アイドルと僕 (52)

あまり大きくはないステージの上で踊る彼女たち、というか彼女は、とても輝いて見えた。

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買い物を終えて駅に向かうと、駅前広場に小さなステージができていた。

この暑さのなかご苦労なことに、駅ナカのファッションビルの管理会社がイベントを開催しているらしい。

横目に見ながら通りすぎようとしていると、司会の男性が大きな声で言った。

「それではアスタの皆さんがお送りする、『星空は二度瞬く』です。どうぞ!」

曲名が耳に入って、ふと歩みを止めた。それは、高校生の頃によく聞いていたアイドルグループが歌っていたのと同じものだった。しかし、グループ名はまるで違う。

ステージを見ても、自分が知っているグループのメンバーもいない。

たまたま同じ名前の歌を持っている、全く別のグループか。

少し残念に思いつつ再び行だした瞬間、聞き覚えのあるイントロが耳に入って来た。

『あの日見た流れ星 私はまだ覚えてる』

それは正しく、俺の知る歌と同じフレーズだった。立ち止まってもう一度ステージを眺めると、俺の知らない人たちが、知ってる歌を全力で踊っていた。

そして、そこから動くことはできなくなってしまった。

彼女たちが何者なのかは分からないけれど、そこには確かなパワーを感じた。

ステージ付近の席では、ファンらしき人たちが大きな声でコールしていてる。熱烈なファンがいるようなグループなんだろうか。

一番のサビが終わる頃になると、俺は一人に視線が集中してしまうことに気づいた。

上手の端に立つ、少し小柄な女性だった。ツインテールになっているのは、本家のグループでその立ち位置のメンバーに寄せているからだろうか。

とてつもなくダンスが上手いわけでもなければ、歌も口パクのようではあるけれど、笑顔でそれをこなす彼女はきっとがんばり屋なんだろう。

ぼーっとその子を眺めていると、一曲目を聞き終えてしまった。

きたい

「続いて二曲目……と生きたいところですが、本日は時間の都合で次の曲が最後です」?

司会者が観客を煽るようにそう告げると、ファンらしき人たちは口々に不満の声をあげた。

ステージ上の彼女たちは満足げにそれを見て頷きつつ、マイクを手に取った。

「私たちはアイドルさんのコピーユニットとして活動しています!??二ヶ月後には初めてのワンマンライブも予定しているので、ぜひ遊びに来て下さい。よろしくお願いします!」

リーダー格らしい、センターに立つ彼女はそう言うと頭を下げた。それにならって、他のメンバーも頭を下げる。

コピーユニット、って言葉は初めて聞いた。後で調べてみようと心のなかにメモをして、二曲目が始まるのを待つ。

「それでは最後の曲です。『人魚の涙は何色か?』、どうぞ!」

そして流れてきたのは、やはり先ほどと同じアイドルグループの歌だった。これも、高校生の頃はよく聞いていた。

軽快な音楽に合わせてステップを踏んでいる。一番、二番と続いてもそのリズムが狂うことはなかった。

大サビに入る前、ファンのことを煽るようにメンバーがステージ前方で横一列になった。

「ハイハイハイ!」

叫びながら手拍子で観客を煽っている。前方のファンはもちろん、座って見ていた一般のお客さんたちもそれに応えるように手を叩いていた。

俺はというと、名前も知らぬまま、ツインテールの彼女を眺めている。

不意に、目があった。気がする。

ニコッと微笑んで、俺に向かって手を叩いて見せた。気がする。

あ、可愛い。

この時、俺は彼女に落ちてしまった。それだけははっきりと分かってしまった。

いいぞ

曲が終わると、彼女たちは「ありがとうございましたー!」と頭を下げてステージ横のテントへ降りていった。

そこまで見届けると、ポケットからスマートフォンを取り出して『コピーユニット』について検索してみた。

ヒットしたいくつかのページの情報をまとめると、アイドルやアニソンユニットのダンスをコピーしているグループのことらしい。それはプロとして働いているわけではなく、コスプレイヤーが趣味として活動しているものがほとんどであること。

そこまで知識を詰めると、今度は彼女たちのグループ名である「アスタ」について検索をかけた。

検索結果のトップにはグループのSNSが出てきたので、それを開いてみる。

メンバーは全部で9名のようで、最新の呟きでは「今日は駅前のイベントに出演です!」としっかり宣伝もしていた。また、トップに固定されている投稿ではワンマンライブのことも呟いていた。

帰ったらもうちょっとちゃんと調べてみようと、そのアカウントをフォローするボタンをタップして、それをジーンズのポケットにしまった。

さて、帰るか。

そう思い、視線をあげると先ほどまでステージ上にいた彼女たちがその衣装のままテントから出てきて、こちらに向かって歩いてきた。

おつ

彼女たちに向かって、前列に陣取っていたファンたちが声をかけに近づいていった。出待ちというか何というか分からないけれど、メンバーもそれに応じて立ち止まったり、声を返したりしている。

