【ガルパンSS】エリカ「彼女が望んだ忘れ物」 (33)


『おはよう』

『こんにちは』

『こんばんは』

『ごめんね』

『ありがとう』

『楽しかった』

『またね』

『ごめんなさい』



『さようなら』




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学校の怪談。

古今東西あらゆる学校にはそこにちなんだ怪談話の一つや二つあるだろう。

トイレの花子さんや開かずの教室、一段増える怪談なんてベタな古典から、校門前の桜並木の中に一本だけ死体が埋まってて、

その木の下に立つと好きな人と結ばれるといった中途半端なオリジナルまで様々なものが。

それは我が母校黒森峰女学園でも同じで、いわゆる学校の七不思議的な枠があった。

……いや、正確には生まれたと言うべきかしら。

そう、あの事件以来この学校にもありきたりな七不思議が生まれては消え、また生まれるようになった。

これは、私逸見エリカが体験した放課後の車庫を舞台にした一幕。

後に尾ひれがついて、黒森峰の七不思議『放課後の影法師』なるものとして後輩たちの間で代々語り継がれる物語。

彼女たちの、忘れモノの物語。





夕日の差し込む教室の中、私は一人机に向かって教科書と向き合っていた。

本日の授業は全て終了。

普段ならその後戦車道の練習へと行くのだが、残念ながら今日は休み。

自主練しても良いのだけれど、『エリカさんが率先して規律を破ってどうするんですか!!休むのも練習のうちです!!』と怒られた事があるのでやめておいた。

だからって家に帰っても勉強か料理ぐらいしかすることが無いので、誰もいない教室で一人予習復習をしていたのだけれど……

「隊長!!幽霊だよ!!」

そんな勤勉な一時はバカうるさい声でぶち壊された。

小島エミ。わが校のヤークトパンターの車長。

試合中でもアホ面晒してのんびり生きてるデコッぱち。

以上。


「何よエミ。西住隊長はここにはいないわよ」

「いや今はエリカが隊長でしょ!!」

もちろん理解している。

実感は別として今の私は黒森峰の隊長だ。

今のはただエミの戯言に付き合いたくないから適当言っただけで。

そして今後も付き合う予定はないのでこのまま流そうと思っていたところ、

「エリカさん……」

小島の後ろから真っ青な顔をした小梅が現れた。

「……どうしたの?」

能天気かつマイペースなエミならともかくとして、小梅がこんなにも怯えた表情をしているのだ。

何かしら起きたのは間違いない。

私は椅子を動かし小梅へと向き直る。

「いや私と態度違い過ぎない?」

エミがなんか言っているが無視をする。

とりあえず小梅から話を聞くためにそっと着席を促す。

席に着いた小梅は何を言おうか迷っているようで、なかなかその口からは言葉が出てこない。

こういう時は下手に催促せず本人が言葉をハッキリと固めるまで待つのが得策だ。

私はじっと彼女の言葉を待つ。

やがて、小梅は震える唇をそっと開き。

「……私、幽霊を、見たんです」

同じぐらい震える声でそう言った。

「……幽霊、ね」

どこか呆れの混じった私の声に、小梅は縋りつくような表情を向けてくる。

「馬鹿みたいって思うかもしれません、信じられないって、当然です。でも……でもっ!!私見たんですッ!!」

悲痛な声が教室に反響する。

責めるようなエミの視線が私に突き刺さり、居心地の悪さを感じながらも眉間を指で叩いて言葉を探す。

「あー……ごめんなさい。いきなりだったから」

何といっても幽霊だ。

年ごろの女の子が集まる学校という空間でのこの手の話題は『○○先生ってあの先生と付き合ってるんだって!!』という話並に信憑性が低い。

こんな事で小梅がわざわざ嘘を吐くという事もないだろう。

だからと言ってなら信じる!となるほど単純な思考回路は持ち合わせておらず、どうしたものかと考えあぐねていると、エミが横から口を挟んできた。

「ほら、最近下級生の間で噂になってるのあるじゃん?」

