【モバマス】Scarlet Days (250)


これはモバマスssです
胸糞要素を含み、とても人を選ぶと内容かと思います


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ピピピピッ、ピピピピッ

朝、目覚ましの音で目を覚ます。

今日は月曜天気は晴れ、嫌になる程空は明るい。

ここ数日で一気に蒸し暑くなった梅雨突入前の空気が、身体を起こすのを躊躇わせる。

P「……っし!気合い入れるか!」

仕事があるのだからこんな悠長にしている時間が勿体無い。

さっさと身体を起こして歯を洗い、ヒゲを剃って色々と整える。

丁度炊けた炊飯器の音が少し気分を良くしてくれた。

P「適当なもんで良いかな」

小鍋を火にかけお湯を沸かし、味噌汁の準備をしつつシャケを焼く。

冷蔵庫から昨夜の残りを引っ張って、ちょっとだけ豪華に見せてみたり。

さて……と。

そろそろ、起きてくる頃かな。

美穂「……ふぁぁ……おはようございます……」

P「おはよう美穂、そろそろ出来るから座って待ってろ」

美穂「うぅん……良い匂いが……」

寝ボケた美穂が、パジャマの袖で目を擦りつつ椅子に着く。

二十歳になった今でも可愛さは衰える事を知らず、追加で綺麗・美しいステータスもどんどん上がっていた。

アイドルを引退したのが二十歳の誕生日で半年前だから、だとするともう半年後にはどうなってしまうのだろう。

楽しみは尽きないが、それは置いといて然るべき事を叱らなければならない。



P「今日は一限からだろ?」

美穂「自主休講……しませんよっ?しませんからねっ?!」

P「先週の月曜一限サボっただろ?」

美穂「ち、遅刻で済んだもんっ!」

P「やっぱり遅刻はしたんだな」

美穂「……卑怯です!誘導尋問なんてっ!」

自爆しただけじゃないだろうか。

それはそれとして、今日はお互い普通に間に合いそうだ。

まぁ先週は前日の夜に……ゴホンッ!

同棲生活を始めて約半年、俺たちの関係は山あり谷ありだが概ね良好と言えた。

喧嘩の理由なんて、大体俺が仕事で帰りが遅くなった時くらいだし。

最初は価値観や生活感等々を寄せ合うので大変だったが、今ではこうして……

美穂「あれ?七味切れてませんか?」

P「……悪い、一昨日ブチまけて失くなってから補充してない」

美穂「……買う時間が無かったんですか?」

P「……忘れていただけです」

美穂「買って下さい」

P「はい」

……最高の同棲生活を送れている。

あ、ゴメンほんとすまん帰りに必ず買ってくるから。

美穂「……それと……朝ご飯、いつもありがとうございます」

P「良いって別に、その分夜は任せちゃってるし」

朝弱い美穂を起こすのに、味噌汁の香りは適任だし。

夜遅くなる事が多い俺を、夕飯準備して待っててくれてる訳だし。

P「それじゃ、いただきます」

美穂「いただきます」






美穂「あれっ?わたし昨日定期何処に置いたっけ……」

P「いつもはテレビの前にあるだろ」

美穂「無いんです!」

P「じゃあ洗面台」

美穂「そこにもありませんでした!」

P「スマホカバーの裏は?」

美穂「……ありました」

こうして慌ただしい朝を何度過ごして来ただろう。

高頻度でどちらかが何かしらを紛失し、もう片方が場所を当てる。

これも同棲の醍醐味……なのか?

P「よし、行くぞー」

美穂「あ、ちょっと待って下さい!何か、忘れてませんか?」

目を瞑って、此方に顔を向けてくる美穂。

P「忘れる訳無いだろ」

ちゅっ、っと。

軽く唇を重ねる。

美穂「……えへへ、行って来ますっ!」

P「おう、俺も行って来ますだ」

鍵を掛け、二人並んで最寄りへと歩く。

既に引退したとは言え美穂の人気は凄いもので、今でも変装を怠るとファンから声を掛けられる。

だから今は帽子を被っている訳だが、うん、とても可愛い。

どのくらい可愛いかと言うと、昨日の美穂の二倍くらい可愛い。

毎日指数的に可愛くなってゆく同居人の隣に立っているのが俺で良いのか、当然何度も自問した。

美穂「……不満ですか?」

P「不安なんだよ」

美穂「もう……何度も言ったじゃないですか。わたしが、貴方を選んだんです……から…………」

後半は尻すぼみになっていったが、美穂の言葉はちゃんと届いてる。

照れた美穂がとんでもなく可愛いし、良いか。

うん、俺ももう少しオシャレとかに気を使ってみよう。

スーツだからどうしようもない部分もあるが。



P「放課後の予定は?」

美穂「李衣菜ちゃんとお酒ツアーです!Pさんも帰って来ませんよね?」

P「いや帰っては来るよ?遅くなるだけで。ってか明日も大学あるんだから程々にな」

美穂「あ、明日は休講が重なってお休みです。それと、わたし達も誘ってくれれば良かったのに……」

P「すまんって、智絵里が二人きりで落ち着いて飲みたいって言ってたからさ」

美穂「……むー……」

P「ごめんごめん。今月のどっかで全員で集まれる様セッディングするから」

美穂「絶対ですよ?わたしだって智絵里ちゃんに会いたいんですから」

P「おう、未来の旦那さんを信じろ」

美穂「はいっ!旦那さんっ!」

P「…………」

美穂「…………」

P「……最近、暑くなってきたよな」

美穂「……ですね……え、えへへ……」

勢いで小っ恥ずかしい事を口走ってしまった。

いやまぁ、いずれは現実となる訳だが。

今はまだ仕事が落ち着かなかったり美穂が学生だったりと、タイミング的にはここでは無いから。

P「それじゃ、俺こっちだから」

美穂「はいっ!行ってらっしゃい、旦那さんっ!」

美穂が笑顔で改札を抜けて行った。

……あぁ、もう。

最後にとんでもない爆弾を残して行きやがったな。

これから俺は、不審者だと思われない様に真顔耐久レースをしなければいけなくなったじゃないか。






ちひろ「おはようございます、プロデューサーさん。今日も随分と顔色が良いですね」

P「おはようございますちひろさん。今日も一段とお若いですね」

ちひろ「あらあら、美穂ちゃん程じゃありませんよ」

P「……いや、あの……他意があったり皮肉を言った訳じゃ無いんで……」

ちひろさんと朝の挨拶を交わしながら、仲良く会話する。

ちひろさん、今何歳だ?

確か二十八だっけかな……そうは思えないくらい若く見えるのは本当だ。

ちひろ「美穂ちゃんとはどうですか?最近は」

P「どうって……良好だと思いますよ」

ちひろ「犬も食わない喧嘩をしたりは?」

P「一応まだ夫婦では無いので……」

ちひろ「時間の問題ですよねー」

P「案外問題は山積みですよ」

今は以前から住んでた俺のアパートで暮らしているが、これから先を見据えるなら引っ越しも視野に入ってくる。

それから美穂がどんな将来を選ぶのか等々。

ちひろ「うぅ……幸せ者のオーラが独り身に染みますね……眩しい……苦しい……」

P「はいはい、コーヒー買ってきたんで今日も頑張りましょ」

ちひろ「今は無糖な気分なのでそっちを貰っても良いですか?」

P「まぁ構いませんが……」

カシュッっと心地良い音、それからほんのりとコーヒーの香り。

さて、今日も一日頑張るか。

これが終わったらお酒が待っている。



まゆ「うふふ、何やら楽しそうですねぇ」

P「ん、おはようまゆ。随分早いな」

まゆ「早起きは三文の得と言いますから」

P「で、何か良い事はあったか?」

まゆ「電車がいつもより少し混んでました……」

しょぼーんオーラを全身から滲ませるまゆ。

十九歳になったまゆは、容姿もだが演技力や歌唱力にも磨きがかかっていて。

さっきまでは現役アイドルの権化の様な美人だったのに、今では自転車の鍵を川に落としたおばさんの様になっている。

凄い、なんかこう、演技から凄みを感じた。

まゆ「そう言えば、今日は智絵里ちゃんの誕生日ですねぇ」

P「あぁ、二十歳だな。成人祝いにお酒に付き合う予定なんだ」

まゆ「むむ……二人きりですかぁ?嫉妬しちゃいますねぇ」

P「まゆはまだ十九歳だからな。二十歳になったら連れてってやるよ」

まゆ「うふふ、期待しちゃいますっ!」

ちひろ「智絵里ちゃん、引退してからあんまり事務所に顔出してくれないので近況を把握出来て無いんですが……どうなんですか?」

P「前に会った時は普通の女子大生やってましたね。とは言え学校ではかなりの人気で色々大変だーって笑ってた」

まゆ「ちょっと人気な普通の女の子、エンジョイ出来てるんですね」

P「あぁ。李衣菜もそんな感じだ」

まゆ「李衣菜ちゃんとはまゆもよく連絡取ってます。美穂ちゃんと飲みに付き合うと翌日自主休講本気で検討するから気を付けないとって笑ってました」

美穂……そういや今日飲むって言ってたけど、李衣菜は明日休講なのか?

李衣菜はそこらへんソツなく上手く真面目にこなす人だから大丈夫だろうけど。



ちひろ「プロデューサーさん。智絵里ちゃんと会うなら写真とか持って行きますか?」

P「そうですね。まぁ半年前とは言え色々ありましたし、のんびり振り返りながら話すのも良いかもしれません」

ちひろさんから、Masque:Radeの全員が映った写真を何枚か受け取った。

うっわみんな若……俺もまだ若いなぁ。

これ何年前だ……?

……三年以上前……マジで……?

加蓮「おっはよー。今日蒸し暑くない?」

P「おはよう加蓮、除湿は付けてあるぞ」

加蓮も今では十九歳で、見た目の美人感は更に磨きが掛かっていた。

加蓮「暑い、温度下げて」

P「少しすれば涼しくなるだろ」

加蓮「待てないんだけど。時間進めてくれたりしない?」

P「出来る訳無いし、もし出来るんだとしたらそんな超人にそんな雑に頼むな」

加蓮「分かってるって。うっわー今日夜雨降るじゃん」

まゆ「加蓮ちゃんは歳を取っても相変わらずいつも通りですねぇ」

加蓮「いきなり何?あ、結成したての頃の写真じゃん!」

ちひろ「ふふっ、まだまだありますよ」

引き出しからアルバムを取り出すちひろさん。

おぉ……懐かしい……



まゆ「……三年以上前ですか……未だにこうして加蓮ちゃんと活動を続けてるって考えると、なんだか不思議な気分になりますねぇ」

加蓮「ねー、最初は即解散すると思ってた」

まゆ「奇遇ですねぇ、まゆもです」

笑いながらいがみ合う二人は、なんだかんだ相性は良い。

でなければ、二人になってもMasque:Radeとしての活動を続けたいだなんて言わないだろうし。

ちひろ「あ、一応言っておきますけど……この写真、他の方には見せないで下さいね?事務所として撮ったものなので」

P「分かってますって。肝に命じておきます」

加蓮「肝!分かってる?!肝!!」

まゆ「……何を言ってるんですかぁ?」

加蓮「肝に命じてるんだけど?」

まゆ「加蓮ちゃんは本当に変わりませんねぇ……」

加蓮「成長はしてるよ?こことか」

まゆ「指差しをしなくても伝わると思われてるあたりイラつきますねぇ」

加蓮「えっ?私何処とも言ってないけど?」

まゆ「素知らぬ顔がまた実に加蓮ちゃんです」

加蓮「どういう意味?!」

まゆ「ウザいって意味ですよぉ。辞書でウザいの項目を引けば加蓮ちゃんの名前が顔写真付きで載ってると思います」

加蓮「あーもーそういう事言う人にはポテトのクーポン分けてあーげない!」

まゆ「いえそれは本当に結構ですが……」

P「……ははっ」

ちひろ「……ふふっ」

仲、良いなぁ。

この二人を見ていると色々と安心する。

美穂が引退する事に不安が無かった訳ではないし、次いで智絵里と李衣菜の引退で俺も精神が不安定になりかけたりもしたが。

なんだかんだ、助けられてるんだと実感する。

ちひろ「まゆちゃんは週刊ファラデーの撮影、加蓮ちゃんはドラマの撮影ですよね?そろそろ向かった方が良いんじゃないですか?」

まゆ「あら、とてつもなく無駄な会話で時間を浪費してしまいましたねぇ」

加蓮「まゆの時間に無駄じゃないのってあるの?」

まゆ「……言い返しませんよ?まゆももういい大人なので」

加蓮「は?私が子供みたいな言い方やめてくれる?!私の方が誕生日早いんだけど!!」

まゆ「……そう言う所ですよぉ……」

加蓮「まゆ自分の事まゆ呼びじゃん!子供じゃん!」

まゆ「……そうですねぇ、まゆですねぇ」

加蓮「相手にしてよ!!」

楽しそうに会話しながら部屋を出て行く二人。

さて、それじゃ。

六月十一日、いつも通りの業務の始まりだ。




P「っふー……終わり!」

ちひろ「お疲れ様です、プロデューサーさん」

P「そっちはどうですか?」

ちひろ「私も後十五分くらいで終わりそうですが……待たなくても大丈夫ですよ?智絵里ちゃんのと約束があるんですよね?」

P「はい。それじゃ、お言葉に甘えさせて頂きます」

パソコンの電源を切って、荷物を片付け事務所を出る。

加蓮もまゆも既に帰宅済み。

美穂からは画像が……李衣菜、強く生きろ。

さて、んじゃ俺も約束の駅に向かうとしよう。

夜は雨って加蓮が言ってたけど、まだそんなに曇ってないし大丈夫だろう。

地下鉄に乗って、智絵里と約束した駅に向かう。

がたん、ごとん。

電車に揺られながら、俺はユニット結成当時の事を思い返していた。

最初の頃は加蓮とまゆがよくいがみ合って……今もか。

五人でドームを熱狂の渦に巻き込んで。

それぞれ個人での活躍も凄いもので、沢山の番組に出演して。

今朝ちひろさんから渡された写真で、色々あったんだなぁと再認識して。

後でそれを眺めながら智絵里と飲むお酒が、凄く楽しみで。

気付けばあっという間に目的の駅に到着していた。

P「ん……少し早かったかな」

スマホで時間を確認すれば十九時半。

約束の時間までまだ後十五分はある。

近くの喫茶店でコーヒーでも飲んでるか……?




智絵里「あっ……お、お久し振りです……!」

P「ん、おぉ。もう来てたのか。久し振り、智絵里」

どうやら、智絵里も早くに着いてしまっていた様だ。

かつてのトレードマークであるツインテールは降ろされているが、可愛さは全く衰えていない。

にこにこと微笑みながら此方へ近寄ってくる智絵里は、こりゃ大学でも言い寄ってくる男子もさぞかし多い事だろうと思わされる。

智絵里「えへへ……その、楽しみだったから……」

P「うん、まぁ予約取ったのが二十時だから入れるか分からないんだけどな」

智絵里「それでも、久し振りだから遅れたくなくって……」

P「そっか。ありがと、智絵里」

取り敢えずお店の方に早くに入れないか連絡を掛けてみる。

P「……あ、では今から向かいます。っと、もう入れるってさ」

智絵里「良かった……今日はありがとうございます。二人っきりでってワガママ、聞いて貰っちゃって……」

P「良いって良いって。あ、でも今月空いてたら美穂とも飲んでやってくれよ。あいつも会いたがってたから」

智絵里「……はい。もちろんです」

のんびり、並んで歩きながら会話して。

……あ、そうだ。

最初に言うべきだったな。

P「智絵里。誕生日、成人おめでとう」

智絵里「ふふっ、ありがとうございます。とっても……楽しみでした……!」

天使の様な笑顔を浮かべる智絵里と、予約していた店に入る。

直前、なんとなく見上げた空は、分厚い雲に覆われていた。




P「改めて……おめでとう。乾杯っ!」

智絵里「えへへ、ありがとうございます……っ」

カンッ

小気味良い音が響き、グラスが打つかる。

こじんまりとした半個室の卓上にチップスとソーセージ。

飲んでるのは日本酒でもビールでもなく果実酒。

智絵里「あ……これ、とっても飲みやすいです」

P「お、良かった良かった。メニューのこの辺りのは飲みやすいと思うから、気になるのあったら注文しちゃって」

全てのドリンクメニューに丁寧に説明と写真が添えてある。

これなら多分智絵里が大外れを引き当てる事はないだろう。

智絵里「それなら次は……カルーアミルク?にしてみます」

P「はいよ。すみませーん!」

ドリンクとフードを少しずつ注文する。

あ、ここギネスあるのか次頼もう。

P「さて……うーん……えっと、最近どうだ?」

智絵里「……ふふっ。おじさんみたいですよ、Pさん」

P「む……辛いな。うん、辛い」

智絵里「わたしは……うーん、とっても楽しいです。大学の友達と遊びに行ったり、遠くに出掛けたりして」

P「そっか、良かった。たまには、気が向いた時にでも事務所に顔出してくれても良いんだぞ?」

智絵里「……そうですね。あんまり伺えて無かった気もします……」

P「まぁそれだけ毎日が充実してるって事か」

智絵里「……Pさんは、どう……ですか……?」

P「ん?Masque:Radeは二人になったけど、それでも上手くやってけてるよ」

五人の時ほどの活気は無いけどな。

そう笑いながら、俺は写真を取り出した。

P「懐かしいだろ?」

智絵里「わぁ……若い……」

P「智絵里は今でも十分若いだろ」

智絵里「それじゃ、えっと……幼い……?」

P「それはそれでどうなんだ」

ちひろさんから受け取った写真を、グラスを片手に眺めてゆく。

智絵里「懐かしいなぁ……」

P「なー、ほんと。みんな頑張ってたよ」

智絵里「加蓮ちゃんとまゆちゃん、今もよく喧嘩してるんですか?」

P「うん、あの頃と変わらず」

智絵里「ふふっ、想像がつきます」




笑いながら、グラスを傾けながら。

様々なお酒に挑戦しつつ、過去の思い出に浸る智絵里。

……今からでも、智絵里が戻ろうと思えば戻れる。

けれど、そんな未来が選ばれる事は無いだろう。

俺だって無理に引き戻そうとは思わない。

その辺りの話は一通り終えたし、智絵里の芯の強さは俺も理解している。

P「……ん、もう飲み物無くなってんな。次は何飲む?」

智絵里「……それじゃ、このブルーマルガリータでお願いします」

P「それ結構アルコール強いけど……まぁ飲めなかったら俺が飲むし良いか」

注文を終え、再び写真に目を戻す。

……本当に、懐かしいな。

この中の一人と付き合って同棲を始める事になるだなんて、当時は微塵も思っていなかった。

智絵里「……ところで……美穂ちゃんとは……?」

P「良い感じかな。喧嘩少なめ甘さ増し増しだと思いたい」

智絵里「へぇ…………楽しそうですね」

P「幸せもんだよ俺は」

あんな優しい美人と、一緒に暮らせているんだから。

智絵里「……そうですか……」

P「大丈夫か?気分悪い?」

智絵里「あっ、いえ。大丈夫です」

二十歳なりたてだから心配になる。

初めてなのに飲ませ過ぎてしまっただろうか?

まあ酔っ払ってる感じでは無さそうだし大丈夫だろう。

P「悪い、ちょっとお手洗い行ってくる。フード足りなかったら何か頼んでて」

智絵里「あっ、はい」

席を立ち、お手洗いついでに美穂からの連絡チェック。

また画像が送られて来ていた。

……頑張れ、李衣菜。

にしても……智絵里、ほんと綺麗になったな。

二十歳か……お酒飲めるじゃん。

……さては俺、少し酔ってるのでは?

鏡の前で顔をピシャッと叩いてお手洗いを出る。

智絵里「うぅ……ちょっとお口に合いませんでした……」

ブルーマルガリータのグラスがこちらに押された。

P「あーうん。いいよいいよ別の頼んじゃいな」

案の定と言うか、そんな気はしてたというか。

まぁ二十歳になりたてで飲むような物じゃ無いのは確かだな。

智絵里「ごめんなさい……」

P「良いって。一応度数表示されてるから低めの物にしとこうな」

この歳で間接キスなんて気にする必要も無いだろう。

青いグラスをグイッと煽る。

……あ、強い。げ、25%とか書いてある。

智絵里「……えへへ、ありがとうございます」

P「うん、思ったより強かった」

智絵里「もう……格好付きませんね」

ニコニコと笑う智絵里。

あぁ、可愛い。

P「そういえば、智絵里って大学で恋人とか出来たのか?」

智絵里「……デリカシー、無さすぎませんか……?」

P「……彼氏出来た?」

智絵里「言い方じゃなくって……いませんけど……」

P「アイドルだった間は恋愛とか出来なかったから、どうなんだろうなーって思って……すまん、流石に無遠慮過ぎたな」

ちょっと拗ねた様な表情も、かつての子供っぽいものとは異なって。

仕草や表情の一つ一つから、もう二十歳の大人なんだなぁと思い知らされる。

P「ん、ところで時間は大丈夫か?」

もうすぐ二十二半時になろうとしているが、終電は大丈夫だろうか。

智絵里「あ、わたしの家そんなに遠くないから……」

逃しても大丈夫、という意味だろうか。

だとしたら明日の大学に差し支えない程度までは付き合おう。

俺もまぁ、最悪タクシー使えば良いし。

美穂はまだまだ飲んでるだろうし。

一応ラインをチェックする。

……うちで飲んでんのか。

逆に帰りたく無いな。

智絵里「……Pさんは大丈夫ですか?」

P「あぁ……まだまだ飲める……」

……ん、急にさっきのが回って来たかな。

酔いと同時に眠気までやってきた。

智絵里「…………大丈夫ですか?」

P「ん……ちょっと……、まず……」

智絵里「……時間は大丈夫ですから。気にしないで下さい」

まさか、成人祝いに付き合ったら俺の方がこんな事になるなんて……

……しこうまでおぼつかなくなってきた……

ねそう……ねむ……

智絵里「……おやすみなさい、Pさん」





P「……っ!」

智絵里「あ……おはようございます、Pさん」

目が覚め頭を起こすと、目の前に智絵里が居た。

周りを見れば見慣れた寝室ではなく、事務所のデスクでもなく……

P「……あっ、すまん智絵里」

そうだ、智絵里の成人祝いに来ていたんだった。

だというのに、俺は眠ってしまって……

まだ妙に頭が重いな。

智絵里「いえ、大丈夫です。とってもお疲れだったんですよね……?なのにわたしが無理言って付き合って貰っちゃって……」

P「いや、俺が調子乗って自分のペースで飲まなかったから」

スマホを開けば二十四時を回っている。

どうやら一時間と少し眠ってしまっていた様だ。

P「……終電、無いな」

智絵里「わたしもです……あ、でもわたしは歩いて帰れる距離だから……」

閉店作業をしていた店員さんに謝って支払いを済ます。

優しい店員さんで良かった、次もまた来たいものだ。

P「……うっわ……」

智絵里「うわぁ……」

ザァァァァァッ!

外は迫真の大雨だった。

折りたたみは持ってないし、近くのコンビニに着くまでに濡れ鼠になるだろう。

P「送ってくよ。タクシー使うか」

智絵里「あ、わたし折りたたみ持って来てますから」

P「タクシー代も俺が持つから気にしなくていいんだぞ?」

智絵里「いえ……その、少し酔い覚ましに歩きたい気分だから……」

P「……それじゃ、悪いけどそこのコンビニまで入れて貰えるか?」

智絵里「えへへ、もちろんです」

小さな傘にお邪魔して、少し先のコンビニに向かう。

傘と……水も一応買ってくか。

P「んじゃ改めて、送らせて貰うよ」

智絵里「ふふっ、送り狼ですか?」

P「同棲してるのにそんな勇気は無いな」

他愛の無い会話をしながら、雨の中を歩く。

風も冷たいし、良い酔い覚ましになるな。

まぁ当然と言えば当然だが、傘程度じゃ雨は防ぎ切れずズボンの裾と靴はびっちゃびちゃになっていた。

帰り、どうするかな……

これなら近場の漫画喫茶でも探した方が楽な気がする。



智絵里「……もうすぐです」

P「ほんとに近くだったんだな。ならまた次もあの店で飲むか」

智絵里「お誘い、お待ちしてますね……?」

P「あぁ、暇が出来たら連絡くれれば」

角を曲がって、智絵里が指差す先には小綺麗なアパート。

そういえば今は一人暮らしをしてるんだったか。

かんかんかん

階段を上って、廊下を歩いて。

『緒方』と書かれた表札の部屋の前へと到着。

P「それじゃ、お疲れ様。またな」

さて、帰るか。

智絵里「……あ、あのっ!」

そう言って廊下を戻ろうとした俺のスーツの裾を。

智絵里が、ぎゅっと握りしめてきた。

智絵里「えっ、っと……その……Pさんも濡れちゃってますから、シャワーだけでも浴びて行きませんか……?」

P「いや、悪いし良いよ。近くの漫画喫茶でシャワー借りるし」

智絵里「……この辺り、そういった施設が充実していませんから……」

P「……とは言えなぁ……それならタクシーでも拾って……」

智絵里「……もう少しだけ、Pさんとお話してたいんです……誕生日プレゼントだと思って……ダメ、かな……」

……一人暮らし、だもんなぁ。

折角の誕生日、一人きりというのは確かに寂しいかもしれない。

それなら、話し相手になるくらいなら。

うん、まだ俺も話し足りないし。

P「……それじゃ、お言葉に甘えさせて貰うよ」

智絵里「……えへへっ。どうぞ、いらっしゃいませ」

P「あぁ、お邪魔します」

濡れた靴を脱ぎ、タオルで足を拭いて智絵里の部屋に上がる。

女性の一人暮らしは、思ったより普通だった。

もっと部屋が散らかってたり、逆にとても綺麗に整頓されてたり。

そんな予想は遠く外れ、物が少なくなんだか寂しいと感じる部屋で。



智絵里「……そんなにジロジロ見るのは、その……」

P「あぁ、すまん。デリカシー不足だったな」

智絵里「……それで……どうですか?」

P「どう、って……部屋の感想か?」

智絵里「…………はい」

P「……物が少ないな、って感じた」

あまりにも、生活感が薄い。

洗面台に化粧品が少ない。

キッチンに器具や調味料が少ない。

クローゼットや棚も、見るからにすっからかんで。

部屋の隅に置かれた段ボールは、埃を被っていた。

智絵里「……居心地、悪いですか……?」

P「いや、別にそういう訳じゃないよ」

智絵里「ほっ……良かった……」

ついついそこらへんを観察してしまったのは、美穂と比較して随分異なる部分が多いなと思ったから。

あいつはきちんと整理整頓はするが、そもそも物が多くて所々ゴチャゴチャしてるし。

智絵里「あ、お湯沸かしてますから……お先にどうぞ?」

P「いや、家主より先に入るのは悪いし良いよ」

智絵里「いえいえ、Pさんこそ先に……」

あ、これ平行線になるやつだ。

P「……それじゃ、お言葉に甘えさせて貰うよ」

智絵里「はい、バスタオルは出しておきましたから。着替えは……ズボン乾かしておきますから、ハンガーに掛けておいて下さい」

P「何から何までありがとな、智絵里」

智絵里「わたしのワガママに付き合って貰っちゃってますから」

仕事柄帰れなくなる事が多いから、肌着と靴下は持ち歩いてて良かった。

お言葉に甘えて先に浴室に向かう。

服を脱いでズボンを言われた通りハンガーに掛け、シャワーを浴びた。

うん、サッパリする。

……さて、と。

どのタイミングで帰ろうか。

あがって即お邪魔しましたは申し訳なさ過ぎるし、かと言って朝まで居座るのも智絵里に悪いしな……

あ、それに美穂に連絡してない。

あがったら今日は帰らないってだけでも伝えておかないと。

李衣菜と飲んでたから、もう寝てそうではあるけど。



コンコン

智絵里「失礼します。ズボン、アイロン掛けておきましたから」

P「すまん、ありがとな」

それにしても……あまりにも不用心だったかもしれない。

一人暮らしの女性の部屋に上がり込むなんて。

それ程智絵里は俺の事を信頼してくれているんだろうが、有難いとは言え不安になる。

貞操観念が薄い……って訳じゃ無い……よな?

浴室から出てパパッと身体を拭き、服を着つつドライヤーを掛ける。

……うん、やっぱり。

美穂と比べて、物が少ない。

女性の洗面台ってもっと名前も分からない美容品で溢れかえってるものだと思ってたが、一般的にはそうでもないんだろうか。

P「……お先頂きましたーっと」

智絵里「手持ち無沙汰だったら、冷蔵庫にリンゴが切ってありますから」

P「あぁいや、大丈夫。次どうぞ」

智絵里が浴室へと向かって行った。

……テレビも無いんだな。

本人が居るところではアレだったから改めて部屋を見回す。

……あぁ、成る程。

この部屋、写真や置物が無いんだ。

部屋を装飾する物が殆ど無いんだ。

あんまり新しい暮らしに馴染めてないんだろうか。

P「おっと、美穂にラインを…………ん?」

美穂とのトーク欄を開けば、連絡が来ていた。

美穂『ふーんだ……分かりました、風邪はひかないように気を付けて下さいね?』

……何が分かりましたなんだ?

少し上にスクロールする。

P『すまん、終電逃しそうでさ。今日は適当な漫画喫茶にでも泊まるから』

P「……あれ?」

二十三時頃、俺の方から送信されている。

俺、美穂にこんなライン送っただろうか?

全く覚えてないが……そうとう酔ってたのかな。

寝ぼけながらも、きちんと連絡は取らなきゃと考えたのかもしれない。

それはそれとして美穂に改めて連絡する必要は無さそうだ。

浴室の方から聞こえてくるシャワーの音と、窓の外から響く雨の音。

それ以外、何も聞こえて来ない。

こんな部屋で、智絵里はいつも一人で生活しているんだな。

一枚くらい、Masque:Radeの五人が映った写真を渡しても……

いや、ダメか。

そうちひろさんに言われてたな。

のんびり近場の泊まれそうな施設を探しつつ、始発を調べる。

あ、二つ隣の駅にあるっちゃあるな……



智絵里「……あの……あがりました……」

P「おう。んじゃ……っ?!」

見れば、智絵里は薄手のシャツしか身にまとっていなかった。

いや、多分見えてないだけで下着は着けているんだろうが。

智絵里「えっ?あっ……その、いつもは一人だから……」

そう言いながら、俺の隣に腰を下ろす智絵里。

ほんわりと柔らかな良い香りが漂ってくる。

何故こうも同じシャンプーを使わせて貰った筈なのに、女の子は良い香りがするんだろう。

P「いやいや、気を付けろよ。まぁ部屋に男性がいるなんてあんまり無かったからなのかもしれないけどさ」

智絵里「……大丈夫、です」

こてん、と。

俺の肩に、智絵里の頭が乗せられた。

P「大丈夫って……」

智絵里「わたしは……Pさんなら……」

P「……まぁ俺はそんなつもりは無いから大丈夫だけどさ……」

智絵里「……それは……わたしにとっては、大丈夫じゃないです……」

P「にしても、ちょっと近くないか?」

そう言って、智絵里の方に目を向けると。

智絵里の肩は、小さく震えていた。

P「……寒いのか?今になって酔いがきたか?」

智絵里「……そうじゃ無いんです……っ!誰かと一緒に居るのが……久し振りだったから……!」

ぎゅっ、っと。

俺のシャツが握られた。

智絵里「こうやって、誰かが近くに居てくれて……一緒にお喋りしてくれて……安心出来るのが……とっても嬉しくって……っ!」

シャツに、涙のシミを作る智絵里。

……大学生活、上手くいって無かったんだろうか。

俺に心配を掛けまいと、嘘を吐いてたんだろうか。

智絵里「お友達がいない訳じゃ無いけど……どうしても、あんまり落ち着けなくって……やっぱり、わたしにはPさんしかいないから……!」

ぎゅぅぅっ、っと。

強く、俺に抱き付いて来た。

当然胸が密着するが、変な気を起こす訳にもいかない。

背中に手を回し、軽くさすりつつ抱き締め返した。

智絵里「……Pさん……どうして……」

智絵里の声は、涙に震えていて。



智絵里「どうして……美穂ちゃんなんですか……?」

智絵里の言葉に、心臓がドクンと跳ねた。

P「えっ?それは、どういう……」

智絵里「どうして、Pさんは……美穂ちゃんを選んだんですか……?」

それは、美穂が俺の事を想ってくれていて。

俺もまた、美穂の事が好きだったから。

それに関しては、何度か伝えた気もするが。

智絵里が、それを問い掛けてくるという事は……

智絵里「……わたしも……!Pさんの事が大好きだったのに……!!」

涙を流しながら、智絵里はそう想いを口にした。

P「……そう、だったのか……」

考えた事も無かった。

俺たちの事を、智絵里は祝福してくれていて。

おめでとう、って、そう言ってくれたのに。

それなのに、本当はそんな気持ちだったなんて。

それをずっと、隠し続けていただなんて。

P「……ごめん……」

謝る事しか出来ない。

智絵里「……ごめんなさい……突然こんな事言われても、迷惑ですよね……」

P「……ごめん……」

他に、なんて言えば良いのか分からないから。

そんな俺に向けて。

智絵里「…………ねぇ、Pさん……」

上目遣いで。

涙に濡れた瞳を上げて。

智絵里は、呟いた。



智絵里「……わたしの事…………抱いてくれませんか……?」

P「…………えっ?」

抱いて、だと?

智絵里が、そう言ったのか?

脳の処理速度が間に合わずオーバーヒートしそうだ。

智絵里「……一度だけで良いですから……」

P「……そういう訳には……俺には美穂がいるから……」

智絵里「お願いします……っ!それで、きちんと諦めるから……」

P「いや……でも……」

智絵里「もう……寂しいのはイヤなんです……ずっとPさんの事を想って暮らすのは辛いから……っ!」

涙で顔を濡らして、懇願する様に言葉を続ける智絵里。

智絵里「ずっと大好きだったのに……それでも諦めようって思って、でも諦められなくて……!お願いだから……一度だけ……わたしを……!」

抱き付く力を強くする智絵里。

智絵里「お酒のせいにして良いですから……っ!忘れても良いから……無かった事にしても良いですから……っ!」

こんなにも、強く想ってくれていて。

そのせいで、辛く寂しい思いを。

俺が……俺のせいで……

智絵里「……お願いです、Pさん……わたしを!大人にして下さい……!」

子供のままでい続けたく無いから、と。

そう呟く智絵里に。

もうこれ以上、智絵里に辛い思いをさせたくなかったから。

智絵里の苦しそうな表情を見たくなかったから。

誕生日を、成人した日を悲しい思い出にさせたくなかったから。

P「…………あぁ、分かった……良いんだな……?」

俺は、そう言ってしまった。

智絵里「……ううぅぅぅぅっ!Pさん……っ!」

更に強く抱き締められて。

次いで、唇が重ねられた。

智絵里「ちゅっ……んぅ、ちゅっ……っん、っちゅぅ……っ」

そのままお互い、ひたすらに唇を貪る。

智絵里は、寂しさで塗れた心を埋める様に。

俺は、頭から美穂の事をしばらくの間だけ忘れる為に。

智絵里「……っふぁぅ……ありがとう……ございます……っ」

頬を赤く染めてはにかむ智絵里。

そんな智絵里を、ゆっくりと布団に押し倒して。

六月十一日の深夜二十六時。

このシンデレラの魔法は、すぐに解けると分かっていながらも。

いや、既に解けていたのかもしれないが。

一度きりと決めた過ちを、お酒と誕生日のせいにして。

俺は、智絵里が心身共に大人へと成長する瞬間を。

一番近くで、誰よりもそばで祝う事になった。

わぁい。やっぱりスクイズ並のお話だぁ


で、全員を妊娠させるのですな

智絵里はこういうことする

さぁ修羅場の始まりだ



ピピピピッ、ピピピピッ

繰り返し機能により平日は全て同じ時間にセットされたアラームで、俺は目を覚ました。

頭がまだ微妙に重いのは、まだ昨晩のお酒が残っているからか。

うるさいアラームを止めようとスマホに手を伸ばしたところで、誰かが俺に抱き付いている事に気付いた。

P「美穂……?」

智絵里「んぅ……ぅうん……」

P「…………え……?」

智絵里が、一糸纏わぬ姿で俺に抱き付いていた。

改めて見れば俺も何も着ていない。

不味い、状況が全く把握出来ない。

なんで俺たちは裸で抱き合って……

P「……あ……」

昨晩の事を、全て思い出した。

思い出してしまった。

智絵里「あ……おはようございます、Pさん……」

智絵里はまだ寝ぼけている。

取り敢えず身体を起こして、智絵里に布団を掛けつつ服を着た。

美穂からの連絡は……無し、と。

良かった、今はあまりやりとりをしたくない。

後ろめたさと罪悪感で押し潰されてしまうから。

智絵里「朝ご飯、食べて行きませんか?わたしが振る舞いますから」

P「ん?良いのか……?」

智絵里「はい……えっ?あっ、きゃっ……!」

ようやく自分が何も身に纏っていない事に気付いたらしい。

智絵里「あっ……あぁぁっ!っうぅぅ……」

ぷしゅーっと効果音が出そうなくらい顔を真っ赤にして、智絵里は布団の中に潜って行った。

なんだか微笑ましい。

確か美穂との初めての翌朝も同じ感じだった気が……

美穂の事を思い出して、改めて苦しくなった。

……いや、今回だけだ。

この一度だけ、もう絶対にしない。



智絵里「……あぅ……ふふ……えへへ……」

智絵里の微笑む声が聞こえてくる。

というか布団の隙間から、両手で頬を抑えているのが見えてる。

……智絵里も、もうこれで色々と吹っ切れてくれただろう。

これで良かったんだと、自分に何度も言い聞かせた。

智絵里「……あ、時間は大丈夫ですか?」

P「多分。こっからだと……あ、微妙だな」

智絵里「だったら、お味噌汁だけでも……インスタントですけど……」

そそくさと服を着て、お湯を沸かす智絵里。

寝起きでもこんなに可愛いんだから、きっと化粧もそんなに必要無いんだろうな。

P「智絵里は?一限はあるのか?」

智絵里「いえ、今日は三限からだから大丈夫です」

P「そっか、なら良かった」

そんな会話をしながら、インスタント味噌汁を作る。

お酒飲んだ次の日の味噌汁って凄く魅力的に見えるな。

智絵里「はい、どうぞ」

P「ありがと。頂きます」

うん、美味しい。

空腹に味噌汁の優しさが染み渡る。

ピロンッ

P「ん……?」

美穂からラインが来た。

美穂『おはようございます。今日は帰ってきますか?帰ってこないんですか?』

若干棘があるな……

P『きちんと帰るよ。夕飯、お願いして良いか?』

美穂『Pさんの態度次第です』

P『お土産に甘いものを買わせて頂きます』

美穂『七味も忘れずに、ですよ』

P『はい、必ず買って帰ります』

美穂『よろしいでしょう。待ってますからねっ!』

智絵里「……美穂ちゃん……ですか……?」

P「ん?あ、あぁ……」

少し寂しそうな智絵里の声。

目の前でするべき事では無かったな。

智絵里「……ふふっ。お幸せにね?Pさん」

P「……あぁ。ありがとう」

そう、微笑んで言ってくれた。

だから、きっとこれは間違いじゃ無かったんだ。



P「それじゃ、お邪魔しました」

智絵里「行ってきます、でも良いんですよ……?」

P「またいずれ飲みに行こうな。今度はみんなも一緒に」

智絵里「……はい。是非、声を掛けて下さいね?」

あ、そうだ。

一枚くらいなら、きっと大丈夫だろう。

P「はい、Masque:Radeの写真。良かったら飾ってみてくれ」

五人並んで写った写真を、智絵里に手渡した。

部屋に写真無かったし、あった方が良いかなと思ったから。

智絵里「……はい!ありがとうございます……!」

P「じゃ、またな」

智絵里「またね、Pさん」

そう言って、俺は智絵里の部屋を後にする。

空は、まだ曇っていた。





P「おはようございます、ちひろさん」

ちひろ「おはようございます、プロデューサーさん」

事務所に入ると、既にちひろさんが居た。

コーヒーを片手に書類とにらめっこしている。

ちひろ「智絵里ちゃん、どうでしたか?」

P「えっと……まぁ、楽しそうでした。また飲みに行きたいって言ってくれたんで」

ちひろ「ふふっ、それは良かったですね」

P「はい。あ、それで……その、一枚だけ写真を渡しちゃったんですけど……」

ちひろ「あ、智絵里ちゃんになら問題ありませんよ?本人ですから」

P「良かった……」

ちひろ「よっぽど過去話で盛り上がったんですね」

P「今度、ちひろさんも一緒にどうですか?」

ちひろ「あら、良いんですか?」

P「美穂や李衣菜も誘って、みんなで飲みに行きましょう」

まゆ「まゆも誘って下さいよぉ……」

P「うぉっ?!」

突然、まゆが会話に混ざって来た。

いつのまに来てたんだ……

まゆ「最初から居ましたよぉ……はい、コーヒーです」

P「ありがとう、まゆ」

まゆ「ところで…………昨日はどれくらい飲んだんですか?」

P「んー、まぁそこそこ。色々あるお店でついつい沢山飲んじゃったよ。俺もしかして酒臭い……?」

まゆ「あ、それは大丈夫です。お酒の匂いは、全くしませんから。気になるならファブリースしときますか?」

P「良かった……そうだな、一応使っとくか」

まゆ「二人とも、終電は間に合ったんですか?」

バクン、と心臓が跳ねる。

いや、大丈夫だ。

下手な事を言わなければバレる筈がない。

美穂とまゆはよく連絡を取ってるし、下手な嘘は吐けないから……




P「間に合わなかったから、智絵里を家の近くまで送った後に漫画喫茶に泊まったよ」

これなら大丈夫だろう。

ちひろ「領収書はありますか?」

P「あっ、貰い損ねた……出た感じですかね?」

ちひろ「そういう訳ではありませんけどね」

P「なら良いか」

ちひろ「貰っておかないと後々後悔するかもしれませんよ?」

P「今後は気を付けます……」

まゆ「羨ましいですねぇ……九月が待ち遠しいです」

P「そう言えば、加蓮は今日は現場に直接向かうんでしたっけ?」

ちひろ「そうですね。そのまま直帰になってます」

まゆ「これはもうまゆと二人きりでランチするしかありませんねぇ!」

P「あ、悪い。俺千葉の方行かなきゃいけないから」

まゆ「うぅぅぅぅ……っ、ビェェェェッ!!」

P「人気女優の迫真の泣き喚く演技を間近で見れるなんてこっわめっちゃ怖」

あまりにも迫真過ぎる。

ちょっと引く。

まゆ「ふぅ、このくらいお手の物です」

P「じゃ、俺行って来ますね」

ちひろ「車ですか?」

P「電車で行きます」

まゆ「ストップストップはーふみにっつうぇいと!うぇい!うぇいっ!」

P「……うぇーい」

まゆ「いえ、ウェイでは無くですね……明日、ランチご一緒しませんか?」

P「明日は……あ、大丈夫そうだな。どっか行きたい店とかあるか?」

まゆ「近くに、前から気になってた喫茶店があるんです」

P「おっけー、ちひろさんはどうですか?」

まゆ「分かってますよねぇ?!」

ちひろ「……お二人でぞうぞ」

まゆ「それでは行ってらっしゃい、プロデューサーさん」

P「あぁ、行って来ます」




P「っふぅ……」

夜、玄関前で大きく深呼吸。

片手に鞄、もう片手にお土産。

取り敢えずもう一度深呼吸する。

思い切り吸い込み過ぎてむせそうになった。

P「…………よし」

ガチャ

P「ただいまー」

どたどたどた

リビングから此方へ向かう足音が聞こえて。

美穂「おかえりなさいっ!Pさんっ!!」

ギュゥゥッ、っと抱き締められた。

P「おう、昨日は帰って来れなくてごめんな」

美穂「いえ、李衣菜ちゃんもわたしもかなり酔ってたから帰って来なくて正解だったかもしれません」

P「……あいつは大学間に合ったのか?」

美穂「今朝、この世の終わりみたいな顔で出て行きました」

P「……ほんと、ほどほどにな」

荷物を片手に纏めて、美穂を軽く抱き寄せる。

美穂「さ、ただいまのお約束は……?」

P「おう。ただいま、美穂」

ちゅ、っと軽く唇を重ねる。

美穂「はいっ!おかえりなさい、Pさんっ!」

P「お土産買ってきたぞ。今日は千葉行ってたから落花生。梨はこの時期はまだみたいだ」

美穂「七味はちゃんと買ってきましたか?」

P「もちろん、流石に何度もは忘れないよ」

美穂といつも通りの会話をしながらリビングへ向かう。

いつも通りに振る舞えるか不安だったが、大丈夫そうだ。

卓上には既に夕飯が用意されていて、そのどれもがまだ温かそうで。

丁度俺が帰ってくる時間を見計らって作ってくれたんだなと思うと、苦しくなる。




美穂「さ、いただきます」

P「いただきます」

うん、美味しい。

美穂「七味があると美味しいですねっ!」

P「うんごめんって、今度から必ず次の日には買うようにするから……」

美穂「あ、智絵里ちゃんどうでしたか?」

P「えっ、どうって……」

一瞬ドキッとする。

美穂「えっと、どのくらいお酒飲めましたか?って意味です」

P「あー、うーん……まぁ苦手では無さそうだったな」

だよな、大丈夫だとわかっていてもバレてないか不安になる。

後ろめたい事があるとどうにも挙動不審になりそうなのはどうにかならないものか。

美穂「今度、わたしが一緒に飲みたいって言ってたって伝えてくれましたか?」

P「うん、んで暇があったら連絡くれよって頼んどいた」

美穂「ありがとうございます。智絵里ちゃん、あんまりライン確認しないみたいでなかなか連絡取れないんですよね……」

寂しそうに呟く美穂。

そうなのか……?

