若林智香「手紙」 (18)

デレマスSSです。

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若林智香
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 拝啓。

 プロデューサーさん、ご結婚おめでとうございます。はじめて報せを受けたとき、驚きました。新婦さんは、とても素敵で可愛らしい方だとうかがっています。アタシも自分のことのように心からうれしく思います。ただ、あなたの結婚式に参加できないことだけが残念です。

 最後にあなたに感謝の手紙を送ったのは、メッセージカードみたいなもので言えばつい最近のことだったのかもしれませんし、ちゃんとした封筒に入ってるような長い手紙で言うなら、送るだけで迷惑になってしまうのかなと考えたり、ちょっと想像するだけでみるみる気恥ずかしくなってきてなかなか手紙を出せないものだから、代わりにあなたのすぐそばで「フレー、フレー……」と小声で言ってみたり、それこそあなたが仕事に出かけるたびに得意の応援で励ましてみたりで、ほんとうの目的は知らず知らずのうちにごまかしちゃってたのかもしれません。

 あなたがこれを知ったら、「たとえ手紙を書いてくれなくてもとてもうれしい。智香の感謝の気持ちは十分に伝わっているよ」なんて言ってくれるんでしょうけど、ずっと前から手紙らしい手紙をあなたに出すということがどうしてもやってみたいことのひとつだったので、アタシにとっては必ずしもそれで満足できるとは言えなかったんです。

 消えないように自分の言葉をどこかへ残しておくことが大切なんだと知る瞬間がありました。

 ささいなきっかけだったんです。この前の雑誌のインタビューで、アタシについての記事を書いていただくために、出先の喫茶スペースでライターさんと話し合っているときでした。
 アイドルになった理由とか、過去のデビュー時に抱えていた不安だったり、アイドル活動にだいぶ慣れて人気があるいま、新しく挑戦したいことや自分の最終目標など、雑談も交えながらいろいろ話していたんです。

 だいたいの質問にも落ち着きながら答えることができて、インタビューも終わりにさしかかりそうなころ、ライターさんが「感謝の気持ちは、相手の方にどうやって伝えようとしていますか?」とたずねてきました。
 そのときアタシは待ってましたとばかりに、「チアリーディングが得意なので、その経験を活かして相手の方にちゃんと伝わるようにせいいっぱい身体を使って表現しようとしています!」と身を乗り出しながら答えてたのをよく覚えています。

 ライターさんは腑に落ちた様子で、「たしかに、若林さんは自分の気持ちを身体で表現するのが上手だと思います。この前のライブでも、そう感じましたから」と笑顔で言ってくれたので、アタシは乗り出した身体をきまり悪く引っ込めながら、なんとなく照れくさいような、ほっとしたような気持ちになりました。

 正直に言うと、とてもうれしかったんです。身体で表現してるといっても、それがうまく伝わっていなかったらどうしようとか、もしかしたら、伝わってると思ってるのはアタシだけなのかもしれないという気持ちが、ふとしたときに出ちゃうときがあるんです。

 そんなときには「パンチアーップ!」って、いつもなら自分にエールを送れば平気になるんですけど、それでも弱気になっちゃうときもあったから、あなたがアタシのダンスレッスンにつきあってもらってるときに、「智香の歌声とダンスには、ひとの心を動かす力がある」と言ってくれたり、アタシのエールとダンスでファンのみんながとてもうれしそうな顔を見せてくれると、ああ、アタシの気持ちが、エールが、ちゃんと届けたいひとたちに伝わっているんだなあって、そう思えてくるんです。

  自分の気持ちがひとに伝わるのは、あたりまえに感じるようで、実はすごく難しいことなんだって、最近考えるようになりました。きっとそれは、アタシが本格的にお芝居の演技にも挑戦しているからこそあらためて気づけたことでもあるんです。
 アタシ、声が大きくてよく通るって、演者さんたちのあいだで評判なんです。これも、アタシがチアをやっていたおかげですよね。いままで自分が経験したことが、ほかのことにも活かせるようになるって、とても素敵なことだと思います。

