鷹富士茄子「幸運メーター」 (27)
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昔から、色んな人に「運がいいね」と言われてきた。
それは単純な尊敬だったり、羨望からくる皮肉だったり。
しかし発言の意図がどうであれ、私は運がいい、ということは揺るがない事実だった。
商店街のくじを引けば一等の温泉旅行が当たり。
おみくじは引けば大吉で。
遊園地に遊びに行けば、自分が百万人目の来場者になり。
適当に塗ったマークシートが全問正解になる。
とても恵まれていると思うけれど、これまでの煩わしい嫉妬を考えると、あっけらかんと済ますことは出来ない。
手に余る幸運を他の人にも分けられたら、良かったのかもしれない。妬まれてしまうのも、自分自身ばっかりが得をしているからなのだろう。
幸運を人に与える、という思考の時点で、なんだか驕り高ぶる億万長者のようで嫌になる。
最近はアイドルとして人と触れ合うことで、幸運を多くの人に分けようと奮闘しているものの、かけだしの身では立てる舞台が少ない。生まれつきの運は、まだアイドル活動に作用していないようだ。
どうすれば、みんなが幸せになれるのか。
そんなことをつらつらと考えていた矢先のことだった。
人の幸運が見えるようになった。
46。
母親の頭上に、数字がふわふわ浮いていた。数字の向こう側が透けて見えるが、目を凝らさなくても読み取れる。
朝特有の寝ぼけた頭には、怪現象の処理は難しかった。最先端の温度計による賜物か、それなら熱があるのかな、そうは見えなかったな。お母さん何付けてるんだろう、と開ききらない目をこすりながら洗面所へ向かう。
薬品臭い冷水を顔全体に染み渡らせる。顔を上げて鏡を見ると、私の頭上にも母と同じような数字が。
「えっ!?」
つい、素っ頓狂な声を上げてしまう。水の刺激で冴えた頭は、ようやく異常を認知し始めたらしい。私に与えられた数字は「100」だ。母より大きい値であることだけは分かる。しかしそのことが良いことなのか、高ければ強いのか。
「茄子―、どうしたー?」
「い、いやなんでもない」
私を心配する母の声に、慌てて返す。例の黒い奴が出たと騒ぐことも考えたが、それで母がこちらに来られても混乱を広げるだけだと、下手なごまかしはせず黙ることにした。沈黙は金。
その目論見は成功したようで、母はそれ以上何も言ってこなかった。
一息ついてから、改めて頭上の数字を睨む。もしこれが体温なら、今頃私の血液は沸騰して息絶えてしまっているに違いない。
では何か。首をひねっても頭を回しても、これだという解が出てこない。
少し肩がほぐれた。ふと、洗面台の端に何かが光っているのが目に入った。手に取ってみると、それはありふれた指輪だった。
一旦謎の数字のことは頭の片隅において、指輪を片手に居間に戻る。
「お母さん、これ見覚えないですか?」
そう言って指輪を机に置くと、母はあっ、と手で口を覆いながら、短く声を上げた。
「これ!!朝から探してたのよ~」
聞けば結婚指輪だったらしい。あなたの強運には助けられてるわ、と母は上機嫌に言った。それなら良かったと思う傍ら、この数値の正体に関して一つ仮説が生まれた。
曰く、この数値は人の幸運度を示しているのではないか、と。
幸運度という尺度は聞いたことがないし、人間の平均幸運度が存在しているのかも知らないが、自分が一番、数値が高くなるもの、と考えればそれが妥当な気がした。
しかし、それが見えたところでなんだというのだろう。自分より低い他人の幸福度を盗み見て、優越感に浸るだけというのは、あまりにも悪趣味だ。
私はそんなもやもやを抱えつつ、家を出た。今日は仕事もレッスンもなく、大学へ向かう日。
数値については、あまり考えないことにする。変なリアクションをとって怪しまれるのも面倒だ。
街中に浮かぶ謎の数値は、やはり慣れず目がちかちかする。一日過ごした率直な感想だ。