俺のラインは遅くても半日後には返信来るけど。

美穂「あ、昨日シャワーは浴びられましたか?」

P「あぁ、最近の漫画喫茶はサービスが豊富でありがたいな」

美穂「……えっと……わたしなら、もっと豊富なサービスを提供出来ますけど……」

顔を赤らめ、少し目を逸らす美穂。

美穂「……昨日は狭い場所で疲れが取れなかったと思うから……今日は、わたしが身体を流してあげますっ!」

P「……ありがとう、美穂」

女性と二人きりで飲んでその晩帰って来なかったのに、一切そういった疑いを向けて来ない美穂に申し訳無くて。

そんな彼女を一度だけとはいえ裏切ってしまった事が苦しくて。

P「せっかくだし温泉の素でも使うか」

美穂「はいっ!一緒に気持ち良くなりましょうっ!」

言って、即また顔を真っ赤にする美穂。

そんな同居人が可愛過ぎて、今すぐにでもキスしたくなる。

やっぱり俺は、美穂を選んで正解だった。

美穂と一緒になる道を選んで良かった。

P「んじゃ、洗い物は俺がやるよ」

美穂「はいっ、その間にわたしは洗濯物を畳んじゃいますから」

いつも通りの日常に戻るのは、なんてことなかった。

二人で過ごす時間は幸せで、当たり前が嬉しくて。

……それなのに。

昨夜の出来事は、心にこびり付いたままだった。



P「すみません、サンドイッチセット二つとポテトじゃがいもポティトゥセットを一つで」

まゆ「まゆはブレンドで」

P「あ、じゃあ俺も同じので」

六月十三日、水曜日の昼下がり。

俺たちは事務所近くの喫茶店に来ていた。

落ち着いた雰囲気とお洒落な店内BGMが心地良く。

なんだかワンランク上の昼を過ごせている様な気分になる。

まゆ「……で、ですよ?」

P「なんだ……いや、まぁ、うん。分かってる」

加蓮「なになに?私分かんないんだけど。ツーカーとかズルくない?あ、私オレンジジュースで」

まゆ「なんで加蓮ちゃんが居るんですか?って事ですよぉ!」

まゆと二人と言う約束だったのだが、何故か加蓮がいた。

加蓮「別に良いじゃん、撮影午前中で終わって暇してたんだし」

まゆ「しかも何ですか、せっかくお洒落な喫茶店に来たのに変なランチセット注文して……」

加蓮「文句なら店に言いなよ!気になるんだからしょうがないじゃん!!」

まゆ「店員さん『えっ?これ注文する奴いんの?!』みたいな顔してましたよぉ……」

P「まぁまぁ、良いだろたまには三人でも」

まゆ「たまには?本当にたまにはだと思ってるんですか?」

加蓮「違うの?」

まゆ「まゆとプロデューサーさんが二人きりでランチの約束をした時は毎っ回加蓮ちゃんが居るんですよぉ!!」

加蓮「あ、プロデューサー塩取って」

P「はいよ」

まゆ「プロデューサーさん?」

P「いや……だって事務所で暇そうにしてたから……」

加蓮「優しいね、プロデューサーは。まゆはその優しさを否定するの?」

まゆ「加蓮ちゃんに対してのみは否定しても良いんじゃないかと最近本気で検討してます」

美味しいコーヒーを傾けながら、二人の会話を見守る。

時間は……まだかなり余裕あるな。




まゆ「ふぅ……まあ良いです。そのうちディナーにでも連れてって貰います」

加蓮「あ、プロデューサー。こないだのお店まゆも連れてってあげたら?」

まゆ「良くなさそうです。えっ、二人は結構お食事してるんですか?」

加蓮「あれ?まゆは違うの?」

まゆ「……プロデューサーざぁん……」

P「いや、だってまゆは夕飯は誘って来ないから……」

まゆ「美穂ちゃんに気を遣ってるんですよぉ……」

そっか、そこまで考えてくれてたんだな。

P「でもまぁ金曜は結構空いてるぞ。美穂が大学の友達と飲みに行く事多いから」

次の日玄関やリビングのソファでぐでーっと寝てる事多いけど。

まゆ「ふむふむ……覚えておきます」

「お待たせしましたー」

サンドイッチとポテトじゃがいもポティトゥが運ばれて来た。

……うっわ……

加蓮「……ごめん、ちょっと食べ切れる気がしないから手伝ってくれない?」

まゆ「仕方ありませんねぇ……」

P「凄いボリュームだな……」

山盛りになった多種多様なポテトがとんでもない存在感を放っている。

明らかに成人男性が一日に必要なカロリーを超えてそうだ。

加蓮「あ、でも美味しい」

まゆ「……むむ、美味しいです」

P「美味しいな。これぱくぱく食べられちゃうわ」

まゆ「いやぁん、まゆも食べられちゃうっ!」

加蓮「は?」

P「えぇ……」

まゆ「……ごほんっ!ごっほんっ!ゴッッホンッ!!」

加蓮「水飲む?」

まゆ「いえ、むせてる訳では無いので……水に流して下さい」

それにしても、ここのサンドイッチも美味しいな。



ピロンッ

加蓮「あ、李衣菜からライン来た。なんだろ?」

李衣菜か……

そういえば、美穂と李衣菜はよく会ってるが俺は会ってないな。

そのうち智絵里も誘って食事にでも行くか。

加蓮「あっやばっ。カラオケ行く約束してたんだった」

まゆ「しっしっ!さっさと退場して下さい」

加蓮「言われなくたって行くし!じゃあね、カラオケエンジョイしてくる!!」

キレ気味に加蓮が出て行った。

……ポテトと支払い、押し付けられた。

まぁ元より俺が持つつもりではあったが。

まゆ「……嵐の様でしたねぇ」

P「元気だなぁ、この歳になると羨ましくなってくるよ」

まゆ「うふふ、プロデューサーさんもまだ十分若いと思いますっ」

P「現役アイドルにそう言って頂き光栄の至りだよ」

のんびり、ポテトをつまみながらコーヒーを飲む。

驚くほど合わない。

まゆ「……ところで、プロデューサーさん」

少し。

まゆの声のトーンが下がった気がした。

まゆ「……美穂ちゃんとは、最近上手くいってるんですか?」

P「んっ?あぁ、もちろん」

まゆ「浮気とかしてませんか?他の女の子に目移りしちゃったりとか」

P「何言ってんだ、する訳ないだろ。俺は美穂一筋だよ」

脳裏をよぎるのはほんの数日前の夜の事。

けれどそれを、誰かに知られる訳にはいかない。

P「突然どうしたんだよ。今撮影してるドラマってそんなドロドロした内容なのか?」

まゆ「いえ……先日智絵里ちゃんと二人で飲んだって言ってたから、もしかしてそんな禁断の関係が、なんて妄想しちゃいまして」

うふふ、と笑うまゆ。

……大丈夫だ、バレてる訳じゃない。

所詮はまゆの妄想だ、そんな証拠はどこにも無い。




まゆ「まぁプロデューサーさんに限って浮気なんてあり得ませんでしたねぇ、失礼しました。あんなに可愛い女の子と同棲してるんですから」

P「おう、すっごく可愛いぞ。俺には勿体無いくらい……って言ったら美穂に怒られちゃうな」

まゆ「うふふ、ですよねぇ。プロデューサーさんは優しいですから」

P「優しいとかの問題じゃ無いだろ、浮気は」

まゆ「でも、そんな優しいプロデューサーさんは……智絵里ちゃんに一度きりで良いですからって泣き付かれたら、断れないんじゃないかなぁなんて思っちゃったんです」

一気に、脳が真っ白になった様な感覚に陥った。

俺は今、きちんと呼吸出来ているだろうか。

心臓の音がまゆまで聞こえてしまっていないだろうか。

コーヒーカップを落とさなかったのは奇跡と言えるレベルだ。

P「……こ、断るに決まってるだろ。美穂を裏切る様な事はしたくないからな」

まゆ「うふふ、ごめんなさい。お年頃な女の子ですから、そう言った事がついつい気になってしまうんです」

P「まったく……やめてくれよ?」

まゆ「ごめんなさい。まゆも、美穂ちゃんとプロデューサーさんの幸せを願っていますからっ!」

少しずつ、ようやく頭が落ち着いてきた。

大丈夫だ、大丈夫だから。

まゆに揶揄われているだけだから。

まゆ「でも、気を付けて下さいねぇ?女の子っていうのは弱いけれど強かな生き物なんです」

P「気を付ける、って……まぁ覚えておくよ」

ブーン、ブーン

P「ん、先方さんから連絡だ。悪いけど代金置いとくから支払い任せていいか?」

まゆ「はい、貴方のまゆにお任せ下さいっ!」

財布からお札を数枚出し、鞄を持って席を立つ。

まゆ「……一度きりだなんて……それで済むはずが……」

最後にまゆが言っていた言葉は、よく聞き取れなかった。

さすまゆ




美穂「Pさん」

P「はい」

金曜日、朝。

朝食を食べている最中、美穂からなんかお叱りを受けた。

美穂「智絵里ちゃんとの連絡、本当に取ってくれてるんですか?」

P「一昨日に今月どっか空いてる日無いか?ってラインを送ってそれっきり既読も付いていません」

美穂「わたしもです!!」

なんかハイテンションで怒られてる。

美穂「忙しいのは分かるけど……うん、忙しいならしょうがないよね」

納得して頂けた様だ。

なら俺怒られ損ではないだろうか。

美穂「もーっ!わたしも久し振りに智絵里ちゃんと飲みたいのーっ!!」

お前智絵里と飲んだ事無いだろ。

駄々っ子モードの美穂に言っても多分聞かないだろうから黙っておくが。

美穂「わたしもよく送ってるんです。金曜日ならわたしもPさんも空いてますよーって」

P「返信は?」

美穂「なるほど、みたいなスタンプが一つだけ……」

P「とても雑」

美穂「もう良いですっ!今夜は久し振りに李衣菜ちゃん呼んで飲みますっ!!」

お前今週頭もあいつと飲んでたよな。

美穂「あ、Pさんも来ますか?」

P「今日何時になるか分からないしな……まぁ俺がいるとしづらい話もあるだろうし遠慮しとくよ」

美穂「ふーんだっ!Pさんへの愚痴に付き合ってもらうもんっ!!」

P「…………」

美穂「あっ、あの……えっとっ!ありませんよ?!わたし、本当にPさんの事が大好きだから……今のはその、勢いと言いますか……」

焦る美穂が可愛い。

全く、それくらい分かってるのに。

P「大丈夫だって、俺も美穂の事大好きだから」

美穂「むぅ……嬉しいんですけど、なんだか掌の上みたいな感じですね……」

P「ほら、そろそろご馳走さましないと遅れちゃうぞ」

美穂「話し掛け方までなんだか幼い子向けになってませんか?!」

P「すまんって、なんだか可愛くてさ」

美穂「……素直に喜べない……でも嬉しい……うーん……」




P「洗っちゃうから食器運んでくれー」

美穂「幼くないもん。わたし幼くないもん!もう二十歳だもん!!」

幼い、とても幼い。

二十歳とは思えない。

いやまぁお酒入るとこんな感じだけど。

美穂「……Pさんは……幼い子は嫌いですか?」

P「いや、大好きだよ」

美穂「……ロリコン……?」

P「美穂が好きって意味だよ……」

美穂「……わたし、言外に幼いって言われてません?」

P「割とストレートに言ってるつもりだけど。っていうかじゃあさっきの質問は何だったんだよ」

美穂「そ、それはっ!え、えーっと!そのっ!い、いつかそういう日が来る事を望んでくれてるかなーなんて…………えへへ……」

……それは……子供って意味だろうか。

P「……あ、朝からする話じゃないな……」

美穂「あ、照れてまふか?」

P「噛んでるぞ」

美穂「わ、わたしだって焦ってるし恥ずかしかったんですから!!」

P「ま、そうだな……美穂が大学を卒業して、その先の事が全部決まったら……」

美穂「…………うぅ……はい……」

顔を真っ赤にして俯く美穂。

本っっ当に可愛いな……

可愛さの奔流で世界のどこかで竜巻が起きる。

美穂「あっ、一限のレポート授業開始前に提出でした……!」

P「あー……片付けやっとくから、行ってらっしゃい」

美穂「朝の約束!」

P「ばっちうぇるかむ!」

ちゅっ、っと。

唇を重ねて、美穂を見送る。

美穂「行ってきまーす!」

P「行ってらっしゃい」

ドタドタと階段を降りて行く音がした。

さて、それじゃ俺も食器洗って出る準備しないと。





ちひろ「これが終われば金曜日……これが終われば金曜日です……!」

P「いやもう金曜日ではありますからね?」

ちひろ「だーらっしゃい!同棲野郎は毎日花金みたいなものじゃないですか!」

いや、別にそんな訳無いが……

ちひろ「毎晩帰ると恋人が待っててくれて、お酌までしてくれるんですよね?!あー!羨ましいです!!」

P「……ちひろさん、なんか今日荒ぶってないか?」

加蓮「昨日高校の友達の結婚式に出て心に重傷を負ったんだって」

ちひろ「はぁ……何処かに良い人落ちてませんかー……」

P「落ちてる物を食うなんて……」

ちひろ「いえ、食べはしませんよ?あ、でも結局食べる事に……ってなんて事言わせるんですか!」

加蓮「今日はまゆが居ないから落ち着けると思ったらコレだよ。分かる?朝事務所来たら熱帯低気圧に出迎えられた私の気分」

P「すまんって、いやでも俺別に遅刻した訳じゃ無いし……」

加蓮「ちょっと早起きしてみようかなーなんて思ったら……もう二度と起きない」

P「死んでる死んでる。早起きはしなくて良いからせめて起きて」

にしても、結婚式か……

美穂、大泣きするんだろうな。

ウェディングドレスと白無垢、どっちが似合うかな……

あーやばい、迷うぞ……この際どっちも着せたいな。

人生で一度きりなんだし、悔いは残したくない。

加蓮「うげー……プロデューサーも頭に台風わいてる?」

P「フルスロットルで回転させて美穂にどっちが似合うか考えてる」

ちひろ「えっ?!もうそのご予定が?!」

P「いずれ、ですけどね」

ちひろ「うぅ……あんなに若かった美穂ちゃんも、今では結婚を視野に入れて同棲生活……それに比べて私は……」

P「……お酒、飲みに行きます?」

ちひろ「プロデューサーさんと飲んだってお持ち帰りは発生しないじゃないですか……」

P「それ目当てで飲むのか……」

加蓮「……こうはなりたくないかな……」



ピロンッ

加蓮「あ、プロデューサーライン来てるよ」

P「誰だろ……ん、智絵里だ」

智絵里『突然でごめんなさい。気になるお店を見つけたんですけど、今夜空いてたりしませんか……?』

P「お、ちひろさん。今夜智絵里空いてるみたいなんですけど一緒に飲みに行きませんか?」

ちひろ「あ、是非是非。久し振りに智絵里ちゃんと会って、尚且つ飲めるなんて素敵なプレミアムフライデーになりそうですね」

P「ついでに美穂と李衣菜にも声かけとくかな」

加蓮「良いなー」

P「加蓮もいずれな」

P『もちろん大丈夫だぞ。ちひろさんとか美穂とかにも声掛けて大丈夫か?』

智絵里『あ、その……先日の事をきちんと謝りたいから、二人っきりが良いです。ダメですか……?』

……先日の事……か。

P『おっけ、分かった。二十時で大丈夫か?』

智絵里『はい。お願いします』

P『店のリンクだけ後で貼っといてくれ』

P「すみませんちひろさん、無理になりました」

ちひろ「はー何がプレミアムフライデーですか。金曜日なんてなくなっちゃえば良いんです」

P「なんか今このタイミングで智絵里に用事が入っちゃったみたいで」

加蓮「ふーん……タイミングわっる。あーでも私を除け者にしようとした罰かもね」

ケラケラと笑う加蓮。

世界の法則の乱れを願うちひろさん。

そんな中、俺はと言えば。

P「……はぁ……」

ちひろ「残念でしたね、プロデューサーさん。あっ、そう言えば今日会社で飲み会やるって言ってた気がしますけどどうですか?」

P「あぁいや、大丈夫です。美穂達の方混ぜてもらうんで」

智絵里からの、謝罪という文面で。

先日の事を思い出して、心が重くなっていた。

泥沼の恋愛いいぞ~



P「それじゃ、お疲れ様でした」

ちひろ「お疲れ様です、プロデューサーさん」

会社の飲み会に参加が決まって気分が良さそうなちひろさんと別れ、駅へと向かう。

こんなに参加表明が遅くても大丈夫なのかと思ったが、どうやら事務所の近くの居酒屋を貸し切る為どのタイミングからでも自由参加出来るらしい。

すごい、この事務所凄い。

まぁそれは置いといて、智絵里から送られて来た店を調べて最寄りへ向かう電車に乗る。

見たところ前回飲んだバーと似た様なお店だ。

気に入ってくれたんだとしたら嬉しい限りだな。

それに、智絵里から誘ってくれるなんて。

昔の自分に『智絵里からお酒誘われる日が来るぞ』なんて言っても信じないだろうな。

智絵里「あっ……お疲れ様です、Pさん」

約束の駅へ着くと、既に智絵里は待っていた。

P「おう、お疲れ智絵里。待たせて悪かったな」

智絵里「ふふ、わたしも今丁度着いたところですから。それと……来てくれてありがとうございました」

P「智絵里の方から誘ってくれるなんてな」

智絵里「驚きましたか?」

P「そこそこ……って言い方は失礼か」

智絵里「Pさん、金曜日は空いてる日が多いって聞いてたから……」

P「まぁな。それと、美穂からのラインも返信してやってくれよ?」

智絵里「……そうですね。ここ何日かレポートに追われてて、誰かからライン来ても大体スタンプで返しちゃってたから……」

あー、それはしょうがないな。

P「それじゃ店向かうか。この近くだよな?」

智絵里「はい。わたしが案内してあげます……!」



P「さて……ほんの数日ぶりだけど。乾杯」

智絵里「乾杯っ!」

カンッ!

心地良い音が響き、一気にジョッキを傾ける。

お洒落なお店だが、俺が注文したのは生だった。

金曜日の一杯目はやっぱりこれが飲みたかったから。

智絵里「わあ……凄い飲みっぷりですね」

P「うん、美味い!智絵里は何頼んだんだっけ?」

智絵里「レモンサワーです。最初のうちはコレを頼んでおけば間違いないって誰かが言ってたから……」

とても分かりみが深い。

飲める様になって最初の頃はずっと柑橘類のサワー系飲んでた気がする。

少しずつグラスを傾ける智絵里は、相変わらず小動物っぽさがあって可愛いな。

智絵里「そう言えば、Pさんってタバコ吸って無かったでしたっけ……?」

P「ん、あー。美穂と同棲始めてからキッパリやめたよ」

苦手かどうかは分からないけど、その方が良いと思ったから。

美穂の性格的に思ってても言うかどうか分からなかったし、なら自主的にやめておくのが正しい判断と言えるだろう。

智絵里「そっか……わたしは好きだったから……」

P「タバコの匂いが?」

智絵里「えっと、タバコを吸ってるPさんがです。その後の匂いもだけど、吸ってるのカッコいいなって思ってたから……」

P「智絵里は匂いそんな気にならなかったんだな。まぁ最初の頃に李衣菜や加蓮に臭いって言われてから、かなり気を使うようにはしてたつもりだけど」

智絵里「はい……あ、わたしと飲む時は吸っても大丈夫ですよ?」

P「もう買ってないし、一本吸ったらもう一本ってなっちゃいそうで怖いからやめとくよ」

智絵里「そっか……そうだよね……」

残念そうな表情をする智絵里。

まぁでも、またやめられなくなって美穂に迷惑掛けたくないし。

P「智絵里は興味あるのか?」

智絵里「いえ、自分で吸うつもりは……健康が一番ですから」

P「正しい、うん。吸わないのが一番だよ」

元アイドルだけあって、その辺の意識はきちっとしてるんだな。

そして元喫煙者が何を言ってるんだってなるが、タバコは吸わない方がいい。

健康と肺活量とお金がゴリゴリ削れてく。




智絵里「あ、こないだ頂いた写真、部屋に飾らせてもらいました」

P「それは良かった。なんならちひろさんに頼めば何十枚何百枚と貰えるけどどうする?」

智絵里「……いえ、一枚の方がより大切に出来るから……」

P「……そっか。ならま、気が向いたり欲しくなった時にでも連絡くれればデータ送るから」

智絵里「はい、ありがとうございます」

それからしばらく色々と飲んで。

腹が八分目くらいまで埋まって来た頃。

P「そういえば、智絵里はお酒が気に入ったみたいだな」

智絵里「これでも好奇心はありますから。こないだ気になってたけど飲めなかったお酒、今度挑戦したいなって思ってて」

P「んで、お店探したんだな」

智絵里「はい。あ、それで……その……」

智絵里の声のトーンが、少し下がった。

……あんまり俺も話したく無い話題だから、そのまま避け続けてくれても良かったんだけどな。

智絵里「……こないだは……本当にごめんなさい……!」

目に涙を浮かべて、そう口にする智絵里。

智絵里「わたし、とってもワガママで、ズルくて……Pさんを困らせちゃって……!」

P「……それは……」

智絵里「美穂ちゃんを裏切る様な事をさせちゃって、本当に酷い事しちゃったんだって……!Pさんは優しいから、美穂ちゃんと会う時とっても苦しかったと思うから……!」

それは……その通りだ。

だからこそ、あんまり掘り返して欲しく無かった。

智絵里「それと……実はこっそり、Pさんが寝てる間にPさんのスマホで美穂ちゃんにライン送っちゃったんです……」

P「……あぁ、だから……」

送った覚えが無いと思っていたが、本当に俺は送ってなかったんだな。

指紋認証なんて、相手が寝てれば指を乗せるだけで簡単に解除出来るし。




智絵里「終電逃しちゃう時間になっても、Pさん気持ち良さそうに寝てて……起こすのは可哀想だったのと、美穂ちゃんに連絡しないのも可哀想だったから……」

P「そっか……それはうん、俺が悪いな。それと、他には何もしてないよな?」

智絵里「はい……それだけです」

P「なら、まぁ…………次からはやめてくれよ?無理やり起こしてもいいから」

智絵里「はい、約束します……」

P「……その時から、もう全部決まってたのか?」

智絵里「……ごめんなさい……!Pさんが寝ちゃった時、きっとこれが最後のチャンスだって……そんな事を考えちゃって……!」

P「あぁいや責めてる訳じゃ無いっていうか……そんな泣いて謝らなくても良いから……」

智絵里の涙は、見たくない。

智絵里「わたしが……わたしが、弱かったから……!」

P「……ちゃんと謝れるだけ、強いさ」

智絵里「でも……わたし、次会う時美穂ちゃんにどんな顔して会えばいいのか……」

P「……大丈夫だよ、俺たちが言わなければ気付かれないんだから。言ったら美穂も傷付くだろうし、俺たちも辛いし。黙ってるのがお互いの為だ」

智絵里「そう……ですよね……」

P「さ、この話はおしまい。飲んでさっさと忘れるのが一番だ」

智絵里「……はい」

下がった気分を無理やり上げるべく、追加で少し強めのお酒を注文する。

智絵里の表情は、なかなか明るくならなかった。



P「さて、そろそろ出るか」

智絵里「はい……あ、わたしが誘ったから……」

P「良いって良いって、このくらい払わせてくれよ」

時刻は二十三時を回った頃。

そろそろ店を出てのんびり歩いて駅へと向かっても、終電には余裕で間に合うだろう。

智絵里「なら……はい、ご馳走さまでした」

未だに、智絵里の表情は暗いままで。

なんとなく居心地が悪くて、こんな時こそタバコが吸いたくなった。

吸わないが。

美穂を裏切る様な真似なんてしたくないから。

P「来週は美穂にも声掛けてやってくれよ?」

智絵里「はい……空いてたら、そうします……」

P「……気分、悪いのか?」

智絵里「そういう訳じゃ無いけど……」

どうにも歯切れが悪い。

水でも買って渡すべきだろうか。

そんなこんなで駅へと着く。

既に人通りは少なく、ちらほら見える人は大体酔っ払いか中々解散しない大学生グループかキャッチだった。

梅雨前の夜風は冷たく、路上を転がるビニール袋が寒さを一層引き立てる。

P「それじゃ、智絵里……」

智絵里「……あっ……えっ、っと……!」

またな、と。

そう言おうとした時だった。




智絵里「……まだ……別れたく無いです……」

智絵里が、抱き付いて来た。

触れ合う部分から伝わる温もりは、お酒も相まってかなり熱い。

P「お、おい……」

智絵里「……Pさんは忘れられるかもだけど……わたしは……忘れられないんです……!」

ぎゅぅぅぅ、っと。

抱き付く力が強くなる。

智絵里「忘れようとしても、あの時の幸せが……Pさんの温もりが忘れられなくって……!」

P「智絵里……」

智絵里「あれからずっと、Pさんの事しか考えられなくなっちゃって……!諦めるって、決めたのに……!もっと好きになっちゃって!」

ぼろぼろと涙を溢す智絵里。

そんな彼女を見るのが辛くて、俺は背中に腕を回し抱き寄せた。

P「……ごめん……」

智絵里「……ねぇ……Pさん……」

P「……それは……ダメだ」

その先の言葉は、何となく予想がついてしまった。

けれど、それに頷く訳にはいかない。

もうこれ以上、美穂を裏切る様な事はしたくない……

智絵里「……今度こそ、絶対最後にしますから……!」

P「……なあ、智絵里。最後とかそう言う問題じゃ……」

智絵里「お願いです……!お願いだから……!」

P「……ダメだ」

智絵里「……わたし……美穂ちゃんに送りたくないから……」

P「えっ……?」




涙を流しながらも、スマホの画面をこちらへ向ける智絵里。

そこに写っているのは、一糸纏わぬ姿で抱き締めあっている俺と智絵里だった。

P「おい……」

不用心だったのは、俺の方だった。

智絵里ならそんな事はしないと思っていたのに……

智絵里「……ワザとじゃ無いんです……Pさんの寝顔だけ撮れれば良かったのに、わたしまで写っちゃって……」

確かに智絵里自身は画面端にチラッと写っているくらいだが。

それでも見る人が見れば、これは智絵里だと断定出来てしまう。

智絵里「ごめんなさい……今夜、してくれたら……必ず消しますから……」

P「…………」

智絵里「……家にパソコンはありません……Pさんが、自分で消して良いですから……!」

智絵里の家に、見た感じパソコンは無かったけど。

それを完全に信頼出来るかと言われれば否定するし、かと言って今否定したら全てが終わる。

智絵里「お願いです……!わたし、美穂ちゃんと……また、笑顔で会いたいから……!」

P「…………智絵里……」

智絵里「わたし、二人の事を心から祝福したいから……!だから……今度こそ、最後だから……!」

どの道、俺に断るなんて選択肢は残されて無かったが。

それでも、智絵里がそこまで言ってくれたなら……

P「……あぁ、分かった……」

智絵里「……っ!ありがとうございます……!」

P「だけど、一つ約束してくれ。事が終わったら、俺にスマホを確認させてくれよ……?」

智絵里「はい……約束します……!」

それなら、今度こそこれで最後に。

もう絶対に、美穂を裏切らないと誓って。

俺と智絵里は並んでホテルへと歩いた。







一週間に二度も自宅の扉が重く感じる日が来るなんて、思いもしなかった。

大丈夫だ、土曜日のこの時間なら美穂はいつも寝てる。

その間にもう一度シャワーを浴びて、服を洗濯機に突っ込めば何も残らない。

智絵里のスマホはチェックさせてもらって、写真もきちんと消した。

笑顔で別れ、来週金曜日は美穂と一緒に食事したいって言ってたし。

誤魔化せる、智絵里の話になっても逸らす事が出来る。

ゆっくりと、俺は扉を開いた。

P「……ただいまー……」

小さな声で、玄関へ入って。

美穂「おかえりなさい、Pさん。随分早いお帰りですね」

居た。

目の前に立って居た。

不機嫌の権化が目の前でおたま片手に立って居た。

P「た、ただいま……すまん、連絡忘れてて」

美穂「……なーんて、ビックリしましたか?大丈夫です、怒ってませんからっ!」

……なんだ……良かった……

P「悪いな、会社の飲み会で終電逃しちゃってさ」

美穂「智絵里ちゃんと飲んで、近くのビジネスホテルに泊まってたんですよねっ?!」

俺たちの声が重なった。

P・美穂「えっ……?」

……待て待て待て、なんで知ってるんだ……?

美穂「あ、あれ……?智絵里ちゃんからそうライン来てたけど……」

智絵里が送ったのか……

いや、でもそれも美穂を心配させない為に送ったのかもしれない。

どうやら終電を逃してビジホに泊まったと伝えられている様だし。

P「ん、あぁそうだ。会社の飲み会は先週だったな……すまん、まだ若干酔ってんのかな……」

美穂「……えっ、っと……随分沢山飲んだみたいですね。お味噌汁作っておきましたからっ!」

P「ありがとう、美穂」




最悪だ。

ここまで露骨な失態を晒しておきながら、それでも美穂は俺の事を信じてくれていて。

俺は、誤魔化そうとしていて。

俺の事を気遣って、休みの日なのに朝早くからお味噌汁を作ってくれていて。

そんな美穂に対して、なんでもう起きてるんだなんて思ってしまった事が。

本当に俺は、最低な男だった。

今だって、味噌汁の匂いなんて分からず。

自分の服から智絵里の匂いがしないかを心配してる。

そういえば最初の時は大丈夫だっただろうかなんて不安になっている。

美穂「えっと……お味噌汁食べたら、少し休みますか?」

P「あー……そうしようかな。どっか行きたい場所とかあったか?」

美穂「いえ、Pさんがお疲れみたいなので明日で大丈夫ですっ!」

P「そっか……悪いな、美穂」

美穂「気遣いの出来る妻になりたいですからっ!」

P「…………」

美穂「……え、えへへ……ちょっと気が早かったですか……?」

P「……いや、そんな事は……照れてて可愛いなーって思ってた」

このまま美穂と会話していると、罪悪感で押し潰されそうだ。

本当に申し訳ないが、一回シャワー浴びて休もう。

P「悪いな、色々と」

美穂「いえ……あっ、感謝の証に何かプレゼントとか、後は、その……夜とか……期待しちゃうかなー……なんて……」

P「……あぁ、そうだな」

美穂「っ!は、早く休んで下さいっ!体力回復に努めましょうっ!!」





ぶーん、ぶーん

ぶーん、ぶーん

P「……ん……」

スマホのバイブレーションで起こされた。

P「……加蓮か……」

面倒くさい。

今日はお互いオフな筈だし、仕事に関する電話って事は無いだろう。

ラインは……来てない、と。

なら、後でこっちからかけ直せば良いか。

美穂「あ、起きたんですね。おはようございます」

P「おはよう美穂」

時計を見ればもう十五時を回っていた。

うん、起きれて良かったかもしれない。

今朝に比べて、心も体も割と軽くなったし。

美穂「誰からのお電話だったんですか?」

P「加蓮から。せっかく寝てたのに……」

ぶーん、ぶーん

ぶーん、ぶーん

再び加蓮から電話が掛かって来た。

P「……あとで出ればいいや」

美穂「お仕事の連絡じゃ……」

P「いや、多分違う筈。だとしたらラインも入れてくるし」

美穂「あ、この後お買い物に付き合って貰えませんか?」

P「もちろん。荷物持ちは任せてくれ」

ぶーん、ぶーん

ぶーん、ぶーん

美穂「……加蓮ちゃん、すっごく鬼電ですね……」

P「流石に出るか……」

ピッ

加蓮『おっそい!ワンコールで出てよ!!』

P「寝てたんだからしょうがないだろ…………なんだ?」

加蓮『あ、今家?』

P「あぁ、今から美穂の買い物に付き合おうとしてたとこ」

美穂「おはようございます、加蓮ちゃんっ!」

加蓮『あ、美穂の声聞こえた。ハロー美穂、元気してた?』

P「……で、要件はなんだ?」

加蓮『あ、そうそう。この後空いてたりしない?』

P「ねぇ俺の話聞いてた?美穂と買い物に行くって言っただろ」

加蓮『ちょっと……その、さ。相談したい事があって』

少し、声のトーンが下がる。

P「……通話やライン……じゃない方が良さそうな感じだな」

加蓮『うん、出来れば会って話したいから』

P「今じゃなきゃダメか?」

加蓮『……うん』

そうか……美穂の方に視線を送る。

美穂「……大丈夫です、Pさん」

P「……分かった。何処に行けば良い?」

加蓮『ありがと、プロデューサー。えっと、〇〇って駅で良い?』

P「ん……っ?え、あ、あぁ……」

一瞬ドキッとした。

その駅は、俺が今朝まで居た場所だったから。

加蓮『じゃ、十七時に駅前で待ってるから』

P「あぁ、分かった」

ぴっ、っと通話を切る。

P「……すまん、美穂。多分そんなに遅くはならないと思うから」

美穂「ふーんだ……って怒りたいところですけど、加蓮ちゃんだし良いかな」

P「にしても何の相談なんだろうな……仕事じゃ無さそうだけど」

美穂「まさか……恋?加蓮ちゃんに好きな人が出来ちゃったとかですか?!」

P「無いだろ……とは言い切れないけど、それは大丈夫だと思うんだけどな」

のんびり着替えて準備する。

はぁ……今日は美穂と二人きりでのんびりしたかったんだがな。

P「ほんと、悪いな美穂……」

美穂「わ、わたしは大丈夫ですから。加蓮ちゃんの相談、ちゃんと聞いてあげて下さいねっ?!」

P「あぁ……ありがと。出来るだけ早く帰ってくるから」

美穂「は、はいっ!楽しみにお待ちしております!!」

そうだ。早く終えて、美穂と二人で夕飯を食べて。

今夜は、美穂と愛を確かめ合いたいから。

P「んじゃ、行ってくる」

美穂「はい、行ってらっしゃい!」

キスをして、俺は駅へと向かった。

今朝と、同じ道を辿る様に。




P「で、話ってなんだ?」

加蓮「まぁまぁ、それはご飯食べてからでも遅くないんじゃない?」

P「いや遅いよ。家に美穂待たせてるんだから」

わざわざ呼び出されて来てみれば、そのままファミレスまで拉致られてポテトなう。

十九歳の現役アイドルがこんなにもカロリーを気にせずポテト食ってるなんてファンが知ったら卒倒するんじゃないだろうか。

いや知ってるか、こいつよくSNSで写真付きで呟いてるし。

店内には人が少ない。

昨日も思ったが、もともとこの辺りは人が少ないんだろうか。

加蓮「すいませーん、山盛りポテト一つ追加で」

P「お前食い切れんのか?」

加蓮「プロデューサーも食べるでしょ?」

P「だから食べないって。家で美穂が夕飯作って」

加蓮「くれてるんだよね?ラブラブだねー、羨ましくなっちゃう」

揶揄うようにケラケラと笑う加蓮。

ところで揶揄うって漢字難しいよな。

多分書けない。

P「……なんも用事が無いなら帰るぞ。なんか真面目な相談があるって言ってたから買い物に付き合うの断って来たのに……」

加蓮「……美穂、悲しんじゃってた?」

P「多分、自惚れでなければ」

加蓮「うーん、それは良くないね。私も少し反省しないと」

P「珍しいな、加蓮が反省だなんて」

加蓮「喧嘩売ってる?ポテトなら買うけど」

P「一人で話題完結させるのやめない?」

加蓮「で、話を戻すけど……プロデューサーは美穂を悲しませたくは無いんだよね?」

P「当たり前だろ……」

望んで美穂を悲しませるだなんて、そんな事は天地がひっくり返ってもありえない。

性格がひっくり返ったらあり得るが。

加蓮「ふーん、じゃ……さ」



そう、冷たく呟いて。

加蓮は、スマホの画面を此方へ向けて来た。

加蓮「……これ、何?」

P「…………なん、で……」

それは、一枚の写真だった。

なんの変哲もない、一組の男女の後ろ姿。

仲睦まじく歩く二人は、何も知らない人が見たらカップルだと思うだろう。

加蓮「……プロデューサーと、智絵里だよね?」

P「………………」

加蓮「これさ、ラブホテルの入り口でしょ?」

P「……………………」

加蓮「なんであんた、こんな場所に智絵里と入ろうとしてんの?」

P「それは……」

加蓮「美穂を困らせたく無いんでしょ?裏切らないんでしょ?じゃあこれは何?!」

あまりにも不用心すぎた。

既に智絵里はアイドルを引退しているから、と余りにも周りに目を向けなさすぎた。

美穂は家に居るから、と。

視線を気にしなさ過ぎた。

加蓮「たまたまコンビニにお菓子買いがてら駅まで散歩してたら、あんた達二人を見つけてさ……」

P「……この辺り、だったのか……」

たまり加蓮を家まで送る時は車だったから、近くの駅なんて把握していなかった。

ナビ使う時はいつも加蓮が入力してたし。

加蓮「…………なんでこんな事してんの?」

P「それは……その……」

智絵里に誘われて、と言うのは簡単だ。

けれど、それを断り切れなかったのは俺だし。

なにより、智絵里に責任転嫁をするのは嫌だった。

P「……お酒の勢いで……」

加蓮「……へー……プロデューサー、お酒の勢いでそういう事する人だったんだ」

幻滅した、と言うかの様に蔑みの視線を向けてくる。

加蓮「まあプロデューサーの事だから、智絵里に誘われて断り切れなかったとかそんな理由なんじゃない?」

P「ち、違う!そういう訳じゃ……」




加蓮「泣かれたんでしょ?」

P「…………」

加蓮「これ何回目?」

P「……一回だけだ」

加蓮「それも嘘だよね。でもま、多分二回だと思うけど」

P「……なんで……」

なんで、そこまでバレてるんだろう。

加蓮「……分かりやすっ。そんなに誤魔化すの下手だと美穂にバレ……るかな、どうだろ?美穂ってプロデューサーの事全面的に信頼してるし」

そう、なんだよな。

自分で言うのは難だが、俺は嘘が上手い方じゃない。

なのにバレていないのは、美穂が俺の事を信頼してくれているからだ。

詮索も疑いもせず、俺を信じてくれて……

それなのに、俺は二度も……

P「……でも、もう終わりって智絵里と約束を」

加蓮「したらもう無いって、本気で思ってるの?」

P「…………」

加蓮「どうせ一回だけって事で抱いて、なのに二度目とかなんでしょ?」

P「…………あぁ、加蓮の言う通りだ」

加蓮「昨日は予定無くなったとか言ってたけど、あれ分かりやす過ぎるからね?智絵里から二人っきりが良いって言われたんでしょ?」

そこまで、俺は誤魔化すのが下手だったのか。

加蓮「……いつまで続ける気?」

P「さっきも言ったが、もう今後は無い」

加蓮「…………ふーん」

P「……なんだよ」

加蓮「この写真、美穂に送って良い?」

P「……すまん……やめてくれ……」

それだけは、やめて欲しい。

俺が一番守りたいものが。

俺の一番の幸せが。

それだけで、失われてしまうから。


加蓮「じゃ、私の事抱いてよ」

P「…………は?」

加蓮「って言ったら、プロデューサー断れないでしょ?」

……冗談か。

P「……なんだよ……驚かせるなって。冗談にしてはタチが悪過ぎるぞ」

加蓮「そんな風にさ、一回で済む訳が無いんだから。ちゃんと後々の事も考えた方が良いよ」

P「あぁ、ご忠告痛み入るよ」

そう、だよな。

あまりにも、思慮が浅過ぎた。

考えるべきだった。

信じているとかの問題ではなく、その可能性を考えるべきだった。

だから俺は、智絵里と二度も……

加蓮「……嫌な予感はしてたんだ、智絵里の成人祝いに二人きりで飲むって聞いた時から。智絵里ってさ、昔からプロデューサーの事好きだったから」

P「……知ってたのか……」

加蓮「うん。だから、そんな風になっちゃうんじゃ無いかなーって気はしてた」

P「……言ってくれれば」

加蓮「どうなってた?智絵里とは飲まないってなってた?」

……ならないだろうな。

冗談だろ、と笑い飛ばしていた筈だ。

そうでなくとも、俺には美穂がいるからそんな事態にはならないよ、と言っていただろう。

加蓮「……で、なんだけどさ……」

P「……なんだ?」




加蓮「……実は私も、プロデューサーの事が好きだって言ったら…………抱いてくれる?」

…………は?

あまりにも前提条件からしておかしい。

加蓮が?俺の事を?