 苦手だったかなしい表情も、いまでは自然にできるようになりました。舞台の上で演技の練習をしていると、あなたと一緒にやったレッスンで、明るい表情しかできなかった昔のころを思い出します。
 夜、鏡の前であれこれ考えながら、口をへの字に曲げてもぜんぜんうまくいかなくて悩んでいたはずだったのに、いつの日か「智香、そんなにかなしい顔をしてどうしたんだ?」とあなたに言われてから、いままでできなかったかなしい表情が、しばらくたってからなんでもないようにできるようになったんです。

 あのとき、ほんとうはアタシにかなしい気持ちなんてぜんぜんなかったんです。ただちょっと、いつものレッスンが終わったばかりで疲れていたから、近くの休憩所でひと息つきながら、いろいろなことを考えていただけなんです。

 なんでもないことばかりでした。次に出るライブの日まではどれくらいあるんだろうとか、それまでにアタシはどれくらい成長しているんだろうとか、今日はボイスレッスンでうまく音程をとれなかったから、また明日がんばってみようとか、これからもあなたと一緒に、たくさんのひとをアタシの応援で勇気づけられたらいいな、とか。
 ふとしたことを、思いつくまま考えていました。ちょうどそのときに、あなたが声をかけてくれたんだと思います。

 でも、なんだかとても不思議です。どうしてあれから、アタシはかなしい演技ができるようになったんでしょうか? 昔とは違って、演技をしようと思ってるあいだは、不思議と自分の気持ちが顔に出なくなりました。ほんとうはうれしい気持ちでも、かなしい表情ができるようになったんです。
 しばらく理由を考えてみても、やっぱりアタシにはよくわからなくて、べつにそれでもいいかなって思ってたんですけど、ちょっとしたときに、この疑問が頭に浮かんでくることがあるんです。

 プロデューサーさん、あのときのアタシは、ほんとうにそんな表情をしていたんですか? いまでも、ちょっぴり信じられないです。ときどき、あなたはアタシの秘密を見抜いているように思えてくることがあります。アタシの知らない、アタシ自身の秘密です。
 アタシの知らない自分自身を、あなたのおかげでたくさん知ることができました。でも、これを言うと、あなたは決まって否定するような反応を見せます。「そんなことはない。それはもとから、智香が全部持っていたものだ」というのが、嫌がるあなたの口ぐせでした。

 アタシはそれがとても意外に思えました。だれかに自分のおかげだと言われると、アタシはうれしくなります。元気が湧いてきて、またこれからもがんばろうという気持ちが出てきます。ちゃんとそのひとの力になれたってことが、アタシに自信をあたえてくれます。
 でも、あなたはアタシよりずっとひとのために生きているのに、それを褒められるのはとても嫌がります。たぶん、こう言われるのも嫌なんでしょうね。ごめんなさい。
 それでも、あなたに感謝しているひとがほんとうはいるのに、それを否定するのは、ちょっと言いすぎですよ。言いすぎです。アイドルであるいまのアタシがあるのは、プロデューサーであるあなたのおかげなんですから。

 アタシ、実は気づいてるんですよ? いつかあなたと営業のあいさつをしていたころ、ちょうど一緒に頭を下げるときに、あなたの靴がだいぶすり減っていたり、事務所がいつもきれいになっているのは、あなたが見えないところで掃除をしているおかげだったり、アタシが大失敗をしてしまったときは、必ずその影であなたが一生懸命動いてくれていたり、見ず知らずのひとでも、困っていたらすぐに助けてくれるあなたのことを、アタシは知っているんです。

 すみません、インタビューについてのお話だったはずなのに、いつのまにか大きく脱線しちゃいましたね。たぶん、長い手紙を書くのに慣れてないからなんだと思います。ええと、お話はアタシがライターさんに質問を受けたところまで戻ります。

 それで、次にライターさんがこう質問してきたんです。「では、感謝の気持ちをだれかに手紙で伝えたことがりますか?」って。そこでアタシ、言葉に詰まっちゃったんです。
 だって、それまでのアタシのなかに手紙という言葉なんてなかったし、送るひとというのも限られてきますから、いきなりそんな質問をぶつけられてしどろもどろになっちゃって、結局は「手紙だと、あまりそういうのはありませんね……」なんて、あいまいな返事で答えちゃいました。