「あー……なんだったかしら。下校時刻のお化けさんとかそんなんだった気が……」

「微妙に違う……『放課後の幽霊』だよ」

そう言われてそういえば以前後輩の子たちがそんな噂話をしていたのを思い出す。

なんでも放課後の車庫ですすり泣くような声が聞こえ、中に入ってみると誰もいない。

出て行った形跡も隠れているわけでもないというものだ。

まぁ大方風の音でも聞き間違えたのだろうと本気にしてはいないが。

「で?その与太話がなんだって言うのよ」

「だから、小梅が見たのもそれなんじゃない?って話。その幽霊」

「どうかしらねぇ……」

口では曖昧に濁したものの先ほど述べた通りこの手の話の信ぴょう性を考えれば信じる余地は無い。

とはいえ、ここで『幽霊なんていないから安心しなさい』なんて言ってハイ終わりとするほど薄情でもない。

せめて相談に乗る態度ぐらいは示してやるべきだろう。

「とりあえず、何が起きたのか聞かせてもらいましょうか」

「……私、さっきまで車庫にいたんですけど――――」





 小梅の話を要約するとこうだ『放課後の車庫に忘れ物を取りに行ったら、自分以外誰もいないはずの車庫に人がいた』。

それだけならただ小梅がその人に気づかなかっただけか、その後に誰かが入ってきただけなのだろうって話なのだけれど、問題はその人が『真っ黒』だったという事。

「黒くて、立体感がなくて、まるで……そう、まるで……影、みたいな」

手も足も胴体も頭も厚みの無い平面の体。だけどそれは空気に張り付いてるかのように立ち上がっていて、それがコマの飛んでるアニメみたいに少しづつ自分へと近づいてきた。

あまりにも非現実的な光景に小梅は全力で逃走、途中で見つけた小島に泣きついて私の所へとやってきた。というわけらしい。


「影ねぇ」

そういえば以前『影とは現実世界に唯一存在する二次元』なる話を聞いたことがある。

常に私たちについて回る影という存在は、けれども私たちと並び立つ事は絶対にありえない。

だというのに、それが立ち上がり自分の元へと近づいてくるなんて突然異常な姿を見せたとあれば小梅が恐慌するのも当然なのかもしれない。

実際、私も自分の影が突然立ち上がるのを想像すると怖気立ってしまう。

しかし表情に出すのは堪え、引きつりそうになる口元を手で隠し、思案している姿を装う。

「エリカさんどうしよう……私、怖くて……」

「エリカ、なんとかしてあげられない?」

「私は陰陽師でも無ければ霊媒師でもないわよ……」

頼られるのは悪い気がしないが、だからと言って無茶ブリされたって困る。

そうは思いつつも、私は既に腰を上げて廊下へと向かっていた。


「エリカ、どこいくの?」

「車庫。とりあえず実況見分よ」

エミの問いかけに振り向かずに答える。

「ひ、一人で行くんですかっ!?」

「大丈夫?」

「そんな様子じゃ、小梅は行けないでしょ?エミはこの子のそばにいてあげて」

「それは良いけど……危なくない?」

「だいたい、幽霊が出たとは限らないでしょ。たぶん小梅の見間違いよ」

「……そう、だといいですけど」

「だから、それを確認してきてあげる。これからずっと『車庫が怖いです……』なんてされてもこっちが困るのよ」

我ながら芝居がかった言い回しだと思う。

でも、友達を安心させるためとはいえ、与太話の真偽を確認しに行くのだからこのぐらいカッコつけても罰は当たらないだろう。

そう自分を納得させ、私は車庫へと向かって行った。




さて、そんなこんなで車庫へと来た私は中を一通り探してみたが、どうにも人影になりそうなものはない。

小梅が慌てて逃げ出したからだろう、シャッターは空きっぱなしで、そこから夕陽が車庫の中へと流れ込んでいる。

これが人影らしきものを作ったのかしら?などとそこらに転がってるものを適当に夕日にかざしたりしてみたものの、そのような事は無かった。

せめて枯れた尾花でもあったらそれで解決なのだけれど、などと独り言ちてみるも、残念ながら辺りに転がるのは戦車や整備のため外された輪転や履帯、予備のパーツと工具ぐらいだ。

