「え……?」
大昔のRPGやシューティングゲームに横スクロールや縦スクロールという形式があって、日常生活においてそのような景色の見え方をする機会はそう多くはないのだが、時として似たような感覚に陥ることがある。たとえば停車している電車に乗車している際に隣の電車が発車した時だとか、今まさにこうして、エスカレーターで上層階に上がる時などだ。
「臥煙、さん……だよな?」
仕事帰りに気まぐれに立ち寄った大型ショッピングモールのエスカレーターで、臥煙さんらしき人物とすれ違った。なんとなく、臥煙さんというか専門家連中は世俗を離れている意識があったので、よもやその元締めたる臥煙伊豆子さんがここに存在しているとは思わず、他人のそら似かと目を逸らす間際、まるでその瞬間に僕とすれ違うことを知っていたかのように目が合った。そのまま僕は進む。
「まさか上がってきたりしないよな……?」
「やあ、こよみん」
神出鬼没な専門家の元締めの動向など僕には予想などつく筈もないのだが、想定外ならぬ想定通りに片手をあげたくらいにして臥煙さんはエスカレーターに運ばれてやってきた。
「臥煙さん、何をしてるんですか……?」
「君を迎えに来た」
僕のところまで歩み寄ると、さも当然のように偶然ではないと言われて、僕は面食らう。
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「なんだい? 私は別に、君の面を食うつもりはないよ。面食いじゃあるまいし」
はっはっはーっ。と、臥煙伊豆子は笑った。
「えっと、怪異絡みの案件ですか……?」
「いんや。違うよ。君は何にも知らないね」
なんとなく、仕事で迎えに来たわけではないと察しはついていた。何故ならば、いつものダボダボした緩い服装ではなく、キャップも被っていなかったからだ。私服姿だろうか。
「いつもと感じが違いますね」
「おや、そうかい? 君がいつもの私を知っているとは驚きだ。どこで目撃したのかな?」
言われてみると、仕事以外で臥煙さんと鉢合わせた経験がなく、憶測で物を言っていた。
「すみません。印象が違っていたもので」
「謝らなくていいよ。色んな一面があるのが女だし、大人の女だからね。冥利に尽きる」
別に世辞を言ったつもりはないが、大人コーデの臥煙さんはご満悦で、腕を組んできた。
「あの、なんのつもりですか……?」
「こよみん、お姉さんとデートしよう」
「デート?」
「うん。映画デートに誘いに来たんだ」
要件は、映画に付き合えということらしい。
「デートはともかく、特に予定も用事もないので、映画を観るのは構いませんけど……」
「もちろん知っていたとも。さあ、行こう」
臥煙さんは何でも知ってるお姉ちゃん。果たして本当だろうか。たまたま僕を見かけて今さっきデートプランをでっち上げたのでは。
「こよみん。映画館は何階にある?」
「え? 3階、ですけど……?」
「そうだね。じゃあ、なんで、私が下りのエスカレーターに乗っていたと思うんだい?」
僕とすれ違うため。信憑性を裏付けられた。
「あの、臥煙さん」
「ん? なんだい、こよみん?」
「腕を組むのはちょっと……」
僕が抵抗すると臥煙さんは嗜虐的に微笑み。
「ああ。君は私の胸が肘に当たるのを期待しているのかもしれないけれど別に着痩せするタイプじゃないからその期待には応えられない。しかし変に期待させるのは大人として良くないから、だからお望み通りこうしよう」
そう言って臥煙さんは手を繋ぐ。恋人繋ぎ。
「お気遣い……どうも」
「いやいや礼には及ばないよ。恋人繋ぎくらい恋人じゃなくたって出来るんだから。またひとつお利口になって良かったねこよみん」
恋人じゃなくたって恋人気分を僕は味わう。
「さて、何が観たい?」
「えっと」
「実はもう観る作品は決まっているんだ」
上映スケジュールを眺める僕に水を差した臥煙さんは、ペポパッ!とタッチパネルを操作してチケットを2枚買った。片方を手渡す。
「はい、どうぞ」
「あ、お金……」
「いいよいいよ。付き合って貰っているのは私だし、これから楽しむのも私だからね」
堂々と自分勝手な振る舞いをしながらも、映画のチケットを奢る臥煙さんはたしかに大人で、僕は少なからず憧れる。格好良かった。