 でも、インタビューが終わったあとにライターさんが「若林さん、よかったらこれをチャンスに、どなたかに手紙を送ってみたらどうですか? きっと相手の方もよろこんでくれますよ」と提案してくれたんです。
 だからアタシ、あなたに手紙を送ろうとそのとき思ったんです。いままでの感謝の気持ちとこれからの応援を込めて、あなたにちゃんと伝えられるように。

 いままでを振り返ってみれば、手紙を書こう書こうと気づくチャンスは最初からあったんです。だけど、アタシはそれに気づけませんでした。アタシ、頭よりも先に身体が勝手に動いちゃって、全部終わってから、もしかしたらあのときこうすればよかったのかな、みたいに思うことが少なくないから、それで大切なことも見逃してるのかなって考えるときがあるんです。
 でもあなたは、「そんなことはない。もしそうなら、智香が見逃しても俺は見逃さない。智香に気づかせるのが、俺の役目だから」と言ってくれたから、その言葉をいま思い出しています。

 あなたによれば、アタシは頭よりも先に身体が動くんじゃなくて、自分の身体そのもので物事を考えているらしいです。アタシの考えが血液のようにアタシの全身に流れているから、アタシの応援は思考を超えて、ひとの身体に直接伝わるんだそうです。
 はじめて聞いたときにはあまりピンときませんでしたが、いまになってなんとなく理解できたような気がします。自分がこうだと思ったら、すぐに身体が働こうとします。逆に身体が働かなかったら、なんでもうまくいかないのがほとんどです。
 たぶんそれは、あなたの言う通り、アタシの身体とふだんの考えが、どこか深いところでつながり合っているんだと思います。

 手紙を書こうとペンをとっても、できないことのほうが多くて、うんうん悩んでいたこともありました。言葉を選びながらあなたへ伝えたいことを考えていると、言うことと書くことは、まったくべつのように思えてきます。
 伝えたいことは、たくさんあったような気もするし、ありきたりの言葉が少しだけだったような気もします。
 言いたいことはたったのひとことで言えるのかもしれなくて、だからといって、ありがとうって言うだけじゃぜんぜん物足りない、そんな感じがしています。

 だから、この手紙にはアタシが特別伝えたいことを書くのではなくて、あなたについてふだん思っていることを書くようになるべく心がけました。すると、いままで納得いかなくてくしゃくしゃに丸めた手紙の枚数とはべつに、そのときだけはすらすらと書きつづけられたんです。
 夕方と夜のあわいに書きはじめて、気づいたときにはもう深夜になっていました。書き終わったあとに自分の手紙を読み返してみると、誤字がひとつもないことに気づきました。
 それから、そばにあった封筒を確認して、さっきの手紙を慎重に入れました。そのあと淹れてきたココアを少しずつ口につけていると、ようやくアタシは、自分の書きたいことを書けたんだと思いました。

 智香はまぶしいと、あなたが言ってくれたことがありました。まじりけのない、透き通った身体と気持ちでひとを応援してくれる。自分も智香みたいに、だれかのために何かをしようと思っていたころがあった。
 けれど、ひとを助けたり、裏切られたりするたびに、自分がやりたいからしているのか、他人に利用されるために自分を犠牲にしているのか、自分に酔いたいからしているのか、だんだんわからなくなってきて、自分が信じられなくなって、ひとを疑いはじめて、関係ないひとを傷つけて、同じくらい自分を傷つけて、そんな自分が嫌いになって、やめた。
 だから、羨ましい。自分はどうしても、そんなふうにはなれなかった。けれど、もうずっと前に諦めたはずなのに、いまでもそれにしがみついている。それがとても、情けなくて、恥ずかしい。

