「入って」
「お邪魔します」
彼氏が家に来たので、出迎えた。
彼は律儀に挨拶をして、敷居を跨ぐ。
すると、リビングから姉が顔を覗かせた。
「お! いらっしゃい、副会長」
「ああ、今日もお邪魔させて貰うぞ」
「毎度毎度かしこまらなくていいわよ。それより、ちゃんと宿題持ってきた?」
「おう。約束通り、持って来たぞ」
「ありがと! やっぱり持つべき者は頼れる副会長ね! あんたが妹の彼氏で本当に良かった!」
親しげにやり取りをする、姉と彼氏。
念を押しておくが、彼は私の彼氏である。
それなのに、2人の距離はとても近い。
その理由は、我が校の生徒会役員同士だから。
姉が会長で、私の彼氏が副会長。
校内においても、校外においても、仲が良い。
高身長の彼と、女子にしては背が高めな姉。
立ち並ぶと、とても絵になるベストカップル。
ちなみに私はチビ。おまけに貧乳だ。
姉は胸が大きく、ウエストは私よりも細い。
十人男が居れば、十人とも、姉を選ぶだろう。
それでも、この人は、私を選んでくれた。
私だけの、かけがえのない、彼氏なのだ。
「……行こ」
「ああ、わかった」
袖口を引っ張って、彼氏を自室に連れ込んだ。
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「数学のこの問題、難しくなかった?」
「ああ、これはこの公式に当て嵌めて……」
「ははあん。なるほどね~」
彼氏と一緒に、当然のように姉もついてきた。
とはいえ、これが常だ。日常茶飯事な一幕。
肩を寄せ合って、数学の宿題に勤しんでいる。
「あーもう! このゲーム、ムズすぎ」
そんな2人をよそに、私はゲームをしていた。
彼の勧めでやってみたのだが、とても難しい。
何度トライしてもクリア出来ず見兼ねた彼が。
「ちょっと貸してみ」
「あ、うん」
「これ、難しすぎたか?」
「うん……私には少し、難易度が高いかも」
「じゃあ、やって見せるから」
そう言って、ピコピコと携帯ゲーム機を操り。
あっさりとクリアしてみせる彼氏。神業だ。
思わず拍手すると、得意げに鼻を鳴らした。
「どうだ、すごいだろ?」
「すごいすごい! 天才!」
「はいはい天才副会長! この問題も教えて!」
「ん? ああ、これはだな……」
はい。楽しいひと時はあっという間に終わり。
再び、姉と彼氏は2人だけの世界へと戻る。
私はまた、下手くそな独りプレイを始めた。
「お姉ちゃん、近すぎ」
「あんたにだけは言われたくないわよ」
しばらくして、私の苛立ちは頂点に達した。
姉に彼氏との距離を注意するも言い返された。
たしかに私もだいぶ近い。対抗心である。
どのくらい近いかと言うと、ほぼゼロ距離。
膝の間に陣取り、背中を胸板に預けていた。
要するに今、彼氏は私の座椅子となっている。
ちなみに姉は、彼と横並びに座っていた。
それだけなら、まだいい。問題は、胸元だ。
ゆるゆるの襟から谷間が丸見えで、溢れそう。
彼は気にしていないけれど、私は気になる。
「その服、だらしないから着替えてきて」
「なんで? いつも家ではこんな感じでしょ?」
「それは、そうだけど……」
たしかに、姉は普段から家ではだらしない。
ちなみに学校ではキッチリと制服を着ている。
模範的な服装の、真面目な生徒会長なのだ。
その反動なのか、家ではご覧の有様だった。
別に、私の彼氏を誘惑しているわけではない。
そうとはわかっているが、苛々が収まらない。
「もういい! わかった! 今に見てろよ……」
「ん? どこに行くんだ? 喧嘩はやめとけ」
