――



――。

見慣れない脱衣所にいた。
私の意思とは無関係に動く身体。
視界の端に映る鏡には学生時代より大人びているお母さんの顔。
私は再びお母さんの意識の中へとやってきたんだ。

お母さんの思考を読み取るために意識を集中する。

……そうか。
この時代は私が生まれる1年前。
師走の風を感じる今日この頃。
お母さん達はSB計画を実行する。

ひょっとしたら精子風呂計画なんて軽い冗談なんじゃないかと淡い期待を抱いていたけどお母さん達は大マジだった。
澪さんと手分けして精子風呂を作る準備をしていたらしい。
お母さんの思考を読む限りでは半年以上かけて下準備をして合計104リットルの精子を集めたようだ。
それ程の量の精子をよくもまあ……。
この時代ではペットボトル数十本分集まり、足りない分は時間を遡って同じことの繰り返し。
おかげでいつの時代にも精子を集める事を目的としたブログやらwikiが点在する事に。

私が精子風呂から生まれて来たのなら1億分の1どころの確率じゃない。
3兆5千億の中から選ばれたミラクルアンラッキーがあるからこういう不思議体験も出来たりするのかも……。

お母さんが服を脱ぎ始める。
い、いきなりすぎるよ……そりゃあ私も覚悟してたけどまさかこの時代についてすぐに入浴することになるなんて。
それによくこんな事自宅で出来るなあ。

う……微かに変な臭いがする。
これが精子の臭いなのかなあ?
ああ、やだなあ……。
お母さんは何で精子風呂に入ろうなんて思ったんだろう。
こんな事して楽しいのかな。

唯「……濡れてる」

ショーツを脱いだお母さんが一言。
へ、へんだいだ……。

お母さんのこんな所見たくな……くもない。
この時点で私も変態なのかな。
そういえば澪さんはどうしてるんだろう。

唯「よし……」

お母さんがお風呂場に突入するみたい。
澪さんの事はとりあえず後にしよう。

お風呂場はさらに臭いがきつくて息を止めたくなる。
今の私にはそれすら出来ないんだけど。
これって拷問に近いかもしれない……頑張れ私。
お母さんが浴槽の蓋に手をかける。

うっ!!?

唯「うぷっ! ……っおぇ、けほっ!」

蓋が開いた瞬間、強烈な悪臭がお母さんの鼻をつく。
そしてお母さんの意識に潜んでいる私にもダイレクトで伝わってくる。
思わず吐きそうになった。
なにこれ。
これが精子の臭い?
これほどの悪臭だとは思わなかった。
ありえない酷過ぎる。
本当にこんなモノに入浴するの……?

これは出生の秘密探りを断念したくなる醜悪さだ。
臭いのに加えて黄ばんだ大量の精子を見ていると……うぷ。
でも精子風呂は重要な手がかりだしここまで来たらやってやる。
実際にやるのはお母さんだけど。

唯「では……」

片足を上げていざ精子風呂へ。
入浴。

唯「うぁ……ぁぁぁ……」

ぎやあああ!!
せ、精子の感触が……ぬるぬるしてて……う、あ、ひ……!
は、吐きそう……。

唯「ふぅ……ふぅ……」

お母さんも吐きそうになってる。
けどそれは多分私の所為。
お母さんは自分から精子風呂に入るだけあって精子に対する免疫もあるみたいだし。
だけど私は精子の臭いなんて初めて嗅いだし全てが未知の体験で、気持ち悪くて吐きそうになってる。
多分そんな私とリンクしている所為でお母さんも吐きそうになっているんだ。

唯「う、あ、あ……」

お母さんが悶えている。
本当にこんなのがいいんだろうか……。

と、ここでお母さんが手で精子をすくってそれを口に近づけて……え?
ま、まって……それだけは……それだけはやめてぇ!
当然体は言う事を聞かない。
されるがままに精液を飲む羽目になってしまった。
ぷりぷりとした液体が音を立てて吸われる。

うぐっ?!
口の中に広がる初めての味。
しょっぱい? にがい?
とにかくきもちわるい。
も、無理ぃ……!!

