関裕美「0点の笑顔をあなたに」 (57)
みんな、夢を持って生まれてくる。
誰だって。
そして、いつのまにか、諦めている。
才能がない。お金がない。時間がない。環境がない。理解がない。
私たちが夢を叶えるには、この世界は足りないものばっかりだ。
それでも、夢を叶える人がいる。
そんな人たちの話は、それを語る眼差しは、私には眩しすぎて。
自分に足りないものを呪いながら、今日も微睡みの中へ意識を落とす。
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〜〜〜〜〜
「……」
鏡に自分の顔が映ってる。
無愛想で、どこか不満気で。
これじゃあ初対面の相手に「怒ってる?」って聞かれることは減らないよね。なんて思いながら。
でも、今日はダメだ。笑わなきゃ。
無理やり口角を押し上げて、せいいっぱい、楽しかったことを思い出して。なんとか笑顔を作ってみるけど。
「……かわいくないなぁ」
誰に聞かせるわけでもない独り言は、私の周りをちょっとの間、ふわふわと漂って、いつの間にか消えてしまった。
時間はちょっとだけさかのぼって、先週のこと。
その建物の前を通ったのは、本当に偶然だった。
休日だったからアクセサリーでも作ろうかなって思ったんだけど、材料が切れちゃってて。
そういえば、いつも行ってる雑貨屋さんは改装中とかなにかでお休みしてるんだっけ。と気が付いたから、いつもは降りない駅で降りたんだ。
買い物は問題なく終わって、むしろ普段は見ないような材料も買えたりしてラッキー、なんて思いながら駅まで歩いている最中。ふと横を見たら、大きな建物と。
1枚のポスター。
行きにも通ったはずだけど、気が付かなかったな。まあ、お店を探すのに集中してたからだと思う。
いつもだったらこんなポスター、気にも留めないはずだった。だったんだけど。
そこに写っている女の子に、その笑顔に、私は見惚れてしまった。
どれくらいの間、見ていたんだろう。ほんの一瞬だけかもしれないし、何十分も目を奪われていたのかもしれない。
ようやくその女の子から目を離すと、その隣に印刷されている文字が突然、目に飛び込んできた。
「アイドル募集……?」
「じゃあ……ここは……」
どうやらここは、アイドル事務所みたいだ。いや、正しく言うと、『アイドル部門がある芸能事務所』なのかな?
まあどっちでもいっか。
そこでふと、冷静になってみた。
アイドル事務所の前で、熱心にアイドル募集のポスターを見ている私……
……あれ?
こ、これじゃまるでアイドルになりたいみたいじゃない!
ま、周りにはそう見えてるのかも……
どんどん恥ずかしくなってきちゃった。そろそろ帰らなきゃ。
そう思って、最後にもう1度、写っている女の子の笑顔を見てみる。
「……かわいいなあ」
それに比べて私は……
「何を見てるの?」
怪しい人だなって、思ったんだ。正直に言っちゃうと。
「わっ、び、びっくりした……」
だって、このご時世に、見知らぬ女の子に声をかけて来るなんて、不審者か、変質者か、よっぽどの変人なんじゃないかって。
「おっと、申し訳ない、怒らせるつもりはなかったんだけど」
そう言って、その男性は申し訳なさそうにしている。ああ、多分、また睨んじゃったんだ。
「ううん、大丈夫、怒ってるわけじゃ……ないから」
「それなら安心した。それで、何を見てたの?」
「何って……このポスターだけど」
「ポスター……なるほど。アイドルになりたいんだ?」
「の、載ってる女の子が可愛かったから見てただけ!」
「ふうん……?」
男性はポスターを、いや、そこに刻まれた『アイドル募集』の文字を見ている。そしてまた、こちらの顔を伺ってきた。
なんだか、心の中を見透かされているような気持ちになってしまう。そんな目だった。
「ま、まあ……その……いいなって思った、けど。私にはなれないし……」
「なれない? ……どうして?」
どうして?
今この人、”どうして”って言ったの?
そんなの、答えるまでもないよ。私はこの女の子みたいに笑えない。顔が可愛いわけでもないし、髪型もこんなだし。性格も派手じゃないし。アイドルに向いてるなんて、どうやっても思えない。
「俺はなれないとは思わないけど」
信じられない。この人は私をからかっているんだ。きっと。
「……本心じゃないんでしょ?」
少し強い口調になってしまった。でも、しょうがないよね。笑えない冗談だよ。私がアイドルなんて……
「頑固だな……はい」
そう言いながら差し出されたのは、四角い、小さな……
「……名刺?」
その中央には、名前が書かれている。当たり前だよね、名刺なんだから。
それよりも見なきゃいけなかったのは、名前の隣に、一回り小さく書かれた肩書きだった。
「プロデュ……えっ、うそ……アンタ……ここの事務所のプロデューサーなの?」
「どうだ? アイドルになってみないか?」
真っすぐに、その目は私を見ている。突然の出来事、その申し出に、私の頭は混乱してばかりだ。
耐えかねて思わず目を逸らした先ではまだ、ポスターの女の子が笑っていた。
何回見ても、どれだけ見ても素敵な笑顔だ。
もし私にも、こんな表情ができたら。
こうやって、誰かの目を奪うことができるような。……ううん、せめて、誰かに、いつか
『素敵な笑顔だね』
って、言って貰えるようになれたなら。
それは、夢。
とっくの昔に諦めたはずの。それでも諦めきれていなかった。夢。
この人は
……叶えてくれるのかな。
そのまま、ポスターの笑顔を捉えたまま、口を開く。
「私も……こんな風に笑えるかな?」
「ああ、笑えるさ」
すぐに返ってきた応えは、心強くて。
「でも、それだけじゃない。笑えるようになったら」
「……?」
「君はアイドルになる」
この人は、本気だ。
普通だったらこんなの信じない。適当にあしらったり、また今度連絡しますって言って逃げると思う。
でも、なんでだろう?