加蓮「……もうこの際だから言うけどさ。私はプロデューサーの事が好きだった。美穂と結ばれてからも、プロデューサーと一緒に過ごしたくてアイドル続けてた」

P「……そう、だったんだな……」

加蓮「もちろんそれだけじゃ無いからね?アイドルとしての活動だって大好きだし、宝物だし。まゆとだってそれなりに仲良くやってるつもり」

その言葉は、出来れば今じゃ無い時に聞きたかった。

加蓮「諦められなかったって訳じゃないの。ちゃんと線引きはしたし、納得もしたし、その上でプロデューサーと離れたくなかったから」

P「……なら……」

加蓮「でもさ……こんな分かりやすいチャンスを手に入れちゃったら棄てられる訳無いじゃん……」

そう呟く加蓮の瞳は、涙に潤んでいて。

加蓮「ずっと……好きだったんだから……」

加蓮の想いがどれだけ本気だったか、嫌という程伝わって来た。

加蓮「でも…………うん。ねえ、プロデューサー」

P「…………なんだ?」

加蓮「ちゃんと、確認しててね」

そう言って、加蓮はスマホの画面を此方へ向けて来て。

俺と智絵里の写った画像を、消去した。

加蓮「……ちゃんと、消したから。プロデューサーと美穂の仲を裂きたい訳じゃないって……分かってくれた……?」

P「……あぁ、ありがとう」

加蓮「だから、さ…………お願いだから……一度だけで良いから。私を……」

一度で済む訳が無い。

画像は既に消去されている。

当然、断るべきだ。

加蓮「お願い……私、これからも今まで通りでいたいから……一度だけで良いから、夢を見させて……!」

ポロポロと、涙を溢す加蓮。

ずっと一緒に頑張って来た担当アイドルの涙を、見たくなかったから。

加蓮と、これからも頑張りたかったから。

P「……良いんだな……?」

加蓮「…………うん……ありがと、プロデューサー……」

そう言って、にこりと笑ってくれた。

そうして、俺は。

また、美穂を裏切る事になった。





美穂「Pさん」

P「……はい……」

日曜日、朝。

俺は、玄関で正座させられていた。

今朝加蓮と別れて家に着けば、玄関前に美穂が箒とちりとりを構えてスタンバっていて。

一応お土産にと買ってきたプリンで一瞬喜んでくれたが、直ぐ怒りを思い出して今とてもおかんむりで。

美穂「……二日も連続で、パートナーが帰って来なかった時の女の子の気持ちを求めて下さい」

P「……ごめんなさい……」

そして、こんな事があっても。

未だに一切浮気を疑って来ないのが、とても辛くて。

こうして、美穂の目を見れずに俯き続けていた。

美穂「なお、二日目に至っては二人で夜を過ごす約束があったものとします」

P「……本当にごめん……」

美穂「……まあ、連絡があったから少しは安心出来ましたけど……」

一応、急遽事務所に呼び出されて帰れなくなったとはラインを送ったが、既読無視を食らってた。

美穂「……今日こそ、二人でのんびりしてくれますよね?」

寂しい思いをさせてしまって……それでも。

P「あぁ、もちろん……美穂がそう言ってくれるなら」

美穂「わたしだって怒りたくて怒ってる訳じゃありませんっ!お仕事だし仕方ないって事も分かってますっ!」

実際、美穂がアイドルをやっていた頃は帰れないなんてざらだったからなぁ。

美穂「でも!分かりますかっ?!夜!約束!してたんですよっ?!?!」

あぁ……そっち……

P「今夜は……?」

美穂「明日は月曜日です」

P「……いや、朝までしなければ良いんじゃ……」

美穂「……Pさんはそれで満足かもしれませんが?わ、わたしは……その……」

P「……」

かといって、日中からというのも如何なものでしょう。

それに、今日こそデートに行きたいですし。

美穂が言ってるのは大体こんな感じだろう。

P「……んじゃ、今日は夕方くらいには帰ってくるか」

美穂「で、ですねっ!Pさんがそこまで言うなら、わたしもお付き合いしますっ!」

眠気は無いし、このまま朝食を食べて出掛けても良いだろう。

美穂「朝ご飯、作っておきました。運ぶの手伝って貰って良いですか?」

P「……あぁ、ありがとな」

優しさで泣きそうになる。罪悪感で息が苦しくなる。

それでも、気付かれてしまえばもっと美穂に辛い思いをさせてしまうから。

P「うん、美味い!ありがとな、美穂!」

美穂「えへへ、そう言って貰えると作りがいがありますっ!」

あまりにも眩し過ぎる笑顔を、優し過ぎる目を。

また、直視出来るようになる為に。

全力で、加蓮との件を頭から消そうとしていた。




美穂「わぁぁ……」

P「おぉぉ……」

壁一面に埋め込まれたアクリルガラスの向こうには、水の世界が広がっている。

人類では呼吸すらままならない空間に、色とりどりの魚が泳いでいて。

群れて、散って、また集まって。

まるでその集団が一つの生き物かの様に、大量の魚が水槽いっぱいを飛び交っていた。

美穂「水族館に来るの、とっても久し振りですけど……凄いですね」

P「な……凄い迫力だ」

電車を乗り継いで水族館まで来たが、ここまで楽しい場所だとは思わなかった。

最後に美穂と来たのはいつだっただろう。

恐らく撮影の付き添いだから、三年前とかなんじゃないだろうか。

その時は仕事だったから、のんびり眺める様な時間は無かったし。

美穂「あっ、ペンギンのショーもやってるみたいですっ!」

P「お、丁度そろそろ始まる時間らしいな。そっちに向かうか」

手を繋いで、ペンギンのブースへ向かう。

こうして、恋人となった美穂と二人で。

こんな風にのんびりと二人きりの時間を送れるだなんて。

本当に、俺は幸せだ。

ペンギンのショーは既に沢山の人が囲んでいるため、少し離れて上の方から眺める事になった。

美穂「人、多いですね……」

P「…………だな……」

かつてこの何倍ものファンを相手に一人で盛り上げていた美穂は、今は普通の女の子だった。

こうして、客の一人としてショーを眺める美穂は。

美穂「わぁっ!泳ぐの速いんですねっ!!」

水中を想像以上に高速で泳ぐペンギンを前に、とても楽しそうな笑顔を浮かべて。

そんな美穂が可愛くて、俺は握る手を強くした。



美穂「……どうかしたんですか?」

P「……あぁ、いや。良いなぁって思って」

美穂「ペンギンのショーが、ですか?」

P「ペンギンのショーにはしゃぐ美穂が、だよ」

美穂「……もう少し大人っぽく落ち着いた方が良かったかな……」

P「俺は楽しそうにしてる美穂が一番好きだな」

美穂「…………もう」

頬を染めて、視線をペンギンの方へと戻してしまう美穂。

……今は、十分だ。

楽しそうな、その横顔だけで。

美穂「あ、その……そろそろお昼ご飯にしませんか?」

P「ん、そうだな。結構良い時間だし」

既に時刻は十四時少し過ぎ。

のんびり眺めていたら、かなり時間が経ってしまっていた様だ。

そろそろお昼を食べておかないと、夕飯が入らなくなってしまう。

むしろいっそ昼夜兼にしてしまうか?

P「美穂は食べたいものとかあるか?」

美穂「…………」

P「おいこら美穂、お前今何処に視線向けてた?」

明らかに視線が下がっていた気がする。

美穂「……あっ、えっ?え、えへへー……仕方ないじゃないですか!今週まだしてませんし、昨晩なんて約束があったのになんですよ?!」

逆ギレされた。

それに関しては本当に申し訳ないが、今逆ギレされるのはなんか違わないだろうか?

P「で、何食べる?」

美穂「無視ですか、へー……Pさんは最愛の恋人のお誘いを断っちゃう人なんですねー……」

P「いや、なぁ?」

美穂「…………最愛の恋人じゃ無いって事ですか……?」

分かってる、そういう演技だって事くらい。

涙目になったところで流石に昼間っからはどうかと思うぞ?

P「……愛してるよ。昼ご飯食べたらな」

美穂「最愛の恋人、ですよね?」

P「……最愛の恋人だよ」

美穂「……えへへ、ありがとうございますっ!」

あぁ、もう。

うん、可愛いから良いか。




水族館と同じ建物内に用意されたレストランで定食を注文する。

こういった場所の料理は少し少な目だが、ガッツリ食べるとあれだしこのくらいで良いだろう。

おい美穂、ビールはダメだぞ。

美穂「分かってますよーだ」

P「じゃあなんで注文しようとした……」

美穂「ところでPさん、わたしと最後に二人で飲んだのっていつだか覚えてますか?」

P「ごめんって……夜な?軽くなら付き合うから」

美穂「よろしいです」

こうやってのんびり会話しながら食べてはいるが、この後久しぶりに美穂と……と考えると。

なんだか、少し苦しかった。

本来ならとても嬉しくて気分が上がった筈なのに。

今朝まで加蓮としていたせいで、心は辛かった。

美穂「…………あの……本当は嫌でしたか……?まだ疲れてたり……」

P「いや、そういう訳じゃ無いから大丈夫。明日はもう月曜日なんだなーって思うとな」

美穂「土日って早いですよね……」

P「……ちゃんと一限遅刻しない様に起きろよ?」

美穂「わ、分かってるもんっ!」

ぶーん、ぶーん。

突然、俺のスマホが震えた。

美穂「……二人っきりの時なんだから……この後は、通知切って下さいね?」

P「すまん、気をつける……ん、ちひろさんだ」

今日はあの人休みだった筈だけど、何かあったんだろうか。

P「ちょっと出てくる」

美穂「帰ってくるまでマグロカツが残ってると思わないで下さい」

そう言って俺の皿からおかずを奪う美穂を尻目に、俺はレストランから出た。




P「もしもしおはようございます。ちひろさんですか?」

ちひろ『はい、おはようございますプロデューサーさん。今お時間ありますか?』

P「えっと、今ちょっと美穂と出掛けてる所なんですが……」

ちひろ『……この後、至急事務所に来て下さい』

P「えっ?いや……今ちひろさんも事務所ですか?」

ちひろ『はい。それとプロデューサーさんは断れると思わないで下さい』

P「仕事ですか?」

ちひろ『はい、とても重要な案件です。プロデューサーさんに心当たりはありませんか?』

ばくんっ!と、心臓が跳ねた。

一瞬頭が真っ白になって、直後吐き気が襲って来る。

……無い訳が無い。

担当アイドルである北条加蓮と、俺は一線を超えてしまったのだから。

けれど、それがバレてるとも思えない。

加蓮はきちんと変装していたし、それに昨日の今日の話だ。

もし既にすっぱ抜かれているのだとしたら、こんな風にちひろさんからの連絡だけで済む筈も無い。

P「それは……その…………」

ちひろ『……加蓮ちゃんの件です。心当たり、ありますよね?』

P「…………はい。すみません、すぐに向かいます」




通話を切って、大きく息を吐いた。

何度も何度も深呼吸しても、一向に頭に酸素が回っている気はしない。

意識が飛びそうなくらいに焦りは増し、スマホをポケットにしまう手は震える。

P「……なんで……」

焦り、後悔、不安、怒りがごちゃまぜになって頭を埋める。

何をすれば良いのか分からなくなるくらい、全くもって思考が働いてくれない。

P「……落ち着かないと……」

全力で太ももを抓り、痛みで無理矢理心を戻す。

まずは……美穂に、この後の事を断らないと……

お手洗いに走り、顔を洗って。

それからゆっくりと、美穂の元へと戻った。

平らな筈な通路が、やけに歪んでいる様に感じる。

今俺は真っ直ぐ歩けているだろうか。

きちんと呼吸している筈なのに、酸欠になりそうなのは何故だ。

……ダメだ、気合い入れろ俺。

美穂にだけは、いつも通りに振る舞え。

大丈夫だ、智絵里との朝も今朝も、いつも通りに出来たじゃないか。

美穂「お帰りなさい。えっ、っと…………大丈夫ですか?」

P「ん、すまん。ちょっと仕事でミスっちゃったみたいで、叱られてショック受けてた」

美穂「それは……そう、ですか……」

P「…………美穂?」

美穂「……事務所に来い、って……言われちゃったんですよね……?」

P「……あぁ……ごめん……」

美穂「……わたしは大丈夫ですからっ!でも、今夜こそ早く帰って来て下さいねっ?!」

そう、気を回してくれて。

優しい笑顔と、うるむ瞳が。

今の俺には、直視出来なくて。

P「……すまん。出来るだけ早く済ませて帰るから」

さっさと荷物をまとめ、鞄を持って席を立つ。

一秒でも早く、美穂の前から離れたかったから。






ちひろ「…………はぁ」

大きく溜息を吐くちひろさん。

ソファに座ってはいるが、気が気ではない俺。

隣には、涙目で俯く加蓮。

そして真ん中に置かれたテーブルに乗せられたパソコンには、一枚の画像が写っていた。

ちひろ「…………驚きました。まさか仕事用とは言え私のアドレスにこんな画像が送られて来るなんて」

ちひろさんのアドレスに、この画像が送られて来たらしい。

送信元は不明、適当なフリーメール。

今朝なんとなく確認して発見し、即事務所へ来た、と。

ちひろ「……日曜日に来る羽目になった事はこの際どうでも良いんです。問題は……」

この画像が、真実なのかどうか。

まあ、もう俺と加蓮の反応で分かり切ってはいるのだろうが。

……捏造だったら、どれほど良かったか。

こちらに向けられた画像は、確かに昨晩の俺と加蓮の後ろ姿だった。

加蓮は変装しているから、誤魔化そうと思えばいくらでも誤魔化しが効く。

隣の男性が俺だって事も、俺か俺を知っている人物でもないと分からないだろう。

問題はそこではない。

この画像自体は、最悪ばら撒かれても潰せる。

ちひろ「……プロデューサーさん、貴方……美穂ちゃんがいますよね?」

P「…………はい……本当に、その……」

加蓮「違うの、ちひろさんっ!あのね?昨日は、私が…………」

ちひろ「加蓮ちゃんから誘ったのだとしても、です。プロデューサーさんが断らなかった事に変わりはありませんよね?」

その通りだ。

俺と智絵里の画像だって消されていた。

断ろうと思えば断れたし、実際そうすべきだった。

大人である俺が、きちんと加蓮を諭すべきだった。

それをしなかったのだから、非は完全にこちらにある。



P「…………申し訳ありません……」

ちひろ「……それを言うべき相手が違うと思いませんか?」

P「…………はい……」

ちひろ「……加蓮ちゃんと関係を持ってしまった事も、事務所としては大問題です。どちらから誘ったのかだなんて、それは些末な事です」

加蓮「…………ごめん、なさい…………」

ちひろ「……変装だけはしっかりとしてくれていて助かりました。アイドル活動に関しては、おそらく問題無く続けられるでしょう」

加蓮「……はい……」

ちひろ「……今後もプロデューサーさんと続けられるかどうかは別問題ですが」

加蓮「…………いや……私は……」

ちひろ「……私はこの画像を何処かに出すつもりはありません。これが別の場所に流れてしまった時は、私も責任を取るつもりです」

P「……本当に、すみません……」

事務所の誰かに同じ画像が届けば、おそらく俺と加蓮という事がバレるだろう。

そうなった場合に、ちひろさんまで……

ちひろ「ですが…………加蓮ちゃん。どうして、今だったんですか?」

加蓮「え……っ?今、って……それは……」

ちひろ「加蓮ちゃんがプロデューサーさん相手にそう言った感情を抱いていたのだとして……それでも今まで、そんな事をしようとはしませんでしたよね?」

加蓮「…………」

ちひろ「…………プロデューサーさんはご存じですか?」

P「…………分かりません……」

言える訳がない。

智絵里との画像を撮られたから、だなんて。

加蓮「ごめんなさい……全部私が……」

ちひろ「……加蓮ちゃんを強く責めるつもりはありません。少し、席を外してもらえますか?」

加蓮「…………はい……ごめんなさい、ちひろさん、プロデューサー……」

そう言って、加蓮は部屋を出て行った。




ちひろ「…………ふー……」

加蓮が部屋から出て行った事を確認して。

ちひろさんは、大きく深呼吸をし……

ちひろ「馬っ鹿じゃないですか?!貴方、自分が何したか分かってるんですか!!」

怒号が飛び出した。

ちひろ「担当アイドルに手を出してしまった事も!美穂ちゃんを裏切ったという事も!!」

P「本当に……すみません……」

ちひろ「美穂ちゃんがどれだけ貴方の事を慕って、信頼しているか……!貴方が一番良く分かっていますよね?!」

P「…………はい……」

ちひろ「なんで誘いに乗ってしまったのかは、もういいです。事務員としてではなく、一人の女性として……今、私は本気で怒っています!」

ここまで怒っているちひろさんは見た事がなかった。

いつもは笑顔で圧力を掛けてくる人が。

今、こうして感情を露わにして怒っていて。

その怒りの勢いで美穂に画像を送ったりはしない事を祈るしか、俺は出来なかった。

ちひろ「彼女がどれ程の覚悟で、貴方と二人で暮らす道を選んだと思ってるんですか!そんな覚悟を貴方は踏みにじったんですよ?!」

P「本当に、俺は最低な事をしたと思ってます……」

ちひろ「…………先ほども言いましたが、私はこの写真をどうこうするつもりはありません。美穂ちゃんに教えるつもりもありません」

P「…………ありがとうございます……」

良かった……心の中で安堵する。

本当に良かった。

一番避けたかった事態は回避出来て。

ちひろ「……ですから……貴方が自分で、きちんとこの件の話を美穂ちゃんにして下さい」

P「それは……」

……言える訳がない。

俺だって、今は色々と心の整理がついていないのだから。

それを読み取ったか、ちひろさんは一回深呼吸して。

ちひろ「……今すぐで無くとも良いと思います。ですが、必ず……彼女に謝罪して下さい」

P「…………はい、約束します。必ず……」

ちひろ「今後は絶対に、彼女を裏切らないであげてください……」

P「……そのつもりです。もう二度と、美穂を裏切ったりはしません」






P「…………」

ちひろさんが帰宅した後。

俺と加蓮は、事務所のソファに沈み込んでいた。

いや、正確には俺はだいぶ前から帰ろうとしていたのだが。

美穂との約束もあるし。

加蓮「……ごめん……ほんとに、ごめん……!私が……っ!」

隣で涙を流しながら謝り続ける加蓮に、ずっと服を握られ続けていた。

P「……良いって。加蓮が気にする事じゃない」

加蓮「でも……私、あまりにも身勝手過ぎてたよね……」

意思が弱かった俺が悪い。

あの時、無理やりにでも加蓮からの誘いを断っていれば……

加蓮「……美穂の事を裏切らせて、私一人だけ願いを叶えようとしちゃってさ」

美穂の事を裏切った。

そう言われて、その事実が強く心を締め付ける。

出来れば、言わないで欲しい。

出来るだけ考えない様にしたいのだから。

加蓮「……プロデューサーなら、きっと私の想いを受け入れてくれる、って……甘えてたんだ……」

P「…………俺も、加蓮の願いを叶えてやりたかったから……」

加蓮「……うん……だからね?私の気持ちを無下にしない様にって
思ってくれて……嬉しかった。そんな風に思っちゃった」

とても辛そうに、言葉を続ける加蓮。

加蓮「私、美穂の事もプロデューサーの事も大好きなのに……自分だけ良い思いしようなんて……二人の事を考えない様にして……!」

P「……もう、良いんだ。美穂とは、俺がいずれ上手く話を付けるから」

加蓮「……そうやって……また、プロデューサーだけが辛い思いをするんじゃん!悪いのは私なんだよ?!」

P「大丈夫だ、加蓮は悪くない」

加蓮「なんで?なんでそんなに優しいの?!」

……違う、優しいんじゃない。

俺は弱いだけだ。

加蓮がそうやって自分の事を貶める様な言葉を続けるのが、耐えられないだけだ。

無理やりにでも話を切るため、いつになるか分からない美穂への謝罪を引き合いに出してるだけだ。

今こうして加蓮の背中をさすっているのも、俺が弱いからだ。




加蓮「もっと怒ってよ!お前が余計な事しなければ、くらい言ってくれれば良かったのに!!」

P「……そんな事言うなよ……俺が言えた事じゃ無いのは分かってる。それでも、自分の気持ちを否定する様な事は……」

言わないで欲しい。

これ以上、自分を苦しめようとしないで欲しい。

俺が、そんな加蓮を見たく無いから。

加蓮「……そうやって、優しい言葉を掛けるから…………」

ぎゅぅっ、っと。

横から抱き付いて来る加蓮。

加蓮「……そんなんじゃ……諦められないじゃん……っ!」

声は涙に震え、消えてしまいそうな程弱々しく。

それでも、加蓮は続けた。

加蓮「怒って欲しかったのに!諦めたかったのに!自分がワガママ言ってるって分かってる!自分だけじゃ諦め切れなかったからプロデューサーに酷いこと言って欲しいだなんて、一番酷いのは私だって事くらい分かってるよ?!」

でもね、と。

涙を溢れさせながらも。

加蓮「……好きだったんだから……っ!ずっと大好きだったから……!!」

加蓮「今日、すっごく不安だった!プロデューサーと一緒に居られなくなっちゃうんじゃないか、って!離れた方がお互いの為って分かってても……それでもね?!怖かったの!!」

加蓮「私……全然覚悟出来てなかった!なんにも分かってなくって!ちひろさんにも、全然相手にされなくて!自分が子供なんだって改めて思わされて!!それでも!!」

加蓮「……私は!Pさんの事が大好きだから……!!」



突然、加蓮が俺の顔を横へ向けさせて。

加蓮「んっ……っちゅっ……」

そのまま、唇を重ねて来た。

突然の事過ぎて、全く反応出来なかった。

加蓮「っちゅ……んっ、っちぅ……んぅっ……っ!」

覚束ないけれど、それでも必死に俺を求めるように。

不安を搔き消す様に、強く抱き着き舌を絡めて。

突き放すのは簡単だ。

けれど、それをすれば加蓮は絶対に泣いてしまう。

それは、嫌だったから。

俺のせいで、加蓮の涙を見る事になるのは嫌だったから。

俺もまた、加蓮の不安を拭い取る為に……

加蓮「っふぅ……ごめん、いきなり……」

P「……いや、まぁ……」

驚きはしたが。

それで、加蓮の気分が良くなるなら。

加蓮「…………ありがと、プロデューサー……私の事、突き飛ばさないでくれて」

P「そんな事、俺がする訳ないだろ……」

加蓮「……ねぇ、プロデューサー。もう一回、良い?」

……この後がどんな流れになってしまうかなんて、もう分かってる。

きっとまた俺は、過ちを犯す。

けれど……

P「……あぁ」

こんなに優しくて、一途な想いを否定する勇気が無かったから。

必ず、今日中には家に帰ると誓って。

事務所の部屋の、鍵を閉めた。






P「……ただいまー……」

夜、家の戸を開ける。

結局、殆ど日付が変わるくらいの時間の帰宅になってしまった。

家の電気は消えていて、もう既に美穂が寝ている事は分かってる。

その方が気分的にも助かるが。

けれど、どんなに遅くても、朝早くても。

それでも出迎えてくれた美穂が、今日は寝てしまっている。

それはなんだか、少し寂しかった。

玄関の電気を点けて、静かにリビングへ向かう。

適当に何か腹に入れて、シャワー浴びて寝よう。

そう思い、リビングの電気を点けた。

美穂「……んぅ…………んん……」

リビングのテーブルに突っ伏して、美穂が眠っていた。

起こさない様に慌ててリビングの電気を消す。

それからしばらくして、ようやく目が慣れてきて。



P「……美穂……」

テーブルに、食事が並んでいた。

ラップの掛かったサラダに、逆さに置かれたグラス。

ネットが掛けられた冷奴や焼き魚。

キッチンの方からは味噌汁の香りがする。

そして、美穂の手元に置かれた紙には『帰って来たら起こして下さい』の文字。

美穂「……あ……おはようございます、Pさん……ふぁぁ……」

P「…………美穂……」

美穂「……あ、お帰りなさいでしたね。えへへ、ちょっと寝ぼけてたみたいで……きゃっ!」

堪らず、俺は美穂に抱き付いた。

美穂「えっ?あの……Pさん……?」

P「ごめん、美穂……ほんとにごめん……!」

愚か過ぎる自分と、優し過ぎる美穂に。

俺の視界は歪み、心は耐えられず。

溢れる涙を止めることが出来なかった。

美穂「えっ?あ、あの……わたしは、怒ってませんから……」

P「ほんとに……俺は……!」

美穂「…………今日は、お疲れ様です。大丈夫です、Pさん。わたしはPさんの味方ですからっ!」

そう言って、俺の背中をさすってくれて。

こんな俺を、抱き締め返してくれて。

それからしばらく、俺の涙は止まる事なく流れ続けた。






六月二十五日、月曜日。

アラームの音で目を覚まし身体を起こす。

P「……んんー……」

あと一時間くらい寝ていたいが、きっと一時間後も同じ事を言ってるだろうし起きよう。

美穂「あ、おはようございます!Pさんっ!」

P「おはよう、美穂」

既に朝食の準備をしてくれている美穂に挨拶してから洗面所へ向かう。

鏡に映るのは、少なくとも先週・先々週よりは顔色がよくなった自分の顔。

色々な事が積み重なって美穂に泣き付いてしまったあの日から、また以前と同じ生活を取り戻した。

加蓮は、また以前と同じ距離感に戻った。

ちひろさんも、本当に写真の件を誰にも離さないでくれている。

金曜日は、美穂と智絵里と三人で飲みに行って。

美穂「あ、今夜も李衣菜ちゃんと飲みに行く予定なんです。Pさんも来ますか?」

P「そうだな……まあ、遅くなるかもしれないけど」

美穂「だったらうちで飲んでますからっ!」

美穂を四回も裏切る事になった一週間は、夢だったのではないか。

そう感じてしまうほど、遠い事のような気がしていた。

美穂「智絵里ちゃん、楽しそうでしたね」

P「だな、大学の友達とも飲みに行ってるみたいだし」

美穂「目移りしちゃいましたか……?」

P「そんな訳無いだろ。俺は美穂一筋だよ」

そんな会話をしながら、朝食を済ます。

先週から、美穂も偶に早起きして朝ご飯を作ってくれる様になった。

早起きなんて珍しいな、と聞いてみたところちょっと不機嫌そうな顔をされたけど。

流石に失礼だっただろうか。


P「ところで、美穂と李衣菜は明日休みなのか?」

美穂「ちゃんと起きるので大丈夫ですっ!」

P「いや、李衣菜……」

美穂「きっと大丈夫ですっ!」

……まぁ、良いか。

李衣菜なら大丈夫だろう。

P「あ、時間大丈夫か?遅れそうなら俺が洗っとくけど」

美穂「……知ってましたか、Pさん?」

P「何がだ?」

美穂「講義って、十分までなら遅刻にならないんです」

P「はよ行け」

美穂「だって……もうちょっとだけ、Pさんと一緒に居たいんだもん……」

P「……遅刻するぞ」

美穂「しょぼーん……」

P「自分で言うのか……ほら、行ってこい」

軽く抱き寄せて、キスをする。

美穂「んっ……ちゅっ……」

最近、行ってきますとお帰りのキスが少し長くなった。

何故だろう。

欲求不満なのだろうか。

美穂「っふぅ……行ってきます、Pさんっ!」

P「おう、行ってらっしゃい」

美穂を見送り、電車の遅延情報をチェックしつつ準備を整える。

P「…………あ……」

美穂が使う電車は、十五分遅延していた。




P「おはようございまーす」

ちひろ「おはようございます、プロデューサーさん」

まゆ「おはようございまぁぁぁぁす!!」

なんかハイテンションなまゆが居た。

P「…………なんか良い事あったのか、まゆ」

まゆ「うふふ、なんと今日の恋愛運が絶好調だったんですっ!」

P「ちひろさんって朝の占いとか見ます?」

ちひろ「ニュースつけてて流れてきた時に、程度ですね」

まゆ「あの、尋ねたのなら聞きませんか?」

P「いや、だって……」

担当アイドルの恋愛運が絶好調とか言われても、ねぇ。

されても困るし、かと言ってまゆ相手に恋愛禁止だぞとか今更言う必要も無いだろうし。

ちひろ「プロデューサーさん、今夜のご予定は?」

P「あ、何か仕事増えた感じですか?」

ちひろ「いえ、そう言う訳ではありません。美穂ちゃんとイチャラブ出来ているのかなーなんて気になっただけです」

P「もちろんです」

まゆ「うふふ、妬いちゃいますねぇ」

P「今夜は美穂と李衣菜が飲むみたいで、多分家で三人で飲む事になるかと」

ちひろ「……美穂ちゃん、プロデューサーさんの話を聞く限りいつも飲んでませんか?」

P「…………まぁ、以前から殆ど毎晩500缶開けてましたから」

まゆ「未成年のまゆでもヤバいと分かる飲酒量ですねぇ……」

美穂、強いんだよな。

それでいて好きだから、付き合わされる身としては少し苦しい時もあったり無かったり。

酔い潰されると大体翌日は記憶無いし全裸にされてる。

まゆ「そういえば、智絵里ちゃんはどうですかぁ?」

P「先週の金曜に三人で飲みに行ったよ」

美穂と昔話に花を咲かせて、若干居心地が悪かった。

ガールズトークに年上の男性は混ざるものではない。

……智絵里も、もう完全に諦めてくれたみたいだし。

目があっても、何かを訴えてくるでもなく微笑んでくれたし。

別れ際に美穂と次は二人で飲もうね、と約束してるのを見て微笑ましくなった。

ちひろ「……私も一緒に飲みたいって言った気がするんですけどねー?」

P「まあまあ、今度行きましょう」

機会はこれから幾らでもあるだろう。




バタンッ!

加蓮「おっはよー!」

まゆ「うげぇ」

加蓮「は?」

P「……おはよう、加蓮」

ちひろ「……おはようございます、加蓮ちゃん」

加蓮「なんでそんなに皆んな引いてるの……?」

まゆ「加蓮ちゃんがハイテンションな時のめんどくささを良くご存知だからですよぉ」

加蓮「は?私の何処がめんどくさいの?純粋さと手のかからなさが美人に宿ってお洒落な服着た様な人間だよ?!」

P「……なんかあったのか?」

加蓮「なんだと思う?逆に聞くけど、なんで今私がこんなに気分良さそうに話してるんだと思うの?!」

キレてる。

なんか逆ギレしてる。

加蓮「ま、今朝の星座占いで恋愛運が絶好調だったからなんだけどね」

P「下らな……」

まゆ「あのぉ……」

あ、すまんまゆ。

加蓮「あ、まゆは最下位だったよ」

まゆ「同じ星座なのにそんな事あると思ってんですか?」

加蓮「え、同じ星座なの?」

まゆ「既に色々な矛盾が生じてる事を理解出来てますか?」

加蓮「じゃあ私矛やるからまゆ盾持って」

朝から元気だなぁ。

加蓮「それといつも思うけど、最強の盾とかワザワザ真正面から挑むのアホらしいよね」

まゆ「それに関してはとても同感ですねぇ」

ちひろ「ふふ、楽しそうですね」

P「混ざりたくは無いですけどね」

さて、それじゃ。

まずは月曜日、頑張って乗り越えるとしよう。




ちひろ「……ふぅ……」

P「…………ふぅ……」

ちひろさんと同時に本日の業務を終え、大きく息を吐く。

P「お疲れ様です、ちひろさん。コーヒーでも飲みますか?」

ちひろ「あ、私が買って来ますよ?」

P「いえいえ、任せて下さい」

ちひろ「自動販売機の場所は分かりますか?大丈夫?迷子になりませんか?」

P「失礼過ぎません?」

ちひろ「知らない人について行っちゃダメですからね?」

P「ここ事務所内なんですが」

ちひろ「加蓮ちゃんに誘われてホイホイついて行った人が何を言ってるんですか」

P「……いや、その…………すみません……」

とんでもなく言葉に棘がある。

ちひろ「……すみません、私も色々と不安になっていたので……」

P「不安、ですか?」

ちひろ「いつあの写真が何処かに流出してしまわないか、と」

P「……あぁ……すみません、本当に……」

ちひろさんは、俺と加蓮の写真の件を黙ってくれていた。

それはイコールで、流出してしまった時にちひろさんも責任を取らされる可能性があるという事で。

……それは確かに、不安にもなる。

俺だって最初の数日は全く寝付けなかったのだから。

P「でも、実際そうならなくて良かったです」

このまま何事も起こらず、俺たちも忘れてしまえば。

以前と全く変わらないのと同義である。

ちひろ「……おかしいと思いませんか?」

P「……おかしい、ですか?」

ちひろ「未だにどこにも流出せず、かと言って何も要求が無い事がです」

P「…………そうですね……」

なんとなく、心の何処かに引っかかっていた。

あの画像が流出すれば、揉消すことは出来るにしても俺や加蓮がどうなってしまうか分からない。

だと言うのに、何も起きていないのだ。

何かしらの要求、脅迫、例えば加蓮にスキャンダル騒ぎを起こすとか。

男性側の身元を特定して嫌がらせやそういったアクションを起こすでもなく。

何も、起きていないのだから。

ただ単純に、あの写真がちひろさんの元に送られて来ただけなのだから。




ちひろ「私のメールアドレスが何処かしらで漏れた……その可能性は低いですが、それは一旦置いといて、です」

P「……撮った人からの、警告だったんでしょうか?」

ちひろ「あまりにも良心的過ぎるファンの方ですね」

P「無いよな、流石に……」

じゃあなんでだ?

何の目的で、あの写真を送ってきたんだ?

ちひろ「私には分かりません。ですが、このまま何も起こらないだろうなんて楽観的でもいられません」

P「……フリーメールアドレスって、特定出来ましたっけ?」

ちひろ「……知り合いに頼んでみます。偽装されていなければおそらく……ごほんっ!少し、私も動いてみますから」

そこから先は、多分聞かない方がいいだろう。

現状俺に出来る事は殆ど無いのだから、ちひろさんに任せよう。

ちひろ「……ところで、プロデューサーさん」

ガチャ

加蓮「ふぅ……お疲れ様」

P「おつかれ、加蓮」

ちひろ「お疲れ様です、加蓮ちゃん」

加蓮「あっ……プロデューサー、まだ居たんだ」

なんとも酷い言い草だ。

まぁ、確かにいつもはもう帰ってる時間だしな。

加蓮「まぁ良いや、私はもう帰るから。じゃあね」

P「ん、もう帰るのか。久々のダンスレッスンで疲れただろうし、少しゆっくり休んでけば」

加蓮「大丈夫だから、また明日ね」

バタンッ

P「…………」

……突然嫌われた訳じゃ無い、よな?

とてもふあん。

ちひろ「……喧嘩してるんですか?」

P「朝以降ずっと会ってないのに喧嘩出来ると思います?」

ちひろ「……ですよね」

P「まぁ、加蓮って時々機嫌悪いですからね。俺が居ないと思ってたのに居て不機嫌なんでしょう」

ちひろ「あまりにも情緒が不安定過ぎませんか?」

P「嫌われたとか考えたくないんです……」

ちひろ「反抗期の娘を持った父親ですか……」




ガチャ

P「お、おかえり加蓮!」

まゆ「……まゆですよぉ?」

P「……おかえり加蓮!」

まゆ「ま、まゆですよぉ?あれ?まゆですよねぇ?」

P「まゆか」

まゆ「あんまりにも失礼ですよぉ……」

加蓮が戻って来てくれたのかなーなんて思ってたけどまゆだった。

あまりにも俺女々しいし失礼だな?

P「お疲れ様、まゆ」

まゆ「はい、久し振りの加蓮ちゃんとのダンスだったので張り切っちゃいました」

それでもあまり疲れている様には見えないまゆ。

もうすぐ二十歳がみえてくるというのに、だいぶ体力もあるんだなぁ。

それもそうか、ずっと現役アイドルなんだし。

俺なんて高校卒業してからどんどん衰えて……今は関係無いな。

ちひろ「ねえまゆちゃん。加蓮ちゃん、レッスン中に何かありましたか?」

まゆ「随分とアバウトな質問ですが……そうですねぇ、うーん……うーん……あっ!」

P「何かあったのか?!」

まゆ「ポテトの割引クーポンが届いて喜んでました!」

あぁ、うん。

とても容易に想像出来るけど、今欲しい情報はポテトには無い。

……無いよな?

出荷量が減って市販のジャガイモが値上がりしたとか、そういうのでもしょげそうだからな……




まゆ「……それと……」

少し、真面目な表情になるまゆ。

声のトーンから、悪ふざけはお終いという事が分かる。

まゆ「そのあと、どなたかからのラインが届いたみたいで……それ以降、加蓮ちゃんが全然レッスンに身が入っていませんでした」

ちひろ「だれかからの……」

まゆ「まゆとのレッスンだと言うのに、まったくもって失礼ですよねぇ……お二人は何か心当たりがあるんですかぁ?」

ちひろ「……いえ……流石に、それは加蓮ちゃんのラインを見た訳ではないので……」

P「……そのラインの内容が、加蓮にとって良くないものだったのは確かだな……」

けれど俺も、その内容は分からない。

誰からのラインだったのかも分からない。

にしても、加蓮……何かあったらのなら相談してくれれば良かったのに。

いや、相談しづらい内容だったと考えるべきかもしれない。

……さっきの加蓮の口ぶりからするに、俺には聞かれたくない内容だったのだろうか。

ちひろさんの方が女性同士で話し易かったが、俺が居たせいで相談できなかった、とか……

まゆ「……大丈夫ですか、プロデューサーさん」

P「あぁいや、ちょっと自分の存在に疑問を覚えてた」

ちひろ「悩み過ぎです、プロデューサーさん」

まゆ「……加蓮ちゃんと、何かあったみたいですねぇ」

ちひろ「先程加蓮ちゃんが来たんですが、直ぐに帰ってしまったんです」

P「俺は……邪魔な存在……?」

まゆ「むむむ……プロデューサーさんがお悩みモードに入ってしまうのはまゆとしても苦しい事なので、なので!なので~っ?!」

P「あ、そろそろ俺帰りますね」

ちひろ「コーヒー買ってきてくれるんじゃないんですか?」

まゆ「聞いて下さいよぉ!!」

P「あーすまん。なんかノリが、こう……」

まゆ「めんどうだなんて言わないで下さいよぉ……」

P「まだ言ってないぞ」

まゆ「これから言うつもりだったんですねぇ?!」

P「すまんて……」

とても、めんどうくさい。

まゆ「ごほんっ!ですから、まゆが加蓮ちゃんに事情を聞いてみます。同じユニットの仲間として、出来る事なら相談に乗ってあげたいですから」

ちひろ「助かります、まゆちゃん」

まゆ「うふふ、まゆにお任せ下さい」

P「頼んだぞ、まゆ」

まゆ「お礼は3倍返しを期待しちゃいますっ」

P「コーヒー三本で良いか?」

まゆ「300円っておつかいのお駄賃並みですよぉ……」




美穂「れでぃーすえーんっ?!」

李衣菜「ジェントルメーンッ!!」

……帰りたい。

今とてつもなく家に帰りたい。

あ、ここ俺の家だ。

本当か?実は隣の部屋と間違えてたりしない?

美穂「おかえりなさい、Pさんっ!」

李衣菜「お疲れ様&お邪魔してますー。あ、荷物持ちますよ?」

美穂「さ、Pさん!新郎新婦の誓いのキス改めおかえりのちゅーをどうぞ!」

李衣菜「ヒューヒューッ!いぇーい、めっちゃ誓い!」

荷物片手に自宅のドアを開けた俺を出迎えてくれたのは、既にできあがった美穂と李衣菜だった。

奥のテーブルには沢山の缶が転がっている。

そして目の前には目を瞑ってキスをねだる美穂とゲラゲラ笑い転げる李衣菜。

改めて、帰りたい。

美穂「……ちゅーしてくれないと、寂しいです……」

李衣菜「泣かせたー!うっわー美穂ちゃん泣かせるとかクズ男ですよ!」

P「……するよ……」

美穂の背中に腕を回し、抱き寄せてキスをする。

……お酒の匂いがした。




美穂「えっへへへ……もっとしませんかっ?!」

李衣菜「あっはははっ!バカップルですね!!」

P「……シャワー浴びて良いか?」

美穂「ご一緒しますっ!」

李衣菜「ソープだー!」

美穂「もちろん無料ですよっ!」

李衣菜「はい指名料は私が頂きまーす!!」

美穂「ずるいです李衣菜ちゃん!私も欲しいもん!」

李衣菜「半々で分けよ?」

美穂「よくよく考えれば李衣菜ちゃん何もしてないよね?」

李衣菜「じゃあ私もサービスしちゃう?」

美穂「だ、ダメッ!」

李衣菜「じゃあ私が半分貰うで良いよね?」

美穂「仕方ありません……」

P「いや払わねぇよ」

酔っ払い二人を引き剥がしてリビングに押し戻し、グラスにビールを注いであげる。

二人がそれを傾けてるあいだに、さっさとシャワーを浴びるとしよう。

蒸し暑くなってきたこの頃、冷水を頭から浴びて身体を洗う。

ふぅ……冷たい水がとても心地良い。

リビングの方から、大ボリュームの二人の会話が聞こえてきた。

李衣菜「あっ美穂ちゃん!それ私のエイヒレ!」

美穂「名前書いてない方が悪いと思いますっ!!」

李衣菜「じゃあ美穂ちゃんのビールに私の名前書く!」

美穂「だめっ!それはPさんの分ですっ!」

李衣菜「じゃあ美穂ちゃんに李衣菜って書いとくから!」

美穂「それもダメですっ!わたしはPさんのものだもんっ!」

李衣菜「うっひょぉぉおっ!ビールが美味い!!」

美穂「きゃーっ!恥ずかしいです!はい!ビールがおいしい!」

李衣菜「美穂ちゃんそのビールPさんの分って言ってたよね?!」

美穂「バレなければセーフです!」

……あれに混ざりたくない。

二人が寝落ちするまで浴室で待とうか、少し本気で検討した。


李衣菜「ささっ、Pさんどうぞどうぞ」

P「あっ、どうも」

美穂「へー。Pさん、わたし以外がお酌したお酒を飲んじゃうんですねー……」

P「……えぇ……」

李衣菜「飲まないんですかー?」

P「飲むけど……」

美穂「ダメですっ!それはわたしが飲みます!」

グラスを引ったくられて、俺のビールは美穂のものとなった。

こいつらかなり酔ってるけど、明日朝本当に大丈夫なんだろうか。

平日だぞ?美穂お前一限あるよな?