「ところで確認なんだけど、こよみんは上映中に何か飲んだり食べたりする?」
「いえ、食べたり飲んだりしません」
「だよね。だから君を誘ったわけさ」
知っていたと目で語る臥煙さんはさっさと入場ゲートを通りチケットに記載されたスクリーンの席へと向かう。最上段の左端だった。
「どうして真ん中じゃないんですか?」
「斜に構えているから。君と同じくね」
高校時代の僕ならともかく社会人として多少は協調性を身につけた僕はそこまで斜に構えているつもりはないのだが、反論出来ない。
「どうして席をひとつ空けるんだい?」
「このご時世ですから」
キープディスタンス。間隔を空けるルール。
「でもここには私とこよみんしか居ない」
「空いてて良かったですね」
「だから社会的なルールは適応されない」
そんな馬鹿な。個室じゃあるまいし。けど。
「ルールなんてものは、自分で自分の行動を決められない人間が、何も考えずにただ従うことで楽をしたいがために存在してるのさ」
暴論を口にした臥煙さんが隣の席を叩いた。
「おいで。君の意思で、私の隣に」
ここで僕が僕の意思とやらで間隔を空けて座ればそれは社会的に立派で褒められることかも知れないが、ここには臥煙さんしか存在せず、それをすることで機嫌を損ねるかも知れないと危惧した僕は、仕方なく隣に座った。
「随分と情けない顔をしてるじゃないか」
「僕は、自分の意思で決めてませんから」
「だけど私のせいにしない。そこが良い」
満悦の臥煙さんが僕の手を取る。僕はなんでも知っているわけじゃないけれど臥煙さんが上映中に飲食しないのは手が汚れるのが嫌だからだろうと、そう推察すると肯定された。
「そうだとも。私は君と手を繋いでこの作品を観てみたかった。いや、共有したかった」
「共有?」
「そう……君が何を感じて、何を思うのか」
始まるよと囁いて館内の照明が暗くなった。
「つまらないかい?」
上映して30分で飽きた。古臭い撮り方。ありきたりなストーリー。大昔の名優がメガホンを取り自ら主演したその作品は、数十年前からなんら進歩も発展もなく、古ぼけていた。
「まあ、正直」
「知ってた。じゃあ、もう観なくていいよ。退屈なら私の横顔でも眺めていたまえ」
言われて見やると臥煙さんは真っ直ぐスクリーンを見つめていてプロジェクターの光に浮かんだ青白い横顔は映画より魅力的だった。
「退屈しのぎにお喋りでもしようか」
「上映中の私語は……」
「それは君の意思かい?」
なんども同じ忠告されるのはルールを破ることよりも僕にとって嫌だった。耳を傾ける。
「実は私はこの映画の結末を知っている」
「知ってて観るんですか?」
「そうとも。何でも知ってるお姉さんの私はこの映画に限らず、あらゆることが退屈だ」
言われて悟る。何でも知っている、弊害を。
「知ることが嫌にならないんですか?」
「ならない。知りたいと思うことで知的であり続けられる。知的好奇心を失えば、AI以下になってしまう。知的生命体の矜持なのさ」
「AI以上の人間のほうが少ないでしょう」
「何を以て以上か以下かによる。集積する情報量においては敵わないかも知れないが、あらゆることに興味を持つ人間は電子頭脳を凌駕している。良い意味でも悪い意味でもね」
自制するための理性を臥煙さんは取り除く。
「臥煙さん。訊いてもいいですか?」
「どうして何でも知りたいかって?」
何でも知っているお姉さんに質問するのは難しい。何を訊いても答えが用意されている。
「知らないことを知りたいからさ」
「でもなんでも知ってるって……」
「矛盾を指摘するなんて生意気だ」
叱られた。しゅんとする僕の手を撫でつつ。
「私には良く出来た姉が居てね。何をしてもその姉には敵わなかった。姉はなんでも出来たしそれこそなんでも理解した。とはいえ、今の私と違ってなんでも知っていたわけじゃない。そこに矛盾は生じない。何故かって? 理解することと知ることは違うからだ。同じく、知ることと理解することもまるで違う」
映画のクライマックスよりも臥煙さんの独白のほうが僕にとっては興味深く聴き入った。