この人を、信じてみたいと思った。
この人は、私の何かを、変えてくれるんじゃないかと思った。
「……わかった」
「私、頑張ってみる」
〜〜〜〜〜
そうして今日、初めて事務所に行く日。
特に動きやすい服装とか、そういう指示はなかったから、いきなりレッスンとかじゃないと思うけど……
せめて、愛想くらいは。
だって嫌だもん。
『改めて見たら、アイドルなんて無理なんじゃないか』なんて言われるのは。
そう思って、もう一回、鏡の中の自分に目線を移してみても。
「はぁ……」
口から出てくるのは、ため息だけだった。
事務所の前では、既にプロデューサーさんが待っていた。
「お、久しぶり、ようこそ事務所へ」
私の手を握りながらそう言ったプロデューサーさんは、楽しそうだ。
「えっと……よろしくお願い……します」
「そんな緊張しなくてもいいんだけどな……まあ、初日はしょうがないか」
「まずは何をするの?」
「あ、そうか、何するかわかんないんじゃ不安にもなるよな。まずやるのは」
「やるのは……?」
「おしゃべりだ」
「……は?」
思わず声が出ちゃった。でも、しょうがないよね? 緊張してたんだし……
「に、睨むなって!」
「べ、別に怒ってるわけじゃないけど」
「これから一緒に頑張っていくんだ。まずはお互いのことを知るのが先だろ?」
「まあ……確かに」
「ってわけで、事務所を案内がてら、少し話そう。はい、これパスカード」
「あ、ありがと」
受け取ったカードを首からぶら下げて、プロデューサーさんの後をついていく。
そういえば、テレビで見たことある顔と何度もすれ違ってる気がするけど……
ううん、これが普通になるんだから。慣れていかなきゃ。
「ここがレッスン室だ。運動は得意?」
「自信ないかな……」
「じゃあ練習だな。大丈夫、上手いトレーナーさんがいるから」
「うん……」
自分の足元を見てみる。
ダンス……踊れるのかな。
「もちろん、外部のレッスン場を使うこともある。歌とかの設備はそこまで充実しているわけじゃないし」
「歌……」
「苦手?」
「わかんない。人前で歌ったことなんてないし……」
「普通そうだよ。それも練習だ」
「……」
〜〜〜〜〜
「こっちがアイドル部門の部屋で、あっちがシャワー室とお手洗い」
「なるほど……」
「大まかな説明はこれくらいかな」
「……」
事務所は、思っていたより大きかったな……
これからここで、私はアイドルになっていくんだと思う。
でも、うまく言えないんだけど。
まだ何か、ここに私はいるべきじゃないって、思っている自分がいる。
だって、すれ違う女の子はみんな可愛かった。
プロデューサーさんに挨拶をする時はみんな笑顔で、私は顔を背けてしまったのに。
レッスンを、ほんの少しだけ見たんだけど、凄い踊りだった。
私より小さな子もいたのに。
私は……私なんて……
アイドルには
「はい、上向いてー」
その声と同時に、背中をポンと、叩かれた。
「ひゃっ!?」
「また怖い顔してたぞ」
「あ、えっと、怒ってたわけじゃ」
「その言い訳は3回聞いた」
「え……」
「よく言われるんだろ?『怒ってる?』って」
「……そうだよ」
「さて問題です」
「へ?」
いきなり何? なんて言う間もなく、プロデューサーさんは続ける。
「君が……いや、裕美が、でいいか?」
”名前で呼んでいいか?”ってことだよね。まあ、断る理由もないし。
「……うん」
「サンキュ。じゃあ改めて。裕美がこの前、事務所の外で見てたポスター、あるだろ? あれ、事務所内にも貼ってあったんだけど……」
「……え?」
「ここまでで何枚貼ってあったでしょう?」
「え、ええと……」
そんなの、覚えてるわけないじゃん。
まあ、一応思い出してはみるけどさ……
まず……
まずは……
「……あれ?」
貼ってあったっけ……?
「そりゃ、ポスターを床に貼るやつはいないさ」
「……どういうこと?」
「裕美、事務所入った時からだし、アイドルとすれ違う度になんだけど」
少し間を置いて、次の言葉。
「ずっと俯いて歩いてた」
「……」
「別にさ、自信がないのを悪いことだとは思わない。でも、せめて姿勢くらいは、前を向いてもいいんじゃないか?」
「姿勢……」
「姿勢を変えれば世界が変わるよ。俺の持論だ。ほらほら」
「そ、そうなのかな」
そうして、ちょっと背筋を正して、ちょっと上を、せめて前を見たら。
事務所が少し、広く、光って見えた。
「できるじゃん」
「顔を上げるくらい……誰にだって……」
「どうした?」
「ううん、ありがとう」
「お礼を素直に言えるのは才能だよ」
「この後は?」
「適当な会議室を借りてある。もう少しだけ話そう」
「わかった」
「ポスターの数、カウントしといてな」
「……頑張る」
なんだかちょっと、自信……とまではいかなくても、もしかしたら私にも、って。
そう思うことができて、ちょっぴり嬉しく感じてた。のだけど。
「じゃ、まずは、笑ってみてくれ」
会議室に着くなり放たれたこの言葉で、私の体はフリーズしてしまった。
「……えっと……?」
「何で急に? って顔してるな」
「エスパー……?」
「はいはい、冗談はいらないから、笑って」
「た、楽しくもないのに笑えないよ」
「そうか……俺と話すのは苦痛なのか……」
俯くプロデューサーさん。いや、そういうことじゃなくて……
「じゃあ早く」
ケロっと顔が上がった。ちょっと悔しいけど。
とりあえず、やるしかないみたい。
「……は、はい……どう……?」
「……」
「……」
「……0点」
「ええっ!?」
「いや、というかそれ……笑って……ええ……?」
「な、なんでちょっと引いてるの」
「生まれてから楽しいことが一切なかったのか……?」
「そんなことないけど!」
冗談だと思うけど、ちょっとムッとしちゃった。
でも、プロデューサーさんが悪いと思う、こればかりは。
「ごめんごめん。じゃあ裕美、笑顔ってなんだ?」
「どれだけ私を馬鹿にするの」
「うおっ、そんなに信頼ないのか俺」
「……」
