禁書目碌(無題) (40)

とある西暦、学研都市という国が生まれた

日本国から独立する形で生まれ、一つの国として成り立っている。

国の面積は琵琶湖の2倍ほどといったところだろうか。

元々小国である日本から何故独立する必要があったのかと、誰しもが思うことであったが、その疑惑や批判の声は1年足らずで収縮する。
学研都市は「孤児を受け入れる国」として自国の存在意義を表明。

それと同時、日本国は子を手放した人を対象とし「遺憾手当て」なる小額ながらの基金を配布。

この頃、人口が飽和状態にあった日本人にとってこれほど好都合なことはない。

だが、学研都市は独立当初から“研究”を主な産業としており、人間をモルモット同然に扱うことが合法とされていた。

端的に鑑みれば産業発展を目論んだ日本の工作であるために、子を捨てる行為に批判の声は続くものの、

日本を統治する人間は「余所の国がやることだから関係無い」、「それでは日本国内における児童養護施設はどうするのか?」と、法改正を行おうとはしなかった。

そうして、学園都市は短い期間ながらに目覚しいほどの発展を遂げたのだ。


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学研都市が独立した当初こそ、入国した孤児達はモルモット同然の扱いで監禁状態にあったものの、国が確固とした地位を築き上げた今では、人民として一定の自由が与えられており、人の営みと呼べるだろう光景はこの街の至る場所で見られるようになった。

第一学区の中央に位置する喫茶店内。
直挽きの珈琲豆や質の良いミルクなどの甘い香りが漂っていた。

「騒々しいですねぇ」

不満そうに黒髪の女子はぽつりと呟く。

店の外では喧嘩から発展した殺し合いが繰り広げられており、何かが爆ぜたことによって石礫がカフェに向かって飛来。

店内と外を仕切る防弾ガラスに直撃したと同時に、凄まじく甲高い音が響いたのだ。

「もー、他所でやってほしいわよね」

それと同調するように、帽子を被った女子が外を一瞥する。

この街では能力者同士がいざこざを起こすことはさして珍しくない。

だが、身近で起これば傍迷惑でしかないのは当然であった。

「御坂さん、片付けてきたらどうですか?」

「えー、嫌よ。面倒くさいもん」

御坂と呼ばれる彼女は、この街の第三位に君臨するほどの実力者であり、あどけない容姿とは裏腹に殺人的な超能力を保持している。

御坂ミソノを見かけたら有り金を差し出せ。髪が短めの茶髪の女子学生を見たら即逃げろ。

と、おののきが巻き起こるほどに危険視されていて、その自覚があるからこそ帽子を被り変装していた。

「あはは、そりゃそうですよね」

ならば自身が外に赴けばよいだろうという話であるが、左天ルイコは能力者ではなかったために行動に移すことが出来ない。

学研都市が十八番とする研究である能力開発

これを受けたもの誰しもが能力を得られるかと言えばそうでなく、左天のように才能が開花せずに無能力者というケースも珍しくはなかった。

こうした無能力者はレベル0と称され、御坂のように有能であればレベル5と称される。


「いやー暇なら殺ってもいいんだけどさ、最近ちょっと仕事頼まれてて」

「へぇ。御坂さんに仕事が回るなんてよほどの件では?」

能力者はレベル0からレベル5にまで区分けされ、レベル5に辿り着く者は数十万分の一である。

そんな彼女に学研都市からの依頼となればとりわけ重要性が高い案件であると、左天は容易く想像出来た。

「ん、まぁ……そうでもないと思うけど」

御坂はそう言いながら、ポケットから試験管らしき物体を取り出す。

「なんですかコレ?」
透明の容器の中には何かしらの液体が入っており、振られた試験管内でちゃぷちゃぷと音を立てていた。

「これを3ヶ月保有しておけ。ですって」

「え、それだけですか」

レベル5の仕事ならば面白い話が聞けるだろうと思っていた左天は、興を削がれたように声のトーンうぃ一段下げる。

「まぁそうなんだけど……コレを盗まれたり破壊された場合、アタシは死刑になるのよね」

「はっ!?」

期待していた内容よりもオーバーだったのか、左天の声は一転したように店内中へ甲高く響き渡った。

だが、対象的に御坂は落ち着き払っている。

「そんな驚かないでよ。私に恐喝しようなんて馬鹿はこの街に居ないんだし」

確かに、この街でトップ3に位置する彼女に危害を加えようなんて人間は居るはずがない。

過去に喧嘩売った人間が何人かいたものの、いずれも瞬殺なり惨殺なりで酷い死に方をしているのだ。

「ま……そうですよね」

肉体が満遍なく砕け散った死体を見せつけられた時など、人目はばからず嘔吐してしまったことを思い返す。

「実際に何かあるわけじゃないと思うけど、念のために能力使用は控え目にしておこうかなってさ」

「ああ、なるほど」

「でもねぇ、事の詳細が曖昧っていうのが癪でさー。敵数すら不明ってどーなのよ」

能力とは、使用すれば使用するほどに使用者の身体に負担がかかる。

レベルが高ければ使用限界値も高くはなるが、それでもフルで使うならば抑えておくべきだろうと御坂は判断した。

過去に使用限界付近に達したことがあり、その際に片肺が破れ吐血したことがトラウマらしい。

「しかしまぁ、逆に挑んでくる馬鹿がいれば……面白いかもね」

今の地位ともなれば、暇を持て余す。そう言わんばかりにニヒルな笑みを浮かべた。

本気で殺せる相手が現れたなら……この退屈も消えるだろうと。


「今日は何にしたものか……」

御坂と左天がカフェに勤しんでる頃、上条戸馬は学校からスーパーへと続く道を辿っていた。

今日も補習で帰りが遅れたものの、いつもに比べれば早く終わったほうである。

安い食材を手に入れるためにスーパーに寄ることが日課のようになっており、いつもは駆け足気味で向かっているはずだった。

しかし、今日は余裕があるために歩きながら献立を考えることが出来る。心に余裕があるのは良いことだと、独り言を呟きながらすたすたと歩を進める。

「ちょっといいかな?」

「うわっ!?」

献立を考えることに没頭していたためか、唐突に掛けられた声にびくりと跳ね上がる。

軽く浮いた足が地に着いた時、声の人物は不思議そうな顔をしていた。

「驚かせてすまないね」

その声の主は、妙齢の女性。

上条がこの女性を一目見た時、真っ先に目が向かった先は、目の下にうっすらと浮かぶクマ。

こんなに疲れ気味な女性を見たのは初めてである。

「別に、驚いては……」

正直なところ、内心驚いていた。

ウェーブがかかった茶色の髪はボロボロで肌も荒れている。スッピンであるとすぐにわかった。

「そうかい。それならよかった」

女性は白衣のポケットから煙草を取り出し、話を続ける。

「君と同年代くらいだと思うのだが、この娘を知っているかい?」

「んー…っ!?」

上条は、煙草と一緒に取り出された写真を受け取とり、それが顔写真だと気づくと同時……はっとする。

「ビリビリだ」

「ビリビリ?」

手際よく火をつけ終え流煙を外気に漂わせながら、女性は謎の呼称に疑問を返す。

「えっと、御坂ですよねコレ。ビリビリってのはあだ名でして」

ビリビリとは、彼女の能力に起因するものであった。


「なるほど。知っているのか」

「知り合いってところですね。ところで……お姉さんは御坂の知り合いで?」

「知り合いというか、ちょっと仕事のことでね」

なるほど。と、上条は胸中で頷く。女性の白衣姿を鑑みれば素直に納得がいった。

「渡すものがあるのだがケータイが壊れてしまったのだよ。君は彼女の番号を知ってるかい?」

「あぁ~……アイツの番号聞いてなくて」

「そうか。彼女が行きそうな場所などは」

「俺、嫌われてるんで。知らないんですよね」

ゆっくりと、女性の目つきが怪訝なものに変わる。
それに気づいた上条は何かと試行錯誤させられた。

「アイツは、ぇえと……あっ」

何気なく辺りを見回しながら、何かに気づく。

「何か思い出したのかい?」

「あそこ」

上条が指差した先。防弾ガラス越しの高級喫茶店に御坂ミソノは、居た。

「やるじゃないか君」

「いえいえ。それじゃあ僕は行きますんで」

時間をロスした。スーパーのタイムセールに遅れるかもしれないと、胸中は唐突に焦りの色を見せる。

「待ちなさい。お礼がしたい」

「いや、ちょっと時間が……」

「折角だ。あのお店で好きなものを食べるといい」

上条は知っている。御坂が居座っている喫茶店は、セレブ御用達レベルにメニューが馬鹿高いことを。
とある知人からは珈琲一杯が2000円すると、とある知人からはパフェが10000円すると……聞いたことがある。

