『……人はそれを、愛と呼ぶのだと思いますよ』
※このSSには一ノ瀬母死亡説、キャラの濃いプロデューサー、独自解釈、過去捏造が含まれます。ご留意ください。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1527610916
これだから天才は。
そうぼやきながら俺がノックのひとつもしないでラボのドアを開けたのは、別にいつものことだった。
ズボラなアイツのことだ、呼びかけたってモーニングコールを鳴らしたって、絶対に返事は来ない。
ただ、いつもよりも部屋の奥へ向かう足取りが速かったのに理由があるとすれば、それはきっと心の何処かで、嫌な予感を感じていたからだろう。
「おい志希!もうとっくに仕事の時間、だぞ????」
怒鳴り声は竜頭蛇尾に詰まり、苛立ちはそのあまりに異様な光景の中に霧散していった。
そのラボは、不自然なまでに綺麗すぎた。
普段ならば乱雑に転がされた試験管やフラスコは机上に並べられており、足の踏み場もないほどに散らかされていた、謎の式の記されたノートの切れ端は影も形もない。
床は埃ひとつなく磨かれていて、窓からは流石にもう朝日とは呼べない陽光が差し込んでくる。
そして何よりも、その中心で毛布にくるまり無防備にも転がっているはずの彼女の姿は、何処にもなかった。
志希の失踪は今に始まったことじゃない。
しかし志希が"失踪"をする時、こんな風にラボを整頓するようなことは今まで一度たりとも無かった。志希が趣味だと公言している"失踪"は本質的に失踪ではない筈だった。少なくとも俺が志希と出会ってから昨日までは。
だからこそ逆に、この部屋は今理路整然と、「一ノ瀬志希は失踪した」という事実を俺に証明しているのだ。
猫は自らの死を悟ると人前から姿を消すのだという。別に、アイツが猫のような気性をしているから、ということが言いたいわけじゃない。
ただきっと、虫の知らせというのはこういうものなんだろうと、去来する漠然とした不安に立ち竦んでしまう。
しかしいつまでもそうしてはいられない。
何か手がかりは無いか、そう思い部屋を探索しようとした俺の目に、机の端にひっそりと置かれていた紙片が飛び込んだ。
何度も何度も消しては書き直した後の上に、最終的に記されていたのは、「Where am I?」という簡素な文字列だった。
『私は何処でしょう』、だと……?
「何処に行った、あのバカ娘……」
まずは社長とちひろさんに連絡、そして早急に先方へ連絡と謝罪。ああくそ、明日からの仕事もキャンセルしなければ……
ふと、ころころと人をからかうように笑う志希が思い浮かぶ。
俺はそれに脳内で手刀をかましてから、早足で部屋を出て奴を見つけ出す算段を立て始めた。
んー、いい天気!風が吹くとまだちょっと肌寒いけど。
今頃プロデューサーはどうしてるかな?慌ててるかな。それとも泣いてる?
まさか。
彼のことだからきっと、「志希の奴は何処だ~!」なんて顔真っ赤にして怒りながら、その癖最善手を取るために頭フル回転させてるんだろーね。
う~ん……まだ捕まるのは困っちゃうかにゃー。じゃあ急がないとね。せっかく人生二度目の大失踪なんだから、すぐにおしまいじゃツマンナイし。
人の匂いは少し控えめ。
代わりに動物と草と土の匂い。
何処にいるのかって?
うん、岩手。
何でって?さぁ?何でだろうねー。なんでだと思う?
でもなんとなく落ち着く気はするかな。これは懐旧?
正直そんなにフルサトって言葉に馴染みがないんだけど、不思議なもんだねぇ。
アタシが"普通"でいられたのはきっと、この街にいた間だけだった。
いや、それも正確じゃないかな?
まぁ少なくとも、おぎゃあと生まれて病院ですやすやしてる間は他の赤ん坊たちと同じだったと思うよ。分かんないけどね。
ちっちゃな頃のアタシはそれはもうヤンチャわんぱく、まだ歩けないのにそこらじゅう這い回っては「あれは何かな?」「こっちはなんだろう」って見て回ってたんだよね。
ダッドは殆ど家に居なかったし、ママも大変だっただろうなー。
ありゃ、あの病院もう無くなっちゃったんだ。時間の流れって早いねぇ。
事情が変わったのはもうちょっと後。
なにせ周りのみんながまだやっと言葉を話し始めた頃にもう自分の名前を平仮名で書いて、1+1の計算までしちゃうもんだから大騒ぎ。
あの時のママのあの顔の意味は……未だによく分かんない。
ともあれこうしてー志希ちゃんに贈られたプレゼントボックスは開封されたのでしたー。ぱちぱちぱち。
小学校に入学するころにはすっかり図書館のヌシだったね。
本はいいよー?分からないことがあれば探せばいい。読めない文字があればそれも調べればいい。
好奇心だけで生きてたアタシには絶好の遊び場だったよ。
あとはまぁ、最高の隠れ家でもあったけど。
「贈られた者/ギフテッド」。
んー、いい言葉だね。考えた人はセンスあると思うよ。本当だよ?