車庫に入ってかれこれ30分ぐらい経っただろうか。広い車庫とはいえ、これだけ探しても何も見つからず、埃や煤に汚れた手を見て私は一人溜息を吐く。

「……やっぱり小梅の見間違いね」

車庫は基本閉め切ってるのもあって空気が淀んでいる。

シャッターを開けているとはいえその付近以外は薄暗く、むしろ夕日の彩りが不気味に思えてくる。

控え目に言って一人でいるには落ち着かない場所だ。

そんな状態で一人やってきた小梅が物音に怯え、あるいは物陰に驚いた結果、在りもしない幽霊を見てしまったのだろう。

そう結論づけた私は、さっさと戻ろうと校舎に繋がる裏口へと向かう。

「あ、シャッター閉めないと」

開けっ放しで帰った日には大目玉を食らってしまう。

私は慌てて振り返り―――――足を止めた。

「え?」

視線の先、シャッターから入ってくるのは夕日のみ。

なのに、目の前には『何か』がいた。

真っ黒な人。そう表現するしかない姿。

濃淡の無いその姿(シルエット)には立体感はまるでなく、夕日を背にしているというのに『何か』の周りには影らしきものは何一つない。

一目でわかる『異常』。

この世のものでは無い何かが、そこにはいた。

「なに、これ」

自然と零れた声は、震えで出鱈目な発音になっていて、背筋がぞわりとする。

「うそ……ホントに……」

つま先の感覚が消えていく。

後ずさろうにも震える足は思うように動いてくれない。

私はただ、その黒い影を見つめる事しか出来なかった。

影は動かず、私は動けず、時が過ぎる。

数時間、いや数分、いいやきっと数秒だったのだろう。

恐怖と動揺で曖昧になった感覚の中、私はふとある事に気づいた。

「黒森峰のパンツァージャケット……?」

影が纏っているのは私の見慣れた服。

黒森峰のパンツァージャケットだった。



真っ黒で陰影の無い平面の影がその格好をしているのだと思うに至った最大の理由は、彼女(スカートをはいているので女性と判断する)の頭に突起のような湾曲が出来ていて、

そのラインは私たちが良く見ているもの――――パンツァージャケットと合わせる略帽のものによく似ていたからだ。

その格好に親近感でも感じたのか、あるいはそれが気になって恐怖が薄れたのか。

私は震えながらもその影に声をかけてしまった。

「あなた……うちの学校の人なの……?」

思えば凄く間抜けな問いかけだと思う。

でも、口を突いて出てしまったのだから仕方がない。

すると、影が小さく動いた。

それが『頷き』だと遅れて理解する。

幽霊と意思疎通が出来たという驚き以上に、私は知りたいと思ってしまった。

「あなたは……誰?」

そう言ってしまったらもう、私は彼女から逃げようとは思わなかった。

恐怖はある。

陽炎のように揺らめき、絵画のようにそこにあるその姿に怖気が走る。

なんど固唾をのみこんだかわからない。

だけど、逃げない。

ただ、知りたかった。

何で彼女がここにいるのか。

何で、そんな姿になっているのか。

どうして、私は恐怖に混じって、彼女に懐かしさを覚えているのか。


彼女が近づいてくる。

小梅の言っていたようにコマの飛んだアニメのように不気味な歩みで。

だけど、私は落ち着いて彼女を待つ。

そして、目の前へとたどり着いた彼女は、ゆっくりと私に手を差し出してきた。

「……握れってこと?」

彼女は小さく頷く。

まさか、友情の証とでもいうつもりだろうか。

別に彼女みたいな怪異に友好的なつもりは無いが、毒を食らわば皿までという。

何度かの逡巡の後私は覚悟を決め、だけど恐る恐る彼女の手を握った。

握った手はなんともぼんやりとしていて、その感触は例えるのが難しく、

それでもあえて言うならば『霞を押し固めたよう』といったところだろうか。

感触はあるのに少しでも力を入れると霧散する。

『握る』ではなく『包む』あるいは『触る』に近い。

そんな不思議感覚にほんのりと恐怖が薄れた時――――私の中に誰かの記憶が流れ込んできた。






『黒森峰かぁ……私、友達作れるかな……』


それは、視点を切り取った映像。

スクリーンに映し出されたようなそれを、私は一人眺めていた。

視点の主は黒森峰の校舎を見上げて一人ため息を吐く。