P「李衣菜は大丈夫なのか?明日講義は」

李衣菜「うっへっへー、講義が怖くて美穂ちゃんと飲めるかってんですよ!」

P「……うん、そっか」

色々と、ごめん。

美穂「あっ、李衣菜ちゃんとPさんの分のビールがもうありませんっ!」

李衣菜「あれ?そっちにまだ缶何本かあるよね?」

美穂「これはわたしの分だもんっ!」

P「……いいよ、お茶飲むから」

美穂「わたしのお酒が飲めないって言うれすか?!」

P「……飲むよ」

美穂「だめですっ!わらしのだもんっ!」

どうしろと。

いやほんと、どうしろと。

P「んじゃ、後で俺が買ってくるよ」

李衣菜「あ、私もお供しますよ」

美穂「あーデートだー!浮気!浮気ですPしゃん!!」

P「……しないぞ?」

一瞬ドキッとしたのは内緒にしておこう。

にしても美穂、めっちゃ酔ってるな。

俺と飲む時はもっと強かった筈だけど、李衣菜と飲むといつも以上にテンション上がって飲みすぎるんだろうか。

李衣菜「ふぅ……私もそろそろ酔い覚まし始めないと、終電逃しちゃいそうですね」

P「時間は大丈夫か?」

李衣菜「今は……21時過ぎですね。まだまだ大丈夫ですっ!最悪タクシー使いますから!」

P「そん時は俺が出すよ」

李衣菜「それじゃ美穂ちゃん、私とPさんでコンビニ行くけど何か欲しいものある?」

美穂「Pしゃんのおち」

李衣菜「さっ、行きますよPさん!」

P「おう、ほんと色々ごめん」

美穂は明日少しお説教な。





李衣菜「ふぅ……最近、だいぶ暑くなってきましたよねー」

P「だな。夜風が涼しいわ」

李衣菜と並んでコンビニまで歩く。

家が暑過ぎたからだろうか、夜の風はとても心地よかった。

李衣菜「冷房つけようとしたら、美穂ちゃんに『節電ですっ!』って扇風機しか使わせて貰えなくて……」

P「はは、美穂らしいな」

李衣菜「羨ましいくらいのイチャイチャカップルですね」

P「可愛いだろ、うちの美穂は」

李衣菜「私、美穂ちゃんとアイドルユニット組んでた事あるんですよ。羨ましいですか?」

P「実は俺、そのユニットのプロデューサーだったんだ」

李衣菜「うっひょー!凄い縁ですね!!」

P「……酔ってるなぁ」

李衣菜「……ちょっと恥ずかしいですね。私も、あの頃ほど若くは無いですから」

P「そんな事無いさ。いやまぁ、成長してないって意味じゃないぞ?」

二十歳を超えた李衣菜は、それはもう大人っぽくなっていた。

ユニット結成当初はもっと幼かった気がするんだけどなぁ。

今ではもう立派なレディと呼んでも差し支えないくらい。

李衣菜「へへ、どうですか?中身は兎も角、見た目は結構大人っぽくなったと思うんですよ」

P「うん、凄く綺麗だと思う」

李衣菜「いやっほーう!今の言葉、後で美穂ちゃんに自慢しちゃいますからね!」

P「やめて、マジで。お前さては酔ってるな?」

李衣菜「酔い覚ましも兼ねてコンビニまで歩いてるんでーす」

それにしても、本当に美穂と李衣菜は仲が良いな。

大学違うのに、殆ど毎週の様に飲んでるだろ。

李衣菜「ズッ友ですからね!」

P「んふっ」

李衣菜「美穂ちゃんに」

P「ごめんて」



李衣菜「ふぅ……最近、だいぶ暑くなってきましたよねー」

P「だな。夜風が涼しいわ」

李衣菜と並んでコンビニまで歩く。

家が暑過ぎたからだろうか、夜の風はとても心地よかった。

李衣菜「冷房つけようとしたら、美穂ちゃんに『節電ですっ!』って扇風機しか使わせて貰えなくて……」

P「はは、美穂らしいな」

李衣菜「羨ましいくらいのイチャイチャカップルですね」

P「可愛いだろ、うちの美穂は」

李衣菜「私、美穂ちゃんとアイドルユニット組んでた事あるんですよ。羨ましいですか?」

P「実は俺、そのユニットのプロデューサーだったんだ」

李衣菜「うっひょー!凄い縁ですね!!」

P「……酔ってるなぁ」

李衣菜「……ちょっと恥ずかしいですね。私も、あの頃ほど若くは無いですから」

P「そんな事無いさ。いやまぁ、成長してないって意味じゃないぞ?」

二十歳を超えた李衣菜は、それはもう大人っぽくなっていた。

ユニット結成当初はもっと幼かった気がするんだけどなぁ。

今ではもう立派なレディと呼んでも差し支えないくらい。

李衣菜「へへ、どうですか?中身は兎も角、見た目は結構大人っぽくなったと思うんですよ」

P「うん、凄く綺麗だと思う」

李衣菜「いやっほーう!今の言葉、後で美穂ちゃんに自慢しちゃいますからね!」

P「やめて、マジで。お前さては酔ってるな?」

李衣菜「酔い覚ましも兼ねてコンビニまで歩いてるんでーす」

それにしても、本当に美穂と李衣菜は仲が良いな。

大学違うのに、殆ど毎週の様に飲んでるだろ。

李衣菜「ズッ友ですからね!」

P「んふっ」

李衣菜「美穂ちゃんに」

P「ごめんて」



うぃーん

コンビニに入る。

とても涼しい。

ここに住みたくなった。

李衣菜「Pさんはビールで良いですかー?」

P「おう。あ、カゴは俺が持つよ」

李衣菜「お願いしまーす」

P「美穂の分は……ストロングO飲ませてさっさと寝かせるか」

李衣菜「まさか、そのまま襲ったり……」

P「しないよ。怒られるし」

李衣菜「…………既にやった事あるみたいな言い方ですね」

P「…………ノーコメントで」

いやだって、普段は逆だし。

一度だけ美穂が先に潰れた時、ちょっと魔が差したと言うか……

P「つまみはどうする?」

李衣菜「浅漬けとかで良いんじゃないですか?」

P「だな、あと枝豆とキムチでも買ってくか」

李衣菜「シャボン玉とか買って行きませんか?」

P「ベランダでやってくれよ」

李衣菜「コロッケとか食べたくなりません?」

P「後で李衣菜を駅に送るから、そん時にしないか?」

李衣菜「りょーかいでーす!」

なんやかんや、カゴがだいぶ埋まってしまった。

お酒はまぁ、買い過ぎてもそのうち美穂が飲むだろう。

ぶーん、ぶーん

李衣菜「あ、すいませんちょっと電話です」

P「おっけ、支払い済ませとくから外で待っててくれ」

李衣菜がコンビニの外へ出て行った。

俺はそのままレジの列にならぶ。

あ、ポイントカード忘れた。

なんだかとても損した気分になる。

店員「ポイントカードはお持ちですか?」

P「あ、ポイントカード無いです」

無いんじゃない、忘れただけだ。

なんて屈辱的な気持ちだろう。

家にあるのに無いと言わなければならないなんて。

店員「あざっしたー」




うぃーん

とても微妙な気分でコンビニを出る。

P「……あれ?李衣菜?」

見れば、李衣菜はまだ電話していた。

李衣菜「……落ち着いて?ゆっくりでいいから、うん。大丈夫大丈夫」

大学のお友達だろうか。

李衣菜「……ん、今?美穂ちゃん達と飲んでて、今Pさんとコンビニに買い出しに来てたとこ」

P「……加蓮か?まゆ?智絵里?」

李衣菜「加蓮ちゃんです。なんだか相談したい事があるみたいで……あーごめんごめん。それで……?」

加蓮からの連絡か。

相談と言っていたが、夕方ごろ話してた件の事だろうか。

李衣菜「えっ?うん、今となりにPさんが……あっ、ちょっ!加蓮ちゃん?!」

P「ん、どうかしたのか?」

李衣菜「……切られちゃいました」

李衣菜が此方へ向ける画面には、加蓮ちゃん、そして通話終了の文字。

李衣菜「Pさんが何かしたんですか……?」

P「……いや、分からん……」

李衣菜「加蓮ちゃん、泣いてたんです。どうしよう、助けて李衣菜、って……」

加蓮が、そんなに悩んで……

李衣菜「すっごく追い詰められた感じの声でした。仕事の方で何かあったんですか?」

P「……それも分からない」

李衣菜「写真が、とか。美穂に、とか。そんな事を言ってたんですけど……」

P「っ、それは…………どういう事なんだろうな……」

心地よかった筈の夜道が、一瞬にして重苦しくなった。

背筋が冷え、身体中から汗が吹き出る。

……心当たりは、当然あった。

焦る加蓮、連絡、写真、美穂。

ちひろさんとの会話を思い返す。

加蓮が俺に対して相談しなかった事を思い出す。

バラバラだった点が、一本の線で繋がってしまった。



李衣菜「……話辛い事みたいですね」

P「いや、えっと……」

まゆは確か、加蓮にラインが届いたと言っていた。

であれば、件の写真を送ってきたのは加蓮のラインを知っていた事になる。

あぁ、そして、それなら。

ちひろさんの仕事用のメールアドレスを知っていても、おかしくない。

……いや、これはまだ憶測の域を出ない。

まだ結論を出すには早過ぎる。

きちんと、加蓮から話を聞くべきだ。

ぶーん、ぶーん

今度は、俺のスマホが震えた。

P「……ちひろさんか。すまん、李衣菜。荷物は俺が持ってくから先に帰っててくれ」

李衣菜「……はい」

李衣菜が角を曲がったのを確認した後、通話を開始する。

P「もしもし、おはようございますちひろさん」

ちひろ『……おはようございます、プロデューサーさん。今、時間の方は大丈夫ですよね?』

P「はい……何かありましたか?」

ちひろ『IPアドレスの解……ごほんっ、メールの送信元が分かりました』

P「……それは……」

ちひろ『…………それが、その……信じ難いとは思いますが……』

あぁ、なんだろう。

嫌な予感だけが、次々と当たってしまう様な感覚。

きっとこれは、外れてくれない。

P「……俺の知ってる人だったんですか?」

ちひろ『はい、それで……落ち着いて聞いて下さい』

P「……はい」



すーっ、っと。

ちひろさんは、大きく息を吸って。

ちひろ『……緒方、智絵里です。同姓同名と言う可能性に賭けてみますか?』

P「…………」

信じたく無かった。

けれど、智絵里なら可能だという事も分かっていた。

加蓮のラインを知っていて、ちひろさんの仕事用アドレスを知っていて。

そういえば、俺と智絵里の事がばれて加蓮に呼び出されたが。

そもそも、加蓮の家の近くの店を指定してきたのは、智絵里の方だった。

ちひろ『何故智絵里ちゃんが写真を撮ったのかも、こんな事をしたのかも全く分かりません。ですが……』

P「……すみません。落ち着く時間を頂けますか?」

ちひろ『あっ、すみません……流石にショックですよね……』

P「……すみません。すぐ、掛け直します」

ぴっ

一旦通話を切って、俺は路上に崩れ落ちた。

膝に力が入らない。

飲んでもいないのに吐き気がこみ上げる。

最悪だ。

終わりじゃ、無かった。

あの一週間で終わるだなんて、そんな考えは甘かった。

視界が歪む、地面が傾いてる気がする。

加蓮は何を悩んでいる?

李衣菜経由であやふや過ぎる情報だが、加蓮は『美穂に』と言っていたらしい。

智絵里は加蓮に対して何を言った?

そもそも、なんで。

智絵里は、なんでちひろさんだけに写真を送った?

加蓮から話を聞かなければならない。

話してくれるか分からないが、それでも何か情報を……




プルルルル、プルルルル

P「……くそっ!」

繋がらなかった。

誰かと通話中らしい。

なんでこのタイミングで……!

ちひろさんが加蓮に連絡したのか?

だとしたら、加蓮が俺と智絵里の事を話さないでくれてると良いが……

P「落ち着け……ふぅ……」

現時点で、ちひろさんは俺と智絵里の事を知らない。

知られたくも無いが、それを隠した上でどこまで上手く説明出来るだろうか。

俺は今、何が出来る?

何をすべきだ?

P「…………智絵里に、話を聞くか……」

プルルルル、プルルルル

智絵里『……はい、もしもし』

思いの外早くに、智絵里は通話に応じた。

P「あ、夜遅くにすまん。俺だ」

智絵里『……どうかしましたか……?』

P「えっと……ちょっと聞きたい事があるんだが、今大丈夫か……?」

智絵里『…………そっか……ごめんなさい、今ちょっと手が離せなくって……』

P「ん、そうか……んじゃ、また明日掛け直させて貰うよ」

智絵里『…………はい』

ピッ

通話を終え、俺は大きく息を吸い込んだ。

P「…………ふぅ……」

兎に角、家に帰るまでに平常心を取り戻さないと。

美穂にだけは、絶対にバレる訳にはいかないんだ。

大丈夫だ、帰ってさっさとビールを流し込めばマイナスな事なんて考えずに済むから。

P「……よし」

夜道、大きく家へと踏み出す。

思いの外、家までの道のりは長かった。

拡散希望
【SS掲載拒否推奨】あやめ速報、あやめ2ndは盗作をもみ消すクソサイト



SSを書かれる際は掲載を拒否することを推奨します


概略1

現トリップ◆Jzh9fG75HAは

混沌電波(ちゃおラジ)なるSSシリーズにより、長くの間多くの人々を不快にし

また、注意や助言問わず煽り返す等の荒らし行為を続けていたが

その過程でついに、ちゃおラジは盗作により作られたものと露呈した



概略2

盗作されたものであるためと、掲載されたシリーズの削除を推奨されたSSまとめサイト「あやめ2nd」はこれを拒否

独自の調査によりちゃおラジは盗作に当たらないと表明

疑問視するコメント、および盗作に当たらないとの表明すら削除し、

盗作のもみ消しを謀る


概略3

なおも続く追及に、ついにあやめ2ndは掲載されたちゃおラジシリーズをすべて削除

ただし、ちゃおラジは盗作ではないという表明は撤回しないまま

シリーズを削除した理由は「ブログ運営に支障が出ると判断したため」とのこと




SSまとめサイトは、SS作者が書いたSSを自身のサイトに掲載し、サイト内の広告により金を得ている

SSまとめサイトは、SSがあって、SS作者がいて、はじめて成り立つ


故に、SSまとめサイトによるSS作者に対する背信行為はあってはならず、

SSにとどまらず創作に携わる人全てを踏みにじる行為、盗作をもみ消し隠そうとし

ちゃおラジが盗作ではないことの証明を放棄し、

義理立てすべきSS作者より自身のサイトを優先させた

あやめ速報姉妹サイト、あやめ2ndを許してはならない



あやめ速報、あやめ2ndは盗作をもみ消すクソサイト


SSを書かれる際は掲載を拒否することを推奨します


六月二十五日、月曜日。

バタンッ!

加蓮「おっはよー!」

今朝の占いで恋愛運が絶好調だった私は、とても機嫌良く事務所のドアを開けた。

まゆ「うげぇ」

……は?反応酷くない?

私の気分が良いんだからまゆも喜ぶべきでしょ。

加蓮「は?」

ちょっと威圧してみた。

多分喜んでは貰えないと思うけど。

P「……おはよう、加蓮」

ちひろ「……おはようございます、加蓮ちゃん」

加蓮「なんでそんなに皆んな引いてるの……?」

あっれ、おっかしいな……なんで私が喜んでるのにみんなテンション低いんだろ?

まゆ「加蓮ちゃんがハイテンションな時のめんどくささを良くご存知だからですよぉ」

加蓮「は?私の何処がめんどくさいの?純粋さと手のかからなさが美人に宿ってお洒落な服着た様な人間だよ?!」

P「……なんかあったのか?」

加蓮「なんだと思う?逆に聞くけど、なんで今私がこんなに気分良さそうに話してるんだと思うの?!」

そーゆーとこ分からないの、実にプロデューサーって感じだよね。

加蓮「ま、今朝の星座占いで恋愛運が絶好調だったからなんだけどね」

叶う事は無いって分かってても、やっぱり嬉しいものは嬉しいし。

想い人には既に相手がいるって分かってても、それでも今日は良い事あったらいいなーなんて考えちゃう乙女な訳だし。

え、乙女って歳でもない?ぶん殴るよまゆ。

まゆ「なんだか謂れのない暴力を振るわれた気がしますねぇ……」

P「下らな……」

よし、殴るのはプロデューサーの方にしよっと。

加蓮「あ、まゆは最下位だったよ」

まゆ「同じ星座なのにそんな事あると思ってんですか?」

加蓮「え、同じ星座なの?」

まゆ「既に色々な矛盾が生じてる事を理解出来てますか?」

ま、まゆと私が星座同じって事くらい知ってるけど。

私の方が二日お姉さんなんだよね。

ほら敬って崇めて諂いなよ。

私の方がお姉さんだから。

加蓮「じゃあ私矛やるからまゆ盾持って」

まゆ「まゆも矛が良いです」

加蓮「それといつも思うけど、最強の盾とかワザワザ真正面から挑むのアホらしいよね」

まゆ「それに関してはとても同感ですねぇ」

ちひろ「ふふ、楽しそうですね」

P「混ざりたくは無いですけどね」

さて、それじゃ。

今日は久々のまゆと二人でのレッスン。

気張って頑張らないとね。




加蓮「ぐえぇ……辛い……」

まゆ「っふぅぅぅ……加蓮ちゃんはまだまだですねぇ……うっ、っぷぅ……」

加蓮「床にへばり付いてる奴が言っても説得力だよ」

まゆ「それあるんですか?無いんですか?」

床に伸びてるかつてまゆだった物を眺めながら、私は壁に背を預け腰を下ろした。

うん、すっごく疲れた。

これまだ後三時間あるの?ギャグでしょ。

ピロンッ

加蓮「あっ!ポテトのクーポン届いた!!まゆ、この後も頑張るよ!!」

まゆ「やっすい女ですねぇ……」

加蓮「五十円引きだよ?!一円が五十枚だよ?!!?!」

まゆ「いや安いじゃないですかぁ……」

加蓮「知らないの?一円に笑うものは……なんだっけ?百円で大笑い?」

まゆ「幸せな人生ですねぇ」

加蓮「クーポン、一回で二枚まで使用可能だけどまゆもこの後食べに行く?」

まゆ「あら、加蓮ちゃんからのお誘いなんて珍しいですねぇ」

加蓮「そうでもなくない?」

まゆ「うふふ、確かにそうでした」

私とまゆが仲悪かったのって本当に最初の頃だけだしね。

じゃなきゃプロデューサーと美穂が結ばれてユニット解散の話になった時も、お互い二人で続けたいだなんて言わないし。

ピロンッ

加蓮「ん、またクーポンかな」

まゆ「次はどこのポテト屋さんですかぁ?」

加蓮「覗き込んで来ないでって、プラシーボの侵害だよ」



ん、智絵里からだ。

珍しいね、智絵里から私にラインだなんて。

っていうか半年ぶりとかなんじゃない?

まゆ「……あら……?」

加蓮「えっ…………?」

息が止まるかと思った。

スマホを落とさなかったのは奇跡だと思う。

座ったままで良かった、じゃないと多分倒れてたと思うから。

加蓮「うそ…………でしょ…………」

智絵里から送られて来たのは、一枚の画像だった。

なんて事ない、私とプロデューサーの写った写真。

多分それだけなら、私は既に何十枚も撮ってる。

けど、この写真は。

一週間前に、ちひろさんに送られて来た……

まゆ「……加蓮ちゃん、この写真はなんですか?」

加蓮「えっ、っと……その……」

上手く言葉を発せなかった。

言える訳がない。

私とPさんが、身体を重ね合う為にホテルに向かってる写真だなんて。

二人で頑張ってきたまゆ相手に、担当プロデューサーそういう関係になった時の写真だなんて。

意識が飛びそうになる。

私がPさんに智絵里との画像を見せた時、こんな気持ちだったのかな。

本当に酷い事をしちゃってたんだな、なんて。

そんな事を考える余裕は、その時の私にはなかった。

加蓮「……なんで……智絵里が……」

まゆには見えない様に、震える手でスマホを顔の近くまで寄せる。

智絵里『なんでわたしが、ワザワザ加蓮ちゃんの最寄駅にPさんを誘ったと思ってるんですか?』

智絵里『思い通り過ぎて、ちょっと怖かったです』

智絵里『わたしだって、本当はこんな事したくなかったけど……』

智絵里『……Pさんの担当から、外れてくれませんか……?』

智絵里『別の部署に移っても、多分Masque:Radeとしての活動は続けられると思うから……』

智絵里『ダメだった時は……それは、しょうがないよね』

智絵里『あ、誰にも相談しないで下さい』

智絵里『わたし、本当は美穂ちゃんにこの画像を送りたくないから……』

連続で送られてくるラインは、あまりにも冷淡で。

通知の度に震えるスマホが無ければ、きっと私は現実に戻って来れなかった。

うそ……うそ……

そんなの、やだ……

Pさんと離れる事になるなんて、絶対……




まゆ「……大丈夫ですか?加蓮ちゃん……」

心配そうに声を掛けてくれるまゆ。

その声で安心する日が来るなんて思わなかった。

加蓮「ごめん……ちょっと、しんどいかも……」

でも、私が何もしなければ。

きっと智絵里は、美穂に写真を送っちゃう。

それも、ダメ、嫌。

Pさんが悲しむ、美穂も悲しむ。

私がそんな事を望んでる訳が無い。

でも、それじゃ……

加蓮「……私……どうしたら……」

まゆ「……加蓮ちゃん……えっと、まゆはちゃんと事情を把握してる訳では無いですが……」

震える私の手を。

ぎゅっ、っと。

優しく握ってくれて。

まゆ「大丈夫です、加蓮ちゃん。まゆは加蓮ちゃんの味方です」

加蓮「まゆ……」

なんだか、泣きそうになっちゃった。

握られた手のあったかさが、冷え切った私の気持ちを温めてくれる。

加蓮「……ありがと、まゆ」

まゆ「いえいえ、それと……本当は不本意ですが……」

すーっと、大きく息を吸って。

まゆ「うふふ、おめでとうございますっ!」

加蓮「えっ?」

まゆ「やっと、Pさんと結ばれたんですよね?」

加蓮「いや、そういう訳じゃ……え?やっと……?」

なんだか分からないけど、まゆに祝われた。

……やっと、って……どういう意味?




まゆ「誰にも内緒にしとけって言われてたんですが……実はPさん、本当は加蓮ちゃんの事が大好きだったんですよ?」

加蓮「えっ…………何それ…………?」

私知らないんだけど。

まゆ「いつPさんが美穂ちゃんと別れたのかは分かりませんが……加蓮ちゃんとPさんが結ばれたのであれば、まゆは全力で応援します!」

……Pさんが……私の事を……

……なーんだ。

それならもしかして、悩む必要も無いんじゃない?

Pさんが、本当は私と結ばれたかったんだとしたら。

別にこれ、送られても良くない?

……いやいや、ダメでしょ。

今Pさんは美穂と付き合ってる訳だし、その関係を自分で引き裂きたくなんて……

こうやって迷ってる時点で、美穂を裏切ってる事になるんだよね。

でも、きっと……

……これが、最後のチャンスだから……

この画像が美穂に送られたら、きっと美穂とPさんは別れる事になると思う。

そしたら、Pさんは気兼ねなく私と付き合えるんじゃない……?

……どうしよう……

まゆ「李衣菜ちゃん達もきっと祝ってくれる筈で……あら?どうかしましたかぁ?」

加蓮「……ちょっと悩んでる。ま、この後のレッスンも頑張ろっか」

まゆ「さっきよりは元気になった様で何よりです」

加蓮「まぁね、ありがとまゆ」

まゆ「うふふ。まゆは、加蓮ちゃんの事が大好きですから」

加蓮「キモッ」

まゆ「あの」

……うん、元気でた。

ありがと、まゆ。




コンコン

ガチャ

加蓮「ふぅ……お疲れ様」

帰る前に、部屋に寄って少しちひろさんに確かめたい事があった。

あの画像が送られて以降、何かしらの連絡があるかどうか。

……なんだけど。

P「おつかれ、加蓮」

ちひろ「お疲れ様です、加蓮ちゃん」

加蓮「あっ……プロデューサー、まだ居たんだ」

いつもだったら帰ってる筈の時間だったのに、まだプロデューサーが居た。

その瞬間、さっきまでの考えなんて全部消し飛んだ。

……何が、Pさんは気兼ねなく私と付き合えるんじゃない、よ。

無理だよ……Pさんを裏切る様な事、したくない……

こうやって笑顔で出迎えてくれるだけで、私は満足だから……

……あれ?

でも、担当を外れたらそれも叶わなくなるんじゃない?

なら、いっそ……

……どうしよう……無理だよ、選べる訳無いじゃん。

ただでさえ私のせいで辛い思いさせちゃったのに、また私のせいでなんて……

加蓮「……まぁ良いや、私はもう帰るから。じゃあね」

私はそれ以上、Pさんの顔を見てられなかった。

苦しいから、辛いから。

P「ん、もう帰るのか。久々のダンスレッスンで疲れただろうし、少しゆっくり休んでけば」

加蓮「大丈夫だから、また明日ね」




バタンッ

部屋を出て、壁に背を預けて倒れこむ。

加蓮「……私……どうすれば良いんだろ……」

自分の愚かさに泣きそうになっちゃって。

でも、どうすれば良いのかわかんなくって……

まゆ「……加蓮ちゃん」

加蓮「……まゆ……」

部屋に戻って来たまゆが、倒れ込んでる私に気付いて。

私を、優しく抱き締めてくれた。

まゆ「……まゆに相談し辛い事があるなら、李衣菜ちゃんに相談してみたらどうですか?」

加蓮「…………うん」

まゆ「まゆに相談して貰えないのは寂しいですが……加蓮ちゃんには、笑顔でいて欲しいですから」

……あぁ、もう……まったく。

まゆ、こんなに優しかったなんて。

私、相方に恵まれてたんだね……

加蓮「……うん。ありがと、まゆ」

まゆ「あ、今の録音して良いですかぁ?」

加蓮「そのうち、ね」

まゆ「冗談で……え、マジですかぁ?」

加蓮「うん、マジ」

まゆ「まゆですよぉ」

加蓮「うん、まゆ」

まゆ「ちょっと今バカにしてませんでしたかぁ?」

加蓮「……ふふっ、本当にありがとね、まゆ!」

まゆ「……うふふ、力になれ……はしませんでしたが、笑顔になって貰えて何よりです」

加蓮「ううん。力になってくれてるよ、まゆは」

まゆ「今録音の準備したのでわんもあーぷりーず!」

加蓮「じゃあね、まゆ」

……よし、それじゃ。

ポテト食べに寄って景気つけて。

少しだけ、ワガママになろうかな。




夜、シャワー浴びて、ベッドに寝っ転がって。

大きく息を吸って、吐いて。

もう一回吸って、吐いて。

李衣菜に通話を掛けようとして、スマホを閉じた。

私が今からしようとしてるのは、本当にただのワガママで。

でも、そのワガママすら言うのには勇気が必要で。

李衣菜を自分のワガママに巻き込むのが申し訳なくて。

なにより、これで私の想いは終わりだって分かってるから。

すっごく、勇気が必要で。

『大丈夫です、加蓮ちゃん。まゆは加蓮ちゃんの味方です』

『うふふ。まゆは、加蓮ちゃんの事が大好きですから』

『加蓮ちゃんには、笑顔でいて欲しいですから』

……うん。

これで、最後のワガママ。

もう絶対に来ないチャンスを捨てて、諦めて。

それでもこれからを、笑顔で過ごす為に。

加蓮「……ごめんね、李衣菜……っ」

美穂と一番仲の良かった衣菜ならきっと、私の事を叱ってくれる。

怒ってくれる、咎めてくれる。

そして私は、多分泣いて八つ当たりするけど。

それで全部、諦められる筈だから。

ピッ

私は、李衣菜に電話を掛けた。

ワンコール、ツーコール。

響く音の回数が増える度に、通話を切りたくなる気持ちも膨らんでく。

それでも、もう。

諦める為に、諦めたくないから。




李衣菜『はいはーい。もしもし、加蓮ちゃん?』

李衣菜の声が聞こえて来た。

気持ちは固まってた筈なのに、それだけで一気に心がぐちゃぐちゃになる。

加蓮「あっ、えっと、ね?今大丈夫?」

李衣菜『ん、大丈夫だけど』

加蓮「あの……さ、えっと……あのね……?私ね……?」

李衣菜『ん?大丈夫、加蓮ちゃん』

だめそう。

全然言葉がまとまらない。

さっきまで、ちゃんと言うべき事を決めてたのに。

加蓮「あのね?私、美穂を裏切る様な事しちゃって……!それで、写真撮られちゃって……!」

李衣菜『え?ごめん、理解が追い付かないんだけど……』

加蓮「私、すっごく自分勝手な事してて!美穂に写真送られたく無いから、誰にも相談出来なくて!助けてよ、李衣菜!!」

李衣菜『……落ち着いて?ゆっくりでいいから、うん。大丈夫大丈夫』

加蓮「……うん、ごめん……本当は今から会えたら良かったんだけど……だめ?」

李衣菜『ん、今?美穂ちゃん達と飲んでて、今Pさんとコンビニに買い出しに来てたとこ』

…………え?

李衣菜『加蓮ちゃんです。なんだか相談したい事があるみたいで……あーごめんごめん。それで……?』

嘘……なんでこんな時に……

加蓮「……Pさん、近くに居るの……?」

李衣菜『えっ?うん、今となりにPさんが……あっ、ちょっ!!』

ピッ

私は、通話を切った。

……なんで……頑張って覚悟を決めたのに……

そんな時に限って、李衣菜が美穂とPさんと一緒にいるなんて……

どうしよう……李衣菜が今の事をPさんに話しちゃったら。

私、智絵里からなんて事は言ってないよね?!大丈夫だよね?!

もし言ってたとして、Pさんが智絵里に尋ねちゃったら……!

せめて私の方から、心配しなくて良いって伝えないと!



ぶーん、ぶーん

こんな時に限って誰!!

加蓮「もしもし?!」

ちひろ『あ、おはようございます加蓮ちゃん。今、大丈夫ですか?』

電話の相手はちひろさんだった。

なんで、こんな時に……

もしかして、夕方私が素っ気なかったから心配してくれたのかな……

ちひろ『先日の写真の件で、そちらに何かメールが届いたりはしてませんか……?』

なんで今、そんな事……

……まさか……っ!

加蓮「それ、今私に言うって事は……誰からのメールだったか、分かったって事……?」

ちひろ『……どうやら、既にアクションがあったみたいですね。はい、そうなります』

加蓮「……っ!それ、プロデューサーには!」

ちひろ『既に伝えてあります。とてもショックを受けてたみたいで……加蓮ちゃん?加蓮ちゃんっ?!』

ピッ

……最悪の事態じゃん。

タイミング悪過ぎるよ……

Pさん、もう絶対智絵里に連絡してるじゃん。

ピロンッ

智絵里『相談しちゃったんですね。加蓮ちゃんならもしかしたら、美穂ちゃんの事なんて考えないって思ってました』

早いよ、智絵里。

もう、返す気力も無い。

智絵里『もう美穂ちゃんに写真送っちゃったけど……加蓮ちゃんがそれを選んだんだから、仕方ないよね?』

増えてくスマホの通知に、もうロックを解除するのすら億劫だった。

もう、良いよ。

何もしてないのに、全部手遅れじゃん。

ここまで来たら吹っ切れるしかない。

美穂にも、李衣菜にも嫌われるだろうけど。

Pさんならきっと、分かってくれるし。

まゆならきっと、私の味方になってくれる。

……うん、良いんじゃないかな。

なーんだ、悩む必要なんて無かったじゃん。




プルルルル、プルルルル

私は、まゆに電話を掛けた。

多分、まだ起きてるでしょ。

ピッ

加蓮「あ、もしもしまゆー?」

よし、起きてた。

加蓮「聞いてよまゆ、実はさー」

今回の件を全部話すつもりだった。

これからの事も相談するつもりだった。

ついでに私とPさんの関係の応援よろしくねー、なんて。

そんな風にふざけた会話をしたくて。

……それが出来たら、どれだけ良かっただろうね。

まゆ『……加蓮ちゃん……っ』

加蓮「ん、何?」

まゆの声は、震えてた。

まるで、泣いてるみたいに……

まゆ『まゆは……加蓮ちゃんの事、信じてたんです……!』

加蓮「…………え?」

まゆ『本当の仲間だと思ってました……加蓮ちゃんなら、応援したいって……心の底から思えたのに……!』

加蓮「待って待って!何の……」

まゆ『Pさんと浮気?!Pさんには美穂ちゃんがいるのに?!あの人にそんな辛い思いをさせたんですか!!』

加蓮「……ぁ……」

なんで知ってるのかは、もう良い。

そうじゃなくて、まゆが……

まゆ『信じてたのに!まゆは!加蓮ちゃんの事を信じてたんです!!なのに……!』

加蓮「ちが、待ってまゆ!」

まゆ『ずっと心の内で笑ってたんですよね?なんにも知らないまゆを!まゆは本気で、加蓮ちゃんを……大切な人だと思ってたのに……!うぅぅぁぁっ!!』

それから、まゆの泣き声だけがスピーカーから響いて来て。

自分がしてしまった事の大きさを理解するには、あまりにも遅過ぎた。

まゆ『嫌いです……加蓮ちゃんなんて、大っ嫌いです!』

加蓮「まゆ…………」

まゆ『もう二度と会いたく無い!顔も見たくありません!!』

加蓮「ぁ……うそ…………」

まゆは、私の味方な筈で……

まゆ『……さよなら、加蓮ちゃん……今までの楽しかった思い出は……全部、ニセモノだったんですね』

通話が切れた。



……あーあ。

まゆにまで嫌われちゃったじゃん。

ずっと味方だって言ってくれてたのに、嘘じゃん。

嘘つきじゃん。

なんで私だけこんな色々言われなきゃいけないの?

もうMasque:Radeの活動とか無理でしょ。

もう、まゆに会えないじゃん……

加蓮「…………ぁ…………」

もう、戻れないんだ……

私、まゆの事まで裏切ってたんだ……

それなのに、味方でいてくれるなんて優しい言葉を掛けて貰ってて。

そんなまゆにまで……

加蓮「ぁぁぁぁぁっ……うぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

もう、なんにも考えたくない。

全部、私が悪いから。

最後に届いてたPさんからの連絡は、なんだったんだろ。

……もう、いいや。

私は、スマホの電源を切った。









部屋に戻ると、美穂と李衣菜が飲んでいた。

美穂「お帰りなしゃい、Pしゃぁぁっ!」

なんか威圧された。

まぁ美穂がどれくらい酔っているかは、ゴミ袋に投げ捨てられた缶の本数が物語っている。

李衣菜「あー、お帰りなさいPさん。電話大丈夫でした?」

美穂「え、電話?!わらしからのラブコールれすかっ?!」

P「うん美穂、お前もう寝ような」

美穂「……まだまだ飲み足りません。もっと飲むもん!キリッ!」

李衣菜「……相当酔ってますね……」

P「悪いんだけど、美穂運ぶの手伝ってくれない?」

李衣菜「ん、りょーかいです!」

美穂「いーやーでーすー!レディーを寝室に連れ込むなんでそんなハレンチは許せます!!」

李衣菜「はいはいおやすみー美穂ちゃん」

李衣菜と俺で美穂を持ち上げ、ベッドに投げ込んだ。

あ、寝た。早い。

李衣菜「っふぅ……」

P「助かる、あと、うん。色々すまんな」

李衣菜「へへ、大丈夫ですって。いつもあんな感じですから……」

遠い目をする李衣菜。

大変申し訳ない。

完全に俺の監督不行き届きである。





李衣菜「……それで、どんな話だったんですか?」

P「……まぁ、仕事の方でな」

李衣菜「嘘ですね。Pさん嘘つく時、一瞬目を逸らすんですよ」

P「……よく見てるな」

李衣菜「へへっ、今の嘘です。すみませんカマかけたりして」

……やられた。

あまりにもそれっぽく、尚且つ自信ありげに言うから騙されてしまった。

李衣菜「まぁ嘘つくって事は話辛い事でしょうし、私はあんまり深くは踏み込みませんけど……」

P「そうしてくれると助かるな」

李衣菜「……加蓮ちゃんの悩み、なんとか出来そうですか?」

P「……あいつに何があったのか分からないんだよな……」

半分は本当だ。

あいつに智絵里から件の写真を届いたのは、もうほぼ確定だろう。

しかし、その際どんなやりとりがあったのかまでは分からない。

智絵里には直ぐに電話を切られ。

加蓮とは現在連絡が取れずにいる。

李衣菜「……加蓮ちゃん、辛そうだったんで……とっても曖昧な言い方になっちゃいますけど、早くなんとかしてあげて下さいね?」

P「おう、そのつもりだ。明日会ったら出来る限り話してみるよ」

明日、会って話す。

……あまりにも楽天的過ぎた。

前提条件の設定が甘過ぎた。

それを俺は、身をもって知る羽目になる。




P「おはようございまーす」

翌日、事務所へ着くと、なんだか空気が重かった。

連続して電話を掛けるちひろさん、ソファに沈み込むまゆ。

嫌な予感しかないが、それでも聞かないわけにはいかないだろう。

P「……何があったんですか?」

ちひろ「……あ、おはようございます、プロデューサーさん」

まゆ「……おはようございます……」

まゆまで暗い。

かつてここまでまゆが暗かった事があっただろうか。

ちひろ「……その、プロデューサーさん……」

P「…………はい……」

ちひろ「加蓮ちゃんと、連絡が取れないんです」

P「…………は?」

連絡が取れない?

忙しいとか撮影中とかの理由ではなく?

ちひろ「今日、加蓮ちゃんはレッスンです。ですが、いくら電話をしてもまゆちゃんがラインを送っても……反応が無いんです」

P「……俺も一応連絡してみます」

加蓮に通話を掛ける。

……繋がらない。

なんでた?着拒されてるのか?

P「まゆは……何か知ってたり……」

まゆ「ごめんなさい、プロデューサーさん……まゆは何も……」

P「あぁいや、まゆを責めてる訳じゃ無いんだ」

まゆ「ごめんなさい、力になれなくて……」

P「まゆこそ焦るよな……加蓮と連絡取れないなんて……」

ちひろ「体調が優れず、寝込んでいる……そう考えたくもなりますが。その……プロデューサーさん……」

その先の会話は、まゆちゃんには聞かれたくないですよね?

そう、ちひろさんは目で伝えて来た。

P「……まゆ。悪いけど、少し外して貰えるか?」

まゆ「……はい……加蓮ちゃん、ただのお寝坊さんだと良いな……」

寂しそうに、まゆは部屋から出て行った。

……そうとう不安なんだな。

それもそうか、今まで二人で頑張って来たんだから。





ちひろ「……写真の件、良いですか?」

P「……はい」

ちひろ「あの後、智絵里ちゃんとは……」

P「電話を掛けてみましたが、直ぐに切られちゃいました……ちひろさんは、加蓮に?」

ちひろ「はい。とはいえ、加蓮ちゃんは既に知っていた様です」

P「…………」

やっぱり、か。

どうやら加蓮に送られてきたラインは、智絵里からのものでアタリらしい。

……外れてくれれば良かったのに。

ちひろ「……智絵里ちゃんが、何を望んでいるのか……プロデューサーさんは分かりますか?」

……分からなくはない。

おそらく智絵里が望んでいるのは、自惚れでなければ俺だ。

邪魔者を排斥して、俺とまた……

けれどそれを、言う訳にはいかない。

だってそしたら、俺が智絵里とも既に関係を持っていた事がちひろさんにばれてしまう。

P「……分かりません……なんで、こんな事を……」

ちひろ「……アイドルとしての加蓮ちゃんに嫉妬した、なんて理由では無いと思うんですが……」

P「ですよね……二人とも優劣なく、俺からしたら最高のアイドルでしたから」

ちひろ「……加蓮ちゃんには、なんてラインを送ったんでしょう……」

P「……それも分かりません……ですが、加蓮を追い詰めるような内容だった事は確かだと思います」

だが、智絵里の狙いはなんだったんだ?

というより、加蓮に何を望んだ?

俺から離れろ、か?

であれば、こうして加蓮と連絡が取れなくなった事で智絵里の望みはかなった訳だが。

……まだ、これで終わりでは無いだろう。

俺と加蓮の写った写真は、それ以外にも活用できる。

あの写真を美穂に送られてしまえば、俺と美穂の関係は終わりなのだから。



ぶーん、ぶーん

俺のスマホが震えた。

ちひろ「っ!加蓮ちゃんですかっ?!」

P「あ、いえ……っ?!……智絵里、です……」

震える指で、通話ボタンを押す。

耳元に、ゆっくりスマホを運び……

ちひろ「……プロデューサーさん、スピーカーとマイク逆です」

P「……まじか……」

どうやら俺は相当焦っているらしい。

P「……もしもし、智絵里か?」

智絵里『あ、おはようございます、Pさん』

P「……おう、おはよう」

智絵里『えっと……昨晩はごめんなさい。直ぐに電話切っちゃって……』

P「あぁいや、それは別に良いんだ」

ありふれた智絵里との会話。

それが今は、ただ怖いだけだ。

あまりにもいつも通り過ぎる智絵里に、寒気すら感じた。

P「……なぁ、智絵里」

智絵里『あ、そうでした。Pさん、今夜二人でお食事してくれませんか……?』

P「…………は?」

お食事?今夜?

何言ってんだお前……

智絵里『……ダメ、かな……』

P「……どうして突然、そんな事……」

智絵里『えっ……?えっと……わたしが、Pさんと二人っきりでお話ししながらご飯食べたかったからですけど……』

……まぁ、きっとわかってるんだろう。

智絵里は、ちゃんと。

俺が、智絵里の誘いを断れないという事に。




P「……分かった。何時に何処に行けばいい?」

智絵里『…………ところで、あの……今近くに、誰か居ますか……?』

P「……いや、別に俺一人だけど……」

智絵里『……そうですか。あ、場所は後でラインで送ります。時間は……お仕事が終わる目処が立ったら、連絡して下さい』

P「……あぁ、分かった」

ピッ

P「…………っふうぅぅぅ……」

一気に、疲れがきた。

あまりの疲労感に立っていられず、そのままソファに沈み込んでしまう。

ちひろ「……どうでしたか?智絵里ちゃんは……」

P「……今夜、話がしたいだそうです……」

ちひろ「……私は……ダメそうですよね?」

P「はい。二人きりの方が……話しやすいから、と」

ちひろ「……お願いしますね?プロデューサーさん」

P「……はい」

正直、気が滅入る。

けれど、俺がなんとかしないと。

このままにする訳にはいかないのだから。

まゆと加蓮が、また二人で笑顔で活動出来る様になるためにも。

まずは、智絵里と話さないと。

結局その日は、加蓮とは一切連絡が取れなかった。




智絵里「あっ、Pさん……!お疲れ様です」

P「……おう、お疲れ様智絵里」

夜、駅前で智絵里と合流する。

なんで、笑顔でいられるんだろう。

なんで、いつも通りに俺と接せるんだろう。

俺は罪悪感で何度も押し潰されそうになったのに。

智絵里は、無いんだろうか。

誰かを裏切る事に、心が苦しくならないんだろうか。

智絵里「あ、お店はこっちです」

智絵里に案内されて店に入る。

その間、頭の中では何から話すかでいっぱいだった。

下手な事を言って機嫌を損ね、美穂に写真を送られる訳にはいかない。

それだけは、絶対に避けなければならない事態だから。

智絵里「……Pさん……お疲れですか?」

P「んぁ、すまん。ちょっと考え事」

智絵里「……もう……二人っきりの時は、他の事考えちゃ……メッ!っです……!」

P「……照れるならやらなきゃいいのに」

顔を真っ赤に視線をそらす智絵里。

いいな、女の子にメッって叱られるの。

状況が状況じゃなければ多分ときめいてた。

智絵里「Pさんは何にしますか……?」

P「適当に摘めるもんとビールで良いかな」

なんかここ数日ずっとビール飲んでる気がする。

そろそろプレミアム休肝デーを設けないと。

……まぁでも、飲んでないとやってられないしな。




智絵里「ふふっ……はい、乾杯っ!」

P「おう、乾杯!」

かつてここまで虚無な乾杯があっただろうか。

グラスがぶつかり響く音が、あまりにも空虚だ。

正直、ビールの味も分からない。

…………さて。

P「……なぁ、智絵里。少し話を聞かせて欲しいんだけど……」

智絵里「それは……内容によりますけど……」

P「……あの写真を撮ったのは、智絵里で良いんだよな……?」

智絵里「…………はい」

こくりと頷く智絵里。

その表情は、とても申し訳なさそうで。

けれど、ここで止まる訳にもいかないから。

P「……加蓮にも、送ったのか?」

智絵里「…………あれ?」

P「ん?」

智絵里「加蓮ちゃんから、話を聞いたんじゃないんですか……?」

P「いや別に。智絵里が送信元だって特定したのはちひろさんだったから……」

智絵里「……ぁ……」

ぽかんと口を開ける智絵里。

どうやら、本気で驚いている様だ。

智絵里「そっか……そうなんですね……」

P「……なにかあったのか?」

智絵里「……いえ、大丈夫です。加蓮ちゃんにはちょっと悪い事しちゃったなって……」

……ちょっと……?

智絵里「……でも、そんなに難しい事をお願いした訳じゃないから……」

P「……なんて言ったんだ?」

智絵里「Pさんの担当から外れて欲しい、です。Masque:Radeを続けるのは別に構わなかったから……ただ、Pさんと距離を取って欲しかっただけで……」

P「……それで、もし誰かに相談したら……写真を公開するって言ったのか?」

智絵里「そ、そんな酷い事は言ってません!」

P「す、すまん」

そうか。

流石に今のは俺が悪い気がする。

智絵里「……そしたら、加蓮ちゃんアイドル続けられなくなっちゃうから……」

P「そうか……」

智絵里も、そこまでは望んで無いんだな。

むしろ、加蓮がアイドルを続ける事には肯定的というか。




智絵里「ふふっ……はい、乾杯っ!」

P「おう、乾杯!」

かつてここまで虚無な乾杯があっただろうか。

グラスがぶつかり響く音が、あまりにも空虚だ。

正直、ビールの味も分からない。

…………さて。

P「……なぁ、智絵里。少し話を聞かせて欲しいんだけど……」

智絵里「それは……内容によりますけど……」

P「……あの写真を撮ったのは、智絵里で良いんだよな……?」

智絵里「…………はい」

こくりと頷く智絵里。

その表情は、とても申し訳なさそうで。

けれど、ここで止まる訳にもいかないから。

P「……加蓮にも、送ったのか?」

智絵里「…………あれ?」

P「ん?」

智絵里「加蓮ちゃんから、話を聞いたんじゃないんですか……?」

P「いや別に。智絵里が送信元だって特定したのはちひろさんだったから……」

智絵里「……ぁ……」

ぽかんと口を開ける智絵里。

どうやら、本気で驚いている様だ。

智絵里「そっか……そうなんですね……」

P「……なにかあったのか?」

智絵里「……いえ、大丈夫です。加蓮ちゃんにはちょっと悪い事しちゃったなって……」

……ちょっと……?