「喧嘩じゃないし! すぐに戻ってくるから!」
憤慨した私は立ち上がり、彼氏に心配無用と告げると、クローゼットから手早く目当てのTシャツを1枚取り出し、駆け足で脱衣所に向かった。
「おまたせ」
「お、おう。どうしたんだ、その格好は?」
「そのTシャツ、サイズが合ってないわよ?」
速攻で戻ってきた私に、2人の視線が集まる。
姉の言う通り、このTシャツはかなりダボダボ。
それもその筈、これは彼氏のTシャツである。
先日、彼の家にお邪魔した際に失敬してきた。
すぐに彼氏がそのことに気づいて首を傾げる。
「あれ? もしかして、それは俺の……」
「ちょっと借りた」
「無断で持ち出すのは借りるとは言わないぞ」
「じゃあ、貸して」
「あ、ああ。そりゃあ、構わないけど……」
「ん。ありがとね」
彼氏への事後報告は済んだ。委細問題はない。
重要なのは、その反応だ。明らかに挙動不審。
目が泳いで、ソワソワしている。当然だろう。
なにせ片方の肩が剥き出しだ。スースーする。
遠山の金さん状態な私。もちろん刺青はない。
ちなみに、ブラはポイしてきた。ノーブラだ。
もちろん、めちゃくちゃ恥ずかしいけれども。
ともあれ、これにて無事に、彼女としての立場を守り抜いた……かに、思われたのだが。
「そんな格好してると、風邪ひくぞ」
おもむろに立ち上がり、余計なことをする彼。
自分が着ていたジャケットを潔く、脱いで。
そっと私の肩に羽織らせてきた。あったけー。
「……ありがと」
赤面しつつ、彼氏の思いやりに感謝する。
なんかとっても嬉しいけど、とっても複雑。
ものすごい醜態を晒したような気分になった。
くそっ。どうしてブラまで脱ぎ捨てたし。
今となっては当時の決意が無意味に思えた。
しょんぼりして、再び独りでゲームしてると。
「ぷっ……ザコすぎ」
姉が小声で嘲り、おまけに耳を齧ってきた。
「ひぅっ!?」
びっくりして、操作を誤り、ゲームオーバー。
「ぷーくすくす! ゲームオーバーだって!」
「お、お姉ちゃん! 意地悪しないで!!」
「本当に可愛いんだから! 食べちゃいたい!」
「食べるなぁっ!!」
耳を齧るのは反則だ。私は耳が弱いのに。
それを知ってて、姉は耳たぶを咥えるのだ。
本人は可愛がっているつもりなのだろうが。
本当にやめて頂きたい。ビクッてなるから。
「おい、あんまり揶揄うなよ。可哀想だろ」
「なによ副会長。もしかして、独占欲?」
「別に、自分の彼女なんだから当たり前だろ」
「まったく、お熱いことで。火傷しそうよ」
冷やかしながらも、姉の追撃は止んだ。
彼氏が庇ってくれて、なんとか助かった。
本当に彼は良い人だ。頼りになる男だった。
出会ったのは、二年ほど前。中2の時のこと。
この彼氏と巡り会えたのは姉のおかげだった。
まるで、昨日のことのように、覚えている。
「紹介するわ。同じクラスの同級生よ」
「どうも、お邪魔してます」
「あ、どうも」
私が中2の時に、姉が男友達を家に招いた。
その時、姉は高1。男友達も同じく高1だった。
第一印象は、背が高くて、大人びた男の人。
歳上の異性と接する機会など、それまでなく。
とてもガチガチに緊張したことを覚えている。
「ちゃんとゲーム持ってきた?」
「ああ、持ってきたぞ」
「じゃあ、妹に操作の仕方を教えてあげて」
姉の指示で私はゲームの操作を教えて貰った。
単純に、遊び相手を増やす目的だったらしい。
私はそのゲームのやり方を覚えて、対戦した。
「また私の勝ち!」
「流石だな」
「……また私がビリ」