「私は姉のようになりたかった。姉を目標に姉を目指した。だけど気づいた。私は姉にはなれない。当たり前だよね。私と姉は違う人間なんだから。そこに気づいた私はあらゆることを知ろうとした。そこに答えがあると考えたからだ。あらゆる出来事、歴史、思想。それを知れば姉を再現することはおろか、凌駕することも出来ると思った。愚かにもね」
映画が終わった。エンドロールでも、語る。
「結果的に、私は挫折した。あらゆることを知った私は理解した。やはり私は姉にはなれないし、姉を超えることは出来ない。乗り越えられない。乗り越えようとした。姉には逆立ちしても出来ないことを成した。死体に付喪神を憑依させ、そして、ルールを破った」
長い長いエンドロール。臥煙さんは、語る。
「ルールを破ってみて私は理解した。姉もルールを破りこの世を去った。生命を生み出すことへの代償、対価。駿河を産んだ姉が支払ったのは自らの命で、私が負ったのは呪い。それを知って理解してなお、逃れられない」
「辛い、ですか……?」
「そうだね。良い映画だった。思わず泣いてしまうほどに。目を逸らしてくれるかい?」
正面を向くとエンドロールが終わる。隣から聞こえる啜り泣きがただ唯一の拍手だった。
「こよみん」
「なんですか?」
「なんでも知っている私の知る限り君は泣かない。それは何故かな?」
恐らく知っているだろう歴史を、口にする。
「泣いても何も変わりませんから」
「そうだね。だけど君が涙を流せば周りの人間の気持ちは揺れるだろう。今まさに、私の涙を見て見ぬふりをする君のように」
果たして臥煙さんは本当に泣いているのだろうか。目撃したわけではないので確信はないが、鼻声なので少なくとも潤んでいる筈だ。
「どうして人は泣くんですかね」
「ある領域に到達した知的生命体は、その知性から生み出される思考の情報量が処理しきれなくなる。その結果、感情が表れるのさ」
ならばフリーズしたPCは、泣いているのだ。
後日談というか誰でも知ってる今回のオチ。
「泣かない僕は処理を放棄しているわけか」
「本当に?」
「ええ。だって現に泣いてないですし……」
「じゃあどうして股間が濡れてるんだい?」
「フハッ!」
処理しきれなかった感情が、愉悦となった。
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「元は取れたね。愉しかったよ、こよみん」
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
流石は元締め。しっかり元本を回収された。
「君が飲食しないのは、トイレが近いから」
「知っていて僕を映画に誘ったんですか?」
「そうだと、君は知っていて誘いに乗った」
僕の意思で。自分からルールを破ったのだ。
「さてと。もう少し、座っていようか」
「どうしてですか?」
「君に映画の愉しみ方を教えるためさ」
そう云って僕の手を誘う。湿った太ももへ。
「フハッ!」
「やれやれ。私も実は、トイレが近いんだ」
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「私のいけない汁で悦ぶことも知っていた」
僕が本当に知らなかったのは映画を観ながら手を繋ぐ際に太ももに誘われる喜びで、いけない汁に悦んだわけではないとスクロールならぬスクリームしつつ一応弁明しておこう。
【汁物語】
FIN
イイハナシカナー?
>>10
臥煙さんの名前を間違えてしまったので、内容以前にその時点でこの作品は良いお話とは呼べません。
正しくは臥煙伊豆湖さんでした。
完璧な物語はもちろんオリジナルなので、二次創作の時点でそれを実現することは不可能ですが、初歩的なミスで自分から遠ざけてしまったことが悔やまれます。
確認不足で申し訳ありませんでした。
最後までお読みくださりありがとうございました!
地獄への道は善意で舗装されているって奴だな
無能な部外者がステマダイマすると期待度にマイナス補正がかかる
結果元ネタも安っぽいんだろうなって思われる訳で
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