だってさ、勝手に贈っといて勝手に代金持ってっちゃうんだもん。詐欺だよねー詐欺。
消費者庁に訴えたら返してもらえないかな。今更返してもらっても困るけどさ。
そう、図書館にいられたのは、時間があったから。お昼休みにグラウンドで鬼ごっこをする友達もいなかったし、放課後に遊びに行く相手も場所も知らなかった。
別にそれ自体に不満があるわけじゃないし、あの頃のアタシも寂しいなんて思ってなかった。だって興味が無かったから。
だってクラスメイトと遊んでる時間があればもっとたくさん本を読んだり実験したり観察に出かけたり、できることが増えたし。
授業が難しいとか、宿題が解けないとか、そうやって会話をする必要も無かった。だって全部解けちゃうから。
そして素直な子供志希ちゃんはこう思うのです、「なんでみんなできないんだろう?」と……そんでもってそれを聞いちゃうんだ。
だってそこに分からないことがあって、そこに知ってそうな人がいて、そこに聞くための機会が揃ってるんだもん。聞くよね、誰だって。
その結果は言うまでもないよね?晴れてアタシは四面楚歌、ひとりぼっちの孤立無援。先生たちも扱いに困って放置状態。
気持ちは分かるよ、誰だって見えてる地雷は踏みに行かないだろうし。
そろそろだったかな。おっ、見えた見えた。
流石にここは変わってないにゃー。
あの頃との見え方の違いを比較すると成長したんだなって思うよねぇ。
うん、しっかり覚えてるよ?だって忘れられないし。願望じゃなくてジュンゼンたるフカノーセーだけどね。
こんなにちっちゃかったんだなー、ここも。
低学年の頃はまだ良かったんだよね。
暗黙の了解として相互不干渉だったし、アタシにはママがいたから。ママはアタシのどんな疑問も謎も興味も、ぜんぶ受け止めてくれたんだー。
すごいよね、ママは別に天才でも何でもなかったのに。慣れてたのかな?ダッドはもっと大変だったのかもね。
でもね、死んじゃったんだ。アタシが5年生の時だったかな。
死因はね、癌。膵臓癌。見つかった時にはもう、末期だった。
この時初めてダッドが泣いてるのを見たんだー。
私が日本にいれば、側にいれば、もっと早くに見つけられたかもしれなかった、治ったかもしれなかったんだ、って。記憶の限り合理性の擬人化みたいな性格をしてるあの人がだよ。
アタシも悲しくていっぱいいっぱい泣いたんだけど、同時にこの人も人間だったんだなぁって思って何か変な感じだった。
その時はね。うん、その時までは。
うちに帰ればママがいる。
たったそれだけのことが、幼い志希ちゃんにとっては心の支えだったみたいで、これからどうなるんだろうなーって珍しく不安になったんだ。
質問したくても答えてくれる人はいなくなっちゃったし、図書館の本も全部読み終わっちゃったし。あぁ、何もやることないなー、つまんないなーなんて思ってた時に、ダッドが一言、アメリカに来るか、って言ったんだ。
日本に留まるにも流石に保護者が要るし、かと言ってアタシみたいなのを引き受けてくれる親戚も見つからなかったらしくて、そのままじゃ施設行きか家なき子になるしかなかったんだってさ。
向こうならお前に合わせた教育をしてくれる。だが生温い世界では無いだろう。選ぶのはお前だ。志希がそれで良いのなら付いて来なさい。
即答だったよ。
躊躇うほど、この街とか学校とかに愛着があるわけでもなかったし。それになにより、そこにはまだアタシが知らないものがたくさんある。
行かない理由は無かった。だから行った。
もしかしたら、アメリカに行かずに、インドアでちょっと好奇心の強いだけの普通の女の子に育ったアタシがいたかもしれないね。文香ちゃんや頼子ちゃんみたいな子たちともっと話が合ったかな?
アイドルにならない可能性の方が相当高そうだけど。そもそもアタシはダッドの手を取ってしまったわけで、いくらアタシやダッドでも過去を変えることは出来ないから、考えても意味ないか。
んー、もうここで見るものは無いかな。
難しいなぁ、見つかんないや。飛鳥ちゃんや蘭子ちゃんなら地図を持ってるのかな。
まぁいいや、次いこー次ー。どこ行くかって?内緒!
「首尾はどうですか?」
「全然ダメですよ……っと、ありがとうございます、ちひろさん」
デスクで頭を抱える俺に、そっと微糖の缶コーヒーを差し出してくれたちひろさん。しかし、表情は明るくはない。
それもその筈だ。志希が失踪してからもう3日目。いつもなら長くても2日で帰ってきていたのだから、そのことを知っているちひろさんにとっても心配の種だろう。
「アイドルの子達からは何も?」
「ええ、宮本や二宮、他にも関わりの強そうな連中は聞いて回ったんですが……」
謝罪と謝罪と謝罪でてんてこ舞いだったものの、合間を縫って担当や目ぼしいアイドル達に聞き込みは行なっていた。
しかし帰ってきた返事は『いつものことじゃないのか』『何も聞いてない』というものばかり。異変に気付いているのか宮本は心配そうにしていたが。
かと言って手掛かりも無く、正直お手上げ状態と言うべきだろう。
「そうですか……すいません、お力になれなくて」
「いえいえ、元はと言えば俺の監督不行き届きですから」
失礼します、と言って出て行くちひろさんを、恐らくはぎこちないであろう作り笑いで見送ってから、大きく息を吐く。
こうなったら足で稼ぐしかない。これでもアイツが失踪した時の話は暗唱できるほど聞かされている。そこからアイツの行きそうな場所を推測して、虱潰しにしていくか。
半ば言い聞かせるように決心して立ち上がろうとした瞬間、部屋のドアがノックされる。
「はーい?」
出鼻を挫かれたような気がしないでも無いが、急ぎの用だったりしたらまずい。そう思いドアを開けると、そこにいたのはウチの事務所のアイドルの一人だった。
「おはよう、ございます……」
「鷺沢か。どうした?」
「いえ……志希さんのことで、折り入ってお話がありまして……」
「情報提供か。それはありがたいな。さ、入ってくれ」
鷺沢文香。別のプロデューサーが担当しているアイドルだ。志希とは何度か共演しているが、それほど仲が良かっただろうか?
