ヴァイス「少々席を外したいのですが」ターニャ「何故だ?」 (38)

「少佐殿。総員配置につきました」
「うむ。では、諸君。始めるとしよう」

ヴァイス中尉の報告に頷き、デグレチャフ少佐は開催を宣言した。途端に沸き立つ一同。
皆、ジョッキを手近な仲間とぶつけ合う。
酒の入っていないグラスを片手に、デグレチャフ少佐は目を細めて部下達の笑顔を眺めた。
たまにはこうして馬鹿騒ぎする必要もある。
それは生前の会社勤めでも同じことが言えた。
要するに、ストレス解消だ。ただ純粋に部下を思っての会合。それ以上でも以下でもない。過酷な任務に身を投じ続ける第二〇三航空魔道大隊の息抜きを目的とした大宴会が挙行された。

「デグレチャフ少佐」
「ん? どうしたヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフ少尉。私に何か用か?」
「是非とも少佐殿と乾杯がしたくて」
「ああ、そういうことか。しかし、乾杯と言ってもな。中身はお子様の飲み物なのだが……」

ジョッキを片手に近づいてきたセレブリャコーフ少尉に、デグレチャフ少佐は苦笑した。
しかし、グラスの中身は関係ないらしく。

「少佐殿には甘いジュースがお似合いですよ」
「ふん。それならまだコーヒーの方がマシだ」
「まあまあ、とにかく、乾杯させてください」
「はあ……わかった。乾杯」
「かんぱーい!」

生前の年齢ならば、何も問題はなかったのに。
自らの境遇にやるせないため息を吐きつつも、デグレチャフ少佐はグラスをぶつけた。
それを受けて、嬉しそうに破顔するセレブリャコーフ少尉に、少しだけ救われた気がした。

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「ヴァイス中尉」
「少佐殿、如何しました? 小官はもう暑くて暑くて、一刻も早く服を脱ぎたいのですが」
「ああ、待て待て。まだ脱ぐな。この場には女性士官も居ることを忘れたのか? 」
「これは大変失礼しました。くれぐれも、下着は脱がないように気をつけます」
「相当に酔っているようだな。まあ、どのみち遅いか早いかの話だから問題あるまい」

和やかに宴会は続き、皆、泥酔し始めている。
おもむろに軍服を脱ぎだしたヴァイス中尉にデグレチャフ少佐は小言を言いかけて、やめた。
軽く口の端を吊り上げたデグレチャフ少佐の不敵な笑みを見て、ヴァイス中尉は我に返った。

「少佐殿……?」
「そろそろ頃合いだな。中尉、皆を黙らせろ」
「はっ。総員、傾注!」

突然の号令。騒ぎが瞬く間に静まる。
流石は帝国の誇る、エリート大隊。
どれだけ酔っていても、即座に対応出来る。
自らが育てあげた部下達の練度の高さに満足しつつ、デグレチャフ少佐は一同に通告した。

「諸君。宴もたけなわとなってきたが、まだまだ夜は長い。そこで特別な酒を用意した」

いつの間にかテーブル中央に置かれたグラス。
血のように赤いワインが注がれている。
デグレチャフ少佐の分はぶどうジュースだが。

「それぞれグラスを持ちたまえ。帝都より取り寄せた一級品だ。香りだけで違いがわかるだろう。戦友諸君へ私からのささやかな贈り物だ」

わっと、歓声が上がり、我先に手を伸ばす。
グラスの中で回すと芳醇な香りが立ち込めた。
皆一様に幸福そうな戦友達の顔を見渡したデグレチャフ少佐は、まるで天に捧げるかのごとく高らかに杯をかざすと、乾杯の音頭を取った。

「我ら二〇三大隊に栄光あれ。乾杯!」

割れんばかりの歓声が湧き上がる。
この瞬間、盛り上がりは最高潮に達した。
その本日2度目の乾杯が宴会の終わりを告げるものであることは、少佐以外知る由もなかった。

「かぁーっ! 美味い! 美味すぎる!!」
「本当に美味しいワインですね……ただ」
「どうしたんだよ、ヴィーシャ少尉。こんな美味いワインにケチつけたら、少佐が怒るぞ」
「そんな滅相もありません、グランツ少尉! ケチをつけるなんてとんでもない! そうじゃなくて、ちょっとだけ、変な味がするような……」
「おい、よせって! 少佐に聞かれたらどうするんだ! きっと気のせいだろ。気にすんなって」
「うーん……なんか気になるなぁ」

流石は食いしん坊のセレブリャコーフ少尉。
飲み食いに関しては鋭い感性を持っている。
ワインの美味しさを絶賛しているグランツ少尉とセレブリャコーフ少尉のやりとりはもちろんデグレチャフ少佐の耳に届いており、看過出来ない会話内容ではあるものの、ここは敢えて注意はしなかった。いずれ、皆も気づくことだ。
既に賽は投げられたのだ。焦らず、じっくり。
デグレチャフ少佐は甘いぶどうジュースを嚥下しつつ、その時が来るのを静かに待っていた。

「少佐殿」
「ん? どうした、ヴァイス中尉」
「少々席を外したいのですが」

来た。ようやく、効いてきたらしい。やった。

「何故だ?」
「はい。実は少しばかり腹の調子が悪く……」

「フハッ!」

「少佐殿……?」
「気にするな。ただの感嘆符だ」

まだ早い。デグレチャフ少佐は自重した。

「それで、ヴァイス中尉」
「はっ」
「貴官は腹が痛むから席を外したいのだな?」
「恥ずかしながら、その通りであります」
「却下だ」
「……は?」
「聞こえなかったのか? 却下だと言っている」

ヴァイス中尉は耳を疑った。信じられない。
よもや、席を外すことを認められないとは。
何故だ? 一体どうして少佐殿は却下したのか。
今の発言で機嫌を損ねてしまったのだろうか。
たしかに、飲食中にする話ではなかった。
しかし、飲み食いしたら排泄するのは必然。
中座する際も、こうして断りを入れたのに。
何が悪かったのかわからぬまま困惑するヴァイス中尉に、デグレチャフ少佐は刺すような厳しい眼差しを向けて、鋭く端的に命令を下した。