「お願いしますっ!!」

レベル0でお金がない上条は即答した。

「あ、あの。お姉さんのお名前は!?」

「木山、春美……覚える必要はないがね」

上条が向ける尊敬の眼差しなど意を介する様子などなく、木山は煙草の火を上条からは見えないように足元で捻り潰した。


「おーい、ビリビリ!!」

奢ってもらえることがよほど嬉しいのだろうか、店中に上条の声が響き渡る。
それは場違いな音声であったせいか、客の大勢の目が一点に集中した。
御坂も左天も、思わず飲んでいたマキアートを噴出しそうになった。

「えっ!?ちょっ……アンタ何でここに!?」

御坂と上条は、年齢も学校も違うがひょんなことから知り合いになって今に至る。
因みに、御坂は上条が嫌いなわけではない。寧ろ好意を抱いていると言っても過言ではなかった。
にも関わらず、何故か無意識に口調が強くなってしまうらしい。

「ああ、この人がお前に用事あるっつーからさ」

上条は掌を振り、背後に居る木山を指す。

「……誰?」

見たこともない人物。研究所で会った覚えすらない。

「動くな」

チャッ、と……金属同士の触れる音。木山の声。

「トウマ!!」

背後で一瞬聞こえた金属音は、店の柔らかい雰囲気に掻き消されていた。
が、御坂の怒声と首にかかった圧力、頭部に触れた冷たい感触で……上条は、目が醒める。

「かっ、ぁ!?」

御坂と左天の驚愕が、突きつけられた物体が拳銃であることを明白にさせる。
驚きに声を上げようにも、圧迫された声帯からは弱弱しい音声しか漏れない。

「アンタ!!そいつを離しなさい!!」

「動くな、とは……第三位。君に伝えたつもりだが」

御坂は静止した。否、せざるを得なかった。
店に入ってきた時の目つきとはまるで別人。その瞳孔の黒はよりいっそう深みが増し、奈落の底のように仄暗い。
上条は、抵抗することをやめた。
拳銃よりも冷たい、声。その無機質な音色は、三途に流れる水よりも冷ややかだった。

「君が持つ試験管を、渡しなさい」

馬鹿だった。不用意にもほどがあった。
今になって己の過怠を、御坂は後悔した。

「試験、管……ね」

渡せば死刑と、学研都市から宣告されている。
この状況を打破出来る策を得るまで時間を稼ぐ……と、気を迷わせたことは、間違いだった。

“バァ゛ ンッ!!”

広い空間中に、耳をつんざく破裂音が轟いていた。

「がっ!?ぁあぁあ゛ っ!!」

9㎜の弾丸が上条の耳を弾く。激痛に染まった叫び声に、薬莢の転がる音は飲み込まれた。
その威力のあまりに耳はだらりと形を変え、赤黒い血液と肉片が周囲に散り渡る。

「ぁ、アンタ……!!」

御坂の形相が、怒り一色へと変貌する。だが、木山はそれに意を介そうともしない。

「次は二秒後に撃つ。早く渡せ」

声のトーンは依然無機質なまま、引き金が絞られた。

これは期待、名前や漢字表記をあえて変えてる感じが好き
一瞬ミソノって誰だよってなったけど


「ゥ゛……ぎ、ぃ゛……!!」

痛みを発する部分が見えない場合、比較的痛みは弱い傾向になる。
弾け飛んだ血肉を視認しようものなら、今よりももっと悲痛な叫びをあげていただろう。
それでも焼けるような激痛に、上条は瞳を滲ませていた。

「ま、待って!!」

その歪んだ表情に、御坂の怒りは低下させられた。
慌ててポケットまさぐるものの、慌てふためき汗で濡れた指先では、上手く試験管を掴めないでいる。

「いち」

冷酷なカウントが始まる。
目的が達成されようとしているのだから、多少の猶予を与えても良いだろう。と思えるものの、木山にその気など一切ない。

「渡す!!わた」

“バァ゛ ンッ!!”

二度目の銃声が響き渡った時、木山達以外の客と店員は外に逃げおおせている。
銃弾は、上条の肩を貫通し、客達との間を隔てる防弾ガラスに直撃した後に静止。

「っ゛あ゛ぁああ!!だ、助けっ……て!!」

肩口からじわり、じわりと血液が溢れ、白い夏服は朱色に染め上げた。
それを見守る御坂の口は「ぁ」の形で停止している。
あまりにも無残なやり口に、目の前の惨劇に、思考は停止せざるをえなかった。

えっなにこれ…(どん引き)

ど、どういうこと…


一瞬、視界に映る光景が空虚なものへと変ずる。
御坂の中で……ブツッ、と本能が音を立てていた。

「お゛らァ゛ッ!!」

茶色の髪と細い腕の周囲より青い稲妻が、バツンッ!!と轟音を伴い放出された。
これこそ、御坂が“超電磁砲”と呼称される所以の能力、最大出力10億ボルトを発生させる“電撃”。
怒声と共に放たれた数え切れない程の電撃が、純粋な殺意をもって上条もろとも木山を襲う。

“バガァ゛ンッ!!”

目が焼きつく程の閃光が収まったと同時、御坂の眼前にあった物体は消し飛んでいた。
床も、壁も、天井も、ありとあらゆる物質が焼き消されている……木山と上条を除く、全てが。

「……ペナルティだ」

木山を中心とした半径1メートルの床は、綺麗にくっきりと足場の役目を残している。
床が崩れないことを確認したのちに、木山はぼそりと呟いた。その直後、拳銃の引き金を幾度も引く。
強大な電撃なが振り注いだ事実は無かったかのように、淡々と作業をこなす。

「が!?ぁ゛!!ごっ……ぁ゛!!ッか、ぁ……!!」

右肩に延々と銃弾を撃ち込まれた上条は、3発目まで激痛を感じることが出来た。
だが、4発目以降はその衝撃のあまりに、脳震盪で通常通りの感覚が作用していない。
もはや何が起きているのかすら、理解出来ないほどに精神が乖離しつつある。

「ぇ?ぁっ……やめて!!やめてちょうだい!!」

御坂は、電撃が無効化同様の扱いを受けた事実に、半ば呆け気味になっていた。
空虚に時間が流れる中、弾け飛ぶ上条の骨肉が御坂の頬を何度か打ちつけたおかげで、正気へと引き戻した。

「やめて!!こっ、コレ!!試験管、試験管渡しますからやめてください!!」

ようやくポケットから試験管を出し終えた時には、マガジンに込められていた銃弾は撃ち尽されており、木山は予備のマガジンをセットしていた。
カシュッ、とスライドが戻ると同時、叫ぶように乞う御坂へと向き直る。

「ならばソレを床に置け。終えたら後ろを振り向くんだ」

「は……はい」

佐天は、素直に従う御坂を呆然と見つめていた。
目の前で起きている事態が、現実のものとは思えないほどに困惑している。

「この試験管は本物かい?」

「え、えぇ……多分。理事会から渡され、たので……」

暴虐を尽くす女の言うところなど、理解出来るはずもない。曖昧な返答を返す。

「それならいい」

「では、トウマを……離してあげてくれません、か?」

女の声は已然冷たくて、自然と口調が丁重なものへと変わっていた。
これ以上の被害を被りたくはない。
だが……木山の返答は、何秒経っても返ってはこなかった。

「あの……」

後ろを振り向こうにも、何をされるかわかったものではない。
御坂は振り向くに振り向けないでいた。その時。

「あっ」

左天の声がぽつりと鳴り、それは吹き飛んだ屋根の向こう、青空へと吸い込まれた。

「どうしたの?左天さん」

「消え、ました」

生気の篭っていない返答に、御坂はギクリとした。
いよいよ振り返ってみるものの、左天の言った通り、女の姿は消えている。
しかも、上条の姿も見当たらない。

「……やられた」

姿を瞬時に消す能力となれば、テレポートしかない。
上条も共に消えているとなれば……人質に取られたとみるべきだろう。
10秒ほどゆっくりと頭の回転を加速させたのちに、この答えに自然と行き着いた。

リアル禁書目録か

こえーよ


木山と上条が消えて30秒も経たないうちに、サイレンの音が次第に近づく。
壁は総崩れで屋根が吹き抜けた屋内、半ば屋外とも言える元喫茶店内には、その音がしっかりと届いた。

