逢坂大河「たまにはいいのよ、たまにはね」 (14)

父の高須竜児と母の高須大河は高校生の時に出会い、大恋愛の末に結婚して、私が生まれた。

「いよいよ明日から高校生だな、松姫」
「うん、そうだね……」
「なによあんた、シャキッとしなさい!」

2人の愛に育まれながらスクスク育った私は明日、高校生となる。父や母の期待が重かった。
やけに嬉しそうな父は定食屋を営んでおり、入学前夜の献立は腕によりをかけて豪華な晩餐をこしらえ、私の好物ばかりが揃っていた。

「ほら、松姫。あんたの好きな竜田揚げよ」

気を利かせた母が竜田揚げを箸で掴みこちらに見せつけてから、何故かぱくりと頬張った。

「おいしーい! さっすが私の旦那ね!」
「大河。そこは娘に食わせてやるところだろ」
「おっと。私としたことが、遺憾だわ」

この阿呆らしいやり取りからもわかる通り、結婚から15年ほど経つというのに両親は仲睦まじく、娘としては他所でやれとゲンナリしつつも、不仲よりはよっぽどマシだと思った。

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「松姫、今日は一緒に寝ましょうか?」

結局、私よりも多い大量の竜田揚げとにんにくが入った大盛りスタミナ炒飯を平らげて満腹な母は、珍しくそんなふうに私を誘ってきた。

「パパが寂しがるよ?」
「たまにはいいのよ、たまにはね」

母は父のことが大好きだ。無論父も然りだ。
昼間は定食屋の手伝いをしながらべったり。
寝る時も同じベッドでぐっすりである。
要するに四六時中一緒に生活していた。
だから私は冗談半分で母を揶揄ってみる。

「寂しいのはママのほうだったりして?」
「そ、そんなわけないじゃない!」
「パパが傍に居ないと寝れないんじゃない?」
「あんたの隣だったらぐっすり快眠よ!」

そう太鼓判を押す母に、私は尋ねた。

「それは、私がパパに似てるから……?」
「ええ。あんたは竜児に似てるから大好き」

私はパパに似ている。
真っ直ぐな黒髪も、大きめな背丈も。
そして伸ばした前髪で隠した凶暴な目つきも。

「あんたさ、前髪切らないの?」
「切らない」

あれから今晩ママを借りる埋め合わせとして、食べ終えた食器をパパと2人で洗った。
パパは嬉しそうにしながらも、横目で私のことをチラチラ伺っていて、挙動不審だった。
たぶん、何か言いたいことがあるのだろう。
けれど、それはきっとどうにもならないこと。
だから、パパは洗い物を手伝ってくれてありがとうとだけ言った。そんな優しいパパが好き。

その後、お風呂に入ってから髪を乾かしていると枕を抱えた母が部屋に来て、私の長い前髪を切らないのかと聞いてきた。すぐに拒否した。
すると、母はおもむろにハサミを取り出して。

「私が切ったげよっか?」
「い、いいっ! いいからやめて、ママ!」
「安心しな。可愛くしたげるから」

ママは不器用な癖に妙に自信家で困りものだ。
チョキチョキハサミを鳴らして気分は美容師のようだけど私の目には猟奇的にしか映らない。

「あんた、せっかく可愛いのに勿体ないわ」

嘘だ。
それは私がママの娘だから。贔屓目だ。
一般的な可愛さからはかけ離れている。

「そんな顔しないで、ほら顔を上げなさい」

促されて顔を上げると、母は私を抱きしめた。

「あんたは美人で可愛いわ。自信を持ちな」
「そんなの嘘だよ」
「嘘じゃないわ。スタイルもいいし」
「背が大きい女は可愛くないもん」

小柄な母にはわかるまい。
世の男共がどんな女を求めているかなど。
奴らは総じて背の小さい女を好む。
別にモテたいわけじゃないけど劣等感は募る。

「あんたのスタイルの良さにびびってんのよ」
「そんなんじゃない」

びびっているのは確かだろう。
誰もが私を見ると、目を逸らして道を開ける。
仲の良い女友達に理由を尋ねてみたところ、私の前に立つと誰もが無言でどけっと言われたような印象を受けるらしく、ショックだった。

