提督「時雨、梅雨、雨、かたつむり」 (19)
曇天。後ろより光に透かされた灰色の朝。響くのは雨音のみ。
人の往来まだなし。また平素にさえずる鳥の羽音もなし。
雨に塗られたアスファルトとブロック塀が存在の重みを増していた。
水たまり。その水面は雨につつかれ幾重かの波紋に揺られる。
ぱしゃり。時雨が横切った。黄色い洋傘をさしている。
傘生地の裏ごしから時雨に届く雨の響きは弱い。
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傘を畳んでしまってもかまわなかった。
側路にはいかにも梅雨景色らしくアジサイがあった。
時雨は立ち止まる。
小さな花びらの器が並び、ところどころに雨のしずくが溜まっては、線を引き、流れ落ちていく。
しゃがんで観察する。
かたつむりが一匹。あじさいのなかに紛れ引っかかっていた。
いまにも落っこちてしまいそうだったので、指を添えてバランスをとらせる。
安定。ぐるぐるうずまき模様の殻を背負ってゆっくり進みだす。
ちょんちょんとつついて、かたつむりを何度か萎縮させて遊ぶ。
ひととおり楽しむと、時雨は立ち上がる。
傘を回す。水滴は飛ばない。
歩き出す。
おわり
日常系を書こうとしたら、想像以上に早く終わってしまった
以前落ちた短編安価スレのエピソードを再録して場を濁します
朝潮ちゃんは声を聞いた。それは「朝潮ちゃん!」と聞こえた。
後ろを振り向く。誰もいない。上を見上げた。シャンデリア。鏡を覗き見る。朝潮ちゃん。スカートの中に顔を突っ込む。謎の光。
室内には誰もいない。そして、室外は存在しない。なので、誰も朝潮ちゃんを呼んでいなかったと結論付けられる。
関心を失した朝潮ちゃんは、すぐに朝潮ちゃんらしい仕方で寛ぎ始めた。
まさに朝潮ちゃんがいるお部屋という様相を呈してきた頃合い、再び声を聞いた。「朝潮ちゃん!」と変わらずに聞こえた。
朝潮ちゃんは己が幻聴しているのかと疑ったが、思い直した。
幻聴には己自身を責め立てるような響きが通常伴うが、その声は感情的にフラットで、いかなる言外の含みも抽出できなかった。
幻聴ではないなら実在する音声のはずだが、朝潮ちゃん以外に「朝潮ちゃん!」とそもそも発言できる存在はいないので、やはり現実的な音でもないことになる。
夢でも現でもない排中律を無視した第三領域から、好意からでも敵意からでもなく、届く呼び声。
尋常なら、通俗的な世界理解を超えた外宇宙存在を強く意識したとき、人は戦慄すべき不安を抱えるだろう。
しかし、朝潮ちゃんは尋常ではない。なぜなら、朝潮ちゃん彼女こそが朝潮ちゃんなのだから。
「朝潮ちゃん!」と朝潮ちゃんが呼びかけられたところで、朝潮ちゃんがどうして困るというのだろうか。
確かに、呼び声が例えば「フランシス・ベーコンちゃん」であったのなら、朝潮ちゃんも戸惑ったであろう。いつの間に朝潮ちゃんはベーコンちゃんになったのだろうかと疑問に思うのももっとものはずだった。
それに「フランシス・ベーコンちゃん」とはどの「フランシス・ベーコンちゃん」かの問題もある。哲学者として四つのイドラ概念を導入したり、聾教育にでも力を注ぐべきなのか、芸術家として恐怖の叫びを描き、二十世紀の具象絵画に新天地を啓くべきなのか。
そうしたさまざまな迷いが不安となり、最終的には己の実存性を疑うという不愉快な恐怖に繋がったであろう。
しかし、至極当然ながら僥倖にも呼び声は「朝潮ちゃん!」であった! 朝潮ちゃんは朝潮ちゃんであり、「朝潮ちゃん=朝潮ちゃん」という以上でも以下でもないのだ。
朝潮ちゃんは己が朝潮ちゃんであることに心から感謝したい気分だった。あーあ、私は朝潮ちゃんであってなんて幸福なのだろう!