色々考えて分かったこと。おそらくこの数値は、100が一番大きい。私以外に100の数字を持つ人は、あえて通った人通りの多い道でも見なかった。最高は97。「97」を持つサラリーマン風の男は人ごみに似合わないスキップで通りを駆けていった。見ているだけで幸せな気分になれそうだった。
逆に14が最低値で、電車で自らの髪を自動ドアに挟んでしまった女性の頭上にそれがあった。
「私、ほんとついてない」
彼女が青白い顔でそう言うから、この数値が人の幸運を表しているのだという仮説が、余計に現実味を帯びた。
改めて頭上の数字を鏡で確認する。そこには、前より少し得意げそうな「100」の数字が浮かんでいた。一日程度私の上を支配していただけなのに、中々生意気である。
ぶんぶんと頭をふってみても、当然飛んでいかず、一緒になって動くだけ。
そこはかとなく不安を抱えつつも、今のところ害があるわけではない。大人しく階下から漂う料理の香りに誘われることにした。
同じ食卓につく両親の数字を確認する。母は変わらず「46」、父は「45」。多くの数字を見てきた感じでは、45くらいが平均だ。私の親は平均ジャストだ。なんとなくそれがお似合いだと思う。良くも、悪くも。
寝る前に、もう一度自分の姿を確認する。相も変わらず、鏡に映る「100」。これが0になったら、どうなってしまうのだろうか。見えてしまったからこそ、浮かんでくる恐怖。
しかし今からそれを気にしてもどうしようもない。私はいつものように布団を被った。寝付けないかな、と思っていた私を強烈な眠気が覆う。自然と瞼が閉じ、眼前には闇が際限なく広っていく。
寝てる間に、いっそ数字が消えていればただの不思議な一日になるのにな、と微睡む意識の中で静かに祈った。
しかし、いくら私が幸運極振りのステータスを持っていたとしても、その数字が消えることはなかった。
冷水が沁みる肌をタオルで撫でながら、頭上の数字を睨みつける。数は「100」のまま。とりあえず一日置きに数値が下がっていた、ということがないのは安心ではある。しかし、この数値の明確な正体が掴めないまま生活していくのは、なんとも収まりが悪い。まるでサイズの一回り大きい服を着ているようだ。
こんがりと焼けたパンを齧りながら母を見る。頭の上には変わらず「46」が当たり前のように居座っている。人によって、数値はほぼ固定なのかもしれない。そう考えると、昨晩の心配も杞憂に終わってくれそうだ。少しだけ、胸のつっかえが和らいだ。
今日はレッスンの日だ。満員電車の中では、数字同士が重なり合い、解読不明の暗号のような有様だった。情報過多による目の奥からの痛みに耐えながら、事務所に着く。明日からは、目薬を常備した方がいいだろうか、と思案していると、前からちひろさんが歩いてきた。
「茄子さん、おはようございます」
ちひろさんはこの通りどんな人にも丁寧に接していて、優しく、仕事熱心な方だ。私もお辞儀をして、おはようございます、と返す。
ついでに、ちら、とちひろさんの頭上を見る。
彼女の数値は67だった。なかなかの強運。
「ちひろさん、今日はツイてますね」
私がそう言うと、彼女は笑顔を崩さないまま、
「え、ほんとですか?茄子さんに言われると私信じちゃいますよ?」
と、いじわるっぽく返してきた。
「ええ、ほんとうですよ」
「なら何か懸賞でも出してみますね」
そう言ってちひろさんは仕事場に向かった。利用しているようで気が引けるが、これで懸賞が当たれば、この数値が幸運を表していることの証左の一つになるだろう。
しかし当たればちひろさんだって嬉しいし、win‐winの関係と言える。誰も損していないし、むしろ他人の幸運が見えているなら、それを教えるのは良いことではないだろうか?人のためになるなら、悪いことではない。私は数字が見えるようになってから、初めてこのことに感謝した。
レッスンを終えて帰宅してから携帯を見ると、ちひろさんから連絡がきていた。こんなことは普通あり得ないことだ。期待しながら、その通知に目を通す。
『あのあと結局我慢できなくてナン○―ズ引いたら28000円当たっちゃいました!!!茄子さんありがとうございます!!!!!!!!!』