唯「ごはっ!?」

私の気持ちが通じたのかお母さんが精子を吐き出した。
だけど口内に残る味と感触は消えない。
最悪だ。
なのにお母さんはこの状況を心から楽しんでいた。
精子を舐めて興奮している。

そんなお母さんの感情が少しづつ私に流れ込む。
性欲。人ってこんなにもえっちな気分になれるのかっていうくらいのすごいやつ。
精子の臭いも相まって頭がおかしくなりそうだ。

お母さんも我慢が出来なくなったのか、自身の胸部をまさぐり始めた。
わざわざ精子をまぶしている。
正直に言うとぬるぬるして気持ちいい。
前に何度か自分の胸をいじってみた事があるけどこんなに気持ちよくなかった。
お母さんの成熟した身体と淫乱な思考が私まで気持ちよくさせているんだ。

だけどおっぱいだけで済む筈もなく、右手は下腹部へ伸びてゆく。
指先が性器にふれる。
お母さんは慣れた手つきで弄っているけど私は怖かった。
確かにすごく気持ちいいけど、私がたまに弄る時よりも指の動きが激しいから痛くなるんじゃないかと思って。

次は中に指を入れるつもりらしい。
……私まだ経験した事ないのに。
痛くないかな……怖い。

唯「はぁっ、ん……ッ……っ!」

指がどんどん中に入っていく。
うわ、あ、あ……!
すごい……こんな感じなんだ。
私は未経験でも身体はお母さんだから膜もないし、慣れてるみたいで全然痛くなかった。
初めての挿入でこんなにも気持ちいいなんて。
段々指の動きが早くなって、私にめちゃくちゃな快感が押し寄せてきた。
お母さんはいいかもしれないけれど私にとっては強すぎる。

唯「んにゅ……ふっ、はぁ……うぁ……ン、ッ、ぅ、はぅ……!」

やばい、意識が飛びそう……やだ、こわい。
あ、あ、や、やだ……あ――

澪「唯……?」

ちょっ!!!?

洗面所から澪さんの声がした。
あ、あぶなかった……何だかよく分からないけどすごくあぶなかった。
それより恥ずかしい。
いくら意識だけとはいえこんな事してる時に澪さんに話し掛けられるなんて。

唯「な、何、どしたの?」

澪「その、さ……一緒に入ろうかなーって」

唯「え、うん」

澪「そ、そうか、じゃあ」

唯「え、え、いやちょっとまっ――」

な、なにーーーー!?

扉が開くと全裸の澪さんがお風呂場へ乱入してきた。

唯「……」

澪「うぷっ……やっぱりにおいきついな」

唯「な、な、なして?」

澪「……唯と」

唯「え?」

澪「唯と一緒に入りたかったから……」

一緒に入るって事は……やっぱり私はここで生まれたのか?
きっとこの後2人ですごい事して、そのはずみで私が……いや、まだわからない。

あれ、待てよ……?
高校時代に2人は別れたはずなのにどうして今一緒にいるんだろ?

お母さんの思考を探る。
澪さんと再会したのは半年くらい前できっかけは……精子風呂!?
お母さんが協力者を探していたら偶然澪さんと再会……あはは。
それから交流が復活して以前のように仲良くなって今に至ると。

澪「あのさ、私達昔……付き合ってたよな」

澪「あの時は本当に唯の事を想ってて、実はどうして別れたのか覚えてないんだ」

それはきっと別れた原因に私が含まれていたから、その部分の記憶が無くなっちゃたんだ。

澪「それで、結局ずっと引きずってきた」

澪「でも時間も経ってたから諦めはついていたし、忘れてもいた。だけど……」

澪「こうして会えたら、また思い出しちゃった」

澪「唯の事を……」

こ、こんな状況で何言ってるんだこの人は……。

でもお母さんも澪さんと同じ事を思っていたみたいだ。
精子風呂に2人浸かって会話をしている。
異様な光景。
だけど当の本人達は楽しそうだ。
会話とお母さんの思考から2人の経緯が見えてくる。

大学を卒業してからは疎遠になっていた事。
偶然の再会から想いが再熱した事。
この酔狂にもきっかけがあった事。
そして、2人ともこの精子風呂を楽しんでいるという事。

分かっていたとは言えショックだ。
澪さんもへんたいだった……。

澪「……唯」

唯「あ、うん」

一通り話し終えた2人が狭い湯船の中でさらに身体を寄せ合う。
うあ……始まっちゃうんだ。
澪さんの顔が近づいてくる。
あれ、これって間接的に私と澪さんがしちゃうって事だよね。
や、やばい……ますます緊張してきた。
どうしよう……どうしようもできないけど。
あ、あ、澪さんと……キス、しちゃ――

唯「気を付けるね……んっ」

う、あ……舌が……。

まさか私のファーストキス(?)がこんな激しいものになるなんて……。
生暖かくて口の中に他人が入ってきているけど、嫌じゃないし多分気持ちいい。
私の気持ちいいっていう感覚とお母さんの気持ちいいっていう感覚が合わさっているみたい。
これって倍の快感を味わっているのかも。
ちょっと怖い。さっきお母さんが1人でしていた時だってあんなになったのに。
なんて思っていると澪さんがお母さんの胸を吸い始めた。
身体がぞくぞくする。ほんのちょっとの刺激に対しても敏感に反応しちゃう。
澪さんにされるがままで、精子を口移しされたりした。