朝潮ちゃんは多幸感に包まれ、いかにも朝潮ちゃんらしく室内をぷらぷらするのみであった。「朝潮ちゃん!」。そう。彼女は朝潮ちゃんだから。
フランシス・ベーコン作『ベラスケス作「教皇インノケンティウス十世」による習作』
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おわり
大潮の敬愛すべき姉と、誠実な良心と健全な精神を持った司令官との祝宴の夜のこと。
事の発端は本当に何気ない、それこそ大潮自身にさえ記憶されないことであった。
姉との相部屋だったが、大潮は一人、大きく開かれた窓から夜空を見上げていた。時間が止まったかのように風切り音や虫鳴りといった本来あるべきものがなく静寂に包まれていた。
ただ星々がただ煌々と青く光っている夜だった。「あの頃に戻れたら」。己でもどうしてそんな「おセンチ」な言葉が出たのか分からなかった。
きっと星空が余りにも幻想的すぎて何かお願いをしておかないと損と思い、適当な言葉を吐き出しただけかもしれなかった。それなら、より良いお誂え向きともいえる「ふさわしい」願い事に気付いた。
「どうか姉と司令官に幸せな未来がありますように! さって! 明日も早いし、姉さんもからかわないといけないしで忙しい日です! 就寝!」。青い星光のせいか少し眠りづらかったような気がした。
大潮が時間の巻き戻りという事実に気づくまでそう時間は要さなかった。
日付を表示する目覚まし時計のベルを止めて、ああ後でズレを直さないといけないと思いつつ着替えと朝食を済ました大潮は、執務室に挨拶しに行く。
途中姉に出会ったので、「よ! 昨夜は司令官とお楽しみでしたね! いわゆる初夜です! やっぱり燃えた!?」、気分をアゲて茶化してみた。反応は思っていたより冷たいものだった。「ふぅ、あなたまで荒潮みたいな冗談を言い出したら、もはや私の手には負えないわ」
その姉の振る舞いに拍子抜けした。妙に冷静にだった。これが大人の階段を上った結果かとその場では納得したのだ。
しかし、挨拶しに行った先で、司令官までが姉との関係なんてそもそも無かったかのような態度に出たときは流石に訝しんだ。いくらなんでも倦怠期には早すぎるんじゃないかと。
それで周りを改めて見渡すと、カレンダーは過ぎ去ったはずの月日を指示していたし、出撃記録と攻略海域の見取り図も本来のより小さかった。
余り己を賢いとは思わない大潮でも、状況を確認すれば、流石に時間が巻き戻ったという一見突飛な事実に気付かざるを得なかった。
大潮はなぜ己が過去に戻ったのか、その理由も原理も何も理解しなかった。それでも、大潮には生来の楽観さと無邪気さがあったので、大して巻き戻りを悩むことなく、その生活に順応していった。
むしろ、未来人であった大潮はとりわけ積極的に姉と司令官との関係を支援した。ある程度どこに問題が発生し、その原因も知っていた大潮は彼らのキューピットとしては非常に有能であった。
また大潮自身、姉と司令官とが己の助力のおかげで絆を強めていっていると思うと、全能感にも似た幸福を感じるのだった。
時は流れ、大潮にとっては二度目の姉と司令官の関係の成就を迎えた時には、大潮自身がよく貢献したせいもあり、一度目の時より強く彼らを祝福した。彼らに幸福な未来があらんことを!