へぇ、結構距離感近いものなんだな。

さすがに今日知ったばかりで声をかける勇気はない。そのまま彼女たちの横を通って、駅構内に向かおうとしたところだった。

「あ、さっき見てくれてましたよね」

すれ違う瞬間、呼び止められた気がする。でも、それが自分に向かってなのか分からずに、一瞬立ち止まって振り返った。

「お兄さん、さっき私のこと見てくれてませんでした?」

ツインテールの彼女が、にこにこしながらこちらに手を振っていた。

自分に向かって声をかけているのか確認するように、自分の顔を指さしてみると、彼女は頷きながらこちらに近づいてきた。

「もっと前の方に来てくれたら良かったのに」

「前の方にはファンの人いたから……っていうか、見えてたんですね」

「見えてましたよー、レス送ったの気づきました?」

「レス?」

「視線合いませんでした?」

ああ、と納得して頷いた。

「勘違いかと思った」

「あんなに後ろで見てたの、お兄さんだけだから。それに、私の方見てくれる人って珍しいからね」

ほら、と彼女は他のメンバーの方を振り返った。確かに、他のメンバーには数には差があれど、今も何人かのファンが話しかけている。それなのに、彼女は自分から俺に声をかけてくれたということは。

「ま、お兄さんが私のことを推してくれたら嬉しいんだけど」

自虐するように彼女は笑った。ステージ上の笑顔とは違う、少し哀しい笑顔だった。

「推します推します」

その表情に何だか胸が詰まって、つい口から言葉が漏れてしまった。

「え、本当ですか?」

「うん、本当に。お姉さんが見てて一番惹かれましたし」

それを聞いて、彼女はパッと表情を明るくした。今度は、さっきとは違って心の底から光って見える笑顔だった。

「あ、私はめうです。名前、めう。お兄さん、お名前は?」

「タツヤさん……くん? タツヤくん!」

名前を呼んでどや顔をされた。反応に困りつつも照れてしまって、視線をそらしてしまう。

「めうー、行くよー」

他のメンバーがファンとの交流を終えたのか、帰るように声をかけられた。彼女はそちらに手を挙げて、最後にこちらに問いかけた。

「ねえ、ツイッターとかやってる?」

唐突に聞かれて、頷いて返す。

「私のアカウント、『めう@アスタ』で検索したら出てくるから! フォロー待ってるね!」

そう言うと、右手を差し出された。きょとんと呆けて見返すと、「握手しよ」と首を傾げられて慌てて手を差し出した。

見た目通り、細くて白い指先が俺の右手をつかんで、両手で上下に振られた。緊張で火照ったせいか、彼女の手は少し冷たく感じられた。

「またね! ありがとね!」

ニコニコ笑顔で手を振って、彼女は背中を向ける。その背中を見送りながら、体中に熱がたまるのを感じた。

きたい

自宅に帰ってツイッターで言われた通りに検索すると、彼女の言った名前でアイコンが出てきた。

フォローするボタンをタップして、ツイートを確認する。

ライブの報告や日常のこと、とりとめもなく色々なことを呟いていた。

『今日、お声かけしてもらった者です。またイベントいきますね! ありがとうございました』

無難な言葉を選んでリプを送った。そのままベッドにスマホを置くと、日課のランニングに出た。

小学生の頃、スタミナがないからと監督には練習後に走ることを求められた。気づけば10年が経ち、生まれた町を離れ、サッカーを辞めた今でもその日課はやめられなかった。

イヤホンから流れるのはあまり売れることのないまま解散したインディーズバンドの歌だ。動画サイトでたまたま聞いた一曲に心酔して、中古のアルバムを買い漁っては聞いている。

いつもは5キロでやめてしまうが、なんだか今日は気分がいい。距離を伸ばしてみようと、いつもより橋一本分、長めに走った。

大学入学と合わせてこの街に来て、もう二年が経つ。橋一本の距離で住宅街から都会に変わっていくことは今気がついた。

遠いところに来てしまったなぁ。

そんなノスタルジックな気持ちになってしまう程、その光は強かった。

俺が生まれ育った町は、何もなかった。

山と海はある。周りに住む人たちはみんな顔見知りで優しくて、夜になると星が輝いて虫がさざめく町だった。かと言って、漫画に出てくるような過疎地域でもなく、ショッピングモールや娯楽施設もなくはない。

決して嫌いではなかった。むしろ好きだった。

だからこそ、俺はそこを出ることを選んだ。

ずっとここにいると、甘えてしまう気がした。何かを為すにはあまりにも狭い世界だった。

だから俺は勉強をして、どうにかいい大学に入ろうと受験に挑み、今の大学を勝ち取った。合格発表の後は教師に頼まれて後輩に演説もした。

そうやって出てきたこの町で、俺はあまりにも小さな存在だった。

大学の同期は当然優秀なやつばかりだし、サッカーだって高校で見切りをつけてしまった。サークルでフットサルをするくらいでしかない。

田舎から出たら何かが変わる。

それは漠然とした願いでしかなくて、実際は大勢のうちの一人にしかなれていない。

続き待ってる

長らく置いてしまってすみません。
再開します

うおおおおおおおあ!