智絵里「……でも、そんなに難しい事をお願いした訳じゃないから……」

P「……なんて言ったんだ?」

智絵里「Pさんの担当から外れて欲しい、です。Masque:Radeを続けるのは別に構わなかったから……ただ、Pさんと距離を取って欲しかっただけで……」

P「……それで、もし誰かに相談したら……写真を公開するって言ったのか?」

智絵里「そ、そんな酷い事は言ってません!」

P「す、すまん」

そうか。

流石に今のは俺が悪い気がする。

智絵里「……そしたら、加蓮ちゃんアイドル続けられなくなっちゃうから……」

P「そうか……」

智絵里も、そこまでは望んで無いんだな。

むしろ、加蓮がアイドルを続ける事には肯定的というか。




智絵里「わたしだって、応援したいから……」

P「……ありがとな」

……けれど。

それなら、何があったんだろう。

口ぶりからして、智絵里は加蓮が俺に相談したと思っていたようだが。

智絵里「……あれ……?」

P「ん……?」

智絵里「……大丈夫そうなら良いです。あ、それで……」

急にしおらしく、頬を染める智絵里。

……まぁ、分かっていた。

夜に呼ばれて、どうなるかなんて。

智絵里「…………今夜……ダメ、ですか…………?」

P「……もし、断ったら……?」

そんな事を聞くべきではなかっただろうが。

それでも、少しでも俺は自分にのしかかる罪悪感を減らしたかったから。

自分に言い訳する為にも、仕方なかったんだと言い聞かせるためにも。

智絵里「……事務所の偉い人に送ります」

P「…………」

智絵里「……ちひろさん、きっと他の誰にも話してないと思うから……」

P「……それは……」

……ちひろさんまで、巻き込まれるのか。

あの写真の件を、誰にも話さないでくれたが。

それは俺に取っては有り難いが、上の人たちからしたら……

それに、本格的に加蓮が大変な事になる。

今、加蓮の居場所を不安定にさせる様な事はしたくない。

また戻ってきて、まゆと二人でMasque:Radeとして活動する為にも。

その居場所を、俺が守る。

P「…………あぁ、分かった」

智絵里「……えへへ……ありがとうございます」



P「……結構飲んだし、もう少ししたら店出るか」

智絵里「あっ……は、はい……!」

ところで、だ。

P「……なんで、美穂じゃないんだ?」

智絵里「…………え?」

P「なんで俺相手なのに、美穂に送ろうとしないんだ?」

事務所なんて回りくどい事をしなくても、ちひろさんを巻き込むなんて事をしなくても。

美穂に写真を送ると言えば、俺は従わざるを得なかったのに。

智絵里「えっ……あ、あれ…………?」

P「…………ん?」

なんだろう。

智絵里は本気で驚いているらしい。

……何か、あったのか?

智絵里「……美穂ちゃんから、聞いてないんですか……?」

P「……何を……だ……?」

ばくんっ!と。

心臓が跳ね上がった。

なんで今、この会話の流れで美穂が?

……そういえば、加蓮相手に。

智絵里は、どんな事を引き合いに出して口止めした?

加蓮が相談してしまったと勘違いした智絵里は、一体誰に何を行った?

智絵里「……わたし……美穂ちゃんに、もうあの写真送っちゃってるから……」

ぐらり、と。

足元が歪んだ様な気がした。






新しい朝が来た。

希望なんて無い。

今俺にのしかかっているのは罪悪感、後ろめたさ、そして……

智絵里「……あ、おはようございます」

P「……おはよう、智絵里」

抱き付いている、智絵里。

時計を確認すれば朝六時、なんて健康的だろう。

健全かと聞かれれば迷わず首を横に振るが。

P「……事務所、行かないと……」

一度自宅に戻る余裕が無い訳じゃないが……遅刻する方が不味いし、直接向かうとしよう。

そう、仕方ないんだ。

帰らない理由が作れて良かった。

智絵里「……もう、行っちゃうんですか……?」

P「ん、あぁ」

智絵里「……まだ余裕があったり……」

P「すまん、仕事に遅れる訳にはいかないからさ」

智絵里「そっか……ごめんなさい、ワガママ言っちゃって」

P「いいよ、別に」

軽くシャワーを浴びて、スーツを着る。

……はぁ。

P「じゃ、またな」

智絵里「…………はい」

ホテルから出て、智絵里と別れた。

美穂に、なんて言おう。

ちひろさんには、なんて説明しよう。

加蓮、今日は来れるだろうか。

P「…………はぁ……」

ため息だけを増やしながら、ホームで電車を待つ。

このまま飛び込んでしまえたら、どれほど楽だろう。

まぁ俺にそんな事をする勇気は無いが。

結局そのまま電車に乗り込む。

通勤ラッシュとストレスに身も心も押し潰されそうだ。

……気合い入れろ、俺。

仕事は仕事、きちっと分けないと。





P「おはようございます」

ちひろ「あ、おはようございますプロデューサーさん」

まゆ「おはようごさいます、プロデューサーさん」

事務所へ着くと、二人が出迎えてくれた。

加蓮は……来てないか。

ちひろ「……ただの体調不良だと良いんですが……」

まゆ「加蓮ちゃん……まだ、何も連絡くれないんです……」

P「……そうか……」

ちひろ「ドラマの撮影は先日でクランクアップだったので問題ありません。バラエティ番組やラジオへの出演はまゆちゃん一人で頑張ってくれています」

P「そうですか……ありがとな、まゆ」

まゆ「うふふ、プロデューサーさんと加蓮ちゃんの為ですからっ!」

ちひろ「あ、それでですが……えっと、プロデューサーさん」

P「あー……えっとですね……あまり詳しい話は聞けませんでした」

まゆ「…………?」

ちひろ「……そうですか。あっ、プロデューサーさんを責めている訳ではないですからね?」

P「……すみません」

嘘だけど、仕方ない。

言える訳が無いんだから。

まゆ「……あの、プロデューサーさん」

P「ん?なんだ……?」

まゆ「その……お仕事が終わったら、まゆと二人でお話し出来ませんか……?」

P「ん、構わないけど……」

まゆ「うふふ、ありがとうございます。それでは、また後で」



カタカタカタ

P「っふー……」

仕事が、終わってしまった。

いつもだったら早く終われなんて考えていたのに、今日は逆に早過ぎる気がする。

仕事が終わったら、帰らなければならない。

帰れば、家には美穂が居る。

……嫌だなぁ……

俺と加蓮の写真を見て、美穂は俺になんて言うだろう。

未だにラインも連絡も一切寄越さないが、本気で怒っているんだろうか。

愛想を尽かされてしまっただろうか。

本当なら直ぐにでも帰って謝るべきなのだが、何か言われるのが確定しているのに帰れる程俺のメンタルは強く無い。

P「……はぁ……」

ちひろ「プロデューサーさん、今日凄くため息が多いですよ」

P「これ以上逃げる幸せがないので」

ちひろ「美穂ちゃんがいるじゃないですかこのこの!」

P「あ、あはは……」

その美穂にも逃げられそうなんですよ、とは冗談でも言えない。

コンコン

まゆ「お疲れ様です」

P「ん、お疲れ様まゆ」

ちひろ「お疲れ様です、まゆちゃん」

まゆ「さぁPさぁん!まゆとガールズトークですよぉ!」

ガールズ、ガールズってなんだ。

少なくとも俺は女性ではないし、まゆが分身するんだろうか。

まゆ「あ、お仕事の方は終わりましたか?」

P「おう」

そうだ、この後まゆとガールズトークするんだった。

良かった、帰宅する時間が遅くなって。

美穂が寝てる時間に帰るくらいまで粘れると良いんだが……

P「それじゃ、お疲れ様ですちひろさん」

ちひろ「はい、お疲れ様です」

まゆ「PさんPさん!さぁ、手を繋ぎますよぉ!」

まゆを無視して事務所を出る。

近くに前行った喫茶店があるし、そこで良いだろう。

まゆ「Pざぁ゛ん……無視じないでぐだざいよぉ゛……」

P「……ごめんて……泣く事は無いだろ……」

まゆ「うふふ。まゆ、泣く演技には自信があるんです」

P「こないだの喫茶店で良いよな?」

まゆ「無視じないでぇぇぇ……」

声がギザギザしてる。

凄い、大女優の演技凄い。




P「すみませーん、禁煙二人で」

店員に案内され、奥の方の席に着く。

コーヒーを注文して、一息。

ふぅ……さて。

P「……で、話って?」

まゆ「最近、どこのお店も禁煙が進んでますねぇ」

P「いや俺もう吸わないから」

まゆ「まゆは気にしませんよ?」

P「いや、美穂がな……」

まゆ「……うふふ、そうですか」

P「……で、話ってそれか?最近喫煙者の肩身が狭いのは重々承知してるけど」

まゆ「それと、ですねぇ」

P「なんだ?次はお酒か?」

まゆ「…………美穂ちゃんと、最近上手くいってますか……?」

P「…………あぁ、もちろん」

まゆ「……Pさん、嘘つく時に一瞬目を逸らしますよね」

……李衣菜が言ってた事、本当だったのかよ。

まぁ、今のは俺の反応が遅過ぎてあからさま過ぎたか。

P「……正直言うと、まぁ……うん。色々あってな」

まゆ「……それは……加蓮ちゃんや智絵里ちゃんも関係している事ですか……?」

……どこまで、バレてる?

下手な事を言う訳にはいかないが……

まゆ「……今朝、智絵里ちゃんと会ってましたか?」

P「……なんで……そんな事……」

まゆ「Pさんが思っている以上に、女の子は対応や匂いの変化に敏感なんです」

……あぁ、そういえば。

初めて智絵里と身体を重ねた翌日、ファブリースを勧めてきてたもんな。

もしかしたら、なんとなくあの時から気付いていたのかもしれない。



まゆ「……Pさん、それできっと……美穂ちゃんに対して後ろめたくて、その……」

P「……あぁ、そうだ。バレてるかどうかとかじゃなくて、会うのが辛いんだ」

美穂の方がよっぽど辛い思いをしているだろうに、俺はなんて身勝手なんだろう。

まゆ「……それで……もしかしたら、加蓮ちゃんも、って……」

P「……断りきれなかった俺が、全部悪いんだ。本当にすまん……」

まゆ「いえ。まゆはPさんを責めたい訳じゃないですから」

P「……直接的ではないにしても、もしかしたら加蓮が来なくなったのも……」

実際には智絵里と何かがあったらしいが。

それだって、元はと言えば俺が加蓮をきちんと断らなかったからな訳で……

まゆ「……ごめんなさい……あまり、話したく無い話題だと思います……」

P「いや、良いよ。むしろありがとな、俺に相談させてくれて」

多少、気が楽になった。

一人で抱え込むよりも誰かに相談した方が楽になれるっていうのは本当だな。

まゆ「……Pさん」

P「……ん?なんだ?」

まゆ「……辛くなったら、いつでもまゆに相談して下さいね?」

そう言いながら、俺の手を握ってくれて。

まゆ「Pさんの辛そうな顔を見るのは……まゆにとって、とっても苦しい事ですから」

目に涙を浮かべながらも、笑ってくれた。

P「……あぁ、ありがとう。でも、全部俺が悪いんだ……」

まゆ「うふふ。大丈夫です、Pさん。Pさんは何も悪くありません」

ぎゅっ、っと。

握る手の力を強くするまゆ。

まゆ「何があっても、まゆはPさんの味方です……!」

P「……あぁ……」

どうにもダメだな。

最近、涙腺がゆるい気がする。

色々ありすぎて、心が疲れているんだろうか。

年下の女の子の前で涙を流すなんて。

P「……ありがとう……まゆ……」

まゆ「……Pさんさえ良ければ、まゆにもう少し相談に乗らせてくれませんか?」

P「……あぁ」

それから俺は、まゆに全てを吐き出して。

結局、店を出たのは二十二時を回ってからだった。




期せずして帰宅が日付変更ギリギリになってくれた。

流石に、もう美穂も寝ているだろう。

……と、思っていた。

美穂「あ……おかえりなさい、Pさん」

P「……ぁ……ただいま、美穂」

ウトウトしながらも、美穂が玄関前で待っていた。

美穂「良かったです……帰って来てくれて……!」

P「お、おい……まさかずっと此処で待ってたのか……?!」

美穂「連絡無かったから、何かあったのか不安になっちゃって……!でも、お仕事だったら電話掛けちゃ迷惑かなって思っちゃったんです……!」

ぎゅぅぅぅっ、っと力強く抱き付いて来た。

不安で不安で仕方なかったのだろう。

決壊した様に涙を流して。

美穂「良かった……何事もなくて……!」

P「……本当にすまん。今後は絶対連絡するから」

美穂「もう……約束ですよ……っ!本当に不安だったんですから……!!」

P「あぁ、約束する」

俺も、美穂に応えるように抱き寄せた。

……俺の浮気を知った上で、ここまで思ってくれてるなんて……

P「……なぁ、美穂。その……智絵里から……」

美穂「……?智絵里ちゃんがどうかしたんですか……?」

P「…………ん?」

……あれ?

P「……あぁいや、最近智絵里とは連絡取ってるのかなーってさ」

美穂「えっと……あんまり取れてないです。何かあったんですか?」

P「あぁいや、無いなら良いんだ。次はいつ飲むのかなって気になってさ」

……智絵里の話は、嘘だったのだろうか。

まぁ真偽はともかくとして、美穂の元にあの写真は届いていないらしい。

なら、黙っておいた方が良いだろう。

美穂「あ、お夕飯はどうしますか?今からでも簡単なものならーー」




翌日も、その翌日も、そのまた翌日も。

加蓮が事務所に来る事は無かった。

ちひろ「……加蓮ちゃん、大丈夫でしょうか……」

P「……何事も無ければ良いんですけどね……」

仕事に関しては、まゆが出来る限りカバーしてくれていた。

俺もちひろさんも必死に駆け回って、やれる事はやった。

もちろん、加蓮が戻って来てくれた際にすぐ迎え入れる準備もしてある。

……けれど、加蓮からの連絡は一切無い。

まゆ「加蓮ちゃん……いえ、こんな時まゆが弱気じゃいけませんね」

P「ありがと。こう言うのは難だが……あんまり無理はするなよ」

唯一のユニットメンバーがいなくなって一番ショックなのはまゆの筈なのに。

こうして笑顔で頑張ってくれて。

P「……俺も、頑張らないとな」

まゆ「うふふ、一緒に頑張りましょう」

そうだ。

全てを知った上で、俺が全てを話した上で。

それでも、まゆは俺を励ましてくれて。

俺の味方でいてくれて。

P「……あぁ!」

まゆが一緒にいてくれるなら、きっと大丈夫だ。

きっと、上手くいく筈だ。

ちひろ「…………」

まゆ「では、まゆはオーディションに行ってきますねぇ」

P「おう、ファイト!」




バタンッ

ちひろ「……まゆちゃん、強いですね」

P「ですね。俺も凄く助けられています」

ちひろ「……それで、あまり切り出されたく無い話題だとは思いますが……」

……まぁ、分かっている。

俺とちひろさんが一対一になった時点で、どんな話題が持ち出されるかなんて。

ちひろ「……智絵里ちゃんとは、その後どうなっていますか?」

P「あれ以降連絡はありません」

ちひろ「……プロデューサーさんからの方は?」

P「……取れていません」

正しくは取ろうとしていない、だが。

智絵里に何か話そうとしたところで、俺に主導権は無い。

彼女の機嫌を損ねる訳にはいかないのだから。

ちひろ「はぁ……もし加蓮ちゃんがまた復帰出来たとしても、根本的な解決には至らないかもしれないんですよ?」

P「それは……分かってます……」

ちひろ「智絵里ちゃんと加蓮ちゃんの間にどんなやり取りがあったのか。それを確かめない限り……」

けれど、智絵里相手にそんな強気に出れる訳がないだろ。

ちひろさんだって巻き込まれるんだぞ。

何の為に俺がこんなに心を擦り減らしてると思ってるんだ。

……大元はと言えば、全部俺が悪い事くらい分かってる。

少しくらいは自分に言い訳させてくれたって良いじゃないか。

ちひろ「……美穂ちゃんに送る、と。そう脅されたんですか?」

P「えっ?あ、いや……別に……」

……そうなんだよな。

智絵里は、既に美穂に送ったと言っていた。

けれど美穂は知らない風だったし。

どちらを信頼するかなんて、考えるまでも無い。

それに、もし智絵里の言っていた事が本当だとして。

確かめない方が、精神的に気楽だろう。




ちひろ「……もう一度、智絵里ちゃんときちんと話してみて下さい。もしプロデューサーさんがどうしてもと言うのであれば、私から」

P「いや、大丈夫です。俺からもう一度連絡を取ってみます」

ちひろさんに、俺と智絵里の関係まで知られるなんて。

それは非常に不味い。

P「……っふぅー……よし」

ちひろ「……すみません、追い詰める様な真似を……」

P「あぁいえ、どの道また智絵里とは会う予定でしたから」

向こうから連絡が来て、という意味だが。

P「すみません、ちょっと……屋上行って来ます」

ちひろ「屋上……?」

部屋から出て、エレベーターで屋上へ向かう。

無機質な音に俺以外誰も居ない密閉空間。

案外落ち着くが、あっという間に屋上へと到着してしまった。

……さて。

P「……ふぅ……」

内ポケからタバコを取り出し、吸いつつ先端に火を着ける。

久し振りだな、こうして吸うのは。

煙が口から喉を通って肺を満たし、身体中に浸透する様な感覚。

脳が冴え、落ち着く。

前はベランダで吸えたり喫煙所も豊富だったのに、今では屋上でしか吸えないからな。

全く、本当に肩身の狭い世界になったものだ。

スマホを取り出し、智絵里にラインを送る。


『今、電話かけて大丈夫か?』

『はい』

直ぐに返信が来た。

そしてツーコール、直ぐに智絵里と繋がる。

P「もしもし、突然すまん」

智絵里『あっ、おはようございます。Pさん』

上機嫌な智絵里の声が聞こえてきた。

智絵里『えへへ……珍しいです、Pさんの方から連絡だなんて』

……まったく、こっちはかなり重い気分で連絡しているというのに。

智絵里『それで……何かありましたか?』

P「ん、こないだ話したさ、美穂の件なんだが……」

智絵里『…………はい』

露骨に智絵里のテンションが下がった。

言葉を選びつつ、話を続ける。

P「えっと……智絵里の言ってた事を疑う訳じゃ無いが、その……どうやら、美穂は写真の事なんて知らないみたいなんだ」

智絵里『……そんな事ありません……既読も付きましたから』

P「…………そうか……」

智絵里『……スクリーンショット、送りましょうか?』

P「あぁいや大丈夫だ」

よくよく考えれば、ここで智絵里が嘘をつく必要が無いんだ。

であれば、智絵里は本当に美穂にあの写真を送ったという事で。

美穂は、俺と加蓮の件を知っているという事で。

……はぁ。改めて、家に帰り辛くなる。

P「……分かった。ありがとな、智絵里」

智絵里『あっ、Pさん……それで、その……日曜日、良ければ……二人でお夕飯しませんか……?』

P「……空いてたらな」

智絵里『えへへ……期待しちゃいます……!』

ピッ

通話を切って、俺は改めて大きなため息を吐いた。

タバコは既に二本目に突入している。

P「…………どうすんだよ、マジで……」

割ともう、引き返せない場所まで来ている。それを、改めて思い知らされた。

智絵里と身体を重ねる事に、抵抗が薄くなってきていた。

仕方ないんだと自分に言い聞かせる事に慣れ始めていた。

美穂を裏切らないという言葉は、全て言い訳に変わり始めていた。

美穂と会う事すらも、辛い事となっていた。

P「…………まゆ……」

三本目のタバコに火を着けた。

以前よりも吸い切るペースが早くなっている。

吐き出した煙みたいに、何処かへ飛んでいけたら良かったのに。

……バカと煙、強ち遠い存在ではないかもしれないな、なんて。

美穂の為に禁煙を始めた事なんて、既に忘れ始めていた。




まゆ「まーゆでーすよぉ!」

ばたーん!

ドアが開いた。

ついでにババーンなんてSEまで付いてそうな感じでのまゆの帰還。

……テンション高いな、まゆ。

P「お疲れ様、まゆ」

まゆ「あら?ちひろさんは……」

P「ちひろさんはもう上がったぞー」

まゆ「……つまり、今ここにはまゆとPさんの二人だけという事に……!」

P「俺もそろそろ帰るか」

まゆ「あっあっあっあっ」

……反応が楽しいな、まゆ。

まぁまだあと一時間くらい帰れそうにないんだけど。

いっそ、終電逃したい。

無限に事務所の仮眠室で暮らしたい。

美穂があの写真を見たという事を知ってしまった今、本格的に美穂に合わせる顔が無くて。

ここ数日、それを知った上で俺に隠して優しくしてくれたんだと考えると。

本当に、心が苦しかった。

P「……はぁ」

まゆ「……お疲れみたいですね、Pさん」

P「……まぁ、ちょっとな」

まゆ「まゆで良ければ、相談に乗りますよ?」

P「…………三十分で終わらせるから、悪いけど待ってて貰えるか?」

まゆ「うふふ、もちろんです」

P「よし、ラストスパートかけるか」

まゆ「いーち、にーい、さーん」

P「お前それ1800までやるつもりか?」

まゆ「まゆはやると言ったらやる女ですよぉ!ろーく、なーな、はーち」

P「……16、13、9、12、11、19」

まゆ「じゅーご、じゅー……さん?あら?よん?に?」

楽しい。

まゆ「もう!Pさんはお仕事に集中して下さい……ぷんぷん!」

結局作業が終わったのは、まゆのカウントが1500くらいの頃だった。

タイピング速度、昔より早くなったなぁ、なんて。




まゆ「お疲れ様です、Pさん。コーヒー淹れましたよぉ」

P「ありがとう、まゆ」

暖かいマグカップを傾ける。

あつい。

まゆ「ところで、Pさん」

P「ん?なんだ?」

まゆ「タバコ、また吸い始めたんですか?」

P「……え、分かる?」

まゆ「隠そうと努力したところまで分かりますよぉ」

P「まじかー……」

帰る前にシャワーでも浴びておこうか。

まゆ「……ふむふむ、むふふむふふ」

P「日本語で頼む」

まゆ「まゆは気にしませんから大丈夫ですよぉの意味です」

P「へー」

まゆ「ごほんっ!それで……智絵里ちゃんか美穂ちゃんと、何かあったんですか?」

P「……どうやら、さ。美穂、俺の浮気知ってるらしいんだ」

まゆ「…………それは……」

P「それなのに、俺に優しくしてくれてさ。逆に辛いって言うか、顔を合わせるのが苦しいんだ」

まゆ「……」

分かってる。

いっそ美穂から話してくれれば良い、だなんて。

P「……自分勝手だよな。それなら、きちんと俺から話しを切り出すべきなんだ……それでも……」

勇気が、無い。

知らないフリをしてくれているなら、それで良い。

自分から話すなんて、辛いから。

けれど、そんな関係をこれからも続けるだなんて。

きっと、俺の精神は保ってくれない。





まゆ「……いえ、Pさんは悪くありません」

P「……いや、全部俺が弱いのが……」

まゆ「弱くもありません!」

P「…………まゆ」

まゆ「Pさんは、一人で耐えて来たんです。みんなの弱さを一手に引き受けて来たんです……そんなPさんが、弱い筈も悪い筈もありません……!」

目に涙を浮かべながらも。

まゆは、俺をそう励ましてくれた。

まゆ「一人で不安なら……貴方には、まゆがいます。いつでも貴方の側に、隣に……まゆが居ますから」

P「……ありがとう、まゆ」

まゆ「一人で抱え込まないで下さい……貴方の苦しさも、悩みも……まゆに、半分こさせて下さい」

そう言って、微笑んで。

両手で、俺の手を包み込んでくれて。

なんだかそれだけで、心が軽くなってくれた。

P「……そうだな。まゆが居てくれるなら……俺も、まだ頑張れそうだ」

まゆ「うふふ、その意気です」

さて、と。

それはそれとして。

P「……今夜、どうすっかなぁ……」

また、美穂が寝ている時間に帰ろうか。

いや、多分俺が帰るまで起きてくれてるだろうな。

起きてしまっているだろうな。

余計な不安は掛けたくないし、連絡はきちんと入れないと。

けれど、何処かに泊まることになっただなんてそんな連絡を送ったら浮気だと思われてしまう。




P「……んー……」

まゆ「あ……でしたら、まゆの方から美穂ちゃんに連絡を入れておきましょうか?」

P「え?」

まゆ「遠くのロケで帰れなくなっちゃった、って。まゆなら、きっと美穂ちゃんに信頼されてると思いますから」

P「良いのか?」

まゆ「えぇ!まゆにお任せですよぉ!」

P「んじゃ、頼もうかな。千葉の端の方で、撮影遅れて終電逃したって事にしといてくれ」

まゆ「Pさんは何処に泊まるんですかぁ?」

P「事務所の仮眠室使うよ」

まゆ「うふふ、お供しますよ?」

P「え?は?」

まゆ「む、その反応は心外ですねぇ……きっと、誰かが近くに居た方がPさんも安心出来ると思うんです」

まぁ、それは分からんでもない。

以前は一人暮らしだったが、美穂と同棲を始めてから誰かと一緒に眠るのか当たり前になっていて。

改めて、側に誰かが居る事の安心感を知って。

まゆ「まだまだPさんも吐き出したい事があるでしょうし、まゆが全部受け止めてあげます」

P「……ありがとな、まゆ」

まゆに甘えてばかりで本当に申し訳ない。

けれど今は、誰かと話したかったから。

結局その日は、事務所に泊まって。

なんだか久し振りに、グッスリと眠れた。




まゆ「Pさん、朝ですよぉ」

P「…………ん?」

起きると、家ではなかった。

いや超常現象的な事が起きたとかそういう訳ではなく。

……そうか、俺、仮眠室で寝て……

まゆ「うふふ、寝顔もとっても素敵でした」

ベッドの脇から、まゆが覗き込んでいた。

P「んんー……あー、めっちゃ良く寝た……」

スマホを確認すれば、朝の六時。

この時間に心地良い起床が出来るなんて、本当に久し振りだ。

P「おはよう、まゆ」

まゆ「おはようございます、Pさん。お目覚めにコーヒーかキスは如何ですか?」

P「コーヒーを頼む」

まゆ「むー!!」

かわいい。

それはそれとして、さっさと起き上がって備え付けの洗面器で顔を洗う。

ロッカーに着替えはあるし、さっさとヒゲ剃って歯も磨くか。

まゆ「この時間の事務所はまだ誰も居ないんですねぇ」

P「そもそもこのフロアはあんまり人来ないしな」

というか今日は日曜日だし。

まゆ「はい、コーヒーです」

P「ありがと、まゆ」

マグカップを受け取り、傾けつつラインをチェックする。



……ん、なんか李衣菜からライン来てるな。

『今夜、一緒に飲めたりしませんかー?』

……美穂も居るんだろうな。

『美穂と二人で飲んでろー。巻き込まれる方大変なんだぞー』

『私だって同じですよ!まあそれは置いといて、久々に二人でのんびり飲みたいなーなんて感じです』

美穂が居ないのか。

なら、良いな。

智絵里の方は、仕事が入ったって断れば良いだろう。

『おっけー、何処で飲む?』

『リンク送りまーす。何時にします?』

『明日は月曜だし十九時くらいからにしとくか?』

『りょーかいでーす』

まゆ「どなたですかぁ?」

P「李衣菜だよ。久々に飲もうぜーって」

まゆ「むぐぐ、まゆがまだ飲めないのがとても悔やまれますねぇ」

P「あと三ヶ月ちょいだぞ」

まゆ「誕生日は飲みに連れて行って下さいねぇ」

P「んじゃ、ちょっと屋上行ってくる」

まゆ「びぇぇぇぇぇっ!無視しないで下さいよぉおぉっ!!」

P「朝からカロリー高い高い」

表情は笑顔なのに声だけ迫真の泣き真似なの凄いな。

まゆ「むぅ……まゆは今日は久しぶりにのんびり買い物にでも行ってます」

P「おっけ。じゃ、また明日な」

まゆと別れ、屋上で一服する。

……さて。

智絵里の方に、断りの連絡を入れておかないと。

『すまん智絵里、仕事で今日無理そうだ』

流石に、仕事があると言っているのにそれでもって事は言ってこないだろう。

それじゃ、李衣菜との約束の時間まで何しようか。

一回家に帰る必要は無いだろう。

久しぶりに、映画でも観に行くか。





李衣菜「お疲れ様でーす!」

P「よ、李衣菜」

十八時半過ぎ、約束の駅で李衣菜と落ち合う。

遠くから見てると大人っぽい女性だけど、こっちの姿見つけてぴょんぴょん跳ねるあたり李衣菜だなぁ。

バカにしてる訳じゃなく、なんだか安心した。

李衣菜「外あっついですねー。早くお店行きませんか!」

P「だなー。これからもまだまだ暑くなると思うと嫌になるよ」

李衣菜「なんで外にも冷房設置しないんでしょうねー」

P「電気代の節約だよ多分」

アホな会話をしながら、李衣菜に案内され店に入る。

ザ・大衆酒場。

騒がしさと慌ただしさが逆に心地良い。

李衣菜「一杯目は何にしますー?」

P「そらービールだろ」

李衣菜「らじゃ!私もです!」

ビール二杯に焼き鳥と枝豆を頼む。

P「それじゃー」

李衣菜・P「「乾杯っ!」」

李衣菜「くぅー!良いですねー!!」

P「大学生だ……」

李衣菜「なんなら昨日で21です!」

P「えマジ?!誕生日おめでとう!!」

李衣菜「どーせ忘れてると思ってましたよーだ」

……完全に忘れてた……

いや、李衣菜の誕生日自体は覚えてたけど、昨日が六月三十日だという認識がなかった。

P「いや、すまん……色々立て込んでて……」

李衣菜「支払いは?」

P「任せろ!」

李衣菜「二件目は?」

P「……まぁ良いだろう!」

李衣菜「っいぇーい!近くに良さげで高そうなバー見つけてあるんですよ!」

P「……ほ、ほどほどに……」

李衣菜「忘れてたんですよね?」

P「幾らでも払ってやらぁ!」

まぁ、楽しいし良いか。





李衣菜「おぉー、良い飲みっぷりですね」

P「明日が月曜じゃなければ良かったのに」

李衣菜「まあまあどーぞどーぞ」

あっという間に二杯空にしてしまった。

気楽に飲めるお酒って良いな。

ピロンッ

ん、智絵里からラインか……

『分かりました』

『すまん、また今度声掛けるから』

……ふぅ、これでなお心置きなく飲めるな。

李衣菜「あ、それでなんですけど……加蓮ちゃん大丈夫でしたか?」

P「…………んー……」

突然、一気に酔いが覚めた気分だ。

全然心置きなくなかった。

……李衣菜に嘘を吐くのもな……

事情は掻い摘みつつ、最近事務所に来てないって事は話すか……

P「……ちょっと真面目な話になるんだけどさ」

李衣菜「あ、カシスウーロンで」

P「ねぇ聞いて?聞いたんなら聞いて?」

李衣菜「素敵な恋でもしてるんですか?」

心臓はバクバクしたけれども。

P「まぁいいや、ちっとお手洗い。戻ってきたら話す」

李衣菜「らじゃー!」

あーくそトイレ混んでる。

席を立つまではそうでもないのに、並んだ途端に一気にくるのは何故だろう。

手持ち無沙汰なので深呼吸などしてみる。

深呼吸をした。

鼻の通りが良くなった。

用を済ませ、手を洗って席に戻る。

P「待たせたな」

李衣菜「大丈夫です、今来たところですから!」

P「定番だな」

李衣菜「ついでに定番のキャベツとサバの味噌煮頼んどきましたよ!」

果たしてサバの味噌煮は居酒屋にて定番なのだろうか。

美味しいけど、食べるけど。




P「で、だな」

李衣菜「なんの話でしたっけ?地球温暖化?」

P「そんな話してたか?」

酔ってんのか?

まぁ兎も角、李衣菜がその話を持ち出さないなら話さなくて良いか。

俺も楽しく飲みたいし。

李衣菜「そういえばエッフェル塔って夏と冬で高さが10センチくらい変わるらしいですよ」

P「へー、地球温暖化って凄いな」

李衣菜「今ホットな話題ですからね、温暖化だけに!」

P「うわ寒」

李衣菜「温暖化対策です!」

頭空っぽな会話、良いな。

なんと言っても気楽で良い。

気付けば二時間、あっという間に追い出されてしまった。

P「二件目、近くに良い店あるんだっけか?」

李衣菜「んー、とは言え十分くらい歩く事になりますし隣の居酒屋で良いんじゃないですか?」

P「まぁ李衣菜がそれで良いなら」

そのまま隣の大衆居酒屋に入った。

騒がしい。

李衣菜・P「「かんぱーーい!!!」」

ごくごく、ビール美味しい。

李衣菜「酔ってますねー」

P「李衣菜もだぞ」

李衣菜「私はほら、美穂ちゃんに鍛えられましたから!」

P「なんと俺もなんだよ」

李衣菜「勝負しますか?!」

P「明日が月曜じゃなかったらな!」



ぶーん、ぶーん

俺のスマホが震えた。

李衣菜「貰ったぁ!」

取られた。

P「いや返せよ」

貰ったぁじゃねぇよ。

酔ってるのかお前。

酔ってるんだろうな。

俺も酔ってる。

李衣菜「ん、まゆちゃんからです。出て良いですか?」

P「良いぞ」

ピッ

李衣菜「もしもーし」

P「なんだって?」

李衣菜「周りがうるさくて全然聞こえません!」

P「そらーな」

李衣菜「あ、楽しんでますかーだそうです」

P「楽しんでるぞー!って聞こえてんのかな……」

李衣菜「あはは、分かりません!あ、泣き真似してる」

P「あっははは、泣け泣けー!」

李衣菜「流石大女優……凄い……」

P「凄いだろ、うちの自慢のアイドルだぞ」

李衣菜「ばいばーい!まったねー」

ピッ



P「で、なんだって?」

李衣菜「まゆが成人したら全員酔い潰してやりますよぉ!だそうです!」

あいつそれだけ言うために掛けてきたのか。

P「ははっ、まゆの真似上手いな!」

李衣菜「伊達に何年も付き合ってませんからね!まゆちゃんの事なんて全てお見通しです!」

P「あとまゆってお酒弱そうじゃないか?」

李衣菜「とても分かります!」

P「でも優しいんだよな」

李衣菜「ですねー」

会話のテンションの起伏がとてもお酒の席って感じがする。

まぁそんな感じで、飲んで、駄弁って。

気付けば終電ギリギリの時間になっていた。

李衣菜「それじゃ、そろそろ出ますかー」

P「だなー」

帰るのは気が滅入るが、帰らない訳にもいかないだろう。

支払いを済ませて、のんびり駅へと向かう。

終電は……セーフ。

この時間は人多いなぁ。

李衣菜「Pさんは途中で乗り換えでしたっけ?」

P「あぁ。李衣菜は?」

李衣菜「途中までPさんと一緒ですね。そのまま乗って二つ先です」

P「んじゃ…………ん?」

さっきから響いていた駅内のアナウンスが、ようやく聞き取れた。

『〇〇駅でお客様と列車が接触し、安全確認の為に現在運転を見合わせております』

P「はぁ……なんでこんな時に……」

どうりでホームに人が多いなと思ってたが……

李衣菜「かなり遅れてるみたいですねー」

P「乗り換える電車と終電接続してないんだよな……多分帰れないかも」

なんだって今日に限って……

流石に今日は帰ろうと思ってたんだけどな……

李衣菜「あ、ならうち泊まります?美穂ちゃんもそれなら安心するんじゃないですか?」

P「ん、まじで?李衣菜が良いなら」

ふぅ……良かった。

それなら多分大丈夫だ。

これもまぁ仕方ない理由だろう。

李衣菜「にしても運転再開するのどのくらいかかるんですかねー」

P「分からん。酔っ払いか知らんがほんと迷惑だよな……」

結局運転再開したのはかなり遅い時間だった。










智絵里『わたし……好きなんです、Pさんの事……』

美穂『……そうなんだ……』

初めて、わたしが想いを打ち明けた時。

心臓がばくばくして。

言わなきゃ良かった、って後悔が渦巻いて。

だから……

美穂『わたしは応援するよ、智絵里ちゃんっ!』

美穂ちゃんがそう言ってくれて。

わたし、本当に嬉しかったんです。

ずっと誰にもナイショにしてて、辛くて、苦しくて。

ようやく聞いて貰えたわたしのホントの気持ちは。

Pさんに、直接伝えた訳じゃなかったけど……

それでも、わたしは一歩進めたんだ、って。

美穂『智絵里ちゃんとプロデューサーさんが二人っきりになれる機会が増える様に、わたしもそれとなく試してみますっ!』

智絵里『……ありがとう……美穂ちゃん……!』

美穂『気にしなくて良いよ?だってほら!わたしたちはーー』







ピピピピッ、ピピピピッ

智絵里「……はぁ……」

目覚ましの音で、わたしは現実に引き戻されました。

とっても懐かしい夢を見てた気がします。

まだわたしが、Masque:Radeのメンバーとしてアイドル活動をしてた頃。

まだわたしが、美穂ちゃんと……

智絵里「……朝ごはん、作らなきゃ」

わたしが二十歳になってから、Pさんと会う機会が増えたからかな。

思い出す事が、増えたんです。

あの時の事、あの後の事。

そして……今、わたしがしてる事。

とっても酷い事だって、Pさんを苦しめてるって。

そんな事、分かってます。

それでも、わたしは。

Pさんの事が、諦められなかったから……

今日は日曜日、だけど一限から三限まで補講が入ってます。

まだちょっと眠いけど、お湯を沸かしてその間に……

智絵里「……あっ。Pさんから連絡来てる……!」

たったそれだけで、わたしの心は跳ね上がりました。

好きな人からの連絡だから。

嬉しいに決まってるよね。

『すまん智絵里、仕事で今日無理そうだ』

……そっか。

なら、仕方ないよね。

Pさん、お仕事頑張ってるんだもん。

でも、ちょっとだけ意地悪しちゃおっかな、なんて考えちゃいました。

お返事するのは、もうちょっと後にしようかな。

お湯が沸くまでに支度して、お味噌汁を飲んだら家を出ます。

今日は、日曜日。

自分の気分を上げる為に。

智絵里「好ーきよだいーすーきー」

懐かしい歌を口ずさみながら、駅に向かって歩き出しました。








「ーーであるからして、この件におけるーー」

教授の声が響く教室。

冷房がとっても心地良くて、わたしは何度も船を漕いでいました。

ノートを写させて貰える様な知り合いがこの講義には居ないから、寝ちゃったら大変だけど……

教授の声が遠くなって。

はっとして、近くなって。

また、段々と遠くなって……







加蓮『ふーん……おめでと、美穂!』

美穂『えへへ、ありがとうごさいますっ!』

…………え?

どうして……?

だって、美穂ちゃんは……

まゆ『むぐぐ……しかし、Pさんが選んだのであれば……』

加蓮『まゆも素直に祝いなよ。今更そのキャラ続けなくても良いのに』

まゆ『うふふ、でしたら……おめでとうございます、美穂ちゃん』

美穂『うん!ありがとう、まゆちゃん!』

みんなは、お祝いムードだったけど……

加蓮『ん?どうしたの智絵里』

智絵里『美穂ちゃん……なんで……』

わたしの恋を応援してくれるって。

そう、言ってくれたのに……

加蓮『もしかして、智絵里もプロデューサーの事好きだったとか?』

美穂『えっ、そうだったんですか?!』

智絵里『…………えっ……?』

美穂……ちゃん…………?

美穂『もし、本当にそうだったらごめんね……?』

加蓮『ま、でもちゃんと言葉にしなかった方が悪いでしょ。早い者勝ちって訳じゃ無いけどさ』

わ、わたしは……

確かに、Pさんにはまだ伝えられてなかったけど……

まゆ『加蓮ちゃんだったら断られてたでしょうねぇ』

加蓮『は?!余裕だし!もし私が告白したらプロデューサーの一人や二人くらい余裕でおとせるんだけど!!』

まゆ『プロデューサーさんは一人しかいませんよぉ……』

なんで?どうして?

違ったの……?

嘘だったの……?

だって。

わたしたちはーー







「ーー再来週はテストだ、講義開始までにレポートを提出しておく様に。以上」

……あっ、寝てた……

黒板、さっきと全然違う……

智絵里「…………はぁ」

なんだか、また昔の事を夢で見ていた様な気がします。

急いで黒板の写真だけ撮って、お昼休みの間にノートに写しました。

今日は三限で終わりだから、お昼ご飯はその後で良いかな。

字が小ちゃくて見てない……

レジュメ、大学のサイトの方でも公開してくれれば良いのに。

あ、もうお昼休み終わっちゃった。

早いなぁ……お昼休み、二時間くらいあれば良いのに。

代わりに講義を三十分短くして良いですから。

ぽけーってしながら板書写して、あっという間に三限も終わって。

わたしはのんびり、駅に向かいました。

あ、おうどん半額セールが今日までやってる。

なんだかちょっぴり幸せな気分です。

五十円引きのクーポンまで貰っちゃいました。

きっと今日のわたしの運勢は大吉ですね。

あんまりテレビの占いは見ないけど……

智絵里「この後、なにしようかな……」

予定が無くなっちゃったから、せっかくの日曜日なのにする事が何もありません。

こういう時こそ、誰かと食事したりお酒を飲んだり出来たら良かったのに。

わたしにはそういう相手、あんまりいないから……

……いえ、結構です。

そんなもの……今更、わたしはいらないから。

Pさんさえいれば、それで……

あ、あと李衣菜ちゃんもいました。

そういえば李衣菜ちゃん、昨日誕生日だったんだよね。

お祝いしたいから、会いたいな。

李衣菜ちゃん、今日空いてたりしないかな。



『李衣菜ちゃん、今夜空いてたりしませんか……?』

『すまぬ、我既に予定入ってる成。故にごめんねーまた今度声掛けて?』

『そうですか、分かりました』

『ビッ!』

振られちゃいました。

……李衣菜ちゃんはそういう相手多そうだもんね。

女子だけじゃなくて男子も、多そうだもん。

……のんびり、ウィンドウショッピングでもしようかな。

電車に乗って二つ隣まで、暑いコンクリートジャングルに出る事なくデパートに入ります。

あ、高い。

でも可愛いなぁ……

一着だけワンピースを買いました。

今月は、少し節約しないと……

……香水とかも買ってみようかな。

次Pさんと会う時に、褒めて貰いたいから。

智絵里「…………ぁ……」

壁に貼られたポスターには、見慣れた顔が二人分。

大人っぽいなぁ、加蓮ちゃんもまゆちゃんも。

……加蓮ちゃん、どうなったのかな……

あれから、ずっと音沙汰ないけど……

まぁ、良いですよね。

わたしが言った事、全然信じてくれなかったんだもん。

わたしなんかより、美穂ちゃんを信じたんですから。

そういえば美穂ちゃんは、Pさんに写真の件話してないのかな……

隠してるのかな、あの時みたいに。

わたしが言った事なんて、隠し通せると思ってるのかな。

智絵里「…………っ!」

嫌な事を思い出しちゃいました。

気分が悪くなって、近くにあったソファに座ります。

せっかく気分良くウィンドウショッピングしてたのに。




……やる事、無いなぁ……

スタバに新作が出てたみたいだから、チェックしに行こうかな。

……わぁ、並んでる……やめておく事にします。

どうしよう……本格的にやる事がなくなっちゃいました。

CDショップ行こ。

……外が暑いの、忘れてました。

建物から出るのは諦めて、色んなフロアを巡る事にします。

あ、地下から色々な場所に行けるんですね。

地図を見ると、まるで迷宮です。

迷子になりそうです。

迷子になりました。

智絵里「……駅、どっちの方かな……」

周りの人に道を尋ねる勇気はありません。

暑い地上に出て大まかな現在地を確かめる勇気もありません。

仕方なく地図を頼りに、行ったり来たりする事にしました。

おかげで、駅に辿り着いた頃にはもう夕方です。

これなら地上に出ても良かったかな……あ、暑い、多分良くありませんでしたね。

智絵里「……あ、Pさんに返信しないと……」

ホームで電車を待ってる間に、ラインを送ります。

『分かりました』

既読は直ぐに付きました。

『すまん、また今度声掛けるから』

……えへへ。

Pさんの方から声を掛けて貰えるなんて、楽しみです。

最後にちょっぴり、良い事がありました。

ピロンッ

『あ、今更だけど大丈夫そうだ!今から〇〇って駅に来れるか?』

っ!