一先ず連れ立って部屋の中へと戻り、鷺沢をソファーへ促す。こうして二人で話すことなど初めてなので、向こうとしても少し気まずさはあるようだ。
「んで、話ってのは?」
「その……恐らく、彼女が失踪する前に、最後に会ったのは、私なのです……」
「……続けて?」
「普段は、現場で顔を合わせたら数度言葉を交わす程度の仲だったのですが……志希さんが失踪した丁度その前日、私に相談したいことがある、と……」
相談。少し珍しいな、と思う。志希は大抵の場合、問題点を自分で分析して、足りないものを自力で把握する。その上で必要な要素を質問することはある。
しかし今回は何が分かっていないのかも分かっていなかった、と言うことだろうか。あの志希が?
「それで、その相談の内容は?」
「……大変、申し訳ないのですが……『プロデューサーには絶対言わないでね!』とのことでして……私としても、本人の口から問われた方が良いかと思いますので……」
「言えない、と」
「はい……」
折角の手がかりだと思ったのだが、手に入ったのは「相談するような悩みがあった」ということだけか。情報はありがたいが、その先に繋がりそうなものではないな……
そう思案していると、テーブルの向かいで鷺沢が言葉を続けた。
「しかし……これでは余りにも無責任に過ぎると思いまして……何か、私にお手伝い出来ることはないでしょうか?」
「と言われてもな……」
「例えば……そう、志希さんの残した暗号のようなものはありませんか?」
「暗号……?そんなもんは……」
そこでふと思い当たり、デスクの引き出しにしまって置いた件の紙片を取り出す。
しかしそこに書かれているそれは、暗号というには余りにも文章として意味を示している。
まぁしかし、何事も物は試しだ。それでアイツをとっ捕まえる目処がつくなら願っても無いチャンス。そう思い鷺沢に紙片を渡すと、思っていたよりも興味深そうにそれを眺めながら、何事かを考え始めた。
「……プロデューサーさんはどうお考えなのですか?」
「只の嫌がらせの類……じゃあ無いんだろうな、流石に。そうなるともうお手上げだ。アイツの思考回路なんて俺には理解できねぇよ」
「……私にも到底理解は出来ません。出来ませんが……ある程度の推測を立てることは出来ます。幾つか、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
ぶっきらぼうな俺の答えに対して、鷺沢は推理小説のページをめくる様に、自身の考察を整理し始めていた。
「志希さんは、貴方に何か相談をしたことはありますか?」
「ないな。質問責めにはよく合うけど」
「それでは、この紙と似たようなものは部屋にありましたか?何か走り書きのようなものがされている、といったものは」
「見たところそれだけだった筈……いや、出されたゴミまでは流石に目を通していないな、分からない」
「そうですか……では最後に。志希さんは、貴方に昔の思い出話を自分からしたことはありますか?」
「え?」
そう言われてみれば、無いような気がする。話題の流れなどでさも他人事のように話すことは何度かあったが、アイツがアイツ自身の意思で過去を曝け出すようなことは記憶にない。
しかしそれが、どう関係するというのか。
「凡そ、ですが……掴めたかも知れません」
「本当か!?アイツは今どこにいるんだ!」
「い、いえ、何処にいるか、ではなく、何をしているのか……です」
「……失踪じゃないのか?」
「それは、そうなのですが……恐らくはその紙片に残されたメッセージ、そのままの意味なのだと思われます」
「『Where am I』……?」
「単純な話です。問うている相手が、貴方では無かった」
「じゃあ誰なんだ?」
「志希さん自身、です」
「アイツ自身?」
「はい……志希さんは、自分探しをしているのでしょう」
「自分探しぃ?」
思わず素っ頓狂な声が出るくらいには、想定外の答えだったと言うべきだろう。
あんな身体と精神と自我を全て分離独立させているような、自己の観察と分析をも得意とする志希が、敢えて自分探しの旅に出る。
全くもって、脈絡が無い。そういう意味では志希らしいと言えなくもないが。
「なんでまたそんな……」
「探さねばならない何かが、あったのでしょう……それが何かまでは、私には解りかねますが。そしてもう一つ、私への相談の内容と、私の返答を鑑みるに……志希さんは今、ご自身の過去を振り返っている可能性が高いです」
「過去……さっきの質問と関係があるのか?」
「はい。これもまた推論となってしまいますが……志希さんにとって過去は、興味の対象足り得ないのだと、彼女の口から聞かされたことがあります。現在の自分は変化し続けており、過去に執着するだけではつまらない、と……つまり志希さんは、とりわけアイドルになる前の過去を、最小限の記録に変換して、記憶から消し去ってしまっているのではないでしょうか。そして今回は、その不要として削除した物を、改めて省みる必要があった」
「……すまない、もう少し分かりやすく言ってくれないかな」
「そうですね……もう要らないと捨ててきてしまった物の中に、今必要なものがあるかもしれないと、志希さんはそう思い至ったのではないかと、私は思うのです」
「分かったような、分からないような……とりあえず、俺は志希の過去を探ればいいんだな?それじゃあとっとと岩手に……」
「お待ちください」
「ダメなのか?」