「遅っ……」

特殊な改造を施したハマー10台足らずが到着し、その車内から物々しい装備に身を包んだ隊員達が、ガチャガチャと音を立てながら沸いて現れた。
今来たところで意味ないでしょ。と言いたげな御坂。しかし、最初の発砲から2分足らずで到着したのだから本来は感心すべきところである。

「これ、またアンタがやったじゃん?」

隊員達の間を割って出るように現れたのは、長髪を後ろに結った女性。呆れたように御坂へ問いかける。
御坂もこの女性を知っている。黄泉川藍帆だ。
喧騒を起こす度に駆けつけるこの女性の語尾は非常に目立つ。御坂は、二度目に会った時には名前を覚えていた。

「御坂ミソノ。アンタがコレをやったかって聞いてるんだ」

10秒ほど経過したにも関わらず御坂は沈黙を通していたため、二度目の問いをかけていた。
指先で破壊され尽くした屋内を満遍なく指し表して。
しかしそれでも、御坂は黄泉川を見ようともしない。

「っ、ぁー……」

御坂は頭をこねくり回し、状況把握及び方策と、胸中で煮え滾る怒りを整理していた。
第一は状況把握と方策を済ますことが優先であったが、加熱する怒りが思考を邪魔をするために、そう易々とは整理がつかない。知らず知らずにしゃがれた声が漏れる。

「おーい。聞・い・て・る・じゃーん?」

目の前では黄泉川の手が数度交差する。が、そんなものは気に留めようがなった。
思考を回し始めた直後は、試験管を奪われ命が危うい己のことと、重症を負わされた上条の心配が真っ先に漂っていたのだが、今はそれどころじゃない。
レベル5になって以来……否、生まれてこのかた、ここまでの屈辱を味遭わされたことはなかったのだ。
敵がテレポート能力を所有していたにしろ、戦闘力で言えば完全な雑魚も同然だった。
だからこそ、策を弄して挑んできたのだろう。更には今後の動きを封じるために、上条という友人を人質にまでした。
言われるがままに従ってしまった。完全な敗北。屈服させられたのだ。この、第三位が。

「ゆ、るっ」

拳を握り締めた御坂は、下を俯いたまま、短い言葉を吐く。

「はい?」

床に落ちた言葉の意味が全くをもってわけが解らなかったため、黄泉川は思わず突っ込んだ。

「さねぇ゛ぞッ!!クソ尼がァア゛アァ゛アッ゛!!!!」

業炎の如く殺意を孕んだ怒声は爆竹の如く飛び散った。
その音量の凄まじさには、居合わせていた誰もが体を硬直させる。
一番近くに居た黄泉川は肝が据わったほうであった、にも関わらず、ビクッと跳ね上がっていた。


「ふぅっ」

少しだけスッキリしたようだ。

「えーと……そこの店員さん、ちょっとコッチに来てくれる?」

辺りを見回し上品なレオタードを纏った女性を見つけ、すかさず呼びつける。
呼ばれた店員はオロオロしながらも、特殊部隊の前では何もされないだろうと踏み、いそいそと歩を進めた。

「おい。いい加減にするじゃん」

あまりのシカトっぷりに、黄泉川は苛立ちを表情に出す。
顔馴染みであるとはいえ、流石に腹が立ったらしい。

「あぁ、悪いんだけど帰っていいわよ。刑事事件にはならないから」

あぁ、居たのね。と言わんばかりの返答を返しつつ、御坂はポケットから財布を取り出した。
その中のお札には目もくれず、一枚の黒いカードを指に挟む。

「お店壊しちゃってごめんなさい。修復費と損害費全般はコレから引いてくれて構わないんで」

「え、はぁっ!?ぇ……ええ!?」

「それと、アイスコーヒー四つお願いね。もうすぐ友人が来るから」

どうやらこの店員は、限度額無制限のブラックカードを初めて見るらしく、えらく慌てふためいている。
それでもどうにかこうにか御坂の言うことを理解し、別の店員にコーヒーを作るように命じていた。

「ってことで、いいでしょ?」

「お前なぁ……」

黄泉川は、あまりの傍若無人っぷりに目を覆った。
こうなってしまっては引くに引っ張れない。
興奮気味な店員と、背を向けて撤収する黄泉川を尻目に、御坂は次の行動へと移る。

「左天さん、黒子を呼んで頂戴。初春さんも連れてくるようにって」

「あっ、は……はい!!」

ある程度平常心を取り戻しつつあった左天は、指令通りにケータイを手早く起動させた。
左天が電話を繋いでいる様子を確認したのち、御坂は一人の世界に入り込む。

「さて、さって……と……」

一先ず、索敵に関しては問題ない。
試験管奪われたことによって死刑執行目前にあるわけだが、それも取り返してしまえば問題はないだろう。と、安易に結論が出た。

やはり落ち着くと思考が回るらしい。

しかしそれでも、未だに解せないことが残る。
全力で放った電撃が、綺麗くっきりと無効化されていたことだ。
左天が言う「消えた」能力は間違いなくテレポートなのだろうが、それで電撃を回避出来るものなのか。
電撃が放たれる予兆を感じ取って任意の空間へ飛び去り、爆煙が収まらないうちに元の場所へと再びテレポートしたことになるが……視界が開けない状態で空間転移は不可能に近い。となれば、別の能力が起因したと考えるのが妥当であろう。電撃を受け流す能力が。
即ち、女かもう一人のどちらかが、テレポートか電撃を攻略する能力を所持していたことになる。
いや……もしくは、二名以上の能力を重ねた可能性もあり得る。

などと考えているうちに、ヒュパッ!!と聞きなれた音が近くで鳴り、続く着地音が御坂の耳に届いた。


「お・ね・ぇ・さ・まぁ~!!」

これまたテレポートによって現れたのは、ツインテールが印象的な細身の女子で、御坂に飛び掛らんばかりの勢いで詰め寄っていた。
この女子こそが、御坂が左天に呼ばせた、白異黒子である。

「はいストップ。ちょっと今ヤバイ状況だから協力して頂戴」

思いっきり加重がかかった体勢にも関わらず、黒子はピタリと動きを止める。
いつもであれば、御坂の静止など聞き入れるはずもなく、ディープキスをかまそうとしているところなのだが、御坂が口にした「ヤバイ」という言葉に反応した。
御坂がこうも真面目な表情で危険を口にするなど、付き合いの長い彼女からすればあり得ないことだったらしい。

「何がありましたの?」

「時間がないから簡潔に説明するわ」

今しがた受けた奇襲、さらわれた上条という友人、敵勢の能力及び容姿、理事会から請けた仕事の内容についてまで、全てを短くあくまで端的に説明する。
この話しが終えるまで、黒子は一言も喋らず聞きに徹していた。

「何故、そんな仕事を請けましたの?」

「いやぁ、最近退屈だったから。興味本位と暇潰しでね」

えへっ、と軽く笑いを入れながら、御坂は後輩の黒子に詫びたつもりであった。が。

「なんで!!そんな危険なことをなさるのですか!!」

黒子が激怒したその様は、御坂が先ほど飛ばした怒声に負けじと劣らぬ迫力を帯びている。
そんな様子を鑑みてか、御坂はどう宥めるべきかと、一瞬だけ沈黙を生んだ。

「まぁ……ほら、アンタとアタシのコンビなら無敵かな。って」

「そうやって煽てているだけでしょう!?もちろん嬉しいに決まってますけれど!!」

御坂の胸中は読まれていたものの、それでも本人は嬉しいと言う。

「もう!!お姉さまのバカ馬鹿マンコ!!」

一応は真面目に説教をしているつもりらしいが、黒子はこのように卑猥な言葉を公然の前でも使う変態である。更にガチレズという真性のド変態だ。
御坂はいい加減に慣れたせいか、もはや苦笑いしか出てこない。


「ってことでさ、御願いできるかしら?」

目の前で卑猥な罵倒を喚く黒子と一緒に現れていた、もう一人へと御坂は話しかける。

「初春さん」

呼びかけられた女子の名は、初春ミザリー。
一見するところ、至って普通の女子、とはお世辞にも言えない珍妙な状態にある。
何よりも目立つのは、多々改良を施された車椅子。そのアルミフレームの両脚には、ATXサイズのパソコンが搭載されていた。
着座している初春本人は、透明なサングラス形状のアイシールドを着用しており、これがモニターとして愛用している。

「もぉ、やってまぁひゅ」

ろれつが回っていないような返答であるものの、左天も黒子も御坂も、大分慣れっこになっているので十分に聞き取れている。
彼女と初対面ならば、多いに違和感を感じるかもしれないが。
しかし傍目から見れば、表情の歪さや、常に垂れ続けているよだれのほうが気になるところだろう。