次いで澪さんはお母さんの中に指を入れようとする。
さっきお母さんもしていたけどよくよく考えるとこれが原因で私が生まれたんじゃあ……!
なんて考えるも澪さんの指が出し入れされると快感でいっぱいいっぱいになってしまった。
私とお母さんは次第に高まっていって、特に私にとっては未知の経験すぎて頭が真っ白になって……。
イクっていう感覚を初めて知った。

好きな人の身体を借りて、憧れの人とえっちするなんて。
それも精子風呂なんていう異質な場所で。
臭いし、味も酷いし。
だけどすごく気持ちよくて、楽しんでしまっている私がいる。

今度はお母さんが澪さんを攻めた。
手に、口に、舌に澪さんを感じる。初めての感触と人を舐めているという行為でテンパる私。
それから澪さんの中に精子を送り込むお母さん。
思考を読む限りでは湯煎したから精子は死んでるらしいけど、大丈夫なのかな。
……ダメだったから私が生まれて来たのかも。
あ、でも澪さん気持ちよさそう。
こんな澪さん初めて見る。澪さんてこんな淫らな声出すんだ……。

そうして澪さんがイッて、それからまた私とお母さんが攻められて、次は同時で。
お互い何度も果てて最後は口に含んだ精子を延々と交換し合ったり飲んだりしていた。
私はいつの間にか精子の味とにおいに慣れてしまっていて、お母さんが精子を飲み込んでも嘔吐感は無かった。
それどころかこの汚らしい行為に快感を覚えていた。澪さんに精子を口移しされるだけでもう……。
出生の秘密を知りたい気持ちもお母さんと澪さんに対する想いも、何もかもが精子風呂に溶けていく。

頭がいかれてしまったのはお母さん達だけじゃないみたいだ。




あの精子風呂から少しの月日が経った。
私はまだお母さんに乗り移ったままで出生の秘密を探っている。
お母さんはあれ以来澪さんのワンルームマンションに転がり込んでいた。

肝心の私の出生の秘密だけど、ひとまず精子風呂からは生まれていない事が判明した。
よかった。
ほんとうによかったよぉ……。

そもそも私の誕生日は11月11日。
精子風呂の決行日は12月。
どうみても違う。何故精子風呂に入る前に気付けなかったのか。
……まあ気持ちよかったからいいけど。

それじゃあどうやって生まれたのかというと、S.B..txtに書かれていた仮の精子調達方法にヒントはあったんだ。
お母さん達は精子バンクの利用を決意。
いくらなんでもスピード結婚(?)すぎると思ったけど、最初に出会ってから十余年も経っているとも考えられる。
一度諦めたとは言え、心の奥底ではずっと想い続けていたんだ。
それにこの人達には結婚という明確な線引きは無い。しいて言うならこの決意が結婚の代わりなのかも。
2月の上旬に澪さんに手伝ってもらいつつセルフ人工授精を行う。
私の誕生日から考えてぴったりだけど、一応確認するまでこの時代にとどまった。

SB(よかったね梓、精子風呂から生まれたわけじゃなくて)

梓(どうだろ……最悪の結果ではなかったけどさ。まあ遠回りしてきたけど真実が分かって良かった、かな)

SB(でもお父さんがいなかったのは残念だったね)

梓(まあ、ね。でも……うん、大丈夫。それにお父さんなら私にも出来たし)

SB(そうかい)

梓(正直お母さん達への想いは捨て切れてないけどね。……ところでしゅうべえ)

SB(なんだい?)

梓(私が精子風呂に入っている時どこにいたの?)

SB(もちろん梓と同じで唯の頭の中さ)

梓(…………)




唯「ウッ……!」

澪「唯、どうした?」

唯「澪ちゃん、私……出来ちゃったみたい」

澪「え……ほ、本当か?」

唯「……うん」

澪「そ、そうか……はは……やったな」

唯「うん!」

澪「引っ越し先探すの急がないとな」

唯「だね。やっぱりこないだ見つけた物件がいいかな~」

唯「あそこだと近くに美味しそうなお店もあるし!」

澪「あ、うん……それより気分悪いんじゃないのか?」

唯「え? あ、これは嘘でしたー」

澪「……は?」

唯「一度やってみたかったんだよねー。ウッ……まさか妊娠? みたいな」

澪「おいっ!」

唯「わあっごめんなさい! でも赤ちゃん出来たのは本当だよ!」

澪「あのなあ……いや、まあ唯だしな」

唯「男の子かなー、女の子かなー、楽しみだな」

澪「名前も考えておかないとな」

唯「あ、その事なんだけど……」

澪「ん?」

唯「実はもう考えてあったりするんだ」

澪「聞かせて?」

唯「あずさ……ってどうかな?」

澪「……なんか、すごく、なんだろ」

唯「ダメかなぁ?」

澪「そうじゃなくて、どこか懐かしい響きのような……うん、いいと思うよ」

唯「でしょ! 私も閃いた時はこれしかないって思ったね」

澪「でもまだ性別も分からないのに」

唯「梓ちゃんでも梓君でもどっちでもいけるよ!」

梓(しゅうべえ)

SB(ん?)

