その日、湾岸署はいつも通りの朝を迎えた。
『警察署の中は危険だ……気をつけろ』
「どこのどなた……?」
出勤した青島俊作巡査部長は朝っぱらからタチの悪い嫌がらせの電話を受けた。
不安に苛まれつつも自分のデスクへ向かうと大きな荷物が目に留まり、周囲に尋ねるも中に何が入っているか誰も知らなかった。
首を傾げているといきなり腕を引かれた。
刑事である青島を確保したのは保険屋だ。
日々危険と隣り合わせの刑事に高額の保険をかけさせようとしつこく勧誘してきた。
うんざりしながら追い返すと、同僚である女刑事の恩田すみれが青島の耳元で囁いた。
「警察署の中は危険だ……気をつけろ」
「あの電話ってすみれさんだったの?」
恩田すみれのイタズラであったことに憤りつつも胸を撫で下ろした矢先、定年間際のベテラン刑事である和久平八郎にどやされ、通報があった現場へと急行。女に髪を切られた被害男性が告訴したいと申し出ていて、事件とは名ばかりの痴話喧嘩に巻き込まれ、署に加害女性を連行するも被害男性が告訴を取り下げ、女は捨て台詞を吐いて釈放された。
「だから警察は嫌いなの!」
「いや、そんなこと言われても……」
「警察は恨まれてナンボ」
「警察は恨まれるのが仕事だからな」
やるせない思いに駆られる青島を、恩田すみれと和久平八郎が宥める。そこで和久が、刑事課に置かれた大きな荷物に目を留めた。
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「おい、なんだこの荷物は?」
「それが、誰も知らなくて……」
不審そうな和久に同調する形で青島も首を傾げて、中身が一体何なのか気になっていた。
開けてみようかと思ったが、本店、つまり警視庁の室井慎次が湾岸署の刑事課を訪れた。
「和久さんに聞きたいことがあります」
「俺に聞きたいこと? なんだ、警視総監にでも推薦してくれるってのかい?」
キャリア官僚に詰問されることを嫌った和久が軽口を叩くも、どうやら内密な話らしく、室井は和久を応接室まで連れていった。
警官が死傷した事件についての容疑者を昔、別件で和久が聴取した際にどうやら違法行為があったらしい。山部良和。危険な人物だ。
「被害に遭った刑事も昔、山部に対して取り調べの際に違法行為を行っていたようです」
山部は自分に暴力行為を働いた刑事に恨みを抱き報復した。故に和久もその対象である。
なので室井は和久にくれぐれも気をつけるようにと告げて、本庁へと帰っていった。
しかし和久は自らに迫る危険よりも、あの時に自分が聴取した山部が警官を死傷させた犯人だと発覚した憤りに気を取られてしまう。
そして、もともと短気な和久は腹を立てるもすぐに気を取り直して、自らに迫る危険については綺麗さっぱり忘れてしまった。
「この荷物、和久さん宛てですよ」
「俺に? 誰からだ?」
「袴田課長からです。マッサージチェアって書いてますよ。みなさーん! 注目ーっ!!」
そろそろ退勤間際といった頃合いで、方面本部長の息子である真下正義が刑事課に置かれた大きな荷物に興味を示して、袴田課長から和久宛てのプレゼントだと判断。吹聴した。
「腰痛持ちの和久さんに袴田課長からのプレゼントです! みんな、拍手!!」
沸き立つ刑事たち。そして箱に手を伸ばす。
「さっそく開けてみましょう!」
「いやいや、こういうのはまず課長に感謝の言葉を伝えてからだな……」
「開けてみましょうよー!!」
照れる和久。煽る真下。盛り上がる刑事達。
「これは随分高そうな椅子ですね!」
「和久さん! 座ってくださいよ!」
「そうか? どれどれ……」
箱から現れた想像以上に高級なマッサージチェアにまごつきつつも、周囲に促される形で和久は深く腰掛け、そして違和感を覚えた。
「ん?」
「どうかしましたか?」
「ケツの下にな、なんか硬いものが……」
そんな和久を文字通り尻目に、魚泉係長が。
「ん? なんだ、これ?」
キンッ。
椅子から伸びた長い紐を引っ張ると金属製のピンが抜けて、それはどうも武器講習の時に見た手榴弾の安全ピンにそっくりであった。
「なんだ。なんの騒ぎだ、これは」
「あ、袴田課長!」
そこで送り主の袴田課長が現れて、刑事たちの盛り上がりはピークに達した。和久は上司である袴田課長に対して感謝の意を伝えた。
「課長、わざわざ悪かったね」
「なにが?」