「ここで黙られるのはキツイなあ……まあいいや。笑顔ってのはな、”他の人も笑顔にする魔法”だ」
「魔法……?」
想像の何倍も、なんというか……メルヘンな答えが返ってきたことにびっくり。プロデューサーさんは眉ひとつ動かさないで言っているのだから、冗談じゃないみたい。
「そうだ、魔法。だから、俺が笑ってもそれは笑顔にはならない。だって、目の前の裕美も笑わせられないんだから」
「……」
「まだ出来なくても、時間がかかってもいい。だって、魔法はそんなにすぐに身につかないからな」
「そう……なんだ……」
多分、プロデューサーさんは励ましてくれたんだと思う。
上手く笑顔が出来なくても、焦らないように。
また私が、アイドルなんて向いてないって自己嫌悪にならないように。
「優しいんだね」
「怖いよりはいいだろ?」
「私のこと?」
「……筋金入りだな」
「……その」
「ん?」
「その魔法、私でも使えるようになるのかな」
「もちろん。絶対に」
「……ありがとう」
〜〜〜〜〜
「えっと……ここ……かな?」
あれから少し経って、私は撮影スタジオにいた。
とは言っても、お仕事がもらえたわけじゃなくて、宣材写真を撮るために、なんだけど。
レッスンは何回かやっている。
ダンス、ボーカル、表現力……
でも正直、全然ダメだ。
トレーナーさんやプロデューサーさんは『誰でも最初はこんなもの』って言ってくれるけど……
こんなことで大丈夫なのかなって、不安になる。
「あ、また俯いてたかも……」
でもとにかく、下だけは見ないようにって思ってる。せめて、自分が納得できるまでは、やり切ろう。
「裕美。早かったな」
考え事は一回終わり。
「うん、来たばかりだよ。宣材撮影……だよね」
「ああ。カメラマンさんはベテランだから、心配しないでいい」
「……わかった」
〜〜〜〜〜
気が付いた。
カメラって、怖い。
「うーん……」
カメラさんがしかめっ面をしている。多分、カメラの中の私はもっと酷い顔なのかな……
プロデューサーさんは考え事をしているような顔だ。うう……ごめんなさい。
「カメラ、苦手なのか?」
「えっと……うん」
見かねたプロデューサーさんが休憩を提案してくれて、私は機材から少し、距離を取る。
「昔から、表情に自信なくて、撮られるのが嫌だったから」
「無意識に避けちゃう。と」
「うん……」
「なるほど」
「……ごめんね」
「いや、大丈夫だ。こんな時のために策は練ってある」
「え?」
「ん?」
「……予想してたの?」
「ま、万が一に備えて……な?」
「ううん、私が何か言える立場じゃないよね」
「まあまあ。そういえばこの前、アクセサリーを作るのが趣味って言ってたよな?」
「へ? う、うん」
プロデューサーさんの口から”アクセサリー”なんて言葉が出てくるのが意外で、間が抜けた返事をしちゃった。
「そうだけど……」
「ふふふ……実はあれから俺もアクセサリーを作ってみたんだ」
「ええっ」
びっくり!
プロデューサーさんって、案外手先が器用なんだ……!
「それをお守り代わりに持って撮影すれば、きっと成功する」
「プロデューサーさん……!」
そんなこと考えててくれたんだ……
「ちょっと待っててな」
プロデューサーさんはそう言って、ガサゴソとカバンを漁り始めた。
ちょっと驚いちゃったけど、うん、なんだか、上手くいくような気がしてきた……!
「ほら!」
そうして、カバンからアクセサリーを……アクセサリー……を……
「……」
「……?」
「……何? これ」
「何って……ブレスレットだけど?」
「……は?」
「うお!? に、睨むなって」
「これは……ちょっと……」
「そ、そんなにか……」
「あっ」
「えっ?」
「……0点! なんてね」
「うわ、すげえ悔しいな……」
「ふふっ、今度、教えてあげるよ」
パシャッ!
「ふえ!?」
いきなりのシャッター音と、したり顔のプロデューサーさん、そしてカメラさん。
もしかして……ああ、どうやら、私は”策”とやらにまんまとハマってしまったみたいだ。
「流石プロデューサーさんさん、こういうのは慣れているんですね」
カメラさんがプロデューサーさんに声をかける。
「でも、『俺がアクセサリーを渡したら、多少は表情が崩れるはず』って言った割に、一度しかめっ面になっていたような……」
「そ、そういうこと言わなくていいから!」
あれ?
ということは、プロデューサーさんはもしかして……
「も、もしかして、渡された瞬間に私が喜んで笑うと思ったの!? この完成度で!?」
「お、おい! それでも懸命にだなあ!」
「プロデューサーさんって案外……」
「あ、案外……?」
「お茶目……?」
「いいだろ、結果的には成功なんだから! ちょっと今の写真、見せてください!」
そう言いながら無理やり会話を打ち切ったプロデューサーさんは、カメラさんの手元に目をやる。
私も覗き込んで……
「ほら、いいじゃないか」
「……これ、私なんだ」
「多分、これくらいの表情ならよくしてるんだと思う。その時に写真を撮られたり、鏡を見たりすることがないから気が付けないだけで」
「プロデューサーさん」
「ん?」
「……私、笑えてたんだ」
「ああ、次はもっと笑えるよ」
「うん……うん! 次は自分で……」
「……期待してる」
カメラは怖かった。
それは全然、克服できてないと思う。
それでも、今日1日で、何かが変わった気がする。
私に笑顔なんて……って思ってたけど、少なくとも今はそう感じない。
プロデューサーさんは凄い人だ。
そしてちょっと……
可愛い人かもしれない。
〜〜〜〜〜
「ら、ライブ!?」
あの宣材写真の効果だろうか? いや、それともプロデューサーさんの手腕なのかな。
ちょっとずつ、お仕事がもらえるようになってきた。
最初は本当に簡単なお仕事が多かったけど、アクセサリー雑誌のコラムをもらえたのは嬉しかったな。
今度は1ページもらえるかもって話もちらっと聞いたし、楽しみだ。
あっ、そういえばこの前、テレビドラマにも出たの!