『……やっぱり私なんかが副隊長なんて無理だよ』


『彼女』は、不安だった。

映像を見ているだけなのに、そこに映されていない感情や思考が私の頭の中に流れ込んでくる。

彼女は入学したばかりなのに、そこで送るはずの学園生活に明るいビジョンが見えていなかった。

不安は的中してしまった。

彼女にとって学園生活は描いていた通りのものだった。

に喉元を締め付けられているような不快感。

息が詰まりそうなほどの重苦しい日々に、彼女は必死で耐えていた。

ある日、その重みが軽くなる出来事があった。


『あなたが隊長の妹?ふぅん、なんだか頼りないわね。まぁいいわ。私は逸見エリカよ、仲良く……なんてしないわよ』


性格の悪さが滲み出た目つきの悪い銀髪の少女。

こんなやつと友達になるやつがいたのならそいつは仏の類だろう。

彼女は、その少女と友達になった。


『初めまして、私赤星小梅っていいます。一緒に頑張りましょうね!』


優しさと芯の強さを兼ね合わせた柔和な笑みの少女。

恐らく人類の大半は彼女と友好を結べるだろう。

彼女は、その少女と友達になった。




『彼女』にとって、二人は鮮やかだった。

制服と同じ、灰色の世界に足された二色の絵具だった。


『友達?……そうか、それは……本当に良かったな。』


彼女の姉はそう言って微笑んだ。

友達が出来て嬉しかった。

隣り合う人が出来て嬉しかった。

それを、姉に報告できた事が嬉しかった。

それは、『彼女』の想い出だった。


場面が次々と切り替わっていく。


『黒森峰の桜並木は綺麗だね』

『桜はどこだって綺麗よ』


桜の季節。


『海かー。たまには行ってみたいなぁ』

『いやいるじゃないの現在進行形で海の上に』

『そういう事じゃないんですよエリカさん』


向日葵の季節。


『紅葉が綺麗だね』

『ただの落葉前の化学反応でしょ』

『エリカさんはもうちょっと風情を楽しみましょうか』


紅葉の季節。


『うっそ雪?なんでわざわざ雪降るような航路とるのよ……』

『私は雪好きだよ?とっても綺麗だし』

『ほらエリカさん雪だるま!』


雪の季節。





学校で、喫茶店で、コンビニで、練習場で。

色々な記憶が巡っていく。

そこに重ねられた彼女の想いも。


最初は辛くて、悲しくて、泣いていた。

少しづつ嬉しさや、楽しさが増えていった。

笑顔が増えていった。

喜びで満たされていった。

彼女は、幸せだった。

……だけど、ある日を境に彼女の記憶から喜びが消えていった。

色鮮やかな映像が途切れ、代わりに色あせた、古い映画のようにノイズの走る映像が流れ始める。



『……』

その子は、車庫で一人佇んでいた。

Ⅲ号戦車の前で、じっと佇んでいた。


『ごめん、なさい』


震える声だった。

今にも泣き出しそうなのを、無理やり抑え込んでいる。

そう思ってしまうほどに、彼女の声はひび割れて、悲痛だった。


『赤星、さん、お姉、ちゃん、………………エリカさん』


懺悔するように友と姉の名前を呼ぶ。

だけど、その言葉に慰めも説教も返ってこない。


『ごめん、なさい。ごめん、なさい、ごめんなさいっ……』


だけど、彼女は謝り続ける。

傷口を抱きしめるように。押し広げるように。


『嫌だよ、いやだよっ……行きたく、ないよっ……』


言うたびに傷口から血のように後悔が流れ出す。


『でもっ……でもっ……、もう、これ以上ここに、いたくないよっ……』


つま先からやすり掛けされているかの如く『彼女』は摩耗していった。

逃げ出そうとする足に、鎖のように絡みつく想い出が『彼女』を更に苦しめていた。


『なんで、こんな事になっちゃったのかな……』


後悔や悲痛さえ削り取られたそれは、ただの疑問だった。


『私が、間違えたから……?』


そうかもしれない。

あるいは、もっと別の方法があったのかもしれない。


『私が、ちゃんと出来なかったから……?』


そうなのかもしれない。

もしかしたら、彼女がもっと完璧であればこんな事にはならなかったのかもしれない。

だけど、


『私が…………いなかったら』


違う。