喜びで心が舞い上がります。

『はいっ!二十一時頃には着くと思います!』

『車で向かうから。ちょっと分かりづらいかもしれないが〇〇裏の駐車場で待ち合わせで』

……えへへ。

新しいワンピース、買って良かったです。

すぐに、一番最初にPさんに見せられるなんて。

一回駅を出て、さっきのデパートの試着室で着替えてさせて貰って。

約束の駅に、わたしは向かいました。





智絵里「なんでもへーき、あなたがたーだ」

駅に着いたわたしは、気分良く歌を口ずさみながら歩きました。

この時間になると、もうお昼程の暑さはありません。

吹き抜ける夜風が心地良くって、なんだか楽しくなってきました。

この後、Pさんと二人っきりになれるから。

それも、Pさんの方から声を掛けてくれたから。

二人だけの秘密のキスを重ねて、あの時伝えられなかった想いを何度も伝えて。

今のわたしは、もう。

きっと、弱くなんて無いから。

弱いまま、隠したままの美穂ちゃんよりも。

今からでも、わたしの事を選んでくれれば良いのに。

そして、約束の駐車場に着きました。

……あの時、もし……

空を見上げながら、考えたく無い事を考えちゃいます。

…………もし、わたしが……

空には、大きな月が浮かんでて。

智絵里「……わたしが、ちゃんと……」

月が、雲に隠れた時。

ブォォォォン

駐車場に、大きな車が入って来ました。

時刻は二十一時半前。

Pさんかな。

待ち遠しくてわたしがその車に近付くと、何人かの男の人達が降りて来ました。

大学生ぐらいかな……

残念だけど、人違いだったみたいです……

がっかりして、駐車場の入り口に戻ろうとして。




ガシッ!

智絵里「えっ……きゃっ?!」

わたしの腕が掴まれて。

何が何だか分からないうちに、車に引き込まれました。

智絵里「な、なんですか……っ?!」

必死に腕を振り回して抵抗します。

でも、男の人四人がかりに勝てる訳なんて無くて。

すぐ、押さえ付けられちゃいました。

智絵里「た、助けっ」

口にガムテープが貼られて、叫び声もあげられなくなって。

焦りでどうすれば良いのか分からなくって。

必死に身体を捩らせても、全然動けません。

智絵里「んんーー!んーーっ!!」

ニヤニヤしながら見下ろしてくる内の一人が、わたしのワンピースを捲り上げ様としました。

バタバタさせようとしても、足も押さえ付けられています。

助けて……助けて、Pさん……!

いや……こんな……

なんとか片腕だけ動かして、カバンの中に手を入れて。

こっそり、Pさんに電話を掛けました。

お願いだから……出て……!

助けて……助けて!!





通話が繋がりました。

智絵里「んー!んんー!んーーっ!!」

必死で、呻きました。

李衣菜『もしもーし』

…………え?

李衣菜……ちゃん……?

どうして……

P『楽しんでるぞー!』

李衣菜『あはは』

なんで……Pさんと李衣菜ちゃんが一緒に居るの……?

Pさん、わたしと二人で会う約束して……

…………あ……

……わたし、最初から騙されて…………

智絵里「……うっ……ゔぅぅ……っ!」

李衣菜『あ、泣き真似してる』

P『あっははは、泣け泣けー!』

智絵里「ゔぅぅぁっ!うぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」

信じてたのに……!

Pさんと李衣菜ちゃんだけは!

わたし、信じてたのに!

李衣菜『ばいばーい!まったねー』

通話も切られました。

誰かに助けて貰う事も、助けを乞う事も出来なくなって。

男の人が、わたしの身体に手を伸ばして来ました。

もう、抵抗する気もありません。

…………味方だと思ってたのに。

信じてたのは、わたしだけだったのかな……

そして、わたしはーー








まるで永遠に続くんじゃないかな、って思っちゃうくらい。

そのくらい地獄みたいな時間が、終わりました。

智絵里「…………ぅ……ぁ……」

車から放り出されて、わたしはなかなか立ち上がる事も出来なくて。

智絵里「…………P……さん……」

なんとかボロボロになったワンピースを整えました。

智絵里「……Pさんに……見て貰いたかったのに……」

せっかく可愛いワンピースを買ったのに、ボロボロになっちゃったな……

……でも、もう。

Pさん、きっと会ってくれないよね。

だってPさんは、わたしの事なんて……

裏切られても、隠されても。

諦めさせられても、信じて貰えなくても。

それでも、Pさんと李衣菜ちゃんだけは。

わたしにとって、大切な……

智絵里「…………もう……いい、かな…………」

なんとか立ち上がって、わたしは駅に向かいました。

周りの人の視線なんて、もう気になりません。

ホームには、沢山の人がいました。

そのみんなが、仲良く楽しそうに喋ってて。

そんな中、わたしは一人で。

誰にも、誰とも話す事が出来なくって。



智絵里「……おねがいしょーうみー、みていてずーっと」

遠くから、電車が来る音が聞こえました。

「なぁ、あの人ってさーー」

「あ、確かMasque:Radeのーー」

Masque:Rade

わたし達五人の、アイドルユニット。

……懐かしいな。

結成したての頃は、ギスギスしたりもしたけど。

わたしが足を引っ張っちゃう事があったけど。

みんなが、わたしを励ましてくれて。

Pさんが、わたしを支えてくれて。

だから、わたしは……

スマホケースの裏には、Pさんがくれたわたし達の写真。

部屋に飾るなんて悔しくて出来なかったけど、捨てる事も出来なくて。

智絵里「うぅ……また、戻りたいな……っ」

涙が止まってくれません。

さっきは全然出なかったのに。

今になって溢れて、零れて。

結局わたしは、信じる事をやめられなかったんです。

弱いから。

あの楽しかった日々が、大切だったから。

わたしにとって、みんなは……

電車が、ホームに入って来ました。

快速なので、この駅は通過するみたいです。

スピードを落とさずに一直線に。

それはまるで、わたしに向かって進んで来るみたいで。

智絵里「……うん……わたし達は……」

だから、全部を失くしちゃったけど。

今からでも。

夢でも良いから。

もう一度、やり直す為に。

わたしは一歩、前へと踏み出しましたーー












美穂『気にしなくて良いよ?だってほら!わたしたちは……』

智絵里『わたし達は…………?』

不安だったけど。

怖かったけど。

その先の言葉で、裏切られるんじゃないかなって。

そんな風に、怯えてたけど……

美穂『……お友達だもんっ!』

……お友達。

そっか……うん。

安心して、涙が出そうになっちゃって。

美穂ちゃんが、そう言ってくれたから。

わたしは、信じられるって。

そう、思ったから。

智絵里『わたしも、美穂ちゃんと……これからもずっと、お友達でいたいな……!』










七月二日、月曜日。

つまり、お仕事がある日。

あともう十時間くらい寝てたい気持ちを抑えつけて、俺は身体を起こした。

……あぁ、そうか。

昨晩も、家に帰らなかったんだな。

美穂からの連絡は無い。

まぁでも、帰れないから李衣菜の家に泊まるってラインしてあるし大丈夫だろう。

李衣菜「んんぅ……あと十分……」

P「……遅刻するぞー」

李衣菜「……ふぁぁぁ……おはようございます、Pさ……えっ?」

P「ん?」

李衣菜「なっ、なななっ!なんでPさんが?!えっ、強盗ですか?!ギターだけは盗まないで下さい!!」

P「いや……盗まないよ……」

李衣菜「……お、襲ったり……」

P「しないから。って言うか李衣菜が泊めてくれたんだろ」

李衣菜「…………あっ、そうでしたね」

どうやら、ようやく思い出してくれたようだ。

良かった、寝ぼけた勢いで警察呼ばれたんじゃたまったものじゃない。

李衣菜「あ、私まだ化粧してないんであんまり見ないで貰えると……」

P「あーすまんすまん」

デリカシーが無さすぎたか。

……さて。

今日は月曜日だし、事務所行かないとな。

P「俺で良ければ何か作るけど、どうする?」

李衣菜「あー、私朝食べないんで結構です」

P「じゃあ俺も抜きで良いか」

そんなにお腹すいて無いし。

P「んじゃ、俺は行かないとな。お邪魔しました」

李衣菜「またいつでも来て下さいね!」

P「そのうち美穂とお邪魔するよ」

李衣菜「了解っ!」




事務所に着いて扉を開くと、既にちひろさんとまゆが居た。

そのどちらもが暗い顔をしていて。

……なんだか最近の朝、いつもこんなんだな。

それも、仕方の無い事か。

加蓮、今日も来てないな……

P「……おはようございます、ちひろさん」

ちひろ「……あ、おはようございますプロデューサーさん」

P「……何かあったんですか?加蓮から連絡とか……」

ちひろ「……いえ、そうではなく……」

……あぁ、もう。

嫌な予感しかしないじゃないか。

今度はなんだ、智絵里絡みか?

あいつがまた誰かに写真を送ったのか?

P「……智絵里から、何かあったんですか?」

ちひろ「はい……正確には、智絵里ちゃんに、ですが……」

はぁ……

俺は大きくため息を吐いた。

なんなんだ、智絵里の望みは。

今度は何をしたって言うんだ……

ちひろ「……落ち着いて、聞いて下さい」

P「はい」

ちひろ「…………昨晩、〇〇駅で……」

〇〇駅。

『〇〇駅でお客様と列車が接触し、安全確認の為に現在運転を見合わせております』

昨晩の駅内放送を思い出した。

何か、トラブルに巻き込まれたんだろうか。

……現実は、そんな甘い考えを許してくれる程優しくなかった。

ちひろ「……智絵里ちゃんが」

一旦言葉を止め、大きく息を吸って。

ちひろさんは、続けた。





ちひろ「……線路に、飛び込んだそうです」

P「……………………は?」

…………智絵里が……?

線路に……飛び込んだ…………?

冗談、だよな……?

ちひろ「……今朝のニュースです。此方を見た方が早いと思います」

ちひろさんに携帯の画面を向けられた。

そこに写っていたのは、とある記事。

事細かく記載された人物の経歴。

その人物の顔写真。

そして、見出しは。

電車への飛び込み自殺。

P「…………これは……本当なんですか……?」

ちひろ「……はい……」

P「……生死は……」

智絵里は、生きているんだよな?

ただ飛び込んだだけで、直ぐ駅員に引き上げられたんだよな?

あるいは緊急停止ボタンのおかけで、ちゃんと電車が止まって……!

ちひろ「……………………」

……沈黙が回答だった。

…………なんでだよ……

何があったんだよ……

せめて、何か相談してくれれば……

P「…………ぁ……」

もしかして、昨日断ってしまったが。

本当は俺に何か相談したい事があったんじゃないだろうか。

思い詰めてたんだろうか。

話したい事があったんじゃないだろうか。

俺に、何か言おうとしていて……

……なのに、俺は……


P「っゔぅっっ!っふぅーっ!ふー……っ!」

ちひろ「大丈夫ですか?!プロデューサーさん!」

込み上げる吐き気を何とか抑え込んだ。

身体中に意味不明な倦怠感が襲い掛かる。

息が荒くなり、脳の中もグッチャグチャになっていた。

もし、俺が智絵里と会っていたら。

彼女がそんな事を図ろうとなんてせずに……!

P「…………俺の……せいだ……」

机から腕がずり落ちた。

それを再度あげる元気も余裕もない。

俺のせいだ……

俺が……智絵里を……

P「お、俺が……智絵里と会ってれば……っ!!」

ちひろ「落ち着いて下さい!」

P「昨日っ、あいつと本当は会う予定だったのにっ!もし会って話を聞いていれば!!」

俺のせいで……俺のせいで!!

まゆ「Pさん!落ち着いて下さい!!」

そんな、発狂しそうになっていた俺の頭を。

まゆは、抱き締めてくれた。

まゆ「Pさんのせいじゃありません。Pさんは、何も悪くありません……」

P「……まゆ……」

まゆ「……ちひろさん、すみませんがまゆとPさんの二人にして貰えますか?」

ちひろ「……お願いします、まゆちゃん」

バタンッ




ちひろさんが出て行った後、まゆは言葉を続けた。

まゆ「……Pさん、一人で抱え込もうとしないで下さい……Pさんは何も悪くないんですから」

P「でも……もし俺が……」

智絵里と、話していれば……

あいつは、もしかしたら思い止まってくれたかもしれないのに……

まゆ「……もしかしたら……智絵里ちゃんなりの罪滅ぼしかもしれません」

P「…………罪滅ぼし……?」

まゆ「智絵里ちゃんがしてきた事は、許される事ではありません。美穂ちゃんも、加蓮ちゃんも、Pさんも。みんな辛い思いをしてきましたから」

P「…………それは……」

まゆ「その事の重さに、きっと智絵里ちゃんも耐えられなかったんです。智絵里ちゃんは……優しいですから」

だからって……

そんな方法じゃなくたって……

まゆ「そしてきっと、自分にとって一番勇気が必要な方法で贖おうとしたんだと思います」

自分にとって、一番勇気が必要な方法……

……どんな気持ちだったのだろう。

きっと、怖かった筈だ。

何度も、目の前で通り過ぎる電車を見て震えた筈だ。

それなのに、最後は。

彼女は、自分から……

まゆ「……憶測ですから、智絵里ちゃんが本当はどんな事を考えていたのかは分かりません。ですが、かつては臆病だった智絵里ちゃんは勇気を出したんです」

P「……智絵里……」

まゆ「……ですから……Pさんは、何も悪くありません。彼女が自分で選んで、進んだ道ですから」

P「……でも、もし……」

まゆ「……気分が晴れない様なら、こう考えてみませんか?『もし智絵里ちゃんと会っていたら、彼女の背中を押したのは自分の言葉になってしまっていたかもしれない』と」

…………確かに。

もしそうなっていたとしたら、果たして俺は耐えられただろうか。

勿論、だから会わなくて正解だったと納得する事も出来ないが。

こうしてまゆが励ましてくれている事に、心の底から感謝していた。




P「……ありがとな、まゆ」

本当に。

まゆが居なかったら、俺の心は既に擂り潰されていただろう。

P「ほんと……ありがとう、まゆ……」

今辛いのは、俺だけじゃないんだから。

まゆだってきっと、凄く辛い思いをしている筈だから。

自分のせいだなんだと喚いて迷惑掛ける訳にもいかないな。

まゆ「あ、そういえば……」

思い出した、というように。

まゆ「智絵里ちゃんの事なんですけど……」

P「何かあったのか?」

まゆ「はい、と言ってももう半年以上前の話ですが……」

半年以上前、か……

というと、美穂や智絵里や李衣菜が引退する前後あたりの事だろうか。

まゆ「智絵里ちゃんが呟いてたんです。『美穂ちゃんには、わたしの気持ちを伝えたのに。応援してくれるって言ってたのに……』って」

P「…………それは……」

まゆ「その時は詳しく聞けなかったので分かりませんが……もしかしたら智絵里ちゃんは、美穂ちゃんと何かあったのかもしれません」

P「智絵里の、気持ち……」

果たしてそれは、どんなものだったのだろう。

美穂に伝えて、応援して貰う約束だった気持ちというのは……

……いや、分かってる。

智絵里の気持ちは、彼女本人から何度も聞いた。

『……わたしも……!Pさんの事が大好きだったのに……!!』

『ずっと大好きだったのに……それでも諦めようって思って、でも諦められなくて……!』

思い出して、また心が締め付けられた。




色々あったが、それでも智絵里が嫌いな訳じゃなかった。

だって、ずっと一緒に頑張ってきたんだから。

そんな彼女は、もう…………

P「っ!っふー……ふー……」

まゆ「あっ、ごめんなさい……Pさんが辛い思いをしているのに、思い出させる様な真似を……」

P「あぁ……いや、大丈夫だ」

それ程までに智絵里は、俺と結ばれなかった事を悩んで……

…………待てよ?

智絵里は、美穂にその想いを伝えていた?

美穂は、智絵里の想いを知っていた?

応援すると約束していた?

その上で、美穂は……

……いや、そう判断するのは早計だ。

まだ智絵里が何を伝えたのか決まった訳じゃ無い。

ならば一度、美穂に聞いて……

P「……なんて聞きゃ良いんだよ……」

『なぁ美穂、お前智絵里が俺の事好きって知ってたのか?』……なんて聞ける訳が無い。

だが美穂が何かを知ってたのであれば、出来れば俺も知っておきたかった。

智絵里が思い悩んでいた理由。

智絵里がそこまで踏み切った理由。

……俺は何故それを知ろうとしているんだろう。

自分のせいじゃないと自分に言い聞かせる為か。

俺にとって、智絵里は大切な仲間だったからか。

……どっちもだろうな。

まゆ「……何かあったら、まゆに相談して下さいね?」

P「……あぁ」

帰ったら一度美穂に話を聞こう。

聞いてどうなる訳じゃ無いし、下手したら関係に亀裂が入ってしまうかもしれないが。

何度も裏切った俺が言えた事じゃないが。

それでも俺は、美穂を信じているから。








アパートの前で大きく深呼吸。

鍵は既に外してある。

あとは、ドアノブを回してドアを引くだけだ。

P「……ふー……」

よし。

ガチャ、っとドアを開けた。

P「ただいまー美穂」

美穂「あっ、お疲れ様ですPさんっ!」

エプロン姿の美穂が、笑顔で出迎えてくれた。

リビングの方から良い香りがする。

夕飯、丁度作ってくれてるとこだったのかな。

美穂「もう、二日も帰ってこないなんて寂しいですよっ!」

P「すまん、仕事だったり……電車が止まっちゃったりしてさ」

美穂「もう……はい、お帰りなさいなさいの約束です」

P「おう」

ちゅ、っと。

軽く唇を重ねる。

美穂「えへへ……お帰りなさい、Pさん」

P「あぁ、ただいま美穂」

美穂「お夕飯作っちゃってるんですけど、食べられますか?」

P「もちろん。ありがとな、美穂」

美穂「もうすぐ出来ますから、まってて下さい」

P「ん、なら俺も手伝うよ」

ここ数日は帰ってこなくて家事全部任せちゃってたし。

俺も家に居る間は出来る限り協力しないと。

美穂と並んでキッチンに立つ。

こうして幸せな時間を、どれだけ重ねて来ただろう。

あの日から二人で暮らし始めて。

何事もなく幸せに暮らすものだと思っていた。

平凡じゃ無くてもいいから、平和に暮らしたかった。





美穂「出来ましたっ!」

P「おう、んじゃ運ぶから」

出来上がった料理を皿によそって、テーブルに運ぶ。

……さて、と。

美穂「それでは」

P「……なぁ、美穂」

その前に。

聞いておきたい事があって。

美穂「……?どうかしましたか?」

キョトンとした様に首をかしげる美穂。

それに対して、俺は……

P「……ビール、飲むか?」

美穂「ふふっ、まだ月曜日ですよっ?」

P「お前毎週飲んでただろ」

……結局、切り出せなくて。

ビール飲んで、お互い少し酔ってからの方が話しやすいよな。

冷蔵庫から500mlの缶を二本取り出す。

P「それじゃ、改めて」

美穂・P「「かんぱいっ!」」





P「っふぅー……ご馳走さまでした」

美穂「お粗末様でした。もう一本飲みませんか?」

P「いやもうお前三本飲んだだろ」

美穂「四までは四捨五入で0だったり……」

P「しないから」

お互い丁度良い感じに酔えたし。

これなら多分、話せそうだ。

美穂「お風呂、どうしますか?」

P「ん?どうって……入るけど?」

美穂「……ええっとですね!その!ここ数日はご無沙汰だった訳ですから……そのっ!誰かと一緒にお風呂に入りたくなりませんかっ?!」

P「……いや、今夜は……」

美穂「…………だめ、ですか……?」

P「……だめじゃないけど」

また、言えなかった。

言える訳が無い。

美穂を悲しませる様な事なんて、したくない。

せっかく笑顔なのに、それを自分のせいで曇らせるなんて出来ない。

美穂「え、えへへ……それじゃ、お湯沸かしますねっ!」

美穂がお湯を沸かしに行った。

……今夜は、話を聞くのは無理そうだな。

うん、仕方なかった。

話をする様なタイミングが無かったんだから。

お風呂の湯が沸くまで、皿洗いしつつのんびりテレビでも見て待ってるとしよう。

美穂「あ、わたしが洗いますよ?」

P「いや、良いって。俺がやるよ」

美穂「Pさんはお仕事でお疲れでしょうから、運ぶのだけお願いします」

P「おっけ、ありがとな」

食べ終えた食器を流しに運んで残ったものを冷蔵庫にしまい、ソファに座る。

テレビ、この時間だと何やってたかな……





P「っふぅー……ご馳走さまでした」

美穂「お粗末様でした。もう一本飲みませんか?」

P「いやもうお前三本飲んだだろ」

美穂「四までは四捨五入で0だったり……」

P「しないから」

お互い丁度良い感じに酔えたし。

これなら多分、話せそうだ。

美穂「お風呂、どうしますか?」

P「ん?どうって……入るけど?」

美穂「……ええっとですね!その!ここ数日はご無沙汰だった訳ですから……そのっ!誰かと一緒にお風呂に入りたくなりませんかっ?!」

P「……いや、今夜は……」

美穂「…………だめ、ですか……?」

P「……だめじゃないけど」

また、言えなかった。

言える訳が無い。

美穂を悲しませる様な事なんて、したくない。

せっかく笑顔なのに、それを自分のせいで曇らせるなんて出来ない。

美穂「え、えへへ……それじゃ、お湯沸かしますねっ!」

美穂がお湯を沸かしに行った。

……今夜は、話を聞くのは無理そうだな。

うん、仕方なかった。

話をする様なタイミングが無かったんだから。

お風呂の湯が沸くまで、皿洗いしつつのんびりテレビでも見て待ってるとしよう。

美穂「あ、わたしが洗いますよ?」

P「いや、良いって。俺がやるよ」

美穂「Pさんはお仕事でお疲れでしょうから、運ぶのだけお願いします」

P「おっけ、ありがとな」

食べ終えた食器を流しに運んで残ったものを冷蔵庫にしまい、ソファに座る。

テレビ、この時間だと何やってたかな……





P「…………あ……」

タイミングが悪過ぎた。

なんだってチャンネル変えたタイミングで……

『昨夜、午前0時頃。〇〇駅で元アイドルの緒方智絵里さんがーー』

たまたまやっていたニュース番組で、智絵里の件が報道されていた。

その日のハイライト的なコーナーらしくすぐ別の内容に変わったが、当然美穂もそれを観ていて……

P「……なぁ、美穂」

……いや、もうこれ以上逃げ続けるなという事なのだろう。

俺は意を決して、美穂に話を切り出した。

美穂「えっ、どうかしましたか?」

P「…………智絵里が、さ…………」

美穂「智絵里ちゃんが……?どうかしたんですか……?」

あぁ。

今朝、ちひろさんはこんな苦しい思いで俺に伝えてくれたのか。

何があったのか、何が起こったのか。

ただ事実を述べるだけなのに、こんなにも苦しくなるなんて。

今すぐにでも話題を変えたくなる。

……でも……

P「……智絵里が、亡くなったんだ」

美穂「え……智絵里ちゃんがですか?!」

P「……あぁ。自殺、らしい……」

自殺。

たった一つの単語が、あまりにも重過ぎた。

P「……もしかしたら知ってたかもしれないけどさ……」

美穂「智絵里ちゃんが…………そんな……」

P「……俺も信じられなかったさ」

美穂「……なんで……智絵里ちゃん、何があったのかな……」

P「……分からない……」

美穂「あんなに優しくて良い子だったのに……」

…………優しくて……良い子……?

いや、それを俺が否定する訳じゃ無いが。

美穂が、美穂の立場でその言葉が出てくるって……





P「……なぁ、美穂。智絵里は最近……いや以前からでも、何か悩んで無かったか?」

美穂「……分かりません……智絵里ちゃんとは全然連絡取れて無かったから……」

P「……そうなのか……?」

美穂「はい、智絵里ちゃん色々忙しかったみたいで……」

智絵里から、写真を送られたんじゃ無かったのか……?

……俺から、言わなきゃダメなのか……?

美穂「寂しいな……智絵里ちゃん、どうして……」

P「……半年前とか、一年前くらいに……智絵里は何か悩んでなかったか?」

美穂「……分かりません……智絵里ちゃん、何か悩んでたんですか……?」

P「あぁいや、何かあったのか気になっててさ」

美穂「……相談してくれたら良かったのに……わたし達、お友達だったんだから……」

P「…………なぁ、美穂。最近智絵里から」

美穂「Pさんっ!!」

美穂に、言葉を遮られて。

振り返れば、美穂は涙を……

美穂「……少し……っ、心を整理する時間を貰えませんか……っ?」

P「……あ……すまん、美穂」

あまりにも、気が利かな過ぎた。

俺だってあんなに悲しんだんだ。

美穂だってショックに決まってるよな……


……だから。

……なのに。

……なんで、そんなに泣いて、辛そうな顔をしながら。

普通に皿洗いを続けられるんだ?

明日の朝食の準備なんて出来るんだ?

P「……皿、俺が洗うよ」

美穂「あ、いえ、大丈夫ですっ!Pさんはゆっくり休んでいて下さい。この後は頑張って貰いますからっ!……えへへ……」

あまりにもいつも通り、平然とし過ぎていて。

悲しそうな表情とは掛け離れ過ぎた言葉と動作に、寒気を覚えた。

美穂……お前、本当は……

いや、それでも。

正直もう全部忘れて、いつも通りの日常に戻りたかったけど。

P「……なぁ、美穂」

……美穂を、信じたかったから。

P「……智絵里から、さ……写真とか送られて来なかったか……?」

ついに、聞いてしまった。

俺は、なんて答えて貰いたいんだろうな。

智絵里が美穂にあの写真を送ったのは、きっと本当だろう。

なら、なんで聞いてしまったんだろう。

怒られたいんだろうか、失望されたいんだろうか。

全てを知られた上でも、許して欲しいんだろうか。

俺はあまりにもワガママで。

けれど、それでも。

もう、逃げ続けるのは止めようとして……

美穂「……え?写真、ですか……?智絵里ちゃんからそんなラインは来てないですけど……」

P「…………えっ?」

美穂「何かあったんですか?」

P「……いや、智絵里がそんな感じの事を……」

美穂「来てないですけど……なんだろ?智絵里ちゃんが取り消したのかな」




……踏み込むべきか?

引き退るなら、きっとここなのだろう。

美穂を疑うなんて、そんな事したくないが……

P「……取り消しなら、相手が消したっていう履歴が残るよな」

美穂「…………そうでしたねっ!じゃあ違うのかな……?」

P「……なぁ」

美穂「あっ、もうすぐお風呂が沸くと思います。パジャマ持って来ないと……」

P「……美穂は、知ってたのか……?」

美穂「何がですか?」

P「……智絵里が……俺の事を、その……」

好きだったという事を知ってどうするんだよ。

過去の事を掘り返してどうするんだよ。

知って、だからなんなんだよ。

美穂に言わせて、何がしたいんだよ。

……分かってる。

安心したいんだ。

俺は、美穂なら信頼できる、って。

そう、思いたいんだ。

美穂「ねぇ、Pさん」

P「…………なんだ?」

いつも通りの、笑顔で。




美穂「何も知らないフリして、いつも通り幸せに暮らした方が良いと思いませんか?」

そう、教えてくれた。

…………あぁ、そうか。

美穂は、全部知ってたんだな。

俺が加蓮と浮気していた事も。

智絵里が、俺に想いを向けていた事も。

もしかしたら、俺と智絵里の関係まで。

なのに、ずっと知らないフリしていつも通りに接してくれて。

……俺だって知ってる。

知らないフリをして、知っている事を隠して、無かった事にして。

その方がずっと楽だし、誰も傷付かないって事を。

なによりも、今の幸せを手放さずに済むって事を。

……そうか……

俺はこれから、ずっと。

全部を隠した事にして、美穂と暮らしてゆくのか……

お互いに、隠し続けて……

ぴー、ぴー、ぴー

美穂「さ、Pさんっ!お風呂も沸きましたし、一緒に」

耐えられなかった。

今までの全てが、偽物の様な気がした。

俺を抱きしめてくれた事も、励ましてくれた事も。

他の誰かと身体を重ねて、どんなに帰りが遅くなっても、待っててくれて。

それは、全部ばれていて。

その上で、ただ気付かないフリをして。

今を壊さない為に、ひたすらに知らない事にして。

それをこれからも、ずっと続けていかなきゃいけないなんて。

自分勝手な事だって分かっている。

それでも。

これからずっと向き合えず、怒られる事も見放される事も許される事も出来ないなんて。

だから、俺は……

P「ごめんっ、美穂……っ!」

美穂「えっ、あっ……Pさん……っ!」

鞄片手に、家を飛び出した。








きー、こー、きー、こー

夜の公園にブランコの揺れる音が響いた。

公園のブランコに乗るなんて、いつ以来だろうか。

……公園以外にブランコってあるのか?なさそう。

あと先月あたり、仕事終わった後加蓮に付き合わされた気がするな。

そんなに久し振りでも無かった。

まぁ、今後加蓮と二人で公園に来る機会なんて訪れないんだろうけど……

スマホを見れば、既に日付は回って七月三日の火曜日。

通知は一件、美穂からのライン。

『お風呂、沸いてます』

いつもだったら、きっと喜んでいた筈なのに。

遅い時間に帰ってもまだ待っててくれてるなんて、と美穂に感謝した筈なのに。

あんな事があった直後にも、こんなにもいつも通りの連絡を送ってくる美穂が。

今は、怖かった。

きっともう美穂のなかでは無かった事にしたんだろう。

さっきの会話なんて忘れて、いつも通り振る舞おうとしているんだろう。

今俺が帰れば、そのまま二人でお風呂に入って日常に戻れるんだろう。

……そんな事、俺には出来ないって……

P「…………はぁ……」

ただ、家を飛び出したは良いが。

P「……どうすっかなぁ……」

行くあても無ければ、今後どうするかも決まっていない。

取り敢えず今夜は漫画喫茶にでも泊まるとして……

ぶーん、ぶーん

美穂から、通話が掛かってきた。

出るのは、正直怖い。

でも、明らかに非は此方にある。

きちんと謝るだけでもしておきたいから……



P「……もしもし、美穂」

美穂『あ、お疲れ様ですPさんっ!今夜は帰って来れそうですか?それともお仕事で帰って来れな』

ピッ

あまりにも恐ろしくて、俺は反射的に通話を切った。

手に力が入らずスマホが地面に落ちる。

それを拾う余裕すら無く、俺はただ震え続けた。

知らないフリをしていれば、バレなければ。

そう考えていた過去の俺を本気で殴りたくなった。

こんなにも辛い事だと思わなかった。

分かってはいるんだ、俺が悪いって事くらい。

元はと言えば、俺が……

……それでも、俺のせいだと分かっていても。

全てを背負うには、重過ぎた。

美穂と向き合えなくなってしまった。

加蓮が事務所に来なくなってしまった。

智絵里と、もう二度と会えなくなってしまった。

もしその全てが、俺のせいだったら……

P「くそ……っ!」

誰かのせいになんてしたくない。

誰かのせいに出来る程、俺は器用じゃない。

それでも、余りにも……失った物は重く、大き過ぎた。

P「……あ……」

そうだ。

いるじゃないか、一人だけ。

全てを知った上で、それでも俺を許してくれる人が。

何があっても俺の味方でいてくれる人が。

何があっても、全てを許して『Pさんは悪くない』と言ってくれる人が。

急いでスマホを拾い上げ、通話を掛ける。

プルルルル、プルルルル

今の時間を思い出して、流石に悪いと思ったツーコール目で。

まゆ『はい、こんばんは。貴方のまゆです』

P「……まゆ…………っ!」

たった一人の心の支えは、今回も直ぐに助けに応じてくれた。



まゆ『……成る程、そんな事が……』

こんな遅い時間にも関わらず、つっかえながらの説明になったにも関わらず。

まゆは、じっと俺の話を聴いてくれた。

P「あぁ、分かってるんだ。俺が悪いって事くらい」

まゆ『いえ、Pさんは悪くありません。大丈夫ですよぉ、まゆはいつでもPさんの味方ですから』

……あぁ、良かった。

まゆなら、きっとそう言ってくれると信じていた。

まゆ『ところで、Pさんは今夜は何処に泊まるんですか?』

P「適当な漫画喫茶にでも泊まろうと思ってたけど……」

まゆ『むっ、そんな場所じゃしっかりとは休めませんよぉ』

P「いや、そうは言われてもだな……今から事務所の仮眠室っていうのも……」

まゆ『でしたら……よければ、まゆのお家に来ませんか?』

P「…………え?」

まゆ『身も心もお疲れみたいですから、安心出来る場所でゆっくり休んだ方が良いと思います。いえ、思うべきです!』

そこは休むべきでは無いのか。

っていうかおいおい。

P「ダメだろ」

まゆ『ダメじゃないですよぉ!』

いやダメだろ。

まゆ、お前アイドルだからな?

流石に家にあがるのは……

まゆ『まゆのマンション、外からは見辛い作りになってますから。特にまゆのお部屋はいんびじぶるですよぉ』

透明な部屋、それはそれで問題な気もする。

身も心も休まらなそうだ。

まゆ『ごほんっ……Pさんが辛い時、まゆが何も出来ないのは嫌なんです。Pさんの力になりたい……まゆの願い、叶えてくれますよね?』

P「……そこまで言ってくれるなら、そうだな……お願いしてもいいか?」

まゆ『はい、喜んで。地図は貼りますから、着いたらまた連絡をお願いします』

ピッ

……まゆに、甘え過ぎだよな。

それにまゆも、男性を家にあげるのがどれだけ危険か……それくらいは分かってるか。

だとしたら、相当俺は信頼されてるんだろう。

さて、と。

それじゃ、終電が無くならないうちに。

コンビニで肌着だけ買って、まゆの住むマンションに向かうとしよう。




P「おじゃ」

まゆ「まゆですよぉ!」

まゆの部屋の扉が開くと同時に、なんか飛び出して来た。

ちょっと一瞬回れ右したくなった。

P「……こんばんは、佐久間さん」

まゆ「……まゆですよぉ……」

P「……まゆ」

まゆ「はぁい、貴方のまゆです」

ニッコニコの笑顔で部屋に迎え入れられた。

まゆが寮を出て一人暮らしを始めて、何年経ったっけか。

小綺麗に纏まった部屋の印象は……あれだ、小学生の頃そこそこ金持ちの友達の家に行った時のあれ。

掃除が行き届いてて、カーテンにシワがなくて、キッチン周りも片付いていて。

まゆ「ジロジロ見るなら感想を求めますよぉ」

P「まゆだなーって感じ」

まゆ「……褒めてるんですかぁ?」

P「綺麗だなって事」

まゆ「えっ、あっ、き、綺麗……ですか……照れちゃいますねぇ……」

P「……部屋がだよ?」

まゆ「出口は入り口と同じ場所にあります」

P「すまんって」

まゆ「それで……シャワー、浴びますか?」

P「あー、良いか?」

まゆ「はい。良ければまゆがシャワーの使い方を手取り足取りご説明しますよぉ」

P「結構です」



シャワーを借りた。

お湯の心地良さに一瞬寝そうになる。

着替えた。

……あ。

P「すまんまゆ、下着と靴下入れたいんだけどビニール袋でも貰えるか?」

まゆ「洗濯機に入れておいて頂ければ洗濯しておきますよぉ?」

P「いや悪いし良いって」

まゆ「あら、残念ながらビニール丁度切らしてますねぇ」

P「じゃあさっき買ってきた時のコンビニ袋に」

まゆ「すみません、まゆが切っちゃいましたぁ……」

切らしてるってそういう……なんでさ。

まゆ「というのは冗談ですが……最近は暑くて汗もかきますし、直ぐにお洗濯した方が良いですよ?」

P「んー……じゃ、お言葉に甘えて」

甘え過ぎだ、俺。

……さて。

P「悪かったな、こんな時間まで起きてて貰っちゃって」

まゆ「いえ、Pさんの為とあれば寝不足なんてなんのそのですよぉ。それにまゆも、録画していたドラマを観ていた所でしたら」

P「助かるよ、ほんと」

とは言え男性を部屋にあげるのにネグリジェ姿というのは些か以上にあれな気はするが。

まゆ「それで……美穂ちゃんは……」

P「…………美穂は、多分もう寝てるよ。明日も大学あるし」

まゆ「……そうですか」

あまりその話題には触れたくない、という俺の気持ちを察して退いてくれたまゆ。

本当に、助けて貰ってばかりだ。





まゆ「お夕飯は済ませたんですかぁ?」

P「あぁ。風呂も借りちゃったし、あとは寝るだけだ」

まゆ「……吐き出したい事、ありませんか?」

P「……ありがとう」

そこまで、分かってくれるなんて。

話したい事はいくらでもあった。

聞いて欲しい事が沢山あった。

きっと、まゆなら。

全部受け止めて、その上で許してくれるから。

まゆ「では」

P「あぁ」

まゆ「ベッドに行きますよぉ」

P「えなんで?」

なんでそうなった?

まゆ「身体を休めないと、明日のお仕事に響きますよ?」

P「いや、まぁそうだけど」

まゆ「言い忘れてたんですが……まゆの家、ベッド一台以外にお布団が無いんです」

P「……ソファで」

まゆ「身体が休まるんですか?」

P「結構事務所のソファで仮眠するからさ」

まゆ「ここは事務所ではありません」

P「そうだけど……」

まゆ「言ったはずです。Pさんにゆっくりと休んで貰いたい、って」

P「……いいのか?まゆは」

まゆ「まゆは気にしませんから」

P「……それじゃ、悪いけど」

まゆに連れられて寝室へと向かう。

こちらもまた綺麗な部屋とベッドだった。



まゆ「さ、どうぞ」

P「あ、はい」

そう言われて、俺はベッドへと潜り込んだ。

冷房が少し強いのか肌寒いくらいだ。

掛け布団を掛けると、冷たい布団が心地よい。

まゆ「……落ち着きますか?」

P「……まあ、な」

嘘だ。

落ち着ける訳がない。

同じ布団に、まゆが居るのだから。

反対側を向いているから視界には入っていないが。

こんなに近くに、ネグリジェ一枚の女性がいて落ち着ける訳がない。

まゆ「……うふふ、まゆもです」

まるでお見通しと言わんばかりに、まゆは笑って。

俺を背後から、抱き締めて来た。

まだ肌寒いからだろうか。

まゆから伝わるやさしい温もりが、とても心地良かった。

P「……色々、有り過ぎたよ」

今、こうして落ち着いて寝転んでいるのが奇跡だと思ってしまうくらい。

ここ一ヶ月、色々とあった。

まゆ「……ですねぇ。Pさん、とってもお辛いと思います」

P「……なんでだろうなぁ……最初は、全部上手くいってると思ってたんだ」

まゆ「まゆも、美穂ちゃんとPさんは上手くいってると思っていました」

美穂と、なぁ……

俺も、上手くいくと思っていた。

これからもずっと、幸せに過ごせると思っていた。

それを先に壊したのは、俺の方で。




なのに、俺は……

P「……耐えられなくて逃げ出したんだ……」

まゆ「……それは、Pさんが弱いからじゃありません」

P「怖かったんだ……これからもずっと、って考えると……」

まゆ「……大丈夫です。まゆは全部、受け止めますから」

ぎゅぅぅ、っと。

抱き締める力を強くするまゆ。

柔らかな感触が、薄い生地二枚越しに伝わってきて。

P「……まゆなら……」

もし、まゆが俺を選んでくれていたのなら。

もし俺が、最初からまゆを選んでいたのなら。

こんな思いは、せずに済んだのかな……

まゆ「……今からでも、遅くありません」

優しい声が、背後から聞こえてきた。

P「……え?」

まゆ「ねぇ、Pさん。こっちを向いて下さい」

まゆに言われた通り、身体をまゆの方に向けると……

まゆ「んっ……」

ちゅ、っと。

唇に、唇が重ねられた。

目の前には、笑顔のまゆ。

その頬は、うっすらと紅く染まっていて……

まゆ「……Pさんさえ良ければ……まゆと一つになりませんか?」

P「えっ、それは……」

まゆ「……まゆは、貴方の事が大好きです。昔からずっと、今も変わらず……ですから」

まゆ「全てを忘れる事は出来なくても。全てを無かった事には出来なくても」

まゆ「今からでも、遅くはありませんから」

まゆ「……まゆと、一から始めてみませんか……?」

P「……あぁ……」

嬉しくて、優しさが温かくて。

よっぽど俺は、ギリギリの精神だったんだろう。

溢れる涙が、抑えられなかった。

まゆ「……うふふ……ありがとう、Pさん」

そんな俺の頭を、まゆは抱き締めてくれて。

きっと、上手くいく。

そんな気がして。

P「…………まゆ」

まゆ「はい、Pさん」

俺たちは、もう一度唇を重ねた。






まゆ「うふふ……おはようございます、Pさん」

朝、まゆの声で目を覚ます。

ゆっくりと目を開けば、目の前にはまゆが居た。

……あぁ、そうか。

俺は昨晩、まゆと……

P「……おはよう、まゆ」

まゆ「まだ寝ぼけてますかぁ?」

P「ん、いや。大丈夫だ」

リビングの方から良い香りがする。

朝食、作ってくれたんだろうか。

さて、今日も仕事あるしさっさと起きて支度しないと。

まゆ「あ、Pさん。起き上がる前に……」

P「ん……?」

ベッドの脇に腰掛けたまゆが、ゆっくりと顔を近付けて来て。

ちゅっ、っと唇を重ねてきた。

まゆ「うふふ、お目覚めのキスなんて夢みたいです」

P「……普通は逆じゃないのか、こういうの」

恥ずかしくて、つい茶化してしまう。

まゆ「でしたら、明日はPさんの方からお願いしますね?」

P「……まかせろ。まゆより早起き出来たらな」

あぁ……良いな、こういう朝。

最近は気が滅入る朝ばかり迎えていたからだろう。

こうしてのんびりと会話しながら、穏やかに迎える事が幸せで。

これで良かった、これが正しいんだと改めて思った。



時間を確認しようとスマホを開く。

P「…………ぁ……美穂から……」

まゆ「……どうかしましたかぁ?」

美穂から、ラインが来ていた。

けれどその内容は、昨晩の事についてではなく。

俺を咎めるでも無く、何処に居るのか尋ねる訳でも無く。

『今夜はお夕飯一緒に食べられそうですか?遅くなりそうなら連絡貰えると嬉しいですっ!』

P「……っ!っぁあぁぁ……っ!!」

なんでだよ……

なんでそこまで、いつも通りに出来るんだよ……!