……まあ、ほんの数秒しか映らないエキストラだったんだけどね。
その傍らで、ちゃんとレッスンもこなしている。本当に上手くなっているのかは……自分じゃわからないけど。
でもやっぱり、上達することは楽しい。前まで踏めなかったステップが踏めて、前まで歌えなかった音が歌えて。
思い出したら、アクセサリーについて勉強してた時もおんなじ気持ちだった気がするな。
最初は見よう見まねで、出来たのはアクセサリーに見えない、なんかよくわからないモノだったんだけど。
……いや、プロデューサーさんが最初に作ったアレよりはちゃんとしてたと思うけどね?
まあいいや、それでも今は、それなりに綺麗なアクセサリーが作れているはずだ。
なんだって同じなのかもしれないな。案外、やってみたらいい感じになるのかも!
「……現実逃避は済んだか?」
「……はっ!?」
な、なるほど、これが現実逃避なんだね。人間、本当に驚く出来事があったらこうなっちゃうんだ……!
やっぱり、アイドルになってからの日々は新しい発見ばっかりで
「はいはい! 聞こえなかったならもう一回言うぞ!?」
「うう……聞こえてるけど……ライブなんて……」
「別に裕美がメインのライブじゃない。他のアイドルの前座だよ、前座」
「そうなんだ……そ、それなら……い、いやそれでも……」
「というか、他の仕事よりライブが先でもおかしくないんだからな……? アイドルのメイン仕事だろ?」
「ま、まあ、確かに」
「それに、レッスンだって仕上がってきてるじゃないか。絶対大丈夫さ」
「……」
「……」
「うん……頑張る……!」
「よし、じゃあ詳細だが」
〜〜〜〜〜
そこから本番まではあっという間だった。
本当に、いつの間にかレッスンが増えていって、ちょっと大変な時もあったけど、ライブに向けて、精一杯頑張って。
たとえ小さなライブだって、人に見られる機会なんて今までなかったし。
自主練とか、他の娘と練習とかもたくさんして、なんとかトレーナーさんに及第点をもらえて。
気がついたらもう、衣装を着て控え室にいた。
「はい、完了です。何か鏡を見て、メイクに違和感などありますか?」
「……」
無言で首を横に振ると、メイクさんは”頑張ってくださいね”と声をかけてくれた。
メイクは凄い。まるで自分じゃないみたいだ。
……って最初は思ったんだけど。
眉間に刻まれたシワが、”あなたは関裕美その人だ”と雄弁に語っている。
どうしよう、どうしよう。
「お、準備完了だな、いいじゃないか」
き、緊張しすぎて、後ろにプロデューサーさんが来たことも気がつかなかった……
「ぷ、ぷろでゅーさー……」
「うわ、露骨」
「だ、だって」
「……うーん」
プロデューサーさんが、何か考えている。
宣材写真の時もだけど、困らせてばかりだ。本当に、ごめんなさい。
「準備お願いしまーす!」
そうこうしていると、スタッフさんが呼びに来てくれた。もう出番みたい。
「じ、じゃあ、行ってくる……」
「あ、裕美。ちょっとだけいいか?」
「へ?」
スタッフさんの呼ぶ声はもちろん、耳に入っていたはずだ。
それでも呼び止めたということは、……なんだろう?
それはちょっとだけ、渋い顔にも見えて。
「裕美は今日ーー」
〜〜〜〜〜
コンコン、と、控え室にノックの音が響く。多分、プロデューサーさんだ。
でも、返事をする気にはなれない。寝たふりでもしようかな。
……今はちょっと、会いたくないな。
そんな思いとは裏腹に、扉は開かれていた。
「なんだ、疲れて寝てるのかと思ったけど、起きてたか。挨拶回りとかで遅くなった。悪い」
「……」
「ライブお疲れ様。良かったよ」
「……当てつけ?」
「え?」
つい、キツい言葉を投げてしまった。
鏡を見なくても、自分がどんな表情をしているのがわかる。
「なんだ、穏やかじゃないな。疲れてるにしても」
「あ……ごめん」
「謝らなくていいさ」
「その……失敗……しちゃって」
失敗。
そう、失敗だ。
ステージに出たら。
お客さんを見たら。
頭が真っ白になってしまって。
気がついたら出番は終わっていた。
振り付けを何回も間違えた気がする。歌詞が何回も飛んだ気がする。
どうやってこの控え室に戻ってきたのかさえ覚えていないんだから。
「失敗?」
「そうだよ、失敗。どう見てもそうでしょ?」
「……なるほど」
少しだけ、視線を宙に漂わせた後、プロデューサーさんは私の目を見て、ゆっくりと、話を始めた。
「裕美はさ、野球って見るか?」
「え……?」
「野球。あ、知らない? ピッチャーが投げたボールを、バッターがバットを振り回して遠くまで」
「それは知ってる」
また少し、語気が強くなってしまった。バカにされているような気がして。
「俺さ、昔から野球が好きだったんだ。中学までやっててね。……ま、今じゃスイングしただけで体が悲鳴を上げるんだけどさ」
「……」
別に返事をする気にもならなかった。どうして急にそんな話をするんだろう。
「中学校の時だったかな。ある試合でさ、俺の友達が三振しちゃったんだ。確か、逆転のチャンスに。尻もちつくくらいのフルスイングだった。そしたら、トボトボとベンチに戻ってきたそいつに、監督がこんなことを言ってきた」
『振らなければフォアボールだったのに。勿体無い』
「って」
「……」
「酷い話じゃないか? そりゃ見逃せば確かにボール球だったかもしれない。でもさ、そいつのバットがもし、当たってさえいれば、ヒットとか、ツーベースとか、もしかしたらホームランになる可能性だってあったんだ。そうだろ?」
「……そう……かもね」
「そいつはさ、三振が多くって、足だって遅くって、守備も上手いわけじゃなかった。でも、すげえパワーがあったんだ。そいつが打席に立つたびに、みんなでワクワクしたのを覚えてるよ」
思い出を語るプロデューサーさんは、とっても楽しそうだ。その目はまるで少年のようにキラキラ輝いている。もしかしたら、本当に、少年時代に戻っているのかもしれないって、錯覚するくらいに。
だけど、次の言葉を絞り出すまでの、ほんの一瞬で、その目はちょっと曇って。