「もし志希さんが岩手から……ご自身の誕生から辿っていた場合、今からプロデューサーさんが向かったところで追いつくことはできません。そして、態々失踪をする時に、敢えて事務所の近くに留まるとは考えにくいですので……逆にプロデューサーさんが現在から遡れば、何処かで交差するのではないでしょうか?」
「成る程、一理ある……が、現在からアイツを辿る過程に意味はあるのか?探すだけなら、軽く場所を見回るだけでもいいだろ?」
「しかし……志希さんは、敢えてメッセージを残しました。つまり、探すという行為そのものを、プロデューサーさんにして欲しかったのではないかと……」
「ったく、遠回しに面倒なことを……」
話の整理はついてきた。俺がやるべきことも、理解できた。仕方がない。他にすべきことが見当たらないのなら、やるしかない。
俺は鷺沢に礼を言い、席を立って即座に外出の支度をし始めた。
とりあえず、ちひろさんに『志希を探してきます』とでも送っておけば俺まで失踪したなどとは思われずに済むだろう。
そんな風にテキパキと作業している俺に、ソファーに座ったままだった鷺沢が声をかけた。
「そういえば……フレデリカさんが、『プロデューサーはもう少し親しみやすくしてくれると楽しいのにな』と仰っていましたよ」
「善処すると伝えといてくれ」
「……最後に一つ、よろしいですか?」
「何だ?」
「貴方は……志希さんを、どう思っていらっしゃるのですか」
「んなもん決まってるだろ。大っ嫌いだよ」
何か言いたげな鷺沢を背に、俺は部屋を出た。
絶対見つけ出してやるから覚悟しておけよ、と届かぬサイキックテレパシーを念じながら。
主の出て行った部屋の中で、私は一人、何をするでもなくソファーに腰掛けていました。
全てが解決した折には、彼には一つ謝らなければなりません。
私は志希さんが何を探しているのかを、朧げながら知っています。
実質的には、それを探すように指示したのは私なのですから。
しかしそれを、彼に教えるわけにはいかなかったのです。
互いに全てが違うと思っている、よく似た不器用さの二人に、己を省みてもらうために。
模範解答ではなく、己の内から湧き出る答えを、自ずと導き出せるように。
それが私に出来る、せめてもの後押しなのですから。
くしゅん。
あらら、誰かアタシのこと噂してるのかな?そりゃしてるか、だって失踪中だもんね。
文香ちゃん辺りがプロデューサーに入れ知恵してたりして。あり得る。
まぁでもきっと文香ちゃんなら、答えだけ言ってしまう野暮なことはしないハズ。多分ね。
さて今志希ちゃんはどこにいるでしょうか!
遠い異国?絶景の秘境?はたまた裏のディメンション?
ま、ニューヨークなんだけどね。
懐かしー……くもないかな、別に。
だって離れたの自体はそんなに前のことじゃないし?まぁここにいたのはShiki ICHINOSEであって一ノ瀬志希じゃないから、ある意味では完全に異邦人なんだけどね。
名前が売れてるわけでもないし、顔が知られてるわけでもない。まるで野良猫の気分だにゃー。なんてね。
さぁて、またぶらぶらと歩きまわろうか。フレちゃんはいないけどブラデリカ~。探し物はなんですかー、見つけにくいものですかーってね。芳乃ちゃんに聞いた方が早かったかな?
人通りが多いのは相変わらずだなぁ。ダッドに危ないから路地裏には近づくなってキツく言い聞かされたっけ。
ダッドに連れられて、日本からこっちに来て。英語は読めたけど話せなかったから、初めのうちは凄く大変だった。それでも一ヶ月もすれば慣れたけど。
新しい学校はある意味で快適だったよー。ギフテッドをギフテッドとして育てるための制度が整ってるからね、毎日一対一での授業ばっかりでさ。
しかもアタシがどんどん先に進んじゃうから、先生の名前を覚える前に次の人に変わっちゃうんだよね。覚える気もなかったけど。
一応クラスはあったけど、アタシみたいな変わり者の寄せ集めだし、お互いに全く興味が無いもんだから本当に形だけだったよ。
それ以外のことは……思い出すほどじゃないかな。あの頃はとにかく知りたいことを何でも教えてくれる環境に大興奮で、周りを見てる余裕なんてなかったから。
……だからこそ、ダッドの変貌にも気が付かなかった、というのは後々のお話。
アタシはあれよあれよと言う間に飛んでって、大学入学が決まったのは15歳くらいのことだった。
お偉い教授だったダッドのコネもあったんだろうけど。
いやぁ、楽しかったよー、キャンパスライフ。
だって好奇心の塊みたいな志希ちゃんが、遂に野に放たれたんだもん。
ラボにこもっては寝食を惜しんで実験観察実験観察……ピザにタバスコかけてたくさん食べてたから、今よりまんまるシキチャンだったかもね。
先生たちにもシキはもう少し人間らしい生活をしなさーいって何度も怒られちゃった。
でも成果は出してたから、それ以上は言われなかった。論文はいくつか出したけど、初めのうちは先生たちとの共著だったけどみんなに「お前の実験データはお前にしか解読できない」って言われて結局勝手に一人で出したのもチラホラと。
というか、段々人との関わりが減っていったから。飛び級入学だからって目の敵にして来た同期も、初めは親切だったセンパイも、みんなみーんなアタシを避けるように離れていっちゃったんだ。
まるで小学校の頃に戻ったみたいだねぇ。
アタシの目の前には図書館よりもスゴいオモチャがゴロゴロしてたから、退屈はしなかったけどね。化学式と、実験器具の音と、薬品の匂いに包まれて、それだけを生き甲斐にして生きてた……というか、動いてた?生きてたのかな。まぁどっちでもいっか。
そんなマッドサイエンティストシキちゃんどうして大学を辞めちゃったんだと思う?