姉と男友達さんはゲームが上手だった。
私はいつも負かされていたのを覚えている。
そんな私に男友達さんは優しくコツを授けた。
「ここはこうすれば上手くいくよ」
「あ、ほんとだ」
「ほら、出来ただろ?」
上手く出来ると、男友達さんは褒めてくれた。
優しくて、良い人。笑うと、少し幼く見えた。
気がつくと、私はこの人を好きになっていた。
会える日が待ち遠しくて、何度も姉に尋ねた。
「あの人、次はいつ来るの?」
「なによあんた、もしかして惚れちゃった?」
「ち、違うし!」
姉は昔から勘が鋭くて、いつも揶揄ってきた。
「ゲームもいいけど、勉強も頑張んなさい」
「……勉強苦手」
中3になると、事あるごとに勉強しろ言われた。
「ゲームも苦手でしょ? ていうか、あんたさ」
「何?」
「私と同じ高校に入学したくないの?」
姉と同じ高校とはつまり、あの人とも同じ高校……というわけで、私は鼻息荒く、頷いた。
「入学したい!」
「だったら、頑張んなさい」
「うん! わかった!」
こうして、私は寝る間も惜しんで勉強をして。
「受かった!」
「流石、私の妹。ところで、あんたに朗報よ」
「朗報?」
無事、姉と同じ高校に入学した。そこで朗報。
「今、あいつが家に来てるから」
「あいつ?」
「私の男友達」
「ほんと!?」
「もちろん本当よ。ちなみに」
「何?」
「今あいつ、彼女居ないってさ」
それを聞くや否や、私は全速力で駆け出した。
「あの!」
「ん?」
「私、同じ高校に受かりました!」
「おお! それは良かった! おめでとう!」
男友達さんは我が事のように喜んでくれた。
飛びつきたいのをぐっと堪え、意を決して。
私は、自分の気持ちを、男友達さんに伝えた。
「私、あなたが好きです!」
すると、目を見開き驚いた様子。畳み掛ける。
「だから同じ高校を目指して頑張りました!」
「……そう、だったのか」
「も、もしよろしければ、私と付き合って……」
「それなら、俺と付き合ってくれないか?」
最後まで言い終える前に、返事をくれた。
「はいっ!」
もう、我慢する必要はない。飛びついた。
彼は、とても優しく、抱きしめてくれた。
嬉しかった。その喜びは今でも忘れられない。
こうして私は、彼氏とお付き合いを始めた。
「それじゃあ、そろそろ俺は帰るよ」
「えっ? もう?」
回想を終えると、彼が帰宅する時間となった。
不満を視線に込めると、困ったような表情。
するとそれを見兼ねて、姉が私を窘めてきた。
「私の副会長を困らせるんじゃないの」
「私の彼氏だもん!」
「じゃあ、あんたが彼のお母さんの代わりに夕飯を作ってあげられる?」
「……カレーなら」
「それ以外作れないでしょ? 毎日カレー?」
「……ちゃんと他の料理も覚えるし」
「なら、覚えてから引き留めなさい」
姉はズルい。正論すぎて、反論の余地がない。
「また来るよ」
「明日も来て」
「ああ、約束だ」
律儀に約束を交わして、彼は帰って行った。
「お姉ちゃん、ちょっと」
「なによ」
「明日は2人きりにして」
切実な願いを姉に要求すると、鼻で笑われた。
「あんたさぁ……2人きりで、何するつもり?」
「……別に、何も」
「だったら、別に私が居てもいいでしょ?」
また正論。うんざりだ。本当にムカつく。
「私たち、付き合ってるんだよ?」
「もちろん、知ってるわ」
「だったら邪魔しないで」
「邪魔なんてしてないわよ」
「じゃあ、引っ込んでて」
「あんたじゃあるまいし、私は出るところは出てるメリハリボディだから、無理な相談ね」