「でもな、その試合の後から、そいつは全然振らなくなっちゃったんだよ。いっつも見逃し三振でさ。……ま、振って怒られるのが嫌だったんだろうな」
「ふうん……」
「もうちょっとだけ、野球の話、させてくれ。悪いけど」
ほんの少し、バツが悪そうに、プロデューサーさんさんは笑った。
きっと、何か私に伝えたいことがあるのかな。
「メジャーリーグってわかるか? アメリカの野球なんだけど」
私は無言で頷く。
「実はな、メジャーは日本の野球より三振が多いんだ。”アメリカ人は振り回すから”とか”日本人は当てるのが上手い”とか、色々言われてるんだけど俺はそうは思わない。向こうは、チャレンジを責めないんだ」
「チャレンジ……?」
「ああ。これは別に、野球に限ったことじゃない。サッカーだって、バスケだって、どんなスポーツだって。結果的に失敗したとしても、挑戦したことを褒めるんだ。でも、日本は違う。……なんてひとくくりにしたら怒られちゃうかもしれないけどな」
そう言って、プロデューサーさんはまた、笑った。
「俺はさ、そのバットを振れなくなってしまった友達を見てから、ずっと、ずっと思ってたんだ。絶対に、人の挑戦を笑ってやるものか! って。ヒットを打てなかった結果を見るんじゃなくて、ヒットを打とうとしたその思いを見ようって」
「人間はさ、何かに挑む時、その中に何か武器を持ってるんだ。”パワーがあるから振ろう””PKが得意だから蹴ろう”みたいにな。アイドルに例えるなら……”ダンスが得意だから踊る””歌が好きだから歌う”って感じか。……裕美はどうだ?」
「へっ? ええっと……」
突然のパスにびっくりして、おかしな返事をしちゃった。べ、別に話を聞いてなかったわけじゃないんだけど、全然、私に武器なんて……。
「あー、いきなりじゃビックリしちゃうよな。すまんすまん」
また笑いながら、プロデューサーさんは続ける。
「武器ってのは、なにも目に見えるモノやスキルだけじゃない。”これをしてやる!”っていう意志も大切な武器だ。本番前に話したよな? 裕美は今日、何がしたかった?」
「私は……」
目を閉じて。本番前を思い出す。
プロデューサーさんは、舞台に向かう私にこう言った。
『裕美は今日、何がしたい?』
その言葉に返答はできなかった。プロデューサーさんは多分、私がミスするのを勘付いたのかもしれない。
それでも、私に、目的だけは渡してくれた。そして、舞台までの短い間で、ほんの少しだけど、見つけた。
私は踊りが上手いわけじゃない。歌も普通だ。そのうえ笑顔も全然できない。そもそも見た目だって……。
練習はたくさんやったけど、それでも本番前はとっても不安だった。
満足なパフォーマンスができるかどうか、自信なんて、全くなくって。
でも、そんな私だって。
せっかく見てくれる人がいるんだから。
「お客さんの……目を、いっぱい見ようと……思った」
「どうだった?」
「失敗しちゃった時は……ちょっと不安そうな顔の人もいたけど……でも」
「でも?」
「みんな、笑ってた。……と思う」
「もっと強く言い切っていいのに」
「う……」
「でもまあ、そういうことだろ。確かに課題は多かったよ。だけど、裕美が1番やりたかったことができたんだから。これは成功だ」
「そう……なのかな」
「もちろん。何もしなかったんだったら怒るさ。でも、チャレンジしたんだろ? いいライブだったよ」
パフォーマンス自体は失敗だったと思う。
そこは変えられない事実だし、受け止めなきゃいけない。
でも、それでもプロデューサーさんは、いいライブだったって言ってくれた。
私は……なんだろ、月並みな言葉しか出てこないんだけど、嬉しかった。
うん、嬉しかったんだ。
勝手だよね。自分でも失敗したってわかってるのに。
それでも、頑張ったことを褒めてほしくて。
そんな私の心を見透かしたのかな。やっぱりプロデューサーさんはエスパーなのかもしれないな。
次は、次こそは。
「失敗しないようにしなきゃ」
〜〜〜〜〜
挽回の機会は、思ったよりも早く訪れることになった。
「事務所合同ライブ……?」
「ああ。結構大きなライブになる。正直なところ……」
「?」
少し、言い淀んでから。
「正直なところ、このライブに出させたくて、以前のライブへの出演を早めたという都合もあったんだ。悪かった」
ああ、そうなんだ。
でも、別に怒りはしないよ? だって
「私のためを想ってくれたんでしょ?」
「……ああ、それだけは確かだ。ミスが出る可能性は高かった。だけど、いきなり合同ライブに挑ませることはしたくなかった」
「大丈夫だよ。まあ、それでもいけるって期待に応えられなかったのは残念だけど、次は大丈夫」
「……そうか」
あれ?
なんだか寂しそうな顔にも見えるんだけど。
わ、私、また何か……
「いや、自分の娘が独り立ちした時ってこんな気持ちなのかなと……」
「心配して損した」
「睨むなってば」
〜〜〜〜〜
「1.2.3.4 ここでターン……」
1人のレッスンルーム。聞こえるのは呟く声と、吐息と、シューズから放たれるキュッキュッという音。
「……ふぅ」
今日の自主練はこれくらいでいいかな。
ライブも近いし、怪我だけには気をつけなきゃね。軽くストレッチをして、荷物を片付けて。
さて、更衣室へ……って向かっていたんだけど、廊下を曲がる直前、話し声が聞こえてきた。
「そういえば関裕美ちゃん、最近よく仕事が入ってるのを見るな」
「ああ、確かに、そうですね」
わ、私の話だ……!
思わず足が止まる。盗み聞きなんてよくないとは思うんだけど、ごめんなさい……
あまり聞き覚えのない声だから、バックオフィスの人とかなのかな?
「最初見た時はどうなるかと思ったけど」
「うーん、確かに、ちょっと愛想というか、まあ、気持ちはわかりますが……」
うっ……やっぱりそう思われてたんだ……
というか入りたての時とかにこういうの聞いてたら危なかったな……
「でもまあ、最近は可愛くなったよ」
「ですね」
「愛想も良くなってるし」
て、照れるな……お世辞でも嬉しいかも。
「しっかしあの人はどこから連れてくるんだろうなあ」
あっ!