!マークの数が興奮を物語っている。ちひろさんの満面の笑みが、脳内に浮かぶ。
これで、数字が幸運を表していることは、ほぼ確定した。正体不明の物がそうでなくなると、恐怖心も和らぐ。
夜、歯を磨きながら頭上の数字を確認する。数字は100のまんまで、ここまで変化がないとなんとなく秘密のペットを飼っている気分になる。「100」の0のまるみにも、愛着が湧いてくる。指先でつついてみようとすると、指はスーッと透明な数字をすり抜けて、何の感触も伝わらなかった。この不思議な数字が私に何をもたらしていくのか、胸が高鳴ってなかなか寝付けなかった。
こんな夜は久しぶりだった。
おはよう、と数字に声をかけるくらいには、この状態にも慣れてきた。変わらない親の幸運度も確認して、家を出る。今日も事務所でレッスンだ。友紀ちゃんと美世ちゃんとのレッスンは、三人で出演するライブが控えているのもあって熱が入る。
しかし、レッスンルームに着いた私を迎えたのは、
「ふえ~ん、どうしよ……」
「15」を頭に乗せた友紀だった。
青い顔をした彼女は、鞄をひっくり返して中の小物を全て出してから、鞄の中を覗きこみ、散らかった小物を一つずつ持ち上げて鞄にしまい、それをまた床にぶちまけていた。とてつもなく彼女が混乱していることは確かだ。
「だ、大丈夫ですか……?」
「大丈夫じゃないよ~!助けて茄子ちゃん……」
友紀はそう言って、雨に濡れた子猫のような目で私を見つめる。
「ど、どうしたの?」
「財布なくしちゃった……」
なるほど、彼女の身の上に与えられた幸運度に見合った出来事が起こっているようだ。
しかし、今の私にはこの不幸の原因が分かるだけで、それを解決することは出来ない。私の持つ幸運の力も、財布を友紀のバックに戻すことは不可能だ。
……自分の幸運を、分けてあげられたらなぁ。
自分は運がいいと自覚してから、何回も何回も抱いた願い。しかし、叶うことの無かった願い。人の幸運が見えるようになっても、こればっかりは叶わなかった。せめて気持ちだけでも、友紀を慰めよう、友紀に自分の幸福が少しでも移るようにと彼女の肩に触れた瞬間。
「15」が「16」に、「17」に、カシャン、カシャンと数値が上がっていく。
「えっ!?」 これまで見たことがない数値の上昇に、思わず私は短い悲鳴とともにしりもちをついた。
「ど、どうしたの?」 心配そうに眼を向けながら友紀が駆け寄ってくる。
「もしかして、あたしが運悪すぎてびっくりして、そのせいで……」
珍しく友紀がネガティブになってしまっている。財布を無くしたという事実に中々耐えかねているようだ。
「そ、そうじゃないよ」
肩を落とす彼女を慰めつつ、もう一度肩に触れる。さっきの現象が見間違いでないことを、確かめるために。しかし、数値は「17」から上がらない。一体、何が原因だったのか分からないまま、上がれ、上がれと念じてみる。
「茄子ちゃん、そんな長く触られると……」
少し熱のこもった声色に気づき友紀を見ると、その顔はほんのりと、桃のように赤く染まっていた。それからやっと、私が10秒以上も彼女の肩を触っていたことを知った。無我夢中に念じていたばっかりに、時間の感覚を司るネジがすっぽりと落ちてしまっていたようだ。
「ああっ、ご、ごめん!」
慌てて手を放す。頬を上気させたままの彼女の、頭の上。一番大事な数字に、視線をやると、「57」まで変化していた。10秒間で、40程度の上昇。
これで、不可解な現象の説明がつき始めた。送る対象へ幸運を送るという念、思いこそが相手に幸運を送る一つの契機となること。そして。
私は、そばにあった姿鏡で自分の数字を確認する。
「100」はなくなり、代わりに「58」という、見慣れない新参者が宙に浮いていた。
予感が確信に変わり、そして、喜びに。
至極単純な、小学生低学年で習う計算だ。「100」から「42」を引けば「58」が導かれる。
一方、姫川。「15」足す「42」。当然、答えは「57」、だ。
つまり、私が持っていた幸運を、人に譲ることが出来たのだ。
長年の夢が、叶った!
