恐山アンナ「私は、こんな自分が嫌いだ」麻倉葉「そんな哀しいこと、云うな」 (7)

「なあ」

殴った右手が、やけに痛い。襖越しに届く。

「初詣、行かないか?」

麻倉葉。陰陽師の家系の嫡男。私の、許婚。

「でも、私は……」
「なんとかなる」

なんとかなる。いい加減な言葉。葉の口癖。

「どうしようもなかったら、オイラがシャーマンキングになってなんとかしてやんよ」

無責任。能天気。楽天家。何にも知らない癖に。わからない癖に。理解する覚悟もない癖に。自分の意思で、私を選んだわけじゃない癖に。私が望んだわけではないのに、何故。

「待ってるからな」
「……うん」

何故こんなにも心が浮き立つ。嬉しいのか。

「……襖越しで、良かった」

今の顔を見られたらまた殴っていただろう。

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「おーい、アンナ」
「気安く話しかけないで」

扉越しから届く葉の声が苛立たしい。待ち望んでいた自分を否定出来ないから。葉の言葉には裏がないから。正直だから。丸わかり。

「さっきからオイラ待ってるんだけども」
「一生待ってれば?」
「いやあ、それは出来ない相談なんよ」

知ってる。切羽詰まっていること。焦っていること。苦しんでいること。顔なんか見なくても、ありありと葉の表情が目に浮かんだ。

「うるさいわね。レディファーストよ」
「この状況に男も女もないだろうが」
「なによアンタ、ついてないわけ?」
「ついてるっての! ついてんよ!」

女みたいな顔をして、なんでついてんのよ。
もしもこいつについてなければ、私たちは良い友達になれただろうか。それは、難しい。

「じゃあ、見せなさいよ」
「見せろって、お前……」
「鍵、開けてあげるから」

ガチャリと、開錠する。まるで葉に心を開いたようで気恥ずかしかった。音もなく開く。

「ア、アンナ、さん……?」
「なに見てんのよ……さっさと入れば?」

微笑んで、どうぞと言いたい。私の旦那に。

「お、お邪魔します……」
「ふん」

狭い個室で2人きり。胸が、ドキドキする。

「あの……アンナ」
「なによ」
「その……顔見れて、嬉しい」

バカじゃないの。そんな安っぽい、薄っぺらい言葉で喜ぶなんて、私ってほんと、バカ。

「そ」
「可愛げがねえなぁ」

うるさいわね。だってアンタの前で気を緩めるとデレデレするじゃない。そんなアンタを見てると私までデレデレする。恥ずかしい。

「もっと可愛い娘を許嫁にすれば?」
「いや、オイラはアンナでいいよ」

なによその言い草。口下手ね。葉は慌てて。

「あーすまん。オイラはアンナが良いんだ」
「……そ」

そんなアンタが私も好き。そう、云いたい。

「葉」
「おお。なんだよ、改まって」
「さっさと脱いだら?」
「お、おお……担当直入だな」

男らしくない葉に催促するとイソイソと脱ぎ始める。最低限のマナーとして目を逸らす。

「ぬ、脱いだけど、これからどうすんだ?」
「決まってるじゃない。するわよ」
「そ、そうか……わかった。するか」

ムードもへったくれもない。葉だってする気だった癖に。私にリードさせるなんて狡い。

「アンナ、少し寄ってくれ」
「チッ。図々しいわね」

肩と肩が触れ合って跳ねる心臓に、舌打ちをする。ほんと、図々しい。待っていた癖に。

「うぇっへっへっ。なんか照れるなぁ」
「いやらしい」

いやらしい女だ。葉の手を自分から握った。

「アンナの手、小さいな」
「これでも女だもの」
「なのにビンタは強烈だよな」
「……ご、ごめ」
「いいよ。もう、慣れたから」

謝りたいのに優しい葉は許さない。許して。

「わ、私、アンタに嫌われたら……」
「嫌わないよ」

強く私の手を握る葉の本音が伝わる。嘘偽りのない言葉。そんな人間と出会ったのは初めてだった。人の心は複雑だ。表面と深層はあべこべで天邪鬼。私のように。だから私は。

「私は、こんな自分が嫌いだ」
「そんな哀しいこと、云うな」

思わず流した涙を拭うように葉の頬が私の頬に触れる。そうするとまるで葉まで泣いているようで、胸が痛んだ。悲しくて、哀しい。

「なあ、アンナ。お前から見たらオイラはだらしなくて、やる気なさそうで、さぞ駄目な亭主になりそうで不安かもしれないけどよ」
「そんなことは……」
「それでも駄目なぶん、それでもいいって思ってくれたら嬉しいんよ。それはきっと、完全無欠な存在では味わえない喜びなんだよ」

葉は駄目じゃない。それでこそ葉だ。それでこそ私が愛した男だ。ああ、だからきっと。

「だからアンタは私を愛してくれるの?」
「あ、愛とか……そんな大層なもんじゃなくて、ただオイラはそんなアンナが可愛いと思ってるだけで、だからそのつまりだな……」
「つまり?」
「あ、愛してます……」

馬鹿な男だ。そんな葉を、私も愛している。

「ありがとう、葉」
「お、おお。なんだよ、やけに素直だな」

素直になることは難しい。心が無防備になるからだ。だから特別な相手にしか見せない。

「この状況で意地を張っても無意味だもの」
「うぇっへっへっ。まあ、トイレだもんな」

葉は私の特別な相手。狭い個室で便器を共有して、一緒に用を足せる、唯一無二の存在。

「たまには男らしいところも見せなさいよ」
「うっし! 見てろ、アンナ!!」

葉の巫力が跳ね上がる。苦しみに耐えた分。

「脱糞式・オーバーソウル! スプリット・オブ・阿弥陀丸!!」
「行くでござるよ、葉殿!!」

ぶりゅっ!

「久しぶりの娑婆の空気は旨い!!」
「どっから湧いて来たのよ、アンタ」
「もちろん、葉殿の肛門からでござる!!」
「フハッ!」

どこに位牌を仕舞ってんのよ。愉悦に浸る。

「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「あ、あああ、あああああああっ!!!!」

ぶりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅぅ~っ!

「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「ママ、ご機嫌ですね」
「お! 大鬼殿、お久しぶりでござる」
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」

儚くともフハッなくとも。不肖の身なれど。
淋しい想いなぞさせはしない。腹抱え、夜。
大鬼を大便と共に便器に捨て腐り便意なし。

「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」

気丈に振る舞いほころぶ。糞は出会い別れ。

「ふぅ……アンナはやっぱり可愛いなぁ」
「私はみっともないアンタを、愛してる」
「うぇっへっへっ。尻拭いて初詣いくか」

透けたトイレットペーパー。ルヴォワール。


【恐山 ル・ヴォワールの変】


FIN

はい

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