それは、それだけは違う。

間違いも失敗もあっただろう。

だけど、彼女がいない方が良かったなんて事は絶対にない。

誰もそんな事を思っていない。

……私だって。

だけど、どれだけ叫んでも彼女に声が届くことはない。

私が見ている映像は、もう過去の事だから。

なのに、今この瞬間も私の心は彼女の心と同期している。

それが、余計に歯がゆくて自分の無力さを痛感させてくる。



『こんな、こんな事ならいっそっ……』


震える彼女の声が、その先を紡ごうとした時。

彼女の様子が変わった。

張り詰めて、ひび割れて、今にも崩れ落ちそうだったその声に、力が戻った。

曇り切った彼女の視界が光を取り戻す。


『…………仕方ないよね、私はもう、ここにいられないんだから』


その声には先ほどまでの未練はなく。


『大丈夫だよきっと。お姉ちゃんも、エリカさんもいるし』


まるで、背負っていた荷物を下ろしたかのように。


『私なんて、最初から必要無かったんだよ』


鎖なんて、最初からなかったかのように。


『……さようなら』


誰もいない車庫にそう呟いて彼女は去っていった。

―――そこで、映像が途切れた。



次に、冷たいコンクリの床を這うよう映す映像。

画面の手前側から真っ黒な何かが水たまりのように広がっていく。

それが、画面いっぱいに広がった時、皮膚を剥がしていくような痛ましい音と共にカメラがゆっくりと上がっていく。


視点の主はきょろきょろと周囲を見渡す。

車庫に入り込む夕日。

それが眩しいのか真っ黒な手が光を遮る。

やがて、とぼとぼと出口に向かおうとしてその足が止まる。

だんだんと、視界が暗くなっていく。先ほどまでの『彼女』のように。

そして、その視界が真っ暗になると同時に映像も終わった。


『あの子』は気づかなかった、さっきまで自分がいた場所に影が残っている事に。

『彼女』は気づいてしまった。自分が、忘れ去られた事に。






「……………………っ!?」

気が付くと、世界が茜色に戻っていた。

目の前には悪夢のように黒い影が佇んだままで、

その姿は、私の知っている……いや、『知っていた』彼女によく似ている。

小動物のように震え、今にも膝をつきそうなほどその姿は弱々しく、罪悪感に苛まれるように私から視線を外す。

私の知っている『あの子』が、そこにはいた。

「あなたは……あの子の『想い出』だったのね」

震えながらも紡いだ言葉には確信があった。

それを影は小さく頷いて肯定する。

「……あなたはずっとここにいたの?」

再び影は小さく、だけどどこか曖昧に頷く。

「あの子は、忘れる事を望んだの?」

今度はハッキリと。

彼女は頷いた。

そう、あの子は忘れたかったのだ。

黒森峰での思い出を、そこに抱いた想いを。

そうしたのは、そうしてしまったのは、

「あの子にとって、この学校での想い出は邪魔だったから?」

彼女はすぐさま首を横に振る。

「なら、大切だった?」

彼女はゆっくりと、そして深く頷く。

「……だから、辛かった」

彼女は頷きもせず、否定もしない。

ただ、気まずそうに俯く。

それはつまり、曖昧な肯定。

私の言葉をはっきりと否定できないほど、彼女にとって黒森峰の想い出は痛ましいものとなっていた。

それを理解した時、すとんと胸の中の何かが落ちた気がした。

「あの子は、私たちを恨んでないのね」

俯いていた彼女の頭が飛び跳ねるように私を見る。

霞のような手で、必死に私の手を掴む。

その反応こそが私の言葉を肯定してくれる。

この子はきっと、『あの子』が望んで忘れていったもの。

大きくて、大切で、だけど……重くて。

この学園艦を去るために、忘れていったもの。





捨てたのではない。

『あの子』にとってそれは、捨てるにはあまりにも大きくて、大事なものだったから。

置いていったのではない。

いつか取りに戻るなんて言えるほど、その傷は小さくなかったから。

だから、忘れていった。

そうしなければ、『あの子』は救われなかった。

「こんな所にいたのね……」

私の手を掴む彼女の手にそっともう片方の手を重ねる。

この学園艦にはもう、彼女の残滓なんて残って無いと思っていた。