環境だけで何かが変わるということはないと、ここに来て気がついた。もしくは、俺自身が何かを為せるほどの器をもっていなかったというだけかもしれないが。

こうやって走る距離を伸ばしたのも、或いは今日見かけた彼女、めう……ちゃん、のように、輝く誰かに焦がれてということなのかもしれない。だとしたら、あまりに単純すぎて自分でも笑えてしまう。

テレビでは俺と同世代のスポーツ選手やタレントがど?活躍する様子が日夜流れ、大学の連中も明らかに俺より優秀だ。今日の彼女のように、誰かを惹き付けるなんてこともできない。

それでも俺は、なんて言える何かもないのが恥ずかしいけれど、ただ焦る。

誇れるものがない自分に。

都会から見る星のように、俺の光は霞んだものに感じられた。

ステージで見た彼女と、ステージを見ることしかできない自分。

楽しかったはずなのに、勝手に比較して勝手に落ち込む。

そんな自虐心を振り払うように、いつもよりオーバーペースで走り、自宅に戻った。

続き!!!!来た!!!
ありがとう!!!

自宅に戻ってスマホの通知を確認すると、めうちゃんからのリプライが届いていた。

冷静に考えると、アイドルから返信をもらうなんて初めてのことで、少し緊張する。

『今日はありがとうございました!??見てくれてる~って思ってたから、お話できて嬉しかったです。またお会いできるのを楽しみにしています』

文末にはいかにもアイドルというような可愛い絵文字が添えられていた。何か返信をすべきか悩んだけれど、友人相手というわけでもないし夜も遅い。いいねボタンを返事の代わりに押して、スマホを机の上に置いた。

そのままシャワーを浴びようと脱衣所で鏡に向かうと、自分の表情が崩れていることに気がつく。

さっきまでは他人と自分を比べて焦っていたのに、なぜ。

答は分かっているのだけれど、それを認めるのもまた恥ずかしくて、俺は急いでとびきり熱いシャワーを頭から被った。それだけでは、この感情は収まることはなさそうだった。

翌朝、いつも通りに標準的な大学生の起床時間に目が覚めた。陽は上りきっているが、今日の講義は昼からなので、特に慌ただしくする必要はない。

昨日の一曲目に聞いた『shooting?stars』が耳に残っていて、動画サイトを漁ってライブ映像を見つけた。

アスタとは違い、大きく華やかなステージで、彼女たちは歌い踊る。

歌も口パクではなく生歌だし、演出もさすがプロというべきかかなり凝ったものになっている。

それなのに、なぜだか昨日ほど目を引かれることはなかった。

他の歌も何曲か公式アカウントがアップロードしていたが、そのどれを見ても感想は変わらなかった。

歌もダンスもよく分からない素人なりに考えてみたが、理由は思い付かない。

考え込んでいるといつの間にか時計の針はかなり進んでいて、結局昼食をとることはなく講義へ向かった。

>>19
更新詐欺をしてたのに、待っていてくれてありがとうございます。コメントが一番やる気が出る。。
背後事情でばたつきましたが、エタらないように徐々に更新していきます。

おつおつ
リアル大事に

その日の授業を終えると、5限の講義を一緒に受講している橘と一緒に学食へ向かった。

図書館下に位置することからカンシタと呼ばれるそこは、朝から閉館まで人の往来が激しい。同じキャンパスにある他の学食は昼時以外は空席が目立つのに、ここだけはいつ来ても空席を探すことが難しい。

何度か通路を行ったり来たりして、ようやく二人で座れる席を確保できた。

「何食う?」

「天津麻婆丼」

「好きだなそれ。俺は天津カレー」

「お前もいつもそれじゃん」

そんなやり取りをしながら長蛇の列をやり過ごし、丼が乗ったトレーを持って机に戻った。

適当に世間話をして、適当に授業の話をしながら飯を食う。橘とは特別仲が良いというわけではない。たまたま受けていた授業が同じで、教職課程を受けるのであれば一緒に受けた方が色々と融通がきくというだけだ。休日に遊びに行くだとか、授業がなくても集まるだとか、そういう仲ではない。

とはいえ、それは橘に限った話ではなく、大学における交遊関係は大体そんな感じだ。深く付き合うことはないが、顔は広くなっていくというか。

込み入った相談をすることもないが、だからこそ気軽に軽口も叩けるという感じ。

「そういえば、古屋ってアニメとか好きなんだっけ?」

かなりの勢いで天津カレーを食べ終えた橘が、お茶で一服しながら俺に問いかけた。

「あー、まあ、全く見なくはない。けど、めっちゃ詳しい、わけでもない」

口の中の麻婆と戦いながら返事をすると、「飲み込んでから話せよ」と愚痴られた。じゃあ食べ終えるまで待ってから聞いてくれよな。

「なんで?」

橘はというと、入学直後からダンスサークルに入っていて、今日もこの後は大学のガラスに向かって踊って帰るという陽キャムーブをかますと話していた。

流行っている漫画やアニメの話は少ししたことがあるけれど、それも特定の作品についてのことだ。抽象的にそんな表現をするのは珍しい。

「いや、何かさ、今度このダンスをやってみるってことになっててさ」

橘が机の上に置いていたスマホを操作して、こちらに差し出してきた。動画配信サイトが開かれていて、液晶ではアニメのキャラたちが歌って踊っているPVが流れている。

「知ってる?」

「あー、作品の名前だけ何となく。見たことはない」

男性アイドルグループとしてデビューをめざす、という内容のアニメだったはずだ。似たようなアニメは色々あるが、その中でも人気のものだったと思う。同タイトルのソシャゲのCMで何度か見かけたが、実際に手に取るまでは至ってない作品だった。