「ほら初春。よだれ拭くからね」

「むぎぃ。ありぎゃとうごらいましゅ」

左天は一緒の学校に属しているため、初春と仲が良い。ハンカチで口元を拭う動作は手馴れていた。
透明のアイシールドの奥に潜む両眼は、カメレオンのようにどちらとも明後日を向いているが、モニターはしっかりと見えるらしい。
両手の指先には矯正危惧のような器械が取り付けられており、ワイヤレスキーボードのような役目を果たす他に車椅子の操作まで行える。

「んー、ゃー」

わけのわからない言葉を垂れ流しながらも、指先だけは凄まじいスピードで動いている。
初春だけが視認出来るアイシールドモニターには今や50近いフレームが開かれており、御坂が望むものを調べ尽くす手前にまで来ていた。

足が動かない、引き攣っている表情筋、開きっぱなしの口元からだだ漏れるよだれ、明後日を向いた双眸。
可愛らしくあどけない顔立ちであったはずなのに、今では口元から眼球まで歪み、一見すれば脳内がお花畑状態にしか見えなかった。
尚、頭上にお花の冠を乗せているわけではない。

健常とは言えない初春の身体は、能力開発が誘発させたのだ。
学研都市が生まれた当初に比べ、近年での能力開発による事故のリスクは大きく激減していた。
だが、稀ではあるものの、このように検体の身体を破壊してしまうことは未だにある。
初春と出会った当初、三人とも彼女のことを不憫に思ったものだ。
だが、彼女が有する脅威的なまでのハッキング能力は凄まじいものがあり、実力をかいま見た時には哀れみの目などとうに消えていた。

「頼むわよ、初春ー」

左天は両手が塞がったていることをいいことに、初春のスカートをめくってパンツの色を確認する。公の前で。
これは決してイジメなどではなく、何気ない日課のようなものであるらしい。

「やめふぇくらひゃい!!よ。しゃてんひゃん!!」

おい初春おい


左天が日課をこなした直後、初春はパチンと指鳴らしをする。
すると、360度あらゆる方向から視認可能な三次元モニターが浮くようにして現れた。

「ほぉれおみれふらふぁい」
これを見てください。と言ってるらしく、三人はモニターに目を移す。
大きく開かれたウインドゥには、先ほど奇襲をかけた女の顔写真等が写し出されていた。

「木山春美……ね」

御坂は詳細情報に目を通しながら、苦々しくその名を口にした。
学研都市の住民台帳や理事会が有する登録情報にアクセスもといハッキングしたそれらのデータには、出生から学業及び職務経歴、前住所から現住所までが記載されている。

「それで、コイツは今どこにいるの?」

「わふぁりまへん」

現在地より1㎞圏内の監視カメラ映像をハッキングし、1時間程遡らせた映像全てに顔認識システムを照らし合わせてみたものの、木山春美は近辺から唐突に現れてカフェから唐突に消えた。という結果に終わった。
初春いわく、徹底して調べるならば検索範囲を学研都市全土に拡大する必要があるため、時間がどうしても必要になるとのことだ。

「そんなこと、あり得ないんじゃ」

監視カメラが張り廻ったこの街で姿を隠し通すことなど不可能に近い。
仮にテレポートを複数回使ったとするならば、能力のレベルは4以上が必要であろう。
にも関わらず木山がそれをやってのけているとの結果に、御坂は頭を悩ませた。

「おふぉらふはぐェふいほうふぁほおほわれひゃす」
恐らくは下水道かと思われます。と、初春は疑問に答える。

「確かにそれなら可能だけど……いや、アイツならやりかねないわね」

そもそも上条と共に現れたこと事態が、おかしいと感じた。
御坂の知り合いである上条を偶然見つけて店まで同伴させるなどと、いくらなんでもタイミングが良すぎる。
恐らくは事前に交友関係を調べ尽くされており、尚且つ奇襲直前まで上条も自身も尾行されていた。との結論が出る。

「ホント、ふざけた女ね……!!」

苛立ちが再び煮えを滾らせる。
だが、怒りに身を任すのはまだであると……タイミングよく運ばれてきたアイスコーヒーを飲み干し胸中を沈めた。

「あのー御坂さん。上条さんを人質にしたってことは、木山は病院かどこかに向かってるんじゃないですか?」

「いやいや、病院って」

たった今しがた事件を起こした人間が、公共機関に足を運ぶものだろうか。と、当たり前のように左天へ突っ込みを返しそうになった。
しかしあれだけの重症。上条の肩は、ずたずたに撃ち砕かれて出血が尋常ではない。
1時間と経過しないうちに失血死もあり得るほどに、酷い傷口であった。

「……あり得るわね」

行方がわからない今、当たるならばこの線が妥当と言える。
だが、これだけで済まして良いものか……と、御坂の思考は回転を止めない。

「黒子はここから北西から南西を、左天さんと初春さんは北東から南東に位置する病院を総当りして。それで見つけたら私と黒子に連絡を御願い」

「はい、わかりました!!」

「いっふぇきまひゅ!!」

左天と初春は、御坂の指示に応えた。
それとは対照的に、黒子はすぐに応えようとはしない。

「お姉さまはどうなさいますの?」

「理事会にちょっとね」

先ほど初春がハッキングしたデータには、本件に関する依頼が見当たらなかった。
レベル5級の依頼となれば電信手段を用いず、ローカルな方法のみでやり取りされるということを、御坂は知っている。
己の命の猶予は、学研都市の理事長次第で即決まる。恐らくは数日中に死刑が執行されるだろう。
それまでに上条を救い出し、試験管を奪い返すならば、集められる情報は集めておいたほうが良い。

「それじゃ、行動開始よ」

つまり初春は常時アヘ顔?

>>20
はい


「……なんてことを、考えているだろうね」

悪臭が鼻につく下水道。
木山はまだその通路内に座っていた。

「わかったから、早く終わらせてくれよ」

「ならばライトを動かさないことだ。視界がすこぶる悪くなるのでね、縫合に支障が出る」

両手が塞がっており鼻をつまむことの出来ない浜面士上という少年は、顔を歪めながら急かした。
対極的に平然としている木山は、薄暗がりの中で光源に浮かぶ上条の傷口を、傷を糸と針で縫い合わせている。

「もう少しで終わるから、君も動かないように」

命令を下された上条はと言えば、一言も喋らずに手当てを受けていた。
拉致直後にモルヒネを投与されたことによって痛みは大分引いている。
本来ならば叫び声をあげて助けを求めるなり、抵抗するなりしたいところであろうが、浜面が向ける銃口のせいでそうはいかなかった。
浜面が左手にライト、右手に拳銃を携えているのも、木山の命令によるものである。


「こんなものだろう」

上条の肩口の穴は、一応ながらに塞がった。
一応というだけであって、木山のヘタクソな縫合は見るも痛々しいことになっている。

「なぁ、マジで大丈夫なのかソレ?」

浜面はガタイが良く端から見れば威圧感さえ与えるような少年である。
だが、内心は見かけに比例せず繊細な部分があるらしい。

「失血死は間逃れたろうさ。まぁ、こんな場所で治療したのだから細菌だらけで化膿するがね」

ダメじゃねーか。と、浜面も上条も突っ込みそうになった。
しかし、人の命を呼吸するような気軽さで扱うこの女には、狂気のようなものを感じ、到底言えるはずがない。

「それじゃあ外に出ようか。ここは臭くて堪らないな」

「今更だろ」

こくこくと頷く上条をよそに、浜面はいよいよ突っ込んでしまう。

「そう言うな。今日の仕事はこれで終わり……あぁ、この子を監禁しておく必要があるんだったか」

監禁という物騒なワードに、上条は思わず息を呑んだ。
重症といっても過言でない状態にある上条の吐息はもとより荒いものがあったが、心音はよりいっそう激しくなる。

「気構えないでくれ。君や御坂君を[ピーーー]つもりなどないよ」

信じられるはずがない。
木山はカフェに居た時に比べれば穏やかな装いであるものの、言葉と同時に放つ微笑は冷徹で、何よりも無機質であったのだから。

「ってことでほら、ちゃっちゃと歩いてくれねーか?」
銃口で背中を軽く叩かれた上条は、言われるがままに歩を進める。
少なくとも今は、反撃することは出来ないからだ。

「そうだ。浜面」

「なんだい、先生」

浜面は木山のことを“先生”と呼ぶ。
それは以前、木山の経歴を聞いた時に教職員だったと知ったことが発端であった。

「あとで買えの服を買ってきてくれ。それとファブリーズも頼む」

「……あぁ、わかったよ」

浜面は、この女性のことが時々わからなくなる。
血も涙もないような人格であると思われるのだが、時折天然で可愛らしい一面が垣間見える。
だからこそ、今回の仕事には興を引かれた。