「うるさい! お姉ちゃんなんて嫌いっ!!」
私はキレた。これはキレてもいいだろう。
何がメリハリボディだ。もいでやる。くれ。
その出っ張りを、私に寄越せ。吸収してやる。
そんなものがあるから、争いが起こるのだ。
皆平等に平たい胸族ならば、平和に暮らせる。
そうすれば、クラスの男共に揶揄されない。
『出がらし』だの、『ミニチュア』だのと。
散々、人を馬鹿にしやがって。絶対許せない。
「お姉ちゃんは小さいのも可愛いと思うわ」
「上から目線で言われても嬉しくない!」
「あ。そういえば、あんた」
「……何?」
「今日は随分と大体なことをしたわね?」
「っ……!」
言われて、赤面する。黒歴史を持ち出された。
「よもやダボダボTシャツに変身するなんて」
「……やめて」
「まさか、まだ魔法少女に憧れているの?」
「ち、違うもん!」
「変身したところで、スカスカだけどね!」
「うわあぁぁああああんっ!!」
残念ながら、もう守ってくれる彼氏は居ない。
私は泣かされた。尊厳を踏みにじられた。
畜生。なんの恨みがあるってんだ。バカ姉め。
「おーよちよち」
「ううっ……触んなっ!」
頭を撫でてくる姉の手をぺしっと払い除ける。
「あー怖い怖い。ところで」
「ぐすっ……何?」
「彼氏を虜にする方法、知りたくない?」
「なにそれ、知りたい!」
なんだよもう、最初からそれを言ってよ。
「そんなに知りたいの?」
「知りたい! だって虜に出来るんでしょ!?」
「そう。これであいつは、あんたの下僕よ」
「わ、私の、げぼ、げ、下僕……うっ。鼻血が」
姉の悪魔の囁きは、私には刺激が強すぎた。
「ちょっと、大丈夫?」
「な、なんとか……」
「まったく、先が思いやられるわね」
トントンと首すじを叩いていると呆れられた。
「もう平気だから、詳細プリーズ」
「知りたかったら、ちゃんとお願いしなさい」
「お願い?」
「お姉様、教えてくだちゃい!って、可愛く」
「い、言えるかっ!」
「だったら、この話はなかったことに……」
畜生。背に腹は代えられず、私は頭を下げた。
「ううっ……教えて、ください」
「ちゃんと言って」
「お、お姉様……教えて、くだちゃい」
「はい、よく出来ました。ちょっと耳貸して」
姉に秘策を耳打ちされて、私は盛大にむせた。
「ぶっふぉっ!? な、何言ってんの!?」
「どう? すごい作戦でしょ?」
「すごいも何も、全然意味わかんないよ!?」
「大丈夫。あんたなら、きっと上手くいくわ」
常に正しかった姉の言葉が私の胸に刻まれた。
「入って」
「お邪魔します」
翌日、再び彼氏が家にやってきた。
出迎えると、律儀に挨拶をして敷居を跨ぐ。
そして今日の私の格好を見て、驚いた様子。
「また俺のTシャツを着てるのか?」
「気に入ってるの。ダメ?」
「別に、駄目じゃないけどさ……」
やはり反応はすこぶる良い。出だしは好調だ。
また上着を羽織らされる前に、行動開始。
下僕にする為の作戦は既に始まっているのだ。
「私の部屋に行こ」
「ああ……あれ? 会長は?」
「今日は1人で勉強するってさ」
大変喜ばしいことに、今日は邪魔者は居ない。
そういう約束だ。抜かりはないのだ。
袖口を引っ張って、自室に連れ込む前に。
「えへへ……2人っきりだね」
「っ……そ、そうだな」
「顔赤いよ? そんなに嬉しいの?」
「ああ。もちろん、嬉しいよ」
ここぞとばかりに微笑めば、イチコロだ。
「さあさあ、どうぞどうぞ、遠慮なく」
「お、押すなって」
グイグイと、大きな背中を押し込んで。
彼氏を自室に招いた。作戦は順調である。