「命令だ、ヴァイス中尉。入り口を封鎖しろ」
「は?」
「何度言わせるつもりだ。入り口を封鎖しろ」
「で、ですが、それでは……」

それでは、トイレに向かうことが出来ない。

「私はこの部屋から誰も出すつもりはない」
「そんな……」
「これで三度目だぞ。入り口を、封鎖しろ」

三度目の命令が下り、次はないと、伝わった。

「ケーニッヒ少尉、ノイマン少尉!」

身の危険を感じ取ったヴァイス中尉は、すぐさま第三中隊長と第四中隊長に指示を出した。
突然の指名に驚いた両名は目を丸くしている。

「今すぐ、入り口を封鎖しろ!」
「はあ?」
「なんでまた入り口なんて……」
「私の命令だ。理由を知る必要はあるか?」

怪訝な顔をする2人に業を煮やしたデグレチャフ少佐がひと睨みして服従の意思を確認すると、即座に口をつぐみ、迅速に入り口を封鎖した。

「結構。そのまま門番としての任を与える」
「はっ」
「了解しました!」

これにて場は整った。誰も逃すつもりはない。

「中隊長、通してください」
「駄目だ」
「トイレに行きたいんですよ」
「デグレチャフ少佐に許可を貰え」

一体どういうことなんだ、これは。
グランツ少尉が異変に気づいたのはトイレに向かおうとした時だった。明らかにおかしい。
どうやらこの一室は封鎖されているようだ。
退室にデグレチャフ少佐の許可が必要らしい。
しかし、宴会となれば小用は頻繁に必要だ。
その度にいちいち許可を貰うなど手間だった。

「そこをなんとかお願いしますよ」
「駄目だ」
「早くしないと漏れちゃいますよ」
「俺だってさっきから我慢している」
「でしたら一緒に行きましょう」
「だから駄目なんだ。通すわけにはいかない」
「そこまで頑なにならなくたって……」
「少佐殿の目を見てみろ」
「え? ……ひぃっ!?」

促されてデグレチャフ少佐の方に視線を向けると、強烈な眼光で射抜かれ即座に目を逸らす。
なんだありゃ。まるで狩りをしてる猛禽類だ。
鷹のような鋭い眼で獲物の動向を伺っていた。

そこでふと理解した。自分達は捕食されると。

「に、逃げないと……!」
「グランツ少尉」
「ひっ!?」

恐慌状態に陥った部下に大隊長は語りかける。

「今、貴官の口から帝国軍人に相応しくない発言が聞こえた気がしたのだが……気のせいか?」
「はっ! 気のせいであります!!」
「ならばよろしい。自分の席に戻りたまえ」
「はっ!」

帝国軍人たるもの、たとえそこが死地であろうとも、逃亡することは、許されないのだった。

「ヴァイス中尉」
「はっ」
「腹の具合はどうかね?」
「正直申しますと、限界です」
「よろしい。説明するから皆を黙らせろ」
「はっ! 総員、傾注!」

ヴァイス中尉の腹具合が限界であることは、青ざめた顔色と脂汗を見れば一目瞭然だった。
そして彼だけでなく、他の面々も同じ様子だ。
皆それぞれ腹を下して、腹痛に喘いでいた。
まるで食中毒に集団感染したかのような有様。
しかし、本日のメニューに馬鈴薯の芽はない。

「我が愛する大隊戦友諸君。貴官らの顔色から察するに、私からのささやかな贈り物を気に入って貰えたようでなによりだ。礼は要らない」

全てはデグレチャフ少佐の謀略によるものだ。

「実はあのワインには狂気のマッド・サイエンティストと悪名高い、稀代の天才科学者、アーデルハイト・フォン・シューゲル帝国軍技術開発部主任技師が調合した、特製の下剤を溶かしていた。要するに諸君らは毒を盛られたのだ」

シューゲル主任技師の名に、動揺が広がる。
あのマッド・サイエンティストが作った下剤。
人道的ではない代物であることは明白だった。

「毒を盛った私に言われたくはないと思うが、諸君らは些か軽率すぎる。出されたものを疑うことなく飲めば、このような事態に繋がって当然だ。もしここが戦場で、敵が井戸に毒を投げ込んでいれば諸君らは既にこの世にはいない」

誰かがゴクリと喉を鳴らした。反論出来ない。

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「とはいえ、全てが諸君らの所為というわけではなく、今回このように残念な結果となってしまったのは、大隊を率いる私の監督責任であるとも言える。よって、私自身も同じく下剤を服用し、戦友と苦しみを分かち合うことにした」

ざわっと、どよめきが起こる。困惑が広がる。

「おや? 意外かね? 私だって腹くらい下すさ」
「まさか少佐殿も腹を下しておられるとは……」
「ヴァイス中尉、私も貴官と同じ人間だ」
「しかし、俄かには信じられません」
「何故だ? 私が年端もいかぬ幼女だからか?」

理解は出来ても飲み込めずにいる戦友に、デグレチャフ少佐は噛み砕いて、辛抱強く諭した。

「よく聞け。幼女だって糞をするのだ」
「しょ、少佐! それ以上はおやめください!」
「何故止める、セレブリャコーフ少尉」
「少佐のお口が汚れてしまうからです!」
「幼女が糞と発言して何が悪いっ!!」
「少佐の副官として見過ごせませんっ!!」

頭の固いセレブリャコーフ少尉に辟易として、デグレチャフ少佐はヴァイス中尉に尋ねた。

「ヴァイス中尉はどう思う?」
「自分は上官の言葉を信じます」

模範的な回答をする、隊長に忠実な副長。
セレブリャコーフ少尉は信じられないと言わんばかりに金切り声をあげて副長に詰め寄った。

「中尉! 盲信するだけでは少佐の為になりません! 時には諫言を口にすることも必要です!」
「……嬉しかったんだ」
「えっ?」
「少佐殿が身近に感じられて、自分は嬉しい」