「あ、の……」

全面とも射光フィルムで真っ黒に仕上げられたキャデラックの後部座席に押し込まれたあと、上条が恐る恐る口を開く。
隣には浜面が座っており、尚且つ銃口を脇腹に突きつけられたままだった。

「喋る許可は出してないはずだが」

木山はエンジンをかけながら、短く言い捨てる。
それと同時、浜面が持つ拳銃の引きしろが更に縮まった気がして、上条は息を呑んだ。

「ふふ、冗談だよ。聞きたいことがあるなら聞いてくれ」

冗談にしては声が恐ろしく冷たい。
だが、許可が出たのなら……と、思い切って質問することにした。

「えぇっと、何っが、目的なんですか」

モルヒネを投与されているせいか、いまいち呂律が回らない。
そして、質問に真っ先に応答したのは、浜面の微かな嘲笑だった。

「目的、ね」

木山は、右手だけでハンドルを操作し、左手でポケットに入れた試験管をまさぐる。
求めていた答えが返ってこないことに上条は苛立つが、表情には出さない。
浜面の嘲笑は尤もだった。
協力者である浜面は、作戦開始前に意図を聞いたことがあった。
だが、「どうしても手に入れたいものがある」「言いたくない」と、深くは答えてはくれなかったのだ。

「君は知る権利があるだろうな。それだけの痛みを負ったのだから」

木山の意外な返事に、浜面は「えっ?」といった表情を露にした。
その顔を見た上条はほくそ笑むものの、押し当てられた拳銃に力が篭ったことにより再度真顔にを戻る。

「この試験管の中身はね……眠り続けている子供達を、助けるためのものなんだ」

上条も浜面も、驚きに目を見開かせる。
作戦を遂行させるためには余念を残さず、人を撃つことに一切の躊躇いを見せないこの女性が、遠まわしに「子供を助けたい」と言っているのだ。
だが、試験管の中身となれば薬剤である可能性が非常に高いと推測されるため、二人は納得せざるを得ない。

「意外だったかな?」

二人の胸中を察したのか、木山は言葉を吐いたあとに自嘲とも取れる笑いを零す。

「そりゃあ、意外だよ」

上条は返す言葉が見つからなかったようだが、浜面はあくまで愚直であった。

「そうか……それなら良かった」

何が「良かった」のか、バックミラーに写る面持ちからは想像すら出来ない。
木山の口元から漏れる奇声にも似た笑い声。伴ったように引きつった表情は、声と同じで歪んでいた。
試験管に当てていた眼光を開けたアスファルトに戻すと、木山はアクセルをじわじわと踏み込んだ。
上昇を続ける回転数と同様に、加速度は身体を圧迫させる。
噛み合った歯車は狂ったように廻り続ける……繰り手の行く末を、示すかのように。


車で連れられた先は、学研都市に対する反社会勢力“スキルアウト”達が集うスラム街だった。
反社会勢力と呼び名こそ酷いものの、国から見捨てられた低能力者達がおのずと身を寄せ合い学研都市の方針に反抗しているうちに、街の角へ追いやられたというのが実のところである。

「あっ」

木山のアジトであろう廃ビルに足を踏み入れると、そこには上条の見知った顔があった。

「……横になりなさい」

苦虫を噛んだような面持ちで、医療器具をせかせかと設置していたのは、蛙の面に似た初老の医者。
上条が以前何度か世話になったことある“冥途返し(ヘブンキャンセラー)”と称されるほどの名医だ。

「早く治療してもらったらどうだ?」

何故この人がここにいるのだろう……と、茫然としかかっていた上条へ、木山は促した。

「酷いことをする……本当に、すまない」

医者は木山に一瞥をくれたのち、上条に詫びの言葉をかける。
上条としては、木山に詫びを入れられるのなら当然だと思うが、この医者には謝られる覚えなどない。
その音声には辛苦が混じっており、逆に申し訳なく思ってしまうほどだった。

「いえ、別に……」

とは言ったものの、ここで会話を止めるのは拙いだろ。と、貧血と薬物投与でふらつく頭に喝を入れる。

「なんで、先生がここに?」

ぐちゃぐちゃになった肩を直視しないように服を脱ぎながら、問いをかけたものの、即座に応答したのは木山の視線だった。
医者もそれに気づいたのか、数秒の沈黙が流れた。


「話したければ話せばいい。支障が出るわけでもない」

上条の体の三か所に麻酔を打ち終えた段階で、ようやく木山は口を開く。

「私の邪魔をしなければ、構いやしないよ」

木山は言い終えると同時に踵を返し、部屋を後にする。
それを追うかのうようにして、浜面もドアに手をかけた。


「なぁ、先生」

殺風景なコンクリートが包むリビングにはソファとベッド。他は戦闘に関与するだろう銃器や工具が散らばっているだけの部屋。
木山は後ろを追ってきた浜面を気に掛けるう様子もなく、ソファに深く沈み込んだ。浜面は何を考えているのか、腕を組み立ちすくんだまま。

「質問の前に一ついいかい」

「ん……買い物?」

浜面は、買い出しを頼まれていたことを忘れていたらしい。

「買い出しはよりも先に、だ」

「私を、先生と呼ぶのを、やめてくれないか」

何故そんなことを。と思った、が。

「……どうしよっかな」

疲れ気味だった木山は、いよいよため息を零した。
だが、浜面は悪気があってこう返したわけではない。

「何故だ?君を雇っている私が頼んでいるんだぞ」

「そりゃそうなんだけどさ。じゃあ何て呼べばいいかなって」

確かに、浜面は木山から報酬を得てサポートにつくことになった。言わばヘルプのようなものである。
にも関わらず、今回は簡単に引き下がろうとしないのは、木山の意外過ぎる一面を知ったからであった。

「呼び名など何でもいい。それこそ初対面のように“木山さん”でいいじゃないか」

「呼びにくいんだよそれ……あ、ハルミちゃんは?」

「……嫌に決まってるだろう。いい加減にしてくれ」

木山が視線を床に落とすと同じくして、浜面の音声が素のものに変ずる。

「アンタ、なんか勘違いしてないか」

ぴくりと木山は反応した。
苛立ちなどではなく、言葉の意味がわからなかった。

「隠し過ぎなんだよ。本気でやる気あんのかよ」

また、意味がわからない……といった表情だったが、次第にその意味をかみ砕けたのだろう。
それから数秒経過した木山の表情は、今や怒りに満ちかけている。

「間違ったことを言ったか。俺?」

はらわたを引き裂きそうな殺気が、ヒシヒシと押し寄せる。
浜面は既に身を震せているが、目を合わせたまま思いの丈を続けた。

「黙れ!!」

怒声は間を挟む壁を貫き、治療まっただ中の上条の傷口にまで響き渡った。
直に怒りを浴びせられ、ソファを蹴飛ばして立ち上がった木山の形相に、浜面は部屋を飛び出さんばかりの勢いで後ずさる。

「ぁ、っ……その……先、生っ」

先ほどまでとは二人の体勢はうって変わり、木山はこき下ろすように浜面を視線で抑えつけていた。
途切れ途切れに怯える声と、荒く波打つ吐息だけが部屋にしみ込む。
だが、次第に二つの音声は静けさを纏い、いつしか木山の形相は悲痛なものへと……双眸には涙さえ浮かんでいる。

「ごめんね……」
酷く怯えた浜面を何と重ねたのだろうか、いけないことをしてしまった子供のように、木山は酷く落ち込んだ。
汚れたソファに顔を埋め、声を押し[ピーーー]ように泣いている。
浜面も、また同じような胸中になりつつある。
触れてはいけない所に触れてしまったのだろうかと……かける言葉さえ、見つけられなかった。

あら面白いスレ発見


己を叱咤し続けているのか、埋めた顔を中々上げようとしない。
浜面はこのまま暫し様子を見ながらもう一度話しを続ようと思ったものの、むせぶ声は聞くに耐えないほどに痛々しい。
ここは一人きりにしてあげてから、落ち着くのを待つことにした。

「うわ、痛そ……」

何となく隣の部屋に入り手術中の上条の様子を伺った。
麻酔は効いているものの、それでもしきりに傷む傷口直視したくないのか、天井だけを真っ直ぐに向いている。
一度は木山が縫った箇所は全て抜糸されており、医者は上条の体内を縫合中である。