確かに普段はいつもそんなやりとりをしてたけどさ……

昨日の今日で、なんで……

いつも通りに。

そんな事を考えてる時点で、そう振る舞おうとしてる時点で。

そんなのは、いつも通りなんかじゃない。

そこにもう、日常は無いんだ。

大雨の中、一箇所だけ全く降っていない場所がある様な。

そこだけ時間が止まっている様な感覚。

あんな事があったのに、何もなかったかの様にいつも通りがある。

それはあまりにも不自然で、不気味だった。

まゆ「……Pさん、大丈夫です」

震える俺を、まゆは抱き締めてくれた。

まゆから伝わる温もりが、抱き締めてくれる心地良さが俺の震えを抑える。

まゆ「一度、美穂ちゃんからのラインは非表示にしませんか?Pさんが落ち着いてから、またゆっくりとお話すれば良いんです」

P「……あ、あぁ……そうするか……」

これ以上精神が不安定になると、仕事に支障が出かねない。

今、仕事だけは失敗る訳にはいかないから。

申し訳ないが、美穂とのトークを非表示にした。

まゆ「ふぅ……さ、Pさん。朝ご飯の準備が出来ていますから」

P「ありがとう、まゆ」

顔を洗ってスーツに着替え、用意して貰った朝食を食べる。

美味い、すごく。

温かいご飯に味噌汁、目玉焼きにソーセージ。

そんなごく普通の食卓を、こうして二人で囲んで。

……以前は、それが当たり前だったのに。

いや、これから作り直せば良いんだ。

まゆ「うふふ、夜はもっと腕によりをかけちゃいますっ!」

まゆと、二人で。

また、一から。




ちひろ「おはようございます、プロデューサーさん」

P「おはようございます、ちひろさん」

ちひろ「あら……随分と顔色が良くなりましたね」

P「元気の秘訣は毎日の朝ご飯からですからね」

ちひろ「ここ数日はずっと元気が無さそうでしたから」

P「ま、色々あったんですよ」

まゆと同棲を始めました、なんて言える訳が無いからな。

適当に誤魔化しておこう。

ガチャ

まゆ「うふふ、おはようございまぁすっ!!」

高い高いテンション高い。

ちひろ「お、おはようございます、まゆちゃん……いつも以上に元気ですね」

まゆ「うふふっ、言えませんよぉ!」

何も聞かれてないぞ。

ワザと出る時間ズラして来たのに、なんだかこのままだとバレるのは時間の問題になりそうだ。





……ちひろさんにバレるのは困るな。

事務所的な問題は、以前の件からしてまぁ大目に見てくれるだろう。

問題はそこではない。

『美穂ちゃんとはどうなったんですか』

と言われてしまう事だ。

加蓮との浮気でかなり怒っていたちひろさんの事だ。

俺が美穂と距離を置いてまゆと同棲を始めた、なんて言った日にはどうなる事か。

まぁ間違いなく美穂と連絡を取り、俺と会わせようとするだろう。

それはとても困る。

俺もだが、美穂も。

美穂が望むいつも通り、ではなくなってしまう。

そうだ、荷物とかもろもろ一旦家に帰って運ばないと。

必要最低限のものだけにして、細々としたものは改めて買い直せば良いだろう。

流石にまるごと全部となると手間暇もかかるし、なにより美穂が悲しむ事になる。

俺だって美穂を悲しませたい訳じゃないんだ。

まゆ「……今日も、まゆは一人なんですねぇ」

P「…………そう、なるな……」

ちひろ「……加蓮ちゃんから、未だに一切連絡は……」

……そうだよな。

まゆだって、ずっと一緒に頑張って来た加蓮が来なくなってショックじゃない訳が無いんだ。

だったら、俺が出来る限り支えてあげないと。

俺ばっかり支えられっぱなしになるなんて、そんなのは許されないだろう。

まゆ「でも、へこたれてられないですよね。加蓮ちゃんの分も、まゆが頑張りますっ!」

ガッツポーズにドヤ顔で高らかに叫ぶまゆ。

けれどやはり、どこか寂しそうで。

だとしたら、尚更。

今は俺が、まゆと一緒に居ないと。





日中、空いた時間を使って俺は一旦家に帰った。

一度で全てを運ぶのは無理があるから、何回かに分けて運ばないとならないな。

その為には複数回帰宅しなきゃいけない事になるが、美穂が大学に行っている時間を狙えば問題ない。

ガチャ

たった半日ぶりに開く扉は、やけに重かった。

その先に広がるのは、いつも通りの自宅。

さて、あまり時間は掛けてられない。

さっさとスーツやノートパソコンを詰め込まないと。

P「…………ま、半日で何が変わるって訳でもないよな」

俺が居なくなったからって、すぐに何かが変化する事もない。

かつて俺が望んだ、今も美穂が望み続ける。

そんな日常だけが、静かに存在していて。

P「…………ぁ……っ」

ふと視界に入った冷蔵庫。

その扉には『Pさんの朝ご飯は上から二段目です』と書かれた張り紙。

冷蔵庫を開ければ、上から二段目にはラップの掛かったサラダと焼き魚。

……美穂は、今朝も。

俺の分の朝食、作ってくれてたのか……

P「……ごめん……ごめん、美穂……」

その優しさが、偽装された過去の上に成り立っているものだと分かっていても。

それでも、やっぱり苦しくて。

誰かを傷付けてしまっているんだと、分かっているから。

そんな事実をこれ以上突き立てられたくなくて。

P「……帰ったら、相談しないとな」

さっさと荷物をまとめて、家の鍵を閉めた。








まゆ「ふむ……確かに美穂ちゃんなら作りそうですね」

夜、持ってきた荷物をばらしながら俺はまゆに相談した。

まゆ「たまたま今日はそうだっただけ、と。そう自分に言い聞かせて……帰ってこないと分かっていても……」

P「…………」

まゆ「……いえ、失礼しました。それはそれとして……Pさんは美穂ちゃんの居る居ないに関わらず、あの家に戻る事すらも辛いんですね?」

P「あぁ……いつも通りを保ち続けようとしているのが、苦しいんだ」

いっその事、ぶち壊したり戻って来てと言ってくれれば……

……もしそれが出来ていたなら、俺は家を出てはいないか。

まゆ「……でしたら、まゆが協力します」

P「……お願い出来るか?」

まゆ「はい。運ぶのはPさんにもお手伝いをお願いしますけど、家に入るのはまゆ一人で十分だと思いますから」

P「……助かるよ、ほんと」

まゆ「困った時はお互い様ですから」

だったら。

俺は今、まゆに何をしてあげられる?

P「……俺は、まゆに何をしてあげられるんだろうな」

まゆ「…………Pさん……」

ポツリと、口から漏れてしまった。

あまりにもお世話になり過ぎて、本当に申し訳なくなってくる。

申し訳なさで押し潰されそうになってしまう。





まゆ「だったら……」

そんな俺に、横からもたれかかって来て。

まゆ「……まゆの、そばに居て下さい」

そんなまゆの身体は、少し震えていて。

声は、涙に揺れていて。

まゆ「みんないなくなっちゃって、本当は寂しかったんです……それでも、加蓮ちゃんと二人で頑張ってきて……そんな加蓮ちゃんも……っ!」

P「まゆ…………」

やっぱり、辛かったよな。

それなのに、俺に気付かせない様にって。

気遣って、一人で抱えてくれて。

まゆ「だから……まゆ一人じゃ押し潰されちゃうから……っ、貴方だけは、まゆのそばに居て下さい……!」

そんなまゆを。

俺は、優しく抱き締めた。

P「あぁ……俺が、まゆのそばに居るから」

きっと、こうしてお互いに悩みを共有して。

支え合って、励まし合って、抱き締め合って。

こんな関係なら、これからもずっと上手くいく。

心から、そう思った。





あれから二週間弱。

結局、ずっと加蓮からの連絡は無い。

世間一般では体調不良により活動休止と報道したが、本当の理由は誰にも分からない。

美穂からは、きっとラインが毎朝毎晩来ているんだろう。

一度確認した時には

『今夜は帰って来れそうですか?』

『お夕飯、冷蔵庫に入ってます』

が交互に並んでいてすぐ非表示にした。

荷物は殆ど運び出し、まゆの部屋での同棲生活にも慣れ始め。

何度も愛を確かめ合って、その度に幸せを増やして。

着実に、日々を積み重ねて。





そして、七月十六日。

今日は海の日、世間的には祝日で。

丁度休みが重なった俺たちは、せっかくという事で海にデートに来ていた。

まゆ「うっふふ……うっふふふふっ……あっつい!暑いですよぉ!!」

P「だな、今日めっちゃ猛暑だ」

お天道様にももう少しくらいは遠慮というものを覚えて頂きたくなる様な、心地良さを通り越してテンションがフラットになるくらいの快晴。

溢れる汗を拭きながら、俺たちは海岸を歩く。

まゆ「泳ぐ気力もありません……」

P「まぁ元から泳ぐ予定は無かったしな」

まゆ「水着、持って来てませんからねぇ……せっかくの悩殺アピールチャンスが……」

P「まぁまぁ、変装出来ない水着は流石にな?」

まゆ「いずれ、Pさんと二人きりでビーチを貸し切って遊びたいです」

P「あぁ、俺もだ」

まゆの水着、見たくない訳が無い。

というかめっちゃ見たい。

可愛くて綺麗に決まってる。

まゆ「では、今のまゆはどうですかぁ?」

P「すっごく綺麗だよ」

まゆ「……ふふ、ありがとうございますっ」

白いワンピースに麦わら帽子。

夏を体現したような美女が、目の前でにこやかに笑っていて。

まるで俺が夏を一人占めしてしまっている様だ。

あ、暑さは他の人がどうぞ是非是非持ってって下さい。

P「お昼はどうする?」

まゆ「お弁当、使って来たんですが……涼しい場所で食べたいですね」

P「木陰なら、そこまで暑くはないかもな」

のんびり、海岸から少し離れて落ち着ける場所を探す。

程なくして、丁度良さげな木が見つかった。



P「ここで良いかな。まゆー、シートのそっち側持ってくれ」

まゆ「かしこまりまゆ!」

ちょっとダサい。

それはそれとして、木陰にビニールシートを広げる。

その四隅を、海風に飛ばされない様荷物で固定して……

P「疲れたぁ!」

まゆ「暑かったです……!」

二人並んで、寝っ転がった。

周りに人は居ないし、人目を気にしなくても良さそうで。

しばらくそのまま、お互いの手を握りぐでーっとゴロゴロしていた。

P「つ、次はあれだな……九月頃に来よう、うん」

まゆ「砂浜でバーベキューしてる人達はよく生きてられますねぇ……」

P「あー……風涼しい……」

まゆ「もう動きたく無いですよぉ……」

海の日に海に来るなんて安易な考えの元に行動するべきでは無かった。

P「さて……お弁当食べるか」

まゆ「お支払いがまだですよ?」

P「えっ、金取るのか?!」

まゆ「うふふ、ちゅー1回で食べ放題ですっ!」

P「え、まゆを?!」

まゆ「うぇっ?ぁ、え、ええと……それは、ランチタイムは提供して無いので……」

P「んじゃ、ディナー後のデザートだな」

まゆ「期待しちゃいますっ!」

まるでバカップルだ。

それも暑さで頭がやられたバカップルだ。

……まぁ、このところ忙しくて疲れてたしなぁ。



キスをした後、のんびりまゆが使ってくれたお弁当を食べる。

あ、からあげ美味しい。

まゆ「Pさん、からあげ好きですよね」

P「大好物だ」

まゆ「まゆとからあげ、どっちが好きですかぁ?」

P「比較対象からあげで良いのか?」

まゆ「勝てば良いんです」

P「……レモンの有無によるな」

まゆ「なら、まゆにレモンを添えます」

P「じゃあからあげ」

まゆ「はいっ、いじわる言う人はからあげ没収ですっ!」

P「冗談だって!」

まゆ「仕方ありませんねぇ……まゆが食べさせてあげます。はい、あーんっ!」

P「……あ、あーん」

……我ながら、バカだなぁと思う。

まぁ、でも。

幸せだし、良いかな。

まゆ「……幸せですねぇ」

P「……だな」

風に揺られた木々の音が心地良い。

遠くからはざざーんと波の音。

隣からは、まゆの声。

きっと、幸せってこういう事を言うんだろうな。



まゆ「…………ねぇ、Pさん」

P「…………なんだ……?」

少しだけ、声のトーンが下がったまゆ。

なにか、あったのかな。

まゆ「……まゆ、ちょっとだけ疲れちゃいました」

P「……頑張ってくれてたよ、まゆは」

本当に、色々と頑張ってた。

加蓮が抜けた分をフォローし、俺を支えてくれて。

いくら感謝してもし足りない。

まゆ「……だから、まゆ……」

大きく、息を吸い込んで。

目に、涙を浮かべて。

まゆ「……アイドル、辞めようと思うんです」

周りの音が、止まった気がした。

絞り出した様な声は、それでも俺にきちんと届いてる。

……アイドルであれば、いつかは考えなければならない事だった。

それが、今だっただけで。

であれば、俺が返せる言葉は一つだけ。

P「…………あぁ。お疲れ様、まゆ」

まゆ「…………はい……っ」

色々な感情が込み上げて来たんだろう。

ぼろぼろと涙を流すまゆ。

そんな身体を、俺は優しく抱き締めた。






まゆ「とっても楽しかったです。また連れてって下さいね?Pさん」

P「おう、次はもうちょい涼しい日にしような」

夕暮れ、赤に染まる海に背を向けて。

俺たちは手を繋ぎ、二人並んで帰路に着いた。

しなければならない事は山積みだ。

当然ではあるが、辞めると言って直ぐに辞められる仕事では無い。

それでも出来るだけまゆの負担が少なくなる様に、俺が頑張らないと。

明日事務所行ったら、まずはちひろさんに相談だ。

……俺は、どうするかな。

これからも、この仕事を続けるかどうか。

少し、まゆとの未来の事も考えないと。

短い期間ではあるが、人生で一番幸せが濃密に詰まった二週間だった。

これから先も、ずっとまゆと居たいと。

そう、心から望むくらいには。

まゆ「……遠くに……それこそ、仙台で暮らすのも良いですねぇ」

P「悪くないな。まゆが昔過ごしてた土地、か……」

まゆ「善は急げ、です。帰ったら早速色々と調べないといけませんねぇ」

P「……そうだな」

帰りの電車に揺られて、少し寝そうになる。

……まゆと二人きりで、完全に新しい生活を始める、か。

それも、悪くないな。

……あぁ、悪くない。




『次は、〇〇駅ー、〇〇駅ー』

どうやら少し寝落ちしていた様で、気付けば降りる駅に着いていた。

P「まゆ、起きろー」

まゆ「……はっ、寝てませんよぉ!」

いや寝てたよ完全に。

可愛いけど、寝てたよ。

駅から降りて、再び手を繋いで歩く。

日は完全に暮れ、日中ほどの暑さはない道路を進む。

夜風が心地良く、早く帰ってシャワー浴びたい。

まゆ「……楽しみですねぇ」

P「……あぁ、楽しみだ」

まゆ「でも、まずは今夜を楽しみましょう」

P「ん、なんか買って帰るか?」

まゆ「実は、冷蔵庫にケーキが入ってるんです」

P「海の日記念日?」

まゆ「Pさんなら、きっとまゆと一緒になる道を選んでくれると思っていたので……こっそり、用意していたんです。新しい、二人の門出に」

うふふ、と微笑んで。

握る手を強くして。

P「……新しい、二人……」

まゆ「はい。幸せな想い出を、これからも……」

ピロンッ

まゆのスマホに、通知が入った。

まゆ「むむむ……まゆのステキなセリフを邪魔するのは誰なんでしょうねぇ」

ぐぬぬ、といった表情でラインを確認するまゆ。

……これからも、そうだな。

たくさん、増やしてゆきたい。




そんな事を考えているうちに、俺たちの暮らすマンションが見えて来た。

P「ふう……さっさとシャワー浴びるか」

まゆ「…………すみません、Pさん。まゆ、ちょっとお夕飯の買い物に行って来ます」

P「ん?俺も付き合うぞ」

まゆ「いえ、お醤油を切らしちゃってるだけですから」

P「まぁ、まゆがそう言うなら」

まゆ「先にシャワーを浴びて待ってて下さい。うふふ、すぐに戻ります」

そう言って、まゆはコンビニへと向かって行った。

俺はまゆから渡された合鍵でマンションへ入り、部屋を目指す。

P「あっつ……っ!」

分かってた事ではあるが、部屋はめちゃくちゃ暑かった。

冷房を入れて、冷たいシャワーを浴びる。

今日一日でかなり汗かいたなぁ。

冷たい水が心地良い。

『……アイドル、辞めようと思うんです』か……

長かったような、あっという間のような数年間だったな。

着替えてソファに沈み込み、色々と思い返していた。

Masque:Radeが結成して。

当初は大変だったし、上手くいくのか不安で仕方がなかったし。

当然最初だけでなく、大変な事なんて何度もあって。

その度に、みんなで乗り越えてきた。

半年前、美穂から引退の告白と愛の告白を同時に受けて。

智絵里が抜けて、李衣菜が抜けて。

加蓮とまゆの二人から、それでもMasque:Radeとしての活動を続けたいと言われて。

そんなMasque:Radeも、まゆが辞めて。

全部、終わるんだ。

……あぁ、本当に。

色々、あったんだな。

なんだか目頭が熱くなってきた。




ガチャ

ドアの開く音、次いで足音。

まゆが帰って来た様だ。

P「おかえり、まゆー」

泣いてるところを見られるなんて、無い訳じゃないが慣れた訳でもない。

急いで涙を拭いた。

……まぁ、バレるだろうな。

まゆはそのくらい、きっと全部気付くだろう。

その上で、優しい言葉を掛けてくれるから。

だから、まゆは……

P「……え……は……?」

リビングの扉が開いて。

入って来たのは。

まゆでは、なかった。



加蓮「……久し振り、Pさん」

P「……加蓮……っ?」

なんでここに居るのか分からない。

なんでずっと事務所に来なかったのかも分からない。

痩せこけて、髪はボサボサだけど。

それでも、久し振りに会えて……

…………あ……

P「…………なぁ、加蓮……」

加蓮「随分と軽い人だったんだね、Pさんって」

P「……おい……なんで…………だよ…………」

加蓮「ガッカリ、って言いたいとこだけど……ま、いっか」

P「なぁ……おい!なんでお前は……!」

なんでお前は、入ってこれたんだ?

まるで、まゆから鍵を奪ったみたいじゃないか。

なんでそんなに、服が赤いんだ?

まるで、赤いペンキを被ったみたいに。

なんで片手を、体の背後に回してるんだ?

まるで……

……何かを持っていて、それを隠してるみたいじゃないか。



加蓮「案外しぶとくってさー。大変だったんだよ?」

P「……加蓮…………まさか……お前……」

加蓮「あ、写真撮ったけど見る?なんならラインで送るけど」

P「……なんで…………そんな事……っ!」

加蓮「はい、送信っと」

ピロンッ

俺のスマホに、通知が入った。

ロック画面に表示された送り主は加蓮、画像が一枚。

……見ない方が良い。

分かってる……分かってるんだ……

それなのに、俺は。

加蓮とのトーク欄を開き。

その画像を……

P「っゔぉおおぁぉぉっっっ!!」

加蓮「うん、分かる分かる。私もそんな気分だったから」

俺は膝から崩れ落ちた。

吐き気を止める事すら出来ず、目からは涙が止まらない。

まゆ……まゆ……!

なんで……まゆが…………!

一から始まる筈だったのに……二人で、これから……!



P「なんでっ、こっ、こんな事をしたんっ……っ?!」

言葉の先は、続けられなかった。

首元に、何か鋭い物が押し付けられた。

顔を上げる事は出来ないが、それは間違いなく加蓮が俺に当てていて。

ぬるりと、生温い液体の感覚がする。

P「……加蓮…………っ!」

加蓮「大丈夫だよ、貴方が育てたアイドルなんだから。私もすぐに……ね?」

助けてくれ!誰か!誰でも良い!

美穂!いつだって近くに居てくれただろ!

俺は何もしてないじゃないか!

何も!悪い事なんて何もしてないのに!なんで!!

嫌だ……いやだ!俺は!

P「死にたくーー」

加蓮「もう、何があっても離れないから」

直後。

俺の意識は途切れた。









ずっと、見つめてたんです。

貴方の事だけを、あの日から、ずーっと。

出逢った日から、わたしの隣は貴方しかいないんだ、なんて。

まるで運命みたいですよねぇ、それまでは信じていませんでしたが。

みんなに優しくて、みんなに好かれて。

そんな貴方の心が、まゆだけに向いてくれる日を夢見て。

美穂ちゃんと貴方が結ばれた、あの日から。

まゆは、待ち続けたんです。

うふふ、まゆは出来る女ですから。

大好きな人を待つくらい、なんて事ありません。

……いえ、正直ちょっぴり苦しかったですけど。

それでもいつか、必ず。

貴方の方から、まゆを求めてくれる、って。

そう信じてましたから。

だから……

貴方の心が揺れた、六月十一日。

智絵里ちゃんと貴方が、関係を持った日。

まだ、待ちます。

後日、再び智絵里ちゃんに呼び出されて。

また、待ちます。

加蓮ちゃんと、肌を重ねます。

それでも、待ちます。

そして、六月二十五日、月曜日。

ただ待ち続けるだけの日が、終わったんです。






加蓮「ぐえぇ……辛い……」

まゆ「っふぅぅぅ……加蓮ちゃんはまだまだですねぇ……うっ、っぷぅ……」

加蓮「床にへばり付いてる奴が言っても説得力だよ」

まゆ「それあるんですか?無いんですか?」

ハードすぎるレッスンの休憩中。

まゆは身体全体で床とコンタクトを取っていました。

決して、疲れて崩れ落ちてる訳ではありませんよぉ?

……こんな姿、プロデューサーさんには見せられませんねぇ。

え、これまだ後三時間あるんですか?

ギャグですよねぇ?

ピロンッ

加蓮「あっ!ポテトのクーポン届いた!!まゆ、この後も頑張るよ!!」

まゆ「やっすい女ですねぇ……」

加蓮「五十円引きだよ?!一円が五十枚だよ?!!?!」

まゆ「いや安いじゃないですかぁ……」

加蓮「知らないの?一円に笑うものは……なんだっけ?百円で大笑い?」

まゆ「幸せな人生ですねぇ」

加蓮「クーポン、一回で二枚まで使用可能だけどまゆもこの後食べに行く?」

まゆ「あら、加蓮ちゃんからのお誘いなんて珍しいですねぇ」

加蓮「そうでもなくない?」

まゆ「うふふ、確かにそうでした」

まゆと加蓮ちゃんが仲悪かったのは、本当に最初の頃だけでした。

……と、周りの人は思っているでしょうねぇ。

あ、いえ、まゆも加蓮ちゃんとは仲良くなれたと思っていますよぉ?

ですが、ねぇ……?

Pさんを困らせる様な事をするのは、あまりいただけません。




ピロンッ

加蓮「ん、またクーポンかな」

まゆ「次はどこのポテト屋さんですかぁ?」

加蓮「覗き込んで来ないでって、プラシーボの侵害だよ」

果たしてどんな効果があるんでしょうねぇ?

それはそれとして、まゆは加蓮ちゃんのスマホを覗き込みました。

そのくらいなら軽く窘められて終わる、程度には仲良しですから。

まゆ「……あら……?」

加蓮「えっ…………?」

加蓮ちゃんのラインに送られて来たのは、一枚の画像でした。

加蓮「うそ…………でしょ…………」

……あらあら、バッチリ写っちゃってますねぇ。

どう見ても『そういう現場』じゃないですか。

まゆ「……加蓮ちゃん、この写真はなんですか?」

加蓮「えっ、っと……その……」

まぁ、言える訳がありませんよね。

加蓮ちゃんとPさんが、身体を重ね合う為にホテルに向かってる写真だなんて。

特に、二人で頑張ってきたまゆを相手に、担当プロデューサーとそういう関係になった時の写真だなんて。

あ、言う必要はありませんよ?

だって、まゆはちきんとぜーんぶ知ってますから。




加蓮「……なんで……智絵里が……」

まゆには見えない様に、震える手でスマホを顔の近くまで寄せて。

それから加蓮ちゃんは、送られてくるラインを目で追うだけでした。

……ふむ、智絵里ちゃんですか。

智絵里ちゃんは加蓮ちゃんに対して、どんな要求を突き付けたんでしょう。

まぁどうせ、Pさんから離れろみたいな内容でしょうね。

まゆとしては、加蓮ちゃんにどんな要求が来たのかなんてどうでも良いんです。

問題は、それを加蓮ちゃんが聞かなかった場合や誰かに相談した場合です。

……公開する、でしょうねぇ。

加蓮ちゃんとPさんの浮気の写真。

智絵里ちゃんの立場からして、これをPさんと加蓮ちゃん相手に最大限有効活用する為には。

加蓮ちゃん相手に『要求を飲まなければ世間にばらまく』

Pさん相手に『美穂ちゃんに送る』

でしょう。

……なら、既にPさん相手にも智絵里ちゃんは何かしらの要求をしているかもしれませんねぇ。

世間にばらまかれた後では、『美穂ちゃんに送る』と言う行動の価値が落ちてしまいますから。

それはそれとして、今は加蓮ちゃんです。

加蓮ちゃんが智絵里ちゃんの言う事を聞かなかった場合……

Pさんに迷惑が及ぶ事は、考えるまでもないでしょう。

まず間違いなく、美穂ちゃんとPさんの関係にも亀裂が入りますから。

……別に、それはそれで構いませんが。




まゆ「……大丈夫ですか?加蓮ちゃん……」

加蓮「ごめん……ちょっと、しんどいかも……」

まぁ、そうでしょうねぇ。

下手したらアイドル人生が終わるんですから。

……半分くらいは、賭けではありますが。

今後もこの画像によってPさんが操られ続けてしまうのであれば……

加蓮「……私……どうしたら……」

まゆ「……加蓮ちゃん……えっと、まゆはちゃんと事情を把握してる訳では無いですが……」

震える加蓮ちゃんの手を。

まゆは、優しく握りました。

まゆ「大丈夫です、加蓮ちゃん。まゆは加蓮ちゃんの味方です」

加蓮「まゆ……」

あらあら、泣きそうになるなんて。

まゆ、随分と頼りにされてるんですねぇ。

加蓮「……ありがと、まゆ」

まゆ「いえいえ、それと……本当は不本意ですが……」

すーっと、大きく息を吸って。

まゆ「うふふ、おめでとうございますっ!」

加蓮「えっ?」

まゆ「やっと、Pさんと結ばれたんですよね?」

加蓮「いや、そういう訳じゃ……え?やっと……?」

まゆ「誰にも内緒にしとけって言われてたんですが……実はPさん、本当は加蓮ちゃんの事が大好きだったんですよ?」

加蓮「えっ…………何それ…………?」

私知らないんだけど、みたいな顔をする加蓮ちゃん。

それもそうでしょう、まゆがデタラメ言ってるだけですから。




まゆ「いつPさんが美穂ちゃんと別れたのかは分かりませんが……加蓮ちゃんとPさんが結ばれたのであれば、まゆは全力で応援します!」

美穂ちゃんとPさんが別れていない事も。

加蓮ちゃんとPさんが、ただ浮気しただけだと言う事も。

当然、知ってます。

……うふふ、迷ってますねぇ。

より一層、Pさんと離れたくなくなりますよねぇ?

けれど、離れないとアイドルを続けられなくなる可能性があって。

こんなに親身に相談に乗ってくれて、応援もしてくれたまゆと活動を続けられなくなる可能性があって。

Pさんがクビになってしまう可能性もあって。

そんななかで、加蓮ちゃんは選べますか?

まゆ「李衣菜ちゃん達もきっと祝ってくれる筈で……あら?どうかしましたかぁ?」

加蓮「……ちょっと悩んでる。ま、この後のレッスンも頑張ろっか」

まゆ「さっきよりは元気になった様で何よりです」

加蓮「まぁね、ありがとまゆ」

まゆ「うふふ。まゆは、加蓮ちゃんの事が大好きですから」

加蓮「キモッ」

まゆ「あの」





それからレッスンを終えて、お部屋に戻ろうとした時でした。

加蓮「……私……どうすれば良いんだろ……」

先に戻った加蓮ちゃんが、壁にもたれかかっていました。

……プロデューサーさんと会って、心が締め付けられたんでしょうねぇ。

とは言え、加蓮ちゃんはまゆより先に部屋に戻ろうとしていましたから。

もしかしたら、ちひろさんに相談しようとしていたのかもしれません。

そしたらまだプロデューサーさんが帰っていなかった、と。

普段でしたらもう帰ってるお時間ですからねぇ。

となると……ちひろさんは、もしかしたら写真の件を知っているのかもしれません。

いえ、それに関しては断定出来ませんが。

まゆ「……加蓮ちゃん」

加蓮「……まゆ……」

まぁ、せっかく加蓮ちゃんが弱っているわけですから。

もう少し、心の距離を縮めておきましょう。

現状加蓮ちゃんが頼れるのは、まゆだけなんですから。



まゆ「……まゆに相談し辛い事があるなら、李衣菜ちゃんに相談してみたらどうですか?」

加蓮「…………うん」

……うふふ。

実は今夜、李衣菜ちゃんとPさんが飲むんですよ。

電話越しに、Pさんに聞かれてしまうかもしれませんねぇ。

まゆ「まゆに相談して貰えないのは寂しいですが……加蓮ちゃんには、笑顔でいて欲しいですから」

加蓮「……うん。ありがと、まゆ」

まゆ「あ、今の録音して良いですかぁ?」

加蓮「そのうち、ね」

まゆ「冗談で……え、マジですかぁ?」

加蓮「うん、マジ」

まゆ「まゆですよぉ」

加蓮「うん、まゆ」

まゆ「ちょっと今バカにしてませんでしたかぁ?」

加蓮「……ふふっ、本当にありがとね、まゆ!」

まゆ「……うふふ、力になれ……はしませんでしたが、笑顔になって貰えて何よりです」

加蓮「ううん。力になってくれてるよ、まゆは」

まゆ「今録音の準備したのでわんもあーぷりーず!」

加蓮「じゃあね、まゆ」







その晩、まゆは加蓮ちゃんからの連絡を待ちました。

待つ事には慣れていますから。

上手くいけば、今夜……

プルルルル、プルルルル

……うふふ、ふふふふふ。

おっと、笑ってしまってはいけませんねぇ。

これからまゆは、長年の相棒に裏切られた健気な女の子を演じなければならないんですから。

ピッ

加蓮『あ、もしもしまゆー?』

……あぁ、これは。

この声のトーンは……

加蓮『聞いてよまゆ、実はさー』

加蓮ちゃん、心が折れてますねぇ。

諦めた様な、全てを捨てた様な。

もういっそ全てを投げ捨てて、Pさんと駆け落ちしそうな勢いです。

もちろん、そんな事させませんが。

まだ電話を掛けてくる気力があるのは。

まゆが、味方だから。

……なら、あとはそれをへし折るだけです。

完全に、心を折って。



まゆ「……加蓮ちゃん……っ」

加蓮『ん、何?』

まゆは、声を震わせました。

女優として演技力の見せ所です。

まゆ「まゆは……加蓮ちゃんの事、信じてたんです……!」

加蓮『…………え?』

まゆ「本当の仲間だと思ってました……加蓮ちゃんなら、応援したいって……心の底から思えたのに……!」

加蓮『待って待って!何の……』

待つ訳がありません。

落ち着く暇も与えず、一気に畳み掛けます。

まゆ「Pさんと浮気?!Pさんには美穂ちゃんがいるのに?!あの人にそんな辛い思いをさせたんですか!!」

加蓮『……ぁ……』

まゆ「信じてたのに!まゆは!加蓮ちゃんの事を信じてたんです!!なのに……!」

加蓮『ちが、待ってまゆ!』

まゆ「ずっと心の内で笑ってたんですよね?なんにも知らないまゆを!まゆは本気で、加蓮ちゃんを……大切な人だと思ってたのに……!うぅぅぁぁっ!!」

しばらく、まゆは泣き続けます。

加蓮ちゃんが何か言い訳をしていたとしても耳に入ってないというアピールは大事です。

まゆ「嫌いです……加蓮ちゃんなんて、大っ嫌いです!」

加蓮『まゆ…………』

まゆ「もう二度と会いたく無い!顔も見たくありません!!」

加蓮『ぁ……うそ…………』




痛そうな加蓮ちゃんの声が聞こえてきました。

可哀想ですね、唯一の心の支えだったのに。

それを、自分で壊してしまったカタチになっているんですから。

行き場の無いその想いは、是非とも自分にぶつけて潰れて頂きたいです。

まゆ「……さよなら、加蓮ちゃん……今までの楽しかった思い出は……全部、ニセモノだったんですね」

ピッ

まゆは通話を切りました。

これでも明日事務所に来たら、逆に加蓮ちゃんのメンタルに敬意を評したいくらいです。

まぁ、来れないでしょうけどねぇ。

まゆ「うふふ……ごめんね、加蓮ちゃん」

あの写真が公開されてしまえば、Pさんに迷惑ですから。

そんな事態にさせない為にも。

『写真をばら撒く』という行動の意味を無くす為にも。

加蓮ちゃんには、さっさと退場してもらわないといけなかったんです。

これでおそらく、あの写真が世に出回る事は無いでしょう。

だって、それをする意味が智絵里ちゃんには無いんですから。

あとは、Pさんの方ですねぇ。

十中八九、Pさんの方には『美穂ちゃんに送る』という脅しが掛けられている筈ですから。

ふむ……そっちは……

まあ、急ぐ必要も無いでしょう。

Pさんが精神的に弱って、まゆに相談してくるまで。

また、まゆは待つ事にします。





加蓮ちゃんからの連絡が途絶えて。

案の定、それから数日と経たないうちにPさんは全てをまゆに打ち明けてきました。

Pさんと二人で事務所の仮眠室で寝ている間に、Pさんのスマホはチェックしました。

指紋認証って、とても危険ですよねぇ。

意識が無い時、他者に指を乗せられるだけで解除させられてしまうんですから。

Pさんが寝ているうちに、パスワード何通りか試してみましょう。

美穂ちゃんの誕生日、Pさんの誕生日……外れ。

まゆの誕生日も外れ……じーざす。

あら、あらあら……1026で解除されました。

Masque:Radeとして初めて出した曲、Love∞Destinyの発売日。

うふふ……Pさんにとって、それだけ大事な想い出という事ですねぇ。

ついでに指紋認証にまゆの指紋を追加します。

あとついでにパスワードをまゆの誕生日にしておきます。

それだけで、Pさんと結ばれた様な気持ちになって。

まゆだって恋する乙女ですから、ね?

貴方は、誰かの涙に弱くて。

きっぱりと断る事が苦手な人で。

それなのに、人のせいにする器用さは持ち合わせていなかったから。

だから、まゆは。

『貴方は悪くありません』って、そう伝えるだけで良かったんです。

貴方が本当に求めていたのは。

好意や愛や優しさ以上に。

支えてくれる人、ですよね?

何があっても受け止めて、許して、味方でい続ける人。

それは絶対に、まゆしかいませんから。




それに、自分の弱さを見せる事も忘れません。

一方的に支えられるだけの関係は、Pさんにとって居心地の悪いものでしょうから。

お互いに支え合っている、という状況の方がすんなりと受け入れて貰えるから。

もちろん、まゆと結ばれてからは浮気なんてさせません。

貴方が断れないのであれば、誰にも近付けさせなければ良いだけです。

貴方の弱味は、誰かからの思いや言葉だけ。

なら、そんなの伝える隙間なんて作らせません。

まゆが、全部包んで。

他の人が貴方に付け入る隙なんてなくしちゃえば良いんです。

……少し疑問を覚えたのは、『既に美穂ちゃんには件の写真が送られている』という事でした。

どうやらまゆの読みは外れて、Pさんと加蓮ちゃんに対する脅しは逆だった様です。

……何故でしょう?

智絵里ちゃんの頭がそこまで回らなかった、とは考えられませんが……

まぁその疑問が解消される前に、智絵里ちゃんは亡くなってしまいました。

なら、考える必要はありません。

まゆは、振る舞えば良いんです。

Pさんの味方を。

大切な仲間を二人も失ってしまい、それでもPさんを支えようとする。

そんな、可哀想な女の子を。







Pさんと二人の同棲生活は、それは幸せなものでした。

一つ屋根の下、何度も何度も愛を確かめて。

しかもそれを、Pさんの方から望んでくれたんですから。

よっぽど精神的に追い詰められていたんですねぇ。

Pさんの心をまゆで埋め尽くすまでに、さほど時間はかかりませんでした。

美穂ちゃんとは、連絡を取らせない様にしました。

と言うより、仕事関係の連絡先以外は全て着信拒否にしておきました。

まゆは気遣いの出来る良い子ですから。

まぁ元より、Pさんは美穂ちゃんと積極的に連絡を取ろうとはしなかったでしょうけど。

少しずつ、少しずつ。

美穂ちゃんの事を、Pさんの心から消して。

あ、もちろん美穂ちゃんを完全に放っておいた訳ではありません。

無いとは思いますが、ストーキングや自殺なんてされたらたまったものじゃありませんから。

そんな事をしたら、またPさんの心に美穂ちゃんが入ってきちゃいます。

ですから、美穂ちゃんの方は李衣菜ちゃんに任せました。

Pさんが失踪して美穂ちゃんが傷付いてるかもしれないから、様子を見ててあげて下さい、と。

当然、まゆとPさんが同棲している事は隠して、です。

まぁ、もしかしたらバレていたかもしれませんが。

バレていても、もう問題ありません。

少し早かったかもしれませんが、これ以上もたもたしていられません。

思い詰めた美穂ちゃんが変な方向へ暴走する前に。

まゆがアイドルを辞めて。

二人で仙台まで引っ越せば、完成です。

まゆと、Pさんだけの。

誰にも邪魔されない世界。




そして、七月十六日、海の日。

まゆ「…………ねぇ、Pさん」

P「…………なんだ……?」

……なんて、頭の中では全て組み上がっていましたが。

思ったより、言葉にするのは難しくて。

まゆ「……まゆ、ちょっとだけ疲れちゃいました」

P「……頑張ってくれてたよ、まゆは」

まゆ「……だから、まゆ……」

大きく、息を吸い込んで。

目に、涙を浮かべて。

……本当に、長かったです。

ずっと、ずーっと。

待って、待って、待ち続けて。

ようやく、まゆは……

まゆ「……アイドル、辞めようと思うんです」

……正直なお話。

まゆは、本当にアイドル生活を楽しんでいました。

Pさんが振り向いてくれる日が来なかったとしても。

それでもずっと、続けてゆきたいって。

そう思っちゃうくらいには、大切で、幸せな想い出だから。

そして、それを終わらせて……

P「…………あぁ。お疲れ様、まゆ」

まゆ「…………はい……っ」

Pさんは、頷いてくれて。

感極まって、泣いちゃいました。

演技じゃない涙は、久し振りな気がします。

やっと、これで。

あの日からずっと願っていた事が……






まゆ「……楽しみですねぇ」

P「……あぁ、楽しみだ」

本当に、幸せでした。

これから始まる生活へ、夢へ、思いを馳せて。

Pさんと二人で、並んで。

手を繋いで歩く、そんな時間が。

……いつかは、きっと三人になるかもしれませんね。

なーんて……うふふ……

まゆ「でも、まずは今夜を楽しみましょう」

P「ん、なんか買って帰るか?」

まゆ「実は、冷蔵庫にケーキが入ってるんです」

P「海の日記念日?」

まゆ「Pさんなら、きっとまゆと一緒になる道を選んでくれると思っていたので……こっそり、用意していたんです。新しい、二人の門出に」

うふふ、と微笑んで。

握る手を強くします。

P「……新しい、二人……」

まゆ「はい。幸せな想い出を、これからも……」

ずっと、続けてゆきたいですから。

たくさん、増やしてゆきたいですから。

ピロンッ

まゆのスマホに、通知が入りました。

まゆ「むむむ……まゆのステキなセリフを邪魔するのは誰なんでしょうねぇ」

ぐぬぬ。

……あ、李衣菜ちゃんでした。




『今ちょっとお話出来る?まゆちゃんのマンションの近くに居るんだけど』

嫌な予感がします。

……Pさんには、聞かせない方が良さそうですねぇ。

P「ふう……さっさとシャワー浴びるか」

まゆ「…………すみません、Pさん。まゆ、ちょっとお夕飯の買い物に行って来ます」

P「ん?俺も付き合うぞ」

まゆ「いえ、お醤油を切らしちゃってるだけですから」

P「まぁ、まゆがそう言うなら」

まゆ「先にシャワーを浴びて待ってて下さい。うふふ、すぐに戻ります」

そう言って、まゆは一旦Pさんとお別れしました。

……さて、きっとこれが最後の山場です。

一度大きく息を吸って、李衣菜ちゃんに通話を掛けます。

まゆ「もしもし、李衣菜ちゃんですか?」

李衣菜『あ、こんばんはー。ごめんね?突然で』

まゆ「いえいえ、大丈夫です。それで、近くまで来てるんですかぁ?」

李衣菜『あーうん、話したい事があってさ。マンションの入り口からすぐの駐車場来れる?』

まゆ「そうですか……あ、ところで李衣菜ちゃん」

李衣菜『ん、何ー?』

……近くに、来ている。

そうですか、成る程。

嫌な予感というのは、それもあったんですねぇ。

まゆ「まゆの住所、いつ知りました?」

まゆの住んでいるマンションを、李衣菜ちゃんには教えていません。

だから、近くに来れる訳が無いんです。

李衣菜『……あれ?行ったこと無かったっけ?』

まゆ「ありません」

李衣菜『あ、こっち引っ越す前じゃん』

まゆ「うふふ、まゆは引っ越す前は寮暮らしです」

李衣菜『……げ……まずったなぁ』




……さて。

デタラメ言って、まゆとPさんの距離を離したかったんでしょうか?

でも、李衣菜ちゃんがまゆの住むマンションを知らなければその意味がありません。

……思案、頭を全力で回します。

現時点で李衣菜ちゃんは完全に信頼出来なくなりました。

いえ、元から全面的に信頼していたかと聞かれればノーですが。

それでも、まゆにかなり協力的で。

というよりは協力するよ?という姿勢で。

まぁまゆは断ってきましたが。

李衣菜『あ、でも行ったことがあるのは本当だよ?』

まゆ「嘘は結構です」

李衣菜『ほんとだってばー、駐車場行ってみれば分かるって』

たしかに、そうです。

まゆのマンションの入り口から一個先の十字路を曲がった所には、確かに駐車場があります。

けれどそれは、まゆのマンションだけには限定されません。

カマをかけるには、十分成功率は……

まゆ「……え……?」

駐車場には、人影が一つ。

暗くて良く見えませんが、確かに誰かが居ます。

まゆ「……李衣菜……ちゃん……?」

李衣菜『あ、ごめん。言い忘れてたけどさ』

少しずつ、その人影が近付いて来て……





李衣菜『話があるの、私じゃないんだ』

まゆ「………そんな……」

通話が、切られました。

そして、目の前に現れたのは……

加蓮「やっほ、まゆ。久し振り」

まゆ「…………お久しぶりです、加蓮ちゃん」

痩せ細った加蓮ちゃんでした。

……そう、ですね。

加蓮ちゃんは確かに、一度まゆの部屋に招いていますから。

三日月の光に照らされた加蓮ちゃんの顔は、不気味なくらい笑顔で。

とっさにまゆは身構えました。

加蓮「酷くない?久しぶりに会ったっていうのにそんな反応されると傷付くんだけど」

まゆ「……どうして、加蓮ちゃんが……?」

加蓮「……私が事務所に行かなくなってから、まゆが随分頑張ってくれたって話を聞いてさ」

まゆ「……誰に、ですか……?」

加蓮「ありがとね、まゆ」

まゆ「誰に、聞いたんですか?」

加蓮「それで、なんだけどさ」

まゆ「……李衣菜ちゃん、ですか……?」

少しずつ、加蓮ちゃんがこちらに向かって来ます。

仕方ありません。

まともに話し合う必要もありませんから、さっさと逃げて……



加蓮「……Pさんと一緒になれて、幸せ?」

まゆ「……ぁ……」

不味い、なんて。

そんな事を考える暇があったのなら、逃げるべきでした。

けれど、加蓮ちゃんにそう言われて。

まゆの心に、隙が生まれちゃったから。

加蓮ちゃんが飛び込んで来るのに対して、反応が遅れて……

ズブリ

鈍い感触、次いで鋭い痛み。

痛みの元であるお腹に手を伸ばすと、冷たい何かがまゆに突き刺さっていました。

まゆ「っっ!!痛っ、っうぅぅぅぅあぁぁぁぁぁっっ!!」

加蓮「ふざけないでよ!私にっ!対してっ!あんな事言っときながらっ!」

ずぶ、ずぶ、ずぶ。

何度も腹部に痛みが走ります。

まゆ「やめ……て……っ、いた……っっ!!」

加蓮「内心笑ってたのはアンタじゃん!ずっと!騙してたんでしょっ!!私から全部を奪っといて!!」

逃げ……ないと……

……痛い……お腹、痛い……

血、出てる……止めなきゃ…………

……あ……

……Pさんの子供、産めなくなっちゃう……




まゆ「ぅぁぁ……P、さん……ごめん…………なさ…………」

加蓮「あんたのせいで、私は全部を失ったんだから」

身から出た錆、ではありますが。

それでも、まゆは……

這い蹲りながらも、離れようとして……

加蓮「……部屋の鍵、出して」

まゆ「……ぅっ…………いや……です……」

ゴンッ!