デグレチャフ少佐は年端もいかぬ幼女だ。
しかし、そんな見た目とは裏腹に、強く賢く、洞察力と判断力に優れた指揮官でもあった。
そんな超人的な大隊長に対して、副長であるヴァイス中尉は、尊敬と畏怖の念を抱いていた。
それは恐らく、他の隊員達も同じ認識だろう。

「少佐殿が我々と同じ人間で、嬉しいんだ」
「ヴァイス中尉……」

そう言われてしまうと、何も言い返せない。
周囲も同じ気持ちらしく、特に異論は出ない。
セレブリャコーフ少尉は納得出来ないと思いつつも、自分がどこかデグレチャフ少佐のことを神聖な存在であるかのように捉えていたことを自覚した。天使のような人だと、思っていた。
しかしそれは間違っていた。同じ人間なのだ。

「これを機に、諸君らの私に対する誤解や過度な尊敬が薄まることを願う。私も人間なのだ」

天使や、悪魔や、白銀の妖精では、ないのだ。

「話を戻すぞ。さて、本題だ。今回諸君らに飲ませたシューゲル主任技師特製の下剤は、非常に強力な代物だ。わざわざ言わずとも、その効果は貴官ら自身が今まさに体感している筈だ」

含まれる成分などを説明する必要はなかった。

「この先この下剤は有効に活用される予定だ」
「と、申しますと?」
「察しが悪いな、ヴァイス中尉。これだけ強力な下剤ならば、捕虜に対する優れた自白剤として使用出来ると、何故すぐに思いつかない?」
「し、しかし、戦時国際法では……」
「たしかに捕虜に対する虐待は禁じられている。だが、下剤を飲ませるのは虐待に当たるだろうか? 捕虜の体調を管理する為に正しい用法用量を守って服用させればそれはただの薬だ」

無論、詭弁である。便意を利用した拷問だ。

「そこで、本試薬の有効性を調査するべく、諸君らにはこのまま被験者として臨床試験に付き合って貰う。もちろん、その分の給料は出る」

言外に給料分の仕事はしろと言い含めておく。

「えーっと、その、臨床試験とは何ですか?」
「臨床試験の意味も知らんのか? 浅学すぎるぞ、グランツ少尉。セレブリャコーフ少尉」
「はっ」
「グランツ少尉に臨床試験の意味を説け」

命令に従い、臨床試験とは何かを説明する。

「新しく開発された薬を実際に試す試験です」
「それはつまり、人体実験ってことじゃ……?」
「グランツ少尉。言葉に気をつけたまえ」
「はっ! 申し訳ありません!!」

まったく、理解力があるのかないのか。
変なところで核心に気づくから困りものだ。
まさに手のかかる問題児であるグランツ少尉。
だが、そんな部下は将来的に伸びる可能性を秘めていると、デグレチャフ少佐は知っている。

「グランツ少尉。貴官はもっと勉学に励め」
「はっ!」
「見識を広げ、本質を見極める力を伸ばせ」
「はっ!」
「それと、導き出した結論を口すべきことかどうかを見極める判断力を身につけろ」
「はっ!」
「さすればいつか、セレブリャコーフ少尉も貴官に振り向いてくれるやも知れん」
「ふぇっ?」

突然自分の名前を出されて首を傾げるセレブリャコーフ少尉。グランツ少尉は赤面している。ま、今のところは脈はないようだが、頑張れ。

「グランツ少尉のロマンスの行方はともかく、現在進行形で戦友諸君らの腹の具合は加速度的に悪化していると推察する。しかし、下剤の効能を確かめるまでは用を足すことは認められない。故にこの部屋は現在封鎖しているわけだ」

早口で現状を説明するデグレチャフ少佐。
新薬の臨床試験が終わるまで退室出来ない。
その過酷な現実に直面して皆不安に駆られた。
その恐怖を、新たな恐怖で塗り潰してやる。
統率者としての自らの役割を、果たすのみ。

「黙れ。何を狼狽えている。貴様らは軍人だ。いつ如何なる時でも、常に沈着冷静であるよう心がけろ。別に、死ぬ訳ではないのだからな」
「し、しかし、デグレチャフ少佐……!」
「なんだヴァイス中尉。まさかとは思うが、貴様は怖いのか? たかが糞に怯えているのか?」

挑発してやっても、何も言い返してこない。
沈黙するヴァイス中尉の目には怯えが見えた。
他の隊員達も糞を漏らす恐怖に囚われていた。
なんという体たらく。まったく、嘆かわしい。
帝国軍人として情けない。風上にもおけない。

だからこそデグレチャフ少佐は、恐怖を刻む。

「ヴァイス中尉、歯を食いしばれ」
「えっ?」
「むんっ!」
「ぐあっ!? 少佐、突然何を……?」

ボゴォッ! と、腹に握りこぶしがめり込んだ。
文字通り鉄拳による制裁を、叩きつけてやる。
今、もっともデリケートな腹部に痛打を受け、腹を抱えて蹲るヴァイス中尉をデグレチャフ少佐は冷ややかに見下し、鼻で嘲笑ってやった。

「なんだ、まだ漏らしていないのか? 臆病者の貴官を、一刻も早く楽にしてやろうと思っての配慮だったのだがな。ならば、もう一度だ……」
「少佐殿! どうか気を鎮めてください!!」

エビのように背を丸める軍人など、不要だ。
1人目の脱落者を生み出すべく、今度は蹴る。
カメのように腹を庇いながらヴァイス中尉は必死に助命を懇願し始めた。往生際の悪い奴だ。

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「臆病者は帝国軍に不要だ。さっさと漏らせ」
「少佐殿! どうかお許しくださいっ!!」
「だから許すと言っているのだ。苦しみから解放し、今すぐ楽にしてやると。不服なのか?」
「小官はまだ戦えます! ですから、どうか!」

当たり前だ。これしきで屈することは許さん。

「ならば戦うのだ、便意と! 他の者も同様だ」

上官が振るう暴力に震え上がる隊員に告げる。

「貴様らが弱音を吐く度に、私は握りこぶしを腹にめり込ませる。それでも口を閉じなければ、次は蹴りだ。戦場で泣き言を口にすれば死に直結する。無論この臨床試験で貴様らが死ぬことはないが、同等の恐怖を味あわせてやる」