「だよな。一緒にやってるやつが最近はまったみたいで、どうしてもやりたいっていうから聞いてるんだけど、イマイチ聞きなれなくてさ」

そう苦笑する橘に、俺はどや顔で言ってやった。

「コピユニ、ってやつ?」

「コピユニ?」

「コピーユニットの略語らしいよ。そういうアニメ作品とか、アイドルのダンスをコピーしてるグループのことらしい」

昨日得たばかりの知識をどや顔で披露していると、「詳しいじゃん。何、やっぱそういうの好きなん???自分?」と問い詰められた。

橘の出身は西の方で、ボケるときやいじるときにはこうやってそっちの人っぽい言葉遣いになりがちだ。

「そういうわけじゃないんだけど、たまたま見かけたんだよね、コピユニ」

昨日の出来事を橘に話してみると、スマホを手元に戻してツイッターを立ち上げた。

「ほーん、アスタ。懐かしいなこのグループの歌。高校時代によく聞いたわ」

アスタのコピー元のグループは、数年前に爆発的な人気を得ていこう、今はその人気に陰りがある。陰りがあるというと人聞きが悪いが、要は少しずつ世間から飽きられつつあるということだ。

「で、この中の誰が推しなん? 昨日生で見て、覚えてるってことは見てたんやろ?」

「あー、まあ、うん。この子」

俺も自分のスマホを操作して、液晶にめうちゃんを映して橘に見せた。値踏みするような目でじっと見て、彼は口を開いた。

「なるほど、何ちゃん?」

「めうちゃん」

「俺はこの子好きやな、みのりんちゃん」

再び橘のスマホがこちらに向けられた。そこには昨日、センターに立ってMCを回していた女性が写っていた。

「へぇ、橘は年上っぽい人が好き?」

「見た目はって話だけどね。へぇ、こんな世界があるんや。ちょっと面白いかもな」

「再来月、ライブがあるって言ってたけど」

「ほーん、時間合えば行ってみるか?」

「おっけ」

そこまで話してスマホに目を落とすと、橘はそろそろダンスの練習に向かう時間になっていた。

「そんじゃ、また。お疲れさん」

「おう、いってら。お疲れー」

こうやって、好きなことを頑張ってるやつはすごいと思う。大学に来て、練習をして、今日はその後にバイトも入ってあると聞く。俺はというと、そうやって詰め込んで何かをすることはできるだけ避けたいと思ってしまうタイプだ。

「すげぇな、あいつ」

本心でそう呟いて、俺は家路を辿った。

おつおつ

『今日は朝から学校! 毎日休みだと良いのになぁ。みんな、今日も一日頑張ろうね!』

バスに揺られながらめうとしてのアカウントでツイートをした。別に仕事というわけではないのだけれど、なぜか義務感のようにそのアカウントで呟く癖がついてしまっている。

フォロワーも他のメンバーやコピユニ界隈で人気な人と比べるとそう多いわけではないけれど、アスタ自体は割と古参なグループだからか、一定数はツイートに対しての反応もある。いいねを押すだけの人もいれば、普通にリプライをくれる人、あるいは返事に困るようなことを送ってくる人もいる。

呟いて数分経って、再度アプリを開いてみる。いいねが鬱陶しくなって通知をオフにしているので、アプリを開かなければどんな反応が来ているかは分からない。

『おはよう! 今日も頑張ろうね』

『学校大変だね。気をつけて行ってらっしゃい』

そんな普通のメッセージに紛れて、こんなものも中にはある。

『学校に行きたくないのに行ってしまう表情の写真はこちら!』

『こっちはこれから仕事。社会人になると、学校は楽しかったって思えるようになるよ』

こういうことを言う人は、私にどんな反応をしてもらいたいんだろう。写真を載せるなら最初から自撮りをして載せているし、社会人になってからのことを考えて呟いているわけでもない。

でも、こういう人たちに限って、自分だけに返信がないと怒り始めたりするからたちが悪い。

いちいち返事を考えるのも嫌になって、私は全てに見たよの意味を込めていいねボタンを押した。

ファンの人との距離感って、世間でいうところのアイドルとは少し違う。

彼女たちはリプライをするのもサービスやビジネスだけど、私たちはあくまで一般人だ。リプライに制限はないし、ファンの人でも普通に遊ぶようになる人もいる。私はそういう経験はないけれど、メンバーの中にはファンと繋がって貢がせている子もいる。もちろん、公にはしてないけれど、それほど広くない世界で、そういう話に蓋をするのも無理だというものだ。