だけど、彼女はここにいた。

ずっとずっと後悔しながら。

ずっとずっと苦しみながら。


この学校を離れる前の『あの子』の一番最後の記憶。

最も辛くて、最も苦しかった瞬間。

その記憶から生まれた彼女は、ずっとずっと、その苦しみに苛まれて、なのに彼女のように忘れる事も出来ない。

後悔して、苦しんで、哀しんで。

そしてこれからもずっと、ここで過ぎ去った想い出に苛まれ苦しむのだろう。

それが彼女が産まれ落ちた理由だから。

………………そんなの、あんまりだわ。



「あなたは……どうしたいの?」

それは、頷きだけじゃ答えられない問いかけ。

彼女が、彼女自身の言葉で答えなくてはいけない質問。

私は、彼女をじっと見つめる。

促すことも急かすこともせずただじっと、彼女の答えを待つ。

数秒、あるいは数分。いいえ一瞬の間だったかもしれない。


わからない


それは声ではなかった。

口元に浮かぶ朧げな陰影から辛うじて読み取れただけの……私の想像あるいは妄想が多分に含まれている言葉。

だけど、だけど。

私には彼女がそう言ったように聞こえたのだ。

だって、この子は『あの子』なのだから。

小さく身を縮め、震える姿は、

私から目を逸らし、だけど縋るように視線を向けてくるその姿は、私の知っている『あの子』だったから。

だから、私は冷たく突き放すように事実を伝える。

「……あなたの持ち主はもう、ここじゃない所であなたの知らない『みんな』と一緒にいるわ」

彼女はどこか諦めたように頷く。

「わかってるのなら、もう一度聞くわね。……あなたはどうしたいの?」

今度こそ彼女は俯いて何も反応を示さなくなった。

その姿は紛れもなく、傷ついて摩耗しきったかつての『あの子』だった。

なら、


「……私は、あなたの事が嫌いだった」


伝えよう。

かつての私の想いを。



「私の欲しいものを持っているあなたが妬ましかった」

努力と才能。

そんなありふれた格差に自分勝手に憤っていた。

「あなたがいる日々が嫌で嫌でしょうがなかった」

私を見て楽しそうに手を振る姿を見るたびに、人の気持ちも知らない癖にと苛立っていた。

「いっそあなたが消えてしまえば。そう思ってた」

それでも、あの子は毎朝、通学路で待っていた。

「だから『あの子』がここを去った日、清々したわ。私にはもう目障りなものは無いんだって」

それで、全部終わり。

私が私らしく私として頑張れる日々が来る。

それを嬉しく思った。

「―――そう思う事にした」


嫌な事もあった、辛い事もあった。

嫌った事も妬んだ事も消えてしまえと思った事も確かにあった。

だけど、それでも。

「あなたとの日々は私にとって嫌な事もあったけど。それでも……悪くない日々だったわ」

それだけじゃなかった。

敵わないと思っていても、それでも共に競い合う日々は私にとって確かに充実していた。

高い壁だからこそ越えたいと願い努力できた。

合間に挟まれる穏やかで呑気な時間に確かに癒されていた。

刺々しい私に、それでも付き合ってくれた。

私と、小梅と、あの子の三人で過ごした日々は……楽しかった。

通学路で待つあの子を見て、溜息と共に駆け足で近づいて行った。

「……やっと、思い出せた」

呟きに喜びと懐かしさと寂しさが綯い交ぜになる。

でも、それにいつまでも浸るわけにはいかない。

楽しくて、大切な日々だったけど、それはもう過去の事だから。

どれだけ望んでも、もう帰ってくる事はないのだから。

だから、この子をここに置いて行くわけにはいかない。

私は、緩んだ頬を引き締め、零れそうになる涙をぐっとこらえ、彼女を見つめる。


「あなたは、『彼女』が望んだ忘れもの」


大切だから。

失う痛みが怖いから。

だから忘れた。

こんな風に影を残すほどに大切な想い出だった。

「でも……私も、同じものを忘れていた」

嫌な事だけならば、辛くなんてないのだから。

楽しかったから、辛かったのだから。

私は……私も。

望んで忘れていた。


辛い記憶の鎖に繋がれるのが怖くて。

そこから進めなくなるのが怖くて。

忘れる事で、進む道を選んだ。

「だから、あなたは、一人じゃないわ」