そこまでするかと、セレブリャコーフ少尉は思った。ここは戦場ではなく、宴会場なのに。
と、そこまで思ったその時、鋭い眼光が貫く。
視線を向けたデグレチャフ少佐は、説明した。

「ヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフ少尉。これは、対尋問訓練なのだよ」
「対尋問訓練、でありますか?」
「そうだ。下剤によって生じる便意を活用し、極限状態を擬似的に再現することで、より効果的に尋問に対する耐性を身につけることが可能となる。君にもその有効性がわかるだろう?」
「なるほど……しかし、これはあまりにも」

デグレチャフ少佐の説明はわかりやすかった。
たしかに尋問に対する耐性は身につくだろう。
しかし、それでも思う。そこまでするか、と。

「敵が常に我々の想定内の手段を取るとは限らない。故にあらゆる可能性を考慮し、対応策を練る必要があるのだ。この試験もその一環だ」
「それでは他に含むところはないのですね?」
「な、なんのことだ? 含むところなどない」
「それなら、よろしいのですが……」

すっと細まるセレブリャコーフ少尉の視線。
内心の動揺を気取られないよう、平静を装う。
とりあえずデグレチャフ少佐は話題を変えた。

「それよりも、セレブリャコーフ少尉は顔色が良いな。かなり強力な下剤だったのだが……」
「少佐殿は私が腹痛に喘ぐ姿が見たいと?」
「こらこら、私は別にそんなことは言ってないではないか。あまりに平然としているので気になっただけだ。他意はないからな。本当だぞ」

これが、女の勘、か。気を引き締めなければ。

「たしかに、今のところは平気ですね」
「流石は鉄の胃袋だな」
「見たところ、少佐も平気そうですけど……」
「そんなことはない。ポーカーフェイスで取り繕っているだけだ。今も腹が痛くて堪らない」

これに関しては嘘偽りはない。本心だった。

「本当に少佐も排泄するのですね……」
「だからそうだと言っているだろう。私は少尉のお気に入りのお人形ではないのだからな」
「そんな! 少佐が私のお人形なんて……」
「おい、想像してにやけるのはやめたまえ」

ニヤニヤし始めた副官を注意するも、無意味。

「えへへ……どこかに売ってないかな?」
「帝国内での人身売買は法で禁じられている」
「私だけのターニャ・デグレチャフ少佐かぁ」
「おーい、戻ってこい」

駄目だ。こうなったらしばらく帰ってこない。

「そろそろ立てるか、ヴァイス中尉」
「はい、なんとか。もう平気です」
「そうか。残念だ」
「えっ?」
「私はこれから残酷な命令を下すつもりだ」

未だに健在のヴァイス中尉を戦慄させてやる。

「諸君。服を、脱ぎたまえ」

伝統ある帝国の軍衣を、糞で汚すのは許さん。

「了解しました。脱げばいいのですね」
「ああ、ヴァイス中尉。下着は脱ぐな」
「ですが、いずれ汚れてしまいますよ?」
「漏らした者から順次、退室させる。それまでは穿いておけ。女性士官も居るのだからな」
「少佐殿と、セレブリャコーフ少尉ですね」
「私のことはカウントしなくて結構だ」

生前は男だ。ノーマルなので男に興味はない。

「それから、今回の訓練でもセレブリャコーフ少尉は免除だ。貴官は服を脱ぐ必要はない」
「はっ」

理由は今更言わなくてともわかる周知の規則。
中世からの名残で、女性士官の肌は軍規によって守られていた。古臭い伝統でも遵守しよう。
たったそれだけで、検閲の目を免れ、全年齢対象として胸を張ってお送り出来るのなら安いものだと、そうデグレチャフ少佐は考えていた。

「ふん。屈強な軍人が、良い様だな。腰が引けているぞ。もっと胸を張って立ちたまえ」

下着姿となった団員達の姿勢を正してから。
コツコツと踵を鳴らして列の間を練り歩く。
ふと立ち止まり、グランツ少尉の前に立つ。

「グランツ少尉」
「はっ!」
「私に裸を見られても貴官は嬉しくないだろう。そこでセレブリャコーフ少尉に貴官の尻を監視して貰う。せいぜい漏らさないように気をつけることだ。嫌われたくはないだろう?」
「そんな……」

絶望するグランツ少尉。実に良い表情である。

「セレブリャコーフ少尉」
「はっ」
「万が一、彼が漏らした時は後始末してやれ」
「はっ」

そんなことをさせるわけにはいかない。
グランツ少尉は汚れた尻を拭かれる最悪の未来を想像して、どうにか回避しようと試みた。

「隊長! 自分の尻くらい自分で拭けます!!」
「拭かれたくなければ漏らさないことだ」
「……はい」

真っ当な解決策であるがそれは不可能だった。

しばらくデグレチャフ中尉は見回りを続けた。

「ん? ノイマン少尉、何をしている?」
「あ、いや、その、素数を数えていまして……」
「貴様は戦場で素数を数えているのか?」
「……戦場では数えていません」
「だろうな。そんなことをしていたら戦死だ」

上の空だと思ったら、素数を数えていたとは。
我が魔導大隊の第四中隊長に相応しくないな。
そう思い、共に門番として入り口の封鎖を指示したケーニッヒ少尉に、同僚の始末を任せた。

「ケーニッヒ少尉」
「はっ」
「惚けたノイマン少尉の腹を思い切り殴れ」
「そ、それは……」
「どうした? 奴は戦場を軽視したのだぞ?」
「恐らく、悪気はなかったのだと思います」
「だから許せと? 些か甘すぎやしないか?」
「しかし、共に同じ釜の飯を食った仲間です」

なんとも美しい仲間意識。だが、今は不要だ。

「ほう? ならば、貴様が一緒に漏らしてやれ」
「……小官はまだ戦えます」
「共に同じ釜の飯を食った仲と先程言ったな」
「はい」
「では、ノイマン少尉のカマを掘りたまえ」
「デグレチャフ少佐!」