「和久さんへのプレゼントですよ」
「誰から?」
「袴田課長からですよね?」
「なんで?」
話が噛み合わない。首を傾げる和久の代わりに周囲が質問をぶつけるも、当の袴田課長はまるで知らぬ存ぜぬ。惚けてる様子はない。
「なんで私が和久さんに椅子を買ってやらにゃならんのだ」
しげしげと椅子を眺めつつ、身も蓋もないことを口にする袴田課長は照れ隠しで言っているようには到底思えない。青島が、気づく。
「和久さん。ちょっと、すみません」
「なんだ、どうした青島」
「ちょっと……」
マッサージチェアの裏側にガムテープが貼られていて、気になって剥がしてみると、それはあった。ワイヤーで固定された手榴弾が。
「和久さん……落ちついて聞いてください」
「なんだよ、改まって」
「動かないで」
「だから、なんだよって……ぐえっ!?」
「動かないで!!」
「なにすんだ、このやろう! なんだよ!?」
立とうとする和久を慌てて押し留めつつ青島はなるべく冷静に見たままの事実を伝えた。
「和久さんの尻の下に手榴弾が……」
「……なにぃ?」
「わ、和久さんの背中のところに手榴弾があって、それが尻の下まで繋がってて、たぶん立ったら爆発します……」
静まり返る周囲。和久は青島に静かに問う。
「じゃあ、なんだ。俺のケツの下に、爆弾があるってのか……?」
瞬間、凍りつく空気。それを理解すると同時に、刑事課のフロアから一斉に刑事たちが逃げ出して、和久と青島だけが取り残された。
「てめぇら、覚えてろよ……今度お前らに何かあっても絶対助けてやんねえからな!!」
一目散に逃げた仲間たちに怨嗟を口にする和久は手近な場所にいた青島だけはしっかり掴んで離さなかった。とんでもないじじいだ。
「すみれさん、何してんの!?」
2人だけかと思ったら、恩田すみれが居た。
「早く逃げて!」
「あ、もしもし、恩田です。至急、爆発物処理班をお願いします。はい、よろしくです」
青島が避難を呼びかけるも、すみれは逃げなかった。これが本来あるべき仲間の姿だ。
彼女は冷静に爆発物処理班を呼んでくれた。
と、そこで刑事課に電話が。
「課長、電話です」
「事件だったら、今忙しいって断って」
今忙しいからといって放置出来ないだろう。
「はい、刑事課です」
『警視庁の室井だ。慌てずに聞くんだ。今日和久刑事に送られた椅子には爆弾が仕掛けられている。絶対に座るな』
「もう座ってます」
室井は途方に暮れた。刻既に遅かったのだ。
『椅子に座っても安全ピンを抜かなければ爆発しません』
『安全ピンは抜くな』
山部の解説を室井はそのまま伝えたのだが。
「あの……抜いちゃいました」
室井は目の前が真っ暗になる。だがしかし。
『抜いても椅子に座ってさえ居ればレバーを押さえたままなので爆発しません』
『聞こえたな?』
「はい、わかりました」
そこは弁えていた青島が、真下の提案で安全ピンを元の位置に戻そうと手榴弾を固定しているワイヤーに指をかけたその時、山部が。
『ワイヤーに触れてはいけません。ワイヤー同士が接触して電圧に変化が生じると、信管に直接電力が流れて爆発する仕組みです』
『ワイヤーに触るな』
「…………………………」
『触っちゃったのか?』
「……はい」
状況はみるみる加速度的に悪化していった。
「俺も動けなくなっちゃいました」
「なにをやってんだよ……」
「どうしてこんなことになっちゃってんの」
「昔取り調べした山部って男が、俺に報復するために爆弾椅子を送りつけてきたらしい」
ワイヤーに指を挟まれてしまった青島もマッサージチェアから離れられなくなった。
すみれが事情を訊ねると和久が説明した。
そこでふと、和久が青島に対して質問した。
「お前、なんで逃げなかったんだ?」
逃げなかったというよりも、和久にしがみつかれて逃げられなかったと言うほうが正しいのだが、青島は刑事らしい答えを口にした。
「悪党の思うまんまって嫌じゃないすか」
「怖くないのか?」
「正義を盾にしてますから」
「正義なんて言葉は口に出すな。死ぬまでな。心に秘めておけ」
正義。和久はその言葉に一家言あるらしい。
「刑事は犯人に恨まれるんだ」
青島は今朝、交際相手の髪を切った加害女性な警察は嫌いと言われたことを思い出した。
「僕も今朝、恨まれました」
「だからって犯人を恨むなよ。刑事は犯人を恨んじゃいけないんだ」