「私は……怖がられているだけ」

私は怖いらしい。
たしかに寝起きで鏡を見るとギョッとする。
鏡の中で不機嫌そうにこちらを睨みつける女に思わず謝りかけ、頭を下げて自分だと気づく。

「私の……パパの目を、みんな怖がるの」

目つきの悪い父親から受け継いだ呪いだった。

「私はちっとも怖くないわ」

ママはきっぱりそう言って、私の悩みを鼻で笑い飛ばす。しかしそれは解決になっておらず。

「だからそれは私がママの子供だから……」
「あんたにも仲の良い友達くらい居るでしょ」
「それは、小学校からの友達だから……」
「きっと高校ではもっと沢山友達が出来るわ」

何の根拠があるのかさっぱりわからない。
先述した通り母は自信家だ。自信満々だった。
しかし、大半は勘違いであることが多い。
けれど、妙に勘が鋭いことも確かだった。

「どうしてそう思うの……?」
「あんたが私と竜児の娘だからよ」

両親の馴れ初めは何度も聞かされた。
高校時代、それぞれ恐れられていたらしい。
孤立気味だった2人は惹かれあっていった。
私にもそんな相手が現れるのだろうか。

「高校にパパみたいな人居るかな……?」
「竜児みたいに出来た男は居ないでしょうね」
「ママ、私をガッカリさせないでよ……」
「おっと。私としたことが……遺憾ね」

希望を打ち砕かれた私の背中を叩いて、母はなんてこともないように勇気をくれた。

「でもきっとあんたにとっての竜児が居るわ」

根拠はないけれど不思議と信じてみたくなる。

「さ、明日に備えてさっさと寝ましょ」
「あ、待って。今、髪を乾かすから……」

再びドライヤーで髪を乾かそうとすると、いつの間にか母が音もなく背後に忍び寄っており。

「隙あり!」

チョキンッ!

「なっ!? あっ! ああっ!?」

バッサリ、前髪を真一文字に切断された。

「ふっ……またつまらぬものを切ってしまった」
「ママは私の大変なものを切ったんだよ!?」

私の大切な前髪。
床に散らばったそれをかき集める。
なんとか接着出来ないものか。
勉強机からボンドを取り出すと母に奪われた。

「没収!」
「ママ、ボンド返して!」
「そのままで可愛いわ! いいから早く寝な!」

ブォーッと、問答無用でドライヤーの温風を吹き付けられて、あっという間に私の髪を乾かすと、母は小柄な身体からは想像出来ない腕力を発揮して私もろともベッドにバックドロップをかました。母は昔から強引で凶暴な虎だった。

「……どうしよう」

その日の深夜。
スヤスヤ寝息を立てる母の隣で私は切られた前髪を弄りながら悶々として眠れなかった。

「パパ、カツラとか持ってないかな……」

まるでうわごとのように呟き、ノロノロ起き上がり一縷の望みにかけて両親の寝室に向かう。
父、竜児は別にハゲてない。さぞ心外だろう。
けれど、転ばぬ先の杖ということわざもある。
将来を見越して、転ばぬ先の杖ならぬハゲぬ先のヅラを今から用意しているのではないか。
そう考えて寝室に忍び込むと父は起きていた。