それに答えるにはね、まずなんでこの世界に来たのかを考えなきゃいけないんだ。
アタシがケミカルの道を選んだのは、ダッドの背中を追って来たから。単に趣味に合ったのもあるけど、一番はそこ。
日本にいた頃はほぼシングルマザー状態で、父親という存在に飢えていたのかもしれない。ともかく、アタシはダッドに振り向いて貰いたくて、ダッドに褒めて貰いたくて、ダッドに追いつきたくて、知識の本棚をひたすらに読み漁った。
ところで話は変わるけど、アタシは基本的に答えが分かっちゃった問題にはキョーミが持てないんだよねー。
そこに分からない何かがあるならそれを知りたいと思うけど、分からないから知りたいのであって、分かってしまったらそれは分かっているものだから、分かっているものをいつまでも考えていても意味ないよね?だからアタシは次の分からないものを探すの。
それが周りには失踪してるみたいに見えるみたいだけど。でもアタシにとってそれは単なる移動に過ぎないから、アタシがアタシの中で失踪をしたと思ってるのは1回だけなんだー。
あ、今を含めると2回だったね。でも改めて考えてみると、今のアタシは失踪してることになるのかな。どうなんだろ。
目的はあるけど、目的地は無い。仮説がないのに実験してる感じかな?移動先が決まってないなら移動じゃないけど、消えること自体が目的でもないから失踪でもないのかな。
どっちにせよ、Mr.起点はもう少しずつアタシに近づいてるんだろうけど。
カンワキューダイ。
なぜアタシが大学を辞めたのか。簡単な話だよー。
だって分かっちゃったんだもん。ダッドには追いつけないって。
客観的な観測による歴然とした事実として、勝てないことを理解してしまったの。
何よりも、怖くなっちゃったんだ。彼という存在が。
アタシは所詮「神に与えられた者/ギフテッド」だから。お空の上の誰かさんから贈り物をされただけの人間に過ぎない。
でも彼は違った。彼はギフテッドじゃない。彼は「神に愛されている者/アマデウス」。有り体に言えば、格が違った。
しかも……ダッドは、ママが死んでから、いつの間にかおかしくなってた。糸の切れた風船みたいに、地に足がついてないというか、アタシたちと同じ世界を生きていないみたいな、そんな感じ。
きっとママの存在がダッドにとって錨だったんだと思う。
それが無くなっちゃったから、ダッドは神様に呼ばれるまま、上へ上へと行っちゃうんだ。
それで、逃げた。
ここにいるアタシにこれ以上意味はないと分かってしまったから、それはもう分かっている事実。それなら、もうここに居続ける理由は無かったから。
そう、これがアタシの人生初めての"失踪"。
だって逃げることが目的だったし、何処へ行けばいいのかも、何をすればいいのかも、初めて何も分からなくなっちゃったから。
記憶も、思い出も、その時に抱いていた感情も、全部本に載ってる知識と同じように、脳内に単なる情報としてアーカイブして。誰でもない、名前もない、野良猫みたいに逃げた。
結果的に逃げた先の日本で彼に出会うんだから、運命の神様も本当にいるんじゃないかって思っちゃうよね。
非科学的だと思う?でもね、今分からないことを問い続けるのが科学だから、案外そうでもないかもしれないよ?
さ、て、と……大学には寄らなくてもいいかな。
あそこじゃ結局、天才から逃げたアタシと、アタシから逃げた誰かさんしか見つからなさそうだし、それはアタシが探してるものじゃないから。
どうしようかな。アタシは頭を抱えるのです。
だってもう、探せる場所無くなっちゃった。やっぱりアタシの中に、彼と同じものなんて見つかりそうにないんだけど、文香ちゃんが嘘をつく理由も無い。
間違っているとすれば、文香ちゃんのアドバイスという前提じゃなくて、こんな探し方を選んだアタシの導出方法のハズ。
さて、それじゃあアタシがするべきことはなんだろう。
……ううん、本当は分かってる。やるべき事なんて、結局ひとつしかないんだって。
怖がっていても、始まらない。それなら、昔のアタシみたいに、好奇心だけで動いてみよう。
さぁ、彼に会いに行かなくちゃ。
最初に訪れたのは、つい先日志希がライブをしたばかりのアリーナ。うちの事務所所属のアイドルのみによる盛大な新春ライブの中で、志希は他のアイドルたちに負けぬパフォーマンスをしてみせた。
息を切らしながらも満足げな顔で飛びついて来ようとする志希を、俺は片手で制して叱ったっけか。「ご褒美くらいくれてもいいのに」と拗ねる志希に、「お前ならこれくらい出来て当然だ」、と。それは本心だ。
志希は「キミはいつも、アタシが想像もしなかったアタシを創造してくれる」と言っていたが、俺がしたのは志希が持っているものの気付いていないだけの能力を前提にしてプログラムを組むことだけで、とどのつまりそれは志希本人の才能に過ぎない。
そう、才能。俺はその言葉が心の底から憎い。
次に俺が訪れたのは、何の変哲も無いファミリーレストラン。しかしここは、先ほどのライブに参加するアイドルを決めるオーディションに、無事合格したことを祝う……という題目で志希が俺に夕飯を奢らせた場所だ。
いつも通りの飄々とした態度を取っているつもりだったのだろうが、オーディション前に指先が震えていたのも、初めてリベンジというものに挑戦し、本気になることが出来た自分に驚いていたのも、それに喜んでいたのも、知っている。
それでいい。俺はそう思った。如何に天才が空飛ぶ鳥の如きものだとしても、羽ばたかなければ地に墜ちる。志希は、天賦のそれに胡座をかいていて良い存在ではないのだから。
その次に訪れたのは、とあるレコーディングルーム。