人が際限ない飛行を夢見、純粋な幼児がヒーローへ憧れるように。叶うはずのなかった、願い。
ありがちな怪しい露天商から雰囲気のあるネックレスを常識外の値段で買ったわけでもなく、空から落ちてきた謎の生命体を助けたわけでもない。
それでも、叶った!今すぐ両手を広げ、天を仰ぎたい気分だ。実際にはしないが、おそらく表情は緩んでしまっているだろう。
「えーと……なんでこんなにあたしは触られていたのかな?」
脳内で拍手喝采に包まれたまま、私はその問いに、
「私の幸運を分けてあげたんだよ!」
と、自信満々に返した。
「えっ、ほんと?それなら嬉しいなぁ」
友紀がそう返した瞬間、彼女のスマホが震え出した。ちょっとごめんね、と申し訳なさそうに廊下へ出ていく。
磨りガラスの向こうで動くシルエットを眺めながら、私は微かな希望を抱いていた。
この電話が、友紀にとっての良い知らせになるかもしれない、と。具体的に言えば、彼女の財布が見つかるかもしれない、そんな予感だった。幸運を他人へ分けることが出来てしまったが故に、自惚れているだけなのかもしれない。それでも、人生で事あるごとに望んできたことが突然叶ったのだ。心臓が高鳴らない方がおかしい。
「えっ、本当ですか!!?」
そして、友紀の嬉しそうな声色で、少しづつ期待が確信に傾いていく。
彼女のシルエットがスマホを下ろす。通話が終わったようだ。
そしてそのまま勢いよくレッスンルームの扉を開き、
「財布、見つかったって~!!」
満面の笑みとともに告げられる、事実。それはそのまま、幸運の譲渡が成功していることを示していた。
嬉しさが、溢れてくる。友紀に抱きつかれて、二人で下手くそなバレエダンサーのようにふらふらしながら、抱擁を交わす。
「茄子ちゃん、ほんとうにありがとうね」
友紀の、感謝の言葉が感激の雷となって全身に広がる。
これが、ずっと望んでいた言葉で、ずっと望んでいたシーンだった。とうとう自分の幸運が、他人の役に立つ機会が生まれた。
「本当に、良かったね」
私はそれだけ返した。友紀に、そして自分に。
いや~ほんと助かったよ!」私から離れた友紀が、今度はペコペコと頭を下げ始める。そこまでしなくても~、と彼女を止めようとしているところに、
「相変わらず仲良いね二人は」
原田美世が、部屋に入ってきた。
「私は美世ちゃんとも仲良いよ~~」
「友紀ちゃんわかりやすくご機嫌だね!何か良いことあった?」
「実は……」
友紀が語る顛末を聞きながら、改めて自分の持つ幸運が友紀の元へ渡ったということに、身が震える。
「へぇ~そうなんだ!やっぱり茄子ちゃんは凄いね」
一通り事の顛末を聞いた美世は、友紀の頭をポンポンしながらそう言った。そして、友紀を可愛がっていたその手を今度は私に向ける。
「私にも分けて分けてー」
そう言う美世は、本当に幸運を分けることが出来るとは信じてなさそうだ。おそらく大抵の人はそうだろうし、自分もそれが真実であると信じてもらおうとは考えていなかった。特殊能力が出てくる作品の類で、力を誇示し吹聴して回った者には、因果論に従った罰が下されるのが常だ。
それに自分の能力は、その発現条件が自分の感情に大きく依存している。だから今美世の手を握っても、幸運を分けよう、と念じなければ、誰の数値も変動しない。
美世の幸運度は「48」だった。生活するには、全く支障が出ない値だ。適当なタイミングで手を放すと、美世は触れていた箇所をまじまじと見つめた。
「うーん、なんか運がよくなった気がする。あったかいし」
「それは……私が触ってたからじゃないですか?」
そう言って、三人で声を揃えて笑った。
私が、人を幸せにすることが出来た。妬まれることも多かった幸運のお陰で。レッスン中も、帰る電車でも、家に帰ってからも、ずっと祝福のファンファーレが止むことはなかった。これまで出来なかったことなんて忘れてたはずなのに、記憶の片隅からとめどなく溢れてくる。そのことが、とても嬉しかった。
たくさんあるやりたいこと。一番最初にしたいことは、すぐに決まった。素早くメッセージを送信して、布団に潜る。二十歳にもなって、まだこんなにワクワク出来るのかと、童心を抱きながら眠りについた。