ちっ。セレブリャコーフ少尉の耳に届いたか。

「セレブリャコーフ少尉は彼らの美しい友情が見たくはないのかね? おまけに糞も拝めるぞ」
「悍ましい光景で、少佐のおめめが汚れます」
「少尉がそこまで言うのなら、やめておこう。ノイマン少尉、命拾いしたな。身を挺して庇ってくれたケーニッヒ少尉と、末永く幸せにな」

やむを得えず一時退却……すると見せかけて。

「やれやれ、一時はどうなることかと……」
「ノイマン! 後ろだっ!!」
「えっ?」
「簡単に背後を取られるような愚図は漏らせ」

デカいケツを、思いっきり蹴っ飛ばした。
その瞬間、下着に汚い染みが出来て。
衝撃につんのめったノイマン少尉は、目の前のケーニッヒ少尉をも巻き込み、盛大に転んだ。
ノイマン少尉の巨体に押しつぶされた彼もまた、糞を漏らして、美しい友情に花が咲く。

「共に漏らしたのだ。さぞかし本望だろう?」

漏らした2人は肩を貸し合って退室する。
実に素晴らしい光景だった。愛を感じた。
カマなど掘らずとも、彼らは成し遂げたのだ。
2人の中隊長の仲は、より親密になるだろう。

「もう、少佐は目を離すとすぐに無茶をなさるんですから。中隊長達が離脱して、この先の任務に支障が出たらどうするおつもりですか?」
「我ながら短絡的だった。つい、な」
「たしかにノイマン少尉のお尻は大きいので思わず蹴飛ばしたくなるのはわかりますけどね」
「ああ、全てはあいつの尻がデカいのが悪い」

副官に小言を言われつつも、さほど心配する必要はないだろう。中隊長2人の仲は深まった。
最終的にノイマン少尉の尻のデカさに全ての責任を押し付けてから、気を取直し、デグレチャフ少佐はグランツ少尉の様子について尋ねた。

「ところでグランツ少尉は何をしている?」
「座禅を組んでいるようですね」
「奴が仏教に通じているとは知らなかったな。ちなみにセレブリャコーフ少尉は仏教について詳しいのか? 座禅は知っているようだが」
「いえ、私は仏教徒ではないので体操としてのヨガを少し存じているだけです。なんでも、ああして座禅を組むと身体が柔らかくなるとか」
「奴は股関節をほぐしているわけではない」
「では、どうしてあんな格好を?」
「精神を落ち着かせているのだろうな」

明鏡止水を体現して、便意に抗っているのだ。

「なるほど、心を落ち着けているのですね」
「とはいえ、西洋人の奴には不向きだ」
「そうなのですか?」
「ああ、股をもっと広げなければならん」
「でしたら、私が補助してきますね」
「それはなかなか名案だな。セレブリャコーフ少尉はグランツ少尉の解脱を手伝ってやれ」
「はっ!」

優秀な副官を持つと任務が随分と楽になる。
このペースなら残業する必要もないだろう。
もっとも定時帰宅にはもうひと押し必要だが。

「グランツ少尉、もっと股を広げてください」
「いや、もう限界だから……!」
「膝を床にくっつけないと少佐に叱られます」
「痛い痛い痛い! 絶対無理だから!!」
「ほう? 痛いか。では、これはどうだ?」
「どぉあっ!?」

グイグイ股を広げようとするセレブリャコーフ少尉と格闘している隙に、デグレチャフ少佐はグランツ少尉の背後に回り、痛烈な延髄蹴りをお見舞いした。凄まじい威力で前転する少尉。
丁度、転がる彼の尻が上を向いた時、下着に染みが広がっていくのが見て取れた。やったね。

「ああ、あああっ!」
「喚くな。セレブリャコーフ少尉」
「はっ!」
「糞を漏らしたグランツ少尉をどう思う?」
「えっと……ばっちいです」
「あああっ! あああああぁああぁああっ!!」

正直な感想に涙するグランツ少尉。青春だな。

「どれだけ汚くなっても戦友であることには変わりない。そこの汚物を部屋からつまみ出せ」
「はっ!」
「お、俺は、ひとりで歩けるから……!」
「無理しないでくださいグランツ少尉。少佐が仰った通り、たとえどれだけ漏らしても我々は戦友です。だから、肩を貸すのは当然ですよ」
「もう、どうとでもしてくれ……」

時として、優しさは何より残酷なものとなる。
ちっぽけなプライドに縋る者ほど、キツイ。
結局、廃人となったグランツ少尉はセレブリャコーフ少尉に引きずられて無様に退室した。

「セレブリャコーフ少尉、只今戻りました!」
「ご苦労。遅かったな」
「はい、ばっちいので念入りに手を洗っていたら少々時間がかかってしまい、すみません」
「いや、気にするな。手洗いは大切だからな」

セレブリャコーフ少尉に念入りに手を洗われたグランツ少尉の精神状態が気になるが、今はそっとしておこう。敗北を知り、成長するのだ。

「ところで随分と隊員の数が減りましたね」
「ああ、皆限界だったようだ。嘆かわしい」

セレブリャコーフ少尉がグランツ少尉をつまみ出している間に、大隊の人数は激減していた。
こちらが直接手を下すまでもなく、勝手に漏らすのだから困りものだ。締まりのない奴らだ。

漏らすのなら、目の前で漏らして欲しいのに。

「さて、ヴァイス中尉」
「はっ!」
「残るは貴官が率いる第二中隊と、私が率いる第一中隊の精鋭のみとなったわけだが、ここらで私は一足先に退場しようと思っている」
「それは、どういった意味でしょうか?」

言われた意味がわからず、困惑する副長。
副官であるセレブリャコーフ少尉も怪訝な面持ちで、デグレチャフ少佐に真意を伺った。

「少佐、先に退場するというのは……?」
「言葉通りの意味だ。私もそろそろ限界でな」
「少佐殿が、漏らす……?」
「ヴァイス中尉、言葉を謹んでください!!」
「いや、構わん。中尉の言う通りだからな」