「どうした、松姫」
「パ、パパ……お、起きて、たんだ……」
「お前、その髪……」

よもや起きているとは思わず、驚いた私は切られた前髪を隠すことを失念して、見晴らしが良くなった視界でばっちり父と目を合わせた。

「大河の仕業だな?」
「う、うん……ママにやられた」
「まったく、あいつは本当に無茶苦茶だな」

期せずして告げ口したような形となったが、父は呆れつつも無茶をした母に憤ることはなく。

「でも、俺もその方がいいと思うぞ」

パパはママに甘い。それとも私に甘いのか。

「へ、変じゃない……?」
「おう。上手く切ったもんだな。似合ってる」

何故だろう。
パパに似合うと言われるとママより安心する。
ほんの少しだけ、気持ちが楽になった。

「パパは親バカだね」
「そんなことはないぞ」

なんて言いつつも、父は私を優しく手招き。

「何か悩みがあるなら相談に乗るぞ」

そう促されて、泣きたくなった。
パパは優しい。目つきは悪いけど優しい人だ。
そんなパパの目が悩みだなんて言えなかった。
だから何も言えず俯いた私に父は語った。

「父さんもな、この目つきの悪さで高校時代は苦労したもんだ。今だって苦労している」
「うん……」
「でも、おかげでママと出会えた」

それは結果論に過ぎないけれど説得力がある。

「ママだけじゃない。目つきの悪い父さんと仲良くしてくれた人達はみんな良い奴らだった」

過去を懐かしむように目を細める父。
普段は目つきが悪いのに今は嬉しげだ。
それほど、楽しい高校生活だったのだろう。

「お前も父さんのせいで苦労するだろう」
「そんな……パパのせいじゃ……」
「いいんだ。俺もかつては父親を憎んだ」

パパの父親。私にとってのおじいちゃん。
泰子おばあちゃんとはしょっちゅう会っているけど、おじいちゃんとは会ったことはない。
父も祖父のことは写真でしか知らないらしい。

「でもな、今から思えばそんな父親に守られていたとも思える。この目つきの悪さのおかげで、本当に良い友達だけが周りに残ったんだ」

それもまた結果論に過ぎない。
けれど父の人生がそれを裏づけている。
だからこそ確かな説得力を生むのだろう。

「だから、松姫。その目を利用しろ。父さんの悪い目つきを使って、人の良し悪しを見抜け」

そんなこと、私に出来るだろうか。
いや、出来る出来ないではない。強制だ。
どの道、自分ではどうにもならないのだから。

「父親としてはその方が安心だしな」
「へ? それってどういう意味?」
「可愛い娘に悪い虫がつかないようにさ」

やっぱり優しい父は親バカだと、私は思った。

「むにゃ……竜児」
「なんだ、大河。結局お前も来たのか」

父に励まされて明日からの高校生活が少しだけ楽しみになっていると、寝ぼけた母が寝室を訪れて、どうも娘が居ることに気づいておらず。

「おしっこ」
「お前……いい加減ひとりでしてこいよ」
「うう、漏れる」
「待て待て! 今トイレにつれてくから!」
「触らないで!」

どうやら尿意を催したらしい母はその場で致そうとして、慌てて父が母をトイレに連れて行こうとするも、漏れそうな虎は凶暴に吠えた。

「わ、私はお母さん失格よ……」
「そんなことないって、お前は良い母親だよ」
「だってこの歳になっておねしょするなんて」
「おまっ……漏らしたのか?」
「……遺憾だわ」

ポタリ、ポタリ。たしかに尿が滴っており。

「フハッ!」
「竜児! 嗤うな!!」
「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「ケェエエエエエエエエエエエエッ!!!!」

高らかに響き渡る、父の哄笑と母の奇声。
竜の愉悦と虎ならぬ怪鳥の絶叫が重なり合う。
私はそそくさ退散してそっと寝室の扉を閉め、2人みたいなおかしな人とは友達にならないように、目つきの悪さを生かそうと心に決めた。


【高須松姫の入学前夜】


FIN

2人の娘の名前の由来は『甲斐の虎』と呼ばれた戦国武将、武田信玄の娘の松姫から取りました
泰子は登場しませんが、同居はしていると思いますので勤め先のスナック毘沙門天で飲んで騒いでいるということでご容赦ください

最後までお読みくださりありがとうございました!

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またお前だろうと思ってた。乙

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