”あの人”って、プロデューサーさんのことだよね。
「というか、担当する娘が決まるまで随分時間が空きましたよね。半年くらい? まあ、その間は他のプロデューサーさん陣のマネジメントとかやってたみたいですし。事務所としては問題なかったんだろうとは思いますが」
「確かに。結構大きい事務所からの移籍だったもんな。すぐに担当決めて、一気に売っていくだろって思ったけど」
「”あの事務所から来るの!?”って話題になったのも、もはや懐かしいですね」
「ま、結果的に売り上げに貢献してるんだし、いいんじゃないか?」
「複数担当とか、あの人なら問題なくこなせそうですけど」
「ウチの事務所に慣れるためとか?」
「うーん……」
「ま、考えても仕方ないか。戻るぞ」
そう言って、声は遠ざかっていった。
プロデューサーさん、前は他の事務所だったんだ……
それで、移籍してきて最初に担当したのが私……
なんで移籍してきたんだろう? さっきの話の雰囲気だと、結構やり手というか……クビになったとかじゃなさそうだし。
というか、どうして私なんだろう。
ま、まさか、この事務所での肩慣らしとして、失敗しても問題なさそうだと思われたとか……!?
いや、もしかして、入って半年でこの事務所に愛想を尽かしたプロデューサーさんがわざとクビになるために、ダメそうな私でプロデュース失敗するつもりだった……!?
それとも、もっと有力な事務所に移籍するための踏み台……!?
ああ、ああ、なんだか不穏な想像が止まらない……
で、でも直接聞くなんて……うう……
「お、なんだ、もう自主練は上がりか?」
「わひゃう!?!?」
「うおっ!? な、なんだその奇声……!?」
「な、なんで!?」
「いや、自主練まだやってるならちょっと顔でも出すかって思っただけなんだけど……別にそんな驚くようなことじゃないだろ」
「えっ! あ、そうだねっ!」
「なんだ?」
び、びっくりして変な声出ちゃった……!
というかその後の返事もなんかテンションおかしいし!
れ、冷静に、冷静に!
「な、なんでもないよ」
「ふうん? まあ別にいいけど」
「そ、それよりどうしたの?」
「いや、だから今言ったっての。調子を見にきただけだって。どうだ?」
「だ、大丈夫大丈夫! 全然問題ないよ」
「そうか、安心だ。今回のライブは1つの契機になるかもしれないからな。気合い入れていこうな」
「契機……」
「ん?」
そんなこと、ないとは思うけど……
でもやっぱり、聞かなきゃ。
「プロデューサーさん」
「どうした?」
「ちょっと話、いい?」
〜〜〜〜〜
「ああ、確かに半年前までは別の事務所にいたよ」
意外とあっさり、プロデューサーさんは話してくれた
「そうなんだ……」
「タイミングがなかっただけで、別に隠すようなものでもないしな」
「その話、もっと聞いていい?」
「え? まあ別に……面白いものじゃないけど」
「プロデューサーさんのこと、もっと知りたいの。私、何も知らないから」
「そうか」
ちょっと嬉しそうに、プロデューサーさんは語り始めた。
「今言ったように俺は以前、別の事務所にいたんだけど、その時はタレント部門だった」
「その時からプロデューサー?」
「あー、まあ、マネージャーとプロデューサーの中間というか……それは今も変わらないか」
「……でも移籍したんだ?」
「ああ。別にクビになったわけじゃないぞ? 自慢じゃないが、俺のついたタレントは売れるって評判だったんだ。1人売れっ子にして、また次の売れっ子を生み出して、また次をって具合にな」
「すごいね……」
「サンキュ。事務所からはよく”何人か同時に見てくれー”って言われてたんだけど、それは肌に合わなくって。その代わりに、一定まで売れたらすぐに次の人をーって」
思った通り、プロデューサーさんは凄い人だったみたい。
でも……
「じゃあ、なんで辞めちゃったの? 忙しかったから?」
「いいや。もちろん忙しかったけど、それは別に苦じゃなかった。でも、ダメだったんだ」
「……ダメ?」
「……よくあることなんだ。俺が売れっ子にした後に、どんどん人気がなくなって、芸能界からフェードアウトしていくタレントをたくさん見てきた。別に後任者が悪いわけじゃない。タレントは、その時代に合わせて最適なカタチがある。それが段々、古いものになっていった。それだけなんだ」
プロデューサーさんは言葉を絞り出す。
「俺は、プロデュースとか、そういう才能はあると思う。でもな、今まで育ててきた奴らを、タレントとして一時的に幸せにできたとしても、人間として幸せにしてやることはできなかった。それが、ダメだった」
「だから……?」
「ああ、だから辞めたんだ。そして、次は、次こそは。売ることだけを目的にするんじゃなくて、担当したその人の人生を良くしてやりたいって」
「……」
「そう、思った」
プロデューサーさんは続ける。
「思えば俺は、今まで向き合っていなかったんだ。客と事務所だけを見て、タレントを道具にしてしまっていた。どうしようもない人間だったって、気がついたんだよ」
少しの沈黙。
その沈痛な面持ちは、古い傷を抉られたかのように、プロデューサーさんを蝕む。
そんな顔しないで。
ねえ。
違う……!
「はは、悪い。暗くさせちゃったか。そんなつもりはなかったんだけど」
「違う……」
「え?」
「違うよ……そんなこと……言わないで」
「……」
「プロデューサーさんは優しい人だよ。だって、だから、そうやってみんなのことを想って! 心を痛めてるんでしょ……?」
「……」
「きっとみんな、感謝してるよ。その人たちに光を浴びせたのは、間違いなくプロデューサーさんなんだよ!?」
「裕美……」
「私だって! たくさん、たくさんのものを貰って、まだ何も返せていないのに! そんな……そんな顔しないで……」
「……優しいんだな」
「……そうしてくれたのもプロデューサーさんだよ」
「ありがとう。……裕美に励まされるなんてな」
「そういうこと、もう言っちゃダメだからね」
「ああ、善処するよ。……やっぱり、裕美を担当してよかった」
「うぇ!?」
な、なに!? いきなり!