そういう距離感をファンの人たちも察しているのか、妙に距離感が近いというか、反応に困るようなメッセージばかり送ってくる人も中にはいる。

とはいえ、私の人気なんて他のメンバーに比べたら大したこともないから、そういうメッセージを送ってくる人もそう多くはないわけだけど。

私がアスタで担当しているのはプロンテというグループの佐々木志帆ちゃん、通称「ささし」という子なんだけど、彼女はグループ内での立ち位置もあまり恵まれない子だった。

センターを張ることもなければ、歌割りも少なくてMCで目立つこともあまりない。

だけど、彼女の一生懸命な姿に私は憧れた。

あんなに可愛ければ、きっともっと楽に生きる術はある。アイドル以外の道もきっとあったはずだ。

それなのに、彼女は華やかなステージの灯が当たらない場所にいても楽しそうに踊っている。歌っている、感動を届けている。

私もそんな風になりたいと、高校生の時に憧れた。

しかし、私なんかがアイドルになれるとは到底思えなかった。そういう子は、もっとキラキラしていて、元から輝いているものだと思っていた。あの子のように。

アイドルオタク、ささし推しを続けて大学生になったある日、私はコピユニの存在をTwitterで知った。

アスタのメンバー募集がタイムラインに流れてきた。アイドルのオーディションなんて受ける勇気は私にはなかったけど、これならばと思えた。

ダンスの経験も無かったけど、意を決して練習の見学に行き、そのまま私はグループに加入した。

本物に比べると少しショボいのかもしれないけれど、本家に似せた手作りの衣装を着て初めてステージに立った時の感動は今でも覚えている。

あの感動があったから、こうやってファンとの関係性に悩むことがあっても私はコピユニを続けている。めうとしてステージに立っている。例えそれが、彼女のように輝く場所でなくとも。

「おはよー」

教室に入るといつも通り、講義を一緒に受けている子たちの近くに座った。入学直後、巻き込まれるがままに行ったテニサーの新歓で知り合った子たちで、私と違って陽キャ感は否めないけどみんな良い子たちだ。

栞はとても気が利いておしゃれだし、知代は顔が広くて彼氏を絶やすこともない。でも、そんな二人であっても、「彩ちゃんとよくいる人たち」としか外からは認識されていない。

本人にその意識があるのかないのかは分からないけれど、三森彩は紛れもなく姫だ。

初めて見たときに目を奪われた。すらりと伸びた手足はどこのモデルかと思うような白さと細さで、痛んでるところなんて微塵もなさそうな黒髪が腰の辺りまで伸びていた。フランス人形と日本人形の良いところだけを選ったかなような目鼻立ち。こういう子がアイドルになるんだろうなと、向かいの席で思ったものだ。

今となっては話すことも殆どない、入学直後にちょっとだけ行動を共にしていたこは新歓に行くや否や男の子たちと話し込んでいて、その輪に加わる勇気もない私は、アルコールで盛り上がる先輩方を横目に冷えたポテトと彩の顔をつまみにオレンジジュースを飲んでいた。

彼女はといえば、私みたいなモブと違って先輩たちが絶え間なく絡みに行っていた。

酔った勢いもあってか、多少失礼なニュアンスも含まれていそうな言葉に対しても、物怖じせずに受け答えをする彼女を見て感心していた。これならアイドル雑誌のインタビューでも満点の回答ができそうだ。

最初に隣に座っていた先輩は数分経って席を外して以来戻ってくることはなかった。とはいえ周りの盛り上がっているところに突っ込む勇気もなく、私は彩の様子を延々と眺めていると新歓が終わった。

誰とも交遊を深めることもなく終わってしまったけれど、ただでご飯を食べさせてもらったと思うことにした。私を誘った子は二次会に行く気だったようだけど、私はその気になれなかった。

「それじゃ、一次会だけの人はお疲れっした~。また遊びに来てね~」

赤くなった顔、大きな声で幹事の先輩がそう言った。

彩はというと、二次会には行かないようではあるものの、先輩たち、主に男性陣から強く誘われつつその誘いを断っていた。

名残惜しそうな先輩たちがそのまま夜の町に消えていき、一次会で帰ることにした数名がその場に残った。

とはいえ、先輩というフィルターをなくせばそこにいるのはただの赤の他人で、じゃあ仲良くみんなで帰りますかという雰囲気でもなかった。

何となくの気まずさを感じていたら、近くに立っていた彩から声をかけられた。

「私、何か変だったかな?」

「え?」

なぜそんなことを私にという戸惑いと、彼女の美しさに緊張して、私はすっとんきょうな声で問い返した。

「お店のなかでずっと、私の方見てたから、その、何か気になることがあったのかなって」

言葉にされて、私が彼女を見ていたこと、というより見とれていたことがばれていたということに気づいた。何と返していいか悩んだけれど、嘘をつくよりも正直に言ってやれ、と開き直った。

「いやー、あの、その、綺麗な人だなぁ、って」

努めて嫌みに聞こえないように、照れながら伝えた。

「あー、えっと……うん、ありがとう」

私が伝えるのに戸惑ったのと同じくらい、彼女も戸惑っていたようだった。

こうなればままよ、と私は続けて口を開いた。

「私、文学部一年の羽明ねるっていいます」

あなたは?という表情を作り彼女を見据えた。

「え?」

なぜそんなことを私にという戸惑いと、彼女の美しさに緊張して、私はすっとんきょうな声で問い返した。

「お店のなかでずっと、私の方見てたから、その、何か気になることがあったのかなって」

言葉にされて、私が彼女を見ていたこと、というより見とれていたことがばれていたということに気づいた。何と返していいか悩んだけれど、嘘をつくよりも正直に言ってやれ、と開き直った。