不公平だと思う。正義とは、公平ではない。
「この仕事は憎しみ合いじゃない。助け合いなんだ」
この国の司法は仇討ちを認めていない。
憎しみの連鎖には終わりがないからだ。
故に憎まない。そこで終わらせる為に。
「ああ、くそっ」
「大丈夫ですか?」
しんみりしたのも束の間、和久が青い顔をして唸り始めた。恩田すみれが老体を気遣う。
てっきり持病の腰痛が辛いのかと思いきや。
「座る前にトイレに行けば良かった」
「え?」
青島は耳を疑った。このじじい、一体何を。
「糞がしたい」
「だ、大のほうっすか?」
「スカとか言うな」
「す、すんません」
その『スカ』じゃないのに神経過敏すぎる。
「は、話をしましょう。気分転換に」
「もうその段階は終わった」
ああ、だからあんな良い話を聞かせたのか。
「和久さんお願いですから堪えて下さい」
「この歳になると堪えが効かなくてなあ」
「和久さんが漏らせば僕までドカンです」
「お前も一緒にドカンと漏らすってのか」
なに抜かしてやがる。耄碌ここに極まれり。
「和久さん。気持ちはわかりますが、爆発物処理班が来るまでもう少しの辛抱ですから」
「お前に俺の気持ちがわかるのか?」
「わかります」
「嘘つけ。肛門がもう若い頃とは違うんだ」
「嘘つきました。わかりません」
わかるわけがなかった。わかりたくもない。
「もう我慢出来ない! 俺は出すぞぉ!!」
「和久さん!?」
「すみれさん、下がって!!」
唸る和久に駆け寄るすみれさんが、閃いた。
「青島くん、それ貸して!」
「それって、この安全ピン?」
「これを……和久さん、失礼します!」
ズボッ!
「お?」
「和久さん、どうですか?」
「もう平気だ。ありがとよ、すみれさん」
間一髪、和久さんの肛門に安全ピンを差し込んだすみれさんのファインプレーによって最悪の事態は回避された。しかし、不思議だ。
座った状態でどうやって挿入したのだろう。
「女刑事にはいろんなテクがあるのよ」
「すみれさん、それあとで俺にも……」
「青島くんもちょん切って女になる?」
ハサミをチョキチョキされたので辞退した。
「いや~生きてるって素晴らしい!!」
その後、爆発物処理班が到着して無事爆弾を解体して解放された青島は凝り固まった身体を伸ばしつつ、生の実感を噛み締めていた。
「青島くん、青島くん」
「ん? どうかした、すみれさん」
「アレ、どうする?」
ぽしょぽしょすみれさんが耳打ちしながらそれを指さす。和久さんの尻に刺さった安全ピンの長い紐。どうするってどういう意味だ。
「抜いてみる?」
「いや、だめでしょ」
「こりゃ失敬」
おどけた様子のすみれさんにはまるで反省の色が見られずこれはやるなと青島は思った。
「和久さんごめん!」
「和久さん逃げて!」
「お?」
すぽんっ!
「んぎっ!?」
ぶりゅっ!
「フハッ!」
ほらやった。すーぐやった。現行犯である。
「頼むぞ、警察を……なんてな」
ぶりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅ~っ!
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
流石の貫禄で脱糞ですら渋い和久平八郎であったが愉快犯のすみれはお構いなしに哄笑して愉悦をぶちまけた。正義でも悪でもなく。
ただひたすらに、愉しそうで羨ましかった。
「すみれさん」
「ふぅ……私を逮捕する?」
「室井さん、俺はあんたの命令に従う」
恩田すみれの罪は重い。しかし、彼女が居なければ青島と和久平八郎は揃って殉職だったこともまた事実。室井は暫し悩んで告げた。
『君の好きなようにしたまえ。責任を取る。それが私の仕事だ』
「了解」
仲間を逮捕するくらいなら、警官を辞める。
「お咎めなしでいいってさ」
「あの縦皺も少しは丸くなったわね」
「それより、すみれさん」
「なによ」
「やっぱ、今度テクを教わりたいなって」
「なに奢ってくれる?」
「糞以外ならなんでも」
「よし。考えておこう」
銃の形にした指先を突きつけて彼女は嗤う。
「警察署の中は危険だ……気をつけろ」
危険がなんだ。だからこそ、愉しい仕事だ。
【踊る『大』捜査線】
FIN
懐かしいな乙
オチがひどすぎるぜ
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