初めて志希が、自分のソロ曲を収録した場所。
歌詞に一通り目を通した志希が小さく、「昔のアタシならやったのかな」と呟いたのを、俺は聞いていた。しかしその真意を問うてはいけないような気がして、何も聞かなかったことにしたのだが。
描き出される狂気の沙汰とすら見える情念。それを理解しているのかいないのか、どちらにせよ志希は、この歌を自分のものにしてみせた。顧客に求められているものと完全に合致する形で、これ以上無いほどにひとつのアイドルとしての姿を打ち出した。
次は、都内のとあるビル。流石に中に邪魔する訳にはいかないから、近場の喫茶店へと入る。ここはアイドルとしての志希が初めて挫折を味わった場所。新人アイドル達の登竜門と呼ばれるとある番組のオーディションで、志希はその時の全力を尽くしたにも関わらず選ばれなかった。
人気は右肩上がり、今をときめくアイドルとして名前が売れ始めて少しばかり調子に乗っていた面もあったのか、暫くは珍しく落ち込んでいた。
しかし志希は天才にしては立ち直りが早い方で、すぐにリベンジの為のレッスンに身を投じ始めたのだが。
その次は、小さなライブハウス。ここはアイツが初めてライブをした場所。志希にとっての大きな転換点のひとつだ。
終了後、楽屋でアイツは興奮冷めやらぬまま「アイドルって分かんない!」と言い放った。アイツにとっては最大の賛辞だろう。
どこまで行っても唯一解は存在しない世界。それが化学の世界で生きてきたアイツにとってはとても新鮮で、興味深いことだったらしい。
……確か、アイツが俺への興味をやたらと強くしたのもこの辺りからだったか。
正しく猫のようなもので、仕事をしていると構ってもらう為に邪魔をしにくるし、何を考えているのかも分からない気紛れな生活をしている。振り回されるこちらの身にもなって欲しいものだ。
考えてみれば俺は何故、志希のプロデューサーであることを選んだのだったか。そもそも何故、俺の様な者がアイドルのプロデューサーをやっているのだろうか。
もしこれを考えさせることが志希の……あるいは鷺沢の狙いだったのならば、俺は見事にその術中に嵌ってしまっていることになる。
昔から、よく人に言われる。
何をそんなに妬んでいるのか、と。自分より優れた能力を持つ者が目の前にいると、どうしても嫉妬してしまう癖が、昔からあった。
俺には、自分を輝かせることの出来る才能が、何ひとつなかったから。小学校より以前から、何かで一番になった事が無かった。努力しても、努力しても、必ず上には上がいる。
それが堪らなく、悔しかった。才能がある癖に努力を怠る奴を見ると、反吐が出るような思いさえした。
しかしまた、人によく言われる。
お前には人を育てる才能があるじゃないか、と。人の長所を磨き、短所を埋める。事実、昔から学校で一番になるような奴とは大抵仲が良く、そいつらのお目付役をやらされるようなことはあったし、そいつらに何故か教えることになった事も何度もあった。
だが、そうじゃない。幼稚な承認欲求だ。分かっている。それでも、俺は俺自身の手で一番になりたかった。
そしてそれは、叶わなかった。
この事務所の社長に拾われたのは俺の人生において最大の幸運であり不運だっただろう。プロデューサーという職業は俺の天職で天敵だった。
人を導く事自体は、別に嫌いじゃない。担当しているアイドルが壁にぶつかりながらも成長してゆく光景を見るのは、好きだ。
しかしそれと同時に、この業界には余りにも才能が溢れている。何かしらの才を持たぬ者は、ここには入れない。そんな環境の中で、俺は身を焼くような嫉妬と憎悪に苛まれた。
何度も何度も、己の担当アイドルにさえも。何故俺にはあのような才能が無いのか。羨ましい。妬ましい。ああ、しかし、その輝きを磨く手助けをせねばならないのもまた俺であり、俺自身もそれを望んでいる。
そんな自家撞着を繰り返しながらも、なんとか今、人としての形を保っている。
しかし、そんな俺がよりによって指折りの天才……ギフテッドたる一ノ瀬志希の担当をしている。
我ながら滑稽な事だが、実のところアイツをスカウトしたのも、担当したいと進言したのも、俺自身だ。
脳裏に志希を思い浮かべる。
アイツはいつも笑っている。気紛れに俺をからかっては、ころころと喉を鳴らすように。アイツの側にいると、劣等感で頭がどうにかなってしまいそうになるのに、心の底で、アイツの側に居たいと思っている俺がいる。
他のアイドル達には傷付けてしまわないように距離を置いているのに、志希にだけは何故か……
あぁ、ちくしょう。
分かっていたことだろうに。
気付いてはならないものなのだと。
アイツを初めて見た瞬間、俺は息を呑んだ。そして大きく、溜息を吐いた。運命というものは確かにそこにあるのだと、受け入れるように。
それは天啓にも似ていて。それはきっと……
……さぁ、あのバカを捕まえに行かなくては。
とある小さな山の中腹。
だぁれも居ない夜の公園。
アタシは一人でゆらゆらと、ブランコを揺らす。お空は雲ひとつない快晴。
あっ、今流れ星が流れたね。お願い事した方がいいかな。
でも、いいんだ。
ここは全ての始まりの場所。
アタシの計算が正しければ、きっと彼はここに来る。
間違ってたら、来ない。
ただ、それだけのことだから。
だから、ほら。
公園の入り口から、微かに彼の匂いが届いた。
アタシが失踪をしていたのは、たったの一週間。それなのに、アタシは堪え切れなくなって、ブランコを飛び降りて駆け出す。
公園を出て、遊歩道を走り出してすぐ。
彼の姿を目視で確認。発射角計算完了。
さぁ、飛ぼう。彼の元へ。彼の側へ。
「……こんの……バカ猫娘ェ!!!」
ゴツン!