で、でも確かに、そこも聞きたいことだったっけ……怖いけど……
「ええと……な、なんで私だったの……?」
「え? うーん……なんというか、”背中を押したい!”って感じたから……みたいな」
「背中を……押したい?」
「ああ、多分、裕美のファンはそう思っている人、多いだろうな」
「……」
「”自分に自信がないんだろうな”ってのはすぐにわかったよ。だからこそ俺は、君の力になりたいと思った。客とか、事務所とか、そういうのじゃなくて、本人と向き合って。”この娘にとって、この活動がプラスになるように”って願ったんだ」
「……」
「それに、初めて会った時のこと、覚えてるか?」
懐かしむように、続ける。
「俺は”アイドルになりたいの?”って聞いたんだ。それに対して裕美はなんて言った?」
「……そんなの、覚えてないけど」
「俺は覚えてる。裕美は”私にはなれない”って言ったんだ。でも、”なりたくない”とは言わなかった」
「そう……だっけ」
「そうだ。理由なんてそれだけで十分だろ? 女の子をアイドルにすることが仕事の野郎の前に、アイドルになりたい女の子が居たんだから」
そう言って、ずっと真面目な顔で話をしていたプロデューサーさんは少し、微笑んだ。
出会ったこと自体は偶然だった。
それでも、それは意味のある、奇跡みたいな。
「プロデューサーさん」
「……」
「私、頑張るね」
「……ああ」
「じゃあ、私は帰るね」
「おう、気をつけて……あ……」
「どうかした?」
「いや、別に……まあ、伝えておくか……」
「え……何か悪いこと……?」
「違う違う。いや、俺も知らなかったんだけどこの事務所、合同ライブが終わった辺りの時期に年間表彰をするらしいんだ」
「年間表彰……?」
聞きなれない言葉に、思わずそのまま繰り返しちゃった。
「そう。納会みたいなものを、パーティー会場を貸し切ってやるらしい。そこで発表されるみたいだ」
「へえ……」
「ソロ部門、ユニット部門、楽曲部門、ライブ部門とか、その1年で活躍したアイドルに渡されるんだってさ。他にも色々あるらしいぞ」
「知らなかったな」
「でもまあ、何というか……」
「ううん、言わなくてもわかってるよ。結果より、込められた思いだもんね? もちろん、そういうのもらえたら嬉しいとは思うけど……とにかく、私にできることを精一杯、頑張るよ」
「……杞憂でよかったよ。まあ、もし取れたらラッキーくらいに思っておいてくれ。合同ライブのパフォーマンスが結構関わってくるとは聞くんだが、実際はどうなのかわからないし、変に邪念を抱くのも良くないから」
「ちなみに去年はどんな感じだったの?」
「……」
「……?」
「いや、俺、去年居ないし」
「……聞かなかったことにして」
「ええと……ら、ライブ頑張ってな!」
「や、優しさが痛い……!」
く、悔しい……けど、まあそれは置いておこう。
今日はプロデューサーさんについて、たくさん知ることができて本当によかった。
やっぱり、私は幸せ者だ。
今度は、この気持ちを、お返しできたらいいな。
そのために、ライブ……頑張ろう。
〜〜〜〜〜
「はい、終わりましたよ。鏡を見て、何かメイクに気になる部分とかなどありますか?」
「ううん、大丈夫。ありがとうございます」
「じゃ、頑張ってね。応援してるわ」
「はいっ」
自分でもびっくりするくらい、控え室にいても、心は落ち着いたままだった。
以前は返事もできなくて、シワを眺めて凹む時間だったけど、今はそんなことはない。
「あっ、プロデューサーさん」
「お疲れ。調子はどうだ?」
「うん、大丈夫だよ」
「ならよかった。……頼もしい限りだ」
「みんなの顔、ちゃんと見てくるね」
「ああ、いってらっしゃい」
「いってきます」
やり取り自体は短かった。だけど、気持ちは伝わったと思う。
ああ、ようやく、私は。
アイドルになれるのかもしれない。
〜〜〜〜〜
「プロデューサーさん!」
「おう、どうだった?」
「みんな、笑ってた!」
「……十分だ」
ライブについて、プロデューサーさんはそれ以上、何も言わなかった。
少し前の私だったら、もしかしたらちょっと拗ねちゃってたかもしれないね。
だけど、わかる。
これが私にできる、最高のライブだったって、胸を張って言える!
前のライブの帰り道は、悔しさが私の胸を締め付けていたんだ。
でも今日は違う。今、私が感じているのは、満足感と、充実感と、なによりも、次のライブへの期待感だ。
もう次のライブの話なんて、おかしいかな?
でも、やっぱり楽しみだ。次は何ができるのだろう。何が歌えるのだろう。
そして
お客さんはどんな顔をしてくれるんだろう。
〜〜〜〜〜
「お、似合ってるじゃないか。綺麗なドレスだな」
「そういうプロデューサーさんは、いつもと変わんないね」
「そりゃまぁ、男はスーツひとつあればどこにでも出れるからな」
「ずるいね」
「なら交換するか?」
「……やめとく」
「それがお互いのためだな」
なんて軽口を叩く私たちは、事務所の納会のため、会場に向かっていた。
『日頃のストレスを忘れてリラックスする場を』というのが主な目的みたい……知らなかったけど。
「わぁ……広いね……!」
「おー、流石の規模だ。おいおい、すげー料理だな……!」
「こんなに人、いたんだね……」
「わりと知らない顔もいるな……ま、始まるまで適当に喋るか」
確かに規模は大きいけど、全体的には和やかな会だったと思う。
まずは役員の人たちが代わる代わる挨拶をして、それが終わったら今期の振り返りと来期に向けた方針の発表。
なんだか難しい数値や言葉が多かったから、半分くらいしかわからなかったけど。
……ま、まぁ、こういうのは大人が理解してれば大丈夫なはずだし。
そして、年間表彰が始まった。
まずはソロ部門の優秀賞が発表され、会場がより一層の盛り上がりを見せる。
受賞したのは私の何年も先輩で、事務所内でもトップクラスのアイドルだ。
「残念、裕美じゃなかったな」
「冗談はいいから」
「つれないなぁ」
軽く話をしながら、表彰を見守る。
いつかはあの賞を……いや、それを目標にしても仕方がないよね。
その後も、次々と表彰は進んでいった。
「これ、どれくらい賞があるの?」
「知らん」
「知ら……ええ……?」
「はは、ごめんな、あんまり興味なくて」
まぁ、そっちの方がプロデューサーさんっぽい……かな?