 そんなこと、ありませんよ。アタシだって、アイドルの前にひとりの人間です。褒められたら、うれしくて舞い上がっちゃうことだってあるし、ひとに言えないような恥ずかしい下心もあります。それに、自分の思っていることだけがほんとうだとは限りません。
 アタシだけじゃなくて、あなただってそうです。アタシは、あなた自身が言っているような悪いだけのひとじゃないことを知っています。それはきっと、あなたの知らない、あなた自身の秘密です。秘密は、いずれ打ち明けられるものだと思っています。
 アタシは、この手紙であなたに秘密を打ち明けています。お互いが、お互いの秘密を分かち合って、自分自身をきちんと理解できるって、信じていますから。

 たぶん、アタシはあなたに憧れていたんです。いえ、アタシはずっと憧れていました。あなたは知らないと言うだろうけど、あなたはアタシよりもがんばるひとのためにがんばっていたんです。
 アタシと一緒に友達のチアの大会に行ったときのこと、覚えていますか? 会場の最前列で、あなたはだれよりも大きな声で友達のチームを応援してくれました。
 帰りの電車ではもうあなたの声はガラガラになっていて、かすれた声を交えて身ぶり手ぶりで話そうとするあなたとの会話は、心配でもあったけれど、なんだか新鮮で、たのしくて、それに、とても素敵だったんです。

 素直じゃないけれど、ひとのために全力をつくせる、そんなプロデューサーさんなら、愛するひとをだれよりも幸せにできると思います。長々と書いてしまいましたが、お互いを励まし合えるような、温かい家庭を築き上げることを心から願っています。おふたりの幸せをお祈り申し上げます。




 ごめんなさい、プロデューサーさん。アタシ、嘘をついてました。あなたに、はじめて嘘をつきました。いいえ、ほんとうは、ずっと隠していたんです。好きだったんです、あなたのことが。初恋でした。でも、失恋しちゃいました、アタシ。
 もしかして、気づいてましたか? って、もう遅すぎますよね。忘れてください。はじめての嘘も、ほんとうの気持ちも、最後まで直接言えなかった卑怯なアタシをゆるしてください。

 アタシ、もっと考えなければいけなかったんです。都合のいいことばかり目を向けて、ほんとうは臆病だから、傷つきたくないから、肝心なことには見て見ぬふりをして、自分をごまかしながら笑っているふりをして、言葉は交わさずとも幸せがあると信じ込んでいて、思い出に浸っているばかりで、結局、全部終わってから間違いだとわかりました。

 アタシは子どもで、プロデューサーさんは大人で、考えてみれば、あなたが振り向かないってことぐらい、わかっていたはずなのに。振り向いちゃ、いけなかったんですよね。だって、アタシはアイドルで、あなたはプロデューサーなんですから。
 ファンのみんなを裏切らない生き方は、どちらにとっても、正しかったんです。振り向かないで、前だけを見ているのが、きっと正解なんです。

 あなたは、裏切りに敏感でした。無自覚にだれかを裏切ってしまうのが怖いから、わざと自分が悪いようにごまかしてるんですよね。アタシがあなたを好きってことぐらい、ほんとうは気づいてたんだと思ってます。
 もしも気に病んでるなら、そんな考えは忘れてください。だって、恋に落ちたぐらいで、失恋したぐらいで、ひとは死にませんから。自分の思い込みで、死ぬだけです。
 アタシはもう、自分に覚めました。だから、心配はいらないです。

 ときどき、自分がわからなくなることがありました。だれかを夢中で応援しているときにふと、それは自分のためにしているのか、相手のためにしているのか、迷うときがあるんです。どうしてかはわからないですけど、不安になります。微熱に浮かされたみたいに、考えがぼやけます。
 いま思えば、あなたが抱えているものと、似ていた気がするんです。あなたがいつもアタシを気にかけてくれたのは、アタシが自分の考えでがんじがらめになって、自分自身を嫌いになってほしくないからだったんでしょうか。
 あなたとアタシは、お互いから自分をたしかめ合えるほど、似ていたんでしょうか。

