世間一般のイメージとは裏腹に、涼宮ハルヒは常時"ハレ晴レユカイ"というわけではなく、出会った当初などはいつも不機嫌そうな雰囲気を醸していて、例えるならば"ジメジメ不快"とでも表現するのが適切であった。
「蒸し暑いわね……」
季節は梅雨真っ盛り。
朝から晩まで曇天で、雨は振ったりやんだりを繰り返し、気温の上昇に伴い不快指数は止まることを知らず鰻登りであると言えよう。
「私のことも煽ぎなさいよ」
「嫌だね」
パタパタと下敷きを団扇代わりにして少しでも肌の表面温度を下げようと風を送り続ける俺に向かって、どこかの王侯貴族が如く、扇げと催促するハルヒをあしらいながら、この団扇で扇ぐという行為は得られる風とそのために消費する労力は果たして釣り合いが取れているのだろうかと考えを巡らせていると。
「だから人に煽がせる意味があるんでしょ」
などと、身も蓋もないことを抜かすハルヒにちらと視線を送ると、心底うんざりしたような表情と、汗で頬に張り付く髪の毛がなんだか風情があるような気がして、そこに一定の価値を見出した俺はその対価として下敷きで煽いでやった。やれやれ。我ながら甘いな。
「涼しいか?」
「全然」
そうかいと嘆息しつつハルヒの頬に張り付く髪の毛を無性に取ってやりたくなる衝動を堪えながら、俺はなんとなしに既視感を覚えて記憶を探り、中学時代の一幕を思い出した。
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「暑いのはともかく、このうっとおしい湿気だけはどうにかして欲しいもんだ」
「僕も同感だね」
中学時代、よくつるんでいたダチの中に女の癖に男みたいに振る舞う変わり者がいた。
「佐々木も暑さを感じるんだな」
「それはどういう意味かな?」
変わり者の佐々木に向かって俺が所感を述べると、ぴくりと眉をあげて訊ね返された。
「いや、お前はいつも涼しげだからさ」
この佐々木という少女はいつも落ち着き払っていて、感情的になる場面に出くわす機会がなく、そこらで騒いでいる女子とは根本的に異なるのだと俺は信じて疑っていなかった。
「キミの目に僕がどのように映っているのかは知らないが、暑い日は暑いし、今日のように湿気が多い日はうんざりもするよ」
そうは言いつつも、佐々木はさっぱりしていてじっとりしている俺とはやはり纏っている空気感が違う気がするのだが。
「あのね、キョン。僕だってキミの目に映らない部分はじっとりしているさ」
「詳しく頼む」
前のめりで詳細を求めると、佐々木は心底呆れたように両手を天に向けて首を振り振り。
「やれやれ」
そう嘆息しながら何がおかしいのかくつくつと喉の奥を鳴らす佐々木はやはり、俺の目にはさっぱりして見えて、改めて変わった奴だなと思った。
「名案を思いついたんだけど」
「なんだ?」
ひとしきりくつくつ笑っていた佐々木は何やら閃いたらしく、机の引き出しから下敷きを取り出してそれを掲げて得意げに提案した。
「下敷きでお互いに煽ぎ合うのはどうかな」
佐々木は恐らく冗談のつもりだったのだろうが、しかしながらその時の俺は中坊であり頭の悪いガキだったので、その提案に乗った。
「どうだ、佐々木」
「まるでどこかの王侯貴族になった気分だ」
早速俺も下敷きを取り出してパタパタ扇いでやると佐々木は心地良さそうに瞳を閉じて極楽を満喫していた。しばらくしてそろそろ手が疲れてきたので代わって貰おうかと思った矢先、俺は気づいた。気づいて、しまった。
なんか、すげー良い匂いがする、と。
「そろそろ代わろうか?」
「いや、いい」
「でも疲れてきただろう?」
「おかまいなく」
こちらを気遣う佐々木の申し出を頑なに断って煽ぎ続ける俺はさぞ不審だっただろう。
それもその筈、俺は初めて嗅ぐ女子中学生の香りに夢中になっていた不審者であった。
「キョン、すごい汗だよ」
「はあ……はあ……なんの、これしき……!」
汗をダラダラ流し、腕が攣りかけても俺は下敷きを煽ぎ続けた。何故そこまでするのか。
答えは簡単だ。俺が当時、男子中学生だったからだ。親しい女友達の女の子らしいところを見つけて、そこに価値を見出したからだ。
「ふんっ! ふんっ!」
「キョン! ちょっと落ち着いて!?」
常時情緒不安定な男子中学生に落ち着きを求めるのは不可能であり俺は制御不能だった。
「そぉいっ!!」
両手を使い下から掬い上げるように風を送るとその瞬間が訪れた。定番のお約束である。
「きゃっ」
風でスカートが捲れる演出。
無論、意図したわけではない。
労働に見合った対価が生じたのだ。
「あ、すまん」