彼は見事にアタシを受け止めたかと思うと、流れるように頭突き。即座に手を離されて、アタシは額を抑えて地面にへたり込む。うーん、見上げてないのにお星様がみえるよー……
「にゃっはは、痛いなーもう」
「その様子だと無事みたいだな。それじゃもう一発」
「えっ」
アタシは慌てて対ショックのために蹲る。でも降って来たのは鋭いチョップじゃなくて。
彼はぽすっと手のひらをアタシの頭に置くと、片膝をついてしゃがみこんで、そっと、それでいて強引に、アタシを抱きしめた。
鼻腔いっぱいに、彼の匂いが広がる。
「……心配させやがって」
「……うん、ごめんなさい」
「お前、最初は帰ってくる気無かっただろ」
「あ、バレた?あいたっ」
ノーモーションでデコピンの接射はずるいと思うなぁ……
「なんで分かったの? 」
「だってお前いつも、ゴールとホームを設定してるじゃねぇか。失踪だなんだ言ってるが、お前にとってのそれは他の奴らのレッスンとかと同じ必要な過程の一つに過ぎない、そうだろ?」
「あちゃあ、バレバレじゃん。流石はアタシのプロデューサー」
「茶化すな阿呆。正直焦ったぞ」
アタシを包む両腕が、少し力を強める。なんだ、思ったより心配してくれてたんだ。ちょっと嬉しい、かな?
「でも珍しいのはキミもじゃない?いつも迎えになんて来ないのに」
「……ここにお前がいる気がした」
「にゃはー、以心伝心だねぇ。アタシもここで待てばキミが来ると思ったんだー」
「お前に操られてるみたいで癪だな」
「照れてる?」
「うるせ……ここで捕まえなきゃ、もう会えないみたいに思ったんだよ」
プロデューサーは赤い耳を見せたくないのか、すっくと立ち上がる。そのまま背を向けて歩き出したから、アタシも続く。相変わらず不器用だなぁ、そこが面白いんだけど。
「ほれ。ブラックでいいか?」
「わとと」
彼は遊歩道沿いの自動販売機でブラックの缶コーヒーを二つ買って、一つをアタシに投げ渡した。そして横のベンチにどさりと腰掛け、隣をポンポンと叩きアタシに座るよう促す。
二人並んで飲むコーヒーは、何故だか少し甘いように思えた。
「……それで、見つかったのか。探してたもんは」
「いや?」
「見つかんねぇのかよ」
「強いて言えばキミとアタシはぜんぜん違うってことくらいかなー」
「何当たり前のことを……」
「ねぇプロデューサー、ひとつ質問してもいい?」
「言ってみろ」
「なんでキミは、アタシから逃げないの?」
「は?」
「そこが分からないんだー。どうして自分より才能がある……バケモノを前にして、そこから逃げ出さずにいられるのかな。アタシはアタシを参照してみたけど、アタシの中から適合する動機は見つからなかった。だってアタシはダッドから逃げたから。ねぇ、なんで?」
それだけが、分からなかった。
忌避、嫉妬、憎悪、諦念。彼が「天才」という概念へ抱いている感情。
彼にスカウトされてしばらく一緒にいれば、否が応でも理解できるそれら。
これは分かる。だってアタシが失踪する直前に、ダッドに抱いていた、抱いてしまった感情と同じだから。
でも彼は失踪しない。アタシはした。その違いは?
分野の違い?性格の違い?
彼にあってアタシにないナニカが存在するのかな。
『あまり……憶測で助言をするべき場面ではないのでしょうが……』
『おそらく、貴女が彼の側に居続けるのと、同じ理由なのではありませんか……?』
アタシの問いに文香ちゃんはこう答えた。
ますます分からない。
アタシがプロデューサーの側に居る理由。それは彼が興味深いから。どれだけ観察をしても、飽きることがないから。
ホントウに?
観察は得意だ。彼の言動行動の癖、傾向、趣味趣向、嫌いなものも、おおよそ把握できていると思う。そう、本来なら彼の観察はとうに終わっているはず。それなのに、アタシは観察を続けている。
それは何故?