梓(私現代に帰るよ)

SB(やり残した事はないかい?)

梓(大丈夫)

SB(わかった。それじゃあ行くよ!)

私の時間旅行もこれでおしまい。
何も知らなかった私と今の私、どっちが良かったのかな。
それは分からないけど過去で経験してきた事は何だかんだ言って悪くなかったと思う。
つらい事実もあったけど、少なくとも今は悪くない気分だし。
ちょっと寂しいけどね。

――





現代に戻ってきた私は学園祭ライブを難なく成功させる。
過去で同じバンドとして活動したお母さんと澪さんは客席で私の演奏を聴いていた。
私の演奏が上手くなっていて驚いたみたい。
実質2年分の練習は伊達じゃなかった。

先輩から親という立場に戻って再び接し方に戸惑ったりもしたけど、それも最初だけ。
だけどお母さんと澪さんへの想いは中々断ち切れなかった。
それをいつまでも抱えながら私は高校3年生になる。


第一志望はN女子大学。
それを聞いたお母さんと澪さんは驚いていた。
ここからは距離があるため当然1人暮らしになる。
私は遠く離れた地で暫くお母さん達と距離を置きたかったんだ。
結果は2人の母校という事もあってOKしてくれた。

4年間をお母さん達と離れて暮らして、私の気持ちも整理出来た。
長期休暇に何度か帰省はしたけど。
あと、私が成人する前にお母さんと澪さんは出生の秘密を語ってくれた。
2人の関係も。
出会いのきっかけになったアノ事は流石に聞かされなかった。
2人が伴侶として一緒にいる事は過去に戻らなければ全然気付けなかったと思う。
だけど悔しいから昔から知ってたよって言ってやったです。

その事を話している間、お母さんも澪さんも私に対して謝るという事は一切しなかった。
それがちょっとだけ癇に障ったけど、その反面で救われた気持ちもあったから……。

そして、大学を卒業してからも私は1人暮らしを続けた。




商品の陳列を終えて店舗を後にする。
1日の業務を終えた解放感に浸りながら駅に向かう。
今日は早く上がれたとか明日はどのコーナーの陳列を変えようか等考えつつ腕時計をこまめに確認。

ここ半年の私のアフター8はこうして始まる。
と思ったけど半年前までいた店舗でも全く同じ事をしていたっけ。
前と変わったのは電車の乗り換えが無くなって楽になった事くらい。

このペースで歩けば次の電車に間に合うかな。
どんなに早く上がろうとも電車の時間との戦いは終わらない。
早い電車に乗ればそれだけ自由時間が増えるし。

明日は日曜日でお休み。
なんだけど私は家に帰ってからもやることがある。
予定というか、計画というか。

梓「ただいま」

誰もいない家に挨拶をしつつ照明とパソコンの電源を入れる。
手洗いうがいを済ませる頃にはとっくに起動完了。

いつの間にか私の第2の趣味になってしまったパソコン。
そこそこの性能の自作パソコンだが、特徴を上げるとすれば時代遅れの記憶媒体が使える事。

これを使うのは何年ぶりだろう。
等と思いつつ缶ビールを片手にUSBメモリーを差し込む。
中には画像ファイルが2つ、テキストファイルが1つ、それに大昔の偽装ツールが1つ。
そして私の背後から懐かしい声が聞こえる。

SB「久しぶりだね、梓」

梓「久しぶり」

SB「ふむ、あれから7年か。綺麗になったね梓」

梓「はいはい。ところでしゅうべえにお願いがあるんだけど」

SB「なんだい、と言ってもボクに頼むって事は」

梓「うん、過去に連れて行って欲しいんだ」

SB「理由を聞いてもいいかい?」

梓「このS.B.2.txt.jpgっていう画像ファイルが偽装されてるみたいでさ、牛乳ビン……正確にはMuirasってツールが必要なんだけど」

梓「このツールが現代ではもう手に入らなくて偽装解除が出来ないのよ」

SB「なるほどね。そのツールを使うって言う事は……」

梓「そ。私もね、また入りたくなっちゃった」

SB「キミたち親子は本当になんていうか」

梓「いいでしょ別に」

SB「もちろんさ、ボクはそんな発想のおかげで生まれたんだからね」

梓「それじゃよろしくね。この画像ファイルの中に精子風呂を完成させるための方法が書いてあるはずなんだから」

SB「わかってるよ。準備はいい?」

梓「ゴク……ゴク……ぷは。いいよ、いつでもどうぞ」

SB「それじゃあ行くよ!」

――



END


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