はやく明日になれ。
朝一でまず、自分の幸運度を確認。数字は「100」に戻っていた。ひとまず、ほっと一息。人の幸運度は一度寝ればその時点でリセットされ、各々が持つ固定値に戻る。どれだけ人に幸福を分けても、睡眠中に勝手に充電される仕組みになっているらしい。こうも幸運が無尽蔵であると、自分のことを心配せずに幸運を分けられるのでありがたい。
階下へ降りると、温かいパンの焼けた香りに包まれた一家団欒が広がっていた。
「少し遅かったわね。お父さん少し前に出てったわよ」
「それは残念です」
パンを齧りつつ、母の数値に目を配る。親の数値確認は、最早日課になっていた。彼女の数値は「32」。少し低めだ。固定値自体に少しばらつきがあるとはいえ、値が下がっていると心配になる。ただ、32くらいでは精々お釣りで一円玉が多くなるくらいの影響しかなく、生活が困るレベルの運の悪さではないため、なにより今日は幸運を温存しておかなければならないため、母へ幸運を分けることはしなかった。
早々に食事と身支度をすませ、玄関へ。今日は、大切な約束をしているのだ。
「す、すみませんお待たせしてしまって」
予想通り白菊ほたるは、待ち合わせ時間から少し遅れてきた。途切れ途切れの息が、彼女の歩んだ道の過酷さを物語っていた。
「待ってませんよ。今来たばかりですから」
実際待っていた時間も10分程度だった。彼女は、その特質――私とは正反対な、不幸体質と言えるそれ――のせいで、本人の意思に関係なく、約束を守れたことは少ない。しかし、遅れるたびにペコペコと謝る彼女は、まるで頭を上下に揺らす白百合のようで可憐である。
「さて、行きましょうか。といってもすぐそこですが」
そう言いながら、彼女の頭上に視線を向ける。そこには「2」という中々お目にかかれない数字が浮いていた。想像はしていたが、実際目の当たりにすると形容しがたい威圧感に、若干身を引いてしまう。
カフェに入り、互いに昼ご飯を注文する。コップの取っ手が取れてしまったり、スプーンがもらえなかったりとほたるは忙しそうだったが、それも慣れたことだ。
「それで、今日の用事って何なのですか?」
食事も終え、BGMも一回りしたところでほたるが、そう切り出した。
「そうですね、じゃあ、手を出してもらえますか?」
はたるは、おずおずと、真実の口に差し出すかのように手をかざした。そんなに怖がらなくてもいいよ、と私が言うと、彼女の肩の力が少し抜けた。
幸運よ、届け。
私は念じながら、彼女の細い手を握る。びくり、と彼女の手が驚きで跳ねるが、それ以上に動くことはなかった。信用してくれてるんだな、と胸が熱くなる。念の強さが自然に増してくる。カウンター越しに店員さんが、怪訝な目を向けてくるけれどそれも気にならない。
私が一番最初にしたかったこと。
それは、ほたるちゃんの不幸を払ってしまって、彼女を幸せにすること。
そうすることが正しいのか、間違っているのか、悩み続けてきたはずだった。しかし、彼女を幸運に出来るようになったとたんに、悩んでいたことが馬鹿馬鹿しくなった。幸せに出来る人がいれば、幸せにすればよいのだ。勝手に彼女を何かの天秤に乗せて、哲学者を気取っていた自分に嫌気が差した。
彼女の幸福度が「100」になり、ガソリンのメーターが止まるように、上昇していた数値が止まる。手を放すと、集中していたからか少し疲れを感じる。
「えっと……これで、どうなったんですか?」
ほたるが、おそるおそる訊いてくる。私は笑って、
「あなたに幸運をあげたのよ」
と、返した。
彼女はきょとんとした後、またこちらを見つめてくる。その目は半信半疑で、いや、半信すら疑わしく、行動の真意を問うている。
「じゃあ、今日一日この後も遊びましょう。そうしましょ」
そう言って、戸惑っているままの彼女の手を引いて、街へ飛び出す。
たまたま見つけた商店街のくじで、ほたるちゃんが一等を当てた。
神社で引いたおみくじは、私が凶でほたるちゃんは大吉だった。驚き過ぎて腰を抜かしてたのが可笑しかった。