残念なことに私の部屋には鍵が付いていない。
逃がさないように、扉の前で通せんぼをする。
「なんで床にブルーシートを敷いてるんだ?」
「さて? どうしてでしょう?」
床に敷かれたブルーシートを見て、驚く彼氏。
「もしかして、雨漏りか?」
「んーちょっと惜しいかな?」
用途は近いけれど、漏れるのは雨ではない。
「はい、そこに寝て」
「えっ?」
「ブルーシートの上に、寝転がって」
「なんで?」
「その為に敷いたの。察して」
「お、おう……これでいいか?」
怪訝そうにしつつも横になった彼氏に舌打ち。
「は? 上半身裸に決まってるでしょ?」
「はい?」
「ほら、とっとと手早く脱いだ脱いだ!」
「や、やめろって! 自分で脱げるから!」
私が脱がせにかかると、彼は自ら服を脱いだ。
「やば……背中、ちょーかっこいい」
「今になって恥じらうのはおかしいだろ」
「お、おかしくないし!」
初めて彼氏の裸を見た。上半身のみだけど。
私の反応はおかしくないと思われる。普通だ。
だって、とっても筋肉質で、魅力的だもの。
「それで、横になればいいのか?」
「あ、うん。うつ伏せで、よろしく」
「どうしてうつ伏せなんだ?」
「察して」
「お、おう」
まだピンと来ない様子の彼氏。鈍感男である。
それでも指示通りにうつ伏せになってくれた。
本当に良い人だ。益々、好きになってしまう。
ともあれこれで、彼の方の準備は整ったので。
「ちょっと、跨ぐね」
「えっ?」
「察して」
「お、おう」
察して、とは便利な言葉だ。私は彼を跨ぐ。
「よいしょ……この辺、かな?」
「なあ、何をするつもりなんだ?」
「えっ? おしっこだよ」
「おっ?」
「今から、おしっこを、ひっかけるの」
作戦は最終フェーズへと、滞りなく移行する。
あっ(察し)
「お、おしっこ、だと……?」
「うん。嫌なの?」
「嫌とか、そういう問題じゃなくてだな」
ここに来て難色を示す彼氏に、確認をする。
「気持ちの問題でしょ? 私のこと、好き?」
「好きだよ」
「あっ……そう、でしゅか」
彼にきっぱりと断言されて、心臓が弾けそう。
ドッドッドッて、苦しくなる。顔があっつい。
嬉しい。嬉しすぎる。私も心から、大好きだ。
この想いを、おしっこに変えて、ぶちまける。
その為にブルーシートを敷いて、準備をした。
排尿しやすいようにダボダボのTシャツを着た。
その下がどうなっているかはご想像に任せる。
とにかく私は彼氏におしっこをかけたかった。
「じゃあ、かけるよ」
「その前に、ひとつ聞いてもいいか?」
「何?」
「なんでこんなことをしようと思ったんだ?」
その質問に対し、正直な気持ちを打ち明けた。
「……私だけの、彼氏になって欲しいから」
それが、私の願い。すると彼氏はこう諭した。
「俺は今までもこれからもお前だけの彼氏だ」
「……誰にも、盗られたくない」
「誰も盗らないから、心配するな」
「でも、お姉ちゃんが……盗るかも、知れない」
「会長が?」
「……うん」
すると、彼氏はなにやら深い溜息を吐いて。
「不安にさせて、ごめん」
真摯な謝罪を受け、私は泣きそうになった。
「謝らないでよ……」
「いや、俺が悪かった」
「違うの。悪いのは、自分に自信がない、私」
思わず溢れたその言葉こそが、本音だった。
「だから、おしっこをかけようとしたのか?」
「うん……そしたら虜にして下僕に出来るって」
「なるほどな……会長にそう言われたのか」
全てを察した彼氏は再び大きな溜息を吐いた。
「ごめん……こんなの、おかしいよね?」