 いいえ、違います。違いますよね。似ているだなんて、それこそアタシの勝手な思い込みです。あまりにも勝手すぎて、嫌になります。アタシは、あなたがアタシと似ていたから好きになったんじゃなくて、あなたがあなただから好きになったって、そう言えるようになりたかったんです。
 でもアタシは、告白する勇気がなかったから、アタシのなかの卑怯な自分をあなたに忍び込ませて、あなたと一緒にいるとき、あなたと笑い合ったとき、あなたに助けてもらったとき、何も努力していないくせにアタシの全部が認められているんだと勘違いして、違う人間どうしなのにそばにいるから勝手に似ていると決めつけて、アタシのよけいなところまで押しつけようとして、あなたが好きなくせにあなたとまっすぐ向き合えなくて、アタシが知っているからあなたも知っているんだと思い込んで、ずっと、ずっと、ずっと、自分のことばかりで、あなたのことなんて、何も見ていませんでした。

 「自分自身を慎重にあつかうタイミングを見失えば、何かを見落としつづけながら生きていくのかもしれない」と、あなたがためらいながら話していた意味を、アタシはわかっていなかったんです。
 自分のことばかり考えている人間はもちろん、ひとのことばかり考えすぎていてもそれはほんとうの意味でひとのためにはならない。だから、難しいけれどいろいろなことをひとつずつ考えていきながら行動するしかない。
 そう言うあなたの目は、とても真剣でしたけれど、どこか遠いところを見つめているようでした。

 あなたの言う通りでした。いいかげんに自分をあつかっていたアタシは、アタシ自身を見落としていたんです。アタシはあなたの言葉だけじゃなくて、あなたの表情の理由まで考えるべきでした。
 あなたがためらっていたのは、自分の考えを、もしかしたら思い込みを、アタシに押しつけてしまうのが怖かったからじゃないんでしょうか。アタシは、あなたの言葉が間違っているとも、押しつけがましいとも思っていないから、大丈夫ですよ。
 でも、正直に言えば、アタシにはその言葉が必要なかったとも考えているんです。

 必要だったのはひたむきさだったんです。「ひたむきさが大切だ」って、あなたも言っていましたよね。アタシもそう思います。ひたむきで、心からの、純粋な気持ちがだれかを応援するうえで大切なんだって。
 応援するのも、されるのも好きで、だれかによろこんでほしくて、それで自分もうれしくなりたくて、もっとみんなの笑顔が見たくて、アイドルになるためにあなたのところまで押しかけて、そこに迷いなんてぜんぜんなくて、アタシはアタシのわがままな無自覚さをひたむきに信じていられる、ほんとうはそんなアタシでよかったんです。

 もともと、自分の期待に裏切られるのが怖くないことに気づいたんです。だってアタシは、まだまだやりたいことがあって、立ち止まってばかりじゃいられなくて、応援するみんなと気持ちを分かち合いたくて、アイドルになってここにいるんですから。
 いま思えば、あなたが智香と呼んでくれるだけで、アタシは幸せでした。あなたがどこか遠い場所に行っても、アタシは変わらず応援をつづけようと思います。それがきっと、あなたにとっても、アタシにとっても、大切なんですよね。

 アタシはあなたじゃないから、あなたの言葉の意味がわかっても、あなたの言葉の重みまではわかりません。わからないから、もっと知りたいから、あなたの過去まで想像してしまいます。たぶんその言葉は、あなたのよろこびからではなく、苦しみから生まれたものだと思います。
 いつのまにか、アタシはその言葉の理解よりもまず、アタシの想像するあなた自身の気持ちに身を寄せていることに気づきます。でも、それじゃだめなんですよね。あなたは、言葉の裏に隠れたあなた自身の重みをアタシに背負わせたかったわけじゃなくて、自分の真剣な言葉だけを伝えたかったはずです。
 もちろん、これもアタシの想像です。それでも、アタシは信じているんです。失恋したいまなら、信じられるんです。

 ごめんなさい。アタシはずるいから、あなたに何もかも伝えようとしています。ほんとうは、あなたのことがまだ忘れられません。ほんとうは、あなたのそばにいるひとがとても羨ましい。ほんとうは、あなたに好きと言ってもらいたかった。
 アタシは、あなたを縛りつけようとしています。アタシがあなたを好きだから、あなたにアタシを好きになってもらいたくて、いまさらその話を持ち出して、自分が後悔しているから、あなたにも後悔してもらいたくて、気持ちだけでもつながりを求めようとしています。あなたを不幸にしようとしているんです。
 アタシ、最低ですよね。だからもう、アタシを信じないでください。早くアタシを嫌いになってください。アタシのすべてを否定してください。お願いだから!