入った服屋さんの一万人目のお客さんがほたるちゃんだった。
「……今日は、疲れました」
「だろうね。お疲れ様、どう?私の言ってたこと、信じてもらえた?」
「信じます信じます。……今日は、ずっとジェットコースターに乗ってるみたいで、楽しかったけど、ちょっと、疲れちゃいました。でも」
「でも?」
私は彼女の顔を覗き込む。
「なんだか、戸惑っちゃったりもしました。……私が、こんなに幸せで、いいのかなって」
「いいんですよ。私も、良いと思ったから幸運を送ったんだから」
別れ際、彼女は深々と頭を下げて、
「本当に、ありがとうございました……」
と、仰々しく礼を言ってきた。そんなに言わなくてもいいよ、って初めて会った時から言ってきたけれど、彼女は折れることなく丁寧なままだった。そこが好きなのだけれど。
帰り道は酷かった。犬に追いかけられたり、側溝に足を踏み入れてしまったり、鳥の糞が、肩を掠めたり。
眩しいオレンジに照らされながら、私は笑ってしまった。ほたるちゃんは今日一日をジェットコースターで例えていたけど、不幸が降り積もる日々もジェットコースターみたいに目まぐるしい。無意識のうちに、スキップを刻んでいた。
家に入ってからも、ダンスの角に小指をぶつけたり、大小の不幸が舞い降りてくる。
しかし、何が起ころうとも気分は晴れやかなままだった。次は何をしようか、可能性が無限に広がってくる。遠足前日の小学生みたいに、心が弾んで寝られなかった。目を瞑った先に広がる暗闇が宇宙に思える。
明日が待ち遠しい。
目が覚める。
いつも通り階下へ。朝の食卓の準備をする母と軽い挨拶の応酬を交わす。ちらっと日課の幸運度確認をするけれど、ふわっと丸が見えただけだった。
もしかして、見え辛くなっているのか、と不安になって洗面所の鏡で自分の幸運度を見る。幸運度はまた「100」に戻っていた。物理法則を無視しているけれど、そもそも運なんて非科学的なものに物理法則が適応するのかどうかも怪しい。
ならばなぜ見え辛かった?もう一度、母の数字を思い出す。あれは天使の輪っかが、まるでそのまま縦になったような……。
「0」?
背筋が寒くなる。もしそうなら、いますぐ私の幸運を分けなければ。でも、何故。突然0まで落ちたのか。理由が見つからない。ここで空論を練っていても不安は払えない、再び確認しなければ。
獣のように狭い廊下を駆け、居間へ戻る。食卓に見慣れた食パンと牛乳のセットがあり、母と父が珍しく揃って牛乳を飲んでいた。
母も父も、「0」を頭につけていた。
「どうして……」
そこまで呟いて、今朝の発想がまた浮かぶ。
物理法則。幸運度でも、それは厳守されていたのではないか。運の総数は変わっていなかったのではないか。
私の幸運度がいつも、「100」まで満たされていたのは、想像に難くない。力を過信して、他人の幸運を奪ってしまっていただけだった。
とにかく、私の幸運を分けなくては。そう思い手を伸ばした瞬間。
父と母が同時に牛乳を噴き出した。
そのまま二人とも、崩れ落ち床へ倒れこむ。マネキンのように転がる二人を前に、私までマネキンになってしまったみたいに体が硬直する。
二人の数字が、完全な透明になり背景に溶ける。そのことが何を意味するのか。考えたくなかった。
「次のニュースです」
「本日、東京都○○区において、変死事件が発生しました」
「亡くなった二人は、どちらも同じ牛乳を摂取していたことが確認されています。この牛乳から、農薬に含まれている成分が確認されています」
「この牛乳が出荷された量はそこまで多くなく、迅速な回収が行われました」
「数が少ないこの製品を摂取してしまった、とても不幸な事故と言えるでしょう」
読んでいただいてありがとうございました。
鷹富士茄子は島根出身ですが、この世界では茄子の大学進学と共に家族全員が引っ越している設定です
ほのぼのかと思ったら唐突なホラー落ち
乙
周囲の運を吸って補充してたのかな
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