私は我に返った。何をしようとしていたのか。
彼氏におしっこをかけるなんてどうかしてる。
やっぱりやめようとしたら、足首を掴まれた。
「いいから、そのままかけてくれ」
「えっ? でも……」
「たぶん、これは俺への罰なんだろう」
「罰?」
「ああ。お前に心配をかけた、罰だ」
だから甘んじて受け入れると、彼は言う。
「ほんとに、いいの?」
「ああ、どんとこい」
「……嫌いに、ならない?」
「嫌いになんて……」
一抹の不安が過った私に対し、彼は怒鳴った。
「なるわけ、ないだろっ!!」
びっくりして、ちょろっとおしっこが漏れた。
「あっ、ごめ……」
「フハッ!」
慌てて謝るよりも早く、彼氏が愉悦を漏らす。
「フハハハハハハハハハハッ……もごっ!?」
「静かにして。お姉ちゃんに聞こえちゃう」
彼氏の口を塞いで哄笑を遮って、排尿を再開。
「んっ……んんっ。なに、これ……すっごい」
チョロチョロと私の尿が彼氏の背中に滴る。
しかも今、私は彼の口を塞いでいた。
それがなんとも背徳感を増幅させた。
足首は力一杯握り締められて、少し痛い。
痛いくらい、気持ち良かった。新感覚だ。
「あっ……まだ、出るっ」
溜め込んだ尿の量に、自分でも驚く。
こんなに、出してしまった。恥ずかしい。
姉の特製レモネードはもの凄い威力だった。
止まって欲しいのに、止まって欲しくない。
少なくとも、自らの意思では止められない。
これが異常な行為という認識はもちろんある。
しかし、だからこそ、特別な儀式と思えた。
私たちは一線を超えて、普通じゃなくなった。
この瞬間に、特別な存在へと変わったのだ。
それを実感すると満ち足りた気持ちになった。
だから私は快感に身を任せて、全て出しきる。
そうすると、堕落に対する恐れが湧いてきた。
「ああ、お願い! 嫌いに、ならないで……!」
幻滅して欲しくなくて、切実に懇願すると。
返事の代わりに、ぎゅっと、足首を握られた。
その瞬間に、何もかもが、赦された気がして。
「好き……大好き」
キスがしたくなった。でも、彼氏はうつ伏せ。
「あむっ」
「もがっ!?」
仕方なく、肩を噛むと、彼氏がビクついた。
「はぁ……はぁ……終わったよ」
「ぷはっ。はぁ……はぁ……気は、済んだか?」
「うん……最っ高の、気分」
おしっこをかけ終えて、彼の口から手を離す。
お互い荒い吐息を吐きながら、言葉を交わす。
頭の中が真っ白で、もう何も考えられない。
私は女だけど理解した。これが賢者タイムだ。
「ふぅ……虜に、なってくれた?」
「そんなの、見ればわかるだろ?」
「……嬉しい。大事にするね」
「それはこっちの台詞だ」
やっぱり、姉の助言は正しかったらしい。
『おしっこをかけると、虜に出来るわよ』
まさに、その通り。彼は、私の虜になった。
「肩、噛んじゃって、ごめんね」
「ん? いいよ、むしろ気持ち良かったし」
「……バカ」
つい、思い切り噛んでしまって歯型が付いた。
軽口を交わしながらも、彼氏を労わりたくて。
そっと、その歯型に唇を寄せた、その時。
「お楽しみのところ、ごめんくださーい!」
ガチャリとドアが開いて、姉が乱入してきた。
「お、おね、おねっ……!?」
「なによ、おねしょでもしたの?」
「違うよ! お姉ちゃん、何しに来たの!?」
予期せぬ乱入に度肝を抜かれ、問いただすと。
「忘れ物を届けに来ただけよ」
「忘れ、物……?」
「はい、バスタオル」
バスタオルを手渡されて、ふと気づく。
「あっ……忘れてた」
「まったく、あんたは詰めが甘いのよ」
