P「まゆのまゆ」 (7)

日が暮れかかる。

「お疲れ様です」

彼らは彼女たちと別れるときだが、おれには担当する女がいない。
おれは女と女との間の狭い割目をゆっくり歩き続ける。
ここにはこんなにたくさんの女がいるのに、おれの女が一人もいないのは何故だろう?
……と、何万遍かの疑問を、また繰り返しながら。

「おつかれー」

デスクを見ると、そこにはいくつもの封筒やひもの切れ端なんかが落ちていて、おれは首をくくりたくなった。
ひもは横目でおれを睨みながら、プロデューサー、休もうよ。
まったくおれも休みたい。
だが休めないんだ。
おれはプロデューサーだし、それにまだおれの女がいないのか納得のゆく理由がつかめないんだ。

「お疲れ様」

仕事は毎日やってくる。
仕事があるならプロデュースしなくちゃならない。
プロデュースするというなら女が要る。
そんならおれの女がいないわけがないじゃないか。

「さようなら」

ふと思いつく。
もしかしておれは何か重大な思い違いをしているのかもしれない。
女がいないのではなく、単に忘れてしまっただけなのかもしれない。
例えば……と、偶然そこにいた女の前で足を止め、彼女がおれの女かもしれないじゃないか。
無論ほかの女と比べて、特にそういう可能性をにおわせる特徴があるわけではないが、それはどの女についても同じだ。
またそれは、おれの女であることを否定する何の証拠にもなりえない。
勇気を奮って、さあ、話しかけよう。
親切そうな女の顔。おれも笑って紳士のように挨拶した。

「ちょっといいかな。きみはおれの担当じゃあないかな?」

女の顔が急にこわばる。

「あら、どこのプロデューサー/さんでしょう?」

おれは、はたと、なんと説明すべきかわからなくなる。
おれが誰であるのか、そんなことはこの際問題ではないことを彼女にどう納得させるべきか。
おれはやけになって、

「ともかく、きみがおれの担当でないということなら、それを証明してほしいんだ」

「あら……」

と、女の顔がおびえる。
癪にさわる。

「証拠がないなら、おれの担当だと思っていいんだよね」

「でも、私は、——の担当です」

「それが何だというんだい? 彼/女の担当だからって、おれの担当でないとは限らない。そうだろ?」

返事のかわりに、女の顔が写真に変わった。

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ああ、これが女の笑顔というやつの正体だ。
誰かのものであるということが、おれのものでない理由だという、訳の分からぬ論理を正体づけるのが、いつものこの変貌である。
だが何故、すべてが誰かのもので、おれのものではないのだろうか?
誰のものでもないものがひとつくらいあってもいいではないか。
最初の女もそうだ。
あれもまた誰かのものになりつつあるもので、やがて誰かのものになるために、おれの関心を無視して消えてしまった。
あるいは、明らかにおれのものではないものに変形してしまった。

ではこのソファはどうだ。
もしこれがおれのものなら、笑顔の女が追いたてさえしなければ……確かにここはみんなのもので、誰のものでもない。
だが彼女は言う。

「こら、起きなさい。ここはみんなのもので、誰のものでもない。ましてプロデューサーさんのものでもないですよ」

「さあ、早く仕事してください。嫌なら店から石ころを買い取ってもらいましょう」

「それ以外で石ころを求めるなら、あなたは仕事をし続けるしかないのです」

さまよえるユダヤ人とは、すると彼女ではなく、おれのことであったのか?

日が暮れかかる。
おれは去っていく女たちと逆へと歩き続ける。
おれの女がいない理由が呑み込めないので、首もつれない。

おや、誰だ、おれの足にまとわりつくのは?
首つりのひもなら、そうあわてるなよ、そうせかすなよ、いや、そうじゃない。
これは、ねばりけのある絹のリボンだ。
つまんで引っ張ると、その端は靴の破目の中にあって、いくらでもずるずるのびてくる。
こいつは妙だ。
と好奇心にかられてたぐり続けると、次第に体が傾き、床と直角に体を支えていられなくなった。
事務所が沈下でもしたか、引力の方向が変わったのか?

コトン、と靴が足から離れ、おれは事態を理解した。
事務所が沈下したのではなく、おれの片足が短くなっているのだった。
リボンをたぐるにつれ、おれの足がどんどん短くなっていた。
すり切れたスーツの肘がほころびるように、おれの足がほぐれているのだった。
そのリボンは、へちまの繊維のように分解したおれの足であったのだ。

もう一歩も歩けない。
途方に暮れて立ちつくすと、同じく途方に暮れた手の中で、リボンと化した足が独りでに動きはじめていた。
するすると這い出し、それから先はおれの手を借りずに、蛇のように身に巻きつきはじめた。
片方の足が完全にほぐれてしまうと、リボンは自然にもう片方に移った。
リボンはやがておれの全身を袋のように包み込んだが、それでもほぐれるのをやめない。
胴から胸へ、胸から肩へ次々にほどけ、ほどけては袋を内側から固めていく。
そして、ついにおれは消滅した。

あとには大きな空っぽのまゆが残った。

ああ、これでやっと休めるのだ。
夕日が赤々とまゆを染めていた。
これだけは確実に誰からも妨げられない、おれのものだ。
だが、おれのものができても、今度はそれを所有するおれがいない。

まゆの中で時が途絶えた。
外は暗くなったが、まゆの中はいつまでも夕暮れで、内側から照らす夕焼けの色に赤く光っていた。

このおれが、彼女の目に留まらぬはずがなかった。
彼女は、まゆになったおれを、デスクの上の封筒の中に見つけた。
彼女は、最初はまゆをひそめたが、すぐに大切なものを拾ったと思いなおして、バッグの中に入れた。
しばらくその中をごろごろした後で、彼女の裁縫箱に移された。

「まゆですよぉ」

元ネタは安部公房の『壁』の「赤い繭」
原作のテーマがパロっているうちにどっかいったので別に設定しました

自身のプロデュースには自信をもって、担当アイドルには愛をもって接してあげてください

終わりです

日付が変わったらHTML化依頼します

モバ付けろカス

赤い繭って前にもまゆSSになってた気がする

なんか難しい!
おつおつ

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