『続きまして、新人賞の発表です』
「お、新人賞なんてあるのか!狙えるんじゃないのか?」
そう言いながら、プロデューサーさんは笑っている。
「無理だと思うけど……」
「いやいや、この前の合同ライブも結構評判がよかったって話題だし、真面目にあり得ると思うんだが」
「そ、そうなの……?」
「もちろん。俺が嘘ついたことなんてあったか?」
「……」
「いやいやいや、ここで黙るなよおい」
「ないとは思うけど……でも嘘ついてもおかしくないし……」
「ま、まだ信頼されてない……!?」
「い、いや、そういうわけじゃなくて……!」
『新人賞は……関裕美さんです』
「じゃあどういう意味な……」
「な、なんというか、信頼はしてるけ……」
「……ん?」
「……あれ?」
「……」
「……」
『関裕美さん、ご登壇とご挨拶をお願いいたします』
「……」
「……」
「「えええ!?!?!?」」
え? ええ!?
わ、私が!? えええ!?
「ぷ、ぷろでゅーさー!」
「いやぁ、やったじゃないか! ほらほら、挨拶行ってこい!」
「そ、そんないきなり!? む、無理だよ……!!!」
「わかった、じゃあアドバイスをひとつ」
「な、なに!?」
「いいか、”言いたいこと”を言ってこい。それだけだ。大丈夫、裕美ならできる」
「……う、うん」
そのまま、プロデューサーさんは私の背中をぽんっと押してくれた。
不思議だ。なんだか本当に力が湧いてくる気がするんだから。
一歩、また一歩と、舞台を目指して歩いていく。
そうすると確かに、伝えたい言葉が、伝えたい相手が次々と浮かんでくる。
舞台に立ち、マイクを前にして、まずは一礼。
さて、何から話そうかな。
「ええと……私なんかがこんなに素敵な賞をもらえて、とっても嬉しい。でも、私一人では絶対無理だった。まずは、今まで私を支えてくれたみなさんにお礼を言いたいと思います。本当に……ありがとう」
「私は、笑うことが苦手だったんだ。鏡に映る私はいつも、しかめっ面で、無愛想で、可愛くなくて」
「正直、諦めてた。テレビの中や、舞台の上で活躍するような、そんなアイドルに憧れる気持ちを」
「だけどね、諦めていたつもりだったんだけど、実は心のどこかで期待してた。いつか私だって、お姫様になれるんじゃないかって」
「そうしたらある日、本当に私の前に魔法使いが現れて。私の景色はまるで変わったの」
「プロデューサーさん。あのポスターを見ていた時、『君はアイドルになる』って私に言ってくれたよね? あの意味、ようやくわかったんだ」
「笑えるようになったら、私はアイドルになって、『私を見ている人も笑顔にできる』って。そういうことだったんだね」
「最初は信じられなかった。私なんかが誰かを笑わせるなんて、想像できなくて。いつも下を向いて、いっぱいの心配と迷惑をかけたよね」
「それでも、あなたは、私のことを信じてくれた。だから私も、あなたを信じることができた!」
「アイドルになって、世界が輝いて見えたの。でも、きっと最初から輝いてたんだよね。ファンのみんなが、支えてくれた人たちが、そして誰より、プロデューサーさんが気づかせてくれたんだ!」
「私、アイドルになってよかった!」
ああ、今なら。
今ならわかる。
私は今
笑っている。
「ありがとうございました」
言いたいことは全部、伝えたいことは全部、言葉にできたと思う。
頭を軽く下げて、右足を後ろに、左足を後ろに。
"姿勢を変えれば世界が変わる"だっけ?
正直に言っちゃうと、あの時は半信半疑だったんだ。でも、今ならよくわかるよ。
そのまま、舞台を降りて。真っすぐにプロデューサーさんを目指して。
途中、すれ違うみんなが笑いかけてくれる。この顔だって、俯いていたら見えなかったんだよね。
プロデューサーさんは、いつもと変わらない。少しの、でも、私にとってはおっきな笑顔で迎えてくれた。
でも、いつもと違うところが1つだけあって。
「……目、赤いよ?」
「……」
プロデューサーさんは何も言わない。
そのまま、私に向かって、一歩、二歩と、近づいて。
気が付くと、大きく開いたその両手が、私の後ろにあった。
プロデューサーさんは、暖かい。
「ありがとう」
少し震えた声が、耳の近くから聞こえてきた。顔は見えないけど、プロデューサーさんは、たぶん。
ポン、ポンと、私の背中を優しく叩いてくれる。
やめてよ。そんなこと言われると。そんなことされると。
私まで。
鼻をすする音が聞こえる。どっちの音なのかは、わからないけれど。
もしかしたら、私たちじゃないかもしれないし。
おかしいよね。こんな素敵な場所で、2人して泣いてるんだもん。
それを見て、みんなも泣いてるの。
素敵な笑顔って、周りもみーんな、笑顔にできるはずなのに。
みんなを泣かせちゃった。
ああ、まだまだ
私の笑顔は0点だなあ
おわり
ありがとうございました。
普段はコメディ書いてます。
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【モバマスSS】見舞え!なおかれん!
新田美波「趣味はしかく集めです!」P「死角!?」
藤居朋・本田未央・橘ありすの苦労人シャッフル逆回転
日野茜「よいお年を文香ちゃん!!!」鷺沢文香「もう明けています……」
などもよろしくお願いします
読みやすく裕美ちゃんの魅力が伝わるとても良いssでした
乙乙
関ちゃんの笑顔をみんなに
追伸
150歳の誕生日おめでとー
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