 心のなかで、これがあなたの言うまじりけのないアタシだと叫ぶ自分がいます。アタシは、そんなアタシを信じたくないです。あなたを不幸にするアタシを考えたくないです。あなたと一緒にいれたらどんなに幸せか、絵空事ばかり思い浮かべてしまうアタシを認めたくないです。
 苦しみきれない自分が嫌です。かなしみのどこかで、小さな救いを求めている自分にうんざりします。アタシは求めたくないんじゃなくて、分かち合いたいんです。アタシは、何も奪いたくないんです。だれかの大切なものを無自覚に奪おうとする自分が怖いです。
 プロデューサーさんも、こんな苦しみを味わったんですか。恋って、こんなにつらくて苦しいものなんですか。

 立場なんか気にしないで、もっと素直に気持ちを伝えられたなら、いまよりずっと何かが変わっていたのかな。いいえ、やっぱり何も変わりませんよね。変わらないです。むしろ、あなたによけいな迷惑をかけなくてよかったと思っています。嘘じゃないですよ。ほんとうです。でも、ひとりは寂しいです。どうして、アタシに何も言わずに行ってしまったんですか。違う、ほんとうはわかっているんです。アタシを安心させたかったからですよね。大きなライブが終わって、いつ見てもあのキラキラした景色はとても素敵で、輝くアタシのことをファンのみんなとあなたが見ていてくれて、アタシはもっともっとアイドルをがんばれますって伝えたくて、帰り道にそう言ったら、あなたは「いつもありがとう」とアタシの頭を撫でてくれてからしばらく黙って、「智香。俺、結婚したんだ」と言ってくれました。

 アタシはどうすればいいかわからなくて、反射的に「おめでとうございますっ!」って言ってしまって、あなたと別れた直後に、ふいにどこへでもいいから走りたくなって、アタシはわけもわからず走って、走って、走って、とつぜん立ち止まったあとに涙が出てきて、ぜんぜん涙は止まらなくて、アタシはようやく、あなたが結婚したことを知りました。あなたが好きだったんです。だけど、あなたはアタシを好きになる必要なんてありません。ごめんなさい、何言ってるかわかんないですよね。だから、アタシの言うことに気をつけてください。信じないでください。騙されないでください。

 ほんとうは、気づいてるんです。アタシがかなしい演技ができるようになったのは、自分の気持が顔に出なくなったのは、あなたへの恋心を隠しつづけて、ずっと自分をさらけ出さずに演技してきたからなんだって。なんだか、笑っちゃいますよね。いまのアタシと話したら、きっとあなたはアタシの演技でびっくりしちゃうと思います。
 次の舞台、よかったら見にきてくださいね。でも、アタシには会わないでください。アタシはもう、あなたがいなくても平気です。あなたの手でアタシを救う必要なんてないんです。それよりも、いちばんそばにいるひとの手を握ってあげてください。
 アタシはアタシで、自分の幸せを探しにいきます。でも、それでも、ひとつだけ訊きたいことがあるんです。

 プロデューサーさん、アタシは、あなたのなかで、特別な女の子になれていましたか? もしも知ることができたなら、やっぱり、アタシはうれしく思ってしまいます。
 アタシは、あなたのことが好きでした。あなたとの思い出を忘れるには、まだまだ時間がかかりそうです。でも、もう思い出さないようにします。アタシのかなしみの代わりに、どうか幸せになってください。あなたのよろこびが、アタシのよろこびです。

 あなたのアイドル、若林智香より。

終わりです。

夏目漱石テイスト?

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