「あの……治るんですかね。結構グチャグチャだと思うんですが」

自身の身体は自身が一番理解出来ているのか、医者に問う声はとても弱弱しい。
右肩付近に銃弾を15発。集弾していれば肩から下は千切れていただろう。

「まばらに撃たれているとはいえ、弾数が多すぎる」

極小の湾曲した針を、二つのピンセットでつかみ合っての縫合。
難易度は決して高くないものの、速度を伴わせるには数知れない経験が必要であろう。
医者の手際は凄まじいものがあり、冥土返しという大層な名を関するだけはある……と、浜面はその細緻の技に感動を覚えた。
一方で、医者の返答に上条は不安を更に募らせた。

「……が、人口体組織と結合させているからね。安静にしていれば元通りだよ」
言い終えた直後、針とピンセットをアルコールの皿に投げ入れ、上条の肩口に付着した血液を綺麗にふき取り始めた。

「おぉ!!流石は先生!!」

「安静にしていれば。と言っただろう」

医者は法衣を脱ぎ去り、如何にも安物と思われるチェアに腰を下ろした。

「何も無いところですいません。これ、良ければどうぞ」

「気が効くね。頂くよ」

浜面は今しがたの苦労を労い、医者に麦茶を差し出す。
普段ならこうも気を回す性質ではないのだが、尊敬の眼差しを向けざるを得ない医者に対しては、自然と手が動いていた。

「お前も飲むか。左手は使えるよな?」

ゆっくりと台所に戻り、上条のぶんのコップとお茶まで用意を始める。
上条はすぐに返答は出来なかった。先ほどの事件の回想がぐるぐると回っている。

「いいのか?俺まで」

「別に、お前は俺らの敵ってわけじゃないしな」

飲み込めていなかった事態の全貌に、また一つピースが嵌った。
だが、全容は一向に見える気配がないために、上条は頭を更に悩ます。

「で、飲むの?」

「飲む」

じわじわと傷口に影響を及ぼさないようにベッドから起き上がり、左手で麦茶を受け取る。
一口飲み、二口、三口と喉に流れ……やっと息がつけた。と、表情には安堵が少しばかり浮かんでいた。


「君も大変だね」

上条にではなく、浜面に視線を向けての発言だった。
決して他人事のような音声ではない。

「まぁ、金貰ってるんで」

浜面はさも当たり前のように返答する。
双方同意での契約なのだし、報酬に見合うかそれ以上の労力が発生するのは当たり前だと思っている節がある。

「そういった意味じゃないよ。木山君のことさ」

「……どうすかね」

医者の言うことは全般的に尤もだ。と、今日は特にそう思えている。
しかし、手を組んだ以上木山は依頼者であり、彼女を貶されるような発言に不快を覚えた。
一方の上条は、今し方始まった会話を聞きに徹している。

「先生は、あの人との付き合いが長いんですか?」

「あぁ、長いとも」

上条が知りたかった会話がようやく始まる。

「彼女の教え子達が搬送されてきた時からだね」

「教え子達って、教師やってたって時の?」

「そうさ」

車中で木山自身が言っていた子供達のことだった。

「先生……いや、木山さんが手に入れた試験管。あれは何かの薬なんですか?」

「彼女の教え子達は脳神経そのものが変異した状態にある。これを治せる特殊な特効薬だそうだ」

「そうですか。でもなんで、アレを御坂ミソノが所持して……」

上条は知った名に思わず反応する。

「木山君からは聞かされてないのかい?」

「俺はもともと対象の調査だけを任されてまして。奪還決行も前日に告げられたんです。詳しいことは何も」

「彼女らしいが、些か冷静を欠いてるね」

呆れたように医者はため息をつく。
それとは真逆に、上条の心音は高まっていた。


「どうしたものか……」

浜面は、医者が話す内容の先が気になっているのだろう。乾いた口元を見入っていた。
その様子に気づいたのだろうか。医者は目線を落とし、口をつぐむ。

「木山君のサポートにまだ付くのなら、この先は君が直接聞いたほうがいいね」

「そうですよね」

尤もな意見だとはわかっているものの、ああも情緒不安定な状態に根堀葉堀聞くのは骨が折れる。
付き合いの長い人物がいるのだから、事前に情報を得ておきたかったようだ。

「君の命にも関わることだ。彼女の胸中を探るのは難かもしれないが、頑張ってとしか言えない」

「話しにくい理由でもあるんですか?」

医者の面持ちを見れば気づくことだった。
でなければこうも気分を落とすことはないだろう。

「理由くらい、聞かせてもらえるんすけど」

医者の様子に一段と暗いものが混じる。
上条の高ぶっていた心拍は、少しばかり低迷させられた。

「私はね、昔……彼女と、その教え子達に……最低なことを」

俯いたまま口はすぼんだように「お」の形で止まっている。
眼下で組んでいる両腕は震えているようだった。

「医者として、人として、最低なことを……!!」

浜面は、これ以上は聞き出す気にはなれない。聞きに徹している上条もまた同じだ。
医者は、悔しさとも羞恥とも苛立ちとも違う面持ちで、過去の自身を激しく叱咤しているようだった。

「後は自分でなんとかしますんで、先生はもう」

「……すまないね」

そう言って、両手を床につきながら、ゆっくりと立ち上がる。
ここでようやく上条は口を開くことになった。

「あっ、ちょっ……俺はどうなるんですか?」

「浜面君に聞いてくれ」

「上条だったよな。お前は人質なんだってよ」

一応これくらいは聞いてるよ。と言わんばかりに素っ気無い応対だった。

「ということで、君はここで安静にしているように」

スタスタと歩を進め出口に向かう医者の様子には、もう呆れるしかなかったようだ。
え、助けてくれないの?アンタは善良な一般人じゃなかったの?と心の中で呟いているうちに、医者はドアをぱたりと閉める。


「ってことでな」

上条が呆れているうちに、浜面が発する音声の位置は多々移動していた。
なにやらガチャガチャと音を立てながら近づいてくる。

「……なにしてんの?」

「ちょっと木山先生んとこ入ってくるからさ。お前に逃げられたら困るし」

手始めに両足に手錠をかけられた。
続いて両足を繋ぐ鎖に手錠の片側を、もう一方はベッドの鉄フレームにがっちり固定。

「痛っ!!ぁあ!!」

「馬鹿。おとなしくしてないから痛いんだって」

左腕に三本目の手錠をかけられ、その一方を右手首に回す最中に、穴だらけだった右肩が少し捩れた。
上条は悲痛を露にする。麻酔が切れかかっていたのだろう。
浜面はこういった荒業に慣れているのか、口調も作業も淡々としている。

「っ、おま…ぇ……!!」

荒い吐息を次第に整え、文句の一つを投げようとしたがもう遅い。
浜面が木山の部屋へと入った後だった。

「くそ!!」

手錠は堅牢で外せそうにない。
さらにベッドの上で暴れようものなら肩口の治療は無意味になる。
これはもう……どうしようもない。と、じっくり考えた末に気づいた。

だが、未だに腑に落ちないことがある。
何故自分が対御坂の人質に取られたのか。よくよく考えれば、薬が入ってる試験管を何故御坂が持っていたのか。
わからないことだらけだった。


「あのー、先生?」

浜面は思わず本人に対して「先生」と言ってしまったが、反応はない。
思わず、といった心境になることは仕方がないだろう。
木山は音一つ立てることなく、ソファにうつ伏せた状態にあるのだ。

「おい……?」

恐る恐る顔を覗き込むものの、顔は見えない。
荒れ気味でウェーブ掛かった長髪は、耳から横顔までをも隠していた。
浜面の心拍数が嫌な音で高まり始める。
もしかして死んでいるのではないか。冗談抜きにそう思える。
出会って依頼、この人物が休憩している様を見た試しがない。常々独り言を呟き続けたり何かしらに没頭していた。
ここ数日は顔色も非常に悪く、悪い薬でもキメてるんじゃないだろうか。パタリと死んでもおかしいことはない。