作戦終了後は背中を拭いてあげる予定だった。
その為のバスタオルの用意を、失念していた。
姉は私の額を小突き、おもむろに脚を上げて。
「へぶっ!?」
何故か、私の彼氏の後頭部を、踏んづけた。
「ちょっと! 私の彼氏に何するの!?」
「だってこいつが顔を上げようとしたから」
「全然意味わかんないよ!? 踏まないで!」
「あんた、ガード甘すぎ。下から丸見えよ?」
「ふぇっ? ……ッ!?」
やっば。危ないとこだった。心から姉に感謝。
「近頃、規制が厳しいから、気をつけなさい」
「はい……すみません。でも、私が踏むから」
「あっそ。それなら、しっかり踏みなさいよ」
「うん、わかった。ちょっと、ごめんね」
「ぷぎゃっ!?」
姉の代わりに彼氏の頭を踏んづけて一件落着。
「お姉ちゃん、上手くいったよ」
「あらそう。流石は、私の妹ね」
「えへへ」
彼氏の背中を拭きながら、姉に成果を報せた。
すると、にっこり笑って、褒めてくれた。
グリグリ頭を撫でられても、嫌じゃなかった。
ひとしきり撫で回した姉は彼氏に語りかける。
「良かったわね、副会長」
「……なんのことだ?」
「大好きな彼女におしっこかけられて」
「……勘弁してくれ」
「少しは反省した?」
「海より深く、反省したよ」
「なら、許してあげる。ただし」
突然、姉は私を抱きしめて、釘を刺した。
「私の妹におしっこをかけたらダメだからね」
何を言ってるのやら。恥ずかしいからやめて。
「ああ……肝に銘じておくよ」
真顔で返事をする彼氏も、やめて頂きたい。
「じゃあ、シャワーを借りるぞ」
「うん、行ってらっしゃい」
後始末を終えて、彼氏は浴室へ向かった。
拭いただけでは痒くなる可能性がある。
なので、遠慮する彼にシャワーを浴びさせた。
部屋には、私と姉が残った。水入らずだ。
私は満ち足りた気持ちで、一部始終を話した。
「それでね、すっごく、気持ち良くてね……」
「私が言った通りだったでしょ?」
「うん! ありがとね、お姉ちゃん!」
姉に感謝を告げるも、まだ足りない気がして。
「……彼と巡り会わせてくれて本当にありがと」
「ぷっ。なにそれ、あははは!」
小さくボソッと付け加えたら、姉は笑った。
「わ、笑わないでよ!」
「だって、そもそも、あいつがあんたに会いたいって言うから、私は家に連れて来たのよ?」
「えっ?」
なにそれ。初耳だ。そんな話は聞いてない。
「高1の時、私はあいつのことが好きでさー」
「ええっ!?」
衝撃的な事実に耳を疑う。信じられない。
よもや姉が彼のことを好きだったとは。
そんな素振りは、微塵もなかったのに。
「それで告白したら、あえなく撃沈したのよ」
「なんで!?」
「背が小さい女の子が好みなんだってさ」
単純明快な理由。姉はたしかに背が高かった。
「だから、チビのあんたを紹介したってわけ」
「……お姉ちゃんは、それで良かったの?」
「それで親しくなれたわけだし、文句ないわ」
「でも結局、私に奪われたってことでしょ?」
「生意気言わないの。あんたを利用したのよ」
「……そんな風に、言わないで」
彼と一緒に居る為に、私を、利用したと言う。
だけど、これまで、そんな素振りはなかった。
いや、違う。あの谷間は、誘惑だったのかも。
そう考えるとムカついてきた。巨乳は滅びろ。
とはいえ彼氏は私に夢中だし。眼中にないし。
それは姉も知っているわけだから、無意味だ。
故に、あれは偶発的な谷間で人為的ではない。
ごく普通に、姉として、見守ってくれていた。
「だから、私は今、わりと幸せなの」
そう語る姉の表情はたしかに幸せそうだった。