しかし、俺は何もわかっていなかった。
当時の俺はバカな中坊で、親しい唯一の女友達に嫌われることを恐れるがあまり、咄嗟に目を逸らした挙句に謝罪をするという愚行を犯してしまった。負い目を自分で作り上げた男子に対して女子は遠慮なしに攻撃をする。
「キョン、今のは狙ってやったのかい?」
「そ、そんなつもりは……」
「僕はこれまでキミはそんな下衆ではないと思っていたが、考えを改める必要があるね」
言い訳は通用しない。俺は下衆野郎だった。
「まあ、提案したのは僕だから責任の一端はあるにせよ、それはある程度キミのことを信用してのものだ。その信頼を裏切るなんて」
「申し訳ない」
「そもそもこのスカートという衣類は防御力が低すぎるとは思わないかい? 女子はみんなこんなハンデを背負って暮らしているのだからキミたち男子はもう少し気を遣うべきだと、そうは思えないのかな?」
「以後、気をつけます」
完全にサンドバッグ状態であった。
腹から砂がこぼれ落ちるかと思うくらいに抉られて俺がボロ切れみたく憔悴していると。
「やれやれ。まあ、別にいいんだけどさ」
ジメジメ、ジトジトと俺を糾弾していた佐々木が一転して、さっぱりとした雰囲気を身に纏い直して冗談めかしてくっくくと笑った。
「ゆ、許してくれるのか……?」
「そもそも怒ってないからね」
どうやら俺は揶揄われていたらしい。
佐々木は本当に怒っていないようで上機嫌にくっくくっくと、肩を揺らして笑っている。
「いや、でもさすがにさっきのは……」
「気にする必要はないよ。下にハーフパンツを穿いているからね。当たり前だろう?」
そう言って、佐々木はスカートを自らたくし上げてハーフパンツを見せてくれた。
その瞬間、何故か俺は見てはいけないものを見た気がして無意識に視線を逸らした。
「キョン、見ても平気だよ?」
「いや、やめとく」
「ふうん? 参考までに理由を聞かせてくれ」
理由。理由か。俺は理由を探して、答えた。
「お前だって……女の子、なんだからさ」
「っ……!」
そう言った瞬間、佐々木はたくし上げていたスカートから手を離して、皺を伸ばすように生地を何度も撫でつけた。顔が妙に赤い。
「どうした、佐々木。顔が赤いぞ?」
「僕だって……熱くなる時はあるよ」
そんな呟きと共にまるで拗ねたようにそっぽを向いた佐々木の赤い頬に張り付いた髪の毛は、未だに俺の目に焼きついて、離れない。
「もういい」
中学時代の思い出に浸りながら下敷きでハルヒを扇いでやっていると、いきなり手首を掴まれて強引に煽ぐのをやめさせられた。
「満足したのか?」
「なんか今のあんたを見てると余計に不満」
やれやれだ。視界に入れるだけで不満とは。
「そいつは悪かったな」
溜息をひとつ吐いて席を外そうとするも、ハルヒが手を離してくれない。なんだこいつ。
「なんのつもりだ?」
「……行かないで」
そう呟いたハルヒの声はとても小さくて、たまたま聞こえたから良かったものの、聞き逃していたら恐らく何もかもが変わっていたに違いない。そのくらい、弱々しい声だった。
「悪かったよ」
結局、俺はあの頃から何も変わっておらず、負い目を自ら作り弱みを見せれば攻撃されることはわかりきっているにも関わらず、こうしてハルヒに謝ってしまう。でも、意外だ。
「うん……ありがと」
ハルヒの口から感謝の言葉が紡がれてその意味や意図がさっぱりわからなくても、先に謝って良かったなと、そう思えた。不思議だ。
「なあ、ハルヒ」
「……なによ」
「女子高校生は短パンを穿いてるのか?」
脈絡なく尋ねてみると、ハルヒは笑って。
「そんな暑苦しいもの穿くわけないでしょ」
そうか。喜ばしいな。素晴らしいことだ。
「それより、引き留めて悪かったわね」
珍しく謝罪したハルヒの気持ちもわかる。
何故ならば、席を立った俺は尿意を催しており、トイレに行けずに股間が"ジメジメ不快"となってしまっていた。誠に遺憾である。
ちょろちょろ。
「短パン穿いてないなら貸してくれよ」
「フハッ!」
愉悦を溢したハルヒを見て思う。可愛いと。
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
響き渡る哄笑は茹だるような猛暑を予感させるもので、蒸れるような股間をその熱気で乾かしてくれやしないものかと、俺は願った。
【涼宮ハルヒの不満】
FIN
糞が(賛辞)
ここまでいっぱい見てきたのに毎回冒頭は騙されるわ
おつ
流石だな
安定のフハックオリティ
乙
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