彼女を抱きしめる。

霞のようなその体からは温度なんて感じないけれども。

なら、私の温度を分けてあげれば良い。

「あなたの持ち主が、あなたを忘れてしまっても。私があなたを見つけたから」

……いいや、きっとこれは私が見つけないとダメだったんだろう。

ここで、彼女が泣いていたのは自分以外の誰かに見つけて欲しかったからなのだろう。

それが、それこそが。

あの子の望みだったのだろうから。


「だからもう、一人で泣く必要なんてないわ」

霞のような彼女を潰してしまわないように優しく、それでも確かに力を込め抱きしめる。

腕の中で、彼女が何かを呟いた。

相変わらず音にもならない声なのに、私は彼女が何を言いたいのかハッキリとわかる。

「……ああ、小梅は大丈夫よ。あなたが急に出てきたものだから泣いちゃったけど」

きっと小梅にも気づいて欲しかったのだろう。

些かビジュアルが強すぎたせいで怖がられてしまっただけで。

内心そう苦笑していると、彼女がオロオロとしだす。

そんな姿もかつての『あの子』と同じもので。

「ああもう、大丈夫って言ったじゃない。ちょっとあなたに驚いただけでもう落ち着いてるわよきっと」

表情なんてまるで分らない。なのに、彼女がとても申し訳なさそうな顔をしているのがはっきりとわかってしまう。

「大丈夫よ。私たちは、大丈夫」

輪郭をなぞるように彼女の頭を撫でる。

彼女は髪もやっぱり影で、私の指はすり抜けてしまうけれど。

それでも、彼女がどこか安心しているように見えるのは私の色眼鏡だろうか。

「これまで大変だったし、きっとこれからも辛くて大変だろうけど……それでも、大丈夫よ」

我ながら不器用にも程がある励ましだ。

もっと解きほぐすような言い回しは出来ないのだろうか。

それでも、下手に取り繕った言葉よりは伝わるだろう。

それなりに長い付き合いなのだから。

「あなたがいなくて大変だし、私も隊長になったばかりで大変だけど、それでも黒森峰は大丈夫。だって―――――私たちがいるから」

それはきっと虚勢だ。

大丈夫だなんて言えるわけが無い。

だけど、だけどだ。

親を待ちわびる迷子のようなこの子の前で、私が虚勢を張らないでどうするのだ。

この子を、安心させないでどうするのだ。

この子は、『あの子』なのだ。

私たちと同じ時間を過ごし、笑ったり、泣いたり、怒ったりした、『彼女』なのだ。


「だから、泣かないで。あなたはもう、笑っていいの」


この海のどこかにいる『彼女』のようにこの子だって笑っていい。

影だからっていつまでも泣いている必要なんて無いのだから。

彼女は顔を上げ私を見つめる。

その顔はやっぱり何も映っていないけれど、彼女は確かに笑っていた。

たぶんきっと、私みたいに下手くそに笑っていた。





「ただいまー!」

「おかえりー!!」

誰もいないと思っていたので勢いよく挨拶をしたところ勢いよく返事が返ってきて面食らってしまった。

「え、あなた達まだいたの?」

時刻はもう18時を回る。

夕日は水平線に沈みかけていて教室には電気が点けられていた。

「いや、エリカ一人に任せといて帰るとかないでしょ」

エミはそう言って笑う。

「え、エリカさんどうでしたか……?」

対して小梅は先ほどと同じように怯えた様子のままだ。

「やっぱ小梅の見間違いだった?」

心配半分興味半分といった様子で尋ねてくるエミに若干イラっとしたものの、私は見たままを答える。

「とりあえず話は着けてきたわよ」

「……え?」

「今後はむやみに人前には出ないって約束してくれたわ」

「そ、それってつまり……」

「いたんですか?幽霊……」

怯えた様子で私を見る二人に対して、安心させるように微笑みかける。

そして、

「…………あんまり怖がらないであげなさい」


声にならない悲鳴というのをその日初めて聞いた。






あれから一週間。

幽霊騒ぎは無事解決。

小梅が眠れぬ夜を過ごすなんて事にはならずに済んだ。

私としても友達の悩みを解決出来たという点においては中々清々しい気持ちだが、例の件を私が解決した、などと吹聴されると面倒極まりないのでエミと小梅の二人には堅く口留めをした。