「いやー、あの、その、綺麗な人だなぁ、って」

努めて嫌みに聞こえないように、照れながら伝えた。

「あー、えっと……うん、ありがとう」

私が伝えるのに戸惑ったのと同じくらい、彼女も戸惑っていたようだった。

こうなればままよ、と私は続けて口を開いた。

「私、文学部一年の羽明ねるっていいます」

あなたは?という表情を作り彼女を見据えた。

「私は、三森彩。同じく文学部の一年。よろしくね」

ぺこり、と頭を下げる仕草まで優雅に見えて、可愛いって本当にずるいことだなと嫉妬してしまうほどだった。

対面してお互いの自己紹介を終えると、彼女はぷっと吹き出した。

「これ、さっきの新歓のうちにしないといけないことだったんじゃない?」

「確かに!」

二人で目を合わせて笑っていたら、同じく一次会で抜けたらしい栞と知代にも声をかけられて、四人で一緒に帰った。

結局、あのサークルには誰も入らなかったけど、みんなと知り合えたという意味では有意義だったなと今でも思う。

過去を思い出しながら、栞の後ろの席に座った。栞の隣は知代で、その後ろに彩と私というのがいつもの並びだ。とはいえ、ここしばらくは私の隣は空席になることが多い。

「彩、今日は来るかな」

栞が首をこちらに向けて問いかけてきた。それに私が返す前に、知代が答えた。

「来ないんじゃない?最近、連絡もなかなかつかないし忙しいんでしょ」

「大変だねぇ、アルバイトとは訳が違うもんね」

栞がそこでわざとらしくため息をついたのは、嫌みなのか同情なのか私には計りかねた。

「アイドルっていうのは、楽じゃないね」

おつおつ

「たっちゃんはさ、会ってみたい芸能人とかいないの?」

シフトが被っていた真凛ちゃんに問いかけられた。

小柄な彼女は同い年ではあるが、ここでのバイト歴は彼女の方が圧倒的に長い。何でも高校生の頃からここで働いていたそうだ。

立地が都会のど真ん中、そしてすぐ近くにテレビ局がある関係で、収録終わりの芸能人がおやつをテイクアウトしに立ち寄ることはちょくちょくあって、今日は最近人気が出始めたらしい若手のお笑い芸人が来ていたらしい。

らしい、というのは俺が認識していないからで、接客を終えた後に真凛ちゃんに教えられて知ったからだ。

あんまり芸能人分からないんだよね、という話をしたところで、冒頭の質問が出てきたというわけ。

「んー、何だろ。好きなバンドとかだったら嬉しいけど」

「うちには来なさそうな感じだねぇ」

真凛ちゃんはというと、どうやらテレビっ子のようで、色んな芸能人の名前をあげては「あの人はもう一回来てほしい」だったり「あの番組はそこで収録してるからいつか来てくれると信じてる」だったりと希望を語っていた。

「でも今一番来てほしいのはアークスのあやちかなぁ、知ってる?」

「名前と顔は一致してる……かも」

「可愛いよねぇ、憧れるわ。生で見てみたいもん」

あやちこと三森彩は、今大人気のアイドルグループであるアークスの新進気鋭のメンバーだ。新曲のセンターになった、みたいな情報が朝の情報番組で流れていたのを見た覚えはある。圧倒的なビジュアルを武器に男女ともに魅了している、みたいな紹介をされていたが、真凛ちゃんもそう言っているということは、同性人気が高いというのもどうやら嘘ではないらしい。

「アークスのメンバーはここに来たことは?」

「昔は何回か合ったけど、人気が出てからはメンバーどうしでみたいなことはなくなったかも」

「ま、いつか来るかもって期待しよ」

結局、今日はあまりお客さんも多くなくて、暇な時間は真凛ちゃんから延々とあやちの話を聞いて過ごした。

新曲が良いから聞いてほしいだの、SNSはマメに更新してるからフォローするべきだ、だの。

閉店作業を終えて駅で彼女と別れると、ちょうど停車していた電車に乗ることができた。平日の終電間近ということで座席には空きがあり、そこに座ってスマホを取り出す。まずはTwitterを開いてタイムラインを確認するも、特に目ぼしい呟きもなかった。

そのままホーム画面に戻り、今度は動画配信サイトのアプリを立ち上げると、アークスの新曲の名前を打って検索する。真凛ちゃんから聞くべきだと言われたそれは、公開から一週間で既に200万再生を叩き出していた。

Bluetoothのイヤホンを耳にはめて再生ボタンをタップすると動画が始まった。アイドルらしい小気味良いイントロが流れて、可愛らしい衣装を見にまとったアークスのメンバーが一人一人映し出される。最初はあまり知らない顔だったのが、徐々に見覚えがあるようになってきたというのは、そういう演出なのだろう。最後に三森彩の顔が写し出されると、そのまま彼女が口を開いてAメロが始まった。

転校生の三森が、学校に受け入れられていくという設定のMVらしい。新センターになった彼女を売り出すにはチープな設定だとは思ったけれど、ファンはこういうストレートなものが好きなのだろう。

サビになると、彼女は満面の笑みでグループの中心に立って歌い踊っていた。

その様子をぼうっと見ながら歌を耳に流し込むが、いい歌だと聞かされていたからハードルが上がりすぎていたせいか、それほどの名曲だとはあまり思えなかった。

ちょこちょこ書きためています。
月内には再開予定です

おまちしていますー

前作とても好きだった 今作も楽しみにしています

失礼しました。
ぼちぼち更新していきます。
(背後都合で申し訳ないです……)