「すーぅ……っ。ふ、くぅ……っ」

薄汚い布地と長髪の間から、荒れた肌が僅かに見え隠れする。
そこからは微かに、寝息とも吐息ともれるような疲労混じりの音声が漏れていた。

「……寝てるのか」

「寝てなどいない」

ビクン!!と、浜面は弾けるように後ずさった。
生死を確かめるために片耳を木山の横顔へ近づけていたこともあり、ある種ホラーばりの一驚を覚える。

「起きてんのかよ!?」

木山はのそっとソファから起き上がり、胸の高鳴りが静まらない浜面を、ぼんやりと虚ろに見つめた。
口からはよだれを垂らし、隈と対になった眼は未だに眠そうである。

「仮眠をー、取っていただけさ……本格的に寝たら奇襲に対処できないだろう?」

「じゃあ返事してくれよ……」

「次からはそうしよう。珈琲を淹れてくれ」

浜面の心配を、意に介する様子などないらしい。

「はいはい……ホットだよな」


軽くため息をつきながらも、浜面は足をキッチンへと向ける。
キッチンと呼ぼうにも、アナログなガスコンロとちゃちな器具しか用意されていないのだが。

「上条はどうした?」

「ベッドに縛ってるよ」

「そうか。ならいい」

コンロの上に置かれたポットの中身は少量の水。すぐに沸かせるために少なめにしたようだ。
その間、二つのカップもとい湯のみへと、インスタントの珈琲粉と砂糖を落とす。なんとも手際が良い。
木山は浜面と対象的に、柔らか過ぎる布地に身を沈めながら、眠そうに目をこすっている。

「浜面」

「ん?」

木山はどこを見つめるわけでもなく、ゆっくりと名前を口にした。

「さっきは、その……すまなかった」

侘びの言葉に、浜面はすぐに返答が出来なかった。
木山の面持ちはどちらかと言えば無表情に近い。だが、今までに見たことのない、人間らしい色が浮かんでいるのだ。

「怒っている、よね」

数秒経っても静けさのみが停滞していたせいか、木山は目線を落としながら呟いた。
そこには自身に対する嘲笑が、微かに混じっている。

「いや、違う!!怒ってないって……気にしてないから!!」

手をばたばたと振り、木山の勘違いを一掃する浜面。
確かに見て取れる悔恨の念が痛々くて、それ以上苛んでほしくないという気持ちから、彼女の胸の内溜まる暗雲は振り払うべきだと思った。

「本当かい?」

「本当だって!!なっ、先生。砂糖入れるか!?」

妙に慌てふためくような浜面の様子を不思議そうに見つめながら、無糖のままか、甘いものにするかを考える。

「じゃあ……たまには、一つだけ」


「おまっ、ぇ……自分が何してるのか、わかって……」

スーツ姿の職員は、御坂を仰ぐように見上げ、しどろもどろに口を開いた。
だが、引き起こされた事態があまりにも凄惨だったためか、目線を合わせることは叶わない。

「アンタらがさっさと喋ってれば、ここまでやってないんだけどね」

電撃を飛散させた背後を一瞥すると、そこには焼き焦げた死体や破壊され尽くした機器が転がっている。

「理事長に知れたら!!お前の命なんて」

言葉が終わるよりも速く大気中に青い放電が奔り、職員の太腿を目掛ける。
乾いた雷電の音と肉が爆ぜる音はが鳴るのはほぼ同時であったためか、バチュンッ!!と耳障りな音が生まれ出た。
焦げて散った肉片の一部は酷い匂いを放つ。もとより異臭だらけであったこの部屋では、さほど気になることではない。

「ぎゃ!?ぁ……がぁ゛あ゛……!!」

放たれた雷電は10万ボルトを優に超えていた。
その爆熱に衣服と肉は一瞬にてグチョグチョに同化し、骨の髄にまで黒い炭が行き渡る。
一度傷口を視認してしまえば、もはこの世とは思えないほどの激痛が体の隅々を埋め尽くす。

「アタシの命はね、アンタと同じで時間がないの。試験管を奪い返さない限りはね」

「っ、がぁ゛……っ゛」

御坂の口調は淡々としていた。
芋虫のように床で蠢く職員の様子を鑑みる余裕はない。

「加えて友達まで攫われた。アタシが焦る理由なんて……アンタならわかるでしょ?」

「ぃ゛、い゛ーぎ、っぃ」

苦痛を誰にでもなく訴える職員を、御坂はじっと見つめて問いを正す。
しかし当然ではあるが、職員がまともに返事を返せるはずがなかった。

「おい」

「いぎゃぁ゛!!あがぁあ゛あ゛!!」

痛みを遮るかのように両手で覆い隠された焦げた太腿を、御坂は蹴り飛ばした。
従来の痛みが何十倍にも膨れ上がり、職員があげる呻きは歪んだ音叉と化す。

「木山はどこ?あいつの目的は何?」

もはや気が気ではない職員の目からは大量の涙が流れ出ている。
御坂はそれを気に留めることもなく、短い前髪をわし掴み、首から上を無理やりに捻りあげた。

「どこかって、聞いてるんだけど」

「ぃ゛、言います!!話じますから!!」

「そう。なら早く言ってよ」

命乞いするように口を開いた職員を見つめ、御坂はようやく笑顔を取り戻した。
職員が痛みに耐えながら説明するところ、木山の目的は試験管を奪うこと。御坂の仕事とは対するところにある。
木山が得ている情報は「試験管を持つ人物」だけであり、その人物が得る報酬とリスクを知ることはない。
要するに、奪う側も守る側も、端的なことしか知らない状況にある。
木山春美が試験管を奪うメリットは、試験管の中身を使って「病院で眠っているの患者を助ける」ことにあった。

「アイツの居所は?能力は何なの?」

身を隠すように動いているため居所は不明瞭。
能力については…、驚くべき答えが返ってきた。

「多才能力(マルチスキル)ですって?」

あり得ることがなかった能力。
人間が使える能力は一系統限りと、どれだけ研究を進めた最新の技術でさえなし得ない方式。
木山は独自に多才能力を作り出し己の脳に植えつけた。理事会はマルチスキルの実用データを得たいがために、今回の依頼を双方に振ったとのことである。

「なるほどねぇ」

一芝居打たれたことに怒るよりも、一戦交えた際に電撃を弾かれたという謎が解けたためか、御坂の胸中には平静が行き渡る。
ここまでの情報を得れば、事態は容易く見通せる。
攫われた上条は間違いなく人質であり、まだ殺されることはない。
得るべき情報は得た。あとは戦闘体勢を整えるだけ。

「オーケー。やってやろうじゃない」


「そういや、試験管を渡さなくてよかったのか?」

堅牢なデスクにしまわれたままの試験管に疑問を抱いた浜面は、珈琲を啜りながら器用に銃を手入れする木山に問いかけた。

「アレはね、単品じゃ使えないのさ」

「っていうと?」

同じく珈琲を啜りながら、浜面はもう一度聞き返す。

「試験管は全部で三つ。第三位以外が所持する二つと薬品を混ぜ合わせることで、効能が発揮されるのさ」

「……情報の後出しはやめてくれねぇか?コッチも命がかかってるんだ」

その声の質は硬くて気圧すものだった。
木山は作業途中の拳銃をデスクに置き、浜面へと振り直る。

「私は君を、道具として雇っている」

「そりゃ今更な応談だろ。情報次第で精度が変わるのが人間なんだ。知ってたかい?」

「……さっき君が怒っていた理由か」

浜面の意見は尤もだった。
木山はようやくして真摯に受け合う。

「その結果は誰に向くと思ってるんだ?俺だけか?違うよな、先生自身じゃないか」

木山は言葉が詰まる。
道具の善し悪しが結果に影響することは明白なのに、今この時まで気付きもしなかった。

「先生が何を思ってるのか知らないけどさ、勝ちに行くなら……考えてくれよ」




「助けたい子どもがいるんだろ?別におかしな理由でもないんだから、話してくれてもいいじゃねぇか」

「……それが、苦痛なんだ」

返ってきた言葉に、浜面は首を傾げた。
開いたまま閉じない木山の唇を見て、続く言葉を待つ。

「私が蔑まれることは気にも留めない。だが……話すことで私が同情されるなら、あの子達に申し訳なくて……」

「先生……?」

木山はいつしか項垂れるように頭を下ろし、双眸は虚ろになりつつあった。
情緒が不安定気味な声は、浜面にも感染しそうなものがある。

「知りたいなら、冥土返しの病院を訪ねるといい。私があの子達に何をしたのか解るだろう」

からからになりかけた唇を潤すかのように、木山はコップの縁を口づけた。
今はこれ以上話してくれないと践んだのか、浜面は去り際に一言残す。
木山の意思は全く理解出来ないものがある。
だが、それが解るならと、跨がった二輪のアクセルを大きく開き、廃ビル
を後にした。





「すいません、御坂さん!!手がかり……ゼロです」

「えろれひゅ」

木山一行を探索するために街中の病院を駆け回っていたメンバーは、途中で御坂から連絡を受けてセブンミストに集合することとなった。
御坂が待ち合わせ場所で待機して数分も経たないうちに、左天と初春チームが合流する。
初春の改造車椅子は二人乗りしても相当な速度を出せるらしく、二人は息を乱す様子なく御坂に経過報告を入れた。