―――はずなのだけど。


「ねぇ、なーんで『逸見エリカが車庫の幽霊を除霊した』って噂が広まってるのかしら?」


喧騒がBGMとして流れる昼時の食堂。

私は向かいの席に座るエミに向かってナイフのような笑みを向ける。

「いやだって新隊長なんだからなんか箔付け欲しいじゃん?んで丁度いいのがあるじゃん?」

いけしゃあしゃあとほざく重要参考人の顔面にお手拭きを叩きつけて溜息。

やっぱりこいつが漏らしたのか。

「あのねぇ……それは霊能力者としての箔付けであって隊長としての箔じゃないでしょ。ていうか私は別に除霊はしてないってば」

私がやった事と言えば精々彼女を見つけてそれっぽい事を言って慰めてあげただけ。

除霊なんて物騒な事はやっていない。

だというのに元々あった車庫の幽霊の噂話に私という尾ひれがついた結果、噂話は私さえ取り込んで更に大きく成長したというわけだ。

「今となっちゃエリカが除霊したって意見が主流になってるね」

「情報ってこうやって捏造されるのね……」

人はいつだって真実よりも分かりやすく信じたいものを信じる。

現に食堂に来る道中でも『最近肩が重いんですけどこれって幽霊のせいですか!?』といった相談を受け近場のマッサージ店を紹介したところだ。


「言っとくけど、あの子はまだあそこにいるから。交渉の結果人前には姿を現さないってしてくれてるだけよ」

「うんだから幽霊と交渉してるのがもうおかしいからね?」

それはその通り。

私自身一週間前の自分に『あなた霊媒師として有名になるわよ』なんて言ったところで鼻で笑われるだろう。

「まぁでも、もう幽霊さんは出なくなったんですからその内噂も静まりますよ。75日もすれば」

「二か月半は長いわねぇ……」

それだけの期間根も葉もない噂に振り回されるのならば、いっそノートの切れ端に『悪霊退散』とでも書いたお札を売りさばいてやろうかしらと益体も無い事を考えてしまう。

私が今後の学園生活にいらぬ色を追加されて不貞腐れていると、

「ああそうだ。エリカさん、大洗と次に寄港地が被る日わかりましたよ」

小梅が話を変えようとトーンの高い声を出した。

「ホント?いつ?」

飛び跳ねるようにその話題に食いつく私に、小梅は微笑みを讃えながら答える。

「丁度一ヵ月後ですね」

「オッケー後で詳しいスケジュール送っといて。それと、小梅。あと……まぁエミも。その日は予定開けときなさい」

「え?私も?別に良いけど……何するの?」

その疑問は当然だろう。

私は笑顔で、ちょっと得意げに答える。

「ん?……交流会。それと―――忘れものを取りに来てもらうのよ」






「……あ、もしもし?私私。いや詐欺じゃなくて、エリカよ逸見エリカ」

「ええ、ええ。驚くでしょうね?何といっても私から電話してあげたんだから」

「あーはいはい。謝らなくて良いわよ。別に文句を言うために電話したわけじゃないんだから」

「……えーっとね、あー……あなた、来月黒森峰にこない?」

「いや練習試合とかじゃなくて、別に見学にとかでもなくて。忘れものを取りに来なさい」

「……忘れものが何かは私の口からは言えないわ。ただ一つだけ言わせてもらうと……あなた、結構怖い目に遭うわよ?」

「脅してるわけじゃないの。ただ、覚悟はしておいてって事」

「それで、あなたが忘れものを受け止められたなら、もう一度話しましょう。あなたの新しく出来た友達も連れてきなさい。私も、小梅たちを連れて行くから」

「ご飯でも食べながら、私たちが過ごしてきた日々と、あなた達が過ごしてきた日々を、一つ一つ話していきましょう」

「何があったのか、それに、何を想ったのか。例え理解できなくても、わからなくても、わからない事を分かり合いましょう」






「私たちがもう、大切なものを忘れたりしないように」



3話が面白かったので昔書きかけで放置していたのを引っ張り出して書き上げました。

黒森峰女学園準決勝進出おめでとうございます。

わっふー?

乙ー

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