おかえりなさい

レス乞食まる出しの自分語りは要らん
書くかエタるかハッキリしてくれ
薄っぺらな文章に時間かけすぎ

とはいえ、流行りの歌なんて得てしてこういうものなのかもしれない。特定の個人に突き刺さるような名曲よりも、誰が聞いても何となく受け入れられるようなものの方が、上書きするのも容易いものなんだろう。

特に耳に残るフレーズもメロディーもないまま、何となくこういう歌なんだなという印象のままに一曲が過ぎてしまった。もう一度聞いてみるか悩んだけど、結局やめてプレイリストから好きなバンドを選択した。

数百人しか入らないようなライブハウスで、CDの売上もファンの人数も、きっとアークスの何千分の一、もしくは何万分の一かもしれない。

それでも自分はこのバンドの歌の方が好きだなと思う。音楽についての好みの違いもあるだろうけれど、歌唱力だってこちらの方が高ければ、作詞をプロが行う彼女たちより、自身が行っているバンドの方がきっと歌に対する思い入れ自体も強いはずだ。

それなのに、世の中にはアイドルファンっていうものが存在する。

そして、そういうアイドルをコピーしているようなコピユニ、アスタには目を惹かれてしまう自分もいる。

それは一体、何でなんだろう。

答えなんて分かるはずもないのにそんなことを考えているうちに、気がついた時には最寄り駅に着いていた。

おつつ

アークスのオーディションを受けることを決意したのは、自分に自信がないからだった。

私には特別な才能は無い。例えば誰よりも知性があるわけでもなく、運動神経が良い訳でもなければユーモア溢れる会話ということも出来ない。私に出来ることは、他の誰にでも出来ることでしかなかった。

私よりしっかりしている人も、面白い人も、賢い人も、おしゃれな人も、きっと世の中にはいっぱいいる。

そんな時に、アークスの新メンバー募集のオーディションが開かれることを知った。

どうせ私なんかにという気持ちと同じくらい、希望があった。アイドルになれば、きっと私は特別な誰かになれると想っていた。勘違いしていた。

幸い、顔立ちには自信があった。というよりも、色んな人から褒めてもらえる唯一の点がそれだったというだけのことだ。

「可愛いね」

「モテるでしょ?」

周りからのそんな言葉を真に受けていた訳じゃないけれど、実際、男子から愛の告白というものを受ける機会は人よりも多かった気がする。最初の頃は嬉しかったけれど、途中からは同性からの僻みを鬱陶しく感じてはいたんだけれど。キラキラ輝く、みんなに憧れられるアイドルになれば、きっと私も特別になれると思っていた。

チャンスは今しかない、と奮起してオーディションを受けることにしたのは、大学に入学してねるや栞たちと知り合って直後のことだった。オーディションを受けるんだ、とは口に出来なかった。自分に自信がある人のように思われるのも嫌だったから。

書類審査、二次審査と審査はトントン拍子で進んで、幸いにも私はオーディションに合格することができた。一緒に受けていて仲良くなった子たちはどんどん落選していって、合格したのは私ともう一人、まだ高校一年生の茜ちゃんだけだった。

アークスは元々メンバーが五人で、加入が決まって先輩たちに初めて会った時、そのオーラの凄さに愕然とした。

茜ちゃんはオーディション中に確かに目を惹く存在ではあったし、歌唱力やダンスのキレもレベルが高かったけれど、彼女たちはそこにいることだけで存在を主張する何かがあった。そこにいるだけで、彼女たちが何かに選ばれた存在であることが分かってしまった。

「み、三森彩です。よろしくお願いしますっ」

テレビで見る人たちだから緊張したわけではない。彼女たちの存在感に気圧されて、声が上擦ってしまった。横にいる茜ちゃんも同じようで、「江端茜です。あの、えっと、よろしくお願いします」と声にするのに苦労していた。

私たちは、私は、こんな先輩のようにオーラを纏うことができるのだろうか。特別になれるのだろうか。

そんな不安を抱きつつ、新体制になって初めてのダンスレッスンが始まった。ダンスの経験も無い私は振り入れするのも特異じゃなくて、もちろんキレなんてものもあったもんじゃない。それに対して茜ちゃんは、加入前のダンス経験を活かしてあっという間に振りを覚えてしまい、何なら先輩たちに頼られるようなところまであった。

一人しかいない同期、それも年下の彼女の方が、明らかに求められている能力に優れている。

仕方の無いことだ。オーディションに受かってからがスタートラインであるということは自分で言い聞かせていたはずなのに、どうしても焦る自分がいた。

身の丈にあっていない場所に来てしまったんじゃないかと。私には無理だったんじゃないかと。

そんな気持ちを誰かに吐き出すことも出来なくて、大学とレッスンを繰り返していた時のことだった。

「彩、最近大丈夫?」

もうすぐ加入が発表されるという頃の大学からの帰り道、いつもの四人組の中で一人だけ私と帰り道が同じねるがそう問いかけて来た。

「え?」

何が、とは問い返さなかった。ダンスレッスンやまだ発売されてはいない雑誌の撮影、お披露目用のYouTubeの撮影など、オーディションに合格してというものの、私はそれまでとは比べ物にならないくらい多忙な日々を過ごしていた。きっと、外から見て分かる程度には、私は疲れているんだと思う。