ふんっと、つまらなそうに鼻を鳴らして。
ヴァイス中尉の発言を肯定した。
デグレチャフ少佐が、お漏らしをする。

「少佐! すぐにおトイレに行きましょう!」
「それはならん。裏切り者になってしまう」
「ですが、このままでは……!」
「私もひとりの軍人として、漏らすだけだ」

必死に説得するセレブリャコーフ少尉。
それでも、デグレチャフ少佐は頑なだった。
どうにかして、少佐をお救いしないと。
藁にも縋る思いでヴァイス中尉に泣きついた。

「ヴァイス中尉、このままでは少佐が!」
「すまん……俺には何も出来ない」
「そんな。中尉なら少佐を担いででも……」
「……俺は、少佐が漏らす姿が見たいんだ」
「……えっ?」

下剤によって生じた極限状況は、ついに、第二〇三航空魔導大隊に大きな亀裂を発生させた。

「どういうことですか、ヴァイス中尉?」
「見てみたくなったんだ」
「……何を?」
「あの少佐が、どんな顔をして漏らすのかを」
「ッ!?」

ふざけた発言をするヴァイス中尉の胸倉を掴んで、セレブリャコーフ少尉がブチ切れた。

「見損ないましたよ、中尉!」
「なんとでも言え。俺だって人間なんだ」
「ですがあなたは軍人です!」
「軍人である前に、人なんだよ、少尉」
「一度でも軍衣に袖を通したのならば、軍人のまま、最後の瞬間まで生き抜くべきです!!」
「少尉は見たくないのかっ!?」
「見たくありませんっ!!」
「あの少佐が漏らすんだぞっ!?」

セレブリャコーフは、泣きそうになった。
あれだけ上官に忠実だったヴァイス中尉。
そんな彼がまさか、こんな人だったなんて。
しかし、帝国軍人として涙は見せられない。
ぐっと堪えて、歯を食いしばり、睨みつける。

「……わかりました、ヴァイス中尉」
「わかってくれたか、セレブリャコーフ少尉」
「ええ、もう結構です。あなたを間引きます」
「えっ?」

ヴァイス中尉は帝国軍人として相応しくない。
そのような人物がデグレチャフ少佐の副長であるなど、言語道断だった。だから、間引く。
少佐よりも先に退場させようと拳を振り上げ。

「待て、セレブリャコーフ少尉」

我を忘れた副官の握り拳を受け止めたのは、デグレチャフ少佐の小さな手のひらだった。

「少佐……」
「何を熱くなっている。帝国軍人たるもの常に沈着冷静であれと言った筈だぞ。忘れたか?」
「ですが、このままでは少佐が……」
「私は気にしない。見られてもなんともない」
「いけません! 少佐は白銀の妖精で……」
「セレブリャコーフ少尉!!」

上官に一括され、御伽の国から呼び戻される。

「私はただの人間だ。わかるな?」
「少佐……少佐ぁ……!」
「そうだ。せっかくだから、最後は貴官に抱かれながら漏らしたいのだが、頼めるか?」
「っ……はいっ! お任せください!!」

敬愛する少佐の最後の命令を副官は受諾した。

「見届け人はヴァイス中尉か」
「はっ」
「よくここまで耐えたな」
「っ……!」

これまで耳にしたことのない、優しいお言葉。
ヴァイス中尉は自らの言動を省みて、恥じた。
何が、少佐の漏らす姿が見たい、だ。馬鹿か。

どうやら自分は、どうかしていたらしい。
セレブリャコーフ少尉が正しかった。
改心したヴァイスは、額を地面に擦り付けた。

「申し訳ありませんでしたぁっ!!」
「む。突然どうした、ヴァイス中尉」
「自分は……小官は、間違っておりました!」
「……今更そんなことを言っても遅いです」

あまりの豹変ぶりに驚くデグレチャフ少佐。
セレブリャコーフ少尉は冷ややかに見下す。
ヴァイス中尉は己の罪を償うべく、嘆願した。

「お願いします! どうか少佐殿の手で、薄汚い欲望に塗れた小官を厳罰に処して頂きたい!」

しかしデグレチャフ少佐にはもう時間がない。

「ヴァイス中尉。私は貴官を責めやしない」
「少佐殿……」
「だから顔を上げて、見届けてくれ」

逆に懇願されて、ヴァイス中尉は不思議な気持ちになった。こんなに穏やかな少佐は見たことがなかった。もしかしたら、これが偉大な大隊長の素顔なのかも知れない。心がときめいた。

「さあ、諸君。そろそろ、お別れだ」

ふらふらした足取りで、自然と戦友が集う。
デグレチャフ少佐を膝に乗せて抱きしめるセレブリャコーフ少尉を、隊員達が取り囲む。

強く、厳しい、指揮官の最期を見届ける為に。

「ふん。これだけのギャラリーの前で漏らすとは、なんたる光栄。まったく、最高に愉快だ」
「少佐の副官となれて、私は幸せでした」
「ありがとう、セレブリャコーフ少尉。私も貴官のような副官に巡り会えて、幸せだった。諸君らにも感謝している。そして、さようなら」

にやりと、不敵に微笑み、少佐は漏らした。

「……セレブリャコーフ少尉」
「なんですか、ヴァイス中尉」
「少佐殿は……漏らしたのか?」
「はい。間違いなく、漏らしています」

セレブリャコーフ少尉の膝に伝わる温もり。
それはデグレチャフ少佐の生命の火だった。
生きているからこそ、温かい。故にわかる。
自分の腕の中でまるで死んだように静かに目を閉じている少佐は、たしかに漏らしたのだと。

「そうか……」
「ヴァイス中尉の望み通りになりましたね」
「ああ、そうだな。もう思い残すことはない」
「……中尉?」

その空虚なヴァイス中尉の言葉が妙に引っかかり、ちらりと様子を伺うと、気づいた。臭い。

「自分は少佐殿の後を追うことにした」
「そんな、殉死なさるなんて……」
「そうする以外、選択肢はなかったからな」

自責の念に駆られたヴァイスは自ら漏らした。
周囲を見渡すと、他の隊員も次々と殉じた。
部屋はむせ返るような大便の匂いに包まれた。
そうしたくなる気持ちはわかるが、セレブリャコーフ少尉は、少佐に殉じた彼らを批難した。