「でしょうね。恐らくだけど、アイツらは病院には向かってないから」

「理事会から情報取って……うっ!?」

御坂の衣服に付着した異臭は酷いものだったのか、左天は一歩這いずった。
その反応を見た直後、御坂は制服の肩口を嗅ぎ、左天同様の反応を見せる。

「理事会の連中が中々口割らなかったからね」

「不味くないですかそれぇ」

暴力もとい殺人までやってのけたことは安易に想像がつくも、どんな所業を行ったのかは想像したくなかった。

「早速なんだけど初春さん。冥土返しの動きを遡って調べてもらえる?」

「りょうふぁいれひゅ」

初春は瞬時に三次元モニターを展開させる。
冥土返しが所有する病院付近の監視映像が保存されてあるローカルデータをハッキング。
次いで所有車両のナンバー及び顔認識システムを全ての映像に適用させ、凄まじい速度での解析が始まった。

「冥土返しって、お医者さんですよね?」

「木山の目的はどこぞの患者を助けたいってことらしくてね。その患者が冥土返しの病院で眠ってるの」

「木山と冥土返しがグルってことですか?」

解析が淡々と進む最中、左天は御坂が得た情報についてを問いただす。

「アタシも大体しか聞いてないから、初春さん。そのあたりもお願いできるかしら」

「もうひらふぇまふぃふぁほ」

よだれを垂らしながら、もう調べましたよ。と言っている。

「ほれをひふぇふらふぁい」

これを見てください。と言った直後に大きめのモニターが展開される。
そこには子供と思わしき複数の顔写真が敷き詰められており、木山との因果関係図まで用意してあった。



「ん……小学生かしら。この子達」

モニターに写っている子供らは、皆私服を着ていて其々が表情豊かであった。
計二十四名の子供達の写真とは別組みに、素っ気無い顔立ちの女性が写っている。

「これは?」

「ひやまふぁるみでふ」

木山春美です。

「えぇ!?これが!?」

御坂も左天も驚きを露にした。
一戦交えた時のボサボサの長髪とは違い、整ったショートカット。スッピンではなく、薄めの化粧もほどこしてある。
何よりも二十代半ばと思われる若々しい顔立ち。表情の乏しさに面影こそ見えるものの、今とは全くの別人にも思えるほどであった。

「よえんふぁえ、ひやまはひょうしをひていふぁひふぁ」

四年前、木山は研究員の傍らに教鞭をふるっていたことがあり、二十四名の子供らは教え子であった。
いずれもが学研都市に捨てられた子供であり、学業を受ける一方で被検体となることは当然。その実験の最中に不手際が発生したのか、全員が重症を負い、今現在は冥土返しの病院に横たわっている。

「……おかしな話ね」

御坂が疑問を持つことは当然とも言えた。
本来、実験で被害を負ったとしても、その治療費を国が負担してくれわけはない。
有望な検体であると判断されたのであればこれも辞さないのだが、クラスメイト全員が治療を施されるなどとは、夢のまた夢である。
本来ならば、生命装置を切り離され、死体として処分されているだろう。

「ふぉれについては……」

それについては、木山春美が治療費を全て負担している。

「はぁ?何考えてるのコイツ。モルモットに情が移ったっていうのかしら」

自虐のような発言でこそあるものの、今現在でさえ、モルモットとして飼われている御坂にとっては、苛立ちの燃料としか成り得ない話であった。
それは御坂だけでなく左天も初春も似た気持ちを抱えている。
情が沸くというのなら、最初から自由を与えてほしかったと。

「くっだらない……初春さん。冥土返しのほうは?」

「ばってぃりれしゅ」

3時間前、病院の駐車場から冥土帰しの車両が発進しており、その行く先はスラム街。
監視映像の設備が破壊され尽くしたスラム内部から映像追跡が出来ないものの、短時間で再び病院への帰路を辿ることが確認されていた。

「あの名医がスラム街へ出張ねぇ」

「幾らなんでもタイミングが合い過ぎですよね」

的を得たと言わんばかりの表情の見せる御坂に、左天は相槌を合わせる。


「お姉さまぁ!!」

初春による調査結果が左天と御坂に伝わり終えた頃、丁度良いタイミングで空間転移の音が鳴る。
しかし、心地良い音は甲高いのかダミ声なのかよくわからない音声にかき消されてしまった。

「あっ。個法先輩まで」

左天がはと気づいた先で、着地した眼鏡をかけた女子生徒の胸は大きく揺れていた。
御坂よりも一つ年上の個法美偉である。

「白異さんから聞いたわよ。国からの依頼をミスして命が危ないんですってね」

「ちょっと!?私はそんな風に説明してなど……!!」

「あー、大体そんな感じです。いやお恥ずかしい」

黒子の弁解を受け流すように、御坂は個法へと会釈を返した。
御坂は黒子を呼びかける際、個法先輩を連れてくるようにと頼んでいた。

「状況に進展は?」

「お茶しながらでも左天さん達から聞いてもらってもいいですか?私はまだ行くところがあるもので」

「そうね。一息ついてからゆっくり考えたほうが良さそう」

上条が攫われた以上、屋内戦になることは用意に想定出来る。
敵を殲滅するだけなら御坂の能力で十二分に事足りるが、奪還も加わるとなれば増援が必要と判断した。
個法が有する“透視能力(クレアボイアンス)”は、この案件には打ってつけとも言える能力だ。

「ってわけで黒子。冥土返しの病院まで送って頂戴」

「わかりましたわ。お姉さま」


「……そうか。木山君は、変わらないものだね」

浜面が病院を訪ねた旨を大まかに話したところ、冥土返しは木山とのやり取りの一言一句聞き返してきた。
目的の病室へ足を運びながらも、思い返しながら始終を話し終えると、冥土返しはため息を吐くようにそう言った。

「よくわかんないすけど、昔からあんな感じなんですか?」

変わらない。という表現から読み取った意味を、浜面は安直に聞き返す。

「昔…というほど前でもないか。この中にいる子供達が、ここに運び込まれて来た時からだね」

冥土返しは扉の前で止まり、浜面へと振り向く。その扉は個室のものよりも遥かに大きい造りで、中はさぞ広いことだろうと安易にわかる。
浜面は今しがた聞いた言葉の意味をなんとなく理解するものの、あまり良い印象を持てないことから口をつぐんだ。

「あまり、驚かないでやってくれ」

取っ手に手をかけて少しばかりの間が空いた後、冥土返しの音声はどこか悲しげなものがあった。
開かれた扉の向こうは、やはりと言うべきか広い空間になっている。
部屋の造り自体はなんとも素っ気無い。だからこそ、等間隔に点在するベッドと医療器具が浮き彫りに見えた。
歩を進めると、ベッドの上に寝かせられた人間の表情が、次第にはっきりと見えてくる。

「あ?……っ!?」

驚かないでほしいと言われたのは、このことだったのだろう。
だが、浜面はその言葉を忘れ去ったかのように驚愕を露にした。胸の内で鳴る動悸は一段一段と激しさを増す。

「なん、っ……だ……これ」

浜面が光景に疑問を持つことなど、冥土返しには最初からわかっていた。
ベッドの数は二十三台。まだ十代半ばであろう男女が寝かせられている。
しかし、寝ている。という状態には程遠い……苦痛を滲ませた表情で仰向けになっているのだ。
金きり声が巻き起こりそうなほどの思念が渦巻く室内。だが、呻き声は一つも漏れずに静寂そのものが保たれていた。

「おい……おい!!なんだよこれ!!」

浜面は冥土返しの襟に激しく掴みかかる。
乱暴に揺さぶられた冥土返しは、浜面と目を合わそうとせず視線を床に落とした。

「私ではどうにも出来ない……治してあげられなかった」

冥土返しの声は怒りに震えている。それは自責の念なのだろう。子供達を気遣っているのか、啜るように小さな声だ。

「ん、だよ。どうなってるんだよ、コイツらは」

「……場所を変えて話そう」

それ以上は何も言わず、冥土返しを踵を返した。
浜面は今この場で問い正すために再度掴みかかろうとするが、歩調が速くなった冥土返しには届かない。
一人と大勢が取り残された室内に静寂が再度戻る。
浜面は向いた扉から振り返り、仰向けの一人一人を確認する。

「お前らが、先生の……」

浜面の思考はぼんやりと回る。
木山春美と生徒達に、一体何があったのか。どうしてこうなってしまったのか。
何も答えてくれるはずがない。

まだですか?

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