本当だったら彼女たちにも「アークスに加入するんだ」と伝えるべきだったんだろうけれど、まだ一般に公表されていないということもあって伝えられずにいた。以前、茜ちゃんに「友達とかには話したの?」と聞いてみたら、受けていることを知っているような親友には話したと返されたけど、オーディションを受けること自体を伝えられていなかった私がいきなりそれを話すのもという気持ちがあった。

だからこそ、私がなぜこうなっているのかということを説明することはできなかった。

「大丈夫、だよ?」

努めて明るい笑顔を作ってみせた。ぎこちないことに自分でも気がついた。女優路線を目指すのであれば、もう少し演技の練習も必要になるかもしれないなと自分でも思う。

「それなら良いんだけどさ」

深く聞かずにいてくれたのは、彼女なりの優しさだったんだろう。もしくは、どうせ聞いても理由は話さないと諦めているからなのかもしれない。

そのまましばらく二人で並んで歩いた。こうやって大学終わりに友達と一緒に歩いて帰るなんてことも、もしかしたら今後はできなくなるのかもしれない。

まだ訪れてはいない、でもこれからそうなりそうな予感のする未来に、勝手に寂しくなった。

あの教授の授業はつまらない、学食の新作を食べたかどうかなんて、そんな話をすることも。

そう思うと、今のこの一時すら大事なことに思えて何か話さなきゃと思うし、だからといってそれが何かなんて私には分からなかった。

こういう時、私は何を言葉にすれば良いのだろう。

そんな悩みを抱いていると、ねるが口を開いた。

「実は……ね。実はなんだけどさ」

隠し事を告白するかのように、彼女は呟いた。

「私、アイドル始めるんだ」

少し恥ずかしそうに、でもそれ以上に嬉しそうでもあった。

「あ、アイドルっていってもその、本当のアイドルってわけじゃなくて、なんちゃってなんだけどさ……」

そう慌てて言い足して、彼女は事情を説明してくれた。

アスタというコピーユニットに加入すること。「ささし」のことを推していて、彼女みたいになりたいという理想。歌は歌わずにダンスだけなのにこんなに難しいんだから、アイドルって凄いという畏敬。

私が承認欲求のためにアイドルのオーディションを受けたとは恥ずかしくて口にできなくなるほど、彼女は「アイドル」に憧れていた。

少なくとも、私なんかよりねるの方がよっぽどアイドルになるべきだと思うくらいには、彼女は嬉しそうに語っていた。

「そのうちステージとかもあると思うから、良かったら遊びに来てほしいな」

そう言って私の顔を覗く彼女は、とても輝いて見えた。アークスの先輩たちにも負けないくらい、キラキラしているように見えた。

だからこそ、私は口にすることができなかった。

「私もアイドルになるんだ」という一言を。彼女のキラキラの前では、私のその言葉は嘘のように思えたから。

今になって思うと、それこそが分かれ道だったのかもしれない。

「栞たちにも言いたかったんだけどさ、やっぱりちょっと恥ずかしくて。彩なら茶化さずに聞いてくれそうだから」

付け足された一言に心がチクッと痛んだのは、自分自身からの最後の警告だったのかもしれない。

大学三年ともなれば、周りの人間は二分化されていく。意識高くインターンシップやら留学やらに動き出す奴らと、種族大学生と言うべきか、堕落して特に何かを頑張ったりもしていない奴ら。

どちらかと言えばガリ勉優等生タイプが多いうちの大学は、どちらかと言えば前者が多い。もちろん一定数、大学でビューを勘違いした奴らが遊んでいるだけの場合もあるが、そんな奴らはごく一部だ。橘だって見た目こそ金髪を伸ばしてピアスを開け、これぞ大学生というようにチャラついているものの、後期からは大学を休学して一年間海外留学に行くらしい。本人は恥ずかしがって「ダンス留学だよ」と口にしているものの、大手商社を目指していると聞いたことがある。あいつはあいつなりに、目標に向かって努力をしているらしい。

そんな中で俺は、何を頑張っていいのかということが分からないままに何となくで生きている。なぜ頑張らないといけないかということではなくて、何に取り組んでいいのかが分からないというのは、結構なコンプレックスになることなのかもしれない。頑張っている人を見ると、自分が無性に恥ずかしくなる。

サッカーの日本代表に高校野球、スポーツに限らずに例えばアイドルやバンド、橘みたいに勉強やダンス、何でも頑張ってるやつっていうのは輝いて見える。馬鹿にしているとか誇張表現とかではなくて、純粋に羨ましいなと感じる。

そこまで頑張りたいものも、頑張らなければいけないものも自分には見つからなくて、誰にも言えないけれどそれが恥ずかしかった。何となくで大学の授業を受けて、何となくでバイトをして、たまの楽しみにフットサルをしたりライブをしたり。生産性は無い代わりに消費だけは行っていて、自分は誰かにとっての「特別な誰か」なることはできずに、大衆の一人として消えて行くような気がしていた。それを嫌だという気持ちはあるのに、それでも何をすればいいのかということは分からなかった。

それこそが怠惰ということは分かっていても、どうすれば良いかが分からなかった。

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