「皆さん。殉死だなんて、そのようなことを少佐がお認めにはなるとお思いですか?」

「ふん。認めるわけがないだろう」

聞こえる筈のない声が、部屋に響き渡った。

「しょ、少佐殿……?」
「おはよう、ヴァイス中尉。今戻った」

むくりと身を起こすデグレチャフ少佐。
まるで死人が蘇ったような驚愕に包まれる。
そんな一同を見渡し、副官に状況を訪ねた。

「セレブリャコーフ少尉、なんだこの有様は」
「も、申し訳ありませんっ!」
「よもや、少尉を除いた全員が殉じるとはな」
「止める間もなく、次々殉じてしまいました」

心底申し訳なさそうに謝罪する副官。
ヴァイス中尉は困惑して、口を挟んだ。
一体これは、どういうことなのか。

「少尉。少佐殿は間違いなく漏らしたと、そう言った筈だが、これはどういうことなんだ?」
「はい、たしかに少佐殿は漏らしました」
「ならば、どうして少佐殿は健在なんだ?」
「それは……」

セレブリャコーフ少尉が、ちらりとデグレチャフ少佐の顔を伺うと、鷹揚に頷き、答えた。

「それが、欺瞞的撤退だったからだ」
「欺瞞的、撤退……?」
「作戦名は、『衝撃と畏怖』だ」

凶悪に口角を吊り上げる少佐は、悪魔だった。

その頃、参謀本部では。

現在進行中の作戦がもたらす成果報告を、上層部の高官達が首を長くして待ち望んでいた。

「そろそろ時間だな」
「デグレチャフ少佐は上手くやるだろうか」

気を揉んでいるのは本作戦を立案した戦務参謀次長、ハンス・フォン・ゼートゥーア少将と彼の同期で盟友に当たる作戦参謀次長、クルト・フォン・ルーデルドルフ少将の両名である。

一方、帝国軍参謀本部に所属している参謀将校、エーリッヒ・フォン・レルゲン中佐は少将達とは対照的に平静を保ち、力強く断言する。

「報告が気になるお気持ちはよくわかりますが何一つ……何一つとして、心配はご無用かと」

レルゲン中佐が良く知るデグレチャフ少佐は、必ず任務を成し遂げる優秀な帝国軍人である。
しかしながら人格的な問題を抱えており、不安があるとすればその点だ。あまり無茶をしてなければいいのだが、恐らく既に手遅れだろう。

「君がそこまで言うのなら信じよう」

レルゲン中佐を見習って、ゼートゥーア少将は手付かずだった冷めたコーヒーをひと口啜る。

「……美味いな」

冷めても味が損なわれていないことに感心した、まさにその時。伝令が慌てた様子で参謀本部へと駆け込んできた。一同に緊張が走る。

「ご報告します!」
「聞こう」

ゼートゥーア少将は頷き、静かに耳を傾けた。

「たった今、通信室に届いた暗号文をそのまま申し上げます! 『世界を浣する我らが祖国』! 『世界を浣する我らが祖国』であります!!」

「じいいぃぃつぅにぃぃ! 結構っ!!」

その暗号文は、快腸作戦成功を告げるものだ。
テーブルを叩いて万感の悦びを表すゼートゥーア少将。その隣でルーデルドルフ少将が呟く。

「……勝ったな」
「これなら続報を待つ必要もない」

これで、戦争は終わる。悦びで糞が漏れた。
新薬の臨床試験は大成功を収めたのだ。
捕虜に服用させれば望む情報が全て手に入る。

「新薬の名前はなんだったか?」
「たしか、『V1』と、呼ばれていたな」
「ヴィクトリーのVか。まさに、相応しい名だ」

そんな雑談を交わしながら2人の少将は上機嫌で参謀本部を後にする。次に会う時には中将に昇進しているであろう帝国将校に敬礼して見送りながら、レルゲン中佐は改めて心から思う。

あの年端もいかぬ少女は。
第二〇三大隊の大隊長は。
ターニャ・デグレチャフ少佐は。

糞を漏らしながら、震え声でこう形容した。

「幼女の皮を被った、化け物だ」……と。

「待たせたな、諸君。たった今、作戦成功の旨を参謀本部へと伝えた。これにて臨床試験は終了だ。喜べ。貴官らの働きによって、戦争は速やかに終わりを迎えるだろう。我々の勝利だ」

通信室から戻ったデグレチャフ少佐は、糞を漏らして放心している一同に勝利宣言をした。
しかしいきなり戦争が終わると言われても実感は湧かない。それよりも気になることがある。

「デグレチャフ少佐」
「なんだ、ヴァイス中尉」
「もう少し噛み砕いて説明して頂けますか?」

副長のもっともな具申に頷き、解説を始める。

「新薬の有用性については既にわかるな?」
「はっ。身を以て体験しましたので……」
「それを捕虜に服用させることで敵の司令部を割り出し、まずそこを叩く。司令部を失った敵陣営は統制を失い、散り散りとなって潰走するだろう。それでライン戦線は終わりを迎える」

あの長く苦しかったライン戦線の終結。
それを成し遂げれば、たしかに戦争は終わる。
そこまではわかった。ただ知りたいのは別だ。

「それはめでたいことだと思います」
「それ以上に何か知りたいことがあるのか?」
「恐れながら少佐殿は漏らしたのですよね?」
「ああ、たしかに私はお漏らしをした」
「それなのに何故平気で居られるのですか?」