浮足立って自室に帰ってきた大潮は寂しさなんて全く感じずにベッドに潜り込んだ。その夜もやはり星々が青く輝き、時が止まってしまったかのような静謐さで。
「さて! 今日もアゲアゲで行きましょうー!」普段より早い起床、何もかも肯定的な気分であった大潮は、目覚まし時計のベルを前もって止めようとして止まった。時計の日付表示が再び戻っていた。大潮は背中に冷や汗をかき、呼吸を乱した。まさか。
さしもの大潮であっても、三周目をこれから過ごすことを思うと辟易してくる。それでも大潮がその周を退屈せず過ごせたのはひとえに恋愛の魔力というものが大きかった。
大潮は更に踏み込んで姉と司令官の恋路をサポートし始めた。真近くで見るラブストーリーというのは非常に面白味のあるものだった。
例の夜が過ぎ、再び例の朝がこようとも、大潮はそのたびに彼らの関係をより深く探究していった。いつの間にか、大潮は非常に限定的な形であるとはいえ、恋愛のエキスパートと化していった。彼らがどう動くか手に取るように分かるようになっていた。
しかし、どんな名作であっても飽きがくるように、大潮にとって彼らのロマンスは些か退屈なものとなっていた。そして、更には、名作から陳腐平凡、そこれどころか駄作茶番と大潮の中で評価は下り続けた。
鬱屈とした不満はついに爆発した。例の夜彼らの見せる笑みは、もはや大潮の祝福の対象ではなかった。もはやそれは幸福の浅薄さの象徴であり呪いの対象となっていたのだ。
気付いた時には連装砲を取り出し、姉に向かって撃っていた。姉の困惑した死に顔の空虚な瞳と目が合うと大潮は逃げ出し、部屋の隅で慟哭した。その時のことを大潮はうまく記憶していない。
ただ「こんな悪意は許されない。こんな悪意は許されない。こんな悪意は許されない」と繰り返していたのは覚えていた。それは己の行為を責めるものより、世界の仕打ちに対しての怨嗟であった。
朝日によって目が覚めた大潮は時計を見るなり、連装砲を己の頭にあてがい撃ちぬいた。
目が覚めた大潮は、部屋を出ると埠頭で海をただ漫然と眺めていた。すると声をかけられた。「随分と酷い面構えだ。どうした」。いかにも正気じみた司令官だった。無視していた大潮の隣に座り、司令官は大潮の手を握った。
驚く大潮と目が合った司令官が微笑む。その瞬間大潮に起きた変化は筆舌しがたい。幾度となく姉と結ばれるのを見てきていたのだ、もしかしたら無意識のうちに諦めてしまっていたのかもしれない。
手に入らないと。その前提こそが致命的な間違いだった。司令官はこんなにも近い。同じ世界に存在しているではないか!
大潮にとって幸せを手にすることはとんでもなく容易いことになってしまっていた。いかなる障害であろうと容易に解決できた。いつしか当然ながら司令官と大潮は最も親密な関係を結んでいた。
今夜はその記念すべき節目であった。「見ろ。大潮。とても素晴らしい夜だ。世界が俺たちのことを祝福してくれているようだ」。その言葉は大潮にとって完全なる真理であった。そうこの世界は私と司令官を結びつけるためにあったのだ。
大潮は姉の反応に少し身構えたが、姉も心からの祝福をくれた。そうだ。存在しない未来の因縁なんて存在しないのだ。何もおかしくない。
彼女は本来私がいたはずの、あの一人の部屋にいるのだろう。
その姿を想像すると少し心を痛めたが、これこそ世界の定めた正しい運命なのだから仕方がない。大潮は愛しい人に肩を抱かれ夜空を見上げた。この忌々しかった景色も今では愛おしい。
時間が止まってしまったかのように、風の切る音も虫の鳴く声もなく、静寂のみ。ただ夜空の星々が煌々と青く輝いて…………。そう「あの夜と何も変わらない」。大潮はゾッとした。
おわり
またお前か
乙
朝潮ちゃん!
朝潮ちゃん!
朝潮ちゃん!
朝潮ちゃん!
ちゃん
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