プロデューサーがアタシの側にいる理由。それは彼がアタシのプロデューサーだから。でもそれは論点先取。そもそも何故、才能を忌み嫌う彼がプロデューサーをしていて、アタシをスカウトして、剰え担当になったのか。
分からない。
ワカラナイ。
彼が何を考えているのか。彼がアタシに何を思っているのか。アタシは彼に何を思っているのか。
分からないということが、初めて、こんなにも恐ろしい。
そして何より不可思議なのは、アタシが心の何処かで、それを知りたくないと思っている事実。
そしてアタシは失踪することにした。文香ちゃんが小さく何かを言っていたのも気にせずに、事務所を飛び出した。
探しに行こう。今のアタシの中にないそれを。
探しに行こう。アタシの中にいるはずの彼を。
何も見出せないのなら、もう彼と顔を合わせることすら出来ないような気さえして、怖くなって、恐ろしくなって、アタシは逃げた。
そして……終ぞアタシはそれらしいものを、見つけることは出来なかった。
それでも、方法はただひとつ残されている。それが、彼自身にその理由を問うこと。
でも、もし彼の口から……アタシを拒絶する言葉が出たのならば。
アタシはきっと、この世界から失踪したくなってしまう。
期待、不安、願望、そんな今までに無いような不確定要素に満たされたまま、アタシは静かに彼を待った。
そして静寂を切り裂くように、彼は大きく溜息を吐いた。
それはまるで、初めて出会ったあの時のように。
「……俺たちは、存外馬鹿なのかもしれないな」
「いきなりだね」
「あぁ。だってこんな下らないことにも気付かずに、二人して悩んでるんだからよ」
プロデューサーは何か愉快なことを見つけたような、どこか憑き物が落ちたような晴れやかな表情を浮かべていた。
その理由も、アタシにはまだ分からないけど。
「下らないなんて酷いにゃー。志希ちゃん珍しく真面目に悩んだんだよ?」
「でもきっと、聞いたらお前もこう思うさ」
「じゃあ早く聞かせてよ」
「……予め言っておく。すごく恥ずかしい事を言うぞ」
そう前置きをして、プロデューサーは意を決したように息を吸い込んだ。
「……俺がお前をプロデュースしてるのはな。お前を愛してしまったからだよ」
「…………なんか言ってくれよ」
天使が通ったような間に耐えきれなくなったのか、プロデューサーが片手で顔を覆いながら続ける。でもアタシはなんだか頭がフリーズしてしまったみたいに、何も考えられなくなってしまった。
愛。アイ。LOVE。
何故か頭の中に、アタシが初めて文字を書いた時の、ママの表情が浮かんだ。
ああ、きっと、あの顔は。
我が子が夫のような容易ならぬ人生を歩むと理解した上で、アタシに向けてくれた慈愛。
通りで探しても見つからないワケだ。だって、それが愛だなんて、誰も教えてくれなかった。アタシは普通の愛を歌うことすらしてこなかったんだから。
欠けていた最も重要な歯車が、ピタリと嵌ったような気がした。
彼がアタシに抱いている感情。
アタシが彼に抱いている感情。
そのありふれている筈の、何処か遠いものだと思っていた名前が、初めて自分のものとして認識出来たように思う。
途端になんだか気恥ずかしくなってしまって、アタシも顔を覆う。するとそれを見たプロデューサーが、攻守逆転と言わんばかりにニヤリと笑った気配がした。
「そうしてるとお前もフツーの女の子みたいだな」
「そんな女の子に大真面目に……あ、愛してるなんて言っておいてよく言うよキミも」
「なんだ照れてるのか」
「うるさい」
「でもこういう時は一方通行じゃダメだと思うんだよ」
「急に強気になったなーもう」
「それで、返事は?」
「…………アタシも、キミを愛してる……多分」
「多分ってなんだよ」
「だってアタシにも分かんないもん」
「それはつまり興味の対象になるってことだな?」
「まぁそうなるね」
「だけど残念ながらアイドルは恋愛禁止なんだよな」
「じゃあアイドルやめちゃおっか」
「そんな気1ミリも無いくせに」
「あ、バレた」
軽口の応酬をしていると、なんだか悩んでいたことが全部馬鹿らしくなってしまって、二人で顔を見合わせて、夜中なのにゲラゲラと笑い飛ばした。周りに住宅街は無いから大丈夫だと思うけど。
ひとしきり笑った後、アタシが伸びをしていると、プロデューサーがすっくと立ち上がった。
そしてさも当たり前のように、アタシに手を差し伸べる。
「さ、帰るぞ」
「……うん!」
アタシは喜んで彼の手を取ろう。
もう、探し物をする必要はないから。
「ねぇプロデューサー」
「なんだ」
油断している彼の手を思い切り引っ張って、その隙だらけの顔をアタシの顔を近づける。
触れるだけの、形だけのキス。これは約束の証。彼とアタシの匂いと共に、記録ではなく記憶として、ずっとずっと覚えていよう。
「お前なぁ」
「今くらいはいいでしょー?さ、早くしないと置いてっちゃうよー!」
両手を振って、帰り道を進む。振り返ると、プロデューサーがやれやれと頭を掻いて苦笑しながら付いてくる。
それが、無性に嬉しかった。
「プロデューサー、これからもアタシは失踪したりすると思うけど、よろしくねー」
「おう、いつでも行って帰って来い。泣いて謝ったって見捨ててなんてやらないから安心しな」
これからのアタシは、生きる方程式。
解き進めたらどうなるのか、ギフテッドのアタシにも分からないけど、仮説の一つでも立ててみよう。
きっと、彼と一緒なら、幸せになれる。
証拠なんていらない。アタシがそうしてみせるから。
「そういや日付が変わったな。誕生日おめでとう、志希」
「あれ、そうだったっけ。プレゼントプリーズ?」
「おう、用意してあるぞ。新しい仕事を入れておいた」
「えー、お休みじゃないのー?」
「馬鹿、今回どんだけキャンセルで頭下げたと思ってんだ」
「それで、内容は?」
「ライブだよ」
「場所は」
「アメリカ、ニューヨーク」
「ワオ、それはびっくりだね」
「見せつけてこい、今の一ノ瀬志希を」
「もちろん!」
以上です。
志希、誕生日おめでとう。来年の総選挙も頑張ろう。
前作
【モバマス】あの日の私に、ありがとうを
【モバマス】あの日の私に、ありがとうを - SSまとめ速報
(https://ex14.vip2ch.com/i/read/news4ssnip/1526310176/)
蘭 子「混 沌 電 波 第170幕!(ち ゃ お ラ ジ第170回)」
蘭子「混沌電波第170幕!(ちゃおラジ第170回)」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1527503737/)
乙乙。素敵なお話
読みづらい
乙です。
こういう雰囲気すごい好きです
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