もう隠す必要もない。種明かしの時間だ。

「諸君らに比べれば、私は軽症だからな」
「ですが、少佐殿も同じ人間の筈です!」
「しかし、私が漏らしたのは尿だからな」
「えっ?」

キョトンと目を丸くする一同。最高に愉快だ。

「フハッ!」

もう我慢する必要はない。愉悦を垂れ流そう。

「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」

響き渡る哄笑。隊員達の頭は真っ白だった。

「実は私はそうかも知れないと思ってました」

唯一、セレブリャコーフ少尉だけが知る事実。
デグレチャフ少佐の最期に寄り添った彼女は、敬愛する上官が漏らした際に、こっそりと匂いを嗅いでみたのだが、一切異臭がしないことに疑問を抱いていた。むしろ、良い匂いがした。
もしかしたらこの白銀の妖精の排泄物は無臭なのかも、と思っていたのだが、その希望的観測は外れたらしい。我々は悪魔に騙されたのだ。

「そうとも知らずに諸君らは私の後を追って次々に殉ずるものだから、おかしくて堪らなかったよ。涙が出てくる。上官を……泣かせるな」

腹が捩れるほど嗤い、そして涙する指揮官。
それを隊員達は複雑な思いで見つめていた。
酷い仕打ちだとは思うが、その涙は本物だ。

「ヴァイス中尉」
「……はっ」
「もし仮に私が戦場でロストするようなことがあっても、殉死することは禁ずる。いいな?」
「はっ」
「私は必ず、こうして高笑いしながら戦友諸君の元へ戻る。だから貴官らは待っていてくれ」
「はっ! 深く、肝に銘じておきますっ!!」

照れ臭そうに涙を拭い、笑顔で締め括った。

「静かになったな、セレブリャコーフ少尉」
「皆さんはお着替えする必要がありますから」
「少尉は軍服を洗わなくていいのか?」
「平気です。この軍服は二度と洗いません」

尿が染み付いているのに、何を言ってるのか。
変なところで頑固な副長に苦笑しつつ、デグレチャフ少佐は、気になっていたことを尋ねた。

「貴官は何故、私の後を追わなかった?」

別に不満という訳ではない。純粋な好奇心だ。

「少佐殿は以前、作戦行動中にこう仰られました。『自分がロストしたら、中隊を率いて戦線から離脱しろ』と。私はその命令に従い、残された第一中隊の指揮を執るつもりでした」
「セレブリャコーフ少尉は副官の鑑だな」
「いえ、結局は中隊を失ってしまいました」

心底申し訳なさそうに謝罪する副官を、労う。

「貴官のその責任感を、私は誇らしく思う」
「デグレチャフ少佐……」
「そもそも、残された全員が私の後を追って殉じたことの方が大問題だ。まったく、本当に奴らときたら……何を考えて生きているのやら」
「みんな、少佐のことが大好きなんですよ」

直球でそんなことを言われると照れてしまう。

「まあ、あれだ。別に……悪い気はしないがな」
「嬉しそうですね」
「嬉しくなどない。嘆かわしいだけだ」
「そうでしょうか? 私はこの大隊が好きです。デグレチャフ少佐は私たちがお嫌いですか?」
「……好きが嫌いかと言えば、嫌いではない」
「まるで子供みたいなことを仰るんですね?」
「ふん。私は見ての通り幼女だ。何が悪い?」

言葉を濁すと、素直で優しい副官に笑われた。

「それでは、少佐殿」
「ん? 貴官も部屋に戻って休むのか?」

気づくと、随分夜が更けてしまった。
おもむろに立ち上がったセレブリャコーフ少尉と共に、部屋に引き揚げようと思ったら、突然、抱きしめられた。びっくりして硬直する。

「い、いきなりどうした? 酔っているのか?」
「いえ、私は素面です」
「ならば、速やかに拘束を解け」
「いーえ。少佐殿が漏らすまで離しません」

なんだこれは。どうしてこうなった?

「たった今、お告げがあったのです」
「お告げ、だと?」
「はい。神さまは仰られました。『この機を逃せば少佐殿の排泄に携われる機会はない』と」

ここに来て存在Xが仕掛けて来ただと!?
何というタイミング。なんたる不覚。
せっかく良い感じで終わりそうだったのに。
忌々しい神を名乗る不届き者めぇ……許せん!

「ですから、存分に排泄してください」
「いやしかし、既に試験は終わったのだから」
「私も一緒に漏らしますから」

いやいやいやいや! そういう問題ではない!

「女性が人前で排泄するのはどうかと思うぞ」
「女同士なのですから良いではありませんか」
「良くないと思う! 絶対良くないと思う!!」
「デグレチャフ少佐は、私がお嫌いですか?」
「いや……そんなことはない、ぞ?」
「それなら良かった! 一緒に果てましょう!」

こうして私は副官と共に果てることになった。

「少佐殿、準備はよろしいですか?」
「あ、ああ……そうだな、いつでもいいぞ」

再び少尉に抱かれて、私は準備を整えた。
まったく、よもやこんなことになるとは。
覚えていろ、存在X。絶対に復讐してやる。

「しかし、意外だな」
「はい?」
「セレブリャコーフ少尉は、こうした排泄行為を、もっと毛嫌いしているのだと思っていた」
「たしかに苦手ではありますが、それがデグレチャフ少佐の排泄物であれば、私は平気です」
「そ、そうか……」

うん。やはりおかしい。全然納得出来ないよ。

「恥ずかしいのですか?」
「まあ……多少は、な」
「でしたら、後押しさせて頂きます」

そう言って、チュッと、ほっぺにキスされた。

「な、な、な、なな、なにゅを……あっ」

びっくりして、ぷりっと、うんちが漏れた。

「フハッ!」

それを察して、愉悦を漏らす副官。
もういいや。どうにでもなれ。
お互い高笑いしながら、ぷりぷりうんちした。

「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「フハハハハハハッ!!!! うぅ……畜生!」

私は今、改めてここで宣言する。
ああ、神よ。貴様を切り刻んで、豚に食わせ。
いつの日か必ず、豚の糞にしてやると。


【幼女便器】


FIN

IDが変わりましたが>>1です。
作中内のケーニッヒとノイマンの階級が少尉となっておりますが、正しくは中尉なので訂正させて頂きます。
確認不足で本当に申し訳ありませんでした。


これは良作

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