「どうして、盗られたのに、幸せなの?」
「だって、可愛い妹と好きな人、どっちも同じくらい大切だから。両得だと思わない?」
「……お姉ちゃん、ズルい」
「姉ってのは欲張りで、ズルい生き物なのよ」
そんな姉のことを私はもっと大好きになった。
「……ずっと一緒に居ようね」
「嫌だと言われても付き纏ってあげる」
「でも、彼は私のものだからね?」
「妹のものは、姉のものでしょ?」
「そんな名言、あってたまるかっ!」
私たちはこれからも喧嘩して、仲直りをする。
時には、嫌い合うこともあるとは思うけれど。
同じ人を好きになった私たちは仲良しなのだ。
【妹の彼氏は姉と妹のもの】
FIN
余談
「お姉ちゃん、ひとつだけ聞いてもいい?」
「なによ、改まって」
彼女としては、これだけは聞いておきたい。
「彼のどんなところが好きになったの?」
「んー胸をジロジロ見ないところかな?」
「見られるの、やっぱり嫌?」
「あまり不躾な視線は、ちょっとね」
「それだけ?」
「それだけで充分だったわ。だって、胸じゃなくて、私という存在を、認識してくれたから」
貧乳の私にはイマイチぴんとこないけれど。
それはきっと姉にとって嬉しかったのだろう。
そう考えると、たしかに腑に落ちる点も多い。
恐らく、そうした不躾な視線を避けるために、学校ではキッチリとした服装をしているのだ。
「もしかして、彼は胸に興味ないのかな?」
「胸も小さいのが好きみたいね」
「よっしゃあっ!!」
これで姉の巨乳に怯える心配はなくなった。
彼氏は貧乳好き。巨乳は興味ない。
たぶん、だからこそ、姉は気楽なのだ。
不躾な視線を送らない彼を、好きになった。
興味を持たれないからこそ、恋に落ちた。
彼の前でなら、姉は自然体でいられるわけだ。
「……なんか、恋って難しいね」
「彼氏持ちの癖に、何を偉そうに……あむっ!」
「ひゃあんっ!?」
しみじみと呟いたら、姉に耳たぶを噛まれた。
【姉の好みは天邪鬼】
FIN
追記
(やっぱり、可愛いな。本当に、羨ましい)
妹の耳たぶを齧りながら、改めてそう思った。
副会長が妹に惚れるのも当然だ。可愛いもの。
むしろ、惚れなかったらぶっ飛ばしてやろうと心に決め、紹介してやったあの日が懐かしい。
(よもや、妹まで、同じ男を好きになるとは)
それは奇妙でありながらも、必然と言えた。
だって、副会長は本当に良い男だったから。
私の妹に優しくして、大切にしてくれている。
おしっこをかけたとしても、へっちゃらだ。
そのくらい、お互い好き合っているのだろう。
(ほんと……私ってば、恵まれてるなぁ)
妹に、嫉妬しないと言えば、嘘になるけれど。
それよりも、この関係に充実感を感じていた。
この子と一緒に居る時の副会長は幸せそうだ。
それを傍で見ていられるだけで、幸せだった。
なにより、さっき妹から言われた、あの言葉。
『……ずっと一緒に居ようね』
それだけで、私は居場所を見つけられた。
「お姉ちゃん……泣いてるの?」
「うん……なんか、嬉しくてさ」
気づくと涙が出ていて、私は妹を抱きしめた。
「……お姉ちゃん、胸がドキドキしてる」
「私だって、胸がときめく時くらいあるわよ」
「私の彼氏に?」
「あんたに」
こんなにズルくて醜い姉に優しくしてくれて。
明らかな邪魔者である私に、居場所をくれて。
ありがとうと、感謝を込め、妹を抱きしめた。
【姉の居場所】
FIN
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