まゆ「っぅあ゛ぁぁぁぁぁっっ!!」

加蓮「次は思いっ切り踏むよ」

っふぅー……ふー……

頭……痛い……

額からも血が流れて来ました。

視界がクラクラします。

痛みは全然減りません。

加蓮「ん、鞄の中?手離してくれる?」

まゆ「……おことわり…………します……」

加蓮「ふーん」

力の入らない手が蹴り飛ばされて、鞄の中身がばら撒かれました。

加蓮「あったあった。それじゃ、次はPさんだね」

まゆ「……まっ、って…………おねがい……だから……」

Pさんだけは……

加蓮「ダメ、まゆから全部奪うって決めたから」

……あ……まゆの、せいで……

まゆのせいで、Pさんが…………

まゆ「……ぅぁぁっ……っうぁぁぁぁぁっっ………っ」

加蓮「泣くの上手いよね、まゆは。私もすっかり騙されちゃったし」

そう言いながら、加蓮ちゃんはまゆの首に刃物を当てて……

加蓮「じゃあね、まゆ。もう二度と会いたく無いし、顔も見たくないから」

まゆの首から、沢山の血が溢れました。







ーーまだ、生きてる……?

あれは、夢だったんですかねぇ。

……残念だけど、現実だったみたい。

一瞬意識が飛んでた様です。

どの道、もう長くはなさそうです。

思考も、全然まとまらなくて……

……もう少しで、Pさんと……

…………涙が、止まりません……

痛い……助けて、Pさん……

あ……加蓮ちゃんを、止めないと……

……李衣菜ちゃんは、何を考えて…………

……あ……そっか……

まゆにだけじゃ、無かったんだ……

李衣菜ちゃんは、みんなに、全員に協力して……

……今更全部分かったところで、遅すぎるんですけどね……

意識が今にも飛びそうです……

今から警察や救急車を呼んでも、Pさんを助けられない……

……いえ、それはきっと……李衣菜ちゃんがするでしょう……

……なら、せめて……

プルルルル、プルルルル

美穂『はい、もしもし?あれ、まゆちゃん?』

まゆ「ひゅー……ふゅー…………」

声を出すのも、もう辛いです。

それでも……Pさんの為に……

美穂『どうしたんですか?大丈夫?』

まゆ「……み、ほ…………ちゃん……P、さん……を……」

守って、あげて下さい……

もしかしたら、ですが……

Pさんは、死なずに済むかもしれないから……




美穂『え、Pさんですか?今代わりますよ?』

…………え……

美穂ちゃん……何を……

美穂『えへへ、まゆちゃんです。はい、どうぞ』

それから、スピーカーの遠くから美穂ちゃんの独り言が聴こえてきました。

……うふふ……Pさんの声なんて、聞こえません……

美穂ちゃん、誰と喋ってるのかな……

美穂『はい、美穂に代わりましたっ!じゃあね、まゆちゃん!』

つー、つー、つー

……本当に……

全部、まゆのせいだと思うと……

こんなにも、辛いんですね……

Pさんの為に、Pさんの為に、って。

そう思って、全てをこなして来たから……

今こうして、自分のせいでPさんが酷い目に遭っているかもしれないと考えると。

…………みんな、こんなに辛い思いをして来たんですね……

まゆ「……P…………さ……」

瞼が、重くて。

まゆは、目を閉じました。

……ふふ、なんだ……

目を閉じたら、貴方の姿がそこにあって。

……なら、大丈夫です。

貴方が、そばに居てくれるなら。

まゆは、怖くありません……

まゆ「……ねぇ…………また、海に……」

行きましょう?Pさん。

まゆの事、連れてってくれますよね?







いやー、まぁ最初はそんなつもりは無かったんですけどね?

私、なんかみんなによく相談されたんですよ。

信頼されてたんですかね。

最初は美穂ちゃんからでした。

美穂「李衣菜ちゃん……どうしよ、私……智絵里ちゃんに応援するって言っちゃって……」

美穂ちゃんもPさんの事が好きなのに、智絵里ちゃんから相談されてついそんな事を言っちゃったみたいなんです。

そんな事言われても困るんですけどね。

だって私も、美穂ちゃんや智絵里ちゃんと。

まゆちゃんと、加蓮ちゃんと。

同じ人を好きになってたんですから。

あ、でも流石にそこで私もカミングアウトはしませんでしたよ?

私は私なりに、美穂ちゃんが一番傷付かないアドバイスをしたんです。

李衣菜「んー……ならさ、知らなかったフリすれば良いんじゃない?」

美穂「え……?」

李衣菜「その会話をしたのが美穂ちゃんと智絵里ちゃんだけならさ、美穂ちゃんが言わなければ誰も知らない訳だし」

美穂「……良いのかな……そんな事して……」

李衣菜「……美穂ちゃんも、好きなんでしょ?」

美穂「……うん」

李衣菜「なら、私は美穂ちゃんを応援するから。智絵里ちゃんより先に、Pさんと結ばれちゃお?」

美穂「……うん、李衣菜ちゃんがそう言ってくれるなら……わたし、そうしてみますっ!」

きっと、本当は美穂ちゃんもそんな言葉を望んでたんじゃないですかね?

なんとなく分かるんてすよね、そういうの。

だから、私はただ背中を押しただけです。

……だって、嫌じゃないですか。

自分のせいで、仲の良い誰かが傷付くなんて。

そう、ずっと。

私は、誰かの背中を押し続けただけでした。






智絵里「……お久しぶりです、李衣菜ちゃん」

李衣菜「やっほー智絵里ちゃん、ロックしてた?」

智絵里「ろ、ロックはしてなかったかな……」

二十歳になる少し前の智絵里ちゃんと、二人でガールズトークした時もです。

智絵里ちゃん、すっごく元気無かったんですよね。

李衣菜「最近どう?大学で恋人とか出来たりした?」

智絵里「……いない、です……わたしは……」

李衣菜「…………ねぇ、もしかしてさ。智絵里ちゃんも、Pさんの……」

ま、見てれば分かりましたけどね。

きっと、誰かに吐き出したかったんだと思います。

そういうのも、雰囲気とかで分かりますから。

智絵里「……ほんとは、わたし……美穂ちゃんに言ったのに……応援してくれるって、言ってくれたのに……!」

李衣菜「……そうなんだ……美穂ちゃんが……」

あちゃー……智絵里ちゃん、そんなに悩んでたんだ。

美穂ちゃんに酷い事させちゃったなぁ。

……なら。

李衣菜「……私は智絵里ちゃんの事を応援するからさ。今からでも……Pさんとの関係、取り戻してみない?」

智絵里「…………え……?」

李衣菜「正直私は、智絵里ちゃんとPさんが一番お似合いだと思ってたからさ。距離も一番近かった気がするし」

智絵里「そ、そう……かな……えへへ……」

李衣菜「うん、だからさ。もうすぐ成人でしょ?Pさんと二人で飲みに連れてって貰えば?」

智絵里「…………その時に、今度こそ……そしたら、わたし……」

……諦められる、かなぁ。

なんだか、諦めるみたいな感じになってるけど。

李衣菜「その時、ついでに思い出を作ってみたら?一生の思い出になるくらいとびっきりのをさ。写真に残しても良いし」

きっと、諦められないんだろうなーなんて思ってました。

智絵里「……うん……そうしてみる。ありがとう、李衣菜ちゃん……!」

李衣菜「悩んだらすぐ相談してね?ほら、安心と信頼の多田李衣菜ですから」

まぁ、案の定でしたけどね。

その頃から、ですよ。

色々と、頭を使い始めたのは。






加蓮ちゃんに、期限が金曜までのクーポンをプレゼントしました。

おかげで加蓮ちゃんは、その晩ちゃんと最寄りのファーストフード店に行ってくれて。

いやまぁ、アイドルになってもそんなクーポンに固執するなんて、って思うかもしれませんけどね?

加蓮ちゃん、人から貰ったものは大切にしますから。

きちんと使ってくれるだろうなーって信じてました。

無事、智絵里ちゃんとPさんの逢い引きを目撃してくれて。

加蓮『……どうすれば良いかな……これ、美穂にバレたらPさん絶対困るよね……』

李衣菜「うん、きっと『何でもするから美穂にだけは黙っててくれ』とか言うんじやない?」

加蓮『え……だ、だからってそんな事したら美穂にバレちゃうかもしれないじやん』

いや私何も言ってないけど。

……まあ、考えるよね。

Pさんの事が大好きな加蓮ちゃんなら。

李衣菜「うん、でもさ。どの道智絵里ちゃんがずっと続けたらいずれバレると思うよ」

加蓮『…………』

李衣菜「……きっとPさんなら加蓮ちゃんの事を拒まないと思うんだ。だってPさん、本当は…………あ、ごめん今のは聞かなかった事にして?」

加蓮『…………そう……なんだ…………そっか、へー……』

李衣菜「また何かあったら……あーごめん、これからしばらくテストで忙しいから連絡取れないかも」

加蓮『うん。ありがと、李衣菜』






それから、みんなの相談に乗り続けたんです。

なんでそんな事なんて思われるかもしれませんけど。

それはほら、私がPさんと結ばれる為ですよ。

でも、Pさんは美穂ちゃんと同棲してます。

だから、私は他のみんなの背中を押す事にしたんです。

いやいや、出来ませんって。

自分の手で誰かを苦しめる事なんて。

まぁ美穂ちゃんは最初から気付いてたみたいですけどね。

Pさんが他の子と関係を持ってる事くらい。

でも、気付かなかったフリを、知らなかったフリをする事に決めたそうです。

だって実際、以前はそれで上手くいってますから。

いつも通り、普段と同じ様に。

そうすればPさんは、いずれ必ず自分の元に戻って来てくれる、って。

今回ばかりは逆効果だったみたいですけどね。

智絵里ちゃんに、『脅しの内容は逆にした方が良いよ』って言ったのも私です。

だってPさんは、絶対逆らいません。

それは困るんです。

それだと美穂ちゃんの元に写真が送られるよりも早く、失敗った加蓮ちゃんのせいで世間に公開されちゃいますから。

私としては、あの写真がばら撒かれるのは困るんですよね。

せめてそれよりも先に、美穂ちゃんの元に送られてくれないと。

まぁ案の定加蓮ちゃんはすぐでしたね。

どうやらまゆちゃんに唆されたみたいですけど。

ましばらく事務所に顔を出さないレベルまでへし折られてるなんて、まさかでしたよ。

ほんと、嬉しい誤算でした。

厄介なまゆちゃんを後々退場させる手段が出来たんですから。

智絵里ちゃんはPさん相手に、『もうすでに美穂ちゃんに写真を送ってる』って伝えてくれました。

智絵里ちゃんからしたら、あまり隠す意味はありませんからね。

どの道Pさんは、写真が公開されたら困るから逆らえませんし。

それで動くのは美穂ちゃんです。

美穂ちゃんの望む『知らないふりを続ける』が出来なくなっちゃいましたから。

かなり怒ってましたね、あの時は。

余計な事をして関係に亀裂を入れた智絵里ちゃんを、それこそ殺しかねない勢いでした。

だから私は、智絵里ちゃん一人を呼び出すまではしてあげるって提案しました。

まあ美穂ちゃん、私が思ってた以上にエグい方法を選んできましたね。

大学の男友達と仲良しで良かったです、ってニコニコしながら言ってましたよ。

Pさんは丁度その前日まゆちゃんと事務所で過ごしてたので、Pさんのスマホを使うのは楽勝でした。




まゆちゃんなら絶対、パスワードを自分の誕生日にこっそり変えてくれるって信じてましたから。

あとはPさんと会ってこっそり智絵里ちゃんにラインを送って、こっちの画面だけでもそのやり取りを消去すれば終わりです。

タイミングの把握は余裕でした。

みんなと仲良しですから、どんな行動を取るかなんて手に取るように分かります。

智絵里ちゃんのリタイア後、Pさんの精神はかなり不安定でしたからね。

そんな中、美穂ちゃんがどんな事を考えて、どんな風に生きていこうと思ってるか。

それを知ったPさんが耐えられなくなって逃げ出す事も、想定通りです。

逃げ出した先でまゆちゃんに拾われるのも、もちろん。

完全に自分の独壇場だと思ってたでしょうね、まゆちゃん。

もう誰も邪魔する人がいないって思ってたんですから。

現に美穂ちゃんは完全に壊れてましたからね。

で、あとは加蓮ちゃんに連絡を取って……

いやぁ、そこが一番大変でした。

加蓮ちゃん、なかなか電話にも出ないしドアも開けてくれないしで……

早くしないとまゆちゃんが遠くへ越しちゃいますから。

割とギリギリでしたけど、間に合って良かったです。

まぁブチギレた加蓮ちゃんなら、何処に引っ越しても必ず見つけ出して殺しそうな雰囲気はありましたけど。

加蓮ちゃんに、今のまゆちゃんの事を話した時は……うへぇ。

自分が騙されてたと気付いて、すぐ飛び出して行きました。

後からすぐ電話して色々アドバイスはしましたけど。

いやー、色々頑張ったなぁ、私。

これ、誰かに褒められても良いと思うんですよ。

けっこーロックじゃないですか?

……さて、と。

それじゃ、あとは……







李衣菜「うっわー……サスペンスドラマで観た事あるよこれ……」

まゆちゃんのお部屋にお邪魔して、っと。

持って来た包帯とガーゼでPさんの傷口を強く塞ぎました。

救急車は既に呼んであります。

気が動転しちゃってたから、『怪我人は一人』って伝えちゃいましたけど。

まぁ大丈夫でしょ。

加蓮ちゃんはちゃんと死んでるみたいですから。

……うん、やっぱり。

裏切られたとは言え、愛しの人が確実に死ぬまで刺し続けるのは無理だったみたいです。

加蓮ちゃん、Pさんに対しては手加減してくれてました。

まぁ加蓮ちゃんは優しいですからね。

この後は警察から色々事情を聞かれるでしょうし、きちんとそれなりに筋道の立った説明をしないといけないですね。

ま、とはいえ色恋沙汰の末路でよくあるでしょうし、大丈夫なんじゃないですかね。

事務所的な事はちひろさんがやってくれるし、Pさんはまず間違いなくクビになりますから。

李衣菜「へへー……やっと二人きりですよ、Pさん」

邪魔になりそうな人はもう誰も残ってません。

Pさんには私しか残ってません。

……多分、気付かれてなかったんでしょうけど。

李衣菜「私も最初から好きだったんですよ?Pさんの事」








ピピピピッ、ピピピピッ

P「…………んん……」

朝、アラームの音で目を覚ます。

起き……なくていいな、今日は日曜日だし。

解除し忘れていた此方の落ち度だが、それでも安眠を妨げられた恨みをスマホに飛ばしておく。

まぁ起きてしまったのだからお手洗いにでも行こうと思ったが、冬の寒さに負け再び布団に潜り込んだ。

十二月に入って三度目の日曜日は、あいも変わらずこの冬一番の寒さを更新中で。

嫌になる程冷たい空気が、タイマーによって暖房の切れた部屋を埋め尽くしていた。

P「……ねむ……」

いや、まぁ正直そんなに眠い訳じゃないが。

それでも折角の日曜日な訳だし、もう少し惰眠を貪っていたい。

もぞもぞと布団の中で身体の向きを丁度いい感じに整えていると、隣からももぞもぞと動く音が聞こえてきた。

P「すまん、起こしちゃったか?」

李衣菜「ふぁぁー……まだ七時じゃないですか……」

P「悪いな、アラーム切り忘れててさ」

李衣菜「許しませーん……ぎゅぅーっ……」

李衣菜が寝転んだまま背後から抱き付いてきた。

まだ寝惚けてるんだろう、声がとてもふわふわしている。

P「あと三時間くらい寝るかー」

李衣菜「ですねー……」

抱き付かれているからか、さっきまでの寒さが薄れた気がする。

再び俺は目を閉じて、眠りの世界に戻ろうとした。

ーーあの日から、丁度五ヶ月。

俺はようやく、幸せな生活を送れていた。







P『…………俺……は……』

李衣菜『ぁ…………良か、った……Pさん……Pさん……っ!!』

意識を取り戻した時、一番最初に目に飛び込んできたのは李衣菜の涙だった。

重い瞼をなんとか開け続けて周りをぐるりと見回すと、見慣れない機器にカーテン。

ここは……天国、じゃないよな?

どうやらまだ死んではいないみたいだし、天国にしてはなんだか無機質過ぎる。

李衣菜『良かった……やっと目を覚ましてくれてっ……ほんとに良かった!!』

なる程、どうやらここは病院みたいだ。

なんで……李衣菜が……

待て……なんで俺は病院なんかに……

P『…………ぁ……』

そう、だ……

俺は確か、まゆの部屋に居て、まゆを待っていて。

その時、加蓮に……

P『っぁあぁぁっ、っつーっ!!』

李衣菜『ちょっ、無理しないで下さい!まだ塞がりきってないんですから!!』

全部思い出した。

俺は、加蓮に首を切られて。

そうだ、加蓮はどうなった?

また俺を殺しに来るんじゃ……

まゆは?まゆは無事なのか?!

李衣菜『……もう少し、休んでて下さい。次起きた時、全部説明しますから……っ!』

……そう、だな……

今はまだ、どうにも頭が回らない。

もう少し落ち着いてから、きちんと話を聞こう。






P『そう……か…………』

胸に、ぽっかりと穴が空いた様な気分だった。

全てを聞いた俺は、後から李衣菜が言うには今にも自殺しそうな表情をしていたらしい。

智絵里と違って、俺に自殺する勇気なんてないが。

P『二人とも……もう……』

李衣菜『……私が、もう少し早くに駆け付けてあげられてれば……っ!』

P『いい……李衣菜は悪くないよ……』

李衣菜『ごめんなさい……Pさん……』

P『いいって……助けてくれてありがとな、李衣菜』

李衣菜はあの時、まゆに呼ばれてマンションを訪ねたらしい。

何か相談がある、みたいな感じだったとか。

そして到着した李衣菜が部屋に入ると、俺と加蓮が倒れていて。

急いで救急車を呼んだが、俺しか助からなかった……

まゆは、近くの駐車場で……

発見された時点で、既に……っ!

P『っうゔっ!っふぅーっ、っゔぅっ!』

李衣菜『落ち着いて下さい……Pさん……辛いですよね……この話はこれくらいにしておきませんか?』

P『……すまん……そうしてくれると助かる』






もう、俺は全てを失ったんだ。

当然事務所はクビになった。

共に暮らしていたまゆはもういない。

美穂のところに戻れる訳もない。

李衣菜は毎日お見舞いに来てくれているが、それだって俺が入院している間だけだ。

李衣菜の生活だってあるだろうし、俺は邪魔にしかなっていない。

P『……もう、いいよ。ありがとな、毎日来てくれて』

でも……もう全部を失ったんだ……

もう、ほっといてくれ……

病院のベッドで、適当に生き延びて。

そこから先は、もう、どうでも良い。

李衣菜『……Pさん……』

P『……どうした……?』

李衣菜『……歯……食いしばって下さい……』

P『え……』

俺が聞き返すよりも早く。

ぱんっ

病室に、弱々しく渇いた音が響いた。

痛みは全然なかったが。

それが李衣菜に叩かれた音だと気付いた時には。

李衣菜の目からは、涙が溢れていて……

P『李衣菜……』

李衣菜『そんな……そんな事言わないで下さいっ!私がただ惰性で通ってると思ってるんですか?面倒だと思いながら通ってるって思われてるんですか?!』

李衣菜『私は……Pさんの事が大好きなんですよ!大切なんですよ?!これからも生きて欲しくて……なのに…………そんな事……』

李衣菜『全部失った?ふざけないで下さい!まだ私がいるじゃないですか!それともPさんにとって、私なんてこれからを生きる理由にはならないんですか?!』

李衣菜『まだ私がいますから!これからも、ずっと私がいますから!だから……そんな事……言わないで下さいよ……』

P『…………すまん……今のは……俺が、悪かった』

李衣菜『は゛い……Pざんが悪いでず……っ!』

そう、だったんだな。

俺の事を、そんな風に想ってくれてたんだな……

そんなに涙を流す程に、俺の事を……

なのに、俺は……

李衣菜『叩いてごめんなさい……返事はすぐじゃ無くても結構です。でも……退院した後の居場所はきちんとあるって事だけは、忘れないで下さい』

……なら、そうだな。

まずは、きちんと傷を治さないとな。

P『……ありがとう、李衣菜。少し元気が出たよ』

李衣菜『……っ、へへっ……少しでもPさんの支えになれてたら嬉しいですっ!』

そう言って、無邪気に笑ってくれて。

これから先の事にも。

少しだけ、光が射した気がした。





P「……ふぁぁぁ……」

再び目を覚ますと、スマホの画面は11:30

どうやら結構な時間の二度寝に成功していたらしい。

……あれから、色々あったな。

退院後に李衣菜の部屋にお世話になって。

最初は見てられないくらい暗かったらしいが、いつも李衣菜が話を聞いてくれて。

何度も線路に飛び込みそうになっては、結局踏み出せず心だけすり減り部屋に帰って。

また、李衣菜が俺を励ましてくれて。

俺は李衣菜に支えられて、なんとか人並みの生活を取り戻した。

ありがたい事に、再就職先はすぐ見つかって。

その晩、俺から李衣菜に告白した。

今までの感謝の気持ちと、これからも李衣菜と共に過ごしたいという願い。

李衣菜は、泣きながら笑って頷いてくれた。

それから、もうずーっとこうして。

幸せな日々を送っている。

以前と変わった事と言えば、共に暮らしているのが李衣菜になった事。

李衣菜「タバコはベランダで吸って下さいねー」

P「分かってるって」

ベランダに出て、タバコに火を点ける。

P「……ふぅー」

こうして、タバコを常用する様になった事。

李衣菜「お昼ご飯食べますかー?」

P「ん、少し待っててくれたら俺が作るぞ」

李衣菜「それじゃ待ってますから、一緒に作りましょうっ!」

そして。

以前以上に、平和で幸せな生活になった事だ。

もちろん喧嘩をしない訳じゃないし、怒られる事が無い訳でもない。

それでも、きちんと真正面から向き合って。

嫌われるかもしれないのにぶつかってくれて。

その上で、最終的には許して、仲直りしてくれる。

そんな生活が、此処にはあって。

俺が望んでいた幸せって、きっとこんな生活だったんだろうな、なんて。

そんな柄にもない事を考えてしまうくらいには、幸せボケしていた。

P「寒っ!外めちゃくちゃ寒いわ」

李衣菜「早く閉めて下さいって!暖房付けたんですから!」

がらがら

タバコを吸い終え、さっさと部屋に戻る。

この後はデートの予定だが、この寒さの中に外出となると若干気が滅入る。

李衣菜「はいはい、早く手伝って下さいって」

P「分かってるって。何作るんだ?」

李衣菜「そーですね……せっかく二人で作るんですから、今日はーー」






李衣菜「うっひょぉぉっ!ケバブ!肉!そしてお肉!」

P「そんなはしゃぐなよ……目立つぞー」

電車に乗って三十分、俺たちは人混みに溢れたデパートで買い物を終え駅前をぶらぶらしていた。

寒さは案外なんとかなるもので、歩きながら喋っているうちに気にならなくなっていた。

にしても流石日曜日、人が多くてはぐれそうだな。

手を繋いでいるから、そんな事は無いと思うが。

あっ痛い痛い引っ張らないで。

李衣菜「Pさんも食べます?」

P「俺はべつに」

李衣菜「すいませーん、ケバブ二つで!」

P「おい」

李衣菜「せっかく二種類ソースがあるみたいなんで、食べ比べしませんか?」

P「……せめて注文する前に聞いて欲しかったかな」

まぁ、構わないが。

断る理由なんて特に無いし。

李衣菜との思い出を増やせるのなら、むしろ。

P「けどまぁ、夕飯は入るようにしとけよー」

李衣菜「分かってますって。八分目までにしときますよー」

いやこの時間に八分目まで食べたら夕飯入らなくてないか?

屋台のおじさんから、それぞれ異なる種類のソースがかかったケバブを受け取る。

李衣菜「はい、あーん」

P「はやいはやい、せめてまずは自分のやつを一口食べようよ」

李衣菜「……いやでしたか?」

P「……いやじゃないけどさ」

李衣菜「はい、あーんっ!がぶっ!」

P「差し出しといてお前が俺のやつ食べるのかよ」

李衣菜「っあっつあっつ!!」

P「アホだろお前」

目の前で口元を押さえフォーっと呻いているアホが、この上なく愛おしい。

ちゃんと冷ましてから食べような。




そんな事を考えながら俺はケバブをかじった。

P「あっっつっ!!」

李衣菜「やーいバーカバーカ!」

P「くない。熱くない。微塵も熱くないけどそれはそれとして冷たいお茶が飲みたい」

李衣菜「熱いんじゃないですかー」

P「ぜんぜんあふくない」

李衣菜「舌まわってませんよ」

一息。

今度こそ軽く息を吹きかけ冷ましてからかじる。

……うん、美味しい。

李衣菜「あ、私の方も食べます?」

P「んじゃ、貰おっかな」

受け取ろうとする。

受け取らせてくれなかった。

P「……なんで?」

李衣菜「はい、あーん!」

P「……周りに人が」

李衣菜「どーせカップルしかいませんって」

P「いや普通にいるが」

李衣菜「はいっ!あーんっ!!」

これは断れそうにないなぁ。

観念して、俺は李衣菜が此方へ向けるケバブにかじりついた。

P「んぐっ……あっっつっ!!」

李衣菜「へへっ、ひっかかったー!」

P「くそ……」

一番肉が集まってて熱いとこ向けてきやがって……

李衣菜「美味しかったですか?」

P「あつくて分かんなかった」

李衣菜「へー、恋人に食べさせて貰ったのにそんな事言っちゃうんですねー」

P「恋人に罠に嵌められたからこんな事言ってるんだよ」

李衣菜「げ、Pさんお肉食べ過ぎですよ!」

P「お前がそこを向けてきたんだろ」

李衣菜「そっちの分貰いまーすあっっつ!!」

あぁ、バカだ。

でも、悪くない。

こんなやり取りを気軽に出来る関係になれて、心から幸せだった。








李衣菜「ふー……疲れたぁ……」

夜、重い荷物をお互い片手にようやく家までたどり着いた。

日は既に沈んでいて、夜風が非常に身に染みる。

P「結構歩いたな。夕飯どうする?」

李衣菜「せっかくですしピザでも取りません?」

P「ん、良いな」

チラシを眺めながら、二人で注文するピザを選ぶ。

滅多に頼まないから、こういう時結構悩むんだよな……

李衣菜「決まりました?」

P「……ハーフハーフにするか」

李衣菜「Mサイズ二枚にします?」

P「それなら四種類いけるな」

ピザ屋に注文の電話を入れ、それから今日買って来た荷物をばらす。

といっても、大体李衣菜の服だけど。

李衣菜「へへっ、楽しみにしてて下さいねっ?」

P「おう、楽しみにしてるよ」

それがお披露目されるのは、来週の月曜日。

十二月の二十四日、クリスマスイヴ。

その日のデートに着ていく服を購入するのが、今日の目的で。

P「振替休日で良かったな、ほんと」

李衣菜「ですねー。一日中一緒に居られますよ!」

P「あぁ、そうだな」

李衣菜と、ずっと一緒にいる事。

それは俺にとって、何にも代え難い一番の幸せだから。




P「ピザ来るまでまだ時間あるよな」

李衣菜「……えっ、今……ですか……?」

顔を赤らめるな、そういうつもりじゃない。

途中でピザ屋さん来た時どうすんだよ。

……まぁ、食後は、うん。

P「一服して待ってるかって意味だよ」

李衣菜「ベランダだと狭いと思うんでエベレストとかおススメですよ」

この季節にエベレスト。

死ねと?

いやエベレストならこの季節でなくても死ぬが。

一服にそこまで命をかけるつもりはない。

P「ごめんって、いや誤解させる要素全然無かった気もするけど」

李衣菜「あ、タバコ吸う前に……」

李衣菜が顔を近付けて来て。

ちゅっ、っと。

軽くキスをしてきた。

李衣菜「お帰りなさいのキスです、忘れてましたからね」

P「……李衣菜もお帰りなさいだから、俺からもしないとな」

李衣菜「あ、その分は食後に予約しておきますっ!」

予約とか出来るんだな。

そんな風に茶化して照れ隠しをしつつ、俺はベランダへ出た。

オイルが切れかけたライターを何度も回し、ようやく着火して。

タバコの先端に火を点け、ゆっくりと吸い込む。




ピンポーン

李衣菜「あ、もう来たみたいです。はーい、今出まーす!」

こんな風に、普通に幸せな生活を手に入れて。

あれからはもう、苦しい思いをせずに済んで。

そばに、李衣菜が居てくれて。

P「……幸せだなぁ」

クリスマスイヴ、楽しみだな。

信じている訳じゃないが、サンタからのプレゼントを一足先に貰ってしまって。

だからその分、その日は李衣菜に幸せをあげたくて。

そんな風に考えられる日々を、手に入れて。

P「……本当に、幸せだ」

もう一度、タバコを大きく吸い込む。

ライターのオイルは、完全に切れていた。





あっ(察し)





とんとんとん

野菜を切って、お鍋に入れて。

朝はやっぱりお味噌汁ですよね。

朝ご飯は一日のパワーの源。

貴方にはいつでも元気でいて欲しいですからっ!

ぐらぐらぐら

湯だったお鍋を軽く掻き混ぜて、野菜を茹でて。

お味噌を入れるまでもう少し。

その間に、洗濯物を取り込んでおこうかな。

やるべき事は先に終わらせて、一日を満喫したいですからっ!

今日は日曜日、せっかくのデートですもんね。

帰って来てから取り込んで畳むなんて、したくないもん。

あ、それに……

今日は、ただの日曜日じゃないんです。

なんとなんと~っ?

十二月のっ!十六日っ!

そうです、わたしの誕生日なんですっ!

……もう二十一歳かぁ……早いなぁ、歳をとるのって。

貴方には『まだまだ子供っぽいなぁ』なんて笑われる事もありますけど。

わたしだって、もう立派なレディーなんですからね?

洗濯物を畳み終えて、朝ご飯も作り終えました。

お味噌汁もご飯も、もうテーブルに並べ終わってます。

後は、愛しの貴方が起きてくるのを待つだけですっ!

まだかなぁ……前はわたしの方が朝遅かったのに、いつのまにかわたしの方が早起きさんになっちゃいました。

バタンッ

ドアの開く音が聞こえた様な気がします。

美穂「おはようございますっ、Pさんっ!」

Pさんが起きて来ました!

美穂「さ、もう準備は出来てますからっ!」

Pさんの席の反対側に座って、わたしもお箸を手に取ります。

美穂「それでは……いただきますっ!」

Pさんとの、幸せな一日の始まりです。

誕生日おめでとう、って。

Pさんは笑顔で祝ってくれました。

……ふふっ、良かった。

また、取り戻す事が出来て。








P『……もしもし、美穂』

美穂『あ、お疲れ様ですPさんっ!今夜は帰って来れそうですか?それともお仕事で帰って来れな』

ぴっ、つー、つー、つー

Pさんが家を飛び出して、何処かへ行っちゃった日。

それが、Pさんと交わした最後の電話になっちゃうんじゃないか、っね。

あの時、本当に不安だったんです。

言わなきゃ良かったのに、って何度も後悔して。

知らないフリをして、何も分からない様に振る舞えば良かったのに。

なのに、わたしは……

ーー何も知らないフリして、いつも通り幸せに暮らした方が良いと思いませんか?

そんな事、言った時点で全部が終わるって事くらい。

美穂『そのくらい、分かってたのに……』

……でも、まだ遅くありません。

今からでも、無かった事に出来ますから。

……だよね?李衣菜ちゃん。

わたしが全部無かった事にしちゃえば、またきっとPさんは戻って来てくれますよね?

李衣菜ちゃんが、何度もそう教えてくれたんだもん。

それでわたしは、Pさんと結ばれる事が出来たんだもん。

いつも通り、いつも通りです。

大丈夫、わたしなら。

誰よりも一番そばでPさんと過ごして来たわたしなら、きっと。

誰よりも一番、Pさんにとってのいつも通りを作れますから。





翌朝、いつも通りに朝ご飯を作りました。

Pさんは帰って来ませんでした。

その分はわたしが食べました。

『今夜はお夕飯一緒に食べられそうですか?遅くなりそうなら連絡貰えると嬉しいですっ!』とラインを送りました。

返信はありませんでした。

大学から帰って、期待を胸に部屋の扉を開けました。

Pさんは居ませんでした。

Pさんの分の朝ご飯はわたしが食べました。

誰も慰めてくれませんでした。

お夕飯を作って待ち続けます。

Pさんは帰って来ませんでした。

翌朝、わたしは早起きして朝ご飯を作りました。

Pさんは帰って来ていませんでした。

『今夜は帰って来れそうですか?』とラインを送りました。

既読が付きませんでした。

大学から帰って、今日こそはと部屋の扉を開けました。

Pさんは居ませんでした。

Pさんの分の朝ご飯はわたしが食べました。

野菜が少し傷んじゃってました。

お夕飯を作って待ち続けます。

Pさんは帰って来ませんでした。

『お夕飯、冷蔵庫に入ってます』とラインを送りました。

既読が付きませんでした。

翌朝も、わたしは早起きして朝ご飯を作りました。

Pさんは帰って来ていませんでした。

『今夜は帰って来れそうですか?』とラインを送りました。

既読が付きませんでした。

大学から帰って、きっと大丈夫って自分を慰めながら部屋の扉を開けました。

今日もPさんは居ませんでした。

Pさんの分の朝ご飯はわたしが食べました。

もう美味しくありませんでした。

お夕飯を作って待ち続けます。

Pさんは帰って来ませんでした。

『お夕飯、冷蔵庫に入ってます』とラインを送りました。

既読が付きませんでした。



それを毎日毎日、何日も繰り返しました。

日に日にPさんの私物が誰かに持ってかれちゃったので、直ぐに買い足しました。

泥棒だとしても、そんなのいつも通りじゃありませんから。

そんなの、認めません。

いつか、必ず。

Pさんは帰って来てくれる、って。

毎日ちゃんと早起きして、二人分の朝食を作って。

ねぇ、Pさん。

わたし、貴方より早起き出来る様になったんですよ?

夜も、Pさんが帰ってくるまで起きてまってて。

夜更かしの連続で、ちょっぴり肌が荒れちゃったかもしれません。

お料理、どんどん上手くなってるんですよ?

多分ですけど……もう、味が全然分かりませんから。

……正直、ちょっぴり疲れちゃってました。

それでも……Pさんが帰って来れる場所を用意しておかないと、って。

いつでも、いつも通りの生活に戻れる様に、って。

きっとお仕事が忙しいんです。

連絡する暇がないくらい、頑張ってるんです。

だったら、わたしも頑張らなきゃ。

寂しくて涙が出ちゃいそうな日もあったけど、そんな時にPさんが帰って来たら大変ですから。

なんとか抑えて、笑顔で過ごし続けたんです。




美穂『……Pさん……早く帰って来ないかな……』

夜、寝る前。

ぽつりと、呟きました。

……わたし……いつも通りの生活を送ってますよ……?

だから、Pさんも……

美穂『…………ぁ……』

涙で滲んだその先に。

Pさんの姿が、見えたんです。

ずっと待ち望んで、夢にまで見て。

そんな、愛しのPさんが……

声は聞こえませんでしたけど、『ただいま』って言ってるみたいで。

……泣いちゃいけません、驚いてもいけません。

普段通り帰って来た時と同じ様に、わたしは……

美穂『……っ、おがえり……なざい……っ!お夕飯、できてまずから……っ!!』

そこまで言って。

よっぽど、疲れてたのかな。

わたしの意識は、夢の世界へと吸い込まれていきました。







翌朝起きると、Pさんの姿はありませんでした。

でも、もう大丈夫です。

Pさんは、帰って来てくれたんですから。

きっともう、早起きしてお仕事に行っちゃったんです。

昨夜用意した夕ご飯は、少し減っている様な気がしました。

だから、大丈夫です。

朝ご飯も、用意してくれていったみたいです。

Pさん、忙しいのにありがとうございます。

でも、ふふっ。

昨晩の夕ご飯とメニューが一緒ですよ?

李衣菜ちゃんからの連絡にも、明るく返せました。

だって、大丈夫なんです。

Pさんは本当に、帰って来てくれたんですから。

Pさんは、帰って来てくれた。

だから、きっと。

今夜も、昨夜も。

わたしと一緒に、居るんです。

きっと今も、居るんです。

ーーーーーーーー

今一緒に居る様に振る舞えば、そう思い込めば。

未来のわたしは、勘違いして。

一緒に居たんだって、思ってくれるから。

ーーーーーーーー

……今、一瞬変な事を考えちゃった気がしましたけど、きっと気のせいですよねっ!

それから、わたしの生活はまた幸せなものに戻りました。

時折電話で変な事を言われたけど、多分それも気のせいです。

病院?大怪我?そんなの、わたしもPさんもしてませんから。

昨晩だって、その前の日だって。

わたしは、Pさんと一緒に過ごしたんです。

だから今も、一緒に過ごしてるんです。

美穂『ですよね?Pさん』

あぁ、そうだな。って。

そんな声が、聞こえた気がしました。

そうして、ついに。

二人で同棲生活を始めて、初めての。

わたしの誕生日が訪れました。





美穂「ふふっ、何処に連れてってくれるんですか?」

あ、忙しくて全然考えてなかったって顔してますよ?

もう、仕方ありませんね。

わたしがエスコートしてあげますからっ!

来年の誕生日……ううん、今年のクリスマスはPさんがエスコートして下さいね?

家を出て、行ってきますのキスをして。

二人並んで手を繋いで、駅まで向かいます。

手、寒いなぁ……

でも、手袋なんてしちゃうとPさんの手の温もりが伝わってきませんから。

こうして手を繋いだ方が、きっと温かいに決まってますよねっ!

心があったくなったからかな?

なんだか手も温かくなった気がします。

目的の駅に着いて、二人でデパートを巡ります。

美穂「どれが似合うと思いますか?Pさん」

……迷わないでビシッと決めてくれたら嬉しいのに。

あ、でもこっちも似合う……いやいやこっちの方が、って悩んでるみたいです。

そういうのって、嬉しいですよね。

大好きな人が、わたしの事を考えながら選んでくれるって。

Pさんに選んでもらった服を持って、お支払いを済ませました。

美穂「えへへ、プレゼントしてくれてありがとうございますっ!」

クリスマスもとっても楽しみですっ!

大切にしないといけませんね。

恋人になったPさんからの、初めての誕生日プレゼントですから。

美穂「さてと……そろそろ帰りますか?陽が暮れると寒いですから」

もう十二月ですから、夜になれば今よりもっと寒くなっちゃいます。

今日は帰って、おうちで二人っきりでのんびりしたいな。

Pさんもそれが良いって言ってくれたので、デパートから出て駅に向かいました。

駅前のロータリーは、もう既にクリスマスカラーに染まっていました。

来週だもんね。

来年もまた、連れて来てくれますよね?

信号待ちしてる間、ずっともみの木を見つめていました。

夕方になれば、イルミネーションが光るのかな。

それを見てから帰ろっかな、なんて。

そんな事を考えながら。

青になった横断歩道を渡っている。

そんな時でした。



「うっひょぉぉっ!ケバブ!肉!そしてお肉!」

「そんなはしゃぐなよ……目立つぞー」

バクンッ!

心臓が跳ね上がりました。

今の……声……

気のせい……かな……

真横で、ありふれたカップルの会話が聞こえてきて。

見なければいいのに、振り返らなければ良かったのに。

やめといた方が良いんじゃないか?って。

隣にいるPさんが言ってくれたのに。

わたしは、振り返っちゃいました。

そして、すれ違ったカップルの姿が目に入って……

美穂「っっ!っぅうぅぁっ!!」

グラグラと、足場が揺れた気がしました。

心臓がバクバクして、なにも考えられません。

なんだか耳鳴りまでしてきました。

今、の……

あの二人は……

女の子の方は……李衣菜ちゃん、だよね……?

……じゃあ、あの男の人の方は……

考えない方が良い。

そうPさんは言ってくれたけど。

でも、あれは。

ほんわりと、一瞬だけど。

何処かで嗅いだ事のあるタバコの匂いがした、あの男の人は……

美穂「……P…………さん……?」

そんな事……ありません……

……ダメ……考えちゃダメ……!

あれは違う!見間違いに決まってます!

美穂「……ですよね、Pさん……?」

……隣に立つ貴方は、何も言ってくれませんでした。

どうして……?

ダメ、忘れて。

なんで……?

ダメ、見なかった事にして!

Pさん……?

ダメ、気付かなかった事にして!!



美穂「……あれは……違う……違います……似てるだけ、だから……」

考えちゃいけない事を考えそうになって。

思い出しちゃいけない事を思い出しそうになって。

これを思い出したら、自覚したら。

全部が終わっちゃう、って。

そう、確信したから。

ーーーーーーーー

だったら。

偽物(ホンモノ)がいなくなれば。

もう、考える必要も無いよね?

今後不安になる事も、思い出しそうになる事も無いよね?

ーーーーーーーー

美穂「…………あっ」

……ふふっ。

何を考えてたのかは分かりませんけど。

妙案を思い付きました。

なんでそんな風に決めたのかは分かりませんけど。

きっと、これなら。

わたしは、これからも……

美穂「ごめんなさい、Pさん。わたし、ちょっと用事が出来ちゃいましたっ!」

Pさんと一旦別れて、わたしは先に家に戻りました。

良かったです、ちゃんとお手入れしてて。

普段からお料理で使ってますから、切れ味はわたしの折り紙つきですっ!

これなら、きっと。

すぐに、なかった事に出来ますよねっ!







冬の夜道を、わたしは一人で歩きました。

寒いなぁ……早く、Pさんの隣に戻りたいなぁ……

全部済ませて、お家に帰って。

あったかい部屋で、Pさんと二人っきりになって、一つになって。

……震える手で、わたしは鞄の中に手を入れました。

美穂「……あれっ?」

気付けば、Pさんがわたしの手を握ってくれていました。

なんで居るのか分かりませんけど、別に考えなくても良いんじゃないかなって思うんです。

そんな事よりも。

Pさんが隣に居てくれてる事が、嬉しくって。

美穂「ふふっ、Pさん……っ」

勇気が湧いてきました。

不安なんて、もうありません。

気付けばPさんの姿は無くて。

さっきまで繋いでいた手は、柄を握ってたけど。

……きっとPさんが、背中を押してくれたんですよね。

だったら……わたし、強くならなきゃ。

美穂「えへへ。わたし、とっても幸せです……っ!」


目的地に到着です。

そして、インターフォンのボタンを押しました。

「はーい、今出まーす!」

部屋の中から声が聞こえました。

そして、鍵の外れる音。

それと同時に、わたしは腕を振り上げました。

美穂「……ふふっ、Pさん。見てて下さいね、ずーっと!」







Scarlet Days ~Fin~


以上です
お付き合い、ありがとうございました

面白かった乙
Pa担当ならこんな事には…

りーなは癒やし…
そんなふうに考えていた時期が俺にもありました

最後に何が残るのか気になって読んできたが
案の定何も残らなくて残念

Pが空虚すぎて争奪対象として腑に落ちない感が次第に強まった

お疲れ様でした
みんな仲良く全滅ENDですね(白目)

お疲れ様でした
みんな仲良く全滅ENDですね(白目)

連投申し訳ありません

あっちの世界では皆で仲良く出来そうですね

ギャルゲーマスカレが好きなだけにこれはつらい

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